思い出を売った人の話 (63)

オリジナルの短編SSです。地の文で進行していきます。
ゆっくり書いていきます。よければ、しばらくお付き合いください。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1409226767

 シックな雰囲気のカウンターで、バーテンが紙片を手に行きつ戻りつしている。
 店内には客が一人きりで、最低限の灯りを残して照明は消えており、
 おそらく閉店後なのだろう。

 年齢は二十歳前後だろうか、少年と言っても差し支えない風貌の青年は
 カウンターの椅子に座り、じっとバーテンを見つめている。

「性別、男。年齢、二十一歳。現在地は……バー、クロス・トゥ・ジ・エッジ。
 所持品、財布。所持金、七千百五円」

 バーテンが読み上げているのは青年のことについてである。
 読み終えると、 バーテンは紙片を青年の前に置いた。

「住居はもう決めていますか? これから、なにを……」

 青年は口をつぐんだまま、じっと紙片を見つめていた。
 紙片には先ほどバーテンが読み上げた他に一つ、
 余計に書かれているものがあった。

「申し訳ありません」

 バーテンはわざとらしく言い、わざとらしく頭を下げて、咳払いをした。
 青年はまだ紙片を見つめている。

「三井様……。ああ、あなたのことですよ」

 青年の名は三井。彼は紙片から目を上げて、バーテンの方を見た。
 バーテンは満足そうに続けた。

「三井様は、ええ、正確には三井様のお父様とお母様は、
 三井様の人生の時間をお売りになられました」

 三井は怪訝そうに目を細めた。
 ――そりゃあ、うさんくさいだろうなあ。バーテンはシニカルに笑った。

「三井様は記憶がありますか?
 いや、あってもぼんやりしたものだと思います。
 いかがですか、なにか思い出せますか?」

「……なにも」

 青年は初めて口を開いた。煙のような声だった。

「そうでしょう」

 青年には記憶が、いや、思い出がない。
 それが不可解なことかどうかも、おそらく彼には分からないのだろう。
 バーテンは稀に見る悲しき若者にとうとうと語り始めた。

「私どもは人生の仲買人。信頼のおけるお客様だけに、上質な人生の交換をご提供します」

 青年の目はバーテンの方へ向いていたが、
 何もかも空っぽのような意識がくらくらと出歩いている。

「あなたは、三歳から今までの人生を売ったのです。
 およそ十八年間の人生の時間は、莫大な金額で売り払われました」

「どうやって売っているんですか」

 青年は夢見ているような眼で問いかけた。

「企業秘密です」

 バーテンは肩をすくめ、紙片に書かれた数字を指で示して読み上げた。

「十八年間、正確には十八年二か月と四日間分の金額が五十一億千二百十万円。
 うち、手数料と三井様のご両親の受け取った前金など差し引きまして、
 三井様のお手元に十二億七千六百万円……」

 青年は興味なさ気に数字を追った。

 彼には自分の人生がいくらだったかよりも、もっと知りたいことがあるはずだ。
 バーテンはそう思った。

 だが、彼はそれがなにか、おそらくすぐにはわからないだろう。
 思い出のない人間とは得てしてそういうものだ。
 こういう仕事であるから、何人か思い出のない人間を見てきた。作りだした。

 バーテンはため息を飲み込んで、三井に迫った。

「もし、よければ、これからの"人生"のサポートを私どもが請け負いますよ」

 格安で、と付け足すことも忘れない。

以上が第一話です。なんて言うと大げさでしょうか。
こんな感じでのんびり書いていきたいと思います。

ふむ
期待

話シリーズの人?

期待

続き投下します。

>>9
別人です。

 三井はドアの鍵を回して、部屋に入った。
 バーテンにあてがわれた住居は悪くない。
 静かな町の隅にある小奇麗なアパートだ。

 三井のような若者が豪邸に住んでも持て余してしまうだろうと、
 バーテンが気を利かせたのだった。

 部屋に最低限の家具は揃っていて、
 調理の簡単なインスタント食品が棚一杯に入っていた。

 三井は大して空腹でもなかったが、棚からカップラーメンと割り箸を取った。
 やかんに水道水を汲んで、火にかけて、蓋がかたかたと音を立てると火から下ろして、
 カップラーメンに湯を注いだ。

