「やっぱり、今日も届かないなぁ」

都会の霞んだ空に浮かぶ星空に手を伸ばしながら、そう呟いた。こんなにも届きそうなのに、掴むことができないなんて星というものは不思議なものだ。何十年前の人も何十年後の人もこうやって星空に手を伸ばして、同じことを考えるのだろうか？

「綺麗な夜景だね。でも……君の方が綺麗だよ」

物思いに更けていると、後ろから歯の浮いたようなセリフが聞こえてきた。何回も同じような言葉を聞いてきた私にとってその言葉はもう不愉快でしかなかった。そして、相手の男もきっとそれを理解しているだろう。だって、それはそう言う行為なのだから。

「それじゃ、続きをしましょうか……」

窓の後ろに浮かぶ大きな月をバックに、私は妖艶な笑みを浮かべた。

「モバP君、今日もよろしく頼むよ」

「はい」

これは、普通の人間が見れば、ただの朝の挨拶に見えただろう。だが、私にとってそれは違う意味を持っているということを、机の上の卓上カレンダーにつけられた赤い丸がそれを証明していた。

「おはようございます。モバPさん。今日も早いですね」

事務所の扉を開けて、蛍光色のスーツを着た千川ちひろが出社してきた。千川ちひろは私より少し後に入ってきた、この事務所の経理を担当している人だ。

「おはよう。千川さん」

私がそう言うと、千川は何か思い出したらしく、カバンの中をガサゴソ漁って、中から栄養ドリンクを取り出した。

「差し入れです」

「ありがとう。千川さん」

私は、千川から貰ったドリンクを一気に飲み干して、パソコンに向かって書類作りを始めた。

「お、おはようございます！」

出社時間ぎりぎりになって、男Pが出社した。男Pはいわゆる新人というやつで、仕事もまだまだ甘いところが多いが、誠実で、まっすぐで情熱があって、すぐに事務所の子たちと仲良くなっていた。私とは、真逆のタイプの人間だ。だからこそ、私は心配だった。こういう人間ほど、壊れやすいという事を私は知っているからだ。

「男Pさん。おはようございます。出勤はもうちょっと余裕を持ってするようにしてくださいね」

「すいません……」

千川に注意されて、男Pは少し落ち込んでいるみたいだった。

「まあ、いいじゃないですか。私だって、最初はこんな感じでしたから」

私がそう横から口を挟むと、男Pはぱぁっと顔を明るくした。

「駄目ですよモバPさん。あんまり甘やかすと成長しないですよ」

「そう？　ほら、褒めて伸ばすタイプだっているでしょ？」

「そうなんです！　僕は褒めて伸びるタイプなんですよ！」

「ほら～、もう調子に乗ってるじゃないですかぁ……」

千川は溜息をつきながらも、笑っていた。

「まあ、とにかく期待してますからね。男P君♪」

「は、はい！　頑張ります！」

男Pはしゃっきと返事をすると、営業回りに行ってくると言い残して事務所から嵐のように去っていった。

千川は、頭を抱えて怪訝な顔を浮かべた。だが、手のかかる新人ほど可愛いというもので、事実千川は、男Pの事をいたく気に入っていると以前、酒の席で話していたらしい。

「まあ、あの子はきっと大物になると思うよ」

「そうですね」

お互いを見合って、微笑みあった。

「さて、無駄話はこれくらいにして。仕事に戻りましょう」

「そうですね」

私たちは、パソコンに向かってキーボードを打ち込んでいく。街の喧騒とキーボードの音が、心地よいリズムを刻む。

「おはようございます」

扉の前には、うちの看板アイドルの一人「高垣楓」がそこに立っていた。楓は私の古くからの友人だ。私が、このCGプロに就職すると聞くやいなや、モデルからこのCGプロに就職してきたのだ。何で？　と理由を聞いても、いつも面白くない駄洒落ではぐらかされるので、結局何でここに来たのか私は知らない。

「おはよう。ところでかなり早くない？　仕事までまだ３時間もあるけれど……」

自分の手帳を一度確認して、そう告げると楓はにっこりとほほ笑んで、こう言った。

「モバPさんと少しでも一緒にいたいので」と

千川さんもいるんだけど、と言おうと思ったが、無粋だと思ったので言わないでおこう。本当に楓は昔からこうだ。いまいち、全容がいまだにつかめないのだ。この職に就いてから人を見る目がついてきたとは思うのだが、彼女だけは、高垣楓だけは理解できなかった。
例えるなら、子供や猫といったところだろうか。

「ふう……」

仕事も、ひと段落ついて時間もいい具合なので私は休憩することにした。私が立ち上がると楓が、期待した眼差しでこちらを見てきたので私は仕方なく楓に声を掛けることにした。

