ゆいちなで、ちなったんメインです。
過去作
【モバマス】的場梨沙「悲しみのエレクトラ」
【モバマス】江上椿「永遠ブルー」
【R18モバマス】輿水幸子「少年のファクトリア」
【R18モバマス】佐久間まゆ「運命シンドローム」
【モバマス】中野有香「月のロケット」【百合】
【モバマス】藍子「キスを、いつも、探してる」【百合】
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いつものように相川千夏はカフェテリアで本を読んでいた。
大学キャンパスの敷地内にあるこの店で、図書館にある論文に目を通すのが
フランス史を専攻していた彼女の日課である。
カフェで論文のコピーを片手にアイスコーヒーを飲んでいると
男が一人、彼女の前に座った。
他に空いている席は沢山あるのに、そのスーツ姿の男は席に着くと
物珍しげにキョロキョロと辺りを見回している。
就活の時期にしては遅すぎるし、そんな時期まであくせくしている
三流就活生にしては余裕に満ちている。
千夏はチラチラと彼を見た。さっぱりした短髪に、清潔そうな
紺色のスーツ、ネクタイは無難なライン柄に
主張の強いクリーム色をしていた。
目が合うと彼はにこりと笑った。
「キャンパス内にしては、なかなかお洒落なカフェですよね。
よく利用されているのですか?」
「ええ」
男の問いに千夏は淡白に答えた。
「用件は?」
「ん?」
「目的もなく初対面の女性に話しかける男性はいないわ。
それとも、ただのナンパ?」
「ハハハ、参ったな。……実は私、ここのOBでして
アイドル候補生を探しに来ていたんです」
意外と甘党らしく、スイーツを一口食べた後、彼はこう続けた。
「お名前は?」
「相川千夏」
「千夏さん、アイドルに興味はありませんか。貴方にはその素質があります」
「素質なんて、初見で簡単に判断できるものじゃないわ」
「これを飯の種にしてますから目利きには自信がありますよ。
もう一度言います。千夏さん、貴方には素質がある。私に賭けてみませんか。
貴方はきっとトップアイドルになれます。私が、そうしてみせます」
静かでいて、自信に満ちた言葉だった。
詐欺師のような強引さが感じられないので
まだ警戒は解いていないものの彼女は興味が湧いてきた。
「もし、私がトップアイドルになれなかったら……?」
「……どうぞ」
プロデューサーは鞄から一冊、フランス語で出された書物をテーブルに置いた。
「私の蔵書です。原著ですが、国会図書館以外で中々見当たらない名著です。
私はこれで学生時代フランス史にのめり込みました」
「確かにこれは、絶版になっている本だわ」
「フランス旅行の際に購入したんです。
改訂版が出ていないので参考文献に使えるかは保証できませんが
複雑なフランス史を丁寧に紐解いていて読み応えがあります」
「……」
「その本を預けます。アイドル活動を少しやってみて二年以内に
トップアイドルになれなければ寄贈しますよ。いかがですか?」
その稀少本に釣られた訳ではないが、一度千夏はオーディション会場に足を運んだ。
そこでたまたま隣に座っていた娘が、彼女に声をかけてきた。
向日葵に似た明るい金髪に、澄んだ海よりも蒼い瞳をした美少女だった。
「こんにちは大槻唯でーす。
ねぇ、何かメチャクチャ難しい本読んでるねー、これ英語?」
「フランス語よ」
「へぇ、スゴいー! 頭いいんだー!
ところで、この本はどんな本なの?」
あんまり勉強が出来るような娘に見えないし
行きずりの関係での会話なので、千夏はごく簡単に説明した。
「共和制になるまでのフランス王家の繁栄と衰退を分析したものよ。
言ってみれば歴史書ね」
「へー。ゆいは英語も歴史も苦手だから、尊敬しちゃうよ」
そうしている間に「28番大槻唯さんから五人まで、部屋に入って下さい」
と、扉の向こうから声がした。
「ハイハイ! んじゃ一緒に行こう! ええと……」
「相川千夏」
「オッケー、ちなったんだね! またお話ししよう」
「あら。ええと、大槻さん」
オーディションに合格した千夏は、あのプロデューサーの連絡を
受けて事務所へと足を運んだ。
すると、正門の近くでスマートフォンを弄っている少女を発見した。
あの空よりも海よりも澄んでいる青色の瞳が妙に印象的な女の子だった。
「あっ、ちなったん」
唯はスマホから顔を上げて手を振り、すぐ千夏の傍へと駆け寄った。
「ゆいでいいよ。ちなったん、どう? 合格したん?」
「ええ」
合格もしないのにこんな場所でうろうろとしない
と言う前に唯は両手で千夏の手を握り、ブンブンと上下に振って喜んだ。
「スゴーいっ! ちなったんって、綺麗だもんね。
おまけに頭もいいし、ゆい、絶対合格出来ると思ってたんだ!」
「……頭のよさは関係ないわ。それに私ぐらいの容姿の娘なんて
アイドルになるような娘たちの中には沢山いるでしょう?」
「そんな事ないよぉ。ちなったんみたいな知的な雰囲気のクール美人
逆立ちしたって、ゆいには成れっこないもん」
「唯ちゃんはそのままで充分魅力的よ。無理に他人になる必要はないわ」
「そ、そーかな、ヘヘ……」
そんな話をしながら事務所案内に記された部屋まで行くと
スカウトをしていたあのプロデューサーが顔を出した。
「やぁ、二人ともいらっしゃい」
唯と千夏は同じ部屋の前で足を止めた。
「えっ、ちなったんも同じプロデューサーちゃんなの?」
「ああ。しばらくはレッスンスケジュールも別々だが
……いずれユニットを組んでもらう。
千夏さん、今日が唯と初顔合わせなんですが、知り合いですか?」
「まぁ……オーディション会場で、ね」
