安部菜々、魔法少女になる。~PROJECT G4~ (71)

「安部菜々、プリキュアになる。」の続編書きましたー。
一応URL : http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5089981

ただ、ほとんど前作と関係ありません。
まるで別物であります。

クウガとアギト、ティガとダイナくらいの繋がりだと思っていただければ幸いです。

主な登場人物は、

・安部菜々
・横山千佳

です。

ネタだらけですが、どうか温もりある瞳で……

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1432645742

それってつまり、映画で何度も共演して作中にも前作キャラが割と出てくるって事か

「単刀直入に申し上げます。菜々さん。私と契約して、魔法少女になっていただけないでしょうか」

「…………はい?」

 数多のアイドルが所属する346プロ。そのプロデューサーの事務室で、安部菜々は困ったように眉をハの字にした。

 茶髪の短いポニーテールに薄いピンクのリボン。見た目から想像できる年齢には不釣り合いなほどの大きな胸。また年齢は見た目から想像される年齢よりも上を行く。
 小柄な彼女の身長は、それ以上伸びはしない。その細い体を隠すように、体はメイド服に包まれていた。

 ウサミン星からやってきたウサミン星人。それがアイドルとして活動するときの彼女だ。歌って踊れる声優アイドルを目指し、日々特訓やアイドル活動に励んでいる。
 年齢は、永遠の17歳を自称しており、彼女の本当の年齢は明かされていない。いや、本当の年齢もなにも、彼女は17歳なのだそうなのだ。

 菜々がメイド服を着ているのは、普段彼女が喫茶店でバイトをしているからだろう。
 それも、地球人とコンタクトを取るためであり、決して苦しい生活を支えるためではない。決して。

 対して、菜々の目の前にいるプロデューサーは、その座った状態からでもガタイの良さが伺える。大きく開いた肩幅は、彼が高身長である事を示していた。学生の頃は、バスケ部、バレー部、はたまたラグビー部だったのかもしれない。

 座っているため目線は菜々よりも下に来ているが、彼が立ち上がれば、菜々はもはや見上げるしかない。身長差は、実に40センチほどにもなる。
 これは、菜々が頭の上に8センチのリンゴを5つ乗せた状態に匹敵する。つまり、菜々は頭の上にどこぞの二足歩行の白い猫を乗せている状態と同じだ。ちなみに、菜々の身長はリンゴ約18.3個分。

 そんなプロデューサーは顔つきが非常に怖い。目つきがとてもプロデューサーとは思えないほど鋭く、街中ではよく不審者に間違えられたり、警察の厄介になっていたりする。
 常にスーツというのが、尚更、彼の威圧感を強めていた。

 だが、プロデューサーに事務所のみんなが信頼を置いているのは、他でもない彼の人間性によるものだろう。
 余談ではあるが、彼の年齢も分からない。私生活も想像できないので、何かと謎の多い人物である。

 そんなプロデューサーから、さっきの言葉である。
 菜々は、軽いデジャヴを感じながら、眉間を抑えた。

「プリキュアの次は魔法少女ですか……」

「はい?」

 首を傾げるプロデューサーをスルーして、菜々は強く自分の頬をつねる。夢かどうかを確かめるベタな手法であるが、涙が出るほど痛かったようで、つねり終わった頬はリンゴのように赤く腫れている。彼女は撫でるように自分の頬を触った。
 ――痛い。
 目に浮かんだ涙を拭き取る菜々の感想はそれだった。その痛さが、今見ている光景、置かれている状況が現実のものであると言っている。

 アイドル的に、顔をつねるのはいかがなものだろうか。
 だが、そんなことを気にしないほど、菜々はこの状況に呆れ……いや、戸惑いを感じているのだ。

 もちろん、頬をつねって現実と確認したところで、容易に受け入れられるものではないが。

「それで、またプロデューサーさんは妖精とかだったりするんですか?」

 半分、この状況に諦めているような菜々の質問に、プロデューサーは淡々と答える。
 妖精という単語に、不思議そうに彼は首を傾げた。

「妖……精……? いえ、私はそのような非現実的な存在ではありません」

 彼の言葉を聞いて、とりあえず菜々は安堵した。夢とは言え、その非現実的な存在に変わる瞬間を、菜々は前に見ているのだ。
 しかし、彼が妖精などではないことは、彼自身の口によって証言された。これで妖精ならとんだ詐欺である。
 妖精じゃないじゃない詐欺だ。

 そこで菜々は、もしかしたら、今回のこれこそは現実で、この誘いも声優としてのお仕事かもしれない、と淡い期待をし始めた。
 そんな微かな期待を持ち始めた菜々に、プロデューサーは低い声で語りかける。

「P16星雲TAKEUCHIの国からやってきた……宇宙人です」


「妖精と変わんないよッ!!」


「正確には、TAKEUCHIの国によって創られた、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェース……それが私です」

「だから、何も変わらないですよ!!」

 手に何かを持っていたら地面に叩きつけているところだ。普段ウサミン星人と自称する菜々だが、宇宙人ですと言われて、はいそうですかと言えるわけではない。
 彼女からすれば、妖精も宇宙人も等しく非現実的な存在だ。菜々には、ブロッコリーとカリフラワーくらいの違いしか感じられなかった。
 あるいは、ピーマンとパプリカ。
 またあるいは……いや、そんな野菜の違いはどうでもいいのだ。

 要は、またアニメの仕事ではないということだ。まして、普通のお仕事であるとは思えない。

 すると、プロデューサーの体が突然ボワンッ! という音と共に煙に包まれた。
 モクモクと立つ煙は、プロデューサーの姿を丸々隠してしまう。

 菜々には、嫌な予感しかしなかった。
 このパターンは、実に良くないと菜々は経験から来る勘を働かせる。彼女の頭の中で警報が鳴り響いていた。
 潔く逃げよう。彼女がそう思い、片足を後ろに下げた時には、既に遅かった。

 煙が晴れ、プロデューサー『らしき』生き物が現れたからだ。

「これが私の……真の姿です」

 ラスボスのようなセリフを吐くその生き物は、猫くらいの大きさに純白の毛に包まれた体。尻尾は触るともふもふしていそうなほど大きく、背中には赤い線が模様のように入っている。そして、耳からは何とも説明できない長い何かが生えていた。

 ――前回同様、顔はプロデューサーのままだ。


「ま た こ れ だ よ ! ! 」

 絶妙に可愛くなかったし、顔だけプロデューサーというのが気持ち悪さに拍車をかけている。なぜ中途半端で妥協するのだ。もっと小動物になりきることはできないのか。菜々は本気で苦悩した。

 同じ白い宇宙人なら、まだ全宇宙最強を自負する変身型宇宙人の方が、プロデューサーの顔にはあっている気がする。
 人型の分、まだそっちの方がマシだったと、菜々は思った。

 だが、いくら目をそらしても現実は変わらない。

 仕事に真面目で、それでいて不器用で、アイドルのことを最もよく考えてくれるプロデューサー。そんな菜々の中の印象が音を立てて崩れていく。
 どうしてこう人外ばかりに……と菜々は別な意味で目頭が熱くなった。

「意外に、驚かれないのですね……」

 菜々の対応を不思議に思ったのか、プロデューサーらしき生き物は菜々を真っ直ぐに見据えて尻尾を振っていた。
 声までそのままなので、目を閉じていれば、普通にプロデューサーと会話している気分になれる。

「驚くというか、もはや驚き通り越して呆れてますよ」

「渋谷さんに正体を明かした時は、泡を吹いて倒れるほど驚かれていたもので」

「凛ちゃん殺す気ですかッ!?」

 せっかく閉じていた目を一気に見開く菜々。

 その時の渋谷凛の精神的ショックは計り知れなかった。泡を吹いて倒れるくらいだ。想像するだけで可哀想である。
 目を閉じれば、光景が目に浮かんでくるようだ。絶望して怪物とかを生み出さなければよいのだが。

「って、今回はナナだけじゃないんですね……」

「……? えぇ、この事務所に所属しているアイドルの方には、ちょくちょく声をかけています」

「ナニソレ被害者続出じゃないですか」

 一体何人が渋谷凛のように倒れたのだろうか。菜々には想像も出来なかった。

「それで……いかがでしょうか? 私と契約して、魔法少女になっていただけませんか」

「なんでもいいんで、とりあえず人間に戻ってください」

 今が真の姿というプロデューサーに向かって、『戻って』というのもおかしな話だが、この姿はどうにも落ち着かなかった。
 第一、ずっとあのままの姿でいられたら、まだ彼の正体に気付いていない誰かに見られる可能性もあるのだ。
 そんな危険を冒しながら、話を進める必要はない。

 菜々の要望に答えるように、プロデューサーは人間の姿に戻った。見下ろしていた視線が、再び上を向く。やはり菜々は、彼に対してはこの体勢が落ち着いた。
 多少首が痛むが、それも今の状況下では心地のよい痛みだ。

「いかがでしょうか」

「ごめんなさいお断りさせていただきます無理です」

「……どうしても、ですか」

「いや、だって他にも勧誘してるんでしたら、ナナ必要なくな――」

 プロデューサーから目をそらした時、入り口の扉の隙間からこちらを覗く、ランランと輝く瞳と目が合った。
 穢を知らない純粋で無垢な瞳は、まっすぐに菜々を見つめている。

(ナズェミテルンディス……)

 一度目が合ってしまったからには、無視は出来ない。隙間が小さくて、誰が覗いているかは分からないが、どこか微笑んでいるような気もする。
 数秒間見つめ合った末、菜々がおいでおいでと手で招くと、扉が大きく開かれた。

 そこから現れた少女は、菜々以上に小柄で、薄いクリーム色の髪を赤いゴムでツインテールに結っている。結んだ髪は、腰あたりにくるくらいに長い。
 サラサラとした髪をなびかせながら、少女は菜々の元まで走ってきた。

「菜々ちゃんも魔法少女になるのっ!?」

「ち、千佳ちゃんっ」

 菜々に対してキラキラとした瞳を向けているのは、横山千佳だ。小柄なのも当然で、彼女はまだ小学3年生である。
 彼女の登場に目を丸くする菜々。だが、それよりも千佳が気になる事を言っていたことに引っかかった。

「菜々ちゃん……『も』?」

 バッ! とプロデューサーに顔を向ける菜々。
 自分に視線を向けられた意図を理解したプロデューサーは、静かに答えた。

「契約済みです」

「ついにプロデューサーが幼女に手を出して……」

 実に誤解を招きそうな言葉である。今の会話を録音して警察に提出すれば、確実にプロデューサーの手にワッパをかけられるであろう。
 そんな言葉の意味を理解していない千佳は、相変わらず菜々に向けて期待の視線を向けていた。
 その瞳が眩しすぎて、菜々は思わず目をそらしてしまう。

「なっていただけませんか」

「いや、だから、ナナは……」

 プロデューサーの誘いを、手のひらを向けて断る。

「菜々ちゃん、魔法少女にならないの……?」

 菜々にその気がないとわかるや否や、しゅんっとあからさまに落ち込む千佳。まるで捨てられた子犬のような瞳を向ける。
 ――うぐっ。
 菜々に非はないはずだが、なんとも言えない罪悪感にかられた。
 しかし、出来ない約束をするほど、菜々も子供ではない。

「千佳ちゃん。ナナは、歌って踊れる声優アイドルになりたいですよ。魔法少女役の声をあてることはあっても、魔法少女そのものになりたいわけじゃないんですよ」

 視線を合わせるようにしゃがんで、そっと、優しく諭す。もちろん、これは本心であり、菜々の夢だ。
 菜々の曲げられないところでもある。
 まっすぐ見据えられて、千佳も菜々の言い分を理解したのか、コクっと残念そうに首を縦に振った。その仕草がますます彼女の罪悪感を刺激する。

「でも、魔法少女になったら、どんな願いでも1つだけ叶えてくれるんだよ?」


「プロデューサーさん! 実はナナ魔法少女にもなってみたかったんです!」


 千佳の言葉に反応する菜々は、気が付くとそんな事を口走っていた。その直後、しまったと思ったが、一度口にしてしまった手前、撤回も出来ない。
 千佳が仲間が増えるのを喜ぶように、晴れやかな笑顔になっていたので、それを見た後では尚更撤回など出来るはずもなかった。


 曲げられないことも場合によりけり。菜々は脳内で勝手にそう考えて納得した。アイドルたる者、状況に柔軟に対応せねばならないのだ。

「それで、プロデューサーさんはどこぞの7つの珠を集めたら出てくる龍のように、どんな願いも叶えられるんですか?」

「えぇ、余程のことでなければ」

「それじゃぁ、ナナを永遠の17歳にしてくださいーっ……ってのはどうですか? まぁ、無理ですよねぇ〜。直訳すると不老不死にしてくれって話ですもんねぇ」

「出来ます」

「出 来 る ん だ ! !」

 半分冗談のつもりだったが、まさか実現可能とは思っていなかった。菜々的に余程のことに分類されるものだったのだが。

「菜々さんの願いを聞き入れました」

「うわっ、え、ちょちょっ、待ってください」

「願いの変更は不可です」

「え、もう決まりですか!?」

 菜々はじっくり考える暇もなかった。他になにか叶えて欲しいこともなかったが、だからと言って、強引過ぎる。

 少しでも首も縦に振ったら勝手に話を勧めていくセールスマンのようだ。
 せめて、確認の『本当によろしいですか? はい。 いいえ』のウィンドウくらい表示して欲しいものである。

「菜々ちゃん。1回口にした願いは変えられないんだよ」

「もっと早く言って欲しかった……」

「ありすちゃんも、願いが不満だったから逃げ出したんだけど、地獄の果てまで追われてたし」

「怖い以前に、それ完全にアウトですよねっ!?」

 橘ありすが、どんな願いごとをしたかは分からないが、プロデューサーに追いかけられるのは、さぞかし怖いことだろう。
 さながらスカイネットによって未来から送り込まれてきたロボットのように、無表情で追いかけたのだろう。
 幼い子供のトラウマになっていないことを、菜々はただただ願うばかりだ。

 というより、それは他の人に見られたら完全に通報沙汰である。
 プロデューサーの見た目うんぬんの前に。

(それにしても、まさか冗談の願いを叶えられることになるとは……)

 後悔する菜々。冗談が通じないと分かっていれば、もっと慎重に答えたのだ。
 だが、案外願い事というのは、聞かれたらスッと出てこないものである。

 菜々は、他に何か叶えて欲しい事がなかったかをうーんと顎に手をおきながら考えたが、乾いたタオルを絞っているように何も出てこない。
 やがて、菜々は観念した。
 なにより、若さは大事だと納得する。

「では、初めましょうか」

「……なんでまた真の姿に戻ってるんですか?」

「プロデューサーくん、これじゃないと願い叶えられないんだって」

 いつの間にか白い小動物化しているプロデューサーに尋ねると、隣にいた千佳が解説してくれる。
 事実、千佳が願いを叶えてもらう時も同じようにこの姿になったし、その時プロデューサーから聞いているのだ。

「それでは行きますよ。ウジェグウ フェ グミカ ラデェ フェ フィションエカ」

「突然意味不明な言語で喋りだすのやめてください」

 何やらブツブツと呟くプロデューサーを不気味に思いながら待っていると、突然、カッ!! と彼は目を見開いた。
 この上なく怖い。

 すると、プロデューサーの耳から生えている何かが菜々の胸を貫く。唐突過ぎて、心臓が止まるのではないかというくらいビックリする菜々だが、不思議と痛くなかった。
 隣にいる千佳もその様子をニコニコと見ている。
 周囲の人間が見れば、まさに狂気じみている光景だろう。

 こんなグロテスクな状況を目の当たりにして、千佳が驚かないあたり、彼女もおそらく同じことをされたのだろうと菜々は察した。
 なんというトラウマ精製機だろうか。

 彼の耳から生えているそれが、抜けたかと思うと、「契約完了……です」と呟いた。

 それは、すなわち、菜々が魔法少女へと変わり、彼女の願いが叶えられたということだ。

「お、おぉっ! これは!? このあふれるパワー感! 戻りました! 若返りましたよ! もっともパワーの溢れていた 17歳《あの頃》に!」

 ペタペタと自分の体を触る菜々。
 不本意な願いだったとはいえ、最高の気分だった。
 肌を触っても、あまりのすべすべ感に驚きを隠せない。17歳とは、これほどまでに若かったのかと、関心してしまう。

 瑞々しく張りのある肌。顔全体も、引き締まっているような気がする。小ジワなど、あるはずもない。
 これなら、カメラに向かってドアップで映っても大丈夫そうだった。

「……ワカガエッタ? 菜々ちゃんって元々17歳だったよね?」

 千佳が、菜々の言葉にキョトンとする。子供は時に残酷で容赦がない。
 数秒間、時間の止まる事務室。

「……………………千佳ちゃん! これから同じ魔法少女としてよろしく!!」

「え、う……うん!! よろしくね、菜々ちゃん!!」

 菜々が手を差し出すと、千佳はそれに飛びつくように手を握り返してきた。仲間が増えたことを、その満面の笑みで表している。
 菜々の失言は、もう千佳の頭には残っていなかった。

(計画通りです)

 菜々は、千佳に見えない所で影のある笑みを浮かべる。子供は実に単純だと思った。
 しかし、本当に永遠の17歳となった今、別に隠す必要もないのだが、そこは菜々の気分だ。

「菜々さん、これを」

 いつの間にか人型に戻ったプロデューサーが、菜々に何かを渡す。
 それは、小さくて綺麗な、卵型の宝石のようなものだ。
 その宝石の下部は、金属の器のようなもので覆われていた。

「これは?」

「シンデレラジェムです」

「シンデレラジェム……」

「魔法少女の源となるモノです。これに意識を集中させることで、魔法少女へと変身出来ます」

「な、なるほど」

 魔法少女になってしまったのだなぁと、それを受け取った菜々は思ってしまう。前回は自分の意志だったが、今回はなんだかとことん流れるままになっている気がしないでもない。
 菜々は、シンデレラジェムを目の高さまで持ち上げる。キラキラとしていて、本当に綺麗だと思った。

「菜々さんの魂を固めて作ったものなので、大事に扱ってください。なくすのも、厳禁です」

「分かりました。へぇ、ナナの魂をですか……魂を……うん? たま、シイ……?」

 思考停止。
 17歳に若返った……んんっ!! 元々17歳で不老不死を手に入れた菜々は、プロデューサーの言葉を思い出しながら、そっと声にしてなぞる。
 ――ナナノ タマシイヲ カタメテ ツクッタ。
 何度もそれを繰り返し、ようやくその言葉の意味を理解した。

「魂!? これナナの魂ですか!? ナナシイですか!?」

 自分で言っておいて、ナナシイってなんだよっと思った菜々だが、今は些細な事だった。

「菜々ちゃんどうしたの?」

「どうしたもこうしたも、え、つまりナナは魂抜かれたってことです!?」

 菜々が何を焦っているのか分かっていないプロデューサーは、あっさりと首を縦に振って菜々の言葉を肯定する。

 肯定された菜々は、膝から崩れ落ちた。

「ナナは死んだ!? この人でなしぃぃい!! あ、人じゃないのか。そっかそっか……って、今はそんな事どうでもいいんですよ!!」

 パニック過ぎて、訳の分からないテンションになる菜々。

「お、落ち着いて菜々ちゃん! 魂の在り処なんてこだわる必要なんてないよッ」

「なんでそんなに達観してんの!!?」

 手を地面につく菜々を、落ち着かせるように寄り添う千佳は、とても子供とは思えない発言をする。その事に、驚きを隠せない菜々だ。
 何も事情を知らないかと思いきや、千佳のほうがよっぽど事態を把握していて、かつ冷静だった。

 子供って怖い。

 いや、逆に子供だからこそ、事態の深刻さに気付いていないだけではないだろうか。
 ――いやいや待て待て。
 菜々は一旦落ち着く。そう、魂などという触ることもできない代物を物質化するとか、一体どんな技術なのだ。

 昔、子供ながらに疑問に思ったではないか。「私は命を2つ持ってきた」とか、いつから命は持ち運び可能な物質になったんだよ、と。
 それと同じだ。いつから魂は取り出し可能な物質になったのだ。ゲームのカセットじゃあるまいし、そんなことは、あり得ない。

(そうですよ。落ち着け安部菜々。魔法少女になって魂抜かれるとか、そんなの写真撮られたら魂抜かれるくらい訳わからないじゃないですか)

 冷静になれば、なんてことはなかった。
 結論にたどり着き、菜々は元気が出てくる。

「ふっふっふ、ナナを脅かそうたってそうは行きませんよ。子供は騙せても、ナナは騙されません! そう、証拠出してくださいよ証拠!」

 シャキッと立ち上がり、プロデューサーに手を差し出す菜々。その手は、早く証拠を出せと催促していた。
 セリフが追い詰められた犯人っぽいのは、別に菜々が精神的に追詰められているからではない。

「証拠……ですか」

「そうです! そもそも、魂抜かれたのにこうして菜々が喋っているという時点で、その話は破綻している! 論破っ!!」

「いえ、このシンデレラジェムが菜々さんの体を遠隔操作しているだけなのです。もとい、シンデレラジェムと菜々さんは繋がっています」

「遠隔操作? 繋がってる?」

 プロデューサーがいうには、肉体と魂を物理的に切り離すことで、痛覚などを和らげることが出来るらしい。
 痛みを魂に伝える際、通信という過程を挟むことで、フィルターをかけられるだとかなんとか。
 より強いフィルターをかければ、痛みも完全に遮断出来るらしい。

 もちろん、そんな話を聞いて納得出来る菜々ではない。

「流石に……ねぇ」

「そこまで言うのでしたら」

 プロデューサーは、菜々からシンデレラジェムを受け取る。
 菜々は、警戒しながらプロデューサーを見つめていた。

「では、シンデレラジェムと菜々さんが繋がっている証拠を。例えば、『タンスの角に脚の小指をぶつけた時の痛さ』はこれくらいです」

 プロデューサーが菜々のシンデレラジェムを前足で触り、念を込めると、シンデレラジェムが微かに光るのと同時に、菜々の左足の小指に激痛が走った。

「――――っ〜〜〜〜〜〜〜ぅぅぅ!!!?」

 菜々はしゃがみ込み、小指を押さえる。
 尋常じゃないくらい痛かった。思わず涙目になる。
 あまりの痛さに、声も出なかった。

「次は、全速力で走っているときにタンスの角に脚の小指をぶつけた時の……」

「ストッププロデューサー!! 分かりました!! 信じます! 信じますから!」

 菜々の目は既に恐怖で一杯だった。通常であれだけ痛いのだ。そんなスピードで打ち付けたら、たぶん痛いどころか、折れる。
 というか、何故執拗に脚の小指を狙うのだ。何か恨みでもあるのだろうか。

