揺杏「世界樹の迷宮?」 (147)
おろしたてのローブの匂いは格別だ。
まだ誰の身体も包んだことが無い魔導衣が肌に触れ、柔らかな布地が心地よい感覚を与えてくれる。
さらに深緑色の三角帽を頭に乗せる。つんとてっぺんが尖っているのは、これまた新品の証だ。使い込んだ古い品だとこうはいかない。
そのまま身体を姿見に向ける。頭の先から足元までじっくりとチェックし、くるりと一回転。
……よし。これでどこからどう見ても立派な錬金術師(アルケミスト)だ。
爽の奴には散々からかわれたけれど、私だってこれでも女なんだ。
迷宮に挑むならちゃんとした(欲を言うならかわいさも重視した)服装で挑みたい。今日が迷宮デビューとなれば尚更だ。
私こと岩館揺杏や友人の獅子原爽が住むこの国、ホッカイドーは地理的に有名すぎる特徴を備えている。それが国の中心部に天高くそびえ立つ巨木、通称『世界樹の迷宮』だ。
いつからあったのか、どうしてこんな大きな樹が生まれたのか、最果てには何があるのか。そんな情報は誰も知らない、謎に包まれた迷宮。
複雑に入り組み、独特の環境や生態系を有するこの巨木はまさに迷宮と呼ぶに相応しいダンジョンとなっている。
危険に満ち溢れていたりもするのだけれど、その一方で迷宮内では貴重な素材や嗜好品などが手に入るという利点もあったりする。
故に、ホッカイドーはこの世界樹の迷宮を礎に据えた政策を進めたんだとか。
冒険者に対する減税や免税をはじめとした法整備は、瞬く間にホッカイドーの街並みを冒険者街のそれへと変えたらしい。
……まぁ、私の生まれるずっと前にそんなことがあったらしくって。
今ではホッカイドーは世界有数の冒険者街。でもって、私も今日、晴れてそんな冒険者の仲間入りってわけだ。
――冒険者になろうと思った理由? あー。うん。そうだな……。
爽との待ち合わせにはまだ時間があるし、少し思い返してみるのもいいかもしれないな。
……ちょうど十年前。切っ掛けとしてはあの辺から話すのが良さそうだ。
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北国ホッカイドーをぐるりと囲むような城壁。
普段は誰もいない寂しい場所だが、今はここに三人の少女がいた。
一人は私。この頃はまだ身長も低くて、とっても純粋で可愛かった岩館揺杏(今とはえらい違いだな、って? うるせーバカ)。
一人は私の幼馴染。ひとつ年上の綺麗な金髪が光る先輩、桧森誓子。
そして、もう一人が、
「ゆーあんー! ちーかー! ここまで上ってきてみろよー!」
と、私たちが見上げる先、城壁の上で腰に手を当てて笑う獅子原爽。
背中に太陽を背負って私たちを見下ろす様はちょっとカッコよく感じる。でもお前、それ以上に「眩しいんだよクソボケ」って気持ちのが強いからな。あんまり調子に乗るなよ。
私が内心で毒吐く傍ら、チカセン(桧森先輩のことだ。親しみを込めて私はこう呼ぶことにしている)は「危ないから降りてこようよー」と呼びかける。
……もちろん、そんな説得に応じるような爽ではない。
むしろますます増長して、
「へいへい、チカびびってんのかー? これくらいぜーんぜん余裕だよ」
なんて言い出す始末だ。あぁ、ほら。逆立ちとか始めたよ。
貴重な有珠山SS期待wktk
また始まったと呆れ顔の私だが、チカセンは青い顔で「いいから降りてきなさい!」と声を荒げる。本当に心配性なんだから、この人は。
――なんて思っていたけれど。
ごう、と一陣の風が吹いて、私の余裕面も固まった。
この時期、春のホッカイドーは周囲を囲む海から強い海陸風が吹く。突風が私とチカセンの横を通り過ぎ、城壁へ向かい、
「へ?」
間抜けた声と共に、ゆらりと爽の身体が傾く。足が、城壁から、離れる。
「爽ーっ!!」
思わず叫ぶ。だけれど、そんな声だけで爽を救うことができるわけもなく。
爽が城壁の向こう側へと落ちていく姿が、まるでコマ送りのように感じられた。
……沈黙。風の吹く音だけが私たちを包んだ。何も言えなかった。
なんだそれ。おい。爽、まさかお前。
自然と、ある一文字が脳裏をよぎる。
「……し」
チカセンが、軽く開いた口から漏らすように、か細い声で言う。
「しんじゃったの…? 爽……」
「……」
何も答えることが出来ない。それを肯定したら、本当に爽が死んでしまうような気がして。
黙り込む私を見て、チカセンも目を伏せてしまった。
再び重苦しい沈黙に包まれる。
爽。お前、本当に死んじまったのかよ。なぁ、おい。さわ――
「ゆあんー! ちーかー!」
――うん。爽の声だ。
がばと顔を上げた私たちの目に、あの赤髪がこちらに手を振って走ってくる姿が映る。
そのまま私たちの方へ飛び込んできて、
「めっちゃびびったー!」
なんて、悪びれもせずに言った。
「お前なぁ。……おーまーえーなー!」
心配かけやがって。お前ほんとなんなんだチクショウ。
そんな怒りと、ほんのちょっとの安堵を込めて爽のこめかみにゲンコツを当ててぐりぐりと攻撃を始める私。
「いだいいだいいだいいだい! ゆ、ゆあんっ! ストップ! マジでそれ痛いっ!」
「うるせーバカ! もうしばらくこのままお仕置きだからな!」
「ギニヤー!」
なんて騒ぐ私たちを見守りながら、そっと目に浮かんだ涙を拭くチカセン。
そりゃそうだ。私だって実際のところ、ホッとした気持ちでいっぱいだもん。
そして、そんな私たち三人に歩み寄ってきて、
「えっと。ちょっといいかな?」
なんて話しかけてきた五人組。
たぶん。彼女たちと出会ったのが、私たちが冒険者になるきっかけのひとつになったんだと思う。
所変わってホッカイドーの酒場、『桧森亭』。
先ほどの女性たちは冒険者だったらしく、「情報が集まる場所は無いか」と聞いてこられたから、こうしてチカの親父さんが営む酒場に連れてきた。
それから更に話を聞いてみると、なんと爽が落ちてきたのを助けてくれたのが彼女たちだったんだとか。
爽、お前そういうことは一番最初に言うべきじゃない?
「えー? だって雰囲気で分かると思ったし」
お前なぁ。
「お待たせしました。鴨肉のローストです」
そこに給仕服を着たチカセンが盆に料理を乗せてやってくる。こうやって時々店の手伝いをしているらしい。
女性は「お、きたきたっ」と嬉しそうにテーブルに皿を置くスペースを作った。
チカセンは慣れた手つきでそこに皿を音も立てずに置いた。
「ごゆっくりどうぞ! あ、それと爽」
ぺこりと頭を下げたチカセンだったが、次の瞬間には爽にびしりと指を突きつけていた。
「爽、いい加減ツケを払ってよね。今まで何度ただで飲み食いしてるの」
実際チカセンの言う通りで、爽はことあるごとに桧森亭に無一文でやって来て、食事をしたりしているのだった。
けれども爽は悪びれもせずに、
「いーじゃんいーじゃん。親父さんが『金なんかいいよ』って言うんだからさ」
なんてへらりと笑う。
「お父さんもお父さんなんだから……もうっ」
そう悪態をつき、チカセンは厨房へと踵を返す。
そんな背中に、爽が声を投げかけた。
「チカー。フライドポテトとオレンジジュースなー」
おい、爽。
「あ、なに。揺杏も? ごめーん、チカ! オレンジジュース2つな!」
そーいうことじゃなくってさぁ。ほんっとお前さぁ……。
「本当にびっくりしたよ。いきなり空から子供が降ってくるんだもん」
皿の上の鴨肉を器用にナイフとフォークで切り分けながら、女性が口を開く。
間抜けな話だけれど、ここでやっとちゃんとお礼を言っていなかったことに気づいた。
慌てて頭を下げる。
「本当にあざっし……ありがとうございました。ほら、爽もお礼っ」
「助かったっ! ありがとうな、おねーさん!!」
「軽いなオイッ!」
爽に思わず突っ込みを入れる私。
それがおかしかったのか、目の前の女性は頬杖をつきながらくすくすと笑った。
「ま、実際危なかったと思うよ? こっちにシズがいなきゃたぶん間に合わなかったしね。ね、シズ?」
と、女性は脇のバーカウンターに座る仲間に話しかけた。
くるり、と椅子を回転させてこちらに身体を向けたのは槍を手にしたジャージの女性だ。
「ふぇ? ふぁふぃ?」
「……シズ」
「んんー? ふぉふぃはの、アコ?」
「あー……うぅん、なんでもない」
その口はチカの親父さん自慢の料理でいっぱいになっていた。
頬まで膨らませて羊の香草焼きを美味しそうに咀嚼するシズに、女性(たぶんアコと呼ばれた)は呆れて肩を竦めた。
「あのねーちゃん、すげーんだ! なんか口笛をぴーって吹いたら鳥がばさばさって飛んできてさ! それで落ちてくる私を受け止めたんだよ!」
と、興奮しながら語る爽。
「ビーストキングって職を見るのは初めてだった? シズ……あ、本名は穏乃ね。あの子は動物たちと心を通わせて従えることが出来るの」
「へぇーっ! 揺杏っ、冒険者ってやっぱりすごいな!」
爽の興奮は最高潮だ。
こいつ、やたら冒険者に憧れてるからな。生で冒険者と話せてすっげー嬉しいんだと思う。
……私? ないない。少なくとも、この時はまだ「冒険者になりたい」なんて思ってはいなかったと思う。
この頃は冒険者になりたいなんて思ってたのは爽だけだったはずだ。
爽の反応に気を良くしたのか、アコはよしよしと頷いて、
「せっかくだし、自己紹介がてら他のメンバーも紹介したげよっか」
なんて提案をする。
おいおい、そんなこと言ったら……
「マジで!?」
ほら、爽が目を輝かせて喰いついたぞ。
「将来の夢は冒険者になって世界樹の迷宮を踏破することだ!」なんて言い出す爽だもん。そりゃ喰いつくに決まってる。
期待の視線を受けながら、アコは向こうのテーブルで話し合う三人組を手で招いた。
初めに分厚い鎧を身に着けた女性を指し、
「この人が宥。パラディンでパーティの守りの要ね」
「よろしくね~」
がしゃがしゃと鎧を鳴らしながら、ぺこりと宥がお辞儀をする。
……うん。すごく、なんというか。暑苦しい。
「その鎧、暑くないんすか?」
と私が訊くと、宥はきょとんと、いかにも「何を言ってるんだろうこの子は」とでも言わんがばかりの不思議そうな顔で
「ちょうどいいくらいだよ…? あったか~い……」
と答え、満足げにほうっと息を吐いた。
オーケー、つまり変態さんってわけだな!
「で、こっちが宥姉の妹の玄」
「松実玄、職業はドラゴンロードですのだ!」
と、スリットが深く入った軽衣を身にまとった女性が胸を張る。
しかし、ドラゴンロード? 初めて聞く職だ。
「一体どんな職なんすか?」
「ふっふっふ。聞いて驚け、なんとっ。ドラゴンを呼び出して自在に操ることが出来るのです!」
「ドラゴンを!? すっげー!!」
爽が拳を握り締めて声を上げる。
けれども今度ばかりは私も爽と同意見だった。
ドラゴンを操る? モンスターとして最強レベルのあのドラゴンを? あまりにも強すぎないか、それは。
「見せてっ! 見せてよドラゴンっ!」
と、爽がお願いを始める。
玄は少し困った顔をしたが、やがてにっこり笑い、
「分かりました! お見せいたしましょう、松実家の秘儀を!」
どんと胸を叩いて、何やら呪文の詠唱を始めた。
……おいおい。まさかここで呼び出す気か、この人は。
「ちょ……こんなとこでドラゴンとかヤバくねーすか!?」
「あはは。ま、大丈夫よ」
なんて軽く言うアコ。いや、大丈夫なわけないだろ。ドラゴンだぞドラゴン。
「少なくとも人に危害を加えたり物を壊したりすることはないわ。間違いなく、ね」
とアコが言う間にも玄は詠唱を続ける。やがて延々と続いた呪文は、
「我が喚問に応えんっ!」
という一節で締められた。
途端に玄の目の前の空間がぐにゃりと歪み始める。
爽の期待の視線が向けられる中、歪んだ空間が裂けていき――
ぽとり。
黒い色の小さな何かが、空間の裂け目からテーブルに落っこちた。
「……え?」
「ご紹介しましょう! 私の従えるドラゴンのドラちゃんです!」
そう言って、玄は落っこちた黒い何かを指でつまみ、私たちの目の前にぶらりと吊るすようにして見せた。
……ドラゴン、っていうか、これは……
「……ただのトカゲじゃん」
さっきまでのテンションはどこへやら、爽はげんなりした表情を見せる。
ま る か じ り
「ただのトカゲじゃありません! これでもれっきとしたドラゴンです!」
「でも飛ばないし火も吐かないんでしょ? トカゲみたいなもんじゃん」
「う……」
痛いところを突かれた、と玄の顔がゆがむ。
っていうか爽、お前散々頼んでおいてその手のひら返しはちょっと引くわ。えげつねえな、お前。
「だってあれだけ期待させておいてさー……」
まぁ気持ちは分かるけど。
「ま、玄のレベルがまだ低いからね。レベルが上がればだんだんこの子もドラゴンっぽくなってくの」
「精進しますのだ……」
可哀想な玄はすっかり意気消沈し、手のひらに乗せたドラちゃんを指で撫でてやりながら向こうのテーブルへと戻って行った。
「そして、この子が灼。一応アルケミストなんだけれど……」
「アルケミスト? 揺杏と同じじゃんか!」
と、爽がびしばしと背中を叩いてくる。いたい、いたいから。
「へぇ、揺杏ちゃんもアルケミストなんだ」と呟いてから、アコは言葉を続けた。
「一応アルケミストなんだけれど、どっちかというと副職のボーリンガー……地質調査者として働いてもらってることが多いわね」
「副職?」
「ボーリンガー?」
私と爽が二人で尋ねる。
その質問に、灼が先ほどまで飲んでいたグラスを置いて答えた。
「副職っていうのはそのままの意味……二つの職を兼業してる。ここにはない風習みたいだけど、私たちの故郷のナラでは普通のことだった」
「へぇー。なんかお得」
「それと、ボーリンガーっていうのは……迷宮の地質を調べる職って感じかな…。戦闘はしないけど……」
あまり人と話し慣れていないのか、ぽつぽつと言葉を途切れさせながらも説明する灼。
なーるほど、要は調査専門の職ってわけだ。
「私たちがホッカイドーに来たのも、灼の調査技術を見込まれて執政院から依頼を頼まれたからなんだよね」
「執政院から?」
「そ。まだここの迷宮はあんまり調査が進んでないらしいじゃない? だから是非とも、って」
彼女らにとって外国であるナガノから依頼が来るとは。アコたちは冒険者として相当のレベルなんだろう。
これだけ親しみやすくっても、熟練の冒険者なんだ。自分の中の認識を変えなければならない。
そして、アコは最後に自分を指さした。
「で、このギルド『アチガGirls』を率いるのがこの私、メディックの新子憧よ」
メディック。傷や病を治癒することに特化した職だ。
なるほど、言われて見れば確かに、彼女が持つカバンの隙間から何かの薬剤や注射器などがちらりと見えていた。迷宮では何より生き残ることが大切。どんな状況にも対応出来るよう、様々な種類の医薬品を持ち歩く必要があるんだろう。
憧は先ほどのパラディン、宥がパーティの要だと言っていたけれど、実際は憧の方がよっぽど大切な役割を担ってるんじゃないかな。たぶん。
「ま、これも何かの縁。依頼を終えればナラに帰っちゃうけれど、それまでの間はよろしく頼むわね」
そう言って右手を差し出してくる憧。
私はその手を取って、「よろしくっす」とだけ答えて握手を交わした。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
世界樹の迷宮は危険に満ち溢れている。
大人たちは口を揃えてそう言うし、実際のところその通りなのだろうと分かってもいる。しかしながら、
「ゆーあーんー! こっちこっちー!」
青々とした草木。どこからか聞こえてくる鳥の鳴き声。頭上から差し込む暖かな木漏れ日。
こんなに気持ちの良い環境が本当に危険なのだろうかと、ここに来る度に思ってしまう。
「ゆーあーんー! 無視すんなーっ!」
「無視なんてしてねーよ!」
背の高い木の上から呼びかける爽に返事をする。
爽はえいっ、と枝から飛び降り、根本の柔らかな土の上に着地した。
「どうだ。新記録だぞ、新記録」
「だいぶ高いとこまで登れたなー。すげーじゃん」
「だろー? もっと褒めてもいいんだぞ!」
「はいはい、すごいすごい」
へへ、と爽は嬉しそうに笑った。
「ほら、木の上で見つけてきたんだ」
そう言って爽が差し出してきたのは真っ赤な果実。
目を刺すような鮮やかな色とつやつやした表面は、中にぎっしりと果汁が詰まっているであろうことを示していた。
周りを見てみれば、他の木にも同じような果実が実っているのが見える。
「揺杏にやるよ、これ」
「……お前なー」
見え見えだ。こいつの考えていることは。
「私を毒見役にするつもりだろ、コラ」
「……ばれたかっ」
「ばれたか、じゃねーよ! 毒だったりしたらどうすんだ!」
「分かった分かった! んじゃ二人で同時に食べよう! それなら文句無いだろ、な?」
「大アリだよバカ!」
最悪二人とも死んじゃうからな? 迷宮で適当な果物食って死亡とかおばかすぎる死因だからな?
