幼女「さーさーのーはーさーらさらー♪」 (40)





笹の葉 さらさら


軒端にゆれる


お星様 きらきら


金銀砂子





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「さーさーのーはーさーらさらー♪」


 楽しそうに歌う娘の声を聴き、今日は七夕であったと思い出す。

 帰宅したばかりの私には彼女が何故この童謡を歌っているのか知る術は無いが、その手にあるミニサイズの笹の枝を見れば、今日は幼稚園で七夕を題材にした行事でもあったのだろう。


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「さーさーのーはーさーらさらー♪」


 歌詞は未だうろ覚えなのか、ひたすら同じフレーズを繰り返す娘をみて無意識に破顔してしまう。

 自分で言うのもなんであるが、今日が七夕であると思い出すのは中々に困難ではないかと思う。


 勤めから帰宅した私を出迎えてくれた妻が今まで見ていたのであろうニュース番組では、日本列島に上陸したばかりの台風を現場中継するキャスターが映し出されている。

画面内の彼は、激しい横殴りの風雨に晒され、着込んだレインコートは最早、意味を成していない。

 毎年の事であるが、『七夕』とはこの台風等によって大荒れの気候で迎えることが多いのだ。


 どこもかしこもが、やもすれば人死にすら出かねないこの自然災害に注目している。
私とて、七夕に天の川を見たことなど無い。やがて興味も失い、今日が七夕であったことすら忘れてしまう。
それでもこうして台風などに見向きもせず、ひたすらに七夕の歌を唄う娘を見ると、彼女にはいつか『天の川』を見せてあげたい、などと思う。


「沙織、願い事は書いた?」


 思わず、そう聞いてしまう。純真な彼女が一体どんなことを書いたのか、気になる。

 近頃の彼女は話せる言葉が急速に増え、一人で出来ることも多くなり、その成長振りは親の我々から見て眼を回すようであり、また楽しみである。



「パパ、おかえりなさい!ようちえんでかいたー!」


 元気な返事だ。それだけで明日も頑張れる気がする。


「そうか……なんて書いた?」


 いずれこんなことも聞くことが出来なくなるのだろうか?彼女はまだ五歳だというのに、彼女が思春期を迎えることを今から恐れている自分に自嘲しつつも彼女に聴いた。


「これー」


 そうして彼女は、色とりどりの飾りや短冊の吊るされた笹の葉をこちらに突き出す。


 短冊に何が書かれていても、彼女の成長が見れるであろうことに私は喜びを得られるであろう、しかし、いやらしい話かも知れないが、
『こういうことを書いてくれないか』、平たく言えば『この父の健康など願ってくれぬものか』そんな浅ましい望みが私にもあった。

 しかし、彼女が短冊に書いていた『願い』は思いもよらぬものだった。



『あした、てんきにしてください』



 彼女は明日が天気になることを願っていたのだ。



「あー、今日は雨だもんな、早く晴れるといいね」

「それだけじゃないの」

「え?」



 当たり障りなく、彼女の願いを肯定しようとした時、彼女はさらに思いもよらないことを言うのだった。



「おりひめさまとひこぼしさま、あえないから」

「そうか……沙織は優しいね」

「おねえちゃんがおしえてくれたの」

「おねえちゃん?」



 今日は幼稚園で七夕の行事があったことはこの笹の葉を見ても間違いないだろう。
『牛郎織女』の伝説は絵本にもなっているから、その行事の際、娘が『雨が降っていると織姫と彦星が会えない』という発想に行き着くのは想像に難くない。
しかし、私が気になるのは、その『おねえちゃん』なる存在であった。




「今日はおねえちゃん先生が来たの?」



 幼児教育学科などの短大に在籍する学生達が教育課程で実習に来ることは多い。
特に多いのはこの時期で、夏休みなどの期間を利用するのであろう実習生達を、彼女等園児は『おねえちゃん先生』と呼んでいた。


