幼女とトロール (978)
短編予定ですが、よろしければお付き合いください。
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期待
ズシン、ズシン、と、遠くから重くて低い足音が聞こえる。
日が傾き、向こうの山の陰に隠れてすぐ。私は身動きできず、山の真ん中の岩場で、その音を聞いていた。
私は、逃げ出したい気持ちを堪えて、ぎゅっと手を握りしめて膝を抱えた。
怖い、怖い、怖い!
本当なら、今すぐにだって走って逃げ出したい。でも、だけど、それはできない。
私は両足に鎖を巻き付けられ、両手にも枷をはめられている。
こんなんじゃ、走るどころか身動き一つとることもできない。
でも、この足音は、きっとあいつだ。
この山に住む、魔界の住人、トロール…
あいつが、ここに向かってきているんだ…。
数日前、私の住む村の半分が、突然起こった鉄砲水で流された。
畑も家も、土砂と水でボロボロにされてしまった。
偶然そのとき畑で野良仕事をしていた父さんと母さんはそれに呑み込まれて死んでしまった。
村の人たちは、ずっと昔からこの山に住むトロールの仕業だと言って大騒ぎになって、何日も話し合いをしていたようだった。
父さんと母さんの弔いを終えて、まだ涙が収まらない私を、隣の家の道具屋の女将さんが慰めてくれて、
うちで一緒に暮らそう、って言ってくれている時だった。
村長と、教会の人と、それから村の重役の人たちが農具を持って私のところへやってきた。
私がいきなりのことでびっくりしていたら、村長たちはみんなで押しかかってきて、私を捕まえて麻袋に押し込んだ。
本当にいきなりすぎて、暴れることも、抵抗することもできなかった。
そして、どれくらい時間が経ったか、袋から出してもらえた私は、ここにいた。
村長たちは私に鎖と手枷をつけて、せめてもの情けだ、と言ってダガーを持たせて、そそくさと山を下りて行ってしまった。
そう、早い話、私は生贄、というものにされたようだった。
ズシン、ズシン、という足音がさらに大きく近くなっている。
私は手の中のダガーを握りしめた。
トロールは私を食べるのかな?
それとも、男の子たちが捕まえた虫にするみたいに、脚を折ったり手をもいだりして殺すのかな?
どっちにしても、きっと痛くて苦しいんだろう…
それなら、いっそ…
私はそう思って、ダガーを自分の喉に突き立てようと思ったけど、それすらも怖くてできっこない。
私、死にたくないよ…父さんと母さんも死んじゃって、寂しいしつらいけど、でも…死んじゃうのも怖いよ…!
ズシン、ズシン、と足音が本当にそばまでやってきた。
そう思って体をこわばらせていたら、高い木の上に、何かがのぞいた。
芝生か毛のようなものにおおわれ、大きな耳があって、大きな口には鋭い歯が並んでいて、大きな目にはギラギラと光る瞳を持っている。
ト、ト、ト、トロールだ…!
私はかなうはずもないのに、手に持っていたダガーをトロールに向けた。
4メートルかそれくらいありそうなトロールは、ズシン、ズシンとまっすぐに私のところに向かってくる。
生えていた木を丁寧によけて私のすぐそばまで来たトロールはその大きな瞳で私を見下ろした。
ガクガクと体が震える…助けて…誰か、助けて…!父さん、母さん!!!
あんまりにも体の震えがひどくって、私は手に持っていたダガーを取り落してしまった。
それを見たから、なのか、トロールは私めがけてグッとその腕を伸ばしてきた。
死んじゃう、死んじゃう!
私は、あまりの恐怖で目を閉じて体を丸めてうずくまった。
私の体を何かが包み込んだ、と思ったら、ふわりと宙に浮かんだような気配があった。
食べられるんだ…そう思って覚悟を決めた私は、そのままギュッと丸めた体に力を込めた。
痛いのはイヤ…せめて、わからないように殺して…お願い!
「…ナニシテル?」
低くゴモゴモとした声が聞こえた。
い、い、今の、何…?
私は、ドキドキする胸を押さえながら、恐る恐る顔を上げた。
するとそこには、さっき木の上に見えていた大きな顔がすぐ目の前にあった。
大きくて恐ろしい両の瞳が、私をじっと見据えている。
怖くて、怖くて、叫ぶことさえもできなかった。
「ドウシタ…?」
雷のような重低音が響いた。
ど、どうした…?ト、トロールは、私に…質問をしてるの?
「え、え、え、えっと…」
私は震える唇と、詰まった喉をなんとか震わせて声を上げる。
「わ、わ、わ、私は…い、い、生贄で…」
そこまで言って、しまった、と思った。
私はトロールにささげられた生贄。それをトロールに言ってしまったら、私、トロールに何をされるか…!
慌てた私は、すぐにその言葉を取り消そうとする。
しかし、そんな私に構わずにトロールが口を開いた。
「動クナ」
トロールはそういうと、大きな指で私の両手をつないでいる手枷の鎖を引きちぎった。
「えっ…」
「オ前、コレデ動ケルナ?」
トロールは低い雷の声でそういうと、私を地面におろした。
「コノ山、アブナイ。スグ帰レ」
トロールは私にそう言った。
あ、あれ…わ、私…こ、殺されないの…?
呆然とする私を、トロールは見下ろした。
「オ前、帰ラナイカ?」
「あの、その…私っ…」
私は、足にまかれた鎖を解きながら声を上げる。
私、帰ってもいいのかな…?で、でも、私、もし逃げてきたって村の人に知られたら、またここに置き去りにされる…。
「でも、でも…私!」
「ココ、危ナイ」
トロールはそういうと、また私を手の平につかみ上げた。
「あの…えっと…」
「コノ森、熊イル。狼モイル。人間一人、危ナイ」
「あの…!た、食べたり、しないですか!?」
「熊モ狼モ、人間食ベル」
「そ、そうじゃなくて!その、トロールさんは、私を食べたりしないですか!?」
「オイハ、良イトロール。人間食ワナイ。魔王様ノトロール、人間、食ウ」
魔王…確か、この世界を支配しようとしていた、っていう、悪しき存在…
ここから遥か東にある山脈の向こう側に広がる魔界の王様で、私たちの世界とずっと戦争をしていた。
でも、それも半年ほど前に、勇者様、っていう人が、王国の大軍を率いて魔王の城を攻め落として、戦争は終わった、って話だ。
トロールには、良いトロールと悪いトロールがいるの?
そっか、私たちの世界を支配しようとした魔王って人に従っているのが悪いトロールで、そうじゃないのが良いトロールってこと?
本当に…本当に、このトロールは、私を食べないの…?
私は、半信半疑のまま、でもいつの間にかすっかり抜けてしまった腰のせいで逃げることもできず、
トロールの手の平に乗せられて、山の奥へと連れていかれた。
とりあえず短いですが…ここまでです。
これから書いていきます。
もしかしたら、今夜追加できる…かも。
期待
どさ、っと、私はすっかり暗くなった地面へとおろされた。
腰をぶつけて、ちょっと痛い。
「ココ、入レ」
トロールさんがゴロゴロ声で私に言った。見るとそこには大きな洞穴があった。
「こ、ここは…?」
「ココ、オイノ家。オ前、ココデ待テ。オイ、食イ物取ッテクル」
トロールさんはそう言って私の胴体よりも太い指先で、私の体をグイグイと洞穴の方へと押しやる。
本当に悪い人じゃなさそうだけど…や、やっぱりちょっと怖いな…
そう思って、私は仕方なく、トロールさんの言う通りの洞穴の中を覗き込んだ。もう夜も遅いし、当然中は真っ暗で、何にも見えない。
うぅ…この中に入る、っていうのも、怖いな…
そう思って私が戸惑っていると、真っ暗な洞穴の中にいきなり何か光るものがポワッと浮かんだ。
お、おかしいな…ひ、光ってる…?幻とかじゃない…よね?
私はそう思って自分の目をこすってみる。でも、確かに何かが光っていて、それはフワフワと浮いているように動きながらこっちへ近づいてきている。
私は、その光に目を凝らしてみて、少しだけ驚いた。
その光の正体は、小さな人間みたいな生き物だった。羽が生えていて、フワフワ、ピカピカと光っている。
こ、これって…妖精、さん…?
羽の生えたその小さな人間…女の子は、私の顔を見て、パクパクと口を動かした。
な、なにか言ってるみたい…でも、聞こえない。な、なんだろう…?
「ソノ妖精、喋レナイ。デモ、イイヤツ」
トロールさんがまた、ゴロゴロっと言う。
「しゃ、喋れないの?」
「ソウ。怖イ思イシテ、喋レナクナッタ…人間ニ、イタズラサレタ」
「に、人間に?」
「ソウ。デモ、大丈夫。イイヤツ」
「喋れないのに、わかるの?」
「オイハ、自然ノ言葉ワカル。妖精モ、オナジ。声ガ出ナクテモ、話セル」
トロールさんはそういって、私をまた指の先でグイッと洞穴の中に押し込んだ。
同時に、妖精さんが私の服の裾をクイクイと引っ張ってくる。
「案内シテモラエ」
「あ、えっと…は、はい」
トロールさんは私の言葉を聞くと、そのままのっそりと背を向けて、森の奥の方へとズシン、ズシンと歩いて行ってしまった。
私はその後ろ姿を見送ってから、妖精さんの方を振り返る。
妖精さんは不思議そうな顔をして私を見つめていた。
「えっと…その…よ、よろしくお願いします…」
私が言ったら、妖精さんはニコっと笑って、そのまま私の服の裾を引っ張って洞穴の中に私を連れ込んだ。
妖精さんは洞穴に入ると、さらにピカピカと明るく光って、私の足元を照らしてくれる。
だけど、私はその明りのせいで、見たくもないものも見てしまった。洞穴の中には、何のものかはわからない骨がたくさん転がっていた。
気味が悪くて、思わず足が重くなってしまう。や、やっぱり、食べられちゃうのかな…?
悪いトロールじゃない、って言ってたけど…そ、そもそも、悪いトロールだとしたら、正直に自分が悪いトロールだって言うだろうか?
う、ううん、もしそうだったら、私をだまして連れていくのに、自分は良いトロールだって、そう嘘を言うよね、きっと…
わ、私だまされちゃったのかな…?
そんなことを考えてしまって、私は急に怖くなってきた。そ、そうだ…妖精さんに聞いてみようかな…
「あ、あの、妖精さん…」
私が声をかけると、妖精さんはすぐにこっちを向いてくれる。
「あの…あのね、あのトロールさんは、良い人?悪い人?」
私がそう聞くと、妖精さんはニコっと笑って口をパクパク動かした。うぅ、そうだった…妖精さんは、喋れないんだった…
私は思わず、困った顔をしてしまった。
でも、妖精さんは私の顔を見て気が付いてくれたみたいで、すこしの間だけ首をかしげてから何かを思いついたみたいにふわりと地面に降り立って何かを拾った。
妖精さんはそれを手に持つと、すぐそばの洞穴の壁に、何かを描きはじめた。
人みたいな…あ、でも、羽が生えてる。
「これ、妖精さん?」
私が聞くと、妖精さんはコクコクとうなずいて、その周りの大きな人の絵を描いた。
これって、もしかして…
「妖精さんが、人間にいじめられてるときの絵?」
私が聞いたら、妖精さんはまたコクっとうなずいて、それから絵の妖精さんの体に斜めにピっと線を入れた。
なんだろう、この線…?
私が首をかしげて妖精さんを見たら、妖精さんはちょっと難しそうな顔をしてから、葉っぱみたいな生地で出来た服をクイっと脱いだ。
そこには、大きな傷跡があった…も、もしかして…これ、人間にやられちゃったの?
「そ、それ…虐められてついちゃったの?」
私が聞いたら、妖精さんはちょっと悲しそうな顔をしてまた、コクン、とうなずいた。
そっか…妖精さん、怖かっただろうな…妖精さんにとってはきっと、人間はトロールさんと同じくらい大きく見えるはずだ。
そんな大きな人たちによってたかって虐められたりしたら…わ、私だったら…そんなの、怖くって怖くってそれだけで死んじゃうかもしれない…。
私は、怖い顔をしたトロールさんに手や足をつかまれて弄ばれるのを想像してしまって、体が震えてしまった。
それから、なんだか申し訳なくなってしまった。私と同じ人間が、こんな小さな妖精さんを虐めるだなんて…怖がらせるだなんて…そんなの、ひどいよ。
「妖精さん…ご、ごめんなさい…私がやったわけじゃないけど…それ、人間にやられたんでしょ?だから、ごめんなさい…」
私は妖精さんに謝った。でも、妖精さんは首を横に振って、小さな手で、私の頭をなでてくれた。
それからまた壁の方に行って、大きな顔の絵を描いた。
「これ…あのトロールさん?」
私が聞いたら、妖精さんは笑ってうなずく。
「そっか…あのトロールさんが助けてくれたんだ?」
妖精さんはニコっと笑ってから、まるで私に襲い掛かってくるみたいなポーズをしてみせる。
それからすぐに、慌てたようすで、空中に浮いたまま駆け足をするマネをした。
「トロールさんが、ガオーってやって、人間が逃げ出した、ってこと?」
そう聞いたら妖精さんはパチパチパチと小さな手をたたいた。あ、どうやら正解だったみたい。
でも私は、そんなことより妖精さんのそのしぐさがなんだかかわいらしくって、思わず笑ってしまった。
それから私は、妖精さんに連れられて洞穴の一番奥にたどり着いた。
着いてみて、驚いた。
そこには、大きな木が一本生えていて、そのさらに上に、きれいな星空が広がっていた。
洞穴の行き止まりはもっと真っ暗なところだと思っていたのに、周りを高い壁に囲まれた不思議な場所だった。
妖精さんが、洞穴の出口の脇を指さした。
そこには大きな横穴がある。妖精さんは私がそこを見たのを確かめるとまたさっきのガオーをやってから、羽をパタパタさせて空中で横になって眠る真似をした。
「トロールさんはそこで寝てるの?」
私が言うと、妖精さんはパチパチ、っと手をたたいてくれる。そっか、トロールさんって、太陽の光を浴びたらいけないんだったよね。
こんな大きな横穴なら、トロールさんの大きな体も入るだろうな。よく見たら、藁みたいなものがたくさん敷き詰めてあって、寝心地の良さそうだった。
妖精さんはまた私の袖口を引っ張って、その大穴横まで私を連れていく。それから、そのすぐ横にあった私の身長の倍くらいある板みたいな岩を指さした。
「私は、ここ?」
そう聞いてみたら妖精さんはうなずいて、トロールさんの穴から藁みたいな草を、小さな体でひと塊抱えてその岩の上にパラパラっと置いた。
そっか、ここに藁を敷いて、それで寝なさい、ってことね。
私はそのことに気が付いて、トロールさんの横穴にたくさんあった草を少しだけもらって岩の上に敷き詰めた。
うん、これならちょっとは眠れそうかな…
そう思って藁の上に体を横にしてみる。だけど、ちくちくしちゃって、あんまり寝心地はよくなかった。
そんなことを思ったら、急に住んでいたうちのベッドが恋しくなってしまった。
ベッドだけじゃない…母さんの料理とか、父さんのあったかい手とか、母さんのやさしい匂いとか…
でも…でも、母さんも父さんも、もういない。村に帰っても何をされるかわからない…
私は、ここに居るしかないんだ…
気が付かないうちに、私はポロポロ泣き出してしまっていた。
それでも、私はここで眠るしかない…だから、いい子だから、眠ろうよ、私…
私はそう自分に言い聞かせて、唇をギュッと噛んで、手をギュッと握って目を閉じた。
父さん…母さん…
私、寂しいよう…
つづく。
乙
「ん…」
体痛い…えっと、私…どうしたんだっけ…?
ぼやける目をこすってあたりを見回す。
そこはごつごつした岩ばかりの見知らぬ場所で、遠くには日を浴びて光り輝いている大きな木と、草原が見える。
いつもの家じゃない…道具屋のおばちゃんの家でもない…ここは、えっと…
すこし混乱していた私の耳にパタパタという羽音が聞こえてきた。
見ると、妖精さんが手に何かをもって私の顔を覗き込んでいた。
そうだ…私、昨日の夜に、トロールさんにここに連れてこられて、それで…
私はそのことに気が付いて改めてあたりを見回す。すると、あの横穴に大きな体をすっぽりとはめ込んで寝息を立てているトロールさんの姿を見つけた。
やっぱり、夢じゃなかった…良いことなのか、悪いことなのかわからないけど。
ううん、父さんと母さんが死んじゃったのは、夢だった、って方がいいに決まってる、か。
妖精さんがパタパタと羽を鳴らして私の目の前に降り立った。そうだった、ご挨拶しないと。
「おはよう、妖精さん」
私が言うと、妖精さんはニコっと笑って抱えていた何かを私に差し出してきた。
それは、大きくて濃い色に熟した桑の実だった。
「くれるの?」
私が聞くと妖精さんはパタパタっと飛んで、そばにあった岩の上に降り立つ。
そこには、木の実や魚が大きな葉っぱの上に置かれていた。
そっか…トロールさんが採ってきてくれたんだ…お、お礼、言った方がいいかな?
あ、でも、トロールさん、寝てるし…今はやめておこうか…
私はベッド代わりにしていた岩板の上から立ち上がる。ギシギシと体が音を立てて痛む。
うぅ、やっぱり寝心地はよくなかったな…
そんなことを思いながら私は妖精さんのところに行く。
桑の実に、木苺に、アケビもある。この泥んこになっているのはお芋かな?見たことない形してるけど…きっとそうだな。
魚は川でよく見かけるやつだ。家でも食べたことある…だけど、このままってわけにはいかないよね。
ちゃんと焼かないと、私には無理だ。
私は妖精さんに渡してもらった桑の実を食べてみる。甘酸っぱい味が口の中に広がって、少しだけ幸せな気分になる。
「おいしい」
そういってみたら、木苺をリンゴみたいにかじっていた妖精さんも笑ってくれた。
私も木苺をもらって、それからアケビも剥いて妖精さんと分けて食べる。
だけど、やっぱりこればっかりじゃ、お腹はいっぱいにならないよね…パンとは言わないけど、このお芋を焼いて食べたいな…あと、魚も。
「ね、妖精さん。この洞穴、火を使ったらまずい?」
私は妖精さんに聞いてみた。すると妖精さんはパタパタっと羽ばたいて、昨日みたいに私の服の裾をつかんで大きな木のある外の方へと私を連れていく。
そのすぐそばに、私の頭くらいの大きさの岩がゴロゴロと転がっているところがあって、その真ん中には火を焚いた跡が残っていた。
「トロールさんも、火を使うの?」
妖精さんは、コクコクとうなずく。
そうなんだ…トロールさんて、こう、動物とかも生で頭からムシャっと食べるのかと思ってたけど、そうじゃないんだなぁ。
「そうだ、火をつけるには薪がいるね!」
私はそれに気が付いてあたりを探してみるけど、燃やすのに良さそうな木は見当たらない。
外にとりに行かなきゃダメ、か…
私はそのことを妖精さんに言ってみる。すると妖精さんは、着いてきてくれる、って身振り手振りで私に言ってくれた。
それから私は昨日みたいに妖精さんに連れられて洞穴を出口の方に向かって歩いた。
洞穴の中は、やっぱり奥に進むと真っ暗で何にも見えなかったので、妖精さんがいてくれてよかった。
洞窟の外は、うっそうと茂る森だった。昨日は真っ暗で木があるくらいしか気が付かなかったけど、こんなに深い森だったなんて思わなかった。
こういう、日の光が差しにくい場所に落ちてる木はたいていが腐ったり湿ったりしていて火をおこすには向いてないって父さんが言ってた。
薪にするなら、もう少し日当たりの良いところにある木じゃないとダメだろうなぁ…
「妖精さん、もう少し開けたところに案内してくれないかな?ここにある木だと、火が着かない気がして」
私がお願いしたら、妖精さんは空中でクルっと回って森の向こうを指さした。
あっちに行けばあるんだね…行ってみよう。
私は足を踏み出した。
サクサクと、枯葉を踏みしめる足が鳴る。
そういえば、トロールさんがこのあたりには熊も狼もいる、って言ってたっけ。
狼は夜に狩りをするって聞いたことがあるな。昼間は熊、か。
村では、熊よけのために、森に入るときはいつも歌を歌っていたのを思い出す。
私と妖精さんだけじゃ、もし熊に出会ったら大変だもんね。
私も歌を唄って、熊を遠ざけないと。
「山がー色づきー♪風薫るー♪雪解けがーせせらぐぅー♪いのちが息吹く春ぅー♪」
歌いだしたら、それに気づいた妖精さんはちょっとびっくりしたみたいだったけど、すぐに笑顔になって空中で私の歌に合わせて踊るみたいにして飛び回りだした。
この歌は、村の大人たちがよく歌っている季節の歌で、雪解けの春から始まって、
雨季と夏と、夏の終わるころと、実りの秋と、枯れはじめの秋と、霜が降りる冬に、雪が積もる冬があって、それからまた最初の雪解けの春に戻る。
全部で7番まである。私はまだ夏までしか覚えてなくて、秋よりあとはまだぼんやりしか知らないんだけどね。
でも、歌を唄っていると楽しい気分になってきた。そういえば、父さんと母さんが死んじゃってから、こんなに良い気分になれた時間はなかったな。
思い出すと寂しくって悲しくって泣きたくなるけど…うん、今はそれよりも、歌を唄いながら薪を探さなくっちゃ。
そう思って私は妖精さんに連れられて歩いた。すこし行くと、次第に森が開けてきた。
サラサラと川の流れる音が聞こえてくる。
川か…薪があっての湿ってそう…そう思っていた私の顔の前に急に妖精さんが飛んできた。どうしたの?
そう聞く前に妖精さんは私の口にへばりついてきた。目の本当にすぐ前で、慌てた顔をしてしーっと人差し指を立てている。
し、静かに、ってこと?なに?熊?く、熊だったら大きい声出して追い払わないといけないんだよ…?!
私は急にそうされたものだから、びっくりしたのと怖くなってしまったのとで、体がまたカチコチになってしまう。
そんな私の服の裾を、妖精さんがそっと引っ張って、川の方へと誘導していく。
妖精さんが合図してきたので、私はその場にしゃがみ込んで這いつくばりながら近くの茂みの陰まで行って、そーっと川の方をのぞいてみた。
そこには、何かがいた。
ボロボロの生地に、ボサボサした髪に、傷だらけの体をした、誰か…
あ、あれ、ひ、人?た、倒れてるけど…大丈夫かな…?
私は心配になって、恐る恐る立ち上がりその倒れている人をもっと良く観察する。
腰には皮のベルトをしていて、そこには剣がぶら下がっている。
へ、兵隊さん?で、でも、それにしては鎧なんかは着てない…ど、どうしちゃったんだろう…?
「あ、あのっ…大丈夫、ですか?」
私はビクビクっとしながらそう声を上げた。
も、もし、大けがでもしてるんだったら大変だし…体のあちこちに擦り傷みたいのはたくさんあるから、きっとなにかあったに違いないんだ。
私が声をかけても、その人はピクリとも動かなかった。し、死んじゃってるのかな…?
妖精さんが私の肩口に引っ付いて、私とおんなじようにビクビクっとしているのがわかる。
「あ、あのぅ~…」
私は、もう一度恐る恐る声をかけた。
返事は、ない…と思った次の瞬間、その人の体がビクンと動き出した。
「ひぃぃ!!!」
私は思わず声を上げてしりもちをついてしまう。
でも、そんな私に構わずに、その人は
「ん、くっ…」
とうめきながら、ゆっくりと体を起こした。
その人は、女の人だった。
私よりもっと年上の、お姉さん、って感じの女の人だ。
お姉さんは、ぼりぼりと頭を掻きながらあたりを見回して、それからしりもちをついていた私に気が付いた。
「んあ?なんだ、あんた?」
「え、あ、ええ、えっと…その…あの…」
「あれ、その肩に乗ってんのって、妖精?」
私はその言葉にはっとした。そうだ、妖精さん、一緒だった!
私が気が付いたのと同時に、妖精さんもビクンと体を震わせて私の背中の後ろに姿を隠した。
でも、そんな様子を見てお姉さんはあははと声を上げた笑う。
「あぁ、ごめんごめん。別にいじめたりしないから大丈夫だよ。このあたりじゃ珍しいなと思っただけだから」
「お、お姉さんは…その、誰、ですか?」
「あたし?あたしは今のとこ、フリーの傭兵。傭兵ってわかる?雇われの兵隊。もともとは王国軍にいたんだけど、戦争が終わったらリストラされちゃってさ」
「そ、それで、どうしてこんなところに…?」
「んー、話すと長いんだけど…いい機会だし、時間があるうちにいろいろ見て回ろうかなって思って旅してたんだ。でも、山に入ったら鉄砲水に流されちゃってさ。
いやぁ、びっくりしたよ。お蔭で荷物も流されちゃうし、食料もないし、腹減っちゃって昨日は諦めてここで寝たんだ」
お姉さんはそう言いってからふぅ、とため息をついて、私をじっくりと観察してきた。
「あんたは?この山に住んでるの?」
「え、その…えっと…私は…い、生贄で、この山に捨てられて…」
「い、生贄?」
お姉さんがそう言って顔をしかめる。ど、どうしよう、話して大丈夫かな…?
私は少し迷ったけれど、お姉さんに私がここに連れてこられた話をすることにした。
洪水で家が流されて、父さんと母さんが死んだ話も、洪水を収める生贄としてこの山に置き去りにされたことも。
私が話し終えるとお姉さんはなんだかとても悲しそうな顔をした。
「そんなことが、あったんだね…手にはまってるそれは、枷ってことか」
そういうとお姉さんは腰の皮巻から小さなナイフを取り出した。
「腕、貸して。それ取ってあげるよ」
お姉さんに言われて、私はおずおずと両腕を差し出した。お姉さんは、ナイフを枷の鍵穴に突っ込むとくいっとひねった。
枷は思いのほか簡単に外れてくれた。
その下の腕は赤くすり切れてしまっていて、あちこちからうっすらと血が出ている。
痛みはそれほどでもなかったけど、でも、取れて腕が軽くなって、私はなんだか安心した気持ちになった。
そんなとき、妖精さんがパタパタっと私の背中の方から出てき、私の腕にチョコンと座った。
何をするのかと思ったら、妖精さんがいつもより少し明るく光って、なんだか枷のはまっていた場所がホンワカと温かくなってくる。
「回復魔法…?」
お姉さんがそう呟くように言った。
「妖精さん、そんなことできるの!?」
私の声に妖精さんはパタパタっと飛び上がって、空中でエッヘン、って感じで胸を張った。
私の腕にあった擦り傷はなくなって、すっかりきれいになっている。
「妖精さん、すごい!ありがとう!」
私は思わずそんな声を上げて妖精さんの小さな手を取ってお礼を言った。
「あはは、仲良しみたいだな」
「お姉さんも、ありがとう!」
「いいんだよ、別に。それより、もしできたらこのあたりの道案内頼めないかな?
流された荷物を取りに行かないと、またいつどこで行き倒れになるかわかったもんじゃない」
道案内、か…困ったな、私、この山のことよく知らないよ…
そう思って私は妖精さんを見た。妖精さんなら、もしかしたら知ってるかもしれない。夕方過ぎだったらトロールさんにお願いした方がいいんだろうけど
それじゃぁ、きっとお姉さんは困っちゃうしね…
私の視線に気が付いてくれた妖精さんは、お姉さんをチラッと見てから、すこし考えるみたいなしぐさを見せて、少ししてコクコク、とうなずいてくれた。
「よかった!お姉さん、妖精さんが案内してくれるって」
「そっか!助かるよ!じゃぁ、よろしく頼むな!」
お姉さんはそういって立ち上がろうとして、そのまま顔から地面に崩れ落ちた。
ドシャァっとすごい音がする。
「お、お、お姉さん!」
「いててて…まいったな…」
お姉さんがそううめきながら起き上る。その顔を見て、私はぷっと噴き出してしまった。
「腹が減っちゃってちょっとダメだ…ごめん、何か食べるものとかないかな…?少しでも口に入れば違うと思うんだけど…って、あれ、なに笑ってんの?」
お姉さんはボリボリと頭を掻きながら私を見てそう聞いてくる。
「う、うん…お、お魚と木の実でよかったら、一緒に食べよう!」
私は笑いをこらえながらお姉さんにそう言ってあげる。
お姉さんは、両方の鼻からドバドバ鼻血を垂らしながら、私を見て不思議そうに首をかしげていた。
つづく。
まったり展開、短め投下で申し訳ない。
乙ー
慌てずになー
「へぇー、この山にこんな洞窟あったんだ」
拾った薪を抱えたお姉さんがそう声を上げている。近くに住んでいた私も知らなかったくらいだし、お姉さんが知らないのも無理はないだろうな。
妖精さんはお姉さんと身振り手振りで一生懸命に話をしている。
お姉さんはそれをみてなんだか楽しそうに笑っているし、悪い人、って感じもしない。
良い人なんだろうな、ってそう感じた。
ほどなくして私たちはトロールさんのベッドのある場所にたどり着いた。
ゴロゴロという、トロールさんのいびきが聞こえる。
とたん、ガラガラっと音がした。見るとお姉さんがちょっと驚いたみたいな表情をしていた。
次の瞬間、お姉さんは腰の剣に手をかける。
「ちょ!待って、お姉さん!」
私はとっさにお姉さんに飛びついた。
「ちょ、え、だって…こいつ、トロールじゃ…!?」
「このトロールさんに助けてもらったの!トロールさんは良いトロールさんなんだよ!」
「い、良いトロール?」
「そう!魔王ってやつのところで兵隊をしていたのが悪いトロールで、このトロールさんはそうじゃない普通のトロールさんなの!」
「ふ、ふつうのトロールってバカでかい棍棒振り回して襲ってくる方だと思うんだけど…」
「え、そうなの?じゃ、じゃぁ、普通じゃないトロールさん、なのかな?」
妖精さんも、パタパタ宙に浮きながらお姉さんを押しとどめてくれる。
「ンガッ…」
急に、そんな低くて重苦しい音がしたと思ったら、ノソッとトロールさんが起き上った。
お姉さんはちょっとビクっとなって、二、三歩後ずさりをする。
「オ前、誰ダ?」
トロールさんはすぐにお姉さんに気が付いて、鋭い目をしてゴロゴロする声で聞いた。
「あ、あたしは、も、元国王軍の剣士だ!い、今はフリーの傭兵だけど…」
「国王軍?」
お姉さんの言葉に、トロールさんの目つきがさらに鋭くなった。ちょ、ちょっと待ってよ!
「待って、トロールさん!この人、外で倒れてたの!旅の途中でお腹がすいて、それで動けなくなってたんだって!悪い人じゃないと思うんだ!」
私はお姉さんの前に立ってトロールさんに言った。お姉さんだって、きっと私と一緒なんだ。
国王軍を辞めさせられて、行くところもなくて困ってたんだ、ってそう思ったから。きっと、トロールさんは力になってくれるはず…。
私の言葉に、トロールさんは「ンンン…」とお腹に響いてくるくらいに低い声でうなった。それからまた低い声で
「オ前、良イ人間カ?」
とお姉さんに聞いた。
お姉さんはトロールさんをじっと見据えながら
「何が良くて何が悪いかはわからない。でも、そっちがあたしを攻撃しないってんなら、あたしももあんたを切るつもりはない」
としっかりした口調で言った。
それを聞いたトロールさんは黙ってお姉さんを見つめていたけど、しばらくして
「分カッタ」
とだけ言い、またノソっと横穴の中のベッドに横になってグゴゴゴゴっといびきをかきはじめた。
良かった…私は思わず、ふぅ、とため息をついてしまった。
「まさか、こんなところにトロールがいるなんてな…」
お姉さんはいつの間にか額に浮いた汗を袖口で拭ってそういった。
「ごめんね。最初に言っておけばよかったね。私もトロールさんに助けてもらったんだよ」
「なるほどなぁ…まぁ、トロールってそもそもは妖精の類だし、大人しいやつが居たって不思議じゃない、か…」
お姉さんもそういって、ふぅ、とため息をついた。
知らなかった…トロールさんて、妖精さんと同じなんだ?
そんなことを思っていたら、急にグルルルーとお姉さんのお腹が鳴る。
「あっ…だめだ…気を抜いたら力が…」
お姉さんはそういってへなへなとその場に座り込んでしまう。そうだった、お姉さん、お腹すいてるんだったね。
「こっちに来て!すぐにお魚焼いてあげる!」
私はお姉さんの手を取って、反対の腕で転がった薪を何本か抱えて大きな木の下に作られたカマドのところへ向かった。
カマドの中に薪を入れて、あたりで拾った枯葉と枯草をその下に敷く。マッチがないからちょっと大変だけど、私は太いの枝に細いのをこすりつけはじめた。
太い方はちゃんと乾燥していそうだし、これでちゃんと火が着くはず…
「苦労しそうだなぁ」
お姉さんが苦笑いでそういってくる。
「大丈夫、やったことあるから」
「そっか」
私が返事をしたら、お姉さんは少し安心したみたいに笑った。
妖精さんが残りの薪をもってきてくれて、そばにバラバラっと置いてからお姉さんの回りを飛び回って何かを伝えている。
「ん?なんだよ?あぁ、この革袋?」
お姉さんは身振り手振りの妖精さんに言われて、腰のベルトにひっかけてあった袋を手に取った。
「食い物の代わりに薬草も食べちゃったから、からっぽだよ?」
そう言うお姉さんから革袋を受け取った妖精さんが、いつの間にか小さな手に持っていた木苺の実を革袋に入れるマネを繰り返す。
「あぁ、なんだ?木苺取ってきてくれる、っての?」
お姉さんが聞くと、妖精さんはコクコクっとうなずいた。
「あはは、ありがと。じゃぁ、頼むよ。あんまり無理しなくっていいからな」
お姉さんの言葉に、妖精さんはくるっと一回宙返りをすると、そのまま洞穴の方へと飛んでいった。
「なんだか至れり尽くせりで申し訳ないなぁ」
妖精さんを見送ったお姉さんがそんなことを言っている。
私は、といえば、年齢はちょっと上に見えるけど、人間のお姉さんがいてくれて少し安心できた。
トロールさんは昼間は寝ているみたいだし、妖精さんはかわいいけれどおしゃべりはまだできないし、こうやって誰かと話をしているとホッとできるような気がした。
「お姉さんは、どこか行くところがあったの?」
私が聞いたら、お姉さんは
「あー」
って声を上げて、顔をしかめた。あれ、なんだかいけないことを聞いちゃった?
そう思ったら、お姉さんはおもむろに来ていた服の袖をまくって見せた。
そこには、焼きゴテを押し付けられたような、焼けどみたいに皮膚が黒く変色している痕があった。
それも、何かの模様になっているように見える。
「そ、それ、どうしたんですか?」
「あたしさ、時間がないんだ」
「時間?」
お姉さんの言葉にそう聞き返したら、お姉さんは少しだけ悲しそうな表情で笑った。
「呪いなんだよ、これ」
の、呪い…?!私は想像していなかった言葉に驚いてしまった。お姉さんは、国王軍を辞めさせられて旅をしている、って言ってた。
もしかしたら、この呪いのせいで軍を追い出されちゃったの?
それに、時間がない、ってお姉さんは言ってた。も、もしかしてその呪いは…お姉さんを…
「…殺されちゃうの…?その、呪いに…?」
私が聞いたら、お姉ちゃんはクスっと笑うだけだった。
「分からない…ある意味、死ぬかもしれないし、もしかしたら生きられるかもしれない…でも、死にたい、と思うこともある…はは、怖くてそんなことできないんだけどさ」
どういうことなんだろう?私はお姉さんの言葉の意味がよくわからなかった。
その呪いがどんな呪いなのかってのがまだよくわかってない、ってことなのかな?
お姉さんは考えている私に構わずに話をつづけた。
「とにかく、あたしには時間がないらしいんだ。だから、あたしはこの呪いの『答え』を探してる…それがなんだか、全然見当もついてないんだけどね」
お姉さんはそういって、私の顔を見て肩をすくめた。
そっか…お姉さんはきっと、あの呪いを解くための方法を探して旅をしているんだ。
呪いの効果がお姉さんを蝕むのが先か、それとも、呪いがどんなもので、どう解くのかを見つけるのが先か…時間がない、ってのはそういうことなんだ。
と、急にお姉さんはカラカラっと笑い声を上げた。
「ごめんね、急にこんな話して。ずっと一人で抱えてきたから誰かに話したかったんだ」
「ううん…その…わ、私は力にはなれないけど…いい方法が見つかるといいね」
「あぁ、うん。ありがと。あんた、いい子だね」
私が言ってあげたら、お姉さんは嬉しそうに笑ってそう返事をしてくれた。
ふと、香ばしい匂いが香った。見たら、こすっていた枝が赤々となって煙を上げていた。
私はそこに枯草を押し付ける。ほどなくして草に火が着いたので、それを薪の下の枯葉の中に押し込んで、ふーっと息をかけた。
すぐにボッと音がして枯葉が燃え上って、細い枝に燃え移り、薪に火が灯った。
「へぇ!やるもんだ!」
お姉さんがそう言ってくれたので私はなんだかうれしいのと恥ずかしいので、えへへと笑ってしまっていた。
つづく。
とりあえず、今日書いた分だけ。
レス感謝です。
これから信長の方書きますw
どうでもいいけど>>22の貼り付け時間すごくねw
乙
それから私たちは、トロールさんが夜のうちに取ってきてくれた魚を食べて、妖精さんが持ってきてくれた木苺もみんなで分けて食べた。
お姉さんは本当に久しぶりに食べ物を口にしたみたいで、半分泣きながら「ありがとな、ありがとな」って何度も言ってておかしくって笑ってしまった。
お腹がいっぱいになってから、ふと、お姉さんが思い出したように
「そういや、あたし荷物探しに行かなきゃいけなかったんだ」
と膝をポンっとたたいて言った。
お姉さんもそうだったみたいだけど、私もうっかり忘れてた。確か、鉄砲水に流された、って言ってたよね…
「なぁ、妖精ちゃん。ちょっと森を案内してくれないかな?たぶん、川の下流の方に行けば、どっかに引っかかってると思うんだよ」
お姉さんがそういうと、妖精さんはコクコクとうなずいてパタパタっと飛び上がった。
「私も着いて行っていいですか?」
私は、ふとそんなことを思ってお姉さんに聞いてみた。
村にいたころは、山は危ないから入っちゃいけないって言われていたし、ここに来てから時間が経っているわけでもないし、山のことはよく知らない。
でも、ほかに行くところもないし、山のことは知っておかなきゃな、と思った。
妖精さんと一緒に木苺を採ったり、お魚獲ったりできれば、トロールさんの役に立てるかな、とも思ったし。
「あぁ、いいけど…どこにあるかもわからないし、時間かかるかもしれないよ?」
「うん、それでもいいです。私も山のこと知りたいし…」
「そっか。んじゃぁ、一緒に行こう」
お姉さんがそう言ってくれたので、私は妖精さんとお姉さんと三人で洞穴を出て、最初にお姉さんが倒れていた場所に向かった。
そこから妖精さんの案内で川の下流の方へと歩いていく。
川の回りはゴツゴツとした岩だらけで正直歩くのも大変だったけど、お姉さんが手を貸してくれたり、
転んじゃってすりむいたりすると妖精さんが魔法で治してくれたりするので、頑張ってあるいた。
「しかし、ずいぶんと深い森だな…」
お姉さんが川を覆うようにして生い茂る木々を見上げてそんなことを呟く。
「熊とか狼もいる、ってトロールさんが言ってました」
「へぇ。豊かな森なんだな」
「お姉さんは、熊って見たことありますか?」
「あぁ、あるよ。とびきりでっかいやつとかね」
「こ、怖くなかったんですか?」
「まぁ、最初はちょっとビビったけどね。でも、熊だって狼だって、大抵は人間を襲いたくて襲うなんてことはないからな。
驚かせたりしなきゃぁ、そうそう攻撃もしてこないもんだよ」
そうなんだ…あ、もしかして熊よけの歌は驚かせないように、ここに人間がいるよって熊に知らせるために歌うのかな?
そんなことを思っていたら、お姉さんが急に足を止めた。後ろ手に私に手の平を見せて止まるように、って合図を送ってくる。
な、なんだろう、急に…?
私は首を傾げながらお姉さんの向こうの景色を見やった。すると、ガサガサっと音がして、そばの茂みから何かが飛び出してきた。
それは、ネズミだった。でも、普通のネズミじゃない…イノシシくらいの大きさがありそうな、とっても大きくて真っ赤な目をしたネズミだ。
ネズミは、ふーふー!っと威嚇の声をあげてお姉さんに向かって全身の毛を逆立ている。こんなの、初めて見る…山にはこんな生き物もいるの…?
「おー、この山、こんなのもいるのか」
お姉さんがそう声をあげた。
「こ、これ、ネズミですか?」
「あぁ、うん。バケネズミだよ。本来は魔界の生き物だったんだけど…戦争のときに魔族が大量に連れてきて、逃げ出したのが住み着いていることがあるんだ」
ま、魔界の生き物!?
そんな怖そうなのがこの山にいるの?トロールさんや妖精さんだけじゃなくって…!?
私はそれを聞いて全身を固くして緊張してしまったけど、お姉さんはカカカっと明るく笑った。
「大丈夫。こいつらだって熊と一緒。こっちに敵意がないってわかれば、そうそう襲ってくるようなこともないよ」
そういったお姉さんは、腰のベルトに通してあった皮袋から、さっき食べ残した木苺を一粒取り出すと手の平に乗せてネズミの方へと差し出した。
ネズミは、少し警戒した様子でお姉さんと木苺を交互に見つめながら、素早い動きで木苺を奪い取るとそのままガサガサと茂みの中に消えていった。
「ほらね」
お姉さんはそういって私に笑いかけてくれた。
あんなのに出くわして全然怖がらないでそれだけだって十分すごいのに、手から木苺あげちゃうだなんて…やっぱり、兵士さんだった、っていうのは本当なんだね。
あんなの、ふつうは怖くて絶対にできないよ…
私がそんな様子に呆然としていたら、お姉さんはそんな私を見て、クスっとまた笑った。
それからまた川に沿ってしばらく歩くと、私たちの目の前に一周千歩はありそうな泉が姿を現した。
水がすごく澄んでいて、底にある緑の藻か何かがキラキラとかがやいているのが見える。
「わぁー!」
私は思わず、そう声をあげていた。
「へぇ、こんな泉まであるんだ。やっぱり豊かな山だなぁ」
お姉さんもそういって感心している。
でも、そんな私たちの顔の前に妖精さんがパッと飛び上がってきた。
必死になって身振り手振りでパタパタと何かを伝えようとしている。
どうしたの、妖精さん?なんだか、大変、って顔をしてるけど…
私がそう思ってたら、お姉さんが怪訝な顔をして呟いた。
「こんなところに泉なんてなかった…?」
え?
私はお姉さんの言葉に少し驚いた。泉がなかった、ってどういうこと?
雨がたまってできた、ってこと?
で、でも、ここ何日かはそんな大雨降っていないし…
私はそう思ってお姉さんを見上げた。お姉さんは、口元に手を当てて何かを考えるようなしぐさを見せてから、ヒュッと剣を抜いて、泉の中に突き立てた。
剣をグイッとひねって引っ張ると、その切っ先に底にあった藻のようなものが付いてくる。ううん、これ、藻なんかじゃない。
よく見たら、足元に生えているのと同じ草だ。
ふと、私も気が付いた。この泉、足元の草がそのまま底まで続いている。
ふつう泉があるんなら、その水際は石とか砂利になっているはずなのに、この泉は違う。水際を超えて、底までびっしり草が生えてるんだ。
「確かに長いことここに泉があったような感じじゃないな…」
お姉さんは切っ先についた草を見てそう言い、それからふっと、私の方を見た。
「あんたの村、確か、洪水があった、って話だったよね?」
「え…?あ、はい、そうなんです」
私が答えたら、お姉さんはキュッと表情を引き締めて言った。
「ここが原因かもしれない…」
「原因、て洪水の?」
「あぁ、うん。本来は普通に川が流れてるだけだったのが何かの拍子にせき止められて、それが急に流れ出たら洪水になるだろ?」
「…!」
「そうか…村の人は、これを知っていたのかもしれない…トロールの仕業と考えて、だからあなたを生贄によこして、これ以上同じことが起こらないようにと頼んだ…」
お姉さんがそういうと、妖精さんがパタパタと手足を動かす。
「あぁ、わかってる。あのトロールがやったなんて思ってない。でも、村人がそう考えているかもしれない、って可能性は低くない」
お姉さんは鋭い視線で泉をギュッとにらみつけてから、真剣な表情で私と妖精さんに言った。
「調べてみよう。きっとなにか、水がせき止められている原因があるはずだ」
私と妖精さんは、お姉さんのそんな様子に思わずコクンとうなずいていた。
私たちは、先導するお姉さんの後ろにくっついて行って、泉の回りを見て回る。どこまで行っても最初のところと同じで、草が水の底へと続いているばかりだ。
もし本当にこの泉のせいで洪水が起こったっていうんなら、父さんも母さんもそのせいで死んじゃったんだ…
父さんと母さんが返ってくるってわけじゃないのはわかってる。でも、その原因を、私は知りたいと思った。
なんだか涙が出てきそうになってしまったのでギュッと手を握って唇を噛みしめた。妖精さんが心配して、私の肩に座って小さな手でほっぺを撫でてくれる。
そうしていたら、前を歩いていたお姉さんが立ち止った。
急にだったので、私はその背中にポンっとぶつかってしまう。
「あぁ、ごめん」
お姉さんはさっと私を手で支えてくれながら、目の前を顎でしゃくって言った。
「あれだ」
その先には、何本もの大きな気が倒れている、妙な雰囲気になっている場所があった。
私たちは慎重にそのあたりへと歩いていく。
すぐ近くまでたどり着いてみると、そこには、本当に川を堰き止めるように大きな木がきれいに組み上げられていた。
その木を止めておくための支えが、地面の深くまで打ち込まれているのがわかる。
木と木は、ロープのようなものでしっかりと固定されていて、堰になっているその上からあふれた分の水だけが、サラサラと流れ出てまた川になって下流へと続いている。
その堰には、何か布のよううなものが引っかかっていた。
「あぁ、あたしの荷物だ」
お姉さんはそういって、ちょっと離れたところにあった荷物を剣を抜いて手繰り寄せた。
「びっしょりだな…中身が無事だといいけど…」
お姉さんはそう言ってから荷物を足元に置いてその木で出来た堰のそばにしゃがみ込んだ。堰をしげしげと見つめがお姉さんは、
「これは、人間が作ったもんだ」
と沈痛な表情で言った。
「に、人間が…?」
「うん…これ見て」
お姉さんが木を縛っていたロープを指さした。
「この縛り方は、農作物をまとめる藁敷を止めるためのもんだ」
お姉さんは言った。そう、そうだ。私、この縛り方を知ってる…私もできる。重みがかかればかかるほどきつく締まって行く縛り方だ。
「トロールはこんな縛り方を知らないし、知っていても不器用な奴らだから簡単じゃない。それに、この木の断面。これは斧をつかった跡」
お姉さんはさらに、木の脇を指して言う。確かに木の端っこは三角形にとがっている。
村の人たちがやってた。立っている木にロープを掛けて両側から斜めに斧を入れると、木が倒れる。そんなときは、これと同じ三角形になっていた。
その二つを見て、私はお姉さんがこれを人間がやったんだといった意味が分かった。
それと同時に、なんだか悲しい気持ちが一気に湧き上がってくる。
「じゃぁ…じゃぁ、父さんも母さんも…これのせいで死んじゃった、っていうの…?誰かがこれを作って…それで…急に開けたりしたから?」
私の言葉に、お姉さんは
「うん…」
と低い声でうなずいた。
どうして…?どうしてこんなこと…誰がいったい、何のために…?
そのせいで、父さんが…母さんが…どうして…どうしてよ!
ガクガクと膝が震えて、立っていられなくなって、私はその場に崩れ落ちてしまった。
胸がいっぱいになって、ボロボロと涙がこぼれてきて、わーわーと叫ぶみたいにして泣いた。
お姉さんは、そんな私のそばに座り込んで、ギュッと私を抱きしめてくれて、妖精さんと一緒になって、私の体をやさしくさすってくれていた。
それから私は、お姉さんに連れられて洞穴に戻った。
しばらくメソメソ泣いてたけど、それも次第に収まって、
気分もだいぶすっきりした。
「大丈夫か?」
お姉さんが川で汲んだお水をくれたのでそれを飲ませてもらってから頷いて
「迷惑かけちゃってごめんなさい」
って謝った。
お姉さんは私の頭を優しく撫でてくれて
「あたしはあんたの味方だ。泣きたいときはそばにいてやるから、いっぱい泣くといい」
なんて言ってくれて、私はなんだか嬉しくってお姉さんに抱きついていた。
お姉さんはそれから、びしょびしょになった荷物を私に手渡してきた。
「悪いんだけど、この中身を干しといてくれないかな?」
「いいですけど、お姉さんは?」
「あたしは、もう一度あそこに戻っていろいろ調べてみる。
あのまま放っておくわけにもいかないしな」
お姉さんはそうってまた私の頭をくしゃっと撫でてくれた。
「わかった。気を付けてね」
私がそう言って上げたら、お姉ちゃんはニコっと優しく笑って
「妖精ちゃん、案内頼むよ」
と妖精さんに声をかけて、私にまた一言、頼むな、っていって洞穴から出ていった。
私はその後ろ姿を見送ってから、お姉さんから預かった麻でできた大きな袋を引きずって木のところまで行く。
中を開けてみたら、シュラフや替えの服に、簡素な金属の食器に
細かい目の鎖で編まれたずっしり重いチョッキみたいな物もあった。
鎖かたびら、ってやつかな?
こんなのを着て戦うなんて、お姉さん力持ちだなぁ、なんて思いながら
他の細かい物も日当たりのいいところあった岩の上に干していく。
それが終わってから、今度は木の下にたくさん落ちていた枝も引きずって
乾燥させられるようにと岩の近くにまとめて置いた。
薪をいちいち外まで広いに行くのも大変だし、この場所に落ちてる枝を燃やせれば楽だもんね。
それを終えたら今度は、さっき食べて骨だけになったお魚をお姉さんの荷物にあった金属の鍋に集めて入れた。
これを煮詰めて出汁がとれれば、木の実とかお芋を一緒に茹でてスープにもできると思う。
本当はお塩でもあるといいんだけど、山の中だしそんな贅沢なことはこの際、諦めていた。
私はお姉さん達がきっとお腹を空かせて帰ってくるだろうからと思って、
帰って来てすぐに食事の準備が出来るように火を起こした。
あ、そうだ。あの木の枝も手で折れるところがあったら折って火のそばで乾燥させれば早く乾くな。
それに気がついたので、木の下から集めてきた枝を蹴って折ったり
太くて折りにくいやつは転がっていた石を割って出来た尖った部分を斧代わりに使って
出来るだけ小さく切ってみたりした。
たくさん泣いて、お姉さんと妖精さんに慰めてもらえたからか
私はなんだかすごく元気になって、
とにかく出来そうなことはみんなやって、
お姉さん達が帰ってくるのを待った。
びしょ濡れだったシュラフがカラッと乾いたから取り込んで、お姉さんの服もまとめておく。
そんなことをしているうちに次第に太陽が傾いてきて、洞穴の奥の空間には日が差さなくなり
見上げる空が真っ赤に燃え出した頃、お姉さんと妖精さんが戻ってきた。
「おかえりなさい!」
って出迎えてあげて、荷物のこととか薪のことなんかを話したらお姉さんは笑って
「すごいな、まるであたし達の母ちゃんみたいだ」
なんて言ってくれた。
お姉さんと妖精さんが採ってきてくれた魚お芋なんかお鍋で茹でてスープが出来上がった頃には、もうすっかり夜だった。
カマドのところに集まっていたらトロールさんも起きて来たので、みんなで揃って食事を始める。
トロールさんもお姉さんもスープを美味しいって言ってくれて、
妖精さんも身振りで美味しいって伝えてくれて私はやっぱり嬉しくなった。
そうして食事をしていたら、お姉さんがそういえば、って感じでトロールさんに話しかけた。
「なぁ、トロール。あんた、中腹のところに出来た泉知ってるか?」
するとトロールさんはコクリと頷いた。
「何日カ前、急ニ出来タ」
「その前後に何か変わった様子はなかったか?」
「ナイ…ア、」
「どうした?」
「泉ガ出来ル少シ前、オイ、人間見タ」
「人間…どんなやつだ?」
「葉色ノ服着テ、弓、持ッテタ」
それを聞いたお姉さんは、口元に手を当てて考えるようなしぐさを見せて
「迷彩色に、弓…ハンターか?」
とつぶやく。私もトロールさんも妖精さんも、お姉さんを見つめてそのあとの言葉を待つ。
でも、お姉さんはくはっ、と声をあげて
「情報が少なすぎるなぁ。ともかく、あの泉を何とかしないと、この子の村がまた洪水になっちゃうかもしれない。なんとか水を抜かないとな」
と言って笑った。
「オイ、何スレバ良イ?」
トロールさんがお姉さんにそう尋ねる。
「あー、そうだな…ちょっと待ってな」
お姉さんはそういうと、カマドのあったところから焼け残っていた木の炭を持ってきた。
それで洞穴の床に何かを描きはじめる。
「ここが泉のあった場所だ。で、そこから川は、こうカーブして流れてる。たぶん、泉の水が流れ出たときにこのカーブを曲がり切れなくて洪水になったんだと思う」
お姉さんが描いていたのはどうやら地図らしい。トロールさんがそれを見ているのを確認して、お姉さんは続けた。
「できたら、このカーブのところに倒れた木と土を使って堰を作ってほしいんだ。そうすれば、洪水を起こさないで水を抜けるだろ?」
お姉さんの説明に、トロールさんはコクっとうなずいて言った。
「簡単。今夜、ヤル」
「そっか。頼むな」
お姉さんはそう笑顔を見せてから、ふぁーと大きなあくびをした。
「さって、寝ようか…今日は疲れちゃったよ」
「ふふ、お姉さん、今朝まで倒れてたもんね」
「そうだなんだよ。食い物分けてくれたおかげで、なんとか元気になれたけどな」
お姉さんがそういって笑ってくれた。
それから私たちは、お姉さんの荷物に入っていたランプを消して、板岩の上にお姉さんのシュラフを敷いた。
「一緒に寝ようよ」
お姉さんがそういってくれたので、私はシュラフにお姉さんと一緒にくるまった。
昨日使った藁よりももっとフカフカで寝心地が良い。
それに、お姉さんが私をやさしく抱きしめてくれて、気持ちも暖かくなる。
知らず知らず、私はお姉さんの体に顔をうずめて、母さんにしていたみたいにして目をつむっていた。
ふと、母さんがよく歌ってくれていた子守唄が聞こえてきたような気がして、なんだか少しだけ、幸せな気分になって眠りについた。
つづく。
並行作業は大変であるということが判明。
集中できないw
乙
乙
面白い
レスありがとうございます!
続きです!
待ってました。楽しみ!
私は、何かを聞いた。
これは、何?
大きな声…叫んでる?
ううん、違う…唸り声だ…
雷みたいな低い声が、グワングワンと反響して聞こえてくる。
やだな、この声…なんだか、怖いよ…
どこ?一体どこから聞こえてるの…?
そう思ったとき、私はゴツン、と何かが頭に当たるのを感じて目を覚ました。
私の顔のすぐ前に妖精さんがいて、ピカピカ光りながら、パタパタしながら、必死に私に何かを伝えようとしている。
なに?どうしたの、妖精さん…?
あんまりにも妖精さんが必死そうにしているので、私もなんとかぼんやりしているのを追い払って、妖精さんの伝えようとしていることを考える。
一生懸命、ガオーってやってる。これはトロールさんだよね?ガオーが腕を振って…さようなら?違うな。
何かを投げてるの?あれ、それも違うかな…手を振って、ガオーが、痛い痛いってなって…うーん、わかんないよ、妖精さん!もうちょっとゆっくり落ち着いて!
そう言おうとした瞬間、私の耳にまたあの低い唸り声が聞こえた。洞穴全体に反響してグワングワンと鳴り響いている。
これ…この声、トロールさんの声だ…!私は、それを聞いて妖精さんが私に伝えようとしてくれていたことに気がついた。
「トロールさんに何かあったの!?」
私が聞いたら、妖精さんはブンブンと縦に首を振った。
大変…!お姉さん…!
私はとっさに、眠る前、私を抱きしめてくれていたお姉さんを探した。
でも、そこに眠っていたはずのお姉さんの姿はどこにもない。
荷物はあるけど、剣はない…
妖精さんが必死になって私の服を引っ張っている。でも、私はトロールさんの声が聞こえる洞穴の出口の方を振り返って、ゾッとした。
まさか…まさか、お姉さんがトロールさんを!?そういえばお姉さん、呪われてる、って言ってた。
もしかして、その呪いのせいでトロールさんを…!
私はそう思って立ち上がった。
止めなきゃ!お姉さんは優しい人なんだ!目が覚めた時にトロールさんを傷つけたってわかったら、きっと悲しい思いをする。
そんなのはダメだ!
私は真っ暗な洞穴の中に駆け出した。妖精さんはまだ、一生懸命私を引っ張っている。妖精さん、そんなことしてないで、先に飛んでってよ!足元が見えない!
そう思ったのも束の間、妖精さんは今度は私の顔に張り付いてきた。
「ちょ、ちょっと!妖精さん!離れてよ!トロールさんとお姉さんを止めなきゃ!」
私は、小さな体の妖精さんを傷つけないようにそっと捕まえて顔から引き離す。でも妖精さんは私の前髪を掴んで離れない。
「もう!なんで邪魔するの!トロールさんかお姉さんが怪我しちゃうかもしれないんだよ!」
私は妖精さんに怒鳴った。そしたら、聞いたことのない、澄んだ綺麗な声が私の耳に聞こえた。
「行っちゃダメ!トロールに言われた!あなたを隠してって!」
喋っていたのは、目の前にいる妖精さんだった。
「よ、妖精さん…こ、声が…!」
私が言ったら、妖精さんはハッとして自分の口に手を当てた。でも、すぐに険しい表情になって私に言った。
「木のところに走って!あの木の根元には大きなウロがある!そこに隠れて!」
「なんでよ!妖精さんはトロールさん達が心配じゃないの!?」
「心配だよ!でも、あの人たちは普通じゃない!あなたも何をされるかわからない!」
「あ、あの人たち…?」
「人間よ!人間たちが来たのよ!」
「人間?む、村の人?そ、それなら、やっぱり私が行くよ!私がトロールさんは良いトロールさんだっていえば、きっとわかってくれる!」
「違うわ!そんな人達じゃない…!私、聞いたの…四人組の中の一人の呼び名を…」
「呼び名…?」
「『勇者様』って、そう言ってた…トロールは今、勇者と戦ってるの…!」
勇者?勇者様…?あの、魔界の王様の魔王ってのをやっつけて、平和を取り戻したっていう、勇者様?
どうして?なんで?勇者様は、良い人でしょ?
平和のために戦ってくれたんでしょ?
どうしてトロールさんと戦ってるの?
トロールさんは、悪いことなんてしない。
人間なんて食べないし、私を傷つけたりもしなかった。
良いトロールさんなんだよ…?
それなのに、どうして勇者様はトロールさんと戦ってるって言うの!?
「どうして!?」
「勇者は、魔族の敵。魔族と見れば、容赦なく襲いかかってきて切り刻むの!」
「そんな…勇者様が…?」
「勇者ってのは人間の希望なのかもしれない…でもね、私たち魔族にとっては悪夢そのものなの!」
「だから戦うの!?違うよ!勇者様だってきっと分かってくれる!魔族にだって良い人たちがいるんだって、きっと分かってくれる!」
私は必死にそう叫んだ。だって、そんなのおかしいじゃない…!魔族だって、人間だって、生きてるんだよ!?
相手のことを考えて優しくしたり、反対に憎いって思ったりして当然じゃない!
それをただ魔族だからって傷つけるなんて、絶対におかしい!
「妖精さんは隠れてて!」
私は妖精さんの捕まえていた手をそっと離して真っ暗な洞穴を駆け抜けた。途中、何回か転んでしまった。
硬い地面に膝がぶつかって涙が出そうになる。きっと血も出ちゃってるだろう。でも、行かなきゃ、私…!
私を守ってくれたトロールさんを、今度は私が守ってあげなきゃ!
妖精さんが途中で追いついて来て、私の服を引っ張りながらダメだよ!って何度も怒鳴ってたけど、私は走った。
ついに、洞穴の先にうっすらとあかりが見えてきた。私は、膝が痛いのも忘れて、とにかく走った。
トロールさんの声が聞こえる。うなってる…雄叫びっていうのかもしれない。ゴロゴロと、まるで本当に雷みたいだ。
私は洞穴を抜けた。
そこには、大きな木の棒を持って振り回しているトロールさんと、ピカピカの鎧兜を身につけた人たちに黒装束の人もいた。
あれが、勇者様とその仲間なの…!?
「ぐうぅぅっ!」
不意に、トロールさんの苦しそうな声が響いた。見るとトロールさんは肩のあたりを抑えていた。真っ赤な血が、満月の明かりに照らされて光っている。
「やめて…!やめてください!」
私は声の限りに叫んだ。
一瞬、その場にいた全員の動きが止まる。
「オ前、逃ゲロ…」
トロールさんは、私を見るなり低い声でそう言った。
「大丈夫…話せばきっと分かってくれる!」
私はトロールさんにそう言ってトロールさんと戦っていた人達に向き直った。
「みなさんが、勇者様御一行ですか?」
「あぁ、そうだけど…?」
その中のひとり、ほかの三人よりも視線が鋭くて、ピカピカの鎧を着込んだ人が返事をしてくれる。
「このトロールさんは、良いトロールさんなんです!私を助けてくれたんです!だから、戦うのはやめてください!」
私が言うと、勇者様はほかの三人に目配せをして、ケタケタケタっと笑い出した。
「お嬢さん、バカ言っちゃいけない。トロールが良いやつだって?そんなことありえるはずがないだろ?」
勇者様のその言葉のあとに、黒装束の男の人が口を開いた。
「我々は、魔王を倒す目的で魔界に入りました。魔族というのは、どいつもこいつも底意地悪く下劣で卑劣なものばかりですよ」
すると今度は、大きな斧を担いだ男が話し出す。
「そうだなぁ、まったく、胸糞悪い。こいつらが人間界にいるってだけで、気分が悪くなってくる」
弓を持っていた最後の一人も薄気味悪く笑って言った。
「ひひひ。それに俺たちは麓の村の長からトロール退治を頼まれててね。前金もたんまり頂いてる。それになんでも、村の一人娘がさらわれたらしいんだ」
それを聞いた勇者様が声を上げて笑い出した。
「あはははは!まぁ、どこを見てもそんな娘見当たらないがな…残念だよ、トロールに玩弄されて命を落とすだなんて…」
そう言った勇者様の頭上に、トロールさんが持っていた大きな木の棒を振り下ろした。
ドカンと大きな音がして木の棒が地面にめり込む。勇者様はそれを間一髪で回避していた。
「てめぇ!このデク!俺がまだ喋ってる途中だろうが!」
勇者様はそう叫ぶとトロールさんの方に手をかざした。
次の瞬間、勇者様の手から火の玉が飛び出してトロールさんにぶつかり弾ける。
「うぐぅぅ!」
「トロールさん!」
私は思わずトロールさんに向かって駆け出した。
でも、シュッと風を切る音が聞こえたと思ったら、私は何か強い力に突き飛ばされたように地面に転んでしまった。
左肩が痛む。見ると、私の左の肩には一本の矢が突き刺さっていた。血がドクドクと溢れ出ている。
「おいおい、あんまりキズ物にするなよ?」
「命まで取らなきゃ、楽しむ分には問題ねえだろ?」
「ははは、違いない!」
勇者様たちはそう言って笑っている。
なに?
なんなの?
この人たちは…?
平和のために戦ってたんじゃないの?!
…嘘だよ、そんなの…そんなのって…!
「ぐがぁぁ!」
大きな木の棒を振るったトロールさんの攻撃をかわした勇者様が、持っていた剣でトロールさんを斬り上げた。
トロールさんの体から何かがたくさん吹き出してしぶきを上げている。
「トロール!」
「やめてよ!」
ズズン、と大きな音をさせて地面に倒れたトロールさんと勇者様の間に私は割って入った。
妖精さんがトロールさんに回復魔法を唱えているのが聞こえる。でも私はそれを振り返らずに、勇者様をジッと睨みつけた。
「なんだ、小娘?」
「こんなの、間違ってる!トロールさんは人を食べたり、誰かに迷惑をかけたりもしない!このトロールさんは静かにここで暮らしていただけ!」
「ほほう、魔族の肩を持つってのか?」
「魔族だとか人間だとか、そんなのは関係ない!」
私はそう怒鳴った。でも、勇者様の後ろにいた黒装束の男がクスクスと笑って言葉を挟んでくる。
「しかしね、このトロールによって麓の村は洪水に見舞われたのだよ?勇者一行としては、それを放っておくことはできないね」
「違う、洪水はトロールさんのせいじゃない!誰かが…人間の誰かが山の中に堰を作ったって…緑の服を着た、弓を持った人が、って!」
私がそう言った瞬間、一瞬、勇者様たちの顔色が変わった。私は最初、私の言葉を信じてくれたんだってそう感じた。でも違った。
勇者様はすぐに、ニヤっと笑うと仲間の一人に向かって言った。
「おい、お前!見つかってんじゃねえかよ!」
その一人は、弓を携え、濃い緑色をした狩猟用の服を着ていた。
「ちっ、警戒は万全だと思ったんだがな。さすがにトロールは大地の妖精だ。気配を絶たれていると感じ取りにくいらしいや」
弓の男はそう言ってヘラっと笑った。
…うそ、うそでしょ?
あの人が…勇者様の仲間が、あの堰を作った、って言うの?
どうして…?何のために?
「なんで…?なんでなの…?」
「あぁ?決まってるだろ。トロールを退治して金を手に入れるには理由がいる。そいつを作ってやったまでだ」
「そんなの!」
「わかってないな、お嬢ちゃん。俺たち戦いをしてきた人間は魔王を倒したらお払い箱。平和な世の中になれば、いらない存在なんだよ」
勇者様の言葉に、黒装束の男が続ける。
「平和になると俺たちは飯が食えないんだ。迷惑をかけてる魔族がいると聞けば、それを倒して金をもらう他に生きてはいけないのさ」
弓の男がヘラヘラと笑って言った。
「争いがなければ争わせればいい、被害がなければ被害を出せばいい、そうやって俺たちは自分達の需要を増やしてるってわけだ。あーガキにはわかんないかな?」
ついには、斧の男が言う。
「わかろうがわかるまいが、関係ねえ。バカハンターが姿見られてるんだ。どのみち、生きては返せん」」
私は、震えていた。
この人達が、あの洪水を起こしたんだ…
この人たちのせいで、父さんと母さんが死んだんだ…
村の畑がダメになって、私が生贄で捨てられたのも、この人たちのせいなの…?
どうしてそんなにひどいことができるの?
なんでそんなに残酷なことを考えつくの?!
「そんなの、ひどい…ひどすぎるよ!」
私は叫んだ。でも、それを聞いた勇者様は笑った。冷たく、私を見下すような表情だった。
「何がひでえんだよ、おい?お前だって同じだろ?動物の命を奪って肉を食う。魚を採って食べる。それと何が違うんだ?」
「…!」
「俺たちもよ、俺たちが生きるために仕方なくやってんだ。誰にだって幸せになる権利はあるだろう?」
「うまいものを食って暖かいベッドで眠るためには、こうするしかねえんだよ。それがこの世界の現実、ってモンなんだ。まぁ、ガキにはわからねえとは思うけどな」
私は、言葉を失くしてしまった。
確かに、勇者様の言うとおりかもしれない。
私は、私たちも、同じなの…?
昼間は、お姉さんと一緒にお魚を焼いて食べた…でも、確かにお魚にだって命はある。
それを殺して、私は食べた。
だから、お腹がいっぱいになった。
勇者様たちがしていることは、それと同じなの?
自然の中で、狼が鹿の子供を襲って食べるのと同じで、
私たちが、お肉屋さんでベーコンを買うのと一緒で、
勇者様たちはトロールさんを殺して、それでご飯を食べるないといけないの?
「違ウ」
ゴロゴロと声がした。
振り返ると、トロールさんが大きな傷から血のようなものを流しながら、震える体で立ち上がろうとしていた。
「トロール、ダメ!」
妖精さんが止めているけど、トロールさんは聞こうともしない。
「あぁん?何が違うってんだ、このデク!」
勇者様はトロールさんにそう言葉を投げつける。だけど、トロールさんは言った。
「お前たちはただ、いたずらに利益を求めて食らっているだけに過ぎない。自然とともに生きる者たちは違う」
「自然と共に生きる者は、その命に感謝し祈る。そして自らもまたその一環であることを知っている。手に入らぬときは諦め、別の何かを探すのだ。」
「自らの手で獲物を作り出し、それを獲って食うなどするのは貴様たち汚らわしい人間どものみよ!」
トロールさんは、そう言って、雄叫びを上げた。バリバリと体も空気も震えるような恐ろしい声で。
だけど、勇者様はそんなトロールさんを軽蔑するような視線で見つめて言った。
「デクのクセに、生意気だな。黙ってろ」
勇者様はバッと手のひらを前につき出す。火の玉がトロールさんの顔を直撃して、ズズン、とまた地面に倒れる。
「トロールさん!」
私はトロールさんに駆け寄った。
「トロールさん、大丈夫!?」
トロールさんは、大きな肩と胸を上下させている。苦しそう…!
「人間、スマナイ。オ前マデ悪ク言ッテシマッタ」
「そんなことどうだっていい!しっかりして!」
「羽妖精、人間ト一緒ニ、逃ゲロ…」
「トロール!」
「オイハ、コイツラト戦ウ…」
「無理だよ、勝てっこない!勇者様なんだよ!?魔王を倒したっていう、勇者様!」
「分カッテル…グフッ!」
「トロールさん!」
ザクザクと地面を踏みしめる音が聞こえて振り返った。
そこには剣を掲げた勇者様がいた。
「お別れは済んだか、嬢ちゃん?」
私は、トロールさんの巨体の前に立ちふさがる。
お願い、妖精さん!急いでトロールさんを回復させてあげて…早く!
「まぁ、すぐにお嬢ちゃんもあとから追いつくから安心しな。もちろん、俺たちを十分に楽しませてくれてから、だが」
勇者様は持っていた剣を高々と振り上げた。
「さぁて、仕舞いだ」
どうして…?
どうしてこんなにひどいことができるの?
どうしてそんなに、自分の幸せばかり考えられるの?
どうして自分の幸せだけのために、誰かを傷つけることができるの?
あなたなんて…あなたなんて…
「あなたなんて!勇者なんかじゃない!あなたは獣以下よ!この欲まみれの化物!」
私の言葉を聞いた勇者と名乗る男は、引きつった笑みを浮かべて、私を見下ろし言った。
「よし、まずはお前から殺すことにした」
次の瞬間、男は私めがけて剣を振り下ろしてきた。
怖くなんてなかった。
ただただ、私は悔しかった…
なんにも言い返せなかった。
なんにもできなかった。
こんなやつに、私は…私は…
そう思いながら男の目をにらみ続けていた私の視界を突然何かが遮った。
次の瞬間、ギィン!と金属同士の音が弾ける音があたりに響く。
目の前にあるのは大きな背中。見覚えのある、ボロボロの服。見上げればボリュームのある暗い色の髪。
「お、お姉、さん…?」
私は、自分でも気がつかないうちにそう口にしていた。
「騒がしいと思って急いで戻ってきたら、なんだよ、ずいぶんとひどい目に合わされてんじゃねえかよ」
そんな私の言葉を聞いてくれたのか、お姉さんは、私に向かって優しい笑顔で笑ってくれた。
お姉さんだ…私は、そのことに気がついた瞬間、ガクガクと膝が震えてくるのを感じてその場に座り込んでしまう。
張り詰めていた何かが切れちゃったみたいに、体から力が抜けて身動きできなくなる。
「なんだ、貴様は?」
「通りすがりだよ」
お姉さんはそう言うと、素早い動きで勇者の下腹を思いきり蹴飛ばした。
勇者の男は、それを読んでみたみたいに軽く後ろに飛び退いてその衝撃を逃がしたみたいだった。
その隙に、お姉さんがチラっと私たちをみやった。
「トロール、だいぶやられてるな…妖精ちゃん、できる限りの手当をしてやってくれ」
妖精さんがコクコクっと頷く。それから、お姉さんは私の頭をクシャクシャっとなでてくれた。
「よく頑張ったな。あとはあたしに任せておけ」
お姉さんはそう言ってまた優しく笑うと、勇者達の方へと向き直った。
つづく。
面白い!乙
続きです。
ヤマ場です。
「お、お姉、さん…?」
私は、気がつかないうちにそう口にしていた。
「騒がしいと思って急いで戻ってきたら、なんだよ、ずいぶんとひどい目に合わされてんじゃねえかよ」
お姉さんだ…私は、そのことに気がついた瞬間、ガクガクと膝が震えてくるのを感じてその場に座り込んでしまった。
張り詰めていた何かが切れちゃったみたいに、体から力が抜けて身動きできなくなる。
「なんだ、貴様は?」
「通りすがりだよ」
お姉さんはそう言うと、素早い動きで勇者の下腹を思いきり蹴飛ばした。
勇者の男は、それを読んでみたみたいに軽く後ろに飛び退いてその衝撃を逃がしたみたいだった。
その隙に、お姉さんがチラっと私たちをみやった。
「トロール、だいぶやられてるな…妖精ちゃん、できる限りの手当をしてやってくれ」
妖精さんがコクコクっと頷く。それから、お姉さんは私の頭をクシャクシャっとなでてくれた。
「よく頑張ったな。あとはあたしに任せておけ」
お姉さんはそう言って笑うと、勇者達の方へと向き直った。
とたんに、弓の男がヒューと口笛を吹いた。
「なかなかのべっぴんさんじゃないかよ。おい、殺すなよ、俺はこっちのほうが好みだ」
「クフフ、ならあちらのお嬢さんは私と勇者でシェア、ということでいいですかね」
「俺ぁ、こういう気の強い女は好かないからな」
「わかってないな、勇者。こう言うのを力任せに汚すのが楽しいんだろうよ?」
男たちがそう言葉を交わして下品な笑い声を漏らす。お姉さんはそれを聞いて、ピクっと何かに気がついたみたいな雰囲気になった。
「おい下衆ども。今勇者って言ったか?」
お姉さんの言葉に、勇者の男が声を上げて笑い出した。
「あははは!そうだ、この俺がかの魔王を倒し世界に平和をもたらした救世の勇者だ!」
「そのとおり。いっぱしの使い手ではあるようだが、魔王を討ったこの男に勝てる見込みは万に一つもないだろう」
黒装束の男が勇者の言葉に続いて笑う。
それを聞いたお姉さんは、ふぅ、っと大きくため息をついた。
「勇者、ね…なら、あたしを殺せるかもな」
「なんだと?どう言う意味だ?」
勇者の男は怪訝な顔をしてお姉さんに聞き返す。でも、お姉さんはそれを無視して左腕の袖を捲くった。
そっちは、確か、呪いが刻まれている方の腕じゃ…?
「あぁ?なんだ、その腕?呪文の類か?」
「呪いじゃないのか?うへぇ、やっぱ俺、その女要らねえわ」
「切り落とせばどうとでもなるだろう?」
そう言い合う男たちの言葉を聞いて、お姉さんはクスっと笑った。
それに気づいた男たちが、とたんに表情を険しくする。
待ってた!
「おい女…今俺たちを見て笑ったか?」
「あぁ、ごめん、つい可笑しくってさ」
「何が可笑しいって?言えよ、次第によっちゃ、今すぐその首ハネ飛ばしてやる」
「えー?そっちの魔道士は何か知ってるみたいよ?」
お姉さんはそう言って、後ろの方にいた黒装束の男を顎でしゃくって言った。
男たちの視線が黒装束の男に集まる。もちろん私もつられるように男を見ていた。
黒装束の男は、真っ青な顔をしてガタガタと震えていた。
え、どうしたの…?お姉さんの呪い、そんなに危ないものなの…?
「お、おい、なんだよ、どうしたってんだ?」
「あれがなんだか知ってるのか?」
男たちも黒装束に矢継ぎ早にそう問いかけた。
すると黒装束の男は、ガタガタと歯を鳴らしながら、まるで首を絞められているみたいなか細い声で、絞り出すように言った。
「も、も、も、紋章…ま、魔王の…紋章…!」
え?
い、い、い、今…魔王って、言った、の…?
私は、ゾクっと背中を駆ける抜ける悪寒に震えた。勇者の男たちも、急に表情がこわばり引きつった笑顔を浮かべている。
「お、おい、嘘だろ?」
「どう見たって人間だぜ?あ、あれだろ、タトゥーかなんかだろ?」
「そ、そうだぜ…魔王は勇者に倒されたんだろ…?」
男たちのやり取り聞いて、お姉さんが口を開いた。
「えぇ?なに、あんたら、勇者のくせに魔王の顔も知らないんだ?」
その言葉に、男たちがギクリ、と体を硬直させた。
そうだよね…勇者なら、魔王と戦っているから、もし、あの呪いの痕が魔王のその、紋章ってやつなら、知らないはずがない…
「おかしいなぁ、勇者様よう?魔王を倒したんだろ?でもおかしいな、あたしはあんたの顔に見覚えはないし、あんたもあたしを知らないってんだ」
不意に、お姉さんの左の腕がほのかに赤く光を放ち始めた。
これ、何…?何が始まるの!?
「どうしてだろうなぁ?」
お姉さんは低く、まるで呪いの言葉みたいにおどろおどろしい声でそう言った。次の瞬間、お姉さんの腕の赤い光がパッと輝いた。
お姉さんの左腕が、みるみるうちに青黒く染まりだし、爪が鋭く伸びる。
腕を染め上げたその色がやがてお姉さんの左肩に至ると、お姉さんの背中から服を突き破り大きくて真っ黒な翼が姿を表した。
色は、肩から首へと這い上がり、お姉さんの左の目のあたりまで進んで止まった。
でも、その色に染められたお姉さんの目は、もう、人間の目じゃなかった。トカゲか、羊の目みたいに縦長の、血のような真っ赤な瞳が浮かんでいた。
お、お、お、お、お姉さんが、本当に、ま、ま、ま、魔王なの!?だってこれ、本当に…まるで、絵本に出てくる、悪魔と、おんなじ…!
「は、ははっ、ビ、ビビらせやがって!た、ただの人魔族じゃねえか!」
勇者の男が剣を構えた。
「なんだ、やる気か?偽勇者くん?」
「ぬかせ!俺は正真正銘の勇者だ!俺の前で正体を表したことを後悔させてやる!」
勇者の男はそう言うと、雄叫びを上げながらお姉さんに斬りかかった。
お姉さんはその場を動かなかった。ただゆっくりその手を振り上げると、まるで空間が歪んだように空気が揺らめいて、
次の瞬間には勇者の男が真後ろに二十歩程の距離を弾き飛ばされた。
男は、呆然と地面に座り込んでいる。
「まだ勇者だと言い張るんなら、もう一つ見せてやろうか」
お姉さんは、地面に転がった男を見ながらそう言って、右腕の袖を捲くった。
そこには、左腕とは違った痕のようなものが浮き出ている。
「ま、まさか…それは!」
黒装束の男がそういうなり、尻餅を着いてうろたえ始める。
他の男たちは意味がわからないのか呆然とただ見つめているだけだ。
お姉さんが右腕にぐっと力を込めると、右腕に浮いていた痕が青色に輝き始めた。
私は、その模様に見覚えがあった。
あれは確か…まだ本当に小さい頃に母さんに読んでもらった絵物語の中に掻いてあったんじゃなかったか…
うん、そう、間違いない…
あれは、あの紋様は…
「ゆ、ゆ、勇者の紋…!」
黒装束の男が口にした。
そう。
絵物語のなかで、世界を二つに分けたと伝えられる人の証。
―――勇者…
「ばばば馬鹿な!なぜっ…ありえない…勇者と魔王、両者の紋章を持っているなんて…!」
黒装束だけじゃない。
勇者と名乗った男も、弓の男も斧の男も、その場に座り込んでガタガタと震えている。
だけど、お姉さんはそんな男達に冷たく笑って言った。
「怖いか?恐ろしいだろ…それが絶対的強者に出会った恐怖ってもんだ…これまであんたらが食い物にしてきた連中が感じただろう絶望だよ」
「くっ…クソがぁぁぁ!!!」
勇者の男がそう怒鳴ってあの火球をお姉さんに放った。でもお姉さんは、まるでろうそくの火を吹き消すみたいにふっと息を吐いた。
何が起こったのかわからない、風なんて吹いてないはずなのに、火球がまるで火の粉のように炎を散らせて消えた。
「ひっ…ひぃぃ!」
弓の男がそう悲鳴を上げる。男たちはまるで雷のなる日の子犬みたいに小さくなってひとまとまり固まって震えている。
「この仕打ちの報いは、体で払ってもらうとしよう」
お姉さんは、冷たい笑顔でそう言うと、なんにもない空間を指でピンっと弾いた。
「うぐぅっ!」
その瞬間、黒装束の男のうめき声が聞こえた。見ると、黒装束の男が口から泡を吹いて伸びてしまっている。
「や、や、やめてくれ!もうしない、二度としないから!」
「こ、こ、殺さないでぇぇ!」
斧の男がそう喚く。
でもお姉さんは、ニヤニヤと、まるで楽しそうじゃない笑顔で笑いながら、冷たく言い捨てた。
「安心しろよ、すぐには殺さない。腕をもいで、脚ももいで…そうだな、死なないように体を開いてみるってのも苦しみそうで楽しいだろうな」
男たちの顔色が一瞬にして見たこともないくらいに真っ白になる。
それを見たお姉さんはまたピンピンピンっと指を弾いた。
男たちは、何かに殴られたみたいに体を弾けさせ、その場に倒れ込んで動かなくなってしまった。
お姉さんはふぅとため息をついた。すると、両腕から光が消えて、皮膚の色がみるみる元に戻り、背中から生えていた翼が霧に溶けるようにして消えていった。
ど、どういうことなの?お姉さんは、魔王なの…そ、それとも、本物の勇者様なの…?そ、それとも…両方、なの?そんなことって、ありえるの…?
ただただ呆然とそんなことを考えていた私に、お姉さんが振り返った。
その顔を見た瞬間、私は、ギュッと胸を締め付けられたような気がした。
お姉さんは、笑っていた。でも、言いようのないくらい、悲しい顔をしていた。
泣いていたわけではないけど、でも、乾いたように笑うお姉さんの瞳は、悲しいのと淋しい色に染まっていた。
「お姉さん…」
私は思わずお姉さんの名を呼んだ。お姉さんは悲しい笑顔のまま言った。
「ごめん。怖い思いをさせちゃったね…大丈夫、もうしないから。だから、もう少し一緒に居させて。トロールの具合いだけ見させてよ」
そ、そうだ!トロールさん!
私は慌てて振り返って、トロールさんの様子を見た。
妖精さんが一生懸命に光って回復魔法を唱えているけど、トロールさんの傷は治っているようには見えない。
それどころか、さっきお姉さんの背中に生えていた翼が消える時と同じように、チリチリと体のあちこちから霧のようなものが立ち上っているのがわかる。
「妖精さん!」
「…いくらやっても、回復魔法が効かない…生命力を失い過ぎてる…!」
「そんな…!」
それってつまり、怪我がひどくって死んじゃいそうってことでしょ!?ど、どうしよう…トロールさん、トロールさんが!
「お、お姉さん!」
私は考えるよりも早くお姉さんに飛びついていた。
「お願い、お姉さん!トロールさんを助けてあげて!トロールさんは私と妖精さんを守るために戦ってくれただけなの!悪いことをしようとしたんじゃないの!」
トロールさんが死んじゃうかもしれない、って思ったらいっぱい涙が出てきてとまらなくなっていた。それでも私は、お姉さんにそうお願いした。
お姉さんは、悲しい表情のまま、でも、かすかに笑って、私の髪をクシャっとなでてくれた。
お姉さんはそれから、トロールさんの頭の方に行くと、ゆっくりとその傍にしゃがみこんだ。
「おい、トロール。聞こえるか?」
「…ウグッ」
「聞こえてるんなら…もういい。もう頑張らなくていい…あいつら全部あたしが片付けた。だから、もう休め…」
お姉さんの言葉が、私に突き刺さった。そんな…トロールさん、ダメなの?た、助けて上げられないの!?
そう思い至った瞬間、胸の奥から痛い気持ちがブワっと湧き上がってきて、さっき以上に涙が溢れてくる。
「ゲホッ、ガフッ…マ…魔王、様…ゴ、ゴメンナサイ…」
「トロール!」
トロールさんが、苦しそうにそう声を上げた。妖精さんが悲しそうな声を上げている。
「ん、どうした?」
それを聞いたお姉さんが、左手で優しくトロールさんの頬に触れた。
「オイ、逃ゲタ…戦ウ事、怖クテ、オイ、逃ゲタ…魔界モ、森ニ住ンデタ仲間モ、裏切ッタ。オイハ、ヒドイヤツ…」
「そんなことないさ…」
「魔王様、オイ、裏切ッタコト謝ル。逃ゲタ事モ謝ル。オイガ悪カッタ。オイハ、悪イトロールデイイ。ソノ代ワリ…子供ノ人間、守ッテ欲シイ…」
「お前…」
「オイハ…オイハ…」
「わかった…もうしゃべるな…」
お姉さんはそう言うと、トロールさんの頬に当てていた手のひらをおでこのあたりに移動させた。
「魔王の名において誓おう。お前の頼み、確かに聞き届けた」
そう言ったお姉さんの手のひらがポッと明るく輝きだした。
「だから、もう休め…」
そう言ったお姉さんの目から、ポタリと一筋の涙がこぼれた。
お姉さんの手の光が強くなる。すると、トロールさんの体中にその光が広がって、あの煙のような霧のようなものがもっとたくさん立ち上り始める。
「うぅ…うわぁぁぁん!」
妖精さんがトロールさんの体にすがりついて泣き出した。
「お姉さん、やめて!」
私はお姉さんに飛びついてトロールさんから引き離そうとした。でも、お姉さんは私の突進なんかじゃびくともしない。
お姉さんは私の体を空いていた右腕でギュッと抱きしめた。暴れても、何をしても、お姉さんは離してくれない。
お姉さんにも、もうどうすることもできないんだ…だから、これ以上苦しくないように、痛くないように、ってそうするつもりなんだ…
トロールさん、私を助けるために…私のために…こんな、こんなことに…
そう思ったら、もう頭の中も胸の中も壊れそうな気持ちが膨れ上がって、爆発して、私は絶叫しながらお姉さんの胸に顔をうずめていた。
ごめんなさい、トロールさん…私を守るために、こんなことになっちゃって…ごめんなさい、ごめんなさい…
そう心の中で必死に謝りながら私は、お姉さんの体にギュッとしがみついていた。
つづく。
乙!
トロールさん(;_;)
うわあああああああああああああ
乙
出遅れた
トロールさぁぁん
心優しいバケモノと見事なクズっぷりの悪役と圧倒的な力を持った救いの手。なんというカタルシス!!
時代劇もかくやというこの展開。すごい大好きだ!
もう一つとやらもこれから読んでくる。
トロールさん・・トロール・・・トロールさぁぁぁん!!!
・・・・・・ふぅ
>>63
ティキーン!
ぐへへ!
>>63
ティキーン!
ぐへへ!
これだからモシモシは…!
連投失礼。
続きです。
一応、おしまいな感じ?
「グフッ…カハッ…」
「はぁ…はぁ…」
「ク、ククク、我の命運も、ここまでと言うところか…」
「魔王様!」
「侍女よ、下がれ!手出し無用だ!」
「…なぜだ…なんでだよ!?あんた…あたしに勝つ気なんてこれっぽっちもなかったじゃないか!」
「ゲホッ…フ、フフフ…勇者よ…見事であった。その力、その魔力、その剣技…何をとっても、遜色ない…そしてなにより…その目だ」
「…な、何を言ってる?」
「悲しみに満ちたその目のことだ…救えずに捨て置くしかなかった命の重さを知っている目…」
「…!」
「勇者よ、聞け…我はこれより、貴様に呪いをかける」
「なっ…!」
「それは貴様を苦しめるだろう…命を絶ちたくなる日も来るだろう…だが、勇者よ。お前になら、我に見つけられなかった答えを探してくれるように思う」
「なっ…なにをする!あたしの腕を離せ!」
「クッ…クフフフ、どうだ?我のすべての力を継承させてやった…」
「こ、これが呪い!?」
「いや…これは、贈り物だ。いや、あるべきところに返った、と言うべきか、勇者よ」
「!?」
「呪いは今掛けてやる…」
「やめろ!」
「ぐはっ…ク、クフフフフ、あはははは!最後に…あなたのような者に出会えて、我は幸運であったな…」
「何を!?」
「勇者よ…」
「…!」
「頼みがある…我が民を…魔界の住人たちを、どうか守ってやってくれ…愚かな我は、人間と戦う道しか選べなんだ…
だが、あなたなら見つけてくれると我は信じる。魔界に、世界に示してくれ…真の、平和への…道を…」
「な…な…!」
「フ、フハハ、んっガフッ…今のが…呪いの言葉だ…。頼んだぞ…勇者…次期魔王よ…我が民を…この世界に、平和と…は…えい、を……」
「おい…おい、魔王…!魔王!魔王ーーー!!」
「ガフッ…」
ドサッ
「魔王様!」
「…」
「魔王様!しっかり!魔王様…!」
「侍女よ…」
「はい!私はここにおります!」
「そうか…はは、すまぬな」
「…そのようなお言葉で赦されるとお思いですか…?」
「ゲフッ…て、手厳しいな…ククク」
「魔王様…」
「侍女よ…いや、サキュバスの娘よ」
「はい…」
「…愛しておったぞ」
「私もです…!」
「ハハ…良いものだな…」
「…魔王様…?」
「…」
「魔王様!?」
「…」
「魔王様…くっ…うぅぅ…」
トサッ
「勇者様…」
「…!な、なんだよ…?」
「お手をお貸しいただけますか…?」
「…」
スッ
ギュッ
パァァ
「何をした…?」
「私からの贈り物です…人間の姿のまま、魔王などやれますまい?」
「…」
「勇者様、どうぞその剣を私の首に」
ギュッ スチャ
「な、何を!」
「これでも、魔界が王に遣える身。主亡き後に生きさらばえるなど、滑稽でございましょう?」
「…」
「さぁ、どうぞかの首をお刎ねください」
「…できない…」
「…そうおっしゃらずに…どうか、お願い到します」
「どうして!」
「お傍に侍りたいのです…愛した人の、傍に…」
「くっ…」
「お願いします…どうか、私にお情けをくださいませ…」
ギリッ
「愛する人のところに、ともに旅立たせてくださいませ…」
ポロッ…ハラハラ…
「くっ!」
チャキッ
「…」
「…」
「…」
「…」
「うぅっ…うわあぁぁぁぁ!!!」
ブンッ!
目が覚めた。
ふかふかの、暖かい何かが私を覆っている。
えぇと…ここ、どこだっけ…?
私はそんなことを思いながら体を起こした。
そこは、洞穴の中のいつもの場所だった。
奥の方からは、日の光が差し込んできている。
朝だ…
私、どうしてここにいるんだっけ…?
私はそう思って、昨日の夜の記憶をたぐり寄せる。
そう、確か、人間が来て、それで、トロールさんと戦っていて、お姉さんが来て…
そうだ。
トロールさんが、死んじゃったんだ。
それで私、お姉さんにしがみついてずっと泣いてて…そのまま、寝ちゃったのかな…?
ふと、私は自分の肩を見た。昨日、私はここを矢で射られたはず…でも、今はもうなんでもない。
夢だった、ってワケじゃないよね…?
そう思って、私はトロールさんの寝床をみやった。
やっぱりそこに、あの大きな体はない。
日が昇っているのに、トロールさんが外に出ているはずはない。
やっぱり、夢なんかじゃなかったんだ…
プン、と何かがにおった。
これ、煙の匂いだ…
お姉さんかな?
私は板岩の上から降りて洞穴の奥へと歩いていく。
パッと眩しい光が目に差し込んできて、思わず目を閉じてしまった。
ゆっくりと慣らしながら目を開けると、木の下のカマドのところに座っている人がいた。
お姉さんだ。
「お姉さん」
私は声をかけてお姉さんの方へと歩いていく。私の声が聞こえたみたいで、お姉さんはヒョイっと顔を上げると楽しそうな笑顔で
「あー、もう起きたか」
なんて言って私を手招きしてくれる。
カマドを見たら、お魚が三匹、火に掛けられていた。
お姉さんは鼻歌混じりに薪をいじりながら火加減を調整している。
私はそんなお姉さんの様子を見ながら考えていた。
昨日あれからどうなったんだろう?あの勇者って人たちとかはどこへ行ったの?
トロールさんは、どこに埋葬してあげたんだろう?
妖精さんは無事かな…?
お姉さんは昨日、なんであんなに悲しい顔をしてたんだろう?
わからないことがたくさん…お姉さんに聞いてもいいかな…?
そう思って、お姉さんに聞こうとしたけど、一瞬、昨日のお姉さんの表情が浮かんできて言葉を飲んでしまった。
あの呪いは、魔王になっちゃう呪いだったんだね…
お姉さんはもう人間じゃないんだ。
でも、きっと魔族でもないんだろう。
悲しいそうな、さみしそうなあの顔は、一人ぼっちになっちゃったってそう思い知らされたからなのかもしれない。
そっか、だから昨日お姉さんは私に、「もう少し一緒にいさせて」なんて言ったんだ。
お姉さんはきっと、私を怖がらせたって思ってるんだな。
それで、怖いから一緒に居たくないって思うんじゃないかって、そう感じたんだ。
きっとそうだ。
それなら、私、お姉さんにちゃんと言ってあげないと…
「ね、お姉さん」
「ん、なんだ?お腹すいたか?もうちょっと待ってくれよなぁー」
「ううん、そうじゃなくって」
そう言ったら、お姉さんは不思議そうな表情をして私を見た。
「あのね、私、お姉さんのこと怖くないよ。お姉さんは、人間でも、魔族でもないのかもしれないし、勇者様で、魔王なんだろうけど…」
「お姉さんは私と妖精さんを助けてくれた。優しい人なんだって、私知ってるよ。だから、お姉さんは怖くないよ」
私は、お姉さんの目をジッと見つめてそう言ってあげた。
そしたらとたんにお姉さんはギュッと唇を噛んで、なんだか泣きそうな顔をして
「…無理すんじゃねえよ」
なんて言った。
素直じゃないな、なんて思っちゃったけど、もしかしたらきっとたくさん傷ついてきたのかもしれない。
仲間や、他の人にも、怖がられちゃったのかもしれない。
だから、あんなに悲しい顔をしてたんだ。
私は考えるよりも先に立ち上がってお姉さんの胸元に飛び込んだ。
言葉でいくら言ってもきっと伝わらないんだろうって思った。
それなら、怖くないってやって見せてあげるのが一番だ。
「怖くないよ」
「…だって…だってあたし、殺すことしかできないんだぞ。今のあたしは、休憩なしに世界を二、三回滅ぼせるくらいの力があるんだぞ…
どんな魔法もあたしには効かない。どんな武器もあたしには届かない。あたしはもう、人間でも魔族でもない。ただの化物なんだぞ…?」
「そんなことない。お姉さんは、あたしと妖精さんを守ってくれた。優しいの、知ってる。魔族でも人間でもないのかもしれないけど、お姉さんはお姉さんでしょ?」
「…うん」
「だから、怖くないよ」
「…うん…うん、ありがとう…」
私が言ってあげたら、お姉さんは掠れそうな声でそう言って、ポタリ、ポタリと泣き出してしまった。
寂しかったんだろうな、悲しかったんだろうな、って思った。
私はまだ子供だし、どうやって慰めてあげていいのかはわからないけど…でも、お姉さんを一人ぼっちにしない方法は知ってるよ。
そんなに難しいことじゃない。
力とか、魔法とか、肌の色とかそんなんじゃない。
お姉さんの心を見ててあげればいいんだ。
悲しい気持ちを知ってあげたり、辛い気持ちを知ってあげたりするだけでも、それはきっと伝わるんだって母さん、言ってたもんね。
「あー、起きてるー!」
不意に声がした。振り返ったらそこには、パンパンになったお姉さんの革袋を抱えてパタパタ飛んで来る妖精さんの姿があった。
「あ、おはよう、妖精さん」
「あれ、魔王様、なんで泣いてるです?」
「グスッ…魔王だなんてやめてくれよ」
「んーでも、勇者と呼ぶのは抵抗があるので、魔王様と呼ぶです。魔王様、木苺獲ってきたですよ」
妖精さんはニコニコ笑いながらそう言って、お姉さんの荷物に入っていた金属の食器に革袋の中の木苺を開けた。
「おー、今日はずいぶん採れたじゃないか!」
「はい!頑張ってきたです!」
「ありがとな。よし、魚もいい具合だし、食べちゃおう!」
「はい!」
そうして私たちは昨日とおんなじようにお魚と木の実を食べた。
お芋のスープもあると良かったんだけど、お芋は昨日全部食べちゃったしね…
トロールさん、どこでお芋採ってきたんだろう?
私も行けるように教えてもらわなくっちゃ。
食べながらそんなことを思って、私はトロールさんがもういないんだっていうのを思い出してしまった。
とたんに体から力が抜けて、ポロポロと涙がこぼれてくる。
そんな私を見て、お姉さんがギョッと言う顔をした。
「ど、どうした、急に?」
「ご、ごめんなさい…死んじゃったトロールさんのこと、思い出して…」
「死んじゃった?」
「…はい」
私はお姉さんにそう返事をしてから、お姉さんが変な顔して私を見ていることに気がついた。
「な、なに?」
「あ、いや…えーっと、ちょっと待って…」
お姉さんはそう言いながら、傍にあった荷物をゴソゴソとやって、中から布に包まれた何かを取り出した。
丁寧にその布を開けると中にはお姉さんの拳ほどの石ころが一つ入っていた。
「石?」
「いや、これ、トロール」
お姉さんはそう言った。
でも、私にはその意味がよくわからない。形見とか、そういうこと、なの?
首をかしげた私に、お姉さんは苦笑いを浮かべて言った。
「トロールは大地の妖精なんだけど、知らない?」
「大地の、妖精さん?」
「そう。トロールってのは、そもそも羽妖精ちゃんと変わらない大きさの石人間みたいなナリをしてるんだよ」
「…?」
「そんでもって、非力なんだ。小さいからな。でも、トロール族には秘術があって、こいつらは魔力と自然の力を錬成して自分の周りに纏わせることができるんだ」
「……?」
「機械族の外骨格鎧なんかと感じは近いんだけど、とにかく、あのでっかいトロールってのは、トロール族が魔力を使って作った体っていうか、鎧みたいなもんなんだ」
「………?」
「あー、だから、要するに、あのでっかかったトロールは作り物で、中には小さな石人間が入ってたってこと。で、それが、これ」
お姉さんはそう言って私に石ころを手渡してきた。
私は手のひらでそっとその石ころを受け取った。
見かけはただの石ころなのに、不思議とほのかに暖かな感じがする。
「ただ、あの体を維持したり作り出したりするのは結構な力がいるらしくてさ。ひどいときには、それに力を使いすぎて死んじゃうこともあるらしい。
だから、こうやって一旦封印してやったんだ。魔力が回復すれば、じきに自分で封印を解いて石人間にもどるだろ」
も、もどる…?
えっと、それって…
つまり…
「トロールさん、死んでない、ってこと?時間が経てば、この石から元に戻る、ってこと?」
「だからそうだってば!それ!トロールは今、その石!」
お姉さんはちょっと呆れたって感じで私の持っていた石ころを指差した。
これがトロールさん…?
ホントなの?
死んじゃったりしてないの…!?
私はやっと、そのことが理解できた。
それと当時に、我慢していたのがプツっと切れたような気がして、目からぶわっと何だが溢れてきた。
「トロールさん…よかった…トロールさん!」
私は爆発しそうに嬉しい気持ちに動かされて、自分でも気がつかないうちに手のひらの石ころを抱きしめて大泣きしていた。
そんな私の様子を、お姉さんと妖精さんがポカーンと見つめていたらしいけど、全然気がつかなかった。
それから私はお姉さんからあれからの話を聞いた。
勇者一行だと言っていたあの四人組は、どうやら同じ方法であちこちで悪さを繰り返していたお尋ね者だったらしいっていうのを、
お姉さんが転移魔法で連れて行った先の王国騎士団の人が話してたそうだ。
悪い人だったんだ…それなのに勇者様とか言っちゃって…本当にひどい人たちだ。
山にできた泉も、トロールさんが作った堰のおかげでちゃんと川の流れに沿って行って、今はもう元通りの山あいの窪地に戻ったらしい。
お姉さんは、夜な夜なそれを見張っていたから、昨日は駆けつけてくれるのが遅くなっちゃったんだ、と言って私に謝ってくれた。
でも、そんなのはもういいんだ。だって、みんな無事だったんだもん。
お姉さんが謝るようなことじゃないよね。
私が肩に受けたケガは、お姉さんが治してくれたみたい。
痛くないようにって催眠魔法をかけてから矢を抜いたりしたから、覚えてないだろうけど、なんてお姉さんは言ってた。
うん、痛かった記憶も、治してもらった記憶もない。
魔法ってすごいな、って思う。
私も、回復魔法くらいできたら便利かも。
あと、火の魔法もね。
だって、薪に火をつけるときに使えたら便利じゃない?
なんてことを言ったらお姉さんはクスクスと笑って、今度教えてくれる、ってそう約束してくれた。
「そういえば、これからお姉さんはどうするの?」
私はそんなお姉さんとの話の最後に聞いてみた。
そしたら、お姉さんは笑った。
昨日の、悲しい目をした笑顔とは全然違う、何かを決意したみたいな、そんな笑顔だった。
「あたしは、魔界へ戻るよ」
「魔界に呪いを解く方法があるの?」
そういえば、それも気になっていた。
あの魔王の力の呪い…お姉さんは、それを解きたかったんじゃないの?
時間がないって言ってたよね?
「いや…もう、呪いだなんて言わないよ」
お姉さんはそう言って、左腕の袖を捲くった。
腕に浮き出ている紋章を、ジッと見つめたお姉さんは
「呪いなんかじゃない…約束と…誓いだ」
とつぶやくように言って、それから私を見つめて
「それに、どうやら時間内に答えを見つけられたみたいだしな」
と笑った。
なんのことかわからないで首をかしげていると、お姉さんはなんだかおかしそうに声をあげて笑うので、私もおかしくなって一緒になって笑ってしまっていた。
「なぁ、あんた村に戻るのか?戻るんだったらあたしがちゃんと事情を説明してやるけど?」
「ううん…もう戻れないよ、私。あの村にいても、きっとみんな私のこと厄介者だって思うに決まってる」
「…そうかもしれないな…少なくとも、あんたがいることで村の連中は罪の意識に駆られるだろう…
別に村の奴らはそれでもいいけど、そんなのあんたが気まずくってイヤだろうな」
お姉さんがそう言って遠くに視線を投げた。
「だから、お姉さん。私も魔界ってとこに連れてってくれない?」
「はぁ!?」
「いいでしょ?だって、トロールさんがもとに戻ったらちゃんとお礼しなきゃいけないし、それに、魔法を教えてくれるって約束したでしょ?」
私が言ったら、お姉さんは一瞬、キョトンとした顔をしたけど、不意に吹き出して大声で笑い始めた。
「あはははは!やっぱあんたは一味違うわ!いいよ、わかった!一緒に行こう!楽しいばかりの旅じゃないだろうけど、それでも良いんならな!」
「うん、もちろん!」
私はそう胸を張って言った。
「なら、発つ準備でもするかなぁ」
「うん!」
「あははは!子どもに羽妖精に動けないトロールと勇者兼魔王か。はは!おかしなパーティだな!」
「私、シュラフ畳んでくるね!」
「あー頼むよ!羽妖精ちゃん、出かける前に、歩きながら食べる用の木苺頼んでもいいかな?」
「わかったです!」
「よろしく!」
私たちはそうして、それぞれに旅立ちの準備を始めた。
洞穴の中に駆けていこうとしていたら、後ろからお姉さんの声がかすかに聞こえた気がした。
「約束の時間には間に合いそうだ…あたしは答えを見つけたよ…あんたも、何かを見つけられたか…?」
ブンッ!
ガキィィン!
「…はぁっ…はぁっ…」
「勇者様…」
「はぁっ…はぁっ…ふぅ……あー手ぇ痛っ!床、硬っ!」
「…殺してはいただけないのですか?」
「…すこし時間をくれないか?」
「時間を?」
「うん…」
「どれほど…?」
「…二週間…いや、ひと月」
「…なぜです?」
「…もしあたしが魔王とやるとなれば、人間を斬らなきゃいけない日が来るかもしれない。
魔王にならないで、勇者でいるのなら…あんたを、いや、魔王が守ってくれと言った魔族を斬らなきゃならない」
「…いずれの役割に身を投じるか、考える時間が必要である、と?」
「…うん」
「私を斬ってはくださらないのですか?」
「…約束しよう。勇者としてここに戻ったら、必ずあんたの首を刎ねる…でも、約束をする代わりに、あんたも考えて欲しい」
「私も…?」
「うん…魔王の侍女として、あたしに遣える気があるのかどうか」
「それは…!」
「いいだろう、考えるくらい。もしあたしが魔王として戻っても、あんたが死にたいって言うならその首、刎ねてやる」
「…その約束、違いませんね?」
「うん…約束は、必ず守る…」
「魔王となるか、勇者となるか…死すか、生きるか…お互いに、難しい二択でございますね」
「…答えを探そう」
「…選ぶのではなくてですか?」
「うん…答えを探すんだ」
「…分かりました」
「…じゃあ、あたしは行く。国王軍を下げさせる。あたしが戻るまで、魔界の統治を頼む」
「勇者様!」
「ん…?」
「約束、違いませんね?きっとですよ?」
「あぁ。約束する…あたしは必ず答えを見つけてここに帰るよ」
「では、そのときまで必ずお待ち申し上げております、約束でございますよ?」
「うん、約束だ」
以上です!
お読みいだたきありがとうございました!
素敵な作品をありがとう!
おつかれさまでした!
くっそ面白かった
乙
乙!
後日談とか書いて欲しい!!
乙
爽やかに終わったな!
この後の幼女ちゃんはベギラマのようなギラを使えるようになるよ!絶対だよ!
しかしキャタピラなぜローマ字にw
しまった
元ネタはメラとメラゾーマだった……orz
恥ずかしい
思っていた以上に読んでくれてる人がたくさんいてくれてよかった!
途中レスがあまりなかったので不安でしたw
後日談については考えてはおりますが…
何分、内容が内容だけに、「まおゆう」の何番煎じかとかになりかねないなぁ、と思って二の足踏み中。
きっと勇者が魔王として魔界復興に勤しみ、人間界との対立があって融和を目指す話になるんだと思うんですよね。
それでも読みたいって人がいてくれたら、なんとなく頑張ってみますw
そういえば、アルファベットなのはなんとなくですw
読みたいです!
乙!
おもしろかったのでぜひ後日談期待
乙
続きは続きでも軽めにお願いしたいな。
今は勢いだけの一発ネタでも底の浅いギャグでもなんでもいろんなジャンル、形式のものが読みたい。
この人はキャラと世界観が固まると1年でも2年でも書き続けられるからなww
意外に需要があったんですね!嬉しい限りです!
じゃぁ、信長の方がひと段落したら書いて行きたいと思います。
それまでこのスレ残しときますね。
>>88
感謝!
残念ながら、この続きとなると中編以上は覚悟してくれ!
アヤレナとまではいかないけど、パッと構想をまとめてみたけどあっちの一スレ分くらいにはなると思われるw
おつん・
面白かった・
こんばんは。
なんとなくその後の話を書き始めたので、投下していきますー。
まったりペースなのはご容赦くださいませ。
「よう、大丈夫か?」
「あぁ、うん…はい、なんとか」
「涼しくなるまで休んでろな。もうじき街だ。夕方に出れば、夜になる前に着けるから」
お姉さんはそう言いながら、そっと私のおでこのところに手をかざした。とたんに、溶けかかっていたタオルがキュンと冷えてくる。
気持ち、いいな…そんなことを思って私はまた目を閉じた。ゆっくり深く呼吸をして、頭の中がぐるぐると回っているような感覚を追い出す。
もうここにたどりついて休み始めてからずいぶんたつし、ようやく体の方も落ち着いてきた。
私たちは、砂漠の真ん中にあるオアシスにいた。
見たことのないサボテンのような植物にロープを括って、反対側を地面に刺した杭に結びつけ、その上にシュラフを掛けて簡単なテントをお姉さんが作ってくれた。
私は暑さで完全にやられてしまって、テントが作り出した日陰に寝そべってじっとおとなしくしていた。
お姉さんも妖精さんも全然平気そうにしている。
私は、父さんと母さんと一緒に一日中だって畑仕事をしたってへっちゃらなくらい、体力に自信はあったんだけど、
この暑さばかりはどうしようもなくってこんなことになってしまった。
私がもう少し頑張れていれば、お姉さんも妖精さんもきっともう街について、ふかふかのベッドで眠れたはずなのに。そう思って謝った私にお姉さんは笑って言った。
「こんな暑さじゃ普通は大人だって参っちゃうよ。あたしや羽妖精が平気なのは自然の力を魔力で操れるせいだからな」
確かにお姉さんも妖精さんも、着替えをしたりたくさん汗をかいているなんて様子もない。魔力って、すごい力なんだね。
「回復魔法より、水と木苺がいいよ」
妖精さんそう言って、お姉さんの水筒に汲んできてくれた水と山で採ってあった木苺の入った革袋を持ってきてくれる。
水筒の中身はお姉さんか妖精さんが冷やしてくれたみたいでキンキンに冷たくなってい。
コクリ、コクリってゆっくり飲んで、木苺も二つ口に入れて、もう一度水筒に口を付けてからまた私はバタっとその場に寝転んだ。
それにしても、こんなところに住んでいる人がいるんだね…私のいた山の麓とは気候が全然違う。
もう何日も旅して来たし当然なのかも知れないけど、やっぱりこの暑さにはなれないなぁ。
あの日、私はお姉さんと一緒にあの山を後にした。
最初の晩は、洞穴と同じように野宿をして、次の日の夕方には、草原の真ん中にあった城塞都市の宿に入った。そこで休んで、次の日は食料とかそういう物も買い込んだ。
私はお姉さんに旅用の服やマント、それに小振りなナイフと小さな肩掛けのポーチを買い与えてくれた。
ポーチには水筒に傷薬に、それから革袋に包んだトロールさんの石も入ってる。
本当はお姉さんに預けておくほうが安全なんだろうけど、どうしても私が持っていたかった。
お姉さんは「気をつけろよ」なんて笑いながら私にそう言った。
そこから次は、村のそばにあった山よりも少し険しい山を一つ越えて、麓の宿町にたどり着いた。宿町から先が、この砂漠。町で一泊し砂漠の旅を始めて二日目。
お姉さんはさっき、もうすぐ街だ、って言っていた。あとちょっと休んだら、歩けそうかな…その街の宿屋さんには、お風呂はあるだろうか?
出来たら、体が冷えるくらいの温度の湯船にしばらく浸かっていたいな…あるといいな。
私はそんなことを思いながら、ふぅ、と大きく息を吐いて、目を閉じた。
お姉さんが魔法で冷やしてくれたタオルと、妖精さんが持って来てくれたお水でなんとか頭の中がぐるぐるしているのは落ち着いて来た。
うん、この調子ならやっぱり、あとちょっと休んだら歩けそうだ。
やがて太陽が傾いて来て、憎いくらいに真っ青だった空が微かに橙色に染まり始めた。とたんに空気が冷たくなるような感じがする。
砂漠の夜は想像していたよりもずっと寒い。夜になったら冷えたお風呂なんて必要ないかもしれないな。私はそう思いながらもゆっくりと体を起こしてみた。
頭の中のぐるぐるは、もうだいぶ治まった。これなら平気そうだ。
「お姉さん、もう、大丈夫そう」
私が言ったら、お姉さんはニコっと笑って
「そっか。無理するなよな。また何かあったらそんときは背負ってやるから、あと少し頑張れよ」
と言ってくれた。
そもそもお姉さんにとってはこの旅は、本当になんでもないようなことみたいだ。でも、転移魔法を使わないでわざわざこうして、町から町へと歩いている。
お姉さんは、その方が楽しいだろ、なんて言っていたけど、私にはなんとなくわかった。
お姉さんはきっと、人間の世界にお別れをしているんだろうって。
これから魔界に行って、魔族のために魔王になろうとしているお姉さんは、きっと簡単にこっちの世界へ戻ることはできなくなる。
寂しくないように…ううん、きっと寂しいから、こうして歩いて向かってるんだろう。
ひとつひとつの出会いとか、そういうのを確かめるみたいにして。
昼間、砂漠を吹いていた焼けつくような風はどこへやら、で、肌に触れる空気はもうひんやりと冷たい。
夜になる前に着かないと…そう思っていたけれど、私たちの目に、蜃気楼のようにぼんやりと浮かんでいた町が、ようやくはっきりと姿を見せた。
あれは幻やなんかじゃないだろう。
「あれ、そう?」
私はかぶっていたフードをめくってお姉さんに聞いてみる。お姉さんは
「あぁ、うん」
と少しだけ安心したような表情で笑ってそう返事をしてくれた。
私たちはようやく町へとたどり着いた。妖精さんが私のフードの中にもぐりこんでくる。
声は出るようになったけど、やっぱりたくさんの人間を見るのはまだ怖いみたい。
それもそうだろう。私だって、トロールさんたちみたいな大きい人がたくさんいる町になんて迷い込んだらきっと何をされてなくたって怖いって思うに決まってる。
「まずは、とりあえず宿を押さえないとなぁ」
お姉さんは慣れた様子でそういうと、私の手を引いて町の中を歩き始めた。
町は、想像していたよりもずっと賑やかで、人がたくさんいた。
町の真ん中を抜ける大きな通りには出店のようなものもたくさん出ていて、あちこちから良い匂いが漂ってきている。
夕方になってきたこともあり、あちこちでランプに火が入りワイワイと声をあげて客引きをしたりしている。
「面白い町だろ?ここは砂漠の大きなオアシスを中心に栄えた町でさ。王都のある北から南へ行くのと、西への交易街道とが合わさる場所なんだ」
お姉さんがそう教えてくれる。そうなんだ…そう思っていたら、お姉さんが不意に足を止めて、そばにあった屋台のおじさんに怒鳴った。
「おっちゃん、これ二つ!」
「あいよ、ねーちゃん!」
お姉さんは銅貨を二枚払って、屋台で何かを買った。
その一つを私にヒョイっと手渡してくれる。
「えっと…」
それは私が今まで見たこともない食べ物だった。
白くってふわっとしたものが、パンみたいな生地にくるっとくるまれている。中の白いのからは、赤い粒々がチラチラと混ざっていた。
持っている手の平にひんやりとした感触がある。冷たいもの、みたいだけど…
「あぁ、知らない?クレープってんだ。まぁ、クレープにアイスクリームを包もうなんてのはこの年中暑い町くらいだけど」
「ア、アイスクリーム?」
「えっ?知らない?そっか、あの村、街道からも逸れてるからなぁ、王都の流行は入りにくい、か」
お姉さんはそんなことを呟きながら、それでも自分はそれにかじりついて
「牛やなんかの父に卵とかを混ぜて冷やして作るんだよ。甘くって冷たくっておいしいんだぞ!」
と私に勧めてきた。あ、あ、甘いんだ?甘いのは好きだな…私はお姉さんの言葉を聞いてなんだか少しドキドキしてしまって、恐る恐る、クレープってのを口に運んだ。
フワフワのパンの生地みたいなのがムニュっと避けて、中から冷たくって甘いのが舌の上に出て来て解けるように広がる。
これ…こんなの初めて!おいしい!すごくおいしいよ!
「んーー!」
私は、口にそのクレープをほおばりながら目を見開いてお姉さんを見つめていた。そんな私の顔を見てお姉さんは満足げに笑って
「どうだ?うまいだろ?」
と言ってくる。私はコクコクうなずきながら二口目をかぶりつく。
と、フードをかぶっていた耳元でボソボソと声がする。
「人間ちゃん、私にも頂戴!」
妖精さんの声だ!
私はとっさにあたりを見渡して見つめられていないことを確かめてから、クレープを少しだけちぎってフードの中の妖精さんに手渡した。
「んっ!冷たい!うわっ、甘いー!」
妖精さんがフードの中で喜んでいる声が聞こえてくる。
「あはは!砂漠だけど、ここは交易の重要拠点だからな。物資には事欠かないし、うまいものも揃ってる」
今日は川の魚なんかじゃない、とんでもなくうまいもの紹介してあげるよ!」
お姉さんはなんだか無性に楽しそうにそう言った。
「うん!」
「わ、私も、頂くです魔王様!」
フードの中で妖精さんもそう声をあげていた。
そんな私たちは町の中心の道と同じくらいの道の交差点に出た。真ん中はちょうど大きな広場になっていて、そこにはなんだか、たくさんの人だかりができている。
「ほら、宿はこっちだぞ。迷子になるなよ」
お姉さんはそんなことを言って私に手を差し出してくる。
そういえば、村のお祭りのとき、母さんがこうして手を引っ張ってくれていたっけ。
私はそんなことを思って、どうしてかお姉さんがそうしてくれることがうれしくて、ニコニコしながらお姉さんの手を握っていた。
「おいおい、ほんとだな…これ、どうなってんだ?」
「気味が悪いね…こんなのがあの山の向こうにはうごめいてるってのか?」
「なんでも今度新しく来た憲兵団長の指示らしいぜ。晒し者にしろってさ」
「どうして国王軍はこいつらを根絶やしにしてくれなかったんだ!おちおち夜も寝てられない!」
「まぁまぁ、もう戦争は終わったんだ。ほれ、みろ。こいつらは負けたんだよ。なさけねえ姿じゃねえか」
ふと、中央にあった広場の声が私の耳に届いた。
いったい、なんの話をしているんだろう?
私はそのことが気になって広場の方を向いた。
大人たちがたくさんいて小さい私にはその向こうの様子は見えないけど、大人たちはみんな眉をひそめて不穏な表情をしている。
「ね、お姉さん。あの向こう、何があるの?」
私はお姉さんに聞いてみた。お姉さんは私の言葉に何かに気が付き、ふっと広場の方を振り返って急に顔をしかめた。
ど、どうしたの?なにが見えるの?
そう聞こうと思った私に、お姉さんは
「そこに、道具屋さんがあるだろ?あそこに入ってちょっと待ってろ」
私はなんだかわからないけど、お姉さんに言われるがまま、道具屋さんの店先に入って、人垣の方を見つめる。
お姉さんは、なんのためらいもなくそこにズンズンと突き進んで行って、怒鳴った。
「おいおいおい!ここに魔族がいるって?どういうことだよ?!」
ま、ま、魔族!?町の真ん中に、魔族がいるの!?
私はお姉さんの言葉に耳を疑った。でも、お姉さんはなおも声を荒げるようすで言う。
「おい、どけよ!あたしの部隊のやつら、魔族の連中に殺されたんだ!あたしが仇を討ってやるんだ!」
お姉さんはそう大声をあげた。とたんに人垣が割れるように道を開ける。その先に、私は、見た。
そこに居たのは、まるで熊みたいに全身毛むくじゃらの黒っぽい、なにか。でも、熊や狼みたいな動物じゃない。あれは、人の形をしている。
でも、でも…あれは、人じゃない。体の外側の皮膚には毛がたくさん生えている。顔こそ、鼻と口元に目元は人間に似ているけど…で、でも、耳が頭についている。
あれ、あれって、確か、獣人、ってやつじゃなかった…?
そんな獣人さんに、お姉さんは肩を怒らせてズンズンと進んでいく。
ま、待ってよ、お姉さん…いきなりどうしちゃったの!?お姉さんは魔王でしょ!?そんな、仇を討つ、ってその獣人さんをどうする気なの!?
私はそんな思いに考えがいたって、思わず道具屋さんの店先からお姉さんの方へと飛び出していた。
幸い、お姉さんが大声をあげて剣を振り回していたお蔭で、道ができるように人が居なくなっている。
私はその中に飛び込んで、お姉さんに駆け寄った。
お姉さんは、鎖につながれ、広場に用意された木製の磔台に鎖で括られている獣人さんのところにたどり着いて、
左手をその胸元に伸ばした。
「お姉さん、ダメ!」
私はお姉さんの体に飛びついた。でも、そんな私の体はお姉さんの片手に簡単に捕まってしまう。
「なんで来たんだよ!待ってろって言ったろ!」
「お姉さんは、そんなことしちゃダメ!自分でわかってるでしょ!」
私はお姉さんをキュッとにらみつけてやる。でも、お姉さんはあきれた様子で小さくため息をついた。
「いいから、少し黙っててくれ」
お姉さんは私にそう言った。私はもう一度叫んで止めなくちゃ、って思って、お姉さんの体に縋り付く。でもそんなとき、私の目に写った。
お姉さんは人獣さんの胸ぐらをつかむのと同時に、スッと左の袖を捲っていた。
その事に私が気づいたときには、お姉さんは今までの睨み付けるような視線から悲しげな瞳に変わって獣人さんに囁いていた。
「すまない、夜まで辛抱しろ」
お姉さんの腕をみて、言葉を聞いた獣人さんはハッとした様子でお姉さんを見つめていた。
「おう、ねえちゃんやっちまえ!」
「そうだ!汚らわしいやつなんてぶん殴れ!」
辺りからそんな声が一斉にあがる。
そんな声を聞いてお姉さんは獣人さんを見つめて腕を振り上げた。
な、殴るつもりなの!?そ、それはいくらなんでもやりすぎじゃ…
そう思って私が声をあげようとしたとき、ピッピーと鋭い音が聞こえてきた。
ふ、笛の音だ!驚いて振り返るとそこには、ビシッとした揃いの軽鎧を着こんだ一団の姿がった。
「何をしているか!広場での騒ぎは憲兵団が許さんぞ!」
そのなかでも、胸に大きな勲章のような物を着けた女の人が怒鳴った。
け、憲兵団?って確か、街の治安を維持してる、って人達…だよね?
「げ、まずいな」
お姉さんがそう口のしたのが聞こえた。私もほとんど同時に気がついた。
周りにいたたくさんの野次馬の人達がまるで散らばるみたいにそそくさと居なくなっていく。
「貴様、よそ者か?」
お姉さんはとっさのマントのフードを被ると顔を伏せ、いきなり私を抱き上げた。
「走るぞ、捕まれ!」
お姉さんの声が聞こえてきて、私はとっさにお姉さんにしがみついた。とたんに、お姉さんはすごい勢いで駆け出した。
「待て!貴様、逃げるな!」
すでに広場から抜け出した私たちにそう怒鳴ってきているのが聞こえる。でも私はこれっぽっちも慌ててなんていなかった。
お姉さんがその気になったら、捕まるなんてことはきっとない。このままどこかに隠れて時間が過ぎるのを待てばいいんだ。
思って通りにお姉さんは大通りから路地へと駆け込んで辺りを走り回ってから、いつの間にかたどり着いていた宿の中に入った。
「ふぅ、いやぁ、ビックリした」
お姉さんはそんなことを言いながら、抱えていた私を下におろして大きく深呼吸をする。
特に息が切れている様子はないけど、確かにいきなり追いかけられたらビックリするよね、なんてお姉さんを見上げて私は思ってた。
「おう、お客さんかい?どうした、あわてて?」
宿の人らしいおじさんが私たちにそう話しかけてきた。
「あぁ、いや。広場で晒されてる魔族に話しかけたら、憲兵団に怒られちゃってさ」
お姉さんはそんなことを言って嘯く。それを聞いたおじさんはガハハと笑って
「あの人らの手間をかけないでやってくれよ。多少偉そうだが、あれでこの街を救ってくれたし今も守ってくれてるんだからな」
と言った。
「あぁ、知ってる。魔王軍の三度に渡る侵攻を食い止めたこの街の英雄だろ?」
「そうさ!お陰で俺たちゃ、こうして生活が出来てるってわけだ。もう駐屯所に足を向けて眠れやしねえよ」
お姉さんの言葉におじさんはそう言ってまたがははと笑った。
あの憲兵団さんたちは、そんなにすごい人達だったんだ…
魔王軍と戦ってこの街を守ったっていうんだね…
でも…でも、あの人達はそれでも、あんなところに人獣さんを磔にされているのを黙っているか、もしかしたらあの人達が磔にしているのかも知れないんだ。
そう考えたらなんだか、胸がぎゅっと苦しくなった。街の人達にしてみたら、魔族を追い払った英雄なんだろうけど…魔族が悪い人達で憎いって思っているんだ。
戦争で魔族にたくさんの人が殺されたんだろう。だから、そう考える人がいても不思議じゃないとは思う。
…だけど、そんなのは苦しい…私だって苦しく感じるんだから、お姉さんや妖精さんはもっと苦しく思っているに違いない。
私は改めてお姉さんを見上げた。お姉さんはおじさんの言葉にニコニコ笑顔で何か言葉を返していたけど、私にはそれが、どこか取り繕った笑顔に見えるような気がした。
私たちはそのままおじさんに案内されて部屋に通された。
するとすぐに、私のフードの中から妖精さんが飛び出してくる。
「ま、魔王様…あの獣人族、嫌いです?」
妖精さんはなんだかとっても心配げな表情をしている。それを聞いたお姉さんは、なんだか申し訳なさそうな表情で言った。
「あぁ、ごめん、驚かせちゃったな…獣人の一族たちはみんな武辺者で、あんなままにしておくと舌を噛んで自害した方が良いって思うやつが多いんだよ。
さっき言ったのはうそ。ああでもしないと近づけなかったからさ。でも、あの獣人くんはわかってくれたと思う。今夜彼を助けてやるつもりだ」
やっぱりそういうことだったんだよね。私は不安だったわけじゃないけど、なんだか安心して胸をなでおろしていた。
妖精さんは感激したみたいで、空中をパタパタクルクルと回りながら
「すごいです!やっぱり魔王様はえらいです!」
なんて喜んでいる。お姉さんはそれを見て苦笑いしているけど…うん、でも、あんな方法は私もいけないってそう思う。
それこそ、私のときのあの偽勇者様とおんなじで、ああいうのは一方的に相手を傷つけることが目的だもんね。
それは絶対やっちゃいけないことなんだ。
でも…ちょっと待って…今夜助けに行く、ってことは…
「お姉さん、もしかして今夜さっきの獣人さんを助けるんだったら、この街でのお泊りはなし、ってこと?」
私はそのことに気が付いて、お姉さんにそう聞いてみる。
お姉さんは、私をみてあって感じの顔をして
「そうだったな…ごめん、ゆっくりはできそうにない」
と私に謝ってきた。
ふかふかのベッドに眠れないのは、すこし残念…でも、仕方ないよね。
獣人さんは、もっと大変なことになっているんだもん。
放っておかれたら、あの磔にされた体制のまま、夜も寝ることになるかもしれない。
そんなのって、ひどいもんね。
そう思った私はお姉さんに言ってあげた。
「平気だよ!あの獣人さん、助けてあげよう!」
そしたらお姉さんはすごく嬉しそうな表情をしてくれる。でも、ちょっとだけわがまま言っていいかな…
「でも、その、あのね?寝るのはダメでも、お風呂とか入るのはダメかな?」
私が聞いたらお姉さんはニコっと笑って
「お風呂くらい入ろう!それから、うまい夕飯も約束するよ!」
って言ってくれた。
うん、私、それだけでもすっごく楽しみでうれしいよ!
私はお姉さんにそう伝える代わりに、ありがとう、って言ってお姉さんの体に飛びついて抱きしめた。
つづく。
スレタイは幼女とトロールだけど、トロールはたぶん、しばらく出てこないw
乙
ほんとこの作品好きだわ!
乙
魔族と人間との軋轢話はつらいね。
>スレタイは幼女とトロールだけど、トロールはたぶん、しばらく出てこないww
幼女がトロールさんを肌身離さず持ってるんだから間違ってなかろww
その晩、私はお姉さんの声を聞いて目を覚ました。
いけない私…寝ちゃってた…獣人さんを助けに行かなきゃいけないのに…そう思って慌てた私をお姉さんが押し止めた。
「大丈夫、まだ浅い時間だ。慌てずに、静かに仕度しよう」
そう言って笑ってくれたので、私もうなずいて笑顔を返す。念願のふかふかベッドから這い出て着替えを済ませる。ポーチを肩に掛けて、中身を確かめた。
水筒はこれから水を入れるから出しておいて…もしものときのためにポーチの掛け紐に、山で村の人に押し付けられたダガーの鞘を通してすぐに使えるようにした。
ポーチの中にはお姉さんに買ってもらったナイフとトロールさんの石もちゃんと入ってる。
トロールさんの石は革袋から飛び出てぶつけたりしちゃったらトロールさんが痛いかなと思って、袋の口の紐を閉め直した。
最後にマントを羽織って私の準備は完了だ。
終わったよ、と声を掛けようと思ってお姉さんを見やったら、お姉さんは感心したような顔をして私をみていた。
「はは、すっかり旅慣れたな」
そう言ったお姉さんは、そんなの持っていたんだと私が思うような真っ黒なマントに身を包んでいた。きっと夜に目立たないようにするための物なんだろう。
私のマントは暗い茶色だけど…平気かな?
妖精さんは落ち着かない様子で部屋の中をパタパタと飛び回っている。妖精さんは準備がそんなに要らないし、これから獣人さんを助けに行くと思うと落ち着かないんだろう。
それから私たちはこっそり部屋を出て、階段を降りたところの宿のホールで専用の井戸から水筒に水を汲んで、物音を立てないように気をつけながら宿を出た
外は砂漠の夜で凍えるような寒さだった。思わず私はマントにギュッとくるまる。それを見たお姉さんはクスっと笑って私に言った。
「回復魔法なんかより、防御魔法の基礎を先に教えてあげた方が良さそうだな」
あ、それってお姉さんや妖精さんが寒くなかったり暑くなかったりするやつだよね?それ、出来るといいな…そう思ってうなずいた私にお姉さんはまた笑顔を見せてくれた。
でもお姉さんはそれからすぐに表情を引き締める。
「それじゃぁ、行くか…見張りがいるかも知れないから用心だ」
私はもう一度お姉さんにうなずいた。
真っ暗で人の気配のない大通りを広場の方へと歩いて行く。下弦の三日月で月明かりも微かだから、身を隠すには良いんだけど、目が慣れて来るまでは私も周りがよく見えない。
なんだか妙に胸がドキドキと大きな音を立てている。そのドキドキは広場に近づいて行くほどに大きくなってきて、心臓が口から出てきそうだって思うくらいだ。
すごく寒いはずなのに手の平にはじっとりと汗をかいているのが分かった。
そ、そりゃぁこんなの緊張するよね…私はいつの間にか握りしめていた拳をほどいて握り直す。でも…これはドキドキしているだけで、怖いわけではない。
私にはお姉さんも妖精さんもいる。怖いことなんてこれっぽっちもないんだ。
そうして私たちは宿からしばらく歩いた。ぼんやりと暗がりに昼間見た覚えのある景色が現れた。確か、この先が広場のはずだったけど…
私はようやく夜の闇に慣れて来た目を凝らして遠くを見つめる。
そこには確かに磔台があった。それからそのすぐ近くに、ぼんやりと何かが見えた。あれ…なに?
そう思ったとき、そのぼんやりしたなにかがユラリと動いた。あ、あ、あれ…!誰か人がいるんだ…!
まずいよ、もしかして、誰かが獣人さんに戦争の仕返しでもするつもりで…!
私は慌ててお姉さんを見た。するとお姉さんは私の手をとって、そのままずんずんと広場に踏みいった。
磔台の前にいたのは私達のように頭からすっぽりとマントをかぶった人で、暗いこともあって、顔をうかがい知ることは出来ない。
「よう、なにやってんだ?」
急にお姉さんがそう声をあげた。私は急にお姉さんが声を出すから心臓が跳び跳ねるくらいに驚く。
マントの人も驚いたみたいで、慌てた様子でこっちを振り返った。少しの間、お姉さんもマントの人も喋らなかった。
私がその様子をハラハラしながら見ていたら、不意にマントの人が口を開いた。
「やはり…見間違えではありませんでしたね…」
マントの人はそう言うなり、かぶっていたフードを取った。私は、その顔を見て少しだけ驚いてしまった。
マントの人は、昼間、お姉さんが獣人さんに詰め寄った時に笛を吹いて来た、あの憲兵団の大きな勲章をつけていた女の人だった。
「久しぶりだな、兵長」
「勇者様…やはり、ご無事だったのですね」
兵長、と呼ばれたマントの人はお姉さんにそう声をかけるなりその場に跪いた。
「幾度も街の危機を救ってくださったのに、いつもことが終わる頃には雲隠れでお礼も申し上げられませんでした。この場を借りて、この街の憲兵団を代表しお礼を」
「いや、あれはあたし達だけじゃどうしようもなかった。この街に残って戦ったあんたたち憲兵団と、あんたたちを信じて街に残り、あんたたちへの補給を絶やさなかった街の人たちの勝利だ」
お姉さんはそう言って、兵長さんの肩をポンっと叩いた。
でもそれから、獣人さんの方を見て
「それで、説明してくれないか?」
と兵長さんに聞く。
そういえば、と思って私も獣人さんの方を見る。すると、昼間は鎖で磔台に縛られていた獣人さんが地面に座り込み、お肉やパンがいっぱいに盛られたお皿を手に呆然としていた。
「ゆ、勇者…?」
獣人さんがそう口にする。
その言葉に兵長さんが気がついて顔を上げ
「獣人の兵士よ。聞いてくれ、この方は、魔族と見れば斬りまくる鬼とも悪魔とも言われるような人じゃない」
と獣人さんにそう説明をする。
でも、私には獣人さんが言った言葉の理由がわかっていた。獣人さんはきっと、お姉さんのことを魔王だと思っていたはずなんだ。
昼間、あの紋章を見せたから…
「あなたは、魔王様ではないのか!?」
とたんに、獣人さんの口調が鋭くなる。お姉さんは、それを聞いても少しも動じなかった。でも、あのときと同じ、少しだけ悲しい顔をして両方の腕を捲くった。
「見ていてくれ。その目で見たものと、あたしの言葉を信じられなければ、それでも構わない」
お姉さんはそう言うと、両方の腕にグッと力を込めた。
左腕には赤い魔王の紋章が、右腕には青い勇者様の紋章が浮かび上がる。
「こ、これは…!?」
「な、なんてことだ…!」
兵長さんと獣人さんが揃って言葉を失っている。それを見たお姉さんは腕の力を緩めて、ふう、とため息をついた。
腕から光が消えて、お姉さんは袖を元に戻しながらしゃべりだした。
「あたしは、もともと勇者だった。でも、魔王城決戦で、魔王と対峙して、魔王を討った…そのときにあたしは託されたんだ」
「た、託された、と?」
「あぁ、うん。あたしは、魔王に魔界の…世界の平和を、託された」
お姉さんの言葉に、獣人さんは唖然とした表情を見せている。でも、兵長さんは違った。もちろんおどろいていたけど、すぐにハッとした表情を見せてお姉さんに聞いた。
「まさか…魔王は、勇者様に、力を返した、と…?」
「うん、たぶん、そうだったんだと思う…それしか方法がないんじゃないか、って、魔王は思っていたんだとあたしは感じてる…先の三回の魔王軍侵攻だけじゃない。
これまで、魔界と人間界との戦いは何度だって繰り返されてきた。世界が二つに分かたれたその日から」
「そ、それはまさか、いにしえのこの大陸創造の伝説…?」
獣人さんが、ようやくって感じでそう口を開いた。うん、たぶん、そうなんだろうって私は知っていた。
それは、母さんが読み聞かせてくれた絵物語のことだろう。
「うん。かつて、この大地は魔族と人間族が入り乱れ、あちこちで争いが起こって、たくさんの命が失われてきた。大地と自然と共に生きる魔族と、
山を切り開き、野を焼き払い、自分たちの生活の場を広げて田畑としてきた人間との争いだ。
その争いを憂いた各国の代表が、魔導学者を集めて作り上げたのが、この二つの紋章…契約の呪印だ。
この呪印の最初の依代となった『勇者』は、魔族たちを西の大地に、人間たちを東の大地に集めて、その間にその強大な魔力を使って巨大な山脈を作り出した。
そしてその『勇者』は、魔界の安寧を願って施政者を立てた。そしてその者に、契約の呪印の片方を譲った。
こうして、世界は二つに隔てられ、勇者は人間界に帰り、そして魔界には魔王が生まれた…」
そう…それが絵物語の内容。
大昔、平和を願った人達の希望を集めて出来上がったその紋章の力で、世界は平和になったはずだった。
そう、そのはずだったのに…
「世界と共に分かたれた二つの紋章が、ひとりの『勇者』の元に戻ってきた…それがすなわち、二つの世界に分かれて繰り返し続いてきた戦乱を収める手になる、と、魔王は考えた…」
「うん…あたしは、そうだと思ってる」
兵長さんの言葉に、勇者様は頷いた。
「先代魔王様が、あんたに世界を託した、ってことなのか?」
今度は獣人さんがお姉さんにそうたずねる。お姉さんは、コクっと頷いた。
「たぶん。あたしは、魔王とはそのときに一度会っただけだから、魔王の人となりは分からない。だから、本当に託されたのかは分からないけど…でも、あいつは言った。
あたしに、魔界の住人を守ってやってくれ。世界に平和と繁栄を、って、ね」
お姉さんの言葉に、獣人さんも兵長さんも黙り込んでしまった。
お姉さんは、それでもなお、悲しい表情をして二人に言った。
お姉さんは、それでもなお、悲しい表情をして二人に言った。
「あたしはもう、人間でも魔族でもない。きっと世界でただ一人、世界の運命を左右することのできる存在になっちゃったし、
もしかしたら裏切ったなんて思われてるかもしれないってのは分かってる。でも、あたしはあいつと…魔王とその従者に約束したんだ。
あたしなりの答えを持って、魔族を守り、世界に平和と繁栄を紡がなきゃいけない。
だから、ここでなにがあったのかを、あたしは知りたい。
魔族のことはあたしの問題だ。それに、勇者として人間のが困っているのなら見過ごすわけにもいかない。
兵長、どうして獣人族がこんなところで捕らえられてるんだ?
あんたはどうして、そんな獣人族に飯なんか食わせてるんだ?」
ふと、お姉さんのその質問は、お祈りをしているみたいだな、って私には思えた。
まるで、「どうか私を嫌いにならないでくれ」って、そう言っているように私には聞こえた気がした。
どうしてなのかは、わからなかったけど…
お姉さんの質問に、二人共少しの間黙っていたけど、不意に兵長さんが喋り始めた。
「二日前のことです…街の西側の衛門に、この獣人族が現れました。彼は、この街で行方知れずになった子供たちを数人連れており、すぐに私の部下が取り押さえたのです。
ここ一ヶ月ほどの間、この街で子供達や若い女性が姿を消すという事案が複数起こっていて、私たちはその捜査を行っていました。
最初は、行商人に紛れた組織的な人買いによるものと考え、街の出入りの際の検閲を強化しましたが、それでも一向に減ることなく、危機を感じていたところに、
彼が現れた、という報があったのです…行方がわからなくなっていた内の子どもを三人と若い女性を連れて」
兵長さんはそう言って獣人さんをみやった。獣人さんは、しばらく黙って兵長さんとお姉さんを交互に見つめていたけど、少しして、地面に跪くと深々と頭を下げた。
「…確かに、あなたからは魔王様と同じニオイがする。あなたは、魔王様から魔界の王としての責任を引き継いだのだな…
ならばこれより、私はあなたを次の魔王様であると思い、お話をさせていただきます…」
獣人さんの言葉に、お姉さんは黙って頷いた。
「私は、この街へ侵攻した第三次攻撃で、機動諜報小隊を指揮していました。ご存知のとおり、勇者一行と憲兵団の防衛陣に対して玉砕。
そのまま人間軍の反攻へとなる契機となった戦いですが…我が隊はあの玉砕後の残党救出のために活動しておりました、先代様のご指示です。
ですが、その最中に我が隊十名が次々と命を落とすこととなりました。原因は定かではありませんでしたが、とある地域へと捜索に向かった者達が一斉に、です」
「小隊員が全部…?」
「はっ。私がついていながら、情けない…。私はそれから、単独でここから西、魔王軍が退避した中央山脈裾野の森林地帯に潜伏し、状況を探り続けました」
獣人さんは、そこまで言って、兵長さんをチラっとみやった。兵長さんは、獣人さんの話を聞いて何かの合点がいったような表情でうなずき、しゃべりだした。
「彼が連れてきてくれたのは子供が三人と、若い女性が一人。彼女たちは口々に、報告をしました。『私たちは、あの黒猫の人に助けてもらった』
『西の森にはオークがいて、そいつらに攫われたんだ』と」
「オーク?」
「はっ、魔王様。我が救助隊を屠ったのは、人間ではなく、同じ魔族。オーク族の兵士たちでございました」
私は、オーク族の集落に潜入したところで、粗末な小屋に人間が捉えられているのを見つけました。
先代様は、かのような狼藉を決して許すようなお人ではございませんでした。
戦争は手段であり目的ではないと、そうなんども仰っており、私もその心を理解していたつもりであります。
そして、そのお心に従い、オーク族を討つよりもまずは人間を助けようと思った次第」
「取り調べにおいても、彼は同様の説明を私たちにしてくれました。私も、彼の言を信用に値すると判断したのですが…」
獣人さんの話のあとに、兵長さんはそう言葉を添えてから口ごもる。
「それなのに、磔、か…」
お姉さんがそう口にした。
そうか。
兵長さんは獣人さんの言葉を信じた。
きっと、悪い人じゃないって、そう思ったんだ。
それなのに、どうして磔なんかになっているんだろう?
私がそれに気がつくくらいだ。お姉さんもきっと不思議に思っているに違いない。
「はい…新しい憲兵団長の指示でした。あの方は、魔族を赦すわけにはいかないと…
我々が後手に回っていた人拐いを見つけ出し、捕らわれていた者たちを助け出してもらっていただきながら、こんな磔なんてマネをさせて…
私にもっと力があれば…獣人の戦士よ、申し訳ない…本当に、申し訳ない…!」
「人間の兵士よ、頭をあげてくれ。貴殿は俺を粗末には扱わなかった。毎夜こうして食事を持ってきてくれているではないか」
獣人さんはそんな兵長さんに恐縮してそう言葉を返している。
そんな様子を見て、お姉さんの表情が、すこしだけ穏やかになったのを私は見逃さなかった。
私も、なんだか暖かい気持ちになっていた。
お互い戦いあっていた兵隊さんたちなのに、こうやってお互いに謝り合うことができるなんて、なんだかとっても嬉しいことのように思えた。
でも、そんな様子を一通り見ていたお姉さんは二人の話を割って質問した。
「それで…じゃぁ、西の森にはまだオークのやつらが潜伏しているんだな?」
「はっ、おそらくは。やつらは魔王軍から逃亡した者たち。魔界にも戻らず、この地で好き勝手に暴れようという魂胆のようでした」
「なるほど…そうか。それで、兵長。憲兵団の動きは?」
「はい。今朝より、団長が精鋭部隊を率いて西の森へと進軍しました。私は彼を庇ったからでしょう、街に留守番を言い渡されました」
「その団長、ってのも、クセ者だな…まぁ、憲兵団の団長は王都から派遣で回されてくるからなぁ。手柄を立てて王都に戻って出世するしか脳のないやつも多い」
「恥ずかしながら…」
お姉さんの言葉に、兵長さんが悔しそうにうつむいた。
兵長さんに、少し申し訳なさそうな顔をしたお姉さんは、気を取り直したみたいに表情を厳しくした。
お姉さんのことだ。オークって人たちも、その団長って人も、厳しくお仕置きするつもりでいるんだろう。
私だって、できるならそうしてやりたいって思うくらいだ。
魔王で勇者様なお姉さんが、そんなのを放っておけるはずなんてない。
私の思ったとおり、お姉さんは兵長さんと獣人さんに言った。
「その場所に案内してくれ。あたしが行って、全部ぶっ叩いてやる」
兵長さんと獣人さんは揃って顔をあげた。
「私も行きます!部下たちの無念を晴らさせてください!」
「勇者様、私もです!このような横暴、やはり許されてはならない!」
そんな二人の言葉に、お姉さんはやっぱり、なんだか嬉しそうに笑った。
でもそんな時だった。
「兵長!兵長!!」
そんな叫び声が聞こえてきた。
獣人さんが慌てて磔台に飛び上がって、自分で鎖をグルグルと巻きつけて縛られている振りをする。
そうしている間に、私たちの目の前に、憲兵団の鎧を来た兵士さんが一人、姿を表した。
「どうした、このような時間に大声など、感心しないぞ」
「そ、そ、それが!屯所に魔族が!奇襲です!」
「なんだと!?門衛はどうしたんだ!?」
「わかりません!とにかく今、総出で迎撃していますが、混乱しきりで!至急戻って指揮をお願いします!」
「オークの連中か!?」
部下の人なんだろう、憲兵団の兵士さんの言葉を聞いて、獣人さんが鎖をほどいてそう言った。
「うわぁぁっ!」
「おい、彼は味方だ。とにかく屯所に戻るぞ!もしオーク族だとしたら、団長の部隊がしくじったってことになる…!」
「人間の兵士よ、俺の武器はあるか?」
「兵長と呼んでくれ!あぁ、受け取れ!」
兵長さんがそう言って、懐から抱えるほどの革袋を取り出して獣人さんに投げた。
「たかじけない!」
「あたしも行こう。憲兵団の精鋭が負けたんなら、よほどの勢力だ。あんた達にもしものことがあったら、あたし、寝覚め悪そうだしな」
「勇者様…!」
「魔王様…!!」
「二刻で屯所を奪還して、追撃隊を組織したら西の森へ向かうぞ」
「はい!」
お姉さんはそう指示をしてから、私を振り返った。優しくて、嬉しそうな顔をして私の頭を撫でたお姉さんは、
「悪い、ちょっと仕事してくるよ。羽妖精と宿に帰ってフカフカのベッドで眠っててくれ」
と言ってくれた。
ホントのことを言うとついて行きたいけど…でも、私が一緒に行ったってなんにもできやしない。
お姉さんを心配させちゃうだけだし、私は宿でおとなしくしていた方がいいよね。
「うん、分かった。お姉さん、気をつけてね」
私が言ったらお姉さんはまたガシガシと私の頭を撫でて
「あぁ、分かってる。昼飯までには戻るから…ほら、こいつで、昼飯用意して待っててくれな」
と、お金の入っている革袋を私に手渡してくれた。それからお姉さんはギュッと表情を引き締めると
「よし、行くぞ!獣人はあたしから離れるなよ!混乱してる状況じゃ、憲兵団に敵だと思われて斬られるかもしれない」
なんて指示を出しながら、兵長さんたちに先導されて通りの向こうの方へと走って行った。
私はそんなお姉さんの後ろ姿を見送ってから、宿への道へと引き返す。
妖精さんがフードの中から出てきてパタパタと心配げにお姉さんの走って行った方を見つめている。
「大丈夫だよ、妖精さん」
「うん…でも、心配。魔王様、負けちゃイヤです…」
「負けるわけないよ!お姉さんは勇者様で魔王様なんだから!」
私はそう妖精さんに言ってあげた。
私たちは、お姉さんが帰ってきて安心できるように、美味しいご飯とそれから元気な姿で迎えてあげられる準備をしてあげなきゃいけない。
きっとお姉さんには、それが一番喜んでもらえるって、そう思うんだ。
向こうの方に、宿の看板が見えてきた。
寒いし、今日のところはあのふかふかのベッドに戻って寝よう。それで、明日の朝は早起きをして、宿のおじちゃんに美味しいお昼ご飯を手に入れられるところを教えてもらわなくちゃ。
そう思っていたときだった。
暗がりに、ユラリと何かの影が蠢いた。
私は、なんだかわからないけど、背中がツツッと寒くなるのを感じて、脚を止めた。
「よ、妖精さん!」
私はそう怒鳴りながら、ポーチの掛け紐につけておいたダガーを抜いた。
暗がりの中で影がユラリとまた動く。
来る…こっちに、来る!
私はダガーをギュッと握って構えた。
妖精さんも、ピカピカと光りながら警戒しているのがわかる。
「グフフフ、これはうまそうなガキじゃねえか」
暗がりから現れたのは、人間じゃなかった。
くすんだ苔色の肌に、尖った耳、突き出た下顎から上に伸びる牙が見える…これ…これって…!
オーク!?
も、もしかして、襲われているのは屯所ってところだけじゃないってこと!?
街中にオークが入り込んでるの!?
「よ、妖精さん!お姉さん呼んできて!」
私は叫んだ。でも妖精さんが
「ダメ!あなた一人じゃ、どうしようもない!私も一緒に戦う!」
と言い返してくる。で、でも、妖精さん、戦えるの!?
回復魔法しか見たことないけど…他に何かできるの?
そんな小さな体じゃ、このオークに叩かれただけで大怪我しちゃうよ!
そう思って妖精さんにもう一度お願いしようと声をあげようとしたとき、ガツン、と何かが私の背中からぶつかってきた。
痛い、と感じる暇もなかった。
私はその衝撃で、頭から血の気が失せていくのを感じた。
あぁ、しまった…後ろにもうひとりいたんだ…
お願い、妖精さん…お姉さんを…お姉さんを呼んできて…!
言葉にできていたのかどうなのか分からない。
とにかく私は、そうやって必死に妖精さんに伝えようとしながら、意識を失っていた。
つづく。
どうしよう、筆が乗ってきちゃって止まらない。
長編大作になりそうな予感…
乙
次回、お姉さんの活躍期待?
何を遠慮してんだ。思うがままにやっちまえww
基本、キャタピラって大作志向の人なんだなw
むしろ大作にしない理由がない
というかなってるだろ既に!
>>110
キャラが固まってきたら走り出してしまいましてね…
世界観が広がってしまっています。
遠慮なく1,2スレ使い切って行くかもですw
>>111
すいません、当方、放っておくと1年掛けて4,5スレを消費する傾向がありまして・・・w
ってなわけで、高速で書き上がっちゃった続きです。
「おい、お嬢ちゃん、お嬢ちゃん、しっかりしろ」
私は、そんな声と体に何かがぶつけられるような衝撃で目を覚ました。
視界がぼんやりとしてよく見えない。
何度か瞬きを繰り返して、ようやく自分がいる場所がはっきりと見えてきた。
そこは、土壁でできた小さな小屋のような場所だった。目の前には竹か何かで作られた格子がある。
身を捩ろうと思って腕を動かそうとして、自分が後ろ手に縛られているのが分かった。
ここは…オーク族の集落、かな…?
街で、獣人さんが言ってた場所に違いない。
私は街で、宿に帰ろうと思って、オークに出くわして、それから…
意識を失う前にことを思い出して、私はふと自分の頭の後ろの方の感じに注意を向ける。
確か私、思いっきり殴られたんだ…でも、痛みはない。
背中側にある壁に押し付けてみるけど、痛まない。
どうして…?あんなに強く殴られたのに、コブの一つもできていないの?
「大丈夫か、お嬢ちゃん?」
声がしたのでハッとしてそっちを向くと、すぐそばに憲兵団の軽鎧を来た女の人が私と同じように後ろ手に縛られている姿があった。
でも兵長さんじゃない。金髪で青い瞳の凛々しい顔立ちをしているけど、勲章もついていない…
「あ、あなたは?」
「私は砂漠の街の憲兵団員だ。騎馬部隊の小隊長をしている」
「女騎士さん…?そ、そうだ、憲兵団の人たちはオークの集落に戦いに向かって…」
「知っているのか?残念ながらこのザマだ…やつら、集落中に罠を仕掛けていたようだ。数でも練度でもこちらが優っていたのに…!」
女騎士さんはくっと悔しそうに声を漏らした。
でもすぐにその気持ちを立て直して私に聞いてきた。
「あれは、お嬢ちゃんの友達か何かか?」
「あ、あれって?」
私は、女騎士さんがそう言って見つめたその先に視線を走らせた。
小さな小屋の、少しだけ高くなった天井。
その梁のところに、チラリと見える、小さな体…!あれ、妖精さんだ!
そっか、私の頭の殴られたところは、妖精さんが治してくれたんだ…!
それに気がついて妖精さんを呼ぼうと思ったけど、次の瞬間に女騎士さんがドンっとぶつかってきた。
「見張りがいる」
女騎士さんはそう言って格子の向こうを顎でしゃくった。
そこには、あの街で見たのと同じ、緑の肌に牙をはやしたオーク族が椅子に座ってウトウトと船を漕いでいた。
妖精さん、お姉さんに知らせてくれたかな?で、でも、こんなところにいる、ってことは、知らせるよりも私が心配でついてきちゃったのかな?
それは嬉しいけど…お姉さん、間に合うかな?
このオーク族はトロールさんとは全然違う。
人をさらって、なにか悪いことをしているに違いない。
そうじゃなかったら、こんな檻になんて入れるはずがない。
どうしよう、困ったな…お姉さんが来てくれないと、私、なにかされちゃうかもしれない…
あぁ、もう、どうして私は戦えないんだろう?
あの偽勇者さんのときにも思った。
怖いって気持ちもある。でも、こんなときに私は戦えない。
どんなに怖くっても、歯向かうことができない。
どんなに悔しくっても、それを叫ぶことしかできない。
まだ子供だから、と言われてしまえばそれまでかもしれないけど…でも、悪い人たちにいいように弄ばれて
自分の身も守れないで、トロールさんのときみたいに、なんにもできないまんまなのは…悔しいよ…
そう思ったら、知らず知らずの内に涙がこぼれてきた。歯を食いしばってこぼれないように我慢したけど、それもうまくいかないで、ポロポロと目から溢れ出てきてしまう。
「お嬢ちゃん、大丈夫、怖くなんてない。私がなんとかしてやる…気持ちをしっかり持つんだ」
女騎士さんがそう言って励ましてくれる。
ありがとう、女騎士さん。
でも、私怖いんじゃないよ…怖いんじゃなくて、今は、悔しいの…
そう思っていたとき、ガタン、と音がして小屋の隅にあった扉が開いた。
椅子に座って寝こけていたオークがビクッと体を震わせて立ち上がる。
まさか、お姉さん!?
一瞬そう期待したけど、小屋に入ってきたのは、同じオーク族達だった。
「グフフフ、さぁて、女ども、よく聞け。この小屋は俺たちの分け前になった。ありがたく思え」
オーク族の一人が笑いながらそう言う。
「貴様らには、我らオーク族の繁栄の糧になってもらうぞ、グヘヘヘ」
別のオーク族が言う。
全部で、5人。お姉さんがいれば、片腕を振るうだけで終わるだろうけど…私なんかじゃ、いくらやったってひとりに噛み付くくらいしかできないだろう。
どうする?どうすればいいの、お姉さん…!?
「くっ、殺せ!」
女騎士さんがそう言ってうめいた。でも、それを聞いたオーク族はまた気味の悪い笑い声をあげて
「殺すものか。我らオーク族のために、子を産んでもらうまでは、な」
「さて、どちらから相手をしてもらおうか?」
と口々にそう言って格子に手をかけてこっちを覗き込んでくる。
「こんな幼女にまで手を出すつもりか!」
女騎士さんがそう吠える。
「んん?なんだ、お前が二人分頑張ってくれるというのなら、その子どもの方は見逃してやらんでもないぞ?」
「くっ…外道め!」
「グフフフ、まぁ、悪いようにはせんさ。せいぜい楽しませてもらおう」
オーク族は格子を開けてのそりのそりと中に入ってくる。
女騎士さんが…私のために、乱暴されちゃう…!
「やめて!」
私は叫んだ。
「抵抗するな…!わ、私は、大丈夫だっ…!」
女騎士さんがそう言った。歯を食いしばって、全然大丈夫そうなんかには見えない。
オーク族が女騎士さんに群がって、軽鎧を剥ぎ取って行く。ダメ、ダメだよ…そんなの!
私はそう思って体を捩り手を縛っているロープから抜け出そうとする。
でも、固く縛られていて手首に食い込むばかりで緩む気配もない。
そんなとき、ゴトっと重いものが地面に落ちたような感覚があった。
見ると、お姉さんに買ってもらったポーチが地面にずり落ちていた。トロールさんの石が地面にぶつかったんだ…
ま、待って…確か、このポーチにはお姉さんに買ってもらったナイフが入っていたはず…!
私は天井を見上げた。
妖精さん、お願い…ポーチからナイフを出して…ロープを切れば…私が助けを呼びに行ける…だから、お願い!
天井にいた妖精さんは、すぐに私の気持ちがわかったみたいだった。音もなく、光を消して天井から落ちてくるように私の胸元に飛び込んできて、
そのままポーチのあたりまで這いおり中からナイフを出してくれる。
妖精さんはそのまま私の後ろに回って、私の手にナイフを持たせてくれた。
「グヘヘヘ!なんだ、胸は小さいな」
「孕めば育つ。問題は、下の具合だ」
「俺はそのままでもかまわんがな」
オーク達は口々にそんなことを言いながら女騎士さんに群がっている。。
急がないと…!そうは思っても、背中側で縛られている自分の手首に巻き付いたロープをナイフで切るなんてことがそう簡単にできるはずもない。
ナイフの切っ先が腕や指に刺さって痛む。
だけど、痛がっている暇なんてない…!
私は自分の腕が傷ついているのが分かりながら、それでも無理矢理に手首とロープの間にナイフの刃を差し込んで、手をひねった。
ブツっと言う感触と共に手首が自由になったのが感じられた。
でも、このままこのナイフでオーク達と戦うの?
わ、私にそんなことができる…?
ううん、きっと無理だ…で、でも、どうにかしないと…!
そう思っていたら、縛られた振りをしたままの手に何かが張り付く感じがした。
ペタペタと私の指先にまとわりついて、私の手からナイフを取ろうとしている。
これって、妖精さん?
妖精さん、何をするつもりなの…?
私はそうは思いつつも、妖精さんの促す通りにナイフを手放した。
ま、まさか、妖精さん、戦うつもりじゃないよね?
ふと、そんなことが心配になって私はそっと後ろを振り返った。
でも、なぜかそこに妖精さんの姿がなかった。
妖精さんの姿どころか、ナイフさえない。
う、うそ…!妖精さん、どこ言っちゃったの…!?
私はそう思って慌ててあたりを見回すけど、どこにもその姿がない。
妖精さん…?いったい、どうしちゃったって言うの!?
「グフフフ!おら、脚を開け!」
オークの一人が女騎士さんにそう命令した。
「くっ…その汚らわしいものを私に近づけるなっ…!」
女騎士さんが体をよじってオークから少しでも離れようともがいている。
見れば、オークはいつの間にか履いていたズボンを脱いでいて、そこから…その、えぇっと、“アレ”をそそり立たせていた。
私は思わず、顔を背ける。
どうしよう、このままじゃ女騎士さんが…!
「ゲヘヘヘ、貴様が拒むのなら仕方ない、そっちのガキにブチ込むとしようか」
「まっ、待て!わ、分かった…わ、私がやる…で、でも、少し待ってくれ…!」
女騎士さん…そんな!
「グフフ、素直にそういえば良いのだ。おら、まずはその口でキレイにしてもらうじゃないか」
くくくくく口で!?キレイにするってどういうこと!?そそそそ、そんなことするの…!?
大人のことはよくわからないけど、そんなことを女騎士さんが…私のために、私を守るために、そんなっ!
私は、よっぽどやめてって怒鳴ろうかと思った。でも、そうしてしまったらきっと私も同じ目に合わされてしまう。
そんなことになったら、女騎士さんの我慢が無駄になっちゃう。
でも、このままだと女騎士さんが…どうしよう…?どうしたらいいの、お姉さん!
「分かった…その汚物を、キレイに掃除してやることにしよう」
だけどそのとき、女騎士さんはそう、冷たくするどい口調で言い放った。
とたんに、オーク達の顔が憮然とした怒りの表情に歪む。
でも、次の瞬間だった。
女騎士さんが鋭く腕を振るったかと思ったら、オークの“アレ”に下から私のナイフが突きたてられていた。
よ、妖精さんが女騎士さんに渡してくれてたんだ!
「うっ…ぎゃあぁぁぁぁ!!!」
オークが絶叫するのも構わずに、女騎士さんはその腹を蹴飛ばした。
お姉さんが握ったナイフが突き刺さったままだったオークの“アレ”が裂けて、血が吹き出す。
女騎士さんはその返り血を浴びながら、それでもそのオークが腰から下げていた剣を引き抜いていた。
「こ、この!」
「貴様ァ!」
オーク達が次々と腰の剣に手をかける。しかし、女騎士さんは目にも止まらぬ素早い動きで剣を振るい、オーク達を斬りつけて行く。
「ひぃぃっ!だ、誰かぁ!!」
その様子に、檻の外で見張りをしていたオークが悲鳴を上げて小屋の外に駆け出した。
「くっ!しまった!」
女騎士さんはそううなって私を振り返る。
「お嬢ちゃん、走れるか!?すぐにあいつらの増援が来る、逃げるんだ!」
に、逃げるって、どこへ!?
そ、そうだ、妖精さん…妖精さんは、どこ…!?
一緒に逃げないと!
そう思ってあたりを見回すと妖精さんはまた天井の梁の上にいて、何かをやっている。
「妖精さん、早く!逃げないと!」
私は妖精さんに怒鳴った。
「待って!」
妖精さんが小さな声でそう返事をしてくる。
でも、そんな短い時間に、ドカドカと足音が聞こえて、さっきよりもたくさんの、小屋を埋め尽くす程のオーク達が駆け込んできた。
「くっ!」
「貴様…黙って子を産んでいればいいものを!」
「女の分際で!」
オーク達は剣や槍を構えて女騎士さんに詰め寄る。女騎士さんは剣を握ったまま、後ろ手に私を背中の方へ押しやって盾になってくれようとしている。
女騎士さんは強い。今の一瞬の動きを見ただけで分かった。でも、こんなに囲まれたら手も足もでない…
それこそ、きっと一歩でも踏み込んだたたちまちに串刺しにされちゃう。
だけど、他にできることなんてない…戦うしかないよ…!
私はそう思って、傍らに倒れていたオークの体から剣を抜いた。
剣はずっしりと重くって、とても自由自在になんて振り回せそうにない。
でも、それでも…!
頑張っていればきっとお姉さんが来てくれる…それまでなんとか生き延びれば…!
「妖精さん!お願い、手伝って!魔法でもなんでもいいから!」
私は天井を見上げて妖精さんにそうお願いした。でも、妖精さんから返って来たのはよくわからない返事だった。
「大丈夫、もう終わる!」
もう、終わる?
な、何が?
妖精さん、さっきからそこで何してるの!?
私がそう聞こうと思ったときだった。
妖精さんのいる辺りからパパパっと言う眩しい光がほとばしった。
眩しくって思わず目をつぶってしまう。
何…?いったい、何があったの…?
私は少し痛んだ目を恐る恐る開けてあたりを見た。
すると、そこに誰かの後ろ姿があった。
ううん、誰か、なんかじゃない。
あの背中、あの髪、あの服!
あれは…あれは!
「お姉さん!」
そう、そこにはお姉さんが立っていた。なんでか知らないけど、でも、確かにお姉さんだった。
「よう、待たせた!」
お姉さんは私に振り返ってそう声をかけてくれる。
「お姉さん!」
私はお姉さんに駆け寄って飛びついた。お姉さん、良かった…やっぱり来てくれた!
「騎士長、ケガは!?」
「兵長!これは返り血です、問題ありません!それよりも、ここを切り開いて生存者を助けましょう!」
お姉さんでも女騎士さんでもない声がしたので振り返るとそこには、女騎士さんと並ぶようにしている兵長さんの姿があった。
へ、兵長さんも!?
「魔王様、ここは私にお任せを。部下たちの仇、討たせてもらう!」
今度は反対の方から声がしたのでお姉さんの肩越しに見やるとそこには獣人さんの姿もあった。
どうして?どうして急に、三人してこんなところに現れたの!?
「まぁ、あんた達、ここはあたしに任せとけって。こうも囲まれてたんじゃ、暴れるに暴れられないだろう?」
お姉さんはそう言うと、左腕にグッと力を込めた。袖をまくっていなかったお姉さんの腕が赤く光る。
お姉さんはその腕を、まるで煙でも払うみたいにシュッと振るった。
次の瞬間、あの空間が歪むような何かがあたりに広がっていき、ドスン、というトロールさんの足音みたいな重くて大きい音がして、
オークたちも土壁も格子も妖精さんがいたはずの天井さえもが弾き飛ばされるように吹き飛んでいく。
気がつけば私たちは、星空の下の外に立っていた。す、すごい…ひと振りで小屋もオーク達も吹き飛ばしちゃった…
「い、今の力は…!?あなたは、いったい…!?」
「騎士長、その話はあと!…来る!」
女騎士さんの言葉に兵長さんがそう言って剣を構える。
「なんだ!」
「女が暴れてるぞ!」
「武器を持て!取り押さえろ!」
「殺せ!」
外にはまだたくさんの小屋があって、あちこちから武器を携えたオーク達が飛び出して来ていた。
「くっ、なんて数!」
女騎士さんがまた唸る。でも、それを聞いたお姉さんが落ち着いた声色で言った。
「大丈夫。すぐに応援を呼ぶからな。妖精ちゃん、もっかい魔法陣頼む!」
「はいです、魔王様!」
「兵長、黒豹隊長、それからえっと、騎士長ちゃん!少しの間、この子を守ってやってくれ!」
「はい!」
「お任せを!」
お姉さんはそう言うが早いか、何かを唱え始めた。
それに反応するみたいに、私たちの周りの地面に何か光る物が動き回り始める。
その光る何か、は、まるで地面に絵を描くみたいに光の筋を残しながら素早く動き回っている。
こ、これって…魔法陣!?
そっか、お姉さん今、魔法陣、って言ってた。
この光、これは妖精さんがやってるの!?
「魔王様、できたです!」
「よくやった!…来い!」
どこからか妖精さんの声がした。
それを聞いたお姉さんが最後の一言、何かの呪文を唱える。
するとまた、あたりがパパパっと眩しい光に包まれて、気がつけば私たちの周りには憲兵団の軽鎧を来たたくさんの兵隊さん達がいた。
「これは…転移魔法!?」
女騎士さんが驚いている。
そっか、お姉さんたちは転移魔法でここまで来てくれたんだ!
あの魔法陣の描いてある場所に転移できる、ってことなのかな?
あ、もしかして妖精さんはさっき、天井の梁にこの魔法陣を描いていたの?
私がそのことに気がついたとき、パッと目の前に妖精さんが姿を表した。
どこからか飛んできたんじゃない。本当に、何もないところにパッと出てきたみたいに。
「おぉ、妖精ちゃん!ありがとうな!おかげで間に合った!」
「お安い御用ですよ!」
お姉さんの言葉に、妖精さんがそう言って胸を張っている。
「よ、妖精さん、あの光は妖精さんなの!?」
私が聞いたら妖精さんはエッヘン、といっそう胸を張って
「私のとっておき!姿を消せるんだよ!」
妖精さんはそう言うと、パタパタと羽ばたきながら消えたり出てきたりを繰り返してみせた。
妖精さん、すごい!そんな魔法も使えたなんて!
「騎士長!第一分隊を連れて生存者の捜索と救助に当たれ!第二分隊は黒豹殿の指揮に従い、騎士長と第一分隊を援護!
第三分隊は私と来い!集落東側に橋頭堡を取る!」
兵長さんがそう素早く指示を出すのが聞こえた。
「ははっ、さすがの手腕だな!」
お姉さんがそう言って笑った。
「お姉さん、みんな、大丈夫なの?」
私は兵長さんや女騎士さんが心配になってお姉さんに聞いた。するとお姉さんはニコっと笑顔を見せてくれて私に言った。
「大丈夫。あの街の憲兵団は、オークなんかに遅れをとったりはしないさ。
ここに先に送られてきたやつらは、団長ってのが下手を打ったんだろうけど…兵長に任せておけば問題ないよ」
「へ、兵長さんはそんなに強いの?」
「あぁ、強いぞ!あたしの仲間だった剣士が足元にも及ばなかったくらいだ。剣の腕だけならあたしよりもすごいかもしれない。
それに、兵長は指揮の才能もあるしな!」
お姉さんはそれからなんだか嬉しそうな顔をして、いきなり私の頭に頬ずりをしてきた。
「怖い思いさせたな…大丈夫、あとはあたし達に任せておけ」
私は急にそんなことをされたものだから、こんなときだっていうのに、なんだか嬉しいやら恥ずかしいやらで抱き上げてくれているお姉さんの腕のなかでムズムズと体を動かしてしまっていた。
お姉さんはそんな私にまた優しく微笑んでから、キッと表情を引き締めて、低く、そして張りのある声でみんなに言った。
「集落周辺には物理結界を張った!魔王と勇者の名において、貴様ら無法者どもを粛清する!逃げられると思うなよ!」
つづく。
女騎士「くっ、殺せ!」
って書いてみたかったんです、はい。
乙
さすがわかってる。女騎士とオークとくれば「くっころせ」だよな。この板的にww
ここいらでトロールさんの復活かとも思ったけどまだ先ですか。楽しみだ。
敵を倒して再び石に戻るトロールさん
面白い
続き楽しみ
信長の方に時間を割いたらちょっとあいだが空いてしまいました、すみませぬ。
あちらを読んでいただけた方、ありがとうございました。
あっちはあれでおしまいですが、こっちはずんずん続いていきます。
ってなわけで、トロールさん不在の中、幼女とトロール第二話、最後のパートです。
二日後の朝。
私たちは砂漠の街の衛門にいた。
旅の支度はばっちり済んでいる。
お水も汲んだし、食料もたっぷり買い込んだ。
私も、自分の分は自分で持つよとお姉さんに言ったら、お姉さんは今度は私用にって大きなナップザックを買ってくれた。
着替えや何かを突っ込んだら重くなっちゃって、宿で背負った瞬間には少しよろけてしまった。
そんな私を見てお姉さんは
「無理すんなよ」
なんて苦笑いをしていた。
「それじゃ、世話になったな」
「いや、私たちの方こそ…幾度も勇者様のお世話になり、なんと感謝を申し上げていいか…」
あっけらかんって感じで言ったお姉さんに、兵長さんが畏まってそう返す。
「んまぁ、仕方ないさ。今回はあたしの連れも巻き込まれたわけだし、そうでなくったって放ってはおけないしな」
お姉さんはそう言って兵長さんの軽鎧の肩をバンバンと叩く。
見送りには、兵長さんだけじゃない。
憲兵団の他の人達もビシっと並んで私たちを見つめていた。
「あんたもしばらくの間は頼むな。向こうに戻って体制が整い次第、なんかしらで連絡付けるから」
「はっ。くれぐれも、道中お気をつけて…!」
お姉さんの言葉に深々と頭を垂れて返事を下のは、獣人さん、黒豹隊長ってお姉さんは言ってたけど、とにかくその人。
驚いたことに、黒豹隊長さんはこの街に残ることになった。
オーク討伐の業績と、勇者であるお姉さんの推薦に、それから兵長さんが全部の責任を負うってことで、
オーク達につかまり危うく殺されてしまうところだった憲兵団長にお許しをもらった。
お姉さんは黒豹隊長さんに「在駐武官」だの「友好特使」だのに任命する、って言っていた。
私にはそれが難しくてなんのことかはよくわからなかったけど、とにかく街の人の安全のために、オーク達のように悪いことをする魔族の取締をしたり
人間とうまくやっていくための交渉なんかをする役目なんだろうってことだ。
「お嬢ちゃんも、気をつけてな」
「はい、ありがとうございます!」
あの日、オークの集落で私を助けてくれた女騎士さんが優しく言ってくれる。
私は、女騎士さんに助けてもらった、って思ってるんだけど、女騎士さんは私に助けられたって思っているらしくって、あれからいっぱいお礼を言われたけど
私はどうしていいかわからなくって、ちょっと困ってしまった。
お姉さんが
「まぁ、気持ちはもらっといてやりなよ」
って言うので、お礼に何かする、と言って聞かない女騎士さんの好意に甘えて、
私は街の道具屋さんで女騎士さんに手渡してそれから戦いでどこかに行ってしまったナイフの代わりに、すこし上等なダガーを買ってもらった。
もってたって使い方はあんまり分からないけど、でも、この間みたいなこともあるし、やっぱり持っていた方がいいよな、って思ったから。
女騎士さんは、それなら鎧の類もあったほうが良いだろうって言って、危うく高価な鎖帷子みたいな物も買いそうになったんだけど、それは断った。
物とかそういうのをもらうのって嬉しいけど、でも、ありがとうって言ってもらえることの方がずっと良い気がしてしまったから。
そんな報告をしたらお姉さんはケタケタと笑って
「立派だなぁ、くれるって言うならもらっておけばいいのに」
なんて楽しそうに言っていた。
「困ったら、なんでも兵長に相談しろな。彼女、ちょっと硬いところあるけど、見かけや性別や種族で偏見持つような人じゃないから」
「はっ、心得ております」
「ちょっ、黒豹さんったら、もうっ」
とたんに、兵長さんがなんだか真っ赤な顔をしてうつむく。
あれ…?
そこ、照れちゃうところなの?
そんな兵長さんの肩にガシっと腕を回したお姉さんは、真っ赤な顔した兵長さんにヒソヒソ声で
「オークがそうだったけど、基本的に人間と魔族の間でも子どもとかいけるらしいからな!」
なんていたずらっぽい顔をして言っている。兵長さんの顔がさっき以上に真っ赤に膨れ上がった。
あー、なるほど、兵長さん、黒豹さんのこと好きになっちゃった、ってこと?
むふふ、そっかそっかぁ、それは応援してあげないとね!
「そそそそそそういうのはまだ!世の中的に、受け入れられるかどうかも分かりませんしっ!!」
その言葉に、お姉さんの顔が一瞬曇った。
うん、でも、そうだよね…魔族、ってだけで、事情も関係なしに磔にされちゃうんだもん。
人間と魔族の間に子どもができた、ってことになったら、もしかしたらイジメられたりしちゃうかもしれない。
それは…やっぱり、いろいろ辛いよね。
でも、お姉さんは直ぐにパッと明るい顔をして
「安心しろ。すぐにでもそんな世の中、あたしがぶっ壊してやる!なんたってあたしは魔王で勇者だからな!」
と兵長さんの真っ赤な頬っぺたを指でつまんでグイグイ引っ張ってからかった。
「やややややめてくださいよ、もう!」
兵長さんがキーキー声でそう叫んだので、私も妖精さんも思わず笑ってしまっていた。
それからまた、お姉さんと私とでお礼を言って、兵長さんや女騎士さん、黒豹さんとお別れをして、私たちは衛門に背を向けて西の森への街道を歩き出した。
兵長さんたちは姿が見えなくなるまで、ずっと衛門のところで私たちに手を振ってくれていた。
しばらく歩くと、道の先に鬱蒼と茂る森が見えてくる。さらにその森の向こうには、真っ白な雪をかぶった中央山脈がまるで壁のようにそびえている。
あの山を越えた先が、魔界。魔族さん達が住んでいる、分けられた世界の、もう半分。
トロールさんの、故郷…あの山を越えるのは、大変そうだな。
早く私も、寒かったり暑かったりしなくなる、あの魔法を教えてもらわないと。
「お姉さん、魔法って、どうやって使うの?」
「ん?あぁ、そうだったな。歩きながら、基本的なことを教えておこうか」
お姉さんはどこか嬉しそうな表情で話し始める。
「魔法、ってのは、自然の力を操るってことなんだ。人間と魔族では、その方法が違ったりするんだよ。
自然と共に生きる魔族たちは、自然の力を割と自由に使うことができる。
人間はそういう感覚がイマイチつかみにくいから、こうやって呪印を彫るのが一般的かなぁ。
これをやることで、人間の内側にある自然の力ってのを増幅させて使うんだ。
で、その自然の力を操るときに必要なのが魔力、ってことになる」
「魔力って、なんなの?」
「ん、魔力ってのは…言っちゃえば、気合い」
「き、気合い?」
「そ。あと、集中力、かな。自然の力を操るためには、それだけの精神的な力が必要なんだ。使えば使うだけ、感覚が疲れて力を扱いにくくなる」
「その魔力ってのがないと魔法は使えない?」
「いや、魔力は生きる物すべてが持ってるもんだ。強い弱いはそれぞれあるけどね。重要なのは、そいつで自然の力を捕まえるコツ、ってことになるかな」
「ふぅん、難しそう。じゃぁ、私もその呪印…ってのを彫らないといけないの?」
「うーん、それはどうかな。人間でも、自然の力をそのまま操ることのできるやつもいる。もしかしたら、父さん母さんと畑やってたあんたなら
そういう自然の力を掴むのも案外出来るかもしれないってあたしは思ってる。それにほら、あたし魔王だし、羽妖精ちゃんもいるしさ」
「私、頑張って教えるですよ!」
お姉さんがそう話しかけると、妖精さんは張り切った様子でそう言って、パタパタと空中を飛び回った。
私たちはそんな風にして、楽しくおしゃべりをしながら道を歩く。
こうしていると、きっちり詰まったザックの重さもたいして気にならないし、なによりなんだか楽しくって胸があったかくなる。
ずっと先に見えていた森が近づいて来ていた。
砂漠を越えてゴツゴツと荒れ果てた様子の地面にも、ポツリポツリと緑の草が生えだしている。
今のところ天気はいいけれど、向かう先のあの山には、分厚い雲がかかっていてなんだか薄暗く感じた。
あんな山、本当に越えられるのかな?
私はそんな不安を少しだけ感じてお姉さんを見た。
でも、明るく笑うお姉さんの顔を見たら、そんなことも簡単に出来そうな気がしてくる。
なんか、いざとなったらお姉さん、私を抱えて空でも飛べちゃいそうな感じだし、きっとなんとかなるだろう。
そう、旅をするくらい、お姉さんと入れば、なんてことはない。
だけど、お姉さんはなんでも出来るわけじゃない。
だって、ときどきどうしようもなく悲しい顔をするから。
さっきの兵長さんと話していた時の顔。
初めて私の前で、魔王と勇者の紋章の力を使った時の顔。
あれは、お姉さんが越えられない辛さや悲しみを抱えているんだって証拠だと私は思う。
私は、きっとお姉さんなしじゃ、この旅は無事に終わらせられない。
魔法も使えないし、戦うことも、自分を守ることさえ、怪しい。
それでも私は、お姉さんと一緒にいてあげたい。
お姉さんの辛さや悲しみをどうにもすることができなくたって、きっと一緒にいてあげられれば、それを和らげることくらい出来るって、そう思うから。
ふわっと、何か冷たい物が私の肌に触った。
「おっと、冷えてきたな…マント、きっちり閉めておいた方がいい。ここから先は、あの山からの吹き降ろしで冷えるんだ」
お姉さんはそう言って自分のマントの紐をキュッと引っ張って私にそう言ってくれた。
「うん!」
私も、なるだけ明るい笑顔でお姉さんにそう返事をし、マントの前についていた紐を結んで閉め、冷たい風に備える。
「さて!夜にならないうちに良さそうな野営地を見つけないとな!」
「うん!」
お姉さんの言葉に私はそう返事をして、森へと向かったずんずん歩く。
木々と雲で太陽がかくれて、ひんやりとした空気がさらに強く冷たくなってくる。
だけど、私の胸の中は、なんだかポカポカした心地で満たされていた。
つづく。
素敵乙
綺麗
読んでて俺もポカポカして来た
レスありがとうございます。
まったり展開ですが、第三話始まりますー。
よろしくどうぞ。
「へい、おまちどう」
どうどう、っと言って馬…なのか、牛なのか分からない生き物を人魔族だというおじさんが手綱を引いて止めた。
馬車の振動も収まって、ようやく目的地についたようだった。
「ありがとうな」
お姉さんが人魔のおじさんにそうお礼を言っている。
「なに、ちょうど通り道だったしな。しかし、こんなところに何の用だよ?ここは元は魔王城だぜ?」
「今でも魔王城さ」
「そりゃぁそうだがよ。魔王様はもう亡くなって、今は魔王様の重臣だったサキュバスの女がいるだけだってのに」
「あぁ…サキュバスの治世はどうだ?」
「ん?まぁ、各一族も人間に攻め込まれて大打撃だしなぁ。混乱しきりだが、けが人の治療と食料の配分なんかを一手に手配してると聴いてる」
「なるほど。役目はきちんと果たしている、ってわけだな」
「役目?」
「あぁ、まぁこっちの話しさ」
「そうかい」
「世話になったな」
「なに。楽しい旅路で良かったよ」
私はまだ話をしているお姉さんに促されて馬車を降りた。妖精さんもパタパタと私の肩に腰を下ろす。
そのあとからお姉さんが降りてきて、御者の人魔のおじさんに小さな布袋を押し付ける。
「おいおい、勘弁してくれ。そんなつもりで送ってやったんじゃねえや」
「そう言うなって。これくらいのことしかしてやれないからさ」
「要らねえって言ってんだよ。そんな金あるなら、そっちのチビに飯でも食わせてやれ。最近じゃ、麦の価格もバカに上がってやがるしよ」
「だったら、なおさらだ。あたしが持ってても使うことは多分ないし」
お姉さんはそう言って、グッと左腕をまくって見せた。もちろんそこにあるのは、あの魔王の紋章。
それを見るや、人魔のおじさんは顔色を真っ青に変えて馬車から飛び降り、お姉さんの前にひれ伏した。
「ごごごご、ご無礼、お許しを…!」
「あー、いいっていいって。とにかく、ほら、その、あれだ。よ、余は、その…感謝しておる。受け取るが良い」
「はっ…ははー!」
人魔のおじさんは深々と頭を下げながら両手を差し出したのでお姉さんはその手のひらの上に革袋をおいて上げていた。
地面にひれ伏したままだったおじさんをお姉さんが引っ張り起こして御者台に乗せ、馬車が走り去るのを三人で見送った。
馬車が道の彼方に消えてから、私は少し先に悠然と建っている魔王城って言うのを見上げた。
空は快晴で、真っ青な中に、お城の塔が何本も伸びている。
魔王城、なんていうからどんなおどろおどろしいお城なのかと思っていたけど、外から見る限りではなんの変哲もなさそうなお城だ。
もちろん、お城なんて数えるくらいしかみたことはないし、それも私が知っているのは王都のお城じゃなくって、住んでいた村を管轄してた貴族様のお城だけど。
それに、魔界っていうのも、もっと暗くってどんよりしててあっちこっちに魔物がいるんだとばっかり思っていたけど、空はまぶしいくらいに晴れているし
魔物も見たけど、別に足が何本もある大きな蜘蛛とか、目玉が飛び出たゾンビ犬とかがいるわけでもない。
村の傍の山で見たちょっと大きいネズミとか、大きなネコとか、ウサギみたいにオドオドしてるクマとかそんな感じ。
正直、ここに来るまでに見た魔物より、さっきの馬車を引いていた、馬と牛の間みたいな生き物の方がよっぽど目新しいくらいだった。
山越えもそれほど苦労はしなかった。
それというのも、森から山へ入って、少し登ったところには祠があって、その祠の地下には魔法陣の描かれた小さな部屋があった。
それは、お姉さんが旅をしたときに一緒だったっていう魔道士さんが作った祠で、魔界と人間界を行き来するための転移魔法の魔法陣らしかった。
転移魔法っていうのは、どこへでも自由に移動できるわけじゃなくって、行く先にも魔法陣が必要らしい。
だから、もしある場所に行きたくてもそこへ一度は足を向けて、自分が行くための印として魔法陣を描き残して来る必要があるんだそうだ。
魔王城に魔法陣は描いて来なかったの、と聞いたら、お姉さんはすこしバツが悪そうに
「実は、魔王とのことで頭がごちゃごちゃしてて、描いてくるの忘れちゃったんだよね」
なんて言って笑ってた。
どうやら、旅をしてたのもあながちお姉さんの気持ちの整理のためだけってことでもなさそうだった。
まぁ、それはともかく、私たちはようやく目的地にたどり着いた。
「いやぁ、それほど長いことこなかったわけじゃないけど…なんだか懐かしい気がするよ」
お姉さんは私と並んでお城を見上げる。
「お姉さんが話してたサキュバスのお姉さんは元気かな?」
「さぁ、どうだろうな…魔王をさみしがって、泣いてなきゃいいけど…」
そう言ったお姉さんの顔を見上げると、なんだか緊張したようにこわばっているのが分かった。
そうだったね。
お姉さん、もしかしたらこれからサキュバスさんを斬らなきゃ行けないかもしれないんだ。
もしサキュバスさんがそうして欲しいって言ったら、私もお姉さんに協力して説得してみるつもりではいる。
でも、それでもサキュバスさんが気持ちを変えてくれなかったとしたら、お姉さんは約束を果たさないと行けない…
そうならないといいな。
そんなことを思って、私はまだ顔も知らないサキュバスさんに心の中でお願いした。
これ以上、お姉さんに悲しい顔をさせないで、って。
「さぁて、早く行って休もう。さすがに今夜はゆっくり眠りたい」
「まままま魔王様!わ、私もお城に入ってよいですか?」
「あぁ?今更なんだよ。入るどころか住むための部屋を用意させるって」
「そ、それなら人間ちゃんと同じ部屋がいいです!」
「はは、分かった分かった。夜までに準備してもらえるように頼んでおくよ」
妖精さんとそんな話をし終えてから、お姉さんが私の肩をポン、と叩いた。
「さて、行こう。あ、もうマント脱いでもいいからな」
「うん!」
私は、魔界に入ってからずっと目深にかぶっていたマントのフードを取った。
人間の子どもがこんなところをうろついてると、手を出してくる魔族がいるかもしれないから、ってお姉さんは言っていた。
一瞬、そんなひどいことを、って思ったけど、例えばもし、私の住んでた村に魔族の子どもが入り込んできたとしたら…
やっぱり私は怖いって思うだろうな、なんて考えたりもした。
なにより、変に騒ぎになったりするのは避けたかった。
私はいいけど、きっとそうなったらお姉さんが悲しい顔をしちゃうだろうな、ってそう思っていたから。
そんなお姉さんも、魔界に入ってからはほんの少しだけ魔力を使って、サキュバスさんに彫られたっていう、魔王の紋章とは違う呪印で
あの悪魔みたいな姿に変身している。
最初、少しの間は怖く感じたけど、すぐにいつものお姉さんと全然変わっていないことに安心して、この姿のお姉さんにもすっかり慣れた。
サキュバスさんもこんな感じなのかな?
そんなことを思いながら、私たちはお城への道を歩いた。
程なくして正面の大きな門の前にたどり着く。
金属の両開きのドアが付けられた城門は、トロールさんが頭を下げなくても通れてしまうんじゃないかって思うくらい大きい。
そんなドアをお姉さんがガンガンとノックする。
そんなことしても、誰かが開けてくれるとは思えないけど…
そう思って私はお城を見上げる。
こんな大きなお城なのにすごく静かなことに、私は気がついた。
周りに街があるわけでもないし、中に誰かがいる気配もない。
お城なら普通、警備の兵隊さんがいたりとか、メイドさんがいたりとか、そういうものだと思うんだけど、少なくとも声や物音は聞こえないし、
門の上に見える窓の中にも人影はない。
そんなお城の様子に、私はうっすらと気味の悪さを感じ始めてしまった。
今のとこは、魔王城って言うより、廃城か幽霊のお城って感じがしないでもない。
そう思ったら、ひとりでにブルっと体が震えた。
「あー、参ったな…呼び鈴とかないのかな、これ?前の時はこの門、魔法で爆破して突入したけど、今はもう自分の家だからやりたくないしなぁ」
お姉さんが腕組みをして考え始める。
「お姉さん、その翼で飛んだりできないの?」
「さぁ…この体になってまだちょっとしか経ってないからなぁ。飛ぶだけならまぁ、魔力を使えばできないこともないだろうけど…」
「魔王様、私が偵察行ってくるですよ!」
「あぁ、羽妖精ちゃん、大丈夫。考えはあるんだ」
パタパタと飛び立ちそうになった妖精さんを引き止めたお姉さんは、腰に提げていた剣を抜いた。
その剣を、大きな両開きの門戸の隙間に差し込んで何かを確かめている。
「ん、やっぱり閂掛かってるな。ふんぬっ!」
お姉さんはそう掛け声を漏らして全身に力を込め、その剣を上にお仕上げた。
途端、門の向こうでゴトン、と大きな重い何かが落ちる音が聞こえる。
「おぉし、外れた!」
お姉さんはそう言うなり扉の片方に手を掛けて思い切り引っ張る。
すると、ゴゴゴゴと言う音を響かせて、金属の門戸が開いた。
門をくぐってみて少し驚いた。
そこには一面、青々とした芝生が茂っていて、向こうの方には綺麗な花畑のようなものが見える。
そびえるお城の建物は石造りで外壁には蔦が絡まっていたりすることもなく、白く輝いているようにみえた。
お姉さんが門を閉め、大木みたいに大きな閂をかけ直す。ふと見ると、門戸の両側にはお姉さんの二倍くらいの背丈の石像が二体、のっそりと鎮座していた。
鎧を着た、角の生えている大男の石像は、ジッと私たちを見据えている。
「さて…正面の入口が開いてるといいけど…」
お姉さんがそう言ってお城の方を振り返ったとき、私は声をあげて驚いてしまった。
門戸の両脇の石像の首が動いて、手に持っていた金属の棍棒のようなものを私たちめがけて振り上げたからだった。
「おぉ?」
お姉さんがそう言ってパッと私を抱きとめてくれる。
「おおおおお姉さん!」
「あはは、大丈夫。こいつらはゴーレムだ」
お姉さんはそう言うと、左の袖をぐいっとまくって石像に見せつける。
「あたしはこの城の主だ。あんた達のご主人様はどこにいるんだ?」
お姉さんの紋章を見た石像の動きが止まり、スっと腕を下ろすとそのままその場に膝まづいた。
「ゴ、ゴーレム、って、確か…」
「ん?あぁ、魔力を使って作った人形のことだよ。石だったり、木だったり、鎧だったりいろいろだけど」
「こ、これは、サキュバスさんが作った、ってこと?」
「うん、たぶんね」
お姉さんはそう言って私の頭を撫でながら
「サキュバスのところに案内してくれないか?」
とゴーレムたちに声を掛けた。
すると、左手にいたゴーレムが、音もなくスっと腕を上げて、私たちの後ろを指し示した。
私はゴーレムに注意を払いながら恐る恐る振り返ってみる。
そこには、頭から角を生やし、背中にお姉さんと同じ黒いコウモリのような翼を背負った綺麗な女の人が立っていた。
「お帰りなさいませ、勇者様」
「…ただいま。約束通り、戻ってきた」
この人がサキュバスさん、なんだね。
魔王の姿になったお姉さんと違って、肌は透き通るような白だ。
魔王お姉さんの肌の色は、暗い肌の人間よりももっと暗い、黒炭のような色をしているけど、このサキュバスさんは、私の肌の色に似ている。
ううん、私なんかよりももっと白いかもしれない。絹みたいにきれいな色。
「お連れ様は?」
サキュバスさんは、不思議そうな瞳で私を見つめてお姉さんに聞く。
「旅の途中で会ったんだ。彼女が、私に答えをくれた」
お姉さんの言葉に、サキュバスさんはキョトンとした顔をしたけど
「な、少しゆっくりくつろげる部屋ってあるかな?もう三日は野営してて、そろそろ体が痛くって」
と言ったお姉さんに視線を戻す。
「話は、そのあとでゆっくりさせてくれると助かる」
「かしこまりました。ご案内致します」
サキュバスさんは、たおやかにお姉さんと私に一礼すると、私たちを先導してお城の中に入った。
私とお姉さん、妖精さんもそのあとに続いてお城へと入る。
お城の中も、想像していた魔王城とは全然違った。
まるで普通。壁に掛かっている絵やなんかは魔族の人の肖像画みたいな物もあるけど、
不気味な鎧とか、怖い石像とか、ドクロの飾り物とか、そういうものは全然ない。
赤い絨毯が奥へと伸びていて、壁掛けの花瓶にはたくさんのお花が活けてある。
入口のちょうど真上にあるステンドグラスから暖かな光が差し込んでいて、ホールのようなその部屋を明るく照らし出している。
ふわっと香ってくるのは、お香かなにかの匂いだろうか。
「キレイになったな」
「はい。あの日は、戦争のせいでずいぶん荒れていましたからね」
お姉さんの言葉に、サキュバスさんは穏やかな口調でそう答える。
お姉さんはそれを聞いて、やっぱり少しだけ、悲しそうな顔をした。
ホールを抜けた先の階段を上がると廊下があって、さらにその奥へと案内される。
突き当たりのドアをサキュバスさんが開けた。そのとたん、まばゆい光が私たちを包み込んだ。
そこは、大きな窓のある部屋だった。
ベッドみたいなソファーに暖炉、大きなローテーブルが置いてあって、その上にも白い花瓶にお花が活けてある。
窓から入ってくる光のせいか、部屋の中は暖かくて、どこか気持ちをホッとさせてくれた。
「おかけになってお待ちください。今、お茶をお持ちしますね」
サキュバスさんはそう言って部屋を出て行った。
それを見送ったお姉さんはふぅ、と大きなため息をつきながら、ドスンとベッドみたいなソファーに腰を下ろした。
私もそれに習って、ちょっと控えめにソファーに腰掛ける。お姉さんはそんな私を知ってか知らずか、
「んんーー!」
なんて声を出して大きく伸びをしてから、ドサッとソファーに横たわった。
「この部屋、気持ちいいなぁ」
お姉さんはなんだか甘ったるい声でそんなことを言っている。
うん、でも確かに気持ちいい。
あったかで、ふわふわのソファーがあって…まるでお姉さんと一緒のシュラフで眠るときみたいな気持ちになる。
そんなことをしていたら、パタン、とドアが閉まる音がして、サキュバスさんが部屋に戻ってきた。
手にはティーセットの乗ったトレイを抱えている。
「あー、悪いな」
「いえ。物資は殆どを民の救済に回しておりますので、質素なものしかございませんが」
「あぁ、うん。いいよ、贅沢するつもりはない。パンと少しの肉と野菜に、ゆっくり眠れる寝床があればそれで十分すぎるくらいだ」
お姉さんの言葉を聞いているのかどうなのか、サキュバスさんはカップを私とお姉さんの前において、
それから、妖精さん用らしいおもちゃみたいに小さなカップのおいてくれて、それぞれにお茶を入れてくれる。
かすかに湯気を立ち上らせているカップの中身は、きれいな黄金色をしていた。
お姉さんはなんの疑問もなくそれをカップを口に運んでググッと煽る。
「これって、あれか、えっと魔界の葉っぱで…」
「よくご存じなんですね。はい、カモミールという葉に、少しばかりオレンジピールをブレンドしてあります。
お疲れを取ってお心を休ませる効能のあるお茶でございます」
「なるほどなぁ。向こうじゃ、紅茶か緑っぽい渋いのしかないから、こう言うのは香りだけでもなんだか落ち着く気がするよ」
お姉さんはそんなことを言いながら、残りのお茶もグビグビっと飲み干した。
サキュバスさんを疑っているわけじゃないけど…ま、魔界のお茶、か…人間が飲んで、こう、錯乱しちゃったりしないかな?大丈夫かな?
きっとそんな不安が顔に出ていたんだと思う。そう考えていたらお姉さんが笑って
「大丈夫。人間界でもたまに飲んでるやついるよ。でも、紅茶やなんかの葉っぱとは違ってあんまり買い手がないから栽培されてないだけだ」
と教えてくれる。
そ、そうなんだ…じゃぁ、大丈夫そう、かな?
私はそう思ってカップに口をつけた。
暖かで、苦い中にほのかにオレンジの香りと甘みが広がってくる。
不思議な感じのお茶だけど…なんだか、ホッと出来る気がして好きだな、これ。
またそんな気持ちが顔に出ていたのか、今度はサキュバスさんが控えめに笑って
「気に入っていただけだようで、安心いたしました」
と私に向かって言ってきた。
私も
「美味しいです。ありがとうございます」
とお礼をしたら、サキュバスさんは穏やかな笑顔の返事をしてくれた。
「本当なら早めに状況を聞きたいところなんだけど…もう少し、休んでからでもいいかな?」
お姉さんは私をチラリとみやってからそう言った。
私を心配してくれてるのかな?確かに疲れてはいるけど…私、大丈夫だよ?
そう言おうと思ったら、お姉さんの話を聞いたサキュバスさんが口を開いた。
「…そうですね。では、お話は夕食が済んでからにいたしましょう」
「ああ、うん、そうだな。そうしよう。そういえば、あんた、手伝いはいないのか?他の従者だっていただろうに」
「いえ、今は私と私の力で作ったゴーレムだけです。
あの戦争で家族の行方がわからなくなった従者達も大勢おります。
勝手ながら、彼らには一度里に戻り、各々の家族や大切な者たちを探すことを許しました」
「そっか…まぁ、その方が良いだろう。あたしがいればこの城に防衛機能なんていらないし、身の回りの世話くらいなら自分たちでも出来るしな」
お姉さんはそう言ってニコッと笑う。
「はい」
そんなお姉さんにサキュバスさんも笑顔で答えた。
「それでは、お夕食の準備をしてまいります」
「あぁ、手伝おうか?」
「いいえ。どうかお休みになられていてください」
サキュバスさんは立ち上がり掛けたお姉さんをそう言って押しとどめると、またおしとやかに一礼して、部屋から出て行った。
それからしばらくその部屋で休んでいると、サキュバスさんがワゴンに載せた食事を運んできてくれた。
お城だし食べきれないほどの豪華な食事だったらどうしよう、なんて心配したけど、サキュバスさんが運んできてくれたのは
ごくごく普通のシチューにサラダに、カリカリのパンだった。
それからサキュバスさんも一緒になって食事をした。
お姉さんと私で、サキュバスさんにこれまでの旅の話をしてあげる。
サキュバスさんは、ニコニコな笑顔で私たちの話をずっと聞いていてくれた。
食事が済むと私たちはそのままサキュバスさんの操るゴーレムさんの案内でお城の中のお風呂へと向かった。
お風呂はまるで公衆浴場みたいに大きくて、思わず声を上げて驚いたらその声がくわんくわんと反響するくらいだ。
そこからはのんびりとお風呂に使って、先にお姉さんがあがって行ったので私もそこそこで切り上げた。
身支度を済ませていたらサキュバスさんがやってきて、ベッドルームに案内してくれる、と声をかけてきた。
私は優しい笑顔で笑うサキュバスさんを疑うことなく着いて行って、これまた大きなベッドのある部屋へと案内された。
そこには私より少しだけ先にお風呂から上がったお姉さんと妖精さんがいて、
お姉さんは寝間着らしいダボダボの絹の服を着て、窓からボーッと外を眺めていた。
妖精さんはその肩にちょこんと座り込んで、一緒になって星空を見上げている。
パタン、とドアがしまる音がすると、お姉さんはハッとした様子で私とサキュバスさんを振り返った。
「あぁ、ずいぶんとゆっくりだったんだな」
お姉さんそう言うと、サッとカーテンを閉める窓から離れてドサッとベッドに身を投げた。
それから自分のとなりをボンボンと叩いて
「ほら、一緒に寝ようよ」
と誘ってくる。
その言葉に、私はふっと胸にずっとあった緊張感がほぐれていくのを感じた。
こんな広いお城の見知らぬ部屋で一人で寝るのはちょっと怖いなって、そう思っていたから。
私は素直にベッドに飛び込むとそのままお姉さんの胸元に体を刷りよらせて引っ付く。お姉さんのふわりとした温もりと優しい香りが私を包んでくれる。
やっぱり母さんのことをふt思い出してしまって少しだけ切なくて、私はお姉さんの体にしがみつくように寝間着の胸元をキュッと掴む。
お姉さんはそんな私に腕を回して、ギュッと抱き締めてくれた。
そんなお姉さんの温もりに包まれた私は、ほどなくしてうとうとと心地よい眠りの中へと落ちていく。
そんなとき、ふとお姉さんの体が離れる気配がした。
どうしたの、お姉さん。お手洗い?
そう思っても微睡みの中にいた私は声をかけることもなくお姉さんが代わりに置いてくれた枕にしがみつく。
「待たせたな」
お姉さんの声がした。
「いいえ。まずは、帰ってきて頂けたこと、嬉しく思います」
サキュバスさんの声も聞こえる。
あぁ、そっか…二人はお話をしなきゃいけないんだったね…
大変…私も一緒にサキュバスさんを説得しないと…二人の言葉を聞いた私はそう思って起きようと思うけど、体も眠気も言うことを聞かない。
ふわふわとまるで体に力が入らず、意識もはっきりしてこない。
眠いし疲れてはいたけど、こんな眠気は始めてだ。もしかして、お姉さんに魔法をかけられたのかな?
確か、トロールさんに助けてもらったときも、矢を抜くときに睡眠の魔法をかけたって言ってた。これがそうなのかな…?
「あたしは、答えを見つけたよ。あたしは魔王をやる。魔族と人間とが、分け隔てなく平和を享受出来る未来を探したい。
全部、あの子とあの子を助けたトロールが教えてくれた。あたし達はきっと、同じ世界に生きて行ける。争いはあるかも知れない。
でも、それだけじゃない世界を、あたしは見つけなきゃいけない。あの子やトロールが、その身を持ってあたしに教えてくれたから」
「そうですか…」
「あんたは?どうするか考えは決まったのか?」
「正直に申しあげれば、今日の今日まで迷って居りました」
「そっか…」
「ですが、皆さんを見て、私も心を決めさせていただきましたよ」
ぼんやりとする視界の中で、お姉さんはゆっくりと方膝を付いてその場に跪いた。
「勇者様…どうか、剣をお取りください」
「…うん、分かった」
サキュバスさんに言われて、お姉さんは枕元にまとめて置いていた荷物から剣を手に取るとシャキンと音をさせて鞘から引き抜いた。
うそ…ダメ…ダメだよ、お姉さん…!目の前で起こっている出来事なのか夢の中の出来事なのかもわからない。でも、そんなのダメだよ、お姉さん…やめて…!
私はそうは思うけど、声がでない。体も動かない。
そんな中、お姉さんはサキュバスさんの肩口に剣を当てがった。
お姉さん…!
やっと、呻き声だけが口に出る。でもお姉さんは、こっちを見向きもしない。
でも次の瞬間、お姉さんは不思議なことをした。
剣の腹でサキュバスさんの右肩をポンっと叩いて、今度は剣を左肩に置いてまたポンっと叩く。
それからお姉さんは剣を自分の顔の前にまっすぐに立てて掲げると、そのままシュンと一振り剣で空気を斬って、
最初と同じようにシャキンと剣の刃を響かせながら鞘に戻した。
「私は、あなたを新たな主として忠誠を誓います。勇者様…いえ、新たな魔王様」
「ありがとう…あの子達と同じようにそばにあって、どうかあたしを支えてくれ」
「はい、仰せのままに」
サキュバスさんはそう言って深々と頭を下げる、ややあってすっくと立ち上がった。
「…良いものですね…」
「そうだな…あたしにはこれまで誰も居なかった」
「私には、魔王様しかいらっしゃいませんでした」
「先代のように、もうあんたを一人残すようなことはしないと誓うよ」
「はい。私も魔王様がお一人で苦しまぬよう、いつ何時でもお側に侍りましょう」
ランプの薄暗い明かりの中で、サキュバスさんがにっこりと笑うのが見えた。
お姉さんはこっちに背中を向けているから分からないけど、きっと嬉しいときの顔をしているに違いない。
でも、良かった…最初はびっくりしたけど、あれは忠誠を誓うって儀式だったんだね。
絵物語の中で、騎士が君主にああして剣で肩を叩く場面を見たことがある。サキュバスさんは侍女として、お姉さんの手伝いをするって決めてくれたんだ。
きっとお姉さん、嬉しいだろうな。お姉さんは一人じゃないよ。私も妖精さんもトロールさんもサキュバスさんも、
お姉さんのそばにいてお姉さんの友達で、味方でいるから…ね…
そんなことを思いながら私は、胸の内側に沸いてきた安心感に包まれるように、そのまま深い眠りに付いていた。
つづく。
乙
良い
正座待機
「人間ちゃん、人間ちゃん。起きて 」
翌朝、私はそう呼ぶ声とともに、頬っぺたにペチペチ何かが当たるような感じで目を覚ました。
目を開けるとそこには私の顔を覗き込んでいる妖精さんの姿があった。
「ふわぁ…おはよう、妖精さん」
大きく出てしまったあくびを納めてから挨拶をすると、妖精さんはパタパタと羽ばたいて
「おはよう!」
と返してくれる。
私は体を起こしてぐっと伸びをしてから部屋を見渡す。
大きな窓に掛かっていたカーテンは開かれ、眩しいばかりに朝陽が差し込んで来ている。
昨日の夜はランプの明かりだけでよく見えなかったけど、私の眠っていた部屋はあちこちに貴重そうな調度品が置かれ、立派なじゅうたんに、大きな暖炉もある。
まるでお姫様の部屋みたいだ、と思ってからここが魔王城だった事を思いだし、やっぱりなんだか想像と違いすぎてなんだか笑ってしまった。
「人間ちゃん、魔王様がご飯だって言ってたよ」
妖精さんがそう言って私の着ていた絹の寝間着を引っ張る。
「うん、わかった」
そう返事をしてベッドの際まで這いつくばっていると、ふわりと何かが香ってくる。なんだろう、何かを焼いている芳ばしくっていい匂い。
昨日の夜はサキュバスさんが夕食を振る舞ってくれたけど、朝ご飯の準備もしてくれたのかな?
私はそんな期待を胸に、用意されていた薄手の肩掛けを羽織って妖精さんと一緒に部屋を出た。
いい匂いはその先の廊下にもいっぱいに立ち込めていてワクワクする気持ちがいっそう強くなる。
私は廊下を、その匂いに導かれるみたいに歩いて食堂にたどり着いた。
「あー、起きたな!おはよう!」
ドアを開けたらお皿を両手に持ったお姉さんがいて、私と妖精さんを見て明るく挨拶をしてくれる。
「おはよう、お姉さん」
「おはようです、魔王様!」
私と妖精さんの挨拶を聞きながらテーブルにお皿を並べたお姉さんは
「ほら、今準備してるから座ってて」
と私たちに席を進めてくれる。
「魔王様!ここにあったお皿ご存知ないですか?」
急にそう声がして、食堂にワゴンを押したサキュバスさんが入って来た。
「あぁ、もうならべちゃったよ」
お姉さんが言うとサキュバスさんは少し困った顔をして
「昨晩、主従の誓いを立てたではありませんか。お気遣いなど無用です」
と言い返す。でも、お姉さんはヘラヘラっと笑って
「いやぁ、働かざる者食うべからず、って育ての親に叩き込まれて来たからさ。自分の食事の準備くらい手伝わないと、バチが当たっちゃうよ」
なんて言う。そんなお姉さんの言葉を聞いて、私はハッとした。そうだ、私もお手伝いしなきゃ!
