モバP「誰かの夏と終わり」 (21)
アイドルマスターシンデレラガールズのSSスレです。
気長におつきあいいただければ幸いです。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1471788659
――ハイ片付けー!!
ほとんど放心状態になっていたオレの耳に届いた、終了の合図。
グラウンドにぼたぼたと落ちる汗を腕でぬぐい、顔を上げると、陽射しがもろに目に入ってくる。
最低気温からして30度近いこの時期、「朝の涼しい時間帯にがんばろう」なんていうのはヤケクソのうそっぱちだ。
テレビでは、外での活動は控えるようになんて言っているのにな。
ともかく一瞬でもはやく水をがぶ飲みしたいんだけど、かといってさっさと片付けに入れるほどの体力も残ってない。
というわけで、オレ含めてたいていの部員はゾンビみたいにのろのろと移動し、そのくせラダーやパイロンみたいな片付けの楽な器具に取り付くのに必死になる。
そんな中、ひょいひょいとハードルをまとめて担いで倉庫に一番乗りし、もうトンボ持って戻ってきてるやつがいた。
足元から砂煙を立たせ、ピンと伸びた背筋は疲れなんか感じさせず、鼻歌まで歌ってるそいつは、俺を見るなりにっこり笑って、
「ほらほらー、あと少しだから、がんばろっ?」
一ミリの嫌気もなく言い切った。
オレの5センチ上から。
「ちっ……うっせーっつの」
そう吐き捨てると、男子からはひゅーひゅー声が飛んで、女子からは、うわあいつサイアクなんて評価が聞こえよがしに下った。
そういつはというと困ったみたいに笑って、トンボ掛けに向かった。もちろん駆け足だ。
あーもう、サイアクだ。
乙倉が悪い。
いつからか、デカ女、という悪口は言わなくなった。あまりにもみじめだからだ。
その代わり、とても口には出せない敗北感は、毎回態度になって表れていた。
ことあるごとにオレは乙倉に勝負を吹っかけた。
勉強は――まあどっこいどっこいだった。
それ以外では完全にオレの負け。
身長はアイツのほうが高い。女子の中ではダントツだし、男子と比べても負けてるやつはいっぱいいた。
顔は――ぜったい本人には言わないけど――可愛い。オレなんてフツーもいいとこだし、告白もされたことないから、これも乙倉の勝ちだろう。
乙倉は何回も告白されてるみたいだと、ウワサで聞いた。同学年も上級生からも、それどころか高校生からも、だって。
でも、全部断ってるっていうのもおんなじウワサで聞いた……ホッとしたのは、内緒だ。
そんで、小学校の頃から自慢にしてきた陸上でも――オレは乙倉に勝てていない。
もちろん、男女で大会自体は別だから、レギュラー争いとかそういうのではない。
競技もほとんど違うから、部活でどうとわけでもない。
純粋に、乙倉はオレよりかけっこが速い。
いつもオレは、乙倉の背中を見るはめになっていた。
単純にそこが問題で、だからこそ悔しかった。
部活じゃ関係ないしねっ、なんてフォローされるのがなによりしゃくだった。
乙倉は特別なんだと思いたくなかった。
負けたくなかった。
――おーい乙倉、迎え来てるみたいだぞー?
