男「愛していたんだっけ?」(120)
「愛していたんだっけ?」
僕がそう言うと、その女性は泣きだしてしまった。
戸惑いもあったが、僕は「やはりな」とも感じていた。
その言葉が彼女を傷つけるという予感があった。
でも、それでも、その言葉が口を突いて出てしまった。
僕は目の前の女性が誰なのか、わからない。
それは、僕がプレイボーイだからではない。
記憶を失ってしまったからだ。
目の前の女性のことも、僕自身のことも、全く覚えていない。
この始まり方は、あの作者さんか?
医者に見せられた鏡の中の僕は、しっくりこなかった。
少し癖のある髪も、自信がなさそうな目も、しっくりこなかった。
20歳くらいだろうか。
もう少し歳をとっているだろうか。
それすらも、よくわからなかった。
ただ、僕の意思で鏡の中の「僕」の表情が変わることを、少し気持ち悪く感じた。
手のひらを見ても、体を見下ろしても、しっくりこなかった。
中肉中背。
特徴のない、普通の体だ。
お腹に少し傷痕があるが、医者曰く、やけどの痕のようだ。
昔、やけどをして、皮膚移植をした痕。
もちろん僕には、そんな記憶はない。
傷痕を撫でてみても、まったく感傷はよぎらない。
僕を探しに、病室を訪れた彼女。
彼女が呼ぶ僕自身の名も、しっくりこなかった。
彼女が名乗った名前にも、聞き覚えがなかった。
小さなアパートで一緒に暮らしていたらしいが、まったく覚えがなかった。
ベランダから見る夕陽も、湧いたヤカンも、畳に敷いた布団も、頭に浮かんでこなかった。
ただ、彼女の顔には少しだけ見覚えがあった、気がした。
どこかで見たことがあるような。なんだか懐かしいような。
僅かな感覚。
でも、僕自身に関することよりは、ずっと鮮明だ。
どうして記憶を失ったのか、医者も頭を悩ませているらしい。
新しい大きな外傷はない。
脳のスキャンについては、医者も口を濁した。
両親はいないのか、見舞いにも来ない。
僕はどうしたらいいのだろう。
「愛していたんだっけ?」
僕は、この女性を愛していたのだろうか?
なぜそう思いついたのかも、わからない。
途方に暮れて、泣き続ける彼女を見つめる。
僕のことを知るのは、彼女一人だ。
上手く話をして、僕のことをもっと教えてもらわなければ。
そのためには、まず泣き止んでもらわなければ。
僕は記憶を失ったが、女性が一度泣き出すとなかなか泣き止まないことは覚えていた。
そういえば、名前を聞いた時、僕の名字も、彼女の名字も、彼女は言わなかった。
僕は恐る恐る、彼女に名字を尋ねた。
彼女は泣きながら、一つの名前を告げた。
「それは僕の? 君の?」
その問いに、彼女はかぶりを振りながら、小さな声で言った。
「……どっちも、一緒」
「……どうして?」
「……だって、家族じゃん」
家族。
両親は見舞いに来ないが、彼女は僕の家族だという。
そういえば、見覚えのないこともない顔だと思ったんだっけ。
彼女の顔には、どこかしら懐かしい雰囲気がある。
少し癖のある短い髪。
自信のなさそうな目。
小さく結ばれた口。
ああ、そうか。
彼女の顔は、鏡の中の「僕」に似ていたんだ。
地の文が多いです、すみません
また明日です ノシ
期待
―――
――――――
―――――――――
何日か経って、僕は退院になった。
彼女と家に帰り、週に一度以上通院する、という条件で。
「自宅療養ってやつか」
「自宅療養ってやつよ」
「まだ全然記憶戻らないのに?」
「身体は健康でしょ」
「頭は不健康なのに?」
「病院に置いておくスペースがないのよ、きっと」
「置く」とはひどい表現だ。
でも彼女は、なんだか少し嬉しそうだった。
家への帰り道は、真新しいことだらけだった。
靴が小さくて歩きにくい。
「電車」は知っているが、僕らが乗った車両に見覚えはない。
当然駅の名前も、風景も、初めて見るものだ。
スーパーも、コンビニも、通い慣れた感じはしない。
いつも何を買っていたっけ。
いつも何を好んで食べていたっけ。
それすらも思い出せない。
僕は幼児のように、彼女をあとをふらふらついていくだけだった。
アパートの外観にも、きしむ階段にも、ちゃちな表札にも、懐かしさが感じられない。
本当に、僕はどうしてしまったんだろう。
本当の僕は、どこにいるのだろう。
気持ちが悪い。
居心地が悪い。
常に地に足がついていない。
そんな感覚。
ガチャリ、とドアが開けられる。
生活感のある部屋にそろそろと上がり込む。
……部屋の匂いだけは、なんだか僕を安心させた。
彼女が呼んだ僕の名前は、なんだか女みたいだった。
どんな漢字を当てるのだろう。
「もしかして僕は、12月24日に生まれたの?」
「……よくわかったね」
「……僕の両親は、随分ストレートに名前を付ける人だったみたいだね」
「……そうね」
「じゃあ君は、3月3日生まれ?」
「そういうこと」
「両親はどこに?」
「もういないの」
「……そう」
僕らよりも先に亡くなっていたということだろうか。
彼女だけが病室を訪れていたことを考えれば、納得できる話だ。
このアパートに二人で住んでいたというのも、納得できる話だ。