「分かっていただけましたか」

 プロデューサーが菜々のシンデレラジェムから手を離すと、ついさっきまであった、ジンジンと小指を内側から刺激するような痛みが、ふと、消えた。完全に。

 その事に目を丸くする菜々。
 ヒビくらい入ったのでは? と思うほど痛かった痛みが、突如現れ、突如消えた。
 とても信じられなかった。だが、それは事実で、つまり、魂が抜かれたことも、あながちデタラメではないことに気付く。

「と……いうことは、本当に……」

「はい。代償は支払いましたので、当然の……結果です」

「う、うぅ……あんまりです……あァァァァんまりですゥゥゥゥゥウウウッッ!!!!!」

 魂を抜かれたという事実を認めた菜々は急に泣き出してしまった。
 わんわんと泣く菜々。千佳は菜々の頭を優しく撫でていた。

 そして1分後。

「……ふぅ、泣いたらすっきりしました。よくよく考えると、不老不死の時点で死ぬとか人外とかあったもんじゃなかったです」

 流石、リアル永遠の17歳は違う。
 泣くことで冷静になり気分を落ち着かせた菜々は、普通にプロデューサーからシンデレラジェムを受け取った。
 なってしまったものは仕方ない。菜々は現状況を受け入れた。

 他の魔法少女たちは、この事実をどう受け止めたのかが気になった菜々だが、プロデューサーに尋ねるのは止めておく。必ずしも、事実を受け入れた者ばかりじゃないと察したからだ。

「ちなみに、千佳ちゃんはどんな願い事で魔法少女になったんですか?」

「あたしの願い事は、『魔法少女になりたい』だったよ」

「へぇ……なるほどなるほど……って、えぇ!」

 千佳の話を聞いて複雑な気持ちになる。
 魔法少女になるための契約で、魔法少女になりたいと願う。
 なんというか、契約自体が願いのような。結局魔法少女になるのだから、もっと他の願い事にすればよかったのに、と思う。

 だが、念願魔法少女になったことに喜びを感じている満面の笑みの千佳を見たら、本人が満足しているならいいか、と思えた。

「……そういえば、プロデューサーさん。魔法少女になる目的はなんなんですか?」

 ふと、菜々は気付く。菜々の中の魔法少女といえば、近所のいざこざや学校での事件を魔法で解決したり、ちょっとしたイタズラに使ったりと、平凡なイメージしかない。
 そんなことのために、色んなアイドルに声をかけているとは思えないのだ。

「はい。この世に呪いを撒き散らす、魔女を退治して欲しいのです」

「魔女?」

 菜々の脳内に、グツグツと煮え渡る鍋をかき混ぜているシワシワのお婆ちゃんが浮かぶ。
 が、たぶんそんなのではないだろうと、菜々は自分の考えを否定するように首を振り、脳内のイメージをかき消した。

 退治。その言葉から連想して、魔女はきっと化物のような造形なのだろうと菜々は予想する。

(ということは、またバトルですかね……)

 軽くため息が出た。
 それと同時に、隣にいる千佳も闘いに出ていると思うと、なんとも言えない気持ちになった。
 ――こんな幼い子供まで。
 自分が魔法少女になった以上、この子を守らねば。そんな使命感が菜々に湧いてくる。

「プロデューサーさん。ここで試しに変身してみてもいいですか? ぶっつけ本番は色んな意味で怖いので」

 前回の経験が、彼女にそうさせる。戦闘中に初めて使うアイテムを使用するなど、危険極まりないのだ。

「構いません」

「菜々ちゃん変身するの? 楽しみ〜」

「えーっと、このシンデレラジェムに意識を集中させるんですよね……ん゛ん゛ッ!! 行きます! ミラクルマジカル、ウサミンハートにキュンキュン煌めくウサミンパワーでメルヘンチェーンジッ!! ナナ、魔法少女になっちゃい、ます!」

 シーン。

 勢いよく天に向けてシンデレラジェムをかざすものの、菜々の体に変化は見られなかった。
 パクパクと口を動かしながら赤面する菜々。その水分豊富な瞳が、ちらりとプロデューサーを見た。

「気合が……足りません」

「う そ だ ー ! ! 今菜々凄い恥ずかしいですもん!! 真面目にやりましたもん!!」

「菜々ちゃん! もう一回!」

 最初は誰も上手く行かないよ、と年下に慰められる菜々。
 千佳に心配されるのが、余計に恥ずかしかった。
 ちなみに、私は1回で出来たけどという千佳の言葉が余計に菜々の傷をエグった。やっぱり子供って容赦ない。

「うぅ……め、めげない! 折れない! くじけない! ウサミン星人に後退はありません! 気合です気合です気合です! それでは、もう一回……ん゛ッ!! ウサミンパワーd」

「そうだ、菜々さん」

「メルヘンちぇー――……って、なんですかプロデューサーさん」

「これを使ってはいかがですか?」

 何かを開いめいたように、ポケットからあるものを取り出したプロデューサーから、それを受け取る菜々。
 菜々が手に握るそれは、小さな掌の菜々には少し大きめの四角い何かだ。全体的にシルバーで、金属のような重たいイメージがあるが、持った感想はむしろ重さは感じないだった。
 その中央には、大きな黒い掌が載っている。

「あの……プロデューサーさん、これは?」

「今我々が開発している、魔力をより効率よく運用するための、その名も『ドレスドライバー』です。まだ試験的なものなので、ぜひ菜々さんに使っていただきたいです」

「ドレスドライバー……」

「それを装着して、バックルを上下に動かしてください」

「装着って……うわっ!」

 菜々がドレスドライバーの裏側をお腹に当てると、勝手にベルトが巻かれた。きゅっとしまったベルトは、苦しくもゆるくもなく、程よいフィット感を彼女に与える。
 細かく振動してくれれば、お腹周りの脂肪をなくしてくれそうだ、と菜々は余計なことを考える。

「って、バックルを上下させるって、こうですか?」

 黒い掌の横にある四角い塊を下にズラす。すると、掌が動き、さっきまでの位置とはまるで反対になった。もう一度さっき下にズラしたものを上に上げる。
 すると、掌はさっきまでと同じ位置に戻った。

『シャバドゥビアイドルヘンシーン! シャバドゥビアイドルヘンシーン! シャバドゥビアイドルヘンシーン! シャバドゥビアイドルヘンシーン! シャバドゥビアイドルヘンシーン! シャバドゥビアイ』


「うわぁぁぁああああああ!!! なんですかこれはぁぁあああああああ!!!!」


 突然ノリのいい音楽と共にラップ口調の音声が流れ始めた。しかも、延々と同じフレーズを繰り返している。
 止まらない。
 ひたすら繰り返す言葉は、だんだん菜々の精神を侵食してきた。ゲシュタルト崩壊寸前である。

「菜々さん。シンデレラジェムが指輪の形になったのを想像してください」

「指輪? 指輪……指輪……おぉっ!?」

 菜々が指輪を思い描くと、彼女が握っていたシンデレラジェムを覆っていた金属部分が変化し、指輪の形となった。
 多少形は変われど、宝石の大きさはそのままなので、やたらとごつい指輪になった。
 形はどこか、うさぎを連想させるモノとなっている。

「その状態で、指輪をドレスドライバーの前にかざせば、変身が出来ます」

「なるほど、だいたいわかりました。では、改めて……ウサミンパワーでメルヘンチェーンジ!!」

 名乗りと共に、指輪の形となったシンデレラジェムを左手の指に装着し、ドレスドライバーの前にかざす菜々。
 すると、指輪の宝石部分と、ドライバーの一部が眩く光った。

『プリーズ、ウサミン。ミン……ミン……ウーサーミン!』

 テンションの高い低い声でドライバーから音声が流れる。

(って、よく聞いたらこの声プロデューサーさんじゃないですかっ!!!)

 テンション高めで分かりにくかったが、よくよく耳を済ませればこれはプロデューサーの声だった。開発してるとは言ったものの、まさか声まで自分で担当しているとは思わなかった。

 菜々が指輪の付いた左手を横にかざすと、そこに菜々をすっぽり覆ってしまうような大きな魔法陣が現れた。
 その時点で、菜々が今まで着ていた服は弾け、首から下が光に包まれている。

 魔法陣がジワジワと菜々の方向にスライドし、魔法陣を通った所から順番に順番に衣装をまとっていく。ものの数秒で変身は完了した。
 終いに、変身と同時に現れた魔法の杖を手に取り、決めポーズで、変身完了だ。

「魔法少女マジカルウサミン。歌って踊れる声優アイドル目指して今日も笑顔で活動中!」

 変身が出来た喜びを抑えつつ、彼女はいつの間にか考えた決め台詞を言う。その光景を見て、千佳は拍手をしていた。

 魔法少女の衣装だけあって、菜々の格好は実に可愛らしかった。あちこちにフリフリとしたものが付いており、全体的にうさぎをイメージするような衣装だ。ただ、その衣装にそぐわないように腹にはベルトがまわれていた。
 変身しても、ドレスドライバーは消えないようだ。

 頭には、うさぎ耳がついていて、菜々が頭を動かすたびに上下に揺れる。コレに関しては完全に飾りだった。
 菜々は、ここで思わずガッツポーズ。何回やっても変身出来なかったらどうしようとか思っていた。
 ふと、手に持つ魔法の杖に目が向く。

(魔法の……杖?)

 菜々の握る杖は、魔法少女の姿に似つかわしくない、えらく機械じみた見た目だ。
 全体的にシンプルでありながら、一部ゴツゴツとした見た目。時折、中の蒸気を逃がすような、プシュー! という音が聞こえる。どう見ても杖じゃなくて武器だ。
 先端部分には、なにか細い挿入口のようなものまで着いている。

 ピピッというような、起動音が杖から聞こえ、先端の赤くて丸い石の部分に何か文字が浮かび上がった。

『Hello Master.(こんにちはご主人様。はじめまして)』

「シャベッタァァァァアアアアアア」

 突然杖が喋りだしたことに、菜々はぬいぐるみが突然喋りだして驚愕する子供のように驚くしかない。
 その杖は、ドレスドライバーのような機械的な音声ではなく、明らかに意志を持って菜々にコミュニケーションをとっていた。
 唖然とする菜々を無視して、杖は喋り続ける。

『I'm Usaming Heart.(私の名前はウサミングハート)』

「えっと、その」

『Please leave that up to me as I am going to give Master as much support as I can.(ご主人様を出来る限りサポートさせていただきます。わたくしめにお任せくださいませ)』

「あわわわ」

『What happened?(どうかなされましたか?)』

 ひたすら流暢な英語を喋り続ける、自称ウサミングハート。菜々は完全にテンパっていた。
 まず、何を言っているのかがさっぱり分からない。
 辛うじて、ウサミングハートという名前であることが分かったくらいだ。

「どどどどうしましょう……英語なんて高校以来やってな――じゃない!! ナナはリアルジェイケイなのです! ナウいJKのウサミンは、英語ももちろん毎日やってました!」

 菜々はなんとか誤魔化すように笑う。プロデューサーはともかく、千佳はまったく分かっていない様子で、キョトンとした様子で菜々を見ていた。
 英語がまったく出来ない菜々だが、彼女には秘策があった。高校時代に……ではなく、高校で、これさえ覚えていれば大丈夫、と思った秘策が。
 おそらく、全国の中学生なら誰もが考えつくであろう、フレーズを。

「あ、アイ、キャント! スピーク、イングリッシュ! えーっと……」

『って、喋れてるじゃないですか』


「喋 れ ん の か よ っ ! ! !」


 思わずウサミングハートをへし折ってしまいそうだった。日本語が喋れるなら、最初から喋ればいいものを。しかも、思ったより流暢な日本語だった。
 一方、千佳は菜々の隣で英語が喋れる女子高生を尊敬の眼差しで見ていた。菜々は目をそらしながら、当然ですと胸を張った。その豊満な胸が前方に突き出される。

「なんで喋れるのに日本語で喋らなかったんですか」

『すいません、マスターの知能指数を測ってました』

「こいつナメてんですかね」

 ギリギリとウサミングハートを曲げる菜々。今のはちょっとイラッとした。力を加えられるウサミングハートは、悲鳴をあげていた。

「菜々ちゃんの杖さん、喋れるんだね。どうせなら、もうちょっと可愛く喋れればいいのに」

 千佳が菜々のウサミングハートを見ながら言っているのを聞いて、菜々は閃いた。
 魔法少女になったのなら、より魔法少女らしくしたいものだ。

「そうだ。どうせなら、こう、サポートの可愛い妖精みたいな喋り方してくださいよ。ウサミン星からやってきたって感じの」

「ボグデグバ?」

「絶対違う」

 菜々は真顔で却下する。言葉自体はわからなかったが、なんとなく「こうですか?」と聞かれた気がした。ウサミン星人は、殺しのゲームをするような種族ではないのだ。
 ウサミングハートがしばらく考えるように沈黙する。

「じゃぁ、敵が来たという状況を仮定して言ってみてください」

『ナナちゃんっ。ざひょう8040.057.804に敵があわわれたよっ!』

「……ま、まぁ、細かいところは無視して、これでOKです!」

 グッっとサムズアップする菜々。まだ可愛らしくなったので菜々的には全然OKだった。
 一通り見た目を確認した菜々は、変身を解く。変身を解くと同時に、ウサミングハートは消えた。
 消えたことで、今言ったことが、初期化されやしないか心配な菜々だったが、その時はその時で、また頼めばいいのだ。もう日本語が喋れることはわかっているので。

「それにしてもいいなぁ。菜々ちゃんだけ新しいアイテムなんて」

「増産……検討中です」

「そうなんだっ! 早く使ってみたいなぁ」

 こんなハイテンションプロデューサーボイスの流れるドライバーのどこがいいんだろうと思ったが、彼女からすると魔法少女のアイテムなら何でもいいのかもしれない。

「あのね菜々ちゃんっ。魔法少女は、杖から色々なものを魔法で出せるんだよっ」

 変身を解いた菜々の隣で、千佳がにっこりとしながら彼女に早く知っていることを教えたいというような様子で、そわそわとしていた。
 仲間が出来たことで、千佳はとにかく嬉しいらしい。知っている知識をやたら披露したがる姿は、やはり子供なんだなぁと菜々は微笑ましく思った。

「それでねっ、それでねっ」

「お話中のところ申し訳ありません」

 千佳が今にも自分の知識を披露しようと言う時、プロデューサーが2人の間に割って入ってきた。
 その時点で、千佳はプロデューサーが何を言うか分かったのか、大人しくなった。だが、話を邪魔されて拗ねているようにも見える。ぷにぷにの柔らかいほっぺが小さく膨らんでいた。

 菜々は、よくわからないので、黙ってプロデューサーの言葉を待つ。
 その時、手に持っているシンデレラジェムが微かに光っていることに気付いた。

「菜々さんのシンデレラジェムが反応しています。近くに、魔女がいます」


――*――*――*――



「まさか、魔女が鏡の中にいるとは……」

 菜々と千佳は、2人で並んでレッスンルームの鏡の前に立っていた。大きな鏡は、菜々と千佳とプロデューサーを写して有り余る。
 魔女が出現した時は、緊急事態らしく、速やかに現場に向かうのが鉄則らしい。魔女が鏡の中にいるということも、移動しながらプロデューサーに聞いたことだ。

 菜々たち魔法少女は、鏡の中へと入ることが出来るらしい。
 彼女たちが戦っても、現実世界になんの影響もないことに、安堵する菜々だが不安も多い。

「これ、変身して鏡に突っ込んだら鏡にぶつかるとかいうオチじゃないですよね?」

「……? 何言ってるの菜々ちゃん。魔法少女がそんなわけないでしょ」

 どうやら、魔法少女が鏡に入るのは常識らしい。だが、それでも菜々は安心しきれない。疑うように鏡に映る自分を見た。
 ――そんなことより、いくよっ! 菜々ちゃん!
 千佳の掛け声で、慌ててシンデレラジェムを取り出し、バックルを上下させる菜々。今度は手慣れた手つきで素早く動かすことが出来た。
 2人は、一気に変身を始めた。

『シャバドゥビアイドルヘンシーン! シャバドゥビアイドルヘンシーン! シャバドゥビアイドルヘンシーン! シャバドゥビアイドルヘン』

「ウサミンパワーでメルヘンチェーンジ!」

『プリーズ、ウサミン。ミン……ミン……ウーサーミン!』

「へんしーんっ♪」

 同時に2人の体が光に包まれ、次々と衣装が変わっていく。
 菜々は魔法陣が通過した場所から。千佳は様々な部位が順番に衣装に包まれていった。
 ドレスドライバーの影響か、最初の変身の失敗が嘘のようにあっさりと菜々は変身できる。

「魔法少女マジカルウサミン。歌って踊れる声優アイドル目指して今日も笑顔で活動中!」

「じゃーん! 魔法少女ラブリーちか。ただいまさんじょうっ」

 ばっちりセリフとポーズが決まる。
 千佳の服装は、大きなリボンが特徴的なシンプルなデザインだった。上下の服が分かれていて、ヘソを出している。白い肌が丸見えだ。

 それを見てちょっとギョッとした菜々。若いと、あぁも簡単にヘソを出せるのかと思った。リアル永遠の17歳となった菜々もヘソを出しても全然構わないのだが、彼女の衣装はヘソが出るような仕様になっていない。
 そもそも、ドレスドライバーがある今、仮にヘソが出ている衣装でも隠れるわけだが

『ナナちゃん、急ごうっ。魔女のちからが強まってきてるよっ』

 千佳の衣装を見ていた菜々は、ウサミングハートの声で我に返る。
 そう、変身が完了した次は、鏡の中に入るのだ。
 ごくりと、菜々はツバを飲み込む。よくよく考えると、鏡に入るってかなりなホラーな気がするのだ。
 菜々は昔見たホラーな漫画の事を思い出していた。

 そんな菜々の不安も知らずに、千佳は「よーし!」と気合を入れてから、勢い良く鏡へと突進した。思わず引き止めてしまいそうになる菜々。
 だが、彼女が鏡にぶつかることはなく、チャプンというまるで水にでも入ったような音がして、鏡にわずかながら波紋ができていた。
 その波紋も、すぐに消えてなくなり、普通の鏡へと戻った。

 ちらりとプロデューサーを見ると、彼は力強く首を縦に振った。
 菜々も意を決して、恐る恐る鏡に触れる。正確には、触れられず、片手が鏡の中に入った。
 ゾワリとしたが、千佳が先に行っているのでちんたらするわけにもいかない。菜々は、目を瞑りながら体を鏡の中へと投げ入れた。

 移動は1秒ほどだった。
 視界をシャットダウンしていた菜々は、地面にしっかりと脚が着いているのが感覚で分かると、ゆっくりと目を開いた。

「ここは……」

 てっきり、自分たちがさっきまでいたレッスンルームが反転したようなところに出るかと思ったら、まったくそうではない。
 いびつな空間、いびつな建物。空は赤く、雲は紫、あちこちに生えている植物もまるで抽象画のような造形をしている。
 魔女の結界内。千佳はそう菜々に説明した。

『この奥に、魔女の気配を感じるよっ! ナナちゃん、気をつけてっ』

 すっかりパートナー妖精のような可愛い喋り方をマスターしているウサミングハートが彼女たちに注意を促す。
 その注意で気持ちを引き締めた菜々と千佳は、ゆっくりゆっくりと進む。
 流石、千佳は慣れているようで、警戒しながらもさくさくと歩いていた。

 ある程度突き進むと、大きな壁に遭遇した。
 そこには扉が設置してあり、『魔女の部屋』と書かれている。ご丁寧というか、随分ナメているというか。菜々は思わず苦笑いだった。
 その扉に書かれている文字が、罠かもしれないという可能性を微塵も考えずに、千佳はその扉を勢い良く開けた。

 その奥に佇む、巨大な生物。いや、生物と言っていいものか悩んでしまう。


 菜々は、初めて魔女を見た。
 想像よりもずっと大きく、想像よりもずっと禍々しい。
 大きな部屋の空間の奥に、ポツンと、まるで菜々たちを待ち構えていたかのように。
 魔女は、生き物なのか疑ってしまうような、絵画的な見た目をしている。

「ニャァァアアアアアア!!!!」

 菜々たちに気付いた魔女は、彼女たちに向かって吠える。

「あれが、魔女……って、ニャァ?」

 魔女の発した言葉に、菜々ははてなマークを浮かべる。確かに、見た目は、どこか猫らしい姿をしているが、まさか鳴くとは思わなかった。
 すると、ウサミングハートが解説を入れてくれる。

『あれは、猫かぶりの魔女だよっ。周囲に魚の使い魔を無限に出せるから、注意して! でも、あの魔女、嫌いな魚の使い魔を定期的に食べないと死んじゃうらしいんだっ。だから、使い魔を全滅させ続ければ勝てるかもっ』

 ウサミングハートの言葉を聞いて、なんとも可哀想な気持ちになった。
 嫌いものを召喚し続け、時々食べないといけないとは、なんという拷問だろうか。言われてみれば、あの魔女は時々涙目になりながら魚の使い魔を口に入れていた。

「いっきにいこう、菜々ちゃん!」

「う、うん」

 千佳に言われるままに、菜々は魔女へと一直線に進む。
 すると、魚の使い魔が一気に彼女たち目掛けて突進してきた。さながら、ミサイルのようだ。

「焼き魚になっちゃえ! ラブリーちかファイヤー!」

 千佳が手に持っていた彼女の身長の半分ほどの杖を正面に向けると、向かってきた使い魔を全部飲み込むほどの巨大な炎が噴出された。
 千佳の攻撃を受けた使い魔は、焼き魚どころか消し炭になっている。

 もっと可愛らしい炎が出るかと思ったら、全然イメージと違った菜々。魔法少女って、こんなに攻撃性の高い攻撃出来るんだと感心した。もはや火炎放射器なんてレベルじゃない。
 汚物は消毒どころか完全抹消だ。

「それじゃ、ナナも行きます! ウサミーンボルケーノ!」

 ウサミングハートを前方に突き出すと、千佳の炎よりもより大きな炎が噴出された。まさに火山。まさに噴火のようだ。
 千佳よりも巨大な炎が出せるようになっていたのは、ドレスドライバーのおかげだ。ドレスドライバーは「魔力の効率を上げるアイテム」なのだから。

