【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り ─2─ (791)


このスレは一言で言うと『ヨーロッパ中世風な世界を舞台にしたまどか☆マギカ二次創作』です。


────────────────────────────

※オリキャラが多いです

※史実の戦争や宗教、民族史は扱いません(地名・人名などはパロディ程度にでます)

※まどか改変後の世界です(ほむらの悪魔世界ではない)

※リドリー・スコット監督『キングダム・オブ・ヘブン』が元ネタですがオリジナル展開のほうが多いです

────────────────────────────


"madoka's kingdom of heaven"

【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り

1スレ目:【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り ─1─ - SSまとめ速報
(ttp://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1391266780/)



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1403355712

前スレの続きから投下します。


第23話「酒場で大暴れ」

171


女は男の落としたグラスをとり、中にのこった酒を全部地面にぶちまけた。

「都市の男どもはこの酒を飲みさえすれば───」

女は語りだす。「精力みなぎり、楽しい夜が過ごせると考え込んでいる。中身は赤ぶどう酒、しょうが、
シナモン、ハーブの入ったヴァーネージュだ」


女は、地面にうつ伏せて眠りにおちた男をみおろす。すると金髪の長い髪が、首筋から流れ落ちた。

「男の考える女は、雀の肉さえ食わせればいつでも身体を許すらしい」


身体を許す。

その表現にぞっとする円奈だった。


「まったく妄想もいいとこだよ!」

女はすると男のもとを去って、ずかずか歩きはじめた。

「そうだ、名をきいてなかったな、騎士よ、名はなんと?」


「鹿目円奈です」

円奈は女性についてゆきながら、名乗った。もう何度目かわからない名乗り。もう慣れていた。

彼女自身は知らなかったが聖地出身である。円環の理が生まれた土地エレム国の帰国待たれる姫である。

鹿目という苗字の血筋はほむらがずっと見守ってきたのだった。1000年という永い時まで。

さて名前がそっくりなら見た目もそっくりなまどかと円奈である。もし二人が一緒に並んだら世界ではほむらただ一人しか識別できない
であろうに!

そしてほむらはいうのだ、成長した円奈の姿を見て、あなたはまどかよりも濃いピンク色の髪ね、まどかより背が高いし肩の
骨格が逞しいわね。きっと生身の体で弓矢を撃ちつづけたせいでしょう。目はまどかがとろ目ならあなたは"ネコ目"ね、でも、
わたしが今まで見てきた子たちのなかでいちばんそっくりよ。いえ、瓜二つといってもいいくらい。きっとあなたは、
まどかに望まれて世に来た生まれ変わりなのでしょう。


「そうか、騎士よ、鹿目円奈よ」

女はいう。目を閉じ、しばしその名前を吟味していたが、とつぜん振り返った。「マドンナだと?」


「まどな、です!」

もう、慣れっこだしと思った自分が間違っていた。

「まどな、か、愛の騎士よ」

「そ、その変なあだ名はやめて…」


「天使よ!馬に跨り地上を覇す剣の乙女よ!」


「ううう…」

円奈はまた、うな垂れた。

この人、人の話を聞いてくれない人だ…。


女はスキップしつつ歌うように語りつづけた。

「世界の神秘!美だ!そう、すべての魔法少女に愛されて……きみは、円環の理を、しっているかね?」

くるりと向き直って円奈をみてくる。

「一応は…」

円奈はなぜか自分の顔が赤くなっていた。


「すべての魔法少女に愛される天使だ!」

女は、興奮した口ぶりでいう。

「修道院をみただろ?」

「…うん」

二人の温度差が激しい。

「あのなかではな、魔法少女たちが、お祈りしているのだ。円環の理にむかって。修道院のすべては東向きだ。
東!きみは、東のはるか先になにがあるか知っているかね?聖地だ!聖なる場所があるのだ!」


もちろん円奈はそれを知っているし、その聖地こそ円奈の旅の目的だ。


「その聖地は、まあ……問題もいろいろある国だが、それでも、すべての魔法少女に愛される国なのだ。
魔法少女!きみは、魔法少女に憧れたことがあるかね?」

これのどこがまどマギだよ


「……はい…まあ……」

円奈は、仕方なしに答える。

「そうだろう!」

女の人は、円奈の手を握る。

「へぇっ?」

円奈がまた、怯える。

予想外の反応だった。

「魔法少女に憧れるだろう!女に生まれたのならそうだ!一度くらい、魔法少女になって、変身してみたいと
思うだろう!魔法の衣装をまとって、かろやかに、きらびやかに、かれいに、魔獣を退治したいと思うだろう!」


「ま……まあ……うん」

円奈は、おずおず答える。「どっちか…でいえば……」



「わかってくれるかね!」

女は円奈の手をもちあげる。「いやきみとは、いい話ができそうだ!さすがはアリエノールさまの護衛傭兵を
務めたお方だ、実にうらやましいぞ。その話をきけること、楽しみだ。さあ、着いた!」



と、女が指差したのは、ひとつの建物だった。


石造の建物をした宿屋だ。

切石を積み上げた壁は、モルタルで繋ぎあわされている。


宿屋の外なのに、がやがやざわざわ、騒ぎ声がきこえる。

皿同士のすれあう音。人間同士の騒がしい声。ろうそくの火の明かりが、室内で燃えているのが、ガラス窓
からはっきりする。熱気がこっちにも伝わってくる。


宿は酒場でもあった。


安価なガラス窓はくぐもっていて、透明にすけていない。ガラス工職人が、溶かしたフラスコの底を
はっつけまくった窓なので、ぐにょぐにょのガラスで、とても透明に透けたガラスとは言いがたい。


それでも、室内でろうそくの火が燃えていることぐらいは、くぐもりながらも黙認できる。

ガラスのむこうに火の明かりがみえるからだ。



ここは確かに都市の宿屋であったが、同時に酒場なのでもあった。

一階が酒場で、飲んだくれたあと、二階で寝る。そんな人のための宿屋だった。

オリだと思って読めば嫌いじゃないむしろ好き



「あ、馬は?」

と、円奈は金髪の女が宿屋に入ろうとしたとき問いかけた。「馬は一緒に入れても?」

「きみは、馬小屋で宿をとる気か?」

女は変な目をして円奈をみた。「まっててくれ」


女は宿屋の扉をあけて、酒場のなかに入ってしまう。


すると、円奈が1人そこに取り残された。

急に静けさが円奈を包み込んで、不安になる。


また男の人にいい寄られたらどうしようとか、恐怖が心にこみ上げてくる。


あの人がそばからいなくなってはじめて、円奈は人が一緒にいてくれることの安心さを思い知ったのだった。



変な人だけど、なんだかんだでいまは一緒にしてほしい。

いまはそんな思いで、またあの人がでてくるのを待ち望んだ。

172


「あっはははは!」

その女騎士の人はいま、円奈の目の前で、酒場のジョッキからビールをのんで笑いこげている。

「ひ…ひどいよ!」

円奈がテーブル席で、顔を赤くして抗議の声をあげる。「わたし…真剣に悩んでたのに!」


「いや……まさか馬を宿屋にいれて追い出されるとは……」


ジョスリーンの翠目に涙がたまっている。

女騎士はその涙を、ジョッキ握ってないほうの手の指で拭う。「都市は”お初”で?」

「うん…」

円奈は答える。


二人は宿屋一階の酒場でテーブルを共にした。


木のテーブルには皿と、火を灯した蝋燭、ジョッキがある。


ジョスりーンと名乗った金髪の女騎士はそのジョッキからビールをぐいぐい飲んでいたが、
円奈は自分のジョッキに入ったビールを見つめているだけだ。



「都市は農村とちがって、俗なものが多い」

彼女は酒場のまわりを目でみやった。ビールいれたジョッキをテーブルに置く。


円奈もまわりを見回すと、男達が顔を真っ赤にして顎髭をビールまみれにしながらげらげら笑いあい、
ひどいところだと上半身裸になっている男同士もいる。


「夜には気をつけることだ、おのぼりさんの騎士よ」


「ううう…」


しゅんとする。それにしても人が多くて、多すぎて、息ぐるしい。


森とか、土とか、木がまったくない環境は、ゆたかな森林の国で生まれそだってきた円奈にはきつい空気だった。


「まだ聞けてないが、どこ出身の騎士だ?」

「バリトンです…」

自信のない声で円奈は答える。それから、変な匂いのたちこめる金色の飲み物がはいったジョッキを両手に
もちあげる。

把手があるのに、それに気づかないで両手に持ち上げる円奈の動作はやはり、おのぼりさんだった。


「バリトン?」

ジョスリーンが聞き返してくる。「そりゃまた、しらん国だ。遠いだろう?」


「たぶん、遠いと思います…」

円奈はいう。自分の声が小さいので、まわりの騒ぐ男たちの声にかき消されそうだ。

「ここにくるまで、二ヶ月以上は…」


「そんな田舎の騎士が、どうしてここに?」

女騎士の人はまたジョッキからビールを飲む。


「エレムの地、神の国を目指します」

円奈が答えた。その声だけは自信がこめられていた。


「エレムの地に?驚いた」

女はジョッキをおろす。眼を大きくして円奈をみつめ、口元のビールを腕でぬぐう。

「聖地はここからはあまりに遠すぎる。都市の魔法少女たちは、聖地巡礼を諦めて、修道院の祈りで
我慢しているのに」


「…」

円奈は無言でビールの黄金をみつめる。


「わたしも騎士をしているが────」

女騎士の人は遠目をして、言った。「私がすることは訓練と、模擬の馬上槍競技だ。警備はするが、
実戦の経験はあまりないんだ」



「…」

円奈が申し訳なさそうに金髪の女性を上目で見つめる。


「だがあっちは───」

女騎士の人は悔しげに、ジョッキのビールを最後まで飲み干した。「本物の戦争だろ。たった一つの聖地を、
二つの国が奪い合っている。馬上槍競技のような、スポーツじゃない。いや、きみほどの騎士なら……」


「どうして…聖地では戦争が?」

円奈は、気になっている疑問を、女騎士の人に投げかけてみた。

「聖なる場所で、魔法少女にとって大切な場所なのに…」

「大切な場所だからだ」

女はきっばり言った。

「大切な場所だから、守りたい一心で、争いが起こるのさ。まあ私も、聖地のことは知らないから、
これは人から……いや、魔法少女からきいた話だ」


「うん…」

円奈は両手にもったジョッキから一口、金色の飲み物を口にしてみた。

「うべ!」

そして、すぐに口をはなした。

「にがいよお、これ!」


「……」

女騎士はじっと、真剣な目を円奈にむけていた。

じいっと見つめられ、その視線に気づいた円奈は、女騎士を上目で見つめ返した。


「あの……」

円奈は、恐る恐る訊く。「なにか?」


「きみに決めた!」

と、真剣な顔をした金髪の女騎士は、いきなり言った。「わたしは、きみに決めたぞ!」


「へえ?」

円奈の動きが硬直した。「なに……が?」


「きみにお願いがある!」

女騎士は席をたち、テーブルに手をバンとうちつける。

そして円奈見おろしながら告げた。

「明後日に開催される、馬上槍競技大会の、わたしの”紋章官”になってくれ!」


「…えっ?紋章官…?」

円奈は、怯えた顔つきで、女騎士を見上げる。


女騎士の翠眼も円奈をみつめた。真剣そのものな顔だった。

「ずっと私にふさわしい紋章官を探していた」

と、彼女は呟く。顔つきはとても真面目だ。じろじろと熱い視線を円奈に注ぎ続ける。

「まちがいない、きみだ」

だが、真面目になりすぎて、円奈の戸惑った反応に気づけていない。

「あの、紋章官って?」

円奈は混乱している。

「やったぞお!あきらめかけていたが、やっと私にもふさわしい紋章官がみつかった!
これで今年度の馬上槍競技会に、出場できる!」


1人で席をたちあがり、わいわい騒ぎ、その場で暴れだして、酒場の客の注目を集めた。

どこまでも自分のペースな、女騎士の人だった。


「きみをみていたら、私も騎士として、いてもたってもいられなくなったぞ。きみは魔法少女の聖地を目指す騎士だ。
だがわたしも負けてはいられない!わたしは、明日の馬上槍競技になにがなんでも出場し、優勝する。
そして念願の───!!」

