モバP「恋文の秘術」 (101)
九月二十日
拝啓。
お手紙ありがとう。
そっちの事務所のみんなも元気そうでなにより。
この夏はよほどイベント出演に精を出したようだな。
凛や乃々の活躍はこっちのメディアでも十分すぎるくらい伝わって聞いている。
アイドルのみならず、お前もしっかり仕事が出来るようになったとみえて、俺は嬉しいぞ。
それにしてもいきなり手紙の束が送りつけられるとは、さすがの俺もびっくりした。
仕事から帰ってみたら自宅の郵便受けに只ならぬ気配を感じ、何事かと確認してみると、やはり只ならぬファンシー柄の封筒が三四本、ドアの小窓からにょきにょき生えているではないか。
独り暮らしの男のアパートに送るなら、もう少し考えて欲しかった。
「101号室の人、あんな好青年を装って少女趣味があったのね」なんてご近所で噂されたらどう責任を取ってくれる。
博学才穎にして眉目秀麗、この半年間コツコツ積み上げてきた如才なき美男子のイメージがパァだ。
まあ、それでお前を責めても仕方がないし、ここは中途半端に投函した郵便配達の兄ちゃんのせいということにしておく。
誰も書いていなかったが、この奥ゆかしい便箋と可愛らしい封筒は、おそらく乃々が選んだものなんだろう。
俺と社長が去ってから後、そっちの事務所では花ざかりの森さながらにアイドルたちが好き勝手過ごしているものと想像する。
そして俺の脳内ではアイドルたちに混じってお前までもがキャッキャと楽しんでいる様子まで見えてくるのだ。
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薫の小学校で「知り合いの人に手紙を書いてみよう」という宿題が出たという話だったな。
あの子は俺に一番なついていたから、きっと寂しい思いをして「せんせぇに手紙かく!」と言い出したんだろう事も容易に想像がつく。
担当プロデューサー兼教育係のお前がその宿題を手伝いつつ、ついでに俺に個人的な手紙を出したというのも、気色悪いがまあ分からなくもない。
しかしなぜ関係ないはずの乃々やちひろさんまでもが俺に手紙を書いて寄越すのだ。
お前ら、完全に悪ノリで遊んでただけだろう。
ひとつ忠告しておくが、53プロの事務所は遊ぶ場所じゃない。
担当アイドルの素行を律するのもプロデューサーの役目である。
その点、どうもお前は流されやすい性格をしているから心配だ。
……などと説教くさい事を言ってしまったが、本当の所はとても嬉しく思っている。
半年前、俺がこっちに出向してからお前たちとはまるで連絡を取ってなかったからな。
別に忘れていたわけじゃないぞ。
俺はこっちでも猛烈に忙しい日々を過ごしているのだ。
それはそれで充実した毎日ではあるが、ともすれば心のゆとりを失いがちな生活において、効率に追われる電子的文明とは真逆な、手の込んだ手紙のやりとりというのは我々を予想以上に嬉しい気持ちにさせてくれるものなのだと実感したよ。
こういうのも、たまには悪くない。
そんな思いから、強いて書く必要のなさそうなお前への手紙をも、こうして書いているわけである。
忙しい身ゆえ、返事は遅くなるかもしれんが許してくれ。
まあそんなわけで、お前たちからの手紙は楽しく読ませてもらった。
だが一点、非常に解せない事がある。
なぜ凛からの手紙がないのだ。
最も俺に手紙を書きたがってしかるべきなのは凛なんじゃないのか。
お前たちがワイワイと手紙を書いていた時、たまたま凛だけがオフで事務所に居なかったという理由はあるにせよ、後々凛にも書いてもらうとかなんとか手はあっただろう。
俺は凛の元担当なんだぞ。
半年余離れ離れになって、あいつだってきっと俺に伝えたい事が一杯あるに違いない。
そこんとこ、現担当のお前から上手いこと仄めかしてやってくれないか。
「先輩Pにみんなで手紙を出したんだけど、渋谷さんも書いてみたら?」とかさ。
決して「寂しがってるから」とかそういうニュアンスは含めず、実際俺は寂しくもなんともないわけだが、恩師に近況の挨拶をしたためるくらいの礼儀はあっていいはずだ。
よろしく頼んだぞ。
一応、アイドルの仕事に差し支えない範囲でな。
あとは、そうだな。
俺のこっちでの暮らしぶりについて書こうと思ったが、手が疲れてきたのでまた今度にしよう。
お前の手紙に10回ほど出てきた「鷺沢さん」という女性も大変気になるところではあるが、追々詳しく話を聞かせてもらおうじゃないか。
恋愛相談ならいくらでも受けてやるぞ。
ではまた。
敬具。
後輩Pへ
九月二十日
こんにちは。先生です。
心のこもったお手紙ありがとう。
たくさんのすてきな絵もいっしょに送ってくれて、先生はとてもうれしいです。
かおるらしい、元気いっぱいな似顔絵で、見ているとこっちも笑顔になれます。
先生も、かおるに負けないくらい元気な毎日をすごしていますよ。
りんお姉さんや乃々お姉さんとも仲良くお仕事しているみたいで、なによりです。
とくに乃々お姉さんは、かおるとちがって少し元気のない人だから、先生は二人がちゃんと仲良しになれるか不安だったのです。
でも、そんな心配はいらなかったみたいだね。
乃々お姉さんがかくれんぼの達人だったとは、先生もおどろきです。
じつは先生も、かくれんぼには自信があるのです。
今度そっちへ帰ったとき、だれが一番かくれんぼが上手か、勝負するのが楽しみです。
それと、かおるにひとつ言っておかなくちゃいけない事があります。
後輩Pのことはきちんと名前で呼ぶか、あるいは「プロデューサー」と呼んであげましょう。
あの人は「ぶたさん」ではありません。
確かに、似ているかもしれない。
むかし、後輩Pのことをまちがえて「ブタ」と呼んでしまった先生も、良くないことをしてしまったと反省しています。
いくら本人が「ぶたさん」と呼ばれてよろこんでいたとしても、アイドルがプロデューサーのことを人間以外の動物の名前で呼ぶのは、感心しません。
かおるが描いた似顔絵を見て、先生は少し危機感を感じました。
あれではまるっきりブタです。
危機感というのは、「このままではあぶない」という意味です。
つまり、あんまりぶたさん、ぶたさんと呼んでいると、いつか本当にブタになってしまうかもしれないよ、という事です。
ブタを飼うというのは、かおるが想像するよりもずっと大変な事なんですよ。
できれば、ぶたさんじゃなくて、本名の「むたさん」と呼んであげなさい。
ただ、それとは別に、あの似顔絵はとてもよく描けていると思います。
もしよかったら、これからも先生にお手紙を書いてくれるとうれしいです。
ちひろさんや乃々お姉さん、りんお姉さんとどんな事をして遊んだのか、教えてくれると先生はよろこびます。
それから、かおるの宿題を手伝ってくれたという「さぎさわ先生」にも、よろしく伝えておいてください。
お返事を待ってます。
りゅうざきかおるさんへ
九月二十日
拝啓。お手紙ありがとうございます。ご無沙汰してます。
こちらも厳しい残暑が続いており、汗水垂らして働く毎日にもそろそろウンザリしてきた頃合です。
例によって冷房嫌いの社長と一緒の部屋にいるため、日中あまりにも蒸し暑くて仕事をしてるんだか精神修行をしてるんだか分かりません。
たまに別部署の人間が用件を伝えにオフィスに来ることがあるんですが、その会話のほとんどに「この部屋、暑くないっスか」と枕詞が付きます。
暑いに決まっとるわ!
窓を開けても社長のデスクにばかり風が行って俺の所はちっとも涼しくならない。
一応扇風機を付けてますが、そもそも大気が熱されてるので熱中症を防ぐ程度の効果しかありません。
ある日、我慢できなくて社長に「クーラーつけてもいいですか」と言ったところ、「やだ」と返されました。
なんなんだあの人は。
ちひろさん、助けてください。
俺ではとてもあの原始人に太刀打ちできない。
かつての夏、あなたが一言「今日は暑いですね」と呟いただけで社長がクーラーのスイッチを入れていたのが懐かしく感ぜられます。
だいたい、社長という役職がこんなに長期間出張していて許されるのか。
何か法に抵触しているのではないか。
本当にあいつは社長なのか。
すみません、少し愚痴が過ぎました。
これから秋になれば、この不毛なサマーハラスメントからも解放されるでしょう。
あの寒がりのことです。
きっと冬を待たずしておめおめと逃げ帰るに違いない。
何せここは雪国と名高き新潟、生半可な覚悟では春の目覚めを待つ前に凍死してしまいますからね。
しかし、それにしても暑い。
北陸というくらいだから夏は東京よりずっと涼しいだろう、なんて考えていた時期が俺にもありました。
残念ながら、そういう安直な考えはここ越後平野には通用しない。
実は気温の高さで言えば東京と大して変わらんのです。
本音を吐いてしまうと、今回我々が携わっている総合アミューズメントプロジェクトとやらが果たして成功するのか、俺の心に少しずつ不安のかげりが見え始めています。
確かに、近年の娯楽産業革命とでも呼ぶべきエンタメ業界の好景気ですから、この機会を逃すまいという意向は十分理解できます。
政府が掲げた『国内需要だけでなく海外にもアピールするための観光資産としての娯楽複合施設』なる理念も立派なものだ。
全国五〇箇所に巨大テーマパークを作り、そこを拠点としてオールシーズンでイベントを開催、さらに地域別に特色を変えることで来場客の平滑な流動を実現する。
将来、このプロジェクトが理念通り進行した暁には、人々はジャンルの垣根を越えて交流し、国内におけるエンタメの地域格差もゼロに等しくなることでしょう。
夢のような話です。
だが俺から言わせてもらうと、地理的な問題というのは理念ひとつでどうこうできるものではありません。
いくら交通網が高速化し、移動にかかる費用と時間が一昔前のそれとは比べ物にならないくらい軽減されたとはいえ、人は「りんご食いてぇなあ」と思っただけでは青森に行こうと思わんのです。
無論、そのりんごがいかに美味いかをアピールするのが俺の仕事ではありますが、全国各地へのアクセスが平等になれば地域ごとに客の奪い合いが発生します。
すると元々人口の多い都市部のイベント人気をさらに加速させる事態になりはしないか。
どうも俺はそんな気がしてなりません。
まあどっちにしろ、下っ端の俺には関係ないことですがね。
それはさておき、ちひろさん。
後輩Pには優しくしてやってますか?
あいつのコンニャクのようなメンタルはちひろさんが想像するよりずっと繊細なんですよ。
俺や社長に対してするみたいに当たったらあいつは簡単に潰れます。
みんなでのんきに手紙を書いてるくらいだから、とりあえず心配はないかなとは思ってますが……
というか聞きたいんですけど、後輩Pって凛、乃々、薫の三人を同時にプロデュースしてましたよね?
なんだかあいつの手紙からそんな苦労の気配がちっとも漂ってこないので、疑問に思いました。
厳しすぎるのもマズいですが、甘やかすのはもっとダメです。
あいつのメンタルはコンニャクなのであって豆腐ほど脆いわけじゃない。
阿呆と紙一重の純粋さは扱いこそ難しいが、コンニャクはそれなりに反発係数があるので、角度を工夫して叩けば上手い具合に跳んでくれるでしょう。
あと、未だにアイドルたちが後輩Pのことを「ブタ」と呼んでいるのをどうにかしてやってください。
最初に言った俺が悪いというのは重々承知ですが、ちひろさんにも罪はあります。
あなたがよくドサクサにまぎれて「ブタさん」と呼んでいたのを俺は知ってますよ。
何も後輩Pがかわいそうだから言ってるわけじゃありません。
事務所の風紀的な問題です。
その他、みんなからの手紙を読んでいくつか気になる事はありましたが、大したことではないので俺から個別に対処したいと思います。
乱筆乱文失礼しました。
それでは、お元気で。
草々。
千川ちひろ様
九月二十日
拝啓。
お手紙ありがとう。
とても楽しく読ませてもらった。
さて、感想だが。
お前はとても可愛らしい字を書くのだな。
昔、俺と一緒にサインの練習をしていた時はあんなに手が震えていたのに、今回の手紙を読んだ限りでは同一人物とは思えないほどだった。
のびのびとした気持ちが表れていて、楽しんで書いているというのが伝わってきたぞ。
成長したな、乃々。
それとも仕事と関係ない時はいつもこんな感じだったのか?
まあどっちにしろ、お前は堂々としてさえいれば、十分アイドルとしてやっていけるだけの才能がある。
あまり卑屈にならずに自信を持て。
それで、肝心のポエムについてだが、なかなかに独創的で悪くないと思う。
特に、いつも周囲のビル影に隠れて薄暗い53プロの社屋をして「灰かぶりの城」とたとえた表現は、するどい着眼点を備えていると言っていいだろう。
他に気になった所と言えば、こんな具合だろうか。
「のんきな子豚は鼻歌をうたい」
うむ。のんびりした事務所の様子が目に浮かぶようだ。
「雪の結晶のようにうつくしいひとみの、春の訪れのような、優しいえがお」
「このお城から連れ出して」
これは誰のことを言っているのかしばらく悩んだが、後輩Pでない事は確かだろう。
すると凛のことか?
「だけどお仕事は、やっぱりむり」
なぜ最後だけ我に返ったように切実なんだ。
まあ、乃々が相変わらずアイドルの仕事を苦手に感じているのは分かった。
ほぼ全編にわたってポエムとは正直面食らったが、これがお前なりの表現方法ということなんだな。
俺は、お前のそういう不器用さや慎ましい性格もひっくるめて森久保乃々というアイドルの魅力だと思っている。
本当だぞ。
ただ、次はもう少しだけ分かりやすく書いてくれると助かる。
しかし、仕事はいやだと言いながら、なんだかんだ頑張っているじゃないか。
この前、テレビの情報番組に出ていたのを見たよ。
他の大勢のアイドルたちにまぎれていたが、決して埋もれていなかったし、微妙に画面の端で見切れていたからむしろ存在感すらあった。
マイクを向けられるという大ピンチにも逃げずに立ち向かった乃々は偉い!
もちろん短い出演時間でも反省すべき点はあっただろうし、実際それはお前も分かっている事だと思うが、ここで俺がそれを指摘するのは野暮というものだ。
そういうのはお前の担当である後輩Pの仕事だからな。
俺からアドバイスできる事と言えば、失敗したことはクヨクヨするな! ということだ。
実際、お前は本当によくやっていると思う。
薄々感じていた事ではあるが、やはり乃々は俺よりも後輩Pと組んだ方が性に合っているんだろうな。
俺はどうも性格からして威圧的になりがちで、あまり他人の言い分に耳を貸さない人間だから、最初のうちは本来の乃々のキャラクターにそぐわないプロデュースを続けてしまっていたような気がするのだ。
バラエティ方面の進出も考えてなかったわけじゃない。
だが俺は、自分が初めて担当した凛が予想以上に成功してしまったことで「このやり方でないとダメだ」と無意識に思い込んでしまっていたのかもしれん。
元々お前をスカウトしたのも、凛のような正統派アーティスト系アイドルの後継者を探していたのが理由だった。
そして後に続けと言わんばかりに俺が一方的に決めた方針を、乃々に押し付けてしまったのではないかと、そう思うのだ。
こんな話をお前にしても言い訳にしかならんが、正直すまんかったと思っている。
後輩Pとは上手くやれているか?
少しはアイドル活動を楽しいと思えるようになってきたか?
薫とは仲良くなれたか?
半年も経てば色々と変化もあっただろう。
それに乃々は最近活躍の場を広げているようだから、不安やら悩み事も尽きないのではないかと思う。
何か困ったことや相談したいことがあれば、遠慮なく頼りにしてくれて構わんぞ。
もちろん、本来であれば真っ先に後輩Pを頼るべきなんだが、時には担当プロデューサーだからこそ気を使ってしまい、相談するのが難しいことだってあるだろう。
そもそもお前の場合、面と向かって会話するのさえ困難という事もあり得る。
そういう時こそ、手紙というコミニュケーションツールが役に立つと思わんか?
