埋もれる日々 (オリジナル百合) (100)

暗くてエロいかも
書き溜めなし
のろのろ進む


もう、こんな時間。
定時から7時間経過。
瞬きをすると、呼吸を忘れそうになる。
上司の長話から解放され、今日の仕事を終えて会社を後にする。
先に会社を出た上司の机に一瞥をくれてやる。
鞄の中に放り込んだ鍵を探した。
人の気配のない社内を見回して、私以外誰もいないことを確認。
がちゃん、と暗闇の玄関口に物悲しさが響く
振り返って、少し途方に暮れる。
終電はとっくに過ぎていた。
またか、と思う。
今月に入って何度目だろう。
その原因は様々だけど。

街灯がやたら眩しい。
繁華街はいつも通り騒がしい。
やたら固く感じる道路を歩き始める。
家まで歩けば2時間はかかる距離だ。
タクシーを使うのももったいない。
だから歩く。
どうせなら、途中の交差点で車に跳ねられてしまえばいいのに。
そうすれば、明日は上司の顔を見ずに済む。

「ねえ、お嬢さん」

私のことだろうか。
振り返ると、30代過ぎたくらいの女性が立っていた。

「どう?」

どうって。
見ると、両手にチラシをいっぱい持っていて。
ガールズバーのスタッフ募集と書いていた。

「あの、いいです……」

暗がりに溶ける笑顔から顔を背けた。
そういう手合いに見えたのだろうか。
少し、ショック。
化粧、もう少し抑えようかな。

「あ」

横に、もう一人立っていた。
茶髪に色白の肌。
大人しそうな印象。
同い年くらいに見えた。
20代後半。
緩慢に微笑んでいた。

「すいません……」

急ぎ足で通り過ぎる。
ああいう仕事はしたくない。
男の人のご機嫌を取るなんて。
上司の顔が蘇ってくる。
思い出したくないのに。
お酒の力で消してしまおうか。
ううん。
明日も仕事。
自棄にならないようにしないと。
子どもみたいに意地を張らないで。

数分後、タクシーを捕まえて家に帰った。

ちょっと抜けます

次の日、会社に行くと社内が少しざわついていた。
違う部署の中途採用の人が辞めたそうだ。
正確には、連絡がつかなくなったらしい。
同じ時期に入った中途の人の情報によると、連休なので実家に帰省すると言っていたようだ。
事務目当てで来たと言っていた彼は、営業まがいのことも任せられていた。
それが原因だったのではと同僚は言っていた。
無断欠勤からの自然消滅。
上司から毎朝送られてくるメールには、とても良い子だったので残念です、と書かれていた。

先月も、そんなメールを見た。
『素敵な子が加わりました』
似たような文面で。
良い子も素敵な子もすぐに辞めてしまう。
中途採用の人は仕方ない。
会社というのは、辞めることができるのを知っているから。
自分の代わりはいくらでもいると分かっている。
だから、簡単に見限れる。
どこにいても同じなら、納得いかないなら辞めてしまえばいい。

けれど、そう簡単に辞められるのは会社としても困りものだった。
中途採用には優しくすること。
そんな風潮がなんとなく出来上がってきた頃。
また、中途採用の子が入ってきた。

「紺野さん、これから1ヶ月あなたにお世話係頼むわね」

先輩が昼休みにやって来て、私の肩を叩いてそう言った。
お世話係。会社の規則や慣習、その他簡単な雑務を教えたりする人をそう呼んでいた。
私は今まで一度だってしたことはない。
なぜかというと、それはだいたい仕事のできる人や上司の仕事だったからだ。
そして、お世話係のほとんどは仕事の鬼のような人間ばかり。
それも中途が続かない原因の一部でもあった。

「上の方で話してね、あなたならどうかなってなったの」

「こ、困ります。私、事務しか」

「でも、他にも色々器用にしてくれてたでしょ」

「あれは、頼まれたからで……結構、いっぱいいっぱいで」

「じゃあ、今回も頼むわ。あなたならできるわよ」

どこから、そんな根拠のない自信が出てくるのだろう。

「中途が辞めないように、とにかく優しくしてあげて。一人暮らししてるそうだから、今夜はお祝いしてあげること。はい、これ経費」

茶封筒を渡される。
中を見ると、5000円が入っていた。
もはや何を言っても無駄だと思い、私は諦めてそれを受け取った。

「ありがと」

先輩が屈託なく笑う。
これはパワハラだと思う。

「じゃあ、外に待たせてるから後はよろしくね」

「はい……」

先輩が去った後、廊下の隅にいたのであろうその子が音もなく休憩室に入って来た。

「……え」

「よろしくお願いします。都築(つづき)です」

茶髪の色白。
同い年くらい。
ぺこりと下げた頭が上がった時、私は声を上げた。

「ああッ」

大人しい印象の風俗嬢。
なんで、こんな所に。

「どこかで会いましたか?」

彼女は、気が付いていないみたいだ。
それとも隠しているのだろうか。
どっちにしろ会社で余計な話をするつもりはないけど。
私は、自己紹介した。

「紺野です。これから、よろしく」

「はい」

そうして、私は彼女のお世話係になった。

今日はここまでです

続きはよ

「コピー機の使い方は分かる? ちょっと古いんだけど」

「大丈夫です。同じようなタイプのを使ったことがあります」

まず、雑務で扱う機器の使い方を確認。
前職も事務系だったらしいので、特に手間はかからなかった。
後は、掃除の仕方や休憩室の使い方など、単純なことを伝えた。
雑務に関するローテーション表に都築さんの名前を書き足す。
ちょうど、私の真下。

「終わったらここにサインしてね。これは、明日からでいいよ。お昼からは、在庫整理と顧客のカルテが溜まってきてるから、その仕分けかな」

「はい」

話してみると、彼女は容姿に違わず落ち着いていた。
嫌味の無い物腰と柔和な表情は、受付嬢に推薦したくなる程だ。

「お昼持ってきてる? どこか食べに行く?」

「お弁当、持ってきました」

「私も、持ってきたから休憩室行く?」

彼女はこくんと頷いた。

「行きます」

「そう言えば、一人暮らしだったんだよね。もう長いの?」

「そうですね、学生の頃からですので10年以上になります」

「ずっと、同じ所に住んでるの?」

「ええ」

「すごーい」

「そんなことないですよ」

「私、実家だから、そうやって自立できてる人尊敬するなあ」

「ありがとうございます。周りの方の支えがあってですから……そんなにちゃんとは」

遠慮がちに彼女は言った。

「ああ、彼氏……」

と言いかけて、もしかしたら結婚してるのかと思い直した所で、

「いえ、そういう方とは縁が無くて」

彼女が首を振った。
子どもが一人いると言っても全く不思議ではないけど。
違うんだ。
ちょっとほっとしている自分がいる。
同い年で結婚して子どもがもう小学生、なんて話はたくさんあるけど。
こうやって身近な所で聞かされると焦ってしまうから。

「私もだよー」

朝から晩まで箱詰めだから。
それは、もう出会いなんてあるわけがない。
この子も、そのうち分かるんだろうな。
分かった時に辞めないようにするのが私の仕事。
あまり気乗りしない。
とは言え、あえて悪い情報を入れてモチベーションを下げる必要はない。

「頑張ろうね」

「そうですね」

そっちの方も、仕事の方も。

夕方、いつもより肩が重たく感じた。
南側のブラインドの隙間から覗く斜陽が眩しくて目を細めた。
視点を転じて、隣の席の都築さんを盗み見た。
黙々と作業に集中していて、全く気が付いてない。
最初よりも前のめりになった体に、私は声をかけた。