そこでぐらっと何かに足をひっかけてぐらつき、女騎士の人のバランスが崩れた。

「うわっ!」

女騎士の人が円奈の胸元に崩れこんできた。


身長は、女騎士の人のほうがずっと高かったから、円奈は受け止めきれなかった。


金髪のさらさらの髪が円奈の身体に絡みつき、そして二人もろとも地面に重なって転んだ。


「いったい…」

円奈は泣きそうな目をしていた。


すると隣のテーブルの男が、ビールのジョッキもちながら怒りに叫んだ。

「なに女同士でいちゃいちゃしてんだ!てめえら、さっさと起きろ!そして俺の視界から消えろ」


「ううう…ごめんなさい…」

完全に被害者なのに、謝る円奈だった。「でも…起き上がれないんです…この人…重たくて……」


「ふざけやがって!」

男の怒声があがる。


「なに、怒ってんだよ?」

同じテーブルの男がたずねた。「女に悪い思い出でも?」


怒っている男は、答えた。「昨日、女房との裁判に負けたんだよ」


「なに?」

男はきょとんとした顔し、それから、ぶーっと噴出した。

つばとビールが、怒った男の顔に浴びせられた。


「裁判にまけた?そいつはコトだ!」

男は大笑いする。

「決闘で?」


「くそ!」

男は顔にかかったつばを腕でぬぐいながら、愚痴をこぼす。

「女の力を甘く見ていた。いや、容赦のなさを甘くみていた。謝っても謝っても決闘はつづいた。
殺されるかと思った」


「まさか、魔法のお嬢さんじゃないだろ?」

「人間の女だ!」

男は顔を真っ赤にして叫ぶ。

「この世界のどこに、魔法の女なんか、女房にする男がいるんだ。地獄と結婚するようなもんだ」


「なんで負けた?」


「頭を石でぶったたかれて……」

男は語る。

「額が血だらけになったから、おれがわるかったから、娘の留学金のことは認めて……なのに…」

男の目に涙がたまってくる。

「なによ!あんたなんか、このあいだ、魔法少女に言い寄ってたくせして!このバカ男!って…
許してもらえなかった…」


「女はまったく関係ないことまで裁判に持ち込むな」


「そうなんだ!裁判の議題はあくまで、娘の留学金を、おれが勝手に没収したことに女房が怒ったことだ。
なのになんで、過去の関係ないことまで裁判に持ち込む?まったくわけがわからん!」


「なにが地獄との結婚、ですって?」


男二人が会話していると、そこに小さな少女が割って入ってきた。

少女は腰に手をあて、厳しい目つきで男二人をみている。


「魔法少女なんかと、だれが結婚するかと、いったんだ!」

男はめいっぱい叫んだ。

口からビールがとんで、女の顔にかかった。


女は険しい顔したまま男を睨み、言った。

「ここに魔法少女がいるんですけど?」


「なに?」

男の顔がひきつった。それから、怒った顔が、ますます赤くなった。

「近寄るな、魔法使いめ!そうやって若い姿を晒して、どれだけ多くの男が家庭を狂わされたと思ってる!
消えろ、消えろ、ついでに、そこのいちゃいちゃしてる女騎士どもも、運び出して、みんなまとめて消えろ!」


「男はすぐ女のせいにする!」

魔法少女も怒っている。

「自分がだらしないだけなくせに」

前髪にかかったビールとつばを気にしていない。

「それから、地獄と結婚するようなものだって、どおおおおいう意味?」


「いってやる」

男はビールくさい口を魔法少女にむけ、思い切りいってやった。

「魔法少女は、くそ生意気で、手に負えないじゃじゃ馬で、くそくらえってことだ!」


魔法少女は男の手を掴み取った。その手を、ぎゅっと強く握りしめだした。



グギギギギギ。握られた手から鈍い音が鳴る。


「うごっ!」

男の顔が歪む。「いでででてでで!」


魔法少女の、男の手を握り締める力が、さらに強まる。


「くそ生意気で、じゃじゃ馬だって?」

魔法少女の目が恐い。


「そうだよ!」

男は苦痛に顔をゆがめながらも、意地を張る。「この、くそ力もちの、怪力女の、月経なし女めが!」


魔法少女は男をひっぱって、背負い投げした。

ぐるんと男が宙を舞う。

そしてテーブルに男の背中がドンとたたきつけられて、蝋燭も皿もビールのジョッキも、がしゃーーん!
と音たてて落ちた。


確かに怪力だった。

男が小さな少女にひょいと持ち上げられた。

「ぐっ…」

テーブルに叩きつけられた男が唸る。「ほらみろ、だから、地獄との結婚だといったんだ!」

「女に負けるのが、そんなにいやなわけ?」

魔法少女は、途端に悲しい目つきになった。

「へんなプライドばっかり!いいじゃない、べつに喧嘩にまけたって!わたしが、守ってあげるんだからさ!」


「そういう考えの女は男ができないさ」

男がいうと。


魔法少女は、男をテーブルから引きずりおとした。


ドゴッ!と音がして、男はテーブルからおちた。床に後頭部をうちつけた男は、めまいを感じて、
魔法少女をみあげた。


「ああそうだよ!わたし、男ができたことないさ!」

魔法少女は、じわっと目に涙を溜めて、悲しそうに叫ぶ。

「こうして、酒場から酒場を渡りあるいても、言い寄ってくれるのは最初だけ!わたしが力持ちで、
喧嘩が強いってわかると、みんな逃げてしまうんだ!」


「そりゃ逃げたくもなるさ」


男はぶっ倒れたまま女を見おろすと、声を漏らす。「女は大人しくしてるに限る」


「大人しくしてちゃ、魔法少女はつとまらないんだよお!」

魔法少女は嘆きの声をあげる。

「あんたら男とちがってね、命賭けて魔獣と闘っているんだ。これが大人しくしていられるか。
そして気づいたら、喧嘩も強くなっちゃって、できた男も喧嘩するたびに10秒で勝ってしまう。そしたら、
次には、別れ話だ!」


「だろうな」

男は苦しく息を乱しながらも、へへと笑った。


「お母さんにも、おばあさんにも、男をつくれっていわれてるんだよお!」

魔法少女の叫びは悲痛だった。

「教えてよ。どうしたら魔法少女にも男ができる?」


「一生魔獣とつきあってろ、閉経女め」


魔法少女は男の胸倉をもちあげた。

「おぐぐぐっ…」

男は胸倉つかまれた喉をつかむ。ぶらぶらぶらと、足先が宙に浮く。


そして彼女は悲しみと怒りにまかせて、男をいともやすやす投げ飛ばした。


男は宿屋をふっと飛んで、別のテーブル席に身体を投げ込んだ。


がしゃん!と客席テーブルは派手にひっくりかえって、皿と蝋燭が宙を舞った。


「てめえ、この魔法使い!」

ひっくりかえったテーブルの男達が怒鳴る。食事中のテーブルがひっくり返ったのだから怒るのも当然だ。

「調子にのってんじゃねえぞ!生意気女め!」


「なにが生意気で、調子にのってるのさ!」

魔法少女は泣き顔で、目をぎゅと閉じて怒鳴り返す。「喧嘩の強い女がそんなに嫌いか!そんなに嫌いなのか!」


「はっ倒せ!」

男達数人が魔法少女に襲い掛かった。


「ウチの家系は市民だけど───」

魔法少女は語りながら、男達を相手にした。こぶしを手でうけとめ、肩にもちあげて背負い投げし、
別の男の腹に肘をいれた。

「わたしが魔法少女になれば、お金もちになれるって────そういうから!」

魔法少女に襲い掛かった酒場の男達は、酒に酔っていることもあって、あっという間に片付けられていった。


男達は次々に投げ飛ばされ、ありとあらゆるテーブルに身を投げ込んで、テーブルは次々に、ひっくりかえった。

カジャン。がらがら。

皿とジョッキ、ナイフ、蝋燭…ぜんぶ地面に散りばめられる。

酒場の店内はまたたくまに壊滅状態となった。


「おい!」

テーブルがひっくりかえった別の席の男たちが立ち上がる。「外でやれ!とここで喧嘩すんな!」

「そのへんにしろ!」

宿の主人も怒った。「魔法使いめ、もう怒ったぞ!次の日からは、この宿は魔法少女の立ち入りは禁止だ!
クソ女め、腐れ閉経プッシー、修道院からでてくんな!人間の前にでてくるな!」



「なんだよもう、そんなにみんなして、あたしが嫌いか!」

魔法少女はやけくそになって、どんどん暴れた。

客の男を頭上にもちあげ、ぶんぶん、棒のようにぐるぐる回し、そして宿の主人むけて投げつけた。


「うわああああ」

主人は飛んできた男の身体をかわした。投げ飛ばされた男はカウンターにぶち当たった。

カウンター奥の戸棚が壊れて、戸棚の数えきれない羊皮紙、皿、食器が全部おちた。カウンターは
メチャクチャになった。

「顧客台帳が!」

宿主人の堪忍袋は切れた。「この女、殺してやる!」


小刀を抜いて、魔法少女に切りかかる。

しかしその腕を魔法少女にがしっと掴まれて、ぐいと手首の間接を折り曲げられた。


「ふげぇぇあおう!」

宿主人の悲鳴があがる。


「人間に負けるたまじゃないんだ!魔法少女は!」

といって、魔法少女は、主人をなげとばした。


主人は宿屋をぐるぐる回されながら飛ばされて、扉をつきやぶった。扉はパカっと両開きに開いて、外に
投げ飛ばされた。


彼は屋外の地面に頭をうちつけ、気を失った。



鹿目円奈は、その一部始終を見つめていた。きづけば酒場の客が全員気絶していた。


まだ身体には女騎士が覆いかぶさっている。


あまりにも訳がわからない出来事で、円奈は、一言呟くのがやっとだった。


「なに…なんなの……」

173


「で…」

円奈は、ぼそっと口を開く。「どうしてこの子まで一緒?」


アデル・ジョスリーンと名乗る女騎士と鹿目円奈は、あのあと、二階にあがって部屋に泊まった。

宿舎の一階はカウンターと酒場だったから、客室は二階だった。


円奈はついさっき知り合ったこの女騎士の人と、木造の階段をあがって、廊下を渡ると二階の客室に入った。


客室のなかは、丸いテーブルがあって、そこに円奈とジョスリーンが腰掛けているのだが、
もう1人、酒場で大暴れした魔法少女もいて、テーブルに腕つけて、顔をうずめて泣きじゃくっている。