オレがほこりっぽい倉庫から戻っていると、、顧問がグラウンド中に聞こえるような大声で叫んでいた。
誰かが、乙倉を迎えに来たようだった。
「え、ええー?! いま行きまーすっ!!」
トンボ掛けは、あと半分ほど残っているようだった。
「……ちっ」
めんどくささを前面に押し出しながら乙倉の元に駆け寄る。
誰か代わってやれとか言うなよ分かってんだよ先生。
「……ん」
オレの登場にハテナマークを浮かべる乙倉へ、できるだけしかめっ面で手を差し出した。
「……え? いいのっ?! うわぁありがとっ!! えへへっ!」
満面の笑みで、オレにトンボを渡す、その指が、少しだけ熱かった。
「お土産買って来るからね!」
今度はオレがハテナマークを浮かべる番だった。
「……あれ、言ってなかったっ? 来週まで、ライブとそのためのレッスンでこっちはお休みするんだっ」
そう、こいつは、モデルの仕事からなりあがって、あろうことかアイドルまでやってのけていた。
親のいる前では、まともにテレビのチェックはできないけれど、隣町まで行って買った雑誌のグラビアは、部屋の隅の使わなくなったエナメルバッグに隠してある。
むき出しの肩も腿もへそも、満面の笑みも、すぐそこにあるけれど、面と向かってじっくり見るなんて不可能だから。フルカラーで載ったすべすべの肌の感触も知らないままだ。
で、そんなことはどうでもよくて。
オレはおもわず、聞いてしまった。
「……お前、合宿来ないの?」
今週末の合宿。
当たり前すぎて考えもしなかった、参加するしないの話。
「うんっ。もーすっごい楽しみにしてたんだけど、仕方ないよねっ」
だってお仕事だもん、そう言う乙倉はちっとも残念そうじゃなかった。
もう少し残念そうにしろよ、とは言わず。
こっちに来いよ、なんてもちろん言えず。
「……もう行けよ」
自分で自分をぶん殴りたくなるような態度に、乙倉は嫌な顔ひとつしなかった。
たぶん、それどころじゃないのだろう。乙倉は、もう、次のことに目を向けているんだ。
「うん! じゃああとよろしくねっ! 合宿、私の分まで楽しんできてね!」
ばーか、あんなもんキツいだけだ。楽しみなんかあるもんか。
そんなオレの呪いのつぶやきに気付くことはなく、くるりと背中を向け、練習の疲れなんか少しも見せずに乙倉は走り出す。
結局、オレは乙倉の背中を眺めることになる。
砂煙の向こう。
まだ遠い背中。
合宿が終われば、夏が終われば、追い付けるかな。
――――――――――――――――――――――――――――――――
ライブを無事成功させた私たちは、現地で一泊してから帰ることになっていました。
スタッフさんやスポンサーさんへの挨拶もそこそこに、明日も早いからと私とPさんは早々に席を抜け出し、
「お疲れ様でしたーっ!」
「お疲れ、悠貴」
ふたりで成功をお祝いしていました。
この一週間、すごーく大変なスケジュールをこなしてきたから、せめてこれくらいはとPさんが気を遣ってくれたんです。
私たちは会場を出た後、こっそりホテルの近くのコンビニで買出ししました。
Pさんは、おいしそうなものを手当たり次第にカゴに入れていました。
そしてホテルの部屋に戻った途端、ビニール袋の中身をばら撒いて、小さな丸テーブルはあっという間に埋め尽くされていました。
まずは、ひとつ500円もするパフェをそれぞれ取って、プラスチックのながーいスプーンでつつきます。
「それにしてもさっきはびっくりしたぞ? ライブが終わったと思ったらランニングに行ってるんだから」
子どもみたいな顔でチョコパフェをほおばりながら、Pさんが言います。その隣で、私もちっちゃなブドウと生クリームを口に運びました。
今日はカロリー計算はお休みですっ。
「えへへ、ごめんなさいっ。あのタイミングでしか、時間取れなさそうだったからっ」
毎日走らないと、なんだか落ち着かないんです。今朝だって、私なりの調整のつもりで軽めに走ったんだけど、ライブ後も、カラダがうずうずして、つい。
「部活のみんなが頑張ってるから、負けられないなってっ」
それを聞いたPさんは、少し悲しそうな顔でした。
「間が悪かったな。合宿だったっけ? 陸上部の」
私は、自分のうかつさに気がついて、
「あ、や、その、違うんですっ。確かに部活の合宿にいけなかったのは残念だったけど、でもでもっ、合宿自体は事務所のみんなとするし、それに……」
続けようとした言葉の、余りの恥ずかしさに気がついて、私の言葉とスプーンがとまってしまいます。
でも、それに、と言ってしまったから。恥ずかしかったけれど、私は、言いました。
「けーひさくげん? ってわけで……Pさんと一緒に、お泊り、できたから」
「……!」
言っちゃった。
いっちゃった、いっちゃったっ。
もう怖いものなんてないっ!
