【ペルソナ5】珈琲を淹れながら彼は子供達の幸せを思う。【佐倉家SS】 (42)

・ペルソナ5SSです。
・主人公はコミカライズ版から「来栖暁」の名前を拝借。
・けど、惣治郎さんの視点の話です。
・主人公×双葉です。
・若葉さんについては想像でキャラを書いてます。

・以上をご了承願います。


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1479254325



ゆっくりと煙を吐くと、白い靄のように溶けて行く。

灰皿に半分程度になった煙草を押し付ける。

フラスコの中の湯が沸騰するのを確認する。

コーヒーの粉をロートに入れ、ロートをゆっくりと差し込む。

お湯がロートに上ってくる。

竹べらを手に取る。撹拌。

ふわふわと浮かび上がるコーヒーの粉を湯と混ぜ合わせていく。

上りきった湯が琥珀色となってフラスコに帰って行くのを見つめる。

もう一度軽く撹拌してやる。

コーヒーの粉、一粒一粒から旨味が琥珀色となって落ちて行く。

静かな夜に、コーヒーの雫が落ちる音が少し寂しく響く。

匂いや味は記憶を呼び覚ます。こんな夜がそうだ。



コーヒーを淹れていると決まってあいつのことを思い出す。



◇ ◇ ◇

何軒目になるかわからなくなった、とっておきの店は若葉の好みに合わなかったらしく、早々に引き上げ、道すがら若葉が選んだ二軒目で俺達は飲み直していた。


「子供が出来た?」

「そ」

メヒカリの唐揚げを美味そうに食べながら、何でも無いことのように若葉は頷いた。

路地裏の奥の奥にひっそりと建っていたその店は、悔しいことに俺が見つけ出した一軒目よりも若葉の舌にも俺の舌にも合っていた。

「父親は?」

「ヒミツ」

当然、俺ではない。

そりゃそうだ。俺と若葉はそういう関係じゃないからな。

「俺の知ってる奴か?」

「黙秘」

コイツ…

澄ました顔しやがって。人の気も知らずに…

「結婚するのか?」

「しないな。私に似合うと思う?ウエディングドレスなんて」

綺麗だろうが似合わねぇだろうな。

そう言うと、「でしょう?」と笑って俺の空いたグラスに酒を注ぐ。

馬鹿野郎、ビール飲んでたグラスに焼酎入れんな。


「……で、産むのか?」

「うん」

「そうか」

自分でも驚く程ショックを受けていた。

女を寝取られたとかそんな理由がショックの原因じゃなかった。

それまで俺はフラれ続けており、俺と若葉の関係は妙にウマの合う友人でしかなかった。

一方的に惚れてるだけの女を他の男に奪われたとしても、それは寝取られるとは言わない。

付き合ってても女を奪われる男がボンクラだって話だ。今までだって、浮気されてフラれたこともあれば、浮気して別れたことだってある。

ショックだったのは、認知訶学の研究をしているこの時期に、この女が子供を産むという選択をしたことだ。

出産となれば産休、育休を取らざるを得ない。

どれだけ男女平等が叫ばれるようになってこようが、子供を産むのが女であり、身体への負担も、仕事へのブランクも女の方がデカいことは変わらない事実だ。

そんなヘタをすれば研究のメインを他の奴に奪われかねないリスクを、この呆れる程に頭の切れる女がわからないはずがない。

その上で子供を産むという女らしい選択を取った。

「本当に、産むんだな」

「しつこいな、惣治郎」

「お前のことだから、もう決めてるんだろうな」

若葉は鼻で笑って焼酎を一気に飲み干す。

これで頬のひとつでも赤くしてりゃ可愛げがあるってもんだが、酒臭い息を吐くだけで、顔色は一軒目と変わってない。


「俺に何か助けてやれることはあるか?」