「どうしてこの子まで一緒かって?」

女騎士のジョスリーンが円奈の疑問に答えた。「この可愛そうな魔法少女を、きみはほっとくか?」


「いや…ほっとくというか…」

円奈は微妙な顔をしている。

「ここ二人部屋だし……」


「うううー」

魔法少女は、円奈とジョスリーンの腰掛ける、丸いテーブルに腕をあてて、今も泣いている。「うううー」


鳴泣き声がやまない。


「かたいこというな。三人分、宿主人にはらっただろう」

女騎士はうんと自分で頷ついている。両腕を組んでいる。


「いや…はらったって…」

円奈は、納得できないでいる。「今も外でのびてるし……」


「うううー!」

魔法少女の鳴き声がうるさい。


「ちゃんと、宿主人の金銭箱に三人分の金銭をおいてきたさ。」

ジョスリーンはさも当然といった口ぶりで、言うのだった。

「なにも不正なことはなかったぞ。そうだろ?」


といって魔法少女の頭を、ぽんぽんたたいた。

すると泣きじゃくる魔法少女は、顔をあげて、涙で目が真っ赤な表情をみせた。

「男はみんな、魔法少女がきらいなんだああ」

魔法少女は嘆く。

「最初はね。ひょっとしたら、人気者になれるんじゃないかって思ったんだあ。だって、魔法少女だよ?
すごいんだぞ、私たちは、おまえたち人間が思ってるよりずっと!苦労してるんだ!命がけで魔獣と
戦ってるんだ!そしてさ、民衆のヒーローになるんじゃないかって……」

「ちがいない、きみはヒーローさ」

女騎士は、魔法少女の肩をたたく。談合をつづける三人を照らす明かりは、数本の蝋燭の火のみだ。

それ以外は真っ暗な宿部屋だった。


「だが、みんなみんなみんな、わたしから逃げるんだ」

魔法少女はずずっと鼻をすする。

「おっかねえあぶねえ、つきあいきれねえって。わたし、そんなにきけん?きけんな女かな?」


「うん…危険じゃないかなンンンン!」

円奈がいおうとしたら、女騎士に口を手でふさがれた。

「きみは頼れる魔法少女でヒーローで、みんなの命の恩人だ。きみの戦う姿に、めろめろさ。
さあ、気を取り戻すがいい!美しさを魔法に込めて、愛に生きろ!」


「わたしには男がわからないんだあ」

魔法少女は、また腕に顔をうずめてしまった。

「喧嘩で負けたからって、なんだよお。それくらいで、きみとはつきあいれない、とか、ひどいときは、
命がいくつあってもたりない、とかいわれるんだ。いいじゃんか!女に喧嘩でまけたって。要は、仲直りが
できればいいのにさ。でも、みんなわたしから逃げる!」

「うん…命いくつあって足りなンンンンン!」

円奈はいいかけて、また女騎士に口を手で塞がれた。

「まったく、男はわからずやばっかりだな!」

女騎士は、魔法少女の話に合わせて会話する。

「つまらないプライドの生き物なのさ。あんたは、それにも勝る、最高の魅力と美しさをもった、魔法少女
じゃないか。あんたから逃げた男は、その程度な男だったのさ。もっと、これから素敵な出会いが、
あるはずさ!」


「もう喧嘩別れ、17人目だよお」

魔法少女は顔を埋めたまま嘆いた。「友達は、みんな男ができたのに……わたしだけ…わたしだけ…」

魔法少女は真っ赤な目をして、女騎士に言った。

「やっぱさあ……弱い女であるべきかなあ?大人しくなるべき?なんかさあこう……喧嘩が弱くて、
間抜けな走り方して、ひよわで、かれんな、樽ももてない女の子になるべき?」


「うーん、わたしは、その所見には反対だ」

金髪の女騎士は、翠眼を閉じると、腕組んだ。

「わたしは、騎士になったから、むしろ強さを求める女さ。馬上試合には勝ちたいし、いつか実戦に出れる
ことにも憧れてる。きみみたいな魔法少女は強くて美しいから、私には眩しく見えるさ。自信もて」

「女に褒められても嬉しくない!」

魔法少女はドンと小さな握りこぶしをテーブルに叩いた。「女なんか!わたしの友達は、毎日毎日、朝の
市場準備のときに、自分の男がこんなふうに素敵で、強くて、かっこよくて、まもってくれて、なにしてくれて、
ってことばかり話すんだ。なにも、わたしにむかって自慢しなくてもいいだろ!」

「もういっそ、男いらずで生きてもいいんじゃないか?」

女騎士は、そんなことを提案しだした。

「きみは魔法少女じゃないか。支庁舎にいけば、魔獣退治の報酬を受け取れる。住民税だって免除されてるだろ。
なに、いきていけるさ」

「いやだ!」

魔法少女は、すぐに拒否した。

ドンとテーブルにたたきつけた小さなこぶしに力がこもる。

「1人で生きていけるとか、そういうことが問題じゃないんだ。女として、これが問題だ。仮に生きていけたって、
男に見向きもされず、逃げられて、だれのお嫁さんにももらってくれなかったなんてことが、問題なんだ。
いやだ!そんなの!いやだよお!」

しくしくしく、また目に涙を溜めてしまう。


女騎士は腕組んで考える仕草をし、悩ましそうに告げた。

「しかしそやって何度も失恋して失敗してを繰り返してたら……気に病んで、寿命がちちまってしまう……
円環の理に導かれてしまうぞ」


「円環の理に導かれたら、素敵な男に会えるかなあ」

魔法少女は、やけになっていた。


「いや、男はいないだろ。」

女騎士は冷静に告げるのだった。

「円環の理に導かれるのは、魔法少女だけなんだから。その先に、天国があるとしたら、みんな、女
ばっかだろ」


「最悪だ!」

魔法少女は黒い髪を手でおおった。「最悪だあ………まだ導かれたくないよお……」


うううと唸ってしまう魔法少女。

だが、突然、がたとテーブルの席を起き上がった。

「きめた!ぜったいぜったい、なにがなんでも、生前のうちに男をつくってやるんだ。それができずに円環の理に
いくか。もう弱い女とか、そういう演技もなしだ!どうせわたしは喧嘩が強い女さ。魔法少女だからね。だから、」


魔法少女の目に怪しい光が宿る。


「逃げたくたって逃がさない。力でわたしが男を押さえ込んでやる。そして私なしじゃいられないほど、
私をわからせてやるんだ。身も心も完全に私のものになるまで」


「うむ、その意気だ」

女騎士が、納得したように、力強くうなづいた。「それでこそ、愛に生きる魔法少女だ」


「いや……そんなことしたらそれこそ嫌われンンンン!」


円奈が心配そうに、言おうとしたらまた女騎士に口を手で塞がれた。

するとそのとき、コンコンコンと、宿の扉をノックする音がした。


「はん?」

女騎士が円奈の口元を抑えながら、扉の方向へ目をむける。


「夜警隊の者です」

扉のむこうの声がいった。「開けますね」


カチャ。

鎖帷子を着込んだ兵士が1人、部屋に入ってきた。


「何か御用で?」

女騎士のジョスリーンがたずねて、夜警隊の兵士は、姿勢正して立つと述べた。

「この宿で、暴動事件がありましてね。犯人の調査中です。通報があって巡回したのですが、いやいや、
かなりひどい有り様ですね。一階の客人と宿主人は、みな気絶していましたので、いま病院の者が手当てに
駆けつけるところです。それで、」


夜警隊は目を細めた。


「ここでの暴動事件について、何かご存知なことは?」


「ふうぬ…」

女騎士は顎に手をあてて、考える仕草をする。

それから魔法少女に尋ねた。「なにかしってるか?」


「いやあ」

魔法少女は首をかしげ、まったくわからない、という表情をする。「ぜんぜん、わからないよ。露も知らないことだね」

女騎士は今度は円奈をみる。「きみは?」

「へえ?」

円奈は、事実を言おうとした。「それはさっき…」


ジョスリーンにものすごい形相で睨まれる。


「あ……はい……事件のことは……よくわかんなくて…」

威圧されて、小さく震える声でやっとそう言った。


「そうですか」

夜警隊の兵士はお辞儀して、くるりと向き直って、部屋の扉から出ようとした。


出ようとして、突然またこっちにやってきて、怒鳴った。

「そんな手口に私がかかるとでも思っているのか!」

夜警隊は重たい金属の枷をとりだす。「この宿で、おまえたちのほかに意識ある者はいないんだよ。
暴行罪、器物破損、かつ偽証罪。三人とも、逮捕だ。牢獄で詫びろ」


三人分、鎖の手枷がジャランと机に置かれる。


「私は夜警隊だぞ!わたしの目をごまかせるとでも?」


円奈と魔法少女が目を見合わせる。


すると女騎士はたちあがって、夜警隊の兵士の前にでた。

「私も夜警隊だ」

ぎろり、鋭い目で夜警隊の男を睨みつける。「それも夜警騎士だ。本当だぞ?」

「そんなはったりに、私は騙されないぞ」

男も女騎士を威圧する。

「疑うとは、無礼だな」

ジョスリーンは、ローブから四角い印章を取り出して夜警隊にみせた。

夜警隊は顔を強張らせた。「あ、アデル卿……夜警騎士…!」


ごくっ…。

夜警隊が緊張の顔つきで喉を鳴らす。

「わたしとこの騎士、鹿目円奈が、」

女騎士は、円奈の肩をトンとたたく。「この宿にきたとき、すでにみんなのびていたから、
私たちは部屋だけを使わせてもらっているんだ。事件の真相については、さっぱりしらん」


ジョスリーンは夜警隊の男の目の前にドンと歩み寄って、威圧した。


「夜警騎士の私がそういってるんだ。さっさと真犯人を捕まえにいけ!今ごろ、街路かどっかを走ってるだろ!」


「え、ええ…」

夜警隊はたじろいで、こんどこそ扉から外へ出て行った。「どうも失礼を!」


バタンと扉が閉じられると、ふうと三人とも息をついた。


「助かったよ」

魔法少女が最初に喋った。安心の顔つきをしている。

「あんた、夜警騎士だったんだ。おかげで、逮捕されずに…」


「んー、それなんだがな」

するとジョスリーンは、腰に手をあて、翠眼を魔法少女にむけた。

「わたしたちはともかく、きみは助かるのが難しいかもしれないな」


「は?」

黒髪の魔法少女は、きょとんとする。目が点になっている。


「明日の朝、調査がはじまって、一階でのびてる男達の、聞き込みがはじまるだろ。」

女騎士は腕を降ろすと、手のジェスチャー交えて、そう説明した。

「そしたらもちろんのことだが、男たちはおまえの顔と特徴を、口を揃えて証言するだろうな。
そして役人か警備隊かが、あるいは両方が、その証言をもとにキミを探し出すだろう」