 巨大な炎の塊を出せたことに、菜々は驚きを隠せない。
 魔法少女化の影響だろうか、その炎の噴出による反動はまるで感じなかった。

「ウサミングハート。ナナって他に何か出来るんですか?」

 さっき、千佳が色んなものが出せる言ったのを思い出した。菜々は、戦闘を続行しながらも、ウサミングハートに問いかける。

『色々なことができるよっ! 炎の他に、水も出せるし、雷も出せるし、風も土も操れる。でもこれって、魔法少女の標準能力みたいなものなんだ。車で言ったらエアコン』

「例えが限りなく微妙ですけど、妙にわかりやすいですね」

『ナナちゃんオリジナルの魔法もあるよ。これは、魔法少女になるときの願いから生み出される魔法。だから、一人ひとり違うのっ』

 なるほど、と思いながら、菜々は迫りくる使い魔を焼き払うので精一杯だ。焼けども焼けども向かってくるので、一向に前に進めない。
 それは千佳も同様だった。
 このままでは、いずれ対処しきれなくなるのは目に見えていた。

「ど、どうやったらそれが使えるんですか?」

『簡単だよ。合言葉を言えばいい』

「あ、合言葉?」

『ボクの言葉に続けて』

「あ、分かりました。えっと、君臨者よ、血肉の仮面・万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ、真理と節制、罪知らぬ夢の壁に僅かに爪を立てよ……ん?」

『破動の三十三、蒼火墜っ!!』

「遊 ん で る 場 合 か ! ! !」

 ウサミングハートで思いっきり敵を殴った。
 もちろん、そんな破動は出るわけがない。それっぽいものなら、魔法少女である菜々なら出せるのだが。

『ウソウソ。本当は、「キュートでラブリーなウサミンに心キュンキュン」だよ』

「ほ、他になにかなかったんですか……」

『早くしないと! ピンチになってからだと遅いよ!』

「ぐっ……止むを得ません……き……『キュートでラブリーなウサミンに心キュンキュン 』ッ!」

『うわぁ、ホントに言ったよ……自分で自分をキュートでラブリーって……』


「ぶ っ 壊 し ま す よ っ ! ! ?」


 菜々は怒りに任せてウサミングハートを思いっきり曲げた。
 本来なら金属らしき材質だったウサミングハートは、力を加えられたことによってV字に曲がってしかるべきなのに、なぜかこんな時だけ柔軟で、今現在はUの字になってしまっている。
 さっきまでは、普通の金属のような棒だったくせに、どういう理屈なのだろうか。魔法少女の武器だからこそなのだろうか。


 他の人の喋れる武器も、皆こんなにも人を馬鹿にした態度なのか確かめたくなった。もし違うなら是非交換して欲しい。

『いたたたた! イタイイタイ! ど、ドレスドライバーの手の向きを逆にして、そこにシンデレラジェムをかざせば発動出来るよ!』

 悲鳴を吐きながら、ウサミングハートは苦しそうに言葉を吐く。そもそも、痛覚などあるのだろうか。
 ウサミングハートが言ったことが本当のことかどうかを確かめるため、もうしばらく曲げ続けてみたところ、それ以上は(ウサミングハートの金切り声以外)何も出てこなかったので、菜々はそれが本当のことであると確信した。

 また冗談だった場合、今度はウサミングハートを投げ捨てる所存だ。

 菜々は、ウサミングハートに言われた通り、バックルを動かし、掌のマークを今と逆向きにした。

『ルパッチマジックライブゴー、ルパッチマジックライブゴー、ルパッチマジックライブゴー、 ルパッチマジックラ』

 今度は、変身の時とは違う音声が流れ始めた。軽快なラップ調は相変わらず止まることはない。
 ちなみに、またプロデューサーの声だ。どこからこんなテンションの声が出るのだろうと疑問に思う。

 菜々は、変身するときの要領で、指輪型のシンデレラジェムをドレスドライバーの上にかざした。

『チョーイイネ! マジカルウサミン! サイコー!』

 よりテンションの高い声が聞こえ、シンデレラジェムとドレスドライバーが光り輝いた。

 瞬間。
 菜々の耳から一切の音が消えた。魔女の鳴き声も、使い魔の断末魔も、千佳が魔法を発動する声も。喧騒に包まれていた空間は、一瞬にして静寂の時へと変化する。
 何が起こったのだろうと菜々は目を凝らす。そこには、信じられない光景が広がっていた。

「え……みんな……止まってます……?」

 彼女の視界には、灰色の世界が広がっていた。しかも、菜々以外は、まるでその場に固定されたように動かない。
 千佳の翻った髪の毛も、彼女が出した炎の魔法も、魔女も使い魔も、ビデオで一旦停止のボタンを押した時ようにその場で固まっていた。

 菜々オリジナルの能力とは。そう考えていると、ウサミングハートが答えてくれた。菜々が所持しているウサミングハートだけは、菜々同様動けるらしい。

『菜々ちゃんの願いは要約すると不老不死。つまり、永遠の停滞だよ。だから、菜々ちゃんの魔法は、時を止める魔法。もちろん、ずっと止められるわけじゃないけどね。「ザ・ウサミンワールド」とでも名付けちゃおっか』

「時間停止……『ザ・ウサミンワールド』……」

 永遠の停滞。故に、時間停止。
 それが菜々の魔法。魔法の名前。ずっと17歳でいたいと願った菜々は、時間さえも止めてしまった。
 『ザ』がつくのはきっとウサミングハートの気まぐれに違いない。

『魔法の発動時間は、約17秒だよ!』


 ウサミングハートによって、時を止めていられる時間が明白になる。
 時間が止まっているのに17秒というのもおかしな話だが、この場合における17秒は菜々の体感時間だ。
 止められる制限時間に関しては、菜々の年齢そのままだ。もし菜々が永遠の10歳なら、時を止められるのは10秒だったのかと余計な考えまで浮かんでしまう。

 この系の能力でありがちなのが、時間を止めすぎて、その能力発動者が他の皆より遥かに歳を取っていくというもの。
 だが、永遠の17歳……もとい、不老不死になった菜々には関係のない話だ。精神はともかく、肉体は衰えない。

 なんてことを考えていると、そろそろ17秒になりそうだった。
 菜々は、迫りくる使い魔に向けて、炎の魔法を繰り出した。炎自体は、菜々から離れると能力の影響を受けて、空間に固定されたように動かなくなる。

 それをあらゆる方向に向けて撃った。

 そして、菜々の体感時間で17秒。
 止まっていた時間は動き出す。菜々が放った炎は、一斉に使い魔を焼き尽くした。使い魔からすると、突如目の前に炎が現れたように感じるだろう。

 それは千佳から見ても同様だったようで、菜々がたくさんの炎を一度に出したように見えたらしい。

「菜々ちゃんすごーい!」

「これなら行けますね! 『ザ・ウサミンワールド』!」

『ルパッチマジックライブゴー! チョーイイネ!』

 流れるような動きで再び魔法を発動させる。全員が、一時停止をしたように止まった。
 どうやら、特に魔法発動の反動によるタイムラグはないらしい。

 慣れると、ドレスドライバー抜きで魔法を発動させることが出来るらしいことを、ウサミングハートから聞いた。
 今の菜々が普通にオリジナル魔法を使えないのは、全体的にドレスドライバーに頼っているのが原因らしい。

 そのまま、一気に使い魔の間をくぐり抜け、魔女本体へと炎の魔法を発射する。発射する。発射する。
 時間の許す限り、菜々は炎の魔法を繰り出した。
 やがて、魔女の姿が菜々の出した炎で見えなくなった。自分で作り出した光景に、若干引いてしまう菜々。

「……やり過ぎましたかね」

『Don't worry(いいんじゃないでしょうか)』

 何故突然ウサミングハートが英語に戻ったかはさておき、菜々の魔法発動から17秒が経った。
 再び、全員が動き出した。もちろん、止まっていた炎の魔法も例外ではない。

「ゥニャァァアアアアアアアア!!!!」

 全身を覆うような業火が、一瞬で魔女を飲み込む。
 魔女からすると突然目の前に炎が。千佳からすると、菜々が瞬間移動して、一撃で魔女を倒したように感じているはずだ。
 断末魔が消えると同時に、炎が消える。鎮火した跡地には、魔女の姿はなかった。


『魔女の消滅を確認したよっ! やったねナナちゃん』

 ウサミングハートが歓喜の声をあげる。
 魔女が消滅したことにより、周りにはびこっていた使い魔たちは自然消滅。妨害もなくなった千佳は、ツインテールを後ろになびかせながら菜々の元へと走ってきた。

「凄いスゴーイ! どうやったの!?」

 すっかり瞳を輝かせている千佳は、菜々に抱きつきながら菜々に疑問を投げかける。
 何をどうやったかは分からなかったようだ。
 ――当たり前か。
 菜々は苦笑した。時間を止めるなんていう反則級の魔法のため、菜々は大きすぎる力ではないだろうかと複雑な気分になったが、千佳が笑っているのを見たら、そんなことどうでもよくなった。

 菜々から離れた千佳に、魔法の説明をしようとした、その時。
 ふと、空から何かが落ちてくるのに気付いた。
 それは、長方形の紙のような。
 ヒラヒラと、空気抵抗を受けながら落ちてくるそれに、菜々は意識が向く。

「……カード?」

 菜々は、それを軽くジャンプ――身長の倍以上は跳んでいる――して見事空中でキャッチした。魔法少女の今なら、それくらい朝飯前だ。
 菜々が手に取ったそれは、案の定カードで、なにやら人物の写真が乗っていた。

「みくちゃん?」

 カードの正面を見た菜々の視界に飛び込んできたのは、1人の少女の写真だった。
 そのカードには、前川みくが写っていた。肩くらいから上が写っているので、さながら証明写真のようだ。さらに、ローマ字で「MAEKAWA MIKU」と書いてある。

 カードの端には、バーコードのようなものが表示されていて、どこかで読み取れるのかと菜々は考えた。
 菜々は、そのカードを一通り観察して困ったように首をかしげる。困惑の表情は隠せない。
 これは、一体なんなのだろうと。

「あー、今回はみくちゃんだったんだ」

「このカードは?」

「うんっとねー、このカードってね、魔女を倒したら魔女から出てくるんだぁ」

 菜々の手元を見た千佳は、無邪気な声を出しながらカードを観察した。そして、ポーチのようなところから、似た柄のカードを取り出す。
 ほら、と千佳は菜々に今までに手に入れたカードを見せた。
 十時愛梨。
 中野有香。
 三村かな子。
 神谷奈緒。
 小日向美穂。
 神崎蘭子。
 などなど、知っている人物のカードばかりだ。そしてその全員がアイドル。
 なぜ、それが魔女を倒したら出てくるのだろうか。菜々にはさっぱりわからなかった。


「菜々ちゃん。シンデレラジェムを出して?」

「……はい」

 菜々は、千佳に言われるがままに、指に付けていたシンデレラジェムを掌の上に取り出す。

「あれ?」

 そこで、シンデレラジェムが初見より微かに濁っていることに気付いた。
 黒が混ざったような、くすんだような。とにかく、初めて見た時のような輝きは失われていた。

「魔法を一杯使うとね、こんな風に穢が溜まるんだ。これに、こうやってカードを当てると」

 菜々の掌の上に乗っているシンデレラジェムに、千佳はカードの角を刺した。
 それによる効果は、もはや千佳に説明してもらわずとも、菜々の目の前で起こった出来事で理解した。

「あ、輝きが元通りになった。つまり、そのカードを使って穢を浄化するんですね?」

「うん。1枚のカードで浄化できる穢にも限界があるけどね。限界まで穢を吸ったカードはプロデューサーくんに預ければいいの。このカードをいっぱい持ってると、魔力の心配をしながら戦わなくていいんだ」

「なるほど、いわゆる回復アイテムですか。ファミコンのゲームを思い出しますねぇ」

「……ファミ……?」

「あぁー、アハッ☆」

 全力で笑ってごまかした。

「そ、それにしても、なんでカードなんですかね」

 話題を反らすために、菜々は適当に頭に浮かんだことを尋ねた。

「なんかねー、あたしが魔法少女なりたての頃は違ったんだけど、途中からカードが出てくるようになったの」

「途中から? じゃぁ、その前は何が出てたんですか?」

「えっとね、グリーフシンデレラ……っていう、なんかこう、ちっちゃい丸い卵みたいな……うぅーん、あたし1回しか見たことないから」

 どう説明したものかと千佳は悩む。1回しか見たことがないということは、千佳が魔法少女になって、わりとすぐにこのヘンテコなカードが出てくるようになったということだろう。
 菜々はもう一度カードを見た。

「ねぇ、ウサミングハート。このカードってなんなんですか?」

『それは、アイドルカードだね』

「なんていうか、まんまですね」

 もっと他になんか捻った名前ないのかよって思った。


『そのカードは、僕で使えるよ』

「え? 使える?」

 ウエハースのお菓子に付いているような、ただのコレクションカード的なものかと思っていただけに、驚きを隠せない。全アイドルのカードをコンプリートすると願いが1つ叶うとか、そういう類のものだとばかり思っていた。

『うん。僕には、DCD……Download Cinderella Deviceが搭載されているからね』

「ダウンロード・シンデレラ・デバイス?」

『そう。簡単にいえば、そのアイドルカードのちからを使えるんだけど……』

「やってみます」

 ウサミングハートの説明の途中にも関わらず、菜々はさっき入手したばかりの前川みくのアイドルカードを、ウサミングハートに挿入した。
 先端部分に、カードを入れるような部分がついていたのには気付いていたが、そもそもそれがカードをいれる場所だとは思っていなかったので、特に気にすることもなく放置していたのだ。
 ようやく、その使用方法を知った菜々は、好奇心でカードを挿入する。

『ピピッ。ERROR』

 バン!!
 挿入したカードが弾き出され、菜々は小さい悲鳴を上げながら肩を震わせた。
 千佳も、突然の音と振動に耳を塞いでいる。

「び、ビックリしました……ちょっと、使えないじゃないですか! 思いっきりエラー! って言ってましたよっ!」

『説明の途中なのに入れるからだよ。あのね、ナナちゃんが使えるカードは……』

 ウサミングハートが言葉を口にしようとした時、菜々は背後から声がかけられていることに気付いた。

「菜々ちゃん……もしかして、もう終わっちゃいました?」

「あ、卯月ちゃん」

 菜々と千佳の背後に立っていたのは、島村卯月だった。
 くせっ毛のある髪の毛は、横で小さく結ばれており、おっとりとした目からは優しさを感じる一方で、強いやる気に満ちていた。魔法少女としての衣装は、ピンクを基調とした、全体的に派手でもなく地味でもないデザインだ。
 普通。その言葉がまさにピッタリだった。

「うん。もう終わっちゃったよ」

 千佳が卯月の言葉に答えると、卯月は「そっか」と笑顔で返した。
 千佳が言うには、卯月は魔法少女として最初期からいるらしい。千佳も聞いた話らしいのだが、どうやら、初期からいる人物に間違いはないようだ。

 噂によると、魔女の撃退率はそこまで多くないらしい。もっとも、撃退率をカード保有率で計算しているためであり、チームで活動していた卯月は、おそらく実際の撃退数はもっと多い。
 それを聞いた菜々は、最初期からいるわりに普通な結果だなっと思った。案の定というか、ある意味期待通りというか。

「次回からは、もっと早く来れるように頑張ります! ブイッ」

 天使のような笑顔で、ダブルピースを決める卯月。その笑顔には可愛らしさしかない。
 そのダブルピースをする卯月の後ろに、何やら大きな影があることに菜々はようやく気付いた。

 菜々は、それに焦点を合わせる。卯月の後ろにいるそいつは、直立不動で立っていた。
 そして、そいつと目があう。

「カニだ!!!!」


 その正体に気付いた菜々は叫んだ。卯月の身長の1.5倍はあるであろう大きなカニは、卯月に合わせるようにダブルピースを決めている。いや、こいつの場合常にダブルピースだ。
 菜々と千佳の視線が、卯月の後ろに向いていることに気付いた卯月が、笑顔で言った。

「私の友達ですっ!」

「い つ か 食 わ れ ま す よ っ ! ?」

 明らかに現実世界のカニの大きさを超えている。完全に人を襲うレベルだ。というより、もはやカニっぽい何かだ。宇宙人だと言われたほうがまだ納得できる。
 鏡から抜け出して、人間を喰ったりしていないか心配になった。
 まさか、それによって強化していくパターンではあるまい。

「ダブルピースに運命を感じたんです」

「まぁ、卯月ちゃんが契約者なら大丈夫ですか……」

 人を襲うこともなければ、卑怯とラッキョウが好物というわけでもないだろう。そういう意味では、ある意味卯月の契約モンスターとして安心できる。もはやペット感覚だ。

 暴走して、卯月自身が食べられないことを祈るしかない。

 一向に卯月の後ろから離れないカニを不気味に思いながら、菜々は卯月に聞きたいことを尋ねる。

「卯月ちゃん……最初期からいるってことだけど、魔女を倒した時に出てくるのが最初からこのカードじゃなかったって本当?」

「はい、本当ですよ」

 卯月は即答する。迷いのないその答えは、本当に違ったのだなと菜々を納得させるだけの雰囲気が合った。
 さすが、最初期から魔法少女をやっているだけのことはある。

「最初の頃は、グリーフシンデレラでした。なんで変わったのかはわからないんですけど、魔法少女も変わったので、そういうものなのかなって」

「……? 魔法少女も変わった?」

「うん。最初の方は、自分の魔法と関係のない魔法とか使えなかったんだよ。途中から、今みたいに標準装備みたいになりました。ちなみに、皆です」

 先ほど、ウサミングハートが車のエアコンに例えていたが、つまり、最初の頃はエアコンが搭載されておらず、途中から急に使えるようになった、ということだ。
 つまり、エアコンなんてパーツのついていなかった車に、突如エアコンが搭載された、ということになる。

 なんともおかしな話だ。
 菜々は困った顔で首を傾げた。謎が謎を呼ぶ。
 まるで、魔法少女という存在がアップデートでもされたようなイメージだ。

「ウサミングハートは何か分かる?」

『ううん。ボクは標準装備が当たり前の時代に生まれてるから』

 それもそうだ、と菜々は思った。なにせ、誕生したのはついさっきなのだから。
 菜々に直接関係のない昔の情報までは把握していないらしい。


「うーん、まぁ気にしても仕方ないですね」

 菜々は考えるのをやめた。いくら考えても、菜々にとっては、魔女から出てくるのはアイドルカードで、炎とかの魔法は標準装備なのだ。
 昔の事を考えても仕方がない。

「ところで菜々ちゃん。その腰に巻いてるのは? それも衣装の一部?」

 卯月は、疑問に思ったのか、菜々のベルトを見て首を傾げた。どうやら、衣装全体のイメージとまるで釣り合わなかったので、気になったようだ。

「あぁ、えっと、これはプロデューサーから試験的に使ってみないかって渡されたドレスドライバーってやつです。なんでも、効率よく魔力を運用するだとかなんとか」

「ふーん」

 卯月の表情が一瞬するどくなったような気がして、菜々はビクリと身を震わせる。だが、次の瞬間にはいつもの卯月がそこにいたので、気のせいだと思うことにした。

「それじゃ、私は帰ります! 次こそは間に合いますので!」

 そう言うと、卯月はカニの肩に乗り、運ばれるように帰っていった。ものすごい高速移動の横歩きで。
 くせっ毛のある髪の毛がほぼ真横になびいていた。
 あんなのが近づいてきたことに気が付かなかったのだから、よほど自分たちのことに集中していたのだろうと菜々は思う。

「ナナたちも帰りましょっか」

 菜々が手を差し出すと、千佳は大きく頷いて菜々の手を握った。小さくて柔らかい手だなと、それが千佳の手を握った感想だった。


――*――*――*――



「おかしいなぁ……ここのはずなんだけど」

 千佳は、壁の前にたち、ふにふにと壁を押していた。時にこんこんと叩いたり、ちょっと横にズレたりして同じことを繰り返す。
 一通り確認し置けると、ふぅっと千佳は困ったようなため息を吐いた。

「どうしたの?」

「うーん。簡単に言っちゃうと、元の世界に帰れない」

「緊急事態的重大事項をサラリと言いましたね」

 千佳があまりにあっさり言うものだから、なにかの冗談かと思った菜々だが、彼女の顔が困り果てていたので、冗談ではないと察した。
 どうやら、今いるここからこの世界に入ってきたらしく、さらに通ってきた道から出ないと帰れないらしい。
 菜々が壁に背を向けると、確かにこの世界に入ってきた時と同じ光景が目の前に広がっている。この場所で間違いなさそうだった。

「その辺ウロウロしてみますか? もしかしたら、場所が似てるだけって可能性もありますし」

「うん」

 僅かな可能性を考慮して、菜々と千佳は歩き出す。一応、この場所には目印を付けておいた。魔法を使えば、大きなリボンを出すくらいなんてことはない。そのリボンを近くの木に括りつけた。

 数分歩いたあたりだろうか。無言で辺りを散策する2人に、声がかけられる。
 それは菜々の手元。ウサミングハートからだ。

『ナナちゃん、近くで魔女の反応があるよ』

 ウサミングハートの指示通りに、その場に向かう菜々と千佳。出口探しも大事だが、魔女の退治が優先だった。
 放っておけば、いずれ鏡から出て外にいる人たちに害を与えるかもしれない。沢山の魔法少女がいるとはいえ、万が一にも向かわねばならなかった。

 しばらく走って到着した場所は、広場のようなところだった。
 円を描くような大きな広場は、まるでこの街にぽっかりと開いた穴のようだ。
 ウサミングハートはここに魔女がいると言っているのだが、ここにあるのは1つの大きな建物くらいだ。魔女らしきものは見当たらない。

「いないですよー。故障じゃないんですか?」

 と言いつつ、菜々は自分が折り曲げたりしたから壊れたのでは? と少し心配していた。もっとも、あれだけ柔軟になれる杖が、曲げたことが原因で壊れるとは思えない。
 故障じゃないよ! とウサミングハートが主張する手前、探さない訳にはいかない。
 やれやれと、菜々は辺りを見渡した。

「にょわぁぁああああ」


 突如、響き渡る魔女のような声。その出処は、この広場全体に響きわっ立っていて、声で出処がまるで分からない。
 菜々と千佳はキョロキョロと視線を動かすが、それらしきものはまるで見当たらなかった。
 どこに隠れているにしても、ここは広場。姿を隠せるところなどどこにもない。目を凝らしてよく見ても、全然わからなかった。

『ナナちゃん! 上!』

「上? うぇぇええええっっ!!!?」

 空を見上げるように視線を上に向けると、巨大な何かがこちらを掴もうと手を伸ばしていた。
 それは、魔女だ。巨大な魔女。広場にぽつんとあると思っていた大きな建物は、魔女だったのだ。
 隠れているどころか、逆に堂々とそこにいたのだ。