爽お前もうちょっと慎重さを
「いっせーのーでっ!」
お前さぁぁぁぁっ!!
私が制止する間も無く、爽は赤い実に白い歯を突き立てた。
そのまま小気味良い音を鳴らし、果肉を咀嚼する。
「……うまいっ!」
口の端から果汁をこぼしながら、大きな声でそう言った。
……はぁ。とにかく、毒じゃなくて良かったよ。
――こうやって、私たちはときどき、世界樹の迷宮にこっそりと忍び込んで遊び場にしていた。
本来なら迷宮には執政院に認可されたギルドしか入れず、入口は衛兵によって警備されている。
だけれど私たちに言わせれば彼らの警備はザルもいいところで、ちょっと工夫をすれば簡単に忍び込むことが出来るのだ。
「冒険者志望なら当然だろ! これはヨシューだよ、ヨシュー!」と爽は無邪気に笑って言う。
はじめの頃はびくびくしながら度胸試しのように探索をしていたが、やがて『一階はそこまで危険じゃない』ということに気づき、こうやって遊び場として使っている。
モンスターが現れることもあったが、大抵は単独で行動していて子供の手でも十分に倒せるレベル。
更に言えば、モンスターたちが落とす素材や迷宮でときどき採集できるものは商店で売ることで良い小遣い稼ぎにもなるのだ。
そんなわけで、今の私たちのもっぱらのブームはこうして迷宮で遊ぶことだった。
「チカは?」
「いつもんとこ」
「あー。チカも好きだよなー」
木々が開けて出来た広場のような花畑。チカセンのお気に入りの場所だ。
迷宮に忍び込む度に、ここで小さな花を摘んで花かんむりを作っている。
なんでも、近所に住む幼馴染が花が好きらしく、作った花かんむりをプレゼントしているのだとか。
「へいへいプレゼントとかー。チカ、お前その幼馴染のこと好きなのかー?」
なんて冗談めかして爽がチカセンをからかったことがあったけれど、その時の反応が
「は!? へ、あ、や、いややややいやっ!! そんなのあるわけないじゃないっ!!」
だったあたり、かなり怪しい。今度それとなく聞いてみようか。
そんなことを考えているうちに、件の花畑に到着した。
木々の間の抜け道から抜け出し、肩に付いた葉を払う。
「チカー、戻ったぞー」
爽の声に、チカセンがこちらへと振り向く――そして、周囲を囲んでいた大人たちも。
距離が離れていて顔がよく見えないが、その人数は五人。
「……揺杏。どう見る」
「どう見るって……色々パターンがあるよな」
「例えば?」
「一つ目。あいつらは衛兵で私たちを連れ戻しに来た」
ありそう。いかにもありそうだ。だが、
「衛兵の装備じゃないよな、あれは。執政院の鎧じゃねーし」
その通り。オーダーメイドの鎧や革鎧、ローブなど、あの集団が身に着けているのは様々だ。
つまり、冒険者。
「二つ目。偶然チカと出会った冒険者で、さっきまでチカと雑談に花を咲かせてた」
うん、これはいい。平和だ。これだったらいいなとしみじみ思う。
「三つ目は?」
目を冒険者集団に向けたまま、爽が訊いてくる。
三つ目は、あれだ。つまり……。
「三つ目。チカを襲おうとしている冒険者って可能性」
>>18の最終行、
×:「三つ目。チカを襲おうと……」
○:「三つ目。チカセンを襲おうと……」で脳内変換お願いします
期待
一番考えたくない可能性。
だけれど、ホッカイドーに住む人間ならみんな知っていることだ。迷宮の中は無法地帯で、時には冒険者に殺される冒険者も存在することを。
ニュースで流れてくるような事件は大抵第二層や第三層といった奥地で、こんな浅い層なら大丈夫だと思っていたけれど……甘かったか。
「爽。どうする」
爽に顔を寄せて相談する。
普段はふざけている爽だが、いざって時は頼れるヤツだってことを私はよく知っている。
爽は目を細め、私に囁くように言った。
「合図をしたら、二人でチカに向かって全力でダッシュ。周りの冒険者は無視。爽の手を掴んで……これで脱出とかどうだ?」
爽がポケットから取り出したのは半透明の糸巻き。
『アリアドネの糸』と呼ばれるそれは、使用することでダンジョンから脱出し地上の街へと転移する働きを持つ。冒険者必須のアイテムだ。
どうして爽がそんなものを持っているのかと言えば、
「拾った!」
ただ単に、この迷宮内で拾っただけらしい。
おおかた荷物がいっぱいになった冒険者が捨てていったのだろう。
あぁぁぁ、またミスが……>>21の8行目のセリフ、
×:「……爽の手を掴んで……」
○:「……チカの手を掴んで……」でお願いします……!
「よし、それで行くぞ爽」
「オッケー。……いち、にぃ、のっ」
「さ」が聞こえたところで足を踏み出す。
一歩、二歩、三歩。歩みを重ねるごとに加速する。
そのまま傍目もふらずに、チカセンへと向かって一直線。
冒険者たちが何かを言っているようだが、それも無視。
とにかく、チカセンを助けるんだ。
手を伸ばす。チカセンへ。あと五メートル、四メートル、三メートル――
――掴んだっ!
「爽! 逃げっぞ!」
振り向いて爽に呼びかける。
爽はすかさずアリアドネの糸を掲げ、街へ転移し
「え? なに?」
……しなかった。
見れば、さっきまでのマジメな顔はどこへやら。
爽は緩んだ顔で冒険者の一人と会話していた。
「……は?」
思わず、そんな気の抜けた声が漏れる。
手を握ったチカセンも「揺杏、何やってるの……」とドン引きだ。
なんだよ。アンタのためだったってのにさぁ。
「揺杏、よく見ろよ。気づかなかったのかよ」
バカにしたように爽が言う。
うるせー、こっちだって必死だったんだよ。
それになんだよ、よく見ろって。この冒険者たちが一体なんだって……
「や。久しぶり」
「……」
私の目の前に立ち、顔を覗き込んでくるのは見知った顔だった。
先日初めて会い、一緒にチカセンの家で食事をした人物。
「憧さん……でしたよね」
「うん。まさかこんなとこで会うなんてねー」
ナラから来た冒険者ギルド。憧をはじめとする『アチガGirls』の面々だった。
「へー。それでこうやって迷宮で遊んでたと」
「そうなんだよねー。……あ、このこと他の大人には黙っててよ! 頼むっ!」
爽がぱん、と両手を合わせて憧に頼んだ。
「迷宮に忍び込んでいた」なんて大人たちにバレたらどうなることか。想像したくもない。
そんなわけで、私も爽に倣って頭を下げる。
「お願いしますっ!」
隣で青い顔をしていたチカセンも続いた。親父さんに怒られるのが相当怖いのだろう。
一度私と爽も叱られた経験があるが、その時の親父さんときたら「怒髪天を衝く」なんて言葉を地でいく勢いで、もう二度とこの人を怒らせないと心に誓ったものだ。
並んで頭を下げる私たちを眺め、憧がいたずらっぽく言う。
「えー? どうしようかなー?」
「お願いします! 何でもしますから! ね、爽! 揺杏!」
チカセンは必死に憧に頼み込む。何でもするって言葉に「何が何でも父親にばれたくない」って気持ちが表れている。
つーかチカセン、ナチュラルに私と爽まで「何でもする」に巻き込んでるけども、私はそこまで言うかって感じだからな? 勝手にそんなこと言うなよ。そんなセリフ言ったら、
「え? 何でもするって?」
ほら見ろ! 憧が悪い顔し始めたぞ!
「えー。じゃあ……これから毎晩、拠点にしてる宿の私の部屋に来てもらうー、なんてのもいいの?」
うわ。やばいって、これは。
冒険者には同性愛者がそれなりにいるとは聞いてたけども、まさか憧もそうだったなんて。
爽の目にも「うわぁこの人」なんて色が浮かぶ。そしてチカセンは、
「? 部屋にお邪魔するだけでいいんですか?」
あっ、この人なんにも知らねえ!
きょとんとした顔を見せるチカセンに、憧はくすくすと笑いながら顔を寄せた。
顎に指先を当て、視線を自分へと上げさせる。
「何にも知らないんだ? ふーん……だったら私がやさしく教えてあげよっか。ね…?」
「…? あ、あの……顔がちょっと、近いんですけど……」
「いいんだよ? これくらいじゃないと教えてあげられないから……お・と・な・の・こ・と」
憧の声に色っぽさが混じると共に、段々と二人の顔が近づく。
おいおい、やばいってやばいって。子供だぞ? 子供相手にそんなんするか? あっ、だめだって、あっ、だめっ、あーっ!
「はい、そこまで」
ぱんぱん、と手を叩いて制止したのは灼だ。
二人をぐい、と手で押しやり、腕を組んで憧に向き直って口を開く。
「憧。子供をあんまりからかっちゃダメ……」
「あはは。反応がおもしろくってつい」
「ついじゃなくって……ほら、シズが」
「シズ?」
灼が指を差す先には、その目を潤ませながら震える穏乃の姿。
「憧……あんなちびっこの方が好きなんだ……」
「いや、ちがっ! あれは冗談で!」
「私が一番好きって言ってたのに……嘘だったんだな」
「嘘じゃないって! ていうかあんなちんちくりんに欲情とかしないし!」
おい、さりげなくちんちくりんって言われたぞ。
「嘘だよ! だったら私のことが好きって証拠を見せてよ!」
「しょ、証拠?」
「うん! …ほら、目つむるから……」
「…あー……」
どうしよう、とでも言わんばかりの目をこちらに向ける憧。
知らねーよ。勝手にしろよ。傍から見ればただのノロケだよチクショウ。
そんな私の念が伝わったのかは知らないが、やがて意を決したように「よし」と小さく言い、憧は、
「あっ」
「やったっ!」
穏乃の唇に自分の唇を重ね合わせた。
爽が目を輝かせ、チカセンが口に手を当てる。
本当にやりやがったよ、この人。何考えてんだ。冒険者ってみんなこんなんなの?
「……シズ。これでいい?」
「あ……う、うん……」
口を離され、蕩けた顔の穏乃は上の空のまま答えた。憧はそんな穏乃を見て優しく微笑む。
もうやだこの冒険者たち。
「はぁ……まぁ、あの二人は置いておいて」
呆れながら、灼が目線をバカップルから私たちに戻して言う。
「私たちは特に、あなた達のことを誰かに密告したりとかする気は無いから。安心してほし……」
その言葉に、爽が「マジで!?」と目を見開いた。そしてガッツポーズを決め、
「ありがとな、灼ねーちゃん!」
礼を言った。私とチカセンも似たような感謝の言葉を告げる。
一方の灼は、
「灼ねーちゃん……」
ぼそりと呟き、照れ臭そうに少しだけ眼を伏せた。ねーちゃん呼びが気恥ずかしかったんだろうか。
すっかり気を楽にした爽は、頬を軽く赤らめる灼に話を振る。
「ねーちゃんたちは今日はなんでここに? やっぱりアレか、魔物退治とか?」
「ばーか、爽。前に言ってたじゃんか、『地質調査の技術を買われて頼まれた依頼で来た』って」
「ちしつ……?」
「なにそれそんなのあったっけ初耳ー」なんて言いたげな顔の爽は放っておいて、私は灼に確認した。
「今日はそれで迷宮に来たんすよね」
「うん。まずは一層のデータをまとめに……この一階から十五階……つまり、第三層までの地図と地質の調査が私たちが受けた依頼」
「地図……ってことは隅々まで歩き回らなきゃってことっすか」
チカセンの問いに、灼はこくりと頷いた。
うわ、大変そう。そんな依頼、私だったら絶対受けないけどな。
灼も依頼の大変さは痛感しているらしく、軽く溜息を吐いた。
「実際、第一層から厄介。道自体ははっきりしてるけれど、各所の抜け道が入り組んでる……」
抜け道。先ほど私と爽がここに来るまでに使っていたような、木々に埋もれた隠れ道のことだ。
ぱっと見ただけでは見つけることも難しく、私たちもここで遊び始めたばかりの頃はそんな道が存在することすら気づかなかった。
今では「抜け道探そうぜー!」なんて言う爽の主導で散々調べ回ったおかげで、1階については大体の抜け道を見つけることができているが。
初めて来た人間には見つけるのは難しいだろうし、時間も相当かかってしまうだろう。この1階ですら、一通り回ろうとすると1日2日じゃ足りないくらい広い。
「せめてこのあたりの地理に詳しいガイドがいれば楽なんだけど……」
灼が小さな声でぼやく。
そっか、冒険者もやっぱり大変なんだ。自由気ままというイメージが強かったけれども、そんな一面もあるんだ……ちょっと認識を改めなきゃな。
よし、爽。もう時間も遅いし帰るか。
「はいはいはいっ!」
興奮を抑えきれない様子で、爽が勢いよく手を上げた。
うん。分かってたよ。将来の夢は冒険者だもんな。この機会をスルーするわけないよな。
「私たちがそのガイドをするってどう!?」
「……は?」
ぽかんと灼の口が開く。
呆気にとられた灼に、さらに爽は言葉を続けた。
「ほら、私たちここでめっちゃ遊んでるから抜け道とかそーいうのには詳しいし! たぶんガイドも出来ると思うんだよね」
「……うーん」
いや、うーんじゃなくってさ。
ここは大人として止めておくべきなんじゃない? ほら、「子供にそんな危険なことをさせるわけにはいかない」とかさ。
けれどそんな思いも空しく、
「いいんじゃないかな、灼ちゃん」
と、灼の背後から声。
見てみると、ちょうど周囲の哨戒を済ませてきた玄と宥が戻って来たようだった。
玄が微笑んで言う。
「ガイドが欲しいって言ってたのは灼ちゃんじゃない。爽ちゃんたちがいれば調査もスムーズに進むんじゃないのかな?」
「確かにそうだけど……でも、子供に危険なことをさせるわけにはいかな……」
「危険な目に遭わないように私たちが護ってあげればいいと思うんだ。まだ低層だし、少なくともこの辺りならこの子たちを護りながらでも大丈夫そうだよ」
「……」
口元に手を当てて、灼が沈思黙考する。
おい。おいおい。まさか。
「……うん。爽ちゃん、良ければガイドお願いしたい……」
「まっかせとけ!」
そう元気よく言って爽が胸を張る。マジか。チクショウ。
となれば当然次は、
「良かったな、揺杏! ガイド頑張ろうな!」
なんて肩を組みながら言ってくるわけで。
「私はやんねーよ、そんな面倒なこと」と答えられればよかったのだけれど、爽にそんなこと言われたら。
「……仕方ねーなー」
こう返すしかない。
私の返答に爽は満足そうににこりと笑い、そしてこれから始まる冒険を想像し始めたのだった。
この頃の私は、冒険者になんて微塵も興味は無くて。将来のことなんてまったく想像できない、ただの子供。
だけれど、そんな私が唯一興味を持っていた相手が爽だったんだ。
だからこそ、爽といつも一緒に遊んで。爽の傍でたくさんの時間を過ごして。
――率直に言えば。私は、この頃には既に爽のことが好きになっていた。
◆ ◆ ◆
一旦このあたりで区切って前編としたいと思います。
前・中・後編くらいでちょうど終われそうかな……?
乙です!
すげーやっべーおもしろい!
いいぞー
前にあったな、同じスレタイで似たような内容、同じ作者かい?
>>34
ゲェーッ 被ってましたか…! 以前に似たスレがあったとしたら別の作者さんだと思います。
被らないように一通り検索したつもりでしたが……ぐぬぬ
もうしばらく書き溜めてからまとめて投下するつもりでしたが、あんまり溜めすぎるとエターなりやすいと聞いたのでこつこつ更新することにしますね。
ワンセクションだけ投下します。
◆ ◆ ◆
それから、私たちとギルド『アチガGirls』の迷宮探索の日々が始まった。
ガイド役として、モンスターの危険性がそこまで無い、三階までの調査を一緒に行う。そんな契約(ほとんど口約束みたいなモンだけど)を取り交わした。
チカセンはというと「お店の手伝いがあるから」と断ってしまった。私も本当なら断りたかったんだけどな、くそう。
迷宮にスムーズに入れるよう、一時的にギルドメンバーとして加えてもらったりもした。
今までは避けていた衛兵たちの横を堂々と通り過ぎるのは気持ち良かったな。あのぽかんと口を開けた衛兵の間抜け面ったら!
