【デレマス時代劇】木場真奈美「親子剣 屠龍」 (127)
ただいま
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太平の世が始まって、しばらくした頃。
戦もなく、特別な不幸もなかった。
代わりに人々は、変わらない日常に仄かな圧迫感と憂鬱を感じるようになった。
特にそれが酷かったのが、武士であった。
戦乱があった頃は、腕さえあればすぐに身を立てることができた。
至極、物理的な手段に訴えて生きていくことができた。
しかし今の彼女達は秩序によって雁字搦めにされ、
自身の刀でさえ、思うように振ることができない。
その鬱屈は、ゆるやかに蓄積されていった。
こんこんと降る雪が灯篭に照らされて、
幻想的な風景を描き出していた夜。
ようやく日の勤めを終えた木場真奈美は、屋敷に戻った。
藩主の体調不良が長く、現在十月ほど。
城の警護は否応なしに長引いていた。
木場が門をくぐろうとすると、はて、家を出た時にはなかった籠がある。
拾い上げてみると、中で赤子が安らかな寝息を立てていた。
赤子の傍らには文が添えてあった。
“あなたの子です”。
「さて、いつ産んだか…」
頭をひねりながら、木場は籠を抱えながら屋敷に入った。
彼女が、赤子を拾ったことにさしたる理由はなかった。
強いて言えば退屈していた。
馬廻の長といっても、平和な世では藩主の権勢を示すためのお飾りに過ぎない。
剣を頼みにして成り上がったのはいいが、実際のところ、
それが発揮された機会は皆無であった。
向上心は胸の中に燻っているが、これ以上は藩をひっくり返すでも
しなければ叶わぬ望みだ。
さらに、家族を養うために懸命に働くという選択は
両親が死に、かつ嫁も取らなかった木場には無縁。
仕事に甲斐はなく、家中には華がない。
向上心は胸の中に燻っているが、これ以上は藩をひっくり返すでも
しなければ叶わぬ望みだ。
家族を養うために暇を忘れて懸命に働く、という選択も
天涯孤独かつ嫁も取らなかった木場には無縁。
仕事に甲斐はなく、家中には華がない。
永らく待ってたぜ
汝のSSをよ
彼女は驚く下女に赤子を預けた後、書室に入って筆を取った。
名前は実際、抱き上げた時に思いついていた。
むっとするくらい乳と小便くさかったので、薫と名付けた。
木場の名前を与えるつもりはない。
親をやるのは一寸気後れがするからだ。
木場は、下女に薫の面倒を見させて、
自分は時々様子を見るに留めた。
だが、ある時。
木場は、庭先で棒切れをつかんで立っている薫を見かけた。
剣士の真似事か。
ふっと微笑みながら、薫を観察した。
体が乱れている。構えも滅茶苦茶。
道場で同じことをしたら、失笑を通り越して張り倒されるだろう。
薫は、どこか一点をきっと見つめていた。
その視線だけは一丁前だった。
だが棒を振り回した時、すっ転んでしまった。
姿勢が安定しない状態で思いっきり武器を振り回せば、当然の結果である。
ひざを擦りむいた薫は、大声で泣き出した。
下女が屋敷から飛び出してきて、薫を抱え上げた。
その風景は、ふっと木場の胸中に荒涼とした風を吹き込んだ。
2人が屋敷に消えた後、木場は棒切れを拾い上げて、
突きを繰り出した。
新陰流の達人にかかれば、棒切れも空を裂く。
ぼっ、という音を立てて、あたりにつむじ風が巻き起こった。
なんだか大人気ないことをした、と木場が棒切れを投げようとすると、
足元にあるものを見つけた。
真っ二つになった白い蝶。
それは、木場が斬ったものではなかった。
その日から、木場は薫に直接剣を教え始めた。
はじめは退屈を潰すつもりだったが、途中からは本気になった。
控えめに言っても、薫は剣術の天才だった。
型の習得、気力の充実、反射神経…強いて言えば筋力がやや低かったが、
それを補ってあまりある“速さ”。
真剣勝負の場で薫の剣が走る時、おそらく相手はまだ抜いてすらいない。
仮に抜いていたとして、防ぐことも叶わぬ。
常人が一振りをする間に、彼女は三回相手を[ピーーー]ことができる。
教えることが少なくなってくると、木場は自身の傑作を
他人に披露せずにはいられなくなった。
しかし薫は、身分上は武士ではない。
馬鹿正直に道場へ送っても、相手にしてもらえるかどうか。
そこで木場は一計を案じた。
まず、気取った一刀流の道場のそばの小路で、
薫が適当に棒切れを振る。格好は、できるだけみすぼらしく。
すると、門下生達は彼女を取り巻いて、真の剣術とは云々と、
嫌味ったらしく説教を垂れるだろう。
そこで、薫が相手を叩きのめすのだ。
戦が終わってからは気位ばかり高い一刀流の門人達は、
面目を潰されたとして
次々に勝負を持ちかけてくるだろう。
それらを片っ端から潰していけば、薫にとって良い腕試しになる。
木場の目論見は功を奏した。
その結果、薫の剣の腕は藩主の目にとまった。
成長した彼女は、
側仕えの剣士として、召抱えられることとなった。
剣の腕が立つとは言え、身分上はただの町人のはずだが…。
木場は首をかしげたが、教え子の栄達に水を差すのも無粋だと思い、
あまり深くは考えなかった。
「せんせえ…」
屋敷の門の前で、薫が寂しげに振り返った。
木場と彼女の間にある感情面の蓄積は大きかったが、