「背中、丸くなってるよ」

「あ……」

そこで、彼女は初めて恥じらうような仕草をした。

「私みたいに、肩凝っちゃうよ」

笑いかけて、私は立ち上がった。

「わ、肩薄い」

「そんなことは」

肩を揉んであげようと思ったけど、肉がついてなさ過ぎて揉めなかった。

「骨ばってて私は嫌です」

作業を中断して、

「紺野先輩は、指細くて綺麗な形で羨ましい」

「そうかな」

指を掴まれる。
そう改めて見られると気恥ずかしい。

「羨ましいです」

「でもね、これが冬場とかにはしもやけで大変なことになるの。すごいの」

「あ、私も。私の場合は、足ですけど」

「家の中でも手袋したり……」

「靴下5枚くらい履いたり……」

小さな笑いが重なった。

定時の鐘が社内に鳴り響いた。
無意味な時報。
でも、彼女は帰らせないといけない。
ところが、

「え、残る? いいよいいよ。こっちこそ、本当は今夜歓迎会しようと思ってたのに……」

「二人でしたら、早いですし」

「でも」

「先輩」

先輩って。
私より、少し背の高い彼女に気圧されてしまう。
すとんと席に座り直して、私の机の上にあった書類を半分奪っていく。

「歓迎会楽しみです」

口元をほころばせる。

「二人だけどね」

私は諦めてパソコンに向かった。

彼女の言った通り、否、予想以上に仕事は早く片が付いた。
飲み込みが早いのだろう。
質問もあったが、1を聞いて10を知るタイプの人のようだ。
とは言っても、結局終わったのは22時くらい。
他の社員よりは早く帰れるけれど、どうしようか。

「紺野さん、どこかお店予約してたりするんですか?」

「ううん。いつ終わるか分からなかったから、何も」

「じゃあ、私の家で良ければ」

「実は、そうしたいと思ってたの」

「そうだと思いました」

「コンビニ寄って、色々買おうか」

「そうですね」

なんだか見透かされてるような。
私は電車通勤だったので、彼女の車に乗せてもらった。
家の方向は同じらしく、

「帰りも送りますよ」

と言ってくれたので、お言葉に甘えようと思う。
よく出来た後輩で嬉しい。

今日はここまで
また明日

乙です つづきまってます

素晴らしい…

会社から20分程で彼女の住むマンションに着いた。都築さんの住んでいる部屋は1LDK。
少しびっくりしたのは、脱衣所がないこと。

「安くて広い所を探してて、これは、もうしょうがないかなと思いました」

「でも、誰か泊まったりする時ちょっと気まずいね」

「人を家にあげたりすることって滅多にないので、今まで困ったりはしませんでしたね」

「あれ、意外と人見知り?」

「そういう機会が無かっただけなんですけど、何ででしょうね」

「じゃあ、私、久しぶりの来客?」

「はい」

「寂しいなあ、もう。呼んでくれたら、来るよ?」

歓迎会のために購入したコンビニの果実酒を手に取る。
プルタブを引っ張るとカシュっと子気味良い音がした。
お互いのコップに注ぐ。
二人ともお酒はあまり強くなかった。

「ありがとうございます」

頭を下げる都築さん。

「それじゃあ、もっと寂しい二人だけの歓迎会しよ?」

「ええ」

ガラスが小さく鳴った。

歓迎会と言っても、私も都築さんも盛り上げるタイプではないので静かに時間は過ぎていった。
都築さんは自分の過去のことをあまり話そうとしなかった。
質問してもはぐらかされてしまう。
おかげで、会話を続けるために私ばかり話してしまった気がする。
人当たりはいいけど、一歩踏み込ませない何かがあった。

そろそろ、気になっていた例のことを聞いてみようか。
失礼だろうか。
勘違いだったら、勘違いでいいんだけど。
もし、事実だったら、それはそれで問題なんだよね。
お酒のせいで軽くなった口が、すらすらと昨晩の事を語り始めた。

「都築さん、昨日の夜、私のこと勧誘した?」

都築さんは、一度首を捻った。
表情は変わらなかった。
やっぱり人違いかと思った矢先、

「しました」

と言った。

「え……ほんとに?」

お酒のせいで早くなっていた脈がさらにうねった。
好奇心がむくむくと湧き上がる。

「紺野さん、雰囲気出てたので、二人で話して声をかけました」

どんな雰囲気なの?、と問いかけたい気持ちを抑えて、

「なんで、あんなこと」

「軽蔑しました?」

「進んで……なりたい職業ではないかな。というか、掛け持ち禁止だよ? 大丈夫? 上の人は知ってるの?」

「誰も知りません」

「どうするの……?」

「紺野さんはどうされるんですか」

「え、なんで私」

「バラしますか?」

「そんなことしないけど」

「なら、大丈夫ですよ」

この人を辞めさせないのが私の役目なのだから。
でも、本当に大丈夫だろうか。

「知らないかもしれないけど、うちの会社残業多いから夜の仕事に響くんじゃないかな……」

「え、でも求人広告には」

「今時、広告を信じちゃう人いるんだ……」

不憫。
都築さんの動揺をわずかに感じた。

「なんでそんな無茶なことしたの?」

「生活費を稼ぐためです」

「……そこまでしないといけないくらいなの?」

「結婚とか、考えてないので」

だからって、体もたないんじゃないかなと思ったけど、
人の事にそこまで口出す理由もなく、私はふーんと、相槌を打った。
一人で生きていきたい、と言う人はきっとこの世の中に沢山いるんだ。
それが、どこまでできるかなんて誰も分からないけど。

「都築さん、たくましいなあ」

と、漏らしつつも私は都築さんという人物がよく分からなくなっていた。
ちょっと得体の知れない。

眠すぎるのでここまで
また明日!

乙です つづきまってます

都築さんは座り直して、自分の鞄に手を伸ばした。

「あの、黙っていてくれる代わりに、今日は、こんなものしかないですけど……また、改めてお礼しますので」

ベージュの長財布から、チケットのようなものを取り出した。

「ショットバーって、知ってます?」

「行ったことはないけど、モデルガンの射撃ができるバーだっけ?」

「はい。これ、半永久に使える券なんです。お客さんにもらったんですが、私、あまり行かないので、良かったら」

受け取って、

「ありがとう。でも、心配しないで。言わないよ」

それをひらりと受け取り拒否する。

「でも」

もらったらもらったで、私も共謀したことになる。

「何も見なかったことにするから。それでいい?」

「すみません」

「謝らなくていいのに」

「だって、紺野さん、怒らないんですもん。こんなチケットで無かったことにしようとしたのに」

「怒らないよ……もしかして、私のこと試したの?」

都築さんは、

「はい」

やや頬を赤く染めてえへへと笑った。

「酔ってるの?」

「いいえ」

「こんなおばさんからかわないでよ」

「同い年ですよね」

しばし、彼女の瞳を覗き込む。カチリ、と時計の針が動いた。
と、私ははたと気が付いてしまった。

「あの、お酒飲んじゃったら運転できないんじゃ」

彼女が無言で頷いた。

「え、気づいてた?」

彼女がまた無言で頷いた。

「言ってよぉ……。ああ、もお、うっかりしてた」

時計を確認する。無意味だけど。
終電なんて、ここに来た頃には終わっていた。

「紺野さんて、面白いですね」

「面白くない……」

また、タクシーで帰るしかないかな。
グラスの最後の一敵を飲み干して、小さく溜息を吐いた。

「泊まっていきますか?」

「明日も仕事あるからね。タクシー呼ぶよ」

と、携帯を操作しようとしたら、手を掴まれた。

「この間の夜会った紺野さん、とても疲れた顔されてました」

ああ。
あの日は、最近の残業デーの中でも特にストレスが溜まってたからね。

「会社、お辛いんじゃないですか」

「辛くないと言ったら嘘になるけど、どうしようもないしね」

「辞めようと思ったこと、ありません?」

「あるけど、もしかして夜のお店に引きずり込もうとしてるの?」

「はい」

冗談なのか本気なのか、分かりにくい。

「私には無理だよ。男受け悪いよ、きっと」

「あ、大丈夫ですよ。お客さん、女の人なので」

聞きなれない事を言われて、私はたじろいだ。

「え、あ、そうなの?」

「スタッフもお客さんも全員女性ですから、すごく気軽に働けますよ」

「あの、一応聞くけど、その……どういうお店なのかな?」

彼女は清楚な表情を崩さずに、下ネタを連発して説明してくれた。

「あわ、わわ……」

私は彼女のベッドに無造作に置いてあった柔らかいクッションを、思わず投げつけてしまった。
顔面に当たったにも関わらず、彼女は笑顔を崩さなかった。
詰まる所、同性同士でイチャイチャするお店らしい。
眉間にしわが寄ってきたので、それをさすりながら、紺野さんに問うた。