「サキュバスさん、私もするよ!」
私はそう言って、困り顔のサキュバスさんが押していたワゴンからパンのバケットを掴んでテーブルに並べる。
「あぁ、もうっ」
サキュバスさんはもっと困った顔をしたけど、でも、やってもらってばっかりじゃなんだか窮屈だもんね。
「サキュバスさん、私は魔王様じゃないから気にしないでください!」
私がそう言ったら、サキュバスさんはなんだかちょっと諦めたような顔をして
「結構ですと申しておりますのに」
なんて言って、私に続いてワゴンにまとわりついていた妖精さんにスプーンやフォークの入った小さなバケットを手渡した。
そうやって食事の準備を整えた私たちは、四人で揃って食卓について、サキュバスさんの作ってくれた朝食を食べる。
洞窟や砂漠の街で、トロールさんと妖精さんとお姉さんと食事をしたときも楽しかったけど、サキュバスさんと一緒もなんだか楽しくって
ついつい、おしゃべりしながらになってちょっとお行儀が悪くなってしまっていた。
食事を終えて、私たちはサキュバスさんが淹れてくれたお茶を飲んでいた。
昨日とは違う葉っぱで、また不思議な風味のお茶だったけど、どうしてか私はこの手の魔界原産のお茶が口にあうらしい。
飲むと口からお腹まですっきりするような感覚のする、そんなお茶だ。
「それで、こっちはどんな様子だ?」
カップを煽ってから、お姉さんがサキュバスさんにそう尋ねる。
「はい…目下のところ、各地で混乱が続いています。人間軍の侵攻路にあたる東部地域は戦争によって狩り場や森が荒らされ、食料の確保が難しい状態です。
このため、この北部、南部へ避難民が急増し、そこでも人口過多による食料の不足が著しい状況が現在のもっとも懸念される問題です。
この食料不足による各部族間の摩擦も日に日に増加しています。
私のゴーレムを使って魔王様管轄の地域より集めた食料を優先的に当該地域に送っていますが、それでも不十分なのが現状です」
サキュバスさんの言葉にお姉さんはうーんとうなって言った。
「食料か…まず優先してかからなけりゃならない問題だな」
「はい。また、治安の悪化も深刻です。各部族の自警団は活動しておりますが、食うに困って盗みや強奪を行う者の報告があとをたちません。
西部地域に残存していた魔王軍を投入して治安維持に当たらせていますが、なにぶん、広範囲に渡っており手に余る状態です。
北部地域、南部地ともに人間軍による攻撃で魔王軍そのものが壊滅状態にあることから鑑みても、
治安維持のために至急、兵員なり治安維持組織の増員が必要と思われます」
「治安維持、か…」
「最後に、駐屯している人間軍による影響です。人間軍は、北部地域、南部地域、西部地域にそれぞれ5000人規模の駐留軍団がおかれています。
特に西部地域に展開している人間軍はかなり粗暴で、西部地域から民間魔族が避難せざるを得ない一因となっているようです。
北部、南部でも同様の事件の報告はあがって来ておりますが、特に北部からの報告は治安維持のためにやむなく武力行使を行う場合がほとんどです」
「ってことは、まずは東部への対応が必要、か…」
「おおむね、この三点が現在もっとも憂慮されている問題です」
「分かった…。まずは食料問題についてだ。魔族は畑を作ったりはしないんだったっけな?」
「そうですね、あまり盛んではありません。妖精族の一部が薬草の類を栽培していたり人魔族が麦を作っていたりしますが、
ほとんどの部族は人間の様に農耕の術を持っていません」
「ゆくゆくは身につけておいた方がいいだろうなぁ。ただ、今からやるとなると、すぐに食料問題解決の糸口にはならない…
それとは別に、目先のことをなんとかしないと」
空になったお姉さんのカップに、サキュバスさんがお代わりを注ぐ。しばらく口に手を当てて考えていたお姉さんは、顔をあげて私を見やった。
「なぁ、あんた、魔族たちに畑教えてやってくんないかな?」
「は、畑を?」
お姉さんが急にそう言ってきたので、私は驚いてそう返してしまう。
「うん、そう。喰うに困ってるやつらを魔王城管轄の土地に呼び込んで、ここの資源を使って生活をしてもらいながら、畑を教えるんだ」
「しかし、それだけでは魔界全域の食料問題を即解決するには…」
「うん、もう一方で、あたしが駐屯軍へ行って撤退させてくる。おそらく、人間が消費してる分の資源はかなりあるだろう。
それを魔族が享受できるようにすれば、多少は改善出来ると思うんだ。本当は居住区を整理したりもしたいけど、そいつはもう少しあとかな」
お姉さんは腕を組み、難しい顔をしながら続ける。
「それと、魔界全土に魔王復帰の報を行き渡らせよう。治安の方はそれで少し落ち着くんじゃないかな?」
それを聞いたサキュバスさんが、すこしだけ表情を曇らせた。
「それですと、いたずらに人間界を刺激するのではないでしょうか?」
「可能性は、あるよな。でも、これでも勇者だ。あっちの王族や貴族に、軍属から魔導協会、それに官僚達にも顔が効く。
人間が魔界を食い物にするつもりならぶっ叩くし、ただ単に魔族側からの復讐を恐れてるだけなら、あたしがちゃんと統治するように伝えるさ」
「…あくまでも、『勇者』個人がこの魔界を牛耳り、この世界の王の役割を担われる、と?」
「うん、まぁ、そんなとこ」
お姉さんの言葉に、サキュバスさんがさらに顔をしかめた。
それは、いつもお姉さんが見せる、あの悲しげな表情だった。
「『勇者』とは、人間界の希望ではないのですか?魔界を我がものにしその王として君臨するようなことをして、人間たちは…裏切られた、と考えないのですか?」
「考えるだろう、な…」
サキュバスさんに言われて、お姉さんも悲しげに笑った。でも、お姉さんは俯かなかった。
「でも…仕方ない。先代との約束だし、数え切れない程の魔族を斬ったあたしがいうのもなんだけど、
魔族にだって家族があって、平和を願う者達がいるのをあたしは知ってる。
そういうやつらを無視するようなことは、あたしにはできない。先代も、あたしのそういうところを知って、こんなことを託したんだと思う」
お姉さんは、それから私の顔を見て、次に妖精さん、最後にサキュバスさんを見て、ニコっと笑って言った。
「それに…あんたたちは、一緒にいてくれるだろう?」
それを聞いて、サキュバスさんの顔がギュッと歪むのが分かった。
私も、きっと同じ顔をしていたに違いない。
お姉さんは、覚悟を決めてるんだ。
いつだかに私に言った。
「あたしは、勇者でも魔王でも、人間でも魔族でもない、化け物になったんだ」
って。それはきっとどれほど辛くて、どれほど寂しくて悲しいことか、想像するだけで、胸が痛くなる。
でも、お姉さんはそう在る覚悟を決めてるんだ。
そんなお姉さんに、私は言った。
「お姉さんは、お姉さん。怖くないよ」
って。
一緒にいてあげられるよ、って。
剣術や魔法のことなんてよくわからないし、戦争のことなんてもっとよくわからないけど、でも、お姉さんがとてつもない力を持っていることだけは私にもわかる。
魔王の紋章は、自然の力を扱うもの。勇者の紋章は、自分の力を増幅させるもの。
二つを持っているお姉さんは、魔王の紋章で得た自然の力を、勇者の紋章で増幅させることが出来る、ってことだ。
自然が持つ力を増幅させて操れる…たぶん、その力を使えばお姉さんにできないことなんてほとんどないだろう。
そんなお姉さんが、ただ一つ恐れていること…それは、一人になってしまうってことだ。
そしてそんなことにならないように、って、そうお願いしているんだ。
トロールさんのことがあってから、砂漠の街でも伝えてあげたはずなのに、お姉さんはまだそのことが心配で怖いんだ。
そう思い至った私はやっぱり胸がギュッと苦しくなる。
いてもたってもいられなくなって、椅子から飛び降りてお姉さんの膝によじ登ってその体にギュッとしがみついた。
「一緒にいるよ。約束するよ、お姉さん」
そう伝えたら、お姉さんが優しく私を抱きしめてくれる。
「うん。ありがとな」
そう優しい声が聞こえてきて、お姉さんが私の頭にゴシゴシと頬っぺたを押し付けてきた。
「ふふ…では、しばらくお待ちくださいね。後片付けを終えたら出立の準備のお手伝いをいたしますから」
サキュバスさんの、少しだけ安心したような声も聞こえる。
そうだよ、お姉さん。
安心してね。
お姉さんがいなかったら、私、あの日、偽物の勇者達にひどいことされてから殺されてただろうし、
オーク達にだって何をされたか、想像もしたくない。
お姉さんはそんなところから私を助け出してくれた。
私はお姉さん無しでは、きっと生きていられなかったんだ。
ここにこうしていられるのは、お姉さんのおかげ。
私は、その恩をお姉さんに返したい。
だから、ね、お姉さん。お姉さんが世界中の嫌われ者になったって、私たちはお姉さんの味方だよ。
私は胸の中で、お姉さんのためにそう祈って、わざと明るくお姉さんの顔を見て言った。
「そうと決まれば私、畑頑張るよ!麦とお芋ならちゃんと知ってるから大丈夫!」
「ほんとか?あはは!じゃぁ、よろしく頼むよ!」
お姉さんはそう言って、ニコッととびっきりの笑顔で私に笑って見せてくた。
つづく。
まったりペースですみません。
一応、全体のプロットを組みつつ書いているのですが、プロット自体が難航しておりまして…
全体が完成すればあとは早いと思われるので、しばらくこのペースで勘弁してくださいませ。
おつかれさま
ずっとまったりでいいよ
乙
乙
なぜか魔王様の顔がログホラTRPGのセイネたんの顔で再生されるわ…
流れがまおゆうの初期の方と似て来たな
面白いから>>1の満足する様に書いてください
うわああああんはやくぅぅぅぅ
食後のお茶を終えてから少しして、私は妖精さんとサキュバスさんと一緒に、魔王城から北にあるっていう魔族の城砦都市へお姉さんが転移魔法で出かけるのを見送った。
お姉さんは夕方には帰ってくるから、なんて笑っていたので、私は少しだけ安心してお姉さんに手を振った。
お姉さんの今日の仕事は、向かった先の城砦都市に駐屯している人間の軍隊を説得して撤退させることらしい。
話を聞くだけで、そう簡単なことじゃないってのはわかる。
だけどお姉さんは「それでもやらなきゃ」って笑って言っていた。
その笑顔に悲しさはなく、どこか凛々しい雰囲気がしていて私も背筋が伸びるような感じがした。
私も、任せられたことをしっかりやらないと!
そう意気込んで、お姉さんを見送ってすぐに私はサキュバスさんにお願いして魔王城の外へと出て来ていた。
妖精さんはお姉さんに頼まれて、風の魔法っていう遠くの仲間と話をする魔法で、魔王城に新しい魔王が立ったってことを魔界中に知らせている。
そんなわけで、私をサキュバスさんの二人だけ、だ。
サキュバスさんは角さえなければ人間とほとんど変わらない出で立ちをしていて、とてもきれいな人だ。
しかも優しくっておしとやかで、すごくいろんなことに気が回る。
たった一晩だけど、私はすっかりサキュバスさんに信頼を寄せていた。
「いかがでしょうか?」
魔王城から持ってきた小さなスコップで地面を掘り返していた私に、サキュバスさんがそう尋ねてくる。
「あ、はい。このあたりは砂利が多いですね…」
「砂利が多いといけないのですか?」
「うーん、すぐに畑にはできないかな。土はベタベタしてて畑には向いてそうですけど…特にお芋とかをやろうとすると、砂利はない方がいいんです」
私は言うと、サキュバスさんはなんだか感心したような表情で私の隣にしゃがみこんで、落ちていた木の棒で地面をつつく。
やっぱりそこからも小さな石が土に紛れてボロボロと出てきた。
「これは…魔王城建築のときに使われたものだと思います。この白い石は、人間界と魔界を分かっているあの山脈から切り出されたものです」
サキュバスさんは砂利の中の小さなつぶをつまみあげてそういう。なるほど、そっか…だとすると、このあたり一帯の土は全部こんな感じかな?
「…魔王城には、四つの門があるのですが…私たちが出てきた門は南門。そこは、吐き出しの門、と呼ばれています」
「吐き出しの門?」
「はい。魔王城の建築自体は、私が生まれる前の出来事なので詳しくは存じませんが、
そう呼ばれるのはなんでも、廃材などを運び出すのに使っていた門であるからとうかがったことがあります」
「そっか…だとしたら、南門じゃない方向のところは砂利が少ないかもしれないですね」
「そうですね…北は砂利とは違いますが、人間軍との戦いでまだ少し荒れていますので畑にはしたくありませんね…
石材は東から運ばれて来たという話ですし、残すは西側でしょうか」
サキュバスさんは立ち上がってお城の西を指差す。
「行ってみましょう」
「そうですね」
私はサキュバスさんとそう言葉を交わして西の方へと足をすすめる。
サクサクと、雑草がまばらに生えている地面を踏み歩く。土はまぁ、人がたくさんいれば作るのは簡単だ。
でも、問題は水だよな…魔王城って畑で遣えるような井戸とかあるのかな?
ここに来る途中に川は見なかったから、水を引いてくるのは難しいと思うし…そのあたりのことも、サキュバスさんに聞いておいた方が良さそうだな。
そう思ってサキュバスさんに声をかけようと彼女を見上げたとき、サキュバスさんの方から私に話しかけてきた。
「その…畑と、花を育てるのと、では何か違いがあるのでしょうか?」
「え?お花?」
「はい。魔王城の庭園に花を植えているのですが、なかなかうまく育ってくれず、苦労しているのです」
サキュバスさんの言葉に、私は思い出した。
確かに、魔王城の中庭には花壇があって、色とりどりの花が咲いていた。
お城の中にもいたるところに花が活けてあったけど、あれはサキュバスさんがやっていたんだね。
「基本的なことはあんまり違いはないと思いますけど…あのお花はサキュバスさんが?」
「はい。この地で命を落とした者たちへの弔いのために」
その言葉に、私はふと、先代の魔王って人の話を思い出していた。
「先代の魔王様とかですか?」
私がそう聞いたら、サキュバスさんは一瞬、涙を流し出してしまいそうな表情をした。ま、まずいこと聞いちゃったかな…
「ご、ごめんなさい…なんか、いけないことを聞いちゃったみたいで…」
「…いえ、お気遣い無く。そうですね、先代の魔王様のためです。先代の魔王様は、花がお好きで…あの花壇ももともとは先代様が作ったものなんですよ」
サキュバスさんは、気を取り直してそう私に教えてくれる。
先代の魔王様、お花が好きだったんだ…昨日までの私だったら、魔王なんて人がお花なんて、って思っていたかもしれない。
でも、あのお城に一晩泊まってみて分かった。
あのお城に住んでいた人は、晴れている暖かな日が好きで、きれいな星空を眺めたり、色とりどりのお花を見たり、
たぶん、風の香りを楽しんだり、芝生に寝転んでお昼寝したり、そんなことが好きな人だったんだろうなって思った。
それは私たち人間と変わらない。
平和で、心穏やかな時間を大事にしたいって気持ちがある人だったんだ…
どうして人間は、そんな人と戦争をしなくちゃいけなかったんだろう?
そんな疑問が、ふっと私の頭の中に浮かんできた。
だけど、すぐに私はそれを頭から追い払う。今はそのことじゃない。
畑ができるかどうかを考えないと。
「そのことは良いとして…それじゃぁ、あとで花壇の花のことも教えていただけませんか?」
「はい、分かりました。花壇はお花がたくさんの方がいいですもんね」
サキュバスさんの言葉にそう返事をしてあげて、それから直ぐに
「畑の話に戻りますけど…魔王城に井戸ってありますか?」
と聞いてみる。
「えぇ、ございますよ。このあたりは東の山脈の地下水が豊富ですから」
「そうなんですか!良かった…それなら、あとは土さえ良ければ畑はできそうです」
サキュバスさんの言葉に私は胸をなでおろす。そんな私を見て、サキュバスさんは笑った。
「そうですか。なによりです」
それから私たちは城の西側の土地へとたどり着いた。
スコップで少し掘ってみると、そこからは焦げ茶色のベタベタしたいい土が出てくる。
砂利も少ないし、耕せば十分に畑になりそうな感じだった。
それをサキュバスさんに伝えると、彼女はなんだか嬉しそうに笑って
「それでは、すぐにでもゴーレム達に命じて準備を整えましょう」
なんて言った。それよりも、まずは区画を決めておかないといけない。
ただ畑を広げるんじゃダメで、きちんと区分けして管理しないと排水とかそういうことも気にしなくちゃね。
私はそのことをサキュバスさんに伝えて、持ってきていた麻のロープで地面にわかりやすく区画を作る作業を始めた。
とりあえずはここに住む人たちの分の畑ってことだから、私のいた村程の面積くらいあれば済むはず。
そう思って、百歩の幅ので八つの畑にする区画を作った。
排水路や作業路のことも考えなきゃいけなくって、父さんと母さんに教えてもらったことを思い出しながらやっていたらなんだか切なくなったけど、
私は涙をこらえて作業に励んだ。
日が傾きかけたころには作業が終わり、私はサキュバスさんと雑草の茂っているところに腰を下ろしてサキュバスさんが持ってきてくれていたお茶を飲んでいた。
「では、この縄の中をゴーレム達に掘り起こさせればよろしいのですね?」
「はい。それであとはどこからか種芋を少し持ってくれば大丈夫だと思います」
「芋の類は、西にある山地に自生していますから、そこから掘り起こすことになりますか…」
「それでもいいですけど、そうするとその土地の魔族さん達が困っちゃうんじゃないですか?」
「確かにその心配はございます」
「ですよね…そのあたりはお姉さんと相談した方が良いと思うので、後回しにしておきます」
そんなことを話しながら、私は縄を張った地面を見渡す。
ここが一面、お芋畑になったら…ふふ、なんだか嬉しい気分になりそうだ。
そんなとき、すこし冷たい空気が私の肌に触れた。
もう夕方になる。気温も下がってきているみたい。
私は作業の前に脱いでいたマントを羽織りなおす。すると、サキュバスさんが私を不思議そうに見た。
「どうされたのですか?」
「あ、その、少し寒いな、と思って。サキュバスさんは平気なんですか?」
「ええ、私たちは寒さや暑さは…」
「あ、そっか、魔法だ」
私は旅の途中でお姉さんや妖精さんがやっていたっていう、あの魔法のことを思い出した。
お姉さん、魔法を教えてくれるって言ったけど、忙しくなりそうで言い出しにくいな…
そんなことを思って私はふとサキュバスさんに聞いてみた。
「あの、サキュバスさん。サキュバスさんは、魔法を教えたりすることってできますか?」
「魔法を、ですか?」
サキュバスさんが不思議そうに首をかしげる。
「はい。私、ここに来るまでいろいろとあって…自分の身を守る程度でいいから魔法が使えたらなって思って」
そう言うとサキュバスさんはなんだか納得した様子で
「そうでしたか。魔族式の魔法で良ければ、ご指南させていただくことはできますよ。人間様がその力をお使いになれるかどうかはわかりませんが…」
と言いながら、すぐそばに生えていたク三つ葉を一本引き抜いて私に手渡してきた。
「それをお持ちになっていてください」
私は言われるがままにそれを手に持つ。するとサキュバスさんが私の肩に手を置いて、小さく何かをつぶやいた。
すると、サキュバスさんの手が置かれている肩がふんわりと暖かくなるのを感じた。
それが腕に伝わり、そして三つ葉を持っている手へと流れるように広がっていく。
指先までその暖かな感じが伝わって行った瞬間、握っていた三つ葉が目に見える早さでぐんぐんと伸び始めた。
「わっ…!わわわ!!」
私は驚いて思わずそう声をあげてしまった。
これが魔法なの?
そうか、魔族の魔法は自然の力を使うんだった…
そう考えればこんなこともやれる、ってことだ。
やがてサキュバスさんは私の肩から手を離した。
それからフフっと笑って
「これが魔族式の魔法です。私の魔力をきちんと伝えられるようですし、人間様には才能がお有りなのかもしれませんね」
と言ってくれる。
良かった、それなら練習すれば魔法を使えるようになるかもしれない、ってことだね。
私は嬉しくなって思わずサキュバスさんの顔を見やる。
「お仕事の合間にご指南いたしますね」
「はい!お願いします!」
私はサキュバスさんの言葉に、そう明るく返事をした。
と、不意に、サキュバスさんが笑顔をすこし収めて
「人間様、そのカバンに、魔具の類をお持ちですか?」
と聞いてきた。
「マ、マグ?」
「はい、魔力を伝えるための道具のことです」
このポーチの中に、そんなの入ってたかな?
砂漠の街で騎士長さんに買ってもらったダガーと、傷薬と、あとはトロールさんの石が入っているだけだけど…もしかしてダガーがそうなのかな?
私はそう思ってポーチからダガーを取り出して
「これですか?」
とサキュバスさんに手渡す。でも、それを手にとったサキュバスさんは首を振った。
「これではありませんね…」
ってことは…傷薬ってわけでもないし…トロールさんの石の魔力のこと、かな?
「こっちですか?」
私は、トロールさんの石を丁寧に革袋から出してサキュバスさんに見せた。
「こ、これは…」
「これ、トロールさんなんです。私が悪い人たちに襲われたところを助けてくれて、こんな姿になっちゃって…」
私はあの日のことをサキュバスさんに説明する。するとサキュバスさんはなんだかお姉さんみたいな、どこか嬉しそうな表情を見せて
「そうでしたか…同じ魔族が、先代様が目指したことを成したのですね…なんて誇らしいことでしょう」
なんてつぶやくように言った。
先代の魔王さん…城にお花を植えたり、人間と戦争がしたくなかったり、お姉さんに魔王の力を託したり…
本当に、優しい人だったんだな…
私は、サキュバスさんの言葉からそんなことを感じ取っていた。
「その石は、城の花壇に埋めて差し上げなくてはいけませんね」
なんて感心していたら、サキュバスさんが急にそんなことを言い出した。
「サ、サキュバスさん!トロールさんは死んじゃったんじゃないんです!埋葬とかしなくていいんですよ!」
私は驚いてそう声をあげてしまう。でも、それを聞いたサキュバスさんは優しい笑顔を見せて言った。
「いいえ。トロール族は大地の妖精です。土に埋め、大地の力の中に預ければ魔力の回復が早まります。
今触った感じですと、二晩も寝かせて差し上げれば姿を取り戻されると思いますよ」
え…?
ほ、ホントに!?
トロールさん、そんなに早く元に戻れるの!?
「ほ、本当ですか!?」
私は思わず、サキュバスさんに詰め寄っていた。サキュバスさんはそんな私に、相変わらずの優しい笑顔で
「ええ。ご安心ください」
と言ってくれる。
そっか…良かった…!
私、ちゃんとトロールさんにお礼が言える!
それがわかったら私はなんだか無性に嬉しくなって、気がつけば立ち上がってサキュバスさんの手を引いていた。
「サキュバスさん、お城に戻りましょう!花壇の話と、トロールさんを寝かせてあげないと!」
そんな私にサキュバスさんはしとやかに応じてくれて、二人してお城へと戻った。
西門へ着くと、中から大きな音がしてゴゴゴと金属の扉が開く。
ゴーレム達が扉を開けてくれたみたい。
門の中に入るとサ、キュバスさんが何をいうでもなくゴーレム達はまたゴゴゴと低い音をさせて金属の扉を閉めた。
花壇は、東門の方だったよね…!
早く…早くサキュバスさん!
私はいつのまにか飛び跳ねるような胸のうちの気持ちを抑えきれずに、自分もウサギみたいに跳ねるようにしてサキュバスさんの手を引いていた。
南門の前を通って東門へと回る。夕焼けに赤く染まった花壇が見えてきた。
あそこにトロールさんの石を寝かせてあげれば…トロールさん、きっと!
そう思って花壇に駆け出そうになった私の足が、急に止まった。
私の目に、見慣れない何かが映ったからだった。
それは、お城の通用口のところにうずくまっているようにして動かない、誰か、だった。
夕焼けに染まっているその誰かは、夕焼けの色じゃない、赤く黒っぽい、何かで全身がくすんでいる。
「魔王様…」
サキュバスさんが、そう掠れた声で言った。
あ、あれ、お姉さん、なの…?
あの色…あれって…あれって、も、もしかして、血…?
そのことに私が気がついたとき、サキュバスさんの声を聞いたのかお姉さんは顔をあげた。
その顔にも、べっとりと血がこべりついている。
お姉さん…もしかして、ケガを!?
とたんに胸がギュッと締め付けられるように痛くなって私は思わず声を上げていた。
「お姉さん!」
「来るな!」
駆け寄ろうと足を踏み出した私を、お姉さんが鋭い叫び声で怒鳴りつけてきた。
ビクン、と体が跳ねて、足が止まる。
―――怖い
正直、そう感じてしまった。
お姉さんに怒鳴られたのは初めてだったから、っていうのもある。
でもそれ以上、私はあんなお姉さん、みたことがなかった。
あんな目をしたお姉さんを、私は知らなかった。
まるで…まるで…絵物語に出てくる幽霊みたいに、気持ちの色のない目をしていた。
「魔王様、おケガを…?」
サキュバスさんが、か細い声でお姉さんにそう尋ねる。
お姉さんは、力なく首を横に振って
「いや…大丈夫。全部返り血だ」
と低い声で言った。それから
「大きい声出してすまない」
と、血だらけの顔で私に謝ってくる。でも、私が言葉を失っている間にお姉さんは続けた。
「ごめん、今日はあんたとは一緒に寝れないや」
そ、それ、どういうこと?
お姉さん、なにがあったの!?
訳がわからず私が言葉を探していると、サキュバスさんが口を開いた。
「…すぐに、湯浴みの準備をさせましょう」
「すまない…」
サキュバスさんの言葉に、小さな声でそう言ったお姉さんをよく見れば、両腕で自分の体を抱いて小刻みに震えていた。
お姉さん…お姉さん、いったい、なにがあったの?
私、大丈夫だから、お願い、話をして!
ただの一言、そんな言葉が口から出ずに、私はサキュバスさんに連れられてお城の中に入っていくお姉さんをただただそこで見ているだけしかできなかった。
つづく。
うむー
素敵な作品だ
おつかれさま
乙です
>>158
イメージ近いとな…!?
ならばこのまま脳内再生を続けさせて貰おう
本物はトモダチ居ない娘だけどね(トオイメ
乙
最初からなかなか上手くいかないよね。
お姉さんはちゃんと泣いて下さい。
幼女ちゃんやサキュバスさんの前で。
遠ざけちゃいかんよね。
しかし、幼女ちゃん視点でこのヒキは反則だw
急かしたくはないが、「続き!早よ!」ってなるじゃないかw
その晩、私は昨日お姉さんと一緒に眠った寝室で窓際に座っていた。妖精さんも黙ったまま、私の肩に腰かけている。
窓の外には満点の星。だけど私は、星を眺めているわけではなかった。
あれから私は、トロールさんの石を花壇に埋めてすぐにお姉さんとサキュバスさんの後を追った。
でもお姉さんは浴室に入ったっきり、ゴーレム達にその入り口を守らせて、長いこと出てこなかった。
その間に私と妖精さんとで夕食を食べて、お姉さんが上がった後のお風呂に入って、こうして寝室に戻ってきた。
だけど、とてもじゃないけど眠れる気分なんかじゃない。お姉さんにはずっとサキュバスさんが一緒に付いているみたいだから変なことはしないだろうけど、
でも、それでも私はお姉さんが心配だった。
私だってバカじゃない。お姉さんは北の街で戦いに巻き込まれたんだろう。
お姉さんのことだ、怪我した誰かを助けようとして、でもそれができなかったとかそういうことなんじゃないかなって、そう感じていた。
だから、あんな呆然とした表情をしていたにちがいない。
本当なら一緒にいて慰めることはできなくても、いつもみたいに抱きついてあげることくらいしてあげたかった。
でも、お姉さんは頑なに私を避けて、顔を見ようともしてくれなかった。
きっと、それだけ大変なことだったんだろう。そう思うと、私はどうしたって胸の中がジクジクと痛んだ。
お姉さん、大丈夫…?お姉さん、心配なんてしなくていいんだよ。私は、お姉さんが優しいのを知ってる。
誰かと繋がっていたくって、それでも怖かったり、不安だったりしてそれがでいないのもしってるよ。
でも、だから、安心感してほしい。私はお姉さんのそんなところも全部まとめて受け入れられるから…だから、お姉さん…負けないで…
「…お姉さん…」
そんなことを考えていたら、私はふと、そう口に出していた。
「人間ちゃん…」
妖精さんがそう言って、私の頭を小さな手で撫でてくれる。と、ついでその手が私の頬に触れた。
「魔王様は、きっと大丈夫…だから、泣かないで…」
そう言われて私はふと自分の頬に手を当てた。濡れてる…私、いつの間にか泣いてたんだ…
「今夜はもう横になろう?魔王様には明日、ちゃんとお話をすればいいよ」
妖精さんがそう言ってくれる。うん…そう、そうだよね。きっとお姉さんは私には話してくれる。
たぶん私は、お姉さんの心の準備が出来るまで待っていた方がいいんだ。
そう自分の気持ちに言い聞かせて、私は窓際の椅子から立ち上がってベッドへと身を投げた。
妖精さんも、そばにあったテーブルに用意されてる専用の小さなベッドにパタパタと飛んでいって布団をかぶった。
「おやすみ、妖精さん」
「うん、おやすみ、人間ちゃん」
私たちはそう言葉を交わしてベッドに潜り込み毛布と布団をかぶって目を閉じた。
寝ようと思って、なるべく頭のなかをからにしようと思うけど、あとからあとあらお姉さんのことが頭に浮かんできて、
目をつぶっていても頭の中でぐるぐると考えが巡り続けていた。
そんなとき、ギィッとドアを開ける音がして、部屋に一筋の光が差し込んでくる。
体を起こしてみるとそこには、少し疲れた顔をしたサキュバスさんが立っていた。
「まだ、起きていらっしゃったんですね」
サキュバスさんそう言って私の眠っていたベッドまでやってくると、ギシッと音を立てて腰かけた。
「お姉さん、どうなりました?」
私は恐る恐そう聞いてみる。するサキュバスさんは静かにため息をついて
「私の催眠魔法でおやすみになられましたよ」
と教えてくれた。良かった…お姉さんはちゃんと休めているんだね…でも、それにしても…
「サキュバスさん、お姉さんに何があったんですか?」
私はその事が気になってサキュバスさんにそう尋ねていた。でも、サキュバスさんは宙を見据えてから
「お話しない方が良いのかもしれません」
と静かな声で言った。言いにくいこと、なんだな…サキュバスさんの言葉だけで私は分かった。
それでも、何でも、私は聞きたい。聞かないといけないんだ。
「サキュバスさん…教えてください…お姉さんの助けになりたんです」
私はサキュバスさんの目をじっと見てそう伝えた。サキュバスさんはそれを聞いてまた、しばらく考えるような表情を見せてから
「わかりました…ですが、心して聞いてくださいね」
と私に念を押してくる。私はコクっとうなずいた。それを見たサキュバスさんは、ゆっくりとした口調で話始めた。
「魔王様は転移魔法で北の城塞都市に駐留する人間軍の司令官にわたりをつけて面会がかなったそうです。
魔王様は撤収を要請しましたが聞き入れられず、それでも説得を続けました。
話し合いは平行線をたどり、解決は難しいと感じられたとき、人間の司令官が言ったそうです。
『魔族のような連中と馴れ合う気もなければ、赦すつもりもない』、と。
そして司令官はあろうことか、その場にいた、恐らく召し使いとしてつれて来られてた獣人族の子どもの首をはねるそうです」
「ま、魔族の子どもの首を?!」
私はあまりのことに言葉を失った。でもサキュバスさんは、たぶん私を驚かせないようになだろうけど、落ち着いた、静かな声でいった。
「魔王様は、感情に任せてその司令官とそばにいた警護の人間を斬り捨てられたそうです」
に…に…人間、を…?
「はい。その者だけではなく駆けつけてきた近衛部隊も、騎士団も、お気持ちに飲まれて斬り伏せたそうです。
総数5000は下らない北の城塞の人間軍が即座に退却を始めたとのお話でしたので…おそらく、10人や20人では下りませんでしょう。
もしかすると500か、それ以上は…」
サキュバスさんはそこまで言って、またふぅとため息をついた。
私は頭に重い衝撃を受けたような感じがした。
お姉さんが…人間を殺したの…?
あんなに、あんなにたくさんの血を浴びるくらいの人間を…あの優しいお姉さんが…?
信じられない、って最初の一瞬はそう思った。
でも、あのときのお姉さんの様子を見ていた私にとっては、どうしてもそれが間違いないことだと思えてしまっていた。
だからお姉さんは、あんな目をしていたんだ。まるで幽霊みたいな、もぬけの殻っていうか、意思のない、ただ呆然とした…
ううん、絶望を目の当たりのして、それに抵抗する意思を失ったような瞳を…
お姉さんはいつだって私を守ってくれた。トロールさんや妖精さんに、砂漠の街でさらわれた人たちや、憲兵団の人たちも、
あの偽物の勇者達だって騎士団に引き渡したって言ってたし、オーク達ですら粛清するだけで無闇に命まで取ろうなんてしていなかったお姉さんが…
きっと、お姉さん自身が一番したくないことをしてしまったんだ。それも、取り返しのつかないことを、とりかえしのつかない規模で…
「サキュバスさん…!どうしよう…お姉さん…お姉さんが苦しんでる…!」
私は敬語も忘れてサキュバスさんにそう言ってすがり付いていた。そんな私を、サキュバスさんは穏やかで、すこし悲しそうな目で見つめて
「そうですね…私も、胸が痛む思いです…」
と、私の髪を撫で付ける。
どうしよう、どうしたらいいの…?私、お姉さんを励ましてあげる言葉も、慰めてあげる方法もわからないよ…
お姉さんが苦しんでいるって言うのに、私…私…
「魔王様は、今朝の食事の席でおっしゃいました。私たちは一緒にいてくれるんだろ?って」
サキュバスさんが不意にポツリとそう言ってたので、私は思わずサキュバスさんを見上げた。
「もしかすると人間様、妖精様やトロール様は、魔王様の救いなのかも知れませんね…」
私には、サキュバスさんが言っている意味がわからなかった。私たちが、救い?どういうこと?
そうおもっていたら、サキュバスさんはクスっと笑顔を見せて私の目をのぞきこんだ。
「どうしたら良いのか、は、私にもまだわかりません…ですが、それを共に考えていくことが、私たちの役目なのかも知れません」
一緒に考える…?なにを…?
サキュバスさんにそう聞き返そうと思ったとき、突然に体の力が抜けて全身が重くなるのを感じた。
意識が急に遠くなってぼんやりと心地良い眠気に包まれる。これって、催眠魔法…?
「今晩はゆっくりお休みください。明日、ご一緒に考えましょう。魔王様を助け、支えるための方法を…」
そんな声が聞こえてきて、私の意識はまどろみの中にうずもれていった。
つづく。
ワンシーンのみしか進まなかったよ。
ご勘弁を。
>>171
×そして司令官はあろうことか、その場にいた、恐らく召し使いとしてつれて来られてた獣人族の子どもの首をはねるそうです
○そして司令官はあろうことか、その場にいた、恐らく召し使いとしてつれて来られてた獣人族の子どもの首を刎ねたそうです
大事な箇所を誤字るという…得意技w
失礼しました、吊ってお詫び申し上げます。
はやくううううううううう
>>175
鬼かw
>>175-176
ワロタw
でも気持ちはわかるw
出版してくれ
できれば安く
乙
最近のなんでもかんでもWeb小説を書籍化する流れに食傷気味だが
A5版で1200円前後、文庫サイズで600円前後が最近の相場かね
乙
早っw そして鬼現るwww
以前、キャラに固有名付けるか悩んでたけど、サキュバスさんが幼女ちゃんのこと「人間様」って呼ぶのがなんか好き。
このまま固有名なしで上手く書ききってくれたらいいな。
そういえば電子書籍的な物やら出版社への投稿やら考えてたみたいだけど何か進展あったのかいのぅ。
>>出版について
このお話の出版ですかね?
この板に書いたものは基本的には荒巻氏に権利が移るらしいので、相談してみないといけないと認識しています。
ただ、ページ数の関係で同人誌を刷るには初期投資の額が膨らみすぎるため現実的にちょっと難しい…
どこかに拾ってくれる出版社さんいませんか?w
>>180
感謝!
ご意見ありがとうです。しばらくはこのままのスタイルで頑張りたいと思います!
アヤレナの電子書籍化は、キャノピの手があくまで待っている感じです。
投稿は、適当に書いたものを一作送ってみましたが、適当すぎて落選しましたw
てなわけで、続きです!
声が聞こえる。
喚き声だ。
誰かが、叫んでいる。
誰か?ううん、違う。
ひとりだけじゃない。大勢の人達が怒号に似た声で何かを言っている。
なに?どうしたの?何があったの?
私はそう思って窓の外を覗いた。
そこには、鎧や剣、槍で身を固めたたくさんの人間たちが城の外に詰めかけている光景が広がっていた。
「来たか」
そう声がして、私は思わず振り向いた。
そこには、スラリと背が高くて、ガタイの良い、頭にピンと立った角か、犬の耳のようなものを生やした男の人が立っていた。
ドカン、という大きな音がした。
再び窓の外に目を下ろす。
するとそこには、門の扉を突き破ったんだろう、一人だけ鮮やかな色のついた人が立っていた。女の人だ。
ほかはみんな白黒で色なんてないのに、その女の人だけが輝いているように見える。
私は、その女の人を知っていた。
あれ…お姉さん?
「共に来るか?」
大きな男の人はそう言って、羽織っていた黒いマントを翻して私に言った。
そのときになって、私は気がついた。
男の人の胸には、一輪の小さなお花が差してあった。
あれ、庭の花壇に咲いていたお花だ…。
男の人は、私に背を向けてツカツカとドアの方へと歩いていく。
ドアのすぐ脇には、角を生やした女の人がいる。
サキュバスさん…?
「はい、仰せのままに」
サキュバスさんがしとやかに頷いてそう答える。
二人はそうして、揃って部屋から出て行った。
あの男の人…も、もしかして、魔王?
お姉さんに倒されたっていう、魔王さん?
いけない、魔王さん、お姉さんと戦うつもりなんだ…!
待ってよ、二人が戦うことなんてないんだよ!
お姉さん、魔王さんは優しい人なんだよ。
戦争なんてきっとホントはしたくないって思ってる。
戦わなくったって、お姉さんが話せばきっと分かる…
だって、お姉さんも同じくらい優しくて強いんだから…だから!
私はそう思って部屋から飛び出して魔王さんとサキュバスさんのあとを追う。
なぜだかわからないけど、私には二人がどこへ向かったのかが分かった。
廊下を走って、これまでに入ったことのなかった城の上の階にある大きな扉を開け放つ。
そこには、剣を胸に突き立てられている魔王さんと、その剣を握るお姉さんの姿があった。
「魔王…!」
お姉さんの目は、怒りと、憎しみと、絶望に満ちていた。
「お姉さん!」
私はそう叫んでお姉さんの体にまとわりつく。
「ダメ!」
お姉さんの体を魔王さんから引き離そうと引っ張ると、私は何か強い力を全身に受けて宙を舞っていた。
ドサリと体が床に落ちて、見上げるとすぐそこにお姉さんがいて、魔王さんに剣を突き立てていたときのままの目で私を見下ろしていた。
その傍らに、サキュバスさんが血まみれで倒れている。
動かない…サキュバスさんを…斬ったの…?
お姉さんが…?
私はそのことに気がついて、全身が凍った。
声も出ない。体も動かない。
なんで?どうして?お姉さん…どうしてこんなことをするの!?
背筋を貫くような寒気が私からすべての自由を奪う。
そんな私を見下ろしながらお姉さんは握っていたその剣を高々と振り上げた。
怖い…怖い…怖いよう!
私は自分の体をギュッと抱きしめて身を縮める。
お姉さんが剣を振り下ろして来て、体にめり込む嫌な感触が走った。
「お姉さん!」
私は、自分の声にハッとして目を覚ました。
慌ててベッドから飛び出して窓から外を眺める。
そこには、人影なんて一つもない。見下ろす門の両側にゴーレムの石像が置いてあるだけ。
門戸もどっしりと外壁にはまったままだ。
ゆ、夢…だったんだ…
私はそのことに気がついて、知らずに荒くなっていた呼吸を整え、大きくため息をついた。
「に、人間ちゃん、大丈夫?」
不意にそう声が聞こえたので振り返ると、妖精さんが驚いた表情をして私を見ていた。
「あぁ、うん…怖い夢見ちゃった…」
私は窓際を離れ、ベッドに腰掛けて妖精さんにそう伝える。すると妖精さんはパタパタと私の胸もとに飛んできてギュッと私にへばりついてくる。
「大丈夫。夢だったんなら怖くない、怖くない」
妖精さんがそう言いながら私のほっぺたに小さな頭をゴシゴシと押し付けてくるから、なんだか安心してふふっと笑ってしまった。
「ありがと、妖精さん。お着替えして、サキュバスさんのお手伝いに行こうよ」
私は妖精さんにお礼を言って、そう提案してみる。妖精さんも私が大丈夫だっていうのがわかったみたいで
「うん」
と明るく返事をしてくれた。
部屋を出てすぐのところにいたゴーレムにお城の台所を聞いてそこに行ってみたけど、もうサキュバスさんの姿はなかった。
料理を作ったあとがあったから、またあの大きな窓の部屋にいるかもしれない。
そう思って廊下を進み、食事を取る大きな窓とソファーのある部屋のドアを開ける。
そこにはやっぱり、サキュバスさんの姿があった。
サキュバスさんは、テーブルにお皿を並べている。
そのテーブルに、お姉さんは座っていた。
とたんに、私は全身が固まってしまうような感覚になる。
夢の中のことを思い出して、怖いのが少しだけど、それから強い緊張が湧き上がって来た。
でも、そんな私を見て、お姉さんは柔らかい笑顔を見せてくれた。
「あぁ、おはよう」
お姉さんのそんな表情と優しい声色が、私の体と心を溶かしてくれるような、そんな気がした。
「おはよう、お姉さん」
私はお姉さんにそう返す。
「羽妖精ちゃん、ありがとな。一緒にいてやってくれて」
「人間ちゃんとは友達だから当然ですよ、魔王様!」
妖精さんとお姉さんのそんなやりとりを聞きながら、私はテーブルについた。
今日は、パンとサラダに、スモークされた何かのお肉…ハムじゃないみたいだけど…なんだろう?わからないや。
そんなことを思いながらサキュバスさんが用意してくれていたバスケットの中からナイフとフォークを取り出していると、
ガタリ、とお姉さんが椅子を引いて立ち上がった。
「んー、うまかった」
お姉さんはそんなことを言って大きく伸びをする。
それから、私のところにつかつかと歩いてくると、いつもみたいに私の頭をクシャクシャっと撫でる。
「一緒に食べたかったんだけど、悪い。今日は南の人間軍の駐屯地に行かなきゃいけないんだ」
「あ、えと…ううん、大丈夫だけど…」
私が言葉に困っていたら、お姉さんは曖昧に笑って
「また夕方には戻る」
と言い、私から手を離し、私に背を向けて部屋から出て行った。
パッと話した感じでは、いつものお姉さんと何も変わらない。
優しくって、柔らかな感じだったけど、私は気がついていた。
お姉さんは、私の頭を撫でる前に、いつもはしていない剣を握るときに使う革手袋をつけていた。
それに、どことなく私を遠ざけるような感じもした。
あんな夢を見たからって、私はお姉さんが怖いだなんて思わない。
お姉さんもきっとそれは分かってくれていると思う。
でも、それなのにお姉さんがあんななのはどうしてだろう…?
昨日と同じように、ギュッと胸が締め付けられる。
「あの手が、血で汚れていることを自覚されてしまわれたのでしょう」
不意にサキュバスさんがそう言った。
それは、昨日の話のこと?
「人間を斬ったから…?」
私が聞くとサキュバスさんはクッとうつむき加減で言った。
「いいえ…おそらく昨日の出来事はきっかけに過ぎません…魔王様、いえ、かつての“勇者”は、昨日手に掛けた人間の数以上の魔族を殺して来たのです。
そのことに気がつかれてしまわれて…苦しんで居られるのだと思います」
そっか…
お姉さんは勇者として、戦争で人間の軍を率いて数々の戦場で戦ってきたんだ。
勇者の力を見た私には分かる。
あの力があれば、並みの兵隊なんて相手にもならない。
それがたとえ魔族だったとしても、きっとおんなじだ。
お姉さんは、今は守らなきゃいけないって思っているものを、これまで自分の手でさんざんに傷つけて来たんだ。
「人間様」
サキュバスさんが私を呼んだ。
「私は…とんでもない従者なのかもしれません」
「えっ…?」
「私は、魔王様が苦しんでいることに胸を痛めている反面、どこか嬉しいのです」
サキュバスさんは、笑みとも、泣き顔とも取れそうな不思議な表情で私を見た。
「私は魔王様の苦しみが、魔王様が真に私たち魔族のことを守らねばならないと感じていてくださっている証拠だと、そう思えるのです」
お姉さんの苦しみが、証拠?
…そうか。
お姉さんは、昨日人間を手にかけてしまって、気がついたんだ。
自分は人間も守りたいって思ってる。
同時に、魔族も守らなきゃって思ってる。
最初は、自分と同じだった人間を斬ってしまった罪悪感があったのかもしれない。
でも、それならこれまで斬った魔族たちも同じだったんだ、ってことに気がついてしまったんだ。
だからきっとお姉さんは、戦争のときのことにまで罪悪感を感じるようになって、苦しんでいるに違いない。
サキュバスさんが嬉しい、って思う部分があるっていうのは、つまり、お姉さんが戦争のときのことに罪を感じてしまう程に、
本当に心から魔族も助けたいって思っているからなんだ。
それはきっと、サキュバスさんにとっては嬉しいことだろう。
でも、お姉さんが苦しんでいる姿を見るのはサキュバスさんも辛いんだ。
そんな二つの気持ちが心の中にあるときって、誰かに話したくなるのは、なんとなく分かる。
「そんなことないです。私も、お姉さんがサキュバスさんやトロールさんに、妖精さんたちを大事にして欲しいって思いますし…
大事なのは、お姉さんの苦しいのをどうにかして私たちが和らげてあげることなんじゃないかって、そう思います」
私がそう言うと、サキュバスさんの顔がみるみるうちに安心したような笑顔に変わった。
それに私もホッとしていると、サキュバスさんがクスっと笑い声をあげて言った。
「魔王様が仰っていた、人間様たちが答えをくれたというのは真実でしたのですね。人間様。あなた様はとても聡明で、お優しく、不思議な魅力のある方ですね」
急にそんなことを言われたものだから、私はなんだか恥ずかしくなって思わずうつむいてしまった。
でも、そんなことはともかく…お姉さんが苦しんでいるんだ。
私とサキュバスさんが明るくしてあげて、すこしでもお姉さんがホッと出来るようにしてあげないといけない。
それに、昨日の夜にサキュバスさんとした話。
私たちは、お姉さんのそばにいる者として考えてあげないといけないんだ。
人間と魔族が仲良くなる方法とか、お姉さんが苦しくなくなる方法を…
「サキュバスさん、食事が終わったら、また一緒に外に行きましょう。畑をしながら一緒に考えなきゃ、お姉さんの助けになれるようなことを」
私は食事もそっちのけでサキュバスさんの目をジッと見てそう言った。
それを聞いたサキュバスさんはなぜだか本当に嬉しそうな表情で、短くてしとやかで、それでいて、なんだか少し子どもみたいに丸い声色で
「はい」
と頷いてくれた。
つづく。
つらいよな
みっけて一気に全部読んだわ
続き期待してる
乙
お姉さんの苦悩は続くのか
サキュバスさんと幼女ちゃんの関係が心の拠り所だね
……あれ?トロールさん?www
>>190
忘れてたw
トロールさんも明日には復活か
まぁだぁ?
忘年会シーズンで飲み歩き…
大変遅くなって申し訳ありませぬ。
続きです。
それから私とサキュバスさんは食事の片付けを済ませて、二体のゴーレムを連れてお城を出た。今日は妖精さんも一緒だ。
昨日、区画を区切っておいた畑は、夜の内にゴーレム達が一面に耕してくれていて、すっかり良い状態になっている。
でも、これだけだとまだダメ。畝を作って、お芋を植える準備をしないとね。私はその事をサキュバスさんに説明した。
するとサキュバスさんはゴーレム達によくわからない言葉で何かを伝える。それを聞いたゴーレム達はずしずしと畑の中に入って行って、畝を作る作業を開始する。
ゴーレムを動かすのも魔法、なんだよね。私もこんなことが出来たらいいなぁ。
「サキュバスさん、ゴーレムを動かす魔法って難しいんですか?」
私たちはクローバーの生えた場所に藁を編んで作った敷物をしいてゴーレムの作業を眺めているだけだったので、そんな話をサキュバスさんにしてみる。
「そうですね…物体使役の魔法はかなり複雑な術式が必要です」
やっぱりそうだよねぇ…
「お姉さん達が、寒かったり暑かったりしなくなる魔法が基礎だって言ってたんですけど、それなら私にも出来ますか?」
「どうでしょうね…確かに基本的なところではありますが…少し試してみましょう」
私の言葉にサキュバスさんはそう言うと、昨日と同じように三つ葉を一本プチっと抜き取った。
「これを手にお乗せください」
私は言われるがままに、三つ葉を手のひらに乗せる。
「ではまず…その三つ葉を浮かせるところから始めましょう」
う、う、浮かせる?!そんなことができるものなの!?私は思わぬことそう驚いてしまう。
「そんなこと、出来るんですか…?」
「防御魔法の基本は、自らの体を自然の力で覆うことにあります。
力には大きく分けて光と風と土と水がございますが、暑さ寒さを防ぐには、光の力か風の力が良いと思います」
「私達羽妖精の一族は風と光の魔法が得意なんだよ!」
私とサキュバスさんとの話に、妖精さんがそう言ってパタパタと胸を張っている。そっか、光の力でオーク達に拐われたときも姿を消したり出来たんだね。
私はそんなことに納得したけど、でも一方でそんな力をどうやって扱うのかなんて想像すら出来ない。
「サキュバスさん、ごめんなさい、どんな風にやれば良いんですか?」
「そうですね…まずは、風の力の練習を致します。風と言うのは空気の流れ。すなわち、風の力とは空気を操る力です」
サキュバスさんはそう言うと、指先で宙にくるっと円を書くようなしぐさを見せた。
すると、私の手のひらの上にあった三つ葉が風を受けたようにくるりと一回転する。
「す、すごい!」
「ふふふ。基礎の基礎ですから、感覚さえ掴むことが出来ればきっとすぐに出来るようになると思いますよ」
思わず声をあげてしまった私に、サキュバスさんはそう言って優しく笑ってくれた。
それから私はゴーレム達が畑を作っているのを見ながら、サキュバスさんと妖精さんに魔法の授業をしてもらった。
でも、手のひらの上に置いた三つ葉は一向に動く気配を見せなかった。
私の肩に手を置いて魔力の流れを感じてくれたサキュバスさんによれば、自然の力を操るための魔力はきちんと動いているって話だ。
それでも三つ葉が動かないのは、たぶん自然の力をうまくつかめていないせいだろうって、サキュバスさんは私に教えてくれた。
あとはとにかく、コツをつかむまで練習あるのみ、だって。
練習はある程度で切り上げて、そこからはお姉さんについて話した。でも結論だけで言うと、良い方法はこれっぽっちも浮かんでなんて来なかった。
私たちにできることって、なんだろう?
お姉さんの帰ってくる魔王城を守ること、お姉さんが安心できるこの場所を失くさないこと以外にできないような、そんな気がしてしまった。
日が傾いてきたのでゴーレム達の作業を終えさせ、私達は西門の方へと戻る道を歩く。
私達を守るように、ゴーレム達が重そうな体でのしのしと地面を踏みしめていた。このゴーレム達は、サキュバスさんの魔法なんだよね…
あれ、でも昼間言っていた四つのうちの、どの魔法なんだろう?
「あの、サキュバスさん。ゴーレム達は土の魔法で動いてるんですか?」
私の言葉に、サキュバスさんはそう言えば、って顔をした。
「使役魔法は、特別なのですよ…これは、限られた一族にしか使えない…魔界の、謂わば神官のような一族の秘伝なのです」
「神官…?魔界にも神様がいるんですか?」
そう尋ねた私に答えてくれたのは妖精さんだった。
「魔界の神様は、人間の信じている神様とは違うんだよ!魔族にとっての神様って言うのは、自然そのものの事を言うんだ」
「自然、そのもの?」
「はい。自然を守り、命を育み与えてくれるたくさんの神々です。もっとも、信仰の文化だけで、神々が本当に存在していると考えているわけではありませんが」
「命を…」
「そうです。神官達の術は、命を操るものです。もちろん、死した者を生かすことなど出来ません…しかし、仮初めの意思を宿らせることはできます。
禁術の類いではありますが…例えばこのゴーレム達のように、死した体を使役することも可能です。
そのようなものを呼ぶ言葉が人間界にはありましたね…えぇと、たしか…」
サキュバスさんの言葉に、私はゴクリと喉を鳴らしてしまった。
「そ、その、それって…ゾンビ、ってこと?」
「あぁ、そうそう、その呼び名です。私達にしてみれば、ゴーレムの範疇なのですけどね」
私の背筋に一瞬走った悪寒を知ってか知らずか、サキュバスさんはいつものしとやかな笑顔でそう言い、続ける。
「命の力は扱いが難しいのです…もっとも、回復魔法はその一種ではありますが、これはまた少し別の扱いになりますね。
怪我を治したり、昨日お見せした三つ葉を伸ばした魔法は生体の活性力を促すもので、命の力そのものを扱うと言うより、魔力を使って個体に直接働きかけます。
そのため、広域に作用させることは難しいのですけどね。
使役魔法の場合は、使役対象が損壊すればすぐにとけてしまう上、思い通りに使役するためには一体ずつ、慎重に術式を施さねばなりません。
効率や労力を考えると、あまり使いどころがないと言うのが本当のところなのです」
ふ、ふぅん…なんだか途中からよくわからなかったけど…と、とにかく、難しいんだね…。
でも、じゃぁ、それを使えるサキュバスさんは神官の一族ってことなんだよね?
「もしかしてサキュバスさんって、魔界でもけっこう偉い人…だったりするんですか?」
私が聞いたらサキュバスさんは少し可笑しそうに笑って
「そうですね…私個人が偉いかどうかと言う問題を除けば、サキュバス一族は魔界でも古くから続く伝統ある一族ではありますね。
サキュバスと言う魔族の事をご存知ですか?」
と私に聞き返してくる。サキュバスって、夢に出てくる、なんて話は聞いたことあるけど…具体的にどんななのかはよくわからない。私はそう思って首を横に振る。
するとサキュバスさんはまたクスッと笑って言った。
「サキュバス族は人間界では淫魔とも夢魔とも言われ、人の精力を奪うと言われているようですが…あながち間違えではございません。
私達は確かに魔力を使って活性力を奪うことも出来ますし、反対に与えることも出来ます。人間界で言われるインキュバスも私達のことです。
命の力を扱う一族として、私達には性別などはありません。母なる者として宿すことも父なる者として宿らせることも出来てしまうわけです…
人間様にとってだけでなく、魔族にとってもこれは大変奇妙で不気味な事実であることでしょう」
またちょっと難しかったけど…要するに、サキュバス一族って言うのは、男の人でも女の人でもあるってことだよね?
私はサキュバスさんの話を理解してふと、サキュバスさんを見上げていた。
きれいで透けるような白い肌。赤とも茶色とも取れない髪の色。頭に生えているちょこんとした角。
絵物語に出てくる「悪魔」っていうもののようなサキュバスさんの出で立ちだけど、私はもうひとつ、別のことを考えていた。
「悪魔」と「天使」は、大昔は同じ存在だった、って話のことだ。確か、天使にも男と女がないんだって聞いたことがある。
もしかしたら、天使っていうのは最初の勇者様が大陸を二つに分けたときに、人間界にいたサキュバスさん達の一族のことだったんじゃないかな?
もしそうだったとしたら、おかしな話だよね。山のこっち側にいたから聖なる天使で、山の向こう側にいるから悪魔だの、淫魔だのって呼ばれちゃうなんて…
そもそもは同じだったかも知れないのに…
そんなことを考えていたら、サキュバスさんが不思議そうな表情で私の顔を覗き込んで来た。
「あ、い、いえ…なんでもないです!」
私が慌ててそう返すと、サキュバスさんは首をかしげて、でも笑ってくれた。
魔王城に戻った私たちは、花壇に埋めたトロールさんの石の様子を見た。サキュバスさんの話だと、あと一晩もすればいいんじゃないかってことだ。
それを聞いた私は、やっぱり心からホッと安心するような心持ちになった。
それから私は妖精さんとサキュバスさんと一緒に台所に行って、夕食の準備を始めた。
そろそろお姉さんが戻ってくるはずだし…正直、不安だった。
また血だらけで帰ってきたらどうしよう、って思いが頭から離れなかった。
鳥肉と野菜を煮込んだスープと魔王城の庭になっていた真っ赤で赤い果物を切り終えた。この果物、人間界では見たことがない。
サキュバスさんはリンゴって呼んでた。少しだけかじってみたら、人間界で言うところのアップルの実と同じ感じだ。
でも魔王城のこのリンゴはアップルよりも一回り以上大きくて、きれいな赤の実。人間界のアップルは大人の拳より小さいくらいで、緑と赤の中間の色をしてた。
あとはパンが焼け上がるのを待つだけ。
私は香ばしい匂いを嗅ぎながら、胸の中の不安を一生懸命ごまかそうとしていると、突然バタン、と音がした。
見ると、台所のドアを開けたお姉さんが立っていた。
「魔王様!おかえりです!」
「お帰りなさいませ、魔王様」
「お姉さん!」
妖精さんとサキュバスさんの挨拶の返事を待たないで私はそう叫んで弾かれたみたいに駆け出してお姉さんに飛びついた。
「おっと!あはは、ただいま。良い匂いだな!あたし、腹減っちゃったよ!」
お姉さんは私を抱き留めながら、そんなことを言って笑ってる。
その顔を覗き込んでみると、お姉さんは穏やかな笑顔を浮かべていた。
良かった…今日は、ひどいことにはならなかったんだね…よかった、お姉さん…
そんな私の気持ちを感じてくれたのかどうか、お姉さんは私を見つめ返してきて、ゴシゴシと頭を撫でまわしてくれる。
革の手袋はつけたまま、だったけど。
「もう食べれそうかな?」
「うん、パンが焼きあがれば」
「そっか、なら、あたしは着替えを済ませてくるよ。ダイニングに運ぶ準備しておいて」
「分かった!」
私はとにかく元気にそう返事をしてお姉さんの腕から飛び降りた。
「では、人間様、お願いいたします。私は魔王様の御召し替えに着いて参ります」
「えぇ?着替えくらい一人で出来るって!子どもじゃないんだぞ!」
「そう仰らないでくださいませ。主の遣えるのが従者たる者の役目にございます。ささ、行きましょう」
「あぁ、もう!わかったって!」
サキュバスさん連れられて、お姉さんが台所を出て行った。その後姿を見送ってから私の肩に、妖精さんが降りてくる。
「さ!準備しよう準備!」
妖精さんの明るくて、うれしそうな声が聞こえてくる。お姉さんが元気に帰ってきてくれて、私と同じように妖精さんもうれしかったんだなってそう感じて
私もなんだかますますうれしくなった。
「うん!お姉さんにいっぱい食べてもらわないと!」
私は掛け声みたいに大きな声で、妖精さんにそう返事をした。
つづく。
とりあえずここまで。
今夜は集中して書けそうなので、深夜帯にもう一度投下できる…かも。
次に何が起こってしまうのだろうと心配になるくらい、楽しい
更新きてた!
うれしい♪
夕食を取りながら、私たちはお姉さんから今日の話を聞いた。
お姉さんは、南の城砦都市に向かった。
そこでは、昨日の北の城砦都市での出来事が既に伝わっていて、厳重な警戒態勢に入っていたらしい。
そのため、お姉さんは今日は一日情報収集にあたっていて、南の城砦都市の司令官と会うことができなかったようだった。
私はそれを聞いて、ホッと胸をなでおろした。
うまくいかなかったとはいえ、またお姉さんが傷つくようなことがなくて良かった。
でも、だからといってお姉さんのやらなければいけないことが変わるわけでもない。
お姉さんは明日も南の城砦都市へ行って、撤退の勧告をするつもりでいる。
それを止めることはできない。魔界にいる人間の軍隊が、魔族たちの生活を苦しめているのは本当だろう。
それを黙って見ていることなんて、お姉さんにできるはずがない。
お姉さんは…約束をしたから…
夕食を終えて、私はサキュバスさんに言われて早めにお風呂に入った。
私が上がる頃にお姉さんが代わりに入ってきて、すこし残念だったけど、お姉さんは私に
「今日は一緒に寝ような」
って言ってくれた。
一緒に寝てくれるってことも嬉しかったけど、そう言えるお姉さんが、昨日のことを乗り越えようって思っているんだ、っていうのがわかったことが嬉しかった。
寝室に戻って、寝る前の身支度を整えていると、コンコン、とドアをノックする音が聞こえて、サキュバスさんが部屋に入ってきた。
「あ、サキュバスさん」
「人間様、今少し、お時間をいただいてよろしいでしょうか?」
サキュバスさんは、たおやかに私なんかに向かって一礼をしてそんなことを聞いてくる。
「え、あっ…い、いいですけど…どうしたんですか?」
戸惑う私に、サキュバスさんはニコっと微笑んで言った。
「魔王様のことで、ご相談が」
「お姉さんのこと?」
「はい…できたら、明日の出立前に、魔王様にお願いしていただきたい次第がございます」
サキュバスさんは、私の目の前まで歩み寄ってきてそう話を始める。
「お姉さんに、お願い、ですか?どんなことを?」
「一緒に、南の城砦都市へ連れて行って欲しい、と」
「わ、私が一緒に、ですか!?」
「はい」
「私も一緒に行くよ!」
急にそんな声が聞こえて、どこからか妖精さんが姿を現した。
「ど、どういうことですか?」
ワケがわからずそう聞いたら、サキュバスさんは、少しだけ表情を険しくした。
「魔王様は、明日、ことがうまく運ばねば、強硬手段に踏み切るおそれがあります…それは、魔王様の御身をさらに追い詰めるようなことになると思えてならないのです」
「強硬手段?」
「はい…御召替えの最中に仰っておられました。魔族を数え切れないほど殺して来た自分が、今更人間を斬ることをためらうのもおかしな話だな、と」
それを聞いて、私はお風呂場で聞いたお姉さんの言葉を思い出した。
今日は一緒に寝てくれるって、お姉さんはそう言った。
私はお姉さんが昨日のことを乗り越えようとしているんだな、なんて思ったけど…もしかしたら、違うのかもしれない。
お姉さんは、何かを諦めようとしているんじゃないのかな…?
人間であることを諦めようとしてるの…?それとも、命を救うことを諦めるの?違う、違う気がする…でも、サキュバスさんの話を聞いてしまったら、
さっきお風呂場で言われた言葉は、乗り越えようだなんて前向きな言葉じゃなくって、まるでヤケになっている言葉に思えてしまう。
ううん、実際に、そうなのかもしれない。
「魔王様の魔族へのお気遣いは大変嬉しく思います…ですが、力を振りかざせば先代様の二の舞となりましょう。
そうでなくても…昨日のようなことを魔王様が繰り返せば…魔王様ご自身が、何か大切なものを失われてしまいそうで…」
サキュバスさんはそこまで言うとうつむいた。
サキュバスさんも、私と同じことを感じているんだってことが伝わってきた。
お姉さんは、魔族のことを考えて、魔族を助けるために、何か自分の大事な物を諦めようとしているんだ…
そんなのは…違うんじゃないかな…
たとえ世界が平和になっても、お姉さんが笑顔になれないのなら…私は、そんな平和を望みたくなんてない。
でも、でも…
「で、でも、私が一緒に行っても、足でまといにしかなりませんよ…!?一緒に行くなら、サキュバスさんの方が…!」
私はこれまでのことを思い出してそう言っていた。
トロールさんは私を守るために大怪我をして石になってしまった。
オークに捕らわれて騎士長さんは身を挺して私を守ろうとしてくれたし、助けに来てくれたお姉さんに迷惑をかけてしまったし
私は、自分の力で戦うことも逃げることもできない…
「いいえ、私はこの城を守る必要がございますし、魔族の私がお供したとしても問題がこじれるばかりかと思います。
それに、人間様に魔王様を手助けしていただこうと考えているわけでもありません。
ですが、魔王様は人間様とご一緒なら、無茶なことをされないと私は信じています」
サキュバスさんは、私の目をジッと見て言った。
「あなた様は、魔王様の大切な道しるべ…。魔王様はあなた様と共にあれば、大切なものをなくさずに済むと、そう信じています」
お姉さんの、大切なもの…
私と一緒にいれば失くさない、大切なもの…?
私はふと、それが何か、と思考を巡らせていた。
でも、その答えが見つかるよりも先に、サキュバスさんが私に聞いてきた。
「いかがでしょう…?私の代わりに、魔王様と共に向かってはいただけませんか?」
「人間ちゃん、大丈夫!私も一緒に行って、人間ちゃんを守るからね!もしものときは姿を消せる魔法で隠れればいいし、
私が一緒に行けば、サキュバス様と交信して助けに来てもらえるから!」
サキュバスさんの言葉に、妖精さんがそう言って続ける。
お姉さんの大切なもの、ってなんだろう、まだわからないけど…
でも、私が着いていくことでそれを守れるのなら、私はお姉さんと一緒に行く。
だってそれは、いつもお姉さんに守られてばかりの私が、やっとお姉さんのためにしてあげられる小さな“何か”かもしれないんだ。
私は、サキュバスさんの目を見つめ返して頷いた。
とたんに、サキュバスさんの顔がほころんだ。
「ありがとうございます。どうか、魔王様をよろしくお願いしますね」
つづく。
これで一回分のアップ量になったかな…
時間かかってすんません。
おつ
好きなペースでどうぞ
黙って待ってます
更新ありがとう!
草の生えていない土道の両側に、木で作られた質素な家々が並んでいる。道を行き交う魔族の姿はまばらで、みんな急ぎ足。
まるで何かに怯えているような、そんな感じがする。城塞都市、って話だったけど、とてもそんなに栄えているようには見えない。
確かに、この村とも町とも言えない集落の真ん中には石造りの大きな建物があって、お城と言えなくもないけれど、
人間界にある城塞都市は、街そのものが大きな石壁に囲まれているお城や砦と街が一体になったような作りになっていたはずだ。
「陰気なところだろう?」
お姉さんが私の顔色をうかがうようにして言ってくる。私は、魔界の悪口を言っちゃいけないような気がして、じゃぁ、なんて答えよう、と口をつぐんでしまった。
それを見たお姉さんは苦笑いを浮かべて
「でも、これでも多少はマシなんだ。一昨日妖精ちゃんが念波網を使って魔界全土に魔王復活の知らせてくれてる。
人間の支配から脱する希望がない訳じゃないって、それくらいには思ってくれているはずだ」
「…だけど、それにしてもみんな元気ないです」
お姉さんの言葉に、妖精さんが暗い顔をしてそう言う。私も妖精さんと同じことを思った。
希望があるかもしれないって思ってはいるのかもしれないけど、そう簡単に今の暮らしが変わるはずもないって感じてしまっているようにも見える。
それを想像すると、なんだか胸がクッと詰まるような思いがした。
朝食のあと、私はサキュバスさんとの約束通り、ここ、魔王城から南にある城塞都市に転移魔法で飛ぼうとしていたお姉さんに
旅の準備を万端に整えてしがみつき、連れて行ってとお願いした。
もちろん、お姉さんはいい顔をしなかった。でも、それでも私はお姉さんが心配だから着いて行くって言い張った。
サキュバスさんはもちろん一緒にお姉さんを説得してくれたし、妖精さんも何かあったらすぐにあの消える魔法で私と一緒に姿を消して隠れられる、
ってお姉さんに言ってくれた。
お姉さんがいれば、たとえ千人の兵隊さんを相手にしたって私を必ず守ってくれるって信じてるけど、
でもまぁ、それでも私の心配をしてくれちゃうのが、お姉さんって人なんだ。
結局お姉さんは私達三人の説得に折れてくれて、こうして一緒に転移魔法でここにやって来た。お姉さんは私に
「あたしの言うことは絶対に守れよ、いいな」
って何度も念を押してきた。私はそれには素直に頷いた。その通りにしておかないと、お姉さんを心配させちゃうし、何より今回はとびきり危険だから、ね。
危険…私はその言葉が頭をよぎって、なんとなくフードを深くかぶり直した。
お姉さんはあの悪魔の姿に変身していて、私は今は妖精さんの光の幻術魔法で頭に獣人族のように猫のような三角の耳がついている風に見えている。
でも、それ以外は人間の姿のままだし、光の幻術魔法を見破れるような人に出くわしたら、たちまちバレてしまうかも知れないから、ね。
とにかく、気を付けておくに越したことはないんだ。
「お姉さん、どうやって砦に入るつもりなの?」
私は今日の作戦をお姉さんに聞いてみる。するとお姉さんは首を傾げて少し考えるような仕草を見せてから言った。
「今考えてるのは、二つ。一つは砦の衛門を守ってる兵士をぶっ飛ばして乗り込む方法。
もう一つは、妖精ちゃんの光魔法であたしたちの姿を消してもらって忍び込む方法…」
兵士さんを倒す…って、殺しちゃうんだとは思わないけど…でも、警戒してるって言ってたし、
たくさんいたりしたら、さすがにバレたり騒ぎになったりするかもしれない…それなら、妖精さんの魔法で…
そう思って、私は妖精さんを見やる。すると妖精さんは、なんだかちょっと困ったような顔をした。
「難しいか?」
「頑張れば出来ないこともないと思うです…でも、あの魔法は光を魔力で曲げる魔法なので、けっこう疲れるですよ。
人間ちゃんと私だけなら長持ちしますけど、魔王様は体が大きいのでその分魔力がたくさん必要で、もしかしたら、途中で力を使い切っちゃうかも知れないです」
確かにあの魔法、とっておきって妖精さん言ってたもんね。きっとあの三つ葉をくるっと回すのなんかよりももっと難しい魔法なんだろう。
それを聞いたお姉さんは、腕組みをしてうーん、と唸った。
「門を潜り抜けて、どこかに隠れるまでは姿を消しておきたいよな…でも、長持ちしないんだったらそれもあんまり確実じゃない、か…
逃げ場のない砦の中なんかで囲まれたら、逃げるか斬り拓くしか方法がなくなっちゃうもんな。それだと、司令官に話が出来なくなっちまう。
出来るなら、司令官の目の前にパッと現れるようなことが出来たら理想なんだけど…」
確かに難しいね…妖精さんを疲れさせちゃったらもしものときに姿を消せなくて困っちゃうだろうし…何かいい方法がないかな…
「魔王様、また私があれを描くのはダメですか?」
そんなとき、不意に妖精さんが言った。それを聞いたお姉さんの表情が、みるみる明るくなってくる。
「あぁ、なるほど、そうか!それがいい!あそこ、あのバルコニーのところに派手な旗が翻ってるだろ?あそこが司令官の部屋だ。
あのバルコニーに描いてくれればひとっとびだ!」
描く…あ、そうか!転移魔法用の魔方陣だ!
「術式は覚えてるか?」
「大丈夫です、私覚えるの得意です!」
「よし…じゃぁ、バルコニーがよく見える位置まで行こう!」
「はい!」
お姉さんと妖精さんの話し合いはまとまったようだ。私はそのまま、バルコニーを真上に見上げられる場所を探して寂れた家々たちの間を歩く。
そう言えば、転移魔法っていうのもサキュバスさんが言っていた土とか光とかとは種類が違うような気がする。
使うためには魔方陣が必要だし、4つの種類のどれにも当てはまらない。
「ねぇ、お姉さん。転移魔法っていうのは、どういう魔方なの?光とか風とかとは違うよね?」
私は頭には降ってわいたそんな疑問をお姉さんに聞いてみる。するとお姉さんはあー、なんて声をあげながら
「光とか風とかは、魔族式の魔法のことなんだよ。前にも言ったけど、人間は自然の力をうまく扱えるわけじゃない。
魔方陣を使うか呪印を使って自分の力を増幅させるのが一般的なんだ。転移魔法ってのはその中でも一番複雑で強力な部類で、
あたしも難しいことはわからないけど教えられたときの話じゃ、空間を繋げる魔法、ってことらしい」
と説明してくれる。クウカン、っていうのが良く分からないけど…とにかく難しい魔法だっていうのはなんとなく分かった。
私が変な顔でもしていたのか、お姉さんはそんな私を見て苦笑いを浮かべていた。
やがて私達はバルコニーを真上に見上げる集落の一角にたどり着いた。真っ赤な下地に、金色のビラビラと派手な模様の刺繍がされた旗が風に揺られている。
「じゃぁ、妖精ちゃん、頼む」
「はいです!」
お姉さんの言葉に、妖精さんは言うが早いかパッと姿を消した。見えないけど、あのバルコニーまで一気に飛んで行ったんだろう。
私は見えないって分かりながらも妖精さんの姿を探すように、バルコニーを見上げる。そんなとき、ポンっと頭の上にお姉さんの手が乗った。
「お姉さん?」
「ありがとな、着いてきてくれて」
思わず見上げたお姉さんは、少しだけなんだか嬉しそうな顔をして私を見ていた。
「うん、当然!私だってお姉さんを守ってあげたいし、それに私もサキュバスさんと約束したからね!」
「はは、そんなことだろうとは思ったよ」
お姉さんはそんな風に笑いながら私の頭をごしごし撫でた。そんなとき、ふと何か暖かいものが肌に触れる感じがする。これ…何かの魔法?
「お、お姉さん…これ、魔法?」
「あぁ、うん。サキュバスに教えてもらった風の結界魔法。物理干渉力が大きくて人間相手にするならこいつが一番らしい」
「ブツリカンショウ…リョク?」
「あ、んー、と、剣とか弓とかを防げる、ってことだ」
なるほど、さすがお姉さん。私に危険が少なくなるようにしてくれたってことだよね。それにサキュバスさんに聞いただけで魔族の魔法を使えちゃうなんてすごい。
私が感心していたら、パッと目の前に妖精さんが姿を現した。
「魔王様、済みましたですよ!部屋に人はいなかったです!」
妖精さんがパタパタ羽を羽ばたかせながらそう胸を張って言う。
「よし…!じゃぁ、行くぞ。つかまれ」
お姉さんはそう言って私に手を伸ばしてくれる。私はその手をギュッと握った。妖精さんもお姉さんの肩にへばりつく。
ふと、私はお姉さんの手袋をしていない手が、微かに濡れていることに気がついた。
手に、汗をかいているみたい…手に汗を書くのは緊張しているときや驚いたとき…お姉さん、緊張しているんだね…大丈夫だよ、お姉さん。
私が着いてるし、もしものときは、私が許してあげるから兵隊さんが死なない程度にドッカーンってやっちゃって良いからね。だから安心して、ね。
私は伝わるわけはないのに、そう思いながらお姉さんの手を力を込めて握り直した。
「ありがと」
不意にそう言う声が聞こえて見上げたら、お姉さんが嬉しそうに笑っていた。
次の瞬間、目の前がパッと明るくなって、急に強めの風が吹いて来た。私達はバルコニーの上にいた。
目の前には大きな吐き出し窓があって、中には立派なじゅうたんに大きな木の机が置いてある。人の姿はない。
お姉さんは妖精さんがバルコニーに描いた魔方陣に小さく手を振る。魔方陣がぼんやり光って、霧のように空中に消えた。
「さて…行くぞ」
お姉さんは一度だけ小さく深呼吸をして言った。私も急に胸が詰まるように感じて大きく息を吸い込み吐き出す。
それを待ってくれたお姉さんが窓に手をかけた。ギシっと音がして、吐き出し窓が手前開かれる。お姉さんが先頭になって、私達は司令官の部屋へと足を踏み入れた。
いつの間にか私の肩にしがみついていた妖精さんが、私のマントをギュッと握っている。
部屋の中は思っていたよりも質素だった。窓から見えたじゅうたんと机以外には、なんの調度品も置かれていない。
壁にかかっている額に、たぶん、魔界のものだと思う地図が入っているだけ。
立派な刀剣が飾ってあったりとか、そういう感じだと思っていたけれどどうもそうではなかったみたいだ。
「誰もいない、か。妖精ちゃんの話の通りだな」
お姉さんが私を、じゃなくって、私の肩の妖精さんを振り替えってそう言う。妖精さんは緊張した様子で、黙ったコクっと頷くだけだった。
「昨日調べた感じだと、もうじき軍義を終えてここに戻って来るはずだ…」
お姉さんはそう言いながら、腰のベルトに通していた革の手袋をはめた。同時に、お姉さんの体からあの霧のようなものが立ち上って、
背中に生えていた羽が消え、半分だけ黒かった皮膚が元の色へと戻っていく。
「お姉さん、その姿のまま司令官と話すの?」
私は、少し驚いてそう聞いた。だって、その勇者の姿で人間と話して撤退の説得をするとなれば裏切り者だって当然思われる。
それは、お姉さんにとっては辛いことのはずなのに…私のそんな心配をよそに、お姉さんは言った。
「魔族の姿で話せば、いたずらに魔族への敵愾心を煽っちゃうからな…それは、望むところじゃない。
気は進まないけど…敵意は、あたし個人に向けてくれた方が都合が良いんだ…」
お姉さんはそれからチラッと私を見て、微かに笑った。それはあの、悲しい笑顔なんかじゃなかった。
「一緒に居てくれるんだろ?」
「…う、うん!何があっても、私はお姉さんの味方だよ!」
私はお姉さんにちゃんと伝わるように、って、お姉さんの目をまっすぐに見つめて言った。
「あたしが何人、人を斬っても、人間の敵になったとしても?」
お姉さんはまるで何かを確かめるようにさらにそう聞いてくる。私は頷いて答えた。
「うん…たとえ人間が…ううん、魔族も。世界中の人達がお姉さんの敵になったとしても、私達はお姉さんを一人になんてしないよ。絶対に」
私の言葉を聞いたお姉さんは、なんだかハッとしたような顔をして私を見つめた。あ、あれ、私、何か変なこと言ったかな?
本当にそう思っているから言ったまでだけど…なにか間違えた…?
「ま、魔王様!私も人間ちゃんと同じに思っているですよ!」
妖精さんも小さな体でそう声をあげる。それを聞いたお姉さんは、急に表情を緩めて私をギュッと抱き締めて来た。
「本当に…ありがとうな。あたし、あんた達が大好きだよ…」
震える声で、お姉さんは言った。ぎゅうぎゅうに抱き締められて顔は見えないしちょっと苦しかったけど、でも、なんだか安心した気持ちが沸き上がってきた。
お姉さんには、ちゃんと伝わったなって、そう感じられたからかな?
そんなとき、どこからかカツカツという音が聞こえ始めた。これ…足音…?だ、誰か、来る!
「お姉さん!」
私は小声でお姉さんによびかけた。お姉さんもすぐに足音に気づいたみたいで、私を放してドアの方に目を向けた。
「妖精ちゃん。一瞬だけ、姿を消せるか?」
「少しの間だけなら、たぶん平気です!」
「よし、やってくれ」
「はい!」
お姉さんの合図に妖精さんが返事をした次の瞬間、目の前がチラチラっとするような感じがしてすぐそばで私の肩に手を置いていたお姉さんの姿が消えた。
肩に手が置いてある感覚はあるから同じ体制ですぐそこに
いるんだろうけど…まるで一人になってしまったみたいで急に少し不安になる。肩の妖精さんも見えないんだよね…
ふとそう思って妖精さんの方を見たら、妖精さんだけではなく私の肩すら見えなかった。それに気がついて私は自分の全身に目を落とす。
腕も体もそこにはない。まるで目玉だけが宙に浮いているような、そんな変な感じだ。
「魔王様、人間ちゃんから手を放すと術が解けちゃうので気を付けて!」
「あぁ、分かった。あたしが言うまで頑張ってくれ」
何もないところから声も聞こえる。本当に変な感じ…不思議…
コツコツと言う足音は次第に近付いて来て、やがて部屋のドアのすぐ前まで来て止まった。ガチャリと音がしてノブが動き、ギィッとドアが開く。
姿を現したのは、貴族様みたいな軍服に身を包んだ怖い顔をしたおじさんとおじさんよりも少し若い男の人。
おじさんの方は胸にたくさんの勲章のようなものがついている。あの人が、司令官…?
おじさんは後ろ手にバタンとドアを閉めて、そのままコツコツと部屋の中を横断して
大きな机に備え付けてあったふかふかそうなイスにドカッと腰をおろして大きくため息をつく。
若い男の人は手に持っていた紙の束をおじさんの座った机の上に置く。間違いない、あのおじさんの方の人が司令官だ…。
そう思ったとき、お姉さんが体を動かす気配がした。すると、おじさん達が入って来たドアがピシピシっと音を立てて氷に覆われた。
「な、なんだ!?」
「…!敵襲…!?」
二人は私以上に驚いて辺りを見回している。そんな中、お姉さんの声が聞こえた。
「妖精ちゃん、ありがとう。もういいよ」
「はいです」
妖精さんの声とともに、また目の前がチラチラっとして、お姉さんがパッと姿を現した。肩には妖精さんもいるし、私の体もちゃんと見える。
この魔法、やっぱりすごいな…そんなことに感心していたら、私の背中を貫くような怒鳴り声が部屋に響いた。
「き、貴様、何者か?!どこからか現れた?!」
見ると、若い方の人が私達を怖い顔で睨み付け、腰に差してある剣に手をかけて半身に構えている。
まるで、全身を何か大きな板きれでバシンと叩かれたみたいに感じるほどの気迫に、私は思わずお姉さんの服の裾をギュッと握っていた。
「厳重警戒で入れてもらえなかったんで、忍び込ませてもらった。司令官殿、まずは非礼を詫びよう」
お姉さんは服を握った私の手をさらにギュッと握ってくれながら、落ち着いた様子でそう言った。
それを聞いた司令官さんがギシっと音を立ててイスから立ち上がり、しげしげと私達を見つめる。私達を観察した司令官さんは重々しく口を開いた。
「…君は、どこかで見た顔だな」
「おそらく、第一次魔族侵攻に係る王都西部要塞都市の防衛作戦で」
司令官さんの言葉に、お姉さんがそう言う。すると司令官さんが少し驚いたような表情を見せた。
「…救世の、勇者…」
「ゆ、勇者様…!?」
若い男の人も驚いたような声をあげて警戒した様子を緩め、剣から手を放した。恐ろしい気迫もすっと消え失せて、
迫って来るような圧迫感から解き放たれた私は思わずため息をついていた。
「今日は、少し相談があってここへ伺った」
お姉さんはそんな二人にさらに落ち着いた様子で語りかける。司令官さんは、また少し黙ってから口を開いた。
「…ふむ、聞こう。少し待ってくれ。今、飲み物でも入れさせる」
その言葉に、お姉さんはコクりと険しい表情で頷いて返した。
つづく。
今夜晩くにもう一度投下出来る…かも。
どきどきするね
乙
乙
ドア凍ってるけど、司令官室に給湯室的な設備があるんだろうか
「で、終戦とともに行方をくらました勇者殿のご用向きは?」
司令官のおじさんはお茶をすすりながらお姉さんにそう聞いた。
私もお姉さんも妖精さんも部屋の隅にあったワゴンの上のポットで若い男の人にお茶を振る舞われたけど、あまり飲む気にはなれなかった。
毒が入ってるだなんて思わない。
でも、なんだか気を付けなければいけないような気がして、自然にそうしていた。
妖精さんは人間用の大きなカップで出されちゃったから、飲みたくても飲めない、って感じだ。
「一昨日の、北の城塞都市の件は聞いていますか?」
お姉さんの言葉に、司令官さんはコクっと頷いた。
「人間に姿を変えた強大な力を持つ魔族一匹に、部隊が半壊。撤退を余儀なくされた…と言う話だ。魔族の連中の間には魔王復活の流言が飛び交っているとも聞く。
件の被害状況を考えると、たった一人で五千人、一個師団相手に立ち回りを見せられるような存在は、魔王か、勇者殿くらいしかいないだろう」
司令官さんはふうとため息ををつき、お姉さんに聞いた。
「勇者殿は、敵の正体をご存じで?」
司令官さんの言葉に、お姉さんは小さく頷く。それを見た司令官さんはふと、顎を引いてお姉さんを見据えた。ビリビリするような圧迫感がする。
司令官さんは明らかにお姉さんに対して警戒感を持っているようだった。
「そうか…!勇者様は我らを守るためにここへ…!」
若い男の人が表情を明るくして言ったけど、その言葉はなんだか部屋に場違いに響いて静けさが際立つ。
少ししてお姉さんが単調な声色で言った。
「端的に言う。駐留部隊を撤収させてほしい」
「えっ…」
お姉さんの言葉に、若い男の人が絶句する。司令官さんは…かえって落ち着いたようで、さっきまでの警戒感を少し緩めたようなそんな感じがした。
「人間に化けた魔族は、黒炭のように黒い肌とコウモリのような翼、牛の角を生やしていると聞いた」
司令官さんはお姉さんに、何かを確かめるようにそう聞く。私はお姉さんがどう答えるのか、と思って、お姉さんをチラッと見やった。
お姉さんは体からあの霧を立ち上らせていた。みるみる内にお姉さんの左半身が黒く染まり、翼と角が現れる。
「ままままま魔族!」
ガタンっとイスを倒して、若い男の人が立ち上がって剣を引き抜いた。私は混み上がる恐怖と緊張感に耐えようと、ギュッと拳をにぎりしめる。
だけどそんなとき、司令官さんが乾いた声で言った。
「大尉、剣を納めろ。北部駐留部隊の二の舞をここで演じるつもりか?」
「しっ、しかし、司令!」
「納めろ、と言っている。この者は戦いをしに来たのではない。今日はあくまでも交渉だ。そうでなければ、端からこの城塞もろとも我らは瓦礫と化していただろう」
司令官さんの言葉に、大尉と呼ばれた若い男の人は、戸惑いながら剣を鞘に戻し、イスに腰かけようとしてドタン、と床に転んだ。
どうやら、イスが倒れたことに気がついていなかったらしい。また静かさが引き立って、私の心臓の音が部屋に響いてしまうんじゃないかってそう感じるくらいだった。
「…部下がすまぬな」
司令官さんは、肩をすくめてそう謝る。お姉さんはまた黙ってコクっと頷いてそれに答えた。
「それで…貴公は何者だ?」
司令官さんは話を元に戻す。お姉さんは落ち着いた様子で、両腕の袖を捲ってテーブルの上にかざした。
青い勇者の紋章と赤い魔王の紋章が両方の腕に浮き上がる。それを見た司令官さんはさすがに驚いたようで小さくうめき声を上げた。
「あたしは…かつて勇者だった者。でも、魔王が絶命する刹那、あたしに魔王の力を受け渡して、あたしに魔族の安寧を託した。
あたしはもう、人間でも魔族でもない。勇者でも魔王でもない」
「…あるいは、世界を統べる王となるか、はたまた神の名でも語るおつもりか?」
お姉さんの言葉に、司令官さんがそう尋ねる。お姉さんは司令官さんを見据えたまま首を横に振った。
「この力を見せつけようとは思わない。力を支配に使うつもりもない。だけど、あたしは世界を変えたいと思ってる。
人間にも魔族にも、平和で穏やかな世界となるように。そのためには、魔族の生活を圧迫するこの駐留部隊は問題だ。だから、撤収を要請する」
司令官さんはそれを聞いてふむ、と唸った。また、沈黙…司令官さんは口元に手を当て、何かを考えるような仕草を見せてから、ややあって口を開いた。
「…もし、人間と魔族、両者の平和を願っているとして、一つ、納得がいかないことがある。なぜ北部駐留部隊を攻撃した?撤退に応じなかった見せしめのつもりか?」
司令官さんは突き刺さるような視線でお姉さんにそう聞いた。私はとっさにお姉さんを見やった。だってそれは…お姉さんにとって、辛い出来事なんだ。
出来れば…触れてほしくなんてない。考えてもほしくなんてない。辛いって思いながら思い出して欲しくなんてないんだ。
お姉さんはゴクリと喉を鳴らして、大きく深呼吸をした。ほんの微かに、お姉さんの肩が震えているのが、そばにいた私には分かった。
「北部駐留部隊の司令官は確かに、交渉には応じなかった…。そう簡単に撤退の選択が取りうることはないって、あたしにも分かってた。
だから、そこは全然問題はなかったんだ。ゆっくりと時間を掛けて話し合えばいいって、そう思ってた。でも、あの司令官はあんたとは違った。
召し使いか、奴隷のようにこきつかっていた魔族の…この子ほどの小さな獣人の男の子の首をあたしの前で刎ねて言った。
『魔族を許せるわけがない』、って。正直に言う。あたしはそれで我を忘れた。気が付けば、目の前の血の海に、無数の人間が横たわっていた…」
お姉さんはそこまで話して、ギュッと拳を握った。ワナワナと全身が震え始めている。
私は思わず、お姉さんの腕にすがり付くようにへばりついて、その手をギュッと握ってあげた。お姉さんは私の手を握り返して来る。
「…そうか。ならば、その撤退要請に応じなくとも、貴公は我らに手出しはしないと、そう言うことかな?」
司令官さんは相変わらず、お姉さんの表情を読みながらそう聞く。司令官さんの言葉に、お姉さんは嫌悪と絶望の入り交じった表情のまま、口元を引き吊らせて言った。
「…そっち次第、だ。あたしの手はもう、血で汚れてる。もう千人をこの場で斬り捨てる覚悟はとうに決めた。穏便にことを進めてくれることを期待する」
ガタン、と音を立てて大尉が立ち上がった。
「裏切り者め…!我らを恫喝するつもりか!勇者は、我らの希望ではなかったのか!?あまつさえ人々の希望を背負い、共に戦い苦しんだ我らに刃を向けるとは!」
大尉がお姉さんを怒鳴り付けた。お姉さんはカッと目を見開いて大尉を睨み付ける。そして、聞いたこともない大きな声で叫んでいた。
「あんたなんかに何が分かる!一緒に戦った?!希望を背負った?!違う…あたしは、そうするしかなかっただけだ!
勇者だと希望を背負わされ、民や兵を守るためなんて理由で前線を飛び回り殺戮を強制された!
あんた達は…あたしがそう言う風にしか生きられないのをいいことに、すべてをあたしに押し付けて来ただけじゃないのか!」
「お、お、お姉さん…!」
私は握っていたお姉さんの手を引っ張った。落ち着いてよお姉さん…!ここで暴れたらまた…また…!
そんなとき、ガタンと音がして司令官さんが立ち上がった。司令官さんはため息を混じりに拳を握ると、素早く振りかぶって大尉の顔をしたたかに殴り付けた。
不意討ちを食らった大尉は床に転げて動かなくなってしまう。き、気絶しちゃったの…?
「…黙っていろと言うのがわからんか、バカめ」
司令官さんは大尉を殴った拳を解き、フルフルと振りながら
「重ね重ね、部下がすまない。今後はきちんと教育しておくから、今日のところは大目に見ていただきたい」
私もお姉さんも呆気に取られて、二人してコクコクと頷いていた。
司令官さんはガタンとイスに座り直すと、ふう、とため息をついて言った。
「北部駐留部隊の件もある。同じ状況になった以上、被害が出る前に撤退するのが得策だろう。部下を無駄死にさせるわけにもいかないのでな」
「…そ、それじゃぁ!」
司令官さんの言葉に私は思わずそう声をあげてしまっていた。
「撤収準備をさせて二日後にはここを出よう。それでよろしいかな?」
「あ、あぁ、分かった」
お姉さんの返事を聞いた司令官さんは、ふん、と一息鼻から息を吐いてイスに体をもたせかけた。
私も、話がまとまったことに安心して胸を撫で下ろし、お姉さんが落ち着いているのを確認してから肩の妖精さんを見やる。
妖精さんも私を見ていて、目が合ってどちらからともなく笑ってしまった。
「あぁ、勇者殿…そう呼んで構わないか?」
「うん、それでいい…。何か?」
不意に司令官さんが口を開いた。お姉さんは首をかしげて司令官さんにそう聞き返す。すると司令官さんは口元に手を当てて話し始めた。
「王都西部要塞の街のことを覚えているかな?」
「ああ。ひどい状況だった…」
「北部駐留部隊の司令官の男は、あの街の出身でな…。妻と子供が、あの街にいた」
それを聞いたお姉さんは一瞬にして体を固くした。だけど、司令官さんはさらに話を続ける。
「知っての通り、要塞に続く中央通りは魔族軍の攻撃によって壊滅。門前で迎え撃とうとした前衛部隊の落ち度もあるが…
とにかく城下は火に包まれ、生存者は要塞に収容された。すべての戸を閉め籠城したが、時すでに遅く包囲されて脱出もままならない包囲戦となった。
状況を打開しようとした騎兵部隊が裏口から包囲網の破壊を図るべく出撃したものの、壊滅。魔族の攻撃により要塞も穴だらけで、火の手が上がった。
もはや、全滅も時間の問題、そう誰しもが思ったときにまるで風のごとく現れたのが、勇者殿と共の方々と、王下騎士団の面々だった。
あなたがたは包囲網を打ち破り、退路を確保してくれた。我々はそれを使って無事に要塞から脱出し、王都へと逃げることができた…。
だが、あの男の家族はそもそも、生存者を受け入れた要塞には逃げてくることができなかったんだ。
外郭壁が破られ城下に突入してきた魔族軍と街の防衛部隊との戦闘に巻き込まれ、すでに亡くなっていた」
「…」
お姉さんは、いつの間にかうつむいてギュッと手を握り締め、唇を噛み締めていた。
私にも、その意味は分かった。
これは、この話は…きっと、とても辛くて、とても悲しくて、残酷な話なんだ…
「勇者殿よ。俺は軍人だ。命令があれば敵を殺す。戦場に出れば殺されることは覚悟している。それが俺たちに課せられた役割だからだ。
それ以上でもそれ以下でもない。故に、俺は戦場に私情を持ち込もうとは思わない。
だが、あの男のようなやつらはいくらでもいる。魔族達の進行は、俺たち人間に少なからざる損害を与えた。田畑も、街も、人の命も、無数に失われた。
魔族にとってもそれが同じであることは理解している。
大切に想う者の命を奪われて冷静でいられる者は少ない。
勇者殿、獣人の子が首を刎ねられたあなたが激昂し北部駐留部隊を屠ったのと同じように、怒りに満ちた者達がこの世界には大勢いる。
世界を変えたいと願うあなたがどんな理想を描いているかはわからないが、必ずあなたはその怒りと向き合わなければならなくなる。
その怒りそのものと戦わなければならない日が来る。
あなたに、それができるのか?」
想像はしていたけど、それは、あまりにも重い質問だった。
私にそう感じられるくらいだ。お姉さんには、もっともっと重くのしかかっているに違いない。
人間と魔族はこれまでに何度となく戦争をしてきた。
その度にたくさんの人が死んで、きっとたくさんの恨みや憎しみの気持ちが積み重なってきているっていうのは分かる。
私だって、それを身近に感じてきた。
絵物語に出てくる魔族の話はたいてい、悪い魔族が人間に悪さをしてそれを勇者様や騎士様がやっつける。
夜ふかしをしていると、魔族が拐いに来るぞ、なんて脅かされることもあった。
それだけじゃない。
あの日、私を狙ってやってきた偽の勇者達がトロールさんに浴びせた言葉の数々もそう。
砂漠の街に磔にされていた獣人さんに投げつけられた言葉もそう。
あれが、人間と魔族との間にある感情なんだ。
そしてそれはきっと、私たちの生活の中にひっそりと、でも確かに根を下ろしている。
“魔族は悪”、“人間の生活を脅かす者”として人々の間に語り継がれている。
大昔からの戦いの記憶や記録じゃなくて、人々の中に、感情として残っているんだ。
それは、とても強力で残酷なもの。
幾多の戦争を起こしたきっかけでもあって、お姉さんが、あの優しいお姉さんが飲み込まれ、我を忘れて目の前の人間を斬り捨ててしまうほどに、だ。
司令官さんは、お姉さんが何をしようとしているかを知っているワケじゃない、ってそう言った。
でも、司令官さんの言葉は、間違っていない。
私たちはきっと、遅かれ早かれ、人間と魔族、どっちの心の中にも存在するその“憎しみ”って感情と戦わなきゃいけなくなる。
私はそこのことに気づかされて言葉を失くしていた。お姉さんを励ますことも、心配することさえ忘れていた。
分からない、分からないけど、それは形のない、得体のしれない不安だった。すぐそこにいるような、ずっと遠くにいるようなそんな感覚のする不安。
言葉で言い表すことも、どんなものかって感じることさえできないもの。でも、確かにそこにある。
私はその存在にいつの間にか体を震わせていた。
そう、それと戦う、ってことは、つまり、人間や魔族の生活そのものと戦うってことなんだ。
そんなこと想像もできない。だって…あまりに身近なことすぎるから。
悪い魔族もいればいい魔族もいる。悪い人間もいればいい人間もいる。
口でいうのは簡単だ。でも、じゃぁ、それを皆に知ってもらって、これまでの戦いの中で積み上げられてきた憎しみを消すことなんてできるんだろうか?
それはきっと、悪者に立ち向かうために人間と魔族が力を合わせる寝物語を作って聴かせるほど簡単なことじゃない。
私達の生活や常識や、そういう生きるために必要な基本的なものを一度全部打ち壊す必要があるんだ。そんなこと…そんなこと、本当にできるの?
そう考えていたとき、私の手にギュッと外から力がこもった。
ハッとして顔を上げると、大尉さんに罵声を浴びせられて怒りを爆発させそうになっていたお姉さんを止めようと思って握っていた手を、お姉さんがきつく握り返してくれていた。
「できるかどうかは、分からない。でも、このままじゃいけないと思う。このまま戦いを繰り返せば、いずれどちらかが滅びる。
だから、そうじゃない道を探す。何があっても、たとえ、世界中があたしを裏切り者だと断罪し、後ろ指を刺されるようなことになったとしても…」
そう言ったお姉さんの手に、さらに力がギュッとこもった。
そう。そうだ私たちは、それでもやらなきゃいけない。
だって、たとえそれが魔族でも、人間でも、辛いって思っているのを見るのはその人達と同じくらいに辛いから。
苦しいって感じている人たちを放ってなんておけないから…。
私は、お姉さんの手をギュッと握り返す。どうしてか、そうしてみたら、胸の中にふわりと暖かな風が吹くような気がして、むくむくと強い気持ちが蘇って来た。
そうだよ、お姉さん。まだ数は少ないかもしれない。でも、きっと探せば同じように考えてくれる人たちがたくさんいるはずなんだ。
砂漠の街の兵長さんに獣人の黒豹さんもそうだった。この司令官さんだって、魔族の肩を持とうとしてるお姉さんをけっして責めたりなんてしなかった。
それに、誰だって辛いのも悲しいのもできたら避けたいってそう感じるに決まってる。
そこだけを考えれば、きっと魔族も人間もない。仲良くはできなくたって、協力は出来るかもしれない。
そう、そんな世界になったら…お姉さんは、どんな顔をして笑ってくれるんだろう?
私はそんなことを思ってお姉さんの顔を見上げていた。
「なるほど…。道半ば、ということか」
司令官さんはそう言って、またふぅっと息を吐く。お姉さんは、表情を引き締めたまま、司令官さんに乾いた声で伝えた。
「では、二日後の朝に撤退を見届けに来る。それまで、この城下に手の者を忍ばせる。街の魔族たちに手を出すようなら、すぐにでも討って出るから、そのつもりで」
「任務外の殺生はごめんこうむるが…まぁ、せいぜい部下どもがバカをやらないように引き締めて掛かろう。こいつのようなのもいないとも限らんのでね」
お姉さんの言葉に司令官さんはそう言って、床でノビている大尉を顎でしゃくって言った。
「よろしく頼む。では、今日はこれで」
お姉さんは私にチラっと視線を送りながらそう言って立ち上がった。私も慌ててイスから降りて、お姉さんに着いていく。
「あぁ、そうだ」
テーブルから離れ、バルコニーの方へと歩いていた私たちを司令官さんが呼び止めてきた。
「なにか?」
お姉さんは少し警戒した様子で司令官さんを振り返る。すると司令官さんは、初めて微かな笑みを浮かべて私たちに言った。
「この扉…帰る前に溶かして行ってくれんか。これじゃぁ、撤退準備の指示を出したくても伝令を伝えられん」
そんな司令官さんの言葉を聞いたお姉さんも、安心したのか、あの優しい笑顔でクスっと笑って言った。
「あぁ、すまない。忘れてたよ」
つづく。
対話できてよかった
乙
おもしろいから私たちの戦いはこれからだとか急いでまとめるとかしないでね
乙
北部の要塞の場面を端折ってくれてありがとう。その場面を詳細に書かれていたら胸が押し潰されてたかも。
こうやってひとりひとり、ひとつひとつ事を進めていくしかないよねえ。
正直この先の事考えると気が重い
トロールさんの復活を切に希望する!!
癒してww
>>226
その心配よりも半年~1年付き合う覚悟を決めた方がいいよw
ところで、BB2Cで自動あぼーん機能オンにしていたところ、>>211があぼーん食らってた。なんでだろう?特別NGワードとか設定してないんだけどな?
機能解除で無事読めました。
>>227
ありがとう。
私もBB2Cの自動あぼーん機能を解除しました。
BB2Cの件こういうネタでしょうかね
ビラビラとかそのへんがひっかかったのかな
>>225
レスあざっす!
>>226
感謝!
書き始めちゃった以上、書き切ります。
連載力には定評(?)がありますw
>>227
感謝!!
北部城塞での出来事、本当は書きたかったのですがなにぶん物語自体が幼女視点なので断念しました。
お姉さん視点に移そうかとも思ったのですが…なにせ、「幼女とトロール」なもんでw
トロールさんは次回投下で復活予定。
だたし、たぶん癒しはないです…
>>BBC2
なんかBBC2はデフォの設定がいろいろとあれっぽいですね…
android使用なのでよくわかりませんがw
続きは日曜夜を予定しておりますー!
思いのほか筆が進んじゃったので、続きです。
「そうでしたか…」
サキュバスさんがお茶の入ったカップをテーブルに置いて、呟くようにそう言い押し黙った。
「まぁでも、南部の連中は撤退してくれるはずだ。あとはあたしら主導して各地の自警団を再建して、同時に魔王軍の再興も呼び掛けよう。
平時は畑をやってもらいながら訓練。有事の際には侵略に対抗するためとか、魔界全土の治安維持に当たるようにする」
お姉さんはあっけらかんといった様子で、食後のお茶菓子に、とサキュバスさんが出してくれた果物を頬張っている。
「魔王様、かっこ良かったですよ!」
妖精さんも果物を抱えるようにしてかじりながらそんな事を言っていた。
私たちはあれからすぐに、お姉さんの転移魔法で魔王城に戻って来た。戻ったのはお昼前。
サキュバスさんは私達が戻ったことにすごく驚いていたけど、ことがうまく運んだってお姉さんに説明されるととって嬉しそうにしていた。
それから、お城のリビングへ向かう途中の廊下で私はこっそりサキュバスさんお礼を言われた。
私はなんだかそれが照れ臭くって、知らず知らずのうちに笑顔で誤魔化してしまったけど。
お昼を食べながら簡単に話し合いの経緯をサキュバスさんに説明して、
お昼を終えてからは私がお姉さんにお願いして勇者のお姉さんがあまり顔を知られていない田舎の町まで転移魔法で連れていってもらった。
目的は、畑に植える種芋を手にいれること。やっぱり、森から掘り出したんじゃ、他の魔族の人たちに申し訳ないからね。
種芋をいっぱい仕入れて魔王城に戻って来たのはもう夕方で、サキュバスさんの用意してくれた夕食を食べながら、
午前中の話をさらに詳しく説明したりをして、今、だ。
「それにしても…やはり、難しい問題に立ち向かわなくてはならないのですね」
サキュバスさんが少しくぐもった表情でそう言う。それを聞いたお姉さんも腕組みをしてうなった。
「うん…事は、国としての機能や制度や、そんなことを整備するだけじゃダメそうだ。もっとも、魔界の方はそれをやっておかないとジリ貧だからやるけどさ」
魔族と人間との対立の根深さは、きっと戦争を経験してきたお姉さんやサキュバスさんの方が私なんかよりももっとよく知っているはずだ。
だからこそ、余計に難しい問題だっていうのは身にしみてわかってしまうんだろう。
「魔王様やサキュバス様は戦争を知っているですよね?」
不意に妖精さんが二人にそんなことを聞いた。
「ええ、存じております」
「あたしもまぁ、最前線で戦い続けてたからなぁ」
「じゃぁ、戦争がどうして起こってしまったのかも知ってるですか?」
戦争が、どうして始まったのか…?
そういえば、私、それを知らない。
確か、二年くらい続いた、って話だったと思うけど…始まったのは私が八つの頃で、
そもそも住んでいた村は戦争なんかとはほとんど関わりのない王都から離れた小さな村だったし
そりゃぁ、まぁ、兵隊さん達のための食料を徴発されちゃってはいたけど、それがどうして始まってどう終わったのかなんて話は聞いたことがなかった。
それに、もしかしたらそれを知っておくことは…
「お姉さん、サキュバスさん。それ、私も知りたいです。もしかしたら、“憎しみ”が始まった元を知れば、解決する方法が見つかるかもしれませんし」
私がそう言うと、二人は顔を見合わせてから私に視線を戻して、どちらからともなく頷いてくれた。
「ことの発端は、とある一人の女性が魔族に誘拐された、ってこと、かな」
お姉さんが口元に手を当てて、昔のことを思い出すようにポツリポツリと語り始めた。
「あたしの聞いた話だと、人買いに売られたある村の女性が、魔族の手にわたり、魔界で良いようにされていたらしい。
その人を助け出すために、王都騎士団の精鋭部隊が魔界に潜入してその女性の居場所を突き止めた。
しかし、いざ救い出す、って段になったときにヘマをして魔族側に潜入が露見し、戦闘になった。
騎士団の連中は果敢に戦い、魔族の追っ手を振り切るために、街に火を放ったと聞く。
でも、それが魔族の連中にとっては戦争行為だったんだろう。結果的に、魔族側が兵を挙げるきっかけになった…
あとはもう、知っての通りだよ。
魔族は三度、人間界に大規模な軍勢を送り出してきた。
第一次侵攻は砂漠の街の陽動部隊に対応している間に王都西武要塞が陥落したものの、あたしらが出張って撃退。
第二次侵攻はあの砂漠の街が主戦場になったけど、憲兵団の厚い防御と砂漠という気候に耐え切れなかった魔族軍が撤退。
第三次侵攻は、北部要塞が最侵攻を受けて陥落。そこを拠点に、砂漠の街と王都外郭要塞に迫ってきた魔族軍との戦闘が激化。
あたしと仲間で北部要塞を再度奪回して補給路を絶てたことで魔族軍は戦闘の継続が難しくなって引き上げた。
そこからは、人間軍の反攻になった。
一度目の挙兵で転移魔法陣を確保し、二度目の挙兵ではそいつを使って一気に魔王城へと迫って、あたしがここへ来た…」
お姉さんはそれからチラっとサキュバスさんの顔を見やった。
サキュバスさんは、なんだか懐かしい人を見るみたいな表情で、お姉さんを見つめ返し曖昧に笑う。
お姉さんはそんなサキュバスさんに肩をすくめて見せてから私に向き直って
「まあ、大雑把には、こんなところかな」
と首をかしげて言う。それからまたサキュバスさんに視線を向けて
「なにか補足があれば」
とサキュバスさんに話を促した。
すると、サキュバスさんは少しの間、黙ったままうつむいていたけれど、ややあって、何かを決心したような瞳で私とお姉さんを代わる代わる見つめて口を開いた。
「10年ほど前でしたか…現在の北部城塞のある街に、人間族が売られている、と、噂が流れたことがございました。
私はその当時はまだ師匠の元で、魔法と歴史学についてを学んでいたのです。その北部城塞の街で」
え…?そ、それって、つまり…サキュバスさんは、その人間の奴隷がいた街に住んでいた、ってこと?
もしかして、サキュバスさんは人間の軍隊がその奴隷を助けるためにやってきたときの戦闘に巻き込まれたの…?
そんなことが頭をよぎって、突然胸が苦しくなる。
だけどサキュバスさんはそんな私の気持ちを知ってか知らずか話を続ける。
「私の産みの母はサキュバス族の中でも一般的な血筋でしたが、種たる母はいにしえのサキュバス家の末裔と言われ、一族内でも上位の地位を持つ人でした。
それゆえ私は、その娘として北部の街に住むとある年老いた鋼竜族の術師の弟子として勉学に励んでおりました」
「ちょ、待って!産みの母ってのは分かるけど、種たる母ってのはなんだ?」
「あぁ、サキュバス族に性別はないのです。皆一様に私のような姿形をし、子を孕むことも、種を与えることも出来る、そう言って種族なのですよ」
「…そ、そうなんだ…驚いたな…」
「お話を続けても?」
「あ、あ、う、うん。ごめん、頼むよ」
お姉さんはサキュバスさんに言われてなんだか慌ててそう返し、サキュバスさんの話を促す。
「えぇと、そうですね。その日も、私は師匠の元で魔法の教練に精を出していました。
そんな折、師匠にお使えしていた従者の方が、街で見た“人間族”の話をされました。
それを聞いた師匠は、たいそう興味を惹かれたようで、直ぐに私と従者を伴ってお屋敷を発たれます。
煙るような雨の降る、少し憂鬱な日のことでした…」
サキュバスさんはそう言って、どこか遠くに視線を投げた。
それは、サキュバスさんにとって遠い日の記憶だったのかもしれない。
「サキュバスさん…その頃に、なにかあったんですか?」
私はそんなサキュバスさんの様子が気になって、そう訪ねていた。でもサキュバスさんは曖昧に笑って
「はい…ただ、そのことは今は瑣末なことです…とにかく、私はその先で捕らわれていた人間族を見ました。
そして、その奴隷は当時の魔王様に街の守護を任されていた、とある竜族の若者が買い入れたのです。
彼にしてみれば、最初は興味本位だったのでございましょう。
しかし、それまでの奴隷生活によって傷ついていた人間の女にとって、彼の元での生活は安心できるものであったようです…
やがて彼女は、笑顔を取り戻し、彼の側用人として献身的に遣えることになります」
「ま、待ってくれ!その女性は…奴隷として魔界にいたんじゃないのか!?」
サキュバスさんの言葉にお姉さんが声をあげた。私だって、同じことを思った。
さっきのお姉さんの話では、人間軍が、奴隷になっていたその女の人を助けに行った、って…
だから、魔界でひどい目にあってたんだって、そう思っていたのに…
「…はい。最初は、そうであったのでございましょう。ですが、竜族の若者は…彼女をそうは扱いませんでした。
明るさを取り戻した彼女は、まるで太陽の様に周囲の魔族たちを照らすようになりました。
あれが本当の彼女の姿だったのでしょう。明るく、人懐っこく、聡明で、捌けていて、誰の懐にでも入り込んで笑顔を紡ぎ出すような、そんな方でした。
そして、街にたどり着いてから一年もしないうちに、彼女は竜族の彼との子をお産みになりました」
「魔族と、人間との、子…?」
確か、砂漠の街でお姉さんが言ってた。
人間と、魔族の間には子どもを作ることができるんだ、って。
でも、それを聞いた兵長さんは言ってた。
“そんなことが受け入れられる世界ではない”って…
「そ、それから、どうなったんですか!?その女の人は?その二人の子供は!?」
気がつけば私はそんなことを尋ねていた。
サキュバスさんが、コクリと頷いて話を続ける。
「生まれた子が、3歳になる頃でした。代替わりしたばかりの先代魔王様が街へ視察に参られ、その女性と子どもと共に私も先代様への謁見がかないました。
そこで魔王様が仰った言葉を私は今でも思えています。
“その子は、平和の象徴となるかもしれない”と」
「平和の象徴…」
「あの男らしい言葉だな、まったく…」
お姉さんは、苦笑いを浮かべてそう言った。でも、その目はどこか嬉しそうにもみえた。
「しかし…先代様の言葉に反して、二人の存在は平和ではなく、争いを生み出すことになってしまいました。
彼女が魔界へ来てから、七年目の年。私は、謁見を機会に先代様に重宝され、この魔王城へ遣えるようになっておりましたが、
そんな魔王城に、北の街に人間軍が潜入し破壊工作を行っている、という報が入りました。
魔王様は私とごく僅かな手勢を連れて、すぐに北の街へと向かいました。
そこで見たのは、火の手に包まれる街の光景。そして、命尽き果てようとしていた若き竜族の男でした。
彼は、その身を以て子を守りましたが…残念なことに、彼女は人間に連れ去られてしまったのです」
サキュバスさんはそう言ってうつむいた。お姉さんは、黙ってそれを聞いている。
「残念なことに…その一件で、彼女が築いた魔族の人間に対する価値観は崩壊しました。
中には、彼女が奴隷として連れてこられたということ自体が、人間が魔界へ侵攻する口実を作るための工作だったのでは、などと言う者まで出る始末でした。
先代様は、なんとかその流言を止めようとしましたが及ばず、やがて魔界全土に人間との開戦を求める声が高まったのです。
古来より我らの中に積み重なってきた“憎しみ”という感情は、いっときの静寂程度で覆せるものではなかった…魔王様の先ほどのお話を聞いて、そう感じます。
そして時を同じくして、人間界の王より書簡が届き、彼女の誘拐の件での宣戦がなされたことが、決定打となりました。
先代様はそこで、平和な世界を夢見ることではなく、魔族の生存を選ぶより他に選ぶ道を失ってしまわれたのです」
「あの男にとって…それが、どれだけ苦しい決断だったか…」
お姉さんがそう言って唇を噛み締める。
「それからは、魔王様のお話になった通りです…」
ハラリ、とサキュバスさんの目から一筋の涙がこぼれた。
私は、まるで何かに押しつぶされるような感覚に襲われていた。
だって…だって、最初から最後まで、誰も戦争なんて望んでいなかったのに。
魔族の人が憎しみを持って人間との戦争を叫んだのだって、好きでそうしたわけじゃない。
自分たちの仲間がひどい目に合わされたから、そんなことになっちゃったんだ。
その女の人を助けに来た人間の兵隊さん達だって、ただただ、捕らわれている彼女を助けたい一心で魔界にやってきたんだと思う。
奴隷なんて人間の世界では認められていないし、憲兵さんや魔導協会の治安班に見つかれば、直ぐに捕まって禁固刑は免れないはず。
もし、誰が悪い、なんて話をしたら、女の人をさらって魔界に連れてきた人たちだけど…
でも、女の人はもしかしたら魔界での生活は幸せだったのかもしれないとも思う。
魔族の人達と仲良くして…子どもまで産んで…
…子ども…?
あ、あれ、そ、そういえば…
「ね、ねぇ!サキュバスさん!」
私は、ハッとして大声になってしまいながら、サキュバスさんの方を向いて聞いた。
「その…『平和の象徴』って言われた子は、そのあとどうなったの!?」
そういえば、話が戦争のことに移ってから、その子のことが出てこなかった。
今でもどこかで生きているの?
それとも、戦いに巻き込まれて、もう…?
私の質問に、サキュバスさんは気持ちを整えるように深呼吸をするとコクリと頷いて口を開いた。
「その子は…魔界全土で人間への“憎しみ”が高まるに連れ、先代様の仰った『平和の象徴』としてではなく、『戦争の引き金』として扱われるようになりました。
彼女は、北部の街の戦火のあと、街の人々に街を追われ、行く先々で汚れた存在だ、と罵られ、疎まれておりました。
そんな彼女が、その後どうなったかは、私は存じ上げません…だた…」
サキュバスさんはふと、私の目をジッと見て、柔らかな笑顔を見せて言った。
「風の噂で、祠守を任とする大地の妖精の一族の若者が彼女を庇い、彼女を連れてどこかに姿を消した、と聞いています」
祠守の、大地の妖精の一族…?
ま、待って…だ、だ、大地の妖精って、その、だから、つまり…
「詳しい話は、ご本人に聞くのが一番かと思うのですが、いかがでしょうか…?」
サキュバスさんは、そう言ってふっと、部屋のドアの方を振り返った。
私もそっちに目をやるとそこには、薄く開けた扉の隙間に見知らぬ魔族が立っていた。
背は、お姉さんと私の中間くらい。
全身に、ゴツゴツとした灰色の皮膚が浮き出ているその姿は、まるで石の鎧を着ているようだ。
でも、私にはそれが誰だか分からないなんてことはなかった。
「…ト、ト、ト…トロールさん!」
私はイスから飛び跳ねるようにして床にころげると、そのままトロールさんの小さくて硬い体にしがみついていた。
つづく。
次回、トロールさんがなぜあんなトコにいたのかが明らかになる…ような気がする!
トロールさーん!!
トロールさん復活キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!
こんばんはーお世話になってます。
年内にトロールさん再登場の予定でしたが間に合わず…
明日の夜が残されておりますがどうなるか不透明なので、ご挨拶をば。
本年は大変お世話になりました。
来年も出版社さんの目に留まるくらい(笑)
ガツガツ書いて行きたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎え下さい!
お疲れ様でした
いっそ、なろうの方が目に留まるんじゃないかな…と思う今日この頃
乙
よいお年を
来年のご活躍をお祈りしております
……トロールさんの
あけましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いします!
>>241
今年もよろしくです!
>>242
レス感謝!
しかし、誰だ君は!?なぜその名を知っている!?
マジ怖いんですけど!
>>243
レス感謝です!!
今年もよろしくお願いします!
さて、続きの投下はないのですが、キャノピからお年玉をいただきました!
各キャラの設定画です!
スマホカメラの画像なんでサイズとかそういうのは許してね!
まとめ
1:http://catapirastorage.web.fc2.com/kiseki1.jpg
2:http://catapirastorage.web.fc2.com/kiseki-3.jpg
幼女たん
http://catapirastorage.web.fc2.com/kiseki-g.jpg
お姉さん
http://catapirastorage.web.fc2.com/kiseki-y.jpg
妖精さん
http://catapirastorage.web.fc2.com/kiseki-f.jpg
サキュバスさん
http://catapirastorage.web.fc2.com/kiseki-s.jpg
未登場の人達
A:http://catapirastorage.web.fc2.com/kiseki-w.jpg
B:http://catapirastorage.web.fc2.com/kiseki-dg.jpg
C:http://catapirastorage.web.fc2.com/kiseki-m.jpg
あけましたry
(´・ω・`)…
(小説家に)なろうってサイトがだね…
>>245
あ、小説家に「なろう」のことだったのね…
いや、実はですね、時間を掛けてリメイク予定の「なろう」と言う名のへっぽこ探検家が相方とドタバタしながら
トレジャーハントしたり遺跡見つけたり悪の組織と戦ったりって言う話をごく内々で書いたことがありましてですね。
なんでその「なろう」を知っているのか!?と勝手にビビってしまった次第w
変な反応して申し訳なかった。
ちなみにそのナロウさんはアヤレナのカレン編のところで名前だけ登場してます(ステマ)
ちょっとというかだいぶイメージと違った
未登場の面子は書かれるのに描かれないトロールさんマジ不遇
なんだか喉が痛い。
喉どころか、こめかみとか顔中の筋肉も痛い。
私はトロールさんに抱きついてさんざんに泣き喚きながらトロールさんが無事なことを喜んで
お礼を叫んで、それからは…うん、とにかく弾けてしまいそうな気分に任せて、とにかく泣き続けた。
「無事でなにより、だ」
お姉さんが、やっと泣き止んだ私に変わって、トロールさんに言う。
「その姿を見るに、魔力による凝縮も可能になっているようですね」
サキュバスさんもそんなことを言っている。
そんな二人に、トロールさんは頭を下げた。
「まぁ、こっちきて座れよ。あんた、本当にその半人半魔の子をどこかに隠したのか?」
お姉さんがそう言いながらトロールさんに席をすすめる。
トロールさんは頷いて小さな体でイスによじ登った。
私も、さっきのイスに戻ってトロールさんの話を聞く体制を作る。
トロールさんは、さっきまでの私たちの話したことをわかっていたようで、ゆっくりモゴモゴとした声色で話し始めた。
「オイハ…アノ日、森ノ中デ、赤イ髪ノ魔族ト会ッタ。両腕ニ竜族ノ鱗ヲ持ッテイルノニ、人間ト同ジ顔ヲシタ、不思議ナ魔族ダッタ。
ソノ魔族ヲ、オイハ自分ノ集落ニ連レテ行ッタ。村ノ者モ彼女ヲ迎エテクレタ。
ダケド、ソノ子ハ何日モ何モ食ベテナクテ、腹空カセテイテ、オイハ森デ猪ヲ獲ッテ食ワシタ。
食イ終ワッテカラ、子ドモハ人間界ニ行キタイト、オイニ言ッテキタ」
「人間界に…?も、もしかして…」
お姉さんが、声をあげる。
それを聞いたトロールさんは、また頷いて話をすすめた。
「母ヲ助ケタイ、ト、ソノ子ドモハ言ッタ。ソンナ事ハ無理ダト、オイハ言ッタ。ダケド、子ドモハ聞キ入レナイ。
ソレドコロカ、一枚ノ手紙ヲ、オイニ見セタ。
ソコニハ、コウ書カレテアッタ。
『コノ者ノ手助ケヲシテ欲シイ』。
差出人ハ、先代ノ魔王様ダッタ」
「まさか…!先代様のご支持だったと言うのですか!?」
サキュバスさんの言葉にトロールさんは頷いた。
「魔王様ハ、彼女ヲ母親ノモトニ帰ソウトシテタ。父ヲ失ッタ彼女ハ魔界デハ除ケ者。デモ、彼女ハ腕サエ出サナケレバ、人間ト見タ目ハ同ジダッタ。
魔界ハダメデモ、人間界ナラ生キテイケルカモ知レナイ。ソレニ、人間界ニハ、母モイタ…。
オイハ、仲間ガ協力シテクレテ、転移魔法陣ヲ使ッテ、彼女ト人間界ニ行ッタ。
オイハ、石ニ姿ヲ戻シテ、彼女ガ母ヲ探スノヲ手伝ッタ。
デモ…アル時、立チ寄ッタ小サナ町デ、彼女ヲ黒イマントヲ羽織ッタ一団ガ取リ囲ンダ。
ソイツラハ、素材ガ何トカ、ト言ッテ、彼女ヲ捉エ何処カヘ、連レテ行ッテシマッタ…」
そこまで話したトロールさんは、私が見てもわかるほどに、体を震わせた。
「オイハ…オイハ、逃ゲタ…戦ウ事ガ怖クテ、オイ、逃ゲタ…魔王様モ、彼女ヲオイニ任セテクレタ仲間モ、彼女モ、オイハ、裏切ッタ…」
その言葉は、あの夜、トロールさんがお姉さんに言った言葉だった。
あのときは…私のことだと思っていたけど…もしかしたら、トロールさんは大きな傷を負って、魔力を失って朦朧として
そのときの幻を見ていたのかもしれない。
トロールさんは、もしかしたら、ずっとそのことを背負っていたの?
私を助けてくれたのも、そのときのことを思い出したから…?
「トロール…」
妖精さんがつぶやくようにそう言って、トロールさんのそばへと羽ばたいてその肩をさする。
私も、お姉さんもサキュバスさんも、理由はそれぞれあるんだろうけど、とにかく一様に言葉をなくしてしまっていた。
だけど、私は考えていた。
その子は、その後どうなったんだろう?
殺されちゃったのかな?
それともまだどこかで生きているの?
もし…もし、生きているのんだとしたら、私、その子を助けてあげたい…そのお母さんって人も探して、会わせてあげたい…
お父さんが死んで、お母さんとも離れ離れになったままなんて…そんなの、絶対に悲しいしさみしい。
放っておいちゃいけない…だって、私は、それがどれだけ悲しいことか、少し分かる気がするから…
「お姉さん、私、その子を探したい」
私はお姉さんにそう言った。
「その子、生きているんなら助けてあげたい。その子も、私と同じで家族を奪われて、それまで同じ街に住んでいた人達からも嫌われちゃったんでしょ?
それって、私と同じ。私にはお姉さんが来てくれたから短いあいだで住んだ。でも、その子はまだひとりで悲しい思いをしているかもしれない。
私、そんな子を放っておけないよ」
「し、しかし…彼女は人間に連れ去られたのですよ?その後、彼女が魔族の血を引いていると知れれば、無事でいるとも思えません…」
私の言葉にサキュバスさんが少し戸惑った様子で言う。でも、それを聞いたお姉さんは静かに首を横に振った。
「トロール。その子を拐った、ってのは、黒いマントの集団だったんだな?」
「ソウ」
「そのマントに、こんな紋章の入った帯留めがついていなかったか?」
お姉さんはそう言うと、勇者の紋章を光らせて、その一部を指差して見せた。
「ソ、ソレハ…」
「付いてたのか?どうなんだ?」
「ツ、ツイテタ…」
「やっぱりそうか…」
お姉さんは紋章を消して、ふうとため息を付いた。それから、詰まるような声色で言った。
「…恐らく、魔導協会の連中だ」
「まどう、きょうかい?」
サキュバスさんがお姉さんの言葉をなぞる。
「ああ。人間界は、民を治める王と、貴族や民からなる王政審議会、そして魔導協会の三つの組織からなってる。
王は国を治めるための政策を決めて、実行する。王政審議会は、法律を決めたり制度を作ったりするんだ。
そして魔導協会は法の番人。法律を侵した者を処罰したりするんだ。その一部に魔法も含まれる。
魔導協会は法律関係を守る傍らで、魔法の研究に勤しんでいるところだ。
あたしの勇者の紋章の管理もそこでやってた」
「そ、そんな人間たちが、どうして彼女を?」
サキュバスさんがまたお姉さんに聞く。
サキュバスさんの様子はいつの間にかまるで自分の妹か何かが巻き込まれているような感じになっていて、
どこかすがるようにお姉さんを見つめている。
「魔族と人間の血を引く、半人半魔の存在がいるとしたら…あいつらの考えそうなことだ」
半分が人間で、半分が魔族…?
私はその言葉を聞いてハッとした。
そ、それってもしかして…
「それ、お姉さんと、一緒…?」
私の言葉に、お姉さんはコクリと頷いた。
「あいつら、もしかしたら…その子を使っていにしえの勇者を再現しようとしたのかもしれない…両方の紋章をその子に与えて」
「…自らの息の掛かった者に、世界を統べさせようと…?」
サキュバスさんが全身を固くしてお姉さんに聞く。
「息の掛かった、ってのはたぶんその通りだと思う。世界を統べる意思があるかどうかは分からないけど…」
サキュバスさんの言葉にそう返事をしたお姉さんは、少しだけ明るい顔をして私を見た。
「だから、もしあいつらがあの子の出自を知って拐ったのなら生きていると思う。まともな環境にいるとは思えないけど…」
まともな環境にいないかもしれないけれど、生きている…私は、それを聞いて微かにめまいを覚えた。私は、知ってる。
人が、辛い環境に追い込まれたときに思うこと。
“いっそ、死にたい”。
父さんと母さんが死んだとき、私もそう思った。
明日からどう生きていったらいいかもわからないで、寂しくて、どうして私は一緒に死んじゃわなかったんだろうって、なんどもそう思った。
その子は…そんな環境で今も生活しているかも知れない、ってこと…?
「お、お姉さん…その子がどこにいるのか、って、分かる?」
「あ、うーん、多分、王都。あそこには、魔導協会が作った施設があってさ。戦争孤児や何かがそこに移されてくる、って話だ」
私の質問に、お姉さんは表情を曇らせて答えた。王都…そこにいるんだね、その子が…!
「お姉さん!」
私は、お姉さんに向かって声をあげた。
自分を奮い立たせたかったからだ。
お姉さんは、魔界を作り直す仕事がある。
サキュバスさんはその手伝いをしなきゃいけない。
トロールさんも妖精さんも、人間界に行けば、たちまち捕まってしまう。
その子を助け出せるとしたら、それは、私しかいない。
「王都に送って!その子、私が助けてくる!」
「はぁ!?」
私の言葉に、お姉さんはイスから飛び上がりながらそんな声をあげた。
「だって、お姉さんもサキュバスさんも魔界のために仕事をしなきゃならないんでしょ?
それなら代わりに私が行って、助け出してくる。人間の世界のことなら、もしかしたら私にもどうにか出来るかもしれない!」
「ダメだ!相手が悪すぎる…そこいらの人拐いでも危なっかしいあんたにそんなことさせられない。
魔導協会の、特に魔法を研究しているやつらは危険なんだ。もし捕まったら、何かの魔法の実験台にされてもおかしくはないんだぞ?」
「じゃぁ、その子を放っておくの!?前の魔王さんが言った通り、その子は私たちと同じなんだよ?
お姉さんと同じ、魔族でも人間でもない子で…ううん、人間でも魔族でもある子なんだ!
そんな子を、私、放っておけないよ。その子はきっと辛くて寂しいって思ってる。
魔王になったお姉さんが感じてたみたいに、自分には仲間も助けてくれる人もいない、って、そう感じてるかもしれないんだよ!?」
私は気持ちをわかってもらいたくって、思わず大声になってしまいながらお姉さんにそう伝える。
お姉さんは、一瞬、表情をくぐもらせたけどすぐに
「ダメだ…あんたを行かせるわけには行かない!」
と首を横に振った。
確かに、お姉さんが反対するのは当然だと思う。
私は、弱いし、まだ子ども。
魔導協会ってのがどんなところなのか、どんな人たちがいるのかも分からない。
もし、その子を連れて帰ろうとしているのがバレたら、たちまち捕まってしまうだろう。
でも、じゃぁ、知らんぷりして何もせずにいるだなんて、私には出来ないよ…!
「魔王様…私からも、伏してお願いいたします…こちらの事は、私に出来ることあらば何なりと取り仕切りいたしますので…
彼女を、助け出していただけないでしょうか…?」
不意に、サキュバスさんがそう言って、テーブルに手をついてお姉さんに頭を垂れた。
それを見たお姉さんは、くっと喉を鳴らして動揺している。
「魔王様!私の魔法を使えば、見つからずに人探しできるですよ!」
さらに妖精さんがそう口を挟む。
「お姉さん、お願い!せめて、無事かどうかを確かめるだけでも良いから!」
私は、もう一度お姉さんにそうお願いする。
サキュバスさんが言うように、もしお姉さんが一緒に来てくれるんなら、必ずうまくいくはずだ。
魔界の事は、少しの間サキュバスさんにお願いして、一週間でもその子を探す時間が取れれば、その子に、必ず助けに来てあげる、って伝えることができれば…
「魔王サマ。オイカラモ、オ願イスル。今度ハ、オイモ戦ウ」
トロールさんも、お姉さんにそう言う。
私たちは揃って、お姉さんに視線を向けていた。
そんなお姉さんは、私たちひとりひとりの顔を見ると、ややあって大きくため息を吐いて言った。
「戦って勝てる相手じゃない。あいつらは勇者の紋章を管理できる魔法技術を持っている連中だ。
あたしが知らないだけで、もしかしたら勇者の紋章を無力化する技術を開発しているかもしれないし、
あたしが規格外だとしても、強力な術者でさえ、数人掛りで封印魔法でも使われれば魔法を封じられる。
やるんなら、それなりの準備と覚悟が必要だ…」
お姉さんは、私達の目を見つめ返してきた。
「どんなことが起こるかわからなくても、私、その子を放っておけない」
私はお姉さんに伝えた。
「先代様の希望は、私達の希望となるやもしれません」
サキュバスさんもそう言う。
「オイハ、モウ一度、役目ヲ果タス」
トロールさんも、小さな体でお姉さんに訴えた。
「えっと…えっと、私は…私も、頑張るですよ!」
最後に妖精さんがすこし困りながら言う。
そんな妖精さんの言葉を聞いたお姉さんは、ちょっと気が抜けた様な表情でクスっと笑った。
「…分かったよ、あたしの負けだ。こっちでやらなきゃいけないことを整理して、サキュバスに引き継ぐ。
その間に、向こうの情報を探ってくれる奴がいないか、考えておくよ。
乗り込んでいって片っ端からぶっ壊すわけにいかないからな」
「お姉さん!!」
私は思わずイスから飛び降りてお姉さんに飛びついていた。
「お姉さん、ありがとう!」
私は精一杯の心を込めてお礼をいい、お姉さんにギュッと抱きつく。
そんな私の体をお姉さんは優しくなでてくれた。
「まったく…あんた達の頼みとあっちゃ、断りづらいったらないよ」
そんな私の耳にお姉さんの、ちょっと嬉しそうな声が聞こえてきていた。
バタン、と音がして、お姉さんが濡れた髪をタオルで吹きながら寝室に入ってきた。
私は、サキュバスさんに魔法の授業をしてもらっているところだった。
「魔王様、お帰りなさいませ」
「あぁ、邪魔して悪い。続けて続けて」
お姉さんはそんなことを言いながら、私とサキュバスさんの様子を見つつ、サキュバスさんがお風呂の前に持ってきてくれていたお茶をカップに入れてグビグビと煽る。
「では、最初から、ゆっくりと」
「はい…」
私はそんなお姉さんの様子を意識からはじき出して、目の前の水の入ったガラスコップに集中する。
触れていないガラスの中の水の温度を手のひらで感じ取り、質感を感じ取る。
サラサラとした水の感触を手のひらに意識したまま、中の水だけを動かすようにコップの周りで手のひらをクイっと動かす。
すると、ユラリ、とコップの中の水面が揺れた。
もう少し…集中して…呼吸をする感じで水の温度と手触りを吸い込んで、動かす…動かす…動かす…
ユラリ、ユラリ、と水面が揺れる。
やがて水面の揺らめきは微かな流れになり、コップの中で水がゆっくりと渦を巻いて回転を始めた。
「お…おぉっ!」
不意にそんな声が耳元のすぐ近くで聞こえたものだから、びっくりしてしまった私は
「ひっ!」
なんて声をあげて肩をすくめてしまった。
「あ…ごめん」
振り返ると私の肩ごしにお姉さんが顔を突き出していた。
「もう!お姉さん!びっくりしてやめちゃったじゃない!」
私はせっかく感じがわかって来ていたのに、と思ってそうお姉さんを非難してぷっと頬を膨らませる。
「あー、だからごめんって!まさかこんなに早く基礎をこなすようになるとは思ってなくてさ」
お姉さんはバツが悪そうにそんなことを言って苦笑いを浮かべた。
「ですが、よく出来ていらっしゃいましたよ。これなら、近いうちに保護魔法程度は成功するかもしれませんね」
「ホントですか?」
サキュバスさんがそう言ってくれたので、私は嬉しくなってついついベッドの上で飛び跳ねてしまう。
とたん、ガンっと言う鈍い音と共にスネに痛みが走った。いけない、はしゃぎすぎてテーブルに脚をぶつけちゃった。
そう思った瞬間、私はテーブルの上のコップが倒れるのを見た。
こぼれる!
だけど。
コップはまるで見えない何かに押し戻される様に、ふわりとテーブルに収まって、中の水をゆらゆらと揺らした。
「あっぶな」
そう言ったのは、お姉さんだった。
お姉さんは、いつの間にか軽く掲げていた手の指先をちょいちょいっと動かして見せる。
今のは…サキュバスさんが三つ葉を動かしたときと同じ…?
「今のは、風の魔法?」
「あぁ、そうそう。風の魔法は、空気を操るんだ。ほら、あの山で偽勇者達をぶっ叩いたのもこの魔法。
密度をギュッと上げて、高速でぶつけてやれば石飛礫なんかよりも強烈なんだ」
お姉さんは私の質問にそう答えながら、さらにヒョイヒョイっと指先を動かす。
すると、どうだろう。
コップの中に入っていた水が全部、ふわりと宙に浮かび上がった。
「そ、それは…水の魔法?」
「いや、これも風。水の魔法は、水や氷を“飛ばす”事は出来ても“浮かせる”ことはできないんだ」
お姉さんはそう言いながらまたチョイチョイっと指を動かすと、宙に浮いた水を顔の前まで運んで、まるでそれを食べるみたいにして口に入れてゴクリと飲み込んだ。
「あー!まだ練習しようと思ったのに!」
私がそう言ったら、お姉さんはクスっと笑って
「夜ふかししないでもう寝ようよ」
なんて言いながら私に圧し掛かってきた。
お姉さん相手に抵抗なんてできるはずもなく、ううん、そもそも抵抗する気もないけれど、
とにかく私はお姉さんにされるがまま、ベッドに横たわってお姉さんの腕枕に頭を載せていた。
「そうですね、今日はもうお休みになられてください」
サキュバスさんが柔らかく笑ってスクっとイスから立ち上がる。
「サキュバスもさ、一緒に寝ないか?ベッド広いし」
「いいえ、遠慮いたします」
「なんでだよ?イヤか?」
「とんでもございません。ですが、私は朝早く起きて食事の準備をしなければなりませんので、お二人にご迷惑を掛けてしまいます」
「だからさぁ、それも一緒にやるって。タダ飯食らいは罪なんだぞ?」
「その分、魔界の…いえ、世界のために働いて頂いているではありませんか」
サキュバスさんの言葉に、お姉さんは次の言葉を告げなくなる。
お姉さんの気持ちもわかるし、サキュバスさんが一緒ならお姉さんと三人でもっといろんなおしゃべりをしながら眠れるのに、って思うけど
でも、サキュバスさんにはサキュバスさんのやらなきゃいけないことがあるのも分かる。
「お姉さん、今はサキュバスさんの言う通りだよ。お城の兵隊さんや他の従者さんが戻ってきたら、もう一回お願いしてみようよ」
「ちぇっ、しょうがない。それまで我慢だなぁ」
私がそう言ってあげたらお姉さんは少しだけ不満そうな表情を見せてからすぐに笑顔に戻って
「んじゃ、おやすみ」
とサキュバスさんに言う。
「はい、おやすみなさいませ。魔王様」
「おやすみ、サキュバスさん、お姉さん」
私も、サキュバスさんとお姉さんにそう挨拶をして目を閉じた。
するっと布の擦れる音がして、お姉さんが布団をかけてくれる。
トストスと、サキュバスさんの靴がフカフカの絨毯に沈む音も聞こえる。
窓の外からは、虫の鳴き声。
穏やかで、暖かな、幸せな夜…
「――――!」
「――――!―――!」
ん…?
なに、今の…?
私は、静寂の中に聞こえるいつもとは違う音に気がついて、目を開けた。
お姉さんもそれに気がついているようで、体を起こし聞き耳を立てるようにしてジッとしている。
「声、ですか?」
サキュバスさんが訝しげにそういう。
「そうらしい…妖精ちゃん、まだ起きてるか?」
「はいです!」
お姉さんの声に、壁際の棚の上に置かれた小さなベッドから妖精さんがパタタっと飛んでくる。
「そばに居て、もしものときは姿を隠してやってくれ」
お姉さんはそう言って私の頭にポンっと手を載せる。
何があったんだろう?よくわからないけど、お姉さんとサキュバスさんが少し緊張しているのがわかって、私も体が硬くなった。
「ゴーレムに対応させます」
「あぁ、頼む」
サキュバスさんの言葉にそう返事をしながらベッドから降りたお姉さんはパパっと瞬く間に寝巻きを脱ぎ捨てて
明日の朝着替えるために置いてあった鎧下を着込み、ズボンに脚を通してブーツも履く。
剣のベルトを腰に回して、ふぅ、と静かに深呼吸をしてからゆっくりと窓の方へと近づいていた。
妖精さんが私の肩にとまって、私の服をギュッと握るのが伝わってくる。
そ、そういえば、トロールさんが…!
私は、隣の部屋で眠っているはずのトロールさんのことを思い出した。
お、起こしに行ったほうが良いかな…?あ、で、でも、トロールさんは昼間眠っていて夜は起きてるはずだよね…?
こ、この声、トロールさん、ってわけじゃないよね?
そんなことを考えていた私の耳に、サキュバスさんの声が聞こえてきた。
「人間です」
「なんだって?」
その言葉に、お姉さんが声をあげた。
「ゴーレムは、そう判断しているようです」
「数は…?」
「各門のゴーレムに様子を見させていますが、どうやら東門にひとりだけのようです。
もっとも、気配を消しているのだとすればゴーレムで探知するのは難しいので、確かではありませんが…」
それを聞いたお姉さんは、東門が見える窓の方へと移動していく。
私も、下の様子が気になって、お姉さんの脇へと向かって外を覗いた。
「危ないよ、下がってな」
「危なかったらすぐ逃げるよ」
心配はさせたくないから、そうとだけ伝えて窓の下に視線を送る。
東の庭が見える。月明かりに照らされて、芝生が輝いていて、綺麗な景色。
前の魔王さんは、こんな景色も楽しんでいたに違いない。
「魔王様…門の外の者は、勇者様、と声を上げているようです」
「勇者…?あたしがここにいる、ってことを知っているのか?」
「そのようです」
それを聞いたお姉さんは、うーん、とうなって口元に手を当てる。
お姉さんを知っている人はきっとたくさんいる。なんてったって勇者様だから。
でも、そんな勇者様が魔王城にいるってことを知っている人は、そんなに多くはないはずだ。
「も、もしかして、南の城塞にいた人の誰か、かな?」
私はふと、昼間のことを思い出してお姉さんに聞いてみる。
お姉さんは首をかしげながら
「可能性は、ある…」
と静かな声でいい、ややあって部屋の方を振り返り、サキュバスさんに言った。
「門を開けてくれ」
「よろしいのですか?」
「相手が分からないことには、判断の仕様がない。けど、もし敵だったらあたしがここから離れるのは愚策だ。
最悪でも、ここで一緒にいれば、何が来ようが守ることはできる」
それを聞いたサキュバスさんは、コクっと頷いた。
ガコン、と窓の外から物音がする。
外に視線を戻すと、門の両脇のゴーレムが、門の閂を外していたところだった。
ギギギ、と金属の軋む音が聞こえて、門が微かに開かれる。
その隙間から、ゆっくりと、何かを警戒している様子で、人影が入ってきた。
ひとりだけ。
暗いし、マントをかぶっていて誰かをうかがい知ることはできない。
不意に、その人物はその場から飛び退いた。同時に、何かが月明かりを反射してキラリと光る。
「剣を持ってる」
あれ、剣?じゃ、じゃぁ、お姉さんを狙ってきた、敵!?
私は思わず、両手をギュッと握り締める。
「ゴーレムに制圧させますか?」
サキュバスさんが、冷たい口調でそう尋ねた。
「いや…待て。ゴーレムに驚いただけみたいだ」
お姉さんはそう返事をする。
確かに、下にいる人物は剣を抜いたみたいだったけど、自分からゴーレムに斬りかかったりはしていない。
静かに、ゴーレムと対峙しているように見える。
「他の門の様子は?」
「今のところ、異常はないようです」
「よし…今度こそ、下がってろ」
お姉さんはそう言うと私をずいっと後ろに押しやって、窓の鍵を開けて開け放った。
「何者だ!?」
お姉さんがそう怒鳴り声をあげる。
そんなお姉さんに、下にいる人らしい声が帰って来た。
「…!勇者様!」
その声に、私は聞き覚えがあった。
力強くて、でも透き通っていて綺麗な、女の人の声。
私は、パッとお姉さんに飛びついて、脇の下から顔を捻じ入れて外を見やった。
窓の下の人物は、羽織っていたマントのフードを脱いだ。
暗闇に、ブロンドの髪が浮かび上がる。あの姿、間違いない!
「…兵長!あんた、なんだってこんなところに!?」
お姉さんが驚いた声をあげる。
そう。窓の下にいたのは、砂漠の街の憲兵団にいた、あの兵長さんだった。
「勇者様、こんな夜中に申し訳ありません!至急につき、ご容赦願います!」
兵長さんは、焦った様子でそう叫ぶ。
「何事だ?」
そう声を掛けたお姉さんに、兵長さんはきっと本当に急いでここまできたんだろう、肩で息をしながら言った。
「魔界北部の城塞が魔王によって奪回されたとの報を聞き、王都騎士団を中心とした即応部隊が行動開始!すでに我が街に駐留し、明日にも魔界への侵攻が始まります!」
つづく。
乙
おつかれさま!
字も絵も美しいですね。
うらやましい。
トロールさんはいつ人間界に来たとは言っていない
数年前や十数年前とかだったら子供も良い感じに成長する
人間と魔族のハイブリッドでいにしえの勇者を再現できるかもしれないほどの技術を協会は持つ
協会によって良いように記憶と身体弄られたその子が実は勇者現魔王なんじゃね?元魔王もなんか認めてたっぽいし
勇者/魔王は黒髪だし、竜鱗ハーフは赤髪らしいけどね
赤い髪で竜の鱗を持つ少女…ドラゴンハーフか(白目
>>262
レス感謝!
お褒めいただき嬉しい限りです!
>>263
レス感謝!
その線も一瞬頭によぎったのですが、>>233にあるように魔界に竜娘の母が来たのが十年程前なので
トロールが人間界に来たのはそれ以後になります。
しかし、伏線を埋めまくっているのは事実なので、いろいろと予想してもらえると嬉しいです!
>>264
ドラゴンハーフって懐かしいw
追加でキャノピより設定がが届きました。
本人より、「私の紹介もしてくれ!」とあったので一応。
キャノピは、>>1(キャタピラと申します)が最初に書いてたスレに挿絵やなんかをつけてくれていた人です。
これまでにもいろいろと提供を頂いてきます。
そんなわけで、今回は兵長さんと黒豹さん!
黒豹さんがやたら人間っぽいのは当方のお願いのためです。
この世界の魔族は、どいつもこんな人間っぽい感じになってます。
その点、ひとつよろしく。
兵長
http://catapirastorage.web.fc2.com/heicho.jpg
黒豹
http://catapirastorage.web.fc2.com/kurohyou.jpg
では、短いですが、続きです。
お姉さんさんが、さっき消したばかりのランプに灯をともした。パッと部屋が暖かな橙色の光に包まれる。
そんな中で、兵長さんは肩で息をしながらじゅうたんの上にうずくまっていた。
本当に急いで来てくれたんだろう。あちこち泥だらけで、汗まみれで、砂漠の街で会った兵長さんのあの凛々しさは見る影もない。
そんな兵長さんの背を、お姉さんが優しく撫でた。
「息を吸え…ゆっくり、ゆっくりだ…」
お姉さんの声かけに、兵長さんはゼイゼイと息を切らしながら頷いている。
パタン、と静かな音がして、サキュバスさんが部屋へと戻ってきた。その手にはトレイを抱えていて、
お水の瓶にお茶のセットと、それから夕飯に食べたお芋を潰して焼いた魔界のパンと、それから干し肉にあの林檎って果物も乗っている。
「ありがとう」
お姉さんのお礼にサキュバスさんは淑やかに頷くと、トレイをテーブルに置き、瓶からコップにお水を移して兵長さんの傍らにしゃがみこむ。
「お水です、召し上がれますか?」
サキュバスさんの声に顔を上げた兵長さんは、コップを受けとると大きく息をついてから口に付けて一気に飲み干した。
でも、足りなかったみたいでコップをサキュバスさんに返しながら
「も、申し訳ない…もう一杯、頂けないだろうか…?」
と頼んでいた。
サキュバスさんが入れたおかわりをまた一気に飲み干した兵長さんは、ようやく少し呼吸が整いはじめる。
お姉さんも私もサキュバスさんも、兵長さんの様子を落ち着くのをじっと黙って待っていた。
やがて、ふぅ、ふぅ、はぁ、と何度か深呼吸を繰り返した兵長さんがようやく顔を上げて私たちを見た。
「勇者様、このような時間にお伺いしてしまい、申し訳ありません」
「急いで来てくれたんだろう?感謝してる。それで、状況は?」
謝った兵長さんを嗜めたお姉さんは、さっき窓のところで言っていた話の続きを促す。兵長さんはコクりと頷いて口を開いた。
「一昨日未明、狼狽した魔導士が我が街へと現れました。彼は、魔王がよみがえった、北部城塞が壊滅の危機だ、と我々に訴えました。
その報は団長の指示で、すぐに転移魔法で王都へと知らせられました」
そこまで話した兵長さんは、急にゲホゲホとむせむせかえった。
お姉さんに背を撫でられ、咳を納めてサキュバスさんが差し出した三杯目のお水を一口飲んでから、兵長さんは続ける。
「…その報が届いた段階で、彼…黒豹さんを捕らえるよう、私に命令が来ました。
しかし、そのようなこと、出来るはずもなく、私は彼とともに街を出、あの森へと身を隠しました。
しかし、その晩、即応部隊とおぼしき軍勢が、戦略転移法陣で我が街へに集結。私達は、密かに街へと戻り、情報を仕入れました。
それによれば、即応部隊は、夜明けには魔界へ侵入する…とのこと」
兵長さんは言い終えるなり、がっくりとうなだれた。
「申し訳ありません…私にもっと力があれば、あるいは止めることができたかもしれないのに…!」
そう絞り出すように口にした兵長さんは、じゅうたんの上でギュッと拳を握る。
「黒豹は、無事なのか?」
「…はい。今は、先の魔界侵攻で使用した戦略転移法陣を見張っています。動きがあれば、これで連絡を付けると」
お姉さんの言葉に、兵長さんは懐から拳よりも一回り小さい石ころを取り出した。そこには、何かの模様が描かれている。あれは…魔方陣…?
「念信をやり取りするための法術か…」
念信…それって妖精さんがやってた、遠くにいる仲間に何かを伝えるための魔法だよね…?
お姉さんは、その石をギュッと握りしめながら、兵長さんの肩を叩いた。
「兵長、知らせてくれてありがとう。すぐに対策を考えなきゃな…とりあえずあんたは、ここで食事をしてその後で汗でも流してくれ。
その様子じゃ、夜も寝ないで走ったんだろう?」
「し、しかし、勇者様…!」
声をあげて立ち上がろうとした兵長さんを、お姉さんが押し戻す。
「一刻だけでいいから、とにかく休め。そんな状態で居られても、気を使っちゃってかえってやりづらい」
「…!…はい…分かりました…」
兵長さんの言葉を聞くと、お姉さんは満足そうに立ち上がって、妖精さんを見やった。
「なぁ、妖精ちゃん。この魔方陣が繋がってる先と話を出来たりするかな?」
石を見せながら、お姉さんは妖精さんに尋ねる。妖精さんは石ころを覗き込むと、真剣な表情で頷いて
「出来るですよ」
と緊張した口調で返事をする。それを聞いたお姉さんは苦笑いで
「良かった。後で頼む」
と頭を振りつつ言った。それから今度は私に視線を送って来る。
「あんたは、兵長についてやっててくれ。食事の世話と、あと、風呂にも案内してやって。
あたしはサキュバス達と暖炉の部屋に居るから、終わったら兵長と一緒に来てくれよ」
「うん、分かった」
私も妖精さんと同じようにお腹に力を入れて答えた。
人間の軍隊が攻めてくる…もしかしたら、また戦争が始まっちゃうかもしれない。それも今度は、あの村にいたときとは違う。
人間の軍隊はお姉さんの敵としてきっとこの魔王城を目指してやってくる。お姉さんのそばにいれば、必ず戦争の真っ只中に巻き込まれることになるんだ…
正直に言えば、怖い。でも、私は逃げたいとは微かにも思わなかった。戦争が、戦いが起こるんなら、私は誰よりもお姉さんのそばにいてあげなくちゃいけないから…
それが一番安全だし…それに、もしお姉さんがまた、人間と戦わなくっちゃいけなくなったときに、私は、お姉さんと一緒に血を浴びるつもりで居る。
そんな場所でこそ、お姉さんを一人になんて出来ないんだ。
お姉さんに、お姉さん一人にこれ以上辛い思いをさせちゃいけないんだ…
「じゃぁ、頼む。兵長、一刻だ、しっかり休めよ」
私の返事を聞いたお姉さんは、厳しい顔つきをしてサキュバスさんと視線を合わせると、
私と兵長さんに背を向けてトストスとじゅうたんの上をドアの方へと歩いて行く。
そんなときだった。
「勇者様…!」
兵長さんが、お姉さんを呼び止めた。
「どうした?」
お姉さんは足を止め、不思議そうに兵長さんに振り返る。そんなお姉さんに兵長さんは、すがるような表情できいた。
「勇者様…魔界の北部城塞駐留部隊は攻撃したのは…勇者様なのですか?」
まるで、胸をダガーで刺されたんじゃないか、って思うくらいの重くて鋭い痛みが走った。あの日のお姉さんの姿が、私の脳裏のありありと思い浮かぶ。
その話は…お姉さんが…!
私は、お姉さんの顔をみやった。お姉さんは、今にもなきだしそうな顔をして、じっと、兵長さんを見ていた。
「あぁ…あたしだ。あたしがやった…」
「なぜ…そのようなことを…?」
「言い訳は、しない…我を忘れて、気がついたときには、血まみれだった」
お姉さんはそう言って俯いた。兵長さんは、信じられない、って様子で、お姉さんを見つめている。
なにか…なにか言わなくっちゃ…で、でも、何を?獣人の子どもが殺されたこと…?だけど、お姉さんが黙っているのにそんなことを私から話してもいいの…?
そう戸惑っていると、顔つきを変えた兵長さんが口を開いた。
「勇者様…」
その表情は、まるで、何かを振り切るような、覚悟を決めたように、私には見えた。
「黒豹さんと、夫婦になれば良いと仰った勇者様はまだ、あなたの中にいるのですか?」
それを聞いたお姉さんは、兵長さんに向き直って言った。
「あたしは、今でもそう思ってる。兵長、あたしはあのときのまま、なに一つ、変わってないよ」
「そう…そうです、よね…」
お姉さんの言葉に、兵長さんはホッと息を吐き、じゅうたんの上にひれ伏した。
「勇者様、微かでも疑念を抱いたこと、お許しください…」
「うん…信じてくれて、良かった…」
お姉さんは静かに深呼吸をして、また、私達に背を向けた。一歩踏み出したお姉さんを兵長さんがまた呼び止める。
「勇者様…あなたを信じ、この身をお預け致します…どうか、如何様にもお使いください」
それを聞いたお姉さんは、兵長さんをチラっとだけ見て、言った。
「ありがとう、兵長。なら、命令だ…その子の指示に従って、一刻半、休息を取れ。それが終わったら、きっちり役目を与えよう」
「はっ…で、でもあの、半刻延びてますが…」
「二刻にしようか?なんなら、一晩寝かせてやりたい気分なんだ…と、とにかく命令だからな!ちゃんと守れよ!」
お姉さんはそう言い残すと、サキュバスさんを従えて部屋から出ていった。
少しの間、兵長さんは呆然と、私は、安堵の気持ちで、身動きが取れなかった。
でもややあって立ち上がった兵長さんに促されて、兵長さんが軽鎧を脱ぐ間に、私は食事の支度を始めた。
私はなんだか暖かい気持ちで少しだけ胸が膨らんでいた。
命令だからな、なんて言って出ていったお姉さんの頬が涙で光っていたのが、たぶん見間違えじゃないって、そう思えていたから、ね。
つづく。
涙目セイネたんハァハァ(カタカタカタカタ…
おっと違った
北部要塞は結果として魔王の力でぶち壊したし、ある意味必然の流れか
あれ?北部要塞崩壊から作中時間だと2日目だっけ?
>>270
この勇者さんは泣き虫ですw
そうですね、まだ二日目の夜なんです。
即応部隊は転移魔法を駆使して情報収集と集結を行ったようです。
兵長さんは寝ずに馬(書いてないですが)を飛ばして駆けつけました。
馬乙
黒豹さんが想像よりも人間っぽかった
猫の●返しのバ○ンみたいにもっと豹っぽいと思ってた
あれ?
>>275
黒豹さんがあの形態なのは後々で説明できるかと思います。
キャノピの原案はバ○ンさんのように豹頭でしたw
遅くなりました、続きです!
カタンと小さな音がして、脱衣場から兵長さんが出てきた。
サキュバスさんが用意してくれた絹の織物を羽織って、両腕にはお風呂に入る前に着ていた軽鎧と鎧下の服を抱えている。
さすがに剣は絹の織物の上から腰に巻いた鞘に収まってはいるけれど。
「すまない。ずっと待っていてくれたのか?」
兵長さんは私にそう尋ねてくる。
「はい。でも、妖精さんとおしゃべりしていたからすぐでしたよ」
私は肩に止まっている妖精さんと目と目を合わせてから兵長さんのそう言ってあげた。
確かにそれほど長い時間待っていたわけではないし、妖精さんと話していたことも本当だ。
でも、楽しくおしゃべりしていたってわけではない。ずっと、お姉さんのことを話していた。
戦争になったらどうすればお姉さんの心を守れるのか…妖精さんも私も、そのことで頭が一杯だった。
妖精さんもそうだって聞いたときには、私は一人で悩んでいたんじゃないんだって思えて嬉しかったけど、
だからといって肝心のお姉さんを守る良い方法が思い浮かぶわけではなかった。
結局のところ、私も妖精さんもお姉さんのそばを離れない、なんていう、ぼんやりとしたことをお互いに考えているんだってことが確認できたくらいだ。
「そうか。それなら良かった」
兵長さんは私と妖精さんの小さな思いやりの嘘を受け止めてくれて柔らかな表情でそう言ってくれた。
でも、次の瞬間にはすぐに厳しい目付きに戻って
「では、勇者様のところに頼む」
と私達に言ってきた。まだ一刻半にはなっていないけど…
でも、きっと早く行って話をしたいんだろうっていうのは分かったから、私は黙って頷いて、座っていたイスからピョンっと飛び降りた。
お風呂場を出て、点々と灯ったランプに照らされた薄暗い廊下を、暖炉の部屋まで歩く。不思議なことに、こんな夜中でもお城には怖さを感じなかった。
階段を上がって出た別の廊下を進んでいると不意に兵長さんが言った。
「妙なものだな…ここが、魔王城…」
振り返ると兵長さんは珍しげにキョロキョロと辺りに視線を走らせている。私が見つめているのに気付いた兵長さんは首を傾げて
「もっと、罠があったり恐ろしい彫像でもあるものかと思っていたが…」
なんて言う。本当にそう思う。私だって最初にここへ来たときはそう思ったし、今も暗い廊下なのに全然怖くなんてない。
夜の街や、初めて行った宿屋さんの廊下の方がもっとずっと歩きたくなんてないと思う。
「先代の魔王さんって人が嫌ったんだと思います、そう言うの。私は会ったことはないし、話でも少しだけしか聞いたことがないんですけど、
たぶん、お花とか星空とか、草の緑とか、そう言うものが好きな人だったんじゃないかなって思ってます」
私がそう言うと、兵長さんは何だか感心したようでまた辺りをキョロキョロと見回しては、
「言葉だけでは信じがたいが…しかし、この中にいると確かにそう感じるところは疑いようもないな。湯浴みを頂戴したあの浴室も、心休まる作りだった」
兵長さんの言葉に私は頷く。お風呂場は湯船もお姉さんが足を伸ばして広げても大丈夫なくらい大きい上に、壁や床には白いきれいな板石が敷き詰められていて、
数少ないランプの明かりが反射するのでそれだけでも気持ちがホッとするような部屋になる。
それだけじゃなく、サキュバスさんが育てたお花が飾ってあったり、湯船に薬草が浮いていたり、お香が炊かれていることもあった。
きっと、サキュバスさんがその日ごとに手を加えてくれているんだろう。
サキュバスさんの心遣いはお風呂だけじゃない、お姉さんや私達の使うところもそうでないところも隅々に優しい心配りがされているのを私は知っていた。
お姉さんの心を守るためには、私もサキュバスさんの心遣いを身に付けておく必要があるかもしれない。
そんなことを話ながら歩いて、私達はお姉さんとサキュバスさんの待つ暖炉の部屋に到着した。
コンコンとドアをノックしてからノブに手を掛けて押し開ける。
部屋にはお姉さんとサキュバスさんに、トロールさんもいた。
「早かったな。休めたか?」
お姉さんの言葉に、兵長さんは深々と頭を下げて
「お心遣い、痛み入ります」
とお礼を言う。でも、それを聞くつもりがあるのかないのか恥ずかしいのか、お姉さんは
「まぁ、座って。お茶でも飲みながら作戦会議だ」
と兵長さんを招き入れた。
当然、私も部屋に入って行ってテーブルについたら、お姉さんが怪訝な顔をして
「あんたは寝てて良いんだぞ?」
なんて私に言ってきた。正直に言えば、眠くないかと言われたら眠いし戦争とか戦いのことなんて難しくって分かる気もしない。
でも、私はお姉さんに言ってやった。
「一緒にいるのが私の仕事だよ!」
「そうです、私もいるですよ!」
私の言葉に妖精さんも続く。するとお姉さんは嬉しそうに笑ってくれて
「ありがとう…でも、眠くなったら無理するなよ。子どものうちから夜更かしなんて良くないからな」
なんて言って私達を気づかってくれた。
「さて…兵長。続きを話そう。人間軍はどの程度の数を揃えてる?」
お姉さんは大きなソファーに私と兵長さんを促しながらそう言った。
「はい。数は恐らく即応部隊五千と、魔界に駐留しているうちの残る東部城塞と南部城塞のそれぞれ五千ずつが合流すると思われます」
「しめて一万五千…相当な数ですね。そんな規模の兵をたった二日で準備出来るものなのですか?」
ソファーに座った私と兵長さんに、サキュバスさんがそんなことを言いながらお茶を出してくれる。兵長さんはそれを受け取ってサキュバスさんに会釈をしていた。
「仮に、もしあたしが攻めた北部城塞から誰かが転移魔法を使って人間界に避難していたとしたら、あり得ない話じゃない。即応部隊ってのは言わば常備軍だ。
戦争後も解体されずにいた電撃戦用の部隊。
運用は、戦略転移法陣って言う巨大な転移魔法の魔方陣を使って、移動先に魔法陣があればそこに即時展開することが出来る。
魔導協会の高位の術者が百人ばかり同行しているからな。問題は、残ってた東部城塞の駐留部隊と、今日説得に成功したと思った南部城塞の部隊だ。
南部城塞のあの司令官、この挙兵を知ってたからあたしの撤退勧告に応じる振りをしたんだろう。食えないやつだよ」
お姉さんそう言って歯噛みをした。
私もそれを聞いて何だか悔しい気持ちになった。あの司令官の人、部下の大尉って人の暴言を許さなかったり、お姉さんの話をちゃんと聞いてくれたり、
いい人だと思ったのに…全部お芝居だった、って言うんでしょ?そんなの、ずるい!
「では、その部隊は魔界の北、戦争で最初に人間軍が魔界にやって来た際と同じ場所に展開する、と?」
「いや…あのときとは状況が違う…恐らく、やつらが集結するのは…東部城塞。あそこに戦略転移法陣が描かれていると思って間違いないと思う」
「東部城塞!?ここから一日半しか離れておりません!」
お姉さんの分析に、サキュバスさんが珍しくそう声を大きくした。
「勇者様。魔界の…魔族の軍備は、如何ほどに?」
「軍はない。いや、あるにはあるんだっけ?」
「はい。ですが、戦争で無事だった部隊2000程は現在各地で治安維持に当たっていて、とても対応出来るとは思いません…」
「まぁ、そっちの方が重要だもんな。戦力なんて、あたしひとりだ」
お姉さんが宙を見据えてそう言う。悲しい表情だ。でも、きっとお姉さんがやれば、人数なんて関係ない。
それは人間や魔族がどれ程集まったところで、この地面に穴を開けることは出来ないのと同じ。お姉さんの力は…お姉さんは今はもう、自然そのもの。
いや、自然が持ってる以上の力を扱うことが出来るんだ…本当はお姉さんは使いたくないんだろうし、私も使って欲しくないとは思うけど…
「問題は、南部城塞がどう動くか、だ」
お姉さんは視線を兵長さんとサキュバスさんに戻して言った。
「南部城塞の部隊が本隊と合流するつもりなのか、それともここを本隊と挟撃するつもりなのかでこっちの出方が変わる。
もし合流して攻め込んでくるようなら、まとめて相手をすればいいけど、もし挟撃してくるとなると、少し困ったことになる」
「こちらの戦力は、ほぼ、魔王様お一人…」
サキュバスさんが呟くように言った言葉を聞いて、お姉さんはコクリと頷いた。
「何も、サキュバスや兵長の力を信じていないワケじゃない。
でも、普通に考えて、サキュバス、兵長、トロールの三人で五千からなる南部城塞駐留部隊を相手取るのは難しいと思う。
戦場が二箇所に分かれるようなことになると、その分、危険が大きい」
「…二面作戦になると…」
「多分な」
今度は小さな声で言った兵長さんの言葉に、お姉さんは頷く。
「素直に考えれば東門と南門の二箇所への攻撃になるだろうけど、こっちの戦力を分散するのが目的なら東西の門を抑える可能性もある」
どんなに数がいたって、お姉さんがその気になれば敵じゃないってのは分かる。でも、そのお姉さんは一人しかいない。
あっちとこっちとで戦うのはきっと簡単なことじゃないだろう。
もっとなにか、違う方法を考えた方がいい気がする。
そう思って難しい話で少し眠くなり始めていた頭を動かす。
みんなも黙って難しい顔をしている中で、私もお茶をチビチビ飲みながら私なりに考えていたら、ふと、あの日のことがふっと頭に浮かんできた
「転移魔法はダメなの?」
私は、オークの集落でお姉さんが転移魔法を使って憲兵団の人達を呼び出したのを思い出してそう聞いてみる。
でも、お姉さんは力なく首を横に振った。
「あたしの転移魔法は強制転送魔法とは違うんだ。入り口と出口に必ず魔法陣が要る。
魔法陣さえ描ければ出来ないことじゃないけど、一万五千なんて数を送れるほどの戦略転移法陣を人間界に描いて来たことはない…
あたしと一緒に魔王城を目指した仲間の魔導士なら、強制転送魔法の魔法陣くらい知ってるだろうけど、あいつ行方不明だし…」
そう言えば、お姉さんが転移魔法を使うときは必ず出てくるところにも魔法陣が必要だって話は覚えている。
その都度、妖精さんが描いているのを見ていたし…だとしたらやっぱりダメ、か…
私はまた、グッと胸を押し込まれるような気持ちになる。
「魔王様…もし仮に、勇者の紋章のみで一万の人間軍と戦うことになったとしたら、勝つことは可能でしょうか?」
一瞬の沈黙を破って、サキュバスさんが口を開いた。
「どうだろう…勇者の紋章だけだと、ギリギリの戦いになるかも知れない。どうしてだ?」
お姉さんがサキュバスさんにそう聞くと、サキュバスさんはグッと息を飲んでから言った。
「魔王の紋章を…私に移すことが出来れば、私が南部からの部隊の迎撃を仰せつかることができるやも、と…」
サキュバスが、魔王の紋章を!?私は驚いて声をあげることも出来なかった。
お姉さんも驚いたみたいで、サキュバスさんをじっと見つめている。
「もちろん、魔王様に反旗を翻そうなどとは考えておりません。
しかし、それが出来ればもしかするとうまく事を運べるかもしれません」
サキュバスさんはお姉さんをまっすぐに見つめて言った。
サキュバスさんが、魔王の紋章を譲ってもらったからと言ってお姉さんと戦うなんてことは考えられない。
サキュバスさんは、私にお姉さんを一緒に支えようってそう言ってくれたんだ。
お姉さんの魔王の紋章を貸して欲しいって言うのは、私がお姉さんの苦しみを一緒に感じようとしているのと同じこと。
お姉さんの苦しみの半分を受け止めて、お姉さんの負担を軽くしたいって、そう思っているからに違いない。
お姉さんは、黙ってイスをたつと、サキュバスさんの側まで近づく。サキュバスさんも険しい表情で席を立ち、床に跪いてお姉さんを迎えた。
「もし合わなければ、かなり苦しいぞ」
お姉さんがサキュバスさんの差し出した手を握りそう言う。サキュバスさんはコクっと黙って頷いた。
お姉さんは目を瞑り、ふう、っと深く息を吐く。サキュバスさんの手を握っていた左腕が赤く輝き始めた。
紋章の形がはっきりと浮かび上がり、輝きがさらに強さを増して行く。そんなときだった。
「あっ…かはっ!」
部屋に苦悶する呻き声が響いた。サキュバスさんが、跪きながら胸に手を当て、表情を歪めている。
「サキュバスさん!」
私が叫んでイスから飛び降りたのと、お姉さんの腕から光が消えたのとがほとんど同時だった。
サキュバスさんが床に崩れ落ちそうになったところを、お姉さんが抱き止めて優しく仰向けに支える。
駆け寄った私が見たのは、顔いっぱいに汗をかき、あんな一瞬の出来事だったのにげっそりと疲れた表情になったサキュバスさんだった。
「…ダメ、だったのですね…」
「あぁ…皮肉なもんだな。人間のあたしには適合して、先代の魔王のそばにずっと使えてたあんたには合わないなんて…」
「いいえ…器、というものはそのようなものでございましょう…」
サキュバスさんは辛そうな顔に微かに笑みを浮かべて言った。そんなサキュバスさんの額の汗をお姉さんが指先で拭う。
「水です」
不意に声がして顔を上げたら、優しい顔でサキュバスさんにコップを差し出す兵長さんの姿があった。
サキュバスさんはまた弱々しい笑顔を浮かべるとコップを受け取りゆっくりと何度が口を付けて、ふうと息を吐いた。
「人間が皆、人間様や兵長様のようであったら、先代様も、魔王様も、そのような顔をすることもありませんでしたでしょうに…
私を斬らずに生きることを選ばせてくださったあなた様が…同胞たる人間を手に掛けるようなこともなかったでしょうに…」
突然、サキュバスさんの目から大粒の涙がこぼれた。涙は、あとからあとから溢れ出て来て止まらない。
「どうして私達はこうなってしまうのでしょうか…どうして、望みもしない戦いなどに身を投じねばならないのでしょうか…」
サキュバスさんの言葉に、私はハッとした。そうか…きっと、先代の魔王さんも、今日のように戦わないで済む方法を考えていたんだ。
お花と星と緑が好きだったんだろう先代の魔王さんだって、きっと戦い以外のことをしようとしたんだ。
だけど、結局は戦う他になかった…だから、戦争が起こっちゃったんだ。
サキュバスさんは、きっとその時のことを思い出してしまったんだろう。
たぶん、今もそれと同じなんだ。
サキュバスさんも、お姉さんも、たぶん、兵長さんもわかっているんだと思う。
一番確実で、一番効果のある方法は、お姉さんが力を使って人間の軍隊を押し返すことなんだ、って…
それがわかったら、私まで胸が苦しくなって涙が溢れて来そうになった。
「…やれることは最後までやろう。あたしは、そのときまでは諦めないぞ…」
お姉さんは優しい声色でそう言うと、サキュバスさんの頬の涙を拭った。
それから顔をあげて、私に、妖精さんに、トロールさん、兵長さんの顔を順番に見つめた。
「今から東部城塞へ行って、夜が明ける前に主力を城塞から撤退させよう。
でも、もし手間取って南部城塞の部隊がこの城を目掛けて進軍して来たときに、あんた達をここに残したままには出来ない。
だから、一緒に着いて来てくれないか…?
最後の最後まで説得をして、例えそれがダメで本隊と戦うことになっても、人間を斬らなきゃいけなくなっても、必ずあたしが守るから」
お姉さんの目には、悲壮な覚悟が見えた。お姉さんは、もしものときはやるつもりだ。魔界から人間を追い出すために…ううん、それだけじゃない。
戦いが起こっても起こらなくても、きっと魔族でも人間でもないお姉さん個人が、人間の軍隊からの憎しみを一手に引き受けるつもりなんだ。
南部城塞であの司令官に言ったように…
そんなの…お姉さん一人に押し付けるわけにはいかない。その気持ちだけは、私だって心に決めているんだ。
そう思って私はお姉さんの目をじっと見据えて、黙って頷いてみせた。
つづく。
自己レスは事故です、すみません>>273
乙
URLが変わった?時に携帯から読もうとしたらエラー噴いて焦ったけど、どうやらスレ番下がりすぎて検索に引っ掛からなかっただけの様だ
さて、どうなるやら…
毎度ながら胸がいっぱいになる
乙!
それからすぐに、私達は出立の準備を整えた。
私は、魔王城に来るまでにお姉さんが揃えてくれたマントに、サキュバスさんが用意してくれた革のベルトを腰に巻いてダガーを通した。
お姉さんも鎖帷子に肩当てと胸当ての着いた簡素な鎧に腰にはいつもの剣、兵長さんも軽鎧に身を包み引き締まった表情をしている。
サキュバスさんもマントを羽織っていて、杖の先に刃が付いた短い槍のような物を携えている。
妖精さんも小さな体に合う小さなマント姿。トロールさんだけは、これまでの姿のままだ。
「トロールさん、その姿でいいの?大きくなっておかなくて…」
私がそう聞いてみたらトロールさんはコクりと頷いて
「オイハ、マダ魔力ガ戻ッテナイ。コノ姿ガ、一番」
と教えてくれた。そっか、あの大きな体になるためには魔力を使わなきゃいけないってお姉さんが言ってたっけ。
石から戻ったトロールさんには、まだそれが出来ないんだな。
そんなことに納得していたら、お姉さんが私達に向かって言った。
「みんな…ありがとう。ここから先は、あたしがなんとか頑張ってみる。もしものときは…サキュバス、みんなを守るために、結界を頼む。
あたしが教えた術式なら、魔力攻撃だろうが物理攻撃だろうが、しばらくは無力化できるはずだ」
「承知しております。魔王様も、決して無理はなさらないでくださいね」
「あぁ…分かってる…もし、説得がうまく行かないようなら、遠慮はしない…全力で行く」
サキュバスさんの言葉にそう言って頷いたお姉さんは私達に手を差し出した。その手をサキュバスさんが握り、さらに兵長さんも手を添える。
私は胸に込み上げた緊張感をお姉さんを助けるんだって気持ちで押さえつけて手を伸ばす。
妖精さんはいつも通りに私の肩に、トロールさんは私のマントを握った。
「行くぞ」
そう静かに口にしたお姉さんは、色んな思いを振り払うように目をつぶった。その刹那、パッ辺りが明るく光った。
冷たい風の肌触り。火が燃える匂い。目の前には、昼間見た南部城塞の門に良く似た石造りの城壁があった。
「な、な、な、何者だ?!」
「ま、魔族!?」
城壁に開いた門の両脇に居た兵隊さん二人が、そう言って私達に槍をつき出して来る。お姉さんはそんな二人を一瞥すると、サッと腕を払った。
パキンっと鋭い音がして、槍の刃先が弾けるように折れて飛んでいく。
「責任者に会わせてくれ」
お姉さんは短く、低く、落ち着いた声色で言った。だけど、その声は二人の兵隊さんを威圧するには十分だった。
二人は声にならない悲鳴をあげると、一人はその場に腰を抜かして崩れ落ち、もう一人は開け放たれた門の中へと逃げ出して行った。
もう、あとには引けない…胸が押し潰されそうな緊張感を振り払いながら、私は辺りを見回す。城壁の中だけじゃない。
城壁から延びている土の道の両脇にはたくさんのテントが立ち並んでいる。たぶん、あれも兵隊さん達のものなんだろう…
想像はしていたけれど、その数の多さに、私は緊張が高まって来るのを押さえきれない。テントの間を何人もの兵隊さんが行き来している。
その人達だけでも数えきれないほどなのに、城塞の中やあのテントの中で休んでる人達だってきっといるはずだ。
あのとき、私達を取り囲んだオークなんかとは比べ物にならないくらいの規模…それが全部、私達に向かってきたら…
お姉さんの力を信じていないんじゃない。これほどたくさんの人とお姉さんが戦うとなったら…きっと、辺り一面、血の海になるだろう…
不意に、ガーンガーンガーン、と鉄か何かを打ち鳴らす音が聞こえだした。
こ、この音は…?!
少し驚いて、私はそばにいた兵長さんのマントを握ってしまう。
それに気付いた兵長さんは優しく私の頭を撫でて
「戦の鐘の音だ。三回は、非常召集の合図…どうやら、司令官クラスの人間には話が届いたようですね」
とお姉さんに話を振る。お姉さんも頷いて
「あぁ…さすが即応部隊。伝達が早いな…緊急事態への対応は見事だ」
なんて、険しい表情をみせた。
「サキュバス、結界を。ここから先は、いつ何をされるか分からない。背後から毒矢で射るくらいのことはやれる連中だ」
私はお姉さんの言葉に思わず後ろのテントの方を振り返った。するとテントから武器を携えた兵隊さん達が次々と出てきて、それぞれの場所に集合を始めていた。
あんなに…あんなにたくさん…。
「王下騎士団、武器を持て!」
「法術隊は厳戒体制!城塞へ防御陣を張ってください!」
「全軍へ伝達、西門前に侵入者!」
ドヨドヨと門の中が騒がしくなる。でも、お姉さんは動かない。ただじっと、何かを待っているようだった。
私も、サキュバスさんも兵長さんもそんなお姉さんを見てか、じっとして次に起こることを待っている。
でも、私は正直、緊張が恐怖に変わりつつあった。お姉さんの力が信じられないなんてことじゃない。
でも、私達を敵と決め付けている人達がこんなに大勢で私達に武器を向けてくる…こんな状況、戦いを知らない私にとっては、恐ろしいと感じないわけはなかった。
思わず私は、今度はサキュバスさんのマントを握ってしまう。
すると、サキュバスさんがそれに気づいて、私にすっと手を伸ばして来た。私はすがるような心持ちでその手を握る。
ふと、サキュバスさんの手が微かに汗ばんでいるのが分かった。サキュバスさんも、緊張しているんだ。
ペタンと、また兵長さんの手が頭に降りてくる。
「サキュバス殿。魔方陣もなしに結界が張れるのですか?」
「はい、兵長様。結界魔法は風魔法の基本にして真髄。すでに周囲五歩ほどに何重も大気層を展開してございます」
「なるほど…素晴らしいお力ですね」
兵長さんはそう言いながらも地面を踏み直し、周囲に気を配っている。兵長さんからも緊張が伝わってくる。
妖精さんが私の肩にギュッと捕まって来る。妖精さんは私よりもずっと恐いって感じるだろう…
唯一、トロールさんだけからはそんな様子は伝わって来ないけど…でも、トロールさんだって戦いが怖かったって言っていた。
こんなにたくさんの敵になるかも知れない人達に囲まれているんだ。どんな人でも…きっとお姉さんだって怖くないはずはない。
でも…だからこそ私達は慌ててはいけないんだ。私達にはお姉さんがいる。
私達は力ではお姉さんに頼るしかないけど、お姉さんだって私達に頼ってくれているんだ。
だから、お姉さんがここに立っている限り私達もお姉さんを支えてあげなきゃいけない。壊さしてなんかに負けているときじゃないんだ…!
「各隊、重装!近接戦闘準備!」
「王下騎士団は後衛の司令部警護に回れ!」
「二番から四番軽騎隊!各隊へ伝令急げ!」
「即応第一中隊!副司令と参謀長の傍に!身を賭してお守りせよ!」
城壁の中の様子がにわかに慌ただしくなる。松明が何本も灯り、武骨な鎧に身を包んだ一団が近付いて来るのが分かった。
どの人も剣や槍を携え、私達を威圧するようにガシャガシャと金属を擦らせる音をさせている。
その鎧の兵隊さん達の真ん中に、二人、他の人達とは違う目立った軍装をした人の姿があった。
一人は、細かな装飾が施された、夜の暗闇にも映える銀色の輝く鎧を着こんだ男の人。もう一人は、軽鎧を身につけて、身の丈ほどの弓を背負った女の人。
二人の姿を見たお姉さんが呻いた。
「剣士に…弓士…」
お姉さんは明らかに同様していた。どうしたのか聞こうとも思ったけど、お姉さんの様子に言葉が出ず、私は兵長さんを見上げた。
すると、兵長さんもグッと気持ちを押し込めるような表情で二人を見やっている。
でも、兵長さんは私の視線に気がついてくれて、私が聞きたかったことを感じ取ってくれたようで、静かな声で教えてくれた。
「勇者様の、かつての仲間だ。人間界防衛、魔界遠征、魔王城攻略…どんな戦場でも、あの二人は、常に勇者様のそばに在った…」
お姉さんの、昔の仲間…?私はそれを聞いて、ポッと胸に微かな安心が灯るのを感じた。お姉さんと一緒に戦って来た人達なんだ…
それなら、お姉さんの言葉が届くかも知れない。お姉さんの気持ちが伝わるかもしれない…!
二人と、二人を守るために重装備をした兵隊さん達が、私達から十歩くらいのところで足を止めた。息が詰まる沈黙で、緊張感が戻ってくる。
不意に、弓士さんが口を開いた。
「なんのつもりですか…勇者様」
その声色は、戸惑いと、そして緊張に満ちていた。
「…単刀直入に言う。兵を引かせて欲しい」
お姉さんが言うと、弓士さん達がにわかに警戒感を強めたのが感じられた。待って…お姉さんの話を、ちゃんと聞いて…!
「やはり、北部城塞を襲い、南部城塞に現れ撤退勧告をしたのはあんたで間違いないようだな」
今度は剣士さんが口にした。剣士さんの口調は刺々しい。まるでお姉さんを責めるような、そんな感じだ。
「あぁ…間違いない」
「一体何故…?まさか、魔族に肩入れするつもりなのですか!?」
「勇者よ、我らが魔族の蛮行によって受けた被害を忘れたわけではあるまい!?」
お姉さんの返事に、弓士さんが声を荒げてそう言う。さらに剣士さんもお姉さんにそう言葉を返した。お姉さんは手をギュッと握り体を震わせながら、
「分かってる…なにもあたしは、人間を裏切るわけじゃない…
だけど、一方的に魔族を弾圧して、魔族の生活や命を人間の勝手で奪い取って良いはずもない。そう思ってる」
と振り絞るようにして言う。だけど、剣士さんも弓士さんも、そんなお姉さんの気持ちも知らないで、さらにお姉さんに言葉を浴びせかけた。
「人間世界を襲った魔族の生活などにどれほどの重みがあるのか!」
「勇者様、よもや王都西部要塞や砂漠の交易都市での戦いをお忘れになってなどいませんか!?彼の戦闘でどれ程の人命と財産が奪われたか!」
分かってない…この人達は分かってないんだ。お姉さんが、それを知っていてなお、人間と魔族、両方の幸せを願っているってことが…
その事で、どれだけ苦しんでいるか…!私は二人の言葉を聞いて急に気持ちが熱くなっていた。
気がついたら私は、二人に負けない大声で言っていた。
「そんなのは分かってるよ!でも、魔族だって同じくらいひどい目にあってるんだよ!
いつまでもその事を引きずって、戦争を繰り返していたら何も変わらない、何も進まないでしょ?!確かに戦争は在ったかもしれない。
でも、じゃぁ、誰がいつ、どう終わらせるの!?魔族か人間の、どちらかが全滅するまでやるつもりなの!?魔族にだって、子どもがいる。
戦えない女の人だっている。人間は、そう言う魔族の人達もみんな殺すって言うの!?」
「我等は、魔族を滅ぼそうなどとは思っていない!しかし、野蛮な者達は制圧し、力を以て制御していかねばならないこともあるんだ。
子どものあなたには分からないだろうが…」
弓士さんが私を困った様子で言いくるめようとして来る。でも、その言葉にお姉さんが言い返した。
「それなら、あたしが全力をもって人間軍を打破し、魔族による人間世界の統治を行ったとしても文句はないんだろうな?」
「勇者…我等を裏切る気か!?」
「裏切りだと思うならそれでもいい。でも、答えろ。
魔族に支配を強いることを認めると言うのなら、逆に人間が魔族に支配されることになっても致し方ないと、そう言うことか?」
「我等が魔族に屈することなどあり得ない!もう一度魔族が攻め込んで来るのなら、命果てるまで戦うのみだ!」
「それなら、ここであたしがあんた達を斬り伏せて追い返したとしても、文句はないな?」
「やはり…魔族側に着くと言うのか!」
「勇者様…目を覚ましてください!魔族の侵攻で命を奪われ、苦しめられていた人々に誰よりも心を痛めていたのは勇者様ではありませんか!」
剣士さんと弓士さんが、口々に言う。ダメ…ダメだ。話が全く噛み合ってない。見ている世界が違いすぎる…
弓士さんも剣士さんも、魔族が敵だって、そうとしか考えられていない。人間と魔族、それぞれの立場に視点を変えることすら出来ないんだ…
このままじゃ、このままじゃ話し合っていてもきりがないよ…何とかしないと…なにか、なにか言葉を…!
「それなら…魔族がどうとかはもう考えなくていい。あたしとあんた達との話にしよう…北部城塞のやつらは、あたしが斬った。
それは、あたしの理想にあいつらが挑んで来たからだ。ここでも同じだ。あたしは一個人として、あんた達の行動を許せないと思ってる。
だから、この先へ進みたいんならあたしが相手になる。それでもここを押し通るか?北部城塞のやつらの敵討ちで、あたしの首を持って帰るか…?」
お姉さんの言葉に、剣士さんと弓士さんがたじろいだ。
お姉さんの言葉は寂しくて悲しいけど、魔族相手に戦うわけではなく、
戦争の中を一緒に掻い潜って来たお姉さん個人と戦うと考えさせることが出来るのかもしれない…
例えそれを言うことが、人間の希望であるお姉さんが人間を裏切った、ってことになったとしても…
「勇者様…どうしてそこまで…?」
「あたしは…もう見たくないんだ…。血と肉塊に染まった大地も、家族を喪って泣くやつも、街を焼き尽くす火も、抵抗も出来ずに殺されて行くやつも…」
ギリっと、お姉さんは拳を握って、絞り出すような声色で言った。そう、それはお姉さんの本当の気持ちのはずだ。
そしてきっと、その心は人間の軍だって同じはずなんだ。みんな守るために戦って、守ろうと思って傷付いて来たはずなんだ…
人間だって…魔族だって、それと同じなんだよ…。
だけど、そんなお姉さんの言葉に返ってきたのは、剣士さんの冷めた口調の質問だった。
「ではなぜ、北部城塞の部隊を攻撃したのだ…?報告によれば、地獄絵図だったと言うが…?」
「そ、それは…!」
私はまた、声を上げていた。とにかく、必死に。
「人間の司令官が、魔族子どもを殺したからって…!だから、お姉さんは怒って…それで!」
「あの戦争で人間の子どもが犠牲になっていないとでも言うのか?もしそれが理由なのだとしたら、我等は魔族の民を力で捩じ伏せるくらいやさしいことだろう?
再び戦争が起こらぬようにしようと言うのだ。皆殺しにしようと言うわけではない」
剣士さんは私に言い、そしてお姉さんを睨み付けた。
「勇者よ…俺はいささか貴様を買い被っていたようだ。魔族などという蛮族に肩入れし、同胞を手にかけ、どの口で幸せなどとほざくか!
我等が魔族から受けた痛みを教訓とし、二度と同じことが起こらぬようにしたいと願うこの挙兵を邪魔するのであれば、その首を切り落として王都へ持ち帰る!」
「その方法が間違ってるんだ!力で無理やり押さえつけたところに平和なんてない…!
少なくとも…北部城塞の司令官がやったことは道理から外れてる!あれを正当化しようってのか!?」
「それは貴様も同じことだ!たった一人の魔族の子どもの死によって、貴様がどれだけの人間を斬り殺した!?」
剣士さんがいよいよ声を荒げた。お姉さんは歯を食いしばって黙ってしまう。
「なぜ…なぜ、分かろうともしない!」
不意に傍らに居た兵長さんが吠えた。
「あなた方は、三年にも渡る戦争の間、勇者様と共に在って戦ってきたのではなかったか!?
勇者様と同じものを見て、それをどう感じて来たのかも見てきたのではないか!?それなのになぜ分からない!?
勇者様はただ、種族などという物を越えて勇者たり得ることを望んでおられるだけではないか!
勇者はいつから人間だけの希望となった!?
いにしえの勇者は、人間と魔族、それぞれが争うことなく生きていくことを願って大陸を二つに別かったのだ!
今の勇者様は、それと同じ!いや、それ以上だと私は信じる!
争いなど望んでいない…肌の色でも、姿形でも、文化の違いでもない…己が目で、目の前の者の心内を見ろと言っている!」
兵長さんの言葉は、一瞬、辺りに沈黙を生んだ。
「あなたは…交易都市の憲兵団にいた…」
「弓士様、剣士様…私は今ここで魔族すべての心内を理解して欲しいなどとは申しません。ですが、勇者様は共に死地を駆けた戦友ではありませんか。
どうか…勇者様のお言葉に耳を傾けてはもらえませんか…」
兵長さんは、今度はトーンを落として弓士さんにそう言い、頭を下げる。また辺りが一瞬、沈黙に包まれた。だけど、それもまたほんの短い時間だった。
「裏切り者の言葉など、信じられん。勇者…いや、かつて勇者だった者の言葉も、兵長、貴公の言葉であってもな」
剣士さんの乾いた声が響いた。その声色は、私には絶望の音にも聞こえるようだった。
「歩兵隊、剣を抜け!槍兵隊構え!」
「し、しかし、剣士!」
「惑うな弓士!やつは駐留部隊を半壊させている!ここで消しておかねば、後々の災厄になりかねん!」
「…っ!い、弩兵隊、装填!法術隊は支援のために防衛魔法を発動!」
剣士さんと、その勢いに押された弓士さんが声高らかに叫んだ。とたんに、辺りを囲んでいた兵隊さん達がガシャガシャと金属音をさせ始める。
背後に居たテントを使っていた兵隊さん達も私達を取り囲んでいた。もう、見渡す限り、兵隊さんだらけ…這い出る隙間もないくらいに…
「くっ…なんて浅はかな…!」
兵長さんがそう憎々しげに言いながら、腰に差していた剣を引き抜いた。
もう、ダメなのかな…戦わなきゃいけないのかな…?あんなに、あんなに悲しんでいたお姉さんに、また人間を殺させなきゃいけないの…?
どうして…どうして…?
私ですらそう思っていたのに、お姉さんが兵長さんに叫んだ。
「兵長、剣を戻せ…!戦いに来たんじゃない!一度やっちゃったら、取り返しがつかなくなる…!」
お姉さんは泣いていた。ボロボロに涙を溢して…だけど、それでもまだ、諦めようとはしていなかった。
「弩兵隊、放て!」
不意に、弓士さんがそう怒鳴った。
その瞬間暗闇から無数の光る何かが私達目掛けて飛んでくるのが見える。
「伏セロ!」
トロールさんの声が聞こえたと思ったら、私は足下から引っ張り倒されるようにして地面に転げていた。
パタパタパタ、っと音がして、地面に何かがたくさん落ちてくる。それは鉄製の矢だった。それが地面を埋め尽くすほどに散らばっている。
ふと、顔をあげると、サキュバスさんが片手を振り上げていた。
その指先がかすかに歪んで見える。か、風の結界ってやつ?
私達にはさらに矢が射かけられているけれど、そのすべてが私達の周囲五歩くらいのところまで飛んできては、
まるで柔らかい布団に木の棒を投げ当てたみたいに勢いを失って地面へと落ちていく。
「結界魔法か!?えぇい、槍兵隊!一点突破して突き破れ!」
「待て…やめろ…!話を…話を聞いてくれ!」
剣士さんの言葉に、お姉さんがそんな金切り声をあげる。そんなお姉さんの声に答えたのは、サキュバスさんだった。
「魔王様…ありがとうございます…ですが、もう結構です…。
魔族のことよりも、私達のことよりも…私は、これ以上魔王様が傷つけられる様を黙って見ては居られません…。
言い付けを守れぬこと、どうかお許しください」
サキュバスさんの表情には、悲しみと悔しさが満ちていた。
「サキュバス殿、付き合いますよ…お一人でこの数は骨が折れましょう」
「兵長様…えぇ、参りましょう…!」
兵長さんが、サキュバスさんと言葉を交わして剣を閃かせた。
「やめろ…!やめろ!サキュバス、兵長!」
お姉さんが涙を溢して叫んだ。
私にはもう、どうすることも出来なかった。戦いを止めることも、人間の軍隊を説得する言葉もない。もう、どうしようもないの…?
また戦いが起こって、お姉さんも人間の兵隊さん達も、サキュバスさんも兵長さんも傷ついちゃうの…?どうして…?
これが怒りなの?南部城塞の司令官さんが言っていた怒りって、こんなにどうしようもないものだったなんて…
人を、魔族を、まるで悪魔に変えてしまうみたいな感情…こんなのを、どうやって止めたらいいの…?
そんなことで頭がいっぱいになった私は、思わずお姉さんに飛び付いていた。自分でもよく分からない。
怖かったわけじゃない。きっと、お姉さんを守らなきゃ、って、一人にしちゃいけないって、ずっとずっとそう思って来たから、体が勝手に動いたんだと思う。
「頼む…二人共!やめてくれ…っ!?」
サキュバスさんと兵長さんを止めようと声を張り上げたお姉さんの言葉が詰まったように聞こえた。
何?お姉さん…どうしたの…?
「なに、これ…口笛!?どこから聞こえるの…!?」
耳元で妖精さんが言った。口笛…?口笛が聞こえるの…?それを聞いて私は、つられるように耳を済ませる。
聞こえる…口笛だ…この旋律、知ってる…。子守唄だ。私が眠るときに、母さんがいつも歌ってくれてた子守唄。
おやすみなさい、かわいいややこ
あなたは母の宝物
泣くではないよ、かわいいややこ
あなたは母の腕の中
そら、おやすみなさい、楽しい遊びはまた明日
そう、あの歌だ…どうして…こんな状況で誰がこの歌を!?
「人間ちゃん!上見て!」
妖精さんが叫ぶ声につられて、私はお姉さんの胸元の埋めていた顔を起こして空を見上げていた。
そこには、何かが「いた」。闇空に、松明の光を浴びてぼんやりと輪郭だけが浮かび上がっている。口笛の音が、さらに大きく響き始めた。
口笛の音だけど、口笛だけでこんなに大きな音なんて出るはずがない。これは…魔法か何か…?
私はふと辺りを見回す。剣士さんも弓士さんも兵隊さん達も、サキュバスさんに兵長さん、
トロールさんもみんな一様に戸惑った様子で動きを止め、夜空を見上げている。
みんなの注意が自分に向いたことを確かめたように「それ」がゆっくりと動き出した。その動きは、まるで階段を下りてくるようだった。
でも、空中に階段があるわけない。でも、いくら見たところで、それは見えない螺旋階段を下りてくる姿そのものだった。
やがて、その姿がはっきりと見え始める。闇夜に紛れ込みそうな黒いマントを羽織り、フードを被っているのか顔は見えない。
肩に何か大きな物を担いでいるようだけど…あ、あれって…ひ、ひ、ひ、人!?
そのマントの人物は、明らかに人の形をした何かを担いでいる。
しかも担がれている人形の何かは、ぐったりとしている様子で…その、まるで、死体のようだった。
「あ、あ、あ、あ、あれ、何?誰…?し、死の神様…?」
妖精さんが震えた声で言う。ゾクッと、背筋を悪寒が走って、私はあわてて首を振る。そんなのがいるはずなんてない…
そういうのは、絵本の中だけの話だ。いるはずなんてない…いるはずなんてない…!
しかし、それでもその人は見えない螺旋階段を下ってきて、やがて、私達の目の前にストっと降り立った。
死神と言われたら、そうとしか思えない漆黒のマントをはためかせながら、その人は肩に背負っていた死体のような人の体をドサッと地面におろした。
私は、その顔を知っていた。
「くっ、黒豹さん!」
私が悲鳴を上げるよりも早く、兵長さんがそう叫んで地面に投げられた黒豹の隊長さんに駆け寄った。
「黒豹さん…黒豹さん、しっかり!」
「うっ…くっ…」
「黒豹さん!」
兵長さんが体を揺すると、黒豹隊長は呻き声を漏らした。良かった…死んじゃってるのかと思った…
だけど、どうして黒豹隊長を?この人も…人間軍の人なの…?
そう思って、私は黒いマントを警戒しつつ睨み付ける。そんなとき、ふと、声が聞こえた。
「ジュウニゴウ…!」
お姉さんの声だった。ジュ、ジュウニゴウ…って、何?名前…?そんなことを考えていると、口笛の音が止んだ。
黒マントがお姉さんと私に体を向けてきて、そのフードを取る。
そこには、男の人の顔があった。年頃はお姉さんと同じくらいか、少し上に見える。兵長さんの髪より少し暗いブロンドの髪に無表情な…
その、えっと…すごく、カッコいい顔立ち、だ。
「その名で呼ぶな、と言ったろう」
男は無表情でお姉さんにそう文句を言い、無造作に、乱暴にお姉さんの肩を掴んだ。
「魔王様!」
「勇者様!」
あぁ、まずい!
サキュバスさんと兵長さんが叫び、お姉さんが攻撃される、と思った私が腰のダガーに手を伸ばしたとき、
その男は、お姉さんの肩を捕まえていたのとは反対の手で、涙に濡れていたお姉さんの頬を拭った。
私がそうだったんだから、きっとサキュバスさんも兵長さんも同じで呆然としちゃっているだろう。
も、もしかしてこの人って…!
「魔導士!お前、今までどこに!?この遠征のための召集が行ったはずだろう!」
剣士さんが言った。やっぱり、そうなんだね…この人が、お姉さんの仲間だった魔導士さんなんだ…もしかして、ずっとこの状況を見ていたの…?
お姉さんの敵なの…?そうじゃないの…?
「魔王様!」
不意にサキュバスさんが怒鳴って私がしがみついていたお姉さんと魔導士さんとの間に割って入って来る。
同時に兵長さんが魔導士さんの首筋に剣の切っ先をあてがった。
「こつらは?」
魔導士さんは、そんなことを気にも止めずにお姉さんに確認する。お姉さんは私をギュッと抱き締めて、まるでその場に崩れるようにして座り込んでから言った。
「二人とも、あたしの大事な仲間だ。サキュバス兵長、やめてやってくれ。頼む」
お姉さんも言葉に、兵長さんが恐る恐る剣を下げる。サキュバスさんも、
魔導士さんに向けていた手のひらをゆっくりと引いて下ろした。
「魔導士!勇者様を取り押さえます、力を貸してください!」
弓士さんが間隙を縫って叫び声を上げる。
でもそれを聞いた魔導士さんは、弓士さんを鋭い視線で睨み付けた。
「一月しか食えない額の金と安っぽい勲章ひとつで3年も戦争をやらせるような雇い主、こっちが願い下げだ」
そう言い放った魔導士さんは、マントを翻らせてお姉さんと私に向き直った。
「おい。俺を雇う気はあるか?」
や、雇う…?お金がいるの…?魔王城、お金あるのかな…?お城は豪華だけど…宝物やなんかは見たことがない…で、でも!
もし、お姉さんの仲間になってくれるなら…
「報酬は?」
お姉さんが、私をキュッと抱き締めて聞く。
見上げたところにあったお姉さんの表情は、まるで、離ればなれになっていた家族に再会できたような、安心と嬉しさに溢れているように私にはみえた。
「そうだな…住む部屋と朝昼晩三食を七人分だ。契約期間中、ずっとな」
それを聞いたお姉さんの笑い声が聞こえた。
「ついでに、間食と昼寝の時間もつけてやるよ」
え…?ご、ご飯と寝る部屋と…おやつに昼寝…?契約って、お金とか地位とかそう言うことじゃないの…?
それだけでお姉さんの味方をしてくれるの…?
「さすが。一国の王ともなると羽振りが違う」
魔導士さんはそう言うと、二本指を立てて空へと掲げた。その刹那、夜空がパパパッと輝いた。
か、雷…!?魔導士さんは雷を操るような魔法が使えるの!?
「さて…雇用主さん。どうする?揃って感電死でも、半殺しでも、お好きに指示してくれ」
また、空がピカピカっと光る。私はそのときになって気が付いた。真っ暗な夜空に巨大な魔法陣が描かれていた。
「そんな…大気中にあんな強大な魔法陣を…!?」
サキュバスさんが空を見上げて絶句している。魔法を使えるサキュバスさんから見ても、あれはやっぱり普通じゃないんだ…
「全員向こうに送り返せ」
お姉さんは静かな声で言った。そうだ…!お姉さん言ってた。魔導士さんなら送る先に魔法陣の要らない転移魔法が使えるって…!
「馬鹿言うな。強制転送は個別式だ。いくら俺でも、ここにいる半分も送れば力が枯れる」
「あたしが出力になってやる、良いからやれ!サキュバス、頼む!」
魔導士さんの言葉に、お姉さんはそうサキュバスさんに私を押し付けて立ち上がると、魔導士さんの肩に後ろから手を置いた。
袖を伸ばしたままのお姉さんの両腕から、青と赤の光が漏れ始め、その明るさが次第に強くなっていく。
「あぁ…なんだこいつは?いい気分だ…!」
魔導士さんはそう呟くと、やおら二本指を立てた腕を高く掲げて見せた。
「ま、まずい!総力攻撃!急げ!」
剣士さんが辺りに怒鳴った。雷の出現に戸惑っていた兵隊さん達がそれぞれの武器を取り直し、私達目掛けて迫って来る。
「来るか!?」
それに反応した兵長さんが剣を構える。そんな兵長さんに、お姉さんの代わりに私を抱き締めてくれていたサキュバスさんが叫んだ。
「兵長様!大丈夫です!そばを離れないで!」
そう言うや否や、サキュバスさんの体から暖かい何かが伝わって来る。
これ…魔力の感じ?サキュバスさん、魔法を?!
そう思った瞬間、私達の周囲を砂ぼこりを巻き上げる程の突風が吹き荒れ、まるで壁のように私達を囲い込んだ。
それこそ、向こう側が見えなくなるくらいの風の勢いだ。こんな中に飛び込んだら、たちまち吹き飛ばされてしまいそうなくらい…
「へぇ、生身にしてはずいぶんと強力だな」
「良いからさっさとやれ!」
のんきな魔導士さんの言葉に、お姉さんが怒鳴った。
「わかったよ。雇用主様」
魔導士さんは気だるそうな声色で返事をすると、今度は囁くように小さな声で言った。
「消えろ、クズ共」
空に伸ばしていた指を、魔導士さんがクっと折り曲げた。その瞬間、辺り一帯が目を開けていられないほどに輝いた。
思わずつぶった目を開けるとそこには、あれだけ居た見渡すほどの兵隊さんの姿がどこにもなかった。剣士さんも、弓士さんの姿もない。
まるで今までのことがウソだったみたいに、誰も、何もいなくなった。
「ふぅ…」
そう息を吐く声が聞こえて振り返ると、お姉さんが膝から崩れ落ちて地面にへたりこんでいた。
「お姉さん!」
私はサキュバスさんの腕から離れてお姉さんに飛びつく。お姉さんは、疲れきった表情だったけど、私を受け止めて優しく抱きしめてくれた。
「ちゃんと送り返せたのか?」
お姉さんが私の頭をゴシゴシと撫でながら魔導士さんにそう聞く。
「さて、どうだろうな。慌てて描いた即席の魔法陣だから、座標も適当だ。石壁の間か、地面の中か、空中の高いところにでも出ていなけりゃぁ無事だろ」
「もしそうだったら、悲惨だな」
魔導士さんの言葉に、お姉さんはヘヘヘっと嬉しそうに笑った。
その笑顔は、私が今まで見てきたどんな笑顔とも違った。
そう、まるで子どもみたいに、無邪気で、元気な笑顔だ。
もしかして、この魔導士さんは、お姉さんにとってすごく特別な人なのかな?
その…恋人とか、そういう人なんじゃないのかな…?
私はそんなことを思ってお姉さんの顔を覗き込んでみる。
するとお姉さんはクスっと私にも笑顔を見せてくれて
「あとで話す。今はとにかく、城へ帰ろう」
と言って、またクシャっと頭を撫でてくれた。
「あっ」
不意に、妖精さんがそう声を漏らすのが聞こえた。肩にしがみついていた妖精さんを見やると、何かを指差している。
私は妖精さんの指の先に視線を向けた。
そこには、あの大陸を半分に割るようにしてそびえている山脈から、一筋の光が溢れている景色だった。
「日の出、か」
お姉さんの優しい声が聞こえてくる。
山脈から覗いた朝日が、私たちを明るく照らし出してくれる。
「オ、オイ、眩シイノ、ダメダ!」
トロールさんがそんなことを言って、私のマントに潜り込んできたので、私は思わず声をあげて笑ってしまった。
そんな私につられたのか、お姉さんも、妖精さんも、兵長さんもサキュバスさんも、なんだか楽しそうに笑い出す。
笑いながら、私は全身の力が抜けていくような、そんな感じを覚えた。
きっと、他のみんなもおんなじことを感じているんだろう。
どんなことだって、笑って力を抜きたい気分なんだ。
ひとしきり笑ってようやく収まったころには、サキュバスさんも兵長さんも、地面にへたりこんで、脚を投げ出していた。
何が終わったわけでもない。きっと、人間の軍隊はきっとまたやってくるだろう。
でも、それでも。
私たちはこのひと時の時間を堪能したかった。
「さて…それじゃぁ、俺はあいつらを連れて来るから部屋の準備をしておいてくれよ」
ただひとり、立ったままだった魔導士さんがお姉さんにそう言う。
それを聞いたお姉さんはサキュバスさんを見やった。
サキュバスさんも、すっかり安心した表情でコクン、と頷く。
「すぐに準備させる。そうだな…ついでに朝飯でも食いたい気分だな」
お姉さんがそう言うと、魔導士さんは無表情で言った。
「そうだな。そいつも忘れずに用意しておいてくれよ、ジュウサンゴウ」
魔導士さんの言葉に、お姉さんはクスクスっと笑ってから応えた。
「その名で呼ぶなってば」
つづく。
あああああああああああああああああ!
読み直したら数行抜けてた…
悔しいので、追加で貼っておきますw
>>293と>>294の間にこれ入ります↓
「泣き止んだか、お嬢さん」
男はそう言ってお姉さんの目を無表情でじっと見据えた。それから思い出したように黒豹隊長に頭を振って
「ありゃぁ、お前の手駒か?」
とお姉さんに聞く。お姉さんは呆然としながら、それでも
「て、手駒って言うな…あたしの、部下…ううん、仲間だ」
と訂正する。男は、それを聞いてもなお無表情で
「そうか、ならもう少し手加減しておくんだったな。やつらに利用されるのがしゃくで戦争のときに描いた戦術転移法陣を消してたら
後ろから襲われてもんで、思わず特大のやつをぶっぱなしちまった」
なんて言っている。
いつの間に魔導士は12から13にランクアップしたんだ
勇者作成実験の披検体なのかもしれんな
複数…7人分?の人格持ち
勇者はその7人の見分けがつくとか
いや、たぶんセリフに釣られただけだと思う
だが>>301の勇者実験体云々はありそうだねぇ
乙
大丈夫
普通に読めば誰のセリフかぐらいわかる
おつ
>>300です
普通に釣られてたわorz
楽しみにしてるよ~
プライベートがバタバタで更新遅くなってすみません!
短いですが、続きです!
勇者という存在の核心に迫ります!
それから私達は、魔導士さんがどこかへ転移魔法で消えていくのを見送り、魔王城には戻らずに一旦お姉さんの転移魔法で南部城塞へと向かった。
南部城塞では兵隊さん達が移動する仕度を万端に整えて、城塞の外に整列しているところだった。
司令官さんを見つけたお姉さんが、東部城塞の事を話して昨日の約束通り人間界へ帰るよう伝えると司令官さんは含み笑いをしながら
「再侵攻の話など聞いていない。もとより、撤退するつもりだが?」
なんてうそぶいた。
それを聞いたお姉さんもすまし顔で
「そうだよな?魔王城に攻め込もうだなんて考えないよな」
と言い返していた。
そんなやり取りを聞いていた私は、やっぱりこの司令官さんになんだか安心できた。
信用する、というのとは違うけれど…何て言うか、この人は軍人さんで、兵隊で、戦争を仕事にしている人だけど、
少なくとも怒りの感情に支配されていない人だって感じられたからだと思う。理性的で、冷静だった。
南部城塞から兵隊さんが引き上げるのを見届けて、私達はようやく、魔王城へと帰りついた。
一晩中起きていたのと、度重なる緊張とですっかりヘトヘトになってしまっていたけれど、それでも私はサキュバスさんの朝食の準備を手伝った。
南部城塞から戻る少し前、お姉さんが魔導士さんから念信って言うのを受け取って、準備があるから朝食は済ませて来ると言っている、と教えてくれた。
だから朝は兵長さんの分を増やすだけで済んだからそれほど大変でもなかった。
魔導士さんは七人分、って言ってたけど、誰か家族でもいるんだろうか?
それとも一人で七人分を食べるのかな?魔法をたくさん使うと疲れると前にお姉さんが言っていたから、
あんなに強力な魔法を使う魔導士さんは普通の人より多く食べないといけないのかも知れないけど…
それにしても七人分は多すぎるよね…どういうことなんだろう?あとでお姉さんに聞いてみよう。
そんなことを考えている間に準備を終えて、食堂に運んだ。トロールさんは明るいのがダメで眠ってしまったようだったので、
お姉さんに私にサキュバスさんと兵長さんと妖精さんだ。黒豹さんは、まだ眠っていると兵長さんが言っていた。
心配したけれど、お姉さんが回復魔法を使ってくれたらしいから、目が覚めれば大丈夫って話だ。
全員無事だし、なにはともあれ…とにかく目の前の戦争は回避出来たからよかったよね、うん。
「ふわぁ…それにしても、さすがに眠いな…食べ終わったら一眠りしたいところだけど、部屋の準備もしないと行けないしなぁ」
お姉さんがだらしなくテーブルに肘をついて、ズズズっとスープを飲みながらそんなことを言う。もう、お姉さんってばお行儀悪いよ?
「魔王様はお休みになられていてください。準備なら私が済ませて置きます」
サキュバスさんが、さも当然、という様子で言うとお姉さんはまた大きなあくびをしてから
「いやぁ、でもいろいろ力仕事になるだろうし…兵長と黒豹の部屋も用意しなきゃいけないだろ?」
と兵長さんに話を振る。だけど、兵長さんは兵長さんでしれっとしていて
「お気遣いなど無用です。私は客ではなく、この魔王城に遣える者になったつもりでいます。必要なことは自分で行うのが筋でしょう」
と、遠回しにお姉さんに休めと言わんばかりだ。
「兵長様は、私の私室の隣をお使いください。私とは別の侍女が使っていた部屋ですので、調度品の類いも一式揃ってございますし」
「それはありがたい」
サキュバスさんと兵長さんが笑顔を交わしながらそんなやり取りをしている。
「魔導士様は、そうですね…魔王様達のお部屋の下ではいかがでしょう?」
サキュバスさんは今度はその笑顔をお姉さんに向けて聞いた。
「あー、どうかな…ちょっと狭い気がする。出来れば二部屋用意してややりたいんだ」
二部屋?魔導士さんだけで二部屋なんてどうしてだろう?魔法の実験室とか、そういうのが必要なんだろうか?
そんなことを考えていた私は、ふと、さっきの疑問を思い出した。そう、魔導士さんが言っていた、食事は七人分必要ってやつだ。
食事は七人分で、二部屋ある方がいい、ってことは…
「魔導士様は…お連れ様がいらっしゃるのですか…?」
私が導き出したのと同じ答えを、サキュバスさんが口にした。お姉さんはそれを聞いて、コクっとうなずいてみせた。それから私の方を見て
「説明する、って言ったもんな」
と言って笑うと、一口だけお茶を飲んでふうと息を吐いた。
「王都にある魔導協会本部の敷地内には、通称“選別所”って呼ばれてる場所がある。
表向きは協会独自の孤児院の一部署なんだけど、孤児院なら王立のも、貴族の連中が私財を使って運営しているのがある。
そう言うのに比べると、なんでやってるのか分からないくらい小さな規模の孤児院だ。あたしも、あいつもそこにいた」
魔導協会の、孤児院…
魔界から人間界へ行って、そこで捕らえられたっていう、あの竜族と人間との子どもがいるかもしれないって話していたところの事だ。
お姉さんも、そこにいたの…?
「勇者候補十三号。それがあそこでのあたしの呼び名だった。あいつは十二号。
あの施設は、大陸中から勇者の紋章の器となる人間を探し出すことが目的だったんだ。
親に施設へ送られてきたやつもいたし、あたしみたいに親が死んじゃって、
他の孤児院に引き取られる前の調査で素質を見抜かれ連れて来られたやつもいた。
そして、毎日戦闘の訓練と魔法の修練、それに勉強もさせられた。戦術とかそういうことのね。それで、数えで16歳になったやつから試されるんだ。
勇者の紋章が封印されてる剣を握らされて、紋章を受け継ぐ器かどうかを、ね」
そう言ったお姉さんは宙を見据えて、あの悲しい表情を見せた。
「勇者、ってのは、血統じゃないんだ。もちろん、古の勇者の血を引いてるって一族は未だに王下貴族の一角として残ってる。
でも、その血筋の人間がみんな勇者の名を継げるワケじゃない。この勇者の紋章は、人を選ぶ。
あたしは小さい頃、王都からずっと東にあった小さな村に住んでた。ある日さ、大火事が起こって、村のほとんどが焼けちゃったんだ。
あたしは奇跡的に、なんでか生きてた。父親も母親も妹も、みんな死んじゃったってのに。
火を消しに来てくれた魔導協会と王下騎士団に保護されて、あたしは王都に連れて行かれて孤児院に入ったんだ。
勇者候補十三号。あたしはそう名付けられて、勉強や武術、魔法の訓練をさせられた。もちろん、あたしだけじゃない。
知っている限りでも勇者候補は五号から二十号までいた。四号より前の奴らは知らないけど…どうなったのか、はなんとなく知ってる。
あたしたちは、勇者の器としての素質を見出されてそこにいた。でも、勇者になれないやつ達に用はない。
四号より若い番号のやつらは…勇者の紋章を引き継ぐことができずに、あそこを追い出されたんだと思う。
実際に、あたしより若い番号のやつらはほとんどがそうなった。
あたしはそれが怖かった。親がいるやつらはいい。
でも、あたしは違った。自分が勇者になれずに一人になって捨てられるのか、って…ずっとそう思ってた。
勇者になれなければ捨てられる。自分より前の連中が勇者になっても、そのあとのやつらは同じように捨てられる。
みんなで一緒に生活していたはずなのに、あたしたちはみんなひとりきりだった。
あたし達は自分以外の誰も信用できず、ただひたすらに自分自身が器であるってことだけを信じて、訓練に励んだ。
だって、勇者じゃなければ捨てられるんだ。
そこに居たって一人きりのはずなのに、それでもあたしたちは捨てられることが怖かったんだ。
一人で、どう生きて行っていいかも分からないところへ放り出されることを想像したら、どうしようもなく怖かった」
お姉さんは、そこまで話してブルっと体を震わせた。
「結局あたしは、勇者の紋章に適合した。
でも…あたしが勇者の紋章を受け継いじゃったばかりに、あたしのあとの連中はいらない子になって、施設から追い出された。
あたしの前にいた子たちもみんなだ…あたしは、他の勇者候補のやつらを犠牲にして生きた。
それが…あたしの最初の罪、だったのかも知れない」
お姉さんはそう言って、クッと息を飲んでうつむいた。辛さをこらえているような、そんな感じだった。
「あたしは、怖いんだ。ずっと一人だったから。自分が一人だって知ってしまうのが怖い。一人になるのが怖い。
失敗したら、周りから誰かがいなくなるかもしれない。自分が正しいことをしても、周りから誰かがいなくなるかもしれない。
だから、あんた達が一緒にいてくれるって言ってくれて嬉しかった。でも、同時にあんた達を失うかもしれないって思うと、あたし怖くて…
仲間を犠牲にして生き残って、数えきれないほどの魔族を屠って、人間さえ斬ったこの血で汚れた手で、あんた達に触れていいのかって。
こんな情けないみっともない姿を見せて、あんた達がどんな顔するのかって。
それが、ずっと怖かった…ううん、今も怖い…どうしようもなく、怖いよ」
お姉さんはそう言って震える手を握りしめ全身をひどく震わせた。でも、お姉さんはなんとか自分で気持ちを立て直して、話を続ける。
「そんな施設で、だったけど、一人だけ、変な奴がいた。それが、勇者候補十二号。あいつだ。
あいつは、自分が勇者の器にはなれないってことをなんでか知ってたみたいだった。
そのせいか、あいつだけは周囲に優しかった。
無表情のクセに、訓練でやりすぎてブッ倒れたあたしを看病してくれたのも、
魔法をうまく操るコツを教えてくれたのもあいつだった。
誰も信用出来ない施設で、あいつだけは、どこか違う印象を与えてくれてた。
あいつは、自分が紋章を受け継げないことを確認されて施設から追い出された。
でも、あたしが勇者の紋章を引き継いでしばらくして戦争が始まったとき、勇者一行の一人として名乗り出て来たのが今の魔導士だ。
全身に命を削るほどの無数の魔法陣を彫り込んで、さ。
そこで、あたしはあいつに聞かされたんだ。
あたしからあとの、十四号から二十号までの勇者候補だった子供たちを、あいつが保護して育ててるんだ、って
その子供達の生活のために、魔導協会や軍部と取引をして、金をせしめる代わりにあたしの仲間になってくれた」
お姉さんは、お茶をグイっと飲み干してから、ふう、と深呼吸をしてさらに話を続ける。
「あいつは、子供達を助けてたんだ。
それは、あたしにとっては…まるで、あたしの罪をあいつが雪いでくれたみたいな、そんな気がした。
あいつ、基本的に人間なんて信用してない。
だからいつだって無表情だし、契約でしか物事を決めない。
でも、あたし達にだけは違った。
たぶん、同じ境遇を生きてきた仲間だって、そう思ってくれているんだと思う。
あたしも、もちろんそう思う。
あいつは…あたしの恩人で…面倒を見てくれた、兄さんみたいなもんだな」
お姉さんはそこまで言うと、私を見やって、嬉しそうな、でもどこか寂しそうでもある表情でいった。
「だから、あいつが7人分の食事を摂るワケじゃない。あいつの他に6人、同じ勇者候補だった子供たちがいるんだ」
私は、なんにも答えられなかった。
お姉さんが…そんな人生を送ってきたなんて思ってもいなかった。
勇者様っていうのがどうやって選ばれるのか私は知らなかったけど、きっと貴族とかそういう人がなるんだって思ってた。
それなのに、お姉さんは私と同じで小さい頃の家族を失って、その上、そんなところに入れられて、ほとんど誰も頼ることもできずに生きてきたんだ。
もし私が、父さんと母さんが死んじゃったあとにトロールさんと出会うこともできず、そんな場所へ連れて行かれたらどんな風になってしまっただろう?