実際その関係は平行線上にあった。
「頑張れ」
木場はそれ以外にかけるべき言葉が見つからなかった。
仕事の出来る女ではあるが、私的な面では不器用の部類に入る。
とはいえ剣士として授けられることは全て授けた。
それが活かされるなら、余計な感傷は無用。
「早く行け。
遅刻の言い訳までは教えたつもりはないぞ」
薄く微笑んで、木場は手を振った。
数年後、薫の腕は城下だけでなく藩外まで知れ渡った。
よそから来た浪人や武芸者が、腕試しに彼女のもとを訪れ、
皆あえなく敗退し、生きていた者はその勇名を広めてまわった。
木場も、自分のことのように誇らしい気持ちになった。
しかし程なくして、暗雲が立ちこめた。
執政会議において藩主と家老の対立が著しく、藩は真っ二つに分かれた。
言論での応酬が交わされることなく、
同意のなされた勝負、一方的な辻切り等、
真剣での殺傷が藩内に氾濫した。
木場は静観の姿勢を保った。
どちらに肩入れしても、またどちらかに強く恨まれる。
それよりかは多少の不興を買ってでも、何もしない方が安全のように思われた。
しかし、薫はそうすることができなかった。
彼女は藩主の命を受け、家老を斬り捨てて、
血生臭い政争を物理的に終結させた。
そしてその後、藩主は薫に、直々に切腹の刑を言い渡した。
家老派の憎悪を押し付ける腹づもりであるのは、
誰にとっても明白だった。
木場は声を上げなかった。
こういった不条理を目の当たりにしたのは、初めてではない。
また武士として生きる以上、藩の汚泥を被って死ぬのは、
たとえそれが不本意であったとしても、成すべきこととのように思われた。
木場は介錯を引き受けた。
他の者にやらせれば、その人間を恨んでしまうな気がしたからだ。
刑は粛々と実行された。
遺体を引き取った後、
ふと木場は、薫の本当の親のことが気にかかった。
拾い子という事実を、木場は隠していない。
薫の名声のことを思えば、
厚かましくも名乗り出てくる輩が出てきても、不思議ではなかったはず。
墓前に手を合わせるくらいはしてもらわねば、と、木場は決意した。
町民への聞き込み。
薫が産まれたであろう時期に、妊婦の面倒を見た助産婦の捜索。
普段は足を踏み入れない貧民窟にも、木場は進んでいった。
それと並行して、彼女は遅ればせながら遊郭通いを覚えた。
やはり薫のことに関して、重篤な心理的苦痛があったのだろう。
しかし、親探しに決着をつけたのがその遊郭であった。
藩主が体調を崩し始めたのと同時期に、1人の男娼が殺されたという。
ある夜、城の寝間の襖が、ゆるりと開かれた。
「ご就寝前に失礼致します」
藩主は起きて、暗がりの中で目を凝らした。
「何奴だ」
相手は、慇懃な口調で答えた。
「馬廻の木場に御座います」
「どうした」
「子の仇を取りにきました」
藩主はぎょっとして助けを呼んだが、誰1人としてやってこなかった。
すでに柄が重くなるほど、木場の刀は血を吸っていた。
哀れな女は、寝間を転がりまわって逃れようとした。
しかし灯りもなく、どこへも進みようがない。
木場はすうと一呼吸して、暗闇の中で、神速の突きを二回放った。
剣は藩主の両瞳を寸分も違わず貫き、絶命させた。
これが、かの龍崎藩で起こった藩主暗殺の顛末である。
おしまい
短編がさらに続く
【デレマス現代劇】二宮飛鳥「ダウンヒルクライマー」
一瞬、空が遠くなった。
新関東大震災。メディアはそう呼んだ。
でもそんな言葉では到底、到底、
ボクの絶望を表現できない。
マグニチュード8以上の地震は、東京にあった美城プロダクションの各部署を、
跡形もなく破壊し尽くした。
ビルの高さは最低でも10階以上。
一階にいた人間は瓦礫とガラスと、それから他の人間に擦り潰されて。
上の階の人間は、床に足をつけたまま落下死する。
偶然外に出ていて生き残ってしまったボクは、
吐き気をこらえながら
崩壊した建物の側で救助が来るのを待った。
夜は、避難所から持ってきた、乾いた毛布を纏って、凍えながら眠った。
朝どうしてもお腹がぺこぺこになって
避難所に戻ると、いやらしく耳につく歌が聞こえた。
よく知らない女の子達が、けばけばしい衣装を着て踊っている。
それでも避難所のみんなは、彼女たちの下へ集まって、
歓声を上げたり、拍手をしたりしていた。
ボクは、それを遠目に見ているおばあさんに、
「あれは?」と尋ねた。
おばあさんは、「余所からきた」、と冷たい声で言った。
それから、「歌じゃ腹はふくれないよ。
心がこもってないなら、なおさらね」と付け加えた。
また他の人に尋ねると、
彼女達は関西あたりの、地下アイドルグループだという。
そこでボクは理解した。
この最悪の現実ですら、“食い物に”できる人間がいるんだって。
東北の方へ出張していた、美城プロダクションの職員達も、
彼女達と同類だった。
彼らはボクを一目見るなり、「ライブをしよう」と持ちかけてきた。
「君の歌で被災者の方々に希望を与えるんだ」と。
ボクは無性に、母さんと父さんに会いたくなった。
でも、ネットは通じない。
そして東京へ至る全ての道は、走行が不可能なほど滅茶苦茶になっていた。
勿論、鉄道も。
じゃあ、あのアイドルグループや美城の連中はどうやって来たんだって?
