未来人「ここにいるよ」 (53)

未来人「少し先の未来で、待ってるから」
http://ex14.in/tBp

の続きになります。
あまり長くはないので読んでくださると嬉しいです。

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 未来人と出会ってから、1年が過ぎた。

 中学校にあがるとき、未来人と同じ中学校になれるかと少し不安に思ったけど、何の問題もなく同じ中学校に進学していた。

 小学校の卒業式のとき、周りの雰囲気も手伝ってか、どこか宇宙の遠くへ行ってしまいそうな気配がしていたけど、
 いくら彼女といえども普通の人間なので、卒業証書も受け取っていたし、両親は卒業式を見に来ていた。

 未来人と同じ黒髪の、優しそうなお母さんだった。

 ところで、話は逸れるけども、1つ確認しておいて欲しいことがある。

 私は今、この話を知って欲しくて手帳に書いているところだ。まだ誰にも、このことは話していない。

 そして、1つ前の話では、この話の中心となる彼女のことを、始終「未来人」と呼んでいた。
 今回も続けて、あの群青色の彼女のことは「未来人」と呼ぶことにする。違和感を感じることもあると思う。

 できれば、その違和感を保ったままでいてもらえるとありがたい。

 私の記憶力にもよるけど、なるべく早めに理由は伝えたいと思う。


 中学生になっても彼女は相変わらずで、授業は抜けたり抜けなかったりして、放課後はどこかでぼーっとしていることが多かった。

 ただ、とっている行動は変わらなくても、周りの対応は大きく変化した。

 まず、授業を抜けるたびに呼び戻されることが多くなった。
 先生によっては、まるで金八先生に憧れて教師になったような人もいて、そういう人からすれば、特に理由もなしに授業をサボろうとする未来人は、いろんな意味で格好の的だった。

「小学校の頃はとめられなかったのに」

 彼女は一度だけそう言っていたが、いま思うと、あの小学校の先生は放任過ぎていたのだ。

 次第に、未来人は授業を抜けるタイミングを計るようになった。
 抜けたところでそのまま授業を進める先生のときは、どこかへふらっと消えて、ものさし(教員用のあの大きな定規)を竹刀のかわりに持ち歩くような先生の授業の時は、窓際の席について、空を見上げていることが多くなった。

 それでも未来人は相変わらず勉強はできて(国語以外は)、特に中学校に入ってからは理科がお気に入りのようだった。

 手先が器用だったので、実験の時も他の班とは比べ物にならないような早さと正確さで実験を楽しんでいた。
 彼女が理科で満点以外を取るのを、私は見たことがない。


 中学校への進学はほとんど地区で決まっていたようなものなので、山田や岡西、中村も、同じ中学校に入学した。

 ただ、他の小学校の児童も多く集まったせいか、岡西以外の2人は、クラスは別になってしまったけど。

 今回の話には、山田と中村はあまり関わることはない。

 岡西は相変わらずカメラが好きで、中学校ではカメラは不用物として没収の対象だったけど、彼はのらりくらりと先生の監視を交わし、幾度となく校内の風景を撮影したりしていた。

 ただ、そんな岡西をクラスメイトたちはあまりいい目では見ていなかった印象はある。

 中村は、テニス部に入部していた。前々から興味はあったようで、中学校に入学するとすぐにラケットを買ってもらっていた。
 実際にラケットを部活で握れるようになったのは、夏の真ん中あたりだった。

 どちらかというとあまり積極的ではない印象の中村だったが、部活に入ってからは、心なしか明るくなった気がする。

 岡西は部活には入らないことにしたようで、未来人や私と同じように、帰宅部という名の下、他の生徒よりも多くの自由時間を満喫していた。

 山田は、たしか女子テニス部に入っていた。ただ、男子テニス部と女子テニス部はコートの場所も違ったので、中村と部活で関わることはあまりなかったようだ。

 そんな感じで、3人とも、中学生らしくなるための、中学生らしい準備は進んでいた。


 先ほども書いたように、未来人は理科が好きだった。

 特に物理の分野が気に入っていたようで、唯一、一度もサボったことがない授業が理科だった。真面目に話を聞いていたことは一度もなかったけど。

 だが、彼女と同じくらい、理科の高得点をとる生徒がいた。

 同じクラスの東田だった。

 東田は私たちとは違う小学校出身で、もともと賢いことで有名だったそうなのだが(なぜか山田から聞いた)、その噂は伊達ではなかった。
 得意の理科が満点なのは当たり前、他の教科も80点より下をとったところは見たことがなかった。

 私は中学校に入った途端テストが難しくなったのに驚いて、さらに東田の点を見て自分との差に驚いた。

 さらに彼は児童会長(小学校の生徒会長のようなもの)を務めていたということもあり、中学校でも率先して委員長に志願していた。東田を推薦していた生徒も多くいたので、ほぼ、満場一致だった。

 東田は中間テストの結果が返ってきた時、自分より、僅か2点高い点を取った未来人に、「次は負けないからね」と余裕を持った表情で話しかけていた。東田の中では、未来人はライバルだったようだ。

 未来人は、「ふぅん」と窓の外を見ていた。

 そんな東田だったが、匂いの色が薄紫のような色をしていたので、あまり好きではなかった(焦げ紫を思い出す)。

 今思い返してもくだらない理由で毛嫌いしていたと思うのだが、嫌なものは嫌だ。仕方ない。


 それからもう1人、中学校からの知り合いでよく覚えている人間がいる。

 同じクラスの滝野だった。

 私たちが通っていた中学校には、小学校と同じように飼育小屋が設けられていて、そこでウサギと、
 飼育小屋の隣にあった広い池で、カメを飼っていた。池にはカメの他にも、色々と魚がいたそうなのだけれど、何が泳いでいたのか把握したことはない。

 滝野は動物、というか小さな生き物が大好きなようで、理科室のメダカなんかにも人一倍の興味を見せていた。

 ただ、人一倍鈍臭くもあったので、男子からスカートをめくられたりしても、おろおろと戸惑うことしかできていなかった。
 今思うと、中学生にもなってスカートめくりをする男子は、それはそれで問題があるような気がしないでもない。

 滝野は、岡西の写真撮影に嫌な顔をした中の1人でもあった。
 特に学校の風景よりも動物が入っているものを嫌うようで、間違えて岡西がメダカに向かってフラッシュを焚いてしまった時は、珍しく声を大きくして怒っていた。

 それ以降、岡西が動物に向けてフラッシュを焚くことはなかった。

 それから、滝野は未来人の奇行を全くと言っていいほど気にしない人だった。
 他の生徒は、教卓の上に登りたがったり、授業が始まると消えていたりする彼女のことを初めは好奇の視線で見ていたものだが、滝野は、動物に手を出さない限りは、ほぼ全てに我関せずだった。

 つまり、変わった奴だったのだ。


「携帯買ってもらったんだ」

「はぁ」

 未来人はというと、相変わらず?みどころのない、ふわふわした性格だった。

「番号はね……」

「ふぅん」

 私が携帯を買ってもらったばかりで浮かれているときも、彼女は空を見上げていた。
 隣で私が番号を読み上げているのにもかかわらず、彼女は変なタイミングで「はぁ」とか「ふぅん」とか、適当な相槌を繰り返していた。

「宇宙人も電波飛ばすから、これで宇宙人の仲間入りだね」

「へぇ」

 私も私で、たまに話を聞いて欲しくなるけど、真剣に聞かれるのは恥ずかしい、という人間なので、未来人の適当な反応は気持ちが良かった。

 中学1年のときの彼女は特にぼーっとしていた印象が強くて、
 放課後の時間で、ほとんど唯一と言っていいほどの生産的な会話は、せいぜい未来人には妹がいる、という話だった。