「ちがーう、おねえちゃんとあそんだ」


 だがそうでは無いらしい。妻に顔を向けてみるも、首を横に振るばかり、知らないらしい。


「……団地のお姉ちゃんかな?」


 そう勝手に結論付けたところで、未だ仕事帰りのままの服であることに気付き、妻に促されるまま部屋着に着替えるのであった。





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『私達、離れ離れだね』

『……やだ』



 これは、誰だ。



『仕方が無いよ、時々会えるだけいいじゃん』

『……やだ』



 少女と、少年。

 少年は私だ。それはわかる。

 でもこの少年の私より、5歳ほど年上の少女は誰だ。知っている気がする。



『お……ちゃんといく……』

『……じゃあさ、こうしよう』



 思い出せ、いや、思い出さねばならない。この少女が誰であったか。






『七夕の日に、この橋で会おう』




『え……?』

『お父さんとお母さんには内緒でさ、夜に会うの』

『夜に……』

『そ……』



 誰かは思い出せない。だがこの子は、この人は、私にとって掛け替えの無い人だった。



『一年に一回』

『いちねんに、いっかい……』

『……織姫と彦星みたいだね、私達』

『おりひめ……ひこぼし……』




 貴女は……私の……




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「パパ、おきてー」

「ん……」



 夕食後、寝転がっていたらどうやらそのまま眠ってしまっていたらしい。もう入浴も済ませ、寝巻きに着替えた娘に起こされる。



「ごめんごめん、沙織、もう寝るか?」

「ハミガキした」

「……仕上げ?」

「うん」




 彼女がハミガキをした後に、磨き残しが無いように仕上げをするのは私が主にやっていた。
そうして彼女の一日のスケジュールは終わり、床につく。つまり私が起きて彼女の歯を磨かねば、彼女は寝ることが出来ないのだ。



「ごめんよ、さあ、おいで」

「しあげはおとうさん」

「はいはい」



 教育番組で流れる『ハミガキの歌』の影響で、この仕上げを行うときは、私は『パパ』から『おとうさん』になる。どちらの呼び方も捨てがたいものだ。

 胡坐をかいたところに娘は頭を乗せ、エサを待つツバメの雛よろしくパカッと口を開き、こちらを認める。
そうして私は娘専用のピンクのハブラシでブラッシングしていく。お互いに慣れたものだ。



「うひゅ、こひゅ」

「動かないで」



 とはいえ、時折歯茎にあたるブラシが娘はくすぐったいらしく、妙な声で笑い堪える。それもいつもの事。

 その気持ちが私にもよく解る。私も昔、こうして母に……母に?



「あれ……?」

「んー?」

「ああ、ごめん、もういいよ、ぺってしておいで」

「んー」



 私は、母にブラッシングなどしてもらったことは無い。第一、母は私が幼い頃に父と離婚する前から夜遅くまで働く生粋の仕事人間だった。
今でこそ和解した父も頑健な性格で、そんな事をしてくれるような人ではない。