魔法少女の顔が凍ってゆく。

「えっと……じゃあ…?」


「まあ、運が悪かったな」

ジョスリーンは魔法少女の肩を、ぽんぽんと叩いた。「残念だが、これ以上は私からも無理だ。
牢獄での生活を楽しんでくれ」



「ちょ、ちょ、ちょっとまってよお!」

魔法少女は途端に別の意味で泣きそうになって、女騎士の肩にしがみついた。

「助けてよお!わたし、まだ捕まりたくないよ。前科がついたら、ますます男がこなくなるよ!
宿をぶっ壊した危険暴力女だって、町じゅうから思われるよ。頼むよ!そんなのいやだ!」

「思われるもなにも、事実おまえはこの宿を、めちゃくちゃにしただろう。」

女騎士は諭して話す。「あんたの相談にはのってやったし、通報するつもりもなかったが、べつの夜警隊の
耳にもうはいってるし、明日の聞き込みがはじまれば、言い逃れなんてできないだろうに」

「そ、そんなあ!」

魔法少女の顔が絶望する。「ひいいいっ…牢獄暮らしなんか、いやだあ!なあ、夜警騎士なんだから、
わたしの罪状を取り消せない?ねえったらあ!」

ジョスリーンははあと息をつくだけ。「さすがに今回は、きみが暴れすぎたよ」



「お願いだよ!お願いだあ!いまの私には、おまえしかいないよ!なんでもするから……」


魔法少女はジョスリーンの肩にすがって、涙声で訴え続けた。ぶんぶん女騎士の肩をゆさぶる。

すると、ジョスリーンの顔つきが動いた。

「なんでもするって?」


「するよ!なんでもする!なんでもだよお!」

魔法少女は涙声でいって、ジョスリーンにうんうんとうなづいた。

「なんでもか……」

翠眼の女騎士は、顎に手をあて顎をつまみ、考える仕草したあと。

決意に翠眼を見開く。

「よし、明日わたしがなんとかしよう」

ジョスリーンは言って、それから円奈に軽くウィンクした。

「ほんとか?」

魔法少女の目が輝く。「ほんとだな!助かったあ!恩に着るよ!初めて人間に助けられた!」

それから魔法少女は女騎士にたずねた。

「で、私はなにすれば?」


ジョスリーンはニコリ笑い、そんな笑い方するのは初めてだったので、魔法少女はちょっとした悪寒を感じた。

彼女は自分の要求を魔法少女に伝えた。


魔法少女は、地獄を目の当たりにしたような顔をした。

174


次の日の朝、宿屋で目を覚ました円奈は身支度をした。


ピンク色の伸びた髪を梳かした。その髪に赤いリボンを括りつけて結んだ。


メチャクチャになった宿屋の一階では、ジョスリーンがいったとおり、すでに役人による調査と
聞き込みがはじまっていた。


役人たちは、宿の一階を調べるや、これはひどい、とか、こいつはひでえ、とか独り言いいながら、
暴行事件の悲惨な現場を調査し羊皮紙に様子を報告書として書き留めていく。


二階の客室では昨日の黒髪の魔法少女がおどおどして、目に涙ためて、身体を震わせて小動物かのようだ。

「なあ、なあ!」

魔法少女はまた、女騎士にすがるのだった。「下で、聞き込みしてるじゃないかあ!ほんとに、
大丈夫なのか?」


ジョスリーンは自信たっぷりに答えた。胸をはっていた。

「大丈夫だ。おまえはここにいろ。あ…でも、名前を教えろ」


「ルッチーア」

魔法少女は言った。「わたしはルッチーアだよ!ウスターシュ・ルッチーア!」

175


さてジョスリーンは一階へと降りた。

一階の酒場は、それはもうひっちゃかめっちゃかだった。


テーブルはすべてひっくり返って、食器は割れ、ナイフはあちこちに落ちて、溶けたろうそくが地面にこびれ
ついて、宿屋のカウンターは棚が壊されて、崩壊状態。


縁なし帽子をかぶった黒い服の役人たちは丁寧にしらべあげ、毀損物リストをつくり、事件の深刻具合を
きめる。

その深刻具合によって、捕われる犯人の刑罰の重さが決定される。


羽ペンにインクをつけ、役人たちは毀損物を羊皮紙にまとめていた。


ろうそく7本、食器17枚、棚、テーブル6台、ナイフ3本、破損。ほか、地面の清掃代、ガラス窓、扉の修理代…。


他の役人は、昨日の夜に被害にあった男たち9人から、聞き込みを進めている。



「魔法少女だったんだ」

頭を包帯に覆われた男は、懸命に、真犯人の特徴を話す。「いきなり暴れだして、おれの頭に食器があたって…」


「肩から背負い投げされ、テーブルに投げ込まれた」

別の男も話す。「黒い髪で、身長は、俺の肩より下ぐらいで、でも、すげーバカ力で…」


「髪の長さ、顔の特徴は?ほくろとか」

役人が羊皮紙に男達の証言を書きとめながらたずねる。


「ほくろはないが、髪は、肩より下ぐらいだったぞ。」

男は答えた。「瞳も黒くて、……」


その一階での話し声は、二階にも聞こえていた。


二階の客室ではルッチーアが狂乱して、円奈の剣を勝手にとりだして、髪をきろうとしている。

「肩までだってよ!」

ルッチーアは叫ぶ。「いますぐ短髪にしてやる!ほくろもつける!」


「お、おちついて!」

円奈が魔法少女の手を懸命にとめている。「いま髪きったら、だめえっ!」


ジョスリーンはそんな事件現場にずかずか、歩き出た。


役人たちがジョスリーンをみる。


「調査は進んでいるかな」

女騎士は役人に問いかける。


役人は答えた。

「かなり証言が多いので、夜逃げでもしてないかぎり、2日以内には逮捕できますよ。支庁舎の修道院長に
名簿を調べさせます」



「証言がおおいか、え?」

女騎士は額に手をあて、困ったふりをした。そして小声で囁いた。

「だがそいつら男の話は、半分まで事実で、半分はウソなんだな」


役人が訝しい顔をしてジョスリーンに言った。「というと?」


「そこに男ども!」

ジョスリーンは大きな声で、被害者の男たちに呼びかけた。

「昨日、わたしもここにいたよな?覚えている者は?」


男の何人かが、その場で手をあげたり、控えめに頷いたりした。

「あの、女同士で、イチャイチャしてたクソ女騎士だろ」

男の1人がいった。


「きいてのとおり、」

ジョスリーンは役人に向き直った。「わたしもたまたま、現場にいあわせていた。
事件の一部始終を、みていた」


「ほう?」

役人の目つきが鋭くなった。「では、あなたの証言もお聞かせ願いたい」


女騎士は、すうと息を吸ったあと、腰に手をあて話し始めた。

「ここでおこった暴力は本当で、その犯人は魔法少女だった。その魔法少女は、この男どもを投げ飛ばし、
暴れに暴れて、宿をめちゃくちゃにした。」


「あのやろう!」

二階の床に耳をあてていた魔法少女が、金切り声で叫んだ。「なにいってんだよお!なんとかするんじゃなかったか!
裏切り者!ぺてん女!くそっ!呪ってやるう!」


「ルッチーアちゃん、おちついて…」

円奈が、魔法少女をなだめた。「声が一階にもきこえちゃうよ!」


「いますぐ逃げる!」

魔法少女はこんどは、窓ガラスに手をかけた。「おいあんた、手伝っておくれ!こっから脱出する!」


「お願いだから落ち着いてえ!」


窓にばんばん頭をぶつけだした魔法少女の動きを、円奈は後ろから背中にしがみついて懸命に抑えようとする。


「下にきこえちゃうよお!」



ドンドンドン。

変な音がする。


「何の音だ?」

役人が不思議な顔して天井をみあげる。



あのバカ魔法少女っ…と心で思いながら、ジョスリーンは役人に話して、注視を自分にむけさせた。


「だが、そこまでで半分なんだ」


男たち9人が全員顔を女騎士ほうにむける。みな変な顔をした。


「その魔法少女が暴れたにはわけがあるんだ」


ジョスリーンはそう語った。


「わけ?」

役人の注意がこっちにむいてきた。


「この男どもは、」

ジョスリーンは酒場の男達を一瞬見やる。

「クソ女だとか、クソ生意気めとか、閉経女とか魔法少女をさんざんに罵りながら、酒に酔いに酔って、欲に駆られるまま、
魔法少女の身ぐるみをはぎとった。醜く笑いながら、9人全員で襲い掛かったのだ。」


「は、はあ!?」

男達の顔が驚愕に変わる。


役人の顔も険しくなる。「まことか?」



「魔法少女は懸命に抵抗したのだ」

女騎士は説明する。

「そして暴れてしまった。恐怖と孤独、生理的嫌悪感のなかで、我を失くしてしまい、」


がーがーがー。

ギャーギャーギャー。

男たちの猛烈な抗議が騒ぎ立つ。


「暴れてしまったのだ。いうなら正当防衛だ。こいつらは、女の敵だ。同じ女の夜警騎士としてまったく
腹が立つ。さっさとこの男9人どもを牢屋にぶち込んでくれ」


「ふざけるな!」

「クソ女!俺たちを売る気か!」

「俺は何もしていない!何もしていないよ!」


「あーやっていいわけ並べ立てているが、」

男たちが猛然と抗議してくるなか、女騎士は役人に告げた。「わたしはあいつらも認めたとおり、
現場に居合わせていた夜警騎士なのだ。さ、証言はすべてした。罪状は強姦未遂、暴行、魔法少女不可侵侵害
などだな」