奥ゆかしいお前にぴったりじゃないか。
言いたい事はなんでも書いて俺に送ってみろ。
ポエムだろうと構わんから。
特にその必要がないというのなら、無理にとは言わない。
ただ乃々に知っておいて欲しいのは、俺はなにもお前たちを見捨てたわけではないという事なのだ。
どんな形であれ役に立てるというのなら、できるかぎり協力したいと思っている。
それと、これは余計なお世話かもしれんが、学校の勉強は大丈夫か?
かつて俺が凛と二人三脚でやっていた時、そこで予想外につまづいたことがあってな。
あいつ、アイドルの忙しさにかまけて全然勉強してなかったんだよ。
ちょうど一年前だったかな。
突然「わたし、留年するかも」なんて泣きそうな顔で言われた時は、俺も頭を抱えたもんだ。
乃々は中学生だし留年はないだろうが、むしろ進学という大きな壁がある。
53プロは基本的に学業優先だから(知ってたか?)、仕事のために進学を諦めるなんてことがあってはならない。
ま、なにごとも要領よくやれということだ。
それじゃあな。
敬具。
森久保乃々様
九月二十八日
拝啓。
お手紙読みました。
返事が遅くなって申し訳ない。
凛のことについてはありがとう。
先週お前に手紙を出してしばらく、凛から電話がかかってきた。
「手紙ってどう書いたらいいか分からないし、電話の方がラクでいいでしょ。で、私に何か用?」だと。
可愛げのないやつ。
だがそれがいい。
半年ぶりに話してみたが、相変わらずだったよ。
「みんなと上手くやってるか?」と聞いても「まあ、いいんじゃないかな」としか答えないし、「仕事はどうだ?」と聞くと「心配しなくても大丈夫だよ」と言う。
そんな調子だから電話で少し話をしたくらいじゃまるで手応えがなく、久しぶりに声が聞けて安心はしたものの、色々な意味で消化不良の感が否めない。
元々凛は言葉で何かを表現するのが苦手なタイプだ。
あれこれ言うよりも行動で示す、不言実行を地で行くような奴だからな。
だからこそ、プロデューサーであるお前は注意せねばならん。
分かっている事と思うが、凛が言う「大丈夫」はあまり信用するな。
ああいうのは気をつけないとすぐ一人で悩んで溜めこむぞ。
普段から観察して、違和感に気付いたらなるべく粘り強く話を聞いてやれ。
それはまあ凛だけでなく乃々も薫も同じことだがな。
仕事に関する話はこれくらいにしておこう。
それで、「鷺沢さん」についてだったな。
とりあえず俺から言える事はひとつ。
客観的事実のみを伝えろ。
浮かれすぎるな。
冷静になれ。
すまん、ひとつどころじゃなかった。
あ、それともう一つ。
俺は「鷺沢さん」に関する調査報告書を送ってよこせと言った覚えはない。
顔も知らん彼女の生態について俺が詳しくなってどうする。
長い髪をかきあげる時はいつも左手を使うだとか、透き通った白い肌がこの世のものとは思えないだとか、いつも伏して隠れがちな目はよく見ると魂が抜かれそうなほど深いコバルトブルーの瞳をしているだとか、そういうのはお前の心の中に秘めておいて表に出すな。
俺が知りたいのは、お前と「鷺沢さん」がどのように知り合い、現在どういう関係なのかという事だ。
53プロに出入りしている人なのか?
どうも聞くところによると、事務所で薫の面倒も見ているそうだな。
ますます分からん状況だ。
だからこそ余計に気になる。
今のうちに忠告しておくが、ストーカーにだけはなるなよ。
というか既にストーカーまがいの行為に片足を突っ込んでいると自覚せよ。
冷静になれというのはそういう意味だ。
恋に盲目するには、お前は少し大人になりすぎた。
その歳で分別を失ってしまったら本当に豚箱に入れられるぞ。
さて、それでズバリ聞くが、お前は結局どうしたいのだ?
「鷺沢さん」なる女性がどれだけ美麗で繊細で高貴で知的で可愛いか、という話ではない。
お前自身が彼女に何を望んでいるかという話だ。
お友達になりたいのか?
お付き合いしたいのか?
まずはそこをはっきりさせなさい。
いずれにせよ、そっちの具体的な状況を聞かないことには俺もアドバイスのしようがない。
まずは深呼吸し、己を見つめなおせ。
恋愛経験の乏しい人間がいきなり走り出そうとしても、足がもつれて転ぶか、あるいは息切れして醜態をさらすかのどちらかだ。
熱をあげるにも順序というものがある。
アイドルもライブの前はリハーサルをするし、レッスンする前は準備運動をするだろう?
要はウォーミングアップを怠るなということだ。
最後自分でも何を言ってるのかよく分からなくなったが、以上。
健闘を祈る。
草々。
後輩Pへ
九月二十八日
こんにちは。
お手紙ありがとう。
こちらではようやく、すずしい風が吹くようになってきました。
東京はまだまだ暑いみたいですね。
じつは最近、ちょっとだけ東京が恋しいなあと感じているのです。
暑いのが好きというわけじゃありませんよ。
先生がいま働いている新潟県という場所は、田んぼや自然がいっぱいで空気のきれいな良いところです。
ただ、少し田んぼが多すぎるのです。
最初はのどかでいいなあと思っていましたが、景色があまりにのんびりとしすぎていて、他にすることがありません。
でも、海や川、山や森が周りにたくさんあるので、かおるのように元気いっぱいな子にとっては、とても楽しいところかもしれませんね。
今度、みんなと一緒に遊びにおいで。
後輩Pのことを「ぶたさん」と呼ばないように、みんなに言ってあげたのは、とても良いことをしましたね。
かおるのそういう素直でまっすぐな心がけは、たいへん立派だと思います。
まさか「さぎさわ先生」まで後輩Pのことをブタ呼ばわりしていたとは知りませんでした。
あだ名だと勘違いしていたというのなら、仕方ありませんね。
かおるのお手紙はていねいで、とてもしっかりしていると思います。
先生が小学四年生のときは「拝啓」なんてむずかしい言葉は知らなかったし、使ったこともありませんでした。
かおるの言うとおり、さぎさわ先生の教え方が上手なおかげかな?
学校の勉強も、アイドルのお仕事もたくさんがんばっているみたいで、先生はうれしいです。
そういえばこの前、かおるの好きなアイドルの佐々木千枝ちゃんが先生の事務所にあいさつに来ました。
千枝ちゃんも先生もいそがしくて、ゆっくりおしゃべりできなかったけれど、千枝ちゃんはかおるの事を知っていると言っていましたよ。
いつかきょうえんできるといいね、なんて話もしました。
かおるが後輩Pの言うことをしっかり聞いて良い子にしていれば、すぐにじつげんできると先生は思っていますよ。
ではまた。
元気いっぱいのりゅうざきかおるさんへ
十月一日
あのな。
何をそんなに怒ることがある。
俺がいつ適当なことを言った?
ほぼほぼ事実ではないか。
一年ほど前、就職活動にあえいでいたお前を53プロに誘った時、自分で何て言ったか覚えてないのか?
「ぼく、女の人とまともに会話したことないんですけど、いいんですか」ってな。
そういう女慣れしてない所もひとつの適正だと思って俺は入社させたんだ。
お前が学生時代、健全不健全に関わらず異性交遊というものに縁がなかったのは火を見るより明らかであろう。
それをお前は「恋愛経験に乏しいと決め付けるな」とおっしゃる。
「友達とか付き合うとか、結論を急かさないでほしい」とのたまう。
「これが恋愛感情であると決まったわけではない」とも。
では俺はどうすればいいのだ。
お前の「鷺沢文香観察日記」にひたすら付き合えというのか。
字面がおぞましいにもほどがある。
そんな醜悪極まる犯罪的文通を続けても嘆かわしいほど双方に得るものがない。
まあいい。
とりあえず最小限の情報は揃ったから、俺の方でも整理してみよう。
・「鷺沢さん」はK大の女子大生で、事務のアルバイトとして働いている。
・週に二回、ちひろさんの元で経理の手伝いをしている。
・その時ついでに薫の面倒も見てやっている。
大変よろしい。
俺が知りたかったのはこういう情報だ。
ただし、以下の一連の項目については相変わらず主観が混じっていて判断がむずかしい。
・五月、鷺沢さんの歓迎会をひらいた。
・お前はそのとき飲みすぎて酔いつぶれ、初対面の彼女に醜態をさらしてしまった。
・それ以来、事務所で妙に距離を置かれているような気がする。
・もしかしたら嫌われているのかもしれない。
・時々さげすむような目で見られていると思う。
・でも、それがかえって興奮する。
書いてたら段々腹が立ってきた。
なぜ俺はこんな変態のために貴重なプライベートの時間を割いているのか。
自分の優しさがいやになる。
そうとも、俺は困っている人間を見ると助けずにはいられない性分である。
感謝することだな。
というわけで、具体的なアドバイスをしてやろう。
「鷺沢さん」に彼氏はいるのか?
まずはそれを調査しなければなるまい。
適当に世間話でもしながらさりげなく聞いてみるべし。
結果が分かったら知らせるように。
チェリー後輩Pへ
十月三日
拝啓。
お手紙ありがとう。
まず、ポエムをわざわざ丁寧に解釈しないでほしいというお前の言い分、まったくその通りである。
俺が無粋だった。すまない。
そっちの事務所は相変わらずのんびりやっているようでなにより。
ただ、乃々の手紙を読んで少し気になった事がある。
後輩Pは本当にちゃんと仕事してるのか?
どうも後輩Pより凛の話題の方が多かったような……
お前の手紙を要約すると、つまりこういう事だろう。
「凛さんにレッスンを付き合ってもらった」
「収録は凛さんと一緒に行った」
「衣装の打ち合わせは凛さんが同行してくれた」
「学校まで凛さんが迎えに来てくれた」
「帰りも送ってくれた」 etc.
凛はいつから乃々のプロデューサーになったのだ。
いくら凛が面倒見がいいからと言って、送り迎えまでするのはやや過保護ではあるまいか。
お前と凛の仲が良いのは知っていたが、そこまでべったりとは思わなかったぞ。
まあ、凛の気持ちも分からんでもない。
あいつにとって乃々は初めての後輩アイドルだったし、歳も近いから何かと放っておけないんだろう。
気付いたらお前も、凛の言うことだけは素直に聞くようになってたもんなあ。
最初はあんなに凛にビビってたのに、不思議なもんだ。
仲良きことは美しきかな。
それはそれでたいへん結構なことだが、あんまり凛に甘えすぎるのもよくないぞ。
特に今はクリスマスと年末のイベントに向けて二人とも忙しくなる時期だろう。
確か53プロは合同ライブの出演が予定されていたはずだ。
言っておくが、俺はちゃんとチェックしてるんだからな。
乃々ももうすぐデビューして一年経つんだ。
そろそろ自立していかないとな。
あと、後輩Pにわがまま言って迷惑をかけないように。
前向きな相談ならいいが、昔みたいにゴネたりしてはいかんぞ。
迷惑をかけるならちひろさんにしとけ。
それじゃあな。
凛にもよろしく言っといてくれ。
森久保乃々様
十月三日
拝啓。
お手紙拝読いたしました。
まず質問にお答えしますと、俺がそっちへ全然顔を出さないというのには、いくつか理由があります。
第一に、忙しい。
仕事のある日はもちろんですが、休日もゆっくりしている暇がないのです。
なにせ新潟は広い。
地域文化や顧客ニーズを自分の足で調査し、ついでに観光名所もチェックしようとすると、必然、土日を利用しなければならず、したがって東京へ赴く予定など立てられんのであります。
遊んでいるように思われるでしょうが、遊び心がなければ良い企画のアイデアなど浮かびません。
俺は何事も真剣に取り組む男です。
たとえ勤務時間外であろうと、自分の野望を達成するために必要なことには手を抜かない。
それはちひろさんもご存知でしょう?
第二の理由は、後輩Pのためです。
というよりも凛のためと言った方が正しいかもしれない。
凛の担当を引き継いでこの半年間、俺がいなくても一人で仕事をこなせるよう後輩Pもがんばってきたものと思われます。
当然、それは凛も同じで、新しいプロデューサーに慣れない、馴染めない事も多々あったに違いありません。
そんな中、二人が新しく関係を積み上げようとしている所へ前任者である俺がノコノコ舞い戻って茶々を入れてしまったら、成熟するものも成熟しないでしょう。
俺はもう部外者なんです。
後任に席を譲った身として、未練がましく口出しするような真似はしたくありません。
俺には俺のやり方があるように、後輩Pには後輩Pのやり方がある。
もちろん不安や心配はまだありますが、53プロにはちひろさん、あなたという大黒柱がいます。
後輩Pが何をやらかそうとも、あなたなら舵取りを大きく間違えることはないだろうと信じているからこそ、俺は迷いなく事務所を去ることができたんですよ。
ま、そうやってちひろさんに甘えているという点では、俺も後輩Pの事をとやかく言えませんがね。
凛や乃々については申し訳ないという思いもあります。
こちら側の一方的な都合で担当プロデューサーを変えたわけですから、納得できないという気持ちも少なからず抱いているはず。
それはもちろん分かってます。
しかし、プロデューサーとアイドルの関係なんていうのは、本来それくらいの距離感であって然るべきだと思うのです。
所詮、ただのビジネスパートナーですからね。
ある共通の目的があって、そのためにお互い協力し合っているにすぎない。
プロのスポーツ選手とその監督みたいなものですよ。
情だけで仕事が上手くいくわけじゃない。
俺はそうやって割り切っているつもりです。
……と、ここまで書いておいてナンですが、正直「もういいかな」という気もしています。
実際、この一週間でなんやかんや手紙を書いてちょっかいを出してしまってるし、俺だってたまには凛たちと会いたいですしね。
後輩Pも、もう一人でそれなりにやっていけてるみたいですし、そろそろ俺も肩の荷を下ろしてもいいかなと考えている所存です。
もしかしたら近いうちにそっちへ遊びに行くかもしれません。
予定が決まったら追って連絡しますよ。
それでは。
怱々頓首。
53プロ最後の砦 千川ちひろ様
一旦ここまでにします
夜あたりに再開する予定です
読みにくかったら言ってください
乙
代筆屋の小説思い出した
森見登美彦か
恋文の技術か懐かしいな……と思いググったらもう八年も前で驚愕
十月九日
すみません。
俺、ちひろさんがなぜ怒っているのか、分かりません。
どうも俺は手紙を書くと相手を怒らせてしまうみたいです。
前は後輩Pを恋愛経験のないチェリーボーイと書いたら「心外である撤回を要求する」と言われました。
その前は乃々のポエムを勝手に解釈して怒られました。
でも今回、特に変なことは書いてないと思うんですが……何がダメだったんでしょう。
「Pさんの薄情もの!」と言われましても、近いうち遊びに行くって書いたじゃないですか。
凛たちのスケジュール調整がめんどくさいとか、そういう話ですか?
そういえば確かに社長には声かけてませんけど、別にちひろさんだってあの人にわざわざ来てほしくないでしょ。
う~ん……分かりません。降参。
一応、あやまっときます。
ごめんなさい。
あと、ついでみたいに書かれてましたけど、後輩Pは大丈夫なんですか。
最近あいつから手紙の返事が来ないので少し心配してたんですよ。
まさか、そんな事件が起きていたなんて知りませんでした。
手紙で言ってももう遅いかもしれませんが、とりあえず今はそっとしておいてやってください。
特に、こういう問題は女性に慰められると余計みじめな思いをしてしまうものです。
あいつに関しては、俺から少し様子を聞いてみることにします。
ほんと世話のかかるヤツですよ。
まあ、いまさらオタク趣味が暴かれたからといって、そこまで落ち込む必要はないと俺は思うんですけどね。
そもそも今までバレてないと思っていた事にびっくりです。
頭の中が桃色パッションに溢れているだけのことはある。
かつてキリストは神の赦しを得るために数々の苦難を受け、人類の罪を償いました。
しかし後輩Pの破廉恥を煮詰めたようなpassionなぞ誰が望むでしょう。
神様だってありがた迷惑です。
あいつは阿呆のくせに、時々ものを深く考えたがるクセがある。
底抜けに素直で純粋なところが唯一の美点だというのに、柄にもなく絶望してなけなしの愛嬌すら失ってしまったら、一体誰がヤツを構ってあげられるというのです。
それではあまりに哀れというものでしょう。
後輩Pに同情しているというわけではありません。
ただ、ヤツの桃色片思いを不本意ながら応援している身としては、そう簡単に「くだらん」と一蹴してやることもできんのです。
そういえばちひろさんはご存知ないかもしれませんが、どうやらここ最近、後輩Pが密かに好意を抱いている女性がいるらしいんです。
あんまり言うと後輩Pのプライバシーに関わりますから詳しくは書けません。
まあ若きプロデューサーの悩みといった感じです。
昔、あなたが俺に説いてくれた恋愛論を思い出します。
感情に理屈を塗りたくったような複雑怪奇なロジックから繰り出される有無を言わさぬ恋愛定理の数々は、俺にはいささか難しすぎました。
そんなに面倒なことを考えなくとも、好きな人には一言「好き」と言えばいいだけの話だと反論すると、あなたはよくぷりぷりと怒っていましたね。
俺は確かに乙女心の分からない人間ですが、これまでの人生、別段それで困るようなこともありませんでした。
『女性というものは愛されるためにあるのであって、理解されるためにあるのではない』
かの大作家、オスカーワイルドの言葉です。
ま、そんな格言を振りかざしたところで、現実的にどうにかなるわけじゃないですがね。
要は経験ですよ。何事もね。
とりあえず、後輩Pに例の「特殊相愛性理論」を教授するのはよしてくださいよ。
悩みのタネを余計に植え付けてしまう事態になりかねない。
あれは恋愛上級者になってようやく手を出すべき代物です。
忠告はしました。
それではお元気で。
偉大なる恋のアシスタント 千川ちひろ様
十月九日
こんにちは。
なかなか返事が来ないから少し心配したが、元気してるか?
