南条光「砂糖無しで、ミルクはいっぱい」 (16)


 チョコの銀紙、チュパチャプスのツリー、シュークリームの空き袋。駅前で開いたカフェのチラシに、ふわふわした甘い物関連のエトセトラ。Pのデスクのゴミ箱には、いつもお菓子関係のゴミが詰まってる。

 そんなに甘い物ばかり食べてるから……ではないだろうけど、最近の彼からは時々、ポプリやジャムのような甘い香りがする。その中でも丁寧に煮詰めたガトーショコラみたいな匂いが漂うのはたいがい週に一度か二度、早引けの翌日、あるいは前日が有給でお休みだった時だ。

 このことを指摘すると、彼は赤面しながら「光は俺に詳しいんだな」と答えた。いい気になって「辞典を作れるぐらい、……かもな!」と返事した。

 うぬぼれのつもりはない。そう言い切れるほど、アタシと彼は職場で同じ時間を共有し続けてきた。それも、ただ一緒に過ごしてきただけじゃない。苦楽を共にし、共に涙し、共に笑い合った戦友だという自負があった。

 しかしPは笑うばかりで、真正面から取り合ってくれなかった。彼に不誠実な態度を取られるのは面白くなかった。

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「嘘だと思うのなら証明してみせる。次のバレンタイン、Pを唸らせる究極のチョコを作って持ってくよ!」

 声を張り上げてカレンダーを指さした。自分も含め同僚たちのスケジュールがみっちり書き込まれた予定表によると、今日は折り返しの水曜日。二月十四日までに五日間は時間が残されていた。

「至高でも何でも、くれるっていうならとても嬉しいが……出来るのか? 光にそんな女子らしいこと」

 ぐ、と言葉が詰まり言い返せなくなった。アタシはお菓子作りに関してほぼ素人であり、まったく正論だったのだ。

 そうでなくても、今まで女の子趣味とは無縁に過ごしてきたアタシでは、可愛くラッピングすることも不可能かもしれない。

 けど、それは止める理由にならない。今回を契機に作れるようになればいいのだ。挑むのならば、微かでも光はあるはず。そう前向きに捉えたい。

「出来る! というか、やってみせる!」

「おう、楽しみにしてるからな。あ、土曜は空けるから、先出しは無しで頼む」

 期待してくれているのか、彼は口端を持ち上げて笑った。そのまま彼は席を立って、そそくさと給湯室に向かった。しかしそこでお茶を沸かす様子もなく、長々と電話をかけていた。

「お疲れ様━━━━イブの予定は━━━━」

 ちひろさんが彼を事務室に連れ戻したころには、お昼の休憩時間はとっくに終わっていた。


 さて啖呵を切った以上、約束を果たさないといけない。アタシは女子寮のキッチンを借り、試しにチョコを湯煎したりマシュマロを焼いてみた。とても美味しかったけれど、彼にぶつける全力としてはまったくの力不足だった。

(かくなる上は、全部のせ合体作戦だ!)

 記憶の中にある彼の好む甘い物を全て混ぜる。特撮番組の終盤に、これまで出てきたメカを強引にくっつっけるようにだ。

 そうした合体の場合、たいてい自立不可能なドぎつい物が出来上がったりするけど、お菓子という共通テーマで組み上げるのだから、きっと失敗しないだろう。追いつめられて鈍化した脳は、浮かんだ瞬間に賭けと理解出来る方針にゴーサインを出した。


 思い返してみると、飴玉の類は口寂しいから食べてるような風体だったから、他と比べるとあまり好んでいないかもしれない。同じ理由で、グミやガムもそれほど好んでないだろう。

 逆に、パフェやあんみつなど、腰を据えて食べる甘い物は大のお気に入りだった。それ以外にも、雨宿りがてら駆け込んだで、急かされたように覚悟を決めた目でバナナタルトにかぶりついてたことも覚えてる。