「そっち、行っても、良いですかっ」
隣に座ったPさんに言います。
私は――パフェを手に持ったまま――Pさんのひざの上に、向かい合わせになってまたがりました。
(こーやって、向かい合ってだっこしてもらうのが、一番好き……っ)
大人扱いでもなければ子ども扱いでもない。
コイビト扱いしてほしいんだって、気付いてるんです。
そんなキモチを目線にこめて、Pさんにまばたきしました。
Pさんのおくちは、チョコレートの味がしました。甘やかしなオトナの味。
ユウキはたぶん、ブドウの味。まだまだこれからのあまずっぱさ。
「こっちでも、合宿、企画しようか」
そんな声を、Pさんの胸の中で聞きました。言葉の振動が伝わってきて、本当にPさんに包まれているみたいでした。
「わあ、いいですね、それっ!」
私はがばっと起き上がって賛成しました、けど。
「そういえば合宿って」
「うん」
「どんなことするんですかっ?」
座ったままPさんがずっこけたような気がしました。
「ええと、そうだな……」
Pさんの答えに集中します。
「バスで山奥か海沿いの合宿所だかまで行って、吐くぐらい走って筋トレして、飯ごうでべちゃべちゃの米炊いてうすいカレー作って虫満載のトイレでおっかなびっくり肝試しして徹夜して好きな人の言い合いするんだって意気込みながらヘトヘトだからすぐ眠くなって」
それ……楽しいんですか……っ?
そんな私の表情を見て、Pさんは笑いました。
「みんなといっしょなら、それが全部いい思い出になるくらい楽しいんだよ」
想像しました。
「…………っ!」
そんな気がしました。
「やっぱり、やりましょうよ、合宿っ!」
「そうだな、それじゃ、計画してみるか」
みんなでする合宿。
それはとても、楽しそうでした……でも。
「その合宿……Pさんは、来ますかっ」
「うん……? 少なくとも顔出しくらいは、しようと思うけど」
それを聞いて私は、もういっかい、Pさんの胸の中に潜り込みました。
ぴったり、Pさんのカラダに、吸い付きました。こういうときだけ、細身のカラダが、うれしいんだ。
「それじゃ……Pさんを独り占めできるのは、いまだけですね……っ」
私は、Pさんの言ってくれた合宿の例にのっとって、言いました。
私の好きな人は。
モモンガかな?
乙倉くんとチューするとは早苗さんに逮捕してもらわなきゃ・・・
このシリーズはいいな
絵面を想像するだけで抜ける
あんな夢を見たせいで寝覚めは最悪だった。
坂ばかりのこの町は、よせばいいのに学校までもが山の上にある。
運転手の愛想は最悪だが冷房だけはしっかり効いたバスを降りた瞬間、立ち上る熱気が塊となって顔面にぶち当たった。
気の抜けていた俺は一瞬で現実に引き戻され、停留所から登る坂の上の、青すぎる空と入道雲をバックにした校舎を仰ぐ。
他の部の連中もぞろぞろとバスから降り、正門までの坂道に足を踏み出しちゃいるが、誰も彼もまだ始まってもいない部活に思いを馳せ、一様に憂鬱な顔をしていた。
坂を登るごとに汗が額から噴出し、セミの声がのしかかってきて、その重さでうなだれていた姿勢を、もういちど引き上げる。
いつまでも続く8月の空。恐いくらいの入道雲。難攻不落の三階建て校舎、
正門の前の制服姿。
蜃気楼かと思う。見慣れた校舎から出てきた、見慣れない装い。
練習試合に来た他所の生徒かと思い、噴出す汗を念のため拭って凝視し――今度こそ幻覚を疑う。
あるいは、夢の続きか。
転校したはずの人間が校舎から出てくるなんて、死んだ人間が生き返るくらい信じられなかった。
それも、まさか、よりにもよって、
「お、岡崎……?」
立ち尽くす俺に、そいつが気がついた。そこまでも夢と同じだった。
逃げも隠れも出来なかった。
「お久しぶり。部活?」
しずしずと坂を下り、俺の前で目の前で微笑んでいたのは、間違いなくあの岡崎だった。
この瞬間、俺は気付いていたんだと思う。
でも、ここらでは見ない垢抜けた制服が、いつからかの眼鏡が、似合いの標準語が――『夢にまで見た』彼女の実在が、
違和感を、些細なことだと切り捨てていた。
「――、うん部活、ええと、久しぶりー、元気しとった?」