「都築さんは、そういう人なの?」

「そういう人って言うのは、女の人が好きな女の人ってことですか?」

「そ、そうだね」

分かってて聞いてるでしょ。

「仮にそうだとして、紺野さんは私のこと軽蔑しますか?」

「そんなことしないよ」

「じゃあ、どちらでもいいんじゃないでしょうか」

ええっ。
もやもやするんですけど。
二の句が継げないでいると、

「意地悪な事言ってごめんなさい」

紺野さんの反応が面白くて、と聞き捨てならないことを呟いていた。

軽蔑はしないけど、警戒してしまう。

「紺野さん、女性の方に気に入られやすいと思いますよ」

「あ、ありがとう。それは、嬉しいけど複雑だよ」

あの日の夜に声をかけたのはそういう理由だったのか。
事実は小説よりも奇なりとはまさにこの事。
くそう。

「でしたら」

私は彼女の言葉を遮った。

「ねえ、都築さん。今の会社に不安があるのは否定しないよ。でも、だからって、急にそんな所にはいけないよ」

「じゃあ、一度だけ来てもらえませんか。それでやっぱり無理なら諦めます」

「そんなに……人手不足なの?」

「一人、辞めちゃって。お客さんと本気になったみたいで」

そんなこともあるんだ。
興味が全くない訳じゃないけど、仕事にするとなるとまた話は別な訳で。
そもそも、私自身が女性に対して好意を寄せたことがないし。

「私、女の人にそういう感情は……」

「後からついてきますよ」

何がそんなに彼女を熱心にさせるのかな。
仕事だからかな。
本当だったら、ここできっぱり断らないといけなかったのだけど。
あまりにも真剣だった彼女の気持ちを無碍にもできず、私は一度だけお店に行く約束を取り付けてしまったのだった。

その日は、やはりタクシーで帰ることにした。
身の危険を感じたのもある。
彼女に主導権を握られてしまっていて、あのままだとまた何かはいはいと受け入れてしまいそうだった。
どこか逆らい難い。
彼女はそんな人間だった。

数日経って、約束の日。
私は一人そわそわしていた。
都築さんは平然と仕事に取り組んでいた。
お世話係の私は、必然的に、彼女のそばにいなければいけなかった。
苦痛とまでは言わないけれど、気まずかったのも確かだ。
あの日から、気軽に都築さんの体にも触れられなくなった。
意識しているのは恐らく私だけ。
腫れ物みたいに扱ってしまって、内心申し訳ない気持ちだった。

お茶汲みで席を立った都築さんが、戻って来て私の席に湯のみを置きながら、

「今夜、楽しみです」

と小さく耳打ち。

「あ、はい」

縮こまる私。
からかう様な視線と交錯する。
どうも先輩としては舐められてしまっているような。

このままじゃまずい。
威厳。
先輩の威厳。
咳ばらいを一つ。
背筋を正して、仕事に打ち込んだ。

定時が過ぎた。
今日の納品書のチェックがやっと終わり、大物にとりかかろうとした矢先。
部長からお呼びがかかった。

「紺野君、ちょっと倉庫行くから来てよ」

「……分かりました」

率直に言って、この部署の残業の原因は全てこの部長のせいではないかとさえ思う。
地下の倉庫へ向かいながら、部長は部署の人達へのダメ出しを私に聞かせる。
それから、過去の自分の功績を自慢してくる。
狭い倉庫に入ると、何分か目的の物を探す素振りを見せて、

「ごめんごめん」

と悪びれもなく謝って、

「やっぱりここじゃなかったみたい」

見当違いだと言って無駄な時間を費やすのだ。
部長は仕事をしているのだろうか、と囁かれている。
倉庫から出ようとすると、必ず手を握られて、

「ほこり被ってるよ」

と頭や身体に触られる。
もう嫌になる。
おまけに話が長い。
気が遠くなるくらい、話が長い。
部長から解放された頃には、心身ともにへとへとになっているなんてことも。

ただでさえ仕事量がブラックなのに、こんな部長を放っておくような会社では人が辞めてしまうのもしょうがない。
でも、会社に波風立てる勇気もなくて。
そう簡単に仕事を辞める度胸もない。
会社や上司への感謝の気持ちを忘れずに。
そんな啓蒙が廊下に貼ってある。
社員を大事にしないのにそんなこと言われてもね。

「じゃ、仕事に戻ってもらっていいよ」

「はい」

何にも無かったような顔で、私はまた席に着いた。
過ぎた時間を嘆いてもしょうがない。
ふいに視線を感じた気がして、隣を見やる。
都築さんの手が止まっていて、

「どうしたの? 何かあった?」

「あ、いえ」

ぼうっとしてるなんて、珍しい。

「分からない事は、すぐ聞いてね」

と声をかけた。
都築さんは、短く返事をしてまた作業を再開する。
勘の良さそうな彼女の事だ。
私の転職を後押しするような口実でも探していたのかも。

その日も生命力を削りながら仕事を終えた。
気が進まないけれど、都築さんと会社を出た。
都築さんに言われるがまま、彼女の車に乗り込んだ。
車内に漂う匂いは、この間と違って艶っぽい。

今日はここまで


社会人百合いい…

会社では後ろでかっちりまとめていた髪は無造作に肩に流れていた。

「都築さんて、髪下ろすと感じが変るね」

「よく言われます」

「なんか、エロい」

都築さんが小さく吹き出した。

「それ、褒めてないですよね」

「まあ、褒めてはないけど」

彼女はハンドルを左に切りながら、私を横目でちらりと見た。

「紺野さんは風俗とか、今まで一度も考えたことありませんよね」

「うん」

きっぱりと言った。
普通は、考えない人の方が多いと思うけど。
彼女は私の返事を特に気にした風もなく、

「私もきっかけはささいなことだったんです。前に勤めてた職場の方に連れていかれて……女性の方だったんですけどね」

「その人も、そっちの人だったの?」

「そうですね」

「えーっと、狙われてたみたいな」

「はい。そのまま、引きずり込まれてしまいました」

彼女は軽く話す。

「当時は、言われるまま、気が付いたら彼女とホテルに入ってる自分がいて、不思議ですね」

「あ、危ないなあ……何してるのさ」

さすがに、それはどうかなと。

「私、その時初めて人に求められたんです。だから、舞い上がっていた所もあったのかもしれません」

「だからって、それで体とか心に傷ができたらどうするの? ちょっと、自分のこと蔑ろにし過ぎじゃない」

語気を強めていた自分に気付き、

「あ、ごめん……」

と、小さく頭を垂れた。
数秒の沈黙の後、彼女はまた笑い出した。

「ありがとうございます」

何のお礼なのか分からなかった。
尋ねはしなかったけれど。

着きました、と車が停車したのは繁華街の裏手の酒屋の前だった。
ひっそりとした裏通り。
酒屋のシャッターはすでに降りていた。
タクシーが野良犬のようにのっそりと端に停止している。
闇夜と一体化したホストっぽい人達。