 タルトが届くまでの間、糖分が欠けた禁断症状(と、彼は呼んでる)で心が折れぬよう雑誌を読みながら堪え忍んでたことも、雑誌の表紙の女の人の真っ白なフレンチ・ネイルの美しさも、抱かれていた真っ黒なパグの可愛らしさのことも、何一つ忘れていない。

「どれだけ甘いものが好きなんだ?」

 必死になってタルトにかぶりつく彼を見て投げかけた質問をリピート。

「男がこういうの好きなのって、世間体が悪いだろ」

 内緒にしてくれと言いたげな彼の笑顔と口調も再現した。どうしてか、口の周りがベッタリと甘くなる。食べてるときの彼を真似たからだろうか。

「そんなこと言わないでくれ。男の甘いもの好きがダメなら、アタシなんか特オタだぞ、……むぐ」

 全部を言い切る前に口を塞ぐよう突っ込まれたバナナの甘さも想起した。その次に思い出したのは、ミントの葉の清涼感だ。

「いいじゃないか。光の趣味は、光の趣味なんだし」

 その言葉に対し、あの時、どうしてアタシは「ならPの甘党だって別に問題がないだろ?」と返せなかったんだろう。肩をすくめて無邪気に笑うPを見て、何故か何もしゃべれなくなっていた。

「……ふへへ」

 気付くと笑っていた。多くの思い出がアタシの中にあることを改めて確認出来たのが嬉しかったのだ。データの山を無駄にするわけにはいかないぞと自分を奮い立たせ、一人芝居を止めて料理を再開した。

 板チョコを割る・刻む・湯煎する。マシュマロを火にかけて焦げ跡を作り、中身を溶かして表面にシナモンを振る。バナナを刃先のテコを利用して勢いよく切り分けるのが、危ないようでなかなか楽しい。

 スーパーで売られてるありふれた材料に、アタシの命を流し込む気持ちで調理した。

 喜んでくれるかな。あの笑い顔がもう一度見たい。アタシの全力で彼のお腹を満たしたい。自分のしたいことに正直になればなるほど、手の動きに加速がついて、止められなくて、あらゆる一流パティシエにも負ける気がしない心地になった。

※――※――※――※――※――※――※

「で。実際のところ、出来上がりましたか?」

 同じく厨房を利用してたありすちゃんが問いかけてきた。アタシは背筋を反らして天を指さし、半身をひねって彼女に返事した。

「Pの心に響くお菓子……それは、南にある……!」

「哲学とかいりませんから」

 バッサリと切り捨てられた。彼女ならこういう正しい反応をしてくれると信じていたから、大仰でふざけた芝居を打つことが出来た。

「正直、かなり煮詰まってる……作って壊してもう三日。味と味が喧嘩してしまうんだ……うう、理想の食材を並べて叶うほど甘くなかった……!

 はぁと大きくため息をつき、肩を落としてうなだれた。これは芝居じゃない。山となって詰みあがっている失敗作の数々を視界に入れたくなかったのだ。

 五体合体玩具をツーセットは買い揃えられるほど材料費をかけ、しかして出来上がったのが合体事故のスクラップ群なのだから、今のアタシには元気も何も存在しなかった。

「そのメモの中身を全部入れようとしたら、バランスなんかとれませんよ」

 現状の追認をして欲しいわけじゃない。そう言いたくなるけれど、彼女だってケチを付けたくて言ってる訳じゃないだろうから、声にはしなかった。

 いや、彼女の正しい判断を『ケチ付けてる』と一瞬でも評価してしまうアタシは、きっとせっぱ詰まってナーバスになってるんだろう。このままでは、思ってもいないことを口走ってしまいそうだ。

「どうしよう。こう、いい参考になるお店とか無いものだろうか……」

「……無いわけでは、ないかと」

 彼女が手持ちのタブレットに視線を動かした。この行動はアタシが知ってる限り、『調べたから見てください』のサインだ。


「ほ、本当!? 見せてくれる!?」

 知りたいという腹の底からの本心を伝えると、ありすちゃんはまんざらでもない風に仕方ないですねと笑って、ディスプレイをこちらによこしてくれた。知識量を誇りたいから協力してくれる彼女は、何時だって頼りになる。