 それですら自分の話ではない。

 未来人は?みどころのない性格をしていた。

 私は自然とそんな未来人といる時間が増えて、端から見れば、私も未来人もそう大差なかったのかもしれない……と、当時は感じていた。

 でもそれはそれで彼女に失礼な気もするので、現在から考えてみると、そうではなかった、と訂正しておく。


 最後に、未来人の話をする上で、欠かせないことがあった。放課後の過ごし方。

 小学校の頃は誰も残っていなくて、静かな空間といえば教室だったけど、中学生になると、部活やら委員会やらで残っている人も増えた。

 けど、それについては未来人は全く気にしていないようで、初めのうちは教室に居座っていた。
 が、私がそれを気にするようになった。

 未来人はだいたい、三角座りをする。

 小学生のころは気にしなかったけど、中学生になってしまうと、スカートの中に目線がいってしまう男子が増える。それを気にするようになった。私が。

 もちろん彼らに悪気がないのはわかっているし、目線がいってしまう気持ちもわからなくはない。

 だからといって、そのまま放っておくのも気が引けたので、未来人と私が中学校に入学してしばらくの間は、休み時間は学校探検をするようになった。

 未来人は私がスカートの件を説明すると、「ふぅん」といって大人しく着いてきた。

 彼女は、ぼーっとできるならどこでもいいらしい。

 3日くらいは、彼女が心置き無く放心できる場所を探していた覚えがある。

 未来人は理科準備室が気になっていたようだけど、さすがに鍵がかかっていたし、先生にも「やめてくれ」と言われたので、彼女はあっさりと諦めた。

 次に未来人が狙ったのは、屋上だった。

 ただ、当然のように屋上の入り口には鍵がかかっていて、生徒が入ることはできなかった。

 私は諦めるように未来人に言ったけど、彼女は「うーん」と鍵穴を覗いたり叩いたりして、しばらくそこで鍵と奮闘していた。
 突然、湧いて出したようにどこからか針金を取り出して、穴に突っ込み始めたので、流石にそれはまずいと思い、とめた。

 そのあとはすぐに諦めたようだった。


 その次の日、未来人は再び屋上の前まで来ると、当たり前のように自然な動きで、スカートのポケットから真新しい鍵を取り出した。

 あまりに当然のように持っていたので、私は逆に驚かなくて、

「なんの鍵?」

 と聞くと、未来人は

「屋上の鍵」

 と答えたので、今度は驚いた。

 屋上の鍵は、生徒には触れない場所にあったはず。私も3年間あの中学校で過ごしたけど、一度もオリジナルの屋上の鍵を見たことはない。

 どうやって借りたのか、と尋ねると、未来人は鍵の先を削るように撫でながら、そっぽを向いて返事をした。

「昨日のはりがねとか、いろいろしたので形覚えて、つくってきた」

 そんな馬鹿な、と言おうとすると、彼女は鍵を鍵穴に差し込み、扉はさも当然のように「カチャリ」と返事をした。噛み合っている音がした。
 
 未来人は得意げな顔をすることもなく、鍵をスカートにしまうと、扉の隙間からスッと吸い込まれていった。

 私も少しあっけにとられてから、未来人の後に続いた。

 錆びついた扉を押し開けると、普段人の入ることのない屋上は、コンクリートの隙間から雑草が生えていたり、端の方に黒っぽい砂なんかが溜まったりしていて、とても清潔だとか過ごしやすそうだとか、そういう言葉は出てこなかった。

 屋上をぐるりと見渡すと、未来人がどこにもいないことに気づく。
 息を吸ってみると、かなり近くで群青色の香りがしたので、左右を確認してみるも、彼女はいない。

「なにしてるの?」

 上を見ると、目と鼻の先に、未来人がいた。

 下を向いていても、綺麗な顔だった。


 未来人は塔屋の上から、身を乗り出して私を見ていた。

「どうやって登ったの?」

「塔屋の後ろ、階段があるよ」

 未来人が、背中を反らせるようにして塔屋の上に消えていったので、私も歩いて回り込んでみると、確かに、錆び付いた鉄のハシゴがあった。

 ただ、最近人が触った形跡はなかった。

 少し躊躇いながらも、その梯子を登る。塔屋の上には貯水タンクがあって、下に人が1人くらいなら寝転べそうな隙間があった。

 ものすごく汚れていたけど。

 貯水タンクを含めて、上のスペースは5畳ほど。割と広くて驚いた記憶がある。

「ここ気に入った」

「でも汚いよ?」

「大丈夫、昼間はタンクが影作ってくれるから」

 返事になっていなかったが、未来人はこの場所がお気に召したようだった。向こう側を向いていたので、どんな表情だったかはわからない。

 それが、入学してから1週間が過ぎた頃の話だった。

 そして、その次の日から、事は始まった。

そーいや未来人(46歳)が近所の92歳女性を殴り殺して逮捕される事件があったなぁと


 本題に入ろう。
 ただ、今回は、長期に渡って何度か起きた話になる。

 4月、桜が散り終えた頃、少し暖かすぎる陽射し、冷たい風の吹く、通学中のことだった。

 中学校は小学校よりも遠くになってしまったので、私は自転車で通学していた。
 自転車は嫌いではない。

 いつものように中学校近くの墓地の横を通っていると、道の真ん中に何か落ちているのを見つけた。

 赤銅色の匂い。

 いつもならゴミかな、と避けて通るだけだけど、その日は匂いが普通のゴミとは違ったので、少し自転車の速度を緩めてそれを見た。

 見て、少し動揺した。

 小鳥の死体だった。

 自転車を停めて、片手で支えながら、小鳥を見てみると、お腹の辺りに切り傷があった。そこから血が滲んでいた。

 この辺りには鷹がいる。

 小鳥遊と書いてタカナシとも読むし、「鷹は小鳥を襲うんだなー」と、自分の中で納得して、小鳥を道の端によけてから、私は自転車にまたがった。

 朝から嫌なものを見てしまったな、と、その日は思った。

 学校に着くと、朝の話題の半分はその小鳥の死体で占められていた。田舎の中学生の話題なんて、それくらいでも大事件になる。

 未来人は今日は来ていなくて、私は暇になって岡西の方を見ると、岡西は自分の席でカメラを弄っていた。

「岡西、写真撮ったか?」

 目立ちたがり屋が茶化すようにそう尋ねると、岡西はどうでも良さげに頷いて、

「はぁ、見てないから撮ってないけど」

「ってことは、見たら撮ってたのか?」

 目立ちたがり屋がそう言うと、教室からは「キモー」「グロいの好きとか」と、岡西にあまり良くない視線が向けられた。目立ちたがり屋は得意げな顔をしていた。

 岡西は一瞬顔をしかめた気がしたけど、すぐに目線をカメラに戻して、気にしていない様子だった。

 今思うと、岡西は、中学校に入ったあたりから、人付き合いをしないようになっていった気がする。
 ただ、私たちとは相変わらず話もするし、遊んだりもしていたので、人と関わるのが嫌いではなかったようだ。


 目立ちたがり屋が、さらに岡西に向けて何か言おうとすると、東田がそれを遮るように振り返った。

「そういえばお前、1時間目の理科の予習したの?」

「へ?」

「次の授業の始め、お前、先生に指名される番だよ」

 そう言われると、目立ちたがり屋は急に焦り出して、ノートと筆箱を取り出していた。東田は目立ちたがり屋にノートを貸してあげていた。

 調子のいいやつ、と、私は感じた。

 東田は私の視線に気づくと、こちらを向いて、「どうかした?」という表情をした。
 私はそんなに表情のボキャブラリーはなかったので、適当に頷いて、それからよそを向いて誤魔化した。

 やっぱり、東田はなんだか好きになれなかった。

 その日の放課後、私は国語係で提出物を回収して職員室に持っていかなければならなかったので、しばらく教室に残っていた。

 未来人はチャイムが鳴ったその時には、すでに教室にはいなかった。
 残っていたのは、私と、花に水やりをするために残っていた滝野だった。

 中学生にしては広すぎる教室で、放課後2人。私は黙って名簿にチェックをつけていく。

 特に仲が良かったわけでもないけど、何も話さないのも変かと思い、私は少し考えてから、何の花が好きなのかを尋ねた。

 滝野は声が小さかった。

 梅が好きなのだそうだけど、それを聞き取るのにも、しばらく考え込んでしまった。
 そこから面白おかしく話題が広げられればよかったのだけども、残念ながら私にはそんな会話術はなかったので、好きな花を聞いただけで会話は終わってしまった。

 お見合いか。

 これは後から聞いたことだけど、滝野は動物が好きなだけで、花は特に興味があるわけではないらしい。
 私が思っていた以上に、あの空間は気まずいものだったようだ。


 次の日、朝早くに学校に来てみると、教室の扉を開ける前に、群青色の香りがした。

 音を立てて扉を開くと、未来人が、教卓の上に三角座りをしていた。

「スカートの中、見えるよ」

「別にいい」

「私がダメなの」

 未来人はしぶしぶ教卓から降りた。

 この辺りで気づいたのかどうかは覚えてないけど、彼女は身のこなしが非常に軽かった。教卓から降りても、足音が聞こえないほどだった。

「そういえば昨日は、屋上にいたの?」

 私が未来人の方を振り返ると、彼女はすでにそこではなく、窓側の自分の席に移動していた。

 青く見えるほど黒い髪を朝陽に照らして、彼女はコクリと頷く。

「でも、理科室寄ったし、中庭にも遊びにいった」

 理科室と中庭は随分と離れているけど、何か用があったとは思えなかった。
 まあ、未来人のことだし、ふらふらと校舎を放浪していたのだろう。行き先が屋上と決まっていても、そこに向かうルートはたくさんあるわけだし。