「今から一緒にランチでもどう？」

「ぜひ、行かせてください。昼飯のあとはひるめしよう。ふふっ」

楓は珍しくいい駄洒落が言えたことがよほど嬉しかったのか、得意げな表情を浮かべていた。

「その後、仕事だからね？」

「それくらい分かってますよー」

楓は頬をフグみたいに膨らませて、私の方を向いた。私はそれがおかしくて少し笑ってしまった。

「あ、そうだ。千川さんも、ご一緒にどうですか？」

「ごめんなさい……。私はもうちょっと仕事を終わらせておきたいので……」

「そう……。それじゃまた今度ね」

いつもならこの時間には大体、仕事がいい感じに終わってるはずなのだが……。まあ、今日は特別業務が多いのかもしれない。そういえば、思い返してみると楓と一緒に昼食を食べに行こうと思った時だけ、千川を誘っても断られているような気がする。だが、そんなことをわざわざする理由がないので、きっと偶然なのだろう。

「それでは、行ってきますね」

「はい、それではごゆっくりどうぞ」

千川がやけに笑顔なのが気になったが、私と楓は外に出た。

とりあえず、お腹が痛いので今日はここまでにしておきます

期待

「あの……。そんなにジロジロみられるとすごく食べ辛いのだけど……」

「そうですか？」

キョトンとした顔で、そう言ったので仕返しに、私も楓と同じように見つめ返してやった。最初は何食わぬ表情で、黙々と昼食のスパゲッティを食べていたが、徐々に顔が真っ赤に染まっていった。

「な、何をするんですかっ！」

すぐそこに置いてあったメニュー表で楓は、顔を隠してしまった。

「お返しよ。お・返・し」

私は、そう言い放って少し冷めてしまったクリームパスタを食べ始めた。今流行っていると噂の店だけあって、かなり美味しい出来だった。

「ありがとうございましたー」

会計を終えて、私と楓は一度事務所に戻ってから、楓の収録に付き合うことにして、Aテレビ局へと向かった。

「見ててくださいね。モバPさん。私……頑張りますので」

「そう……、頑張ってね」

楓は、私に微笑みを向けて収録へと向かって行った。輝くスポットライトの舞台――。選ばれたものだけが入ることが出来る聖域に、私にはそこがキラキラと輝いて見えた。
だから、そこに立つことができる高垣楓が私は羨ましかった。もう二度と、私はそこの舞台に立つことなどできないから。

「いやぁ……、噂通り君も中々可愛いじゃないか」

「そんな……、買い被りすぎですよ」

臀部に伝わる感覚を感じながら、私は返事をした。この中年はこの番組のスポンサーだ。セクハラをすることで業界でも有名な男だ。

「後で、もっと触らせてあげますから、今は我慢してもらってもいいですか？」

そう言うと、スポンサーの男は気味の悪い笑みを浮かべて、それは楽しみだと言って私のスーツの胸を一度触ってから、私から離れていった。

「収録お疲れ様でしたー」

番組の収録が終わって、私と楓は楽屋で帰る準備をしていた。

「そういえば、収録の時少しぼぉーっとしてたでしょう？　分からないと思ったら大間違いだから」

「ばれてしまいましたか……。実は、今日の夕飯どうしようかなーって考えていたんです」

本当に相変わらずマイペースだと私は思った。でも、そんな彼女だからこそ人を惹きつけるのだろう。そんな彼女だからこそ、輝く舞台に立てるのだと私は思う。

「というわけで、ご一緒にどうですか？」

楓が、上目遣いになって私の方を見つめた。大抵の男性なら恋に落ちてしまいそうだが、残念ながら私は女だ。それに、今日は……。

「ごめんなさい。今日はまだ仕事が残っているの。大事な仕事がね」

「そう……ですか……。今度必ず行きましょうね！」

「そうね……」

私と楓は、Aテレビ局の前で分かれて私は、とあるホテルへと向かった。そこが私の今日の営業場所だ。

「301……ここね」

今日の収録中、スポンサーの男から胸ポケットに入れられた鍵を手に取って、私は部屋の中に足を踏み入れた。

「待ってたよ。さあ、先にシャワーを浴びておいで」

「はい、そうさせて頂きます」

私は、スポンサーの男の言われたとおりにシャワーを浴びて体を綺麗にした。

私は、身に纏っているバスローブを脱ぐとスポンサーの男は私をすぐベッドに押し倒した。男の汚れた手が私の身体を蹂躙していく。乱雑に弾く子供のピアノのようにその触り方は乱暴だ。