 少し待って、食べる。
 食べ終わって、残り汁をシンクに流し、ゴミを捨てるとやることがなくなった。

 押入れから布団を出して、着替えもせず三井はそこへ横になった。
 空腹でもないが食べ、眠くもないが眠り、目が覚めたら食べる……。
 彼の時間はそんな調子を保って零れ落ちて行った。

 彼は喜ばず、悲しまず、退屈もしなかった。

 一月ほどして、棚にあったインスタント食品がなくなったので、三井はバーへ出かけた。
 金は手元に四千万ほどあったが、彼には買えなかった。
 おぼろに、買い物は店でするものだと知っていたが、彼にそれはできなかった。

 午後の十一時を過ぎた頃、彼は家を出た。
 濡れたような夜を歩きながら、街灯の安いきらめきに目を滑らせた。

 バーのドアを開けると、カウンターのバーテンが三井を見た。
 三井もバーテンを見たが、すぐに目を逸らした。

「なにかありましたか?」

 バーテンの声を通り抜けて、三井はカウンターの椅子に座るとしばらくの間もじもじとした。
 三井の口が開くのを、バーテンは辛抱強く待った。

「食べ物がなくなりました……」

「ははあ、なるほど。すぐに手配しましょう」

 バーテンはふっと笑って、携帯電話を取り出した。
 そして、どこやらへ電話で指示を出して、ポケットにしまった。
 この間、二分もない。

「なにか飲みますか?」

 バーテンは愛想よく笑ったが、三井は返事をしなかった。
 空ろに、悲しげな目をしてどこか遠くを見ているようだった。

 店内ではモダンなロックミュージックが控えめに流れている。
 I get up, I get down.
 バーテンは小さく口ずさんでから、上の空の三井に向かって言った。

「あなたは可哀想な人だ」

 バーテンは独り言のように言った。

「失われた人だ。奪われた人だ……金で、あるいは良心の欠如から」

「両親の欠如?」

 三井もまた、独り言のように言った。目は悲しげに遠くを見つめていた。
 バーテンはそんな彼を悲しげに見つめていた。屍のようだと思った。

 三井は度々バーを訪れるよう、バーテンに提案された。
 好きなときに来ていいとのことで、二日に一度はバーに顔を出すようになった。

 お互いに信頼が深まったわけでないことを、バーテンはよく分かっていた。
 三井は言われたからそうしているだけで、他に理由などない。

 あるとき、自分が以前、つまりは売り払った人生の時間、
 なにをしていたのか知りたいと三井が言った。

 バーテンはそれはできないと断った。
 守秘義務というやつで――自分の人生なのに、おかしな話だが。

 今、三井がカウンターで捲っているファイルノートの中身は人生の買取履歴だった。
 守秘義務があれば、開示を求める権利も一応ある。

 いついつからいついつまで誰かがいくらで買い取った。
 ――あとはどの学校を卒業したとか、などが書かれている。

 普通、パーソナリティにかかわる事件や人物についても記録されているらしいが、
 このファイルにはなにも書かれていない。

 およそ十数人が彼の人生を金で買い、それぞれが彼の断片で好き勝手遊んだのだから、
 当たり前と言えば、当たり前かもしれない。

「この、四歳のクリスマス……二日間だけ他の人に買われてるのはどうしてですか」

 先ほど、守秘義務があると言ったばかりだが、
 バーテンは少し迷ったあと理由を話した。

「三井様のご両親のセックスを見るためと伺いました」

 三井は不快そうな素振りも見せず、そうですかとだけ呟いてファイルを捲った。

 彼の人生――そう呼ぶにはあまりに空洞だった――は取り立てて特徴もないように見えた。
 それもきっと、バーテンの言う守秘義務のせいなのだろうか。

 三井の人生は三井自身には明かされなかった。

以上、今日の文でした。また、書いてきます。

こういうの好き

ふむ

今日の文でした、と言いましたが、また投下します。

 ――――

「人生って、どうやって売るんですか?」

「企業秘密です」

「あ、いや……そうじゃなくて」

 三井はカウンターの椅子の上で縮こまって、口を噤んだ。
 バーテンはすぐに気が付いて、人生の時間を売る際の基本的なシステムを簡単に説明した。

 人生の時間は競売にかけられる。
 例えば、どこからどこまでの一か月間、という風に。
 買い手がつきやすいのは若い人生であり、四十を過ぎた人間の時間にはほとんど値がつかない。