 あんなに汚れてたけど、どこの部分に座ってぼーっとしてたのだろう、と考えていると、未来人はポツリと「今日もいく」と、独り言を言った。

 私は頷いた。

 そしてその日の1時間目が始まる前、理科室のメダカが全滅している、という話題が、教室で広まった。

 犯人探しが始まった。

 先生達は、メダカが死んだのは急に気温が上がったから、と言って話題を収めようとしたが、逆に話題を収めようとする先生のその姿勢が、生徒達を駆り立てていた。

 まず、昨日の6時間目までは生きていたことから、放課後に部活がない生徒が疑われることになった。
 よく考えると、別に部活をしていたところで、いくらでも抜けられると思うのだけれど。

 うちのクラスで言うと、岡西、滝野、私、それから未来人だった。ほとんどの生徒は部活に入っている。

 ただ、犯人を捜すのはいいものの、どうやってメダカを殺したのかがわからないと、突き止めようがない、ということになった。

 ヒーターの温度を上げる、だとか、水から出して干からびさせる、だとか、色々と案が上がっていたけど、目立ちたがり屋がふと、

「滝野、お前そういうの詳しいんじゃねーの?」

 と大声で尋ねると、滝野がしどろもどろになりながら、

「せ、洗剤……」

 と答えたことから、犯人が使った道具は洗剤、ということになった。

 証拠もないのに凶器を決めてしまうあたり、いかにも公開捜査が早く終わりそうな雰囲気を漂わしている。

 騒めく教室を、東田が「みんな、落ち着きなよ」と静かにしようとしていた。

 先に言ってしまうと、結局、このメダカ全滅事件については、犯人はわからないままに終わってしまっている。
 今考えるとだいたいの予想はつくが、今更考えても仕方ないし、あまり思い出したくもない。

 そして、真っ先に疑われたのは、滝野でもなく、私でもなく、未来人だった。


 もともと人とあまり話すことのなかった未来人は、まだ進級したばかりのクラスで、浮いたモノ扱いされるのは当然のことだった。

 それに加えて、事件のあった次の日に朝から来ていなかったこともあり(人が集まる前にどこかへ消えていた)、それを証拠として、教室の空気は彼女を犯人とする方向でほとんど決定していた。

 ……これはこの時の私の立場だからそう感じたのこもしれないけど、
 まだ仲のいい人も定まっていないような時期に、発言力のある人に異議を唱えることは、誰にもできなかったことのように思う。

 その日は確か、未来人は4時間目あたりに戻ってきた。
 気付かなくなったわけではないだろうけど、周りが向けた白い目線を、特に気に病んでいる様子はなかった。

 昼休み、未来人と少し話そうと思い教室を見渡すと、彼女の姿はもうなかった。
 まだ群青色が残っていたので、少し前までは教室にいたようだ。私は香りをたどって、廊下を1人で歩く。

 案の定、私は屋上の扉の前にたどり着いた。けど、私は鍵を持っていない。どうしようかと二の足を踏んでいると、カチャリと小気味のいい音が鳴った。
 冷たいドアノブを回してみると、当たり前のように開いたので、身体が前に傾いてしまった。

 昨日と変わらず、汚れたままの屋上。

「登っていいよ」

 頭の上から声がしたので、私は塔屋の裏側へ回りながら尋ねた。

「どうやってそこから鍵開けたの?」

 塔屋の上のスペースから鍵穴まで、身長分は距離があるはずだ。手を伸ばして届く長さではない。

「足ひっかけて、ぶらさがった」

 長い髪を垂らして、逆さまにぶら下がる未来人を想像する。

「危ないよ」

「自分は平気」

 中学生になると、彼女は曲芸師のような動きもできるようになってきていた。

「怪我したら、不便だよ」

「ふぅん」

 私は錆び付いたはしごに手をかけて、体をぐいっと持ち上げた。鉄の薄い赤の匂い。


 そのまま頭の上に頭を出すと、思わず目を丸くしてしまった。

 綺麗に掃除されている。

「片付けておいた」

 塔屋の上は、昨日と同じ場所とは思えないほど綺麗になっていた。
 雑草なんて一本も生えていないし、寝転がっても問題ないくらいにまで、砂埃やゴミも片付けられていた。

「……どうやって?」

 昨日の今日でこれである。
 訝しげに尋ねると、未来人は背中の後ろで手を組んで答えた。

「未来のギジュツを使った」

 私は、今日は朝から急いで掃除したんだろうな、と思った。

 未来人が端の方に寝転がったので、私もその隣に寝転がる。
 雲ひとつない青空に、少し冷たい風が吹いて、油断するとそのまま居眠りしてしまいそうな天気だった。

「メダカのこと、知ってる?」

 私は、何の気なしに尋ねた。

「理科室の?」

 当然流されるだろうな、と思っていると、彼女は予想外の返事を返してきた。
 少し驚く。

「なんで知ってるの」

「さぁ」

 誰かに聞いたのかな、と思ったけど、未来人が人と話しているところを、私は想像できなかった。

 首だけ彼女の方に向けると、隣では、あたりまえだけど、未来人が仰向けになって寝転がっていた。

 砂ひとつ落ちていない石のタイルに、深い青のような、細い黒髪が広がっている。華奢で儚くすら思えるほど薄い身体は、油断すると、そのまま床に吸い込まれてしまいそうだった。

「犯人、誰なんだろう」

 ぽつりと呟くと、片耳が床についていたので、その言葉は、私の頭に大きく響いた。

「気になるってことは」

 未来人は空を見上げたまま、ゆっくりと口を開いた。

「知ってる人の中に、ヨウギシャがいるんだ」

 私は驚いた。
 本当に何気なく呟いただけだったのに、彼女にそう言われると、さっきまで無色のまま頭に響いた言葉に、濃い色が塗られていく。

 ゆっくりと、未来人がこちらを向く。

 私たちは鏡合わせのような状態になった。澄んだ瞳だった。

「……犯人、知ってるの?」

 彼女は目を閉じて、小さく肩をすくめた。

「なんでも知ってるわけではないよ」

 私は少しがっかりしたけど、逆に安心もした。自分の中の疑いに、ハンコを押してほしいような、ほしくないような。

 昼休みが終わるまで、私たちはそこで寝転がっていた。
 予鈴が鳴ってから、また錆びたハシゴを降りた。未来人は塔屋の上から飛び降りた。足音が聞こえなかった気がする。

 昼休みが終わりそうで、体育館からの帰りや、移動教室なんかで、騒々しい廊下を黙って歩く。

 私は考えた。

 ……どうして滝野は、メダカを殺した凶器が洗剤だと、迷いなく答えたんだろう。


 メダカの犯人探しは、翌々日には先生達の思惑通り、鎮静していた。中学生なんてそんなものだ。

 一週間くらいは、未来人と一緒に行動すると、避けられているようなところはあったけど、それも、半月も経てばなくなっていた。

 私は正直、本当の犯人が気になってしょうがなかったけど、未来人はそのことについてそれ以上何かを言う気は無さそうだった。

 それから、いつ頃だったか、詳しい日付は覚えていないけど、4月の終わり頃、私たちはいつも通り屋上にいた。

 いつの間にか、昼休みと放課後、部活のない私は屋上に来ることが増えていて、小学校の時よりも未来人の隣にいることが増えていた。

 その頃にはもうハシゴの錆も全部きれいに取り払っていて、
 未来人は、どうやって計算したのか、何メートルまでの高さなら他の場所の死角になるかをきっちりと割り出してきて、塔屋の上は秘密基地のようになりつつあった。

「今日は日傘いるかな」

 彼女はそう言うと、給水タンクの下から、隠しておいた日傘と日傘立て(日傘をビーチパラソルのように置くために作った木の台座)を取り出して、塔屋の縁にそれを置いた。

 外からは見えないように、屋上の内側に面している縁に、未来人は静かに座り込む。
 塔屋が見えるようになっている教室は、都合のいいことに、
 人の入らない理科準備室、社会科準備室、それから学習室と音楽準備室の4箇所なので、放課後に誰かに見つかることはなかった。

 私の人生において、これほどまでに開放的で人に見つからない場所は、後にも先にもここしかない。


 その日はよく晴れていて、私は、未来人とは反対側の、給水タンクの陰から、中庭を眺めていた。

 ここは中庭が見下ろせる代わりに、中庭からも見えてしまうという難点があったけど、中庭なんてほとんど人は来ないし、そもそも給水タンクの方向を見上げる人なんていなかった。

 中庭には、近くの道路から用水路が引っ張ってあって、少し広めの池がつくられてあった。
 飼育委員が世話をしているらしい(滝野以外が来ているところを見たことはないけど)カメも、そこで暮らしていた。