「上の方に上手く言っておいて。いい感じに調整するの上手いじゃん、惣治郎はさ。

私は苦手だわ。成果は他の奴らの十倍は上げられる自信あるんだけど、どうもね~」

「そういうセリフを臆面も無く言ってるから当たりきつくなるんだろうが」

言って良い事実と悪い事実ってのがある。

そして、社会に出てしがらみが増えるにつれ事実っていうのは大抵言わないに越したことがないものばかりになって行く。

「安心してよ。惣治郎にそこまで迷惑かけるつもりは無いし。ただ、最初に報告しておきたかっただけなんだ」

俺が「最初」の報告。

当たり前のように告げられた言葉の中には当然のものとして固まりきった若葉の決意があった。

そうか、相手は知らねぇんだな。知らせるつもりも無いんだろ。

お前は子供を、男を繋ぎ止める手段に使う奴じゃないもんな。

「何がそこまで迷惑かけるつもりはないだよ。どう足掻いても迷惑なんて掛かっちまうんだよ。

上との調整、お前の産休育休とその後の職場復帰の段取り」

それに、こいつの立場になり替わろうとする奴らへの牽制。

もっとも、こっちについては若葉程の人材はいない以上杞憂なのかもしれないが。


「だったら、そこまでとか言ってんじゃねぇ。大体そんなしおらしい台詞言うタマかお前が?」

こいつはいつも厄介ごとを作っては、「ゴメン。頼む」と有無を言わせず押し付けてくるやつだからな。

若葉は目を丸くすると、にっと歯を見せて笑う。

「だな。じゃあ、迷惑かけるんで、ゴメン惣治郎!」

美人なくせに、こいつは笑うと途端に悪戯小僧みたいに幼くなる。

そんなこいつの笑顔が俺は嫌いじゃねぇ。

ああ畜生。嬉しいとか思っちまってる。惚れた女が他の野郎のガキ孕んだことに悲しむよりも、その助けを俺に求めてくれてることに。

どう足掻いても貧乏クジの役割しか待ってないっていうのに、ここまで馬鹿だったか。

空気も読まず、感情逆撫でして敵を作りやすいこいつは、そんなことお構いなしに自分の実力で生き抜いてきた。

そんな強い女が、俺には少しだけ甘えて見せる。俺はそれが心地良かった。



結局、若葉は腹がデカくなるまでに急ピッチで研究を進め、あいつでなきゃどうにも進展させようが無いところまで進めた。

そして、ライバル共の苦々しげな顔など眼中にも無いとばかりに一切気に留めず産休に入った。

可愛げの無い女だ。

心配し甲斐の無い女だ。

歯噛みするあいつの同僚たちを見ながら、俺は心の中で喝采を上げた。



出産の日は突然来た。


◇ ◇ ◇


有休を少しでも消化しろと上司にせっつかれて、午後に休みを取った仕事帰り。

ついでに若葉の顔を見にあいつの家に立ち寄ると、ちょうど家から出てくるところに出くわした。

そんなデカい腹で買い物に行くっていうなら代わりに行ってやろうかと言うと、鍵を放り投げて来た。

「お、グッドタイミング、流石惣治郎。ちょっとこれ頼むな」


「家の鍵じゃねぇか。お前何処行くんだよ」

「病院」

「どうかしたのか?」

「いや、陣痛始まった。生まれるっぽいわ」

「は!?」

「じゃあ頼む。そうだ、着替え持ってきてよ。パンツの一枚や二枚持ってても良いから」

「ば、馬鹿言ってんじゃねぇ!」

「ははは、冗談冗談。じゃあ、行ってくる」

そう言うとあいつは頼んでたタクシーに飛び乗って、一人でさっさと病院に行ってしまった。

俺はあいつへの文句と悪態と愚痴を言いながら、あいつがよく使う旅行鞄に着替えを詰めて行った。

妊婦は身体冷やさない方が良いと聞くが、出産後はどうなんだ?

体力落ちるからやっぱり冷やさない方がいいよな。そう思って厚めの服を入れる。

シャツやら下着やらは多くて困ることは無いだろ。病院の売店で売ってたか?