 三井は――三井の両親は市場で極めて稀な幼年期から少年期の三井の時間を売りに出した。
 買い手は殺到し、破格の値がついた。

 バーテンは当時のことを知らないし、三井自身も覚えていない。

 どういう経過を辿ったかは定かでないが、
 結果的に三井の十八年間は他人の手に渡った。

「人生を売ることが具体的にどういうことかも説明しておきましょう」

 バーテンは習慣からか、商売人の顔つきになった。
 人生を売ると言うと少し大げさだが、感覚的には身体を貸すのに近い。
 精神、あるいは魂を入れ替えて、買い主――ちなみに多くは老年の富豪である――は若い肉体で人生を楽しむ。
 その間、売った側の魂は眠っている。それらがどうやって行われるかは企業秘密である。

 そこまで話して、バーテンは三井の方へ向き直った。

「なにか、質問は?」

 三井はもじもじとしていた。
 三井が口を開くまで、バーテンは辛抱強く待った。

「人生、売りたいんですけど」

「……本気ですか?」

 三井はまたもじもじとした。

「他に、できること、ないし」

 三井の言葉に、バーテンはため息を隠さなかった。
 これまで数人だが、三井のように奪われた人間を見てきた。
 彼らは大抵、恐ろしく空虚な中に金を詰まらせて、窒息しかけている。

 いくらか違いはあったが、確実に、彼らは再び人生を売ろうとする。
 彼らには自身の人生を他人に委ねる狂気を認識できない。

「誰か、人生を買ってくれる人を探したい」

 三井は眠そうな目でバーテンを見た。
 この若者も、今までに見てきた奪われた人間と同じだ。バーテンはそう思った。

 彼には――彼らには自分の人生が自分のものだと、まったく分からないのだ。

 バーテンはしばらく迷ったあと、言った。

「分かりました。私どもにお任せを」

 彼らにとっての幸せは一体なんだろう。いや、幸せとはそもそもなんだ。

 三井はどこか遠くを見ていた。飛散してしまった自身の断片を、空に探すように。

 翌週、バーテンは三井の人生の買い手を募った。
 客層は以前と似たり寄ったりであった。

 バーテンは問い合わせの中に一つ、奇妙なものを見つけた。
 ――買い取る前に、彼と会わせてほしい。
 希望額とプロフィールを読んでみると、ますます不思議だった。

 二十二歳の女性で、希望額は中の下……いや、下の上と言ったところか、
 期間は問わない。買い取る前に彼と会うことは絶対条件とのことだ。

 だが、額はこの際問題ではない。普通の人生だったら即突っぱねる客だが、
 売りに出された三井の人生は希少なものではない。悲しいことに。
 こういう見るからに面倒な客の方が、三井にとって良いかもしれない。

 三井が店に来た夜に、バーテンはこの客のことをそれとなく話した。
 買い手がつきそうだが、少し面倒な条件があると。

「会ってから決めたいということです。いかがなされますか」

 三井は聞いているのか聞いていないのか、二度、首を縦に振った。

 バーテンは週末に約束を取り付けた。

 三井は印刷された地図を手に、彼女へ会いに道を歩いていた。
 大通りを行けばすぐなのだが、三井は日を避けるように裏路地を選んでいた。
 そのせいで地図もほとんど役に立たず、約束の時間にかなり遅れた。

 彼女に指定された会合場所は市内の入院病棟の一室で、
 恐らく彼女は入院患者だろうとバーテンは推察した。
 余命幾許もない客が人生を買おうとするのは珍しくない。

 病院を通り抜けて、病棟の方へと足を運んだ。
 白い廊下には見舞いに来る人間がちらほらといて、みんな優しげに見えた。
 三井は三階まで上がって指定の部屋へ向かった。
 ドアの前に立って、番号を二度、確認した。

 表札には「妻井頼子」と書かれていた。

 ドアを開けると、ベッドに横になって本を読んでいた少女
 ――年齢は二十二だが、そう呼ぶ方がしっくりきた――が驚いたように三井を見た。

「ノックくらいしてよね」

「あなたが人生、買ってくれるんですか?」

 三井は独り言のように言うと、彼女――妻井頼子は困ったように笑った。

「ああ、うん。条件に合えば」

 頼子は本を閉じてわきへやると、ベッド傍の椅子に座るよう三井を促した。
 椅子に腰かけた三井を上から下までジロジロと見て、
 頼子は頷いてみたり、うーんと唸ったりした。