きっと空から飛んで来たんだろう。
蝙蝠みたいな翼で、どこかのヘリポートに。
地震が起こってから9日。
雨が降ってきた。
ボクは抱えきれないくらいのブルーシートを引き摺って、
避難所の外に飛び出した。
なんでこんなことをするんだろう。
「みんなが溺れる…」
ボクはズタボロになったシートを、瓦礫の上にかぶせた。
強い風が吹いて飛ばされるたび、追いかけて、
素っ転んで、鼻血を出して、それを捕まえて元の位置に戻した。
雨水は生傷だらけになった身体に染み込んで、心まで冷やした。
「あははっ」
ボクはなんで、こんなにも愚かなんだろう。
人の生なんて儚いものだ、なんて、
あの頃は散々言っていたじゃないか。
感情なんて所詮、化学物質の分泌なんだって、
志希と笑いあったじゃないか。
10日目。
ボクはふと、地震が起こった日に、
本門寺公園の方でLiPPSがライブを行っていたことを思い出した。
彼女達は無事なのだろうか。
後ろ髪を引かれる思いだったけれど、
ボクは大田区まで、一時間かけて歩いた。
そういえば本門寺公園にはキャンプ場があるから、
他のアイドルもそこへ避難しているかも……。
そんなボクの希望は粉々に打ち砕かれた。
本門寺公園は、御堂を含めて全焼していた。
木々も黒く煤けていて、対照的にキャンプ場の芝生は青々としていた。
人の姿はなかった。
そこで引き返せばよかったのに、ボクは公園内を、ゆっくり徘徊した。
そして池の近くまで差し掛かった時、強烈な悪臭に目と鼻を塞いだ。
しばらくして咳き込みながら目を開けると、おびただしい数の死体の中に、
大きな金魚が数人浮かんでいた。
色彩豊かな衣装がたなびいて、身体は腐敗して膨れ上がっている。
ボクは嘔吐した。
それでも目は、LiPPSのみんなに釘付けになっていた。
彼女達をなんとか陸へ引き上げようと水面に近づくと、
身体が後ろに引っ張られた。
「その池の水を飲んじゃダメだ」
男の人が、憔悴しきった顔でボクに言った。
話を聞くと、水不足に苦しんだ人々が、池の水を飲んだ結果感染症にかかり、
すでに何名も亡くなったという。
水が飲みたかったんじゃなくて、彼女達をなんとかしたいんだ。
そう言いかけた時、彼女達が身をよじって、水面が大きくうねった。
生きていたのか!
急いで池に歩み寄ろうとしたけれど、また男の人に止められた。
死体が動いたのではなくて、ただの余震だと。
12日目。ボクはまた瓦礫の前で立っていた。
やってきたのは救助隊ではなかった。
なんだか、よくわからないロゴが書かれた、大きなショベルカーの群れ。
ボクは車両に石を投げて、「何しにきたんだ!」と叫んだ。
現場監督だか、なんだか、無愛想なおじさんがやってきて、
「瓦礫の整理に」と、まったく申し訳なさそうに答えた。
それを聞いてボクは、ぺたり、とその場に座り込んだ。
身体を地面に押し付けたのは、現実という名の怪物だった。
みんな死んだんだ。
プロデューサーも、蘭子も、幸子も、LiPPSのみんなも、
あのクソッタレ常務も、みんな。
涙は出なかった。
ボクの脳の中にある情動器官は、まだ何も分かっていないのだ。
1分と少しの間東京の街が揺れただけで、
何もかもが壊れてしまうなんて。
それでもボクは、瓦礫をかき回そうとするショベルカーに向かって叫んだ。
「ここには、輿水幸子がいるんだぞ!
神崎蘭子も、あのLiPPSのアイドル達だって!!」
生きているとか、死んでいるとかじゃない。
彼女達は、鋼鉄の爪で引き裂かれていいような、そんな存在じゃないんだ。
「知らないよ」
現場監督の男は、そう冷然と言い放って、作業開始を支持した。
ボク1人では止められなかった。
心底、自分がただの14歳のガキなんだって思い知らされた。
ボクは避難所に戻って、みんなの力を借りようとした。
でも、「知らない」という声ばかり。
TVにいっぱい出ても、CDを何万枚も売り上げても、
武道館でライブを行なっても。
みんなを覚えていたのは、あの皮肉屋のおばあちゃんだけだった。
「私みたいな婆さんでなくたって、人はみんな忘れっぽいのさ。
ほんの少し前に東北や九州が地震に襲われたことも、
かけがえのない人がいたことさえも…」
そう言われてボクは頭が真っ白になった。
みんなの顔が、どんどん薄れていってる。
顔だけじゃない。
身長はどれくらいだった?
どんな声だった? 趣味は?
ボクは彼女達とどんなことを話した?