両親の収入なくして、大きな家やマンションに住むことは不可能だろう。
「大学、休まなきゃね」
そう言って彼女は、少し笑った。
諦めの笑いか。
なんか、そんな感じだ。
「僕は大学生だったのか」
「そうよ、まだ20歳よ」
「君は?」
「私はOLよ」
「花の、ね」と付け加えて、彼女はまた笑った。
泣いていた姿からは想像できない、綺麗な笑顔だった。
僕の状態にも少し慣れてきたのだろう。
「『君』って呼ばれるの、ちょっとイヤなんだけど」
「……そっか」
「まあ、私のことも思い出せないだろうけど、なんかさ、他人行儀で」
「僕はいつもなんて呼んでたの?」
「『ねぇね』」
「は?」
「『ねぇね』って呼んでくれてた」
「恥ずかしくない? それ」
「知らないわよ、あんたが子どもの時からずっとそう呼んでたんだもん」
「ええー」
「ねぇね」か。
そう呼ぶのはちょっと、いやかなり恥ずかしい。
記憶にない女性を気安く呼べるほど、僕は社交的ではない。
「……まあ、少しずつ、思い出していこうよ」
そう諭してくれる。
「休学届とか、ややこしいことは、やっといてあげるから」
ありがたいことだ。
「ここでゆっくり、身体も頭も休めて、さ」
何日も病院にいたけれど、不思議と身体は元気だった。
頭は、そうはいかないようだけれど。
「ありがとう」
僕の言葉は、よそよそしくなかっただろうか。
少し居心地が悪くなって、僕は目を逸らした。
その日の夕食は僕が好きだったというハンバーグだった。
「ほれ、いっぱい食え」
彼女は最初よりも砕けた口調になっている気がした。
笑顔も増えた。
「まーあれだね、記憶ないっつってもさ、退院できたんだから大丈夫でしょ」
「もとの生活をして脳を刺激して、思い出させようってことでしょ」
「だから、大丈夫なんじゃないの?」
「これで効果がないってなったら、きっとまた入院だよ」
「え、それはヤだ」
彼女は、言葉が幼い気がする。
僕と対等に喋るからだろうか?
僕はもうちょっと落ち着いた喋り方をしていると思うのだけれど。
「おやすみ」
「おやすみ」
布団を並べて横になる。
彼女は明日も仕事だそうだ。
僕は、大学の授業があるのだろう。
でも、こんな状況で学校に行く気にはなれない。
「明日はゆっくりしてて」
そう言ってくれていたし、お言葉に甘えようと思う。
慣れない環境で眠れないかと思っていたけれど、意外とすぐに睡魔が襲ってきた。
そうして僕は、この家で、見知らぬ女性の隣で、眠りに就いた。
また明日です ノシ
乙!
期待
姉さんか
期待
―――
――――――
―――――――――
変な夢をみた。
僕と、彼女が、二人並んでいる。
その前に、神様が座っている。
なんだか偉そうな言葉を並べているけれど、何一つ頭に入ってこない。
怒っているような、悲しんでいるような、変な表情を浮かべていた。
僕と彼女はそれを神妙に聞いている。
―――――――――
――――――
―――
「おはよう」
「おはよう」
ほぼ同時に目が覚めた。
「ほら、布団畳んで」
「万年床なんて、ダメだからね」
見よう見まねで布団を畳み、片づける。
親戚の家に泊まるような居心地の悪さが少しだけあったけれど、うまくできただろうか。
じゅうじゅうと卵が焼ける音と匂いがする。
トーストの香ばしい匂いもする。
カーテンの隙間から入る日差しが健康的だ。
「ほい、朝ご飯」
彼女は二人分の朝食をテーブルに並べ、言う。
「卵に何をかける派だったか、覚えてる?」
彼女はニヤニヤしている。
僕は無意識に手を伸ばしていた。
「塩と胡椒」
それを聞くと、彼女は「やっぱり」と言って嬉しそうに笑った。
「記憶がなくなってさ、あんたが別人になっちゃった気がしてたけど……」
「でもそういうとこ見ると、やっぱ変わってないなって、安心した」
そう言いながら、彼女はケチャップとマヨネーズをたっぷりかけた。
「なにそれ、変な食べ方」
「いいでしょ、ずっと私は、こうなんだから」
味が濃いんじゃないか。
どっちか片方でいいんじゃないか。
そう思ったけれど、それ以上言わなかった。
多分記憶がある頃の僕も、そう言っていただろうから。
「じゃあ、行ってきます」
そう言って彼女は玄関で靴を履く。
「早めに帰るから、それまでゆっくりしてて」
「鍵はそこね、出かけるなら持って出て」
「でもあんまり覚えてないなら、ふらふら出歩いちゃだめよ」
「お昼は冷凍かなんかで我慢して」
「夜、なんか食べたいものある?」
出る直前にも、彼女は色々と喋っていった。
僕は特に食べたいものはなかったので、いつも通りの感じで、と注文しておいた。
テレビをつけてみると、外国人が日本人を殺して埋めたニュースをやっていた。
コメンテーターが憤っていた。
街の人のコメントを羅列していた。
ネットの意見を羅列していた。
知事が遺憾の意を示していた。
そのどれにも、見覚えはなかった。
お昼のバラエティは主婦向けの内容だった。
まあ、平日の昼にテレビを見る若者は少ないだろう。
商店街でB級グルメを食い歩くお笑いコンビは知っていた。
代表的なコントも思い出せた。
「覚えてることもあるんだなあ」
ぽつりと口に出す。
僕が忘れてしまったものは、一体何だろう?