「ちょっと、車置いてくるのでここで待っててください」

「あ、うん」

辺りを見回す。
こういう所は苦手。
何が飛び出てくるか分からない。
変な人に声をかけられそう。

「怖いです?」

「怖いよ……普通は」

「私、慣れてしまって、これが逆に落ち着きます」

そういうものなのかな。

「すぐ戻ってきてね?」

びくびくしながら彼女に言った。
すると、都築さんは斜め前に指を指した。

「あれ、駐車場です」

「……そう」

恥ずかしい。

彼女の腕に寄り添いながら、夜道を歩く。
ただ、途中彼女の性癖のことを思い出してぱっと離れた。
彼女はきょとんとしていた。

「あのね、私の事なんて言ってあるの?」

「バイト希望者と伝えてます。でも、見学だけ、と言ってますので」

「それだけ?」

彼女は一度思い出すような素振りをして、

「ノンケの人ですと伝えてます」

「ノンケ?」

「簡単に言うと、異性が好きな人のことでしょうか」

「へえ」

勉強になる、かも。
そういうの疎いし。

「だから、安心してくださいね」

何に安心するんだろうか。

「裏から入ります」

赤やピンクのイルミネーションが彩るお店の入り口を横切る。
配管や室外機でごちゃごちゃした印象の裏路地に入ると、普通の扉があった。
彼女がドアノブに手を伸ばす。

「待って……」

私は彼女の腕を掴んだ。

「どうされました」

「怖気づいてるみたい」

「止めておきます?」

「それ、聞く?」

頼んだ張本人が言うか。

「緊張する」

今日だけの事なのに。
新しい世界の扉を開けるのがこんなに怖いなんて。
心に波風が立つ。
そういうのが一番嫌なのに。
いつも、断ることができない。

「私も、一番最初は緊張しました」

昔の事でしょ。

「……す、スーツでいいの?」

「中に着替えがありますよ」

「靴とか」

「中にあります」

「けしょ」

「中でできます」

言葉が次々と撃ち落とされる。

「あの、あのね、入るよ。約束したから」

「見学ですよ。ただ、立って見てるだけでいいんですよ。落ち着いてください」

「うん、うんっ」

小心者なんです。
ごめんね。

「紺野さん、ここまで着いて来てくれただけでも凄いですよ」

私もそう思う。

「紺野さん」

俯いていた顔を上げる。

「うん?」

唇を何かで覆われた。
苦しいと感じたのと、キスをされたと理解したのは同時くらいだった。
都築さんがゆっくりと身体を離した。

「緊張治まりました?」

「い……今」

「もっと凄い衝撃を与えたらどうかなと思って」

冷静に言われ、私は金魚みたいになった。

「さ、行きましょうか」

腕を引っ張られる。
私には思考回路をショートさせて、お店の中に入った。

お店のバックヤードに通されると、そこで控えていた何人かの女性に好奇の目で見られた。

「見学の子?」

睫毛がバッサバサの30代くらいの女性が言った。

「はい。ちょっと奥の部屋借ります」

「ママ表いるから呼んできてあげよっか?」

「お願いします」

睫をバサバサさせ、その人は立ち上がった。

「また、うぶそうな子連れてきたね。ママ、絶対気に入るわ」

「ええ」

いえいえ。
気に入られたら困ります。
困りますから。

脳内が混乱する中、あれよあれよと服を着替えさせられた。
化粧も濃くされて、髪にはウィッグをつけさせられてしまった。
そして、ものの数分で私は全く別の人間にされてしまったのだった。

「こんなの似合わないよ……」

私はぶっきらぼうに言った。
大きく背中の空いた服を着る彼女は、メイク道具を片づけながらこちらを振り返る。

「似合いますよ」

「確かに、服はいつもの会社着と似たような感じだけど……顔! 顔がもう、誰!? って感じに」

「顔バレしないようにです」

そうかもしれないけど。
だいたい、お店に出るなんて一言も言ってないし。
見学ってカウンターの端っこからちょっと覗くくらいかと思ってたし。
キスだって、いきなりしてくるし!

「小悪魔」

「私のことですか」

あなた以外、誰がいるのさ。
私は嘆息して、頭を抱えた。

「違う自分にドキドキしてみませんか?」

「生憎だけど、流されやすいように見えて、新興宗教の勧誘も新聞の契約もちゃんと断れる人間だからね」

「残念です」

と、部屋に誰か入って来た。

「もしー、シノブ仕事」

「あ、はい」

シノブ?
源氏名ってやつかな。

「では、いきましょうか紺野さん……」

やだ。
心の中で、10回くらい唱えたけど、都築さんは有無を言わせない表情で私をぐいと引っ張ったのだった。

店内はどっかのバーで見たような光景だった。
違うのは、客も店員もみんな女性ということくらいか。

食事を運ぶ人。
お酒を注ぐ人。
女性同士で話をする人。
なんていうか、友人同士で戯れているようにしか見えなかった。
そんな安易な考えで、カウンターの隙間に挟まるようにして立っていた。
カウンターはちらほら席が埋まっていて、何もせず人形のように立っている私を、たまに盗み見るようにしている女性もいた。
気まずい。

「どう?」

とかけられた声は、セクシー過ぎてびっくりして、私は肩をびくりとさせた。
ここのママだった。

「もっといかがわしい感じかと思った?」

「いえ、その」

「キスとタッチまでならいいよ?」

「え」

「冗談冗談」

からかわれながら、私の緊張を解すように軽快にトークするママ。ママと言っても、この人も30代くらい。
あの夜、都築さんと一緒にビラを配っていた人だった。
この時間帯は、お客さんが少ない方らしく、ママも暇そうに二つのグラスにビールを注いで、一つを私に寄こした。

「飲める?」

「ちょっとだけ」

断るわけにもいかず、グラスを鳴らした後ちびちびと飲んだ。

「今日さ、何で来たの?」

ママが聞いた。

「頼まれたので……」

「それで、普通は来ないよ。バカだね」

「そうかもしれません」

ホント、なにしてるんだろ。
罵られてもしょうがない。
自棄気味にもう一口飲んだ。

「あの子が、あなたに声かけた理由は聞いた?」

「人が少ないって言ってましたよ」

「人は、確かに足りてない」

大きく頷く。

「でも、そんなのであんたみたいなど素人を無理やり引っ張ってこないから」

「何か、他に理由があったんですか」

「たぶん本人は絶対言わないから、教えてあげる。ここまで来たご褒美」

何だろう。

「あの子が最初にあなたを見つけたのは、深夜の近所の横断歩道だって言ってた。あなたが、死にそうな顔で帰ってるの見て、それから、ついつい目で追うようになったんだって」

「え?」

「あの子、保護欲強いから。ある日、好きな人ができたんですって、でも今にも死にそうなんですけど……どうしたらいいですか? って相談されたのよ」

私は口を挟めずに、放心状態で手に持ったビールを無意識に飲んだ。

「あなたの会社に入ったのもあなたのことを知りたいってあの子が駄々こねるから許可したの。偶然、あなたの下についたらしいけど、それはもう凄い喜びようだったわ」

まさか。
からかってるんだ。
私は騙されやすいから。

「言っとくけど、あの子本気だから」

それって、なんて、ファンタジーなんだろうか。

「人の人生だからね、私はあの子に口出しするつもりはない。でも、あなたは流されたと思っていると……取り返しのつかないことになるわよ」

ビールののど越しは酷いものだった。

見学から一夜明け、私は会社に平常運転で向かっていた。
未だかつてない衝撃が貫いたはずだった昨晩。
貫き過ぎて、体から通り抜けていったのかと思った束の間、都築さんの姿が視界に入った途端、