覚えていること、思い出すことを、
ボク自身の脳味噌が拒んでいる。
心が、壊れてしまうから。
だけどボクは、いてもたってもいられなくなって、
セピア色がかった記憶をまさぐって、歌を口ずさんだ。
何人かが顔を上げた。
忘れたくない。
忘れないでくれ。
ボクは声を張り上げて歌った。
途轍もなく、下手くそな歌を。
かっこ悪い。惨めだ。
胸がじくじくと痛む。
でも歌うのはやめなかった。
この下り坂を転げ落ちたら、彼女達だけじゃなくて、
ボクの魂ごと離れていってしまう気がしたから。
声が枯れて、立っていられないほど疲れ切ったボクは、そのままぶっ倒れた。
2週間目。
ようやく母さんと父さんと連絡が取れるようになった。
いざ話そうとすると、ボクは何を言えばいいのかわからなかった。
伝えたいことがたくさんあって、ありすぎて、頭が痛い。
結局、「うん」、「大丈夫」を繰り返しているだけだった。
だけど、「迎えに行くから静岡に戻っておいで」という母さんの言葉に、
電話越しだけれどボクは首を横に振った。
ここにいたかった。どんな苦痛がともなうとしても。
みんながここに、確かにいたんだ。
その真実の美しさを、ボクは忘れたくなかったから。
一ヶ月目。
ボクは避難所の中を駆けた。
瓦礫の下から、みんなが戻ってきた。
遺体は、驚くくらい綺麗だった。
けれど表情は苦しげだった。
死因は窒息、飢え、衰弱。
圧死していた方が楽だったと、美城の職員の男が言った。
ボクは土で汚れた、蘭子の顔を撫でた。
彼女の瞳から、すうっと血の涙が流れた。
はっと顔を上げると、みんなの頰に、真っ赤な雫が伝っていた。
おかえり。
地震が起こってからはじめて、ボクは泣いた。
声を上げて、泣き続けた。
おしまい
【デレマス現代劇】東郷あい「藍よりも深い青」
東郷あいは、ヒトの愛を知らない。
23歳の誕生日を迎えた時でさえも。
仕事で家を空けがちな男と、
浮気性のある怠惰な女。
何かの手違いで結婚したとしか思えない二人が、あいの両親だった。
虐待こそされなかったが面倒もろくに見てもらえなかったので、
あいは何でも自分で出来るようになった。
そうすると同級生達は彼女を頼るようになった。あいは快く応えた。
だが、誰もあいを助けることはできなかった。
彼女が困るような事態を、他の子どもが何とかできるはずがない。
進学をしてもそれは変わらなかった。
あいは凄絶な孤独を全く表にださず、周囲の期待に応え続けた。
そして大学生活が終わりにさしかかって、
そろそろ自殺でもしてみようか、
と海に身を沈めようとしていた頃、アイドルとしてスカウトされた。
後に明らかになったことだが、
プロデューサーはあいに匹敵するほどに優秀な人間だった。
しかし彼女とは違って、エゴがスーツを着て歩いているような人間だった。
「どうせ死ぬなら、あんたの人生を俺によこせ」
海からあいを引き上げて、彼はそう言った。
「プロポーズかい?」
「あんたがアイドルになることを
提案(プロポーズ)する。
まあ、人生が台無しになるのは一緒だ」
言葉を交わして、あいは相手が自分と同種類の人間であることを理解した。
怜悧さと温かみを兼ね備えた容貌。
豊満ではないが、中性的な表情ゆえに、
背徳的な魅力を醸し出す体型。
父性と母性が融けあったような、穏やかでありつつも頼もしい性格。
それで、何でも「出来て当然だ」というようにこなしてしまう。
東郷あいはあっという間に、
トップアイドルの座に躍り出た。
「初めて見た時から躍りが得意に見えたんだ」
美城アイドルの総選挙の後、プロデューサーはそう言った。
それに対して、あいはこう返した。
「道化の君には負けるよ」
しばらく二人で笑いあった。
愚かな人間達を楽しませるために、自身達の人生を磨り潰している。
金はいくら増えても慰めにならない。
あいとプロデューサーは、互いが唯一の理解者だった。
けれども、そこに男女としての愛はなかった。
それよりも深い、信頼と友情の念が滔々と湧き出ていた。
あいの23歳の誕生日は、二人で祝った。
場所は閑静で、さらに口が堅いことで有名な料亭。
「まるで恋人同士みたいだね」
「ぞっとする」
「傷つくなあ」
「嘘つけ」
そんなことを言いながら、彼女達は料理と酒を楽しんだ。
二人が愛し合うことができないのは、
結局のところ自らの内にある、最も嫌悪する部分を相手も持っているためだった。
自己嫌悪。同族嫌悪。
それゆえに自分を信じるのと等価に、相手を信じられる。
世界に絶望してもなお、世界にすがり、尽くす。
そのために何をすればよいのかを熟知している。
よって、どちらかが下手を打って両者が地獄に堕ちることがあっても、後悔はしない。
そういう仲だった。
だが世間の目は厳しく、想像力は貧相かつ猥雑だった。
友人同士の“気さく”な宴は、男女の逢瀬として露見した。