役人はジョスリーンにお辞儀した。「仰せのまま」



数分後、男達は全員鎖に繋がれ、役人たちに連行された。


男どもはみんな口々に抗議と罵り声を最後まであげつづけていた。


「おぼえてろ!クソ女騎士!」

「はなせ!おれたちをはなせ!くそ、はめやがったな!」

「あの女!!!ふざけやがって!こんどあったら、ぶっ飛ばしてやるう!」

「こんなのってないよ!ひどすぎるよ!」

「俺たちは巻き込まれただけだ!」


暴言はきながら、男達は連行された。


調査役の役人は女騎士にお辞儀した。

「証言ご協力に感謝します」


「いやいや、わたしこそよかったよ」

立った女騎士は言った。「女を守れるのは、同じ女だけだからね。女の夜警騎士って必要だろ?」

「改めてそれを実感しましたよ」


役人はすると、ジョスリーンの前から去った。


ジョスリーンは役人が町の街路を歩き去るまで見届けて、それから、悔いるような額に手をあてて苦悩の仕草をした。

「都市はまったく俗なことが多いな」

176


ジョスリーン、ルッチーア、鹿目円奈の三人は、無事宿屋を出て街路を歩いていた。


「友よ、ありがとう!」

ルッチーアが嬉しそうな明るい顔して、女騎士をみあげた。

「助かった!ありがとう!さすが、夜警騎士だねえ!こころ暖かい人間もいたもんだあ!かっこいいよ!」


「まあな」

女騎士は腕組んだまま平静に街路を歩く。歩くたび、背中まであるさらさらの金髪がなびく。


円奈は馬小屋からクフィーユを連れて歩いた。


いっぽうルッチーアは、肩までの黒い髪をゆらゆらゆさぶって、ぴょんぴょん跳ねながら、嬉しそうに女騎士に
話しかける。

「やさしい人間!この都市におまえみたいな女もいたのか!」


「そのへんにしてくれ」

女騎士は歩をとめた。なびいた髪も背中についた。

魔法少女もとまって彼女をみあげた。くりくりの黒い瞳で彼女の顔をみつめる。魔法少女より彼女の背は高かった。


「あの…ジョスリーンさん?」

するとクフィーユの轡をひいて連れる円奈が、ぼそっと、疑問を口にした。

「あの男のひとたちはどうなったの?」


「ん、あいつらか」

ジョスリーンは腕組んだ体勢のまま、うんと頷いて、答えた。

「気にしなくていいぞ」


「えー…」

円奈は、釈然としない声をこぼす。クフィーユがヒヒンと悲しい声をで鳴く。ぶるっと頭をふるわせて。

「ああっ!」

それで円奈は愛馬の訴えに気がついたのだった。

「クフィーユの食事がまだだよお!」

「クフィーユ?」

ジョスリーンが円奈をみる。「その馬か?」


「うん」

円奈は控えめにこくりと頷く。「昨日のばんごはんと、今日の朝ごはん…」


「おい」

黒い髪の魔法少女は、円奈をみるなり、不機嫌な顔して、ジョスリーンにぶつぶつ小声で問いかけた。

「このピンクはなんだあ?」


「そのピンクはな」

ジョスリーンが答える。「騎士だよ」


「騎士?こいつも?」

魔法少女は意外そうな顔をする。そのあと、目を細めて額に手をつけて、円奈を観察した。

「そんなふうにみえないけど。でもだとしたら、わたしが一番身分が低いのか」


「わたしより偉い騎士だぞ。本当だ」

ジョスリーンがいうと、魔法少女はますます警戒心の強い、渋い顔で円奈を睨む。

「アリエノール・ダキテーヌ姫の専属傭兵を務めて、ガイヤールのギヨーレンを打ち負かした騎士なんだな」


「ガイヤールのギヨーレン?」

同じ魔法少女として、ルッチーアもその名を知っていた。「ほんとか?ギヨーレンは、ここらで一番強い
魔法少女だぞ。人間の騎士が勝てるもんか」


ルッチーアは半信半疑だ。


「それが、この騎士はギヨーレンに勝ったのだ」

しかしジョスリーンはルッチーアの疑いに取り合わなかった。「だから、わたしより偉い騎士なのだ。無礼がないように。
それから、わたしの”紋章官”に頼んだ」

「紋章官?」

魔法少女が、驚いた顔してジョスリーンをみつめる。「じゃああんた、明日の馬上槍競技大会に?」


「そうだ」

女騎士は言って、得意そうにニヤリと笑った。「だからくれぐれも、鹿目円奈の機嫌をそこねることのないように。
紋章官を辞退されたくない」


「あのわたしより貧乏そうな女が、紋章官だあ?」

魔法少女は振り向いて、円奈をみた。


円奈は馬の背をなで、ごめんね、クフィーユ、とかいって馬と会話している。

馬と会話!

都市の住民からみたら、不気味な光景だ。


農村の田舎育ちの少女には、よくあることなのではあるが。


「あんな女が本気で紋章官をするのかよ?」

魔法少女はどうも、円奈に好意的でないみたいだ。

「エドワード城から、王家の選手もくるかもしれないのに?」


「大丈夫だ」

ジョスリーンは自信ありありだ。「わたしが紋章官らしく仕立てるさ。司会役のときは、
わたしの文(ふみ)をよませるだけだ」


「ふうーん…」

ルッチーアは口を尖らせる。「読み書きもできなさそうなみずぼらしさだよ。それに、」

ちらっと円奈のほうをむいてから、ぼそっと囁く。
 ・・
「臭う」

魔法少女は嫌そうな顔で鼻をひくつかせる。「土と馬の匂いがする」



「鹿目円奈さま!」

ジョスリーンはルッチーアの愚痴は無視して、円奈に呼びかけた。「さあ、こちらに!都市の広場に泉が。
そこで休みを!」


「あ…うん」

円奈はクフィーユを世話する手をとめた。女騎士と魔法少女の二人が自分のことをうわさしているとも知らず、
ジョスリーンについて、泉へと町を歩いた。

177


泉は、都市広場にあった。



支庁舎、修道院、長屋式の貴族住宅がならぶ扇形の広場。


朝のそこは物凄い人で、路地はごったがえしていた。


支庁舎の鐘楼からはゴーンゴーンと鐘を鳴らして、午前を告げる。


泉にやってきた円奈たち三人は、噴水と泉の囲いに腰かけていた、


円奈は泉の水を汲み取って、馬に水を飲ませた。

ぴちゃぴちゃ口つけて飲むクフィーユを見守った。


嬉しそうに馬耳をたてるクフィーの頭を撫でた。


「この人たちは」

円奈は、クフィーユの頭撫でながら、ジョスリーンにたずねた。「いま何を?」


「市場の準備ですよ」

金髪の女騎士は答えた。「午前10時から、ここでは市場が開かれます。みなその出店の準備を」


円奈は、あたりの人々の行動を見回す。


市民の多くが荷車と一緒に移動していた。

荷車には、多くの麻袋、木箱などが載せられる。


その中身は食料品だったり、薬品だったり、日用品だったりするだろう。



すなわち食品は、パン、マメ類、野菜、塩漬けの魚、豚、牛、鳥、卵、蜂蜜。
ベンチに並べたりバスケットに入られたりして売られる。

道具類は、ろうそく、亜麻、針金、かなづち、やっとこ。

日用品は、羊皮紙、羊毛、裁縫の針、ナプキン、スカーフ、織物、他いろいろ…。




都市民は農民ではないから、こうした商品のやりとりによって、日銭を稼いで生活する。


市民達は協力しあってベンチを運び、広場に並び立てる。


ここにも役人たちが足を運び、商品を並べ立てるためのベンチの並べ方を指示している。


商人たちの売る品物に、不正がされてないかチェックする役人もいる。



「さあて」

女騎士は泉の囲いから立った。「馬の食事はおわりで?」

「まって。まだなの」

円奈は、麻袋から、干し草の束をとりだした。もうわずかしか残っていなかった。

「これで最後だよ」

円奈はクフィーユに話しかけながら餌を与えた。

クフィーユは、円奈の手の内ある干し草をむしゃむしゃと食べた。


ルッチーア、黒髪と黒い瞳の魔法少女は、泉の囲いに腰をつけて、空をみあげている。


晴天の青空であった。


日が都市を照らしている。


「さて、あなたに紋章官をやってもらう前にですね……」

女騎士は、悪巧みのの素振りをみせる。顎に手をあて、目を閉じて考える。

「あなたに朗報が」


「え?」

円奈がくるり、身体を回してジョスリーンをみる。クフィーユが蹄の前足を曲げた。



女騎士は円奈に朗報を伝えた。


「ほ、ほんとに!?」

途端に円奈は嬉しさに目を煌かせた。

178


「というわけで、私が救ってやったこの魔法少女、ルッチーアが、」

ジョスリーンはぽんと、魔法少女の肩をたたいた。

魔法少女はぶるぶる、口を噤んでその肩を震わせている。


「人間である私たちを修道院にいれてくれることになった」

修道院。

ゴシック様式な建物で、魔法少女専用の建物になっているお祈りの場所だ。


「やったあ!」

円奈は目を輝かせて、両手の指を絡めて修道院の建物をうっとりみあげる。

「人間の私でも入れるなんて!すごく、入ってみたかったんだあ……」

恋焦がれる少女の瞳をして修道院の入り口をみあげている。うるうるの瞳であった。



ジョスリーンは、きのうの夜に円奈が、修道院に入ろうとして入れないでいることを覚えていた。
そこでルッチーアに、容疑を晴らしてやる代わりに、自分と円奈を修道院に入れるよう要求した。


それは、一方的に円奈を紋章官に任命しようと目論むジョスリーンなりの、円奈への義理であった。


ルッチーアは、顔を目で覆っている。「ああ、最悪だあ…」


「なぜ最悪なんだ?」

女騎士は魔法少女の頭をぽんと叩いた。「きみが恩返しする番だろ?」


「ばれたら修道院に出禁だ…」

魔法少女はひどく落ち込んでいた。まるで破滅を目の前にしたかのようだ。

「私はどこで円環の理に導かれたらいいんだあ?」


「なんだかわからんけど、さあ、私たちをあのなかに案内しておくれ」

金髪の女騎士は魔法少女をせかす。「どうやって入る?」


ルッチーアは考える。

しばらく考えたあと、自分を否定するみたいに、ぶんぶん頭をふった。

そしてこんなことを魔法少女は言い出した。

「なんでもするといったけどさ、別の要求にしてくれないかな?」


「できん相談だ」

ジョスリーンは突っぱねた。「なんでもするといったのは、きみだぞ?」

「うぬぬ…」

魔法少女は広場を数歩、進む。それからまた数歩、もどってくる。いったりきたり。


円奈とジョスリーンの目が、彼女を追って、左右する。



「わかった。入り方を教えるよ」

ルッチーア、この黒髪と黒い瞳の魔法少女は、女騎士の要求に屈して言った。

「けどな、練習が必要だ。こっちに」

179


ルッチーア、鹿目円奈、ジョスリーンの三人は、都市の裏路地に集まった。

そこで作戦会議をした。


すなわち魔法少女専門の修道院に、どうやって人間が入るのか、という会議だ。



「いいか?」

この三人のなかで唯一魔法少女のルッチーアが、指をたてて、念を押して語る。

「中にはいったら、くれぐれも人間って素振りをみせるなよ。なかでどんなものが目に飛び込んできても、
驚いたり、叫び声あげたり、動揺したりするなよ。平然としているんだ。平然と」


「それはまあ、いいが…」

金髪と翠目の女騎士、ジョスリーンは、怪しむ視線をルッチーアにむけた。

じとっと目が細まる。

「こんな方法で本当に入れるのか?」

彼女の手元には卵型の入れ物がある。それとナプキン一枚。


「入れるさ」

ルッチーアは自信たっぷりな声で答えた。黒髪がなびいてのびた。「成功した前例があるんだ」

目を閉じ、得意そうに指をたてて言い切る。



円奈も戸惑っている。


円奈がさっきルッチーアに渡されたのは、銀貨一枚。

不思議そうに銀貨を目の前で眺め、裏表を確認する。


どうみてもただの銀貨だ。


「そんな前例、夜警騎士の私もきいたことないが」

ジョスリーンがいうと。

びしっと、ルッチーアは彼女を指差した。「そりゃそうだろうさ。知れ渡っちゃあ、まずいからね」


「ふーん…」

女騎士は考える素振りをする。腕組んで目を閉じる。金髪がさらさら、背中でゆれた。

「まあやってみるか」


「さすがだね、あんたなら、わたしの話をわかってくれると思ったよ!」

ルッチーアが嬉しそうに笑った。

「魔法少女の話を信じてくれるんだ?珍しい人間さんたちだねえ!」

180


というわけで、鹿目円奈、ジョスリーン、ルッチーアの三人はいよいよ修道院の前にきた。



あの石の彫刻が施されたゴシック様式の修道院。



その入り口は荘厳で、神秘な雰囲気、静けさにつつまれている。


都市ではがやがや俗でうるさいのに、ここだけ外の世界から切り離されたかのように、厳粛に修道院が建っている。



その扉は、いまは鍵が開けられているが、魔法少女の門番がたっている。


門番の魔法少女は槍を持っていて、部外者を追い出す気まんまんである。


さて、ルッチーアはその問題の魔法少女の前にでた。


修道院入り口の階段をのぼって、門番に挨拶する。


「やあレーヴェス!」

ルッチーアは門番をよび、腕をあげて、にこにこ笑う。「いい天気だね?そう思う?今日はきみが当番?」


「まあそうだけど」

レーヴェスと呼ばれた、門番をしている背が高めの魔法少女は、後ろに控える二人を注意深くみた。

「あの二人は?」


「ああ、紹介するね」

ルッチーアは後ろの二人を腕で示した。「最近魔法少女になった、新米の二人なんだ。円環の理の家に
招待しにきたんだ」


「そんな話は修道院長からもきいていないぞ」

レーヴェスは首をひねる。「まずは支庁舎にいって、魔法少女人員として登録してもらってこいよ。
生み出したソウルジェムのタイプと、色と、変身の服装とか、ぜんぶ登録してからだ。でないと、身分照合
できないだろ」



