最上静香の「う」_二杯目_ (48)


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「なあ、本当に良いのか? 折角ならフレンチの良い店にでも、と思ったけど……」
「構いません。それよりも、私にはうどんが待ってますから」
 最上静香は、プロデューサーの誘いを丁重に断った。そして彼女は踵を返し、オオクラ・ホテルのフロントを後にした。静香のプロデューサーは彼女の颯爽と歩く後姿を見た。そして笑った。そうだ、これでいい。これこそ最上静香なのだ、と。


 静香のプロデューサーは、彼女が誘いを断るだろうと半ば予期していた。しかしながら、プロデューサーは形式だけでも誘うことにした。何故か。それは、静香を淑女とみなしていたからである。静香はアイドルであったが、それ以上に静香を淑女としたのである。淑女たる彼女を誘わぬというのは、男がすたると考えたのである。決して邪たる思いではない。淑女である、レディたる故である。しかし、静香はうどんをこよなく淑女であった。そして、静香は自身が淑女であることを自覚していなかった。ただ、それだけである。静香がプロデューサーの真意を知り、赤面で誘いに応じる日が来ることになる。……けれどもこれは別の物語、いつかまた、別の時に話すことにしようではないか。


 静香は福岡に来ていた。前日のコンサート、今日昼時のイベントは成功裡に終わった。静香はアイドルである。静香はうどんをこよなく愛する、十四歳のアイドルである。福岡のファンを楽しませたいと思うと同時に、静香は福岡のうどんを心待ちにしていた。


 うどんと言えば真っ先に讃岐をイメージするだろう。しかし、ここ福岡もまた、うどん文化の発展したる地なのである。うどん発祥の地という説もある。そのような地を静香は見過ごすわけがなかった。静香の福岡行を狂おしいほどに羨む者もいたが、同じ麺でも静香にとって福岡はうどんである。


 しかし、なぜ静香はプロデューサーを誘わなかったのか? それは静香の信条からであった。初めて訪ねるうどん屋には、静香は必ず一人で行く。そうして味を確かめ、ここは良しと判断した店のみ、他の者と共に食べに行くのである。共に食べる相手が最も信頼を寄せる――信頼以上の感情も持ち合わせ始めている――プロデューサーであれば、店選びに対する静香の気合も一段と上がるのである。静香は愛い奴である。


 さて、オオクラ・ホテルの最寄駅から、静香は地下鉄に乗った。博多方面ではなく、西向きの方である。夕方のラッシュ時ということもあり、かなりの乗客であった。車内は学業、勤労から解放された人々が浮かべる安堵の顔で溢れていた。その中で静香一人だけが活力に満ちた表情をしている。


 地下鉄に乗ってから六つ目の駅で静香は降りた。いわゆるベッドタウンなのであろう、多くの乗客もまたこの駅で下車している。改札を出て左の出口を上ると大通りに出てきた。日は落ち、空は去り行く夕焼けの赤と迫り来る夜闇の黒が入り混じり美しい。静香は前もって調べたとおりに右側へ歩いた。コンビニエンスストアのある一角でまた右に曲がってしばらく歩くと、今回の目的の店が静香の前に表れた。マンションなのかビルなのか分からない建物の一階にその店はあった。元は何か違う店が入っていたのではないだろうか。うどん屋には似つかわしからぬガラス戸、その上には取って付けたように看板があった。しかし、あらかじめ調べていた場所通りの場所であり、聞いていた通りの名前の店である。静香はガラス戸を引いて中へ入った。


 外からも粗方見えていたが、客はかなりの入りであった。出汁の香り、釜から出る湯気による独特の湿気は、うどん屋特有のものである。うどんや出汁を啜る音、厨房の換気扇が回る音、そしてテーブル席の話し声もまたうどん屋らしいものであった。店内は十席ほどのカウンター席と、四人組のテーブル席が五つ。静香は唯一残っていたカウンター席へ座った。静香が店へ入った時、まだ年端もいかぬ少女が一人やって来たという、また、あの子は最上静香ではないかという、主に二種類の表情で店内の人間は静香を迎えた。店員は年配の男が二人、女将が一人である。


