旅人「モンスター娘に殺される話」 (98)
旅人「聞きたいか?」
旅人「聞きたくなければ、回れ右。聞きたいのなら……そうさな」
旅人「お代は、話が終わってから、頂こうか」
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旅人「さて、では本日は何を話そうかね」
旅人「マンドラゴラ娘と仲良くなって、カラオケに連れてかれて殺される話がいいか」
旅人「それとも、ケルベロス娘と交際していたら、三つの首どれを愛しているかケンカになり、結果三つ股かけたとみなされ殺される話か」
旅人「あぁ、あれはいい話だぞ」
旅人「ゴーレムってのは、額のemeth(真実)の文字で使役し、不要になれば最初のeを消してmeth(死)とすることで崩壊させるのだが」
ゴーレム娘「……マスター。朝食、できました」
ゴーレム娘「おいしいですか」
ゴーレム娘「土の味がする……?」
ゴーレム娘「…………ごめんなさい」
ゴーレム娘「……? 褒め言葉? ……人間の言葉、難しいですね」
ゴーレム娘「マスター。荷物持ちます」
ゴーレム娘「いえ、こう見えて力持ちなので」
ゴーレム娘「荷物を持つのは男の役目……? ……どうしても荷物を持たせてくれない気ですか」
ゴーレム娘「だったら……」
ヒョイッ
ゴーレム娘「荷物を持ったマスターを、ボクが持ちます」
ゴーレム娘「下ろしてくれ? 知りません。家までずっと、ボクの肩に乗っていてください」
旅人「仲睦まじい主従。しかし、ゴーレムとは次第に大きくなるモノ。そしてその限度はない。……故に」
ゴーレム娘「よいしょ……」
ゴンッ
ゴーレム娘「あう。……頭ぶつけました」
ゴーレム娘「…………玄関が壊れました」
ゴーレム娘「……これ以上大きくなると、見上げられたらスカートの中身が……」
旅人「大きくなったゴーレムを壊すには、何らかの命令で、膝まづかせてeを消せばいい。そう……たとえば」
ゴーレム娘「……靴ひもを、結んで欲しい……?」
ゴーレム娘「……」
ゴーレム娘「分かりました」
ゴーレム娘(……大きくなったボクの手で、靴ひもなんて結びづらい)
ゴーレム娘(…………消され、ちゃうんだ)
ゴーレム娘(ボクが……大きくなりすぎたから)
ゴーレム娘(仕方ないよね)
ゴーレム娘(これが、ゴーレムとして生まれた、ボクの)
チュッ
ゴーレム娘「……え? 今、マスター……ボクの額に、何を」
旅人「主人は言う。『キミを消すことなんてできない……愛してるから。それがemeth(真実)さ』」
旅人「ん? で、なんで死ぬのかって?」
旅人「嬉しさのあまり力いっぱい抱き着いてきたゴーレム娘に粉砕されて死に至る」
旅人「なに、不満か?」
旅人「だったら……座敷童娘と結ばれるも座敷童娘の見た目の幼さから社会的に殺される話とか」
旅人「あと、ヤンデレのスライム娘が、どこに逃げても隠れても液状化して追ってくる話」
旅人「人魚に捕まって、永遠を共に生きる為に真珠貝の中に閉じ込められ、真珠にされちまう、なんてのも」
旅人「…………贅沢な客だな。んじゃあ、今日はとっておきの話をしてやろう」
旅人「そう。あれは…………何十年前か。時節は、今より少し涼しい頃……」
青年は、街道の脇に立っていた。人通りはない。
重たい荷物を足元に下ろし、陽射しを、手で遮る。
その視界に一つの影が現れるのと、車輪の音が聞こえだしたのは、ほとんど同時だった。
続けて、蹄の音。
二頭の馬に引かれた荷馬車。ゆるりと進んでくるそれは、やがて青年の目の前で止まる。
青年が、手を挙げて止めたのだ。
「どこへ行くのです」
青年は訊ねる。
「……」
馬車の手綱を握る大柄な男は、細く鋭い目の端で、青年を一瞥。
が、応えない。
「……あの」
「街道を行くんだ。行く先なんて決まってんだろ?」
青年が再び同じ問いを投げかけようとしたとき、声は、荷台から。
「この道はうねりながらも一本道。一山越えた街しかあるまい」
顔を出したその男は、青年よりも、いくらか歳を重ねたか、
落ち着いた雰囲気の旅人だった。
旅人は言う。
「あんたこそどうした。こんなどっち行くにも半端なところで」
苦笑、のような、青年を気遣うような、表情で
「今からじゃあ、街へ行くにも、戻って道沿いの宿に行くにも、日が暮れちまうだろう」
「えぇ、ですから一つお願いを」
「乗せて欲しいってか?」
青年は頷く。
「出会ったばかりで、不躾なお願いではありますが。どうか」
「おーい、どうするー」
旅人は荷台の中を振り返り、呼びかける。
すると中から、声が
今度は女の声がした。
「乗せてやりなよ」
澄んだ氷のような声で
「言うじゃん。ほら、旅の恥は道連れ」
「お前さん、恥じらいなんて連れてないだろ。……まともかく、主人の許しも出た」
旅人が、手を差し伸べる。
「乗れよ」
荷台は、ひどく揺れた。
どうやら車輪がガタついているようだ。
「しかし、よく乗せる気になったよなぁ」
旅人は、女に話しかけた。
女は、動き易いよう改造された鎧を着込んでいる。おそらく傭兵か何かだろう。
もたれかかる荷物の上には、それが彼女の得物か、戦鎚がほっぽってある。
「ここらも最近物騒でしょ。だからさ」
「そうなんですか」
青年は会話に割り込む。それに旅人が応えて
「あぁ、野盗だとか、山賊だとか、うろちょろしてるってな」
「あの山のふもとにある村も、焼かれたばかりだよ」
女傭兵は、来た道の向こうを指さす。
「だから、ここに放置して、野盗に殺されちゃったらさ」
「寝覚めが悪いってか?」
「そう。せっかくのさわやかな朝がね」
「寝起きは常に最悪だろうが」
「もっと悪くなんの」
「あれ以上にか? そいつは勘弁」
「でしょ。だから乗せたの」
二人の会話は、そこで一旦途切れた。
女傭兵はあくびを一つ。荷物にもたれかかったまま、目を閉じる。
「恐ろしいもの、といえばだ」
旅人は、青年に向き直って
「最近ここらにも、怪物の噂があるらしいな」
「怪物……」
「怪物。モンスターというやつよ」
青年は脳裏に浮かんだ名を挙げた。
「ゴブリンとか」
「オークとかな」
旅人も同様に。
「ゴーレムや」
「触手生物」
「炎を吐くドラゴン」
「服を溶かすスライム」
「……」
「……」
旅人が咳払いを一つ。
「まぁ、そーいう怪物の噂が、ここらでも出てきてるわけよ」
「いったいどのような」
聞き返すが、旅人は「さてね」と
「他所では、美しい歌声で海に引き込む鳥女だとか、目ぇ合わすと石にされちまう蛇女だとかいるらしいが」
呆けている青年に、口元で笑み
「女の子の怪物がいいだろ? どうせ殺されるなら」
「そうですか?」
「謎かけをしてくる獅子の女というのも聞いたことがある。……朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足。声は一つ。四本足のときに一番弱い生物は。ってな。……答え、分かるか」
青年は、しばし、考えるように首をひねり
「いいえ」
と。
「答えはな」
旅人は立てた親指で、クイと、自らをさす。
「俺だよ」
「……?」
「朝は二日酔いで這いずりながら布団をでて、昼はちどりあしながら二足歩行。夜は」
さも得意げな表情で
「ここにもう一本、美しい貴女のための足が……と。これで怪物ちゃんもイチコロよ」
「……」
「何か、言いたげだな」
「いいえ」
また貴方か
期待
旅人の怪物談義は続いた。
複数の獣が合成されたような怪物。冥府から蘇りし不死者。
人から獣、あるいは獣から人となった半獣人。
そのどれもが、悲劇にしろ、喜劇にしろ、色恋の絡んだものであったが。
「そこの荷馬車、停止せよ」
声が呼び止めたのは、ちょうど、ユニコーンの雄が交尾した相手を殺すか否か、という話の佳境。
「荷物をあらためさせてもらう」
検問。気付けば、もう道のりを半分進んでいた。
旅人は、荷台の板壁をコンコン、とやり
「よろしく」
と気だるげに。
馬車が止まる。
鈍い音が、一つ。二つ。三つ。
馬車が動き出す。
止める声はない。青年が戸惑いながら荷台から顔を覗かせると、通り過ぎる道端には役人らしき者と、兵士が二人、横たわっていた。
「そういや、腹減ってきたな」
旅人はふと思い立ったように
青年に手を差し出す。
「出せよ」
「は……?」
間抜けな声が出た。旅人は構わず言う。
「食料、水。それから金目のもん。だな。ほら出せ」
