藤原肇「ハローグッドナイト」 (41)


藤原肇ちゃんのお話です。

よろしくお願いします。



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これから一年で一番暑い日が到来しようとしているのに、私の部屋は血が通っていないみたいな冷たさがあった。

実家から持ってきたタオルケットは確かにあたたかったし、お母さんが選んで送ってくれたパジャマは生地がしっかりしているからむしろ暑いと感じていいはずなのに。

自分じゃ絶対に選ぶことはなかった桜色のパジャマは、初めて迎える東京の夜に開けていたのに、いまだ着慣れないところもあるけど、別に誰かに見せるわけじゃないし、きっともう少しの時間があれば馴染んでくるんだとおもう。


外も中もしんと静まり返っていて、寝返りをうつたびにそば殻の枕が音を響かせる。

雨の音も、においもしない。

日中はまるで夏の予告をしているみたいに太陽が燦々と照りつける、じんわりと汗をかくような天気で、その反動なのかな、それにしても、寒すぎる。


こっちにきて東京の四季をふた巡り知って、この寮で暮らし始めてもう二年という歳月が経とうとしている。
勝手を知った部屋がまるで他人のようにおもえてしまうこの現象は、数日でも数年でも関係ないみたい。

実家もこっちも寝る時間になれば静かになるのは一緒で、壁を隔てたむこうには誰かがいるんだけれど、やっぱりなにかが違って、ひどく落ち着かない。

自慢じゃないけど、寝つきはすごくいい方で、布団にもぐって目をつむれば気がつくと朝、といった感じだったのに、いまはどうだろう、瞼は重くなるどころか、私の意思なんて無視するように開いたままで、わざとらしくゆっくりとまばたきしたってなにも変わらない。

実家で使ったことなんてなかった常夜灯の淡いオレンジが今日はやけに痛い。
消したら消したで暗闇が私を包んで、感じたことのない怖さ、というものが天井から降ってくるような気がして。


右に、次は左へ寝返りをうっても視界に入ってくるものが変わるだけで、寝ることができないという事実は、ぴったりと背中について離れないみたい。

眠れない夜は、どうしていたんだろう。


そういえば、前にもそんな日があったことをふと思い出して、なにをしたんだっけと、記憶の引き出しを開けてみた。
探している間も相変わらず目は冴え渡っていて、眠気はどこかの交差点で迷子になっている気がする。

いや、もしかしたら、私自身が迷子になっているのかもしれない。

いくつか中身を見ているとき、いまよりもずっと子供だったときの思い出があって、懐かしさに負けてしまってついついそれを手に取ってしまった。


小さいころから、歌うことが好きだった。

基本的に聞いてくれた人は家族が主で、もう少し年齢を重ねていくと、そこに友達が入ってきたけど、そこまで人数が増えることはなかった。
誰のためとか、なんとためとか、そういう高尚なものじゃなくて、ただただ歌いたくて、好きで、歌っていた。
それもそうだ、なにかを伝えたいなら詞を書き、曲を作るんだろうに、私はというと、誰かの曲を好き勝手歌っているだけなんだから。

それでも、歌うことをやめなかったのは、小さいころからいままでずっと持ち続けていた憧れがあったからで、岡山の片田舎でそれを語るにはあまりにも夢物語すぎたものだったけど、叶うかどうかはともかく、実現にむけて階段をひとつのぼることができた。

テレビの中だけだとおもっていた遠い世界は、手を伸ばしたら触れそうな距離まで。


「少しだけ、先の約束をしようか」

次に手に取ったのは、実家の玄関前にて、ネクタイをゆるめながらPさんが私に投げたひと言は、いまでもはっきりと憶えている。


その日も今夜みたいに静かで、見上げればため息がこぼれるくらい大げさな星空のパノラマがそこにあった。

アイドルになることに対して、言葉は柔らかかったけど否定的だった両親たちを説得してくれに、わざわざ岡山という遠い場所にまでこの人は来てくれた。

Pさんのおかげなのか、それとも頑なとして決心を曲げなかった私に根負けしたのかわからないけど、最終的にふたりとも東京行きを認めてくれた。
ただ、その隣でずっと腕組みをしていたおじいちゃんは、首を縦にも横にも振ることなく、ただじっと聞き続けているだけで。
頑固なところがそっくりと言われている私も、ついムキになってしまって。