 晴れた日は、池の周囲が日向になるので、よくカメが日向ぼっこをしていた。
 その日もカメはのそのそと池から這い出てきて、緑色の甲羅を陽に当てて乾かしていた。小さな緑が花のように池の周りに咲いている。

 ふとそこに、校舎の影から誰かやってきた。
 岡西だった。

 池のカメは人が来ても逃げないけど、来た人は何匹ものカメから一斉に見つめられる、という若干怖い体験をしなければならなかった。
 岡西は池の近くまで歩み寄ると、カメラを構えて、カメの撮影をしていた。

 私はそれをしばらく眺めていたけど、どんな写真を撮っているのか気になって、中庭まで降りてみることにした。

「出かけてくる」

 一言言い残して、私はカバンを置いたまま、塔屋から降りた。
 扉の前まで来たところで、未来人が鍵を投げてくれる。

 上を見上げるとスカートの中が見えてしまうので、私は上は見ずに落ちてくる鍵を受け取った。

 鍵を開けて、中に入って、それから近くに人がいないことを確認してから、鍵を締める。

 中庭に繋がる裏口は、この階段を降りたすぐそこにある。

 私が少し駆け足で降りていると、途中で滝野とすれ違ったので、お互いに会釈をしてそのまま通り過ぎた。


 中庭に着くと、岡西が近くの石に腰掛けて、写真の確認をしているところだった。

「写真、撮ってたの?」

 私が近寄りながら話しかけると、岡西はこちらを見て、頷いて、それから

「みる?」

 と尋ねてきた。

 カメラを受け取ると、すでに写真が表示されていて、日向ぼっこをするカメが映し出されていた。

 深緑の色をした池を背景に、少し手前の方でピンボケした青い花があって、その中心に目を細めているカメが写っていた。

 次へのボタンを押すと、他にも似たような写真がたくさんあって、割と面白かった記憶がある。
 カメのほかにも、何でもない風景だったり、雨上がりの蜘蛛の巣だったり、少し遡るとメダカなんかの写真もあった。

 どれがお勧めか、と私が聞くと、岡西は「これかな」と言って、一枚の写真を表示した。

 右下にカメが写っていて、そのカメが左上を見上げている、という、確かに面白い写真だった。

「これ、木の枝の向きとか、草とか風で波打つ池の水面の向きが、ぜんぶカメの方に向かってるんだ」

 言われてみると、なるほど、すべての線がカメに集まるようなイメージが湧いてきて、さっきとは違う写真に見えた。

 それからしばらく岡西から写真を見せてもらって、総下校のチャイムが鳴りそうだったので、カメラを返してから、急いで屋上に戻った。
 総下校に遅れてしまうと、罰として宿題のプリントをすることになっていた。それは避けたかったのだ。

 屋上には、さっきと全く変わらない姿勢の未来人がいた。

「なにしてたの」

「岡西と話してた」

「ふぅん」

 夕陽に照らされているその横顔は、まるで作り物のように綺麗だった。


 その翌日のことだった。

 その日はやけに人が来るのが遅くて、私はその日の分の宿題を終わらせてしまって、それでもいつもの半分ほどしか人がいなかったので、
 何か集まりでもあったのかと不安になって、隣のクラスの山田のところに聞きに行くことにした(未来人は教室にはいなかった)。

 となりのクラスの扉を開けると、やっぱり人はまばらで、少し不安に感じながら、山田の背中を探した。

 今思うと不思議で仕方がないのだけど、中学校には、自分のクラス以外には入っていけない、という謎のルールがあった。なんでみんなそんなルール守っていたのだろう。

 見慣れたシルエットは、後ろの席に座って本を読んでいた。声を掛けようか迷っていると、中村が気付いてくれて、山田の肩を叩いた。
 山田は、はっと気づいたように顔を上げて、私の顔を見ると、てくてくと歩み寄ってくる。

「どうかしたの?」

「人がいないから、集まりあったっけ、って」

 私がそう言うと、山田は「たしかに」と、きょろきょろ教室を見渡した。

 中学生になってから、山田はツインテールだった髪を、後ろの方で1つに結ぶようになって、少しお姉さんな印象になった。
 ただ、残念ながら、身長の方はなかなか伸びなくて、150センチあたりで、成長は止まってしまっていた。ちなみに、この時は私よりも大きかった。

「中庭だろ?」

 山田とは対称に、中学に入ってからぐんぐんと背が伸びた中村が、私たちに向けてそう言った。

「中庭で何か集まりがあるの?」

「知らん。けど、人はけっこう集まってた」

 ならば野次馬だ、と、時間もあったし、普通に気になったので、私と山田は中庭に向かった。
 ついでに中村も一緒に来た。


 中庭の入り口に着くと、思った以上の人混みで、その奥になにがあるのか見えなかった。ただ、心なしか男子が多かったように思う。

 前の方では先生が2人くらいいて、「あんまり見るな、教室に戻れ」と生徒を追い返そうとしていた。

 これだとなにがあるのか見えないな、と思った私は、2人に、

「来て。いいところがある」

 と言って、屋上へ向かった。

 実はこの時、既に中村は何度か来ていて(初めはダメ元で屋上に来れるかどうか見に来ただけだったようだけど、未来人が鍵を開けた)、
 私はこの2人に教えないのは、なんだか気持ちよくないな、と思っていたところだった。

 屋上の扉の前に立つと、2人は不思議そうな顔をした。
 私は気にせず、扉の前で二回足踏みをした。間をおかずに、カチャリと音がする。

 ドアノブをひねると、まるでこの扉には元から鍵なんて付いていなかったのように、するりと開いたので、山田と中村は驚いていた。

 真上から、群青の香り。

「連れてきてもよかった?」

「来るのはわかってたから」

 未来人はそう答えると、塔屋の縁から足をぶら下げた。

 私は2人に塔屋の裏側のハシゴを登るように言う。中村は少し周りを警戒しながら、するすると登って行った。
 上から「おぉ」と声が漏れたのが聞こえる。

 山田は少し怖がっていたので、私が真下について、ゆっくりと登った。
 塔屋の上に立つと、山田もやっぱり「わぁ」と声を漏らしていた。

 2人が塔屋の上からきょろきょろしていると、未来人が頭を下げるようにジェスチャーを向けてきたので、私たちはその場にしゃがんだ。

「身長、ギリギリアウト」

 中村は、下からでも頭のてっぺんが見えてしまう身長だったらしい。

 中村は根が慎重(ビビリ)な性格なので、これ以降、塔屋の上で真っ直ぐ立ったことは一度もない。


 私が未来人に、中庭に何かあったのかを尋ねようとすると、彼女は、少し考えてから、

「見てもいいけど、目が良いなら、あんまり見ないほうが良いかも」

 と、彼女にしては珍しくまともな返事をよこした。答えにはなっていなかったので、まともかどうかは私の基準の話なのだけど。

「おれ、視力1.2」

「わたしは0.8」

 私はどれくらいか覚えてないけど、少なくともメガネがなくても日常生活が送れるレベルではあった。

 3人で下から見つからないように、こっそりと中庭を覗き込むと、人混みはだいぶひいていて、さっきよりは人は少なくなっていた。
 けど、普段はほとんど人はいないので、1人でもいると普通ではないように思えた。

 目を凝らして、先生が立っている後ろの、池の周りを見てみると、何やら赤っぽい果物のようなモノが点々と落ちている。
 それに、心なしか、池が前の日より小さく見えた気がする。

 何かわからなかったので、隣の山田の顔を見ると、山田はじっと池の方を見つめた後、すぐに目をそらした。
 中村は、目をそらすわけではないけど、あまり気持ちの良さそうな顔はしていなかった。

 私は尋ねる。

「なにがあるの?」

 山田は黙っていたので、中村が答えた。

「カメの死骸」

 私はもう一度池の方を見る。

 屋上に冷たい風が吹く。

 赤い果実のようなものが散らばっていた。


 教室に戻ると、やっぱり、話題は中庭のカメのことで埋まっていた。
 色がどうだった、とか、どこが割られていた、とか、何匹やられていた、とか。

 私は何でもない風な顔をして一人で席に着いて(未来人はついてこなかった)、教科書を読むふりをしながら、何人かの会話に耳を傾けていた。

 案の定、誰がやったのか、という話が一番盛り上がっているようだった。

 話によると、屋上からは見えなかったけど、池に繋がっている用水路が、少し離れたところで石か何かでせき止められていて、水があまり流れなくなっていたらしい。多分、それで池が少し小さく見えたんだろう。