 では誰が私にブラッシングをしてくれたのか。

 しかし確かに記憶はあるのだ。



 だが……誰だったのか……それが……




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『うひゅ、こひゅ』

『暴れんな』

『んー』

『はい、終わり、ぺってしてきな』

『んー』



 ああ、まただ……そして、この人だ、この人が……



『ほれ、短冊書くよ』

『ねぇねはなにかく?』

『そうね……』



 スラスラと字を書く貴女に憧れていた。いつも貴女の背中を追いかけていた。




『あ、し、た、てん……さ』

『「き」』

『き……に、して、く、だ、さ、い』

『よく読めました』

『「あした、てんきにしてください」?』

『そ、明日は七夕だからね?』

『……ぼくもかく』



 どうして忘れていたのか、父以上に父で、母以上に母であった貴女を。



『毎年書くんだよ……』

『まいとし?』

『そう、空が晴れてたら、織姫と彦星は会えるの』

『ふーん』

『私達も……約束だよ?』

『……うん』




 ねえ……さん……




**********



ちょっと休憩、おなか減ってて即興はちとつらい

おつ




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「姉さんっ」



 望む姿はそこになかった。

 横には妻と娘が安らかに寝息を立てている。

 滴るほどの寝汗がひどく気持ち悪い。

 雨は既に止んでいるようであるが、天気予報では、台風は今夜中に東北までいく見通しであった。
にもかかわらず、この静けさは、今は丁度、『目』の中か。

 枕元に置いた充電しっぱなしの携帯電話を掴むと、妻と娘を起こさぬよう、ひっそりと寝室をでる。確認しなければならないことがあった。


「起きてるかな……」


 そう独りごちたものの、その心配はしていなかった。これから電話をかける人物の行動は知り尽くしている。

 彼女はいつでも夜遅く、朝早く起きる。息子としてはその不健康的な彼女のスケジュールにいささか不安を覚えるが、今日ばかりは感謝した。




 1コール、2コール、3コール……でた。



『もしもしっ!?』

「うわっ」



 いきなりの大声に自然とそんな愚にも付かない返事をしてしまう。



『うわっじゃないわ!?何!?何があったん!?』

「何も無いよ……どうしたの?」

『こっちのセリフよ!こんな夜中に電話かけてきて、何かあったかと思うじゃろ!』

「あ……」



 時刻は既に日付も変わった頃を示していた。彼女の反応はむしろ自然なものだろう。
母として、いまだに私の事を心配してくれていることには素直に感謝する心があった。



「いや、そんなわけじゃないんだけどさ」

『じゃ、なに?』

「あのさ……」

『…………』



 ああ、いつもの母だ。

 この人は、私が何か言い出す時、こうして沈黙を保つ。
私を尊重してくれていることに気付いたのは沙織が生まれてからのことだった。
だからこそ、こんな事を聴くのは気が引けるのだが、私はそれでも確認しなければならない。






「俺に……姉さんって、いたかな?」







 自分でも馬鹿馬鹿しい問いだと思う。


 今の今まで、そんな人がいた記憶は無い。にもかかわらず、こうして聴くことには意味があった。

 彼女に笑い飛ばして欲しかったのだ。

 『そんなものがいるはずがない』、と。


 夢に出てきた、あの女の子の存在を私は否定したかったのだ。何故かはわからない。
けれどそうしなければ私は自分を保っていられないという直感に駆られたのだ。その確証が欲しかった。


 私の事を一番良く知る彼女であれば、先程と打って変わり、大笑いでこの馬鹿げた妄想を切り捨ててくれるに違いない。
そんな願望で、もう若くない母に迷惑をかける一児の親となった自分にして非常に恥ずかしい限りではあるが、この『否定』は私にとって重要なことなのだ。



「……母さん?」

『…………いるよ』

「…………え?」

『ごめんね、思い出したんね……今日、七夕じゃもんね』




 嘘だ。




『ごめんね、いつか言おうと思っとった』

「なんだよそれ……」

『でもあれはあんたのせいじゃないよ……?』

「…………どういうこと?」





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『いたかっ!?』

『ダメだっ!ああ、畜生っ、こんな台風の日にどうして……!?』



 そうだ、七夕、台風、こんな夜だった。



『はいっ……はいっ……そう、ですか……はい、すみません、夜分に失礼しました……』



 いつも冷静で口数の少ない父が慌てはて、吹きすさぶ風雨を物ともせず外を駆けずり回る様。

 いつも明るく、起きている間は口を開いていた母が、消沈して各方面に電話をかける様。



 見慣れない警察官、消防団の青年。

 その異様な雰囲気は、少年だった私に『ある事』を言わせることの出来ない雰囲気を作り出していた。




 七夕の日に、あの橋で会おう。




 この日に限って、姉が姿を消したことについて、幼少の私は直ぐに心当たりがついた。
姉はこんな台風の夜にも、私との約束を守り、あの橋で待っているのだと。




 言えなかった。それを告げてしまえばおそらくこっぴどく叱られるだろう。

 そして聡明な姉の事だ。こんな嵐の夜にまであの約束を果たそうなんて思うはずが無い。そう自分に言い聞かせた。


 そうして迎えた、次の日の朝。


 警察官とも、消防団とも違う、オレンジの服を着た男性が我が家に訪れた。






『娘さんが……『発見されました』』







 その言葉が告げられた瞬間、父と、母は泣き崩れた。


 何故だろうと子ども心に思ったものだ。


 『発見された』ということは、見つかったということだろうに。何故、父さんも、母さんも泣き崩れているのか。


 今になって知った。


 あれはあのレスキュー隊員が、娘の帰りを待ちわびる父母に対して、精一杯気遣った言葉だったのだと。

 そして、知った。



『姉は私との約束の為に死んだのだ』、と。

『姉は私が殺したのだ』、と。



 そうして私は、自分にとって都合よく、『姉がいた』という事実そのものを消し去っていたのだ。





**********







**********



『そっかぁ……』

「ごめん……っ、母さん、俺……俺……っ」

『泣くな、アホ』

「でもっ、俺……俺……っ」



 自分の記憶を偽り、姉を亡き者はおろか『無きモノ』とした己の卑怯さ、醜さに嫌気が差し、知らず込み上げる嗚咽と共に母に詫びる。
詫びなければならない。私は彼女から掛け替えの無い娘を奪ったのだ。