タオルは。一応何枚か入れておくか。手当たり次第に詰めていく。

あいつ、こんな下着履いてたのか、といった余計な驚きがあったが、そいつは不可抗力だ。

パンパンに膨らんだ鞄を二つ抱えて、あいつの言っていた病院に着くと、既にあいつの戦いは始まっていた。


「ご主人ですか?」と聞かれたが、何と返事をしたのか覚えてない。

頭の中が真っ白なまま、ただ所在無く煙草を吸ってはウロウロ病室の前を行ったり来たり。

そんなザマだから一体どれだけの時間が経ったかなんて覚えてもいない。

覚えてるのは、突然響いてきた、やたらと元気な泣き声。

無事に出産出来たことを伝える医者の言葉を聞き終える間も無く分娩室に飛び込むと、珍しくグッタリ疲労困憊丸出しの顔をした若葉がいた。

その腕にはその名の通り真っ赤な肌をした小さな小さな赤ん坊。

「どうだ惣治郎。猿みたいでしょ。可愛く無さ過ぎて寧ろ可愛いでしょ」

馬鹿野郎、猿みたいは余分だろ。そこは可愛いだけで十分だろ母親なら。

髪も肌もボロボロの癖に、やたら目だけギラギラさせやがって。

ただでさえ悪い目付きが凶悪になってんぞ。


「やったぞ惣治郎」

何て顔で笑いやがる。

ガキが親に自慢するみたいに、そんな誇らしげな顔で。

クソ、一人で勝手にやり遂げちまいやがって。

畜生、大した女だ。

「あれ?もしかして惣治郎泣いてる?何で泣いてるの?」

うるせぇ、俺だってわからねぇよ。

それでもやり遂げた顔のお前と、驚くくらい小さい赤ん坊を見たら無性に泣けてきたんだよ。

つーか、いちいち指摘するな。そこは流すところだろ。空気の読めない女だな。


「見てみなよ双葉。このおじちゃん泣いてるよ。おっかしいな」

「双葉?」

「そ、この子の名前」

そう言って目の前に突きだされた小さな赤ん坊は、まだこの世界に生まれて間もないはずなのに、何もわかってないはずなのに。

確かに俺を見て笑った。


その笑顔を見た時、ずっしりとした重石が圧し掛かった気がした。

負担とか重圧とは違う。

纏わりつくような嫌な重さじゃない。

ふわふわと浮ついていたものが押し固められるような重み。

自分の中の不安定な場所に足場が出来上がったような。




◇ ◇ ◇




その重みを「覚悟」と呼ぶのだと俺が知るのはずっと後になってからだ。


ひとまず本日の投下は此処までです。
それではまた。ノシ

惣菜治郎のコーヒー飲みたいだけの人生だった

いいね

そーじろーいいぞー

今から投下します。




「ねぇ、惣治郎。私さ、もしかしたら死ぬかもしんない」



ぽつりと、ジョッキに注がれたビールを見つめながら若葉が呟いたのは、双葉が中学に上がって半年くらいしたころだ。

何言ってやがるんだと、まずそう思った。

確かに最近研究が忙しいのはわかっているが、見る限り体調を崩しているようには見えない。

「殺しても死なないような図太いくせしやがって。それに双葉はどうする?置いてくのか」

つい声に棘が出る。若葉は親戚付き合いが悪い。

こいつの性格的なものもあるが、どうもこいつの飛び抜けた能力と社会的な成功っていうやつに兄貴を初めとした連中が妬んでるらしい。

くだらねぇと言ったら「まったくその通りだな」と笑っていたっけか。

だから双葉にとって、こいつは唯一の肉親と呼んで過言じゃない。

双葉のこいつへの甘えん坊ぶりは相当なもんだ。

そんな双葉が母親を失ったらと思うと、想像するだけで胸がムカムカする。


「別に死ぬつもりはないよ。でもね、もし私が変な死に方したら、その時は…双葉のことお願いね」

「それは研究に関係してるのか?」

若葉は答えずに、曖昧に笑ってビールを飲み干した。



あの時、もっと真剣に聞いておけば良かった。


俺は何年もそれを後悔することになる。



◇ ◇ ◇



若葉が死んだ時、俺はあいつの研究が獅童に奪われたのだと察した。

同時に、いつの間にか自分がとんでもない連中に関わっていたのだという恐怖が沸いた。

半ば逃げるように俺は仕事を辞めた。双葉は既に親戚に預けられていた。

一目でも良いからと会いに行くと、既に双葉は他所へと預けられていた。