あらゆる事象を性愛によって断じる軽薄な人間達は、2人を糾弾した。
事務所内の人間は同情的だったが無理解だった。
「人が失敗をすると急に生き生きする人間は、どこにでもいるものさ。
料亭の中にもそういう奴がいたんだ」
あいと同じく、アイドルである木場真奈美はそう言った。
あいは肩をすくめながら返した。
「私は失敗をしたとは思っていないよ。
それと、私達が会っていた場所は公表されていない」
固まる真奈美の背中を撫でた後、あいは彼女との関係を絶った。
東京のとあるバー。
時刻は深夜を回って、客入りも少なかった。
それに輪をかけて寂寞とした音楽が流れていた。
その奏者は東郷あいと、プロデューサーの男。
チャーリー・パーカーの『Confirmation』。
サックスがあい、ピアノがプロデューサーである。
あいとはちがって、元々プロデューサーの方には楽器やジャズに対する関心はなかったが、
「あい程度に出来るんだから自分にも出来る」と言って、
演奏を始めたのがつい最近のことである。
音色はやや硬質であったが、彼の奏でる旋律は決して稚拙ではなかった。
あいのアルトサックス、ヤマハ82ZULは長年の使用によって管体の表面が酸化している。
その素朴な音と“硬い”ピアノがうまく調和して、
晩秋の樹林のような雰囲気を醸し出していた。
その後2人で入ったビジネスホテルの一室。
あいはサックスを分解して、演奏後の手入れを行なっていた。
音孔を塞ぐ革張りのタンポの水分を、丁寧に拭き取る。
こうしないと劣化して空気漏れや錆の原因となる。
必要以上に時間をかけて、あいはサックスの管体を磨く。
あいはふと、楽器に対するような愛着を
なぜ他人に持つことができないのだろうと考えた。
別のベッドでくつろいでいる男に尋ねると、
「人は裏切るから」と、特に感慨もなく答えた。
あいは、ふっと微笑んで、
「木場さんは君のことを愛していたみたいだよ」と言った。
対してプロデューサーの方は、
「いや、あいを見つめている視線の方が熱かった。
俺はあいが蒸発しないかって、いつも冷や冷やしていたんだ」
「わくわくじゃなくてかい?」
「ははは」
「ふふっ…」
過去の人間を笑い話にして、2人は笑いあった。
密会が露見してから両者の関係は、少し露骨になった。
人目をはばからずに外出するようになり、バーでの演奏のような、
“勤務外の奉仕活動”も頻度が増えた。
二人は一切の弁明をしなかった。
「フロイトの出来損ないが多すぎる」と肩をすくめたくらいだった。
あいの仕事は激減した。
売女、あばずれ、金返せ。
そのような手紙が事務所に殺到した。
手紙一通一通、罵詈雑言一字一句に目を通して、あいは苦笑した。
「アイドルは元々、公衆に向かって股を開く女なのにね」
その言葉を聞いた他のアイドル達はぎくりとした。
彼女達の後ろめたさは、あいへの疎外という形で返ってきた。
プロデューサーはプロデュース業がめっきり来なくなって、
代わりに細々とした事務職に打ち込んでいた。
なまじ優秀な男であるから、経営者側も切るに切れない。
アイドル達は彼に近づかなかった。
プロデューサーであるにも関わらず、あい以上の痛烈な皮肉を吐くからだ。
「観客の目線が気持ち悪かった」というアイドルに対して、
「そいつの金で細々と生き長らえているご気分は?」などと尋ねる。
皮肉であるのと同時に、それはぞっとするほどの正論であるから、何も言い返せない。
直接“美城から出ていけ”と言われることはなかったが、
ある日、2人はいい加減うんざりして、定例会議の最中に辞表を提出した。
違約金が、損害の埋め合わせがと誰かが喚いたが、
札束の詰まったアタッシュケースがテーブルに積まれると、皆閉口した。
それを尻目に、あいとプロデューサーは会議室を後にした。
さらに、同日のうちに東京からも飛び出した。
「勿体無いことしたかな」
北へ北へと続く電車の中で、あいは呟いた。
それを聞いた元プロデューサーは、書類を数枚取り出した。
東郷あいの楽曲や映像の権利書。
所有者の欄には、2人の名前が記されていた。
上層部と同僚のサボタージュにつけこんで、秘密裏に手続きがなされていたらしい。
「ちょっとまずいんじゃないのかい?」
あいがそう指摘すると、さらに男はレコーダーとスマートフォンを取り出した。
そこには、定例会議で金を無心してきた役員の肉声があり、
さらに会議室の様子がリアルタイムで中継されていた。
ごちゃごちゃ言っていたが、
要するに2人からどれだけ金を搾り取るかの算段であった。
格好の脅迫材料である。
2人は津軽の驫木駅 で下りて、少し歩いた。
“人影絶えた野の道を 私とともに歩んでる
あなたもきっと寂しかろう
虫の囁く草原を ともに道行く人だけど
絶えて物言うこともなく”
そう歌いながら、あいは涙を流した。
「大丈夫か」
男が尋ねると、あいは、