想像するしかないけれど…でも、きっとお姉さんの様になんていられない。
きっと、世界も、世の中にも絶望してしまう。
誰かのことなんて思いやる余裕なんてきっとない。
自分がどうなるか、ってことを考えるだけで精一杯だろう。
それなのに、お姉さんはそうじゃなかった。
魔導士さんっていう支えがあったからかもしれないけど、お姉さんはそうはならなかったんだ…
「なるほど…それで7人ですか。納得いたしました」
不意にサキュバスさんが言った。その表情は、なんだか柔らかくて見ているだけで気持ちが温かくなる様な笑顔。
「でしたら、魔王様のお力をお借りするべきでしょうね…食事を終えたら、どうかお力添えをいただけますか?」
「そのような事であるなら、私も自分の事ばかりとは行きませんね。サキュバス殿、お手伝いいたします」
兵長さんも、どうしてか、穏やかな笑顔で言った。
「あぁ…サキュバスも、兵長も、ありがとう」
お姉さんは、改まって二人にそうお礼を言って頭を下げた。
私は、そのときになって気がついた。
そうか…お姉さんは、魔導士さんを兄ちゃんみたいだ、って言っていた。
あの人は、無表情で、契約がなんとか、なんて言う人だけど、お姉さんにとっては支えで、何があっても味方でいてくれる人なんだ。
それこそ、いつもキリっとしていて、私たちを守るために一生懸命な顔をしているお姉さんが、あんな子どもみたいに笑える相手。
サキュバスさんも兵長さんも、きっとそれが嬉しいんだ。
私達だけじゃない、他にもお姉さんが頼れる人がいることと、お姉さんが嬉しそうにしていることが…
そう思ったら、私ものんびりなんてしてはいられない。
なんたって、お姉さんの大事な人達だもんね!
ここに来てくつろいでもらえるように、私も準備を手伝わないと!
「お姉さん、私も手伝うよ!」
「私も、頑張るです!」
私と妖精さんはお姉さんにそう言った。お姉さんは、昔の話をしていたときの寂しい表情はどこへやらで、すっかり嬉しそうな表情を私に向けて
「あぁ!ありがとな!よろしく頼むよ!」
って、言ってくれた。
つづく。
たぶん、次回、魔導士さんの引越し&新展開。
乙
バタバタなところ更新ありがとう!
おつ
魔導士なんたるイケメン
6人の子どもたちが楽しみ
乙
14~20だと魔導士含めると8人だけど・・・
そこの解説もあるのかな?
>>314
レス感謝!
やっと落ち着いてきましたよ!
>>315
魔導士さんのコンセプトは、「先代魔王様より魔王っぽい」です。
>>316
感謝!!
チビ達、触りだけ登場です!
>>317
感謝!!!
そういう細かいとこに気がついていただけると書いていて嬉しくなります!
ってなわけで!
大変おまっとさんでした。
続き投下です!
「あー、お姉さん!右!もう少し右!」
「え、右ってどっちだ?こっちか?」
「あ、ごめん逆!お姉さんから見て左!」
「魔王様、もっと下げないと天井にぶつかるです!」
「えぇっ!?こ、こうか?」
「もっとです!あと、羽妖精一人分!」
「えぇぇ!?んくっ…この体勢、きっつい…!」
お姉さんがたった一人で大きなベッドを担いで、部屋の前で中腰になりながらずりずりと摺り足で中へと慎重に進んでいく。
ここはいつも私達が寝ている部屋のちょうど真下にある。
部屋の形は似ているけど、私とお姉さんが眠っている部屋に比べると少し狭い。
お姉さんと私と妖精さんはこの部屋に四つ目のベッドを運び込んでいる最中だ。
「兵長様、そのままお下がりください」
「はい。サキュバス殿、そちらは平気ですか?」
「このくらい、何てことはありませんよ」
隣の部屋ではサキュバスさんと兵長さんが私達と同じようにベッド運んでいる声が聞こえる。あっちは滞りなくやれているみたい。
それに比べて…
ガンッ!
「わぁー!お姉さん!だからそっちじゃないって!」
「うえぇ?こ、こっちか?」
ガコンッ!
「あぁっ!魔王様、また天蓋が引っ掛かってるです!」
「なにぃ!?くっ…ふぬぅ…!…っ!わっ!」
大きな天蓋付きのベッドを中腰で抱えて後ろ向きに進んでいたお姉さんは、均整を取り損ねたようで脚をもつれさせてドテっと床に転がった。
「わっ!ふんぬっ!」
とたんに、万が一のためにと風魔法でベッドを支えていた妖精さんが呻き声をあげる。
「痛たた…」
お姉さんはのっそりと起き上がりながらぶつけたらしいお尻を撫でている。そんなお姉さんに、妖精の叫び声が飛んだ。
「ま、魔王様っ!重いです…も、もう落ちちゃいますぅ!」
妖精さんは関係あるのかないのか分からないけど羽をパタパタと目まぐるしく動かしながら、苦しそうな表情で目をつぶり両手を光らせて魔法を発動させている。
「ご、ごめん!」
お姉さんは慌ててベッドに飛び付くとまた中腰になってベッドを支え、慎重に部屋の中に運び込んでとりあえず、とその場に置いてふぅ、とため息を吐く。
…サキュバスさんと兵長さん達に比べて、こっちはもう、ドタバタだ。
でも、運び込まなきゃいけないのはこのベッドで最後。タンスなんかは備え付けの大きい物があったから手間が省けた。
「ふぃー、ここで良いよな」
ベッドの配置を終えたお姉さんがため息とともに言う。
「うん、いいと思う」
私が言ったら、お姉さんは安心したようで満足そうな笑顔を見せてくれた。あとはシーツと毛布を用意しないとね…
そう言えば、魔界では毛布の他に鶏さんの羽が詰まった掛け物がある。私もいつもの部屋で使っているけれど、ふわふわで暖かくて快適なんだ。
あれも準備してあげられたらきっとみんな喜ぶだろうけど…もしかしたら上等な品物なのかもしれないし、サキュバスさんに聞いてみないといけないかな。
そんなことを思っていたらコンコンっとドアをノックして、サキュバスさんと兵長さんが部屋に入ってきた。
二人はシーツや毛布を両腕に山のように抱えている。
「皆様、お疲れ様です」
兵長さんがそう声を掛けてくれる。
「こちらもお済みになっていらっしゃいましたか。寝具の準備が終わりましたら、お茶を淹れて休憩にいたしましょう」
サキュバスさんもそう言ってくれる。
「あぁ、それなら、こっちはあたし達でやっておくから、休憩の準備を頼むよ。一息ついて、昼寝でもしたい気分だ」
「うん、そうだね!サキュバスさん、お願いします!ベッドメイクなら私もできるし!」
お姉さんの言葉に、私もそう声をあげた。
何しろ、私も昨日の夜からずっと眠ってない。
もちろんみんなだって同じだ。
私は、眠いって感じはしないけど、体中がだるくって疲れているように感じている。
お姉さんや兵長さんは体力ありそうだけど、サキュバスさんは細身だし、妖精さんなんかは目の下に隈ができている。
魔導士さんたちが来る準備が済んだら、今日のところはゆっくり休んでおいた方が良いと思うんだ。
「ふふ、分かりました。それでは、お願いいたしますね」
私たちの言葉にサキュバスさんが笑ってそう言い、駆け寄った私にシーツと毛布の山を預けてくれて、お姉さんに一礼すると部屋から出て行った。
「さて!パパっとやってお茶して昼寝だ!」
サキュバスさんの後ろ姿を見送ったお姉さんが、言うが早いか私の腕からシーツを取って手早くベッドに敷き始める。
私と妖精さん、兵長さんもそれを手伝って手早く準備を終えた。
部屋を出て暖炉の部屋に向かうと、そこにはすでにサキュバスさんがいつも入れてくれるオレンジお茶の香りがふんわりと漂っていた。
「んー、いい匂いだ!」
お姉さんがそんな声をあげる。
お茶を入れて、テーブルに並べてくれているサキュバスさんが
「皆様、整ってございます。どうぞお休みくださいませ」
と私たちに笑顔を見せてくれた。
ソファーに腰を下ろした私たちに、サキュバスさんは焼いたお茶菓子まで出してくれる。
お姉さんはそれを早々にかじってお茶をすすり始めたけれど、私がサキュバスさんの配膳が終わるのを待ってからにした。
「お気遣い、ありがとうございます」
なんにも言わなかったのに、サキュバスさんがお菓子を配り終えると私にそんなことを言ってソファーに座り、促すように私を見ながらティーカップを手にして口を付けた。
「これは…!」
兵長さんが声をあげたので見やると、なんだか驚いた表情でティーカップを見つめている。
そっか、兵長さんはこのお茶、初めてだったね。
「カモミール、と言う種の葉と、オレンジピールをブレンドして淹れたお茶です。お口に合いましたでしょうか?」
「はい、香りも味も、ホッとしますね」
兵長さんの返事を聞いたサキュバスさんがニコッと笑った。
「ううっ!はぁー!なんだか急に疲れが来たなぁ」
お姉さんがそんなことを言いながらドサッとソファーに身を横たえた。
確かに、お茶を飲んで気持ちが緩んで、体が重くなってくるように感じる。
そりゃぁ、昨日の夜は一睡もしていないし、当然かもしれない。
お茶を飲み終えて、すっかり体の力が抜けてしまった私も、控えめにソファーに横になる。
ふかふかのソファーも、大きな窓から差し込んでくる日差しも暖かで、心地良い。
いつの間にか目頭が重くなって、ついつい目を閉じてしまっていたとき、どこからか聞き覚えのない声がした。
「うおー!すげー!」
「ホントにお城だ!」
「王様いるの?お姫様はー!?」
今の声…子どもの声だ。
私は、ハッとして身を起こす。
するといつのまにかお姉さんも体を起こしていて、ソファーから飛び上がって窓の方まで小走りに駆けていくと、バタン、と大きな窓を開けてテラスへと躍り出た。
「おぉーい!」
お姉さんが下に向かってそう叫びながら手を振った。
「あ!十三の姉ちゃん!」
「おねーちゃーん!」
窓の外から、わいわいとそんな歓声が上がっている。
私と妖精さんに、兵長さんもソファーからテラスに行って外を眺めた。
そこには、黒いマントを羽織った魔導士さんと、こっちに向かって手を振っている子供たちが六人いる。
背の高い男の子に、その子より少し年下に見える女の子。それから私と同じくらいの男の子と女の子に、まだ五歳くらいの女の子が二人だ。
魔導士さんも子供達も、それぞれ背中に大きな荷物を背負っている。
まるで遠くから旅をしてきた様な荷物だけど、きっと魔導士さんの転移魔法で来たんだろう。
「サキュバス。ゴーレムに門を開けさせてくれ」
お姉さんが、一番最後に窓のところまでやってきたサキュバスさんに言った。するとサキュバスさんは、ニコっと笑顔を見せて
「かしこまりました。お出迎えは、私が参りましょう」
と柔らかな声色で返事をした。
「さって、それじゃぁ、紹介しなきゃな…」
それからしばらくして、私たちはまた暖炉のある部屋にいた。
魔導士さん達を部屋に案内して、荷物を置いてもらってからサキュバスさんに連れられて七人もこの部屋に来ている。
魔導士さんはシレっとした表情でくつろいでいるけど、子供達はみんなそわそわとして緊張しているみたい。
実は、私もすこし緊張していた。
だって、同じ子供だし…大人相手だとそうでもないんだけど、子供同士っていうのは、その、いろいろと難しいこともあるから、ね。
「まずは、彼女。この城の一切を取り仕切ってくれてるサキュバスだ」
お姉さんがサキュバスさんを七人に紹介する。魔導士さんは昨日の夜に会ったから知っているだろうけど、子供たちは初めてだ。
でも、みんなはサキュバスさんを見るや、礼儀正しくお辞儀をした。
サキュバスさんは角も生えているし、背中には翼もあるんだけど、それを怖がる様子もない。
「お困りのことがありましたら、なんでもお申し付けくださいね」
サキュバスさんも笑顔でそう頭を垂れる。
「次に、彼女が兵長。元は西部交易都市の憲兵団にいた」
お姉さんが、今度は兵長さんを紹介すると、子ども達から感嘆する声があがった。
「憲兵団の人なんだ!」
「かっこいい!」
「ケンペイダンってなに?美味しいの?」
「私も、ここに今日からここにご厄介になったばかりだ。よろしく頼む」
そんな子どもたちに、兵長さんも優しく言った。子どもたちはまた、礼儀正しくお辞儀をする。
「それから、この子が…あたしの、恩人。それから、その友達の羽妖精だ」
お姉さんは、そう言って私の頭をガシガシっと撫でながら私と妖精さんを皆に紹介してくれる。
私が皆に向かってお辞儀をしたら、みんなもお辞儀を返してくれた。
「じゃぁ、今度はあんた達だな。魔導士はもう知ってるから、あとは上から順番に行くか」
お姉さんはそう言って、一番背の高い男の子の肩をポンっと叩いた。
「こいつは、十四号。頭がよくって、頼りになる」
そう言われた十四号さんは、なんだか恥ずかしそうに、暗い色をした髪をぼりぼりと掻いて
「そのよろしくお願いします」
と挨拶をした。顔つきも穏やかで、優しそうなお兄ちゃん、って感じだ。
「んで、次が十六号」
次にお姉さんが指したのは、明るい茶色の長い髪を後ろで束ねている、十四号さんより少し年下位の女の子。
「口の効き方を知らないやつだけど、まぁ、勘弁してやって。度胸だけは、あたし以上だ。な?」
「十三姉ちゃんに口の効き方とか言われたくないよ!」
そう文句を言いながらも、十六号さんは笑って
「なるべく丁寧にしゃべるんで、えと、よろしくお願いします」
と慣れない感じの敬語で私たちに言った。この人は、お姉さんに似て元気いっぱいって感じの人だ。
仲良くなっておしゃべりできるようになったら楽しそう。
「あと、この二人が十七号と十八号」
今度はお姉さんは、私と同じくらいの男の子と女の子の頭を撫でて紹介する。
「じゅ、十七号です、よ、よろしく」
男の子の方が、たどたどしくそう言う。なんだか、一番緊張しているみたい。怖がりさんなのかな?
「十八号です」
もうひとり、女の子の方は、落ち着いた静かな口調でそう言った。
「十八号は、この中でも一番優秀だな」
お姉さんがそんなことを言いながら、もう一度十八号ちゃんの頭を撫でると、彼女はほんの少しだけ嬉しそうな顔をして頬を赤らめた。
「あたしも!」
「ねーちゃん!」
我慢しきれなくなったのか、一番小さい二人がそんなお姉さんの足元に絡みついた。
「あーはいはい、お待たせ。この二人が十九号と二十号。双子の姉妹らしい。十九号は食いしん坊、二十号は甘ったれなんだ。な?」
「うん、あたし美味しいの好き!」
「あ、甘ったれじゃないもん!」
お姉さんの言葉の通り、確かに二人はそっくりな顔に同じような金髪で、緑の瞳をしている。
二人とも、お人形さんのようで可愛らしい。
「これが、あたしと魔導協会にいたやつらだ」
最後にお姉さんがそう言って改めてみんなを手のひらで指して言った。
みんないい人そうで、ひとまずは安心した。
十七号くんと十八号ちゃんとは歳も近そうだし、仲良くできるといいな…
あれ?
なんてことを考えていたら、ふと、私は気がついた。
お姉さんが紹介してくれた六人の中に十五号さんがいなかった。
でも、確かお姉さんの話では、十四号さんから二十号ちゃんまでを魔導士さんが引き取ったってことになっているはずだから、一人だけそうしていないなんてこともないだろう。
私は、そのことを聞こうと思って、お姉さんに声を掛けようと思ったけど、寸前のところで思いとどまった。
なんとなく、悪い予感がしたからだった。
その予感は、残念だけどあたっていた。
私たちはそれからしばらくおしゃべりしていたけれど、流石に私もお姉さんも眠くなってきてしまった。
サキュバスさんと兵長さんが、私たちに休むように言ってくれて、お姉さんはしばらくは「大丈夫」って言い張っていたけど、私の添い寝をしてあげて欲しい、
とかなんとかと言いくるめられて、結局一緒にいつもの寝室へと戻ってきた。
カーテンを引いて部屋を暗くして、私とお姉さんはベッドに、妖精さんも壁に突き出た棚の上の自分のベッドに入った。
ふかふかの布団と、お姉さんのぬくもりがとたんに私のまぶたを重くする。
だけど私は、さっき聞かなかった十五号さんのことをお姉さんに聞いてみた。
「ねぇ、お姉さん…どうして、十五号さんはいないの?」
私のその言葉を聞いて、お姉さんがは私に回していた腕に、少しだけ力を込めたのが分かった。
「…戦争中、っていうのは、兵隊が前線に出るだろう…?そうすると、国内、特に地方の小さな街なんかでは、治安が悪くなることがあるんだ」
クシャっと、お姉さんが私の頭に頬ずりをしてくる。
「魔導士が屋敷…って言っても、小さな家だったけど、そいつを構えた街もそうだったんだ。ある晩、街に人買いの連中が入り込んで、あいつの家を襲った。
七人いた子どもたちの中でも、飛び抜けて力があって、頭もよくって、勇敢だった十五号が、他の連中が逃げる時間を稼ぐために戦ったらしい。
逃げ延びたあいつらからの念信を受け取った魔導士とあたしが転移魔法で向かったときには、家は跡形もなく燃え尽きてて、そこに、十五号の遺体だけが転がってた」
やっぱり、とは思ったけど、でも、それ以上にショックだった。
村にいる頃には聞いたこともなかったけど、人間界にそれほどたくさんの「人買い」なんて人達がいることも、
十五号さんが、その人たちに殺されてしまった、なんてことも…
だって、その魔導協会ってところにいた子供たちの多くは家族を亡くしたりしていた子達なんだ。
それだけだって辛いはずなのに、助けてもらったその先で、そんな人たちに襲われて死んじゃうなんて…
そんなの、そんなのって、ひどすぎる…
私は胸が苦しくなって、お姉さんの着ていたシャツの胸ぐりをギュッと握っていた。
お姉さんが、そんな私の背中を優しく撫でてくれる。
私は、そんな気持ちをなんとか整えながら、お姉さんに聞いた。
「その人買いの人たちは、どうしたの?」
「ん。あたしと魔導士で見つけ出して、王下憲兵団に引き渡した。捕まえるとき、魔導士のやつが殺さないように抑えるのが大変だったんだ」
お姉さんは、つとめてなんでもないよ、って感じでそう言った。でも、私の心はお姉さんの様に穏やかなままを保ってなんていられなかった。
「そんな人たちが、どうしているの?人間って、どうしてそんなことをするの…?」
私は胸の内に湧いた理不尽とも思える感情を、そのままお姉さんにぶつけてしまっていた。
お姉さんは、低くて、落ち着いた声で言った。
「あたしにも、分からないよ」
ふと見上げたお姉さんは、あの悲しい顔をして私を見ていた。
そうだよね…
そんなことが簡単にわかったら、私たちはこんなに苦労なんてしていないかもしれない。
人間と魔族とのあいだの憎しみも、もしかしたら同じところから湧き出ているようにも思える。
いったい…いったい、それはどこで、何が原因なんだろう…?
どうすれば止めることができるんだろう?
そんなことを考えていたら、柔らかい何かが額に触れた。
その何か、は、チュッと音を立てて私の額から離れる。
それは、お姉さんの唇だった。
「ありがとう…あんたは、本当にあたしの恩人だ。その答えも、必ず見つけよう…それはきっと、あたし達が目指すものに必要なことだ」
お姉さんはそう言いながら、穏やかな表情で私の髪を撫でてくれる。
それを聞いて、私は少しハッとした。お姉さんも、私と同じことを思ったんだ。
“それはどこから、どうして湧いてくるのか”、って。
お姉さんはそれから、また少しきつく私を抱きしめて、言い聞かせるように囁いた。
「でも、今は少し休もう…ちゃんと眠ってちゃんと食べるのも、それと同じくらい、必要なことなんだからな」
つづく。
乙
ふぅ…続き、かけましたよ…
スローペースですが…引き続き、幼トロ共々、よろしくお願いします。
その晩、隣のキュラソー島から戻ったバーンズさんたちは明日の早朝の飛行機でこの島を出るために、夕食を摂ってすぐに部屋へと引き上げて行った。
バーンズさん達がチェックアウトしたあとは、週末まで予約は入っていない。急な予約でも入らない限り、明日と明後日はのんびりとしていられそうだ。
私は夕食の片付けを終えて、例のごとくホールで日報を打っていた。
ソフィアは来週分のスケジュールの確認や予算編成なんかを昨日の夜には概ね済ませてしまったようで、お店でもらった領収書なんかの整理を手伝ってくれている。
アヤは今日は機材や船、ペンションの設備関係の仕事もない代わりに、北米へと飛んだカレンが、アルバの空港に戻ったら掛ける、と言った電話を待っている。
ソリが合わない、口が悪い、なんて言っている割に、カレンの事となるとアヤはなんだか嬉しそうだ。
だけど、アヤは昨日の晩の私のことを思ってか、そのことをあまり考えないようにしているみたいだった。
口にも出さないし、それに意思もぼやかしているのか、ぼんやりとした感覚が伝わってくるだけだ。私にしてみたら、それはなんだか申し訳ないように感じられた。
「あー、なぁレナ。今って資金、どれくらい余裕あるかな?」
不意に、アヤがそんなことを聞いてきた。
「んー、っと…二月は凌げるくらいかな…」
私は手元のコンピュータの表計算ソフトを切り替えて確認してから答える。するとアヤはなぜだか少し残念そうに唸った。
「どうしたんですか?」
そんなアヤの様子にソフィアがたずねた。するとアヤは、あぁ、なんて声をあげてから
「今回のバーンズさんがそうだったけど、空港へ迎えに出るには四人がギリギリじゃないか、あのオンボロだと。
出来たら、安いのでいいからワンボックスタイプのエレカでもあれば良いんじゃないかって思ってさ」
とグラスを持った手を振りつつ言う。確かに、アヤの言うことはもっともだった。
今までは大口のお客さんと言えばオメガ隊やレイピア隊の人達くらいで気は使って居なかったけど、
これからもっとお客さんを呼び込もうと思ったら、あの小型のガソリン車では心許ないどころの話じゃない。
この島はタクシーも少ないし、あの車に乗りきれないほどのお客さんが来てくれたら不便をかけてしまう。
10人以上とは言わないまでも、せめて7、8人は乗れる車があれば、それに越したことはない。
だけど…
「エレカ導入にはもう少し蓄えが欲しいところだよね…買えなくもないけど、カツカツになっちゃう」
「そうだよなぁ。特にこの島じゃ、輸送費ばっかり嵩んで相場よりもちょっと高いしさ。せめて、中古でも良いから三分の二くらいの値段じゃないとな」
アヤの言う通り、残念だけど、新車導入はまだ先のことになりそうだ。
そんな話をしていたら、不意に玄関のチャイム音が聞こえた。途端にアヤがピクッと反応する。そんなアヤを見て、私も気配を感じ取って分かった。
カレンが戻ってきたようだ。
「なんだよ、あいつ!空港に着いたら連絡しろって言ったのに!」
アヤは憤慨しているのかどうなのか定かではない表情をしながら、ツカツカと、つとめて肩を怒らせるようにしてホールから出ていった。
その姿を見送った私は、ソフィアに気づかれないようにそっと、静かに、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
気持ちを落ち着けて、穏やかに保とう…今、カレンは大事な時期だ。
ただでさえ傷付けてしまったかもしれないのに、これ以上私の勝手でカレンを困らせる訳にはいかない…そう自分に言い聞かせた。
程なくしてアヤに連れられ、カレンがホールに姿をあらわした。パンツスーツに身を包み、大きめのビジネスバッグと見慣れない細長い紙袋を携えている。
「おかえり、カレン」
なるだけ明るく見えるように、と笑顔を作ってそう声をかけるとカレンの方もまぶしいくらいの笑顔で
「あぁ、レナ。ただいま。まだ事務仕事してたんだね。お疲れ様」
なんて私達を労う言葉まで添えて来た。ありがたいやら、苦しいやらだけど、とにかく、くつろいでもらうためには笑顔が一番、だ。
「ありがとう。カレンこそお疲れ様。首尾はどうなったの?」
私がそう聞いたら、カレンはニコッと笑って持っていた細長い紙袋から細長い箱を取り出して見せた。上品なリボンがつけられた木製の箱だ。
表面には、焼き鏝かなにかで付けられたんだろう刻印がある。
「お、おい、カレン!それって、ノーザンオーシャンか!?」
その箱を見るや、アヤが声をあげた。
「そ。しかも、半世紀記念の限定ボトル」
「ホントかよ?!軍時代の俸給の一ヶ月分以上はするじゃないか!」
「はは、そうだね。だけど、祝勝会にはうってつけでしょ?」
アヤの言葉にそう返事をしたカレンはまた私を見やって笑顔で言った。
「財団からの出資契約、バッチリ取り付けて来たよ。お祝い、付き合ってくれるでしょ?」
すごい…!私は素直にそう思って思わず椅子から立ち上がっていた。財団からの支援なんてよほどのことがない限り取り付けられない。
それこそ、今回カレンが交渉したボーフォート財団は医療や福祉分野が主な活動拠点。
カレンが計画している普通の会社経営にはあまり興味を示すようなこともないだろう。だけど、カレンはあの経営計画書で、それを勝ち取ってきた。
長い時間カレンと一緒にいるわけでも、ましてやあの計画書をカレンがどんな苦労をして作り上げたのかを知っているわけでもない。
だけど、昨日の晩、自分のプランを嬉しそうんk私に話してくれたカレンを思い出して、私も気持ちが弾んでしまうのを抑えられなかった。
「おめでとう!」
そう声をあげた私は、思わずカレンの両手を握って小さく跳び跳ねながら
「すごい!すごいよ!」
なんて繰り返していた。
「あ、あぁ、ありがとう、レナ」
そんな私に、微かに頬を赤らめて言ってすぐにそっぽを向いたカレンは、思い出したように
「グラスあるかな?あと、つまめる物も欲しいね。チーズは買ってきたけど、何かあるかな?」
と聞いてきた。
「昨日のローストビーフが少し冷凍してあるから、あれ解凍しましょう」
カレンの言葉を聞いたソフィアがそう言って立ち上がる。
「ソフィア、大丈夫?」
「ええ、歩くくらい、どうってことないですよ?」
カレンの気遣いにソフィアはそんなことを言って、ヒョイっと義足の脚に体重を掛けて片足立ちをしてみせる。でも、次の瞬間バランスを崩した。
でも、カレンがその体をパッと捕まえて
「分かったよ。頼むね」
なんて言って、ソフィアをしっかり立たせてポンっと肩を叩いた。
ソフィアは珍しくなんだか少しバツの悪そうな表情を浮かべて返事をすると、軽い足取りでキッチンへのスイングドアをくぐって入った。
「ほら、カレン、あんた座れよ!荷物は部屋に運んどくからさ」
そんなソフィアを見送らない内に、アヤがそうカレンに椅子を勧めながら、荷物を奪おうとする。
「あぁ、気にしないでよ。自分でやるからさ」
「そう言うなって。ほら、貸せって」
「いいって言ってるでしょ?」
「あぁ?なんだよ?」
「なによ?やる気?」
つい今しがたまでいい雰囲気だったのに、突然目の前で剣呑なやり取りが展開され始める。
まったく、またいつものが始まった…半分呆れてそれを見ていた私だけど、荷物を奪おうと手を伸ばすアヤと、
それを躱しながらアヤの体を押し返すカレンの応酬が、次第に激しくなっていく。
「貸せってんだよ、この石頭!」
「構うなって言ってるでしょ、意地っ張り!」
しまいにはそんなことを吐き捨てた二人はお互いの胸倉をつかみ合う。あ、あれ、これって本気のやつ?いつものおふざけじゃないの?
せっかくカレンの仕事がうまくいったのに、ケンカなんて…!
「ちょ、ちょっと待ってよ二人共!」
私はハッとして二人の間に割って入る。でも、その途端だった。
「邪魔しないでよレナ!」
そう言ったカレンが私の腕を取った。
「レナ、どいてろ!今日という今日は、黙らせてやる!」
と、今度は、アヤが反対の腕を掴んでくる。
そして二人は、私の腕を逆方向に引っ張り出した。
「レナ、どいて!」
「どけよ、レナ!」
そう声をあげる二人のあいだで、私は両腕を左右反対に引っ張られて身動きがとれない。あ、あれ…!?やっぱりこれ、ふざけてるの!?
わ、私、遊ばれてる!?そのことに気づいたときにはすでに遅かった。
私はそのまま訳の分からない文句を言い合うアヤとカレンに挟まれて、明らかに無意味にもみくちゃにされる。
「ちょ、まっ!待って!」
必死にそう声を上げてみるけれど、アヤもカレンもそんなのはお構いなしだ。
やがて私はバランスを崩して、二人の間にサンドイッチにされながらアヤの脚に体重を預けるように転がってしまった。
「あっ、レ、レナ!大丈夫?!」
「おい、カレン!あんたレナになんてことを!」
「なによ!?そっちがふっかけて来たのがいけないんでしょ!?」
床に座り込んだ私の見上げる先で、二人のそんな迫真の舌戦が続く。そう、これはオメガ隊方式の遊びだ。
アヤには船の上やらペンションに来てからもずいぶんとハメられたし、アヤの誕生会のときにさんざん見てきたから分かる。
私としたことが、また良いようにやられてしまうところだった!
私の様子に気がついたのか、アヤがチラっと私を見やった。アヤの暖かな気持ちが伝わってくる。
うん、分かってる…ありがとね、アヤ。私に余計なことを考えさせないように、ってそう思ってくれてるんだね。
だとしたら、やっぱりここは乗っておいた方が良いに決まっている。
私はそう意気込んで、立ち上がってカレンとアヤの間に再び割り込んだ。
「いい加減にしなさい!」
そう言いながら二人の頭に腕を回してヘッドロックを試みる。だけど、私の考えは甘かった。
二人共、この重力のある地球でモビルスーツの照準装置でも追いかけられない様な機動と速度で空を駆けていた戦闘機のパイロットだ。
モビルスーツでの機動でもGは掛かるけど、地球の、しかも戦闘機のそれとなると話が違う。
宇宙空間でさえモビルスーツでは追いきれない動きをするような戦闘機のパイロットは、そもそも体の鍛え方からして次元が違う。
私がいくら抵抗したところで、そんな二人を一気に制圧するだなんて、できるはずもなかった。
「やったな、レナ!」
「邪魔するんなら、レナから相手になるよ!」
二人はニンマリといたずらっぽい笑顔を浮かべながら私を捕縛すると我先にと関節技をかけようと私に絡みついてくる。
私は慌てて必死に抵抗するけれど、あとの祭りだ。
「もう、何してるんですか?」
そんなとき不意に声が聞こえたのでハッとして見やると、そこにはお皿を抱えたソフィアの姿があった。
「あぁ、ソフィア!ありがとう!」
その姿を見たアヤがすかさずソフィアのところまで小走りで近付いてお皿を受けとる。カレンはカレンで今までのやり取りが全部なかったみたいな顔をして
「よし!じゃぁ、飲もうよ!」
なんてなんでもない様に席を進めてきた。もう。アヤ一人ならともかく、二人でこんなことするだなんて…オメガ隊の風習も困ったものだ。
私はそうは思いつつも二人のお陰ですっかり楽しい気分になって、仕方がないからカレンに勧められるがままに席に着いた。
アヤとソフィアもテーブルに戻って来るのを待たずに、カレンは木箱を開けて中から上等そうな金色のラベルの付いたバーボンのボトルを取り出した。
すぐに封を切って、私が氷を入れて並べたグラスへと注いでいく。
「んー、香りからして、旨そうだなぁ」
アヤがスンスンと鼻を鳴らしながらそんなことを言っている。
「これって、そんなに良い物何ですか?」
ソフィアがアヤにそう聞いた。確かにそれは私も聞きたいところだった。
いつもはアヤが気に入っている北米産のバーボンか南米産のウィスキーだし、そもそも地球のお酒には私もほとんど知識がない。
サイド3でもお酒はあったけど、ワインかビールに、地球の物に比べるとずいぶんと素っ気ない味のするウィスキーくらいだった。
「ノーザンオーシャンってのは、ニホンってところの北の方にある島が原産のブランドなんだ。
良いトウモロコシを厳格な品質管理と製法で醸造させてて、味も風味も一級品なんだよ。
そのノーザンオーシャンブランドの中でもこういう年代物は希少価値が高くてなかなか手に入らないんだ」
アヤに変わってカレンがそう教えてくれる。
地球に来てもう一年半。コロニーに比べると食料も種類が豊富で味も良くて、コロニー以上に手軽に手にいれることが出来る。
それが、コロニーを植民地扱いして得られている贅沢なのだと思うと少し複雑な気持ちになる部分もないではない。
でも、あの戦争以降、地球連邦政府のコロニーに対する締め付けが一分緩和されていることも事実。
もちろん、サイド3はその限りではないけれど…そう思うと、あの戦争で散っていったスペースノイドの人達も無断死にではなかったんだって、考えられる部分もある。
全部が全部、良かった、だなんて思わないし正当化するつもりはない。アイランドイフィッシを落としてしまったことは許されるべき行為に違いはない…
途端に胸がギュッと締め上げられ、頭にあの声が響いて来た。あの場所には、カレンの家族がいたんだ。
兵士でも、軍の関係者でもない、カレンの両親や弟妹が…
カヒュっと息が掠れて呼吸が出来なくなったような感覚に陥った次の瞬間、バシッと背中を叩かれる感覚で私は我に返った。
見ると、アヤが私を優しい瞳で見つめてくれていた。
―――大丈夫だよ、大丈夫
アヤのそんな声が頭に響いて来た気がして、私はそっと深呼吸をして気持ちを整える。
そう、今はその事を考えてはいけない。カレンが会社を立ち上げて、自分の暮らしの基盤を固められるまでは…
「ほら、レナ」
カレンがそう言って私の目の前にグラスを滑らせてくれる。アヤが好きで毎晩グラスに一杯だけ飲んでいるあのバーボンとは違う香りが鼻をくすぐる。
「レナ、音頭を頼んでも良い?」
カレンは私を見つめてそんなことを言ってきた。一瞬、こんな私が、とそう思ったけど、内心で私はその想いを振り払った。
戦争のことはどうあれ、カレンの計画が順調に行っていることは私にも嬉しいことだ。その気持ちに嘘はない。
私は乱れかけた気持ちを奮い立たせてカレンに頷いて声を張った。
「カレンの今日の成果と、さらなる成功を願って」
私がそう高々とグラスを掲げたら、カレンは嬉しそうな笑顔を見せて
「このペンションと、この島のさらなる発展も願って」
と言い添えてくれる。
カレンの言葉と想いが、突然私の胸に飛び込んで来た。暖かくて、優しくて、穏やかな…それは、アヤから感じる気配に本当に良く似ていて、なぜだか目頭が熱くなる。
私はそんな気持ちに背中を押されるように、二階ですでに眠っているだろうバーンズさん達のことも忘れて高らかに声をあげていた。
「乾杯!」
四人のグラスがぶつかり合ってカチャン、と微かな音を立てる。口をつけたバーボンは、私の心を満たしている暖かで穏やかで、そして優しい味がした。
つづく。
出来事的な展開はないけれど、レナさんの気持ちを考えるといろいろと複雑で勧めにくいこのパートです…
まだ本調子でなく、ゆっくりになりますが、のんびりお待ちいただければきっとまた週末には!
遅くなってさーせんでした!
あかーん、盛大な誤爆やらかした・・・orz
乙w
面白いからタイトル教えて!
ああ…うん、ナニモミナカッタヨ?
>>337
感謝!
上の物語に行き着くまでは相当の長い時間が掛かると思われますが・・・
よろしければ、順を追ってご覧下さい。
宇宙世紀のガンダム物です。
ペンション・ソルリマールの日報 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1420893706/)
>>338
感謝!!w
しくじったなぁー・・・
ってなわけで、お茶を濁すために続きですw
明くる日の朝。私は、キッチンから魔導士さん達の部屋へ行く廊下を歩いていた。
あれから私は夕方ごろに一度目を覚まして、みんなと一緒に食事を摂ってからまたしばらくして眠りこけてしまった。
次に目が覚めたときには、もううっすら朝日が昇っている寝室のベッドの上だった。
お姉さんを起こさないようにベッドから這い出た私は、身支度を済ませて寝室を出た。
たぶん、サキュバスさんが朝ごはんのしているはずだと思ったからだ。
私の予想通り、キッチンに顔を出したらそこには、すこし眠そうな表情をしたサキュバスさんが朝ごはんのスープの仕込みをしているところだった。
「お手伝いします」
そう言った私に最初は遠慮している感じだったサキュバスさんだったけれど、私がずうずうしくあれこれとやり始めたらすぐにあきらめてくれたみたいだった。
そうして一緒に朝ご飯の準備を終えて、サキュバスさんがそれをワゴンで食堂に運んでいる間に、私は魔導士さん達を呼びに出ていた。
廊下を進んで階段を降りる。さらにその先の廊下をまっすぐと進んで突き当りを左へ曲がる。
魔王城は、階によって建物の中の構造が全く違っている。廊下の向きや長さ、部屋の数や広さも違う。
ここへ来て少ししてサキュバスさんにそのことを聞いてみたら、それは侵入者が上の階に簡単に近づけないように、あえてそうなっていると言っていた。
確かに、ここに住むのは魔界の王様。戦争とかそういうときのことを考えなくても、王様の身を守るためには必要なことだろう。
廊下を進んで行った先にある二つのドア。そこが魔導士さん達の部屋だ。
私はその一つをコンコンと控えめにノックする。
すると中から
「はーい、ちょっと待って!」
と元気の良い声が聞こえた。
これはきっと、明るくて元気な十六号さんだ。
ほどなくして、ギイっとドアが開く。
そこには、絹の厚手のパジャマに身を包んだ十八号ちゃんがいた。
「おはよう」
十八号ちゃんは静かな声で私にそう挨拶をしてくれる。
「おはよう!」
私もなるだけ笑顔でそう返事をしてから
「朝ご飯の準備ができたから、食堂に来てね」
と伝える。すると部屋の中から歓声が聞こえた。
「わー!ご飯!?」
と、すぐに十九号ちゃんを肩車した十六号さんがドアのところにやって来た。
「あぁ、ありがとな!よーし、みんな着替えろ!寝間着のまんまのやつは、十三姉ちゃんに怒られるぞ!」
十六号さんは私にそう言うと、振り返って部屋の中に声をかけた。
「十六姉ちゃん!お着替え手伝って!」
「あーん?自分で出来るところまでやってみなよ、二十号」
「だってあたしボタンわかんないもぉん!」
「私が手伝うわ。ほら、二十号、自分の服を出して」
部屋の奥から聞こえた二十号ちゃんの声を聴いて、十八号ちゃんは私の顔を見て苦笑いを浮かべてからそう言いつつ部屋の中へと戻っていった。
なんだか、みんな仲良しそうで、楽しそうでうらやましいな…
そんなことを思いながら私はドアを閉めて、隣の部屋をノックする。
するとすぐに、中から着替えを済ませた十四号のお兄さんが顔を出した。
「あ、あの!朝ごはんができたので、食堂に来てください!」
私は少しだけ緊張してそう言った。すると十四号のお兄さんはあぁ、と声を上げて笑い
「ありがとう。すぐに行くよ。何か手伝うことあるかな?」
と聞いてくれる。やっぱり、この人は優しい人なんだなぁ。
「いいえ、大丈夫です。私とサキュバスさんで準備しましたから!」
私がそう答えたら、二十号のお兄さんは
「そう。ありがとう。すぐに行くよ」
と穏やかな笑顔で笑ってくれた。なんだか、それだけで頬っぺたが熱くなるようなそんな感じがして、お兄さんの顔が見れなくなり俯いたまま
「ま、待ってますね」
なんてかすれた声の返事になってしまった。
パタン、とドアが閉まって、その向こうで
「おーい、十二兄ちゃん、ご飯だって!ほら、十七号も起きなよ。いつまでも寝てちゃダメだぞ」
なんて言っているのが聞こえる。
村にはあれくらいの年ごろの男の人はいなかったから…うん、なんだか、恥ずかしいな…
私はそんなことを思いつつ、熱くなった頬っぺたを冷ますために少しだけゆっくり廊下を戻って食堂に向かう。
食堂のドアを開けるとそこではサキュバスさんが兵長さんとお姉さんと一緒に配膳をしているところだった。
「あぁ、おはよ」
お姉さんが私に声を掛けてくれる。
「おはよう、お姉さん」
私もそう返事をしながら食堂に入って配膳を手伝う。
そうしていたら、バタン、と食堂のドアが開く音がした。魔導士さん達がもう来たのかと思って振り返ると、そこには黒豹隊長さんが居た。
「黒豹さん…!」
「あぁ、黒豹。もういいのか?」
兵長さんが息を飲むような声を上げ、お姉さんがそんなあっけらかんとした口調で黒豹さんに聞く。
「魔王様…事の顛末はトロール殿より伺いました。この黒豹、何一つお役に立てず、あまつさえ不始末まで犯すありさまで言い訳のしようもございません」
黒豹さんはそう言うや否や、その場に跪いてお姉さんに頭を下げた。
そんな様子をお姉さんはポカーンとした表情で見つめている。
「黒豹様、どうか頭をお上げください」
そう言ったのは、サキュバスさんだった。それを聞いて、お姉さんがハッとする。
「そ、そうだぞ、黒豹。あんたは無事にあの街から逃げ延びて来れただけで大したもんだ!」
「それは、兵長殿の手引きあってのこと…魔界に戻ってよりあと、あの魔法陣を利用されることさえなければ、魔王様のお手を煩わすことなど…」
お姉さんの言葉に、黒豹さんはさらに深々と頭を下げて言った。
ま、魔法陣、って…それ、違うやつのことじゃない…?
確か、魔導士さんが、人間の軍隊に利用されるのがイヤだからと言って、戦争の時に描いたっていう魔法陣を消している時に、黒豹さんが襲い掛かって、それで…
私が昨日の話を思い出していると、黒豹さんの背後にあったドアが開いて、魔導士さん達が姿を現した。
「あぁ、おはよう、あんた達」
お姉さんがそう声をかけたので、黒豹さんは顔を上げて魔導士さん達に道を開けようとして、体を固めた。
黒豹さんは、その鋭い瞳で魔導士さんを見つめている。
「き、き、貴様!なぜこのような場所に!?」
金縛りが解けたようにその場から半歩飛びのいた黒豹さんが叫んだ。
ちょっと…!も、もしかして黒豹さん…魔導士さんのこと聞かされてないの!?
こ、こ、これ、まずいんじゃない!?
「お、おい、黒豹!待て!」
お姉さんがそう叫んだけど、臨戦態勢に入っていた黒豹さんは留まらなかった。
音もなく床を蹴った黒豹さんは、目にもとまらぬ速さで魔導士さんに飛びかかる。
「ちょ!なんだあんた!」
十六号さんが慌ててそう叫び、片手をふわりと振り上げた。次の瞬間、黒豹さんの目の前に壁の様に魔法陣があらわれた。
その魔法陣に、黒豹さんはまるで本当に壁にぶつかる様にして突っ込み、動きを止める。
「ぬぅ!?」
黒豹さんの苦しげな声が漏れる。
「十二兄ちゃんに手出しはさせない!」
「このやろう!俺たちが相手だ!」
そう言ったのは、十七号くんと十八号ちゃんだった。
十七号くんは魔法陣の壁に阻まれた黒豹さんに飛びかかった。
黒豹さんを足止めしていた魔法陣がふっと消えて、そこを通り抜けた十七号くんが黒豹さんの厚い胸板を蹴り付ける。
「ぐふっ!」
そう苦しそうな声を漏らして体勢を崩した黒豹さんに、十八号ちゃんが両腕を突き出した。
「吹っ飛べ!」
その声に呼応するように、黒豹さんの目の前に再び魔法陣が姿を現した。
次の瞬間、窓も空いていない部屋の中に強烈な風が吹き荒れて黒豹さんはなにか重い物でもぶつけられたかのように後ろに吹き飛ばされた。
黒豹さんは床をごろごろと転がりドシンと壁に当たって、ぐったりと伸びてしまった。
「く、黒豹さん!」
兵長さんが悲鳴をあげて黒豹さんに駆け寄る。
私は、どうしたら良いかわからずに、ただあわあわとしてお姉さんを見た。
そんなお姉さんは、なんだか苦笑いを浮かべながら、私を見つめ返して肩をくすめた。
「度重なる失礼、お詫びいたす」
黒豹さんがそう言ってテーブルに頭をこすり付けた。
「まさか、あの魔法陣を浄化する目的であの場におられたとは…」
頭をさげたまま申し開きをしている黒豹さんに魔導士さんが無表情で言った。
「まぁ、俺は身を守っただけだから気にはしていない。謝罪は俺ではなく驚かせた子ども達にしてくれ」
魔導士さんが手の平で指したその先には、まるで今すぐにでも獲物に飛びかかろうとしているオオカミみたいに
ガルルっと鋭い目をして黒豹さんを睨み付けている十七号くんと十八号ちゃんの姿がある。
「まぁまぁ、二人とも」
「クロネコのおっちゃんも謝ってるし、ゆるしてやれって」
そんな二人を十四号のお兄さんと十六号さんがなだめている。
二十号ちゃんはいつのまにやらお姉さんの膝の上。
十九号ちゃんは食後のお茶用のお菓子をパクパクと嬉しそうに食べていて関係ないって顔をしていた。
「クロネコではなく、黒豹であるが…。と、とにかく、申し訳なかった。それにしても、子どもながら見事な術式であったな」
黒豹さんはそう言って顔をあげ、にこやかにそう二人に声をかける。
急に褒められた二人は、まるで牙を抜かれたように、とたんにヘラヘラっとした笑顔で照れはじめた。
「い、いや、俺はさ、ほら、体術には自信があるだけだからな」
「…私も、まだまだ十二兄ちゃんにはかなわない」
そんな二人の表情を見て、黒豹さんもなんだか少し安心したようで、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「確かに、子どもとは思えない速度と威力の術式でしたね。勇者候補と言うのは、これほどのものであるとは…」
サキュバスさんが感心した様子で言う。するとお姉さんがため息交じりに
「まぁ、きつかったもんなぁ、あそこの訓練は。十九号と二十号はまだ訓練が始まる前だったから非力だけど、
十八号なんかはやっとそれなりに言葉がしゃべれるようになった頃から、魔法の修練をさせられてたし」
と十八号ちゃんの顔を見て言う。
「英才教育、とでも言うのですかね。まるで言葉を発するように魔法を操っていますし」
兵長さんも感嘆してそんなことを口にした。
十八号ちゃんはすっかり照れてしまって、両手を頬に当ててニマニマと緩んだ笑いを浮かべている。
「こいつらにかかれば、並の兵隊が百人いようがあっという間に蹴散らせる。あそこを出てからも、俺が修練を引き継いでいるのもあるがな」
そんな十八号ちゃんの様子を知ってか知らずか、魔導士さんが相変わらずの無表情でそう言った。
でも、すごいな…私はまだ、自然の魔力をなんとかつかむので精一杯だけど、同い年くらいの十七号くんに十八号ちゃんでさえ、あんな強力な魔法が使えるんだ…
もしかして、私もみんなに教えてもらえれば、もう少しうまく魔法を使えるようになるのかな?
そんなことを考えていて、私はふと、何かに引っかかった。百人の兵隊でも、蹴散らせる…それはすごいことだけど…待って。
昨日のお昼寝のときに、お姉さんに聞いた話…
十五号さん、って人は、人買いに殺されちゃったんだ、ってそう言ってた。
でも、十五号さんは子ども達の中でもとびっきりに強かったんだ、とも言っていた。
その強さがどれくらいかはわからないけど、少なくとも今の十八号ちゃんや十七号くんと同じくらいの力があったことは間違いないと思う。
百人の兵隊でも追い返せるほどの力を持った人が殺された…
相手は人買いだったんでしょ…?
人買いっていうのは、そんなにたくさんの人たちの集まりなの?
それとも、十八号ちゃんみたいな人が敵わないくらいに強い人たちだっていうの…?
そりゃぁ、世の中には強い魔法を使える人や、目にも留まらないほどの速さで剣を振ったり、遠くから弓で敵を射ることもできる人だっている。
だけど、そんな人がそれほど多いとは思えない。
お姉さんと初めて会ったときに私やトロールさんを襲って来たあの偽勇者の人たちだって、
今、十八号ちゃんや十六号さんが使ったほどの魔法は操っていなかった。
あのときに見た魔法は、人の拳くらいの火球を飛ばすだけのもの…いや、それがどれだけの難易度かなんて私にはわからないけど…
でも、今みたいに黒豹さんの前に見えない壁を作ったり、風のような力で吹き飛ばした魔法の方が一層強力に見えた。
いったい、十五号さんを殺した人買いって人たちは何者なの…?
「さて…それじゃぁ、あたしは仕事に戻らないとな」
そんなことを考えていたら、お姉さんがカップに入ったお茶を飲み干して言った。
「本日はどうされるのですか?」
「うん。とりあえず、魔界全土の統治機能の回復を急いだ方がいいと思う。
今回みたいに、人間軍が攻め入って来たときに、連絡網だけでも確立しておけば、対応が早くなる。
毎度毎度、兵長みたいに知らせてくれる仲間がいるわけじゃないだろうしな」
お姉さんがそう言って腕を組む。
「まずは、この城の機能を回復させて…魔王軍の再編もしなきゃならない。各地の生活状況に関する情報も欲しいな…」
そう言ってから、お姉さんは思い出したように私を見て言った。
「すまない…まずはこっちの体制を組んでおかないと、“あの子”を助けに行くのは危険だと思う。
魔界の中心に位置するこの城を人間軍に抑えられたら、それこそここに人間軍のほとんどを投入してくる。
奪い返すために、あたしはそいつを相手取ることになるだろう…でも、そうなったらもう、人間と魔族の融和なんて言ってられない。
それだけの人間を手に掛けたら、もう、後戻りなんて出来なくなる。
それこそ、戦争以上の惨劇になっちゃうからな…」
あの子…そう、昨日のことで、私もすっかり意識からこぼれ落としてしまっていた。
竜族と人間の間に生まれた、子。
私達は、その子を助けに行こうって、そう言っていたはずなんだ。
「いたしかたありませんね…」
そう声を漏らしたのは、サキュバスさんだった。
サキュバスさんは、私以上に竜族の子を助けてあげたかったはず…悔しいし、辛いんだろう。
「うん…わかってる」
私もお姉さんにそう返事をしてうなずいた。
だけど、私の頭の中には十五号さんのことや竜族の子のことが渦巻いて、とてもじゃないけど、穏やかではいられなかった。
どうして子どもが巻き込まれなきゃいけないんだろう?
私達は、戦いなんて望んでいないのに。
幸せでいたいって、きっと誰もが思っているはずなのに…
どうしてなんだろう?
いったい、どうしてなんだろう…?
そんな思いが、胸の内に沸いては消えて行った。
つづく。
乙!
まだかのぅ・・・
ずいぶんと時間が空いてしまいました…
どうも>>1ことキャタピラと申します。
プライベートでいろいろあって、遅筆に遅筆が重なってしまいました。
待っていてくださっていた方、大変申し訳ございません。
とりあえず、少復活いたしました。
ちょいちょい更新できるようになっていくと思いますので、今後ともよしなに。
ってなわけで、続きです。
「うん。これなら良いと思います」
「そうですか、なによりです」
「へぇ、ずいぶんとまぁ、手広くやったんだね」
「ゴーレム、って言ったっけ。その魔法、教えてもらえないですか?」
「ふふ、生命魔法はかなり難解でございますし、禁術の類もございますので、そう簡単にお教えするわけには行かないのです」
「そっかぁ、ちょっと残念です」
「そりゃぁそうだよ。そんな魔法、魔法陣を作ったってできそうもないし、たぶん、特別なんだろ」
「さて、じゃぁ、一昨日お姉さんと一緒に仕入れたこの種芋を植えますよ」
「おし、任せとけ」
「おう、やろうやろう」
「ゴーレムたち、人間様の指示に従いなさい」
私の掛け声で、みんながそれぞれそんな反応をしてくれる。
ゴーレム達が抱えてきた麻の袋から、私たちはそれぞれ種芋を取り出して準備に取り掛かった。
朝食のあとの会議を終えて、私はサキュバスさんと十六号お姉さんと十七号くんと四人でゴーレムを4体も従えて、お城の西側の畑へと来ていた。
本当はサキュバスさんと二人のハズだったけれど、会議のあと、出かけようとしていた私たちに十六号さんが声をかけてくれて、
おもしろそうだと一緒についてきてくれた。
昨晩、あんな騒ぎがあったけど、夜通しゴーレム達が耕してくれていたおかげで、荒れ果てた土地だった一帯はすっかり「畑」へと姿を変えている。
サラサラの土だけど、水を加えると適度にまとまって固まるくらいの土だ。これなら、お芋を育てるには持ってこい。
種芋を植えて三月もすれば、きっといっぱいのお芋になるはずだ。
「これ、このまま植えていいの?」
「はい。手の平の深さくらいまで掘り返して、そこに埋めてください。浅すぎると鳥や野生の動物に荒らされちゃったりするので。あ、でも、盛土は優しく」
「そっか。せっかくの食物を鳥なんかに食べられたら大変だ」
「うん。でも、あんまり深すぎると目が出にくくなって育たないから、それも気をつけてね」
「あんまりまとまって埋めないほうがいいんだよな?」
「あ、はい。半歩くらいあいだを開ける感じで」
「うし、分かった!」
十六号さんと十七号くんにそんな説明をしながら、私もお芋を植えはじめる。
サキュバスさんも、自分で作業をしながら、チラチラとゴーレムたちの作業を見張っている。
午前中にこの植え付けを終えておけば、午後はサキュバスさんはお姉さんの方にいけるはず。
今は、お姉さんは兵長さんと一緒に魔王軍の再編と連絡体制のために、どんな方法がいいかを話し合っているころだろう。
戦争のことは、サキュバスさんよりも兵長さんの方が詳しい。
ただ、魔界のことを細かに知っているのはサキュバスさんだ。
ある程度の案をお姉さん達がねったら、それをあとでサキュバスさんに説明して魔界でもうまく運用できるようにさらに改良する手はずだ、とお姉さんが話していた。
正直、私はそんなことの役には立てない。でも、そんな私にお姉さんが、
「畑の方は頼むな」
なんて言ってくれたから、張り切らないわけにはいかない。
私だって、出来ることをできる限りやって、みんなや魔界の役にたたないと。
「あーこれさ、分業の方が手早くないか?」
「確かに!十六姉ちゃん、穴掘ってよ。俺、芋入れて埋めてくからさ」
「よし、任せろ!」
そんな言葉を交わしたかと思うと、十七号くんからシャベルを受け取った十六号さんが、自分の持っていたのと合わせて二本を両手に持って、
「うりゃ!うりゃ!うりゃぁ!」
と、おかしな掛け声を上げながらまるで剣術でもやっているみたいに中腰でシャベルを交互に地面に突きたて、穴を掘っていく。
その穴に、十七号くんが次々と芋を投げ入れては優しく盛土をして行った。
むむむ、あの方法は確かに早そうだな…
「あ、なぁ!そういえばさ!」
黙々と、ものすごい勢いで穴を掘り続けてもう二十歩ほども遠くに行ってしまっていた十六号さんが大きな声で私達に叫んできた。
「はい、なんですかー!?」
私がも声を張り上げて聞き返すと、十六号さんはまた大きな声で言った。
「さっき十三の姉ちゃんが言ってた竜の子、って誰なんだぁ!?」
その質問で、私はギクリと体が固まってしまうのを感じた。それから、まるでギシギシと音が鳴るんじゃないかって首を動かしてサキュバスさんを振り返る。
サキュバスさんも、沈痛な面持ちで唇をかんだ。
「ど、どうしたの、二人とも…?」
私達の様子に、十七号くんが戸惑っている。遠くに居た十六号さんにも様子が伝わったみたいで、二本のシャベルを振り振りしながら私達のところに戻って来た。
「ごめん、なんか聞いちゃマズイことだったかな…?」
十六号さんは申し訳さそうな表情で私達の顔色を伺う。
私は、サキュバスさんをもう一度見つめた。
このことは、話を直接知っているわけじゃない私には詳しい説明ができない。
話すのならサキュバスさんに任せた方がいいとは思うけど…
サキュバスさんは、しばらくは辛そうな表情でうつむいていたけど、それから少しして、ふぅっと息を吐き、何かを決心した様子で顔を上げた。
「私がまだ、十六号さんくらいの歳の頃の古いお話ですが、聞いていただけますか?」
十六号さんも十七号くんも、サキュバスさんの真剣な表情に黙って頷いた。
それから私達はとりあえずゴーレム達に作業を任せて、木陰に座ってサキュバスさんが用意してくれていた水筒とカップのセットでお茶の準備をした。
私と十六号さん、十七号くんとでサキュバスさんを囲って陣取る。
「さて…人間様には、以前お話いたしましたが…そうですね、ではまずは人買いに売られて魔界へと流れて来た女性のことからですね」
サキュバスさんは、お姉さんの様に悲しい表情をしながら、そう口を開いた。
サキュバスさんから話されたのは、一昨日の夜、兵長さんが来る前に、私やお姉さんに聞かせてくれた話だった。
人間の女の人が人買いに魔界まで売られてきて、魔族の街の竜族の名家の人が買った話。
その竜族の人は女性を奴隷としてではなく、一人の意志ある存在として扱ったこと。
そして二人の間に恋頃こが芽生えて、人間族と竜族の血を引く子どもが生まれたこと。
でも、その女の人を「助ける」ために人間界から来た人達が魔族の街を焼き払い、夫の竜族は殺されて、女の人は人間界に連れて行かれてしまい、
半分人間の血を引く竜娘ちゃんが、魔界で迫害されて、先代魔王様に助けられた話も、
竜娘ちゃんが頼ったトロールさんと人間界にお母さんを探しに行き、そこで黒マントの、魔導協会って人たちに拐われてしまったことも話した。
この話を聞くのは二度目なのに、最初の時以上に胸が締め付けられる。
ひとしきり話を聞いた十六号さんが、ギュッと拳を握ったのを、私は見逃さなかった。
「あの場所に…その子が連れて行かれた、っての?」
十六号さんが、絞り出すような声色で言う。
「魔王様…十三号様のお話では、きっとそうだろう、と」
サキュバスさんがそう言って頷いた。
「…あんなところ、子どものいる場所じゃない!すぐに助けに行こう!」
声を上げたのは、十七号くんだった。
「で、ですが!魔王様は今は魔界の方が優先だと…!」
「十三姉ちゃんの手を煩わせるまでもないよ!十二号の兄ちゃんに、十七号と十八号で殴り込みを掛ければ…!」
「十六姉ちゃん、そんなことしなくたってあの施設の中に転移魔法で入ってって、連れ出せば良い!」
「そうだな…よし、それなら、すぐにでも戻って相談しよう!」
「おう!」
二人はそう言うが早いか立ち上がった。
「お、お待ちください!」
そんな二人を慌ててサキュバスさんが止める。
「魔導協会という場所は、皆さんにとっては辛い過去のある場所ではないのですか…?
それに、話を聞くに、得体の知れない集団であるように思います。
早急に判断するのは危険です」
私は、サキュバスさんの言葉に、ふと、胸が苦しくなった。
サキュバスさんが竜娘ちゃんを助けたいって、誰よりも強く思っているはず。
でも、そうは言っても、サキュバスさんは十六号さん達のことも心配なんだ。
それは…私も同じだ。
竜娘ちゃんを助けてあげなきゃ行けないと思うけれど、それでもし、みんなに何か大変なことが起こったら…そう思うと、私も気持ちが落ち着かなくなる。
だけど、十六号さんが言った。
「確かに、進んで戻りたい場所じゃないけど…でも、あそこに大切な人が残されてる、って言うんなら、その方が放っておけない」
それに続いて、十七号くんも真剣な表情でサキュバスさんを見て
「うん。俺たちはあそこには詳しいし、十二号兄ちゃんに頼めば絶対に大丈夫」
と力強く頷く。
サキュバスさんは、二人の言葉を聞いてまた、ギュッと唇を噛み締めてうつむいた。
サキュバスさんにとって、きっと二人の気持ちは何にも代え難いくらいに嬉しいことだと思う。
私がそうしたい、って思うくらいなんだ。
サキュバスさんがそうじゃないはずがない。
でも…でも、本当にそれで良いのかな…?
短い沈黙が、私たちのあいだに流れる。
私は、そんな重苦しい空気に耐えられずに、とっさに声を上げていた。
「と、とにかく…そういうことは、まずは、お姉さんに相談しないと!」
「バカ言ってんじゃない!ダメに決まってるだろ!」
珍しくお姉さんがそんな鋭い声をあげたものだから、私は思わず身をすくめてしまった。
怖いって言うんじゃなくって、ただ単に驚いただけだけど…
「でも…!俺たちならうまくやれると思うんだ!」
「そうだよ、なぁ、行っていいだろ、十三姉ちゃん!」
十六号さんと十七号くんがそうお姉さんに食らいつく。
でも、お姉さんはさらに険しい表情を浮かべて言った。
「ダメなもんはダメだ!あいつらは本当に得体が知れない…もし万が一捕まって実験体にでもされたらどうするつもりなんだ!」
だけど、二人も負けてはいない。
「そんなヘマは踏まないよ!」
「いざとなったら、十三姉ちゃん直伝の転移魔法で逃げてくるさ」
そう言い返されたお姉さんは、今度は呆れたような顔を見せた。
「あのな…あいつらは、あんた達が思っていほどバカでもマヌケでもない。
あの施設には数箇所、解けば感知される種類の封印魔法がかけられてる場所があるし…それも特に、地下にある勇者に関する場所は厄介なんだ。
あたしもほとんど知らないけど、妙な研究をしている連中もいるって言うし、もしあたしが行ったとしたって、
聖なる剣でも持ち出されたら、下手したら勇者の紋章を封印されるか、奪われるなんてことになるかも知れないような場所なんだ。
いくら力があろうと、どんなに強力な魔法が使えようと、そのほとんどはあいつらが生み出した代物だってことを忘れるな。
あいつらは必ず対抗手段を持ってる。でなきゃ、強力な魔法の類をあたし達や騎士団の連中に伝授したりするわけがないんだ」
「どうしてだよ?王下の軍隊が強くなるのはいいことだろう?」
「単純に魔族相手になら、な。人間界だけのことを考えるとそう簡単な話でもない。
魔導協会と王下貴族院、それに王都行政部は、それぞれお互いの首根っこを握り合っているんだ。
王都行政部は軍事と政治、王下貴族院は民衆の意見、魔導協会は法律を司っている。
そいつは、どれか一つが暴走してしまわないためなんだけど…現実的には、魔導協会が持つはずのない軍事力を持ってしまってる。
そのこと自体が普通じゃないうえに、王下軍や貴族配下の部隊にまで魔法を供給してるんだ。
今や、王下軍や貴族達の持つ騎士団連中のほとんどは魔導協会の開発した呪印で魔法を使ってる。
魔法の力は強力だ。
どんなに鍛錬を積んだ騎士や剣士だって、生身では魔法の力の前に無力だ。
兵長も、他の兵隊の連中も、少なからず魔法で身を守ったり、魔法で自分の力を増幅させる方法を身につけている。
それも全部魔導協会が開発した呪印で、な。
もし万が一、あいつらが呪印を一方的に無効化するような仕掛けでも仕込んでいたら、王下軍も貴族の騎士団も、魔導協会には手も足も出ない。
それは、あんた達の魔法やあたしの勇者の紋章だって例外じゃないかもしれないんだ」
「要するに、十三姉ちゃんは魔導協会が人間界を支配するつもりなんだ、ってそう思ってるのか?」
「いや…でも、恐らくそれも可能だ、って話だ。…って、話が逸れてるな…とにかく、あんた達はあいつらには関わるな。
どうしても竜族の子を助けに行かなきゃならないようなことになったら、あたしが出る。
人間の魔法じゃない魔王の紋章なら、あいつらだってそう簡単に手は出せないだろうからな」
お姉さんはそう言いながら、チラリとサキュバスさんを見やった。
サキュバスさんは申し訳なさそうに、肩をすくめてうつむいている。
サキュバスさんが焚きつけたわけでもないし、みんなだって頼まれたからこんなことを言い出したわけじゃない。
でも、お姉さんの視線はまるで私たちを咎めるような、そんな感じだった。
お姉さんが、私やみんなを思って言ってくれているのは分かる。
お姉さんは、悲しい顔をしながら、それでも、世界の平和のために、全てを背負うってそう決めた人だ。
でも、お姉さんは一人しかいない。
昨日の晩、人間軍がこの城に攻めてきたときのことを考えたのと同じで、どんなにお姉さんが強くっても、一人では一箇所でしか戦えない。
もしほかのところで何か困ったことが起こっても、お姉さんは助けにはいけないんだ。
それと同じことが、竜娘ちゃんに起こっているかもしれない…
私は、ふと、そんなことを思ってしまっていた。
「でも!みんな竜娘ちゃんのことが心配なんだよ、お姉さん…!」
そう声をあげた私にお姉さんは
「分かってる。あたしだって気持ちはおなじだ。だから、二週待ってくれ。その間に必ず魔界に関することの筋道を立てて、
それを終えたらあたしが乗り込んで行って助けてやる。それまで、なんとか我慢しておいてくれないか?」
と訴えるような視線で見つめて言ってくる。
お姉さんのその言葉に、私は黙ってしまう他になかった。そんな表情はずるいよ、お姉さん…
私は知ってる。
この戦争で、人と魔族との争いで、一番胸を痛めているのはお姉さんなんだ、って。
そんなお姉さんのそばに私はついていてあげたいって、そう思った。
その気持ちは、少しも変わっていない。
でも、竜娘ちゃんを助けてあげたいって気持ちもまた本当だ。
お姉さんの表情に、私はその二つを同時に突きつけられてしまったように感じて、それ以上、何かを言うことができなかったのだ。
黙ってしまった私を見て、お姉さんはふぅ、とため息をついて顔をあげた。
「じゃぁ、その話はここまでだ。サキュバス。各地に散らばってる魔王軍の残存兵力の再統合のことを考えたいから、あとで上の部屋に来てくれ。
兵長にも、軍全体の編成案について考えてもらってるけど、こっちのことはやっぱり事情にあかるいあんたがいないと進まなそうなんでな」
そう言われたサキュバスさんは、まるで叱られたあとの子どもみたいに、肩を落としたままで
「はい。すぐに参ります」
と小さな声で返事をした。
それからお姉さんは
「悪いな」
と一言だけ言い、私の頭をクシャっとなでると、みんなが集まっていた暖炉の部屋から出て行った。
お姉さん…困らせちゃって、ごめんなさい…
部屋を出て行くお姉さんの背を見ていた私の胸には、そんな思いがこみ上げてきていた。
だけど、扉がパタン、と閉まったとたんに、十六号さんが声をあげた。
「なんだよ、十三姉ちゃんのわからず屋!」
「なぁ、十二兄ちゃん!頼むよ、姉ちゃんを説得してくれよ!」
続いて、十七号くんがそう魔導士のお兄さんに訴えた。
「兄さん。私も、なんとかしてあげたい」
「あそこに閉じ込められてるかもしれない、って言うんなら、なんとかしてやりたいよなぁ」
十八号ちゃんと、十四号のお兄さんも口々に言って魔導士さんを見た。
みんなの視線を浴びた魔導士さんは、ため息混じりに肩をすくめて見せる。
「あいつの言うことはもっともだ。そもそも、なぜ、やつらがその半人半魔の子を拐ったのかを考えるべきだな。
実験体にするつもりだったのか、調査目的なのか…いずれにしても、まっとうな理由であるはずがない」
「だとしたら、やっぱり助けてあげないと!」
十六号さんがまた声を張り上げる。そんな彼女を、魔導士さんは表情のない視線を向けて諌めるように言った。
「いい加減にするんだな。俺もあいつも、なにがどうあろうがお前たちをあそこに送り返すようなマネはしたくないんだ。
うまく行こうが行くまいが、その事には少しも変わりはない」
それを聞いた十六号さんは黙ってしまう。そんなとき、十四号さんがふと、何かを思いついたように静かに口にした。
「…だったら、十二兄ちゃんに頼んじゃダメなのか?」
ほかの子どもたちの視線が、魔導士さんに集まった。
「俺がみんなに指示を出して、この城を守る。十六号の結界魔法と、十七号の体術、十八号の広域殲滅魔法を合わせれば、兄ちゃん一人分とは行かなくても
この城を姉ちゃんと一緒に守ることくらいはできる。兄ちゃんなら、あそこへ戻ってもそう簡単に捕まったり、魔法を封印されるなんてことはないはずだ」
十四号さんの言葉に、部屋が一瞬、沈黙に包まれる。
魔道士さんは、またふぅ、と呆れたように大きくため息をついた。
「俺はあいつに雇われている身だ。俺やお前たちの判断で勝手なことはできん」
「なんだよ!ケチ!」
「兄ちゃん、頼むよ!」
「どうにかならないの?」
魔道士さんの言葉に、みんなが一斉に喚き始める。
でも、私は魔導士さんの言葉を聞いて、何かに気がついた。
そう、魔導士さんは、お姉さんに雇われている。
お姉さんの命令を聞いて、それを実行するのが、魔導士さん本来の役目。
魔導士さんは、それを、この城に住むことと、みんなの分の食事を、その対価としてお姉さんに求めた。
もし…もし、私が、魔導士さんと契約するとしたら…?
「ね、ねぇ、魔導士さん…!」
私は、自分の考えがまとまらないうちに、思わずそう大きな声で魔導士さんを呼んでいた。
魔導士さんとみんなが、私の方をみやる。
そんな中、私は頭を精一杯回転させて、魔導士さんにどう頼めばいいのかを考えて、それから聞いた。
「も、もし、私が魔導士さんにお願いをするとしたら…魔導士さんはその対価に、何が欲しいですか?
私、きっとそれを用意します…!だから、お願いします!竜娘さんを助ける為に、力を貸してください!」
つづく。
待ってた甲斐があった!
乙
乙
幼女ちゃん動く!
当面は人間VS魔族なんだろうけど、本当にヤバいのは誰か徐々に明らかになってきたね。
大きな目的のために細かいところは保守的にならざるを得ないお姉さんの代わりに頑張れ幼女ちゃん
更新を待ってるよ♪
まだかなー
大変遅くなりました!
年度末、年度始めとバッタバタでして。
しかも今回続き少なめだけどご勘弁を…
けっして艦これにはまっていたわけではない、断じて!w
2-4つえーよ。羽黒たん轟沈した上に負けるという散々たる結果で泣きましたw
ちょっとスランプなのですよ…展開は頭の中ではできているんだけど、文章に出てきません。
途中でやめたりはしないでの気長にお付き合いください。
仕事が落ち着いてきたら&スランプ抜けたあペースあがると思います。
見捨てないでね(はーと)
「人間ちゃん、あった?」
「うーん、わかんない…これは違うよね?」
「それはランのお花だよ。でも、トロールの絵に似てるね」
「うん、そっくりなんだけどねぇ…その、なんていうかトロールさん、絵があんまりうまくない、っていうか…
この絵だけじゃよくわからない、っていうか…」
「あー…だよねぇ…」
私が広げて眺めた羊皮紙を妖精さんもそんなことを言って覗き込んでくる。
そこに描かれているのは、まるで小さな子どもが描いたみたいなお花の絵。
いや、私もまだ十分だ子どもだけど、さすがにもう少し上手に描けるんじゃないかな…
そんなことを思いながら、私は羊皮紙を畳んでポーチにしまって
「とにかく、頑張って探してみよう。このあたりにあるはずだ、ってトロールさん言ってたし」
「うん、そうだね!」
私が言うと妖精さんはキュッと表情を引き締めてそう言い、パタパタと原っぱを飛んでいった。
私たちは、お城から歩いて一刻ほどはなれたところにある小高い丘の中腹にいた。
昨日、竜娘ちゃんの救出に協力して欲しいとお願いした魔導士さんは、しばらく無表情で宙を眺めてから、最後にはため息混じりに私に言った。
「ウコンコウと言う、魔界原産の花の種を革袋いっぱい用意しろ」
お花の種だなんて、最初はちょっとキョトン、としちゃったけっど、思い返せば魔導士さんはあのお城に住むってことだけで、
あれだけ大勢の人間相手に戦おうとしてくれた人なんだ。
もちろん、お姉さんとの関係、って言うのもあったとは思うけど…
とにかく、そのお花の種、っていうのは、魔道士さんにとってはお姉さんとの約束に少し違反してしまっても
私に手を貸しても良いと思える位のものだったんだろう。
ウコンコウっていうのがどんなものかは私も知らないけど、もしかしたら、魔法の薬とかそういうものを作るための材料なのかもしれない。
魔導士さんと話をしたときに一緒にいた妖精さんはそのお花のことを知らなかったから、私たちはお城の図書室に行って図鑑を調べて回った。
でも、その名のお花は図鑑のどこにもない。困り果てた私は、懲りずにサキュバスさんに聞いてみることにした。
事情を話したサキュバスさんは、また難しい顔をしたけど、それでもいつも料理に使っている調味料のターメリックが魔界ではウコンって名前なんだ、と教えてくれた。
それからさらにサキュバスさんは
「植物のことなら、大地の妖精様に聞いてみるのが早いかもしれませんね」
とひらめいたよう言って、私をハッとさせた。
大地の妖精のトロールさんなら、知っているかもしれない!
そのことに気がついて、私たちは少し興奮しながらまだ夕方前で眠っていたトロールさんの部屋を訪ねた。
トロールさんに話をすると、それはきっと「ボタンユリ」の花のことではないか、とあのゴロゴロ声で言った。
なんでも、ボタンユリは、ターメリックに少し匂いが似ていて、だからウコンコウ、つまり、「ウコン香」というのではないか、って。
他に情報もなかったし、なによりトロールさんの話を聞いてきっと間違いないと思った私は、
そのお花の絵を描いてもらい、そしてどこに生えているかをトロールさんに教わった。
そして、今、ここでそのウコンコウ、ボタンユリのお花を探している…んだけど。
あっちこっちにお花は咲いているものの、どれもトロールさんの描いた絵には似てないし、
そもそもこの絵がどれだけ本物に似ているのかわからないし、なにより、手がかりのターメリックの匂いもしない。
私は探し始めて半刻ほどで、すっかり困ってしまっていた。
そもそも、生えている場所がここであっていたとしたって、今がお花を付ける季節じゃなかったらただの草と見分けがつかないかもしれない。
それに、お花の季節だとしたって、すぐに種が手に入るはずもない。
そのときは苗にして幾つか持って帰って魔導士さんに相談してみるつもりだけど、それもお花自体が見つからないことには、どうしようもない。
でも、諦めるわけにはいかないんだ。もしかしたらこうしているあいだにも、竜娘ちゃんは辛い目に合わされているかもしれないんだ。
そう思ったら、探す手を休ませてなんていられないんだ。
「んー、しっかし、兄ちゃんも兄ちゃんだよなぁ。本当は自分だって放っておけないって思ってるクセにさ」
近くにあった岩の上に腰掛けてあたりを眺めていた十六号さんがそんなことを言っている。
昨日、ウコンコウがボタンユリという名前なんだ、ということを知った私たちのところに、心配をして来てくれた十六号さんは今日の護衛を買って出てくれた。
戦うのはそれほど得意ではない、って自分では言っていたけど、そのぶん、結界魔法やお姉さんと同じ転移魔法が得意なんだそうだ。
一緒になって竜娘ちゃんのことを心配してくれているのもそうだけど、
それとは別に、私はまだ会ったばかりのみんなと仲良くできることが嬉しくて、十六号さんにお礼を言って着いてきてもらった。
「大人って、いろいろ難しいんだよ、きっと」
私が言ったら、十六号さんは鼻で笑う。
「そういうの、みんな言うよな。兄ちゃん、昔はもっと無茶苦茶に暴れまわる人だったし、
姉ちゃんももっといろいろスパスパっと決めてパパっと行動しちゃう人だったのに、いつもの間にかあれだもんな。大人になんかなりたくないねー」
十六号さんは昨日からずっとそんな感じで呆れっぱなしだ。でも、と言葉を挟みそうになって、私はやめた。
お姉さんが向き合わなければならない問題のことはわかっているつもりだし、それが簡単なことじゃないってのも理解できている。
だけど、十六号さんが言っていることもよく分かる。
手続き、とか、順番、とか。大人って、難しい。
「でも、十六号さんは一番お姉さんに似てるよね」
「えぇ?あー、まぁ、嬉しいのが半分、複雑なのが半分かな、それ」
その代わりに私が言ってあげたら、十六号さんはそんなふうに言って苦笑いを浮かべた。その表情に、思わず私もクスっと笑顔になってしまった。
十六号さんだけじゃない。みんなも、私と一緒の気持ちになって、竜娘ちゃんを助けよう、って言ってくれた。
だから、諦めたりなんてするはずないんだ!
そんなことを思って意気込み、起き上がってあたりを見回したときだった。
色とりどりの花の中でも、なんだかとっても鮮やかで目立った色をした花が咲いているのが目に入った。
遠めだけど、トロールさんが描いた絵に似ていなくもない…う、ううん、この絵は、とにかくあんまり当てにできないけど…
とにかく、行ってみよう。
私は草を踏み分けてその場所まで足を運ぶ。
そこには、赤、白、黄色の色の三色それぞれの鼻を付けた小さなカップほどもある花を咲かせた植物がたくさん生えていた。
硬そうなまっすぐの葉っぱに、花を支えているのは一本の茎。
そしてその上の花は、色濃く、大きく、なんだか私には、それが誰かの笑顔のように見えた気がした。
その一本に鼻を近づけて匂いを確かめる。ふわりと、変な匂いがした。
こう、なんていうか、埃臭い、っていうか、ムワっと香る、変な匂い。見ている分にはきれいだけど、香りを楽しむ花ではないのかな。
そういえば昔お父さんが、いい匂いのする花は虫を集めて花粉を運んで欲しいと考えている花で、
悪い匂いのする花は害虫を遠ざけるためにそんな匂いを出しているんだ、と言っていた。
もし、その話がこの花に当てはまるのなら、やっぱり魔法の薬か何かの材料になるような気もするしならないような気もするけど…
いや、それは置いといて、匂い。
そう、この匂い…ターメリックに似てる!
「これだ!」
私は胸が弾む思いでそう声を上げていた。
「あったの!?」
「へぇ、どれだ?
妖精さんと十六号さんの声が聞こえて来るのも気にせず、私はあたりに群生してる花を見渡した。
つぼみのままのもあるくらいで、種をつけているのはないみたい。それなら、やっぱり苗にして持って帰るしかない、か…
それでも良いって、魔導士さん言ってくれるかな?
そんなことを不安に思ったけど、それは考えても仕方のないことだ。きっとこの花に間違いないはず。
それなら時期を見て種を作らせることだってきっとできる。とにかく、これを持って帰ろう。
「へぇ、これがそうなんだ?」
「わぁ、ずいぶんと派手なお花だね」
私の元に二人が駆けつけてきた。
「匂いもそうだし、ほら、トロールさんの絵に似てないこともないでしょ?」
私はポーチを開いて持ってきておいた革袋とシャベルを出すついでに、十六号さんにあの羊皮紙の絵を見せてあげた。
すると十六号さんは感心した様子で
「へえ、確かに特徴が同じだな!間違いないだろ!」
と声をあげた。
うーんと、どのあたりの特徴が同じなんだろう?
ふと思い浮かんだ疑問を頭を振って払いのけ、目の前にあった花の根元を身長に掘り進めていく。
葉っぱの生え際から手の平ぐらいの範囲で土ごと掘り起こしてみると、そこには根っこではないなにかがあった。
私は、それを知っていた。
これ、球根だ!そっか、このボタンユリは球根でも大丈夫なんだ?増やすためには種がいるけど、花を咲かせるなら何度かはこのままでも大丈夫なはず。
お芋やオニオンなんかと一緒だ。
「あたしも手伝うよ」
十六号さんがそう言ってくれて、落ちていた木の棒で他の花の根元を掘り始める。
妖精さんはポーチから出した革袋の口を広げて、私がその中に苗を納めるのを手伝ってくれた。
二人がそうして手伝ってくれたおかげで、ホンの少しの間に苗をとりあえず十個分、用意できた。
「とりあえずこれくらいで良いかな…あとは、帰ってこれでもいいか、って魔導士さんに相談しないと」
私はそう言って、十六号さんをチラリと見やった。彼女は私の言葉の意味をわかってくれたようで、ニコッと笑って頷き
「じゃぁ、つかまりな。お城までひとっ飛びだ!」
と言って手を伸ばしてくれた。
その手を掴み、妖精さんが私の肩に捕まったのを確認した十六号さんは、小さな声で何かを唱えた。
とたんに私達の周りにお姉さんが転移魔法を使うときとよく似た魔法陣が現れて、パパっと目の前が明るく光る。
次の瞬間、私たちは、お城の中、あの暖炉の部屋にいた。
そこでは、サキュバスさんが十九号ちゃんと二十号ちゃんに、お昼の準備をしている最中だった。ほかの人の姿は見えない。
三人は、いきなり私たちがあわられたものだから、少し驚いていたけど、私たちが抱えていたものを見て、サキュバスさんがらしくない嬌声をあげた。
「見つけられたのですね!」
「はい!最初はちょっと探しちゃいましたけど…」
「トロールの絵が、分かりづらかったんです」
「そうかぁ?よく似てるじゃないか、その花と」
私たちは三者三様の言葉を返した。
「これで…魔導士様が、あの子を…」
サキュバスさんはそう言って、なんだが急に顔色を暗くした。
「その…やはり、大丈夫なのでしょうか?危険ではありませんか?」
そんな心配をするのは当然だよ思う。だって、その魔導協会ってやつらは、人を人とも思わないような方法で
お姉さんたちを閉じ込めるようなことをしていた人たちだ。危険がないとは思えない。でも、それでもなんとかしなきゃいけないことなんだ。
「私、これで魔導士さんに相談に行ってみるね!」
私が言うとサキュバスさんが、心配げな表情を、なんとか真剣な力強い顔に戻して、黙って頷いてくれた。
それから私は妖精さんと十六号さんを連れて部屋から出て、魔導士さんの部屋へと向かった。
コンコン、とドアを叩くと、
「はいはいー」
と十四号さんの返事が聞こえる。しばらくして、ドアが開くとそこにはすでに魔導士さんが立っていた。
「魔導士さん、これがそのウコンコウ…魔界では、ボタンユリって言うらしいです」
私はそう言って、魔導士さんにボタンユリを見せる。すると、あのいつも無表情の魔導士さんの口元が微かに緩んだように、私にはみえた。
「なるほど…確かに、以前行商人から手に入れたものと同じだな。そうか、ボタンユリ、というのだな。調べてもわからないはずだ。
あの行商人、適当なことをふかしやがって」
魔導士さんはそんなことを言ってから頭を振って、私たちに部屋に入るように促した。
「作戦会議だ。あいつをうまく言いくるめ方法を考えなきゃならないからな」
「はい!」
その言葉に、私はついつい、元気の入れすぎでそんな声で返事をしてしまっていた。
つづく。
おつかれさま!
乙
少しずつ準備が進むね。
最大の壁(お姉さん)を攻略しなきゃならんけどw
ちなみにウコン香やらボタンユリやらは実際のおはなし?
>>373
ウコンコウ=ボタンユリ=チューリップで、実際のものですな
チューリップのことなのか
そら子供が書いた絵になりますわ
>>374
マジか!ありがとう。
チューリップってそんな土くさい匂いしてたっけかね?
したり顏で下手なチューリップ描くトロさんカワエエw
>>ウコンコウ
レス&解説あざっす!
ウコンコウ=ボタンユリ=チューリップです。
クレヨンで子どもが描いたチューリップみたいな絵を描いたトロールさんでしたw
続きです。
お姉さんが怖い顔をして私たちを見つめている。さっきから、一言も離さないで、ずうっと腕組みをして、眉間に皺を寄せたままだ。
緊張感が消えないけれど、それでも私は、お姉さんの目をジッと見つめ返していた。
あれから私は、魔導士さんとお姉さんを説得する方法を考えた。
だけど、魔導士さんが言うには、無理やり押し通すしかないってことらしい。
それくらい、お姉さんは一度決めたら頑固になって、考えを変えるのは難しいだろう、って魔道士さんは言った。
確かに、魔導士さんの話はその通りだと思う。
今まで私はお姉さんとそんな話をしたことはなかったけど、お姉さんは傷ついても、辛い思いをしても、頑なに魔族の人たちのことを思って諦めなかった。
南の城塞で司令官さんと話をしたときも、どんな言葉を投げかけられてもお姉さんは考えを変えたりしなかったし、
東の城塞で元の仲間だった剣士さんや弓士さんに言葉を聞き入れてもらえなかったときでさえ、
お姉さんはサキュバスさんや兵長さんが戦おうとすることを止めていた。
あんな状況でも、お姉さんはこれ以上の戦いを広げさせない、って強い思いが揺らがなかったんだ。
もし、それと同じくらいの強い気持ちで私が王都の魔導協会っていうところに行くことを反対しているんだとしたら、それを覆すのは簡単じゃない。
だけど、それを承知で私たちはお姉さんと兵長さん、そしてサキュバスさんが魔族軍再興の思案をしていたお城の上層階にある部屋に来ていた。
私に妖精さんに魔導士さん。それから、どうしてか妖精さんが寝ていたところを起こして連れてきたトロールさんもいる。
「頼む。考え直してくれ」
お姉さんは怖い表情のまま、私達に言った。私は胸のあたりに緊張とは違う重苦しい何かが詰め込まれたような気持ちになる。
だけど、私はお腹に力を入れてお姉さんに返事をした。
「ごめん、お姉さん。私、どうしても行きたい」
お姉さんの表情がさらに曇った。それを見たのか、肩にとまっていた妖精さんが私の服をギュッと掴むのが伝わってくる。
お姉さんは今度は、魔導士さんに視線を送った。
「あんたも、この子に担がれるだなんてな…あたしとの契約はどうしたんだよ?」
「二重契約は違反だ、と聞いていなかったんでな。もし意に背いたんなら、次からはないようにするさ」
お姉さんの言葉に、魔導士さんは何でもないという風な表情で答えた。すると、お姉さんは相変わらずの表情のままに、
「はぁ」
と深くため息を吐いた。
「もう一度言うぞ。あそこは、危険だ。下手を打てばあんた達もろとも捕まって、実験体にされるかもしれない。
魔導士、ただでさえあんたはもうあたしの仲間として『裏切り者』になってるんだ。
顔が割れてるあんたがあそこに行って無事にいられるとは、あたしは思わない」
でも、魔導士さんは負けてない。
「顔なんてどうとでもなる。それに以前の話だがな、あいつらが使う魔法陣にはある種の共通項がある。
もしお前が言ったように、やつらが魔法を無効化する技術を持っているとしたら、その共通項…魔法陣の構造にその仕掛けがあるはずだ。
だが、俺はやつらの魔法陣を使わない。俺の魔法陣はほとんどが古文書から俺自身が生成した魔法陣だ。やつらの支配を受ける可能性は低い」
「絶対にそうだ、と言い切れるか?」
「物事に絶対、などと言えることはない。あくまで可能性だ」
「大丈夫だという保証が無い限りは、あたしは諾とは言えない」
お姉さんが魔導士さんに鋭い視線を突き刺す。でも、それでも魔導士さんは表情を変えない。
「では、魔族魔法を使える連中を連れて行く、ってのはどうだ?」
そんなお姉さんに、魔導士さんはそう言葉を返した。お姉さんは少し驚いた様な表情を見せる。私も、少し驚いた。
そんな話はさっきの作戦会議では言っていなかったからだ。
魔族の魔法を使える人で、それも、とびきり強いやつを使える人、と言ったら、このお城には一人しかいない。
「サキュバスか?」
お姉さんも私と同じ答えを導き出したようで、チラリとお姉さんのそばに侍っていたサキュバスさんを見やって聞く。
しかし、魔導士さんは
「いや」
と静かに首を振った。
「その小さいのと、このデカ物だ」
魔導士さんは言った。
その小さいの、とは、妖精さんのこと。そして、もう一人、デカ物とは、魔導士さんの隣に座っていたトロールさんのことだ。
「バカ言うな。その二人連れてったって悪いけど戦力にはならないし、そもそもそんなナリで王都を連れ回す、ってのか?」
お姉さんがそう声をあげる。
そんなとき、魔導士さんは私の方に視線を送ってきた。
いや、私に、じゃない。私の肩に止まっていた、妖精さんに、だ。
「力を貸してくれるな?」
そう聞かれた妖精さんは、小さな口をへの字に曲げて、それでもコクりと頷いた。
「どういうことなのですか、魔導士様…?」
不意に、サキュバスさんがそう声をあげた。その表情は、どこか心配げというか、不安げというか、そんな風に見える。
魔導士さんはそんなサキュバスさんの言葉を聞いていたのかどうなのか、妖精さんに静かに言った。
「見せてやってくれ、あの石頭に」
「はいです…」
そう返事をした妖精さんがパタパタっと私の肩から離れて、テーブルの少し離れた空中に静止する。
それから、いつものようにポッと体をほのかな光で輝かせ始めた。
トロールさんも席を立つと、目を閉じた。すると、妖精さんのように体が輝き始める。
妖精さんが、サキュバスさんにポツリと言った。
「ごめんなさい、サキュバス様。どうか、許して欲しいです」
それを聞いたサキュバスさんの表情が変わった。その表情は、今までに見たことのない、慌てて、狼狽した顔付きだった。
「まさか…!妖精様、トロール様!それは掟に反します!」
サキュバスさんはいつもは出さない位の大きな声で妖精さんに言った。でも、妖精さんは体を光らせたまま、目をつぶってその言葉には答えない。
掟、って何?妖精さんとトロールさんは、何をしようとしているの…?それって、いけないことなの…?
私がサキュバスさんの言葉に戸惑っている間に、その変化は起こった。
光の中の妖精さんとトロールさんがみるみる大きくなっていくのだ。
トロールさんは全身を覆うゴツゴツとした石が、妖精さんは背中に生えていた透明な羽が、
キラキラと輝きながら宙に解け、目に見える速さで手足が伸び、頭も体もまるで膨れるように変化していく。
そして、少しの時間も経たない間に、トロールさんは魔道士さんと同じくらいのお兄さんの姿に、
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妖精さんはちょうど十六号さんと同じくらいの歳の女の子へと姿を変えた。
よ、よ、よ、妖精さん達…人間に姿を変えることができたの…!?
私はそれを見て言葉を失くしてしまう。おんなじように、テーブルの向こう側でお姉さんがあんぐりと口をあけているのも見える。
兵長さんも、驚いていた。
だけど、サキュバスさんとトロールさんと妖精さん、そして魔導士さんの四人は違った。
サキュバスさんは何かに絶望したかのような、そんな表情をしていて、妖精さんとトロールさんはなんだか少し申し訳なさそうな顔をしている。
魔導士さんは…まぁ、相変わらずの無表情だけど。
え、えと…その、こ、これは、どういうことなの!?
「お、おい…いったい、これ、どういうことなんだよ…?」
私と同じように驚いていたお姉さんが、喉が詰まったみたいな声で魔導士さんやサキュバスさん、妖精さんを順番に見つめている。
「俺が説明しようか、サキュバス」
不意に魔導士さんがそう言うと、サキュバスさんはハッとして我に返り、お姉さんの視線に気づいて、口をつぐんだ。
サキュバスさんは、「掟」と言った。「掟」って、なんなの?この姿になることは、魔族達の中では禁じられているの…?
「サキュバス様」
黙ったままだったサキュバスさんに、妖精さんがそう声を掛けた。小さいままのときとおなじ、とても綺麗で、透き通るような声だ。
「私たちはもう、魔族でも人間でもない者になったですよ。
魔王様…いえ、古の勇者様の再来と共に、この世界に平和と繁栄を築くために、その志に応えたいと思って、ここにいるです。
それなのに、魔族の掟を守らなきゃいけないのはおかしいと思います。私は、もっともっと勇者様のお役に立ちたいです。
そのためには、魔族の姿でいるよりも、この元の姿になって、人間の魔法を使える方がもっと良いと思うです」
も、元の、姿…?それ、どういうこと…?妖精さんは、もともとは人間だった、ってこと?
う、ううん、人間に見えるけど、もしかしたらそうじゃないのかもしれないけど…
私は混乱した頭のまま、とにかく妖精さんが見つめたサキュバスさんを見やった。
サキュバスさんは、ギュッと唇を噛み締めていたけれど、やがて何かを諦めたように口を開いた。
「…竜娘様がそうでしたように、また、魔王様が兵長様に仰ったように、
魔族と人間の間に子が成せる、と言うことがどういうことか、お考えになられたことがございますか?」
私は、そのことの意味がわらからなくて首を振った。
お姉さんは、呆然とサキュバスさんを見つめているし、兵長さんは…なんだか急に赤い顔をしてモジモジしているから、今は放ってくとして…
それにしても、やっぱりサキュバスさんの言葉の意味がわからない。魔族と人間の間に子どもが出来る、っていうことに、何か重要なことがあるの?
そんなことを考えていた私をよそに、サキュバスさんは続けた。
「犬と猫の間に子が成せぬように、馬と牛との間に子が成せぬように、異なる種族同士が子を成すことなど、出来はしないのです」
そ、そ、そ、それって…つ、つまり…
「…魔王様。今まで黙っていて、申し訳ございません。これは、魔族の中でも他言することは禁忌の、絶対の掟。
そして、魔族が忘れていたい事実でございました…
ですが、そうですね…妖精様の仰るとおり私たちは、魔族が王であり、人間でもある魔王様にお使えする身。
その中で私たちがその掟を順守することは、魔王様に対する裏切りにございましょう」
そこまで言うと、サキュバスさんはその場に膝まづいて、お姉さんに頭を垂れた。
「魔族とは…その身に自然の力を宿し、その力を使ってある種族は生活を営みやすいよう、別の種族は戦いに向くよう、
自らの姿形を変えた、人間なのでございます」
え…?
ま、魔族が…人間…?
私は、背中からバンっと叩かれたみたいな衝撃を感じて頭が真っ白になった。びっくりしすぎて、何も考えられないし何も思いつかない。
魔族が、人間…?そんなの、考えたこともなかった。
だって、魔族は人間に悪さをする存在で、人間は魔族にいつも悪いことをされてきた…もちろん、今はそんなじゃない、ってわかっているけれど、
でも、少なくとも人間界に残る魔族に関するお話はそんなものばかり。
魔族っていうのは、野蛮で、狡猾で、ずるくて、人間を陥れて困らせる、悪い存在だって、そう言われていたんだ。
でも、魔族は人間だったの?それじゃぁ…それじゃぁ、どうして、戦争が起こったの?
どうして戦いなんてしなきゃいけなかったの?
どうして…?どうして…?
そんな私の思考を、トロールさんの言葉が遮った。
「魔王様。オイ達も、魔王様と共に在る以上、守られてばかりではいられない。オイ達も、なすべきことをすべきだ」
トロールさんの声色は、あのゴロゴロと言う聞き取りづらい声ではない。少し掠れた、でも、私達人間と同じような、そんな声。
素朴な村のお兄さん、って感じの、その「トロールさんだった人」は、そう言ってお姉さんを見つめた。
お姉さんは、表情を変えなかった。だけど、私には分かった。
お姉さん、混乱していた。急に魔族が人間になって、サキュバスさんが謝ったりして…
いったい、なにが起きているのかがわからない、ってそんな雰囲気がする。私もそう感じているけど、
でも、お姉さんは私以上に頭の中がぐしゃぐしゃになっちゃっているんじゃないか、って、そう思えた。
「えっと…待て…気になることは山ほどあるが…今は、とにかく…」
お姉さんはブツブツと呟くようにそう言ってから、魔導士さんを見た。
「人間になれたから、って言って、戦力がどうこうなる問題じゃない。ただあいつらに怪しまれにくくなった、ってだけじゃないか」
「まぁ、このままなら、な」
お姉さんの言葉に、魔導士さんは静かに答えると、さっと右腕を振り上げて、妖精さんに頭を振った。
コクリと、妖精さんは頷いて、自分の右腕を魔導士さんに差し出す。
「ま、まさか…!」
お姉さんがそう声を上げたのも束の間、柔らかな光が妖精さんの腕を包み込んだ。
その光の中で、それよりももっと明るい光の粒が、まるで意思を持つようにいして動いているのが見える。あれって…もしかして…
私は気がついた。それは、オークの森で妖精さんがお姉さんの転移魔法の魔法陣を描いたときの光に似ていた。
そして、その光は、妖精さんの腕に何かを刻み込んでいる。魔法陣…魔導士さんが、妖精さんに魔法陣を描いているんだ…
やがてその光が収まると、妖精さんがふぅ、とため息を吐いた。その様子を見て、魔導士さんが
「気分は?」
と尋ねる。妖精さんは頷いて
「平気です」
と答えた。それから自分の腕に描かれた魔法陣を見やって
「不思議な模様です」
なんて言うと、その手をギュッと握った。
とたん、ふっと部屋の中が暗くなった。窓がある部屋で明るかったのに、突然、だ。
思わず窓の外に目をやった私が見たものは、一面真っ暗なガラスだった。外に、景色が見えない。ううん、見えないどころの騒ぎじゃない。
まるで黒く塗りつぶされてしまったかのように、真っ暗…
「自然の力を扱える魔族に、俺特性の増幅魔法陣を使う。やつらの干渉は受けない上に、体に取り込んだ自然の魔力を増幅して扱うことができるはずだ。
もっとも、体への負担はどうか知れないが、それでも魔力だけなら中級の魔導士を軽く超える。
これを羽妖精とトロールに施せば、最低限の戦力にはなるはずだ」
魔導士さんがそう言った。
そうか…魔族に人間の魔法陣を使う、ってことは、お姉さんが魔王の紋章と勇者の紋章を両方使うのと同じような性質になれる、ってことなんだ。
妖精さんは光魔法が得意だって言っていた。窓の外が真っ黒に見えるのは、妖精さんが窓に差し込む太陽の光を魔法で操って遮っているから…?
そう思って目を向けた妖精さんは、握っていた拳をパッと開いた。途端に窓の外から眩しい太陽の光が入ってきて、目がくらむ。
「魔王様、お願いしますです。私たちが人間界に行くことを、許しで欲しいです」
妖精さんはそう言って、サキュバスさんのように跪いてお姉さんに頭を下げた。
お姉さんの顔が、沈痛に歪む。それを見れば、私たちがお姉さんにどれだけのことを頼んでいるかなんていやでも分かる。
でも、それでも私は、竜娘ちゃんを助けに行きたい。
魔族と人間との間でずっと苦しんできたに違いない竜娘ちゃんを、これ以上その苦しみの中にとどめておくなんて、私にはできなかった。
「お姉さん、お願い…!」
私もお姉さんにそう言った。
表から聞こえてくる鳥のさえずりが場違いに聞こえるくらいに、重い沈黙が部屋を押し包む。みんなの視線がお姉さんに注がれた。
お姉さんは、誰の目を見ることなく、ジッとテーブルの上に目を落とし、口をつぐんでいる。それが、どれだけの間続いたかはわからない。
ほんの一瞬だったかもしれないし、ずいぶんと長い時間だったかもしれない。
ただ、とにかく、その胸が詰まるような重苦しい雰囲気を破ったのは、お姉さんのため息混じりの一言だった。
「…はぁ…わかった、わかったよ。あたしの負けだ。あんたたちに任せる」
そう言ったお姉さんは、くたびれたようにギシッとイスの背もたれに身を預けて天井を見上げた。
それから、やおら傍らに侍っていたサキュバスさんを見下ろして、囁くような声で頼んだ。
「サキュバス、お茶を。あと、話せるところまででいい。あたしに教えてくれ。魔族、ってのが、なんなのかを」
つづく。
乙!!
乙
練りに練った話ですげえ面白い
すごく凝った話でけっこう読んだ気がするのに意外とレスは食ってないよな
一レスにけっこうな文章あるからなんだろうけど
あ、もちろん文句じゃないです
>>387
同感
>>385
感謝!
>>386
楽しんでいただけて幸いです。
プロットだけはすでに組み終わってます!
>>387>>388
長くてすんませんwww
以前誰かが仰ってくれたように、本来は「なろう」あたりで書くべき長さなのかもなぁ、と。
でも、書きながらレスが付く方が励みになって楽しいのです、すみませんm(_ _)m
短いですが、続きです。
潜入開始!
かつて、この大陸で争いが起こった。
それは、人と人との争いだったのだという。
一方は、自然と共に生きた者達。
そしてもう一方は、自然の中に生きながら、森や草原を切り開き田畑を作り、
同じ面積で狩りや採集を行うよりも、ずっと多くの食料を作り出すことを発見した者達。
二つの異なった生活を持つ者達は相容れず、大陸中で狩猟場と田畑のための土地が重なり合い、度重なる戦いが起こっていた。
争いが続くうち各々の勢力は一つにまとまりはじめ、ついには大陸を二分する大きな勢力となって、争いは戦争になった。
しかし、その戦争によって大地は荒れ、狩猟場も田畑も減少していったのだという。
食料を得る場を守るための戦いが、逆に人々から安定した生活を奪い去ってしまったのだ。
人々は飢え、その飢えのため狂気的に戦いを継続させた。
その事態を受け、大陸に古くから伝わる神官の一族が力を集めて一人の治世者を立てた。
それが古の勇者。
彼の力は人智を超え、片腕をを振れば森が生い茂り、息を拭けば大嵐が起こったほどだった。
古の勇者はその力を以って戦争を収め、自然と共に暮らす大地の民を大陸の西へと導いた。
畑田を営む民を大陸の東へと向かわせた。
そして、この大陸を分かち、二つの生活圏が干渉しえないよう、あの中央山脈を築いたのだ。
田畑を営む民は荒れた野を再び田畑に戻すために、神官の一族から己が肉体を強化する術を学び、
その数を増やし、大いに発展した。
大地の民は荒れ果てた野を再び豊かにするために、勇者の“片割れ”の力を引き継いだ施政者から自然の力を取り込む術を学んだ。
そして、自然の力を扱っているうち、大地の民はその体に自然の要素をまとうこととなり、やがて人とは異なる姿形をとることが出来るようになった。
それが、魔族、と呼ばれる存在。自然と共にあろうとした民は、ついに、自然と一体化したとそれを誇ったのだという。
それが、この大陸でかつで起こった出来事。
戦争の始まり。
魔族の始まり。
そして、この大陸が分かたれた理由だ。
遠い遠い昔から、人間と魔族は、争っていたんだ。
ううん、争ってしまったから、人間と魔族とに分かれてしまった…
その事実に、私は愕然とした。
だってそれは、とても深くて暗い因縁だ。
南の城塞の司令官が言っていた、人と魔族との間にある怒りだなんて感情よりももっと強く、深く、
お互いの心に、生活に、価値観に刻み込まれているもの。
私達の“敵”…
何も、魔族と人間を元通りにしようだなんて思っているわけじゃない。
ただお互いがお互いの生活を邪魔しないような世界になればいいと思う。
でも、果たしてそれすらうまく行くのか…南の司令官さんから怒りの話を聞いたとき以上に、私はこの先のことが不安になった。
サキュバスさんから話を聞いたお姉さんは、サキュバスさんの手を握って言った。
「聞かせてくれて、ありがとう。ようやく、あたしの立ち向かっていくべき相手の姿がはっきりしたよ」
その表情は、険しくもつらそうでもなかった。
お姉さんの顔に浮かんでいたのは、ただの一つだけ。
それは覚悟、だったんだと思う。
私は、お姉さんが話を聞いて、いろんなことをあきらめたんだ、ってことを悟っていた。
魔族も、人間だった。
それは、お姉さんにとっては、これまでたくさん殺してきてしまった魔族の人たちに対する罪の意識をさらに重くさせただろう。
でも、その反面、北の城塞でお姉さんがしてしまったことへの罪の気持ちは、もしかしたら薄らいだかもしれない。
どっちにしたって、お姉さんの手は血で汚れていた。
勇者は人間の希望で、魔族の天敵なんてことは幻想だった。
言ってしまえば、ただの人殺し。
英雄でも、正義の味方でもない。
お姉さんが望んだかどうかに関わらず、お姉さんは勇者としてたくさんの人を殺した。
戦争でなければ、ただの犯罪者だ。
お姉さんは、それを受け入れたのかもしれない、と私は感じた。
これまで「仕方がなかった」と思って目を背けていた戦争中の出来事から、お姉さんは逃れることが出来なくなったんだと思う。
“堕ちた”って言葉が正しいんじゃないか、とそう感じた。
お姉さんは、自分を人間の希望である勇者ではなく、ただの人殺しなんだ、と認めて、そして、自分が人殺しだ、と受け入れたようだった。
それを感じた私は、胸が押しつぶされるほど悲しい気持ちなったけど、でも、お姉さんはなんだか脱力したようにイスに腰掛けたまま
「そっか…そうだったんだな」
なんてうわごとのように繰り返していたけど、サキュバスさんの話を聞き終えるころには何かを決意したような、そんな引き締まった表情になっていた。
そんなお姉さんは堕ちたその先で、それでも平和とは何か、ってことを、上を向いて真剣に見据えてよじ登っていく事を決めたような、
そんな表情に、私には思えていた。
お姉さんのために、私が出来ることはいったいなんなのだろう?
これまでは、お姉さんが一人にならないように、って、そう思っていたけれど
果たしてそれだけで、お姉さんの望む未来の助けになるんだろうか?
先代の魔王様が望んだ平和と繁栄がある世界に繋がるのだろうか…?
「人間、大丈夫か?」
不意にそう声をかけられて、私は我に返った。
見ると、素朴な雰囲気をしたお兄さんが、私を心配げに見つめている。
もちろん、人間の姿に“戻った”トロールさんだ。
「あぁ、うん。ごめんなさい、大丈夫だよ」
私はトロールさんにそう言って笑顔を返す。
私達は人間界にいた。
魔導士さんの転移魔法で王都から三日のところにある町に移動して、そこから馬車に乗って王都を目指している。
「むにゅ…んー…」
私の膝を枕に眠っている妖精さんが不意にそんな声をあげてモゾモゾと動いた。
うん、まぁ、その…なんていうか、気分的にすごく複雑…
小さい姿の妖精さんはかわいらしいって感じだったけど、人間の姿に“戻った”妖精さんはどっちかと言えば、美人、って感じ。
それに、私よりもずっと年上なのに、この姿になってからも妖精さんは小さい姿のときに私の肩に止まっていたように、私にべったりとくっついている。
最初の日にそのことを聞いてみたら
「人間ちゃんはふわふわしてて気持ちいいんだよ」
なんて言って、私よりは二まわりは大きいその体で背中から私にのしかかってきたりした。
そんな風に言って仲良くしてくれるのは嬉しいけど、やっぱり年上のお姉さんに甘えられているようで、なんだか複雑だ。
魔導士さんは人間界に来てからも馬車に乗っているあいだも、今までと変わりない。
無表情で、何を考えているのかを読み取ることもできない。
ただ、最初の町の宿に泊まったときに、あのボタンユリの使い道について私が聞いてみたら、その色のない顔を微かに緩ませて
「ただきれいだと思ったからだ。笑顔みたいだろ、あの花。俺は笑い方を知らないから、ああいうのが好みなんだ」
なんて言った。
笑い方を知らない、なんて、そんなことあるのかな?
と不思議に思ったけど、それ以上は聞かなかった。
そういうことってあんまり聞かれたくないことかもしれないし、
それに、その言葉は不思議だったけど、魔導士さんを見ていたら納得が出来たような気がしたからだ。
「んーむにゅむにゅ…サキュバス様、もう食べられないですぅ…」
ゴトリと馬車が揺れた拍子なのか、妖精さんがそんな寝言を言うので魔導士さんに向けていた視線を思わず妖精さんに戻して、私は笑ってしまった。
とにかくお姉さんのことは、今は忘れよう。
私は、浮かんできていたお姉さんの顔を頭を振ってかき消す。
今は竜娘ちゃんのことを考えていないといけない。
魔導士さんの話だと、確かもうすぐ関所に到着するはずなんだけど…
そう思って、私は妖精さんを起こさないように上半身だけで伸びをして、馬車の御者さんの背中越しに前の風景を覗き込む。
遠くに見えていた長い城壁は近づいては来ているけど、到着するにはまだもう少し時間がかかりそうだ。
「南部防衛要塞前衛関所。ここいらじゃ、“石壁”って呼んでるんだ」
私の動きに気が付いたみたいで、ふと、こっちに振り返った御者のお姉さんがそう言った。
「石壁…」
「そ。東の山と西の山のちょうど重なる谷にできた関所と防衛壁。
こんな距離でも大きく見えるでしょ?真下から見上げると、血の気が引くほどの高さなんだから」
御者のお姉さんはそんなことを言って、私の表情を見る。まるで、私がどう反応するのかを待っているような、そんな視線だ。
「へ、へぇ…!は、はやく見てみたいな!」
私が慌ててそう返事をしたら、お姉さんはなんだか可笑しそうに笑った。
「その子からは何も出やしないぞ?」
不意に、魔導士さんがそう言った。すると、お姉さんはすぐに肩をすくめて
「年中愛想のない顔したあなたには、子どもの扱いってのは分かんないだろうね」
と呆れた様子だ。
「夜盗まがいのあんたに分かるとは思えないがな」
魔導士さんはお姉さんの言葉通りに表情を変えずにそう言い返す。すると御者のお姉さんはちょっとムッとした表情で言った。
「夜盗ってなによ!人を泥棒みたいに言わないでくれる!?
あたしは前線だろうがどこだろうが潜り込んで敵の情報を盗み出す凄腕の諜報員様だよ!?」
「関所を抜ける算段は付いてるんだろうな?」
御者のお姉さんの言葉を無視して、魔導士さんは端的にそう聞き返す。お姉さんはしかめっ面で不快の意を表しながらも
「部下をもぐりこませてる。通行手形は彼が手に入れてくれてるはずだよ」
と言ってまた私にチラっと視線を送ってくる。なんだか分からないけど、気に入られているようだ。
マントをかぶった黄金色に青い瞳の御者のお姉さんは、私と目が合うと子どもみたいにニッコリ笑ってくれた。
首元には、何かの羽根をかたどった金のネックレスが光っている。
「だから、安心して。あたし、約束は必ず守るタチだからね!」
「約束…?」
「そ、約束。戦争中にね、彼女に守ってもらったことがあってさ、あたし達。
そのときに、もし彼女が困ったときには、どんなことでも力になる、って約束したんだ」
御者さんが言う彼女、というのは、もちろん勇者で魔王のお姉さんのことだ。
馬車を準備してもらった日のこと、魔導士さんとこの御者さんがずいぶんと慣れた様子で話しているのを見て、
私が二人の関係について聞くと
「戦争のころに、少しな」
と魔導士さんが教えてくれた。
魔導士さんは、トロールさんや妖精さん、そしてこれから助けに行く竜娘ちゃんのことも全部話して協力を申し出ていた。
御者さんは話を聞くなり
「囚われの姫君を助け出す、ね…なんかそれカッコいいね!」
なんて笑って言って、快く準備を整えてくれた。しかも、とんでもない手際で、だ。
まさか兵隊さんだとは思わなかったけど…あれ、諜報員さんって兵隊さんでいいんだよね…?
まぁ、それはともかく人間軍の中にも、お姉さんのことを分かってくれる人がいたんだ…
私はその事実になんだかほっと胸を撫で下ろしてしまう。
馬車がゴトゴトと進み、やがて石壁、と呼ばれた関所がすぐ近くに見えてくる。
確かに御者さんの言った通り、魔王城と同じくらいの高い壁がそびえていて、その下には馬車が二台、ギリギリならんで通れるくらいの小さな戸口があるだけだ。
確かに関所、っていうより、壁だね、これは…
そんな小さな戸口のところには、中に入ろうとしている人たちがズラリと列をなしている。もちろん、戸口の向こうから出てくる人たちもたくさんだ。
この向こうに王都があるんだ…
そう思うと、私はこみ上げる緊張を隠せなかった。
「あぁ、いたいた」
不意に御者さんがそう声をあげる。
見ると、戸口へ続く列から少し離れたところに立ち並ぶ木造の建物のそばに、マントを羽織って大きな荷物を背負った商人風の男の人がいた。
「ごめん、待たせちゃった」
「いいえ、問題ありません、大尉」
馬車を止めるでもなくそう言った御者さんに、男の人はそう返事をしながらパッと軽い身のこなしで御者台の上に上がって来た。
それからすぐに私達の方を覗き込んで、魔導士さんの顔を見るなりスッと目礼をする。
「魔導連隊長、お久しぶりです」
「その名で呼ぶな…魔導士で良い」
「…はい、魔導士さん」
男の人はそううなずいて、今度は私とトロールさんうを見やった
「初めまして。私は、王下騎士団諜報班の少尉です」
「初めまして、少尉さん。よろしくお願いします」
「世話になる」
御者さんはお調子者、って感じだけど、この少尉さんはとっても礼儀正しい人だな。
そんなことを思いながら、私とトロールさんもきちんとご挨拶をする。
少尉さんは私達の挨拶にもう一度目礼を返してくれて、それから前に向き直って御者さんに木の札のようなものを手渡した。
「手形です、大尉」
「あぁ、ありがとう!…うん、頼んでおいた通りだね!じゃぁ、準備しちゃおうか!」
御者さんはそう言うなり私達の方を振り返った。
「そこの木箱の中にある服に着替えて。あなた達は森の街から王都の魔導教会の本部に勉強しに行く若き魔導士さん達、ってことになってるから」
「ちょくせつあそこに届けるつもりか?」
御者さんの言葉に、魔導士さんが珍しくそんな驚いたような声をあげた。
そんな魔導士さんに、御者さんが肩をすくめ、首を傾げながら
「言ったでしょ?凄腕の諜報員だ、って。潜入工作に抜かりはないんだから」
なんて白々しい口調で皮肉の様に言う。
そんなことを言われた魔導士さんは、これは珍しいのかどうか分からないけど、なんとなく、柄ではないな、なんて私が思うほど
「分かった、俺が悪かったよ」
と素直に謝った。
なんだかそんな様子がおかしくて、私も思わずクスっと笑ってしまう。
いつの間にか、こみ上げていたはずの緊張はどこかに行ってしまっていた。
そんな私を見て、御者さんはどうしてか、満足そうに笑顔を浮かべていた。
つづく。
凄腕潜入班、現る。
乙!
乙
レス感謝!
ちょっとヤマを持ってくる関係で小出しになってます、すみません。
続きです。
ガタゴトと馬車が揺れて、関所の入り口へと近づいて行く。
入り口のところには鎧を身に着けた兵隊さんたちがたくさんいた。
兵隊さんたちは中へ入ろうとする人たちから、何かを受け取り、それを確認してから道を開け、関所の向こうへと送り出している。
並んでいるのは、商人さんに、剣を背負った旅人風の人、親子に、男女の二人組に、今の私達のように、魔導協会のローブに身を包んだ人たちもいた。
「潜入のためとはいえ、いい気分はしないな」
不意に、魔導士さんがそう声を漏らした。すると御者の大尉さんが乾いた笑い声をあげて
「ごめんね連隊長。でも、この方法が一番怪しまれなくって済むんだよ」
なんて肩をすくめて見せる。そんな大尉さんの言葉に、魔導士さんはふぅとため息を吐きながら
「その名で呼ぶな、と言っている」
と無表情なのにどこか不機嫌そうに言った。
「ふむ、小麦の搬入だな?」
「へい、王都の商会様からのご依頼で。この三人は雇い入れた護衛役でございます」
「なるほど。荷を検品させてもらうぞ?」
「へいへい、どうぞどうぞ」
私達の前に並んでいた荷馬車にたくさんの麦の袋を積んだ商人さんが、扉の前で兵士さん達とそんな話をしている。
「うむ、問題ないな」
「そりゃぁもう。こちとら、信用が第一なもんでしてね」
「そんなものか。よし、許可印を押せ。お通ししろ」
荷車の麦の袋を確かめた兵隊さんが、部下らしい別の兵隊さんに声をかけた。
商人さんが差し出した木札に部下の兵隊さんが何かを押し付け、それから先を馬の手綱を引いて扉の向こうへと誘導していく。
「次の馬車、こちらへ!」
商人さんの荷車が通り過ぎるよりも前に、兵隊さんの声が聞こえた。
とたんにまた、ガタゴトと馬車が動き出し、ほんの少ししてギシっと止まった。
少しだけ、緊張で胸が苦しくなる。
魔導協会のローブに着替える時に起こした妖精さんが、私の隣でぎゅっと手を握りしめているのが分かった。
妖精さんは、人間にいたずらをされたんだ。
きっと私よりもずっと怖いし、ずっと緊張しているに違いない。
私はそう思って、ローブの下からそっと手を伸ばして、私よりお姉さんの姿になった妖精さんの膝に手を置いてあげる。
「大丈夫」
私がそう言うと、妖精さんはハッとして私の顔を見て、全然大丈夫そうじゃない顔をしながらコクリ、と私に頷いて見せた。
「こんにちは。よろしくお願いします」
大尉さんがそんなことを言っているのが聞こえてくる。
「ふむ、客車か。乗客は?」
「はい、森の街より魔導協会本部へ留学される魔導士様方をお連れしてます」
「ほほう、魔導協会本部へ?さぞかし優秀な方々なのだろうな。御顔を拝見させていただけるか?」
か、顔を…?私達は大丈夫だけど…魔導士さんは人間軍には顔が知られているんじゃ…!
私はそう思って、慌てて魔導士さんの方を見た。
でも、そこにいたはずの魔導士さんがいない。いるのは、見知らぬシワシワのおじいちゃんだった。
え?えぇ?あれ、魔導士さんは…?
私がその光景に頭を混乱させているあいだに
「ええ、どうぞ。後ろから回ってくださいな」
と言う大尉さんの言葉を聞いた兵隊さんが、馬車の後ろの幌をあけて中を覗き込んできた。
強面の兵隊さんが、私達ひとりひとりをジッと鋭い視線で見つめてくる。
「ほほほ、これはこれは、ご苦労様でございますな」
おじいちゃんが兵隊さんにそう声をかける。
「痛み入る。その方は?」
「私はこの子らの付き添いで参りました、森の街の魔導協会の老いぼれでございます」
「いずれ名のある導士でありましょう」
「いやいや、とんでもございません。私などは、子ども等に手習いなどを任されておった身でしてな」
「左様でありますか。いや、それとて大事なことでありましょう」
「この者どもも、私が親代わりに育てた導士見習いでございまして、私の自慢です。ほれ、兵隊様に顔をお見せしてご挨拶せんか。
お勤めをさまたげてはならんぞ」
おじいちゃんに言われた私はただただ驚きながらだったけど、
トロールさんに妖精さんがローブのフードを脱いで兵隊さんに挨拶をしたので、それに倣って頭を下げる。
「これは丁寧に。いずれも知性あふれた目をしておられますな。必ずや良い導士になられましょう」
兵隊さんはそんなことを言っておじいちゃんに頷いて見せる。おじいちゃんもそれをみて
「そうであればと願っております」
とうなずき返した。
それを見るや、兵隊さんは
「では、失礼」
と幌を閉めて姿を消した。
それからすぐに表で
「うむ、大丈夫だ。印を押してお通しせよ」
と叫ぶ声が聞こえる。
「お世話になります」
大尉さんのそんな間延びしたお礼も聞こえてきて、ゴトリ、と馬車が動き出す。
ふっとあたりが薄暗くなった。御者台の大尉さんの背中が越しに外を見やると、どうやら石造りの洞穴のようなところを進んでいるらしい。
関所のあの石壁の中なのだろう。
少しもしないうちに大尉さんの向こうから明かりが差し込んできて、パッと青空が開けた。
まぶしくて思わず目をつむってしまう。
どうにか光に慣れてもう一度目を開いたときには、私達の乗る馬車は石壁を抜けていた。
「やれやれ、まったく。よく喋る衛兵だな」
不意に魔導士さんの声が聞こえて私は驚いて振り返った。
するとそこには、おじいちゃんではなく、さっきのままの魔導士さんの姿があった。
魔導士さんは私の視線に気づいて、あぁ、と声をあげると
「簡単な変身魔法だ。肉体の操作は人間の魔法の得意とする分野だからな。まぁ、あの程度の衛兵を誤魔化すくらいワケはない」
と教えてくれる。
へ、変身魔法、なんて言うのもあるんだ…?い、いや、でも、そもそも魔族が人間で、魔力であの姿を保っていることを考えれば
魔力を使って姿を変えることは意外に簡単なのかもしれない。
トロールさんがあの大きな体を身にまとわせるのと同じなのかな…?
そんなことを思っていたら、
「あぁ、そう言えばさ」
と大尉さんが御者台からこっちを振り返った。
「そっちは本部に着いたらどうするつもりなの?一応、どう動くかだけでも教えておいてくれれば、万が一のときに支援しやすいんだけど」
大尉さんの質問に、魔導士さんは微かに目をあげて静かに言った。
「あそこには、呪印の発動を感知する魔法陣が敷かれている。俺の魔法ですら感知される恐れがあるから、戦闘になる前には使うことは避けたい」
「だから、私の魔法を使うですよ!」
魔導士さんの言葉に反応したのは、私の隣に座っていた妖精さんだった。
それを聞いて妖精さんの方を見やった私は、また驚かされた。そこには妖精さんの姿がなかったからだ。
「へぇ、魔族式の魔法だ、それ?光属性の魔法なの?」
私ほど驚かなかった大尉さんが、珍しそうにそう声をあげる。
「はいです。光を屈折させて、姿を消すですよ」
そんな声が聞こえて目の前の空間がゆらりと歪み、妖精さんが姿を現した。
「魔族式の魔法は自然そのものの力だ。感知するのはそう簡単じゃない」
魔導士さんがそう説明し、妖精さんが少し得意そうに胸を張る。しかし、それを見た大尉さんは微かに表情をこわばらせて言った。
「そうだと良いけど…あそこには、あのオニババがいるからねぇ」
オ、オニババ…?なにそれ、魔族の名前…?
「あぁ、あの女か。確かにあいつだけは、得体が知れないな…」
女?あ、あぁ、オニババって、そのまま怖い女の人って意味だったんだ。
思わず言葉に戸惑っていた私は、そのやりとりに納得して二人の会話に聞き入る。
「神官の一族の末裔、なんでしょ?彼女が身に着けている紋章を作り出した、っていう」
「あくまで噂の類だ。肩書は、確か今は魔導協会の顧問理事、だったか…あの組織の実質の最高責任者だ」
神官の、一族…?
ふと、私はその言葉に引っかかった。
それ、どこかで聞いた気がする。
えっと…確か、それ…もしかして…!
「サキュバス様と同じですか…?」
私が気が付いたのと同時に、妖精さんがそう声をあげた。
妖精さんも、あのとき一緒にサキュバスさんから聞いた話を思い出していたに違いない。
「サキュバスが神官の一族だと?」
「うん、サキュバスさんは自分がそうだって言ってた。命の魔法を使える、魔族の中でも変わった存在なんだ、って」
「命の魔法…そうか、ゴーレム達のあれは、その理屈だと言っていたな…待てよ、だとすると…」
不意に、魔導士さんがそう呟いて、珍しく表情を私が見て分かるくらいに曇らせた。
「魔族の魔法にも精通している可能性がある…」
魔導士さんの言葉を継いだのは、大尉さんだった。
「もしそのサキュバスって人も神官の一族なのだとしたら、その命の魔法というのは彼女の持つ二つの呪印を作り出した魔法そのものの可能性が高い…」
サキュバスさんと、その顧問理事、という人が同じ一族…
ふと、私はサキュバスさんから話を聞かされたときのことを思い出した。
そう、あのとき私は、まるでもともとは同じ一族だったけど、二つに分かれてしまった天使と悪魔の話を思い出していた。
やっぱり、サキュバスさんと同じような人たちが人間界にもいたんだ…
ううん、それだけじゃない。
今考えれば、人間と魔族だって、それと同じだ…
「ど、どういうことです…?」
魔導士さんの言葉に、妖精さんが戸惑った様子で聞く。
「命の魔法…それはおそらく、ある種の生命の活性に関する魔法だと考えていい。勇者の紋章とは、その力を内向きに使うことで自己を強化している。
魔王の紋章は外向きに使うことで自然の力を操るものなのかもしれない。
それはつまり、命の魔法を使って自己、あるいは自然そのものを活性化させるってことだ。
そして、その命の魔法、という概念は、おそらく俺たち人間が使う魔法陣すべてに共通している」
「人間の魔法は、自分の中の力を増幅させるための物…」
思わずそう呟いた私に、魔導士さんは静かにうなずく。
「魔族の魔法については理屈を解しているわけじゃないが、魔王の紋章と同じ方法を用いているとすれば、根っこは同じだ。感知することも、封じる方法も…」
「いや、それは違う」
不意に、それまでずっと黙っていたトロールさんが口を開いた。
「オイ達は、この模様は使わない。自然の声を聴き、力を借りる。オイ達は外向きに力を使ってない。自然から力を取り込んで使ってる」
「自然から力を取り込む…?」
トロールさんの言葉に、魔導士さんが首をひねった。
でも、私にはトロールさんの言っていることがすこしだけ理解できた。
自然の魔法を使う、って言うのはそういうことなんだ。
言葉で言ってしまえば、自然を操る、ってことなんだけど、何も自然の力を支配しているわけじゃない。
むしろ、自然の魔法を使うときは、もっとこう、自分が自然に飲まれて、自然と一体化しているような感覚になる。
風の流れを感じて、水の冷気を感じて、光のまぶしさも、土の感触も、そういうのに包まれて、自分もそれと一つになっている、って感じるものだ。
「そう、オイ達は自然と共にある一族。オイ達の魔法を封じるためには、自然の力を封じなければならない。そんなこと、たぶんできない」
トロールさんの言葉に、妖精さんがうなずいた。私も、魔族の魔法についてはまだ知り始めたばかりだけど、あの力がそう簡単に封じ込められるとは思わない。
トロールさんの言うように、それは自然そのものの力を封じ込めようとするようなものだ。
空気も水も、光も土も、私達から奪うことなんてできない。
私達もまた、そういうものから成り立っているからだ。
「だが、感知はどうだ?」
俯き加減で何かを考えていたような魔導士さんが顔をあげてトロールさんに尋ねた。すると、今度はトロールさんが顔を伏せて何かを考え始める。
感知…それは、出来る、かもしれない。
同じ魔族の魔法を使える人になら…自然の声を聴くことが出来る人になら…もしかしたら…
「オイ達は、魔族の魔法を感じ取ることが出来る」
考えた末に、トロールさんはそう言った。
「はいです…もし、その神官の一族、という人が魔族の魔法を使えるのなら、私達の魔法も感じ取られてしまうかもしれないです」
妖精さんも険しい表情でそう魔導士さんに伝える。
だとすると、妖精さんの光の魔法で姿を消しても、魔導協会の本部というところに入ったら気づかれてしまうかもしれない…
もしそうなったら、竜娘ちゃんを助け出す、なんてことは難しくなってしまうかもしれない。
戦いになれば、魔導士さんの強力な魔法があったとしても、どうなるかは分からない。
それこそ、お姉さんのような力がない限りは、忍び込んでいるのがバレてしまうかもしれない、っていうのに準備もなしに飛び込んでしまうのは危険だ。
「…策を練り直す必要がある、か」
魔導士さんがポツリとそう言葉にした。
トロールさんも、妖精さんもそれを聞いてコクリとうなずく。そんな私達に、大尉さんが笑って言った。
「そう来なくっちゃね!あたしも力になるよ!なんてたって凄腕の諜報員だからね!」
「夜盗の間違えだろう?」
頼もしい言葉をかけてくれたのに、魔導士さんがそう皮肉ると大尉さんはわざとらしく不機嫌そうな表情を浮かべてから、すぐさま笑顔に戻った。
それから私達にかぶりをふって見せる。
「ほら、見えて来たよ。あれが王都。人間界の中枢」
その言葉に、私とトロールさんと妖精さんは思わず揃って立ち上がって、大尉さんの背中越しに馬車の進む先に視線を投げた。
そこには、空に伸びる大きな宮殿と、それを取り囲む巨大な城下街、そして、そんな城下街を守るようにしてそそり立つ城壁が見えて来た。
まだずいぶんと遠くに見えるのに、あの石壁なんて比べ物にならないくらいの、それこそ、道の先に大きな山があらわれたような、そんな光景だった。
「ね、ねぇ…こんな方法で本当に大丈夫なんですか…?」
私は、今にも泣き出しそうになってしまって、すがる様に魔導士さんに聞いた。
しかし、魔導士さんはいつもの色のない顔で
「大丈夫だ、問題ない」
と答えるばかりだ。
昨日、私達は王都にたどり着き、宿を取った。
転移魔法で魔王城に帰ってしまうと、宿に戻るときに魔導協会の人たちに気づかれてしまうかもしれない、という魔導士さんの判断だ。
その代わりに、妖精さんが魔族の魔法で念信を送って、事情を説明したらしい。
念信もあまり安全ではないかもしれないけど、宿から魔導協会の本部からは距離もあるし、転移魔法のような人間の魔法よりはずっと気づかれにくいんだろう。
それから、姿を変えた魔導士さんに案内されて、少しだけ王都を案内してもらった。目抜き通りだという大きな道にはたくさんの店が立ち並んでいて
人も物もたくさん。見たことのない食べ物や果物、おしゃれな服や装飾品、高価そうな武具のお店まで、何でもあった。
そして、それを買い求めるためなのか、行きかう人々の数も無数にいて、田舎者の私は目が回ってしまいそうだった。
妖精さんなんかは本当に目を回して、途中でくたっと倒れてしまいそうになったくらいだ。
目抜き通りを抜けて行くと、城下街の中にさらに城壁があり、その中がこの人間界の統治者、王様が住んでいる王宮があるのだと魔導士さんが教えてくれる。
きっと、こんなところまでやってきた魔族はトロールさんと妖精さんが初めてだろう。
トロールさんも妖精さんも、誰が見たって人間だから、そう簡単にはバレたりはしないだろうけど、それでも私はビクビクとせざるを得なかった。
それから魔導士さんが案内してくれたのが、魔導協会の本部という建物だった。
私はてっきり、砂漠の街にあった憲兵団の屯所のような場所なのかと思っていたけれど、行ってみた先にあったのは、魔王城と同じくらいの立派な建物だった。
「あれが囚われのお姫様、らしいよ」
一緒に着いて来てくれた大尉さんが、小さな声でそう言い、空を見上げた。
私も釣られて上の方を見ると、お城のような塔のてっぺんの辺りにある窓辺に誰かがいた。
炎のような赤い髪に、小さな体のその人物は、窓から入る明かりを頼りに、何かに目を落としているようだった。
「竜娘…」
トロールさんが小さくうめく声が聞こえる。
トロールさんは竜娘ちゃんを守れずに…ううん、戦わずに、魔導協会の人達に連れて行かれてしまったんだ。
私だったら…とてもじゃないけど、顔を見ることすらできないかもしれない。
トロールさんのためにも、竜娘ちゃん自身のためにも、早く助け出してあげなくっちゃ。
それから宿に戻った私達は、夕食を摂ってからすぐに潜入のための作戦会議に入った。
潜入方法をあれこれと考えたけれど、魔法を感知されてしまう危険性を考えると、やはりどれもうまく行きそうにない。
そんなとき、凄腕諜報員だという、大尉さんが出した発案のせいで、私は今、こんなことになってしまっている…
泥だらけの服を着て、髪もぐしゃぐしゃにしてある。
道行く人が私を、まるで哀れな何かを見るように視線を投げかけてくる。
私は別の意味で怯えてしまっているのだけど、どうやらそれも、このお芝居に良い方向に働いてしまっているらしい。
私は、私と同じように泥だらけで怯えた表情の妖精さんを見上げた。
妖精さんも、目に涙をいっぱいに貯めて私を見る。
はたから見れば妖精さんは私の手を引くお姉さんに見えているんだろうけれど、実際はもう、お互いに今にも逃げ出したい気持ちだ。
私たちは、姿を変えた魔導士さんと大尉さんに誘導されて、魔導協会の建物の正門だというところにやってきた。
昨日、大尉さんが考え出した作戦は簡単。
魔導協会にある孤児院、というところに、孤児として入れてもらえるよう持ち掛ける、というものだ。
そして、中に入ったら、魔導士さんが描いてくれた地図に従って裏門へ回り、そこのカギを外す。
私と妖精さんが協会の人をひきつけている間に、魔導士さんとトロールさんが竜娘ちゃんを助けに行く…
要するに、私と妖精さんは囮、というわけだ。
「うまくやれよ」
魔導士さんが、小さな声でそんなことを言うと、トロールさんと一緒に通りの人ごみの中へと姿を消す。
正門の前に残されたのは私と妖精さんに、大尉さんだ。
「さぁて、行くよ!」
どうしてそんな風にいられるのか、まったく怖気づく様子のない大尉さんに促されて、私と妖精さんは身を寄せ合って大尉さんに着いて行く。
「あの、すみません」
大尉さんが門のすぐ前に居た協会のローブに身を包んだ男の人に話しかけた。
「ふむ、どうされましたか?」
「実は、旅先の山村で、魔族に襲われて生き残った姉妹を見つけたんです。
近場の貴族様の孤児院は、この時勢どこも手一杯な様子で、魔導協会が管轄している孤児院はどうかな、と思って来てみたんですけど…」」
大尉さんはそう言いながら、そばにいた私たちの頭を交互に撫でて、まるでかわいそうなような顔をしてから男の人に視線を戻す。
「戦争孤児、ですか…当協会の孤児院も、手一杯ではありますが…」
「そこをなんとかお願いできません?あたしもまだこれから行くあてがあって、長いこと連れては歩けないんだ。せめてあたしの用事が終わるまで…ひと月でいいから、ね?」
困り顔の男の人に、大尉さんはずいぶんと腰の低い言い方をしながら頼み込む。
「うぅむ……分かりました。では、担当の協会員に相談をされてみてください…」
男の人はそういうと、私たちに道を開けてくれた。
「恩に着るよ、ありがとう!」
大尉さんはそう明るい声で言うと、また私たちを促して門の中へと足を踏み入れる。
すると、すぐに別の男の人が私たちの前に姿を現した。
「門衛から話は伺っております。どうぞこちらへ。応接室へご案内いたします」
男はまるで警戒する様子もなく私たちを先導して、協会本部だという建物のドアを開けてその中へと私たちを招き入れた。
私はもう、怖くって怖くって、妖精さんと体を寄せ合って震えているのに、大尉さんは本当に何でもないって、感じで、ヘラヘラと
「いやぁ、急にすみませんねぇ」
なんて笑っている。
まるでお城のような廊下を進んだ先にあった部屋に私たちは通された。
そこはそれほど広い部屋ではなかったけど、しっかりとしたソファーにテーブルもある。
「では、担当を呼んでまいりますのでしばらくお待ちください」
私たちをここへ案内してくれた男は、そう言い残して部屋を出ていった。
パタン、とドアが閉まると、即座に大尉さんが立ち上がってドアに耳を当て、外の様子をうかがい始める。
私と妖精さんは、震えたままソファーに座ることもせずに、ただただその様子を見ていることしかできない。
しかし、大尉さんはしばらくすると、ふぅ、っと軽く息を吐いて、そして、何でもない、って顔で私たちに告げた。
「さて、じゃぁ、裏門の鍵を開けて来てね。あたしはここで、なるべくあいつらを引き留めておくから!」
私は、妖精さんと身を寄せ合いながら、そんなことを笑って言える大尉さんがなんだか悪魔のように思えてしまって、余計に体が震えてしまう有様だった。
つづく。
乙!
久しぶりに自分にバーサクを掛けて書きました…
息切れしてしまったような…駆け抜けられたような…
とにかく、潜入篇、盛り上がって参りました!
続きです。
私と妖精さんは、通された応接室から出た。
もう、心臓がドクドクと大きく早く脈打っていて、口から出てきてしまいそうなほどだ。
それでも…竜娘ちゃんを助けるためには、裏口の鍵を開けて魔導士さんとトロールさんに忍び込んでもらうしかない。
いっそのこと、大尉さんに鍵を開けに行ってもらって、私と妖精さんは待っていたい、とも言ってみようかと思ったけど、
応接室に残されたままでいるのもそれはそれで恐ろしい。
私は、出来る限り大きく息を吸い込んで、そして大きく吐き出す。それから、両手でペシっと自分の頬を叩いて気持ちを整える。
そうだ、怖いけど、私には守ってくれる人がいる。
でも、竜娘ちゃんはそうじゃないかも知れないんだ。
こんなところで、気持ちで負けているわけにはいかない。
私の着ていたボロボロの服の裾を妖精さんがギュっと握った。
私は、妖精さんの手の上に、自分の手を添えてあげながら
「行こう、妖精さん。パッと行って、パッと済ませて来ちゃえば、きっと大丈夫」
と言ってあげた。
妖精さんはそんな私の言葉に、相変わらず体をこわばらせたままだけど、コクリ、とうなずいてくれた。
私は、ポケットにしまっておいた地図を取り出してそっと広げる。
魔導士さんは、一階の大まかな見取り図を描いてくれた。
その地図の上で、自分たちが今どこに居るかを確認する。
私達は建物の入り口から入ったところの廊下を右に曲がった。その廊下の突き当りを左に行って、建物の奥の部屋…応接間に通された。
裏口は、入り口から入って左に曲がって行き、さらにその先を右へ曲がった廊下の奥にある。
応接間とはちょうど正反対の場所の廊下のようだ。
廊下はひっそりとしていて、誰かが歩いている気配はない。
もっといろんな人が歩いていてくれれば紛れ込みやすいのに、これほど人がいないと、かえって私達の存在が目立ってしまう。
ただでさえ、魔導協会のローブなんて着ていなくって、こんなボロボロで汚れたかっこうだ。
協会の人でなくたって、心配してか、怪しんでか声をかけてくるに違いない。
そうなったらもう、誤魔化すほかにやりようがない。
本当なら妖精さんの魔法で姿を消してしまえば簡単なんだろうけど、それは神官の一族の人に感づかれてしまうかもしれないから、
今はまだ使っちゃダメだと言われている。
とにかく、このままなんとかして裏口まで行くしかないんだ。
私は、そう決心を決めてそっと一歩踏み出した。
木の板が敷き詰められている廊下に靴底が触れて、微かな音を立てる。
そんな音以上に、自分の心臓の音や息をする音が大きいように思えてしまって、呼吸もなるべく小さくして、
ゆっくりととにかく音が立たないようにと慎重に廊下を歩く。
やがて、まっすぐと、右へ折れる道とに廊下が分かれた。これを、右へ行けば入って来た入り口のはず。
私は息をひそめてこっそりと曲がり角から顔を出して、先の様子を伺った。
入り口の前には警備のためなのか、魔導協会のローブを着こんだ人が二人、身じろぎもせずにじっと立っている。
でもあそこの前を通らないと、反対側へは行けそうにない…
なにか、うまく誤魔化さないと…
私はそう思って、チラリと妖精さんを見た。
妖精さんは身を縮こまらせて、微かにフルフルと震えている。
ふと、その姿を見て、私の頭が閃いた。
パッと地図を広げて、それを確かめてみる…あった。
廊下の向こう側だ…これ、これなら、平気…かも?
私は地図をポケットにしまって、ゴクリ、と息を飲む。
それからもう一度妖精さんを振り返って、声を落として言った。
「妖精さん、私の言う通りにしてね」
「に、人間ちゃん、行くの?あっち、行くの?」
妖精さんは私に反対するような口調で、そう言って来る。
でも、行かないことには何もできない。
「大丈夫、なんとかするから、着いて来てね」
私は妖精さんにそう伝えて前に立ち、妖精さんの手を引いて、警備の人たちがいる入口へと歩いて行く。
近づくと、一人が私達に気が付き、もう一人に声をかけて二人してこちらを見やった。
そのうちの一人は、私達を応接室に案内してくれた人だった。
「どうしました?」
まるで私達を探るような視線で男の人が見つめてくる。
「あの…その、ご、ごめんなさい、ゆ、許して下さい…」
私は、そう言って頭を下げる。
「どうされたのだ?」
男の人はさらにそう質問を投げかけてきた。
「その、あの…お姉ちゃんがお手洗いに行きたいって…えっと、勝手に歩き回って、ごめんなさい…」
私はさらにそう言って頭を下げる。
奴隷とか、捨てられてしまった子ども、っていうがどういうものなのかは分からなかったけど、とにかく、精一杯、そう見えるように演技をして見せた。
きっとそういう子は、周りの人に邪険にされたり、悪い人に利用されたり、汚い物って見られたりしているんじゃないか。
そういうのが怖くて、きっとなんにだってビクビクしているに違いない、ってそう思った。
もちろん、怖くってビクビクしているのは、演技なんかではないんだけど…
すると、男の人はやおらその表情を優しくゆがめて言った。
「なるほど。お姉さん思いのしっかりした妹さんですね。お手洗いは、この先を右に行ったところにありますよ。
空色に塗ってあるドアがそうですから、間違えないようにしてくださいね」
「ご、ごめんなさい…その、あ、あ、ありがとうございます」
私はまたそうやって謝って頭を下げる。
二人が道を開けてくれたので、私は妖精さんの手を引いて入り口の前を通って廊下の奥へと進む。
怪しまれないように、今までと同じ速さで、慎重にゆっくりと足を進める。
ドクン、ドクンと、心臓がさらに高鳴っているのが分かる。
廊下の角まではあと二十歩ほど。
早くあの角を曲がりたい。
姿を隠したい。
そんな焦る思いを無理やりに抑えつけて、とにかくゆっくりと、身をこわばらせたまま廊下を進む。
「あぁ、ちょっとお待ちなさい」
不意に、背後からそう声が掛かったので、ビクリ、と体と心臓が飛び上った。
私の手を握る妖精さんの手に力がこもるのが感じられる。
私は、それでも逃げる分けにもいかず、ドキドキしながら警備の人たちの方を振り返った。
「は、は、はい、ごめんなさい、なにか、いけないことしちゃったんでしょうか…?」
私がそう聞いてみると、警備の人はまた優しい笑顔で
「そんなにおびえなくとも大丈夫ですよ。ここの孤児院でお預かりできるかは分かりませんが、
少なくともここには、あなた方をひどい目に遭わせるような者はおりませんから御安心なさい」
と言ってくれた。
ふと、そんな言葉を聞いてお姉さんや魔導士さんの話が頭をよぎった。
ここは、魔導協会。
お姉さんや魔導士さん、十六号さん達を閉じ込めて、無理やりに勇者の修業をさせて、要らなくなったら捨ててしまうような人がいるところ。
お姉さんが、私達がここに来ることに反対していたのは、捕まれば実験台にされてしまうかもしれない、って思っていたからだ。
私が竜娘ちゃんを助けたいって思ったのだって、そんなひどい目にあっているかもしれない、って考えたからだ。
ーーーひどい目に遭わせるような人はいない…?
私は、その言葉になぜかお腹の辺りが熱くなるのを感じた。
ムカムカと、落ち着かない心地がこみ上げてくる。
よくもそんなことが言えるよね…
お姉さんや魔導士さんやみんながここでされたことをどんな風に感じていたか、どんなに辛かったか…
子どもの私でさえ想像が出来るのに、同じところにいるあなた達にはそれが分からなかったの?
それとも、分かっていてそんなことが言えるの?
どっちにしたって、今の言葉は…信じられない。
信じられないどころか…ひどい言葉だ…お姉さんやみんなの気持ちを蔑ろにして傷つけるような、そんな言葉だ…
私の胸にこみ上げていたもの。それは、怒りだった。
あまりにも白々しい。あまりにもわざとらしいその言葉に、私はどうしたって不快感を隠せなかった。
でも、次の瞬間、私の手を握っていた妖精さんの手にこれまで以上にぎゅっと力がこもったのが感じられて、私は我に返った。
そうだ、今は怒っているときなんかじゃない。
とにかく、裏口の鍵を外しに行かなきゃいけないんだ。
「そ、その…えっと、はい…ありがとうございます」
私はそう、おびえた演技を続けながら言って、もう一度頭を下げると妖精さんの手を引いて廊下の突き当りまで歩き、そこを右に曲がった。
廊下の先に、もう人の姿はない。
私はそれを確かめて、大きくふうっと息を吐いた。
胸の中に溜めこんでいたいろんな気持ちが少しだけ吐き出せて、微かに気持ちが落ち着いてくる。
あの男の人が言った言葉、許せない…妖精さんが気が付かせてくれなかったら、何かを言い返してしまっていたかもしれない。
「ありがとう、妖精さん」
「う、ううん…お、落ち着かないと…ね」
妖精さんは相変わらず体をこわばらせてはいたけど、それでも、応接室を出たばかりのときとは違って、少しだけ余裕のある表情にも見えた。
「うん、ごめんね。行こう、裏口はこの先だと思う」
私は小声でそう言い、妖精さんがうなずいたのを見て、また廊下を進んでいく。
すると、さらにその先に、曲がり角がある。ここを右だ…
角に立って、そっと角の向こうを覗く。
そこに見えるのは、ドアがいくつかとそれから廊下の右側には階段があった。
地図通りだと、一番奥にある廊下の左にあるドアが裏口のドアのはず。
私はこれまでと同じように慎重に歩いて、その前まで行く。
木でできた少し頑丈そうなそのドアには、内鍵がかけられていた。
魔導士さんの魔法を使えばこんなのは簡単に壊せるんだろうけど…魔法が使えないと不便だな…
そんなことを思いながら、私はそっと内鍵を開けて、ドアのノブを回した。
ガチャリ、と音がしてドアが開く。
隙間から外の明るい光が差し込んできて、すこしまぶしい。
と、次の瞬間、その隙間から魔導士さんとトロールさんが顔をのぞかせた。
二人の姿を見た私は思わず安心してしまって、ホッとため息が出る。
「良くやった。あとは戻って、大尉と一緒にここを出ろ。あとは俺たちでやる」
魔導士さんがそう言いながら中へと入って来た。
私はとにかくその言葉に頷いて見せると、魔導士さんが不意に私の額に触れた。
「汗だくだな…」
その手触りはとても優しくて、私は全身からふっと力が抜けそうになるのをなんとかこらえた。
それから魔導士さんは妖精さんを見やると
「お前もよく頑張ってるな。安心しろ、今のお前なら、かつて人間がしたような目に遭わされることはない。
もしものときは全力で抵抗すれば、並のやつらならどうとでもなる」
その言葉に、妖精さんもコクリと安心したような表情でうなずた。
いつも無表情の魔導士さんだけど、お姉さんが言っていたように、
皆が慕っているように、とっても優しくて思いやりのある人なんだ、っていうのが、初めて感じられたような気がした。
そんなことを思ったら気持ちに余裕が出て来たのか、ふと、そばにいたトロールさんの表情が見えた。
トロールさんは、不思議とずっと見て来ていたように思える人間に戻った顔をピシッと引き締めて、じっと私達を見つめてくれていた。
「トロールさん、気を付けてね」
私はトロールさんにそう声をかける。
トロールさんは私に頷いて見せて
「分かってる。人間も妖精も、気を付けろ」
と魔導士さんがしてくれったのと同じように優しく、私の頭を撫でてくれた。
「よし、トロール、行くぞ」
「ああ」
魔導士さんの言葉に、トロールさんは身を起こした。
「この階段だ。おそらくあの子は昨日と同じ幽閉塔にいる。上だ」
「分かった」
二人はそう確認し合うと、気配を殺して階段を駆け上がっていった。
私はその後ろ姿を妖精さんと二人で見送る。
その姿が見えなくなるったとき、ポン、と私の肩に妖精さんの手が置かれた。
「行こう、人間ちゃん。私達がここにいると、迷惑になっちゃうかもしれない」
そんなことを言って来た妖精さんを見上げたらさっきまでの表情はどこへやらで、なんだか吹っ切れたような、りりしい表情をしていた。
「うん」
さっきまで怖がってたのに、なんて意地悪なことは言えるはずもない。
何しろ私は戦えないんだ。
妖精さんがこうしてしっかりしてくれるのは、頼もしい限りだ。
私は、それでもあの警備の人たちに怪しまれないように、と、さっきと同じように妖精さんの手を引いて廊下を戻る。
最初の角を左に曲がって、次の角へと向かっている時だった。
角の向こうから、こっちへ歩いてくる足音が聞こえた。
ギュっと、緊張感が高まる。でも、さっきはうまく行った。同じ方法で誤魔化せば、大丈夫なはずだ。
空色にぬられたお手洗いのドアはもう通り過ぎたし、お手洗いにはちゃんと行けた、と言っておけば怪しまれないはず。
私はそう考えて、緊張を押し込めながら足を進める。
と、廊下の先に協会のローブを羽織った人が姿を現した。
背丈はそれほど大きくはない。
さっきの警備の人たちではなさそうだ。
「あら?」
そのローブの人は、私達に気が付いてそう声をあげてフードを脱いだ。
そこから覗いたのは、死んじゃったお母さんよりも少し年上くらいの女の人だった。
「どうされました?」
女の人は、優しい声色で私達にそう声をかけてくる。
私は、さっきと同じように身を固くした。
怖いけど、さっきほどではない。
今回は、意識してさっきよりもワザと怖がっている振りをした。
「あ、あの、その…お手洗いを、お借りしました…」
私が言うと女の人は
「そう」
とまた柔らかな笑顔を見せて、
私達の前まで歩いてきた。
それからしげしげと私達を見つめて
「あなた方が、戦争で家族を亡くされた方たちでしょうか?」
と尋ねてくる。
どうやら、私達の話を聞いた人のようだ。
それなら、きっと私の演技も信じてもらえる。
私はそんなことを思いながらコクリとうなずいた。
すると、彼女の表情がみるみる悲しみの色に染まっていく。
「大変だったことでしょう…ご安心してくださいね。一時であれば、協会で保護させていただくことも出来ると思いますので」
そんなことを言いながら、彼女は私達の前にしゃがみ込んで私の顔を覗き込んできた。
じっと私を見つめるその瞳は優しく穏やかで、まるでお母さんに見つめられているような、そんな風に感じてしまう。
そっと伸びて来た女の人の手を、私はほとんど警戒もしないで受け入れていた。
柔らかな手の平が私の額に押し当てられて、優しく私の額を撫でる。
ふと、私はその手の平が、穏やかに温かくなるのを感じた。
「あっ!」
次の瞬間、妖精さんがそう叫ぶ声が聞こえた。
ーーーえ!?
そう声を出す間もなく、私は妖精さんに抱えられて、五歩ほどの距離を飛びのいていた。
廊下の先で、女の人がやおらに立ち上がる。
その表情は、さっきまでの優しい笑みとは違っていた。
いや、それだけじゃない。
さっきまでお母さんより少し年上くらいに見えていたのに、そこに立っているのはもっとずっと年上…
私のことを預かってくれていた隣のおばちゃんと同じくらいの、中年の女の人の顔になっていた。
「そう…あの子が来ているの…」
女の人は、静かにそう言った。
なに…?
一体、何があったの…?
私はそう思って、妖精さんを見上げる。
妖精さんは、苦しそうな表情で私に言った。
「読心魔法だよ…!」
ドクシン…?心を読む魔法、ってこと…!?
私はそれを聞いて、ようやく理解した。
そして、自分の置かれた状況も把握できた。
しまった…バレたんだ…!
バッと布ずれの音がして、妖精さんが片腕を振り上げた。
「人間ちゃん、離れないで!」
妖精さんがそう叫ぶので、私はその体にしがみつく。
次の瞬間、パパパっとあたりに閃光が走り、次いで狭い廊下の中を強烈な風が吹き始めた。
「姿を消してるからね、喋らないで、そのまま掴まってて!」
妖精さんの声が聞こえた。
見れば、私の体も妖精さんの姿も見えない。
魔導士さんの魔法陣で力を増幅させた妖精さんは、とっておきのあの魔法を前よりも自由に使うことが出来るようになったんだ。
吹き荒れる風の中を妖精さんが走っていく。
私は振り落とされないように、とにかく見えない妖精さんの体にしがみついた。
でも、私達の進行方向に居た女の人は慌てた様子も見せずに
「お待ちなさい」
とぼそりと口にすると、右腕を払った。
そのとたん、吹き荒れていた風がやみ、廊下に入り込んでいた窓からの光が暗くなる。
すると、見えなくなっていたはずの私達の体が色を取り戻してしまう。
「そ、そんな…!」
妖精さんが慌てた様子で立ち止まった。
妖精さんのとっておきの魔法が、打ち消されちゃったの…?
そんなこと、人間の魔法では出来ちゃうの?
…人間の魔法?
でも、待って…あの女の人、今、魔法陣を使ったの?
十六号さん達が魔法を使うときは、いつだって魔法陣が浮かび上がって、そこから魔法が放たれていた。
そうじゃない時でも、必ず体のどこかに魔法陣が掘ってあったはず。
体の魔法陣は見えないから分からないけど、すくなくとも今は、魔法陣が目の前に浮かび上がったりはしなかった。
それに、人間の魔法は自分の力を増幅させるもの。
自然の力を操ったりは出来ないはずだ。
でも、今、この女の人は、まるで妖精さんやサキュバスさんが魔法を使うときと同じような感覚で風を止め、窓から入ってくる光を曲げた。
サキュバスさんと、同じように…も、もしかして…この人が…
「サキュバス様と同じ、神官の一族…!」
妖精さんが苦しそうにそう声を出した。
こ、この人が、魔導士さん達が言っていた…あの…あの…!
「誰がオニババ、なんでしょうかね?」
女の人はそう言うと、気味悪くその表情をゆがめた。
すると今度は私達を強烈な風が襲って来る。
「くぅっ…!」
妖精さんがそう声を漏らしながら、両手を前に突き出した。
すると、窓から入ってくる明かりが急激に強くなり、目を開けていられないほどにまぶしくなる。
同時に、廊下の温度が急激に上がって私は全身に熱を感じた。
蒸し暑いとかそういう程度じゃない。まるで、火あぶりにされているような温度だ…!
「なるほど…増強の魔法陣を仕込まれた土の民ですか」
土の民…?
魔族のこと?
女の人の言葉にそんな疑問を持った次の瞬間、私は眩しい中に、魔法陣が浮かび上がるのを見た。
「妖精さん、気を付けて!」
そう叫んだとき、急激にパシパシっと何かが割れるような音が廊下中に響いた。
瞬時に廊下を凍てつかせる氷が多い、窓からの光が遮られる。
今のは、人間の魔法だ…!
そうだ、間違いない、この人が神官の一族なんだ…!
「あぁっ!?」
不意に妖精さんがそう声を挙げた。
「妖精さん、大丈夫?!」
「つ、捕まった…!」
見ると、妖精さんの足が氷の中に埋もれて、身動きが出来ない状態になっていた。
マズい…妖精さんは光の魔法と風の魔法を使えるのに、光は窓を氷で覆われて十分に入ってこない。
風の魔法は、あの神官の一族の人に打ち消されてしまった。
このままじゃ、妖精さんがやられちゃう…!
私は、そう思って妖精さんの体から離れた。
今日はダガーは持ってない。私に出来ることなんかない。
でも、わずかでも時間を稼げれば、妖精さんがあの氷から抜け出す隙だけでも生み出せれば…!
「やめて!」
私はそう叫んで、氷に覆われた廊下を、神官の一族に向かって突進した。
「ダメ、人間ちゃん!」
妖精さんが叫ぶ声が聞こえる。
妖精さん、早く、抜け出して…!
「勇ましいお嬢さんですこと」
神官の一族は、慌てた様子も見せないで私に向かって手を振り上げた。
魔法が来る…!風の魔法?それとも、人間の魔法…!?
ううん、どっちにしたって私には防げないし、どうしようもない。
とにかく、あの人の邪魔をしないと妖精さんが…!
私は覚悟を決めて神官の一族の人に飛びかかった。
でも次の瞬間、何か強烈な力に体を弾かれて、飛びかかった勢いよりも強く、後ろに弾き飛ばされてしまう。
全身がひどく痛んで、思わず体を丸めてしまう。
神官の一族は、凍った廊下をヒタリ、ヒタリと足音をさせて妖精さんに近づいた。
妖精さんは必死に足元の氷から抜け出そうとしているけど、ピシピシと音を立てるだけで、抜ける気配はこれっぽっちもない。
「さて、あの子のところに行かないといけませんのでね…こちらは終わりにいたしましょう」
神官の一族はそう言って妖精さんの顔の前に手を振り上げた。
あぁ、ダメ―――やめて!
そう叫ぼうとした次の瞬間だった。
ドゴン、と言う爆発音とともにあたりが粉塵のようなもので包まれた。
「妖精さん!」
私は、悪くなった視界で見えなくなった妖精さんにそう呼びかける。
そんな私の声に応えたのは、妖精さんでも、神官の一族の声でもなかった。
「ふっふー!間一髪、危なかったぁ!」
この声…!
巻き上がる土ぼこりか煙かの隙間から見えたのは、大尉さんの姿だった。
「大尉さん!」
「おチビちゃん、妖精ちゃん連れて連隊長を追いかけて!」
「でも、大尉さん!」
「あたしはいいから!あなた、連隊長と合流しないと結局帰れないでしょ!?早く行って!」
私の言葉に大尉さんはそう言うと、手をかざして魔法陣を浮かべた。
バキャっと鈍い音がして、妖精さんの足を固めていた氷がひしゃげて割れる。
「大尉さん、この女、すごく強いですよ!」
妖精さんがそう叫びながら私を抱き上げてくれる。
「大丈夫、あたしもちょっとは心得あるしね!時間稼いで適当なところで逃げるから!」
大尉さんはそう返事をしながら、両腕に魔法陣を浮き上がらせた。
その両腕に陽炎がまとわりつき、激しい炎が巻き上がる。
「おりゃぁぁぁ!」
大尉さんがその両手を突き出すと、炎が一気に廊下を包み込んだ。
「何事だ!?」
「賊です!すぐにマルゴウを三番塔に向かわせなさい!」
物音を聞きつけたのか、どこからか叫ぶ声が聞こえ、さらに神官の一族がその声にこたえている。
人が来る…もたもたしている時間はない…!
「妖精さん、行こう!」
「…うん!」
私は妖精さんに声をかける。
妖精さんも、口をまっすぐに結んでそう返事をしてくれた。
私は妖精さんの腕から飛び降りて、もと来た廊下を走った。
角を曲がった先の階段にたどり着き、そこを必死に駆け上がっていく。
ドカン、と再び大きな音が聞こえた。
でも、今度のは上からだ。
魔導士さん達に違いない。
私はさらに薄暗い階段を駆け上がる。どれくらい上ったか、その先には人の姿があった。
慌てて足を止めようと思うのと、妖精さんが後ろから私の前に躍り出てくるのとが同時だった。
「このぉ…あっ」
妖精さんが何かを叫ぼうとして、そんな声を漏らした。
「よ、妖精…?今の音は…うがっ」
別の声が聞こえた、と思ったら、妖精さんの向こうに居た人影が壁に勢いよく打ち付けられる。
「わぁぁっ、トロール、ごめん!」
壁から床に崩れ落ちたのは、人間の姿になったトロールさんだった。
「うぐっ…大丈夫だ。それより、今の音は?」
「神官の一族って人にバレちゃったの!今、大尉さんが戦ってくれてるけど、すごく強くて…早く竜娘ちゃんを助け出さないと!」
私はトロールさんを助け起こしながらそう伝えた。
トロールさんはそれを聞くや、顔をさらに引き締めて
「急ぐぞ」
と私の体を背負いこんだ。
「トロールはどうしてここに?」
「音がしたから、足止めに残った。魔導士は上に行った」
妖精さんの問いに、トロールさんは答えながら階段をさらに駆け上がる。
その先は少し広い踊り場になっていて、階段が三つに分かれていた。
トロールさんは迷うことなくその中の一つを選んだ。
そこはらせん階段になっていて、グルグルと円を描く様な構造になっている。この先が、あの塔の上の部屋なんだろうか?
そんなことを思っている間に、階段の先に大穴の空いたドアが見えて来た。
トロールさんと背負われた私に、それから妖精さんがその穴をくぐってドアの先に行くと、そこは小さな部屋になっていた。
ベッドに、部屋を埋め尽くすほどの本が置かれ、大きな窓もある。お手洗いかお風呂なのか、小さな部屋に似つかわしい小さなドアが別もあった。
その部屋の真ん中で、魔導士さんが赤い髪をした女の子と向き合っていた。
女の子は、魔導士さんを鋭い視線で睨み付けている。
その瞳は、まるで羊の物のようで、あの悪魔のような姿になったお姉さんと同じ、縦長をしていた。
この子が、竜娘ちゃんだ…人間と、竜族の間に生まれた、っていう…
「竜娘…!」
トロールさんがそう声をあげると、竜娘ちゃんは自分を呼ばれたことにハッとした様子でトロールさんを見やる。
私がトロールさんの背中から飛び降りると、トロールさんは、おずおずと竜娘ちゃんの前に歩み出て、ゆっくりと膝を折って跪いた。
「竜娘…オイだ。魔王様にお前を任された…トロールだ」
トロールさんは、絞り出すような声色でそう言った。
とたんに、厳しい表所をしていた竜娘ちゃんの顔がみるみると緩んでいく。
「…トロール…?あの、トロール様なのですか?」
竜娘は、跪いたトロールさんの前にしゃがみ込んで、その顔を覗き込むようにして尋ねた。
「はい…」
トロールさんは、申し訳なさそうにそう返事をした。でも、それとは反対に、竜娘ちゃんはハラリと涙を溢してトロールさんの両の手を握って
「良かった…ご無事だったのですね…!」
と声をあげる。
「竜娘…すまなかった…オイが、戦えなかったばかりに…」
「いいのです…もとより、お逃げくださいと頼んだのは私です。あぁ、本当にご無事でよかった…!」
二人はそんな言葉を交わしていく。
きっと感動の再会なのだろうけど、私の心は穏やかではなかった。
下では、大尉さんが必死に戦ってくれているはずだ。
とにかく私達は安全なところに逃げて、それから大尉さんを助けて、って魔導士さんにお願いしないと…!
「下で何があった?」
そんな私と同じ思いだったようで、魔導士さんが私達に聞いてくる。
「ごめんなさい、魔導士さん!私が神官の一族の人にバレちゃって…!」
「読心魔法で心を読まれたです…人間ちゃんは、悪くないです!私が油断して…!」
私の言葉に、妖精さんがそう言い返してくる。でも、魔導士さんは
「そんなことは良い。無事でよかった。どうやってここまで逃げて来た?」
と先を促してくる。そう、そうだ。今は大尉さんのこと、だ。
「大尉さんが助けてくれて、今、下で神官の一族の人と戦ってくれてます…!」
「あいつが…!?そうか…あいつ、そこまで…」
魔導士さんは微かにギリっと歯噛みして、それから気を取り直したように言った。
「お前たちを城へ送る。それからすぐにここへ戻って、大尉も城へ連れ出そう。しくじった、とあいつに言っておいてくれ。
あいつにこれ以上、人の命を取らせたくはないが…今は大尉のことが最優先だ」
「はい!」
私は魔導士さんの言葉にそううなずく。
「はいです!」
私に続いて、妖精さんもそう答えた。
そんな時だった。下の方で、ズズン、と重い音がしたと思ったら、部屋が大きくぐらり、と揺れた。
床がビシビシと音を立ててひび割れ、浮かび上がった魔法陣がすうっと消えて行く。
「な、なに!?」
一瞬、何が起こったのかが分からずそう声をあげた私は、自分の体が宙に浮いていることに気が付かなかった。
でも、次の瞬間、体を襲うふわりとした感覚を覚えて、私は分かった。
―――落ちてる!?
私は、ハッとして窓の外を見やった。そこには、真横に傾いた城下街の景色が見えていた。
―――塔を、壊されたんだ…!
「くそっ…!」
魔導士さんのそんな苦しそうな声が聞こえた。
ガツン、と体が部屋の壁に打ち付けられた。
地面に激突したのかと思ったけれど、窓の外の景色は傾いたまま、部屋はまだ空中にある。
魔導士さんを見やると、微かに空中に浮き、足元にはさっきとは違う魔法陣が輝いている。
空中に、浮いてるの…?
そう言えば、魔導士さんが東の城塞に来てくれた時も、空に浮いていた。あのときと同じ魔法を使っているのかな…?
「羽根妖精、浮遊魔法は使えるか…?」
魔導士さんは、少し表情を苦しげにゆがめて妖精さんにそう聞く。
「つ、使えるです!」
「追手だ。南南西に向かえば、砂漠の街に着く。そこを目指せ」
妖精さんの言葉に、魔導士さんがそう指示をした。
妖精さんは、自分が浮いたり、物を浮かせたりすることも出来ていた。
風の魔法の応用だ、って言っていたけど、魔法陣の力のある妖精さんだったら、私とトロールさんに竜娘ちゃんをまとめて浮かせておくこともきっと出来るはずだ。
「わ、分かったです!」
「頼むぞ」
そう言うと、魔導士さんはすっと拳を握り、その手に魔法陣をまとわせるとまっすぐ前に突き出した。
ドカン、と音がして、部屋の壁が吹き飛んだ。
外には、真っ青な空が広がっている。
「行くです!」
妖精さんの声と共に、体がふわりと浮きあがった。
魔導士さんが空中を自分の足で歩く様に部屋の外に出て行き、妖精さんの魔法で浮かされた私達もそのあとへと続く。
外に出ると、塔のあった魔導協会の建物を見下ろしていた。
その視線の先には、誰かがいた。
体の小さな…私や、竜娘ちゃんくらいの子どもに見えるくらいの幼い人だ。
魔導協会の物みたいだけどローブとは違う立派そうなマントを羽織り、その下にはこれも上等そうな軽鎧を身に着けている。
右手には剣を、左手には盾を持っていて、その顔は、仮面のようなものも付けている。
そのせいで顔は見ることはできないけど…一目見て、あの人がこの塔を折ったんだろう、ってことはなんとなく分かった。
「手を引け。俺は強いぞ?」
魔導士さんがそう言う。すると、仮面の人はこっちを見上げて言った。
「私はもっと強いよ」
仮面の人は、そう言った。
私、って言った?女の人なの?お、女の子…?
「そうなのか?それなら、どうしてこんな奴らの言いなりになっている?」
魔導士さんが、仮面の人を探る様にそう聞く。すると仮面の人は剣を魔導士さんに向けて言った。
「悪い人に奪われた私を取り戻すため」
次の瞬間、仮面の人の右腕から何かが漏れ始めた。
最初はほのかで良くわからなかったけど、次第にそれはほのかに色を帯び始め、そして輝きだした。
「な、なんだと…!」
仮面の人の右腕には、青く輝く紋章が刻まれていた。
それは…お姉さんの腕に描かれた、勇者の紋章と同じに、私には見えた。
「死んで」
仮面の人は小さな声でそう言うと、パッとその場から姿を消した。
「ちぃっ!」
気が付いたときには、声を漏らしながら腕を突き出した魔導士さんが作り出した魔法陣に仮面の人が衝突していた。
「強力な物理魔法…無駄…」
仮面の人はそう言うと、剣を一閃、振りぬいた。
空中に描かれた魔法陣が切り裂かれる様にして消えて行く。
「悪く思うなよ…!」
でも、魔導士さんが少しも動じずに、腕から黄色く光る閃光を発した。
か、雷の魔法…!
魔導士さんの腕から何本もの雷が仮面の人に襲い掛かる。
でも、仮面の人は盾を構えると体の前に魔導士さんの魔法と同じように黄色く輝く魔法陣を浮かび上がらせた。
魔導士さんの雷が、それに引き寄せられるようにほとばしって霧散する。
私は、息を飲んでいた。
これが、魔法同士の戦いなの…?
お姉さんが偽物の勇者と戦ったときなんかとは比べ物にならない。
私なんかじゃ、逃げることすらできないかもしれないくらい…強力で早い…
だけど。
私はそれ以上に、驚きを隠せなかった。
攻撃を受けていた魔導士さんの表情が、歪んでいたからだ。
それは、苦しさでも、悲しさでもない。
明らかな、憎しみに、だった。
「貴様…十五号を知っているな…?」
魔導士さんは静かに言った。でも、その表情は穏やかではない。
その言葉に、仮面の人は首を傾げた。
「…誰?」
「川辺の街…そこに暮らしていた子ども達の一人だ」
「二年前…川辺の街…?あぁ、知ってる」
仮面の人は、言った。
「私が殺した。私を取り戻すために」
えっ…?
こ、この人が…?
勇者の紋章を持っているこの仮面の子どもが、十五号さんを殺したの…?
「私を取り戻す」ってどういうこと…?
この人は、みんなに何かを奪われたの…?
私はその言葉が理解できずに、頭が真っ白になった。
そんなときズドン、と地上の方で音がした。
ハッとして見下ろすとそこには、もうもうと土煙が立ち上っていて、その真ん中に、人の姿があった。
あれ…大尉さんだ!
「大尉さん!」
私は思わず声をあげる。
すると、その声が届いたのか、大尉さんがこっちを向いた。
「逃げて!」
「あっ!」
大尉さんの叫び声と、妖精さんの小さな悲鳴が重なった。
ハッとして顔をあげるとそこには、宙に浮かぶ、魔導協会のローブを来た中年の女性、あの神官の一族の人の姿があった。
彼女は、私に腕を突き出して、その先に魔法陣を浮かべていた。
なにかされる…!
私は直感して、全身が凍り付いた。空中じゃ、逃げようもない。体を腕でかばうこともできなかった。
神官の一族の人の腕から白く光る粒のような物が噴き出して、私めがけて飛んでくる。
それが小さな氷の刃だと気が付いたときには、もう私との距離はほんの数歩程度だった。
ダメだ―――!
私はようやく体を動かして身を丸めた。
全身を襲うだろう痛みに恐怖して、体をこわばらせる。
でも、
痛みは一向にやって来ない。
痛くも、冷たくもない…
私、魔法を撃たれたんじゃないの…?
そう思っておそるおそる顔をあげると、そこには私達をかばうように、大きな岩盤が空中に浮かんでいた。
岩…?つ、土の魔法…?
こ、これって、トロールさん…?
私はそのことに気が付いて、トロールさんを見やった。すると、トロールさんは竜娘ちゃんから体を離して、全身に緑色の光をまとわせていた。
「羽根妖精…二人を頼む…!」
「トロール、何する気!?」
「おいも、戦う…!」
妖精さんの声に、トロールさんは答えた。
私は、そんなトロールさんの体が膨れ上がっていくのを見た。
確か、トロールさんは魔力であの大きな体を練成しているんだ、ってお姉さんは言ってた。
魔族の魔法を使えて、それを魔導士さんの魔法陣で増幅させてるトロールさんなら、あの姿に戻るのもきっと簡単なんだろう。
トロールさんが、あの大きな「トロール」の姿に戻る…
私はそれに気が付いて、思わず叫んでいた。
「ダメ!トロールさん!」
そう、ここは人間界なんだ。しかも、人間界の中枢の王都だ。下には人間の人達がいっぱいいる。
そんな中で、魔導協会を“襲った”私達が魔族であることを示したら…トロールさんがあの姿で暴れてしまえば…
今度こそ、止められない戦争になってしまうかもしれない。
王都に、人間界の中枢に魔族が攻め込んだってことになってしまうからだ。
それは、人買いに売られ、魔界に竜娘ちゃんのお母さんって人を助けるために魔族と戦った人たちを同じ…
理由はどうあれ、そこに住んでいる人たちを傷つけることに変わりはない。
「うがぁぁぁ!」
だけど、私の声はトロールさんのあの雷鳴のような雄たけびにかき消されて届かなかった。
トロールさんは体を膨らませ続ける。
今はまだ土と石がまとわりついているだけのように見えるけど、もしこれがトロールの姿になったら…
どうしよう…こんなのダメ、ダメだよ…お姉さんが悲しむ…それだけは絶対にダメっ…!
「トロールさん、やめて!!!」
私が込みあがる思いに耐えかねて、そう叫んだときだった。
トロールさんの体に何かが飛んできて、土と石で覆われた“鎧”を貫いた。
あっ、と声を出す暇もなかった。
私が見たのは、トロールさんの体を覆う、“鎧”を打ち壊して、トロールさんのお腹に拳を沈める大尉さんの姿だった。
「熱くなりすぎ…それはあんまりうまくないと思うな、きっと」
大尉さんはそう言いながら、トロールさんの体をかばいつつ、空中に横たえた。
「大尉さん…」
「あぁ、ごめんね。叫んでも止まらなかったから、これが一番かと思って…大丈夫、ちょっと気絶させただけだから」
大尉さんは、ボロボロの身なりでそう言い、クスっと無邪気に笑った。
あちこちから血が出て、火傷なのか凍傷なのか分からない痕もいっぱいできている。
それでも、大尉さんは笑って言った。
「さって、逃げようか。あたしが援護するから、妖精ちゃん、三人を無事に運んでね」
「はいです…!」
大尉さんの言葉に、妖精さんがそう返事をした。すると大尉さんは満足そうな笑顔を見せて、スイっと空を滑る様にして私の前までやってくる。
そして、私と神官の一族との間に割って入る様に位置取った。
「連隊長、冷静にね。たぶんこれ、あたしら勝てないよ」
魔導士さんの表情に気が付いたのか、大尉さんがそんなことを言う。
でも、魔導士さんはそんなの聞いていない。
魔導士さんは両腕を広げると、空中のあちこちに魔法陣を描き出してそこから仮面の人に雷を降らせた。
空気がびりびりと振動するほどのすさまじい雷鳴が鳴り響くけれど、仮面の人はあの黄色に輝く魔法陣でそれを難なく打ち消している。
あれが、勇者、っていうものの力なんだ…雷もものともしないあの力が…
「まぁ、仕方ない、か…死ぬ前になんとか回収しよっと。まずは、あのオニババ黙らせないと」
大尉さんは、相変わらずあっけらかんとした様子でそう言うと、両腕と両足をピンと伸ばして何かを呟いた。
今度は大尉さんの体が、白い光に包まれる。
きれいな大尉さんのブロンドの髪がふわりふわりと風に吹かれるようにして浮き上がり、
やがてその白い光は、大尉さんの背に集まる様にしてその輝きを強め、パッとまぶしく瞬いた。
その閃光に思わず目を閉じ、すぐに私が瞼をあけてみたのは、大尉さんの背中に一対の白い翼の生えている姿だった。
そう、まるで、絵物語に出てくる天使が背負っているような、大きくて白い翼…
「天使…様…?」
私は思わずそんなことを呟いてしまう。
するとそれが聞こえたのか、大尉さんが私を振り返って言った。
首から下げていたあの羽根の形をしたネックレスがきらりと光る。
「まぁ、ただのイメージなんだけどね…そんな在り難いものじゃないんだよね、あたし達」
その表情は笑顔だったけど、どこか少し悲しげで、まるでお姉さんの笑顔みたいだな、って、そう思った。
「さて…っと。とにかく…空なら誰にも気を遣うことないし、あたしも全力でやれるからね。掛かって来なよ、宗家のオニババ」
「一族の血を毛ほども継いでいない分家の生き残りが、私の邪魔をするな!」
「見てらんないんだよねぇ、危なっかしくてさ」
ケタケタと答える大尉さんの言葉に、神官の一族のオニババの顔が醜く歪んだ。
「その娘は渡さん!死んで後悔するがいい!」
オニババがそう叫んで、再び私達に向かって両腕を突き出した。
「そうはさせないんだから!」
大尉さんがそれに素早く反応して私達の前に大きな魔法陣を浮かべて、その氷を防いでくれる。
「おのれ…分家の分際で!」
なおも顔を歪めるオニババをよそに、大尉さんは言った。
「妖精ちゃん、早く行って!」
「は、は、はいです!」
妖精さんがそんなハッとしたような声を漏らした。
次の瞬間、体を何か得体の知れない力に捕まれたように感じ、それに驚いていたら、ものすごい速さで空を移動し始めた。
風がびゅうびゅうに吹き荒れて、息が苦しいくらいだ。
竜娘ちゃんは支えているつもりなのか、トロールさんにしがみつく様にして私のそばを飛んでいる。
先頭には妖精さんがいて、魔導士さんに描き込まれた魔法陣を光らせつつ、小さかったころと同じように背中に光る羽を生やしていた。
振り返ると、グングンとお城と城下街が遠くなっていく。
そんな王都の上空で、パパパっとあちこちから閃光が上がっていた。
二人が戦っているんだろう。
魔導士さんと、大尉さん、大丈夫かな…?
もっと考えなきゃいけないことはいっぱいあったんだろう。
あの仮面の子のこととか、神官の一族のこととか、大尉さんのこととか、とにかくいろいろ。
でも私は、そんなことはちっとも頭には思い浮かばなかった。
頭の中には、ただただ、魔導士さんと大尉さんの無事を祈る言葉だけが繰り返し繰り返し湧き上がってくる。
竜娘ちゃんを助け出した達成感も、無事に抜け出せた安心感もない。
ううん、それだけじゃなかった。
二人の心配をしながら私は、引き返すことのできない分かれ道に一歩足を踏み入れてしまったような、世界を丸ごと放り投げてしまったみたいな
そんな感覚を覚えていた。
そして、その奇妙な感覚はやがて、私の思わぬ言葉を紡ぎださせていた。
―――お姉さん…この世界は、本当に救うことが出来るのかな…?
つづく。
乙!!
なんというスピード感有りまくりの文章!
あっちゅう間に読みきってしまいました。
「短編」じゃなさそうで、良かった♪
今回も仕事と育児の息抜きに、楽しませてもらいます。
乙
バーサク乙。一気に読みました。
大尉さんの男前っぷりに隠れてこの世界の重要な設定がさらりと書かれてるw
勇者(考え様によっては魔王も)がヒトによって造られているというのは切ないなあ
そういやファンタジーというか魔王勇者ものにつきものの神様やら女神様やらが出てきてないんだよね。このお話。
妖精さんとか魔法とか出てきながらフワフワしないでシッカリズッシリどんよりした世界観になってるのはその辺も関係あるのかね。
>>429
感謝!
>>430
レス感謝!!
短編じゃありませんでした…まだしばらく続きますです。
お付き合いのほど、よろしくお願いします。
>>431
レス感謝!!!
大尉さん、いいキャラしてますよね、カメオ出演です、はい。
その割に、いい役どころなのは…まぁ、勘弁してやってくださいw
ご指摘のとおり、この世界には神なる者も精霊も存在しません。
勇者も魔王も、かつて人の手で作られた何か、です。
でもって、きっとその部分が今後の展開に…ん?こんな時間に誰かk(ry
ってなわけで続きです!
竜娘救出編、〆!
眼下に広がっているのは、一面の砂漠。そのはるか先に、街らしい影が見えてきていた。
砂漠の中、人の身丈の三倍くらいの城壁で囲まれ、その中にたくさんの家々やお店が集まっている、あの砂漠の街だ。
「トロールさま、おかげんはいかがですか?」
「オイは大丈夫だ!お前は!?」
「はい、魔導士様達が身を賭してお守りくださいましたので…」
トロールさんは目が覚めて、竜娘ちゃんとそんな話をしていた。
妖精さんは疲れが来ているのか、飛んでいる時間が長くなるに連れて口数が減って今はもうほとんど喋らない。
私は、と言えば、ついさっきお城で起こったことの一部始終を頭の中で整理しようと一生懸命だった。
まずは、神官の一族の人のことだ。あの人は確かに魔族の魔法も人間の魔法も使いこなしていた。
人間の魔法も強力だったけど、それ以上に妖精さんの風の魔法を打ち消したり出来ていた、と言うところを考えてみると、
あの人も同じように魔族の魔法を知っていながら、さらに力を魔法陣で増幅させて使っていたのかもしれない。
強力な魔法をそのまま使えるサキュバスさんに人間の魔法陣を描いて強化したような、そんな感じだった。
きっと、私達の予想は悪い方向に当たってしまっていたんだ。
そして、もう一つ…天使の翼をまとった大尉さんのことだ。
あれはまるでお姉さんが背中に魔族のような翼と角を生やすのに似ていたし、それ以上に、色や形なんかは違ったけど、
でもその魔法の雰囲気はサキュバスさんのものに近かった。
あのとき大尉さんは言った。「宗家オニババ」、って。宗家、という言葉は良く知らないけど、その後に出た神官のオニババの言葉の中にあった単語はわかった。
「分家のクセに」みたいなことを言っていたと思う。分家と言うのは当主様じゃない家系のことを言うはずだ。
分家がそのような意味なら、宗家とは逆に当主様のような家系のことを言うのかもしれない。そう考える都浮かび上がってくること。
それは、大尉さんも神官の一族の一人なのかも知れない、と言う事だ。
大尉さんの魔法は魔法陣を使った物以外は見なかったけど、言葉の意味としてはきっと間違ってない。
そして最後が、あの仮面の子だ。
腕にで勇者の紋章を付け、十五号さんを殺して、私達をも襲ってきたその理由は「奪われた私を取り返す」ため…
言葉だけ聞けば、それはお姉さんや魔導士さん、十六号さん達があの仮面の子の存在に関わる大事なものを奪ってしまったってことになる。
私には、十六号さん達がそんなことをするとは思えないし、思いたくもない。
もしかしたら、魔法か何かでそう思い込まされているんじゃないのかな…私の心を読むような魔法があるくらいだ。
読むだけじゃなくって書き換える魔法があっても驚かない。
ただ、でもとにかく、勇者の紋章を付けた人がいるってことはとても大事な情報だ。それも、魔族の平和維持に関わる重大事。
あの子一人ならお姉さんがなんとか相手を出来るだろうけど、お姉さんが持っているはずの勇者の紋章をあの子が持っていたとすれば、
勇者の紋章は複数あったのか、それともあの模様を魔法陣として描くことが出来る人がいる、ってことだ。
もしあそこにあんな子が何人もいて、勇者の紋章を使って戦いを挑んでくるようならお姉さんでももしかしたら…
そんなことを考えていたら、風の音に混じって妖精さんの叫ぶ声が聞こえた。
「みえた…!」
その言葉に、私は地平線の彼方を見やる。
そこには、あの城壁で囲まれた砂漠の街が見えてきていた。
「妖精、どこへ降りる?」
トロールさんがそう尋ねる。
「魔導士さまと決めてある!街のはずれの、小さなオアシス!」
妖精さんがそう言って指を差す先には、確かに街の中心にあるのとは比べ物にならない位の小さな泉と微かに緑の茂る場所がみえた。
前に街に来たときには行かなかった場所だけど、こうして空から見れば一目瞭然だ。
ふわり、と微かに落ちる感覚がして、高さがどんどん下がっていく。
やがて私達は、トサっと小さなオアシスのそばの草むらに降り立った。
とたんに、妖精さんが大きくため息をついてその場にへたり込む。
私は、自分の足で地面を踏みつけて、体がちゃんと着地していることを何度も確かめていた。
「妖精さん、大丈夫?」
私は妖精さんにそう声をかけてあげる。
「うん、平気…それよりも、早く魔王様たちに念信でこのことを伝えないと…」
妖精さんはそう言いながら、四つん這いのかっこうからその場に座りなおすと、額に浮かべた汗を拭って目を閉じ、集中を始めた。
微かに妖精さんの体が光を帯びているのを私は見た。
こういうときは、邪魔をしない方がいい。
声をかけたりなんかしたら、妖精さんを余計に疲れさせてしまいそうな、そんな風に思って、私はトロールさん達の方を見やった。
トロールさんは、少し脱力したように地面に腰砕けになっているように見えた。
竜娘ちゃんは、降り立つなりすぐにオアシスの泉に駆け出して水際で何かをやっている。
「トロールさん、大丈夫?守ってくれてありがとう」
私は今度はトロールさんのそばに行ってそう声をかける。
トロールさんは、ぼんやりとしながらもコクリコクリと何度かうなずいてから
「あぁ、大丈夫だ…おい達は、逃げられた…のか?」
なんてことを口にした。
戦いのせいなのか、それとも空を飛んできたせいなのか、トロールさんはがっくり力が抜けてしまったみたいだ。
「トロール様、これでお顔を拭いてください!」
竜娘ちゃんがそう叫びながら戻ってくる。見ると、手には濡らしたハンカチが乗せられていた。
どうやら、泉へはこれを濡らしに行っていたらしい。
トロールさんはハンカチを受け取ってそれをそっと額に当てる。とたんに、ふぅぅ、と大きく息を吐いてまた全身からクタっと力を抜いた。
それを見届けた竜娘ちゃんが、今度は私に向き直って深々と頭を下げて来た。
「この度は、あしりがとうございました」
りゅ、竜娘ちゃんって、その、すごく言葉がおしとやかで丁寧だよね…歳は同じくらいのはずなのに、私、丁寧語とか分からないから、すごいなぁ…
なんてことに気が付きつつ、私は
「ううん!それよりも、あそこでひどいことされたりしなかった?」
と、心配をしていたことを聞いてみる。
すると竜娘ちゃんは真剣な表情で私を見つめ、ゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。あそこでは、特になにも…もちろん閉じ込められましたし、自由はあまりありませんでしたが…
たくさんの本を渡されて、すべて読むようにと言われたくらいで」
「本?それって、絵物語とかじゃなくて?」
「はい、歴史書や、魔導書などでした」
それを聞いて、私はホッと胸を撫で下ろした。
どうやら、お姉さん達が言っていたように、実験体にされたり厳しい修行を押し付けられていたわけじゃないらしい。
とにかく、竜娘ちゃんが辛い思いをしていないことは幸いだった。
「あぁ、ダメだ…ちょっと疲れちゃって…」
急に、妖精さんがそんな声をあげてがっくりとうなだれた。
やっぱり、いくら人間の魔法陣で力を増幅させているとは言え、王都からここまで、あんなに早い速度で私達をいっぺんに運ぶのは大変だったらしい。
それを見て、私も竜娘ちゃんがしていたように泉まで小走りで駆けて、着ていたボロ服の裾を破いて水で濡らして妖精さんの元に戻る。
「ありがとう、人間ちゃん」
妖精さんがお礼を言ってくれて、受け取った濡れた布きれを額に乗せ、うー、なんて声をあげた。
「妖精さん、守ってくれて、ありがとう」
そんな妖精さんに、私はお礼を言ってあげる。でも、妖精さんは少し複雑そうな表情をして
「うん…私、怖かっただけだから…人間ちゃんこそ、ありがとう。人間ちゃんが支えてくれたから、私、なんとか正気で居られたよ」
なんて言って来た。それはなんだかくすぐったかったけど、私も妖精さんに守ってもらったし、きっと二人でうまく切り抜けた、なんて思っておくのがいいんだろうと思う。
「うん、妖精さんも、ありがとね」
私がそう改めてお礼を言ったら、妖精さんは観念したように苦笑いを浮かべて
「うん」
とうなずいてくれた。
それから、どさっとその場に倒れ込んで
「ごめん、ほんの少しだけ休ませて。自然の力を取り込むから、ほんの少しだけ」
と私に言って来た。そのほかに、私達が出来ることはない。
念信は風の魔法で言葉を伝える魔法だ、って妖精さんは以前言っていた。
トロールさんには使えないし、私にしても、まだ風の魔法は小さな物に風を当てるくらいしかできないから、妖精さんにお願いするしかない。
「うん、ここは安全みたいだし、平気だよ」
私は妖精さんにそう言ってあげた。
すると、安心したのか妖精さんはふぅ、とため息を漏らしてから
「魔導士様達、大丈夫かな…」
と急に情けない声色でそんなことを言った。
そう…魔導士さんや大尉さんは、まだ王都で戦っているんだ。
「大丈夫だよ、きっと…」
私は妖精さんにそう声を掛けてあげる。しかし、不安げな妖精さんの表情は変わらない。
確かに、あの神官の一族って言うおばさんも、あの勇者の紋章に見えた魔法陣を使った仮面の子の力は普通じゃなかった。
魔導士さんの力が強いのは十分知っているけど…もし、あの紋章が本当に勇者の紋章と同じくらいの力があるんだとしたら、魔導士さんは敵わないだろう。
大尉さんは、うまく逃げるから、と言っていたけど…あんなすごい術者を二人も相手にして、そう簡単に逃げられるのかどうかは、私にも分からなかった。
もし妖精さんの念信がお姉さんに届けば、きっとお姉さんは私達を城に送って、それからそのまま王都に向かうだろう。
私はきっとそれを止められない。
そうすることでお姉さんが傷つくのが分かっていても、
そうすることでお姉さんに対する人間側からの憎しみが強くなってしまうと分かっていても、
お姉さんが魔導士さんや協力してくれている大尉さんを見殺しになんてしない人だっていうのが分かってしまっているから…
どんな言葉も、きっと上っ面にしかならない気がする。
私に出来るのは…きっとそんなお姉さんと一緒に王都に戻って、人間たちからの憎しみを一緒に受けることなんじゃないか…
私はそんないつだか考えたときと同じような決意を、胸の内に秘めていた。
そんなときだった。
穏やかな風がふわりと私達を包み込んだ。
優しくて少し乾いた風が、私の髪を梳き、泉の水面を波打たせて吹き抜けていく。
これ、妖精さんかな…?
風の力を取り込めた証拠に風が吹いたとか、そんな感じ…?
私はふとそう思って、寝ころんでいた妖精さんを見下ろす。
しかし、妖精さんはまるで寝こけているように、ゆっくりと穏やかに息をしているだけで、魔法を使っている様子も魔力が輝いている光も見せていない。
今のは妖精さんじゃないの…?でも、自然の風にしては、なんだか変な感じが…
私はそう感じて、何となしにあたりを見回し、そして空を見上げていた。
「あっ!」
そこにあったものに、私は大きな声をあげてしまった。
「なに!?人間ちゃん、どうしたの!?」
「ど、どうした!?」
「いかがされました!?」
妖精さんが飛び起き、トロールさんが驚き、竜娘ちゃんがそう聞いてくる。
でも、それにこたえるよりも、見上げた先にあるものを見る方が早かった。
見上げた空、そこには、白く輝く魔法陣が描かれていたからだ。
それも、空中に…!
「ま、魔法陣…!?」
トロールさんの歯噛みしたような声が聞こえる。
「あれって…!」
妖精さんは、トロールさんとは違う、少し落ち着いた反応を見せていた。
私も、妖精さんと同じだった。
あの魔法陣は、知ってる。
あれは、転移魔法の魔法陣。
それも、魔導士さんの使う魔法陣だ。
私と妖精さんは、お姉さんの使う転移魔法や、十六号さんの使う転移魔法を見たから、なんとなく違いが分かったんだろう。
私は、本当にただなんとなく、だったけど…
その刹那、空がパパっと眩しく瞬いた。
ズザッ!と砂をこする音がして目を落とすとそこには、ボロボロの何かを抱えた大尉さんが、同じようにボロボロになりながら地面に膝をついていた。
「大尉さん!」
「ま、魔導士様!」
私と同時に、妖精さんも叫んだ。
大尉さんが抱えていたのは、魔導士さんの体だった。
「お待たせっ!みんな、掴まって!多重に転移しないと、すぐにでも追って来る!」
大尉さんがいきなり私達にすごい剣幕でそう声をかけてくる。
掴まる、ってことは、もう一度転移魔法を使うんだ…今度こそ、魔王城へ飛ぶんだね…!?
私はその事を理解して誰となしに叫んでいた。
「急いで!」
私の声で動いてくれたのかどうか、トロールさんと竜娘ちゃん、そして妖精さんも大尉さんの体に飛びつく。
それを確認した大尉さんは、魔導士さんの体をグッと引き起こして言った。
「頑張ってよ、連隊長!あと二回で良いから…!」
そう言われた魔導士さんは、血だらけの顔で
「くそっ…くそっ…」
と憎悪で歪んだ表情のままに、ブツブツと言葉を口にした。
すぐに私達の足元に魔法陣があらわれて、目の前がパパっと光る。
目を開けると、そこは見たことのない場所だった。
辺りは薄暗く、でも白に塗りつぶされていていて、そして肌を刺すような冷たい空気が私の身を襲う。
この白いの…雪?
もしかして、ここは…あの中央山脈…?
「まだ、もう一回!手を離さないで!」
大尉さんの声が響くので、私はうっかり緩めてしまっていた手にもう一度力を込めた。
再び足元に魔法陣が浮かび上がり、パパッと光った次の瞬間には、私達は見慣れた石造りの壁の一室に居た。
そこは魔王城のあの暖炉と大きなソファーのある部屋だった。
「うぐっ…!」
ドサリ、という音と共に、魔導士さんがその床に崩れ落ちた。
「ま、魔導士様!」
妖精さんがその傍らに座って、両手をその体にかざす。
ふわりと暖かな光が魔導士さんを包み込んだ。
これは…初めて二人にあったときに、妖精さんがトロールさんに使った回復魔法…!
光の中で、魔導士さんの体にある傷がみるみるふさがっていく。
そんなとき、バタン、と音がして部屋のドアが開いた。
そこには、腰の剣に手を伸ばした兵長さんと、それからそのあとにお姉さん、そしてサキュバスさんに黒豹さんが続いていた。
「ま、魔導士!」
「誰だ、その方は!?」
お姉さんの声と、兵長さんの警戒した叫び声が重なる。
「魔王様、力かしてくださいです!魔導士様、大けがです!」
妖精さんがそう言って、お姉さんを呼び寄せる。
それをしり目に、大尉さんはふぅ、と息を吐いて
「あたしは、王下騎士団の諜報班に居た諜報員。まぁ、こんなことになっちゃったから、元、諜報員、なんだろうけどね」
と手の平を兵長さんに見せつけて答えた。
敵じゃない、って意味なんだろう。
それをみた兵長さんも、そっと腰の剣から手を離した。
「おい、しっかりしろよ!何があった!?」
お姉さんが、二人して魔導士さんを挟み込むようにして妖精さんの向かいにしゃがみ込み、両腕を伸ばしてその腕を光らせた。
そう言えば、お姉さんの回復魔法って初めて見るな…私が矢で射られたときも使ってくれたって言っていたから、出来るっていうのは知っていたけど…。
「ぐっ…ゲホゲホっ…はぁ…はぁ…はぁ…」
やがて、苦しげに呻いていた魔導士さんの息が落ち着いてきた。
どうやら、受けた傷がなんとかなってきたようだ。
「おい、魔導士。喋れるか?追手は来そうか?」
お姉さんが魔導士さんの様子を伺いながらそう聞く。
すると、魔導士さんはムクっと体を起こし、大きく深呼吸をしながら答えた。
「いや…おそらく追跡はされないだろう。疑似魔法陣を三重に掛けながら三度転移をしてきた」
そんな魔導士さんの顔からは、いつのまにやらあの憎悪の色が消え失せて、いつもの無表情に戻ってしまっていた。
それから魔導士さんは
「もういい、十分だ」
と静かに言って、お姉さんに頭を振り、妖精さんを見やり
「感謝する」
と伝えてその場に立ち上がった。
それを確認したお姉さんも、ふぅ、と落ち着いた表情を見せて、傍らに立っていた大尉さんを見上げて
「あんた、久しぶりだな。助けになってくれたのか?」
と聞く。大尉さんはなんだかバツが悪そうに肩をすくめて
「まぁさ、ほっとけなくってね。あなたには、ヤバいところを助けてもらったお礼もしなきゃ、って思ってたから」
なんて答える。でも、それからすぐに表情を引き締めて、大尉さんはお姉さんに言った。
「たぶん、話さなきゃいけないことがたくさんある…あたしのことも、その竜族の子のことも…これまでのことも、これからのことも、たぶん、たくさん」
「あなた様は…」
そんな言葉に反応したのは、誰でもない、サキュバスさんだった。
サキュバスさんの視線は、微かに驚いているような、そんな感じに見える。
もしかしたら、サキュバスさんには何かが分かるのかもしれない。
大尉さんはきっと、神官の一族なんだ。サキュバスさんはそれをどこかで感じているに違いない。
「あなたがそうなんだね?うん、そう、あたしも、同じ」
大尉さんは、そんなサキュバスさんにそう言ってうなずいて見せ、それからお姉さんに視線を戻して言った。
「あなたの力が必要になりそうなんだ、古の勇者さま」
そんな言葉を聞いたお姉さんは、やっぱりあの少しだけ悲しそうな表情を見せてから、それでもため息交じりに笑顔を見せた。
「まぁ、そんなことだろうと思ってたよ。揉め事をなんとかしようってのが、古の勇者さまだもんな」
その言葉は皮肉っぽく聞こえはしたけど、なんとなく、私にはお姉さんが皮肉を言ったんじゃない、って思えた。
どっちかと言えば、覚悟を新たにしている、って、そんな感じだ。
それからお姉さんが不意に私に目をやって、優しく穏やかに笑った。
「あんた達、なんだよ、その汚いカッコ」
そう言えば…言われてハッとした。
私と妖精さんは、孤児のふりをするためにボロボロの服を着ていたんだった。
それだけじゃない、あっちこっちを土で汚して、髪もぼさぼさになっている。
その事をお姉さんに指摘されて、今更ながらになんとなく気恥ずかしくなってしまう。
でも、そんな私にお姉さんは言ってくれた。
「あんた達は風呂に入って、着替え済ませてきな。それまで、大事な話は待っておくからさ」
そんなお姉さんの言葉を聞いて、今度はサキュバスさんが笑顔を見せて私達に言った。
「ふふ、そうですね。まずは、お疲れをお湯でお流しください、人間様、羽妖精様」
そんな二人の、いつもと変わらない言葉を聞いて、私はずっとずっと張りつめていた気持ちがようやくほぐれ、
ぐったりと膝から崩れ落ちてしまいそうな、そんな感覚に襲われていた。
つづく。
乙!!
乙
両方同時に読めるなんてまさにゴールデンなウィークだねえw
この先の展開はハードになりそうねえ。読む方も気をしっかり持たなきゃな。
なんちゃらコレクションも存分に楽しんでww
まさしく『ごーるでんなウィーク』でんな♪(^-^)
(きっとG.W中は操船で忙しかろうから、と見に来なかったのはナイショ)
続き待っとります♪
〉442さん
まさしく『ごーるでんなウィーク』でんな♪(^-^)
(きっとG.W中は操船で忙しかろうから、と見に来なかったのはナイショ)
続き待っとります♪
>>441
感謝!
>>442
感謝!頑張りました!w
恐らく、アヤレナの様に優しい世界にはならなさそうです・・・どうなることやら。
イベント終わるまでは呟きが続きます、ご了承くださいw
>>443
感謝!そんなに大事な(ry
お待たせしました、続きです。
新章、発進。
「さて…じゃぁ、なにから話そうか…」
大尉さんがそんなことをつぶやきながら、サキュバスさんの淹れてくれたお茶のカップをあおってピクリと眉を動かした。
「オレンジピールのお茶なんだって」
私が教えてあげたら、大尉さんはへぇ、なんて声を漏らして、もう一度カップに口をつけてから満足そうに頷いた。
「いや、それよりも、先に」
そんな大尉さんに、お姉さんが口を開く。
「この子達と、竜娘を助けてくれたこと、感謝する」
そう言うが早いか、お姉さんは大尉さんに頭を下げた。
しかし、大尉さんはあはは、と声をあげて笑って
「ううん、気にしないで。あたしが好きでやったことだし、それに、戦争中に助けてもらった借りもあるしね」
なんて応える。それを聞いたお姉さんは渋い表情をして
「助けた、って…あれはそんなこと考えてなくって、ただ暴れただけなのに」
と口をつぐむ。それでも、大尉さんはお姉さんを見つめて言った。
「それでも、なんでも、あなたが来てくれたおかげであたしの隊はみんな無事にあの戦場から抜けられた。
本当は、あたし達が守らなきゃいけなかったのに、すべてをあなたが救ってくれた。
返しても返しきれない恩だよ」
その言葉に、お姉さんは嬉しそうな、泣きそうな表情で
「そっか…」
なんてつぶやいて、もう一度顔を伏せた。
今の言葉は、お姉さんにとっては嬉しいだろうな。
お姉さんが戦ったおかげで、死んでしまった人達もいたんだろうけど、大尉さんのように生き延びることができた人達もいたんだ、
って、そう思えるような言葉だったからだ。
私たちは、暖炉の部屋にいた。
魔王城に戻ってからすぐ、サキュバスさんが沸かしてくれたお風呂に、妖精さんと二人で入って、着替えを済ませた。
あんまりゆっくりはできなかったけど、それでも、旅の疲れを取って、それから、あの緊張感を拭うには十分すぎる時間のように感じた。
暖炉の部屋に戻ると、十六号さん達もやってきていて、皆でなんだか重苦しい雰囲気だった。
それもそのはず、竜娘ちゃんがトロールさんに肩を抱かれて、シクシクと泣き続けていたからだった。
どうしたのか、小さな声で十六号さんに話を聞いたら、竜娘ちゃんは初めて、先代の魔王様が死んでしまったことを知らされたらしかった。
先代様は、確か、竜娘ちゃんを人間と魔族との平和の希望だと言って、戦争が始まる前に魔族の中で人間への憎しみが煮え立ち
それが竜娘ちゃんに降りかかったとき、竜娘ちゃんをかばい、そして、祠守の一族であるトロールさんにその身を預けたんだ。
竜娘ちゃんにとってもしかしたら先代様は、私にとってのお姉さんのような存在だったのかもしれない。
自分の命を助けてくれて、自分を大切にしてくれた、そんな人だったんだ。
竜娘ちゃんは私達が来てからもしばらくそうして泣いていたけれど、半刻ほどしてようやく泣き止み、真っ赤になった目を擦りながら
「すみません…取り乱してしまいました」
なんて大人のようなことを言って、お姉さんに抱きしめられていた。
「子どもなんだから、もっと泣いたっていいんだぞ。あいつの代わりに、今度はあたしがあんたを守ってやるって約束する」
お姉さんのそんな言葉に竜娘ちゃんの目にはまた涙があふれさせていたけれど、部屋の中の重い空気はどこか薄らいでいるように私には感じられた。
それからは、泣き止んだ竜娘ちゃんも一緒にテーブルに着き、
いつものとおりサキュバスさんがお茶とお菓子を準備してくれてから、話し合いが始まって、今、だ。
「…その、大尉様は…カミシロの民、なのでございますか?」
サキュバスさんが、お姉さんからのお礼をはねのけた大尉さんにたずねた。
カミシロ…神官の一族のことをそういうのだろう。
神代の民。
どこか古い印象を受ける言葉だ。
「うん、そう。あたしも、古の神官の末裔。もっとも、あたしは分家の分家、一族からしたら気が遠くなるほどの末端だけど…あたしも、あなたと同じ。
雌雄同体の体を持っていて、自然の魔法を使う。もちろん、人間界にいるからあっちの魔法もできるけどね」
大尉さんの言葉に、内心、分かってはいたはずなのに、私は驚きを隠せなかった。
サキュバスさんは、魔族だからそんな不思議な存在がいたって納得ができる気がしたけど、同じ人間の世界に、サキュバスさんのような人がいただなんて…
ただ、それを聞いてお姉さんが低くうなって頷いた。
「正直、考えもしなかったけど…でも、魔導協会のあの女がその神官の血筋だ、っていうのはなんとなく納得がいくな。
あいつ、本当に不気味だったから」
お姉さんはそう言ってからハッと顔を上げて、慌てた様子でサキュバスさんを見やった。
「あ、あ、あんたがそうだ、っていう意味じゃないからな!」
そんなお姉さんの言葉を聞いたサキュバスさんはクスっと笑って
「承知しておりますよ」
なんて答えたので、お姉さんはホッと安堵の息を吐く。
「で、お前はあいつの考えていることを知っている風だったが、いったい魔導協会の目的ってのはなんなんだ?」
今度は魔導士さんが大尉さんに尋ねる。しかし、大尉さんは今度は首をかしげて言った。
「それは、正直、分からない。サキュバスちゃんもそうだと思うけど、私達、神代の民は、代々、世界の均衡に目を配って、
二つの紋章を…言葉は悪いけど、“管理”することが掟になってる。魔導協会の大きな目的は、それに尽きるはず。
でも、あの宗家のオニババは、それ以上のことをやろうとしているみたいだった。
その子を使って、ね」
大尉さんは、テーブルの上座に座っていた竜娘ちゃんをチラリと見やった。
全員の視線が、竜娘ちゃんに注がれる。
「なにか、聞いている?」
大尉さんの優しい声色の質問に、竜娘ちゃんは俯いて首を横に振った。
「いいえ…私は、ただあの塔に閉じ込められていただけで…そのようなことを言い渡されたりはしていません」
そう、それは、オアシスのほとりで聞いた。
本を読め、くらいのことしか言われなかったんだよね…
私はそんなことを思いながら竜娘ちゃんを見つめる。
ふと、私は、竜娘ちゃんの表情が、どこかいびつであることに気がついた。
緊張しているのかな、とも思ったけど、違う。
体に力が入っていて、とても安心しているようには見えないけど、でも、緊張じゃない。
あの顔は…悲しいんだ、きっと。
何が悲しいのかは、よくわからないけど…
「竜族と人間族の間の子…魔族と人間の、平和の象徴になるかもしれなかった存在…」
ふと、お姉さんが呟くように言ってから、顔を上げた。
「あいつら、その子を“器”に、あたしから紋章を二つとも奪うつもりだったのかもしれないな」
えっ?
勇者と、魔王の紋章を…?
「…それは、俺も考えていた」
お姉さんの言葉に、魔導士さんがそう言って頷いた。
「魔族と人間の血を引く子。しかもその半分の魔族の血は、竜族という魔界の中でも相当強力に自然の魔力を操れる一族のものだ。
紋章を受け継ぐことの出来る可能性は高い、と考えても不思議ではない、が…」
そこまで言った魔導士さんは、竜娘ちゃんを見やった。
しかし、そんな魔導士さんに、兵長さんが言う。
「ですが、いかに魔族とは言え、そう簡単に魔王の紋章を受け継ぐことができるとは思えません。
何しろ、サキュバスさんでさえ、それを宿すことができませんでしたから」
確かに、東の城塞に人間軍が来る、となったときに、この城を守るひとつの案として、お姉さんがサキュバスさんに紋章を渡そうとしたことがあった。
でも、結局サキュバスさんはすごく苦しんで、それを受け取ることができなかったんだ。
「確かに、この紋章は相性だからな…力の強い弱いとか、人間だとか魔族だとか、そういうのは関係ないのかもしれない、か。
現にあたしが両方を持ってるわけだし…」
「その見方も一つ、だな。もう一方で、俺は王都で、勇者の紋章を持つ子どもと戦った」
「えっ…?」
「な、なんだよ、それ…?」
魔導士さんの言葉に、お姉さんと十六号さんたちが色めきだった。
あの仮面の子のことだ。
やっぱりあれは、勇者の紋章だったの…?
「俺をあそこまで追い込んだんだ。少なくとも、生半可な呪印ではない。
俺の記憶の中にある勇者の紋章とは幾分か古代文字の内容が異なってはいたが、それでもあれは、間違いなく勇者の紋章だった。
だが、それならなぜ、その紋章を竜娘に持たせなかったか、と言う疑問になる。
やつらが彼女を器にするつもりなのであれば、まず真っ先にそのことを試すはずだ。
他の混血児たちと同じように、な」
魔導士さんの言葉に、私は一瞬、胸を締め付けられたような、そんな感覚を覚えた。
同時に部屋の中が一瞬にして色めきだつ。
「…おい、魔導士…それ、どういうことだ…?」
お姉さんが恐る恐るそう尋ねる。すると魔導士さんは、素知らぬ顔でお姉さんを見やって言った。
「なんだ、知っていたわけではなかったのか。
お前が砂漠の街で捕らえたオーク共は、魔導協会の息の掛かった連中だ。
取引の内容までは知らないが、協会はオーク共に人間を襲わせ、孕ませ、生まれた子供を本部に運び込んでいた。
そいつは少なくとも、お前が勇者の紋章を受け継ぐまでずいぶん長いこと行われていたはずだ。
戦時中も戦後も、引き続きな。
やつらは、オークと人間の混血児を勇者の器として利用としていた」
オークと、人間との混血…?
その言葉を聞いて、私は何か得体のしれないおぞましい感覚を覚えた。
背筋を虫が這い回っているような、むずがゆい不快感だ。
「…それが、あのオーク共だと言うのですか…!」
そう声を上げたのは誰でもない、黒豹の隊長さんだった。
「あの者どもは、人間と結託して人間の街を襲っていたと言うんですか!?」
「お前たちが捕らえたオーク達については情報だけで、実際に見たワケじゃないが、戦前の事情が変わっていなければ、そうなる」
「いったい、何のために…?」
魔導士さんの考えに、黒豹さんはそう唸る。
そんな黒豹さんとは対照的に、魔導士さんは乾いた声でサラリと言い放った。
「考えられるのは、素材の作成だ。魔王と勇者、二つの紋章を受け継ぐことの出来る素材、だ」
二つの紋章を受け継ぐことのできる素材…?
そ、それって、つまり…
魔導協会の人たちは、お姉さんの様に、勇者の紋章と魔王の紋章の二つを宿すことのできる誰かを探していた、ってことだ。
ま、待って…でも、それは…
「あいつらは、あたしの紋章二つを狙っている、ってことか…?」
「俺の考えでは、そうなる」
お姉さんの言葉に、魔導士さんは頷く。
その言葉にゴクリ、と、部屋に緊張とも恐怖とも知れない何かが漂って、私は喉を鳴らしてしまっていた。
「だが、それでもまだ疑問が残る。俺が戦ったあの勇者の紋章に力も形もよく似ていた呪印をその竜の子に宿さなかったのはなぜか?
受け継ぐことが出来なかったのか、あるいは、やはりあれは勇者の紋章とは本来的に何かが異なるものなのか…
可能性の高いのは後者、か。
オークと人間との混血児達の末路を考えれば、あそこで見た勇者の紋章を受け継ぐことが出来なかった竜娘が生きたままあの塔に捕らえられ、
救助に際してあの女が全力でそれを阻止しようとしてきた理由にはならない」
「混血児達の末路って…」
不意に、十七号くんが声をあげた。魔導士さんは彼にチラリと視線を送って、曖昧に首を傾げる。
言葉にしなくても、分かった。
きっとその子達もお姉さんが話してくれたように、紋章に合わないということが分かったとたんに、あそこから追い出されてしまったりしたんだ。
魔族と人間の血を引いている、竜娘ちゃんの様に、魔族の特徴も残している子が、人間の世界で生きて行けるわけはない。
たぶん…その子たちは、もう…
「いや、待て。もしかすると、あの仮面の子どもは…」
魔導士さんがふと思い出したように口にした。
仮面の子…魔導士さんが戦った勇者の紋章に似た呪印を付けていた子だ。
そうか、仮面…!