その日は軽いプロデュース方針について相談した。
唯はグラビアアイドルの路線もOKかという質問もあり
千夏は思わずプロデューサーに突っ込んだ。
実際に仕事を決めるのは唯であり、千夏が保護者を気取るような年齢でもない。
だが、大槻唯は確かに恵まれたプロポーションの持ち主だ。
それにどこか行動が軽いと言うか、大学生の千夏にとっては危なっかしく映った。
「ねぇ、ちなったん。お願いがあるんだけど……」
そんな説明が終わった後、千夏は唯をカフェに誘った。
新しい店を見つけたらとりあえず紅茶なりなんなり注文して
その店の雰囲気ごと味わうというのが千夏の趣味だ。
エスプレッソを頼んだその店で唯がこんな話を切り出した。
「今度学校で、英語の試験があるの。
でもゆい、小テストとか散々でメチャヤバなんだよね。
ちなったんの空いている時で良いから、勉強教えて!」
「教えるって……英語?」
「お願い! フランス語が得意なら英語もペラペラだよね!」
「まぁ、単語のルーツは似たようなものだし、必修だから……」
厄介な事を申し込まれたと思ったが
元より世話好きの千夏は唯の試験勉強に付き合った。
確かに唯の学力は高くはなかった。
しかしレッスン帰りでクタクタだというのに
彼女は真剣に千夏の教えに耳を傾けていた。
意外と家庭教師として教え甲斐のある娘だなと感じた。
「あら、相川さん。それは?」
「ああ、これ? 家庭教師先のテスト用紙作ってるの」
大学のパソコンを借りて千夏はカタカタと唯のための問題を作っている。
「……ええっ! 今週レポートの締め切りラッシュなのに
こんなに作ってるの!? ○○ゼミのスダレハゲとか
そろそろレポート通っておかないとヤバいよ……?」
「う……うん、何とかメドはついているから……」
気がつけば明日締め切りのレポートもそっちのけで、数学や社会の問題まで作っていた。
やるならとことん教えようとするのが相川千夏という女性なのだ。
「スゴい! こんな高得点採った事ないよ!」
定期考査が終わり、唯の努力は実って彼女は全科目六十点以上を達成した。
その分千夏はいくつかのレポートが再提出となり
その科目の成績は優から可に落ちてしまった。
「ちなったんのおかげだね」
「ううん、唯ちゃんが真面目に勉強していたからよ。こっちも教え甲斐があったわ」
「ねぇ、ちなったん。アタシ、良い点採ったご褒美が欲しいなー」
悪戯気のある物欲しそうな瞳で覗かれると
男でなくても何でも聞いてあげたくなる。
この美少女はそんな小悪魔な一面も持っていた。
「ん、いいわよ。私に出来る事なら何でも」
「本当に! じゃあさ、今度一緒にカラオケ行こうよ、カラオケ!」
「カラオケか……」
「いいでしょう。ちなったんの歌、聞きたいよぉ」
千夏はカラオケとはあまり縁がなかった。
オーディションの際、発音を褒められた彼女だったが
それまで歌というものに強い関心はなかった。
後日待ち合わせした上でカラオケボックスに行った千夏だったが
初めて唯の歌声を聴いた時に思わず拍手が出た。
「上手いわね。唯ちゃん、何か発声で気を付けている事とかあるのかしら?」
「ううん、ゆいは歌いたいように歌っているだけだよ」
「そうなの?」
「うん、アタシは歌いたい時、何も考えずに歌うんだ。
あれこれと考えて歌うのって疲れるし。
ダンスも一緒で体が勝手に動く事が多くて……」
これが天性の素質というものなのかと千夏は思った。
まるで歌を歌うために生まれたような娘だ。
「ちなったんの声、良いよね。
何か水のように透明感あって、ゆい、好き」
「そうかな」
「ねぇ、せっかくだしもっと歌おう!
ちなったんの歌、もっと聞かせてよ!」
「千夏さん。今度のライブなんですが、唯のものと日程や開催地も近い
という事がありまして……少し前倒し気味ですが
二人でデュオを組んでいただきたいのです。……いかがですか?」
「私が決めてもいいの?」
千夏は尋ねた。
基本彼女のプロデューサーはスケジュール管理や交渉について
しっかりとした方針を持っている。
だからこのように決定権を委ねる事は滅多になかった。
「……。会場で実際踊るのは、千夏さんたちですからね」
プロデューサーが何かを悩んでいるらしいと見てとった千夏は、了承した。
唯とは懇意の仲だし、別段困る事はないだろう。
プロデューサーは感謝して二人のスケジュール調整に入った。
「次のライブ、ちなったんとやるの!?
やったぁ! メチャクチャ楽しみー!」
唯にその事を話したら、彼女は単純に千夏とライブ出来る事が嬉しいらしい。
千夏はライブの進行具合をリハまで微調整し、並行してレッスンを続けた。
初めてのライブ共演なので念入りにステージ進行を頭の中で反芻する。
そのように万全の形で当日のライブに挑んだのだが
ハプニングは何かにつけて起こるものだ。
「えっ、機械の故障!?」
「はい、マイク回りの音響は問題ありませんが、どうも曲が流れないんです。
今原因を探していますが少しかかるのでそれまでトークで場を繋いでください」
プロデューサーに託された千夏は流石に焦った。
トークのタネはいくつか用意していたが、もうそれも全て使ってしまった。
フランス史のディープな話をしても聞いているファンのみんなが楽しめるとは限らない。
自分のファンならともかく唯のファンは層が違うし……
と色々考えていると、そのうち何もトークに使えなくなって
フリーズしかけのパソコンみたいに無言の間が続いた。
「ゆいね、この前ちなったんに勉強教えてもらったの! ね、ちなったん!」
「あっ、うん、確かにそんな事が……」
「そうそう、みんな!