 周りに石は落ちていなかったが、園芸部がたまに使うクワが1本なくなっていたので、おそらくが使われたのではないか、ということらしかった。

 私は、クワなんて大きなモノだったらどこかに隠すのは難しいので、まだこの校舎の中にあるのかな、なんて考えたりしていた。

 ふと東田の方を見ると、自分の席に座って教科書を読んでいるだけだった。今日の予習だろうか、と思った。

 しばらく話を聞いていると、教室の後ろの方から、暗い顔をした滝野が扉を開けて入ってきた。ひと際大きな声で、目立ちたがり屋が滝野に向かって話しかける。

「滝野、よくカメの世話してたけど、何かしらねーの?」

 少しガラの悪いタイプの女子が、何人かで「えー、ちえちゃん可哀想だよー」と笑いながら話しかけていたが、目立ちたがり屋は「うるせー」と言って、気にせず話しかけていた。

 ……この時は、無神経だな、くらいにしか思わなかったけど、今思い返すと、あの目立ちたがり屋は、やけに滝野に突っかかったり、変な質問をすることがよくあった。もしかしたら、そういうことだったのかもしれない。
 今度会ったら話のネタにしよう。


 話を戻す。

 暗い顔をした滝野に、目立ちたがり屋はさらに続ける。

「ほら、みたろ? 中庭のカメが殺されてんの!」

 さすがにここまで直接言うと、何人かの生徒は目立ちたがり屋にあまり良い視線は向けず、私もそのひとりだった。

 滝野は入り口近くで立ち止まって、しばらく黙りこんだ後、ぽつりと何かを言った。

「お、おかにしくんが……」

 あまりにも勢いのなさすぎる声で、最後の方は聞き取れなかった。
 教室が息をひそめる。

 滝野は、スカートの裾をぎゅっと握ってから、もう一度言った。

「お……岡西くんが、怪しい……とおもう」

 私は、そんな馬鹿な、と思った。

 教室にいたほとんどの人が、それを聞いてから2秒ほど黙って、各自の頭の中で言葉を理解してから、それから一気に教室は騒がしくなった。

 滝野は少し焦って顔を上げていたけど、どうすることもできず、また俯いてその場に立ち止まっているだけだった。

 このタイミング、この状況で、おそらくこのクラスで最も中庭に行った回数のある滝野の証言は、教室を盛り上げるには十分な材料だった。
 私だって、たぶん、岡西のことをあまり知らなければ、同じように犯人は岡西だと思っただろう。

 そして、この考えうる限り最も悪いタイミングで、岡西は、教室に入ってきてしまった。

 扉が開いた瞬間、教室が音を忘れたように静まりかえる。
 あまりに突然静かになったものだから、私も少し驚いてしまった。


 岡西は、少し驚いた様子を見せた後、いつも通りの調子で扉を閉めて、黙って自分の席に向かう……向かおうとしたところで、まだ入り口近くにいた滝野が、震える声で岡西を呼び止めた。

「……ね、ねぇ」

「……なに?」

 私はそこで、中学校に入って初めて岡西がクラスメイトと話しているのを見た。

 教室全体が、次に発せられる一語一句を聞き逃さまいとするように、じっと2人のことを見つめる。

 手に汗を握ってしまうような雰囲気で、私も、身体を教室の後ろへ向けて、ほかの生徒と同じように、静かに2人の方を見ていた。

「な、中庭の……かっ、カメは……」

 滝野はただでさえ落ち込んでいたのと、30人近くに一斉に視線を向けられていたので、緊張して震える声を絞るようにして、岡西に何かを尋ねようとしていた。

「……中庭が、どうかした?」

 岡西はたった今学校に来たようで、中庭でなにが起こったか知らないようだった。滝野は次に続ける言葉が見つからないようで、口の端をキュッと結んでもごもごとしている。

 じれったい雰囲気の中、誰かが滝野の代わりに聞かなければ、という空気が生まれ、目立ちたがり屋を含め、生徒たちは互いに視線を押し付けるように隣の人の顔を見ていた。

 岡西はなにがあったのか全く知らないので、ただその場に突っ立って困惑している。


 私はゆっくりと、ほかの人に悟られないように、視線を東田の方に動かした。
 未来人の席が視界に入ったけど、彼女はここにはいない。

 東田が視界に入ると、一瞬視線が合ったような気がして身が縮こまったが、すぐに気のせいだとわかった。
 薄紫は立ち上がり、教室の視線を集めてから、岡西に尋ねた。

「岡西くん、園芸部のクワ、最近使った?」

 会話のいきさつを見守るように、誰かがごくりと喉を鳴らす。

 岡西は一瞬、視線を右上に揺らしてから、それから、短く答えた。

「使ったけど」

 教室は爆発したように騒がしくなった。まるで火事でも起こったかのような喧騒。
 突然、祭りの中に放り込まれたような錯覚を覚えたのを覚えている。

 しばらく唖然としていた岡西も、周りの様子を受けて、よくない状況にいることに気づき、逃げるようにして教室を飛び出した。

 何人かがその後を追おうと扉に向かうと、まるで初めから入り口にいたかのように、ひょいと未来人が現れて、道をふさいだ。

 目立ちたがり屋が未来人の横をすり抜けて行こうとすると、未来人はぽつりと、

「先生、階段登ってきてるよ」

 所詮中学生である。

 その一言で、目立ちたがり屋たちは諦めて、東田の「みんな、席に着いておこう」という呼びかけで、先生が来る前には、全員が着席していた。

 先生は岡西とは鉢合わせしなかったようで、特に変わったことはなく、普通に朝の会を終わらせた。

「中庭には近づかないように」

 未来人の方を見ると、彼女は、頬杖をついて、窓から空を見上げていた。

つづく

誤字脱字あったらごめんなさい。
明日また続き書きにきます。


 4時間目が終わっても、岡西は帰ってこなかった。
 何人かの先生は慌ただしくしていたけど、授業は普通に行わていた。案外、何があっても生活のリズムが変わることはないのだな、と感じた記憶がある。

 滝野の方は、1時間目が終わると、保健室に行って、そのまま早退していた。

 給食の準備時間、廊下から山田と中村に呼ばれたので、3人はこっそりと階段までいって、陰に隠れて話した(給食の準備時間は立ち上がってはいけないルールがあった)。

「岡西、まだ戻ってないのか」

「うん。そのまま帰ったのかもしれないけど」

「帰ってないよ」

 驚いて振り返ると、階段の手すりに未来人が座っていた。
 スカートの中が見えそうになって、中村と私は目をそらす。

「どうしてわかるの?」

 山田が尋ねると、未来人は表情を変えずに答えた。

「さっき、先生たちが話してたの聞いた」

 なら、まだどこかで寄り道しているか、学校にいるのか、どちらかだろう。

「そろそろ給食の準備できるよ」

 未来人はそう言うと、手すりから降りて、教室へ戻っていった。

 出歩いていたのが見つかってしまう。私たちは急いで教室に戻った。

 別れ際、私は山田と中村に、昼休みも話そう、と伝えておいた。2人は頷いた。

 教室に入って、未来人の方を見ると、彼女はまるで一度も立ち上がっていないかのように、その先に馴染んでいた。


 給食を食べ終えて、教室を出ようとすると、未来人はもういなかった。
 仕方がないので、隣に寄って山田と中村を呼んでから、3人で岡西を捜した。

 しばらく校舎をうろうろしていた私たちだけど、結果から言うと、岡西は屋上にいた。未来人も。

 尋ねてみると、岡西は不思議そうに、自分の首の後ろを撫でながら言った。

「とりあえず来てみたら、扉の前に鍵が置いてあった」

 未来人に、「岡西が来るの、わかってたの?」と聞くと、彼女は

「落としちゃっただけ」

 と、空を見上げていた。

 まあ、そのときは、細かいことはどうでもよかった。
 岡西の方は、大体の雰囲気と、中庭に見えたカメの死骸と、未来人の話で、自分の置かれている状況は理解しているらしい。

「つまり、おれが犯人って疑われてるんだろ」

 岡西はやっていない、とのことだった。

 証拠となってしまったクワについて聞いてみると、それは、昨日の放課後に、畑(田舎の中学校なので、敷地内に先生が管理している畑があった)の手伝いを頼まれたらしく、その時使った、という意味だったらしい。

 どうして岡西が疑われたのだろう。

 ……自信はなかったけど、そういえば昨日、岡西に写真を見せてもらいに行くとき、滝野とすれ違っていた気がする。


「なら、犯人はあえてクワを使ったのかな?」

 山田がそんなことを言うので、私たち3人は、首を傾げて山田の方を見た。

「ほら、岡西がクワ使った後だったら、指紋とか残るんじゃない?」

 そうかもしれない。犯人は手袋とかすればいいんだし。
 未来人の方に視線を向けると、彼女は私たちとは反対を向いていたけど、話は聞いているようで、

「それに、岡西がクワ使ってた、って話だけが広まれば、岡西が犯人だ、ってウワサも広がりやすいしね」

 なら、犯人は岡西が昨日クワを使ったことを知っていた、ということになる。

 それに加え、犯人は昨夜あたりに、用水路を塞き止めていて、その上でカメの逃げ場所を狭くしてからクワで殺している。
 ある程度の計画性がある割に、目的がさっぱりわからなかった。