ちひろさんから聞いたぞ。
お前、事務所で盛大に性癖を暴露したそうだな。
全くもって救いがたい阿呆だ。
激務に追われる中、束の間に癒しを求める気持ちは分かる。
しかし、いくら休憩時間とはいえ、人のいる場所で耳かきボイスを聴こうとしたのは自業自得と言うほかない。
そういうのは夜、家に帰り布団に潜って孤独にひっそりと楽しむものだろう。
二次元美少女の甘々な囁きに癒されたいという趣味は否定しない。
ただ可能性として、聴いてる最中にイヤホンジャックが外れ、お前の猥褻な魂胆が欠片でも外へ洩れるかもしれないと考えた事はなかったのか?
想像力の欠如は往々にして目の前の断崖をも見落としてしまうものと心得よ。
……などと偉そうな事を書いたが、まあよくある事だ。気にするな。
ぶっちゃけ俺も似たような経験をしたことがある。
ある日、事務所のパソコンでこっそり卑猥なサイトを閲覧しててな。
主に女性の胸部に関する貴重な映像資料を漁っていたのだ。
俺は紳士的矜持からそれらを吟味し、一考の価値ありと見てしばらく没頭していた。
気付いたら後ろにちひろさんが立ってたんだ。
振り返り、刹那の沈黙、目が合った。
殺されると思った。
しかし俺は逃げなかった。
「おや、奇遇ですね」と俺は言った。
ちひろさんは氷のように冷たい表情で「ええ、ちょうど良い所に」と答えた。
俺は椅子にふんぞり返り、にこやかな笑顔をたたえながら「どうかしましたか?」と言った。
ああ、思い返してみれば、あれほど虚しく自分の耳にこだました言葉はなかったろう。
どうかしてるのは明らかに俺の方であった。
ちひろさんは何も言わず、ひたすら義務的な動作で書類の束をデスクに置き、俺と、俺のパソコンに爛々と映し出された卑猥な肌色の数々を蔑むように一瞥して去って行った。
俺は何事も無かったかのようにそっとアダルティーなサイトを閉じ、仕事に戻った。
こうして俺は九死に一生を得た。
以降、社内ログの監視体制が敷かれるようになったのは言うまでもない。
いいか? 後輩Pよ。
俺が言いたいのは「堂々としていろ」ということだ。
泣きながら事務所を飛び出すなど、負けを宣言したようなものではないか。
お前はただ一言、涼しい顔で「これは業務の一環です」とでも言っておけば万事丸く収まっていたのだ。
耳かきボイスがどんな業務に活かされるのかは甚だ疑問だが、そういうのは後になって考えればよい。
逆境を乗り越える胆力というのは何も仕事のためだけに必要なのではない。
人生を攻略する上でも非常に重要な、身に付けておかなければならない能力なのだ。
これを機に人間として、またプロデューサーとしても一皮むける事を期待している。
当分は休憩時間にクラシック音楽でも流してごまかせ。
後輩Pへ
十月九日
元気にしてますか。
先生です。
このあいだ外を歩いていたら、近くの小学校で運動会をやっているのを見かけました。
もうそんな季節かあ、と思ってしばらく校門からぼうっとながめていたら、ふと、かおるの事を思い出してなつかしくなりました。
そういえば、かおるの学校のお話はよく聞いていたけれど、先生がちょくせつ学校行事を見に行ったことはありませんでしたね。
もし今度、かおるの学校で運動会をやるなら、見に行きたいなあ。
でも、しんせきでもない人を、学校に入れさせてくれるのかなあ。
そんな事を考えて立ち止まっていたら、学校のけいび員さんにぎろりとにらみつけられてしまいました。
ふしん者がウロウロしていると思ったのでしょう。
先生のようなりっぱなサラリーマンを悪い人だと疑うなんて、まったく失礼しちゃうワ、と思いましたが、けいび員さんもお仕事ですから、仕方ありません。
お仕事のじゃまにならないよう、先生はペコリとおじぎをして学校を通り過ぎることにしました。
実を言うと、先生は昔からよく「しょくむしつもん」されるのです。
りんお姉さんや乃々お姉さんをスカウトした時も、何度か「しょくむしつもん」されました。
先生ってそんなにアヤシイ顔をしてるんでしょうか。
たしかに、難しいことを考えていると、よく「顔がこわい」と言われるので、気をつけないといけないなあ、と思いました。
さて、かおるの方はレッスンをたくさんがんばっているみたいですね。
目標があって、それに向けて努力するのはとてもすばらしいことです。
けれど、無理をしてはいけませんよ。
ごはんは一日三食しっかり食べて、夜はおそくまで起きず、はやくねましょう。
具合が悪いなあと思ったら、ガマンせずにお父さんお母さんや後輩Pにちゃんと言うんですよ。
先生は、かおるの他にも一人、努力するのが好きなアイドルを知っています。
その子は才能もあったので、初めてのライブであっとうてきなパフォーマンスを見せつけ、いちやく有名人になりました。
たくさんの人がライブ映像を見て、ファンになり、CDを買いました。
けれど、そこから先が大変でした。
その子は「ファンの期待をうらぎらないようにしなくちゃ」と思い始めたのです。
それからは、レッスンも、あくしゅ会も、ライブも、「もっとたくさんがんばらなくちゃ」と自分に言い聞かせて、一人でがんばり続けました。
さて、かおるは、彼女がとても良いことをしているように思うかもしれませんが、実はこれが大きなワナなのです。
人は、がんばりすぎると体を壊してしまうものです。
そしてあんのじょう、がんばりすぎた彼女は、大きなイベントの直前に体調をくずして、それから数日間お休みしてしまいました。
これでは、せっかくがんばった事もパァになっていまいます。
ついでに彼女は勉強もなまけていたので、学校のせいせきもひどいものでした。
いいですか、かおる。
千枝ちゃんと早くきょうえんしたくて、あせる気持ちは分かります。
先生ももちろん、がんばるかおるのことを応援する。
でも、それは何もかも全部一人でがんばらなければいけない、という事ではないんですよ。
疲れたり、つらいなあと思ったら、無理をせずきゅうけいして、少しだけ、周りの人に代わりにがんばってもらいましょう。
今のかおるに大事なことは、アイドルのお仕事をのびのびと楽しむことだと、先生は思います。
それはさておき。
さぎさわ先生や、乃々お姉さんについて、色々教えてくれてありがとう。
お手紙、楽しく読ませてもらいました。
さぎさわ先生は本を読むのがとても好きな人なんですね。
本をたくさん読むというのは、りっぱなことです。
かしこくてりっぱな大人というのは、たいてい熱心な読書家なんですよ。
つまり、さぎさわ先生はきっとかしこくてりっぱな大人なのでしょう。
その点で言うと、残念なことに、先生はふだんから本を読むしゅうかんがないので、さぎさわ先生を見習わなくちゃいけませんね。
かおるも、きょうみがわいたら、さぎさわ先生に面白い本をおすすめしてもらうといいと思います。
秋は、読書にぴったりな季節ですからね。
秋といえば、読書の秋のほかにも、スポーツの秋、それからげいじゅつの秋というのがあります。
げいじゅつというのは、かおるにはまだ少しむずかしいかもしれないけれど、要するに絵を描いたり音楽を聴いたりすることを言います。
ところで、乃々お姉さんの絵や文章について、かおるはお手紙でこんな風に書いていましたね。
「かわいいけど、なんだか不思議な感じがしておもしろい」
この「不思議な感じ」というのが、まさにげいじゅつ的なセンスなのです。
乃々お姉さんの絵や文章を「よく分からないけど好きだなあ」と思うかおるの気持ちは、ひじょうに大事なことなんですよ。
誰かが作った作品をじっくり味わい、自分なりにおもしろいと感じることは、十分げいじゅつ的な取り組みです。
そして、その「好き」と思った気持ちは、えんりょせずに乃々お姉さんに伝えてあげましょう。
自分の書いた作品を褒められて、嬉しくない人はいないと思います。
きっとよろこぶと思いますよ。
それでは、また。
りゅうざきかおるさんへ
十月十二日
前略。
お手紙読みました。
いきなり「アイドル辞めます」なんて書いてあったから、さすがの俺もびっくりしたぞ。
乃々よ。
まあ落ち着いて聞いてくれ。
アイドルを辞めたい、と思うのは勝手だ。
しかし俺はお前にアイドルを辞めてほしくない。
一時の感情に流され、焦って結論を出す前に、もう少し、考えてみてくれないか。
薫だって悪気があってやったわけじゃないんだろう?
もし、お前がその事に怒ってるんだったら、ちゃんと薫に伝えるべきだ。
一方的に塞ぎこんで泣き寝入りしてしまっては、かえってお互いわだかまりが残る事になる。
もし既に謝ってもらって、それでも許せないと思っていても、許してやってはくれないか。
薫もまだ子供で、やって良い事と悪い事をちゃんと分かっていないのだ。
思うに、きっと薫は、乃々を尊敬していたからこそ、自慢の「乃々お姉さん」をみんなに知ってもらいたいと考えたんだろう。
乃々の秘密のポエムノートがたまたま薫の荷物と混ざり、ランドセルに仕舞われて持ち帰られたのは、不幸な事故である。
そして、薫がクラスのみんなの前でノートの中身を朗々と読み上げてしまったのも、一種の事故なのだ。
あの子は、決して乃々にいやがらせをしようと思ってそのような行為に及んだわけではないと、俺は断言できる。
だからお前もそんなに思いつめたりしないで、もっと前向きにとらえてほしい。
逆に考えるんだ。
「読まれちゃってもいいさ」と考えるんだ。
元々、誰に見せるわけでもなく書いていたポエムノートだということは知っている。
人が秘密にしておきたいものを、無理に公開しろと言うつもりはない。
だが、自分が作った詩を誰かに読んでもらい、感想をもらうというのは、そんなに悪いことだろうか?
こんな事を言うと、お前はおそらく怖気づいて「そんなのむーりぃー」と言うだろうが、俺は無理じゃないと思う。
きっと楽しいと思うぞ。
それに俺も、お前が日々書きためてきた詩を、一度でいいから読んでみたいと思ったことがある。
決して冷やかしで言ってるわけじゃなく、森久保乃々という一人の少女について魅力を感じ、もっと知りたいと思うからだ。
これがアイドルの素質でなくて何と言えよう。
少なくとも俺がそう感じているんだから、お前はもっと自分に自信を持て。
手紙にしたって、乃々の書いてくれる文章は面白いし、文才もあると思うぞ。
できれば、アイドルを辞めるのを思いとどまってほしい。
そして、きちんと後輩Pと話し合い、これを乗り越えてアイドルを続けて欲しいと願う。
信じているぞ。
森久保乃々様
P.S
凛にもあまり心配をかけてやるなよ。
十月十二日
前略。
お前、呑気に手紙なんぞ書いてる場合じゃないだろう。
事情は乃々からの手紙で読んだぞ。
あいつのポエム帳が薫の学校で公開処刑に晒されたらしいな。
それがあまりにショックで、アイドルを辞めたい、とまで書いて寄こしてきた。
お前は一体何をやっとるんだ。
本来、そういう悩み相談は担当プロデューサーである後輩Pの元に行って然るべきだろう。
薫の管理にしてもそうだ。
すべてお前に責任がある。
確かに乃々は昔から逃げクセがあり、「仕事やめます」とか「探さないでください」とか置手紙を書くような子ではあった。
しかし、その言葉を委ねる相手はいつだって担当プロデューサーであったはずだ。
断じて元担当の部外者に委ねるものではない。
それをお前という奴は、オタク趣味がバレただの、くだらん事で悩みおって。
「鷺沢さんに目撃されたのが何よりつらい」だと?
お前のような変態は存在そのものが既に公然わいせつ罪なんだから、今さらそんな事でクヨクヨするんじゃない。
そうやって彼女にうつつを抜かしていたせいで、肝心の職務がおざなりになってしまったのではないのか。
反省しろ。
しかも前回、俺が励ましてやった手紙に対してその返事はなんだ。
「耳かきボイスじゃありません。ASMRです!」
知るか阿呆。
そもそも同時期に似たような事件を被らせるんじゃない。
暴露大会じゃないんだぞ。
どっちにしろお前より乃々の事態の方がよほど心配だ。
いつものように乃々の気まぐれであってほしいと思うが、お前だけでは少々不安が残る。
悪い事は言わん、ちひろさんにも相談しておけ。
凛や薫のフォローを彼女に任せて、お前は乃々の話をじっくり聞いてやるべきだろう。
上手くやるんだぞ。
後輩Pへ
十月十四日
乃々と、それから凛へ。
Pです。
電話にも出ないようだから、この手紙を書いて送ります。
できれば破り捨てずに読んでください。
さて。
乃々を人質にして立て篭もるとは、凛もなかなか大胆なことをするようになったな。
だが他所の人様にまで迷惑をかけてはいかん。
寮長も困っている。
変な意地を張ってないで、出てきなさい。
それにしても、ちひろさんから直々に救援要請の電話が来たのにはびっくりしたぞ。
まさかお前たち二人がストライキなんて行為に及ぶとは、さすがのちひろさんも計算外だったに違いない。
何があったか詳しくは聞けなかったが、どうやらお前たち二人は今の53プロの待遇に不満があるということらしいな。
ポエムノート公開事件の責任追及と合わせて、主に後輩Pの乃々に対する待遇の改善を要求する、と。
この際だからはっきり言わせてもらう。
後輩Pに乃々を任せておけないという凛の言い分は、間違っている。
あいつはただ不器用なだけなのだ。
プロデューサーの能力として不満があるのか?