「駅前のお店?」

「はい。このカフェ、評判みたいですよ。創作ケーキとかで」

「噂を聞いたことはあるぞ。早くて安くて美味しいんだっけ?」

「ラーメン屋さんと勘違いしてませんか? とにかく、煮詰まってるなら新しい情報をインプットするべきかと」

「たしかに、アタシの中の知識だけじゃ、もう作れないだろうし……そうだな、明日、君は行くのか?」

「行けるなら行きたいけど……お仕事なんです。春一番対策のマージンが大きめだったり、そもそも距離的に寮に直帰しても真夜中になっちゃいますし、……Pさんは来れないし……」

「Pは関係無いんじゃないか?」

「か、関係なくなんかありません。だって、私たちのプロデューサーなんですよ?」

 「ならなおさら、お休みを取る日は楽しんでて欲しくないか?」と言おうかと思ったけど、押し問答になってしまいそうだからやめて、ホームページを確認した。一等地にでんと構えたお店らしく、サイトのレイアウト一つとってもおしゃれで清潔感があった。

 飾られてる北欧の木製玩具や、おそらくスズランをモチーフにした真っ白なコースターが可愛くて華やかなのは理解できたが、だからこそ遠い星のように縁遠い存在に感じられた。名付けるならシャレオツ星だ。

「こ、こういうお店って、高価なパソコンを持ち込んでハンナ……アーモンド? みたいな難しい本を片手にSNSで仲間がコミットでクリエイティブがプロ意識でナレッジがノマド? とか言ってる人向けのお店じゃないかなっ。アタシには相応しくないというか」

「一つ、このお店は会員制じゃないから、別に相応しくないとかどうとかありません。二つ、アーモンドじゃなくてアーレントです。面白いって思った本なら作者の名前を忘れないでください」

「む……文香さんに申し訳が立たないな。ところで、もしかして三つ目以降もある?」

「ええ。三つ、カタカナ使えば頭良く見えるって思ってるなら、それこそ馬鹿らしいですからね」

「アタシけちょんけちょんだな!?」

「四つ目。その、光さんだってアイドルなんですし、髪が長くて、静かにしてれば清楚寄りの見た目ですから、こういうお店が似合わないってことはないかと」

「い、言わんとすることはだいたいわかった。けど、こういうお店に似合うお洋服を持っていないというかだな」

「言い訳がましいですよ。いつもは服なんか着れればいいのスタンスなくせに。戦後何年経ったって思ってるんですか。どうしても気になるならおめかししてください」

 そう言いつつ、彼女はブラウザの新しいタブを立ち上げて近くの洋服屋について調べ始めていた。

 「自力でどうにかするから大丈夫」と言ってから、そういえば何故君はこのお店を調べたんだと尋ねた。ありすちゃんは「Pさんが気になってるみたいだったので」と頬を赤らめて答えた。彼女が誰を想っているかどうとかは、アタシのような唐変木でも知っている公然の秘密だ。

「聞いといてなんだけど……いいのか? そういうの、教えてもらって」

「光さんなら安全ですから」

 「アタシ以外の娘は危険みたいな物言いだな」と言ったら、「そうかもしれませんね」とあざけるように笑った。そのときふと見え隠れした、電源が落ちたテレビ色の瞳をおそらく一生忘れられないだろう。

※――※――※――※――※――※――※
 かくして突撃した二月十三日の駅前には、アタシを排除することに特化したエネルギーフィールドが形成されていた。これが噂の重力波か。ライブならばなんともないのに、歩行者天国の人並みには圧倒されてしまった。

 通行人に弾き飛ばされそうになりながら目的地に向かう途中、金髪の女の子がハニー会いたかったのと言って男性に抱きついてる瞬間にでくわした。メガネの優男は女の子をたしなめたけど、彼女は聞く耳を持っていなかった。