 前日のメダカの件も、頭の中にはちらついていた。

 私たちは4人で、頭を寄せて考えていた……けど、結局、それらしい答えは見つからなかった。
 4人もいたので文殊を超えていたはずなのだけれど、それでも犯人の目星は着かなかった。

 そして、気持ちの悪いことに、この事件も、犯人がわからないまま、うやむやになってしまったのだ。

 もちろん、生徒たちもメダカの時とは比べ物にならないほど興奮して犯人を捜していたが、少しでも先生たちにそのことが見つかると、今考えてもやりすぎなほどのお叱りを受けていたので、
 次第に犯人捜しはタブーとする空気が生まれていた。

 さらに、自然教室(林間学校のようなもの)が近づいてきていたので、先生たちはその準備や話し合いの時間を多く設けて、生徒の興味の方向を自然教室の方へずらしたのだ。

 つまり、学校側は、中庭の事件を揉み消した。

 ほとんどの生徒は、自然教室までには興味を失っていたように思うけど、岡西を含め私たち数人は、モヤモヤとしたモノを抱えたまま、自然教室までの数日を過ごした。


 中庭の事件から数週間後、私たちはバスに乗って、となりの県の孤島へ自然教室に向かった。

 あんな事件があってもやもやしてたとはいえ、しばらく時間も経っていたので、当日くらいまでには、私は案外、楽しみにしていた記憶がある。
 子供は切り替えが早い。

 自然教室は、基本的に4人ほどの班に別れて行動することになっている。
 私の班は、滝野と、東田と、村田(普通の女子)と、それから私だった。
 クジで決まったので、未来人と同じ班になれなかったのが、少し残念だった。

 バスで港に着いて、それから船に乗って、孤島に移動する。東田が「船の中は自由行動だったよね」と言っていたので、私は未来人を探すことにした。

 滝野は、たしか自由行動になってすぐに、展望デッキに移動して外の空気を吸っていた気がする。

 船は、下の方に車なんかを停めるスペースがあって、その上に客先や展望デッキがある、という造りになっていた。
 私は未来人を探したけど、客席はもちろん、展望デッキや甲板にもいない。海の潮のにおいが濃かったので(群青に似ていて紛らわしい)、いくら深呼吸しても居場所はわからなかった。

 おかしいなと思いながら、展望デッキのあたりをうろうろしていると、下に続く階段が見えた。

 さっき登ってきた階段。下には業者のトラックが積まれていたはず。

 本当は降りてはいけなかったけど、私はこの下に未来人がいると確信して、周りに見つからないように駆け足で階段を降りた。

 下は思っていた以上に広くて、ちょっとした体育館のようだった。
 そして案の定、未来人はそこにいた。


「なにしてるの」

 波とエンジンの音がよく響いていたので、少し声を張って私がそう言うと、未来人は振り返らないまま、

「さんぽ」

 と答えた。

「ここ、本当はきちゃいけないんだって」

「ふぅん」

 特に気にしている様子はなかった。

 私は未来人の隣に立って、そのそばの小窓から海を眺めた。

 展望デッキから見降ろすより、何メートルも近いところに見える海は、落ちたら助からないだろうな、と思うような色をしていた。

 もし船が揺れて落ちてしまったら、と想像すると、おへそのあたりの力が抜ける。

「携帯、落とさないようにね」

 不意に未来人がそんなことを言うので、私は「携帯?」と尋ね返した。
 自然教室も学校行事の1つなので、そんなものは持ってきてはいけないはず。というか持ってきていない。

 ……そう思って、少し不安に思ってポケットを探ってみると、
 ふつうにスマホが出てきた。

 しまった。朝、準備してる時、急いでて入れっぱなしだった。

 今考えると大したことないけど、このときはかなり焦った。中学生にとって不要物を持ってくることは、かなり重大なルール違反だったのだ(岡西はその点、すこし変わっていた)。

 未来人は「そのまま持っとけば?」と軽く流していたけど、私はしばらく顔を真っ青にして悩んだ後、先生に預けておくことにした。

「持っておいたほうが、いいと思うけどな」

 このときは、その言葉は耳に入らなかったけど、後から考えるれば、そのアドバイスは聞いておいたほうが良かったのかもしれない。

 私はすぐに客席に戻って、先生に事情を話してからスマホを預かってもらった。先生は変な顔をしていた。

 席に戻ると、東田が「災難だったね」と、気さくに笑いかけてきた。私は「まったく」と返事をした。

 滝野は、まだ展望デッキにいた。


 初日の予定は、荷物を事務所に預けてから、班ごとに分かれて近くの林道でウォークラリーをして、それからカレー作りだった。

 孤島に着くと、その日が曇っていたせいかもしれないけど、思っていたよりも鬱蒼とした印象を受けた。1本1本の木が大きい。
 小さな山の集まりのような島だった。

 猫が多かった覚えがある。

 私は少しわくわくして、スマホを持ってきてしまっていたショックなんてすぐに忘れてしまっていた。未来人はそんな私を見て、なんとも言えない顔をしていた。

 荷物を預け、少し広いところで集合して、先生の長い話を聞き終えてから、1グループづつ、順番にウォークラリーを始める。
 ちなみに、長さは同じだけど、コースは各クラスごとに違っていた。時間の節約らしい。

 出発する前、東田が荷物の中に忘れ物をしたと言って、少し場を離れてしまったので、私たちのグループは出発の順番を少し後ろに回してもらった。
 私は村田とおしゃべりをしていたので、特に暇ではなかった。滝野はたまに話を振ると、返事をするくらいだった。

 少し出発が遅れてしまったウォークラリーだったけど、それなにり楽しめた。村田と東田もそこそこ話せたので、会話がなくて気まずい、なんてこともなかった。

 あえて問題を挙げるとすると、チェックポイントでプリントに印をつける時に、滝野のシャーペンがなくなっていたことに気付いたけど、それは私のシャーペンを貸したのでなんとかなった。
 それ以外は、つつがなくウォークラリを終えることができた。……気がする。

 他のメンバーがどう感じていたのかは知らない。

 夕方はカレー作りだった。


 実を言うと、この時起こっていたことを、私はほとんど覚えていない。
 後から他の人に話を聞いてみると、実はこの時、ある人物が露骨に怪しい行動をしていたそうなのだけれど、私は周りに注意を向けていなかった。

 カレー作りは、4人班が2班づつ合同で行った。この時の班は未来人も同じだったので、班が決まった時は喜んだものだけど、
 実際に作業をしていると、意外なことに、彼女はほとんど役に立たなかった。

 薪木がなくなってしまったとき、嬉しそうに「松の葉を火に焚べると、すごい音するんだよ」と、胸いっぱいに抱えた松の葉やら松ぼっくりを炎に放り込んだので、
 爆発したようにバチバチと炎が燃え上がって、私は寿命が縮むような思いをしながら料理をしていた。

 私は炊飯係だった。
 炊飯器ではなく、わざわざ鍋を使って米を炊く係。

 そのせいで火力に敏感だったので、余計に未来人の行動には肝を冷やされたのかもしれない。

 ちなみに、出来上がったのはお焦げ(と言えば聞こえはいいが、実際はほとんど炭)たっぷりの、決してホカホカという表現が似合うことはないご飯だった。
 班のメンバーに申し訳なかったけど、どこの班もそんなもんだったし、今思えば、それはそれで楽しかった記憶がある。

 でも、この時は、もう二度と鍋でご飯なんて炊かない、と誓っていた。

 ちなみに、未来人と村田が切った人参とじゃがいもは、普通に美味しかった。どちらの切り方が上手だったのかはわからない。

 ……と、今思い出しても、あの人物の行動は、ほとんど記憶になかった。

 当たり前だ。そもそも炊飯係は私1人ではなかったのだ。
 もう1人いたはずなのに、あのとき炊事場にいた記憶がほぼない。
 後から他の人に話を聞くと、何か忘れ物やら先生に用事やらでかなり場を離れていたらしいのだけど、
 私の覚えている限り、ソイツはまったく調理に参加していなかった。