『アチガGirls』との探検は驚くほどに順調だった。
穏乃と玄が獣とトカゲ(「だからドラゴンですのだ!」と玄がムキになるのを何度見たことか)を従えながら先頭を歩き、危険の察知。
その後ろを憧や灼、子供組の非戦闘要員が歩き、大きな盾を手にした宥が周囲を警戒しながら殿を務める。
安定した行軍で、モンスターと相対しても危なげない対処を見せていた。例えば、こんな具合に。
「…! 魔物がこっちに向かってるみたい! 数は4、左手の草むらから!」
哨戒に出していた鷹から報告を受け、穏乃が呼びかける。
すかさず警戒態勢をとったアチガGirlsの面々。戦えない子供組は大盾を構える宥の陰に隠れた。
「大丈夫だよ。私がちゃーんと護ってあげるからね」
おっとりとした口調だが、その言葉には芯が通っている。
こうやって宥が安心させてくれるからこそ、私も爽も魔物の襲来に恐怖せずに済んだのだろう。
やがて、がさりがさりと木々の間から草を揺らし、魔物のむれがその姿を現す。
まずはだいたい膝までの高さの体長を持つ紫色の鼠が。森ネズミと呼ばれる魔物が二体、こいつらは私たちが遊び場にしているようなところでも現れるような、いわゆる雑魚だ。
次に、紅色の身体とするどい爪を有した魔物、ひっかきモグラ。こいつも見たことはあるが、明らかにネズミよりも強そうだし、私たちの場合はこいつを見かけたら逃げるようにしている。
そして最後に、
「うわー……これは、また……」
穏乃が気の抜けた声を出す。
草むらをぐしゃり、ぐしゃりと押し潰しながら現れたのは、鎧のようにごつごつした碧青色の甲殻で身体を覆った魔物。
こちらを威嚇するようにじゃきん、じゃきんと口元のハサミを開閉し、今にもこちらに襲い掛かって来そうだ。
「こっえー。なんだあれ、めっちゃ強そう」
爽がそんな他人事のような感想を述べる。まぁ実際戦うのは私たちじゃないから他人事なんだけどさぁ。
そんな私たちが見守る中で、穏乃が身の丈ほどもある槍をくるりと一回転させてから魔物の群れへと飛びかかった。
「うおぉぁーっ!」
森ネズミが牙を剥いて飛びかかってくるのを避けながら、獣のような掛け声とともに槍を突く。
空気を割く音を伴って突かれた槍は寸分違わずひっかきモグラの胸を貫いていた。
ひっかきモグラの身体から力が抜け落ちる。
その一方で、森ネズミはといえば、
「ドラちゃんっ。お願いしますのだ!」
玄が肩に乗せたドラゴンに魔力を送る。
ドラゴンロード・玄に従事する小さな竜王は、玄の肩から飛び降りて森ネズミたちの目の前に降り立った。
ぐるる、とかきゅるる、みたいな鳴き声を喉からしぼり出し、次の瞬間、
「ファイヤーっ!」
玄の合図と同時にドラゴンの口から炎が噴き出した。
森ネズミたちは炎に包まれ、崩れ落ち、やがて元の姿も分からないほどに炭化してしまった。
「うおーっ! 二人ともすっげー!」
爽が拳を握り締めて叫ぶ。
確かにすごい。本来ならこんな低階層ではなく、もっと上の階層を探索するような実力者なのだろう。
この実力があったからこそ、私たちのような子供を護りながら迷宮に潜るなんて選択肢を選ぶこともできたんだ。
「さ、残り一体っ!」
槍をひっかきモグラから引き抜き、穏乃は続けてはさみカブトへ飛びかかる。
重力とともに、槍を上から勢いよく振り下ろし、
「うわぁっ!?」
鈍い音がし、渾身の一撃が弾かれた。
一瞬体勢を崩した穏乃だったが、空中で落下しながら立て直して着地。
そんな穏乃に憧が声をかける。
「何やってんのよ、シズ! そんな固そうなやつに物理攻撃が通じるはずないじゃない!」
「あはは……ごめん、憧」
そうしている間にも、がちん、がちんとはさみを開閉するはさみカブト。
苛立ちを隠せないようだった彼だが、すぐに新たな標的を見つけたようだった。
甲殻の隙間で光る赤い瞳がこちらを向いた。つまり、私と目が合った。
「え……こっち?」
顔から血の気が引く。
あんな大きなはさみで噛まれたらどうなる。腕のように生えた鋭い鎌で刺されたりしたら。
……ムリ! ムリムリムリ、あんなの死ぬって絶対!
そんな私の恐怖を察してか否か、はさみカブトはその巨体からは想像もつかないスピードでこちらへと真っ直ぐに向かってくる。
「わはははっ! やべーっ!」
能天気に爽が笑う。
やべーじゃねーよ、やべーじゃ! 何が笑えるんだよバカ! お前なぁ!
「父さん母さん先立つなんとかを許してくれーっ」なんて私が懺悔する間にも、はさみカブトは猛スピードで向かってくる。まるで弾丸だ。
碧青色の弾丸が、いよいよ私を捉え――
――がちん。
私の身体を衝撃が襲う代わりに、そんな金属音が響いた。
思わず目をつむってしまっていた私の視界に映ったのは、宥の金属鎧だった。
「…ね? 大丈夫って言ったでしょ?」
速度が十分に乗ったはさみカブトの体当たりを軽々と受け止めたのは宥の大盾。
パラディンの防御は堅いと聞いていたが、これほどとは。
宥はそのまま盾を振るい、はさみカブトを弾き飛ばす。
「灼ちゃん、今だよ!」
出来た時間の間に、灼が術式の準備を終えていた。
アルケミスト秘伝の試薬を調合、さらに魔力を加え、
「電撃の術式…!」
生まれた電撃が、光の速度ではさみカブトへと襲い掛かった。
はさみカブトはその目をぱちぱちとまたたかせながらのたうち回る。堅固な甲殻が電撃を受け、じゅうじゅうと泡立ち始める。
しばらく暴れ回ったはさみカブトだったが、やがて身体の各部から黒煙を上げながら地面に崩れ落ちた。
「……戦闘終了」
他に魔物がいないことを確認し、灼が静かに宣言した。
――と、こんな具合。
時折ムチャな行動をする穏乃が憧に叱られることがありはしたけれど、大抵は危なげなく、危機に陥ることもなく探索をすることができた。
爽なんかはそんな熟練の冒険者の彼女たちに興奮しっぱなし。
「揺杏! 今日はすごかったな!」
だの、
「あの時のシズの槍さばきったら! っくーっ、かっけー!」
なんて毎日毎日、ヒーローを見る少年のようなきらきらした目で話していた。
正直、私はそこまで冒険者に憧れたりすることはなかったけれど。
だけど、こうやって爽と二人で話ができること。爽のすぐそばで、この笑顔を見られることは満更でもなくって。
「明日も頑張ろうな、揺杏っ」
「……ん。そうだな」
そう言って爽と二人で歩いた夕焼け空の帰り道は、今でもはっきりと記憶に残っている。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
◆ ◆
このマークは…うっ頭が…
おつおつ!
続き楽しみ
おつー
読んでるよー楽しみにしてる
間が空いちゃったけども再開しますねっ!
◆ ◆ ◆
迷宮内では、時に他のギルドの冒険者と出会うこともある。
例えば、アチガGirlsと行動を共にするようになって数週間ほどした頃、こんな出来事があった。
「おーい……おーい!」
迷宮探索を一休みし、ひらけた草むらで休息をとっていた私たちに声をかけ、歩み寄ってくる冒険者がいた。
短い赤髪で軽装備の女性と、腰にレイピアを携えた紫色の髪の女性。さらに後方には別の冒険者の姿もあるようだった。
「ワハハ。だから言ったろ、ゆみちん。こっちから冒険者の匂いがするって」
赤髪の方が、もう一方の女性に笑いながら話しかける。
ゆみちんと呼ばれた女性は「驚いたな」と呟き、丁寧な言葉遣いで私たちに尋ねた。
「すまない。私は『ツルガ』の加治木ゆみという者なのだが……。もし余っていればアリアドネの糸を譲ってもらえないだろうか?」
事情を聞くと、仲間の一人が毒を持つモンスターにやられてしまい、街に戻らねばならないのだとか。
見れば、向こうで座り込んだ黒髪の冒険者が金髪の女性に介抱されているのが伺える。
耳を澄ましてみると立ち上がろうとしながら「私なりに精いっぱい……」とか言ってるような気がする。
いや、そんなこと言ってる場合じゃないだろ。寝てろよ。
「冒険者なのにアリアドネの糸も持ってきてないなんて……冒険者としてどうなの?」
呆れたように憧が言う。
「あぁ……持参してはいたんだが。先ほどの毒吹きアゲハとの戦闘の合間に、この蒲原がな……」
と苦い顔で、ゆみは笑顔を保ったままのもう一人、蒲原に視線を向けた。
蒲原は「ワハハ」と前置きし、
「いやー。なんかモンスターとバトってる間にリスが寄ってきてさ」
り、リス?
「かわいいなーって思って眺めてたら、そのリスがすごいスピードで飛びかかってきてなー? 目にもとまらぬスピードで糸を盗んでっちゃったんだ」
「……というわけだ」
顔をしかめて眉間に指を当てるゆみと、能天気に笑う蒲原。対称的な二人。
こんな真反対な二人が同じギルドに? 仲違いしたりしないのだろうかと心配になる。
「あぁ、うちのギルドのメンバーがみんな蒲原みたいなやつだとは思わないでくれ。こいつは特別だ」
そりゃそうだよなぁ。
こんな人ばっかりだったら一時間で全滅できそうだ。
「特別? おいおいゆみちーん、そんなこと言われると照れるぞー。モモが嫉妬しちゃうなー」
「そういう意味じゃないからな」
ぺち、とゆみが軽くツッコミを入れる。
そんな彼女らを見る限り、私の印象とは違って良い関係を築けているようだった。
こほん、と憧が咳払いをする。
「とにかく、アリアドネの糸だったわね。こっちにもちょうど余りがあるし、譲ってもいいわよ」
「すまない、助かるよ」
ゆみが礼を言い、憧から糸巻きを受け取る。さらに、
「ただいただくだけでは悪い。よければ代わりにこちらのバックパックから何か持って行ってはくれないか」
その提案を呑んだ憧がギルド『ツルガ』の荷物を検討し始めた。
ほどなくしてその場に二ギルドの面々が集合し、ああでもないこうでもないと相談をし始める。
……このような交渉に子供が出る幕は無い。
そんなわけで手持無沙汰な私と爽は何をするでもなく、柔らかな草の上に座ってぼけーっと様子を眺めていた。
「君らも冒険者なのかー?」
「わっ!?」
「どわわっ!」
そんな私たちの後ろから、唐突に蒲原が話しかけてくる。
突然のことに驚いて、私と爽は文字通りひっくり返ってしまった。
「あー、ごめんごめん。驚かせちゃったなー……ワハハ」
「あ、いえ……あの、蒲原さん……でしたっけ?」
「あぁ。蒲原智美。智美って呼んでくれていいぞー」
快活にそう言い、智美はまた口を大きく開けて笑う。
この人いくらなんでも笑いすぎじゃないか。笑い上戸にも程があるだろう。
「智美ね。 私は爽で、こっちが揺杏!」
「ども、よろしくっす」
「ワハハ、さわやんとゆあゆあかー。よろしくな、二人ともー」
勝手にあだ名つけられた。しかもネーミングセンスの欠片もない。
さわやんは百歩譲ってありだとしても、ゆあゆあって。発音しづらすぎない?
「で、二人も冒険者なのかー? ずいぶん若く見えるけど」
「いや、冒険者っつーか……」
「見習いみたいなもんだよな!」
口を濁す私に代わって爽が答え、私の背中をばしばしと叩く。
いや、お前と違って私は冒険者になりたいとか思ってないからね。やめてねそういうの。
智美はうんうんと頷いて、
「なるほどなー。それじゃ未来の冒険者、私の後輩ってわけだー」
と、一人で感傷に浸っている。
こんな抜けた先輩はあんまり頼りたくないなぁ、なんて思うのは私だけだろうか。
そしてすぐに智美は目を見開いて言った。
「よっし! それじゃかわいい後輩のために、私がいろいろ教えてやろうじゃないか!」
ふんふんと鼻息を荒くし、智美が「さぁ、何か聞きたいことはないかー!?」と詰め寄ってくる。
…正直、ちょっと怖い。
だってあれだぞ。こんな笑顔を貼りつけたままぐいぐい近寄ってくるんだぞ。怖いだろ。私は怖い。
だけれど爽はそうじゃないみたいで、
「はいはいっ。智美先輩、質問!」
なんて乗っかっちゃう。まぁそりゃ、現役の冒険者に質問できるって良い機会だとは思うけどさ。
智美は満足そうに「うむ」と頷いた。
「なんだー、さわやんっ?」
「智美は向こうの話し合いに参加しなくていいわけ?」
痛烈。
お前、それ聞いちゃうか? 絶対そこ地雷だろ? あえて触れないでいたのにさぁ。
智美もあまり触れられたくなかったらしく、笑い声のトーンが少しだけ落ちる。
「ワーハハ……ああいう話、私は苦手でなー」
「あー、分かるかも。いかにも苦手そうな顔してるしな!」
「お。さわやん、言うなー」
「はっはっは。だろー?」
爽が智美を倣って笑いだす。
トーンがどんどん上がっていく爽と、それとは逆にトーンが下がっていく智美。
……さすがの私でも、あんまりよろしくない空気だと感じることくらいできる。
話題を変えなきゃ、と私は智美に新たな質問を振った。
「あ、あのっ。質問なんすけど」
「んー? 言ってみー」
ほら、さっきと比べて笑顔に元気がない……ような気がするし。
「他のギルドのこと、あんまり知らねーんすけど……ここら辺で有名なギルドとかあったりするんすか?」
話題を他のギルドのことに変えることで今の話題を遠ざける作戦。
いいぞ、私。気が利いてるぞ私。これで智美も気を取り直すだろう。
「他のギルドかー。そうだなー……やっぱり有名なのは『シライトダイ』じゃないかー?」
「『シライトダイ』?」
よし、爽も喰いついた。これでひとまず危機は去っただろ。
「数々の迷宮を踏破してきた冒険者のチャンピオン、宮永照がリーダーのギルドだなー。あそこが一番有名だと思うぞー」
「『シライトダイ』かー。ちょー会ってみてー!」
「ま、今は遠征中でナガノの迷宮を攻略中らしいけどなー」
「なーんだ、残念」
爽が肩をがっくりと落とす。
そんな有名人、会おうと思って会えるもんじゃないと思うけどな。
「今この迷宮を探索中のギルドなら……『リンカイ』とかすごいよなー。今は四層を攻略中らしいぞー」
「四層!? すっげー!」
多くの冒険者が二層まで、中堅冒険者でも三層でつまずいてしまうと言われる中、四層まで探索が進んでいるとなればかなりの実力者に違いない。
憧たちでも「依頼の調査が三層までで良かったわ」なんて言っていたし、『リンカイ』はそれ以上の冒険者ギルドなのだろう。
「ただ、まー……なんというか」
「なんというか?」
「うん……ちょっとこわいんだよなー。『リンカイ』の人たちって」
そう言う智美の顔が曇る。
「特にリーダーの辻垣内って人がそうなんだけど、目つきが明らかに……その。……カタギじゃなくってなー」
「カタギじゃないって……」
「写真見るかー? 執政院がくれた本なんだけど」
と、智美は肩から掛けていた鞄を開いて中をごそごそと物色し始める。
「お、これかー?」「違うなー」なんてぶつぶつとぼやいた末に、しわくちゃになった小冊子が姿を現した。
どれだけくしゃくしゃにされてたんだ、というツッコミは胸の奥にしまっておく。
「確かこの辺のページに……お、あったあった。この人だなー」
智美が指さしたページには、一人の女性の姿。
藍色の着物を着て、写真を見る私たちを射抜くような眼差しを送る女性。
『ニンキョー』という職で登録されていた彼女は、確かに一般人ではあり得ないようなオーラを放っていた。
「これは……確かに……」
「殺気がすごいな。こえー」
「ワハハ。だろー? 実際あんまり他の冒険者ギルドとも交流してないみたいでなー」
「ふーん。そういうギルドもあるんだな」
爽が腕を組んで呟く。
「そういうこと。ま、私たちみたいに友好的なギルドだけじゃないってことは知っておいた方が良いと思うぞー」
そう言って話を締め、智美はゆっくりと立ち上がった。
向こうでも憧たちとゆみが交渉を終えたらしく、
「それでは、その『小さな花』で良いんだな?」
「うん。他のと違って紫色なんて珍しいしね。ふつうのは赤でしょ?」
「あぁ。ひとつ上、二階で見つけたんだ。色違いが群生している場所があってね」
なんて会話をしている。
智美はそんな彼女らの様子を見ながら、尻を叩いて付いた土を払った。
「ま、冒険者になるんだったらいろいろ知っとかなきゃいけないことはあるだろうけど。頑張れよー若人ー」
ワハハ、と笑って智美が去ろうとする。
そんな彼女の背中に、爽が「最後にひとついいっすか?」と呼びかけた。
「どしたーさわやん?」
「冒険者が良い人たちだけじゃないってのはよく分かったけど……だったらさ。智美はちょっと迂闊だったんじゃねー?」
爽の目が鋭く光る。
「アチガGirlsのみんなが良い人ばっかりだったから良かったけどさ。これがもし悪いやつらだったら今頃大変だったんじゃねーの?」
うわ、いやらしっ。そういうこと聞く?