「なにを」
「言っただろう」
旅人は、目を細める。
「野盗には気をつけろってな」
「衣類その他身の回りの品はいらん。古物屋ではないからな」
青年は目を丸くしたまま、まだ事態を呑み込めていないのか。
すると旅人は「仕方ない」とばかり溜息を一つ。
「こういうの、あったほうがいいか?」
喉笛にピタリ、刃先が。
いつの間にか旅人の手にはナイフが握られている。
「それは……」
見覚えがある。青年は自らの懐を探る。
ない。護身用に持った、形見のナイフ。
「それは返してくれますか」
今度は旅人が、少し呆けた。
「あぁ、すまん。大事なもんだったか。出すもん出したら返してやる。もちろん命をとる気はない。町までは乗せていく。いいな」
青年は、頷いた。
荷物を開けて、全ての食料と水、金品を差し出す。
「んじゃ食うか」
旅人は、パンを二つとり、一つを青年に投げて寄越した。
「いただきます、と」
「話は戻るが」
旅人はパンをかじりながら
「俺はな、今の今まで愛し合っていた相手だったとしても、突き殺すと思うね」
「そうでしょうか……」
青年は不服そうに
「自分の手で、姦通しておいてですか?」
「カマキリの雌が、雄を食っちまうようなもんだよ」
「でも、その場合と違って、雄が雌を殺しては、個体数が」
「だから貴重なんだろう」
あぁ、と、青年もつい頷く。
結局その話は、交尾が終わって雄が疲労している内に逃げおおせた雌だけが、子を残せるのだろう。と結論付いた。
と、旅人の手から半分食べかけのパンがもぎ取られた。
「ならさぁ」
女は、寝ぼけまなこのままで
「後ろを姦通済みの雄は、突き殺されると思う?」
青年が少しむせた。
「後ろを姦通された雄は、その場で自害だ」
「それは残念」
女は奪った半分をあっという間に食べ終え、水をあおる。
「ユニコーンにホモはなし、かぁ」
「逆に、レズは盛んかもしれんぞ。突き殺される心配がないからな」
「なるへそ」
それから、手綱を握る大男にも食料と水をやり、何事もなく、
何事もないかのごとく、進んでいった。
途中で数回、同じように強引な手で、検問を突破しながら。
「さすがに多いな。ほんとうに物騒だってことか」
旅人はさも嘆いているような表情で
「嫌な世の中だ」
と。
「行商人やら旅の者やら、果ては村や町が直接襲われてるわけだからな。警戒も当然だが」
「やりづらくなるね……」
女も、物憂げな表情で応じていた。
青年のみが、渇いた笑いをもらす。
「んじゃ、ここまでだ。後は自力でな」
街が目視できる距離。青年は馬車を降りた。
「あの」
ナイフのことを言おうとして、旅人に指さされる。青年自身の胸元を。
「あっ……」
懐を探ると、あった。確かに、形見のナイフは、元あった通り。
皮の鞘に収まり、綺麗に収納されていた。
「じゃあね。また会わないことを祈ってるから」
女が荷台から手を振る。
青年はつい、その、野盗一味に頭を下げた。
そして歩き出す。
傾く日のオレンジに追われながら、街へ。
夜。
空にたなびく灰色の雲が月にかかり、闇を濃くした。
「よう」
不意の声。兵士は背後を振り返る。
そして腰に手を
が、そこに剣はなかった。あるのは空っぽの鞘だけ。
「がっ……」
喉を一突き。
「すまんな」
黒装束の男は、剣から手を離す。
自らの刃に貫かれたまま、兵士は倒れた。
「? なんだ」
他の見張りが、その音で異変に勘付く。
「っ! 貴様!」
音もなく駆ける男に向け剣を抜いた。
それに対し男は、壁に張られた旗を引き千切り投げる。
「ぬぐっ!?」
一瞬の隙に足をかけられ倒れる兵士。その横を男はすり抜けて
今度は燭台の蝋燭を投げた。
「ぐぁっぅあああぁあああ!」
炎に包まれ、のたうつ。
叫びに、その詰所じゅうの兵士が気付く。
「敵襲!!」
即座に警戒体勢に移り、総員が配置についた。
「にの、しの、ろの……なるほどなぁ」
黒装束の男は駆けながら、兵士の数、動きを見る。
「いたぞ! こっちだ!」
行く手を遮った複数の兵士。
「そらよっ」
そこへ置いてあったタルを蹴り転がす。先頭の兵士がそれを槍で叩き壊した。
中身が撒き散らされる。
「ぬぅっ!?」
兵士が足を滑らす。ぬめりと、独特の匂い。油だ。
先頭がこけたせいで兵士らが一瞬だんごになり、止まる。
「よっ、と!」
男は兵士の手から離れた槍を拾い、それを足元に突き立て跳躍した。
兵士らの背後に着地。また走り出す。
兵士らは追おうとしたが、勢いよく振り向けば、やはり油に足をとられ
重なり合って倒れる。男はそのまま、兵士らを振り切り、奥へ。
「さぁて……」
周囲に人影はない。
「はぁ!」
木製のドアが、槍で突き壊された。
兵員待機所。中には誰もいない。全ての兵士が即座に対応したが故に。
「あるといいんだが……」
男は素早く、慣れた動作で室内を荒らしていく。あらゆる引き出しが開け放たれ、布が、紙が、食料や酒が、散らかって
「! ……ビンゴ」
男は一枚の紙切れを、懐にしまった。
部屋を出た瞬間、鉢合わせた兵士の一太刀をかわし、槍で足をすくう。
倒れた相手の手を踏みつけ、落ちた剣で、その手を縫いとめた。
「ぐぁあああっ!」
兵員待機所の中は、倒された燭台の火が、酒のしみた布類に引火。
既に炎は部屋じゅうにまわっている。
「あばよ。また会おうぜ」
立ち込めてゆく煙にまぎれ、
男は、夜の闇へと
消えていった。
旅人らしい格好を、黒装束の上に、
男は、街外れに置いた荷馬車へと戻った。
「よぉ、あいつは?」
留守を任されていた大男は、首を横に振る。
「そうか……。メシは? もう食ったか」
「……」
コクン、頷く。
「酒があったからついでに貰ってきたが、飲むか」
「……」フルフル
「んじゃ、俺一人で飲むかね……」
蓋を開こうとした、と
横からひったくれれた。
「はいあんがと。ちょうど喉渇いてたとこ」
女はそう言うと、ぐいっとあおり
「ぷはー」
わざとらしく息を吐いた。
「お前なぁ」
「残ってるから安心して。はいどうぞ、お疲れ」
返された酒に、ちびりと口をつけ
「ま、お疲れさん。どーだったよ」
「ん、良かったよ」
赤ら顔で微笑む。
「……そーいう話じゃあなくて」
「まだ慣れてないのか、ウブで可愛い子がいて、つい気が乗っちゃってさ」
「いや、だから」
「女の客は初めてなのか、おどおどしてるから、リードして思いっきり責めたらね、最初はびっくりした感じだったけど、どんどんいい声が」
「やっぱり納得いかないんだが、この分担」
男の眉がひくつく。
「なんで俺が肉体労働してる間、お前さん娼館で遊んでるわけよ」
女が笑う。
「情報収集だってば」
「ならその成果を聞かせてくれ」
「ほんとせっかち」
「悪かったな……んで」
「……やっぱり、ここで間違いないみたい。普段王都にいる研究者とかも来てるって」
「そうか……」
「あと、夜な夜な人を喰らう、怪物の噂も」
「……」
男は押し黙り、空を見上げた。
雲間に、ちらと月明かりが覗く。
「そっちは?」
「……護送任務の日時、それとルートも判明した」
「行先は?」
「山の上にある霊地」
「当たりっぽいね」
にやりと口の端を上げる女に、男は苦笑で
「違ったらどうする?」
「うーん……それはそれで、頂戴すればいいんじゃない? せっかくだし」
「ははっ」
また、酒をちびりと
「違いねぇ」
運ばれていく駕籠。そしてその周囲を守る兵士達。
それを遠くから観察する、二人。
「あれかな」
「多分な」
「カゴかぁ」
「細く険しい山道も行くんだ。逐一ふもとで乗り降りするより、より守りやすい形を選んだんだろう。馬を混乱させられ、その隙を突かれたり、とか」
「風あるし、煙幕も効かないよね」
「ちょっかいかけてみた感触としては、昼間でも、一対一ならどうにか」
女は、兵士を数え
「三人で割っても一対六以上なんだけど」
「これでも街や、襲撃を受けた詰所の警備もあって、予定より減ってるハズなんだが……まぁ」
男は立ち上がり、ボロ布を羽織り直した。
「こっちも予定通りに、な」
女もあくびしつつ、男の手を取って立ち
「ちぇっ、仕方ないか」
戦鎚を、肩に担ぐ。
「久々に真っ向勝負もしたかったけど」
舌なめずりを、一つ。
「……ヤれれば、いっかぁ」
山道に入れば、どうしても隊列は伸びる。
視界も、足元も、悪くなる。
(3……2、)
仕掛けるべき、絶好のポイントで。
(……0!)