昨日から充電しっぱなしの携帯を、充電器から外してみる。
あれからぼーっとすることが多かったので、携帯をいじる時間はほとんどなかった。
電源を入れてみる。
パスコードを入力する際、なんのためらいもなく僕の指は動いた。
「……覚えてる」
携帯に関することは覚えている。
インターネットに接続し、最近のニュースを順に見ていった。
芸能人の不倫スキャンダル。
アイドルのお泊りスクープ。
野球選手のケガ。
知事の汚職。
そのうちのいくつかは僕も知っていた。
入院するより前に起こったニュースだ。
そういえばこんな風に報道されていたな、と思い出すことができた。
僕が忘れていることは、なんだ?
自分のこと。
学生であることも、名前も、顔も、家も、忘れていた。
彼女のこと。
OLであることも、名前も、顔も、関係も、忘れていた。
そのほかには?
部屋の中を見回す。
小さなキッチン、本棚、押し入れ、クローゼット。
冷蔵庫、レンジ、壁にかけられているフライパン。
漫画に雑誌に、僕ら二人の写真。
押し入れの中は布団。
僕と彼女の服。
僕はとりあえず、本棚を漁る。
「……読んだこと、あるな」
本棚に並んでいる漫画は、僕が子どもの頃から好きだった少年漫画だった。
大きなサイズになって加筆され再発行されたもので、表紙に覚えがあった。
一冊、目を通し始めると止まらなくなって、僕は夢中で読んでいた。
いつの間にか、主人公の親友が死ぬシーンまでぶっ通しで読んでいた。
「……熱中しすぎた」
ふと時計を見ると、もう昼だった。
冷凍パスタをレンジに放り込み、漫画の続きを読む。
「この後、確か……」
死んだと思った親友と夢の中で会うのだ。
そして、主人公の進むべき道を示してくれる。
生きていた時も夢で会うことがあったが、その夢とこの夢が繋がっていることがここで示される。
「ああ、ああ、そうだそうだ、ここで泣いたんだった」
子どもの頃も、大きくなってからも、同じシーンで泣いた覚えがある。
冷凍パスタを頬張りながら、どんどん読み進める。
やっぱり名作だ。
何度読んでも面白い。
なぜこの漫画があまり有名にならないのか、理解できない。
子どもの頃、これを友だちに薦めてもあまりいい感触は得られなかった。
「あれ」
そういえば、この本棚にあるということは、彼女も読んでいるはずだ。
「なんて言ってたんだっけ?」
彼女はこの漫画に対して、どう言ったのだろう。
気に入ってくれたんだっけ。
それとも微妙な反応だったっけ。
友達に薦めたことは覚えているのに、彼女に薦めたことは覚えていなかった。
漫画を読み終えると、家の中を隅々まで探索した。
レンジや調理器具の使い方は覚えている。
冷蔵庫の中にある調味料の味も覚えている。
蛇口のひねり方も覚えている。
だけど買い置きのシャンプーの置き場所は覚えていなかった。
砂糖壺の仕舞い場所も覚えていなかった。
クローゼットの服のほとんどに、見覚えがなかった。
僕の物らしい下着の色さえも違和感があった。
「変な記憶喪失」
そう、なにかが変だ。
では、また明日です ノシ
今日はなんとなくミステリ調ですが、別に謎解きものではないので、肩の力を抜いて読んでもらえたら
思い立って僕は、携帯で検索をしてみることにした。
同じような症状の人が世の中にいないかどうか。
医者は明言してくれなかったが、未知のウイルスとか、一時的な現実逃避とか、
同じような症状で困っている人がいるかもしれない。
『変な記憶喪失』
とりあえず、そう検索してみる。
膨大な、記憶喪失に関するページがヒットする。
僕にはよくわからない専門用語が羅列されているサイトもある。
記憶喪失をテーマにした小説もたくさん見かけられた。
明らかに創作話と思われるブログもたくさんあった。
「検索条件をもっと絞ってみた方がいいのかな」
今度は『記憶喪失 家族』で検索をしてみた。
これも結果は芳しくなかった。
いずれも「限定的な部分だけ忘れていることがある」「突然記憶が戻ることもある」ということだけはわかった。
生活に必要なことは覚えているのに、知識が抜け落ちているというタイプが多いようだ。
例えば、言葉、服の着方、歩き方、身の回りの物の使い方は覚えている。
だけど、自分が誰で、昨日なにをして、家族がどんな顔かを忘れてしまう。
なんだか難しい言葉で説明されているが、僕はこれと同じタイプなのかな、と思った。
少なくとも言葉や携帯の使い方は覚えている。
喋り方を忘れてしまっていたら、誰とも意思疎通ができず、もっと辛い思いをしていたかもしれない。
「……僕は喋れる、喋れる、喋れる……」
少し不安になって、言葉にしてみる。
誰も聞いていない。
僕だけの言葉。
「……日本語は忘れてない……」
「あいうえお、かきくけこ、さしすせそ……」