爽はいたずらっぽく笑って「そこんとこどうなの?」と智美の答えを促す。
そんなん聞かれたら何も答えられないだろ……と、思っていたのだけれど。
「あー。なんだ、そんなことかー」
予想に反して、智美は変わらない笑顔で振り返った。
「もしそうだったとしたら……」
――ぞくり。
その瞬間、背筋に寒気が走る。
それは爽も同じだったらしく、私と同様に反射的に後ろを振り向いた。
「……」
いつから立っていたのか。
黒衣を身にまとい、両手にナイフを持った女性がそこにいた。
全身から冷や汗が湧き出る。ずっと警戒していたというのか。気配ひとつ感じさせることなく。
「紹介が遅れちゃってごめんなー。ナイトシーカーのモモだ」
「モモっす。驚かせちゃってごめんなさいっす」
ぺこり、と黒衣の女性は頭を下げる。そして顔を上げ――また、その姿をくらませてしまった。
「こういう保険があったからってことだなー」
「……」
唖然とする爽。
自分じゃ分からないけども、たぶん私も同じような間抜け面を晒してたと思う。
智美はそんな私たちに、また「ワハハ」と笑って、
「んじゃ、もう行くから。元気でなー、二人ともー!」
そう言い残して、智美はゆみたちと共にアリアドネの糸で街へと戻って行ったのだった。
◆ ◆ ◆
リスは見つけ次第殺せ(憤怒)
◆ ◆ ◆
そんな肝の冷える経験もしながらも、私と爽の冒険者体験はあっという間に過ぎていき。
そしてとうとう、ガイドとしての役割が終わる日がやって来る。
「それじゃ、晴れて三階まで探索を終えたこと……そして爽ちゃんと揺杏ちゃんの卒業を祝ってー……」
「かんぱーい!!」と、桧森亭に冒険者たちの元気の良い声が響く。
続いてグラスがかちん、と小気味良い音を立ててぶつかり合った。
「……っぷはーっ! この一杯のために生きてるって感じーっ!」
「憧、おやじくさ……」
「なにー? そういう灼は子供っぽすぎるのよ! お酒飲めないなんて!」
「口に合わな……苦いし美味しくないし……」
「カマトトぶりやがってー! おら、無理やり飲ませてやるーっ」
「や、やめ…!」
酔っぱらった憧が灼に絡む。
今まで何度もアチガGirlsの打ち上げに付き合ってきたが、その度に起こっていることだ。日常茶飯事。
でもって、それを抑えるのは、
「やめなって、憧。飲めない人に無理やり飲ませちゃだめだろ?」
「だって……うぅぅ、シズー。だって灼がぁぁ……」
いつも穏乃の役目だ。
酔いが回って泣き始める憧を胸に抱いて、穏乃がよしよしと背中を撫でて落ち着ける。
……うん。もう何度見せられたんだろうな、このノロケ。
はいはい御馳走様でしたと内心毒を吐きながら、私はオレンジジュースを流し込む。
「揺杏。すっげー顔してるぞ、お前」
うるせーばか。文句はあのバカップルに言え。
ふて腐れながらグラスを傾ける私に、相変わらず暑苦しい鎧を着こんだ宥が歩み寄る。
「今日までお疲れ様、二人とも。大変だったでしょう…?」
「そりゃあも」
「全然大変じゃなかった! むしろめっちゃ楽しかったよ!」
「そりゃあもう」と肯定しようとした私の言葉を遮って爽が答える。
お前はそうかもしれないけど私にとっちゃハードすぎたよ! 勝手に統括するんじゃねーよばか!
だけれど宥は爽の言葉だけを汲んで(チクショウ)、ほっとしたような表情を見せた。
「……良かったぁ。「冒険者がいやになった」なんて言われたらどうしようかと思ってたから……」
「そんなことあるわけないじゃん! 毎日楽しかったし……良いモンだと思うよ、冒険者! な、揺杏っ?」
「……そうだな」
こんな状況でそんな風に訊かれたらYESって答えるしかできないだろーが。
宥がすっげー心配そうに見つめてきてたし。そりゃ正直な感想は言えねーよ。
それくらいの心配りはさすがに私でも出来るからな?
そんな私の建前の言葉が混じっていたけれど、宥は私たちの反応が余程嬉しかったらしく、
「う……うぅっ……」
マジかよ。泣き始めたよこの人。
姉のそんな様子を目ざとく見つけた玄が、慌てて向こうのテーブルから走ってくる。
「君たち! お姉ちゃんをいじめるのはやめるのです!」
いじめてねーよ、勝手に一人で泣き始めたんだよ。
腰に手を当てて頬を膨らませる玄に、宥が首を振って言う。
「うぅん……違うの、玄ちゃん……。嬉しくって……ふたりが、冒険者って良いねって言ってくれたのが……」
「お姉ちゃん……」
目に浮かんだ涙を指で拭き、宥が話を続ける。
「……私たちが生まれたナラではね…? 冒険者は「学の無い、野蛮な人がなる職業だ」って思われてるの……」
よく聞く話だ。未だに、冒険者にそのような偏見を持っている地域は多いらしい。
実際は迷宮で生き残るためには力だけでなく、知識や知恵が要求されるため、バカにはこなせる職ではないのだけれど。
「本当は私たちも冒険者じゃなくて家の宿屋を継がなきゃだったんだけれど……」
「憧ちゃんたちに誘われて冒険者になったのです!」
ふんす、と玄が鼻を鳴らす。
「だけど、やっぱりいろんな人から反対されて……「何を考えてるんだ」とか、「バカな真似はよせ」とか……」
「「脳みそ詰まってるのか」とか「ノータリンしかなれない底辺職」とかも言われましたのだ」
「ひっでー話だな……」
爽がいつになく神妙な面持ちで二人の話に聞き入る。
「そんな風に言われながら、結局みんなの言うことを無視してナラを出てきちゃったの……だけど」
一旦言葉を区切り、宥がその目を私と爽に向けた。
「……二人が、そう言ってくれて。冒険者のすてきなところを肯定してくれて……とっても、嬉しかったの……」
「身内じゃない人からそう言ってもらえたのは初めてだったもんね、お姉ちゃんっ」
「うん。…あっ……」
「お姉ちゃん? どうしたの?」
「どうしよう……なんだか、また嬉しくって……目がうるうるしてきちゃって……」
「……うん。良かったね、お姉ちゃん」
「うぅぅぅ……くろちゃーん……!」
嗚咽を漏らしながら、宥が玄に抱き付いてまた泣き出す。
……この人たち泣いてばっかだな。どれだけ涙もろいんだ。
「いい話だなー……揺杏……」
お前もかい。
ずびびっと鼻をすする爽に、私はポケットティッシュをくれてやった。
――アチガGirlsと過ごす最後の夜は更けていく。
散々アルコールを喉に流し込んだ憧は穏乃の膝に頭を乗せて眠っているし、その穏乃もこくりこくりと舟を漕いでいる。
泣きに泣いた宥も今では落ち着き、玄と談笑中。
私と爽は灼のテーブルで、香草を練り込んだソーセージをつまみながら他愛もない雑談をしていた。
――賑やかな、楽しい夜。
ロクでもない、だけどもなんだかんだで満更でもなかった、そんな冒険を締めくくるには相応しい、そんな時間だった。
そんな時間に、彼女に出会ったのだった。
桧森亭の入り口で、鈴がからんと音を鳴らした。
「いらっしゃいませーっ」
音を聞き、チカセンが厨房から姿を現す。
来店したのは二人の冒険者だった。
「ヒュー。ここがサトハが目を付けていた店でスカ」
一人は浅黒い肌の女。
腰に吊り下げた小銃は、彼女がガンナーであることを示している。
そしてもう一人が、
「あぁ。……二人座れるテーブルは空いているか?」
鋭い眼光。藍の着物。懐からのぞく短刀。
先日智美に教えてもらった人物。『リンカイ』を率いるニンキョーの女、辻垣内だった。
「はい、分かりましたっ。ご案内しますね」
辻垣内の眼力に物怖じすることもなく、笑顔のままチカセンは二人を先導する。
すっげーな。さすが飲み屋の娘、こういう相手は慣れっこなのか。
チカセンはそのままテーブルの間を進んで、そのまま私たちの方へ……って、ちょっと待て。
「お待たせしました。こちらへどうぞ」
まさかの隣かよ。こえーんだよこの人たち。
恨めし気な私の視線をやんわりと無視しながら、「御注文が決まりましたらお呼びください」とお決まりのフレーズを口にし、厨房へと去って行った。
「なかなか良い雰囲気でスネ。これならネリーたちも気に入ると思いまスヨ」
「あぁ、それなら良いんだが。ほら、メニューだ」
そう言って冊子状のメニューを渡す辻垣内に、ガンナーの女は「チチッ」と人差し指を突きつけて左右に揺らして言う。
「ノー、ノー。こういうのはメニューを見て選ぶよりも上手い注文の仕方があるものデス」
「…? どういうことだ、ダヴァン」
訝しげに問う辻垣内に、ダヴァンと呼ばれた女はただ意味ありげに微笑む。
そして唐突に椅子をぐるりと90度ターンさせ、
「ハイ!」
何の脈絡もなく、私たちの方へ話を振ってきた。
呆然とする私と爽。灼もこれには面食らったようで、どう対応していいか分からずに目をまたたかせている。
ダヴァンはそんな私たちにお構いなしに、灼に話しかけ始めた。
「ハジメマシテ! 私、『リンカイ』のMegan Davinといいマス! あなたたちをココの常連さんと見込んで聞きたいことがあるのでスガ、このお店、メイブツ料理はズバリ何でスカ?
HAHA、私たちココに来るのは初めてでシテ。実はこっちのサトハが……ンッンー。オホン。…『来週で『リンカイ』を結成して一周年か。せっかくだ、結成記念に会合など開いてみるのはどうだろうか』なんて相談してきましテネ。
こんな怖い顔してるのに優しいですヨネ。HAHAHA! あ、今の似てまシタ? サトハのモノマネでスヨ! で、エエット……どこまで話しましたッケ? アァ、料理の話でシタ!」
……と、こんな具合。
おいおい、いくら異国人は陽気っつってもこれは陽気すぎるんじゃねえの。
話しかけられている灼も話についていけていない。時折「あの」とか「えっと」と話に入ろうとしているようだったが、完全にダヴァンの機関銃のような口撃に呑まれている。
ただでさえ物静かな灼だ。こんなトーキングマシンに太刀打ち出来るわけがない。
「おい、ダヴァン。それくらいにしておかないか」
たじたじになっていた灼に助け舟を出したのは辻垣内だった。
諌められたダヴァンは一瞬きょとんとした顔を見せたが、すぐに口に手を当て、
「オウッ! もしかして私、またやっちゃいましタカ?」
「あぁ。一人で話に夢中になりすぎだ」
「それはそれは……ソーリー、ジャパニーズコケシスタイル=サン。こうやって一人で話し続けてしまウノ、私の悪癖デス……」
しゅんと消沈してしまった。
辻垣内はそんなダヴァンの肩に手をかけ、灼に詫びを入れる。
「うちのが済まないな」
「あ……いい。別に気にしてな……」
「そう言ってもらえると助かるよ。こいつも気の良いやつではあるんだ。……ところで」
「ところで」と区切ったところで、辻垣内の目がぎらりと鋭さを帯びた。
「見たところ冒険者のようだが……そっちの、その二人」
刀の切っ先のような視線が私と爽へと向けられる。
ぞくりと悪寒が背筋を走る。そこにはさっきダヴァンと話していたときのような柔らかさはどこにもない。
「まさか子供連れで迷宮を闊歩しているなどということはないだろうな」
「……」
言外に含まれた、痛烈な非難。
灼も辻垣内が何を言いたいのかは分かっているのだろう。表情が微かに歪む。
「……低階層だけ。四階以降には連れて行かないようにしてるから大丈……」
「『低階層だけだから大丈夫』? 冒険者とは思えない甘い考えだな」
辻垣内の刺すような視線の矛先が、今度は灼へと向かう。
「はさみカブトの鉄鋏で身体を両断された冒険者や毒吹きアゲハの毒鱗粉で街に帰ることも出来ずに血を吐いて樹海の養分と化したやつらがどれだけいると思っている。……低階層だろうが、人は簡単に死ねるんだ」
その言葉は灼に向けられているようでもあり、子供なのに迷宮を出入りする私たちに向けられているようでもあって。
「そんな子供をいたずらに危険に晒すなど。冒険者失格だよ、お前たちのギルドは」
最後にそう強く言い切られ。
私たちはただ、押し黙ることしか出来なかった。
重苦しい沈黙が二つのテーブルを包む。
「……はぁ」
沈黙を破ったのは、辻垣内の静かな溜息だった。
がたりと席を立ち、てきぱきと身支度を始める。
「チョット、サトハ?」
「興が削がれた。帰る」
「帰るって……エエー。まだ注文もしてませンヨ」
不満を口にするダヴァンだったが、そんな彼女に目もくれることもなく、辻垣内は外へと出て行った。
他のテーブルの接客をしていたチカセンが(ええー)みたいな顔をしている。そりゃそうだ、注文もせずに帰るって。
「……ちょっと外の風に当たってくる……」
灼も、その後を追うように外へ。
あれだけ言われたらそりゃな。直接言われたわけじゃねーのに、私だってへこんでるもん。割と。
だけど、私ですらダメージ喰らってるっていうのに爽ときたら、
「なんだよ、アイツ! むっかつくなー!」
なんて減らず口を叩くくらいの余裕はあるらしい。
お前ほんとメンタル強いよなー。いや、ただのバカって可能性もあるか。
「む。なんだ揺杏、その目は」
べっつにー。
「アー……スミマセン。サトハが変な事言ってしマイ……」
私たちに、おずおずとダヴァンが謝ってくる。
いや、謝られるべきは私たちじゃないんだけどな。
そんな私の気持ちを代弁するように爽が言う。
「いーっていーって。そういうのは灼ねーちゃんに言ってあげた方がいいよ。それに、サトハ?の言うことも間違ってないと思うし」
うん。言い方はキツかったけど、辻垣内の言ってることは正論しかなかったもんな。
だからこそ余計へこむっていうか……っつーか爽、お前も同じように思ってたんだな。
『迷宮たーのしー!』なんて感想くらいしか頭にないと思ってたぞ。
「……だからなんだよ、その目は」
べっっっつにー。
「……どうやら、思っていたよりはオコサマじゃないようでスネ」
目を丸くしていたダヴァンだったが、すぐににやりと笑って言う。
「ジッサイ、アナタたちみたいなオコサマを抱えて迷宮探索なんて正気の沙汰とは思えまセン。アー……アラタ、ですか? 彼女の前では言いませんでしタガ、そこについては私も同意見デス」
「まーなー。でもそうした方が依頼が捗るからって言うからさ」
「イライ? 何かクエスト絡みだったんでスカ?」
「実はさ、地質調査? みたいなことをしてて……」
と爽が説明しようとするが、まぁ案の定まともに灼たちの仕事は理解していなくって。結局殆ど私が説明することになってしまった。
ひとしきり経緯を聞いたダヴァンは、腕を組んで「ナルホド」と口にして唸った。
「Hmm... 難しいところデス。危険性を考えれば褒められたことではありませンガ……アナタたちを連れていることで依頼がより早く終えられるというメリットがあるナラ……」
「な? 灼たちの考えも分かるだろ?」
「……OK。確かに、一概に彼女たちが間違っていると言い切ることもできないようデス」
「それにさ」
「?」
そこで一旦言葉を区切り、爽が私に目を向ける。
そして、にっと口角を上げ、
「私たち自身、すっげー楽しかったから。それでいいと思うんだよね」
「な、揺杏!」と締めた。
本当は私個人としては楽しくないこととか危なすぎんだよクソッタレとか思ったこともあったけれど、それは空気を読んで黙っておく。
「……それ。ゼヒ、アラタにも言ってあげてくだサイ。きっと喜びまスヨ」
「ほんとか!? よっし、行ってくるわ!」
勢い良く爽は席を立ちあがり、灼を探しに外へと出て行った。
……ったく。ほんとにあいつは……。
意気揚々と駆けていく爽の背中を、私は頬杖をつきながら見送った。
「あの子、とても良いボウケンシャになると思いまスヨ」
「そっすか? あれで結構抜けてるとこもあるんすけどね」
「そうなんでスカ?」
「うん。ちっちゃい時からずっとそんなんっす」
「アー……ユアン?」
「うん? なんすか」
「惚れてまスネ?」
思わず吹き出す。
なんだ。なんだこの異国人。いきなり何言いだすんだ。
私の反応が嬉しかったのか、ダヴァンは鬼の首を取ったようにはしゃぎだした。
「やっぱりそうでしタカ! イヤ、いいでスネ! 若き日の恋ってヤツハ!」
「そーいうんじゃなくって!」
「どこまで進んでるんでスカ? A? B? まさかCマデ!? ヒューッ!」
だめだ、こいつまったく人の話聞いてねえぞ。
一人で盛り上がって「いつから付き合い始めたんでスカ?」だの「エーッまだ付き合ってナイ!?」だの「ヒニンは大切でスヨ!」だの。やかましいわ。
結局、そこからはずっとこのオモシロ異国人の相手をすることになり。
散々恋のテクニックだのを教わる羽目になったのだった。
――こうして、アチガGirlsとの冒険の日々は幕を下ろす。
最終日がこんなんで良かったのかって感じは割と強い。
◆ ◆ ◆
一区切りついたところで、ここまでで中編おしまいくらいだと思います。
後編も今週中に投下出来たらな、と思ってますが……ちょっと期間が空いちゃうかもです。
それまでの間スレ放置するのもよろしくないかなって感じなので……。
場繋ぎ的にお題やキャラ等、何か指定いただいてそれに沿った番外編を挟んでみようかなと。
実験的な試行で恐縮ですけども、何か指定していただけたら幸いです。 →【>>75】
乙です。各キャラが立ってて面白い。
乙!