「君、名前は?」

「三井」

「そう、三井くん。恋人はいる?」

 三井は首を横に振った。

「じゃあ、友達は? この際、男女問わず」

 三井は首を横に振った。

「よく行くお店は?」

 三井が再び首を横に振ると、頼子は呆れたようにため息をついた。

「君、なにして生きてるの?」

 少し迷ったあと、三井は首を横に振った。
 頼子はぷっと吹き出して、声を上げ笑った。

「あははっ。私ね、もうすぐ死ぬんだ。
 もうすぐって言うのは、一年後かもしれないし明日かもしれない」

 頼子はわきに置いた本を取って、ページを捲った。

「こういうベタベタな恋愛がしてみたくって」

 君には分かんないだろうけどねー、と頼子はふふんと鼻を鳴らした。
 三井は眠そうに、はあ、と返事をした。

「若い人は売りたがんないからさ、年が近いの君くらいしかいなくて……
 まあ、この際なんでもいいから誰かと恋がしたかったのよ」

 男の身体がどんなんだか体験してみるのも面白そうだと思ったしね。
 頼子はそう付け足して、からからと笑った。

「でも、君の人生じゃ無理そうね」

 三井は少し考えてから、首を横に振った。

「三井くんは首を横にしか振らないようにできているのかな?」

「恋なら、あなたはできます。たぶん」

「……自分でも悪くない物件だと思うけどね、さっきも言ったでしょ。
 もうすぐ死ぬし、お医者さんはおじいちゃんばっかりだし、
 自慢じゃないけどアタシは友達ゼロ人なのよ」

 頼子は本を閉じて、元のようにわきへ置いた。

「ご足労、ありがとうございました」

「買ってくれないんですか?」

「だって、君で恋愛するには難易度高そうなんだもの」

 口を尖らせてから、頼子は、あっと叫んで手を叩いた。
 三井はどこか遠くを見ていた。

「そうだ! 三井くんと恋愛すればいいのよ!」

 頼子は勝手にうんうんと頷いて、三井にそうでしょうと同意を求めた。
 三井は興味なさ気に、はあ、と返事をした。

以上、今日の文でございました。また後日。

こういう話好き
続き期待

鬼太郎のぱくり?

おつおつ
期待

続き投下しまー

 ――――

 三井は頼子に言われた手順をきちんと覚えていた。
 コン、コン、コンとノックを三回。中からはぁい、と返事がしたらドアを開ける。

 三井の姿を見ると、頼子は「オッス」と片手を上げた。
 無言でベッドの傍の椅子に腰かけた三井に、頼子は口を尖らせた。

「こらっ。挨拶は人間の基本だよ、三井くん。ちゃんと返すの!」

「ああ、はい」

「こんにちは! ほら、言ってごらん」

「……こんにちは」

 頼子は一人で納得したように何度か頷いた。

「いいぞ、三井くん。それで……えーと、この間話したこと覚えてる?」

 三井はどこからどこです、と眠そうに答えた。

「アタシと三井くんが恋愛するって話」

「ああ、はい」

 頼子の話ははっきり言ってかなり強引だった。

 ――三井くん仕事は? 学校は? ふーん、そっか、暇そうだね。お金に困ってない?
 ……そう、じゃあ、明日からアタシのことお見舞いしに来てね。
 どーせ暇でしょ?