 目の前でカップルが仲睦まじくしてるだけなら、素直に祝福できる。けれど、カップルで行動するのが当たり前と言わんばかりの環境で単独行動を取るのは、周囲に『何故君は一人なんだ』『女子力無き者は立ち去れ』と責められてるようで居心地が悪い。

 リア充とか恋愛とかなんて、酷い言い方だけど、他人事なぐらい遠いことだ。だけれど、空気中を満たす甘い匂いや乱舞するハートマークの群に対して耐性を持てなかった。胸で乱気流がかき乱れてるように呼吸が滞り、それが辛くて、なんとかたどり着いたシャレオツ星に逃げ込むように飛び込んだ。

 避難場所としてこのお店を選んだのは間違いなく失敗だった。何せ店内でハーブを育てていて、店員さんに頼めばそのハーブを目の前でハーブティーにして貰える『いかにも』なお店だ。カップルが楽しく健やかなティータイムを過ごすことに機能を研ぎ澄ました環境なのだから、前述のオーラで満ちてるに決まってる。


 (これも社会勉強のため、社会勉強のため、社会勉強のため……お店じたいは素晴らしいんだ、アイドルたるもの良い喫茶店を知っていて、インタビューとかで『このお店を贔屓してますっ!』みたいなことをペラペラペラペラ~~って言えるようでなければ、なんだろう!)

(そうだ、Pのためありすちゃんのため、アタシのパワーアップのため、それつまりファンのために来てるのだ。何を恐れることがあろうか!)

 納得できるよう無理矢理に理屈を構築して、周囲に慣れ親しむよう努めた。

 そういえば、誰もアタシの存在をとやかく言ったりしない。どうやら変装が上手くいってるみたいだ。スカートなんて制服と仕事でしか着ないけど、だからこそ日頃のイメージとの大きな差を生み出せて、ヒーローらしく身分を隠せてるようだ。

 ベージュやブラウン、ミントグリーンを混ぜたなんちゃって森ガールな格好も、なかなか悪くないものだ。いっそこのコーデで流行を作れたりしないだろうか。名前は石ノ森ガールとかそんな感じがいい。

(為せば為る、為さねば為らぬ、何事も……為さぬはえっと、なんだっけ……?)

 手持ちの服装でもそれらしく見えるよう教育してくれたありすちゃんには頭が上がらない。

 指先にまで神経を張りつめさせ、自分を忘れて優雅に━━━それっぽく━━━振る舞った。気分はまるで何年か前の戦隊のお姫様戦士だ。彼女もラフファイトを披露してたことは敢えて忘れる。この格好であれば、流石のPさんだってアタシの正体に気付かないはずだ。

 そう思ったとき、彼にこの格好を見て貰いたいと思った。ヒーローのそれとは微妙に違うが、努力は努力だ。成果を見て欲しかったのだ。

(どう思ってくれるかな。似合わない、とか言われる……かも……?)

 それとも良くやったな、と誉めてくれるだろうか。あるいは、雨宿りする時に手を引いてくれたゴツゴツした手で、頭を撫でたりするのだろうか。胸中でクエスチョンマークの群が、隣の席で喧嘩してるカップルがぱくついてるアップルパイのように重なっていった。

 ふわふわ髪の可愛らしい少年の耳を引っ張ってる少女の苛烈さを見て、なんとなくワルなアイドルを目指す友人のイメージが重なった。考えるのと平行して痴話喧嘩を眺めてるうち、注文していたケーキと紅茶が届けられた。


 スカートの裾を正し、ハンドルを摘むように持って紅茶を飲み込んだ。アールグレイという名前の紅茶で、蜜柑のようでそうでない香りが薫ってなかなか美味い。確かベルガモットという果物を着香したフレーバーティーだったか。ケーキの販売をしてるぐらいだから、茶葉も置いてるだろうか。待て、そんなに無策に浪費して良い筈がない。自制せねば。幸せかつ悩ましい問題を問いながら、口元をナプキンでぬぐってケーキを一瞥した。