ユキちゃんや成香ちゃんは出ないのかな?
おつー
乙
阿知賀組のギルド結成の前日談とかどうよ?
御無沙汰してます。
お題提供、ありがとうございました。
阿知賀メンツの前日談ですが、大体書き終えたので明日の今頃には投下できそうです。
プラスして、読み返してて細かなミスを見つけたので訂正をしておきますね。
>>28
○:「地図……ってことは隅々まで歩き回らなきゃってことっすか」
×:「地図……ってことは隅々まで歩き回らなきゃってことですか」
秋。この時期が私は好きだ。
木々はカラフルに色づいて、山に彩りを与える。
燃えるような赤や太陽みたいな鮮やかな黄色。
こんな自然に囲まれていると、私もその一部になったかのように感じられるから。だから大好き。
まぁ、別に秋じゃなくっても、いつだって山は大好きなんだけどね。
そんなとりとめもないことを考えながら、私は足元のアルマジロっぽい動物――ボールアニマルと呼ばれる魔物だ――を撫でてやっていた。
お腹を撫でられ、ボールアニマルは「きゅー」と気持ちの良さそうな声で鳴く。
「シズー。シーズー!」
私の名前を呼ぶ憧の声に、ぴくりと身体が反応する。
ボールアニマルにもその声が聞こえたらしく、驚いて身体を丸め込んでしまった。
「わわっ。ごめんな、驚かせちゃって」
軽く謝罪の言葉を投げかけて、私は彼(彼女かな?)を解放してあげた。
しばらく丸まったままのボールアニマルだったけれど、すぐに身体をもとに戻して茂みの中へと逃げ去って行った。
それからすぐに、草むらをかき分けて憧が息を上げながら姿を現した。
「はぁ……はぁ……。もう、こんなところにいたの」
「どしたの、憧。珍しいじゃん、憧が迷宮にくるなんて」
「アンタくらいよ、好き好んでこんな何にもないヨシノの迷宮に潜ってるのは……って、そうじゃなくって!」
おおっ、ノリツッコミ。
憧、意外とこういうの好きだよね。
「そういうのいいからっ。それより忘れたの!? 今日何があるか!」
「きょう?」
… … …
「……なんだっけ?」
「うぉいっ」
うぅ。だって仕方ないじゃん。忘れちゃったんだもん。
そんな私に、憧はこれ見よがしに溜息を吐いてみせた。むぅ。
「今日はハルエがフクオカに行っちゃう日でしょーが!」
「……あ」
あぁぁぁぁぁっ!!
間の抜けた私の声が、紅葉で色づいた自然の迷宮、ヨシノに木霊した。
◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇
憧に手を引かれて学校についたときには、もう赤土先生(憧はハルエって呼んでるけど)は出発する寸前のようだった。
みんなに見送られながら、馬車に乗り込もうとする長身の女性が目に映る。
彼女こそ『アチガのレジェンド・赤土晴絵』。
かつては世界各地の迷宮を巡り歩いたという、元凄腕の冒険者だ。
赤土先生はすぐに私に気づき、大きく手を振ってきた。
「シズ! 良かった、アンタに会えずに行っちゃうのは寂しいなって思ってたとこなんだよ!」
「あはは……ごめんなさい」
「聞いてよハルエ! シズったらすっかり忘れてて、ついさっきまで迷宮に行ってたのよ!」
「迷宮に…?」
目を丸くする赤土先生。そして、
「……ぷ。ふっ、は、あははっ!」
すぐに吹き出して笑い始めた。
むー。確かに私が悪いけれども、そんなに笑うことはないんじゃないかな。
私がじとっと視線を送るのに気づいたのか、赤土先生は目に浮かんだ涙を指で拭きながら言う。
「はは……ご、ごめんな。いかにもシズらしいと思って……変わらないなぁ、ほんとにお前は」
ぽん、と赤土先生は私の頭に手を乗せた。
そして集まったみんなを見渡し、
「よし。これで全員そろったかな。……『アチガこども冒険者クラブ』は」
と、静かに言った。
引退していたレジェンドは、今日この日、冒険者として復帰するんだ。
『アチガこども冒険者クラブ』は、元冒険者の赤土先生が開いた、私たちみたいな子供に冒険者としての基礎を楽しみながら覚えさせるというクラブだ。
迷宮探索のための知識や、日々生活するための常識。
時にはヨシノの迷宮に足を運んで実地演習をすることもあった。…実地演習といえども、実際はほとんどピクニックみたいなものだったけれど。
「危険なモンスターがいないことが分かってるからこんなことが出来るんだぞー。ほんとは迷宮はもっと危険なもんだからな」
と、口酸っぱくして赤土先生が注意していたのはよく覚えている。
……っと。ちょっと話が脱線しちゃったかな。
とにかく、そんな活動をしていたのが『アチガこども冒険者クラブ』だ。
「赤土先生……本当に行っちゃうのですか?」
目を潤ませながら、そう訊くのは私たちの一つ年上の玄さん。
「玄さん、引き止めちゃ悪いですよ。……あちらに行ってもお元気で。ご活躍をお祈りします」
そんな大人っぽいことを言う、桃色の髪をした女の子が和だ。
「あぁ、ありがとうな。ま、さくさくっとフクオカの迷宮も突破してきてやるさ」
そう言って赤土先生はにっと笑う。
その堂々とした様子に、他のこどもたちがどっと沸いた。
「ハルちゃんかっこいーっ!」とか「かっけぇーっ!」とか、「ハルちゃんがんばれぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛!」とか、そんな声援が送られる。
声援がひとしきり止んだところで、赤土先生はその口を開いた。
「あー……なんていうかな……正直に言えば。あの事件があってから私、冒険者がイヤになっちゃっててさ」
照れ臭そうに、ぽりぽりと頭を掻きながら言葉を続ける。
「それで冒険者を引退して、こうやってみんなと『こども冒険者クラブ』にいたわけだけど」
そこで、赤土先生はいったん言葉を区切った。
次に何を言うんだろう。どきどきしながら、私たちは赤土先生の次の言葉を待つ。
だから、
「シズ!」
なんて、急に名前を呼ばれて本当に驚いた。
思わず身体をびくんと震わせながら「ひゃいっ!」と間の抜けた返事をしてしまう。
「初めて実地演習に行った日のこと、覚えてる?」
「は……はいっ」
「そこで偶然ケガした森ネズミを見つけたんだよな。他の冒険者だったら無視するかとどめを刺すかってところでシズ、アンタこう言ったよね」
「……へへ。懐かしいですね」
「『先生っ。この子、手当してあげたいんですけど…』って。……その優しい心。大切にしていきなよ」
私は静かにうなずいた。
それに満足したのか、続いて赤土先生は憧に視線を移す。
「憧」
憧もまっすぐに、赤土先生に視線を返した。
「冷めたようなスタンスだけども、実際のところさ。アンタほどみんなのことを想ってる子はいないと思うんだ」
「まーねー」
「これからもみんなを支えていってやってほしい。……頼むぞ」
「ん、おっけ。オトナな憧さんに任せてよ。これでもメディックの卵だからね」
――さらに、赤土先生は他のみんなにも一言ずつ、言葉を投げかけていく。
「宥とも仲良くしていくんだぞ。姉妹ふたりで支え合っていってくれ」
「は、はいっ! 分かりましたのだ!」
その声は、だんだんと震えだして。
「和。近いうちに転校するって話は聞いた。…けれど、ここのみんなはずっとお前の…友達だ。それだけは忘れないでくれよ」
「そんなの……もちろんですっ。赤土さんのことだって、忘れませんから……!」
気づけば、赤土先生の目から。大粒の涙がこぼれ始めていて。
言葉をとぎれとぎれにさせながら、私たちに話し続けて。
いつしか、私たちにもそれがうつっちゃって。
最後の子に話しかけるときにはもう、
「桜子……うぅぅぅ…さくらこぉぉぉ……!」
「ハルちゃぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」
なんて、言葉になってないようなコミュニケーションになってしまったりもしていた。
そして、最後に。
私たちみんなに、赤土先生は、
「……楽しかった! みんなと一緒にいられて! ……そして、ありがとう! 私に冒険者の素敵さを思い出させてくれて!!」
そう言って、涙でぐしゅぐしゅになった満面の笑顔を見せてくれた。
◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇
「行っちゃったね……赤土先生」
ぽつりと玄さんが呟いた。
しゅんとした玄さんを励ますように、憧は軽く玄の肩を叩いて言う。
「なーにしょぼくれてんのよ、玄。めでたいことじゃない、あのアチガのレジェンドが復活したのよ?」
「……そう、だね。うん、おめでたいことですのだ! 今日はお赤飯にしようっ!」
「お赤飯って……」
和が呆れたように玄さんを見る。
お赤飯っていまどきおじーちゃんおばーちゃん世代の人くらいしか炊かないからね。ちょっと古いです、玄さん。
「……あ。そういえば」
ぽん、と手を叩いて和が口を開いた。
「結局最後まで聞けなかったのですけれど……赤土さん、どうして冒険者を引退していたんでしょうか」
その言葉に、私や憧、玄さんの表情が固まる。
あー……そっか。最近転校してきた和は知らないんだ。
「……えっとね。和」
言いづらそうにしながらも、憧が説明を始めた。
「よくハルエと遊びに行った、『ヨシノの迷宮』ってあるじゃない」
「はい。ちょうど今日も穏乃が遊びに行っていたところですね」
「あそこ、今では全然危険じゃなくなったんだけど。昔はすんごい凶暴な魔物が住んでてさ」
「その魔物を退治しに迷宮に挑んだのが、当時ノリにノッていた赤土先生だったのです!」
玄さんが横から口を挟む。
「だけれど……赤土先生はその魔物を倒すことが出来なかったのです」
「息も絶え絶えに、アリアドネの糸で命からがら逃げ帰ってきて……それが当時の大人たちには気に入らなかったらしいの」
「…? 気に入らなかった…?」
こくり、と憧が頷いた。
「うん。みんなハルエにすっごく期待していただけに……その期待が裏切られたって。それで一気に反動が返ってきたらしいのよ」
赤土先生はあまり話したがらなかったけれど、大人たちの手のひら返しはかなりひどかったらしい。
ナラの大人たちの多くが冒険者を嫌っているのも、その事件があったからという面が大きいらしい。
「そんなの……滅茶苦茶じゃないですか! 赤土さんは何も悪くないのに……みんなが勝手に期待して持ち上げただけなのに!」
と、和が語気を荒げる。
そんなの私たちだって同じ気持ちだ。みんなのために戦った赤土さんがあまりに不憫すぎる。
押し黙ってしまった私たちを見て、和は「ごめんなさい」とだけ小さな声で言った。
……こんなのは絶対に間違ってる。
せめて、ナラのみんなが昔みたいに、冒険者が悪いものじゃないと分かってくれれば。
「……そうだ」
声が漏れる。
それを聞いて、他のみんなが私に目を向けた。
「…? なに、シズ?」
「そうだよ、簡単なことじゃん。……私たちが冒険者になってさ! みんなに冒険者の良さを思い出してもらえばいいんだよ!」
「え……は、はあっ!?」
そうだよ、私たちが冒険者になって活躍すればいいんじゃないか。
昔、赤土さんが世界中で大活躍して、ナラのみんなに希望を与えたみたいに。
「そんな……簡単に言うけど、そんなの……」
憧が言い淀む。だけれど、そんな不安の言葉をかき消すように、玄さんが顔を輝かせて言う。
「それっ! すっごくすてきだよ! 私たちがナラを変えるってことだよね?」
「はい!」
「そっかぁ、その手があったかぁ…! 名案だと思うよ! ね、和ちゃん!」
話を振られた和も、呆れたように肩を竦めるけれども、
「……可能性はどうあれ、良い提案ではないでしょうか。もともと冒険者になるつもりでみんなここに通っていたわけですし……」
「それじゃ、和も!」
「残念ながら、近いうちに転校してしまうので穏乃たちの同じギルドに入ることはできないでしょうけれど。……それでも、冒険者として活躍して、何らかの働きかけはできるとは思いますよ」
そう言って優しく微笑んだ。
そんな私たちの様子を見て、憧も
「……しょーがないなー。ま、ダメもとでもやってみるにこしたことはないか」
と言ってくれた。
「だったらさ、宥姉も誘ってみたらどう? こども冒険者クラブには来てなかったみたいだけど……話せば分かってくれるんじゃない?」
「私のお友達の灼ちゃんも誘ってみますのだ! 赤土先生の大ファンだったらしいから!」
先ほどまでのお通夜ムードはどこへやら、俄然色めき出す雰囲気。
なんだか、いろんなことが一気に動き出したような気がして。
これから待ち受けてるだろう色んなことに、胸が高鳴り出す。
……ようっし!
「アチガこども冒険者クラブ、ここに始動だな!」
握り拳を突き上げて、私は高らかに叫んだ。
みなぎってきたっ! 今ならなんでもできるっ!
うおーっ、燃えてきたぁーっ!!
「って、シズ。まさかアンタ、ギルドの名前も『アチガこども麻雀クラブ』にするつもり?」
「そうだけど?」
きょとんとする私に、憧は「アンタねぇ」と苦笑い。
あれ? なんかおかしいこと言ったかな?
「冒険者になれるのは18になってからでしょ。そんな歳になって『こども』なんて名乗りたくないわよ」
あ、そっか。
確かにいい歳して自称・こどもはキツいかも。
「だから……そうね、『アチガGirls』なんてどう? ちょっとは大人っぽくなるんじゃない?」
「……うーん」
なんかしっくり来ないような。
それは玄さんも同じらしく、なんとも言い難い表情を見せている。
「Girlって女の子って意味ですよね……」って和がぼそっと呟いたような気がするけども、憧には聞こえなかったのかな……。
「いいじゃん、他に案も無いでしょ? はいっ、『アチガGirls』に決定っ!」
「えぇー……」
「あ、あとギルドリーダーは私ね」
「えぇーっ!? なんでだよぉ、憧!」
「さっきハルエに言われたばっかりだからねー。みんなを支えていってやってくれって」
「でもさー!」
やいのやいのと言い合いはしばらく続いて。
結局、ギルドの名前(予定だけど)もギルドリーダーも憧の言う通りに決まった。
「憧に言いくるめられちゃったよ」ってもやもやした気持ちもあったけれど、それよりずっと大きかったのは、期待に胸を躍らせるわくわく感。
からりと晴れた秋空は、冒険者として歩み出そうと決意した、そんな私たちを祝福するようだった。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
「ん……」
ぱちりと目が覚める。
どうやらさっきまで夢を見ていたみたいだ。
視界には見慣れた天井。ここ、ホッカイドーで私たちが拠点にした安宿の天井だ。
「……んんーっ……」
ゆっくりと、ベッドの中で伸びをした。
窓の外はまだ暗い。二度寝するのもいいかもしれないな、なんてぼんやりした頭で考える。
と、そこで私の隣でもぞもぞと動き出すものが。
「ん……シズ…?」
「あ。ごめん、憧。起こしちゃった?」
同じベッドで寝ていた憧が、目をこすりながら私の方へと顔を向けた。
「あー……うん。起きちゃったかも……」
「まだ太陽も昇ってないし、もう一眠りしても良さそうだよ」
「んー。……あー、そっかー……」
あはは。やっぱり寝ぼけてるかな。
いつもはしっかりしてる憧だけども、寝起きと酔ったときだけはこんな風にだるだるになっちゃうんだよね。
私はくすりと笑いながら、憧に布団をかけ直してやった。
「……ね、憧」
「んー…? なーに、シズ……」
「夢を見たよ」
「ゆめ……?」
「うん。夢」
隣の、憧の鼓動を感じながら続ける。
「赤土さんがフクオカに行っちゃった時の夢。……ギルドを結成した時の夢」
「あー……うん……」
「……憧」
布団の中で、憧の手を優しく、ふんわりと包み込むように握る。
「これからもよろしくな」
「……」
「……憧?」
私への答えは、静かな寝息という形で返ってきた。
憧め、もう寝ちゃったのか。……むう。
もう一度、憧の手を握り直して、憧の体温を確かめて。
その暖かさを感じながら、頼れるけれどどこか抜けてるギルドリーダーさんと同じように、私は再び夢の世界へ落ちていった。
本編の後編ですが、なんとか今週末くらいには投下できそうです。
もうしばらくお待ちいただければ幸いです……。
>>73
ほんとはもっとがっつり登場してもらいたかったのですけども、構成力不足で泣く泣くカットしちゃいました…。
たぶんラストにちょこっと出てくるだけだと思います。
思ったより早く書けたので後編投下始めちゃいます。
頑張れば今日で〆られる……かな…?