「あの子が、もしかしたらその混血の子…?」
私は思わずそう声をあげていた。それを聞いた魔導士さんがうなずいてくれる。
「可能性はあるな…あの仮面で魔族の特徴を隠していたのかも知れない。
だが…あえてあの呪印を混血児に与えた意味はなんだ…?
あれはそもそも人間が扱うのに向いた呪印だ。
混血児ではなく、それこそ、俺たちのような“候補者”の中の選りすぐりに受け継がせた方がまだ適合する見込みがある。
それを、なぜ…?」
魔導士さんはそんなことを言うなりグッと考え込んでしまった。
皆の視線が魔導士さんに集まって、胸を締め付けるような、口を重くするような時間が続く。
「か、仮に魔導協会が二つの紋章を手に入れたとして、その目的とはいかなるものなのでしょうか?」
そんな場の空気を無理やりに押し流すように、サキュバスさんがそう話を進めた。
うん、そうだ。
今は、そのことが大事だ。
「さぁてね…そりゃぁ、大陸の真ん中に人が超えられないほどの山脈を作り出せるくらいの力でしょ。
一手に握ることが出来たら、それこそきっと、なんだって出来る。
この大陸を統べて、支配者になることもね」
サキュバスさんの言葉を聞いた大尉さんがお姉さんを見つめて言った。
今のお姉さんにもその力がある。
でも、お姉さんはそんなことのために力を使わない。
お姉さんは、魔族の平和も、人間の平和も考えているんだ。
「もしその二つの紋章が狙われているのなら、ことは魔族や人間の平和などと言ってはいられませんね」
そう意見したのは兵長さんだった。
「万が一にもその力が魔導協会の手に落ちれば、魔族の平和など望むべくもないでしょう。
それに、先日話されていたように魔導協会が人間界すべての魔法陣を意のままに無効化することが出来得るとすれば
我らに抵抗する術はない…大尉殿の話もあながち例えや冗談とも思えません」
兵長さんの言葉に、部屋がまた緊張に包まれる。
でも、そんな張りつめた空気を打ち破ったのはお姉さんのため息だった。
「まぁ、あいつらの手に落ちれば、な。でも、万が一にもそれはない。
少なくとも、今その“なす術のない力”を持ってるのはあたしだ。
あいつらがあたしを取り押さえる方法を持っているんなら、逆にこの力があいつらに渡ったとしたって
それを制御する方法がある、ってことだ。それについては、そんなに心配は要らないんじゃないかな」
た、確かに、お姉さんの言う通りかもしれない…
どんな方法を使ったって、お姉さんからあの力を奪い取ることなんて出来るとは思えない。
魔法を勉強し始めた私でもそれくらいは分かる。
お姉さんの体に宿っている力は、とてつもないものだ。
もしかしたら、この大陸を二つに割ってしまうことだって出来るんじゃないか、って感じるくらい
途方もなく大きな力。
そんなものを、どうやったって抑えるなんて出来ないと思う。
「だが、もしもということもある。用心しておく方が良い。ここの警備も、今のまま筒抜けにしておけば、付け入る隙を与えてるようなものだ」
「それでしたら、魔導士様。私にも、トロール様や羽根妖精様が頂いたような呪印を施していただけませんか?
私はいつでも魔王様のすぐそばに侍り、御身をお守りいたします」
サキュバスさんはそう言って、まっすぐで力強い視線を魔導士さんに投げかけた。
それは、トロールさんや妖精さんが人間の姿に“戻った”ときとは全然違う、お姉さんのために、魔族のためにって、
そう固い決意の表情のように、私には見えた。
「いいだろう。俺も周囲に警戒用の魔法陣を敷いておく。十六号、お前も手伝え。結界魔法は得意だろう?」
「あぁ、うん。任せてよ」
魔導士さんの声掛けに、十六号さんもキリッとした表情で答えた。
「警備、ということになると…先ほどまでの話ともかかわりが深いでしょうね」
兵長さんがそんな二人のやりとりを見つめながら言った。
「魔王軍の再編、か…」
その言葉に、魔導士さんが反応し
「どんな具合いだ?」
と話を促す。
そんな魔導士さんの質問に、お姉さんは黙って黒豹隊長に目をやった。
「はっ…。各地の士団長クラスの魔族に、各軍を率いて魔王城へ参じるよう念信を飛ばしてあります。
東西南北、及び親衛軍の各士団長よりすでに返信を受けています。明日にでも各士団長と残存部隊がここに集結するはずです」
黒豹隊長さんが魔導士さんにそう説明した。
「規模はどれほどになりそうだ?」
「それはなんとも言えないな。特に東師団はあたし達が徹底的に叩いちゃったし…
各地の自警団の連中も参加してくれるって話だけど、それでも総数で三千が良いところじゃないかと思ってる」
「三千、か…」
その数を魔導士さんは呟いて口に手を当てた。
少ない…
私は思った。だって、東の城塞に侵攻してきた人間の軍隊は五千人。それに加えて南の城塞にはもう五千人の兵隊が待機していたんだ。
もし戦いになったら、そんな大軍に勝てそうもないけど…
私はお姉さんをチラッと見やった。
そう、お姉さんは戦いを望まない。人間の軍隊と戦うのなら、お姉さん一人で十分だ。
魔族の軍隊は、治安維持を大きな目的に再編させる、ってあのときのお姉さんはそう言っていた…
「三千のうち、千を国境警備、残りは五百ずつ四つに分けて、そのうち三つを北、南、西の各城塞を拠点に治安維持活動を任せるつもりだ。
残り一隊は、あたし直下の親衛隊にする。この城の防衛だな」
「なるほど…戦闘となると厳しいが、各地に警戒網を張っておけるだけの人員は居る、か」
お姉さんの言葉に魔導士さんは手を口に当てて納得したようにうなずく。そんな魔導士さんの姿を見たお姉さんがクスっと笑い声を漏らした。
「あんたはすっかり連隊長が板についたよな」
「どこかのバカが作戦なんて構いもしないで突っ込むからな。援護をするだけでも頭を使うんだ」
お姉さんはそんな皮肉を返されて、あの嬉しそうな表情で笑った。
ふと、私はテーブルについている人たちの顔を見やっていた。
最初は、私とお姉さんにトロールさん、妖精さんだけだったのに
今はこうして、たくさんのお姉さんに力を貸してくれる人たちがいる。
魔族と人間が平和に暮らすための世界を作るために、力を合わせて行ける。
そんな光景が、私にはなんだか嬉しくもあり、
ついこないだまで父さんと母さんが死んでしまってめそめそと泣いていた世界とは別のところのように感じられるようで、少し寂しくもあった。
でも、悪い気分ではなかった。
いつまでも泣いているわけにはいかない。
これからはもっと大変かもしれないんだ。
そのためには、私もしっかり自分の出来ることをしていかなくっちゃ…
「あの…お話を割っても構いませんか?」
そんなとき不意に控えめに声をあげたのは、竜娘ちゃんだった。
「あぁ、いいよ、遠慮しないで」
お姉さんがそんな竜娘ちゃんに優しく言う。
それは、先代の魔王様の死を聞かされてさっきまで涙していた竜娘ちゃんのことを思いやっているような、そんな柔らかい雰囲気だった。
「ありがとうございます」
竜娘ちゃんはそうお礼を言うと、頬の涙を拭いてサキュバスさんと大尉さんの顔を代わる代わる見つめて、聞いた。
「お二人は、“キソコウブン”、と呼ばれるものをご存知ですか?」
キソ…コウブン…?な、なんだろう、それ…?
私は聞き慣れない言葉に思わずお姉さんの顔を見やる。するとお姉さんもなんだそれ、って顔をして私を見ていた。
私もきっとお姉さんとおんなじ表情をしていたんだろう、私の顔を見たお姉さんは肩をすくめて小首をかしげ、それからサキュバスさん達に視線を送った。
私もお姉さんの見つめるその先を追う。
「キソコウブン…基礎の構文、ってことだよね?それはあたしは聞いたことないな…」
大尉さんがそう言って、サキュバスさんをみつめる。
サキュバスさんはしばらく考えるような素振りを見せてから、なんだか自信のなさそうな声色で答えた。
「その基礎構文と言うものかは分かりませんが、一族の古い伝承にある魔法陣のことかもしれませんね…」
「その伝承について教えていただけませんか?」
サキュバスさんの言葉に、竜娘ちゃんがさらに質問を重ねる。でもサキュバスさんは困ったような表情で
「本当に古い伝承で、真実かどうかも定かではありませんが…
それはこの世界のどこかに描かれているもので、この世界を“この世界たらしめているもの”である、と、言う話です」
と竜娘ちゃんに答えた。
それを聞いた竜娘ちゃんはクッと押し黙って俯き、何かを考えているようなしぐさを見せる。そんあ様子の竜娘ちゃんにお姉さんが聞いた。
「なぁ、それ、なんのことなんだ?」
するとハッとして顔をあげた竜娘ちゃんは、さっきのサキュバスさんと同じように困った表情で
「いえ…私も、サキュバス様が仰ったことと同じことしか把握していないのです。
基礎構文と言う、この世界を形作っている魔法の言葉が世界のどこかに刻まれていると言う伝説です。
それも、古の勇者様より古い言い伝えだと思います」
「古の勇者より古い伝承…?どうしてそんなことが分かるんだ?」
竜娘ちゃんの言葉に、お姉さんがそう尋ねる。すると竜娘ちゃんは顔をあげて
「魔導協会で読んだ古い書物の一節にそのような記述があったのです」
と応える。
一瞬、暖炉の部屋に沈黙がやってきたけど、魔導士さんの言葉がすぐにそれを打ち破った。
「世界創生の神話のようなものである可能性もあるな。実在するものというより、もっと何か、概念的なものだろう」
魔導士さんの言っていることはなんとなく分かった。
神様の話だろう。
この大陸は、神様が世界を作るときに土の付いた足で海を踏んだときにその土が剥がれ落ちて出来たんだ、なんてお話がある。
もちろん、そんなことを信じている人なんてそうはいない。
伝承とか伝説なんてものでもない、子どもに聞かせるような絵物語の一つに過ぎない…
きっと魔導士さんは、その基礎構文というのもそれと同じだ、とそう言っているんだろう。
それを聞いた竜娘ちゃんは、すこし残念そうな表情を浮かべながら
「そう、ですよね…」
と、それでも納得したように頷いた。
「まぁ、どうしても気になるんならさ」
そんな竜娘ちゃんにお姉さんが明るい口調で声を掛けた。
「この城の書庫にある文献を読んで見るといい。何か面白い物もあるかも知れないしな」
そう言ったお姉さんは、ニコッと笑って私を見た。
「例の、ボタンユリ、だっけ?あれを調べるのに書庫には行ったんだろう?後で連れてってやってくれないか?」
お姉さんのそんな頼みに、私はコクっと頷いて答えた。
「うん、あとで妖精さんと一緒に案内するよ」
するとお姉さんは満足そうに笑って
「頼むな」
と私に言い、それから皆の方に視線を戻して告げた。
「とにかく、明日には魔王軍が集結して再編の指示を出す。もしかしたら多少バタつくかも知れないから、適宜、協力してくれな」
「お任せ下さい。黒豹さんに指揮を摂っていただき、私がそれを補佐しましょう」
「その点は、万事打ち合わせ通りに」
「あたしも手伝うよ。あぁ、連隊長、体が大丈夫なら後でもう一度人間界に戻ってくれないかな?少尉とか、他の隊員もこっちに引っ張っちゃうからさ」
「いいだろう。その代わり、対価はもらうぞ?そうだな…確か魔界の植物でコチョウソウと言う花を見たことがある。その種を革袋一つだ。
俺は、警戒用の魔法陣を強いておいてやる。その他に用事があれば言いに来い。
用向きがあるまで、俺は部屋で寝てるか、こいつらに手習いと修行をつけてるかしてるからな」
「私も、常に魔王様のそばに侍りましょう。何なりとお申し付けください」
兵長さんに黒豹隊長さん、大尉さんに魔導士さん、そしてサキュバスさんが口々にそう言う。
私も、と思ったけど、さすがに軍隊のことなんて私にはわからない。
でも、ここにたくさんの人が集まって、もし親衛隊って言う人達が常駐するようになるんなら、必要なことがある。
「私は、畑をやって食べ物を作るね」
そう言ってあげたらお姉さんは嬉しそうに笑ってくれた。
「あはは、楽しそうなことになりそうだなぁ、魔族の軍隊か。言うこと聞かないやつがいたら俺が一発ぶん殴ってやらなきゃな」
私達の言葉に続いて、十七号くんがそんな声をあげる。でも、それを諌めるように十六号さんが言った。
「おいおい、それはアタシらの仕事じゃないって。むしろ、もっとやんなきゃいけないことがあるんだよ」
「えぇ?何がだよ?あ、感知用の魔法陣の話?」
十六号さんの言葉に十七号くんが首を傾げる。
それでも十六号さんは落ち着いた声色と落ち着いた表情で言った。
その言葉を聞いて、私も、きっとお姉さんも、心が穏やかなままではいられなかった。
でも十六号さんの考えていることはきっと正しい。
これまで、お姉さんの味方だったはずのたくさんの人間軍がそうだったんだ。
魔族の軍隊がそうじゃない、なんて言える保証はどこにもない。
「警戒用の魔法陣は半刻もあれば済むだろ。それのことじゃない。人間で勇者の十三号姉が魔王をやろうってんだ。
もしものとき、大人しく言うことを聞かない連中が妙な真似しでかさないように
アタシらは竜娘ちゃんと幼女ちゃんをしっかり守ってやらなきゃなんないだろ?」
「ふざけるな!貴様らには土の民たる誇りはないのか!」
ドンっとテーブルに両の拳を叩き付けて、真っ赤な目に立派な二本の角にウロコのようなものの生えた皮ふをした竜族の軍人さんが怒鳴り声をあげた。
バタンっと言う音とともに、十六号さんと十八号ちゃんが部屋に駆け込んでくる。
「あぁ、大丈夫。下がってて良い」
お姉さんが二人にそう声を掛け、いきりたった竜族の軍人さんに
「いちいち喚かねば話し合いも出来ぬのか」
と、金属の鎧とも体とも付かないゴテゴテとした何かをたくさん付けた別の軍人さんが声を掛けて諌める。
でも、それくらいでは竜族の軍人さんは収まらなかった。
「貴様らもこの顔を知らぬとは言わせんぞ。この者は、勇者だ!我ら同胞を無残にも斬り裂き、我らが宿願を妨げた主たる者なのだぞ!」
「我らが宿願?それは違う。いたずらに人間を憎んでおるのはその方らのみであろう、竜族将」
「何を?!獣人の小童が…!貴様らとて土の民の武人であろう!この期に及んで日和ったか!?」
竜族の軍人さんに白い目を向けた狼のような出で立ちの軍人さんの言葉に、また怒鳴り声があがった。
私は妖精さんと一緒にこの会議の場に、サキュバスさんの給仕の手伝いに来ていたんだけど…
さっきから何度も飛び出す罵声に部屋の隅でただただ身を固くしてしまっていた。
昨日、十六号さんが言っていた心配がこうもはっきりした形で現れるなんて思ってもみなかった。
朝から魔王城に集まってきた魔王軍の一団は、今、お城の周囲にテントを張って陣を敷いている。
そんな一団それぞれの指揮官さんたちが集まったのだけれど、お姉さんが挨拶をしてからすぐに、この騒ぎだ。
こんなのは話し合いなんかじゃない、ケンカだ。
十六号さんは昨日言った通り私を守るために、と、十八号ちゃんと一緒にドアのすぐ向こうで聞き耳を立てて部屋の様子を探っていてくれたらしい。
竜族の軍人さんの怒鳴り声を聞いて部屋に飛び込んで来た二人は、何よりもまず、私と妖精さんの前に立ちふさがってくれていた。
「我らは先代様の御心に安寧と繁栄を信じて身を預けた。その先代様がこの方を新たな魔王に選んだのであれば、我らはそれに従うのみ」
狼の姿をした軍人さんが静かにそう言う。
「何を?!このような者、信じられぬ!」
竜族将さんがまた大声をあげた。
「竜族将の言う事も分らぬではない。しかし、事を見極めるには時も必要だ。
もし勇者でもある新たな魔王様が我ら魔族を討ち滅ぼそうとするのなら、このような回りくどい真似をするとも思えんしな」
鎧の体の軍人さんが乾いた声で言う。それを聞いた別の軍人さんがあからさまに不快な表情を見せて言葉を返した。
「機械族の族長ともあろう方が何を申す。あの紋章こそが我ら魔族の希望でございましょう。それを疑うなど、正気の沙汰ではございません」
集まった魔族の人達の中でも一番人間に近い姿をしたおじいちゃんで、物腰も柔らかいその軍人さんの言葉に、また竜族将さんが怒鳴る。
「人間もどきの人魔など黙っておれ!」
「我が人間などであればその方は獣とおなじだな、竜族将よ」
「なにおぅ!?」
そうしてまた言い合いが始まる。怒鳴り声や皮肉の応酬は一層激しくなって、いつ殴り合いのケンカが起こってもおかしくはない。
同じ席に着いている兵長さんなんかは、イスに浅く腰掛けて片手を腰の剣にそっと掛けていつでも抜けるようにしているし、
お姉さんを挟んだ反対に座っている黒豹隊長さんも前のめりになって警戒しながら成り行きをじっと見つめている。
ガチャリ、とドアが開く音がした。
見るとそこには大尉さんがいた。
「これはまた、随分と紛糾してるね」
大尉さんは言い合いをしている席に一瞥をくれると私を見やって肩をすくめて見せる。
「あたしも、ああいう大きい声って苦手なんだよねぇ」
本当にそうなのかどうか、大尉さんはヘラヘラと笑顔を見せながらそんなことを言って私や十六号さん達のそばにやってきてくれた。
「なぁ、大尉さん。あいつら知ってる?」
そんな大尉さんに十六号さんが尋ねた。大尉さんは、あぁ、なんて声をあげてから
「知ってるよ」
と言ってテーブルを見やった。
「あの興奮してるのが竜族将。魔界でもあたし達、神代の民の次くらいに由緒ある古い一族のはず。その隣の鎧を着てるようなのが機械族の族長。
おじいちゃんは人魔族きっての魔法の使い手、鬼賢者。で、あの犬みたいなのが獣人族の若き智将、灰狼頭目。それからあの人が―――
大尉さんはさすがに諜報員だけあって、なのか、ボソボソと小さな声で私達にそう教えてくれる。
「これでは、話し合いどころではありませんね…」
そんな透き通るような声が部屋に響いた。
その声色に、竜族将さんも黙り込む。その声の主は、長い髪を後ろで縛り、角を生やし、コウモリのような翼を背負った、絹のように白い肌の女の人。
サキュバスさんよりも体の作りはがっしりしているけど、一目見て、同じサキュバスの一族なんだ、って言うのわかる出で立ちをしていた。
―――あの人が、前魔王軍の近衛師団長。サキュバス族の中でもとりわけ強い魔法が使える天才」
大尉さんが近衛師団長と呼んだ彼女はサキュバスさんに視線を送って言う。
「いかがでしょう、姫さま。ここはしばし水入りにして…そうですね、一刻ほどそれぞれが冷静になる時間を作られては」
その言葉に、サキュバスさんがハッとしてお姉さんを見やる。お姉さんもそれを聞いてコクリと頷いた。
「では、今から一刻ほど休憩と致しましょう。控室をご用意致しておりますので、どうぞそちらをお使いください」
サキュバスさんがそう言うと、竜族将さんがすぐさまガタンとイスを引いて
「何が話し合いか!」
と言い捨て、肩を怒らせてのっしのっしと部屋から出ていった。
「まったく…うるさいやつだ」
機械族の族長さんも、体中の金属をガチャリと鳴らして立ち上がると、部屋を横切ってドアから出ていく。
それに灰狼頭目さんと鬼賢者さんも続いた。
テーブルに残されたのはお姉さんと兵長さんと黒豹隊長、それにサキュバスさんと同じサキュバス族の近衛師団長だった。
「魔王様、あの者の無礼、どうかお許しください」
四人が部屋から出て行ったのを見計らって、師団長さんがそう頭を下げた。
「あの者は、親しい家族を人間軍との諍いで失っております故…」
「あぁ、知ってる…サキュバスに聞いた」
師団長の言葉にお姉さんはあの悲しい表情で答えた。
「あの竜娘の父親…竜族の男の弟だそうだな」
それを聞いた師団長さんは黙って頷いた。
あの人が…竜娘ちゃんの叔父さんってこと?
竜娘ちゃんのお父さんは、戦争のきっかけになった人間軍の魔界での救出活動のさなかに命を落としてしまったはずだ。
家族を殺されて…人間への怒りの感情が大きくなってしまっているんだ。
「はい…あの者は他の魔族よりもいっそう人間に裏切られたと言う気持ちが強いのです。兄の嫁であったあの人間に、彼自身も心を開いておりましたので…」
「そうか…あの怒り様にはそこまでの想いがあったんだな…」
お姉さんが表情をさらに険しくしてそう呟く。
「ですが、あのような態度をいつまでも続けてもらうのは困ります。いざとなれば、私が魔王様になりかわり粛清させていただきましょう」
そんな二人の会話にサキュバスさんがそう口を挟んだ。そう言えば、サキュバス様はさっき、姫さま、ってそう呼ばれていたな…
確か、サキュバスの中でも特に古い血筋の生まれなんだって言ってたっけ。やっぱ、偉人だったんだね、サキュバスさん…
「し、しかし姫さま…」
「あのような態度を、彼の兄上や先代様が見てお喜びになるとは思いません。いえ、きっとひどく叱りつけることでしょう。
人間を愛した竜族の名士も、先代様も、人間を憎むことを望まれるはずありません。
人間との争いを収め、大陸に平和をもたらすことがお二人の気持ちにもっとも沿うことではありませんか?
現に、今代の魔王様も、そしてここにお集まりくださった方々も、お二人と同じ気持ちでここにいるのです。
こと、魔王様先代様より直々にその御心を託された身。その魔王様をお認めにならないなどと言うのは、魔王様はおろか先代様への裏切りです!」
サキュバスさんは珍しく、そう語気を強めて言う。そんな様子に、師団長は口をつぐむしかない様子だった。
「まぁ落ち着け、サキュバス。あんたまで興奮しちゃったら、誰があたしと彼らの間を取り持ってくれるんだよ」
お姉さんがそうサキュバスさんに言い、それから師団長さんを見やって続けた。
「あたしは何もあんた達を支配しようとか、従ってもらおうとか、そんなことは考えてない。
あたしもあんた達と同じで、先代の想いを引き継いだ者に過ぎないんだ。
名目上は魔王なのかも知れないが…あたしとしては、先代から平和への想いを受け継いだ者同士で、同じ立場だと思ってる。
だから命令するんじゃなく、協力を頼みたいんだ。人間の再侵攻への備えと、それから魔界の治安安定のために」
そんなお姉さんの言葉に、師団長は感じ入ったような表情を見せてテーブルの上に伏せた。
「この身、如何様にもお使いください…」
そんな掠れた声が聞こえてくる。
そんな様子を見て私は微かに胸を撫で下ろしていた。
思えば、お姉さんの意思に反していたのは竜族将さんだけで、他の四人は先代様の気持ちを汲んでいてくれているように感じた。
お姉さん人間だから簡単じゃないかもしれないけど、同じ魔族である他の軍人さん達が説得してくれれば、もしかしたら竜族将さんも納得してくれるかもしれない。
そうなれば、きっと魔界の安定への早道になる、ってそう思えた。
そんなときだった。ガチャリ、とドアを開ける音とともに、十七号くんが部屋にやって来た。
十七号くんは確か、竜娘ちゃんの警備についていたはずなんだけど、どうしたんだろう?
そんな十七号くんは部屋に入るなり私のすぐ隣にいた大尉さんの姿を見つけて駆け寄ってきた。
「大尉さん、大尉さん」
「ん?どうしたの?」
大尉さんは呆けた声色でそう聞き返す。すると十七号くんも首を傾げながら大尉さんに言った。
「なんか、竜娘ちゃんが呼んでるよ。話がしたいんだってさ」
つづく。
書いてておもったんですが、なんかこの話って会議してばっかじゃね?w
乙!
意義のある会議は大切だな
乙
「会議は踊る」
緊迫感があって読む者を惹きつける会議は世界的名作になる可能性を秘めている事は歴史が証明している!!
「、されど進まず」というハメにならない限りはねww
ちゃんとお話し進んでるから大丈夫だと思うよwww
会議が必要かどうかの会議が必要だな
>>463
感謝!
gdgdになっていないかどうか心配です…
>>464
レス感謝!!
むしろ、踊る会議の方でも話的には面白いかもしれないと思ってみたり・・・w
>>465
そうですかね?
会議が必要かどうかの会議が必要かどうかを話し合う会議をまずは設けてみるというのはどうでしょうかwww
昨日アップ予定でしたが、艦これイベント最終出撃していたのでできませんでしたごめんなさいw
てなわけで、続きです。
暖炉の部屋を出て廊下をまっすぐ。
突き当りの階段を登って、厨房のある階をひとつ越えた廊下を西へ歩いたその先に、
先代の魔王様が魔界や人間界からも取り寄せたんだという膨大な量の書物が収められた書庫はある。
私はお姉さんに断って、大尉さんと呼びに来てくれた十七号くんに着いて、妖精さんと十六号さんに十八号のちゃんと一緒になってその書庫へと向かっていた。
あの会議の場にいても、私は怯えているだけで何も出来ない。
お姉さんのそばにはサキュバスさんも兵長さんたちもいるし、役に立つのなら調べ物の手伝いの方が良いんじゃないか、ってそう思ったからだ。
竜娘ちゃんは昨日の晩から書庫に入ってたくさんの書物を読み漁っているらしい。
それこそ、警護している十七号くんと十四号さんにトロールさんが書庫に毛布を持ち込んで夜を明かすほどなんだそうだ。
彼女が寝たのかどうかさえ分からない、と話す十七号くんの口ぶりは心配げだ。
昨日竜娘ちゃんが言っていたその…基礎構文、って言うのは、そんなにも重要なことなんだろうか?
魔導士さんは作り話の類に違いないと言っていたし、私もそう思うのだけど…人間界でも竜娘ちゃんはたくさんの本を読んだ、って、そう言っていた。
もしかしたら、人間界の本にはその基礎構文って言う何かに関することが書いてあったのかもしれない。だから、気になっているんだろうか…?
そんなことを考えているうちに、私たちは書庫の前に辿り着いた。書物は湿気を嫌うから、と、この厚い木の扉を据え付けたのも先代様だという話だ。
ゴンゴン、とその木の扉をノックした大尉さんが
「入るよー」
と声を掛けて扉をあけた。
私は魔道士さんのウコンコウ…ボタンユリについて調べるために入ったから知っているけど、書庫は基本的に真っ暗で、
天井の方に小さな明り取りの窓があるくらいで、それもあまり開けてはいけないのだと言う。
なんでも書物は、太陽の光にも弱いらしい。
私は妖精さんの光の魔法を使ったランプを灯してボタンユリについて調べていたけど、
書庫の中の竜娘ちゃんは、普通のランプに火を灯して、書庫の二階へと続く階段に座り込んでいた。
周りにはたくさんの本が積み上げられている。竜娘ちゃん、あれを一人で全部読んだのかな…?
魔界の文字があったり、難しい言葉で書かれた文章の本もたくさんあったはずなんだけど…竜娘ちゃんのお父さんは、竜族の名士だって言っていた。
もしかしたら、私が畑仕事を教えてもらったのと同じように、お父さんから勉強を教えてもらっていたのかもしれないな。
「あぁ、大尉さん」
そう声あげたのは十四号さんだった。相変わらず優しそうで、その、かっこいいお兄さんだ。
「あたし用だって?」
そう答えた大尉さんに、十四号さんは少し疲れたような表情を浮かべながら竜娘ちゃんに頭を降った。
「彼女が話がしたいって」
十四号さんがそうまで言って、竜娘ちゃんは初めて私達が部屋にやって来たことに気付いたのか顔をあげて少し驚いたような表情をしている。
でも彼女はすぐに大尉さんに気が付くと、パッと立ち上がって手のしていた一冊の本を持ち、大尉さんに駆け寄ってきた。
「大尉さん、この文字はお読みになれますか?」
竜娘ちゃんが開いて見せたそのページには、片側に難しくて古い言い回しの文章がいっぱい書いてあって、
もう一方にはその説明らしいこれもまた古めかしい挿絵が描かれていた。
竜娘ちゃんが大尉さんに指し示したのは、文章の方はなく挿絵の方だった。
私は大尉さんと本との間に体をねじ込んでそのページに目を凝らす。
ふっと明るくなったと思ったら、妖精さんがランプに灯った火の明かりを魔法で曲げて、本を照らし出してくれていた。
「便利だよね、その魔法。俺にも出来るかなぁ」
「やりたかったらいつでも教えるですよ。今の魔王城にはたくさんの強い力を使える人がいた方が良いと思うですからね」
十七号くんと妖精さんの話を聞きつつ、私は改めて挿絵に目をやった。
そこに描かれていたのは、男の人たちが何かを建てている様子だった。
その建物の真ん中には、板のような物が描かれていて、そこに私が読めない文字で細かく何かが書き込まれていた。
「これは…古代文字の一種だね…しかもかなり特殊なやつだ…」
大尉さんはそう言いながら、小さなその文字を小指の先で追いつつたどたどしい口調でそれを読み上げた。
「…記す…落とす…?あぁ、いや、書き残す、ってことかな…礎…世界…世界の礎、か。
えぇと…次は…あー、ダメだ、この文字は知らない…で、えぇと…祠…丘の祠…」
そこまで言い終えて、大尉さんは本から指を離し、首を傾げた。
「書き残す、世界の礎、丘の祠…」
自分で言った単語を呟きながら大尉さんは竜娘ちゃんを見つめて、竜娘ちゃんの反応を確かめるように聞いた。
「昨日言ってたのって、基礎構文、って呼んでたっけ?」
その問に竜娘ちゃんは黙って頷く。それを見た大尉さんは、宙を見やって言った。
「世界の礎、ってのは、その基礎構文のことかもしれないね…」
「では、やはりこの挿絵は…?!」
「いや、かも知れない、って言うだけで、本当にそうかは分からないけど…本文の方の解読を進めてみればそれも分かるかも知れないね」
そう言った大尉さんは、再び小指でその絵を指し示した。
「単語の羅列からの想像だけど、この絵はもしかしたらその基礎構文ってやつの場所を示す何かなんじゃないかな、と思う」
そんな言葉に、書庫に居たみんなが息を飲む音が聞こえた。その基礎構文、ってものがなんなのかは分からないけど…
“この世界を世界たらしめている”ものだと言ってた。たぶん、とても重要なことだと言うのは分かる。
でも、でもどうして…?
私はそんな疑問が浮かんで、思わず竜娘ちゃんに尋ねていた。
「竜娘ちゃん。どうしてその基礎構文っていうのが気になるの…?」
すると、竜娘ちゃんは私の顔をじっと見て、それから大尉さんに妖精さん、トロールさんに、十六号さん達みんなの顔をそれぞれ窺ってから、
「きっと、皆さんにとっては気分の良い話ではないとは思いますが…」
と俯いて前置きをし、ややあってクッと表情を引き締めて顔をあげて言った。
「あの塔に囚われている際に、大尉様と戦っていた女性が言っていたのです。基礎構文とは、“争いを促した忌むべきものである”と」
“争いを促した忌むべきもの”…?で、でも、サキュバスさんはそれが“世界を世界たらしめているもの”だと言っていた。
全く違う言葉に聞こえるけど…でも、待って…も、もし二つを繋げて考えるとしたら、その意味は…
「この争いが繰り返される世界を維持しているなにか、か…」
私の思い至った答えを、十六号さんが口にする。それに頷いた竜娘ちゃんが続けた。
「もしあの女性の言を信ずるのなら、基礎構文とは、もしかするとこの争いを留めうる何かである可能性もあるのではないか、と…」
竜娘ちゃんは、そう言って持っていた本の挿絵にもう一度じっと見入った。
もし竜娘ちゃん言っていることが合っていたんだとしたら、それはきっとお姉さんにとっては今以上の力になってくれる。
この魔族と人間が争いを続ける世界に、平和をもたらすことが出来るかもしれないんだ…。
「大尉さん、どう思う?あなたはあのオニババとやりあったと聞いた。俺にしてみたら、あの女のことだ。
そう言ってなにか、誘導されているような気がしてならないんだが」
十四号さんが大尉さんを見やって聞く。すると大尉さんはうーん、と唸ってから
「その可能性はあるよね…わざわざ竜娘ちゃんを閉じ込めておいて、でも本なんかを読むようにって命令していて、
その基礎構文なんて話を聞かせるってことは、何かを刷り込ませようとしていた、とも思える…」
それから大尉さんはまた首を傾げつつ「でも、」と話を続ける。
「あたしには神代の民の一人として、世界の均衡を保ち、二つの紋章を管理するって責務がある。
基礎構文ってのがサキュバスちゃんの言っていた“世界を世界たらしめる”ものなんだとしたら、均衡を保っている何かだとも思える。
神代の民的には、そっとしておきたい代物かな。
だから、もしあの宗家のオニババがそれを狙っているって言うのなら、あんまり良いことないと思うし、
本当に存在するんならそれがある場所を突き止めて、警備するくらいはしないといけない気がする」
そう言い終えた大尉さんは、少し憂鬱そうな表情を浮かべて竜娘ちゃんに聞いた。
「…仕方ない、ちょっと探してみる…?あれば守らなきゃいけないし、ないならないでその方が良い気もするけど…」
「…はいっ!」
大尉さんの言葉に、竜娘ちゃんがはっきりとした返事をした。
それを聞いた大尉さんは、はぁ、ともう一度ため息をつき、本を持ってその場にどかり、と座り込んだ。
「本文まで古代文字と来てるからなぁ、これ。この挿絵の文字に比べたらまだ新しい文字だし読みやすいけど…
とにかく、この挿絵が何なのかをよく知るために、これを解読するっきゃなさそうだね…正直、骨が折れそうな作業だよ」
大尉さんは苦笑いを浮かべてそんなことを言った。
ふと、私は何かポッカリと胸に穴が空いたような、そんな感覚を覚えた。それが一体何なのか、と考えていると、答えはすぐに分かった。
私は、ここでもまたなんの役にも立てない。そう実感してしまったからだった。
私は古代文字なんて読めないし、そもそも今人間界で使っている文字も怪しいし、魔族の文字も読めるわけがない。
村には手習いをしてくれるおじいちゃんがいて、文字や計算を教えてもらってはいたけど、それも畑仕事の合間に行くくらいで、
王都での学術院なんかで教えているらしい勉強なんてのとは比べ物にならない。
田舎の村の子なんてだいたいみんなそうだけど、でも、いざこうしてそう言う知識が必要だとなると、なんにも出来ない自分がなんだか悔しい。
十六号さん達の様に魔法が使えるわけじゃない。兵長さんのように軍隊のことや戦いについて知っているわけでもない。
みんながそれぞれの力でお姉さんを支えているのに、私に出来ることと言ったら、お姉さんそばにいることとそれからお芋なんかの簡単な畑をやることくらいだ。
食料がで大事だっていうのはわかるけど…でも、なんだか、皆の輪から外れてしまっているような心地がしていた。
「大尉様」
そんな事を思っているときだった。魔王城に戻ってから、あの石人間のような体に戻っていたトロールさんが、そうくぐもった声で大尉さんを呼んだ。
「オイ、ソノ祠ヲ知ッテルカモシレナイ」
「えっ?」
トロールさんの言葉に、大尉さんがそんな驚きの声をあげた。みんなも驚いてトロールさんを見つめていたし、もちろん私も驚いた。
でも、トロールさんの言葉の意味を私はすぐに理解できた。そう、だってトロールさんは…
「オイ達トロールハ、古クカラ北東ノ森二アル祠ヲ守ってキタ」
祠守の一族。そう、トロールさんは自己紹介をするときはそう言っていた。
「魔界二、祠ハ多クナイ。オイ達ノ守ル祠ト、西ノ森二住厶、サキュバス族ガ守ル祠、ソレカラ、北ノ城塞ノ近ク二アル、モウ壊レテシマッタ祠ダケダ」
驚くみんなを見つめながら、トロールさんは言った。すぐさま大尉さんがうーん、と唸り声をあげる。
「サキュバス族の祠、って言うのは怪しいしね…神代の一族が守っているんなら、古えから伝えられてきた何かが収められている可能性は高そうだし…
サキュバスちゃんにお願いしたら口利いてくれるかな…」
そんな大尉さんに、竜娘ちゃんは落ち着いた様子で言った。
「サキュバス様にもお願いしてみます。私、どうしてもその祠の中を見てみたいんです」
そんな竜娘ちゃんの瞳は、どこか悲しげな、切なげな色をしているように、私には見えた。
翌朝、竜娘ちゃんはお城の北門から、大尉さんと十八号ちゃんと十四号さん、それからトロールさんと一緒に、
サキュバス族の師団長さんが用意してくれた馬のような牛のような生き物が引く車に乗ってトロールさんの一族の住むという北東の森へと旅立って行った。
私は門のところで、妖精さんやお姉さん、サキュバスさんと一緒にそれを見送った。
竜娘ちゃんがその場所へ行きたいと相談したとき、お姉さんは少し心配そうな顔をしたけれど、大尉さん達が一緒なら、と、それを許してくれた。
トロールさんの一族が守る祠に行って、それから西のサキュバス属が暮らす森へも行くらしい。
竜娘ちゃんには、サキュバスさんが祠を見せてあげるように、ってお願いをする手紙を持たせていた。
人間界へ行くワケでもないし、と最初は私も思ったけど、でも、よく考えてみれば竜娘ちゃんは戦争が始まる直前、人間界へ旅立つまでは、
魔界では忌み嫌われる存在だったと言う話を思い出して、私は心配になってしまった。
あとからそのことをお姉さんに言ったら、お姉さんは私の頭を撫でながら
「大丈夫…あの娘はきっと、あんたと同じように強い娘だ…それに…」
とどこか引き締まった表情で
「ここにいるほうが、もしかしたら危険かも知れないからな」
と言った。
その意味が分からない私じゃなかった。きっと、お姉さんは魔導協会の人達の動きを警戒しているんだろう。
もしあの人達が竜娘ちゃんを奪い返しに来るとすれば、まず真っ先にこのお城を狙うはず。
そのことを考えたら、お姉さんも竜娘ちゃんをここから遠ざけて置いた方がいい、と考えているんだろう。
トロールさんは自然の魔法を使った念信というのも使えるみたいだし、何かあったらすぐに知らせるようにと伝えてはいたけど、
魔導士さん直伝の転移魔法を使える十八号ちゃんと十四さんもいるし、もしものときはお姉さんのいるこの魔王城に逃げてくればいい…
戦いになるかもしれないけど、お姉さんが傷つくことになるかも知れないけど…
それでも、お姉さんはきっと、私達のうちの誰かが傷付くのを良しとはしない。
そうならなければいいな、とは思うけど、もしそのときが来たら、って言う備えと覚悟は大切だ。
とにかく、お姉さんの考えの通り、竜娘ちゃん達がもし何かあったときに逃げたり助けを呼ぶことができる状態なら、
いつ魔導協会の人達からの攻撃を受けるかもしれないここよりは、魔界の辺境へと旅に出ていた方が安全だろう。
私は、今回ばかりは着いて行きたいとは言わなかった。向こうに一緒に行っても、私には出来ることなんてない気がしたし、
それに…私には、このお城でやらなきゃいけないことがあるんだ。
軍隊を再編する会議は今日も続いている。竜族将さんが朝から不機嫌そうに息巻いていたし、魔族軍が整うには時間が掛かる。
その間、お姉さんは色んな事に気を使わなきゃいけないし、もしかしたら傷付くようなことをたくさん経験するかも知れない。
そんなときはやっぱり私はお姉さんのそばにいてあげたい。それがきっと、あのときお姉さんに助けてもらった私の役目なんだって、そう思い直していたから。
とは言え、会議の席に居ても何が出来るわけでもない。
竜娘ちゃん達を見送った私と妖精さんは、サキュバスさんの言いつけで着いてきてくれたゴーレム二体と十六号さんに十七号くんと一緒に、お城の西の畑へと向かった。
ちゃんと畑を整えておかないと、魔族軍の人達がお城に常駐するようになれば備蓄の食料も長くは持たない。
その前に、少しでもいいから収穫できるように畑を整えておかないといけないだろう。
私とすっかり人間の体になれた妖精さんが先頭に立って、その後ろにふざけあいをしながらおしゃべりしている十七号くんと十六号さんが続く。
見えてきた畑には小さな緑の芽が、あちこちから吹いている光景が広がっていた。本当にまだ葉っぱ二枚だけ顔を出したばかりの新芽だ。
「わぁー!すごい!本当に芽が出てる!」
妖精さんがまるで踊りだしそうなしぐさでそんな声をあげる。だけど、私はそれほど嬉しいって気持ちは起きなかった。
なぜなら、緑の新芽が出ている辺りの土が、白っぽくカサカサになっていたからだ。
ここに植えたお芋は乾燥には強いはずだけど、この土の乾き方は少し乾燥しすぎのように思えた。
私は持ってきていたシャベルで少しだけ土を掘ってみる。でも、拳一つ分掘ってもまだ、土は乾いたままだった。
この辺りって、雨はどうなんだろう?そう言えば、魔王城に来てからと言うもの、雨が降ったのを見たことがない。
でも、最初に畑を始めたときには、土はもう少し湿っていて握ればまとまるくらいだった。
掘り返しちゃったから感想が進んだのか、それとも適度に雨が降るのか…
「ね、妖精さん。この辺りって、雨降るのかな?」
「あ、雨?わかんない、どうだろう…」
私の言葉に妖精さんは慌てて踊りをやめて首を傾げる。そりゃぁ、妖精さんはこの辺りに住んでいたってわけじゃないみたいだし、知らなくっても仕方ないか…
私がそんなことを思っていたら、妖精さんはふっと空を見上げて呟いた。
「風が言ってる…しばらく雨はないみたい」
「風が?」
「うん、そう。あ、言ってる、って言っても言葉じゃなくってね…風が乾いてるから。この辺りは西からの風が吹いてるから少し雨は少ないかも知れない。
もう少し南に行けば、海風が中央山脈に当たって雨になるんだけど、ここの風はどっちかって言うとあの砂漠の街の風に似てる」
なるほど、そっか。さすが風の魔法が得意な妖精さんだ。風を使えるだけじゃなくって、風の様子まで感じ取ることが出来るんだね。
「なら、水撒きしなきゃならないってことか」
そんな私達の話を聞いていた十六号さんが話に入ってくる。
「うん、そうだね…このまま何日も降らないとなると、ちょっと心配かも…」
乾燥には強い種類だけど、だからと言って水気がないままだと枯れたりする危険もある。
ただ、お芋だけに水をあげすぎて土の中で腐ったりしちゃったら大変だ。幸い水はけは良さそうな土だから、
多少でも土を濡らすくらいの水さえあれば、あとは多分、葉っぱが育ってくれば朝露やなんかでそんなに心配はなくなるはず。
とにかく、今をなんとかしなきゃね…
「水かぁ…凝固系の魔法は知らないな…な、十七号、あんたは使えたっけ?」
「使えないこともないけど、凝結して雨にするって言うより、俺の体の水分を使って行く感じになるからけっこう体力食うな…
畑に撒く水の半分くらいを俺が飲みながら魔法陣を描き続けなきゃなんないかも」
「あはは、そんなんじゃ人間ポンプだな」
十七号くんとの言葉にで十六号さんがそう言って笑う。
歩いて百歩の畑を4面作って、そのうちのひとつは休作用にしているけど、それでも三面分の水を十七号くんに撒いてもらうのは大変そうだ。
魔法も向き不向きとか使えないものとかがあって、思いの外、不便なことだってあるんだな、なんて、私はそんなことを思っていた。
「でも…じゃぁ、どうしよう?お水撒かないと良くないんだよね?」
二人の話を聞いて、妖精さんがそう私に聞いてきた。
それについては、最初にここを選んだときから考え済み。
畑の一角に井戸を掘らなきゃいけない。
もともとそのつもりで、今日もその下準備をするつもりだったけど、土の乾燥が思っていた以上に早いし、少し急がないといけないかな。
「井戸を掘らないと」
「イド…?あの、魔王城にある水が出てくるやつ…?」
「まぁた穴掘りか」
「あはは、アタシら向きだな」
妖精さんが首を傾げ、十七号くんが苦笑い、十六号さんはいつものように明るく笑った。
畑に水は大切だ。それに、本当は肥料も欲しいんだけど…まぁ、それはまだ少し先でいい。
今はとにかく、ここに井戸を掘って出来たら水路なんかも作れたらいいかな…これだけの広さの畑に水を撒くのは大変だからね。
「妖精さん。どこか地面の下に水が流れていそうな場所はないかな?」
私は妖精さんに聞いた。妖精さんは少し驚いたような顔をして
「えっ?私…?!そういうのはトロールの方が得意だと思うんだけど…」
なんて言いながらも、その場にしゃがみこんで地面に手を付いた。その手のひらがぼんやりと光を帯び始める。
自然と話が出来る、っていうのは自然を感じ取れる力だ、って言ってたしね。
きっとどこから水が出そうかも感じ取れるに違いない。
私の考えは、きっと正解だったのだろう。しばらくして妖精さんは
「あの少し窪んでる辺りから、水の冷気が強くする…かも」
と言って、畑から三十歩程の少し地面が抉られたようになっている辺りを指差した。
「よぉし、あそこを掘ればいいんだな?」
十六号さんがそんなことを言いながら、担いでいた大きなシャベルを振り回した。
「ううん、掘るのはひとまずゴーレムに頼んでおいて、私達は他にやることがあるの」
「やること?」
十七号くんが首を傾げて私にそう聞いてくる。
「うん、井戸を掘ったらその周りに石を敷き詰めておかないと穴が崩れちゃうでしょ?石を集めなきゃいけないんだ」
それに、魔王城にある井戸は、真新しい青銅で出来た手漕ぎ式の汲上機だった。
サキュバスさんの話では、先代の魔王様が作らせた井戸らしくって、どうやらその予備の資材もお城の倉庫に残っているらしい。
もし汲上機と水路用の青銅管も残っていれば、それをここに運び込んでおきたい。
石を見繕ったり、資材を確認するのは簡単な命令をこなすだけのゴーレムにはちょっと難しいだろう。
「物知りだなぁ」
私が言ったら、十七号くんがそう感嘆してくれる。それがなんだか気恥ずかしくって、へへへ、なんて笑い声をあげてしまいながら、私は
「とりあえず、ここはゴーレムに任せてお城の方に戻ろう。倉庫と石を探しに行かなきゃ」
と皆の顔を見て言った。
一旦、西門からお城に戻った私達は、そのままそぞろ歩いて一階にある倉庫の戸を開けた。中はだだっ広いうえに真っ暗で埃っぽい。
妖精さんが光を灯してくれてようやく中が見えるくらいだ。
そこには、古びた武器や防具、農具なんかに、お城の修繕にでも使うんだろう大工さん用の道具なんかも置かれていた。
そんな中に、私は布を被っている山を見つけた。
それをピラっとめくってみると、そこには束になっている金属の管とそれに立てかけられるようにして置かれている汲上機があった。
それに、管を通すための穴を掘る槍のような道具もあった。良かった、ないわけはないと思っていた。
これがあれば井戸作りはうんと楽になる。
私の住んでいた村には井戸が2つあって、片方は木のバケツを滑車でおろして汲み上げるやつだった。
父さんは、あの井戸のほうが広く掘らなきゃいけないから作るのに手間がかかるんだ、と言っていた。
それこそ穴の中の壁全部を石で補強しながらの作業になるからね。
その点、この汲上機の方法なら、管を通せる穴を掘って、隙間に石を入れていって固定するだけで済む…はずだ。父さんの話なら…
「あぁ、ポンプじゃないか。なるほど。これをあそこに運ぶわけだ」
十六号さんがそう言って、両腕の袖を捲りあげる。
「お、荷車あるぞ。これに載せよう」
十七号くんが倉庫の隅にあった荷車を引っ張り出してきてくれた。
「じゃぁそれ抑えててです。私が持ち上げるですよ!」
そう言うが早いか、妖精さんは両腕を資材の方へと付き出した。
こういう物や人を浮かべたりする魔法は、空気の密度を動かすんだ、と妖精さんは言っていた。
物の上側の空気の密度を低くして下側の密度を高くすると、高い方から低い方へ空気が流れようとするから、それが物を浮かせる力になるんだ、って話だ。
正直、そんな話をされてもほとんどなんにも分からなかったけど、とにかく魔法で汲上機と管がふわりと倉庫の中に浮かび上がった。
「うぐっ…これ、けっこう重いよ…!」
「妖精ちゃん頑張れ!今荷車下に入れるから!」
悲鳴をあげた妖精に十六号さんがそう言って、十七号くんと一緒に器用に荷車を操って浮かんでいる資材の下に荷車を滑り込ませた。
ギシギシ、っと、荷車がその重みで軋む。
「ふぅ…」
妖精さんが息を吐いて両腕を下ろした。
「ホントだ、かなり重そうだな…あそこまで引っ張っていけるかな?」
「俺と十六号姉がいれば大丈夫だろ。強化魔法使えばなんとでもなるよ」
十六号さんと十七号くんがそんなことを言っている。
人間の魔法は体の機能を強化することだって出来る。これくらい、その魔法を使えば楽々、ってことなんだろう。
さっきは不便なところもあるな、って思ったけれど、やっぱり魔法って言うのは、本当に便利だ。
「よっし、じゃぁ行くぞ」
「うし。せぇのっ!」
二人がそう声を合わせて荷車を引っ張る。ミシミシと音をさせながら、それでも荷車はするりと動き始めた。
私達は倉庫を出た。妖精さんが後ろから荷車を押して、ギシギシと一階呪うかを進む。
「これ、勝手口からは出られないよな…」
十六号さんが言った。
私達がお城に入ってきたのは、西門のすぐ近くにある普通の家に付いているような小さなドアからだった。
十六号さんの言うとおり、この荷車を引いて通るには明らかに小さい。このまま行くのなら、南門の近くにある大戸へ向かうしかない。
大戸から西門へ行く間には石の壁が一枚あって、そこにある通路も狭くて荷車は通れないから、南門使う必要がある。でも、南門の外には…
私はふと不安になった。南門の外には、この城に駆け付けた魔族軍が陣を張っていたからだった。
お姉さんは軍人さん達が来たときには私達を一通り紹介してくれたけど、白い目を向けられたことを覚えている。
そんな人達の中を通っても大丈夫なものか…
「私の魔法で姿を消しても、これを引きながら近くを通れば感づかれちゃうね…」
十六号さんも妖精さんも、私と同じ心配をしているようだった。十七号くんが一人
「何かあったらぶん殴ってやればいいんだって」
と息巻いているけど、そんなことをしちゃったら、今魔族軍を再編するために話合いをしているお姉さんの足を引っ張ることになりかねないし、
魔族の人達に人間への怒りを新たに植え付けることになってしまうかもしれない。
それは避けたいな…まぁ、まだ何か起こるって決まったわけじゃないけど…
そんなことを考えているときだった。
「ん、何だぁ?」
そう声が聞えて目の前に姿を表したのは、見慣れない軽鎧を着た人間のおじさんの軍人さんだった。
「あ、隊長さん。こんにちは」
私はそのおじさんに挨拶をする。
隊長さんは、大尉さんの部下だ。
部下なのに「隊長さん」なのは、何でも大尉さんが王都の軍令部から諜報隊に配属になったからで、
もともと軍人さんである隊長さん率いる諜報隊と王都軍令部との調整役兼監視役だったからなんだそうだ。
そういえば、砂漠の街の憲兵団の司令官さんも、王都から派遣されてきた、って言ってたっけ。
大尉さんもそんな王都の重役だったんだろう。そりゃぁ、神官の一族の末裔だもんね。要職についていたっておかしくはない。
私と隊長さんは、竜娘ちゃんを助け出して来てから魔導士さんの転移魔法で隊長さん達を連れて来た大尉さんに紹介されて知り合った。
掠れた声の人で、目つきも鋭い、なんというか、絵に描いたような軍人さんだっていうのが最初の印象だった。
でも、さすがあの大尉さんの部下だからなのか、話してみると怖さなんてこれっぽっちも感じない、
ううん、むしろこんな風で大丈夫なのかな、って私が心配になってしまうくらいに大雑把で豪気な人だった。
「なんだ、その大荷物?」
「あぁ、はい。西門の外に畑を作ってるんです。そこに井戸があったらいいなと思って」
私が説明すると、隊長さんは、あぁ、なんて気のない返事をしてからふと何かに気が付いたような表情になり
「それ、南門から出すつもりか?」
と聞いてきた。
「はい…南門くらいしか通れないと思うんです」
「まぁ、その大きさだとな…ふーん、いや、だがそいつはちょっとうまくねえな」
隊長さんはそう言って口に手を当て首を捻った。私達が思うくらいだ。軍人の隊長さんがそのことに気が付かないはずはない。
だけど、隊長さんは程なくして
「そうだな…」
と呟き、私達を見てニヤリと笑って言った。
「勇者…あぁ、いや、城主サマのご意向もあるからな。手を貸してやるよ、嬢ちゃん達」
それから私達は四人で荷車を南門の前まで運んだ。ここは「掃き出しの門」って呼ばれていたんだっけ。
確か、お城を作るのに使った石の余分な物を運び出すのに使われていたってサキュバスさんが話していたっけ。
だからこれだけ大きな作りになっているんだろう。
そんなことを十六号さん達と話しているうちに、お城の中で一旦別れた隊長さんが私達の前に姿を表した。
驚いたことに、隊長さんはその後ろに人間の軍人さん二人と魔族の人達を三人引き連れていたのだ。
人間の軍人さんは二人とも女の人で大尉さんや隊長さんの部下の人だけど、魔族の三人は初めて見る人達だ。
「初めまして」
そんな優しい声色で魔族の中で唯一の女の人が私達にそう声を掛けてくれる。姿は人間と近いけど、瞳の色が黄色い。
耳も尖っているし、額からは親指程の角のようなものが一本生えている。確か、人間の姿に似た魔族の人達を人魔族、って言うはず。
この人もそうなんだろう。
私達が順番に挨拶をすると、隊長さんが魔族の人達を紹介してくれる。
「彼女は、魔族の突撃部隊にいた人魔は鬼族の戦士だ。こっちの獣人は猛虎族が勇で突撃部隊の小隊長。で、この若いのが獣人でも珍しい鳥翼族の剣士だ」
猛虎族の小隊長さんは、体がガッシリとしていて鎖帷子を身につけたいかにも勇ましそうなサキュバスさんよりも少し年上に見える男の人で、
もう一人、ツンツンの羽のような毛を生やして背中にサキュバスさんのとは違う黒い羽根の翼を持った鳥翼族の剣士さんは、たぶん、十四号さんと同じ年頃くらいだろう。
小隊長さんは腰にナタのように幅の広い剣を提げているし、鳥の剣士さんもその名に違わず、両方の腰に細身の剣がある。
もちろん、優しい声で挨拶をしてくれた鬼族の戦士さんも背中に剣を背負っているのが見える。
私はそんな姿を見て緊張せずにはいられなかった。
魔族の軍人さんと会うのは、黒豹さん以外では遠巻きに会議に参加していた人達を見るくらいで、こうして面と向かうのは初めてだったから。
正直に言えば、怖い。
魔族だからとかそう言うことじゃなしに、少なくとも“戦争をしていた相手”に他ならないし、きっと人間の軍人さんを殺したりしてきた人なんだろうと思うと、
気を抜くことなんて出来なかった。
「良かったよ、退屈してたとこなんだ」
隊長さんの部下で、短い髪に女の人とは思えないガッシリとした筋肉を身にまとった女戦士さんがあっけらかんと言う。
「そうだね。剣の稽古をしているよりもよっぽど面白そうじゃない」
そんな女戦士さんに、長い髪を後ろで束ねている女剣士さんが捌けた口調で相槌を打って笑った。
「共同作業を見せる、って、いい案ですね」
鳥の剣士さんもにこやかに笑って鬼族の戦士さんに声を掛ける。鬼族の戦士さんもそれに笑みを返して
「そうね。誰かさんのお陰で上は大もめみたいだし」
なんて言っている。
「まぁ、竜の旦那は一本気な人だからな。おいそれと気持ちを入れ替えるわけには行かないんだろう」
そんな鬼族の戦士さんの言葉を聞いた虎の小隊長さんが苦笑いを浮べた。
竜の旦那…?そ、それってもしかして…
「み、皆さんは竜族将様を知っているですか?」
言葉が詰まった私に代わって、妖精さんが魔族の人達にそう尋ねる。すると、鬼族の戦士さんが苦笑いで教えてくれた。
「知ってるもなにも、私達突撃部隊を指揮していたのが竜族将様だったんだよね。私達は皆、元は北の街に住んでいたんだ」
北の、街…それって、竜娘ちゃん達の家族が住んでいたっていう、あの…?私はそれを聞いて全身が硬くなるのを感じた。
心臓が握りつぶされてしまうんじゃないかっていうくらいにギュっとなる。
この人達は、人間に街を焼かれた人達なんだ…頭に蘇ってきたのは、北の城塞でのお姉さんの所業や、東の城塞で私達に向けられた人間の怒りの感情だった。
それがどんなものかを私は身を持って知っている。だからこそ、体が震えた。
でも、そんな私を見て、鬼族の戦士さん私の前に歩み出て来てしゃがみ込んで言った。
「怖がらないで、って言うのは無理かも知れないけど…私達は大丈夫だよ。戦争はあったけどね…私、人間って好きだから」
そう言った鬼族の戦士さんは笑っていた。人間が、好き…?魔族なのに、どうしてそんなことを…?
「や、やめてくれよ、そんな直接言うのは…て、照れるだろ」
「いや、なんであなたが照れる必要あるのさ。人間族一般の話でしょ?」
鬼族の戦士さんの言葉を聞いて、女戦士さんと女剣士さんがそんなことを言い合って笑っている。
私にはそんな光景がとても奇妙に思えた。どうして笑っていられるんだろう?だって戦争をしていたんでしょ?殺し合いをしていたんでしょ?
それなのにどうして…どうして笑顔でいられるんだろう?
「まぁ、とにかく、だ。お互い暇を潰せるし、城主サマの言いつけも守れるし、ギスギスしてるよりよっぽど良い。かかるぞ」
そんな私をよそに隊長さんはそう言うと、魔族の三人と二人の女の兵士さんに号令を出した。
「ほら、貸しな。こういうのは任せとけよ。なぁ、鬼の!あんたも一緒に引こうよ!」
「ふふふ、良いよ、任せて!」
女戦士さんが十六号さん達を押しのけてそう言い、鬼族の戦士さんも笑顔で了承して荷車の引き棒に並んで見せる。
「この荷、あんな石ころばかりの道を行くのはちょっと不安だね」
「なら、縄でも括って縛ろうか」
荷を見た女剣士さんの言葉に、鳥の剣士さんが答えて身軽に荷台の上に羽ばたくと資材に縄をくくり始めた。
そんな光景を見ていた隊長さんと虎の小隊長さんはチラッと目を合わせてから
「なら、俺達はつゆ払いだな」
「ははは、つゆ払いか。間違いないな」
と言い合って豪快に笑い荷車の前に立った。
私は、ううん、私だけじゃなくて、妖精さんも十六号さんも十七号さんもそんな様子にただただ呆然としてしまっていた。
嬉しいことのはずなのに、なんだか目の前のことがどうしてか信じられない気持ちだった。
「おぉし、門開けるぞ。おい、坊主、手伝え」
隊長さんは十七号くんにそう声を掛けながら門の方へと歩いていく。
「あ、お、おう…」
十七号くんはそんな戸惑った返事をして隊長さんの後へと続いた。
隊長さんが門の閂を重そうに持ち上げて門の脇へと引きずっていく。それを確認した十七号くんが腕に魔法陣を光らせて大きな門を押し込んだ。
ズズズと重い音とともに、両開きの門が外側へと開いていく。その間からは、お城の周りに革張りのテントを張った魔族の人達がじっとこちらを覗き込んでいた。
「よぉし、引くぞ!」
「うん、せぇのっ!」
女戦士さんと鬼の戦士さんが声を掛け合って荷車を引き始める。後ろからは女剣士さんと鳥の剣士さんがそれを押している。
「お、お手伝いしなきゃっ」
不意に妖精さんが声をあげて荷車に飛びつき、一緒になって押し始めたの私もようやく我に返った。いろいろと驚いてしまっているけど…
とにかく、私は私の仕事をしなければいけない。
それを手伝ってくれると言うのなら、それが魔族でも人間でも関係ない…私は自分にそう言い聞かせた。
「ほら、アタシらもやろう!」
十六号さんがそう声を掛けてくれたので、
「うん!」
と返事をして私も荷車を押すのに加わった。
私達は荷車を、魔族軍の陣営の真ん中に出来た通路で押していく。
「なんだ?手伝いなら歓迎するぞ?」
「おい、道を開けてくれ。魔王様直々の命令だ!通せ通せ!」
先頭で隊長さんと虎の小隊長さんが通路を行く魔族軍の人達をそう言いながら蹴散らしている。魔族の軍人さん達は、私達を奇異の目で見つめて来ていた。
居心地は良くない。どの人もみんな、まるでよそよそしくって、冷たく感じる。
ふと、戦争のきっかけになった北の街の事件のあと、魔族から締め出されてしまった竜娘ちゃんの気持ちがなんとなく分かったような気がした。
人間と魔族が一緒に仕事をしているだけで、こんな目で見られるmんだ。私達はこうしてみんなで作業をしているからまだいいけれど、
竜娘ちゃんはたった一人でこんな扱いを受けていたに違いない。
それは、どれだけ辛いことだったろうか…そう思うと、胸が痛んだ。
でも、それでも私達は無事に魔族軍の陣地を抜けた。向こうの方に切り開いた畑と、そのそばで井戸掘りの作業を始めているゴーレム達が見えてくる。
そこまで来て、私はようやく少し安心できてふぅ、っと息を吐いていた。
そんな私を見て、そばにいた鳥の剣士さんがあはは、と明るく笑う。
「そんな小さいのに良い度胸してるな。俺はもうシビれちゃってるよ」
「なんだ、魔族の突撃部隊も意外に肝が小さいんだね」
横から女剣士さんがそんな冷やかしを入れる。でも鳥の剣士さんは平気そうな顔をして
「中にはおかしなやつもいるんでね。同じ魔族ながら情けないよ」
なんて応える。すると女剣士さんも
「まぁ、人間も似たようなもんさ。どっちにしたって得てしてそういう奴ほど肝が座ってないんだよね」
と笑った。
「間違いないね」
それを聞いた鳥の剣士さんが同意してまた笑った。
そうこうしているうちに、私達は荷車ごとゴーレム達が井戸掘りをしている場所へと戻ってきた。穴はすでに私の腰ほどにもなっている。
土も湿り気があるようだし、水がまったく出ないってことはなさそうだ。
「イドって、あの水を汲む穴のことでしょ?」
「あぁ、うん。魔族には井戸を掘る習慣はないのか?」
「私達は川のそばに集落や街を作ったり、遊牧して生活している種族がほとんどだから、こういうのを作ったりはしないかな」
「へぇ、そうなんだ。だとしたらあの魔王城は、魔族っぽくないよな」
「あそこは特別なの。山脈のこちら側のほぼ中央で、水が湧き出していた場所らしいんだ」
荷車の引き棒から手を離して一息付いていた女戦士さんと鬼の戦士さんがそんなことを話している。
私はそれを聞きながら、妖精さんに頼んで資材を魔法で下ろしてもらった。
「なんだ、この槍みたいな道具は?」
資材の山から、鳥の剣士さんが井戸掘り用の棒を手にとって首を傾げる。
「あ、そ、それは井戸を掘る道具なんです。地面に刺して回すと真っ直ぐに穴が掘れるんですよ」
私が説明すると、鳥の剣士さんはへぇ、なんて言いながら足元にそれを軽く突き立てて回し始める。
尖った先端が地面にめり込み、四枚の付き出した刃のような板の隙間から、土が中央の柄の方へと溜まっていく。それを見た鳥の剣士さんは
「へぇー!なるほど、よく考えられて出来てるなぁ、人間の道具は!」
なんて子どもみたいに感嘆してみせた。
「なるほど、畑か…」
不意に隊長さんがそうつぶやくように言った。なんだろう、と思って隊長さんを見つめていたら、隊長さんは宙を泳がせていた視線を私に向けて
「井戸を作るなら庵が要るだろうな。それにここは少し位置が低い雨になれば水が溜まるかもしれんから、汲上機はやや高い位置に据え付けるべきだろう。
そのためには、汲上機を繋ぐ管を固定する以外にも多少の岩がで足場を固める必要があるな」
と聞いてきた。私は隊長さんの言葉にハッとしていた。庵は必要だとは思っていたけど、足場のことは考えていなかった。
確かにここは周りより少し低いから、土に染み込まなかった雨が溜まりやすい。
雨が溜まったら足場が悪くなるだけでなく、汲上機を据え付けた周りの土が流されて座りが悪くなるだろう。
そうなったら管が外れたりして、井戸が使えなくなってしまうかもしれない。
「は、はい、そうですね…」
私が答えたら、隊長さんはガハハハっと大仰に声をあげ笑った。
それから隊長さんは改めて私を見て言った。
「さぁ、それじゃぁ、何でも言ってくれ。俺達は力仕事しか脳のないバカばかりだが、うまく扱ってくれりゃぁ、どんなことだってやってやれるからな。
頼んだぞ、指揮官殿」
ししし、指揮官?わ、私が…?
急にそんな風に言われたので、私はぎょっとしてしまった。でも、そばにいた妖精さんはその言葉を聞いて
「うん、私も頑張るよ!畑の指揮官さま!」
なんて言いながら飛びついて来た。でも、私、指揮官だなんてそんな…
「指揮官か。まぁ、確かにアタシら畑ってよくわかんないもんな」
「そうだよなぁ。十三兄ちゃんも良く花を育てられなくって枯らしてるくらいだしな」
十六号さんと十七号くんもそんなことを言っている。
魔族の軍人さんの三人も、女剣士さんも女戦士さんも、まるで指示を待つ兵隊さんのように私をジッと見つめていた。
そんな状態で、私は、なぜだかぐんと胸に力が湧いてくるのを感じた。畑の仕事は私の仕事だ。お姉さんにもそれを任された。
だけど、こうして私の言葉を待ってくれている人がいて、私を頼りにしてくれる人達がいるって言うことが、なんだか嬉しくて、勇気が湧いてくるような気がした。
「じゃ、じゃぁ…」
とっさに私は頭を回転させる。井戸掘りに、庵作りに、それから土台と管を固定するための石を集めなきゃいけない。
分担してやればきっとそれだけ早くに完成出来るはずだ。
「えと…鬼の戦士さん!この辺りで木を切り出せる場所があれば、少し必要なので手に入れてもらえませんか?」
「木ね。確か南の森は魔王城建設に使った木材を切り出した森だったかな。そこでならたぶん大丈夫だと思うよ」
「なら、お願いします。そんなにたくさんは要らないので…」
「うん、分かったよ」
鬼の戦士さんはそう言ってくれる。
「なら、俺と剣士で、石を集めよう。南の陣地の周りにも大きな物が転がっていたからな」
「そうですね。あの荷車、借して貰えると助かるな」
それを聞いていた虎の小隊長さんと鳥の剣士さんがそんな風に言い合って石集めに名乗りを上げてくれた。
「お願いします!」
私はそう二人に頭を下げる。
「なら、その森にはアタシと剣士で着いてくよ。な?」
「そうだね。そっちの方が人手が必要そうだし」
女戦士さんと剣士さんがそう言うと、鬼の戦士さんがクスっと笑って
「お願いね」
なんて言う。それを聞いた隊長さんは
「なら俺は、庵の図面でも引くかな」
とニヤリと笑って言った。
「え、えぇっと、じゃあ俺は…!」
そんな軍人さん達の勢いに当てられたのか、十七号くんが唐突に興奮した声をあげた。でも、そんな十七号くんに隊長さんは笑って言った。
「坊主はここに残って井戸掘りと見張りだろう。なんたって、城主サマ直々の、我が司令官殿の親衛隊なんだからな」
「しし、親衛隊…!」
隊長さんの言葉に、十七号くんがキラキラした目をして呟くものだから、私はようやく少しだけ肩の力が抜けて、思わず妖精さんと十六号さんと目を見合わせて、クスっと笑ってしまっていた。
つづく。
いい!実にいい!
これからも更新がんばってください
乙!
次はみっちりと井戸掘りの描写で埋め尽くそう
乙
ああすごく良いエピソードだなあこれ。
上の方で喧々囂々やってる連中よりも得てして現場の人間の方が現実的に動けるってよくあるよなあ。
畑のていと……じゃなくて司令官殿に敬礼!
そろそろキャラクターのまとめが欲しいくらいだ・・・ww
絵付きでほしいな
>>483
レス感謝です!
>>484
感謝!!
>>485
感謝!!!
頑張っております!
>>486
感謝!!!!
現場レベルは直情でいけますからね。
中には変わり者や気のいいやつがいるもんです!
幼女提督、頑張りますw
>>487>>488
感謝!!!!!
キャラ絵に関してはキャノピに発注いたしました。
完成はいつになるかなぁ…
とりあえずまとめだけでも投下します!
レスたくさんいただけて幸せです!
やる気に変えて頑張りました…と言えれば良かったのですが、展開の都合上ちょっとまとめて投下したいので、今晩アップはちょっと厳しめです。
明日はシフトでお休みなので、今夜ギリギリまで書いて明日の皆様の出勤時間のお共にとも思いますが…どうなるか。
そんなわけで、続き今しばらくお待ちくださいm(_ _)m
**幼女とトロール 登場人物まとめ**
幼女ちゃん(人間ちゃん、お嬢ちゃん)
人間の女の子。農民の娘。10歳くらい。
洪水によって両親を失い、その洪水の原因を作ったと思われていたトロールに生贄として捧げられた。
お姉さんのよき理解者。魔界では農業大臣的ポジション。
誰がなんと言おうとポンパドール。
トロールさん
2年前に勃発した人間と魔族の戦争時に、魔界で迫害を受けていた半人半魔の竜娘を連れて人間界にやってきた。
竜娘を魔導協会に拉致されてからは、魔界にも戻れず、人里離れた山奥でひっそり暮らしていた。
世間知らずの青年。
妖精さん
戦争時に人間によって捕らわれ、人間界に連れてこられた。見世物やイタズラの対象になっていた模様。
逃げ出した先でも人間に見つかり、いじめられていたところをトロールに助けられた。
下手くそ敬語がかわいい。
お姉さん(勇者様、魔王様、十三姉ちゃん)
戦争終盤、魔王を討つと同時に魔王より魔王の紋章とともに魔界の安寧を託された心優しい元女勇者。
人間と魔族それぞれの立場を想い、板挟みになったりしていろいろ悩みが尽きない。
クセっ毛の黒髪ロング。
サキュバスさん
先代魔王の秘書、身辺警護、妻(仮)だった人。
お姉さんこと魔王といろいろあって、現在はお姉さんに忠誠を誓う。
持つ者に強大な力を与える勇者の紋章や魔王の紋章を開発した古代の神官の一族の直系。
命の魔法を駆使し、ゴーレムを操ることもできる。
兵長さん
人間界の交易都市、砂漠の街の憲兵団所属だった女性。今は魔王城に勤務中。
金髪ロングの美人さん。
黒豹さん(黒豹隊長)
元魔王軍隠密部隊所属。戦後、人間界に残り、逃げ遅れた魔族の帰国を手伝っていた。現在は魔王城勤務。
兵長さんと良い仲っぽい。
女騎士
砂漠の街の憲兵団員。オークにイヤンなことをされる直前に兵長さん達に助けられた。
たぶんまだ憲兵団にいるはず。
魔導士(連隊長、十二兄ちゃん)
元勇者候補で、お姉さんと一緒に魔導協会の施設で養育・訓練された。
体中に魔法陣を彫り込み、強大な魔法を操る。
感情を表に出さず基本的に無関心気味だが、弟妹分にあたる他の勇者候補者たちの面倒を見たり草花が好きだったりするたぶんいい人。
十四号
元勇者候補の少年。兄妹の中では一番年上。16歳くらい。物腰柔らかないい子。
戦闘能力はやや低いが、戦術などに長ける司令官肌。
幼女ちゃんの憧れの人。
十六号
元勇者候補の少女。14歳くらいの元気娘。
転移魔法と結界魔法が得意。
ポニテ。
十七号
元勇者候補の少年。10歳くらいの血の気の多い男の子。
身体強化魔法が得意。
十八号
元勇者候補の少女。10歳くらいのクールな女の子。
戦闘能力が兄妹の中では最も高い。何でもこなせるマルチな子。
十九号
元勇者候補の少女。5歳くらい。食いしん坊。
訓練を受ける前だったので戦闘力はない。
二十号とは双子の姉妹。
二十号
元勇者候補の少女。5歳くらい。甘えん坊。
訓練を受ける前だったので戦闘力はない。
十九号とは双子の姉妹。
十五号
元勇者候補の少女。戦時中に治安の悪化した街に住んでいた兄妹達の盾となり
何物かによって殺されてしまった。当時15歳。
大尉さん
人間軍の元諜報部隊の指揮官の女性。指揮官とは思えないあっけらかんな楽天家。
魔導協会潜入を手助けした後、魔王城勤務になる。
サキュバスと同じく、神官の一族の末裔だが、分家の末端らしい。
金髪に碧眼、羽根をかたどったトップのネックレスをつけている。
竜娘ちゃん
魔界に売られてきた人間の女性と竜族の名士の間に生まれた半人半魔の幼女。10歳くらい。
赤髪に竜のような瞳、二の腕には鱗があるがそれ以外の見かけは人間。
生まれが良いためか、おしとやかで知的。
先代には“平和の象徴”とされたが、戦争が差し迫ると穢れた存在として魔界で迫害に合い、人間界へと脱出。
そこで魔導協会にとらわれる。
魔導協会顧問理事(オニババ)
魔導協会の実質の責任者である中年女性。古代の神官の一族の直系。
何かを企んでいる様子。
仮面の少女
魔導協会で幼女ちゃん一行の前に立ちふさがった“勇者の紋章”を持つ謎の女の子。
素顔は仮面をしていて分からないが幼女ちゃんと同じくらいの年齢っぽい。
十五号を殺害したらしい。
隊長
元諜報部隊の隊長。大尉さんの部下であり、現場責任者。35歳くらい。
横柄だけどお人好し。
上司である大尉と共に、魔王城勤務となる。
女戦士
元諜報部隊員。22歳。
大雑把で勢いの良い性格。細マッチョ。人懐っこい。
たぶんベリショ。
女剣士
元諜報部隊員。22歳。
知的で冷静。ちょっと皮肉屋。基本マジメ。
たぶんポニテ。
虎小隊長
元魔族軍突撃部隊の小隊長。虎。誠実で裏表のない人柄。
部下を大事にする上司の鏡。
鬼戦士
元魔族軍突撃部隊の女性隊員。鬼族の21歳。
丁寧で気遣いのできる優しい女性。
鳥剣士
元魔族軍突撃部隊の若き隊員。18歳。
お調子者だが、仕事は丁寧確実。鳥翼族だが、性格は忠犬。
【良く分かるかもしれない世界観】
・大昔、大陸に山脈を作り出して二分し、魔族と人間の世界を分けた“古の勇者”って人がいた。
・“古の勇者”が使っていた二つの紋章の一つが現在の“勇者の紋章”、もう一つが“魔王の紋章”。
・その“古の勇者”を作り出したのが神官の一族らしい。
・魔族はもともとは人間の姿をしてたっぽい。
・大陸が二分されても、魔族と人間は戦争を繰り返していた。
・先代の魔王を倒した勇者は死に際の魔王に魔族や世界の平和を託され、人間と魔族の板挟みに合いながら平和を目指して日々奮闘中。
こんなもんだろうか…って、しまったageちゃったorz
wikiとか弄り方わからんので、これでご容赦を。
では、続き書いてきます。
「あっははははは!なんだよ鳥の!もうへばったのかー?!」
「もう。ちょっと加減してあげてよ、彼まだ若いんだから」
「それに比べてあんたはけっこう行けるんだね。ほら、お代わり」
「ん、ありがと。まだまだ行けるよー!」
「おぉーし、ならこっからは飲み比べだ!寝るか吐くまでな!」
「おぉい、お前はもうやめろ!収集つかなくなんだからよ!」
「大丈夫か、おい?生きてるか…?」
「小隊長…俺ぁもう飲めませんよぉ…」
目の前で繰り広げられているのは、私がこれまで見たことのない奇妙で騒がしい光景だった。
あれから私達は井戸ほ掘り進めた。鳥の剣士さんと虎の小隊長さんが三度目の石の山を運んできてくれた頃に、
森へ木を切り出しに行った戦士さん達三人が丸太を一本担いで戻ってきた。
隊長さんの書いた図面に必要な分の木材を切っている間に日が傾いて来たので、
魔王城の倉庫から持ち出した麻布を資材の山にかぶせて城に戻ってきた私は、妖精さんと十六号さん、十七号くんと一緒に
隊長さん達が間借りしている城の二階の兵舎にある食堂へと、食事に誘われていた。
ここの食事は全部隊長さん達が食材から運び込んで作っているのだと言っていた。サキュバスさんが作る繊細で整った味とは違う、見かけも味も濃くて大胆な食事だ。
他のテーブルでは、諜報部隊の別の隊員さん達が食事をしていて賑やかだけど、
魔族の三人と女戦士さんと女剣士さんに隊長さんのいるここのテーブルはどこよりも騒がしい。
「なぁ、戦士の姉ちゃん。酒って美味しいの?」
「ん?なんだ?飲んでみたいのか?」
「いや、なんかみんな美味しそうに飲んでるじゃん。気になるよ」
「あっはっはっは!飲むか?ほら、味見だけな、ちょっとだぞ?」
私の隣に座って、向かいで鬼の戦士さんと肩を組んで大騒ぎしている女戦士さんに十六号さんが聞くと、
女戦士さんはそう言って持っていたお酒の入った木彫りのジョッキを差し出した。
それを受け取った十六号さんは、恐る恐るそれに口を付けて、すぐにプッと顔をしかめて近くに置いてあったお茶の入ったカップ煽った。
「なんだよこれ!なんか熱いぞ!?ムワっとするぞ?!」
そう叫んだ十六号さんを見て、女戦士さんに女剣士さん、鬼の戦士さんが破裂したように大声で笑い出す。
「あっははははは!あんたにはまだ早かったか!」
「ふふふ、まぁ、最初はびっくりするかもね」
「もう二年したら再挑戦しなよ、早くから飲めてもいいことないからさ」
正直、こんなに酔っ払っている大人は初めてみた。村でもお祭りの日なんかはお酒を飲んで騒ぐなこともあったけど、ここまで賑やかになったためしはない。
女戦士さんも女の戦士さんも女剣士さんも顔を真っ赤にしながら楽しそうにしているし、
テーブルに突っ伏してしまった鳥の剣士さんも真っ赤な顔でヘラヘラの笑顔のまんまに寝こけている。虎の小隊長さんも隊長さんも、真っ赤な顔でごきげんだ。
こんな様子に最初は面食らってしまった私達だけど、どこまでも陽気な人達で、今はもうすっか楽しい気分になってしまっている。うん、お料理も美味しいし、ね。
「うーん、やっぱりこのお酒はにおいが強くて苦手です」
私達の中で唯一、少しだけお酒を飲んでいた妖精さんがそんな事を言いつつジョッキを空にしててテーブルに置いた。
「あん?なんだよ、酒なんか酔えれば一緒だろ?」
女戦士さんがクダを巻きながら、空になった妖精さんのジョッキに中タルを傾けてお酒を注いでいる。
「こっちには大麦以外のお酒があるの?」
女剣士さんが鬼の戦士さんにそんな事を聞いた。
「うん、種類は多いかもね。って言っても、各々の一族がそれぞれ作ってることが多いから、どれくらいあるかは分からないけど。人魔族は大麦使うよ。
この濃い方のお酒と味も香りもよく似てる」
鬼の戦士さんはそう言って、さっき十六号さんが一口舐めたお酒を指して言う。
「へぇ。じゃぁ、妖精族はどんな酒を飲んでんだ?」
「私達は、木の実を使ってお酒を作るですよ。葡萄とか林檎が多いのです」
「どっちも聞いたことないな…」
妖精の返事に女戦士さんが首を傾げるのを見て、十七号くんが声をあげた。
「林檎ってのはアップルで、葡萄ってのはグレープって言うんだぜ」
「へぇ、魔界じゃそう呼ぶんだ?」
「いいなぁ、それ、旨そうだ。今度飲ませてくれよ!」
「今、酔えれば一緒って言ってたじゃない!」
「えぇ?そうだっけ?もう忘れちゃったよ!あっはっは!」
女戦士さんがあまりにもとぼけたことを言うものだから、私も思わず吹き出して笑ってしまった。
「で、司令官殿。明日の作業の話をしようじゃねえか」
そんな私に、笑いを収めた隊長さんが話しかけて来た。私もなんとか笑いを引っ込めて隊長さんに応える。
「はい。明日は、まずお城の井戸から水を運んで畑に薄く巻こうと思います。
井戸はしばらく時間がかかりそうなんですけど、畑の方はカラカラなので、そっちをやっておかないと新芽が枯れたりしちゃいそうで」
「ふむ、確かにな…しかし、あれだけの広さの畑に水を撒くとなると、それなりの頭数が必要だな。明日はもう少し人数を考えておくとするか…」
私の言葉に、隊長さんはそう言って顎をひとなでする。そんな私達の話に小隊長さんが入ってきた。
「人間魔法には、水を扱えるものはないのか?」
「どうだろうな。基本的に俺たちの魔法は体の中の機能を増幅させて使うんだ。温度を下げたり上げたり、体の機能を強化したりすることはできるが、
水を放つ、となると、それこそ体の中の水分を使う他にねえ。そんなことをしたら、たちまち自分がカラカラだ」
隊長さんがそう答えた。確か、十七号くんもそんなことを言ってたよね。
「魔族の魔法の方がそういうのは得意なんじゃねえのか?」
と今度は隊長さんが虎の小隊長さんにたずね返す。
「水の魔法というのは難しいんだ。風魔法の一種だが、大気中から水分を集める必要がある」
虎の小隊長さんはそう言って妖精さんを見やった。すると少しだけ顔を赤くした妖精さんも
「そうなんですよ。空気をいっぱい集めなきゃいけないですし、念信で長老様に聞いてみたら、あれだけ広い範囲に雨を降らせようとすると、
他のところで降る雨を奪ってしまうかもしれないからあんまりやっちゃいけない、って言われたです」
と応える。それを聞くなり、隊長さんは腕組みをして
「まぁ、土の民たる魔族がそういうんだから、そうなんだろうな。こればっかりは、自分たちでやるっきゃねえか」
とお頷いた。
便利なようで、やっぱり何もかもができるってわけではないのが魔法なんだな。
穴を掘るにしたって、妖精さんにもサキュバスさんには難しいって言っていた。
もしかしたら、人間の魔法陣を施されて力をましているトロールさんなら出来るのかもしれないけど、肝心のトロールさんは今は竜娘ちゃんと一緒に出かけてしまったし…
「自然は万能ではない。無理に扱えば他にしわ寄せが出てしまうこともあるし、そもそも俺たちでも扱える力には限界がある」
「そんなもんだな。何事も、そうすんなりうまくはいかねえもんだ」
虎の小隊長の言葉に、隊長さんがそう言って大仰に笑い、ジョッキをあおってお酒を一気に飲み干した。
ドン、とそのジョッキをテーブルにおいた隊長さんは、それから呟くように
「まぁ、だからこそやりがいってがある、ってもんだがな」
と私を見つめて言ってくれた。
そんなときだった。喧騒に紛れて、バタン、とドアを閉める音を聞いた私は、食堂の入口の方に目をやった。
するとそこには、お姉さんとサキュバスさん、兵長さんの姿があった。
「おぉ、城主サマのお出ましだ。お前ら、行儀良く出迎えろよ」
隊長さんがあたりの隊員さんにそう声を上げる。
でも、隊員さんたちは
「うぉー!」
と行儀悪く返事をしては、ギャーギャーと喚いて笑っていた。
「なんだよ、ずいぶんと楽しそうじゃないか」
そんなことを言いながら私たちのところにやってきたお姉さん達は、
テーブルの向こう側で、鬼の戦士さんを挟んで肩を組んでいる女戦士さんと女剣士さん達が
もう何が楽しいんだか分からないけどヘラヘラと笑っている様を見て一瞬固まった。
「おう、勝手にやらせてもらってるぜ」
隊長さんは新しくお酒を注いだジョッキを高々と掲げてお姉さんにそう宣言をする。
そんな様子を見て、虎の小隊長はパッと姿勢を整えた。
「自分は、猛虎族が首長が末子です、魔王様。酒の席で部下たちもこのていたらく、ご無礼、お許し下さい」
「い、いや、その…うん、まぁ、そういうのは全然…」
そんな虎の小隊長さんの言葉を受けて、お姉さんは兵長さんとサキュバスさんを顔を見合わせて、相変わらず戸惑っている。
三人とも何が起こってるんだ、って感じで言葉に詰まっていいるので私は今日の昼間のことを伝えた。
井戸を掘ろうとして準備をしていたら隊長さんが手伝ってくれると言ってくれたこと。
隊長さんたちが、魔族の三人を連れてきてくれたこと。
みんなで力を合わせて井戸掘りを続けたことも、だ。
一部始終を話すとお姉さんたちは少しだけ落ち着きを取り戻して、肩の力を抜いたのが分かった。
お姉さんが虎の小隊長さんに向き直ると
「手伝ってくれたのか。感謝する」
とお礼を言う。
「ははは、そうか、そっちはいろいろと難しいんだな。まどろっこしいから、俺たちは城主サマってことにさせてもらうぜ。
何しろこうなりゃ俺たちはもう傭兵みてえなもんだ」
そんなやりとりを見て隊長さんがそう言って笑い、それからお姉さんたちにも席を勧めて、空いていたジョッキにお酒を注いで乾杯をした。
「し、しかし、驚きましたね…」
「はい…いや、嬉しいことなのですが…その、なんというか…」
兵長さんとサキュバスさんがそう言いあって、テーブルの向こうで魔界の歌らしい何かを鬼の戦士さんに教わって歌い始めている剣士さんと戦士さんを見つめた。
そりゃぁ、そうだよね。私だって、未だに本当なのかな、って思ってしまうところもある。
目の前にいるのは、敵と味方で分かれていたような人たちとは思えない。
人間と魔族で分かれているような人たちとも思えない。
見る限り、それはまるで…
「まるで、古くからの友人同士、と言った具合ですね…」
サキュバスさんが、苦笑いを浮かべながらそう言った。うん、私も同じことを思っていた。
ただの友達ってわけでもない。まるで、苦楽を共にしてきた、とっても大事な友達同士のように、私には見えた。
「で、城主サマよ。魔王軍再編についてはどうなんだ?」
不意に隊長さんがそう聞いた。
お姉さんたちは今日も一日話し合いをしていたはずだ。私もどうなったのかは気になる。
「あぁ、まだまとまらないな。一応、竜族将は文句を言いながらも、魔族軍再編については賛成してくれている。あたしのことは認めない、ってのは変わらないけど…」
お姉さんはそう答えて、少しだけさみしそうな表情をした。それを見るなり、虎の小隊長さんがペコリと頭をさげる。
「うちの大将が、申し訳ない」
「いや、仕方ないよ。あの人にはあの人の心情があるんだ。その責めを受けるのもあたしの役目で、勇者だったあたしの義務だ」
お姉さんはそう言ってジョッキに口をつけて、大きく息を吐く。
「それにそのこともあるけど、再編案自体に機械族の族長と鬼賢者が難色しててな。まぁ、大掛かりな配置替えしようってんだ。
そりゃあ、不安も不満も出ちゃうよな」
「もうしばらくは膠着する、か。まぁ、そんなもんだろう。下っ端は下っ端なりに、出来ることをやっといてやるからよ」
隊長さんがそう言って笑う。そんな笑顔に釣られるように、お姉さんもようやく笑顔を見せた。
「うん、こうして分け隔てなくしていてもらえるのは、あたしにとっては嬉しい」
でも、そんなお姉さんの言葉を隊長さんは鼻で笑って
「バカ言え。そんなんじゃねえ、井戸と畑の話だ」
と言い返し、パッと笑顔を私に向けた。
「そうだよな、司令官殿!」
思わぬところで話を振られて驚いてしまった私は、
「は、はい!」
となんだかちょっと大きすぎる位の声で返事をしてしまったけど、それでも隊長さんは満足そうな表情をしてくれて、ジョッキをさらにググッと煽ってみせた。
その晩、私は差し迫る何かに身を襲われてボンヤリと目を覚ました。
眠気が取れなくってもう一度目を閉じて眠ろうとするけれど、その感覚は私の中でどんどんと強くなってくる。
いよいよ私は眠るのを諦め、起き上がってお姉さんを起こさないようにベッドから降りた。
差し迫る感覚の正体は、簡単。隊長さん達の大騒ぎを一緒に楽しんでいる間に、ずいぶんとたくさんオレンジを絞って淹れた甘い飲み物を飲んでしまったせいだ。
「んぁ?どうしたぁ…?」
お姉さんがそんな寝ぼけたような声を出して聞いてきた。いけない、起こしちゃった…
「うん、ちょっとお手洗い」
「むにゅ…そっか、一人で行けるか…?」
「うん、大丈夫」
本当は寝ているんじゃないかっていうくらいの声色で言うお姉さんにそう伝えると、お姉さんは納得したのかどうか、そのまままた寝息を立てはじめてくれた。
それを確かめて、私はそっと部屋を出た。
廊下には薄っすらとランプの火が灯っていて真っ暗、と言うわけではない。
お城に来た頃は流石に夜一人で廊下を歩くのは少し怖かったけど、今はもうなんてことはない。
お手洗いは寝室を出た廊下を真っ直ぐに行った先にあるから、遠くもないし、一人でも平気だ。
私は足元に気をつけながら、寝ぼけ眼を擦りつつ廊下を歩く。革の内履きが石の床に当たってペタン、ペタン、と優しい音を立てている。
すぐにお手洗いにたどり着いて、私はやっぱり、少しボケッとしながら用を足して手を洗い、廊下に戻った。
そのときになってようやく少し目が覚めてきたのか、廊下のひんやりとした空気が心地良く頬に触れる。
今は何刻くらいなんだろう?深い時間だったらきっと月も綺麗だし、星もいっぱい見えるんだろうな。
そんな事を思いながら寝室へ戻ろうと廊下を進んでいると、さらにその向こうから足音が聞こえた。私の革の内履きとは違う、カツコツという硬い足音だ。
木の底を使ったブーツの足音みたいだけど、夜遅くにブーツで廊下を歩き回っているなんて誰だろう?兵長さん辺りだろうか?
そう思って廊下の先に目を凝らすと、そこにいたのは昨日の会議に出席していたサキュバス族の師団長さんだった。
「あら、人間様」
師団長さんも私に気が付いてくれて、腰に当てていた腕をそっと下に降ろした。
師団長さんは軽鎧姿に、腰には剣を提げている。とてもじゃないけど、寝ていたって感じの出で立ちには見えなかった。
「こんばんは、師団長さん」
私がそう挨拶をすると、師団長さんも優しい笑顔で
「えぇ、こんばんは」
と挨拶を返してくれる。
「どうしたんですか?そんなかっこうで」
私が聞いてみたら、師団長さんはなんだか恥ずかしそうな表情を見せて
「いえ…これでも元は近衛師団の師団長ですからね。夜間警備は、クセのようなものなのですよ。
竜族将殿の様子も気がかりですし…ゆっくりと眠ってはいられないのです」
と教えてくれた。
確かに大尉さんが近衛師団の師団長だったって言っていたから、私もそう呼んでいるんだっていうのを思い出した。どうやら、まだ頭が寝ぼけていたらしい。
「寝なくても大丈夫なんですか?」
「えぇ、腹心の部下数名と交代で警備をしておりますから、ご心配は無用です」
それを聞いて私はホッと安心した。夜は警備で、昼間は会議じゃ、いくら魔法が使えても力があっても、体を壊しちゃうからね。
そんな私の思いを感じ取ってくれたのか、師団長さんは
「お気遣い、痛み入ります」
なんて、丁寧にお礼を言った。そんなことをされると、かえって私が恥ずかしくなってしまう。
「魔導協会、って言う人間界の人達がここに攻撃を仕掛けてくるかも知れないってお姉さんが言っていたので、
見張りをしてくれるのは、きっとみんなも安心してくれると思います」
私はそう言ってもう一度師団長さんの方にそうしてくれることが嬉しいんだ、と思いを込めて伝えた。
でも、そんな私の言葉を聞いた師団長さんは微かに眉間にシワを寄せて私に言った。
「魔導協会、ですか…。魔王様のお話も拝聴いたしました。どうにも厄介な連中であるそうですね…」
「はい。一つしかない勇者の紋章に模様も力もそっくりな魔法陣を操ったり、その親玉の人がサキュバス一族と同じ…
えっと、か、神代の民だったりで、お姉さん達もかなり警戒しています」
私が言うなり、師団長さんは腕組みをしてうーん、と唸る。それについでハッと顔を上げて私に聞いた。
「魔導協会の目的は、魔族を滅亡させることなのでしょうか?」
「それは…分かりません。でもお姉さん達は、ここへ連れて来た竜娘ちゃんと、お姉さんが二つ持っている紋章が狙いなんじゃないか、って、そう言っています」
「やはり、それを手に入れたあと魔導協会が何をするつもりかは、まだ分からないということですね…」
「はい」
「いずれにせよ、魔族にとってありがたいことを成すような意志はないでしょうね…」
「残念ですけど、そう思います」
私は師団長さんの言葉に頷いた。師団長さんも難しい顔をして俯いていたけど、すぐにハッと顔を上げて私に言った。
「申し訳ございません、こんな時間に引き止めてしまって。何かご用事があるところだったのでは?」
「あ、はい。お手洗いに行ってきたんです」
私が答えると、師団長さんはまたホッと柔らかく笑った。
「お済ましになる前でなくて良かったです」
「私も、せっかく警備してもらってるところをお邪魔しちゃってごめんなさい」
「あぁ、いえ、良いんです。今夜は下弦の月が綺麗で、警備のついでに窓からそれを眺めていたのですよ。
この上階から東塔へ上がった窓から見る月が格別なのです」
ふと、私はその言葉に気が付いた。
そうだ、師団長さんは先代の魔王様の頃にこのお城の警備をしていたはずなんだ。
お城の構造にも詳しいはずだし、それこそ私やお姉さんなんかよりもいろいろ知っているんだろう。
この二つ上の階から登っていける東側にそびえる塔については知っていたけれど、魔王城に来てすぐにサキュバスさんに案内されて一度行ったことがあるくらいだ。
それも昼間で、月なんかは見えていなかった。
同時に私はこのお城全体に行き渡った優しい雰囲気のことを思い出していた。寝室の月と星を眺める窓。廊下のやさしい照明。
芝生の生え揃った中庭に、先代様が植えたと言う花畑。このお城にはあらゆるところに自然を楽しむ工夫がなされている。
先代様がそう言うのを好きだったのだろうけど、でもそれ以前からこの魔王城はきっとそう言う人達が作り、住んできたように思えてならなかった。
そもそもサキュバスさんの話では、少なくともこのお城が作られたのはサキュバスさんが生まれる前。先代の魔王様が生まれたのもお城が出来てからなんだと思う。
そう考えると、どうして気持ちが穏やかになる。
ここにはこれまでもずっと、そういう心の優しいところのある人が代々住んできたんだってそう思えたから。
そして私は気が付けば師団長さんにお願いしていた。
「あの、良かったらそこに案内してもらえませんか?私も見たいです、きれいな月夜」
すると、師団長さんは何だ少し嬉しそうな表情で笑い
「えぇ、もちろんです。あ、でも、人間様に夜更かしをさせてしまいますと魔王様に叱られてしまいますから、ほんの少しの間だけですよ?」
と確認の言葉を私に投げかけてきた。うん、少しの間でもいい私は、自然を愛し、平和を望んだ人が見た景色を見たい、と、そう思った。
「はい、少しだけでも良いんです」
「分かりました。本当に少しだけですよ」
師団長さんが念を押しながらそう言ってくれたので、私は素直に頷いて二人で階段を上がり一つ上の階の廊下を少し歩いた先にある螺旋階段を登る。
その先が東塔だ。
塔の上には大きく開けた窓のある物見用の小部屋があって、そこからはお城の東側を一望出来る。
それこそ、城壁の向こうまでだ。
階段を上がりきった先の戸を、師団長が開ける。すると、そこにあった部屋は、一面青い冷たい光に照らし出されていた。
「わぁ…」
私は思わずそう声をあげてしまう。
でも、そんな色をしていたのは部屋の中だけではなかった。
師団長さんに促されて部屋に入ると、そこに広がる大きな窓の外もまた、煌々と色付いた下弦の月に照らし出されて、
遠くも山も、中庭の芝生も、城壁の外の荒野も、青白く輝いているようだった。
それに、空には満点の星。師団長さんが少しだけ窓を開けると、その僅かな隙間から冷たく澄んだ空気が入り込んでくる。
不意に師団長さんは私を抱き上げて、窓際にあったテーブルの上に腰掛けさせた。
外の景色がより一層よく見えて、そのあまりの美しさに私は息を飲んでしまった。
ギシっと音をさせ、師団長さんがテーブルに寄りかかって窓の外に視線を投げている。
師団長さんの顔も月明かりに照らされて、白いきれいな肌がもっときれいに引き立つようだった。
その姿はまるで一枚の絵のようだったけど、私はそんな師団長の横顔に何か悲しい色が浮かんでいることに気が付いた。
涙を流しているわけでもないのに、どこかとても悲しそうに見える。
「師団長さん…どうしたんですか?」
私は、思わずそう聞いていた。すると師団長はハッとしてから私にクスリと笑いかけて、それからまた視線を外に投げて、呟くように言った。
「あの日、私はここにいたのです」
「あの日…?」
「はい。魔界に侵攻してきた人間軍が、この魔王城に到達した日のことです」
師団長さんの言葉を聞いて今度は私がハッとした。
近衛師団としてお城の警備をしていたのなら…師団長さんは、お姉さん達人間軍と直接戦い、そして守るべき魔王様を討たれてしまったことになる。
「ひどい戦闘でした。門を出て迎撃に出た部隊は半壊。籠城戦に出るも、勇者一行によって東門も突破され、突入してきた人間軍に対し城内で混戦となりました。
私は先代様のご指示で、城に残る非戦闘員の保護をしている最中でした。先代様には姫さまの他、我が隊の精鋭二名が警護として残りましたが、
勇者一行相手には幾ばくの時間稼ぎにもならなかったのでしょう」
師団長さんの目が、光っている。涙が今にも零れ落ちそうに、瞳の中で揺れていた。
「程なくして、先代様が玉座としていた部屋のバルコニーに、勇者一行の御旗が掲げられました。先代様が討たれた…その合図です。
それを見て、戦闘の続行は不可能と判断した私は部下と非戦闘員を連れて、北門より脱出をして西へ向かったのです」
そして、師団長さんはニコっ笑って涙を零した。
「私達は皆、先代様を愛しておりました。敬愛しておりました。常に民の安寧を願い、我らのことを慮り、自然を愛で、優しいお顔で微笑まれるあの方を…」
ギュッと胸が苦しくなった。だって…だって、そんな先代様の命を絶ったのは、他ならないお姉さんだからだ。
普通なら、他の魔族や人間達と同じように、あの意志を塗りつぶし染め上げるような激しい怒りに囚われたっておかしくない。
でも、師団長の顔や言葉からはそんな気持ちはこれっぽっちも伝わっては来なかった。師団長はただただ、先代様の死を悲しんでいる…私にはそう思えた。
「…申し訳ありません。突然こんな話をしてしまって…」
「いえ、良いんです…私で良ければもっと話してくれて大丈夫ですよ」
急に苦笑いを浮かべて言った師団長さんに私がそう返すと、師団長さんはまた、クスっと笑って言った。
「魔王様…いえ、城主様が仰るように本当に不思議な方ですね、人間様は。
幼いながら、頼ってしまいたくなるような、すがってしまいたくなるような、そんな雰囲気をお持ちでいらっしゃいます」
師団長さんの言葉になんだか照れくさくなってしまったけど、それでも私は
「本当に聞くだけですけどね…でも、そう言って貰えると役に立てているんだと思えて嬉しいです…でも…」
と答えていた。本音も半分、もう半分は少しだけ気がかりなことがあったからだった。
「…でも、師団長さん。どうして、先代様を殺したお姉さんに味方してくれるんですか…?」
そう。私はそのことが心配だった。
師団長さんや、他の魔族の人達が“愛していた”、なんて言うくらいに好かれていた先代様を奪い取ったうえに、
魔族の新しい王様としてこのお城に住んでいるお姉さんを、良しと思うほうが難しい。
でも、やっぱり師団長さんの顔や言葉からは、怒りや憎しみはどれほども伝わっては来ない。
正直に言って、私にはそれが不思議で仕方なかった。
私のそんな言葉に、師団長さんはまた、窓の外に視線を投げた。
考えているでも、誤魔化そうとしているでもない。ただ、窓の外に広がる景色を味わうような表情を見せてから、静かに言った。
「あの方を選ばれたのが先代様だった、という事もあります。
ですが今は、直接お会いしてお話をさせて頂いて、先代様がなぜあの方に魔族の未来を託されたのかが理解できた気がしています。
あの方は、先代様と同じように…いいえ…おそらく、人間であり、勇者であるが故に、先代様以上に私達魔族に対する強い想いをお持ちだと確信しています。
その想いを知れたからこそ、私一個人としては、あの方は土の民の王に相応しい人物であり、先代様と同じく敬愛しうる方であると感じています…
一族としての習わしや、他の魔族の想いが必ずしも同じとは申し上げられませんが…」
私は、師団長さんの言葉を聞いて、胸の中がポッと暖かくなるのを感じた。
他の魔族さんたちがお姉さんに心を許せないという言葉に落ち込むよりも、私には、目の前の師団長さんが私達のようにお姉さんを好きで、
お姉さんが先代様の意志を継いで魔族や世界のために、戦争とは違う平和の道を歩こうとしていることを認めてくれることが嬉しかった。
いきなりたくさんなんて難しいのかもしれない。でも、昼間に一緒の井戸を掘った隊長さん達や魔族の人達もそうだったように、
こうして少しつづお姉さんの、ううん、私達の気持ちに賛成してくれる人達がに増えてくれれば、人間と魔族の憎しみも、少しつづ薄れていくんじゃないかって、
そう感じる。
そうだといいな…
「ありがとうございます、師団長さん」
私は、そんな嬉しい気持ちが溢れ出て、いつの間にかそんなお礼を師団長さんに伝えていた。
師団長さんはそれを聞くと、少しだけはにかんだ笑顔を見せてくれてから、また、窓の外に視線を投げる。
でも、やっぱり、その表情はどこか悲しげで、胸がキュッと苦しくなる。
師団長さんにとって…もしかしたら、魔族の人達にとって、先代の魔王様は、家族程に大切な人だったのかもしれない、って、そう感じた。
愛していた、なんて言葉は初めてだったけど、黒豹の隊長さんも、もちろんサキュバスさんの、お姉さんのことを理解するときには先代様の話をしていた。
それほどの人だったんだろう、先代の魔王様は。
皆に愛されて、きっとみんなを、自然を愛していた、優しい人だったんだろう。
私は、もうずいぶん昔のように思えていたけど、死んでしまった父さんと母さんのことを思い出していた。
もしかしたら、魔族の人達にとって、先代様を失ったってことは、私が父さんと母さんを亡くしたのと同じような悲しみなのかもしれない。
そう思ったら、余計に胸が苦しくなる。
私は涙をこぼしそうになりながら、師団長さんの悲しみや辛い気持ちが少しでも早くに薄れて和らぐようにと願いながら、窓の外の青白い景色を眺めた。
そんな窓の外に広がる満点の星空に、涙の代わりにヒュルリと一筋、星が零れた。
つづく。
眠気に勝てず…本当はもう1シーン行きたかったんですが、すみませぬ。
乙!
SSWiki に貼ってきた
http://ss.vip2ch.com/jmp/1412516404
>>504
乙
>>504
wiki出来てるーーー!
超感謝です!!
キャノピのキャラ設定画及び続きできました!
キャラ設定画(byキャノピ)
初期の設定画とタッチが違うというのは禁句!ww
では続きです!
「ふぅ、よし。いい具合だ」
「この隙間が気になるな。なぁ、さっきの小さいのどうしたっけ?」
「これのことです?」
「おぉ、それそれ!それ、ここの隙間に入れちゃおうぜ」
「切り役代わろうか?」
「いや、まだ行ける。あと何枚必要なんだっけ?」
「えっと、三枚ですね、女戦士さん」
「うし、じゃぁ、もう少しだ!片付けちまうぞ!」
翌日、私達は朝から井戸の現場に出張って来ていた。
西の門に集合して虎の小隊長さんと鳥の剣士さん、それに十七号くんがゴーレムを引き連れて樽と荷車を使い井戸から水を汲んで運ぶ役を引き受けてくれたので、
私に妖精さん、十六号さんに、隊長さんと女剣士さん、女戦士さんと鬼の戦士さんで井戸堀りの続きと庵作りの続きに取り掛かっていた。
集まったとき、隊長さんが、水を撒くのには人手がいるだろうから、必要ならもっと呼び集められるぞ、と言ってくれたけど、私はそれを断った。
それについては、私にも計画があった。
井戸の現場に着いた今は、女剣士さんと女戦士さんが昨日切り出して来た丸太を木材にするために一生懸命に鋸で切り分けてくれている。
その間に、私達は昨日ゴーレム達が掘った五歩四方の腰までの深さの穴に石を敷き詰めていた。
こうして石を敷いておけば、井戸になる穴を掘っても周りの土が崩れてくることもない。
畑のために使う水だから井戸の底に土が入っても構わないのだけれど、修理や何かをするときには、青銅の管をそのまま土に埋めてしまうよりはずっと良い。
「こんなもんか」
太陽が真上に差し掛かる少し前に、隊長さんがそうため息とともに口を開いた。
私の腰ほどの深さだった穴に石を敷き詰め終わり、その真ん中ほどには、井戸を掘るための空間がぽっかりと口を開けている。
あとは、その穴に拳よりも少し太い青銅管を差し込んで、さらにその中に棒の先に羽のついた井戸堀り用の槍を差し込んでグルグルと回していく。
ある程度掘れたら槍を抜いて、羽の中に溜まった土を外に捨てる。
深くなったら太い青銅管をさらに深く打ち込んで、どんどん継ぎ足していく。
槍の柄の長さも足りなくなったら、予備の柄を継ぎ足して金具で止めて長くする。
槍の柄は長くなればなるほど力が必要になってくるから、そんなときこそ戦士さん達に頼る場面が増えてくるだろう。
人数も少ないわけじゃないし、サキュバスさんはこの辺りは地下水は豊富だって言っていたから
交代で休みながら掘って行って、今日だけでも泥水くらいは出るようになるといいな…
そんなにうまくはいかない、か。
「じゃぁ、一番手は私が受け持つよ」
鬼の戦士さんがそう言って、井戸掘りの槍を持って青銅管に突き立てた。
「お!さすが突撃部隊!」
木を切りながら女戦士さんがそんなことを言って冷やかす。
鬼の戦士さんはそれをなんだか嬉しそうに聞きながら、槍の柄のお尻にあった取っ手を両手でグルグルと回し始めた。
女戦士さんの様に筋肉質とは言えない腕だけど、その手際はとても力強い。ふと、ほんのりと鬼戦士さんの腕に光がまとわれていることに、私は気がついていた。
物を動かすのは風魔法が一番のはず。きっとその力を使っているんだろう。
私は、妖精さんと十六号さんと一緒に、その様子を見ながら残った石を一箇所にまとめ直す。
地下水脈まで届けば、青銅管や汲上機を固定するためにまた必要になるから、これも大事な資材のうち、だ。
「それにしても、今日は暑いな…」
石を運びながら、不意に十六号さんがそんなことを口にした。
確かに、今日は魔界にやってきてから一番の暑さかもしれない。
太陽の日差しがジリジリと肌を焼くような暑さではなく、風が湿っぽくて、ムッとするような暑さだ。
「昨日とは風が違うです。北の方から暖かい湿った空気がこの辺りに吹き込んでるですよ」
妖精さんが額の汗を拭いながらそう教えてくれる。
そういえば、人間界でも夏が近づいてくると、北の方ではベトベトするような暑さが続くんだ、って話を聞いたことがある。
確か、そんな気候でも育つような麦を育てている畑を作るんだ、と父さんが言っていた。
私の住んでいた村は南の山合いにあったから、それほど気温が上がることはなかったけれど。
人間界と魔界とは遠く離れていても、季節が違うなんてことがあるはずはないし、人間界の暦ではもうすぐ夏の始まりの時期に差し掛かる。
ここは大陸の中程にあるし人間界と同じで夏の北からの風が続くようなら、北の方までとは行かなくても、それなりに気温や湿度があがるのかもしれない。
ここに植えた、お芋、暑さに強い種類だったっけな…それは分からないけど…でも、土の中に出来る作物は、温度よりも湿度に敏感だ。
土の中にあまり湿気が多いと、種芋が腐ってしまったりする。
今は土はカラカラに乾いているしここ何日も雨が降っていないから、少し水はやった方がいいと思う。
でも、あげすぎてもいけないし、この湿度の日が続くのならそれこそ朝露が落ちるから水遣りのことはそれほど木を使わなくても平気だ。
だけど、そうなってくれる保証はない。ともすると、あの砂漠の街の様な気候の夏になるかもしれない。サキュバスさんは、そんなことは言っていなかったけど…
とにかく、気候が分からない場所で畑をやるのって難しい。
特に私は、父さん母さんから聞いている方法でしか作れないから、もしものときにどれだけ対応できるか心配だ。
お城の書庫に、畑に関する本はあったかな…?もしあったら、私も少しつづ勉強をしておかなきゃいけないかもしれない。
畑が失敗したら、困るのは私だけじゃない。魔王城に常駐することになる魔族の軍人さん達が一番にお腹を空かせてしまいかねないんだ。
「これは、畑だけじゃなくってアタシ達にも水が必要だね」
十六号さんがおおきな石をゴトリとおいて、ため息をつきながら言った。
確かにそのとおりかもしれないな。
お水が来たら、その分を少し別にしておいた方がいい。
お城を出るときに準備をした水筒のお水だけじゃ、少し心配だからね。
「うん、そうだね」
私も、運んでいた石を置いてそう答えた。
「日よけでも作っておくかな。この湿度じゃぁ、たかが知れてるだろうが、それでも日陰を作っておけば多少は休める」
隊長さんがそう言って、資材に掛けてあった布をはがし、槍の予備の柄を何本か手にして、簡易のテントを作り始めた。
そうして、それぞれの作業をしているうちに、鳥の剣士さんに虎の小隊長、そして十七号くんが荷車に樽をたくさん乗せて戻ってきた。
「とりあえず第一便だ」
ふぅ、とため息をつきつつ。虎の小隊長さんが私にそう言ってくれる。
「足りなければ、また行って追加してくるよ」
鳥の剣士さんもそう頷いた。
「ありがとうございます」
私はお礼を言って、ペコっと頭を下げた。
湿度のこともあるけど、とにかく水を撒こう。
一樽だけは飲んだりするために取っておくことにして、他の五つ分をみんなで畑に撒いて、それで土の具合を確かめてから追加するかどうかを考えた方がいいだろう。
「これを全部畑にぶちまけりゃいいんだろ?」
十七号くんが袖をまくってそんなことを言う。
「あ、待って。一樽だけ残して、それは飲んだり体を冷やしたりするために使いたいから、別にしておいて欲しいんだ」
私が言うと、十七号くんはあぁ、と声を上げて
「なるほど、なんか今日は暑いもんな」
と納得した様子で頷いてくれた。
これだけの畑に水を撒くのは、人間の私達にはちょっとした苦労がいる。
そう、人間の私達には、だ。
でも、私は魔族の魔法のことは少しだけ理解している。
空気の中の水を集めることは難しくても、今目の前にある水を操ることは、そう難しいことじゃない。
それこそ、コップ一杯に入った水に、私でもなんとか渦巻きを作れるくらいだ。
妖精さん達魔族にかかれば、きっとそれほどの労力はいらないはず。それが私の計画、だ。
そう思って、私は妖精さんを見やった。
妖精さんも、私と同じことを考えてくれていたようだった。私と目があった妖精さんはニコリ、と微笑んで
「がんばるよ!」
と、まだ私が何も言っていないのにそう答えてくれて、荷車に乗った樽の蓋を開けると、その腕に魔翌力の光をともした。
「おぉ…?おぉぉぉ!」
十七号くんがそう声をあげ、樽の中から浮かび上がる水の玉を見上げている。
「なるほど、そうか。その使い方なら、魔族の魔法でも十分にやれる、ってワケだ」
隊長さんもそんなことを言って、またあの口元を撫でる仕草をしてみせた。
「やっぱさ、魔族の魔法って便利だよなぁ。アタシ、教えてもらうことにするよ」
十六号さんも感心しきりだ。
「水撒きは任せた方が良さそうだね。ほら、私と女戦士とで穴掘りは代わるよ。あんたはあっちを手伝ってやって」
「うん、そうみたい。じゃぁ、任せるね」
女剣士さんがそう言って、鬼の戦士さんと穴掘りの役を交代する。
「おい、隊長!テント張りが終わったんならこっち手伝ってくれよ!」」
「あぁん?ったく、仕方のねえやつだな」
女剣士さんが木を切る役割りを抜けてしまったので、女戦士さんが隊長さんにそう声をかけると、隊長さんは面倒そうな返事をしながらもすぐに木材作りに加わった。
「そういうことなら俺たちにも任せてもらえるな」
「ですね。俺は向こうの畑を担当しますよ、小隊長」
虎の小隊長さんと鳥の剣士さんがそう言い合って、それぞれ樽の蓋を開けて、水の玉を浮かび上がらせる。
「よぉし、アタシらも負けてらんないぞ!十七号、あんたが樽を担いで、アタシが水を撒く!」
「よしきた、任せとけ!行くぞ、十六号姉!」
十六号さんと十七号くんがそう言うが早いか、荷車から樽を下ろしてそれを十七号くんが私とさほども変わらない体で担ぎ上げ、十六号さんと向こうの畑へと走っていく。
そんな光景を見ながら、クスクスと鬼の戦士さんが笑い声を上げ
「元気だね、あの子達は。さて、私も…っと」
と言うが早いか、他の三人と同じように腕に光を纏わせて樽の中から水の玉を浮かび上がらせた。
宙に浮いた水の玉は畑の上まで飛んでいって、まるで雨を降らせるように辺りに水を撒き散らして行く。
畑に降りかかる霧のような水飛沫に太陽の光が反射して、あちこちに小さな虹が浮かび上がった。
それを、綺麗だな、なんてのんきなことを思っている私に、声が掛かる。
「あー、幼女ちゃん!こっちどうしたらいい?一度土を上げた方が良いよね?」
女剣士さんの方を見ると、人の背丈ほどもあった槍が、もう地面に半分ほど埋まってしまっている。
さすが、人間の魔法で体の力を強化している兵隊さんたちは、並じゃない。
「はい、槍をそっと引っこ抜いて、中に溜まった土を外に出してください!」
私はそう言いながら女剣士さんのところに駆け寄って一緒になって穴から槍を引き上げる。
そこからは、土袋にしたら私が一抱えしても足りないんじゃないか、っていうくらいの土がせり上がってきた。
私はそれを木の皮で編んだ籠に受け取って、緯度から離れたところに持って行って捨てる。
女剣士さんはまた槍を青銅管の中につきこんで、グルグルと回しはじめた。
それを横目に、私は掘り出された土の状態を手で触ってみる。
少し湿っていて手触りはベトベトとする。昨日ここをほっていたときにも思ったけど、すこし粘土が多い気がする。
水はけはそれほど悪くはなさそうだけど、特別良いってわけでもないようだ。
そうなると、やっぱり水のあげすぎはお芋には良くないな…あの樽の水をまんべんなくまいたら、それで良い、って事にしておいたほうが良いかもしれない。
私は、そんなことを考えていた。
それから私達はそれぞれの作業へと移った。
木を切り終えた女戦士さんが井戸掘りのところへとやってきて、私は戦士さん達が掘った土を、石で固めた窪みから運び出す。
何度も何度もカゴに土を入れては窪みの外でもっていって、適当なところに山を作る。
ふと見ると、すぐわきでテントを建て終えた隊長さんが切り終えた木材に小さなノミで何かを掘り始めた。
「隊長さん、それ、何してるの?」
私が聞くと隊長さんは、あぁ、なんて言いながら
「組み木だ。見たことないか?」
と、鉤状に曲がった小さな木の枝を手渡してくれた。よく見るとそれは、二つの別の木の枝がぴったりとまるではめ込まれたようにくっついている。
「これ、初めて見ます」
「そうか。こうして木を彫って、互いに組み合わせるんだ。そこに楔っていう木の破片を打ち込む。こいつなら強度も上がるし、釘の類も少なくて済む」
隊長さんはそう言いながら、また木を彫る作業に戻る。
庵の設計図を引いたり、こんな珍しい木を使う方法を知っているだなんて、隊長さんは大工さんか何かをやっていた経験があったんだろうか?
私は、額に汗を光らせながら器用にノミを使って木を彫り進めている隊長さんの横顔を見やって、そんなことを思った。
「おーい、次頼む!」
ふと、女戦士さんが私を呼ぶ声が聞こえた。見れば、運んだばかりのはずなのに、もう山いっぱいの土が井戸の傍に敷いた藁敷の上にたまっている。
「あ、はい、行きます!」
私はあわててカゴを抱え、二人のもとに走っていく。小さなシャベルで土をカゴに移して、窪地の外へと運んで戻った。
「おらぁ、ちゃっちゃと掘れよぉ」
「馬鹿ね、力任せにやればいいってわけじゃないんだから、外野は黙ってなさいよ。ほら、土取って」
「ん、へいへい。でも、そんな難しいもんか?もっとこう、ガシガシ行けんだろ?」
「やってないからそんなこと言えるんでしょ。代わってみる?」
「おぉ、やらせろやらせろ!」
女剣士さんと女戦士さんがそんなことを話して、堀り役と土除け役とを交替する。
堀り機を手にして、得意そうな表情で力を込めた。
その途端、ガリ、っと鈍い音がする。
「んん?」
女戦士さんがそう声を漏らした。
今の音…たぶん、堀り機の先が土を噛んじゃった音だ。
こうなると、普通の人なら掘り進めるのは少し難しい。
「なによ?」
「いや、これ、急に固くなって…」
「ほら、だから言ったでしょ?一旦逆に回して、逆」
「えぇ?こっちか?」
女剣士さんに言われた女戦士さんが堀り機を逆に回すと、メキメキ、っと音がして堀り機が動いた。
「あぁ、動く動く」
「押しすぎると今みたいになっちゃうんだからね。力任せじゃない、って言ったでしょ?」
「これは確かに難しいな…こういう微妙な力加減は苦手だよ」
女戦士さんは堀り機を回しながら、私を見やっておかしそうに肩をすくめた。その表情がなんだか妙におどけていて、私も思わず笑ってしまう。
そんな風におしゃべりをしながら、私たちは着々と作業を進めた。
女剣士さんと女戦士さんは何度も交互に役回りを交替しながら、何度も何度も堀り機を回しつづけ、そこからでる土を受け取った私も、何度も何度も窪みの外へと土を運んでは戻った。
そうこうしているうちに、
「よーし、こんなもんだろ!」
となんて言いながらため息を吐きつつ、十七号くんが戻って来た。その後ろから着いてきている十六号さんに鳥の剣士さんや、鬼の戦士さんに虎の小隊長さんも額の汗を拭っている。
畑にはなんとか水を撒き終えたみたいだ。
「お疲れ様です!お水、どれくらい余りました?」
「樽一つと半分だな」
と、鳥の剣士さんが教えてくれる。
良かった、これなら、日が高くなってくるこれからの時間でも安心だ。
「これ、気持ちいいですよ!」
いつの間にか荷車の樽のところにいた妖精さんが水に濡らした手拭いを虎の小隊長さん達に手渡す。
ふぃー、なんて虎の小隊長さんが息を吐きながら、顔や首を拭き始めた。
「そっちはどうです?」
同じように手拭いで首周りを冷やしながら、鳥の剣士さんが井戸を掘っている女戦士さんに聞く。
「うーん、と、今三本目かな。二十歩分くらいは掘れてると思うよ」
「なんか土の感じが変わったね。赤っぽくなった」
鳥の剣士さんに答えた女戦士さんの横で、女剣士さんが掘り出した土をザルに盛っている。
土が変わった、か…。硬い地層がないと良いんだけど…
「女戦士さん、土が硬くなったりしてないかな?」
私が聞くと、鬼の戦士さんは、うん?って首を傾げてからグルグルと掘り機を回し
「大丈夫だと思うよ、今のトコ」
と教えてくれた。とりあえず、良かったかな。でも、いずれは石の多い地層が出てくると思う。そこをどうやって掘り進むかが、大事になってくるかな。
そこの達した、無理はしないで今日はやめておく方がいいかもしれない。無理に進めようとして掘り機がダメになったら、新しく都合するのに時間が掛かっちゃう。
「隊長さん、それは何してんの?」
手拭いを首に掛けた十七号くんが十六号さんと一緒になって、隊長さんの作業を見て言う。
「ん?組み木ってんだ。釘やなんかは十分にないみてえだからな。こうして木を凸凹に切って組み合わせんのさ」
そう言った隊長さんは、切り揃えた木材にどこから持ってきたのか炭で印を書いて、その部分を手分けして切ったり削ったりしている。
さっき見せてくれた小さな見本のように窪んでいるところに出っ張りをはめ込んで、楔というのを打ち込む準備なんだというのが分かった。
「ふーん、なんかおもしろそうだな。俺にもやらせてくれよ」
「あん?いいから少し休んでろよ」
「えぇ?これくらい、なんてことないぜ?」
隊長さんにそう言われて、十七号くんはそんな風に返事をしながらも、手は出さずにそばに座ってその作業をしげしげと眺めている。
「俺たちはどっちを手伝えばいい?」
十七号くんから遅れて戻ってきた虎の小隊長が隊長さんにそう聞く。すると隊長さんははたと青空を見上げて言った。
「こっちを頼む、と言いたいところだが、ぼちぼち頃合いだろう。鳥族の若いの、俺と変わってくれや」
と言って手に持っていたノミを鳥の剣士さんに手渡した。
どういうことなんだろう、と思ったのは私だけじゃないみたいで、十六号さんに妖精さん、十七号くんに虎の小隊長さんに鳥の剣士さんも不思議そうに隊長さんを見やる。
そんな視線を感じたのか、隊長さんはヘラっと笑って言った。
「俺達はタダ飯は喰らわねえからな。その代わり、働いた分はしっかり食わせてもらわにゃ、暴動になる」
「なるほど」
隊長の言葉に、虎の小隊長さんが笑って答えた。
確かに、朝から働きっぱなしでそろそろお腹も空いてくる時間だ。空を見上げたのは、太陽の位置を確かめたんだろう。
「昼飯か?!」
十七号くんがそう言って跳びはねる。そんな様子に、私は思わず笑ってしまった。
「あぁ。うちの奴らに準備させてある。坊主も一緒に取りに行くか?」
「おう、行く行く!」
隊長さんの言葉に、十七号くんは嬉しそうに答えた。
「飯の仕度なら俺が行きますよ、小隊長」
そんなやり取りを聞いていた鳥の剣士さんが名乗り出る。でも、虎の小隊長は隊長さんをちらりと見やってからニヤリと笑い
「いや、俺が行こう。こいつは高度に政治的な配慮だ」
とうそぶくように言った。
「政治的…?」
「だははは!そんな大仰な言い方は止してくれ。俺はただ、一人であの南門を通る勇気がねえだけさ」
鳥の剣士さんの疑問に笑ってそう答えた隊長さんの言葉を聞いてようやく意味が分かった。
隊長さん、わざわざ南門を通って私達の食事を運ぶつもりなんだ。それも、虎の小隊長さんを連れて、だ。
一緒にお昼ご飯を食べるんだ、っていうのを魔族の人達に見せつけるつもりなんだろう。でも、隊長さんと鳥の剣士さんじゃぁ、残念だけど少し責任に差がありすぎる。
でも、虎の小隊長さんだったら同じ部隊長同士だ。
隊長さんと鳥の剣士さんだと、上下が分かれてしまって、もしかしたら魔族が人間に従っているように見えるかもしれない。
虎の小隊長さんだったら、確かにその心配はないよね。無駄な誤解を生まずに、魔族軍の中に波風を立てられる。
隊長さんってば、横柄で大雑把なのに、こういうところにはすごく気を回せるんだな、なんて、私はそんな、ちょっと失礼なことを考えてしまっていた。
「…な、なんか分からないですけど…何か意味があるんなら残ってます」
鳥の剣士さんは首を傾げながらそう言って肩を落とした。そんな姿に、私は少し可哀想な気がしたけど、でも、虎の小隊長さんはそんな剣士さんの肩を叩いて
「俺は細かい作業は苦手だ。任せるぞ」
なんて言って作業に戻らせた。
「おーい、幼女ちゃん!そろそろこっちの山、運んでくれよ!」
不意に女戦士さんがそう声を掛けてきた。いけない、またおしゃべりに夢中でお仕事忘れてた!
そう思って井戸の方を見やったら、女戦士さんのそばの敷かれた藁敷の上にこんもりと大きな土の山が出来上がっていた。
「は、はい、すぐに行きます!」
私は女戦士さんにそう返事をしてから、隊長さんと虎の小隊長さんに十七号くんを振り返って伝えた。
「えっと、それじゃぁ、お昼ご飯、よろしいお願いします」
すると、虎の小隊長さんがニコッと優しく笑って私に言ってくれた。
「お任せあれ、指揮官殿」
「お、うまいなぁ、この燻製肉!」
「え、どれどれ…あ、ホント!これは、ヤマイノシシの燻製かな」
「ヤマイノシシって、もしかしてあのクマみたいにでかいやつのこと?」
「そう、そいつだ。俺たち猛虎族には、一人前になるために、そいつを一人で狩るって掟があるんだ」
「そいつは骨が折れそうな話だな。魔法は使っていいのか?」
「あぁ、もちろん。そのために、魔法をより研鑽しておかなくてはならないんだ」
「その掟ってホントだったんすね。俺たち鳥翼族は飛び方の練習かなぁ」
「あ、なぁ、妖精ちゃん!今日帰ったら魔族の魔法教えてくれよ!」
「いいですよ、十六号さん。人間ちゃんと一緒に練習するですよ!」
「いいなぁ、俺も俺も!」
「それもいいけどな、チビの坊主!あんたの体術は大したもんだから、どっちかっていうと剣の稽古をしておいた方がいいぞ」
「そうだね。あんたは筋が良いから、きっと良い剣士になれるよ」
「バッカ言え、そこは戦士だろ!あの体術は剣士にするにはもったいないよ!」
「なぁ、なら俺には剣術教えてくれよ!姉ちゃん達、剣士に戦士なんだろ?!俺だって強くなんなきゃいけないんだ、親衛隊なんだからな!」
「だははは!肝の座った坊主だ!いいだろう。おう、お前ら、面倒見てやれ」
「うちの方でも構わないぞ?鳥剣士は剣術は相当な腕だし、鬼戦士も近接戦闘においては突撃部隊随一だからな」
「ん、この燻製もなかなか美味しい!なんのお肉?」
「あぁ、鶏だよ。体動かしたあとはこれに限るんだよね」
「おぉーい、隊長!なんでエール持って来てくれないんだよ!」
「バカ、お前飲ませたら役に立たなくなるじゃねえか」
「十六姉、その腸詰め、食わないんならくれよ」
「ヤだよ!最後の楽しみに取ってあるんだろ!」
「ん、鳥剣士さん、お茶のお代りあるですよー」
「あ、え、えっと、あ、ありがとうございます」
「ははは、なに赤くなってんだお前?」
それからしばらく作業を続けて、隊長さん達が抱えるほどのお昼ご飯をバケットに入れて持ってきてくれたので、一休みということになった。
畑から少し離れたクローバーの上に隊長さんが建ててくれた日除けのテントの下に藁敷を敷いて、広げたお昼ご飯をみんなで囲む。
サンドイッチに果物にスモークされた鶏肉にお野菜、腸詰めのウィンナーに、香草を塩っぱくしたお漬物もあるし、中樽には冷たく冷えたお茶もある。
そのほかにも、虎の小隊長さんが南の魔族軍の陣からもらってきてくれたという、魔界産の見たことのない果物や、分厚いハムのようなお肉もあった。
お城でのお昼ご飯はもう少し穏やかでゆったりしているんだけど、軍人さん達にかかればお酒がなくても賑やかになってしまう。
「あ、これも美味しい!」
「そんなのよく食えるな?アタシはそれダメなんだよなぁ」
「なんだよ戦士の姉ちゃん、これ食べれないの?」
「だって塩っぱい過ぎるだろ?」
「あんたは舌が子どもなんだよ」
「なんだとぉ?!」
「ん、剣士の姉ちゃん、俺、子どもだけどこれ好きだぞ?」
「あはは、だってさ。ならあんたは子ども以下だな」
「な、なんだよ、アタシだって食おうと思えば…んぐぅ、塩っぱ!」
「あの、その、えっと…は、羽妖精さんは、故郷は、どこなんですか…?」
「私は南の森ですよー!城塞から半日西へ行った方にあるです!」
「石組みってのは、小石が大事なんだよ。隙間に入れて強度をあげるんだ」
「ははぁん、そうか…楔と同じ発想だな。レンガを焼くよりも手っ取り早いな。さっき言ってた切り出しってのはどうなんだ?」
「そっちは手間が掛かるな。魔法なしには難しい」
改めて外から眺めていると、とっても不思議だ。魔族と人間が、なんの隔たりもなく、なんの気遣いもなく一緒にご飯を食べて、笑い合っている。
十六号さんと十七号くんは、元々そんなに人間だの魔族だのって気にしてはいなかったけど、隊長さん達が同じように気にしないって言うのは、やっぱりなんだか…不思議だ。
そんなに簡単に怒りって言うのは消してしまえるものなんだろうか?
それとも、南の城塞に駐留していた司令官さんのように、お仕事として軍人さんをやっている人達は、戦いとかそう言うことをもっと割り切って考えられるんだろうか?
でも、東の城塞に詰めかけていた人間軍は、みんな私達を目掛けて攻撃をしてきた。
もちろんそれは命令があったからだけど…
でも、じゃぁ、隊長さん達は今ここで戦えって命令されたらお互いに斬り合うのか、と聞かれたら、そんなことは絶対に起こらないんじゃないか、ってそう思う。
どう違うのかは分からないけど、とにかくそんな気がした。
「なんだ、指揮官殿。そんなに見つめて」
不意に、隊長さんが私に声を掛けてきた。ハッとして思わず意味もなしに苦笑いを浮かべてしまう。
「あ、いえ、別に…」
「うるさかったら言ってくれよ。兵隊なんてバカの集まりだからな、言わないと分からねえぞ」
「いえ、そういう訳じゃないんです」
私はそう答えて口をつぐむ。でも、そんな私を見た虎の小隊長さんが言った。
「仲良くやってるのが奇妙なのか?」
一瞬、ギクリとした。そう言われてしまうと、まるで何かを疑っているように思われているんじゃないか、って、そんな風に感じられてしまったからだ。
別に、そんなつもりはないけれど…でも、やっぱり不思議に思うのは本当だった。
「その、あの…う、疑っている訳じゃないんですけど、どうしてみんなは、お互いに怒ったりとか、してないんですか?」
私は、恐る恐る二人にそう聞いてみる。すると、隊長さんはははは、と笑い声をあげ、虎の小隊長さんは、あぁ、と何かを納得したような表情を浮かべた。
「まぁ、最初はおっかなびっくりだったがよ。何しろ俺達はあのすっとぼけ上司のお陰で今や人間界じゃぁ、立場が危うい。
だが、部下をほっぽって置くわけにもいかねえだろ?そうとなりゃ、何とかして新天地のここの暮らしに慣れていかなきゃなんねえからな」
すっとぼけ上司、って言うのは間違いなく大尉さんのことだろう。そう言えば隊長さんは昨日も言っていた。俺達は傭兵みたいなもんだ、って。
いや、だからと言って、あの焼け焦げるような怒りや憎しみを簡単に消せるんだとは思わない。きっと何か、もっと違う理由があるんだ。
すると今度は虎の小隊長さんが言った。
「ケンカは相手がいないと出来ないからな」
私は、その意味が良くわからなかった。でも、それを聞いた隊長さんは、ヘヘっと笑って
「そりゃぁ、名言だな」
なんて言っている。私は虎の小隊長さんを見つめて聞いた。
「どういうことですか?」
「うーん、そうだな…例えば、指揮官殿は、魔族か人間、どちらかがもう片方をこの大陸から消し去ったら、平和が訪れると思うかい?」
人間が魔族を滅ぼしたら…魔族が人間を滅ぼしたら…平和になる…?分からない、どうだろう…?もしかしたら、憎しみとか怒りは消えるのかも知れない。
でも、じゃぁ、果たしてそれからずっと平和でいられるんだろうか?
人間だけの世界になったとして、もう誰かが誰かを傷付けるなんてことのない世界になる…?
ううん、きっとそんなことはないだろう。
お姉さんや魔道士さん、兵長さんとあの人間軍との意見が食い違って戦いになりそうになったときのことを思い返せば、そんなのは簡単じゃないって、そう思う。
たくさんの人がいれば、それだけ考えることに差がでてくる。
それはもしかしたら、新しい憎しみや怒りの発端になるかも知れない…
私はそう思って首を横に振った。すると、虎の小隊長さんはまた笑顔になって
「やっぱり、指揮官殿は、聡明だな」
なんて言ってから、お茶をグッと飲み干して続けた。
「結局のところ、魔族と人間の違いなんてそんな物だ。
大昔から続く禍根があろうがなかろうが、二つの文化、二つの暮らしをしている者同士が触れ合えば、そりゃぁ、ケンカにもなる。
ケンカになって傷付く者が出れば、恨むやつだって当然出てくる。だが、それで相手を殺せば済むのかって言う話だ。
一時は、それで良いかも知れないが、いずれ、別の誰かとまたケンカになる。殺し合いを続ければ、自分だって傷付くこともあるだろう。
相手を殺しても、自分が致命的なケガすることだってあるかも知れない。魔族が大陸を支配ても、必ず魔族の中で争いが起こる。
それこそ、今だって城の会議室じゃぁ、言い合いが続いてるかもしれないんだ。魔族同士の争いや人間同士の争いが起きないなんて約束はされない。
そういう意味で、魔族だ、人間だと分けて考えること自体にそれほど意味はない」
虎の小隊長さんはチラっと、まだ香草のお漬物について、食べれるだの食べれないだのと盛り上がっている方を優しい微笑みで見やった。
「そう考えたら馬鹿らしいだろ。人間だから憎いだなんて思うのは。話してみれば、これだけ気のいい奴らだっている。
種族に縛られて盲目に相手対して感情を高ぶらせても疲れるだけだ。重要なのは、自分達の目で見て自分達が感じた相手の姿だろう。
魔族の中にもロクでもない輩もいる。俺はそういう奴らの方がよっぽど憎いね」
小隊長さんはそう言って、お漬物を無理して頬張りむせ返った女戦士さんと、慌ててその背を擦る鬼の戦士さんのやり取りを見て、声を上げて笑った。
小隊長さんの話はなんとなく分かる。トロールさんや妖精さん、サキュバスさん達と出会って、姿形は違っても、同じ気持ちや同じ思いを持てるんだって思えた。
辛い出来事に出くわして、一緒に辛いんだって思えた。穏やかな日は、一緒にのんびりお茶も出来た。そこには、魔族も人間もない。私と“みんな”の関係があった。
小隊長さんはきっとそのことを言いたかったんだろう。
でも、と、頭に言葉が浮かぶ。
それは私が戦争で戦っていなかったからだ。父さんや母さんが戦争で死んだわけじゃないからだ。
もし私が戦争に出ていて仲間を殺されたり、父さんや母さんが戦争で死んじゃったりしていたら、きっとそうは思えない…きっと…
「いい話だがよ、指揮官殿には少しばかり難しかったようだ」
不意に隊長さんが私を見やって言った。難しかった、というのがあっているかは分からないけど…いまいちしっくり来ないっていうのが本当だった。
相手がいなくなってしまっても平和になんてならないから、とか、そんな想いだけで、憎しみや怒りを消せるとは思えなかった。
「指揮官殿は、ケンカしたことあるか?」
そんなことを思っていた私に、隊長さんが聞いてきた。
ケンカは…そりゃぁ、村にいる頃には、同い年の子達と言い合いやときには取っ組み合いをしたことはあったけど…でも、それと戦争は違うよね…?
そんなことを思いながら私はコクンと頷く。
すると隊長さんは、思わぬことを言った。
「そいつと一緒さ」
「えっ?」
戦争とケンカが、一緒なの…?
「虎の旦那は何も例えでケンカなんて言ったわけじゃねんだ。ケンカと戦争ってのは、本質的には似たようなもんなんだよ。
ケンカしたあとは仲直りすることがあるだろう?もちろん、ケンカしてそれっきり、ってやつもいるだろうし、顔を合わすたびケンカになるようなやつもいるだろうが…
まぁ、とにかく、だ。ケンカしたあとは妙にすっきりすることはなかったか?」
「すっきりする、こと…?」
「そうさ。言いたいことを全部ぶちまけて、相手にも言いたいことを好き放題言われて、で、その後、あれ、なんでケンカしてたんだって思うこと、なかったか?」
隊長さんに言われて、私は村での生活のことを思い返す。ケンカ自体、そんなにたくさんあったわけじゃないけど…
でも、そう、小さい頃、それこそ、十九号ちゃんや二十号ちゃんくらいの頃に、遊びを決めるのに同い年の子と随分長い時間言い合いになったことがあった。
私は鬼ごっこが良いと言って、その子は隠れんぼが良いと言って、お互いに譲らなかった。
それじゃぁ、他の子がどっちをやりたいか聞いてみようって話になって、それで聞いてみたら、返ってきた言葉は
「ケンカじゃなきゃなんでもいいよ」
だった。
そりゃぁ、せっかく楽しく遊ぼうと思って集まったのに、ずっとケンカしてたんじゃ楽しくもなんともない。
結局私とその子は、ケンカをしてしまったことをみんなに謝って、それからみんなでできる遊びを、って考えて、結局缶蹴りに決まったんだ。
私とその子は、お互いに謝ったりしたわけじゃなかったけど、でも、二人ともただ、みんなで楽しく遊びたいってそう思っていただけだったから、
そのあとは仲良く一緒に遊んでいた。
そんな思い出を話したら、隊長さんはニヤリと笑って言った。
「ほらよ、同じじゃねえか。俺達は魔族を滅ぼそうと思って戦争をしたわけじゃねえし、魔族だって人間を滅ぼそうとしたわけじゃねえ。
ただ、お互いが平和な暮らしをしたいと思って戦った。それならよ、いつまでもケンカしてたって仕方ねえかねえ。憎しみ合ってりゃ、またケンカが起こるぞ?
そうなりゃ、平和な暮らしなんてまた先延ばしになっちまう。俺達は平和な暮らしをしたいだけだったのに、そいつを戦争なんてバカみたいなケンカでダメにしちまった。
だが、運が良かったのは城主サマがケンカの後始末をしてくれて、こうして俺達は出会った。で、出会って話をして、ようやくお互いが平和を望んでいることを理解できた。
戦場でさんざんに斬り合った間柄の相手が、自分達と同じことを考えていたわけだ。そうなっちまったらよ、もう戦争なんて起こす気にもならんだろう?
どっちも平和を望んでんのに、俺達はどうして殺し合いなんてやってたんだ、ってな。
そりゃぁ、中には気に入らねえやつもいるさ。だが、そんなときでも戦争なんてする必要はねえ。それこそ、ケンカで十分だ」
隊長さんはクイッと頭を振った。私は釣られて、その先に視線を向ける。
「見て分かっただろ?!せっかく最後に食おうとしたのに!」
「分かるわけないでしょ、あんなの!食べるつもりならもっとちゃんと除けといてよ!」
「だから除けてあったって言ってんだろ!」
「あんなの除けてたうちに入らない!」
そこには、そう言い合いをする女戦士さんと鬼の戦士さんの姿があった。
隊長さん達との話に夢中で、何がどうしてそうなったのかは分からないけど…とにかく、何やら揉めている。
「もう…今のチェリー二個分、午後はあんたに余計に働いてもらうからな」
女戦士さんがそう言って鬼の戦士さんの肩をペシっと引っ叩いた。
「痛っ。なんでよ、あなたが除けてたらこんなことにはなってないでしょ」
そう言い返した鬼の戦士さんがペシっと女戦士さんの腕の辺りを叩き返した。
「痛ってーな、アタシそんな強く叩いてないだろ」
ムッとした表情の女戦士さんがさらに鬼の戦士さんを平手で叩く。
「ちょっ、なによ!鍛え方が足りないんじゃないの?」
鬼の戦士さんも負けずに女戦士さんをベシっと強めに平手を見舞った。
「あんだと?!っていうか痛てえんだよ!」
「それはこっちのセリフよ!盗み食い呼ばわりの上になんで叩かれなきゃいけないわけ!?」
あれ、なんかすごく興奮してきてない?二人とも…
そんな様子に心配になったのは私だけじゃない。
「あの、あの、チェリーならお城に帰ればまだあるですよ…」
「そ、そうだぞ、子供じゃないんだから、チェリーくらいで…」
妖精さんと十七号くんもそんな事を言って何とか二人を収めようとしているけど、二人の言い合いは、もうチェリーがどうとか関係なくなってきている。
「いーや!あんたのさっきのやつの方が痛かった!」
「最初にやってきたのはそっちでしょ!?それだと私が一発多く叩かれてるじゃない!」
二人は興奮して立ち上がり、ベシベシと叩き合いを繰り広げている。かなり険悪だし、お互いにムキになってしまっている。
ソワソワとしているうちに、鬼の戦士さんの放った平手がかなりの強さで女戦士さんの肩の辺りに炸裂した。女戦士さんはギロリと目つきを変えると、低い声で呟くように言った。
「いいだろ、相手になってやるよ!」
それを聞いた鬼の戦士さんも負けていない。鋭い眼光で女戦士さんを睨みつけると、背中に背負っていた剣を外し、着ていた鎖帷子を脱ぎ捨てて藁敷から降りた。
女戦士さんも着ていた軽鎧を外して、腰の革ベルトごと剣をガチャリと外して鬼の戦士さんに続いて藁敷から降りた。
「ちょ、ちょっと隊長さん…!」
私は急な出来事で何がなんだか分からなかったけれど、とにかく止めなきゃ、って一心で、隊長さんにそう声を掛けた。
でも、当の隊長さんはいつものように、ガハハと笑って
「おう、いいぞいいぞ!やれやれ!」
なんてあろうことか、二人をけしかけている。
「後悔するなよな…!」
「そっちこそ、どうなっても知らないから…!」
二人はそう言うが早いか、お互いに飛び掛かって肩と頭を付けてガッチリと組み合った。どうしよう、なんで急にケンカになってるの…!?
せっかく仲良く楽しくやっていたのに…!私がそう思って慌てて立ち上がろうとしたその時だった。
「もらったよ!」
「うりゃぁぁ!」
と掛け声がして、組み合っている二人目掛けて女剣士さんと十六号さんが飛び出して行って、横から勢い良く当身を食らわせた。
「ふぎゃっ!」
「ひゃぁっ!」
と悲鳴を上げて、女戦士さんと鬼の戦士さんが勢い良くクローバーの中に吹き飛んだ。そんな二人の傍らで、
「勝ったよ!」
「うおぉぉ!」
と女剣士さんと十六号さんが勝どきを上げている。
い、いったい、何なの…?
と、戸惑っていたらクローバーの中に倒れ込んだ女戦士さんと鬼の戦士さんがむくりと起き上がり
「不意打ちなんて卑怯だぞ!」
「覚悟しなさい!」
と叫んで勝どきあげていた二人に襲いかかる。
「このっ…往生際が悪いよ!」
「大人しくしなさい!」
「痛たたっ!鬼の姉ちゃん、角が痛いよっ!」
「まとめて潰してやる!」
四人はなんだかそんな事を言い合って、クローバーのうえで揉みくちゃになり始めた。それも、なぜだかケタケタと可笑しそうな笑い声をあげながら…
「ははは、指揮官殿には少しばかり乱暴すぎたか」
隊長さんが戸惑っていた私を見やってそう笑う。
「えっと…あの…おふざけ、だったんですか?」
「さぁな。途中までは本気だったろうさ。まぁだが、そんなこともある。言いたいことを言えば意見の違いも出てくるし、それでケンカにもなるだろう。
だが、俺はケンカで収まってるうちは別にそれが悪いことだとは思えねえ。言いたいことを言えるってのはいいことだ。
相手を信用してないと出来ることじゃない。収め方さえきっちりやれば、笑い話、さ」
隊長さんは満足そうに言った。
ケンカが出来る相手…か。確かにそうかもしれない。ケンカは一人でなんて出来ない。相手が居て初めてケンカになるんだ。
「相手が魔族だから」ケンカになるわけじゃない。人間同士だって、二人いればケンカになることだってある。
でも、ケンカをしたって、必ず仲が悪くなるとは限らない。小さなすれ違いにお互いに気がついて、前よりも一層仲良くなれることっだってある。
それが、今隊長さんが言った収め方、なんだろう。
そうか…人間だから、魔族だから、って理由で相手を恨んだりすることに、大きな意味なんてないんだ。
そこにあるのは、人間同士、魔族同士のケンカ一緒。なら、それを収める方法も、大きな違いはない。
自分の気持ちを告げて、相手の言い分も聞いて、どこがすれ違いなのかを確かめればいい…
それが出来ていないのが今の人間と魔族との関係だ。魔族は人間の憎しみと怒りの対象で、人間も魔族の怒りと憎しみを受けている。
でも、もし、小隊長さんが話してくれた通り、魔族と人間にさほどの差がないんだ、とみんなが知ることが出来たら…
もしかしたら、相手の言い分を聞くことが出来るようになるかも知れない。
それでもし、お互いのすれ違いが少しでもなくなったら、そのときは…
「隊長さん、小隊長さん。もし、人間と魔族がそれほど違わない、ってことをみんなが知ることが出来たら、
この戦いの続く世界が少しだけでも平和になると思いますか…?」
私は、思い至った考えを二人にそうぶつけていた。それは、もしかしたらお姉さんが探し求めている答えの一つなのかも知れないからだ。
私の言葉を聞いて、二人は目と目を合わせてから私を呆然とした表情で見つめていた。
「お前さんは…本当に子どもとは思えねえな」
「まったくだ、サキュバスの姫が言っていた通り…」
いや、えっと、その…褒めてもらえるのは嬉しいんだけど、その、争いの話を…
なんて思いで口をモゴモゴやっていたら、隊長さんがふむ、と息を吐いて腕組みをした。
「そいつは簡単じゃねえな。人間と魔族との間は、俺達のような単純な物ばかりじゃねえ。いろいろと複雑なんだ」
「そ、そうなんですか…?」
「例えばよ、人間界で魔族を見たことのあるやつは少ねえ。それこそ、軍人は戦っていたから分かるし、王都西部城塞都市の一般市民や砂漠の交易都市の住民くらいなもんだ。
王都や他の小さい村や街に住んでる連中は、魔族を知らねえ。が、魔族は悪だと決めて掛かっている。
一人一人の説得はそう難しくはねえかもしれねえが、そういう実態のない感情ってのは厄介なんだ。
拭っても拭っても、どこからか湧き出て来て気がつけばまた染まっちまう」
「魔族側も同じことが言えるな。それに、魔族側は先代様を討たれ、人間によって生活を乱された者も多い。
実際に目で見て被害を感じている分、それを拭うことは簡単じゃないだろう」
二人は難しい表情をしながらそう言う。やっぱり、そうだよね…そう言う意識を根っこからどうにかしないと、簡単に変えることなんて出来たりはしない、か…
私はほんの少し灯りそうになった明かりが消えてしまったように感じてなんだかがっくりとしてしまう。
魔族と人間との関係もそうだし、今は魔導協会の人達が何を考えているか分からない。
なんだかやっぱり、どうにも息苦しい感じは取れなかった。
「まぁ、魔界の方は城主サマ次第、ってところもあるな」
不意に、隊長さんがそう言った。
「あの人がこれから魔族のために何をするかで、魔族の見方も少しは変わるかもしれねえ」
隊長さんはお城を振り返えりながら言う。それにため息を吐いた虎の小隊長さんが
「そう言われると、感情で突っ走ってるうちの大将が台無しにしている気がするよ」
と肩を落とした。でも、隊長さんはそんな小隊長さんに笑って言った。
「言いたいことを言うのは悪いことじゃねえと言ったろ?
多少の小突き合いがあっても、ただのケンカなら収め方次第だ。元勇者として、そこと向き合わなきゃならんのは当然だ。
見方に寄っちゃ、魔王って地位を奪っただけのように思われても不思議じゃねえ。ある意味じゃ、当然だ。
だから竜の大将のことは心配することはねえさ。むしろ、先代を討ったようなやつに、大人しく黙って従っているようなやつがいた方が返って不気味だぜ」
「なるほど、諜報部隊らしい見解だな」
「そうか?まぁ、そうかも知れねえな。虎の旦那も気を付けろよ、油断していると俺が後ろからズブっと行くかも知れんぞ?」
「ははは、そのつもりがあるんなら、俺はもう生きてないだろ」
二人はそんなことを言い合って笑った。その雰囲気はやっぱり穏やかで心地良くって、どこか嬉しい気持ちにさせてくれる。
さっきは難しいかも、と言われてしまったけど、もし、魔族と人間が、どこででも誰とでも、こうして冗談を言いながら笑い合ったりケンカしたり出来る世界になったとしたら…
お姉さんは、どんな笑顔で笑うんだろうか?
私はふとそんな事を考えて、さっき隊長さんがしていたように、お城をじっと見つめていた。
「んっ?」
と、そんなとき、妖精さんが声を漏らせてふと、顔をあげた。妖精さんは辺りを見回して、スンスン、と鼻を鳴らして何かの匂いを嗅ぐような仕草を見せている。
「どうしたの、妖精さん?」
私が聞いたら、妖精さんは眉間に皺を寄せながら言った。
「人間ちゃん、雨が降るかも」
「え?雨…?」
私は思わぬ言葉に空を見上げた。済んだ青空には千切れ雲が漂っているくらいで、雨雲らしいのは見えないけど…
「雲はないみたいだけど、いっぱい降りそう?」
私は妖精さんに聞いてみる。きっと、風の魔法で何かを感じ取っているんだろう。すると妖精さんは、真剣な表情で
「うん…たぶん、雷になると思う。南から冷たい風が吹いてきてる。北からの暖かい風とその冷たい風がぶつかると、入道雲になるんだよ」
と教えてくれた。
入道雲、か…だとしたら本格的な雷雨になるってことだよね…そうするとかなりの雨が降るかもしれない…
「なんだ、雨降るんだ?水を撒いた意味なかったなぁ」
十七号くんがそんな事を言って呆れたように笑う。ううん、違う…雨が降るから良いってわけじゃない…。むしろそんなにたくさん降ってしまったら…
「おい、指揮官殿。雷雨はまずいんじゃないのか?」
小隊長さんがそう聞いてきた。
「まずいって、何が?」
十七号くんは相変わらずにそう言う。
「ううん、違うんだ。お芋は土の中に出来るから、雨がたくさん振ると腐ったりしちゃうんだ」
「えぇ?!それ、ダメじゃないかよ!どうするんだ!?」
私の言葉に十七号くんがそんな声をあげた。
ここの土は、きっとそれほど水はけが悪いわけではないと思う。でも、雷雨のように短い時間にたくさんの雨が降ればどうしたって水がたまってしまう。
二日くらいでも水溜まりが残ってしまったら、それだけで植えた種芋が腐ってしまいかねない。そのためには、ちゃんとした排水をする仕組みが要る…
「排水路…もっとちゃんとした排水路がいる」
私は畑を見やった。畑を作ったときに、ゴーレムにも排水のための道は作らせたけど、それは間に合わせのためのものだ。
踝くらいまでの深さを畑をの周りに掘っただけで、大雨になんて耐えられない。畑も畝の間を深く掘って畑の周りの水路ももっと深く掘らなければいけない。
それに、庵も作っておかないと、せっかく掘った井戸の穴に水が入ったら崩れてやり直しなってしまったりもしそうだ…これはのんびりしていられない…!
「隊長さん、庵はあとどれくらい掛かりそう?」
「あぁ、そうだな…あと二刻もありゃぁ、何とかなる」
「なるべく早くに作って下さい、井戸に水が入ったら大変」
「ふむ、そうだな…雷となると、庵の近くに集雷針もいるだろう。せっかく作った庵に雷が落ちりゃぁ一瞬でまる焦げだ」
確かにそうだ…背の高い棒の先に鉄槍の先端を付けて、他の場所に雷が落ちないように引き寄せる、あれも必要だね…!
「隊長さん、作れますか?」
「資材がありゃぁな。一旦城に引き返して、使えそうな道具を探そう」
「お願いします!」
私はそれからみんなを見渡す。
午前中に庵を作ってくれていたのは隊長さんだけだった。井戸掘りをしていてくれていたのが女戦士さん女剣士さんで、
魔族のみんなと十七号くんに十六号さんには水撒きをお願いしていた。
水撒きは終わったから、その分の人手で別のことをやってもらわなければいけない…
私はそれを確かめて頭の中で考える。うまく人を割り振って急いで作業しないと…!
雨が降り始めるまえに…!
「隊長さん!女剣士さんと鳥の剣士さんと一緒に庵をお願いします!
虎の小隊長さんは、女戦士さんと鬼の戦士さんに、十六号さんと十七号くんと排水用の水路を掘りをお願いします!
私と妖精さんで、出た土を井戸の周りの積んで山にして、井戸の中に地面の水が入らないように堰を作ります!
雷が来る準備をしておかないと、畑も井戸も全部ダメになっちゃうかも知れない!」
私の言葉に、まだ食事をしていたみんなが一瞬、息を飲むのが分かった。でも、そんな雰囲気を女戦士さんがすぐに打ち壊してくれる。
「よし、ならいつまでも昼休憩ってわけにもいかないな」
それに、鬼の戦士さんが続く。
「そうだね。早めに終えて、準備しないと」
「でかいシャベルがいるよな。確か、城の物置にあった気がするんだけど」
「あったあった!急いで取りに行こう!」
十六号さんと十七号くんがそう言葉を交わして確認している。
「隊長、あんたその子達と城に戻って資材持ってきなよ。こっちは私と鳥くんとでやっておくからさ」
「ええ、任せて下さい」
女剣士さんと鳥の剣士さんの言葉に
「そうだな、頼むぞ」
隊長さんが答える。
「俺は水路の掘り方を聞いておいた方が良さそうだな。指揮官殿」
なんて小隊長さんが言って来たので私は頷いて返した。それぞれの役割が決まったところで、最後に妖精さんが声をあげた。
「よし、じゃぁ、急ぐですよ!」
そんな、いつもの妖精さんの変わった敬語に、みんなで、おう!っと掛け声を合わせて、私たちはお昼ご飯の片付けをいそいそと始めた。
間に合うかな…そう思って見上げた空には、やっぱりまだ小さな千切れ雲しか浮かんではいなかったけれど。
つづく。
途中sageてました…おかしくなってたらすません。
前々回、ガッツリ井戸掘りを!
というリク(?)があったので、ガッツリ掘ってみましたw
次回、魔王城に嵐がやってきます。
キャノピによる新キャラ設定画(再)
乙!
乙です!!
続きが気になってねれないよぅ・・・
作業を始めてどれくらい経ったか、ようやく私達は畑の周りに膝程の深さの排水路を掘り終えた。
庵と集雷器を作り終えた隊長さん達も途中から掘る作業に加わってくれたので、そこからはうんと早くに進められたのが幸運だった。
と言うのも、妖精さんが言った通り、太陽が僅かに傾き始めた頃には北の空にムクムクと入道雲が立ち上がって、徐々に大きくなりながらこっちへ近付いて来ていたからだった。
「隊長さん、そっち大丈夫ですか?」
「ああ、問題ねえ。虎の、そっちはどうだ?」
「こっちも大丈夫だ。これで突風が来ても飛ばされるなんてこともないだろう」
声を掛け合いながら、井戸のそばに置いていく資材を縄で括って、さらに別の縄でグルッと巻いてから、余った木材で作った杭にその縄を括って地面へと打ち込んだ。
これなら、風が吹いたって大丈夫なはずだ。
「隊長、急げよ!あれ、もう来るぞ!」
荷車に道具を載せた女戦士さんが声を掛けてくる。他のみんなも不安げな表情で入道雲の方を見上げたり、こっちを見ていたりしている。
「よし、これで良いだろう。降ってくる前に逃げ込むぞ」
「はい!」
隊長さんにそう返事をして、私は荷車の方へと走って戻る。
「人間ちゃん、早くー!」
妖精さんが荷車の上から手を伸ばしてくれて、辿り着いた私をヒョイっとその上に引き上げてくれた。あとから来た隊長さん達もそこに乗り込む。
それほど広くない荷台は、私と妖精さんに隊長さんと小隊長さん、十七号くんと十六号さんでぎゅうぎゅう詰めだ。
引き手のところには女戦士さんと鬼の戦士さん、荷車の両脇には女剣士さんと鳥の剣士さんが張り付いている。
「よぉし、良いぞ!出せっ、馬車馬!」
隊長さんがガハハと笑いながらそう言う。
「誰が馬だよ!ちゃんと掴まってろよ、落ちても知らないぞ!」
女戦士さんがそう言ってから
「行くぞ!」
と一声合図をした。
途端に荷車がガタガタと揺れ、クローバーの生え揃う野原を走り始めた。
「うぉっ!わぁっ!あだっ!痛ってぇぇぇ!!戦士の姉ちゃん、もっと静かにやってくれよ!」
「喋ってると舌噛むぞ!」
風を切る音に負けないくらいの大声で言った十七号くんに、女戦士さんのさらに大きい声が聞こえてくる。
ガタゴトと揺れる荷車は、私なんかが走るよりももっと早い。
四人の魔法が得意な軍人さん達に掛かればこんなにも早く動けるんだ、なんて思うよりも私は揺れる荷台から飛び出さないようにと、
妖精さんと一緒に隊長さんに掴まっているのに必死だった。
程なくして荷車は魔族軍の陣地に差し掛かる。
ここを抜ければ、南門。お城まではもうすぐそこだ。
「えぇ!?なんだって?!」
不意に、そう叫ぶ十六号さんの声が聞こえた。見ると、十六号さんは自分の体にしがみついている十七号くんに、そう言ったようだった。
そんな十七号くんが声をあげる。
「だから!魔族の連中は、雷平気なのかなって!」
え、魔族の人達…?
私はハッとして辺りを見渡した。魔族軍の人達は、昼間、私達に向けていたあの冷たい視線を浴びせることも忘れて、慌ただしく動き回っている。
あの入道雲を見れば、備えないわけにはいかないだろう。
「おい、虎の!お前さんの部下、まだ陣地にいるんだろう!?そいつらだけでも俺達のいる兵舎に呼び込むか?!」
「あぁ、助かる!こんな平地じゃ、被害が出てもおかしくない!」
隊長さん達がそう言っている。そうだよね…いくら自然の魔力を扱える魔族だって、あの雷雨なんてのに見舞われたら、平気でいられるはずはないよね…
雷って魔法で防いだり出来るのかな…?
「小隊長さん!雷を防ぐ魔法ってあるんですか!?」
私は風に負けないように大きな声で虎の小隊長さんに聞く。すると小隊長さんは険しい表情で叫んだ。
「いや、雷は無理だな!力が大きすぎるし、そもそも雷を操る魔法を使える連中は少ない!」
待ってよ…それじゃぁ、やっぱりこんなところで陣地を張っているのって危ないんじゃ…!?
で、でも、さすがに三千人の魔族軍の全部をお城の中に避難させるなんてことは出来ないし…だけど、このままだと魔族軍の人達は危ないよね…
「妖精さん!」
私は妖精さんを見上げて叫んだ。
「お姉さんにお願いして、中庭に魔族軍の人達を入れてもらおう!城壁には集雷器があるから、外よりもきっと安全だと思う!」
すると妖精さんはニコっと笑顔を見せて私に言ってくれた。
「うん!一緒にお願いしに行こう!」
ガタゴト揺れる荷車が大人しくなる。目の前に南門が見えてきて、戦士さん達が足を緩めたからだろう。
すぐに荷車は南門の前に到着した。鳥の剣士さんがひらりと城壁の中に羽ばたいて行って閂が外され、重い音とともに門が開いた。
私は妖精さん荷車から飛び降りてお城の入り口へと走る。
「俺は声を掛けてくる。鳥剣士、お前も来てくれ!」
「了解です、すぐに行きましょう!」
「おい、すぐに中へ入ってバカ共に場所を開けるように言え!」
「おし、任せとけ!鬼のも一緒に来てくれ!」
「うん!」
後ろでそう言い合っている声を聞きながら、私は妖精とお城の中に駆け込んだ。必死に階段を駆け上がり、廊下を走って会議をしている部屋へと急ぐ。
途中、後ろから足音が聞こえて振り返ると、そこには十七号くんと十六号さんがいた。
「親衛隊を置いていくなよな!」
十七号くんがそんなことを言って笑う。
「うん、ごめん!」
私は笑顔を返しながら十七号くんにそう言いながらさらに階段を上がる。上層階までたどり着いて廊下を走り、私達はノックもせずに会議室へと飛び込んだ。
「お姉さん、大変!」
大きなテーブルにはいつもの通り、お姉さんにサキュバスさんに兵長さんと黒豹さん、それから師団長さんと竜族将さんに他の魔族の偉い人達も集まっていて、
バタバタとなだれ込んだ私達に視線を向けていた。
「なんだよ、慌てて?」
お姉さんが私達にそう聞いてくる、けど、私は慌ててここまで一気に走って来たものだから、息が切れちゃってうまく言葉が出ない。
それを見かねたのか、十六号さんが代わりに
「十三姉ちゃん、雷が来てるんだ!」
と言ってくれた。それに続いて十七号くんも
「外の魔族の連中、あのままだとまずいって!」
と声をあげてくれる。
「お姉さん!魔族の人達をせめて城壁の中に入れてあげないと…!」
私はようやく整い始めた息を吸い込んでそう伝えた。お姉さんはすぐさまイスから立ち上がると窓辺に駆けて行ってその外を見やった。
「雷雨ですか…?」
「まずいな…我が機械族はあれには弱い」
「強い者などありはせん。雷を避ける大気術を使える者は何人居ったか…」
「急ごしらえでも例の避雷槍を作らせるか?」
「必要だろう。だが、あの陣地のすべてを覆える程となると、数が…」
魔族の人達もそう話を始めたる。そんなところにお姉さんが戻ってきて、魔族の人達に言った。
「サキュバス、三階までの兵舎に外の連中を引き込むぞ。兵長、二階の諜報部隊の連中に、兵舎を空けてこっちの生活階へ上がって来るように伝えてくれ」
「はっ!すぐに!」
お姉さんの言葉にいち早く反応した兵長さんが部屋を飛び出していく。そんな姿を見送りもしないで
「お、お待ち下さい、魔王様!あの者達すべてを魔王城に入れるなど、言語道断です!
お言葉ですが、未だ魔王様のご意思を理解せぬ者も多く、そのような輩が魔王様を狙ってくるやも知れません!」
と師団長さんがお姉さんに訴え出る。それにサキュバスさんが
「魔王様、全軍三千人を城内に収容するのはかなり厳しいのではないですか?」
と落ち着いた口調で続く。
でも、そう言われたお姉さんニコっ笑って言った。
「入れろ。押し込んででも何でも、とにかく匿え」
サキュバスさんはその言葉に何だか少し嬉しそうな表情で頷き、師団長さんは呆れ顔を見せた。
「人間様、一緒に軍の迎え入れをお願いします」
サキュバスさんが私にそう言ってきた。私もサキュバスさんに笑顔を見せて頷く。
「なれば、我が近衛師団を上階に配置して、警備を固めましょう」
師団長さんも覚悟を決めたって顔をしてそう言った。
「よし、今日の会議はこれまでだ。各師団へ戻って至急、城内へ避難するよう伝えてくれ」
「ふむ、ここは魔王様のご慈悲に甘える他にありませんな。そうであろう、竜族将よ?」
鬼族の賢者さんが竜族将さんを身やって言う。竜族将さんは、ちょっとふてくされた表情を浮かべて、
「ここは魔族を守るための城だ。そうでなくては困る」
なんて強がりのような返事をした。
魔族も人間も、こうなったら関係ない。大きな自然の力の前には、身を寄せ合って逃れる他に術はないんだ。
でも、今の私はそれがやっぱり、なんだか嬉しい気がしてしまっていた。
ふとお姉さんを見上げたら、お姉さんも嬉しそうな笑顔出私を見ていて、不意に手を伸ばして来たと思ったら、私の頭をガシガシっと撫でてくれた。
「よし、サキュバスの言うことちゃんと聞いて、誘導頼むぞ」
「うん!」
「任せて下さいです!」
私と妖精さんとでそう返事をする。
「十七号、十六号!この子から離れずに見ててやってくれよ!」
「任せとけ!俺達は親衛隊だぜ!?」
「ああ、心してかかるよ、姉ちゃん」
今度は、十七号くんと十六号さんがそう声をあげた。
「サキュバス、黒豹。外の魔族を誘導する陣頭指揮を執れ」
「私は城内の誘導を行いましょう。黒豹様は、城外の者達に声掛けを!」
「委細、承知しました。すぐに掛かります!」
サキュバスさんと黒豹さんもそう返事をする。それから私たちはなぜだかお互いの目を見つめ合って、みんなが笑顔でいるのを確かめていた。そんな私達にお姉さんの号令が飛ぶ。
「任せたぞ、掛かれ!」
「はい!」
そんなお姉さんに返事をした私達はすぐさま部屋を飛び出した。廊下を走って階段を駆け下り、南門の正面にある扉へと急ぐ。
するとそこには、隊長さん達の姿があった
「おう、早かったな!城主サマの采配はどうなった?!」
「全軍を引き入れます。ご助力を頂けませんか?」
隊長さんにサキュバスさんがそう叫ぶ。それを聞いた隊長さんは、ニヤリと笑って傍らに居た女戦士さんと女剣士さんに頭を振って言った。
「よし、お前ら!虎の大将に付いて誘導を手伝え!」
「あはは、突撃部隊の指揮下に入れってか!こりゃぁ良い!」
「言ってる場合じゃないでしょ!ほら、行くよ!」
「俺達も外に出て誘導します!指揮は!?」
虎の小隊長さんの言葉に、黒豹さんが答えた。
「猛虎の嫡男殿!私が采配いたします、各部隊への声掛け願います!」
「よし来た、行くぞ!」
虎の小隊長さんがそう言って表へと飛び出していく。私はその時になって、あたりがもう随分と暗くなって来ていることに気が付いた。厚い雲
が空に掛かって、風も吹き始めている。もう、時間がない…
私は十七号くんと十六号さんと妖精さんと一緒に扉の前に立って、虎の小隊長さんが開け放った門の向こうの魔族軍を誘導する準備に入る。
黒豹さん小隊長さんに、戦士さんや剣士さん達が門の外に駆けて行ったのもつかの間、門をくぐって、大勢の武装した魔族の軍人さん達が門の方へと急ぎ足でやって来始めた。
武装はしているけど、手には小さな荷物だけとか、中には何にも持っていない人もいる。本当に慌ててこっちへやってきて入るようだった。
「おーい、あんた達、こっちだ!
十六号さんが不意にそう声をあげた。
「早くしろ、降ってくるぞ!」
今度は十七号くんも叫ぶ。私も負けてられないんだ!
「急いで下さい!早く!」
「雷来るですよ!急いで下さいー!」
私と妖精さんも声を張れるだけ張って呼びかける。
すぐに先頭をに来ていた大きな体のクマの様な魔族さんが私達の呼びかけに吸い寄せられるようにやって来てくれて、お城の中へと入って行く。
狼の獣人さんに、あの鉄の鎧の様な物を身にまとった機械族の人達も、竜族の人も悪魔みたいな風体の魔族さんも次々と入り口へと押し寄せて来る。
きっと中ではサキュバスさん達が、場所を指定して城内で誘導してくれているはず。中はきっともっと大変だろうけど…私も、気を抜いてはいられない!
「早く中に!中に入ったら、誘導された場所に行ってくださいね!」
そう、今までよりも一層大きな声をあげたその時だった。
パパパっと目の前が真っ白に光った思ったら、まるで大きな山が崩れ落ちたんじゃないか、って思うくらい雷鳴が辺りに鳴り響いた。
それと同時にザザザザァ!と猛烈な雨が降り始める。
雷鳴に驚いて十六号さんに飛びついてしまっていた私と妖精さんはすぐに我に返って、雨と風に負けない大声を出して魔族の人達に呼びかけ続ける。
入り口の扉の外にいた私達はたちまちびしょ濡れだけど、構ってはいられない。魔族の人たちは私達よりももっと濡れちゃうし風も直接浴びてしまう。
吹き込んだ雨に濡れるくらい、どうってことじゃない!私はとにかくそこで声の続く限り、叫び続けた。
「急いでください!魔王様がお城に逃げろと言ってます!みんな、急いで!」
「おら、早く早く!」
妖精さんも十七号くんも声の限りに叫んだ。
魔族の人達は私達にあの冷たい視線を浴びせるのも忘れて雨から逃れるために盾やマントを頭に掲げながらお城の入り口へと殺到する。
雨も風も一段と強くなり、再び閃光とともに雷鳴が鳴り響いた。それでも私達はそこで必死に魔族の人達をお城の中へと急がせる。
「すまないな…!」
不意にそう声が掛かって見上げると、雨にびっしょり濡れた若い男の魔族の人が立っていた。雄々しい角に、黄色に縦長の瞳。
体を覆う棘のようなウロコは竜族独特の特徴だ。
「いいえ!早く中に入って下さい!」
「ああ、感謝する!」
竜族の男の人はそう言い残して足早にお城の中に入って行く。
途端に、後ろからコツン、と何かがあたったので振り返ると、十六号さんがニヤリと笑顔を浮かべていた。
「井戸掘りの成果かも知れないな」
十六号さんはそんなことを言った。
隊長さんや虎の小隊長さん達と一緒に魔族軍の陣地を抜ける道を、私達は道具を運んだり追加の資材や水を汲んだ樽を運ぶために何度も往復した。
隊長さんの考えで、人間と魔族が一緒になってその作業をしてきた。
もしかしたらそれが今になって、魔族の人達に、少なくとも私達は魔族の敵じゃない、と分かってもらうためのきっかけになって来ているのかもしれない。
もしそうなら…きっとお姉さんは、さっきよりももっと嬉しそうな顔で笑ってくれるんじゃないかな…!
そう考えたら私も嬉しくなってしまって、雨に濡れるくらいいっそう構わずに魔族軍に急ぐようにと叫び続けた。
どれくらい経ったか、そんな魔族軍の人達に紛れて女剣士さんと鬼の戦士さんが入り口の扉のところへと姿を表した。二人とも雨に濡れてびっしょりだ。
「外はおおかた大丈夫だ!ここは私らで受け持つから、あんた達は中に入ってあのサキュバスって人を手伝ってやってくれ!」
女剣士さんが雨と風に負けない大声で私達にそう言う。
私は十六号さん達三人と目を見合わせて頷き
「分かりました、お願いします!」
と返事をして、魔族の人達と一緒にお城の中へと戻った。
お城の中は、もうすでに大混乱しているようだった。一階は大広間と大階段があるのだけど、そこはもう魔族の人達でいっぱいだ。
ここがこんな様子なら、二階と三階にある兵舎や訓練なんかに使うんだと言っていた大きな部屋もぎゅうぎゅうになっているに違いない。
私は魔族の人達の間を声を掛け、道を作ってもらいながら大階段へと進む。
何とか辿り着いた大階段を登って廊下を行くと、そこにはサキュバスさんが魔族の人と何かを話している姿があった。
「サキュバスさん!」
「皆様!」
私が声を掛けると、サキュバスさん私達を見やってそう声をあげる。それからすぐに
「では、お願い致します」
と今話し込んでいた尖った耳をした魔族の人に言って私達のところへとやって来た。
「外の様子はいかがですか?」
「今、虎の小隊長さん達が誘導してくれてます。まだ大勢残っているけど目処は付いてるみたいです。お城の中はどうですか?」
「三階と二階の兵舎にはまだ余裕がございます。今、この階の兵舎にいる者の半数を三階に向かわせるようにと近衛師団の者に伝えていました」
サキュバスさんの言葉に私は気が付いた。皆入ったばかりのあの大広間で止まってしまって、奥へと入って来ていないんだ…だからあそこにはあんなにたくさん…
でも、あの大広間に溜まってしまったら、あとから入って来る人が詰まってしまう。
早くこっちへ来てもわらないといけない。
「なら、私は戻って広間でここへ来るように呼びかけます!」
私が言うとサキュバスさんはコクっと頷いて
「お願い致します!」
と返事をしてくれた。
私達は広場に戻って、魔族の人達に二階へ上がるようにと大声で触れ回った。そのおかげか、入り口で溜まっていた人達はゾロゾロと二階に上がり始める。
それでもあとからあとから、広間には相変わらず外から人が駆け込んできている。
と、不意にゴゴン、と音がした。大階段の上から音がした方を見ると、その先では広間の入り口の両開きの扉が今まさに閉められたところだった。
扉を閉めていたのは、隊長さんや虎の小隊長さん達だ。良かった、何とか全員を誘導できたんだね…!
「人間殿!」
私を呼びながら、黒豹さんが人混みを縫って私達のところにやって来た。黒豹さんもズブ濡れで、まるで捨て猫みたいな有様だったけど、そんなことに構わずに私達に聞いた。
「中の状況はどうなっておりますか?」
「まだ、二階と三階には余裕があるみたいです!」
私が応えると、黒豹さんは少しだけ表情を緩めて言った。
「何とかなりそうで良かった。外の誘導は完了したと、サキュバス殿にお伝え願えませぬか?」
その言葉に、私も思わず胸を撫で下ろした。
これで全部だと言うなら、あとは中の人達を均等になるように分ければいいだけだから、雨と雷の中で呼びかけるよりはずっと安全だ。
「分かりました、伝えて来ます!」
私はその場を黒豹さん達に任せて、サキュバスさんのところへと戻ってそのことを伝えた。
二階の兵舎にも余裕がなくなって来ていたけど、それでももう全員避難出来たと言ったら、やっぱりサキュバスさんも安心したような表情を見せてくれた。
「もう一息ですね!」
そんなサキュバスさんの言葉に、それぞれ返事をした私達も、きっと安心の表情を浮かべていたに違いない。でもまだ気は抜けない。
みんなが少しでも余裕を持って過ごせるように、うまく場所を割り振らないと、ね!
「へっくしっ!ああ、冷えちゃったなぁ…」
ズルズルっと鼻をすすりながら、十六号さんがそんなことをボヤく。私達は暖炉の部屋にいた。外はすっかり日も落ちてしまったけど、相変わらずの雷と雨。
ランプと暖炉の火だけで薄暗い部屋は時折雷鳴とともに閃光に照らされていた。
私達は雨で濡れたまま走り回っていたせいで、体が芯から冷えてしまっている。気替えだけを済ませた今でもとにかく寒くって、震える私を十六号さんが抱いてくれている。
そんな十六号さんを後ろからへばりつくように妖精さんが抱きしめて、三人折り重なって毛布をかぶり、火を入れた暖炉に当たっている。
「いやいや…大変だったなぁ」
誘ってはみたけど、俺は平気だ、となぜだか顔を赤くして言って、一人暖炉の前で毛布を頭から被っている十七号くんがため息混じりにそんなことを言う。
「そうですね…井戸掘りよりも疲れたですよ」
後ろからは、妖精さんのそんな声も聞こえて来た。確かに大声で叫びっぱなしで、お城の中を駆けずり回って、その上寒いし、もうクタクタだ。
「なぁ、そう言えば、魔族の魔法は寒いのを防げる、って聞いたんだけど?」
「ああ、防げるですけど、風の魔法で温度を伝えないようにするだけです。一旦体が寒くなっちゃったら、もうどうしようもないです」
十六号さんと妖精さんがそんな話を始めた。
「人間の魔法なら体を暖かく出来そうですのに、十六号さんも体冷たいですね」
「やれないこともないけど、今は血の巡りを動かして体の深いところを温めてるんだ。表面を温めようとしたら、余計に中の方が寒くなる」
「だから冷たいですね。代わりに私が温めるですよー」
妖精さんがそう言って、毛布の下で十六号さんの腕を擦り始める。途端に十六号さんが
「妖精ちゃん、くすぐったいよ!」
と声を上げて笑った。
ピカッと部屋の中が明るく光って、ドドドドーンと雷鳴が轟いた。雨が降り出してからもう随分と時間が経っているのに雨も雷も一向に止む気配はない。
「畑が心配だね」
と、妖精さんは今度は私に話しかけてきた。うん、確かに…排水路はかなり深く掘ったし、種芋は拳2つ分のところに植えたから流される心配はそうないと思う。
気がかりなのは、やっぱり土の水はけが思ったよりも良くなくて、種芋が腐ったりしてしまうことだ。
そればっかりは明日畑の様子を見て見ないことには分からない。
やるだけの対策は出来たし、あとは祈るより他にない。
「うん。明日の朝、一番で確かめに行かないとね」
私がそう答えると、妖精さんも、うん、と返事をしてくれた。
カツコツと、廊下で足音が聞こえる。微かに、十六号さんの体が固くなるのを私は感じた。
でも、部屋の前に差し掛かったその足音は、立ち止まることなくそのまま歩き去っていく。十六号さんもすぐに力を抜いて、小さく息を吐いた。
魔族軍をお城に受け入れてからすぐに、上層の私達の生活階では、近衛師団の魔族達が見回りを始めてくれていた。
隊長さん達や虎の小隊長さん達は意外にも大人しくこの2つ下にある元は家臣さん達の部屋だったところに分かれて入っているらしい。
何でも、こういう警備は複数の部隊でやると返って隙が出来ちゃって危ないんだそうだ。
私としては、あの魔族軍の人がお姉さんを狙って襲いかかって来るようなことはない気がしていたし、
お姉さんも、それで気が済むんなら、と師団長さんに許可を出していたくらいだから、心配なんてしてないんじゃないかって思う。
でも、私は師団長さんがそうしなきゃならない気持ちもなんとなくわかった。
だって、師団長さんは先代様をとても尊敬していて、そんな先代様が選んだお姉さんのことも、同じように尊敬しているようだった。
それに、師団長さんは戦争で先代様を守れなかったことをとっても気に病んでいるみたいだったし、
お姉さんにもしものことがあってはいけないって、強く感じてしまっているんだろう。
不意にまた、廊下で足音が聞こえだした。カツンカツンと言うその足音は、部屋の前で立ち止まる。だけど今度は十六号さんは体を固くすることなんてなかった。
コンコン、とノックの音がして顔を出したのはランプを手にしたサキュバスさんだった。
「皆様、お湯のご用意が出来ましたよ」
サキュバスさんは優しい笑顔で私達にそう言ってくれる。
「うはぁー!待ってました!」
十六号さんがそう声を上げて、私を抱えたまま立ち上がった。
「ようやく暖まれるですね」
妖精さんも毛布を畳みながら嬉しそうにそう言う。
「ほら、十七号も行くぞ」
十六号さんは未だに暖炉の前に座っている十七号くんにそう声を掛けた。でも、十七号くん暖炉をジッと見つめたまま
「お、俺はあとで十二兄と入るからいいよ」
となんだか言いづらそうに言う。
「なんでだよ?あんたも寒いんだろ、風邪引くぞ?」
十六号さんがもう一度そう声を掛けると十七号くんは私達を振り返って、なんだか必死な顔をして
「俺はあとでいいって言ってんだろ!」
と声を荒げて言った。その顔は暖炉の火に照らされているせいか、なんだか真っ赤だ。
そんな十七号くんの言葉を聞いた十六号さんはヒヒヒ、と笑って
「あっそ。じゃぁ、先に行っちゃおう」
と妖精さんに声を掛けて私を抱いたままにサキュバスさんの待つ戸口へと歩き出す。
「十六号さん、私自分で歩くよ」
私は十六号さんにそう言うけど、十六号さんはなお私をギュッと抱きしめて
「寒いんだから抱かれといてよ。湯たんぽ代わりに」
なんて言って笑った。
戸口まで行くと、そんな私達をサキュバスさんが優しい表情で見つめてくれている。でも、私はそんなサキュバスさんの顔を見て、いつにもない疲労感があることに気が付いた。
バタバタと走り回ったせいか、いつもは綺麗なサキュバスさんの髪は少しだけ乱れていたし特に前髪なんかは汗か何かのせいで、うねってしまっている。
「魔王様にもお声掛けしてあります。きっと湯室でお待ちですよ」
サキュバスさんはそんな私の心配をよそにそんな事を言ってくれる。でも、そう言われて私はふと、ここのところお姉さんと一緒にお風呂に入ったりしていないことに気付いた。
竜娘ちゃんを助け出しに行ってからは、お姉さんは軍の再編や会議のこともあって、私とは入れ違いになることが多かった。
それこそ夜に寝るときだって、私が寝入るか寝入らないかって言うときになってやっと寝室に入って来るがくらいだ。
私のそばにはいつも妖精さんと十六号さん達が居てくれるから寂しいなんてことはないけど、
でも、何日かぶりに一緒にお風呂に入れるんだと思うとなんだかそこはかとなく嬉しくなってくる。
「あはは、十三姉ちゃんと一緒に風呂だなんて魔導協会以来だな」
十六号さんがそんな事を言って笑う。お姉さんが勇者の紋章を受け継いですぐに、十六号さん達はあそこを追い出されたんだと言っていた。
その後は魔導士さんが皆を引き取ったんだけど、お姉さんはそれからも魔導協会に居て戦争が始まったって話だから、私なんかよりもずっとずっと離れ離れだったはずだ。
きっと十六号さん達にとっては、お姉さんや魔導士さんと一つ屋根の下で暮らして行ける今の生活は、何にも変えがたいくらいに嬉しいことなんだろう、って私は感じていた。
私達はサキュバスさんに先導されてお風呂場への廊下を歩く。私は相変わらず十六号さんの腕の中だけど…お風呂場まではそれほど遠くはない。
廊下を曲がったその先にあるんだ。
「下の様子はどうなんですか、サキュバスさん?」
「はい、ようやくそれぞれの居場所を決めて休むことが出来てきているようです。一晩だけなら何とか過ごせると思います」
「良かったです!」
そんな話をしながら歩いていると、廊下の向こうから鎧を纏った魔族の人が二人、こっちに向かって歩いてきた。
一人は竜族、もう一人は尖った耳をしている以外は人間と良く似ているから人魔族かな?
二人は、私達に気が付くと廊下の端によって壁に背を付け、項垂れて黙礼を始める。
「ご苦労様です」
そんな二人に声を掛けるサキュバスさんに続いて、私達もその前を通過する。途端に十六号さんがはぁ、とため息を漏らした。
さっき、魔族の人達をお城に誘導しているときは感じなかったし何かをしてくるだなんて思いもしないけど、
いざこうして狭い廊下で見知らぬ魔族さんに会うと、私も少しだけ緊張してしまう。
でも、そんな様子を見てサキュバスさんがクスっと笑った。
「あの者たちは平気ですよ。先代様のお側に在った故、私と同様に、先代様の意思を他のどの魔族よりも理解している者たちですから」
そんなサキュバスさんの言葉を聞いて、私はふと、昨日の晩の師団長さんの言葉を思い出した。師団長さんもそんな事を言っていたっけ。
「師団長さんも言ってました。先代様を愛していた、って」
私がそう口を挟んだら、サキュバスさんはハッとした表情で私を見やって、それからクスっと笑顔を見せた。
「愛していた、だなんて、少し妬いてしまいますね」
あ、そうだった…サキュバスさんは先代様とその、恋人?夫婦?みたいな関係だったんだっけ…
い、いけない、今の言い方だと、師団長さんが先代様に横恋慕してたみたいになっちゃう!
「あ、あ、あの、そう言う意味じゃなくって、えっと…!」
私がそう声をあげたら、サキュバスさんはなおさら笑って
「大丈夫ですよ、先代様が皆から慕われていたと言うことですよね?」
と、言ってくれた。ホッとして
「は、はい」
と返事をしたのもつかの間廊下を曲がった先には、師団長さんが居て、お風呂場の前で仁王立ちしている姿があったので、私は思わずヒャっと声をあげてしまっていた。
「あ…姫様」
そんな私の声でこちらに気が付いた師団長さんが私達に一礼する。
「どうしたのです、このような場所で?」
「はい、魔王様が湯浴みされるとのことで、丸腰の機を狙う輩がいるやもと思い、こうして番をしています」
サキュバスさんの言葉に師団長さんはそう答えた。相変わらずの心配性だ。
「そうでしたか。私はてっきり、魔王様に色目を使いに来たのやも、と思ってしまいましたよ」
サキュバスさんはそんな意地悪を言ってから私を見やってまた笑った。
「な、なんのことです、姫様?私はそのような事は…」
「ああ、いえ、冗談です。見張り、感謝します」
戸惑う師団長さんにそう言うと、サキュバスさんはお風呂場のドアを開けて私達を中へと促した。
そこには、すでに、脱ぎ捨てられたお姉さんの衣服が入ったカゴが置かれていて、引き戸の向こうからはお姉さんのものらしい鼻歌が聞こえて来ていた。
「おーい、十三姉ちゃーん!」
ようやく私を下におろしてくれた十六号さんがそう声をあげた。するとすぐに浴室の方から
「お、十六号さんか?あんたも来たんだなー!」
と明るい声が聞こえてくる。それを聞いた十六号さんは恥ずかしげもなく服を素早く脱ぎ捨てて、喜び勇んで浴室へと突撃して行った。
「ひゃほー!」
という奇声とともに、ザバッと水が跳ねる音がする。
「おい、やめろってば!」
お姉さんがそう言って笑う声も聞こえてきた。十六号さん、よっぽどうれしいんだな。
私はそう思って、なんだか頬が緩んでしまう。
「ほら、人間ちゃんも入ろう」
妖精さんにそう促されて、私も服を脱いで浴室へと入った。そこには、広い湯船で体を伸ばしているお姉さんと十六号さんの姿があった。
湯船に入ると、すぐに私の体をお姉さんが捕まえて、膝の上に載せてくれる。
湯船は少し深くて、私がその中で体を伸ばそうとすると、鼻のあたりまで沈んでしまう。
ちょうどよくつかるには、お姉さんの膝の上が一番なんだ。
私には少し熱いかな、と感じるくらいのお湯が、それでも冷えた体を温めてくれる。
思わず、ふう、なんて息を吐いてしまうくらいに、心地良い。
「ふぅぅ、いつでもここのお風呂は気持ちいいですぅ」
妖精さんもそんなヘナヘナとした声を出すので、私は思わず笑ってしまう。
そこへ、サキュバスさんが顔を出した。
「では、ごゆっくり」
「あ、サキュバスさ」
と、お姉さんがサキュバスさんを呼び止めた。
「悪いんだけど、冷えた酒と、この子たちに果汁水ってやつもってきてくれよ」
「ふふ、かしこまりました。では、お待ちくださいね」
お姉さんにそう頼まれたサキュバスさんは、小さく笑ってすぐに脱衣所の方へと姿を消して行った。
でも、それを確かめた十六号さんがすぐに不満そうな声をあげる。
「十三姉、サキュバスさん疲れてるのに、小間使いなんてひどいじゃないか」
すると、お姉さんはケタケタと笑って言った。
「だからさ、あいつも一緒に風呂に引っ張っちゃおう。酒を運んできてくれたら、あたしが取り押さえるから、十六号、あんたひん剥け」
「えぇ?!いいのかよ!?」
「あいつ、休めって言ったって休むやつじゃないんだよ。だから無理やり休ませるんだ」
お姉さんはそう言いながらグッと大きく伸びをした。
確かに、お姉さんの言う通りだ。
サキュバスさんは、いつだって早起きして朝ごはんの準備をしてくれるし、いつだって夜遅くまで私たちの身の回りの世話をしてくれている。
休んでいるところなんて、ほとんど見たことなんてなかった。
「いい考えです!サキュバス様は、少し休まないといけないですよ」
「うん、私もそう思う!」
妖精さんの言葉に、私もそう相槌を打った。すると、十六号さんも納得したのか、
「なるほど、そりゃぁ、休ませてやらないとな!」
なんて言って、お姉さんのマネをして大きく伸びをする。
そんな姿を見たお姉さんは、あはは、と笑って
「十六号、あんた、ちょっと見ない間にちゃんと育ったなぁ」
なんてことを言い始めた。
「ん、そうだろ?でも、もうこれくらいで良い気がするんだよ。これ以上大きくなっても、戦いのときに邪魔だろ?」
十六号さんはそんなことを言いながら自分の、その…お、おムネのあたりをムニムニと触った。
「男は大きい方が好きらしいからなぁ、もっと育つようにちゃんと食えよ」
「えぇ?良いって、このままで。姉ちゃんと同じくらいだし」
「あたしのは小さいんだぞ?鎧の板金が安く済むからいいんだけどさ」
「その点、妖精ちゃんはあるよなぁ」
「ん?おっぱいですか?ムフフ、羽妖精族は大きいのが豊穣の象徴なんですよー!一族でも一番の美女は、それはもう、ドーンですよ、ドーン!」
「ドーンか、そりゃぁすごいな」
「肩凝りそうだよな、ドーンて」
妖精さんの話に、お姉さんと十六号さんは、なんだか少し引きつったような笑みを浮かべてそんなことを言っている。
わ、私も大人になったら、少しくらい大きくなるのかな…?まだ、全然だけど…その、そういうのっていつぐらいからわかる物なんだろう?
そんなことを不思議におもったけど、なんだか気恥ずかしくって私は口に出せなかった。
「お、そうだ、十六号。あんた、久しぶりにあたしが髪洗ってやるよ」
不意に、お姉さんが傍らでお湯に浸かっていた十六号さんの髪の毛をクシャクシャと撫でつけながらそんなことを言い始める。
「えぇー?いいよ、そんなの。もうあの頃みたいな子どもじゃないんだぞ?」
「まぁ、そう言うなって。この子だって一緒のときはあたしが洗ってやってるんだもんな。な?」
今度はお姉さんは私にそう話を振って来る。私は、それはあまり恥ずかしくなかったので、十六号さんに向かってうなずいて見せた。
最初のころ、お姉さんはきっと父さんや母さんが死んでしまった私のことを思いやってそんなことをしてくれたんだろうけど、
今では私もすっかり甘えてしまっているのと、お姉さんがそんなことをしていると嬉しそうに笑ってくれるので、進んでお願いすることにしている。
「で、でもさぁー、なんか恥ずかしいって」
「あん?なんだよ、大人ぶって!よし、洗うぞ、ほら、来い!」
それでもモジモジと言っている十六号さんに業を煮やしたのか、お姉さんは私を妖精さんの膝の上に預けて十六号さんの手を取って湯船から上がり、
洗い場の小さなイスに十六号さんを座らせた。
「この、ナントカ、っていう薬草が良い匂いだし、脂っぽいのが落ちて良いんだよ」
と、お姉さんはいつも使っている魔界の薬草を絞った汁をボトルから手の平になじませた。
そんなとき、パタン、と浴室の外から音が聞こえた。
「お、サキュバスさん、もどって来た」
「よし、十六号。ぬかるなよ?」
お姉さんはそう言って十六号さんと笑みを交わして、白々しく髪をこすり始めた。
ほどなくして、サキュバスさんが浴室の戸を開けて入ってきた。
「魔王様、お待たせいたしました」
「あぁ、ありがとう。悪い、ちょっと受け取ってやって」
お姉さんがそう言ってきたので、私が湯船から上がってサキュバスさんが両手で抱えていた陶器のボトルが何本か入っている氷の入った小さな樽にの乗ったトレイを受け取る。
「では、ごゆっくりされてくださいね」
そう言ったサキュバスさんが浴室から出ていこうと振り返ったときだった。
不意に、サキュバスさんの動きが固まったように止まってしまう。
「なっ…こ、これは?!」
見ると、お姉さんが両手を掲げてサキュバスさんの方に突き出していた。
お姉さんってば、魔法を使うだなんて、ズルいんだから!
とは思っても、私だってサキュバスさんに休んでもらいたいのは本当だし…休んでもらう以上に、一緒にのんびりと今の時間を過ごしたい、ってそう思っていたから黙っていた。
「行け!」
「おう!」
お姉さんの合図で、十六号さんがサキュバスさんに飛び掛かった。
「な、何をされるのですか!魔王様!十六号様!」
「サキュバス、あんたもたまには一緒にのんびりしようよ」
驚いた声をあげるサキュバスさんにお姉さんはそんなことを言う。
その間に、十六号さんがサキュバスさんの体に腕を回して、着ていた着物をスルスルと脱がせ始めた。
「ちょっ…何を…お、おやめください!」
サキュバスさんは顔を真っ赤にしながら十六号さんにそう言っている。
でも、お姉さんも十六号さんも辞めようとはしない。
それどころか二人はなんだかとっても悪い顔をして笑っているように、私には見えてしまってなんだか苦笑いが漏れてしまう。
「それ、まずは上から!」
言うが早いか、十六号さんがサキュバスさんの上の肌着をむしり取った。
その、えっと…あの…、お姉さんや十六号さん、ううん、妖精さんよりももっとその、ほほほほ豊満なおムネがバイン、と姿を現した。
「おぉぉぉ!姉ちゃん、サキュバスさんはドーンだぞ!」
「なんだと!?」
楽しそうに言う十六号さんの言葉に楽しそうに答えたお姉さんが、クイっと手首を折り曲げた。
すると、サキュバスさんは体を操られるようにしてこちらを向く。
とたんに、お姉さんは吹き出した。
「ぶふぅっ、こいつは…強敵だっ!」
「下も剥いじゃうからな!」
十六号さんが今度はサキュバスさんの履物に手を伸ばした。
「十六号様!後生です、どうかご勘弁を!」
サキュバスさんは涙目で十六号さんに訴えているけれど、それを聞いた十六号さんはさらに悪い顔をしてサキュバスさんに迫る。
そんなとき、私はふと、前にサキュバスさんから聞いた話を思い出していた。
サキュバスさん達は、神官の一族で、魔界に古くから暮らしている種族だ。もちろん、人間界の大尉さんやあのオニババって人もそうなんだろうけど…
でも、とにかく、サキュバスさんは言ってた。
自分たちは、生みの母たるにも、種たる母たる存在にもなれる、って…。
つまり、子どもを身ごもることも、身ごもらせることもできるってことだ。
いや、子どもが身ごもるっていうのがどういうことかは、私はよくは知らないけど、その…ふつうは男の人と女の人が結婚をして愛し合えばできるものなんだよね…?
そう考えると…なんだかわからないけど、とてつもなくイヤな予感が、私の脳裏を貫いた。
「に、人間ちゃん、サ、サキュバス様って…」
妖精さんもそのことに気が付いたみたいで、私にそう言ってくる。
「う、うん…もしかして…私たちとは違った体をしてるんじゃ…?」
「と、止めないと、まずいかな…?」
「ま、まずいかもしれないよね…」
私と妖精さんがそう考えを確認し合って、声をあげようとしたその時だった。
「され、これで最後だ!」
という十六号さんの叫び声とともに、サキュバスさんの付けていた下の肌着がハラリと剥がれ落ちた。
次の瞬間、私は浴室の空気が凍り付くのを感じた。
感じただけで、何が起こったのかはわからなかった。
なにしろ私の目は、私を膝の上に載せてくれていた妖精さんによって塞がれていたからだった。
「あわわわわわっ!」
妖精さんがそんなうめき声をあげているのが聞こえた。
「お、お、お、おい、サキュバス…?」
「ななななななな…なんだぁ…?!」
十六号さんとお姉さんの戸惑った声も聞こえて来る。
「お二人とも…!幾ばくか、ハメを外されすぎではございませんか………!?」
そんな、まるで悪魔の王様のようなおどろおどろしいサキュバスさんの声が聞こえた次の瞬間には、浴室の中に風が吹き荒れてドシン、と固い何かがぶつかる音が浴室に響いた。
「な、何事ですか!姫様!魔王様!」
バタバタと足音が聞こえて来てお風呂場に駈け込んできた師団長さんと、妖精さんの目隠しを外された私が見たものは、
風の魔法で壁にめり込んでノビてしまっているお姉さんと十六号さんに、ふくれっ面で、膝を抱える格好で湯船につかっているサキュバスさんの姿だった。
「なぁ、悪かったって」
お姉さんがボリボリと頭を掻きながらサキュバスさんにそう謝っている。
「ごめんなさい、調子に乗りました。ごめんなさい」
と、床に這いつくばって十六号さんもサキュバスさんに頭を下げている。
「許しません!」
サキュバスさんは二人の謝罪攻撃にもこれっぽっちもひるまずに、プンプンと頬を膨らませてそっぽを向いた。
あれから、私と妖精さんはサキュバスさんに、二人がどうしてあんなことをしたのか、ということを説明した。
一応は納得してくれて、体を隠しながらだったけれど私と妖精さんとのんびり浴室で時間を過ごしてくれたサキュバスさんだったけれど、お姉さんと十六号さんにはこんな感じだ。
そして、お風呂から出て来て、暖炉の部屋に呼びつけられても引き続きで、この状況だ。
「だいたい、お休みを頂けるにしても、素直にそのまま申してくれればよかったのではないですか?なぜ、嫌がる人の衣服を無理やりに脱がすなどということになるのです!」
まぁ、それはもっともな話だ。素直に言ったところで、サキュバスさんが素直に休んでくれるとは思わなかったにしても、だ。
「だ、だってあんた、休めって言っても休まないじゃないか」
「そういう問題ではございません!」
お姉さんの言葉に、鋭い口調でそう言い返したサキュバスさんの背後に、ピシャリと稲妻が走ってズズズン、と空気が揺れた。
雷雨のせいで、サキュバスさんの怒りが一層激しく思えてしまう。いや、本当にそれだけ怒ってる、か…
「私だったからよかったものの、ほかのサキュバス族やまして人間の大尉様であったらこれがどんな無礼であるか、わからないようなことはございますまい!?」
「はい…仰る通りです」
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
いつの間にか敬語になってしまっているお姉さんがそう言い、もう手足も頭も投げ出して床に突っ伏している十六号さんはもう、うわ言のようにただただそう呟いている。
いつもしとやかなサキュバスさんが怒るところなんて想像すらできなかったけど、普段そういう穏やかな人がいったん怒ると、こんなにも恐ろしくなるだなんて、
話には聞いたことはあるし感覚としては何となくわかっていたつもりではあるけれど、想像を超えて、今のサキュバスさんはおっかない。
まるで、頭から生えている角がそのまま伸びだして、黒い翼を広げてお姉さん達に襲いかかってしまいそうな、それくらいの勢いだ。
「まったく…人間様のお申し出がうれしかったのは分かります。ですが、浮かれてこのような行為に走られるのは短慮も短慮!王たる者のすることではございません!」
「い、いや、あたしは別に王としてこの魔界に住まいたいじゃ…」
「そういう意味ではございません!責任者として大人として、責任を持ち礼節をわきまえくださいと、そう申しているのです!」
「十三姉、もう何言ってもダメだよ、これはひたすら謝って時が過ぎるのを待つしかないよ」
「何かおっしゃいましたか、十六号様!?」
「あっ、い、い、いえ、なんでもないです、ごめんなさい。本当にごめんなさい」
そんな様子を見かねたのか、妖精さんが震える声で
「あのぉ…」
と口を開いた。
サキュバスさんの視線が妖精さんに向き、お姉さんと十六号さんは…妖精さんが援護すると思ったのか、少しだけホッとしたような顔付きになる。
二人とも、あんまり反省はしていないようだ…。
「サキュバス様、魔王様も、十六号ちゃんも、サキュバス様の一族のことを良く知らなかったからこんなことをしてしまったと思うです」
「そうだとしても、いきなり臣下の身ぐるみを剥いで良い理由にはなりません」
「あの、いえ、そうじゃなくって……それはいけないことだと思うです。でも…」
妖精さんは、そこまで言った一瞬、口ごもり、それでもグッと震えるのを堪えて続きを口にした。
「サキュバス様なしで、このお城は維持できないです。だから、怒って出て行ったりしないでほしいです…」
そんな言葉を聞いて、サキュバスさんはまるで何かに驚いたような表情を見せた。私も、正直、妖精さんの言葉になんだかハッとしてしまった。
サキュバスさんが怒ったとしても、まさかこのお城から出ていくなんて想像もしていなかったからだ。
でも、確かに妖精さんの心配はもっともだ。
あんなことをされたら、怒って出て行ってしまっても不思議じゃない。
少なくとも、例えば貴族様が家臣の身ぐるみを剥ぐようなことがあったとしたら、どんな理由があったとしたって、なにがしかの責めを受けることになると思う。
そのことに気が付いて、私も心配になってサキュバスさんを見やった。でも、そんな私たちを見て、サキュバスさんはやさしく笑った。
「そんなご心配には及びません。私が魔王様に誓ったのは、この身、この心、この命を捧げる契約です。何があっても、魔王様や皆様を見限って、ここから逃げ出ることなどありえません」
そんなサキュバスさんは、私と妖精さんの目をジッと見て、もう一度やさしく微笑んでくれた。
そう、そうだよね。
サキュバスさんは、本当なら、お姉さんに殺されたい、ってそう思っていた人なんだ。
それが、その考えを改めて、お姉さんと盟主と従者の契りを交わした。
その約束は、こんなことで心変わりしてしまうほどの安いことなんかじゃない。
もっともっと、大事にな近いのはずなんだ。
私はそれを聞いて、ホッと胸をなでおろした。妖精さんも、
「それなら、良かったです」
と安堵のため息を吐く。しかし、それを確かめたサキュバスさんの目が再び鋭く輝いて、お姉さんと十六号さんに向けられた。
「ですが、いえ、だからこそ、私は魔王様にこのような無礼は許されることではない、ときつく申しあげているのです!」
「いや、でもその身とその心をあたしに捧げてくれてるんなら、あんなことも水に流してくれてもいいんじゃ…」
「揚げ足取りなどしてなんといたします!無礼は無礼なのです、分かっていらっしゃらないので!?」
再びバシャっと稲妻が部屋を染め、ゴゴゴゴゴンと雷鳴がとどろいた。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい、もうしません、ごめんなさい」
お姉さんと十六号さんが再びそう言って謝り始める。
そういえば、昼間隊長さんが言ってたっけ。
ケンカは信頼していないとできない、大切なのは収め方、だ、って。
これも、きっとそれのうちなのかな…
そう思ったら、こんなに怖いサキュバスさんも、ただ怒っているんじゃなくって、愛情とか、信頼の裏返しでこんなに怖くもなれるんだ、ととらえることもできる気がした。
確かに、お姉さんと十六号さんはやりすぎだったよね。
まぁ、その…私も妖精さんも、あんなことをするってことに賛成したなんて、口を裂かれたって言い出したくはないけれど…
コンコン、と不意に、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「どちら様でしょう?」
サキュバスさんがそう答えると、ギィっとドアが開いて、お茶のセットをトレイに乗せた師団長さんが姿を現した。
「なんです、師団長。今は取り込んでいます」
ギロリ、とにらみつけたサキュバスさんに、師団長さんはニコッと笑って
「ですが、姫様。そう大きな声をあげられていますと、喉に良くございません。お茶を飲みながらでも、お説教はできるのではありませんか?」
と、そのまま私たちのところまでやってきた。
「口を出さないでもらえますね?」
「ええ、お邪魔は致しません」
サキュバスさんの鋭い視線に、師団長さんはそう苦笑いで答えつつ、トレイをテーブルに置き、人数分のマグを並べてポットからお茶を淹れはじめた。
「魔王様と十六号様は、明日の朝食は抜きですからね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!それはなしだろ、横暴だろ!」
「サ、サキュバスさん…あたしはただ、十三姉に言われたからやっただけなんです。十三姉は、あたしが逆らえないのをいいことに…」
「あ、おい!十六号、あんた何言ってんだよ!」
「だってそうだろ!?最初にやろうって言ったのは十三姉じゃないか!あたしはそんなことして良いのか、って言ったんだ!」
「あんた、自分だけ逃げようってのか!?」
「でも、あたしは最後まで反対したんだ!でも、十三姉ちゃんに妖精ちゃん達もそうした方が良いって、そう言うから…」
じゅ、十六号さん!なんてこと言うの!?
ギロリ、と鋭い何かが向けられた気がして、私は反射的に妖精さんと抱き合って身をこわばらせた。
見るまでもなく、サキュバスさんの鋭い視線が私たちに浴びせかけられている。
「お二人も、賛成だった…と?」
「いいいいや、その、えっと…だって、サキュバスさんに休んでほしくって…」
「そそうそうそうそうそう、そうですよ!休んで欲しいと言ったのは本当です!でも、あんなことをするとは思わなかったですけど、思わなかったですけど!」
「嘘つくな!あたしが最初に捕まえて脱がしちゃおうって言ったんだぞ!それでみんな、そうしようって言ったんじゃないか!」
「なるほど…では、やはり魔王様が最初に仰ったんですね…?」
「えっ!?あ、い、い、いや、その、えっと…それは…」
「そうなんですね…?」
そう言ったサキュバスさんが、ゆらりと立ち上がった。
さ、さすがにこれは止めた方が良いかな?そうだよね、止めるべきだよね?
じゃないと、お姉さんがまた、石壁にめり込むような勢いで吹き飛ばされてしまうかもしれない…!
そう思って私がイスを立とうとしたとき、ハハハ、と控えめな笑い声が部屋に響いた。
「素敵ですね」
そう言ったのは、師団長さんだった。
「邪魔をしないと言ったではありませんか」
サキュバスさんが鋭い視線を向けて言う。しかし、師団長さんは顔色を変えずに
「邪魔ではありません。感想を述べているだけでございます」
と、私たちのところに、カップのお茶をトレイに乗せて運んできてくれた。
「家臣が主に、はばかることなく怒りをぶつけることができる。主もそれを認め、非難されるべきを甘んじて受け入れる。こんな主従関係は、素敵ではありませんか」
師団長はそう言いながら、トレイを私たちの真ん中に置いて、そのうちの一つを手に取った。
「湯あみで火照ったお体に心地良いよう、うんと冷やしてお持ちしました。どうぞ、お召し上がりください。もしかしたら、姫様の頭も冷えるやもしれません」
そんな言葉に、サキュバスさんがふん、と鼻を鳴らしてカップを一つ手に取った。
「皆様もどうぞ」
師団長がカップを掲げてそう私達にも声をかけてくれた。
きっと、サキュバスさんの勢いを心配して、水を差してくれたに違いない。
私は、師団長さんの言葉にそんな気遣いがあるのかもしれないと思って、
「私、頂きます!」
と大げさに言ってカップを手に取った。
「わ、私も!」
妖精さんもすぐに私のあとに続く。そんな私たちを見て、サキュバスさんがはぁ、とため息を漏らして
「勢いがそがれてしまいましたね…」
と呟くように言い、チラリと師団長さんを見やってから
「彼女の気遣いに免じて、今日はこのくらいにしておきましょう」
とやおらその表情を緩めた。それから
「魔王様、十六号様。ご一緒にいただきましょう」
と、二人にいつものやさしい口調で声をかけた。
お姉さんと十六号さんはハッと顔をあげて安堵の表情を浮かべ、私たちの座っていたテーブルの席に着いて、それぞれにカップを手に持った。
それを見るや、師団長さんが高らかに
「では、この魔王城の素晴らしい主と、その家臣団の皆様と、それに、魔族、いえ、世界の平和を願って」
と呼ばわった。
本当にケンカは、落とし所、だね。私は、師団長さんの手際に内心、そんなことを思いながらカップを前に突き出した。
お姉さんにサキュバスさん、十六号さんと妖精さんもカップを突き出して、テーブルの真ん中でカチンとぶつけ合う。
「本当にごめんな、サキュバス」
お姉さんがそう言って、カップのお茶を一気にあおった。
「ごめんなさい、もうしません、ごめんなさい」
と、十六号さんもグイッとカップを飲み干す。
「本当です。次は、風魔法程度では許しませんからね」
サキュバスさんがそう念を押して、カップを空にした。
そんな姿を見て、笑いあった私を妖精さんもグイっと一気にお茶を飲む。
師団長さんの言う通り、キンキンに冷えたお茶は、まるで火照った体を冷やすようにギュンとお腹の中へと落ちていく。
冷たすぎて、舌がしびれるような感覚がするくらいだ。
とたん、グラリ、と視界が揺れた。
また雷かな、と思って窓の方に目をやるけど、稲妻が走ったり、閃光が瞬いたりはしていない。
あれ、なに…これ…?
か、体が…動かない……?
そのことに気が付いて、私は周りのみんなにそのことを伝えようとなんとか顔をあげた。
その私の視界に、何かが映った。
部屋の微かな明りにきらめく、私の腕の半分ほどの長さのそれを、師団長さんが胸元に音もなく引き寄せた。
暖炉の火に、再びそれがギラリと光る。
それは、細身のダガーだった。
「申し訳ございません、魔王様」
師団長さんが、低い声でそう言った。
そして、胸元に構えたそのダガーをお姉さんに向けて突き出した。
そういえば、隊長さんはこうも言っていたっけ。
先代様を討ったようなお姉さんに大人しく黙って従っているような人の方が返って不気味だ、って。
師団長さん、そんな、まさか…!
「魔王様!」
部屋に、サキュバスさんの絶叫が響いた。
次の瞬間、ダガーはお姉さんの左の胸に突き刺さり、その先端が背中から飛び出した。
ゴトリ、と、お姉さんの体が床に転がる。
「十三姉!」
十六号さんがそう叫んで、イスから飛びだし、師団長さんを蹴りつけた。
師団長さんは床を転がって行った先で体制を整えて着地する。
「お姉さん!」
私もそう声をあげて、お姉さんに駆け寄ろうとするけれど、体が言うことを効かない。
イスから降りたは良いものの、足に力が入らずに、床にぐしゃりと崩れ落ちてしまう。
床に転がった私は、それでも、お姉さんを見つめた。
お姉さんは、ゲホゲホと何度もむせ返りながら、身動き一つせずに床に転がったままだ。
何がなんだか、もう私にはわからなかった。
どうして?
どうしてお姉さんが?
どうして師団長さんがこんなことを…?
お姉さん、お姉さん大丈夫…?
しっかり…お姉さん、お姉さん、死んじゃイヤだよ…お姉さん…!