「なんだっ」
「うぁああっ!」
先頭の兵士数名が、突如崩れた足元の穴にのまれる。
その叫びが合図。
大男は、常人では両腕でも振り回せない大斧を、振りかぶった。
「フゥン!!」
そして一撃。
高くそびえた巨木がメキメキと音を立て倒れ
「陣形を崩さず後退!」
「おい! 木が上から!」
駕籠の退路を断つ。と同時、しんがりの数名を一時的に分断。
「密集陣形! 駕籠をっ」
倒れた巨木を乗り越えようとする、分断された兵士ら。
だが、その背後から悠然と近づく、足音。
「もう行っちゃうの? せっかくだから遊んでいってよ」
戦鎚を、軽々と回し
「この、私とさぁ」
改造された軽鎧を着込んだ女は、一気に踏み込んだ。
「貴様ぁっ」
一人が惑わず剣を抜く。しかし、その白刃は振るわれる前に、砕かれた。
豪快かつ俊敏な、戦鎚の一振りで。
「がぁあっ!?」
振り下ろした鎚が反転し、振り上げられる。兵士の胸鎧はヒビ割れ、巨木に叩きつけられた。
「……さぁ、次は?」
女の眼光に、たじろぐ兵士も。
それでも瞬時に、剣を抜き、警戒しながら、
女を囲うように、にじり移動する。
「あらら、度胸ないんだ。……いいよ」
戦鎚を、低く構え
「かかってきなよ。まとめてひり潰してあげるからさぁ……!」
「密集陣形! 駕籠を守れぇ!」
「また木がくるぞ!」
兵士らの頭上に迫る木は、先ほどより細い。
一人がそれを斬り飛ばそうとした瞬間
「なんだぁっ」
倒れゆく木の枝陰から何か飛び出した。そして、頭上をかすめ、着地する。
黒装束の男が。
「こいつっ!」
一人が弓に矢をつがえようとしたが、背中の矢筒はカラ。
そして盗られた矢が兵士らに投擲される。
「ぐあっ!」
「なにぃ!」
目をやられた者、手に刺さり剣を落とす者。
矢を叩き落とし、男に向かっていく者。
「はぁあ!」
斬りつけられる寸前、男は跳び下がりながら足元の土を掴む。
「そぅら!」
着地と同時、小石や葉っぱごと土を投げつける。反射的に顔をかばった兵士の足を、ツタが絡めとった。
「ぬぉおっ!?」
ツタに引き上げられ、宙吊りになる兵士。
戸惑い陣形が乱れた隙、駕籠前にいた兵士の顎を男は蹴り上げる。
さらに相手の腰にある護身用の短剣を抜き、斬りかかってきた相手の剣を受けた。
「今のうちだ!」
男の声に応じ、木の間を抜け、大男が走り
勢いそのまま、駕籠を叩き壊した。
「ずらかるぞ!!」
大男は駕籠の中身を担ぐと、また山中へと走りぬける。
囲んできた兵士半数を叩き潰した女も、煙玉を投げ、素早く退いた。
「仕上げだ! とっときな!!」
男が、自分の乗ってきた木についた縄を、短剣で斬る。
ひゅっと風を切る音。
飛来した袋が破裂し、中の粉塵が一帯を満たす。
「げほっ! ごほっ!」
「吸い込むな! 呼吸をっいーっくし!」
「あぁああ! 目がぁ!」
混ざった様々な粉末が、目にしみ、鼻をくすぐり、喉をいたぶる。
兵士らの阿鼻叫喚を尻目に、黒装束の男も、その場を走り去っていった。
上から来るぞぉ!木をつけろぉ!
「……はっ……はぁ…………まいたか?」
黒装束の男は、慎重に、周囲の気配を探りながら
「まぁ……ここまで来りゃあ、一安心、か…………お前らはどうだ」
合流地点に集結した、二人に問う。
「問題なし。つけられてもないし、誰にも見つかってないよ」
女は、一つ伸びを。
大男も、無言で頷く。
「っていうかアンタ、ほんと体力ないよね。これぐらいで息きらすとかさ」
「……一戦交えた直後これだけの距離走って、平然としてる方が異常なんだが」
あくびをしつつ女が戦鎚を下ろし、鎧を脱ぎ捨てた。と、さらに服までも脱ぎ始めた。
「なにしてんの」
「ん、汗かいたし水浴びする。覗かないでね」
「……だったら川降りてから脱げよ」
「それもそっか」
脱ぎ散らかしたものはそのまま、女はそばにある川へと。
「んじゃ、馬車をこっちに移動してきてもらえるか。早いとこ、さらに遠くへ移動しておきたい」
頷き、歩き出す大男。
担いでいた荷物は男の足元に置かれていた。
「……さて、と。俺ももう一仕事」
男は腕を掲げる。と、そこに一羽、舞い降りる影が。
黒い鳥。烏。
手に爪をかけ留まったそれの、頭と、くちばしを撫でる。
烏は目を細め、喉を小さく鳴らした。
「ご苦労さんだ」
男はそう言うと、烏の足に巻かれた紙を取って、開く。
「…………なるほどな」
呟き、烏を留まらせたままで、紙に何か書き足し
また、足に巻いた。
「頼むぜ」
手を勢いよく挙げると、烏は飛び立つ。
そしてぐるりと旋回した後、彼方へと消えた。
「ほんとに覗きに来ないなんて」
声に振り向こうとして、顔を背ける男。
「いや服は着てから来いよ」
「いまさら」
女は、男が羽織る布を剥ぎ取る。
「なにすんの」
「拭くもの忘れた」
つい、男は溜息をつく。
「お前なぁ……」
「一緒に入ればよかったのに」
「……これ、見張るやつがいなくなっちまうだろ」
ぽん、と足元の荷物を蹴る。
ぴくん
「……なぁ今これ動いたか」
「…………そう?」
「…………死体って話じゃなかったか」
簀巻きになっている荷物を、足で押しながら
「……まさか」
「開けてみよっか」
女が服を着終え、荷物の紐に手をかけた。
「おいおい」
「指示にはなんて」
「……管理しろ、と…………いやしかし、管理ってのは」
「はい御開帳ー」
ばさり、荷物を覆っていた布が解かれ、ごろんと中身が転がる。
「……」
「……」
固まる二人。
そして
「……」
もう一人。
むくり、上半身を起こし、足を投げ出したまま
眠そうな目で、ぼんやりと二人を見上げる
少女。
「………………これ、生きてるよな」
「うん」
呆ける三人。
「これ」
「うん」
「ネコミミか?」
男の言葉に、ぴくん、と動く、
少女の頭に、二つ生えた、ふさふさ、とんがったなにか。
「イヌミミじゃないの?」
ぱさっ
今度はしっぽが動く。
「オオカミです……」
か細く、鈴を鳴らすような声で。
「がお……」
と。
「獣人……というか、半獣人。か。聞いてはいたが……」
横目で、ちらと見やり
「はーいキレイになっ」
「がぅ」ブルブルブルッ
「ぅあっ! こら水飛ばすな!」
女に洗ってもらい、拭いてもらっている狼少女。だいぶ痩せこけ、あばらが浮いている。
「お前、何食うんだ?」
「……ふつうに」
「人肉か?」
狼少女の目が、じとりと睨む。
「パンとか、野菜」
「肉は?」
「ふつうのお肉」
「…………そうか」
男は腕組みをし
「人肉を食うなら、腕の一本食わせてやれば、と思ったが……」
「…………」
少女の表情に、嫌悪が増した。
「冗談だ。そんな顔せんでくれ」
そんな内に、水滴はきれいに拭き取られ、急ごしらえの服をかぶせられる。
入っていた布を裂いて作っただけのモノだ。
「しっぽは隠れたが……頭は」
「ぼうし作るよ」
女は言いながら、既に作業にかかっていた。
「馬車が来たら食いもんもある。それまで我慢な」
手を伸ばし、まだしっとりした少女の頭を撫で
ようとすると、ぱしっ、と払われる。
「……」
「あらら、こりゃ嫌われたか?」
「本能で気付いたんじゃない?」
女がほくそ笑む。
「なにを」
「ロリコンだって」
「……」
狼少女が、にじりと男から遠のく。
「違うからな」
溜息混じりの否定。
「私の裸は見にこないのに、この子のはじろじろ見て」
「違うから、な」
今度は強く、否定した。
それでも狼少女はもう、女の背後に隠れ「ぐるる……」と唸る。
「……俺も、水でも浴びてくるかね」
揺れる馬車の中、少女がパンを頬張る。
「はぐはぐ……」
頭にターバンのように布を巻いた少女。
