岡崎泰葉「缶コーヒーと大人な私」 (20)


缶コーヒーを飲むと少し大人な感じがしないか?


と、私のプロデューサーである彼が言ったのは、撮影の仕事が終わった私を事務所まで送ってくれている車内のことだった。


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「そうなんですか?」と私が言うと、彼は

「あれ、伝わらないか。おかしいなぁ」と苦笑いをしていた。

彼が飲んでいる缶コーヒーには微糖と書いてあって、苦くないのに苦笑いをするんだな。なんてことを考えていると、なんだか可笑しくなって少し笑ってしまった。

その笑いを彼はどのように受け取ったのか、男にしか伝わらないのかな・・・。と小声で呟いていた。

その姿がとても子供っぽく見えて、思わず私は助け舟を出していた。

「でも・・・」

「でも?」

「仕事をしている男の人は、缶コーヒーに限らずコーヒーを飲んでいるイメージがある。というのはなんとなくわかる気がします」

それを聞き彼は、うん。とだけ言い車のラジオをつけた。

ラジオからは、同じ事務所の仲間であるアイドルの声が聞こえていた。

彼と帰る車の中ではいつもラジオを聞いている気がする。

それは別に会話が続かないだとか、手持ち無沙汰だからというわけではなく、彼の仕事意識か、もしくは性分みたいなものだろうと私は推測している。

一度聞いたことがあるが、彼は事務所所属アイドルが出ているテレビや雑誌を全て確認しているらしい。

「泰葉は缶コーヒー、好きか?」と彼が信号待ちをしているタイミングで話しかけてくる。

「そうですね。少し苦いと思う時もありますけど、嫌いじゃないです」と私が返すと、彼は

「そっか」と言ったきり特に何も続けなかった。

信号待ちの間沈黙は続いた。その沈黙が嫌じゃないことを感じつつ、私は何をするわけでもなく前を見ていた。

彼が何かを考えていて、何かを言おうとしているのではないか。という気がしてくる頃に、信号は青に変わっていた。

空はどんよりとしていて、なんだかそれが停滞している車内の空気に似ているな。なんて空想に精を出していると、彼はもう一度こんなことを言ってきた。

「缶コーヒーってのは俺にとって、大人の象徴みたいなもんなんだよな」と

その真意はわからないが、私はさっきから気になっていることを素直に質問することにした。

「それって缶コーヒーじゃないと駄目なんですか?喫茶店でもコーヒーは飲めるじゃないですか」

「あー確かにそれも大人っぽいな。行きつけの喫茶店で新聞を開きながらコーヒーを飲むってのも男の憧れなんだよ」

「じゃあ缶コーヒーじゃなくてもいいってことなんですか?」

「どう言えばいいのかな。一口に大人といってもいろいろな人が居るわけで、例えばスーツを着たサラリーマンならコーヒーは事務所や職場で飲むと思うんだ」

「まあ・・・そうですね」

サラリーマンっても外回りをする人たちも居るんだがな、と言いながら彼は続ける。

「でも、行きつけの喫茶店でコーヒーを飲むような人って、絵にかいたような紳士やナイスミドルって感じがしないか?」

「まあ、なんとなくわかります」と言った後に、ナイスミドルって死語ですよ。と私が突っ込むと彼は少しショックを受けたようだった。

「だけど、缶コーヒーだと、今言った大人たちの誰が飲んでいてもいいし、例えば工事現場で働いている人が飲んでいても、大人っぽくて似合う気がするんだよ」

「なるほど。少しだけわかる気がします」

「だからやっぱり俺にとって缶コーヒーってのは大人のイメージで、それを飲むと少し大人に近づけたように感じるんだ」と彼は言い、まあ俺が飲んでるのは砂糖入りだけどな。とこぼした。