「ええ、おかげさまで。そっちも元気そうだね」
「てか、帰ってきてたんだー、もうビックリしたわー。里帰りって感じ?」
「そうなの。学校のほうにも挨拶しておこうと思って――」
必死でつなぐ、定型文の挨拶。非の打ち所のない相槌。
そうじゃないだろうと、伝えるはずの言葉があっただろうと、胸の奥深くで叫ぶ声がする。
「でも、覚えててくれてて嬉しかったな。私、すぐ転校しちゃったから」
「……またまた。忘れるわけないだろ、だって」
(だって、岡崎のこと)
出掛かった言葉は、喉元につっかえる。息を詰まらせる。そして沈む。
「アイドルなんだから」
代わりに漏れ出た一言を、俺はすぐさま後悔した。
脳裏によぎるのは、岡崎がかつて教室で見せた、作り物のように動かない笑顔。
噴き出していた汗が一気に冷め、俺は取り返しのつかないことをした顔になったと思う。
セミの声が止む。
「――そうかな」
岡崎は、笑った。
山頂からふもとまで、その果てに広がる海まで、光る風が吹き降りた気がした。
その中心にいるのは、間違いなく岡崎で、だけど、俺の知る女の子ではなかった。
彼女はもう、救われた後だった。
どこかの誰かの手によって。
「あ、ごめんなさい。もう私、戻らなくちゃ」
またね、と最後に言い残し、岡崎は俺のすぐ隣を歩いて、下ってゆく。
ふっと香るさわやかな花の匂い。
「……おう、またなー」
視線を前に向けたまま、俺も別れを告げていた。
セミの声が帰ってくる。
「集合、間に合うかな」
誰に伝えるでもなくつぶやき、汗を拭いながら、俺は正門への坂を上る。岡崎の居た座標を、潰れたローファーで踏みしめる。
永遠に続くようなこの夏も、いつか終わるのだろう。
夢に終わりがあるように。
見せたい景色があるんです。
そう言って実家からPさんを連れ出し、最終バスに二人して乗り込みました。
最初はぎゅうぎゅう詰めだった車内も、市街地を抜け、終点近くになると私たちしか乗客はいなくて。
たった二人になっても、私とPさんは隣同士に座っていました。
「――え、この狭い道でバス同士すれ違うの?」
「はい! もっと狭いところもあるんですよ?」
この街は坂ばかりだから、山の斜面にも団地が広がりびっしり家々が立ち並んでいて、その間を縫うように道路が蛇行しています。
普通車でさえすれ違うのがやっとの片側一車線を、慣れたバスの運転手は他所の人が見たらびっくりするぐらいのスピードで飛ばしていました。
Pさんは不安半分興奮半分になって、バス同士がぎりぎりですれ違ったり、手を伸ばせば家々の軒先に触れるような外の様子に魅入っていました。
その様子がなんだか可愛らしくて、私は思わず笑ってしまいました。
バスが右に左に揺れるたび、私とPさんもふらふら流れて。
――最後の二区間、私は、誰も乗ってこないことを祈りながら、こっそりと、Pさんに体を預けていました。
小銭での支払いに少しまごつきながらも、私たちは揃ってバスを降り、終点へ向かうそのテールライトを見送りました。
昼に来た真っ暗闇の校舎を横目に、あちこちの茂みからの虫の声をやりすごしながら、蒸し暑い夜の坂道をそろそろと下ります。
誘蛾灯を頼りに公園に入って、視界の開けた外苑に出て――二人で息を呑みました。
眼下に広がるのは、私の故郷の夜景。
星空を逆さに敷き詰めたような、光漂う長崎の街。
やっと、溜息が聞こえました。
「――綺麗だな」
「世界の三大夜景、に認められたそうですよ」
私は、自分のことを褒められたかのように誇らしい気持ちになって、知らずのうち、得意げな口調になっていました。
「夜景がきれいだとは聞いていたが……さすがだな、それにしても、ここって多分穴場だろ?」
「はい。有名な展望台は別にあります。でもそこは、ガイドブックに載ってるような観光スポットだから人も多いですし……それに」
「それに?」
「日中、学校に挨拶に行った帰り、思い出したんです。学校帰りに見える夜景がきれいで、それでクラスのコたちが……」
そこで、この話がとても恥ずかしい告白に行き着くことに気がつき、私はじんわりとカラダが熱くなるのを感じました。