「……」モグモグ
しゃきしゃきの葉野菜とハムを挟んだパン。
「ゴクン……はぐはぐ」
「とりあえず、一番近い町に寄るか」
旅人姿の男は独りごちた。
「そうね。ちゃんと服も着せないと、目立つし」
傭兵風の女も同意する。
「……」
手綱を握る大男は、無言で。
「はぐはぐ……」モグモグモグ
少女はただただ無心に、パンを食べていた。
そう大きな町ではない。
警備も、だいぶ手薄だ。
「さ、行こう」
女は自然と少女の手を取り、自らのそばに寄せながら歩く。
「……ぅ」キョロキョロ
「色々気になるかもだけど、着替えるまでは我慢してね」
「……」
「おしゃれなお洋服着たら、町を散策して、ショッピングでもしよ?」
笑いかける女に、少女は、こくん、と
小さく頷く。
服屋。
色とりどり、ふわふわきらきらした衣装が、所狭しと並ぶ。
「……わぅ」
少女の体にも、ひらひらの沢山ついたピンクの服が。
「あ゛――――!! がわいい!!」
女の叫びに店員が振り向く。少女は、試着室のカーテンに隠れた。
「これ!! これも着てみようか!! その次はこれね!!」
次々と渡されるふわひらなお洋服に埋もれる少女。
「……」クンクン
いい匂いがする。
少女はカーテンを閉め、次の服を着た。
「んあぁあ! 似合う――! ずるい――!! なにこれ天使か!!」
「……オオカミです」
「これ全部くださぁ―――い!!」
「…………がぉ」
ふわもこした、しっぽを出しても目立たない服を着て。
耳は、フードで隠した。
「アンタ自身で欲しいのある? 気に入ったのあれば言いなよ?」
「……」トタタ
少女はとことこ、店内を歩き、きょろきょろと。
「……これ」
差し出したのは、やはりふりふりレースのついた、しかし少し大人しめの
お嬢様風。
「? これ、アンタにはでかいと思うけど」
「……」ジー
見つめる少女。
「え? もしかして、私? 私にこれ着て欲しいの?」
女は鎧こそ外していたが、簡素で機能的な、戦闘服だった。
「……」ジーーー
「う…………分かった。着る。着るから……ちょっと待ってて」
「……」
(…………っ……! ……)
少しして、女は試着室から出た。
ふりふりの、おしとやかそうな服を着て。
「……かわいい」
少女の口元が少しだけ、ほころぶ。
「あ、ありがと……」
女は困惑するように眉を寄せながら、頬をわずかに紅潮させ
(…………でも少し、キツ)
それも買って、店をあとにした。
「いやー買った買ったぁ」
どさり、馬車に荷物が増えた。
「買いすぎじゃねぇの?」
放り込まれた荷物を整頓しながら、男が呟く。
「一人増えたんだから、このぐらい必要でしょ。それに消耗品とか必要なものも買ったんだからさ」
「……逆に、必要なもの以外がメインってどうよ」
「っていうか、アンタこそ、それなに?」
男が、大事そうに、よけて置いた箱。
「これか? これはまぁなんだ、えーとな」
くんくん、少女が鼻を鳴らす。
「なんか、ついな」
言いながら男は箱を開け、中身を見せた。
少女が身を乗り出す。
「けーき……!」
眠たげな目が、少し大きく開く。
「みんなで食おう。どれがいい?」
少女が指さしたチョコケーキを少女の目の前に。そしてイチゴの乗ったショートケーキを自分の前に。
女には、モンブランを渡した。
「ふーん」
「なんだよ」
にやつく女。
「こんなもので、餌付けしようだなんてね」
「……別に、そういうわけじゃあ」
決まり悪そうに、よそを向き、頭をかく。
「だいたいアンタさ……むぐもぐ」
「食いながらしゃべるなよ」
「んぐっ……ん、なんで私には有無を言わさずコレなの?」
「おもっくそ齧りついといて」
「文句があるわけじゃないって」
「……その店の目玉商品らしいから」
「……ふーん」モグモグ
二人のやりとりには目もくれず、少女はケーキを食む。
「はむっ」モキュモキュモキュモキュ
「……」モキュモキュ
「……」
ヒョイパク
「……」モグ、ゴクン
「……なぁ」
「なに?」
「俺のイチゴは?」
「知らない」
イチゴの消えたケーキを掴み上げながら、男は眉をひそめる。
「私じゃないから」
女は唇についたケーキを舐めとりながら
「ダイエットするし。余計なもの食べないから」
「……」
それならそもそもケーキ自体が、という言葉を、ケーキごと喉奥に押し込む。
「……ま、いいけどよ。しかし痩せる必要あるか? 今ぐらいが、いいむちむち具合だと思うんだが」
「…………むちむちとか言うな」
スカートを引っ張り、太ももを隠すように。
「……そういやそれ、似合ってるぞ」
「………………ありがと」
ケーキを食べ終えた少女が、まじまじと二人を見ていた。
「……けふ」
馬にエサをやり終え、ブラッシングをしている大男を
少女が見上げる。
「……」ジー
「……」シャッシャー
くい、と服を掴み
「おじさん」
大男は首を横に振る。
「……おじさん」
「……」フルフル
「おじさんおじさん」
「……」フルフルフルフル
「…………」
少し考えるような間。
「……おにいちゃん?」
「……」コクリ
「ううん……おじさん」
「……」
「のせてください」
くいくい、引っ張る。
大男も、少し考えた後、
ひょいと少女を持ち上げ
「……うがぅ」
自らの肩に乗せた。
「…………たかい」
「……なにやってんだ、あいつら」
呆れ顔で、少女を肩車した大男を見る。
「なつかれた、のかな。……くやしい?」
「うっせぇ……」
少女を乗せたまま、大男は走りだした。がぅぉおおお、と少女の楽しげな声。
「で、様子は?」
「……この町の兵士らに、変わった動きはない。町以外の各所の警備にも、このことが伝達された様子はないな」
「どゆこと?」
「おそらくだが……運んでたやつらも、中身は知らなかった、んじゃねぇか」
風になびく、少女のしっぽを、目で追いながら
「あれの存在について、広く知られたくない……故に、情報を流して捜索することも出来ずにいる……とかな」
「希望的観測ってやつじゃない?」
「まぁな……。なんにせよ……早々に、なるべく遠くまで運ぶ必要はあるが」
女が、伸びを一つ。
「夜になったら、すぐ移動かぁ……ふぁ」
あくび。
「……今のうち、寝とこ」
「おう、そうしとけ」
「…………寝込み襲ったり、」
「しないから寝ろ」
「ちぇっ」
ごろん。横になる。
買った服のままなので、つい、その寝姿に目を奪われた。
「……っと、いかん。……今の内、逃亡ルート考えとかにゃあな……」
夜。
星明かりの下、馬車は急ぐ。
目をつぶり荷物にもたれる女と、まるまって寝息を立てる少女。
男は、少女のフードを、ぱさりとよけ
髪と、そこにある獣の耳を、優しく撫でた。
ぴくり
耳が動く。
「……ぅ」
少女は目をこする。
「っと、ごめんな。起こしちまったか?」
少女は首を横に振り
「……なにか、います」
瞬時、男は荷台から顔を出し、辺りをうかがう。
「…………あれか。よく気付いたな」
目をこらすと、遠くの草むらが不自然に揺れていた。
「同業さん、かね」
「私が行くよ」
女はそう言うと、荷馬車から、馬を一頭外す。
「はっ!」
一声。馬が駆けだした。
「悪いな、先行っといてくれ」
男も降りる。
不安そうに顔を出す少女の髪を、てっぺんから首元まで撫で
「ぱぱっと片付けて戻る。寝て待ってな」
走り出した。
姿勢低く。
「……5……6。ざっと15、か」
人のない夜道。目をつけられるのも、当然ではある。
「来るかっ……」
草むらに動き。
そして、何かが草を薙ぎ飛ぶ。
「っ……!」
体をひねりギリギリかわす。