「ざ、『ザ・ウサミンワールド』!」

『チョーイイネ!』

 菜々が音声が流れる暇がないくらいのスピードで、瞬時に時を止める。もう少しで、魔女に握りつぶされるところだった。
 ――き、危機一髪でした。
 菜々は冷や汗をかく。しかし、落ち着いていられる時間もそうなかった。なにせ、17秒しか時は止まらないのだから。
 急いでこの場から避難しようと、隣で魔女同様に時が止まっている千佳の手を握った。

「わっ!」

「うわぁ!? びっくりしました!」

 菜々が手を握った瞬間、千佳が動き出した。魔法が解除されたのでは、と一瞬警戒した菜々だが、そうではないことを上を見て理解した。

(なるほど、ナナが触ったものは魔法の対象外になるんですね)

 どうりで、ウサミングハートも止まった時の中を動けるはずだ。

 千佳にゆっくりと説明する時間もなかったため、とりあえず菜々は千佳の手を引いて、その巨大な手から逃げ延びる。
 千佳は、突然周りの時間が止まっていたので戸惑っていたが、これが菜々の魔法であると瞬時に理解した。

 魔女の手に向かって攻撃の魔法を発射する菜々。時間が動き出し、魔法は直撃するが、まるでダメージを追っているような気がしなかった。
 敵があまりにも大きすぎる。
 今のでは、せいぜい魔女が軽い火傷を負ったくらいだ。

『あれは可愛がりの魔女。可愛い物に反応して捕まえて愛でるんだけど、その力故にすぐに壊してしまって、また次の新しい可愛い物を探しに行くという、無限サイクルを繰り返しているんだ』

 ウサミングハートの説明を聞きながら、菜々は時を止め、さきほどの猫かぶりの魔女の時と同じ戦法を取った。
 だが、時間一杯撃っても、大ダメージを与えられはしなかった。
 そもそも、17秒間で撃てる数にも限界があり、時間いっぱい撃ってもさっきの猫かぶりの魔女のように全体を包むほどにはならのだ。

「あんなのどう戦えばいいんですか!」


 捕まえるような手の動きを、時を止めながら回避する菜々と千佳。時を止める能力がなければ、今頃捕まっているだろう。

「にょわにょわにょわにょわーーーーーーー」

 魔女の攻撃がスピードアップする。何がなんでも捕まえようという気持ちがヒシヒシと伝わってきた。あの、思いっきり愛でてやろうという、菜々たちからしたら凶器そのもののような手がどんどん迫ってくる。
 もはや避けきるだけで精一杯だった。

 攻撃してもまるで手応えがないのだ。だんだん、菜々の息も上がってきた。

「ど、どうするんですかウサミングハート!」

『うーん。とりあえず、攻撃を諦めて、一旦距離を取ろう』

「そ、そっか。その手がありましたね……『ザ・ウサミンワールド』」

『ルパッチマジックライブゴー! チョーイイネ!』

「うわっ」

「千佳ちゃん。しっかり捕まってて」

 菜々は時を止めて、千佳を抱きながら思いっきり後ろにジャンプした。魔法少女の彼女が思いっきりジャンプをすれば、魔女を思いっきり突き放すことが出来るくらいの距離を跳べる。その脚力を持ってして、建物の屋根を飛び跳ねた。

 いかに巨大な魔女とはいえ、すぐに詰められるような距離ではないところまでやってくる。
 ちなみに、今の菜々の脚力で人を蹴ったのなら、一瞬で肉塊へと変わることだろう。
 仮に踏まれただけだとしても、踏まれたところは確実に再起不能レベルで潰れる。

 菜々たちは、建物の屋上で物陰に隠れた。そこで、魔法の効果が消え、再び時間が流れ始める。

「さて、距離を取ったものの、どうしますか……」

「あれだけ大きかったら攻撃も全然きかないしね」

 菜々と千佳はうなる。巨大な敵は、巨大だというだけで、もはや脅威であることを認識する。
 怪獣映画で怪獣に襲われる国がパニックに陥るはずだ。あんな大きさのものが襲ってきたらそこには恐怖しかない。

「お困りのようですね」

 菜々が対策を考えていると、千佳の声でもウサミングハートの声でもない声が彼女の耳に聞こえてくる。
 声の出処を探すと、菜々のすぐ後ろにいた。そこにいたのは、菜々や千佳、卯月と同じ魔法少女。

 というか、さっきといい、なぜ魔法少女たちはこうも人の背後に立ちたがるのだろうか。

「魔法少女ストロベリーありす。参上です」

 肝の座った落ち着きのある声で、そう自己紹介した。
 橘ありす。千佳より歳上とはいえ、同じ小学生とは思えない冷静で大人びた少女。
 その特徴的なお姫様のような髪型の後ろには青いリボンがついていて、子供らしい可愛い印象だが、その瞳には、力強ささえ感じる。

「あ、ありすちゃん」

 菜々は、突然のありすの登場に驚くと同時に、ふと、さっき千佳から聞いたことを思い出した。

「プロデューサーさんに地獄の果てまで追いかけられて怖くなかったですか? トラウマになってませんか?」

 そう。ありすは叶えられる願い事に不満があったため、逃げ出したが、プロデューサに追いかけられたのだ。
 犯罪臭しかしない光景である。
 菜々は幼い子供の心が、心配で心配で仕方がなかった。


「前のことなので、もう大丈夫です」

 ありすは、特に気にしていないと言わんばかりにさらりと答える。やけにさっぱりしていて、相変わらず、子供らしくない子供だと菜々は感じた。
 童話の中の住人のような見た目の割に、彼女自身は童話を読み聞かせる母親のような雰囲気だ。なんというか、見た目と中身が釣り合っていない。

 ありすは、落ち着いた態度で、ゆっくりと巨大な魔女を指差した。

「あの魔女は私が相手をします」

「え。な、何を言ってるんですか! 危ないですよ」

「では聞きます。菜々さんにあの魔女を倒せるんですか?」

「えっと、それは……その、き、気合で!」

「気合ではどうにもならないことは、さっきご自分で確かめてたじゃないですか。あんな攻撃何回続けても同じですよ」

「う、うぐっ……」

「それなら、より可能性のある私が闘うべきです。私の魔法なら、あの魔女に対抗できます。そもそも、魔法少女歴は菜々さんよりも長いです」

 12歳の意見にぐうの音もでない永遠の17歳。どっちが大人か分かったものではない。
 ありすとそうこう意見を交わしている間に、巨大な魔女はにょわにょわ言いながらだんだん迫ってきていた。
 魔女が歩くたびに、地響きがする。

 時間がない。ありすは菜々の言葉に耳を傾けずに一歩前に出た。
 もう、菜々の許可をとっている暇はなかった。というより、そもそも、許可を取る必要がない。
 アイドルカードのこともあるが、要は倒したもの勝ちなのだ。誰が見つけたとか、そんなのは関係ない。

「ありすちゃんの魔法って……」

 菜々は、まっすぐに魔女に視線を送るありすを見て呟く。彼女のいうことも間違っていないが、ありすの魔法を知らない分不安も大きい。
 すると、ありすは菜々の疑問に答えるように口を開いた。

「私が、プロデューサーに叶えてもらった願いは『大きくなりたい』でした」

「あぁ、イメージありますね」

 普段から自分が子供であることに不満げな彼女なら、願ってもおかしくない願望だ。ようは、彼女は早く大人になりたかったのだ。
 だが。

「するとプロデューサーは言いました。『では、巨大になりたいと、それでよろしいですね?』と」


「よ ろ し く な い よ っ ! ! !」


 ここにはいないプロデューサーへ思わずツッコんでしまう菜々。
 その後は、菜々の想像する通りなのだろう。
 一度プロデューサーに願いと解釈されてしまったため、巨大になると解釈された願いは、強制的に叶えられてしまった。


 逃げ出すわけだ。

 菜々はありすへの同情を隠せない。菜々よりもよっぽど被害者だ。
 菜々は軽はずみで言った冗談が叶ってしまったというから、まだ自分の責任だと思えるが、彼女の方は解釈がネジ曲がっているだけにたちが悪い。

 事実上、彼女の願いはまったく叶えられていないに等しい。一方的な契約とはこのことだ。消費者センターに相談すれば、話くらいは聞いてくれるかもしれない。
 是非とも、クーリングオフ制度の導入を希望したいものだ。

「ジュワッ……」

 ありすが小さな魔法の杖を天に向けて突き出すと、杖の先端が光り、その体はみるみる大きくなっていく。そして、ありすは砂を巻き上げながら地面に着地した。立ち上がったありすは、魔女に引けを取らないくらい大きい。
 胸は、まるでそびえ立つ大きな壁のようだ。

 魔法で大きくなったありすだが、それでも魔女のほうが大きい。だが、対抗出来るくらいの大きさにはなった。
 完全に光の巨人だった。まさに進撃のありす。

 魔法少女であるからなのか、魔法のせいなのか、はたまた服が引き伸ばしても大丈夫なゴムでできているのか、彼女が巨大化しても服が破けることはなかったようだ。
 破けたら破けたで大問題ではあるが。

「ありすちゃん、おっきーぃ!」

 千佳は、キラキラとした瞳をありすに向ける。それに反応したありすは、顔を菜々たちの方へと傾ける。

「ご覧のように。私は『体の大きさを自由に操れる魔法』を手に入れたわけです。大人になりたかった私は、『大きい人』通り越して『巨大な人』になってしまったわけですよ。笑えますよね。笑いますか? 笑えばいいじゃないですか」

「ありすちゃんが自虐してる」

「……まだ怒ってるんだ……」

 ありすと見上げる菜々と千佳は、あわあわと体を震わせていた。さっきまで羨望の眼差しを送っていた千佳も、今は震えながら口を塞いでいる。
 大きさもそうだが、あのありすが自分の境遇にうっすら笑みを浮かべてしまうくらいにはキレていることが、なによりの恐怖だった。
 おとなしい人ほど怒ると怖いの法則だ。

 巨大化してしまったありすを止める術はなく、菜々と千佳はもう少し離れて安全を確保した。
 完全に怪獣映画のような光景だ。

 しばらくにらみ合いが続き、そしてありすが魔女目掛けて走り出した。
 ありすが走るたびに、地面が揺れる。ただ歩いているだけで、その辺の魔女や使い魔なら、あっという間に踏み潰されて死にそうな気がする菜々だ。

 そして、ついに取っ組み合いが始まった。
 ……と思ったら、ありすが一方的に後ろに吹き飛んだ。
 え? と呆気に取られる声を漏らす菜々。巨大化したありすは、質量を感じるようなスローモーションで、近くの建物を破壊しながら倒れる。

「ありす……ちゃん?」

「仕方ないでしょう……」

 思いっきり背中から倒れたありすに語りかける菜々。ありすもその声は聞こえている。
 魔法少女の聴力は凄まじく、ありすからすると虫のように小さい菜々の声も、しっかり聞こえていたようだ。
 ゆっくりと倒れた体を起こしながら、菜々を向いた。

「大きくたって、力はまだ子供なんですから!」

「さっきまでの任せろって態度は何だったんですか!?」


 ほぼ逆ギレだった。恥ずかしいのか、ありすの顔が少し赤いような気もする。
 ありす自身、自分より大きい敵と闘うのは初めてだったのかもしれない。

「ありすちゃん、もっと大きくなれないの?」

 千佳がもっともらしい事をいう。そう、体の大きさを自由に操れる魔法なら、もっと大きくなることも出来るはずだ。魔女を踏み潰せるほど大きく慣れれば、もう敵はいない。
 だが、ありすの返答は思ったものとは違った。

「これ以上は大きくなれないんですよ。たぶん、まだ魔法に慣れてないのと、私自身がこれ以上大きくなれるのを想像出来ないから」

 魔女は「はぴはぴっ!」とテンションの高い声を発しながらありすに迫る。ありすは菜々達との会話を打ち切って、なんとか起き上がって対応するも、力で完全に負けていた。
 状況は、さっきとまるで変わってなかった。ただ、ピンチになったのが菜々からありすに変わっただけ。

 何も出来ずにありすが戦っているさまを見つめている菜々たちの目の前に何かが振ってきて、スタッという着地音がした。

「魔法少女っ、しまむーピース。只今登場ですっ」

 突如、ついさっきサヨナラしたばっかりの卯月が上から現れた。どこからかジャンプしてきたのだろう。
 決めポーズのピースをしたまま固まっている。おそらく、菜々たちの反応待ちということなのだ。
 それが分かった菜々だが、呑気に卯月にリアクションとっている場合ではない。

「卯月ちゃん、大変。ちょっとピンチなんです」

「うむむ、確かにピンチっぽいですね、わかりました! 島村卯月……もとい、魔法少女しまむーピースにお任せくださいっ!」

 あっさりとポーズを解いた卯月は、状況を飲み込んだ。魔法少女歴が長いだけに、状況の変化にも柔軟に対応してくれる。
 菜々は、この上なく卯月のことが頼もしく見えた。

 それと同時に、一体あの巨大な魔女相手に何が出来るのだろうかと考える。

 すかさず、卯月はポーチからカードを取り出し、魔法の杖へと入れた。
 どうやら、卯月も菜々同様、アイドルカートが使えるようだ。

 菜々には一瞬しか見えなかったが、卯月自身が載っていたカードのような気がする。

『ファイナルステージ』

 卯月の杖から無機質な機械音声が聞こえ、その場で構えをとり、卯月は大きくジャンプをした。
 すると、後ろにいたカニがハサミをクロスさせ、足場を作ってくれる。カニは、トスでもするように卯月を打ち上げた。

 物凄い勢いで、遠くの魔女目掛けて飛んでいく卯月。その勢いは、まるで標準の定まったミサイルのようで。
 クルクルと様々な体勢、様々な方向に回転していく。飛距離は、同じ魔法少女の菜々が目一杯ジャンプして稼げる飛距離を明らかに超えていた。

 回転した勢いをそのままに、魔女のすぐそばまで来た。
 蹴りでも繰り出すのだろうか。そう思いながら菜々と千佳が卯月の様子を見守る。
 卯月は、パンチを繰り出すでもキックを繰り出すでもなく、その回転した体で魔女に体当りした。

「た、体当たり!!?」


 予想に反した攻撃に、菜々は驚きと戸惑いを隠せない。なにせ、普通に体ごと突っ込んでいったのだ。あれでは、卯月の方が心配だ。
 自滅技なのだろうか? そんな安易な考えに囚われていた菜々の視界で、とんでもないことが起きる。

 なんと、巨大な魔女は、卯月の攻撃によってバランスを崩し、あっさりと断末魔を上げながら消滅していく。

「「倒 し た ッ !?」」

 思わず千佳と声がハモる。巨大化したありすがまるで相手にならなかったのに、卯月は小さい身のまま、魔女を一撃で倒した。
 それは、人間にパチンコ玉を投げつけたら絶命したくらいの衝撃だ。

 ファイナルステージという名前から、彼女の必殺技であることが伺えるが、それにしてもとんでもない威力だ。
 なんという強さ。初期からずっといるだけに、攻撃力は段違いだった。
 卯月のわりに、全然平均的ではない。完全に魔法少女界のバランスブレイカーだ。

 もう彼女1人でもいいのではないだろうか。菜々にそんな疑問が浮かびあがる。

「倒しましたよー。ブイッ」

 遠くで卯月がニッコリと笑ったのが見えた。あんな天使みたいな笑顔をしておいて、その裏にどれだけの破壊力を持っているのだ。
 思わず身震いする菜々。

 千佳は、呆気にとられていたのは数秒。すぐに感動して、今では笑顔で卯月に手を振り返している。
 あの恐ろしさがわからないとは、子供って純粋だなぁっと永遠の17歳は思った。

(それにしてもあのカード……ナナも、魔女を倒したら、自分自身のカードと巡り合ったりするんでしょうか?)

 それは卯月の握っていた、卯月自身の載ったカード。それがどうにも気になった。

「卯月さんの魔法は、『極限まで頑張る魔法』です」

 菜々がカードのことを疑問に思っていると、いつのまにか普通サイズに戻っていたありすが菜々たちの元へと駆け寄り、卯月の魔法に付いて説明を始めた。
 極限まで頑張る魔法。卯月らしいといえば、実に卯月らしい。

『そっか、単純な強化魔法なんだね。魔法少女としての能力を極限にまで高める魔法。だから、あんな破壊力があったんだ』

 ウサミングハートが納得したように呟く。ということは、ナナも極限まで能力を引き出せば、あの巨大な魔女でもワンパンノックアウト出来るのだろうか、と考えた。
 そんな自分を想像して怖くなる。随分と恐ろしい力をあっさり手に入れてしまったものだと。

 卯月の必殺技は、おそらくその限界値を超えた力を発揮するものではないかとウサミングハートは言っていた。
 だから、いかに菜々が100%フルパワーになっても、魔女を一撃で沈めるのは難しいかもしれないということだ。

「え、それじゃー、あのカニにトスしてもらう意味あったんですか?」

『あのカニがトスすることで、飛距離が2メートルくらい伸びる』


「少なっ!!」


 なんだ2メートルって。魔法少女の限界突破脚力+2だぞ。完全に誤差として無視できる範囲じゃないか。菜々はそうツッコまずにはいられない。
 1000に1を足したって、そんなに変わるものではないのだ。
 人ならそれなりにプラスだが、魔法少女としてはほぼ0に近い。


 カニの存在意義に疑問を持っていると、卯月がジャンプしながら戻ってきた。その手にはアイドルカード。今の魔女を倒して手に入れたもののようだ。

「じゃーん、今回はきらりちゃんでしたー」

 菜々たちに見せるようにカードを目の高さまで持ち上げる卯月。そこには、確かに諸星きらりが載っていた。
 アイドルカードを凝視する菜々。一体、アイドルカードとはなんなのだろうと疑問に思わざるを得なかった。

(そういえば……さっきの魔女、「にょわー」って言ってた?)

 追われている時は、逃げるので必死だったし、時を止めながら避けていたため、魔女の声は途切れ途切れだったが、冷静になってみるとそう言っていたような気がする。「にょわー」とは、諸星きらりが多用する言葉だ。彼女独特の言葉と言ってもいい。
 単なる偶然なのか。

 魔女を倒して出てくるアイドルカードは、その魔女の特性に最も近いアイドルが出るだけなのか。
 そもそも、魔女とは……そんな菜々の思考は、卯月の声によって遮られる。

「それじゃ、私は帰りますね!」

「あ……」

 菜々が疑問を口にする前に、卯月はジャンプして隣の建物に移ってしまう。
 千佳やありすは、卯月に向かって手を振っていた。卯月も、それに返すようにいつもの笑顔で手を振っている。

「う、卯月ちゃん!」

 そんな卯月を、菜々は呼び止めた。卯月は、隣の建物の屋上で振り返る。
 どう言っていいか、なんと言っていいかわからなかったが、菜々は伝えなければならない。
 言いたいことを言うために、菜々は息を吸った。


「カ ニ 連 れ て 帰 っ て く だ さ い よ ! !」


 何事もないように友達を置いていこうとした卯月。あれだろうか。ボールは友達と言いながらも蹴りまくるあんな感じなのだろうか。
 カニも、寂しそうに卯月の背中を見つめていた。
 カニは魔法少女のように、建物間を飛び越えるだけの脚力がないのかもしれない。高速横歩きするくらいだ。たぶんない。

 卯月はニコニコしながら、慌ててカニを引き取った。
 完全に忘れていたのだろう。いつものエンジェルスマイルが誤魔化すような笑顔にしか見えない。
 カニを抱えて建物の屋上を飛び越えていく卯月の背中が実にシュールだった。

 卯月を追うように、ありすも「それでは、私も……」と言いながらその場から去っていく。
 実力と態度が伴っていない、ちょっと残念な印象だった。

 いや、彼女の場合、今回は相手が悪かったのだ。そう菜々は考えた。



――*――*――*――



「それじゃ、そろそろ帰りますか」

「……今度は帰れるかな」

 そうであった、と菜々は思い出す。
 魔女退治で忘れていたが、今はなぜかこのミラーワールドから出れないのだ。帰るための場所はあっているはずなのに。
 これが菜々1人であったなら、今頃「出して!! 出してぇぇええ!!」と叫んでいたかもしれない。

 だが、隣に菜々の半分以下の人生しか歩んでいない千佳がいるのだ。大人の菜々が取り乱してはいけないという考えが働く。
 あ、いや、千佳は9歳だから、半分くらいという表現が妥当だろう。うん。

 菜々は努めて冷静に千佳に語りかけた。

「大丈夫ですよ。きっと帰れます」

 慰めなんてなんの意味もない。だけど、そう言わずにはいられなかった。なにより、菜々自身がそう思いたいだけなのだ。
 菜々の言葉に、千佳は頷く。そして、もう一度、出口になるはずの入り口を探しに行こうと歩きだそうとしたその時だった。

「そこまでですよ! マジカルウサミン!」

 突如として名前を呼ばれた菜々は、声の主を探す。キョロキョロと辺りを見渡すが、なかなか見当たらなかった。
 ふと、千佳が何かを見つけたようで、その方向を指差した。菜々もその方向へと視線を送る。
 3人組が、随分と遠くでこちらを見ている。

 それ以外に人影もなかったので、菜々の名前を呼んだのが彼女たちだと判断した。

「ふっふっふ、私たちから逃げようたって、そうは行かないですよ!」

「……逃げる? えっと、茜ちゃん……ですよね? どういうことですか?」

 菜々に喋るかけているのは、日野茜だった。
 くせっ毛の茶髪が、風に揺れる。髪の毛は後ろでポニーテールのように結ばれていた。
 遠くにいても、彼女のテンションの高さが伺える。

 菜々達と茜たちの距離は非常に遠い。両者とも相手を視認しづらかった。これだけの距離が離れているのに会話が成立するのは、彼女たちが魔法少女であるからに他ならない。
 だいたい、こんなに離れている意味が菜々にはわからなかった。

「そう! 私は茜です! しかし、今は! あ、ほら、杏ちゃん! 名乗りだから起きてください起きてください!」

「うぅう……茜ぇ……耳元でうるさいよ……そもそも杏、名乗らなくてもよくない?」

 3人組の1人、遠くからでも寝そべっているのが確認できたのは、何を隠そう双葉杏だ。
 今も気だるそうに、地面に寝そべっている。2つに結んが髪の毛が地面に付いていることなどおかまいなしだ。