私はそんな彼を見ながら、アイドルとプロデューサーとして初めて彼と出会った日のことを思い出していた。



「改めてよろしく。俺が君の担当プロデューサーだ」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

「よろしく。ああそうだ、最初に言っておきたいことがあるんだ」

「・・・なんでしょう」

私の経験上、こういう時は大抵良くないことを言われる。自分の立場を誇示したいが為の、私に課せられる制約であったり、上下関係を決めるための重しをつけられたりするのだ。

「俺は君のプロデューサーだ。君に仕事を取ってきて君を有名にして君をトップアイドルにするのが仕事だ」

「はあ」

だから俺の方が立場は上なんだとでも言いたいのだろうか。
「でも、それだけだ」

「・・・?」

「仕事を実際にこなすのは君だし、トップアイドルになるのも君自身だ。俺はそれを手助けするだけだ」

「はあ・・・?」

この人は何を言っているのだろうか。

「どっちが上だとかプロデューサーだから偉いだとか機嫌を損ねたら仕事がなくなるとかはないから」

「・・・は?」

・・・この人は、何を、言っているのだろうか。

「人生としては俺の方が少しだけ先輩かもしれない、でも芸能界だと君の方が先輩だろ?だから、お互いに成長して二人三脚で進んでいきたいんだ」

「・・・・・・・」

私が何も言えないでいると、彼は場を和ませようとでもしたのかこんなことを言ってきた。

「ってことでこれから迷惑かけるかもしれないけど。よろしくな、岡崎先輩」

「なんですか、それ・・・」

面白いとは少しも思わなかった。でも、不思議と嫌な感じはしなかった。



「あの」

「なあ」

同時に発言してしまったことに気まずさを感じながら次の言葉を待った。

「・・・」

「・・・」

車内に沈黙が漂う。次の言葉が来ない。お互いにタイミングを計っているのだ。

目を合わせお互いに苦笑しつつ一緒のタイミングでこう言った。

「寄りたい場所があるんですけど」

「寄りたい場所があるんだが」


一台の自動販売機の前に車は止まり、車から降りる。

お互いに何も言わず、自動販売機の前まで二人で歩いた。そして彼が

「缶コーヒーでいいか?」

と聞いてきたので、私はお金を出そうと財布を取りだした。

「いいって、人生の先輩からの奢りだ」と彼は子供っぽく言った。

ガコンという音とともに缶コーヒーが落ちてくる。

「ほら」と彼が言ったが、私はお金を取り出し、缶コーヒーを買うことにした。

「じゃあ私は芸能界の先輩として缶コーヒーを奢ってあげます」と悪戯っぽく言ってみた。

「わかったよ」と彼が言ったことを確認してから、缶コーヒーのボタンを押す。音が鳴り、缶コーヒーが落ちてくる。

そして、お互いに交換する。

「ん。泰葉、ありがとう」

「こちらこそありがとうございます。プロデューサーさん」

このありがとうは缶コーヒーを買ったことに対するお礼だけではない。そう感じたのは私の自惚れだろうか。

でも、いろいろな意味がこもったありがとうだったと思う。そして同じことを彼の方も感じてくれているような確信があった。


缶コーヒーを一口飲んでみると、やっぱり私には少し苦かった。

苦そうな顔をしていたらからかわれるのかな。と視線を向けてみると、彼の方も苦そうな顔をしている。

「泰葉・・・これ、ブラックだ」と彼は言う。

「私より少し大人なんですよね?」と私が少し意地悪を言う。

少しの後、二人で顔を合わせて笑った。

ブラックの缶コーヒーを飲む彼は、いつもより少し大人っぽく見えた。・・・その後にとても苦そうな表情をしていたので、そう見えたのは一瞬だったが。

「缶コーヒーって」

「ん?」

「缶コーヒーって・・・。少し、大人な感じがしますね」

そうだな。と彼は言った。



空はもう晴れていた。


終わりです。

おつおつ
こういうのんびりとした、何気ないやりとりの話は大好きだわ

おつ

先輩マジパイセン

おっつん

なんかこう、いいな。こういうの

乙乙

すげぇ良かった!

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