 女将がお冷を置きに来た後、静香はメニュー表を見た。初来店の際に頼むものというのは、かなり悩ましいものである。流石は福岡ということもあり、ごぼう天うどんに「人気ナンバーワン」と銘打ってある。また、円盤状の揚げかまぼこ――しばしば西日本では揚げかまぼこも天ぷらと呼ぶ――を乗せた丸天うどんも捨てがたい。
 しばらく思案していた静香であったが、見慣れぬ響きの料理名に目が留まった。
「どんちゃん…?」
 思わずぽつりと言葉を漏らした。


「あら嬢ちゃん、『どんちゃん』知らんとね?」

 うどんを運びに出ていた男の店員が、静香のその言葉を捉えた。静香は知らない、と頷く。

「ウチの名物やけどね、美味しいよ。良かったら頼んでみんしゃい」

 静香がそれなら、と頼もうとした矢先、

「あーでも、嬢ちゃんにどんちゃん一杯は大きいかもしれんね。小さいどんちゃんとかしわ握りのセットがあるけん、それにしたらよかよ」


 その店員のまくし立てるような言葉に静香はただ従うだけであった。親切心で行っていることなのであろうが、その勢いのよさに静香は面を食らいっぱなしである。静香がうどん屋で主導権を奪われた数少ない事例であろう。そう、ここは福岡なのだ。

 店員が店の名前を冠したセットを一つ読み上げると、厨房の奥にいた店長らしき男が応じた。注文を取った男も厨房へ入り、作業へ取り掛かる。


 静香は辺りを軽く見まわした。多くがうどんを啜る作業に没頭している。その中で幾人が――主に常連らしい老年の男――いかのげそ天や天ぷらを肴に瓶ビールを飲んでいる。なるほどこうしたうどん屋の愉しみ方も有りかもしれぬと静香は心の中で頷く。蕎麦屋では蕎麦の前に玉子焼きなどを肴にして酒を飲むというが、それと同じなのだろう、と。


 しかし、一体どんちゃんとはいったい何か? 静香は想像力を働かせるが、皆目見当がつかない。静香の想像力は豊かであることは、彼女の絵を見れば明らかである。その静香をもってしても、思いつかないのである。


 どんちゃんとは何ぞやと思案しながら、静香はこの店を教えてくれた者とのやり取りを思い出していた。仕事で一緒になった、他所の事務所のアイドルであった。静香が己のうどん愛、そして今回の福岡行を告げると、そのアイドルが件の店を教えてくれたのである。彼女が面白いうどんがあると言っていたが、確かに名前も似たようなものであった。どんなうどんなのかと聞いたが、「頼んでからのお楽しみ」だからと明かされなかった。何よりも彼女の言葉を思い出した。

「どんちゃん食べてどんちゃん騒ぎしないようにしてね? ふふっ♪」


 静香の座席の前には丁度すだれが掛けられており、厨房の中を垣間見ることができない。しかし、厨房の中からフライパンか中華鍋のようなものをあおり、何か具材を炒めている音が聞こえていた。そのことが静香の疑問と不安を一層高めた。


 女将がかしわ握りを運んできた。鶏肉入りの炊き込みご飯をかしわ飯と呼ぶが、それをお握りにしたものだ。この店では三角の型で成形しているようである。割り箸を取り、静香は一口運んだ。醤油と出汁のほのかな香りが心地よい。優しい味で非常に食べやすい味である。どんちゃんへの期待は少しばかり高くなった。


 二口、三口とかしわ握りを食べていると、「はい嬢ちゃん、どんちゃんね」と男の店員が丼をゴトリと静香の目の前に置いた。いよいよ真打の登場である。


 しかし、静香の見たものは衝撃的なものであった。「なんだこれは」という言葉を思わず発しそうになったが、寸でのところでなんとか耐えた。炒められた野菜、イカやアサリなどの魚介が上に乗せられているのである。ここで静香はすべてを察した。ちゃんぽんである。うどんでちゃんぽん、それゆえに「どんちゃん」なのである、と。