「ダメですって! ほら! スタンダップしてください!!」

「うー……」

「いきますよー! 私たちは!」

「「「解凍小悪魔ツインデビルズ!」」」

 ビシッと決めポーズを決める。どうやら、チームを組んで戦っている魔法少女らしい。
 おそらく、変身直後の名乗りなのだろう。いくらなんでも名乗りが唐突過ぎる。今は、すでに変身しているので、致し方なしと言ったところだろうか。


 3人同時の決めポーズ終わったら、次は1人ずつ名乗りを始めた。

「レッドデビルズこと、魔法少女バーニングファイヤーです!」

 名乗った瞬間、後ろで小さな爆発が起こるような錯覚が見えた。
 名前の意味がモロ被りだった。名前を聞いているだけで熱い。どれだけ燃えれば気が済むのだ。
 茜の印象には実に似合っているが。

「ブルーデビルズこと……魔法少女キャンディーニート。ねぇ、もう座っていい?」

 だるっとポーズをとる杏。
 フニャフニャした名前でなく、今回はわりとまともな名前だ。おそらく、近くで一緒に考えてくれる人がいたのだろう。
 ちなみに、杏は茜の許可を求めておきながら、承諾を得る前にすでに座っている。

「ホワイトデビルズこと、魔法少女レイナ・サマー」

 サマー。この場合におけるサマーは、様を伸ばしたもの。だが、完全にSummer=夏にしか聞こえない。
 名前が夏っぽくて、3人の平均を取ると実に暑苦しいチームだと思った。

 日野茜。双葉杏。小関麗奈。
 解凍小悪魔ツインデビルズのメンバーはこの3人だ。

 この3人だ。

「……ツイン?」

 菜々から率直な感想が漏れる。というより、ツッコみたいところがいくつもあった。
 ツイン。英語で書くとtwin。主に2つで1つの、とか2という意味で使われる言葉だ。
 ツインデビルズなのに、なぜ3人なのか……。

「あーもーほら! だから言ったじゃないの! さっさとトリプルに変えたほうがいいって! 毎回説明するの面倒くさいんだから! あー、このレイナサマが途中で加わって、チーム名がそのまんまなのよ、悪い!? うっ、ゲホッ、ゲホッ」

 大きい声で喋り続けた麗奈は、途中で咳き込んでいた。大声で喋らなくても菜々たちには聞こえているのだが、叫ばずにはいられなかったのだろう。怒っているようにも見えた。
 麗奈が呼吸を整えているので、菜々は次の質問を投げ出す。

「解凍ってのは……」

「私たちが! 魔女の凍りついた心を!」


「あ、もういいです。わかりました。チンするんですね」


 茜のテンション高すぎて、菜々はもう聞くのが疲れた。杏も疲れているのか、完全に寝転がってお昼寝状態だ。今の彼女の手には、いつものぬいぐるみは握られていない。

 杏はどちらかというと解凍される側だと思う菜々だが、きっと色とかで相方を決めたのだろう。杏は冷静の青っぽいし。いや、彼女のは冷静というわけでもない気がするが。
 まったくの正反対という組み合わせは、ある意味アニメなどではセオリーとも言える。案外、いい組み合わせなのかもしれなかった。

 と、そこまで聞いて、菜々は本題に入る。今までの質問は正直どうでもいいのだ。


「茜ちゃん……ナナが逃げる……ってどういうこと?」

「とぼけたって無駄ですよ! 今この世界で起きてる、元の世界に戻れない現象! その原因がマジカルウサミンってのは、もっぱらの噂なんですよ!」

「…………………………………………は?」

 菜々は自分の耳を疑った。千佳と顔を見合わせる。千佳も、聞こえてはいたが、茜の言っていることがいまいち理解できないらしい。
 もう一度聞き直したが、やはり同じ言葉が聞こえてくる。
 ――おかしい。
 菜々はそう思った。なぜなら、菜々自身帰れなくて困っていたのだ。そんな彼女がこの現象の原因であるはずがない。

「あの……勘違いでは?」

「そんなことないですよ! マジカルウサミンの時を止める能力が暴走して、元の世界とこの世界の境界の時間が止まっている影響だという噂です!」

「あちこちで悪魔と言われてるぞ」

 茜の言葉に、杏が付け加える。

「このレイナサマたちを差し置いて、悪魔とは……っ!」

 杏の言葉に便乗するように、麗奈が言葉を発する。
 確かにチーム名に小悪魔が入っている彼女たちからすると、二番煎じなのかもしれないが、言葉の意味合いがあまりにも違いすぎた。
 菜々の方は、明らかな敵意や悪意が含まれている。

 とはいえ、この鏡の世界から出られなくしているのだとしたら、悪魔と呼ばれるのは妥当であるとも思える。

 だが、菜々は困惑しすぎて、何からどう口に出していいか分からなかった。
 自分が悪魔と呼ばれていることも充分ショックだが、時を止める魔法が暴走してという情報のほうがよっぽどインパクトがあった。
 能力の暴走など自覚もない。だからこそ、一体誰がその原因を言い始めたかが分からない。

(習得したての魔法が制御しきれていない……?)

 菜々は魔法少女になりたてだ。だから、魔法を完全に扱えていないと言われれば、返す言葉もない。否定も出来なかった。
 あるいは、ドレスドライバーの暴走。

 だとしたら、菜々は今多大な迷惑をかけている。もし本当なら、菜々は全力で謝罪をしなければならない。

 問題は、その暴走が『菜々が悪意を持って意図的に引き起こした』というような噂の広がり方をしていることだ。
 だから、悪魔などという名前で呼ばれる。

「菜々ちゃんはそんな悪いことしてないよ!」

 千佳が、一歩前に出て強い口調で否定した。菜々を絶対的に信頼してくれるその姿を嬉しく思う菜々だが、どちらにも確信がないために、どうしていいか分からない。
 菜々がどっちつかずで困惑していると、茜が優しく諭すように千佳に話しかける。

「私達も、菜々ちゃんがそんなことするなんて思いたくないんですよ!」

「だ、だったら」

「でも! 現実問題として元に戻れない現象は起きています! 私たちは、その解決方法があるのなら、1つずつ試していくしかないんです!」

「試すって……?」


 千佳が不安そうに茜に尋ねる。
 茜も、不安そうな千佳に対してあまり言いたくないのか、口ごもる。
 すると、代弁するように、麗奈が喋った。

「つまり、マジカルウサミンを倒すってことよ。暴走なのよ? 倒す以外に方法はないわ。もっとも、自力で元に戻せるなら、話は別だけどね?」

 麗奈の瞳は、菜々は見る。千佳も、不安を一切隠していない表情で菜々を見た。
 だが、残念なことに、自力で戻すどころか、魔法の暴走の自覚さえない。自覚のないものを、止められるはずもなかった。
 菜々の表情を見て、麗奈は確信する。

「決まりね!」

『まって、ナナちゃんの魔法は暴走したりなんかしてないよ!』

 突如として、ウサミングハートが喋りだす。しばらく沈黙していたので、菜々自身困惑も加わって、完全に存在を忘れかけていた。

『今解析して調べた! ナナちゃんは正常だよ! 魔力の流出もないし!』

 ウサミングハートの言葉に、胸を撫で下ろす菜々。彼女自体は、魔力うんぬんも暴走うんぬんも分からない。
 だけど、菜々専用武器であるウサミングハートなら話は別だ。
 ウサミングハートは、菜々に関する情報ならありとあらゆることを網羅している。

 魔法の効果から条件まで、ウサミングハートは把握している。つまり、ウサミングハートにかかれば、菜々の魔法が暴走しているかどうかも手に取るように分かるわけだ。
 菜々は、とにかく安心した。ウサミングハートがいうのなら、間違いはないと、短い付き合いながらもそれなりの信頼を置いている。

「そういうわけで、ナナのせいではありません!」

「アホ! 魔法暴走させてるかもしれないやつの武器の言うことなんて信じられるないじゃない!!」

 菜々の無実を麗奈に一蹴されるも、菜々は納得する。確かに、もっともらしい意見だ。
 ぐぬぬ、と菜々は歯痒くなった。言い返したいが、うまい言葉が見つからない。

「分かりました!」

 すると、茜がその豊満な胸を張る。突き出された胸を麗奈がやたら見ていたが、茜はその視線には気づかなかった。
 杏は興味ものなさげにうつむいている。

 茜の言葉を聞いて、菜々はほっと息を吐く。自分がやっていないということが分かってもらえたのだと、そう思った。

「菜々さん! 本当にやっていないというのなら、私達を倒して証明してみてください!」


「な ん も わ か っ て ね ぇ よ ! ! !」


 菜々は叫んだ。
 どうしたらそういう結論に至ったのか、是非とも茜の脳内を覗いてみたいものだ。
 黙っていても闘う、分からせるためにも闘う。なんという八方塞がりだろうか。前門にも後門にも闘いしかない。


「ちょっ、とりあえず話し合いませんか?」

「笑止です! 私達も自分の意見を通したい、菜々さんも自分の意見を通したい、ならば、あとは拳で語り合うしかありません!! なぜなら、拳は嘘を吐かないからです!!!」

「言語によるコミュニケーション挟んでくださいよ!」

 ダメだった。
 彼女の中には、すでに話し合いという概念が存在しない。熱血系はどうしてこうなのだ。会話より肉体言語を優先させる。

「問答無用です! 私たち魔法少女は、闘うことでしか分かりあえません! レッツ、ゴー、ファイヤータイム!!」

 パチンと茜はその細い指を鳴らした。
 その程よく太陽にあたっているであろう健康的な肌が、炎に包まれる。やがて、それは移動して、手に集中し、彼女の手のひらに直径30センチほどのボールが現れた。
 作り上げた炎のボールを勢い良く上にあげ、それを追いかけるようにジャンプする茜。

「いきます!! レットデビルズぅ〜〜、ボンバーー!!!!!」

 彼女は、ボールをバレーのようにスパイクする。ラグビー観戦が趣味な彼女が、なぜバレーなのかは不明。きっと、ラグビーだと飛距離的な問題があったのかもしれない。
 決して、なんちゃらサニーを意識しているわけではない。

 彼女の超自然発火能力によって作られた炎は、並の魔法少女が作る炎よりも強力だ。全ステータスを炎に絞ったと言えば、その威力がわかりやすいだろうか。
 故に、仮に菜々と千佳が力を合わせて水を出そうとも、彼女の炎を消すことは叶わない。

「話きかな――って、速っ!」

 茜の放ったレットデビルズボンバーは、想像以上に速かった。そうとう離れているはずの距離なのに、あっという間に近づいてくる。
 至近距離なら、避けられない可能性の方が高い。

 そう。あくまで、至近距離なら、である。

「『ザ・ウサミンワールド』」

 ラップ音が鳴り終わると、キンッ! という時が止まる音が聞こえた気がした。お馴染みの灰色の世界が菜々の視界に広がる。
 あれだけのスピードを誇った彼女の攻撃も、時が止まってしまえば道端に転がる石ころ同然だ。
 菜々は考える。このまま逃げたほうがいいか、なんとか誤解を解くか。

 今現在起こっている現象の原因が、菜々であるという噂が広まっているという。このまま逃げても彼女たちに終われる羽目にもなるだろう。
 ならば、なんとか誤解を解いていったほうが得策かもしれない。菜々はそう判断した。

(この魔法があったら、まず攻撃には当たりませんし、よけながら説得するしかないようですね)

 17秒のうちに、考えがまとまった。菜々は、隣にいた千佳を抱え、隣の建物に移る。
 そして、時間が来た。時間は再び動き出す。

「って、きゃぁあああああああッッ!!!!!」

 時間が動き出した途端、菜々は空高く舞い上がっていた。
 一緒にいた千佳も同様だ。


 菜々の意志でも千佳の意志でもない。わけもわからず、体は空気を切りながら重力に逆らう。
 クルクルと回転する菜々の視界で、菜々たちがさっきまでいたビルが、茜のレッドデビルズボンバーによって倒壊するのが見えた。
 それと同時に、今現在菜々たちの真下にあるビルが、上下に揺れているように見える。

「あーっはっはっはっはっはーっ! げ、ゲホッゲホッ……ひ、引っ掛かったわね! このレイナサマの魔法でそこら中のビルを巨大なバネ化していたのよ! 時間を止めて避けることは分かっていたからね! ゲホッ、う、うえぇ……」

 叫びすぎてむせる麗奈。いい加減、叫ぶのをやめるべきだろう、と杏は思った。
 麗奈は菜々が時を止める前に、すでに罠を仕掛けていたのだ。菜々たちがどこに避けるか分からなかったから、手当り次第に。そして、菜々は見事にその罠にかかった。
 麗奈らしい、イタズラが何でも可能になったような魔法だ。

 巨大なバネによって上空に打ち上げられた菜々たち。ちょうど速度が緩まり、あと少しで、打ち上がった勢いと重力が釣り合う地点というところで、遠くからレッドデビルズボンバーが放たれるのが見えた。
 それは一直線に、菜々たちの動きが一旦停止するであろう場所を狙っている。

 あわあわと慌てる菜々。しかし、いかにジタバタ足掻こうと、空中では身動き出来なかった。
 迫る攻撃に、菜々は半ばパニックに陥る。

「あわ、えっと、ざ……『ザ・ウサミンワールド』」

『チョーイイネ!』

 時間の止まる菜々。とっさに千佳も掴んだので、彼女も今止まった時の中にいる。
 もちろん、時間が止まっても彼女たちが空中にいるのには変わらない。
 一瞬、空気も止まっていて、その場に固定されるのではないだろうかという疑問が浮かんだが、もしそうなら菜々は時間を止めてもその場から動くことが出来ないはずだ。

 菜々が触っているものは魔法の対象外……つまり、彼女が纏っている空気もその例外ではないということだ。
 よって、菜々たちは再び分厚い空気にあたりながら落下する。

「「きゃぁあああああーーーー!!!!!」」

 それはもう高く打ち上げられたため、落ちる時の速度が半端なく、空気による抵抗もすごい。ジェットコースターで受ける風とは比べ物にならなかった。
 通り抜ける風はしきりに彼女たちの髪の毛を激しくなびかせる。
 そんな中、菜々はパニック状態から冷静になりかけていた。

(たぶん、あのビルに落ちて、時間が進んだら、また上に逆戻りです。だったら)

「千佳ちゃん、しっかり捕まっててください」

「う、うん」

「ウサミンボルケーノ!」

 菜々は、真横に魔法を発動し、その反動で着地地点をビルから反らす。そして、真下にビルも何もないことを確認した彼女は、ウサミングハートに呼びかける。

「ウサミングハート! こうバリアとか張れないんですか!?」

『何も考えずに横にズレたの? 無計画すぎじゃない?』

「呑気なこと言ってる場合ですか!」

『別にバリアなんて張らなくても、普通に着地すればいいんじゃないかなっ』

「……………………え?」

 ウサミングハートの言葉を飲み込む前に、地面がすぐそこまで迫っていた。菜々は慌てて体勢をおこし、着地の衝撃に備える。千佳は、菜々にお姫様抱っこをされている。

 ダンっ!!!
 菜々の着地した土の地面は脚の形に凹み、硬い地面だったのか、周囲に少しヒビが入った。
 菜々の脚は……無傷である。しかも、身構えていたほど脚は痛くなかった。体もまるでダメージを受けていなかった。

「……魔法少女すげぇー……」

 菜々は放心状態になる。
 もし、魔法少女でなければ、今頃菜々の下半身は完全に潰れて飛び散り、骨が突き出て、とてもお茶の間の時間に流すことの出来ないような惨事になっていたことだろう。しかも、あの高さではほぼ100%絶命する。


 それがどうだろう。菜々はまるで身長の半分ほどの机の上から飛び降りたくらいの衝撃しか感じなかった。
 魔法少女でよかった。菜々は心底そう思った。

 菜々が感心していると、止まっていた歯車はすぐに動き出す。
 動き出したことによって、止まっていた衝撃も地面に行き渡り、その着地地点を大きく凹ませた。ヒビも遠くまで行き渡っている。砂埃も菜々の身長の何倍もの大きさのものが巻き上がった。
 どうやら、地面にまで細工はされておらず、菜々は上に飛ばされることなく、普通に歩くことが出来た。



「杏さん! 菜々さんが止めていられる時間分かりました!?」

「うーん……菜々たちの大体の質量とー、目測の高さでぇ……重力加速度と空気抵抗が通常通り働いてるなら……大体15秒から20秒くらいじゃなーい? 今いる場所にどれくらいいたかわからないけど」

 杏は電卓を叩くことなく暗算でそう計算する。
 一連の流れは、菜々たちを攻撃するためのものではなく、菜々の止めていられる時間を図るためのものだったのだ。
 わざわざ離れた場所にいるのもそのためだ。遠くからの方が、詳細に観察することが出来る。

「ってことは、だいたい15秒から20秒くらい先を読んで動かなきゃいけないんですよね! 難しい!」

「っていうか無理でしょ。20秒もあるんだったら、20秒後を先読みした攻撃が出来たとしてもモロバレだし思うし」

 麗奈が苦笑いをしていた。菜々の魔法のチートっぷりに、笑顔も引きつる。

「ってまぁ、チートでいったら、うちのブルーも似たようなものね……」

「えぇー、また杏がするの?」

「ったり前でしょ! あんたの魔法どれだけチートだと思ってるのよ! 目には目を、チートにはチートよ!」

「めんどくさいなぁ……」


 菜々たちの周りを漂っていた砂煙が風に吹かれて視界が晴れやかになっていく。
 今のところこれといった攻撃も受けていないが、だからといって解決策があるというわけでもない。

「菜々ちゃん、今のうちに逃げようよ!」

「そうしたいんですけど、ナナ的には誤解を解きたいと言いますか」

「そんなの逃げながら考えればいいでしょ!」

「た、確かに!」

 小学生の意見に思わず手を叩く菜々。どうにも歳を取ると考え方が固くなっていけない。
 完全に、逃げると考えるが分離していた。そうなのだ。逃げつつ対策を考えればいい。
 そうと分かれば、菜々は千佳の手を取って、ダッシュした。

 遠くから、逃げ出したぞ! という声が聞こえる。
 菜々は振り向くことなく全力でダッシュした。

 しばらくすると、だんだん距離を詰められてきた。千佳の手を引いている分、そのハンデといったところだろうか。

「待ちなさいよ!!」

「ヒィい! 追ってきました!」

 真っ先に近づいてきたのは麗奈だった。その後ろでは、杏を抱えた茜がダッシュしてきている。
 それでも、茜のスピードはとてつもない。人1人を抱えているとは思えないようなスピードだ。
 魔法少女になる前の、人間としてのステータスが大きく反映されている。


『菜々ちゃん! 右に避けて!』

「右っ!?」

 ウサミングハートに突如声をかけられて、後ろを振り向かずに右に少し避ける菜々。
 その場所を、茜の攻撃らしきものが直撃する。
 ――こわっ!
 菜々は彼女たちのあまりの容赦のなさに怯えるばかりだ。どうやら、向こうは本気で倒しに来ている。

『今度はジャンプ!』

 ウサミングハートの指示通りにジャンプをすると、今度は麗奈の舌打ちが聞こえてきた。
 今度は、さっきのビルよろしく、何かしらの罠が仕掛けられていたらしい。

 そこからは、ひたすらウサミングハートの指示通りに動くだけだった。右と言われれば右。左と言われれば左。
 ウサミングハートと菜々の完璧な連携は、彼女たちに一切の攻撃を当てさせない。千佳も、ウサミングハートの指示通りに菜々と一緒に動いていた。

「『ザ・ウサミンワールド』!」

『チョーイイネ!』

 時を止める菜々。菜々は、千佳を抱き上げ、思いっきりジャンプした。なるべく離れるように。できるだけ遠くに。

 建物の上に避難した菜々は、隠れるように屋上から覗き込む。17秒が過ぎ、茜たちは、目の前から菜々と千佳が忽然と姿を消したのに気付いた。
 くそー、逃げられた! という麗奈の悔しそうな声が聞こえる。

(今のうちに隠れながら逃げれば、うまく逃げ切れそうですね)

「こうなったら、ブルー! さっそくあれを!」

「えぇー……」

「文句言わないでちょうだい! 早く! 逃げられちゃうでしょ!」

「はいはい……人使いが荒いよまったく……」

 茜に自分自身を担がせておきながら、どの口がほざくのだろうと麗奈は思ったが、杏にやる気になってもらう耐えに、ぐっと堪えた。
 杏は静かに目を閉じ、シンデレラジェムに意識を集中させる。

「『杏は、菜々たちが20秒間で行動出来そうな範囲一帯をくまなく探した……』……ん。すぐ上。そこの屋上」

 杏がその幼子のような手で天を差すように指を上に向ける。麗奈が真っ直ぐに上を見ると、下を覗く菜々と目が合った。

「う、うわっ! バレました!」

 即座にその場を離れる菜々。魔法少女の脚力で屋上を跳びはねる。すぐ後ろを再び麗奈たちに追跡された。
 距離はもう20メートルも離れていない。

「ななななんでわかったんですか!」


「アーッハッハッハ! ゲホッゲホッ、ゲホッ……うちのブルーの魔法はチート級なのよ! 『働かなくて済む魔法』って言って、あいつが言うには、あいつが行動しようとしたことの因果を逆転させて、結果だけを先取りしてしまう魔法なんですって!! もちろん、本人は一切動かなくて済むわ!」

「なにそれチート!」

「時を止める魔法が言うんじゃないわよ!」

 杏の魔法は、麗奈の言うとおり『働かなくて済む魔法』だ。
 今さっきの例で言うなら、菜々たちを探したという原因があって、初めて菜々たちを見つけるという結果が得られるわけだが、杏のそれは、因果を逆転させて、菜々たちを見つけ出したという結果だけを導いた。

 つまり、杏が行動しようという意志さえ見せれば、実際に行動しなくても結果を導けるという、とんでもないダメ人間精製魔法だ。
 逆に言えば、杏が本当に行動しようとしなければ、結果を先取ることは出来ないのだが。

 菜々の時を止めれる魔法の制限時間を調べたのは、彼女が無駄な魔力を消費しないための工夫だった。

 日常生活で使えば、テレビのリモコンが離れた場所にあり、それを取りに行こうと思いさえすれば、取ったという結果だけを得られる。
 もう杏がその場から一歩も動かない図が浮かんでくる。
 実に杏らしい魔法だ。

(なんていうか、杏ちゃんは無駄にこういうのもスペック高い!)