ちなったんてばね、スゴく教え方が上手なの。それに優しくてね!……」
唯はこの後勉強の話をはじめとして
千夏とのプライベートトークをどんどん繋いでいった。
そうして時間を稼ぎつつ、彼女は自分のファンに向けて
千夏の魅力を余すことなく伝えた。
後日のアンケート調査では、このライブを契機に
相川千夏に興味を持った新規ファンも多かった。
のみならず、本来ファン層の被らない千夏のファンすらも
千夏の事をよく知った唯に関心を示したというデータも出た。
笑いの波を挟みつつ盛り上がりを見せる観客席から
千夏はちらっと舞台端に眼をやった。
プロデューサーが頭の上で大きく丸を作っている。
どうやら故障が直ったらしい。
「それでは、私の新曲を聴いてください」
そうして入った千夏の持ち歌だったが、トーク時間が長過ぎたのか
二番目の歌詞の途中で息切れがちらついた。
しかし、唯はそんな千夏を見て一緒に歌い始めた。
千夏の曲自体はボイスレッスンで唯も聴いていたが一緒に練習した訳ではない。
だが唯は、少しリズムが怪しい所もありながら
見事ぶっつけ本番でそれを歌いきった。
このデュエット熱唱というサプライズがますます二人のファンを湧かせ
後々も語られるくらいの名ライブになったのは言うまでもない。
(凄いわ唯ちゃん……アクシデントに即対応して、場を盛り上げて
おまけに私の歌までいつの間にか覚えていただなんて……)
唯に多く助けられた千夏は、感謝の念で一杯だった。
ステージで寄り添って歌う唯はいつもの危なっかしさもなく
頼り甲斐を感じるほどに大きく見えた。
「やぁ、二人とも今回は済まない。やりづらかっただろう」
プロデューサーは汗の光る二人にキンキンと冷えたジュースを手渡した。
「ありがとうプロデューサーちゃん!
ちなったんもジュース飲も飲も!」
「うん。ありがとう」
枯れかけた喉に流す清涼飲料水は美味しい。
「唯ちゃん、ありがとう。今日は色々と助けられたわね」
「そんな事ないよー。
ゆいってば先の事とかペースとか全然考えてなかったんだよ。
でも、ちなったんがアタシの投げたトークを繋いでくれたから、うれしかったぁ!
ゆいに出せない知識とか出して話題を沢山振ってくれたのは全部ちなったんだもん。
ファンの皆の反応見たっしょ。
ちなったんのお話、分かりやすくて面白いしアタシの方が助かっちゃった」
「! ふふふ……」
千夏は笑った。全然タイプが違うのに、どうもこの娘とは馬が合う。
凸と凹がしっかりはまったような安定感や補い合える心地よさがあった。
今まで本の虫として生き、人間関係で深入りした事のない千夏は
唯の存在が自分の中で得難いくらいに愛しいものに変わっていくのを感じていた。
「唯ちゃん、今度は海外に単独ライブをしに行くの?」
デュオを組んでから三ヶ月経ったある日の事だ。
プロデューサーは二人に対して時折別々のロケ地を
割り当て、ソロ活動を挟んでくる。
彼としてはソロの仕事をこなす事により
単体でも充分に通用する実力を身に付けて欲しいという。
確かに唯の人気はデビュー以降爆発的に伸びていた。
城ヶ崎美嘉、藤本里奈など同じタイプのアイドルが346プロには揃っている。
おまけに、彼女たちのいずれもトップクラスの人気アイドルという事もあり
彼女たちとしばしばユニットを組む唯もそのファン層に
後押しされる形でトップアイドルの階段を一気に駆け登っていく。
一方で相川千夏は与えられた仕事をそつなくこなして順調にその後をついていった。
小関麗奈や野々村そらといった、扱いが難しかったり
元気すぎたりするアイドルと組み
ユニットを引き締めるまとめ役のポジションにつく事が多かった。
唯とのあのライブを見た関係者は、彼女に調整役の才を見出だしたという。
競争の激しいアイドル業界において、彼女のファン層は稀有の安定感を持っていた。
「うん。ちなったんと一緒に行けなくて寂しいけど……」
新作のマロンクリームをふんだんに使ったスイーツを食べながら、唯は言った。
「里奈ちゃんとか美嘉ちゃんとか、他の皆もいるでしょう。
日本を離れて心細いかもしれないけど、寂しくはないはずよ」
「……違うもん」
フォークを置いて唯はあの美しい蒼い眼でまっすぐ千夏の瞳を見つめた。
「里奈ちゃんや美嘉ちゃんと居るのは楽しいよ。
けど、……ちなったんは、特別だもん」
その瞳の意味をその時の千夏は深く考えなかった。
彼女が思っていたより、唯は千夏の事を好ましく思っていてなついていた。
千夏は妹をいたわるような視線を向け、紅茶を飲む。
「じゃあ、何かお守り持っていく?