私は動かない体に必死に力を込めて、お姉さんのそばまで這っていく。
床は血まみれで、お姉さんはビクンビクンと体を震わせている。
「さすがに、人間の魔法陣を扱えるだけのことはありますね…毒を以ってしてここまでの身体能力とは…」
師団長さんがお腹のあたりをさすりながら、そう言う。
「妖精ちゃん!動ける!?」
「うぅ、ダメです…体が、おかしいです…!」
「くっ…師団長…なぜ、なぜこのようなことを…!」
十六号さんは何とかって様子で経って、師団長さんから私たちをかばうように立ってくれているけど、妖精さんもサキュバスさんも動けない。
さっきのお茶に、毒が仕込まれていたんだ…
お姉さんはその上に、ダガーで胸なんか刺されて…
「お姉さん…お姉さん、しっかり…!」
私は何とか体を動かして、お姉さんに縋り付くようにしてそばに寄り沿う。
苦しげな表情のお姉さんが、私の手をギュッと握ってきた。
でも、私には、その手を握り返すだけの力がない。
また…また、私は何もできない…お姉さんを助けることも、お姉さんの力になることも、サキュバスさんや妖精さんを守ることすらできない…
どうして…どうしてこんなことになっちゃうの…?
お姉さんは…お姉さんはただ、世界を争いのない世界にしたかっただけなのに…だた、それだけなのに…
「あんたぁ…!どうしてこんなことを!」
十六号さんの怒号が室内に響く。
すると、師団長さんは悲しげな表情で笑って言った。
「我ら一族は…この大陸の調和を守るための存在。そして、その調和のために、二つの紋章を盛った古の勇者の再来は、危険極まりないのです」
「それが…それが一族の決定だというのですか?!」
サキュバスさんが、体を震えさせながらイスから立ち上がり、師団長さんをにらみつけてそう聞いた。
その質問に、師団長さんはうなずく。
「はい、姫様…残念ながら、そのお方は、我らの掟を破る者。排除し、魔王の紋章を返していただきます」
「あなたは…魔王様の言葉を信じていたわけではなのですか…?!私たちを、だましていたのですか!?」
「いえ…私は、魔王様を、これまでのどんな魔王よりも、魔族を愛し、その安寧を願われている方だと、そう思っていました…先代様が選ぶにふさわしい、立派な方でした」
サキュバスさんの質問に答えた師団長さんの目から、ハラリと涙がこぼれた。
昨日の晩に、師団長さんは言っていた。
お姉さんが魔族の王にふさわしい人だって、敬愛できる人だってそう言っていた。涙を流しながら言ったんだ。
あれは、嘘なんかじゃなかった。
師団長さんの本当の気持ちだった。
…でも、師団長さんはその言葉の最後に言った。
一族の習わしや、他の魔族の想いが同じとは言えないけど、って…
もしかして、師団長さんは…最初からお姉さんを殺すためにこのお城にやってきて、私たちに信用されるように私たちの味方をしてくれて、あんなに気遣ってくれるようなことをしてきたの…?
うそ…そんなの、うそだよ…!
「なんにしても、十三姉ちゃんを傷つけた罪は、その命で払ってもらうからな…!」
十六号さんが、そう呻いた。しかし、師団長さんは涙をぬぐって身構える。
「その体で、私とやり合えると思わぬことです」
でも、それを聞いた十六号さんが笑った。
「ハハ、そうでもないよ…人間の魔法ってのは、身体能力の強化だ…アタシらは、そのとびっきりのやつを十二兄ちゃんに仕込まれてる。要するに、だ」
十六号さんは、両腕を振って師団長さんの回りに幾重にも魔法陣を張り巡らせた。
それは、今まで私が見たことのない魔法陣だ。
「バ、バカな!?毒を食らっても、これほどの力を!?」
「いや、毒は結構聞いたよ…でもな、身体強化ってのは、何も筋力を強くするばっかりじゃない。その気になれば、体から毒を排する力を高めることだってできるんだ!」
十六号さんはそう叫ぶと、突き出した両腕の手をギュッと握りこんだ。
「潰れちゃえよ、あんたさ!」
とたんに、師団長さんの周囲にあった魔法陣が、一斉に師団長さんに降りかかった。
それは、まるで重い岩のようで、師団長さんは魔法陣一つ一つを体に受けるたびに、体を弾かれてまるで踊りでも踊っているかのように倒れることもなくその場でもんどりを打つ。
でも、次の瞬間、十六号さんが何かに弾き飛ばされて、壁に激突した。見ると、私たちのすぐそばに師団長さんがいて、魔法陣に打たれていた方には誰の姿もなくなっている。
もしかして今のは、光魔法…!?
「このぉ!」
十六号さんが壁を蹴って師団長さんに飛び掛かる。でも、師団長さんは両腕を前に振って室内に風を巻き起こした。それにあおられて十六号さんは別の方の壁へとたたきつけられる。
「くそっ…くそぉぉ!」
十六号さんがそう叫んだ。でも、壁にへばりついたようになった十六号さんは身動き一つしない。
風の魔法で、壁に押し付けられているようだ。
「なかなか強力ですが…やはり、まだお若い。戦い方を知らないようですね」
肩で息をしながらも師団長さんはそう言って、それから私とお姉さんのところまで歩いて来て、上から私たちを見下ろした。
その眼は、悲しげな決意に満ちていた。
「やめて…師団長さん、お願い…お姉さんを、殺さないで…!」
私は、必死に体を動かして、お姉さんをかばうように覆いかぶさる。
でも、師団長さんはそんな私を蹴り除けて、それから片腕をユラリと振り上げた。
「魔王様!」
「十三姉!くそっ…やめろ…やめろぉぉぉ!!!」
「お姉さん…やめて!!!」
そんな私たちの絶叫が終わらないうちに、部屋にひときわ大きな雷鳴が鳴り響く。
一瞬、目の前が真っ白になって、目を閉じてしまっていた。
カツン、と足音が聞こえた。
「まったく、騒がしいと思えば、どうしてこうも厄介なことになってるんだろうな」
次いで響いてきたのは、抑揚のない単調な男の人の声。
見上げればそこには、大きな背中。見覚えのある黒いマントに、色の薄い短い髪。
「ま、ま、魔導士、さん…?」
私は、思わずその名を呼んでいた。
それに気が付いてくれたのか、魔導士さんは私を振り返ってニコリ、と初めて笑顔を見せてくれる。
「十二兄!」
十六号さんが、私たちのところに駆け寄ってくる。
「よくやった、十六号。まずまずの時間稼ぎだ」
そんな十六号さんに、魔導士さんが言う。
「手間かけさせる前にやっちゃおうと思ったのに…ごめん」
「奴はかなりの使い手だ。お前らなんかには手におえない。気にするな」
肩を落とした十六号さんの頭を、魔導士さんはそう言ってやさしく撫でた。
「手当できるか?」
「回復魔法はできない…でも、単純に活性させるだけなら、なんとかなる!」
「それでいい。そいつなら、それだけでも時期に自分で回復できるだけの力を取り戻せる。やれ」
魔導士さんと話をした十六号さんは、その言葉にうなずいて私とお姉さんのそばにやってくると、ひざまずいてお姉さんに両腕を掲げた。
十六号さんの手の平の前に魔法陣が浮かび上がって、柔らかな光がお姉さんを包み込んでいく。
回復魔法とは違うようだけど、それでもお姉さんの傷をいやすための魔法のようだ。
良かった、お姉さん…!頑張って…!
「なぜ…なぜ、ここが!?」
不意に、いつの間にか、部屋の反対まで追いやられ、体中から微かな煙をあげている師団長さんがそう呻き声をあげる。
「十六号とやりあったのが運の尽きだ。この一帯は、俺の感知魔法を敷いてある。お前ら魔族の魔法を発動できるかはいまいち確証はなかったが、打ち合わせどおりに、十六号が真っ先に攻撃魔法を使ったんでな。とんてきてやったのさ」
魔導士さんは師団長さんにそう言い放って、両腕に魔法陣を浮かべて見せた。
そして、怒りのこもった声で師団長さんに言った。
「で、今死ぬか?それとも、洗いざらい吐いて死ぬか?選ばせてやろう…」
でも、そんな師団長さんは、やがて何かを覚悟した笑みを浮かべて、膝から崩れ落ちるようにその場に項垂れた。
「あきらめた、か…」
そう言って、魔導士さんが腕から魔法陣を打ち消す。
その時だった。
部屋の向こうで項垂れていた師団長さんの回りに、光る魔法陣が姿を現した。
あれ…あの魔法陣は…!
「まさか…!?転移魔法だと…!?逃げる気か!」
そう魔導士さんが呻いた次の瞬間、部屋にパパパっと閃光が瞬く。
そして、その閃光の跡の光景を見て私は息をのんだ。
なぜならそこには、師団長さんが逃げただなんてのとは全然違う、
魔導協会のローブを羽織った人たちと、そして、その中に、私と背丈の変わらないくらいの、小さな子どもたちが何人もいる光景があったからだった。
つづく
乙!!
乙
ここで切るのか!
最近一回一回の引きがすごくなってる気がする。
早よ!次回早よ!!
「あの者達は…まさか…!」
「ああ…くそっ…どうしてこんなことになってやがる…」
サキュバスさんの言葉に、魔導士さんがそう吐き捨てた。
そんなの…変だよ…どうして、どうしてサキュバス族の師団長さんが、魔導協会なんかと…?
「いつからだ…?」
魔導士さんが低い声で尋ねる。すると一団の中にいたあの神官の一族のオニババは不敵な笑みを浮かべて答えた。
「あなた方があの子を連れ去ってしまいましたのでね…魔界に残った一族と合議をして決定したのですよ。
その2つの紋章をただの人間に持たせたままでいるのは危険である…そう結論されました」
「ふざけるな…貴様がそんなことのために動いていたとは思えない。本当の目的は?!」
「我々は、世界の調和を望む者。世界の均衡を保つ者。そして、二つの紋章を管理する者。いずれの条件をも満たす方法は、すでにあなたも考えているのではなくて?」
オニババの言葉に、魔導士さんが表情を歪めた。
「紋章とあの竜の娘を使って、世界を管理するつもりか…?!」
「ふふふ…ご名答。さすがに主席だったことはありますね」
そうか…そうなんだ。魔導協会が竜娘ちゃんを捕らえて、二つの紋章を欲しがった理由…
それは二つの紋章を神官の一族の持ち物にして、その力で、世界の戦争を終わらせるつもりだったからなんだ…
「それで世界が平和だと…?寝言もほどほどにしておけよ…!」
「寝言とはずいぶんな言い様ですね。何も民草から自由な生活を奪うつもりはありませんよ。
ただ、力を以って世界の平和に反する行為を抑止し、もし行動に移る者がいれば力を以って押さえ込む…何か問題があって?」
「それは圧政と何ら変わらない。貴様らは王に、いや、神にでもなるつもりか?!」
「それを神と言うのなら、そうなのでしょう。もっとも、私はそうは感じていませんが」
そう言ったオニババはニヤリと笑った。世界の平和のために、世界を秩序を守る役を、二つの紋章を使ってしようって言うんだ…
サキュバス族がそれに賛成している、ってことは、一所に人間界の神官の一族とサキュバス族とが集まって、共同で紋章を管理するってことだろう…
いい考えのように思えなくもない…少なくとも、戦争で大勢の人が死んでしまうよりは…
私は、意外にもそんな事を考えてしまっていた。
もし、神官の一族達が王制や魔界の統治する魔王って存在を脅かすつもりがないのなら…それはひとつの理想的な世界なのかもしれまい…
でも…。
私は傍らで苦しんでいるお姉さんを見やった。きっとお姉さんはそんなことには賛成しない。それこそ、そうしようと思えばやれてしまう力を持っているのがお姉さんだ。
だけど、お姉さんはそれを絶対にしなかった。北部城塞の人間を切った以外では、魔族も、私達を攻撃して来た東部城塞の人達さえ、力を使わなかった。
お姉さんにはもっと別の…違う平和な形を想像していたに違いないんだ。
「さて…無駄なおしゃべりで彼女の回復を待とうとされているのでしょうが、そうさせる訳には行きません。手早く片付けさせて頂きますよ」
「ちっ…!」
オニババの言葉に魔導士さんが身構えた。
「あの人を殺せば良いんですか?」
不意にそう聞こえて全員の前に足を踏み出したのは、魔導協会で見た仮面の女の子だった。他の子ども達は顔の下半分だけ隠せるマウスだけど、あの子は違う。
顔全体を覆うマスクで、目や顔は見て取れない。
でも、確かなのはあの子が魔導士さんを圧倒する力を持っていることと、それに近い力を持っているかも知れない他の子ども達の姿だ。
一対一でも勝てなかった魔導士さんが仮面の子の他に、別の子達と魔導協会のろーぶを纏った人達を一人でいっぺんに相手したって、勝てるとは思えない…
そのことを十分理解しているんだろうオニババが答えた。
「ええ、まずはあの男を全力で片付けなさい。他の子ども達も手を貸しなさいね。戦力は圧倒的ですが、彼の底力は油断出来ませんからね…」
微かな衣擦れの音だけをさせて、小さな人影が前に出てくる。
そのうちの一人は、あのときと同じ仮面をつけた子ども。
そして、その子のほかにも、口元だけを隠すような仮面をつけた子ども達が5人もいる…
「いかにあなたと言えど、この子達と私達魔導協会の精鋭相手に、どの程度持つのでしょうか…?」
「くっ!」
オニババの言葉に、魔導士さんがそう歯噛みする。
「十二兄!アタシも…!」
「ダメだ!もしこいつらの…特にあの仮面の子どもの相手をできるのは、十三号だけだ。そいつを回復させない限り、俺たちに勝ちはない…」
「でも…!」
十六号さんの悲痛な叫びが部屋に響く。
そう、この状態では、お姉さんの回復なんておぼつかない…せめて、妖精さんとサキュバスさんの毒がなければ、
妖精さんに回復してもらって、十六号さんとサキュバスさんも戦えるのに…
今の状況じゃ、私でもどうにもならないってことくらいは分かる…
どうしよう…このままじゃ、みんなが…お姉さんが…!
そう思っていたときだった。
バタン、と扉が開いて、部屋にドカドカと激しい足音をさせて何人もの人がなだれ込んできた。
「あぁ、くそ…そっちは想定外だったな…」
呟くようなダミ声が聞こえる。
そこに居たのは、隊長さんたち王下軍の元諜報部隊の面々と、そして虎の小隊長率いる魔族軍突撃部隊の人たちだった。
「お前ら…!」
「あぁ、連隊長殿。そこらじゅうをうろついてた元近衛師団の連中は俺達の部下とほかの魔族軍のやつらに捕縛させた。
どうやら、師団長殿のたくらみに関しては知らねえようだったが…まぁ、信用できやしねえよな」
隊長さんが魔導士さんにそう言って、腰に下げていた剣を抜いた。
「さて…近衛師団の相手をすりゃぁ良いと思って来てみれば魔導協会とは…こいつは、骨が折れそうだな」
「裏切り者同志が手を組んだ、ってわけか。いけ好かない」
「どっちが裏切り者かなんてわかりゃしないよ。そんな小さいことにこだわる必要なんてない。アタシ達は、城主サマの命を守るだけさ」
「そうね…混乱しているからこそ、私たちは私たちの信じる者を守りましょう…!」
虎の小隊長さんも、女戦士さんも、鬼の戦士さんも口々にそう言って剣や槍、斧を手にして構える。
他の、顔を見たことがあるくらいしか知らない人間と魔族の軍人さんたちも、武器を引き抜いて魔導協会の人たちに向かって構えた。
「十六号!」
そんな支援を受けた魔導士さんが、不意に十六号さんの名を呼んで、そして怒鳴った。
「飛べ!」
それを聞いた十六号さんは、一瞬ハッとしたような表情を見せて、素早くサキュバスさんと妖精さんを自分のそばに抱き寄せた。
それから、もう一方の腕で私とお姉さんを抱き込むと、目をつむって何かを念じはじめる。
とたんに、床の上に私たちを囲むように魔法陣が現れた。
「転移魔法!」
「慌てることはありません。すぐに追えます。まずは、ここにいる反逆者たちを片付けましょう」
魔導協会の人とオニババの会話が聞こえた次の瞬間、目の前がパッと光って、私たちは星の輝く夜空の下に居た。
あたりには青々とした草が生い茂り。あちこちに花がたくさん咲いている。
ここって…確か、ボタンユリを取りに来た、あの場所だ…!
私はそのことに気が付いて、顔をあげて遠くを見渡した。
その先に、雷雲に覆われている魔王城の姿だけが見える。
ここへ転移魔法で逃げて来て…魔導士さんたちが戦っている間に、お姉さんを回復させるつもりなんだ…
私は、十六号さんと魔導士さんの考えがわかって我に返り、それまで庇っていたお姉さんを見る。
お姉さんは、なおも弱弱しい呼吸をしていて、苦しそうだ。
お姉さん、頑張って…今、十六号さんが治してくれるから、それまで…!
でも、そんなときだった。パパッと目の前が光って、草原のその先に、二人の人影が姿を現した。
それを見て、私は息が詰まるような感覚を覚える。
それは、師団長さんと魔導協会のローブを羽織った男の人だった。
「し、師団長…」
サキュバスさんが苦しそうにそう呻く。
「くそっ…!」
十六号さんもそう歯噛みした。
十六号さんでは、師団長には勝てそうになかった。それに、今は戦えるのも回復ができるのも、十六号さん一人だけ…
ダメだ…ここに来ても、なんの解決にもなってない…
「十六号様…毒抜きの魔法は扱えますか?」
不意に、サキュバスさんが十六号さんに聞いた。
「え…?あ、はい…使えるけど…でも!」
「妖精様の毒抜きをお願いいたします…妖精様さえ魔法を扱えるようになれば、魔王様の回復を早められます」
「でも、毒抜きにも少し時間がかかる…あいつらが、そんなことをさせてくれそうもないだろ…?」
思わず、という感じで言葉を荒くした十六号さんがそう主張する。でも、そんな十六号さんにサキュバスさんが言った。
「大丈夫です…その間の足止めは、私が引き受けます…」
サキュバスさんは、そう言うなり体を震わせて立ち上がった。
「姫様…どうしても、邪魔をされるというのですか…?」
師団長さんが、そんなサキュバスさんに尋ねる。
すると、サキュバスさんは苦しそうなその顔を、やおら力のない笑みに変えた。
「私は…死ぬつもりでした。先代様とともに、勇者にこの首を刎ねてもらうつもりでした。ですが、その勇者は、いえ、新たな魔王様はおっしゃいました。
傍に侍り、ともに生きないか、と…師団長、あなたも存じているはずです。魔王様は、種族や思想、そんなものを見ているのではありません…
この方は、常に、私たちの命を、私たちの存在そのものを考えてくれているのです。
私は、その思いにこの命を救われました。そのときから、私の命は、魔王様の思いとともにあります。
ですから…」
不意に、サキュバスさんの周囲に小さな風が舞った。
背中の羽と頭の角が黒い霧になって空中に溶けていく。
そして、サキュバスさんは…妖精さんや、あのときのトロールさんと同じ、“元”の人間の姿になって見せた。
「魔王様の命を取ろうとするのであれば、まずは私を殺して行きなさい…!」
「それが、姫様の答えなのですね…魔族の禁忌を犯し、一族の意志に背き、その者を守るというのですね…」
サキュバスさんの言葉に、師団長さんはお姉さんを刺したあのダガーを片手に身構えた。
「姫様、残念ですが、仕方ありませんね…同胞のなさけです。一思いに、斬らせていただきます」
「ふふふ…残念なのは、あなたです、師団長…」
不意にサキュバスさんが笑った。
次の瞬間、サキュバスさんの両肩が光りはじめる。
そこには、魔導士さんが描くのによく似ている魔法陣が浮かび上がっていた。
それは、魔導士さんが妖精さんやトロールさんに施したものと同じもの…人間の、身体強化の魔法陣だ。
「今の私は、あなたが良くご存じの私とは違うものと思われた方がよろしいですよ」
サキュバスさんがそう言った次の瞬間、すさまじいつむじ風が巻き起こって、魔導協会の人と師団長さんを包み込んだ。
立っているだけでやっとに見えるのに…サキュバスさんが、こんな魔法を…!
「姫様…人間の魔法陣などを施して、ついには魔族までをも裏切るおつもりなのですね!」
つむじ風にまかれながら、師団長がそう叫ぶ。
だけど、サキュバスさんの攻撃はそれでは終わらなかった。
サキュバスさんはつぶさに右肩の紋章を光らせると、その腕から逆巻く炎を吐き出した。
炎は旋風に巻き込まれるように吸い寄せられ、たちまち炎の渦になって師団長さん達を包み込む。
肌が焼けそうな熱さが私の肌を襲った。
「なるほど…確かにこれは、強力ですね…!」
突然、頭上から降りかかるような声が聞こえて私は思わず空を見上げた。
そこには、両腕をほのかに光らせている師団長さんの姿がある。
それに気付いた瞬間には師団長さんがその両腕を振るった。
途端に、辺りの地面が盛り上がり、私達目掛けて殺到してくる。
こ、これ…土の魔法!?
「くっ…!」
サキュバスさんはそう声を漏らして、震える両腕を大きく横向きに突き出した。
サキュバスさんの腕から巻き起こった強風が、迫ってくる土の壁にぶつかって押し留める。
その刹那、暗闇から一閃の何かがサキュバスさんに飛びかかった。
魔導協会のローブの人…!
それに気付いたサキュバスさんは身を捩って躱そうとする。
でも、毒で体の自由の効かないサキュバスさんは避けきる事ができず、ローブの人の蹴りを直接下腹部に叩き込まれた。
「ぐっ…!」
苦しげなサキュバスさんの声が漏れる。
「サキュバス様!」
妖精さんが叫んだ。
途端に、空から光筋が何本も降ってきて、ローブの人を追いかけるように這い回る。
辺りに、火が燻ったような匂いが立ち込めた。
今度は妖精さんの光魔法…!
「妖精ちゃん、動いちゃダメだ!まだ解毒出来てない!」
十六号さんが妖精さんにそう叫ぶ。
「でも、サキュバス様がやられちゃうですよ!」
妖精さんが十六号さんにそう怒鳴り返した。
蹴りをもらってしまったサキュバスさんは、脚を震わせてその場に膝を付く。
それでも、なんとか土の壁を風の魔法で防いでくれていた。
サキュバスさんは、人間の魔法で力を強化しているだけじゃない。
魔導士さん達と同じように、人間の魔法を操ることも出来た。
でも、それでも…今のサキュバスさんじゃ、やられてしまうのは時間の問題だ…
毒もあって体がうまく動かないし、風の魔法も東の城塞で見たものよりも力がない。
それなのに相手は二人…しかも師団長さんはサキュバス族の中でも一番の使い手で、大尉さんが言うには天才だって、話だ。
もしかすると、毒のない状態でも人間の魔法がなければサキュバスさんの方が不利かもしれないのに…
私はそう思って後ろを振り返った。
そこには、十六号さんの治療魔法を受けている妖精さんが上半身を起こし、片腕を突き出して必死に月の光を使ってあの光の筋でローブの人へ攻撃を仕掛けている。
妖精さんに治療を急がせるためには、サキュバスさんへの攻撃を誰かが防ぐ必要がある…
でももう、それにかかりきになれるのは…私しかいない…
そう思った私は、もう無我夢中だった。
反応の鈍い体を引きずって、私はサキュバスさんの前に立った。
砂漠の街で女騎士さんが買ってくれたダガーを腰のベルトから引き抜いて、体の正面で構える。
使い方なんて分からない。
こんな物で誰かを傷付けようだなんて思ったこともない。
でも、でも…!
今私が足止めをやらなかったら…お姉さんも、みんなも、大事なものを全部なくしてしまうようなそんな気がする…
父さんや母さんのように…もう、手の届かないどこかに行ってしまう気がする…
そんなのは…そんなのは、いやだ!
「人間様!お下がり下さい、危険です!」
背後からサキュバスさんの声が聞こえる。
でも私は振り返らなかった。
ううん、毒のせいでそんな事をする余裕もない。
ビリビリと全身が痺れて力も出ないし感覚も鈍い。
正直、立っているだけで精一杯だけど…でも、私だって…私もみんなを守るんだ!
「どかない…!」
私はそうとだけ叫んで、地上に降りてきた師団長さんを睨みつけた。
洞窟にやって来た偽勇者さん達の前で私はただ、怒鳴ることしか出来なかった。
今だってそれに変わりはない。
だけど、それでもやらないよりはずっと良い!
「師団長さん、昨日の晩の話は嘘だったの!?」
私は声の限りに師団長さんに怒鳴った。
嘘ではなかった、って、お城でも言っていた。
それは分かってる。
でも今は、少しでも時間が必要だ…!
「嘘ではないと申しました…。私個人としては、魔王様を敬愛いたしております…」
師団長さんは少し沈んだ声で言った。
「それならどうしてこんなひどいことするの!?掟がそんなに大事なの!?
昔の人が決めたわけの分からない決まりを守るためだけに、今を平和したしたいって気持ちを無視して傷付けて、何の意味があるの!?」
私の言葉に、師団長さんの表情が歪んだ。
「我々はこの大陸の調和を司る者!二つの紋章を持つその方が調和にとってどれほど危険か、お分かりになりませんか!?
その方は、その気になれば大地を割り、空を引裂き、数多の命を奪ってもなお余りある力を持っているのですよ!?」
「お姉さんはその力を使いたがらなかった…使わせようとするのは、みんなお姉さんの願う平和な世界に相容れない、怒りに染まった人達だけじゃない!
師団長さんだって同じ…!こんなことしなければ、お姉さんは戦いなんて望んでいない。支配しようなんてこれほども思っていない…!
ただ、みんなが笑って暮らせる世界を作りたい…そう思っていただけなのに!」
「その方はそうであったとしても…それを継ぐものが同じとは限りません。人は痛みを忘れる生き物です。
戦争を知らぬ者がその紋章を継げば、再び戦乱が起きるでしょう。
しかも、今度は大陸の人々すべてが命を賭しても覆すことの出来ない巨大な力として、この大陸を荒らしましょう…
それを防ぐ手立ては、我ら神官の一族の手に紋章を納め正しく管理する以外にありません」
「お姉さんを殺してまで紋章を奪おうって人達に、どうして平和なんて事が考えられるんですか!?
正しく世界を管理するなんて、人を殺してまでそれを成そうとする人達になんて出来るはずない!」
私は、負けなかった。
負ける訳にはいかなかった。
私は戦えない。
相手をやっつけるだけの強力な魔法を使うことも、素早く無駄なくダガーを振るうことも出来ない。
でも、そんな私が戦いの中でただひとつだけ出来ることがある。
それは、話すことだ。
説得するでも、理解してもらうでもない。
お姉さんの意思を代弁する者として、お姉さんの思いを知る者として、お姉さんの気持ちを考えて、その思いをぶつける…
たとえ届かなくても、たとえ聞いてもらえなくても…思えば私はずっとそうしてきた。
戦いのときも、そうじゃないときも、お姉さんの思いを受けて、それを伝えて来た。
畑の指揮官様の、唯一の武器で、唯一出来る抵抗だった。
「私は…私はこんな方法許さない…!例え世界が平和になっても…争いがなくなっても…!
そんな物のために誰かが犠牲にならなきゃいけないんだったら…私の大事な人を殺されなきゃいけないのなら、私はそんな平和は要らない!」
師団長さんの表情はさらに厳しく曇る。
迷っているんじゃない。
私の言葉に言い返すことを考えている感じだ。
言い返されたなら、さらに言い返してやればいい。
長引けば長引くほど、師団長さんが私と戦おうとすればするほど、妖精さんの毒を抜く時間が稼げる…少しでも長く…少しでも、ほんの少しだけでも…!
「私だって…本当ならこんなことしたくはありません…ですが、掟なのです。この世界を保つための、我々の世界を壊さないための、決まりなのです!
その方は、存在そのものが危険だということが、なぜ分からないのです!?」
「お姉さんを知っているんなら、敬愛しているのなら分かるはずです!お姉さんは世界を壊したりしない…世界を力で変えようなんてしない…!」
「では、魔王様が北部城塞で行った人間軍への攻撃はどうなります!?激情に駆られてあのような行為をする者に、世界を壊すほどの力を与えたままでいいと仰るのですか?」
「そのために、私達がいます…私達はお姉さんの意思を理解して、お姉さんと共にあります!
あのとき、私はお姉さんを北部城塞にたった一人で行かせてしまった…だからお姉さんは怒りに飲まれてしまった…失敗だったと思います。
私やサキュバスさんが一緒にいればあんなことにはならなかったはずです!」
「そんな仮定の話で納得出来ることではありません!
現に、被害が出ているのです…同じ事が次起これば、世界が壊れてしまうかもしれない。それを防ぐには、この方法しかないのです…!」
急に、師団長さんの声のトーンが落ちた。
戸惑っているんでも、困っているんでもない。
あれは感情を圧し殺して、何かをやり遂げようとするための表情だ。
ダメ…もう少し…もう少しだけ付き合って…!
「あのときの涙は…何だったんですか!?」
私の叫び声に、師団長さんは、いつだか、お姉さんが良く見せていたのに似た、あの悲しげな笑みを浮かべて言った。
「愛する主を殺さねばならない、家臣の涙ですよ」
ふわり、と辺りに風が吹いた。
風魔法が…来る…!
私はとっさに体を固くして襲って来るだろう衝撃に備える。
そんなとき、私の目の前に何かが覆いかぶさってきた。
柔らかな体が私を包む。
これ…サキュバスさん…?
ま、待って…サキュバスさん…何を…!?
次瞬間、シュン、とまるで竹棒を振ったときのような風を切る音がいくつも耳に届き、そして、サキュバスさんが呻いた。
「かはっ…!」
ドサリと、サキュバスさんの体が私の上に降ってくる。
支えようとするけれど、毒のせいで僅かにこらえることすらできずに私はその体に下敷きにされてしまった。
ヌタっと生暖かい何かが手に触れる。
これって…血…?
サ、サ、サキュバス…さん…?
私はサキュバスさんの下から這い出て、その顔を見やった。
ゴボっと、サキュバスさんは苦しそうに血液を口から吐き出す。
今の、風の魔法じゃなかったの…?
風の魔法は、物を押し上げたりする魔法じゃないの…?
どうして…どうしてこんなに、いっぱい、血が……?
「サキュバスさん!」
私はサキュバスさんの体を抱きしめた。
サキュバスさんの体のあちこちには切り刻まれたような傷跡があり、口から以上の血が流れ出している。
サキュバスさん…私を庇って…!
「に、人間様…」
サキュバスさんが震えるし唇を動かして私の名を呼んだ。
「サキュバスさん…!しっかりして!」
そう言った私に、サキュバスさんはクスっと笑顔を見せてくれて、言った。
「さすがの、名調子でございました…お見事でしたよ…」
ゴボっと、再びサキュバスさんの口から血が溢れ出す。
「ダメ…ダメだよ、サキュバスさん…喋らないで…お願い…!」
私は必死にサキュバスさんにそう言った。でも、サキュバスさんはまたニコリと笑って
「魔王様を、お願いいたします…ね…」
と私の目を見て言ってくる。
やだ…いやだよサキュバスさん…!
そんなの、そんな…死んじゃうみたいなこと言わないでよ…!
私はいつの間にか溢れ出していた涙と鼻水なんて気にせずにサキュバスさん体にしがみついた。
血を止めなきゃ…手当て…そう、手当てだ。ポーチの中に傷薬と包帯が入ってる。
それで血を止めれば…きっと…
そう思って私がポーチに手を掛けたとき、ザリっと土を踏む音がした。
顔をあげたらそこには、師団長さんの姿があった。
「申し訳ありません、姫様…」
師団長はそう、呟くように言って、両腕に風の魔法を纏わせた。
もう、ダメなのかな…?
間に合わないの…?
お姉さんを助けるには、サキュバスさんを守れないの…?
私は、なんとか助けてほしい、とただそんな思いだけで、後ろにいる十六号さんを振り返った。
十六号さんは、妖精さんに解毒魔法を掛けながら私をジッと見つめて言った。
「まったく…慌てたじゃないかよ、バカ」
えっ…?
十六号さん、それ…どういう…
そのときだった。
メキっと鈍い音がした。
ハッとして再び顔を上げるとそこには、肩の辺りに何かを食いこませた師団長さんの姿があった。
ううん、何か、なんかじゃない。
それは…
「遅いんだよ!十七号!」
十六号さんがそう叫ぶのと同時に、十七号くんに踏みつけられた衝撃に耐えかねた師団長さんが地面に叩きつけられた。
そんな師団長を足場にして、身を翻した十七号くんがスタッと降り立って、エヘン、と胸を張って言った。
「親衛隊、ただいま参上だ!」
そんな言葉に、私の目からはボロボロっとさっき以上の涙が零れだしてきてしまっていた。
そうだ、お城には私たちと入れ違いでお風呂に行った十七号くんがまだいたんだ…
きっと、魔導士さん達の様子を感じ取ってあの暖炉の部屋に戻り、そしてここへ来るように言われたに違いない。
「迷った…」
不意に、後ろの方からそんな静かな声が聞こえてきた。
振り返るとそこには、十六号さんと妖精さん、お姉さんのそばに降り立った十八号ちゃんの姿がある。
十八号ちゃんは、竜娘ちゃんの警護についていたはずなのに…どうしてここに…!?
「十八号ちゃん!?どうしてここに!?」
思わず叫んだ私の言葉に、十七号くんが
「十六姉が暴れたのを感じて、急いで十四兄ちゃん達のところに転移したんだ。その先で、探し当てるのに苦労しちゃってさ。遅れて、すまん!」
と答えてくれる。
そうか…十七号くん、私たちの危機を感じ取って、竜娘ちゃんに着いて行った大尉さんや十八号ちゃん達に助けを求めに行ってくれたんだ…。
「十八号、回復魔法行けるか?」
「うん、大丈夫…十三姉さん、ひどい傷…」
十六号さんに言われて、お姉さんを見下ろした十八号ちゃんの顔がみるみる怒りに歪む。
でも、お姉さんもひどいけど…
「十八号ちゃん!サキュバスさんもひどいケガなの!」
私はサキュバスさんを抱きしめてそう伝えた。
「…まだ残っていたのですね、勇者候補と言う子どもが…」
そう声がしたので見やると、上空からの十七号くんの蹴りで地面に叩きつけられていた師団長さんが起き上がり、目の前の十七号くんを見下ろしていた。
二人が来てくれたけど…十六号さんは師団長さん相手に手も足も出なかったけど、二人で戦えれば、もしかしたらお姉さんの治療の時間は稼げるかも知れない…
そんな思いが湧いてきた私の耳に、十六号さんのとんでもない一言が聞こえてきた。
「よし、十七号。そいつら潰すぞ。十三姉ちゃんの仇だ」
「よし来た、親衛隊を舐めんなよ!」
十六号さんの言葉に、十七号くんもそう言って腕を捲くる。
二人とも…師団長さんに勝つつもりなの…!?
十六号さん一人じゃダメだったのに、二人揃ったからって、そんな…
「威勢がよろしいですね…ですが、先ほど私の相手にもならなかった方とその弟様が束になったところでどうなるものとも思えませんね…」
正直、師団長さんの言う事はもっともだ。
あの力の差を見せられたら、勝てるとはとうてい思えない。
でも、そんな私や師団長さんの言葉も裏腹に、十六号さんは言った。
「アタシは支援特化なんだよ。十七号は、戦闘特化。悪いね、裏切り者さん。アタシらの組み合わせは、十八号相手にするよりも厄介だから…」
不意に、パッと十七号くんが姿を消した。
次の瞬間、師団長の右側から飛んできた十七号くんが、師団長さんの脇腹に重い蹴りをめり込ませてまた姿を消す。
い、いったい、今の、何…?
「こ、これは…?!」
師団長さんが何かに気づいて辺りを見回した。それにつられて私も周囲に目をやると、そこにはあちこちに十六号さんが得意とする結界魔法の魔法陣が浮かび上がっていた。
あれは確か、壁のように物や人を通さない、物理結界、というやつだ。
でも、どうしてあれをあんなにたくさん、しかもあちこちにバラ撒くみたいに出現させているの…?
今度は右から、十七号くんが師団長さんを蹴りつけて姿を消した。
私はそれを見てようやく気がついた。
十七号くんは、十六号さんが作り出している物理結界を壁にしてそれを蹴り、目に見えないくらいの速さで移動し続けてるんだ…!
「十七号!あっちの協会のやつもだ!」
「おぉし、任せろ!」
どこからともなく十六号さんの指示に答えた十七号くんが、ローブの人の頭を蹴っ飛ばして昏倒させる。
その一撃で、ローブの人は地面に転がったっきり動かなくなった。
「くっ…小癪な…!」
師団長さんは顔に怒りを浮かべてそう言い放つと、腕に光を灯して十六さんや私達の方に向けて振り向けた。
風が巻き起こって、辺りの草が舞い上がる。
キンキンっと、金属同士がぶつかるような音がするのに気が付いて私が顔をあげると、半球状の結界が私達と十六号さんを包み込むようにして広がっていた。
その結界に、しきりに何かが当たって弾けている音だ。
「なるほど…サキュバスさんをやったのは、風魔法と土魔法の合わせ技か」
十六号さんが感心したように漏らす。
「どういうこと?」
私が聞くと十六号さんは、ああ、と声をあげて
「石礫みたいなもんだ。土の魔法で石を操って、それを風魔法に乗せて打ち出してるんだ」
と教えてくれた。
そうか…ものすごい勢いで飛んできた小石が、サキュバスさんの体にめり込んだり切り裂いたりしたから、こんな傷に…
私はそう思って地面に倒れたまま、十八号ちゃんの回復魔法を受けているサキュバスさんを見下ろした。
その石礫から、私を守ってくれたんだ…私は、サキュバスさんの優しさと想像してしまった痛みで、胸が詰まった。
「そっちが石礫なら、こっちは人間礫だ!」
再びどこからか声が聞こえたと思ったら十七号くんが師団長さんを蹴りつけて姿を消した。
師団長さんはよろめき、いつの間にか肩で息をし始めている。
「アタシを攻撃したって無駄だよ。アタシの結界魔法は、十二兄のよりも硬いんだからな」
十六号さんがそう言ってニヤリ笑った。
確かに今の状況で十六号さんを狙う師団長さんの考えは分かる。
捉えられない程の速さでどこから攻撃してくれるか分からない十七号くんに攻撃を仕掛けて来るより、その足場を作り出している十六号さんを狙うほうがよっぽど簡単だ。
でも、十六号さんの結界魔法は強力でそう簡単には破れない。
十六号さんは、さっきは攻撃に転じなきゃいけなかったから歯が立たなかったけど、結界魔法で身を守っているだけならこうも簡単に師団長さんの攻撃を防いでみせた。
でも、そうなったら次に狙われるのは…
「ならば…!」
師団長さんがそう言って今まで以上の光を腕に灯して、それを頭上高くに掲げた。
そう、私達に攻撃を当てられないのなら、次に狙うのは十七号くんに決まっている…!
「十七号くん!」
私はとっさにそう声をあげる。
でも、そんな私の声に答えたのは十七号くんではなく、十六号さんだった。
「心配しなくても大丈夫だ」
そう言った十六号さんが、ピッと指先を動かしてみせた。
すると、辺りに散らばっていた結界の魔法陣が師団長目掛けて殺到する。
師団長さんはその結界を吹き飛ばしてしまいそうな程の強烈な風魔法を解き放った。
辺りの草花が夜空へと舞い上がり、私達を守っている結界にはカツン、コツン、と石の弾ける微かな音がする。
だけど、その強烈な風魔法のほとんどは殺到した結界魔法に当たって遮られ、行き場を失って師団長さんの周りに霧散した。
そして、その魔法が消え切らない瞬間に、十七号くんの叫び声をあげる。
「これで仕舞いだ!」
十七号くんは私達を守っていた結界を蹴って師団長さんに飛び掛かり、まるで焼けた炭のように真っ赤に燃えているような拳を師団長さんの顔面に叩きつけた。
師団長さんは十歩以上の距離を吹き飛ばされ、ドサッとクローバーの大地に落ちたっきり、ピクリとも動かなくなった。
「よぉし、片付いたな」
十六号さんが、ふぅ、とため息をついて、結界魔法を解除した。
私は…呆気に取られてしまっていた。
ついさっきまで、師団長さんに殺されてしまうんじゃないかって…
殺されてしまったとしても、お姉さんを守るんだ、ってそのくらいに思っていたのに…
十七号くんと十八号ちゃんが来てくれて、十六号さんと十七号くんの連携攻撃が始まってまだほんの少しの間だったのに…
わ、わ、わ、私達…助かっちゃった…!
「ふぅ、まぁ、これで十三姉の分はやり返せただろ」
そんな事を言いながら、十七号くんが私達のところにやってきた。
「十三姉の様子は?」
「心臓の再生は終わった。でも、血を流しすぎてる。もう少し、時間がかかる」
「そっか…」
十八号ちゃんとそう言葉を交わした十七号くんは、ふぅ、ともう一度息を吐いてどこかに視線を投げた。
その先には、雷に照らし出されている魔王城があった。
「十二兄、無事かな…」
「まぁ、大丈夫だろ。十二兄だって、十三姉ちゃんが戻らなけりゃ勝てないことくらいわかってる。なるべく時間を稼ぐ戦い方をしてるはずだ。
それに、もし負けてたらこっちに押し寄せてきちゃってるだろ。やつらがアタシらを追って来てない、ってことは、まだ向こうで足止めできてんだろう」
心配げに呟いた十七号くんに、十六号さんがそう言って諌める。それから
「それより、手伝ってよ。妖精ちゃんと幼女ちゃんの毒抜きしなきゃ」
と私の方をみやって言ってくれた。
「おう、そうだな。妖精さんは俺がやるよ」
十七号くんは、そう言って妖精さんの傍らにしゃがみ込んで魔法陣を展開させる。
私のところには、十六号さんがやってきて手をかざしてくれた。
ふわり、と暖かな感覚がして、体の奥にジンジンと熱い何かが脈打ち始める。
すると、体のしびれが少しずつ弱くなってくるのを私は感じた。
「これが、体の力を活性させる、って魔法?」
「あぁ、そうだよ。お風呂に入ってるみたいだろ?」
私の言葉に、十六号さんは笑ってそう聞いてきた。
確かに、あの湯船につかっている感じによく似ている。
体が芯から温まって、ドクン、ドクンと血が流れているのが感じられた。
「うぅ、動けるようになってきたですよ…」
妖精さんがそんなことを言ってむくりと体を起こした。
そのころには、私もようやくしびれが取れて来て、手にも足にも力が戻ってきていた。
立つのはまだ辛いけど、妖精さんのように座っているだけなら楽なものだ。
「うっ…くっ…!」
不意に、サキュバスさんが呻いたので私は驚いてサキュバスさんの顔を見る。
すると、サキュバスさんは何かに戸惑っているような表情をしながら、ムクリ、と起き上った。
良かった…回復魔法がちゃんと効いたんだね…
「…人間様、ご無事ですか…?」
サキュバスさんは、キョロキョロとあたりを見回して何が起こったのかを把握したらしい。
それからすぐに、まずは私にそう聞いてくれた。
「うん、大丈夫です。サキュバスさんこそ、もうどこも痛くないですか?」
「はい…命脈尽きたかとも思ってしまいましたが…なんとか無事のようですね」
サキュバスさんはそういうと、同じように十八号さんの魔法陣を向けられたお姉さんに目を落とした。
「魔王様の容体は…?」
「血が足りないから、もう少しだけ掛かる。増血は回復魔法じゃなくて、活性魔法で体の機能に頼らなきゃいけないから、時間が必要」
サキュバスさんの言葉に、十八号さんが静かに答えた。
そんなとき、カサっと草のこすれる音が聞こえた。
ハッとしてあたりを見回すと、吹き飛ばされた師団長さんが、ヨロヨロとその体を震わせながら起き上っている姿があった。
私は、思わず体が緊張で固くなるのを感じた。
胸が詰まって、息苦しくなる。
そんな…師団長さん、まだ戦うつもり…?
「ちっ…なんだよ、ずいぶんと丈夫なやつだな」
十七号くんがそう言って半身に構える。
「何度やっても同じだろ…十四兄の考えたアタシらの連携は、そう簡単に破れないだろうからな」
私への活性魔法を解いた十六号さんも、ユラリと立ち上がって結界魔法を展開させた。
「ここでやらねば…やらねばならないのです…」
師団長さんはそううわ言のように呟いて、腕に魔法の光をともした。
その光は、腕から肩、そして師団長さんの体全体を覆っていく。
ふと、私は、ビリビリと微かな振動を感じた。
これ、震えてるの…?大地と、空気が…?
「あいつ…大規模法術を使う気か…?」
「いやぁ、大規模法術の力をアタシらに集中させよう、って腹だな。さすがに、結界で防ぎきれるか自信ない」
そう言った十六号さんは、さらに私たちの回りに何重にも重ねて結界を発動させる。
それでも、伝わってくる振動はやむどころか、どんどん強くなっているように感じられた。
「十七号様、まだ戦えますか?」
「大丈夫だけど…サキュバスさん、そっちこそ平気なの?」
気が付けば、さっきまで座り込んだままだったサキュバスさんが何とか、と言った様子で立ち上がっていた。
「はい…あの者に、引導を渡す必要があります…魔王様に遣える身として…」
三人とも、師団長さんの攻撃を受け切って、反撃するつもりなんだ…
そんなことをして…無事でいられるんだろうか…?
あんな魔法は見たことがない。
まるで、このあたり一帯の自然の力を師団長さんが操っているような、そんな迫力さえある。
もしかしたら…十六号さんの結界では防ぎきれないかもしれない。
師団長さんに攻撃を仕掛ける十七号くんが傷つくかもしれない。
サキュバスさんが、また誰かをかばって、次は、もうどうしようもないくらいの傷を負わされてしまうかもしれない。
でも、そんなことを考えたって、師団長さんはやる気だ。
もうこうなったら私にできるのは、倒れて動けないお姉さんの盾になるくらいのものだ。
私は、そう思ってお姉さんの体を庇おうと、師団長さんを睨みつけたまま体をその場に伏せた。
途端に、ガクっと体が地面に崩れ落ちてしまう。
私はハッとして、ようやくそこにあったはずのお姉さんの体がないことに気が付いた。
次の瞬間、私の頭の上に、暖かで柔らかな、厚みのある何かがポンっと乗った。
見上げるとそこには、血で服を真っ赤に染めた、お姉さんの立ち姿があった。
「お…お姉さん!」
私は、その姿に声を上げずにはいられなかった。
そんな私に、お姉さんはチラリと目線を送ってくれて、血に濡れたその顔を、やおら優しい笑みに変えた。
「ありがとな」
お姉さんはそう言うと、ザリっと足を一歩踏み出した。
「魔王様…!」
「十三姉!」
「十三姉ちゃん!」
サキュバスさんと十六号さん、十七号くんも振り返ってお姉さんの名を呼ぶ。
お姉さんはそんな三人の肩を、私の頭にしたようにポン、ポンと優しく叩いて真っ直ぐに歩き、師団長さんの方へと近付いていく。
「魔王…様…」
そして遂には、師団長さんまでもがそう言って、全身にまとわせていた魔法の光を消し、ガクリと脱力したようにその場に跪いた。
そんな師団長さんのそばに歩み寄ったお姉さんは、なんのためらいもなく腰の剣を引き抜いて、師団長さんの首へと当てがう。
師団長さんは抵抗する素振りも見せずに、ただ前えと首をもたげてその切っ先を受け入れている。
「言い残して置きたいことはないか、師団長」
お姉さんが低く暗い声色で言った。
それを聞いた師団長は力なく首を横に振り、それからややあって微かに顔を上げ、囁くように言う。
「魔王様へ刃を向けたことに後悔はありません…ただ…」
師団長さんは、昨日の晩なんて比べ物にならないくらいの、まるで子どもが嗚咽を上げて泣いているようなくらいの涙を零しながら続けた。
「魔王様とその仲間の皆様の御心を傷付けたことは、罪深い行いであったと自覚しています」
師団長言い終えるとまた、スイっと首を前に差し出した。
「沙汰はお受けいたします…」
その言葉に、私は息を飲んだ。
師団長さんは、確かに私達を裏切った。
笑顔でお姉さん私達に近付いて信頼を得て、そして最初から機会を伺ってい、お姉さんを殺そうとした。
私達の大切なお姉さんを傷付けたんだ。
相応の罰を受けてほしい、って、そう思う部分もある。
でも…、と私は考えていた。
それは、怒りと憎しみだ。
この世界を、大陸を、魔族と人間を狂わせて、殺し合いを続けさせている元凶。
私達はそれを否定して新たな世界を…新しい平和を作ることが目的だったんじゃなかったんだろうか…?
だとしたら、今私達がその感情に飲まれてはいけない…それは…この世界を再び戦いの続く世界へと歩ませる一歩のような気がした。
――お姉さん…待って!
そう声を上げるべきなんじゃないか、と迷っていたそのとき、お姉さんが私を見た。
その目は、あの魔族や人間の怒りや憎しみを一身に浴びた時に見せる悲しい表情だった。
私はそれを見て、何かが吹っ切れたようにお姉さんの目を見つめ返して、首を絞めるよ娘に振った。
するとお姉さんは、すぐにニコリと表情を緩めて剣を鞘に納め、そして勇者の紋章を光らせると師団長さんの周りに魔法陣を描いて見せた。
「あんたの沙汰は、追って考えよう」
お姉さんがそう言うなり、魔法陣が師団長さんを中心に収束していき、その体をロープで縛り付けるようにして絡め取った。
「……いいのかよ、十三姉?」
十六号さんがそう聞く。するとお姉さんはまた笑顔を見せて、十六号さんに頷いてみせた。
「ああ、うん…今はそんな事を考えてる場合じゃないし、な」
お姉さんはそう返事をすると、チラッと魔王城の方を見やってから私達の方に戻ってきた。
そしてお姉さんは、私たちをその両腕で一挙に抱き寄せてギュウギュウと力を込めてきた。
「お、お姉さん!?」
「ま、魔王様!?」
「魔王様…!苦しいです!」
「十三姉…」
「やめろよ、恥ずかしい…」
「十三姉さん…」
それぞれ悲鳴を上げた私達だったけど、そんな言葉を聞いていたのかどうなのか、お姉さんははっきりとした声色で私達に言ってくれた。
「あんた達…ありがとう。あたしを守ってくれて、無事でいてくれて、ありがとう…!」
そう言ったお姉さんの目からは、一筋の涙が零れ落ちていた。
ありがとう、なんて、言われるようなことじゃない。
私こそ、お姉さんにありがとうって、そう言いたい。
生きててくれて、ありがとう、って。
そんなお姉さんは、それでもすぐに涙をぬぐって立ち上がり言った。
「城に戻る。おそらく、相当ヤバイことになってるだろうけど…あとは、あたしが片を付ける。あんた達は、この子を守ることだけに全力で当たってくれ」
お姉さんはそれから私達一人ひとりを見やった。
その言葉は、うれしい言葉だった。
もしかしたら、遠ざけられるんじゃないか、ってそう思ったから。
でも、お姉さんはきっとわかってくれているんだ。
こんなときこそ、私たちはお姉さんのそばに居なきゃいけない。
お姉さんを支えるために、お姉さんが感情に呑み込まれないように、声の届く場所に居なきゃいけないんだ。
私達は、それぞれお姉さんにうなずき返す。
それを見たお姉さんも、コクリとうなずいてから微かな笑みを浮かべて
「じゃぁ、行くぞ」
と手を伸ばしてきた。
私はその手を握る。
妖精さんとサキュバスさんがそれに続き、
十六号さんに十七号くん、十八号ちゃんも加わった。
私達の周囲に転移魔法の魔法陣が展開されて、パパパパッと目の前に閃光が瞬く。
そして、次の瞬間には、私達はさっきまで時間を過ごしていた暖炉の部屋に戻ってきていた。
でも、部屋の様子は全くと言っていいほど、あのときとは変わっていた。
床にはあちこちに血しぶきが広がり、何人もの人が倒れている。
ローブを来た魔導協会の人も、あの半分の仮面をつけた子ども達の姿もある。
それだけじゃない。隊長さんの諜報部隊の隊員達や、虎の小隊長さん達の突撃部隊の人たちらしい姿。
さらには、見たことのない軍装をした魔族の軍人さんらしい姿もあった。
みんな、ここで戦ったんだ。
私達を…お姉さんを追いかけさせないために、体を張って…
「ようやくのご帰還か…!」
そう声がした方を見やると部屋の隅に追いつめられるようにして、隊長さんと女戦士さん、そして鳥の剣士さんがいた。
三人は、背後に控える血まみれの魔導士さんを守っているようだった。
「サキュバス族の天才と呼ばれた彼女が、しくじりましたか…」
部屋の反対側には、オニババと、そして、魔導協会のローブを着た男の人が一人と、半分の仮面をつけた子どもが二人に、先頭にはあの仮面の子がいる。
部屋中に転がっている人たちは、無事なんだろうか?
鬼の戦士さんや、虎の小隊長、女剣士さんは床に突っ伏したままで、息をしているのかはわからない。
ほかの魔族の人たちも、人間の人たちも、魔導協会や半分の仮面の子どもたちも、だ。
「すまない…完全にあたしの油断だった」
お姉さんが申し訳なさそうにそう言う。
「なに…敵さんの作戦勝ちだ。気にすることはねえよ」
隊長さんがそう言って、大きく息を吐く。
「あとは、任せて良いな?」
息を荒げながら、魔導士さんがお姉さんに聞いた。
「あぁ。ケガ人の救助と手当を頼む」
お姉さんはそう言ってうなずくと、オニババ達の方へと一歩踏み出した。
「さて…ただで帰れると思うなよ?」
お姉さんはそう言って、両腕の紋章を光らせる。
赤と青の光がお姉さんを包み込み、体のあたりでは紫色になっているようにも見えた。
その様子に、ローブの男と半分の仮面の子ども達が動揺するのがわかった。
オニババまでもが微かに表情をゆがめて
「これは、二つの紋章を得た者の力、ですか…」
と口にしている。
私は何度か見ているし、光だけを見て力がどれだけかなんて分からないから、驚いたりはしないけれど、やっぱり見る人が見れば、別世界の力なんだろう。
でも、そんな様子のオニババに、仮面の子が言った。
「理事長様。あれが、敵?」
するとオニババは、すぐに気持ちを整え直したのか仮面の子に伝えた。
「そうです。あの者が、あなたからすべてを奪った張本人。あの者を殺せば、本当のあなたが戻ってくるのですよ」
「そう…よかった」
仮面の子はそう返事をするなり、腰にさしていた剣を抜いて盾と一緒に構える。
それから、小さな声で言った。
「ロ号、ヘ号。陽動を」
そう言われたのは、半分の仮面の子ども達だった。
二人は慌てて剣を構えると、その腕に紋章を浮かび上がらせた。
あれは…ふつうの人間魔法の紋章だ。
あの仮面の子が付けていた勇者の紋章じゃない…。
私は内心、少しだけ胸をなでおろしていた。
あの半分の仮面の子たちまで勇者の紋章を持っていたりなんかしたら、さすがのお姉さんの苦戦するかもしれない、と心配していたからだ。
「かかれ」
仮面の子がそう声を出した。
とたんに、二人の半分の仮面の子たちがお姉さんに飛び掛かる。
でも、お姉さんは素早く腕を振り上げて、二人に向けて中指を弾いて見せた。
空中を跳ねてお姉さんに斬りかかろうとした二人は、あの見えない何かをたたきつけられて壁際へと弾け飛ぶ。
しかしその後ろから、仮面の子がお姉さんに迫っていた。最初の二人とは速さが段違いで、お姉さんは一気に間合いを詰められる。
でも、お姉さんはこれっぽっちも慌てたりしていなかった。
即座に結界魔法を発動させて仮面の子の突進を受け取める。
「物理結界、無駄!」
仮面の子はそう言うなり剣を振って結界の魔法陣を切り裂いた。
「ちっ!」
お姉さんは舌打ちをすると、素早く半身に構えて、拳を握った右手に小さな魔法陣を浮かび上がらせてそれを突き出した。
剣を振り終えたところだった仮面の子にその魔法陣が襲い掛かって激突し、仮面の子もまた壁際まで吹き飛ばされる。
ドシン、と激しい音がして、仮面の子は壁に激突して床に崩れ落ちた。
圧倒的だった。
魔導士さんを苦しめたあの勇者の紋章を持つ仮面の子でさえ、ほとんどお姉さんの相手にすらなっていない。
私が危険にさらされるような隙すらない。
どう考えても、魔導協会の人たちに勝ち目なんてない。
でも…私は、オニババの顔を見やって、これっぽっちも安心なんてできなかった。
オニババは、不敵な笑みを浮かべて笑っていたからだった。
「大人しく引き上げて、これからもあたし達に構わない、っていうんなら、命だけは助けてやるぞ?」
お姉さんは静かにそう口にする。
でも、オニババはそれを聞いて、クスっと笑った。
「あなたに、この子は斬れません。これ以上傷付けることもならないでしょう」
そう言ったオニババは、床に転がった仮面の子の手を無理やりに引っ張って立ち上がらせた。
「返せ…返せ…私を、返せ…!」
仮面の子はうわ言のようにそう言って呼吸も荒く肩を怒らせている。
眉間に皺を寄せて、憎しみと怒りのこもった目で、お姉さんを睨み付けている。
私は…私は、目の前で何が起こっているのかを理解できなかった。
壁にたたきつけられた衝撃のせいで、仮面の子から、仮面が外れていた。
そして、その下に見えたその顔は…何日か前に考えたオークと人間との間の子どもなんかじゃなかった。
「なんだよ…?どういう、ことだよ…?」
お姉さんが絶句した。
私も、喉が詰まって言葉なんて出ない。
部屋全体が、その子の顔を見て、混乱してしまっている。
それもそうだろう。だって、その顔は…まるで…
「そ、そのチビ…じゅ、十三姉…と…同じ…?」
十六号さんが詰まりながら、そう口にした。
そう。
仮面の下にあったのは、オークと人間の子なんじゃない。
ましてや、他の誰かなんかでもない。
私たちの目の前にいたのは、クセのある黒髪に、凛々しい眉に、強い意志を宿した黒い瞳。
どれも、毎日見ている、誰よりも身近にある顔の特徴…その顔は、お姉さんそのものだった。
私と同じくらいのちょうど十歳を過ぎたくらいに見える、子どもの頃のお姉さんはきっとこんなだろう、って、そう言うしかない顔を持つ子が、そこにはいた。
つづく。
おおおおおおおおおい!!!!はやく!!!!!!!!
乙!
うんうん。こここそが『つづく。』の、タイミングよなぁ~♪
さぁすが、判ってらっしゃる(* ̄ー ̄)
でも、はよ続き読みたい(笑)
「ど、どういう、ことだ…」
お姉さんが、そう口を開く。
誰もが、そう思っているに違いなかった。
それくらい、仮面の子は、お姉さんに似ていた。
ううん、似ている、なんてものじゃない。
本当に、それはお姉さんそのものだった。
「魔王様に、妹君がいらっしゃったのですか…?」
サキュバスさんが呟くように言った。その言葉に、私はハッとする。
そういえば、お姉さんが魔導協会に連れて行かれたときのことを話してくれたときに、お姉さんは妹が居た、と言っていた。
家事で焼けて、両親と一緒に死んじゃったんだ、って、そんな話だったと思う。
もしかして、その妹が生きていて、それで…?
私はお姉さんを見やった。
でも、お姉さんは首を横に振る。
「違う…あたしと妹は、3つしか違わなかったし…妹は、もっと髪の色も目の色も薄かった。顔も、父さんに似てた…あれは、妹じゃない…」
ち、違う、って言うなら、あの子はなんだって言うの…?
妹じゃなきゃ、あんなに似ているなんてどう考えたって説明がつかない。
でも、その言葉を聞いたサキュバスさんは息を飲んで言った。
「あなた…まさか、創生の禁術を…!?」
その視線は、魔導協会のオニババに向けられている。
ソウセイの禁術…?
それって、命の魔法の使ってはいけない力のこと…?
確か、死体にゴーレムの魔法を掛けたりすることも出来るけど、してはいけないんだ、って話をしていたのは覚えているけど…
それだって、あんなにお姉さんにそっくりな子どもが居る理由にはならない。
「どういうことだ、サキュバス…?」
お姉さんが、戸惑った様子のままにサキュバスさんに尋ねる。
しかし、それに答えたのはサキュバスさんではなく、微かに笑みを浮かべたオニババだった。
「創生の命魔法。つまりは、命を創り出す魔法ですよ」
「あなたは…!神にでもなったつもりですか!?」
「神?何を言います…これは私達神官の一族に伝えられし力。それを正しいことに使って、何を咎められるというのです?」
「おい、サキュバス…説明しろ!あの子どもは、何なんだ!」
オニババと言葉を交わしていたサキュバスさんに、もう一度お姉さんが声を上げた。
サキュバスさんは、グッと息を飲んで口を開く。
「創生の禁術は、命を紡ぐ魔法です…血や肉体の一部から、その持ち主を再生させる魔法…新たな命を生み出す、禁忌の魔法の一つです…」
血や体を使って命を作る魔法…?
そんなことが、出来るの…?
だって、人間は植物じゃない。
植物なら、一つの木から採った枝を挿し木にすればそのまままた木になるものだってあるけど、人間がそんな風になるなんて想像がつかない。
でも、もし、もしそれが本当なら…あの仮面の子は…お姉さんと同じ、お姉さんの体から分かれて生まれてきた子、ってこと…?
「ふふふ…禁忌とされる理由は、倫理の問題ではなく、この術の難解さにあるのですよ…
この術と、新たな勇者の紋章を描くために、一族の優秀な使い手、四人が命を落とし、七人が魔法を使うことのできない体になりましたが…それでも、得たものはありました」
オニババがそんなことを言った。
「なるほど…十三号の肉体を持っていれば、勇者の紋章を宿すことも出来る…強力な手駒を増やすには、これ以上の方法はない…」
魔導士さんがそう口にする。
新しい勇者の紋章を作り、その器になることが出来るお姉さんをも作った、ってそういうこと…?
スチャっと音をさせて、仮面の子…幼いお姉さんが、剣を構えた。
盾を捨て、両手を剣の柄に添える。
「死んで、返せ…私を、返せ…!」
まるでうわごとのように呟いた彼女は、私が目で追えないほどの速さでお姉さんに斬り掛かった。
ガンッ!と鈍い音がして、見るとお姉さんがすんでのところで結界魔法を展開させて幼いお姉さんの剣激を防いで居た。
「物理結界は、無駄!」
そう言って、剣に力を込めた幼いお姉さんの腕を、お姉さんが握りしめてその動きを止める。
「いったい、なんだ!?あたしがあんたから何を奪ったって言うんだ!?」
お姉さんの言葉に、幼いお姉さんの表情が憎しみに歪んだ。
「あなたがいるから、私は私になれない。私は、私の存在をあなたに奪われたまま…生まれたそのときから、私は仮初の存在…でも、あなたが死ねば、私は私になれる!」
そう言った刹那、幼いお姉さんが腕に炎を灯した。炎は意思を持つようにお姉さんの体にまとわりつき、音を立てて燃え上がった。
「くっ!」
お姉さんはそう声を漏らせて、幼いお姉さんの腕を離した。それでも幼いお姉さんは再び、容赦なくお姉さんに斬りかかる。
お姉さんは、結界魔法とは違う魔法陣を展開して目の前に大きな氷の壁を作り、さらには自分の体の炎を消してみせた。
でも、その表情は厳しく険しい。
「やめろ、あたしを殺したって、なんにもならないぞ!」
「違う。あなたを殺せば、私は私になれる。もう、道具でなくて良い。私は、勇者として人間になれる…!」
「なっ…!?」
幼いお姉さんの言葉に、お姉さんはたじろいだ。
その瞬間を見逃さず、幼いお姉さんの振るった剣がお姉さんの体を引っ掛けて、肩のあたりからブパッと血が吹き出した。
「お姉さん!」
私は思わず、そう叫んだ。
お姉さんはすぐに体勢を立て直して、幼いお姉さんから距離を取った。
その様子に、幼いお姉さんの方は手応えを感じているのか、剣を握り直して、半身に構える。
「おい、そんなまがい物とっとと片付けろ…!そいつは十五号を殺ったんだぞ!?」
魔導士さんがそう叫んだ。
でも、お姉さんはぼそり、と答える。
「…出来ない…」
「魔王様…!」
「こいつは、あたしだ…孤独と悲しみに震えて、自分を探してるだけなんだ…捨てられないように、一人にならないように…ただ、それだけなんだ…」
お姉さんの表情が、悲しみに歪んだ。
目の焦点が合っていない。
それを見て、私は分かった。お姉さんは、まるで正気じゃない。
お姉さんは、言っていた。
捨てられたくなくて、一人になりたくなくて、必死になって訓練に励んで、勇者の紋章を受け取ることができたんだ、って。
幼いお姉さんも、同じことを言った。
お姉さんを殺さないと、捨てられるかもしれない、一人になってしまうかもしれない…ううん、もしかしたら、今も一人のままなのかもしれない。
それが、お姉さんを殺すことで、一人で居なくてもよくなる。
皆に、きっと、オニババや魔導協会に受け入れられる…そんな風に思っているんだ。
お姉さんにとって、目の前の幼いお姉さんは昔の自分、そのままなんだ。
幼い自分がしてきたように、一人にならないための努力をしているに過ぎない…
それを、お姉さんが邪魔出来るはずもない…
だって、お姉さん自身がそう生きてきたんだ。
裏切り者呼ばわりされて、魔族と世界の平和を考えるようになってからも、ずっとそのことを気にかけて居た。
私たちがそばにいるよ、と言ってあげることで、安心させてあげられた。
今だってお姉さんは、一人になってしまうのが怖いんだ。
目の前の幼い自分が、どれほどの恐怖を感じているかが分からないはずはない…
姿も、心も、お姉さんは幼いお姉さんと重ね合わせてしまっているんだ…
「死ね…死んで、私を返せっ!」
幼いお姉さんは、顔を醜く歪めてお姉さんに斬り掛かった。
お姉さんは、肩から血が吹き出るのも構わずに、魔法陣と風魔法を使ってその剣撃を受け止める。
何度も何度も斬りつける幼いお姉さんの攻撃を一方的に受け止めているだけ。
お姉さんは、自分の剣を抜くこともしなければ、魔法で攻撃する仕草すら見せない。
一方的に攻撃を仕掛ける幼いお姉さんはやがて愉快そうな笑顔を浮かべ、反対にお姉さんは、悲しさと辛さに表情を染める。
幼いお姉さんが、剣をお姉さんに振り下ろした。お姉さんがそれを受け止めるために、両腕を交差させて頭上に掲げたその時だった。
ピシピシっと音がして、お姉さんの足元が氷で固められてしまう。
「くそっ!」
お姉さんがそう呻くのと同時に、幼いお姉さんは片手で剣をお姉さんの結界魔法に押し付けながら、もう一方の腕を突き出した。
パリパリっと、乾いた音とともに、幼いお姉さんの腕に小さな稲妻が走る。
お姉さんがその場に、ガクッと膝を付く。
それを見た幼いお姉さんは再び両手で剣を持ち、それを高々と頭上に振り上げた。
「やめて!」
私はそう叫んだけど、幼いお姉さんはそんなことは関係なしに、剣を振り下ろした。
ガキン、と鈍い音がして、剣が結界魔法にぶつかって止まる。
「物理結界は、無駄だと言った」
幼いお姉さんは、怪しげな笑みを浮かべて剣にグイっと力を込める。
同時に、その腕の勇者の紋章が輝きを増して、お姉さんの結界魔法の光が弱まった。
宙に浮かんだ結界用の魔法陣の光が、幼いお姉さんの剣に吸い込まれるようにして消えていくのが分かる。
結界魔法が人間のどんな力を増幅させているのかは分からないけど、幼いお姉さんは結界魔法の力を吸い込んでいるのか、それとも無効化する方法を知っているらしい。
それが幼いお姉さんの持つ特別な力のせいなのか、それとも、ある程度の力があれば誰でも出来る技なのか…
だけど、それが分かっていないお姉さんではなかった。
ふわり、と風が室内に起こって、お姉さんの周りに集まっていく。これは、サキュバスさんが使っていた風の結界魔法。
風の力を使って、相手の攻撃を受け止めるんだ。
重いものを持つときと同じ理屈のはず…。
魔法陣が消えて、一瞬、幼いお姉さんの剣が加速する。
でも、その剣は風の結界魔法に阻まれて、お姉さんの頭のギリギリのところでとまった。
それを見た幼いお姉さんは、今度は両腕にパリパリっと稲妻を纏わせる。
剣にまで縮れた光の筋が何本も走って、それが風の結界魔法を越えお姉さんに降り注いだ。
「ぐっ…!あぁぁぁぁ!」
お姉さんは体をビクビクと震わせて、その雷を受け続けている。
それでも、お姉さんは攻撃なんてしようとしない。
ただ、ジッと耐えているだけだ。
このままじゃ、いくらなんでも、お姉さんが…!
私はそう思って魔導士さん達を見やる。
でも、魔導士さん達は怪我をした人たちに回復魔法をかけるので手一杯。
それに、もしお姉さんの手助けに入ったとしたって、魔導士さんでも勝てなかった幼いお姉さんに十六号さん達やサキュバスさん、まして妖精さんが勝てるはずもない。
手を出せば、きっと必要以上に被害が増えてしまう。
それは、お姉さんに一層負担をかけてしまうことになる…それは、ダメだ。
でも、お姉さんはきっと、絶対に幼いお姉さんを攻撃したりなんかしない。
きっと出来ない。
お姉さんの悲しみや不安を知っているからこそ、私はそう思った。
幼いお姉さんに勝ってしまえば、まして命を奪ってしまえば、お姉さんは幼い自分を悲しみと孤独の中に追いやってしまうことになるからだ。
そんなことを、お姉さんが出来るはずはない…
やがて、幼いお姉さんの雷の魔法が止む。
お姉さんの体からは、皮膚の焼けるいやな臭いとともに、微かな煙が上がっていた。
「ずいぶん、頑丈…」
幼いお姉さんが、色のない声でそう言う。
いつものお姉さんなら、そんな言葉に笑って返事でもしそうなのに、そんな気配は全くない。
お姉さんは、考えているんだ。
たぶん…目の前の自分を、救う方法を…
でも、そのときだった。
突然、ビクン、と幼いお姉さんが体を震わせた。
「あっ…あっ…あぁっ…」
そんな、あえぎ声とも悲鳴ともとれない声が、幼いお姉さんの口から漏れ出す。
「うぅっ…あぁっ!」
「くっ…うぅぅっ!」
不意に、別の方からも同じようなうめき声が聞こえた。
見ると、あの半分の仮面を付けた子ども達も、幼いお姉さんと同様に体を震わせて、なんだか苦しんでいる様子だ。
いったい、何が起こっているの…?
そう思って私は幼いお姉さんに視線を戻す。
すると、腕の勇者の紋章の光が見たことのないくらいに眩しく輝き始めた。
「おい…まさか…!」
そう声を上げたのは、お姉さんだった。
お姉さんは、目の前の幼いお姉さんではなく、壁際のオニババを睨みつけていた。
「流石に、強化した紋章一つでは勝ち目がないようですが…これなら、無抵抗のあなたを切り刻むだけの力も得ましょう」
オニババは、腕に光を灯してそう言う。
その腕の光は、三本のまっすな光の筋になって、幼いお姉さんと、二人の半分の仮面の子ども達へと伸びていた。
そしてその光は、三人の背中に魔法陣を形作る。
それを見た魔導士さんが言った。
「狂化の魔法陣…!?」
「狂化…?なんなのですか…それは?」
「魔法陣の制御を狂わせる魔法陣だ…本来の魔法陣が持つ効果を数倍に跳ね上げる…肉体への負荷は、それ以上になる…!
本来は、危機的状況にほんの一時しのぎで使われるべき法術だ…」
そ、そんな危険な魔法陣なの…!?
私は息を飲んだ。
そんなことをしたら、お姉さんはだって今のままでは無事では済まない…本当に、殺されてしまうかもしれない…!
「力…力が、溢れてくる…」
幼いお姉さんは恍惚とした表情でそう言うと、手にしていた剣でお姉さんの体を薙いだ。
寸前のところでその白刃を挟んで受け止めたお姉さんだったけど、その両腕はプルプルと震えている。
雷の魔法のせいで、まだ体にうまく力が入らないんだ…
「やめろ…体が保たないぞ…!?」
「なら、早く死ね」
幼いお姉さんは両腕にグッと力を込めた。
ズルっとお姉さんの手から剣が滑り抜け、身を反らせたお姉さんの鼻先をかすめる。
「ロ号!へ号!」
幼いお姉さんが叫んだ。
その刹那、あの半分の仮面の子ども達がお姉さんに飛びかかり、炎と氷の魔法を浴びせかけた。
お姉さんは飛び起きながら結界魔法を展開してそれを受け止める。
でも、そんなお姉さんに幼いお姉さんが礫のような勢いで剣を突き出した。
それを受けたお姉さんは、一気に壁際まで吹き飛ばされる。
「十三号!」
とうとう魔導士さんが叫んで立ち上がった。
魔導士さんもボロボロだけど、回復魔法のお陰か傷はふさがっているように見える。
魔導士さんは両腕に魔法陣を浮かび上がらせて雷を放った。
でもそれは、幼いお姉さんの雷魔法に引き付けられて、部屋の中に四散して消えてしまう。
「あなたを、無力化すれば!」
今度はサキュバスさんが風の魔法で部屋の反対側に居たオニババを狙った。
でも、それはすぐそばにいたローブの男の人の結界魔法で防がれてしまう。
「魔導士!サキュバス!やめろ!」
壁に体をめり込ませたお姉さんが二人に叫んだ。
その一瞬の隙に、幼いお姉さんがお姉さんのすぐ前にまで移動して剣を振り下ろした。
金属のぶつかり合う音が響く。
それを受け止めたのは、十六号さんだった。
隊長さんの部下の人の物らしい剣を手にしている。
ギリリッと、二人の剣が擦れて鳴った。
「やめろよ…!十三姉に、手を出すな!十三姉は、あんたを傷付けたくないんだよ!」
「なら、あなたから死ぬ?」
そう言った幼いお姉さんは、バリっと一瞬だけ雷を剣に流した。
「ぐふっ…」
とたんに、十六号さんがそう息を漏らせて脱力する。
それを確かめるまでもなく、幼いお姉さんは剣を翻して十六号さんの体を袈裟懸けに斬り付けた。
「あっ…!」
真っ赤な血が吹き出して、十六号さんがその場に膝を付く。
「十六号!」
その光景に声を上げたお姉さんが、十六号さんを抱きとめて結界魔法を幼いお姉さんにぶつけた。
それは一瞬で切り払われて消えてしまうけど、次いでふわり、と風が舞って、幼いお姉さんは風の魔法に煽られて数歩押し戻された。
「十六号、大丈夫か?!」
「十三姉…」
苦しそうに声をあげる十六号さんに、お姉さんが回復魔法を施した。
みるみるうちに傷がふさがっていくのが見て取れるけど、そんな隙を幼いお姉さん達が見逃すはずはない。
雷の魔法と火の魔法、氷の魔法がお姉さんに襲いかかった。
「くそっ…!」
お姉さんは十六号さんをかばうようにして体を捩り、その背中ですべての魔法を受け止めた。
もう、お姉さんは悲鳴すら上げなかった。
ジッと歯を食いしばり、それでも、十六号さんに回復魔法を掛け続ける。
「いい加減にしろ!」
「十三姉さん!」
そう声がして、ロ号とへ号と呼ばれた子ども達の前に、十七号くんと十八号ちゃんが立ちふさがった。
「やめろ…あんた達…!」
お姉さんが顔を上げて、声を上げる。
でも、二人は止まらなかった。
十七号くんはヘ号の方に接近戦を仕掛け、十八号ちゃんはロ号に真っ赤に燃える火球を放つ。
へ号は十七号くんの突進を受け止めて、力任せに壁へと叩きつけられた。
ロ号は火球を一瞬で氷の魔法で固めて消し、さらにその氷をくだいて十八号ちゃんに殺到させる。
このままじゃ、ダメだ…お姉さんが戦ってくれない限り、私達は負けちゃう。
でも…でも、お姉さんを戦わせるの?
みんなのために、あのお姉さんと同じ子を、お姉さん自身に傷つけさせる、って言うの…?
本当に、それでいいの…?
確かに、それ以外にはきっと方法はない…でも、じゃぁ、お姉さんの心を犠牲にして、私達はそれでも勝つべきなの…?
もちろん勝てなければ、お姉さんは殺されてしまう…ううん、違う。
お姉さんは、あの子の相手をせずに逃げ出すことだってできるはずだ。
その方が、お姉さんにとってはきっと良い。
私達は魔導士さん達の転移魔法を使えば、逃げきれる可能性だってあるし、そもそも魔導協会の狙いはお姉さんだ。
逃げた私達をわざわざ追ってくるようなことはないだろう。
でも、ここには私達だけじゃない。
たくさんの魔族の軍人さんたちが、下の階にはたくさんいるんだ。
その人たちは何がなんでも守らなきゃいけない。
お姉さんや私達が逃げおおせても、魔導協会は魔族の人達を狙うだろう。
それが、お姉さんにとっての大事な物だって知っているから…
そんな魔族の人達を守るためには…そのためには…やっぱり、戦うしかないの?
でも…そうしたら、お姉さんが…
私は、自分でも身勝手なことを考えてしまっていた。
私は、お姉さんを守りたい。魔族の人も、守りたい。
でも…でも、もし、どちらかしか守れないのだとしたら…私は、私は…
私は、お姉さんの心を守ってあげたい…
「お姉さん!逃げよう!」
私は叫んだ。
そんな声に、お姉さんがハッとして私を見る。
「そんなこと、出来ない!」
「でも!お姉さんがここで殺されちゃって、二つの紋章を奪われでもしたらもうどうしようもないよ!」
それが取って付けただけの理由なんだ、ってことは分かっていた。
だけど、お姉さん、逃げようよ…!
他の誰でもない、お姉さんを守るために…!
そんな私の言葉を尻目に、再び幼いお姉さんが剣を手に、お姉さんに斬り掛かった。
「くぅっ!」
お姉さんは歯を食いしばって、十六号さんが持っていた剣を拾い上げてその剣撃を受け止める。
パシパシっと、幼いお姉さんに雷が迸った。
また…あれが…!
そう思って、私は自分の目を覆いそうになった。
でも、そのときだった。
お姉さんも同じように、全身に雷をまとわせる。
すると、幼いお姉さんの方が不意に体を震わせ始めた。
「くっ…このぉ!」
幼いお姉さんはそう声を上げると、怒った表情でさらに多くの雷を発生させて剣に流し込む。
バチバチっと、まるでムチが弾けるような音がして、交差している二人の剣が赤く色づき始めた。
剣同士の間で雷が行き交い、お姉さんと幼いお姉さんの体からはプスプスと煙が上がり出す。
そんなとき、お姉さんが叫んだ。
「十六号、離れてろ!」
それを聞いた十六号さんは、ハッとして飛び起きると回復の終わった体で私達のところに走って戻ってくる。
それを見届けたお姉さんは、ついに、幼いお姉さんを見てからすっかり光を失っていた両腕の紋章に再び光を灯した。
「うぐぅっ…!」
再び、幼いお姉さんが声を漏らせて体をビクつかせる。
「もうやめろ…その狂化魔法陣をそれ以上維持したら、体がダメになるぞ…!」
お姉さんは、まるで何かをお願いするような、そんな表情で幼い自分にそう声を掛ける。
でも、彼女はお姉さんを睨みつけて、言った。
「体が壊れても、お前を殺す…!それで、私は私になるんだ…!」
次の瞬間、幼いお姉さんの魔法陣がまぶしい位に輝き始める。
幼いお姉さんから強烈な閃光とともにバシバシと音を立てて稲妻が走った。
「マズい…!」
そう声が聞こえたとき、私は後ろから魔導士さんに抱きかかえられて、気がつけば結界魔法の中に居た。
その直後、幼いお姉さんの体から無数の雷が部屋中にその稲妻を伸ばし始めた。
「ぎゃっ!」
「あがっ!」
そんな声がしたので目をやると、幼いお姉さんの変化に気付かなかったのか、ロ号とへ号がその雷に打たれて体を痺れさせ、床に倒れ込んだ姿があった。
これ…まるで本物の雷みたいだ…こんな力を、私とさほども変わらないあの小さな体で操っているの…!?
私は、そう思って光に目を細めながら幼いお姉さんを見やった。
光の中で、幼いお姉さんは、ゴボッと大量の血を吐いた。
「おい…!もうやめろ!」
「やめない…お前を殺すまで、やめない!」
口からだけじゃない。
そう言った幼いお姉さんは、鼻からも目からも血を流し始め、皮膚がパシっと言う音と共に裂けてそこからも血をにじませる。
どうして…?
どうしてそこまでして、お姉さんを殺したいの?
そんなことしなくったって、あなたはあなたで、それでいいじゃない…
お姉さんとあなたは…姿形も、考えていることも似ている…
でも、おんなじ存在ではない。
だって、私の目の前に二人共いる。
例え挿し木で育った木だったとしても、その木は花を付けることも、実を付けることも出来る。
一つの体を二人で共有しているんじゃない。
ちゃんと二人共、世界に存在しているんだ。
どちらかがどちらかを殺して奪い取るようなものなんてない。
どちらかがどちらかを傷付けて…自分が傷つくようなこともない…そう、そうだよ。
お姉さんの態度で、あの幼いお姉さんの言葉で、私は誤解していた。
あの子は、お姉さんなんかじゃない。
お姉さんだって思うから、おかしなことになるんだ。
あの子は、お姉さんの体から生まれたお姉さんとは別人の誰か。
お姉さんと同じように、魔導協会に利用されて、脅かされて、必死になってしまっている身寄りのない子どもなんだよ。
だったら…答えなんて、ひとつしかない…!
「お姉さん!」
私は叫んだ。
きっとお姉さんなら分かってくれる…きっと伝わる。
絶対に、間違いなく…!
「その子を、助けてあげて!」
その場に居たみんなが、私を見た。
何を言っているんだ、って、そんな顔をしていた。
でも、私はお姉さんの目だけをジッと見つめていた。
次の瞬間、お姉さんの顔が歪んだ。
その表情は、困ったな、って、そんな感じだった。
難しいことを考えたわけでも、何かの気持ちを押し込んでいる顔ではない。
そう、ちょうど、狭いところに何かが落ちちゃって、手が入らなくって取れずに困っているみたいな、そんな顔だった。
「何を言ってる…?」
幼いお姉さんが、私を見て言う。
でも、そんな僅かな隙を、お姉さんは見逃さなかった。
お姉さんは、片腕で剣を支えると、もう一方の手で自分の腰の剣を引き抜いた。
そして、目にも止まらない速さで剣を握っていた幼いお姉さんの腕を薙いだ。
何かが空中に舞い、ドサッと床に落ちる。
私はそれを見て、瞬間的に肝を冷やした。
それは、腕だった。
幼いお姉さんの腕。
しかも、紋章が描かれている右腕だ。
「あっ……あぁぁぁぁぁぁぁ!」
幼いお姉さんの絶叫が室内に響く。
次の瞬間、幼いお姉さんの肩の周りをお姉さんの氷魔法が覆った。
「十八号!その腕も凍結させておけ!」
お姉さんは、今までの様子がウソのような張りのある声でそう指示を出す。
「は、はい!」
十八号ちゃんは我に返ったように返事をして、魔法陣を展開し床に落ちた幼いお姉さんの腕を氷漬けにした。
その間に、お姉さんは、幼いお姉さんをギュッと抱きしめていた。
「腕…!腕っ…!私の紋章がっ…!」
幼いお姉さんは半狂乱になってお姉さんの腕の中で暴れている。
でも、お姉さんは混乱しても、取り乱してもいなかった。
身じろぎをし、必死に抵抗をしようとしている幼いお姉さんを抱きしめて、その頭をクシャっと撫でる。
「大丈夫…大丈夫だ…」
「離せっ…!私の腕を返せ…私を返せ…!」
幼いお姉さんは、魔法陣を奪われて魔力を失ったようで、残っていた方の手を握り拳にしてお姉さんの頭をポカポカと叩いている。
「あんたは、ひとりなんだろう?」
「そうだ!お前が、お前が私を奪ったせいで…!」
「そっか…そうだろうな…あたしも、ひとりだったんだ」
お姉さんは体を丸めて幼いお姉さんをまるで愛おしむように抱きしめながらそんなことを口にした。
「十七号、十八号、手を貸せ!」
突然魔導士さんが叫んだので私は思わず顔を上げた。
魔導士さんは両腕に雷の魔法陣を浮かべて、サキュバスさんと共にオニババとローブの男に襲いかかっていた。
サキュバスさんの風魔法がオニババを捕らえてその場に押しとどめ、そこに魔導士さんの雷魔法が降りかかる。
「おのれっ!」
オニババは目の前に結界魔法陣を展開して魔導士さんの雷を防ぐ。
でも、その直後には素早く反応した十七号くんが飛び蹴りで結界魔法陣を破壊した。
さらにその後ろから、十八号ちゃんが火球がオニババを襲う。
「宗主様!」
そう声が聞こえて、ローブの人がオニババの前に立ちふさがった。
火球がローブの人を捉え、激しく燃え上がる。
次の瞬間、オニババ達の足元に転移魔法陣が輝いた。
「くそっ!全力でいけ!」
魔導士さんがそう叫んだ。
同時に、魔導士さんの雷魔法、サキュバスさんの風魔法、十八号ちゃんの火球がオニババ達に降り注いだけれど、
それぞれの魔法が到達する直前、部屋をパッと明るく照らして二人は姿を消した。
「逃がしたか…」
「どうする、十二兄さん。あの子が控えていないなら、私達とサキュバスさんで協会へ乗り込んで行ってひと思いに叩ける」
十八号ちゃんが魔導士さんにそう提案する。
しかし、魔導士さんは首を横に振った。
「いや…こっちは手負いだ。それに、今はここを空けるのは得策じゃない。近衛師団長が裏切ったんだ。他にヤツと意思を通じていた物がいないとも限らない」
「そっか…主力が出払ったんじゃ、その間に暴れられても対応が遅れるね」
魔導士さんの言葉に、十八号ちゃんは冷静な様子でそう返事をして頷き、それからお姉さんたちの方に目をやった。
お姉さんは、相変わらず幼いお姉さんを抱いて居る。
そんな様子は、さっきまで戦っていた人をしてにしているとは思えない。
まるで、ぐずる赤ん坊をあやしているような、そんな感じだ。
「お前がひとりだなんて嘘だ!それなら、どうしてこんなに人がたくさんいるんだ!どうしてみんなお前を助けるんだ!」
「ひとりだったよ。あたしは何かのためにずっと戦ってきた。そのときどきで、目的はいろいろだってけど…そしたら、いつの間にか、一人じゃなくなってたんだ」
「なんだよそれ!そんなの、信じられるか!」
「お、おい、こら、暴れるな」
腕の中で暴れる彼女をお姉さんは優しく抱きしめて、落ち着かせる。
そんな様子を見ていた十八号ちゃんが、ふと口にした。
「ねえ、十二兄さん…もし、あそこに居た頃、兄さんが私達を殺さなければ勇者になれない、って話をされたら、兄さんはどうした?」
その言葉に、魔導士さんはグッと黙ってから、はぁ、と息を吐いて言った。
「それでも俺はお前たちを手に掛けるようなことはしなかった…とは、言い切れないな」
「あの子は、きっとそうだったんだ…だから、十五号姉さんを殺した…生き残るために…」
そう言って、十八号ちゃんはギュッと拳を握った。
何を思っているんだろう。
私はそんなことを考えてしまっていた。
魔導協会であった辛いことの記憶だろうか?
それとも、十五号さんって人のこと?
もしかしたら、あの幼いお姉さんが過ごしてきた時間を思っているのかもしれない。
私は、十八号ちゃんにそのことを聞こうとして、でも、うまく聞ける気がしなかったから、言葉を飲み込んだ。
たぶん、同じ境遇に居た十八号ちゃん達にしか分からないことがあるんだろう、ってそう思ったからだ。
「どうして…どうしてこんなことになるんだよ!私の腕を返せ…私を返せ…!理事長様に捨てられる…お前を殺さないと、私はどこへも帰れない…!」
幼いお姉さん…確か、零号、って呼ばれていたっけ。
零号ちゃんは、目から大粒の涙をこぼして叫んだ。
「ひとりはイヤだ…帰る場所がないのはイヤだ…!そんなのイヤだ…イヤだよ…!」
「なら、ここに住め」
お姉さんは、零号ちゃんの頬を伝った涙を拭ってそう言った。
その言葉に、零号ちゃんは急に暴れるのをやめてお姉さんをジッと見つめる。
「ここが、あんたの帰る場所だ。今日からここが、あんたの家だ。あんたはひとりじゃない。あたしがそばに居てやる。あたしじゃ不満なら、他にももっと人はいるぞ?」
お姉さんは、零号ちゃんの顔を覗き込むようにしてそう言い、それから私を見やった。
不思議と、それだけで、お姉さんの言いたいことが私には分かった。
私は床に座り込んでいるお姉さんと、そのお腹に座り込むようにして抱かれている零号ちゃんのそばへと行って、膝を付いて座り、零号ちゃんに挨拶をする。
「私は、幼女。みんなには、人間、って呼ばれたり、畑の指揮官、なんて呼ばれたりしてるんだ。よろしくね」
私の言葉に、零号ちゃんはポカンとした表情をしてしまっていた。そんな表情がおかしくて、私はクスっと笑ってしまう。
「それから、あっちはサキュバス。向こうは、妖精ちゃん。魔道士はもう知ってるな?それから、兵長に黒豹は…あぁ、まだ意識戻ってない、か…」
お姉さんは、優しい笑みで零号ちゃんにそう話しかけ続ける。
そんな様子を聞いていた十八号ちゃんが、十七号くんと十六号さんに目配せをして、三人並んで私達のそばまでやってきた。
「よう。俺は、十七号だ」
「アタシは、十六号。力任せに斬りやがって、痛いじゃないかよ」
「私は十八号。よろしく」
三人は三様の挨拶をして、零号ちゃんを見つめた。
相変わらず、呆然とした様子の零号ちゃんに、お姉さんが穏やかに声を掛ける。
「ほら、あんたも挨拶くらいできるだろう?名前は?」
そんなことを言われて、零号ちゃんはパクパクっと、口を動かして、それから慌てた様子でゴクリ、と一息飲み込んでから
「わ、私は……零号」
とか細い声で言った。
それを聞いたお姉さんが、すかさず零号ちゃんの頭を撫でつけて
「ん、いい子だ。ちゃんと挨拶できたな」
なんて褒める。
それから、お姉さんは、穏やかな声色のままに、零号ちゃんに言った。
「あたしは、勇者で、魔王で、この城の城主で、十三号、って呼ばれてたこともある。皆好きなように呼んでくれてるから、あんたも好きなように呼んでくれな」
その言葉に、零号ちゃんが再びお姉さんに視線を戻した。
「なんで…?どうして…?私は、私は…私じゃないのに?」
「あんたはあんただよ。でも、あたしはあんたじゃないし、あんたはあたしじゃない。よく似ているけど、違うんだ」
「違う…?」
「あぁ、そうだ。あたしも、この子達も魔道士も、みんなあんたと同じで魔導協会で“使われて”、最後には捨てられた。そう言う意味では、同じだけど、ただそれだけだ。
存在が同じやつなんていやしない。同じ経験をしてきたって、ほら、こいつらは見るからに違うだろう?
あんたとあたしも、そうなんだ。同じ体だろうが、同じ経験をしようが、同じじゃない。
だから、さっきまでやってたみたいに戦ったり、こうやってあんたの涙を拭いてやったりできるんだ、そうだろう?」
そんなお姉さんの言葉を聞いても、零号ちゃんはやっぱり呆然としたままだ。
それを見たお姉さんは、苦笑いを浮かべて、もっと優しい口調で、もっと優しいことば遣いで零号ちゃんに言った。
「あんたは、零号。あたしは十三号。他のやつらにもそれぞれ名前があって、それぞれいろんなことを考えてる。誰ひとり、あんたと同じやつなんかいない。
あんたは、あんただ。わかるか…?」
「私は、あなたと違うことを考えてる…だから、あなたと同じではない…私は、私…」
零号ちゃんが、ポツリと言った。それを聞くや、お姉さんがまた、大げさに零号ちゃんの頭を撫でて褒める。
お姉さんはそれから、また言った。
「あとは…そうだな。あたしも、みんなも、あんたと一緒にいてやれる。みんなあんたとは違うけど、でも、一人は寂しくて辛いってのは、みんな知ってくれてる。
だから、あたしやあんたが寂しく思わないように、って、必ずそばにいてくれる。あたしも、できる限りそうする。
あんたもできる限り、誰かが寂しくないようにそばにいてくれよ、この城に住んで、さ」
ハラっと、零号ちゃんが再び涙をこぼした。
表情が、まるで崩れるように歪んでいく。
「私…ここにいてもいいの…?」
「ああ、今日からここがあんたの家だ。あたし達が、まぁ、家族みたいなもんだな」
「一緒にいてくれるの…?」
「うん…あんたはひとりじゃない」
お姉さんは零号ちゃんにそう言い、両手でほっぺたの涙を拭ってから、その胸にキュッと抱きしめた。
「寂しかったろ、ずっとひとりで…怖かったよな…でも、もう、安心していい。これからはずっと、あたし達が一緒だ」
お姉さんは、零号ちゃんのクセのある黒髪に頬ずりするようにしながらそう囁く。
「うぅっ……うぅぅぅぅ………!」
やがて、零号ちゃんがそう声を上げて泣き始めた。
それを聞いて、私はふっと胸につかえていた何かが抜けて、力が抜けてしまうような、そんな感覚を覚えていた。
緊張感がようやく解けて、思わず、ため息を出てしまう。
きっとみんなもおんなじだったのだろう。誰からともなくふぅ、と息を吐く音が聞こえてきて、部屋の中の空気がずいぶんと柔らかになる。
「さて…じゃぁ、手当ての続きをしないと、な」
十六号さんがそう言って十七号くんを見やった。
「そうだな。えっと、十八号、回復魔法の術式、どんなだっけ?」
十七号くんが十八号ちゃんにそう聞く。
「あなたには、多分無理。十六姉さんになら、簡単な物ならきっとできる」
十八号ちゃんはうっすらと笑みを浮かべて言った。
「魔族の回復魔法を試してみるですか?
妖精さんがそんな風に言って、三人の会話に割り込んでくる。
「魔導士様、ここはお任せしてよろしいですか?私は階下の様子を見てまいります」
サキュバスさんが魔導士さんにそう尋ね、魔導士さんが
「あぁ、任せておけ。十七号、サキュバスに付き添え」
と十七号くんを呼ぶ。
「護衛だな。確かに、回復魔法よりも俺はそっちだな」
十七号くんはなんだか胸を張ってそう言い、サキュバスさんと言葉を交わしながら部屋を出て行った。
ふと、私は、窓の外が随分と静かになっていることに気がついて、窓際まで行って外を眺めてみた。
そこには、厚い雲なんてどこへやらで、綺麗に瞬く星々と、明るく光る下弦の月が輝いていた。
雨に濡れた城壁とその向こうの大地が月明かりをキラキラと反射させていて、まるで地面にも星がたくさんあるような、そんなふうにも見える。
そう、それはまさしく、嵐が過ぎ去ったあとの、すべてが洗い流された、荒れ果てて美しい景色だった。
その景色があまりにもきれいだったものだから…ううん、そうじゃなくったって、私は気がついていなかっただろう。
すでに次の嵐が、もうすぐそこまで近付いて来ているだなんて。
つづく
展開の関係で後レスになって申し訳ない!
レス、超感謝です!
煽るだけ煽って、こんなオチか!と思われていないと幸いですw
乙
これでこそキャタピラ!という展開だと思う。
みーんなで幸せになろうぜ!
まだまだ山あり谷ありっぽいけどさ
楽しみ尽きないね
ほーんと読み応えあるわ
次も楽しみにしてる
乙
乙!
朝が来た。
太陽が登って、昨日の夜に散々降った雨に濡れた世界が、キラキラと眩しいくらいに輝いている。
そんな中を、私は妖精さんと十六号さんとの三人で畑に向かって歩いていた。
お城では、大ケガをした人達の治療が続いている。
ほとんどのみんなは傷こそ回復魔法で塞がったものの、血を流しすぎたり意識を失ったりしていて、未だに満足に動けない。
サキュバスさんが中心になって魔族軍の人達で編成された治療班が懸命に手当てや介抱を続けているけど、全員が元気になるまでには、まだしばらくの時間が必要そうだった。
「おぉ、なんだ、なんともないな」
不意に十六号さんがそんな声を上げる。私もその声に釣られて、目の前に広がる畑を見渡した。
そこには、雨の滴に濡れて輝くお芋の新芽が逞しく葉を伸ばしている姿があちこちにあった。
畝が崩れたりもしていないし、畑の中に水溜まりがあったりもしない。畑もなんとか、昨晩の嵐を乗りきっていたようだった。
「うん、そうみたい。みんなが排水路を掘ってくれたお陰だね」
私が言ったら、十六号さんと妖精さんが嬉しそうに笑ってくれる。
どうやらあんなに降った雨はちゃんと排水路に流れてくれたようで、排水路の先に掘った溜め池にはたっぷりと水が入っていた。
「井戸は大丈夫かな?」
ふと、妖精さんがそう言って庵の方を見やった。向こうもパッと見た限りは大きな影響は無さそうだ。
もちろん井戸の穴の方は埋まってしまっているかも知れないから、お城の方が落ち着いたらまた戦士さん達に頼まなくちゃな。
魔族軍の再編のことのもあるし、なにより今は隊長さん達が近衛師団の人達それぞれに師団長さんのことやこんかいの事に関する聞き取りをしているから、
作業の再開にはまだしばらく時間がかかりそうだけど…
「庵は無事だけど…穴は分かんないよな」
「うん、きっと平気だと思うけど、みんなが良くなるまでは掘るのは中断しよう」
「そうだね、みんなのケガ、ひどいもんね…」
妖精さんがそう言って悲しい顔をした。
あの戦いで、死んでしまった人達もいた。
ほとんどは小隊長さん達を含めた、突撃部隊の魔族さん達…
突撃部隊の人達は、私達が転移魔法でお城から一時的に逃げ出したあとに大挙して部屋に押し入り、オニババ達に戦いを挑んだらしい。
でも、あの零号ちゃんを筆頭にした子ども達に反撃されて、多くの犠牲者を出してしまっていた。
小隊長さんや鬼の戦士さん、鳥の剣士さんは生きててくれたけど…だからと言って、良かった、なんて言ってはいけないって思ってしまうほどの被害だった。
それに、傷付いたの私達だけじゃない。七人いた魔導協会のローブの人達は五人が、五人いた半分の仮面を付けた子ども達は、みんな死んでしまった。
魔導士さんの話では、子どもの体にとって強力過ぎる魔法陣を施されたのが一番の原因だ、ってことのようだった。
特に、最後まで生き残っていたヘ号とロ号は、狂化の魔法陣によって生きるための力を食い尽くされた、なんて言っていた。
戦いが終わったあと、彼らの亡骸から仮面を外してみると、そこにあったのは鋭い牙と尖った鼻と言う、オークのような特徴を持つ幼い顔だった。
あの子達こそが、以前魔導士さんが言っていたオークが身籠らせた人間との間の子ども達だったんだ。
お姉さんは、零号ちゃんの体を治療してから、零号ちゃんや魔導士さん、十六号さん達と一緒に、
子ども達を先代魔王様のお墓なんだと言う場所のすぐそばに、沈痛な表情で優しく丁寧に埋葬していた。
十八号ちゃんが言ったように、お姉さん達にとっては一歩間違えば自分達があの子達のようになっていたかもしれない、って思いがあったんだろう。
魔導協会のオニババは、世界を平和に管理するために、お姉さんの両腕の紋章が欲しいんだとそう言った。
でもその為だけに、人の命をまるで道具のように使っている。
平和の礎のための尊い犠牲と言えば聞こえはいいけど、それは、私には、目的だけに執着して過程を省みない狂信的な考えに思えて、身震いを押さえきれなかった。
ともあれ、戦いは終わった。隊長さんの言葉を借りれば、ケンカは落とし所が大切。
これからどうしていくかを、きちんと話して決め、それを魔導協会にも伝えなければいけない。
でも……
果たして、この戦いの落とし所って、いったいどこなんだろう…?
さぁっと爽やかな風が吹いてきて、私達を包んでサラサラとクローバーを揺らしながらの大地を駆け抜けていく。
その風の心地よさを味わいながら、それでも私は、そんな重く圧し掛かかってくるような疑問を胸に抱いていた。
「十六号さん、妖精さん。お城に戻ろうか」
私は、なんとか気を取り直して二人にそう声をかける。二人はそれぞれ笑顔で私にうなずいてみせてくれた。
それからすぐに私達はお城に向かって歩きだした。
出入りためには西門が一番近いのだけれど、十六号さんの提案で、お城から出て来て陣地作り直している魔族軍の人達のいる真ん中を歩いた。
「おぉ、嬢ちゃん!」
「チビ、怪我はなかったか?」
「あれが噂の妖精族か…聞いてたよりずっと美人じゃないか」
私達を見る目は昨日とはまるで違った。
雷の前に私達が誘導してお城の中に避難させてあげたことその理由の一つなんだろうけど、
たぶんそれ以上に、お姉さんが暗殺されそうになり、それに対して私達が一丸になって戦ったことが、お城の中に避難していた人達にも伝わっていたようだ。
少なくとも昨日の出来事は、ここにいた人達にとっては
魔族を裏切った師団長とその手引きによってやってきた人間による魔王城への攻撃を退けた、と理解されているようだった。
私達は命を掛けて、魔王であるお姉さんを守り、お姉さんや魔族軍のいる魔王城を人間達の攻撃からも守った。
そのことで、私達はようやく魔族に害をなす者じゃない、って、そう信じてもらえたようだ。
「はっ、油断すんなよ。人間なんだ、どんな汚い手を使ってくるか分からんぞ」
「ちっ、得意げな顔しやがって」
そんな言葉も聞こえなくはない。やっぱり、すべての人に信じてもらうにはもっとじっくりお互いを理解していかなきゃいけないんだろう。
私達は南門を通ってお城の上層階へと上がる。
暖炉の部屋は主戦場になりひどく荒れ果ててしまったので、今は土の魔法が使える魔族さん達が力を合わせて補修してくれている。
その代わりに、一息吐くための場所はその上の階にある食堂に移っていた。
「ただいま、お姉さん」
私がそう言って食堂のドアを開けるとそこには出ていったときのままにお姉さんがいてイスに腰掛け膝の上に座らせた零号ちゃんの体に手を当てている。
傍らではサキュバスさんもお姉さんと同じように、零号ちゃんに手を添えていた。
「あぁ、おかえり」
「おかえりなさいませ」
「あのっ…お、おかえり……なさい」
三人はそれぞれの返事を返してくれる。でもすぐに膝の上の零号ちゃんに視線を戻した。
何をしているんだろう?
そう思って見ていたら、サキュバスさんがため息を吐いて言った。
「やはり、ゴーレムとは異なる命魔法ですね」
「具体的に、どう違うんだよ?」
「彼女は、命魔法による強力な生命活性を受けて育ったようです…
魔様の血か何かに絶えず命の活性魔法を掛け続け、体を持つことに成功したのでしょう。創生の禁術に間違いありませんね」
「じゃぁ、やっぱりあいつらの魔力とは関係ないんだな?」
「はい。彼女は言わば、魔法の力で変化を受けたもの。
魔力を宿して活動するゴーレムとは違い、術者であろう人間界の神官の一族が死んだとしても、彼女が生を失うようなことはありません」
「そっか…なら、良かった」
サキュバスさんの言葉を聞き、お姉さん安堵の表情を浮かべて零号ちゃんの頭を撫でる。
零号ちゃんはそれを嬉しそうに笑って受け入れた。
それからすぐにお姉さんは
「畑の方はどうだった?」
と私に聞いてくれる。
「うん、平気だったよ」
私が答えると、お姉さんは嬉しそうな笑顔を見せて
「そっか、そっちも良かった」
と言ってくれた。
そんな言葉に、私はお姉さんが、あんな戦いの後だから何かそう言える物を探しているんじゃないか、って、そんな風にも感じた。
あんな悲しくて辛いことのあとだ。どんな小さなことでも、「良かった」って思えることを探したくなる気持ちは、なんだか私にも分かった。
それからまた少し、お姉さん達ととりとめのない話をしていると、ドアを開ける音させて、兵長さんが食堂に姿をみせた。
「勇者様、元近衛師団員全員の聴取が終わりました」
兵長が目礼をしながらお姉さんにそう報告する。頭を上げた兵長さんの表情は厳しく引き締まっている。
それを見たお姉さんは
「そうか…」
なんて言ってため息を吐き、次いでサキュバスさんが兵長さんに
「共謀者がいたのですね?」
と端的に尋ねた。
「ええ、師団長の側近二名が、計画を事前に知らせれていたようでしたので、捕縛して地下牢に収監しました」
「そうですか…」
兵長さんの報告に、サキュバスさんも深いため息を吐いた。
戦いの後、お姉さんが人間の魔法で拘束していた師団長さんは、あの草原で死んでいた。
私は直接見たわけじゃなかったけど、身柄を抑えるためにあの場所へ向かった魔道士さんとそれに着いて行った十六号さんの話では、
風の魔法が何かで、自分で首の急所を切ったんじゃないか、って、そう言っていた。
遺体は、サキュバスさんの願いで、半人半魔の子ども達と同じように、先代魔王様のお墓のそばに埋葬されたようだ。
私はそれを聞いたとき、師団長さんとお城の塔で月夜を眺めたときのことを思い出していた。
師団長さんは、私達を騙していた。でも、騙していて平気なわけじゃなかったんだと思う。
嘘を付いていることと、たぶん、師団長さん個人は本当に信頼していたんだろうお姉さんのことを、一族の掟を守るために、
世界の平和を守るために裏切らなければならないんだ、ということはきっと辛かったはずだ。
あの涙は、そのせいで流したものなんだろう。
その気持ちは、もしかしたら、お姉さんがあの悲しそうな笑顔を見せるときと同じ気持ちなんじゃないかな、なんて思った。
平和のために何かを裏切って…何かと敵対してもなお、平和を探さなきゃ行けないって、そんな想いと。
「兵長、あんた、体は?」
お姉さんが兵長さんにそう聞く。
すると兵長さんは柔かな笑みを浮かべて
「大丈夫です…残りの仕事を片付けてしまわないといけませんね」
とお姉さんに答えた。それを聞いたお姉さんも穏やかな笑顔で頷く。
「ああ。近衛師団は解体して、残りの各師団へ振り分けよう。で、代わりに各師団から少しずつ兵を出してもらって、新たに近衛師団を作らなきゃならないな…」
「そうですね…その案が良いと思います」
「あいつらの様子は?」
あいつら…きっと竜族将さん達、偉い魔族の人達のことだ。
「今は陣を整え直している頃でしょう。呼びかければ半刻待たずに集まると思います」
「半刻後は、ずいぶんと急だな。昼過ぎにしよう、場所は同じ会議室だ」
お姉さんの言葉に、兵長さんは頷いて
「はい、では、後ほど触れて参ります」
と答えた。
魔族軍の再編も、今回のことで大きく足踏みをしてしまった。あのとき以上に話し合いが拗れたりしなければ良いんだけど…
そんな私の心配を余所に、確認を終えて部屋から出ていく兵長さんを見送ったお姉さんは、零号ちゃんを床に下ろして立ち上がり、大きく伸びをしてみせた。
「さて、じゃあ、あたしも準備しなきゃな」
そう言って、お姉さんは、誰ともなしに穏やかに笑った。
「違うですよ、もっとこう、ギュッとしてパァっと!」
「えぇ?何が違うんだ?」
「今のだと、グッとなってバーって感じです」
「そ、そうか…もう一回最初からだ…集中して、力を捕まえて…うりゃっ!」
「それも違うです!そんなにブワッとやったらせっかくの力が逃げちゃうですよ!」
「あはは、あんたは不器用だな、十七号」
「くっそぉ!何で十七号姉と零号には出来て俺に出来ないんだ!」
「幼女ちゃんの方が上手。十七号、下手くそだね」
お昼ご飯を食べてから、私達は十六号さん達の部屋に来ていた。
井戸掘りをしている最中に十七号くんが妖精さんにお願いしていた、魔族魔法の特訓だ。
私は寝る前なんかにほんの少しずつだけど練習して、今は何とかコップの中の水に渦巻きを作るくらいは出来るようになっていたから、
今、妖精さんが十七号くんに一生懸命教えている風魔法で羽を動かすくらいはそれなりにこなせたけど、十七号くんはかなり苦戦している。
「だから違うんだって。あんたのそれは、腕を振って風を起こそうとしてるだけじゃないか」
「投げる感じ。ポイって」
十六号さんと十六号さんの膝の上に座った零号ちゃんがそんな事を言って冷やかす。
十六号さんと零号ちゃんは、妖精さんが二、三度コツを教えたら、すぐに感じを掴んだみたいで動かすだけではなくって羽をクルクル、フワフワと宙に浮かべてみせた。
私はクローバーを動かすのに三日も掛かったのに、こんな短い時間で出来てしまうなんて正直驚いた。
十六号さんが言うには、
「人間の魔法は内側の力を動かす魔法で、魔力の魔法は外側の力を動かす魔法だから感じは違うけどまったく別の物ってわけでもないみたい」
らしい。
人間の魔法が使えない私には、その言葉はよく分からなかったけど…
「幼女ちゃんもおいで」
不意に脈略もなく零号ちゃんがそう言って私の腕を引っ張った。私は立ち上がってその手に引かれるまま、十六号さんの膝の上に腰を下ろす。
すると、零号ちゃんはとびっきりに嬉しそうな表情で笑った。
戦いのあと、零号ちゃんはサキュバスさんとお姉さんの魔法で、斬られた腕を元に戻された。
そのとき、お姉さんは零号ちゃんの腕の勇者の紋章をまるで羊皮紙を捲るみたいに引き剥がして、零号ちゃんの腕を斬った剣に貼り付けた。
お姉さんにそんなこと出来たという事に私は少し驚いたけど、でも、よく考えてみればお姉さんはサキュバスさんに魔王の紋章を簡単に移してみせたりしていたし、
きっと紋章を持っている人にだけ分かる何かなんだろうと私は納得していた。
そんな零号ちゃんの腕には、今は魔道士さん特性の、十六号さん達と同じ魔法陣が描き込まれている。
勇者の紋章を剥がされた零号ちゃんは、最初は不安そうにしていたけど、十六号さん達とお揃いの魔法陣をもらってからは安心したような、嬉しそうな顔をした。
腕を治してからは、零号ちゃんは十六号さんに謝った。
十六号さんはそんな零号ちゃんに、
「気にすんな。十三姉ちゃんは忙しいことが多いから、そう言うときはアタシが面倒を見てやる。あんたも、姉ちゃんって呼べよな」
なんて言っていた。
その結果、零号ちゃんはこうして十六号さんにもべったりだ。
ずっと自分は一人だと思っていた零号ちゃんが、お姉さんや十六号さんに一緒にいてあげる、と言われて嬉しくなってこうなってしまっているのは良く分かる。
でも、零号ちゃんが私にまでこんなにくっついていたがるのは、なんだかちょっと不思議だった。
「投げるんだよ、十七号くん。ポイッて、ほら、ポイッ」
零号ちゃんは、私と十六号さんに寄りかかり、なんだか楽しそうな笑顔で十七号くんにそう言う。
「投げるって言ったって…」
零号ちゃんにそう言われて、十七号くんは腕に微かな光を灯しながら、
それで何とか目の前の羽を動かそうと何度も腕を振っては、光が消えてしまう、というのを繰り返している。
その様子がなんだか可笑しくって、私はいけない、と思いつつもクスクスっと笑ってしまっていた。
不意に、コンコン、と部屋のドアをノックする音がした。
「どうぞー?」
十六号さんがそう声をあげると、カチャリ、とドアが開いて女戦士さんと鬼の戦士さんが顔を出した。
「よぉ、やってるな」
女戦士さんがそんなことを言いながら部屋に入ってくる。
「ふふ、練習なら付き合うよ?」
鬼の戦士さんは今日も優しそうな表情だ。
二人とも、戦いでは身動き出来ない程の傷を負っていたのに、回復魔法でピンピンとしている。
そんな二人を見るなり、零号ちゃんが十六号さんの膝から飛び降りて二人の前に立ちはだかって言った。
「あの…あの…昨日は、ごめんなさい…」
零号ちゃん体を小さく縮こまらせてそう謝った。
そんな零号ちゃんの頭を、女戦士さんがクシャクシャと撫で回す。
「なに、平気だ」
「うんうん、気にしないで」
二人は口々にそう言って零号ちゃんに笑いかけた。
昨日の戦いで、同じ部隊の人が何人も死んでしまったというのに…二人は、そんなことを気にする様子もない。
「戦いなんだ…仕方ないよ」
女剣士さんが、昨日、治療の最中にそんな言葉を漏らしていたけど、二人ももしかしたらそう思っているのかもしれない。
もしかしたら、本当は心の中は複雑な思いがあるのかもしれないけど、それを黙っているのかもしれないとも思う。
でも…そもそも二人は、人間と魔族。
戦争の最中だってお互いを傷つけあっていたかもしれない。それでも、二人と他の人たちだって、そんなこと気にする素振りなんて見せずに一緒にいることが多い。
近衛師団の人たちへの尋問も、諜報部隊と突撃部隊の人達が協力してやってくれていたらしいし…
そんなことを考えていたら、零号ちゃんと一緒に私達のところにやってきた女戦士さんが、私の頭もゴシゴシっと撫で始めるなり、ニヤっと笑って
「ケンカは落としどころ、だよ」
なんて言ってみせた。
「鬼の姉ちゃん!いいところに来てくれた!なぁ、なんかもっとコツないのかな?」
十七号くんが鬼の戦士さんに向かってそう悲鳴を上げる。そんな十七号くんに鬼の戦士さんはニコっと笑って
「ふふ、じゃぁ、すこし練習してみようか」
とその傍らに座り込んだ。
「あんた達はやらないの?」
女戦士さんは私たちにそう言いながらすぐそばに腰を下ろす。
「アタシらは基本的なことはできたんだよ」
十六号さんが答えると、女戦士さんはカカカと高らかに笑って
「すごいなぁ、アタシはやってみたけど出来なかったんだよ!大雑把なやつには出来ないんじゃないのか、魔族の魔法って?」
なんて言ってみせた。
「そう、そうやって力を纏わせたら、そっと意識を前に…放つんじゃなくて、伝える感じよ」
「つ…伝える感じ…伝える…伝える…伝える…」
鬼の戦士さんの言葉に、十七号くんが意識を集中し始めた。その腕の光が微かに強くなって、さわさわとクローバーが揺れ始める。
「お、おぉ!?」
と、妖精さんがそれを見て、抑え気味にそんな歓声を漏らした。私も、小さなテーブルの上に置かれたクローバーをジッと見つめる。
「んっ!」
十七号くんがそう声を漏らした瞬間、クローバーがくるりとテーブルの上で向きを変えた。
「おぉ、うまいもんだ!」
「あははは、なんだ、やればできるじゃんか!」
「十七号くん、よくできました!」
女戦士さんに十六号さん、零号ちゃんが口々にそう声をあげる。
「で、できた…!」
十七号くんも嬉しそうにそう言って、私や妖精さん、鬼の戦士さんの顔を代わる代わる見つめた。
「やっぱり戦士様の教え方は上手です」
妖精さんがそんなことを言って感嘆したけど、それを聞いた十六号さんがすぐに
「そうかな?アタシは妖精ちゃんの教え方ですぐに感じがわかったよ」
と言葉を返す。それに続いて零号ちゃんも
「そうです、妖精さんも、上手ですよ」
とそれに賛成した。
私にしてみたら、どっちかと言うと鬼の戦士さんの説明の仕方の方がしっくり来て分かりやすいと感じられたけど…でも、そう言うものの感じ方は人それぞれだ。
「そうだ、十七号を鬼の姉ちゃんが見てくれるんなら妖精ちゃん、アタシに回復魔法を教えてくれよ!」
十六号さんがそう話をかぶせて来た。それには、私も少し興味がある。
回復魔法ができたら、私にだって少しはできることが増えるかもしれない。
十八号ちゃんや、お姉さんのようには行かないかもしれないけど、自分のケガやなんかを手当することができたらきっと迷惑を掛けることも減るだろうし、
昨日のようなときでも戦える人達の手をわざわざ割かなくて済む。
「それは出来るから私は平気」
と零号ちゃんが口を挟んだけど、私も十六号さんに賛成して
「私もやりたい!妖精さん、教えて!」
とお願いした。
すると妖精さんはデレデレっと明らかに嬉しそうな顔をしながら
「うん、任せてくださいです!私、回復魔法は風魔法と同じくらい得意ですよ!」
と言ってくれた。
「魔族の回復魔法は自然の力を高める魔法なのです」
妖精さんはそう言いながら、フワリと手を光らせて見せる。
「サキュバス様の命の魔法と似ていますが、それよりももっと単純で簡単なのですよ。まずは、風の魔法をするときと同じように魔力を集めるです」
妖精さんの説明に、私と十六号さんは顔を見合わせ、それから集中して自然の魔力を腕にまとわせる。
零号ちゃんも、人間の回復魔法が出来るから平気だ、と言ってはいたけど、十六号さんの膝の上で私達と同じように魔力を集め始めた。
「あとはその力を使ってポワッとやるです」
ポワッと…と言われても…今は目の前にケガをした人がいるわけじゃないし…妖精さんが言うそのポワッと、っていうのも感覚はいまいち伝わってこない。
「んー、どれくらいポワッとなのかは、実際にやってみないと加減が分からないな…」
十六号さんは、ポワッと、っていうのは分かっているらしいけど、やはり実際にそれを誰かにする感覚は掴みきれないらしい。
するとそれを聞いた妖精さんはスックと立ち上がり、窓辺に置いてあった魔導士さんのボタンユリの鉢を持って戻って来た。
「ここに試させてもらうです」
妖精さんはそう言うと、ボタンユリの茎にガリッと爪でひっかき傷をつけた。
僅かに窪んだその場所からは、うっすらと水分が染み出してくる。
「よし…まずはアタシだ…」
十六号さんは、言うが早いか、ボタンユリの鉢植えにそっと手をかざした。
十六号さんの腕の光が徐々に手の平の方に集まっていき、やがて手の平から広がる様に光がボタンユリへと伸びて行く。
「十六号さん、上手ですよ!」
妖精さんがそう言ったのも束の間、ふぅ、と息を漏らせて十六号さんが手を降ろした。
ボタンユリの茎を見て見ると、ついさっき妖精さんが付けた傷が見事に亡くなっていた。
「すごい!十六号さん、できてる!」
私は思わず、そう感嘆してしまった。すると十六号さんはあははと声をあげて笑って
「なるほど、こっちの回復魔法ならアタシでもなんとかやれそうだ!人間魔法の回復は、術式がややこしいんだよなぁ」
なんて零号ちゃんの頭を撫でながら言う。
「次、私もやる」
と、今度は零号ちゃんがそう言って、さっき妖精さんがしたようにボタンユリの茎に傷をつけてから手をかざした。
零号ちゃんの手の平に灯った光は十六号さんよりも弱く、すこし頼りなく見えたけど、それでもボタンユリの傷はほどなくしてまたなくなった。
「できた!」
そんな声をあげた零号ちゃんを、十六号さんがまたよしよし、と撫でながら
「すごいじゃないか零号!」
なんてほめている。でも、当の零号ちゃんはすこしだけ顔をしかめて
「これ、風の魔法より難しいよ」
なんて言った。
私はそれを聞いてなんだか緊張してしまう。
風の魔法より難しい…というんなら、ようやくそれをなんとなく使えるようになっただけの私に、回復魔法なんて出来るんだろうか?
「さ、次は人間ちゃんだよ」
妖精さんがそう言って、ガリっとやったボタンユリの鉢植えを私の前にズイと押し出して来た。
落ち着いて、深呼吸。緊張していると集中しにくくなっちゃって、返ってうまく行かない。
私は十六号さん達とは違って、そもそも魔法なんて使えなかったんだ。
うまく行かなくったって当然…それくらいの気持ちで、とにかく楽にやらなきゃ…
私は自分にそう言い聞かせながら両腕に意識を集中する。
皮ふから、空気を吸い込む感覚で、自然の力を取り込む…そうすれば、ジンジンと、腕の中がほのかに温かくなってくるんだ。
私の腕が、フワリと光り始める。
そう、ここまでは、風魔法と一緒…
あとは、これをポワッとやればいいんだよね…ポワッと、っていうのがやっぱりよくわからないけど…
そう思いながら、私はボタンユリに手をかざしてみる。
風魔法はこの力を、空気に混じらせて操るというか、空気を引き寄せてそれを動かすというか、そんな感じだった。
回復魔法は…もっと、暖かな感じ、だったな…ってことは、これを空気じゃなくてそのままボタンユリに伝えればいいの…?
私は、そう考えて腕の魔力をそっとボタンユリに伸ばしていくように意識する。
やがて腕の光が、十六号さんや零号ちゃんがやったときと同じように、手の平の方に集まって来た。
「おっ、いいぞいいぞ…!」
「幼女ちゃん、がんばって…!」
十六号さんと零号ちゃんが、声を抑えながらそう応援してくれる。
私は、さらに意識を集中させて、腕の光と魔力の温もりをボタンユリに伸ばしていった。
すると、傷をつけた部分がジワリジワリと狭くなり、まるで窪んだ部分が内側から盛り上がってくるように、やがては張りのある茎へと戻った。
「で、できた…!」
私は思わずそう声をあげて妖精さんを見た。
妖精さんも笑顔で私をみていてくれて、目が合うとパチパチと拍手してくれる。
「あははは!すごいや、魔族の魔法は十七号より全然うまい!」
「うんうん、すごい!十七号くんは下手だからね」
「へぇ、驚いたな!」
十六号さんと零号ちゃんに、女戦士さんまでもがそう言ってくれる。
私は、それも嬉しくて、えへへ、とたまらずに笑顔になってしまった。
「俺を比較に出すなっての!今に見てろ、すぐに追いついて追い越してやる!」
鬼の戦士さんと練習をしていた十七号くんがそう口を挟んでくるけど、十七号くんも笑顔だ。
「なぁ、次はさ!あの念信ってやつも教えてくれよ!」
不意に、十六号さんがそう言った。
あの遠くの人とも意志の疎通が出来る、っていう、魔族の魔法だ。
「いいですよ!念信は、風の魔法の応用ですけど、回復魔法ほど力が要らないので、そんなに難しくないです!」
妖精さんも、私達に魔法を教えるのが楽しいのか、満面の笑みでそう言い、座りなおして息を整えた。
「念信魔法は、風の魔法を使って自然の言葉を広げる魔法です。届けたい人にだけ伝える方法と、みんなに広める方法とがあるですよ」
「なるほど…個人に届けられる、ってのは便利だな」
「そうなのです。これで、寝る前に秘密の喋りしても、何を話しているかは誰にも分からないですよ」
「それ、私もやりたい!」
「ふふ、では、よく聞いてくださいです。まずは、魔力を集めて風の力を引き寄せるです」
十六号さんと零号ちゃんとそう言葉を交わした妖精さんは、そう言って今度は耳のあたりをフワリと光らせた。
言葉を届ける、っていうくらいだから、聞くためには耳の辺りに魔力を集める必要があるのかもしれない。
そんなことを思いながら、私も妖精さんの説明を聞いている。
でも、そんなとき、妖精さんは意識を集中したまま、急に黙り込んでしまった。
「よ、妖精ちゃん…?」
十六号さんが心配げにそう声をかける。
でも、妖精さんはそれに答えるどころか、徐々に表情を曇らせ、体をこわばらせだした。
よ、妖精さん…ど、どうしたの…?
「おい、妖精ちゃん、何か聞こえるのか?」
不意に、十六号さんがそう声をかけた。それを聞き、異変に気付いたのか鬼の戦士さんが妖精さんの顔色を伺う。
「何か、良くない知らせが…?」
そう言った鬼の戦士さんも、額の角の辺りを光らせた。
そしてすぐに、妖精さんと同じように厳しい表情を見せる。
「た、大変です…」
妖精さんが、そう口を開いた。
「ええ…すぐに城主様のところに行って来るわ…知らせないと…女戦士、来て!」
「えぇっ?わ、分かった、行く、行くよ」
鬼の戦士さんが立ち上がってそう言い、女戦士さんの肩口を引っ張ったので、女戦士さんも慌てて立ち上がって駆け足で部屋から出て行った。
そんな二人を見送った私は、改めて妖精さんに視線を戻す。
妖精さんは、真っ青な顔をしてうなだれていた。
「よ、妖精さん…なにがあったの…?」
そう聞いた私に、妖精さんはかすれた低い声で、教えてくれた。
「魔界全土に念信が流れてるです…魔王様が、二つの紋章を使って世界を支配するつもりだと。
それを防ぐために、魔族は人間軍と共同作戦を実施して魔王様を討つ、ってそう言ってるです…」
つづく。
短くてすません。
乙!
>>610
レス感謝です!
続き行きます!
それから程なくして、私達は食堂に集まった。
お姉さんにサキュバスさんに妖精さん。兵長さんと黒豹さんに、魔道士さんと十六号さんと十七号くん、そして零号ちゃんも、だ。
「最悪、起こりうるんじゃないかと思ってはいたが…想像以上に手が早かったな…」
そう言ったのは、魔道士さんだった。
その言葉は、食堂の重苦しい沈黙をさらに私達に突きつけるようだった。
「魔族の勢力は、サキュバス族が中心なんだな?」
お姉さんがサキュバスさんにそう尋ねる。
「はい…恐らくは、普段、一族の防人を担っている二千程が、配下にあると言って良いと思います」
サキュバスさんは沈痛な面持ちで答えた。それに黒豹さんが続ける。
「その他に、今回の再編に応じず、各地に散らばっていた元魔族軍の兵士達が千。それとは別に、新たに武器を取り戦列に加わる者が後を絶たない状況です」
その言葉に、お姉さんはガックリと肩を落とした。そんなお姉さんに辛そうな視線を向けながら、兵長さんが言う。
「人間軍はおよそ一万五千の兵を準備しているようでした…
王下騎士団が中心となり、魔導協会の戦闘員、王下軍の役七割、それに各地貴族の治安軍もこれに参加しているようです」
「二万は超えるな…三万か、それ以上になる、か…」
兵長さんの報告に、お姉さんは重々しくため息を吐いた。
妖精さんと鬼の戦士さんが魔界の念信を受け取り、それをお姉さん達に報告してすぐ、
お姉さんは再編の会議を打ち切って、魔族軍の人達をお城の外、野営の陣地へと半ばむりやりに帰らせた。
それと同時に、兵長さんが魔道士さんと一緒に転移魔法で王都へと入って、人間軍の状況を探って来てくれていた。
それが今聞いた情報のことだ。
「サキュバス族に関しては、幾人か話が出来る者も居りましたので説得を続けてみましたが…
一族のまとめ役である私の種たる母…魔族の中の神官の一族の長の決定とあらば、疑うことも、また、裏切ることも出来はしないでしょう…」
サキュバスさんは、そう言ってさらに体を縮こまらせてたいため息を吐いた。それからお姉さんに向き直り
「私の親族がこのようなことを…その、なんと言って良いか分かりませんが…恥ずかしく思っています…申し訳ありません、魔王様…」
と深々と頭を下げた。それを見たお姉さんは微かに笑みを浮かべて
「…きっと、大事なことなんだろう…きっと、この世界を守るために、みんな必死なんだ…」
と静かな声色で言う。
また、沈黙が部屋を押し包む。
「お姉ちゃん、戦いになるの…?」
不意にそう言ったのは零号ちゃんだった。
「戦いになるのなら、私の紋章を返して。それで、私が全部殺してお城を守る」
「いや、ダメだ」
零号ちゃんの言葉に、お姉さんは首を横に振った。
「戦おうとすれば、より一層あたし達が危険な存在だと認識されちゃう…それに、相手の数が多すぎる。
半壊で済ませたところで、人間にも魔族にも大打撃だ…それこそ、それぞれの国が根底から崩壊しかねない…」
お姉さんの言う言葉の意味は分かった。人間軍は、ほぼ全軍に近い規模で態勢を整えている。
それをみんなやっつけてしまったら、人間界はほとんど丸裸…治安維持や、統制が効かなくなるかもしれない…
そうなったら、王都の元に暮らしている人達が、自分の身を守りためにそれぞれの活動を始めなきゃならなくなる…
そうなったら、もう国中がバラバラになって仕舞うかもしれない。魔族の方はもっと深刻だ。
兵隊さんだけじゃなく、新たに戦いに臨もうとしている人達がいると言っていた。
そんな人達が多勢命を落とせば…それは、そのまま、魔族の衰退に繋がってしまう。
だけど、お姉さんの言葉に零号ちゃんは俯いて言った。
「だって…私イヤだよ…住むところがなくなったり、みんなが居なくなっちゃったりするの…」
そんな零号ちゃんの声は、微かに震えていた。
「おいで、零号…」
お姉さんはそう言って零号ちゃんを招き寄せ、膝の上に乗せると優しく抱きしめて言った。
「そうだな…イヤだよな…だから、考えなきゃ…どうしたらいいか、って」
「みんな殺せばいいんだ…私達をイジメるやつらなんか…」
「あたし達が良ければいいってわけじゃない。せめてくるやつらだって、大事な人を守りたいんだよ」
「…でも、それでお姉ちゃん達が死んじゃったらイヤだ。そうなるくらいなら、私が敵を全部殺す。私は、悲しいのも寂しいのもイヤだ…」
零号ちゃんはそう言って、お姉さんの体に回した腕にギュッと力を込めた。全身が、微かに震えているのが分かる。
零号ちゃんの気持ちも、私には分かる。たぶん、絶望感なんだろう。きっと、戦いは止められない。
ここにやってくる人間軍と魔族軍を滅ぼしても平和になんてならない。
でも、じゃぁ私達がおとなしく捕まるなりお姉さんの紋章を返してたところで平和になるとは思えない…
零号ちゃんはそんなどちらにも転べない状況でどっちかを選ばなきゃいけないんなら、
大勢を殺し、世界を壊して、それでも大切に思う、大切にしてくれる人達と一緒にいたい、って、そう思っているんだ。
「殺す、まではしなくても…あるいは、やつらがやりたがってることをしてしまう、と言う手もある」
不意に魔道士さんがそう言った。
「やつら、とは、魔導協会のことですか?」
黒豹さんの言葉に魔導士さんは頷いた。
「その力を使って、俺達が世界を管理する…争いは起こさせない。場合によっては粛清し、平和維持に努めることも出来るだろう」
「…癪だけど、可能性としては有り得るよな…でも、そうなったらやっぱり、ここへ攻めて来る奴らは多少は叩かなきゃならない…」
「その道を選ぶのなら、ある程度は、許容するべきだろう」
魔道士さんの言葉に、お姉さんは俯いて黙る。でも、少しして顔を上げ、兵長さんを見やって言った。
「兵長、何か他の案はないか?」
すると兵長さんは、険しい顔付きで口を開く。
「私も、魔道士様と同じことを考えていました。
あえて、もう一つ別の案をあげさせて頂くのなら、いっそどこかに雲隠れしてしまうのも良いのかも知れません。
大陸の辺境…あるいは、勇者様…いえ、城主様の力で海に島を浮かべるでも良い…
世界を平和にしたいと願う城主様や我らの思いを介さぬこの地と、民の事は忘れて、ですが…」
「それは…約束を破ることになっちゃうよな…」
ポツリとお姉さんは口にしたけど、すぐに兵長さんを見つめ直して
「でも、あたしもあんた達が傷つかなきゃいけないんなら、いっそそうすべきかも知れないって思わないでもない」
と悲しげな笑顔でそう言った。
「魔王様」
今度は黒豹さんがそう口を開く。
「私も、魔道士様のご意見に賛成いたします。魔族の同胞とは言え、もはや情けを掛ける謂れもございません。
先代様の意思に手向かうのであれば、ひと思いにこれを断じるべきかと」
「先代の意思、か…」
そんな言葉に、お姉さんはサキュバスさんを見やった。
サキュバスさんは、身を縮めて何も言わない。それどころか、お姉さんと目を合わせることもしなかった。
「サキュバス」
お姉さんがサキュバスさんの名を呼ぶ。ビクッと体を震わせて、おずおずとサキュバスさんは顔をあげた。
「何か、ないか?」
お姉さんの問いかけに、サキュバスさんはゴクリと息を飲んでから、言った。
「…反旗を返したサキュバス族の者として何かを申し上げていいのか、私には分かりません…
ですが魔王様…どうか、先代様と同じような決断だけはなされないでください…」
サキュバスさんはそう言って祈るように手を組んでテーブルに頭を垂れてしまった。
サキュバスさんにしてみたら、気持ちは私達以上に複雑だろう…師団長さんのときか、それ以上に混乱して、苦しんでいるんだ。
「分かってる…戦い以外の道を、必ず探す…」
「そうではありません…!」
お姉さんの言葉に、サキュバスさんは取り乱したような声上げて、すぐにシュンと肩を落として言った。
「どうか、ご自分を犠牲に争いを収めようなど、あのような事はしないと、お誓いくださいませんか…」
「サキュバス…」
お姉さんがそうサキュバスさんの名をつぶやく。
サキュバスさんは心配しているんだ。
世界のことよりも、魔族のことよりも、なにより、お姉さんの身を。
サキュバスさんが想像していることは分かる。
人間や魔族を滅ぼしたくないって思うお姉さんが、二つの世界の敵としてその身を犠牲に平和を紡ぐ可能性を考えるかもしれない、なんて思っても不思議ではない。
サキュバスさんは、目の前で先代様が同じ選択をしたのを見ているんだ。
「約束する…あたしは、あんたを残して死んだりしない。あんたを生かしたのはあたしだ。あたしの勝手であんたをまた放り出したりはしないよ」
お姉さんは、力強い目でサキュバスさんを見て言った。それを聞いたサキュバスさんは、目尻に涙を浮かべながら
「はい…申し訳ございません…」
なんて、返事をしながら謝った。
再び、部屋に沈黙がおっとずれた。
「それにしても世界の怒りを、異形のお前が一身に背負うはめになるなんてな…“生け贄のヤギ”、か…」
不意に、ため息を吐いた魔道士さんがそんな事を言った。その言葉はどこかで聞いたことがある。
確か、誰か一人に自分や仲間内のいろんな問題を押し付けて糾弾することで、他のみんなが安心することが出来る…
その問題を押し付けられる誰か、を“生け贄のヤギ”、ってそう呼んだはずだ。
私は、魔道士さんの言うとおりだと思った。
確かに魔族には人間にも対して、人間には魔族に対しての、根の深い、長い長い間に積もってきた怒りや憎しみがある。
そして、その2つの種族のそういう気持ちが、両者を取り持とうとするお姉さんに向かっているんだ。
2つの紋章を持ち、世界を自分の意思で動かすことの出来るお姉さん、ただ一人に…
部屋に、重苦しい沈黙が訪れた。誰も、何も言葉がない。生け贄のヤギは、すべてを背負って殺されるしかない…
殺されなくっても、その仲間内から追い出されて、一人きりになってしまうんだ。
もちろんお姉さんに私達が付いているけど…それでも、お姉さんは紋章を持っている限り、“生け贄のヤギ”としての役回りを続けて行かなきゃいけない。
誰からも受け入れられることなく、厄介者としてあつかわれ続けるんだ…
そう思ったら、もう、言葉なんて出てこなかった。
でも、そんな時だった。
「なぁ、十三姉。例えば…このまま王様になっちまう、ってのはどうだ?」
と、不意に十七号くんがそう言って沈黙を破った。
王様になる…?それ、どういう意味…?
私は十七号くんの言葉の真意が分からずに彼をじっと見つめて継ぎの言葉を待つ。
それは私だけじゃなくって?サキュバスさんも兵長さん達も同じ様にして十七号くんに視線を送っている。
「王様って…どういう意味だよ?」
たまりかねたのかお姉さんがそう聞くと、十七号くんはポリポリと頭を掻き、首を傾げながら言った。
「俺さ、難しいことはあんまり分かんないけど…
でも、とにかく人間も魔族も、十三姉が邪魔なんだろ?それならそんな奴らが手を出して来るんなら、俺達全員で掛かって追い返しちまえばいい。
殺さなくったって、怪我をさせりゃ、その分治療に当たる人間を割けるから、きっとその方が効率もいいだろうし…あぁ、まぁ、とにかくさ、
追い返して、宣言しちゃえばいいんじゃないかな、って。
ここいらは俺達の国だ、魔族も人間も関係ない、みんなで平和にやろうってやつらの住む国だ、ってさ」
その言葉に、全員が息を飲んだ。その発想は…確かになかった。
それでもし、私達の考えに賛同してくれる人がいたんなら、国に国民として迎え入れて上げればいい。
そうやって戦争を起こさないようにしながらどんどん国を大きくして行って、私達の考えや思いを広めて行ったらしてもしかして…
「なるほど…魔族と人間のどちらでもない、第三勢力としての独立を図る…か」
十七号くんの言葉に魔導士さんがそう呟いて顔あげる。
「敵視し、攻撃の対象だった“生け贄のヤギ”が、国を持ち、魔族も人間もない国で固く結束をすれば、奴らの正義も揺らぐ…
だが、“生け贄のヤギ”が正当な者としての立場を作り上げれば…怒りや、憎しみは行き場を失って人間界も魔界でもあちこちで暴発するぞ…?」
「そうなったら、良い機会じゃないか。あふれた難民なんかを全部うちの国で引き取ってやればいい。
幼女ちゃんに畑の作り方の授業をさせてさ、自分達の暮らしを自分達で作らせればいい。
井戸掘りみたいに魔族と人間の両方混ぜてやらせるんだ。外からの敵は追っ払えばいい。こっちから攻める事はない。
そうしたらさ…少なくとも国の中では、十三姉が望んでる魔族と人間の平和が成り立っていくんじゃないかな」
「良い案にも思えるけど…でも、向こうにとっては世界を支配しようとしているって映るかもしれないな…」
二人の話に、お姉さんがそう口をはさんだ。
でも、それを聞いて残念そうな表情を見せた十七号くんを見て、お姉さんは
「だけど、積極的に支配しようとしないそっちの方が、きっといいはずだ」
と付け加えていた。
魔導士さんの言う通りだった。
まさかお姉さんが、世界に満ちた怒りを一心に背負うことになるなんて、考えてもいなかった。
お姉さんは、誰よりも平和を願っていたはずなのに、そんなお姉さん自身が平和を乱す者の象徴として祭り上げられて、
それを討つために、魔族と人間が手を組んだ、って言うんだ。
それを一番望んでいたはずのお姉さんが、敵として立ちはだかることで…
このことをお姉さんがどんなに辛く感じているかは、もう想像ができなかった。
「最善は、やっぱり、ある程度は覚悟しないとダメだよな…」
お姉さんが肩を落としてそう言った。
その言葉に、みんながギュッと口を閉ざす中で、兵長さんが両手の拳をギュッと握って声をあげる。
「はい、城主様。ひとつに魔導協会の壊滅、ふたつにサキュバス族の征討。これさえ成れば、少なくとも私たちがもっとも危惧する事態を防ぐことはできます」
兵長さんの声は、握った拳とは裏腹に、冷たくそして落ち着いていた。
それは、兵長さんがあらゆる気持ちを押し殺して、お姉さんを補佐する一人としての役割りをこなそうとする努力に他ならないと、私は思った。
「それで行くしかない、よな…。十七号の言う通り、先手を打って魔導協会やサキュバス族を叩けば、それこそ支配者だ…それをやるなら、ここでだろう」
項垂れてそう言ったお姉さんは、ふぅ、とため息をついてそれから顔を上げる。
そして何かを考えるような仕草を見せて、兵長さん達に言った。
「兵長、黒豹…表の魔族の連中、全部引き上げさせてくれ」
魔族軍を、引き上げさせる…!?
お姉さん…どうして…!?
「まさか…!」
「そ、それは…どうして…?!」
黒豹さんと兵長さんもそう驚く。
そんな二人に、お姉さんは静かな声で言った。
「魔族同士を戦わせるわけには行かない…やるんなら、あたし達だけでやろう…」
「し、しかし…!」
「三千そこそこじゃ抵抗も出来ない。相手は三万だぞ?どのみち包囲戦になる。それなら、数なんて関係ない。あたしがやれば、それで済む」
お姉さんはそう言ってから、何度目か分からないため息をついてイスから立ち上がった。
「いいな。今日の夕暮れまでには、完全に撤退するように言え。もし撤退しない場合は…ここに来る軍勢に加勢するとみなして、あたしが討って出ると伝えろ」
「……はい」
お姉さんの様子に、兵長さんは苦い顔をしながら、小さな声でそう返事をする。
「…あたしの目的は…先代との約束を守ることだ…何が、あってもな…」
お姉さんは誰となしにそう呟いて、そのままブーツを鳴らして部屋を出て行った。
その後ろを、無言でサキュバスさんが追って行く。
パタン、とドアが閉まった。
残された私達も、もう何を喋る気力もなかった。
お姉さんの意思が、こんなにも悲壮な覚悟になってしまうなんて…
そう思えば思うほどに、私達が口に出せるような言葉なんてあるはずがない、っていうのが自覚されてしまう。
でも…本当に、どうにかならないのかな…
戦いを避けて、平和にする方法って、考えてももう浮かんでこないのかな…?
「十六お姉ちゃん…」
重苦しい部屋の空気に耐えられなかったのか、零号ちゃんがそう言って十六号さんにしがみついた。
「ん、おいで」
十六号さんは悲しそうな表情だけど、それでも優しい声色で言い、そばにやってきた零号ちゃんを抱き上げる。
零号ちゃんも十六号さんの首元に顔を埋めた。
それを見ていたら、なぜだか私も不安がいっそう強く押し寄せてきて、思わずそばにいた妖精さんの手を、ギュッと握りしめていた。
その晩、私と零号ちゃんに妖精さんは、十六号さん達の寝室にいた。
なんでも、お姉さんがサキュバスさんと大切な話があるから、と、いつも使っていた寝室を貸してほしい、と、そう言って来たからだった。
私は、たぶん、サキュバスさんとその一族のことなんだろう、ってそう思ったから、
深いことは聞かないで、お姉さんの言う通りにしてあげた。
十六号さんの部屋で私は零号ちゃんと一緒に十六号さんのベッドに潜っている。
妖精さんは、十八号ちゃんのベッドで、すでにスースーと寝息を立てていた。
ベッド主の十六号さんは、十九号ちゃんと二十号ちゃんを寝かしつけるために、今は隣のベッドで聞いたことのない、突拍子もない展開の寝物語を話している。
うん、優しいドラゴンさんが出てくるのは分かるよ?
でも、どうしてそのドラゴンさんと仲良くしたいから、って、主人公の女の子がいきなり芋掘り競争なんて挑むことになるの?
「変なお話…おもしろい」
零号ちゃんがそう言ってクスクスっと笑った。
私も、なんだかおかしいその話を聞いて、昼間からソワソワしっぱなしの気持ちがどこか緩んでくるのを感じていた。
特に零号ちゃんは話し合いが終わってからも、十六号さんにしがみついてずっと不安そうな顔をしていたから、笑顔が見られて少しだけ安心する。
まぁ、今もずっと私の寝間着の袖をギュッと握っていたりはするんだけど…
「幼女ちゃんもお話知ってるの?」
そんな零号ちゃんは、私にそう事を聞いてきた。
「うん、良く母さんに話してもらったよ」
私が答えたら、零号ちゃんは
「母さん…家族だね。今は、どこにいるの?」
とくったくのない表情で聞いてきた。私は一瞬、微かに胸に湧いてきた胸が裂けてしまいそうな悲しみを、ふっ、と息を一緒に吐き出して正直に答えた。
「住んでた村で、洪水があってね…それに流されて、二人とも死んじゃったんだ」
私は、言い終わってからチラリと零号ちゃんの顔を見た。
変に気を使わせたら可愛そうだな、って思って作り笑顔だったけど、とにかくなるべく明るい顔をしてあげる。
でも、そこにあった零号ちゃんの顔は、気まずさでも申し訳なさでもない、悲しみに染まっていた。
「零号ちゃん…?」
私はそんな零号ちゃんが急に心配になってしまって、思わずそう名前を呼ぶ。でもして零号ちゃんはそれに答える代わりに、ギュッと私にしがみついてきた。
「幼女ちゃん、寂しいけど、大丈夫だよ…お姉ちゃんも一緒にいるし、私も一緒にいるよ。だから、一人ぼっちじゃないよ。ね?」
零号ちゃんはそんなことを言いながら、さらに私をギュウギュウと抱きしめて来る。
きっと、零号ちゃんにとっては他人事じゃないんだろう。
お姉さんがそうだった様に一人ぼっちで、ずっとずっと寂しさと孤独の中で生きてきた零号ちゃんには、
私が感じたあの悲しさとか喪失感とか不安感が、まるで自分のことの様に感じるのかも知れない。
寂しい、なんて言うのに苦しめられる前にトロールさんや妖精さん、お姉さんに会うことが出来た私は、きもしかしたら幸運だったのかも知れない。
「うん、ありがとう、零号ちゃん」
私はそうお礼を言った。それでも零号ちゃんは切な気な顔で私にしがみついて、ギュウギュウギュウと腕に力を込めている。
さ、さすがにちょっと痛いな…夜になって暑いのはなくなったからそれは良いんだけど…
そんなことを思って困っていたら、サワサワと絨毯の音をさせながら、十六号さんがベッドへと戻ってきた。
「ふぅ、やっと寝てくれたよ」
十六号さんはそんな風に言いながら、柔らかな微笑みを浮かべている。
「おかえり、十六お姉ちゃん。ドラゴン、どうなったの?」
「あぁ、聞こえてた?…さぁ、どうなるんだろうな?話を作りながら喋ってるから、最後まで行った試しがないや」
そっか、あのおかしなお話は、十六号さんが考えたお話だったんだね。
それなら、芋掘り競争も納得だ。
十六号さんはベッドに登ってくると、私と私にしがみついていた零号ちゃんの間にグイグイと押し入って来た。
「んんっ、十六お姉ちゃぁん」
零号ちゃんが、寝静まった幼い二人に気を使ってか、小さな声で楽しそうに不満の声をあげる。
「アタシが真ん中なんだよっ。どいてどいて」
十六号さんもなんだか楽しそうにそう言って、両腕に私と零号ちゃんを抱えるような姿勢でベッドに横たわった。
「十六号さん、重くない?」
「あんた達二人くらい、どうってことないよ」
私はそう十六号さんに確かめてから、少し遠慮しつつその腕を枕にさせてもらう。
頭を胸板の方にもたせかけると、トクン、トクン、と十六号さんのゆっくりとした心臓の音が聞こえて来た。
「あったかいなぁ…」
零号ちゃんがそうつぶやくのも聞こえる。
昼間は日が照っていて暑くて仕方なかったのに、夕方になると北風が吹いてきて、夜になった今はもう、半袖では肌寒いくらい。
だから、こうしてくっついているとあったかいのは、零号ちゃんの言葉通りだ。
「あそこじゃぁ、一人で寝かさせてたのか?」
そう聞いた十六号さんの声が胸の中に響いている。
「うん、ひとりだった。狭い部屋に、ベッドしかなかったよ」
「あぁ、やっぱりあの部屋使わされてたんだ…あそこのベッド、敷き物が薄くって痛いんだよなぁ」
「ここのベッドはフカフカで気持ちいいね」
「そりゃぁ、ここはお城だからな」
十六号さんの声に混じって、クシャクシャっと言う音が聞こえる。零号ちゃんの頭を撫でているのかな…?
「ほら、もう目を閉じな。明日寝坊しちゃうぞ」
「うん、眠るよ」
「おやすみ、零号」
「おやすみ。十六お姉ちゃん…」
私は、そんなやりとりを聞きながら、心地よいぬくもりと感触に身をゆだねていた。
十六号さんはまだお姉さんよりもちょっと小柄だけど、それでも私に比べたら全然大人だし、
こうしていると、お姉さんと一緒に寝ているときと同じくらい安心する。
母さんと寝るときとは少し違うけど、それでも…今の私にとっては、こんな時間が何よりも大切で幸せだ。
―――ずっと、こんな時間が続けばいいのに…
ふと、そんなことを思って、私は胸にジワリと染み出すような何かを感じ取った。
それが何かなんて、考えるまでもない。
私は、怖いんだ。
もうすぐ人間と魔族の軍勢がこの城に攻め込んできて、きっと激しい戦いになる。
そうなったら、こんな時間なんてたちどころに奪われてしまうだろう。
私は、それが怖かった。
まるで、父さんや母さんを失くしてしまったあの日のことを思い出すようで、胸を針で刺されたような鋭い感情が、私の心を締め付ける。
気がつけば、私は十六号さんの寝間着をギュッと握り締め、さっき零号ちゃんが私にしてくれていたように、十六号さんにしがみついてしまっていた。
布ずれの音がして、ポン、と背中に当てられていた十六号さんの手が跳ねる。
「大丈夫…?」
優しい声が、聞こえて来た。
そしたら、まるでいきなりコップから水が溢れてしまうみたいにとめどない気持ちが込上がってきて、私は十六号さんの体に顔を押し付けて言っていた。
「どうして…どうしてこんなことになっちゃったんだろう…」
それは、私が昼間から、ずっと胸に押し込めていた気持ちだった。
だって、お姉さんは平和を望んでいただけ。
争いなんてするつもりはなかった。
ずっとずっと、それを一番に考えていたはずなのに…
どうして、そんなお姉さんが世界全部の敵にならなきゃいけないんだろう?
世界は、平和になんてなりたくないのかな?
それとも、魔導士さんが言っていたように、“生け贄のヤギ”ってことなのかな…?
でも、じゃぁ、どうしてお姉さんが生け贄になんてならなければいけないの…?
人間を裏切ってしまったって思いを抱えて、一人になるのが誰よりも怖いのに、みんなから嫌われてしまうかもしれないのを覚悟してここまで来たのに…
どうして、それが分かってもらえないの…?
そんな考えが止まらずに、あとからあとから胸を締め上げて、涙になって溢れ出て来てどうしようもない。
声が出ないように、って、それだけは我慢している私の背中を、十六号さんの手が何度も行ったり来たりをして私を優しく包み込んでくれている。
「畑のときに、さ」
背中を撫でてくれながら、十六号さんが静かな声でそう口を開いた。
「ケンカの落としどころ、って話してたの、覚えてる?」
私は、十六号さんの寝間着に顔をうずめながらコクリ、と頷く。
「あれを聞いたときに、思ったんだ。あぁ、もしかしたら、古の勇者様は、そいつを間違えたんじゃないかな、って、さ」
間違えた…?古の勇者様が…ケンカの落としどころを…?
「なにそれ…?」
私は、口を開けばしゃくりあげてしまいそうで、そうとしか言葉が出てこなかった。
でも、十六号さんはそんな私の声を聞いて、先を続けてくれる。
「大昔も、人間と魔族、いや…魔族になる前の人間、か。その二つの違った暮らし方をしている人達が争いを続けてた。
それは、大地が荒れて作物や動物がいなくなってしまうほどの激しい戦いだった、なんて話だけど…
とにかく、古の勇者様は神官達が作った二つの紋章を使って、争いを沈めようとした。
その答えが、この大陸を中央山脈で二つに分けて、それぞれの暮らす場所を作ってさ。
でも…それって本当に正しかったのかな、って思ったんだ。
その方法はさ、確かに、ケンカを止めるためには有効だったんだろう。でも、落としどころなんかじゃなかったんだ。
ケンカをしている二人を、わだかまりも解決しないままにただ引き離して、それで終わり。
引き離されて、顔を見ない日々が続いてても、ケンカをしてたときの気持ちが消えるわけじゃない。
そんなことだけじゃ、顔を合わせちゃえばすぐにでもにらみ合いが始まって、それからまたケンカのやり直し、だ。
もしかしたら、この大陸の戦争っていうのは、そういうのが何度も繰り返し起こってるってことなんじゃないかな」
十六号さんの手が、背中から頭に回ってきて、私の髪を梳き始める。
「そんな繰り返しが続いている中で、十三姉は、特別だった。古の勇者様のように、二つの紋章を手にして、世界を平和にする方法を探し始めたんだ。
それってのは、もしかしたら、古の勇者様の失敗をやり直すってことなのかもしれない。
…そう言う意味では、さ。生け贄だろうがなんだろうが、アタシらや十三姉を敵として、魔族と人間が手を組んだ、っていうのは、
それほど悪いことだとは思わないんだ。
もちろんこれから起こる戦いでもし紋章を取られて、そのあとにそいつを使って魔導協会が世界を管理するってのはやめてほしいところだけど…
でもそれだって、あそこでひどい目に遭わされたアタシ達の思いでしかなくって、
普通の人にしてみたら、王都の魔導協会は法律を司っている機関なんだ。
法律、って部分一つ取って言っちゃえば、人間界はもう魔導協会に管理されてるって言って良い。
だって、法律を犯した人を捕まえて、処罰するまでが魔導協会の仕事だ。
誰もそれをおかしいって言うやつはいないし、もしそれがなかったら、もしかしたら街中にゴロ付きが溢れかえっちゃうかもしれないんだ。
やり方は気に入らないけど…あいつらはあいつらなりに、神官の一族として古の勇者様の失敗をなんとかやり直そうとしているのかもしれないけど…
あぁ、話がズレちゃったな…えぇと、そう。
どんな形でも、さ。今回人間と魔族が手を組んだ、っていうのは、それほど悪いことではないと思うんだよ。
ケンカの相手とのわだかまりを超えなきゃならない程の、強大な“悪の支配者”が現れたんだからな。
十三姉や魔導協会が絡んでなければ、さ…」
そこまで話してから、十六号さんがクスっと笑って
「さっきのドラゴンじゃないけど、物語としてはよくできてるよな…自分たちが悪の親玉になるとは思ってなかったけど…」
なんて言ってみせた。
私はいつの間にか泣き止んでいた。
十六号さんの言葉に、驚いてしまったからだ。
確かに、十六号さんの言葉の通りかもしれない。
私達は、お姉さんのために、お姉さんの気持ちを大事にしたくって、ここに集まった。
だから、お姉さんが苦しく感じてしまうことは、私達だって苦しい。
お姉さんには、出来るだけそうであって欲しくない、って思うのが普通だ。
でも、そう…もし私が、お姉さんにもトロールさんにも会わないで、父さんと母さんと今も村で一緒に暮らしていて、この戦争の話や目的を聞かされたとしたら…
私はきっと、何も疑わずに納得するだろう。ううん、喜んで賛成するだろう。
だから、と言って、魔導協会がとんでもないことをしでかさないかどうかは分からない。
ううん、今までのことを考えれば、そう思わない方が無理な話だ。
でも、人間と魔族が手を取り合ってお姉さんに敵対することは、お姉さんや私達にとっては辛いことでも、“間違い”ではないかもしれないんだ…。
だけど、そうだとしたら…もし戦いを避けたいんなら…
「お姉さんは、魔導協会の人とちゃんと話をしなきゃいけない、ってこと?」
「…うん、そうかもしれない…それが唯一の方法だって、アタシは思う…
けど、たぶん、もし話し合いが出来たとしても、行き着く結論ももう決まってると思うんだ」
十六号さんは、私の髪を梳き続けながら、言った。
「十三姉ちゃん自身を、魔導協会とサキュバス族の監視下に置いて、魔導協会とサキュバス族の合議の結果をそのまま実行するための役回りを引き受ける他にない」
「そうすれば、戦いは避けられるの…?」
「…でも、実際問題、どんな監視を付けていたって十三姉に意味はない。中央山脈を作り出せる位の力を持ってるんだ。
力ではそうにも押さえ込むことはできない。だとすると、魔導協会やサキュバス族は十三姉を信頼する他にない。
でも、あいつらにはそれができないんだ。
それくらい、あの二つの紋章は強力だし、まして十三姉は、戦争で魔族を数え切れないほど斬り殺して、
北部城塞じゃぁ、人間相手に皆殺しをしそうになったらしいし…。
そういうことをやってきた人間が、大人しく命令を聞くわけないって思うのが普通だ。
そんな危なっかしい人間を信用なんて出来ないし、力なんて持ってたら余計にそれを制御しなきゃいけなくなってくるけど、それも出来ないんだろうな
そう考えたら、普通の感覚じゃぁ話し合いでうまく解決できるようなことでもないような気がする」
十六号さんは、そう言って静かにため息を吐く。
でも、私は、と言えば、ひとしきりの話を聞いて、ふと、さっき十六号さんが言っていた言葉を思い出していた。
「それこそ…ケンカの落としどころ、なのかもしれないね…私達と、魔導協会にサキュバス族との」
私がそう言ったら、十六号さんはまた優しい口調で
「向こうがまともに取り合う気があるんなら、きっとそうなんだろうな」
と言った。でも、その言葉の感じには、“そんな考えは多分ないだろう”って雰囲気を含んでいるような気がした。
人間界にありふれている魔族の話と同じだ。
魔王と言う悪い魔族がいて、その魔王が率いる軍隊はとても強力で、何も対策を打たなかったら人間界はたちまち支配されてしまう。
だから、その心配を拭うために、人間も軍隊を結成して、魔王討伐に乗り出す…
見たことも、感じたこともない力、っていうのは、恐怖や不安そのものだ。
それを取り払おうとするのは、きっと自然なこと。
今は、お姉さんがそんな存在になってしまっているんだ。
「十六号さんは…どうしたら良い、って思ってるの?」
私は、そう聞いてみた。
それだけのことを考えている十六号さんが、何を正解だと考えているのかを知りたかった。
「ん…アタシは、正直、何がいいのかなんて分からないよ。十七号と同じで、バカだからな。
十三姉みたいに、魔族の平和だ、なんて思ってるワケでもない。そりゃぁ、仲良くやれれば、その方がいいんだろうけどさ。
アタシも、零号と同じだ。
自分の大切な人を守りたい、そのそばに居たい、ってそう思うだけ。
だから、こんな答えなんて出せないような状況でも踏み出そうとしてる十三姉を守ってやりたい。
まぁ、アタシら何かに守られなきゃいけないような姉ちゃんじゃないけどさ…
でも、アタシらもあんたと一緒で、たぶん、そばに居てやれるってだけで、姉ちゃんを支えられてるんじゃないか、って思うんだ」
十六号さんは、私の頭を撫でてそう言い、でも、それからすぐに、聞こえるか聞こえないか、くらいの小さな声で
「本当なら…どんなことをしたって十三姉を守ってやりたいけどな…そんな力も、頭もないんだよなぁ」
と囁いた。
そんな言葉からは、悔しさと切なさが伝わってくる。
十六号さんでも、私と同じようなことを感じていたんだ。
私も、ずっとそうだった。
戦いが起こるようになってからというもの、私も、その役に立てないことに悩んだりした。
だから、戦う力がある十六号さんも、そんな風に悩んでいるなんて考えもしなかった。
でも、それを聞いた私はなんだかふと、心のどこかで安心するのを感じていた。
理由はよくわからなかったけど、もしかしたら、同じように悩んでいるって人がいるって知れたからかもしれない。
「お姉さんには力があるし…軍隊とか政治のことは、兵長さんやサキュバスさんに黒豹さんもいるからきっと平気だよ…
私達は、お姉さんのそばにいるのが、大事な仕事なんだと思う」
私は、自分にそう言い聞かせるように、十六号さんにそう言ってあげた。
そう、今の状態で苦しいのは、誰でもないお姉さんなんだ。
どんなに私が苦しかろうが、不安だろうが、それがお姉さん以上であるなんてことはない。
だったら、やっぱり何があってもお姉さんを一人になんて出来ないし、私達が考えなきゃいけないのはそのことのはずだ。
そうでもなければ、昼間、出て行け、って言われた魔族軍の人達のように、このお城から一刻も早く避難するべきだって思うし、ね。
「そうだよな…へへ、慰めてやるつもりが、逆になっちゃったな」
十六号さんが、なんだか恥ずかしそうにして笑うので、私は十六号さんの寝間着で涙を拭って、出来るだけの笑顔を見せて言ってあげた。
「ううん。私も慰めてもらったよ」
「そっか、なら良いけど…。ほら、あんたも寝な。零号はもう夢の中、だ」
十六号さんはそう言って、私とは十六号さんを挟んで反対側にいる零号ちゃんを見やって言った。
体を少しだけ起こして見てみると、零号ちゃんは既にスースーと寝息を立てている。
十六号さんが喋っていたのに寝れちゃうなんて…もしかしたら、昼間のことで気疲れしちゃっていたのかもしれないな。
…私も、泣いちゃったし、ちょっと眠くなってきた。
「うん。十六号さんも寝たほうがいいよ?」
「あぁ、うん。寝るよ。アタシも、夜ふかしは苦手な方なんだ」
十六号さんは大きなあくびをして言い、
「おやすみ」
なんて言って、私の頭をまた、ポンポン、と撫ぜて目を閉じた。
私も、
「おやすみなさい」
と声を掛けて十六号さんの体に身を預ける。
そうして、目を閉じ、大きく静かに息をしたときだった。
不意に、まぶたの向こうがパッと明るく光った。
「チッ!」
そんな声がして、私たちが枕にしていた十六号ちゃんが飛び起きた。
私と零号ちゃんは、それぞれ別の方向に弾き飛ばされてしまう。
「なに…!?どうしたの!?」
「んぁ…?ま、ま、魔力…!誰!?」
あまりのことに、私も目を覚ました零号ちゃんもそう声をあげる。
でも、そんな私達に答えたのは、十六号さんの間の抜けた声色だった。
「なんだ、あんた達か…」
見上げた十六号さんは、一瞬見せた緊張した表情を緩めて、ダラッとした迷惑顔を見せている。
その視線の先を追うと、そこには、十八号ちゃんの姿があった。
それだけじゃない。
その後ろには、十四号さんにトロールさん、それから、大尉さんと竜娘ちゃんもいる。
「おかえり。何もこんなところに転移して来なくったっていいのに。寝るところだったんだぞ?」
十六号さんが迷惑そうな顔のままにそう言った。
「ごめんなさい、十六姉さん。でも、こっちの状況がよく分からなかったから、ここが確実と思って」
十八号ちゃんは、部屋を見渡し、寝ていた十九号ちゃんと二十号ちゃんを見て、ヒソヒソと静かな声で返事をする。
「う、う、後ろの人は、誰!?」
そんな十八号ちゃんに、零号ちゃんが声をあげる。
そ、そんなに大声出したらダメだって、零号ちゃん!
「しっ。静かに、零号。チビ二人が起きちゃうだろ?」
十六号さんがそう言って零号ちゃんの頭を撫でて諌めた。
「あなた、あの仮面の子なんだってね。あたしのこと、覚えてる?」
不意に、そんな零号ちゃんに大尉さんが声を掛けた。
そういえば、大尉さんは魔導協会で零号ちゃん相手に戦っていた。
そのことを覚えてるかな…?
私はチラっと零号ちゃんを見やる。
零号ちゃんは、まじまじと大尉さんの顔を見つめて、それからハッと息を飲んだ。
大声はダメ…!
と私が思ったのも束の間、零号ちゃんは自分の口を自分で塞いで、モゴモゴモゴっ何かを言った。
そんな様子がおかしくて、私はプッと、思わず笑ってしまう。
「……理事長様を攻撃した人…!」
そんな私をよそに、零号ちゃんはそう言って大尉さんを睨みつけた。
でも、そんな視線を受けても大尉さんは相変わらずの様子で
「そうそう、あれあたしね。まぁでも、あのときは攻撃してた、っていうより、あなたにケチョンケチョンにされてた連隊長を援護してた方が時間的には長かったけどね」
とヘラヘラとしながら言う。
そんな大尉さんの言葉にはほどんど反応を見せなかった零号ちゃんは、次いで竜娘ちゃんとトロールさんを見やってさらにハッとして見せた。
「器の姫…?そっちの男の人も、器の姫をさらいに来た人だ…」
器の姫…?
そっか、魔導協会は、お姉さんの紋章を奪って、竜娘ちゃんに引き継がせようとしているのかもしれない、って話だった。
そう呼ばれていた、ってことは、お姉さん達の読みはきっと外れていなっかったんだろう。
「零号様、とお呼すればよろしいのですね…?零号様、私は今はこちらにお世話になっています。あちらで起こったことに関しては、お気になさらないでくださいね」
竜娘ちゃんが零号ちゃんの様子を伺うようにそう言う。
魔導協会で零号ちゃんがどんなだったのかは分からないけど、あそこで見た様子だと、人間、っていうより、道具かなにかのように扱われていたに違いない。
そう思えば、竜娘ちゃんがこうして少しだけ警戒している理由も分からないではなかった。
「…うん…私も今は、このお城がお家。お姉ちゃん達が、家族なんだ」
零号ちゃんが竜娘ちゃんには表情を緩めてそう言ったので、竜娘ちゃんもホッと安心した様子で息を吐いた。
まぁ、でも零号ちゃんはすぐにまた大尉さんをギロリと睨みつけたんだけど…
「こっちは、ずいぶん大変な事になってるみたいだね」
そんな零号ちゃんの視線なんてこれっぽっちも気にしない、って様子で大尉さんが十六号さんにそう聞く。
十六号さんは零号ちゃんの頭を撫でながら
「うん。人間界と魔界の両方を相手にケンカしなきゃならないような事態なんだよ」
と言って、ふぅ、とため息を吐いた。
でもそれからすぐに気を取り直して
「そっちは?基礎構文、ってやつについて、なんか分かったの?」
と竜娘ちゃん達に尋ねる。
すると、五人の表情が一様に渋く変わった。
基礎構文が見つからなかったのかな…?
そ、それとも、見つけてみたらとっても危ないものだったりしたの…?
私がそんなことを考えてソワソワしてしまっていたら、グッと息を飲んだ竜娘ちゃんが口を開いた。
「そのことで、ご相談したいことがあるのです…できれば、あの方には内密に…」
あの方、って、お姉さんのこと、だよね?
どうしてお姉さんに内緒なんだろう…?
何かまずいことなの…?
「な、内緒にしなきゃいけないのは、なんで…?」
私が聞くと、竜娘ちゃんは難しい顔つきのままで、静かに答えた。
「あの方をお助けするために、です」
「人間…竜娘の話を聞いて欲しい」
竜娘ちゃんの言葉に、トロールさんが続く。
それを聞いて私は、その先を知りたくて、もう一度竜娘ちゃんの顔を見た。
「おそらく…世界にも、あの方にも、どうしても必要なことだと私は思うのです」
竜娘ちゃんは私の目を見てそう言った。
表情は険しくて、それこそ怒っているように見えるくらいだけど、竜娘ちゃんの縦長の瞳には、言い知れぬ意志と覚悟が宿っているように、私には見えた。
つづく。
乙
続き待ってます
乙!
ぐぅ
続きが気になる
おつ
雷の日からちょうど一週間。私は、青々としたお芋の葉が伸び始めている畑に居た。
隊長さん達のお陰で畑はあんな大雨にもびくともせず、返って水が行き渡ったのか葉っぱが伸びるのは早いように感じた。
だけどあれっきり、井戸は掘り進められていないし、畑の手入れもほとんどしてはいなかった。
「無駄になっちまったな」
私の傍らで、隊長さんがそんな事を口にする。もう何日かしたら、このあたりは戦場になる。
畑を残そうだなんてしても、きっと踏み荒らされてダメになってしまうだろう。でも、私は残念とは思っていなかった。
「ううん…この畑で、お芋は作れませんでしたけど、隊長さん達みたいな仲間が出来たからいいんですよ」
「はは、そうか…そうだな…」
私の言葉に、隊長さんはなんだか寂しそうに笑った。
妖精さんが念信を受け取った翌日、魔王城に集まっていた魔族軍は、それぞれの場所へと戻って行った。
魔族軍の人達は、状況を聞いてお城に残ろうとしていたけれど、そんな姿を見て、兵長さんが説得をした。
「魔王様が最も恐れるのは、魔族同士、人間同士の争いが始まってしまうことだ」
って。ここに残れば、魔界に住んでいる魔族の人達サキュバス族と戦わなければならなくなる。お姉さんはそんなことを望んでいなかった。
「しかし…世界の平和を願っていた純粋なやつが、世界の憎しみを一身に背負わされるだなんて…皮肉にも程があるよな…」
隊長さんはまだやるせない表情でそう言い、大きくため息を吐いた。
隊長さんは、女戦士さんと女剣士さん、それに虎の小隊長さんに鬼の戦士さんと鳥の剣士さんを引き連れて、
魔族軍が引き上げたてからひょっこり修理の終わったソファーの部屋に顔を出した。
お姉さんに
「出て行けと言ったはずだ」
と凄まれていたけど、隊長さんは笑って
「俺たちはここを守備しろって上官命令を守ってるだけだ。逃げ出した腰抜けどももいるが、な」
なんて言い返して、結局はお姉さんを言い負かしてここにいる。
そんな上官である大尉さんは魔道士さんと一緒に人間界の軍勢の偵察に出かけていて、ここ数日戻って来ていない。
あの日の晩に、大尉さんと竜娘ちゃんが話してくれた計画の内ではないけど、大尉さんにしてみたら、想定内のことなんだろう。
「魔道士さんが、こういうのは“生け贄のヤギ”って言うんだ、って言ってました」
「怒りや憎しみを背負わせ易い誰かに押し付けちまう、ってやつだな。世界の平和を願うあいつに憎しみを転嫁して、人間と魔族が手を結んだ…
世界の平和を願うあいつを殺すことを目的に、だ。やっぱり、これ以上の皮肉はねえよ」
隊長さんはそう言ってまたため息をついた。やるせない気持ちは十二分に分かってしまう。本当に、生け贄と言う他にはないだろう。
ふと、そんなとき、私はあの晩、大尉さんから聞かされた話を思い出した。
あれも、ひとつの考え方だし…私も、同じことを思っていたから大尉さんの言葉に賛成した。
でも、そんな私の思いの元となった隊長さんは、どう考えているんだろう?私はそんなことが気になって、隊長さんに聞いていた。
「隊長さん…隊長さんは、古の勇者様の“ケンカの落としどころ”、って、どうだったと思いますか?」
「なんだよ、藪から棒に?」
隊長さんはそう言って首を傾げる。そんな隊長さんに私は言った。
「私、思ったんです。古の勇者様は、今の人間と…魔族になる前の人達のケンカの落としどころを間違えちゃったんじゃないか、って。
ううん、落としどころなんてことじゃないかもしれない。そもそも、結論を先延ばしにしただけのような、そんな気がするんです」
私の言葉を聞いた隊長さんは、なんだか驚いた様な表情で私を見つめて来る。それに構わず、私は隊長さんを黙って見つめ返した。
するとやがて隊長さんは、
「そうだな…」
と頭をガシガシ掻いてから言った。
「言いたいことは分かる…大陸を二つに分けた古の勇者は、結局争いそのものを終わらせたわけじゃねえ、って、そういうことだな?」
隊長さんの言葉に私は頷く。すると隊長さんは、ふっと宙を見据えてから、ややあって口を開く。
「確かに…そうかも知れんな。大陸を分けて、生きる世界を分けただけのこと、か。
そう考えりゃ、ケンカしてた二人を力任せに引き離しただけにすぎん。
距離が出ようが睨み合って、隙あらば飛び掛かってぶん殴るくらいのことはするだろうな…」
それは、私が考えたのと、同じ答えだった。
そう…だとしたら…
「もし、今もう一度、ケンカの落としどころを探すとしたら…それは、どんなことだと思いますか?」
私の言葉に、隊長は苦しそうな表情を見せて、そして俯いた。ほんの少しの間、沈黙が続く。
ややあって顔を上げた隊長さんは、俯く前と同じ、苦しそうな顔で言った。
「…あるとすれば…城主サマが徹底的に悪の親玉を演じきって、世界を滅茶苦茶にするしかねえんじゃねえかと、そう思う。
完璧な“生け贄のヤギ”を演じきって、世界から怒りと憎しみを奪い去って…そのまま悪のとして果てる…その方法の他には浮かばねえ。
残念だが、おそらく、この世界で起こっているのはもう、付け焼き刃の誤魔化しで収まるような生易しいケンカじゃねえ…」
隊長さんは、私を見やった。それを聞いて、私がどう反応するのかを、恐る恐る観察しているような、そんな感じだった。
でも、私は特別、大きな驚きも悲しみも、苦しみもなかった。
ごく自然に、そうだろうな、と思った。私が思うくらいだ…隊長さんも、たぶん、お姉さん達も、もう気が付いているんじゃないかな。
これから攻めてくる人間軍と魔族の人達をいくら殺さないで追い返したって、きっとまた同じことが起こる。
それも、何度も何度も繰り返されるだろう。
十七号くんが言うようにお姉さんが国の設立を宣言したってきっと同じ。人間と魔族との争いが、私達の国と人間と魔族の国の戦争に変わるだけだ。
とにかく、人間や魔族を傷付けないように、平和のためにお姉さんが出来ることは…
たぶん、魔導協会やサキュバス族を滅ぼした上で、人間軍と魔族の人達に抵抗し、最後には討たれて死ななければならない、ってそう思う。
それこそ…先代様が、お姉さんにそうさせたように…。
私は…そんなことを望まない…そう、もし他に、ケンカを収める方法があるのなら…そっちの方がずっと良い…
私はそんなことを思ってギュッと拳を握りしめ、それから立ち上がって隊長さんに声を掛ける。
「隊長さん、そろそろ戻りましょう。きっと、大尉さん達が戻ってくる頃だと思うんです」
隊長さんは、私のそんな言葉を聞いて、ため息混じりに表情をビシっと整えて言った。
「了解、司令官殿」
隊長さんと一緒にお城に戻り、すっかり修理の終わったソファーの部屋にいくと、そこには既にお姉さんにサキュバスさんに兵長さん、黒豹さんに戦士さん達、
それから十六号さん達に、妖精さんとトロールさんに竜娘ちゃんも揃っていた。
「ごめん、お姉さん。遅くなっちゃった」
私がお姉さんにそう言うと、お姉さんはニコっと笑顔を見せてくれて、
「いや、気にしなくていいよ。まだ大尉と魔導士が戻ってないから、待つつもりだし」
と答えてくれた。
「人間様、お茶です。隊長様も、こちらへお掛けください」
サキュバスさんがそう言って、私と隊長さんにお茶を出してくれる。
「ありがとうございます」
私はそうお礼を言ってソファーに腰掛けた。
大尉さんは、戦士さん達と同じように部屋に運び込まれていた食堂のイスに腰掛けて、ソーサーの上に乗ったティーカップを受け取っている。
「畑、どうだった?」
「うん、ちゃんと目を吹いてくれてた。あの様子なら、病気でも流行らない限りはきっと元気に育ってくれると思うよ」
私が答えたら、お姉さんは微かに、あの悲しい笑顔で笑った。
それもそうだろう。あの畑は病気なんかでは死んだりしない。
その前に、ここへ押しかけてくる兵隊さん達に踏み荒らされてしまうだろうからだ。
「で…魔族の方は、どんな動きをしてるんで?」
隊長さんが、カップから口を離してそうサキュバスさんに尋ねる。
するとサキュバスさんは、チラリとお姉さんを見やった。お姉さんはコクリと頷いて隊長さんに視線を送る。
「あいつらが戻ってから、とも思ったんだけど、先に説明していこうか…。今、魔族の軍勢は、西部城塞に集結している、って念信が流れてるらしい。
規模のほどは、まだ確認できてないが、おっつけ、黒豹を忍び込ませて状況を探るつもりだ」
お姉さんはそう言い終えてから黒豹さんを見やった。
お姉さんの視線に、黒豹さんがコクリと頷く。
「で、こっちは魔導士が戻り次第、城壁と周辺の土地に結界魔法を張り巡らせる。探知用のと城壁を保護するための物理結界だ。
それから罠の類も、だな。こっちの体制だけど、やつらのことだ、この間の騒ぎで、どこに転移用の魔法陣を書き残しているか、分かったもんじゃない。
それを警戒する意味で、城内の警備は散らばらせずにまとめる」
「それは、逆じゃねえのか?」
「いや、まとまっていた方が良いんだ。奇襲をかけられて各個で撃破されるのが一番マズイ。こっちはこれだけしかいないんだからな。
一人でも欠ければ、損失の比率が大きくなる」
「つまり…司令官殿にへばりついて守れ、とそういうことだな、城主サマ?」
「…うん、そうだ。十六号達や零号にも、前で出てもらいたい。そうなると、司令部機能のあるここが手薄になっちゃう。
そのために、あんた達と妖精ちゃんとトロールで守ってやってほしい」
「…了解した。そういうことなら、承ろう」
隊長さんは、傍らに座っていた虎の小隊長さんと目を合わせてから静かにそう返事をした。
それを確かめてから、お姉さんが今度は兵長さんに視線を送る。
すると、兵長さんはすぐにコクリと頷いて、全員を見渡して言った。
「今回の戦闘の目的は、魔導協会、及びサキュバス族の一団の掃討にあります。
この両者は攻め手ではなく、後方に陣を構えて指揮機能を担うと考えるのが妥当です。
つまり、ある程度城壁や城内の結界魔法や罠魔法で妨害を施しながら、敵をできる限り多く、この城の中に引き入れます」
「城壁守って籠城戦をする、ってわけじゃないんだな?」
兵長さんの言葉に、女戦士さんがそう口を挟む。
「はい。敵の数からして、城壁を守り切ることは難しいと思われます。
また、こちらはこれからお話しますが別の理由から、外の敵をなるべく減らしておきたいというのが本音です。
つまり、敵の本隊を城の中で引き受け、そして本陣の守りが手薄になったところを…」
そこまで離して、兵長さんがチラっとお姉さんを見やった。今度は視線を受けたお姉さんが頷いて
「あたしと魔導士、それからサキュバスとで、魔導協会とサキュバス族の本陣を一掃する…その気になれば、ほとんど時間なんていらないだろう」
と、淡々とした口調で言った。
「なるほど…そっちの勇者候補の親衛隊諸君が、今度は城の防衛線になる、ってワケだ」
隊長の言葉を聞いて、お姉さんは頷いた。
「俺たちなら、敵を足止めするくらいなら十分なんとかなる。十六号の結界魔法で進路を阻んで、十八号と十七号で無力化すればいい」
十四号さんがそう言うと、隊長は鼻を鳴らして
「なるほど。ついには近衛師団、だな」
なんて冗談めいたことを言って笑ってみせた。
「しかし、そっちの指揮は誰が執るんだ?十四号くん、君が?」
虎の小隊長さんが十四号さんにそう聞いたけれど、十四号さんは首を横に振った。
「いえ。大尉さん…突撃部隊の皆さんの上官に当たる方が、城の中の指揮を一手に引き受けてくれる予定です」
「なるほど…彼女、か」
十四号さんの言葉に、小隊長さんは納得した様子で小さく何度か首を縦に振る。
「私と黒豹さんは、城主様と大尉殿の状況を逐次確認しながら、全体の指揮を執らせていただきます」
兵長さんが、確認するように部屋の中の人達を見回してそう言う。
それについては、質問も異論も出なかった。
「その布陣でしばらく持ちこたえてもらう。それで、あたし達が外の連中を叩き終えたら―――
お姉さんがそう口にしたとき、パパっと部屋の中が光って、勢い良く何かが転がってきた。
それは、魔導士さんと大尉さんだった。
二人共黒いズボンに黒い上着を着て、顔も髪も、黒い布で覆い隠している。
そんな二人は、あちこちに泥を付け、服の所々は破けていて、そこから微かに血が滲んでいた。
「十二兄さん!」
十八号ちゃんがそう声をあげて慌てて飛びついたけれど、魔導士さんはそんな十八号ちゃんを受け止めながら何事もないようにして立ち上がった。
「良く戻った…無事で良かったよ。それで、首尾は?」
そんな二人にお姉さんがそう尋ねる。
「一応、言われた通りに各所の拠点に集結中だった部隊を控えめに襲って、糧食あたりは焼いてきたよ。これで行軍はしばらく止まると思う」
「しかし、敵の数は想像以上だな。四万に迫る程になる可能性もあるぞ」
大尉さんと魔導士さんが、口々にそう報告をした。
お姉さんはそれを聞きながらも、冷静な顔色で
「分かった。少し休むか?」
と二人をねぎらう。でも、二人はチラッと顔を見合わせてから
「いや、報告を先にする」
「うん、早いほうが良いと思う」
と口々に言ったので、お姉さんは二人にもイスを勧めて、サキュバスさんのお茶が入る少しの間だけ黙った。
ふぅ、と魔導士さんがカップのお茶を一気に飲み干してため息を吐き、説明を始めてくれる。
「人間側の主力は王下軍の八割。以前に東部城塞へ集結した数のおよそ倍だ。それに、各地の貴族の部隊も加わっている。
こいつらもけっして少なくない。王下軍が一万五千、そこに王下騎士団が五千、さらに貴族が出している部隊が合計で九千、ってところだ」
「あれだけの数となると、山越えは厳しいと思う。たぶん、またどこかに戦略転移方陣を描いて転移してくるつもりなんだと思う」
私は、息を飲まずにはいられなかった。人間軍だけで、三万近い勢力だなんて…
「それなら、東部城塞をもう一度確認しておく必要があるな…もしそんな人数を送るとすれば、拠点がいる」
「あぁ。おそらくはあそこを使ってくるだろうな」
お姉さんの言葉に、魔導士さんがそう意見する。
「そうなると…やはり二面作戦は避けられませんね…」
「どの道ここに攻め込ませるんです。今回は二面ということでも思います」
サキュバスさんの不安げな表情に、兵長さんがそう言葉を次いだ。
「魔族の様子は?」
一瞬の間を縫って、魔導士さんがお姉さんにそう尋ねる。
「魔族の連中は西部城塞へ集まってきている。数は…」
お姉さんがそう言いかけて、サキュバスさんを見やった。
「およそ、九千は…」
「うち、サキュバス族は八〇〇ほどだそうだ。あたしが出れば、いかにサキュバス族とは言っても、それほど時間はかからないだろう」
「そうだな…そっちは、お前に任せよう。俺とサキュバスで魔導協会を叩けば、時間も短縮できるだろうが…」
お姉さんの言葉に、そう話す魔導士さんは、途中で黙ってチラっと目線を逸らした。
その先には、零号ちゃんの姿がある。
魔導士さんは、静かに言った。
「保険を用意しておく方が、確実だろう」
その言葉は、なんだか少し重たそうな心境があるように聞こえた。
魔導士さん、まさか…
「…そうだな」
魔導士さんの言葉に、お姉さんはイスから立ち上がって腰から下げていた二本の剣のうちの一本を鞘ごと手に取って、それを零号ちゃんに差し出した。
「お姉ちゃん…?」
「持ってろ。もしものときは…剣から魔法陣を受け取って、使うんだ」
それを聞いた零号ちゃんは、少し戸惑いながらもその剣をそっと受け取る。
キン、と言う金属の音を響かせて刀身を半分ほど抜いたところに、あの日零号ちゃんが腕に付けていた紋章が焼きついている。
魔道士さんにとってこの紋章は、魔導士さんが助け出した十五号ちゃんを殺したのが零号ちゃんだと言う、揺るがない象徴だ。
でも、魔導士さんはそんな力を零号ちゃんに戻すべきだ、ってそう思ってああ言ったんだろう。
それは、やっぱり魔導士さんにとっては苦しくて重い決断だったに違いない。
でもそんな私の心配を知っていたかのように、カシャン、と剣を鞘に戻した零号ちゃんは
「うん、私、やる。なるだけ殺さない方がいい、そうでしょ?」
とお姉さんの目を見て言った。それを聞いたお姉さんは、ニコっと悲しく笑って零号ちゃんの頭を撫でた。
「うん…本当なら、使わせたくないし…戦わせたくもないんだ…でも、ごめんな」
「…平気。私、みんなと一緒にいるの好きだから、それを守るために戦う」
お姉さんの言葉に、零号ちゃんはそう言って見せた。
そんな零号ちゃんの言葉と表情に、お姉さんは唇を噛んで頷き、そして魔導士さんはどこか少し穏かな視線で零号ちゃんを見つめているような気がした。
「…それで、人間軍は再編にどの程度掛かると見てる?」
お姉さんは気を取り直したように立ち上がって、魔導士さんを見やり聞く。
すると魔道士さんは、さして考えもせずに
「王都から各所へ追加の糧食と医薬品が届くのに、もう一週間掛かる。その間に戦略転移方陣を描くと考えるなら、来週には魔界へ入るだろう」
と答えた。
「一週間…」
兵長さんが、そう呟くように言ってお姉さんを見やる。お姉さんはそんな兵長さんにコクっと頷いて言った。
「今日から一週間、東部城塞を交代で見張ろう。あそこへ来るのを妨害できれば、もっと時間が稼げる…
その間に、城中にできる限りの結界魔法と罠魔法を掛けておけば、うまくいくはずだ」
その言葉に、大人達はそれぞれ頷いて見せる。
私も、十六号さんたちをチラっと見やって、頷きあった。
それを確認したお姉さんは、大きく息を吸って、それからため息を吐きそうになったのをこらえるようにフンス、と鼻から息を吐いて私達に言った。
「それじゃぁ、すぐに準備に掛かろう。魔道士と大尉は、ケガの治療と少し休んでくれ。
黒豹と兵長、あんた達の指揮りで、隊長達と十六号達に魔法陣を描かせてくれよ。
竜娘と、あんたに妖精ちゃんとトロールちゃんは、できる限り食い物を集めておいてくれ。
篭城戦をするつもりはないけど、これから先、下手に外に食料を確保しには行けなくなるだろうか、な」
そんなお姉さんの言葉に、私も、そして皆も返事をして、そしてそれぞれの持ち場に散って行った。
今はまだ…そのときじゃない。
ギリギリまで、我慢しなきゃいけないんだ。
私は、みんなと作業に向かうために廊下を歩いている間中、ずっとそんなことを考えていた。
つづく。
乙!
乙
ああ、緊張感ハンパない。
突然やってくる災厄のような戦いと嫌なのに来るとわかっていて準備しなきゃいけない戦いと……
畑の司令官が畑の防衛諦めざるを得ないのが哀しいね
なんとかならんもんかねー(チラッ
>>641
レス感謝です!
緊張感が出ていたらなにより…アップアップしながら書いてます故、見返しが不十分でして…
畑の防衛は…どうなることやら…
篭城にはこれ
つ梅干
>>643
レス感謝!
梅干好き!
【読んでくださってる方へにお知らせ】
体調不良とスランプが重なって続きが書けておりません。
ちょっと気合い入れないと出ないタイプのスランプかと思うので、頑張っておりますが、
続きの投下の方はもうしばらくお待ちください。
1~2週間ほどで何とか捻り出してみますです。
お待ちいただいている方がいらっしゃったら大変申し訳ありませんが、ご了承のほど、よろしくお願いいたします。
@キャタピラ
ぐぇえ
お待ちしております
一気に読んで追いついた
幼女ちゃんの快進撃をワクワクしながら待ってましょ
とこなつのあばんちゅーるをしてくるのだ
>>645
お待たせしました!
>>646
レス&一気読み感謝!
ご期待下さい!
>>647
あばんちゅーるどころか、缶詰でした!www
お待たせしました!
悩んで苦しんだ結果生まれたのは平和な日常…
この手のスランプはZZ篇のマライアでもあったなぁ…
ともあれ、続きです!
その晩、あたしはいつも通りにお姉さんをベッドの中で待っていた。今日は、零号ちゃんも一緒だ。
妖精さんは体を小さくして、もうベッドに潜り込んでいる。
零号ちゃんも、半分眠ってしまっているようなものなのに、それでもムニャムニャと言いながらなんとか意識を保ってお姉さんがお風呂から戻って来るのを待っている。
話し合いは早くに終わったみたいだったから、もう時期戻ってくると思うんだけど…
あれから私達はお城の各場所に散らばって、人間と魔族の軍勢を待ち受けるための準備に急いだ。
魔道士さんが主導で十六号さん達が城壁の外に結界魔法や罠の魔法を張り巡らせ、私はトロールさんと妖精さん、それに隊長さん達とお城の中の準備をしていた。
トロールさんの土の魔法で通路を潰して侵攻出来る道を減らしたりするのが主な作業だった。
一本道にしたり、分かれ道の先を行き止まりにしたりすれば、それだけ敵を誘導しやすい。
一本道の先をほんの少し広い場所に繋げば、そこで通路から出てくる人達を迎え撃つことが出来る。
少人数のこっちがうまく戦うには、敵をなるだけ狭いところに引き込んで、囲んだり出来ないようにしてから叩くんだ、と言う隊長さんの考えだ。
そこでケガくらいの攻撃をして、負傷した人達はまたその一本道を使って運び出していもらう。そうすれば、かなりの数の戦闘員の自由を割けるはずだ。
問題は、魔道士さん達がやってくれている城壁の強化と防御がどれだけうまく機能するか、というところだ。
城壁が壊れないように守ることが出来れば、お城の中はしばらく保つ。
でも、もし破られて他の場所からお城に入ってくるようなことになったら、こっちも混乱してしまうだろう。
そうなったら、さらに上の階へ引くしかない。
私達が引き上げる通路も、一箇所にしてまたそこから一本道にすれば、なんとかなるだろうけど、
上の階のことはそのときはまだ、お姉さん達が話し合っている最中だったから、どうなるのかは分からなかった。
その話し合いが終わって、おお姉さんはサキュバスさんと兵長さんとお風呂に向かったから、うん、やっぱりもう少しで部屋に戻って来てくれるだろう。
大尉さんと竜娘ちゃんは、相変わらず書庫で何やら古い文献を調べている。
たぶん、もしものときのあの計画には必要なことなんだろう。
そんなことを思って、私は自分の両腕をギュッと抱き締める。出来るなら、上手く行かなかった後のことなんて私は考えたくはない。
でも、それが必要かも知れないってことは、あの日のお姉さんを見ていて、私は理解していた。
ガチャっと音がした。顔を上げるとそこには、廊下から漏れてくる明かりに照らされてタオルで髪を拭きながら部屋の中に入ってくるお姉さんの姿があった。
「お姉さん」
私が声を掛けると、お姉さんはあぁ、なんて声をあげて
「まだ起きてたのか」
と、ベッドまでやってきてトスっと腰を下ろして私の頭を撫でてくれる。
「ん…むにゅ…お姉ちゃん、来たぁ…?」
零号ちゃんも、眠そうな目をこすりながらそんなことを言って、お姉さんにグッと腕を伸ばした。
「分かった分かった、ちょっと待てよ」
お姉さんはそう言って一旦ベッドから立ち上がると、二、三歩離れてフワリと風を起こした。
その風はお姉さんのモシャモシャの髪を掻き上げ、程なくして止む。
パサリと肩に掛った髪に手櫛を通しながらベッドまで戻って来たお姉さんは、私を下敷きにしないように腕を支えながら、ベッドにゴロンと転げて私と零号ちゃんの間に収まった。
零号ちゃんはすぐにお姉さんにしがみつき、ニンマリと笑顔を浮かべているような表情で目を閉じる。私もお姉さんに身を寄せて、ふぅ、とため息を吐いていた。
お姉さんの暖かな体温が、私をホッと安心させてくれる。いろんなことが渦巻いていた頭の中が空っぽになって、詰まるようだった胸がすいて、穏やかな心地に満たされる。
「お姉さん、今日もお疲れ様」
私は、お姉さんにそう声をかけてあげた。
するとお姉さんはクスっと笑顔を見せて、片腕で私をキュッと抱きしめてくれる。
「話し合い、どうなった?」
零号ちゃんが眠そうな声色で、お姉さんにそう尋ねる。
「うん、大詰めかな。サキュバス族と魔導協会を叩いたあとの戦いの持って行き方で、悩んでる。
あたしが首を差し出せばいいんだろうけど、そうもいかないから、別の案を考え中だ」
お姉さんがそう言うと、零号ちゃんは聞いていたんだか分からない様子で
「ふぅん」
と、鼻を鳴らした。
そんな零号ちゃんの反応に苦笑いを浮かべたお姉さんの手が私の頭に乗って、
ポンポン、とゆったりとした刻みで撫で始めた。
それにまた、言い様のない心地よさを感じていたら、お姉さんが静かに言った。
「ありがとうな…こうして居てくれて…」
私はその言葉の意味が分からずに、ふと、お姉さんを見上げていた。
そこにあったらお姉さんの表情は、その瞬間だけはこれまで見たどんなときよりも、優しくて、穏やかで…そして、幸せそうに、私には見えた。
「あんたが居てくれるおかげで…あたしは、ここに居られる。怖さと戦える…」
お姉さんはそう言って、不意に、その目尻に涙を浮かべた。
私はそのときになって、ようやくお姉さんの異変に気がついていた。
その表情から感じられるのは、何か、押し殺したみたいな感覚だ。
何かを一生懸命に我慢して、堪えてる。
「お姉さん…どうしたの?」
私は、思わずそう聞いた。でも、お姉さんは相変わらずその無理やりな笑顔を浮かべて
「うん…?何が?」
と聞き返してきた。
そんなお姉さんの様子に、私はギュッと胸が痛くなる。
きっと、話し合いでまた、いろんなことを考えちゃったんだろう。
いろんなことに向き合わなきゃいけなかったんだろう。
私は、そう思ってお姉さんに言っていた。
「お姉さん…辛かったら、ちゃんと話して。私、畑以外は、お話を聞くくらいしか出来ないけど…でも、それでなら、お姉さんの役に立てると思うんだ」
そう言った途端、ポロっと、お姉さんの目尻から一粒、涙がこぼれ落ちた。
無理矢理に作っていた笑顔が剥がれて、みるみるその表情が悲しく、切なげに曇り出す。
私が胸の痛みに耐えかねてお姉さんの体にギュッとしがみくと、お姉さんは、ギュッと目をつむり唇を噛み締めてから、はぁとため息を吐いた。
そして、クタッと体の力を抜いて、ポツリと言った。
「あたし、怖いよ」
「怖い…?」
お姉さんの言葉に、私は思わずそう聞き返す。
すると、お姉さんはコクリと頷いて口を開いた。
「あたし…怖いよ…これから起こる戦争が。
今までで一番怖い…どうあっても、あたしは人間も魔族も傷つけなきゃいけないから…それも、魔族と人間が手を組んだ総力に斬り込んで、だ…
それそのものが、人間と魔族、両方への裏切りになる。きっと、本当にあたしの味方はあんた達だけになるかもしれない…それが、怖いよ」
お姉さんの手が頭から滑り降りてきて、私の手に優しく触れた。私は、思わずそれをギュッと握りしめてあげていた。
「どうして…こんなことになっちゃったのかなぁ…あたし、みんなが平和に暮らせるように、って、そう思ってなんとか間を取り持とうとしてきたのに…
気が付いたら、あたしが敵だ、っていうんだ。そんなのって…あるかよ…」
お姉さんの目から、ポロっと涙が溢れた。
「ただ、利用され続けてきだだけだったんじゃないか、ってそんな気がする。
結局あたしは…平和のためにその身を犠牲にしなきゃいけない、勇者で魔王なんだ…そう考えてみたら当然だよな。
人間は魔王を討ち倒したい、魔族は勇者を倒したい…そうすれば平和になるって、これまでずっと戦争をやってきたんだ。
その両方をやってるあたしがその役目を引き受けるのは…さ」
お姉さんの話は、あまりにも取り留めがなかった。私は、お姉さんに人間や魔族に裏切り者と呼ばれることが怖いって気持ちがあるのは知っていた。
お姉さんがずっと平和のためにって考えて、新しい事を始めようとしていたのも分かっている。
そして、お姉さんの…ううん、私達の目の前に避けようのない戦いが迫っていることも理解できていた。
でも、お姉さんは今、そんなことを思って泣いているんじゃないって、そう感じた。もちろん、お姉さんが話したひとつひとつのことはどれをとっても辛いこと。
でもお姉さんはそのことが辛くて泣いてるんじゃない…
私は、お姉さんの体に擦り寄って、静かに言った。
「お姉さん…大丈夫だよ…。お姉さんがしてきたことは、何一つ間違ってなかった。私はずっとお姉さんのそばに居たから分かるよ。
お姉さんはいつだって、人間と魔族、両方の幸せを考えてやってきた。これは、お姉さんの失敗なんかじゃない。
たぶん…私達が思っていた以上に、人間も魔族も愚かで、憎しみを捨てられる強さを持っていなかっただけなんだと思う…
それは、私達のせいじゃない…お姉さんが間違ったからでもない…きっと、古の勇者様が、その憎しみや怒りに向き合えなかったからなんだと思う…
お姉さんの失敗なんかじゃないよ…」
それは、やっぱり私の中で変わらない結論だった。昼間、隊長さんと畑で話したことだ。それを拭うために、お姉さんは出来る限りの事をしてきたと思う。
魔界から人間を追い払って、攻めてきた人間軍を無傷で追い返して、人間にさらわれた竜娘ちゃんを助けに行かせてくれて、
魔界の秩序を保つために、魔王城や魔族軍の再編成を図った。
だけど、大地を歪め、あんなに高い中央山脈を作り上げることが出来るくらいの力があるかも知れないお姉さんの力を以ってしても、
拭うことの出来ない怒りと憎しみが人間と魔族の間にあっただけなんだ…
ギュッと、お姉さんの手に力がこもった。そんなお姉さんが、絞り出すように言った。
「悔しいよ…あたし…悔しい……」
そう…たぶんそれが、お姉さんの本心だったんだろう。私は、お姉さんのその言葉にギュッと胸を締め付けられるのを感じながら、お姉さんの手を握り返して言った。
「私も、悔しい…」
気がつけば、私の頬も涙で濡れていた。
本当なら、あのお芋畑で魔族や、私達に味方してくれた人間達と一緒に収穫をして、また次の作物を植えて…
もっと畑を広げたり、違う種類の作物を考えたりして…きっとそれが、魔族と人間が一緒になれる機会になるって、畑を作っているときにはそう思えたのに。
魔族の暮らしのいいところと、人間の暮らしのいいところを合わせて、魔族のでも人間のでもない、新しい暮らし方が考えられるかも知れないって、そう、思えたのに…
一度溢れ出した涙はとどまることを知らずに次から次へと溢れてくる。
そうして私はその晩、お姉さんと一緒に、泣きながらベッドで眠りに落ちて居た。
それから、1週間が経った。
お城の迎撃準備も終わり、私達は“そのとき”が来るまでの間の時間を、出来るだけ穏やかに過ごそうと、そう決めた。
これから始まるのは、けして勝ってはいけない戦いだ。
魔導協会とサキュバス族を掃討したらその後は、この城を破壊して、そして私達はどこか人里離れた場所に転移する…
そして、そこでしばらくは世界の動きを見ながら生活をする、って言うのがお姉さんの考えだ。なんの解決策にもなっていない。
でも、こんな状況で、相手を全滅させることも避けて、私達が…何よりお姉さん自身が死んでしまう事も避ける、良い方法だと思う。
これで終わりじゃないし、終わりになんてさせない、って言うのがお姉さんの思いなんだ。
上手く運べば、私達もそれが一番だって、そう思う。
「よーし、焼けたぞ!」
「うはぁっ!旨そうだ!俺、この大きいやつな!」
「なんだっけ、この野菜…えと、パ、パ、パ…」
「パプリカです」
「あぁ、そうそう、パプリカ!これ、魔界にも似たようなのがあるんだよ、アマトウ、って言うんだ」
「あたしも!あたしもオイシイする!」
「ほら、十九号、熱いから、ちゃんと冷まして食べるんだぞ」
そんなみんなの楽しそうな声が、お城の中庭に響く。
今日のお昼ご飯は、隊長さんの発案でこうして中庭でバーベキューだ。
そのために朝から食材を切ったり、中庭に麻布で庇を作ったりして準備をしてきた。
魔族の人たちは、バーベキューってなんだ?って、首を傾げていたけど、外で料理をして、みんなでワイワイしながら食べるんだ、って説明したら
「野掛けみたいなものだね」
なんて言っていた。
魔族の人たちにとってはこうして外で調理して食べることは珍しくないようで、何がそんなに特別か、なんて不思議がっていたけど、
隊長さんがお酒を持ち出したりしたら、ようやくどういうものかが分かってもらえたらしく
「なるほど、野掛けっていうより、祭りだな」
と言って顔を見合わせ、ウンウン、と頷いていた。
何はともあれ、最近はみんなで集まってもどこか湿っぽい雰囲気がつきまとっていたから、こういうのは私も大歓迎だ。
「あぁぁ!十六姉!それ、俺の肉!」
「こういうのは早いもの勝ちだ!アタシはこれを十八号と半分ずつにして食べるんだから!」
「のんびりしているのがいけない。十六姉さん、はやく分けて」
狙っていたお肉を取られた十七号くんが、十八号さんと一緒になって大きなお肉を分けている十六号さんにそう訴えている。
「お前ら、野菜もちゃんと食えよ。ほら、十九号、二十号、良く噛んで食べるんだぞ」
そんなすぐ横で、小さなイスとテーブルに着いた十九号ちゃんと二十号ちゃんに、珍しくマントを脱いでいる魔導士さんが、野菜やお肉の乗ったお皿を並べて言った。
「お姉ちゃん!私も食べたい!どうするの?どうしたらいいの?」
「んん?焼けてるヤツを取っていいんだぞ。あぁ、あんたもちゃんと野菜食べなきゃダメだからな」
「分かった!これ!これ食べる!」
「あぁっ!待てって、それまだ生だから!」
零号ちゃんはこういうことが初めてなのか、随分と興奮してそんなことをお姉さんと言い合っている。
そんな零号ちゃんの横に鬼の戦士さんがやってきて、
「お肉は焼けたら色が変わるんだよ。赤いのは、まだ焼けてないの。お野菜は…シワシワになった物から取ろううね」
なんて優しく教えてあげている。
「んはぁぁぁぁ!やっぱ、酒だよなぁ!こう、暑い日はさ!」
女戦士さんが木製のジョッキを空にして誰ともなしにそんなことを言った。
それを虎の小隊長さんが
「お前さんは本当に良く飲むな」
なんて笑って言っている。
「迷惑なんですよね、いつも。ちょっと控えるように言ってもらえません?」
そんな小隊長さんに、女剣士さんがそう言って笑った。
「皆様、追加の食材、お持ちしましたよ」
そんな様子を妖精さんと見ていたら、お城の出入り口からサキュバスさんと兵長さん、黒豹さんが大きなトレイに山盛りのお肉や野菜を乗せて現れた。
「はは、待ってたよ!そこ置いて!」
「魔王様はどうぞお座りになっていてください。あとは私が」
「何言ってんだ!ベーべキューの焼き役は、主たる者の勤めだぞ!あと、大鍋料理のときもな!」
食材を持ってきたサキュバスさんの言葉に、お姉さんはそう言い返して豪快に笑う。
それを聞いた黒豹さんが
「つまり…この“ばあべきゅう”とは、主から臣下への恩賞か何か、ということなのか?」
と兵長さんに聞く。
それを聞いた兵長さんはクスっと笑って
「そんなに畏まったものではない。このような場においては、焼き役を率先して引き受け、皆の食事を支えることが一種の矜持なのだ」
と説明した。それを受けた黒豹さんはしきりに感心した表情で
「なるほど…やはり、祭りと似た要素があるな。獣人族の祭りでは、族長が臣下に酒を注いで回る作法があるのだが、それと同じようなものか…」
とひとりでウンウン、と頷いている。
それもちょっと違うんじゃないかな…なんて思っていたら、兵長さんと目があったので、なんだかお互いに苦笑いを浮かべてしまっていた。
「ちょっとぉ、隊長!こっちもお酒!」
キンキン声で、大尉さんが隊長さんにそういうのが聞こえて振り返った。
隊長さんはすでになんだか赤ら顔で
「あぁん?うるせえやつだな、飲みたかったら自分で取りに来やがれ!」
なんて、とても上官に向かっての言葉じゃないような口調でそう言う。それを聞いた女戦士さんも
「そうだぞぉ、大尉!上官だからって威張るな!生意気に!」
と、ヘラヘラっとして大尉さんにそう言った。
「威張ってないし!生意気でもないし!」
大尉さんはほっぺたをプリプリさせながら、それでも自分でジョッキを持って、隊長さんのところまでお酒を取りに行っている。
た、大尉さん、って、本当に上官なのかな…?
あんまり皆に尊敬されたりしてるように見えないけど…
い、いや、でも、あんな軽口を利いても平気なほどにしたわれてる、ってそういうことだよね、うん。
きっとそうだ…
「そういや、トロール。あんた、大丈夫か?」
不意に、そうお姉さんが声をあげた。
その視線の先には、庇の隅っこで、頭に手ぬぐいを乗せて倒れている人間の姿になったトロールさんがいる。
「うぅ…まだ、クラクラする…」
「そっかぁ。おい、零号!井戸水組んで、手ぬぐい冷やし直してやってくれよ!」
そんなトロールさんの言葉を聞いて、お姉さんはそばにいた零号ちゃんにそう頼む。
「うん、分かった!」
零号ちゃんは言うが早いか、井戸の方へとピュンと駆け出した。
トロールさんは朝から人間の姿になって、あれこれと一緒に手伝いをしてくれていたんだけれど、普段、日の光に当たりなれていないせいか、
作業の途中であんなことになってしまっていた。
トロールさんの姿でいるときは日に当たると乾燥した地面がひび割れてしまうのと同じように、あの鎧のような体を維持するには負担になってしまうんだ、って聞いたけど
人間に戻っても倒れちゃうんじゃ、あんまり変わらない。
そんなトロールさんの横では、竜娘ちゃんがその様子を見ている。
いつもは涼しげな竜娘ちゃんも、今日ばかりはどこか笑顔を浮かべているように、私には見えていた。
そんな中にいる私も、もちろん楽しめていないワケはなかった。
こんな気分は、本当に久しぶりだ。
嬉しいのとも、穏やかなのとも違う。
ただひたすらに、楽しい、ってそんな感覚だ。
「人間の人達は面白いことをするよね」
妖精さんが、大きなお肉を食みながら私にそんなことを言ってくる。
「こんなこと、そんなにしょっちゅうやってるわけじゃないけどね…でも、作物の収穫の時期とかには、必ずやるんだよ!」
私が言ったら、妖精さんはクスクスっと笑って
「それだったら、私も人間の世界に住んでも良いかな。まだ、知らない人は少し怖いけど…なんだか、なれたら楽しそう」
なんて言ってくれた。
本当にそうだと思う。
私だって、魔界の暮らしが退屈だとか悪いものだとか思った試しはない。
そりゃぁ、最初は戸惑うこともたくさんあったけど、それでも、日々の楽しみ方とか、それこそ、このお城全体がそうなように、自然を楽しむなんてことは、今まで考えたこともなかった。
「ほらほら、もっと食えよ!余らせちゃったら、全部十九号に食われちゃうぞ!」
不意にそんなことを言いながらお姉さんがやってきて、私たちのお皿にお肉や野菜を大盛りに盛り付けた。
そこに零号ちゃんがやってきて、隊長さんが作ったんだ、と言う特製のソースをたっぷりと掛けてくれる。
ガーリックと、それから塩と胡椒なんかが利いた美味しいソースなんだ。
私は香ばしく焼けたタマネギを頬張って、それからフォークでお肉を差して零号ちゃんにも「あーん」と食べさせて上げる。
零号ちゃんはお肉をほおばるなり、なんだか幸せそうな笑顔を見せてくれた。
私達はお肉も優しもお腹いっぱいに食べて、とにかく騒いだ。
ようやくすこし落ち着いてきて、私は妖精さんと庇の下で、キンキンに冷えた果汁水を楽しんでいた。
「いやぁ、お腹いっぱい」
妖精さんがポンポン、とお腹を叩きながらそんなことを言っている。
隊長さん達は相変わらずお酒を飲みながらギャーギャーと大騒ぎをしているし、十六号さん達は井戸の方に行ってなにやらコソコソとやっていた。
トロールさんもようやく体調が戻ったみたいで、残りのお肉や野菜を食べ始めているところだった。
お姉さんも流石にお腹が空いたのか、サキュバスさんと焼き役を代わって、立ったまんまで外に作った石のグリルのそばで焼きあがったお肉と野菜を次から次へと口に運んでいる。
兵長さんと黒豹さんは、使い終えたトレイやお皿なんかをテキパキとまとめる作業に入っていた。
私はそんな様子を見ていて、手伝ってあげなきゃな、なんて思って立ち上がろうとしたら、突然にどこからか飛んできた冷たい何かが背中に当たって
「ひゃっ!」
と声を上げてしまった。
見れば、十六号さんたちが手に何かを持って、こちらに迫ってきていた。
「わ、水打ちだ!」
そんな十六号さんたちを見た妖精さんがそう声を上げる。水打ち、って、あの手に持ってる棒みたいな物のこと?
そんなことを思っていたら、
「うりゃっ!」
と十七号くんの掛け声と共に、棒の様なその水打ちから、ピュっと水が飛び出してきて、私の顔に掛かった。
「もう!なにそれ!」
私がそう声をあげたら、十六号さんと十七号くんはピュゥっと駆け足で井戸の方へと逃げていく。
そんな二人を見送った十八号さんが、誰もいないところにピュっと水を打ち出しながら
「虎の小隊長さんに聞いて作ってみたの。これで遊ぼうよ」
なんて言ってくれた。
「私も作るですよ!ほら、人間ちゃんも作ってやり返すです!」
妖精さんはすかさずそう言って、私の手を引っ張って立ち上がった。
十八号さんに連れられていくと、そこには節くれた棒の様な物を切っている小隊長さんと、それを目をキラキラと輝かせて見ている零号ちゃんの姿があった。
「お、指揮官殿も来たな!」
小隊長さんはそういうなり、私と妖精さん、それに零号ちゃんに、その節くれた棒を切った物を手渡してくれる。
「いいか、この先の穴が空いたところを水につけて、この細い棒を引っ張って水を中に吸い込むんだ。そしたらあとは狙いを定めて押してやれば、水が飛び出る」
小隊長さんの説明を聞いて、私と零号ちゃんはスコスコと節くれの棒の中から飛び出していた一回り細い棒を出し入れして顔を見合わせる。
そんなことをしていたら、また背後からピュっと水を引っ掛けられた。
「もう!ずるいよ!」
私はそういきりたって、零号ちゃんと妖精さんに十八号ちゃんを見やって
「仕返し行こう!」
と駆け出した。
井戸のところにあったバケツに水が溜まっていたので、それを吸い込んで十六号さんの後を追いかける。
私はその背中に向かって水を打ち出した。
「ひゃぁぁっ!」
と悲鳴をあげて、十六号さんが飛び上がった。
井戸水は川の水なんかよりも一層冷たいから、こんな暑い中で掛けられたらそれ以上に冷たく感じる。
二回もかけられたもんね、もう一回掛け返してやらないと…!