「あ、紺野さん、おはよ……」

全速力でエレベーターに向かった。
急いでボタンを押す。
何か彼女が言っていたが無視。
どうせ、オフィスで会うことになるのに。

(私、何してるのかな……)

彼女に会うまでの残り数分。
冷静にならなくちゃ。

「すー……はー」

よし。
と、意気込んだそばから昨日のキスが蘇ってきた。
あー。
やめてやめて。
思い出さないで、私の脳みそ。

紺野さん、と呼ばれて振り返る。

「どうして無視するんですか」

「急いでて」

「そうですか」

と、彼女はそれ以上強く問いただすことはなかった。

「ごめんね、無視したみたいになって」

「いえ、構いませんよ」

いつもの柔和な微笑み。
昨日とがらりと雰囲気の変わるOLスタイル。
全部、私を騙すためのお芝居に見えてきてしまう。
だって、これがもし男性だったら、完全にストーカーじゃない。
同性だから、これだけ行き過ぎていても、多少許せる部分があるだけでさ。
許せる部分があるだけでも、自分はおかしいかもしれない。
女はそうだ。
あなたのために、に弱いのだ。

しかし、彼女に業務を教えながら、だんだんと申し訳ない気持ちになってきていた。
こんな酷い会社に、私のために入ってくれた。
それに関しては嬉しい。
でも、このままいたら、今までの中途採用者と同じように潰れてしまうだけ。
だからと言って、私は仕事を転職する気はないし、風俗で働く気もない。
将来のことを不安に思いながら、これからも死にそうな気持で帰宅するだけ。

「紺野さん」

手の甲に触れられた。
はっとして、引っ込める。

「ごめん、ごめん。考え事してた」

「ここ、これでいいですか? 入力先あってますか?」

「オッケーだよ」

パソコンの画面を確認して、マウスをスクロールする。

「じゃあ、これで提出しよ」

「はい」

いけない。
仕事中は考えるな。
ミスに繋がる。

休憩中、彼女がホットコーヒーを机の上に置いてくれて、気を遣われたと悟った。

「紺野さん、すみません」

「何、急に」

「ご迷惑なのは承知でしたけど、こんなに嫌がられるとは思ってなくて」

「ち、違うよ……嫌がってるわけじゃ。それに、行くって言ったのは私だから、私の責任だからね」

また、この子を擁護してしまった。

「紺野さん、自分で自分を追いつめるの好きですね」

知ってるよ。
でも、人に、突かれたくないね。
言い返せず、私は笑った。

「そうかも」

「もう、お誘いはしませんから、安心してください」

このファンタジーは、ノンフィクション。
私の行動で、現実が変わっていく。

「あの、夜お詫びがしたいので、部屋に来ませんか?」

ほら、目の前に選択肢が現れる。
『行く』、『行かない』。
どちらかを選べ、と。
返事が私の口を飛び出る前に、

「紺野君」

部長が手招き。

「部長……」

都築さんが少し苛立っているように見えた。
この時ばかりは助かった。
部長、ナイスタイミング。

「ごめんね。続きはまた後で」

その日の夜まで、その続きはやってこなかった。

22時くらいに、仕事が一段落した。
なぜか部長がまだ会社に残っていて、帰ろうした矢先に呼び止められた。

「いつも御苦労様」

「いえ、仕事が遅くて」

遅い上に、量が多くて。

「疲れただろう。送っていこう」

「ありがとうございます。でも、大丈夫です」

「この時間は終電もないだろう? 遠慮するな」

肩を引き寄せられた。
たばこの匂いと汗の匂いが入り混じって。
中年の香りとでも言うのかな。

「部長、ほんとに」

「今日、カミさんいないんだよ」

右肩を撫でられて、ぞわりとした。

「いつも仕事が多いのはなぜか知っているか? 君が文句を言わないから、周りの連中が君に回しているんだよ? 私なら、それを止めることができるし、君の仕事をもっと楽にできる」

青い顎を頬に寄せられた。
ジョリッとして身の毛がよだった。

「俺の家に来なさい。紺野君、独りは何かと寂しいこともあるんじゃないかい」

「離してッ」

部長の腕を引き剥がそうとしたら、

「君、会社辞めたいの?」

と壁に体を押し付けられた。


スカートの中に手がにゅるりと入ってきた。
お尻を掴まれて、悲鳴を上げた。
常夜灯のついた廊下には、警備員の影はない。
監視カメラもここにはついていなかった。

下着越しのお尻に下半身を押し付けられる。
怖くて体が動かない。
硬くてそそり立った何かがお尻や太ももを突刺していた。

「夜はどうしてるんだ。一人でしたりするのか」

左胸を下から掴まれる。
反射的に体を捩った。

「し、しません」

ぐりぐりと当てられていたモノから逃げようと足を踏み出すけれど、引っ張られてバランスを崩して倒れ込んだ。
崩れた態勢を支えながら、部長は私を壁に抑えつけた。

「い……やっ」

絞り出た声。
廊下に虚しく響く。

「君としたいと思ってたんだよ。気づいてただろ? いつも、呼ばれたら喜んでついて来たじゃないか」

何を勘違いしてるの。
このおっさんは。
荒々しく胸を揉みしだかれる。
普段の大人しそうな部長からは想像できなくて、そこにはダモノがいた。

「やだぁ……ッ」

着ていたブラウスのボタンを外されていく。
必死に抵抗しているのに、想像以上に部長の力は強く、全てのボタンを外された頃には私は相当息を荒げていた。
下着をまくし立てられ、素肌がひやりと外気に触れた。

「ひっ……」

ブラをずらされて、上から覆いかぶさるように跨られた。
顔を近づけてキスをしてくると思ったが、耳を舐められた。
不意打ちで、また悲鳴。

「君、良い声してるよね。むしゃぶりつきたくなる」

赤ん坊のように泣き叫ぶことすらできず、真っ白になった頭の中で、何かが聞こえた。

「そこで何してるんですか!!」

部長が、驚いて飛びのいた。
私の腕を掴んでその場を去ろうとしたけれど、私の身体は石のように全く動かなかった。

「ちっ」

舌打ちして、部長は走って去っていく。
暗がりに声をかけた人物が誰かすらどうでもいいくらい、私は恐怖ですすり泣く。

「紺野さん、大丈夫ですか……」

ゆっくりと抱き起こしてくれたのは、都築さんだった。
ああ。
酷い所を見られた。
一瞬だけ彼女の方を見て、すぐに視線を下げた。

「立てますか……」

私は首を振った。
ただただ都築さんにしがみついた。
助かった。
そればかり。

「っ……」

都築さんは私の背中をさすってくれた。
暫くそうしてくれて、私が落ち着いてきた頃には服を着るのも手伝ってもらった。

「ごめん……」

自分のものとは思えないくらい、弱弱しい声だった。
都築さんは何も聞かずに、私を支えるようにして会社から連れ出してくれた。

彼女の車に揺られて、私はずっと自分の服を握りしめていた。

「さっきの、部長ですか」

彼女は聞いた。

「……うん」

と短く返した。
彼女はそれ以外は聞いてこなかった。

「許せない……」

彼女が言った。
そこには明確な怒気が含まれていた。

「できるものなら、殺してやりたいです」

「だ、ダメだよ」

何、物騒なこと言ってるの。

「……でも」

「この事は誰にも言わないで。お願い」

「それじゃ、紺野さんが……」

「何も言わないで」

何も聞きたくない。

「私も、何が起きたか……困惑してる」

「すみません……家まで送ります。どこですか」

「家に帰りたくない……」

「あの」

「都築さん、泊めてもらっていいかな」

私は都築さんの顔を見ることなく言った。

「いいですよ」

都築さん。
ごめん。

今日は仕事はなかったのかな。
彼女の住むマンションに連れていってもらいながら、そんなことを考えていた。
部屋に入るとソファに座るように言われたのでその通りにした。
持っていたバックにしがみついていたのだけど、都築さんがそっと私からバックを取り外して代わりに大きなクマのぬいぐるみを持ってきた。