だが、背後に飛んだ風切り音は妙で
「戻るか……!?」
飛来した刃は、男の背後で反転。再び襲い掛かった。
「……ならよっ……!」
男は、向かってくる刃に手を伸ばす。そして
ぱしっ
掴みとった。
自身をめがけた刃の回転を、見切ったのだ。
「返すぜっ……そぅれ!!」
びゅおん、草が千切れ飛び、刃は数段勢いを増して
叫び声と、血しぶきを夜空に上げた。
「他に……っ!?」
金属の擦れる音がしたと思えば、次の瞬間、鎖は足に。
「のやろっ……!」
振りほどこうとする背後、もう一人が、刃を振りかざす。
「っ……!」
だが背後の一人は、刃を下ろせずに
飛来した鎚に頭部を砕かれた。
「なにぼさっとしてんの!」
馬を飛び下りた女が、敵を蹴散らしながら叫ぶ。
「っ助かる!」
男は、倒れゆくそいつにめり込んだ戦鎚を両手で抜き取り
鎚の反対側、鋭利な尖端で、足元の鎖を打った。
砕け、飛び散る鎖。
「でぇりゃあああ!」
そして鎚で鎖を絡め取ると、思いっきり引いた。
引き倒された相手が、草むらから飛び出す。
「言え!」
鎖を、首にかけ
締め上げながら
「誰の命令だ。目的はなんだ」
「ぐ、ぁ……がっ…………な、にい、って」
「なぜ俺達を襲った。この道を張っていた理由は」
「た、ただ、なわば、り……だから、ただ、通りすが、たやつ、おそっ……ただ……け」
「…………そうかい。そりゃすまんことをした」
ぎゅう、とさらに絞め
がくりと力の抜けた体を、地面に転がす。
「ただの野盗みたいだね」
女は既に残りを制圧して、馬の手綱を引きながら歩いてきた。
「あぁ……ほらよ」
「ん」
戦鎚を手渡し、女の頬に触れる。
「汚れてるぞ」
「返り血だから」
風が、吹き抜けた。
「……とれるもん盗って、さっさと合流するか」
「そうしよ」
倒れた野盗どもから、金になりそうなものをあらかた奪い
馬に載せ
立ち去ろうという時だった。
「そこで、なにをしている」
凛々しい声。
馬上からの物々しい呼びかけ。
見上げれば、美しい騎士の鎧に身を包んでいる。
「答えろ、貴様の悪行を、その口で」
「……見て分からんかね。……仕事だよ、この俺のな」
男は、身構える風でもなく、力を抜いて立つ。
「野盗から追い剥ぎを行うことが、か?」
騎士は、腰の剣に手をかけた。
「悪に対してなら、悪を働いていいとでも言うつもりか。……だが人を裁くのは法のみ。どのような者に対してだろうと、悪行を働く理由には」
「あー、そーいうんじゃねんだわ」
指で、額をかく。
「……ならば、なぜこんなことをする」
すらり、刃を光らせながら
「殺し、奪う権利が」
儀礼剣を、抜いた。
「貴様にあるか」
切っ先をつきつける。
「…………知らねぇよ」
「なに……」
男は、空を
空の星々を見上げ
「なぜこんなことをするのか? そりゃあお前」
自嘲の笑みをはき出し
「おまんま食うためよ」
「……」
「メシ食うためにゃ、仕事せにゃならん。そしてこれが、俺の仕事」
「だがそれは悪だ」
「そうかい? 獣は、食うために獲物を殺す。それと何が違う」
「理想も、使命もなく殺すなど」
「何か思想があって戦う…………そっちの方が、俺は好かんがね」
「なに……」
「お互い思うことがあるなら、話し合うべきだ。それが、知性ある生物の権利だろう」
「…………」
「少なくとも俺は、こうして言葉を向ける相手には、言葉で応じる。……お前は自分の正義感をかざすために、言葉ではなく、刃を使うのか?」
「……それは」
視線が、わずかブレた。その瞬間。
「ひゃぁっはぁあああっ!!」
馬に飛び乗った女が、戦鎚をぶん回す。騎士に向かって。
「ぬぅっ!!?」
かろうじて剣で受け、しかし馬ごとよろける。
「今だっ!」
男は鎖を放ち、馬の足にかけた。そして、暴れた馬の背から、転落する騎士。
「ほらっ!」
駆け抜けながら伸ばされた女の手をとり、
男は、馬の背に。
「しっかり掴まってなよ!!」
猛然と、走る。
夜の闇の中、一度引き離せば容易には追いつけない。
「…………くそっ」
騎士は、二人の悪党を見失った。
「……あいつ、なんだったわけ」
背にしがみつく男に、馬を操りながら女は問う。
「さてね…………王宮の騎士サマが、お供もなく、こんな夜半に」
「……追手?」
「可能性はある。信用できる少数の実力者を派遣して、内々にコトを済ませようって算段かもしれん」
「…………そう」
女は、何か考え込むように視線を伏せる。
「……騎士サマを殺しちまうのは、得策じゃねぇぞ。こっちも、荒立てたくはないんだからな」
「そもそも、勝てるかどうか」
「言わんどけ。それは」
そうしているうち、先行した馬車と合流。
夜明けに急かされるように、道を急いだ。
霞たゆたう山奥に、その建物はあった。
古ぼけてはいるが、荘厳な雰囲気を醸す。
コン、コン
重たげな扉を二度叩き、返事は待たず押し開ける。
「邪魔するぜ」
ぎぎぃ、と音を立て、薄暗い建物内へと。
開けた堂、天井や壁に描かれた絵画。
竜、ユニコーン、クラーケン
ハーピー、鬼、猫女、九尾
所せましと舞い踊る、怪物たち。
「おや、……懐かしい顔ですね」
壇から、振り返る女性。
透き通るような薄白い肌。柔らかに微笑む瞳。
そして、しなやかにゆらぐ、細い手。
「お久しぶり。シスター」
男は手を挙げて挨拶したが、その後ろ
「ぐるるぅ……」
「ほら、大丈夫だっての。隠れてねぇで挨拶しろ」
足にしがみつく少女の背中を、とん、と押し、前へ。
「あら、可愛らしい子」
しなる手を口元に。笑う。
「あなたの子供?」
「……ちがいます」
少女は壇上のシスターを睨みながら、否定する。
「まぁ積もる話はあるが、今はそういう時じゃねぇんだ。ちょいと」
「少し、待っていてね。お客さんが来ているから」
そう言うとシスターは、視線を座席の端に。
「客……? 珍しいな」
男も、そちらを見る。
そこには、強面の坊主頭が。
「いえ、もう往きますので」
坊主頭は、そう言うとぱたりと書物を閉じ、シスターに返却した。
「学者か何かか? しかし、ここは何を祀ってるとも知れん胡乱な地だ。あまり研究には向かんと思うがね」
「いえ、」
坊主頭は、硬い表情をぴくりとも崩さず。
「非常に興味深い、教義でした」
見上げ、絵画を眺め
「獣は獣。人は人。自然の流れのままにあるべし。……まさに、私の求める理想」
「理想?」
「ヒトに育てられた獣は、不自然なモノです。ヒトに都合のよい、不気味なものです」
天井の、竜を仰ぐ。
「不自然に歪まされるぐらいなら、無能なヒトなどに飼われるべきではない。……獣は、本来、独りで生きてゆけるのですから」
「……自分の中の想像を、押しつけすぎじゃあないかね」
「いえ、私はただ、自然に生きて欲しいだけ。健やかに。幸せに」
男は、また怯えるように足元に隠れた少女の頭を、ぽんぽん、と叩いてやりながら
「そうかい。ま、なんにせよ……あまり深入りせんことだ」
坊主頭は歩き、男とすれ違う。
「勝手な想像を膨らませすぎてるとよ…………」
扉を開き、出ていく背中に
「喰われるぜ」
足を止める坊主頭。
「怪物にな」
堂の奥。裏口の、隠し扉が開く。
「悪いな。通るだけ通らせてもらっちまって」
シスターはゆっくりと首を振る。
「いいのです。元気な姿を、見せてくれただけでも」
「しかし気をつけた方がいいぜ。さっきみたいな妙なやつも、最近はちらほら、いるようだしな」
ふふ、と微笑み
「ありがとう。けれど、大丈夫」
シスターの手が、男の手を握る。
ひやり
そして、ぬるりと
「私には加護があるわ。…………貴方にも」
「……そりゃどうも」