若葉が死んで一年も経っていないというのに、見事なまでの厄介払いだ。

最後に預けられたのは若葉の兄貴の家だという。

そいつの名を口にした時の親族が浮かべる無責任な嫌悪感と、半端な罪悪感に確信に近いモノを覚えた。

半ば脅すように居場所を聞き付け、そいつの家を訪ねる。



「そぉ…じろう?」

そこには変わり果てた双葉がいた。

鶏ガラみたいに細っこくなり、人見知りがちではあるが、好奇心に輝いてた目はすっかり怯えた色が浮かんでいた。

家事をやってるようには見えない埃をかぶった台所、そこが双葉の寝床だった。

プライバシーもへったくれも無い。風呂にもどれだけ入っていないのか、髪が汚れと脂でばりばりに固まってる。

これじゃあ犬や猫の方がよっぽどマシだ、そう怒鳴り付けるが虐待という自覚すらないのか、

若葉の兄貴は煩わしそうに俺と双葉を見ながら、適当な言い訳を口にする。

頭に血が上り、目の前が真っ赤になる。

噛み締めた奥歯が軋みを上げた。拳に力が籠る。そいつの胸倉を掴み上げた時だ。


『その時は…双葉のことお願いね』




若葉の言葉が過った。その言葉に、殴りそうになるのをギリギリで堪えると、若葉の残して行った遺産も保険証書も何もかもの書類を叩きつけた。

ここには置いておけない、ただそのことだけを思って双葉を引き取った。

役人時代の貯えで購入しておいた四軒茶屋の一軒家に、その時既に俺は隠遁するように住んでいた。

ここが今日から双葉の家だ。



◇ ◇ ◇



双葉は怯えるように部屋にこもった。

人見知りを通り越して対人恐怖症になりかかってるのは医者じゃなくてもわかる。

だから無理に話し合おうとは思わなかった。

ただ、動物みたいな扱いをされてたあいつがきちんと寝起き出来る場所を用意してやりたかった。

中学生の女の子の着る服なんてさっぱり想像が付かないが、とりあえずは女の子らしく清潔な恰好はさせてやりたい。

たっぷりと湯を張って、ドア越しに双葉に話しかける。

「双葉、風呂沸かしといた。俺は店に行ってくるから入っとけ。洗濯物は洗濯機に入れておけよ。着替えは置いておいたからな」



返事は無かった。



その日は一日店の作業に身が入らなかった。

家に戻ると、洗濯かごには垢が染み付いたシャツや下着が放り込まれていた。

使用済みタオルから、何とか風呂に入ってくれたと一安心する。

やることはまだあった。本当はすぐにでも腹いっぱい食べさせてやりたかったが、双葉の状態を把握しておきたかった。

ひとまず近所にいる町医者に双葉を診てもらうことにする。

評判は余りいいとは聞かないが、理由は二つあった。

一つは家から近いから。双葉は外に出ることを怯えていた、だから呼べばすぐに来られる場所が良かった。

二つ目は若い女医であったからだ。「もしも」の場合を考えると男に診せるより同性に診てもらった方がいいだろう。

もっとも、この二つ目については、あまり心配はしていなかった。

もし、性的虐待があればいくら親しかったとは言え、俺がこうも簡単に家に双葉を連れて来られるはずがない。



風呂に入ってすっかり綺麗になった双葉だが、垢や汚れを落としたことで、改めてどれだけ細くなってるかが露わになった。

家から連れ出す時もそうだったが、双葉は大した抵抗も見せなかった。

それは今までの親族よりも、昔から知ってる俺には心を開いてくれているからというのもあるだろうが、単純に抵抗するだけの体力すら残っていなかったからだろう。

力なく歩く双葉の腕を掴むと、枯れ木の枝みたいな腕は回した手の指と指がくっ付く。

再び込み上げた双葉の伯父への殺意を堪えながら診療所に双葉を引っ張って行く。

結果は、軽い栄養失調。

そして懸念していた性的虐待の形跡は無かった。


ひとつ、胸のつかえが取れた気がした。



帰り道、ぽつりと双葉が呟いた。

「そうじろう、ありがと」

その言葉に、涙が出そうになった。

止めてくれ、礼なんて言わないでくれ。

俺がお前をちゃんと守ってやれていれば、お前をあんな目に遭わせずに済んだんだ。