そんなことを思っていたら、ビュビュっと私の後頭部にちょっとした衝撃と冷たい感覚が走って
「ひぃっ!」
っと声を上げてしまう。
振り返ったらそこには、妖精さんと零号ちゃんがニンマリした表情で立っていた。
「あ、ごめん、人間ちゃん!」
「間違えちゃった!」
なんて言う二人に、十七号くんと十八号ちゃんがさらに水を引っ掛ける。
私達は競って井戸のところまで走って、水を吸い込んではお互いに掛け合いを始めた。
「良し、十七号!行け!」
「任せろ、くらえ!」
「うわぁっ!何でアタシにかけるんだよ、この!」
「ちょっ!十六号ちゃん!私狙わないでほしいですよ!」
「幼女ちゃん、今度は一緒に十六お姉ちゃんを狙おう」
「うん、分かった!」
「うわっ!十八号、助けて!」
「私今、水ない。助けてあげられない」
「ちょぉっ!あんた達こっちに飛ばすなよ!」
「あ、女戦士さん、ごめーん」
「十六号ちゃん、あんた謝る気ないだろ!よぉし、そっちがその気ならアタシだって考えがあるぞ!」
そんな水の引っ掛け合いをしていたら、流れ弾の当たった女戦士さんが立ち上がって井戸までやってくると、バケツを抱えて私達を追いかけ始めた。
「うわぁぁっ!それナシ!ナシだよ!」
「ひ、ひるむな、打て打て!」
「うわっ、私、水吸わなきゃっ!誰か援護して欲しいです!」
「あっ!」
「へっ?うわぁぁぁ!!」
「あぁっ!女戦士さんが転けて十六号姉が水かぶった!」
そんなことをしながら、私はとにかく笑った。
十六号さんも、十七号くんも、十八号くんだって、零号ちゃんだって、皆笑顔だった。
もちろん、酔っ払って千鳥足で私達を追い回す女戦士さんも、私達を見ていた隊長さん達や、兵長さんたち、竜娘ちゃんとトロールさん、魔導士さんもサキュバスさんもお姉さんも
みんなお腹を抱えて笑っていた。
私もそうだったし、きっとみんなもおんなじだっただろう。
そのときばかりは、戦争や戦いのことなんて、忘れていた。
楽しくて、楽しくて、そんなことを考える暇さえなかった。
何日か前、十六号さんと眠るときに、ずっとこんな日が続けばいいのに、なんて思ったけど、そんなことを思うことすらなかった。
ただただ純粋に、私は水かけ遊びが楽しくて気持ちよくって、お腹のそこから笑いながら、水を掛けたり掛けられたりして、
私達はそろって日焼け防止という名目で着ていた長袖をずぶ濡れにさせて、それから水かけ遊びはやがて鬼ごっこになって、
鬼ごっこが終わったら隠れんぼになって、とにかくその日は夕方暗くなるまで、目一杯、中庭で遊んで回った。
お昼にいっぱい食べたから、と、夕ご飯はスープとパンで控えめにして、十六号さん達とお風呂に入った。
ずっとずっと楽しい気分で、お城に戻ってからも、笑いっぱなしだし、ふざけっぱなしだった。
そして、ようやく気持ちが落ち着いて来た頃には、私達ははしゃぎ疲れてすっかり眠くなってしまっていた。
お姉さん達は夕飯のあとも、食堂でお酒を飲みながら話をしていて、私達も食堂の隅っこで十四号さんが持っていたカードで遊んでいたけれど、
一人倒れ、二人倒れ、とみんなが眠りこけてしまい始めたので、会はようやくお開きになって、私は妖精さんと零号ちゃんとお姉さんと一緒に寝室に戻って、
お姉さんと零号ちゃんと一緒のベッドに潜った。
そして、翌朝早く、私達は魔導士さんの声で目覚めることになる。
その魔導士さんの言葉は、私はもちろん、みんなの胸をギュッと締め付けたに違いない。
「東城砦に仕掛けた魔法陣が反応した。恐らく人間軍が入城しただろう。迎え撃つ準備にかかるぞ」
つづく。
7月中に蹴りをつけたい、と思いつつ、全然つきそうにないですわ…
お、お盆までには!w
乙
みんなが幸せで命を全うできますように!
乙
こういう「幸せ回」はさむの以前から上手いよなあ。後の展開がどうなるのかの予兆を感じさせながら幸せなんだもん。
楽しいわ辛いわ感激するわ落ち込むわ嬉しいわ哀しいわ……って忙しいわ!
>>661
「幸せで命を全うする」っていいね。
物語上死んでしまっても幸せであったらいいね。
ふぅ…スランプです。
とりあえず、続きを書いてみました。
遅くなってさーせん。
「様子はどうだ?」
パタンとドアの音をさせて、魔道士さんが食堂に顔を出した。
「もう、三里くらいのところまで来てるです」
念信を聞き続けていた妖精さんが、すぐさま魔道士さんに答える。それを聞いた魔道士さんは、ふぅ、と肩の力を抜いた。
「三里か…まぁ、上手く行っている方だろう」
「大尉さん達は、大丈夫です?」
「さぁな。だが、あいつらなら上手くやる」
「…そうだと、いいです…」
魔道士さんの言葉に、妖精さんは心配げな表情を浮かべた。
人間軍が東部城塞に入ったことが分かってから2日が経った。あの日以来、大尉さんと兵長さん、それから魔道士さんが交代で東部城塞に小さな攻撃を掛けている。
お姉さんの言葉を借りれば「嫌がらせ」みたいなもので、とにかく補給物資を狙って士気を削ぐんだ、と言っていた。
同じように、西部城塞に陣を張っていた魔族の軍勢には、黒豹さんと虎の小隊長さん達が補給物資を狙った攻撃を散発的に繰り返している。
今は魔族の軍勢の方には攻撃は仕掛けていないから、すでにこのお城に向かって行軍が始まっているようだ。
それでも、この2日間の「嫌がらせ」で、それも遅れさせることが出来ているらしい。
東部城塞からも西部城塞からも、このお城までは二日掛かるとサキュバスさんが言っていたけれど、二日経った今でも両者の軍はお城には現れていない。
三里のところに来ていると言うけど、時間はもう夕方だ。夜には陣を張って休むはずだから、
きっと、明日までは本格的な戦闘にはならないだろうって言うのが、お姉さん達の読みだ。
でも、それはあくまで本格的な戦闘に限ったことで、私達がやっているように、こっちにもこっそり忍び寄って小規模な攻撃を仕掛けて来るようなことがないとは言えない。
それを警戒して、私と竜娘ちゃんは、十四号さんを始めとした勇者候補の皆とそれから零号ちゃんにしっかり警護されていた。
ただ、十九号ちゃんと二十号ちゃんだけは、早々にお城から抜け出させていた。行った先は、人間界の魔道士さんの“師匠”と言う人のところだ。
なんでも“大賢者”なんて呼ばれていて、小さな村に私塾を建てて、勉強や魔法を教えているらしい。
もう随分なおじいちゃんだから戦争の助力は頼まずに、幼い二人を保護してもらうように頼んだのだそうだ。
私や竜娘ちゃんもそこに避難するか、と聞かれたけど、私達は揃って首を振った。
まだ今は戦いの力にはなれないけど、とにかく私は、お姉さんと一緒に居て気持ちを支えるのが仕事だ。何があっても、それだけはまっとうしなきゃいけない。
不意にパパっと部屋の中が光って、兵長さんと大尉さんが床に転げながら転移魔法で帰ってきた。
「ゲホゲホっ…ウウェッ…」
苦しそう咳込んだ大尉さんは、全身を真っ黒に焦がしている。
「大尉殿、大事はないですか?」
「あぁ、大丈夫、大丈夫。ちょっと欲張っちゃったら火炎魔法食らってさ。でもこれくらい、なんでないよ」
兵長さんの言葉に、大尉さんはそう言ってふぅ、と息を吐き立ち上がった。
「もう二つ、物資の馬車を燃やしてやったよ。これでたぶん、食料は半分になってると思う。
ここに辿り着く頃にはお腹いっぱいには食べられなくなってるんじゃないかな」
「まぁ、配分は分からない。もしかしたら今夜の分を削って、明日の朝食を揃えて来るかもしれないしな」
大尉さんの言葉に、魔道士さんはそう答えた。
「まぁ、そうだけど…少なくともあの数であれだけの食料なら、少なくともこっちが兵糧攻めには合わないだろうから、それは安心できるね」
「あとは、腹を空かせた兵士達が平静を失ってこちらの食料庫でも襲いに来なければ良いのですが…」
少し不安げな顔で言った兵長さんに、魔道士さんが
「警戒はしておこう。まぁだが、当日ならともかく、わざわざこっちの食料庫を襲いに来るくらいなら、行軍を早めて夜襲でも掛けてくる方が現実的だろう」
と落ち着いた声色で言った。
それを聞き、納得したように頷いた兵長さんは
「そうですね…とにかく、玉座の間に報告に行って参ります」
と言い、もう一度大尉さんの身が大丈夫かを訪ねてから、食堂を出て行った。
それを見送った魔道士さんは、私達を振り返った言った。
「お前達も気をつけろよ。奴らの転移魔法の魔法陣はこの城にはなかったが…座標が割れているから、向こうも転送魔法で少数を送り込むことは出来る」
「来るのは…協会の精鋭の使い手か、王下騎士団の連中かな?」
十四号さんがそう聞く。すると魔道士さんは引き締まった表情で首を振った。
「そもそも来る可能性は低いがもし送り込んで来るんなら、恐らくあの半仮面のオークと人間の間の子ども達だろう。やつらもこっちの…十三号の弱点を心得てる。
半人半魔のあいつらを相手にするのは十三号にとっては精神的な痛みが大きい。こっちの士気を削ぐには有効だ。
それに、狂化の魔法陣を施された、人間と魔族、両方の魔法を使えるあいつらを送れば、簡単な戦いにはならないからな…」
「本当にそれをやってくるんだったら、とことん腐った連中だよ」
魔道士さんの言葉を聞いた十六号さんがそう嘆く。でも、それに口を挟んだのは零号ちゃんだった。
「たぶん、大丈夫。あそこにはもう、予備の子たちはいないはず」
「半人半魔の子どものことか?」
「そう。あのとき、私と一緒に全員が来た。だから、もう協会には残ってないと思う」
「そうか…それなら良いが…だが、警戒は怠るな」
零号ちゃんの言葉を聞いて少し表情を緩めた魔道士さんだったけど、最後にはそう言ってまたキュッと引き締まった声で言った。
零号ちゃんや十四号さん達もコクリと頷く。
そんな中で、竜娘ちゃんだけは、黙々と書庫から持ち出した古い本に目を落としていた。それは、古文書の類でも何かの学術書でもない。
私が読んで分かるくらいありきたりな筋書きの、寝物語でもよく聞くような古いお語がいくつも書いてある本だった。
この騒ぎになってからと言うもの、竜娘ちゃんは繰り返しその本を読んでいる。
例の話には関係さそうだけど、私は竜娘ちゃんが、このピリピリした空気を誤魔化して気持ちを落ち着けるためにそうしているように思えた。
「まぁ、それはそうと、だ。大尉さん達戻って来たんなら、アタシらも戻ろうか」
不意に、膝を打って十六号さんがそう言った。
そうだね…ここは、階下から続く一本道に繋がる廊下の途中にある。
トロールさんの土の魔法で作り変えられたお城の中は、戦闘を想定した区画とそうではない区画とにわけられ、
それぞれは転移魔法を使わないと行き来出来ないようになっていた。
ここは戦闘を想定した区画で、外の廊下をまっすぐ行ったところにある階段を登った先にはお姉さんのいる玉座の間がある。
もうひとつの区画は、私達の寝室や台所やお風呂、それにあのソファーの部屋だ。
こうして構造を分けておけば絶対安心、と言う訳じゃないけど、魔王城の中のことに詳しい人でもいない限りは、そう簡単にはバレたりしないだろう。
「うん、ここはあたしにまっかせといて!」
大尉さんが自分に回復魔法を賭けつつそう言ってくれたので、私達は十六号さんの転移魔法でソファーの部屋へと移動した。
こうして別の区画になって助かっていることが、もうひとつある。誰かに聞かれたりすることなく、“あの話”が出来るからだ。
私達は、それぞれソファーにもたれかかって、誰となしにため息を吐いた。分かっていたことだけど、大尉さん以外の人の前では、やっぱり気を使う。
どことなく疲れた感じがしてしまっていた。
「…それにしても…十三姉ちゃん、怒るだろうなぁ」
ふと、十六号さんがそう口にした。
「でも、万が一ってときには仕方ないだろ?」
それに十七号くんが口を挟む。
「まぁ、後で叱られるだけで済むんならそれでいい。十三姉さんを死なせてしまうよりはな」
十四号さんが二人の会話を遮って、静かな声でそう言った。
「十八号ちゃん達が言ってことは、私もおかしいと思ったです…そうじゃないと思いたいですけど…」
妖精さんは少し沈んだ表情だ。
「でも、私はそう思う…竜娘ちゃんの仮定は、あり得ること」
十八号ちゃんがそう言って竜娘ちゃんを見やった。
「そうですね…あの石版に刻まれていた方法が正しかったと言う事は証明出来ていますから…あの方にもそれは、当てはまることだと思います」
竜娘ちゃんは胸の前に本を抱えてそう言った。
「怒られるのは嫌だけど…お姉ちゃんが死んじゃうよりはいい」
そう言った零号ちゃんの表情は、硬い決心に満ちていた。
「大尉さんの話じゃ、あっちは準備が整ってるって言ってたしね…」
私も、昨日大尉さんからこっそり聞いた話を思い出していた。
皆、それぞれの思いをそれぞれの胸に抱えているけれど、あの日の夜にはそれでもそのときが訪れたらやろうって決めた。
そのことだけは、変えるつもりはないようだ。もちろん私も、今更気持ちを変えるつもりはない。そのための準備はもう済んでいる。
私は、知らず知らずに自分の腕ギュッと握りしめていた。十六号さんが言うとおり、きっとお姉さんは怒るだろう。
勝手な事をするなって、私達が背負い込むことじゃないだろって。
だけど、私達にしてみたら、そもそもお姉さんが背負い込むものでもないんだ、って言うのが正直な気持ちだった。
お姉さんに全てを押し付けて世界を平和にだなんて言うのは、魔導協会やサキュバス一族がお姉さんを悪者に仕立て上げたのと同じことだ。
そんな事をしてしまうくらいなら、その荷を私達は背負いたい。私は、ううん、私もトロールさんも妖精さんも、お姉さんに命を助けてもらった。
十六号さん達だって、お姉さんと魔道士さんに拾ってもらえなければ、どこかで命を落としていたかもしれないんだ。
私達はお姉さんに助けられた。今度は、私達がお姉さんを助けてあげる番なのかもしれない。
例えそれが、お姉さんを傷付けることになったとしたって…
その晩、私は夜中に目が覚めた。寝心地が悪かったとか、悪い夢を見たとか、お手洗いに行きたかったとか、そういうことじゃない。
ただ本当にふと、目が覚めた、って感じだった。チラッと横目で見てみると、一緒に眠っていたお姉さんと零号ちゃんは、静かな寝息を立てている。
それを見て私ももう一度寝ようとしてみたけど、なんだか胸の中がザワザワしていて、どうにも眠るなんてことが出来なくなってしまっていた。
二人を起こさないようにそっとベッドから降りた私は、寝室の外に出て廊下を歩いた。昼間の暑さが嘘みたいにひんやりとした空気が心地良い。
そんな中を、私は東塔に向かっていた。
近衛師団長が案内してくれたあの月が綺麗に見える塔の上の部屋だ。こんな風に気持ちが落ち着かないときにこそ、
あの場所から見える景色が見たいとそう思っていたからだった。
石の階段をコツコツと登って行くと、その先に戸が見えた。でも、その戸は締まりきっていなくって、隙間からあの青白い光が漏れている。
私は不思議に思って、その戸に手を掛けてそっと開けてみる。その先には誰もいない青白く照らし出されている部屋があった。
ただ、普段は開けることのない窓が開いていて、そこから涼しい夜風が入り込んで来ている。
ふと、私は、辺りの気配に注意を向けていた。もしかしたら、誰かがこの窓から入って来てお城の中に入り込んでいるのかもしれない、と、そう思ったからだ。
そんな事をしていたら、風に吹かれた戸がパタンと音を立てて閉まった。一瞬、その音にびっくりして身をこわばらせてしまう。
でも、それからすぐに、どこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「誰か、いるのか…?」
この声…トロールさんだ。私がそのことに気が付いて辺りを見回すと、あの小さな石の体になったトロールさんがヒョコっと窓の向こうに顔を出していた。
「人間か」
トロールさんはそう言って、這い出すように小さな窓から部屋に入ってくる。
驚いたことにさらにその後ろから、珍しく小さな姿に戻っていた妖精さんまで姿を表した。
「人間ちゃん、私起こしちゃった?」
妖精さんは小さな声で私にそう聞いてくる。私はブンブンと首を横に振って
「ううん、私なんだか目が覚めちゃっただけ」
と答えると、ホッとした様子で
「良かった」
なんて胸を撫でていた。
「二人はこんなところで何してるの?」
今度は私がそう尋ねてみる。すると二人は顔を見合わせてから
「おいは、最近はよくここに来る」
「私は、眠れなくってなんとなくね」
と口々に言った。
それから妖精さんが思い出したように
「人間ちゃんもおいでよ」
と声を掛けてくれた。
私は妖精さんのそんな誘いに乗って、小さな窓をくぐってその外にある下の部屋の庇に這い出していた。
妖精さんトロールさんも、私に続いて庇の上にやってくる。
外の空気は少し肌には冷たいけれど、やっぱり、それが返って私の気持ちを落ち着かせてくれる。
眼下に広がる景色を見ていたら師団長さんの事を思い出して、なんとなく胸が痛んだ。
師団長さんの涙の意味を、行動の意味を、今となっては想像することしか出来ないけど…でも、たぶん、想像の通りで間違いないんだろうって思う。
師団長さんは、本当にお姉さんのことが好きだったんだろう。でも、一族を裏切ることもできなかった。そんな苦しみで、きっと涙を流していたんだ。
私には師団長さんの裏切りは衝撃的だったし、辛い思いもあった。でも、師団長さんの思いは、きっとそれ以上に苦しみに満ちたものだったんだろう。
それはきっと、お姉さんが苦しんでいるのと同じ思いだったんじゃないか、って、私はそう思った。
二つの種族、二つの思いに板挟みになって何を信じたらいいのか、どうしたら良いのかが分からなくなる苦しみ。
師団長さんはそれを胸に一人で抱えていたのかもしれない。そう思ったら、私はふと、ひとつの考えに思い至った。
―――もし、その気持ちを私が聞けていたら、師団長さんはもっと別の選択ができたのかな…?
でも、私はすぐに頭を振ってそんな思いを振り払った。そんなことを今考えたって仕方ない。もう、取り返しの付かないことなんだから…
そんな私の様子を見てか、妖精さんがふわりと飛んで私の肩に腰を下ろした。
「どうしたの、人間ちゃん?」
「ううん、なんでもないよ」
私は妖精さんの言葉に、そう返事をして笑顔を見せてあげた。妖精さんはそれでも、私の顔色をうかがうように覗き込んで来る。
その表情はどこか心配げだ。なので私は、なるだけ大丈夫だよ、って思いを込めて
「妖精さん、小さくなってるの珍しいね」
と、全然違う話題に話を振ってみる。すると今度は、妖精さんの表情が、少しだけ寂しそうに歪んだ。
「うん…ちょっと、名残惜しくって…ね」
そっか…そうだよね…。結局、私達が動くとなったら、そういうことになるんだもんね…私は妖精さんの言葉にこもった思いを感じてそのことを思い出した。
「そうならないといいんだけど、ね…」
私は、そんなことを口にしていた。
可能性がないわけじゃない。でも、十八号ちゃんの話や竜娘ちゃんの話を聞けば、その可能性は高くはない。
それは、私にも分かっていた。
「うん…そうだね」
妖精さんもきっと同じに違いないのに、そんなふうに、私の言葉に答えてくれた。だけどその表情はやっぱり、どこか不安げで寂しげだ。
「終わりじゃ、ない」
不意に、トロールさんがそう言った。
「えっ…?」
「どういうこと?」
私と妖精さんは、思わずトロールさんにそう尋ねていた。
「そうなっても、終わりじゃない…たとえそうなっても…終わるわけじゃない」
トロールさんの表情は……石の肌のせいでよくわからないけど、でも、月が写りこむその瞳には、なぜだか力強さが感じられた。
「…そうだね…」
そんな言葉に、妖精さんがふぅ、とため息をついて言う。
「私たちは…それでも、魔王様のそばにいる。それからの魔王様を支えなきゃいけないんだよね…今、弱気になっていたって、仕方ないね」
それから妖精さんはチラっと私を見やった。
言葉の意味は、分かる。
何がどうあっても、それだけは何も変わらない。
たとえお姉さんが拒否したって、私たちはお姉さんの力になりたいんだ。
思えば、あの洞窟で守ってもらったのは私だけじゃない。
妖精さんもトロールさんも、お姉さんが来てくれなければ、今はここでこうしていることなんてなかったんだ。
「うん…そうだよ。洞窟で出会って、ずっと一緒だったんだから。これからだって、そうしてたい」
「そうだな…」
「そうだね!」
私の言葉に、トロールさんも妖精さんも、そう言ってうなずいてくれた。
それから私達はしばらく、くだらないことを話して笑ったりしながら、三人で屋根の上から青い景色を眺めていた。
どれくらい経ったか、少し瞼がトロンと重くなってきたのを合図に私が部屋に戻るというと、妖精さんとトロールさんも一緒に戻ると言って、屋根から部屋へと降りた。
そしてそれから、私は妖精さんと一緒に部屋まで行って、そこでトロールさんとお別れをしてそれぞれのベッドに潜った。
お姉さんと零号ちゃんは、部屋を出たときのまま、スースーと寝息を立てて眠っている。
そんなお姉さんに体を摺り寄せて、私は胸の中でお姉さんに伝えていた。
―――お姉さん、何があっても、一緒にいるからね…
お姉さんは、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、ムニュムニュ言いながら私の方に寝返りを打ってくる。
お姉さんに抱えられるようにされた私は、そっと目を閉じ、お姉さんとベッドに身を任せた。
暖かな心地良さが私を眠りへと引っ張り込んでいく。
そうして私は、その日もようやく、寝付くことができた。
そして、三日後。
ついに、そのときはやってきたのだった。
つづく。
いろいろ書いてみたんですが、とりあえずずいぶんと登場人物が増えたところで、
話の本筋を確かめたかったのか、この三人の関係性を再度把握したこのパートが一番しっくり来たので…
次回、戦争がはじまります(たぶん)。
待ってた!乙!
乙
うわお。ちょうど「最近、スレタイのトロールさん影薄いなー」と書き込もうかと思ってた。
いったん落ち着いてこんな描写が出てくるようならスランプも悪くないねw
お待たせしてすみません…書いては消し、消しては書いての繰り返しです…
どうしたものか…もうしばらくお待ちくださいませm(_ _)m
頑張れ
力作乙
おまたせしました…
本当は一気にアップしたいのですが、なかなか進まず、その上、上書き忘れて消えるなんて事故を起こして再生したりで…
遅くなって申し訳ない。
つづきです。
「おーおー、こいつはまた…壮観の一言だな」
窓から外を覗いていたお姉さんが、なんだニヤニヤしながらそんなことを言っている。
「のんきなこと言ってる場合かよ!」
十六号さんが不安げな表情で言うけれど、お姉さんはそれを鼻で笑って
「ビビったってしょうがないだろ?やるだけやる。ダメなら逃げる。引き際さえ間違えなきゃ、問題はない」
なんてあっけらかんとして言った。さすがに、踏んできた場数の違いなんだろう。お姉さんと同様に、他の大人たちもそれほど動揺している様子はない。
私達は、ソファーの部屋に揃っていた。
窓から差し込む光はうっすらと色づき始め、もうじき夕暮れになるだろう。
そんな中で、お姉さんたちは敵となる人間軍と魔族軍の陣容を観察し、あれこれと細かなことを確認し合っていた。
魔道士さんは今は反対の方の窓から西を観察しているし、兵長さんと黒豹さんは図面上で作戦の確認をしている。
隊長さん達はそれぞれの武器を手入れしたりしてはいるけど、こっちも慌てている様子はない。
大尉さんに至っては、あくびを漏らしながらソファーに腰掛けてボーッとしている。
唯一、サキュバスさんだけはソワソワと、私達子どもと同じように不安げにしていた。
私も窓の外を覗いてみたけれど、十六号さんの気持ちがよくわかった。
四万の軍隊、とは聞いていたけれど、窓の外にはそれこそ見渡す限りの人々が、お城の周りの原っぱを覆い尽くしている。
槍を持っている人、剣を持っている人、大きな斧を持っている人もいるし、見たことのないトゲの付いた玉を担いでいる人や、黒いローブに身を包んだ人達が
物々しい様子でごちゃごちゃと動き回り、陣を作っている様子が見えた。
雰囲気も殺伐としていて、とてもじゃないけど、安心なんてしていられる雰囲気ではない。
こんなの、慣れていたって不安になるに決まっている。
ううん、そもそも慣れるなんてことができるんだろうか?
この人達がすべて、このお城に襲いかかって来るんだと思うと、こちらの戦力がどうのこうの、って言う以前に恐ろしい。
でも、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、お姉さんは十六号さんに言った。
「大丈夫だ。城壁の魔法陣が破られて、遠距離の攻撃魔法が届くようになったらまた別だが、先に相手を城の中に引き込んじまえばこっちのもんだ。
外からの魔法を無闇にぶっ放すわけには行かなくなるだろうからな」
「で、でもよ…」
「確かに、城主様のおっしゃる通りですね。それに…相手の指揮系統はそれほど一貫してはいないようです。魔族側と人間軍側とでは統率に差異がありますし、
もしかすると、適当に突付いてから中へ逃げ込めば、簡単に誘導できるかも知れません」
十六号ちゃんとお姉さんとの会話を聞いていた兵長さんがそう言う。さらにそれに続いて大尉さんが
「まぁ、慌てても落ち着いててもやることは変わらないからね。とにかく敵を城内に誘い込んで、狭所の出口で迎撃する。
圧力が強ければトロールくんの魔法で通路を組み替えて奇襲を掛ける。あたし達は、とにかくそれを頭においておけば大丈夫だよ」
なんて、サキュバスさんがお昼ご飯に出してくれた魔界のパンの残りをかじりはじめた。
私にももちろん役目がある。そのために、私は時間を作って妖精さん達から魔族式の回復魔法を習った。
私は戦場の後方に控えて、傷付いたり疲れたりしたみんなを癒す役割だ。
出番がない方が良いけれど、そう簡単に行くわけはない、ってわかっている。
せめて今の私の手に負える程度のケガであって欲しい…
「魔族の方はまだまだかかりそうだな。人間共の動きは?」
魔導士さんがそんなことを言いながら、魔族軍の詰めかけている反対側の窓のところから私達の元に戻ってきた。
「向こうは王下騎士団が王国軍の各隊の指揮を執っているみたいだな。貴族連中の部隊は繁雑だから、まぁ、崩すのは容易だろう」
お姉さんが、そんな魔導士さんに言う。すると魔導士さんが
「大尉の言うように、こっちから仕掛けるべきだな。糧食も限られているだろうし、指揮系統が弱いのなら混乱をさせて足並みを乱す方が効果的だ」
とお姉さんに判断を仰ぐ。でも、お姉さんは首を横に振った。
「ダメだ。あたしらは自分からは仕掛けない。それがあたしらの最後の意地だ」
「で、ですが…!こと、このような状況では、もう攻撃を受けているのと同じでは…!」
それを聞いて声をあげたのはサキュバスさんだった。
「あぁ、それでも、だ…ごめん、普通に考えたら、やるべきなんだろうけど…本当にこれは、あたしの意地。作戦でもなんでもない」
お姉さんは、そんなサキュバスさんのジッと見て言った。
サキュバスさんはシュンと肩を落とし、隣にいた魔導士さんがため息を漏らす。
「まぁ、今回はとにかく協会の連中とサキュバス一族の首魁を落とせればそれでいい。この城を維持するのも最初から放棄しているようなもんだし、構わないだろ」
魔導士さんはサキュバスさんに言い聞かせるようにして言った。それからお姉さんに視線をもどして肩をすくめた魔導士さんは
「あの様子じゃ、突入は明日の朝だろうな…」
なんて苦笑いを見せて言った。
「同感だ。陣容もめちゃめちゃだし、大勢整えるには時間かかりそうだからな」
魔道士さんの言葉にお姉さんはそう言って笑い、それから私達を見やって言った。
「まぁ、大丈夫。とにかく、落ち着いて自分のやるべきことをしよう。ヤバくなったら引くなり助けを求めるなりして、とにかく生き残るんだ」
私達は、お互いの顔を見やって頷いた。
そう、何事もなければ、私達はお姉さんが魔道杯協会サキュバス一族の主力を叩くまでの短い時間を耐え忍べばいい。
とにかく今は、そのことに集中しよう…十八号ちゃん達の話のようになったら、そのときにまた思い出せばそれでいいんだ。
「そうだよな…うん、よし…アタシは魔法陣の確認をしてくるよ」
「俺達は竜娘ちゃんに付いてる」
「兵長、後で見張り役の順番を作っておいてくれると助かる」
「俺は部屋で休むぞ。明日は全力で当たる必要があるからな」
みんなが口々にそう言う中、サキュバスさんも決心をしたのか引き締まった表情で
「私は、糧食の支度を致します」
と力強く言った。
「人間ちゃん、私達もお手伝いしよう!」
妖精さんがサキュバスさんの言葉を聞いて私にもそう声を掛けてきた。
うん、そうだね…休んでいる分けには行かないし、何かをしていないと、また心苦しくなっちゃうかも知れない。お手伝いは、大事だ。
「うん!」
私がそう返事をすると、妖精さんだけじゃなくサキュバスさんも笑顔にになってくれた。
そんな私達の様子を見ていたお姉さんは、なんだか嬉しそうに笑って、カツンっと身を翻してソファーの部屋から出て行った。
お姉さんの姿を見送った私達も、すぐさま部屋から出てお城の台所へと向かった。
台所には、お昼用の糧食を準備した後がそのまま残されていた。
サキュバスさん、よほど急いでいたんだろう。
野菜にパンに調味料なんかが、あちこちに置きっぱなしにされている。
さすがにお肉の類は冷暗庫にあるのか見当たらないけど…でも、いつものサキュバスさんの作業を思い出せば、こんなに片付いていないのは珍しい。
「夜の糧食はどうするの?」
私は、そのことはあまり触れずに、サキュバスさんにそう尋ねてみた。するとサキュバスさんはふと宙を見据えてから
「パンと、それから具をたっぷり入れたシチューを作ろうと思います。寸胴缶に入れて各持ち場にお持ちすれば、いつでも食べられますし」
と私達を見やって教えてくれた。
シチューか…それなら、野菜もお肉もたっぷりだし、急いでいても食べやすいからきっといいね。
「じゃぁ、私、お野菜切るですよ!」
妖精さんが率先して包丁を取り出し、水桶に汲んであった水でさっと洗い流す。
「私もやる!サキュバスさんはパンお願い!」
「はい、それではお願いいたしますね」
私はサキュバスさんにそう言って、ダガーよりも短い果物包丁を取り出して、台所にあった袋からお芋を取り出してその皮を剥く作業に入った。
サキュバスさんは保冷庫に寝かせてあったパン…って言っても、魔界では「ムギフ」って言うらしいけど…とにかくその生地を、専用の台の上でこね始める。
あの生地を、陶器の壺の様な物に貼り付けて火にかければふんわり膨らんで出来上がりだ。
生地をこねるのは力がいるから、サキュバスさんにお願いするのがきっといい。その分、私は野菜をたくさん切ってゆでたり出来るからね。
とは言っても、みんなのお腹がいっぱいになるだけじゃ足りない。戦闘になるわけだし、次の食事の準備がいつできるかも分からない。
そう考えたら、それ以上の量は作って置かないといけないだろう。
それこそ、ここにある食材のうちの半分を使い切るくらいに用意してもいいくらいだ。
私はそんなことを思いながらとにかくお芋の皮を剥き続け、タマネギや他の野菜も切り刻んで、私がすっぽり入ってしまう位の大きな寸胴鍋に放り込んだ。
そこに妖精さんが刻んだニンジンとカボチャも加えて、さらにはベーコンも厚切りにしてたくさん入れ、水もひたひたになるまで入れた。
作業を終える頃にはサキュバスさんが鉄製のコンロに炭をくべて火を灯していてくれたので、その火に寸胴鍋を掛けた。
あとは、焦げ付かないようにかき混ぜて、最後に調味料で味付けをすれば完成になる。
魔界パンが焼き上がり、シチューに調味料を入れ、味を整え終えたときには、
台所にある小さな窓の外から差し込んでいた陽の光は消え、真っ暗な夜になってしまっていた。
私は、ようやく火が通ったシチューの寸胴から私が抱える程の鍋にシチューを移して、さらにそれをグイっと持ち上げて持ち運び用のワゴンに載せ替える。
サキュバスさんが焼いた魔界パンは平らな陶器の入れ物に入れて蓋をした。
「じゃぁ、私、下の隊長さん達に運んで来ますね!」
私はワゴンを押しながらサキュバスさんにそう言った。
「あ、ですがっ…」
不意にそう声を上げたサキュバスさんに、妖精さんが
「私も行くです、だから大丈夫ですよ」
と言葉を添えてくれた。そのときになって、私は自分の言葉にうっかりしていたことに気が付いた。
何しろこのワゴンだ。
下の階へ行くには、階段を下ろさなければいけない。
食堂もソファーの部屋も台所と同じこの階にあるからそんなことを考えることもなかったから、本当にうっかり、だ。
妖精さんの言葉を聞いたサキュバスさんはすぐに納得したようで
「はい、どうかお気を付けてくださいね」
と私達に向けて軽く目礼をした。
サキュバスさんは、お姉さんや魔導士さん達に食事を運ばなければいけない。手分けをしないと、お腹を空かせているだろうみんなを待てせてしまうからね。
私は妖精さんと一緒に台所を出た。妖精さんが片手に明かりを灯してくれたので、私はそれを頼りに廊下を進む。
やがて見えてきたのはソファーの部屋の半分ほどの部屋で、その先には人が一人、ようやく通れる程の下りの階段がある。
ここは、トロールさんに作られた、魔王城防衛の最後の要衝。
細い階段を上ってきた敵を、その出口にあたるここで迎え撃つ。
それなら、幾ら敵が多くても囲まれるようなこともない。
兵長さんが提案した防御案だ。
同じような構造になっているのはここだけじゃない。
お城の入口の門戸を入ってからこの階に辿り着くまでには同じような作りの小さな部屋が六つある。
この階段の下にある場所が、当座の詰所。
隊長さんたちはそこにいるはずだ。
私はワゴンをグイっと持ち上げて、慎重に階段を降りて行く。妖精さんが足元を照らしてくれているので、もう夜だけど安心だ。
細い階段の先からうっすらと明かりが漏れているのが見え始めた。
「皆さん、ご飯持ってきたですよ!」
私の足元を照らすのに先を歩いていてくれていた妖精さんが、一足先に灯りの方へと声を掛けた。私もワゴンを下ろして、部屋の中に引いて入る。
部屋には、槍や剣、見たことのない鉄の棒なんかがたくさん差さった樽や、飲むのに使うんだろう水の入った樽もある。
そんな部屋の隅にはテーブルが設えられていて、隊長さんに女戦士さんと女剣士さん、それに虎の小隊長さんと鬼の戦士さんに鳥の剣士さんが居た。
「うはぁ!待ってた!」
私たちの姿を見て、女戦士さんが飛び上がった。
「腹が減っちゃぁ、なんとやら、だな」
隊長さんがそんなことを言って鳥の剣士さんと顔を見合わせて笑っている。
「皆さん、いっぱいあるので精を付けて欲しいですよ!」
妖精さんがそんなことを言いながら、魔界パンの入った陶器の入れ物をテーブルに置く。
そんな様子を見て、鬼の戦士さんが初めて見る長い金属の棒を壁に立てかけてから立ち上がった。
それからみんなで手早く食事の準備を済ませると、隊長さんたちは勢い良くシチューをかき込み始めた。
「ん!うまいな!」
虎の小隊長さんがそう言ってくれる。
「この魔界のパン…ムギフ、って言ったっけ?私、こっちの方が向こうのパンより好みだよ」
「人間界のパンってのは少し硬いですよね」
女剣士さんと鳥の剣士さんがそんなことを言い合いながら、サキュバスさんの焼いたムギフをほおばった。
そんな様子からは、緊張感なんてとても伝わってこない。
まるでいつもどおりの、賑やかな食事風景だ。
あの日、隊長さんは他の隊員たちは「逃げ出した」なんて言ったけれど、その後大尉さんから聞いた話では、残ると言い張った他の隊員達を、隊長さんが追い払ったらしい。
なんでも、万が一のときの逃亡先を確保する算段を付ける役目を頼んだらしかった。
そのとき大尉さんが言ってくれたように、確かに大切なことだ。
そもそもこの戦いは最終的には魔王城を捨てることになる可能性の方が大きい。
ここから逃げ延びた先で、私達を匿ってくれる人達がいると言うんなら、それに越したことはないはずだ。
これから戦いが始まるけれど、もしかしたら隊長さん達は、もっともっと先のことを考えているのかもしれない。
戦いのあとのこと、その場所での暮らしのこととか、そういうのだ。
それはつまり、誰ひとりこの場所で死んじゃったりする、なんてことを考えてないんだ、って、私には思えた。
だからこそ、緊張もたいしてしていないし、ふさぎこんでもいない。
隊長さん達にとっては、ここはただの通過点なんだろう。
そして、そんな隊長さん達を見ていると私まで胸が軽くなるのを感じた。
「鬼の戦士さん、その棒はなんです?」
不意に、食事をしている鬼の戦士さんに妖精さんが聞いた。
棒、っていうのは、たぶん武器なんだろう壁に立てかけられたあの金属の棒だ。
見てくれは槍のようだけど、先端に付いているのは刃ではなく、角ばった塊になっている。
「あぁ、これはソウコン、っていうんだ。えっと、人間界だと…」
「メイスだろうね。でも、そんな槍みたいに長いメイスは見たことないけど」
鬼の戦士さんの言葉に、女剣士さんがそう言う。
メイス、って、確か、棍棒みたいにして相手を殴ったりする武器だよね…?
あれとおんなじなんだろうか?
「それで殴ったりするんだよね?」
私が聞いたら、鬼の戦士さんはコクっと笑顔で頷いて
「うん、そう。本当は槍が得意なんだけどね…今回の戦いは、なるべく敵に致命傷を与えないでくれって城主さまに言われててね。
それなら、刺すよりも打撃で押し返そうかな、って思って」
と教えてくれる。
お姉さん、そんな指示まで出してたんだね…いくらなんでも、ケガをさせないように戦うなんてことは難しい。
でも、刺したり斬ったりして血を出させてしまうよりも、確かに殴るだけの方が命に関わるケガはしにくいような気がする。
「まぁ、アタシらは斬るけどな」
そんな言葉に、女戦士さんが口を挟んだ。
女戦士さんは分厚い幅広の剣を半分抜いて見せている。
「別に、みんながそうしろってことじゃないとおもう。でも、心がけって大切じゃない?」
「そうだな。お前に刃物を持たせると、それこそ殺さん方が無理だ」
鬼の戦士さんに虎の小隊長さんが笑っていった。それを聞いた鬼の戦士さんがプリプリと頬をふくらませて
「隊長!なんでそんなこと言うんですか!」
と怒り始めた。それを見るや、他のみんなは声を上げて笑い出す。
私も妖精さんも、やっぱりそんな和やかすぎる様子に、思わず笑い声をあげてしまっていた。
そんな風にして、状況に合わないおしゃべりを続けていたら、不意にグゥっと、私のお腹が音を立てた。
「なんだよ、幼女ちゃんは腹ペコか?」
そんな音を聞きつけた女戦士さんが私にそう声を掛けてくれる。
お腹が空いた、って感覚は緊張のせいかどうかとにかく感じなかったけれど、考えてみればお昼ご飯以来、もうずっとなにも食べてない。
食べる気がしなくっても、体の方は何か食べ物を欲しがっているようだ。
「そうみたい。私達も夕飯まだだから」
私が言ったら、鬼の戦士さんが心配げな表情で
「食料はまだ大丈夫?二人が食べる分はちゃんと残ってるの?」
と聞いてくれた。もちろん、台所の冷暗庫には、まだ食料は残っている。みんながお腹いっぱいになる量を作っても、あと二三日は大丈夫だろう、っていうくらいには。
「うん、平気。私達の分は台所にあるから、ソファーの部屋に戻って食べるね」
「そう。それなら良かった」
私の言葉に、鬼の戦士さんが安心した表情を浮かべてそう言った。
「じゃぁ、人間ちゃん。私達ももどってご飯にしよう!」
妖精さんがそう言ってくれたので、私もうん、と頷いて
「じゃぁ、皆さん。ケガしないでくださいね。ケガしたら、無理しないで私を呼んでください」
と隊長さんたちに頭をさげる。
「あぁ、頼んだよ、指揮官どの」
「そうだな。まぁ、なるべく世話にならないように戦うつもりでいるから安心してくれ」
「サシの勝負なら負ける気はしないからね。そっちは上で兵長さんと状況を見ててくれよ」
虎の小隊長さんに隊長さん、それから鳥の剣士さんが口々にそう言ってくれる。
私は、やっぱりみんなが頼もしくって、一層緊張がほぐれるのを感じられた。
そんなときだった。
女剣士さんの表情が一瞬、引き締まった、と思ったら、まるで光が瞬くような速さで剣を引き抜いた。
「誰だ!?」
女剣士さんがそう叫ぶ。
次の瞬間、バッと妖精さんが私の目の前に立ちふさがった。
同時に、隊長さん達も武器を手にテーブルから勢いよく立ち上がる。
女剣士さんの視線は、階段の方に向けられていた。
誰か、居るの…?
敵…?
私は、そう思いながら妖精さんの体の向こうにあった階段を覗き込む。
そこには人の姿があった。
見慣れた軽鎧に身を包み、 額にいっぱい汗をかいて、長い金髪が張り付いている女の人だ。
その鎧にその顔に、私は見覚えがあった。
「女騎士、様…?」
声をあげたのは、妖精さんだった。
そう、そこに居たのは、間違いなく砂漠の街の憲兵団に居て、私と一緒にオークの村に囚われ、私を助けてくれたあの女騎士さんだった。
「勇者さまはいらっしゃいますか…?」
女騎士さんは、静かな声色で私達を見やって言った。
ガシャリ、と隊長さん達が武器を鳴らせて身構える。
「ま、待って、隊長さん!この人は、砂漠の街の憲兵団の人で、兵長さんの部下の人なんだ!」
私は、その様子に慌てて声をあげる。
「砂漠の街…?西部交易都市か…確かに、その軽鎧は兵長さんと同じもの、だな」
隊長さんが鋭い目つきで女騎士さんを見つめ、さっきまでの平和な様子から一転、張り詰めた空気の中でそう言い、ややあってスッと片手を振りかざした。
それを見た女剣士さんに女戦士さんがゆっくりと武器を下におろす。
「私は、敵ではありません。西部交易都市の憲兵団で、騎馬小隊の指揮を執っています。勇者さまに敵の動きをお伝えするために、ここへ参りました」
女騎士さんは、未だに剣とあの鉄の棒を下げていない虎の小隊長さんや鬼の戦士さん達に切っ先を突き付けられながらも、落ち着いた声色でそう言った。
「やつらの動き?」
隊長さんがいぶかしげにそう聞くと、女騎士さんはコクっとうなずいて
「急いでお伝えしたいのです。どうか、案内していただけませんか?もし不審と思われるのなら、武器をお渡ししても構いません」
と、腰のベルトに差してあった剣を鞘ごと抜いて一番近くに居た鬼の戦士さんにそっと差し出した。
鬼の戦士さんは、チラっと虎の小隊長さんを見やり、小隊長さんがコクっとうなずいたのを確かめてから、女騎士さんの剣をそっと受け取った。
「で、こいつを信用できるのか?」
隊長さんが、ふぅ、と小さなため息をついて私と妖精さんにそう聞いてくる。
「はいです。女騎士さんは、私と人間ちゃんを助けてくれたですよ」
「そうなんです。私達、砂漠の街でオークにさらわれて、その先で女騎士さんと出会って、女騎士さんは私達のために戦ってくれたんです」
妖精さんと私は隊長さんにそう説明し、それから私はさらに
「お姉さんのところに連れて行かなきゃ。きっと、何か大事なことなんですよね?」
と女騎士さんにそう尋ねた。
女騎士さんは、表情を変えないままにうなずいて
「はい。大事なことです。紙にまとめてあります」
と隊長さんを見やって言った。
私は、妖精さんと一緒に逡巡を始めた隊長さんをじっと見つめる。
隊長さんは、口元に手を当ててふむ、なんてうなってから
「そうだな…味方に情報…少しでも有利になるものなら、喉から手が出るほど欲しい」
と剣を鞘に戻した。
「女剣士。お前、付き添え」
「了解です、隊長」
隊長さんに言われた女剣士さんは、そう返事をして剣を鞘に納めた。
女剣士さんは私達にかぶりを振ると
「あなたたちも一緒に。まだ食事がすんでないんでしょ?」
と笑顔をみせてくれた。
そうだった。今、夕ご飯を食べに戻ろうって話をしていたっけ。
そんなことを思い出したら、とたんにお腹がぐうっと鳴った。
それを聞きつけた妖精さんがクスっと笑う。
「もう、妖精さん、笑わないで」
私がそう言ったら、妖精さんはそれがおかしかったのかいよいよ声をあげて笑い始めてしまった。
「じゃぁ、女騎士、って言ったっけ。あんたも来なよ」
女剣士さんはそう言って、上へと続く階段を上がって行った。
その後ろに女騎士さんが続き、私と妖精さんは最後に階段を上っていく。
ソファーのある階に出て、廊下を少し歩いてさらに上にある玉座の間へと続く階段をあがった。
その先にある大きな両開きの扉を開けると、そこは広間がある。
ここが、玉座の間。
お姉さんがまだ勇者だったころに先代様を殺した場所だ。
「城主様」
そう女剣士さんが声をあげた。
玉座の間には、お姉さんとほかのみんなが揃っている。
いつの間に運び込んだんだろうか、部屋の真ん中におかれたソファーとテーブルが一式あって、そこに腰かけているみんながこっちを向いた。
その女剣士さんの言葉に、一番に反応したのは兵長さんだった。
「あなたは…!女騎士、どうしてここへ?」
驚いた様子の兵長さんに、女騎士さんは静かに言った。
「私は、敵ではありません。西部交易都市の憲兵団で、騎馬小隊の指揮を執っています。勇者さまに敵の動きをお伝えするために、ここへ参りました」
「憲兵団まで駆り出されているのは分かっていたが…まさかあなたまでこんな場所に…」
「誰だ、あの姉ちゃん?」
「兵長さんと同じ鎧だな。ケンペイダンってやつだろ」
「そうだね。砂漠の街の治安維持をやってる部隊の人みたい」
「でも、アタシの結界と感知魔法には引っかからなかったな…どうやって来たんだろう?穴があるんなら、塞ぎに行かなくちゃな…」
兵長さんと女騎士さんの会話を聞いているのかいないのか、玉座の隅っこで十六号さんと十七号くんに大尉さんがそんなことを話し始めている。
「情報は貴重だな。感謝する。入って聞かせてくれ」
魔導士さんがそう言って、私達を傍へと呼んだ。
「それで、女騎士。敵の動き、ってのは?」
そんな女騎士さんに、お姉さんがどこか嬉しそうな笑みを浮かべて女騎士さんにそう声を掛ける。
「はい、大事なことです。紙にまとめてあります」
女騎士さんはそう言って、軽鎧の胸当ての中に手を差し込んだ。
「魔王様、お下がりください!」
その刹那、どこからかサキュバスさんの絶叫が聞こえてきたかと思ったら、天井から何かが降りかかって来て、女騎士さんの体を貫いた。
その何か、は、サキュバスさんと、そしてその手に握られた、槍のような鎌のような、柄の長い武器だった。
私は一瞬、目の前で起こった出来事が理解できずに固まってしまう。
ううん、私だけじゃない。
部屋の中の時間が、まるで凍ったように止まってしまったような、そんな感じだった。
サキュバスさんが、女騎士さんを…刺した…?
ど、どうして…?
サキュバスさん、女騎士さんは…何か、敵の情報をもってここに来てくれたのに…
槍のような武器で貫かれた女騎士さんは、その柄を握って体を何とか支えようとしているけど、力が入らずにガクガクともがいている。
「サ、サキュバス様!」
そう叫んだのは、妖精さんだった。
ハッとして私の体に意志が戻る。
「サキュバス様!その方は味方です!敵じゃないです!」
妖精さんがそう言ってサキュバスさんを押しとどめようと一歩を踏み出した。
でも、切り裂くような声でサキュバスさんが
「近づかないでください!」
と妖精さんを押しとどめる。同時に、服の裾からダガーを取り出して女騎士さんの首を一閃に薙いだ。
あっ、と声をあげる暇もなかった。
「サキュバス殿!やめてください!」
「サ、サキュバス…!何やってる!そいつは!」
兵長さんの悲鳴のような声と、お姉さんの絶叫が重なる。
そんな中、女騎士さんの首がゴトリ、と、床に落ちて転がった。
い、いくらなんでも、こんな傷を回復魔法で元に戻すのは不可能だ。
女騎士さんを…死なせちゃった…よ、よりにもよって、サ、サ、サ、サキュバスさんが…!
「女騎士ぃぃぃ!」
兵長さんがまた悲鳴を上げて、そして剣を抜いた。
ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ兵長さん!
剣なんて抜いて…まさか、サキュバスさんを斬るつもりじゃ…!
「やめろ、兵長!」
剣を手にサキュバスさんと女騎士さんの方へと駆け出そうとした兵長さんを、ソファーから飛び上がったお姉さんが押しとどめる。
「兵長様!魔王様のことをお願いします!」
それにも関わらず、サキュバスさんがそう叫んだ。
何…?いったい、サキュバスさん、どうしたの…!?
「血…血が…」
そんなとき、すぐそばにいた妖精さんが呟くのが聞こえた。
「よ、妖精さん…?」
「血が、血が、出てない…」
血が?…出て、ない…?
私は一瞬その言葉の意味が分からず、妖精さんの視線を追ってすぐに何を言っているのかを理解した。
胸から槍で貫かれ、首を刎ねられたはずの女騎士さんの体からは、一滴の血も滴っていない。
あんな槍で体を貫かれたら、普通はもっとたくさん血が出るはずだ。
首なんて刎ねたら、きっともっと、血がバッと噴き出すに違いない。
でも、どうして…?
女騎士さんの体からは、それがないの…?
「クソ!そう言うことかよ!」
不意に、魔導士さんがそう歯噛みして言った。
「十六号、結界開け!」
「えっ!?えぇっ!?」
「くっ…ダメ、間に合わない…!」
戸惑う十六号さんの声にかき消されそうな声色で、サキュバスさんがそう呟いた。
そのやりとりの合間に突然、首のなくなった女騎士さんの体が急にまばゆく光りだした。
「お、女騎士…?これは…?い、いったい、何が…!?」
戸惑っている兵長さんをよそにサキュバスさんが叫んだ。
「みなさん!逃げて!」
次の瞬間、バッと目の前が真っ白に輝いて、私は何か得体のしれない力に全身を強く弾かれた。
グワングワンと頭の中が揺れ、どこか遠くからキーンという音が鳴っていて耳がよく聞こえない。
体のあちこちが痛んで、動かない。
今、何があったの…?
女騎士さんの体が光った、と思ったら、それ以上にまぶしい光で何も見えなくなって…それで…
私は、まるで寝起きのようにはっきりとしない意識の中で、なんとか今起きた出来事を理解しようとしたけど、うまく行かない。
とにかく、起きないと…起きる?
待って、私、寝ているの…?
床に手をついて、体を起こす。
それからあたりを見回して、私は、それでも何が起きたかを理解できなかった。
あったはずの部屋がない。
ソファーもテーブルも、壁も、天井もない。
見えるのは、すすけた床と、もうもうとした煙の向こうに見える星空だった。
て、転移魔法…?
ううん、違う…これ、まるで火事にでもあったような…
私は、なんとか床から立ち上がろうとして、膝を立てる。
コツン、と、つま先が何かにぶつかって、ゴロリと転げた。
その何かに思わず目をやった私は、一瞬、背筋が凍ってしまうほどの寒さに襲われる。
それは、サキュバスさんが刎ね飛ばした女騎士さんの頭だった。
しかも、半分が砕けてなくなっている。
思わぬものをみつけてしまって、凍り付いた体のせいでその頭から目が離せなくなってしまう。
でも、女騎士さんの頭を見続けてしまっていた私はふと気が付いた。
砕けた半分から覗いているのは、肉や骨じゃない。
部屋が吹き飛んで、明りも消えてしまったせいで確かじゃないけど…でも、これ、もしかして…
私は、ふっと金縛りの解けた体をかがめて、その頭を持ち上げてみた。
やっぱり、そうだ。
これは、外身は女騎士さんに見えるけど…女騎士さんじゃない。
崩れた半分から覗いているのは、まぎれもなく土だ。
粘土質でカチカチに固まっているけれど、これは、たぶんこのあたりの土に違いない。
そう、だから、あの女騎士さんは女騎士さんじゃなくて、その姿をマネ出来る魔法を掛けられた…ゴーレムだった…
「サキュバス殿…!サキュバス殿、申し訳ない…私、私が…!」
不意に、そんな悲鳴が聞こえてきた。
そうだ、サキュバスさん…!
私はハッとして頭を床に置き、顔をあげた。
そこには、全身が焼けただれたサキュバスさんの姿があった。
「た、大変…!サキュバス様!」
妖精さんが叫んで、サキュバスさんの体に飛びついた。私も慌てて痛む体を引きずりながらその傍へと寄る。
皮膚は焼け焦げてあちこちが黒く炭になってしまっている。
残っている肉や皮膚も、グジュグジュと血と肉が混じり合ったような状態になってしまっている。
でも、そんなになってもサキュバスさんは、ヒューヒューと苦しそうに、まだ、息をしていた。
「す、すぐに回復魔法をするです、頑張ってください!」
妖精さんがそう言ってサキュバスさんにそう言って両手をかざした。
すぐに妖精さんの腕に赤い光が灯って、サキュバスさんの傷がゆっくりと塞がっていく。
「クソ…俺たちを負傷させてお前をこの城に貼り付ける算段か…」
魔導士さんも顔の半分に大きな火傷を負っているのが分かった。
ほかの、みんなは…?
私はハッとしてあたりを見渡した。
お姉さんは、まだ呆然としてしまっている。
黒豹さんは、ケガは軽そうだ。
竜娘ちゃんは大尉さんと一緒にいる。二人も大丈夫そう…
そして、次に見た姿に、私は息をのんでしまった。
十四号さんも十七号くんも、無事。十八号ちゃんに零号ちゃん、それにトロールさんも大きなケガや火傷はないように見える。
ただ、でも…十六号さんだけが、床に転がっていた。
体が、ピクリとも動いていない…
「じゅ、十六号さん!」
私は思わず十六号さんの元に駆け寄った。
「十六号姉!」
「十六姉さん!」
十八号ちゃん達も、十六号ちゃんの様子に気が付いて駆けつけてくれる。
「姉ちゃん、どうしてあんな無茶…!」
「十六姉、サキュバスさんと私達に結界を張るので精一杯だった…自分を守れなかったんだ…」
十七号くんの言葉に、十八号ちゃんがそう歯噛みして言う。
「どいて…!」
そんな二人の間を縫って、零号ちゃんが十六号さんの体に飛びついた。
そして、黒くなった十六号さんの体をサッとさすると、
「大丈夫、まだ、間に合う…!」
とつぶやくように言って両腕を十六号さんに押し付ける。
すると小さな魔法陣が十六号さんの体中に光とともに浮かび上がった。
「まだ、蘇生できる…!体を回復させて…!私が、心臓を動かす!」
零号ちゃんは、私たちに言うが早いか、バシっと十六号さんの体に微かな雷のような光を放った。
そ、それで、心臓が動かせるの…?
十六号さん、助かるの…!?
そんなことを思っていたら、零号ちゃんが私を見やった。
「幼女ちゃん、早く、回復魔法!体が戻らないと心臓が動いてもダメ!みんなも、早く!」
そ、そうか…回復魔法で体をもとに戻さないと、どっちにしたって助からない…やらなきゃ…!
私は両腕に気持ちを落ち着けて両腕に魔力を集める。暖かな感覚とともに、赤い仄かな光が腕を包み込む。
十八号ちゃんも、十四号さんも回復魔法の魔法陣を展開させ始めた。
お願い、十六号さん…!
死んだら、イヤ…死んじゃ、ダメだよ…!
私は、こみ上げる恐怖と不安と悲しみをこらえながら、とにかく必死で十六号さんの体に回復魔法を掛け続ける。
そんなとき、バタバタと音がして部屋の入り口だったところに誰かが姿を現した。
「これは……いったい、どうしたってんだ!?」
その方を私は見れなかったけど、声の感じからして、たぶん虎の小隊長さんだ。
「あの女騎士ってのは、爆裂魔法を仕掛けられたゴーレムだったようだ。サキュバスが気が付かなきゃ、戦う暇もなく、俺たちの親玉が死んでただろうな…おい、しっかりしろ!」
「あ、あぁ…あいつら…あいつら、なんて真似を…」
「クソ、おい、バカ!いい加減正気に戻れ。あれはゴーレムだ。お前の知ってる女騎士って憲兵団員じゃない。石人形だ!」
視界の外で、魔導士さんが必死になってお姉さんを落ち着かせている声が聞こえてくる。
ケガ人が出れば、私達だって手当をする必要が出てくる。
そうなったら、本来戦える十八号ちゃんや妖精さんも、手当を優先しなきゃいけなくなる。
結果的に私達の戦力がケガした人の倍は削られてしまう。
それに、今のお姉さんの様子すら、魔導協会の人たちは、考えに入っていたはずだ。
裏切りも、仲間の死も、お姉さんにとっては何よりも効果的な攻撃だ。
魔導士さんが言ったように、ケガ人を出したり、ああして仲間が死んだり、裏切ったりするようにお姉さんに思わせて、お姉さんの動きを止める。
師団長さんが裏切ってお姉さんを毒とナイフで攻撃したときには、お姉さんは本当に危なかった。
いくら勇者と魔王の両方の紋章を持っていても、不死身になれる、ってわけじゃない。
力を使う前に急所を狙われれば、今の爆裂魔法のように一瞬で部屋ごとお城の上層部を吹き飛ばすような力を加えられたら、お姉さんだって死んでしまう。
魔導協会の人たちは、正攻法でやったって勝てないことは、百も承知なんだ。
だから…だから、お姉さんのやさしいところを利用して、こんな…こんなことを…!
そんなとき、まるで雷のような轟音が地面から響いてきた。
音…?違う、これは…声だ。
人間の、魔族の、お城の周囲に集まった“敵”が、鬨の声をあげているんだ…!
「小隊長さん、それに、黒豹!やつら、この機に電撃戦でここを陥とすつもりだ!突っ込んでくるぞ、階下の防衛頼む!」
そう言った魔導士さんは、マントを脱ぎ棄てて空を仰いだ。
私も、上空から何かの気配を感じて思わず空を見上げた。
そこには、星空にまぎれて無数の光が、不規則に漂っている。
でも、それもつかの間、その光…浮遊できる魔法を使った人間軍と魔族軍の人たちが、ものすごい勢いで私たちに落ちてくるように突撃を仕掛けてきた。
つづく。
応援レスありがとです。
レスはご褒美!
いっぱい付けていただけて、お蔭で頑張れてます!
ああああああああああああああああああああどうなるんだ
乙!
乙
いきなりの展開!
お姉さんたちの人が良すぎるのか魔導協会側が悪賢すぎるのか、いつも後手に回るね。
先に手を出せないにしてもよーいドンで戦えないのがかわいそう
なんにしても戦闘開始だ!
>>691
レス感謝!
どうなるんでしょう!?
>>693
お姉さんがお人好し…というか、ビビリすぎなんですよね、たぶん。
疑ったり裏切られたりすることを極端に恐れる結果、それを意識しないようにしている、というか。
ともあれ、戦闘がどうなっていくのか…
さて、続きなのですが、キリの良いところまで書き溜めてからにしたいと思っていますので、もう少々お待ちくださいませ!
わたしまーつーわ
おまっとさまでした!
なんとか一区切りのところまで。
産みの苦しみと戦いながらだったので、冗長になっていないことを祈りつつ、投下行っきます!
そんなとき、まるで雷のような轟音が地面から響いてきた。
音…?違う、これは…声だ。
人間の、魔族の、お城の周囲に集まった“敵”が、鬨の声をあげているんだ…!
「小隊長さん、それに、黒豹!やつら、この機に電撃戦でここを陥とすつもりだ!突っ込んでくるぞ、階下の防衛頼む!」
そう言った魔導士さんは、マントを脱ぎ棄てて空を仰いだ。
私も、上空から何かの気配を感じて思わず空を見上げた。
そこには、星空にまぎれて無数の光が、不規則に漂っている。
でも、それもつかの間、その光…浮遊できる魔法を使った人間軍と魔族軍の人たちが、ものすごい勢いで私たちに落ちてくるように突撃を仕掛けてきた。
「黒豹、早く行け!」
「しかし!魔導士様!」
「ここは俺たちが支える…!あの数に押し込まれでもしたら、殺す他に形勢を覆す手がなくなる…あぁ、くそっ!」
魔導士さんがそう唸って、辺りにさらに魔法陣を展開させた。
その魔法陣からバリバリっと今まで以上の稲妻が走り、空から攻撃を仕掛けてくる敵を次々に撃ち落とす。
だけど、敵はそんな魔導士さんの攻撃を上回る数で上空に姿を現してはこちらに突撃を仕掛けてきた。
不意に、魔導士さんの稲妻とは違う色が輝いて、私は思わず顔を上げる。
そこには、私達に迫ってきている真っ赤な火球があった。
「ちっ!十八号、離れろ!」
「ダメ!十六姉をほっとけない!」
魔導士さんの言葉に、十八号ちゃんが叫んだ。
そんな短い間にも、火球は私たちのすぐ目の前まで迫ってきていた。
「任せろ!」
と、どこからかそんな声がしたと思ったら、何かが火球を遮るようにして目の前に広がった。
それは、石の破片が組み合わさって出来た大きな盾だった。
これ、トロールさん!?
私がそのことに気が付いたのと同時に、魔導士さんが叫んだ。
「早く行け、黒豹!トロール!天井を塞げないか!?」
「は、はい!」
「石材がずいぶん吹き飛ばされた。天井を作るには、別の場所を崩さないといけない」
黒豹さんと虎の小隊長さんが部屋から飛び出していき、人間の姿になったトロールさんは、私達のすぐそばにいて、片腕に魔力の光を灯している。
そのトロールさんの脇を、竜娘ちゃんを抱えた大尉さんが駆け抜けて、未だに腰を抜かしているお姉さんの元へと走った。
「ちょっと!しっかりしなさいよ!あなたがやらなきゃ、みんな死ぬんだよ!?」
大尉さんはお姉さんの胸ぐらを掴んで体を揺さぶっている。
そんな大尉さんの発破に、お姉さんはギュッと目を瞑り、唇を噛み締めて立ち上がった。
体がブルブルと震えているようにも見える。
お姉さんの心の状態も心配だけど、今は、十六号さんだ…
私はそう思い直して十六号さんに視線を戻す。
零号ちゃんが小刻みに小さな稲妻を迸らせるたびに、十六号さんの体がビクン、ビクン、と跳ね上がる。
お願い、十六号さん…頑張って…!
私はそう語りかけるように、さらに回復魔法を強めた。
その刹那、ゲホゲホっとむせ返って、十六号さんの体が動く。
「十六姉!十六姉!!」
十八号ちゃんがしきりにそう名を呼ぶと、煤けて真っ黒になった顔に、きらりと目が光った。
「あぁ、良かった…十六姉!」
十八号ちゃんがポロリと涙をこぼす。
「アタシ…死んでたのか…?」
しわがれた、おばあちゃんみたいな声で十六号さんがそう聞いて来た。
「十六お姉ちゃん…心臓、止まってた…」
雷の魔法陣を解いた零号ちゃんはそう言って、ペタンとお尻から床に座り込んだ。
「そっか…助かったよ、ありがとう…」
十六号さんはそう言うと、そっと腕を動かして零号ちゃんの頭をなでつける。
それから、むくっと体を起こすと
「幼女ちゃんに十八号もありがとう。あとは、自分でやる」
と自分の体に回復用の魔法陣を纏わせた。
黒く焦げ付いた十六号さんの皮膚がボロボロと剥がれ落ちて、新しい皮膚へと変わっていく。
それを確認した私は、十六号さんに抱きつきたいのをこらえてお姉さんの元へと走った。
お姉さんは大尉さんに叱咤されてなんとか立ち上がり、両手で自分の頬をひっぱたいているところだった。
「お姉さん、大丈夫!?あの女騎士さん、ゴーレムだったんだって!」
私が改めてそう伝えると、お姉さんはコクリと頷いて
「あぁ…師団長のときと同じだな。あいつら、どうしてもあたしの懐に入り込んで傷をえぐりたいらしい…」
と静かに言った。そしてそれを言い終えたお姉さんは、あの悲しげな表情を浮かべて笑い、夜空を仰いで見せた。
「小さい頃に家族を失くして、魔導協会であんな暮らしをして、勇者になったら魔族殺しに駆り出され、それが終わったと思ったら、今度は大陸全体の悪、だ。あたしの人生って、とことんケチを付けたくなるな…」
つっと、お姉さんの頬に涙が溢れる。
「こんな世界、救う価値があるって、そう思うか?あたしは、聖人君主なんかじゃない。あたしにこんな扱いをする世界を、なんであたしは救おうだなんて思ってるんだ?」
そう言ったお姉さんは、自分の両腕を見やった。
「まさに呪いだな、魔王…こんなものをあたしやあんたは一身に背負わされて…いったい、なんの為に戦ったんだろう…。
あんたを殺すんじゃなかったよ。あたしがもう少し賢ければ、あんたの思惑に気がつけただろうに。
そうなってたら…あたしはあんたと二人でこの荷を背負えたかもしれないな…」
そして、お姉さんは涙を拭って両の拳をギュッと握った。
途端に、両腕の二つの紋章が青と赤の光を放ち、部屋に大きな風の渦が巻き起こる。
その風の渦は上空でさらに巨大になって、空から攻撃をかけようとした敵を飲み込み、まるで旋風に吹き飛ばされる落ち葉のように散り散りにされていく。
「一旦、下の階に引こう。トロール、階段を塞いで追っ手を遮断してくれ」
「わ、わかった!」
お姉さんの言葉にそういうなり、トロールさんは魔力を使って残っていた壁をすぐさま解体し、その石材を使って玉座の間の扉を一気に塞いだ。
次の瞬間、部屋全体に転移魔法が発動して、目の前が明るくなるのと共に私達はソファーの部屋へと移動していた。
「十六号、傷は?」
「もう平気」
敵の迎撃の手が休まった魔導士さんの問いに、十六号さんが答える。
すると魔導士さんは十六号さんに
「俺が援護するから、天井の向こう側に物理結界を張ってくれ。それで上空からの攻撃がしばらく防げる」
と声を掛けた。
「うん、わかった。転移頼むよ」
十六号さんはそう言って魔導士さんの服の裾を掴むと、魔導士さんの転移魔法でどこかへと姿を消した。
たぶん、玉座の間に戻ったんだろう。
敵を吹き飛ばした今なら、魔法陣を描くだけの時間はあるに違いない。
「くっ…」
不意にそう声が聞こえたので、私がハッとして目をやると、そこには体を起こして荒く息をしているサキュバスさんの姿があった。
「サ、サキュバス殿…!」
「兵長さん…お怪我は…?」
「私は問題ありません…そんなことよりも…」
「いいえ、良いのです。説明する暇がありませんでしたから、勘違いされて当然と思います」
あの女騎士さんの姿をしたゴーレムを刺したサキュバスさんに、女騎士さんは剣を抜いて斬り掛かった。そのことを謝っているんだろう。
そんな二人のやりとりをよそに、お姉さんが魔道士さんに
「これは、のんびりやってる場合じゃなさそうだな」
と声を掛けた。
「あぁ、こんな形で夜襲を掛けてくるとは、相変わらず根性の曲がった連中だ。まだ何か手を講じて来る可能性が高い。やるのなら、早いほうが良いだろう」
魔道士さんもそう言ってお姉さんの言葉に頷く。
やるのなら…そう、それはお姉さんが前線に行くことを意味している。
敵陣深くに突撃して、魔導協会とサキュバス族を打破する作戦だ。
でも、それを聞いて私はふと、さっきのお姉さんの言葉に不安を感じた。
さっきお姉さんは言ってた。
こんな世界を救う価値があるのか、って…
まさか、お姉さん、変なこと考えたりしてないよね…?
私は思わず、お姉さんのマントの裾を握っていた。
ソワソワと落ち着かない気持ちが胸に込上がってきて、どうしようもなく不安になる。
世界を救うことを諦めるってことは、すなわち、お姉さんが魔導協会やサキュバス一族だけじゃない。
ここに集まっているすべての敵を殺すことを意味している。
もし、お姉さんがそうと決めたのなら、私はそれでも良いと思う。
でも、お姉さんはきっとそれをしたら、きっと後悔する。
確かに、私達を騙す様な手を使って攻撃を仕掛けてくるのは、ひどい。
そうでなくたって、お姉さんはずっと人間たちに利用されてきたんだ。
そう思っても全然おかしくなんかない。
でも、それをするには、お姉さんは優しすぎる。
北の城塞で起こったことと同じことに、必ずなっちゃうはずだ。
いっときの感情でそこにいる人を皆殺しにして、それからお姉さんがどうなったのかを、私は一番身近で見ていたんだ。
「お姉さん…変なこと、考えてないよね…?」
私はお姉さんにそう聞いた。
するとお姉さんは私の前に腰を下ろして、優しくその腕で私を抱きしめてくれた。
「…そうだな…。それは、やっぱり、良くないよな」
耳元で、お姉さんがそう言う声が聞こえた。
やっぱり、そう思ってたんだね…全部を感情のままに消し去ってしまおう、って…
それに気付いた私は、お姉さんの首に抱きついた。腕にギュッと力を込めて、お姉さんに伝える。
「お姉さん。私は…私達は、お姉さんの味方だよ。いつも言ってるけど、ずっと一緒に居る。例えお姉さんがどんな存在になったとしたって、それは変わらないよ。
でも、敵全部を相手にしたら、ダメ。そんなことしたら、お姉さんは絶対に後悔する。
今はいいかもしれないけど、戦いが終わってから、きっとあの北部城塞のときと同じように感じちゃうはず。私は、そうなってほしくない。
お姉さんに、もうあんな後悔はして欲しくないんだ」
私の体に回されたお姉さんの腕に、ギュッと力がこもった。
「あぁ…うん。そうだよな…あんたの言う通りだよ…」
お姉さんはそう言うと、私から腕を解いて立ち上がった。
その表情は、あの悲しい笑顔ではなくなっている。
引き締まった凛々しい表情で、両の拳をギュッと握ったお姉さんは、私の頭をまた一撫でして、サキュバスさんを見やって言った。
「サキュバス、傷は?」
「はい、ひとまず、大丈夫かと。ご心配をおかけしました」
「いや、気がついてくれて良かった…そうでもなければ、あれだけで何人か死んでたかもしれない」
サキュバスさんにそう言ったお姉さんは、少し安心したような笑顔を浮かべる。でもそれからすぐに表情を引き締めて、
「魔道士が戻ったら、予定通りに敵の本陣に突っ込む。援護、頼むな」
と頷きながら言う。サキュバスさんもそれを聞いて
「はい。身を賭してでも、お守り申し上げます」
と頷いた。
ほどなくして、階下から雄叫びが聞こえ始める。
城門を破った敵の一段がお城の中に踏み込んで来たのだろう。
隊長さんたちが、下で戦いを始めているはずだ。
お姉さんの表情が、少し険しくなる。
ギュッと握られた拳に、私はそっと手を置いてあげた。
ハッとした様子のお姉さんが、私を見下ろしてくる。
「大丈夫だよ、お姉さん。竜娘ちゃんには大尉さんと兵長さんが着いててくれてるし、もしものときは、私と妖精さんとトロールさんで隊長さんを助けに行く」
私は、お姉さんの目をジッと見つめてそう言った。
そう、それがうまくいけば、何も問題はないはずなんだ。
それが一番、確実な方法に間違いはないんだから…
私の言葉に、お姉さんはコクっと頷いてそれから拳を解いて私の手を握り返してくれる。
「あぁ、分かってる…。さっさと終わらせて、どこか遠くに逃げちゃおうな」
お姉さんのその言葉に、私も頷いて返した。
パッと一瞬部屋が明るく光って、魔導士さんと十六号さんが戻ってきた。
二人共、落ちついた様子だ。
「物理結界、問題ない。これで上空からの侵入はしばらく防げるはずだ。この間に、やっちまおう」
魔導士さんがそう言い、それからサキュバスさんの方を見やって
「サキュバス、どうだ?」
と尋ねる。サキュバスさんは最初の爆発でビリビリに破れてしまったローブを脱ぎ捨てて
「ええ、行けます」
と応えた。それに、魔導士さんは
「よし」
と相槌を打ってお姉さんを見やる。
お姉さんも、二人を交互に見やって、そして、笑った。
あの、悲しげな笑顔で。
「魔導士…サキュバスも。先に謝っておくよ。ごめんな…」
その言葉に、サキュバスさんも魔導士さんも、返事をしなかった。
でも、お姉さんはそのままに続ける。
「あたしに手を貸すってことは、サキュバスにとっては同族殺し、魔導士も、人殺しをするってことになる…」
そんなお姉さんの言葉に、一瞬、サキュバスさんも魔導士さんも沈黙する。
でも、すぐにその沈黙を、サキュバスさんが破った。
「魔王様お一人に全てを託して生きさらばえるなど、私には出来ません。功績を残すも罪を負うも、共にそれを甘受させていただけること、幸いに思います」
その言葉に、魔導士さんが続く。
「俺はそもそも何を殺そうが気にはしない。ずっとそうして生きてきたんだ。相手が人間だろうが魔族だろうが、変わりゃしないさ」
二人のそんな言葉を聞いて、お姉さんは悲しい笑顔のままに、
「…すまないな…でも、ありがとう」
と呟くと、両頬をバシっと叩いて表情を引き締めた。
「よし、行こう」
「はい」
「さっさと片付けてくれよな」
お姉さんは私の頭をまた撫でて、少し先の床に転移魔法陣を展開させた。
その上に、お姉さんとサキュバスさん、そして魔導士さんが乗ると、パッと部屋が明るく光って、その姿を消した。
「行っちゃったね」
不意に、そばに来ていた妖精さんがそう言った。
見上げたら、妖精さんは眉を潜めて、苦しそうな顔をしている。
それはそうだろう。私も同じ気持ちだ。
「さて…じゃぁ、アタシらもやることやらないとな」
そんな私達を見ていた十六号さんが、そう言って物理結界用の魔法陣を部屋中に展開させる。
あれで、ここを守るつもりなんだろう。
「ここは、俺たちに任せろ」
十七号くんもそう言ってくれる。
私は、二人の言葉に頷いて見せる。
そんな私と妖精さんの元に、零号ちゃんとトロールさんが駆け寄ってきてくれた。
「さぁ、私達も行こう…隊長さんたちを守ってあげないと」
「うん!」
「私がやるよ。大丈夫、殺さないようにする」
「おいが壁で塞ぐ手もある。とにかく、魔王様を待つ」
私達はそう言葉を交わして、頷き合い、そのまま階段を駆け下りて隊長さん達が戦っているだろう階下へと向かった。
さっき夕御飯を食べていた一つ目の階層は誰もいない。さらに階段を駆け下りて、二つ目の階層に辿り着くけれど、そこにもまだ敵は来ていないようでもぬけの空だ。
この小部屋は全部で八つもある。
多くあるだけ、そこで足止め出来る時間を稼げるから、お姉さん達が魔導協会とサキュバス族を制圧するための時間を稼げることになる。
あとは、隊長さんたちが無事でいてくれればいいのだけれど…
そう思いながらも四人でさらに階段を降りて行く。
四つめの部屋にたどり着くと、さらに下から人々の怒鳴り声が聞こえ始めた。
「もう、ここまで来てるの?!」
そう声をあげたのは、妖精さんだった。
まだ戦いが始まって一刻も経っていない。
それなのに、八つあるうちの半分まで攻め込まれているなんて…
「…隊長さん達、無事かな…」
零号ちゃんの表情が不安に歪んだ。
「急ごう…!」
私は胸にこみ上げた恐怖を唇を噛んで押さえ込み、皆にそう言って階段を降りた。
そこには、全身に血しぶきを浴びながら階段から上がってこようとしている鎧姿の人間を、槍と剣で必死に妨害している隊長さんたちの姿があった。
「隊長さん!」
部屋に着くなりそう声を上げた零号ちゃんが、猛烈な勢いで下へと続く階段に突進した。
ガシャンっと金属が弾ける音と共に、男の人の悲鳴が幾重にも重なって聞こえる。
「チビ、下がってろ!ここは俺たちがやる!」
「ダメ!皆、ケガだらけじゃない!」
階段の出口に立ちふさがった零号ちゃんを押しのけようとした隊長さんは、零号ちゃんにそう言い返された。
「隊長、仕方ない。不甲斐ないアタシらがいけないんだ…」
ふと、戦っている方とは違う方から声がしたので目をやったら、女戦士さんと鳥の剣士さんが部屋の隅の壁にもたれて座り込んでいた。
女戦士さんは鎖帷子ごと袈裟懸けに切りつけられた大きな傷があり、鳥の戦士さんは顔の半分に布を押し当てて居る。布には、べっとりと血が染み込んでいた。
「幼女ちゃん、手当て!」
「うん!」
私は妖精さんと声を掛け合って二人の元に駆け寄る。
私は女戦士さんのそばに座り込んで、回復魔法を展開させた。
部屋には、隊長さん達しかいない。
先に行ったはずの黒豹隊長の姿はそこにはなかった。
「女戦士さん、黒豹さんは?」
「あぁ、あの人なら、さっき外に出て行った。周囲の偵察を頼んでる」
その言葉に、私は内心、ホッとする。
姿ないから、なにかあったのかと心配をしてしまった。
「零号、おいが援護する。殺すのはなしだ」
「うん、分かってる。足元を揺さぶれる?体勢を崩して、あとは一気に押し込んでやる!」
「任せろ。みんなは一息入れたほうがいい」
そんな話をしている間に零号ちゃんとトロールさんがそう言い合って、隊長さんたちの前に出た。
トロールさんが部屋の床に手を着くと、階段の方から石同士がぶつかるようなガチガチと言う音が聞こえ始める。
「くそ、石使いの魔法だ!」
「足元を取られるぞ、気をつけろ!」
「おい、魔族ども!対抗しろ!」
階段の敵がそう叫んだのも束の間、
「でやぁぁぁ!」
と右腕の紋章に光を灯した零号ちゃんが掛け声と共に、一番前にいた兵隊の構えていた盾を拳で殴りつけた。
ベコン!と鈍い音と共に、兵隊さんは後ろに続いていた別の兵隊達もろとも階段の下へと突き落とされていく。
相手を押し包むこともできない狭い通路で相手にしなければならないのが、勇者の紋章を持った女の子、となればよほど腕の立つ人じゃなければ太刀打ちはできない。
でも、零号ちゃんはまだ戦い方がうまいわけではない、って自分で言っていた。
相手は、ゴーレムを爆発させてくるような戦い方をする人たちだ。
それこそ、さっきと同じようにここに爆発するゴーレムを送り込んでくるかもしれないと思っておいたほうが良い。
いくら勇者の紋章を持っていても、あの爆発を備えなしに間近で浴びてしまうのは危険だ。
「あんた、回復魔法、うまいじゃないか」
不意に、女戦士さんがそう言って眉間に皺を寄せたまま笑った。
「うん…たくさん練習したから…」
私がそう言い訳をすると、女戦士さんはホッと息を吐いて
「頼もしいな」
なんて言ってくれる。
褒めてもらえるのは嬉しいけれど、ただの言い訳にそう言われるとどこか居心地が悪くなってくる。
それでも私は、努めて嬉しそうに笑って
「ありがとうございます」
と答えていた。
「指揮官殿。お前さんがここに来たってことは、城主サマは出張ったんだな?」
そんな私に、顔に付いた血を拭いながら隊長さんが聞いてきた。
「はい。ついさっき、転移魔法で」
私がそう言うと、隊長さんはふぅ、とため息を吐く。
「それなら良かった。この調子だと、それほど長くは保たねぇからな。今はまだ前衛の雑兵だが、頃合を図って主力が出てくるだろう。
俺たちなんかが相手になるかは疑問だ。もっとも、虎の部隊の方は俺たちよりはマシだろうが…」
「いや、魔族魔法を人間の魔法陣で強化しているとはいえ簡単じゃない。現に一太刀目を浴びたのはウチの剣士だ」
隊長さんの言葉に、虎の小隊長さんがそう言う。
虎の小隊長さんに鬼の戦士さんに鳥の剣士さんは、サキュバスさん達と同じように魔導士さん特性の強化魔法陣を施されている。
それでも、万全ってわけじゃないようだ。
「それに」
と虎の隊長さんが続ける。
「敵が同じことをしてこないとも限らない。魔族の秀でた使い手は魔王軍所属でやつらの中にはそれほど多くはないと思うが…
それでも、先日の解散からあとはどうなったかしれない。
最悪、ウチの龍の大将クラスが人間の魔法陣で強化されて出向いてくる可能性だってあるんだ」
「なるほど、確かに…そう考えると、思いやられるな」
隊長さんは、そんな場合でもないだろうに、ヘヘヘと可笑しそうに笑った。
隊長さんは、それくらい厳しい戦いになるのを、たぶん分かっているんだ。
それでも、士気を折らないために、お姉さんが仕事を終えるまでは、戦う覚悟を決めているように、私には思えた。
そうでもなければ、今みたいな話を聞かされて笑っていられるはずがない。
そう感じた私は、また胸がギュッと苦しくなる。
考えようによっては、私は隊長さん達のことだって裏切っているんだ。
そんな私の考えに気が付いたのか、妖精さんが
「人間ちゃん、女戦士さんの様子はどう?」
と私の顔色を伺うように聞いてきた。
「うん、もう少しで、出血は止まると思う…」
私がそう答えたら、女戦士さんはあははと笑って
「動けるようになる程度で良い。どうせまたケガするんだ」
なんて言う。
やっぱり、そう言う言葉は苦しいね…
不意に、ズンと言う衝撃が私達を襲った。
階下で何かが爆発したような、そんな感じで突き上げてくる衝撃だ。
隊長さんがすぐさまチッと舌打ちをする。
「おいでなすった、か」
「今の感じは、魔族の魔法じゃないな。人間か?」
虎の小隊長さんがそう呟いて剣を握り直した。
ズシン、ズシン、と再び衝撃が走って、部屋全体がミシミシと軋む。
次の瞬間、部屋の床がボコっと盛り上がって、何かが飛び出し天井にぶつかった。
「ぐぅっ!」
そう声を漏らしたのは零号ちゃんだった。
「おい、大丈夫か!?」
天井から溢れるように落ちてきた零号ちゃんを隊長さんがそっと受け止めてそう声をかける。
「あいつ、強い…!」
零号ちゃんは大きなケガは無い様子だけど、擦り傷やあざなんかをあちこちに作っていた。
勇者の紋章を持っていても苦戦するような相手なんだ。
いくら戦いにまだあまり慣れていない零号ちゃんでも、あの雷の魔法はそんなの関係がないくらいに強力なはず。
それでも、一方的には勝つことができないなんて…
私はそのことを感じ取って体がこわばるのを感じた。
と、床に空いた穴から再び何かが飛び出してきた。
今度は、トロールさんだ。
トロールさんは飛び出てくるやいなや、床に手を着いて穴を魔法で塞ぎに掛かっている。
そんなトロールさんが言った。
「あの剣士が来る」
「あの剣士…?」
トロールさんの言葉に、妖精さんが反応した。
「あ、あの剣士さん、って…?」
私がそう聞いたとき、突然トロールさんが塞いでいた床が軋んで、割れた。
いや、割れた、なんて言う感じじゃない。
斬られた、って言う感じで…!
「くそっ!」
そう声を上げたのは女戦士さんだった。
女戦士さんは私の体を捕まえると、ふわりと宙に浮いた。
ゾクゾクっとする妙な感覚が背筋を駆け抜けて、私は気が付いた。
女戦士さんが浮いてるんじゃない、私達が、落ちてるんだ…!
ガラガラと音を立てて床が崩れていく。
下には誰かがいて、私達を見上げて剣を構えていた。
「あいつ!」
そう声を上げたのは零号ちゃんだった。
零号ちゃんは抱き止められていた隊長さんの腕から何もない空中を蹴るようにして飛び出すと、十六号さんのような強力な結界魔法を発動させる。
でも、その結界魔法は下の階にいた人が、鋭く剣をひと振りした瞬間にあっけなく切り裂かれてしまった。
その人に、私は見覚えがあった。
あれは、剣士さんだ。
東部城塞でお姉さんを裏切り者だと言って、私達ごと殺そうとした…お姉さんの、元仲間、だ。
「言わんこっちゃない!とんだ大物のお出ましだ!」
隊長さんがそう言いながら空中で剣を抜いた。
「やつは…!勇者一行の剣士か!」
虎の小隊長さんも剣士さんを知っているようだ。
それもそうだろう。お姉さん達勇者一行は、魔族にとっては忘れもしない存在に違いない。
「みんな、あいつ、危ないよ!」
零号ちゃんは、結界魔法を切り裂かれたことにも動じずに、クルリと身を翻して床に着地する。
ついで、私達も下の階へと降り立った。
零号ちゃんを先頭に、隊長さん達もそれぞれ武器を構えて、私をかばうように前に立ちふさがる。
あのときは戦う前に魔導士さんが強制転送で人間界に送り返してくれたけど…零号ちゃんが苦戦するほどの力を持っているなんて…
いや、考えてみれば当然かも知れない。
だって、この剣士さんだって勇者の仲間だったんだ。
魔導士さんと同じくらいに強くても、不思議じゃない。
剣の腕は兵長さんの方が上だ、ってお姉さんはいつだかに言っていたけど、戦いは剣の腕だけじゃ決まらない。
魔法の強さや使い方が大きく影響されるんだっていうのは、私にも分かっていた。
床や零号ちゃんの結界魔法を斬れるなんて、剣がいくら上手く使えても難しいだろう。
そう考えれば、剣士さんが魔法を使って何かを強化していると思うのは当然だ。
「やれやれ…噂では聞いていたが、他にも裏切り者がいるとは…」
剣士さんは、あの日の夜、お姉さんに向けた侮蔑の表情を浮かべて隊長さん達をみやった。
それを見た私は、正直、ゾッとした。
この人は、何も変わってない。
この短い間に、私や妖精さん達も、お姉さん自身だって、いろんなことを考えていろんなことを経験して来た。
出会った頃には想像もしていなかったような今を生きている。
でも、この人は違う。
まるで、あの時からずっと、時が止まっているかのような、そんな不気味さがあった。
「救世の剣士サマが勇者サマに叛意しようなんてずいぶんな話じゃねえか」
隊長さんが憎らしげにそう言う。でも、剣士さんの表情は微塵も揺るがない。
「叛意?バカを言うな。人間を裏切るだけでは飽き足らず、我らを討って世界を牛耳ろうと言う輩に付き従うバカは、貴様らくらいなものだろう?」
そんな言葉に反応したのは、零号ちゃんだった。
零号ちゃんが身構えて怒鳴る。
「なんだよお前!お姉ちゃんを悪く言うな!」
「聞く耳を持つなよ、チビちゃん。一言聞いただけでわかるよ。この手のやつは、話が通じないんだ」
零号ちゃんの言葉に、虎の小隊長さんがそう囁いた。
そんな囁きを聞き取った剣士さんは
「ふん、裏切り者の話など聞く耳をもたん」
と私達に嘲笑を浴びせかけた。
「お姉ちゃんやみんなを悪く言うな…!」
「悪に悪だと言ってなんの問題がある?御託を並べるのなら俺を殺してからにするんだな」
零号ちゃんにそう言った剣士さんは、ゆらりとその剣を構えた。
そのとたん、剣士さんの体中に魔法陣が浮かび上がる。
「来るぞ!」
「任せて!」
隊長さんの怒鳴り声にそう応じたのは、女剣士さんだった。
女剣士さんは先頭の零号ちゃんの前に躍り出ると、そのまま剣士さんに斬りかかる。
「どこの者か知らんが、その程度ではなにも成せんぞ」
剣士さんはそう言うなり、体を前かがみにして床を蹴った。
次の瞬間には、女剣士さんの握っていた剣が真ん中程から消えてなくなる。
すこし遅れてキィンと鋭い金属音がして、女剣士さんが床に転げた。
「チッ!」
その様子を見て女戦士さんが駆け出し、女剣士さんに覆いかぶさるようにしてその身を庇う。
「このぉ!」
零号ちゃんが剣士さんに斬りかかり、女剣士さんに追撃しようとした剣士さんの足を止めた。
ガキン!と金属音がして、零号ちゃんと剣士さんの剣が噛み合う。
でも、零号ちゃんはそれでは終わらなかった。
剣を押し合いながら雷の魔法陣を展開させた零号ちゃんは、そこから一気に雷を放出させる。
バリバリという音とと閃光が剣士さんを襲うけど、その雷は剣士さんの体にうっすらと纏われたなにかの上を滑るようにして壁へとそれて焦げ跡をつけるだけだ。
「その紋章、確かに本物のようだな…だが、あいつほどの力はないし、魔導士ほど洗練された魔法陣でもない…恐るるに足らん」
そう言ってニヤリと笑った剣士さんは、零号ちゃんの剣を弾くやいなや、零号ちゃんの小さな体を思い切り蹴りつけた。
さらに、体勢を崩した零号ちゃんの盾目掛けて剣を振るって床へと押し倒す。
そして、後ろに控えていた私達目掛けて空中を剣で真横に薙いだ。
「危ない!」
トロールさんがそう叫んだ瞬間、私達の前に石の壁が立ち上がった。
剣が届く距離なんかじゃないのに、石壁は鈍い音とともにまるで斬られたような跡を残して床に崩れる。
今…何をしたの…?
まるで、サキュバスさんの使う風の魔法みたいだ…!
「高速で剣を振って空気を弾く、か…なるほど、人間の魔法が奥が深いな…」
虎の小隊長さんがそう呻く。そんな小隊長さんの言葉のあと、隊長さんが緊張した声色で私に言った。
「指揮官殿、あいつらの世話を頼む」
ハッとして女戦士さん達の方がいたをみやると、そこには血だまりの中でもがいている女戦士さんと女剣士さんの姿があった。
一瞬息が詰まったけど、それでも私は床を蹴って二人の元に駆けつける。
二人はすでに意識を失い、まるで大きな剣で切り裂かれたように、体の表面が浅くだけど広く斬り裂かれていた。
「人間ちゃん、早く!」
二人の様子に息を飲んでしまった私に、妖精さんがそう声を掛けてくれる。
「うん!」
私は再び女戦士さんの体に手を当てて回復魔法を展開させた。
「…腕の一本や二本は覚悟しないとまずいな…」
「急所だけには気を付けてね…」
「援護はまかせろ」
「チビちゃん、行くぞ…!」
「うん…!」
隊長さんに虎の小隊長さん、鬼の戦士さんに鳥の剣士さん、そして零号ちゃんが剣士さんを囲んでそう声を掛け合う。
そんなみんなを剣士さんは、相変わらずの表情で見つめていた。
「せいあぁぁ!」
鬼の戦士さんが掛け声とともにあの金属の棒をビュンと前に突き出した。
剣士さんは素早い動きでそれを剣で払いのける。
その隙に、鳥の剣士さんが斬りかかった。
でも、剣を振り終えた剣士さんはギュンと素早く腰をひねって鳥の剣士さんのお腹を蹴りつける。
さらにそこへ隊長さんと虎の小隊長さんが斬りかかった。
同時に、トロールさんが石礫を、零号ちゃんが雷を剣士さんに降らせる。
剣士さんは鳥の剣士さんを蹴った足を床に付けるやいなや、自分の周りをぐるりと剣でなぞるようにして二人の援護を弾き返した。
隊長さん達の剣が剣士さんに迫る。
さすがにそれは受けきれなかったのか、剣士さんは一歩飛び退いて体勢を整えると、腰に差してあった短刀を引き抜いて空を斬った隊長さん達に斬りかかった。
隊長さんと虎の隊長さんもそれに反応したけれど、剣士さんの動きは十七号くんのように目にも止まらないくらいの素早さで、剣で受け止めようとした二人の体を舐めた。
空中に僅かな血しぶきが舞う。
そんな二人の間から、零号ちゃんが盾を構えて剣士さんに突進した。
零号ちゃんも剣士さんに負けてないくらいに素早い動きで、それこそ今の私には何かの塊にしか見えないくらいだったけど、
剣士さんは零号ちゃんの盾を蹴りつけてその突進を押さえ込み、剣を付き出そうとしていた零号ちゃんの頭上から剣と短刀を振り下ろした。
「零号ちゃん!」
私がそう叫ぶのと同時に剣士さんに人の頭くらいある石がドカンとぶつかって、剣士さんは体勢を崩しかける。
その隙を零号ちゃんは逃さずに小さい体を生かして懐に潜り込み、下から剣士さんを切り上げた。
でも、そんな攻撃も剣士さんは身を仰け反らせて躱し、片手を着いて後ろに身を翻して零号ちゃんから距離を取る。
正直、想像以上だった。
隊長さん達だって兵士さんで、前線で敵と戦ってきた人たちだ。
弱いはずはない。
零号ちゃんだって、まだ幼くても戦い方を良く知らなくても、魔導協会で鍛えられた勇者の紋章を操る人だ。
それなのに、そんな人たちを相手に剣士さんは一歩も引けを取らないどころか、今の剣戟の間に二人の隊長さんに傷を負わせた。
そして零号ちゃんの攻撃を躱して、未だに傷一つ着いていない。
唯一当たったのはトロールさんの石の援護だけど、それだけではたいして効いたようにも見えない。
これが、お姉さんと一緒に戦ってきた人なんだ…
お姉さんは、勇者の紋章だけでも五千人の兵隊と戦ってなんとか勝てるくらいの力があるって前に言っていた。
そんなお姉さんと一緒に戦ってきた剣士さんももしかしたら…紋章はなくても千人か、それ以上を相手にしても勝てるくらいの力があるのかもしれない。
「時間稼ぎ、ね…稼げりゃ良いが、こりゃぁ、最悪全滅もあるかもしれんな…」
「チビちゃん、情けないが君が頼みの綱だ…無茶はしてくれるなよ…」
隊長さんが胸元の傷を庇いながらそう言い、虎の小隊長さんは真っ二つに割られた胸甲を脱ぎ捨てて零号ちゃんに言う。
「なるほど、足止めをして策を弄するつもりか。だが、そうはさせん」
剣士さんはそう言ってまた、ゆらりと剣を構えた。
まずい…ほんの短い時間に、四人がケガをさせられた。
隊長さん達の傷はそれほど深くはないけれど、隙を付かれた女戦士さんと女剣士さんのケガはひどい。
それでもまだ、場所が場所だったから回復魔法でなんとかなる。
でも、さっき鬼の戦士さんが言ったようにこれを急所…例えば頭や首なんかに受けたら、回復魔法を使うまもなく死んでしまうかもしれない。
だけど、苦戦している零号ちゃんが隊長さん達を庇いながら戦うのはたぶん無理だ。
せめてもう一人、剣士さんと一体一で戦っても互角でいられる人が要る…
この中でそれができるのは…
私はそう思って、顔を上げた。すぐ隣で女剣士さんに回復魔法をしている妖精さんと目が合い、そして、私の思いが伝わったのか、妖精さんはそのままトロールさんを見やった。
うん、たぶん、それしかない…剣士さんに引いてもらわないと、隊長さん達が死んじゃいかねないから…
そんな私達を、トロールさんも見ていた。
私はもう一度妖精さんを見て、目で合図を交わし、トロールさんに視線を戻して頷いてみせる。
トロールさんみ、そんな私に応えて、コクっと頷いてくれた。それからすぐに
「零号」
と零号ちゃんに声を掛ける。
零号ちゃんも状況が理解できていたようで、なにも聞かずにコクっと頷いた。
「ここはおい達に任せろ」
トロールさんは零号ちゃんが分かっているのを見るや、隊長さん達を押しのけて零号ちゃんとともに先頭に立った。
「おい、トロール…何を言って…」
隊長さんがそう言いかけたとき、トロールさんは魔力の光をその腕に灯らせた。
淡く青い光が、トロールさんの来ていたシャツの袖口から漏れ出している。
「まだやるつもりか…?貴様、見かけは人間だが、どうやら魔族のようだな…人魔と言ったか、人型の魔族の種類だろう?」
剣士さんもそんなことを言いながら、体中に魔法陣を浮かび上がらせた。
「行くぞ、零号!」
「!?」
そうトロールさんが叫んだのと、突然剣士さんが体勢を崩したのとは、ほとんど同時だった。
見れば、剣士さんの足元の床の石が剣士さんにまるでまとわりつくようにして塊になっている。
次の瞬間、零号ちゃんが剣士さんに向かって駆け出し、飛び上がって剣士さんを盾で殴りつけた。
剣士さんは足を動かせないのか、その場に突っ立ったまま剣を振り上げて零号ちゃんの盾を受け止める。
でも、その僅かな間に零号ちゃんは盾とは反対の手に雷の魔法陣を展開させて、盾を引くのと同時に剣士さんの体に拳を突きつけた。
バリバリバリっと言う音と閃光が部屋を包んで、剣士さんの体からプスプスと煙があがる。
さらに、雷で一瞬体をこわばらせた剣士さんに、足元に固められた石が真下から突き上げるようにして飛び交い、体に弾ける。
「うっぐ…!こしゃくな!」
剣士さんはその目に怒りを灯して、魔法陣を光らせ零号ちゃんに向かって剣を振るった。
そんな零号ちゃんを、トロールさんが作り出した石の壁が受け止める。
「馬鹿な…!防がれただと…!?」
さっきまでのトロールさんが作り出していた壁は、剣士さんに切り崩されてしまった。
でも、今の壁は剣士さんの攻撃を受けても事も無げに零号ちゃんを守っている。
と、そんな石壁の向こうから零号ちゃんが踊り出て来て、頭上高くに剣を振り上げた。
「くそっ!」
剣士さんが再び剣でそれを受け止めようと構える。
でもそんな剣士さんに、石壁に使われていた石が、まるで流星のように次々と襲いかかった。
零号ちゃんの攻撃に意識を取られていた剣士さんは、さっきとは段違いの勢いの石礫を全身に受けて、
「ぐふっ」
と声を漏らせて片膝を着いた。
そんな剣士さんの頭を、飛び上がった零号ちゃんが剣の腹でしたたかに殴りつける。
ガツン!と鈍い音がして、剣士さんはそのまま床に倒れ込んだ。
着地をした零号ちゃんはそのまま三歩ほど後ろに後ずさって剣士さんから距離を取る。
でも、これくらいで終わりってことはない。
気を抜けば首と体が離れ離れになってもおかしくはないんだ。
「私が刃を立ててたら、お前は死んでいた。お前の負けだ」
零号ちゃんが緊張した様子で剣士さんにそう言う。
しかし、剣士さんは言葉もなく起き上がって零号ちゃんを睨みつけた。
その目は、さっき以上に濃い怒りに満ちている。
「舐められた物だな…あの程度で俺を殺せたとでも?手加減をしているのなら、考え違いもいいところだ」
「お姉ちゃんに、なるべく殺すな、って言われてる。だから、生きてるうちに引っ込んで欲しい」
零号ちゃんは、そんな剣士さんの鋭い視線にも動じずにそう答える。
しかし、剣士さんはそんな言葉を聞いて、さらに表情を怒りに燃やし出す。
「なるほど…良いだろう。こっちはお前らすべての首を刎ねるつもりだ。手を抜いてもらっている間に、殺させてもらう」
剣士さんはそう言うと、さらに体中に魔法陣を浮かび上がらせた。
「あの野郎、どれだけの魔法陣を操れるってんだ…!」
それを見た隊長さんがうめき声を上げる。
剣士さんからはビリビリと焼けるような感覚が伝わってきて、私は気圧されそうになるのを必死にこらえた。
とにかく今は、女戦士さん達のケガをなんとかしないと、放って置いたら命に関わっちゃう。
剣士さんのことは、零号ちゃんとトロールさんに任せる方がいい。
私がそう思って覚悟を決めたときだった。
バタバタっと音がして、下へと続く階段に誰かが姿を現した。
男の人で、見慣れない鎧を着込んでいる。
「新手か!?」
虎の小隊長さんがそう言って剣を構えた。
でも、その鎧の人は剣も抜かずに跪くと、剣士さんに声たからかに言った。
「報告!本陣深部にて、敵の首魁と思われる三名との戦闘が発生!被害、甚大です!」
「なんだと!?」
その報告に、剣士さんが呻いた。
お姉さんだ…!お姉さん、魔導協会に打撃を与えられたんだ…!
私は思わず妖精さんを見やった。
妖精さんも、パッと輝くような明るい笑顔を見せている。
「なるほど、時間稼ぎというのはそういうことか…!」
剣士さんはさらにそう低い声で言うと、零号ちゃんを睨みつけた。
「本陣は半壊、魔導協会の師道員が多数負傷しています!敵は現在、どこかへ姿をくらましている様子ですが、剣士殿は至急、本陣に戻り警護役をお願いいたします!」
鎧の人は、さらにそう剣士さんに進言する。
剣士さんの表情がとたんに険しく曇った。
「城主サマ、やってくれたな…!」
隊長さんもそう言って、微かに笑みを浮かべている。
でも、私はその報告に疑問を感じざるを得なかった。
鎧の人は、半壊、と言った。
全滅とは言っていない。
もしお姉さんが上手くやったとしたら、あのオニババを討てた、ってことになるはずだ。
でも、今の報告にはそれがない。
きっとオニババは今回の戦争の大事な役目を負っているはずだ。
その人が死んだとなれば、少なくとも剣士さんにその報告がないのはおかしい。
ここが敵地で、私達の前だから言わないようにしているだけかもしれないけど、とにかくその報告がない、っていうのが、私を一気に不安にさせた。
「本陣に危急となれば、戻らざるを得ん、か…」
剣士さんはそう言って、一瞬、顔を伏せて再び零号ちゃんを睨んだ。
「だが、各部隊のためにもこのままというわけにも行くまいな」
剣士さんはそう言うと、剣を今まで以上に大きく剣を振りかぶった。
「あぁっ…まずい!」
そう声をあげたのと、剣士さんが剣を振るったのとほとんど同時だった。
強烈な風が巻き起こって、先頭にいた零号ちゃんが血しぶきをあげて壁に吹き飛んだ。
零号ちゃんだけじゃない、その後ろにいた隊長さんも小隊長さんも、鳥の剣士さんに鬼の戦士さんまでもが、まるで強烈な何かに打ち倒されるように昏倒する。
とっさに女戦士さんをかばった私も背中からそれを受けて、強烈な痛みで意識が遠くなるのを感じた。
それでも私は、床を這いながら顔をあげる。
他のみんなも床に転げてしまっているけれど、みんな微かに動きがある。
良かった…大丈夫、まだ死んでない…
「に、人間ちゃん…だいじょう…ぶ…?」
妖精さんが、床を這いながらそう声を掛けてくれた。
大丈夫かどうかは、分からない…痛いし、苦しいし…とにかく、背中が焼けるように痛いけど…でも、でも私、まだ生きてる…
そんな私の元に妖精さんが這ってきて、そっと背中に触れてくれる。
暖かな何かが背中を包んで、痛みが徐々に薄れていくのが感じられた。
そんな中、私は零号ちゃんが立ち上がる姿を見た。
「ぜ、零号ちゃん…」
私は、知らずにそうつぶやいてしまう。
零号ちゃんは、剣を支えに体を震わせながら立ち上がって、階段の方を睨みつけていた。
剣士さんの姿はもう見えない。
その代わりに聞こえて来るのは、たくさんの人が階段を駆け上がってくる足音と怒声だった。
剣士さんが引き上げて行ったとしても、それに代わってさっきまで階段に詰めかけていた敵が攻めてくるのは当然だろう。
見る限り、隊長さん達もトロールさんも身動きが取れないでいる。
そんな中、剣士さんの攻撃を間近で受けたはずの零号ちゃんだけが立ち上がって敵を迎え撃とうとしていた。
でも、零号ちゃんはもう立つだけで精一杯だ。
あんな状態で押し寄せてくる敵と戦うなんて、できるはずがない…
私は、それを理解して思わず妖精さんの肩口を掴んでいた。
背中にできているんだろう傷口が痛んだけれど、それどころじゃない。
「妖精さん…人を、十六号さんを呼んで…!念信で…!」
私の言葉に、妖精さんはハッとした様子で階段の方を見やった。
「零号ちゃん!」
妖精さんもそう叫んだ。
でもそんなとき、階段の入口には額に角を生やした一団がなだれ込んでくる。
あれは鬼の戦士さんと同じ、鬼族だ…!
「むぅ、あの剣士、確かにやるようだな…」
先頭にいた、いかにも強そうな鬼族の一人が私達を眺めてそう言った。
そんな鬼族に、零号ちゃんは震える腕で剣の切っ先を突きつけて見せる。
「やめておけ、童。その体では、死するだけぞ」
「行かせない…誰も、殺させない…ここは私のお家なんだ…みんなは私の家族なんだ!」
そう叫んだ零号ちゃんは、一帯に雷の魔法陣を張り巡らせた。
とたんに、鬼族の人たちが動揺し始める。
「ごめんね…手加減できそうにないから、死んじゃうかも…でも、仕方ないよね」
零号ちゃんがそう呟くと、パシパシっと魔法陣から音を立てて雷が漏れ出した。
だけど、雷がほとばしる前に零号ちゃんはその場に膝から崩れ落ちる。
「ぜ、零号ちゃん!」
私は思わずそう名を叫んだ。直後、背中からビリビリと痛みが襲って思わず体を丸めてしまう。
そんな中で、私は零号ちゃんの作った魔法陣が宙に溶けるように消えるのを見た。
「この童…生かしておけば我らの妨げとなろう…」
鬼族の人はそう言って、額に吹き出た汗を拭うと、剣を引き抜いた。
だめ…やめて…!
そう叫ぼうとしたけど、背中が痛くて声が出ない。
そんな私の気持ちなんか伝わるはずもなく、鬼族の人は零号ちゃんの首にその刃をあてがった。
私はそれを見てグッと右の拳に力を込める。
こうなったら、やるしかない…上手くできるかは分からないけど…それでも、零号ちゃんを守るためには…!
そんなとき、ポン、と私の肩に妖精さんの手が乗った。
思わず見上げた妖精さんは、さらに上を見上げている。
「大丈夫…来てくれた!」
妖精さんの言葉に、私はハッと抜けた天井を見上げた。
そこには、宙に浮かぶ十六号さんの姿があった。
「てめえら!俺の妹に何してんだ!」
急に怒鳴り声が聞こえたと思ったら、ドドドンという音とともに鬼族の人達がまるで吹き飛ばされるように方々の壁に吹き飛ぶ。
その真ん中には、零号ちゃんを抱きしめて立っている十七号くんの姿があった。
ストっと足音をさせて、私のそばに十六号さんが降りてきた。
「大丈夫…?」
十六号さんは私のそばにしゃがみ込むと、顔を覗き込んでそう聞いてくる。
私はコクっと頷いて
「うん…それよりも、零号ちゃんを…」
と十六号さんに伝える。
十六号さんは
「うん、わかった」
と答えると、鼻息荒く吹き飛んだ鬼族達に睨みを効かせている十七号くんのところまで小走りで向かい、十七号くんの腕から零号ちゃんを抱き上げた。
「零号、大丈夫…?」
「…十六、お姉ちゃん…のマネ、した…」
「頑張ったんだな…偉かったよ。すぐに治してやるからな…アタシが言えたことじゃないけど、でも、もう無茶はするなよ…」
十六号さんの言葉に、零号ちゃんはコクっと頷いてその身を十六号さんに預けた。
十六号さんは回復魔法を展開させながら
「十七号、全部追い出せ」
と十七号くんにそう指示を出した。
「おう、任せろ!」
十七号くんは返事をするやいなや、部屋中に吹き飛ばされ伸びていた鬼族の人達を階段の下へと放り投げ始めた。
階段の下からは、気を失っている鬼族の人たちとは別の悲鳴が聞こえる。
たぶん、放り投げた鬼族の人たちがさらに詰め掛けようとしていた人たちにぶつかっているんだろう。
鬼族の人たちをすべて下に投げ終えた十七号くんは、チラっと私達の方を見やって、ホッとため息を吐く。
「零号以外は大丈夫そうだな」
そう言った十七号くんに、私は言ってあげた。
「ありがとう、親衛隊さん。かっこよかった」
そしたら十七号くんは赤い顔をして頭をポリポリと掻きながら
「お、おう…」
なんて口ごもって答える。そんな様子がすこし可笑しくって、私は思わず笑ってしまっていた。
そんな私達のやりとりが終わると、十六号さんがそばにやってきて、膝を付いて座り込んだ。
どうしたのだろう、と思った矢先、十六号さんは小さな声で囁くように言った。
「十三姉ちゃん、帰ってきた」
お姉さんが、帰ってきた…?
そういえば、さっき剣士さんに報告に来た人が言っていた。
本陣に打撃を与えて、姿を消した、って…
お姉さん、まさか…
私の考えを知ってか知らずか、十六号さんは俯いて力なく首を振った。
あぁ、やっぱりそうだったんだね…お姉さん、無理だったんだ…
「魔王様…」
妖精さんがそう無念そうに口にした。
私も、同じ気持ちだった。
お姉さんは、魔導協会もサキュバスの一族も倒せなかったんだ。
こうなったらもう、私達に残されている手段はひとつしかない。
私は背中の痛みが薄れていることにも気がつかずに、胸のうちに湧いてきた締め付けるような悲しい気持ちに、ただただ、胸を噛み締めていた。
それから私達は十七号くんが階段の出口で戦っている最中に全員の治療を済ませた。
零号ちゃんも大きな傷は塞がって、すっかり元気に戻った。
隊長さん達も、力不足を私達に詫びながら、それでも再び武器を取って十七号くんと入れ替わる。
トロールさんが吹き抜けになってしまった天井を作り直し、隊長さん達が苦戦するような敵が出てこないことを確かめると、
私はほんのすこしの間と伝えてトロールさんと妖精さんに零号ちゃんと十七号くん、十六号さんと一緒に上の階へと登った。
私達がソファーの部屋にたどり着くと、そこには人だかりができていた。十四号さん達に、魔道士さんとサキュバスさんもいる。
もちろん全体指揮をしている兵長さんもだ。
「お姉さん」
私は小さな声で、お姉さんを呼んだ。ここからじゃお姉さんの姿は見えないけど、でもそこにいるんだって、私には分かった。
そんな人垣を、ただ一人遠巻きに見つめていた大尉さんの姿に気がついて私は、その目をじっと見つめる。すると大尉さんは、力なく首を横に振って見せた。
「ダメ、だったんですか…?」
「うん…魔導協会を襲撃して少しして、急に苦しみだした、って。あの女も、サキュバス族の打倒も全然出来なかったみたい…」
そうだとは思ったけど、やっぱりそれは私の心に重くのしかかるようだった。
あぁ、やっぱりそうだったんだね…改めてそれを確かめると、また胸がギュッと痛くなる。きっとお姉さんは怒るだろうな。
ううん、怒るだけならまだいい。裏切られた、ってそう思われないことを、お姉さんを傷付けないでいられることを願うしかない。
例えそれが、もしかしたらお姉さんの心に癒えない傷を作ってしまうようなことになってしまっても、私達にはもう、それしか残されてはいないんだ。
私は、人垣をすり抜けてそのまんなかに行く。そこにはお姉さんが苦しげな表情で床に四つん這いになっていた。大きな傷があるわけでもない。
攻撃を受けたらしい痕跡はあるけど、服が縮れているくらいで他に大きな出血があるわけでもなかった。
でもお姉さんの呼吸は荒く、顔に油汗をいっぱいにかいているのがわかる。
「おい、しっかりしろよ…どうしたんだよ急に!」
魔道士さんが慌てた様子でお姉さんにそう尋ねる。
「まさか、先日の毒が今頃…?いえ、そんなこと、あるわけが…」
サキュバスさんも動揺してか、そんなことを口走りながら右往左往していた。
そんな中で私は、お姉さんの体を調べた。右の腕には真っ青に輝く勇者の紋章、そして左腕にも、くっきりと光に筋を放って輝いている魔王の紋章がある。
私はそれを見て、覚悟を決めた。もう戻れないだろう…でも、今のままじゃもしかしたら全員殺されてしまいかねない。
それなら、やっぱり、あの計画を実行に移すしかない。私は振り返って大尉さんをみやり、頷いた。トロールさんも妖精さんも私に続いて大尉さんに合図を送る。
十六号さん達は、もう決めていたのだろう。大尉さんは私達の合図を受けるや、人垣の中へと歩いてきて、四つん這いになっていたお姉さんの両肩に手を置く。
そんな大尉さんの行動に皆が注目し、そしてお姉さんまでもが苦しみに歪む顔をあげた。
「大丈夫、すぐに気分は楽になるよ」
大尉さんはそう言ってお姉さんに笑いかける。
「おい、何を言ってる…?」
そんな疑問を投げかけた魔道士さんを無視して大尉さんはお姉さんの左手を取って、グイッと自分の方に引っ張った。
「治し方、分かるのか…?」
お姉さんが絞り出すような声色でそう聞く。そんなお姉さんの言葉に大尉さんは頷いて
「うん、知ってる。少し痛いけど、我慢してね」
とお姉さんに伝えて、それから
「やろう」
と零号ちゃんに声を掛けた。皆の視線を浴びた零号ちゃん…すでに、目からボロボロと涙をこぼしていたけど、それでも腰の剣に手を伸ばした。
「おい、零号!」
「悪い、十二兄、少し大人しくしてて」
とっさに半身に構えた魔道士さんを、十六号さんが結界魔法で押さえ込む。同時に
「これは…!?なんなのですか…?!」
とサキュバスさんが悲鳴を上げた。サキュバスさんを抑えるのは十七号くんの仕事だ。
兵長さんもすでに、十四号さんに羽交い締めにされて捕まっている。
「何、する気だ…!?」
お姉さんが苦しげに言うので、零号ちゃんからまた、大量の涙が零れだした。
でも、それでも零号ちゃんはギュッと唇を噛みしめて、腰に下げていた剣を目にも止まらぬ速さで引き抜いた。
そして、大尉さんが捕まえていたお姉さんの左腕を一閃に薙いだ。
つづく。
以下、業務(?)連絡
アヤレナスレの方、放置してたら落ちちゃいましたが続きを書く意志あります。
次回のエピソードがある程度まとまり次第、立て直すなりなんなりしますので、しばしお待ちくださいませ。
乙!
乙
ここでケリがつくかと思いきや、まだヤマ場を用意しているのか!
「創作者」って産みの苦しみを楽しめるひとしかなれないって本当なんだな。マゾめww
さて、こんな方法でお姉さんは救われるのか?はたまたどえらいどんでん返しがくるのか?
愉しみだ。毎週読んでるマガジンより愉しみだ。
アヤレナマは……まあドンマイ。マライアも宇宙戦闘に習熟する時間が欲しいと思うよwww
こんばんは、どうもキャタピラです。
なかなか更新できずにすみません。
ちょっとあれです、最終回に向けていろいろ書いては消し、消しては書いているのですが、
何分、これまでのいろいろを回収しなきゃいけない部分を含めて情報量が多すぎましてなかなかまとまらず、
息抜きにMGSVをプレイしてはフルトン回収で誘拐しまくり、A++のトラブルメーカーを解雇するか悩んだりしていて進んでませんww
一応、ほとんど書けてはいるんですが、まったくもって納得が行ってないので、もう一回書き直している最中です。
もうしばらくお待ちいただけると幸いです。
ごめんなさい!
楽しみにしています。
風船拉致乙
ゆっくり納得いくまで考え、書けば良いと思います。
商業作家さんでも次巻まで10年以上間隔開く人いるんだから……
ミスった…
>>722
レス感謝!
FOBミッションってあれ、放置してたらスタッフ誘拐されまくるのかな…?w
なにはともあれ、何もないとあれなので、とりあえずできたところまで投下していきます!
「大丈夫、すぐに気分は楽になるよ」
大尉さんはそう言ってお姉さんに笑いかける。
「おい、何を言ってる…?」
そんな疑問を投げかけた魔道士さんを無視して大尉さんはお姉さんの左手を取って、グイッと自分の方に引っ張った。
「治し方、分かるのか…?」
お姉さんが絞り出すような声色でそう聞く。そんなお姉さんの言葉に大尉さんは頷いて
「うん、知ってる。少し痛いけど、我慢してね」
とお姉さんに伝えて、それから
「やろう」
と零号ちゃんに声を掛けた。皆の視線を浴びた零号ちゃん…すでに、目からボロボロと涙をこぼしていたけど、それでも腰の剣に手を伸ばした。
「おい、零号!」
「悪い、十二兄、少し大人しくしてて」
とっさに半身に構えた魔道士さんを、十六号さんが結界魔法で押さえ込む。同時に
「これは…!?なんなのですか…?!」
とサキュバスさんが悲鳴を上げた。サキュバスさんを抑えるのは十七号くんの仕事だ。
兵長さんもすでに、十四号さんに羽交い締めにされて捕まっている。
「何、する気だ…!?」
お姉さんが苦しげに言うので、零号ちゃんからまた、大量の涙が零れだした。
でも、それでも零号ちゃんはギュッと唇を噛みしめて、腰に下げていた剣を目にも止まらぬ速さで引き抜いた。
そして、大尉さんが捕まえていたお姉さんの左腕を一閃に薙いだ。
「ま、魔王様!!!」
「零号…お前…!」
魔道士さんとサキュバスさんの悲鳴と怒りの声の中、お姉さんの左腕の肘から下が大尉さんの両腕に収まる。
「くそ、何のつもりだ…!」
そう言って立ち上がりかけたお姉さんの動きを、私と妖精さんとトロールさんの三人で一気に魔翌力で風を押し掛けて封じ込める。
それを確かめてから、今まで部屋の隅にいた竜娘ちゃんがお姉さんの目の前まで歩み出てきて、静かに聞いた。
「腕を刎ねられて、具合いはいかがですか…?!」
「何…!?」
竜娘ちゃんの言葉に戸惑いと絶望がこもった声色でお姉さんがそう反応する。すると竜娘ちゃんはもう一度丁寧に、お姉さんに聞き直した。
「魔王の紋章から解き放たれて、ご気分に変化はありましたか…?」
その言葉に、お姉さんは凍り付いたように固まって、竜娘ちゃんを見やった。
「嘘だ…嘘だろ…?」
お姉さんはそう言いながら、なおも固まったままで竜娘ちゃんにそう言う。
そんなお姉さんに、竜娘ちゃんは言った。
「基礎構文を読んで、こうなるのではないかと、そう感じていたのです」
基礎構文。それは、竜娘ちゃんが大尉さんと一緒に探しに行った、“世界を世界たらしめている”ものだ。
そもそもその存在自体が不明確で、本当にそんなものがあるかどうかすら確かじゃなかった。
そして、その基礎構文というものを探すために出て行った竜娘ちゃんが大尉さん達とこのお城に戻ってきたあの夜に、
私達はこうなってしまう可能性をすでに知らされていた。
でも、あの夜は奇襲のあった翌日でみんなも混乱していたし体力も消耗していて、基礎構文に付いては誰も尋ねず、曖昧なままになっていた。
そしてたぶん、今こうして話題に出るまで、意識もしていなかったに違いない。
それくらい、その基礎構文というのは存在があまりにも“物語”じみていた。
呆然としているお姉さんをよそに、竜娘ちゃんは続けた。
「勇者の紋章は身体能力を大幅に向上させる特殊な魔法陣です…それ故に、実は些末な不調を覆い隠してしまうことがあるのでは、と私は考えました。
そして、それが現実であったからこそ…魔王の紋章に適合出来なかった副作用がかき消されていたのです」
そこまで言うと、竜娘ちゃんはまるで何かに祈るように…ううん、贖罪を求めるかのように、胸の前に手を組んで、そして言った。
「あなたは、魔王の紋章には適応していない。勇者の紋章の力で副作用を押さえ込んでいただけなのです」
その言葉に、魔道士さんやサキュバスさんの表情が凍り付いた。お姉さんはさっきからずっと、有り得ないって顔をしている。
それがどれだけ絶望的に感じられるかを私は理解していた。
だって、いくら勇者の紋章があったとしても、それひとつでは攻め込んできている敵の相手をするどころか、
サキュバス族と魔導協会全てを一気に相手にして戦うことすら厳しいだろうと言うのが分かるから…
「普段、紋章を使っていないときは症状は現れないでしょう。
ですが、適応していないにも関わらず魔王の紋章の力を半分でも使おうとすれば、体内で均衡が崩れて魔王の紋章の副作用が必ず現れてしまう…
今回も、そして前回の奇襲で毒と重症を負わされたあなたが生死の境を彷徨ったという話で、その可能性が確信に変わったのです」
竜娘ちゃんの言葉が、部屋にしんと響いて消える。
その雰囲気を打ち壊すように、魔導士さんが口を開いた。
「基礎構文、ってのは、なんだったんだ…?」
竜娘ちゃんは、魔導士さんの言葉を聞いて
「はい。でも、先に腕を治します」
と、大尉さんが懐に抱いたお姉さんの腕に触れ、そして、赤く輝く魔王の紋章を引き剥がす。
誰もがそれを、固唾を飲んで見ていることしか出来なかった。
紋章がまるで羊皮紙をめくるようにはがされた腕を、大尉さんがお姉さんの残りの腕に押し当てて、そして青く輝く魔法陣を展開させた。
切れた腕がみるみるうちに繋がり、お姉さんは最後には自分の意思で左手の指先を動かして、具合いを確かめる。
けれど、お姉さんも魔導士さんもサキュバスさんも、これっぽっちも安心なんてしている様子はなかった。
お姉さんは呆然と…ううん、やっぱり、悲しいよりももっと辛そうな表情をしている。
サキュバスさんは混乱している様子だし、魔導士さんに至っては、明らかに怒っている。
それでも、竜娘ちゃんは静かに言った。
「すべて、お話します。私達が見つけた基礎構文のこと、そして、そのそばの石碑に綴られていたこの世界の始まりの言い伝えの話を…」
竜娘ちゃんは、そうして静かに、まるで寝物語でも話すみたいな、ゆっくりとした穏やかな口調で、あの日、私達が聞いたのと同じことを皆に説明し始めた。
魔族の人たちと、それから人間軍とが手を組んで魔王城に攻めてくる、という話が私達の緊張をいやがおうにも高まらせたあの日。
私や十六号さん、零号ちゃんが眠っていた部屋に、十八号さんに連れられて転移してきた竜娘ちゃんは真剣な表情で言った。
「そのことで、ご相談したいことがあるのです…できれば、あの方には内密に…」
あの方、って、お姉さんのこと、だ。
どうしてお姉さんに内緒なんだろう…?
何かまずいことなの…?
「な、内緒にしなきゃいけないのは、なんで…?」
私が聞くと、竜娘ちゃんは難しい顔つきのままで、静かに答えた。
「あの方をお助けするために、です」
「人間…竜娘の話を聞いて欲しい」
竜娘ちゃんの言葉に、トロールさんが続く。
それを聞いて私は、その先を知りたくて、もう一度竜娘ちゃんの顔を見た。
「おそらく…世界にも、あの方にも、どうしても必要なことだと私は思うのです」
竜娘ちゃんは私の目を見てそう言った。
表情は険しくて、それこそ怒っているように見えるくらいだけど、竜娘ちゃんの縦長の瞳には、言い知れぬ意志と覚悟が宿っているように、私には見えた。
「私たちは、トロール族の地で、古い文字で書かれた石板をみつけました」
「それが…基礎構文、ってやつだったのか?」
竜娘ちゃんの言葉に、十六号さんがそう尋ねる。でも、そんな十六号さんに竜娘ちゃんは首を横に振った。
「いいえ。それは…物語。いいえ、もっと正しく言えば、きっと、記録。あるいは、手紙だったのかもしれません」
「手紙?誰が誰に宛てたの?」
今度は妖精さんがそう聞く。竜娘ちゃんは、それを聞いてコクっと頷いて続ける。
「恐らく…遠い遠い未来の“誰か”に宛てられた、古の手紙。それも、謝罪文です」
謝罪文…?いったい誰が、なんのためにそんなことを…?
そんな私の疑問を感じ取ったのか、竜娘ちゃんは大きく深呼吸をして言った。
「これからする話は…私の憶測による部分もあります。ですが、おおよそ、その内容は真実だと思います。ですから、心して聞いてください。
その手紙を書いたのは、きっと、〝古の勇者さま”本人だと思います」
世界を二つに別った、古の勇者様が、謝罪…?
私はそれを聞いて、思わず十六号さんを見やっていた。十六号さんも私を見ている。
そう、ついさっき、そんな話をしていたところだった。
古の勇者様は、間違ったんじゃないか、って。
世界を平和にするために、世界を二つに割って争いの解決をただ先延ばしにしただけじゃなかったのか、って。
「書き出しは、こうです。
『この書を読む者はどのような世に生きているのだろうか?私は平和な世界が訪れていることを願いつつ、それはただ夢幻であるようにすら思っている』…」
竜娘ちゃんの口調は、まるで寝物語を話すような、だれかの手紙を朗読するような、そんな感じだった。
「『私は、人ならざる者となり、世界を眺め、そして、考えた。しかし、私に与えられた役割はあまりにも大きく、そして、私の想像や意志を超えている。
私が世界を統べ、あらたな秩序を紡ぐことは難しいことではないだろう。だたし、それが正しいのかどうか、私にはわからない。
私が唯一絶対の者になり、そして大陸のすべてをその庇護のもとに平等とするという管理者たちの考えは、理解はできる。
理解はできるが、同意はできなかった』」
部屋の中が、しんと静まり返っている。
みんなが、竜娘ちゃんの言葉に聴き入っていた。
「『私は、意志の弱い者だ。
間違っていると思いながら、しかし別の方法を考えることもできない。
新たな何かを求めるにも、人ならざる者として一人、この争いの続く世界への答えは導き出すことはできない。
この両肩に乗った世界、人ならざる者となったとしても、私には重すぎる。
その重みに耐えかね、このような選択しかできない私は自分を恥じる。
自らが何も出来ぬことを、恥じる。
私ではない誰かにそれを託すことを恥じる。
そして、幾年月か先、その誰かが答えを見つけてくれることを願うしかできぬ自分を恥じる』」
「……それって、つまり…」
「はい」
十六号さんの言葉に、竜娘ちゃんは再びうなずいた。
「〝古の勇者”様は、世界を二つに別ったことを、最良だと考えたのではないのです。
きっと、〝古の勇者”様は、それが解決にならないことを理解していた。
でも、他に手だてがなかったのだと思います」
そう、だから、謝罪文なんだ。
世界を別ち、争いを一旦、避けることしかできなかった。
〝古の勇者”様は、争いを避けることはできても、魔族と人間との憎しみを取り去ることはできなかったんだ。
「文章は、こう続きます…
『私は、土の民と造の民との地に、この大陸を分けた。遥か先、これを読んでいるあなたに、託す他に私はできることがない。
だが、どうか聞いてほしい。
もしあなたにその意志と勇気と、そして知恵があるのなら、これより記す世界の理を正しく理解し、正しく使い、
二つの民を融和させてくれることを切に望む。
それは、人ならざる者、すなわち、神として君臨するなどという方法ではないはずなのだ。
どうか、意志と勇気と知恵を以って、私の犯した過ちを正してほしい。
父上、母上、そして兄弟達。こんな私で、すまない。
そして世界中の人々、これから生まれ、そして死んでいくだろう人々。
贖罪などが与えられるはずもないが、それでも、私は祈っている。いつか、その答えを探し当てることができるように』」
竜娘ちゃんは、そこまで話して、それから私たち一人ひとりの顔を見て、言った。
「これからお話しすることは、皆さんにとっても大きな重荷になると思います…後戻りも、きっとできなくなります。
ですので、もう一度だけ、確かめさせてください。
これから私がお話しするのは、あの方にとってだけではありません。
私たちの住むこの大陸を、大いに混乱させるだろうことです。
それでも、聞いていただけますか…?」
何も言葉を継げず、妖精さんを目を見合わせていると、不意に十六号さんが言った。
「十四兄ちゃんと十八号は、それを知ってるんだな?」
十六号さんの言葉に、ふたりは黙ってコクリとうなずく。
それを見た十六号さんは、ふぅ、と息を吐いて十七号さんを見やって
「なら、アタシは聞く。あんた達がその話を聞いて、今も黙ってる、っていうんなら、何か納得できてる、ってことなんだろ?
それなら、アタシもそうしたい。あんた達と一緒に、十三姉ちゃんを助ける。
たとえアタシ達の身に何が起こったとしても…」
と言いうなずいた。
十七号くんもそれを見て
「…そうだな…。十四兄ちゃんはさておき、十八号がそれで良いって思ってるんなら、間違いないだろうし」
なんて言って、無理矢理に笑顔を見せた。
「おいおい、俺の信用ってそんなかよ」
それを聞きつけた十四号さんが笑顔でそう不満を言う。
「だって。十四兄ちゃんの考えることは俺には難しすぎてわかんないんだもんな。
その点、十八号は十四兄ちゃんよりはわかり易いし、バカな俺にもわかるように話してくれるし」
十七号くんはそう言ってまた笑い、それから私と妖精さん、そして零号ちゃんを見て
「そっちは、どうする?」
と聞いてきた。私たちは三人で目を見合わせて黙り込んでしまう。
正直言って、怖かった。
これからどんな話が出てくるのかなんて想像もついていないけど、それでも、竜娘ちゃんの重苦しい様子が、私から言葉を奪っていた。
妖精さんも迷っているようでムニュムニュ口を動かそうとはしているけど、何を言うこともできないでいる。
そんなとき、零号ちゃんが申し訳なさそうに口を開いた。
「あの…ちょっと話ズレちゃうかもしれないけど、いいかな…?」
みんなの視線が、零号ちゃんに注がれる。
その視線を受けて、零号ちゃんはなおも居心地が悪そうにモジモジとしながら、小さな声で言った。
「その、ね…いきなり難しすぎて、よくわかんない…つまり、どういうことなの…?」
それを聞いて、一瞬、部屋中がポカンとした空気に包まれた。
そして次の瞬間、十六号さんがプっと噴き出して笑いだす。
「わ、笑わないでよ、十六号お姉ちゃん!」
「いや、悪い悪い。まさかそう来るとは思わなくって」
頬を赤らめていきり立つ零号ちゃんに、十六号さんはなんとか、って様子で笑いを収めてから、すこし考えるようにして言った。
「えっと…要するに、“古の勇者”様が伝え遺してくれたものがあって、それがこれからのアタシ達や十三姉ちゃんに役に立ちそうなんだけど、
それを聞いて、本当にその方法を使うかどうか考えなきゃいけない、って、そういうこと…だよな?」
十六号さんは、最後にそう付け加えて十八号さんに尋ねた。
すると、今度は零号ちゃんがクスクスっと笑い声をあげる。
「十六号お姉ちゃんだってちゃんとわかってないんじゃん」
「フン、自慢じゃないが、アタシと十七号はバカなんだよ!」
「おい、俺を巻き込まないでよ。まぁ、バカなのはホントだけどさ」
三人はそう言い合って、それからなんだかおかしそうに笑い始める。
少しして、その笑いを収めた零号ちゃんが、どこかすっきりした様子の表情で、竜娘ちゃんに言った。
「器の姫様、それを使えば、お姉ちゃんを助けてあげられるんだよね?だったら、私、どんな話でもそれを聞くよ。私も、お姉ちゃんを守ってあげたいんだ」
そう…そうだよね。
これから聞く話がどんなことかは分からないけど…
きっと、世界の平和のために悪者として人間と魔族、二つの種族に敵扱いされて悪者だと言われてその苦しみを一心に背負っているお姉さんに比べたら、
どんな話でも、私たちみんなで聞けば、きっと大丈夫なはずだ。
それに、竜娘ちゃんはお姉さんのためにも、って言っていた。
もし、これからの話がお姉さんを助けることになるんだとしたら、私も賛成以外にない。
私は、チラっと妖精さんを見やった。
妖精さんも、私を見ていた。
お互いに気持ちが決まったのが伝わったのか、どちらからともなく笑顔がこぼれて、それから竜娘ちゃんに伝える。
「わかった。私も聞くよ」
「魔王様を助けるためなら、なんでもするです」
私たちの言葉を聞いた竜娘ちゃんは、少し驚いたような表情を浮かべたけど、それでもすぐに気を取り直して私たちに目礼し、
「ありがとうございます…それでは、話をさせていただきますね…」
と、ふう、と小さく息を吐き、ついに話を始めた。
「“古の勇者”様の手記をもとに足を延ばした私たちは、あの中央山脈の最高峰の頂上付近で、朽ち果てた祠を見つけました。
そこにあったのは、基礎構文に関する説明が書かれた石板と、そして、二つの紋章についてのことでした」
基礎構文…世界を世界たらしめている物で、世界を戦いの渦中に引き留めている物…
それが、本当に、実在したんだ…
私はそのことだけで、少しドキドキしてしまう。
まるで…そう、寝物語の中に出てくる幻獣なんかが本当にいた!と言われているような、そんな感覚だった。
「まず、基礎構文についてですが…確かにそれは、この世界を“世界たらしめている物”に相違ありませんでした。
つまり、基礎構文とはこの世界の理を規定した、いわば最初の魔法だったのです」
「ま、待ってくれ…最初っからよくわからない…つまり、どういうことなんだ…?」
「はい、つまり基礎構文とはすなわち、この大陸において魔法という力を生み出すための“力場”を規定するためのいわば結界。
平和を願い、人ならざる神を生み出そうとした結果、私たちは魔法という、不自然な力を手に入れてしまったのです。
一人で魔法を使えない者十人かそれ以上の力を持つに至った結果この大陸から争いは絶えることがなくなり、
そして泥沼のように繰り返されるに至ったのです」
私は、息をのまずにはいられなかった。
確かに、魔法を初めて見たときにかすかにだけど不思議に思った。
魔法でもなんでも、身を守るための結界やなんかを使わなければ、どんなに強い魔法を扱える人でもあの日のお姉さんのように毒やナイフで簡単に大きなケガをしてしまう。
お姉さんに限ったことじゃない。
魔導士さんが雷をあやつることができるのも…人の傷をみるみるうちに治していくことも…
魔法って力は、私たちが道具もなしに生み出すには不自然なんだ。
信じがたい話だけど…でも、やっぱり引っかかっていたことがある。
魔法というものは、私たちの体に対してはあまりにも強力すぎるんだ。
一人の人間が、まるで嵐のような風を起こすことなんて、まるでおかしい。
腕から火球を放ったり、床を凍らせたり…
それは自然だけが持つ力のはずで、それを人間が…ううん、生き物が自分の意志でどうにかできるものではなかったんだ。
畑の作物がゆっくり実って行くのを、一刻でおいしく熟した状態にまで変化させるような、そんなのと同じことだ。
それを、私たちはまるで当然のように扱えてしまっている…
そして、その魔法という力をこの大陸に生み出しているのが、その基礎構文だっていう意味だ。
さらに、そんな力が存在してしまったからこそ…簡単にたくさんの誰かを傷つけることができる力を得てしまったからこそ、
私たちは戦いをやめることができなかった。
憎しみを晴らすことしか考えつかなった。
竜娘ちゃんの言っていることは、そういうことだ。
「ま、魔法を作り出した魔法、ってことだ…?」
十七号くんが竜娘ちゃんに、確かめるようにそう尋ねる。
竜娘ちゃんはコクっとうなずき、それから
「そして、その基礎構文によって発生した力場の中で、もっとも効率良く強力にその力を扱うために作り出されたのが、二つの紋章でした。
先ほどの“古の勇者”様の手記にあった『管理者』というのは、恐らく現在の魔導協会とサキュバス族のことだと思います。
手記になぞらえれば、あの二つの紋章が作られた理由は、絶対の神を具現化させるため。
すなわち、“古の勇者”様がその力を使って神となり…
自然とともにあろうとする土の民である魔族と、畑や街を作る造の民である人間、双方からの信仰を集めることによって争いを鎮めようとした。
それが、かつて考えられた出来事だったのだと、私は思います…」
「…む、難しい…」
真剣そうに話を聞いていた零号ちゃんが、ふいにそう言って眉間にシワを寄せたまんまで首をかしげる。
でも、そんな零号ちゃんをよそに、十六号さんは言った。
「今の魔導協会がやろうとしてることとも大差ない。目的は同じだけど…それは、力と暴力で世界を怯えさせ、従わせて争いを収めよう、ってんだろ」
「それは力を行使する者の人格や方法にも依ると思いますが…ただ、ただの一人、〝人ならざる者”にすべての決定権がゆだねられる、ということに違いはないと思います…」
竜娘ちゃんがそう言ってうなずく。すると、十六号ちゃんはうめいた。
「その方法は…例えば十三姉ちゃんがやるんなら悪くないようには聞こえるけど…実際は、そうでもないよな。
十三姉ちゃんはもしかしたら紋章の力でずっと長い寿命で生きていられるのかもしれないけど…それを望むと思わないし、
じゃぁ、十三姉ちゃんが死んだあと、誰が跡を継ぐのか、って戦争になりかねないし、そもそも両方の紋章を継げなきゃそれもできない。
それに、十三姉ちゃんだって“古の勇者”とおんなじだ。
たった一人で世界を背負い込むなんてことができるほど、強い気持ちを持ってない。
あの人は…寂しがり屋で、甘えたで…どこにでもいる、ちょっと頼りになる姉ちゃん…それ以上でもそれ以下でもないんだ。
神様なんて柄じゃないよ」
十六号さんの言う通りだ。
たとえそんなことで世界を平和にしたところで、それはお姉さんが頑張れる間だけ。
お姉さんが死んじゃったらそのあとはまた戦いが始まるかもしれないし、今よりももっとひどいことになってしまうかもしれないんだ。
でも、そんなことを思っていたら、竜娘ちゃんは意外なことを口にした。
「いえ…恐らく、あの方には、二つの紋章は扱えません」
扱えない…?
あの紋章を、お姉さんが使えない、っていうの…?
私はその言葉に耳を疑った。
だってお姉さんは、勇者の紋章を光らせることができるし、両方に光をともせば、ほかの魔法なんて寄せ付けないくらいの力を操れていた。
扱えていたんだ。
「信じらんないけど…どうして、そうなんだ?」
十六号さんがそう尋ねると、それに答えたのは十八号ちゃんだった。
「十六姉さん。十三姉さんが師団長に刺されたときのこと、覚えてる?」
「え?あぁ、忘れるほど昔のことじゃないけど…」
十八号ちゃんの質問に、十六号さんが戸惑い気味にそう返事をする。
そんな十六号さんに、十八号ちゃんは言った。
「あの日、私は駆けつけてからずっと十三姉さんに回復魔法と活性魔法を掛け続けてた。でも、回復までに随分時間が必要だった。
あのときに、おかしいな、ってそう思ったの。今までの十三姉さんなら、同じ傷でもすぐに回復できていた。
いくら毒を受けていて致命傷に近い傷だったとしても、その傷さえ回復させてあげられればあとは自力で傷をふさぐことだってできたはず。
でも、あのときはそうじゃなかった。
体の機能が元に戻るまで、十三姉さんは苦しんでた」
私は、十八号さんの話に、確かにそうかもしれない、と思わざるをえなかった。
だってお姉さん自身が言っていたことだ。
二つの紋章が揃えば、世界を休憩なしに2、3度滅ぼせるくらいの力が出せる、って。
そうでなくても、自然の力を取り込んで操ることができる魔王の紋章と体の力を何倍にもすることのできる勇者の紋章があれば、つまり自然の力を何倍にもして
扱える、ってことだ。
それなら、あんな傷でも、どんな毒でも、平気だって不思議ではない。
十六号さんが言ったように、命を保ち続けることだってできそうなものなのに…
だけどそもそも紋章が合わなければ、いつの日かのサキュバスさんのように言いようもない苦しみに襲われて消耗してしまうはずだ。
お姉さんにそんな様子はない。
だけど、竜娘ちゃんは静かに続けた。
「まだ可能性の話ですが…そして紋章に関する記述によればあの紋章は、ある一個人…つまり〝古の勇者”様のみに合うようにできている魔法陣だというのです。
私が目にした古文書が本当なら、魔王の紋章はおろか、勇者の紋章でさえ、合っているのが不思議だと思っています。
もしかしたら勇者の紋章のほうも、本来の能力を十分に発揮できていない可能性もあるのです。
魔王の紋章に適合していないにも関わらず副作用が出ないのは、比較的適合している勇者の紋章があの方の身体能力を高めているため。
それなりに力を発揮できる勇者の紋章のおかげで、魔王の紋章の副作用を強化された身体能力で抑え込めているのではないかと考えています。
ですが、その場合、魔王の紋章を最大限に使おうとしたとき、副作用に耐えられなくなる可能性があります。
先日の奇襲のお話を伺った際に、私はその可能性を感じました」
「待ってよ…勇者の紋章も適合していないってのか!?」
さすがに十六号さんが声を荒げた。
それもそうだ。
お姉さんが魔王の紋章の力をちゃんと使えていないんだとしたら…これから起ころうとしている戦いはどうなってしまうんだろう?
もしそうなら…私たちに勝ち目なんてない。
魔王の紋章を使わず、お姉さんと零号ちゃんの勇者の紋章だけじゃ限界があるだろう。
隊長さん達や魔導士さん達が戦ったところで、あまりにも数が違いすぎる。
対応できないくらいの数に取り囲まれでもしたら、あとは一気に押しつぶされてしまう。
でも、それでも竜娘ちゃんは動じずに言った。
「あくまでも可能性です。これからの戦いで…あの方が両方の紋章を扱うことができればそれに越したことはないと思います。
あの方は、むやみに力を使う方ではありませんから、〝古の勇者”様と同じように神としての力も行使しないでしょう。
戦いが終わってから、みんなでゆっくり向かう先を考えればいいと思います。
ですが、もし、紋章が扱えなかった場合…」
「アタシ達は、勝てない…」
「はい、そうなります」
「…なるほど。それが、十三姉ちゃんを守る、ってことなんだな?」
話を理解したのか、十六号ちゃんはそう尋ねる。
「はい」
竜娘ちゃんは短く答えた。
「もしも十三姉ちゃんが戦えなくなったとしたら…か。その可能性があるんなら、備えは必要…だな」
十六号さんはそう言って息を飲んだ。
そう…本当にもしそうなら、そのために備えておかなければ、私たちはみんな殺されてしまいかねない…
「その、備えっていうのは、どうするんです?」
たまりかねたのか、妖精さんが焦った様子でそう声をあげる。
そんな妖精さんの言葉に、みんなも竜娘ちゃんに注目した。
そして、竜娘ちゃんはスゥっと息を吸って、そしてまた静かに言った。
「あの方から魔王の紋章を引き離し、零号さんの勇者の紋章と合わせて、あるべきところへと返します」
あるべき、ところ…?
それってつまり、本来、紋章に適合している誰か、ってことだよね…?
まさか、それって…竜娘ちゃんのこと…?
そういえば、零号ちゃんも魔導協会のオニババも、竜娘ちゃんのことを器の姫、ってそう呼んでいた。
つまり…竜娘ちゃんこそが、本当の紋章の適合者、ってこと…?
「あるべきところに返して…それで、どうするんだ?
それで、魔導協会とサキュバス族を打ち払うのか?」
十六号さんがそう言って話をさらに先へと促す。
「いいえ」
竜娘ちゃんは、そう答えて一度目を伏せ、そして唇をぎゅっとかみしめて顔をあげ、言った。
「この世界を、終わらせます」
世界を…終わらせる…?ま、待ってよ、それ、どういうこと!?
「りゅ、竜娘ちゃん!それ、どういう意味!?」
妖精さんが声を大きくして竜娘ちゃんにそう尋ねる。
「世界を失くして、みんなを無にしよう、ってことなのか…?」
あまりのことに、十六号さんも戸惑った様子で聞いた。
でも、竜娘ちゃんは首を横に振る。
「いえ…この世界を、“古の勇者”様が現れる以前の姿に戻すのです」
それ、それってつまり…中央山脈をなくして、誰もが自由に行き来できるようにする、ってそういうこと?
私がそんなことを考えている最中に、竜娘ちゃんはさらに言葉を言い添えた。
「基礎構文を、消滅させます」
基礎構文を、消す…?
え…でも、待ってよ…基礎構文、っていうのは、この世界を、魔法の力を生み出しているようなものなんでしょ?
それが消えたら…世界から魔法の力がなくなっちゃう…
「…魔法にあふれたこの世界を終わらせる…そして、そのあとに残るのは、魔法の力のない新しい世界…」
十六号さんが、つぶやくように言った。
「あるいは、古い世界なのかもしれませんが…魔法を奪いされば、どちらの世界も混乱するでしょう。
それまでずっと魔法に頼った生活をしてきたのですから。
きっと世界は荒れます。治安も悪化の一途を辿るでしょう。
ですが…その中でなら、私はあの方の言葉がどんな人にでも届く可能性があるんじゃないかと、そう思うんです」
「…神様になるか、世界を壊してしまうか…どっちにしたって、姉ちゃんは救われないな…」
竜娘ちゃんの言葉に、十六号さんは引きつった笑顔を見せた。
それもそうだろう。
お姉さんの気持ちを思えば、賛成できるような話ではない。
世界を平和にしようって思っているお姉さんにとって、そんなことが起こってしまったら辛くないはずがない。
「でも、紋章のない魔王様と私たちだけじゃ、勝てない…」
妖精さんが、ポツリと口にする。
そう、その通りなんだ。
これは、賛成するしないの話なんかじゃない。
そうする他に、道がなかったときの話だ。
「望むのと望まぬのとにかかわらず、か…」
十六号さんも、喉の奥に押し込まれたような低い声でそう言った。
そう、お姉さんが紋章を扱えなかったとき、私たちにできることは少ない。
お姉さんの紋章を魔導協会とサキュバス族に引き渡して全員の命を保証してもらうように頼むとか、
あるいは、お姉さんの紋章が使えなくても戦うのか…
もっと他に、なにかやれることはないだろうか?
熱くなった頭でそう逡巡してみるけれど、いい考えなんて浮かんでこない。
こんなときに浮かんでくるんだったら、もっと前に考えついていたことだろう。
これまでだって、お姉さん達とずっとずっと考えて来たんだ。
世界を平和にするために…戦い以外にできることを、ずっとずっと。
でも結局、その答えは…
「世界を、壊すしかない…」
思わず、私はそう口にしていた。
「はい…あの方や私たちの命をつなぎ留め、なおかつ、平和への可能性を残せる選択だと思っています」
竜娘ちゃんは、沈痛な面持ちでそう言った。
「…魔法を消滅させて、世界を混乱させて…そこでもう一度、ケンカの落としどころを探す、か…
まぁ確かに…考えつく限りでは一番、先のことが見える話だな…」
そうは言いながらも、十六号さんの顔には苦渋の色に染まっている。
当然私も、強烈に胸が痛んだ。
竜娘ちゃんの話を聞けば、それ以外に方法はないかもしれないって思わざるを得なかった。
お姉さんが苦しんでも、なんでも、私たちが…なによりお姉さんを救うためには、転移魔法で場所を移して
そこで魔法の力を打ち消して世界を混乱させる他にない…
「…難しいけど…わかった。でも、お姉ちゃんの代わりに私が戦うんじゃダメ?私、みんなを守るためなら頑張るよ。
もし私が死んじゃっても、みんなが生きててくれれば、そっちのほうがずっといい」
不意に、全身をこわばらせた零号ちゃんがそう言った。
でも、すぐにそんな零号ちゃんの頭を十六号さんがペシッとはたく。
「バカ。アタシはあんたにも、十三姉ちゃんとおんなじくらい死んでほしくない。アタシだけじゃない、他の連中だってそう思ってる…
そういうのはもうナシにしたいから、こんだけ悩んでるんだ」
そう言い終えた十六号さんは、その手で零号ちゃんの頭を優しくなでつける。
目にいっぱい涙をためた零号ちゃんは、ギュッと噛みしめた唇をほどいて
「…わかった…」
と答えた。
「お姉ちゃんが私をとめるために私の腕を切ったのと、同じ。助けるためには、痛いことをしなきゃいけないときもある…そうだよね…?」
「うん、そうだ。十三姉ちゃんは苦しむだろうけど…それでも、なんにも見届けないまま死んじゃうよりはずっといい。
アタシ達も、十三姉ちゃんには生きててほしい。
できれば、みんな揃ってそばにいてやりたい。
そのためには、ちょっと痛い思い、してもらわないといけないけどな…」
十六号さんは優しい口調でそう言い、零号ちゃんを抱きしめた。
十六号さんそうして零号ちゃんを抱きしめながら、落ち着いた声色で
「そうか…内緒、ってのはそういうことで、か。
そうだよな。世界を壊すほかにやりようがない、って言って、十三姉ちゃんが魔王の紋章を渡してくれるとは思えない。
騙して引きはがすか…いや、何も言う前にとにかく削いじゃって、それからことの次第を伝えるほうがいい、か…
十三姉ちゃんが紋章を扱えてない状況になったら、十三姉ちゃんの石頭を説得してる余裕なんてないだろうしな…」
「はい、そうなのです…きっとあの方は、それでも、ご自身の扱えうる力を使って何かをなそうとすると思えます。
でも、今話の中に出て来たように、それは私達の誰かが命を落とすかもしれない、そんな選択です。
そうでない選択があるのであれば、取るべきではありません」
「魔族や、世界の平和、か…やっぱり重すぎたんだよ、十三姉ちゃんにはさ。あのひと、弱いんだ。弱くってとんでもなく優しいんだからさ。
いっそ十二兄ちゃんの方が良かったって思うくらいだ。あの人なら、ここまで深刻に悩んだりしなさそうだったのに…」
竜娘ちゃんの言葉を聞いた十六号さんは、零号ちゃんを抱きしめたままに浮かべた涙を、零号ちゃんの髪に、頬擦りと一緒にこすりつけた。
竜娘ちゃんや十六号さんの言う通り、だ…
お姉さんやみんなを助けるためとはいえ、事前にそんな話をお姉さんにしてもなっとくなんてしてくれないだろう。
私が竜娘ちゃんを助けに行くと言い張ったときと同じで、こっちが「もう決めた、やるしかないんだ」って見せつけるまでは、お姉さんは絶対に譲らないだろう。
それがわかっていてもやっぱりどこか胸がきしむ。
黙っているのだって、だましているのと同じだ…でも、そうするのが、きっともしものときにお姉さんやみんなのためになる。
「わかったよ、竜娘ちゃん…」
私は、竜娘ちゃんにそう伝えた。
「あぁ、そうだな…十三姉ちゃんが紋章をうまく扱えなかったら、紋章を力づくで分捕って、竜娘ちゃんに返す。そいつで、世界を終わらせよう」
十六号さんも、静かにそう言い、腕の中の零号ちゃんもコクコクっとうなずいて見せた。
「待ってください!」
そんなとき、急に妖精さんがそう大きな声をあげた。
あんまりにも急だったので、私はビクッと肩を震わせてしまう。
「ど、どうしたの、妖精さん!?」
私が聞くのも無視して、妖精さんは竜娘ちゃんに言った。
「どうして魔法を消すなんてことをしなきゃいけないんですか!
竜娘さんが紋章を引き継げるのなら、竜娘さんが魔王様に代わって魔導協会とサキュバス族をやっつけられれるですよね!?」
妖精さんの言葉に、私はハッとした。
そう、そうだ…竜娘ちゃんは、紋章をあるべきところに返すと、そう言った。
それなら、その紋章の本当の持ち主が…竜娘ちゃんが戦ってくれれば、魔法を消さなくても…
そう思って私は竜娘ちゃんを見る。
でも、竜娘ちゃんは少し不思議そうな顔をしてから、何かに思い当たったように首を横に振った。
「確かに私は器の姫と呼ばれ、魔導協会の資質検査ではあの方や零号さんよりも勇者の紋章への適合度は高いと判断されていました。
ですが、それはあくまでも比較的適しているというだけで、私が勇者の紋章や、ましてや魔王の紋章を真に扱えるわけではありません」
えっ…?ち、違うの…?
竜娘ちゃんが紋章を受け取って…それで、基礎構文を打ち消す、ってことじゃ、ないの…?
私は戸惑ってしまった。
だって、ずっとそういう風に思っていたから。
竜娘ちゃんが魔導協会に捕らわれているってわかって、それがどうしてかってみんなで考えたときから、
竜娘ちゃんは魔族と人間との間の子供だから二つの紋章を引き継げるに違いない、って、そう考えて来たんだ。
でも、私はそのことを思い出して、ふと気が付いてしまった。
それは、私たちがあのときそう思っただけで、誰かがそうだ、と言ったわけじゃなかった。
魔導協会のオニババですら、そんなことは言っていなかった。
魔導協会がお姉さんを狙っていたのは本当だけど、もしかしたらそれは勇者の紋章を狙っていただけなのかもしれない。
「私が器の姫、と呼ばれていたのは、勇者の紋章の器であるためだったと思います。
あの方から勇者の紋章を奪い、私と零号さんとの二人の勇者を使って、魔王の紋章を奪取し、そして魔導協会に保管する。
そして、その二つの勇者の紋章の力で魔族と人間を掃討し、恐らく私を、半人半魔の私を神に据えるつもりだったのだと思います。
そこから先は、最初にお話しした通りです。
人間と魔族の間の子である私が“人ならざる者”となるのなら、人間界も魔界も掌握しやすいと考えたのでしょう」
「そんな…じゃ、じゃぁ、誰です?二つの紋章を返すのは…その人にお願いするです。魔法を消さないでほしいって…だって…だってそんなことをされたら…」
妖精さんはなぜだかすごくおびえた様子で、絞り出すようにしてそういった。
どうして妖精さんが急にこんなになってしまったのか考えていたら、私の視線にトロールさんが映った。
体を小さく戻して、あの石肌のままの姿でいるトロールさんだ。
そう…いつだかに、妖精さん達は言ってた。
魔族が魔族たるには、魔法の力が必要。
それがなければ、魔族は人間に姿に“戻って”しまうんだ。
妖精さんやトロールさんは、ここにいる人たちと触れ合って、理解して、納得できたから今のように、そのときどきに合わせて姿を変えるようになった。
戦いがあるかもしれなかった基礎構文探しでは、あの小さな体になって全身を石で守るのが必要だったんだろう。
お城にいた妖精さんは、今はお姉さんと同じようなちゃんとした大人の姿に戻っている。
でもそれは二人がここにいたからだ。
魔界に住む他の魔族は違う。
すべての魔法の力を失い、姿まで人間に戻ってしまったら、その衝撃はどれほどになるのか、想像すらできない。
魔界の民を守るんだ、と言ったお姉さんの言葉は、また、果されることはない…
「羽妖精」
そんな妖精さんに、トロールさんが声をかけた。
「オイ達が魔族の姿でいることの理由を、思い出せ。オイ達魔族は、土の民として、田畑を作り高い城を建てるの民と別たれるために、魔族になった。
オイ達は認めるべきだ。この姿は…人間への憎しみと怒りの象徴だ。お前たちとは違う、我らは自然とともにある土の民である、と。
森を破壊し、草原を切り開き、畑や水田、果ては山の谷間にかかるほどの建物を造り、自然と我らの生きる糧を奪う人間とは違うという思いで
オイ達は魔族になったんだ。
この姿は…オイ達がなによりも一番に戦わなければいけない相手だ。そのためにどうするべきか…オイ達はこの城でたくさんまなんだ」
トロールさんのくぐもった声が、それでも室内にどよんと響く。
その一言で、妖精さんはキュッと噛みしめた唇にさらに歯を立てて、両手で顔を覆って、ひざから崩れ落ちてしまっていた。
そう、か…基礎構文を消せば、魔族も人間の姿に戻っちゃう。
きっと、魔族の中でもそれを受け入れならない、って部族が出て来たっておかしくはない。
でも、受け入れられなかろうが、基礎構文なしでは魔族は魔族の体を維持できない。
どんなにつらくっても、受け入れる他にないんだ。
「魔族には、その混乱が起こるでしょう。対して人間界では、すべての事物において魔法の使用が前提になっている器具や生活用具が無数にあります。
それが一気に機能しなくなる、となれば、人々はその日の食事をどう調理したら良いかわからなくなるでしょう…どちらにしても、同じです…」
トロールさんの言葉の言う通り、なのかもしれない。
私は魔族じゃないし、魔族の人たちの体が人間に戻ってしまうことの衝撃は想像する他にない。
そして、どんなに苦しくっても、認めてほしい。受け入れてほしい。
そして、憎しみだけを解き放ってくれるといい…そんなの、過ぎた願いだってわかっているけど、それでも…
トロールさんの言う通り、その姿を捨てるという覚悟は、とっても大事だって思う。
「おい、ちょっと待ってくれ…話戻して悪いけど、アタシも紋章を使えるのは竜娘かと思ってた。
でも、違うんだよな?それなら、教えてくれよ。紋章は、どのこ誰に返してやるんだ?」
トロールさんの言葉に、全身を震わせ、自分の身を抱きしめてしゃがみこんだ妖精さんをよそに、十六号さんがそんな大事なことを聞いた。
それは、私も聞いておかなきゃいけない。
竜娘ちゃんじゃないのなら…いったい、誰に、私は魔導協会とサキュバス族の討伐を頼めばいいんだろう…?
その人さえ、納得してくれるんなら、私達は魔法を失わずに済みながら、安全を手に入れることができるはずなんだ。
お姉さんが約束した魔界の平和も、そうなってくれればきっと実現できるに違いない。
だから、私も聞かなきゃ。
紋章が誰に手渡されるのか…その人との話次第では、まだ、私たちは選ぶ道を増やせるかもしれないんだ…!
私はいつの間にか期待のこもった胸を抱いて、十六号さんと同じように竜娘ちゃんを見やった。
すると竜娘ちゃんは、懐から古びた私の持っているのと同じくらいの長さのダガーを一本、取り出して見せた。
「そのことについては、私も考えていませんでした…少し、相談してみる必要があるかもしれませんね…」
誰もが、ダガーを取り出してそんなことを言った竜娘ちゃんに怪訝な表情を浮かべる。
そのダガーはとても上等そうには見えないし…
本当にボロボロで、古いなんてものじゃない。
あちこち朽ちているし、まるで、古いお城の跡から掘り出したような代物だ。
「零号さん、紋章を貸していただけますか…?」
竜娘ちゃんは、十六号さんの腕の中にいた零号ちゃんにそう声をかけた。
零号ちゃんは首だけグイっと竜娘ちゃんの方に向けて
「紋章を…そのダガーに…?」
と聞き返す。
「はい」
竜娘ちゃんが短く答えた。
すると零号ちゃんは十六号さんの腕からするりと抜けて出て来て、それでも十六号さんの手をしっかりと握ったまま二人で一緒に立ち上がって、
竜娘ちゃんの下へと歩いた。
竜娘ちゃんの前に立った零号ちゃんはふわりとダガーに右手をかざす。
零号ちゃんの右腕にあった勇者の紋章が光り輝き、その光がダガーへとまとわりついていく。
やがて零号ちゃんの腕の紋章の光が弱まり、紋章自体がうっすらと消え始めた。
同時に、ダガーの刃に勇者の紋章が青い光とともに姿を現し始める。
そして、竜娘ちゃんの紋章が完全にダガーの刃へと移動したとき、
私達はまぶしい真っ青な光の中に飲み込まれてしまっていた。
「い、今…なんて言った…?」
お姉さんは、言葉に詰まりながらもかろうじてそう口にした。
「この世界を、“古の勇者”様が作り変える前の姿に戻すと、そう言いました。
魔法も、魔族と人間との区別のない、あるべき姿へと戻します」
「そんなことしてなんになる!?そんなことしたら、世界が…魔界のやつらが!魔族が魔族でいられなくなるんだぞ!?」
竜娘ちゃんに、お姉さんは叫んだ。でも、竜娘ちゃんは顔色一つ変えずに言った。
「魔族という存在もまた、不自然なのです。魔法と同じように、世界にあるべき姿ではありません」
竜娘ちゃんの言葉に、お姉さんの表情が歪んだ。
怒りとも悲しみとも取れないけれど、とにかく激しい感情に揺さぶられている表情だ。
「なんでだよ…?あんたが迫害されたからか…?魔族に魔族と受け入れてもらえなかったから…魔界からあんたを追い出したから、その仕返しでもしようっていうのか!?」
お姉さんは、必死だ。
そうでもなければ、こんなことを言ったりなんかしない。
竜娘ちゃんが傷つくかもしれない、ひどい言葉だって、私は感じた。
「いいえ、そんなんじゃありません」
でもそんなお姉さんの言葉に、竜娘ちゃんは、笑った。
「私には、力がありません」
「…?」
「勇者の紋章は受け継ぐことができるらしいですが、それを手にしたこともなければ、満足に魔法を使えたこともないのです。
ですが…いえ、だからこそ、考えてきました。
特別な力もなく、世界を背負うことができない私は、本を読み、あの人に…魔王様に学び、そして平和とはなんなのかをずっと考えてきました。
勇者や魔王…そんな大きな力に頼らずにたくさんの人達が紡ぎだせる平和を。
それがあの石碑と基礎構文を読んだことで、ようやくまとまった…というのが、今の私の気持ちです」
竜娘ちゃんは、まるで詩でもそらんじるように、とめどなく先を続ける。
「そもそも、勇者様という存在に平和を託すことそれ自体が大きな過ちだと、私は思います。
この世界は、勇者様の所有物でもなければ、勇者様が支配し舵を取っているわけではありません。
この世界に暮らすのは、一人では世界を変えることのできない、私のように力のない者達です。
ですが、力がないからと言って何もせずにすべてを勇者様に託し、押し付け、自分たちは何事もないように暮らしていくことが正しいとは
私には思えません。
ここにいる皆さんは、あなたがそのことでどれだけ傷つき、どれだけ苦しんだかをよくご存知のはずです。
世界は、一人一人の存在があって作られているのです。
一人一人が苦しみ、悩み、ときに傷ついて、それでも平和であろうとする努力をしていく必要があります。
これまで、あなた一人が平和のためにしてきたように」
竜娘ちゃんは、そこまで言うと傍らにいた零号ちゃんを見やって頷く。
零号ちゃんも頷き返して、腰に提げていた革袋から、あの古びたダガーを取り出した。
そんな様子を気にも留めずに、お姉さんは竜娘ちゃんに叫ぶ。
「そうかもしれない…そうかもしれないけど、だけど…!あたしは勇者なんだ!勇者で、先代に魔王の名と役割を頼まれたんだ!
約束したんだ…あいつは命を懸けて魔族を守ったんだ!それをあたしは受け継いだ!だから、あたしも魔族を守ってやんなきゃならないんだよ!
だから、頼む…その紋章、返してくれ!
さっきのは何かの間違えだ!
今度は大丈夫に決まってる…あたしは、魔王の紋章だって使えるはずだ!」
お姉さんは竜娘ちゃんを睨み付けているんじゃないかって思うほどに強くて鋭い眼差しを向けている。
でも、そんなお姉さんに声をかけたのは、零号ちゃんだった。
「お姉ちゃん…」
「零号、頼む。あんたならわかるだろう?あたしは戦わなきゃいけないんだ。魔族と人間と、それからあんた達全員を守るために!」
泣きじゃくるでも、しゃくりあげるでもなく、ただただポロポロと涙を流している零号ちゃんに、お姉さんは言った。
でも、それを聞いた零号ちゃんは、ギュッと目をつむって、まるで辛い気持ちをこらえるかのようにして、お姉さんに聞いた。
「じゃぁ、私が試しても、いい?」
「…えっ…」
零号ちゃんの言葉に、お姉さんは固まった。
「私の体は、お姉ちゃんと同じだから…お姉ちゃんに使えるんなら、私にも使える。
お姉ちゃんが使えないんなら、私もさっきのお姉ちゃんみたいに苦しくなるでしょ…?」
「だっ…ダメだ!」
「…どうして…?」
「そ、それは…」
零号ちゃんの問いかけに、お姉さんは黙る他になかった。
お姉さん自身にも、きっとわかっていたんだ。
もう一度紋章を体に戻したところで、力を出せっこない、ってことが。
それどころか、お姉さんが零号ちゃんに味わわせたくないって思うほどに苦しむことになるんだ、ってことが。
また、部屋の中が静まり返った。お城の外からの怒号や鬨の声が、返って静けさを際立たせる。
お姉さんはがっくりとうなだれ、そして、零号ちゃんは涙をぬぐっている。
そんな中で、竜娘ちゃんだけは、引き締まった表情のままでいた。
「この場を切り抜けるためにも、他に方法がありません」
竜娘ちゃんは、端的に言った。
世界のこととか、平和のこととかじゃない。
現実的に、何か手を打たなければいずれ私たちはここで追い込まれて、そのあとはどうなるかわからない。
でも、それを聞いてもお姉さんは折れなかった。
引きつった表情で、それでも顔をあげて竜娘ちゃんを見やると
「それも、なんとかする。これまでだって、どんなヤバいときでもなんとかしてきた。今回も、きっとあたしが切り抜けてみせる」
と、表情とは裏腹に、声を張って言った。
さすがに、それには竜娘ちゃんの表情が曇る。
無理だよ、竜娘ちゃん。
私は心の中で思っていた。
説得して、納得してもらってから進めようって思っているのはわかるけど、お姉さんはそんなんじゃ絶対に譲らない。
こうと決めたら、絶対にそれを貫く人なんだ。
それがどんなに辛くても、苦しくても…お姉さんは、そんなことには負けない。
負けないで、傷だらけで、それでも立ち上がって前に進むような人なんだ。
だから私はお姉さんのそばにいてあげたい。
その苦しみを少しでも和らげてあげられるように、その傷を少しでも癒してあげられるように…
それは、これから先もずっとずっと変わらないことだ。
だから、お姉さん…ごめんね。
今は、もうやるしかないんだよ…
「零号ちゃん」
私はそう心を決めて零号ちゃんに呼びかけた。
零号ちゃんは、ビクッと肩を震わせて私を見る。
零号ちゃんは、おびえていた。
もしかしたら、勝手なことをしたらお姉さんに嫌われちゃうとか、そんなことを思っているのかもしれない。
それは…零号ちゃんにとってはやっぱり怖いことなんだよね。
でも、大丈夫だよ。
お姉さんはこんなことで嫌いになったりしない。
あとになればきっと分かってくれる…
「零号ちゃん。“助けるためには、痛いことをしなきゃいけないときもある”よ」
私はあの日零号ちゃんが言った言葉をなぞった。
すると零号ちゃんは私の思いを受け取ってくれたのか、また胸が詰まったような表情を見せてから両手でダガーをギュっと握った。
あの日のように、零号ちゃんの勇者の紋章が青く輝いて、そしてその光がダガーへと移っていく。
「な、何する気だ…!?」
お姉さんが戸惑って誰となしにそう声をあげる。
「基礎構文から世界を解き放つために、紋章を、あるべきところに返すのです」
竜娘ちゃんは、静かにそう言って零号ちゃんを見つめた。
青い光がまるで泉から水が湧き出るようにダガーから噴き出し、そして、零号ちゃんの紋章がダガーに移り切ったとき、
あの、目を開けていられないくらいのまぶしい光がほとばしった。
こうなるのは分かっていたけれど、それでも目を瞑らずにはいられないくらいだ。
やがて、その光が収まる。
そして、そこには、ダガーを手にした零号ちゃんと、もう一人。
あの日見た、お姉さんと同じ暗い色のもしゃもしゃの髪を無造作に後ろで束ねた大人の女の人が立っていた。
年齢はお姉さんよりも少し上くらい。サキュバスさんと同じくらいだろう。
髪の色なんかもそうだけど、目元もどことなく、お姉さんに似ている気がする。
お姉さんもサキュバスさんも魔導士さんも兵長さんも、目を見開いてその女の人をただただ見つめていた。
何が起こったのか分からなかったんだろう。
私も最初はただただ驚いて、おんなじように唖然とするほかになかったし、驚くのも無理はない。
そんな視線を浴びながら、女の人はあたりをぐるりと見まわして竜娘ちゃんに目を留めると
「話はついた?」
と尋ねた。竜娘ちゃんは、力なく首を横に振る。
すると女の人は、ふん、と鼻で大きく息を吐いて
「そう…か。まったく、血は争えないっていうかなんて言うか…」
なんて言いながら床にペタンと座り込んでいたお姉さんの前に歩み出ると、お姉さんの前髪をクシャっと撫でた。
「でも、あの子達に話は聞いてる。すまなかったな…」
そう言った彼女の手をお姉さんはハッとして振り払った。
と、次の瞬間には後ろに飛びのいて腰に提げていた剣を引き抜く。
「な、なんだあんたは!?零号から紋章を奪ったのか…!?」
お姉さんは彼女にそう叫んだ。
確かに、彼女の腕にはさっきまで零号ちゃんの腕にあった勇者の紋章が輝いている。
お姉さんは敵意に表情をゆがめて、剣の切っ先を彼女に向けて構えた。
お姉さんの腕にも勇者の紋章が輝き始める。
「待ってください」
不意に、そう声がしたと思ったら、お姉さんと彼女の間に竜娘ちゃんが割って入った。
竜娘ちゃんに剣を向けるわけにはいかないお姉さんは、しぶしぶと言った様子で距離を取り、それでも彼女をジッと睨み付けている。
「彼女が、紋章の本来の持ち主なのです」
竜娘ちゃんが言った。
でも、その言葉の意味はあまり伝わらなかったようで、お姉さんはなおも鋭い目で
「零号の紋章は、元の持ち主がいたってことか…?何モンなんだ、あんたは…!?この紋章に適合できるってことは…魔導協会の差し金か?!」
と言葉を投げるつける。
そうだろうと思う。
私だって最初は信じられなかったんだから。
いくら、“自分の身を”時間の外の世界に封じ込めていたからって、まさか、こんなに若い人が出てくるだなんて思わなかった。
「いいえ、違うのです…この方は…」
お姉さんの言葉に、竜娘ちゃんはそう言って最後は言葉を切り、
みんなの表情をひとつずつ見やってから、はっきりとした口調で、彼女のことを呼ばわった。
「この方が…二つの紋章を操りかつて世界を二つに分かった伝説の人。“古の勇者”様です」
つづく。
次回、最後まで書きたいな…
乙!
すっごい期待してる!!
まあ確かに今の俺たちの世の中に魔法ができたらこうなりそうだよな…
悲しいことに
乙
こういう方法で世界をリセットするか。
魔王も勇者もなんもかんも「ヒト」に戻してしまえ!
ってか。意外と清々しいかも。嫌な感じがしない。
ヒャッハーな世紀末チックな世界になるかもしれんがどうなるんだろうね。
期待値上がって仕方がないw
珍しく4レスもついてる!w
超感謝!!!!
>>745
あざっす!ただでは終わりません!w
>>746
魔法物ってとかくこういうイメージなんですよねぇ。
DBじゃないですけど、神龍に頼めばいいさー的な…
>>747
感謝!
「まおゆう」とか「はたらく魔王さま!」あたりでも似たような展開なんですよねぇ、結局。
ただ、キャタピラはただでは終わりませぬ。
4レスももらったので、頑張って書きましたw
引っ張られるのは自分が読み手だったときにじれったくなるため、書くときも基本あんまりしたくないんですが、
レスにお応えしてとにかく書きあがった分を投下しときます!
あの日、零号ちゃんの紋章がダガーに移ったあとの部屋を埋め尽くすほどの青い光が収まったとき、私が目にしたのは、裸姿の女の人だった。
彼女は、ぐったりと床に倒れこんでいて、ランプの暗がりでは息をしているのかどうかも分からなかった。
でも、そんなことを気にしている心の余裕は、私達にはあるはずもない。
まるで光の中からあふれ出てくるように、この女の人は現れた。
今のは、転移魔法なんかじゃない。
こんな魔法は、見たことがない。
この人は、誰…?
いったい、どこから出てきたの…?
私は、そう思ってふと、零号ちゃんが手にしていたダガーを見やった。
そこには、勇者の紋章が、まるでお姉さんや零号ちゃんが扱っているときのように、煌々と短い刃に輝いている。
それはまるで、ダガーが意志を持って勇者の紋章を光らせているような、そんな風に私には見えた。
「お、お、おい…」
十六号さんが誰となしに、詰まりながら口を開く。
「誰か、あれ、毛布…毛布だ」
「は、はいです!」
十六号さんの言葉を聞いて妖精さんが気を持ち直し、そう返事をしてベッドから毛布を引っ張ってきて女の人に掛けてあげた。
そんな様子を見ながら、十六号さんは竜娘ちゃんにどうにか、と言った様子で尋ねる。
「な…こ、こ、これ、誰…?」
すると、それを聞いた竜娘ちゃんも、どこか不安げな表情で答えた。
「恐らく…この方が“古の勇者”様、です」
「い、いにしえの…」
「勇者…?」
「この人が!?」
十六号さんと十七号くん、そして妖精さんがとぎれとぎれに驚きの声を口にした。
声を出せるだけ良い。
私なんて、のどがつっかえちゃって言葉らしい言葉は何一つ出てこない。
「はい…古文書によれば、大陸を二つに分けた後、“古の勇者”様は、この短剣に身を封じたと書かれていました。
封を解くには、二つの紋章をそろえなければならないと…そう書いてあったのですが…」
竜娘ちゃんも戸惑った様子でそう言い、そして女の人…勇者様を見やった。
「零号の紋章だけで、解けちゃったみたいだけど…」
「魔力の感じがする…もしかしたら、実態ではないのかもしれない」
「なんだよそれ…?ゴーレムとか、そんなのの類か?」
「分からない…こんな奇妙な感じの魔力は初めてで…」
こうなることが分かっていたのかどうか、十八号ちゃんも戸惑いを隠せない様子だ。
「ずいぶんと幼い子達に呼び戻してもらえたようですね」
勇者様はそう言って、どこかで見たことのある…そう、お姉さんがうれしいときの笑顔とそっくりな表情を見せてそう言った。
「こっちの言葉は、ちゃんと聞こえてる?」
「はい、大丈夫。聞こえていますし、理解もできています」
勇者様は、十六号さんにそう返事をして、それからややあって突然私達に向かって頭を垂れた。
「呼び戻していただけて感謝します。ところで、性急で申し訳ありませんが、今は開歴何年ですか?あぁ、開歴という年号はまだ使われているのでしょうか?」
勇者様はそう言って、私達一人一人の顔を覗き込むようにして見つめてくる。そんな勇者様に、十四号さんは言った。
「現在は国歴と改められていますが、開歴に計算し直すと…およそ開歴180年くらいだと思います」
「180年…随分時が流れてしまっているのですね。でみは、この時代では、土の民と造の民達はどうなっているのでしょうか?
「ついこないだまで戦争をしてたよ…いや、もしあんたが“古の勇者”だっていうんなら、あんたが世界を分けたそのときから、戦争が何度となく起こってる」
そう言った十六号さんは、どこか憎らし気な顔をしている。まるで、勇者様のせいだ、とでも言いたそうだ。
確かにそう考えてしまうところもある。でも、戦いならそのさらに前から続いていたんだ。それこそ、世界を分けなきゃいけなくなるほどに。
「戦いがやまなかったのですか?」
勇者様は十六号さんの言葉を聞いて、表情を変えずにそう言った。それを見て、私はなんだか奇妙な感覚を覚える。
そう、なんて言うか…人間と話しているんじゃないって感じるような、そんな感覚だ。
同じことを十六号さんも感じたらしい。さっき以上に敵意をみなぎらせた十六号さんは
「よくそんなのんきに言えるな!」
と声を荒げる。
でも、それを再び十八号ちゃんが押し留めた。
「待って、十六姉さん」
十八号ちゃんはそう言うと、勇者様に聞いた。
「あなたのその姿は、魔法か何かですか?」
すると勇者様はやっぱり顔色を変えずに
「その通りです。抑揚がないのはご容赦ください。まだうまく制御が出来ていません。まだ寝起きですので」
と答える。
「寝起きだぁ?」
十六号さんは、やっぱり気に入らないのかそう言葉を返す。すると今度は十四号さんが
「落ち着け、十六号。もし本当にそのダガーに自分を封印してたって言うなら、開歴って年号が使われだした前後の出来事だ。
開歴自体が世界が分かれたときに始まった年号のはずだったから、かれこれ180年近く眠り続けてたってことになる」
と割って入った。それを聞いた十六号さんは、納得はしていないみたいだったけどそれ以上突っかかっても意味がなさそうだってことは分かったらしく、
「気に入らないな、まったく…」
と悪態をつきつつ、それでも何とか矛を収めて
「それで…何がどうなってるんだ?」
と勇者様に尋ね直す。
「はい。本来なら二つの紋章がなければ私は封じられたまま。ですが、増幅の理の紋章を戻していただけたことで、短剣の中で意思だけは覚醒している状態です。
そしてその意思と増幅の理を用いて光と風を操り、この姿を顕現させています。故に、こに体は虚像に他なりません」
「ふぅん…いまいち信用出来ないな…」
勇者様の返答に十六号さんはそう答えた。
すると突然、勇者様がガクッとその場に膝から崩れ落ちる。あまりに突然で、私は思わず
「わっ」
と小さな声を上げてしまっていた。
でも程なくして、勇者様は再びゆっくりと立ち上がった。そして、今まで無表情だった顔を、一目見てわかるほどに申し訳なさいっぱいの表情に変えて
「ふぅ…うまく出来てる…かな?意識をこっちに反映させて見てる。確かに、人形まがいのままに話だなんて失礼だった。
ただこれ、長い時間は持たないだろうと思う…でも今はこれで許して欲しい」
と言い、十六号さんに目礼した。
あまりの急激な変化に、今度は十六号さんが
「あ、あぁ、うん…」
と戸惑いを隠しきれない様子で返事をした。
それを見た勇者様は、それからみんなを見回して再度頭を垂れ、
「君たちも、申し訳なかった」
と謝る。
私は、そんな様子にハッとした。なんだかその仕草がお姉さんによく似ていて、まるでお姉さんに謝られたように感じたからだった。
零号ちゃんもそれを感じたらしく、ふとした様子で
「お、お姉…ちゃん…?」
と言葉を漏らした。するとすぐに勇者様がその言葉に反応する。
「ん…?君は…」
そう言いながら勇者様は足音もさせずに零号ちゃんに近づくと、その額にそっと手を置いた。
フワリと微かな風のようなものを感じたと思ったら、勇者様の全身が微かな青い光を纏う。
零号ちゃんは、そんな勇者様にされるていることを、何事もなく受け入れていた。
やがて零号ちゃんから手を離した勇者様は、その両腕で零号ちゃんを抱きしめた。
「わぷっ」
「驚いた…遠い子孫が居てくれただなんて…」
し、し、子孫…?零号ちゃんが…?
で、でも待って…零号ちゃんは、お姉さんの体から取り出された肉体の一部から生まれた存在だから…
その、つまり零号ちゃんがそうだって言うことは、お姉さんが、古の勇者様の子孫、ってことになるの…?
「あの、わ、わ、私は…」
腕にだかれていた零号ちゃんがそんなふうに慌てて、自分の生い立ちと成り立ちを説明した。
すると、勇者様は、零号ちゃんから体を離し、深いため息とともに、お姉さんや十六号さんがするように、零号ちゃんの頭を撫でた。
「そう…じゃあ、君もそうだけど、君の体の元となったって子が私の妹の孫の孫の孫…くらいに当たるんだろうな…」
零号ちゃんを愛おしむようにして撫で付ける勇者様は、どこか切な気な表情だ。
もし十四号さんが言うように180年もの間眠り続けていたんだとしたら…妹さんって言う人は、きっと遠い昔に死んでしまっているんだろう。
零号ちゃんに手を当てただけで彼女が妹さんの子孫だってことが分かるっていうのもなんだか不思議だけど…
でも、なぜだか、勇者様にはそんなことが出来ても納得してしまうような雰囲気があった。
そんなことを思っていたら、勇者様は不意に顔を上げて私達の間に目配せをしながら
「それで…あたしの封印を半分解いてくれた理由を聞かせてくれないか?」
改まって言った。
そう、そうだった。いけない、あまりのことに驚いて、大事なことをすっか忘れてしまっていた。私は、気を取り直して竜娘ちゃんを見やる。
竜娘ちゃんも私を見てコクっと頷くと、世界に今起こっていることを事細かに説明し始めた。
勇者様は竜娘ちゃんの話を、まるで胸が避けてしまうんじゃないかっていうくらいに辛そうな表情で聞き、
「…これが、この大陸にこれまで起こったこと、そして今起こっていることの全てです」
と竜娘ちゃんが話を締めると、しばらくの間、その場で見動きせずに固まってしまった。
あの謝罪文だという古文書にあった通りなら、勇者様は当時、他にすべもなく、世界を二つに分けて争いを止め、
二つの民の間に満ちた怒りや憎しみを拭うための方法を探す時間を作ろうとしたんだ。
勇者様は根本的な解決にはならなくても、二つの民が持つ憎しみや怒りを取り払うことは出来なくても、大きな戦いは一旦避けられると、そう考えていたんだろう。
でも、現実はそうは行かなかった。争いを止めるために「管理者」と言う人達の手によって作られた基礎構文によって、世界には魔法があふれた。
そしてその魔法は、分け隔てたはずの世界を簡単に越え、戦いが繰り返されたんだ。
さらには繰り返される戦いで拭おうとした怒りや憎しみが、さらに深まってしまった…
私はそのときになって、ふと、基礎構文とは何か、って話のことを思い出していた。
基礎構文はサキュバス族には“世界を世界たらしめている”ものとして話が伝わっていて…
そして、魔導協会のオニババが竜娘ちゃんに言ったのは“争いを促した忌むべきもの”…
二つの言い伝えは、まさしく基礎構文がもたらしたものを確かに示していた。
そしてそれは、古の勇者様が想像した以上に、この世界に悪い作用をもたらしてしまっていたんだ…
勇者様はしずんだ表情でしばらく黙り込んでいた。
しばらくして、勇者様は重々しくその口を開く。
「戦いを避けることはできないと、そうは思ってた。でも、まさか“円環の理”のせいで、そんなにも悲惨に戦いが続いていただなんて…」
勇者様はケンカの落としどころを間違えたんじゃないか、って、ついさっきまで十六号さんと話をしていたけど、それも少し違ったようだった。
竜娘ちゃんが教えてくれた謝罪文にもあったし、勇者様が言ったように、そのことは勇者様の想定内だったんだ。
魔族と人間との世界に分けて、解決はできなくても一旦は争いを回避できるとそう思ったんだろう。
勇者様はその場にひざまずいたまま、頭を抱えるようにして深いため息をついた。
でも、それからすぐに顔をあげた勇者様は、食い入るように私達を見つめて
「それで…あたしを呼び出してくれたのは、どうしてなんだ?」
と聞いてくる。
それに答えたのは、竜娘ちゃんだった。
「今ここには、勇者の紋章と魔王の紋章が揃っています。ですが、神代の民…勇者様が書き残したところの『管理者』達の末裔一派がそれを狙っています。
神代の民の末裔は人間と魔族の連合軍を率いて、近日中にもこの城へ迫ってくるでしょう。
私たちは戦うつもりですが…勝敗はどうなるか分かりません。いえ、今、二つの紋章を持っている方の意志に従えば、勝ってはいけない戦いです。
もし私たちが敵わないと突き付けられたとき、私達には生き残るための方法が必要なのです。
そのために、勇者様をここへお呼びいたしました」
「そう…ユウシャとかマオウとかマゾクとか…分からない言葉も多いけど、
とにかくこれから、二つの紋章が揃ったここに、土の民と造の民が手を携えて攻め込んでくるってことだな?」
勇者様はそういうとほんの少しだけ口元をゆがめた。
みんなにはどう映ったか分からなかったけれど…私にはそれが、かすかな笑みのように見えていた。
「はい…皮肉ながら、二つの紋章を持っている、その…勇者様の子孫にある方は、この時代で一時は人間軍を率いて魔界へと攻め入った先鋒でしたが、
戦いのあとは、二つの民の融和を願って尽力されてきました。
ですが、勇者様がいらっしゃった時代に『管理者』達がしたように、今この時代でも、その末裔たちが人ならざる者を求めて暗躍しています。
結果的に、私達と『管理者』の末裔は反目し合っている状態です。」
「そうか…そのあたしの子孫ってのは、あたし以上の苦しみを背負わされてるんだな…」
竜娘ちゃんの言葉に、勇者様は再び表情を曇らせて悲しみを浮かべる。
そんな勇者様に、竜娘ちゃんは続けた。
「いくつか伺いたいことがあり、そしてその内容次第では、勇者様にお願いしたい儀がございます」
それを聞いた勇者様は顔をあげ、そして悲しげな表情をなんとか引き締め返事をした。
「うん、わかった。すべてはあたしの責任だ。どんなことでも聞いてくれていい。知っている限り答えるし、頼み事っていうのもできる限り意に沿うようにしよう」
でも、その目にはやっぱり、言い知れぬ悲しみが満ちているように、私には思えてならなかった。
「い、いにしえの、勇者…?」
「その女が、そうだっていうのか…?」
「そんなことが…ありえるのですか…!?」
その瞬間、部屋が凍り付いたように感じたのは、私だけじゃなかったはずだ。
サキュバスさんに魔導士さん、そして兵長さんがそれぞれ信じられない、って顔をしてそうつぶやく。
だけどそれを聞いた勇者様は、
「二つの紋章を使ってね。時間の流れの外にこの体を封印してた」
なんて、初めて私達が会ったときとは違って、随分と軽い調子でそう言い、右腕に浮かんだ勇者の紋章を掲げて見せた。
それから小首をかしげて
「もっとも、その“ユウシャ”って呼び名、しっくりこないんだけどさ」
と苦笑いを浮かべる。
そんな様子に、三人とお姉さんは言葉を継げなかった。
何を言ったらいいかわからなくなるのも当然だろう。
だって、目の前にいるのはこの大陸に伝わる伝承の登場人物なんだ。
生きていること自体がそもそも信じられないだろうし、そのうえ、何にもないときのお姉さん以上に奔放な感じがする。
もうずっとずっと昔の人のはずなのに、まるで本当にちょっとお昼寝をしてた、くらいの気軽さだ。
「あんたが…古の勇者…?」
不意に、お姉さんが何とか口を動かして、そう勇者様に聞いた。
「今はそう呼ばれてるんだってね。うん、そう。あの高い山を作った張本人。たぶん、あなたの遠い先祖の、その姉さんだよ」
勇者様は、そう言って屈託なく笑い、それから
「ついこないだ、このおチビちゃんに紋章を返してもらえてね。それで、ようやく戻ってこれたんだ」
と、おびえた表情の零号ちゃんにかぶりを振って言った。
「あ、あいつらの魔法陣は…あんたが…?」
そんな勇者様に、お姉さんは声を震わせながらそう聞く。
「そう。もしものときのために描いておいたんだ。この紋章ほどじゃないけど、それなりに強い効果が見込めるからね」
勇者様は、肩をすくめてさらりと答えた。
そう、あの日の夜に私たちは勇者様に魔法陣を描いてもらった。
それは勇者の紋章によく似ていて、勇者の紋章と同じように青く光る魔法陣だ。
基礎構文のことを話す前に、お姉さんの説得がうまくいかなかったときのために、お姉さんから魔王の紋章をはぎ取る必要があった。
そうしようと思えば、魔導士さんやサキュバスさんがそれを防ごうとするのも想像できる。
私達には、少なくともお姉さんを含めた三人を取り押さえられるだけの力を、勇者様の紋章に与えられていた。
そうでもなければ、私が魔導士さんの動きを抑えるために力を貸せるほどの魔法を扱えるはずがない。
このために、あの夜から私達はずっと長袖を着て過ごしていた。
暑い日も、日焼け防止を理由にして、長袖を着続けた。
腕に浮かぶこの魔法陣が見つからないように…
「そ、それで、自分を封印してたって…?いったい、なんのために…?」
お姉さんは、剣を握りしめたままにさらにそう尋ねる。
「長い話になるけどね…伝わってる話だと、土の民と造の民との長い戦いがあった、ってのは知ってるよね?
それを治めるために、“円環の理”を使って力場を作って、この紋章は生まれた。
“円環の理”ってのは基礎構文っていうとチビちゃんは言ってたな。
あぁ、それはまぁともかく、紋章の力があったって争いが止められるってわけじゃなかった。
作り出した連中には、力づくで平和にしろだなんて言われて…まぁ、早い話が秩序そのものになれ、と言われたんだけど、
そんなことが正しいとも思わなかった。
結局あたしは答えを見つけられないまま、ただ二つ民を分けた。
それじゃあ、根本的な解決にはならないだろう、って分かってたけどね…それ以上、血が流れるのを見てられなかったから。
その代わりに、あたしはあたし自身を封印した。
戒めの意味もあったし、封印された遠い感覚の中でも少しは考えることだってできた。
あたしはそこで答えを探してた。
もし、民の側が答えを見つけられたのなら世界をもとに戻すつもりでいたから、二つの紋章をそれぞれに分けさせて管理するように言ったんだ。
二つに分けた世界をもとに戻すためには両者が手を取り合って紋章を持ち寄らなきゃいけない…そんな風に考えたんだけど…
結局、あたしのしたことは、戦いを回避させるどころかもっと大きな泥沼にさせちゃったみたいだ」
そういうと、勇者様は肩を落とした。
「だから、すまなかった…あなた達とこの大陸を苦しめたのは、他でもないこのあたしだ」
勇者様はそう言うと、お姉さんの前にひざまずいた。
「償いはなんでもしよう…罰を受けろというのなら甘んじて受けよう。
でもその前に、あんた達の役に立たせてくれないか…?
死ぬにしても、このまま世界をほったらかして逝ったんじゃ、死にきれない」
そして、顔をあげた勇者様は、お姉さんの目をまっすぐに見つめた。
その目をあの日私が見た勇者様の瞳だった。
そしてそれは、お姉さんと同じ目でもあった。
あの、悲しい顔をして笑うときにいつも見せる、苦しみと傷つく痛みにおびえる瞳だ。
お姉さんは、それを聞いてしばらく黙っていた。
それまでの驚きと戸惑いの表情を浮かべていたお姉さんは、まるで今の話を何度も頭の中で整理しているような、そんな風に見えた。
そして、それがお姉さんの中で理解されてきたんだろう、やがてその表情が、泣き出しそうに歪み始める。
「それじゃぁ、あんたなら…二つの紋章を使うこともできるんだな…?」
お姉さんは、静かに、私が見ても分かるくらいに、心を落ち着けようとしながら勇者様に聞いた。
剣の切っ先が、かすかに震えている。
「うん」
そんな短い返事を聞いたお姉さんは、握りしめていた剣を震わせ、そして、ガチャリと床に取り落とした。
それを拾うでもなくお姉さんは床に崩れ落ちて、ついには全身を震わせはじめる。
「本当なんだったら…頼む…魔族を…土の民ってやつらを救うために、あたしが言うやつらを殺してきてくれないか…?
二つの紋章を使えるんなら、それができるはずだ。
頼むよ…あたし、約束したんだ。
魔族を、魔界を、平和にするって…基礎構文を消したら、魔族が魔族でいられなくなるんだ。
そんなの、あんまりだろ…?」
お姉さんは、床に這いつくばりながらそう勇者様に頼んだ。
懇願って言った方がいいのかもしれない。
そこにはいつものお姉さんの凛々しさも不敵さもない。
ただただ魔族を救いたいだけの、ただの人間の女の人の姿だった。
でも、そんなお姉さんに、勇者様は言った。
「それで、何が変わるわけでもないよ」
その言葉に、お姉さんがビクっと体を震わせて顔をあげる。
その両頬は、大粒の涙でいっぱいにぬれていた。
「殺してしまったら、結局のところ何にもならない。一人や二人じゃないんだろう?
大勢を殺せば、それだけでこの力は恐怖の対象になる。誰かがその惨劇を語り継ぎ、この力は神になる。
あとは誰かがそれをあがめ始めれば、すべてが決まっちゃうよ。
そしたら、やつらの思うツボだ。
もしかしたら、そうさせるためにこんな軍勢をけしかけているのかもしれない。
不安や恐怖で作られた秩序の下に生きるのは、平和とは言わない。
あなただってそう思っていたはずだろ。そしてそれとは違う方法をずっと考え続けて来たはずだ。
ここへきて、それを手放さないでほしい」
勇者様はそう言って、お姉さんの頬の涙をぬぐった。
「“円環の理”…基礎構文は、この世界に恐怖と怒りをのさばらせてしまった。その結果が今だ。
あのチビちゃんがやったように、多少の痛みを伴っても消し去らなきゃいけない」
だけど、お姉さんの涙はあとからあとからあふれ出てきて止まらない。
勇者様は、なおもそれをぬぐいながら、私の方を見やった。
「あの子は、ずっとあなたと共にいてくれたんだろ?」
勇者様の言葉に、お姉さんも私の方を見て、それからコクっと頷く。
「あの子だけじゃないんだろうけど…あたしは、あなた達のような人をずっと待っていた。
苦しみに耐え、痛みに耐えて、その先の何かを探せるような意志を持った人だ。
確かに基礎構文を消し去れば、この大陸に満ちた円環の力は消える。
あの、自然と一体になって生きるための魔族って人たちの姿も人間に戻る。
その痛みは、想像を絶するだろう…
だから、あたしはあなた達に頼みたい。
そうなってもなお、彼らの味方で在ってほしい。
あの子達があなたにしてくれたように、誰よりもあなたが、彼らの痛みに寄り添い、そばにいてあげてほしい。
きっとそこから、世界は変わっていく…基礎構文によってゆがめられた世界が終わって、新しい次の世界が始まっていく。
苦しく辛く、暗い時間が続くかもしれない。
きっと、明日を照らす希望の光が必要だ。
あなたと仲間たちとで、土の民の…いや、この大陸の光となってくれよ」
勇者様は、よどみなく、まっすぐにお姉さんにそう伝えた。
お姉さんは、全身をこわばらせてさらに震え、勇者様のシャツの襟首を握り、嗚咽をこらえながら
「あたしに…できるかな…?」
と、かすれた声で聴く。
そんなお姉さんに、勇者様は優しい声色で答えた。
「できるよ。あなたと、あなたのそばにいてくれる人達なら」
それを聞いたお姉さんの手がずるりと勇者様の服から滑り落ちて、ついにお姉さんは床に崩れ落ちた。
そして、泣き出した。
まるで子どもみたいに…このお城に攻めてきて、お姉さんに諭された零号ちゃんとおんなじに、声をあげて…
「魔王様…」
ふと、サキュバスさんがそうつぶやいた。
それを聞き、十四号さんがサキュバスさんを恐る恐るといったようすで開放する。
サキュバスさんは小走りでお姉さんのもとに駆け寄ると、その肩をそっと抱いた。
「魔王様…もう、もう充分です…」
そう言ったサキュバスさんも、顔を涙でいっぱいに濡らしている。
そんなサキュバスさんに縋りつくようにしてお姉さんは言った。
「ごめん、サキュバス…ごめん、ごめん…あたし…約束守ってやれないよっ…!」
「もういいんです…終わりにしましょう、魔王様…先代様も、きっと分かってくださいます…同じことを願われたと思います…だから…もう…」
サキュバスさんがお姉さんにそう言って、お姉さんの肩を強く抱き寄せる。
私は二人の様子を、一緒に涙をこぼしながら見つめていた。
お姉さんが先代様を討ったとき、お姉さんは何を感じたんだろう?
私に出会うまで、何を思って旅をしていたんだろう?
サキュバスさんは先代様が目の前で息を引き取って何を感じたんだろう?
お姉さんがこのお城に帰ってくるまでの間、なにを思っていたんだろう?
そんな疑問が頭の中にあふれかえって、胸を締め付ける。
先代様とサキュバスさんは夫婦みたいなものだった、と聞いたことがあった。
夫を殺され、殺した相手の従者になって、それでもサキュバスさんはお姉さんに心を開いた。
サキュバスさんはお姉さんを誰よりも思いやって、誰よりも信頼しているし、
お姉さんも、サキュバスさんには誰よりも頼って甘えて、そしてサキュバスさんの気持ちを何よりも大切にしている。
それは、そばにいる私が一番よく分かっていることだった。
そんなことを思って、ふと、私は気が付いた。
この二人こそ、きっと怒りや憎しみを超えた二人なんだろうって。
気持ちや、事実や、その他のいろんなものを一切合切に抱きとめて、それでも先のことを見据えて来た二人だからこそ、できたことなのかもしれない。
そう考えたら、勇者様の言葉は確かにその通りだ。
お姉さんなら、ううん、お姉さんとサキュバスさんなら、魔法がなくなって魔族が人間に戻った世界でも、きっと大丈夫…
二人の姿を見ていて、私はそう強く感じて、そして不思議と安心した心地になっていた。
どれくらい時間がたったか、お姉さんが泣き止んで、サキュバスさんに支えられておもむろに体を起こした。
そして、ふぅ、と息を吐いて、勇者様に言った。
「分かった…」
そんなお姉さんの手をサキュバスさんがギュッと握りしめる。
「基礎構文を消してくれ」
低く、かすれてはいたけど、お姉さんは力のこもった声でそう言った。
「うん、わかった。任せて」
勇者様は、相変わらずの優しい笑みでそう答える。
その返事を確かめたお姉さんは、黙って様子を見つめていた零号ちゃんを見やった。
「零号、頼む」
そう言われて零号ちゃんは、ようやくあのおびえた表情を解き、おずおずと、魔王の紋章を移し替えた自分のダガーを手に、三人の下へと歩み寄る。
これで、勇者様に魔王の紋章が戻れば、世界が終わる。
そして、新しい世界が始まるんだ。
大変な世界になるかもしれない。
でも、今のままでは、いずれもっと大きな戦いが起こって、もっとたくさんの人が傷つくだろう。
そうでなくても、もう数えきれないほどの人たちが傷つき、苦しんできたんだ。
ずっとずっと昔から続いてきたしがらみをほどくことができるかもしれない機会がやってくる。
そのときには私も何かの役に立とう。
私は、知らず知らずに心の中でそう決意を固めていた。
零号ちゃんが、自分のダガーから魔王の紋章をペラリと引きはがした。
そして、持ち替えた勇者様が封印されている古いダガーの刃に、その紋章をゆっくりと押し当てていく。
青い勇者の紋章の光をまとっていたダガーに赤い光が加わって、白く明るく輝き始めた。
これで、勇者様の封印が解ける。
自分で自分を封印して、それで、ずっとずっと長い間眠り続けて来た。
あの古文書にあったように、自分のことを責め続けていたのかもしれない。
それも、今日で少しは楽になるのだろうか?
世界が二つに分かれた日から大陸に起こった出来事がなかったことになるわけじゃない。
それでも、新しい世界を切り開くために力を貸してくれた勇者様は、訪れた新しい世界で何を感じるんだろうか?
すべてが終わって、新しい世界が始まったら…勇者様は、何をするのかな?
普通の人として暮らすんだろうか?
それとも、まさか自殺したりはしない…よね?
いや、その心配はちょっとある…もしものときのために、みんなで勇者様を見張ってないといけないね。
基礎構文が消えたら紋章もなくなるし、強い力も消えてしまう。
そうなったら普通の一人の大人と同じ。
大陸の真ん中に人が踏み入れないような高い山を作り出したり、自分を封印したりもできないはずだからね。
そんなことを考えていて、私はふと、頭の中に奇妙な疑問が湧いて出るのを感じた。
そう、紋章がなければ、自分を封印したりもできない…
その疑問を自分の頭の中で繰り返して、私は、なぜその疑問が湧き出たのかを理解した。
勇者様は、自分で自分を封印した、とそう言った。
でも、それじゃあなぜ、二つの紋章も一緒に封印されなかったのだろう?
それとも、封印するのに紋章は必要ないのかな?
だけどそんな魔法が魔法陣やましてや魔族の自然魔法でできるわけがないし、そもそも勇者様は紋章の力で自分を封印したと言っていた。
でも、それじゃぁ、どうして…どうやって…?
いったい、勇者様はどんな方法で、紋章を持たないままに紋章を使って自分自身をダガーの中に封印したっていうの…?
ゾワリ、と背筋を何かが走った。
つい今まで感じていた安心感がボロボロと崩れていって気持ちが落ち着かなくなる。
考えすぎだと自分に言い聞かせてみても、その不安は私の中でどんどん膨れ上がっていた。
もし…もしも…
そんなこと普通に考えたらありえないし、竜娘ちゃんが聞かせてくれた話にも疑うところはない。
でも、でもだよ…
もし、誰かが何かの理由で、勇者様から二つの紋章を引きはがして、それを使って勇者様の身を封印したのだとしたら…?
勇者様が紋章もなしに自分を封印するなんて、そんな方法しか思い浮かばない。
もしそうだとしたら…その理由って、なに…?
「ゆ、勇者様!」
私は思わずそう声をあげていた。
確かめられずにはいられなかった。
考えすぎならそれで良い。あとで謝ればいいんだ。
でももし、そうじゃなかったとしたら…私達はもしかして、取り返しのつかないことをしようとしているのかもしれない…!
「ん、どうしたの?」
勇者様は、相変わらずの優しい笑顔で私にそう聞き返してくる。
そんな勇者様に、私は聞いた。
「勇者様は…どうやって自分を封印したんですか…?紋章を持たないまま封印されていたってことは、封じ込めるときには紋章がなかった、ってことですよね!?」
私は、不安にせかされて早口で大声でそう聞いた。
私の言葉に、今までのやりとりで出来上がっていた悲しみと決意の雰囲気に満ちた部屋の時間が止まったようだった。
みんなが一瞬、ぽかんとした表情を浮かべる。
でもそんな中で一人、当の勇者様だけが、ニタリ、と気味の悪い笑顔で私に笑いかけてきた。
「あなたは、頭のいい子だな」
次の瞬間、勇者様が突き出した指先から一筋の光が伸びてきて、私の胸を穿った。
つづく。
乙!
勢いで張り付けたら数行抜けてました。
申し訳ねえ。
>>749
そんなとき、床に倒れこんでいた勇者様が、突然バチっと目を開けた。
「お、お、お、おい、あんた!大丈夫か…?っていうか、何モンなんだ…?」
それに気づいた十六号さんが、すかさずそう勇者様に聞く。
すると勇者様は部屋をぐるりと見まわしてから、パクパク、っと口を動かして、何かに驚いたような表情を見せた。
「しゃべれないのか…?」
「いいえ、十四兄さん。待って…」
何かをやりかけた十四号さんを十八号ちゃんが制して、勇者様に視線を戻す。
十八号ちゃんだけじゃない、みんなの視線を浴びながら、勇者様は何度か息を吸い込むと
「あー…うー…んー…」
と、まるで喉の調子を確かめるみたいに鳴らして、それから改まった様子で顔をあげて私達一人一人を見やった。
>>750
とつながります。
幼女ちゃあああああああん!!
いつもコメント自重してたけど、喜ばれるならいくらでもするぞ!
乙!
乙!
幼女ちゃんの考えを理解したとき一気に体がゾワッとしたわ
乙
>「あなたは、頭のいい子だな」
(ニヤリ)と擬音が聞こえてきそうなこのセリフ、しびれるわあ。
基本何もできない幼女ちゃんが何もできない故に周りの連中より何気ない事に気が付く展開、良いねえ。
この場面だけで幼女ちゃんが主役であることに意義があるよね。
物語のスケールが大きくなってきて幼女ちゃん視点での描写に困っていた様子だけど、個人的に満足できる回答な気がする。
めっちゃ上からの物言いで申し訳ありませんけど。
数日かかったけど一気読みした
うわっ!!
どーなるのこれ!!
面白い!!
>>764
レス感謝!
幼女たんがっ!
>>765
レス感謝!!
せっかくの掲示板なのですしね、馴れ馴れ合い合いしましょうw
>>766
レス感謝!!!
ゾワっとしていただけて良かった!
>>767
いつも感謝!!!!
上からだなんてとんでもない!
そこを褒めていただけると苦労した甲斐があります…
なにしろ戦えない子なので、激戦にどう首を突っ込ませるかを毎回悩んでおりましてw
最後まで幼女ちゃんはお姉さんのそばにおります!
>>768
レス&一気読み感謝!!!
スレたてした頃は短編で終わりのつもりだったんですが、気づけばここまで来てしまいました
これからまた大変なことになりますw
さて、続きですが、日曜日の夜までには投下出来たらいいなぁと思っています。
たぶんエピローグまでかけると思いますが、もし間に合わなかったらまた引っ張る形になるかもです。
そうなったらごめんなさい…!
「勇者様は…どうやって自分を封印したんですか…?紋章を持たないまま封印されていたってことは、封じ込めるときには紋章がなかった、ってことですよね!?」
私は、不安にせかされて早口で大声でそう聞いた。
私の言葉に、今までのやりとりで出来上がっていた悲しみと決意の雰囲気に満ちた部屋の時間が止まったようだった。
でもそんな中で一人、当の勇者様だけが、ニタリ、と気味の悪い笑顔で私に笑いかける。
「あなたは、頭のいい子だな」
次の瞬間、勇者様が突き出した指先から一筋の光が伸びてきて、私の胸を穿った。
ドサリと体が床に転げた衝撃だけが感じられた。
体が動かない。痛みもない。
それなのに、妙に意識だけがはっきりとしている。
おかしいな…死んじゃうときってこんなものなのかな…?
私は、床に転がったまま、目の前の景色をただ眺めているしかなかった。
「に…人間様…?」
最初に言葉を発したのはサキュバスさんだった。お姉さんの肩を抱いたまま、何が起こったのか、って表情で私を見つめている。
「ゆ…勇者様…?一体、何を…?」
次いで、竜娘ちゃんが絞り出すように勇者様に聞く。すると勇者様は立ち上がって、そして、嘲笑った。
「あはは…!ははははは!まったく、どいつもこいつもおめでたい奴らで助かったよ!どうしてその子のように考えなかったんだ!?」
そう言った勇者様の声は、もう、それまで聞いてきた勇者様のものとは全く違う、おどろおどろしい低く耳障りな声だった。
部屋にいた全員が、そんな様子に凍りつく。
「何を…何を言ってる…?あいつに、何をした…!?」
お姉さんが、戸惑いながらも鋭い口調で勇者様にそう問いただす。すると勇者様は、ニタリとさっきの気味の悪い笑みを浮かべてお姉さんに聞き返した。
「あなたは、この世界に救うだけの価値があるか、と考えたことはないのか?」
その言葉に、お姉さんは固まった。戦いが始まった直後、お姉さんは同じことを私に言った。
お姉さんを傷付けるだけの世界を…お姉さんが救わなきゃいけない道理なんてないのかも知れない。私ですらそんな思いが一瞬でも過ぎったんだ。
お姉さん自身がどれだけそれを痛切に感じていたかは想像に難くない。
身に覚えがあるお姉さんを見て、勇者様はまた笑った。興奮して…とても愉快そうに…
「あるだろう…?あたしもだ。戦いのやまない世界。あたしを利用したいだけの人間達ばかり。そんな世界を救ってやる価値も意味もあるわけがない。
いっそ、基礎構文と一緒に消えてなくなってもらったほうがすっきりすると思うだろう?」
そう言った勇者様は、お姉さんを見つめて、そして言った。
「あたしは自分を封印したんじゃない。封印されたのさ。この世界を人のいないまっさらな状態にしようと思っていたところを二つの紋章を奪われてね」
勇者様の言葉に、お姉さんの表情が醜く歪んだ。
「待て…待てよっ…!じゃぁ、さっきの言葉は…?あいつらに手を貸してくれてたのは…!?」
「本当にめでたい子だな。決まっているだろう?二つの紋章を手にして封印を解くためだ。この大陸の滅ぼすためにな!」
そう言いのけた勇者様は、突然に太陽のように真っ白に輝いた。
誰もが目をそらす中で、体の動かない私だけがその様子を見つめる。光の中で、勇者様は姿を変えつつあった。
サキュバスさんのような羽を生やし、竜娘ちゃんのような鱗の肌で全身を覆い、獣人族のように大きくて力強い体付きになり、頭からは天を衝くように鋭い角が現れる。
その姿はおおよそ勇者様だなんて呼べるようなものではなかった。
そう、あの姿はまるで、寝物語の中に出てくる魔王そのもの。
現実の魔王様とは全く違う、ただの恐怖と絶望の象徴のような姿だった。
「そんな…そんな…」
その姿を見て、竜娘ちゃんがガクガクと震えて床に座り込んだ。
「嘘だろ…こんなことって…」
十六号さんも、言葉に詰まっている。
「くそっ…最悪だ…!」
魔導士さんは及び腰になりながらも身構えた。
「ふふ、あはははは!いい気分だ…!」
そんな周囲の反応をよそに、勇者様はそう声をあげて笑った。
その両腕には、二つの紋章がまばゆいばかりに光っている。
それを見るだけで、私にもわかった。
まるで、世界が違う。
お姉さんが二つの紋章を使って見せた魔法もほかの人たちとは比べ物にならないくらいだったけど、こんな感覚ではなかった。
こんな…こんな絶望的な気配を感じさせるまでに強力ではなかった。
これが、古の勇者…世界を二つに分けた…人ならざる、神様にすらなれる存在…
私達は…なんて…なんてことをしてしまったんだろう…
もっと慎重になって考えるべきだった。
竜娘ちゃんや魔導協会の話も、サキュバス族に伝わっていた話も、言い伝えにも疑うようなところはなかった。
唯一気になったのは、勇者様の話した封印に関することだけ。
いくら考えたところでこんなことになるだなんて、見抜けなかったかもしれない。
でも、私達だけで考えるんじゃなく魔導士さんやお姉さんに事前に相談していたら、この可能性に気が付けたかもしれない。
それなのに、私達は…
後悔しても何にもならないなんてことは分かっていた。
だけど私達は何かを読み誤って、一番やってはいけないことをしてしまった…
「サキュバス、零号を頼む」
部屋中に魔力の嵐が荒れ狂う中で、お姉さんが静かにそう言った。
右腕の勇者の紋章が、鈍く光り輝いている。
「ですが、魔王様…!」
「いいから、早くしろ!十六号、幼女の回復を急げ!」
ペタンと床に座り込んでいたサキュバスさんを叱咤し、私のすぐそばにいた十六号さんにそう声を掛けたお姉さんは、取り落としていた剣を拾い上げた。
「…嘘だと、言ってくれよ」
まっすぐに勇者様を見つめるお姉さんは、勇者様にそう言う。でも、それを聞いた勇者様は
「嘘だったよ。今まで話したすべてがね。全部、あたしが紋章を取り返すための芝居さ」
と嘲笑いながら答えた。
「そうかよ、残念だ…あんた、いい人そうだったのに」
お姉さんは引きつった笑みを浮かべならそう言って、勇者様に剣を突き付ける。
「でも、ためらわない。人間や魔族を相手にするのとは違う…あんたはここで殺さなきゃいけない」
「ふふふ、できるものならやってみ―――
勇者様が言い終わるよりも早く、お姉さんが床を蹴って勇者様に剣を突き立てた。
ガキンという鈍い音がして、その体に刃先をはじかれてしまう。
でも、お姉さんは少しもひるまずに左腕に纏わせた魔法陣を突き出して、勇者様の体に雷の魔法を浴びせかけた。
バリバリという音と閃光が部屋を包む。
けれど、勇者様は微塵も動揺していない。
「嘘だろ…」
お姉さんは、勇者様に雷の魔法陣を纏わせた拳を突き出したまま、そうつぶやいた。
そんなお姉さんに、勇者様が笑いかける。
「誰を相手にしていると思ってんだ?扱いきれない紋章一つで勝てる気でいるんなら、勘違いだってのを分からせてやろう」
勇者様はそう言うが早いか、背中の羽を軽く羽ばたかせた。
次の瞬間、部屋中の壁に見たことのない魔法陣がちりばめられる。
「くそっ!」
お姉さんはそう吐き捨てて結界魔法を展開させた。
それを待っていたかのように、勇者様はニタリと笑ってパチンと指を弾く。
途端に目の前が真っ白になって、そして体が吹き飛ばされそうな轟音が鳴り響いた。
実際、同時に体が振り回されるような感覚が私を襲う。
動かない体では、抵抗もできない。
怖い、と思う暇もなかった。
気が付けば私は、結界魔法を展開させている十六号さんの背中を見つめていた。
世界がひっくり返って見えるのは、誰かが私を抱え込んでいるかららしい。
そしてそのひっくり返った世界には、それまであった部屋がなくなっていた。
部屋だけじゃない。
私達のいたあの部屋から上の魔王城全部が、跡形もなく吹き飛んでしまったようだった。
かろうじて残った床からは黒くすすけた煙が幾筋も登っている。
そんな中で、宙に浮かんだお姉さんが、同じく宙に浮いている勇者様に剣を振り下ろす姿があった。
勇者様はパッと伸ばした手の平に一瞬にして氷で出来た刃を出現させると、それを握ってお姉さんの剣を受け止めて見せる。
「うおあぁぁぁぁ!」
突然そう雄叫びが聞こえた。
次の瞬間、鍔迫り合いを繰り広げていた勇者様に十六号さんが固めた拳を叩きつけていた。
「あんた…騙したのか…!アタシ達を…竜娘を…!姉ちゃんを…!」
十六号さんは全身から怒りを立ち上らせていた。そんな十六号さんにお姉さんが叫ぶ。
「下がれ、十六号!あんたじゃこいつの相手は無理だ!」
お姉さんの言葉通り、勇者様は十六号さんの拳を頬で受け止めていた。
勇者様は、十六号さんの腕を引っ掴んでニヤリと笑う。
「なんだよ、それ?打撃ってのは、こうやるん―――
「だありゃぁぁぁ!!!」
勇者様が何かを言い掛けたそのとき、真後ろから十七号くんが突撃を仕掛けて勇者様の後頭部を蹴りつけた。
不意打ちをもらって、流石に勇者様も一瞬体制を崩す。
「やらせない…!」
そこに、十八号ちゃんが勇者様の周囲に幾重にも魔法陣を重ねた。吹き出した炎が一瞬にして勇者様を包み込む。
十六号さんに十七号くん、そしてお姉さんはすかさず距離を取って空中で体制を立て直していた。
「トロール、続け!羽妖精、こいつを頼む!」
そう魔道士さんが叫んだときには、私はもう空中に放り投げられていた。
でも、ほとんど落ちる感覚もなくふわりと風が吹いてきたと思ったら、私は床だった場所にいた妖精さんに抱きとめられていた。
その間に、勇者様をトロールさんの土魔法で押し寄せたお城の壁だった石の破片が襲い、
そしてそれに続けて魔道士さんがありったけの魔法陣を展開させて雷を降り注がせる。目を開けていられない閃光とともに、ドドドドン、と大気が震えた。
オンオンとその音が響き渡るその中心に、真っ黒に焼け焦げた魔王のような勇者様の姿が浮いている。
でも、全身が真っ黒なのに、両腕の二つの紋章だけは煌々と輝いたままだ。
「紋章を狙え!」
お姉さんがそう叫んで、見動きを止めていた勇者様に斬り掛かった。
腕の魔法陣を勇者様と同じくらいに光らせたお姉さんは、全身を大きく捩って、目一杯に大きく剣を振る。
でも、そんなお姉さんの剣は再び勇者様の鱗の皮膚に弾けた。
「あぁ、鬱陶しいな…」
勇者様のおどろおどろしい声が夜空に響き渡る。
「怯んじゃダメ…!」
そう声が聞こえて何かが勇者様の体に取り付いた。それは、剣を携えた大尉さんだった。
だけど、勇者様に突き立てようとしたその剣は見るも無残に砕けてしまう。
「あははは!そんなことで、あたしの腕を落とせるとでも…!?」
勇者様が大尉さんを嘲る。でも、当の大尉さんはいつもは見せない不敵な笑みを浮かべていた。
「残念、あたしは囮」
「なに…?」
大尉さんの言葉に勇者様が一瞬の動揺を見せたその瞬間、何かがピカっと真っ暗な夜空に翻った。
焼け焦げていた勇者様の腕の皮膚が微かに切り裂かれ、そこから鮮血がピッと吹き出す。
そのすぐ傍らには、剣を振り終えた残心姿の兵長さんがいた。
すぐさまその傷口に、大尉さんが腰から抜いた短剣を突き立てる。鱗に覆われた皮膚の裂け目に短剣がズブリと差し込まれた。
「雷撃魔法!」
大尉さんがお姉さんと魔道士さんにそう声を上げる。
大尉さんは舌打ちした勇者様に勢い良く蹴り飛ばされてしまうけど、その一瞬の隙にお姉さんと魔道士さんの雷の魔法が閃いて、
勇者様の腕に突き立った短剣へと導かれるように降り注がれた。
勇者様はまばゆい稲妻の中で、ガクガクと体を波打たせている。これは、効いてる…!