思わずPさんのほうを見てしまうと――彼はもう、話の続きに期待している様子でした。
もっと言うと、Pさんにはすでに話の内容がばれていて、それを私が赤面しながら白状するのが見たくて仕方ないといった顔でした。
トクン、トクン、
鼓動が速くなって、呼吸が浅くなって、
「下校の、で、デートで、使ってるっていうのを、思い出して……」
でも、記憶が連鎖した先で、蓋をしたはずの、別の記憶を掘り返してしまいました。
「だけど」
刹那、掻き消える体温。
「――だけど、この街にいた頃は、誰かと見たいだなんて思いませんでした」
夜光に向けている私の目が、きっと曇ります。
「私、ずっと芸能界にいたけれど……しばらく休養ということで、それでこの町に戻ってきていたから」
この里帰りの決行は、最後の最後まで、迷いました。
「愛想よくしながら、かつての私への関心が怖くて。怖がりながら、田舎だから仕方ないと、見下している自分がいて」
嫌でも思い出してしまうから。
「デートのこともそう。話を耳にして、皆くだらないことをしてるなって、思いながら――実際は、羨ましがっている自分を騙しながら」
熱帯夜の只中で、薄ら寒さを覚えます。
本当に、嫌になります。
だって、
こうなればあなたは心配してくれるから
浅ましい娘だと、自覚してしまうから。
そして、どうせひどい娘だと、開き直ってしまうから。
「……泰葉」
――剥き出しの肩に手が置かれるのを、感じました。
カラダは、それだけで血の気が通い、熱を取り戻し、湿気を帯び、火照りを湛え始めました。
余りにも自然に、あなたの懐に潜り込みます。
鼻腔からあなたを感じ、骨の髄が打ち震えました。
私はおとがいを上げ、プラネタリウムの時と同じように、あなたの瞳を覗き込みます。
その中には、星と、光とが散りばめられていました。
あなたを通してしか光を見出せなくなった私は――その深奥に、私自身を見ました。
岡崎泰葉は、笑っていました。
幾多の輝きに絡め取られ、永久に閉じ込められた私は、とても幸せそうな顔をしていました。
「がぶ……んなこと言ってもさぁ。行ってみないとわかんないっしょ?」
リンゴ飴のりんごをシャクシャクさせながら、デブがのんきに言う。
実際、そのとおりだった。
「……わかっとるよ」
でもそれが出来れば苦労はしないんだ。
さっきからずっとその繰り返しで、熱くてジメジメした祭りの会場を、ある一区画だけを除いて、ぐるぐるぐるぐる歩き回っている。
お面の種類も、祭りのプログラムも、今年のくじの一等賞とワケの分からない流行の景品(今年は、頭にかじり付くサメの帽子)も、明らかに町の人間じゃない兄ちゃんの客寄せ文句も、もうあらかた覚えてしまった。
色も音もにおいもごちゃまぜになってぼくに流れ込んでくるけど、それらを楽しむヨユーはなかった。
「それに、次いつ帰ってくるなんてわかんねーし、ほら、いっこ食う?」
いつの間にかリンゴを食い尽くしたデブは、これまたいつの間にか買っていたたこ焼きをぼくに差し出してきた。
「いらねーって!」
イライラのまま突っぱねて、すぐに、さすがにひどすぎたかと思う。道行くひとの何人かが振り返って何事かという顔をした。
「……ああっ! そうだなそうだな、歯に青のりなんかつけてちゃカッコつかねーもんな、ふひひひっ!」
それでもデブはまったく気にした風もなく、一度はぼくに勧めたたこやきをあっさり引き下げてはふはふとほおばり始めた。
まったく、付き合いのいいやつだとは思う。ぼくなら、ぼくなんか相手にするのもいやだ。こんなグチっぽくてえらそうで、そのくせヒョロヒョロでいくじなしで。
「ほふ……ぅ、ごくん。んー、でもよぉ、おまえ行かないんなら、おれ行くぞ?」
「ええっ?!」
ここにきてまさかの裏切りかと、ぼくは思わず大声を上げてしまう。
「いやぁ、だってあいつん家のイカ焼きだけは食っとかないと」
ゴムまりみたいな腹を突き出したデブに一切の後ろめたさはなかった。たぶん、ほんとに、それ以外の意味はないんだろう。というか『だけ』じゃないだろうもうたこ焼きまで食ったのかこいつは。