なんの根拠もなかったのに、おじいちゃんは私の夢を応援してくれるものだって勝手に決め付けていた。
テレビの前で歌って、踊って、それを最初に褒めてくれたのがおじいちゃんで、テストとか運動会とか、いい成績を残したときも一番喜んでいた。

そんな人が、いままでに一度も認めてくれなかったものが陶芸。

なのに、アイドルになると話を切り出したときに、俺の跡を継げ、なんていきなり言ってきて、陶芸家はよくてアイドルがだめだという理由がわからなかった私は、ただ納得できずに意固地になり、なにがなんでもアイドルになってやると決心した。


「嫌われたかな、かわいい孫娘をたぶらかした男だって」

灯りがなくて表情は見えなかったけど、弱々しく響いた言葉に、Pさんの気持ちを見た気がした。

「祖父がだめだって言っても、私の気持ちは変わりませんから」

それでも、行ってこい、と背中を押してくれることに期待していた部分があったから、雲ひとつない晴天、という心模様にはならない。

「やっぱり行きません、って言われても、なんとかして連れて帰るだろうけどね」

そうしたらもっと嫌われるな、と静かに笑って、体の中の空気を入れ替えるように、大きく息をはいた。


「また明日、迎えにくるよ」

「はい。待ってます」

そう言ったあとに、しばらくの沈黙があって、視線の置き場所に困って空を見上げると、偶然、ながれ星が夜に走った。
おもわず声をあげてしまって、続くようにPさんの声が漏れた。

「むこうじゃ見れない風景かもなぁ」

私はこの空しか知らなくて、都会は空が近いと、どこかで聞いたのを思い出した。
むこうはどんな夜なんだろうって、期待や不安がいまからふくれあがってくる。


どれくらい空を見ていたんだろう、ながれ星は私がたまたま出会ったひとつだけで、いくらじっと目を凝らしても次も見つけることはできなかった。

目の前にいる人もぽかんと口を開けたまま、宝石箱をひっくり返したみたいな夜空を眺めている。
手を伸ばしても決して届くことのない星々は孤高で、綺麗だ。


「少しだけ、先の約束をしようか」

いきなり、いきなりのことだ、さっきまでの軽妙な言葉はこの夜にでも吸い込まれていったみたいで、真剣なトーンが私の鼓膜を揺らし、胸の奥にある一等星がどくんと輝いた。


「君はきっと、あの星よりも輝けるようになる。どのくらい時間がかかるのか、それはわからないけど、必ず」

指さした先には白く輝くスピカがあって、そこからスライドさせていくと、今度はオレンジ色の恒星アークトゥルスがきらめく。
夫婦星と呼ばれる対照的なふたつと二等星のデネボラを結べば、春の大三角ができる。
北極星、もしくは北斗七星を見つければ、それと夫婦星をゆるやかな曲線を描いてからす座まで伸ばすと、春の大曲線の完成。


「詳しいんだな、星に」

いつの間にか声に出していたみたいで、指摘された瞬間、顔がかあっと熱くなっていくのがわかった。
ただただ恥ずかしくて、空も、Pさんも見れなくなって、地面に目線を落とすと、ふたがされたみたいになにかしゃべることができなくなった。

そんな私に気づいたのか、それとも気を使わせたのか、代わりにPさんが言葉を紡ぎはじめる。

「俺はよく知らないから、星々にどんな物語があるのかわからないけど、凛とした清白に輝くあの星がまるで君だって、意味もなく言いたくなった」

おとめ座の一等星で、別名は真珠星と言って、それを知ったら、やっぱり君だよって、嬉しそうに笑うのかな。


「星に約束するよ。一番にするって」

夜だから、星は瞬く。

この胸の高鳴りも、体の火照りも、朝を迎えるまで治ることはなくて。

そんな、東へむかう新幹線の旅をぐっすり寝て過ごした思い出のフィルム。

懐かしいけど、探しものはこれじゃない。


枕元に置いた携帯電話をわけもなく手にすると、数字はすっかり深夜と言われる時間を示していた。

そろそろ正しい順路で眠気がきてもいいはずなのに、どこで迷っているんだろう。

時系列順にしまっていた記憶の引き出しのどこにもない、あるべき解決策は私の気のせいだったのかもしれない。

星でも詠めば瞼が重くなるのかな、ただ寝るということがこんなに難しいなんて、考えすぎだろうけど、どうしても考えてしまう。


あぁ、星、そうだ、思い出した。

窓を開けると氷水のように冷えた空気が首元に触れて、鼻から肺の中に新しい酸素をため込む。
室内のものよりも研ぎ澄まされているみたいだけど、温度自体の差はなく感じた。
やっぱり雨は降ってなくて、雲も少ない星見日和な空だった。