 そんな具合で、頼子は三井と"友達"になった。

「言っとくけど、恋人ごっこじゃないからね。真剣な恋愛だから」

 はあ、と三井の気の抜けた返事に頼子は念を押して言った。

「最初は私たちは恋人じゃないから、当たり前だけど。
 これからお互いのことを好きになっていくのよ」

 まずはお互いのことを知ることから始めましょ、と頼子は咳払いを一つした。

「妻井頼子、二十二歳。ずいぶん前から病気で入院中。もうすぐ死ぬかも」

 それだけ言うと頼子は、はい三井くんの番、と手を振った。

「三井。確か二十一歳。……十八年くらい、眠ってました」

「眠ってた?」

「眠ってたって言うか」

 三井は簡単に説明をした。三歳から今まで人生を売られて、
 ついこの間(と言っても、もう四か月も前だが)目を覚ましたことを。

「君、意外と壮絶だね。……あっ、じゃあ、記憶もぜーんぜんないわけ?」

「あるにはあります。言葉は分かるし、箸も持てる」

 記憶、と言うよりは記録はある。ないのは言わば思い出だ。
 違いがなんなのか、きっと今の三井には分からないだろうが。

「ふーん、なるほどねー。そういえば、アタシは結局買わなかったけどさ、
 どうしてまた人生を売ろうと思ったの?」

「他にすることがなかった」

 三井がそう言うと、頼子は気まずそうに目を逸らした。

「つらくない?」

 三井は静かに首を横に振った。

 しばしの沈黙を隅へ追いやるように、頼子は話題を変えた。

「ところで、アタシが言うのもなんだけどさ……大丈夫?
 その、こんなことに付き合わせちゃって。
 ほら、一応、アタシだって少しは遠慮したりするのよ?」

「他にすることもないし」

 三井がそう言うと、頼子は苦々しく笑った。

「ま……いいけど。三井くん、趣味とかは?」

「ないです」

「だと思った。アタシはねー、音楽が好きなんだ。
 まあ、音楽は誰だって好きなんだろうけど」

 頼子はベッドわきの小さなラジカセに腕を伸ばして、電源を入れた。

 間を置いて機械の中でからからと軽い音がしたあと、
 シンプルで迫力のないギターリフが鳴り始め、
 ドラムのフィルインからノイズ混じりのディストーションに変わる。

「お医者さんには身体に悪い音楽だから、控えなさいって言われるんだ」

 頼子は笑いながら、手の甲をトントンと指で叩いてリズムを取った。

「ニルヴァーナはね、前の病院で流行ってたんだ。アタシが流行らせたんだけどね」

 頼子は懐かしそうに言った。

「ラジオで流れてたのがカッコよくて、お母さんに頼んで買ってきてもらったの。
 それで仲の良かった子と一緒に聴いてたんだ。
 前の病院の先生も、お母さんも、あんまり良い顔しなかったけど」

 スネアドラムの連打のあと、サビに入った。
 曲に合わせて口ずさむ頼子の静かな声と違って、ラジカセは痛々しいほどに叫んでいた。

 確かに身体に悪そうな音よね、と頼子は三井に笑いかけた。

今日の文でした。

おつおつ

続き投下します。

 三井が頼子の病室に訪れるのは二日に一回だった。頼子がそう決めた。
 時々、頼子の気まぐれで三日ほど間を空けることもあった。

 頼子曰く、会えない時間が二人の距離を縮めるのよ。

 三井はそれらを忠実に守って、頼子に会ったり会わなかったりした。
 頼子はそんな三井に不満で、口を尖らせた。

「三井くんが来るって分かってるとドキドキしないから、言われた通りじゃなくってさ。
 これからは自分で考えてテキトーに来てよ。
 というか、会いたいときに会いに来て。お分かり?」

 はあ、と三井は眠そうに言った。分かってるのかなぁ、と頼子はため息をついた。
 三井はその日から毎日頼子に会いに来た。

「三井くん、もしかしてアタシのこと大好きなの?」

「他にすることもないですから」

 頼子はやれやれと額に手を当てた。

 病室に二人でいるときはよくニルヴァーナを聴いた。
 ネヴァーマインドを何回も聴いた。
 最後の曲に入るか入らないかというところで、頼子はいつも停止ボタンを押した。