しかしよく思い返してみろ。
去年、凛をプロデュースしていた時の俺だって、あらゆる面で未熟で無能だった。
あの頃は凛も新人アイドルだったから気付かなかったのだ。
特に俺は虚勢を張るのだけは得意だったから、お前はそういう俺の一面だけを見て「プロデューサーとはかくあるべき」と覚えてしまったのだと思う。
実際、今の後輩Pはよくやっている方である。
ひとつ、昔話をしてやろう。
ある所に一人の冴えない男子大学生がいた。
その男は性格こそ真面目で正直者だったが、顔も頭も大して出来が良いわけでもなく、人見知りだったので、友人が少なかった。
講義室の隅っこに隠れるように生息し、学科の同期たちからは裏で「しけたせんべい」と呼ばれ、講義にはサボらず出席していたものの、生まれつきの要領の悪さから成績は常に恐るべき低空飛行を続けていた。
そうした実りなき大学生活を送っていくうちに、人目につく事を好まなかった謙虚な心も、次第に卑屈の精神へと変わっていった。
気が付くと男は、大学構内の日陰という日陰を渡り歩く日陰妖怪と化してしまったのである。
しかし、そんな孤独な生活の中にも生きがいはあった。
男は絵を描くのが趣味だった。
「将来は漫画家かイラストレーターになりたいなあ」と思っていた。
講義や課題、アルバイト以外のほとんどの時間は一人で黙々と絵を描いて暮らしていた。
男は阿呆だったから、それまで誰にも絵を見せた事がないにも関わらず、頑張っていればいつかそういう仕事に就けるだろうと根拠もなく信じていた。
そして、彼が二年生になった秋の事である。
講義室で暇つぶしに落書きしていると、いきなり背後から声をかけられた。
声をかけてきた人物は学科の同期で、バンドマンをやっているという男だった。
バンドマンは彼の絵の上手さを見込んで「今年の文化祭の宣伝ポスターを描いてくれないか」と依頼した。
彼は驚き、動揺しながらも、この依頼を引き受けた。
この思いがけない巡りあわせは、彼の心に喜びよりも不安をもたらしたが、とにかくやってみようと思った。
しばらく後、苦心して描き上がったイラストを見せると、そのバンドマンは非常に満足して「ついでにこういうのも描いてくれないか」と依頼を増やした。
実際、彼はそれなりに絵が上手く、また単純な性格だったので、予想外の好評に恐縮しつつも、自分が認められたような気がして有頂天になった。
それ以降、そのバンドマンに言われるがまま絵を描いて描いて描きまくった。
次第に注文はうるさくなり、描いた絵に満足いかないと容赦なくボツにされる事もあったが、それでも彼は自分を必要としてくれる事が嬉しかったので、わけのわからないサークルのポスターの絵を次々に依頼されても大して疑問に思わず、日陰妖怪の意地を見せるべくひたすら頑張った。
そして、文化祭まで残り一週間となったある日、彼は裏切られた。
バンドマンが、彼の描いたイラストのすべてを「これ俺が描いたんだぜ」と言ってあらゆるサークルに売りつけていたのである。
自分が騙され、無償で働かされたと気付いた時にはもう遅く、抗議しようにも相手はこちらを切り捨て一方的に無視する。
万事ことごとく休す。
そう思われた矢先のことであった。
短期間で似たような筆致のポスターが複数提出されたことに不審な臭いを嗅ぎ取った文化祭実行委員が、秘密裏に捜査の網を張っていたのである。
そして文化祭の直前、彼の依頼主はサークル間不正取引の容疑で身柄を確保され、同時にその卑劣な犯行も明るみに出ることになった。
にわかに注目を浴びたのは、自らを「日陰の覇者」とまで勝手に豪語していたほどの彼である。
後日、彼は被害者としてサークル会議に呼び出され、大勢の見ず知らずの人間の前に立たされた。
「これキミが描いたの?」「上手いね」「何年?」「どこの学科?」「てかラインやってる?」
彼はしどろもどろに答弁したがしゃべり慣れていないので要領を得ず、代わりに実行委員の会長が助け舟を出し、結果、彼の絵は正式な手続きにのっとって各サークルのポスターに採用される運びとなった。
彼の名は、文化祭に展示されたポスターと共に瞬く間に有名になった。
まさに怪我の功名、たなぼたである。
彼はその後、文化祭実行委員に入会するよう勧められ、流されるまま従った。
そうして一度受け入れられると、彼の不器用に隠された意外な愛嬌に多くの人間が気付くところとなり、ようやく友達と呼べるような付き合いもできるようになった。
それでも相変わらず一人でいる事を好み、黙々と絵だけを描いて過ごす日も少なくなかったが、以前と違い、描いた絵を人に見られても怖がらなくなった。
学科の同期たちにも一目置かれ、以前のように「しけたせんべい」と呼ばれる事はなくなり、今度は「ぶたくん」のあだ名で親しまれるようになった。
ちなみに、そのあだ名を付けたのが、彼を表舞台に引っ張り込んだ例の実行委員会長であり、入会するよう勧めたのもこの男である。
さて、彼はこうして日陰を忍ぶ生活から脱し、人並みのキャンパスライフを手に入れることができたわけである。
しかし元は人見知りで目立つことを嫌っていた男が、このような身の丈に合わない境遇に甘んじてそれを良しとしただろうか?
かつては孤独だけを唯一の友とし、卑屈にならなければ生きていけなかったような人間が、入学以来初めて信頼した相手に裏切られたのだ。
人間不信になってもおかしくはない。
ある日、不思議に思ったお節介な会長が、彼に質問した。
「お前、周りにブタとか呼ばれてイジられてさあ、嫌になったりしねえの?」
「全部先輩のせいじゃないですかあ」
唖然としながら返された。
確かに、と思った。
とりあえず「すまん」と言っておいた。
「構ってもらうぶんには別にいいんですけど……まともな人付き合いとか会話はいまだに慣れなくて……そもそも苦手なんですよぅ」
「じゃあ、今は楽しくないか?」
聞くと、奴は恥ずかしそうにはにかみながら答えたんだ。
たのしいです、ってな。
ま、ただの昔話だ。
別に教訓めいたことを言いたいわけじゃない。
奴がその後どうなったか、それは本人に聞いてみるんだな。
話を戻そう。
凛、それから乃々よ。
後輩Pは確かに阿呆だが、あれは阿呆なりに誠実な男である。
それに、ほんの少しの勇気だけで世界がどんなに違って見えるか、その価値を何より知っている男でもある。
きっかけが必ずしも自分にとって素晴らしい体験であるとは限らないが、それを乗り越えればこその景色があるという事もな。
そしてプロデューサーという人種は多かれ少なかれ、アイドルに向こう側の景色を見せてやりたいと思うものなんだ。
人の夢に共感し、それを応援することを素質と呼ぶなら、あいつは俺なんかよりずっと優れたプロデューサーになるだろう。
確かに今はまだ未熟かもしれない。
俺もよく呆れたりする。
しかし最初から全部うまくやれる人間なんているわけがない。
それは分かるだろう?
もし凛が、それでも後輩Pを信用するに値しないと判断したとしても、それはお前自身の問題であって乃々は関係ない。
乃々の肩を持つのは自由だが、これはそもそも乃々と後輩Pの二人の問題なのだ。
凛のそれはただの過保護である。
早急に乃々の身柄を解放すべし。
というか、ストライキを起こすにしても具体的な要求が無いんじゃ、俺たちもどうすりゃいいか分からんぜ。
後輩Pに聞いた話では、乃々の部屋に立て篭もって内側からバリケードを築いているとの事だったが……
「乃々は渡さない」という声明だけ聞かされても、正直、反応に困る。
お前は乃々のなんなんだ。
もしこの手紙を読んで一日経っても進展がないようなら、俺もそっちへ向かおうと思っている。
ちひろさんから電話で聞いたが、後輩Pはずっと部屋の外でお前たちを説得しているそうじゃないか。
どうか耳を傾けてやってくれないか。
気が変わってくれることを祈っている。
小休憩
こういうPの性格が出てるSS好き
ゆるっとした雰囲気も好み
他に作品かいてたら知りたい
なかなか面白そうだなあ
おつおつ
十月二十三日
拝啓。
このところ随分冷え込んでまいりました。
秋気いよいよ深くなり候といった趣で、我が安アパートの六畳間も暖房具の設置見送りによりシベリア流刑地がごとき厳寒の牢を呈しております。
こんなに寒くなるなんて聞いてない。
先週まであんなに暑かったのに。
窓の外では俺に断りもなく上陸してきた北風小僧が我が物顔でぶいぶい言わせているし、頼みのお天道様はかれこれ五日ほど雲の向こうに引きこもっていらっしゃる。
ああ、憂鬱だ。
どうしてこうも新潟の空というのは陰気くさいのでしょう。
視界の隅には常に暗雲が低く垂れ込め、まるで頭の上を何者かに押さえ込まれているような気分です。
北陸では自殺率が高いというのも頷ける。
これが冬になったらと思うと、ああ、いまいましい!
一方、社長は特に寒がる様子もなくいつも通りのんびりしています。
やれゴルフだ飲み会だの役員接待に精を出しているのを横目に、俺は一人恨めしく仕事に勤しむ日々であります。
この前なんて仕事中いきなり「もうすぐスキーの季節だねえ。スキー楽しいだろうなあ。行きたいなあ」とかわざとらしくぼやいては、構ってほしそうに俺の方をちらちら盗み見てる有様ですよ。
俺を誘うつもりならはっきり言えばいいのに。
誘われても断りますけど。
まあ相も変わらずそんな調子ですが、あの人も一応営業努力はしているみたいなんで、俺も強く文句は言えないわけです。
さて、そんな折、ちひろさん始め事務所の面々はいかがお過ごしでしょうか。
さぞ俺の名前を陰でこそこそ噂しては「プークスクス」とあざ笑っていることでしょう。
そうに決まっている。
先週の忌まわしい事件、よもや忘れたとは言わせませんよ。
凛と乃々のストライキの件からしてそもそもおかしかったのだ。
乃々はともかく、プロ意識の高い凛があんな子供じみた理由で仕事を放り出すわけがない。
何か妙だなと思っていたんです。
後で調べて分かりました。
あの日、凛と乃々だけ都合良くスケジュールが空いていたようですね。
実際ストライキでも何でもなく、ただのオフだったのだ。
それに、本来なら二人とも忙しい時期なのに、レッスンも被らず丸三日ほど不自然に予定が空いていたのはどういうわけか。
思い返して、俺は確信しましたよ。
俺が急いで東京へ出向いたとき、あなた方がどんな態度で迎えたか、覚えてますか?
「あ、プロデューサーだ」「本当に来ましたね」「作戦成功!」
あの時はなんのこっちゃと思いましたが、やっと分かりました。
ちひろさん。
全部あなたが仕組んだ事だったんですね。
俺と後輩Pはまんまとハメられたというわけだ。
凛が少なからず現状に不満を抱いていたというのは事実だったみたいですが、その不満を体よく吐き出すためにあんな回りくどい手段を取るなんてどうかしてます。
しかもそれを、俺を東京までおびき寄せる口実にするなんざ、悪魔でも思いつきますまい。
いいように口車に乗せられ、空回りした自分が恥ずかしい。
凛も乃々も、俺が寮に到着した頃には半分くらい飽きてたじゃないですか。
あのお粗末なバリケードも、俺が来たと分かった途端に凛のやつがそそくさと片付け始めて、それで息巻いて説得しようとしたら「あ、もう終わったから」とか言って軽くあしらわれたんですよ。
真剣に手紙まで書いたのに!
余計なエピソードを書き添えたせいで、凛も乃々も、薫までもが面白がって俺と後輩Pの話をせがんでくるし。
そしたらあの野郎、俺の過去について言わんでもいい事までぺらぺらしゃべりやがって。
おかげで俺の威厳はすっかり地に墜ちてしまった。
いっそ死なばもろとも精神でちひろさんの恥ずかしいエピソードもぶっちゃけてやろうかと思いましたが、あとが怖いのでやめました。
まあ、そうは言いいましても、ですよ。
久しぶりにみんなと会えて楽しかった。
これは本当です。
一応、凛が抱えていた問題も少しは膿を出せたみたいですし、この件に関しては結果オーライという事で許してあげないこともない。
乃々のポエムノート公開事件にしても、聞けば案外すぐに立ち直っていたみたいですし。
いや、あれは開き直ったと言うべきなのか?
どちらにせよ、半年前に比べてたくましくなったなあ、なんて嬉しいような寂しいような、そんな感慨が沸いてくるというものです。
それに、よく笑うようになった。
これは大きな成長です。
女の子を何より可愛く見せるのは笑顔ですからね。
薫とも普通に仲良くしているのを見てホッとしましたよ。
とにかく、53プロがいつもどおり平和だと分かって良かった。
それにひきかえ、あの飲み会の酷さといったら無い。
後輩Pが盾になってくれていなかったら俺も危ないところでした。
いくら日頃の鬱憤が溜まっているからって、何もあそこまでべろべろに酔っ払わせる事はないでしょう。
しかも俺と鷺沢さんは初対面だったんですよ。
素面のまま途中まで付き合ってくれた彼女が不憫でならない。
かく言う俺も、正直、四軒目から先はよく覚えてません。
鷺沢さんに膝枕されて寝ていた後輩Pがそのまま彼女に介抱され、タクシーで送ってもらった所までは記憶にあります。
しかしその後がどうも上手く思い出されない。
もしやちひろさん、酔いに任せて俺から妙な言質を取ったりしてないでしょうね。
というより俺が変な事を口走ったりしていないか、それが一番不安です。
翌朝、あなたの自宅で目が覚めた時はびっくりしましたが、二日酔いの頭痛と吐き気でそれどころじゃなかった。
今にして思うと、あの朝、ちひろさんがやたら機嫌が良かったのが不気味に感じられます。
ちひろさん。
俺はたまに、あなたという人が恐ろしくなる。
何をするにしても万事手回しが良く、およそ世の中に怖いものは無し、柔和な微笑みの裏ではどんな思惑がうごめいているか底知れない。
外堀という外堀をコンクリートで埋められたと気付いた時にはもう遅く、我々俗人はあなたが敷いた完璧なレールの上を意のままに転がされる他ない。
かと思えば、時に察してくださいと言わんばかりの回りくどいアプローチで人をいたずらに困惑させる。
ふとした事で無邪気に喜んだり、あるいは子供みたいにぷりぷりと機嫌を損ねたりする。
一体どこまでが計算で、どこまでが素なのか、我々が判断を保留している間に、あなたはその心の隙間に巧みに滑り込んでくる。
その魂は女神か天使か、はたまた悪魔か。
さながら人類を管理・観察する上位存在が気まぐれに女性の姿を借りて地上に顕現したかのように、あなたは狡猾で、そして慈悲深い。
そんな神的視点から人生を俯瞰し、全能を極めたようなちひろさんが、なぜ俺みたいな矮小な人間にこだわるのか。
これが未だに分からんのです。
あなたは俺のようなくだらない男にはもったいないくらい素敵で魅力的な女性だ。
それこそ、理性では抗えないほどに。
ちひろさんに甘えていたら、きっと駄目な人間になる。
だからこそ俺は、自分の弱さを克服するために、あなたと別れ新天地を目指すことを志したのです。
いつかきっと立派な男になって帰ってくると、そう約束して。
俺が53プロを去って長いこと連絡を絶っていた理由は以前手紙にも書きましたね。
実は一つだけ、あえてそこに書かずにおいた理由がありました。
あなたの声を、表情を、仕草を思い起こすどんな些細なきっかけでさえ、一度は捨てた未練をみっともなく掘り起こすのに十分な言い訳になるだろうと恐れていたからです。
「まだ約束を果たす時ではない」
この半年間、俺は自分にそう言い聞かせながら、仕事への野心だけを拠り所とし、孤独に邁進してきたのです。
でも、やっぱり駄目でしたね。
みんなから手紙が送られてきたあの日から、かちこちに固めたはずの俺の決意がゆっくりと溶かされていくのを感じていました。
終いには「一度遊びに行くくらい大丈夫だろう」なんて考え出したあたり、自分の軟弱さが嫌になる。
文通の魔力おそるべしといったところです。
もはや決意なんだか意地なんだか、分かったもんじゃありません。
俺は情けない男です。
先週、あなたと久しぶりに会い、酒を酌み交わし、散々振り回されて、しみじみ思いました。
俺の気持ちは前と少しも変わっていない。
だから、俺はもう一度、俺自身とちひろさんのために、この手紙を書いて送ります。
あの日、俺が酒の勢いにのまれて晒した戯言など、忘れてしまってください。
俺が本心から弱音を吐けるのは、ちひろさん、あなたの前だけです。
しかしそれを自分に許していいのは今ではない。
俺はもう、あなたを一方的に頼りにして自分の無能をごまかすのはやめようと決めたんです。
いつか本当の意味でちひろさんに頼りにされる男になるために、もう少しの間だけ待っていてくれませんか。
そして、その然るべき時が来るまで、こんな俺の無様な強がりを、どうか認めてやってください。
自分勝手なお願いである事は重々承知しています。
長々と言い訳のような乱文、失礼しました。
この手紙にお返事は要りません。
さようなら。
怱々頓首。
千川ちひろ様
P.S
これを書き上げた次の日、読み返して、愕然としました。
なんだこれは。
恥ずかしすぎる。
まるで恋文ではないか。
俺のバカ!