「大丈夫。
ただ悲しいだけだから」
そう答えた。
旅館に入ると、部屋には1つの布団だけがあった。
「してみようか」
あいは言ってみてから、しまったなと思った。
だが男は、無言でスーツを脱ぎ始めた。
それを追うように、あいも衣類を身体から引き剥がしにかかった。
彼女は最後に残った、ZENITHの腕時計を鬱陶しそうに外した。
男も全裸になった。
そうして2人とも、絶望的な気分になった。
あいの身体は、アイドルだった頃となんら変わらないプロポーションを保っていて、
露わになった肌にはシミひとつなく、艶やかだった。
男の裸体にも、余計な贅肉は付いておらず、
ギリシアの彫刻のように引き締まっていた。
けれども、2人にとって現在行おうとしていることは、
積み重ねてきた信頼と、友情に対する裏切りであった。
期待も、性的興奮も、全く湧いてこなかった。
「キスは?」
「したいか?」
「いや、全く」
電気を消して、2人は交わった。
何かが良い方向に変わると思った。
結果は、何も変わらなかった。
ただただ深い悔悟の念が、両者の胸の内に込み上げてきた。
行為が終わったあと、押しつぶされるような沈黙が訪れた。
それに耐えかねて、男は部屋に備え付けてあった、PS2を起動した。
『FINAL FANTASY X』のソフトが入っていて、ゲームが始まるとすぐ、
物悲しげなメロディーが流れた。
しばらくその音色に耳を傾けた後、あいは男に尋ねた。
「私達の友情も、幻想だったのかな…」
男はモニターから目を離さずに答えた。
「俺が幻に見えるのか」
あいは、彼の背中にキスをした。
おしまい
おかえり
乙
まだまだ続く
明日(今日)中にもう一作
タイトルは「Like,Enemy,Hands」
大筋は書き上がってるからあとは細かな調整
おかえりなさい
待っていました
【デレマス現代劇】木村夏樹「Like,Enemy,Hands」
意外なことに思われるかもしれないが、
幼い頃の木村夏樹は内向的で、
あまり自分の意見を口に出さない子どもだった。
けれども言いたいことは人並み以上にあって、
いつも胸の内に不快なとっかかりが居座っていた。
夏樹が6歳になった頃。
家族でキャンプに向かう車中。
皆あまり口数の多い方ではなくて、それでは寂しいから、
父親は音楽をかけた。
レンタルショップで適当に借りて来た、洋楽のオムニバスCD。
陽気であるけれども、軽薄で意味不明な言葉の連なり。
夏樹はもじもじ、足をすり合わせた。
退屈。
しかし、ある曲がかかった時、彼女の心臓は飛び跳ねた。
The Clashの『White Riot』。
英語、若干のコックニー訛りで、しかも喚くような声。
幼い夏樹に聞き取れる訳がない。
だが、今までの歌とは違う。
何かを伝えたい、というようなささやかなものではなく、
“俺の言葉を叩きつけてやる”という、暴力的なまでのエゴ。
夏樹の心はギリリ、ギリリと締め上げられた。
曲が終わったあとも、彼女の脳内でジョー・ストラマーの叫びが
繰り返し、繰り返し響いた。頭痛を覚えるほどに。
夏樹はシートの上で、こてんと横に倒れた。
びっくりした家族が彼女を病院に担ぎこんだから、
結局、キャンプ計画は流れてしまった。
その日から夏樹の性格は一変した。
端的に言えば、かなり我儘になった。
とはいっても同世代の子どもに比べれば、
子どもとしての分を弁えたものであった。
親ができないことは望まなかった。
ただし、できるだろうと夏樹が考えたものについては、
脛にかじりついてでもねだった。
The Clashのアルバムを借りてくることだったり、
自分用のラジカセを買ってもらうことであったり…。
夏樹が欲しがったものの中で1番の大物は、
フェンダー社製『“ストラマ”キャスター』、テレキャスター。
憧れのジョーが、塗装がボロボロに剥がれるまで愛用したエレキギターだ。
当時の定価で8万円ほど。
実勢価格になると、6万円前後まで下がる。
さらに中古をオークションなりリサイクルショップなりで探せば、
3万円以内でうまく収まるだろう。
夏樹はこっそり父親のPCを使って調べた。
さらに家事を熱心に手伝い、小遣いもこつこつ貯め、
大好きだったおやつの購入を親に辞めさせ、
誕生日プレゼントも三回固辞して機を伺っていた。
夏樹が9歳になった頃、彼女はようやくギターを手に入れた。
子ども用ではなく、大きくなっても使えるように成人用を
購入してもらった。
しかし、何かが奇妙だった。
若干ボディが大きい。
弦を軽く撫でてみると、丸く太い音が出る。
テレキャスターには無いはずのトレモロがくっついている。
ボリューム/トーンのつまみがちがう。
しばらくぺたぺたさわってみて、夏樹は気づいた。
『ジャズマスター』じゃん。
ボロくてもテレキャスターならいいか、とおもったけど、
ジャズマスターだよ!!