 沙織が同じことになることを想像するだけでも胸が張り裂けそうなほどに辛い。




『……ごめんね』

「なん、で、謝る、ん、だよ」

『母さん達が離婚しなきゃ、あんなことには……』

「ふざけんなよっ、なんだよ、それっ……」



 実際には姉は、既に別居していた父の家の近くで発見されたらしい。

 暴風で飛んできた屋根瓦が頭部に直撃し、そのまま逝ったとのことだった。

 あの約束の橋で私を待ち、川に浚われて、何とも判断の付かない遺体にならなかっただけでも、という言葉が一体なんの慰めになるというのか。

 どちらにしても、姉は私との約束を果たすために嵐の夜に外出したのだ。私が殺したも同然だった。



「ごめん、母さん」

『もう、ええよ……』

「ちがう、俺、沙織も嫁もいるけど、今ほど死にたいと思ったことが無い」

『…………』

「……母さん?」




『大馬鹿たれっ!!』
 



 母の一喝であった。



「……ごめん」

『朝になったら二人に謝りなさい。一生かけて償え馬鹿息子』

「……はい」

『それと死んだあの子にも』

「…………え?」





 姉の事を言っているのは直ぐに理解できた。

 確かに姉には何度謝っても謝りきれない。だが母の言うことはそれとは違うニュアンスのようだった。



『……あの子が死んでも離さんかったモンがある。今度、いや、明日取りに来んさい』

「な、なに、急に?姉さんが?」

『もう切るからね』

「あ、ちょ……切れた」




 外は再び暴風雨が荒れ狂っていた。





**********






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「さーさーのーはーさーらさらー♪」



 七夕も過ぎたというのに娘は未だにその歌を唄っている。



「のーきーばーにーゆーれーるー♪」



 どうやら歌詞も覚えたようだ。



「なあ、沙織」

「んー?」

「……織姫と彦星の話教えてくれた『おねえちゃん』、この団地の人?」



 なんとなく、そう聴かねばならないような気がした。



「んーんー」



 そして、なんとなく娘がそう答えるであろうということも予測していた。




「そっか……どんな人?」

「んとね、やさしくてー、かわいくてー」

「うん……」



 子どもらしい、拙いながらも必死な説明に思わず笑みをこぼす。



「あとね、とっても『じ』がじょうずなの」

「……そっか」

「おねえちゃんもたんざく、かいたのよ?」

「……なんて?」

「これっ」



 そうして娘が見せる短冊には見覚えのある筆跡だった。

 そして、母の住む実家から帰った私のスーツのポケットに入っている姉の『遺品』に書かれているものとそれはまったく一致している。





 なにより……



「これを……姉さん、が、書いたの?」

「そうよ?」

「そうか……」





『いつまでも元気で』





 どちらの短冊も、そうあった。



「……沙織、パパも短冊書いていい?」

「いいよー、パパもお願い?」

「うん」

「なんてかくの?」



 そう、いつかの自分のように彼女は私に聴いた。

 そして『コレ』もあの時の様に、いや、少し変わっているが、私もあの時をなぞるように願いを込めた。






「『来年は天気にしてください』、かな?」



「ふーん」

「沙織、七夕の歌覚えたんだな」

「うん」

「二番歌えるか?」

「ううん」



 そう否定するも、彼女の瞳は期待に満ちていた。

 これから私が唄うものと勘付いているのだろう。



「その前に……お姉ちゃんは、何処に住んでるって?」

「ずっととおいところっていってた。もうかえらないといけないって」

「そっか……」

「……パパ?」

「……なに?」

「おなかいたいの?」

「ううん、違うんだ……」









五色の短冊 


『私が書いた』


お星様 きらきら


『空から見てる』







     少女「さーさーのーはーさーらさらー♪」


                了




来年は晴れると良いな。コレで終了です。HTML依頼出してきます。

乙です、畜生泣ける

泣いた


良かった

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2014年10月01日 (水) 19:48:21   ID: R3wKt7x0

よかった

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