書いてるうちに一人で勝手に盛り上がってしまいました。
冷静になって読むと、自分でも何が言いたいんだか分からない。
怪文書とはまさにこの事です。
よっぽど投函するのを止めようかと思いましたが、せっかく書いたんだし、破り捨てるのももったいないので、恥をしのんで送ることにします。
十月二十六日
拝啓。
尊書拝読。
お前も本当に懲りないやつだな。
俺に手紙なんぞ書いたところで誰も得しないと、この前の一件で学習しなかったのか。
「この人のお節介焼きはワールドクラスだから」とちひろさんに評されたほどの男だぞ。
そんな人間が慎ましく繊細な技術を要する文通など続けてみた所で、余計に状況をややこしくさせてしまうのがオチだろう。
この一ヶ月を振り返ってみても、俺が各方面に書いて送った手紙のダブルスタンダードっぷりには絶句する。
乃々には「俺になんでも相談しろ」と言う。
一方でお前には「アイドルの面倒をちゃんと見ろ」と叱責する。
そして元を辿れば、乃々を褒めるように促した薫への手紙が、ある意味ポエムノート朗読事件のきっかけでもあったわけだ。
つまり、例のストライキは半分ほど俺の文通沙汰に原因があった。
それは認めざるを得ない事実であり、先々週の飲み会できちんと謝罪したはずである。
そして今後一切文通などという身の丈に合わない真似はしないと、そう言っただろうが。
それだのに、お前はまたしてもこうやって手紙を送ってくる。
乃々も相変わらず手紙を寄越してくるし、ちひろさんまで躍起になって書いてくる。
なんなんだキミタチは。
まったくもってわけがわからない。
まあいい。
例え誰からだろうと相談のお便りを無視するような不義理は俺の信条に反するし、返事の手紙くらい書いてやる。
以下の文章を三回音読して肝に銘じておけ。
「鷺沢さんとどうすれば仲良くなれますか」だと?
そんなもん本人に直接聞け。
俺は鷺沢さんじゃないんだぞ。
だいたいお前、彼女とはすでに膝枕までしてもらったほどの仲だろうが。
今さら何を悩むことがあるんだ、ぼけ。
直球勝負で行けコノヤロウ。
飲み会の時、俺がわざわざ「彼氏いるの?」と聞いてやったんだから、後はお前一人でなんとかしろ。
早くしないと他の男に取られちまうぞ。
確かに、彼女は美人である。
お前にはもったいなさすぎるくらいの美人である。
根暗だが胸はでかいし、頭も良い。
今まで異性と付き合った経験はないと言っていただけあって、男慣れしていないのも一目で分かる。
お前のような童貞が惚れるのが痛々しいほど納得できるレベルの役満ぶりである。
そんな女性に、いくら酔っ払っていたとはいえ、甘え、介抱され、膝枕まですることを許された男に、一体何をアドバイスしろというのだ。
羨ましいやつめ。
無性に腹が立ってしかたない。
したがって俺はもうお前の恋愛相談は受け付けないことにした。
他人の助言なんざ仰いでないで、とっとと自分の恋路を走りやがれ。
以上。
へたれ後輩Pへ
P.S
事務所で俺の変な噂を流すのをヤメタマエ。
特に大学時代の話はするんじゃない。
ロッキーの映画に影響されて生卵を食ったら食中毒を起こして入院した話を面白おかしく広めるのはやめろ。
観葉植物にハマって独り暮らしの部屋をジャングルにした挙句、寝る場所がなくなって野宿した話はもっとダメだ。
分かったな。
十月二十六日
返事は要らないと書いたのに、なぜ返事を寄越すのですか。
そんなに俺の決意を揺らがせたいのですか。
しかも人の手紙を読んで笑うなんて!
確かにあの手紙はちょっとセンチメンタルが過ぎました。
しかし本心から出た言葉には違いないのです。
それをあなたという人は、よりにもよって「めんどくさい人」の一言で片付けてしまった。
あまつさえ「かわいい」とは一体どういうつもりなのか。
俺はかわいさをアピールした覚えはありません。
断固撤回を要求する。
それと、「後輩Pと鷺沢さんをくっつける恋のキューピッド倶楽部」なる楽しげな組織を結成して俺の好奇心を釣ろうとするのもやめてください。
乃々と凛まで巻き込んで、あんたらは鬼か。
そんな面白そうな悪巧みに俺が喜んで参加すると思ったら大間違いのこんちきちんです。じゃない、こんこんちきです。
俺とて後輩Pのウブな恋心にちょっかいを出したいのは山々です。
しかしながら、そうやって俺の興味をそちらへ引き込もうというちひろさんの手口にまんまと引っかかるほど自分はマヌケじゃありません。
すでに後輩Pには「恋愛相談お断り」の絶縁状を送りつけてやりました。
どうもあいつは策を弄することばかり熱心で、本来なら可及的速やかに固めねばならん決心を不必要に先延ばしにしている節がある。
大事なのは「どうすればお近づきになれるか」ではなく「どんな方法であれ気持ちを伝えること」なのです。
そこをあいつは色々履き違え、一方的に恋の駆け引きを演じたつもりになっている。
後輩Pがのんびり屋さんなのは大変結構なことですが、相手がいつまでも待ってくれるとは限らないし、むしろ待ってはくれないのが普通です。
そこで俺は思いました。
いっそここでハシゴを外し、背水の陣をこしらえてやるべきではないかと。
崖っぷちで戦にのぞめば自ずと好機を掴めるはずであると。
俺の助言なんぞにすがっていたら、あいつはそれを言い訳にしていつまでも判断と覚悟を保留し続けてしまう。
それは本末転倒というものです。
恋にから騒ぎする後輩Pという一大エンターテイメントをみすみす放っておくのも口惜しく思いますが、それもこれも奴のため。
ここは潔く手を引き、彼と彼女のうれしはずかしな妙味に遠くから思いを馳せる損な役割に徹してやろうというのです。
まあ本音を言いますと、後輩Pが年甲斐もなく恋に浮かれているのがちょっと羨ましく思ってしまった、というのもあるのです。
あんな無知無恥子豚にジェラシーを感じるなど一生の不覚。
しかしここにきて我々を取り巻く状況を振り返ってみると、越後山脈を挟んであからさまに明暗を分ける形となり、この事実が尚のこと俺の怒りを買った。
片や日本の裏側、人恋しさを忍ぶあまりにお節介をこじらせ、危うく文通趣味に溺れかけた哀れな男。
片や華やかなる大都会、生意気にも美女との交際を目論み、青春の夢を取り戻さんと浮かれている一人の阿呆。
同じ阿呆なら踊らにゃ損、とは言うものの、あいにく俺は理性を失わずに踊り狂えるほど器用な人間ではありません。
後輩Pばっかり楽しそうな思いしやがって! ずるい!
なにゆえ俺は崇高な志を捧げてまで、かような軽佻浮薄な輩をわざわざ担ぎ上げなくてはならんのか。
なぜだか無性に腹立たしい。
こんなの、つい先日に孤軍奮闘を誓った俺への嫌がらせみたいなものではないか。
もう勝手にすればいいのである。
せいぜい俺の知らん所で恋愛にうつつを抜かし、ついでに悩み苦しめばいいのである。
あとは全部そっちに任せ、俺は見て見ぬふりを決め込むのである。
どうですか、ちひろさん。
俺の確固とした決意、理解していただけましたでしょうか。
そういうわけで、再びここに文通断絶条約、ならびに個人の名誉回復協定を結ばせていただきます。
(1)今後、俺を誘惑するような手紙を書くことを禁ず。
(2)俺に関する不名誉な風評の流布を阻止し、事務所内の誤解を解くよう努めること。
よろしいですか。
特に(2)について、例の事件以来、凛と後輩Pが俺の悪口で盛り上がってるとか何とか。
あの二人が打ち解けられたのは大変喜ばしいことですが、それが俺の犠牲の上に成り立っているというのは納得がいかない。
本人の不在をいいことに、なんたる狼藉。
こうなったのもあなたのせいなんですから、きちんと責任を取ってくださいよ。
以上。
お元気で。
千川ちひろ様
P.S
後輩Pがこのまま真正面から突っ込んで玉砕した場合、立ち直れない可能性が濃厚です。
ちひろさんたちが恋のキューピッド倶楽部を結成するのは別にかまわないのですが、奴が失恋した時のことを考え、その際は抜かりなくフォローしてやれるよう万全の体勢を整えておいてください。
もし、万が一にも奴の恋愛が成就するような事があったら、その時は例外的に断絶条約を破棄してかまいませんから、一報くださいますようお願いします。
残念ながら、見込みは薄いと思われますが……
十月二十六日
拝啓。
お手紙、読みました。
まず、後輩Pと凛のことについて、報告してくれてありがとう。
「凛さんがPさんの思い出話を聞きたがっています」とあるが、残念ながらお前たちに話してやれるほど面白い昔話は持ち合わせていない。
初恋の相手はどんな人とか、大学デビューに失敗した話とか、メイド喫茶に通いすぎて貯金を使い果たしたのは本当かとか、そんなもの聞いても楽しくないだろう。
人間、四半世紀も生きていれば失敗談など枚挙に暇がない。
それを後輩Pのやつ、人様の人生について余計なことばかり吹聴するとは言語道断横断歩道。
かつては俺を「師匠」と崇めていた程度には良識があり、見所のある男だと思っていたが、こうなってくるといよいよ破門も辞さない構えである。
どうせ奴の事だから先々週の件で色々と吹っ切れて、俺に対する遠慮をどこかに放り捨ててしまったのだろう。
それが結果として凛との共通の話題に繋がり、奇しくも二人はその方向性で馬が合った。
「凛さんと後輩Pさんが最近よく話すようになりました」という乃々の報告を分析するに、つまりそういう事なのだと思う。
ただし凛については、実を言うと俺はそこまで気にしていない。
というのも、あいつは昔からしょっちゅう俺に対してぶうぶう文句垂れたり露骨に突っかかってきたりしていたからな。
そういう態度がいわゆる愛情の裏返しというのを俺はよく分かっているから、今さら俺の過去を笑われた所で大して腹も立たないのだ。
凛はなんだかんだ言って俺のことを尊敬している。
尊敬しているはずである。
後輩Pが何を言いふらそうと、凛の心にある俺への敬愛と信頼はびくともしないのである。
たぶん。
確かに、凛はああ見えてまだ子供っぽい所があるから、多少は調子に乗ってしまうこともあるだろう。
しかしそれくらいは許してやるのが男の器量というものだ。
でなければアイドルのプロデューサーなど、やっていけないからな。
まあ、それはさておき。
本題に入ろう。
「凛に日頃の感謝を伝えたい」という相談だったな。
うむ。
大変立派な心がけであると思う。
乃々からしてみれば、凛には先々週のストライキの件であれだけ熱心にかばってもらえたわけだしな。
若干暴走気味だったとはいえ、乃々を思って抗議の声を上げたのは事実のようだし、乃々がそれに対して恐縮しつつもありがたいと感じるのはよく理解できる。
というか、乃々がよく手紙に書いてた凛の過保護が、実際に誇張ではなかったことに俺はまずびっくりした。
先々週のあの時、久しぶりにお前たちと会って、もはや姉妹というよりペットと飼い主の関係に近いなと思ったくらいである。
凛のやつ、自覚があるのかないのか、少なくとも俺が見ている間ずっと乃々の手を握ってたよな。
二言目には「ね?乃々」なんて声をかけて絡んでたし、乃々が何かしようとする度に心配そうに目で追っていたぞ。
その甘やかしっぷりといい、あいつらしくない表情の緩みといい、俺が呆気に取られて見ていたら「私の顔になんか付いてる?」とか不思議そうに言うんだぜ。
あれ、半分無自覚なんじゃないか。
何より衝撃だったのは、例のストライキがあっさり解決してみんなで事務所に戻った時の、あの光景である。
ソファに座った凛がさも当たり前みたいに乃々を膝に乗せて抱っこしているのを見て、俺は自分がミラーワールドに迷い込んでしまったのかと一瞬混乱した。
あの凛が!
あのぶっきらぼうで克己心の塊のような凛が、まるで夢見る少女がぬいぐるみを抱くように乃々を抱擁し、べたべたと撫で回しているではないか。
乃々は乃々で、諦めたような佇まいで為すがままにされてるし。
俺がいない半年間で一体なにが起こったというのだ。
聞けばここ最近はずっとそんな調子らしいじゃないか。
「乃々を膝上に抱えて嬉しそうに弄り倒す」という状況に限定すれば、むしろ甘えているのは凛の方だと認識を改めなければなるまい。
正直、凛のあの不気味なほどの可愛がり様を目の当たりにした時、よっぽど乃々の方が迷惑がってるんじゃないかと少し心配していたのだ。
しかし手紙を読む限り、どうやら乃々もまんざらでない様子なのでホッとした。
凛が甲斐甲斐しく面倒を見るようになってから、乃々の仕事も順調に進むようになったと後輩Pも言ってたしな。
それに、これは私見だが、凛もまた乃々の存在に大きく助けられている部分があるのだと思う。
あいつに最も必要だった「適度な息抜き」というのを、ようやく覚えてくれたようだからな。
ま、それが本当に適度かどうかは今後の二人次第といったところか。
そういうわけで、今の53プロの内情については、唯一後輩Pへの個人的な不満を除いておおむね良い傾向にある、と思っている。
確かに、俺がかつて目指していた硬派な芸能事務所とはずいぶん方向性が違っているようだが、これもまたひとつの正しい在り方なのだろう。
どちらにせよ、俺がお前たちを応援していることに変わりは無い。
それは事実である。
しかしだな、乃々。
応援したいのは山々なんだが、あいにく俺はお前の相談にのってやることはできない。
なぜなら、俺がそちらの事情へ生半可に首を突っ込むことで、また前回のような行き違いや事故が起こらないとも限らないからだ。
だから、その、なんだ。
せっかく勇気を出してポエムノートの秘密を打ち明けてくれたというのに、こんな返事を書くのはとても心苦しいのだが、俺ではちょっと力になれそうにない。
すまん。
それにしても、あのノートにそんな秘められた意味があったとは、実際教えてもらうまでまったく気付かなかった。
確かに言われてみれば、ノートに書いてあったポエムやイラストはすべて凛を連想するような事柄だった気がする。
あの時、事務所で乃々がやけくそ気味に中身を公開したのを隅から隅まで覚えているわけではないが……
言葉選びやモチーフがちょっと独特だったもんで、俺はてっきりそういう世界観の作品なのかと思っていた。
それがまさか、先輩アイドル渋谷凛との交流を描いた日記帳だったとは。
婉曲に婉曲を重ね、比喩と暗喩に覆いつくされたポエムにはそんな真実が隠されていたのだな。
書いた本人にしか分からない暗号文のようなものだ。
そして乃々は、その暗号の鍵を俺にこっそり打ち明けた。
それが意味する所は十分理解しているつもりである。
だが先ほども書いたように、俺は乃々の力になってやることはできないと思う。
少し前、俺は後輩Pからお悩み相談を受け、ささやかながら奴にラブロマンスの指南をしてやった事がある。
お前たちも知っての通り、例の「キューピッド倶楽部」にまつわる話のことだ。
そして、そんな男二人のむさくるしい文通の果て、お互い有益な知見を得られたかと問われれば、残念ながら残念でしたと言うほかない。
結局、俺はあいつに何一つまともなアドバイスをしてやれなかったのである。
考えてみれば、これまでの人生、自分の気持ちを相手に伝えるために工夫したことなど一度もなかった。
感謝したい時は「ありがとう」と言い、謝罪したいと思ったら「ごめんなさい」と言う。
怒りたい時、褒めたい時、意見したい時、あらゆる場面で、俺は正面から単刀直入に言葉で伝える以外の手段を知らないのだ。
石橋を粉々に叩き割って進んでいくような後輩Pに、俺の助言が何の参考になるというのか。
俺はむしろ石橋を叩いて渡るどころか、どんなにボロボロの吊り橋でも一目散に走り抜けてきた人間である。
であればなおさら、乃々が求めるような繊細微妙かつ具体的なアドバイスなど望むべくもないだろう。
長々と書いてしまったな。
乃々の期待を裏切り、落胆させてしまったかもしれないが、どうか許してほしい。
凛と乃々、そして薫も、53プロのみんなが一層アイドルとして輝いてくれることを祈っている。
草々。
森久保乃々様
十月二十九日
前略。
なんだか手紙の内容があまりに哀れだったので、いたたまれず筆を取った。
おお、後輩Pよ。
なんてかわいそうなやつ。
己の不運を呪うがいい。
いや、よく考えたら不運でもなんでもなかった。
全部お前が阿呆ゆえに起きた事である。
自業自得とはこのことだ。
お前、あれだけストーカーまがいの行為に勤しんでいながら、彼女の誕生日も把握してなかったのか。
「鷺沢さんの誕生日を今日初めて知りました。昨日でした。事務所でぼくだけ知らなかったみたいです」
絶望がしたたり落ちるような筆跡とはこのことである。
こんなに涙を誘う文章を、俺は読んだことがない。
いいか、俺は同情しているんじゃないぞ。
お前という男の情けなさに心底呆れているのだ。
誕生日がどうした。
そんなもの、また来年祝ってあげればいいだけではないか。
53プロで自分だけ除け者にされたと思って嘆いているのだとしても、阿呆の極みである。
鷺沢さんサイドに何か抜き差しならぬ事情があって、敢えて誕生日を知らせなかったのかもしれないだろう。
そうでなくとも、いくらでも自分に都合のいい解釈はできるはずである。
俺の警告をまるで無視して手紙を送り続ける、その図々しさを少しは恋愛に生かしたらどうだ。
ほとんど悲鳴に近い愚痴を聞かされるこっちの身にもなってほしい。
俺に迷惑をかけているという自覚があったら一刻も早く立ち直って襟を正し、何事にも動じない紳士の矜持を身に付けたまえ。
お前は知らないだろうが、かつて53プロに俺と社長とちひろさんしかいなかった頃、その無名さゆえ同業者から「ゴミプロ」と馬鹿にされていた時代があった。
社長も何を考えて53プロダクションなんて名前をつけたのか理解に苦しむが、まあ何も考えてなかったんだろう。
もちろん社長の本名である「古見」からそのまんま取って付けただけであり、字面の悪さに考えが及ばない辺りがあの人のあの人たる所以である。
こうした蔑称は俺と凛のめざましい活躍により払拭され、53プロは知る人ぞ知る実力派零細事務所へと成長を遂げた。
今時、53プロをゴミ呼ばわりする業界人がいたら、そいつはモグリかマヌケか、あるいはモグリかつマヌケである。
一年でランクBまで上り詰めたアイドルが周囲に認められないわけがない。
これは我々の誇るべき実績である。
何が言いたいか分かるか?