両親に抗議しようと試みたが、悪気はなかったのだと思い止まって、
しょうがないから彼女は
おんぼろのジャズマスターでギターを始めた。
強くピッキングすると、細いゲージの弦がブリッジのコマから外れる。
セレクターの据わりが悪い。
トレモロのせいで弦のテンションが弱くなる。
幼い夏樹には複雑すぎるトーンコントロール回路。
ノン・レフティ(右利き仕様)。
なんど癇癪を起こしてギターを放り投げようとしたか、彼女自身にも知れない。
とはいえ、せっかく両親が買ってくれたものだから乱暴には出来ず、
辛抱して練習を続けた。
こまめに修理を重ねながら、ジャズマスターとの付き合いが5年程になった頃。
両親は娘が予想以上に演奏にのめり込んでいることと、
彼女が弾いているのがテレキャスターではないことに気づき、
ギターの買い替えを提案した。
しかし夏樹にとってのジャズマスターは、既にかけがえのない存在になっていた。
面倒なところも、ボロくて一寸カッコ悪いところも、
どのトーンの中にも、どこかにくぐもった歪みがあるところも。
ジャズマスターは半身どころか夏樹そのものだった。
もうこのギター以外では、自分の口でさえも、何も表現できないような気さえした。
高校に上がると、夏樹は軽音楽部に入った。
その頃の彼女は驚異的な技術を身につけていたから、
多少の嫉妬はありつつも、部活の中心人物になった。
しかし、夏樹は思い通りの演奏をすることはできなかった。
楽器という点では同好の士といえど、見ている方向は全く違う。
皆はきゃあきゃあ言いながら、
ポップスやアニメソングの拙いアレンジに甘んじていた。
夏樹はそれに逆らえなかった。
学校は社会の杜撰なパロディで、オブラートに包まず彼女に圧力をかけてきた。
くだらねえ。つまんねえ。
夏樹は、人前では笑顔を振りまきつつも、
家に帰ると毒づいた。
そんなある日彼女はモニター越しに、ある女に出会った。
松永涼。
ロックなアイドルというテロップがあって、それに夏樹は鼻白んだ。
その涼が、ユニットメンバーとともに
きゃぴきゃぴしたアイドルソングを歌った後、
おもむろにエレキギター、しかもテレキャスターを取り出して
劈くようなサウンドを響かせた。
夏樹は余興かと思ったが、そのあとスタッフに取り押さえられていた。
メンバーは「またか…」という顔で肩をすくめていた。
衝撃を受けた。
連れ出される直前、涼は叫んだ。
「本当のアタシをぶち撒けさせろ!!」
夏樹はリモコンをモニターにぶつけた。
信じられねえ!
ありえねえ!!
彼女は相棒のギターを抱えながら、
父親のバイクを奪って東京まで飛ばした。
そして美城プロダクションのドアを蹴破るように開けた。
夏樹が18の頃である。
夏樹は涼と同じ“ロックな”アイドルとしてデビューした。
しかし、二番煎じだと揶揄されることはなかった。
率直に言えば、夏樹の演奏技術は涼を凌駕していた。
涼は元々とあるバンドのボーカルをしていて、
ギターを本格的に始めたのはごく最近のことであった。
それでも夏樹は、涼に失望することはなかった。
わざわざアイドルになって、ロックを貫こうとしていることにも、
疑問を持たなかった。
夏樹には、敵が必要だったのだ。
憎み叩き潰すのではなく、お互いの魂を懸けて、
どこまでも遠くまで突っ走れるような。
それを再確認できたのが、2人が初めて声を交わした時だった。
「ボーカル志望だって聞いたが、どうしてギターを?」
自己紹介するでもなく、夏樹はそう尋ねた。
涼は別段気分を害した風でもなく、答えた。
「アイドルとしての“松永涼”をぶった切って、アタシを見せるには、
なにかしらのスイッチが必要だったんだよ。
声だけじゃない、何かが。
……まったく、ジャニス・ジョプリンみたいにはいかないねえ」
コイツは自分と同類だ。夏樹は確信した。
本当はただ叫びたいんだ。
でも、それが出来ないから、何かにすがるんだ。
「アンタは敵だ」
「そっか」
夏樹の挑戦に対して、涼はくっきりと笑みを浮かべた。
彼女も永らく、待っていたのだ。
それから2人はことあるごとにぶつかった。
企画側が対立を煽ったこともあったが、基本的には一方が、
もう一方の活動に鼻先をつっこんでかき回す。
それはライブへ乱入する・されることが
あらかじめスケジュールに組み込まれるほど常態化していて、かつ熾烈だった。
互いのファンがそれを楽しんでいるところもあって、
事務所は小言を言うものの、
衝突を積極的に回避しようとはしなかった。
涼の演奏技術はめきめきと上達していった。
夏樹の歌唱力も、相手に迫るほどに研鑽されていった。
2人は親睦を深めるようなことは一切しなかった。
互いの魂を擦り合わせるほどに、
自身が研ぎ澄まされているのを感じていてから。
けれども1つの舞台に立つ両者は怒っていたり、
鬼気迫るような表情をしているわけではない。
ただ、その時間が楽しくて、
楽しくてしょうがないという顔をしている。
だからこそ、彼女達を止めることができない。
運命という残酷な力学のほかには、誰1人として。
夏樹は御茶ノ水駅を出て、行きつけのスタジオまで急いだ。
最近の仕事先は無駄に気が利いていて、
ギターでも何でも向こうが用意してしまう。
ロック=ストラトキャスターって、どうにかならないもんか。
しかもレフティ。
夏樹は歩きながら、肩をすくめた。
同じエレキギターといえど、
ジャズマスターも弾かなくなれば腕が錆び付く。