そんな私の一瞬の気の緩みとは裏腹に、お姉さんが叫んだ。
「手を緩めるな!一気にあの腕斬り落とせ!」
お姉さんの号令を合図に、みんなが一斉にそれぞれの魔法を展開させて勇者様に浴びせかける。
雷や炎、石や風、みんなの得意な魔法が勇者様を押し包んだ。
「あぁ、本当に…鬱陶しいよ…!」
だけど、そんな耳障りな声が聞こえて来たと思ったら、勇者様がパパパッと眩しく輝いた。
とたんに、みんなの魔法がまるでロウソクの火を吹き消したように空中にフッと消滅してしまう。
その直後、閃光の中を何かが一筋飛び抜けて、十六号さんの肩を貫いた。
それは、勇者様の腕に突き刺さっていた短剣だった。
「あぁ、もう…!なんでアタシばっかり…!」
弱々しくそう呟いた十六号さんが、体勢を崩して空から落ちてくる。
「十六号!」
「魔王様!私が受け止めます!」
お姉さんの悲鳴にそう応えたサキュバスさんが竜娘ちゃんを小脇に抱えるようにして駆け出すと、風魔法を使って十六号さんをふわりと受け止めた。
十六号さんは、サキュバスさんの腕からすぐに自分の足で降り立って、そのまま自分に回復魔法の魔法陣を展開する。
良かった、動けなくなるほどのケガではなさそうだ。
「あぁ、まったく…邪魔だな、あんた達」
不意にまた、勇者様の声がした。
空中へと注意を戻すと、そこには焼け焦げた皮膚を内側から再生させ、大尉さんと兵長さんの連携攻撃でなんとか負わせた傷すら、もう跡形もなく消えていた。
「ちっ、攻めたりなかったか…」
お姉さんが歯噛みしながらそう呟く。
勇者様は、すこし苛立ったような表情でそんなお姉さんを睨みつけた。
今の一連の攻撃は、確かに効いていたように感じられた。
殺すことはできなくても、そう、お姉さんが言ったように、あの腕の一本でも落とせれば、それだけでも十分なんとかなるくらいまでに力を削げる。
勇者の紋章か魔王の紋章、どちらか一つを失えば、それだけで少なくともお姉さん達がまとめて戦えば有利になれるかもしれない可能性が生まれる。
今のままじゃ、本当に神様か何かを相手に戦っているようなものだけど…一斉に攻撃を仕掛けて、傷を付けることができるんなら、あるいは腕くらい…
もちろん、勇者様がその気になればそんな機会が一瞬も訪れないままに、世界は滅ぼされてしまうだろう。
でも、今みたいな不意打ちでなら、やれるかもしれない…
私は、そんなことをうっすらと考えていた。
だけど、それがあまりにも甘い考えだっていうのを直後に私は理解した。
勇者様は、耳障りな声で言った。
「本当に鬱陶しいなその力…二度と立て付けないようにしておくとしよう」
そして、その両腕を夜空へとたかだかと掲げる。
「なにかしてくるぞ…気をつけろ!」
お姉さんの掛け声に、全員が身構えて結界魔法をいつでも展開出来るように準備を取った。
そんなお姉さん達を見て、勇者様はニタリとあの笑顔で笑ってみせた。
次の瞬間、パァっと、辺りがなにかに照らされ始めた。
太陽じゃない…月でもない…でも、それくらいの明るさで、空から光が降ってきているようだ。
「な、なに…あれ…?」
私を捕まえてくれていた妖精さんが、空を仰いでそう言った。
私は、妖精さんの腕の中で動かない体のままに、空に目を向ける。
そこにあったのは魔法陣だった。
それもとても大きな魔法陣。
普通の大きさじゃない。
東部城塞のときに、魔導士さんが空に描いてみせたあの大きな雷の魔法陣とは比べ物にならないほどの大きさだ。
そう、それこそまるで、空全部が魔法陣になったような、それぐらいの大きさがある。
見上げているだけでは、全体がどんな形をしているのかも掴めない。
空の向こうの彼方から、遥か遠くにある中央山脈の向こうにまで続いている。
「これは…一体…?」
竜娘ちゃんを担いで私と妖精さんのところにやってきてくれたサキュバスさんが、絶望的な表情で空を見上げて口にする。
私や妖精さん、サキュバスさんだけじゃない。
お姉さん達も、サキュバスさんに抱えられた竜娘ちゃんも、恐ろしい物を見るように、夜空を覆うその魔法陣を見上げていた。
「あはははは!これが“円環の理”、基礎構文ってやつだ!」
勇者様が高らかに笑って言った。
これが…これが、基礎構文…?
この世界を形作っている…魔法の力の源…
あの日の晩に竜娘ちゃんは、「基礎構文は結界魔法のようなもの」と、そう言っていた。
そのときは想像できなかったけど、こうして実際に目の当たりにするとよく分かる。
これは、この大陸全体を覆っている魔法陣なんだ。この世界を覆って、その中を魔法の力で満たしているんだ…
「基礎構文を消そうってのか?」
お姉さんが勇者様にそう迫る。
そんなお姉さんに、勇者様は笑って言った。
「すこし違うな…この基礎構文をあたしの体に移し替えるんだ。
そうすればあたしは力を失わない。あなた達はただの人間に戻るだけ。
抵抗されると気分が悪いからな…力を失って、何もできないままにあたしが大陸を蹂躙していく様を眺めているといい!」
勇者様はまるで雷鳴のように轟くおぞましい、ビリビリと空気が震えるような大声で、そう宣言した。
そんな…
そんなことをされたら、もう私達に希望なんてない。
今でも微かなのぞみしかないのに、もし、お姉さん達が今の魔法の力を失ったら…もう、大陸を好きに作り変えることが出来る勇者様に適う手立てなんてあるはずもない…
「させないぞ…この命に代えても、あんたを止める…!」
お姉さんは、そう言って剣を構えた。
他のみんなも、それぞれに構えを作って勇者様を取り囲む。
もう一度…さっきのようにあの硬い皮膚をほんの少しでも切り裂いて、そこに刃を突き立てることができたら…あの紋章のどちらかを体から切り離すことが出来る。
それを狙う他にない…
「あはっ、あはははは!やれるもんならやってみろよ…!せいぜい足掻け、苦しめ!そしてこのくだらない世界のために死ね!」
そういった勇者様は、両腕に光を灯すと、自分の周囲に次々と何かを顕現させ始める。
それは、光輝く矢のような形をしたなにかだった。
きっと、あれそのものが魔法なんだろう。
光魔法?炎の魔法?それとも、雷…?
あんな魔法は見たことがない…見たことがないけど、あの数は…
私が危惧した通りに、勇者様はさらに無数の矢を作り出すと
「さぁ、終宴の始まりだ!」
と両腕をバッと広げて見せた。
つぎの瞬間、光の矢が四方に目でも追えない程の速さで弾けた。
光の矢は魔道士さんやお姉さんの結界魔法をいとも簡単に突き破り、お姉さん達の体を穿っていく。
魔道士さんもお姉さんも十七号くんも十八号くんも、兵長さんや大尉さんさえも、全身に矢を受けて空中から叩き落とされた。
それだけではない。
光の矢は、城壁の外に草原のように広がっていた人間軍と魔族の兵士さん達にも降り注いだ。
お姉さん達のように構えを取って身を守ろうとしていなかった城外の兵士さんたちは、その光の矢を受けて次々と地面に崩れ落ちていく。
矢の明るい光に照らされて…血しぶきが、真っ赤な霧が一面から立ち上り、射抜かれた人達が地面でもがき苦しんでいる。
あんなのは戦いですらない…ただ、一方的に蹂躙してなぶり殺しにしているだけだ…
「やめろ…やめろよ!」
お姉さんはいきり立って勇者様に斬りかかった。
同時に反対側からは兵長さんが鋭い機動で空中を移動して勇者様に迫る。さらにその援護のためか、魔道士さんが雷の魔法を、十八号ちゃんが炎の魔法を繰り出した。
勇者様は結界魔法を展開させて魔法の攻撃を弾き返し、両手に出現させた氷の刃でお姉さんと剣士さんの剣撃を受け止める。
さらに、そんな勇者様の背後から今度は大尉さんが剣で突きを繰り出した。
勇者様はお姉さんと兵長さんの剣を支えながら、ぐるりと体勢を入れ替えるとすぐ後ろに迫っていた大尉さんを蹴り飛ばし、
次いで出現させた結界魔法をお姉さんと兵長さんにぶつけて弾き飛ばした。
「くそっ…くそっ、くそっ!」
お姉さんが歯ぎしりしながらそう吐き捨てる。
お姉さんだけじゃない。みんな、必死だ。
「数が足りませんね…妖精様。竜娘様をお頼みします。私も加勢に参ります!」
サキュバスさんがそう言って、竜娘ちゃんを妖精さんに頼んだ。
「でも…サキュバス様…!」
「ためらっているときではありません…もし本当に私達だけ魔法を奪れれば、もう本当に抵抗する術がなくなってしまいます!」
そう言うが早いか、サキュバスさんは羽を広げて夜空へと舞い上がっていく。
「止めろ…こいつを止めるんだ!」
お姉さんは、光の矢に射抜かれて血まみれになった体を起こすと再び空中に飛び出して鋭く剣を振りかざす。
勇者様は三度その剣を氷の刃でまるでなんでもないかのように受け止めて笑った。
「まだやるか…諦めろよ、いい加減」
「黙れ!例え世界があたしをどう思おうと、あたしをどう扱おうと!あたしは、あたしの約束を守る…!
あたしが大切だと思うものを守る!
あんたみたいな重圧に負けるような情けないやつに、あたしはやられたりなんかしない!」
お姉さんはそう叫ぶや、勇者様の胸ぐらを引っつかむと雷の魔法陣を勇者様の体に直接描き出した。
バシバシバシっと勇者様の体に稲妻が駆け巡り、ブスブスという音とともに煙が上がり始める。
「無駄なんだよ、その中途半端な紋章をいくら使ってもさ」
けれど、勇者様はニタリと笑って自分の周りに魔法陣を浮かび上がらせた。
つぎの瞬間、バシっという音とともに、お姉さんの両腕と両足が氷に閉ざされてしまう。
勇者様の前で、お姉さんは無防備に体の自由を奪われてしまった。
「魔王様!」
すぐさまサキュバスさんが風の魔法を勇者様に浴びせかけた。
旋風が幾重にも勇者様にまとわりついて鱗に覆われた皮膚を切り裂こうとしているけど、切り裂くどころか傷付いている様子すら見えない。
それどころか勇者様は腕をひと振りし、つぎの瞬間には、どこからか飛んできた大きな石がサキュバスさんの背中を捉えて、サキュバスさんがガクリと空中で力を失い落ちてくる。
私達のいる床の上に激突する寸前に、さっき結界魔法で弾き飛ばされた兵長さんが飛び出してきてそんなサキュバスさんを抱きとめた。
「サキュバス!」
お姉さんの叫び声が聞こえる。
「あの女、管理者の末裔だな?それなら、大昔の恨みをあの女に晴らしても構わないな…楽には殺さないようにしよう」
「させない…あんたは、あたしが倒す!」
「そんなザマでよくそんなことがほざけるね?」
お姉さんの言葉に、勇者様は可笑しそうに笑って、その腕をクッと後ろに引いた。
「あなたを殺せば抵抗する気も起きなくなるだろうな」
そう言うと勇者様は、見たことのない魔法陣をその拳に展開させ始める。
「くそっ…!」
そう吐き捨てるように口にしたお姉さんは、氷をなんとかしようと空中でもがいているけれど、落ちてくることもなければ氷を破壊することもできない。
浮いているのはきっと勇者様がわざわざ支えているに違いない。
あのままじゃ、お姉さんが危ない…
でも、十六号さんたちはさっきに光の矢で負った傷のせいで今すぐにはどうすることもできない。
サキュバスさんは気を失っているし、それを受け止めた兵長さんも、血をいっぱい流して床に座り込んでしまっている。
大尉さんすら、傷の回復に手一杯で戦闘への復帰はできそうにない。
「さぁて、希望を失った人間がどんな顔になるのか、とくと拝見することにするよ」
勇者様はそう言うと、後ろに引いた拳にギュッと力を込めた。
「お姉さん!」
そんなとき、地上から幾筋もの攻撃魔法が吹き上がってきて、お姉さんを狙っていた勇者様に直撃した。
炎の魔法も、氷の魔法も、風や、土、光の魔法もあった。
今の、何…?
いったい、どこから…?
私はそう思ってとっさにそれが飛んできた方に首を傾ける。
するとそこには、さっきの光の矢の直撃を免れた人間軍や魔族の人達が、勇者様を見上げている姿があった。
お城の外の兵士さんたちが、お姉さんを助けてくれたの…!?
「手を緩めないで!あのバケモノが我らの敵です!」
そんなお城の外の人達の中に、そう叫ぶ人がいることに私は気が付いた。
それは、東部城塞でお姉さんを説得しようとしていた、お姉さんのかつての仲間の弓士さんだった。
「あぁ、クソっ…一体全体、どうなってやがる!」
そう別の声が聞こえたと思ったら、お姉さんの動きを封じ込めていた氷がバラバラに切り刻まれる。
そして、驚いた表情のお姉さんのすぐ隣にふわりと浮いて、剣士さんが姿を現した。
「あんた…」
お姉さんは剣士さんを見やって、絶句している。
「なんでお前はこんなバケモノと戦ってやがるんだ…?お前は一体今まで、何をしようとしてやがったんだ…?」
剣士さんはまだすこし戸惑いの表情を浮かべながらも、その剣をまっすぐに勇者様に向けていた。
人間軍や、魔族の人達…それに、弓士さんも、あの剣士さんも…勇者様と戦ってくれるんだ…
そうだよ、魔法が消えて困るのは私達だけじゃない。
魔族の人はもちろんだし、人間だって魔法で生活がなりたっているようなもの。
それに、魔法がどうとか関係なくなって、勇者様が世界を滅ぼそうとするなんてことを受け入れられるはずがない。
今、この場にいる誰もがお姉さんと同じことを考えずにはいられないだろう。
勇者様を倒さなければいけない、って。
「みんな…」
そう思った私は、ふとそう一言口に出していた。
とたんに、妖精さんが
「人間ちゃん!大丈夫!?」
と聞いてくる。
あれ…?
そうだ、私…さっきまで動けなかったはず…しゃべることも、首を動かすことも出来なかったのに…
そう気がついて、私はクッと体に力を込めてみる。
すると、私の意思通りに、手や足が動いてくれた。
「妖精さん、私…」
「大丈夫、傷は塞いだよ!」
体の感覚が無くて分からなかったけど、妖精さんがいつの間にか私の傷を治してくれていたらしい。
だから、体も動くようになったのかな…?
でも、さっきまでの感覚は一体なんだったんだろう?
意識だけが妙にはっきりしたまんまで、体だけが動かなくて…
そんなことを考えていたら、不意に、すぐ近くでパッと何かが明るく光った。
「あ、あ、あなたは…」
妖精さんが息を呑むのが感じられて、私は妖精さんの顔を腕の中から見上げる。
「…あの空の巨大な魔法陣は…やはり、そうなのですね」
次いで別の方から声が聞こえたのでそっちに目をやると、そこには、どこかで見覚えのある黒いローブの中年の女の人が立っていた。
こ、こ、こ、この人、魔導協会の、オニババだ…
「こ、こ、ここへ何しに来たですか!?」
妖精さんが私を床に投げ出し、私を庇うようにして身構える。
でもオニババはそんな妖精さんの様子に構わずにジッと空を仰ぎ見ていた。
夜空の大きな魔法陣の光に照らされていて、真っ青になっているのが分かる。
「基礎構文…まさか、このような形で存在しているとは思いも寄りませんでしたね…」
「り、理事長様…!」
不意に、零号ちゃんの声が聞こえた。
零号ちゃんはすぐさま私達のところに飛び込んできて、私と竜娘ちゃんを背中に庇う妖精さんとオニババとの間に立ちふさがる。
「零号ですか…いい表情になりましたね」
不意に、オニババは零号ちゃんを見やってそういった。
あまりの言葉に、零号ちゃんが戸惑っているのが分かる。
でも、そんなことには構わず、オニババは妖精さんに聞いた。
「あのおぞましい姿をした者が、もしや、封じられし古の勇者様なのですか?」
「…そ、そうですよ」
妖精さんは言葉に詰まりながらもそう答える。
「基礎構文を己が身に移し替え、力を失った世界を滅ぼす…それが、古の勇者様の結論なのですか…?」
オニババは誰となしにそう言った。
お城の外にいた人達にもあの大声の宣言は聞こえたに違いない…だから、外の人達も攻撃をしてくれたんだ…
私はそう思いながら見つめた、オニババの体が震えていることに気が付く。
そんなオニババの姿が私には、世界が滅ぼされる、ってことよりも、むしろ勇者様がこんなことをしている、ってことに絶望しているように見えた。
「なにか止める方法はないですか!?あなた、神代の民の末裔って言ってたです!」
妖精さんがオニババに必死になってそう尋ねる。でも、オニババは力なく首を横に振った。
「二つの紋章が揃ってしまった以上、抗うことなどできないでしょう…そのうえ基礎構文まで消滅してしまうとしたら…もはや我々には…」
基礎構文が勇者様に奪われてしまえば、確かにそうだ。
でも、違う。
その前にまだ、できることがある…!
さっきの私の疑問は、こんな形で真実になってしまった。
だけど、あの疑問が真実だったとしたら、きっとその方法があるに違いないんだ…!
「オニバっ…じゃない、理事長さん!」
私は、半分以上口から出そうになった呼び名を無理やり飲み込んで、オニバ…理事長さんに聞いた。
「勇者様を封印する方法があるはずなんです…!なにか、知りませんか!?
勇者様はさっき言ってました。
紋章を奪われてその力で封印された、って。
だから、きっと勇者様を封じた誰かがいたはずなんです!
何かの方法で勇者様から紋章を取り上げたはずなんです!
もしかしたらその誰かっていうのが、魔導協会とサキュバス族の人達だったんじゃないんですか!?
なんでもいい、何か、知ってることを教えてください…!」
私は必死になって理事長さんにそう食い下がる。でも、理事長さんはすこし慌てたような表情になりながら
「そんな物はありえません…紋章は所持者の意思なく引き剥がすことなど出来る物ではないのです。
腕を斬り落とされ、所持者の意思から離れれば別ですが、あんな絶対的な力を相手にそんなことは不可能です…」
と首を横に振る。
「そんなことない!絶対に何か方法があるんです!そうじゃないと、勇者様が封印されたって説明が付かないんですよ!」
それでも私は、理事長さんにそう迫った。
そうだ、きっとなにか方法があるんだ…あの紋章を奪う方法が…きっと…
「待ってよ幼女ちゃん、もし紋章を奪っても、あれはあの女の人しか使えないんでしょ!?
お姉ちゃんにも、私にも、竜娘ちゃんだって本当の力を引き出せないってそう言ってた…」
不意に、そう零号ちゃんが私に言った。それに続いて、竜娘ちゃんも
「はい、零号さんの言うとおりです…仮に紋章を奪うことが出来たとしても、それを使って封印を行うことは出来ないと思います…
ですが、どちらかを奪えば私達にも勝ち目がある…その方法を探しましょう…!」
と表情を引き締める。
だけど、私はなにか…得体のしれない違和感を覚えずにはいられなかった。
違う…違うよ。
何かがおかしい。
私は、そんな場合でもないのに口をつぐんで頭を回転させた。
だって、そうでしょ…?
勇者様を封印するためには、紋章を奪ってさらには使えなきゃいけないんだ。
でも、もし、大昔に誰かが紋章を奪っていたとしても、勇者様はそのときはただの人間になってしまうはずだ。
ただの人間に戻った勇者様を、本来の力が出せない魔法陣を使ってまで封印しようとするものだろうか?
もしその当時に勇者様が紋章を取り上げられなきゃいけないようなことをしでかしていたのなら、封印なんてしないで殺してしまえば済む話だ。
それなのに、勇者様は言ってた。
自分は紋章を奪われて、その力で封印されてしまったんだ、って。
だけどそうなると、今度は零号ちゃん達の言っていた問題が出てくる。
あの紋章はある一個人、つまり勇者様にしか完全に扱い切ることができない紋章なんだ。
紋章を奪った誰かに何かの理由があって勇者様を殺さずに封印しなきゃいけなかったとしても、
紋章の力を完全に扱うことができない状態でそんなことが可能だったのだろうか?
お姉さんですら、合わない魔王の紋章の力を出し切る前に体に拒否反応が出て戦いどころではなくなってしまっていたのに。
それに、単純に奪い取る方法ってどんなことがあるんだろう?
今の勇者様は腕を切り落とすのだって難しい。剣の腕が一番だって言う兵長さんですら、鱗を弾いてその下の皮膚に薄っすらと血を滲ませただけ。
力づくで紋章を奪うような方法ではどうしようもない。
もしかしたらあの紋章の力を弱めたり、封じ込めたりする魔法があるんだろうか…?
いや、でも、もしそんなことができるんなら、やっぱり勇者様を封印しなきゃいけない理由が分からない。
だって、勇者様は結果的に紋章を取り上げられているんだ。“封印する他に方法がなかった”わけじゃない。
紋章を取り上げて、勇者様を殺して、それで済んでしまう話なんだ。
どうしてその「誰か」は、勇者様から紋章を奪うことができたの?
どうして勇者様を殺さずに封印したの?
どうして扱いきれない紋章を使うことができたの…?
ダメだ…やっぱり、考えれば考えるほど、思考が同じところに戻ってきてしまう。
もしかして勇者様は、何か嘘を言っているんだろうか…?
勇者様は私達を騙して利用して、紋章を自分の体に取り戻したんだ。そう考えると、今も嘘を言っている可能性は低くない。
あの紋章には私達の知らない弱点があって、それを隠すためにこんな矛盾する説明になってしまっているんだろうか…?
もし勇者様の封印や紋章に関する話が嘘なら、その他の話はどこまでが本当のことだったの…?
大陸に伝わっている“古の勇者”の伝説は、どこまで本当なのだろう?
もしかつて勇者様が、今と同じように世界を滅ぼそうとして封印されたのなら、伝わっている物語も偽りだと考える他はない。
でも、そんなことをしたって何か良いことがあったんだろうか?
世界を滅ぼそうとした悪者を封印した、って話を語り継ぐ方がよほど良い気がする。
それに竜娘ちゃんが聞かせてくれた勇者様の日記のこともある。
あれは、少なくともあの伝説と大まかな内容は一致していた。
あの勇者様の日記はきっと本当に勇者様の心境が綴られていたのだろうか…?
でも、そうなるとやっぱり勇者様が封印された理由が分からない。
あんな日記を残すような人が、どうして紋章を奪われて封印されることになってしまったのだろう?
だけど…もしあの日記が嘘ってことになると、伝説自体も嘘ってことになってしまう。
何度も聞いた伝説が嘘だ、って言うより、勇者様が当時に世界を滅ぼそうとしたって話の方が信じられない。
そうじゃないと、伝説や勇者様の日記が私の知っている形で伝わっている説明がつかないんだ。
それなら、勇者様は封印されている間に世界を滅ぼそうと決めたってことになる。
確かあのとき、封印されてもどこか遠くで意識が残ってる、って話をしていた。
長すぎる時を過ごして、勇者様の心のどこかが歪んでしまったのだろうか…?
分からない…でも、きっと封印に関わることについて、勇者様が困る事実が隠れているに違いない。
どう考えても、やっぱり、封印に関する部分に嘘があるとしか思えない。
そしてその嘘に隠された何かは、きっと勇者様の弱点なんだ…
不意に、夜空から一際大きな破裂音が聞こえて、私はハッと上を見上げた。
そこには、真っ黒に体を焼かれた剣士さんがこっちに向かって真っ逆さまに落ちてくる姿あった。
「あのバカ野郎…!」
魔導士さんがそう歯噛みする。
「おいが!」
トロールさんがそう叫びながら私達の前に現れて、瞬く間に体をあの大きなトロールに変えて落ちてくる剣士さんを受け止めた。
見渡せば、勇者様の周りには飛ぶ魔法を使える人間軍や魔族のたくさんの人達が飛び交い、弓士さんや魔導協会のローブの人の指揮で勇者様に攻撃を仕掛けていた。
それでも、次々に魔法や打撃、剣撃で地表へと叩き落とされている。
その合間を縫って魔道士さんや十六号さん達、お姉さんが強力な魔法で攻め立てているけど、勇者様にはまったくと言っていいほどに堪えていなかった。
「まったく…大人しく死ぬのが待てないのか…?」
勇者様がそう言って不気味に笑う。
「あんたの勝手にはさせない!」
お姉さんが、勇者様へと斬りかかった。
「何度も何度も、芸がないんだよ!」
そう叫んだ勇者様は、お姉さんの前に魔法陣を展開させると、そこから雷を迸らせてお姉さんの体を縫い上げた。
「ぐふっ」
お姉さんがそう声を漏らして減速し、空中でふらついて体勢を崩した。
「ま、魔王様!」
いつの間にか意識を取り戻していたらしいサキュバスさんが闇夜に飛び上がってその体を支えた。
「手を休めないで!」
弓士さんの号令で、人間軍と魔族の人達が再び勇者様に魔法を集中させるけど、それはほとんどなんの意味もなく勇者様にかき消されてしまう。
それどころか、勇者様の周囲に現れた渦巻きが近くにいた人達を切り刻み、吹き飛ばし、まるで小虫の群れのように散り散りにする。
魔導士さんや十六号さんたち、兵長さんに大尉さんが果敢に攻撃を繰り出すけど…そのどれもが勇者様には軽くあしらわれている。
もうみんな、ボロボロだ…
十六号さん達は、もう最初程の力で魔法を扱えていないのが分かる。
魔導士さんも、魔法陣を展開させる速度が徐々に遅くなっていた。
お姉さんも、体中に作った傷を治す暇さえない様子だし、
人間軍や魔族の人達はもう、地上にその体が積み重なるほどに犠牲を出している。
そんな中で、勇者様が笑った。
そして、大きくおどろおどろしい声で、
「あははははは!もう終わりか…最初の一撃で決められなかったのが残念だったな!
あたしも、これ以上は退屈しそうだ!」
と私達を嘲るように言うと、夜空に紋章の輝く両腕を突き上げた。
その途端、頭上を覆うように広がっていた基礎構文が急激に強い光を放ち始める。
「さぁ、見ろ!これがこの大陸を割った力だ…!」
ズズン、と、地響きがした。
いや、地響きなんてものじゃない。
地面が…揺れてる…!?
私はその揺れに、思わず体勢を崩しそうになって床の上にしゃがみこんだ。
妖精さんや零号ちゃん、竜娘ちゃん達も同じようにして床に這いつくばっている。
そんな中で、空中にいる人達の視線が、同じ方向を見ていることに、私は気が付いた。
その見つめる先を目で追って、私は、震えた。
お城の東の方。
そこにそびえている中央山脈が、まるで…そう、パンの生地をならしているかのように、みるみるうちに平たく変形を始めていた。
降り積もっていた万年雪がまるで空に吹き上がる雨のように舞い上がって、空に光る基礎構文の灯りに照らされる。
あれだけの雪が溶けたら…周りの街は水に押し流されてしまうかもしれない。
この地面の揺れだけで、建物が壊れてしまっているかもしれない。
そこに住んでる、何百、何千って人達が…今、命を失おうとしている…
その原因を作っているのが、ただのひとり、勇者様…
分かってはいた。
それがどれだけ途方もない力か、だなんて。
でも、こうして目の当たりにしてしまうと、それだけで膝が笑って、全身から力が抜けてしまうような、そんな感覚に襲われる。
「砂漠の街は…ダメかもしれないね…」
妖精さんが、揺れる床に足を取られる私と零号ちゃん、そして竜娘ちゃんを抱きしめながらそう言う。
「私は…なんということを…私は…」
竜娘ちゃんは頭を抱えて、ただ取り乱しておいおいと泣き続けている。
「お姉ちゃん…」
勇者の紋章を失い、戦うことのできない零号ちゃんは、唇を噛み締めて、夜空に浮かぶお姉さんを見つめていた。
だけど、絶望はそれだけでは終わらなかった。
見上げていた夜空から、フワリ、フワリと光り輝く雪のような何かが無数に舞い降り始めた。
それに呼応するように、夜空に広がっている基礎構文が、うっすらとその光を失いだす。
「そんな…」
妖精さんがポツリとそう口にした。
基礎構文が、消え始めてる…
ううん、消えかけているんじゃ、ない…
空から降る光の粒は、吸い寄せられるように集まっている。
あれはきっと、勇者様が基礎構文を自分の体に宿し始めているんだ。
私は、言葉も出せずにただ息を飲んだ。
このままじゃ、私達は今のような些細な抵抗すらもできなくなる…
そうなったらもう、勇者様に滅ぼされるのをただ待つしかない…
そんなことって…あっていいの…?
私は体から抜けた力が戻らずに、そんなことを考えながらただ呆然と空を見上げて妖精さんに抱きしめられているしかなかった。
もう、何も考えられなかった。何も、思い浮かべられなかった。
時間もない。
力もない。
戦う術もない。
もう、私にはどうすることもできない。
「あぁ…」
魔導協会の理事長さんは、そう呻いて床に膝を付いた。
まるで祈りを捧げるように手を組んで、ガタガタと震えている。
「おいおい…敵の様子がおかしいから来てみたら…どういう状況なんだよ、こりゃぁ…」
不意にそんな声がしたのでそっちをみやると、そこには隊長さん達の姿があった。
階下にいた六人と、そして黒豹さんが、呆然と空を見上げている。
「古の勇者様が、世界を滅ぼそうとしているです…」
妖精さんが、強ばった口元をなんとか動かして隊長さんたちにそう説明をする。
「なるほど…世界の危機、ってわけだ」
妖精さんの言葉に、そう応えた隊長さんは力なく笑った。それから
「あの空に浮いてやがるバカでかい魔法陣はなんだ?」
と聞いてくる。
「あれは、基礎構文と言うです。私達の魔力の源、らしいです…」
「ふむ…薄れて行くな…なるほど…要するに、あのバケモノを叩けばいいんだな?」
「無理です…あれは古の勇者様です…見てください、中央山脈がもう、半分もないですよ?」
「バカ言え。古の勇者だろうがなんだろうが、あそこで生きてやがるんだ。生きてるってことは、殺すことだってできらぁ」
隊長さんは、剣を握り締めて妖精さんにそう言い、笑った。
「雇い主が諦めてねえんだ。こっちが何もなしに戦いを投げたんじゃぁ、傭兵の名が廃る」
「傭兵に捨てる名があれば上等だ」
そんな隊長さんの言葉に、虎の小隊長さんが応えて空笑いをあげる。
そんな二人は、まっすぐな視線でサキュバスさんに支えられたお姉さんを見ていた。
お姉さんは、体中の傷を回復魔法で治療している最中だった。
その目は、まだ、するどく勇者様を睨みつけている。
隊長さんの言うとおりだ…お姉さんはまだ、諦めてない…
戦う気力を削がれていない…
「なんだ、その目は…?」
そんなお姉さんの視線に気付いたのか、勇者様は憎らしげに言った。
「まだやる気か?」
問いかけに答えないお姉さんに、勇者様はさらにそう問い立てる。
すると、お姉さんは微かに口元を緩めて見せた。
「あんたを叩きのめすまで、やめるつもりはない」
「ふふっ、あはははは!身の程をわきまえろ!」
お姉さんの言葉に、勇者様はそう言うが早いか魔法陣を展開させた。
「さぁ、本当の紋章の力を思い知らせてやる」
刹那、お姉さんとそれを支えるサキュバスさんの周囲に無数の氷の刃が現れて、そのすべてが二人に殺到した。
逃げる隙間もなかったお姉さん達は、体中をズタズタに切り裂かれて血しぶきを上げる。
「お姉ちゃん!サキュバスさん!」
零号ちゃんがそう声をあげたときには、お姉さん達は再び体勢を崩して、床へと激突していた。
ダメ、ダメだ…やっぱり、このままじゃダメ…
考えて…考えなきゃ!
きっと何かあるはず…腕を斬る以外にも、勇者様から紋章を奪う方法が…!
そう思って、私は勇者様の一挙手一投足をジッと見つめる。
空から降ってくる光の粒が集まるほどに、勇者様の両腕の紋章が光をましているのが分かる。
それに対して、お姉さんの紋章は基礎構文と一緒に徐々に光が鈍くなってもいた。
時間はない。
勇者様は封印に関することで、何か嘘を付いているはずなんだ。
そうでもなければ、納得がいかない。
勇者様から紋章を奪うことは難しい。
奪えたところで、勇者様を殺さずに封印する意味も分からない。
もし封印する理由があったとしても、他の人はあの紋章の力をきちんと扱うことは難しい。
そう考えれば、「誰かが勇者様を封印した」ということ自体が疑わしい。
だとするなら、やっぱり勇者様は自分で自分を封印したのだろうか…?
確かに、日記や伝説のことを考えればその方が納得が行く。
でも、そうなると勇者様が紋章を持っていないままに紋章を使って自分を封印した、っていう、最初の疑問に立ち返ってしまう。
それに、もしそうなら勇者様自身が「紋章を奪われた」と言っていたことが嘘ってことになってしまう。
そんな嘘を吐く意味があるの…?
そこに弱点があるから…?
自分で自分を封印しなきゃいけなくなるような、そんな弱点を隠している、っていうの…?
…
―――隠している…?
私は、自分の思考のその言葉に引っ掛かりを覚えた。
勇者様は、弱点を隠しているの?
ううん、違う。
勇者様は隠してなんかいない。
だって、勇者様が言ったんだ。
「自分は紋章を奪われて封印された」って。
それはつまり、そもそも自分には紋章を奪われるような弱点があるんだ、って言っているようなもの。
弱点を隠すつもりなら、そんなことを言うなんてことはしないはずだ。
でも、なんだろう…何か、変な感じがする…隠しているんじゃなければ、いったい、なんなの…?
ダメだ…ますます分からない…あんまりにも情報が少なすぎて、時間がなさすぎて、過程が多すぎて、
決定的な何かを見つけ出せない…どうしよう…このままじゃ、みんな…
私は、そんな強烈な焦燥感に身を焼かれるような感覚になって、思わず
「妖精さん!一緒に考えて!絶対に勇者様は何かを隠してる…!零号ちゃんも、竜娘ちゃんもトロールさんも…お願い!」
と、ひとかたまりになって瓦礫の影に身を潜めていた皆と、そばで弾け飛んでくる魔法を石の魔法で防いでくれているトロールさんにそう声をかけていた。
「で、でも、人間ちゃん…に、人間ちゃん…!?」
私の言葉に返事をしてくれようとした妖精さんが、私の方を向いて何故だか言葉に詰まった。
え…?なに…?
その表情があまりにも、その、なんていうか、怯えたような、驚いたような表情だったので、私も思わず身を固くしてしまう。
「幼女ちゃん…そ、そ、そ、それ…なに…?」
今度は零号ちゃんがそう言って、私を指さしながら声を震わせて言う。
それって…?なんのことを言ってるの…?
私は、それでも何かが変なのかな、と思って自分の腕に目を向けていた。
そして、息を飲んでしまった。
私の腕に、何か、真っ白に光る筋が網の目のように浮かび上がっていたのだ。
魔法陣のような古代文字だったりって感じじゃない。
例えて言うなら…そう、まるで血管みたいに、本当に網目状に腕全体を覆っている。
ハッとして、私は袖をまくってみる。
光の筋は、腕の方から肩の方までずっと続いていた。
な、なんなの、これ…?
私はそう不安になりながら、来ていたシャツの襟を引っ張って、体の方も覗いてみる。
お腹も、胸にも、同じように光の筋が張り巡らされていた。
そして、その光の筋は…私の左の胸の辺りが出発点になっているようだった。
その出発点は、たぶん心臓のすぐ上で、それで、この場所は…
私は、片手で襟を抑えながら、さっき勇者様に魔法を打たれて服に空いた穴から指を入れて確かめる。
やっぱり、だ。
この光の筋の中心は、勇者様に魔法を打たれた場所だ。
勇者様が、これを…?
もしかして、呪いの一種…?
それとも、遅効性の攻撃魔法か何か…?
私、今度こそ死んじゃうの…?
一瞬にして自分に起こっている得体の知れない事態からの不安が込み上がる。
ドクン、と心臓が強く脈打った。
そしてつぎの瞬間には、私はその不安をぬぐい去った。
…これは、そういう物じゃない。
ドクンと、心臓が鳴る。
体の、心臓の辺りがポカポカと暖かくなる感覚を私は覚えた。
ドクンと、心臓がなる。
体の奥底から、何か得体の知れない力が込上がってくるのが感じられる。
こんな魔法は受けたことがないし、そもそもそれほど多くの魔法を知っているわけじゃない。
でも、私は今の自分の体に起こっていることが、悪いものではないっていう、根拠のない確信があった。
これ、勇者様がやったの…?
あのとき、私に魔法を放って傷つけるのと同時に、私に何かしていたって言うの…?
いったい、何のために…?
そう思考を走らせたとき、私は、まるで頭の中でパツン、と何かが弾けるような、そんな衝撃にも似た閃きを覚える。
あぁ、そうか…
私は、全身に溢れ出る力に後押しされたように、自然とその答えに導かれた。
もしかしたら、何かの魔法でそう気付かされたんじゃないか、って、そう思うくらいに考えもしなかったことだった。
でも辿り着いてみたら、今はもう他の可能性なんて考えられないくらいに、私はその答えに確信を持っていた。
そう、それなら、すべてが納得行く。でも、それなら、その役目は私じゃない…
私はすぐさま立ち上がって駆け出し、サキュバスさんと一緒に床に崩れ落ちていたお姉さんを助け起こした。
「お姉さん、大丈夫?」
「大丈夫だ、だから下がってろ…あたしが止める…あんなやつの思い通りになんてさせない…!」
そう言いながらも、お姉さんはすでに力が入らないのか剣を杖のように床に突き立てて、それにすがりながらでないと立ち上がれないような有様だった。
そんなお姉さんに、私はそっと手を当ててあげた。そして、意識を集中させて、回復魔法を練習したときのように体に沸き起こる力をお姉さんへと送る。
光が消えかかっていたお姉さんの紋章に再び光が戻り始めた。
そのときになって、お姉さんはようやく私を振り返って、そして引き攣った笑みを浮かべる。
「おい、なんだよ、それ…?魔法陣、なのか…?なんて言うか…血管みたいな…」
「何かは分からない…でも思い当たることはある。後で説明するよ…だから、今は戦わなきゃ」
私はお姉さんにそう伝えて全身の魔力をお姉さんに注ぎ込んだ。その途端に、お姉さんの腕の紋章が今まで見たことないくらいに輝き始める。
体を穿っていたあちこちの傷が、目を見張る速さで塞がっていく。
「あぁっ…なんだこれ…」
お姉さんは動揺しながらも、すでに私の魔力をうまく扱えているようだった。
剣を力強く握りしめ、つい今まで立つのでも精一杯だったお姉さんは、力強く床を踏みしめて上空の勇者様を見上げた。
「もう、時間がない…これを最後の一撃にする…あんたの力、あたしが使わせてもらうよ」
「うん、きっとそれがいい。私がやっても、きっとうまくやれないだろうし…」
私がそう答えたら、お姉さんは傍らで二人に回復魔法を掛けていた十六号さんの剣用のベルトをピッと引っ張り抜いて、
それから私を背負いあげると体が離れないように固定した。
「トロール、妖精ちゃん、サキュバス。残ってるのはあたしらだけだ…掩護を頼む」
お姉さんは、そう言って三人を振り返った。
「おいも、まだやれる。今度こそ何とかするべき」
「や、やれと言われれば精一杯やりますけど、だ、大丈夫です…?」
「この身は魔王様の物。魔王様が行くと言うのなら、例え地獄への扉でも修羅が住まう世界でも、どこへなりともお供します」
三人はお姉さんに三人三様の返事を返した。
お姉さんはそれにコクっとうなずいて、そして再び勇者様を見上げる。
勇者様は、基礎構文から降ってくる光の粒をさらにたくさん取り込みながらこっちの様子を伺っていた。
そんな勇者様に向けて、お姉さんは空を蹴って一気に上空へと飛び上がった。
私は魔力をお姉さんに送りながら、お姉さんの背中に魔法を使って、手探りしながら一対の翼を顕現させた。
右の翼は天使の翼、そして右の翼は、サキュバスさんと同じあのコウモリのような翼だ。
「だぁっ!」
お姉さんは、急な加速で勇者様の懐に入り込むとその剣を下から切り上げた。それは、勇者様の氷の刃に簡単に弾かれてしまう。
でも、お姉さんは、続けざまに短剣を引き抜くと勇者様の喉元目掛けて振り下ろした。
「甘いんだよ!」
勇者様は、それを軽々躱してフワリとお姉さんから距離を開けた。
そしてニンマリと笑うと、黙って二つの氷の刃を一つにまとめ、長い槍のような形状に作り変えた。
「そんな強化魔法は見たことがないな…あなた達、何をした…?」
勇者様は、そう戸惑っているかのような嘯くような表情を浮べている。
そんなお姉さんに辺から行く本もの光の筋が降り掛かった。
これは、妖精さんの光魔法だ…!
勇者様は、その攻撃を身を翻して回避する。だけど、その先にはトロールさんが固めた石の塊が在って、それが一斉に勇者様へと叩き付けられる。
一瞬、石の隙間から見えた勇者様の表情は驚きに満ちていた。私が目にしたくらいだ。お姉さんがそれを見逃すはずがない。
お姉さんは紋章を真っ青に光らせて、私が背中の羽を羽ばたかせて勇者様へと突っ込んだ。今度は斜め下から勇者様を切り上げようとする。
しかし、その剣もまた、勇者様が氷の魔法で作った防壁に阻まれ、ガキンと動きを制される。
さらに勇者様は高笑いしながら無数の魔法陣を辺りに展開し、飛び込んで来た私とお姉さんに狙いを付ける。
ギクッと、思わず体を怖ばらせたその時だった。
「何でもいい…とにかく撃て!」
そう叫ぶ魔道士さんが強力な雷魔法で勇者様の魔法陣を撃って掩護してくれる。
そしてそれに応えるように十六号さん達や大尉さんや兵長さん、隊長さんに外にいた兵士さん達が一斉に魔攻撃法を勇者様に向けて放った。
勇者様はさらに身を翻そうとするけど、そんな一瞬の隙にお姉さんが展開させた結界魔法に進行方向を遮られて動きを止めた。
魔法への対処が出来なかった勇者様は、強烈な無数の魔法をボコボコと言う音をさせながら全身に浴びてしまう。
そして初めて、勇者様の体がグラッと揺れた。
「でやぁぁぁぁぁ!」
それを見逃さなかったお姉さんは私が送った魔力のすべてを剣にまとわせて、そして一気に勇者様の胸元に突き出した。
その切っ先はあの、どんな攻撃も寄せ付けなかった勇者様の胸に突き立った。
ほんの、ほんの少しだったけど…
その剣の刃を勇者様は、ぎゅっと握った。手に力を込め、突き立った剣を押し込もうとしているお姉さんをグイグイと押し返していく。
「くそっ…これもダメか…!?」
お姉さんがそう呻いたとき、バッと目の前にサキュバスさんが現れて、お姉さんの握った剣に手を添えた。
「魔王様…!」
サキュバスさんはそうつぶやき一緒になって剣を勇者様の体へと押し込む。
「力なら任せろ!」
「魔王様!人間ちゃん!!」
そこに、トロールさんと妖精さんも駆けつけてくれる。
トロールさんは剣に手を添え、妖精さんはお姉さんの肩を支えて風魔法で大気を蹴る。
剣を抑える勇者様の腕がブルブルと震えている。もう少し…あと、少しだ…!
「小癪な…この程度の力で…この程度で…!」
勇者様は、剣の刃を握って堪えながら苦悶の表情でそう繰り返す。
剣は、ズブリ、ズブリと少しずつ深く深くに刺さり込んで行く。
「一気に行くぞ…これで終わりだあぁぁぁぁぁぁ!」
お姉さんは合図とともにまるで青い太陽なんじゃないかってほどに紋章を光らせて全身に力を込めた。
ズブ、ズブブッと言う湿った感触があった直後、
「バッ…バカな…こんなことが…」
と勇者様が呻いた。
そしれ、ズシャッと言う軽い衝撃とともに勇者様の体の向こうへと刃が抜けた。
それでも、お姉さんは安心しない。
「トロール、サキュバス、妖精、離れろ!」
そう言うや否や、お姉さんは両腕に青く光る雷の魔法陣を展開させると、剣伝いに雷を勇者様の体内に送り込んだ。
「ふぐっ…あぁっ…ぐああああああああ!」
勇者様が低いザラッとした声で絶叫する。
勇者様は、ゲフっと口から血を吐きながら、それでも、お姉さんの剣の刃に手を添え直し、そして食いしばった歯を開いて叫んだ。
「おのれ…おのれ…!このままで…このまま生かしてはおかない…あたしと、基礎構文の道連れにしてやる!」
勇者様は、そう言うが早いか、私とお姉さんごと自分を卵のような丸い魔力の塊に飲み込んだ。
その光の魔力の中は、なぜか静かだった。雷のような電撃が来ると思っていたから、全身に力が入ってしまっていたけど、自然とそれを緩めてしまう。
この塊は結界の一種だろうか?
外の様子が見えない。音も聞こえない。
まるで光り輝く不思議な空間に包まれているような、そんな感じがする。
これが攻撃や何かでないっていうのを理解した私は、はたと勇者様の考えに気づいた。
だから私は、まだ勇者様の体に雷魔法を送り続けていたお姉さんと私をつなぎとめていたベルトを外して、お姉さんから体を離した。
途端に、出力を失ったお姉さんはガクリと膝が落ちそうになる。
そんなお姉さんをとっさに支えたのは、剣を刺されたままの勇者様だった。
その顔には、ほぐれた笑顔を浮かべていた。
あの日と同じ、お姉さんと良く似た悲しげな瞳をたたえたままの…
「おい…な、何してんだ…?」
お姉さんが私にそう聞いてくる。
「うん、お姉さん…私、勇者様に聞かなきゃいけないことがあるんだ」
私は、驚いた表情を浮べているお姉さんに笑いかけて、そのまま勇者様の前にすすみでた。
「勇者様…これで、良かったのかな…?」
すると勇者様は、鱗に覆われその下には獣人族のような巨大な筋肉を膨らませていた腕を私に伸ばしてきて、
そして、その手のひらだけを人間の姿に戻すと、クシャッと私の頭を撫でてくれた。
「本当に、あなたは頭の良い子だ…おかげで三文芝居がしやすかったよ」
そう言った勇者様の表情は、とっても優しい顔つきだった。
「途中はもうだめなんだって思いましたけど…」
「申し訳なかったけど…そう感じてくれてたのなら良かった」
「おい…何の話だよ…?何が、どうなってんだ…?」
お姉さんが目をパチクリさせながら私と勇者様に聞く。
私は、私からではない方がいいかな、と思って勇者様に視線を向けたら、勇者様は小首を傾げてなにかを考えるような仕草を見せてから、またクスっと笑って
「いろいろ話はしたいけど、もう時間がない。基礎構文が崩壊する前に決着を付けよう」
勇者様はそう言うと、別の魔法陣を無数に周りに張り巡らせた。そして、
「爆破と同時に結界魔法で身を守れよな」
と、今度は自分に剣を突き指しているお姉さんの髪を梳く。
「待てよ…何、言ってるんだ…?」
「本当に頑張ったな、これまで…」
戸惑いを隠せないお姉さんの、今度は頬を愛おしそうにつまんだ勇者様はそう言って、それから穏やかな口調で付け加えた。
「この世界はきっと荒れる。だから、あなたが居てくれて良かった。あなたと仲間たちとでこの大陸の光となってくれよ…あなた達なら、きっと出来る!」
そうして勇者様は優しく微笑んだ。
バシバシと、辺りの魔法陣が音を立て始める。
私はまたお姉さんに飛びついて
「お姉さん、結界魔法!早く!」
と急かした。
「えっ…あ、あぁ…」
お姉さんはワケが分からない、って顔をしてたけど、お姉さんはすぐさま結界魔法を展開させる。
勇者様が自分に突き立った剣を握っていたお姉さんの手に、自分の手を添えて言った。
「ごめんな、そして、ありがとう。本当はもっと姉らしくしてやりたかったけど、状況が許さなかったからな」
突然、ポロリと勇者様の目から涙がこぼれる。
お姉さんは相変わらず身を固めてしまったままだ。
「もし…この先もう一度会えたら、その時は…」
勇者様は、そこまで言うと、ハッとして顔を上げた。
「…時間だ…それじゃぁね」
そう、落ち着いた様子で言った勇者様は、自分に突き立った剣をギュッと握りしめ、そして、それを手にしていたお姉さんを力一杯に蹴り飛ばした。
次の瞬間、私達は、またあの夜空の元に飛び出していて、そんな私達を激しい爆発の炎と風圧が飲み込んだ。
ぐるぐると体が振り回され落下していく中で、私は、剣が突き刺さったままの勇者様の体が、まるで魔法で出来た翼やトロールさんの体が消えていくのと同じように、
光る霧のようになって消えながら地上に墜ちて行くのを見た。
「くっそ、魔力がもう空だ!おい、さっきの力、もう一回送ってくれ!」
風の音に混じって、お姉さんがそう叫ぶのが聞こえる。私達だって、落下中だ。魔法で着地をしないと、無事では済まない。
私は、お姉さんの体にへばりついて意識を集中させる。体の奥底から湧いてくる力をお姉さんに送り込…めない。
あ、あれ…おかしいな…焦ってる?集中が足りないのかな…?でも、もう一度試してみるけど、やっぱりさっきのような力が出せない。
ハッとして私は自分の体を見やった。そこのは、あの真っ白に光る不思議な模様は跡形もない。あの日に勇者様にもらった魔法陣も消えてしまっている。
も、も、ももしかして…?!
私は夜空に目をやった。そこにはもう、あの輝く大きな魔法陣はない。基礎構文ももう、跡形もなく消え去っていた。
そっか、もう魔法は使えないんだね…じゃぁ、これ、今、すっごいまずい状態じゃない…!?
「お姉さん、私も出来ない…!」
「何ぃぃぃ!?」
そう言っている間にお城の床がグングンと迫ってくる。
「おい、受け止めろ!」
下で隊長さんがそう叫んで、女戦士さん達が私とお姉さんの落下点に駆けつけた。
私は空中でお姉さんにギュッと抱きしめられた瞬間、ドスンと言う強烈な衝撃が体に走るのを感じた。
全身がガクガクして、頭もクラクラとする。
周りには、私達と一緒に倒れ込んでいる女戦士さん達の姿があった。
「あぁ、なんだよ…どうなってんだ?」
女戦士さんが打ち付けたらしい肩をさすりながら不思議そうにそう言い
「力が、入らない…?」
と女剣士さんも、自分の手を見て呟く。
「あっ…痛ってぇぇぇぇ!」
お姉さんが腕を抑えながらそんなうめき声を上げた。見ると、お姉さんの左腕がおかしな腫れ上がり方をしている。
お、お、お姉さん、それ、骨が…?
私がそう青ざめていたら、そこへ十六号さんが駆け寄ってきた。
「大丈夫か、二人共…?じゅ、十三姉、それ腕折れてんじゃないか!」
十六号さんはそう言うなりお姉さんの腕に両手を掲げて、しばらくしてから、
「あぁ、そうか…」
と口にして、夜空を見上げた。
「…間に合わなかったって言うべきか…何とか間に合ったって言うべきか、悩むところだな」
そんな十六号さんに、お姉さんは笑ってそう言い、そのまま腕をかばいながら床にごろっと横たわった。
そして、安堵のため息をついてから、静かな声色で言った。
「終わった…終わっちゃったよ…」
ポロリと、お姉さんの目から涙がこぼれた。でも、そんなお姉さんはあの悲しい顔をしてはいなかった。かと言って、嬉しいんでも、喜んでいるんでもない。
ただ、その表情は私には、どこか清々しく見えるような、そんな気がした。
「魔王様!」
そう声が聞こえて、私は、ふと顔を上げた。そこには、サキュバスさんがいた。でも…なんだか違和感がある。
それもそのはず、サキュバスさんには、あの頭に生えていた角がない。尖った耳も、背中の翼もない。
そこにいたのは、栗毛色の長い髪をした、人間のサキュバスさんだった。
「あぁ…サキュバス…だよな?」
「はい、私です…魔王様、よく、よく、ご無事で…」
サキュバスさんはそう言うなり、お姉さんの手を取って泣き出してしまった。
基礎構文が消えてしまったら、魔族は魔族の姿を保っていられなくなってしまったんだ。
それを思い出して私は、辺りを見回した。
ソファーの部屋だった場所の隅に、見知らぬ男の人が二人に、それからたぶん鬼族の戦士だった女の人と、鳥の剣士さんだった二人の姿があった。
見知らぬ二人は、軽鎧の方が黒豹さんで、ゴテゴテした鎧にたくましい体をしている方が虎の小隊長さんだろう。
お姉さんの言葉の通りだった。
戦いは終わった。
世界も、終わってしまった。
お姉さん先代様と交わした魔族達に平和をもたらす約束は、ついに叶わなかったんだ。
だからあんな表情で涙を流していたんだ。
でも、これで終わりじゃない、って、お姉さんはきっと分かってくれているんだろう。
「みんな…聞いてくれ」
お姉さんはすぐに、仰向けに寝転んだまま、駆け寄ってきていたみんなに向けてそう声を掛けた。
「ケガ人の手当てをする。あたし達の手当てが終わったら、その次は外の連中だ。
重傷者がかなりいるはずだからなるだけ急いで指揮を取って、重傷者から優先的に罠用に作っておいた広間に引き入れて治療をさせてくれ」
そんなお姉さんの言葉に、みんなもようやく、一様に安堵の息をホッと吐いてみせた。
「まったく、人使いの荒さは変わってねえな」
「おし、アタシらが表の偵察してこよう。触れて回らなきゃいけないし」
「十六姉ちゃんは東を頼むよ。俺は西に行く」
「よし、西にはうちの剣士を付けよう」
「それなら私が東の方に着いて行きます」
「あぁ、頼むぞ鬼戦士」
「虎だった旦那は、兵長の意識が戻るまではここの指揮を頼む」
「わ、私も何かするよ!」
「零号様は私と一緒にお湯を沸かすのを手伝ってくださいますか?」
「私は…医療品と薬草を持って出します」
「確か倉庫に山ほどあったねぇ、あたしもそっちかな」
「おいも、手伝う」
みんなが口々にそう役割を確かめ合ったのを聞いて、お姉さんはクスっと嬉しそうに笑ってみせた。
「まったく…本当に休む間もないよな」
お姉さんはそう言いながらも、私の顔を見やって
「さっきの話は、後回しだ」
なんて満面の笑みで笑いかけてくれた。
「おーい、誰かこっちに手を貸してくれ!」
「重傷者は二階の大広間へ!手当てがまだの軽傷者は、中庭の救護所が空いているので、そっちへ回って!」
「待たせたな、炊き出しだ!まだの連中にどんどん回してやってくれ!」
「おぉい、誰か責任者の所在知らんか?追加の輸送隊がついたんだ」
長かった夜が開けた。
昨日の晩まで、人間軍と魔族の人達に埋め尽くされていた城壁の外には軍隊の駐留用のテントが張られて、あちこちが仮設救護所に成り代わっていた。
昨日まで武器を持っていた人達は、今日は包帯や固定具、止血の薬草なんかを持ってあちこちを駆け回っている。
魔王城の中の台所にも人が詰めかけ、残りの食糧を全部供出した炊き出しだも行われている。
それだけでは足りないけれど基礎構文が消えたあとのことを想定していて、
大尉さんが手を回していた救援隊の物資が時間を置いて馬車数台ずつ到着しては、食糧や医薬品を運んできてくれていた。
どうもこの救援隊を指揮しているのは、あの竜族将さんらしい。
大尉さんがどう頼んだかは分からないけれど、竜族将さんはこの物質輸送にかなり積極的に協力してくれているらしかった。
お城も開放して、特に安静が必要な人達に休んでもらう場所になっている。
そう指示を出したのは、もちろんお姉さんだった。
私はお手伝いの合間の僅かな休憩時間に、昨晩に吹き飛んでしまったソファーの部屋まであがって、そこからお城の内外で動き回る人達を眺めていた。
そこには、土の民も造の民もない。ただの人間達が、傷付いた仲間のために行き交う姿があった。
「よう、大丈夫か?」
不意にそう声がしたので振り替えると、そこにはお姉さんがいた。
お姉さんはあちこちに包帯を巻き、当て布を貼り付けられている。右腕はやっぱり骨折していて、首から三角布で吊り下げていた。
「うん、平気。お姉さんは?」
私がそう聞いてみたら、お姉さんは苦笑いを浮かべて
「いやぁ、あちこち痛くって…ケガが治らないなんて、初めてのことだからな」
なんて言って肩をすくめた。
基礎構文が消えた。私達の世界にはもう、魔法が存在しない。
骨折も切り傷も火傷も、治るまでには長い時間がかかってしまう。
それを不便がり、やっぱり絶望を感じる人達もいるようだけど、そもそも生き物っていうのはそういう存在なんじゃないか、って私は思う。
畑で作物がゆっくり育つように、人の成長も、傷の治癒だって、本来はきっとそういうものだろう。
もし今を不便だと思うのなら、それはきっと、魔法の力に甘え過ぎてしまった結果だ。
「ごめんねお姉さん。私を床にぶつけないようにしてくれたんだよね」
「あぁ、まぁ…うん、いいよ」
私がお礼を言ったら、お姉さんはそう言って照れ笑いを浮かべながらポリポリと頬を掻いた。
「外の人達の被害は分かった?」
「あぁ、死んだ奴はそう多くないみたいだ。地上にいた奴らはケガだけ。
死んじゃったのは、上空から叩き落とされた連中で、着地をやれずに打ちどころが悪かったやつらだ。
今のところは、八十九人…」
「そんなに…」
「いや、総数三万八千の中で、死んだのが八十九人だ。ケガした奴らはもっと膨大だけど、死者の数だけみたら、被害なんてなかったに近い」
そうか…あれだけの数の人達が勇者様に挑んだんだ。
勇者様にはそうするつもりがなくても、あの高さからお城じゃなく地面に落ちてしまえば助からない人がいたんだろう。
ううん、逆に、光の矢や、氷の刃を散々に降らせたのに、誰ひとり死んだ人がいないというのなら、勇者様にはそうする意思が本当になかったんだ。
…やっぱりそうだったんだね。
私が内心、勇者様の行動に納得していたら、ややあって表情を引き締め直したお姉さんが私に聞いてきた。
「教えてくれないか、昨日のこと」
あぁ、うん、そうだね…
あれからは、混乱する戦場を治めてケガ人の救護を組織立てるために、忙しく動いて、あの話をゆっくりとする時間なんてなかった。
「うん、分かった」
私はそう返事をして、お姉さんに向き直る。そして私は、勇者様が考えたのだろう物語をお姉さんに聞いてもらった。
「昔々ある大陸では、終わることのない戦いが続いていた。
果てのない戦いによって人々は疲弊しきっていて、心の内の憎しみや怒りを見つめ直す余裕すらなく、ただ武器を取り敵を傷付けていた。
ある日、戦いの最中に、世界を繰り返す憎しみと怒りに突き落とした“古の災い”が蘇って、大陸を滅ぼそうと暴れまわった。
たくさんの人々が傷付いた…けれど、その憎しみと怒りが満ちた大陸でそんな感情に飲まれずに、
平和を夢見た人とその仲間達が多くの人達の前に立って災いと戦い、遂にはこれを討ち破った…」
私の話に、お姉さんは真剣な表情で首を傾げて
「なんだよ、それ?」
と聞いてくる。そんなお姉さんに、私は笑って答えた。
「これから先、この大陸に伝わって行く…ううん、勇者様が、この大陸に伝えて行って欲しい、って、そう願った物語だよ」
「あいつが…?」
お姉さんは、なおも怪訝な表情で首を傾げている。
「うん…私達の見込みは、きっと甘かったんだと思う。基礎構文を消さなきゃ、紋章を扱えなかったお姉さんと私達は、人間軍と魔族の人達には勝てなかった。
だから基礎構文を消して世界を壊して、人間と魔族の差異をなくして、新しい世界を紡いで行くしかないってそう思った。でも、勇者様は知っていたんだと思う。
世界を飲み込んだ怒りや憎しみが、そんなことでは消えないってこと。
悪くしたら、基礎構文が消えたあともその感情だけが残って、“古の勇者”様が現れる以前の世界に以上のひどい状態になる可能性だってあった」
お姉さんは意味を掴みかねている様子で私をジッと見つめながら話を聞いてくれている。
「…争い合う二つの人達がいるところにもっと強い恐ろしい何かがやって来たから、二つの人達が手を取り合ってその恐ろしい何かを討つ…良く出来た物語だよね」
私は、いつだったか十六号さんが言った言葉をなぞってそう言った。その言葉に、お姉さんの表情が曇る。
「…そう、それは、お姉さんが引き受けていた役目だった。魔導協会に押し付けられた役目、かな。
大陸を滅ぼす悪として、大陸中の怒りと憎しみを背負う“生け贄のヤギ”…」
「待てよ」
不意に、お姉さんはそう言って私の話を止めた。曇った表情のままに、お姉さんは私に聞いてくる。
「それじゃあ、あいつは…あたしの代わりにそう言う悪い感情を引き受けて、進んで“生け贄のヤギ”になったってのか?」
「うん、そうだったんだと思う」
私は、お姉さんに頷いて見せてから、話を続けた。
「勇者様は言ってた。今の世界を作ってしまったのは、勇者様自身だって。正直、私もそう思うところがあった。
それしか方法がなかったとしても…世界を2つに分けるなんてことは、悪い感情を放置して悪化させてしまうだけのものだったんじゃないかな、って。
だから勇者様は、私達を騙して裏切って…世界を滅ぼそうとした。
大陸中の悪い感情すべて背負って、それと一緒に世界から消えることが、自分の役目だって、そう考えたんだと思う…」
私がそう答えたら、お姉さんは
「そんな…」
と呟いて、力なくその場にへたり込んだ。私は、それでも話を続けた。
「でも…勇者様のおかげで世界は、大陸が二つに分けられる前の姿に戻った。
中央山脈がなくなって、魔法がなくなって…長い間に歪んでしまった、いびつな悪い感情も消えた。
勇者様は、そのために“生け贄のヤギ”を買って出たところもあるんだよ、きっと。
勇者様はお姉さんに言ってたでしょ?世界の光になってやってくれ、って」
あるいは、もしかしたらそれが一番の理由かも知れなかった。
怒りや憎しみを奪い去っても、一つの大陸に住む、二つの違った文化を持つ民はそのままだ。放っておけば、いつまた衝突が起きるか分からない。
そしてその衝突にちょうど良い落としどころを付けられるかどうかは、勇者様には分からなかったんだ。
でも、勇者様はお姉さんの話を聞いて…お姉さん自身の言葉を聞いて、お姉さんなら二つの民の衝突を治められると感じたんだと思う。
もしかしたら、二つの民を融和することだって出来るんじゃないか、って感じたのかもしれない。
何しろ、私達は人間も魔族もなくお姉さんと一緒にいて、お姉さんを助けていたから。
勇者様が“生け贄のヤギ”になったのは、勇者様自身が責任を取りたかっただけじゃない。
お姉さんを、大陸の未来に生きていて欲しかったからなんだ。勇者様もお姉さんと同じで、この大陸の平和をずっと望んで来た人だったはずだから…
「なんで、そう思ったんだ?」
「だって、そう考えるしか理屈が合わなかったんだ。
どう考えたって、勇者様から紋章を奪う方法なんてない。
だから、それ自体が嘘なんじゃないかな、って、そう思った。
勇者様は、最初に封印から出たときにはもう、今回の事を計画していたんだと思う。
封印の事を私が聞いて、紋章の受け渡しが上手く行かないと困るから、魔法で私を黙らせた。
でも、代わりに私に、勇者様を討つ役割りをさせるために、あのおかしな紋章みたいなものも一緒に埋め込んだんだ。
たぶん、だけど、あれは…基礎構文の一部だったんだと思う。
消え始めた基礎構文を勇者様自身と私とに分けて、力を与えてくれたんじゃないかな。
あの結末を迎えるために」
私は、お姉さんにそう言った。
直接確かめたわけじゃなかったし、想像によるところも大きい。
でも、不思議と私は、それが間違いなんじゃないか、とは思えなかった。
「それが本当だったら…」
お姉さんはポツリと口を開いた。
「あたし、あいつに随分とひどいこと言っちゃったな…」
「それで良かったんだと思う…勇者様が私達を裏切ったのはそのためだったんじゃないかな。
恨みとか憎しみとか、そう言うのを背負うためには本当に私達を傷つけるくらいの気持ちじゃないといけなかったんだと思う。
だって、そうじゃないとお姉さんは勇者様ですら助けようってそう思ったでしょ?」
私がそう言ったら、お姉さんは「あー」なんてうめき声をあげて
「まぁ、そうだよな…そんな話を事前にされたら…あたし、また傷付けるのを避ける方法を探してたと思う」
と納得してくれたようなことを言った。でも、それでもお姉さんは
「でも…やっぱり、そうと知ってたら…もっと何か、感謝とかそういうことを伝えられたんじゃないかな、とも思うよな」
なんてぼやく。
「きっと伝わってるよ」
「そうだと良いけど…」
お姉さんはそう応えて、「よっ」という掛け声とともに体を起こした。何かな、と思ったら
「さて…お呼びかな?」
とお姉さんが振り返ってそう言う。
お姉さんの視線を追うとその先には、サキュバスさんに妖精さん、トロールさんがいた。
「魔王様、サボりはダメですよ!」
妖精さんがそんなことを言って笑う。
「魔王様、とお呼びするのも今更なんだか違う気が致しますね」
妖精さんの言葉に、サキュバスさんがそう笑顔を見せた。
「会議室で魔導士が呼んでる」
トロールさんは、いつもの様子でお姉さんにそう言う。
そしたらそれを聞いた妖精さんが
「魔法が使えないのに魔導士様、っていうのも、なんだかおかしいね」
なんて言ってまた笑った。
そんな様子を見て、お姉さんはふぅ、と溜め息を吐きながら両肩をすくめて
「ほんと、勇者でも魔王でなくても、楽は出来ないな」
なんて言って笑った。
勇者様が言った通り、竜娘ちゃんが想像した通り、この先のことも、きっと簡単じゃないだろう。
今はこの戦いの終わった戦場で、みんなが手を取り合って助け合おうとしている。
でも、魔法が消えたこの世界がどうなっていくのか、まだ誰にも分からない。
人間界の王国はこれからどうなって行くんだろう?
魔族から人間の姿に戻ってしまった魔族の人達の暮らしはどうなっていくんだろう?
まだまだ心配しなきゃいけないことはたくさんある。
私達は、基礎構文を消した当事者として、勇者様に願いを託された者として、それを考えていかなきゃいけない。
それはもしかしたら、お姉さんが勇者や魔王をやっているとき以上に大変なことなのかもしれない。
でも、私は以前ほどそのことに心配はしていなかった。
だって、これからはもう、勇者や魔王なんかに何かを押し付けることなんてできないからだ。
これからは、みんなひとりひとりがその責任を負っていかなきゃいけなくなる。
お姉さんが全てを背負っていた頃とは違う。
戦いがすべてだった頃とも違う。
そこには、私に出来ることもきっとあるに違いないからだ。
「魔王様、急ぐですよ!」
「ケガ人の扱いじゃないよなぁ、まったく」
妖精さんの言葉に、お姉さんがそう言って笑う。
「ケガをされていても政務ができますからね」
「そもそもあたしに政務って向いてないんじゃないのか?兵長とあんたが居れば十分だろ?」
そう言ったサキュバスさんに、お姉さんは、わざとらしい嫌そうな顔をして応えた。
「救援隊の物資の振り分けも頼みたいと言っていた」
「それこそ、兵長あたりがやればいいだろ!」
トロールさんの情報にお姉さんは笑いながらそう文句を言う。
「ほら、お姉さん!お仕事お仕事!」
私もそう言って、お姉さんの服を引っ張った。
「あぁ、もう!分かった分かった!行くよ、行けばいいんだろ!」
お姉さんは私に引っ張られて、そんな事を言いながら立ち上がる。
「ほんとにまったく…楽じゃないよ!」
お姉さんはそんなことを言いながら、満面の笑顔で笑ってみせた。
そして私達は、荒れ果てたソファーの部屋を揃って後にした。
これから始まるのは誰も知らない新しい世界。
その世界を、私達は作っていかなきゃいけないんだ。
止まってる暇も、迷っている暇も、怯えて不安になっている暇もない。
私達は歩いていくんだ。
何が起こるかわからないけれど、きっと私達は大丈夫。
だって、私達はひとりじゃない。
いつだって、困ったときにはそばにいてれる仲間がいる。
だからきっと、私達は大丈夫!
以上です。
お付き合い、大変ありがとうございました!
おつ!!!
乙
ああ、これこそキャタピラさんの物語だよ!
>「あなたは、頭のいい子だな」
読者視点でこのセリフの意味合いが途中で変わるのが好き。最初は「怖えぇ!」で次は「凄えぇ!」
物語のあちこちで仕掛けられるこういう表現こそが本を読む最大の楽しみだと思ってるのですっごい好き。
あと、基本的に優しい世界と人間たちの話しも。
だからキャタピラさんの書く物語を飽きもせずに読んでいられるんだと思う。これからもよろしくお願いします。
願わくば彼らの後日談なんか……いやいや蛇足になるかも……でもでも!!
とにかくお疲れ様でした。
どこぞの島のなんちゃらいうペンションの話しはゆっくりやっとくれwww
>>1に最大級の乙を!
楽しく、そしてすごく感動させてもらいました!
乙!
最後の展開まったく読めなかったぁ!
乙でした!!
読んでてすごく楽しかったです!
乙!
昨日、初めから読み始めて、時間を忘れて読み耽ってしまいました。
他作品あったら教えてください!
終わってしまったか…非常に乙!!
過去作とか知りたいな。もしくは新しいの立てたら告知して!
最初から思い出してたんだけど、これってだいぶ最初の方で終わらせるつもりだったんだよね…?さすがにそこから考えた話じゃないよね…?
続き書いて!まで言わせる予定だったのかな
>>807
書いた本人じゃなくて横からごめんね。
仮に最初の方で終わらせる予定で、そこから話を考えてから長引いたとしたら何かマズイのだろうか?
>続き書いて!まで言わせる予定だったのかな
これもよくわからないんだけど「続き書いて!」よりも「まだ先があるのか!」的な感想が多かったと記憶しているよ。
>>800
感謝!
>>801
お付き合いいただき超感謝!
アヤレナから読んで下さってる方にそう言っていただけると感慨もひとしお…!
どうも書いていると読者様に「そうきたか!」感を持って欲しい人種のようでして…楽しんで頂けている限りはこのスタイルで行きますw
後日談?そんなもの、このキャタピラが書かないわけがない!www
ちゃんと準備してるんでしばしお待ちの程を!
>>802
最大級の感謝を!!!
気力が持てばもうちょっと感動的に出来たなぁと今更思いますw
>>803
感謝!!!!
最後の方は書いててもどうなるか分からない感じでした…w
>>804
感謝!!!!!
>>805
感謝!!!!!!
ここへ来て新しい読者様が増えて頂けたのは嬉しいです!
過去作については以下1へ
>>806
感謝!!!!!!!
お付き合いいただきありがとうございます!
過去作などについては以下1へ
>>807
感謝!!!!!!!!
その辺りについて興味を持っていただけると書き手としては大変嬉しいです!
長々あとがきのような物を書かせていただきましたので以下2へ!
>>808
フォロー?感謝!
同じく、あとがきを書きましたので以下2へ!
【過去作など】
【機動戦士ガンダム外伝―彼女たちの戦争―】(このスレに誤爆しちゃったガンダム二次の超長編シリーズ物。読み切るには気合が要ります)
ペンション・ソルリマールの日報 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1420893706/)
【信長「あー…天下統一とかダルい…光秀、今夜儂を暗殺してくんね?」】(このスレと同時並行で書いてた歴史モノ)
信長「あー…天下統一とかダルい…光秀、今夜儂を暗殺してくんね?」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1412594280/)
【三姉妹探偵】マリーダ「姉さん、事件です」【プルズ】 (マリーダさんが愛おしすぎて辛いから書いたもの)
【三姉妹探偵】マリーダ「姉さん、事件です」【プルズ】 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1433242317/)
【ロムが】王「魔王を倒せ!」勇者「よし行くぞ!」魔王があらわれた!【壊れた】 (ドラクエ3ネタ)
【ロムが】王「魔王を倒せ!」勇者「よし行くぞ!」魔王があらわれた!【壊れた】 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1407949406/)
【twitter】ボヤいたり、新作宣伝とかしてます。pixiv垢もあるけど放置中。
@catapira_ss
あとまだ何かあった気がするけど思い出せないw
酉は共通なんでそれで検索してもらった方が早いかも。
【あとがきのようなもの】
スレ建てした当時は一年も書くとは思いもよらなかった…
この話は本当に、お姉さんにくっついて、幼女ちゃんとトロールと妖精さんがあの洞窟を抜けた時点で終わるつもりでした。
ただ、その後お姉さん達がどんな苦労に直面するのか、というイメージだけはあって、
スレ内での「続き早よ!」というプレッシャ…励ましやら、まとめサイトのコメントやらを拝見して続投を決めさせていただきました。
「続きくれ」がなければ書かないつもりだった話なので、本当の意味で読んでくださった方に支えられたお話でございました。
結末に関しては書き始め当時からイメージこそあったものの、つい最近まで基礎構文を消すのは竜娘ちゃんのお仕事の予定でした。
ただ、スランプを乗り越えようと四苦八苦していたら変なスイッチが入ってしまって呼んでもないのに“古の勇者”様が復活する流れに…
なので、書き手的にも終盤は先が読めない部分がけっこうあったりして、辻褄合わせにちょっと苦労しましたw
とにかく最後までお付き合いいただき感謝感謝です!
キャタピラの次回作にご期待下さい!
一年間ありがとうございました!
@catapira_ssにも置いて頂けたら嬉しいです。
>>808
マズイってことはないだろう?
単に、そこからこんな大作書き始めたってすげぇってことだろ
おつやで、一昨日このスレ見つけて一気に読み進めてた
もうね、フラグの立て方から回収の仕方、最後に丸く収める物語の運びまで全体的にすごく良く出来てた上にくどくなくて分量の割にサクサク読めたわ
出来ることならもっと早くこのスレ見つけて先の展開を夢想しながら悶々としたかったぜ…
盛大におつ
幼女にどんだけ苦労させるんだ!と思ったけど
結果面白かったです
乙!楽しかった!
信長と勇者の過去作も楽しかった!
次回作を楽しみにしてます
>>810
感謝!
えぇと、それはtwitterでして、pixivにはいろいろ編集が大変なのであげるかどうかはわかりませぬ。
>>811
フォロ感謝!
ていうか、大作なんて…照れるw
>>812
感謝!!!
なんかめっちゃ好評いただき光栄です!
後半文荒れしてないか心配でしたが、そう言っていただけて嬉しいです!
>>813
感謝!!!!
いやぁ、ほんとに幼女ちゃんには申し訳なかった…w
>>814
感謝!!!!!
長編ガンダム物もけっこう面白いと思うんですよ?w
皆様ご好評ありがとうございます!
一年書いてきて良かったです…!
ってなわけで、いつものアレ。
後日談の導入です。
どこまでも青く広がる空。
高く漂う雲。
強い日差しに、鼻をくすぐる不思議な香り。
ガタゴトと行く馬車を引く馬は、流石に少しくたびれている様子だけど、それももうすぐそこの街までだ。
「おぅし、もうちょっとだ、頑張ってくれよぉ」
十六号さんがそう言って、御者台へと身を乗り出して馬に水筒の水を掛げている。
「おいおい、嬢ちゃん。悪いね」
御者のおじさんがそう言って笑い声をあげた。そんな御者さんに十六号さんはニカッと眩しく笑って
「馬も暑いだろうしな!」
なんて言い、目を細めて太陽を見上げた。
「んん、この匂い、さっきから何?」
妖精さんが鼻をスンスンと鳴らして誰となしにそう聞く。
「これは潮の香りだよ。海の匂い」
そんな妖精さんに、大尉さんがなんだか楽しそうに応えた。
「私、海なんて初めて!もう見えて来るかな?」
「あぁ、もうじきだ。この丘を越えるときの眺めが格別だぞ!」
私の言葉に、御者のおじさんが振り返ってそう教えてくれる。
私はその言葉になんだか心が踊ってしまって、そんな気分を分け合いたいのが半分、そして、緊張を解いてあげたいって気持ちが半分とで、
さっきから押し黙っている竜娘ちゃんに
「ね、海だって、海!早く見たいね!」
と話を振ってみる。すると竜娘ちゃんはハッとしたように私を見やって
「そ、そうですね!」
なんて下手くそな作り笑いを浮べて見せた。
緊張しちゃうのも無理はないけど…
でも、せっかくの旅なんだし楽しい方がいいのにな、なんて思って妖精さんに目を向けて助けを求めてみたけど、妖精さんは苦笑いを浮べて肩をすくめるだけだった。
半月前、元の魔王城に一通の手紙が来た。それは、大陸各地を巡って情勢を視察している隊長さん達の巡検班からで、内容は一言、
「王国北部、翡翠海の港街にて、彼の人の情報あり」
だった。
それを見るなり、お姉さんは私と妖精さんを呼んで、すぐにでも竜娘ちゃんと一緒にその翡翠海の港街に行ってくれないかと頼んで来た。
事情を聞いた私と妖精さんは反対するはずもなく、お姉さんに言われて警護役に立てられた大尉さんと、
それから野次馬で着いて行くと言い出した十六号さんに当の竜娘ちゃんとの五人で元の魔王城から通商隊の荷車に載せて貰う形で出発した。
それから街から街へ、村から村へ、荷車や馬車を乗り継いで、今日こうしてようやく、翡翠海の港街って言うところにたどり着く。
ここは、もともと人間界だった地域で、大陸の北端にあたる。大尉さんの話では、一年中暑くて、冬は来ないくらいなんだという。
私はそんな気候があるだなんて信じられなかったけど、これだけ暑いとそれも頷ける気がした。
「お、そろそろだな」
御者のおじさんがそう言う声が聞こえたので、私はピョンと飛び上がるくらいに興奮してしまって、妖精さんと十六号さんと一緒になって、御者台に身を乗り出した。
丘の頂上に差し掛かった馬車から見えたのは遥か彼方まで広がる、翡翠色のまるで草原みたいに綺麗に輝く、湖よりもずっとずっと広大な何か、だった。
「これが…海…!」
「すっげえぇぇ!」
「きれいだねぇ…!」
私達は、三者三様の感想を口にして、それでも、お互いの顔を見やったら、どれもおんなじ様な驚き顔だったものだから思わず笑ってしまった。
「ははは、そうだろう。これでもいろいろ回ってるが、ここの海ほど透き通ってるのは見たことがねえ。翡翠海の名の通り、まるで宝石だ!」
私達にそう言った御者のおじさんも、なんだか嬉しそうな顔をしている。何はともあれ、もうすぐ目的地だ。早く見つかるといいな…!
私は、相変わらず硬い表情のままジッと空を見上げている竜娘を見て、そんなことを思っていた。
馬車がようやく港街にたどり着いた。私達は御者のおじさんにお礼を言って馬車を降り、賑やかな街の通りをそぞろ歩く。
あちこちに見たことのない建物や看板、お店に果ては食べ物まであって、それだけで私は自然と足取りが軽くなる。
「あ!た、大尉さん!あの建物はなんですか!?」
妖精さんがそう言って、通りの向こうに建っていた小さな宮殿の様な建物を指差して聞く。
「あぁ、あれは旅亭って言って、中流の貴族なんかが使う宿だよ。この辺りは観光業が盛んで、貴族や王族みたいに金を持ってる連中が遊びに来たりすることが多いんだ」
大尉さんは妖精さんの質問にそう答えながらも、手元に広げた羊皮紙に目を落としている。
「ん、なんだ、この匂い…?なんかを焼いてるのか?」
「あぁ、これはすり身の魚を燻てるんだよ。練り干し、って言ったかな?ほら、あそこの棒みたいなやつ」
「あれか!なんだか旨そうだな…よし、宿が見つかったらあれ試そう!」
興奮した様子の十六号さんを相変わらず地図に目を落としたままにやり過ごした大尉さんは、ややあってその地図を閉じ、通りの先を眺めて、
「たぶん、あそこの茶色の屋根がそうだね」
と指を指して言った。
確かにそこには二階建ての茶色い屋根をした建物がある。看板も掛かっているようだけど、今のところからだと良く見えない。
「そこに隊長のおっちゃんがいるの?」
十六号さんをが聞くと、大尉さんは今度は十六号さんを見やって
「うん、たぶんそのはず。零号ちゃん達も一緒だと思うよ」
なんて言って笑った。
勇者様との戦いのあと、大陸の情勢を把握するために隊長さんはじめとする諜報ブタイノ人達や虎の小隊長さんたち元魔族軍の突撃部隊を中心とした巡検隊が作られて、
今も大陸各地を回りながら情報を集めている。全部で12班あって、その中でも隊長さんは一班の班長さんだ。
実は、その巡検に零号ちゃんが同行している。お姉さんの言葉を借りれば、
「あんたには世界を見ておいて欲しい」
とのことで、最初は寂しがってずいぶん渋っていた零号ちゃんだったけど、十四号さん隊長さんの班に入ったことや、
同じく一緒の班を組むことになったもともとは豪鬼族、って言う、鬼の戦士さん達の一族の亜流?氏族で、
鬼の一族よりも強力な戦闘術を使う魔族だった金獅子さんって女の戦士さんと仲良くなってからは少し元気になって、四人でお城を出発して行った。
それからかれこれ一年になる。久しぶりに零号ちゃんに会えるというのも、この旅の楽しみのひとつだ。
私達は馬車の行き交う通りを渡ってその建物へと歩いて行く。すぐそばにまで近付くと、そこには「食事処・旅宿場」と書かれた看板が下がっていた。
どうやら一階は食堂、二階が宿屋になっているらしい。お姉さんと一緒に旅をしていた頃にはこんな宿屋にも良く泊まった。確か、砂漠の街の宿屋もこんなだったっけ…
砂漠の街は、今は復興の真っ最中だ。あの晩、中央山脈が崩れたせいで、砂漠の街は大きな地揺れに見舞われて、多くの建物が倒壊したらしい。被害者も大勢出たと聞いている。
幸い、急激に解けた中央山脈の万年雪はあの砂地に吸収されて大水には遭わなかったようだ。
中央山脈の崩壊で受けた被害は、人間界で特に甚大だった。魔界では中央山脈のある東側から人間軍の侵攻があったため、
多くの魔族は魔界の西に避難していて難を逃れたようだった。
カランコロンと鳴子の音を鳴らして、大尉さんが食堂のドアを押し開けた。中は板の間に質素なイスとテーブルが並ぶ、どこにでもありふれたような佇まいだ。
違うといえば、ホールの隅に、この地方のものらしいなんだか麻糸を編んだ布の様な表皮をした幹を持つ、笹の様な葉の観葉植物らしい物が置かれていることくらいだ。
「おう、なんだ、思ったよりも早いお着きだな」
「幼女ちゃん!十六お姉ちゃん!」
そんな声がしたと思ったら、目にも止まらぬ速さで何か黒い塊が私達に突撃して来た。十六号さんが抱きとめたその黒い塊は、もちろん零号ちゃんだ。
「久しぶりだな、零号!背、随分伸びたじゃないか」
十六号さんがそんなことを言って、お姉さんと同じように長く伸びた零号ちゃんの黒い髪を撫で付ける。零号ちゃんは十六号さんの胸元に頬を擦り付けながら
「あのね!剣術もうまくなったんだよ!金獅子のお姉ちゃんに教えてもらったんだ!」
なんて、甘えるような声を出している。
「あはは、そっかそっか。それなら、あとで手合わせして貰わなきゃな」
十六号さんも、そんな零号ちゃんの髪に頬擦りしながら答えた。
「まったく、あの領主サマも随分な人だよ。こんな小さい子に世界を見て来い、だなんてさ」
そう言ったのは、テーブルに着いて木彫りのジョッキを手にしていた、金髪のとびきり美人の女の人だ。
歳はお姉さんよりも少し上くらいに見えるけど、実際は隊長さんの一つ下くらいだって言っていた。
この人がかつて豪鬼族最強の戦士「金獅子」なんて呼ばれていた人らしい。
強いのかどうかは、戦いを知らない私には分からないけど、一度、金獅子さんが私が両腕を広げたくらいある刃幅の大斧を、
魔法が使えなくなってからだったというのに軽々と操って舞った演舞は、圧巻の一言だった。
「がははは!まぁ、あの人も苦労人だからな。あの人しか見えてねえ大事なもんでもあるんだろう」
そんな金獅子さんに、隊長さんは臆面なく笑ってそう言った。
「幼女ちゃんも遠路遥々、ご苦労様。疲れてないかい?」
不意に、十四号さんが私にそう優しく声を掛けてくれる。途端に私は全身がカチコチになって、顔が熱くなるのを感じながら、
「だだだ大丈夫でしたよ!」
なんて、上ずった声を上げてしまってみんなに笑われてしまった。もう…恥ずかしい…
そんな私をよそに、妖精さんが隊長さん達を見て
「わっ、隊長さん達はお食事中ですね?」
なんて声をあげた。それを聞いた十六号さんも零号ちゃんを抱いたまま
「え?!あ、そうだ、隊長さん!表の練り干しってやつ、ご馳走してくれよ!」
なんて頼みだす。それを聞いた隊長さんは、またがはははっと勢い良く笑って言った。
「なら、食いながら話そう。例の尋ね人は、どうやらこの街にいるようだからな」
つづく
幼女ちゃんキタ!!!
乙
つづけ!
遅くなっててすみませぬ…
大丈夫、忘れてない!
リアルがちょいと立て込んでいるのと、やはり幼女ちゃん主人公だと書きにくい!
もう少々お待ちを…構成は出来上がっているんです…あとは書くだけなんです…
私待ーつーわ、いくらでも待ーつーわ
安心した!
まだかしら?
ま た せ た な!(瀕死)
「んんっ!この焼き物、これなんだ?」
「小麦を溶いたところに、お肉と野菜が入ってるんだよ!」
「それは食べればわかるよ!」
「このかかってるソースも美味しいです!」
「あぁ、確か何かを煮詰めて作るんだと言ってたな…えぇと、タマネギと麹と、なんだったか…」
十六号さんが焼き物をほおばってそう言い、
零号ちゃんがそれについて説明をしたので
私にそれが言葉を挟んだら
妖精さんが二口目を口に運んで舌なめずりをして言い、
それを聞いた隊長さんがそんな話をしてくれる。
お姉さんと旅をしていた頃も、それからお城での生活になってからも、美味しいものはたくさん食べさせてもらったけど、
この鉄板で焼いた不思議な焼き物の香ばしさと味わい深さったらない。
それこそ、溶いた小麦粉にお肉と細かく刻んだ野菜が入っているだけのように見えたけれど、この味はそれだけでは出ないような気がする。
きっと、何かとっておきの下味を付ける出汁を使っているに違いない。
「まったく、どっちが子どもなんだか分かりゃしないね」
金獅子さんは、妖精さんにソースのレシピについてを思い出そうと頭を捻っている隊長さんの様子に、竜娘ちゃんの方を見やって肩をすくめて苦笑いをして見せる。
「あ、その…いえ…」
竜娘ちゃんは相変わらず緊張した様子だ。
「あぁ、もう!隊長!ソースも良いけど、早く話!」
そんな隊長さんにしびれを切らしたのか、大尉さんが珍しく隊長さんに命令っぽい口調でそう促す。
すると隊長さんは
「あぁ?」
なんてとぼけた反応をしながらも、手早く目の前のテーブルを片付けて、そこに一枚の羊皮紙を広げて見せた。
「これが、例の?」
「あぁ、そうらしい」
大尉さんの言葉に、隊長さんはそう訳知り顔で返事をする。
その羊皮紙には、
「拉致要人救出計画書」
と言う題名が書かれ、その下には細かい文字に難しい言葉でなにやら書き込まれていた。
「うん、確かに、王下特務隊の資料に間違いないね…」
と呟いた。そんな大尉さんに、金獅子さんが
「あんた達は元々、人間軍の諜報部隊だったんだろう?その王下特務隊ってのとは違うのかい?」
と尋ねる。
「うん。私達は、国王軍に所属する諜報活動を主任務として敵地への潜入や偵察なんかをやってた部隊。
王下特務隊は同じく諜報活動をする組織だけど、軍部じゃないんですよ。国王直下の純粋な諜報組織で」
さしもの軽々しい大尉さんをもってしても、金獅子さんには敬語を使わないではいられないようだ。
だけど当の金獅子さんは、そんな大尉さんの説明に興味なんてなさそうに、ふぅん、と鼻を鳴らしたっきり、その話をやめにした。
代わりに金獅子さんは妖精さんや十六号さん達と食事の話に戻ってしまっていた隊長さんをチラっと睨みつけると
「まぁ、とにかく…」
と呟いた。とたんに隊長さんが
「痛ぇっ」
と悲鳴をあげる。見れば、テーブルの下で隊長さんは金獅子さんにしたたかに足を踏みつけられていた。
「詳しい説明、してやんなよ」
「あーあー、わかったよ」
十六号さん達と盛り上がっていた隊長さんは、迷惑そうな表情を浮かべてそう言い、イスに腰掛け直して話を始める。
「ひと月前のことになるが、王都から西へ行った城塞都市で、偶然三班の連中と一緒になったんだ。大陸西側の拠点としては、あの街は都合が良かったからな。
他の班のやつらもあの街を度々利用はしていたんだが…」
巡検隊の第三班は、女戦士さんと鬼の戦士さんが配属された班だ。
「で、やつらが見つけてきたのがその王下特務の諜報隊が作成した資料だ。
『特級要人奪還作戦指示書』…後半に、その後の移送順路まで細かに指示がある」
隊長さんはそう言って資料を顎でしゃくった。
それを見て、私はもう一度資料に目を落す。
確かにそこには、『特級要人』という人を奪還する作戦と、そしてその後の措置についてが事細かに書き込まれている。
措置の項目にさらによく目を通すと、そこには王都から北の城塞都市への移送が指示されていて、さらにそこからこの翡翠海の港街までの道筋も示されていた。
「俺達は王都西部城塞でそいつを見て、まず城主サマへあの手紙を送って、その足でここへ発った。
道中、情報をかき集めて足取りの裏は取ってある。
この街にたどり着いていることは間違いはない。
だが、俺たちがここに着いたのは三日前で、まだロクに調査もできちゃいねえから、その後の足取りは追いきれてねえ。
もしかすると、この街からどこか他所へ移っていないとも限らん。その点も含めた調査をして行く必要がる」
隊長さんは、そう言って空になったジョッキを控えめにテーブルに置いた。
「まあとにかく、俺達はもうニ、三、見て回らなきゃならねえ町や村がある。捜索にそう時間は割けねえから、来てくれて助かったよ。
そこにある『特級要人』の容姿も俺達は知らねえしな」
「うん…見かけを知っていた方が探しやすいもんね」
私は隊長さんの言葉にそう応えて、相変わらず固まっている竜娘ちゃんを見た。
彼女は、ハッとして私を見ると、
「そ、そうですよね…」
とかすれた小さな声で言った。
まぁ、仕方ないよね…私も竜娘ちゃんの立場なら、いろいろと思い悩むに違いないし…
ここはなるだけ、そっとしておいてあげよう。
「あぁ、それとな。このチビも一緒に連れ回してやってくれ」
私が竜娘ちゃんに視線を向けていたら、不意に隊長さんはそう付け加える。
見れば、隊長さんは柔らかな笑顔で、練り干しの串を両手に握り締めている零号ちゃんに頭を振っていた。
「零号ちゃんを?」
隊長さんの言葉に、大尉さんがそう反応する。
「ああ。もうじき一年だ。こいつも、あそこが恋しいらしくてな。尋ね人が見つかったら、一緒に連れて帰ってやってくれ」
「私ね、本当はもう少し見て回りたいなって思うところもあるんだけど、でもやっぱり早く姫ちゃんに会いたいんだ!」
零号ちゃんは、満面の笑みでそう言う。
「そっか。あんたが出立してすぐだったもんなぁ、産まれたの」
十六号さんがなんだか感慨深げにそう口にした。
そう、お姉さんはあの戦いからしばらくして、一人の赤ん坊を産み落とした。
お姉さんと同じ癖のある黒い髪で、それから、瞳は琥珀のように輝く栗色の、大きな声でギャンギャン泣き続ける、とっても元気な女の子だ。
そんな零号ちゃんと十六号さんの話を聞きつけた隊長さんはふと、
「しかしなぁ…話を聞いたときには驚いたもんだ」
なんて言葉を漏らし始める。
「そうだねぇ、まさかそうなってるとは…あたしもびっくりしたよ」
大尉さんもそう言って微妙な表情を浮べてコクコクと頷いた。と、それを聞くや
「あれはなぁ…最初に見たときはもう、怖かったし痛かったしでもう…」
なんて言って、十六号さんが身震いを始める。
「へぇ?こっちじゃぁ、割と有名な話だったけどね」
金獅子さんは、逆に三人の反応が不思議なようで、首を傾げながら言う。
「私は知らなかったですよ…」
そんな金獅子さんの言葉を聞いて、妖精さんはそう言って苦笑いを浮かべた。
「それ、なんのこと?」
そんな大人達の様子に、零号ちゃんがポカンとした表情で尋ねる。
「あぁ、いや…まぁ、難しい話だ」
「そ、そうそう、大人の話ね」
「あれは…怖かったなぁ…」
「でも、大事なことだよ。そのうち教えてあげるさ」
「ま、まぁ、二人が幸せなら、いいですよね…ね?」
零号ちゃんの言葉に、大人達と十六号さんがなんだかちょっと強張った表情で口々にそう言って
「そ、そう言えば、この辺りのお酒ってどうなの?」
「ん、玉蜀黍で作ったってのが主流らしいな」
「あの強いやつだね。あれくらいの酒精があるのは結構好みだよ」
「辛いお酒は苦手ですよ」
なんて、一気に話題を変えに掛かった。
話をはぐらかされてしまった零号ちゃんはなんだか不満そうな顔をしていたけど、
すぐさま十六号さんが差し出したチーズとベーコンに玉葱を生地の上に乗った焼き物を口にしてキラキラの笑顔を取り戻していた。
すっごく遠回しだけど、私には何の事かはおおよそ検討が着いていた。お姉さんの赤ちゃんの「お父さん」のことだろう。
いや、そう呼ぶべきかどうかは曖昧だね…その、つまり、「お父さん」じゃなくて、「種たる母」、のことだ。
要するに、赤ちゃんのお母さんであるお姉さんは、「種たる母」でもなり得たサキュバスさんとの間に、姫ちゃんを産んだんだ。
そんなことを聞かされたら、人間界に住んでいた人なら誰だって少しは驚くにきまっている。
だって、赤ちゃんは結婚した男女の間にしか出来ないものだって、そう考えるのが普通だからだ。
愛し合う男の人と女の人が夫婦になれば赤ちゃんが出来る。赤ちゃんって言うのがどうやって出来るのかは大人は教えてくれないけど、
でもとにかくそれは男の人と女の人じゃないとダメなことで、女同士のお姉さんとサキュバスさんに赤ちゃんが出来るのは不思議なことなんだろう。
そう言えば…
そんなことを考えていて、私はふと、いつだったか皆でお風呂に入ったときのことを思い出した。
確かあのとき、私はサキュバスさんが服を引き剥がされた瞬間に、妖精さんに目隠しをされて何にも見えなくなった。
だけど、サキュバスさんの裸を見たお姉さん達は、何だかとっても驚いていた。
もしかしたら、サキュバス族の人達は、何か特別な体をしていたのかも知れない。
きっとその特別な何かがあって、それは種たる母になるために必要な物で、そのおかげで女同士でも赤ちゃんを作ることが出来たんじゃないだろうか?
でも、じゃぁ、その何かって何だろう…?赤ちゃんを作るために必要な物…もしかしたらそれが分かれば、赤ちゃんを作る仕組みも分かるかもしれない…
「あぁ、指揮官ちゃん」
不意に、金獅子さんがそんなことを頭に巡らせていた私に声を掛けてきた。ハッとして金獅子さんを見やったら、金獅子さんは曖昧な笑みを浮べて
「これ以上は大人が困っちゃうから、やめてちょうだい」
なんて言った。
どうやら、考えていたことが顔に出ていたらしい。そう言えば、いつもこん話になると大人は皆何だか困ったような顔をする。
知りたいのはやまやまだけど、困らせるようなことはしたくはないかな…
私はそう思って仕方なく
「はい」
と控え目に返事をしておいた。そしたら金獅子さんはクスっと笑って
「お年頃だしね…私の任務が終わってあそこに戻ったら、ちゃんと全部説明してあげるよ。それまでは我慢だ」
なんて言ってくれた。
「はい!」
私はそう言ってもらえたのが大人の仲間入りができるようで嬉しくて、思わず大きな声で返事をしてしまっていた。
「まぁ、それはさておき、話を戻すとだ」
そう言えば、随分話が横道に逸れちゃった。
私は気を取り直して隊長さんの話に意識を戻す。
「俺達は、明日にはこの街を出る。手を貸してやれねえからな。しっかり頼むぞ」
そう言った隊長さんは、緊張で固くなりっぱなしの竜娘ちゃんを見やってニヤリと笑みを浮かべた。
それから、私達は宿の中部屋に入った。
女ばっかり五人の旅だったからどこの街でもこんな感じだったけれど、今晩はお風呂に入って出てきた頃合いで、部屋に零号ちゃんがやって来た。
「十六号お姉ちゃんと一緒に寝るんだ!」
と言い出した零号ちゃんを、十六号さんはいつもやってたみたいに受け入れて、狭いベッドに体を押し合って潜り込んでいる。
「あぁ、零号は本当に大きくなったな」
「そう?髪の毛は長くなったけど…」
十六号さんの言葉に、零号ちゃんはそんなことを返しながら、
「十六号お姉ちゃんのお胸はおっきくなってないね」
なんておどけて付け加える。
「いいんだよ、アタシはこれで」
「でも、旅に出る前の頃はお姉ちゃんはドーンってなってたよ?」
「ありゃぁ、身ごもってたからだろ?」
「身ごもる?」
「赤ちゃんがお腹にいると、そりゃぁ胸だって張るんだよ」
十六号さんは零号ちゃんとそんな話をしながら、前のように腕枕をしてあげている零号ちゃんの髪を優しく撫で付けている。
「ほら見て!隊長に仕入れてもらったんだ、昼間言ってた玉蜀黍のお酒!妖精ちゃんもどう?」
「うぅ、私、辛いのは苦手ですよ」
「ふっふっふー、そう言うだろうと思って、良い割り方を聞いてきた!この檸檬の果汁水に、砂糖をひとつまみして、お酒をドボドボっと…はい、これ試してみて!」
「んん、わかりました…んっ…んん!?これ、美味しいですよ!?」
「でしょ?お酒に甘いのを混ぜる飲み方はそっちにはあんまりなかったみたいだしね」
大尉さんと妖精さんは、まだベッドには入らずに部屋の隅のテーブルではしゃぎながらお酒を飲み交わしている。
赤ちゃんが出来る仕組みは早く知りたい気がするけど、お酒はまだ飲めなくってもいいかな…
楽しそうなんだけどね、何だか、自分が酔っ払うっていうのはちょっと怖い感じがするし…ね…
それにしても昼間はあんなに暑かったのに、夜になると涼しい風が通り抜けていって気持ちが良い。
海風なんだ、と言う、ちょっとベトベトする感じの風ではあるけれど、
それでも肌を撫でていくその温度は昼間の太陽で火照った体を自然と冷ましてくれているような、そんな気がする。
「幼女ちゃん、あのね、海ってあったかくって入ると気持ちいいんだよ!」
と、風を楽しんでいた私に、零号ちゃんがそう声を掛けてきた。
「海?あれ、入ってもいいのかよ?」
零号ちゃんの言葉に、十六号さんがそう尋ねる。
「うん。昨日ね、漁師のおじさんと一緒に釣りについて行って、そのときに泳いだんだ!」
「釣りに、って…あんた達、ここを調査してたんじゃないのかよ?」
「調査のついでだ、って、隊長さんは言ってたよ」
零号ちゃんの言葉に、私は思わずプッと吹き出してしまっていた。
そんなのはきっと、隊長さんの方便に違いない。
この街に来たはいいのものの、探し人の容姿を知らないようじゃ調べられることには限度がある。
きっとそれ以上情報を集められなくって、私達を待つしかなくなり時間が余ってしまったから、そんなことをしていたんだろう。
「お風呂みたいに?」
私はそんなことを思いながら零号ちゃんに聞いてみる。すると零号ちゃんは
「うーん、そこまで暖かくはないかな…でも、温い感じ」
と首をかしげつつ教えてくれる。
だけどそれから思い出したように
「あ、でも、海の水は武器が錆びちゃうから、鎧もだけど着ていっちゃいけないんだって」
なんて言って不思議そうな表情で教えてくれた。
確か、海の水は塩が入っているんだ、って話を聞いたことがある。
塩水は鉄やなんかを錆びさせてしまうから、それと同じことなんだろう。
「あの…」
零号ちゃんと私がそんな話をしていたら、不意に竜娘ちゃんがそう声をあげた。
その顔は相変わらずに緊張している様子ではあったけど、これまでずっとその緊張に隠れていた戸惑いみたいな感覚がなくなっているように、私には感じられた。
竜娘ちゃんはギュッと唇を噛みしめてから、私達に頭を下げた。
「この度は…私のために、こんな遠いところまで来て頂いて、ありがとうございます」
そう言って顔をあげた竜娘ちゃんは、決意を固めた、って感じの力強い眼差しで、私達一人一人を見て言った。
「あれこれ考えていても仕方ないのかも知れません…どうしても会いたいと言う気持ちに嘘はありませんから…いつまでも、こんな事ではいけないですよね…」
「まぁ、それはそうだけどね…まぁ、無理はしなくってもいいんじゃない?」
「そうそう。分かんないけどさ、きっとそういうのは、いざそうなったときに自然に出てくるのが正解だったりするんだよな」
竜娘ちゃんの言葉に、大尉さんと十六号さんがそう応える。
「うん、私もそう思う。そのときにどんな気持ちになるのか…それに従っていいんじゃないかな」
「会いたかったんだから、ぎゅって抱きついちゃえばいいんだよ!」
私の言葉に、零号ちゃんも続いた。そして私達の意見を聞いていた妖精さんが
「大丈夫です、会うときも私達が一緒に居るですからね!」
と、竜娘ちゃんの背を押すように、優しい声色でそう言った。
私達の言葉を噛みしめるように聞いていた竜娘ちゃんは、コクっと一度だけうなずいて、それからまたペコリとお辞儀をした。
「ありがとうございます…」
「まぁ、まだこの街に居るかどうかが不確かなところがあるから、気の早い心配かも知れないけどね」
そんな竜娘ちゃんを見やって、大尉さんがジョッキを傾けながらそんなことを言う。
それを聞いた竜娘ちゃんは、ここ半月見せたことのない、まだ少しぎこちなさは残っているけど、とにかく、笑顔を浮べて大尉さんの言葉に応えた。
「明日は街中で聞き込みしないとなぁ…大変そうだ。ほら、零号。明日のために今日はもう寝るぞ」
「えぇー?お話してよ、面白いやつ」
「あんた、アタシの作り話聞いたら笑って寝ないじゃないかよ」
「だって可笑しいんだもん、十六お姉ちゃんのお話」
「それはそうですけど、そう言えば私達まだよく知らないです。良かったらお話してくれませんか?」
ふと、十六号さんと零号ちゃんの話を聞いていた妖精さんが思い出したようにそう言葉を挟んだ。
そう、確かにそうだよね。
私達はまだ、その人がどんな人で、どんな見かけをしているのかを知らない。一度だって見たことがない。
それは、竜娘ちゃんから聞いておかないと探しようがないもんね。
「それで、どんな人なの?」
私の言葉に、みんなが竜娘ちゃんに視線を向けた。
そう、私たちは誰ひとり、その人の姿を知らない。
ただひとり、竜娘ちゃんの記憶の中にだけある、大切な人だ。
「はい…髪は、私のよりも暗くて…そう、ちょうど、栗色に近い色です。
瞳はあの海のような翡翠色で…背丈は、大尉さんくらいだと思います。
肌は、城主様や十六号様のような小麦色です」
栗色の髪に、緑の瞳。それに、小麦色の肌、か。
それが…私達の探しているその人…竜娘ちゃんの、お母さん、なんだね…
「んー、その特徴だけだと、正直言って候補になる人は山ほど居そう」
竜娘ちゃんの情報を聞いた大尉さんが苦い表情でそう呟く。
「でも、その人は戦争が始まった頃にこの街に連れてこられたですから、それも手がかりにはなりますよね」
「そうだけど、こういう街はそうでなくても人の出入りが激しいからね…もっとこう、細かい特徴ないのかな?
目立つところにホクロがある、とか、傷がある、とか、そんな感じの」
妖精さんの言葉に、相変わらずの表情の大尉さんはそう言って竜娘ちゃんを見やった。
大尉さんの視線を向けられた竜娘ちゃんは、ふっと宙を見つめてから顔をしかめる。
「その他に、というのは…難しいです。一目見ればきっと分かると思うのですが…」
竜娘ちゃんの言葉に、私は残念な気持ちが半分、そりゃぁ当然だろうな、と思う気持ちも半分だった。
例えばもし、私の母さんがどんな人だったか、ってことを口で説明しようとしたら、私と同じ茶色の髪で、それを右側に結いて垂らしていて、瞳は青で、
なんてことしか言えない。
料理がうまいとか、麦刈が早いだとか、そんなことは人探しの手がかりに何かにはなりそうもないし…よくよく考えてみると誰かの容姿を言葉だけで伝えるのは難しい。
「そっか…だとしたら、特務隊の足取りを追うって方法も考えてみた方がいいかもしれないね」
竜娘ちゃんの言葉を聞いて、大尉さんがそう言った。
「特務隊の足取り、ですか」
妖精さんがそうなぞって言う。
「うん。特務隊が一緒にここに来ていたって言うんなら、もしかしたらそっちを覚えてる人はいるかもしれない。
あいつら、出自を隠すためにマントやらを厚手に着込んでるし、王家の紋章の刺繍を付けてるはずだから、竜娘ちゃんのお母さんよりも、目にしたら記憶には残ると思うんだ」
なるほど、と私は思った。
あの作戦指示書と言うとおりに特務隊が動いていたんなら、その人たちを探せば自然と竜娘ちゃんのお母さんに繋がる手がかりも得られるかもしれない。
「どちらにしても、まずは聞き込みをするところから始めないといけませんね…」
そう言う竜娘ちゃんに、大尉さんはジョッキにお酒を注ぎ直しながら、ニンマリと笑っていった。
「大丈夫、宛はあるんだ。これでも諜報部隊の凄腕諜報員だったんだから、任せてよ!」
「栗色の髪の女?」
翌日、街を出る隊長さんと金獅子さんに十四号さんを見送った私達は、街の商工業組合の窓口を訪ねていた。
大尉さんの話では、ここは街の外から来る人の多くが必ず顔を出す場所らしい。
仕事を求める職人さんや、他所から運んできた荷物を卸したりする商人さん達は、この組合の事務所を中心にしているらしい。
そう言えば、元魔王城、今は大陸西部同盟中央都市、なんて呼んでいるけど、あそこの城下にも同じように商人さんの窓口をする場所や、仕事を斡旋する部署もあった。
きっとそこと同じなんだろう。
「はい、瞳も栗色で、少し薄めの唇で…声の良く通る、朗らかな雰囲気の、二十代後半くらいの女性です」
竜娘ちゃんが、窓口のカウンターに背伸びをしながらそう説明する。私は、そんな竜娘ちゃんの格好が何だかかわいいな、なんて思って後ろで頬を緩ませていた。
あ、いや、まぁ、私も同じくらいの身長だから、カウンターの中の人と話をしようと思ったらきっとおんなじような事になるんだろうけど…
「栗色の髪の、か…」
「ねぇ、おじさん。思い当たらないかな?時期で言うと、ちょうど戦争が始まる前後くらいだったんだけど…」
大尉さんが腕組みをして首を傾げる係のおじさんにさらにそう情報を提供する。それを聞いたおじさんも
「開戦の前後、ねぇ…」
と口にはするものの、相変わらず腕を組み首をひねっていた。
私達がおじさんの回答を待っていたら、当のおじさんはふとした様子で表情を変え
「その女、何者だ?お尋ね者かなんかじゃねえんだろうな?」
と怪訝な表情で大尉さんを見やる。
「いえ、その…私の母、なんです。戦争が始まる直前に生き別れになってしまって…」
おじさんの言葉に竜娘ちゃんが答えると、おじさんはなんとも分かりやすく全身の緊張を緩めて、悲しそうな表情を見せた。
「母ちゃん見つけにわざわざここまでやってきた、ってのか…?」
おじさんはそう言いながら後ろにいた私達に目を向ける。
「で、お付きのあんた達はなんなんだ?」
その問いに、私はおじさんの意図を汲み取った。その目は、悲しそうな表情を見せながらも、私達のことを微かに警戒しているようだった。
「私と零号ちゃんは、竜娘ちゃんの古いお友達です」
おじさんの考えていることがそんことであるなら、なるだけ警戒を解いてもらえるようにしていかなきゃいけない。
「私は、旅の剣士。この子達を保護していたこの修道女様に雇われて道中の警備を仰せつかっている」
今度は大尉さんがそう応える。
間違っても、元魔王城から来たなんて言ってしまってはいけない場面だ。人間界には、まだ、魔族に対する偏見がなくなっていない場所もある。
嘘はいけないことだけど、この場合はお互いに気持ちいいやり取りをしなきゃいけないことだから、少しくらいは嘘をつくことも必要かも知れない。
「はい…戦争が終わって、それから魔界でのあの事件で傷ついた兵士が我が“大地の教会”に参られた際に話を伺いまして、この街にまかり越した次第です」
大尉さんの言葉を聞いて、妖精さんがよどみない綺麗な敬語を並べてそう事情を説明する。ていうか妖精さんも敬語上手になったよね…
なんて私は、明々後日なことに感動していたら、おじさんはくぅっと唸り声を上げて、手の甲で目頭を拭った。
「なるほどな…戦争で離れ離れになった母親を探して、こんな街まできた、ってのか…若い頃には苦労はするもんだ、とは言うが、いやはや、恐れ入るよ…」
そんな感慨深気な様子でいうので、私はおじさんが何かを知っているんじゃないかと期待して一歩前に踏み出した。
でも、次におじさんの口から出た言葉は、申し訳なさの混じった、しょんぼりした返答だった。
「だがすまないな…それだけの特徴だと、とてもじゃねえが誰か一人を特定するのは難しい。
それこそ栗色の二十代後半くらいの女なんて、街のやつでも部外者でも、一日何人も違うのと会う。時期に照らしても相当な数だ。
この街に居着いているのだって、酒場には三人、大工の棟梁のとこで線引きしてるのも栗色の髪の女だし、魚漁ってる連中にもいる。
魚を加工してる工場にだって四、五人いたはずだ。出て行った連中の中にもいたし、ここに物売りに来てる連中の中にも山ほどだ」
昨日、大尉さんが言っていた通りだった。
それこそ思い返せば私のいた村にだって五人の内一人くらいの割合で栗色やちょっと明るい茶色、くすんだブロンド色の人がいたし、やっぱり昨日考えた通り、それだけを手掛かりにして探すのは骨が折れそうだ。
もちろん、おおっぴらに魔界に売られていた経験のある人は?だなんて聞けないし、そんなことを竜娘ちゃんのお母さんが公言していない可能性もある。
少しでも絞り込めそうな条件と言えば、やっぱり、昨日大尉さんが話していたことくらいしかないだろう。
「それなら」
そんなことを思っていたら、案の定、大尉さんがそう口を開いた。
「戦争前後に、王都の特務隊と一緒に来た人ってのはいないかな?」
「王都の…トクムタイ?」
大尉さんの言葉を繰り返しながらおじさんは首をひねる。
「そう。黒い装束に紫のマントを羽織ってて、胸のところに王家の紋章が入った軍人みたいな集団なんだけど、知らない?」
「黒装束に紫のマント…ふむ、見かけた記憶があるな…」
「ほ、本当ですか?!」
大尉さんの言葉を聞いて言ったおじさんに、竜娘ちゃんがそう声をあげる。
「あぁ…それこそ戦争が始まったって噂が届いた頃だったか…各地の貴族連中の家族やら従者が避難してきていた時期に、そんな奴らが混じっていたな…」
「その人達が連れていたはずなんです、私達の探し人!」
大尉さんがそう言ってぐっとカウンターに身を乗り出した。私も、思わずカウンターに飛びついておじさんの顔を見つめる。でも、おじさんは眉間にシワを寄せて言った。
「そうか…だが、すまないな。この暑い街で妙な出で立ちだと思ったっきりで、連れてたやつがいたかどうかは記憶にない…おそらく、ここへは顔も出してないだろう」
それを聞いた途端、竜娘ちゃんがしゅんと肩をすぼめた。大尉さんはそれでも
「なんでもいい、何か思い出せない?」
とおじさんに食いついてはいるけれど、おじさんは宙を見据えてから力なく首を振るばかりだった。
「そんなお嬢ちゃんの生き別れの母親なんだったっら力になってやりたいのはヤマヤマだが…何分、その時期は本当に戦略的価値のないこの観光街に逃げてきた連中が多くてな。
正直、全部を覚えてなんていられなかったし、この組合事務所に顔を出してねえんじゃ、なんとも答えかねる」
「そっか…ありがとう、おじさん」
大尉さんが肩を落としてそうお礼を言う。それに続いて竜娘ちゃんも
「ありがとうございました…」
と伏し目がちに口にした。
「…すまないな、力になれなくて。宛になるかは分からんが、戦争の時期にこの街へ来た中で特徴に合うやつを調べておこう。夕方にでも、また顔を出してってくれ」
そんな二人に、おじさんはそう言ってくれた。
私達は組合事務所を出た。外は、朝だと言うのに相変わらず日差しが強くて、肌がジリジリと痛むように暑い。
それなのに、この街の人達はとても賑やかで、開けたばかりの店先で声を張り上げお客さんを呼び込んでいたり、忙しそうに荷車を引いていたりしている。
ここに来るまでにもいくつか街を通ったけど、どの街も一年前の事件のせいでどこか沈んだ雰囲気があったように感じたけれど、この街はそんなことはどこ吹く風、だ。
そんな中で、竜娘ちゃんはまるで雨の日の雲のように、どんよりと沈み込んでいる。
無理もない。隊長さんの話し通り、どうやら特務隊って人達はかつてこの街へ来ていたようだ。
でも、竜娘ちゃんのお母さんがその人達と一緒にここへ来ているかは分からない。
来ていたとしても、まだこの街に居てくれているかどうかは霧の中、だ。
いくら賑やかな街で、太陽がこんなに眩しくたって、はつらつとなんてしていられないだろう。
大尉さんも、手がかりの宛が外れてしまったためか、なんだか肩を落として難しい顔をしている。
何か、声を掛けてあげなくちゃ…
そんなことを思っていたら、私が口を開く前に、零号ちゃんが竜娘ちゃんの肩をポンポンっと叩いて
「よぉし、器の姫様!まずは酒場に行って見ようか!」
なんてあっけらかんとした様子で言った。
そんな零号ちゃんの言葉の調子に、竜娘ちゃんは顔を上げて一瞬、ポカンとした表情を浮かべる。
「今のおじさんの話なら、酒場とか魚の工場とか漁やっている人の中にもいるんでしょ?手掛かりいっぱいだし、あっちこっち回ってみないとね!」
そんな竜娘ちゃんに、零号ちゃんはそう言いあっはっは!と声を上げて笑った。
確かに、零号ちゃんの言うとおりだ。おじさんが言っていた人達が竜娘ちゃんのお母さんである保証はないけど、そうではない、とも言い切れない。
考えようによっては、最初の聞き込みでこんなにたくさんの情報を手に入れられたんだ。その一つ一つを確かめて回ってみる価値はある。
「そうだね…零号ちゃんの言うとおりだ。潰しの操作は骨が折れるけど…やってみる価値がないってことでもないよね」
零号ちゃんの言葉に、大尉さんがそう奮起する。そしてそれにつられるようにして、竜娘ちゃんも顔を上げると
「そうですね…この街に着いて初めての手掛かりなんですから、きちんと確かめておかなければいけませんよね」
と、沈んだ気持ちを素早く立て直して表情を引き締めつつそう言った。
立ち直った二人の様子を確かめて、零号ちゃんが私を見やった。
何だか、一年前の十六号さんやお姉さんに甘えてばかりいた零号ちゃんとは違う、まるでお姉さんのような力強さが溢れているようで、私は思わずホッと胸をなでおろしてしまう。
一年間も隊長さん達と一緒に各地を旅した零号ちゃんは、どうやらあの頃からは随分と成長しているようだった。
私はそれが頼もしくも、嬉しくもあり、反面どこか悔しいと感じる。私だって、あの街で何もしていなかったワケじゃない。
畑のことや食糧の管理なんかも一杯やった私だって、それなりに成長したんだ、ってところをちゃんと見せていかないといけないな!
「よし!そうと決まれば、さっそく探しに行こう!」
私はその気持ちに任せてそう声をあげた。すかさず零号ちゃんが
「おー!」
と明るく答えてくれる。
「それなら、どこに行ったら良いですかね?」
そんな私達の様子を見ていた妖精さんも、明るい表情で大尉さんにそう声を掛けてくれる。すると大尉さんは
「まずは酒場かな。何人かいるみたいだし、人の出入りの多い酒場なら、本人がいなくても情報があるかも知れないしね」
なんて言って、何だか可笑しそうな笑顔を浮かべて見せた。
つづく
乙!!
おつなんです!
乙
期待を裏切らないキマシタワー www
キャタピラ世界では渋谷区もビックリの女性の単性生殖が可能なのですねww
さらっと衝撃の事実が語られてたけど、特級要人の捜索もガンバレー
いや、周囲の反応から、サキュバス族は両性なんだろ…
そりゃわかってるけどこれまで女性として描かれてたんだからいいじゃないキマシタワー!
>>841>>842
レス感謝!
>>843
レス感謝!我慢できなかったんだwww
サキュバス族に関してはずっとそんな要素をプンプン匂わせてはいたんですがね…
種たる母、と言う言葉はずいぶん最初の方から書いてますしw
>>844
レス感謝!
そうなんです、両性でした!
有り体に言えばふたなりです!w
明日の夜には続き投下出来る!と思う!
それから私達は街中をあちこち歩き回って、夕方には組合事務所にも顔を出して、ようやく宿に戻ってきた。
戻って来た、と言うからには、当然、竜娘ちゃんのお母さんを見つけることは、まだ出来ていなかった。
けれど、歩き回った分だけ、いろんな情報を手に入れることは出来た。
これから夕食を食べつつその情報を吟味しようと、私達は宿の食堂に集まってテーブルに並べられた料理に手を伸ばしていた。
「あぁぁ…生き返るぅ?!やっぱり汗を流したあとには冷えたエールだよね!」
大尉さんがそんなことを言いながら、煽って空にしたジョッキをテーブルにドンと置いた。
「その気持ちは分かるです。こういうときは、苦いお酒もおいしく感じるですよ」
そう言った妖精さんも、珍しく果実酒じゃなくてエールのジョッキを手にしていた。
「んんっ!この葉っぱに包まってる肉は…ヤマイノシシか?」
十六号さんが口いっぱいに何かを頬張りながらそんな事を言う。
ヤマイノシシと言うのは、魔界…大陸西部に生息するイノシシの一種で、少し筋っぽいけど、しっかりとした旨味があって美味しいんだ。
「あぁ、そう言うんだってね。先月、遠方から来たっていう商人に勧められて仕入れてみたんだが、たちまちウチの人気メニューさ」
それを聞いていた宿の女将さんがそんな事を言って豪快に笑う。
私も昔、あそこがまだ魔界だった頃には時折サキュバスさんが出してくれた料理に使われていて食べたことがある。
噛むとジュワッと肉汁が出てきて、それがソースや甘い野菜と絡まると絶品なんだ。
「何でも、西部大陸のイノシシだって言うじゃないか。それだと、あまり数が捕れないだろうから、そこが残念だね」
女将さんはそう言って肩をすくめてから、私達が注文した料理を置いて
「ゆっくり楽しんで行ってくんな!」
と言い残すと、そのまま台所の方へと姿を消した。
西大陸で動物の数が多く捕れないのは、土の民である元魔族の人達は、ほとんどの場合、自分達で消費する以外の獲物を獲らないからだ。
だから、こうして市場に出回ることは珍しいし、数も多くはない。さすがに旅宿の女将さんらしく、各地の事情はいろいろと手にしているんだろう。
そんな女将さんの後ろ姿を見届けてから、零号ちゃんがこっそりとテーブルに羊皮紙を広げ始めた。
そこには、今日聞いた情報がびっしりと書き込まれている。
羊皮紙に目を落としながら、零号ちゃんは言った。
「まずは情報を整理しなきゃね。みんな、聞いた話で気になったことをここで出し合って行こう」
正直言って少し驚いた。零号ちゃんが率先して場を切り盛りしようとするなんて考えてもみなかったからだ。
これは、もしかしたら隊長さんの影響なのかな…?
「そうですね…新しい手掛かりへの道標を探さなくては…」
零号ちゃんの言葉に、竜娘ちゃんもイスに腰を据えなおす。二人の様子に、私も気合いを入れ直した。二人ばかりに任せてはいられない。
考えたり推理したりするのは、私だって得意なんだ。
「若い力だねぇ」
そんな私達を見て、大尉さんがそんな茶々を入れてくるけど、私達はそんなことを気にせずにそれぞれが今日のことを思い出し始めていた。
あれからまずは、私達は酒場に向かった。
まだ時間が早くて厨房の料理人の人達が下拵えをしていて、他の従業員さん達はまだ仕事には出てきていないようだったけど、
私達は料理人さん達に無理を言って話を聞かせてもらった。
酒場には栗色の髪の女の人は全部で四人いるらしかった。
その内の二人は料理人さんで、もちろん竜娘ちゃんのお母さんではなかったし、
残りの二人は砂漠の交易都市から来た人達で、街に来た時期は戦争が始まってからしばらく経った、魔族軍第二次侵攻で砂漠の街に激しい攻撃があった後なのだと言う。
その二人は姉妹で、聞けば十六号さんと同じくらいの年齢のようで、計算的に、竜娘ちゃんのお母さんだと考えるには無理があった。
だけど、私達は代わりにいくつかの情報を手に入れた。その一つが…
「酒場で聞いた特務隊って人達のことは重要だよな」
十六号さんがそう口にする。そう、酒場の人達は、組合事務所おじさんよりも鮮明に特務隊のことを覚えてくれていたのだ。
「六年前の風の月に顔を出した、って話だね」
妖精さんがその言葉に頷く。
「もしそれが竜娘ちゃんのお母さんをここに連れて来た人達なら、その時期にこの街に来たって手掛かりになるよね?」
零号ちゃんの言葉に、私達も頷いた。
「可能性は高いと思う。隊長が手に入れてくれた資料だと、“要人”奪還作戦は火の月の末日、新月の晩に決行予定って書いてあったから、
この街に警護して連れてくる時間を計算しても、辻褄は合うしね」
大尉さんもそう言って腕を組んだ。
「それと、漁師さん達が言っていたことも気になるよね」
「漁師の?何か言ってたっけ?」
「ほら、漁師組合の話」
「あぁ、なるほど、それは確かにな…」
妖精さんと十六号さんがそんな話をした。
酒場のあとで向かった海辺で、私達は日にこんがり焼けた漁師さん達からも話を聞いた。
漁師さん達によれば、この街に大勢いる漁師さん達の魚を一手に買い付けているのが漁師組合なんだそうだ。
組合で買い取ることで漁師さん達に収入を保証し、それでいて街には安価で魚を提供出来る仕組みなんだという。
漁師さん達やその家族に竜娘ちゃんのお母さんの特徴に合う人達はたくさんいるらしいけど、そう言うのも漁師組合で聞けば早いし、
何より漁師組合は買い取った魚を売る大きな市場を運営していて、街中にあるお店の人達が魚を仕入れに来たり、
お店の人じゃなくても夕飯のおかずを仕入れるのに街の人達が大勢買いに来るらしい。
自然、街に住む人達の事に詳しい人が大勢いるそうだ。
竜娘ちゃんのお母さんに関する直接的な手掛かりではないけれど、新しい手掛かりを見つけられるかも知れない情報だ。
「明日は、漁師さん達が仰っていた市場に足を延ばして聞き込みをさせていただけませんか?」
竜娘ちゃんは、私達へ気を使ってかそんな言い方をする。すると十六号さんがあはは、と声を上げて
「何か掴める可能性ありそうだしな。行くっきゃないだろ」
と、あくまでも私達みんなの問題だ、と言い換えるように言う。
確かにこれは竜娘ちゃんのお母さんを探すための旅だけど、それでも、私達はみんな自分のお母さんを探すくらいの心持ちでいる。
けっして、竜娘ちゃんの旅にただ帯同しているだけ、なんて気持ちはさらさらない。
そんな私達の気持ちを十六号さんの言葉で理解してくれたのか、竜娘ちゃんは「ありがとう」ではなく、私達の顔を見て
「…はい!」
と力強く言って頷いた。
それが二つ目の手掛かりだ。そして、もう一つ。私が微かに引っ掛りを覚えた話があった。
私は、会話が途切れたのを見計らって、竜娘ちゃんに聞いた。
「ねぇ、竜娘ちゃん。竜娘ちゃんのお母さんは、お勉強とか得意だった?」
「べ、勉強…ですか…?」
私の質問に、竜娘ちゃんは少し戸惑った様子でそう言い、それでもそれから、視線を宙に泳がせる。
「…得意だったかどうかは分かりませんが…確か、お屋敷の従者の方達に手習いを説いていることはありました」
竜娘ちゃんの答えに、私は、自分の中で何かが繋がるのを感じた。
「幼女ちゃん、何か気になることあったの?」
零号ちゃんが私にそう尋ねて来る。私は、そんな問いかけをしてきた零号ちゃんに、頭の中でもう一度繋がりを整理して、質問の意図を説明する。
「ほら、漁師さん達に話を聞いてから、商工業組合の事務所に戻ったときにさ」
私の言葉、全員の視線が集まった。
何人もの漁師さん達に話を聞いているうちに日が傾いて来たのを感じた私達は、船のたくさん浮かんでいた港を離れて、街の商工業組合の事務所に戻った。
事務所のおじさんは、約束通り戦争の前後にこの街にやって来て商工業組合の事務所が世話をした人達の中から、
昼間伝えた特徴に合う人を選んで書き記したんだという名簿を渡してくれた。
その名簿には、百を超える人達の名前が記されていて、それを見た竜娘ちゃんは複雑そうな表情を浮かべていた。
一人一人を探すには時間が掛かるだろう。でも、もしかしたら、表の中に竜娘ちゃんのお母さんがいるかもしれない。
手間が掛かっても一人一人に会って行く他にない。竜娘ちゃんはきっと、そんなことを考えていたんだと思う。
「あぁ、あの表のことだね。あれは数が多いけど…でも、立派な手掛かりになるよね」
零号ちゃんがそう言ってコクっと頷く。でも、私はすぐに言葉を添えた。
「ううん、それもあるんだけど、それだけじゃなくって…」
「名簿じゃ、なくて…?」
今度は大尉さんそう言って不思議そうに私を見つめてくる。
「うん。その後すぐ、事務所に来た人がおじさんに聞いてたじゃない?」
そう、それは私達が名簿を受け取り、お礼を言って事務所を出ようとしていたときのことだった。
私達と入れ違いになるように事務所へとやって来た若い商人さんが、おじさんと始めた話だった。
『よう、若大将。どうした、暗い顔して』
『いや、それがな…先週仕入れた魔界…じゃなかった、西大陸産の、キレイな花を付ける鉢植えの元気がなくてな。
あのままじゃ、売り物には出来そうもないんだ』
『そいつは…災難だな…』
『なぁ、あんたのツテに、魔界の草木に詳しい人っていないか?』
『西部大陸の植物…か。そういうことなら手習い所の先生が良いかもしれないな』
『手習い所の…?あの、王都から来た、って言う?』
『そうそう、その人だ。話じゃ、西部大陸のことにも詳しいらしいからな。何か知恵を貸してくれるかもしれん』
『そうなのか!そいつは助かる!俺は会ったことがないんだが、どんな人だ?』
『あぁ、確か…淡い茶色の髪をした碧眼の美人だって話だったかな。ここに関わっちゃいない人なんで、俺も人伝にしか知らんが…』
『そんなでも、喉から手が出そうなほどだよ!ありがとさん、明日の朝すぐに取り次いでもらうよ!』
私が聞いた二人の会話を話すと、みんなは言葉に詰まった様子でグッと黙り込んでしまった。
あ、あれ…て、手掛かりにしては、ちょっと曖昧すぎたかな…?そんな不安に襲われていた私をよそに、大尉さんがため息を漏らし小さな声で言った。
「あたし、そんな話を聞き漏らしてただなんて…」
「私も、名簿に夢中で聞いてなかったですよ…」
「アタシはチラっと聞いたな。でも、魔界の花って聞いてあの鬱金香のことを思い出してたから、本当にチラッとだけだ」
大尉さんの言葉に、妖精さんと十六号さんがそう続く。
「栗色じゃなくって淡い茶色の髪、か…でも、それって栗色にも近いよね」
「うん。光の加減とかそういうので色って違って見えるし、それに西大陸のことにも詳しいって言うんなら、会ってみる価値はあると思うんだ」
零号ちゃんが言ってくれたので、私もそう答えて、それから竜娘ちゃんを見やった。
「確かに、母様なら読み書きと簡単な計算なら教えられると思います。私も、母様にはたくさん教わりましたから…」
竜娘ちゃんは、目に強い思いを宿らせながらそう言う。
「それにしても」
と、不意に大尉さんが口にする。
「よくそんなことに気がついたね」
「うん、西部大陸について詳しい、って聞こえたのもあるんだけど…一番はやっぱり、手習いの先生、って言うことかな」
「どういうこと?」
今度は妖精ちゃんがそう聞いて来た。
「うん…竜娘ちゃんのお母さんは、あの竜族将さんの弟さんのところにお嫁に入ったんでしょ?
竜族は名家だったって言うし、竜族ちゃんのお父さんも街の領主様みたいな人だった、って聞いてた。
だから、お嫁に入ってからか教わったのか、それとも元々なのか、とにかくきっと聡明な人だったんじゃないかなって、ずっとそう思ってた。
その竜族のお嫁さんってのもあったんだろうけど、そもそも、魔族の街で人間が、少なくとも戦いが起こるまでは表立っては穏やかに暮らしてたんだもん。
きっと、魔族の人が認めるくらい出来た、立派な人だったんじゃないかな。
そう考えたら、手習いの先生って聞いて、なんだかピッタリ来ると思ったんだ」
そう、それこそ…種族の違いを気にせずに、敵や味方なんてことも、愛した先代様を殺し殺されたってことも乗り越えて、
互いに支え合っていたお姉さんとサキュバスさんとおんなじだ…。
「うーん…確かに考えてみればそうだね…それこそ今だって土の民のまとめ役は、その土地に関するほとんどのことを指導して他の皆を引っ張る立場にいる。
人間の貴族やなんかと違って、領民から税金を搾り取るんじゃなく、領民と共に生活を立てるために導いてたはず。
そんな人のところにいるんなら、元々学がなくたってきっといろんなことを学べていたっておかしくはない…」
大尉さんは腕組みをしてそう唸った。
「その人が竜族ちゃんのお母さんかもしれない…」
「まぁ、分からないけどね…栗色の髪の女の先生だって、きっと探せばいくらでもいるだろうし」
零号ちゃんの言葉に、私は落ち着いてそう応える。あくまでも、考えられる条件が一致しているってだけの話だ。何か特別な確証があるわけでもない。
「手習い所というのは…」
「街外れの居住区の方だね。ここからだと少し距離があるかな…明日行ってみるにしても、最初は近場の市場に向かってからの方が良さそう」
ほんの少しだけ、目に期待を輝かせた竜族ちゃんに、大尉さんが地図を広げてそう言った。
市場にはたくさん人がいるだろうし、聞き込みには時間が掛かるだろう。手習い所に向かえるのは、夕方近くになるかもしれない。
でも、そのほうが返って手習い所の手が空いているだろう。
「じゃぁ、決まりだね」
そんな私達の話し合いを聞いて、零号ちゃんが言った。
「明日は、まずは市場に行って、それから手習い所ってところに行ってみよう」
そうまとめた零号ちゃんの言葉に、私達は、それぞれ頷いて返事を返していた。
翌朝早く、私達は宿屋を出て、市場へと向かっていた。
宿屋の女将さんの話だと、市場は日が昇る頃には開いていて、そこへは飲食店の仕入れの人や宿の料理人の人なんかが大勢集まるらしい。
一番混み合う日の出すぐの時間は避けて、ちょうど空いてきた頃合に聞き込みに入るのが良いだろう、っていうのが、大尉さんの判断だった。
そうは言っても、時間はまだまだ早い。昼間はあれだけ賑わう大路にも人影はまばらで、お店やなんかも軒並み表戸を閉ざしている。
宿から市場へは、この大路を歩いて突き当たる海沿いの道を右へ折れて少しの距離だ。
昨日、話を聞いて回った港から目と鼻の先にある。
さすがに早朝ということもあって、太陽はそれほど暑くないし、ひんやりした海風が心地良い。
「市場ならさ、聞き込みのついでに夕飯に食べられそうな魚買って行こうよ!」
「でも、今日は一日聞き込みだから、生の魚は腐りそう…」
「それもそっか…ま、あの練干しって焼き物も旨いから良いか」
「生は無理だろうけど、燻製とかなら大丈夫じゃないかな?」
「燻製かぁ、お酒には合いそうかも」
十六号さんと妖精さん、それに零号ちゃんがそんな話をして笑っている。
私はそれを片耳で聞きながら、少し足を早めて大尉さんと先頭を歩く竜娘ちゃんの隣に並んだ。
その顔をのぞき込んでみたら、案の定、カチコチに固まっていて、思わず頬が緩んでしまう。
「竜娘ちゃん」
「は、はい!何ですか!?」
私が声を掛けると竜娘ちゃんはビクッと肩を跳ね上げてそう聞いてくる。私はそんな竜娘ちゃんに、努めて穏やかに笑いかけてから
「あのね、顔がすっごい怖いよ」
と茶々を入れてあげる。すると竜娘ちゃんはハッとして途端に顔を赤らめて俯いた。
「ま、また…緊張してました…」
「ふふ、まぁ、気持ちは分かるけどね。でも、ずっとそんな顔してたら疲れちゃうよ」
そう言って竜娘ちゃんのほっぺたをツンツンと人差し指でつついてみたら、彼女はようやく、少し表情を緩ませてくれた。
「そうですね…気を張っていてもいなくても…やるべきことや言うべき言葉も、代わりはありませんからね…」
竜娘ちゃんは笑顔で頷きながらそう言う。
言うべき言葉、か。それはきっと、再会のときにお母さんに掛けたい言葉のことだろう。
今、聞きたい気もしたけれど、私は、それをなんとなく我慢して
「そうそう、その感じがいいよ、きっと!」
と、見せてくれた緩んだ表情に笑顔を返して言ってあげた。
「あぁ、見えてきたよ。あれが市場の建物だ」
不意に大尉さんがそう言って道の先に見えた建物を指差して言った。それは、白い屋根に白い土壁で出来た、随分と大きな建物だった。
外から見るだけでも太い柱が何本も使われているのが分かる。レンガや石造りではないけど、あれならきっと随分丈夫だろう。
「ん、魚の匂いもしてきたな」
「もう!十六お姉ちゃん、さっきからそればっかり!」
「良いだろ?旅ってのは各地の旨い物を食べる事を言うんだって、十三姉ちゃんが言ってたんだぞ?」
「そうかも知れないけど!今は竜娘ちゃんのお母さん探すのが先だよ?」
「あはは、分かってるって。仕事の手は抜かないよ」
十六号さんはそう言ってヘラヘラっと笑い、零号ちゃんのお説教を煙に巻く。
私はなんとなく、だけど、そんな十六号さんの言葉や振る舞いは、竜娘ちゃんのためなんだろうって感じていた。
本人がそう言ったわけじゃないけど、十六号さんは人の気持ちにとっても敏感だ。それでいて、お姉さん譲りの特別優しい気持ちを持っている。
さっきからの他愛のない話も、私と同じで竜娘ちゃんの緊張を解こうとしているに違いない。
それなら、と、私もその話題に、竜娘ちゃんも巻き込もうと声を掛けた。
「竜娘ちゃんは練干しと干物と、どっちがいい?」
すると竜娘ちゃんはほんの少し考えてから、
「練干しの方が食べごたえがあって好きです」
と会話に乗って来てくれる。そんな竜娘ちゃんの表情からは、昨日の夜に見たあの力強さが戻ってきているような、そんな感じがした。
程なくして、私達は市場だという建物のすぐそばにたどり着いた。市場にはこんな早朝だというのに、驚くほど多くの人達が詰めかけていた。
荷物を運んだり、魚が詰まった箱の山に人垣が出来ていたり、中には良くわからない言葉で声を張り上げている人もいる。
「あれ、人間界の…東大陸の言葉なんです?」
それを聞きつけたのか、妖精さんが大尉さんに聞く。
「あぁ、あれね。あれは競り、って言って、魚を買い取るためにどれだけお金を出すかを決めてるんだよ。
慣れないと何言ってるか分からないかも知れないけど、ちゃんと普通の言葉使ってるんだよ?」
「…でも、何言ってるか本当に分かんないよ。がなってるだけみたい」
「言葉はちゃんと通じるから、大丈夫だよ」
苦笑いを浮かべる十六号さんに、大尉さんは笑顔で言った。
「それにしても…これで本当に空いてる時間なのかな?」
「そのはずだよ。開場直後の市場なんて、それこそお祭り以上に人が集まって大変なんだから。
昨日の打ち合わせ通り、手分けして聞き込みしよう。お昼になったら、港に集合だから、忘れないでね」
市場の様子を見ていた零号ちゃんをよそに、大尉さんがそう号令を掛ける。
だけど零号ちゃんの言うとおり、空いている時間といってもこの混み様だ。
これは一口に話を聞く、というだけでも、かなり苦労するに違いない。
そう思って、私はパシッとほっぺたをはたいて、気後れしそうになった自分を引き締めた。
「よし、じゃぁ、掛かろう!」
「おう!」
それから私達はそう声を掛け合った。
なるべく多くの人から話を聞いて、竜娘ちゃんのお母さんに繋がる手がかりを一つでも多く見つけるんだ。
私は、心にそう決めていた。
だって…お母さんがいなくてさみしいのは、私が誰よりも一番分かっているから…
私にはもう望めないことだけど、竜娘ちゃんはそうじゃないかもしれない。
もう会えないと思っていたお母さんにもう一度会えるとしたら…それはどんなに嬉しいことだろうか。
市場へと来る道すがら、竜娘ちゃんが言っていた言葉を思い出す。
再会したときに、竜娘ちゃんはお母さんになんて声を掛けるのだろう…?
私だったら、なんて言うんだろう…?
会いたかったよ、寂しかったよ、また会えて嬉しいよ、大好きだよ…
きっと、どんな言葉でも足りないくらいに嬉しいに違いない。
そう考えたら、お城でお留守番なんてしてはいられない。ここで頑張らないではいられない。
「行こう、零号ちゃん!」
「うん!突撃ぃっ!」
私は、一緒に市場のお客さん達に話を聞く役を任された零号ちゃんと二人して、市場の人ごみの中へと零号ちゃんの言葉通りに突撃した。
「はぁぁ…」
十六号さんが大きくため息をついた。
「まぁ、仕方ないよ。情報収集ってこういうものだし」
大尉さんが苦笑いで、十六号さんを励ます。
「ずいぶん歩いたもんね…」
妖精さんが弱々しい様子で言うと
「妖精ちゃん、宿に帰ったら脚ほぐしてあげるから頑張って」
と零号ちゃんがその背を両手で押す。
「………」
竜娘ちゃんも、さすがに疲れた表情をして、地面に視線を落としてトボトボと歩を進めている。
そんな竜娘ちゃんに、私はどんな声をかけて上げればいいのか、頭を巡らせていた。
あたりはもう夕方。傾いた夕日を背にした私達は、街外れの新興居住区を宿のある街の中心部へと歩いているところだった。
空は綺麗な夕焼けだけど、私達の心は疲れと落ち込みに沈んでいる。
結果的にいえば、竜娘ちゃんのお母さんは見つからなかった。
ううん、最初から今日中に見つかるだなんて思ってもいない。
だけど、少しは近づけるに違いない、って思いもあった。
それだけに、今日の聞き込みは、ある意味で私達にとっては失敗だった。
栗色の髪に碧の目をした二十代半ばくらいで、六年前の風の月にこの街にやってきた女性を知らないか?
そんな問いに返って来たのは、私達が想像していた以上のものだった。
「あぁ、それなら布を扱ってる商人の手伝いがそうだろう」
「ん?確か、旅亭の給仕係にそんなのがいたな」
「ふむ、そいつはきっと大工のとこのやつだろう」
「おお、知ってるぞ。酒場で料理人やってるのがそうだ」
「うーむ、そうさな…その頃合いだと、雑貨屋の嫁か、あとはパン屋の若女将だな。あぁ、仕立て屋の針子もそのくらいの時期だったと思うが」
「髪は栗色って言うか茶色だけど、あの自警団にいる女剣士がそうじゃないかね」
「それは土産屋の手伝いに違いないよ。戦争で子供と生き別れになったって話を聞いたことがあるからね」
「木炭売りのことか?何か用事でもあるのか?」
思い出しただけでも、そんな具合いだ。
私達が話を聞いた人の多くは、皆誰かしら特徴に見合う人を知っていた。
そして、重なることもあったけど、多くの場合、別の人を指していた。
私達が話を聴けば聴くほど、新しい人の話が飛び出してきた。
そう。つまり私達は、情報がたくさん集まりやすそうな場所で聞き込みを行った結果、思いがけず手に余るほど膨大な手がかりを手に入れてしまったのだ。
私の両手で足りるくらいの数の人に関することならまだしも、聞き込みを終えて集合しお昼を食べながらその内容を吟味してみたら、
それこそ私達全員の指の数の倍でも全然足りないくらいの人数が、竜娘ちゃんのお母さんかもしれない人として浮かび上がってきてしまった。
商工業組合でもらった名簿と重なる人ももちろんいたけど、そうでない人もいて、結局、ぼんやりとしていた手がかりがさらに霧散して薄まってしまうようだ。
お昼を食べ終えて、名簿に名のある何人かの人を訪ねながら向かった手習い所の先生も、竜娘ちゃんのお母さんではなかった。
それでもまだ、名簿には百を越える人達の名が連なっている。
一日中歩き回ったのに手がかりが淡く薄まってしまったので、この落ち込みようだ。
けれど、みんなは弱音だけは吐かなかった。
もちろん疲れたし、気落ちしているのは本当だ。
でも、竜娘ちゃんの気持ちを考えたら、そんなこと口が裂けても言えない。
一番がっかりしているのは、竜娘ちゃんに違いないんだ。
私はまた、竜娘ちゃんの表情をチラッと見やる。
まだ、何を言ってあげたらいいかは分からないけど…でも、これで終わったわけじゃない。
手がかりが消えたわけでもないし、竜娘ちゃんのお母さんがこの街にいないと決まったわけでもない。
そう思った私は、なるだけ明るい調子で、大尉さんに尋ねてみた。
「ねえ、大尉さん。あの名簿の人達の全員に会うとしたら、どれくらいの日にちがあれば良いと思う?」
「うーん、そうだねぇ…」
そんな私の質問に大尉さんは宙に視線を投げてしばらくしてから
「二週間か…ううん、十日もあれば、なんとかなるかな」
と肩をすくめて言った。
「十日か…長いような、短いような、だな」
「でも、もしかしたら途中の早いところで見つけられるかもしれないですよ」
「この街にいればそうだけど…もし街から出て行ったりしてたら、さすがにのんびりし過ぎになっちゃわないかな?」
「だけど、この街にいない、ってことが分かればそれも手がかりの一つだよ。
次の街では、この翡翠海の港街から来た人を探せばいいんだし」
「それもそうか」
「これだけ聞き込みして決定的な情報が出ないところを見ると、その可能性もあながち否定できないんだよね。
跡を追うことも考えて、路銀のお願いをしておいた方がいいかも知れないな…」
私の質問をきっかけに、大尉さんと十六号さん、妖精さんと零号ちゃんがそう言葉を交わし始める。
うん、とりあえず、黙ったままよりはずっと良い。
「そのことを考えると、もっと早くに名簿の人達に会う方法を考えた方がいいかもね。
例えば…街の人に頼んで、噂を流してもらうとか。
生き別れの娘が、お母さんを探してます、ってさ」
私は、疲れた頭から振り絞った案をあげてみる。すると大尉さんが
「それ良いかも。心当たりのある人には、宿に来てもらうこともできそう」
と賛成してくれた。
「女将さんに頼もうか。アタシらが聞き込みに出てる最中に来るってこともあるかもしれないしな」
「それなら、酒場の人と、商工業組合のおじさんに市場の人達にもお願いしよう!」
十六号さんと零号ちゃんも、そう私の案に意見を出してくれる。
「その方法でどれだけ時間を縮められるですかね?」
「もしこの街にいたら、ずっと早く見つけられるかもしれない。いなければ、やっぱり十日掛けて名簿の人達を確かめなきゃいけないだろうけど…」
妖精さんの質問に、大尉さんが慎重に答えた。
確かにもしこの街にいなければ、そんな噂を流したところで意味はない、か…
もっと何か、効率よく名簿の人達を調べ上げる方法が必要だな…
考えなきゃ、何か、いい方法を…
そう思って、私が遅くなった頭の回転を無理矢理速くしようとした時だった。
「十日、ですか…」
ポツリと、竜娘ちゃんが言った。
私も、大尉さんや十六号さん達も、ハッとした表情で竜娘ちゃんを見つめる。
そんな私達の視線に気づいて、竜娘ちゃんは大きく深呼吸をした。
まるで、胸に詰まった何かを吐き出したような竜娘ちゃんは、
「…会えなかった六年間に比べたら…きっと、短い時間だと思います…」
と口にして、それから笑った。
その笑顔には、まぶしいくらいの明るさとそれから私達が勇気づけられるような力強さが宿っているように、私には感じられた。
「大丈夫!器の姫様は一人じゃないよ!」
零号ちゃんがそう言って、拳で自分の胸をドンっとたたいた。
「私達が一緒だからね!きっと、一人で探すよりもずっとずっと早くにお母さん見つけられるんだから!」
零号ちゃんの言葉に、十六号さんに妖精さん、大尉さんが顔を見合わせてから竜娘ちゃんにうなずいて見せた。
それを見て、竜娘ちゃんも安心したような表情でコクッと頷き返す。
そういえば、零号ちゃんはいつだったか私が父さんと母さんと死に別れたって話をしたときも、おんなじことを言ってくれたっけね。
そのとき私はもう、ほんの少しだけ気持ちの整理がついていたけれど、それでも零号ちゃんの言葉をうれしく感じた覚えがある。
ただでさえ焦りや不安や落ち込みからなんとか自分を奮い立たせようとしている今の竜娘ちゃんにとってはきっと、
あのときの私以上に頼もしくてうれしく感じるだろう。
「よし、それじゃ、さっさと戻って夕飯食べながら作戦会議だな」
十六号さんも笑顔を取り戻してそう言う。
「名簿と地図を照らして、効率よく回れる道順を考えるですよ!」
妖精さんがそう言って両の拳をギュッと胸の前で握った。
二人と同じように、私もヘトヘトの体の奥底からジワリと力が戻ってくるような感覚を覚えていた。
そんなことを話していたら、もうすぐそこに中心街が見えてくるころだった。
夕方ということもあって、仕事帰りの人達や買い物帰りの人達らしい人混みが、私達が背を向けている振興居住区の方へと足早に歩いている。
私達がいたのはちょうど中心街と振興居住区との境目のあたりで、道の両脇には個人がやっている商店なんかが軒を連ねている。
どのお店も表戸を閉じる準備に忙しそうだ。
「ん、なんかいい匂いしないか?」
不意に十六号さんがそう言った。
「ほんとだ!練り干とは違うにおいだけど…あ!あそこじゃない?」
それに続いて、零号ちゃんが声をあげ、道端の一軒のお店を指さした。
そのお店は一見するとお肉屋さんのようだけど、その店の中で何かを炭火で焼いている。
二人だけじゃなく、私の疲れた体と空っぽのお腹もくすぐる香ばしいにおいは、どうもあの炭火焼きが原因のようだ。
「あぁ、ヤキトリだね」
「ヤキトリ?鳥なんだ?」
大尉さんの言葉に、十六号さんがそう聞き返す。
「うん。なんていうのかな…鶏肉の串焼き、みたいな感じの食べ物だよ」
「へぇ!零号、晩飯のオカズにちょっと買っていこう!」
「うんうん!行く!」
十六号さんと零号ちゃんはそう言うが早いか、パッと店先へ駆け出した。
そんな後姿を見て、大尉さんがあははと声をあげる。
「まったく、ちょっと頼もしいと思ったらこれだもんね」
「でも、おかげで元気出たですよ」
大尉さんと妖精さんがそう言いあって笑っている。
私達も道の真ん中で待つのも邪魔になるので二人のあとを追う。
店の中に入ると、炭火で鶏肉を焼いているおばさんに、十六号さんと零号ちゃんが何かを話しかけているところだった。
「これって、このまま食べるの?」
「もう少し焼けたら、こっちのタレにつけてまた焼くんだよ。あとはそのままでもいいし、香辛料なんかを掛けるのもうまいよ!」
「ねえ、これいろんな形あるけど、違うもの?」
「あぁ、そうさ!こっちは胸肉、こっちは皮、そっちの串はワタだよ。鶏は捨てるところがないんだからね!」
おばさんは二人にそう説明しながら、串を炭火からあげるとタレの入ったツボに漬け、すぐさまその串を炭火へと戻す。
ジュワッと言う音とともに、香ばしいにおいが一層強く放たれた。
「うわぁぁ、旨そう!」
「そうだろう?何本か買っていくかい?」
「うん!適当に十本くらい見繕ってよ!」
「あいよ!もうすぐ焼きあがるから、待ってな!」
おばさんはそういうなり背後の保冷庫らしい箱から追加の串を鷲掴みにしてくると、そのまま炭火の上へと掛けてみせた。
十六号さんと零号ちゃんは、さらに興味津々にその様子を見つめている。
そんな中で私はふと我に返って、竜娘ちゃんを見やった。
竜娘ちゃんも、二人の姿を見てニコニコと笑顔を浮かべている。
良かった…もう今日のところは心配なさそうだね。
明日からもまだまだたくさん歩き回らなきゃいけなくなるだろうし、元気なくしちゃうのが一番良くないからね。
私は、そんな竜娘ちゃんを見てそう胸をなでおろした。
そうしたら随分と気持ちに余裕が出てきたのか、歩き行く街の人達に目が行った。
こうしてみると、ここが戦争当時に本当にいろんなところからの避難先になったんだろう、ってことがよくわかる。
私の住んでいた元は人間界と呼ばれていた東大陸にも、いろんな人が住んでいた。大陸の東の北の方には肌が焼けたような濃い色をしている人が多い。
東の方へ行けば、収穫時期の稲穂みたいな色の肌の人達もいるし、王都から西の方には白っぽい肌の人達が多い。
もちろん顔だちなんかもそれぞれ特徴があって、色素の薄い白っぽい肌の人達は彫りが深いし、
東の方の人達はどっちかと言えばお姉さんのようにすっきりした感じの人が多い。
この街は大陸の北に当たるからもちろん焼け肌の人達も多いんだけど、それと同じくらいに白っぽい人達も黄色っぽい人達もいる。
だからこそ、竜娘ちゃんのお母さんを探すのが大変なんだけど…でも、人間同士もよく見ればこれだけ違うんだ。
それでも、こうして一緒の街で生活ができている。
元の魔族…土の民の人達も、そんな違いと大差はない。
肌の色や、顔だちなんかは違うけど、同じ言葉を話せる同じヒトには違いないんだ。
暮らし方が違うのは仕方ないけれど…それももしかしたら、漁師さんと商人さんが違う暮らし方をしているのと似たようなものなんじゃないのかな。
そう考えたら、土の民と造の民も、そのうちきっとうまくやっていけるようになるだろう…
そのために、私たちがやらなきゃいけないことは多いんだけど、ね。
「よう、お前さんも今あがりか?」
「おう!どうだ、一杯やってくか?」
「お母さん、今日の夕飯はぁ?」
「今日はカボチャのスープよ。お手伝いしてちょうだいね!」
「後輩ちゃん、今日もまた親方に怒られてたね」
「鉋掛けうまく出来たと思ったら、今度は鋸引きの方をしくじっちゃってさぁ」
「ははは、随分と景気がイイじゃないか!」
「だろう!?潮目が良かったんだ。これだけ釣れる日はめったにねえ!」
商店が立ち並ぶ通りでは、そんなやり取りがあちこちから聞こえてくる。
みんな表情も穏やかで、どことなく笑っているようにも見える。
いつかきっと、土の民と造の民が、一緒にこうして笑える街が大陸のあちこちに造られる日がきっと来るんだ。
私達のいた元魔王城、西部同盟の中央都市みたいに、ね…
「にぎやかな街だね」
ポツリと、大尉さんが言った。
「そうだろう?特にこの道は居住区への一本道だからね。
中心街や港で仕事をした職人や漁師が帰って行くんだ。
威勢が良いのばかりだから、退屈しないよ」
おばさんは、大尉さんに笑顔を見せてそう言った。
「おばちゃーん、さっき頼んだの、できてる?」
大尉さんとおばちゃんが話をしていたところで、不意にそう声を響かせて、一人の女性が店の中に現れた。
「あぁ、もう済んでるよ!ほら!」
そんな女性に、おばさんはそう言って大きな木の葉っぱのようなもので串焼きを包んで手渡した。
女性は、後ろに束ねたその栗色の髪をふわりと浮かせて、おばさんから包みを受け取る。
「そういや、親方の具合はどうなんだい?」
「あぁ、それだったら、もうしばらくはあの調子かも。もう良い歳してるのに、あんな木材担ごうとするんだもん。腰くらいやっちゃうよね」
「あははは、そうだろうねぇ!あの人もいい加減、大工現場は息子に任せてあんたと線引きやってりゃいいのに。息子も腕は確かなんだろう?」
「ええ、もちろん!最近は新人の子も何人か入ってくれてるし、景気もいいんだから!」
女性とおばさんは、そんな言葉を交わして笑いあっている。
そんな様子を見ていた私達が、気が付かないはずはなかった。
栗色の髪。
碧の瞳。
二十代半ばくらいの年齢。
良く通る声。
「大工の棟梁のところで線引きをしている女もそうだ」と商工業組合のおじさんは言っていた。
「それはきっと大工のとこのやつだろう」って、市場で話をした若いお兄さんも言っていた。
この人が、そうなんだろうか?
もしそうなら、名簿の中に名前がある人に違いない。
この人が竜娘ちゃんのお母さんかも知れない…?
竜娘ちゃんに聞けば分かる…
私はそう思って二人の会話から意識を離し、後ろにいた竜娘ちゃんを振り返った。
そこにいた竜娘ちゃんは、固まっていた。
おびえているんではない。うれしいって感じでもない。
でも、ただ、無表情で…ううん、少し、驚いた様子で、まるで石像のように固まっている。
「りゅ、竜娘ちゃん…?」
私は、小声でそう呼びかけてみるけれど、まったく反応がない。
竜娘ちゃんは、ただただ身を強張らせて、おばさんと話し込んでいる女性の後ろ姿を見つめ続けている。
「ね、ねぁ、ちょっといい?」
そんな竜娘ちゃんの様子に気が付いたのか、大尉さんが女性にそう声を掛けた。
「ん、あ、はい?なんでしょう?」
「あの…えぇっと…あなた、六年前の風の月に黒服の人達にこの街に連れてこられた、とか、そんなことあったりする?」
「えっ…?」
その反応は、劇的だった。
大尉さんの質問に、彼女はさっと半歩引いて半身に身構えた。
返答を聞くまでもなく、明らかに動揺している様子だ。
「…だったら、なんだというのです…?」
彼女は、鋭い視線を大尉さんに投げつけながらそう聞き返す。
「あ、えぇと…警戒しないで。別にまた連れ去ろうとかそういうことを考えてるわけじゃなくって…」
大尉さんが彼女の様子にそう口ごもった。
大尉さんは見るからに困っている。
いや、驚いていると言った方が合っているのかもしれない。
それもそうだ。私だって、彼女の反応をいまだに信じられずにいる。
こんなことって、あるの…?
本当に六年前の風の月に、特務隊にこの街に連れてこられたの…?
もし、もし黒服って言うのが人違いじゃなければ、この人が、もしかして…本当に…?
こんな、お肉屋さんの炭火焼きの前で…見つかっちゃうものなの…?
「あなた、何者ですか…?」
彼女は、鋭い視線で大尉さんを睨み付けながら、さらにそう言葉を継ぐ。
大尉さんは、口をパクパクとさせながら、やがて私に助けを求めるような視線を投げかけてきた。
い、いや、大尉さん…えと、気持ちは分かるけど、その、竜娘ちゃんも固まっちゃってるし、えっと、確認できないんだけど、
二人の反応を見ればきっとそうなんだろうって思うんだけど、でも、魔界のこととかあんまり話したら良くないだろうし、
だけど竜娘ちゃんが持ち直してくれないと確認取れないけど栗色の髪の女性はすぐにでも刃物を取り出して大尉さんに切りかかりそうな勢いだし
えええええっと、どどどどど、どうしよう…!?
大尉さんのせいで、私まで頭の中に真っ白になって、そんな言葉しか浮かんでこない。
でもそんなとき、ふわりと日除けのマントを翻らせて、大尉さんと女性の間に割り込む少女が一人。
誰あろう、零号ちゃんだった。
「子ども…?何なのです、あなたは…?」
そんな女性の言葉に、零号ちゃんは落ち着いた表情で、何も言わずにひょいっとこちらを指さした。
女性がチラリと私達に視線を向け、すぐに大尉さんへと鋭い眼差しを戻す。
「その子達が、なんだっていうんです…?」
女性がさらにそう低くうめく。そうなって、零号ちゃんはようやく静かに口を開いた。
「もう少し、よく見てあげて。知ってる姿とは少し違うかもしれないけど…たぶん、間違いないと思うんだ」
零号ちゃんの言葉に、女性は戸惑った様子を見せつつ、それでも再び私達…ううん、私と一緒にいた、竜娘ちゃんに視線を送ってきた。
ほんの寸瞬の沈黙が、やけに長く感じられる。
そして、女性は何かに気づいたように、ハッとその表情を瞬かせた。
その変化をどう表現していいか、私には分からなかった。
とにかく、彼女は一瞬の間に、目まぐるしく表情を変化させた。
驚き、戸惑い、恐怖、不安、悲しみ、痛み、そして、喜び…いろんな気持ちが溶け合ったように見えた彼女の手から、ヤキトリの包みが零れ落ちた。
「うわっ」
小さな悲鳴をあげて、そばにいた零号ちゃんがそれを受け止める。
女性はそんなことも構わずに、涙に潤ませた瞳で竜娘ちゃんをじっと見つめた。
竜娘ちゃんの方も、私の傍らで固まったまま、じっと彼女見つめている。
にぎやかな街の雰囲気が私達の周りだけ途切れて、固唾をのむ私達と、何が起こったんだ、と言わんばかりの表情のお肉屋さんのおばちゃんが取り残される。
竜娘ちゃんも、女性も、ほんの少しも身じろぎせず、口も開かず、ただただ、互いに見つめ合っているだけだ。
どうしたらいいかな、って、きっとそう思っているんだろう。
私はそう感じていた。
それこそ、一昨日の晩に竜娘ちゃん本人の口から出た言葉だ。
いざとなった今、本当にそうなってしまっているんだ、っていうのは想像に難くなかった。
私は、そっと竜娘ちゃんの肩をたたいてあげる。
「ほら、竜娘ちゃん」
耳元でそう促して、私はそっと竜娘ちゃんから離れた。
それだけで、私の役目は十分なはずだ。
そのまま、店の隅にみんなを押しやって、二人の様子を私達は見守る。
竜娘ちゃんは一度、固く唇をかみしめると、ゆっくりとその口を開いて、動かした。
でも、竜娘ちゃんの口からは、言葉が出なかった。
強張って、うまく動かないのか、それとも、あまりに突然で“いうべき言葉”が吹き飛んでしまったのかは分からない。
ただ、私にはこみ上げる感情が、ひしひしと伝わってきていた。
そして、竜娘ちゃんは強張った口を何度か震えるように動かして、もう一度ギュッと噛みしめると、かすれた、か弱い声色で、囁くように言った。
「お、かあ…さま…」
その言葉に、竜娘ちゃんのお母さんがまるで金縛りから解けたように地面をけって、竜娘ちゃんの体を抱きすくめた。
「竜娘…あなたなのね…?そう、なのね…?」
「はい…はいっ…!お母さま…お母さま…!ずっと…ずっとずっと、会いたかった…!」
震える声のお母さんに、竜娘ちゃんはもう半分以上泣き声になりながら言い、ギュッと抱き着いた。
そして、いつもの竜娘ちゃんらしくなく、まるでお母さんに甘える子どもみたいに、勢いよくしゃくり上げ泣き出す。
ギュッと、胸が掴まれるような、そんな感覚だった。
辛い思いや切ないことでこんな感覚になることはあったけれど、嬉しくて、本当に良かったと思ってこれを感じるだなんて、想像もしていなかった。
これまでの竜娘ちゃんが、どんなことを思って過ごしてきたのか。
お母さんへの思いを抱えて、何を感じて表に出さずにいたのか。
そんなことがいっぺんに伝わってきて、私はいつのまにかポロポロと涙をこぼしていた。
不意に、横からドン、と何かが飛びついてくる。
見ると、零号ちゃんが私に抱き着いて来ていた。
零号ちゃんは私の胸に顔をうずめながら
「良かった…器の姫様、良かったよぉ…」
とグズグズと鼻水をすすりながらつぶやいている。
私もおんなじ気持ちだった。
私もすぐに零号ちゃんの体をしっかりと抱きしめると、お姉さんと同じフワフワの黒髪に頬をうずめて
「うん、良かった…本当に良かった…」
と胸にこみ上げていた思いを口にしていた。
竜娘ちゃん、本当によかったね…ずっとずっと、会いたかったんだよね…
もう大丈夫だよ。もうきっと離れ離れになんてならない。
二人そろって、お姉さんの待っているあの街に帰ろう。
そこで、今までできなかった分、いっぱい甘えて、いっぱい愛してもらっていいんだからね。
もう我慢なんてしてなくっていいんだよ。
私は、零号ちゃんと抱き合って泣きながら、心の中でそんなことを思っていた。
「ねぇ、ちょっとセンパァイ?誰か泣いてるみたいだけど、大丈夫?」
ふと、竜娘ちゃんの泣き声の合間に、そんな声が聞こえてきた。
「グス…ごめん、後輩ちゃん…あのね…!」
竜娘ちゃんのお母さんはそう言って顔をあげる。
そして、店の中に入って来た一人の女性を見やって言った。
「私の娘が、会いに来てくれたの…!私を探して、こんな、こんな遠いところまで…!」
「へぇ、前に話してた生き別れの娘、っていう…?」
「うん…!」
そんな言葉を交わして、お母さんに抱き着いて顔が見えない竜娘ちゃんをしげしげと見つめる後輩さんを、
私は、ううん、私達は、固まった状態でただただ見つめていた。
本当に、息をするのも忘れて、ただ見つめていた。
まるで理解ができなかった…
だって…
だって……
だって………
私達はその“後輩ちゃん”の顔を知っていた。
「ほら、竜娘…この人は、私の働いている大工のところに最近入ってきた人なんだ。お母さんの後輩なんだよ。ご挨拶できる…?」
竜娘ちゃんのお母さんは、凍り付いている私達のことなんて気づかずにそう言って竜娘ちゃんを促した。
お母さんの肩口に顔をうずめていた竜娘ちゃんは、コクコク、っと何度かうなずいて見せてから、ややあって顔をあげる。
お母さんに涙を拭かれて、“後輩ちゃん”に向き直った竜娘ちゃんは、まるで時間が止まったように体の動きをとめた。
同時に当然“後輩ちゃん”も凍り付く。
聞こえるわけはないんだけど、私には二人の体が固まるピシっという音が聞こえたような気がした。
「な、な、な、な、な…」
「…!?」
“後輩ちゃん”がワナワナと口を動かし、そう言葉にならない声をあげ、竜娘ちゃんはいきなりお母さんに出会った以上の驚きで息を飲んだ。
お店の中が、さっきとは違った意味で凍り付き、それこそ、まるで結界魔法に包まれてしまったかのように別の世界にあるようだった。
どうして…?
いや、死んではないとは思ったけど…
なんでこんなところに…?
なんで、竜娘ちゃんのお母さんと一緒に…?
ていうか、なんで、大工…?
そんなどうでもいいような疑問までが私の頭をよぎる。
だって…だって……だって………
だって、この人は、かつてこの世界を救おうと、大陸を割った人物なんだ。
そしてつい二年ほど前には、世界を破壊しようとした人物なんだ。
フワフワとした黒髪を後ろで無造作に束ねて、肌は太陽に焼けて少しこんがりした色になっているけれど、
お姉さんと同じ色の瞳に、お姉さんによく似たその顔だち。
この人の顔を、私達が忘れるはずはない。
忘れられるはずがない。
私達の目の前に現れたその“後輩ちゃん”は、古の勇者、その人だった。
「な、な、な…なんで、ここに…?先輩の、娘…って、あなたのことだったの…!?」
勇者様は、ワナワナと震える体からそう声を絞り出し、それからハッとして顔をあげ、私達に視線を向けた。
再び沈黙が私達を押し固める。
でも、そんなとき、どこからか聞こえて来た大尉さんの叫び声で、私達は動き出していた。
「か、確保ぉぉぉぉぉぉ!!!!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
「でやぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「えっ!?あっ、てやっ!」
「やぁぁぁ!」
「ちょ、まっ…!ぎゃぁぁぁぁぁ!!!」
私達それぞれの叫び声と私達に取り押さえられた勇者様の悲鳴は、賑わっている表の通りには、それほど大きくは響いたりなんてしなかった。
つづく
泣いた
乙
泣けた
後に
ワロタwww
>>泣けた
なんでしょね、竜娘ちゃんに対して思い入れがあるわけではなかったのですが…
書いててもうるっときましたw
続きです。
ガタゴトと馬車が揺れる。もう何日もこうして移動しているけれど、一昨日ようやく中央高地を越えた。
もう直、あの様変わりした中央都市が見えてくるはずだ。
「あのぉ…いい加減、この縄解いてくれないかな?」
「そ、それは出来ないですよぉ…」
「黙って座ってろ!」
幌を掛けられた荷台の中に十六号さんのそんな声が響く。
「あんまり大声出さないでよ、馬が驚いちゃう」
御者台に座った大尉さんがこちらを振り返って小言を言った。それを聞いた十六号さんが肩をすくめて
「…ごめん」
なんて謝り
「ごめんなさい」
と、声をあげていない妖精さんまで口にした。
荷台には、私と十六号さんに妖精さん。それから私にしがみついたまま、おろおろしている零号ちゃんに、縄でグルグル巻にされた勇者様が乗っていた。
十六号さんと妖精さんは勇者様の見張り役。
零号ちゃんは、そんな勇者様が可哀想って気持ちとあのときのことを思い出して怖いって気持ちがせめぎ合っているらしくて、
翡翠海の港街を出発してからはずっとおろおろした調子で私に引っ付いて離れない。
あの街での頼れる姿はどこへやら、だ。
まぁでも、私はこんな零号ちゃんもなんだか可愛らしくって好きなんだけれどね。
馬車にはこの五人だけ。竜娘ちゃんは乗っていない。
あの日、勇者様のことがあって、大尉さんはすぐにお姉さんへと手紙を書き早馬を雇った。
さらに日が沈む頃にはこの馬車をどこからか買い付けても来た。
勇者様の身柄を抑えた私達は、一刻も早くあの街を出て翡翠海と元魔王城である中央都市の中間地点にあたる砂漠の街で、
お姉さんからの勇者様の処遇に関する指示を受け取る必要があった。
それに意を唱えたのが竜娘ちゃんのお母さんだった。
何も、後輩だった勇者様の身を心配したわけではない。
いや、それもあったのかもしれないけど、それ以上に今抱えている仕事をいきなり投げ出すにはいかない、って思いがあるようだった。
そして、竜娘ちゃんはそれを聞いてお母さんと港街に残る決断をした。
お母様の仕事に区切りが着いたら、必ず一緒に中央都市に戻るから、と私達に訴えた。
私達はそんな竜娘ちゃんの口から初めて聞くワガママを許してあげないわけにはいかなかった。
だってようやく再会出来たんだ。ひとときだって離れたくないって思うのが普通のこと。
そしてそれは私達がずっと望んでいたことに違いはなかったんだから。
「まぁ、もう少しの辛抱だから頑張って」
荷台でシュンしてしまった二人に、大尉さんが申し訳なさそうに苦笑いを返す。
そんな会話を聞いていたのかどうか、零号ちゃんが私のマントをちょいちょいっと引っ張り不安げな表情を覗かせて聞いてきた。
「お姉ちゃん、勇者様にひどいことしないよね…?」
「うん、大丈夫だよ。あのとき皆にも話したけど、あれはきっと必要なことだったんだ。お姉さんもそれを分かってくれてる。心配いらないよ」
私は、語尾に付け足しそうになった「たぶん…」という言葉を飲み込んだ。いや、きっと大丈夫だとは思うんだけどね…
でも、お姉さん、裏切られたりすることには特に敏感だから…
同じ境遇にあった十六号さんがあのときの勇者様の行動の理由を知ってもなお、あれだけ怒っているんだ、ってことを考えると、不安が過ぎらないでもない。
ただ、そのことを零号ちゃんに言ったって不安を煽ってしまうだけだし、
どの道お姉さんが勇者様を連行して来いって指示を出して来ているんだから連れて行かざるを得ない。
連れて行かないと分からない結果を連れて行く前に思い悩だりしたって、私の疲れが増してしまうだけだ。
そう考えたら、そんな思いは頭の隅の隅押しやっておく方が良いように思えた。
「おぉ?はは、見て!お出迎えだよ!」
不意に御者台にいた大尉さんがそう声をあげたので、私は零号ちゃんを引き連れてのそっと荷台から前へと身を乗り出す。
すると、私の視界には、遠くに見える石壁と、そしてその石壁の方からこちらに向かって来る二つの騎馬の影だった。
ふふ、さすが親衛隊さんだ!
私はふとそんな事を思って笑顔をこぼしてしまう。
「幼女ちゃん、あれって…」
「うん、そうだよ!身長が随分伸びたんだから!」
私はまるで自分の事のようにそう言って、それから大きく手を振って叫んだ。
「おぉぉい!十七号くーん!!」
そう。立派な飾り鎧を付けた馬にまたがっているのは、我らが中央都市会議の親衛隊隊長補佐官見習いの十七号くんと、
元は鬼族だった十七号くんのお目付役兼第三警備班の班長さんだ。
「よぉ!おかえり!」
十七号くんは馬を馬車の横に付けるなり、精悍になったその顔を笑顔に変えてそう言ってくれた。それからすぐに私に引っ付いていた零号ちゃんに気付いて
「零号も…久しぶりだな!甘ったれは相変わらずか?」
なんて声を掛ける。それを聞いた零号ちゃんは、ぷくっと頬を膨らませて
「違うよ、今ちょっと困ってるだけだもん!」
と強がってみせてから、
「でも久しぶり…ちょっとカッコ良くなったね」
と笑顔を溢れさせた。そんなことを言われた十七号くんは、へへへっと朗らかに笑って
「そっか?ありがとう」
と慌てた様子もなく嬉しそうに礼を言う。
零号ちゃんの言うとおり、十七号くんはちょっとカッコ良くなった。身長が伸びてグッと大人っぽくなったから、っていうのもある。
でも、それ以上になんて言うか、とても大人びた魅力が溢れて来ているようにな感じだ。
それというのたぶん、あの日からしばらく経って、怪我やなんかが落ち着いて来た頃から始めた兵長さんの厳しい剣術修行と魔道士さんの手習いのお陰だろう。
まだまだお姉さんには一人前として認めてもらえずに「親衛隊長補佐見習い」なんて長ったらしい上に威光も何にもない肩書を背負って、
それでも十七号くんは挫けず腐らず、今もまだ日々特訓の毎日だ。
そんな話をしている間にパカポコと蹄の音をさせて、班長さんが荷台の後ろに回って中を覗き込んでいた。
「その女性が、例の…?」
「そ。あぁ、班長さん、見張り役変わってよ。アタシ疲れちゃった」
勇者様の顔を見て言った班長さんに、十六号さんはグッタリと肩を落として訴え出る。でも、班長さんは苦笑いを浮かべて
「お役目は果たすべきですよ、筆頭従徒様」
なんて言ってその頼みを断る。
従徒、って言うのは十六号さんや私、竜娘ちゃんに十八号ちゃんのことだ。
従徒は、今の中央議会の議長であるお姉さんが任命した執政官さん達、つまりは兵長さんや魔道士さんやサキュバスさん、
班長さんのように新しく加わった人達に、各地を巡検している隊長さんのような人達に付き従って、
勉学やなんか以外のうんと専門的なことを学んだりときどき仕事を手伝ったりする。
執政官さんは街が魔王城だったころにいた仲間以外に増え、力を合わせて街の運営をしている。
従徒も私達だけじゃなく、人間や元魔族の子どもの中でも優秀な子ども達が引き立てられ、手習い所では学べない実践的な知識や経験を教えこまれている。
そんな従徒をまとめる役が十六号さんだ。
従徒達はみんな将来的には街の運営に携わるかも知れないし、従徒ではないんだけど、
親衛隊長補佐見習いの十七号くんはこのまま軍人さんとして正規の親衛隊員になれるはずだ。
「それ、仰々しくてヤだよ」
「そんなことを仰るものではありません」
辟易した顔で呟いた十六号さんを、班長さんはそう言って諌めた。それから班長さんは
「しかし、お話通り議長様の面影がございますね」
と勇者様に視線を戻して言う。
「ホント…そこがまた憎らしいよ。十三姉ちゃんの遠い血縁なのに、十三姉ちゃんを裏切ったんだぞ、こいつは!」
班長さんの言葉に、十六号さんは再びいきり立ってしまった。
実は、あの日、この大陸を滅ぼそうとした“災厄”は、お姉さんの手で討ち滅ぼされたことになっている。別にお姉さんの名声のためじゃない。
そうでも言っておかないと、大陸中が不安に覆われてしまうかもしれないと思ったからだ。
もしかしたら本当に死んじゃっているのかも知れなかったし、当の勇者様が、そう語り継いで欲しいと願っていたはずのことだった、という理由もある。
幸いというか、あの日、魔王城の空に現れた異形の“災厄”は、今の勇者様とは似ても似つかない、おぞましい風体をしていたし、
仮に勇者様を目の前にしたところで、きっとあの“バケモノ”が勇者様だった、なんて思いも拠らないだろう。
ただし、それはあの街の中枢機能を担う一部の人達には本当のことが話されていた。
特に、各地に出ている巡検班の面々にはどこかで見かけたら即刻捕縛し、議長であるお姉さん連絡を取るようにと命じられている。
班長さんを含めた私達の側を守ってくれる親衛隊の幹部さん達も、その中に含まれていた。
「まぁまぁ、十六姉ちゃん、そうカッカするなって」
「だけどさ!」
「勇者様には勇者様の考えがあって俺達の手助けをしてくれたワケだろ?感謝こそすれ、怒るのは違うと思うぜ?
特に、まんまと策にハマった俺達は、どっちかって言うと勇者様と一緒に十三姉ちゃんに謝らなきゃいけない立場なんだし」
十七号くんが肩をすくめてそう言ってみせる。すると十六号さんは、ぐうっと歯噛みして、それ以上何も言えなくなってしまった。
そう、それは本当に、十七号くんの言う通り、だ。
「ねぇ、十七号くん」
不意に私の傍らにいた零号ちゃんがそう声を上げた。十七号くんはどうした、と言う代わりに、零号ちゃんの顔を見据える。
そんな零号ちゃんの口から、不安げな言葉が漏れた。
「お姉ちゃん、勇者様にひどいことをするつもりかな…?」
相変わらず私のマントを握っていた零号ちゃんの手が小刻みに震えている。それだけ、不安なんだろう…
でもきっと、十七号くんは零号ちゃんに「そんなことない」、って言ってくれる。私はそう信じて十七号くん顔を見つめた。
十七号くんは、零号ちゃん私の思いに応える前に、チラッと街の方を見やると、おもむろにふぅ、ため息を吐いた。表情は、複雑そうだ。
「石頭なのは相変わらずだからなぁ“議長様”は…」
そんな皮肉っぽいことを言った十七号くんは、そのまま私達に街の方を顎でしゃくってみせる。
ハッとして街の方に目をやると、三の壁の門かから無数の騎馬隊がこちらに向かって来ている姿が目に入る。
あれは…親衛隊第二班と、班長さんが束ねる第三班の人達のようだ。
「どうやら姉ちゃんはご機嫌ナナメらしいな。最上級警備で当たるみたいだ」
そう…あの騎馬隊はお姉さんの指示で私達を警備しに来たんだね…私達を守るためじゃなく、勇者様がおかしなことをしないように…
私はそのことに気が付いて思わずそばにあった零号ちゃんの手をギュッと握ってしまっていた。
これがきっと、お姉さんの気持ちの現れなんだ、って、暗に感じ取れてしまったから…。
私達は親衛隊の騎馬隊三十騎に警護されてようやく中央都市へたどり着いた。
一年前に零号ちゃんが隊長さんと巡検出発する頃にはまだ計画中だった三の壁がもうほとんど出来上がっていて、そのことだけには零号ちゃんは驚いている様子だった。
街では沢山の人から
「おぉ、随分と早かったじゃねえ、従徒のお城ちゃん方!」
「あら、おかえりなさい!長旅ご苦労様だね!」
なんて労りの言葉を掛けてもらったけど、それをちゃんと聞けるほど気持ちに余裕がなくて、作り笑いしか出来なかった。
お姉さん、まさか勇者様を殺すだなんて言わないよね?そうでなくても幽閉するとかって言い出したらどうしよう…?
私は今まで頭の隅に追いやっていたはずの心配や不安が頭の中で暴れまわっているのを感じて、ぎゅうぎゅうと胸を締め付けられる。
そうしている間に私達は元魔王城の建物だった、今は議会本部と呼ばれている私達が生活したり、住民の代表と議長のお姉さんが話し合う議事堂なんかが入っている建物に到着してしまった。
班長さんによって黒い袋を頭から被せられた勇者様の前後左右には親衛隊の隊員さん達が張り付き、勇者様に巻かれている縄を手にぎゅっと握っている。
私達は先頭に立ち、お姉さんの居る議長室へを重くなった足をすすめる。
階段を2つあがって出た廊下を右にまっすぐ進み、元はあの暖炉の部屋だった議長室へ着いてしまう。
「議長様。要人をお連れ致しました」
扉の前で班長さんがそう報告すると、そお向こうから
「入れ」
と言うくぐもった声が聞こえてきた。
ここまで来たら、もうどうしようもない。私は零号ちゃんと妖精ちゃんと目を合わせて覚悟を決め、
最後に十七号くんを見て勇気をもらってから、目の前の扉押し開けた。
中には色彩豊かなじゅうたんが敷かれ、その向うには書類が山積した大きな執務机があり、そこに、明らかに不機嫌そうな顔をしたお姉さんが座っていた。
その傍らには、同じく引き締まった表情をした兵長さんがいる。
でも、おかしいな…サキュバスさんや魔道士さんはどうしたんだろう…?
国王軍を抜け、今はここで要職に就いているはずの弓師さんの姿もない。
「そこに」
そんなことを気にしている間にお姉さんが部屋の真ん中顎でしゃくるので、親衛隊員さん達が勇者様を部屋の中央に座らせた。
「班長級以外の者は下って通常任務に復帰してくれ」
「はっ!」
兵長さんの引き締まった声が響いて、隊員さん達は返事をすると足早に部屋から出ていき、大きな扉が閉められた。
部屋には私と零号ちゃん、妖精さん、十六号さんに大尉さん。それに班長さんと十七号くんに一班の班長を務める鳥の剣士さんと二班の班長さん。
そして、兵長さんとお姉さんに勇者様だけだ。
一瞬、胸が詰まるような緊張感が漂う。そんな中で口を開いたのは、誰でもない、お姉さんだった。
「よう、久しぶりだな」
ギシっとお姉さんがイスから立ち上がり、敵愾心まる出しの視線で勇者様を見据えながら言った。
「あぁ…その、うん…」
勇者様は、顔を引きつらせてそう応える。そんな勇者様の元に歩み寄ったお姉さんは、勇者様のすぐ前に立って肩を怒らせながら勇者様を見下ろして言う。
「随分と血色がいいじゃないかよ、えぇ?どこをふらついてると思ったら、まさか観光地で大工とはな」
「あぁ…やっぱり生きてたってのは、バレてた?」
「まぁな。あんたの死体が出なかったから、何かやったと思ってはいた…いや、正確に言うなら、幼女の予想だったけど」
お姉さんはそう言って、私をチラッと見やった。そんなお姉さんの意思を受けて、私が当時考えたことを勇者様に説明する。
「うん…最初は基礎構文と一緒に消滅しちゃったのかと思ったけど…でも、良く考えたらあのとき勇者様は基礎構文を消したんじゃなくて取り込んでた。
だから、勇者様は死んだんじゃなくて、身体に宿した基礎構文を使ってどこかに転移魔法か何かで移動したんじゃないかって考える方が自然かなって」
すると、勇者様はがっくりと肩を落として
「…あなたは本当に頭がいいよね…」
なんて呟いた。
「で?」
と、お姉さんが口を開いて、勇者様の注意を自分に引き戻す。そしてお姉さんは、端的に勇者様に問いただした。
「基礎構文はどうした?」
そう、勇者様が私の予想通り生きていたのなら、もう一つの仮定である「基礎構文は勇者様が取り込んだ」というのもおそらくは正しい。
それを気にしない、と言う方がどうかしている。もし基礎構文がまだどこかに存在しているのなら、私達にはそれに抗う術がない。
「あたしの責任で転移した大陸の果てでちゃんと消滅させたよ」
勇者様は、お姉さんのその問に顔を上げ、お姉さんの目をジッと見て応える。
「…嘘は言ってないな?」
お姉さんはそれでも疑いの眼差しを向けてもう一度聞く。でお、勇者様は表情を一切変えずに
「誓って、本当だ」
とお姉さんと同じく、端的に、そして確信を持って答えた。
それを聞いたお姉さんは、ひとまずふうとため息を吐くと、すとん、と肩を落とした。
その様子を見て、私はホッと胸を撫で下ろす。どうやらお姉さん、勇者様をどうかしようだなんて思ってはいないみたい。
これで、あとはうまく仲直りが出来れば言うことないんだけど…
なんて、思っていた私はまだ状況が理解できていなかった。
お姉さんは今度は、ふんぞり返って腰に手を当てると、色のない視線で勇者様を見下ろしながら言った。
「…よし、それならその首刎ねたら殺せるな?おい、誰か剣を貸せ」
「なっ……!?」
思わぬ言葉に、誰よりもまず勇者様がそう息を飲んだ。
「お、お姉さん!ちょっと待ってよ!」
「お姉ちゃん、ダメだよ」
「城主さま!そんなことしちゃダメですよ!」
「じょ、議長様、それはちょっと早まり過ぎでは…?」
私に零号ちゃん、妖精さんに班長さんもあまりのことに一斉にそう声をあげていた。
でも、お姉さんは今まで見たことのないくらいに目を据わらせた表情で、笑顔のように奇妙に口元を歪ませながら
「良いから貸せ!あたしらを謀ったやつだ…信用出来ない。ここで斬って捨てる。もし基礎構文のことが本当なら、その命を以って真実だと証明しろ!」
と言い放った。その言葉に、当の勇者様も私達も激しく動揺する。
お、お姉さん…そこまで勇者様のことを憎んじゃってたの…?
だってあのときは、お礼のひとつでもしておきたかった、って、そう言ってたのに…なんで…どうして…?!
混乱して、あまりにも驚いて、私はそれ以上言葉が継げずにいた。
それなのにお姉さんは早くしろと言わんばかりに勇者様の羽織っていたマント引っ掴んでその体をガクガクと揺さぶり始める。
「お、お、おい!止めるぞ!」
「議長様が寝不足で壊れた!」
「ちょ、議長様!気を確かに!」
その瞬間、親衛隊の班長さん達三人がそう叫んで飛び出し、お姉さんを床へと組み伏せた。
「離せっ!やめろぉぉ!」
「縛れ!…誰か、縄持って来い!」
「議長様、気を確かに…!」
「ぐぬぬ…」
ジタバタ暴れるお姉さんを三人掛かりで縛りあげた班長さん達は、そのまままだ何か恨み言叫んでいるお姉さんを引きずって議長室から運び出して行った。
本当にあまりのことに、私達も勇者様も、ただただ呆然としている。
そんな中一人だけ落ち着いていた兵長さんが凛とマントを翻らせて勇者様の前へと歩み出た。
「…さて、すまなかったな、勇者殿…」
「あ…あぁ、うん、その…助かったよ…」
勇者様は心底驚いた、って顔をして兵長さんにそうお礼を言う。すると兵長さんは肩を竦めて苦笑いを浮かべながら
「議長様はここのところ、姫君の夜泣きで禄に眠れていないのだ。
今しがたようやくひととき眠れるという頃合いで、貴殿が到着した旨の知らせで叩き起こされてしまってな…」
とため息混じりに返した。
なるほど…お姉さん、今日は特別虫の居所が悪かったんだ。
どうやらサキュバスさんも居ないみたいだし、お姉さんは姫ちゃんの面倒を見ながら政務にあたって、夜泣きしたら起きて寝かせ直してまた朝から政務を…
それは…うん、せっかくちょっと寝れるってところで勇者様に邪魔をされたら…そりゃぁ、まぁ、あれだけ怒っても仕方ないと言うか…
納得出来てしまうというか…
「ひ、姫君…?」
勇者様が不思議そうにそう尋ねる。
「あぁ、ご息女だ。議長様の、な」
「あぁ、そういうこと…」
「気が立っているのだ。許されよ」
「まぁ、あたしはあなた達に文句を言える立場じゃないしね…」
「感謝する」
兵長さんは、いつも通りに礼儀正しくそう言い、勇者様に目礼を捧げた。
それから顔をあげた兵長さんは、改まった様子で勇者様に問いかける。
「では、話を戻そう…我が盟主に代わって、二つ尋ねたいことがある。ひとつに、基礎構文の消滅は誓って真実か?」
「ああ、もちろん。この身の中に宿しておけば、あたしは永遠に近い生を得ることになる。神になることなんてあたしは望まない。
贖罪が済んだとは思ってないけど…でも、あたしは人としての生のすべてを、そのために使おうと思っている」
兵長さんの言葉に、勇者様はそう答えた。兵長さんが、チラッと私に視線を送ってくる。その目は私に何かを問いかけるような、そんな視線だった。
兵長さんは、冷静だ。あのときの勇者様の行動がお芝居なんかじゃなければ、私達はこんなところに無事に居られるわけがない。
それが分からない兵長さんではないはずだ。きっと、兵長さんは、勇者様の言葉を信じている。
そして、だからこそ、私に同意を求めてるに違いない。
そう思った私は、黙ってコクっと頷いてみせる。すると兵長さんは、微かに笑顔をみせてから勇者様に視線を戻した。
「信じよう。まぁ、その点は先の戦いのことを思えば疑う余地はない。もし貴殿がその気なら、大陸はあの日の晩に滅んでいただろうからな」
「あの子はそう思ってくれてないみたいだけど…」
せっかく兵長さんがそう言ったのに、お姉さんを思い出してか勇者様はそんなことを言って身震いしてみせる。
でも、今度は兵長さんはそれには反応せず、まっすぐに勇者様を見つめて再び口を開いた。
「…では、もう一つ。今はこちらの方が重要なのだ」
そう、それは、私と兵長さんがあの戦いから半年ほどして気が付いた事実だった。
このことは、ある意味では勇者様が未だに基礎構文を宿しているかも知れない、って懸念よりもっとずっと深刻なことだ。
勇者様が見つかってから、ずっと確かめたかったこと。私は兵長さんの言葉に思わず息を飲んで成り行きを見守る。
「…?」
何も口にせず、ただ首を傾げるだけの勇者様に、兵長さんは口を開いた。
「基礎構文とは、魔力を精製するための結界であったとのことだが、
そうであれば、基礎構文を作り出した段階ではまだ魔法も魔力も存在しなかった、ということになる。
つまり、基礎構文とは、そもそも魔力や魔法がなくとも作り出すことが出来るものだと考え得る。
そこで、我々がもっとも危惧すべきは」
「…もう一度誰かが、基礎構文を作り出す、か…」
勇者様が、兵長さんの言葉を先取りしてなぞる。兵長さんは続きを飲み込み、コクっと頷いて
「その通りだ」
と押しこもった声で言った。
「…それも、あの子が気付いたの?」
勇者様は、兵長さんの質問に応えるよりも先に、そう聞き返しながら私を見やった。
「いや、これは私と彼女の合議だな」
兵長さんがすぐにそう答えると、勇者様はなんだか呆れたような、安心したような、どちらともつかないため息を吐いて、私に苦笑いを見せ
「そっか…でも、やっぱりあなたも噛んでるんだね…流石だよ…」
なんて言ってくれた。
二年前から、私はどうやら勇者様に相当買われているらしい。
嬉しいような、照れくさいような、なんだか居心地が悪いような、お姉さんや十七号さんの手前、複雑な気分にならないでもない。
勇者様は兵長さんに視線を戻すと、縛られた体をクネクネと動かして
「ちょっと、あたしの首飾りとってくれないかな?」
と首元に掛かる紐を見やすくして言う。
兵長さんが恐る恐る勇者様の首からその紐を手繰って引っ張り出すと、そこには白っぽく半透明の小さな石のようなものが括りつけてあった。
「…これは、水晶の類か?」
怪訝な顔をして問いかけた兵長さんに構わず、勇者様は続けた。
「確かに“円環”の理、基礎構文を作り出すのに魔力は必要ない。でも、代わりに、この石が必要なんだ。あたし達の時代には、白玉石って呼んでいた。
これは、魔力の元となる自然の力を強く内包した石で、基礎構文を作り出すにはこの白玉石を使うんだ」
「こんな一欠片の石で、なのか…?」
勇者様の話に兵長さんがそう尋ねる。すると勇者様は首を横に振った。
「いや、こんな欠片じゃ何も出来ない。“円環の理”でもう一度大陸を覆うとなったら、山の様にこの石が必要だ。
白玉石を近寄るだけで火傷するくらいにまで煮詰めて溶かして、その溶液で“円環の理”の構文を綴る。そうしてようやく、だ」
「では、大量のその白玉石と魔法陣の描き方が分かれば、基礎構文は再び蘇る可能性があるのだな?」
兵長さんの質問に、勇者様は頷いた。
「理論的には。だけど、この大陸ではもう無理だと思う」
「なぜだ?」
兵長さんは、眉を潜める。そんな兵長さんに勇者様は続けた。
「そもそも、“円環の理”を真に理解している者がいない。それは、この一年で少し調べてみただけでも分かった。
まぁ、『管理者』の末裔達はどうかは分からなかったけど、仮に知っていたところで、この大陸にはもう、白玉石がないんだ」
「そんな石ころが、ない、だと?」
「そう。さっき言った通り、この石は自然の力を内包した石なんだけど、この石が出来上がるには途方もない長い月日が必要になる。
長い長い間に、自然の力が凝固して結晶になるんだ。だけど、この大陸内の白玉石は基礎構文を発生させたことで基礎構文に還元されて消滅した。
“円環の理”が発生した時点でそれを維持するために、自然の力が白玉石になるのではなく基礎構文の方へ供給されるよう、
人為的に歪められた新しい循環が基礎構文、“円環の理”そのものによって規定されたからだ」
勇者様の言葉に、私は息を飲んだ。そう、だから“円環の理”なんて呼んでいたんだ。
基礎構文は、自然の力の循環を都合の良いように作り変えるための、新しい円環を生み出すための魔法陣だったということだ。
そんな話を息が詰まるような思いで話を聞いていた私のマントを引っ張って、零号ちゃんが耳元で囁いてくる。
「幼女ちゃん、私、なんだか頭が痛い…」
「零号、気持ち分かるぞ…」
そんな言葉に、十六号さんも苦い表情で頷いている。
「バカだな二人とも。俺達みたいなのに分かるワケないだろ」
十七号くんはなぜだか得意げにそんな事を言っている。
零号ちゃんに十六号さん…あとで説明してあげなきゃな…あ、そ、それはともかく…そう、白玉石、だ。私は兵長さんと勇者様に視線を戻す。
「…もし、基礎構文の発生と維持がそのような構造になっているのだとしたら、
再び基礎構文を作るだけに必要な白玉石が結晶となるには、どれだけの時間が掛かる?」
兵長さんは、険しい表情をしながらもそう勇者様に聞く。そう、そうだ。大事なのはそのこと。
兵長さんの質問に、勇者様は少し考えるような表情を見せてから答えた。
「さぁ…それはあたしにも分からない。確かなことは、百年やそこらじゃ、爪の先程も出来ないってことだね。
それこそ、あたしが封印されてた年月なんかとは比べ物にならないくらい、長い長い年月だ」
「…そうか…では」
「安心していい。あなた達が危惧しているようなことがこの大陸で起こるとしても、それは想像も付かない程の遠い先だ」
勇者様はそう言うと、兵長さん私を代わる代わる見つめた。その目は嘘を言っているようには見えなかった。
あの日、私達を騙して“生け贄のヤギ”を引き受けたときのような、悲しい笑みもない。嘘を言わなきゃいけない理由も思い当たらないし、疑うような部分もない。
もし嘘だとしても私達にそれを確かめる方法はないけれど…でも、私は勇者様の言葉を信じられると、そう思った。
勇者様は、あんな日記を書き残した人なんだ。“円環の理”を作り、世界を変えてしまったこと、そお力で世界を分かってしまったことを悔いていた。
それは、私達や大陸全土からの怒りや憎しみを向けられるためにあんなお芝居をしなきゃならないって思うほど、勇者様を深く責め立てていたんだ。
今度は、きっと大丈夫。一つだけ気掛かりはあるけれど…多分それも些末なことだ。
私は勇者様と兵長さんに頷いてみせる。すると兵長さんも頷き返してくれて、そして勇者様に視線を戻してもう一度確認をする。
「…信じて、良いのですね…?」
すると勇者様は真剣な表情で
「誓うよ」
と答え、それからすぐに眉を垂れ下げ情けない表情を見せると
「だから、その…き、斬らないでくれる…?」
と兵長さんに懇願した。
その代わり身が可笑しくって私は思わずクスっと吹き出して笑ってしまった。
兵長さんも同じだったのか、ようやく表情をほころばせると、腰に差していた探検を抜き、勇者様に掛かっていた縄を切って解放し
「斬られることを恐れられるのであれば、真実なのでしょうね…」
なんて言い、それから勇者様に対して跪くと深々と頭を下げ、まるでこの世界を救った英雄にするような最敬礼の姿勢で勇者様に言った。
「おかえりなさいませ、勇者様」
勇者様は、それから議会本部の三階にある居住区画の一番奥の部屋へと連れて行かれた。
一応念の為に、と、大尉さんの指示で大尉さんの側近で竜娘ちゃんを助けに王都へ行った際に私達を助けてくれた中尉さんと
その腹心の部下数名が警備についてくれることになった。
まさか十六号さんやお姉さんが夜襲を掛けて首を取る、なんてことをするとは思わないけど、他の誰かが勇者様のことを恐れてそんなことをしないとは言えないし、
警備をすることでもしそういうことを思った人がいたとしてもそんな気をなくさせることと、逆に勇者様がまたなにか一人で変なことをしないためには必要だ。
私は勇者様が奥の部屋へと入ったのを見届けて、零号ちゃんと十六号さんと一緒にお姉さんの待つ四階の部屋へと向かっていた。
あんなに荒れていたお姉さんのことが心配だったし、それにサキュバスさん達他の執政官がどうしちゃったのかを聞かなきゃいけないような気がしていた。
零号ちゃんはさっきのお姉さんの姿を見てすっかり怯えてしまって、部屋へと向かう廊下を歩きながら、相変わらず私のマントを握って
「大丈夫かな?大丈夫だよね?」
としきりに私に聞いて来た。
その度に私は
「きっと平気だよ」
なんて笑顔で返してはおいたけど、本当のところは直にお姉さんの顔を見ないと分からない。
十六号さんは
「良かったんだよ、あれで。いい薬だ」
なんて言っている。でも私としては、そう言うことなしに二人には仲直りをして欲しい、ってそう思っていた。
私達はお姉さんの部屋の前についた。
姫ちゃんが寝ているといけないから、そっと扉をノックする。
するとすぐに
「開いてるよ」
と言うお姉さんの声が聞こえて来た。
私がノブに手をかけると、一瞬、零号ちゃんが私のマントを引っ張ってそれを制止する。
振り返ってみたら、零号ちゃんは深呼吸をして、気持ちを整えているところだった。
零号ちゃんってば、お姉さんや十六号さん達のことになると、いつだってこんな感じになる。
もちろん私はそれが零号ちゃんの生い立ちのせいだ、ってのは分かっているから、無理に急かしたりなんてしない。
零号ちゃんが自分でそういう怖さを乗り越えられるまで、私はそばにいて安心させて上げるだけだ。
ほどなくして、零号ちゃんはギュッと結んだ唇を緩めて
「だ、大丈夫」
と低い声で私に言ってきた。私は零号ちゃんにうなずいてあげて、マントを握っていた手を取った。
そして、反対の手でドアノブを回し、扉を開ける。
そこには、ソファーに腰掛け、自分で淹れたらしいお茶をすすっているお姉さんの姿があった。
さっきの荒ぶる姿はどこへやらで、一見して気持ちが落ち着いているのが分かる。
「お姉さん」
「あぁ、おかえり。さっきは悪かったな」
顔をのぞかせた私が言うと、お姉さんはそう言って私に謝る。
それから、次いで私に手を引かれて部屋に入った零号ちゃんを見るや、お茶のカップをローテーブルにおいてソファーから立ち上がった。
「零号!」
お姉さんはそう言って零号ちゃんに向かって両腕を広げて見せる。
それをみた零号ちゃんは、とたんにこわばっていた表情をパッと明るくして、私の手を振りほどき、部屋を駆けてお姉さんの腕の中に飛び込んだ。
「ただいま、お姉ちゃん!」
「はは、おかえり、零号。さっきはあいさつもできなくってごめんな」
零号ちゃんを抱きすくめたお姉さんはそのままソファーにどっかりと腰を下ろし、零号ちゃんを膝の上に引っ張り上げて、さらに愛おしそうに回した腕に力を込める。
「はは、ちょっと重くなったな。身長もだいぶ伸びたんじゃないのか?」
「うん!あのね、金獅子さんに剣を教わった、ずっと上手くなったんだよ!」
「そうか!それなら、今度の訓練のときにでも見せてもらいたいな!」
「うん!あとね、それからね…!」
零号ちゃんはお姉さんに抱きしめられながら、隊長さん達巡検隊と旅をして回った街や村の話を楽しげにお姉さんに話し始める。
お姉さんは、そんな零号ちゃんの話をちょっと大げさに反応をしながらも、嬉しそうに聞き入っていた。
零号ちゃんは、魔法の力によってお姉さんの血から生まれた子だ。お父さんもお母さんもいない。
唯一、血の繋がった家族と呼べるのは、零号ちゃんの元となった血の持ち主であるお姉さんだけだ。
零号ちゃんにとってはお姉さんこそが竜娘ちゃんにとってのお母さんと同じで、私や十六号さんとのつながりよりももっともっと強い絆と思いで繋がっている相手なんだ。
「やっぱり、甘ったれは治ってないよな」
そんな姿を見ていた十六号さんが、ニタニタと笑ってそう言う。
「頼もしいのも好きだけど、ああいう零号ちゃんも可愛いよね」
私も思っていたままのことを十六号さんに言った。
すると、話が途中だった零号ちゃんは
「お姉ちゃんは特別なんだもん!」
なんて笑顔で言って、それから一際力を込めてお姉さんにギュッとしがみつくと、少しして名残惜しそうにお姉さんの膝から飛び降りた。
それから零号ちゃんは控えめに
「お姉ちゃん…あの、姫ちゃん、寝てる?」
とお姉さんに尋ねる。するとお姉さんはすぐに
「あぁ、そうか!あんた、姫には初めて会うんだったな!」
と気がついて立ち上がると、ベッドのそばにあった赤ちゃん用のベッドまで歩き、毛布にくるまれた小さな塊を慎重に抱き上げて戻ってきた。
ソファーに腰掛けたお姉さんは、零号ちゃんを手招きして呼ぶ。ついでに、私と零号ちゃんもそばによって、泣き虫姫ちゃんの顔を覗き込んだ。
まだ一歳だっていうのにお姉さんと同じ黒髪はすでにモフモフ、口元や鼻筋はサキュバスさんに似ているかな?
目は、今は寝ていてつぶっているけど、形も黒い瞳の色もお姉さんそっくりなんだ。
「あの、触っていい?」
「ん?あぁ、もちろん」
お姉さんからそう返事をもらった零号ちゃんは、恐る恐る手を伸ばして、姫ちゃんのほっぺたをツンツンとつついて
「柔らかい!」
とささやき声で絶叫する。でも、そんな様子の零号ちゃんをみたおねえさんは笑って
「なんだよ、遠慮しちゃって。ほら、おいで」
と言うや、姫ちゃんを片腕で抱き、もう一方の腕で零号ちゃんを引き寄せるとその膝に乗せた。
「手、出して」
「えっ!?」
お姉さんに言われて戸惑いつつも両手を前に突き出した零号ちゃんのその腕に、お姉さんは自分の手で支えながら姫ちゃんの体を預けた。
「えっ…えっ…!お姉ちゃん…私抱っこって分かんないよ!落としちゃうよ!」
相変わらずのささやき声で今度はそんな悲鳴をあげた零号ちゃんを、お姉さんは正面から姫ちゃんごと抱きしめる。
「じゃぁ、覚えてくれよ。あんたはこの子のお姉ちゃんなんだからな」
「私が…お姉ちゃん?」
「まぁ、正確に言ったらオバさんが一番近いんだろうけどな、きっと。でも…あたしにとってはあんたも姫もおんなじだ。
あたしの大事な大事な血のつながった家族なんだよ」
お姉さんはそう言うと、零号ちゃんと零号ちゃんが抱いた姫ちゃんを両方まとめてギュッと抱きしめる。
そんなことを言われた零号ちゃんはその顔を今まで見たことないくらい真っ赤にさせてお姉さんに体をあずけながら、
ジッと見つめた姫ちゃんの体を支えていた腕に柔らかく力を込めた。
ソファーの上に座ったお姉さんの膝に乗った零号ちゃんが大事そうに姫ちゃんを抱きしめて、三人がギュッとくっつき合う。
私は、そんな様子を少し遠巻きに眺めてしまっていた。
それは、竜娘ちゃんとお母さんが再会したときに感じた気持ちと似ている。
少し違う気もするけれど、どっちも同じ、胸が暖かな心地になる。
いいよな、こういうのって…
「はは、絵になりそうだな」
十六号さんの声が聞こえて来たので顔を見上げようと思ったら、ガシガシっと私は頭を撫でられていた。
「うん、本当に…」
私は、十六号さんにそう答えて、胸にこみ上げる暖かな気持ちを、ゆったりと味わう。
それからしばらく、私は小声でささやき合うお姉さんと零号ちゃんの姿を、十六号さんと二人でジッと見つめていた。
どれくらい経ったか、ようやく部屋の空気がこなれて来た。
「そう言えばお姉さん。サキュバスさん達見かけないけど、どうかしたの?」
私は気を取り直してお姉さんにそう尋ねた。
するとお姉さんは零号ちゃんから私に視線を戻して
「あぁ、それがな…」
なんて渋い顔をする。
「竜族将がしくじってさ」
「竜族将さんが?」
お姉さんの言葉に、私は思わずそう聞き返していた。
竜族将さんは、あの戦いのあとしばらくの間は西大陸全土からの物資輸送を行ってくれていた。
半年ほどしてこの辺りの情勢が落ち着いた頃には、この中央都市へ大勢の兵隊さん達を引き連れて戻って来てくれた。
竜族将さんは執政官として、兵隊さん達は親衛隊と防衛隊とに分けられこの街の治安部隊として活躍してくれている。
そんな竜族将さんは私達が竜娘ちゃんのお母さんを探す旅に出る少し前に、
元サキュバス族だった人達が中心となって治める西部大陸のさらに西側の土の民の氏族領へと、交易と物資交換の協議のために赴いていたはずだ。
「あの石頭、とりあえず最低限で良いって言ったのに、ずいぶんと押しちまったらしくて話自体が破断しかけたらしい。
側近が慌てて早馬を駆けさせて来たんで、サキュバスと、それから護衛にトロールと防衛隊小隊を一隊付けて向かわせたんだ」
お姉さんはそう言ってため息を吐きつつ続ける。
「その翌日に、中央高地東側の湖の貴族領から救援要請が来た。南の森の貴族が、兵を率いて領境まで進軍してきてる、ってな」
「戦争しようってのか…?」
十六号さんがお姉さんにそう聞く。お姉さんは、肩を竦めて
「どうだろうな…とにかくそれを聞いて、残ってた弓師を指揮官、女騎士を参謀に就けて、防衛隊から一個中隊選抜した連中と一緒に停戦監視団として向かわせた。
報告じゃぁ、まだ衝突は起こってないようだけど。どうも武力をチラつかせて、高地の新領地を割譲させようとしてるらしい。
今はたぶん、弓師が間に入って講話交渉中だろう」
と教えてくれた。なるほど、それで、か…
「残ってる執政官は兵長に元機械族の族長と魔道士にあたしだけだ。
機械族の族長は防衛隊指揮を任せてるし、魔道士は後進と新人育成で掛かりきりだから、実質内務はあたしと兵長だけでなんとか回してる。
大尉のやつにも手伝ってもらいたいところだけど…帰ってすぐだし、あいつを見張っておく役回りに一人割いておくべきかなと思ってるところだ」
そっか…私はようやく理解した。そもそも巡検隊が大陸各地に散らばっているから、ここの執政官は基本的にそう多くはなかった。
少ない人数だったから、それぞれ適当な人数の補佐官を立てて仕事をこなしていたんだけど、どうやらそれが回らなくなってしまったようだ。
サキュバスさんがいない分、姫ちゃんの世話はお姉さん一人でやらないと行けないし、残った補佐官達をなんとか使いながら政務もこなさなきゃいけない。
そんなんじゃ、寝る時間なんて取れなくっても仕方ないかも知れない。お姉さんの寝不足の理由がようやくわかった。
「もっとこう、効率の良いように補佐官やら政務官を増やしても良いんだけど、そういう人を探すにも時間掛かりそうだしな…
今は現状できることやってるだけで手一杯なんだ…」
お姉さんはそう言ってまた、深いため息を吐いた。
その表情からは苦悩と披露が見て取れる。
「お姉ちゃん、姫ちゃんは私達が見てるから、少し眠ってよ」
零号ちゃんがお姉さんの膝の上でお姉さんを見上げて言う。そんな零号ちゃんに、お姉さんはなんとか笑顔を見せて
「あぁ、うん。ありがとな」
と礼を返してその頭をくしゃくしゃと撫でた。でもそれからすぐに
「だけど、あんた達も帰ったばかりで疲れてるだろ?あたしは大丈夫だから、少し休め」
と零号ちゃんの腕から姫ちゃんを抱き上げて赤ちゃん用のベッドの中にそっと寝かせ直した。
「でも…お姉ちゃん…」
「大丈夫だって。休んでもらったあとはバリバリ手伝ってもらうからな。今のうちに今日のうちに疲れを取っておいてくれないと困る」
心配そうにする零号ちゃんにそう言ったお姉さんは、顔を上げて私を見やった。
うん、これは、引き時だろう。こんなことを言うお姉さんは、頑固なんだ。
何を言ってもきっと気持ちを曲げない。
だったら、早く休んで少しでも早くに手伝える体制に入れるようにしておく方がいい。
「分かったよ、お姉さん」
「…まぁ、そうだな。十三姉、なんかあったら言えよな。すぐに手伝いに来てやっから」
私の気持ちを理解してくれたのか、十六号さんもそう言ってくれる。私達の言葉を聞いてお姉さんは視線を零号ちゃんに戻す。
お姉さんに見つめられた零号ちゃん、心配げな表情ながら、コクっと頷いて見せた。
「行こう、零号」
「…うん」
十六号さんの呼びかけに答えた零号ちゃんはもう一度お姉さんギュッとしがみつくと、名残惜しそうにしながらも私達のところに戻って来た。
「じゃぁ、行くよ。無理すんなよな」
「うん、そうそう。お姉さん少し眠らなきゃダメだからね」
「…お姉ちゃん、おやすみ…」
私達はお姉さんにそれぞれ声を掛けて、ドアをそっと閉めて部屋をあとにした。
廊下に出た私達は、当然ちょっと歩き始めてからすぐに誰からともなく口を開く。
「ありゃぁ、相当キテるな」
「うん…私、心配だよ…」
「でも、休めって言ってるしね…あれ、働くって言っても聞いてもらえないやつだよ」
「だよなぁ、どっちが石頭なんだかな」
「どうするの?私、まだ働けるよ。書類の整理とかそういうのだけでも…」
「その辺りは兵長さんに相談してみようよ。兵長さんならきっと、分かってくれると思うし」
「そうだな…戻るか」
そんな話をした私達は、自然と廊下を兵長さんがいるはずに執務室に向かって歩いていた。
執務室のドアをノックしてみると、ガチャリ、とノブが動いて扉が開く。すると兵長さんの補佐官さんの一人、元狼の獣人だった黒狼さんが顔を出した。
「あぁ、これは従徒の皆様…」
黒狼さんはそんなことを言って、それからチラッと部屋に中を振り返る。あれ…なんかまずかった?お客さんでも来てたかな…?