すまねぇ、双葉。

すまねぇ、若葉。



◇ ◇ ◇



「双葉。飯は置いておくからな。よく噛んで食べるんだぞ。それと、風呂は好きな時に入れ。何回入っても構わねぇからな」

部屋からは返事が無かった。

言われた通り、消化に良い食べ物を部屋の前に置いて店に行く。

店から戻ると、部屋の前に山ほど置いておいた食い物がすっかりなくなっていた。

双葉が普通の食べ物が食べられるようになって、俺は思い切ってとっておきの料理を用意した。

俺が作り、若葉が発展させたとびきりのご馳走。

双葉の昔からの大好物、カレーを。


いつものようにドアを軽くノックすると、呼びかける。

「双葉。今日はお前の好きなカレーだからな。台所におかわりも用意してあるから…」

「いらない!!」

この家に来て初めて聞いた大声だった。

いや、大声なんて生易しいもんじゃねぇ、それは悲鳴だ。


「それ、おいとかないで、どっか、どっかやって。匂いがするから、どっかに!そうじろう!!」

「ふ、双葉?」

「お、思い出すから。グスッ、お母さん、おもい、だす、ヒック…だから、カレー、いや…」


悲鳴は最後には嗚咽になっていた。

頭を金鎚で殴られた気がした。

少し頭を使えばわかることじゃねぇか。

匂いや景色は記憶を呼び覚ます、そんなことを聞いたことがある。

双葉にとって一番辛く焼き付いているのは若葉を目の前で失った記憶だ。

そして、若葉との思い出を呼び覚ますのは、カレーだったんだ。


双葉の顔を見て直接謝ろうと、ノックしようとしてドアに伸ばした手を下す。

女医が言っていた言葉を思い出したからだ。


『双葉ちゃんの場合、立て続けにショックな出来事が起こったせいで、対人恐怖症どころか、自分を取り囲む全てに恐怖を抱いている状態です。

だから、まず辛抱強く待ってあげてください。彼女からゆっくり歩み寄れるように、佐倉さんは待っていてあげてください』


心の傷はどれだけの時間をかければ治るのかわからないそうだ。

俺にもそれはわかる。昔取った杵柄で、そういった本は読み漁っていた。

待つ、か。

そうだな、そんな簡単に行く訳がないよな。

いいさ、どれだけでも待ってやる。

俺が不甲斐無いせいで双葉が味わってきた苦しみが消えるまで、とことん待ってやる。

母親が居なくなっても、まだ父親がいる。

そうだ、俺がこいつの父親だ。

娘の為に身体を張れないで何が父親だ。

そう自分自身に言い聞かせる。




◇ ◇ ◇



飯を双葉の部屋の前に置く。

双葉は部屋から出てこない。

時々双葉は出てきて俺と話すようになる。

買ってきた服に文句を言い始めた。

昔、若葉といた時のように生意気を言い始める。

少し笑うようになった。

また部屋にこもる。

買ってきて欲しいものを聞く。

最初は遠慮がちにドア越しから一つ二つと頼む。

そのうち注文リストを部屋の前に置く様になった。

電話番号を教えると、遠慮なく営業時間中でもかけてくるようになった。



◇ ◇ ◇



双葉を引き取ってから一年が経った。

部屋には籠ったままだ。



◇ ◇ ◇



双葉を引き取ってから二年目を迎えた。

引き籠ったまま双葉は中学を卒業扱いになった。

双葉は家から外には一歩も出ない。

そうやって待ち続けている日々は、時間の感覚を鈍化させて行く。

ずるずる、ずるずると、重荷を引きずる様にゆっくりと進んで行く時間。

単調で変わらない景色は、どれだけ進んだのかなんてわかりはしない。


店に客はあまり来ない。

一日の大半を物思いに費やす。

俺に出来ることはカレーの味を守り続けることだけか。

俺のすべきことはコーヒーを淹れ続けることだけか。

俺は双葉の父親をやれているのだろうか。

そんな疑問が浮かんでは消えていく。



◇ ◇ ◇



ある日、俺は知人の知人という関係があるのか無いのか曖昧な繋がりから、ある相談を持ちかけられた。

傷害沙汰を起こした息子の保護観察者を頼みたいということだそうだ。

どこぞの議員を殴ったとか。

ハッ、馬鹿なガキだ。

偉い大人が気に食わなくてやったのか?