今日は目一杯可愛がってやらないと…そう思いながら夏樹は、
片手に抱えたギターケースを、もう一方の手で撫でた。
その時、歩道に一台の自動車が突っ込んだ。
速度はあまり出ていなかったが、予想外のことであったので夏樹は動けず、
とっさにギターを両手で庇った。
身体が軽く、後ろへ撥ね飛ばされた。
夏樹はすぐに立ち上がって、自身の相棒の安否を確認しようとした。
しかし、ケースがうまく開けられない。
指先がぬるぬると赤黒く濡れていて、
しかも長さが足りなかった。
切断された指先は回収されたが、歪に変形していて縫合できなかった。
夏樹の目の前は真っ暗になった。
右手は2本の指でピックが握れさえすればいい。
だが、左手は押弦のために全ての指を使う。
ギタリストとしても、アイドルとしても、もう…。
両手を除けば怪我はなかった夏樹だが、精神的な苦痛が甚だしく、
自室に篭るようになった。
彼女のプロデューサーや他のアイドル、友人らが心配して尋ねてきたが、
誰1人として彼女の部屋に入れなかった。
入れたとして、どのような言葉をかけてやればよいのかも、
誰にも分からなかった。
夏樹はバスタブに溢れんばかりのお湯を張った。
そして浴びるように酒を飲んだ。
くそっ、27歳だったらなあ。
そんなことを考えながら、夏樹はふらつく足で立ち上がって、
湯面を見つめた。
こんな“つら”しながら、ひとりぼっちで死ぬのか。
彼女は自嘲気味に笑った。
この気持ちを、たとえば渋谷のスクランブル交差点のど真ん中で
ギターをかき鳴らしながら叫べたら、夏樹は自殺など考えなかっただろう。
鈍った頭で意を決して、バスタブにそろりと足を浸けたとき、
玄関から物音がした。
鋲打ちのブーツ。身長は160cm、体重は47kg…。
類稀なる音感と直感で、夏樹はその主の察知した。
ポストに、何かが乱雑に投函される。
夏樹はひどい目眩を覚えながらも、這うように浴室を出た。
足音は遠ざかっていく。
扉にめりこんでいたのはBlack Sabbathの、『Black Sabbath』だった。
しかも1970年の初回レコード。
夏樹は感動よりも怒りを覚えて外に出たが、すでに誰もいなかった。
彼女は死のうとしていたことなど忘れて、自室に戻った。
ムカムカしながら、年季の入ったレコードプレイヤーに円盤を据える。
スタイラスを溝に噛ませ、再生開始。
ひび割れたような音色が部屋に響く。
これはレコードが老朽化しているためであったが、
それが『黒い安息日』の演奏にマッチして、
より恐ろしげなサウンドとして仕上がっていた。
トニーのギターはやっぱりすげえ…。
夏樹はぽーっとしながら、耳を傾けた。
弦のテンションを下げた、重く潰れたような音。
のちのヘヴィ・メタルに多大な影響を与えた、偉大なギタリストの1人。
バーミンガムの出身で、「ボーカル以外全員募集」というオジーの貼り紙を見て
サバスの前身となるアースに参加した。
ギタリストとして本格的に活動する前は工場で…。
その時、夏樹の脳内に電流が走った。
「“やるしかないのに、そんな簡単なことのわからない人間が多すぎる”…」
そう呟きながら、夏樹は再び外の世界へ飛び出した。
事故から守り抜いた相棒と共に。
一ヶ月後、夏樹は舞台に立っていた。
指の長さは綺麗に揃っている。
愛和義肢製作所謹製の指先。
演奏用に特別な素材が用いられていて、適度な硬さがある。
今日は、復帰後初のライブである。
進行は全て夏樹に一任されている。
第一曲目は、夏樹が初めて作詞作曲したパンク・ロック。
アップテンポであるが、単純なスリーコードによる構成。
事故前でのライブでも、何度も披露した思い出深い作品である。
しかし、夏樹の指は思うように動かなかった。
そもそも自分の指先でなく、弦を抑える感触もぶれている。
以前のような演奏が出来るはずがない。
一小節が丸ごと飛んだ。間抜けな音が出た。
観客席から、疲れ切ったようなため息が出た。
夏樹は歯軋りした。身体が大きく震えた。
演奏が拙いことが悔しかった。
さらにそれよりも、自分がもう二度と、
松永涼と戦うことが出来ないのが辛かった。
本当に、ダッセえ。
引き際を誤って醜態を晒すミュージシャンを、夏樹は軽蔑する。
今からでも遅くない…。
沈痛な面持ちで、彼女は演奏を止めた。
引退、そんな言葉が喉から出かかった。
だが音楽は止まっていなかった。
この舞台に、夏樹1人では広すぎる舞台に、
もう2人目のギタリストがいるからだ。
「てめえ」
夏樹は相手に声をぶつけた。
涙がギターネックに降り注いだ。
「曲パクってんじゃねーよ……!」
松永涼は不敵な笑みを浮かべた。
「でも、こっちの方が上手いだろ?」
夏樹は涙を拭った。震えは、既に止まっていた。
「てめえの下手くそなギターのせいで、いつもの調子が出なかったんだよ!!」
二重の旋律が、夏の青空に吸い込まれていった。
おしまい
これで区切り
依頼出してくる
乙乙。
クッソかっこいいわ
これぞ時代劇P
もう時代劇だけじゃないから劇Pとでも呼ぶべきか
今回はどの話が一番面白かった?
今までのでもいいけど
逆に>>1はどの話が自分で一番面白いと思う?
阿呆の一生
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この二本かな
おのろけ豆も好きなんだけどねえ
今回の話だとあいさん
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