遠くにいても私の事を忘れないように」
「えっ、いいの!?」
「ええ」
「じゃあ、それちょうだい!」
「それって……これの事?」
千夏は唯が自分の顔を指したので、掛けていた眼鏡を取った。
「ちなったんって、いつもその眼鏡掛けてるでしょ。
ゆいがそれを掛けたら、頭良くはなんないと思うけど
絶対ちなったんのパワーがもらえる気がするんだ!」
意外なものを御所望してきたな、と千夏は悩んだ。
この眼鏡は近所で贔屓していた老舗が閉店する際に安くもらい受けたものだ。
確かに気に入って使っていたが、唯がつけるには少し古臭いかもと思った。
アイドルになってから有名デザイナーのいる店で買った
スペアの眼鏡の方が最新に近いデザインで唯に似合うと思う。
「うーん……他のデザインのもあるけど……?」
「アタシそれがいいよ。それが一番ちなったん、ってカンジするもん」
「そう?」
「……やっぱり眼鏡もらっちゃうの……ダメ?」
唯が上目遣いで千夏に聞いた。
彼女のその蒼い瞳で物をねだられれば、断りきれるものではない。
まして異性なら借金してでも彼女の望むものをプレゼントしてしまうだろう。
それくらい彼女は可愛く、魔力としか言い様のない魅力があった。
「……いいわ。スペアはあるし、これで良かったら唯ちゃんにあげる」
「やったー!」
「でもレンズの度数変えるから、何日か待ってね」
「うんうんうん! へへへ、ちなったんの眼鏡~眼鏡~♪」
その場で踊り出しそうなくらいにはしゃいでいる唯の様子を見て千夏は微笑した。
彼女の笑顔は本当に太陽のようだ。
(この笑顔が見られるなら、眼鏡の一つや二つくらい大したことないわ……ん?)
千夏がふと携帯を覗くとLINEに新着メッセージが入っていた。
はるにゃん
【千夏さん、唯ちゃんに眼鏡をプレゼントしたようですね!
眼鏡の魅力を一人でも多くに伝えたい私も、唯ちゃんと同じくらい嬉しいです!
今度レンズの種類とサービスが豊富なお店に一緒に行きましょう! (=^0ω0^=)ニャー】
「……って! ちょっと春菜ちゃん!? どこで見ているの!?」
「えっちょっ……シャボン玉作るの上手くなーい?」
唯の渡したストローで速水奏は難なく美しいシャボン玉を空に放った。
そのあまりに見事な技に、唯は感嘆して奏に聞いた。
「どうやってんの!? コツ教えてよー!」
奏は少し考えた後、ニコッと笑って唯に教えた。
「息の吹き方……っていうか唇の力加減?
そうね……キスを重ねれば上手になるかも……♪」
「ええっ!? キ……キスすかー!?」
予想だにしていなかったコツに唯は目を丸く開いた。
その時彼女の脳裏に浮かんだのは千夏の姿だった。
透き通るような、知性の滲み出る声を発するあの唇
その悩ましい色ツヤそして形が、その時、自分の唇に重なった気がした。
「いや~んキスって……ハードルたっかー……☆
キスかぁ……なんか妙にハズい~」
唯は身をくねらせながら俯きがちに顔を隠した
。
照れれば照れるほど、彼女の中の千夏はよりくっきりと
幻影として浮かび、彼女の唇に悪戯をしようとしてくる。
奏はそんな彼女を見てどのような相手に
懸想しているのか思い描くが、まさか同性とは思わない。
その日も唯と千夏はレッスン後にカラオケをしにホテルへ泊まった。
打ち解けてから二人はほぼ毎週カラオケをしている。
しかし、人気絶頂にある二人が都内のカラオケ専門店で歌うと
間違いなく人だかりが出来る。
そこで、最近は専らカラオケのあるビジネスホテルを探していた。
ビジネスホテルの人間は、唯たちとそれ目当てに利用する客の足を
止めるために、選曲を充実させるようになった。
二人は、今度ライブで歌う互いの持ち歌をそれぞれ歌って聞き比べていた。
その時、唯は千夏にこう漏らした。
「……ねぇ、ちなったん」
「ん?」
「女の子が女の子を好きになるって、どう思う?」
唯がいつもより熱っぽく聞いてくる。
あっけらかんと明るく話すのに、どこか今回は遠慮がちだ。
「……そうね。そんな形の恋愛があってもいいと、思うわ」
「ホント?」
「ええ。生活、文化、社会がずっと変化しているんだから
人間の価値観や考え方だってそれに合わせて
変わっていってもおかしくないと思うの。
宗教が絡まない限り、異性同士の恋愛に拘る考えは色褪せたものと言えるかもね」
「……つ、つまりちなったんは、女の子が
女の子を好きになっても、変に思わないってこと?」
「ええ。事務所でも美波さんとアーニャがいるし、今時特別な事じゃないわ……」
「えっ、あっ……!」
千夏はそっと唯の頬に掌を添わせ、そのまま彼女の唇を奪った。
その一瞬、世界は鼓動を止め、時すらも止まったように彼女は感じた。
ただ唯は、あの憧れの千夏の唇の柔らかさを
ジンとする歓喜の震えと共に享受していた。
微かな震えから千夏の息吹が、興奮が、背徳感が
愉悦が、ごちゃ混ぜになって唯に流れ込んでくる。
(どうか、しちゃったのかしら、私……)
興奮の最中にありながら、千夏は離れた場所から
自分の行動を冷静に見つめていた。
唯が自分に好意を向けている事はずっと前から分かっている。
今回の意味深な質問から、それがいわゆる友達以上の感情である事も。
キスは質問の答えとして一番シンプルで詳細なものだった。
千夏は危ない橋を渡らない。
相手が自分を受け入れない可能性が少しでもあれば告白などしなかった。