「アメンボ赤いなアイウエオ、浮藻に子エビも泳いでる……」
アメンボも小エビも覚えている。
浮藻というのがどんな姿をしているのかはわからないけれど。
たぶんとろろ昆布みたいな藻のことだろう。
それからまた、いろいろなサイトの記事を読んでみた。
明るい携帯画面から飛び出してくる嫌な言葉。
ショック。
フラッシュバック。
心的外傷後ストレス障害
医者は脳のことを詳しく話さなかったが、僕の脳に、もしかしたら深刻な障害があるのかもしれない。
「他の病院にも行った方がいいのかな」
セカンドオピニオン、という言葉を思い出す。
僕はまだ、自分の記憶について深刻に考えていなかったようだ。
もっと向きあった方がいいかもしれない。
彼女のことも、ちゃんと思い出さなければいけないかもしれない。
と、一つのサイトが気になった。
『僕の彼女が、僕のことだけを忘れ去りました』
そんなタイトルの素人のブログ日記だった。
開いてみる。
青空が基調のさわやかなブログの見た目とは裏腹に、淡々と悲しい文章が続いていた。
『ある日彼女に会いに行くと、僕を見ても知らんぷりをしました』
『前日に喧嘩をしていたので謝りに行ったのだけれど、まだ怒っていて聞いてくれないのかと思っていました』
『でも話し続けて、本当に僕のことを忘れていることがわかりました』
『彼女の両親は僕のことを覚えているのに、彼女は僕のことをすっかり忘れていたのです』
そんな内容だった。
僕と同じように、生活面で困ることはなく、過去の記憶が一切ないわけでもなく。
だけど恋人のことだけをすっかり忘れている。
僕に似ている。
そう思った。
僕の場合は、彼女のことだ。
それがすっぽりと記憶から抜け落ちている。
いや、でも、と思う。
僕は僕の名前も忘れていた。
つまり、僕と彼女と、二人分のことを忘れている。
だけどこのブログの中の女の人は、自分のことは覚えていたようだ。
自分の両親のことは忘れていないようだ。
やっぱり関係ないのか。
別に頭を打った訳でもない。
外傷もない。
だけどぽかんと記憶が抜け落ちる。
もしかしてあの女性が、天涯孤独のはずの僕を騙そうとしているのか、とも思った。
だけど現実問題、僕は僕の名前を忘れていた。
彼女の告げた名前と、僕の財布の中の保険証の名前が一致したから、病院は彼女を僕の親族として認めたのだ。
あれ?
そこで僕の思考は一旦停止する。
僕はどうやって、入院したんだ?
外傷もないのに、なぜ病院にいたんだろう。
その辺の経緯を、医者に聞いただろうか。
聞いたような気もするし、聞いていない気もする。
上の空だったのかもしれない。
ちゃんともう一度、病院で、僕が入院した経緯を教えてもらいたい。
明日、昼のうちに、もう一度病院に行こう。
そう考えて、僕はこめかみのあたりをトントン、と二回指で叩いた。
忘れ物をしないようにするときの、僕の癖だった。
「忘れないための癖は覚えているのに、な」
なんだか笑えてきた。
やっぱり変な記憶喪失だ。
その日の夕食は、ご飯にみそ汁、肉じゃがだった。
どれも出来合いの物ではなく、きちんと調理されたものだった。
彼女はわりに料理ができるらしい。
「うん、美味しい」
僕は素直にそう言った。
僕がもし、一人暮らしで、記憶を失っていたとしたら、こんな食事にありつけたとは思えない。
「……一人じゃなくて、よかった」
素直にそう言った。
彼女がそばにいてくれて、本当によかった。
彼女は嬉しそうに、微笑んだだけだった。
「なにか、思い出した?」
「いいや、でも……」
「でも?」
「覚えていることもあるみたいだ、例えば……」
僕は漫画のこと、身の回りのこと、言葉のことをいろいろ、彼女に語った。
病院に入院した経緯を知りたくて、明日もう一度病院に行こうと考えていることも伝えた。
「それなら、明後日行こう」
そう彼女が言い出した。
「明後日なら、仕事が休みだから、一緒に行けるし」
僕としても異存なかったので、OKした。
確かに一人で行って、ここまで一人で帰ってくる自信がなかった。
「き……ね、姉さんは……どういう経緯で病院に来たの?」
「違和感あるわね、その呼び方」
「……仕方ないじゃん……」
「……仕方ないね……ははっ」
そう笑って、彼女は病院に来た時のことを教えてくれた。
職場に病院から電話がかかってきたこと。
どうやら僕が記憶を失っているらしいこと。
身分証明はできても、本人がまったく埒が明かないので来てくれ、という話だったらしい。
「なんの冗談かと思ったわよ」
「ごめん」
「や、謝る必要はないけどね」
でも、なぜ入院に至ったのかは要領を得なかったらしい。
救急の通報をした人曰く、
街中をふらふら歩いていて、突然叫んで、ぶっ倒れたらしい。
僕が。
僕が?