 うどんというものは白く美しい麺、透き通った黄金色の出汁、青々としたネギという完成された美しさに、肉や油揚げ、ワカメなどを盛り付けることによって、さらに重層的な美しさをどんぶりという世界にもたらすのである。それは一枚の絵画さながらである。その美しさこそがうどんの魅力なのだと静香は信じていた。


 しかし、どんちゃんは果たしてどういうことか。多くの具材が盛られたことにより麺は姿を隠している。ちゃんぽんと同様、具材を炒めた後に出汁を入れ、そしてうどんを入れて煮立てているからであろう、出汁は少しばかり白濁としている。静香の認めるうどんの姿から最もかけ離れたものであった。うどんに対しかくも邪智暴虐たる行為をするのか! 静香は今にも息巻く勢いである。もし味も悪ければ、静香は店の主とまさに一線を交えんとするであろう。


 静香は目を見開いた。ある程度の覚悟を決め、静香は箸をどんちゃんへ向けた。キャベツともやし、人参をつまみ、口に入れた。……意外と悪くない。野菜の炒め具合は丁度よく、シャキシャキ感が残っている。出汁もほのかに染み込んでいる。しかし、それは野菜をうどん出汁で炒めたもの、という部分的評価である。


 静香は蓮華を取り、何度か息を吹きかけてから出汁を一口啜った。これも悪くない。いや、むしろ良いかもしれない。昆布のよく効いた出汁が、野菜や魚介の旨味と上手くマッチしている。静香は警戒感を解いた。

 店員が丼を運んできたとき、柚子胡椒をつけると美味いと言っていたことを静香は思い出した。柚子胡椒とは唐辛子と柚子皮に塩を入れて熟成した、大分特産の調味料である。静香は柚子胡椒の名こそ聞いていたが、実際に使用するのは初めてである。陶製の容器に入った柚子胡椒を、静香は幾分か入れた。軽く混ぜて再び出汁を啜ると、ほどよい辛みとほのかな柚の香りが、出汁の力強い味の中でパッと広がる。これはとても良い、静香は頷いた。


 具材の下から麺を数本持ち上げた。麺の太さが不揃いで、いかにも手打ちらしい素朴な見た目である。静香はその麺を啜った。福岡らしさの強い麺である。コシがなく柔らかいが、モッチリとしている。麺が不揃いなぶん汁絡みが良く、出汁の旨味もより強く感じられる。

 何度か麺を啜り、上に乗った野菜や魚介を食べた後、静香はかしわ握りへと箸を戻した。
 
 それから再び麺へと箸を進めたとき、静香はある違和感に気が付いた。少しばかり味が変化している。柚子胡椒による影響ではない、何か別の変化である。静香は蓮華で出汁を口に運んだ。途端、電流が走った。やはり味が変化していた。炒めた野菜の甘みと魚介の旨味が、丼の中で時間をかけて、出汁に溶け込み始めたのである。



 丼の中での味の変化、このことは静香にとってあまりにも衝撃的であった。果たしてそのようなうどんが今までにあっただろうか? 月見がそうかもしれない。しかし、卵黄が割れることで出汁と混ざるだけに過ぎず、幾分単調さが残る。どんちゃんの味の変化は、より複雑で、より重層的であった。うどんの出汁という繊細さが、この味の変化をもたらしたのである。


 静香は当初、単純な足し合わせだと決めつけていた。うどんは美味い。ちゃんぽんも美味い。その美味いもの同士を足し合わせたら倍美味くなる、そう思いついたからではないのか、と。そして同時に、うどんとちゃんぽんが喧嘩し合い、味を壊してしまうのではないかと懸念していた。しかしそれは杞憂であった。その昔、キャノンボール・アダレイとマイルス・デイヴィス、アート・ブレイキーら五人のジャズの大物が集まった結果、何が起きたか? "Something Else"である。それは「何か他のもの」ではなく、「格別に素晴らしいもの」なのである。そう、1+1という計算式は、2ではなく、1+1=200にもなりうるのだ! 十倍にも、百倍にもなりうるのである。どうしてこのことに気が付けなかったのか、静香は己を大いに恥じた。己によって、うどんの可能性を潰してしまっていたのである。木を見て森を見ず、というのはまさにこのことであった。