そんな性格だから、人並み以上の容姿と才覚をもちながら恋人は出来なかった。
そんな彼女の初めてのキス、しかも相手は年下で
同性の大槻唯というのだから、彼女自身も驚きを隠せない。
「ん……ちなったん?」
「いきなりごめんね、唯ちゃん。びっくりしたよね」
「ううん、うれしい!ちなったんも、同じ気持ちだったんだ!」
「うん」
「ゆい、ちなったん大好き!」
二人は心行くままにキスを交わしあった。
誰にも邪魔されない二人きりの空間が、彼女たちをいつもより大胆にしている。
キスを重ねれば重ねるほど、千夏は唯への愛を募らせた。
唇は食べるためだけにあるのではない、そんな当たり前の事を千夏は実感する。
こんなにも一つのものに執着したのは初めての事だった。
唯はただ無邪気にキスをせがんで千夏の唇を楽しんでいた。
「ん……」
千夏の手が唯の腰に添い、そのまま自らの方へと寄せた。
「ちなったん……?」
「ねぇ、唯ちゃん……私たち、もっと仲良くなれると思うの」
千夏はキスを挟みながら唯の太股を外から内
そして、鼠径部の方へと沿わせていく。
自分の体とほぼ同じ形とはいえ、このように触れるのは初めてだ。
意識しなくても掌に汗を掻いてしまう。
「……アタシ、ちょっと怖いかも……」
「優しくするから」
「うん。ちなったんがそう言うなら大丈夫だね」
唯は無邪気に体を預ける。脚と脚が交差し合い、ソファーに倒れた。
唇を離す事なく恋人たちは戯れる。
密着したまま二人の本能は熱を帯びていく。
言葉すら、交わす蜜唾に溶けていった。
崩れるように相手に寄り添う二人は愛を相手に示し合う。
千夏は本だけで得た知識が如何に頼りないか
実感しながらも、手探りで唯の歓びを探し求める。
愛とは神に似ている――その名を誰もが口にするが
誰もそれがどういう姿をしているか知らない――。
子供同士のじゃれ合いに等しいその交渉はひどく稚拙で未熟だった。
例えるなら道具を使わずに林檎を切り剥こうとするようなものだ。
そこにはただ、焦りと、好奇心と、興奮だけが次々と湧き上がってくる。
「ちなったん……」
疲れた唯は、無邪気な姿で重なりあったまま微睡む。
そんな彼女の頭を撫でながら、千夏は今更羞恥と
背徳の入り交じった悪酔にうなされる。
今まで人並みに打算的計画的に生きてきた自分が
どうしてこのような刹那的行動に出たのか分からない。
相手の好意を利用して外れた道に引き込むなんてどうかしている。
ましてや相手は十七歳なのだ。
「どうしちゃったのかしら、私……」
千夏は唯を見た。
さっきまでの後悔じみた感情が、スッと消えていくのが不思議だ。
この娘を胸に抱けないのなら、あらゆる節制も無価値に思える。
千夏は唯を待っている間、カフェテラスで本を読んでいた。
フランスの作家コレットの『青い麦』だ。
本棚をひっくり返してこの前やっと見つけた恋愛小説だ。
訳書も持っているが、やはり原文がいい。
堀口大学をはじめとする作家が訳しているものの、この情熱的な表現力に混じる
細やかな毒舌や、作者のカラーとも言える味のある観察眼は
原文で読まない事には少し物足りない。
(やっぱりね……)
気になっていたのは青い麦のヒロイン、ヴァンカだ。
彼女は碧眼に金髪の容姿で明るい性格をしている――そう、あの唯にそっくりなのだ。
(こうして読んでみると、本当に似ているわ……)
コレット自身、同性との恋愛も経験しているというが
彼女なら唯と自分の関係をどんな気持ちで見つめて記すだろうか。
「ん……ちなったん……」
朝日の差すベッドの上で、唯は寝惚けた目蓋をこすった。
シャワーを浴びるつもりが二人共そのまま寝てしまったらしい。
軽く欠伸をした彼女は、隣にいる千夏に視線を落とした。
眼鏡をスタンドライトの傍に置いた彼女は、まだスヤスヤと寝息を立てている。
「ちなったん……キレイ……」
淡色の瑞々しい千夏の口唇を見ているうちに
何か落ち着かなくなった唯は、そっと彼女の体に被さった。
「……。起きないでね……ちょっとだけ……」
唯は頭を下ろし、千夏の美唇に口づけをする。
昨晩息を吸って吐くように繰り返したというのに
改めてするキスというものはどうしてこうほのかに甘いのだろうか。
「ん……」
「!」
千夏の眉が動くのを見て、唯は慌てて桜色の唇を離した。
昨夜に互いを知ったというのに、まだまだ初な反応が残っている。
「あっ、私いつの間に寝てたのかしら……」
片手を口に当てて欠伸をしながら千夏はゆっくりと起き上がった。
眠気の残る伏し目にすっと通った鼻、そしてあの溜め息が出るほどに
悩ましい魅唇……あの唇でどれだけ楽しませてもらったか
唯はうつむきながら少し反芻した。
「おはよー……ちなったん。もう朝だし事務所に行こう」
「んっ……唯ちゃん。そう、もうそんな時間なんだ……」
軽く背伸びをした後、二人は一緒にシャワーを浴びた。
美女神と見紛う互いの裸身はシャワーの水を弾いて艶やかに光っていた。
「ねぇ、ちなったん……」
「ん? なぁに」
「『大好き』って、フランス語で何て言うの?」
互いの体を拭き合っている時、唯は千夏に聞いた。
手を当てていた彼女の膨らみが鼓動で微かに隆起する。
「じゃあ教えるわね」
千夏はにこりと笑うと、唯の唇を軽く奪った。
そして顔を真っ赤にしている彼女の耳の傍にあの麗唇を近付けて囁いた。
「Je t'adore(大好き).」
「ちなったん……!