そんな様子に私も少し心配してしまっていたら、部屋の中から声が聞こえた。
「構わん。入ってもらってくれ」
兵長さんの声だ。それを聞いた黒狼さんは、ドアを大きく開いて私達を部屋へと通してくれる。中には、兵長さんと大尉さんがいた。
二人は大きなソファーに腰をおろし、大尉さんはがっくりと肩を落としていて、兵長さんは眉間に皺を寄せて難しい顔をしている。
「またなんかあったみたいだな、あれ…」
「うん…お、お手伝いしようよ。ね?」
「兵長さん、大尉さん。何かあったんですか?」
私は十六号さんと零号ちゃんの言葉を聞いて、すぐに兵長さん達にそう尋ねた。すると、項垂れていた大尉さんが顔をあげて言う。
「ごめん…中尉がヘマした…」
それを受けた兵長さんが、難しい表情のままに私達に、重い唇を動かして教えてくれた。
「勇者様が脱走した…部屋から、シーツとカーテンで縄を作って…階下へと抜け出したようです」
そう言ってため息を吐いた兵長さんの表情は、今までに見たことがないくらい、疲労と無力感に支配された、弱々しい顔だった。
勇者様が脱走を…?!私はどうしてか、急に心臓が鷲掴みされたようにドクンと痛むのを感じた。無意識に、その感覚の出処を探る。
勇者様…ここに来るのをとても嫌がってた。理由は良く分からないけど…お姉さんに会いたくなかったのかな…?
それとも、また何か妙なことを考えているんじゃないだろうか…?
勇者様は、お姉さんに考え方がよく似ている。自分がいて迷惑だと思えば、辛くても孤独でも、自分の身を隠すような人だ。
何よりもまず、自分を犠牲にすることを考える人だ。
私には、勇者様がまた、何か私達のことを考えてここからいなくなったような、そんな気がした。
「あいつぅぅぅ!油断も隙もあったもんじゃない!」
途端に十六号さんがそう唸る。
「じゅ、十六お姉ちゃん!あの人は…悪い人じゃないよ!」
零号ちゃんはそう言うけれど、すぐに悲しそうな表情を浮かべて
「…たぶん…」
と一言言い添えた。
零号ちゃんにとって、勇者様への想いはやっぱり複雑なんだろう。でも…私はどっちかって言えば零号ちゃんの気持ちに近い。
勇者様は、悪い人なんかじゃない。お姉さんよりはちょっと飄々としたところがあるけれど、それでも責任感が強くて、ちょっぴり頑固で…
それでいて、不器用な人、だ。
ーーー探さなきゃ…
私の脳裏に、そんな言葉が浮かんだ。放っておいたら危ないことをするかもしれない、って言うんじゃない。
私は…勇者様をひとりぼっちになんてしてはおけない…!
「手分けして探そう。まだ遠くには行ってないと思う」
私は、誰となしにそう言った。
兵長さんは顔をあげて頷き、大尉さんも両頬をパシンと叩いて気持ちを切り替える。
「あいつ、今度は鉄の足枷付けてやる…!」
十六号さんは相変わらずだけど、探してはくれそうだ。
「私、妖精ちゃんにも声かけてくる!」
零号ちゃんは言うが早いか部屋を飛び出して行った。声を掛ける、か…そう言えば…
私はふと、そのことが気になって兵長さんの顔を見やる。すると、兵長さん私をジッと見つめていた。
「議長様は、休まれているか?」
「はい…たぶん、少し寝入ってくれてると思います」
私が答えると、兵長さんはふん、と鼻で息を吐き
「ひとまず、お知らせは避けておこう…もしものときは私が責を負う」
と、何かを覚悟した様子で言った。責、と言っても、お姉さんからくどくど説教をされるくらいだろうけど…
まぁでも、とにかく、お姉さんには寝ていてもらいたいから、なるべくは私達だけで解決したい。
「あたし、街へ降りて残りの防衛隊と連携して、門に検問を張って来るよ」
「アタシも表を見て回る。親衛隊の連中を出しても良いよな?」
「ええ、班長には私からの命だと告げてください。私はここで集まってきた情報を分析してみます」
大尉さん、十六号さん、兵長さんがそれぞれ役割を確認する。
みんなは外を中心に探すんだね…だったら私は…
「私は、ここの中をもう一度探してみるよ。零号ちゃんと妖精さんと一緒に!」
そ私が言って、おおよそお体制が決まった。
私の言葉を聞いた兵長さんは一人一人に頷いて返し、それから号令を発した。
「各員、無理はするなで。発見を第一に、発見したら警笛を吹いて掩護を待つように!」
「「おう!」
私達は兵長さんの号令を聞き、そう声をあげて足早に部屋を後にした。
大尉さん達はすぐに階下へと階段を駆け下りて行く。
それを見送ることもしないで、私は勇者様がいた部屋へと駆け出していた。
もしかしたら、手紙の一通でも残っているかも知れない、ってそう思ったからだった。
廊下を駆け抜け、階段を一つ下って勇者様が囚われていた部屋へとたどり着く。
そこではすでに、中尉さんとその部下の人による検分が始まっていた。
「中尉さん、何か出た?」
「いや、何も…今のところは…」
「勇者様が脱走した窓ってどこかな?」
「あぁ、そっちの西の窓だ」
私はそれを聞いて、お礼もそこそこにその窓辺に駆け寄ると、開け放たれている窓の外を見やった。
確かに窓枠にシーツとカーテンしつらえたと見える縄が、地面の方へと伸びている。布で作られた縄は当然下の地面まで伸びている。
縄は、ベッドの足に括りつけられていた。私はそのベッドの足の部分を確かめる。
ギュッと結んであったその縄の結び目を、私は自分の手でグイッと引っ張ってみた。
ほんかすかだけど、縄がギュッとしまって、さらにベッドの足へとキツく結ばれる。
それを確かめた私は、身を翻して再び窓辺に戻ると、そこから身を乗り出して当たりを確かめる。
下には、商人さん達なんかが右往左往しながら仕事をしている。
もし下に降りようとしたんなら、あの人達の誰かが目撃している可能性が高い…
身を隠したい人があんな大勢が見ている場所へ落ち立つなんてするだろうか…?
それよりも、むしろ勇者様なら…私は、窓辺から身を乗り出したままに、空を見上げた。
そして、その可能性に気がついた。
そうか…あり得ることだ。基礎構文がない今、魔法は使えない。
この場所から屋上に飛び上がるには魔道士さんの身長の三倍は飛び上がらないといけないはず。
そんなことは、普通の身体能力じゃけっして出来ない。
でも、もし、さっき勇者様が話していたことが本当なら…
私はそう思い至って、中尉さんに叫んでいた。
「本部の中の要所の警備をお願いします!出入り口も、ひとまず封鎖してください!」
「従徒ちゃん、それどういう…」
私の言葉の意味分からないおか、中尉さんは首を傾げてそう言う。でも、私に迷いはなかった。
「お願いしますね!私、探しに行ってきます!」
私は中尉さんそう言い残すとそのまま部屋を飛び出していって、かつてはあのソファーの部屋だった、今の屋上に続く階段を駆け上がった。
たどり着いた先にあった木の扉を押し上げるとそこには、長い黒髪を解いて風揺らさせている勇者様姿があった。
私は屋上に足を踏み入れようとして、キュッと胸が苦しくなるのを感じた。
一度だけ大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着けて、焦りを押さえつける。
まさか、ここから飛び降りようとしているだなんて思わないでもないけど…勇者様のことだ。
気持ちを落ち着けて、よくよく様子を観察して、言葉尻から漏れ出る微かな機微を読み取る必要がある…
そう思って、気持ちが整った私は努めて穏やかに勇者様に声を掛けた。
「勇者様、何やってるの?」
すると途端に勇者様はビクリと肩を震わせる。
「わっ!…な、なんだ、あなたか…驚かせないでくれよ」
私を振り返った勇者様は、なんだか安心したようなそんな表情になる。その表情に、あの悲しさはない。
むしろ…まるで、本当に安心しているようだ。
そんな勇者様は私にまた背を向けて議会本部の屋上から見下ろせる中央都市に視線を落として、呟くように言った。
「この大陸をね、見てたんだ」
「大陸を?」
思わぬ言葉に、私はそう聞き返してしまう。すると勇者様はまた私に視線を戻すとニコリと笑顔を見せて、私を手招きして呼んだ。
私は勇者様にされるがまま、なんの警戒もせずにそのすぐ隣まで歩み寄る。
「この大陸にはたくさんの人が住んでる…あたしが生きてた時代よりももっと多くの人が暮らしてる…何度も戦争が起こってたなんて考えられないくらいに…」
勇者様はそう言うと、ストン、とその場に腰を下ろした。
私も真似をしてすぐそばに座り込むと、勇者様は満足げに笑いながら続ける。
「知ってる?この大陸の遥か東には、この大陸よりももっと大きな陸地があって、そこでも人が暮らしてる。
北にずっとずっと行くと小さな島国もたくさんあって、さらにその向こうには氷と雪に閉ざされた大地もある。
それだけじゃない。その氷の大陸を陸伝いに西行くと、高度に発達した文明が栄えた国々があって、その遥か南いは広大な無垢の大自然が広がっていた。
そこでは人も獣と同じような暮らしをしてるんだ」
勇者様のそんな話を聞いて私は思った。
そう…それは、まるで…
「まるで、見て来たみたい」
「うん、基礎構文を消す前に、ね」
私の様子を伺うようにして、勇者様がそう言った。でも、私は勇者様を疑ってなんていない。
あれを作ってしまい、それによってどれだけ自分が苦しんだか、どれだけ人々が苦しんだか、勇者様は誰よりも知っている。
あってはいけないものだったんだ、って言うことを理解している。
だからこそ私は、勇者様がそんな基礎構文をまだこっそりどこかに隠しているんじゃないか、なんてこれっぽっちも考えていなかった。
「見たかったな、それ…連れて行ってくれたら良かったのに」
私がそう答えたら、勇者様はまた嬉しそうに笑った。だけど、その笑顔がまた、一瞬だけいつだったかの悲しさを帯び始める。
そしてその表情のままに、勇者様は言った。
「これからずっと先の未来、もし、魔法もなしにあの大きな海を自由に渡る方法が考え出されたら…
もしかしたら、他の大陸に住む人達と戦争になるかも知れない…そんなとき、この大陸で起きたようなことにならないといいな、って、そう思った」
まさか、そのときのために基礎構文をどこかに隠して、いざというときには勇者様がそれを使ってこの大陸を守るつもりなのか…
ふと、そんな事を思って私は心の中でそれを否定した。
たぶん、そういう類の話ではない…勇者様は、たぶん…単純に、この大陸が心配なんだ。自分の手で傷つけちゃったから、っていうのもきっとある。
だけどそれ以上に、勇者様は…この大陸が好きなんだ。だから、傷ついて欲しくないし、自分の手で傷つけてしまったことに、ひどく責任を感じている…
「…勇者様は、ズルいね」
「えぇっ?」
私は、気がつけば勇者様にそんな事を言っていた。
驚く声をあげた勇者様も当然だろう。
でも、そう思った。勇者様は変わってない。自分一人で、またどうやって難しいことを考えている。
そんなことを考えるのなら、それは私にだって心配をする義務があるはずだ。私だけじゃない。
この大陸に住む数多の人達が、自分の子や孫に、より良い世界を残したいって考えるのはきっと当然のことだ。
そして、正直に言ってしまえば、今を生きる私達にとって、それはただ単に“心配なだけ”に過ぎない…
「またそうやって、自分一人で何でも背負い込もうとする。そんなの、勇者様が心配するようなことじゃないよ。
きっと、その時代に生きる人達がなんとかしてくれる…そう言うものじゃない?」
「それは…」
私が言ったら、勇者様はギョッとしたような表情で私を見やって、そう声を漏らした。でも、私はそんな勇者様に構わず続ける。
「気持ちは分かる気がするよ。誰だって自分の子どもには幸せでいて欲しい、って、そう願うものだと思う。でも、だからこそ、気にしすぎ。
私達は、私達のしなきゃいけないことをするだけ。伝えるべきことを伝えるだけ。それが親から子どもへ引き継がれていく…
そしてその子が親になったら、また引き継げる。もし私達が未来のために何か出来るんだとしたら、きっとそのくらいのことなんじゃないかな」
「伝えるって、何を?」
今度は勇者様は、私の表情を伺うようにそう聞いてくる。そんなの、決まってるじゃない?
「ケンカの落とし所、だよ」
私の答えに、勇者様は一瞬、戸惑ったような表情になったけど、すぐにその意味い思い当たったのか
「…そう、かも知れないな…結局、あたしが下手に手を付けたことで、この大陸の人達を苦しめてしまったくらいだ…」
なんて空を仰ぎ見ながら呟いた。私は、笑っちゃいけない、って思ったけど、
でも、やっぱりお姉さんと似てるんだな、なんて思ってしまって、クスリと笑いを漏らしてしまってから勇者様に言ってあげた。
「だから、背負い込み過ぎだってば」
「…そう、なのかな…」
「うん。勇者様はもう、答えを知ってる。留まることのない様に見える争いが始まったとき、どうしたらいいのかの答えを知ってる。
勇者様は、私達と一緒にそれを次の世代に伝えて行くくらいでいいんだよ。もう誰も、生け贄なんて望んでないんだから」
私がそう言ったら、勇者様はグッと黙り込んでしまった。でも、私は勇者様の反応を待った。勇者様がこんな言葉で納得してくれるだなんて思わない。
でも、少しは私達と一緒に荷を背負ってもいいかな、って、そう思ってくれればいいな、って、そんな期待を込めて。
勇者様は、しばらくの間眼下の街に視線を落として押し黙った。その横顔を見れば、勇者様の中にいろんな気持ちが渦巻いて、せめぎ合っているのが分かる。
だから、私は待った。こういうことは、誰かが何かを言ってどうにかするものではないんだと思う。勇者様自身が整理をつけなきゃいけない。
そして勇者様は、しばらく経って、ようやく私に視線を戻して
「…ありがとう…」
と下手くそに笑って見せた。
まだまだ整理しきれていないんだろう、っていうのは顔を見れば分かる。だけど、私はなんだかホッと胸を撫で下ろしていた。
そのときになって、私はようやく気が付いた。私はお姉さんに対してそうなように、きっと、勇者様のそばにも居てあげたいんだと思う。
勇者様はずっとずっと一人だった。世界を分けてしまった罪の意識をずっと胸に秘めたままに。
そんなのは、寂しいし辛い。その気持ちが痛いほどわかるから、放ってなんておけないんだ。
「うん。何にもできないけど、私は勇者様の味方だよ」
「そんな事言ってたら、あの子に怒られるよ?」
「大丈夫。私はお姉さんの味方でもあるから」
そう言って笑って見せたら、勇者様は釣られたように穏やかな笑顔を見せてくれた。
それから、勇者様はふと思い出したように
「ところで、何か用だったか?」
なんて聞いてきた。
いや、その、勇者様…脱走してる自覚ないの?
「勇者様を探しに」
「あぁ、追っ手だったのか」
私が言ったら、勇者様はなんだか可笑しそうに声をあげて笑う。
どうやら勇者様は、世界を分けたことは気に病んでも、私達を振り回すことは気にならないようだ。
まったく、せっかく心配して来てあげたっていうのに…
そうは思いながらも、私は気を取り直して勇者様に聞いた。
「それもあるんだけどね。勇者様は…ここ、嫌い?」
「え?」
「翡翠海の街でも、ここへ来るの嫌がってたでしょ?お姉さんが連れて来いって手紙くれたから来てもらったけど、嫌だった?」
私の問いに、勇者様の表情が曇った。
「…嫌、ではないよ」
眼下に投げていた視線を屋上の地面に落とした勇者様は、弱弱しく呟くように言った。
「でも、あたしなんかが、って思うんだ。あなた達を裏切って、傷付けて…そんなあたしが、どんな顔してここに居たらいいかな、って思ったら…なんだか、ね」
なんだ、勇者様、ちゃんと気にはしてたんだ…なんて思って、私は思わずプッと吹き出してしまった。
そうだよね、勇者様はお姉さんと良く似てる。世界を分けて民を傷付けたことも、
私達を騙して一人で全部を背負い込もうとしたのも、悪いって、そう思う人なんだよね。
勇者様は、私が吹き出したものだから、心外そうな目つきを私に送ってくる。
そんな勇者様に、私は言わずにはいられなかった。
「弱虫」
ムッと、勇者様が眉をひそめる。
「そう言うなよ」
「もしそんな風に思ってるんなら、皆とちゃんと話をしてほしい…って、今はほとんど出払ってるみたいだけどね。
でも、お姉さんはいるし、ちゃんと話して仲直りしないと」
そう言ったら今度は、勇者様の表情が不安に歪んだ。
「あの子、あたしの首を斬り落とす勢いだったぞ?」
「裏切られたんだもん、当然かも」
そんな勇者様に、私はさらにそう言ってあげる。すると勇者様は、まるで子供みたいにプクっと頬を膨らませて
「あなた、少し会わない間にちょっと意地悪になったな」
なんて毒づいた。これって意地悪なのかな?だって、勇者様が言っていることって、さ…
私は顔に浮かんだニヤニヤをなんとか押し留めて、頭の中を整理する。
そう、どうしたらいいか、なんて、勇者様は知っているはずなんだ。
それを思い出してもらえばいいだけ。
「…それってさ」
「ん?」
口を開いた私に相槌を打った勇者様に、私は言った。
「どんな顔して会っていいか分からないか逃げる、って、それは、争いが絶えない世界を二つに割ったのとおんなじだと思う。
怖いから、傷付きたくないから、それを避けるために距離を取って衝突が起こらない様にしてるんだよ。ケンカは仲直りしないと終わらない。
放って置いたら、もっとひどいことになるかも知れない。
一年半であの怒り様だもん、これから時間を置いたらもっと怒るかも知れないし、もしかしたら取り付く島もないくらいに心が離れちゃうかも知れない。
そのときに気が付いてもどうしようもないくらいにね。
だから、今のうちにちゃんと話しておいた方がいいよ」
勇者様は、ハッとした表情私を見つめていた。
程なくしてパクパクと口を動かした勇者様は
「…幼女ちゃん…」
と、押しこもった声色で私の名を口にする。そんな勇者様に、私はもう一度、念を押してあげる。
「勇者様はまた同じ失敗を繰り返すの?」
それを聞いた勇者様は、がっくりと首を落として項垂れる。
「…本当に…バカだね、あたし…あなたの言う通りだ…」
「分かってくれて良かった」
私はなるだけ明るくそう声をあげる。すると勇者様は、ふぅ、っと大きく深呼吸をして顔をあげ、空を仰ぎ見た。
「でも、ちょっと不安だよ。ここにいたってあたしにやれることなんてない…ここの時代のことは、あれからいろいろ学んだけど、それだけだ。
住んでる人間達の細かな関係とか、立場とか、そう言うのは分からない。
何にもせずに、食い物と寝床にありつかせてもらおうだなんて、それこそズルいって思わないか?」
「そうでもないよ。そばに居る…それだけで誰かを支えられることだってきっとある」
「あなたがそうだったように、か…」
「…そうだったらいいな、って、そう思ってるだけかも知れないけどね」
私は自分に話を振られてどう答えていいか分からずに、そう言っていた。
お姉さんやトロールさん、妖精さんは、父さんと母さんを亡くした私のそばにいて、何をするでも、何を言うでもなかったけど、
私はずっと支えてもらっていたって感覚があった。
だからこそ私は、お姉さん達のそばにいることで同じように支えになりたいって、そう思った。他に何も出来なかったから、というのもある。
でも、果たしてそれがお姉さん達にとって本当に必要だったのか、と聞かれたら、私には答えようがない。
でも、そんな私に勇者様は
「そんなことない。あなたは、ここの要だよ」
なんて言ってくれた。要だなんて言われちゃうと…さすがにちょっと照れちゃうな。
私がそんな事を思っていたら、勇者様はまた大きく深呼吸をして
「…気が重いけど、そうだね…ここに居るんだったら、きちんと謝って、あたしが出来ることをやって、それで認めてもらうしかないよな…」
と決意を固めるように口にした。
「うん、それがいいよ」
私もそれに賛成する。すると勇者様は、柔らかい笑顔で私に
「ありがとうな…」
なんて言ってくれた。
本当に分かってくれて良かった。いつまでもこんなじゃ、勇者様もお姉さんもきっとイヤだろうし…
それに、どっちのことも心配な零号ちゃんやそれを間近で見ている私も辛い。
「それにしても、あなたは本当にすごいね。封印されてたとはいえ、あたしの方がずっと長生きしてるはずなのに、説教までされちゃうなんてさ」
不意に、勇者様はそんな事を言い始めた。
「い、いや、お説教だなんてそんなつもりはないし…わ、私は思ったことを言っただけで、その、あの…っ」
急に持ち上げられてしまったものだから、私は慌ててそう言葉にならない言葉を並べ立ててしまう。勇者様は慌てた私を見てあはは、と声をあげて笑うと
「お礼と言っちゃなんだけど、あたしに出来そうなことがあったら何でも言ってよ。
まぁ、さっき言った通り、この世界に関して役に立てるようなことは何にもできないかもしれないけどね」
なんて言う。
私に、お礼…か。そう言われて、私はふと、さっき勇者様が軟禁されていた部屋で感じたことを思い出していた。
あの部屋には地面に降りるための縄があった。
でも、その結び目は完全に締まってはいなかった。
あれにぶら下がって街へ降りたのなら結び目はキツく締まっているはずだし、そもそも街の人に見つかって大騒ぎになってもおかしくはない。
勇者様があの縄を地面に垂らしたのは、囮だ。
現に勇者様はこうして屋上にいる。
だけどあの三階の部屋にはテラスもないし、二階層上の屋上へ登れるような足場もない。
あの窓からここへ来る方法は普通に考えればありえない。だけど、私はその方法に思うところがあった
「…あの、それじゃぁ、その…さっき言ってたあの白玉石…だっけ?あれ、私に見せてもらえないかな?」
私のお願いに、勇者様はギョッと顔を強張らせた。
「…どうして?」
「確かめたいことがあるから」
そう答えて勇者様の目をジッと見つめる。すると勇者様は程なくしてはぁ、とため息を吐くと
「…あなたっていう子はホントに…」
と、半ば呆れたように言い、首から下げていた白玉石を私に手渡してくれた。
手に触れるのは、普通の石となんの変わりもない冷たい感覚。だけど、私は古い記憶を紡ぐように石を握った手に意識を集中した。
そしてすぐに、私は感じ取った。石から私の意志に呼応するように暖かな力が染み出してくる。
懐かしい感覚…間違いない。
これは魔力だ…
「やっぱり…勇者様はズルいや」
私がそう言ったら、勇者様は辟易したような顔をして
「言われると思った」
なんて言い捨てる。でもすぐに表情を緩めて
「そいつで引き出せる魔力はたかが知れてる。せいぜい、藁束が転がせる程度のつむじ風を起こしたり、二階建ての屋根に飛び乗るくらいしか出来ないだろうね。
グルグル巻にされた縄は切れなかった。代わりに結び目を解すくらいは出来たけど…でも、その程度だ」
「うん…それくらいの、微かな力だね」
確かに、勇者様の言うとおりだ。こんな力では例えば空気を蹴って空に浮かぶことも出来ないし、強力な結界魔法で剣を受け止めることも出来ない。
回復魔法も無理そうだな…出来て活性魔法くらいなら出来るかも…そんな事を考え始めた私は、ふと正気に戻って勇者様に聞いた。
「勇者様は、どうしてこんなものを?」
私は、勇者様がこれを隠しもって何か悪いことをするとは思ってなんかいない。
そもそも、これくらいの魔力なんかじゃ悪いことをしようとしたって、十人からなる兵隊さんに囲まれでもしたら抵抗すら出来ないだろう。
何か他に理由があるはずだ。
私の問いに、勇者様はまた、眼下に街に視線を投げて答えた。
「基礎構文が機能し始めたとき、この石は人の頭よりも大きかった。でも、すぐにみるみる小さくなってね。
その流れを、あの紋章の力で押しとどめてた。まぁ、それがその後に自分を封印する魔法の元になったんだけど…
それはともかく…なんだろうね、それ…たぶん、形見とか、そんな意味のものだったんだと思う」
「形見…?」
「うん。あたしが生きた基礎構文が発生する前の“時代”の形見…この大陸に残った最後の白玉石だ」
そう言った勇者様は、ふと顔をあげて私を見やると、思いついたように言った。
「それ、あげるよ」
「えぇ!?で、でも、大事な物なんじゃ…!?」
「大事だった…でも、もう良いんだ。あたし、ちゃんと未来を生きなきゃいけない。罪滅ぼしのためかなんのためか分からないけど…
とにかく、これからあたしがやっていく事は、それを持ったままじゃちゃいけない気がするんだ。
過去を認めて、受け入れるために…幻みたいな奇跡に頼るのは、もうやめたよ」
そう言った勇者様は、よっ、なんて掛け声共に立ち上がった。
「あたしは、魔法がなくてもあたしに出来ることであの子に認められなきゃ行けないんだ。
それに、あたしは元々戦士じゃなくて学者の出だしね、持ってたってそんなかすかな力をうまく使う自信がない。
あなたが要らなきゃ、あの子にでも預けておくといいよ」
勇者様はそう言って、眩しいくらいの笑顔を見せてくれる。なんだろう…どこか、吹っ切れたような、そんな力強さを感じる。
「…じゃぁ、ありがたく受け取ります。きっと大事にします」
私は、勇者様に頭を下げて丁寧にお礼を言う。
すると勇者様は、
「うん。ああ、それだけど、使いすぎると石が削れて最後にはなくなっちゃうから、もし使うんなら注意してね」
なんて言って、私が上がってきた階段のある木の戸に向けて歩きだした。
私はハッとして立ち上がり、勇者様の後を追う。
「勇者様!どこ行くの!?」
「あはは、大丈夫。もう逃げないよ」
私の言葉に、勇者様はそう笑い声をあげて答える。それから、ニコっと優しい笑みで、私に言ってくれた。
「出来そうなことに心当たりがあってさ。
時代を超えて来ちゃったあたしに、この大陸のために出来ることなんて、正直ほとんどありはしないだろうけどな…
まぁ、幸い、どんなに時間が経ってもさほど変わらないようなこともあるもんだ」
「…?」
言葉の意味が分からずに戸惑ってしまった私の頭を、勇者様がポンポンと撫でてくれる。
そうしながら私達は揃って屋上を後にした。
つづく。
おつです!
勇者様にお姉さんに零号
同じ顔が3人も・・・姉妹的な?
乙!
乙
幼女ちゃんがだんだんお姉さんになっていく。
頼もしいやら寂しいやら。
>>895
レス感謝!
お姉さんと零号はほぼクローンなので同じ顔ですが、勇者様は遠い親戚なので
同じ顔というよりは似ている、レベルなんだと思います。
例えていうなら、お姉さんと零号は、プルとプルツーみたいなもんで
お姉さんと勇者様は、「セーラームーン」の天王はるかと「ふしぎ遊戯」の本郷唯って感じです。
>>896
感謝!!
>>897
レス感謝!!!
そうですね…この後日談は、子ども達の成長をテーマにしております故…・
子離れされる親の気持ちなのかもしれませぬな
ってなわけで、続きです!
「だから、それじゃぁダメなんだって!」
「うるさいな!姫はこれが好きなんだよ!」
「そうしたらかぶれちゃうから、せめて肌着は着せなきゃダメなんだって!」
「だから、それやるとグズるんだって言ってんだろ!」
「グズったら着替えさせるんだよ!常識でしょ!?」
「それをするのがどれだけ大変かあんたにはわかんないだろ!あたしこれから会議なんだぞ!?」
「だからその間はあたしが見てるんだって!」
「あんたのときに泣き出したら大変だから言ってんだろうがっ!」
「うぅ…グズっ、グズっ…」
「あぁ、ごめん姫!ほら、母さん居るぞ、泣くなよぉ!」
「あたしもいるからねぇ、ほら、居ない居なーい、ばぁ!」
「キャッキャッ」
「ふぅ…危ねぇ…」
「大きい声出すから…まったく…」
「あぁ?だいたいあんたがー
ガチャリ、とドアが開く音がした。姫ちゃんの離乳食の器を片付けながら見やると、十六号さんが部屋に顔を出す。
「あぁ…またやってんの?」
お姉さんと勇者様の様子を見た十六号さんが、私に目配せをしてそう聞いてきた。
「うん、まぁ…今日はまだ軽いかな。姫ちゃんご機嫌だし…」
「良く飽きないですよねぇ、議長様も勇者様も…」
私と妖精さんが、返答と一緒にそれぞれの感想を述べる。それを聞いた十六号さんも、二人の様子に呆れ顔だ。
「姉ちゃん、防衛隊と親衛隊の幹部さん達揃ったぞ」
「お、もうそんな時間か。ありがとな十六号。じゃぁな、姫、お母さん仕事行って来るからな」
十六号さんに急かされて、お姉さんは姫ちゃんをベッドに戻すとほっぺたにチュッと口付けて、名残惜しそうに姫ちゃんから離れた。それから
「じゃぁ、あとはくれぐれも頼むな」
と私と妖精さんに声を掛けくる。
「うん」
「大丈夫ですよ」
私と妖精さんの返事を聞いたお姉さんは、疑惑の眼差しで勇者様に一瞥をくれると、ツカツカと靴音を響かせて十六号さんと一緒に部屋から出ていった。
バタン、とドアが閉まったのを見計らって、勇者様が姫ちゃんの着ていた服をひッぺがし
「ほんとに困ったお母さんだよねぇ、痒い痒いになっちゃうよ」
なんて姫ちゃんに言いながら、綿の肌着を着せ始める。私と妖精さんは、そんな勇者様の様子をただただ見ているだけだった。
私が勇者様と屋上で話をしてから、かれこれ二週間が経とうとしていた。
あの日、大人しく部屋に戻っていた勇者様は、翌日には私と零号ちゃんに渡りを付けて、姫ちゃんの乳母さんを買って出たのだ。
もちろん、お姉さんがそれを諾と言うはずがない。
だけど、そんなやり取りの一部始終を見ていた私や零号ちゃん、兵長さんに十七号くん、
挙句にはお姉さんと同じ立場で勇者様に警戒を示していた十六号にまで、そうするべきだと主張されてしまった。
それでも一人剣幕荒く意気を吐いていたお姉さんは、兵長さんが
「勇者様が姫君を見ている最中は、必ず幼女さん、零号さん、妖精さん、十六号さんの内の二人が同席することにしてはどうか」
と言う妥協案を出してようやく渋々ながら納得した。
出会ってから今まで、みんながこれほど強硬にお姉さんを説得した試しはなかった。
今回、そうせざるを得なかったのは、お姉さんの披露が限界まで来ている、と言うのが誰の目から見ても明らかだったからだ。
それは、勇者様に対してお姉さんと同じ立場を崩さなかった十六号さんですら、勇者様に任せる方がまだマシだ、と言わしめるくらいだった。
結界、勇者様は姫ちゃんの乳母に収まったわけなんだけど、
勇者様に預けると分かっていて軽々しく姫ちゃんから離れるようなことをお姉さんがするはずもなく、
二週間、毎日こんな感じで意地の張り合いというか、口ゲンカというか、嫁姑紛争というか、とにかく姫ちゃんを間に挟んだ衝突が起こっていた。
「こういうのって、教育的に良くないんじゃなぁい?」
とは、そういう問題に疎いはずの零号ちゃんの弁だ。
まぁ、二人は姫ちゃんの前では言葉では言い争っても笑顔だし、声を荒げるでもない。
まだまだ「まんま」しか分からない姫ちゃんにとっては、その辺りの心配はいらないはずだ…きっとそうだ…うん。
コンコン、とドアをノックする音が聞こえたと思ったら、今度は零号ちゃんが顔を出した。
零号ちゃんはふわぁと大きな欠伸をしてから
「おはよ…妖精ちゃん、交代…」
と目に浮かんだ涙をゴシゴシと拭って言う。
「早いね。私まだ大丈夫なのに」
妖精さんはそう言いながらも、テーブルのうえでまとめ作業をしていた書類を皮の書類入れに詰め込むと
「じゃぁ、人間ちゃん、また後でね。零号ちゃん、交代よろしく」
と言い残して部屋を出ていった。
妖精さんの座っていたソファーに代わりに零号ちゃんがちょこんと座り、
肩に掛けていた布のカバンから手習い用の教科書と筆記用具を取り出してテーブルに並べた。
この二週間に、もう一つ大きなことがあった。それは、勇者様が姫ちゃんの乳母になって四日目のこと。
今日のように言い合いをしながら姫ちゃんに離乳食を食べさせているときのことだった。
部屋に駆け込んできた親衛隊員さんが、中央高地の貴族同士が小競り合いを起こした、と報告した。
それを聞いたお姉さん達は短い会議の末に、兵長さんを指揮官に立てた停戦監視団の追加派兵を決めた。
そしてその翌日には、兵長さんは防衛隊の残りの七小隊の内の三つの小隊を連れて、
弓師さんが講話を仲介しているはずの貴族領境へと出立していった。
そのせいで、今、この中央都市に居る主だった幹部は大尉さんと魔道士さん、そしてお姉さんだけとなった。
大尉さんは普段の管轄の親衛隊と、兵長さんの管轄だった防衛隊の管理を一手に引き受け、
その他の兵長さんが執っていた仕事を幾つかに、各地の巡検隊から上がってくる報告書のまとめと状況分析もしなきゃならない。
魔道士さんは昼は手習い所、夜には本部に戻って来て対外的な事務処理なんかをやってくれている。
だけど、バリバリに何でもこなしていた兵長さんの仕事はそれ以上で、
大尉さんと分けた残りの分は全部お姉さんが負わなきゃいけないことになった。
さらに忙しくなったお姉さんの代わりに勇者様が姫ちゃんに付く時間も長くなり、
その上四人交代制で勇者様と姫ちゃんの様子を見ながら仕事や勉強をしていた私達の内、
十六号さんがお姉さんの小間使いに引っ立てられてしまったので、
結局は三人交代でこうして姫ちゃんの世話をする勇者様の見張りをすることとなった。
今の生活を始めて一週間の私達でさえちょっとした疲労感と眠気が抜けないのに、お姉さんはこれ以上のことをここひと月は続けているんだ。
そりゃぁ、お昼寝を邪魔されて勇者様の首を落としたくもなるかも知れない…
って言うのは半分冗談だけど、でも、それくらい大変だったんだ、というのは身を以って理解できるような気がした。
「お姉ちゃん、いつになったら分かってくれるかなぁ?」
不意に、教科書の数の問題を解いていた零号ちゃんがそんな声をあげた。
「お姉さんも意地っ張りだからね…」
私は、そんな曖昧な返答しか出来なかった。
勇者様がお姉さんに乳母をやると言いに行った日、勇者様はお姉さんに、あの魔王城での戦いで魔族の人達、人間軍の人達、
そして私達を傷付けたことと、裏切るような行ないをしたことを正直に、誠意を持って謝った。
だけど、それを聞いたお姉さんの機嫌は治るどころか、いっそう態度を頑なにして勇者様の話のそんな話なんか聞かない、
どうでも良いなんて言い出す始末だった。
私もいい加減、許してあげてもいいんじゃないか、って言ってみたけれど、お姉さんは首を横に振るだけ。
取り付く島もなかった。勇者様のやってしまったことは、それだけお姉さんを傷つけてしまったんだって言うのが分かって私はなんだか胸が苦しかった。
だけど一方で、納得行かないところもある。
戦いが終わったあと、お姉さんは勇者様にお礼を言いたかった、なんてことを漏らしていたんだ。
お姉さんだって、勇者様の行動の理由が理解できていないわけじゃない。
ううん、むしろ、それまで勇者と魔王として世界のすべてを背負わされたお姉さんになら、勇者様の行動が納得出来ないなんてことは絶対にあるはずがない、とさえ思える。
それでも、お姉さんは勇者様を許してないし、相変わらず当たりは強い。今は仕方なく姫ちゃんの世話を任せてる、って感じだけど、
サキュバスさん達が戻って来てその必要がなくなったら…お姉さんは勇者様をどうするつもりなんだろう…?
私はここのところはそんな先のことまで考えてしまって、魔道士さんに出されている勉強の課題にほとんど手が付けられない状態だった。
そんな私達に構わず、勇者様は着替えを済ませた姫ちゃんをベッドから出し、積み木を積んだり崩したりして黄色い声をあげて喜んでいる姫ちゃんと一緒に遊んでくれている。
姫ちゃんも、勇者様がお姉さんに似ているからかすっかりと懐いているし、勇者様も生き生きとしていて幸せそうだ。
あの喧々した関係は、長く続けておくべきことではないだろう。なるべく早くに、二人の橋渡しをしてあげないといけないな。
私は遊んでいる勇者様と姫ちゃんの様子を見ながらそんなことを思っていた。
そんなとき、不意にノックをする音がして、返事も待たずにドアがキィっと開いた。
部屋にやってきたのは、さっきお姉さんを連れて行ったばかりの十六号さんだった。
十六号さんは積み木で遊んでいる二人を見やるとクスっと笑い、それからすぐに私達の座っていたソファーへとやってきて、どっかりと腰を下ろした。
同時に
「ふぃー」
なんて情けない吐息を漏らす。
「十六号お姉ちゃんもお疲れ様」
「あぁ、うん。ありがと、零号」
零号ちゃんの労いに、十六号さんはいつものように零号ちゃんのモフモフの髪をクシャクシャと撫で付ける。
「会議は良いの?」
私がお聞くと、十六号さんはあぁーなんて間延びした相槌を打ってから
「班長さんが、細々したことは十七号にやらせるから、『筆頭様』はしばしご休憩を、だってさ」
なんて憎々しげな表情で言う。
「そう言えば会議、って、例の盗賊団についてだよね?」
零号ちゃんの質問に、十六号さんは
「あぁ、うん」
なんて項垂れつつ、それでも話して聞かせてくれる。
「なんでも、棄て民って連中の集まりが東部城塞からの隊商を襲ったんだってさ」
「棄て民?」
聞いたことのない言葉だったので、私はそう聞き返す。
「うん、土の民の町や集落にはいろいろ掟があって、それを破って追い出されたようなやつや、
そういう掟が嫌で自分からそういうとこでの生活を棄てた連中のことを言うんだってさ。東大陸で言えば、流浪人とかって言うやつ」
流浪人なら、知っている。定住する場所を持たず、宿から宿へ、日雇いの仕事を繰り返しながら生活をしている人のことだ。
どうやら西大陸にも同じような人がいるらしい。
「棄て民ってのは、ほとんどの場合は特別な技能を生かして、普通じゃできない仕事を受けて生活を立ててるらしいんだ。
例えば、村人が迷惑がってる獣を弓術で狩猟したりとか、行商やってる連中も多いって話だけど、
今回の盗賊団ってのは、どうも魔力を失って食い扶持に困った連中が寄り合い作って大きな街で盗みを繰り返してるみたいでね。
先週は東部城塞にもそれらしい連中が出没してる、って話だったらしいんだけど、
昨日、街道の隊商が狙われた、っていうんなら、次はこの街にも姿を現すかもしれない。
今は防衛隊半分出張ってて警備に穴が空きやすいから、その対策を話し合うんだとさ」
十六号さんはそんな事を言って、ソファーにドカッと身を横たえる。それから
「二刻したら起こしてくれ…アタシも姉ちゃん頼まれた書類の整理であんまり寝れてなくってさ」
と欠伸混じりに言うなりすぐに目をつむってしまった。
と、それに目ざとく気付いた勇者様が、姫ちゃんが積み木積みに夢中になってる間にササッとお姉さんのベッドから毛布を引っ張り出して、十六号さんに掛けてあげる。
「…ありがと」
「うん、どういたしまして」
十六号さんのお礼に、勇者様はさも、なんでもないよ、なんて雰囲気で答えるとまたすぐに姫ちゃんのところへと戻って行った。
「十六号お姉ちゃん、最近勇者様にちょっと優しいよね」
零号ちゃんが二人のやり取りを見てそんな事を言う。すると十六号さんは片目だけを開いて
「いつまでもツンケンしてたら、暮らしづらいだろうしな…アタシは、こないだ謝ってるのを聞いてもう良いんじゃないかって、そう思った」
と毛布を体に掛けなおし
「姉ちゃんには悪いかな、ってちょっと思うんだけど…ま、それは、考えても仕方ないし…っと、まぁ、とにかく休むよ、おやすみぃ…」
なんて言い終えた頃にはすでに寝息を立て始めていた。
どうやら十六号さんも疲労抜けてないみたいだ。このままだと、この街の機能維持に支障が出てしまうかも知れない。
そうなると困ってしまうのはこの街に住む人々だ。
「サキュバスちゃん達の誰でも良いから、早く帰って来ると良いね…」
零号ちゃんが誰となしにそう呟く。
「うん、そう思う…」
私もそんな零号ちゃんと同じ思いで、気付けば私達は揃ってため息を吐いていた。
その日の夕方、妖精さんが交代に来てくれて、私はお姉さんと姫ちゃんの部屋を後にした。
盗賊団対策の会議はまだ続いているようで、部屋にはお姉さんは戻って来ておらず、勇者様が姫ちゃんの面倒を見ている。
私の生活のために与えられている零号ちゃんと十六号さんとの相部屋にと向かう廊下を歩いていると、向こうの角から賑やかな声がして班長さん達が顔を出した。
「あぁ、これは従徒様」
班長さんがそう私に声を掛けてくれる。
「お疲れ様です、班長さん、皆さんも」
私は頭を下げてそう労ってから
「会議は終わりですか?」
と聞いてみる。
「ええ、ようやく、ですね。人員が停戦監視団で極端に減っているので、我々親衛隊も明日からは防衛隊と共同で市中の見まわりに当たる予定です」
そう言った班長さんは思い出したように、
「ただ、精鋭はここの警備に残しますから、御身の警護は抜かりありません」
と言い添えた。
正直、本部の中にいるだけなら警護なんて必要ないんじゃないか、って思うけど、それでも私は
「お気遣い、ありがとうございます」
とお礼を伝えた。
そんな話をしていたら、ふと角の向こうから別の足音が聞こえてひょっこりとお姉さんが顔を出した。
「よぉ、お疲れ様。見張りありがとうな」
お姉さんは私の顔を見るなりそう言って疲労の隠せていない表情にやおら笑顔を浮かべる。
「お姉さんもお疲れ様。姫ちゃん、今は寝ている最中だから大丈夫だよ」
私が部屋を出る前の様子を伝えてあげたら、お姉さんは苦笑いを浮かべて
「まぁ悔しいけど、言ってた通りあいつは子守には慣れてるみたいだしな」
なんて口にした。
慣れてる…って、どういうことだろう?勇者様、そんな話は全然してなかったけど…
「それ、勇者様が言ってたの?」
「そうだよ。あいつ、ちょうど今の幼女や零号くらいの頃に生まれたばかりの妹の世話を良くしてたんだって。聞いてないのか?」
「ううん、全然…」
私は、思わぬ話に驚きを隠せなかった。お姉さんと勇者様がそんな話をしていただなんて…
ううん、そんな話を出来るような間柄だったなんて、思っても見なかったからだ。
それに…もしかして、勇者様の妹って…
私がいつだったかの勇者様の話を思い出しかけとき、それに気付いたらしいお姉さんが複雑そうな表情で言った。
「そ。あたしの大昔の先祖って人のことらしい」
やっぱり…それじゃぁ勇者様はそのとき面倒を見た妹の、遠い子孫の娘の面倒を見ている、ってことなんだね…
それって、どんな気持ちなんだろう…?
私はなんだか純粋にそんなことを疑問に思ってしまっていた。いや、でも、待って…そんなことより…
「お姉さん」
私は、気を取り直してお姉さんに声を掛けた。
「姫ちゃんは今寝てるし、夕飯まではまだちょっと時間あるし、良かったらお風呂に行かない?」
「お風呂?」
「うん、そう、お風呂」
特に今入らなきゃいけないわけじゃない。ただ、私はお姉さんに聞きたいことがあった。お姉さんが勇者様のことをどう思っているか…
さっき部屋でも感じた疑問だったけど、今のお姉さんと勇者様の話を聞いて、よりいっそう聞いておきたい、って気持ちが湧いてきていた。
「良いけど、あんた寝なくて良いの?」
お姉さんが心配そうな表情でそんな事を聞いてくる。でも私は
「寝る前に汗流したいし…お姉さん最近姫ちゃんと零号ちゃんに手一杯で、二人でゆっくりする時間なかったしさ」
なんて、ちょっとだけ甘えるようなことを言ってみる。するとお姉さんの表情がみるみる申し訳なさそうな表情に変わっていく。
「そうだな…あんたは頼りになるから、忙しさにかまけて頼ってばっかりで、最近は何にもしてあげられてなかったよ…」
お姉さんは私の思いつきの理由を真に受けてしまったようで、逆に私のほうが申し訳ない気持ちになってしまったけど、とにかく少しゆっくり話が出来そうだ。
「久しぶりに背中流してあげるよ」
気持ちを切り返してそう言うと、お姉さんもすぐに笑顔を取る戻してくれて
「あぁ、うん。頼むよ!着替え取りに行って来るから先に風呂に行ってて」
と手を振りながら廊下を歩いて行った。
私その足で相部屋に戻り、気替えを持って浴場へと向かう。
脱衣所で服を脱ぎながら、ふと、そう言えばお姉さんの部屋には未だ勇者様がいることを思い出して、一瞬不安になった。また言い合いをしてなきゃ良いんだけど…
なんて思っていたら、お姉さんがすぐに脱衣所姿を見せた。私はホッと胸を撫で下ろして
「またケンカにでもなったらどうしようって思ってた」
と、正直にそう言う。するとお姉さんは苦笑いを浮かべて
「あいつ、姫と一緒に寝てたからな。文句言いたくても言えなかった」
なんて口先だけで強がるように言う。なんだかそれが可笑しくって、私はクスッと笑ってしまった。
湿気を防ぐための樹脂の塗られた木の戸を引いて私達は浴室へと入る。
あの頃はサキュバスさんがあれこれと用意をしてくれていたけど、西大陸復興を大掛かりにやるようになってからは、妖精さんの呼びかけで集まってくれた元は妖精族の侍女さん達が、食事や洗濯、お風呂の用意まで幅広く私達の生活の基礎を支えてくれている。
サキュバスさん仕込みなのか、今日はいい匂いがする薬草が浸された薬湯になっているようだ。
お姉さんは手桶でザパっとお湯を被ると、そのまま浴槽へと身を沈める。
「あぁ、もう、お姉さん!先に体洗ってからじゃないと」
私が言ったらお姉さんは
「固いこと言うなよ。これは…そうだな、議長特権、だ」
なんて笑い飛ばす。
私は作法通りに髪から全身までをきちんと洗って、お姉さんお待つ浴槽へと足を突っ込む。ちょっと熱めだけれど、それがまた心地よく感じられる。
「ふぅぅ」
思わず出てしまったそんなため息を聞いて、お姉さんはまた笑い声をあげた。
「しかし、こうして二人で入るのも久しぶりだなぁ」
お姉さんの言葉が、浴室に響く。
「うん。姫ちゃん生まれてからは一緒に入ったことないかも」
「そんなにか?」
「そうだよ!いっつも私と十六号さんと妖精さんで入ってたんだもん」
「あぁ、そうだったかもなぁ…なんやかんや、サキュバスと交代で姫を見てなきゃいけなかったもんな」
私の主張に、お姉さんは心地良さそうに目を瞑りながら答える。ちょっとズルい気もするけど…でも、話を振るなら今だろう。
「そう言う意味では勇者様が帰ってきてくれて良かったでしょ?」
「んー、まぁそうだな。助かってるよ」
私の問い掛けに、お姉さんは思っていたよりも単純明快に、なんのよどみもなく同意した。
想像していた反応と違って、私は一瞬、ポカンとしてしまう。それでもなんとか気を取り直して
「そう言う返事、ちょっと意外…お姉さん、勇者様のこともっと怒ってるんだと思ってた」
と返してみる。するとお姉さんは何やら含み笑いを見せてきて
「怒ってるよ、ものすごい怒ってる。あいつ自覚がないんだから、正直腹の虫が収まらないってのが本音だ」
と言い切った。
自覚が、ない…?勇者様に…?
そんなことない…勇者様は自分のしてしまったことがどれだけのことか分かっている。
大陸の人々や私達を傷付けた、お姉さんを裏切ったことがどれだけのことか。
そして勇者様自身がどれだけそのことで思い悩んでいたかを私は勇者様から直接聞いたんだ。
自覚がないなんて思えない。
勇者様は乳母を買って出るとき、許されるとは思ってないけど、って前置きをしたうえで、そのことについて謝ってもいた。
あのときの勇者様の言葉と態度そのものが、勇者様がそのことをどれだけ重く受け止めているかを示していたはずなのに…
お姉さんにはそれが感じられなかったんだろうか…?
「お姉さん、勇者様はむひゅっ」
私が反論しかけた瞬間、お姉さんが私の両方ほっぺたを引っ張ってそれ以上の言葉を遮った。
「あんた最近あいつ寄りだから、これ以上は言わないぞ。下手に喋ってたらまたあれこれ推理されちゃいそうだし、
あいつ本人にあたしが怒ってる理由の手掛かりなんか渡して欲しくないんだ」
「怒ってる理由を知られたくない、ってこと?」
「知られたくないワケじゃない。自覚して欲しいんだ、ってこと」
ほっぺたを離された私が聞くと、お姉さんはグッと体を伸ばしながらそう答えてくれる。それから思い出したように
「あぁ、でも、心配されていそうだからあんたにはちょっとだけ言っておくけど、あたしはあいつを殺そうとか幽閉しようとか追い出そうとか、
そんなことは考えてないから。まぁ、いつまでも裏切ったなんてことを謝ってるようじゃ、あたしの機嫌は収まらないだろうけどな」
なんて言って、浴槽から這い出た。
…待ってよ、お姉さん。お姉さんは勇者様が裏切ったことに怒ってるんじゃないの?
勇者様があの戦いでみんなを傷付けたことを怒っているんでもないの…?
それじゃぁ…それじゃぁお姉さんは、勇者様の何がそんなに気に入らない…?
呆然とした頭でそんな事を考え始めていた私に、洗い場に出たお姉さんが声を掛けてきた。
「ほら、背中流してくれるって言ったろ?」
「あ、う、うん!」
お姉さんに言われた私は慌てて湯船から飛び出すと、絹の手ぬぐいを引っ掴んで菜の花の油の石鹸を付けて、お姉さんの背中をゴシゴシと擦る。
するとお姉さんは腰掛けに座ったまま膝を抱えるようにして屈み込み
「あぁぁぁぁ…疲れが落ちてくよ…」
なんて気合いの抜けきった声をあげた。
私はそんなお姉さんの、以前よりもどこか小さく感じる背中を擦りながら、さっきのお姉さんの言葉の意味を考えていた。
いったいお姉さんは何に怒っているんだろう?勇者様は、他に、お姉さんの機嫌を損ねるような何かをしていただろうか…?
分からない…だって、お姉さんと勇者様は、あの日、魔王城のソファー部屋で初めて会って、それからすぐに戦いになり、勇者様は姿を消した。
それ以上のことはなかったはず。あの短い間のどこかに、裏切ったこととは別の何かがあったっていうの…?
そんなとき、パタン、とお風呂場の外扉が閉まる音が聞こえた。と、脱衣所と浴室を遮る木戸の向こうから
「姉ちゃん達、まだいる?」
と言う十六号さんの声が聞こえた。
「お、十六号か!まだ居るぞ。あんたも入るか?」
お姉さんがそう声を掛けると
「うん!久しぶりに髪洗ってくれよ!」
なんて言うが早いか、十六号さんは素っ裸で木戸を開いて浴場に入ってきた。
「もうそんな歳じゃないだろ」
お姉さんがそう言うけど、十六号さんは笑って
「いくつになっても、大好きな姉ちゃんに優しくされんのは嬉しいもんだろ?」
なんてどこ吹く風で堂々とねだる。
「ははは、甘ったれめ。じゃぁ、あんたは幼女の髪を洗ってやれよ」
「え、私も洗っちゃったよ?」
「それじゃぁ、肩でも解してもらえよ。今日も見張りしながらうんと勉強してたんだろ?」
「よぉし、じゃぁヘロヘロになるまで解してやるからな!」
「えぇ!?…えっと、じゃぁ、お手柔らかに…」
私達三人はそんな事を言い合ってから誰となしに笑顔になって、お姉さんの背中を流し終えた私の肩を十六号さんが揉んでくれて、
その後ろに位置どったお姉さんが十六号さんの髪を洗い始める。
「おいおい、姉ちゃん。もっと優しく頼むよ」
「文句あるなら自分でやれよな。もう十六だろ?」
「うひゃぁっ、十六号さん!そ、そこ、くすぐったいよ!」
いつもは妖精さんと十六号さんの三人で入っていてたまにこんなことをする機会もあったけど、
お姉さんが加わると感じが違ってなんだかいっそう嬉しく感じる。
そう言えば、巡検隊に着いて行ってた零号ちゃんもお姉さんとはずっと一緒にお風呂なんか入ってなかったな…声掛けてあげれば良かった…
私がそんな事を考えていたら、不意に十六号さんが
「あぁ、そうそう。風呂が楽しみで忘れてたんだけど、アタシ伝令を伝えに来たんだった」
なんてことを言い出した。伝令、ってまた何かあったんだろうか?私だけじゃなくお姉さんも嫌な予感を覚えたのか、少し強張った口調で
「今度はなんだ?」
と十六号さんに尋ねる。すると十六号さんはあははと笑って
「今回は悪い話じゃないよ。さっき、大尉さんトコに、最後の巡検地の調査を終えて、帰路に就くって隊長さんの班からの手紙を持った早馬が届いたってさ」
帰ってくる…?隊長さん達が…!?
その報告に、お姉さんも私も思わず歓声をあげていた。
「ホントかよ!今日届いた、ってことは、もう砂漠の街か中央高地のどっかには着いてるってことだよな!」
「隊長さん達が戻ってくるなら、きっと他の班も直に戻って来てくれるね!」
「あんたは十四号が目当てだろ?」
「ちっ…違わないかも知れないけど、そ、そうじゃなくって!」
急に十六号さんが冷やかしてくるから、私は逆上せたわけでもないのに顔と頭がグツグツと煮えたぎるように熱くなる。それを誤魔化すように
「みんなが戻って来れば、お姉さんの仕事も楽になるでしょ?」
と言葉を継ぐ。もちろん、十四号さんのことがなくったって、みんなが帰って来てくれるのがが嬉しいって思ったんだ。
本当に、本当なんだからね。
隊長さん達、巡検隊一班が帰ってくる。
その報告は、本部の中に瞬く間に広がった。
防衛隊や親衛隊にいる元は人間軍諜報部隊の人達が、その報に一段と喜んでいる様子だった。
もちろん、隊長さんや金獅子さん…そ、それに、十四号さんが帰ってきてくれるのは、その、確かにうれしいけど…
私は、そんな個人的な喜びの他にも、この本部の状況が少しでも楽になるんじゃないか、って期待を抱かずにはいられなかった。
お姉さんや魔導士さん、大尉さんが少しでも仕事のことを忘れて眠れる時間が作れるといいな、って、今の三人を見ていればそう思うのも当然だ。
あくる日の早朝、私はお姉さんと姫ちゃんの部屋へと続く廊下を歩いていた。
昨日はお風呂を出たあとすぐに夕食を摂ってベッドに潜った。
まだ登ったばかりの朝日が、窓の外からうっすらとした光で廊下を照らし出している。
私は、寝ぼけ眼をこすりつつ、辿り着いた先のお姉さんの部屋のドアを開けた。
部屋の中はシンと静まり返っていて、みんなの寝息だけがかすかに聞こえてくる。
音を立てないようにフワフワのじゅうたんにそっと足を進めて部屋に入ると、
私の目に飛び込んできたのは姫ちゃん用のベッドにもたれかかるようにして眠っている勇者様の姿だった。
部屋の中を見渡すけど、お姉さんの姿はない。
零号ちゃんは座ったまま、妖精さんはソファーに転げて、眉間に皺を寄せながら寝息を立てている。
なんとも、苦しそうな表情だ…
私はそっとドアを閉めて二人の下へ行ってソファーからずり落ちた毛布を妖精さんに掛け直し、座ったままの姿勢だった零号ちゃんの肩を優しくゆする。
「零号ちゃん、交代に来たよ」
「…んっ…ふぇぇ?」
そんな声をあげた零号ちゃんは、ギュッと瞑った目をゴシゴシとこすり、大きなあくびとともに伸びをした。
「……おはよ」
「うん、おはよう」
まだ焦点が合っていなさそうな目の零号ちゃんとそう挨拶を交わした私は、どうやら昨日の晩がどんなだったのかを想像できてしまっていた。
「姫ちゃん、寝なかったんだ…?」
「うん…首のところにあせもが出来ちゃって、それがイヤだったみたい。うとうと、ってしたと思ったら、思い出したみたいに泣くんだよ」
零号ちゃんはそう言って、首をグルグルと回して見せる。
私が肩と首をグイグイっと圧してあげると、零号ちゃんは
「あぁ、うぅぅぅ…」
なんて声をあげてから
「お姉ちゃんは結局、帰って来なかったよ」
と報告してくれる。
「そっか…」
私は、それを聞いて心配な気持ちが心の中で首をもたげたのを感じた。
お姉さんはお風呂のあと、夕食を摂りながら書類仕事をする、と言ってた。
昨日の夕方に到着した隊商がこの街で売りたい物資の資料に目を通して、議会の名義で購入しなきゃいけないらしい。
隊商が運んできてくれるのは街の人達用の品物もあるけれど、今回のように議会名義で買い上げるものも少なくない。
例えば、議会が指導を行っている畑づくりに必要な農具の類は、無償で貸してあげる決まりになっているから予備がいくらあっても足りないし、
もちろん、肥料やなんかも買い入れているし、あとは、馬とか、飼い葉とか、羊皮紙に、防衛隊や親衛隊が使う武器防具も買い入れている。
私達の自身の身の回りのものなんかはお仕事に応じた給金で賄っている。
食事だけは、一度議会名義で食材を買い入れて、その金額分を給金からそれぞれ穴埋めしている。食材は一括で買った方が安く上がるからだ。
まぁ、とにかく、そんな資料に目を通して何をどのくらい買うか、次回来るときに持ってきてもらうための注文は何にするか、なんてことを考えなきゃいけない。
本当は、数人で話し合いをしながらやることになっているんだけど、この状況じゃそれも難しい。
補佐官さん達が手伝ってはくれているんだろうけど…
それでも、昨晩帰ってこなかった、ということは、難航してしまったと考えるのが自然だった。
「私、部屋に戻る前に執務室行って様子見てくる」
零号ちゃんが荷物をまとめながらそう言ってくれたので
「うん、お願い」
と私はなるだけ明るい顔でそう頼んだ。
荷物をまとめた零号ちゃんは、ふと、自分の体に巻き付けていた毛布を腕に抱え、姫ちゃんのベッドに寄りかかって眠る勇者様にそっと掛けた。
それから私を振り返って
「勇者様、少し寝かしておいてあげてくれないかな?昨日、ほとんど寝れてないんだ」
なんて言う。
「うん、わかった。姫ちゃん起きたら、私が見るよ」
そう私が答えると、零号ちゃんは少しだけ安心したような表情を見せてくれた。
「じゃぁ、おやすみ」
「うん。ゆっくり休んでね」
私はそう言葉を交わして、部屋を出ていく零号ちゃんを見送った。
それから私は、姫ちゃんのベッドに寄りかかっている勇者様へと歩み寄る。
零号ちゃんの気持ちは、私もよくわかっていた。
たぶん、勇者様は昨日ほとんど寝れていないんだろう。
目の下には大きな隈を作っているし、顔も、眠っているのにげっそりと疲れ切っているように見える。
それならこんなところで寝かして置くのはなんだかね…
勇者様が一生懸命にやってくれているのは、すぐそばで見ている私達が一番よく分かっている。
それに、お姉さんは私達に見張ってろ、とは言ったけど、手伝っちゃいけない、とは一言も言っていない。
なにより、こんなに一生懸命にやって疲れている勇者様を放っておくなんてできない。
せっかく一緒にいて見張ってるわけだし、ほんの少しだけでもちゃんと休んでもらった方が、みんなのためにも良いと思った。
もちろん、何より勇者様のためでもあったけれど。
「勇者様、勇者様…」
私は勇者様を呼びながら、零号ちゃんにしたのと同じようにそっとその肩を揺すった。
勇者様は私の言葉に、ますます困った表情をして
「でもさ…休んでるところであの子が戻ってきたら、それこそあたし、寝たまま首を刎ねられちゃうんじゃないかな…」
と身震いして見せた。
ふと、昨日の晩のお風呂での話を思い出す。
お姉さんは、勇者様のことを斬ろうだなんてこれっぽっちも考えていない。
追い出すつもりも、殺すつもりも閉じ込めるつもりもない、ってそう言ってた。
まぁ、初日のことは…うん、ちょっと仕方ないんだろうけど…
と、とにかく、お姉さんが勇者様につらく当たるのは、たぶん、不信感なんかの類のせいではない。
怒っているのは確かなんだけど…なんていうか、昨日の話ぶりからすると、お姉さんは勇者様のことを信じられないとは思っていない。
ううん、姫ちゃんを預けているっていうのは、それこそ何にも代えがたい信頼の証だ。
それでも、お姉さんは勇者様に怒っている…それって、やっぱりなんだか妙な話のように私には思えた。
「ねえ、勇者様。勇者様は、お姉さんを怒らせるようなことをした心当たりある?」
気が付けば、私は休んでもらおうとしていたことなんかすっかり忘れてそう勇者様に問いかけていた。
「怒らせるって、そりゃぁ、あの日のことを怒らない人はそういないんじゃないかなぁ…」
勇者様は、そう言って再びぶるっと体を震わせてみせる。
でも、お姉さんはーーー
そう言いかけて、私は言葉を飲んだ。
お姉さんは、昨日私に言った。
私は最近、勇者様寄りだから、って。
確かに、そうだったかもしれない。
思えば、勇者様が帰って来てから、私はお姉さんに強いことをいってばっかりだったような気がする。
お姉さんの気持ちを汲んでたのは、十六号さんだけだったけど、今はその十六号さんさえ、お姉さんの勇者様への態度には首をかしげるばかりだ。
ヤキモチを妬いていた、なんて思うわけじゃないけど…でも、例えばお姉さんが姫ちゃんや零号ちゃんの相手をしているときに、
寂しさを感じないわけではなかった。
ーーー三人は、血がつながっているから、ね…
そう思わないわけではなかった。
でも、私はそれ以上にお姉さんと零号ちゃんや姫ちゃんがにぎやかにしているのがうれしいって、そう思えていたのも本当だ。
だとしたら、勇者様ばかりをかばう私や零号ちゃんの言葉を聞いて、お姉さんは何を思ったんだろうか…?
昨日のあの言葉は、もしかしたら、お姉さんの心の中にあった、ほんの小さな本音だったのかもしれない。
そう思えばこそ、私は、昨日お姉さんと話したことを、勇者様に言ってはいけないような気がした。
それは、お姉さんが望まないことだろう、ってそう思ったからだ。
私は、お姉さんから勇者様に乗り換えようとか、そんなことを思っているんじゃない。
二人に仲良くしてほしい、ってそう思っているだけだ。
それなのに、私はこれまで勇者様の気持ちのことばかり考えていて、お姉さんの気持ちに沿ってあげられていなかった。
そんなことで、二人の間をとりもつことなんてきっとできない。
大事なのは、もっと、どちらにも寄らずに…いや、どっちにも寄り添って…?
む、難しいけど…その両方でいるような、そんな感じの立ち振る舞いなんじゃないか、ってそう思えた。
「…たぶん、そのことじゃないんじゃないかな…」
それが、私が今言える精一杯だった。
でも、それを聞きつけた勇者様は
「えぇ?なにそれ、どういう意味…?」
と私を追及してくる。
でも、ダメ…これ以上は、言えない…
「私にも、良く分からないんだけど、ね…」
…嘘は言ってない。お姉さんが何を思っているかは、今はまだ見当もついていないんだ。
私の返事に、勇者様はやっぱり困った顔をして
「あたし、あれ以外に何か怒らせるようなことしたかな…だってさ、ほんとに、あの子とかあの短い間しか関わってないんだよ?
芝居したことを怒ってないってなると、正直見当もつかないよ…」
なんて、なんだか情けない声でそう言った。
ーーー自覚ないんだよなぁ
昨日のお姉さんの言葉が思い出される。
昨日は、私も勇者様と同じことを思った。
お姉さんが勇者様と言葉と剣を交わしたのは、あの晩だけのことだった。
お姉さんは勇者様の何に怒っているんだろう?
お姉さんは、勇者様に何を気が付いて欲しいんだろう…?
どうやら、私にも勇者様にも、答えはまだ出そうにない。
でも、お姉さんは勇者様をひどい目に遭わせたりはしない、ってそう言っていた。
だから、たぶん、慌てることはないんだと思う。
多少、勇者様や見ている私達が辛くっても…もしかしたらそれは、お姉さん自身が勇者様に対してずっと抱えて来た気持ちの反動なのかもしれないから、ね…
「でも、きっとなにか思うところがあるんだよ。それより、ほんとにベッドで寝た方がいいって。
そんなんじゃ、いざっていうときにウトウトして、姫ちゃん落っことしてケガさせちゃったりするかも。
そしたらさすがに、お姉さん怒るよねぇ…」
「うっ…あなた、本当に意地悪になったよね…」
「ふふふ、なんだか、勇者様にはこんなこと言っちゃうんだ」
勇者様が辟易した顔で私を睨み付けてきたけど、私はそんな表情に思わず笑ってそう言ってしまっていた。
すると勇者様は何かをあきらめたのか、
「…分かった。じゃぁ、少しだけ。姫ちゃん起きたら、あたしも起こしてくれよ。あと、あの子が帰ってくる気配があったときも…」
と言いながら、のそり、と床から立ち上がった。
「うん、わかった」
私は素直に返事をする。
でも、心の中ではそんなこと、ちっとも思ってなんていなかった。姫ちゃんの面倒はちょっとのことなら、私にだってできる。
お姉さんは事情を話せばきっと、勇者様が寝ていたって苦笑いで
「仕方ないな」
なんて言うんじゃないかな、ってそんな気がする。
そういえば、昨日もお風呂の前に姫ちゃんと眠ってた勇者様を起こさなかった、って話をしていたし、ね。
だから、勇者様には少しゆっくりしてもらおう。
「んじゃぁ、おやすみ」
そういうと勇者様は、のそりのそりとお姉さんのベッドに体を横たえて、毛布をかぶり目を閉じた。
そんな勇者様の顔は、どこかやつれて見える。
「こんな顔してたらお姉さんが―――
ふと、そう言いかけた言葉が頭を巡って、私はハッとして、息が詰まった。
「ん…何?顔が…どうしたって…?」
まどろみながらのおっとりした声で、勇者様がそう聞いてくる。
「…え、と、こんな顔してたら、お姉さん怒りそうかな、って。自分でやるって言ったんだから、しっかりやれよ、とか言って」
私がとっさにそう言い訳をすると、勇者様は目を閉じたまま眉間に皺を寄せ
「…それは、怖い…なぁ…」
なんて、小さな小さな、掻き消えそうなくらいの声で口にしたっきり、すーすーと穏やかな寝息を立て始めてしまった。
わ、悪いことしちゃったな…困った顔しながら寝ちゃったよ…こ、怖い夢でも見ないといいけど…
私はそんなことを思いながらベッドに腰かけ勇者様に毛布を掛けなおす。
勇者様はどうやらすっかり寝入ってくれたようだ。
それを確かめて、私は姫ちゃんの眠るベッドの柵に体を預けて、のぞき込むようにして同じように眠る姫ちゃんを見つめる。
血のつながった、家族、か…
竜娘ちゃんのときにもそうだったけれど私はふと、死んだ両親のことを思い出していた。
そりゃぁ、そうだよね。
お姉さんが怒るのも、無理はない。
私だって、そう思ったくらいだ。
お姉さんが思わないはずがない。
―――随分と血色がいいじゃないかよ、えぇ?どこをふらついてると思ったら、まさか観光地で大工とはな
あれはつまり、そういう意味だったんだね、お姉さん。
私は心の中でお姉さんにそう聞いてみた。
もちろん、答えてくれるはずもないんだけど、私の脳裏に映るお姉さんは、少しあきれたような表情で、私に笑いかけてくれたような、そんな気がした。
つづく。
レス数?
大丈夫、ギリなんとなかる計算だ…たぶんw
貼り付けミスってたーーー
>>910と>>911の間に以下がありますた…orz
>>910
私は勇者様を呼びながら、零号ちゃんにしたのと同じようにそっとその肩を揺すった。
「んっ…?…あ、あぁ…あなたか。おはよう、どうしたの…?」
勇者様は、零号ちゃんよりもずいぶんとはっきりとした反応で、私にそう聞いてきた。
「ベッドで寝た方がいいよ。姫ちゃん、私が見てるからさ」
私は勇者様にそう言う。すると、勇者様は一瞬、困ったような顔をして
「それはできないよ。これはあたしの仕事だ」
と私に返事をしてきた。
「いいから、寝なさい」
私は、どうしてか勇者様にはそんな言い方をしてしまう。
本当に、ちょっと意地悪なのかな、と自分で自分を疑ってしまうけど、
でも、こういう言い方の方が勇者様には伝わるんじゃないかな、って感じているところがあるようにも思えた。
>>911
乙!
おつおつ!
うお、数ヶ月前に最初の方だけまとめられてんの読んでそれっきりだったけど現行で動いてたんだなこのスレ
一気読みしたら半日消し飛んで笑えない
乙!
起こってる理由が>>913でやっと分かったわ
>>916>>917
感謝!
>>918
いらっさいませー
長くてさーせんw
>>919
感謝!
お、分かりますか?
ギリギリのセンでぼやかしたつもりでしたが…
続きを投下したいところですが、切りどころの関係でもうちょtっとお時間くださいまし!
「勇者様、大丈夫…?」
「………」
「ゆ、勇者様…!?」
「へっ?!あっ…」
勇者様がそんな声を漏らして、意識を覚醒させた。傍らで零号ちゃんが心配そうにその顔を覗き込んでいる。
「ごめん、ありがと…今あたし寝てたね…」
「まんま!まんまぁ!」
「はいはい、今日は姫ちゃんご機嫌だねぇ」
零号ちゃんにお礼を言った勇者様は姫ちゃんにそうねだられて、黄色い声をあげながら姫ちゃんの口に離乳食の乗ったスプーンを差し出す。
パクっとそれに食いついた姫ちゃんは、パチパチと手を叩きながら
「まんま!きた!」
と何やら喜んだ。それを見た勇者様と零号ちゃんがすかさず
「んん!まんま出来たね!」
「姫ちゃんすごいねぇ!」
なんておだて始める。
そんな二人の表情には、隠しきれない疲れが滲んでいた。
私がお姉さんの怒りの原因に気が付いてから三日。
勇者様は未だ、私が行き着いた答えに辿り着いている様子はない。
と言うより、そんなことを考える余裕がない、と言った方が正しいのかもしれない。
それと言うのも、まず、勇者様は、毎晩遅くに三刻だけ眠りに部屋に戻ってくるだけ。
それからここ数日の姫ちゃんは、すこぶる調子が悪かった。
それこそ今の姫ちゃんからは想像もつかないくらいで、眠ったと思って勇者様がベッドに戻せば大泣きし、離乳食はイヤイヤ。
流石に食べない回数が増えると栄養のことが心配になって、勇者様がお姉さんにそのことを伝えると、
普段は夜寝る前と夜中起きたときだけだった授乳の時間を昼間にも一度設けられることにはなった。
でも、お姉さんは忙しい身で時間が空かない。
それならば、と勇者様が会議室に衝立とタオルを持ち込んで、会議中だろうと授乳を決行。
その授乳の時間だけはお姉さんが見てくれるけれど、それ以外の殆どは勇者様が面倒をみるような日々が続いた。
夜泣きすれば、先ずは勇者様が抱き上げてあやし、おむつなんかを確認して、
それでもダメなら横になって仮眠を取るお姉さんを優しく抱き起こして、お姉さんごと姫ちゃんを抱くようにして授乳させてご機嫌を伺う。
お姉さんは半分眠ったままの授乳が終わったらパタリとベッドで二度寝に入る。
授乳させて貰って安心するのか、姫ちゃんはそこから元気いっぱいでしばらく寝ない。
それでも明け方ようやく寝付いたと思えば、三刻もしないうちに目を覚ましてギャンギャン泣く。
オムツを変えて離乳食の時間なんだけど、またヤダヤダで食べない。
二刻掛かってようやく半分、ってくらい頑張って、それでもお腹が膨れるのか姫ちゃんは寝入るけども、
お昼過ぎにはまた目を覚ましてギャンギャン泣く。
で、また勇者様が衝立と毛布を持ってお姉さんのところまで行き、授乳してもらってホッと一息つくと、
姫ちゃんはまたお元気タイムに入るので、勇者様が積み木や鞠で遊んであげる。
遊びに疲れて来るとウトウト始めるんだけど、勇者様が抱き上げて寝かせ、ベッドに戻そうとすると大泣き。
勇者様が抱いたまま二刻も経つ頃には目を覚まして、離乳食の時間。でもやっぱりイヤイヤで半分食べるのに二刻かかる。
で、ようやくまた寝てくれるかな、と思ったら、お姉さんが帰ってくるのと同じくらいに泣き出すので、
また勇者様が二人を抱き上げて授乳を済ませて姫ちゃんはまたほんの短い時間寝入るって、朝方早くにギャンギャン泣いて目を覚ます…
そんなことの繰り返しだ。
私達も一緒にいてあれこれ手伝ったりはしてるけど、結局一番眠れていないのは勇者様だ。
ここ三日で、勇者様はどれくらい眠れただろうか…
と指折り数えてみるけれど、思い返せるだけの時間を全部合計してみても、今のところはピッタリ両手で足りてしまう。
三日で、十刻…これ、まずいよね…。
もちろんその手伝いをしている私と妖精さんに零号ちゃんも勇者様ほどじゃないけど軒並み寝不足だ。
「今夜辺りはちゃんと寝てくれそう…」
ご機嫌離乳食食べる姫ちゃんを見て、勇者様が疲れた表情やおら笑みを浮かべてそう言った。
「何だったんだろう…ここ何日かずっと生活の流れがバラバラだったよね」
私がふとそう言うと、勇者様は事も無げに
「たぶん、風邪引きさんだったんだと思う」
と離乳食をスプーンにすくいつつ答えた。
私はそれに少し驚いた。確かに鼻水出してたりすることはあったけど…風邪だなんて気が付かなかった。そんな私に勇者様は言う。
「ちょっと熱もあったし、咳もちょこっと出てたしね。小さい子って、二週間に一回は風邪引くんだよ」
それから勇者様は、まんま!と訴える姫ちゃんにスプーンを差し出した。それをパクっとした姫ちゃんは
「まんまきた!」
と手を叩いて喜ぶ。
「うんうん、出来たな!」
勇者様は姫ちゃんにそう優しく微笑みながら
「まぁ、この分ならもう大丈夫だろうけどさ」
と、私と零号ちゃんにチラッと目配せして言った。
「勇者様、それ終わったら寝て良いよ?あとは私と幼女ちゃんで見てるからさぁ」
零号ちゃんが相変わらずの心配顔で勇者様にそう言う。でも、勇者様は首を横に振って
「大丈夫。あたしの言い出したことだ。あたしが責任持ってやんなきゃ」
と、譲らない。
あの日から数えて、勇者様が私達に姫ちゃんを任せて眠ったのは二回だけ。それもほんの僅かな時間だ。
それも決まって姫ちゃんが寝入ってくれたときだけ。
姫ちゃんが泣いて起きれば勇者様もすぐに体を起こして、あやしたりオムツの具合いを見たりで、勇者様が眠っている間、
本当に私達は姫ちゃんを“見ている”だけだった。
なんて言うか…一度決めたら曲げない石頭は、本当にお姉さんにそっくりだよね。
私はそんな勇者様に、呆れるような、でも何だか少し安心するような、そんな気持ちにさせられた。
それから離乳食を食べ終えた姫ちゃんは、しばらく勇者様と遊んでいるうちにウトウトとし始め、
勇者様に抱かれると昨日までがまる嘘だったかのようにぐっすりと寝入ってくれた。
勇者様がベッドに降ろしても、泣き出すこともなく穏やかに寝息を立てている。それを確かめた勇者様は、ふぅ、と一つため息を吐いた。
勇者様が寝ていないのは間近で見ている私達が一番良く分かってる。
それに、たぶん、真夜中にならないと帰って来ないお姉さんもきっとほとんど眠れていない。
まとまって三刻寝ている分勇者様よりは良いのかも知れないけど、眠っている時間以外は書類の整理や会計、会議に面会と息付く暇もなさそうだ。
ここのところは二人も言い合いをする気力がないのか、会話と言えば姫ちゃんに関する必要な話をするくらい。
ケンカにならないのは良いことだとは思うんだけど…でも、今の状態が良いかと聞かれたら、けっして良いと答えられるようなことでもなかった。
「よし…じゃぁ、あたしも少し休ませてもらうよ」
勇者様が姫ちゃんの様子を確かめて、静かな声色で私達に言い、お姉さんが使っているベッドにストンと腰を降ろした。
「うん、そうして」
「ちょっと泣いたくらいなら、寝たままでいいからね。ね?」
私と零号ちゃんが口々にそう言うと、勇者様は少しだけ嬉しそうな顔をして
「ありがと。まぁ、とりあえずおやすみ…」
とベッドにグタリと横たわった。
それからほとんど間もなく、スースーと勇者様の寝息も聞こえてくる。
それを見届けて、私と零号ちゃんは顔を見合わせて胸を撫で下ろした。
私も零号ちゃんも今は休んでいる妖精さんも、今の状態になってからは勉強や仕事なんてしている暇もなくて、
あれこれと勇者様のお手伝いに駆け回っている。
夜泣きが始まったら私達も起きて、必要そうな物を勇者様に聞いてお城の台所や倉庫に取りに行ったりもしていた。
「赤ちゃんを育てるって、大変なんだね…」
ポツリと零号ちゃんが口にする。それから
「私、大きくなってもお母さんやれる自身ないなぁ…」
と大きくため息も吐いた。なんだかその話が可笑しくって、私は思わず笑ってしまう。
「まだまだずっと先のことじゃない?」
私がそう言ったら、零号ちゃんは渋い顔を見せて
「そうだけどさ…ね、私が赤ちゃん産むときは、幼女ちゃんも一緒に産もうよ。二人で交代してやれば楽かも」
なんて提案してくる。それは良い考えだけど…でも、私は首を傾げてしまう。
「それは良いと思うんだけど…そもそも赤ちゃんってどうやって出来るの…?」
そう言えば、この話は金獅子さんが帰って来てくれたら教えてくれるって言ってたっけ。
「え、結婚したら産まれるものじゃないの?」
「結婚しただけで、自然にお母さんのお腹が身ごもるのかな…」
「…そう言われると、なんだか違う気がする…」
「ね…きっと何かが必要なんだよ」
私達はそう言い合って、揃って首を傾げる。
でも、いくら考えたって知らないことは分からないから、金獅子さんが帰って来るのを待つ他にない。
「でも…零号ちゃんって、結婚したいって思う人いるの?」
赤ちゃんが出来るとか産むとかそんな話の前に、まずはそっちを気にした方が順番としては正しい気がする、
と思って私が聞いたら零号ちゃんは
「ふぇえぇぇ?!」
と変な声をあげた。ほっぺたどころか耳まで真っ赤にした零号ちゃんは
「なななななんでそんなこと聞くの!?」
と逆に聞いてくる。
「だって、順番としては赤ちゃんのことよりもそっちが先でしょ?」
私が答えると、零号ちゃんはなんだか納得してくれたように
「あぁ、そっか…」
頷き、それから言いにくそうに体をモジモジさせながら
「あのね…結婚したいかどうかは分からないけど…十四お兄ちゃんは、優しくて好きだよ…」
なんて言った。
…へぇ……零号ちゃんも十四号さんが良いんだ…へぇ…へぇぇ…
気がつけば私は、自分の胸のうちに湧いた奇妙な動揺を誤魔化すのに必死になってた。
でも、そんな私を見透かしたように零号ちゃんが
「幼女ちゃんは?」
と聞いてくる。
「ひぇっ?!え、え、えぇっとね…」
思わずそんな声を漏らしてしまうけど、
私も、その、あの…ま、負けないとそういうことじゃないけども、でも、でもね、そ、そう、どどうしても選ぶって言うなら、ね…
「わ、私も十四号さんが好きかな」
と正直に言う。
するとなぜだか、零号ちゃんの表情がパッと明るくなった。
「なんだぁ、幼女ちゃんと一緒か!」
零号ちゃんはニコニコと嬉しそうな顔でそう言ったけど、不意に怪訝な顔つきになって
「あれでも…ん?それってだめ…?良いの?ん…?」
とひとりごとを呟きながら首を傾げ始め、ややあって
「ね、結婚って一人と一人じゃなきゃいけないもの…?」
と突拍子もないことを聞いてきた。
「そ、それはそうでしょ!?」
「そうなの?決まってるの?」
「決まってるって言うか、普通はそう言うものだと思う…貴族様とか王族には、正妻と側室って言って、
何人も奥さんいることもあるみたいだけど…」
「偉くなったら良い、ってこと?」
「い、いや、そう言うことでもないんじゃないかな…東部大陸では確か、そう言う法があるらしいし…」
「東部大陸の法って魔導協会が決めたことでしょ?そんなのには私は従わない!」
いや、あの、法そのものは魔導協会じゃなくって確か、王下貴族院が決めることだけどね…?って、そこじゃなくって…!
「そ、それでもやっぱり普通じゃないんだって」
私が言ったら、零号ちゃんは眉間にしわを寄せて腕組みをし、うぅっと唸り始めたと思ったら、
ややあって何かを閃いたのかパッと顔を明るくして言った。
「そうだ、簡単じゃん!私と幼女ちゃんで結婚すれば良いんだ!」
……はい?
ぜ、零号ちゃん…?
ななななな何を言ってる…の…?
「お姉ちゃんとサキュバスちゃんが結婚してるからそれは大丈夫なはずだし、
そうすれば赤ちゃん出来ても二人でお世話できるし、一石二鳥だしね!」
零号ちゃんは私の混乱なんか気にも止めずにそう追い打ちを掛けてくる。
いやいや待って待って!そもそもそも女の子同士で赤ちゃん出来るの?
お姉さんとサキュバスさんはサキュバスさんが特別だったからってことじゃなかったっけ?
い、いや、その前に女の子同士で結婚って言うのも普通じゃないし、て言うか零号ちゃんはいきなり何を言い出すの!?
零号ちゃんは、その、あの…わ、私のことがすすすす好き、なの…????
「よ、幼女ちゃん、大丈夫…?顔真っ赤だよ…?」
ようやく私のそんな様子に気が付いてくれたのか、零号ちゃんがそう聞いてくれた。
待って待って待って、落ち着いて、私。零号ちゃんはこういうことに疎いから、きっと何か盛大に勘違いをしているに違いない。
まずは…そう、まずはそこを確認しないと…
「ぜ、零号ちゃんは…私が好き、なの?」
「好きだよ!……あれ、幼女ちゃんは…違った…?」
私の質問に何の戸惑いもなくそう答えた零号ちゃんは、私の様子を見て不意に不安げな表情を見せた。
それを見て慌ててててしまった私は思わず
「す、好きだよ!」
と端的に答えてしまう。
いや、好きなのは本当だけどその好きと結婚したいかとかって言う好きとは違くってだから…
なんてことを添える間もなく零号ちゃんは嬉々とした表情に戻って
「そっか、良かった!じゃぁさ、そうしようよ!」
と、一人で勝手に突き進んで行く。
待って待って待って待って!これ止めないとまずいよね?
やっぱり零号ちゃんはいろいろといろいろ、盛大な勘違いをしているみたいだ。
えと、うぅんと…そう、まずは、結婚とは何たるかを説明して、それで好きって気持ちの説明をして、
それからちゃんと、私は友達として零号ちゃんが好きなのであって、結婚とかそういう好きではないんだってことを説明して
えぇと、それから赤ちゃんのことは…まだわからないからとりあえず今は良いとして、それからあとは…えぇと、えぇぇと…
そんなことを考えているうちに私は顔がみるみる熱くなって、その熱が頭の中にまで及んで耳から煙を吹きそうなくらいに混乱する。
「幼女ちゃん…?」
不思議そうに首を傾げる零号ちゃんに、私がとにかく何でもいいから声を掛けよう、と思ったときだった。
ガチャッとドアを開ける音がして、部屋にお姉さんが入ってきた。
まだお昼前だというのに、部屋に戻ってくるなんて珍しい。
いつも着ている政務官用のマントを脱いで、普段着用の綿のシャツとズボンに着替えている。
髪もしっとり濡れていて首からはタオルも掛けているし、どうやらお風呂に入って来たらしいってことは分かった。
でも、なんでこんな時間に…?
「お、お姉ちゃん…?ど、どうしたの?」
零号ちゃんが驚いた様子でお姉さんにそう尋ねる。
「ん、いや、魔導士が戻ってきてくれてさ」
「魔導士さんが?」
私は、勇者様以上に疲労の色の濃いお姉さんにそう聞き返す。
するとお姉さんは
「うん。手習い所の方を、師匠だっていう賢者のじいさんとその賢者の新しい弟子が代わってくれたらしくってさ。
こっちに上がってきて、書類仕事はしてやるから少し休め、って言われちゃったよ」
なんて苦笑いを浮かべて見せる。
「休めるの?」
「あぁ、うん。ほんのちょっとだけどな。三刻したら北部城塞からの使者との面談があるから、それまでの間だ」
三刻、か…。とても十分な時間とは言えないけれど、それでも今のお姉さんには貴重な時間だろう。
「姫は…昼寝か。あいつもここんとこちゃんと寝てなかったもんなぁ」
お姉さんは姫ちゃんのベッドを見やりそう言って笑い、それから私と零号ちゃんを振り返って
「二刻したら起こしてくれ」
なんていうと、返事も待たずにベッドの方へと歩き出した。
それを見たとたん、零号ちゃんが
「あっ」
と声をあげる。
そう、ベッドには、勇者様が寝ているんだった。
一応、サキュバスさんとお姉さんが寝るためのベッドだから、二人が横になるくらいは問題ない広さではあるけれど、
零号ちゃんが声をあげたのは、たぶんそんなことが気になったからではないだろう。
「あ、あ、あのね、お姉ちゃん!勇者様はね…」
零号ちゃんがそう言ってお姉さんの足元にまとわりつき、必死に勇者様を弁護し始める。
これまでのお姉さんを見ている誰も、勇者様のこんな姿を見たら怒るだろう、って思うに違いない。
でも、お姉さんと話して、勇者様と話して、その怒りが勇者様の何に向いているのか見当がついてしまった私には
零号ちゃんの心配は、無用なことのように思えた。
「あぁ、知ってるよ。寝てないんだろ?」
お姉さんは、勇者様を庇おうと零号ちゃんが話すことをひとしきり聞いて優しくそう言い、零号ちゃんの頭をクシャっと撫でた。
それからベッドに横になっている勇者様の顔を覗き込むと、
「ひでえ顔してんな…」
なんて苦笑いを見せて、勇者様を起こさないようになのか、のそりと静かにベッドの空いている方へと体を横たえた。
毛布をかぶり、首に掛けていたタオルで目のあたりを覆ったお姉さんは、程なくして束の間の睡眠の中へと沈んでいく。
そんな様子を見ていた零号ちゃんは、なんだか少し戸惑い気味で、ソファーに座っていた私のところに戻ってきた。
「びっくりした…お姉ちゃん、勇者様を怒るんじゃないかって思っちゃった…」
「お姉さんも疲れてるからね」
「うぅん、そうなのかな…?」
私があいまいに答えると、零号ちゃんはそう言って首をひねった。
「どうしたの?」
そう聞いてみると、零号ちゃんは不思議そうな顔をしながら
「お姉ちゃん、なんだかちょっと嬉しそうだった」
なんて口にして、勇者様と並んで寝ているお姉さんを見やる。
そんな言葉と視線につられて、私もなんとなく、お姉さんに視線を送っていた。
お姉さんってば…そんな顔するくらいなら、さっさと仲直りしちゃえばいいのに…
腹が立つのは分からないでもないけど…勇者様が“自覚”できるにはもうちょっと時間が掛かりそうなんだよね…。
本当に意地っ張りで素直じゃないんだから。
いよいよってなったら、私が本気になってお姉さんを説得する、っていうことも考えておかなきゃいけないな。
私はお姉さんの怒っている理由が分かったけど、みんなはまだ気が付いていないみたいだし…
お姉さんが勇者様とケンカしているときの空気って、あんまり良くないって、私はそう思うんだ。
だからもしそのときがきたら、覚悟してよね、お姉さん。
私は、ベッドで勇者様に背中を向けて眠るお姉さんの後姿を見ながら、心の中でそんなことを思っていた。
その日の夕方。
私は妖精さんと交代して勇者様の見張りから離れていた。
お風呂を済ませた帰りで、部屋に戻って交代の時間まで眠っておこうかな、なんてことを考えながら廊下を歩いていたら、
ふと、いい匂いが私の鼻とお腹をくすぐった。
もうそろそろ夕ご飯の時間だ。
寝る前に食べちゃおうかな…そういえば、姫ちゃんは離乳食は食べるかな?
自分の食事を済ませるついでに、姫ちゃんのところに離乳食を運んであげたら少しは楽をさせてあげられるかもしれない。
私はそんなことを思って、部屋への廊下を折れて厨房へと向かう。
入口の自由戸を開けると、そこでは四人の女の人達と、男の人が二人で、鍋を振るったり野菜を刻んだりしている姿があった。
「お疲れ様です」
私がそう挨拶をすると、元は妖精族だった給仕長さんが顔をあげて
「あら、従徒のお嬢ちゃん!お腹すいた?」
なんて明るい笑顔を見せてくれた。
「私これから休憩なので、夕ご飯食べておこうかなと思って」
私が答えると、給仕長さんはあぁ、なんて声をあげて
「お疲れ様だね、あんた達も」
と労ってくれる。
「いえ。私達なんかより、お姉さん達やゆ…内侍様の方が忙しいみたいで」
内侍様、と言うのは乳母に収まった勇者様に取り急ぎ付けられた役職のことだ。
身の回りのことを手伝ってくれる侍女さん達よりもさらにお姉さんの生活に近いところで働くことになったから、
より内側の侍女さん、って言うことで内侍官と呼ぼうと兵長さんが決めた。
勇者様は役職は要らないと首を振ったけど、公に勇者様だなんて呼んだりは出来ないし、
お姉さんが役職を付けないことに拒否感を顕にしたので、勇者様は渋々ながらそれを引き受けた。
それもそうだろう。今のお姉さんは、勇者様を部下として扱うか、それとも他の何かとしては関わるか、悩んでしまうところだし。
それもまぁ、きっといっときのことだろう。
「内侍様ね。あの人、議長様の親戚か何かなんだろう?」
これは当然、本部のみんなは知っている。赤の他人と言ってしまう事が不自然なくらい二人は似ているからだ。
「うん。すごく親身にやってくれてるよ」
私が答えると、給仕長さんは声をあげて笑い、それから
「あんた達も良くやってるよ。若いながら関心だ」
なんて褒めてくれる。
「あの、姫ちゃんの離乳食もついでに届けようと思うんですけど、出来てます?」
「あぁ、そっちはもう出来てるよ」
「なら、先にそれを届けて来ます」
「いいのかい?」
「はい。姫ちゃんの様子も気になるし」
私が答えると、給仕長さんは片方の眉をあげて驚いたような顔を見せ
「やっぱり、あんたは偉いね。立派だよ、その気遣い」
なんて、褒めてくれた。
照れながらお礼を言っている間に、給仕長さんは姫ちゃんの離乳食を乗せたワゴンを私の前に引っ張って来てくれる。
私はもう一度お礼を言って、そのワゴンを引き、厨房の自由戸を開けて出た。
廊下に出て、お姉さんと姫ちゃんの部屋に続く廊下をワゴンを押しながら歩いて居ると、
不意に後ろから鎧が擦れ合うガチャガチャという音と、バタバタという足音が聞こえてきた。
振り返るとそこには、親衛隊第一班の班長、鳥の剣士さんが部下の人数人を引き連れて小走りに駆けている姿があった。
「お、こりゃ、お忙しい従徒ちゃんじゃないか」
鳥の剣士さんはそんなことを言って足を緩める。それからすぐに
「先に向かっていてくれ」
と部下の人達に声を掛けた鳥の剣士さんは、私の前でピタッと足を止めた。
「姫ちゃん達はどうしてる、従徒ちゃん?」
「幼女ちゃんって呼んでよ、一班の班長様」
私は鳥の剣士さんにそう言い返してから、
「姫ちゃん、今日はようやく落ち着いててご機嫌だよ」
と答える。すると鳥の剣士さんはニコっと笑顔になった。
鳥の剣士さんが率いる親衛隊第一班は、主に議長であるお姉さんの警護にあたっている。
第二班は執政官の人達を、第三班は私達従徒の身の回りを守ってくれていた。私達が三班の班長さんと親しいのはそれがあるからだ。
反対に、お姉さんの身辺を警護している鳥の剣士さんとは生活の時間が合わなくって、こうして時折廊下ですれ違うくらいのことしかない。
虎の小隊長さん達、元魔王軍の突撃部隊の多くは巡検隊として各地に散ってしまっているからなのか、
鳥の剣士さんはすれ違うだけのこんなちょっとの時間でも、懐っこく足を止めて話しかけてくれる。
「そっか。なら良かった。十六号ちゃんにもチラッと話を聞いたけど、みんなも大変なんだってね」
そう言えば、十六号さんはお姉さんの小間使いに引き立てられているから、鳥の剣士さんとも顔を合わす機会が多くなっているに違いない。
「うん。まぁでも、みんなに比べればなんてことないよ」
私が答えたら鳥の剣士さんは嬉しそうに笑って
「そりゃぁ、頼もしい限りだ」
なんて言ってくれた。
それにしても、鳥の剣士さんがお姉さんから離れて移動しているのは珍しい。だいたいは何人かの部下を連れてお姉さんにくっついているはずなんだけど…
「お姉さんと一緒じゃないなんて珍しいね。何かあったの?」
私はふと浮かんだそんな疑問を鳥の剣士さんに尋ねてみる。すると鳥の剣士さんはああ、と思い出した様に
「盗賊団らしい人相をしたやつが城下に居るって防衛隊の連中から連絡が来てね。議長サンの指示で、街の警戒強化さ」
と教えてくれる。
盗賊団か…もしそれが本当なら、街の人達が強盗や盗みに巻き込まれちゃうかも知れない…
防衛隊の半分が出払ってる今は、親衛隊がその穴を埋める必要がある、ってこの間の話は私にも分かっていた。
「そっか。街の人達が心配だね…」
私が言うと、鳥の剣士さんも表情を引き締めて
「そうなんだ。俺達の街を荒らそうってんなら、容赦しないよ」
なんて言う。あの頃は、隊長さん達に「まだ若い」なんて言われていた鳥の剣士さんだけど、班長の任に就いてからはすごく立派に見える。
「頼もしいね」
私がそう言ってあげたら、鳥の剣士さんは嬉しそうな笑顔を見せて、
「ありがと。じゃぁ、行ってくる」
と止めていた足を踏み出した。
「気をつけてね!」
廊下を足早に歩いて行くその背中に声をかけると、鳥の剣士さんは律儀に私を振り返って
「あぁ!大丈夫!」
と応えて、階下へ続く階段を駆け下りて行った。
その姿を見送った私は、改めてワゴンを押して姫ちゃんのところへと廊下を進む。
廊下の窓から外を見やると、親衛隊の人達が隊列を作り、鳥の剣士さんの指示を聞いている。
みんな、お姉さんの理想に共感して街や私達を守りたいって言ってくれた人達だ。
魔法の力がなくなった今、これほど頼もしい存在はいない。だけど同時に心配でもある。
何かがあったときに、真っ先に危険になるのが防衛隊や親衛隊のみんなだ。
どうか、怪我をしないでね…死んだりなんかもしちゃ、ダメだから、ね…
私は窓から親衛隊の隊列を見下ろしながら、そんなことを胸の中で思っていた。
それから気を取り直して廊下を進み、お姉さんの私室へと到着する。いつも通りに静かにノックをして、ゆっくりとドアを開けた。
開いたドアの隙間からそっと首を突っ込んで中を覗くと
「あれ、幼女ちゃん?」
と零号ちゃんが私に気が付いた。
「離乳食、持ってきたよ」
私はそう答えながら、ギィっとドアを大きく開けてワゴンを部屋に引き込んだ。
姫ちゃんは、勇者様と一緒になって…なんだか不思議な踊りを踊っている。
「な、なに、あれ?」
私が思わずそう口にしたら、勇者様が私に気が付いたようで
「あ、まんま持って来てくれたの?ありがと」
と声を掛けてくれる。私は勇者様に
「ね、勇者様。それ、なに?」
と聞いてしまう。すると勇者様は
「あれ、幼女ちゃんも知らない?あたしのいた頃にはけっこうやってたんだけどな。体の成長を促す体操」
なんて言いって、聞き慣れない歌を歌いながらクネクネと奇妙に体を動かす。姫ちゃんも可笑しそうに笑いながら一生懸命それを真似しようとしていた。
踊り自体は奇妙だけど…た、楽しそうだからまぁ、いいか。
私はとりあえず目の前の光景に納得してドアを閉め、姫ちゃん用のテーブルにワゴンを引いてく。そこに零号ちゃんが駆けてきて、
「幼女ちゃん!私がやるから休まなきゃダメだよ!」
なんて言ってくれる。でも、私にはそんな零号ちゃんの後ろでソファーに転がって寝息を立てている妖精さんの姿が目に入っていた。
妖精さんは従徒じゃなく、一応政務官として侍女さん達のまとめ役もしている。
そのための書類や報告書、日用品や食材の購入計画なんかも建てなきゃいけない。
勇者様の“見張り”をしながらそんな仕事をするのは、やっぱりかなり大変な様子だった。
「私はちょっと寝なくってもまだ大丈夫。勉強出来ないのはちょっと困るけど、今はそんなことを言ってる時じゃないし、
寝るんだったらあそこのソファーでも寝れるしさ。それよりも妖精さんをちゃんと休ませてあげないと、侍女さん達が困っちゃうよ」
私の言葉に、零号ちゃんは戸惑った様子でソファーで寝息を立てている妖精さんを振り返った。
零号ちゃんはそのまま、何かを逡巡し始めてしまったので、私はその間に姫ちゃんの離乳食を準備する。それに気が付いた姫ちゃんが
「まんま!」
と声をあげて、覚束ない足取りでテーブルまでやって来た。
「ありがとね」
勇者様は私と零号ちゃんの会話を聞いていたけれど、ただの一言そうお礼だけを言ってくれる。
きっと内心は自分の仕事なのに、なんて思っているんだろうな、っていうのは表情をみれば分かった。
それを言葉にしないのは…たぶん、勇者様もそろそろ厳しいんだろう。
でも、今日は姫ちゃん朝から調子が良いし、きっと今夜はゆっくり眠れるはずだ。
私が妖精さんに代わったとしても、バタバタするのは姫ちゃんが寝入るまでの時間までだろう。
「まんましゅる!」
姫ちゃんは、昨日まではイヤイヤ言ってこれっぽっちも食べたがらなかった離乳食に興奮して、自分から勇んで小さなイスに腰掛ける。
それを見た勇者様は黄色い声で
「よぉし、姫ちゃん、いっぱいまんましようねぇ」
なんて言ってさっそくスプーン煮崩したパンとお芋を姫ちゃんの口に運んだ。
そんな二人を見ていたら、不意に零号ちゃんが心配げな様子で
「幼女ちゃん…ホントに平気?」
と聞いて来た。私は出来る限りの明るい笑顔で
「うん、大丈夫だよ」
と応えてあげる。すると零号ちゃんはまた、思い悩む顔をしてから
「辛かったら、私一人でも大丈夫だからちゃんと寝てね?」
なんて言う。私がそれに頷いてみせると、零号ちゃんも私にコクっと頷いて妖精さんが眠るソファーに踵を返した。
零号ちゃんは妖精さんを優しく起こし、部屋に戻ってベッドで寝るように促しだす。
妖精さんは寝ぼけた様子で零号ちゃんにふにゃふにゃと何かを聞いていた。
「まんまきた!」
「うんうん、今日は姫ちゃんすごいねー!」
姫ちゃんは相変わらずの調子だし、勇者様もなんとか、って様子で明るく振舞っている。
そんな様子を見ていたら、唐突に私のお腹がグゥと音を立てた。そうだった、私も夕ご飯食べようって思ってたんだっけ。
「零号ちゃん、私、夕ご飯もらいに行って来るね」
「えっ?あ…うん、お願い」
私は零号ちゃんとそう言葉を交わし、勇者様にも視線を送って了解をもらい、空になったワゴンを押して部屋を出た。
さっき来た廊下を戻って厨房へ向かい、給仕長さんに私と零号ちゃん、勇者様の分の夕ご飯を準備してもらって、ワゴンに乗せて部屋へと戻る。
表は、太陽が沈んでうすら暗くなっていた。
さっき親衛隊さん達の隊列を見下ろした窓から外を見ていたら
「あれ、どうした?」
と誰かから声が掛かった。
急だったので少し驚ろいて振り向いたら、そこにいたのは疲れた顔をしたお姉さんだった。
お姉さんの後ろには、親衛隊の隊員さんも二人控えている。
「あぁ、お姉さん。今、夕ご飯を部屋に持っていくところだよ」
私がそう答えたら、お姉さんは
「そっか」
なんて相槌を打ってワゴンに乗ったお皿に被った唐のかごを持ち上げてチラッと中身を覗き見る。
「ん、今日は魚か」
お皿の中身を確認したお姉さんは、そんなことを言って今度は私に目を向けた。
私の顔色を窺うようにして見つめたお姉さんは、ややあって私に尋ねてくる。
「姫の様子は?」
「うん、今日はやっぱりご機嫌みたい。今もまんま!って喜んで離乳食食べてるよ」
私が答えると、お姉さんはふぅん、と鼻を鳴らして私から視線を逸らす。それから、まるで内緒話でもするみたいに
「その…あいつの様子は?」
なんて聞いてきた。あいつ、なんて勇者様のこと意外には考えられない。
「内侍様は、けっこう疲れてるかも。今日は姫ちゃんがご機嫌で、午前中のお昼寝くらいしか寝てないから」
「姫のやつ、機嫌悪いと泣いて寝ないし、ご機嫌だと面白がって寝ないし、ホント、すごい体力だよな」
私の言葉に、お姉さんはそんなことを言って話を逸らそうとする。でも、私はお姉さんのそんなお姉さんの気がかりを知って思わず顔がほころんでしまう。
素直じゃないんだから、本当に…。
「あたしもそろそろ限界だし…魔導士も戻ってきてくれてるから、今夜はなるべく早くに戻るよ。
あいつにばっかり任せてて、姫があたしの顔を忘れたら大変だ」
お姉さんはそう言って、まるで私の追求から逃れるみたいに話を打ち切った。
でも、そう簡単に煙に巻かれる私じゃない。
「内侍様の心配してるの?」
「心配だね。あいつ、姫になにか変なことしようとしてないか?」
「そんなことしないと思うけど。あぁ、でも変な踊りは教えてたかな」
「へ、変な踊り?」
「そう、こう、クネクネって」
私がさっき見た踊りを真似して再現して見せたら、お姉さんはプッと噴き出して笑った。
「なんだよそれ。ホントに変な踊りだ。まぁ、それは別に良いけどさ、とにかく見張りはしっかり頼んだぞ」
お姉さんは笑顔になりながら私にそんなことを言ってくる。
私は、それでもお姉さんを逃がさない。
「見張ってるだけでいいの?」
私の質問に、何かを答えかけたお姉さんはグッと言葉を飲み込んだ。
それから、ふっと視線を宙に泳がせてから
「姫になんかあったら大変だからな。あいつが下手を打ちそうだったら、あんた達で修正してくれると助かるよ、姫が」
なんてうそぶいた。
もう、石頭。
私はお姉さんのそんな返事に、やっぱり頬が緩んでしまう。
お姉さんはそんな私の視線を浴びるのが居心地が悪いようで、宙に泳がせた視線を窓の外に投げていた。
と、ふいに、そんなお姉さんの視線がキュッと鋭くなった。
その変化に、私はなんだかハッとして全身を緊張させてしまう。
そんなわずかな間に、お姉さんは窓に飛びついてその向こうに目を凝らした。
「あれ…なんだ?」
お姉さんがそうつぶやく。それを聞いた私も我に返って、お姉さんの脇から窓の外を見やった。
方角的には、東だ。もうすっかり夜の闇にのまれている街から、何か白い筋のようなものがゆらゆらと揺らめいているのが見える。
あれ…何…?まるで、煙みたい…
「良く見えないな…この方角なら、部屋からの方が開けてそうだな」
そうつぶやくように言ったお姉さんは、すぐさま親衛隊さんの一人に
「おい、すぐに伝令か何かが来てないか確かめてくれ。あれ、煙に見えるんだ。何か分かったら、部屋に報告をよこしてくれ」
と伝えると
「行くぞ。あんたも来い」
と、もう一人の親衛隊員さんと私に声を掛け、足早に廊下を歩きだした。
親衛隊員さんは、慌ててそのあとを追う。私も、ワゴンをあまり揺らさないように気を付けながら速足で廊下を歩き、勇者様たちが待つ部屋へと駆け込んだ。
「お姉ちゃん、どうしたの!?」
部屋では、すでに東側の窓に張り付いているお姉さんが居て、零号ちゃんがそれに戸惑ったように声をあげていた。
妖精さんの姿はない。どうやら部屋に戻ってくれているようだ。
姫ちゃんは、お姉さんのそんな様子を不思議そうに見つめながらも、勇者様が差し出したスプーンに口を付けている。
そんな勇者様も、零号ちゃんと同様に戸惑った表情をしていた。
「煙に間違いないようですね」
お姉さんと一緒になって、窓の外を見た親衛隊員さんがつぶやく。
「ああ、そうらしい…まったく、変なことでないといいんだけど…」
それを聞いて、お姉さんはそう言い、ふぅ、とため息をついた。
こんな状況で面倒なことが起こると、疲れが余計にひどくなる。
お姉さんがため息をつく気持ちは良く分かった。
でも、そんな私の心配もつかの間、コンコン、と部屋をノックする音が聞こえて、さっき廊下で別れた親衛隊員さんが部屋に姿を現した。
お姉さんの姿を確認するや、隊員さんは姫ちゃんに気を使ってか、控えめな声色でお姉さんに報告した。
「二の壁外で火の手の報です。焼けているのは、荷馬車宿の飼い葉倉庫とのこと。大尉様がすでに現場に急行されました。魔導士様が指示をお待ちです」
火の手…?
それって、つまり…
「か、火事…?」
零号ちゃんがそう言って息を飲んだ。
私も、喉が詰まるような感覚がして、ゴクリと唾を飲み込んでしまう。
「飼い葉倉庫はまずいな…延焼が速いぞ」
「議長様、あの辺りは木造の建物が密集しています」
「分かってる」
隊員さんの言葉にそう答えたお姉さんは、一瞬、私達に視線を投げてから宙をにらみ、そして二人の隊員さんに言った。
「本部内の親衛隊に非常招集を掛けろ。第一から第三分隊はここに残って警護だ。門戸は閉じて、外部からの出入りを警戒させろ。
第四から第九分隊には魔道士を指揮に長槍を準備して現場に向かうようにさせてくれ!第十分隊には、各所の防衛小隊へ伝令。
持ち場から半数を割って二の壁東門に集合し、あたしの指揮に従うよう伝え!」
「はっ!」
二人の隊員さんは、そういうが早いか部屋から駆け出て行った。
それを見送るや、お姉さんは無造作に着ていた儀礼用のマントを脱ぎ、さらには服まで脱いで、下着姿になった。
「零号、あたしの軽鎧を出してくれ」
お姉さんは、衣装入れから綿の鎧下を引っ張り出して着こみながら、零号ちゃんにそう頼む。
「う、うん!」
零号ちゃんはそんなお姉さんの声にハッとして、衣装入れの隣にあるお姉さんの装具入れから軽鎧を出し始めた。
「幼女、パン一切れ取ってくれ!」
「え、あ!うん!」
私は、お姉さんに言われて少し焦ってしまったけれど、気持ちを落ち着けてワゴンに載っていたカゴからパンと、
それから流し込みやすいようにと冷茶を陶器のポットのままひっつかんでお姉さんの下に走る。
お姉さんは椅子に腰かけ、零号ちゃんに手を借りながら軽鎧を慣れた手つきで身に着けていく。
そんなお姉さんの口に、私はパンを差し出してあげる。
お姉さんは、姫ちゃんがしているみたいにパンに噛り付くと口いっぱいにほおばって、ポットのお茶を欲しがった。
私がポットを差し出せば、お姉さんはその注ぎ口に直に口を付けて、ゴクゴクと飲み下してさらにパンを要求する。
それを何度か繰り返しているうちに、軽鎧は着込み終えた。
「マント!あと、一応剣も!」
お姉さんの言葉に、零号ちゃんが阿吽の呼吸で装具入れからマントを取り出すとお姉さんに手渡し、
さらに皮のベルトに通された剣を引っ張り出すと、お姉さんの腰に腕を回して素早く取り付ける。
マントを羽織り、腰の剣の位置を整えたお姉さんは、そのまま素早く立ち上がった。
「零号、幼女、姉ちゃん、姫を頼む。十六号と十七号を残していくから、なにかあったらここへ呼びつけろ」
お姉さんはそう言い残すと、マントを翻らせて部屋を飛び出して行った。
零号ちゃんも、私も、もちろん勇者様も、バタン、と閉まるドアを、なんだか茫然と見つめていた。
火事、か…まさかこんな時にまた騒ぎがあるなんてな…
私は、部屋を出て行ったお姉さんのことが急に心配になり始めてしまった。
あんな状態で、現場で倒れたりしないといいんだけど…
「火事って…大丈夫かな?」
そんな私とは違った心配をしていたらしい零号ちゃんが、不安げな表情でそう口にする。
確かに、それもそれで心配だ…少なくとも二の壁の外で燃えているんなら、内側への延焼はよほどの大火事にならない限りは大丈夫だとは思うけど、
だからと言って、二の壁の外が重要でないわけではない。
東門のあたりということは、旅客が寝泊まりする宿や、交易の窓口をしている建物だってある。
もちろん、そういう人達を相手にして食事を出したり小物を売ったりしているお店だってある。
たくさんの人が住んでるんだ…心配しない方が無理に決まっている。
でも、それを口にしたところで、状況が変わるわけでもない。
私は、胸にこみ上げた不安を押し込めて、お姉さんが食べ残したパンを零号ちゃんの口にねじ込んだ。
「んぐっ!?」
「今は、夕ご飯を食べておこう…今は、私達に出来ることはきっとない。
でも、火事が収まれば親衛隊の人達やお姉さん達が疲れて帰ってくる。
収まらなかったら、街の人達を非難誘導するのに人手がいる…
私達は、そのときに備えて、食べるもの食べて体を休めておかないと」
私は、口の中のパンを一生懸命に飲み込もうとモゴモゴ言っている零号ちゃんにそう言った。
やがてパンを飲み込んだ零号ちゃんは、なぜだか少し苦しそうに息をついてから
「…うん、そうだね…」
と、唇をキュッと食いしばって答えてくれる。
私は、そんな零号ちゃんの肩を思わず抱きしめていた。
苦しい気持ちも、不安な気持ちも、私にだってある。
でも、それに流されてはいけない。
また、あの時のように大切なことを見誤ってしまいかねない。
だから、私は私ができる確実なことだけを選ばなきゃいけないんだ。
それはとても苦しいことだけど…こうして、同じ気持ちでいてくれる仲間がいる。
それだけで私は、せり上がってくる焦燥感や、それを抑え込む苦しさとだって戦えた。
私はすぐさま夕ご飯の準備をして、零号ちゃんと一緒に、姫ちゃんに離乳食をあげながらの勇者様と四人して手早く食事を済ませた。
太陽はすっかり沈み、窓の外には月明かりが照り始める。
二の壁の東門の方角に上っていた煙は、食事を始める前に比べると幾分か細く薄らいでいるようにも見えた。
火事、収まったのかな…そうだといいんだけど…
そんなことを思いながら、私は食器をまとめてワゴンに乗せる。
姫ちゃんはお腹がいっぱいになったからか、食べ終えてから少ししてコクリコクリと船をこぎはじめ、食事を終えた勇者様に抱かれて早くも眠りに落ちていた。
「やっぱり、今日はご機嫌だね」
勇者様が不安を隠せていない顔を無理矢理に笑顔を浮かべて言いながら、姫ちゃんをベッドに横たえる。
「うん、今日は寝れるといいね…火事が収まれば、だけど…」
私と一緒に、食器の片づけをしてくれていた零号ちゃんがそう答えながら窓の外に目を向けた。
「煙、少し収まってきてない?」
どうやら、零号ちゃんにもそう見えるらしい。
「うん、そうだね…大事にならなくて済みそう」
私は、零号ちゃんの言葉に自然とそう思えて、ホッと息を吐き出していた。
でも、そんなとき、不意に零号ちゃんが片付けの手を止めて、まるで固まったように動かなくなった。
首だけをゆっくり動かした零号ちゃんは、ややあって視線を宙に漂わせる。
「どうしたの、零号ちゃん…?」
私は当然、そんな零号ちゃんに戸惑ってそう尋ねた。
すると零号ちゃんは、シッと人差し指を立てて目を閉じる。
それからすぐに
「何か、聞こえない?」
と私を見つめて言って来た。
「え?」
私はそう声を漏らしながらも、手を留めて耳を澄ましてみる。
―――!
本当だ。
「今の、何?」
私は、零号ちゃんを見やってそう聞いてみる。
すると零号ちゃんは、もう一度目を閉じ、さっきよりも少し長い時間、耳を澄ませてみせた。
―――!
――!
―――!
誰かの声だ。
ううん、それだけじゃない。
何か、甲高い音がとぎれとぎれに聞こえてくるような気がする。
私がそのことに気が付いたとき零号ちゃんは持っていたお皿をテーブルに戻して、はじけ飛ぶようにして床を蹴ってお姉さんの装具入れに飛びついていた。
零号ちゃんは装具入れからお姉さんの予備の剣を引っ張り出して腰にベルトを回すと、鬼気迫った表情で剣を引き抜く。
次の瞬間、ドカン、と音がして部屋のドアが勢いよく開いた。
同時に、何かが部屋の中に転がり込んで来る。
零号ちゃんは素早く剣を構えるのを見て、私は気が付いた。
何かが、起きてるんだ…!
ハッとして姫ちゃんの方に走ろうとして、私は転がり込んできた“何か”を見やり、そして足を止めた。
部屋に入ってきたのは、肩で息をしてうずくまっている妖精さんだった。
「よ、妖精さん…?どうしたの…?」
「…賊が入り込んでる!」
そう訴えた妖精さんの寝間着は、血に濡れていた。
「ぞ、賊…!?」
私が戸惑う間に、零号ちゃんが緊張した様子で
「妖精ちゃん、ケガは?」
と尋ねる。
「これは親衛隊の班長補佐さんのです…私は平気です!でも、補佐さんが…補佐さんが…!」
妖精さんは、目に涙を浮かべながら一生懸命にそう訴えた。
それを見て、補佐さん何があったのかを分からないほどのんきではなかった。途端に緊張で胸がギュッとしまり、呼吸が苦しくなってくる。
心臓が耳で気消えるほど大きく脈打ち、私は震え上がりそうになる体に必死に力を込めた。
この街に賊…きっと、ここの所話題に出ていた盗賊団に違いない…でもまさか、この本部に直接乗り込んでくるだなんて…
確かにここは今は、各地に防衛隊の人達が出払っていて手薄だ。
それに、火事の騒ぎでさらに人数が少なくなっていた。
…火事…?
もしかしたら、あの火事、って…!
私はそのことに気づいて零号ちゃんを振り返った。
零号ちゃんも、私と同じ結論に辿り着いていたらしい。
くっと歯噛みをして
「あの火事、陽動だったんだ…!」
とつぶやいた。
「議長様!」
「お早く!ここは我らが!」
「十六姉!十六姉、しっかりしろ!」
次瞬間、そう叫ぶ声が聞こえた。ハッとして目をやると、ドアの向こうに十七号くんと肩を担がれた十六号さんが姿を見せる。
さらにその後ろから、お姉さんとお姉さんに担がれた親衛隊員の人。
そして、最後尾には、鳥の剣士さんともう一人、別の親衛隊員さんがいた。
みんな妖精さんと同じようにあちこちに血がべっとりと着いている。
「十六号お姉ちゃん!」
そう叫んだ零号さんちゃんが剣を鞘に戻して、十六号さんの下に駆け出す。
私も慌ててそばに駆け寄ると、十六号さんは肩当たりから大量の血を流していた。
「十三姉、ごめん…!俺がもう少し早く気付いてたら…!」
十七号くんが歯噛みしながらそう報告する。お姉さんは額に浮かんだ玉の汗をぬぐいながら
「いや、これはあたしの落ち度だ。それより十六号、具合いは…?」
と、まずは十六号さんの様子を聞いた。
「へ、平気…一薙貰っただけだよ…骨もハラワタも無事だ…」
そう答えた十六号さんの表情は、痛みに歪んでいる。
「よし…気をしっかり持てよ。おい、お前もだ、しっかりしろ!」
お姉さんはそう言いながら、担いでいた親衛隊員さんをドサッと床に寝かせた。
親衛隊員さんは十六号さんよりも重傷で、斬りつけられたらしい腕から白い骨が顔を覗かせ、肩の刺し傷からも出血がある。
「妖精ちゃん、幼女、二人の手当てを頼む!」
「うん!」
「は、はいです!」
私と妖精さんはそう返事をして、ベッドからシーツを剥いでいつも提げているダガーで切って包帯にし、十六号さんと親衛隊員さんの傷口を抑える。
それを確かめたお姉さんは
「剣士、すぐにあいつらを援護に行く!着いて来い!」
と鳥の剣士さんに命令した。
「ダメですよ、議長サン」
でも、それを剣士さんが押しとどめる。
「見殺しにしろってのか…!」
「犬死にするつもりなんですか?やつらが何のためにあそこに残ったと思ってんです!」
鳥の剣士さんは食って掛かったお姉さんにそう言い返すと、
「坊主、本棚とベッドだ。とにかく、この扉を塞いで時間を稼ぐ」
と十七号くんに指示を飛ばした。
「よし、やろう…」
十七号くんは、一瞬、悔しそうに顔をゆがめたけれど、すぐさまキリっとした表情を浮かべてそう返事をし、鳥の剣士さんと無事だった親衛隊員さんと一緒に、部屋にあったベッドを動かし、本棚を倒してドアを塞いだ。
私と妖精さんも、ひとまず止血の処置だけは終えて、一息つく。その様子を確かめて、零号ちゃんがお姉さんに聞いた。
「お姉ちゃん、何があったの…?」
「あの火事…防衛隊の連中をここから引き剥がすための罠だったらしい…魔導士が分隊を率いて出てった直後に裏門から入られたみたいだ。
あたしが火事の件の情報を伝令に聞いてる間に階下が襲撃されて半壊だ。十七号、数はどれくらいいた?」
「ごめん、不確かだ…俺が気付いたときには、部屋の周辺に配置されてた親衛隊の連中は軒並み二、三太刀食らって事切れてた。
十六姉を助けるのに三人斬ったけど、たぶん、あいつらだけじゃないと思う…剣士さん、そっちは?」
「こっちは議長サンに張り付いてたんで、君と筆頭ちゃん達と合流するまで遭遇はなかった。でも議長サン、こいつは…」
「ああ。本部に残ってた親衛隊の連中はどれも一対一で簡単に打ち取れる相手じゃない。盗賊団なんて言う割に、それなりの数を揃えて来てるか…」
お姉さんは、そう呟いて一瞬だけ逡巡する。そして次の瞬間には
「幼女、火の焚き方、まだ覚えてるか?」
と聞いてきた。
思わぬ質問に私は
「えっ?お、覚えてるけど…」
と意図を汲み取れずに戸惑う。でも、お姉さんはそんな私を落ち着かせるように、的確な指示をくれた。
「姫のベッドを壊していいから、あれで火種を作ってバルコニーで毛布でも何でも燃やしてくれ。火と煙で外の防衛隊の連中に知らせる」
「わ、分かった!」
私はお姉さんにそう返事をする。
次いで、お姉さんは十七号くんと剣士さん達に
「…との障壁、こんな程度じゃ破られるな。剣士、十七号。あっちのソファーと、テーブルもだ。
零号も手伝ってくれ。とにかく積んで時間を稼ぐほかにない」
と指示を飛ばす。十七号くんに剣士さん、親衛隊員さんに零号ちゃんがお姉さんにうなずいて返した。
そして、それを確かめたお姉さんは最後に勇者様をまっすぐに見つめて言った。
「それから姉ちゃん。姫を頼む。あいつは、あたしとサキュバスの宝物だ」
勇者様は、お姉さんのそんな言葉に微かにも動揺せず、同じようにお姉さんをまっすぐ見つめ返し
「分かった」
とただの一言言って頷いた。
「うおおぉぉぉぉ!」
突然に、廊下の方からけたたましい雄叫びが聞こえ出す。盗賊団だ…こ、ここへ来るつもり…!?
「急げ!」
それに気付いたお姉さんが、私を見やって叫ぶ。
「うん!」
私は返事をするや、勇者様と赤ちゃん用のベッドに駆け出して、勇者様は姫ちゃんを毛布で包んで抱きかかえる。
私は木で出来た柵を思い切り蹴飛ばして壊し、二本の木の棒と、それから姫ちゃんが使っていた羽根の布団握りしめてバルコニーへと飛び出した。
お姉さんたちはソファーやテーブルを閉じたドアの前に折り重ねて障壁を作っている。
危険から身を守ろうと思えば、戦うよりも確実な方法だ。
私はそんな様子を視界に収めながらバルコニーで持ってきた木の手すりのように平たくなった方を下に置き、
丸い形をした支柱の方をその上に立ててゴリゴリと桐もみするように擦り始めた。
この方法は、火種を作るには時間が掛かる…半刻とは言わない…せめて、四半刻あれば、なんとかなる…!
私はそう考えながら、ひたすらに木を擦り続ける。
そうしている間にドアの外には盗賊団到達したの、ドンドン激しくドアを叩く凶悪な音が室内に響き始めた。
「議長サン、下がってて!」
「そうだ!十三姉、下がってろ!」
「なにぃ?あんたこそ下がれ、十七号!」
「良いから下がれよ、姉ちゃん!姉ちゃんは魔法がなくなってから忙しくて満足に剣なんて振れてないだろ!?
魔力で身体能力を強化してやるのとは勝手が違うんだよ!今なら俺のほうが戦える…!
そのために、二年も兵長さんに稽古付けてもらってきたんだ!」
「生意気になった!あたしだって、小さい頃から生身の戦闘訓練は受けてんだ!今更あんたに遅れは取らない!」
十七号くんとお姉さんはそんな怒鳴り合いしながらも、障壁を抑えようと必死になっている。
妖精さんはケガをした十六号さんと親衛隊員さんを部屋の隅へと運んでいた。
勇者様は、姫ちゃんを抱きかかえ、毛布に包んでドアをたたく音を遮ろうとその耳を塞いであげている。
そんな中で、障壁を抑えていたお姉さんが、そばにいた零号ちゃんを捕まえてた。
「零号…大事なことを任せるぞ」
「なに!?なにすればいい!?」
なんでもする、とでも言いだしそうな零号ちゃんに、お姉さんは言った。
「姫と、姉ちゃんの直掩に着いてくれ。頼むぞ」
「ね、姉ちゃん…?」
その言葉に零号ちゃんは明らかに戸惑ったような表情を浮かべた。お姉さん零号ちゃんが意味を汲み取れなかったと思ったのか、
「あいつだ、あいつ。勇者様をだよ!」
と言うが早いか零号ちゃん背を押して勇者様の元へと向かわせる。
この間から、何度かそう呼んでたもんね。お姉さんにとっては、やっぱり勇者様はお姉ちゃん、なんだ。
勇者様って存在でもないし、世界こととか裏切りとか、そういう大きなことが二人の間にあるわけじゃない。
たぶん、私が感じたことに間違いはない。
お姉さんはきっと、何か自分のお姉ちゃんが自分働いた不誠実に怒っているんだ。
そんな場合でもないのに、私は火種を起こしながらそんな事を考えていた。
でも、それもつかの間だった。不意に、ドカンと言う衝撃音と共にメリメリっとドアから何かが飛び出してきた。
それは、明らかに斧か何かの刃先だった。
ドカン、ドカンと言う大きな音がするたびに、メリメリとドアが音を立て仕舞にはドア中保大きな穴が空いてしまう。
その向こうには、鎖帷子や胸甲なんかで身を固めた男の人達の姿がある。あのドアは、そうは持たない…
一度種火布団やじゅうたんに移せれば、負けないくらいに良く燃えてくれるはず…そう、だから、急がなきゃ…急げ…急げ…!!
私はもう、そのことだけを考えて一心不乱に木を擦り合わせた。
でも不意にドスンと大きな音が聞こえて顔をあげると、そこには障壁共々打ち壊され押しのけられたお姉さんたちの姿がある。
そして廊下からは、黒い服装に身を包んだ男たちがゾロゾロと部屋に入り込んできていた。
つづく。
え、残りレス数?
大丈夫。あと50あれば書ききれる(たぶん)。
おつおつ!
次スレ建ててずっと続けてもいいんだよ!
ドカン、ドカンと言う大きな音がするたびに、メリメリとドアが音を立て仕舞にはドア中保大きな穴が空いてしまう。
その向こうには、鎖帷子や胸甲なんかで身を固めた男の人達の姿がある。あのドアは、そうは持たない…
一度種火布団やじゅうたんに移せれば、負けないくらいに良く燃えてくれるはず…そう、だから、急がなきゃ…急げ…急げ…!!
私はもう、そのことだけを考えて一心不乱に木を擦り合わせた。
でも不意にドスンと大きな音が聞こえて顔をあげると、そこには障壁共々打ち壊され押しのけられたお姉さんたちの姿がある。
そして廊下からは、黒い服装に身を包んだ男たちがゾロゾロと部屋に入り込んできていた。
「ほほう、なかなか良い暮らしぶりじゃねえか、救世の勇者」
男達の一人が部屋を見回してニタリと笑みを浮かべる。その男にお姉さんは素早く引き抜いた剣の切っ先を突きつけた。
「あたしの部下を斬ったらしいじゃないか。その上、大事な妹にケガもさせたな…あんた達、生きて帰れると思うなよ…」
そう低い声で言ったお姉さんだけど、男はそれを聞いて可笑しそうに笑い声をあげる。
「さすがは救世の勇者、言うことがでかいな。だが、本当にその人数で俺達全員の相手が出来ると思うか?」
男の言う事はもっともだった。部屋に踏み込んで来ているのだけでも十人以上はいる。その上、廊下からはまだ無数の喚き声が聞こえていた。
いくらお姉さんが勇者としての豊富な戦闘経験があったとしても、今は魔法の使えない一人の人間だ。
よほどの力量の差がない限り、無事で済むとは思えない。
だけどお姉さんはそれを聞いても顔色一つ変えずに
「やってみるか…?」
とやおら剣を構えて見せる。それに習うように、隣の十七号くんも剣を構えた。
鳥の剣士さんも、無事だった士長さんも剣を抜き、お姉さんの前へと踏み出す。
あのときと同じだ。
相手の数は圧倒的。それなら、部屋の入口の狭いところで敵を迎え撃つしかない。
そうでもしないとたぶん、私達に勝ち目はない。
さっき十七号くんが言った通り、お姉さんは魔法がなくなってからは政務が忙しくてまともに剣を振るった機会がほとんどないはずだ。
どちらかと言えば、今は二年間鍛錬を積んだ十七号くんや鳥の剣士さんの方が頼れるかも知れない。
それでも、勝てるかどうか、と言われたら、圧倒的に技量差があるとは思えなかった。十七号くんの剣技が鋭く卓越してるのは知ってる。
でも、それでも兵長さんには及ばず、ちょうど、親衛隊の班長さん級が抱える部下の上級士官の人達と同じ程度だ。
鳥の剣士さんも班長として親衛隊を率い、巧みな剣裁きができるのを知っているけれど…
それでも、上級士官の人達多くがこの本部の警備に着いてくれていたのに、ここへ盗賊団は踏み込んで来た。
数のせいなのかそれとも盗賊たちの力量のせいなのか、ともかく下の階の守備を突破してきたこの盗賊団の攻撃をたった四人で支えきるには限界があるだろう。
私は、お姉さんにやめてと叫びそうになるのを必死に堪えていた。お姉さんは戦いに関しては私なんかが想像できない程に知識がある。
この状況で、勝てる方策があるのかもしれない。勝てなくても足止めさえ出来れば、私が火を付けて、防衛隊の人達を呼び寄せられる。
それに、怪我をしている十六号さんとそれ付き添っている妖精さん、そして姫ちゃんを抱きかかえた勇者様とそれを守る零号ちゃんに盗賊団の意識が向けば、
その白刃に零号ちゃん以外は抵抗する暇もなく斬られてしまうだろう。
部屋の出口は男達が入って来たあの場所一つ。逃げ場はない。どの道、ここを切り抜けるには誰かが戦う他にない。
お姉さんはそれを分かって、覚悟を決めて自分達に盗賊団引き付けようとしているに違いない。
だから私は、お姉さん制止する代わりに必死になって木を擦り続けた。
急げ、急げ、急げ…!そう自分に何度も言い聞かせて、とにかく目の前作業に集中する。
「さぁ、やれると思うんなら掛かって来いよ。救世の勇者の首をとったとありゃ、悪名も大陸全土に轟くぞ?」
お姉さんなおもそう言って剣を構えた姿勢で、射抜くような鋭い視線を盗賊団に向ける。
その佇まいからは、魔法が使えるはずなんてないのに、あの強力な勇者の紋章の力が溢れ出てきているのと同じくらいの強烈な気迫が感じられた。
「…な、なるほど…覇気だけは、確かに並じゃねえな…」
そう言った男はスラリと腰の剣を引き抜き、そして叫んだ。
「掛かれ!」
途端に部屋の中にいた盗賊団だ一斉にお姉さん達に斬り掛かった。
お姉さんは一太刀目を剣の腹で滑らせて往なし、ガチャっと刃立ててその男を一薙切り捨てる。
次いで二人同時に振り下ろされた剣をマントを翻して躱すと、一人を蹴りつけ、そしてもう一人肩を切っ先で突く。
さらに背後から斬り掛かった男の剣を、素早く引き抜いた鞘の装飾の部分で受け止めると、足元から斬り上げた。
男は脚の付け根から肩へと袈裟がけ斬られて床へと昏倒する。
十七号くんも負けてはいなかった。襲いかかって来る盗賊団剣を躱しては斬りつけ、受け止めては体術で吹き飛ばし、
その隙を付いてきた別の男の剣を素早い動きで振り上げた剣受け止め、腰に下げていたダガーをその胸に突き立てる。
そんな十七号くん死角から、先ほどお姉さん蹴飛ばされた男が短剣を握って十七号くんへと突撃する。
それにいち早く気づいたお姉さんが剣を伸ばして男の足元を引っ掛けた。
「おい、頼むぞ!」
お姉さんがそう言うやいなや、十七号くんは
「分かってる!」
と言いながらお姉さんに向かって剣を横薙振った。
それをしゃがんで躱したお姉さんの背後で、お姉さんの隙を狙っていた別の男が十七号くん剣胸に突き立てらて、床にドッと倒れ込む。
そんな二人が床を転げると同時に、鳥の剣士さんと士長さんが盗賊団に斬りかかった。
剣士さんは二本の細身の剣を振るい、まるで踊るような足さばきで軽やかに盗賊団を剣の刃で次々と撫でつけていく。
士長さんも十七号くんに勝るとも劣らない鋭い剣さばきで、盗賊達を入口にくぎ付けにしている。
正直、想像以上だった。
四人ともすごい…お姉さんは二年も剣をちゃんとやってない様には見えないし、十七号くんもけっしてただ見習い隊員には思えない。
鳥の剣士さんも士長さんも、盗賊団相手に一歩だって引けを取っていない。
これなら…大丈夫…!私はそう信じて、擦っていた基の板に目を向ける。そこには赤々と輝く火種が完成してた。
私は傍らに置いておいた布団を引っ張ってきてダガーでそれを破り、中から出てきた羽毛一握り引っ掴んで出し、種火上にそっと盛って静かに息を吹きかける。
チリチリと音がし始めて、やがて火種は大きくなり、私が盛った羽毛を包み込む炎上がった。
私はその火種を破った口突っ込んで、今度はさっきよりも少し強く息を吹き込む。
再びチリチリと音がして、布団の外布が焦げ付き破れて、布団の外に微かな炎が目を出した。
私はさらにタッと部屋を駆け、壊れた姫ちゃんのベッドの柵の残りを持って戻ると、
火の点っている布団の中に何本かを突っ込んでもう何度か息を吹き込む。
すると最初は微かだった煙が徐々に多くなり、布団の中で柵の木にも火が灯った。
私はそれをバルコニーギリギリのところまで引っ張り出して、柵の残りの全てを火の中に焚べ、さらに息を吹き込む。
布団からはみるみる炎と煙が上がり出した。
よし、できた…!これならきっと、街の人や防衛隊が気づいてくれる…あとは少しでも長くここを持ちこたえれば…
そう思って私が顔をあげた時だった。
背後からの剣撃を察知したお姉さんが身を翻した瞬間、マントがはためいたその向こうから、短剣を持った男がお姉さんに飛びかかった。
背後にいた盗賊を斬り倒したお姉さんは、そのせいで突撃へ対応が遅れた。
「あっ!…くそぉ!」
グラリ、とお姉さんの体が崩れかける。
「議長サン!」
鳥の剣士さんが身を翻してお姉さんに剣を振り上げていた別の盗賊に剣を突き出す。
お姉さんも素早く体制を立て直して剣を振るい、突撃してきたその男を地面に斬り沈める。
でもお姉さんの左肩には短剣による切り傷があり、そこからドクドクと勢い良く出血が始まっていた。
「十三姉!」
「余所見するなバカ!」
お姉さんを見やってしまった十七号くんは二の腕を剣で撫でられた。ガチャリと十七号くんの手から剣が取り落とされる。
「さがれ、坊主!」
「班長!」
鳥の剣士さんがそう叫ぶのと、士長さんが剣士さんに警告を発するのとは同時だった。
剣士さんはハッとして横から飛んできた盗賊の攻撃を受け止めるために剣を構えるけれど、
その武器…メイスは、剣士さんの細身の剣をへし折って剣士さんの腕にめり込んだ。
ミシッと、骨のきしむ音が私の耳にまで聞こえてくる。
膝から崩れかけた剣士さんを庇うようにして躍り出た士長さんは、剣士さんに殺到した攻撃を防ぎきれずに脇腹と腕を剣で撫でられてしまった。
「手こずらせてくれる…」
盗賊団の一人が肩を上下させながら辺りを見回してそう吐き捨てるように言う。
お姉さん達の周りには、四人に斬られて床を転げる盗賊が十数人。それでも、まだ無傷の盗賊団はその倍くらいはいる。
盗賊団の一人がお姉さんに剣を突き付けて言った。
「さて、救世の勇者。宝物庫在り処を吐いてもらおうか?街から巻き上げた金がうなってるって話だが?」
「ふざけるな…あれはこの街に集まってきた連中が、この街のために少しずつ出し合った金だ。あたしらの私財とは違うんだよ。
あんた達なんかに渡せるもんか…」
お姉さんは痛みに顔を歪めながらもそう言い返す。だけど、もうお姉さんは十分に戦える状態じゃない。
剣士さんは腕の骨を折られてしまっているようだし、士長さんは一番の重傷だ。
十七号くんは剣を拾えばまだ振れるかも知れないけど、全員相手にするには荷が重すぎる。
「良いからとっとと吐きやがれ。でなきゃ順番に殺して行くぞ?時間もねえらしいからな」
盗賊の男が私の背後で燃えている布団を見やっそう言った。
バルコニーの炎は勢い良く燃えている。もう少し…もう少しだけ時間があれば良い…そのために私が出来ることがあるとしたら、それは…
私は体に力を込めて震えを押さえ込み、首に下げていた、勇者様から貰った白玉石をギュッと握り込んだ。
こんな程度の魔力では、私なんかが戦うのは無理だ。お姉さんでも、剣を振れるくらいまで傷を回復させるには時間が掛かるだろう。
剣士さんも同じだし、士長さんはこんな程度の魔力を使ったって傷がふさがるかどうかが怪しい。
もし渡すのならせめて怪我の軽い十七号くんか、零号ちゃんが良い。
その機会を伺うために、固まり掛けた思考をもう一度走らせ始めたそんなときだった。
「待って!」
そんな叫び声がして、盗賊達とお姉さんの間に割って入る姿があった。
「おい、何してる…!」
その後ろ姿に、お姉さんが声を漏らす。お姉さんを庇い、盗賊団の前に立ちはだかったのは、勇者様だった。
「んん?なんだ、女?」
盗賊の一人が剣の切っ先を勇者様に突きつける。
「お金は渡す。それで不満なら、あたしを連れて行け。この体、遊ぶなり売るなり好きにしていい」
「ほう、殊勝だな。テメエを犠牲にこいつらを救おうって?」
勇者様の言葉に、盗賊はそう言いながら切っ先で勇者様の服の胸の辺りをピッと引き裂く。
ハラリと服がはだけて、勇者様の胸元があらわに晒された。
「おい、勝手なマネするな!」
お姉さんが勇者様にそう叫ぶ。でも、勇者様は少しも動じずに盗賊達に視線を送って
「どうだ?悪い話じゃないだろう?」
と言ってみせる。盗賊達は、それを聞いて少しざわつき始めた。
私は、その隙に部屋の中に視線を走らせる。
勇者様は、私が白玉石を持っているのを知っているんだ。
たぶんこれは自分に注意を引き付けて、お姉さんや十七号くんか零号ちゃんに石を渡しやすいようにしてくれているに違いない。
事実、盗賊団はざわつきながらも勇者様に意識を奪われている。今が絶好の機会だ。
私の視線が捉えた零号ちゃんは、勇者様が預けたんだろう、毛布に包まれた姫ちゃん抱きかかえている。距離は、十歩程。
石渡すのは放れば済むけど、零号ちゃんが戦うとなると、姫ちゃんは私が直接零号ちゃんから引き受けなきゃならない。
腰に剣を下げている零号ちゃんを自由させるような行動は、この状況でも見咎められる危険がある…
私は今度は十七号くんに目を向ける。二の腕の傷の部分を押さえながら、自分に剣を向けている盗賊の動きを見逃すまいと睨み付けていた。
十七号くんはさすがに盗賊に近すぎる。私からは零号ちゃんより離れているし、目の前に盗賊がいるのに石を放って渡すわけにはいかない。
やるなら、手当てをする振りをして近付くとか、それくらいのことが必要だ。それは、零号ちゃんを自由する以上に盗賊を刺激するだろう。
状況的に、渡すなら零号ちゃんだ。投げて渡すか…そっとそばに行って、姫ちゃんと交換する様に渡すか…
どのみち姫ちゃんは預からなきゃいけないんだ、直接手渡しに行った方がいい。
何か、自然に零号ちゃんのそばに行けるようなきっかけさえあれば…
「お頭。どうします?」
「…金の在り処は?」
お頭、と呼ばれた盗賊の一人がそう言って短剣を抜き勇者様に突き付けた。
「あたしを連れて、全員ここから出てくれれば案内する。この子達の安全約束してくれないのなら、死んでも口は割らない」
勇者様は、低い声で盗賊団の首領らしい男にそう言う。
「あんた!ふざけんじゃない!勝手なことをすんな!」
お姉さんがそう怒鳴り声をあげるけれど、別の盗賊に首元に剣を突きつけられて歯噛みして押し黙った。
そんなお姉さんをよそに、首領の男はふん、と鼻で笑った。
「茶番だな」
そう言った首領は、勇者様の腕を掴んで引き寄せると、お姉さんに見える様に羽交い締めにし、喉元へと短剣を突き付ける。そして
「救世の勇者、この女が最初の犠牲者だ。在り処を喋る以外のことを口にすれば次を選ぶ」
と端的に言った。
もっともな言葉だった。盗賊はお金が欲しい。それ以外のことはオマケに過ぎない。
力を使って目的を最短、確実に達成するのなら、余計なことは考えずに最も効果的な手段を取る。
首領の言葉は、盗賊として一番利に叶った選択だった。私達にとっては、それがいかに無慈悲なものだったとしても。
そしてその選択は、私がそれ以外の選択を取る余裕を奪い去った。
私は左手握った石に意識を集中させた。体に暖かな力が流れ込んでくる。
その力を全身に漲らせた私は、腰に下げていたダガーを引き抜き、首領目掛けて投げつけた。
同時に、ダガーに風の力をまとわせて一気に弾き飛ばす。
ダガーは、勇者様の首に短剣を突き付けていた首領の額の真ん中に、鈍い音を立てて突き立った。
「あぁ…?」
そう声を漏らせた首領は、そのまま膝から床に崩れ落ちる。誰もが、その瞬間の出来事に唖然として固まった。
ただのひとり、十七号くん以外は。
「だあぁぁっ!」
十七号くんはそんな雄叫びとともに床に落ちていた剣を拾い上げると自分に剣を突き付けていた盗賊の腕を薙ぎ払った。
空中に盗賊の腕が舞い、血しぶきがほとばしる。
「姉ちゃん、下がれ!」
さらにもう一太刀、そばにいた盗賊に浴びせかけながら十七号くんが叫んだ。
「立って!早くっ!」
それを聞いた勇者様がすぐさまお姉さん抱き起こして部屋の隅にいた十六号さんと妖精さんの元に走った。
剣士さんも折れた腕を庇いもせずに、士長さんを引っ張って盗賊団達の前から這い出る。
盗賊団はすぐそばにいた十七号くんに反撃され、慌てた様子で距離を取ろうと右往左往していた。これなら、行ける!
私はそう判断して床を蹴り、零号ちゃんへと駆け寄った。
「零号ちゃん、交代!」
「よ、幼女ちゃん!?」
私は零号ちゃんから姫ちゃんを掻っ攫う様にして受け取り、代わりに零号ちゃんへ白玉石を押し付ける。
「ごめん、私じゃ、あれが精一杯…お願い、十七号くんを助けて!」
私はそう言いながら石に意識を集中させて魔力を引き出し、それを零号ちゃんに流し込んだ。
零号ちゃんは一瞬、驚いたような顔を見せたけど、すぐに事態を把握してくれた。
「あとで、説明してね…!」
零号ちゃんはそう言うが早いか私の手から白玉石を受け取ると、付いていた紐を手にグルグルと巻き付け、その手で目にも止まらぬ速さで剣を引き抜いた。
「うりゃあああぁぁ!」
咆哮とともに床を二歩蹴りつけた零号ちゃんは、私が弾き飛ばしたダガーよりも早く盗賊団に斬り掛かる。
一閃、剣を振るうと、盗賊達が四、五人いっぺんに床に崩れた。
「ぜ、零号!?なんだ今の…!?」
「分かんない!」
戸惑う十七号くんにそう言いながら、零号ちゃんは十七号くんの二の腕に手を当てる。
すると、ほのかな光が灯って、十七号くんの腕の傷が塞がった。
回復魔法を使ったの?あれだけの魔力しかないのに…!?
私は、そのことに驚きを隠せなかった。私が手に持ったときにはそんなことが出来そうもなかったのに…
も、もしかして回復のために石を全部使っちゃったんじゃ…?!
私は、詳しいことを話さなかったことが急に不安になる。でも、零号ちゃんは私の心配をよそに
「出ていけ、この泥棒!」
と叫びながら、とても生身の人間とは思えない動きで盗賊達を斬り伏せて行く。そこに十七号くんも加わって、形勢が一気に逆転した。
盗賊達は零号ちゃんの剣激を避けきれず、受けきれず、次々と床に倒れていく。
零号ちゃんに圧倒され、辛うじて身を引いた盗賊も、十七号くんの追撃で傷を負わされていた。
「く、クソっ!」
不意に、盗賊の一人が斬り合いの中を抜け出して部屋を駆けた。
「あっ…!」
思わず私は声をあげてしまっていた。その先には、怪我をしたお姉さんと十六号さんに、それを庇う妖精さん勇者様がいたからだ。
「て、抵抗するな!こいつらを殺すぞ…!?」
その盗賊が慌てた様子でそう叫ぶ。それを聞いた十七号くんと零号ちゃんは、一瞬、しまった、と表情を歪めた。
「お、おい、バカ!」
そうお姉さんの声が聞こえた瞬間だった。
零号ちゃん達を見やっていた盗賊に勇者様が飛びかかった。
「くっ…クソ女ァ…!」
そう漏らした盗賊は、腕にまとわりつき剣を奪おうとした勇者様を床へと叩きつける。そして、その手に握っていた剣を素早く振り上げた。
あぁ、まずい…!
身が縮み上がり、息が詰まって悲鳴すら出す暇がなかった程のほんの僅かな瞬間。
ヒュっと風を切る音が聞こえて、盗賊の体に飛んできた長い剣が突き立った。
ハッとして剣が飛んできた方を見やった私は、バルコニーの炎の向こうに人影を見た。
ドサリ、と盗賊が床に倒れるのを確かめるような間があってから、その人影が軽い掛け声と共に炎を超えて来る。
金髪の長い髪を後ろでまとめたとびっきりの美人と、いつだって面倒そうな顔をした、短い黒髪に不精ヒゲの男の人だ。
「た、隊長さん…金獅子さん…!」
私は思わずそう声をあげていた。
「やれやれ、まったく…出迎えがないと思ったらとんだことになってるみたいだね」
金獅子さんがそう言ってニタリと笑い
「ったくよう…ゆっくり出来ると思って帰って来てみればこれだ。議長サマは相変わらず人使いが荒れえんだよ」
と隊長さんが深々とため息を吐いた。
「金獅子だと…?」
「まさか…あの、豪鬼族の…」
「あ、あの斧…間違いねぇ…こいつ“首狩り”だ!」
盗賊達が、金獅子さんを見て色めきだった。
目の前にいる零号ちゃんや十七号くんからも身を引き始めていた盗賊達はまるで狼に怯える羊のように身を寄せあい始める。
「お前、同族に“首狩り”なんて呼ばれてたのかよ」
「こんなのと同族だなんて言うもんじゃないよ」
隊長さんの言葉に金獅子さんはそう言い返しながら、背負っていた大きな斧を軽々と一振りして
首から下げていた警笛をけたたましく吹き鳴らした。
次の瞬間、部屋の窓という窓がガシャンと割れて、防衛隊や親衛隊の軽鎧を着込んだ人達が十数人、部屋の中へと踏み込んできた。
廊下の方からは
「長槍隊、前へ!手向かう者には容赦するな!」
という三班の班長さんの声が聞こえる。
それを確かめた金獅子さんは、ユラリとその大斧を構えて
「さて、見ての通り包囲させてもらった。今からでも黄泉の国へ行きたいってやつがいるんなら前にでなよ?」
と、軽い足取りで盗賊達詰め寄る。
十七号くんと零号ちゃんに押されていた盗賊達は、金獅子さんの出現で完全に戦意を喪失したのか、
部屋の隅にまるで風の魔法で押し付けられているように一塊になっていた。
「ふふふ…いい表情じゃないか…片っ端から首を刎ねてやりたくなるよ…!」
そんな盗賊達の様子に、金獅子さんが綺麗な顔をまるでこの世のものとは思えない程の恐ろしい笑みに変えて言う。
「…お、おぉぅ…」
その顔を見て、十七号くんがそう声を漏らして後ずさりする。
反対に、零号ちゃんはまるで何かとてつもなく神々しい物を見つめるような視線で
「……かっこ…いい…」
と打ち震えていた。
不意に廊下からドカドカとけたたましい足音が聞こえて来て、班長さんを先頭に防衛隊と親衛隊の人達が一挙に押し込んできた。
班長さんが部屋の中を素早く確認すると、
「全員取り押さえろ。ケガ人と遺体はすぐに運び出せ」
と隊員に指示を出す。
部屋を覆い尽くすんじゃないかって程の数で踏み込んで来た隊員さん達に剣や槍を突きつけられた盗賊達は遂に各々武器を床に投げ捨てて降伏の意思を見せた。
それを確保した班長さんはお姉さん達の方へと駆けて行き、その前に跪く。
「議長様…ご無事で…」
俯いたまま班長さんのその声からは、苦しみが感じ取れた。
「うん、まぁ、なんとか…」
お姉さんは、班長さんに穏やかな声色でそう声を掛けて上げている。でも、班長さんはなおも締め上げられているかのような声で
「…この度は…面目次第もございません…」
と絞り出すように言った。
「気にするな…元はと言えば、火事騒ぎで浮足立ったあたしの責任だ」
お姉さんは、そう言い、それから
「下を守っていた連中の被害は…?」
と、本部の警護に付いていた人達の事を尋ねる。班長さんは、それを聞くなり口惜しそうに表情を歪めて
「確認出来た二十二名は死亡。他の者はまだ未確認です」
と報告した。
私は、その言葉に思わずギュッと痛んだ胸に手を当てていた。
班長さんの言葉はつまり…少なくとも確認出来た人達の全てが死んでいた、ってことだ。
「残念だ…」
お姉さんは、班長さんの肩に手を置いて、歯噛みしながらそう言った。
「生きてるようだな」
班長さんお姉さん話に目を向けていたら、今度はそう声が聞こえた。見ると、魔道士さんが部屋に来てくれていた。
「危なかったよ」
「こっちも、肝が冷えた。手薄とは言え、迂闊過ぎたな」
魔道士さんはそう言ってお姉さんの前にしゃがみ込むと、最近は随分と柔らかくなったその顔に笑みを浮かべて
「無事でよかった」
と、お姉さんの額に浮かんだ玉の汗を拭ってあげる。それから
「上に部屋を確保してある。侍女達も待たせてあるから、手当てそこでやれ。あとは、俺と隊長達で引き継ぐ」
と告げて立ち上がった。
魔道士さんは、部屋中に転がっている盗賊達の体や床を染めている血しぶきにその表情曇らせて呟いた。
「まったく…人間ってのは、魔法がなけりゃ脆いもんだな…」
魔法がなければ…本当にそうだと思う。
魔法がなければ、斬った腕が繋がることもない。
斬り裂かれた皮膚がまたたく間に元に戻ることも、一人の人が大勢を相手に無傷で戦い抜くなんてこともない。
私達は…この大陸住む人達は、きっとこれを知らなきゃいけないんだと思う。
ケガをしたら、痛いんだってことを。
感情ままに相手を傷付ければ、元には戻らないんだってことを。
人を殺すって言うことがどういうことか、を。
そして、それを知ることが、もしかしたら平和を作ることなのかも知れない、ってそう思う。
私は、今更になって震えだした体から力が抜けそうになるのをこらえながら、もしかしたら…
ううん、白玉石がなければ…自分が部屋中に転がっている肉塊のどれかになっていただろうって言う現実を、ただただ噛みしめていた。
「しかし…普段あれだけ泣きまくってるのに、あの騒ぎの中を熟睡って、あんた一体どういう神経してんだよ…?」
お姉さんが片腕で抱いた姫ちゃんを覗き込んでそんなことを漏らしている。
「ホントだよな。俺、姫が泣いたら目を付けられると思って気が気じゃなかったよ」
十七号くんがお姉さんに同意すると
「姫ちゃんはきっと、大きくなったらすごい大人になるですよ」
なんて妖精さんが疲れた顔に笑顔を浮かべて言った。
私達は親衛隊さん達に運び込まれるように、本部の最上階にある、普段は会議室として使っている部屋へと移動してきていた。
剣士さんと士長さんは、別の部屋へと運ばれたらしい。
士長さんのケガが心配だったけれど、医務官さんの話では命に関わる可能性は低いってことだった。
部屋に着した私達は心配そうな表情をした侍女さん達に出迎えられた。
軽食や水、もちろん手当て道具なんかも一式揃っていて、十六号さんはまさに今、衝立の向こうで手当てを受けている。
「んぐっ…あうぅっ…痛っ…ダメだ、死ぬっ!死ぬぅぅ!」
手当てを受けている…んだけど…本当に死んだりしないよね…?私は十六号さんのことが心配になって、衝立の向こうをチラッと覗き見る。
そこでは、十六号さんが侍女さん達数人掛かりで小さなベッドにうつ伏せに押さえつけられ、
消毒ためのに匂いを嗅ぐだけでクラクラ来ちゃいそうな強いお酒を染み込ませた丸めた綿を傷口に押し付けられて悶絶している姿があった。
「最後の力を使って上げたほうが良いかな…」
私の背中にへばりつくようにして十六号さんを覗き込んだ零号ちゃんが青い顔をしてそう言う。
「でも、白玉石、お姉さんに取り上げられちゃったでしょ」
私が言ったら零号ちゃんは
「返してって頼んでみる…?」
と私に意見を求めて来る。私はもう一度苦しむ十六号さん見やって逡巡してから
「あんなちょっとで回復魔法とか出来る…?」
と零号ちゃんに聞き返してみる。すると零号ちゃんも難しそうな顔で
「節約すれば…出来る、かも…?ダメそうなら、睡眠の魔法とかでも…」
とひとりごとのように言って私と見つめ合い、それから二人してお姉さんに視線を向ける。
「ダメだからな」
そんな私達の会話に気付いていたのか、お姉さんはジト目でこちらを見つめてそう言ってきた。
私が零号ちゃんに渡した白玉石は、本当にもう、小指の爪程の小石になってしまっていて、
さすがにどんな魔法もほんの申し訳程度にしか使えないだろう魔力しか残っていないようだった。
お姉さんはこの部屋に着くや否や、私と零号ちゃんを問い詰め、白玉石のことを白状させるとすぐにそれを取り上げた。
「十六号。あんたこれに懲りて少しは自分を守るクセを付けろよな」
お姉さんが衝立の向こうへとそう声を掛ける。
お姉さんの言いたいことは、まぁ、分からないではない。十六号さんはいつだって誰かを庇ってケガをする。
それこそ魔法が使えた頃なんかは、十八号ちゃんの回復魔法頼みで自分を守る結界魔法を後回しにしていたところがあったし、
私もたびたび心配させられた。
「んぐっ…!あぁぁぁ!もう許して…やめてくれぇぇ!」
お姉さんの言葉に返事をする余裕はないらしい十六号さんのうめき声が聞こえる。零号ちゃんはそれを聞いて
「お姉ちゃん、ちょっとだけ…最後の一回で良いからっ」
ともう一度お姉さんに頼み込む。でも、それを聞いたお姉さんはぶんぶんと首を横に振った。
「もう、こんな力を頼っちゃいけないんだよ。誰よりもあたし達がさ」
お姉さんのその言葉に、零号ちゃんはハッとして息を飲んだ。
「こんな力をアテにしてるから、あたし達は簡単に間違うんだ…
転移魔法がある感覚でボヤの現場に防衛隊の大半を向かわせて本部の守りを手薄にした。
やれると思って戦った結果、正しい戦力分析が出来ずに返り討ちにあった。
今回のことだけじゃない…この大陸はこの力のせいで、命の重さをずっと勘違いして来た…
あたし達は、その世界を終わらせたはずだ。それなのに、いつまでもこんな力に頼ってたらきっとあたし達はこの先またどこかで間違える。
本当に大事なことを軽んじて、守らなきゃならないものを取りこぼす。今日あったみたいに、だ」
そう言ったお姉さんは、私達に向かって頭を下げた。
「今日のことは…あたしの落ち度だ。あたしがもっと慎重に考えていたらこんなことは防げたはずだ。
正直言って…あたしのその落ち度で、今日、あたし達は死んだんだ」
お姉さんはそう言って顔をあげる。
「たぶん、この世界には取り返しの付かないことが山ほどあるんだ…それをあたし達は自覚しなきゃいけないんだよ。
それに気がつくためには、この力はあっちゃいけない」
そう言って、お姉さんは首から下げた白玉石の欠片を指先で弄ぶ。誰もが、お姉さんの言葉に押し黙っていた。
あ、いや…十六号さんだけは相変わらず呻いているけれど…
それはさっき私が感じたこととおんなじなんだろう。
いや、もっと言えば私は、あの日、勇者様が世界を滅ぼすと言い出したときにだって感じたはずだった。
取り返しの付かないことをしたんだ、って…結果的にあれは勇者様のお芝居だったから良かったようなもので、
あれがもし勇者様が世界を滅ぼすつもりだったら、私は誰になんて詫びれば良いのか未だに分からない。
その苦しさこそが現実ってものなんだ。失ったものが戻ってくるような“奇跡”なんてない。
私達は…たぶん、それを正しく恐れるべきなんだと思う。
私はそう、お姉さんの言葉を胸の奥深くで噛みしめた。そして、自分の心に今日のことを刻み込む。
これからこの世界で生きてくためには、今まで以上に様々なことを考えて行かなきゃいけないだろう。
そのためには、もっともっと物事を知って、みんなを守るための、お姉さん達を助けるための考える力を付けて行かなきゃいけないんだ。
そんなことを思っていたら、不意に零号ちゃんがスックと立ち上がった。
「…私、十六お姉ちゃんのところ行ってくる」
零号ちゃんは、切迫した雰囲気でそんな事を言い出した。
「じゃ、邪魔じゃないかな…」
妖精さんが衝立の向こう側を気にしながら、そんな心配をし始める。でも、零号ちゃんは青い顔をしながら言った。
「手を握ってあげる…くらいは、私にも出来る…!」
そんな零号ちゃんの必死な覚悟に、お姉さんはクスっと笑顔を見せて
「そうだな…行ってやってくれ」
と言って頷いた。零号ちゃんはお姉さんに頷き返して、足早に衝立の向こう側へと姿を消して行った。
ふと、沈黙が部屋を支配する。あ、いや、十六号さんのうめき声は相変わらず響いてるんだけど…
それはそれとして、みんなお姉さんの言葉に思うところがあったのか神妙な面持ちで俯いている。
でも、程なくしてその沈黙を破る言葉が聞こえた。
「取り返しの付かないこと、か…」
それは、この部屋に来てからずっと黙ったままだった勇者様の呟きだった。私はそれを聞いて、不安が沸き起こるのを感じた。
「あなたの言う通りだ…今日のことがあなたの落ち度だと言うんなら、今のこの世界を作ったのはあたしの落ち度…
それをなんとかしようと思って、あたしの残した世界を守ろうとしてくれてたあなた達を裏切って傷付けたのも、
あたしの身勝手のせいだ…今日のことだって、元を辿れば遠因はあたしにある。あたしがあんなことをしなかったら…
こんなにもたくさんの人が傷付くことはなかったかも知れない…恐い、苦しい思いをさせたりしなかったのかも知れない…」
勇者様はそう言うと、座っていたイスから床に崩れ落ちてうずくまり、声にじませる。
「許してもらおうだなんて甘かったんだ…あたしは、あたしはそれだけのことをした…
何をどう頑張ったって、取り返しの付かないことをしちゃったんだ…」
そう言った勇者様は、遂には嗚咽を漏らし始める。そして、しゃくり上げる合間に勇者様は言った。
「…殺してくれ…あたしは、死ななきゃいけない…この大陸を戦火で荒らして…
数え切れない程の命を奪った戦争の…原因を、作ったんだ…」
「やめろ」
お姉さんの低い声が、聞こえる。でも、それを聞いてもなお、勇者様は言った。
「許してくれなんて、言えない…でも、でも…みんな…ごめん…本当にごめんなさい…私が…私が全部悪かった…
私は、やっぱりあのとき…世界を別つべきじゃ…なかった…基礎構文と一緒に、死んでおくべきだったんだ…」
勇者様の言葉を聞きながら私はお姉さんの顔色だけをずっと見つめてた。
最初は呆れた様子だったけど…でも、死ななきゃけない、殺して、のあたりからその表情がみるみる険しくなって行った。
そしてお姉さんは勇者様の最後の「死んでおくべきだった」と言う言葉を聞いた途端、
明らかに理性が弾け飛んだようにその険しさを怒りの形相に変えた。
最悪だ…最悪だよ、勇者様…それ、回答としては一番言っちゃいけないやつだよ。
私は不安が的中してしまったことに肩を落としながら、それでも素早くお姉さんの元に駆け寄るると片腕で抱いていた姫ちゃんを奪い去った。
部屋隅に走り、姫ちゃんの耳元にしっかり毛布掛けてその上から耳を塞いであげる。
それを確認していたかどうなのか、お姉さんの絶叫が、部屋に響き渡った。
「このバカ!!!」
お姉さんはそう叫んで掴みかかった勇者様の胸倉を引っ掴んで体を引っぱり起こすと、
ケガをしている方の腕で勇者様の頬をしたたかに引っ叩いた。
パシン、と乾いた音が部屋に響く。
勇者様は突然の出来事にガクリと膝から崩れ、お姉さんはケガをしている方の腕で叩いた痛みで床を転げている。
でももう一方の腕は勇者様の胸倉を掴んだままだ。
「ね、姉ちゃん!いきなりなんてこと…!」
「ダ、ダメですよ、議長様ぁ!」
十七号くんと妖精さんがそう言ってお姉さんを止めに掛かる。でも、そんな二人は
「うるさい!ちょっと黙ってろ!」
とお姉さんに一喝されて、ビクッと体を強張らせ足を止めた。
お姉さんはそんな二人に目もくれずに体を起こすと、痛みを堪えるためなのか、それとも気持ちが溢れ出るのを堪えているのか、
とにかく全身をワナワナと震わせながら、呆然としている勇者様をグイッと引き寄せて、叫んだ。
「あたしがどんだけ心配したかも知らないで!」
途端に、お姉さんの目からボロっと大粒の涙が零れた。
勇者様はそんなお姉さんに目を奪われて、何が起こったのか、って混乱しているようにも見える。
自覚がない、か…本当に勇者様ってば、分かってなかったんだね…
「……ま、待って…な、何を…言って…」
戸惑いながらそう聞こうとした勇者様の言葉を遮って、お姉さんはさらに大声を張り上げる。
「だから世界のことなんてどうだっていい!あんたがそれを罪だって思うんならそれはあたしが全部否定してやる!
あんたにも、あたしにも、どうしたってそうするしか方法がなかったんだ…最初から選ぶことなんて出来なかった…」
「あの…えっと……?」
「でもな、あたしだって、勇者だったんだ!周りのやつらに期待されて、戦うことを強いられて…この世界の未来を勝手に背負わされてさ…
それが、それがどんだけ辛いかが分からないとでも思ったのかよ!?」
お姉さんの声が部屋中に響き渡る。みんなはただ黙って、お姉さんの言葉を聞いているしかなかった。
それくらいの剣幕でお姉さんは勇者様にまくし立てている。十六号さんのうめき声さえ止んでいた。
「あんたがああしてくれなきゃ、あたし達は今こうして暮らせてない…だから、感謝なんてしてもし足りないよ…
だから世界がどうとか裏切ったとか、そんなこともうどうだって良いんだよ!
でも、でもな…!あたしは…あたしは、あんた一人を生け贄にしちゃったって、ずっとずっとそう思ってたんだぞ!?
あの苦しみの中にあんた一人を置いて来ちゃったって、そのことでどれだけ悩んだか…
どれだけあんたの身を案じたか、なんでそれが分かんないんだよ!」
そう…お姉さんがずっとずっと気に入らなかったこと…
それは、勇者様があの日の戦いのあと、誰に何も告げずに姿を消してしまった、っていうことだ。
私が思ったくらいだ…お姉さんがそう思わないはずがない。
ーーー勇者様、自殺したりとかしないよね…?
お姉さんは、正しく勇者であろうとしてたくさんのものを背負い込んだ勇者様の苦しみが想像できていたんだ。
それが上手く行かずに、結果、守らなきゃいけないって思っていた大事なものを傷付けてしまった苦しみも、
どんな思いで私達を騙し、一人で全てを引き受けて目的を果たそうとしたのかまで…
だって、お姉さんだって勇者だったんだ。分からないはずがない、同じ立場の人の気持ちを想わないわけはない。
「本当なら、ちゃんと話して欲しかった…一人で背負ってなんて欲しくなかった…
それがどんだけ辛いかなんて、あたしが一番良く知ってるんだ!
それなのに…それなのにあんたは一人で全部片付けて…たった一人でどっかに行っちゃったんだぞ!
あたし、あんたがどんな気持ちで終わった世界を眺めてるか、ってそんなことばっかり考えてたんだ…!
それなのに…それなのに…あんたは…!」
そう。それなのに、勇者様は…
「観光地で真っ黒に日に焼けて大工仕事だぁ!?人の気も知らないで!」
お姉さんの言葉が、ひときわ大きく部屋に響いた。
そう…そりゃぁ、さ…機嫌の一つも悪くなったっておかしくない、って私は思うんだ。
ずっとずっと心配してきて、もしかしたら死んじゃってるかも知れないなんてそんな事を思ってすらいただろうに、
元気溌剌でやれ鉋掛けがどうの、鋸引きがどうの、なんて生活をしていたんだなんて考えたら…腹も立っちゃうよね、きっと。
お姉さんは、目一杯の気持ちをぶちまけたせいか、それとも動かしちゃってまた血がにじみ始めた傷せいか、
クタッと力が抜けたように膝からその場に崩れ落ちる。
だけど、それでも勇者様の胸ぐらは離さない。
「世界がどうとか、裏切ったのがどうとか、そんな謝罪なんてどうだっていいんだよ…
あたしは、あんたがそうするしかなかったってことくらい分かってんだ…あたしがあんたに謝ってやりたいくらいなんだ…
感謝してもしたりないくらいなんだ…あたしは、そんなことで怒ってんじゃないんだ…」
勇者様は、お姉さんの言葉にただ呆然とお姉さんを見つめている。
そんな勇者様の目を食い入るように見つめたお姉さんは、最後に絞り出すような弱々しい声で言った。
「…自分は姉ちゃんだって、そう言ってくれたじゃないかよ…それなのに、それなのになんで、何も言わずに居なくなったりするんだよ…!
心配したじゃないかよぉ…!」
そこまで言って、お姉さんはようやく勇者様から手を放し、その場にうずくまってさめざめと泣き出した。
お姉さんは本当に勇者様がただただ心配だったんだ。
たった一人で世界のすべてを背負いこんで、古の災厄という役割を引き受けて
かつての自分の落ち度を挽回しようとした、遠い遠い血の繋がった、自分のお姉さんのことが。
勇者様はしばらく茫然とそんなお姉さんを見つめていたけれど、
ややあってそっと、本当に恐る恐る手を伸ばし、躊躇がちにお姉さんの肩に触れて、やがてその体を優しく抱き寄せた。
勇者様の肩が、かすかに震える。
「ごめんね…勝手なことして…心配掛けて…ごめんね…ごめんね…」
そうして勇者様はお姉さんに、静かに、穏やかにそう謝った。
それは世界を魔法の力に閉じ込め、大陸を二つに割り、災厄として私達を裏切った古の勇者様謝罪なんかじゃなかった。
一人の家族として、お姉さんの姉としての、妹へ向けてようやく紡ぎ出されたほんの小さな小さな謝罪の言葉だった。
勇者様の体に腕を回してお姉さんはさんざんに泣いている。ふと私は、そんな姿を見て、勇者様の本当の妹さんのことを考えていた。
昔々…自分を封印した勇者様に、お姉さんの先祖は何を思ったんだろう…?誇らしく思っていたのかな…それとも、怒っていたのかな…
もしかしたら、お姉さんと一緒でとてもとても心配したのかも知れないな。
もしそうだったとしたら、今の勇者様の言葉は、もうずっと昔に死んじゃった本当の妹さんへ謝罪のように思えているんじゃないかな…
死んじゃった家族への、か…
そう思って、私は思わず姫ちゃんをキュッと抱きしめる。姫ちゃんは相変わらず、今日ばっかりはむやみやたらに起きて泣いたりはしない。
私は腕の中で静かに眠る姫ちゃんの顔を見て、なぜだか幼い頃、あの村で過ごした自分のことを思い返していた。
それから、ひと月経った頃のとある昼下がり。
私達は、本部の中庭に倉庫から引っ張り出したグリルやなんかを囲んで、久しぶりのバーベキュー会を開いていた。
理由はごくごく単純で、昨日、巡検隊の最後の一班だった鬼の戦士さんと女戦士さん、それにくっ付いて行った十八号ちゃんが戻って来たので、慰労会をしようと言う話になったからだ。
本当はもう一つ、特別なお客さんが来る予定なんだけど、それは私と妖精さん、十六号さんだけの内緒話だ。
こんな会は本当に久しぶりで、大人も子供も、みんな楽しそうにはしゃいでいる。
あれから、お姉さんと勇者様はさんざんに泣きわめいたあと、目を覚ました姫ちゃんの世話でまた言い合いを始めた。
結局、似た者同士だからなのか、お互いのことをちゃんと思いやっていてもケンカにはなってしまうようだった。
でも、それはなんだか微笑ましくって、まるで本当に仲の良い姉妹を見ているように、私達は感じていた。
「んはっ、これ旨いなぁ!」
「だろ?あっちの酒もなかなかイケるんだ」
「議長様はお酒はだめですよ。それとお肉だけではなくお野菜も召し上がってください」
「分かってるよ、もう!」
「酒は我慢してるけど、少なくともさっきからお肉ばっかりだよね」
「議長様!お義姉様がそう仰っていりますが…?」
「た、食べる!食べるよ!ほら、山盛りで頼むって!」
急拵えの庇の下で、お姉さんは勇者様とサキュバスさんにそう言われて、面倒そうな顔をしながら侍女さんにお皿を差し出している。
サキュバスさんがサキュバス族との交渉から戻ってお姉さんが勇者様を改めて紹介すると、サキュバスさんは殊の外喜んだ。
私は、サキュバスがどんな反応をするのかが心配だったからそれを見て安心したけれど、同時にやっぱり少し気になって、
あとからこっそり気持ちを聞いてみた。サキュバスさんはそんな私に言った。
「議長様が頼れる方…それも、血の繋がった方が生きて居られたのは喜ばしいことです。
議長様は、何でも背負い込もうとするところがありますから…遠慮せずに物を言える方がそばにいてくれると言うなら、私も安心できます」
それを聞いた私は、なんともサキュバスさんらしい言い方だな、と思ったけど、
とにかく今みたいに両方から包囲してお姉さんに言うことを聞かせる…というか、支える?…
まぁ、とにかくお姉さんがちゃんと出来るようにお小言を言う役割が多いに越したことはない。
事実サキュバスさんが帰ってからというもの、これまでの勇者様とお姉さんの立場は逆転して、
今では勇者様がすっかり姉としてお姉さんを支えている。
お姉さんは居心地悪そうな顔をすることもあるけれど、時々は自分から勇者様に姫ちゃんのことで相談を持ちかけたりと、
まぁ、関係は良好なんだろう。
「なぁ、それで、巡検どうだったんだよ?」
「うん、いろんな物が見れたよ。特に、王都の東にある学術都市は興味深かった」
「あぁ、あのガッコウってのがある街か」
「うん。王下騎士団の訓練施設もあって、教練してるのを見たり、
図書館っていう、ここの書庫よりもずっとたくさんの本がある場所もあったわ」
「へぇ、訓練施設かぁ。俺もそのうち一度行ってみたいな…どんな訓練してるのか見ておかないと」
十七号くんと、まだケガが癒えきっていない十六号さんが、帰って来たばかりの十八号ちゃん楽しそうにそんな話をしている。
一年ぶりの再会だもんね…私もあとでいっぱい話を聞かせて貰わなきゃ。
「そっか…あいつがな…」
「まぁ、仕方ねえさ」
「それで、盗賊どもは?」
「議長サマの言いつけ通り、中央高地の開拓に送ってやったよ」
隅の方で話し込んでいるのは隊長さん達だ。ここはまだ、それほど賑やかってわけでもない。それもそうだろう。
盗賊団が本部に侵入してきたときに階下を警備してくれていた防衛隊の中に、隊長さん達諜報部隊にいた頃からの仲間が一人いた。
私も良く知った人で、妖精さんが言っていた班長補佐官さんの一人だ。
彼は、体中を斬りつけられながらも壮絶に戦った痕跡を残して亡くなっていた。
彼を弔うとき、お姉さんが涙を流しながら謝罪とお礼を言っていた姿はまだ私の脳裏にはっきりと焼き付いている。
「ふぅ、久しぶりだな、こう言うのは」
「兵長ちゃんはいっつも気合入りすぎなんだよ。楽に行こうよ楽に」
「お前は常に力抜けすぎなんだよ、大尉」
「ま、それが大尉さんのイイトコだとは思うけどね」
「そういうな。硬いところも兵長の長所だろう」
「ちょちょ、黒豹さんってば…!」
私のすぐそばでは、魔道士さんに兵長さん黒豹さんと、最近はすっかり大人の仲間入りをして立派に仕事をこなしている十四号さんがそんな話をしている。
そう言えば兵長さんと黒豹さんの仲は実はほとんど進んでいない。お姉さんはその話になるたびに
「早くやっちゃえばいいに、じれったい」
と冷やかしては真っ赤な顔をした兵長さんに怒られている。
やっちゃえば、って何をやるのかは知らないけど…結婚ってことだよね?
違わないよね?
「ぷはっ。やっぱり、この酒が一番旨い」
不意に、一緒に食事をしていたトロールさんがそんな事を言って空になったジョッキをテーブルに置いた。
そこにすかさず、妖精さんがお代わりを注ぐ。
トロールさんのお礼を聞きながら瓶をテーブルに置いた妖精さんが
「でも、さっき人間ちゃんが言ってたこと、私もちょっと気になってたよ」
「あぁ、確かに、様子は変だった」
と言って、ついさっきまで、二人と話していたことに話題が戻る。
「やっぱり、そう思う?」
「うん、元気ない気がする」
「今も、冴えない顔だ」
私の問いかけに、二人はそう答えて、揃ってお姉さん達の方へと視線を投げる。
その先には、お姉さんとサキュバスさん、勇者様からほんの数歩離れたところにあるベッドで眠っている姫ちゃんの様子を見ていた零号ちゃんの姿があった。
零号ちゃんはどこか所在なげな雰囲気で、みんなの和の中にいるのに、遠巻きにみんな見つめているような、そんな感じがする。
零号ちゃんの様子がおかしいことに気が付いたのは、盗賊団の事件があってから少しした頃だった。きっかけは十六号さんが
「そう言えば、零号見なかったか?」
なんて私に声を掛けて来て、そう言えばここのところ一人でいることが多いな、と思ったことからだった。
零号ちゃんはなんとなく人を避けて…ううん、お姉さんや、十六号さん達を避けているように、私には思えた。
最初は少し大人っぽくなって来たからかな、と思ったんだけど、
その表情には、何かそんな前向きなものとは思えないくすんだ雰囲気があるように思えて、なんとなく気にしながら生活をしていた。
そんな零号ちゃんの様子は、十六号さんやお姉さんはまだあまり気がついていないらしく、
ちょっと話を振ってみても色良い反応が返って来なかった。
そこで、実は他にも用事があって、ちょうど二人とこっそり話がしたいって思っていたところだから、
零号ちゃんのことも合わせて聞いてみたところだった。
「…もしかして、アレかなぁ…」
ふと、妖精さんがそう口を開く。
「アレ…?妖精、何か心当たりあるのか?」
トロールさんが尋ねると、妖精さんはそれには答えずに、
「ほら、アレ」
と私に視線を向けて言った。
あぁ、そうか、と私は納得する。
「それはありそうかも…私も、初めては半年前だったし」
私がそう答えたら、トロールさんが
「あぁ」
なんて、言って口をつぐんだ。
私、あんまり気にしない方なんだけど、そういう扱いにしておくのが作法なんだ、ってお姉さんが言ってたっけ。
なんてことはどうでも良いんだけど、とにかく、だ。
「もしそうだったら、誰か教えてあげないといけないよね…」
「十六号ちゃんとか議長様に聞いてないのかなぁ…?今までの零号ちゃんだったら、まずあの二人に相談すると思うんだけど」
妖精さんはそう言って首を傾げる。確かに妖精さんの疑問はもっともだ。
でも、アレになると気持ちがなんだかフワフワ、ソワソワ、チクチクしちゃって、上手く人と接せないこともある。
もしかしたら零号ちゃん、そんな気持ちで、誰にも相談できないでいるのかもしれない。
「私、聞いてあげた方がいいかな…」
「そうだね…私よりも人間ちゃんが聞いて上げたほうが安心すると思うよ」
私の言葉に、妖精さんがそう言ってくれた。それなら、善は急げ、だ。
幸いたくさん人が集まってゴチャゴチャしてるし、こっそり抜け出して誰もいない屋上辺りに向かっても平気だろう。
私はそう考えて、妖精さんと頷き合う。それからトロールさんに
「ごめん、私と妖精さん、ちょっと行ってくるよ」
と謝る。するとトロールさんは微かに笑みを浮かべて
「分かった。幼女の話も、オイは賛成する。そのときは声を掛けてくれ」
と、私の相談についても承諾してくれたようだった。
それを聞いて安心した私は必要そうな荷物を手早くまとめて、妖精さんと一緒に席を立ち、お姉さん達のいる庇の下へと向かった。
「お姉さぁん」
私がそう声を掛けたら、お姉さんは山盛りの野菜を食みながら
「ん!おう、食べへるか?」
なんてお行儀悪く言ってくる。それを見たサキュバスさんと勇者様が
「食べながらしゃべるものではありませんよ」
「あなたのそう言うところ、姫ちゃんに似ないと良いんだけどなぁ」
なんて釘を指すどころか打ち込む勢いで言うものだから、お姉さんはなんだか半べそみたいな表情で私に何かを訴えかけてくる。
その何かは、単純。助けて、ってそう言ってるんだ。
でも、私は零号ちゃんのこともあるし、ごめんね、お姉さん。今は家族ぐるみ仲良くしていた方がいいよ!
ーーー家族って、ある日突然居なくなっちゃうことだってあるんだから、ね…
「ごめん、私、十六号さんからお使い頼まれてて」
私はお姉さんにそうとだけ断って、三人の横を通り過ぎて零号ちゃんのところへと歩み寄る。
そんな私達を見つけて顔をあげた零号ちゃんは、やっぱりなんだか冴えなかった。
「零号ちゃん、ちょっとお願いがあるんだけど」
「お願い?なぁに?お手伝い?」
そう言っ笑った零号ちゃんの顔を見て私は生理のことなんかじゃないって、直感した。
唇を緩ませ、眉を弓形あげているのい、その目だけは笑っていない。
ほんの微かな違和感で、お姉さんや勇者様よりも分かりにくいけど、それは、お姉さんが良く見せていたあの悲しい笑みそのものだった。
「果汁水残りがなくなっちゃいそうでね。良かったら一緒に取りに行ってくれないかな?」
「え、でも、私、姫ちゃんを見てないと…」
「なら、それ私が変わるよ。良いですよね、議長様?」
零号ちゃんの微かな抵抗に、妖精さんがそうお姉さん市字を仰ぐ。私達思惑を知ってか知らずか、お姉さんは
自分助けてもらえなかった八つ当たりなのか
「あぁ、良いよ良いよ、変わってやって」
なんてちょっとぶっきらぼうに言った。
「ほら、行こうよ」
そう言って私は零号ちゃんの手を取った。
すると零号ちゃんは、私の手を思いの外ギュッと握り返して
「うん」
と俯き加減に返事をした。
「じゃぁ、行ってくるね」
そうみんなに声を掛け、零号ちゃんの手を引いたまま私はズンズンと歩き、本部の中に入って、屋上を目指す。
階段を登っている途中で零号ちゃんが
「あ、あれっ、果汁水って、台所じゃないの?」
なんて至極当然の質問をして来た。
「うん、屋上あるんだって」
私がそう返事を返す頃には、もう屋上へのドアまで二階層のところまで来ていた。
階段をズンズン上がって屋上へをたどり着く。もちろんそこには何もないし誰もいない。
「あの、幼女ちゃん、どうしたの…?」
「ほら、座って。ちょっと二人でお話しようよ」
私はそう言って半ば強引に、持ってきていた麻布の敷物を屋上床に敷いたその上に零号ちゃん座らせ、
小脇に抱えていた果汁水の瓶二本開けて、一本を零号ちゃんに押し付ける。
零号ちゃんは不思議そうな顔をして、それ素直に受け取った。
果汁水に口を付けて、甘味で口と喉を潤して、ふぅ、と溜息を吐く。
それを真似したわけじゃないんだろうけど、零号ちゃんも同じようにして、小さな息をふぅ、吐いた。
それを確かめた私は端的に零号ちゃんに聞いてみる。
「零号ちゃん、なんかあった?」
「えっ?」
私の質問に、零号ちゃんは一瞬、怯えたような顔をした。
「最近なんだか元気ないし、お姉さん達を避けてる感じがするし、ケンカでもしたの?」
私はすこし遠回りかな、と思ったけど、そんな聞き方をしてみる。
「ううん、してない」
「じゃぁどこ具合悪いとか…?」
「それも、大丈夫。元気だよ」
そんな言葉と裏腹に、零号ちゃん私の手をギュッと握ったままだった。
分からないけれど…私はなんとなく、零号ちゃんが何かを怖がっているんじゃないか、っそう感じた。
だから素直に、そう聞いてみる。
「何か、怖いことでもあった…?」
「………」
零号ちゃん私の質問には答えなかった。
ただ、私の手を握る力さらにギュッと強くなる。
「何でも言っていいからね。私は怒らないし、零号ちゃんが心配なだけなんだ。
何か困ってるんなら力になりたいってそう思ってここに来てもらったってだけ。
他の人に内緒にしなきゃいけないことなら、絶対に言わないって約束するよ」
私がそう言ったら、零号ちゃんはますます私の手を強く握って、そして涙をいっぱい貯めた目で私を見やって、言った。
「あのね…盗賊が来た日、手当てしているときのお姉ちゃん達の話、覚えてる?」
お姉さんと勇者様のあのやり取りのことだろう。
「うん、忘れてなんてないけど…あれがどうかしたの…?」
私が聞いたら零号ちゃんは目に溜めていた涙をホロリと零して静かに話し始める。
「勇者様がお姉ちゃんに謝ってて、お姉ちゃんは勇者様にありがとうって言ってて…それすごく良かったな、って思ったんだ。でも、ね…」
目から溢れる涙があとからあとから湧き出て来て止まらなくなった零号ちゃんは、
そこまで言うと一度ふぅっと息を整えて、それからさらに続ける。
「……で、でも、その前に、ね…取り返しの付かないこと、って話をしてたでしょ…?」
うん、確かにそんな話だった。
それは、まぁ、私達がその意識についての認識が甘すぎたって事の話で、誰かを責めるような言葉ではなかったはずなのに、
勇者様が暴走してあんな騒ぎになってしまったんだ。
零号ちゃん、あの話を聞いて、何か思ったの…?
私はそう思って、零号ちゃんから次に出てくる言葉を待つ。
そしてそれを聞いて、ギュッと胸を締め付けられてしまった。
「私も…同じだったんだ…私は、殺しちゃったんだ…十六お姉ちゃんのお姉ちゃんだった、十五号さんを…
なんにも知らずに、ただ寂しいのが怖くて、そう在りたくないって思って…私…私…」
そう、そうだった…零号ちゃんは、勇者候補だった十六号さん上の一番の使い手を、勇者の紋章の力使って殺してしまったんだ…
お城に住むようになって、最初の頃は気にしていたけれど、十六号さん達に精一杯甘える零号ちゃんのことを見て、
そんなことすっかり頭の隅の方に追いやってしまっていた。
零号ちゃんの告解は、それでも続く。
「それなのに…それなのにね…私、そのことをまだちゃんと謝ってないんだよ。
もうずっとずっと前のことだったけど、謝る機会も分からなくって、そのうちにみんなが優しくしてくれるから、私…そのことを話したら、
みんなが私を怒ったりするんじゃないかって思って…そしたら、また一人になっちゃうってそう思って…怖くって、怖くって言い出せなかった。
でも、私は謝らなきゃいけんないだと思う。
そうじゃないと、もしかしてそれをウヤムヤにしていたらそのことがいつかどこかで爆発して、私は何もかもを失っちゃうかも知れないでしょ…?
でもね、私、謝るのも怖いんだ。自分でもズルいって思う。だけど、私は取り返しの付かないことをしちゃったんだ…
私がしちゃったのは…もしかしたら、お姉ちゃん達にとっては勇者様がしたことよりも許せないことだったんじゃないか、って思う。
…ここ住んで、みんながお互いを大事にしているのを感じて…どれだけ大切に思ってるかを知ってるから…
そんな大切な人を殺したやつの謝罪の言葉なんか聞いてくれないんじゃないか、って思えちゃって…
だから、だからね…私、怖くて…謝らなかったらいつか一人になっちゃうかも知れないって思うのに、
謝ったときにそんな大切な人を殺したんだってことを許してはくれないんじゃないかって思えちゃって、
許してくれなかったらどうしようって考えたら…そしたら私そっちも怖くって…
どっちを選んぼうとしても、やっぱり、怖くて…怖くって、さぁ…」
零号ちゃん最後には、体中を震わせなが私にしがみついてきた。
私は、自分の胸の痛みを和らげるように、零号ちゃんの髪をそっと撫で、震える体をギュッと抱きしめた。
零号ちゃん、そんな事を考えていたんだね…それがこないだのお姉さんと勇者様との話を聞いて、限界まで膨れ上がっちゃったんだ…
「ずっとずっと、それを胸に抱えてたんだね、たった一人で」
私が言ったら、零号ちゃんは私の腕の中でにコクコクと何度も頷く。
私はそんな零号ちゃんの体を更にきつく抱きしめて、溢れ出た涙に滲まないように零号ちゃんに伝えた。
「辛かったね…気が付いてあげられなくって、ごめんね…」
零号ちゃんは今度は、私の肩に顔を埋めてフルフルと首を横にふる。私は、そんな零号ちゃんに言ってあげた。
「…大丈夫だよ、零号ちゃん。何があっても、私は零号ちゃんの味方でいるからね…
だから、一緒に…側にいてあげるから、今の気持ち、お姉さん達にちゃんと伝えよう?
きっと大丈夫…みんな、零号ちゃんが大切だもん。必ず分かってくれるよ」
返事はない。でも、零号ちゃんの腕が、私体を強く強く抱きしめて来た。
私も、零号ちゃんに安心して欲しくて目一杯その体抱きしめ返す。
それからしばらく私は零号ちゃんと一緒に、辛い気持ちが涙で流れて出切ってしまうまで、ずっとずっと屋上で抱き合って泣き続けていた。
そろそろ到着するはずの特別なお客さん、竜娘ちゃんとそのお母さんのことをすっかり忘れていて、
ちょっと申し訳ないことになっちゃったんだけれど。
ガタゴトと、馬車が行く。
本部を出て二週が経った。王都の南にある小さな町を出てからは三日。だけど、すでに目的地の村の姿が遠くに見えて来ていた。
懐かしいな、って思う気持ちと怖い気持ちと切ない、悲しい気持ちが絡み合って湧いてきて、少しだけ胸が詰まる。
でも、私はここに帰って来たい、って、そう思った。竜娘ちゃんのことやお姉さんと勇者様と姫ちゃんを見ていたら、
どうしても思い出さないわけにはいかなかったんだ。
「あの山、懐かしいね」
不意に妖精さんがそう言うので、私は荷台の奥にいた彼女を振り返る。
妖精さんはその膝を、三日間、起きている間はずっとシクシク涙を流し、すっかり泣き疲れてしまっている零号ちゃんの枕にしてあげていた。
「洪水の跡も畑に戻ってるな」
トロールさんが私の傍らでそう言った。
本部の庭で巡検隊の慰労会兼、竜娘ちゃん親子の歓迎会をやった日の翌日、
私は忙しいところ無理を言って、お姉さんや魔道士さん、十六号さん達に集まってもらった。
そこで、零号ちゃんは泣きながら、自分が殺した十五号さんのことをみんなに謝った。
私に話してくれたように、謝るのが怖かったこと、謝らないままでいるのも怖かったことも全部全部話した。
みんな呆気に取られている中で、零号ちゃんに声を掛けたのは、他でもない魔道士さんだった。魔道士さんは零号ちゃんに聞いた。
「お前、十六号を何度救った?」
「え?」
と涙ながらにそう声をあげた零号ちゃんに、
「盗賊団の事件を含めて、お前は十六号を二回助けた。十六号だけじゃない。あの日あそこいた連中は全員お前に助けられた。
基礎構文の一件じゃ、他の連中を庇ってあのバカ剣士の奥義魔法を最前列で受け止めて被害を抑えたそうじゃないか」
と噛みしめるように言い、やおら、柔らかい笑顔を作って零号ちゃんの頭を優しく撫で付けた。
無表情なところ多少なくなってきたけど、私は魔道士さんがあんなに優しい顔をするのは初めて見たような気がする。
「十五号のことは、残念だった。だが、お前がそんなに思ってくれているんなら俺達はお前を責めたりしない。
確かにお前は十五号を手に掛けたんだろう…それが取り返しの付かないことだったとしても、
お前はそれ以上に、取り返しが付かなくなる前にその身を張って俺達を守ってくれた。
お前が居なきゃ、ここにいるうちの何人が居なくなってたか分からない。
俺達はお前に感謝こそしているが、もう恨んでなんていない」
魔道士さんは、ゆっくり、優しく、穏やかに零号ちゃんにそう言い含めると、最後に一言付け加えた。
「十五号のことを大切に思っていてくれてありがとう」
それを聞いた零号ちゃんが、姫ちゃん以上の大声で泣き出したのは言うまでもない。
それから零号ちゃんは、感極まった十六号さんと十八号ちゃんに抱きすくめられ、そばにしゃがみ込んだ十七号くんに頭を撫ぜられ、
肩を竦めて苦笑いする十四号さんと魔道士さん、お姉さんに見守られながら、寝入ってしまうまでそのままずっとずっと泣いていた。
私は、そもそも十五号さんのことは、みんなもう許してくれているって思っていたから、ほとんど心配はしていなかったんだけど、
でも、もしちゃんと言葉にして伝えていないんなら伝える方がずっと良いと思ったので、零号ちゃんが胸の内をちゃんと吐き出して、
それを魔道士さん達が受け止めてくれたことに安心していた。
でもそれからしばらくして零号ちゃんは、
「十五号さんにも、謝りたい」
なんて言い出し、魔道士さん達が何もそこまで、だなんて言っても収まらず、それなら一緒に行こうか、と私は声を掛けてあげた。
十五号さんのお墓のある、かつて魔導士さん達が住んでいた王都の南にある小さな町に辿り着いたのが三日前。
お墓の前で、何度も、何度も謝った零号ちゃんはやっぱり、最後には疲れ切って、
墓地をあとにする頃には、トロールさんに背負われて寝息をたてている有様だった。
でも、そんな零号ちゃんを呆れたりなんてしなかった。
だって、もしかしたら私も人のことは言えないかも知れないしね。
街道を揺れていた馬車は、やがて門をくぐって村の中に入った。
「おぉし、着いたぞ」
御者のおじさんがそう言ってくれる。
「ありがとう、おじさん。あのね、私達、明日にはこの村出たいんだけど、良かったら明日また砂漠の街まで乗せてくれない?
今晩の宿代は出すからさ」
「ははは、良く出来た嬢ちゃんだな。だが、要らん気遣いだ。
どのみち俺も一晩泊まって交易都市に戻るついでにいろいろ仕入れるつもりだったからな。明日の朝にでもまた声を掛けてくれや」
おじさんはそう言って私を笑い飛ばし、おもむろに馬車を止めた。
「ここが、大手通りだな」
「うん、ありがとう。じゃぁ、また明日よろしくお願いします」
私は御者さんにそう言って、妖精さんやトロールさんに声を掛け、寝ぼけ眼の零号ちゃん達と一緒に馬車を降りた。
村の様子は、これっぽっちも変わってない。
ここを追い出されて、もう二年以上になる。
本当に懐かしいな…
そんな感慨に浸りながら、私は一歩一歩、足を進める。
不意に、真っ赤な目を擦りながら、零号ちゃんが私の隣にピッタリとくっ着いて来た。
「何、零号ちゃん?」
私がそう聞くと、零号ちゃんは両手を胸の前でギュっと握り
「私が守ってあげるから、大丈夫だよ」
と言ってくれた。
私はそんな零号ちゃんの思いやりに
「ありがとう」
とお礼をする。
零号ちゃんの心配はもっともだろう。
寂れた農村だけど、村の真ん中を横切るこの道には人通りも多い。知っている顔もたくさんある。
そんな村人の多くが私へと視線を送っているからだ。
生け贄として捧げたはずの人間が、西大陸中央都市が関係者に付与しているマントを羽織っている。
それだけでも村の人達にとっては恐ろしいことだろう。仕返しに来たんじゃないか、なんて思っても当然だ。
でも、私はそんな視線なんて気にせずに、ただじっと前だけを見て、胸を張って歩いた。私は別に村人のことを恨んでなんかいない。
大変な暮らしだったし、今だってけっして楽じゃないけれど、この村にいたままだったら出会いないたくさんの人達と出会えた。
たくさんのことを経験した。それは、私の大事な大事な宝物だ。
でも、だからと言って、優しい顔をしてありがとうなんて言える気持ちでもない。私にとって、村人のことはもうどうだって良かった。
ただ、ここには父さんや母さんと暮らした思い出がある。父さんと母さんが眠っているお墓がある。
私はそれを引き上げに来ただけだ。
ふと、私の目の前に、年老いた男の人が、この辺りの土地神様を祀る教会の人達と一緒にいるのが見えた。
あれは村長だ。それに、教会の人達は私を取り押さえた連中だろう。それを確かめてもまだ、私は足を前へと進ませる。
やがて距離が詰まり、それでも道を譲るでもなく私達の行く先に立ち塞がっている村長さん達に気付いた零号ちゃんとトロールさんが私の前に出た。
零号ちゃんは今にも剣を抜いて斬りかかってしまいそうだし、
トロールさんも何かあればすぐさまメイスを振り回せるようグッと手に力を込めているのが分かる。
私は、そんな二人のマント後ろから引っ張った。
「大丈夫。荒っぽいことにはならないから」
私はそう伝えてさらに二人の前に出ると、村長さん達の三歩前まで来て足を止めた。
「何か御用ですか?」
私はそうとだけ、村長さんに声を掛ける。村長さんは少し怯えた様な表情のまま
「この村に、何の用かを聞きに伺った」
と随分手丁寧な言葉でそう聞いて来た。
私の答えは簡単だ。
「父さんと母さんの遺灰と、家あった家財道具を引き取りに参りました」
私の言葉に、村長さんは微かに黙ってから口を開く。
「もしこの村で何かをするようなら、王下騎士団へ救援要請を出させて頂くぞ」
しわがれて震えたその声を聞いて私はふと、自分がこれまでしてきた経験に感謝した。
こんな人の恫喝や思案なんて、私が出会って来た課題やそれを解決するために講じた様々な発想の前には恐れることもない。
私は、自分をトロールさんの生け贄に捧げた村長さんに、淡々と伝えた。
「王下騎士団とは現在友好関係にあり、またこの村への訪問は、国王府の許可の下です。
並びにこの村の領主である山の貴族様は現在、我が大陸中央都市とは蜜月の関係にあります。
万が一私達の旅に支障が出たり、私達の誰かを害する者が現れた場合には、山の貴族様の私兵千五百、及び中央都市の防衛隊の三千、
王都政府からも治安維持に支障があれば即刻出動を掛けて頂ける手はずを整えております。
こんな片田舎に年端のいかない子ども二人とその警護役の二名を害する者がいないとは思いますが…
もしもの時はそのすべてが私達の保護のために馳せ参じてくださいます。
そちらこそ、村を焼かれるなどを望まなければ、私達の目の前には二度と姿を見せぬことです」
そう言い終えたときには、村長さんの顔はまるで死んだ人の様な青い顔になり
「な、何もせんのであれば直ちに用向きを済ませて出ていってもらおう」
と震え声で言ってくる でも、村長さん私は言ってあげた。
「私達はここに一晩ご厄介になるつもりでしたが、そんな私達の工程を妨げ、害すのですか?」
すると村長さんついには震え上がり
「も、もう結構です…ご用向き手早く終えられること、お祈りしております」
と言い残すと、村長さんは教会の人達に連れられて道から外れた細い路地奥へと姿を消した。
「人間ちゃんがそんなことをするはずないのに」
と、後ろで妖精ちゃんが憤慨しているけれど私としてはしてやったりだ。
もちろん兵隊さん達の力を借りて村をどうこうしようと思っているわけじゃない。
でも、私を追い出してもなお、力を使って遠巻きに出ていくよう言って来た村長には、
私の一存…ってわけじゃないけど、とにかく声を掛ければ各地から合計一万くらいの軍勢を集められるって事実を端的に伝えて黙らせた。
全部ハッタリじゃなくて本当のことだし嘘はない。私は、そう言って村長さんをいい任せたことでなんとなく胸がすっとするよう気持ちになった。
「おぉい、あんた!あんた、もしかして…!」
不意にそんな声が聞こえたので人混みの中を見やるとそこには、私を引き取ろうとしてくれた道具屋の女将さんが居た。
「女将さん!」
私はそう手を振って女将さんへと駆け寄る。すると女将さんは私の両手をギュっと握って
「あんときは、なんにもしてやれなくてすまなかった…本当にすまなかったね…!」
なんて泣き出してしまった。
「いいえ、女将さんがうちの子になりな、って言ってくれてあのとき安心出来たんです。だから、気に病まないでくださいね」
私はそう言いながら、もしそうだとしたら…ってことを考えて、お姉さんに書いてもらった一枚の羊皮紙を取り出して女将さん手渡した。
「こ、これは…?」
「西大陸の中央都市への推薦状です。女将さん最後まで私をかばってくれてたから、この村じゃ生活しづらいんじゃなかって思って。
もし良かったら私達の街で生活してみてください。きっといいところだと思うんですよ」
私が言うと、女将さんはまた私の手を握っておいおい泣き、それから私が住んでいた家は他の人手渡ってしまって、
家財道具や小物なんかは女将さんのところの道具屋で保管してくれているとも言ってくれた。
家のことは残念だけど…家の中で使っていた物が無事だった、というのは嬉しい。
私は明日引取に行くから、約束をして女将さんと別れさらに道をまっすぐに進む。やがて大手通りの右手には小高い丘が見え始めた。
私はその丘の上へと登る道を行き、そしてその先にあった小さな墓地へとたどり着いた。
墓石と墓石間を歩き、私はすぐに二人が眠るお墓を見つける事が出来た。
二年もの間、誰に手入れをされることもなく、花も供えられてこなかったお墓はもうすっかり荒れ放題になっていた。
私は墓石の前に跪いて両手で手を合わせる。
―――ただいま、父さん、母さん。待たせちゃって、ごめんね…
胸の中でそう謝ってから、私はトロールさん頼んで二人の骨壷が収められている石の戸を開けてもらった。
そこにはちゃんと、二人の壺が収まって居た。
その二つを手にとって墓石の中から抱え出した私は、両方を胸にギュっと抱きしめた。
竜娘ちゃんがお母さん再会できた時にも感じた。
お姉さんと姫ちゃん、零号ちゃんに勇者様、そしてサキュバスさんが一緒にいる姿を見て、私は確かに嬉しいな、ってそう思った。
でも、心のどこかでは、父さん母さんことを思い出して、胸が軋んでいたんだ。
あれから何度も父さんと母さんのことを思い出して、ここへ来たいってそう思った。
私には大事な大事な、家族と呼んだって良い仲間たちがいる。でもね、やっぱり父さんと母さんだけは特別なんだ。
零号ちゃんにとってお姉さんや勇者様が特別なように、竜娘ちゃんがお母さんを探し求めたように…
血の繋がった家族って言うのはやっぱり何にも代えがたいものなんだよね…。
私は二つの骨壷ギュっと抱きしめながら胸の中で二人に語りかけた。
―――会いたかったよ、父さん、母さん
―――あのね、私はあれから大切な人達と会ったよ
―――大事な大事な仲間たちで、一緒にいると幸せな気分になるんだ
―――でもね、時々思っちゃうんだ
―――あの街に父さんと母さんも一緒にいてくれたら、どれだけ幸せだろう、って、ね。
ハラリと、目から涙が零れた。我慢なんて出来るはずがない。次から次へと零れ出てくる涙と一緒にずっとずっと堪えて居た思いが吹き出してくる。
―――父さん、畑のことを教えてくれてありがとう
―――母さん私に優しくしてくれて…守ってくれてありがとう
―――私…私ね…寂しくは、ないよ…
―――みんなと一緒だから、寂しくなんてないんだ。
―――でもね、でも、時々すごく会いたいって思うんだよ。
―――母さんギュッて抱きしめて欲しいって…
―――父さん手を握って一緒に畑の様子を見に行きたいって…
―――もう一度声が聞きたいって…
―――もう一度会いたいって…
―――そう、そう思うんだよ…
―――父さん…母さん…なんで…なんで…
―――なんで私を置いて死んじゃったの…?
―――どうして私を一人になんてしたの…?
―――寂しくないなんて嘘だよ…!
―――私、会いたいよ、会って二人にギュって抱きつきたいよ…!
―――父さん優しい声を聞きながら、母さん温かい肌に触れながら
―――また一緒のベッド三人で寝たいよぅ…
―――父さん………母さん………!
知らず知らずのうちに私はしゃくりあげ、まるで姫ちゃんのようにギャンギャンと泣きわめいていた。
二年間、ずっとずっと胸にしまってあった思いが弾けて、もう自分でもよく分からなかった。
でもとにかく、私は胸にポッカリと空いた穴を塞ぎたくって、必死になって骨壷抱きしめ、泣きわめいた。
どれくらい経ったんだろう。
それから私は眠ってしまったらしく、骨壷二つは妖精さんが運び出すための木箱に入れてくれて、私はトロールさんに背負われて宿へと戻ったらしい。
ベッド寝かされた私はそれでも眠り続け、荷物を届けてくれた道具屋の女将さんにも挨拶できず仕舞いだった。
そんな私は、夢を見ていた。見慣れた天井。懐かしい感触に包まれて居た私は、父さんと母さん一緒にベッドに眠っていた。
もぞもぞと体を動かして母さん擦り寄ったら、あの優しい声色で、母さんが言ってくれた。
「これまで良く頑張ったね」
私はそう言われた言葉が心地よくって母さんの胸元に顔を擦り付けた。懐かしい香りが鼻をくすぐって、幸せな心地に満たされる。
「立派になったな」
後ろからは父さんの声が聞こえて、力強い腕が背中から私を抱きしめてくれる。その安心感に、私は身も心も委ねてしまう。
―――会いたかったよ、父さん、母さん…私がそう言うと、私を抱く二人の腕にギュっと力がこもった。
そして、母さんの囁き声が聞こえる。
「これからも、ちゃんと見ているからね」
後ろから父さんの声も聞こえた。
「いつでもそばにいるよ」
―――うん
そんな私返事に、母さんが優しく言ってくれた。
「だから、行ってらっしゃい」
父さんの穏やかな声が響く。
「しっかり頑張るんだよ」
―――うん、わかったよ。父さん、母さん…
その言葉はやっぱりちょっと悲しかったけれど、それ以上に私には嬉しい気持ちが満ち溢れていて、二人にそう返事をした。
翌朝、誰よりも早くに目を覚ました私は、なんだか晴れ晴れした心地だった。
みんなの朝食何かを用意してあげて、のっそり起き出してから揃って食事を済ませた。
旅支度を整えてから、街の真ん中歩いて馬車乗り場に行き、お世話になった御者さんを見つけてまた砂漠の街までの道のりをお願いした。
ガタゴトと馬車が揺れ、村がどんどん遠ざかって行く。
荷台の後ろでそれを見ながら私は、最初トロールさんに出会ったときのことを思い出していた。
あれからもう二年。私達は今も、あの頃からは想像も付かないような生活をしている。
想像も付かなかった仲間たちと一緒に毎日この取り返し付かない日々を、ただ前を向いて少しずつ進んでいるんだ。
私一人じゃとてもできなかっただろう。ここまでこれたのは、本当に支え合って居られるみんなのおかげだ。
そう思ったら私は、どうしたってそう言わずには居られなかった。
「みんな…一緒にいてくれて、ありがとね」
そんな言葉を聞いた三人が一斉私を見て不思議そうな顔をする。
でも私は今の気持ちのまま満面の笑顔を見せてあげたら、みんなも満面笑顔を見せてくれて、それから私にも言ってくれた。
「そばにいてくれて、ありがとう」
自分で言うのは平気だったのに、みんなから言われたらとたんに胸がいっぱいになって、
私は零号ちゃんに飛びついてなぜだか二人して泣きわめいてしまっていた。
私とたいして変わらないくらいの大きさの零号ちゃんにギュッと抱きしめられた私は、なぜだか母さんや父さんに抱きしめられていたときのように
ギュッと胸のなかいっぱいに暖かな気持ちが湧いて出てきて、それが固く結んでいた気持ちをたおやかに解きほぐしてくれるような、そんな気がした。
不思議なことなんてない。
きっと、それは当然のことなんだろう。
だって私達はお互いが大切な仲間で、きっと大事な大事な家族なんだから、ね。
fin
以上です!
お読みいただき超感謝!
しかし、一年以上も書き続けることになろうとは…
思えば難産に次ぐ難産で苦難しかなっかったな…w
残レス数もわずかなので、感想ご意見苦情などなどなど書き込んでいってもらえると嬉しいです!
キャタピラの次回作にご期待ください!
>>942
後レスになって申し訳ない!
ずっと続けるのはたぶん無理だったかと…w
このお話は、本編で基礎構文が消えた時点で決着しちゃってたんですよね。
後日談は本当に蛇足で、書き残したことを詰め込んだだけなので…
でも、ご期待いただけたことはうれしいです!
また次作もどうぞよろしく!w
今日初めて見て一気読みしたけどおもしろかったです!
お疲れ様でした。
乙
終わってしまった。もう一回乙。
しかし良いラストだなこれ。一番最初の三人(プラス1)で元の村に戻るとは。最初の生贄のくだりでモヤモヤしてたから溜飲が下がった!
続いて欲しくはあるんだけど、おっしゃる通り本編終わった時点で世界が変わってしまっているんだよね。
この先物語を続けるとなると登場人物同じなのに全く別種の物語にしかならんという奇妙なことになるのか。それはそれで……(チラッ
人物に名前を付けないで書く、という事への挑戦もよくぞ貫き通しましたね。おめでとう。もうやらないかな?w
次回作のアイデアも色々あるようで楽しみにしております。
完走本当にお疲れ様でした!
そうか1年以上経ってたんだな
読んでるだけの身だったけど感慨深い
本編も番外もお疲れ様です
遂に終わってしまったか…よかった、とてもよかったです!お疲れ様でした!
素敵なおはなしをありがとうございました!
一つリクエスト
長物。に置いておいて頂けるといつでも読むことができて嬉しいです。
あああああああああああああああああ終わってしまった。乙だ
次回も全力で期待するしTwitterも見つけたので追いかけまくる
最後の投下で接続詞が抜けまくってたのが何だか残念だが
紙媒体で読みたい一作
もちろん挿絵付きで
>>969
レス感謝!
ここまで来て初めての方がいるとは!
お読みいただき感謝です!
>>970
感謝!超感謝!
おぉ、演出の意図を把握していただけてうれしいです!
始まった場所で終わる方がいいかなぁっと思いまして。
そうなんです、物語的にこれからはまったく別モノになってしまいますのでねww
呼び名、正直苦労しました…
もうやらないと思います、固有名詞付けた方が愛着がわきそうな気がしてww
次回作もぜひ応援してください!
>>971
最後まで読んでいただけ感謝です!
>>972
一年も書くとは思いませんでした…
最後までお付き合いしていただいてありがとうございました!
>>973
おほめいただけて光栄です!
次回作もお願いします!
>>974
ありがとうございます!
おぉ、格納庫の方を読んでいただけているとは…
あっちも放置気味なので、時間できたらいじってみますね!
>>975
ありがとうございます!
最後の接続詞ですが、タブレットで書いてたのでいろいろ抜けてしまったようです。
そして展開を急いでチェックを怠りました…すみません。
次回作もよろしくお願いします。
>>976
ありがとうございます!
紙媒体…やりたいですね…
ですが同人誌だとアシが出過ぎて難しいのです。
キャタピラは裕福な出版社に飼われたいと思っています!ww
とりあえず次スレ、クリスマス特番(?)あげました!
【三姉妹探偵】マリーダ「サンタクロースが誘拐された!?」【プルズ】
【三姉妹探偵】マリーダ「サンタクロースが誘拐された!?」【プルズ】 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1450460630/)
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