※もがみんがうどんを食べているだけです※


 かしわ握りの入った小皿を空にしてから、静香は本格的にどんちゃんを堪能した。麺を啜る、野菜を食べる、アサリを食べる。出汁を啜り、イカを食べ、麺を啜る。一心不乱である。淀みなく、姿勢を変えずに食べるその姿はやはり美しい。最後の一本の麺を食べ、最後の一切れのキャベツを食べ、そして静香は丼を掲げ、出汁の最後の一滴まで飲み干した。嗚呼、このような素晴らしいうどんが世にあったのか! 静香は感動の涙を一筋流した。柚子胡椒の分量を誤りちょっぴり辛すぎたが、この涙は辛さゆえに流したものではないということを、彼女の名誉のためにもここで付しておこう。






 美味かったのである。






 丼を置き、静香は感嘆の溜息をゆっくりと吐いた。同時に、静香は心の中で笑みをこぼした。その笑みには、福岡のうどんの奥深さに対する感動と、己の浅はかさに対する自嘲が含まれていた。余韻は長い。広く、そして深い余韻である。しばらくこの余韻を楽しみたかったが、静香は髪型を整えて席を立った。店の奥のレジスターで会計を済ませる。応対する女将に、「美味しかったです」と告げる。律儀である。女将はありがとう、と微笑んだ。


 彼女は颯爽と店を後にする。店にいた全ての客が箸を止め、厨房にいる店主も目で彼女の姿を追い、静香を見送った。


 店を後にした静香は、心の中で店に対して最敬礼をした。うどんの持つ無限の可能性を、そこはかとない奥深さを改めて静香に突きつけた。この感動はここしばらく味わっていないものである。辺りは暗くなっている。静香は早くホテルへ帰らねば、と思った。このうどんの感動を、最も伝えたい人へいち早く伝えたかったからである。静香は早足で地下鉄の階段を駆け下りた。静香は愛い奴である。



おわり

......つづく?

http://i.imgur.com/3ZbsAfc.jpg
けっこうおいしそうだね
乙です

>>2
最上静香(14) Vo
http://i.imgur.com/BE1XQSj.jpg
http://i.imgur.com/D8SMYhP.jpg
http://i.imgur.com/vmcw1Nc.jpg
http://i.imgur.com/TgOSIUZ.jpg

過去作(一杯目)はこちらです。
最上静香の「う」【ミリマスSS】
最上静香の「う」【ミリマスSS】 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1484490831/)

ちなみにこんなのも書いてます。よかったらどうぞ。
最上静香「あれは・・・うどん職人!?」藤原肇「違います!!」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1396941747

>>35
画像先輩ありがとうございます。
美味しいですよー。SSではちょっとイロモノの食べ物のように書きましたが、このチャンポンうどんは福岡市内のうどん屋では結構見かけます。
福岡にいらした際は、ぜひどうぞ。


福岡と言ったらごぼ天うどんでしょ

あ、そうなんだ
この店特有のかと思ってたよ(無知)
ちょっと遠いけど機会あったら言ってみるわ


牧のうどんかと思ったら違った


できれば改行してほしいです

大助うどんかな?

ゴボ天うどんにかしわ飯はソウルフードよなぁ

乙もがみん
福岡だと大学近くの小麦冶ってうどん店が好きだった

乙、福岡住んでたのにどんちゃん知らないわ…
(o・∇・o)牧のうどんは毎週行ってたよ~

食事シーンを美味しそうに書ける人は凄いわ
上品にうどんを堪能するもがみんいいですわー


食べ物うんちくほんとすき

福岡県民だけど全く知らなかった
おつ

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