せっかく俺と凛が苦労して返上した不名誉な汚名を、お前が意図せず挽回しようとしている、ということだ。
仮にも女性アイドルという神性を取り扱い、商売している身だろう。
その舞台裏の主役たるプロデューサーが恋心の一つも満足に制せず、火遊びどころか火に弄ばれている始末では芸能事務所として示しがつかん。
俺が53プロを離れて此の方、お前も少しは事務所の柱を担うべく研鑽を積んできたものかと思っていたが、そんな調子ではいつまで経っても半人前のままだぞ。
これはお前個人の問題ではない。
凛や乃々、薫やちひろさんも含めた、53プロ全員の体面に関わることである。
虎穴に入らずんば虎児を得ず。
今こそ仕事で培ってきた度胸を発揮する好機であろう。
活路とは得てして覚悟の門戸を叩かない事には開かれないのだ。
薫をスカウトしてきた時のように、やけくそになってみろ。
一人でうじうじしているくらいなら当たって砕けた方がナンボかマシである。
お前に足りないもの、それは情熱でも頭脳でも気品でもない。
何よりも潔さが足りないのだ。
勘違いするんじゃないぞ。
これは決して励ましのお便りなどではない。
鈍感なお前のために敢えて説明しておくが、この手紙に書いてある事は何の教訓にもならないデタラメである。
そっちがどう受け止めようと責任は持てないからな。
俺に頼ると、こういう身も蓋も無い根性論で説教されるだけだといい加減に気づけ。
もう泣き言は聞き飽きた。
さらばだ。
悲恋の豚 後輩Pへ
小休止
森見登美彦の恋文の技術か
十一月十五日
こんにちは。
お手紙、ありがとう。
先生はなんとか元気です。
最近、ちょっとばかし忙しかったので、返事がおそくなってしまいました。
べつに怒ったり不機嫌だったわけではないんですよ。
それについて、かおるが心配しているような事はまったく無いので、安心してください。
みんなと文通するのを辞めたのには、他の理由があるのです。
かおるにはちょっと説明するのが難しいけれど、先生が53プロのみんなを嫌いになったわけではない、ということだけは知っておいてください。
大人のじじょうというやつです。
それと先ほども書いたとおり、先生は今月、少し忙しいので、文通したくてもなかなか時間がとれないのです。
今日は休みなのでこうして手紙を書いていますが、明日からまたお仕事です。
次のお休みがいつになるか、てんで見当がつきません。くわばらくわばら。
先生はどうやら社長を見くびっていたようなのです。
夏のあいだ遊んでいたように見えた社長が、まさか本当に仕事を取るためにがんばっていたなんて!
おかげでここ数日、先生も社長もひぃひぃ言いながら仕事をしています。
先生は仕事をするのが好きですが、多すぎる仕事はとても疲れてしまうので、何事もほどほどがいいなと思いました。
それにしても、かおるのお手紙なんていつぶりでしょうか。
てっきり文通はもう飽きちゃったのかなあと思っていたので、郵便受けにいつものかわいらしい封筒が入っているのを見たときはおどろきました。
元々、宿題のために始めたことですから、むりに続ける必要はないと思って、先生もとくに気にしていなかったのですが、かおるはりちぎな良い子ですね。
さて、かおるの手紙を読んで気になったことがひとつあります。
後輩Pとさぎさわ先生がどこかギクシャクしているというのは、一体どうしたんでしょう?
後輩Pは元から「きょどうふしん」な所があるので、それは大して気にしていないけれど、さぎさわ先生の方は今までそんなことはなかったはずです。
二人のあいだに何かヘンな事件でも起きたのでしょうか。
かおるは「むた先生が落ち込んでいるのはちひろさんに叱られたせいかも」とぶんせきしているようですが、後輩Pがなぜ叱られたのかも気になります。
後輩Pがちひろさんに叱られたのと、さぎさわ先生との会話がギクシャクしている事はなにか関係があるのでしょうか。
なぞは深まるばかりです。
もし、後輩Pがずっと元気の無いようなら、お仕事をほめてはげましたり、「いいこいいこ」してなぐさめたりしてあげてください。
とくに、りんお姉さんやちひろさんは何かとキビシイ人たちだから、かおるだけでも味方になってあげないと少し気の毒です。
お手紙にありましたが、りんお姉さんと乃々お姉さんのことは先生も知っていますよ。
ちょうど先週、りんお姉さんがゲストで出ていたラジオ番組を聴いていましたから。
乃々お姉さんもなかなかイキなことをするものですね。
「イキなこと」とは、思いやりがあり、そのうえカッコイイという意味です。
新作のアルバムだけでなく、オリジナルのボイスメッセージCDまでプレゼントするとは。
ふだんのひかえめな乃々お姉さんからは考えられないほどダイタンです。
そこまで手の込んだプレゼントをもらえば、りんお姉さんの喜びようも納得できるというものです。
「一生の宝物にする」なんて言っちゃって、めずらしくラジオでもはしゃいでいました。
あんなに楽しそうにおしゃべりするりんお姉さんは、先生もほとんど聞いたことがありません。
それだけ、乃々お姉さんからのプレゼントがうれしかったのでしょう。
あんまりノロケが過ぎるので、ラジオを聴いてるこちらが恥ずかしくなってくるくらいでした。
パーソナリティの川島さんも途中から呆れていたような気がします。
りんお姉さんが面倒を見てあげているおかげか、最近は乃々お姉さんもますますアイドルとしてかつやくしているそうですね。
きっと、53プロも忙しい時期かと思います。
かおるもアイドルのお仕事が増えてきて大変かもしれませんが、楽しむ気持ちをわすれずに、無理をしないていどにがんばってください。
応援していますよ。
それから、先生がこうしてお手紙を書いたことは、ほかの人にはナイショにしてね。
ふくざつな大人のじじょうというやつです。
では、お元気で。
りゅうざきかおるさんへ
十一月十九日
拝啓。
わざわざお礼の手紙を送ってくれて、ありがとう。
返事はいらないとの事だが、俺も乃々に伝えたい事があるので、勘弁願いたい。
「凛さんにプレゼントを渡せたのはPさんのアドバイスのおかげです」と乃々は言う。
しかし俺が以前乃々にいったい何をアドバイスしたのか、全く思い出せないのだ。
むしろ、凛にプレゼントを渡したい、という相談に対して「アドバイスできない」という返事を書いたはずである。
とすると、あの手紙のどこかに乃々の決意を後押しするような助言が含まれていたのだろうか?
まるで身に覚えのない感謝をされたので、かえって申し訳ないような気持ちがする。
とはいえ、乃々が勇気を出して凛に思いを伝えることができたのは大変喜ばしいことだし、覚えはないものの俺の手紙が少しでも乃々の助けになったというのなら尚更嬉しく思う。
それにしても、ボイスメッセージとは工夫をしたものだな。
ある意味、面と向かって話すより恥ずかしい気もするが……まあそれはいい。
1stアルバムの売れ行きも好調のようだし、もはやすっかりアイドルとして板についてきた感がある。
後輩Pのおかげか、あるいは凛のおかげだろうか。
手紙の内容から察するに、その両方なのだろう。
これからも53プロのみんなと力を合わせ、乃々が望むようなアイドルの舞台をまっすぐ目指してほしいと願う。
ちゃんとした返事ができなくて申し訳ない。
お前たちの活躍を遠い日本の裏側から応援している身として、今回の乃々のがんばりはとても励みになった。
実はいま、正気の沙汰とは思えない量の仕事を抱えて少々疲れが溜まっていた所だったのだ。
俺も乃々を見習って、もうひと踏ん張りがんばらねばならんな。
かさねて、手紙を送ってくれたことに感謝する。
では。
森久保乃々様
十二月六日
千川ちひろさま。
葉書で失礼します。
今、俺は早朝のオフィスで寒さにかじかむ手を震わせながらこの手紙を書いております。
通勤前、ふと気まぐれに自宅の郵便受けを覗き込んでみたのは我ながらファインプレーでした。
特に最近は新聞紙と広告の束が数日分溜まっており、もはや一瞥をくれてやる余裕すら無い日々だったので、下手するとちひろさんからの手紙にもずっと気が付かないままだったかもしれません。
いや、俺の話なんざどうだっていい。
それで結局、二人は付き合ってるんですか?
告白したんですか? あいつが?
だいたい、デートに行ったという報告だけでは何も分からない。
そんな断片的な話だけ聞かされても余計にやきもきするだけである。
生殺しとはこのことだ。
ちひろさん、完全に俺を焦らすためだけに手紙を寄越したでしょう。
なんて性格の悪い!
そりゃ確かに「万が一にも後輩Pの恋愛が成就したら知らせてください」とは書きましたよ。
つまり成就したという事なんでしょう。そうなんでしょう?
しかしそれならそれで、具体的にどう成就したのか詳しい話を聞かせてくれないと意味がない!
肝心なところを全部すっぱ抜いて「二人で青森まで旅行に行ったそうですよ」とだけ教えてもらっても反応に困ります。
ナゼ青森??
強いて思い浮かべるなら、あそこは後輩Pの出身地ということくらいです。
まさか両親に挨拶までしたとか?
いくらなんでもそれは早すぎる。
何か大事な過程を二つ三つすっ飛ばしているのではないか。
こんな事をちひろさんに言っても仕方がないのは分かっています。
かと言って後輩Pに直接聞くのは俺のプライドが許してくれない。
せめて、せめて俺が納得できるような詳細を聞かせてください。
ああ、もう始業時間が来てしまった。
ただでさえ山のような量の仕事を抱えているというのに、朝っぱらから好奇心のやるかたない思いをさせられて、これではまともに頭が働きません。
こんな状態が続けば締め切り間近の企画書に「青森」「りんご」「デート」の文字がサブリミナル的に盛り込まれてしまう事態になりかねない。
地域振興に関わる企画で他県をアピールするなどという意味不明の失態を演じた暁には、取引先に契約不履行で莫大な違約金を迫られるのみならず、設立したばかりの我が事務所は信用を落とし、プロジェクトは白紙に戻り、部署は解体され、その当然の帰結として俺は路頭に迷うこととなるでしょう。
したがって、ちひろさん。
威力業務妨害の罪に問われたくなければ、あるいは俺をホームレスにするのは忍びないと慈悲をくださるなら、至急、後輩Pの近況報告に関する返事をいただきたく存じます。
取り急ぎ連絡まで。
Pより。
十二月十一日
平素より大変お世話になっております。
じゃなかった、お手紙ありがとうございました。
返事が遅くなってすみません。
最近あまりにたくさん業務用のメールを打ちまくっていたせいで、もはや何のお世話になっているのか、一体俺は何をお世話しているのか、そもそもなぜお世話されなければいけないのか、お世話の過剰摂取によって中毒症状を引き起こした俺の脳は哲学的問答の迷宮に閉じ込められ、その代償に今やひたすら森羅万象に感謝しなければ気がすまない体と成り果ててしまいました。
そんな清らかな志からは想像もつかないほどの非人道的残業生活を送るうち、あわや「お世話になりますマン」に完全変態なるかと思われた折、ようやく今日、重要な案件に一区切りつける事ができ、スケジュールに余裕が見え始めてきた所です。
実は先日ちひろさんからの手紙を受け取った時、その場で急いで目を通してはみたものの、仕事の疲れからか内容をまったく理解できず、余裕ができるまで返事を書くのを保留していたのです。
そこで今日、数週間ぶりに仕事のプレッシャーから解放され瞭然たる意識を取り戻した俺は、手紙の内容を解読すべくもう一度読み返してみました。
読み返してみたけれども、やはりよく分からなかった。
何度読んでみても、どうしてそうなるのか理解できない。
まずスタート地点からすでにおかしい。
鷺沢さんへの誕生日プレゼントを誕生日の一週間後に渡そうと考えるのはまだしも、それを彼女の似顔絵にしようと思い付くなど並大抵の童貞力ではない。
元から敗色濃厚と思われていた奴の恋路ですが、この時点で一切勝ち目がなくなったことは本人以外の誰もが認めることでしょう。
次の手も明らかにおかしい。
鷺沢さんの似顔絵を描こうとして、なぜそんなキワドイ妖艶な立ち絵になるのか。
確かに、絵描きはしばしば本人の潜在的願望を無意識に絵で表現してしまう傾向がある。
意中の人を描こうとして実物以上に美化してしまう心理はむしろあって然るべきと言えましょう。
しかしまともな判断力があれば、そんな絵は表に出すべきでないと自重するはずです。
デジタル絵であれば尚更、慎重に管理し外へ漏れ出ないよう細心の注意を払わなければならない。
それを奴は、あろうことか社内PCの共有フォルダに保存した。
しかも一枚どころではなく数十枚ものボツイラストまで含めてあったとは、ギネス級の阿呆である。
奴の気弱な純真さゆえか、ダイレクトに肌色めいた猥褻画は描かれなかったというのは不幸中の幸いです。
次の一手ともなると、もはやワザとやってるんじゃないかと疑いたくなる。
どう間違えれば事務所のプリンターから鷺沢さんの色っぽいイラストが無限に印刷されるような事故が起きるのか。
鷺沢さん本人にしてみなくとも、地獄絵図である。
そもそも奴は、なぜ事務所の印刷機を使おうと思ったのだろう。
自宅にプリンターはないのか。
ちひろさんが珍しく叱りつけたのも頷けます。
ここまでくると一周回って天晴れである。
ちひろさんすら対処できない悪手をことごとく狙い済まして打つ手腕は世界レベルと言っても過言ではない。
セクハラで訴えられなかっただけマシです。
この事件だけを見れば、後輩Pと鷺沢さんの間に刻まれた溝は修復不可能であり、何もかもが手遅れであろう事は容易に想像がつきます。
ところが、実際はそう単純ではなかった。
これに関して、仮にちひろさんがおっしゃる内容が真実だとしたら、俺は後輩Pの阿呆ぶりだけでなく、鷺沢文香という空想文学少女の皮を被った変人についても、甚だ大きな勘違いをしていたという事になる。
失礼を承知で言わせてもらいますが、彼女も大概、阿呆であります。
これまで散々、後輩Pの破廉恥きわまる醜態を目撃し、また奴の常人ならざる不毛な熱意によって間接的に魂を汚されていたにもかかわらず、その溢れ出んばかりの好意に一切気が付かなかったのは後輩Pと同レベルの鈍感さだと言わざるをえない。
後輩Pの不器用は筋金入りである。
自分を偽るということをまるで知らないような人間である。
そんな男が恋する炎の渦中にあって、何一つ違和感を察せられなかったという鷺沢さんにも、少なからず非はあります。
以前、飲み会の席で後輩Pがやけに上機嫌で鷺沢さんに話しかけていたのを覚えていますか。
あの時の後輩Pの必要以上の気遣いやソワソワして落ち着きのない様子を見れば、そこに下心があるなんて小学生だって気付きますよ。
要するに、鷺沢さんは「似顔絵大量印刷事件」が起きるまで後輩Pをまるで異性として認識していなかった事になる。
関心度合いで言えば路傍の石ころも同然、とはさすがにいかないまでも、もしや本当にブタのように思われていたのではなかろうか?