「『ザ・ウサミンワールド』! くっ、穢の方は大丈夫ですかね」

 ちらりとシンデレラジェムを確認する菜々。もう何度も魔法を発動しているので、だいぶその輝きは失われていた。
 くすんだ色を、持っていたみくのアイドルカードで浄化する。

「ウサミングハート何かないですか!?」

『キリがないから、いっそ、撃退しようよっ」

「撃退って物騒な。そもそも、ナナにそんな攻撃性の高い魔法はありませんよっ?」

『ここでアイドルカードだよ』

 菜々は顔をしかめる。なにせ、さっきは挿入してエラーが出たのだ。何が起こるか分かったものじゃない。

『いい? ナナちゃんが使えるアイドルカードには制限があるんだ』

「制限?」

『そう。ナナちゃんは、願いごとで永遠の17歳になった。つまり、ずっと17歳。これは、ナナちゃんが17歳そのものであると捉えることが出来るんだ』

「17歳……そのもの?」

『一種の概念的なものかな。だから、ナナちゃんが使えるアイドルカードは、17歳の人物が載ったアイドルカードに限られるんだよ』

 えらく限定的だと思ったが、それで納得した。なぜ、前川みくのカードを入れたらエラーが出たのか。
 単純明快。前川みくは17歳ではないからだ。

 しかし、そこで困った事象が発生する。
 そう、菜々には、ついさっき手に入れたみくのカードしかないのだ。

「菜々ちゃん! これ使って!」

 走りながら、千佳が菜々にカードを渡す。受け取った菜々は、カードに書かれている人物を確認した。

「これは……美穂ちゃん!」


 小日向美穂。アイドルカードの説明の時に見せてもらった千佳の所持カードの中の1枚だ。
 残念ながら、17歳アイドルのカードはこの1枚しかない。だが、それだけで充分だった。

『アイドルカードの使い方は2つ。1つは、ドレスドライバーに挿入して、そのアイドルの力を使えるようにするもの』

「ドレスドライバーに入れる……? うわ、よく見たら上の部分にカードが入りそうな隙間が!」

 菜々はドレスドライバーの上部を確認する。そこには、薄くて分かりづらいが、確かにカードが入りそうなスペースが存在した。

『もう1つは、ボクに挿入して、開放した全エネルギーを最大攻撃に変えて放つ方法。ただし、こっちの魔法は1回使ったら使用したカードは穢を目一杯溜めた状態と同じになっちゃうからね。撃てる回数がだいぶ限られる。だから、使う時はよく考えて使って』

「ぐぐぐ、と、とりあえず今はいつでも撃てる状態にしておきましょう!」

 菜々は、美穂のカードをウサミングハートに挿入した。

『ファイナルアタックライブゥ……』

 低くて渋い音声がしたのち、キュイーン、キュイーンという待機音がなりながら、ウサミングハートの先端が赤く光る。
 すると、ガタガタと機械じみた音がウサミングハートから響き、やがてウサミングハートの形は少し変わった。
 まるで、銃のような。

「バスターモードって感じですか……っ」

 見た目や手元に現れた引き金を見てそう判断する菜々。待機音が鳴っている間は喋ることが出来ないのか、何も言わずにひたすらキュイーンキュイーン言っている。

 再び時が動き出し、菜々は武器を構えずに後から追ってくる麗奈たちに呼びかけた。

「麗奈ちゃん! 茜ちゃん! 杏ちゃん! ナナの話を聞いてください!」

「断るわ!」

「言いたいことは、拳で語ってください!!」

「あとで……」

「ぐっ! な、ナナが原因ではありません!」

「倒せば分かるわね!」

「違ったら謝ります!」

「まぁ……」

「だから! 話を」

「ごちゃごちゃうるさいわよ!」

「今は殴(かた)り合いましょう!」

「……ぐぅ、ぐぅ」


「だから、話を……はな、はなしを……話を聞いてくださいってばーーーーーーッッッ!!!!!!」


 ナナはあまりに会話が通じないことに、怒り、麗奈たち目掛けて思わず引き金を引いてしまった。

『ミミミミホッ!!』

 待機音が鳴り止み、音声が流れた直後、まるで巨大なレーザービームのような光線が放たれた。
 眩い光を放ちながら一直線に進み、麗奈、茜、杏をまるまる飲み込んだ。

 彼女たちは、反応することもままならない状態で、ビームの中へと消えていく。

「……あ」

 撃った直後、菜々は正気に戻った。
 それと同時に、思った以上の威力に戦慄している。どうしようもない後悔がこみ上げてきた。

「うわわわわ!!! だ、大丈夫ですか!!!」


 地面を建物の屋上をえぐりながら突き進んだビームのせいで、煙が舞い上がり、建物が倒壊している。
 もちろん、屋上は崩れて下の階で瓦礫となって積み上がっていた。

 菜々は逃げる脚を止め、慌てて麗奈たちがいたであろう場所まで駆け寄る。今のビームはどう見ても半端じゃない威力だ。
 いかに魔法少女とはいえ、今のをまともに喰らえば流石に無事じゃないかもしれない。
 菜々は、千佳を上に残し、下の階に降りて、瓦礫をどけながら呼びかける。

「麗奈ちゃん! 茜ちゃん! 杏ちゃん!」

 だが、帰ってくる返事はない。瓦礫をどけてもどけても、彼女たちの姿がまるで見えないのだ。

 ――何かがおかしい。
 そう思わずにはいられない。
 瓦礫の山ができているとはいえ、人が3人も埋まって見当たらないほどの量ではない。なのに、瓦礫をどけても体の部位すら見えないのだ。

 ビームに飛ばされた。ギリギリで回避してどこかにいる。
 そんな考えが浮かぶ。
 最悪の場合、ビームによって完全消滅……。

 そこまで考えてゾッとした。
 嫌な考えを振り払うように頭を振る。だが、べっとりとこべり付いた考えはそう簡単には消えない。
 菜々は、涙目になりながら、瓦礫の山を崩した。

「……っ!? な、菜々ちゃん!!」

 すると、屋上に置いてきた千佳から呼びかけられる。
 見つかった!? という希望のような表情が浮かぶ菜々だが、天井の穴より見える千佳の表情は決して明るいものではない。

 嫌な汗を額ににじませながら、菜々は屋上へとジャンプした。

「千佳ちゃん、どうしました」

「コレ見て……」

 千佳は、地面に落ちているアイドルカードを指差した。
 菜々は、千佳の糸が読み取れない。
 最悪の事態ではないと思った菜々は、どこかホッとした様子で、千佳に問いかける。

「これがどうかしたんですか?」

 ここにアイドルカードが落ちているのは、確かに不自然だ。だが、今の菜々の攻撃でさっきの誰かが落とした、と考えれば、そこまでおかしなところはない。
 だから、菜々は早急に3人の行方を探しに向かいたかった。

「よく見て……」

「……? ……………………っ!?」

 菜々は、目をこれでもかというくらい見開いた。
 思わず後ろに後ずさる。
 そこに落ちているのは、アイドルカードだ。それは間違いない。


 問題は、そのカードが3枚あって、カードに載っている人物が、小関麗奈、日野茜、双葉杏の3人であるということだ。


 偶然にしては、出来すぎている。
 菜々は、そっとそのカードを拾い上げた。


(なんでこの3人のカードがここに……?)

 目の前で3枚を広げ、もう一度よく確認する菜々。見間違いではなかった。
 カードを握る手に汗が滲む。肌をなでる風が、生暖かくて不快だった。

 考えられる可能性はいくつかある。
 麗奈たちが落とした可能性。
 麗奈たちが、逃げる際に何かのメッセージで自分のカードを置いていった可能性。
 偶然たまたま、ここに落ちていた可能性。
 そして――。

「あ、あんまり考えたくないですね……」

「菜々ちゃん、どういうことだと思う?」

「……た、単なる偶然ですよっ。たぶん、名刺代わりに置いていったんじゃないですかね」

「……そっか、そうだよね!」

「えぇ、まだ私たちは諦めてないぞっていうアピールですよ、これは」

 頭によぎった可能性を振り払い、自分自身さえも誤魔化すように菜々は笑った。なにより、不安そうな千佳の表情が見ていられなかった。
 千佳は、菜々の言葉に安心したように笑った。

 菜々は現実逃避するようにカードをしまう。

 魔女を倒したら出てくるアイドルカード。
 麗奈たちがいなくなった後に落ちていたアイドルカード。
 とても無関係とは思えなかったが、とりあえずは考えるのを止める。考えれば、顔に出てしまいそうだった。

 千佳を不安にさせてはいけない。
 万が一、自分の考えている通りなら、幼い千佳が知らせるにはあまりにも酷だと菜々は判断する。

「とにかく、この世界から脱出する方法を探しますか」

「うんっ」

 菜々は、逃げるようにその場から去った。千佳も、その後を追いかける。

「菜々ちゃん、どうせなら箒で飛んでいこうよ」

「……そんなこと出来るんですか?」

「魔法少女は、箒で飛ぶものだよっ。やったことないけど」

「なるほど、やるだけやってみますか」

 その後、あっさり箒で飛行出来た菜々だが、もはやここまで来たら驚くこともなかった。


――*――*――*――



「魔法少女サイキックユッコ!」

「魔法少女シュガーハート☆」

「魔法少女カワイイボク!」


「うげぇぇええ!!! 次から次に追ってきますぅ!」

 
 菜々と千佳は箒にまたがりながら次々に繰り出される攻撃を避けていた。
 空を飛んでいるのだ。目立って仕方がない。
 見つかっては、「この悪魔め!」と言いがかりを付けられ、「やれやれ、また勘違いですか」というやり取りを繰り返していた。

「だから、菜々たちのせいじゃないんですってばー!」

 菜々は避けながら必死で弁解を試みる。だが、そんな言葉に耳を傾けるものなどいなかった。
 まるで、留守番電話にでも話しかけているような、そんな気分になってしまう。

「っていうか! 空飛ぶとか反則ですよぉ!」

(……皆は飛べないんですかね……?)

 魔法少女カワイイボクこと、輿水幸子が眉間にしわを寄せながら文句を言ってきたのを聞いて、菜々は気付いた。
 さっきから、3人に追われているが、気付いてみれば、その3人は飛ばずに走って追いかけてきている。

 彼女たちに遭遇する前も色々な魔法少女と会ったが、彼女たちも空を飛ぶことはしなかった。
 そもそも、飛ぼうとさえ思わなかったのか、飛べないのか。

「距離がありますね……いきます! サイキック……フライ!」

 魔法少女サイキックユッコこと堀裕子が思いっきりジャンプして距離を縮めてくる。なんてことはない。ただの超ジャンプだ。
 だが、サイキックうんぬんが付いてるだけあって、普通のジャンプじゃなかった。菜々たちのすぐ後ろまでやってくる。

 だが、菜々たちが急上昇したら、ユッコはその場に取り残され、再び地面まで落ちていった。
 さっきまでのスピードを失速しないように着地したユッコは、苦い顔をしながら空を見上げる。

「うむむ、厄介ですね、あれ」

「意外にハートたちも飛べるんじゃない? つか飛べたぞ☆」

 魔法少女シュガーハートこと佐藤心が試しに箒を取り出すと、案外あっさり飛べていた。
 ものは試しだと言わんばかりだ。
 それを見ていた幸子は、あんぐりと口を開けていた。今まで飛ぼうとさえ考えなかっただけに、咄嗟に飛ぼうと思える心が凄いとも思った。

 心が飛び、それに習おうようにユッコも幸子も箒を取り出し、またがった。
 すると、まるでもう何年も箒にまたがって飛べていたように、彼女たちは空を自由自在に飛ぶことが出来た。

「うわ、来ますよ! こうなったら、『ザ・ウサミンワールド』ッ!」

『ルパッチマジックライブゴー、チョーイイネ!』

 時を止め、箒から飛び降りる菜々と菜々。菜々から離れた箒は、少し落下すると魔法の影響を受けて時間が止まり、空中に固定された。
 菜々は、空高くからそのまま地面に着地する。大きな衝撃が起きないように、なるべくそっと降りた。それが、どれほどの効果を得られるかは分からない。
 それと同時に、すぐにその場を離れた。万が一着地の後が残ったのたら、時間を止めた意味がない。


 着地地点よりなるべく離れた建物の影に隠れる2人。建物に姿を隠すと同時に、菜々の魔法が効果が切れた。
 上空で3人の慌てる声が聞こえる。

「って、いないです!」

「手分けして探そう。つか、探せ☆」

「卑怯ですよあの魔法!」

 箒にまたがったまま、上空より探索を続ける3人。
 菜々たちは、建物の影に隠れるように移動した。

「これじゃキリがありませんね」

「さっきから、ずっとこんな調子だよね……」

「誤解を解こうにも、噂が広がり過ぎててとても手に終えたものじゃないです」

『噂の広まり方が早すぎるよっ。きっと、裏で噂を広めてる誰かがいるはずっ!』

 ウサミングハートの言葉に、菜々は同意した。
 そもそも、菜々が外に出れない事件の犯人だと言い出したのも、きっとそいつに違いなかった。
 何の目的があってそんなことをしたのかは分からないが、迷惑極まりない話である。

 出会う魔法少女は、皆菜々を敵だと認識して襲ってくる。
 その数があまりにも多いため、菜々はひたすら逃げるしかなかった。

(魔法も、あんまり使ってられませんね……)

 使えば使うほど穢が溜まるシンデレラジェム。穢がたまりきった時のことをプロデューサーから聞いていないが、菜々はある程度の予想がついていた。
 だから、極力魔法を使わないでやり過ごしている。

 だが、追ってくる数が数だけに、そろそろ限界が近い。

「どうしましょうか……」

「お困りのようですね」

 突如、千佳ではない少女の声が背後からして、ビクリと肩を震わせる菜々。
 追われる身である菜々は、今とても敏感であった。まるで天敵がはびこるジャングルに放り込まれた獣のように。
 そんな状態の菜々は、突然背後から声がすれば驚き飛び退く。気付かなかったのも無理はない。声がかかるまでまるで気配がしなかったのだから。

 そこには、さっきも会った魔法少女ストロベリーありす――橘ありすの姿があった。
 慌ててバックルを上下させ、魔法を発動させようとする菜々を、ありすは手で制した。

「落ち着いてください。私は、菜々さんが犯人だなんて思ってません。私は味方です」

 その言葉に、菜々は少し考えると、シンデレラジェムをドレスドライバーから遠ざけた。
 味方だと言っている魔法少女相手に魔法を発動することもない。

「ありすちゃんは、菜々ちゃんが犯人じゃないって信じてくれるの!?」

「えぇ、まぁ」

「何か根拠でもあるんですか……? 真犯人を知っている……とか」

 菜々が期待を持つようにありすに尋ねると、彼女は目を閉じながら首を横に振った。
 ありすの態度に肩透かしを喰らったように、菜々はため息を吐いた。
 ありすは、「真犯人は知りませんが」と言いながら、菜々を真っ直ぐに見据え、言葉を紡ぐ。

「ただ、少しの時間とはいえ、一緒に戦った仲間じゃないですか」

「ありすちゃん……」


 その言葉に、菜々はうるっと来てしまう。散々追い掛け回されて精神的にも追い詰められていた菜々にとって、これ以上に嬉しい言葉はなかった。
 菜々が感動していると、ありすが自分の背中の方向を指差した。

「こっちです」

 ありすは何も言わずにその方向に歩いていく。
 つまり、着いてこいということなのだろう。菜々は、その小さな背中を追いかけた。千佳も、菜々に続いて歩き出す。

 細い路地を歩き、建物の隙間をいくつもくぐり抜けた。追手の目を欺くような道だ。
 とにかく目立たないように、息を潜めて移動する。

 建物同士に挟まれた、人1人が通れるか通れないかの小さな道を、歩き、やがて大きな広場に到達した。
 広場というより、砂漠のような印象に近い。どうやら、ここは魔女の結界内における建物の建ち並ぶ空間の端に該当するらしい。

 そこから先には、一切の建物が存在しなかった。
 時折、絵画のような植物が生えているくらいで、それ以外には何も見当たらない。

「ここ……は?」

 菜々はありすよりも前に出て、あたりを見渡す。
 逃走経路としてなら、明らかに建物の間を通ったほうがいい。それなのに、ここから先は身を隠せそうなものは岩1つ見当たらない。
 これでは、見つけてくれと言っているようなものだ。

 上空からでなくとも、この何もない空間にいるだけで、目立つことは間違いない。そんなところは歩けば、大きな花壇に一輪だけ咲いている花同然だ。

 逆に、建物の影に隠れていると思わせておいて、堂々と逃げるということなのだろうか、となんとなくそんな考えが菜々の頭に浮かぶ。
 だが、明らかにそれはリスクの方が高い。

「……ふぅ、ここまでですね」

 ありすが小さく呟いた。
 何を言ったか、それを聞こうと振り向こうとしたとき、菜々は突然背後から手を回され、口を塞がれた。
 おまけに、何かを口に放り込まれる。

「んー!? んーんー!」

 口に放り込まれた物体は、生暖かく、ドロリとしていて、時々粘性を感じ、クリーミーな味わいの中に、どこか甘酸っぱさが混ざっていて、時折ザラザラとした砂のような苦い感触のする、妙なものだ。
 口を塞がれている菜々は、それを吐き出すことも出来ず、ひたすら味わうしかない。


 菜々を押さえているのはありすだ。むしろ、その他には誰もいない。
 菜々の身長は、146センチ。いかにありすが小学生とはいえ、身長141センチと菜々の背に近い上に、魔法少女である彼女から菜々は逃げることが出来ない。

 千佳は、突然の出来事を、混乱するように見ていることしか出来なかった。

 やがて、それを飲み込み、菜々は事切れるように脱力した。
 それと同時に、口元から手を離され、菜々は地面に倒れた。

「ま……不味い……です……」

 今だに口の中に残る後味。甘いような、酸っぱいような、苦いような、クリーミーなような……あまりにマズいそれは、菜々から全てのやる気を奪い去る。
 生ぬるかったのが、不味さに拍車をかけていた。
 水も何もないため、その口をゆすぐこともお口直しをすることも叶わない。

 ただただ、嫌悪感がこみ上げる。
 口に放り込まれたモノの正体がわからないだけに、嫌悪感は増し、不安が募る。

 そんな菜々を見下ろすように、ありすは倒れている菜々を見ていた。

「……いちごジャム入りシチューチーズグラタン、そんなに不味かったですか? 不本意ですけど、まぁ、目的達成ですね」

「いちごジャム入り……シチュー、チーズグラタン……?」

 その名前を聞いて、ようやく口の中に残る妙な後味の説明がついた。
 時折感じた砂のような苦いものは、おそらく焦げだ。
 飲み込んだものが食べ物であったことに、ひとまずの安心感を覚える菜々だが、それはとても食べ物とは思えなかった。
 上手に配合すれば、おいしくなるのかもしれないが、口に入れられたものはどこか説明できない不味さを内包していた。

 食卓に出されれば、間違いなく食べることを拒否してしまいたくなるような。店のメニューとして出せば、それを食べた客は二度とその店に脚を踏み入れなくなるような。
 とにかく、菜々が再起不能に追い込まれるくらいには、強烈な味だった。

 ありすが、素早く千佳の背後に回る。ぐるっと、後ろから千佳の首に腕を回し、まるで人質でも取るように千佳を抱え込んだ。

「あ、ありすちゃん!?」

 突然のありすの謎の行動に、千佳は恐怖を言葉にのせてありすの名を口にする。
 あくまで無表情で、ありすは千佳を抑えていた。

「おとなしくしていてください」

 体の向きを変え、菜々は辛うじて千佳が捉えられた様子を目の当たりにする。

「オンドゥルルラギッタンディスカ……ん゛ん゛ッ! 本当に、裏切ったんですか?」

 いちごジャム入りシチューチーズグラタンのあまりの不味さに、菜々は呂律が回っていなかった。仕切り直して、尋ねる。
 口に謎に物体を放り込まれた瞬間から、薄々橘ありすに騙されたのではないかという疑念が浮かんでいたが、彼女が千佳を捕らえたを見て、裏切られたと確信した。


 だが、尋ねずにはいられなかったのだ。菜々のことを、仲間と言ってくれたありすだからこそ。
 菜々の問に、ありすは淡々と答える。
 まるで悪びれもせず。ポーカーフェイスで。

「裏切るもなにも、私は最初から、彼女側の魔法少女です」

「彼女……?」

「さっき1つだけ嘘を吐きました。私は、噂を流した犯人を知っています」

「そ、それは一体……」


「ありすちゃん、お疲れ様ですっ」


 菜々が疑問を口にすると同時、突如この場のいる誰のものでもない声が聞こえてきた。
 菜々たちが歩いてきた方向から、この時を待ってましたとばかりにゆっくり歩を進める彼女。

 その声は、菜々は実に聞き覚えのある声だった。
 なにせ、菜々はこの声を、魔女の結界内に入ってから、2度も聞いているのだから。

 茶色でくせっ毛のある髪の毛。それが横でお団子のように結ばれ、余った髪が地面に向かって垂れている。
 彼女の顔は、いつもの天使のような笑顔をする表情ではなかった。

「また会いましたね、菜々ちゃん」

「卯月……ちゃん……っ!」

 魔法少女しまむーピース――島村卯月は、倒れる菜々と捕まっている千佳を見て、満足そうに頷いた。
 ありすは、最初から卯月側の魔法少女だった、ということだ。
 おそらく、菜々の口にありす特製いちご料理を放り込むというのも卯月の発案だろう。でなければ、ありすが自分の手料理を武器にするわけがない。

「これで条件は揃いましたね」

「卯月ちゃん、何をする気なんですかっ!」

「菜々ちゃんが知る必要はないんですよ?」

 卯月は静かに、アイドルカードを取り出した。
 それは、彼女の必殺技の合図。あの巨大な魔女でさえ一撃で倒してしまうような、強力な技。
 要するに、ここで死ぬ菜々には関係のないことだと言いたいようだ。

「卯月ちゃんっ! 止めて!」

 千佳が仲裁に入ろうとするが、ありすが押さえているため、その場から動けない。攻撃して止めようにも、杖を持っている手をありすによって背後に回されていた。
 仮にありすを攻撃してこの拘束を振りほどこうにも、あまりに至近距離過ぎて危険だった。それは、ありすのことでもあり、自分のことでもある。
 卯月は、そんな千佳の言葉など耳に入っていないように、一歩菜々へと近づいた。

「菜々ちゃん、最期に何か言い残すことはありますか?」

 ニコニコとした笑顔で、卯月は顔に影を落とした。
 いつも笑っている彼女の筋肉を、どう使えばこんな顔が出来るのだろう。
 菜々は、カードを挿入する直前で止まっている卯月を見上げながら、絞り出すような声で尋ねる。