そんな恥ずかしいことがあったの?
「知らないわよ、又聞きの又聞きなんだから」
そりゃそうか。
その時に、なにか大きなショックがあって、記憶がぶっ飛んだのだろうか。
大学のある日だったはずなのに、街中をふらふらしていて、急に、倒れて。
ううむ、その日、その時、僕になにが起こったのだろう?
「ショック」という言葉を聞いて、彼女の顔色がさっと青くなった、気がした。
「なにか思い当たる?」
「う、ううん、なんでもない」
彼女は少し動揺していた。
でも、その時彼女は働いていたはずだから、僕の遭遇した「ショック」のことなんて、知りもしないはずだ。
なにを考えたのだろう?
なんとなく深く聞けず、それ以上その話をするのはやめることにした。
病院に行くのが一日延びたので、またやることがなくなった。
「明日はどうしよっかな」
そう言うと、さらさらと地図を書いてくれた。
「昔よく一緒に行ったお店、明日の昼にでも行ってみたらどう?」
「なんのお店?」
「お好み焼き」
ああ、それはいい。
お好み焼きは好きだ。
なんとなく、好きだった気がする。
明日やることが一つ決まり、少し安心した。
明日はお好み焼き屋の話です ノシ
乙
乙
不安なような、そうでもないような
乙
―――
――――――
―――――――――
また、変な夢をみた。
僕と、彼女が、二人並んでいる。
僕も彼女も、ほとんど裸だった。
その前に、神様が座っている。
昨日よりも、神様の小言が長い気がする。
まくしたてるように苦言を呈している。
やっぱり、なにを言っているのか、よくわからない。
―――――――――
――――――
―――
そのお好み焼きの店は、電車に乗って二駅ほどのところにあった。
病院よりも近かった。
昔よく行っていたということは、昔住んでいた家もこの近くにあるのだろうか。
一昨日電車に乗った時はなんにも感じなかったのに、そう思いつくと懐かしいような気がしないでもない。
古ぼけた看板、狭い入口、色の薄れたメニュー表、擦り切れたのぼり。
かろうじてなにを食べる店かはわかるが、彼女に薦められでもしなければ、きっと入らないだろう。
小学校が近くにあるらしく、校庭で遊ぶ子どもの声が聞こえてくる。
その声を背に受け、ためらいながら僕はゆっくりと暖簾をくぐった。
「はい、いらっしゃい」
威勢のいいおばちゃんの声が刺さる。
「あら、久しぶり」
ドキッとする。
この人は僕のことを知っている?
「あ、ど、どうも」
言いながら目を伏せる。
僕は覚えてないんです、すみません。
そうは言えない。
「一人? もう大学生だっけね?」
「あ、はい、えっと」
「今日は休みかい?」
「あ、はい、授業がなくて」
僕は一生懸命話を合わせながら嘘をつく。
「なににする?」
カウンター席に付きながら、メニューを見る。
まだなにも懐かしいと感じないが、よく来ていたというのは本当のようだ。
店員さんが僕をこうも覚えているというのは想定外だった。
焦りながらメニューを決める。
「あ、えっと、オムそば……」
僕は無意識に注文していた。
お好み焼き屋なのに、お好み焼きでないものを注文していた。
「あはは、やっぱりね」
店員のおばちゃんは笑って厨房に消えた。
「オムそば、ひとつー!」
『やっぱり』だって?
もしかして、僕はいつもこれを頼んでいたのだろうか。
無意識に、身体が覚えていたのだろうか。
いつものように、さらっと注文したのか?