 そして、その日の夜、ソイツは行動を起こした。


 ソイツが行動を起こす、少し前。

 私たちはカレーを食べ終えて、食器を洗い終えて、班ごとに歩いて部屋に戻っていた。

 道中、東田が滝野を呼び止めて、何かを渡していた。
 すぐに東田はどこかへ走って行ったので、私は滝野のそばに行って、何を受け取ったのか尋ねた。

「これ……さっき、東田君が拾ってくれた、って」

 そう言いながら、滝野は少し遠慮がちにシャーペンを見せてきた。さっきなくしていたシャーペン。

 私はそれを見て、忘れていた匂いを思い出した。
 そしてすぐに忘れようとした。

 幸い、服に炭の匂いが残っていたので、それで誤魔化すことはできたけど、間違いなく、あの匂いは、この間、におったモノと同じだった。

 よかったね、と、私はなるべく明るい口調で言えるように努めて言って、駆け足でその場を離れた。

 すぐ近くで、歩いていた未来人に出会う。

「真っ青だよ」

 言われてはじめて、私は自分が息を止めていたことに気づいた。
 あれ以上、認めたくなかったのだ。あの匂いが、滝野のシャーペンから、漂ってきた事。

 そして予想していたことが当たるのが、怖かった。腑に落ちるのが恐ろしかった。

「なにか、隠してるね」

 未来人は、見透かすように私の顔を覗き込んでくる。

「……別に」

 私は、できる限り目をそらして、それから少し早足で林道を歩いた。
 未来人も付いてくるかと思っていると、足音がしない。


 気になって振り返ると、彼女は、林道の横道の奥を眺めて、立ち止まっていた。

「なにしてるの」

 私が呼びかけると、彼女は目線を動かさずに質問を返してきた。

「なに、あれ」

 未来人の隣まで歩く。
 群青色の香り……に混ざって、嫌な匂いがした。

 彼女の視線の奥で、カラスが飛び去る音と鳴き声がした。3、4羽くらいの影が視界のすみに映る。

 私は顔をしかめて、奥に目をやる。暗くなってきていたので、よく見えない。
 立ち止まる未来人の横を通り過ぎて、奥へ進んだ。

 匂いは濃くなる。

 私はソレをはっきり視界に入れると、思わず後ずさりながら、変な声が出た。

 子猫の死骸。

 辛うじてわかる、耳と尻尾の欠片。胴体は、原型をとどめていなかった。
 脚は4本ともどこかになくなっていた。
 突き刺したような傷跡が、眼が入っていたであろう空洞に見て取れる。

 言葉では、こんなものが存在する事を知っていたけど、実物は、どんな表現よりも生々しかった。

 私は、今食べてきたものをその場に吐き出した。未来人がやってきて、背中をさすってくれる。

 少しその場に佇んで、それから急いでその場を離れた。未来人がどこからかペットボトルの水を持ってきてくれたので、それを飲んで、少し落ち着いた。

 思い出す。

 さっきの子猫の匂い。血の匂い。赤銅色の、嫌な匂い。

 滝野のシャーペンと、同じ匂いがした。


 それから2時間くらい後。

 私たちは風呂の時間という名のカラスの行水を終えて、寝る準備を整えていた。

 体調の方は特に崩れることはなくて、私はお湯であの匂いを忘れて、なるべく思い出さないように努力をしていた。

 どうせ明日の朝にはシワまで揃えて畳まないといけないんだから、と、その日は枕投げは開催されなかった覚えがある。助かった。

 先生の点呼を終えて、消灯まであと5分、ということろで、私たちの部屋の扉を、誰かが叩いた。

「先生かな?」

 扉に一番近かった私が確かめに行くと、そこには、先生ではなく、東田が立っていた。

「ちょっと、用事があるんだけど」

 消灯まであと数分。
 けど、東田は「布団に潜ってる体で周りが言えば、誤魔化せるよ」と、変に確信を持った口調で言っていたものなので、私は何故か東田の誘いにのった。

 靴を残しておかないと見つかるので、室内用のスリッパを履いたまま、外に出た。

 こっちにきて、という東田に、どうしてか疑問も持たずについていく。この間に話はしなかった。

 寝室のある建物から少し離れて、灯りの消えかけている受付の近くを通ると、誰か人の気配がした。

 私たちはとっさにしゃがみこんだけど、「みてるよ」と、未来人の声がしたので、私は普通に立ち上がった。

 彼女は自動販売機の前でペットボトルの水を持っていた。

「何してるんだい?」

 東田が尋ねると、未来人はそっけなく「先生のところに用事があって」と答えた。
 なんで水が要るんだろう。

 彼女はさらっと髪をなびかせると、どこかへ消えていった。

 東田は「行こう」と私を促して、さらに暗い林道の方へと進んでいった。
 私はそれについていった。

 いつ思い返しても、あのときの自分の判断基準が、理解できない。


 しばらく黙って歩く。耳に入るのは2人分の砂利を踏む音だけで、匂うのは薄紫だけ。
 明かりが届かないところまで来ると、東田は突然、私に話しかけてきた。

「滝野さんは賢いよね」

 私は「そうかな」と返事をした。

「そうだよ。だって、一瞬で答えを言っちゃうんだもん」

 私はたぶん、この時点で、我に返っていた。今何をしているのか。どうしてついてきてしまったのか。

 でも私は、東田に逆らって引き返すことはできなかった。

 東田の右手は、いつの間にか、ポケットの中の何かを握っていた。

「滝野さんは賢いから、盗んだことも、すぐ気づくと思ったんだよ」

 私はさらりと、とんでも無いことを聞き始めてしまっていることに気がついた。

「でも気づかないもんだから、つい、使っちゃったよ。穴開けるのに」

 私は真っ暗洞窟のような林道を、東田に続いて歩く。誰かすぐそばにいるのに、まるで1人で歩いているような恐怖だった。
 後ろから襲いかかられるのではないか。前から襲いかかられるのではないか。

 周りを確認したかったけど、私は数歩手前を歩く東田から、目線を話すことは許されていない。

「僕はね、いつも校舎から池を見下ろすとき、カメが花に見えてしょうがなかった」

 私は話を聞く。

「そうなんだ」

「君も同じだろう」

「まあ、そうかも」

 平気な振りを装っていたけど、声は震えていたし、両手はものを掴めるような状態ではなかった。

「でも、緑色の花なんて、嫌じゃない?」

「……どうして?」

 私は少しづつ、歩調を緩めていた。早く歩きたがる脚を、気持ち鎖でくくりつけて、ゆっくりと東田との距離を広げようと努める。

「葉緑体があって、光合成をするのは葉と茎だけで十分だよ。わざわざ花弁まで緑になる必要はない。気持ち悪い」

 私は思い返す。屋上から見降ろす池。緑の芝生に、深緑の濃い池。

 花のように点々と日に当たるカメ。

「僕は赤い花が好きなんだ」

 東田が歩くペースが少し遅くなった。

 そう感じただけなのに、私の心臓は破裂しそうなほど過剰に脈打っていた。必死で歩調を合わせ直す。

 次第に、あの匂いが漂ってきていた。
 


「猫は好き?」

 東田は立ち止まった。そして迷いなく、半身で振り返った。

「ま、まあまあ」

「そうなんだ。僕は大好きだ」

 東田の身体は、横道の奥へと向いていた。

 私はこの激しい動悸が外に漏れていないことを祈りながら、必死で鼻で息をすまい、と口から空気を吸っていた。
 それでも僅かににおう。赤銅色。

「君は、好きな人はいるかい?」

 東田は、こんな場所にいるのに、嫌に落ち着き払っていた。子供のくせに、大人のような雰囲気を漂わせている。

「まだ、わかんない」

 私は、言葉を口で話すのがこんなにも難しくなることがあるのだ、ということを知った。
 心臓はマラソンの後のように運動していて、鎖骨に嫌な汗が流れるのを感じる。

「よかった。なら、ここだけの話なんだけど」

 暗闇に目が慣れてきて、そのせいで余計に、東田の右手が気になる。ポケットの中で何かを握り直している。

「僕は同性愛者なんだ。みんながたまにネタにして笑ってる、ホモってやつ」

 私には、少し自虐するように笑う東田を、滑稽だとか、見てて寒いだとか、そんな風に考える余裕はなかった。
 ただひたすらに、呼吸を整えて、東田が「帰ろうか」と言うのを待っていた。