◆ ◆ ◆
わくわくする冒険の日々から戻ってきた私たち(正確に言えば、わくわくしてたのは爽だけだ。私はそこまではしゃいではいなかった……と思う)を迎えたのは、今まで通りの日常。
爽とチカセンと三人でバカやって遊んで、ときどき『アチガGirls』と顔を合わせて話をしたりする日々。
『アチガGirls』の他にも顔見知りになった冒険者たちと話すようになったのは、ちょっとだけ今までと変わったところかな。
そんな日常を送っていたわけだけど……次の転機は、そんな日々の中で突然、爽の提案という形でひょっこりと顔を出した。
「迷宮行こう!」
「は?」
脊髄反射的なスピードで聞き返した。
何の脈絡もなくそんなこと提案してくるんだもん。そりゃ、ちょっとくらい乱暴な返事をしちゃっても仕方ないと思う。
「ほら、チカが風邪ひいちゃってんだろ?」
「あー。そうだな」
この時期は風邪がやたらと流行っていて、チカセンも大多数の例に漏れることなくド風邪をひいてしまったらしい。
爽? あぁ、こいつはバカだから。バカは風邪ひかないってな。
……私? 私はちげーよ、ちゃんと体調管理をした結果だから。
「風邪をひいたチカのためにお見舞いをしてやろうと思ってな!」
「それは理解できるけど。チカセンの家は迷宮じゃねーぞ」
お見舞い行くんだったらチカセンの家に行くべきだろ。迷宮行って何しようってんだ。
「ふふん。お見舞いの品を調達しようと思ってな!」
「お見舞いの品?」
「ほら。チカ、『小さな花』集めてただろ? だからそれを採取してこようかなって」
あぁ、なるほど。それで迷宮か。
だけど爽、チカセンが『小さな花』集めてるのは自分のためじゃなくって近所の幼馴染のためらしいぞ。
「ふーん。ま、んなことはどうでもいいだろ。きっと喜んでくれるって」
さいですか。
「ま、いいよ。そういうことならちゃちゃっと『小さな花』集めてこよっか。一階でさくっと集められるだろ」
「……ふっふっふ」
意味ありげに笑う爽。
おいおい、なんだよまだ何かあるのかよ。
「揺杏、なんか勘違いしてるな? 今から探しに行くのはただの『小さな花』じゃない……紫色の『小さな花』だ!」
「……は?」
「忘れちゃったのかー? 前に『ツルガ』の人たちに会ったときに見たじゃん、紫色のやつ」
あぁ、そういえばそんなこともあったな。アチガGirlsと迷宮探索してた時か。
アリアドネの糸と交換したんだったっけか。ゆみの話だと迷宮の二階で取れたとかなんとか。
……ん?
「……二階?」
「あぁ!」
「私たち二人で?」
「そう! アチガのみんなは最近忙しそうだしな!」
……いや。いやいや、いや。
前に言われたばかりじゃん。迷宮は低層でも危険がいっぱいだって。
そんなとこに子供だけで乗り込むってだけでよろしくないのに、二階に行くって?
「反対。つーかアホか」
「だーいじょうぶだって、だいじょうぶ。憧や灼たちと一緒に探索したおかげで地図もばっちりだし。採取スポットも階段から近いとこにあるしさ」
「まぁ……それは……」
実際、階段からすこし歩くだけで紫色の『小さな花』が取れるという採取スポットに着くことはできる。
二階で見たモンスターも、アチガGirlsの戦いを見ていたおかげで対処法は知っている。
万が一危機的状況に陥ったとしても、アリアドネの糸で逃げれば済む話だろう。
「……」
「どうする? 揺杏、付いてくるか?」
そう言って爽が顔を覗き込んでくる。
……仕方ないな。
「っし、行くか」
「そう来なくっちゃな! 揺杏ならそう言ってくれると思ったぞ!」
「ばーか。お前一人で行かせたら危なすぎるからだよ」
暴走しがちな爽のブレーキ係。
そのつもりで、私は爽と同行することにした。
二人だけで挑む迷宮。その二階に。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
慣れ親しんだ一階の奥。木の根が編み込まれて出来た自然の階段を上り、私たちは迷宮の二階へと辿りついた。
柔らかな草を踏み分け、第一歩を踏み出す。
アチガGirlsのみんなと探索し尽したフロアではあるけれど、こうして二人だけで探索をするとなれば緊張感も高まる。
ごくり、と唾を呑み込んだ。
だけれど、それだけ私が緊張しているというのに、爽ときたら
「さー、ちゃちゃっと花集めようっ!」
なんて能天気っぷりをみせる。
はぁ。お前が羨ましくなってくるよ、まったく。
「いいか。寄り道は絶対ナシだかんな。採取が終わったらすぐに帰るから」
「ん、オッケーオッケー」
忠告するも、へらりと笑って返答された。
……大丈夫かなぁ。言い様のない不安を抱きながら、私は意気揚々と歩く爽の後についた。
っつーか爽、さっきから機嫌良すぎでしょ。シズから貰ったお古のジャベリンぶんぶん振り回して。
「……なぁ。まさかとは思うけど」
「うん? どした揺杏」
「その槍を試してみたくってここに来た、なんてことはないよな?」
「……へへへ。内緒っ」
お前なー。
呆れて溜息を吐く私には気も留めず、爽はずんずんと先へと進んでいった。
幸運なことに、道中でモンスターに遭遇することもなく。
程なくして私たちは目当ての採取スポットにたどり着くことが出来た。
正方形の広場。そこに広がるのは、緑の草むらに映える鮮やかな紫の花々。
無事にここまでたどり着くことが出来、安堵の息が漏れ出る。
「ふう……なんとか着いたな」
「結局モンスターも出てこなかったしな。つっまんねーの」
「……爽、お前やっぱりそれが目的だったんじゃねーか」
「だって試してみてーじゃん! 新しい武器が手に入ったらさ!」
悪びれもせずそう言い、爽はえいっとジャベリンを軽く突いてみせる。
新しいオモチャもらったガキじゃねーんだからさ。……ま、冒険者らしいとも言えるけど。
「ほら。とにかくとっとと集めて帰るぞ」
「へいへい」
二人で花畑に座り込み、形の良い花を摘み始める。
鼻孔を甘い香りに刺激されながらも順調に花は集まり、持参してきたカゴはすぐに紫の花でいっぱいになった。
「こんだけありゃ充分だろ!」
そう言い、爽は「よっこいしょ」と腰を上げた。
ちょっと多すぎたような気もするが、まぁ多いに越したことはないだろう。
私もゆっくりと立ち上がり、「そろそろ帰るか」と爽に提案しようとして――
――轟音が響いた。
ずうん、とか、どおん、みたいな、何か大きなものが倒れるような音。
私も、爽も、思わず固まってしまった。
「……なんだ、いまの」
モンスター? だけれど、こんな大きな音を発するような……そんなモンスターはこの階層にはいなかったはずだ。
「あっちの方から聞こえてきたな」
と、爽は広場の端、木々が壁を作るように重なり合った場所を指さす。
確か、向こう側にはここと同じような広場があったはずだ。
十中八九、そこで何かがあったんだろう。
「よっし」
「いや。爽、ちょっと。ちょっと待った」
「なんだよ、揺杏」とむっとした顔の爽。
「何しようとしてんだよ」
「何って……向こうの様子を見てこようかなって」
それだけ言い、爽は木々の枝を押しのけて奥へ分け入ろうとする。
お前、爽、お前なぁ。今度という今度は止めさせてもらうからな。
「バカかお前。どう考えたって向こうはやっべーことになってんだろ。んなとこに首突っ込む奴があるか」
「見るだけ見るだけ。大丈夫だって」
「いーや、大丈夫じゃねー。っつーか憧も言ってただろ。冒険者ならむやみやたらに危険に身を突っ込むんじゃないって」
『命あっての物種』。私たちに冒険者としての心構えを教える際、憧はしばしばこの言葉を使った。
「冒険者なんて弱虫で臆病な方がいいくらいなのよ。とにかく慎重であること、これが大切なの。『命あっての物種』ってね」
迷宮で武勲を上げることや、貴重な素材を集めることも確かに大切だ。
だけれど、そのために命を失うことだけはあってはならない。こればっかりは取り返しがつくものではないのだ。
爽もそれは正論だと感じているらしく、困ったような顔で頭を掻いた。
「あー……うん。それは分かるんだけどさ……」
「だったら」
「だけどさ」と、爽が私を遮る。
その目は、いつになく真剣で。
「向こうにいるのがモンスターだったとしてさ。暴れ回ってるってことは、誰かが襲われてるってことだろ」
……あぁ。
そっか。そういうやつだったよな、お前は。
「心配しすぎかもしれねーけどさぁ。もしかしたら全滅寸前かもしれない。……そう考えるとさ」
いつもはバカやってばっかりだけど。
いざって時は、そうやって真っ先に誰かのために動ける。そんなやつだったな。
「あ、別に戦おうなんて思ってるわけじゃないぞ。もしそんな風に襲われてる人がいたら、糸で一緒に帰還しようってだけ。……だからさ、揺杏」
ずるいよな。
そんな風に言われたら。そんなマジな顔で言われたらさ。
「……仕方ねーな。ちょっと見てみるだけだからな」
断ることなんて出来るわけねーじゃん。
ずりーよ、ほんとにお前は。
本来は冒険者が通ることは出来ないであろう道だったが、なにぶんこっちは子供だ。
小さな身体を木々の合間にくぐらせながら奥へ進むと、すぐに向こう側の広場が見えてきた。
「しーっ。……あれだ」
草の中に身体を隠した爽が、声を潜めながら広場の一角を指さす。
絨毯のように広がった緑の芝に、一本の巨木が倒れていた。恐らく、さっきの轟音はあれが倒れた音だったのだろう。
そして、無残な姿を晒す木のすぐそばには、雄々しい二本の角を備えた鹿がいた。
『狂える角鹿』と冒険者から呼ばれるそれは、確かにこの階に生息する魔物ではあるけれど、もう少し奥の方を生活圏としていたはずだ。
どうしてこんなところまで? というか、あの鹿があんな大木を倒したのか? そんなに強いモンスターじゃなかったはずだぞ?
だけど、そんなことよりもずっと気になることがあった。
そこにいたのはモンスターだけではなかったのだ。
「あれ……憧!?」
「しっ!」
驚いて声を上げてしまった私を、爽が咎める。
だけれど、運の良いことに狂鹿は私たちの方には気づかなかったようだ。
……まぁ、戦闘中だったってことが大きいのだろうけど。
憧の他にもアチガGirlsの面々が揃っており、狂鹿と戦闘を繰り広げていた。
少し離れたところに腹部から血を流す冒険者たちが倒れ込んでいるところを見るに、どうやら憧たちはその救援に駆けつけたということだろう。
――そして、驚いたことに。
以前この階を探索していたときは難なく倒していたはずなのに。今、目の前の憧たちはその鹿相手に苦戦を強いられているようだった。
私たちは息をひそめながら、馴染みのメンバーたちと狂鹿の戦闘を見守る。
「くっ……!」
狂鹿の体当たりを受け、宥の盾が弾き飛ばされる。
それでも衝撃を受け流しきることは出来なかったらしく、宥は膝をついてしまった。
追撃しようとした雄鹿を槍の刺突で牽制しながら、穏乃が宥に呼びかける。
「宥さんっ! 大丈夫ですか!?」
「う、うん……。だけど、ちょっと厳しいかな……」
鎧はところどころ砕けてしまっていて、その下に薄い肌着が見えてしまっていた。
弾き飛ばされた盾もへこみやヒビが入っており、狂鹿の攻撃の苛烈さが見受けられる。
よろよろと立ち上がろうとする宥に、玄が肩を貸した。
「あ……ごめんね、玄ちゃん」
「うぅん、気にしないで。……私も、もう戦力外だから」
悲しげな顔の玄。彼女の視線の先には、先ほどまで使役していた小さなドラゴンの姿があった。
散々踏み荒らされた草の上に寝たまま、目を閉じて眠ったように動かないドラゴン。
その命が既に失われてしまっていることは明白だった。
「おかしい……この鹿、こんなにも強くはなかったはず……」
後方で術式の起動準備をしながら、灼が呟いた。
すぐに錬金術により生み出された電撃が狂鹿に向かうが、狂鹿は大きくバックステップしてそれを躱す。着地点の草が真っ黒に焦げた。
炭化した草をぐしゃりと踏みしめた穏乃が、振り向きもせずに槍を振り回しながらそれに答える。
「それなんですけどっ! この鹿、怒ってるみたい!」
「怒ってる?」
「はい! 子供をっ、殺されたみたいでっ! それで怒ってるみたいなんです!」
穏乃の言葉に、負傷した冒険者集団がびくりと身体を震わせる。
彼女らの手当をしていた憧がそれに気づき、リーダー格の女を問い詰めた。
「ちょっと! アンタたち一体何をしたの!?」
「な、何って……仔鹿の皮の納品依頼を受けて……」
「それで殺したってわけ!? 親鹿がブチ切れることくらい読めなかったの!?」
「分かってたさ! だけど私たちは王者『バンセイ』だぞ!? こんな低階層の鹿相手に負けるはずが……っぐ…!」
いきり立つ冒険者だったが、言葉の途中で傷口が開いたらしく、腹部を手で押さえながら苦悶に顔を歪めた。
呆れたように息を吐くと、憧は穏乃に呼びかけた。
「シズ! もういいわ、これ以上戦うと私たちまで危ない!」
「分かったっ!」
短く返事をし、穏乃は槍を収めて身を翻した。
負傷者たちを中心に集まり、憧はアリアドネの糸を掲げる。
怒り狂う鹿は集団に向かって全体重が乗った体当たりを仕掛けたが、それより早く冒険者たちは迷宮から姿を消してしまった。
「……良かった。憧たち、無事に帰還できたみたいだな」
ほっと一息。
アチガGirlsの劣勢には肝を冷やしたが、彼女たちが無事に戻ることが出来たのは良かった。
さて、これで心配することも無くなったし。あとはさっさと私たちも逃げ帰るだけだ。
「ほら、爽。さっさと帰ろうぜ」
私の呼びかけに、爽がこちらに顔を向けた。……何故か、ひきつった笑顔で。
「揺杏」
「なんだよ、その顔。いいから帰るぞ」
「悪いニュースと、もっと悪いニュースがあるんだけどさ。……どっちから聞きたい?」
はぁ? 何言ってんだこいつ、こんな時に。
「いや、そういうのいいから。早く」
そう言って急かすが、爽は糸を使おうともせず、ただ私の顔を見つめる。
…なんだよ。どうしても言いたいってか。
「んじゃ、悪いニュースから」
「オーケー。悪いニュースってのはだな……」
と、おもむろに爽が人差し指を上に向けた。
上? 上に何があるって……
「……リス?」
頭上を覆うように伸びた枝、その一本に小柄なリスが乗っていた。
そして、その口に咥えているのは見慣れた糸巻き。アリアドネの糸だ。
さっと私の顔から血の気が引く。
「爽。お前、まさか……」
「憧たちの様子を見てる間にやられたみたいだ」
お前。それはマズいぞ、さすがに。
糸を取り返さねばと慌ててもう一度リスに視線を向けるが、リスはこちらの意図に気づいたらしく、素早く枝から枝へと飛び移って森の奥へと消え去って行った。
……つまり。
これで糸を使って安全に帰還することは出来なくなったってわけか。
「……よし、落ち着いていこう。だったらアイツに気づかれないようにこの場を離れればいいだけだ。大丈夫、一階まで戻れば……」
冒険者の真価が問われるのは危機に陥った時だと憧が言っていた。
危機的状況で、どれだけ冷静さを保てるか。それが迷宮での生き死にの分かれ目になると。
ゆっくりと、大きく深呼吸をする。しかし、
「揺杏。そこでもっと悪いニュースなんだけどさ」
爽がさらに続ける。
なんだよ、まだ何かあるってのかよ。
「さっきからアイツ、こっち見てるぞ」
「……は?」
ゆっくりと、爽と二人で顔を90度横に向けた。
広場には、溢れんばかりの怒りを滾らせた鹿。
「……なぁ、爽」
「うん」
「気のせい……じゃ、ねーよな」
「気のせいではないだろーな」
「思いっきりこっちに顔向けてるしな」
「目も合ってるしな」
狂鹿が苛立った様子で顔を振る。
後ろ脚でがっ、がっとエンジンを吹かすみたいに草と土を蹴り上げる。
「揺杏」
「おう」
「覚悟、決めるしかないみてーだな」
「だな」
こくりと、二人で頷く。
「逃げろーーーーーッッッ!!」
私たちがすばやく立ち上がって全力でダッシュし始めたのと、狂鹿が勢いよく突っ込んできたのは、ほとんど同時だった。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
「……迷った」
とぼとぼと、独りで大自然の迷宮を歩きながら誰に言うでもなく呟いた。
独りで歩く迷宮がこんなにも心寂しいものだとは。爽の存在の大きさを改めて思い知る。
結局、あれからどうしたかといえば。
走っても走っても木々をなぎ倒しながら後を追いかけてくる鹿に対応するため、爽が「揺杏! 二手に分かれるぞ!」と提案してきて。
それを受け、T字路で左右に分かれて逃げて……それで、私の方が助かった、ということになる。
「爽、どうしてっかな……」
こっちに来なかったということは、あの鹿は爽の方へ行ったということなんだろう。
……無事だろうか。まぁ、あいつのことだし簡単にくたばるとは思えないが。
「結局、花もこんなんになっちゃったしなぁ」
鹿から逃げる際に、あれだけたくさん摘んだ花のカゴも落としてきてしまった。
その結果、残ったのはこれだけ――思わず手に掴んでしまった、数本の花だけだ。それも、強く握りしめすぎたせいでくしゃくしゃになっている。
「……何しに来たんだって感じだよなー。ちっくしょ」
そう吐き捨てて、足元に転がっていた小石を蹴り上げた。
小石は放物線を描き、脇の茂みへと突っ込んでいった。
がさがさ、がさっ。
「ひっ!?」
小石が突っ込んだ茂みが音を立てて揺れ出し、思わず情けない声が漏れる。
……いや、確かに情けないんだけども。でも仕方ないだろ。こちとら独りだぞ、独りっきり。
せめて明るく振る舞おうと思ってたけども、内心恐怖とかもろもろでいっぱいだよ。
「な……なんだよ、チクショウ。出て来いよっ」
震えだす足を押さえながら、茂みの中の何者かに声をかける。
爽か? あの鹿? それとも別のモンスター?