そんな風に言われるとドキドキしちゃうよぉ……!」
「おはようのキスのお返し♪」
「えっ、気づいてたの?」
「ええ。……ほら、私だってドキドキしてるでしょう?」
千夏は唯の手を自らの胸に導いた。
形の良いなだらかなそこは鼓動を唯にはっきりと伝えている。
「愛を語るならフランス語が一番よ。
息を漏らすように発音するから自然とセクシーになるの」
「へぇー……」
「じゃあさっき教えたの、復唱してみて、Repete(もう一度)」
「じゅ……Je t'adore!」
姿見の鏡の前で二人の影が重なりあった。
「千夏さん。どうですか、アイドルになってみて?」
新しいモデルの仕事三社分の契約を街中のカフェで交わした時
プロデューサーは千夏に尋ねた。
気が付けば彼女がデビューしてから既に二年経過している。
「正直、こんな世界があるなんてあの時は知らなかったわ。
今はプロデューサーさんに感謝してるの」
「ありがとうございます。千夏さん……約束通り、今の貴方がいる場所
……トップアイドルのランクにエスコートする事が出来ました」
「ふふ、ここに来れたのはプロデューサーさんと、唯ちゃんのお陰よ」
千夏は言った。
半年前一足先にトップアイドルとなった大槻唯は
話題沸騰のアイドルとして常に注目の的になっている。
彼女は業界からも、佐野美心や日高舞のような
次代のスーパーランクアイドルになり得るかもしれないと見られていた。
隣が桁違いに輝いていると、モデル兼アイドルの仕事が
単純に増えただけの自分は果たしてトップアイドルなのかと千夏は疑いたくなる。
「いいえ、千夏さん。トップアイドルに登る事が
出来たのは、紛れもなく貴方の実力です」
千夏の手を握ってプロデューサーはそう言い切った。
「千夏さん。知っての通り、芸能界では往々にして
引き立て役やスケープゴートを保険として作っておく事が多いのです。
アイドルとして光輝けば、そうして出来た影に隠れてしまう娘もいます。
期待している人材と影になる存在をセットで組ませ
メインを相対的に輝かせる事をこの業界は平気でします。
メインアイドルの知名度が上がればそのまま流行に乗って人気を得ます。
その代わり、彼女にかかる不満や悪評は上手く相方の方に流して避雷針にする。
最後にはその避雷針もフェードアウトし、かねて眼をつけていたアイドルのみ残る
……という賢い方法ではありますが、褒められたものではないものです。
真のプロデューサーなら、どちらも輝ける光に出来るはずですから」
千夏はプロデューサーのごつごつとした男手をみつめている。
彼は真剣な話をする時に手を組む癖がある。
「かつてそんな役割で活動させられた例があります。
瞳子さんや泰葉ちゃんはまさにそれです。
しかし彼女たちも、この346プロに来てからは
眩いばかりの輝きを自分たちで発するまでになりました。
彼女たちのプロデューサーのようになるのが私の目標なんです。
私はこの事務所で働く事、そしてプロデューサーという仕事にやりがいを感じています」
「なるほどね。きっと私は……」
「ええ。怒らないでいただきたいのですが
実を言うと、唯とのデュオは上からの指示です。
上はむしろ唯を強く推していて……私も断りきる事が出来ませんでした。
ですが、凡百のやり方で貴方を切り捨てるような事は出来なかった。
私の努力以上に、貴方の努力と姿勢があってこそ
アイドル相川千夏はこのランクに到達出来たのです」
「ありがとうプロデューサーさん。
私がどう思われていたのか正直に話してくれて。
少しショックだったけど、それ以上に
私は唯ちゃんと一緒に活躍出来て嬉しかった。
もしソロ活動がずっと続いていたら、たとえトップアイドルになっても
気付けなかった事、沢山あるから……」
千夏の笑みにプロデューサーはしばし目を奪われていた。
唯の笑顔を何度も見ているうちに
千夏もまた魅力的に笑えるようになっていた。
彼女はバッグからあのフランス史の本を取り出し、彼に返却した。
「この本、もらい損なっちゃったわね。
逆に私がプロデューサーさんにプレゼントしないと。
トップアイドルにしてくれたお礼に、って」
「でしたら、是非いただきたいものがあります」
プロデューサーが物を欲しがるのは珍しい。
そう思った千夏は尋ねることにした。
「それは何かしら。教えてくれる?」
「……貴方の心、を」
プロデューサーは両手で千夏のたおやかな手を包み込んだ。
苦労を重ねてアイドルを守り育ててきた男の手は大きく
そしてどこまでも温かかった。
「えっと……変な冗談は、その……」
「冗談ではありません。これは本当の気持ちです。
千夏さん、アイドルになってから貴方の輝きは増すばかりです」
「敏腕プロデューサーの手によって?」
「まあそれもありますが」
そういうと二人は堪えきれなくて笑った。
真面目でいてどこかユーモラスな所があるのが、彼の魅力と言える。
「大学のキャンパスで会った時、貴女は美しい才女でしたが
どこか堅く近寄り難い所があったかと思います。
しかし、恐らく唯の影響でしょう、アイドル活動を通して
貴方はどこか柔らかくなった。そう私は感じています。
アイドルに手を出す、というのはご法度です。
ですが、私は自分に嘘をつけない……それを承知で
私はここで貴女に交際を申し込みます」
プロデューサーはポケットから小さな包みを取り出した。
ジュエリーケースには千夏の誕生石・トパーズをつけた指輪があった。
「……これは……」
「ささやかながら、気持ちを形にしてみました。
もし、気持ちを受け取りたくなければいつでも返してください」
「……。時間を、もらえますか……?」
果たしてプロデューサーの想いを受けるべきか
千夏はその日から指輪を見る度に悩んだ。
彼の事は嫌いという訳ではない。
むしろ確固たる信念を持ってプロデュースし、上からの方針に抗って
自分を一人前に育ててくれた彼には少なからず好意と感謝を抱いている。
そんな彼が、数多くいる女性の中から自分を選んでくれたのだ。
彼と共に歩む第二の人生も悪くないと思っている。
(だけど、唯ちゃんは……)
千夏はただ、唯との関係を残したまま彼と一緒になる気にはなれなかった。
遊びというには唯の気持ちは真剣過ぎるし、千夏も既に深入りし過ぎている。
しかし、元々気の迷いで始めたこの関係は
やはりいつまでも続けていられるようなものじゃない。
早くから唯の人生を同性愛で縛り付ける事に、彼女は罪悪感を持っていた。
女はやはり男と付き合った方がいいのではないか。
柄にもなくそういうコンサバティブな考えが彼女を安堵させようと囁いてくる。
(私は、どうしたいの……?)
