美河荘の人々 (8)
--罰が下ったのだ。
開いた扉の先で驚愕の表情を浮かべる両親の姿を見て、志貴はどこか冷めた思考でそう考えた。
いつかは訪れる破滅。それが今訪れた。それは思っていたよりもずっと早かった。それは辿り着いた楽園から追放されるのに半年も掛からなかった。
思考停止から一転、悲しみ泣き崩れる養母。仁王のごとき憤怒の表情を浮かべて勢いをつけ殴りかかる父。
衣服を身に着ける余地すらなく馬乗りになり何度も何度もわが子の顔を父は殴りつけた。それはもはや躾けの領域を超え、己の生み出した恥を切り捨てようとするかのような勢いだった。
父のこのような剣幕を志貴が見るのは二度目だ。一度目は実母が浮気をし、浮気相手の子供を身篭り家を出て行った日。まだ志貴が小学校に上がりたての頃だ。
激情に駆られた父は居間のありとあらゆる物を破壊した。幼い志貴は居間の扉の外から父の姿を見て恐怖に身を震わせたものだった。
幼き日に恐れた父の姿が今目の前にある。トラウマになったあの日の父を前にして志貴は抵抗する気力さえ湧かずただひたすら殴られ続けていた。
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「なぜだ、なぜ……なにがいけなかった」
怒りの表情から一変。今度は涙を流し始めた父。しかし、志貴を殴る手は止まらない。
「やめて、あなた。やめて!」
ようやく事態がどんどんと悪い方向へと向かっていることに気がついたのか養母が父を止めに入る。しかし、力強い父の前では養母の必死の制止も意味をなさない。
それでも、涙を流しながら止めに入った養母の想いが伝わったのか父は志貴を殴る手を止め、未だ収まらない怒りに拳を震わせながら志貴へ向けて告げた。
「やはり、お前はあの女の息子だ! 汚らわしい血め! 出て行け! 二度とこの家の敷居は跨がせん!」
そう告げられ、志貴は16年住み慣れた生家を追放された。それからは自室にてほぼ監禁。父親によって志貴のその後は全て決められた。
遠方に住むほとんど顔を合わせたことのない叔母との面会。叔母の管理するアパートの一室を借りて生活を送ることになり、学校も転校となった 。
20歳までは生活費を支給するがその後は一切関わりを持たないとの父親の宣告を叔母越しに伝えられ抵抗する間もなく志貴は住み慣れた土地を後にすることになった。
「あんたも馬鹿なことしたね。まあ、せいぜいあたしに面倒を持ってこないようにしてくれよ。一応今後のあんたの保護者代理はあたしってことになったから」
新しい住居に向かう車の中、けだるそうに叔母である茜はそう告げて志貴にひとつの鍵を手渡した。
「それ、あんたの部屋の鍵。なくしたらもらった生活費から金出して新しいの作りなさいよ」
叔母からの忠告に頷きながらも志貴は心ここにあらずといった様子で窓の外の流れ行く景色を眺めていた。
何もかも失くした。捨て去ったのは己だ。両親に求められ続けたいい子でいることも、周りの期待に応えるために被った仮面も。
志貴。貴い者を志す人間になるようにと父に名づけられた名も期待も裏切った。全てを失った己はいったいどうやってこれから生きていけばいいのだろう。
感傷に浸る間もなく新しい生活が始まり、転校先の学校での生活も始まった。一年の、それも夏という中途半端な時期への転校を最初は皆物珍しがっていたが、家庭の事情というありきたりな理由に納得し、転校生への興味も一週間もすれば落ち着いた。
とはいえ、それまで住み慣れた地と違い全く関わり合いのなかった人々と一から関係を築くのは少し苦労した。それでも、持ち前の人当たりの良さから一人、また一人と友人を増やし、一月が経つ頃にはクラスに馴染めるまでにはなった。
そうして夏が過ぎ、秋が訪れ、冬にちょっとした出来事を迎え、春となった。
一人の生活にも慣れ出し、最近では夜にちょこちょこと招かれざる客が来るような生活が日常になりつつあった。
暖かな日差しが照らす三月の半ば。美河荘の庭先に植えられた梅の木が開花を迎えた頃、このアパートは新たな住人を迎え入れた。
アルバイトのため出かける準備を終え、外に出た志貴の視界に引っ越し業者のトラックが目に入った。
業者の青年とトラックの前にて話をする一人の少女。年は志貴とさほど変わらない年代。今時珍しい、長い黒髪に力強い凜とした瞳。身に纏う空気はどこか寂しげで、それでいてそれを感じさせまいと必死に虚勢を張っているかのような雰囲気を感じさせた。
しばらく立ち止まって少女を見ていた志貴であったが、そんな彼の存在に少女もまた気がついたの足元に置いてあったいくつかの小袋の一つを手に取り、志貴の元へと向かっていく。
「初めまして。大森冬香と申します。今日からこちらでお世話になります。