身の程知らずの癖に社会に喧嘩売って、世間知らずにゃ丁度良いお勉強になったんじゃないのか。

自嘲するような笑いが込み上げた。

気付けば、承諾の返事をしていた。

我ながらどうかしてる。

娘一人に手を焼いてるっていうのに、これ以上厄介ごとを招き入れてどうするってんだ。

俺は、ほんの少しだけ変化を求めていたのかもしれない。

ただ、ずるずると変わらず続いて行く景色に。

流れているのかわからない錆びついた時間に。

俺は飽いていたのかもしれない。



そんな気まぐれで引き取ることに応じていたせいだろう。

俺はそいつが来る日をすっかり忘れていた。

店のドアチャイムが鳴った。

長身の何処かぼんやりとしたガキが入って来た。

眼鏡と髪型は野暮ったいが、顔立ちは中々整っている。イケメンっていうやつか。

イメージしてたのと違うな。

ニュースみたいに大人しい奴程キレやすいっていうのか。

双葉には間違っても近づけないように気を付けないとな。


「お前か…」


ガキは頷く。


「名前は?」


眼鏡越しに深い海みたいな黒い目が真っ直ぐに俺を見る。




「来栖…暁です」



本日の投下は以上です。それではまた ノシ

いいぞー

よいぞ よいぞ

今から投下します。短いです。



人を殴って札付きになった奴を引き取ることになった。

ちょっとした気まぐれの決断に、正直後悔しなかったかと言われれば嘘だ。

家には双葉がいるから、屋根裏部屋に住まわせることにしたが、内心キレやしないかと緊張していた。

実際には、キレるどころか自分で勝手に掃除して、黙々と住み始めた訳だがよ。

ボサボサの髪で目元が隠れてる上に、野暮ったい眼鏡。

まるで顔を隠すような恰好の理由は想像が付く。

そうだ、それでいいんだ。

社会に分不相応に反抗したって無駄だ、息を潜めて目立たないようにやり過ごせばいい。

自分自身に言い聞かせるように俺は何度も言った。

あいつはその度に、表情一つ変えずに「わかってますよ」とだけ答えた。

だが言葉とは真逆に、その目には苛立ちが浮かんでいた。

俺に対する苛立ちというより、どうすることも出来ない自分への苛立ちだ。


あいつの目はそこらにいるいじけたガキの目とは違っていた。

こっちの心が見透かされそうな澄んだ目の奥に、燻った炎みたいなもんが時折顔を覗かせていた。

自分の中にある苛立ちとやり場の無い衝動を抑え込んだ奴の目だった。

登校初日に学校を休んだと聞いた時には、猫被っていやがったかと追い出そうか悩んだが、翌日からは特別に何も問題無く過ごしているようで胸を撫で下ろした。

引き取ってみて少し経つと、そいつは傷害なんてやらかすような奴だと俺にはどうにも思えなくなっていた。

朝飯にカレーを出せば、年相応にガツガツ食べるし、店の手伝いを命じれば素直にやる。

猫をかぶってるだけかと最初は疑ったが、仕事ぶりは丁寧で覚えも早い。

こちらの言うことは素直に聞く。

元々の育ちの良さは仕事ぶりを見てればわかる。

仕事が雑か丁寧かでそいつがどういう心根かは伝わってくるもんだ。

少し無愛想だが、こいつは案外真っ当なやつなのかもしれないと、思うようになった。

猫を拾ってきやがった時はここが飲食店だとわかってるのかと腹も立ったが、大人しいようだし大目に見ることにした。

まぁ、可愛い猫だったしな。



金髪のやかましいガキを連れてきた時は、不良仲間かとも思ったが、話してみれば敬語こそなっちゃいねぇが性根の真っ直ぐな奴だ。

他にも画家の卵の小僧に感じの良いハーフの女の子と、随分と個性的なメンバーを連れてきたが、どいつもこいつも今時には珍しい素直なガキ共だ。

だが、どいつもこいつも、正直過ぎて些か生きて行くのに苦労するんじゃねぇのかとこっちが心配になっちまう不器用そうな連中だ。

似た者同士なのかもな、コーヒーを淹れるあいつの ―― 暁の横顔を眺めて思った。