「お風呂沸かしますね」

私はクマを動かした。

「エアコンつけましょうか。寒くないですか」

「寒くないよ。ありがと」

縮こまっていたのでそう見えたのだろう。
先ほどから、体を丸めてぬいぐるみを抱き続けていた。

今日はここまでありがと

おつ

オツ

少し経ってから、彼女は小さいふかふかのタオルケットを持ってきてくれた。
それを私の身体に背中から被せて、隣にゆっくりと腰を降ろした。
その重みで私の身体もわずかに沈んだ。

「紺野さん」

肩に触られた瞬間、私の体に恐怖が蘇った。
力が抜けそうになる。

「いやっ!」

くまの人形を盾にして、彼女の手を払いのける。
かけてくれたタオルケットが床にずり落ちた。

「……落ち着いてください。大丈夫ですよ」

都築さんが優しく宥めてくれたけれど、やや錯乱してしまって、

「うん。分かってる、分かってるよ……」

同じ言葉を繰り返した。
彼女はタオルケットをもう一度かけ直してくれた。
甘い彼女の香水が、鼻をくすぐった。
部長の匂いを上書きしていく。

都築さんはクマの人形を手に取り、

「何もしないクマ。大丈夫クマ」

と彼女らしからぬ台詞を吐いた。
それで、張っていた気が抜けたのかは分からない。
目の奥に熱が込み上げて、溢れ出て来た涙が頬を濡らした。

「怖かった……」

もし、彼女があの時来てくれなかったら。
想像したくない。ぞっとする。

「一緒にいれば良かったです」

「……どうして、戻ってきたの」

「やっぱり、もう一度お詫びできないかと……迷ったんですが、引き返してきて正解でしたね」

「そう……だね」

私、考え無しだった。
部長の事も、都築さんの事も。
自分で自分を追いつめて。
バカな女。

30分くらい私は静かに泣いた。その後、先にお風呂を使わせてもらった。
体が温まったせいか、今日一日の疲労がお風呂上りに眠気を誘った。
ベッドを使うように促されて一度断った。

「いいですから」

と押し切られ、ソファーで寝ると言って聞かなかった。
しょうがないので、私は言われた通り彼女の部屋で寝ることにした。
都築さんの部屋は、自分の部屋とは違って、化粧品や小物が多く落ち着かなかった。
ベッドに入っても、体がむずむずして寝付けず、無理やり目を閉じると、
誰かが私を襲いにくるんじゃないかとあり得ない想像に脅されて飛び起きた。

「はあっ……」

暗がりが怖い。
もともとそうだったけど。
ここまでじゃなかった。
のそりとベッドから這い出て、リビングに向かった。

ソファーに横たわる都築さんに音もなく忍び寄った。
もう寝たかな。
起こしたら悪いと思いつつも、

「都築さん……」

「え?」

都築さんが飛び跳ねたので、ソファーがぎしっと鳴った。

「起きてた?」

素早い反応に、私もやや驚いた。

「あ、はい」

「ごめんね。なんだか寝られなくて。ここに座ってていい?」

と、ソファーを背もたれにして、床に腰を降ろした。

眠すぎるので、ここまで

おつ

都築さんの返事は待たずに、膝を抱えた。

「隣、座っていいですか」

部屋の豆電球をつけて、都築さんが言った。
私は頷いた。
彼女は自分が使っていた毛布を広げて、少し隙間を空けて隣に座る。

「テレビつけましょうか」

都築さんがリモコンに手を伸ばす。
首を振る。

「そうですか」

彼女の言葉。
仕草。
それはあまりに優しかった。
彼女に抱きついて、慰めを受けたくなって。
いいかな。
いいよね。

「都築さん……」

毛布の下から彼女の手を握った。





上から被せただけの指に、彼女の細い指が絡んできた。
目の前に視線を投げる。
だんだん左手が熱くなっていく。

「……都築さん、我がまま言っていい?」

「いいですよ」

「ぎゅってして」

言い終えた途端、体を引寄せられた。

ちょっと限界なので、また明日

よい…よい…

私は彼女に包まれながら朝を迎えた。
都築さんはいつの間にか寝てしまっていて、私に揺り動かされて起きた。
私は会社に行く気力が起きずに、今日の所は風邪で休むことにした。

「部屋にいてもらっていいですよ」

鍵を手渡され、彼女はそう言って会社に出かけた。
誰もいなくなった部屋で、私はまた縮こまってソファーに腰掛けた。
どんな気持ちで、いつも外に出かけていたっけ。
真っ黒いテレビの液晶にぼさぼさ頭の自分が映っている。

都築さんが抱きしめてくれていた温もり。
それがまだ部屋に残っていた。
膝に顔を埋める。
部長は何食わぬ顔で出勤しているのだろうか。
そうだったら私はなんて惨めなんだろう。
彼に何か天罰は来ないだろうか。
来ないか。
そうだよね。
こうやって、引きこもっても変わらない。

無理にでも体を動かさないと。
自分を鼓舞して、思い立ったのは部屋の掃除をすることくらいだった。
人の部屋を物色するのも気が引ける。
掃除機をかける。
それくらいならいいかな。

彼女の部屋から掃除機を発見。
同時に、大人の玩具も発見。

「……うわ」

無造作に箱に入れていて、隠す気はあまりないみたい。
見なかったふりをしてもとに戻そう。

ちょとまた明日

待ってる

片づけようと手に取った瞬間、自分の手が震えていることに気が付いた。

「え……なにこれ」

震えは徐々にうぶ毛が立つような悪寒を呼んだ。
胃の方が熱くなってきて、胃液がのど元に徐々にせり上がってきた。

「う……ッ」

しゃがみ込んで口元を抑えた。
今までにない感覚。
吐きそうだということだけは理解した。

「……げほっ」

体が何かを吐き出してラクになりたがっている。
洗面所に行こうと思ったけれど、腰がへなへなと崩れてしまった。
いったん横にならなきゃ。
固く冷たいフローリングへ、緩慢に転がった。

なに。
なんなのかな。
視線の先にある、ゴム製の玩具。
あれが、なんだか男性のアレに見えて。
想像したら、恐ろしくなって。

だめだ。
思い出すとだめ。
目を閉じて見ないようにしても、暗闇の中に浮き上がってきてしまう。
この部屋には私しかいないのに。
誰かが監視しているような気がする。
まるで命でも狙われているんじゃないかって気さえする。
気のせいだって分かってるのに。
止められない被害妄想。

「都築さん……」

早く帰ってきて。
お願い。

時計の音が無機質に部屋に響く。
2時間くらい経って、私は漸く落ち着いた。
その頃には、なんであんな風になったのかわからないくらい、玩具を見ても特に何も起きなかった。
また、同じような感覚になりたくなかったので、私は掃除は諦めてご飯でも作ろうとキッチンに戻った。
人の家の冷蔵庫を勝手に開ける。