「……それじゃぁ、質問、いいですか?」

「はいっ、どうぞっ」


「あなた……誰ですか?」


 その言葉に、卯月は固まった。
 硬直は一瞬。すぐに、卯月はいつもの彼女へと戻った。

「何言ってるんですか、島村卯月、17歳ですよ! ブイッ!」

「いいえ」

『ルパッチマジックライブゴー、チョーイイネ!』

 瞬間、卯月の視界から菜々が消えたかと思うと、菜々は卯月の後ろに走り抜けたような格好で、移動していた。
 卯月の手からは、さっきまで握っていたアイドルカードが消えている。


「卯月ちゃんはここにいます」


 菜々は、卯月から奪ったアイドルカードを目の前にかざした。それは、卯月自身が載っているアイドルカード。
 卯月は、何も言わない。

 菜々は、この短時間の間に様々な魔法少女に追われた。
 遭遇しては撒いて、遭遇しては撒いて。そんな中で、彼女はふと気付いてしまった。
 ――これだけ沢山の魔法少女に出会っているのに、カードに写っていた人物と同一の魔法少女に出会っていない、と。

 解凍小悪魔ツインデビルズの3人だってそうだ。
 彼女たちのカードを見て以降、あの3人を見かけていない。
 あれだけしつこく追ってきていたのに、引くのがあまりにあっさりすぎる。これを不自然に思わない人間はいない。

 彼女たちのカードを見つけたのは、菜々が攻撃を仕掛けた直後。
 つまり。

「この世界で再起不能になった魔法少女は、皆カードになるんです」

 確信した瞳で、菜々は卯月を見た。
 そう考えると、なにかと辻褄が合う。ツインデビルズが消えた理由も、カードと同一人物の魔法少女を見かけない理由も。

 必然的に、それはもうひとつ別の意味を示すのだが、ここでは口にしない。今は関係ないものあるが、口に出すのははばかられたからだ。

 菜々の言葉に目をまんまると開く千佳。彼女にだけは知られたくなかったが、状況が状況だけに仕方がなかった。

 その考えが正しいとするなら、自分自身のカードを持っていた、目の前にいる卯月は歪そのものだ。

「卯月ちゃんは、こうしてカードになっています。だったら、あなたは誰なんですか?」

 菜々が真っ直ぐに見つめる。卯月はしばらく菜々の視線に答えるように見つめ返していたが、やがて、その細い肩を露骨に上げた。
 観念した、ということなのだろう。

「意外に回復が速かったですね。不老不死は伊達じゃないってことですか。というより、さっさととどめを刺しておくべきでしたね、失敗でした」

 卯月は、再びアイドルカードを取り出した。咄嗟に身構える菜々。だが、よくよく見てみると、そのカードには誰も写っていなかった。
 灰色の人型らしき影が写っているだけの、ブランクカード。
 卯月は、魔法の杖に、そのカードの端をスライドさせた。

『チェンジ』

 杖から無機質な音声が聞こえると、卯月の姿が、まるで蜃気楼のようにボヤけ、卯月と背景の境界線が曖昧になる。
 そして、水を弾くようなバシャッ! という音がすると、卯月の姿は弾け飛んだ。


 卯月の代わりに立っていた彼女は、菜々の知る意外な人物だった。
 いや、むしろ同じ事務所に所属しているアイドルなら、知らない人などいない人だ。
 緑の制服のような衣装を身を包み、魔法少女化した服装にも関わらず、ご丁寧に胸にネーム入りバッチを付けている。後ろ髪は、全て三つ編みに結ばれ、それを肩から前に出していた。

 卯月とは違った、にっこりとした表情が菜々の瞳に焼き付く。

 震える声で、菜々は目の前にいる彼女に向かって呼びかけた。


「ちひろ……さんっ!」


「流石ですね、菜々さん」

 千川ちひろは、目の前で驚愕する菜々に向かって、よく出来ました! と言わんばかりに手を叩いた。
 なぜ、ちひろがこんな所にいるのか。
 なぜ、ちひろが卯月の姿になっていたのか。
 一体、何の目的があったのか。

 聞きたいことは山ほどあった。

「ほんと、菜々さんを狙わせておけば、いつか千佳ちゃんと離れて行動すると思ったんですけど、思ったようにはいかないですねぇ」

「じゃぁ、嘘の噂を広めたのも」

「はい、私ですっ」

「この世界から、みんなが出れなくなったのも」

「私です」

「何のためにですか!」

「そうですね、強いて言うなら、全ては、PROJECT G4のためです」

「プロフェクト、G4……?」

「計画は最終段階へと移行しています。だから、菜々ちゃんはここで退場ですよ」


 ちひろがパチンと指を鳴らすと、菜々のすぐ下の地面が大きく膨れ上がった。思わずジャンプしてその場から退く菜々。
 風船のように膨れた地面は、沢山の土を飛ばしながら弾けた。

 そこから現れたのは、カニ。卯月が連れ回していたカニだった。ただし、サイズが大きい。全長が軽く4メートルは超えている。


「この化けガニで始末してくれます!!」


 ちひろがそう叫ぶと、カニはその大きなハサミを菜々目掛けて振り下ろした。バックステップで避ける菜々。ウサミンボルケーノを放つが、硬い甲羅であっさりと防御されてしまう。
 逆に、その硬い甲羅は凶器だ。攻撃を受けてしまえばひとたまりもない。

「ものは試しです!」

 菜々は、茜のアイドルカードを取り出した。それを、ドレスドライバーにセットする。そして、バックルを上下させた。

『パッション、茜、パワー』

 ベルトから音声が響くと、菜々の全身を炎が包んだ。そして、それを右手に集中させる。菜々は今、茜が行っていたことを見様見真似で再現している。
 やがて、ボールになったその火の玉を上に放り投げた。

「ウサミンボンバー! ふんもっふ!!」

 飛び上がり、茜のように強くスパイクした。気合を入れるあまり変な言葉が口から漏れてしまう。
 一直線に進んだウサミンボンバーは、見事に化けガニに直撃した。だが、ダメージは受けているものの、まるで効いていない。

 何発も打てば、おそらく倒せるのだろう。だが、それはあまりにも魔力の消費が激しいように思えた。
 ――仕方ないです。菜々はそのカードが使えなくなる覚悟で、ウサミングハートにそのカードを入れる。

『ファイナルアタックライブゥ……』

 数回待機音がするなか、菜々は狙いを定める。

「シュート!」

『アアアアカネ!』

 放たれたビームは、一瞬で化けガニを消滅させる。カニが焼け焦げた匂いは思ったほど香ばしい匂いではなかった。どちらかといえば、地面が焦げる匂いの方が強い気がする。
 完全に炭化していた化けガニは、風に吹かれて端の方から徐々に崩れ始めた。プスプスと黒い煙を出している。

 あいかわず、菜々の放つビームの威力は絶大だった。

(……使えるカードは、あと2枚ですか……)

 菜々は手持ちを確認せずに、残りのカードを確認する。
 手持ちは6枚。そのうち、17歳ではないアイドルカードが2枚。すでに使用してしまったカードが2枚。
 菜々が使える2枚は、杏と卯月のカードだ。

(……そうだっ。ちひろさんもカードを使う魔法少女。だったら)

『チョーイイネ!』


 菜々は、『ザ・ウサミンワールド』を展開した。菜々以外の全ての時間が止まる。
 彼女は、ゆっくりとちひろに近づいた。ちひろは、のんきに焼け焦げた化けガニをニコニコとした表情で見ている。

 そんなちひろの目の前までやってきた。菜々は、慎重に手を伸ばした。

『ナナちゃん気をつけて、完全に触れてしまったら彼女の時間も動き出してしまうよ』

「分かってます」

 触るのは一瞬。狙いは、ちひろの持つポーチだ。千佳同様、彼女もこのポーチにアイドルカードを入れているはずだ。
 緊張で手が震える。そして、まさに菜々の手がちひろのポーチに触れようとした、その時だった。


「ふふっ、菜々さんの行動は分かってましたよ」


 菜々は意味がわからなかった。
 ポーチに伸ばした手は、ちひろの手によって遮られている。手首をしっかりと握られていた。
 わからないのは、ちひろが動き出したのが、菜々が彼女に触れる前だったということだ。

 触れていもいない、まだ魔法の限界である17秒も迎えていない。なのに、どうやってちひろはこの全てが停滞する世界で動いたのか。
 やがて、17秒が過ぎ、時間が動きだした。焼け焦げた化けガニが再び徐々に崩れ始める。

「どういうことかわかりませんよね? こういうことです」

 すっと、ちひろは菜々の胸の掌を向けた。その手は、菜々にまるで触れていない。
 だが。

「サイキック・衝撃波っ!」

 ちひろが力を込めると、菜々は後ろに思いっきり吹き飛んだ。崩れかけの化けガニの炭に衝突する。炭は一気にバラバラになり、地面に黒い粉が振りかけられる。
 ちひろの手は一切菜々に触れていなかった。それに、今彼女は「サイキック」と言った。

 この言葉は、さっき菜々を追いかけた魔法少女の1人、堀裕子の言葉だ。口に出すだけなら、誰にだって出来る。だが、今のは明らかに口に出しただけではない。
 現に、菜々はまるで超能力のような力で後方に吹き飛ばされているのだから。

 菜々は、地面を転がりながら、体勢を整えるも困惑した表情を隠せない。

「菜々さん困ってますね。教えてあげましょう。私は、魔法少女になるとき、『アイドルになりたい』と願いました。するとどうでしょう。私は、アイドルそのものということになったのです。つまり、私=アイドル。そして、アイドルは魔法少女になります。アイドル=魔法少女。ということは、私=魔法少女、です」

「まさか、全ての魔法少女の力を使えるとか、そんな笑えない冗談を言うつもりじゃないですよね?」

「さっすが菜々さん。いい勘してますね。そうです。その笑えない冗談ですよ。アイドルそのものとなった私は、全ての魔法少女の力が使えます。まぁ、使えると入っても、せいぜいオリジナルの20〜30%しか引き出せないんですけどね。『そのまま』では」

 でも、とちひろは言葉を紡ぐ。

「アイドルカードを使うことで、私はその魔法少女の力を100%引き出すことが出来ます。今までの卯月ちゃんのように」

 ちひろは、ずっと卯月として行動していた。つまり、あれが本来の卯月の実力と見ていいのだろう。
 認めたくはないが、なるほど、と菜々は思った。
 それなら、これまでのことに説明がつく。『ザ・ウサミンワールド』内で動けたのは、彼女もまた、菜々と同じ魔法を使ったということだ。

 正確には、ちひろは、『サイキック・予知』で菜々の行動をあらかじめ知り、杏の魔法である『働かなくて済む魔法』で、菜々の腕を掴むという結果を先取りする。そして、それを可能にしたのが菜々の魔法だ。
 ちひろの魔法の利点は、たとえ2割程度の力しか使えなくても、こうしてコンボで使用することが出来る点だ。


「ちなみに、私は今ここにいる4人と4人が所持しているアイドルカード以外の全てのカードを所持しています」

「……!?」

 菜々は、最初その言葉の意味がうまく理解できなかった。
 ただ単に、ちひろの力が圧倒的という意味ではない。それが意味することは1つだ。
 つまり、菜々達以外の魔法少女は、全てカードになったということだ。誰がやった? ちひろしかいない。

 さっきまで菜々たちを追いかけていた沢山の魔法少女。彼女たちも今はちひろのポーチの中だ。

「一体……何をするつもりなんですか……? それだけの事をする目的は……?」

「そうですねー。わかりました、教えちゃいましょう。ふふ、ラスボスが自分の計画説明しちゃう心理が分かっちゃいました。今、私すごく説明したいです」

 ちひろはニコニコと笑った。自分でラスボスと言っているようなものだが、菜々はちっとも笑えない。
 菜々が黙っていると、ちひろはその作戦を話始めた。PROJECT G4の、概要を。

「PROJECT G4……このG4はGlam God Gadget Gainの頭文字を取ったものです。意味としては、魅力的な神の機械装置を手に入れる……ですね」

「魅力的な神の機械装置……?」

「ここで菜々さんに問題です。菜々さんは、千佳ちゃんの魔法が一体どんな魔法か知っていますか?」

「千佳ちゃんの魔法……?」

 菜々は眉をひそめる。なぜここで千佳の名前が出てくるのか。しかし、考えても見れば、千佳が彼女オリジナルの魔法を使っている姿を見た覚えがないのだ。
 彼女が使用するのは、いつだって魔法少女の標準装備と言われている魔法。

 考えども考えども、答えは出てこない。
 そんな菜々を見かねて、ちひろはヒントを出してくれた。

「ヒントです。最近まで……いえ、ほんのついさっきまで、魔法少女は箒で空を飛ぶことなんて出来ませんでした」

「…………………………っ!?」

 ちひろからのヒントを得て、菜々の中でこれまでのことがパズルのピースのように繋がった。


『菜々を永遠の17歳に』
『ナナちゃんは、願いごとで永遠の17歳になった。つまり、ずっと17歳。これは、ナナちゃんが17歳そのものであると捉えることが出来るんだ』
『なんかねー、あたしが魔法少女なりたての頃は違ったんだけど、途中からカードが出てくるようになったの』
『最初の方は、自分の魔法と関係のない魔法とか使えなかったんだよ。途中から、今みたいに標準装備みたいになりました』
『魔法少女は、箒で飛ぶものだよっ。やったことないけど』
『私は、魔法少女になるとき、「アイドルになりたい」と願いました。するとどうでしょう。私は、アイドルそのものということになったのです』
『アイドルそのものとなった私は、全ての魔法少女の力が使えます』

『ちなみに、千佳ちゃんはどんな願い事で魔法少女になったんですか?』


『あたしの願い事は「魔法少女になりたい」だったよ』


「……まさか」


「そうです。菜々さんは永遠の17歳を願い、17歳そのものと捉えることが出来た。私は、アイドルになりたいと願えば、アイドルそのものと捉えることが出来た。つまり、千佳ちゃんは、『魔法少女そのもの』なんです。そうですね、千佳ちゃんが思ったものこそ魔法少女なんですよ。魔法少女の定義を決める魔法……とでも言いましょうか」

 本人は気付いてないんですけどねぇ、とちひろは半分呆れるように言っていた。
 魔法少女の定義を決める魔法。つまり、千佳が思い描く魔法少女像が、現実にいる彼女たちに影響をもたらすということだ。
 彼女が初めて魔法少女になった時、彼女は『魔法少女は魔法の杖から魔法でなんでも出せる』と思っていた。だから、それが現実に反映され、途中から全ての魔法少女が自分と関係のない魔法を使えるようになったのだ。

 箒で空を飛ぶのも、その1つだろう。

「じゃぁ、魔女を倒したり、魔法少女が再起不能になると、アイドルカードが現れるのは……」

「えぇ、私が千佳ちゃんの魔法を使ってそうしたんです。本当だったら、魔法少女が魔女になる瞬間もカードにしたかたんですけどね、それは無理でした。そもそも、魔法少女と魔女はニアイコールですし、それが2割程度の力の限界でした」

 ちらりと、千佳のいる方向を確認してちひろは述べる。
 今、ちひろと千佳はせいぜい30〜40メートルほどしか離れていない。この距離なら、魔法少女の聴力を持ってすれば、普通に会話が聞こえてしまう距離だ。
 だが、ちひろは、それを魔法で妨害していた。千佳に聞かれてはマズい内容らしい。

「やっぱり、魔女は……」

「薄々気付いてはいたんでしょう? 魔法少女がアイドルカードになる時点で」

 そう、菜々は既に気付いてしまっていた。魔法少女のカード化と、魔女を倒した時にカードが出てくることの関連性を。それに気付かないほど菜々は馬鹿ではない。

「魅力的な神の機械装置を手に入れる……それは」

「はい。千佳ちゃんのアイドルカードを手に入れて、彼女の100%の力を手に入れることです。まさに、神の力。欲しいと思いませんか?」

「……ちひろさんの目的はよくわかりました」

「あら、まだPROJECT G4には続きがあるんですよ? といっても、まだ話せませんけどね」

「これ以上聞く必要はありません! 誰かを犠牲にするような作戦は、ナナが潰します!」

 菜々は、アイドルカードを取り出した。それは、さっきちひろから奪った卯月のカード。
 それを、力を込めてドレスドライバーに挿入し、バックルを上下させる。

『キュート、卯月、パワー』

 音声と共に、菜々は卯月の魔法を体に纏う。それは、『極限まで頑張る魔法』だ。

「いきます!」

 菜々は、地面を蹴ってちひろとの距離を一気に詰めた。そのスピードたるや、まるで稲妻のごとく。
 瞬間的にちひろの目の前に到達する菜々。彼女は、手に握るウサミングハートを力の限り薙ぎ払った。
 だが、ちひろはそんな菜々の攻撃をなんなくかわす。

「私にもその魔法、使えるんですよ?」


 ちひろは、劣化『極限まで頑張る魔法』で避ける。その時、劣化『ザ・ウサミングワールド』も使用していた。
 そのため、菜々は懐への侵入を許している。

 チョンっと、ちひろは菜々のお腹を人差し指で突いた。

「『私は、卯月ちゃんの魔法で菜々ちゃんを思いっきり突き飛ばした』」

「きゃぁぁあ!」

 突然、重い衝撃を受け、菜々は後方へと吹き飛んでいった。今のは杏の『働かなくても済む魔法』だ。劣化版とはいえ、その魔法はチートに変わりはない。

 菜々は、強化した肉体で受け身をとり、なんとか体を起き上がらせる。

(うぅ、ちょっと動いただけで体しんどいです……体が魔法に慣れていないせいでしょうか)

 菜々は極端に激しい体力の消耗を感じていた。
 卯月の魔法は『極限まで頑張る魔法』。つまり、菜々は今、常に頑張り続けているという状態だ。

 魔法に慣れている卯月ならともかく、初めて使う菜々にはその加減がよくわからなかった。
 だから、体力を激しく消耗する。

(これは、長期戦は不利ですね……だったら)

「最大攻撃です!!」

 ドレスドライバーから、卯月のカードを取り出し、そのままウサミングハートに挿入する。

『ファイナルアタックライブゥ……』

 待機音を鳴らしながら、ウサミングハートはガチャガチャと機械音を鳴らしながら、バスターモードへと移行した。

「さらに!」

 菜々は、使えるもう1枚のカード、杏のアイドルカードを取り出した。
 それを、片手でドレスドライバーに入れ、バックルを上下させる。

『キュート、杏、パワー』

「『私は、ちひろさんに、攻撃を当てた』」

 杏の魔法を使い、攻撃を当てるという結果を先取りする。このコンボにより、菜々の必殺技は、文字通り『必殺』となる。

「無駄ですよ菜々さん! カードの数が違います!」

 ちひろは、ポーチに入っていたアイドルカードを全て取り出し、杖の中へと一気に挿入した。
 重複する音声が鳴り響く。もはや、何を言っているかも分からない。
 全てを入れ終えると、ちひろの周りを異様な空気が漂い始めた。

 分厚い空気のようなモノが集まり、ちひろの杖を弓に変化させる。ちひろが構えを取ると、緑色の光の集まり、矢が自動装填される。
 ちひろは、どっしりと構え、狙いを定める。

「いきます!!」

『ウウウウヅキ!!』

「迎え撃ちます!」

『ワイルドファイナルステージ』

 ほぼ同時に放たれるビームと矢。
 その2つが交わった時、爆発が起こった。
 お互いの最大攻撃がぶつかりあったのだ。その威力は凄まじく、近くにいたちひろはもちろん、離れていた千佳やありすも爆風で吹き飛んでしまった。


 風が巻き起こり、砂を巻き上げる。
 爆発の中心は、大きなクレーターが出来ていた。
 爆発の衝撃波は、円を描くように放たれ、近くの建物を粉々に吹き飛ばす。

 大きな空気の揺れに、世界そのものが揺れたような錯覚を覚えた。

 爆発から、数秒だろうか、数分だろうか、ある程度時間が立った。風は止み、舞い上がっていた砂埃は多少風に流され、不鮮明だった視界はある程度良好になっていた。

 そんな中、もぞもぞと、膨れている砂が動いている。その下に誰かがいるのは明白だ。

「ぷはっ」

 そこから顔を出したのは、千川ちひろだ。
 全身を砂の中から出し、パタパタと頭や体に着いた砂を払っている。
 爆発に巻き込まれた影響か、その姿はボロボロだ。

 ちひろが瞳を動かすと、遠くの方で倒れている菜々を発見した。

(ふぅ、今のはちょっとやばかったですね……たぶん、杏ちゃんの魔法の効果が大きいのかな。結局、私も爆発に巻き込まれて攻撃が当たったことになってるんですから。でも、これで、ようやくPROJECT G4の完遂に近づいてきましたよ)

 2人の必殺技の威力は互角ではなかった。正確には、ちひろの方が押していたのだ。つまり、爆発した位置は、菜々の方が近い。
 その菜々がより大きなダメージを受けているのは自然の摂理だ。

 ちひろは、フラフラとした足取りで菜々の元へと向かう。
 爆発に巻き込まれたのだ。いかにちひろと言えど、無傷ではない。それなりにダメージを受けている。

 ちひろは、菜々がすぐ下にくる位置まで歩いてきた。
 地面に横たわる菜々。その姿を見て、ちひろは小さな違和感を覚えた。

(……? 妙ですね、近くで爆発に巻き込まれたにしては、あんまりボロボロじゃないような……)

 ちひろが首を傾げたその瞬間、死体も同然と思い込んでいた菜々の体が動いた。

『チョーイイネ!』

 その事に反応するも、既に時遅し。
 ちひろの視界からは菜々は消えた。キョロキョロと探すと、菜々はちひろの後方20メートルあたりに立っている。
 ちひろのポーチを片手に携えて。

「あっ! ど、どうして」

「甘いですねちひろさん。どうして、ナナと同じ魔法を使えるのに、爆発を時を止めて回避しようって発想がなかったんです?」


 そう、爆発を直接喰らってはいない。
 爆発の直後、『ザ・ウサミンワールド』を発動さえ、時を止めて、少し離れた位置の地面に穴を開けて、そこに隠れたのだ。
 土を操るのは、魔法少女の標準装備の魔法だ。

 そして、ある程度収まったら、再び時間を止めて、地上に出て倒れたフリをしていればいい。そうすれば、ちひろがやってくると確信していたからだ。

 ちひろの弱点は、あまりに多くの力を使えるために、瞬間的にどの魔法を使うかを選択できないところだ。
 そのため、予想していなかった今回は、菜々の魔法に反応することが出来なかった。