 トッピングのマンゴーをつつくと、ぷるんとした手応えが返事した。オレンジ・バナナ・ブドウ・メロン、過積載で違反を切られても文句が言えないほどフレッシュな果物がみちみちに詰まった、まさにフルーツの大将軍と形容するべきフルーツタルトだ。

 瑞々しく輝くイチゴを潰さぬよう、恐る恐るナイフで切り分ける。それを更に一口大に切り分けて、フォークでぱくり。口の中で果汁が爆発し、ジューシィだと大声で叫びたくなった口を無理矢理押さえ込んだ。

 雨上がりの雲の隙間で煌めく日曜の青空のような清々しい味わいだった。特に参考になったのは、強いトッピングの香りが他の弱い味を邪魔してなかった点だ。一瞬薫ったレモンも大事なのだろうか。

 本当に良いチームとは、きっとこのタルトのように完璧な調和を織りなしてる物なのだろう。仕事をただ引き受けるだけでは決して届かない、食べる人すら眼中にない、完成度をあげることそれ自体が目的化した職人的人物が産みだすだろう、磨き抜かれた日本刀のようにシャープで重厚な一皿だった。


 散々舌鼓を打ってから周囲を見渡すと、自分が酷く恥ずかしいものに感じられた。

 見渡す限りの男女・男女・男女・夫婦。甘い空気に相応しいのは舌の上に乗るクリームの残り香だけ。先ほどの喧嘩ップルはすでに退席していて、そこではもう別のカップルが仲睦まじく談笑していた。

 カップルの彼女は、お店の雰囲気に相応しい格好を当たり前のように着こなしていた。アタシのなんちゃってとは比較にならない、自然で暖かみのある装いの女性だ。

 そんな人がフォークから落ちそうなぐらいたっぷりのキャラメルショコラを鼻先に押し付けて「あーん」を企んでいるのだから、男性が困ったように笑うのは当然だった。子供のように無邪気で暖かい微笑みだった。

 お土産のケーキを購入して会計を済ませ、シャレオツ星からさっさと撤退した。そして、お店から、駅前から逃げるように飛び出した。

 運悪くも、外では春一番が吹き荒れていた。この風が止めば今後は温かくなるそうだけれど、今はただ皮膚に突き刺さるだけだ。

 (吹きすさぶ風がよく似合う……アタシはそれでいい……!)

 心の中で唱えるように繰り返し、服を吹き飛ばしそうな風を堪える。意地を張ってこちらも駆けだした。幸いこんな格好だ、アタシが何者なんかだなんて誰にも気付かれない。駅前のバス停を無視して全力で走り、三キロほど離れた公園の前のバス停の方を利用した。

 バスに揺られながら呼吸を整え、それからありすちゃんへのお土産を確認した。幸い、まったく型崩れしていない。これなら喜んでくれそうだ。

 窓の外で町並みが流れる。少し車酔いぎみだったから遠くを見たかったけど、降りだした小雨のお陰で風景は歪んでいた。

「P、その人は誰だよ」

 問いかけは『次、停まります』のアナウンスにかき消された。アナウンスがこのバスは女子寮の近くを走ってると教えてくれた。


 冷静に考えてみれば、彼がお休みで、あのお店は彼が気にしてるお店なのだから、鉢合わせする可能性は当然にあった。

 そうやって理由が幾つも浮かんでは消えた。しかし、疑問は一つとして振り払われなかった。

 (別にいいじゃないか)(なぜ、驚いた? 他人事じゃないのか?)(他人事じゃ……無いのか?)(来なければ良かった)(どうして?)(わからない)(なぜ?)(わからない)

 繰り返される自問自答に答えは見つからなかった。ただ、体を動かしてるうちに答えは見つかるというよく言われる話を信じて、とにかく行動がしたかった。

 女子寮に戻ってケーキを冷蔵庫に放り込み、オーブンを点けてすぐに調理を始めた。

(協力してくれたありすちゃんの為にも、作らなきゃ)