「あるがまま……自らの意志に従い、生きる」
目を閉じるシスター。
男も。
少女は二人を不思議そうに見上げた。
「例え、どのような道を選び、どのような事が起ころうと」
「己の命は、己の意志のもの。悔いはない。……ってな」
目を開け、目が逢う二人。
「気をつけて」
「シスターも」
男は、少女を連れて、裏口を抜けていった。
堂に至る道も、険しい山道であったが、
裏から出た先は更なる獣道。
もちろん馬車など通れようはずもない。男と少女の二人だけ。
荷馬車。そして女と大男は、予定通りのルートで回り道することとなる。
「目ぇつけられた可能性もあるからな。二人きりもなんだが、この山を越えるまでは我慢してくれ」
比較的歩きやすい道を案内しながら、声をかける。
こくん。少女は頷くのみ。
「こっちだ」
倒木に上り、手を差し伸べる男。
「……」コクン
少女はその手をとり、ぐいっと倒木の上へ。
そこで抱えられ、ひょいと反対側へ下りる。
「さて……そろそろヌシの領域だ。危険はないから、騒いだりするなよ」
振り返り、少女の眠たげな目を見て
「ま、……その心配はないか」
「……」
地面は、丈のある草に覆われ、木の枝やツタだらけ。
どんどん進みづらくなっていく。
と、
がささっ
何か、這いずる音がした。
「よぅ、俺だ。通らせてもらうぜ」
男がそう呼びかけると、それは、ぬううと首をもたげた。
敷き詰められた鱗が、木漏れ日に光る。
木の幹ほどに太く、長大な、蛇。
「相変わらず美しいな」
男は、ほうと溜息をもらす。
大蛇がそれに、ちろちろ舌を動かし、笑っているようだ。
「今、ちいと追われる身でな。通るだけだ」
少女は男の足元で、目を見開き、大蛇を見ていた。
その威圧感に、ぶるりと身震い。
ふと、背後にもずりりと音が。少女が振り返ると、草陰に見えるは大蛇の太い尾。
「つーわけで、通行料。二人分な」
男は大きな肉片を取り出すと、宙に投げた。
大蛇はそれをキャッチし、そのまま呑み込む。
そして、目を細め、僅かに頷くと
ずりり、がさりと
草木の間に消えていった。
「行くぞ」
男は歩きだし、少女も、それを追う。
「っ……」
少女が幾度か、木の根に足をとられそうになった後
男は振り返り
「おぶろうか。まだ長いぞ」
と。
「……いい」
少女は不機嫌そうに言うと、草を押し分けながら歩く。
「…………一旦休もう。何かとってくる」
男が目の前から消えた。
気付くと、木の上に。
「そこで待ってろよー」
その姿が枝葉の中に消え
あちこちの木々が、揺れ動く。
跳び移っているのか。四方八方で鳴る葉の音を見上げ、少女は鼻をひくつかせる。
「っと、お待たせ」
しばらくして下りてきた男の両手には、いっぱいの木の実、果物が。
「ヌシがいて通れないからな。人間に取られず残ってる。……さ、食うか」
その辺の地面に座って、頬張る。
「はぐはぐ……」
「…………うまいか?」
「……」モグモグモグ
「ま、食えるなら、それでいーんだが」
二人で食べても、半分は余った。
それをしまい。充分休んで、また歩きだす。
歩いては、休み。
休んでは、歩く。
そうして、山の中で、夜になった。
「さすがに、山を夜行くのは危険だ。今日はここで寝るぞ」
羽織っていたボロ布を、地面にしく。
「……がぅ」
「どうした?」
寝転がった男の隣、少女は少しだけ間をあけて、座る。
そっぽを向いて、顔を見せないまま
「…………どうして」
細く、小さな声。
「どうして、わたしといるんですか」
「……いちゃいかんか?」
「…………」
少女は、首を横に振る。
「……つかまってた、わたしを、助けた。服をくれた。食べ物をくれる。……一緒にいてくれる。…………それは、どうしてですか」
男は、頭の後ろで手を組み
「出会ったから」
低く、優しげな声を出す。
「それだけじゃあ、不満か?」
「…………一緒にいると、不幸になります」
「そうか? 少なくとも俺は今、可愛い子と一緒に星空を眺めて眠ることができるなら、最高に幸せだがね」
「……わたしがいるせいで、おそわれて……追われてます」
「それはお前のせいじゃあない。俺自身の選択だ」
少女は、少しだけ、振り返る。
「じしんの……」
「あぁ。……たとえ行き当たりばったりでも、限られた状況からでも、結局…………どうするか。決めるのは自分だ」
指で、星と星をなぞる。
「だから俺に振りかかるコトは、全て俺の意志によるものだ。他のせいではない」
「…………がお」
ごろん。隣に転がった。
「宿命だとか、運命だとかな。……そんなもん、全部……自分で選ぶものなんだよ」
「……」
「待ってるだけで訪れるものはない。……そして訪れるもの全て、自身の手によるものだ」
「…………むずかしいです」
男は、苦笑して
「すまん。つい変な話を。忘れてくれ」
「ぅー……」
夜空に、手をかざす。
「……星が見えるだろう」
「……」コクリ
「葉っぱの隙間からだけどな。……星の世界ってのはな、神様の世界なんだ」
「かみさま……」
「神と、神に選ばれた、人や獣の世界…………数限りない星々をつなげたカタチに、わずか、垣間見える世界」
「……」
「行ってみたいか?」
「……」フルフル
「そうか。まぁ俺も行きたかない。…………けど、行きたいと思ったやつもいる」
「……どうやって?」
「そうだな。鳥でも届かぬ星空に、どうやって向かうか。それは……怪物の力を借りるのさ」
「かいぶつの……ちから」
「翼の生えた、馬の怪物。メデュウサの血から生まれし、ペガサス」
少女は、空に、翼を広げた白馬を想像した。
「その背に乗り、空の果て。星々の……神々の世界を目指した」
「行けたの?」
「……」
男は首を横に振る。
「神が、認めていない者の侵入を、許すはずがない。……神はペガサスに命令した。……そいつを振り落とせ、とな」
びくり、少女は肩を縮こめた。
「……けどな、ペガサスはその命令を拒んだ。この人を死なせることなど、できない……と」
「じゃあ……」
「いや、そいつは死んだよ」
「ぇ……」
「…………そのままでは、神の命に背いたペガサスが殺されてしまう。……そう考え、そいつは自ら、ペガサスの背から、飛び降りた」
「……そんな」
少女の手を、男が握る。
「満足だったろうさ。……少なくとも、納得はしていたはずだ」
「…………じぶんで、えらんだから……?」
「そうだ。……悔いはないだろう。…………ちなみに、あの星と……あの星、それと、あれだったかな」
木々の隙間に見えた、星の群れをさして
「ペガサスの星座。……そいつ自身は辿り着けなかったが、ペガサスは、星の世界に行けたんだ」
「…………」
少女が、頭を、男の腕にのせる。
目をつぶり、ぴたりとくっつく。
「………………おやすみ、なさい」
男は、反対の手で、獣の耳を撫でた。
「……おやすみ」
それから、もう一日。
日が沈みかけた、黄昏の中
ようやく山を下りようという頃
「……ちっ、読まれてやがったか」
男は、こちらへと迫る、重たい足音を聞いた。
歩んでくるは、
壮麗な鎧に身を包んだ、騎士。
「やはりか」
騎士は、男の背後でフードを深くかぶり直した少女を、見て
「貴様がさらっていたのだな」
「……おいおい、人聞きの悪いことを。こいつぁ、自分の意志で、ここにいるんだぜ」
言いながら、回り込み、どうにか少女を逃がせる位置へ
「行け」
少女は逡巡した。が、もう一度強く
「行け! 足手まといだ!」
と。その声に弾かれ、駆けだす。
「お前は通すかよ」
追おうとした騎士に対し、道を塞いで立つ。
「……何をしているか、分かっているのか」