奴の男としての自尊心がズタボロになっていないか本気で心配です。
元からそんな大層なものを携えていたかどうか疑わしいけれども。
まあ何にせよ、そうした鷺沢さんの天然記念物級のニブさは、後輩Pの妄想を煮詰めて濃縮還元したようないかがわしい絵を目の当たりにしたことで、やっと人並みの反応を兆した。
つまり後輩Pの悪手に次ぐ悪手が、結果的に鷺沢さんを振り向かせるきっかけになった。
自分で書いてて意味が分かりませんが、ちひろさんの手紙を要約するとこうなってしまうんだから仕方がない。
そして、その後二人がいかなる進展の末、青森へ旅行に行くことになったか。
ここの経緯については、どうやらちひろさんすらも彼らの内心を図りかねているようなので少しホッとしました。
こんなアクロバティックな道理にすんなり納得できる人間など、それこそ恋に浮かれた当人たちを除いて他にいないでしょうからね。
いくら鷺沢さんが後輩Pの恋心を察知したからと言って、必ずしもそれがプラスの感情に作用するとは限らない。
むしろ自分をあからさまにスケベな目で見ていた男である。
常識的に考えてネガティブな印象を持つのが普通です。
しかし悲しいかな、鷺沢さんは俺が考えるような"普通"の範疇に留まる女性ではなかったらしい。
ちひろさんは「落ち込んでいる後輩Pに気を遣って旅行へ誘った」と分析しているようですが、落ち込んでいる男性を励ますという理由だけで付き合ってもいない男女が二人で旅行に行くのはどう考えても普通ではない。
そもそも「鷺沢さんが大学のゼミで研究しているテーマがたまたま後輩Pの実家と関係があった」という時点で色々と出来すぎている。
鷺沢さんが文学的社会学的調査の必要から太宰治記念館に用事があった。これは分かる。
偶然にも後輩Pの親父がその記念館を運営する団体の要人であった。これもまあ理解できる。
したがって鷺沢さんは後輩Pを誘い、学術調査兼帰省のため青森まで一緒に行くことになった。
これが分からない。
突っ込みどころが多すぎて眩暈がする。
こんなの、ただの御都合主義じゃありませんか。
いや、これ以上どうこう言うのはやめましょう。
ちひろさんでさえ理解に苦しむという二人の行動ですから、俺はただ天におわします神様に「御都合主義バンザイ!」と吼えてやることしかできません。
俺のアドバイスなど最初から必要なかったということだ。
世の中結局、なるようにしかならない。
あと、大事なことを確認しておきたいんですが、二人はまだ正式にお付き合いしているわけではないんですね?
旅行中、彼女に一切手を出さなかったのはいかにも後輩Pらしいヘタレっぷりですが、肝心の告白を済ませていなければ恋が成就したとは言えません。
「恋の力学大系は得てして一般化すること能わず、然らば人事を尽くして天命を待つ他に道はなし」
あなたの提唱する特殊相愛性理論の基本事項にも書いてあることです。
どんなに上手くいってそうな二人でも、実際に気持ちを伝えたら「ごめんなさい」なんて事も十分にありうる。
まあ現在の二人の様子を近くで見ているちひろさんが「多分に勝機あり」と断じているくらいですから、ここにきて後輩Pがフラれる方に賭けるのは分が悪そうなのでやめておきましょう。
「後輩Pと鷺沢さんをくっつける恋のキューピッド倶楽部」の最後の大仕事をクリスマスライブ当日に仕込むなんて、あなた方も大概ロマンチストだ。
さすがの後輩Pも、そこまでお膳立てされたら腹をくくるしかあるまい。
ステージの主役を演じるのはアイドルだが、クリスマスという大舞台を前にしては、否が応にも恋する人々が主役の座を手に入れてしまうものである。
さて、話は変わってそのクリスマスライブですが、わざわざお誘いいただいてありがとうございます。
少し前だったら「仕事が忙しくてそれどころじゃない」とお断りしていた所ですが、なぜか先日、急に25日前後だけ予定が空いたので、行けない理由がなくなってしまいました。
さりとて俺も、例の断交条約を忘れたわけではありません。
甘えを絶ち、迷いを捨て、孤高を貫いてこそ実現できるものがあると信じ、心に鞭打ってあなた方との断絶を決意したのです。
今さらそれを無かった事にしておめおめと遊びに行くなど男の恥、唾棄すべき阿呆の所業なり。
そう思っていた俺が、一番の阿呆でした。
ちひろさんのおっしゃる通りだ。
俺がバカだった。
結局、なにもかも下らない意地だったのです。
男の決意だとか偉そうなことを言ってその実、ただ今の仕事に漠然と抱いていた不安を、他人のせいにしていただけだった。
正直に打ち明けます。
今年の夏までの間、こっちでの俺の仕事は全く上手くいってなかった。
新規プロジェクトだからと気合を入れて取り組んでみたはいいものの、保守的な土地柄からか俺の立案した企画はことごとく通らず、加えて俺自身の太平洋的おおらかさが仇になり、顧客からの印象もあまり良いものではなかった。
ムダに強がり、虚勢を張ってしまう俺の性格ですから、一度失敗するとそのままズルズルと悪い方向へ進んで行ってしまう。
分かっているのに、やり方を変えられない。
誰にも相談できない。
後輩Pのことを散々阿呆だなんだと罵っておきながら、本当の意味で救いようのない阿呆だったのは俺の方でした。
転機が訪れたのは、一ヶ月ほど前のことです。
社長が夏の間にしこたま接待していた大量の組織、個人から仕事の打診が入り、悩むヒマすらなく目の前の雑務を処理する日々が始まった。
体力を持て余し、精力的にもくすぶっていた俺にとって、余計なことを考える余裕なく仕事に追われる毎日は、ある意味で救いになった。
そうやって仕事に没頭していく内に、俺の中にあった53プロへの未練も、少しずつ薄れていったような気がするのです。
何もみんなの事を忘れたり、関心を失ったというわけではありません。
むしろ、今まで捻くれて塞ぎこんでいた自分の心の声に、ようやく素直に耳を傾けることができるようになった。
実を言うと現在、張り合いのありすぎた生活にささやかな余裕を取り戻した俺は、こうして久しぶりにあなたへ手紙が書けることを嬉しく思ってるのです。
ああ、どうか笑わないでやってください。
すべてはあの十月の飲み会からこじれてしまったのです。
あの時、俺はちひろさんや後輩Pと懐かしくも愚かしいどんちゃん騒ぎをしながらも、その楽しさの中に言い知れぬ危機感が芽生えるのを感じていました。
危機感というのは「このままでは危ない」という意味です。
つまり、俺はあなたたちとの再会の喜びにまぎれて、ふと「53プロに戻りたいなあ」と思ってしまった。
これが敗北への決定的な岐路と言わずして何というのでしょう。
俺は一瞬でもそんな風に考えた自分を恥じた。
だから俺は、自分の弱さをさらけ出してしまう前に、53プロのみんなと意図的に距離を取ることにした。
しかし結局それも、ただ意地を張ってちひろさんたちに八つ当たりしていたに過ぎなかったんですね。
俺はどうやら目を向けるべき所を間違え、不毛な責任転嫁に固執していたようです。
洗いざらい認めましょう。
すみませんでした。
断交条約は、本手紙をもって破棄することといたします。
そういうわけで、長くなりましたが、お誘いいただいたクリスマスのライブにつきまして、喜んで参加したいと思います。
わざわざ関係者席まで用意してもらった手前ですから、凛や乃々、薫の輝かしいステージを、あるいは後輩のプロデューサーとしての集大成を、存分に堪能してやろうじゃありませんか。
そして願わくば、後輩Pと鷺沢さんの不可思議妙味な青春劇場にも、一等見晴らしのいい関係者席をご用意していただきたく。
楽しみにしております。
千川ちひろ様
一旦区切ります
テンポ悪くてすみません
次の投下で最後になります(たぶん)
どうみても千川の手が廻ってるんだよなぁ…
この手紙で終わりかと思ったけど続くのね。嬉しい
(あと10分で美玲ちゃんが喋るぞ)
(ごめんスレ違い)
後輩P青森出身か
同郷だな、応援してるぞ
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
年賀葉書でなくて申し訳ない。
いつもの手馴れた便箋の方が、書いてる方としても楽なのでな。
さて、その後、鷺沢さんとはどうだ?
少しはお互いについて知るようになったか?
最初の一番大きな壁を乗り越えたからとお前は安心しているかもしれないが、本当に厳しい戦いはこれからなんだぞ。
表面的な浅い部分で分かり合って満足しているようではすぐに愛想をつかされてしまうだろう。
ま、そうは言ってもクリスマスからそう時間も経ってない昨日の今日でそんなに話が進むとも思えないから、まずはじっくり腰を据えて見定めるほかあるまい。
鷺沢さんとそういう関係になってしまった以上、これから二人の間に起きるであろう問題は、お互いが協力し合って解決していかなければならんのだからな。
しかしなあ。
これを言うのも何度目か分からんが、お前、本当にそれで良かったのか?
後になって後悔したりしないか、俺はそれが一番心配だ。
あの祭りの後とも呼ぶべき夜、クリスマスイルミネーションに飾られた静謐な舞台は、想像しうる限り最高の告白のシチュエーションであった。
遠くからこっそり様子を伺っていた凛と乃々なんか、ライブ本番よりずっと興奮してたぞ。
事情を理解していない薫だけが一人「きれいー!」とイルミネーションを楽しんでいたが、からかいたがりの年頃の少女二人は「ほら今だっ手を繋げ!」とか「あわわわ」とか夢中になって応援していて、正直うるさかった。
あまりに野次馬根性が酷いもんだから、見かねたちひろさんに途中で連れ出されてしまう始末である。
それで会場の休憩室でみんなソワソワしながら結果報告を待っていた所、ずいぶん経ってからお前たち二人が戻ってきた。
その時の、お前の多幸感に満ちて湯気が出そうなほどの笑顔と、横で鷺沢さんが顔を真っ赤にさせて俯いている様子を見たら、誰だって正真正銘のハッピーエンドを確信するだろう。
もちろん俺たちもそれを確信したからこそ、万雷の拍手で後輩Pと鷺沢さんのカップル誕生を迎え入れたのである。
しかし鷺沢さんが次の瞬間に放った言葉は、我々の予想を右斜め上方向に超越したものだった。
「53プロの新人アイドルとしてスカウトされた鷺沢文香です。ふつつかものですが、よろしくお願いいたします」
拍手し続けていたのは薫一人だけであった。
あの時、誰もがこう思っただろう。
「話が違う」と。
お前が言うには、好意の気持ちを伝えきった上で「ぼくのアイドルになってくれませんか」と告白したそうだが、テンパって遠まわしな青臭いセリフを吐いたら鷺沢さんがそのまんまの意味に受け取ってしまっただけなのではないのか。
お前の間抜けぶりを考えれば十分ありうることである。
しかし後になっていくら問い詰めても、お前は「これで良かったんです」の一点張り。
最初からアイドルとしてスカウトするつもりだった、と。
それならそれで、恋愛沙汰と息巻いてあれこれ面倒を見てやった俺やちひろさんたちの立場がない。
この業界、ちひろさんをあそこまで狼狽させられる人間など、おそらく後輩Pを置いて他にはいないだろう。
俺ですら出来なかった事を平然とやってのけるとは、まったく大した男だよ、お前は。
まあ、そういう意味で微妙に納得できない部分はあるにせよ、後輩Pが鷺沢さんに気持ちをきちんと伝えることができたのは大きな成果である。
鷺沢さんがその言葉を「恋愛」と受け止めているかどうかは疑問だが、少なくとも拒絶されなかっただけ可能性は大いに残されていると言えよう。
将来的に、真に「恋愛」の意味で二人がくっつく事があれば、その時は俺も素直に祝福したいと思う。
ただし冒頭にも書いたが、本当に大変なのはむしろこれからである。
鷺沢さんを含めた4人ものアイドルをプロデュースせねばならんわけだしな。
とはいえ、凛などはもう細かく世話を焼かなくてもセルフマネジメントできるくらいには仕事に慣れているだろうから、ある程度はお前の労力を軽減してくれるかもしれん。
乃々や薫はまだまだ手を焼くことが多いだろうが、クリスマスライブという大舞台を乗り越えた経験はきっと今後に活きてくるはずである。
それはもちろん、アイドルだけでなくお前自身にとっても同じことだ。
アイドルと対等な目線に立ち、足並みを揃えて高みを目指すお前なりのやり方で、せいぜい頑張ることだな。
期待しているぞ。
53プロの柱 後輩Pへ
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
すてきな年賀状をありがとう。
今年は確か亥年(いのししどし)だったかと思いますが、かおるはどうやらイノシシよりもブタさんを描く方が好きみたいですね。
以前、かおるから送られてきたブタそっくりの後輩Pの似顔絵と比べてみると、この数ヶ月でとても絵が上手くなったのが分かります。
ブタらしさの中にもかわいげがあって、どことなく人間味を感じるような、おくゆかしくげいじゅつてきな絵ですね。
たとえるなら、後輩Pそっくりのブタという感じでしょうか。
ちなみに、先生もがんばってイノシシの絵を描いてみました。
こうして見ると、われながらヒドい出来です。
思わず笑ってしまいました。
正月早々、自分の描いた絵で笑えるなんて、先生もつくづくおめでたい人間です。
かおるもぜひ、このイノシシだかブタだか後輩Pだか分からないブサイクな絵を見て、笑ってくれたらいいなあと思います。
あ、ちょうど今、お正月特番にかおるが出ている所です。
カメラが回っていてもハキハキしゃべっていて、実にたのもしく見えますよ。
なるほど、これがあの時言ってたチーム対抗お料理対決の番組だったんですね。
年上のありすちゃんやみりあちゃんの居るチームを負かしてしまうなんて、すごい。
いちごパスタというおそるべき強敵にもゆうかんに立ち向かい、実力で勝利をもぎとったかおるの笑顔は、とてもかがやいて見えます。
テレビの前の人たちにも、きっとかおるの楽しい気持ちが伝わっていると思いますよ。
その調子で、今年こそはあのL.M.B.Gに参加できるといいですね。
ただ、そのためには後輩Pにもがんばってもらわないといけません。
さぎさわ先生……いや、さぎさわお姉さんがもうすぐデビューしたら、おそらく53プロは前よりずっと忙しくなるでしょう。
そうすると、もしかしたら後輩Pは前ほど熱心にかおるのお仕事を見てくれなくなるかもしれない。
でも、だからと言ってへこたれてはいけません。
自分がどんなお仕事がしたいか、どんなアイドルになりたいか、一生懸命かんがえて、それを後輩Pに伝えましょう。
あのクリスマスライブや、お正月のバラエティ番組をせいいっぱいやりきったかおるですから、もう次のステップに進んでもいいころだと思います。
「こんなお仕事にチャレンジしてみたい!」と手を挙げて言ってみると、これからのアイドル活動がもっと楽しくなると思いますよ。
そして、自分なりにがんばったことは、後輩Pに「がんばったよ!」と伝えてあげましょう。
あの人なら、きっとかおるのがんばりを認めてくれるはずです。
今後のさらなるご活躍を期待しています。
あけましておめでとうございます。
今年も何卒、よろしくお願いいたします。
ちょうどさっき後輩Pから例のサンプルデータが届いたので、今それを聴きながらこの年賀状を書いているんだが、正直舐めていた。
脳が溶かされるような感覚とはまさにこのことである。
というかこのままでは言語中枢が侵食されてまともな文章が書けそうにない。
やっぱり一旦止めよう。
ふぅ。
すごい破壊力だ。
元担当Pとして、いまさら乃々の囁き声を聴いた所で大して新鮮味もないだろうと思っていたが、何事も経験してみないと分からないものだな。
耳元で囁かれるというのがこんなにも脳に響くとは、侮りがたしASMR、もとい耳かきボイス。
改めて聴いてみると、確かに乃々は独特なこそばゆい声をしているのがよく分かる。
加えて、しゃべりの拙い感じや不安そうな抑揚が余計に聴いててドキドキするというか、有体に言ってヤバイ。
これは上手く売り出せば絶対ヒットするぞ。
こうしてみると後輩Pの趣味もバカにできたものではない、いやむしろ慧眼であると言えよう。
朗読しているテキストも、凛が監修に参加しているというだけあって既に十分な完成度である。
乃々の魅力を余すところ無く発揮する甘々ポエムに、時折挟まれる控えめな語りかけは絶妙な距離感を保ちつつ聞き手の意識を酩酊させずにはおけない。
さすが対森久保乃々の実践経験に長けた渋谷凛、乃々の世界的権威と自負するだけのことはある。
俺もしばらくは仕事の休憩時間にこのサンプルを聞いてみることにしよう。
職場でトリップしてしまう可能性があるのはややリスキーだが、なに、これも業務の一環だと思えばいいのである。
ところで話は変わるが、鷺沢さんとは上手くやっているか?