 時々、ニルヴァーナ以外にはアリス・イン・チェインズや、パール・ジャムを聴くこともあった。
 それらをBGMにして、三井と頼子は話をした。

「三井くんって十八年も人生を売ったんでしょう?」

「ええ、そう聞いてます。……なにも覚えてないし」

「どのくらいお金貰えるの?」

「たくさん……」

「アタシが持ってるお金なんか屁みたいなもんなんだろうね」

 頼子は笑ったあと、少し寂しそうな表情をした。

「君、アタシのお父さんとちょっと似てる。
 人生を売った人って、みんな君みたいになるの?」

 三井は首を縦にも横にも振らなかった。
 人生を売ったその後の人生なんて、自分の他に見たことなかったから。

 三井はただ、静かに頼子を見つめていた。
 頼子はごめんね、と手を伸ばし、三井の頬を指で撫でた。

「アタシも似たようなものか。物心ついてから、ずっと入院生活だから」

 君と一緒で友達ゼロ人だし。けたけた笑って、頼子は手を引っ込めた。
 三井は残った指の感触を拭うように、自分の頬に手をやった。

 初めに三井が頼子を訪れてから、すでに三か月が経っていた。
 頼子は隅にかかったカレンダーを指差して、はしゃいだ。

「知ってる? 三井くん。男女がお互いを好きになって、
 恋人になる最高の時期っていうのが知り合ってから三か月なんだって」

「最高なんですか」

「そう。最高なんです」

 頼子は得意気に頷いた。

「どう、三井くん。アタシのこと好き?」

「好きなんでしょうか」

「自分でわかんないかなぁ」

 頼子はラジカセの横にあったニルヴァーナのアルバムを取って、三井に差し出した。

「アタシ、三井くんのこと好きだよ。だから、ニルヴァーナをあげます」

「好きだからですか?」

「そう、好きだから」

 三井は頼子の手から、CDを受け取った。

「と言うわけで、明日から来ないでね」

 三井はいつものように頼子を見た。

「好きだからですか?」

 頼子は困ったように笑って、言った。

「好きだから」

 翌朝、三井はふらふらと病院の敷地に一歩入ってから、
 頼子の言ったことを思い出して、少し迷ったが踵を返した。

 もう季節は秋。三井はジャンパーのポケットに手を入れて歩いた。
 このジャンパーは部屋のクローゼットにいつの間にやら用意されていた。
 衣食に関してはもう、言わなくても用意されるようになった。

 薄らと霧のような予感が三井の鼻先に漂っていた。
 このままでは自分は――そういう予感。
 そしてもう一つの予感もその中に紛れていたが、三井は意識できなかった。

 病院から遠ざかり、人を避け、三井は小さな公園へと入って行った。
 さらさらと風が通り抜けて、枯葉が笑った。
 三井はベンチに座って、自分以外の人間が日々なにをして暮らしているのか考えた。

 頼子は毎日、三井と話して、ニルヴァーナを聴いて、
 時々アリス・イン・チェインズを聴いていた。ずっと、それが続くのだろうか。

 三井は頼子のことを考えながら、自分がどこへ行けばいいのか
 ――じっと空を見つめていた。風が冷たかった。

 太陽が地平の裏へ落ちてから、三井はアパートへ帰った。

 食事と風呂とを済ませて布団をひくと、
 部屋の隅に置いていたニルヴァーナのアルバムが目に入った。
 水の中で裸の赤ん坊が紙幣を追いかけている。
 三井は布団に入って、目を瞑った。

 三井は翌朝、着替えるとすぐに病院へ足を運んだ。
 あのCDはどうやって聴くのだろうか、と訊きに行こうと思った。そう三井は考えた。

 病室のドアを開けると、ベッドに頼子は居なかった。
 シーツを換えていた看護婦が振り返って、三井を怪訝そうに見た。

「ここの人はどこへ」

「……移動になりました。他の病院です。もっと大きな所へ」

 頼子の容態は見かけよりもずっと悪かったのだと、三井にもなんとなく分かった。
 そして、もう会えないだろうと思った。

 三井は病院を出て、昨日と同じ公園のベンチに腰かけた。
 もう一度だけ、頼子に会いたいと思った。

 太陽が沈む前に三井はベンチを立って、バーへと向かった。
 明るいうちから開いているのか、薄らと不安だったが、幸い開いていた。

 バーテンは笑顔で三井を迎え入れて、飲み物を薦めた。

「ここ最近、あまり来られませんでしたね」

「他に用があったので」

「ほう……? それはそれは」

 バーテンは嬉しそうに笑って、ガラスのコップを丁寧に拭いた。
 三井はふっと息を吸い込んで、バーテンの方を見つめた。

「CDってどうやって聴くんですか?」

「……CDですか。ラジカセなんかで聴けますよ」

 そうですか、と呟いた三井に、バーテンは笑いかけた。

「ご用意いたしましょうか」

 三井は静かに頷いた。

 三井が店を出る頃には太陽はもう見えなかった。
 薄暗い中を歩いてアパートへ帰ると、部屋の隅にラジカセがぽつんと置いてあった。

 ラジカセの傍へ膝をついて、コンセントを探した。電源を入れると、中でからからと軽い音がした。

 三井は傍に置いていたニルヴァーナのアルバムを取って、ケースを開けた。
 中からはらりと、一枚の紙が落ちた。

 拾い上げて見ると、三井は目を細めた。
 紙片には『I love you』と書いてあった。

 ディスクをラジカセにセットしてからも、三井はその紙片を見つめていた。

 ニルヴァーナを頼子と一緒に聴くことは、もうないんだろう。
 三井は、もう一度だけ頼子に会いたいと思った。

今日の文でした。

おつおつ

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