オムそばの味は、僕を懐かしい気分にさせた。
ソースの味も、卵の柔らかさも、麺の量も。
確かにこれは、過去、食べたことのある味だ。
僕の好きだった味だ。
「懐かしいかい?」
僕の表情を見て、だろう。
おばちゃんがまた話しかけてきた。
オムそばの味を懐かしんでいる顔をしていただろうか。
「ええ、美味しいです」
無難に答えるしかない。
だけど、うまくやれば、少し情報が得られるかもしれない。
「僕が最後に来たの、いつぐらいでしたっけね?」
これは賭けだ。
この間来たじゃないか、なんて言われたら怪しまれる。
だけど彼女の言葉では、「昔よく行っていた店」だから、きっと子どもの頃のことだろう。
「さあてねえ、小学校高学年くらいまでだったかねえ」
「いっつもオムそばだったねえ」
「お姉ちゃんとお母さんと、よく来てたよ」
「あ、ごめんよ、お母さんのことは、ご不幸だったねえ」
……やはり母は亡くなっているようだ。
……事故か、病気か。
でもここで僕がそれを聞くのは怪しい。
「いえ……」
そう言って微笑むだけにした。
「お姉ちゃんは、どうしてるんだい?」
「働いてますよ」
「ああ、そうかい、そんな歳かい」
「花のOLです」
僕は彼女の受け売りでそう言った。
おばちゃんはころころと笑ってくれた。
『懐かしいねえ』と何度も言ってくれた。
「また来ます」
そう言って、店を後にした。
「いつでもおいで!」
おばちゃんは店の外まで見送ってくれた。
気持ちのいい店だった。
また来たい。
そう思った。
懐かしい、という気持ちもないではないが、『この店が気に入った』という気持ちの方が大きかった。
今度は彼女と一緒に来よう。
そう思った。
―――
――――――
―――――――――
「お好み焼き屋のおばちゃん、僕のことを覚えていたよ」
彼女が帰ってくるなりそう言うと、驚いたようだった。
「わ、マジで!? もう10年くらい行ってないのにね」
「うん、小学校高学年くらいが最後かな、っておばちゃんも言ってた」
「どう? 変わってなかった? おばちゃんも味も」
「覚えてないって」
「あ、そっか」
彼女と普通に会話できるようになったが、やはりまだ違和感が大きい。
僕は正座で、彼女は土足で、話をしているような錯覚をする。
もちろんそんな差異を感じさせれば彼女が悲しむだろうから、僕は努めて平穏を演じているけれど。
「なに食べた?」
「……オムそば」
「あー、あー、そうだったそうだった、あんたはいつもそうだった」
「おばちゃんにも、『やっぱり』って言われたよ」
「覚えてたの?」
「無意識に選んでた」
「じゃあ、やっぱり心の奥底に、残ってるのかもね、記憶が」
オムそばは美味しいです
また明日です ノシ
乙
うむ、美味しそう
乙
漫画のキャラとかは覚えてるけどお好み焼き屋のおばちゃんは覚えてないのか…
―――
――――――
―――――――――
変な夢がどんどん鮮明になっていく気がする。
僕と、彼女は、どんな罪を犯したのだろう。
神様はなぜ怒っているのだろう。
周りの天使や神官も、神妙な顔でうつむいている。
今日の小言も長い。
ふと下を見ると、僕のお腹には、やっぱりやけどの治療の痕があった。
手で撫でてみる。
夢とは思えない、ざらっとした嫌な感触が指に残った。
―――――――――
――――――
―――
「実は最近、同じような症例が増えているようでね」
僕を担当してくれていた医者は、言いにくそうに、そう打ち明けてくれた。
「外的ショックもなく、スコンと特定の記憶が抜け落ちた人がね、いるんだよ」
僕に似ている。
ブログの人の事例にも似ている。
「ただね……いや、これはまだ関連付けるわけにはいかないか……」
さらに口を濁す。
気になって僕と彼女は問いただす。
関係ありそうな話は全部聞いておきたい。
僕も彼女も、このまま僕の記憶が戻らないと困るのだ。
「どうもね、失うのは記憶だけじゃないようなんだ」
「……?」
「ああ、いや、言葉が足りないな」
ボリボリと頭を掻きむしり、医者はさらに言いにくそうに言葉を続けた。
「例えば、言葉をすっかり忘れてしまった人や、味覚を失った人、聴覚を失った人……」
「ちょちょちょ、それはちょっと違う病気なんじゃないですか?」
「僕もそう思うよ、だけどね、変に共通点があるんだ」
「……共通点?」
「それを確かめるためにも、今日は君の脳をもう一度スキャンさせてもらいたい」
入院していたころ、スキャンは一度受けていたけど、その結果はよくわからなかった。
もう一度とって、どうなるというのだろう。
彼女は不安そうに僕を見ている。
僕も不安そうに彼女を見る。
なにか、掘り出してはいけない記憶が、そこにあるような気がする。
モヤモヤと不安が大きく渦巻く。
目を閉じてしまいたくなる。
「……結果が出たよ」
「……やはり……同じ症例のようだ」
同じというのは、どういうことだろうか。
「脳にね、植物の芽のようなものができているんだ、ほらここ」
そ、それは、腫瘍とか、そういうことなのか!?
「最近増えている、『なにかを失った』人たちは、みなこのように脳に……」
信じられない、気持ち悪い、頭がぎゅうっと痛くなる。
目の奥が疼いている。
顔の表面がかゆい。
顔の表面がぬるい。
雨が降ってきたのかと錯覚したが、僕の脂汗だった。
どこをどうやって帰ってきたか覚えていない。
いつの間にか狭いアパートの一室の、布団の上に寝かされていた。
疲れているだろうから、寝て休め、と、彼女に言われた。
入院はしなくていいのだろうか。
「とりあえず、経過観察、だって」
「日常生活は一応送れているから」
「でも定期的に、カウンセリングとスキャン、だってさ」
「とりあえず、今はゆっくり休みな」
僕は涙を流していただろうか。
半狂乱になっていただろうか。
単なる記憶喪失で、いつか戻ると、そう思っていたのに。
なんだって? 言葉を忘れた? 味覚や聴覚を失った?