「知らんね。言ったろう。俺は自分の仕事をこなすだけだ。邪魔立てするなら……」
拳を構える男。
騎士も、剣に手を
「獣人は放置すれば危険なのだ! 国が管理し、研究し、民を脅かす危険を排除しなくてはならない!」
「そのために、いたいけな女の子に怖い目合わすってか?」
「正しいことのためだ」
「そうは思えんね」
騎士は、剣を、すらりと抜いた。
「世界はより良くあるべきであり! 我々はその努力を惜しむべきではない! ……なぜ分からんのだ…………!」
「知らんと言った。より良い世界なんぞ、クソ喰らえだ!!」
男が踏み込んだ。
騎士も、剣を振り上げる。が、
その剣に草陰から何かが絡みつく。
「なにぃっ!?」
一匹の蛇が、剣に巻き付き、そのまま手を噛まんとする。
「っ!」
反射的、騎士は剣を手放す。
「らぁっ!!」
男がその隙に蹴りを
だが、左腕で止められる。
「っ……ぅおっ!?」
さらに引き倒され、蹴りつけられ
「く、そっ……!」
どうにか転がり起きようとするが、追撃の蹴りが、男を吹っ飛ばす。
「ぐぁっ」
背中を木にぶつけながら、どうにか立つ。
「…………なぜ、分からん。……悪いものは悪い。良いものは良い。……それを個々の価値観だと言うのは、つまらん言い訳に過ぎん……!!」
「……はっ……はぁ…………俺は、自分が、正しいだなんて……これっぽっちも思っちゃいねぇよ」
「ならば……なぜ刃向う……なぜ胸を張って立ち塞がるのだ!!」
男が、笑う。
「俺はな……ただ、…………間違っていることを、受け入れちまってるだけさ」
拳を振りかぶる騎士。
「それがっ…………悪だと言うのだぁああ!!!」
寸でにかわす。
木が、えぐられる。
「ぅらぁあああ!!」
男の拳も騎士めがけ振るわれるが、綺麗にかわされ
「が、ぁっ」
反撃が、体の中心にめり込む。
「間違いを受け入れたこと…………悔いて死ね!!」
顔面に、一発。
男は地面に転がる。
そこへまた蹴りが。一発。二発。三発、と。
「貴様のようなやつがいるから…………世界は良くならんのだ! いつまで経っても!!」
最後に、もう動かない男に
全力を振り絞った蹴りが入った。
「がはぁっ……ぁ」
身をよじった姿勢のまま、男は意識を失っていく。
(……やろ……つぇ……な…………)
蛇を踏みつけ、剣を拾う騎士。
(…………く、そ……ここまで…………かよ……)
ちくしょう
ちくしょう
心中で呟きながら、
男は、ぷつりと途切れた。
「っ……ぅ」
呻き、目を細く開ける。
「ここは…………?」
全身痛む。だが、まだ、
生きている。
起き上がると、そこはボロい小屋。
男の体には、薬が塗られ、包帯が巻かれていた。
「気づきましたか」
「……お前はっ」
青年は、男に温かい汁を手渡す。
「薬です。さ、ぐいっとどうぞ」
「……野盗助けるたぁ、変わったやつだな」
言いながら、器をあおり、飲み干す。
「ぅえっ……まっず」
「良薬なんとやら。……あなたは、つり合いのとれた人だと、思ったので」
「つり合い……? よく分からんが。ここは」
「あなたの倒れていた場所から、いくらともしない、ふもとのボロ小屋です。無人のようなので、勝手に借りました」
「……そうか。すまんな、助かった」
男は、置かれていた服を羽織り、すぐさま外へと。
「……もう夜」
「私が見つけたとき、既に日は暮れていました」
「……」
暗い夜空から、羽が舞い落ちる。
黒い、つややかな羽。
それから、ばさり、ばさり、羽ばたきの音。
烏は、男の腕に留まった。
「さて」
男は烏の足から紙を外すと、目を走らせ
やぶいて捨てた。
「お前も、ありがとな」
烏のくちばしを一撫で
腕を振り上げ、烏を飛び立たせる。
「行くんですか」
「あぁ。……場所は分かった」
青年は、背を見送りながら
「…………では、また」
と。
とある山の山頂。
崩れかけた石造りの神殿の、
中央にある祭壇。
そこに一人の少女が縛られていた。
頭に、獣のような耳と、腰からふさふさのしっぽが生えた、
狼の半獣人。
「…………ようこそ、怪物の娘よ」
偉そうな法衣を着た坊主頭が、少女に語りかける。
「……」
少女は、応えない。
「私を喰らいたいと思うかね。その鎖を引き千切り、牙を剥き出しに」
少女の眠たげな目を、覗き込む。
「人を、喰らいたいと」
「思わない」
ぎり、と歯ぎしりの音。
坊主頭は一瞬で、歪めた表情を元に戻す。
「……嘆かわしい。怪物でありながら……その本分さえ忘れ」
深く息を吸い、長く、吐き出して
「ヒトに都合のいい存在と成り果てるとは…………歪んでいる」
「…………怪物じゃない」
その声に反応し、目が、ぎょろりと光る。
「なんと言った」
「……わたしは、怪物じゃ」
ぱしん、渇いた音が響く。
「お前は怪物だ。ヒトでも、獣でもない。……お前が何を望もうとも、お前は怪物だ」
「違う」
いよいよもって、坊主頭は、形相を醜く歪ませる。
「歪んでいる……自然に生きることができず…………ヒトの、オモチャに成り下がっている」
ぎりり、ぎりりと歯を鳴らし
「ようやく見つけたというのに…………長い、長い……長い長い長い年月をかけ、ようやく見つけた怪物だと言うのにっ」
は、ははは
はははははははははは
はははははははははははははははははははっはは
「戻そう」
ひとしきり笑うと、また平静とした顔つきに。
「私が、この手で」
少女の髪に、触れる。
「お前を怪物に戻そう」
乱暴に掴んだ。
そして、ぐいと上を向かせ
口をこじ開け
何か流し込む。
「けほっ……げほ」
「体が熱いだろう。……もうすぐだ。もうすぐ思い出すぞ。……自然な、本来の、無能な人間に牙を抜かれる以前の」
口の端が、上がる。
「怪物のお前を」
「…………」
汗がにじむ。体が震える。だが、それだけだった。
その時は。
「……そもそも、いけないのはあの村の人間どもだ……半獣人の子を…………かくまい、ヒトが育てるなど。そんなことをするから歪む」
「……」
「ヒトが、きちんと彼らを殺そうとしていれば、彼らはヒトに寄りつかず……独りで生きてきたろうに。……ヒトを喰うことを忘れた、醜いものになど、ならなかったろうに」
「…………」
育ててくれた、優しくしてくれた、村の人達を悪く言われるのは、心底から怒りが湧いたが
堪えた。
「いや……もう一匹のように、自ら村を出ていれば…………まだ救いようがあったかもしれない。……相容れぬと、怪物のサガに気付き、従えていれば」
「……」
(オレは、ここを出るよ)
数年前の、兄の言葉が、今でも鮮明に
(……お前は、お前が決めろ)
優しく、でも力強く
(獣は獣、人は人。……コトワリを外れたオレたちは、そのどちらとも暮らせない。…………けど)
微笑みが、はっきり見える。
(獣である前に、人である前に、……お前はお前だ)
「…………おにいちゃん」
(お前らしくあれ)
共存できると、仲良くできると思っていた。
村ではずっと、そうできていた。
「お前も、もう一匹と共に村を出ていてくれれば…………あぁ、我々も、無駄に殺さずに済んだというのに」
坊主頭の声が、わんわん響く。
「村の、薄汚い人間どもも。………………貴重なもう一匹も」
「ぇ…………」
血の気が、引くのが分かる。
さっきまで、沸騰しそうだった全身の血が、一気に逆流する。
「残った一匹のため、ヒトと獣と、怪物の世を作ろうなどと、世迷言をほざく、歪んだ怪物になど、ならずに…………それを、殺さずに、済んだろうに」
聞こえない。
うまく、言葉が咀嚼できない。
「そう…………仕方ないから、美しい姿のまま私のコレクションにしたよ」