 でももう、空気でわかる。

 東田は、この道を、1人で帰るつもりだ。

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 逃げないと。

 混線した頭がやっと導き出した答えを、私は震える膝に頼み込んで、やっとのことで振り返ると、後ろから低い声で、

「動くな」

 私はもう動けなかった。

 東田は、ゆっくりと、私の正面に回り込むと、壊れ物を触るみたいに、私の両肩に手のひらを乗せた。

 私の膝は、今の気持ちに反してか即してか、忙しそうに笑っていて、東田が力を加えると、あっけなくその役割を忘れて、折れてしまった。

 膝をついてしまった私を、東田はゆっくりと、気持ち悪いほどに優しく押し倒す。

 私は背中に冷たい砂利を感じながら、僅かに動く両手で東田の腕を掴むが、それに対して、東田は嬉しそうな顔をしただけだった。

 こんなに嬉しそうな東田を、私は見たことがない。

 東田はそのまま、私のへそのあたりに馬乗りになる。
 人の体温がここまで恐ろしく感じたのは、このときが初めてだった。

「こんなに楽しいのは初めてだよ」

 そのとき、私は何かを東田に言ったような気がしたのだけれど、何を言ったのか、自分なのによく覚えていない。

 ただ、その後すぐ、嬉しそうな顔の東田に、前髪を掴まれて、そのまま後ろ頭を砂利道に叩きつけられた。

 悲鳴は出なかった。歯を食いしばって、喉から変な息が漏れただけだった。

 東田は左のポケットから、大事そうに、刃物を取り出す。



「キャンプ用のナイフでも、人って切れるのかなぁ? とりあえず、猫の肉は切れたから、たぶんいけると思うんだけど」

 子供が持つには刃渡が長すぎるナイフは、僅かに雲の隙間から漏れている月の光を、その身に独占するように、東田の左手の中で、過剰に輝いていた。

 その左手は、私の眉間の真上で、垂直にナイフを構えた。

 右手は、私の前髪を、抜くような勢いで掴んでいる。

 東田の汗が、顎を伝って、私のお腹に落ちている。
 私は、自分の汗が首を流れるのを、不思議なくらいはっきりと感じていた。

「目を閉じたら、これを真下に落とす」

 楽しそうな声が、私にそう告げると、私の脳は、瞬きをしないことのためだけに働いた。

 目が乾く。楽しそうな顔が映る。尖った刃物が映る。月明かりはナイフの味方だ。

 私の先端恐怖症は、これが原因だった。

 たぶん、2時間くらいはそうしていたと思う。けど、その間に、呼吸は、3回ほど、引きつった深呼吸をしただけだった。
 過ぎていたのは、ほんの数秒だったのだろう。

 目は閉じていないのに、東田の左手がゆっくりと降りてくる。

 怖い。怖い。でも目を閉じてはいけない。

 乾いた涙が出てくる。私は一瞬目を閉じてしまう。

 しまった。

 目を開けると、嬉しそうに笑う東田が、大きく左手を振り上げているところだった。

 そして次に聞こえたのは、

「ストップ」

 ……群青色の香りがした。


 私は涙を流した。よく思い出せないけど、目は閉じていたと思う。

「……はぁあ?」

 東田の低い声が聞こえる。

 私に馬乗りになったまま、ナイフを私の腰の横あたりに落とした。
 長い溜息が聞こえる。

 それを聞いてか聞かずか、未来人は、東田にスマホの画面を見せていた。

「あと、これ、黄緑のボタン押せば、警察につながるんだけど」

 私のスマホだった。

「とりあえず、降りてもらえるかな。人と話すときに、馬乗りは良くないよ」

 未来人はいつになく饒舌に言葉を使って、東田を追い詰めていた。

 東田は諦めたように笑うと、一度、ナイフを手に取り未来人に向けて突き出したけど、彼女は綿毛を避けるように体を反らして、
 なんなくそのナイフを奪い取った。

「次やったら、東田の親が警察行きだよ」

 東田は諦めたように、私の真上に立ち上がった。

 私は未来人が来てくれたことに安心しきって、全身でため息をついた。
 群青の香りに、全力で安心した。

 これまで恐怖の石の塊だった私は、未来人の声を聞いて、群青を香って、異常なほどに興奮したまま、気が大きくなった。

 寝転がったまま、馬乗りになられていた部分に風を感じて、何度も瞬きをして、
 それから、何を思ったか、渾身の力を込めて、
 東田の股間を蹴りつけた。

 その後のことは話したくない。


 翌日と翌々日は、恐ろしいほどに、普通に過ぎていった。

 未来人も東田も、何事もなかったかのように自然教室を楽しんでいて、私は、気でも狂ったのか、それともあれは夢だったのか、本気で自分の心配をした。

 未来人にそれとなく聞いてみると、

「あんなこと忘れられるの?」

 と、バカにするように言われた。

 自然教室を終えると、私たちは普段の生活に戻った。

 ただ、1つ変わったのは、東田は、あれ以降、学校には来なかった。
 親の仕事の都合で、遠くへ引っ越したらしい。そう先生に伝えられた。

 未来人は結局、警察には電話しなかったそうで、東田がどうなったのかは知らないようだった。

 山田や中村、それから岡西にも、屋上でこの話をした。
 山田は本気で怒ってくれて、中村と岡西は東田の逸脱っぷりに、腕を組んで唸っていた。

 今考えると、あの話を一瞬で信じたあの3人は、やっぱり少し変わっている。

 東田があの後どうしているのか、少なくとも今、私は知らない。

 それから、滝野について。

 自然教室からしばらく経って、岡西は、滝野の元に謝りに行っていた。

「変に疑わせるような真似してたなら、ごめん」

 滝野は、私から東田の話を少し聞いていたので(疑ってしまったのだし、多少は関係があったので)、岡西に、

「わたしこそ、本当にごめんなさい」

 と、きちんと謝っていた。

 滝野と岡西は話してみると気が合ったようで、それから、部活がないもの同士、放課後にちょくちょく話しているのを見かけるようになった。

 中庭のカメも、残ったカメたちは今も元気にしている。


「なにしてるの」

「なにもしてない」

 その日も、空はよく晴れていて、屋上は、ちょうどいい暖かさになっていた。

 私は鉄のはしごで塔屋に登ってから、給水タンクの影に座り込んで、中庭を眺めた。

 未来人の方を見ると、日傘を立てかけて、ハンカチを敷いた上にちょこんと座って、空を見上げていた。

「今日はあんまり眩しくないね」

 私がそう言うと、未来人は、

「そうかな」

 と、呟くように答えた。

 青く見えてしまうほどに細く黒いその髪は、屋上の風に吹かれて、不規則的に美しく揺れていた。

 群青色の香り。

「ねぇ」

 私は尋ねる。

「どうしてあの時、来てくれたの?」

 少し間をおいて、未来人は振り返った。

「未来が見えるよ」

 座ったまま身体をこちらに向けて、彼女は言い直した。

「私には、少しだけ未来が見える」

「うそだ」

「ほんとだよ」

 未来は見えないにしても、すごく勘がいいとか、いろんな情報から予測してるとか、そう言う才能はあるんだろうなぁ、と、私は漠然と考えていた。

「次、中村が来るよ」

 未来人がそう言うので、私は未来人の隣まで行って、2人で、塔屋の上から扉をのぞき込むような体制になった。

 確かに、足音が聞こえる。

 扉の前で、2回、足踏みが聞こえる。

 未来人が足を引っ掛けてぶら下がって、鍵を開けてから、曲芸師のような動きで元に戻る。

 扉が開くと、出てきたのは、山田だった。

「山田じゃん」

「……未来は不規則に分岐しつつある」

「え、な、なにが?」

 山田は困ったような顔をしていた。

 私は少し笑った。


「私は未来から来た」

 自称未来人の彼女は、私によくそう話していた。

 けど、これといって未来の道具も見せてくれないし、それらしい事といえば、せいぜいマジックが上手なくらい。

 けど、突然ふらっと消えたり、かと思えばふらっと現れたりもするし、不思議な雰囲気は纏っている。

 彼女は?みどころがなかった。

 深く透き通った群青の香りがして、こんなにいい香りのする人を、私は他に知らない。

 そんな彼女と出会ってほぼ1年、私は、これまで知り合った人の、どれとも似つかない、不思議な印象を彼女に抱いていた。

 これから先、まだ何年も関わっていくことになるのは、中1のこの時はまだ考えてもなかったけど、去年から気持ちは変わらなくて、
 できるなら、もう少しそばで見ていたないな、という気はしていた。

 そして、可能であるならば、何か、お礼ができればいいな、なんてことも思っていた。並大抵のことではお礼にはならないようなことをしてもらった。助けてもらった。

 少なくとも、この恩を返すまでは、私は彼女のそばは離れまい、と決めていた。

「ねえ」

 私は声をかける。

「宇宙人っていると思う?」

「うん」

 彼女は呟くように答える。

「なら、未来人は」

 くだらない会話だけど、こんな時間が、私は好きだった。

「ここにいるよ」

「へぇ」

 私は笑った。

 心なしか、彼女も、少し笑っていたような気がする。

ひとまずおしまい。

読んでくださりありがとうございました。
またいつか続き書きます。

乙乙


今回も良かった
続き待ってる


このシリーズ良いな

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