左手に持った携帯電話の通話ボタンを押す。
呼び出すのは、あの人。


二回のコール音ののち、ひと呼吸置いて、「どうした」と優しい響を持った声が耳に届いた。

「お仕事中です?」

「休憩しようとおもってたらね」

だからちょうどよかった、って笑うと、窓を開ける音が聞こえた。

「迷惑、でしたか」

「いいや、気が紛れる。それで?」

「……理由がないと、だめですか?」

「いや、あぁ、参ったな、その言い方」


入寮して一週間も経っていないときのことで、ホームシックと呼ぶのが正しいのかわからないけど、今日みたいに眠れない日があって。

ほぼ一日がレッスンで、余計なことなんて考える隙間もないくらい疲れていたのに、いざベッドに寝転ぶと日中くらいに目が冴えていて、どうしようもなくさみしくなって、迷惑だとおもいつつもPさんに電話をした。

声を聞くと安心して、他愛のない会話が癒しで、どこかに飛んでいったはずの眠気がいつの間にか戻ってきて、たった二十分くらいの通話を終わらせたあと、気づくと朝になっていた。
その理由は二年経ったいまでもわからなくて、それをあの人に伝えると、「俺は魔法使いだからな」って、おどけた返事がくるだけ。


「星、見えるか?」

「今日は絶好の星見日和ですね」

「岡山で見た、空一面に広がる宇宙にはかなわないけどな」

「ふふ、ロマンチストですね」

「肇のせいだよ」

「元々、素質があったんですよ」


そうかなぁ、って、とぼける人のせいで、どんどん口が動く。

この時間が、ただただ楽しい。

窓を開けているから、普段よりもずいぶん小さな声で話していて、まるで密会をしているみたいで、少しドキドキしている。

別にだめなことをしているわけじゃないのに。


「また行きたいな、岡山に」

「今度はPさんも一緒に。両親もおじいちゃんもきっと喜びます」

ゴールデンウィークに帰省したときのこと、すっかり応援してくれているおじいちゃんが私の姿を見て、「なんだ、ひとりか」とこぼした。

年末年始に帰られなかったから、せめてゴールデンウィークは、とPさんに無理なお願いをして、半年、いやそれ以上ぶりの孫に対して「なんだ」って。
きっと他意はなかったんだとおもうけど、それでもどうなんだろう、そのひと言は。

それよりも、いつの間にPさんはおじいちゃんに気に入られたんだろう。


「なにかあれば彼を頼りなさい」

実家の工房で、こちらを振り返ることなく作業を続けながら言ったおじいちゃんの言葉は、私だけじゃなく、Pさんも認められているんだってわかってすごく嬉しかったけど、頑固が地面に根を張っているような人をどうやって説得したんだろう。

Pさんは少し軽いなっておもう部分はあるけど、中心にある幹はすごく誠実で、真面目で。
だから最終的にこうなるって信じていたから、この結果に異論も疑問もない。
ただ、私が知る限り、Pさんが岡山に行ったのは二年前だけ。
電話で、というのは考えにくくて、家族が東京に来たときも、おじいちゃんは岡山から出てこなかった。

Pさんに聞いても、はぐらかしているのか、それともふざけているのか、返事はいつも通りの、魔法使いだからって。


「ふたりでまた星を見ましょう。それから釣りもして、もちろん陶芸も」

「よくばりだな」

「女の子はよくばりな生きものなんです」

美紗希さんからの受け売りだけど。

「それは大変失礼しました」

電話越しなのに、Pさんの表情が、動作がわかる気がして、安心感が胸の奥を包み込む。

これも魔法なのかも。


話し始めてどれくらいたったんだろう。

どこかに行っていた眠気がいつの間にかゆっくりとこっちに近づいてきて、瞼をほんの少しだけ重くする。

本当のことを言うと、まだまだ話したい、話し足りない。

でも明日があって、Pさんにいたってはまだ事務所にいる。

だから、早く切らなきゃいけない、いけないのに。


ぐだぐだと葛藤していると、光の糸が目の前をななめに走っていった。
そのあと、電話のむこうから「ながれ星だ」と聞こえてきて、違う場所にいても同じ空を見ているんだって、こんな当たり前のことを単純に嬉しいって感じる。