箱を取り出す。
頭一つぶんほどの大きさの
箱。
「お前も見たいだろう」
がこっ
箱のふたが開く。
「兄の顔を」
叫びが、山脈じゅうに、こだました。
それはもう少女の悲痛な声ではない。猛り狂う獣の吠える音。
「ははははあはははははははははははっはははは!!! そうだそうだそぅだぁ!!!」
目を見開き、大口をあけ、坊主頭は狂喜する。
「それだ! それだ!! これだよぉ!! 欲しかったのはぁ!!!」
巨大な、
竜のごとく脹れあがった、獣を見上げ、わめく。
「素晴らしいぃいいいいいいいいいいい!!! ブラァボー!! これこそ怪物のあるべき姿に違いないんだってよぉおおおおおおおおおおおお!!!」
グォオオオオオオオオオオオッ
唸り、吠える巨大な獣。狼の魔獣。
その手足に絡みつく鎖など、最早ボロ布同然だった。
ブチブチと千切れ、踏み出す。
「あぁあああああああああああああああさいっっっっこ」
声はそこで途切れた。
坊主頭の、頭は
肩から上ごと、消えた。
ばき、ばきり
噛み砕かれ、呑み込まれる。
ぐしゃ、と、残った身体も、潰れた。
ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
獣の咆哮が空気を震わす。
崩れかけた柱にヒビが広がる。
「……なんということだ」
遺跡を包囲し、待機していた騎士が呟いた。
「何が起きた……なぜこのような…………いや、今は」
立ち上がり、剣をかかげる。
「総員!! あの怪物を討て!!!」
物陰から姿を見せた騎士団の兵らが、一斉、弓を構える。
「てぇーーーーっ!!」
遺跡の中央に向け、無数の矢が飛ぶ。
だがそのどれも、魔獣に届かない。
当たってはいるが、その毛皮に弾かれ、地に落ちるのだ。
「くっ……直接仕掛けるしかないか……!」
突撃をかけようとした、そのとき
「待ちなよ。正義の騎士サマ」
小馬鹿にするような女の声。振り向くとそこには、悪党の一人。
「邪魔しないでおこうよ。私らはさぁ」
舌なめずり一つ。
「私らで、楽しもうじゃん」
戦鎚をかつぐ。
グォォォオォオオオオオァアアアアアアア
狂乱し暴れる、魔獣。
その眼前に、一人、進み出る者が。
「…………よぅ、なんか見違えたな」
ガァアアアアアアアアアアッ
「随分と大きくなったもんだ。成長期か?」
グゥウウウグォオオオオッ
「……にしてもよ」
破壊された石柱の、破片が飛ぶ。
「なぜ生まれた……? なぜ、生かされてきた…………だと。……くだらねぇことわめき散らしやがって」
一歩、踏み出す。
ガァアアアアアアッ!!
開かれた魔獣の口から、火球が吐き出される。
「っ……!」
残った壁に隠れるも、壁は、どろりと崩れた。
「あちっ……のやろ、んなもんまで吐くのかよ」
グォオオオオオオオオオオオオッ
爪に弾かれた瓦礫が破片となって飛ぶ。
「くっ……! 近づけねぇっ」
「はははっ! その程度!?」
鎚を振り回す乱入者に、騎士団は掻き回されていた。
普段通りの連携がとれず、自由に動けないのは、何も不意打ちのせいばかりではない。
思ったタイミングと、手足の動きがズレる。
聞こえる音が、視覚と合わない。
「貴様っ……何をした!!」
「手品だよ」
「なにっ……」
「タネは、ちょっとした超音波。人には感知できない音で、アンタらの脳を、少しだけ混乱させてる」
「……ふざけたことをぉ!!」
踏み込む相手より、一瞬速く踏み込む。
「ぐぁっ……!?」
鎚が、どてっ腹に。
騎士は、膝から崩れた。
「……ふざけちゃないけど、ズルだよね。…………だからあんまり、使いたくないんだ」
残念そうに、息を吐き
「機会があれば……今度は真剣勝負で、ね」
「オォオオ!!」
大男が、斧を地面に叩き付けた。
亀裂が走り、魔獣の足元がゆらぐ。
「助かる!」
男はその瞬間走り出した。真っ直ぐ、魔獣めがけ。
グァアアアアアアアッ!!
吐き出される火球を、横っ飛びにかわし
燃え焦げた服を脱ぎ捨てながら
「てめぇのせいで、人が死んだ……? てめぇといると不幸になる?」
(あなたがいるから、あの人は死んだ)
声が、今でも耳に
(あなたは、人殺しよ。人殺しの、怪物)
耳鳴りのよう、こびりついて
(あなたは人を不幸にしかできない)
(誰も幸せにできない)
「うるせぇよ」
(……生きてたって、いいことなんて、なにもないわ。だから)
(私と一緒に、死んで)
ガァアアアアアアアアアアアアッ!!!
「うるっせぇんだよ!!! 勝手に決めるな!!」
(俺はあんたのものじゃない!! 俺の人生は、俺の命はっ)
「てめぇの命はてめぇのもんだ!! 生きる意味ぐらいっ」
振るわれた、強靭な爪。
遺跡の柱を紙屑のように裂く。
だがそこに、男の姿はない。
「てめぇで決めやがれぇえええっ!!!」
羽が、舞った。空に。
黒い羽。
男の背に広がった、翼から。
グォオオオオオオオオオッ!!!!
牙を剥き出しに、真上に喰らいつく。
男は、左の拳を突き出した。
「っ……ぐ、がぁあっ」
肩から千切れる腕。
鮮血を撒き散らし、男は、魔獣の足元に。
「ぁあ、が、っ、は……ぁ」
脂汗を滴らせながら、這いずり、立ち上がった。
魔獣が、一歩踏み出せば、それで終わる。
だが動かない。
動けなかった。
「はっ……ぁ、ぐ…………へっ、毒だけを……食わせるのは無理でも…………腕ごとなら、ってな」
ぐらり、ゆらぎ
砂埃を巻き上げ、巨体が横たわった。
「………………おやすみ」
男も、その横に倒れる。
血が地面に広がり、二人を濡らす。
(…………死ぬのか)
(……………………いやだな)
(やっぱ、まだ)
(……死にたく、ねぇや)
(しに…………)
旅人「……毒は、その昔シスターが男に手渡したものだった」
旅人「獣になるのが怖い。化物になりたくない」
旅人「そう泣きじゃくる男……いや、少年に『なら……怪物に呑まれ、理性を失いそうになったら、これを飲みなさい。……怪物殺しの猛毒です』と」
旅人「そう言って渡し、そして男が、ずっと……お守りのように持ってきたもの」
旅人「それを、狼の少女にやったのだ」
旅人「…………ん? どうした?」
旅人「話しの続きだ? はっ」
旅人「ここで終わりだよ」
旅人「言ったろう。モンスター娘に殺される話だ……ってな」
旅人「お代は…………そうさな」
旅人「俺が語った二人のこと、頭の片隅にでも、置いてやってくれないか」
旅人「それが二人の、住処になる」
旅人「結局、どこにも居場所のなかった、二人のな」
旅人「じゃあな。どこかで、縁があったら会おう」
旅人「またな」
「…………」
馬車が、揺れる。
草原を進む。
道は荒れていないが、車輪が歪んでいて、がたごとと鳴る。
「ふぁ~……ぁ」
女は、あくびを一つ。
「がぁ~ぅ」
少女もつられて。
「ったく、せっかく耳の尻尾もしまえるようになって、人として生きていけるってのになぁ」
男が独り言ちるのに
少女が返事する。
「……片腕の、代わりです」
「いいか。これは俺が俺の意志で」
「わたしもわたしの意志です」
「…………分かった。俺の負けだよ」
片手で、お手上げのポーズをとり、引き下がった男を
くすっ、と女が笑う。
大男も、手綱を持ちながら、ほんの僅かに笑った。
少女も、男も
少しだけ笑いながら、
次の仕事へと、向かう。
END
乙
よかった
おつ
よかった
乙
乙。こういうの好き
おつ
面白かったよ
またどこかで語ってください
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