 まず、買っておいた製菓用チョコレートを片っ端から粉砕した。砕く、壊す、割る、刻む。ボウルに移し湯煎を開始。出来上がったチョコに水切りヨーグルトを混ぜ、なめらかになるまで混ぜた。

(約束を、守るんだ)

 キャラメル砕いたナッツ、コーンフレーク、一口大に切ったレモン漬けのバナナを混ぜ、市販のタルト生地に詰め込んだ。そして、最後にたっぷりとマシュマロをのせた。既にこぼれ落ちそうなそれの表面に溶かしバターを塗り、先ほどのチョコを流し込んだ。

(アタシの全力を見せるんだ)

 これを焼きあげること三十分。ミトンの手袋をつけて取り出し、常温に放置してあら熱をとった。それから冷蔵庫にいれ、一晩待つことにした。

(あと二個)

 足りなくなった材料をリストアップ、スーパーに駆け込んで補填し、また戻って調理を再開した。

 砕く・壊す・割る・刻む。湯煎をしてから、キャラメル砕いたナッツ・コーンフレーク・バター・マシュマロ。バターを塗ってからチョコをトッピングの谷に流しこみ、焼いて冷やした。

「あの、光さん、もう十時回ってますよ」

 作ることに夢中になっていて、ありすちゃんが帰ってきたことに気付かなかった。言われて時計を確認すると、確かに針が普段なら寝る時間を示していた。

「あ、……おかえりなさい。お仕事はどうだった?」

「その、とても眠いから、明日でいいですか」

 「もうこんな時間だもんな」と納得した旨を伝えたら、どうしてか「子供みたいに言わないでください」と少しだけ怒られた。謝るついでにお土産のケーキと勉強料代わりのタルトの場所を伝え、部屋に戻って行くのを見送ってから最後の一個を作り始めた。

 壊す・壊す・壊す・湯煎する。ナッツ・フレーク・それからマシュマロにチョコレート、Pさんの好きなものを入れて焼き上げた。そしてあら熱を取り、冷蔵庫に安置した。

(Pさんに、笑ってもらうんだ)

 今日はもう何も出来ない。キッチンの後片付けを済ませて部屋に戻り、ベッドに入って眠ろうとした。しかし、不安でいっぱいで睡魔がいつまでたっても訪れなかった。

 テンパリングは成功するだろうか、ちゃんと固まるだろうか、……彼の理想になれるような物を作れただろうか。日頃は棚に飾って見守ってくれてるヒーローの人形を取り出し、きゅっと握って抱きしめて瞼を閉じた。


 何時寝たのやら起きたやら、不快な眠り方をしてしまった。当然、体は絶賛大不調。日頃楽しみにしてた特撮で、それも新シリーズの第一話であるというのに、体が番組のテンションに追いつかなかった。

 それでもと体に言い聞かせ、ついに自作タルトと向き合った。出来上がりを見て、血糖値が一気に上がった。

 あとは最後の仕上げだけだ。ボウルに生クリームを一パック投下し、砂糖を入れてからバニラ・エッセンスを滴下してからハンドミキサを回転させた。最初のうちはバターを作ってしまったが、今となってはお手の物だ。

(これで決まりだ)

 真っ白なクリームをふわりと載せるように塗り、緑がまぶしいミントの葉を飾った。同じことを三回繰り返し、アタシ特製のキャラメルバナナ・チョコマシュマロタルトが完成した。

 ここまでくれば、あとはラッピングだけだ。皿に載せてから袋詰めにして、赤いリボンで軽く結んだ。これも繰り返すこと三つ。それぞれにメッセージカードとレシピを挟み、ありすちゃん用以外の残りを持って事務所に向かった。

※――※――※――※――※――※――※

 ヒーローとしては断じて許されない昼出社。それをしてしまったのだから、お菓子作りの魔力とは末恐ろしい。特撮にアイドルに人助け、これ以上夢中になれるものを増やすと流石にダメになってしまうかもしれない。