心臓が激しく拍動するのを感じながら、私は茂みを注視した。
そして、
「……は」
「ちゅう」という鳴き声とともに現れたのは森ネズミだった。
どうやらさっきの小石が運悪く当たったらしく、気が立っている様子だ。
「は、はは。なんだよ、驚かせやがって」
森ネズミはこちらを敵と認識したのか、牙を剥いて襲い掛かってくる。
だけど、
「こっちだって爽とはぐれちまうわバケモンみてーな魔物に襲われるわ迷っちまうわでイライラしてんだよ!」
啖呵を切り、飛びかかってきた森ネズミを手にした魔導書で叩き落とした。
森ネズミは「ぢっ」と濁った鳴き声を発して、慌てて逃げて行った。
どうだ、チクショウ。アルケミストだって戦えるんだぞ。
「はーっ。……はぁ」
緊張が一気に抜けて、自然と崩れ落ちてしまう。
へたり。土の上で尻もちをついた。
「……もぉぉぉ」
そよ風が周囲の木々を揺らす。
普段なら心地よく感じるはずのそれも、今はただ気味が悪いだけで。
葉がこすれてざわざわと音を立てるのも私の恐怖を煽っていた。
「さわやぁ……」
顔を手で覆う。
こうでもしないと、目から溢れ出しそうな熱いものを抑えきれそうになかったから。
「どこ行ったんだよ、くそ……」
――結局のところ。
どんなに強い人間みたいに振る舞おうと、人はそう簡単に変わることは出来なくって。
私は未だに、あの頃の岩館揺杏から変われてないんだ。
◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇
今でこそ爽と過ごすようになってそれなりの振る舞いをするようになったけれど。
彼女と出会う前の私ときたら、
「やぁい、弱虫ゆあんー」
「かえしてよ……おにんぎょうさん、かえしてよぅ…!」
「やだよばーか! へい、パース!」
「へいへいへーい!」
「うぅぅ……うぁぁ……」
「おっ、泣くぞ泣くぞ。弱虫ゆあんが泣くぞー!」
「うぐっ、ぐず……う、うわぁぁぁぁぁぁん!!」
「っしゃーっ! 泣いた泣いたーっ!」
「うああああぁぁん!! うわぁぁぁぁぁぁん!!」
そんな典型的ないじめられっこで。
こうやってよく近所の男の子に絡まれたりしていた、そんな弱虫な女の子だった。
弱気すぎて友達もろくに出来ず、唯一の話し相手と言えば親にプレゼントでもらったお人形だけ。
(私、きっとこれからも一生ずっとこうやっていじめられるんだ)
内心でそう独り言ちるのが習慣になっていた。
人の性格なんて一生変わらないものだ。
だからきっと、私も一生こんな情けない負け犬人生を送ることになるんだろうと。
だけれど、まぁ割とそういう時に訪れたりするもんなんだよな。
人生の転機ってやつはさ。
「おまえらーっ! なにやってんだーっ!!」
泣きじゃくる私を護るようにして、いじめっ子との間に割って入った女の子。
赤い髪が陽の光を浴びてきらきらと光る。
私よりもずっと小柄な女の子だったけれども、その背中はとっても大きくて頼れるような感じがして。
「げぇ、さわや!」
「よぉー。男のくせにこんな女の子ひとりいじめてんのかよ」
「う、うるせー! おとこおんな!」
「おとこおんなだー!? ジョートーだ、こっからは私がこの子のかわりに相手してやるよ!」
そこで赤髪の女の子、幼い爽は指をぱきぱきと鳴らしながらにぃと笑った。
「おまえらみてーな男がくさったようなやつにはタマとかいらねーだろ?」
「ひっ…!」
「ぜんぶつぶしてやるよ。おら、かかってこいや!」
「ひ……ひぃーっ!!」
爽の脅しにすっかり怯えきったいじめっ子たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
そんな彼らを鼻で笑うと、爽は私の方を向いた。
「だいじょうぶか? たてる?」
「あ……う、うん。だいじょうぶ……」
私がゆっくりと立ち上がると、爽はうんうんと頷いてから訊いた。
「おまえ、名前は?」
「なまえ…? あ、ゆ……ゆあん」
「あゆゆあん?」
「ゆ、ゆあんっ。ゆあんですっ」
「よし、ゆあんだな! 私はさわやだ!」
そんな自己紹介を済ませると、爽はいじめっ子が落としていった人形を私に手渡す。
慌てて私はその人形を受け取ると、ぎゅっと抱きしめた。
「その人形、大切なもんなの?」
「う、うん……私の、たった一人のともだちだから……」
そう。この子以外に、私と話してくれる人なんていない。
私の友達はこの子だけなんだ。
「……たった一人のともだち?」
きょとんとする爽。
そりゃそうだ。人形が友達なんて、おかしなことを言うやつだとでも思っているのだろう。
そういうことだと思い、私は顔を曇らせた。
「あのなー。ゆあん」
だけれど。
爽は、そんなことを考えていたのではなくって。
「ともだちが一人だけって……だったら私はどうなるんだよ」
「……え?」
「さっきおたがいに自己紹介もしたじゃん。私だってともだちだろ?」
「あ、え……と……」
戸惑う私に、爽は
「な!」
太陽のように眩しい笑顔を向けてくれたのだった。
はじめて、生身の人間の友達が出来た日だった。
「だめだよ、爽……お店の前に爆竹なんて撒いたら怒られるよ……」
「いーんだよ! おもしれーんだから!」
「でも……あ、店長さん出てきたよ。……こっち見てるよ…?」
「よし、揺杏。……逃げるぞ!」
「え、ちょ、ちょっと待ってよぉ!」
「揺杏はさー。もっとはっきりしゃべった方が良いと思うんだよな」
「え……そ、そうかな……」
「ほら、そのしゃべり方! いかにも弱そうだもん!」
「えぇ…?」
「ちょっと私の真似してみろ! いいか? ……ファック!」
「ふぁ、ふぁっく…?」
「もっと力強く! ファック!」
「ふぁっく!」
「クソ野郎!」
「くそやろー!」
「いいぞ、その調子だ! 挨拶みてーに使える便利な言葉だからな、これは!
「チカ、こいつが揺杏だ」
「はじめまして、揺杏ちゃん。よろしくね」
「あ……えと……」
「?」
「ふぁ……ファック、クソ野郎! 私が揺杏だ、しっかり覚えとけビチグソゲロ野郎!」
「……」
「……」
「爽? こんな無垢な子に一体何を教え込んだのかしら?」
「ごめん! ごめんってチカ! 笑顔で頸動脈ピンポイントに絞めるのやめて!」
「なー。爽」
「うん?」
「あん時さー。なんで助けてくれたの?」
「あん時?」
「ほら、私がいじめられてた時」
「あぁ。だってさ」
「だって?」
「いじめられて泣いてるようなヤツを見て見ぬフリするなんてクッソカッコわりーだろ」
「……は。そうだな、確かにそりゃカッコわりーわ」
――あれから。
私はずっと、太陽みたいなヒーローの姿を追いかけている。
あわよくば、私も爽と同じようなカッコいい人間になれればと思って。
弱虫ゆあんから変わりたくって。
◇ ◇ ◇
乙ー
◇ ◇ ◇
「……ふぅーっ」
ゆっくりと、深呼吸。
数分の休憩だったけれど、おかげでだいぶ落ち着いた気がする。
「っし。さっさと行くか」
いつまでもへこたれてるわけにもいかない。
ここは世界樹の迷宮、危険な迷宮なんだ。
今は一刻も爽と合流して迷宮から脱出しなければ。
あるいは私ひとりで迷宮から脱出して、誰かに助けを求めて爽を救出してもらうのもアリかもしれない。
「とにかく、まずは出口だな」
きっと爽も出口へと向かっているはずだ。
ならば同じように出口へ向かえば合流できる可能性も高いだろうし、合流できなかったとしてもそこで大人の助けを得られるだろう。
ぱん、と両手で頬を叩く。気合を入れろ、私。
「……よし」
改めて、歩き始める。一人ぼっちの迷宮を。
負けないぞ。頑張れ揺杏。がんば……
「……あ」
曲がり角を曲がった私の目の前に、それはあった。
木の根で編まれた階段。
……うん。二階に来るときに上ってきた階段だな。
ここを降りれば安全な一階。実質、これが出口みたいなもんだな。
……ふぅ。
「あれだけ気合入れてたのがバカみてーじゃん……」
脱力してしまう。
なんていうか、こう……拍子抜けだよなぁ。
いや、見つかったのは文句ないんだけどさ。これであとは大人呼んで来ればいいだけだしな。
ま、とにかく。
「助かった…!」
つい先ほどまでの緊張感はどこへやら。
嬉しさが溢れ出さんばかりの軽やかさで、階段へと向かう。
そんな私の耳に。
「……ぁぁぁーっ!」
あまりにも聞き慣れた、あの少女の声が聞こえた。
階段へと向かっていた、その足が止まる。
「……」
隣だ。
すぐそこで繁った木々の壁の向こう側。
そっちから聞こえた。
「……まさか」
一部分だけ木々が薄くなっていたところ、抜け道から恐る恐る壁の向こう側の様子を覗き見る。
そこにいたのは、
「くそ、ったれ……」
先ほどまで走りっぱなしだったのだろう。
ぜぇぜぇと肩を上下させながら喘ぐ爽だった。
木に背を預けるようにして座り込む彼女の脚は、明らかに関節の可動域から外れた方向に折れ曲がっている。
彼女の脚をそんな惨状にしてしまったのは、
「……おいおいおいおい」
爽のすぐそばに佇む、子を殺された怒れる親。
二本の角を威嚇するように振るう狂鹿に違いなかった。
――さて、ここで問題だ。
私は一体どうするべきなのか。
(……選択肢A。何も見なかったことにして、さっさと階段を下りる)
少なくとも、私は助かる。
急いで迷宮から脱出して大人たちを呼べば爽もなんとか助かるかもしれない。
それに、あの爽だぜ? そう簡単にくたばるようなタマかよ。きっと持ち堪えてくれるはずだ。
(選択肢B。あの場に乱入して爽を救出。ケガした爽を背負って二人で階段までダッシュする)
ちょっと口にしてみただけで無謀さが漂う。
当然そんなことをすればあの狂鹿に見つかってしまうわけで、そうなれば私も攻撃されるのは間違いない。
その攻撃をかいくぐって爽を救出? さらに背負って階段まで退避? しかも私は非力なアルケミストだぞ?
正直、選択肢と呼ぶことすらためらわれるほどの無謀な一手だ。
(実質一択じゃねーか。……げっろ)
まともな思考回路を持っていれば後者なんて選ぶわけがない。
それに思い出せ、憧だって言っていたはずだ。『命あっての物種』だ。
とにかく生き延びることを第一に考えること。それが冒険者の考え方だ。
ゆっくり、ゆっくりと、音を立てないように後退し始める。階段へと向かって。
(……人は、そう簡単には変われないんだよ)
『マジでスカ!? ユアン、まだ告白すらしてないんでスカ!?』
『そーっすよ、わりーかよ。ちっくしょ』
『ノーノー、悪いなんて言ってませンヨ!』
『……勇気がさ。出ないんすよね。私弱虫だから』
『……フフ』
『なんすか。何がおかしいんすか』
『イエ。……ユアン。ひとつ、良いことを教えてあげマス』
『良いこと?』
『Yes. 恋のアドバイスってやつデス』
『恋のアドバイス、って……くっさ、何それ』
『オゥ! ひどいデス!』
『…で? 一体なんなんすか、そのアドバイスって』
『OK. 耳をカッポジッテよーく聞いてくださイネ!』
『――人は変われるものなんでスヨ。恋をすれば特に、ネ?』
「クソ鹿ーッ!! テメー爽に何してんだコラァァァーッ!!!!」
気づけば。
爽を庇うようにして、私は狂鹿と対峙していた。
「あ……ゆ、ゆあん…? なんで……」
爽が困惑したように言う。
なんで? なんでだって?
「なんでもクソもあるか! 友達を見捨てて行くなんて……クッソカッコ悪いんだよ!!」
ダムが決壊したように、濁流のように言葉が溢れ出す。
「『命あっての物種』だ? 生き延びることを第一に? 上等だ! だったら私は『爽と二人で生き延びる』こと第一だ!」
ただ、胸に溜まった想いを吐き出し続ける。
「確かに私は弱虫だよ! どれだけ表面を取り繕っても、内面はいつまで経っても弱虫ゆあんのままだ!」
膝が笑っている。小さな決意を揺るがすように。……すっこんでろ! 臆病風はお呼びじゃねえ!
「だけどなぁ……だけどなぁ! ファッキンクソ鹿!!」
誰に向けてでもなく。自分を鼓舞するように。
「――『人は変われる』モンなんだよッッ!! でもって! 今こそ! ……変わるべきときなんだッッ!!」
言い切って、私は魔導書を開いた。
『氷の術式』であのクソ鹿の脚を狙え。凍らせて足止めしている間に爽を連れて逃げろ。
そうすればほら、ミッションコンプリートだ。なんだ、簡単じゃねーか。
ほら、もう術式が起動するぞ。喰らえクソ鹿。クソッタ
浮遊感。ふわりと身体が浮く。時間がゆっくりと流れる。
ゆっくり、ゆっくりと。永遠に続くかのような浮遊感だったけれど、やがて重力が私の身体を引っ張り始める。
加速。加速。加速。
激しく加速した末に、全身を襲う衝撃。
遅れて、お腹のあたりに鋭い痛みがやってくる。
そんな状況だってのに思考はいやに冷静で、「あぁ、体当たり喰らっちまったんだな」と分析していた。
「揺杏ーっ!! おい、揺杏! 揺杏ッ!!」
爽が取り乱したように私の名前を呼んでいる。
うるせーなぁ。聞こえてるよ。
あぁ、それにしたって空が青い。
「は……は、ははっ」
何故だか笑いがこみ上げてくる。何がおかしいんだ、ちっくしょ。
……いや、おかしいか。結局犬死にだしな、こんなの。
のこのこ姿を現して、何もできずにくたばって。
おかしすぎて腹痛いわ。ははは。
のしり、のしりとクソ鹿が私の方へと歩み寄ってくる音が聞こえる。
大方、トドメを刺しにでも来たんだろう。
爽は爽で「揺杏っ逃げろっ! 来てる! 鹿が!」とかわーわー騒いでるし。んなこと言ってる暇があるならお前が逃げろよな。ばーか。
「……あー」
ま、なんだ。
ぐぐ、と腕に力を込めて、無理やり上半身を起こす。
腹のあたりからあったかいもんが流れ出してるような気がするけども、まぁ気のせいではないだろうな。
「やい、クソ鹿。言っとくけど……私はまだまだ死なねーからな。……おい、爽」
その言葉に、爽が「え……?」と間抜けた声を漏らす。
「いいか、爽。私が出てきた抜け道……その先に階段があったから。……早く、逃げろ」
「お前……バカ、何言ってんだよ…?」
「このクソ鹿も階段下りてまで追いかけては来ねーだろ。……ほら。早く行けって」
爽が返事をするのを遮るように、クソ鹿が「きぃぃぃ」みたいな甲高い鳴き声を放つ。
激しく威嚇してくるクソ鹿に、私はガンを飛ばしてやった。
そして大きく息を吸い込み、叫ぶように言った。
「おら、かかってきやがれ! せめて爽が逃げ切るまでの時間は稼いでやる! こいやコラァーーッ!!」
その啖呵を切っ掛けにするように、クソ鹿が駆け出した。私に向かってまっすぐに。
あぁ。
なんだろな。こんなクソみてーな結果になっちまったけど。
……不思議と、後悔は無いな。うん。
落ち着いた気持ちで、私は蹄の鳴らす音に耳を澄ませた。
「――その意気や良し」
ゆらりと揺れる藍の着物。煌めく短刀。
狂鹿の進行ルートを妨げるように現れた人物に、思考がフリーズする。
そして、
「ユアン。よく頑張りましタネ」
と言って私の身体を抱き寄せる、黒い肌の女。
……助けが来たんだ。
その事実に、張りつめていた神経が一気に弛緩する。ゆっくりと意識が遠のき始める。
吟遊詩人らしき金髪の女性が澄んだ歌声を発し。
チャイナドレスを身に着けたモンクが敵の腹部に右の拳を叩き込む。
ブラックアウトしつつある私の視界には、そんな戦闘の様子がぼんやりと映る。
最後に目に入ったのは、辻垣内が振るう短刀による斬撃で全身から血を流し、その巨体を地につけた狂鹿の姿だった。
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
「……! 揺杏! 揺杏! 起きたのね!?」
目覚めて早々、チカセンの大きな声。
うるせぇ、耳に響く。頭ががんがんするからやめてくれます?