「そうかったいこといわずにねえ」

ルッチーアは手で二人をこまねく。円奈とジョスリーンの二人が、門番の前にきた。

「円環の理は私ら魔法少女みんなのものじゃないか。その救いを感じ取りたいんだ。それを拒む権利がキミに?」


レーヴェスはすると黙り込んだ。

渋い顔をし、目を細めると、ぼそっと低い声で答えた。

 ・・・・・・
「魔法少女ならな」


ルッチーアはすると、目をわざとらしく丸めた。

「レーヴェス、やめてよ、疑っているの?あんたは、信心深い魔法少女じゃないかあ!」

「そして疑い深い」

レーヴェスの声は冷たい。ついでいうと目も冷たい。「魔法少女は、疑い深くあるべきなんだ」


「はあ…頭がかたいなあ、石だ、頭まで石かよ」

ルッチーアははあと息ついて額を手でおさえると、後ろ二人をよんだ。

「さあ二人とも、自分が魔法少女であることの証を見せてやってくれ」


「よし、わたしからだ」

長い金髪に翠眼の女が門番の前に立った。

石の階段をのぼって、階段の入り口へくる。


門番の魔法少女が、自分よりも背の高い女の出現に、眼をぱちくりする。


「ここにナプキンあるだろう?」

女はいった。右手のナプキンを、門番にみせる。

門番は頷いた。


「これを左手に入れるとだ」

女はナプキンを左手の中に押し込んでいく。くしゃくしゃと。

白色に花柄刺しゅうのナプキンが、左手の中に収まる。


門番の魔法少女は、眉間にしわ寄せて、女の左手を見つめている。


「卵になるんだ!」

ぱっと女は、左手を開いた。

そこにナプキンはなく、かわりに卵があった。



「どうだ、これがわたしの魔法だ」


門番の魔法少女は目をひくつかせて、金髪の女を、言葉も失ってみつめた。



「円奈、さあきみの番だ」

金髪の女は言った。

すると今度は、ピンク髪の少女が階段をのぼってきた。


「は、はいっ」

背の低い少女が、門番の前にきた。


門番は無言で少女をみつめた。

すでのその黄色い目はどんよりじどーっとしている。


「こ、こ、ここに…銀貨一枚があるんです」

少女の声は緊張していた。

「これを……宙に飛ばします!」

少女はパチンと親指で銀貨をはじいた。



銀貨は宙でくるくる裏表反転しながら、落ちてきて、やがて少女の手元におさまった。


ぱっと、少女は両手を交差させるみたいに銀貨を手にとった。「どっちに銀貨がありますか?」


門番の魔法少女は、いらいらを抑えながら、ピンク色の髪をした少女の左手をトンと叩いた。


「あたりです!」

円奈は笑って握った左手をひらいた。そこに銀貨一枚があった。


「じゃあ、もう一回いきますよ…」


円奈は右手に銀貨をおき、また、親指でパチンと弾き飛ばした。


門番の魔法少女がまた宙にとんだ銀貨をみあげ、裏表反転を繰り返しながら落ちてくるそれを、目でおった。



そして、パっと。



銀貨は、また少女が両腕を交差させながら握る手に入った。

「どっちに?」

魔法少女はまた少女の左手をトンとたたいた。


少女は目を大きくした。

「あたりです!」

少女は左手をひらいた。銀貨がそこにあった。

「でも…実は…」


少女は右手も開いた。「こっちにもあるんですっ…!」

なんと、右手にも銀貨があった。



いつの間にか銀貨が二枚に増えていた。

「これが私の魔法ですっ……!」


魔法少女は別段おどろいた顔しない。しれーっと冷たい目をして少女を見おろしているだけだ。

軽蔑すらこもっている気がする。


「さて、わたしたちは見てのとおり、魔法が使える女だ」

金髪の女が言ってきた。「だから魔法少女だ。さて、お邪魔するよ」門番の横を通り過ぎる。


「おじゃましまーす…」


ルッチーア、円奈、ジョスリーンの三人はそうして、修道院の入り口を通ろうとした。

「楽しみだなあ…」

円奈は乙女気分で瞳を煌かせ、楽しげに両手の指同士をこすり合わせながら、入り口の扉に手をかけた。

181


数秒後、三人は門番の魔法少女に弾き飛ばされ、階段を転げ落ちた。


「いたたたっ…」

ジョスリーンは傷む腰に手をあてている。「くそっ…乱暴だな…」


「いたいっ…」

円奈も頬に手をあて、涙声をあげている。それから正座すわりになって、溜まった涙を腕でぬぐった。

「ひどすぎるよ…」


「道化師か手品師、手芸師でもやってろ、バカ人間どもめ。」

門番の魔法少女は転げた三人を冷たく見おろし、告げた。

「二度と修道院に来るな。その穢れた思惑を、神聖な場に二度ともちこんでくるな」



「くそっ…穢れた思惑だと?」

女騎士ジョスリーンは、腰が痛むせいで、まだ立ち上がれない。階段を投げ飛ばされて、ころげおちたせいで、
身体のあちこちが痛い。

「私は魔法少女にいわれたことを、やってみただけだ」


「私まで乱暴することないだろ!」

ルッチーアは、階段をころげたとき髪についた埃、砂、土をはらっている。「レーヴェスめ、冗談の通じない魔法少女だ…」


「おい、冗談だったのか?」

ジョスリーンはルッチーアの肩をむんずと掴んだ。「なにが成功の前例があるだ!私たちを弄んだのか?
はめやがったなこの魔法少女!このぺてん!嘘つきぃ!練習が必要だなんだ御託ならべて、最初からわたしたち
人間を騙すつもりでいたな!」


「わるかった、わるかった!」

ルッチーアは肩を掴まれた手から逃げようと抵抗する。「わたしがわるかった!まさか、本気にするとは思って
なくて……」


ルッチーアは、ジョスリーンに羽交い絞めにされた。


「やめろお!女同士で絡むな気持ちわるい!場所を移そう、場所を!最後の手段があるから…!」


円奈は、階段を転げ落ちた痛みに、まだしくしく泣いていた。

182


「最後の手段って?」

さっきの裏路地にもどった三人は、ふたたび作戦会議をたてている。

「たしかにそういったよな?」


魔法少女は、裏路地を数歩いったりきたり、顎をつかみながら往復する。「まあね」


「こんな、卵型の入れ物つかった手品とか、」

ジョスリーンは手品につかった卵型の入れ物をぽいと放り捨てた。入れ物の中にはナプキンがつめられていた。

「銀貨を袖にいれといて、隙をみて二枚に増やすとかじゃないな?」


円奈がしゅんとする。



「いや、もうそんなんじゃない」

ルッチーアはレンガ造りの壁をした裏路地を行き来しながら、ぴっと指をたてる。

「だがなここは修道院は諦めて、別の要求にするのが賢明だ……」


「さて、支庁舎にいって、今日の暴行事件の正当防衛について、異議を…」

女騎士は街角の裏路地を歩きさった。


「まって、まって!」

ルッチーアがジョスリーンの後姿をつかまえた。腕で彼女のローブをひっぱって、止める。

「最後の手段は、たしかにあるんだ。ほんとうだ。でもね、それは本当の本当に最後の手段で、
魔法少女として最低な行為なんだよお!」

ルッチーアは懸命に訴える。

「できれば同じ魔法少女として、それだけはしたくない。本当だ。これは本当の気持ち。もう冗談いったり
しない」


「それは、きみの人生を牢獄から救った私への恩をおちょくるより、最低な行為なのか?」

ジョスリーンがふりむいた。顔が怒っている。

「明日に馬上槍競技大会があるんだ。きみのおふざけにも、付き合いきれるほど余裕はない!」


「おふざけじゃない。この方法は危険あるが、成功できる」

魔法少女は、悲しい顔しながらいった。

「魔法少女にしか効かない方法だ。最低な方法だが、わかった、あんたに恩を返す。それでいいだろ」

183


というわけで新しい作戦を立てた三人は、また修道院の前へきた。



門番のレーヴェスは、すでに身構えている。

「二度と来るなといったはずだぞ」


ルッチーアはにこにこ笑って、門番の前へ進んだ。


円奈が階段下のところにいて、さらに遠くのところに、ジョスリーンが立っている。


まるでパス回しでもするかのような三人の立ち位置の距離。



「わたしならいいだろ?」

ルッチーアは微笑んで、門番に話しかける。「昨日いろいろあって、ジェムに溜まってきててね。修道院に
いれてくれ。わたしだけだ。本当だよ」


「おまえなら別にいいんだが…」

レーヴェスは扉の入り口に手をかける。「なんで人間と一緒に行動してるんだ?」

「別にいいじゃないか」

「いいけどさ…」

門番はルッチーアに背をむけて、扉をあけた。

まさにその刹那、隙をついて、ルッチーアはレーヴェスにとびついた。



「説明と謝罪はあとでたっぷりする!」

ルッチーアは言いながら、レーヴェスの指輪を強引に指から奪いとった。

「いまは一歩先に天へ旅立っててくれ!」



「か、かえせよ!」

レーヴェスが怒りに顔を歪ませる。いや、これは怒りだけじゃない。恐怖もある。「いやだ!」

指輪は手から抜けて、ルッチーアの手元に滑り落ちた。


ルッチーアは奪い取った小さな指輪を、円奈にパスした。

「円奈といったな、ジョスリーンに渡せ!」


ピーーンと、指輪が空気中を飛ぶ。

ルッチーアの手から円奈の手へ。


「は、はいっ」

円奈はわけもわからず、指輪をジョスリーンにパスする。


「なげろ!」

ルッチーアは、レーヴェスを抑えつけながら、指示。


えいっ、と円奈は力いっぱい、手から指輪を投げる。

ピーンと、また指輪がくるくる回りながらとんだ。


ジョスリーンがその手に指輪をキャッチする。あっという間に指輪がパス回しされる。


「修道院長に報告してやる!」

ルッチーアに捉まれながら、レーヴェスは、怒りに叫んだ。もがくが、がっちりルッチーアに動きを
封じられて、指輪はどんどん離れていく。「裏切り者!魔法少女が人間の側についたあ!」