もしかして、こいつは何もやってないのかもしれねぇ。

報告にあった「本人は冤罪を主張」の一文を思い出す。

誰一人信じなかったらしいがな。そりゃあそうだろう。助けたっていう女が「勝手にそいつが殴った」なんて証言してやがるんだ。

勘だが、そこにキナ臭さを感じないでもないが、一度下された判決は覆らない。

社会に盾突いた結末だと納得するしかない。

札付きのガキを「暁」と名前で呼ぶことが当たり前になる頃には、ただの居候ではなくなっていた。

店の雑用だけではなく、俺の、いや若葉のコーヒーの淹れ方を教えるようになっていた。

まるで弟子のようだなと、いつか客にからかわれたが、案外間違っちゃいないかもしれない。

そして、暁を真っ当な奴と思っていたが、真っ当どころじゃないことに気付く様になっていた。



双葉の伯父がやって来るようになって、あいつの機転に救われて、

俺はこいつを真っ当なガキどころか、頼りになる奴と見なし始めていた。



そしてあの日、8月21日。





暁に、俺は双葉の過去を話していた。

若葉のこと。

若葉が死ぬかもしれないと話していたこと。

それを聞き流してしまったこと。

きちんと聞いてれば、双葉を心無い連中から守れたかもしれなかったこと。

贖罪のつもりで引き取ったこと。

あいつにどうにかして欲しいなんていうつもりはなかった。

『息を潜めて目立たないようにやり過ごせばいい』

あいつに言っていた言葉、自分に言い聞かせてきた言葉、情けない言葉だ。

あの女検事のように好き勝手に言ってくる奴にも誰にも何も言えなかった。

言えば「あの男」に目を付けられるかもしれねぇから。

ただ、誰かに聞いて欲しかったんだろうな。

誰にも話せず、ただやり過ごすことしか出来なかった事を。

そんな情けないオッサンの愚痴をあいつは黙って聞いてくれていた。


そして、ドアチャイムが鳴った。



やって来たのは双葉だった。

双葉が部屋から出てきた。

ただそれだけのことだが、俺にとっては、頭が真っ白になるほどの衝撃だった。

人の気も知らねぇで、あいつは何でも無いようにコーヒーがぬるいだの、売り物にならないだのと文句を言いやがる。



「どうやって来たんだ」

「歩いて来た」


そりゃそうだ、後から考えりゃ馬鹿げた質問だが、聞かずにはいられなかった。

風呂とトイレ以外をあの部屋にずっと閉じ籠っていた双葉が、家から絶対に一歩たりとも出なかった双葉が。

自分の足で家を出て来た。

自分の足で歩いて来た。

正直、悔しくもあった。

俺が一年以上かけてもやれなかったことを、目の前のこの無愛想な小僧はあっという間に成し遂げてしまったからだ。

だが、そんな悔しさなんざちっぽけなもんだ。

目の前でふてぶてしい顔でコーヒーを飲む双葉の姿に比べれば。




俺の中の記憶の双葉は若葉と一緒に寿司を食いに行ったころだったか。

小学校を卒業したばかりのちっちゃなガキだった頃のまま、俺の思い浮かべる双葉の姿は止まっていたのだと気付く。

きっと若葉が死んじまって、こいつを引き取った時から俺は自分の時計ごと双葉の姿を止めてたんだろう。

だが、目の前のこいつは小学校を出たばかりのガキなんかじゃない。

だってよう、そうやってふてぶてしく、決まり悪そうに謝る顔なんて、若葉そっくりだぞ。



「やることがある」と言って双葉があいつを連れて店を出て行った。


二人の姿を見送ってから、店を少しの間閉めた。

あいつらのおいて行ったカップを片付ける。

アルコールランプに火を点ける。

フラスコの湯が沸騰するのを待つ間に、煙草を取り出した。

ゆっくりと煙草を吸う。



それから、俺は泣いた。



若葉が死んで以来初めて泣いた。



以上で投下を終えます。それではまた。

乙です

いい。

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