「あ……ごめんね」
別にいーっすけど。
それよりここ、どこっすか。
「病院だよ。真屋医院……って分かるかな」
あー。あの街はずれの。
「そうそう。二人は迷宮から助け出されて、そのままここに運び込まれたってわけ」
なるほどね。うん。二人……。
「二人っ!」
靄がかった頭を無理やり叩き起こして、ベッドから飛び起きた。
「いだだだだっ!?」
飛び起きた瞬間に、全身に激しい痛みが走った。
なんだこれ、ちょー痛ぇ。
「わわっ! だめだよ、重症患者さんなんだから!」
「っつつ……って! そうじゃなくって! 爽は! 爽はどーなったんすか!?」
そう。二人運び込まれたというのなら、爽もいるはずなのだ。
アイツは無事だったのだろうか。
そんな私に答えたのは、
「そんな大声出すなって。無事だよ、無事」
「…!」
隣のベッドで寝ていた爽本人だった。
全身が包帯でぐるぐる巻きにされているが、その余裕面を見る限り大事は無かったようだった。
爽はにやりと笑って言う。
「んだよ、ハトが豆鉄砲喰らったような顔して。そんなに私が生きてるのが不思議か?」
「……は。ばーか、お前みてーなやつがくたばるわけねーだろ」
「うわ、なんだその言い方。少しは喜んでくれてもいいんじゃねーの?」
「喜ぶだぁ? お前が生きてたからって? 当たり前のことすぎて喜ぼうとしても喜べねーっつの」
「……それもそうだな!」
そう言って、爽と二人で笑った。チカセンも笑った。三人分の笑い声が病室に響き渡った。
私のシーツに、ぽたり、ぽたりと水滴が零れ落ちる。
なんだよ、もう。この病室、雨漏りでもしてんじゃねーのか。
シーツどころか顔まで、目まで濡れ始めてきたぞ。ちっくしょ。
本当に。本当に良かった。生きててくれて。
「失礼するぞ」
ギルド『リンカイ』が病室にやって来たのは、チカセンが帰ってからしばらくした後だった。
辻垣内と、例のあのオモシロ外人(「誰がオモシロ外人でスカ!」とか言われそうだ)の二人組。
見舞客用の椅子に、二人は腰を下ろした。
「あ……辻垣内さん、でしたっけ」
私が恐る恐る聞くと、辻垣内は静かに頷いた。
「どうやら二人とも大丈夫そうだな。安心した」
「ありがとうございました。おかげで助かりました」
礼を言うが、辻垣内はそれには応えずに、私と爽の顔をじっと見つめた。
無言で顔をたっぷりと凝視され、爽が耐え切れなくなったように言う。
「なんだよ、もうっ」
「いやになったか?」
「……は?」
突拍子も無い質問。
え、なに。いやになったかって。何が?
「これだけ痛い目を見せられて。二人とも死の瀬戸際に追い詰められたようだが。……冒険者は、いやになったか?」
あぁ、そういうことね。
その問いに、爽が間髪入れずに答えた。
「全然っ」
ま、お前はそうだろうな。
「ふむ……そっちの、お前。お前はどうなんだ」
辻垣内は、次に私に視線を移す。
今度ばかりは爽も私の答えを代返しない。
正真正銘、私の本当の気持ちを伝えられそうだ。
頭の中で言葉を吟味してから、私は辻垣内に言った。
「正直、今までは冒険者とかほんとにやってらんねーって感じでした。……でも、今は」
私の言葉を、辻垣内はただ黙って、真剣な面持ちで聞き続ける。
病室の窓から、ふわりと風が吹き込んだ。
心地の良い、柔らかな風が髪を持ち上げるのを感じる。
「今は、冒険者も悪くないかなって思っちゃってます。こんななのに、なーんか……不思議と、晴れやかな気持ちなんすよね」
混じり気のない、純粋な私の今の気持ちだ。
その答えを聞き、辻垣内は少しだけ微笑んだ。
「なかなか消えない炎だ」
そして座っていた椅子から腰を上げながら、辻垣内が言う。
「気に入った。いずれお前たちも冒険者になるのだろうが……その時は私に言うといい。何か助けになれることもあるだろう」
「今回のような無茶はもうしないことだな」とだけ付け足すと、辻垣内は着物を翻して病室を去って行った。
後に残されたのはダヴァン。なんだお前、前にも置いてかれてたよな。そういうポジションなのか。
「サトハ、本当にあなた達のことを気に入ったみたいでスヨ。『オトコギ』があるとかなんトカ……二人とも女の子なのにおかしいでスネ! HAHAHA!」
どうやらダヴァンはまだ帰るつもりはないらしい。
ならばちょうど良いと、私は彼女に訊いてみた。
「あの、ダヴァンさん」
「ハーイ? なんでスカ?」
「どうして助けに来てくれたんすか?」
「『ギを見てせざるはユウなきナリ』!ってヤツでスヨ!」
「いや、そういう意味じゃなくって。なんで私たちが危ないってのが分かったのかなって」
「Oh. そのことでスカ」
「偶然立ち寄ったとか?」と爽が訊くが、ダヴァンは首を横に振る。
「実はでスネ。以前同席した……『アチガGirls』でスカ? 彼女たちに会いましテネ」
「憧たちに?」
「Yes」と頷くダヴァン。
「迷宮内で助けたラシイ怪我人を抱えてパーティも半壊、そんな状態で迷宮に入ろうとしていたのデス。それもかなり慌てた様子でシタ」
『待ちなさいよ、灼! 無茶よ、この状態で迷宮に再突入なんて!』
『でもっ…! 爽と揺杏がっ!』
『帰還の間際に二人を見たような気がする、なんて……あり得ないわよ、そんなこと。見間違いだってば』
『見間違いならそれでもいい! でも……でも、もし二人が本当にあの場にいたら……!』
『……確かに、確認しに行くのは必要かもしれない。でもどうするの? 『バンセイ』の人たちを治癒院に運び込むのが先決でしょ?』
『でも……』
『戦力的にも無理よ。シズに玄、宥姉はもう戦えそうにもないわ。それに灼も魔力切れでもう術式は撃てないんでしょ』
『それは……』
『私なんて論外。メディック一人で戦うなんて無茶にも程があるわ。しかも相手はあのバケモノ鹿よ?』
『……それでも行く』
『あー、もーっ! だから待ちなさいってば!』
『離して!』
『ンー?』
『どうした、ダヴァン』
『あ、イエ。向こうに顔なじみがいるナァ、と思いまシテ』
『顔なじみ?』
『いい加減にしなさいよ、灼! これはリーダー命令よ!』
『じゃあ憧は二人が……爽と揺杏がどうなってもいいって言うの!?』
『……いいわけないじゃない』
『だったら!』
『でも。不確実な情報に踊らされて、ギルドメンバーを危険に晒すなんて……そんなこと、『アチガGirls』のリーダーとして出来ないの』
『……憧』
『分かって、灼。確かに二人も大切だけど……私にとっては、灼たちも大切なの』
『……くっ…!』
『アー、ちょっと良いでスカー?』
『…! 『リンカイ』の……』
『先ほどの話、聞かせてもらったが……あの子供たちが中にいる、と?』
『……はい。『かもしれない』ってレベルの話ですけど』
『そうか。……ダヴァン』
『分かってマス。すぐにネリーたちを呼んできマス!』
「……ってわけでシテ」
ダヴァンの話を聞く限り、アチガGirlsのおかげで助かったって面も大きいようだ。
特に灼。物静かでちょっと冷たい印象もあったけれども、そんな熱い性格だったんだな。ちょっと驚きだ。
「お礼。アチガのみんなにも言わないとだな、揺杏」
そう言って爽がにっと笑った。
なんだか大人たちに助けられてばっかりだな、私たち。
「コドモはそういうもんでスヨ。今のうちにどんどん大人にメーワクをかけるべきデス」
「おっ、マジで? それじゃこれからもどんどん迷惑かけちゃおっかなーっ!」
「ヘイ、サワヤ! なんでもしていいってわけじゃないんですかラネ!」
HAHAHA!と大きな声で笑うダヴァン。
気持ちの良い、からっとした笑い声だったが、たっぷり三分は笑った末に、
「うるさい、そこ!!」
と、病室に走り込んできた小柄な看護士に叱られ、しゅんとしてしまうのだった。
「トコロで……ユアン?」
「ん? なんすか?」
ちょいちょい、とダヴァンが耳を貸すようにとジェスチャーする。
なんだろうと怪訝に思いながら、私は彼女の言う通りに耳を差し出した。
ダヴァンは口を近づけ、ひそひそと言った。
「一皮剥けましタネ?」
このオモシロ外人、この前といいほんと洞察力すげーな。
にやにやと笑うダヴァンに、返事をする代わりに私もにっと笑って返してやった。
「やっぱりでしタカ! イヤ、顔を見てすぐピーンと来ましタヨ!」
「どんな勘の鋭さしてんすか。ま、言う通りなんすけど」
「……変われたでショウ?」
「はい。ちょっとだけっすけど……良いもんすね、なんか」
二人で顔を合わせながらくすくすと笑う。
それがどうにも気に入らないらしく、爽は
「おーい。なんだよ、二人して。内緒話とか性格悪いぞー」
と頬を膨らませる。
「ソーリー、サワヤ! 詳しくはユアンから聞いてくだサイ!」
それだけ言い、ダヴァンはいそいそと帰り支度を始める。
おいおい、なんだよ。お前も帰っちゃうのかよ。
爽が引き止めるように言った。
「ダヴァンも帰っちゃうのか? さみしくなるんだけど」
「その心配はいりませンヨ! どうやらまた別の人たちが来たようですカラ」
「別の人たち?」
病室の戸を開けて出ていくダヴァン。
そして、そんな彼女と入れ替わるようにやってきたのは、
「…! 爽! 揺杏!」
「憧ー! シズに玄、宥ねーちゃんに灼ねーちゃんも……わぷっ」
爽の言葉は、駆け寄ってきた憧の抱擁で遮られた。
「……二人で迷宮に入るなんて……バカ! ほんっとにバカ!!」
「はは……ゴメン」
見れば、穏乃も玄も、宥も灼も。程度の差はあれど、みんな目を潤ませていて。
それは憧も例外ではないらしく、涙声でさらに言う。
「ゴメンとかじゃなくって! いっつも言ってたじゃない、迷宮は危険なとこなんだって!」
「……うん。本当にゴメン」
「だから……。 ……うぅん、そんなことよりも」
そこで憧は爽から身体を離した。
私と爽の顔を見つめる。涙が溢れ出す瞳で。
くしゃくしゃになった顔を無理やり笑わせて、憧は言った。
「ありがとう。生きててくれて……」
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
三角帽に魔導衣を身に着けた私は、最後の仕上げとばかりに、壁に掛けたロッドを手に取った。
オーダーメイドのこいつは、他の新米冒険者が持つロッドとは一味違う。
先端部分に『紫の小さな花』の装飾を施してあるのがこだわりポイントだ。
これでアルケミスト、岩館揺杏の出来上がりってな。
さて、なんだかんだでもう待ち合わせの時間が近い。
最後に鏡でもう一度服装をチェックして、私は外へ出た。
『アチガGirls』は、あれから3年ほどこの街に滞在していたが、やがて任務を完了し旅立ってしまった。
かつての恩師が挑んでいるという『フクオカ』の迷宮に挑戦する、と言い残して。
かなり厄介な迷宮らしく、未だにフクオカが攻略されたという話は聞いていない。
ここホッカイドーの迷宮を攻略してしまったら、次はフクオカへ向かってみるのも面白いかもしれない。
『リンカイ』は、第四層までは攻略できたようだったが、第五層でつまづいてしまったらしい。
そのままギルドは解散し、異国から来ていたメンバーたちはみんな己の国に帰ってしまった。
何だかんだで仲良くなってしまったダヴァンとは、今でも手紙をやり取りしている。
『まだ告白してないんでスカ!? 一体何年待たせるつもりなんでスカ!』
なんてフレーズを手紙の中でもう何度見たことだろう。
うるせえほっとけ。
一方、辻垣内はと言えば、ここホッカイドーに根を下ろし、今では冒険者ギルド組合の長として冒険者たちを陰からバックアップする立場となっている。
私たちがギルド結成の届け出を出したときも、
「バランス良く冒険者は集めたか? いい加減なパーティだと後々苦労するぞ」
なんてお決まりのフレーズを喰らったものだ。
きょとんとする私たちに、照れ臭そうに「……新米にはこう言うのが決まりなんだ。あまり気にするな……」と言った、あの表情はかなり新鮮だった。
――そして。
「揺杏ー! 遅いぞ!」
「わっりぃ、爽。っつーかみんな張り切りすぎじゃね? まだ待ち合わせには時間があるだろ?」
肩を竦める。
まだまだ時間には余裕があるのに、すでにメンバーが全員揃っているとは。
「待ちきれなかったのよね。30分前には来てたわよ、私」
「私もちかちゃんと同じ時間に来ましたっ!」
チカセンと、その幼馴染の成香がそう言って胸を張る。
……しかし、まぁ。なんというか。
「すっげー装備っすね、チカセン」
「そうかな? おかあさんのお古なんだけど」
禍々しいオーラを放つ、黒色のボンテージ。そして鞭。
ダークハンターという職に関する前知識が無ければ、パッと見SMバーの女王様だ。
まさかチカセンがこんなんになっちゃうとはなぁ……月日の流れって怖い。
「全員揃ったなら出発しませんか?」
と提案するのは私たちのメンバーでメディックの真屋由暉子、通称ユキだ。
十年前のあの日に私と爽が運び込まれた『真屋医院』の一人娘。
あの日から彼女と交流するようになり、こうして友人となったのだった。
「そうだな、ユキ。そろそろ行くか!」
爽がそう言って歩き出す。
ユキはそんな爽にぴったりと、寄り添うように隣を歩く。
「……ユキ。ちょっと近くないか」
「そうですか? 岩館先輩の気のせいだと思いますが」
ちなみに、このユキという女。たぶん爽に惚れてるんだよな。
いや、この反応を見れば間違いないと思うんだけれど。
「大変ね、揺杏」
憐れむようにチカセンが優しく声をかけてきた。うるせーちくしょう。
成香も成香で「幼馴染は負けフラグって言葉知ってますか?」とか言い出しやがるし。黙ってろちくしょう。
>>137
×:黒色のボンテージ
○:黒色のボンデージ
細かいとこですが、一応訂正入れておきます……
「ここから先は認可を受けた冒険者しか入れません。あなた方は――」
「ギルド『ウスザン』。これが認可証な」
爽が手渡した書類に目を通し、衛兵は「通ってよし」とだけ言って道を開けた。
「わぁ……」
成香が感動して声を漏らす。
『世界樹』をこんな間近で見たのが初めてだったのだろう。
ユキも声には出さなかったものの、初めて見る世界樹のインパクトに目を見開いていた。
確かに、天を衝くほどの巨大な世界樹の雄大な様に感動する冒険者は多いと聞く。
もっとも、
「新鮮な反応だな!」
「そうねぇ」
昔から出入りしている私や爽、チカセンにとっては最早見飽きたものなのだけれど。
新米冒険者たちの初々しい様子を見ながら、私たちはくすくすと笑った。
「よし! それじゃお前ら、準備は良いか!」
爽が古びたジャベリンを掲げ、大きな声で言う。
「おう」
ロッドの底で軽く地面を叩いて、私は応えた。
「ばっちりだよ、爽!」
チカセンが鞭の先端を顔の前でびんっ、と張って言う。
もう完全に女王様だよね。こわい。
「え、えっと……たぶん、大丈夫ですっ」
おどおどとしながら、成香が応える。
その手には私とは少し形が違うロッド。『ミスティック』と呼ばれる方陣士が好んで使うものだ。
「薬の準備も完璧です」
と、鞄の中をあらため終えたユキが最後に言った。
全員の返答を受け、満足そうに爽が頷いた。
「『ウスザン』のデビュー戦だ! 元気に楽しく行くぞーっ!!」
夏の日差しを受ける世界樹は、今日も冒険者たちを見守り続ける。
(カン)
以上でおしまいになります。
無駄に長くなっちゃいましたが……読んでいただいた人にはちょー感謝だよー!
乙でした。面白かったです。
乙です
乙
乙です!面白かった。
気が向いたらここからの続きも見たいなぁ
乙です
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