「ごめんよ」

ルッチーアは悲しそうに、レーヴェスを抑え続けた。「ほんとごめん…」


小さく囁いたあと、顔をふりむいて、ジョスリーンにむかって叫んだ。

「ここから100ヤードはなれろ!どこでもいい!それをもって、走れ!」


ジョスリーンも、わけがわからない顔をしていたが、そういう作戦だったので、街路をひたすら
指輪もって走りだした。


長い金髪をゆらしながら、ジョスリーンは都市の通路を走り去った。

たくさん行き来するローブ姿の人のあいだをすりぬけ、ときにぶつかったりしながら、全速力で都市を走り抜ける。



指輪もちながら離れる。



するとルッチーアの胸元で、レーヴェスが気を失った。

人形のようにぐたりと力ぬけた。その身をルッチーアに委ねた。


ルッチーアはやさしく抱きかかえた。

「円環の理よ、どうかレーヴェスを導きください」

と囁いて、目を赤くして、気を失った彼女を、修道院裏側の菜園と水道施設のところに、そっと隠すように寝かせた。

184


「指輪はどこに隠した?」

修道院の扉の前にたったルッチーアは、ジョスリーンにたずねた。

「誰の目にも触れないところに。安全なところさ。私の菜園だ」


「そ…か」

ルッチーアの意気は消沈している。「ほら、いってこいよ。門番のレーヴェスは、私がねかせてやったから。
わたしがそのあいだ代わりに門番してるから、いってこいよ。扉もあいているから」


「そりゃあどうも…」

ジョスリーンは階段をのぼった。修道院の入り口にまた立つ。

門番役になったルッチーアに、顔をむける。訝しげな視線を彼女にぶつける。「どうやって門番をねかせた?」


「あんたに語る気はない」

ルッチーアは言った。その顔に元気は消えていた。「恩は返しただろ。これ以上は、答えない」


円奈が一部始終をみていたが、それでも、さっぱり分からなかった。

レーヴェスが突然倒れたのだから。


「修道院に人間を入れてしまうんだ。私は罪深い魔法少女だよ」

はあっと息をはいて落ち込んでいるとジョスリーンが問うた。

「別に人間がはいったっていいだろう。前から思っていたことなんだが。人間も魔法少女も仲良く使えば
いいではないか」


「そうもいくかよ、なにもしらないくせに」

魔法少女は冷たく言い放った。



ルッチーアがあまりにも暗い顔しているので、円奈が心配そうに彼女の顔色をうかがった。


「なにみてんだよ」

ルッチーアは、ますます不機嫌になった。



「あの、」

円奈は恐る恐る、でもルッチーアから目を逸らさないで、小さな声をだして言ったのだった。

「ありがとう…ね」


ルッチーアの頬に、わずかだけの血の気がもどった、気がした。

「う、うるさいな」

魔法少女は円奈から目を逸らした。

185


そのころ、エドレスの都市の支庁舎では、市長のもとに、9人の男が鎖に繋がれ連れ出されていた。



黒い服きた市長は、木のテーブルに腰掛けていた。

市長は役人によって連行されたこの9人の男をみた。


その匂い、みすぼらしい服装に、市長は嫌悪の顔色を示したが、やがて羽ペンを持ち上げて、問いはじめた。


「この男どもは?」


「昨晩の暴行事件の犯人です」

役人は答えた。役人の手元には鎖の束があり、その鎖は男達の鉄の手枷につながっている。


「犯人じゃねえ!」

男は、ビールの匂いのこる口で、怒鳴った。「おれたちは被害者だ!あの魔法使いの女に殴られて、
投げ飛ばされて、しかも、くそ女騎士に冤罪をふっかけられた被害者だ!」


「そうだよ!こんなのってないよ!ひどすぎるよ!」

若い男も抗議の声を市長に訴える。


市長室は石壁に囲まれた小さな部屋だった。


木の戸棚、蝋燭、木のテーブルの質素で、脚と台があるだけ。椅子さえ質素だ。


市長室の窓はガラス窓で、昼の間はここから光が入る。


その窓は菱形切子と呼ばれる模様のガラス窓で、長い線が細かく斜めに交差している。


そんな模様だった。


「俺たちは、魔法使いの女に襲い掛かってもいないし、一方的に暴力をうけただけだ。
市長さん!俺たちを放してくれ!そして本当の犯人をつかまえて、俺たちの見ている前でとっちめてくれ!」


「こいつらが魔法少女を襲ったという証言はだれからなんだ?」

市長は羽ペンの先を役人にむけて、たずねた。

「夜警騎士です」

役人は姿勢正して、答える。「アデル卿です。夜警騎士の役職があり、現場にも居合わせていたとのことです。
それはこの容疑者どもも認めております」

「そのくそ女夜警騎士に、はめられたんだ!」

男達は鎖のなかで叫ぶ。

「おれたちが、平和に会話してたら、魔法使いがわりこんできて、いきなりそいつが暴れだして……」


「理由もなく暴れますか?」

役人は疑っている。「数々の暴言を吐いたそうですな。…そして酔った勢い魔法少女の身ぐるみを…」


「だからそれはうそっぱちだ。いいがかりだ!」

男達は抗議の声をやめない。「俺たちはなにもしていないさ!本当だ!あいつらにはめられたんだ!」


「ふむ…」

市長は、テーブルで難しい顔して、指同士を絡めた両手を顎に添える。


「だが夜警騎士の証言だし、女の証言だ。魔法少女が襲われたという事案に関して、女の証言を
世論は味方するだろう」

「だからまさにこそを利用されて、はめられたんだってば!」


男達は泣き叫ぶ。鎖のなかでジャラジャラ、暴れる。「市長!わたしどもは、この仕打ちに、納得ができません!
真犯人は魔法少女と、あの女騎士なんだ!あいつらぐるだったんだ!おれたちははめられた!」