「はやくしねえと無くなる」
何気ないデブの呟きが、ぼくに事実を突きつける。
ぼくたちは勿論、大人だってそうそう行けない高級料亭が、祭りの時だけ安く出す店だ。毎年すぐに売り切れるし、今年はきっともっと早いだろう。
看板娘が、立派になって帰ってきたんだから。
「……ぼくもいく」
いよいよ覚悟させられたぼくは、歯を食いしばりながらそれだけ言った。
「おっしゃ! そーと決まればっ」
デブはウキウキしながら、今まで(ぼくのせいで)散々うろうろしていた道をまっすぐに突き進み始める。
「お、おいっ、待てよっ!」
ぼくの制止も聞かず、うそみたいに素早く人ごみをかわして行くデブが、ムカつくけど頼もしい。
先行するデブの声は弾んでいた。
「首藤んちのは、やっぱカクベツだしなぁ」
そうだ。
首藤は、カクベツなんだ。
近寄ることすらなかった一画にあっさり踏み入る。
他と余り変わり映えのしない光景の中で、目に見えて人だかりができている屋台があった。
そこが、首藤の家の料亭が出している屋台だ。
そこに、首藤が帰ってきている。
「ん? おお、葵の友達か。いつもありがとうね。ん……、せっかく来てくれたところぉ、悪いんやけど……」
終わったら呼びつけようか? という申し出を、ぼくは断った。
そのまま逃げ出そうとするぼくの襟首をデブはひっ捕まえて、もう片方の手で三本注文し、金を払い、何も言わずに一本ぼくに持たせた。
首藤は、いなかった。
大人もいっぱいの列に5分近く並び、なんどもつま先立ちになって、ようやく前が見えてきたあたりから、嫌な予感はしていた。
ついさっきまで店に立っていて、在庫分の串を打ち終わったところで、この後のイベントの準備に向かったと、すまなさそうにおじさんが言った。
何回も折りたたんで、ボロボロになった祭りのプログラムは、結局役に立たなかった。
屋台を出てからずんずん歩き出したデブに、ぼくはただオロオロしながら付いていった。さっきとはまるで逆だった。
行き着いたのは、会場から少し離れた芝生。祭りの明かりはギリギリ届くが、足元はおぼつかないそこに、デブはどっかりと座り込んだ。
真正面を見る。万国旗みたいに提灯がぶらさがって、屋台が顔を突き合わせて、隙間無く人でごった返していて、
その上に、ステージがあった。
「こっからなら、顔くらいは見えるだろ」
デブのシャツの背中には汗がじっとりと滲んで、ミッキーマウスみたいになっている。
その隣に、そっとぼくは座る。日中の陽射しを吸い込んだそこはじんわりと熱かった。ぼくらを取り囲むようにあちこちでキリギリスが鳴いていた。
「はやく食えよ、うめえぞ?」
ぼくの隣で二本目に手をつけたデブが、大口開けたところでこっちを見た。
言い返そうとして、アンプが、どこからともなく大音量でそれをさえぎった。
『――みなさま、お祭りは楽しんでいますでしょうか? それでは――お待たせいたしました!!』
ぼくは手の中の串を見る。首藤が打ったっていうイカの串焼き。
挑みかかった。タレが跳ねようがお構いなしだった。
『これより、わが町が生んだ日本の看板娘――首藤葵のミニライブ、開幕です!』
涼しい風が吹いたのは一瞬。
気が付けば、ぼくは立ち上がって飛び跳ねて、両手をぶんぶん振りまわしていた。
この夏最初で、最後の熱さだった。
衣装を解いて、身体を拭いて、浴衣に着替えて、髪を上げて。
ほんのうっすら、紅を差して。
昂りは身体に残したままで。
待ち合わせ場所は、うちの屋台のあった場所。
次々と畳まれ始める出店の間を、お祭り後の熱気の中を、あたしは目立たないように、整えた諸々を崩さないように、慎重に抜けて行った。
でも、その後ろ姿を見止めたとき。
やっぱり最後は、駆け足になる。
「お、おまたせっちゃ! プロデューサー!」
「おう、お疲れ、あおい……」
ひゅうと夜風が吹いて、互いの格好を見合って、
「似合ってるっちゃ!」
「似合ってるな」
あたしたちはきょとんとして、すぐにおかしくておかしくて、あたしたちは笑った。
屋台も花火も音頭さえない、あたしたちの祭り。