僕もそうなるのか?
脳の障害なのか?
脳の病気なのか?
治るのか?
医者も困惑していたのだから、珍しい症例なのだろう。
僕だって、そんな病気は聞いたことがない。
ぐるぐる回る頭。
冷えない頭。
流れる涙。
悲しいのかどうかも、よくわからない。
ただ、彼女は気丈に僕の世話をしてくれた。
いつの間にか、眠りに落ちていた。
―――
――――――
―――――――――
しばらく、抜け殻のように暮らした。
彼女の作るご飯を食べ、彼女を送り出す。
昼間は家でゴロゴロするか病院へ行くか、その辺をぶらぶらして過ごした。
掃除や洗濯もし、必要であれば買い物にも行った。
笑うことが減った。
彼女も、楽しそうに話すことが減った。
記憶が戻る気配はなかった。
そのかわり、言葉は忘れなかったし、味覚や聴覚は無事だった。
怖くなって、時々一人で発声練習をしてみる。
「僕は喋れる、喋れる、喋れる……」
「柿の木、栗の木、カキクケコ。キツツキこつこつ、枯れケヤキ……」
しばらくやって、虚しくなって、ごろりと寝っ転がる。
彼女の作るご飯は、僕を安心させた。
彼女と話す日々のくだらない話は、僕を和ませた。
彼女と過ごす毎日は、僕の心を温かくさせた。
僕にはなにもなかった。
なにもなかった僕に、たくさんのことを教えてくれたのは、いつも彼女だった。
恩人だった。
それだけだろうか?
かけがえのない人だった。
それで言葉は足りるだろうか?
僕の胸の内に、徐々に大きくなる感情があった。
終盤です
土日には完結できると思います ノシ
おお、こわいこわい
乙
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――――――
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「僕に恋人はいなかったの?」
その質問に、彼女はびくっと顔を上げた。
「い、いなかったと思うけど」
探るような目。
まあそうか。
いたらいたで、とっくに連絡が来ているだろう。
もちろん記憶を失ってから、そういった女性からの連絡はない。
「姉さんは?」
僕はご飯を口に運びながら、軽い口調で聞いてみた。
これまでの同居生活で、一度もそういう雰囲気は出さなかったので、多分いないと思う。
「いませんけど、なにか問題が?」
「ありません」
ちょっと怒ってる。
可愛い。
箸をちょっと噛んでいるのも、可愛い。
僕の中で、少し自分の記憶についての諦めがついた。
この間、ニュースで見た、記憶喪失についての話題のせいだ。
『記憶喪失の疑いが持たれる芸能人が、増えています』
僕だけじゃなかった。
一般人だけじゃなかった。
他にもいたんだ。
それも、こんなにぞくぞくと。
不明瞭な政治活動費の使い道についての、政治家の釈明報道。
ファンとのお泊りデートをすっぱ抜かれた、アイドルの釈明報道。
どちらも、「記憶にない」と答えていた。
誰もが、見苦しい悪あがきだと感じていただろう。
だけど、それは真実だった。
「記憶にない」ことが、どうやら本当らしいということだった。
政治家の金の使い道は確かに不誠実で、お泊りデートは確かに行われたようだったが。
不倫した芸能人は、相手に奥さんがいることを知らなかったらしい。
本当に知らなかったのか、それともその記憶を失ったのか。
都合良くその記憶だけを?
それが、あり得るのではないか。
その記憶だけを、うまく消去することが、できるのではないか。
……僕みたいに。
「姉さん、好きな男はいるの?」
「……」
「僕は、好きな女性はいなかったのかな?」
「知らないよ、自分の胸に聞いてみな」
つれない返事だ。
だけど、僕は自分のことを覚えていない。
だから彼女に聞くしかない。
「僕は、姉さんのことが好きだったんじゃないの?」
バンッ!!
机が叩かれた。
彼女の顔色が蒼白になっている。
目を見開いて、机を見つめている。
でも、僕は冷静だった。
「その話はしないで」
彼女も、努めて冷静に、声を絞り出した。
「僕はさ、姉さんのことが好きだったんだよね?」
「やめて」
「それとも、秘密にしていたのかな?」
「やめてってば! 大体記憶を失くしたくせに、なんで覚えてるのよ!?」
「覚えてないよ」
「じゃあなんで……」
「僕が今、姉さんのことを……好きになりかけてるからだよ……」
息を飲んだ音がした。
つばを飲み込む音がした。
僕は罪深いだろうか。
それとも、素直で正直だろうか。
「悪い冗談ね、早く忘れて」
さっさと食卓を片付け始める。
僕の目を見てくれない。
「正直な気持ちを、言ったつもりなんだけど」
「それは胸の奥深くに仕舞っておくべき気持ちよ」
早口で言われた。
「決して誰にも、私にも、言うべきじゃなかったの」
「言うべきじゃなかった? それって……」
ハッとして、彼女は口をつぐんだ。
僕もだんだん、どうして記憶を失ったか、わかる気がしてきた。
支援します
「僕は拒絶されたんだ、そうでしょ?」
「記憶を失う前に、今みたいに」
「やっぱり記憶を失う前の僕も、好きになっていたんだ」
「だけどきっとひどく拒絶されて」
「それがショックで」
バチンッ!!