「何か……あるかな」

調味料と、牛乳と、あと卵。
食材としてはおしい。近くのスーパーで適当に買ってこよう。
スーツに着替えて外に出る。
マンションの入口で男性の住人とすれ違った。
体が硬直した。

「え……」

男性は急に立ち止まった私を不審に思ったのか、一瞬横目で見てから去っていく。
彼の足音が無くなった途端、金縛りみたいなものも解けた。
そうして、自分の身に何が起こっているのかを徐々に理解し始めた。

私は極力人に会わない道を選んでスーパーへ向かった。
スーパーにたどり着いても、下を向いて歩いた。
そこでも同じような症状があった。
私は、異性が怖くなってしまっていたのだった。

自分の弱さを受け入れられなくて、そのうち治るだろうと私は楽観的な結論を出す。
こういう体験をしてる人は私だけではないから。
あんまり考えないようにしよう。

夜になってから、私はさらに自分の異常を目の当たりにした。
いつの間にか家中の灯りという灯りをつけてしまっていたのだ。
最後につけた玄関ではっとなる。
どうしても、どこか暗い所があるのが怖くて。
その暗がりから、何かが襲ってきそうで。
どうしてそんな風に思ったんだろう。
誰もいやしない。
私以外誰もいないじゃない。

壁に背中をつけてずるずると座り込んだ。
頭が重たい。
昨日は一睡もできなかったから当たり前なんだけど。
次々と新しい不安が私の心を揺らす。
大丈夫。
大丈夫。

でも、明日からどうする。
明後日は。
来週は。
ずっとこんな風に生きていかないといけないのかな。
ううん。
もしかしたら、今日はぐっすり眠れて、明日には会社に復帰できるかもしれない。
そうだよ。
きっとそう。
でも、あんな会社に行く意味あるかな。
ないのかな。
わからない。
どうしたいの。

玄関の鍵が外れた。

「……ッ」

驚いて、すごく驚いてしまって。ヒュッと喉が鳴った。
都築さんが私を見下ろしていた。
なんだか彼女の帰りを待っていたように見えたかもしれない。
実際、怖かったので、早く帰らないかなとは思っていたけど。
都築さんは靴を脱いで、私の真正面にしゃがみ込む。

「ただいま」

両手で頬を挟みながら言った。
冷たい手が寝不足で火照った頬には気持ち良かった。

「都築さん……おかえり」

「すごく良い匂いがします。夕飯、もしかして作ってくれたんですか」

「あ、うん。泊まらせてもらってるし、口に合うか分からないけど」

「ありがとうございます。嬉しいです」

小さく微笑む。

「ううん……」

今日の事を伝えようと思ったけど、気持ち悪いって思われたくなくて喉元で言葉が消えていく。

「立てますか?」

「うん」

「あと、普段着と下着買ってきたので良かったら使ってください」

鞄の中からごそごそと取り出して、私に手渡した。
私は悪いからと言ったけれど、結局断り切れずに使わせてもらうことにした。

簡単な煮魚と野菜の炒め物を彼女は美味しいと食べてくれた。
食事中に、今日の社内の様子を聞いた。
特に何も変わりはなかったらしく、部長もいつも通りだったそうだ。
都築さんは部長の椅子にお茶をこぼしてきました、とさらりと言うので笑ってしまった。

「都築さん、危ないことはやめてよ」

いい気味ではある。
でも、それで都築さんに被害が及んでほしくない。

「私はいいんですよ。紺野さんの気が済むなら。他にして欲しい事とかあったら言ってください」

案外、好戦的な人。

「今は、泊めてくれるだけで、助かってるよ」

部長のことは確かに許せない。
でも、彼に今縛られていることの方がなお辛い。
彼が私の思考に絡んでくるのが苦しい。
土足で家に入られて、部屋のものを好き勝手に使われている。
そんな気分だ。
だから、復讐とかよりも部長のやったことを早く忘れてラクになりたかった。

夕飯後、都築さんが家中の灯りがついていることに気が付いた。
なんでつけたのかは聞いてこなかった。
ただ、優しく、

「つけておきますね」

と言ってくれた。
その温かさに救われながら、平然と部屋の中を移動する彼女がとても羨ましくも思えた。
私はこんなに苦しいのに。どうして彼女は普通なのか。
どうして私だけ、不安にならないといけないのか。
そんなことを考えてもどうしようもないのに。
思わずにはいられなかった。

相変わらずソファーの上で縮こまりクマの人形を抱きしめる私。
テレビの軽快な音が、多少現実を忘れさせてくれる。
少し離れた所で、本を読んでいる都築さん。

「今日は夜のお仕事ないの?」

ぽつりと聞く。

「はい」

「もしかして、休みとってるんじゃ」

「そんなことは」

「ホントに?」

「ええ」

問いただしても本当の事は言ってくれなさそうだ。

「……今日、外に買い物に行けたから、明日は家に帰るね」

都築さんが本を閉じた。

「ずっと、いてくれていいんですよ」

彼女の瞳を見つめた。

「ダメだよ……」

都築さんが立ち上がり、こちらに歩み寄って、手を伸ばす。
私の体を包んでくれる。
溺れそうになる。
都築さんに。
彼女の好意に甘える訳には――。

「どうしてです」

耳元で甘えたような声を出された。
びくりと体がしなった。

「ち、近いよ」

「わざとです」

わざとって。
女同士だと言うのに、押し付けられた胸の柔らかさにどきりとする。

「私がいなくて、寂しかったですか?」

「うん……」

それは事実だ。

「不安で、都築さんを呼んじゃった……恥ずかしい」

「こうやってしてると落ち着きますか?」

「そう……だね」

不思議なくらい。
彼女の声が心を満たして。
理由はもう分かっている。
愛されている。

それを、感じているのだ。

あの夜の残酷な記憶を彼女の色で塗り消して欲しい。

「紺野さん」

委ねてしまいたい。

「都築さん……助けて」

細い呟きは、すぐに都築さんの口の中へ吸い込まれていった。
彼女の小さな唇が押し付けられ、舌が唾液をすくい取るように動く。
ねっとりしていたのは、互いに興奮していたからだろうか。

「ァ……ッ」

「紺野さん、可愛い」

残酷な事に、行為は私の不安を薄めていった。
不慣れな私に合わせるように、彼女はずっと優しくキスをし続けた。
時折、背中や頭をさすってくれる。
酸欠になりそうなくらい口の中を吸われた。
実際、呼吸ができずにくらくらとソファに背中から倒れ込んでしまう。

「口開けてください」

見上げた都築さんが荒い呼吸で言った。
私は小さく口を開いた。
彼女が指を絡めて、舌先を吸ってくる。
ぬるぬると舌同士が絡み合って、いやらしい水音を立てた。
口の端から顎下によだれがたれていく。

キス、してしまった。
今からなら、引き返せるだろうか。
私の上に覆いかぶさり、体重をかけないようにして都築さんは首筋に顔を埋める。

「怖い?」

都築さんが掠れるような声で聴いた。
私は頷いた。

「止めますか」

「ううん、続けて」

「嫌な事があったらすぐ言ってくださいね」

「ありがと……」

背筋の鳥肌は、昼間とは別の意味だと思いたいから。
上着の上から丁寧に体をなぞられる。
少しづつ、ボタンを外されて。

「つ、都築さん……」

「どうしました?」

「私、自分で脱ぐよっ」

都築さんが頷いた。
無理矢理じゃないから平気だと思っていたけど、服を脱がされるのは怖い。
それでも、都築さんにもっと触れて欲しいという気持ちは増々強くなっていた。

ブラまで脱ぎ終えると、おっぱいを揉まれながら、キスをされた。
私だけ全裸にされて、かなり恥ずかしい。
恥ずかしいのに体は都築さんに従いたがった。
都築さんの指が執拗に乳首を擦っている時は、下腹部が締め付けられてやばかった。