「随分と感じているみたいだね」

ただの演技だという事をこの男は気づくこともない。私はその男の乱雑な指の動きに合わせて、声を出しているだけだ。

「さて、まずはこれを綺麗にしてもらおうか」

私の目の前に、今まで何人の女性が加えてきたであろう肉の塊がそこに差し出されたので、私はそれを咥えこんだ。

「君、うまいね。すぐに逝ってしまいそうだよ」

当たり前だ。今まで何人の相手にしてきたと思っている？　

「ふう……。それじゃメインディッシュと意気込みますか！」

男は自らのイチモツを私の秘所にあてがって、それを私の中へと挿入した。

「いやー、気持ちよかったよ。最初、高垣楓と枕できないって言うから怒りそうだったけど、代理の君の写真を見て、了承したんだ。君可愛いよね。もしよければうちの事務所に秘書として来ない？」

「それはできません」

私はきっぱり断った。

「どうして？　君の今の事務所より給料もいいし、何よりもうこんなことしなくてもよくなるのに？」

「そうですね。私はあの子たちをトップにするまでは辞められませんから。それに……」

私は立ち上がって、スーツの胸ポケットに入っているもう一つの名刺を取り出して、スポンサーの男に渡した。

「案外、気に入ってるんですよ。こういうの。次にしたくなった時は呼んでくださいね♪」

私はシャワー室へと向かうと、汚れた体を少しでも綺麗にしたくて念入りに体を洗い流した。

シャワーから戻って、窓の外を見ると既に空の端が明るくなり始めていた。

「あ、そうそう。今度、うちの企画で仙台でアイドルたちの祭典を開こうと思うんだけど、君の所のアイドル出したいんだけど、どう？」

「ありがとうございます。是非出させてもらえると、幸いです」

私は、事前に用意していた替えのスーツに着替えながら、そう答えた。

「おっけー。じゃあ、そうするように話しておくよ」

「ありがとうございます」

後は、他愛のない仕事の話を交わして私たちは、明け方の街をそれぞれの職場へと歩んでいった。

「おはようございます」

誰もいない事務所のドアを開けて、私は中に入って仕事の準備を始めた。仙台公演が決まったことだし早速資料作りに取り掛かろう。

「やあ、モバP君。昨日はお疲れ様」

少し時間が立って、社長が出勤してきた。昨日の事情を知っているのは、この事務所内では私と社長だけだ。社長には絶対に誰にも言わないように口止めしているし私も誰にも話していない。だから、それ以外は誰も知らないはずだ。

「いえいえ。あ、うちのアイドルたちで仙台に行けることが決まりました」

「そうか……。それは喜ばしいことだな」

「そうですねぇ……。」

私は、輝く舞台を夢想して物思いに更けていた。夢のような舞台を作ろう。まるでおとぎ話みたいな舞台を作ることが私の今の夢だ。そのためだったら私はどんなこともやるつもりだ。例えそれが、世間に嫌悪されるような行為でも。

「おはようございます。モバPさん。今日も早いですね」

「おはよう。千川さん」

いつもの蛍光色のスーツを着て、千川が出社してきた。

「仙台のアイドルフェスティバル知ってるわよね？」

「ええ、765プロや961プロ、876プロも出演する超一大イベントですよね？」

私は、スポンサーの男からさっきメールで送られてきた招待状を、千川に見せた。

「うちの事務所も出れることになったよ」

「本当ですか！？　やったー！」

千川は、今まで見た事もないくらい喜んでいるみたいだった。その後で自分が会い上がりすぎたことに気が付いたのか、千川は顔を真っ赤に染めて縮こまってしまった。

「すいません……。嬉しすぎてつい……」

「いいのよ。私も思わず鼻歌を歌っているところを社長に聞かれたんだから」

当然、そんなエピソードなどないが。だが、恥を共有することで人はその恥が薄まり、絆も深まるらしい。

「モバPさんでも、そんなことあるんですね」

「私だって、人間だもの。そういう事くらいあるわ」

私は、わざとらしく頬を赤らめてそう答えた。

「おはようございまーす！」

扉を勢いよく開けて、男Pが中に入って挨拶した。仙台公演に出演することが決まったことを伝えると、喜んではいるみたいだったが、想像と違って案外落ち着いているみたいだった。何故なのかと尋ねると、男Pはこう言った。

「この時の喜びを、仙台公演が終わるまで取っておきたいんです！　今は、喜ぶよりライブの事を考えるのが先かと思いまして」

何も考えていないように見えて、実はそうでもないという事が分かって、私は少し感心した。この男が成長していくのが、私は少し楽しみになった。

「それじゃ、早速会議しましょう！　会議！」