ショックを受けた。
目の前が赤く染まった。
彼女に頬を引っ叩かれたんだってことはわかったけど、一瞬すべてが静止してしまって、動けなくなった。
「ごめん、ごめん、ごめんね……」
「でもダメなの、私たちは」
「気持ちは嬉しいけど、ダメなの」
「それ以上言わないで、私のせいだってわかってる」
「記憶を失うほどのショックを与えたのは、私だって、わかってるの」
叩いた手のかたちはそのままで、彼女は涙を流して謝った。
堪えようとしても堪えられないらしい。
どんどん溢れてくる。
僕も、茫然と彼女の言葉に耳を傾けていた。
頬がピリピリと痛い。
「ごめんね、あんたの気持ちには応えられない」
二度も彼女に拒絶させてしまった。
それは、きっと辛いことだろう。
その日、僕たちは背中を向けあって眠った。
明日、どんな顔をして謝ろう。
二度も好きになってしまった僕を、彼女は受け入れるだろうか。
腫物のように扱うだろうか。
僕はきっと、望んで今のように記憶を捨てたんじゃないだろうか。
好きだったことを忘れられれば、辛い気持ちを忘れられるから。
ニュースで報道される芸能人や政治家のように。
忘れられれば、自分が楽だから。
でもそのかわり、彼女をまた傷つけてしまった。
苦しめてしまった。
それが僕にも、辛い。
明日、どんな顔をして謝ろう。
明日、どんな顔をして謝ろうか。
そればかり考えながら、僕は眠りに落ちていった。
彼女の寝息は、聞こえなかった。
明日完結です ノシ
乙
乙
泥酔して帰宅したため明日完結させますすみませんすみませんすみません
もともと月曜日完結だと思ってたぞ
泥酔しながらも残った理性振り絞って謝罪に来る>>1かっこいい
待ってる
―――
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夢の中で神様が言った。
今度はちゃんと聞き取れた。
「もう、お前たちは十分に罰を受けただろう」
「あとは知らん。好きにするがよい」
そして立ち上がり、背を向けた。
周りの天使や神官も、神様についていく。
僕らは二人、取り残された。
真っ白な空間に。
喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。
許されたのか、見放されたのか。
わからない。
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―――
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―――――――――
「おはよう」
僕は努めて明るい声で言った。
彼女の顔をまっすぐ見るのが怖かった。
彼女はゆっくりと瞼を開け、当惑の表情を浮かべ、こう言った。
「……誰?」
困惑した。
悪い冗談だ。
「僕のこと、忘れたの?」
笑ってそう言ったが、少し声が震えた。
彼女はまだ笑わない。
「あれ……昨日……?」
眉をしかめる。
昨日のことを思い出そうとしているのだろうか。
酒なんて、昨日は飲んでいないのに。
「え……思い出せない……」
「あなた……誰? 私は……誰?」
僕は、もしかして僕も最初はこういう顔して困惑したのかな、と場違いなことを空想した。
彼女はまだ、笑わない。
「……愛していたんだっけ?」
「っ!?」
その言葉には覚えがある。
彼女の口からそれがこぼれるとは思いもしなかったけれど。
「……愛されていたんだっけ?」
僕は言葉を失った。
なにも言えない。
彼女になんて言ってあげればいいのかわからない。
だから、そっと抱きしめた。
oh…
少し体を固くした彼女だったが、やがておずおずと手を回してきた。
「大丈夫、僕がついてるから」
「心配しなくていいから」
「今までしてもらったこと、今度は僕がしてあげるから」
「だから、ね、心配しないで」
僕たちは、布団の上でしばらくそうしていた。
昨日まであんなに頼りがいのある人だったのに、今はこんなにも弱く脆い生き物に見える。
僕が、今度は、彼女の為にしてあげる番だ。
「僕の名前は……」
僕は、彼女から教わった僕の名前を告げた。
それから、少しいいことを思いついた。
彼女に告げる、彼女の名前。
少し、嘘をついてみようかな、なんて考えたんだ。
「君の名前は、『アダム』だよ」なんてね。
★おしまい★
これはやっぱりバッドエンドなんでしょうか
本当は始めの7レスくらいで終わらせるショートショートでしたが、なんやかんやでこういうお話になりました
∧__∧
( ・ω・) ありがとうございました
ハ∨/^ヽ またどこかで
ノ::[三ノ :.、 http://hamham278.blog76.fc2.com/
i)、_;|*く; ノ
|!: ::.".T~
ハ、___|
"""~""""""~"""~"""~"
おつおつ
おつはむ
怖いけど暗くなく、ちょうどいい感じ
続きが気になります。ご予定はいかがでしょう
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