「ひぁ……ッ」

「紺野さん、胸感じる?」

「た、たぶん」

太ももの間に、にゅっと手を差し込まれる。

「けっこう、感じやすいみたいですよ」

唇の端をつり上げて笑って、股下をこすられた。
自分ではわからなかったけれど、彼女が目の前に掲げた指に粘液がべっとりと絡んでいた。

「み、見せなくていいよ」

自分でも行為が初めてではないにしろ、そんなに濡れた記憶がなかったので信じられなかった。
彼女の指が、クリトリスを弄り始める。
腰が浮いた。

「だ、ダメそれ……変になるから……ッ」

嫌なら止める、と言ってくれるのかと思ったが、

「ホントに、ダメですか?」

愛でるように擦ってくる。
ゆっくりと刺激が与えられて、腰がしびれていく。

時折、小刻みに擦られた。
その刺激に耐えれずに、

「ゃあ――っア!」

ソファの上で髪を振って身を捩った。

「そ……れ、おかしくなるから……ッ」

「いいですよ。おかしくなる所見せてください」

ダメって言ってるのに。

「イッ……く」

私はすぐに軽く絶頂を迎えてしまった。
夜のお店で働いてるせいなのか、なんだか手慣れてる。

「まだ、ですよ」

「や、今、敏感に」

太ももを掴み、開脚させ、性器の方に顔を近づけていく。
都築さんは私のあそこを音を立てて吸った。
その快感はあまりにも強烈で声を出すこともできなかった。
何か掴んでいないと体が弾けそうで、舌で吸われている間、ずっと彼女の頭を掴んでいた。

「声もっと聞かせてください」

「そんな……こと言われてもっんあ?!」

ダメだ。
イく。

「気持ちいのか、わからないです」

唇を離されて、昇りつめようとしていた快感が消える。

「気持ちい……。良かったから、続けていいから……」

「イきたいですか?」

「うん……」

もっと激しくてもいいから。
だから、もっと。
して。
キス。
乳首を舐められ、お腹をなでられて、そしてまた――。

「ィ……都築さ……あああ!?」

私は彼女の舌で果てた。

体がびくびくと痙攣していた。
都築さんが今度は指を膣に挿入して、ゆっくりとかき混ぜていた。
私は止めどなく訪れる快感に翻弄されるばかりで。

「よだれ、出てますよ」

「や……」

どうしてこんなにいいんだろう。
都築さんに触れられている所が熱を持ち、理性を溶かしていった。
私の膣が彼女の指を締め付ける。

「紺野さん、指動かないですよ、こんなにされたら」

「そんなこと言われても……」

「すごい膣圧」

「笑わないで……」

微笑みながら、やることはえげつない。
指を3本に増やして、激しくかき混ぜ始めた。

「ああっ……んアアアっ!」

はしたない声が私の体を貫いていく。

「無理……っこんな、激しいの……都築さんっ!」

彼女の腕を掴んで引っこ抜こうとしたが、
力が上手く入らない。
欲望に支配され、3度目の絶頂が近くなると、
私自身もうなりふりかまっていられなくなった。

「もっと、お願いッ……かき混ぜてっ……ァあ!」

彼女の首筋を抱きしめる。
互いの乳首がこすれ合って、揺さぶられて。
もっと欲しくて、腰が勝手に動いてしまう。

「自分から動くなんて、いやらしいんですね」

もう、どうにでもなってしまえばいい。
私が私でなくなってしまえ。
何もかも。
嘘だったと、嘲笑って。
3度目は外に声が漏れてしまうのではと思うくらい、喘いでしまった。




「可愛かったですよ」

終わった後に、お風呂に一緒に入った。後ろから抱きしめられるようにして浸かっていたら、頭を撫でられた。
私、同い年といえど先輩なのに。

「都築さんは、その……あの」

「はい?」

「上手かったです……」

ちょっと悔しい。

「紺野さんが感じやすいんですよ」

「そ、それじゃ私がエッチな人みたいじゃんっ」

心外だ。
後ろ手で脇腹を掴む。

「ひゃあっ」

都築さんが声を上げた。

「ほら、都築さんも感じやすい」

「今のはずるいですよ」

狭い湯船を揺らして、互いに体を触り合った。

女性の体と言うのは柔らかくてしっとりとしていて。
鼻孔を狂わす香りがして。
どうして、男の人がそれを求めてしまうのか、
都築さんと肌を重ねて、理解のできる所もあった。
だからと言って、部長の行いを理解するつもりもないけれど。
この一晩の行為は、私の欲望を解放することになる。

翌日、私は家に帰った。
家族には部長のことは何も言わなかった。
ただ、会社を辞めるから、とだけ言った。
もちろん家族に反対されたけれど、今までの業務時間も知っていたので、猛反対されることはなかった。
そして、しばらく友達の家に泊まるとだけ伝えて、荷物をまとめて家を出た。

その足で、会社に辞職願いを出し、呆然と見ていた部長の顔を引っぱたいた。
上司からは辞めないでくれと頼まれたけれど、これ以上会社に同情するつもりもなく、丁寧に断った。
外に出ると、都築さんが立っていた。

彼女は満足そうな顔をしていた。

「私がニートになってそんなに嬉しい?」

嫌味を言うと、

「はい」

と微笑まれた。

「次の職、お探しじゃないですか」

「まあね」

「ぴったりのお仕事がありますよ」

「私、女の子が好きなわけじゃないんだけど」

「じゃあ、暫くは家事手伝いでもいいですよ」

「そのうち、ちゃんと仕事するもん」

仕事も辞めて、家族とも離れて、トラウマだけは残ってて。
女の子が集まるバーの店員さんの所に転がり込もうとしている。
それでも、なんだか色々なことから解放された気もする。
これから私の人生が好転していくんじゃないかとさえ思う。

「これから、どうなるのかなあ」

「私とラブラブの毎日ですよ」

「うわ、気持ち悪い」

都築さんがやたらフランクに。

「紺野さん、私とエッチなことするの嫌いじゃないですよね」

「……」

「ほら」

否定はできない。

「私なしじゃいられない体になればいいな、って思います」

「さらっと怖い事言わないでってば」

「本気ですよ」

「……都築さんて」

私を救ってくれる天使なのか。
堕落させる悪魔なのか。

結果的に、私も『良い子だったのに残念です』の仲間入りを果たした。
残念なのは、会社と部長だったけど。
あの掃き溜めのような日々とさよならできる。
あのままあそこいたら、それこそどうなっていただろうか。
考えたくないけど。
仕事をするために生きているわけじゃないし。
これで良かったと今は思わないとやってられないよね。

「私の事好きなの?」

今さらそんな質問をしてみる。
都築さんは昼日中の街中だと言うのに、私を抱き寄せてキスをした。

「ちょ、ちょちょっ」

「好きですよ。言ってませんでした?」

「言ってないと思うけど」

「じゃあ、今夜しっかり確かめましょうね」

「……う、うん」

その囁きは、悪魔のそれだった。

「ねえ、紺野さん」

「なに?」

「部長の家に、火炎瓶でも投げ入れましょうよ」

「……考えておく」

やっぱり好戦的な子だな。






おわり

読んでくれてありがと。
ガールズバーで働き始める所まで書けなかったや。
お粗末様。

久しぶりに見たな
ラビットや影送りは書かないの?

>>97
ありがと

>>98
書きたいんだけどモチベが上がらなくて
いつもこのssを書いたら続きを書こうと思ってる

あと一つ、イゼッタの百合ss書いたらラビットの続き書いて、年内に終わらせて、影送りの続きを来年から書きたいんだ(願望)

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