「また流れた」

ふたつめが流れたときには、まるで子供みたいにはしゃいでいる声がスピーカーから漏れて、おもわず口元がほころぶ。

この人は、不思議な人だ。


「肇は星にどんなことを願ったんだ?」

「私ですか?」

「しないのか?」

「Pさんはするんですね」

「いや、気づいたときには消えてるから、いままで成功した試しがないよ」

自分から聞いてきておいて。


「私は」

そう口にしたけど、次の言葉は呼吸と一緒にお腹の中に戻した。

「私は?」

「いえ、なんでもないですよ」

「なんでもないってことはないだろ」

「ふふ、秘密、です」


私が祈りを捧げているのは、私が願いを込めるのは、神様でも、空にきらめく星でもなく、あなたです、なんて。

恥ずかしいからとかそういうのじゃなくて、なんとなく秘密にしておこうかな。


「そういえばさ」

「どうしました?」

「スピカって真珠星って呼ばれてんだってな」

文香さんに聞いたところ、そう呼ばれるようになった経緯はロマンチックと言えないものだったけど、それを知っても、あの純粋無垢な輝きは変わらない。

「そしてアークトゥルスを珊瑚星と呼べば、真珠星と対になる」

「詳しいですね」

「現代社会、インターネット万々歳だ」

そのあと、肇のせいだよ、なんてつけるものだから、少しだけ頬が熱を帯びた。
夜風にあたっても冷めない火照りは、とてもやっかい。

「六万年後にはスピカのすぐ隣で見れるようになるって。これで名実ともに夫婦星と言えど、さすがに遠すぎる未来の話だよ」


「私たちが並ぶのも、遠い未来のお話でしょうか……」

私は、私はなにを言っているんだろう。

気づいたときにはすべての言葉が空気に触れてしまっていて、いくら息を吸い込んでもそれを元に戻すことも、消すこともできない。

「ごめんなさい、変なこと言って。忘れてください」

「確かに肇はスピカで、それなら俺はアークトゥルスだ」

そんな、気を使わなくたって。

「俺は六万年もかからないよ」


それって。

「六時間後、は難しいにしても、また明日会える」

あぁ、そういう、そういうことでしたか。

勝手に期待した私が悪いんだけど、もっと他に言いようがあったんじゃないかなって、唇を尖らせてみる。
私の不満は言葉にしないと届かないけど、それでも。


「そろそろ眠くなってくるころか」

楽しいひとときはあっという間に過ぎて、突然時間を知らせる鐘が鳴る。
ふと時計を見ると、いつの間にか日が変わっていた。

「眠くなんてないです」

「声が間延びしてるよ。そろそろ寝なさい」

「してないです」

「そこで頑固にならなくてもいいんじゃないかな」

「でも、Pさんがそこまで言うなら」

「俺に言われたからか」


窓から見える景色は眠らない街で、私もその片隅にいて、Pさんも同じだ。
同じ時を過ごしていて、同じ空を見ている。
時間が止まればいいのにっておもっても、いつか夜は明けるし、朝は必ず訪れる。

まるで夜が私を試しているみたい。

「俺ももう少ししたら帰るよ」

「約束ですよ」

「あぁ、約束」


私のせいでこんな時間まで。

きっとあなたは、気にするな、って言葉と一緒に笑うんでしょう。

だから、口には出さないでおきます。

なんだか、もったいない気がして。


「それじゃあ、おやすみなさい」

「あぁ、おやすみ」

また、明日。

短くて、あっけない言葉を交わす。


終わりはいつだってあっさりしたもので、その方がいい。

通話を切って、私は瞼を閉じて夜に帰っていく。

この続きは、また明日。


おわり


ここまで読んでいただいてありがとうございました。
遅くなりましたけれど、藤原肇ちゃん総選挙10位おめでとうございます。

乙です。
ありがとうございました。

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