53プロのアイドルでは最年長であり、かつ新人という立場にあれば、彼女も多少なりとも居心地の悪い思いをすることだろうと思う。
そんな鷺沢さんの視点に立ってみると、乃々の存在は結構重要な意味を持っているような気がするのだ。
お互い控えめな性格をしているという点で似ているし、今後、鷺沢さんがきっと直面するであろう悩みも、乃々なら親身になってアドバイスしてやれるのではないだろうか?
同じ先輩でも、凛がぐいぐい先導して引っ張っていくタイプなら、乃々は隣りに並んで支えるタイプとして鷺沢さんを助けてやれるんじゃないかと思っている。
それに、乃々は優しいからな。
クリスマスライブの時だって、俺が仕事のしすぎでやつれているのを本気で心配してくれていたし、もはや53プロの癒し枠と言っても過言ではない。
というか、事務所のツートップがそもそも「他人を労わる」優しさを非常に出し惜しみする人種なので、後輩Pや乃々のようなバランサーがいないとむしろ困るのである。
もちろん事務所のツートップとはちひろさんと凛の事であり、かつてはそこに俺を含めてスリートップだった時代もあったわけだが……正直、今は少し反省している。
まあそんなわけで、乃々も例のボイスCDやら番組出演やらで今後ますます活躍の場が広がっていく事と思う。
そうした飛躍の年にあって、時には辛い事があったり、逃げ出したいと思う事もあるかもしれないが、クリスマスライブの時に見せてくれたあの笑顔を忘れずに、これからもアイドル活動を精一杯楽しんで欲しいと願っている。
今年が、アイドル森久保乃々にとって良い年でありますように。
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
いやはや、年賀状を出すのをすっかり忘れていた。
俺としたことが、まったく不甲斐ない。
これを書いてるのは元旦だが、今からポストに入れても三が日には間に合わんだろうな。
ところで、考えてみたら凛から手紙をもらうのは初めてのような気がする。
凛くらいの年代ならメール等の簡潔な手段で「あけおめ」的に済ますものかと思ったが、予想に反してきちんと手書きの年賀状を送ってくれるとは。
俺は嬉しいぞ。
親愛のしるしに渾身のイノシシの絵も添えてやろう。
誰それに似てるとか、そういう事は思わんでいいからな。
笑え笑え。俺も笑った。
さて、形式的な年賀状の返事にこんな便箋を送られても困るかもしれんが、まあ許してくれ。
文通スタイルがクセになってしまったのでな。
例の乃々のボイスCDのサンプル、聴いたぞ。
クリスマスの時に凛が話していた通り、確かにあの耳元で囁かれる声は一筋縄ではいかない魅力がある。
商品化を閃いたのは後輩Pだそうだが、きっかけとなった凛の着眼点も大したものだ。
それで、その乃々の事と絡めて、気になった事がひとつある。
あのクリスマスの日、お前になんとなしに聞いた「将来の夢」の話についてだが……
覚えてるか?
あの時、凛は「プロデューサーになるのも、いいかもしれない」と言ったよな。
そして今の今まで、凛がどういうつもりでそう答えたのか、ずっと心にひっかかっていたのだ。
俺は単に「どういうアイドル像を目指すか」という理想について尋ねたつもりだった。
しかしお前の返事は想定していたのとまるで違っていて、俺がその言葉の意味を図りかねてしばらく黙っていると、お前は恥ずかしそうに「なんでもない」と言ってごまかした。
最初は冗談かと思ったのだ。
中途半端が嫌いなお前の性格を俺はよく知っているから、トップアイドルを目指しているさなかに別の目標を考えるなど、らしくないな、とすら思った。
だが、普段から乃々を可愛がり、甲斐甲斐しく面倒を見ていた凛の熱意が、今回のボイスCDの件に直接繋がり、実を結ぼうとしていると知った今、あの時お前が「プロデューサーになりたい」と言った言葉の意味を、俺もようやく実感できたような気がする。
本気なのか?
凛のことだから、トップアイドルの夢を叶えるという前提の上で、その後のことを考えているのだと思う。
むしろ、そのつもりでいてくれないと困る。
まさか夢を諦めてまでプロデューサーになりたいわけじゃないんだろう?
もし本気でこの仕事に就きたいと考えるなら……いや、やめておこう。
あんまり余計な事を言って混乱させるのも悪いから、この事については、お前が真剣に考えるようになる時まで、俺の胸の内に仕舞っておくことにする。
それに、全部俺の勘違いかもしれないしな。
ああ、それから、鷺沢さんや薫の面倒もちゃんと見てやるんだぞ。
乃々にばかりベッタリくっついてないでな。
特に鷺沢さんには、年上だからとヘンに萎縮せず、事務所の先輩としてしっかり指導してやるように。
ま、そうは言いつつも実際の所、凛のことはそれほど心配していない。
お前ならきっと上手くやれるはずだと信じている。
なんて言ったって、俺がプロデュースしたアイドルだからな。
健闘を祈る。
あけましておめでとうございます。
正月はいかがお過ごしになられましたか。
俺は相も変わらず家で一人、正月番組をチェックしながら餅を食べ、ついでに出し忘れていた年賀状をせっせと書いている所であります。
なんだか随分久しぶりに休日らしい休日を味わっている気がする。
まあ休みをもらったのは元旦の一日だけなので、明日からまたバリバリ働かなくちゃいけないんですがね。
とはいえ、あんまり長く休みすぎると仕事始めに余計パワーが必要になってしまうものですから、これはこれで好都合かなとも思っております。
むしろ憂鬱なのは窓の外、北陸の名にたがわぬ一面の白銀世界にこそある。
なんだって新年早々雪かきに汗を流さにゃいかんのだ。
見た目が綺麗でなんとなく目の保養になるという以外に何の取り柄もない、忌むべき冬の魔物である。
明日は社長も出勤するらしいが、果たして事務所まで辿り着けるやら。
それにしても、寒がりのはずの社長が冬本番のこの時期まで熱心にこちらに留まっているのは驚愕の一言です。
俺もいい加減、あの人に感謝しないといけないよなあと思っているのですが、どうも素直に接せられなくて、つい冷たく当たってしまう。
つくづくあの人の懐の深さというか、社長らしからぬ無邪気な人柄には調子を狂わせられる。
というか、昨年の様々な事の成り行きを振り返ってみれば、社長には足を向けて寝られないどころか無給で働かされても文句が言えないレベルでお世話になっているのです。
去年の春にこっちへ来てしばらく、俺の仕事が上手くいってなかったのをあの人はちゃんと見抜いていました。
それで秋になっても東京へ戻らず、わざわざ俺の仕事の面倒を見てくれて、失敗の尻拭いまでしてくれていた。
大量の仕事を取ってきてくれたのはもちろん、気を利かせてクリスマスに予定を空けてくれたのもあの人でした。
俺が今こうして前向きに年を越すことができたのは、実はほとんど社長のおかげなのです。
それだのに、俺ときたら面倒だからという理由だけでスキーのお誘いを断ってしまう始末。
恩知らずここに極まれり。
結局、俺は自分で気が付かなかっただけで、たくさんの人に支えられてここまでやってこられたというわけだ。
過去の自分を叱ってやりたいですよ。
一人だけで何でもやってきた気になって、それで凛や後輩Pに偉そうに説教してたんだから呆れてしまう。
まったく、いいお笑い種です。
まあそういうわけで、社長にはお世話になったお礼として新年会でも誘おうかと思っています。
さすがに恩返しの一つもしないと、申し訳が立ちませんからね。
さて、新年の挨拶だというのに、なぜだか社長の話ばかりになってしまった。
こんな事だとまたあなたを怒らせてしまいますね。
別に照れ隠しとか、あなたに焼き餅を妬かせたいとか、そういうのではありません。
ただ、どう話を切り出したらいいものか、考えながらペンを走らせていると、話がどんどん逸れて行ってしまうのです。
かと言って、ちひろさんの事を思って書こうとすると、色々と複雑な感情がほとばしって上手くまとまらない。
手紙とは不思議なものです。
伝えたい言葉は簡単なはずなのに、文字に表した途端、自分の気持ちはこんな短い文章では収まらないはずだと、妙に物足りなく感じてしまう。
そしてつい、長々と言い訳のような事を書いてしまう。
俺のような直情的な人間ですらこうなってしまうのだから、恋文をしたためるなんぞ、それこそ頭を空っぽにでもしない限り到底かなうものではない。
人間、上手くやろうと考えれば考えるほど身動きが取れなくなるものです。
それに、どんなに詩的で豊かな表現を駆使してみたところで、それがかえって自分の本当の心の声を覆い隠してしまう事もあるでしょう。
手紙を通して感じられる気持ちや、手紙だからこそ言える事も、もちろん多くあります。
人によっては文字に綴った方が、あるいは絵に描いた方が自分に正直になれる場合もあるかもしれない。
しかし、本当に伝えたい自分の気持ちがあるのなら、俺は直接会って、話したい。
思うままに、声に出して聞かせたい。
だから俺は、想いを秘めたままの恋文よりも、自分に最も素直になれる方法で、改めてちひろさんにこの気持ちを伝えたいと思います。
今度は、それほどお待たせしません。
あの日、クリスマスの夜に言いそびれた事も、たくさんありますからね。
そうだ。
なんなら、今度の新年会にちひろさんもいかがですか?
もし都合が付くのであれば、是非、一席設けさせてください。
詳しい日程は追って連絡いたします。
参加いただいた折には、その卓越した恋愛論的観点から、昨年数ヶ月に及んだ文通修行への忌憚なき総評をお聞かせいただきたく存じます。
そしてまた近いうちに、俺たち二人の今後について、お酒でも飲みながらゆっくりお話しましょう。
再会の日を楽しみにしております。
愛を込めて 千川ちひろ様
三月二十一日
拝啓。
早春の候、皆様におかれましては、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
このたび、我が日本アミューズメント総合プロジェクト新潟支部より北陸混合イベントツアーを主催する運びとなりました。
当プロジェクトチームでは初の大規模かつ長期イベントという記念すべき折につき、これに伴って現在、各方面の事務所からアイドル及びアーティストのゲスト参加を募っている次第でございます。
つきましては、貴所所属の渋谷凛様、森久保乃々様、龍崎薫様、鷺沢文香様各位のご参加を依頼したく、僭越ながら案内書をお送りさせていただきました。
詳細は同封のパンフレットをご覧いただきたく存じます。
また差し支えなければ、ここに私的な手紙を一筆啓上いたします事をご容赦ください。
時が経つのは早いもので、こちらへ来てからもうすぐ一年が過ぎようとしています。
出向した当初は慣れない土地で戸惑う事も多々あり、長い間仕事に結果が伴わず辛酸を嘗めた時期もありましたが、今となってはそれらの夏の日々も懐かしく感ぜられます。
また昨年の秋には、一抹の寂しさから文通に勤しんだ事もありました。
些細な近況報告や気遣いの言葉に癒され、かと思えば世話焼きが昂じて余計な波風を立ててしまったり、その節は何かとお世話になりました。
波乱に満ちた恋の行く末を追って、クリスマスの一風変わった奇跡に巡り会ったのも記憶に新しいところです。
そうして振り返ってみると、この一年は、それぞれが三者三様の可能性を切り開き、新たなステージへの一歩を踏み出した成長の年だったように思われます。
成長には苦難が付き物といいますが、中には思わず笑ってしまうような、他愛のない悩みで右往左往してしまう事もあったかもしれません。
他人から見れば至極下らないとさえ思われるような悩みでも、本人にとっては決して笑い事ではなかったりするものです。
しかしそれも、時の経つにつれ、彩り豊かな思い出となって過ぎ去ってしまうのですから、つくづく人生とは面白いものだと痛感します。
そして、人生に終わりはないという言葉の通り、我々の未来にはもっとたくさんの面白い事や、あるいは恐るべき苦難が待ち構えているに違いありません。
私は、そんな果てしない道のりを夢想する度に、言いようのない不安と、それから期待に高鳴る胸の鼓動を感じるのです。
私の元には、半年余に渡って皆様方と交わした様々な筆跡の手紙が、大事に保管されております。
まだ懐かしいと思うほどの歳月は経っておりませんが、それでも時々手にとっては読み返し、当時の事を思い出したりしています。
不思議なことに、そうして我々が紡いできた物語の断片をこっそり拾い上げてみると、これからの未来に対してわけもなく抱いていた不安が、たちどころに明るい希望へと変わってしまうような気がするのです。
もしかしたら、手紙というのは、過去をさまざまな形に翻訳し、未来へと語りかける時計仕掛けの生き物なのかもしれません。
皆様方もぜひ、懐かしい気分に浸りたくなったり、笑いたくなったり、恥ずかしさに赤面したくなったりした時には、手紙に綴られた色とりどりな物語を読み返し、味わい深い人生の珍妙味を噛み締めてみてはいかがでしょうか。
そして気が向いた時にでも、簡単なお手紙を送ってくだされば私は喜びます。
また読者諸兄におかれましては、誠に名残惜しくありますが、この三流劇団もかくやと思しき不器用な役者たちが織り成す愉快千万にして滋味豊かな人間模様、そのうれしはずかしな物語をご紹介いたしますのも、ここまでとさせていただきたく存じます。
願わくば、彼ら彼女らに幸多き未来のあらんことを。
そして願わくば、溢れんばかりの愛と、惜しみない声援を!
完
以上になります
お付き合い頂きありがとうございました
元ネタは森見登美彦の小説「恋文の技術」です
乙。
スラスラ読めて、そのうえでおもしろかった。そのあまりのできに称賛を通り越し危うく嫉妬さえ抱きかけた。というか抱いた。元々の原作がまた名作であり、そして二次創作がやりやすいとは言えぬ物であることを考えると、この出来はまさしくぐうの音も出まい、いや、思わず「ぐう」と唸らせれる作品であると思う。
もう終わりなのか、と思うと同時にそうか終わったのかとスッと受け入れられてる不思議な感覚を感じてる
それだけ巧い文章だったんだろうと思う
おつ
何だろうな
ここで感想を述べるにも背伸びをしたくなってしまう
そんなSSだった
乙
言うのをすっかり忘れていたんですが、専ブラを使ってる方は以下のワードでレス抽出するとそれぞれに宛てた手紙だけを読むことができます。
モバPより後輩P宛て
モバPより龍崎薫宛て
モバPより千川ちひろ宛て
モバPより森久保乃々宛て
モバPより渋谷凛宛て
この方法で読むことに特に意味はないのですが、元ネタの「恋文の技術」の形式に倣って、一応形だけでもできるようにしておきました。
このSSまとめへのコメント
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