 Pのデスクには、色とりどりの小箱が山となって積み上げられていた。白と青の小箱はありすちゃんの物だろうか。どうやらPは、家に帰ってから腰を据えて食べる予定みたいだ。

「ほら、お疲れさま」

 カタカタカタカタとキーボードを景気よく叩くPの隣に、コト、とわざとらしく音を立ててコーヒーを置いた。

「おお、おはよう」

「おはよう。もうこんにちはの時間だけどな。飲むか?」

「サンキュ」

 彼は手を休めてコーヒーを含んだ。こく、こく、とのど仏を揺らして、アタシが淹れたそれをゆっくり飲み干していった。

「旨いな。甘さが無いのがいい」

「砂糖無し、ミルクいっぱい、だろ? 甘いものと合わせるとちょうどいいよな」」 

「俺の好みを覚えてくれてたのか」

 「当たり前だ」と返事せず、アタシも一口コーヒーを舐めた。手前味噌だが、焙煎臭が引き立っててなかなか旨い。オレンジなどの柑橘類に近いフレッシュな酸味が憎らしいし、そんな香りが喉にとろりと絡みつくのが愛しい。

「じゃあ次、ハッピーバレンタインだ。作りたてでさ、今食べて欲しいんだけど……いいか?」

「喜んで、だな。楽しみにしていいんだな?」

「ばっちこい」

 「給湯室でタルトを切り分けた。そして持ち込んだ小皿にのせ、おかわりのコーヒーと一緒に彼に差し出した。

 彼はバナナやマシュマロが崩れるのが嫌かのようにフォークを運んだ。しかし最後は覚悟を決めて切り分け、こんがり焼けたマシュマロの上下を泣き別れさせて一口食べた。

「おお……けっこう手が込んでるな。大変だったんじゃないか、これ」

 はむはむもきゅもきゅと頬張る姿はどこかハムスターのよう。これを自覚してるとしたら、確かに自分の嗜好に罪深さを感じてしまうだろうな、と、見る度に納得する。

 そう美味しく食べてもらってることは嬉しかったけど、ガッツポーズやサムズアップをする気分にはなれなかった。

「まぁな。けど、無理をするのもアタシには楽しかったぞ」

 何故手がこんだ物を作ったか。その理由は胸に抱え込んだ。気付かれる筈がないし、自分でも気付いてないし、気付いて欲しくない。けど、こんなものを焼き上げてしまうほど君のことを見てるんだとは伝えたかった。

「もう一個焼いといたから。これ、彼女さんと楽しんでくれ!」


 心の何処かで、「何処でそのことを知った?」と言って欲しいと思っていた。狼狽えて欲しいとも思っていた。が、その期待は「お、サンキュ。光のことも一緒に教えとく」という返事に裏切られた。

「おかわりが必要なら幾らでも切るし、今日じゃなくたってまた焼くからっ!」

「それは嬉しいな。じゃあ、もう三切れ頼めるか?」

「了解っ! ……あ、コーヒー飲んでからでいい?」

「貰うだけの俺だからな、急かせられないって」

 脳内で荒れる情報の波を飲み干すよう、カップを一気に傾けた。濃いめのミルクコーヒーが、何度も何度も反芻される彼とのビジョンとともに胃へと落ちていった。

「次は砂糖多めにしようかな」

「いいと思うが、どうしたんだ? 光はいつも、俺のと同じのを飲んでただろ」

「甘いのが飲みたくてさ。とにかく、すっごく甘い奴」

 Pは否定も肯定もせず、一番好きな飲み方をした方が楽しいとだけ言って皿を空けた。出した物を完食してくれたのことが、アタシが彼を理解してることの証明であって欲しかった。<了>


大遅刻申し訳ありません、光ssでした。ゲームだとポテチチョコなる妙に女子力高そうな物を渡されたのですが、いったい何があったんでしょうね。
というか滅茶苦茶可愛い新SR来ましたね。まさか黒とは珍しい。依頼出してきます。

乙です
なんだかとってもビターだわ……

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