「ふふ、ちひろさん。これはちょっと逆説的なんですけどね? ナナは、永遠の17歳で、17歳そのもので、17歳魔法少女の魔法を使えます。ちひろさんも、17歳魔法少女の力を使えます。要するに、『ナナは、ちひろさんの力も使える』と思うんですよ」

 菜々=永遠の17歳=17歳そのもの=17歳の魔法少女の力を使える=ちひろも使える……つまり、菜々=ちひろ。

「そ、そんな無茶苦茶な……」

「たとえ無茶苦茶でも、屁理屈でも、無理難題でも、時にはやらなきゃいけないこともあるんです。魔法少女なら、それが出来ます。それに、あなたの言う神はきっとお怒りですよ?」

 ちひろは、慌てて千佳がいたであろう場所を見た。そこには、千佳が1人で立っている。ありすの拘束から逃れていた。
 爆風に巻き込まれた際、ありすもどこかに飛ばされてしまったのだろう。そのありすは今もいない。

「菜々ちゃん、頑張って!!」

 千佳は、その場で大きな声で菜々に声援を送る。

「応援されたらそれに最大限応える、それが、アイドルなんです!! いきますよウサミングハート!!」

『オーケー、ナナちゃん! プリーズ、ユア、カード!!』

 菜々は、ウサミングハートにちひろから奪ったカード全てを入れていく。
 千佳も、自分の持っているカードを菜々に向かって投げた。すると、そのカードは吸い込まれるようにウサミングハートに挿入される。
 エラーで吐き出されることもなく、ウサミングハートは全てのカードを飲み込んだ。

『ファイナルアタックオールアイドルイベントシンデレラライブゥ……』

 全てのカードを取り込んだウサミングハートは形を変える。それは菜々の背中にまわり、まるで天使の羽のような形になった。
 ばさりと広がる翼。

 すると、菜々とちひろの間に、等身大に巨大化した半透明のアイドルカードが一直線に並んだ。
 そのカードには、ウサミングハートに入れたアイドルたちが載っている。

 菜々がふわりと浮かび上がると、カードも菜々を追うように浮かび上がる。最後尾のカードは、ちひろをロックオンしたままだ。
 空中で、菜々が蹴りの構えを取る。菜々の足先がカードに触れた瞬間、菜々は加速した。

 アイドルの載った半透明のカードを蹴りぬけながら進む菜々。それは、カードを通るたびに加速し、カードを通るたびに力を増すように脚に光が集まっていった。

 ちひろは、対抗するように全てのアイドルの力を手に集中させ、パンチのような姿勢を取る。だが、それは所詮3割程度の力。アイドルカードを用い、その100%を引き出している菜々の攻撃の足元にも及ばない。

「おのれ菜々さん! あなたはいったい何なんですか!!」

「たまたま魔法少女になった、ただの……ウサミン星人です!!!」

 菜々とちひろの攻撃が炸裂する。
 いや、正確には炸裂したのは菜々の攻撃だけだ。ちひろの攻撃は、リーチの差で菜々に届いていない。もっとも、仮にぶつけていても相殺すらできなかっただろうが。


 まるで隕石が衝突したような衝撃で、地面に大きな穴を開けた。弾けた砂が天まで舞い上がる。

 さっきよりも大きな地響きがする。
 舞い上がった砂が雨のように降り注ぎ始めた。

 その穴の中央で、菜々は片膝を着きながら、目の前で倒れているちひろに目を向けた。
 ウサミングハートは元の形に戻り、菜々の隣に落ちている。
 ちひろも、辛うじて意識があるが、体が動かないようで、精一杯の力で顔だけを正面に向けた。
 菜々とちひろの目が合う。

「あれ……?」

 ちひろは、そんな自分の状況に疑問が浮かんだ。

「私、カードになってない……?」

 あれだけの攻撃を受けたのに、とちひろは小さく呟いた。
 菜々の通常の最大攻撃でさえ、まともに喰らえばカード化は避けられないのに、今の全アイドルカードを用いた、最終最強攻撃を喰らって、カード化していない自分が不思議でならなかった。
 菜々を見ると、彼女も困ったように肩を上げた。

「魔法少女は、同じ魔法少女を倒すものではなく、懲らしめるもの……ってことなんじゃないですかね」

 菜々が、千佳がいた方向を見ていった。今は、大きな砂の壁のせいでその本人自体は見えないが。
 それは、魔法少女のカード化を知った千佳の新たな定義、新たな魔法少女のあり方なのかもしれない。
 それを聞いたちひろは、目を見開いてから、くすりと笑った。

「だったら、仕方がないですね……」

「えぇ、仕方がありません」

「でも、好都合です……これで、PROJECT G4を継続できます」

「……!? ちひろさん、まだそんな事!」

 菜々が前のめりになった瞬間、ちひろの姿が一瞬ブレたように見えた。
 というのも、ちひろの場所が僅かに移動しているのだ。菜々魔法を使ったのだろう。
 彼女の手は杖を握り、菜々の腹を突き刺していた。
 正確には、ドレスドライバーを。

 バチバチという火花を散らしながら、ドレスドライバーは地面へと落ちる。すると、変身をドレスドライバー頼りにしていた菜々は、必然的に変身が溶けた。
 菜々は衣装は、変身する前のメイド服に戻っている。

 ちひろは、力を使い果たしたのか、さっきより更にぐったりとする。

「ちひろさん……どうしてそこまで……」

 何が彼女をそうさせるのか、菜々が哀れみのような視線をちひろに送ると、ちひろは口角を釣り上げた。

「ふふっ、これでようやく……本当の事を言えますね」


「本当のこと……?」

「えぇ。菜々さんは気付いてなかったかもしれませんが、そのドレスドライバーは、効率よく魔力を運用するための装置なんかではありません」

「え゛っ?」

「そのドレスドライバーは、プロデューサーさんと繋がっています。更に、強制的に、使用する魔法の威力を上げて魔力の消費を激しくし、穢が溜まりやすくするためのものです。魔法少女が魔女に変わる際のエネルギーを回収して、宇宙の寿命を伸ばそうとしている彼らからすると、魔女化を早められて、かつ魔法少女の管理が出来る。まさに一石二鳥の代物です」

 プロデューサーと繋がっている、というのは気付かなかったが、穢が溜まりやすいというのには覚えがあった。確かに、菜々のシンデレラジェムは穢が溜まりやすく、かつ普通に出した魔法も大きなものだった。

「そのベルトがある限り、私はいかにも私利私欲のために動いているように振る舞う必要がありました。PROJECT G4の真の目的を知られないために。プロデューサーからすると、迷惑極まりない計画だったので。千佳ちゃんの力を手に入れるというのは、あくまで手段でしかありません。目的は、その先にあります」

「目的……?」


「はい。PROJECT G4の最終目的は、魔法少女の再人間化です」


 ちひろが語りだした真の目的を、菜々は静かに聞いた。

「一度魔法少女になってしまうと、もう二度と普通の人間には戻れません。闘い続けるか、魔女になるか。魔法少女に残されているのはその2つの道です。だから、私は、千佳ちゃんの力を使って、『魔法少女は人間に戻れるという概念』を作り出そうとしたのです」

「……それって、ちひろさんが千佳ちゃんの力を奪う必要あったんですか? 直接千佳ちゃんにお願いすればよかったのでは?」

「お願いって、菜々さん……相手は幼い子供ですよ? そんな子が、魔法少女の魔女化なんて知って絶望したらどうするんです。神の力を持った魔法少女の魔女なんて、とても手に終えませんよ。仮に、魔女化しないにしても、それを知ることで、魔法少女という存在にどんな影響が出るかも分かりませんし……」

「……だそうですけど、千佳ちゃん」

「え゛」

 ちひろは、恐る恐る顔を後ろに向けた。体が動かないので、顔の動く範囲に限界はあるが、それでも確認が出来た。ちひろの死角に千佳が立っていたことに。

「菜々さん馬鹿ですか!? 千佳ちゃんいるならいるって言ってくださいよ! いつからいるんですか!?」

「いやぁ、こんな話になるとは思ってなかったので……ちなみに、『ふふっ、これでようやく……本当の事を言えますね』のところからです」

「聞かれちゃマズいこと全部聞かれてるじゃないですか!!!?」

 あぁもうダメだ……とちひろはうなだれる。
 千佳に真実を聞かれてしまった。魔法少女が魔女になるという、もっとも伏せておかねばならないことを知られてしまった今、きっと取り返しの着かないことが起こる。
 ちひろは覚悟した。

「うーん、千佳ちゃん。話の内容分かりました?」

「えっと、魔法少女は、人間に戻らなきゃいけない……ってことだよね? ていうか、当たり前じゃないの? それ」

「え」


 ちひろが、素っ頓狂な声を上げた。
 は? え? と困惑した顔で千佳の顔を見ていた。

「ち、千佳ちゃん? 魔法少女は魔女になっちゃうんですよ?」

 ちひろは尋ねずにはいられない。

「魔法少女が悪い人に呪いをかけられて、魔女になっちゃってたんだよね? そしてその魔女はもういない。だったら、あたし達魔法少女は人間に戻るべきだよっ」

 おそらく、この瞬間、1つの新たな概念が生まれた。
 魔法少女は、人間に戻るべきだという。
 0時にシンデレラの魔法が解けるように、自身にかけた魔法少女になるという魔法も、いずれ解ける。
 千佳は、その事を理解していた。魔法を使うべき相手がいないのなら、人間に戻るべきなのだと。

 これまでその概念が存在しなかったのは、まだ倒すべき魔女が存在したからであろう。

「は、はは……」

 ちひろは、引きつったように笑う。
 それもそうだろう。散々暗躍して、散々策を練ってきたというのに、最後は普通に話をしたら解決してしまった。


「み……見誤ったぁああ!!」


 ちひろは辛うじて動く手で顔を覆った。
 子供には酷だと捉えていた真実は、子供視点だとそこまで深刻ではなかったのだ。幼さ故の、幼いゆるい解釈。
 そもそも、魂の在り処にこだわらないような小学生だ。魔法少女が魔女になるなんて、どうってことないのだろう。

「それで……たぶん新しい概念が生まれてると思うんですけど、どうやってカード化した魔法少女たちを人間に戻すつもりだったんですか?」

「ははは……あ、あぁ、そう……ですね……なんかもうアホらしいんで、パパっとやっちゃいましょうか。ありすちゃん!!」

 ちひろが呼びかけると、砂の中からシュバッ! と勢い良くありすが飛び出してきた。
 ずっとこの機会を待ったまま、砂の中に潜っていたのだろうかと疑問に思ったが、あえて口には出さなかった。

「そういえば、ありすちゃんがちひろさんに協力してたのって」

「叶えられた願いが不服だったからに決まってるじゃないですか」

「あぁ、ですよね……」

 ありすの動機に納得する菜々。確かに、彼女の話は聞いているだけで充分酷い。
 確実に協力してくれるという意味では、ちひろの人選は間違ってはいない。

「どうぞ」

 ありすは、なんとか体を起こして地面に座ったちひろに、ポケットからヌッと取り出した杖を渡した。全体的にピンク基調のその杖は、先端に鳥のくちばしのような赤いモノがついていて、さらにそこには天使のような白い羽が生えている。
 随分と可愛らしい杖だ。

「これは、『ヒトニモドール』です」

「ネーミングセンスからこの上ない不安を感じますね」


「晶葉ちゃんに作ってもらったものです。もっとも、『魔法少女が人間に戻るという概念』が存在しないと、ただカードを魔法少女に戻すだけの杖なんですけどね。概念があって初めて、カードからの変換時に魔法少女という成分を取り除くんだそうです。私は原理はよく分かっていないんですけど」

 一体どうやって作ったのか甚だ疑問だったが、そこは池袋晶葉大先生の力を信じるしかない。
 そこで菜々は気付いた。

(そっか……一気に全員を人間に戻すために、わざわざ皆をカードにしたんだ……)

 そこでようやくちひろの意図に気付いた。
 おそらく、いざ作戦を最終段階に移行しようとしたところで、千佳の側に常に菜々がいるようになったので、なんとか2人をバラバラにさせようとしていたのだろう。

(ま、結果上手く言ったので結果オーライですね)

 菜々はふぅっと息を吐いた。ちひろと全力でぶつかり合う結果になったが、最終的には千佳を無理矢理カードにする必要がなかったのでよかったと認識する。
 千佳が新しく付け加えた魔法少女の定義は、きっと人間体のままならすぐに戻れる。
 しかし、プロデューサーに気付かれないためには、一気に戻す必要があった。だからカードにして魔法少女を一纏めにした、というわけだ。

「菜々さん。私から奪ったカードを返してください」

「うっ、根に持ってます……?」

「いいえ、結果良ければなんとやらです。それに、これが1番良かった形かもしれませんし」

 ちひろは、よろよろと立ち上がる。そして、ありすに抱えられてクレーターの外へと出た。
 菜々も、現在魔法少女ではないため、情けなくも千佳に抱きかかえられて脱出した。

「それじゃぁ、始めます……」

 ちひろは、手に持つカード全てを空高く投げた。
 パラパラと、ちひろのまわりにカードが雪のように降り注ぐ。
 そして、握った杖をクルクルと回しながら天高く掲げ、勢い良く振り下ろした。さながら、そのまま地面をかち割るように。

「汝のあるべき姿に戻れ! アイドルカード!!」

 それって封印の時の言葉じゃなかったっけ? と菜々は思ったが、きっと細かいことは気にしたらいけないのだろう。
 言葉の意味的にはたぶん間違ってない。

 ちひろの振り下ろした杖のくちばしは、目の前の空間を叩くように止まる。すると、大きな魔法陣がちひろを中心に広がった。その光り輝く魔法陣は、すっぽりとちひろとちひろの周りに舞うカードを覆う。
 魔法陣が風を生み出し、カードを巻き上げた。

 巻き上げられたカードが光ったかと思うと、ちひろの前の広い空間にカードが均等にばら撒かれ、次々に元魔法少女のアイドルたちが現れた。
 菜々達の視界にどんどんアイドルが増えてくる。

「うぅ……ここは?」

 人間に戻ったアイドルは、困惑する者、呆ける者、今だに寝ている者と各々の反応を見せている。
 カードから戻ったばかりなのだ、状況が分からなくて当然だ。

「にゃんだろ……この、凄い嫌な夢を見たような、こみ上げてくる不快感は……魚でも食べたみたいだにゃ……うにゃぁあ」

「なんだか、かんわいぃー子、いーっぱいっ! 探す夢を見た気がするにぃ」

「あれ……? 杏いつのまに寝たんだったっけ……?」

「あわわ、どういうことでしょう、これ。(ククク、ついにこのユグドラシルの真実に迫る時が来たようね)……はぅ! せ、世界の反転は惨劇を引き起こす……(心の中と言葉が逆になってしまいましたっ)」

「……? ……? よくわからないけど、がんばりますっ」

 皆、自分が置かれている状況がわからないとキョロキョロとあたりを見渡していた。
 魔女になった魔法少女は、魔女の時の事をそれとなく覚えている程度のようだ。夢を見たに等しいのだろう。きっと、いずれ忘れる。
 魔法少女からカードになった者は、カードになる直後の記憶が定かではないらしい。


「これで、一段落ですね」

「えぇ」

 人間に戻ったアイドルたちを見て一段落する菜々達。
 これで、もうこの世に魔法少女は菜々とちひろ、千佳にありすの4人だけになった。

「次は、私達が人間に戻りましょうか」

「そうですね」

 安堵の息を漏らすちひろは、優しく微笑んで菜々の言葉に答えた。今まで心を鬼にして、アイドルたちをカードに変えてきた、その苦行が無事報われたのだ。
 『ヒトニモドール』を振りかざし、自分たちが人間に戻ろうとした、その時だった。
 ざわざわとアイドルたちの声で賑わしいこの空間に、一際異彩を放つ声が轟く。


「お疲れ様です、ちひろさん」


 突然聞こえた低い声に、ざわざわとしていたアイドルたちは静まり返えった。
 低いこの声は、とても女性のものではない。
 それに、よく聞き慣れた声だった。

 菜々とちひろは後ろを振り向く。背中から聞こえた声は、菜々によって出来たクレーターより聞こえてきた。
 ちひろの背中に、嫌な汗が吹き出た。菜々もその声に息を呑む。

「ぷ、プロデュー……サー……さん」

 ちひろが、恐る恐る呟いた。そこには、破壊したはずのドレスドライバーが見えない何かに引っ張られるように上昇し、空中で固定されたようにその場で浮いていた。やがてドレスドライバーから黒い大きな影が作り出される。
 真っ黒だが、このシルエット、声、雰囲気、どれをとってもプロデューサーそのものだ。
 目の部分だけが白く揺らめいている。その光景が不気味をそのまま体現したようなおぞましさを孕んでいた。

「素晴らしいです。ちひろさんのおかげで、人間から魔法少女、魔法少女から魔女、そして、魔女から人間という、完璧なサイクルが完成し、1人の人間から無限にエネルギーを取り出すことが可能になりました。まさに永久機関。エントロピーを完全に凌駕しています。沢山の魔法少女でこれを繰り返せば、あっという間に今まで損失していたエネルギーを取り返せるでしょう。本当に、人間の感情は理解出来ないですが、時に凄まじいことを可能にします」

 理解は出来ないが、利用は出来る。あやしく揺らめく影は、にやりと笑った気がした。

「まさか……プロデューサーさんは、全部知ってて……」

 ちひろが力なく崩れ落ちる。完全にプロデューサーを出し抜いた、プロデューサーの企みを阻止してやったという気分でいたのに、全ては彼の手のひらで転がされていたのだ。
 じわりと、ちひろのシンデレラジェムがどす黒く変色していく。
 魔法少女となったアイドルを救うどころか、逆により泥沼にはまる手助けをしたのだ。後悔で感情が歪む。

「立ち上がってください、ちひろさん!」


 今にも魔女化しそうなちひろの前に、菜々が立ち塞がった。
 ちひろは力なくその小さな背中を見た。
 菜々は、プロデューサーの前に、堂々と胸を張って立っている。

「まだ諦めてはダメです! ハッピーエンドは、まだこれからですよ!」

「菜々さん……」

「アタシたちも!」

「いますよ。このままでは割に合いません」

 千佳とありすも、菜々の横に並ぶ。

 ちひろが絶望し、もう何もかもがダメかと思った。
 しかし、菜々の目はまだ死んでいない。千佳やありすも諦めていない。
 まだ、諦めるには早いと、菜々は強い意志を表した。今は魔法少女に変身はしていないが、その真っ直ぐにハッピーエンドを信じる姿は、まさに魔法少女然としている。

「行きますよ……ここからが、アイドルの意地の見せ所です!」

 ちひろとの闘いで、ほとんど力を使い果たしていたが、今はそんなことを気にしている時ではなかった。
 それはちひろも同様だ。もはや、ほとんど力を残していない。だが、それでも、諦めた時点で終わりなのだ。
 諦めなければ、まだ可能性は0ではない。

「そんなボロボロで闘うつもりなのですか? やはり、人類とは理解に苦しみます」

「どんなことにも諦めず立ち向かう……それが、アイドルというものなんです!!」

 菜々は、指輪の形ではない、通常の形のシンデレラジェムを取り出した。
 ドレスドライバーに頼らない、菜々の本当の変身。

「ミラクルマジカル、ウサミンハートにキュンキュン煌めくウサミンパワーでメルヘンチェーンジッ!!」

 強大な敵を前に、菜々は初めて、本当の魔法少女となった。



――*――*――*――



「…………んっ」

 暗闇の中、菜々は目を覚ました。
 寝起きでぼーっとする頭を賢明に働かせる。

(ナナ……なにしてたんでしたっけ)

 瞳を開けても閉じても真っ暗。菜々はまぶたをパチパチと動かした。
 次第に鮮明になっていく思考。次第に、思い出してきた。

「そうだ……確か、ナナは魔法少女になって……」

「お目覚めですか、菜々さん」

 ふと、暗闇の中からプロデューサーの声が聞こえる。
 その時、魔法少女の菜々に立ちふさがったプロデューサーの姿が頭をよぎった。
 だが、それと同時に、それが夢であったと理解する。

「あ、すいません……プロデューサーさん。ナナ寝ちゃってたみたいで…………………………ん?」

 ふと、ナナは違和感を感じた。
 手足がまるで動かない。寝っ転がった状態で、体の自由が効かなかった。
 金縛りにあったように、その場で力をいれてもがくもいうことをきかない菜々の体。

 突如、菜々の顔に光が照らされる。
 あまりの眩しさに、菜々は目を細め、顔を背けた。

『おめでとう、安部菜々くん。君は選ばれた』

 この空間一帯に響くような声。威厳を感じるその声が、誰のものかは菜々にはわからない。
 聞いたことのない声だった。
 ふと、目がある程度光に慣れてきたので、菜々は動かない体の方を見た。


 ――菜々は、手足を拘束され、台に固定されていた。


「えぇぇえええええええええ!!!!!!!????」

 状況がまるで分からない。菜々は、キョロキョロと辺りを見渡した。
 台の周りには、顔色のおかしい研究員のような人たちが忙しそうに動いている。
 怪しげな機械が、しきりに音を立てて動いてた。

「ぷぷぷぷぷぷプロデューサー!!! これは一体何なんですか!!?」

「菜々さんは選ばれたのです」

「選ばれた!? 何にっ!?」

「我ら、シンデレラショッカーの改造人間にです」

「あ……あぁ……」

 菜々は全てを悟った。全てを理解した。
 そして、お腹いっぱいに空気を吸い込み、叫んだ。

「ま た こ の パ タ ー ン か よ ! ! ! ! !」

 菜々の叫び声は、この施設一杯に響き渡った。
 安部菜々の闘いは、まだまだ続く。


――END――


終わりです。お付き合い頂きありがとうございます。


【次回、嘘予告!】
菜々「全てのアイドルは菜々が潰します」
南条「歴史が繰り返されるたび、プロデューサーが凶悪になっていくんだ!」
麗奈「行くわよ。私たち以外のアイドルはみんな敵だと思いなさい」
晶葉「これが本当の世界だったのか!?」
茜「例え、1人になっても歌い続ける……それが、アイドルです!!!」
杏「まさか、自分が働くことに、こんなにナーバスになってるなんてね」
プロデューサー「その答えは、ライブで勝ったら教えて差し上げます」
卯月「私たちは、みんなに笑顔を届ける、アイドルだったはずです!」
菜々「イベントライブで勝負です!」
 安部菜々、仮面ライダーになる。〜スーパーアイドル大戦EL 仮面ライダーウサミン〜
 乞うご期待!

大作乙でした
シリアルなのにネタ多かったな!?

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