生温い温度の残る地元の夜道を、月に照らされて、あたしとプロデューサーは連れ立って歩く。
会場だった公園からはもう大分離れていた。壊れた電灯みたいな虫の声を聞きながら、すり足で、雑草交じりの田舎道をたどる。
お祭りの後は、一年の安泰を願って神社に参るのが慣わしだった。
だけど、明日の仕込みもあるから、おとうちゃんやおかん、店のみんなはもう参っていた。
身内から、明らかに気を遣われるのは、この上なく恥ずかしい。
恥ずかしいけれど……チャンスなのも、確かだった。
「ごめんね、お疲れのところ、付き合ってくれて」
勝手に盛り上がってしまいそうな気持ちを落ち着けたくて、今更、アイサツみたいなことを口走る。
「葵こそ、疲れてないのか? ずっと店に立ってて、休みなしでライブ、盆踊り、あと子ども会と……」
「あと……えと、地元のよさこいチームっちゃね」
依頼には、全部応えたかった。
あたしはあくまでも、町民のひとりとして、有志で、お祭りに参加した。
それをこの人に、お客として、楽しんで欲しかった。それがあたしの恩返しだった。
「へへっ、それくらいでへばるような、ヤワな女じゃないって、プロデューサーが一番よく知ってるでしょ?」
本当は、違う。足は棒みたいだし、ライブが終わってお色直しに一旦家に帰ったとき、そのまま倒れこんでしまいそうだった。
でも、やっと、たどり着いた時間だから。
「どうだった? あたしの凱旋ライブは!」
神社の足元に到着して、そびえる石段を見上げる。月光に浮かびあがるそれはぞっとするほど白い。
「そうだなぁ……」
プロデューサーは、立ち止まった。少し、考えるそぶりをみせた。
あたしも立ち止まる。胸の鼓動が早くなる。
「今日の長さとハードさのプログラムこなすなら――」
とん、と。不意打ち気味に肩を押され。
「あ、え……?」
それだけであたしはよろけて、
「あと3倍は体力付けないとなぁ」
もう片方の手で抱き止められた。
「あ、はぁ、ふ……ぅ?」
あたしはしばらく、何が起こったかわからなくて。
でも、プロデューサーの腕の中で、自分の荒い呼吸にやっと気が付いた。
「頑張りすぎだよ、葵」
その優しい顔に、情けなさより、恥ずかしさより、やすらぎが勝った。
「…………うん」
あたしはまだ、この人を頼っていいんだと思った。
もう俺なんかいなくても大丈夫だなと言われていたら、あたしはどんな顔をしていただろう。
あたしは、見透かされたかったのかもしれない。
「……あーあ、プロデューサーには、かなわんちゃねえ……えへ、めんどしい……」
言い訳を手に入れたあたしは、もう、ためらわなかった。
もたれかかり、浴衣の胸元に頭を預けて、支えてもらうことにきめた。
手を背中に這わせ、もう少し伸ばして、プロデューサーの手にたどり着く。
「握っちゃる……へっへー、離さないっ」
握り返してくれる感触が心地よかった。
ゆっくり、あたしたちは石段を上り始める。ここなら、歩幅の違いは、関係ない。
「あたしね、こういうの……憧れだったっちゃ」
月の光の冷たさとは裏腹に、熱にうかされたみたいに、あたしの口は勝手に動いた。
「こっちにいる頃は、家の手伝いでほとんど出れなかったから。もちろん、家の手伝いは好きだし、そのおかげで料理上手になったのも、感謝してるっちゃ。だけど……」
屋台に同級生が来て、買ってくれたその後姿を見るたびに、うらやましかった。
「た……大切な人ができたら、いつか、って、そう思ってた」
まさか十も年上の男の人と、とは、思わなかったけど。
「いっしょに居られて、うれしいっちゃ」
石段を上り詰める。鳥居を見上げる。
草履の音が止む。
見ているのは、神さまだけだった。
ゆっくり、ゆっくりと、重なっていた影が離れて。
そして寄り添って、境内に足を踏み入れる。
屋台も花火も音頭さえない、あたしたちの祭り。
先輩はやめろぉ!(憤死する音葉)
これでおしまいです。
お読みくださった方ありがとうございました。
乙です
いいね、ぐさぐさ来るねw
乙乙
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