これ、詰まらないものですが受け取ってください」
そう口にし、冬香と名乗った少女は小袋を志貴へ手渡した。小袋の中身は洗剤の詰め合わせだった。
「何か困った際にお世話になることがあるかもしれませんが、その時はよろしくお願いいたします」
まるでマニュアルのような引越しの口上を口にする冬香であったが、言葉とは裏腹に体から滲み出る拒絶の態度がこの場限りの薄い関係性を志貴に悟らせた。
「わざわざ、ありがとうございます。こちらこそお力になれることがあれば遠慮なくお声掛けください」
そうして二人の初めての出会いは淡々と終わりを告げた。冬香は引越しの手伝いに入り、志貴もまたバイト先へと向けてアパートの駐輪場に停めていた自転車を出し、美河荘を後にした。
春が訪れる。新しい出会いを予感させる季節の始まりが……。
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冬香との初対面から二十分ほど。志貴はバイト先である【三毛猫亭】へと到着した。時刻は午前十時半。バイトの時刻は十一時からであるため、少し早い到着だ。
十時開店の店内では既にまばらにお客の姿が窓の外から見えている。良天気に恵まれた本日は店外のオープンスペースにて会話を楽しむ女性たちの姿も見られた。
裏口から店内に入り、更衣室へ向かう。扉を開けると中には本日ランチタイムを一緒に乗り切る相方であるベテランスタッフである三上芳樹の姿があった。
「おっす、志貴。今日はよろしく~」
既に制服に着替え終わり、片耳にイヤホンを当て音楽を聴きながら気軽な調子で挨拶をする芳樹。無個性な茶髪に両耳に二つずつ付けたピアス。いかにも世間がなんとなく想像する一般的な大学生のイメージ像をそのままそこに当てはめた存在。それが三上芳樹という男だった。
「おはようございます。こちらこそよろしくお願いします」
三上に挨拶を交わした志貴は持参したリュックから制服を取り出し着替えを済ませる。
「そういや志貴。そろそろ彼女できた?」
唐突な三上の問いかけに志貴は思わず苦笑する。もはや定期的な問いかけとなったこの質問。春休み。特に代わり映えしない日常を送り、且つバイトのシフト上よく被る二人は会話の内容もどうしても少なくなってくるため、まず三上のこの質問から話の風呂敷を広げることが定番となっていた。
「いえ、相変わらずですよ。そもそも、こっちに越してきてからいろいろと忙しかったですし、彼女とか作っている暇なんて全然なかったですよ」
そう答える志貴であったがそれは半分は事実であるがもう半分は嘘であった。確かに環境の変化に戸惑いいろいろと苦労したのは本当ではあるが、三ヶ月もすればすっかり今の環境に慣れていた。
しかし、心情的な問題からとても彼女を作ろうなどという気持ちにはならなかった。
「は~勿体ねえ。いいか、高校生なんてあっという間に終わっちまうんだから今のうちにもっと楽しんで青春を謳歌しとかねえと卒業してからじゃ後悔してもおせーぞ。
制服デートも一緒の登下校も今くらいしかできねえんだから」
「三上さんは高校生の時青春していたんですか?」
あまりにも自身に満ち溢れながらアドバイスを送る三上にそう問いかけると三上は苦笑いを浮かべ、照れくさそうに頬を掻きながら答えた。
「いや~偉そうに言ってっけど、実は俺大学入ってから遊びまくるようになったから正直高校生の時はそこまで人に自慢できるほど青春してたわけでもねーんだよ。
んで、まあ今はそこそこ楽しく毎日過ごしてるけど振り返ってみると時々もっとああしとけばよかったな~とか思うわけ。
だから、ちょっとお節介かもしんないけどこうしてアドバイスみたいなの送ってみたり……。
ってか、俺こんな真面目に話しててなんか寒いわ! この話ちょっとやめよーぜ!」
おそらく見た目や言動は浮ついたように見えても本質は根は真面目な人間なのだろう。【三毛猫亭】で働くようになってから志貴が三上とシフトが被った際時間に余裕を持って前入りをしているが、それでもいつも三上は志貴よりも早く入り、他のバイトのシフトの確認をしたり、店の状況によっては軽い手伝いをしたりしている姿を見かける。
店長は勤務時間前に働かせるのは申し訳ないと思っているため、遠慮をしているのだが、『勝手にやってることっすから。気にしないでください』と答える三上を前にしてはそれ以上何も言うことができなかったという。
それから三上と更衣室にて他愛のない会話を少し続け、勤務時間が近づいた。タイムカードを機械に通して二人はホールへと向かう。
「さあて、今日も頑張るとしますか~」
「はい、そうですね」
そうして本日のアルバイトが始まった。
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