千夏は自問自答を繰り返す。
唯との睦事が脳裏を駆け巡っては消えていく。
唯のもたらすつややかな肌のぬくもりは
既に甘く優しい日常として彼女の内に深く根を下ろしていた。
あの時以外、千夏は欠かさず唯の匂い嗅いでいた。
唯はいつも彼女の腕の中にいる。
異性との恋愛よりも早く同性愛に目覚めた唯は、積極的に彼女を誘い
まだまだ歪な形の愛を彼女と美しく育んでいく。
夢想の中で、抱き締めた唯はいつも彼女に向けて嬉しそうな笑顔を向けてくる。
美しい碧眼に明るい金髪……まさにあの本から抜け出したヴァンカのような唯……。
(……)
唯といるあの満ち足りた空間、ゆっくりと流れる素敵なあの時間が
どれほど愛しく価値のあるものか……千夏は机に肘を置いて頭を抱えていた。
悩んでいる間、千夏は無意識に唯を遠ざけていた。
唯にはプロデューサーの告白を話していない。
心の中でプロデューサーと唯を両天秤にかけている事を彼女は知られたくなかった。
(ちなったん……最近、あんまり唯といても楽しくなさそう……)
それに気づかない唯ではない。
デートの回数が減り、千夏の胸に抱かれる温もりが
如何にあたたかであったか、彼女は布団の中で改めて思い出していた。
(もしかして、ゆいに飽きちゃったの……?)
「ねぇ、唯ちゃん。ボートしちゃってどしたん?」
唯は我に返って隣にいた里奈を見た。
「べ、別に何でもないよ! ただちょっと疲れてるだけで……」
「へぇーマジぽん!?
確かに今回のライブメッチャ盛り上がってりなぽよもテン上げMaxだった!
りなぽよも帰ったらソッコーベッドにダイブしちゃう!」
ベッド……その単語を聞いて唯は千夏に口づけした
あの朝の事を思い出し、頬を朱に染めた。
千夏の事を思い出す度、あの時に囁かれたフランス語が頭の中を駆け巡る。
「おーい、里奈。着替え終わったか?」
その時、ステージ裏にバイク音が響き
やがて長い髪をなびかせた少女がやって来た。
雄々しい立ち振舞いと度胸、そして豊かな胸で有名な
藤本里奈の相棒、向井拓海だった。
「おっつー、たくみん。プロデューサーは?」
「だから、たくみんてゆーのやめろ。
プロデューサーはな、事務仕事手伝っててこれねーってさ。
だから代わりにアタシが迎えに来たって訳」
「あーりちょー、たくみん♪」
里奈は拓海の胸に飛び込んで、その谷間に顔を埋めた。
「お、おいやめろって! 唯が見てんだろーが!」
「いーじゃん、いーじゃん♪
ライブ直後でつらたんな、りなりなに元気プリーズ♪」
すると拓海は人差し指で頬を掻いた後
強引に里奈の顔を胸元から離し、口づけをした。
里奈は拓海の手に自分の手を重ねて指と指を絡ませ合う。
下唇を吸い合う度に、二人の指は開いたり閉じたりを繰り返した。
その光景を見て唯は無意識に小指を口に含んで目蓋を伏せる。
最近千夏とはキスすらしていない。
以前は会う度にあの柔らかな唇を吸って舐めていた。
早く千夏ともう一度眼前の二人のようなキスを交わしてみたい。
そう唯は仲睦まじい拓海と里奈の姿を見て思っていた。
「ん……ほら、これでいいか?」
「バッチシぽよ~♪ マジベホマ感アリアリ~。唯ちゃんもいっとく?」
「えっ!? ゆいはいいって!」
「ほら、里奈。唯も困っちまっただろう?
唯も千夏も、アタシらほどガチってねぇんだよ」
「てへへ……」
「えっ、何でちなったんが出てくるの?」
「そりゃあ、いつも一緒にいるからじゃねぇか。
最初はてっきり、お前ら二人も、アタシらや
夏樹のようにソッチかって思ったんだよ。
でもそうだったらあの告白は受け取れないよな」
「……!? こ、告白って!」
「えっ! 唯ちゃん知らないぽよ?
唯ちゃん所のプロデューサーが千夏さんに告白した話……」
「……」
「アタシら、カラオケ終わった後に歩いていたら、その場面を目撃したんだよ。
何か指輪を渡しているの見たぞ? 本当に知らなかったのか?」
(ちなったん……ゆいに何にも話してくれなかった……)
(不自然に避け続けるのも、唯ちゃんに悪いわね……)
気持ちの整理がつくまで唯とは時間を取りたくなかったが
あまりに懇願されるので千夏は彼女を自室に招き入れた。
ソファー、キッチン、バスルーム、ベッド……
その一つ一つに唯との思い出があった。
この部屋全てに、千夏は唯の匂いを感じている。
一人でいると寂しくなり、唯を抱きたくて堪らなくなる。
あの蒼い瞳を覗きながらまた口づけを交わしたい。
一緒にいると、もっと時間を共有したくなる。
話すと、もっと彼女の事を知りたくなる。
手が触れると、その温もりを無意識に追い求めていた。
これは、プロデューサーの時には感じなかった感情だと、千夏はようやく気づいた。
「……あっ!」
料理をしている時に、千夏は唯が中々化粧室から帰らない事に気づいた。
寝室にはプロデューサーからもらったあの指輪がある。
隠したかどうかまでは覚えていない。
もし置きっぱなしにして唯に見つかれば……!
千夏は火を消してすぐに部屋に向かった。
「ちなったん……」
部屋に行く途中の廊下で、千夏は唯とぶつかった。
「どうしたの?」
「いえ、ただ……ちょっとリビングに帰って来なかったから……」
「……そっか」
千夏は指輪の事を悟られまいと平静を装った。
だからだろうか、唯の調子が何となくおかしい事に気づくのが遅れた。
「ちなったん……おめでとう」
唯は静かに言った。
うるさいくらいに張りのあるあの声を抑えている。
それなのに、笑顔だけがいつもと変わらないので
千夏は心臓に針を刺されたかのように息詰まりを感じた。
「何の事かしら」
「プロデューサーちゃんとの指輪の事だよ」
唯は最初、里奈たちの話を鵜呑みにした訳ではなかった。
もしあの話が本当なら、千夏が自分に相談しに来るはずだと思っていた。
トイレに行く振りをして唯は千夏の寝室に入った。
彼女の机には、隠し忘れたジュエルボックスが置かれていた。
中の指輪を見て、唯はようやく里奈たちの話が本当で
千夏がプロデューサーからの指輪を受け取った事を理解した。
そしてその事を千夏が隠していた事も……。
「違うの、あれは……」
「何が違うの? プロデューサーちゃんから告白されたんでしょう」
唯は里奈たちの目撃話を聞かせた。
見られていた、と千夏は眼鏡を手で隠しながらどう弁明したらいいか悩んだ。
「あれはね唯ちゃん……」
「酷いよぉ、ちなったん……ッッ!」
唯の綺麗な瞳から堪えきれずに涙が溢れ出てきた。
一度流れてしまったそれは嗚咽を誘いながら、唯を深く悲しませていく。
「ゆいの事は遊びだったの?
ゆいは、本気で、ちなったんの事、好きなのに……
何でゆいには何も話してくれなかったの?
指輪までもらっておいて、これ以上……アタシ……
ちなったんに嘘つかれたくないよぉ……!」
真夏の太陽よりも輝きに満ちた笑顔を、唯はいつも千夏に向けていた。
その彼女が見せる泣き濡れた顔は
千夏の胸をズタズタと冷たい刃の楔を打っていく。
「唯ちゃん……」
「もう分からない、分からないよぉ……!
ちなったんには、幸せになってほしいけど
アタシ、アタシ……!」
弁解する事も、慰める事も叶わず、千夏はただ唯が泣くのを見て心を痛めていた。
「プロデューサーさん」
閉店間際のカフェでプロデューサーを誘った千夏は
彼の手にそっとあの指輪を返した。
指輪の入ったケースが彼女の決意を乗せて実際よりはるかに重く感じた。
「ごめんなさい。プロデューサーさんの気持ちは嬉しいけど
私……どうしても貴方を選ぶ事が出来なくて……」
「……いえ、良いですよ」
プロデューサーは静かに笑うと、千夏の手に自らの掌を乗せた。
「実は……貴方と唯の関係を、私は知っていました」
「!」
「意地の悪い形で告白してすまないと思っています。
ですが、やはり私の気持ちだけは貴女に伝えたかった
……エゴですねこれは」
夕暮れ時だからか、そう言って笑うプロデューサーの顔には
影がかかり一層寂しそうに見える。
「あの、私……」
「私はただ、千夏さんが自分で決めた事に
後悔しなければ……それだけでいいんですよ。
自分で見つけたその気持ちを、ずっと大切にしてください」
「……はい」
「では約束を。……明日からまたプロデューサーとして
いつものようにプロデュースさせてくれますか?」
「勿論」
「良かった。ここの勘定はしておきます……
唯はきっと、まだ事務所の屋上にいますよ」
「……! ありがとう、プロデューサーさん」
唯の事を聞くと、千夏はバッグを手にして早々にカフェを後にした。
プロデューサーは彼女の残したエスプレッソをじっと見ながら、やがて携帯をかけた。
「……失恋かぁ……ん、ああ、早苗さんですか。
この前断っていた飲み会の件なんですがね
あれ、今から参加させてもらってもよろしいですか?
……はい、ええ……楓さんや礼子さんたちも呼んで下さい……
お金は全部私が立て替えますから……とことん飲みましょう」
「唯ちゃん」
屋上へのドアを開けた千夏は、柵に腕をかけて夕空を見ていた唯の姿を見つけた。
唯は千夏の声を聞いても振り向こうとはしなかった。
「……」
「この前の事、弁解しようとは思わないわ。
プロデューサーさんから告白されたのは本当よ。
それでずっと悩んでいたのも本当。
あと、……唯ちゃんの事が最初遊びだったのも……」
「……!」
唯が振り向くと、千夏はすぐ傍に立っていた。
泣き濡れた彼女の顔を見つめながら、千夏は彼女の手を握る。
「だけど……プロデューサーさんにはしっかり返事をしたわ。
プロデューサーさんは素敵な人だけど……
私にはもうそれ以上に、好きで堪らない娘が傍にいるって。だから……」
「ちなったん!」
千夏はその腕の中に愛しい唯を抱き寄せた。
そして、彼女の耳元で、吐息がかった声でこう囁く。
「Je suis heureux avec toi(貴女と居ると幸せなの).
私はもう迷わない……貴女だけを見て、貴女だけを幸せにする」
「ちなったん……! アタシ、アタシ……」
千夏は唯の涙を人差し指で拭った。
「……Je t’adore!」
二人の顔の影が、夕焼けの中で重なりあった。
以上です。フランス語で緊急回避したり制服恥ずかしがって着ていたり
学園祭のちなったんが可愛すぎた
悪くもない(小躍り)
乙でやんす
これはJe t'adoreがJe t'aimeになるまでそうそう時間はかかるまい
いいよねフランス語……
乙
めっちゃかわいかった
乙
これ知識無いと書けんからスゲーと思った(小並感)
この事務所レズだらけじゃねえか!(歓喜)
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