「ぬう…」

市長は悩む。「どうしたものか…」



「市長!」

そのとき別の兵士が市長室に現れた。

カチャンと扉をあけ、その兵士は入室する。市長の前で姿勢をただす。「昨晩の酒場暴行について、報告が…」


「まさにその事件について話していたところだ」

市長は兵士をみあげる。「話したまえ」


「はいっ」

若い役人の兵士は胸を張り、手を後ろで結び、語り始める。

「わたくしは、昨晩の夜警兵をしておりました。例の事件現場には、最初に着きました。」


市長の目が鋭くなる。「つづけよ」


「通報があり、その現場に巡回しましたとき、この男どもは、気絶しておりましたが、三人ほど宿に
のこっておりました。」


「さの三人とは?」

市長はテーブルで問う。


「はい。夜警騎士のアデル卿と、黒い髪の少女と、ピンク髪の少女の三人です」


「そいつらだ!」

男どもは、また鎖の中で暴れだした。「ほら、市長、ききましたか!その三人が一緒にいたんですよ!
やっぱりぐるだったんだ!」

「静かに」

市長は冷静に男どもをなだめ、静めた。

「つづけてくれ」



「はい」

夜警兵は胸を張り、手は後ろで結び、続きを述べる。

「わたしがその三人について、事件について知っていることはあるかと問いましたところ、三人とも、
何もしらない、一切関与していないと供述を」


「なに?」

市長の目つきが変わり、報告書の羊皮紙に、目をおとした。

「その夜警騎士は、現場にいあわせて、証言もしていたはず」


鎖もっている役人もはっとしている。「アデル卿の証言には食い違いが。疑いの余地があります」


「ほら、だから!」

がーがーがー。

がやがやがや。

鎖の男達はがなりたてる。


「たしかに…そのようだが……アデル卿ほどの家系になるとそう簡単に容疑をかけられん」

市長は悩ましそうにいう。


「なにが家系だ、あいつが犯人なんだよ、さっさと俺たちを放してくれ!」

男達、さらに暴れる。


「しずかにしろ!」

鎖もった役人たちが怒鳴る。「市長の前で、みっともない姿を晒すな。今後、不利になるぞ」


「なにが不利だ、ばかやろー!」

男達は怒りとともに糾弾する。「不利も有利もあるか。おれたちは無罪なんだよ!被害者なんだよ!犯人はあいつらだ!
宿を破壊した賠償は、全額あいつらが払うんだよ!」


市長は再び腕をあげて、静まるように合図した。

「まあまあまあ、落ち着いて」

と、市長はいう。

「正しく無難にこの問題を解決する方法を思いついた」


若い夜警兵士も、市長の考えを察したようだった。「裁判ですか?」

「うむ」

市長はうなづく。

「その三人を捕らえよ。そして裁判に。アデル卿の家主と私と、裁判長が出席する。皆がみているなかで
事件の解決を」


「やったぞ!!!」

男達は、鎖のなかで、飛び跳ねて喜んだ。「裁判だ!!」


「おおおおっ!!!!」

男達は市長室のなかで雄たけびあげ、腕をふりあげる。「おめえら、まけるんじゃねえぞ!
あのクソ女騎士どもを、とっちめて、こらしめてやる!」


「おうともよ!!!」

元気いっぱいに声を張り上げる。

「はったおして、ぎたんぎたんの、ぼこぼこさ!」



おおおおおっ。

はしゃぐ男たち。


市長は嫌そうな顔をして、役人たちに、さっさと連れ出すように羽ペン持つ腕で指示した。


役人はそれを察して、その場でお辞儀すると、鎖をひいて市長室をさった。


「さあこい」

男達は鎖にひっぱられて市長室をあとにする。


「市長さん!!!」

男達9人は順に礼をのべる。鎖にひかれながら、丁寧に、お辞儀していった。

「ありがとう!!!市長さん!!やっぱ、市民の味方だ!ありがとう!市長さん!!!」


あまりにも声がでかいので、市長は、役人にさっさと男どもを連れ去るように役人に羽ペンで指示。



役人は男達の鎖を強くひっぱった。「こい!!」


男たちは、ついに市長室を連れ出される最後まで、お礼の言葉を元気よく叫びつづけた。


パシャンと扉が閉められても、その声は、まだ聞こえてきた。



はあと市長はため息つき、肩をすくめた。

テーブルの羊皮紙に羽ペンで、今日裁判があることを知らせる書類をかく。


書類をかきおえると、羊皮紙の左下に赤いろうを溶かして垂らし、それからドンと印章をおした。

印章を捺印するとくるくる丸めて、紐で結び、若い兵士に渡した。


「アデル卿と裁判官と、あと町にお触れを」


兵士は手紙をうけとって、お辞儀すると、市長室をでた。

今日はここまで。

次回、第24話「裁判」

これどこがまどかなの?
タイトルからまどかを外せよ

第24話「裁判」

186


鹿目円奈、ジョスリーンの二人は、入り口の扉を通り、修道院のなかに入った。


この都市では、魔法少女のみが立ち入りを許される空間となっている。



生まれて初めて魔法少女専門の空間に足を踏み入れた円奈は、その厳粛さ、空間の美しさにおどろかされた。


ゴシック様式の修道院の床は石造で、見事に平らだった。ひんやり固い石床。


修道院のなかは大きな廊下であった。

廊下の両端には身廊と側廊をつなぐ部分に柱が並んでいる。



中心の通路は、身廊という空間で、いちばん広い。天井も圧倒的に高い。荘厳な空間だ。

天井の低い側面の通路は、側廊という空間で、列柱の並ぶ壁側だ。そこにスンドグラスがある。



とはいえ身廊も側廊も、人間の頭より天井はとても高かった。みあげてしまうほど高々とした空間だった。
このアーチはリブヴォールトと呼ばれ、かまぼこ型のアーチ天井だ。




壁際である側廊に、ステンドグラスの窓がある。ステンドグラスは七色で、虹色の光が
空から差込み、ピカピカの床に虹色の光を映し出す。



音はまったくといっていいほどなく、もの静かで、自分たちの足音しかしないほどだった。



まさに神秘のイメージを建物にしたかのような空間で、そのなかに魔法少女だけが立ち入りを許される。



円奈たちは無言で───ステンドグラスの模様と七色の光を眺めながら────足をすすめ、修道院の最深部
へきた。


そこの天井はとくに高く、遥か頭上に、何面ものアーチが重なった神秘的な丸い天井───ドームが、あった。



まさに神が住まうかのような空間であった。


魔法少女たちは円環の理の家といったりする。そこは自分たちの救い主を、世俗から心をはなして、魂に
感じ取るための空間であった。


だから、人間に入られては、魔法少女はここで心からのお祈りができない。



魔法少女の聖域を侵して修道院に足を運び入れた円奈とジョスリーンは、すっかり修道院の神秘めいた空気に
話し言葉もわすれて、ドーム天井をみあげていた。



ドーム天井のむこうには空が描かれ、青色の空と、海の空が描かれ、ある地上が描かれる。


この地上に、聖なる光が灯る。



聖地の光だ。



西世界の大陸の魔法少女は、訪れたことのない聖地を、楽園の島のように想像していた。


そこは地上の聖地というよりも、天上の聖地であり、自分たちが円環の理によって導かれたその先にある
天国を、思い描いているようだった。


ドームからも天井から白い光の筋が差し込んできて、円奈たちの立つ床へ降りる。


円奈とジョスリーンの顔が日の光の筋に照らされる。



空間の中は石に囲まれて、あまりに静かなので、足音ひとつたてれば、修道院じゅうにぴきぴきと響きわたった。


カツンという足音が空間の隅々にまでこだますのだった。

冷たくて、厳粛な、張詰めた空気感。


こんな雰囲気では、喋ろうなどという気には、とてもならない。



円奈とジョスリーンが呆然とドームの光をみあげていると。


1人の魔法少女が、現れた。


もちろん、修道院には、同じ魔法少女しかいないことが建前なので、その魔法少女は、円奈たち二人を
疑いもしない。



円奈たち二人がみている前で、魔法少女は、ドームの天井から降りる光に身を入れて、その場に跪くと、
きらきらと光のカーテンに照らされながら、両手を握りあわせて、目を閉じると、祈りはじめるのだった。


言葉は別になにもない。



そこに魂を込めて、心から、自分たち魔法少女のために祈ってくれた円環の理という存在を信じて、
感謝を述べる。


口にだすのではなく、ひたすら、心で感謝を述べる。


それは純粋な感謝である。


口にして祈ることはできるが、心から感謝することは、自分との対話だ。


そうして心から円環の理のために感謝を告げるたの空間たった。


膝をついて、両手の指を絡めて、目を閉じ、円環の理のことだけを考える空間だ。


それは魔法少女にとって大切な時間であり、都市ではこの修道院でしかできないことだった。


かつて鹿目まどかが全ての魔法少女のために祈り、概念になったその祈りは、こうして西暦3000万年の地上にも、
届いているのだ。

187


「すごいところだったね……」

円奈の声は、感動に震えている。「きれいで……不思議で……なつかしい気持ちもするところだったなあ…」

「ああ、美しかった」

ジョスリーンの口調も、すっかりあらたまっている。

「俗にまみれた都市に、あんな美しい場所があったとは。ルッチーアには感謝しないとな」



ところが、二人が扉から出た瞬間、そのルッチーアは槍を振り回していた。

円奈とジョスリーンが目をみはってルッチーアの暴走をみる。


「だから、人違いだってばあ!」

ルッチーアは目をぎゅっと閉じて、抵抗している。

支庁舎から派遣された警備隊が、彼女を囲っている。


「私じゃない!私はずっと当番していたから、酒場なんか、いってない!」

「男達の証言ときみの特徴が一致しているんだ」

役人は槍をよけながら、冷静に告げる。

「その暴力をとめたまえ。不利になるだけだ」

「不利ってなんだあ!」

ルッチーアの目に涙が溜まっている。「不利もなにも、私は無罪だあ!しらないぞ!そんな事件はあ!」

「いや、きみが無罪かどうかは、これから裁判できめることだ」

役人はいう。

「証言によれば、酒場にいたのはキミみたいな、黒髪の魔法少女と、ピンク色の髪と目をした少女騎士と…」


「えっ?」

円奈が、自分の特徴をあげられてびっくり声をあげる。


「金髪に翠眼の女性夜警騎士の三人だそうだ」


「ん?」

ジョスリーンも自分の特徴をよみあげられて思わず反応する。



すると、羊皮紙にしるされたお尋ね者の特徴を読み上げていた役人が、ちょうど修道院からでてきた二人を
みつめた。


役人と円奈、ジョスリーンが視線を交し合う。

微妙な沈黙が流れた。


「ピンク色の髪の少女騎士と、金髪翠眼の…」役人は、もういちど羊皮紙を読み上げ、それから、もういちど
二人をみつめた。


これ以上ないくらいの特徴の合致だった。


「とらえろ!三人ともだ!」

188


「なんで私まで───」

周囲でエドレスの市民が熱狂している。

そのわーわーきゃーきゃー騒ぐ熱気のなか、円奈は、精一杯の抗議の声を、ジョスリーンに叫んだ。

「裁判に巻き込まれるの!?」


「いいじゃないですか、一緒に修道院に入った仲でしょう」

熱気のなか、ジョスリーンと円奈の二人は耳を手でおさえながら、大声で会話する。

「いや、わたしはなにもしてないよ!」

円奈が市民の熱い視線と歓声に包まれながら、泣きそうな顔をしている。

「少なくとも昨日の事件は、私は完全に巻き込まれただけなんだからね!」


「そうかたいこといわずに!鹿目さま、ともにこの裁判、うけてたとうぞ!」

ジョスリーンは円奈にいって、裁判相手へ目を配った。



ジョスリーンの見つめた先には、やる気まんまんの男たち9人が、今か今かと裁判開始の小槌の音を待ちながら、
こぶしを握り締めたり、戦闘のポーズをとって、息を荒くしている。


「おまえなんか、信じたのがわたしのバカだった!」

ルッチーアは、見物客と野次馬がさわぎたっている騒ぎ声にも負けないくらいの大声で、悲痛に嘆いた。

「なにが、なんとかするだ!ぜんぜんなんとかなってないじゃないかあ!しかもおまえたちのために、
修道院にまでいれて…」

「そのことは感謝しているよ。本当だ!」

見物客の声にかきけされてしまいそうだ。

ジョスリーンは声をめいっぱい口からだす。「絶望するにはまだ早いぞ!要するに、裁判で勝てばよいのだ!」




町に裁判開廷のお触れがだされ、市民たちは興味にそそられて、数百人がそこに集まった。


女も、男も、裁判を見物しに法廷をぐるりと囲むみたいに集まっている。見物客たちはみな、裁判の容疑者たちに
声援を送り、盛り上がっている。


おーおーおーと腕をだし、やっちまえ、がんばれ、とか、いろいろな声をだしている。



法廷は、へんてこりんな場所だった。


都市広場に臨時的に建てられたのは、粗末な木の柵に六角形に作られた囲い。

そのなかに円奈たち3人と、男達9人が入れられている。




囲いを見守る立ち位置に、裁判官机が置かれた。裁判官がこのテーブルの椅子について、柵内を見守る。



テーブルはもう一つあった。そこには、裁判の経過を見守る市長が座る。


裁判官と市長はテーブル同士を並べ、隣同士だ。この二人が裁判における正当な権威である。



六角形に囲われた柵のなかに、容疑者たちが入れられているわけだが、この柵のまわりを警備隊がぐるりと囲い、
興奮した見物客が法廷に乱入するのを防ぐ。


逆に、容疑者がこの法廷から逃げ出そうとするのも、防ぐ。



都市の広場のど真ん中、屋外で開かれる裁判なので、どんどん、見物客は集まってきた。



まさにそんな場に、円奈たちはいた。


ジョスリーンの家系、アデル卿の人たちが、特別に設けられた席についてこの裁判を見守る。

彼女の父、母、弟に兄、妹、姉、親戚の面々が、みな席について見守っている。



それにしてもすごい熱狂だ。


「静粛に!静粛に!」

裁判官はカンカンカンと小槌をたたき、裁判進行の司会を務める。

「先日起こった宿屋”バーゼル”で、暴行事件があった。その事件について───」

裁判官はテーブルから、まず男たち9人を手で示す。


「この男たちが、魔法少女を強姦未遂したのか───」


「ふざげんじゃねえ!」

男達は、口を揃えて叫ぶ。「だれがするか!そんな女!」


「静粛に!!」

裁判官はどなる。小槌をカンと叩く。


「それとも魔法少女たちが三人でぐるで、暴力を働き、かつ男達に罪をかぶせたのか────」


「私はぐるではありません!」

円奈が抗議の声を、法廷であげた。見物客たちが騒ぎたった。

「私は関係ないんです!私は、この裁判を降ります!」


「おい、抜け駆けする気か!」

ルッチーアが円奈の肩にとびつく。逃がすまいとがっちり円奈を押さえつける。「裏切るのか!」

「わたし、なにもしてないもん!」

円奈も退かない。魔法少女に抱きとめられながらも、もがいた。「ほんとだよ!なにもしてないんだよ!」


「静粛に!静粛に!そこの少女騎士!」

裁判官から名指しされた。

「はいっ!」

円奈は驚いて背筋がピンと伸びた。


「貴女がこの事件について、無関係かどうかは、これから裁判で決めることなのだ。いいな?」


「そ、そんなあ!」

円奈は悲痛な声をあげて、両手で顔を覆った。


「この男たちか、この女たちか、どちらに罪があるのか、決着つけなければならない!」

裁判官が高々に宣言する。

すると、見物客たちがわああああっと沸きあがった。


「やっちまえ!女たち、男をとっちめるんだよ!」

見物客の女が、言葉を投げかけてくる。「あいつらは、女の敵さ。魔法少女を襲うなんて、サイテーな男どもめ、
タマなしにしちまえ!」


「おまえたち女は、すぐそうやって、男を悪者にする!」

見物客の別の男が、反論した。「なにが、女の敵だ。だったら一生、女同士で仲良くしてろ。男にこびへつらう
くせして、生意気いうな!」


「なに?」

別の見物客の女がくってかかった。

「いつ女が、男にこびへつらったって?おまえの頭のなかだけだろ。勘違いばかりしやがって、ばか男め。
女のくせに生意気いうなだ?じゃあ、おめえらこそ、男同士だけで一生仲良くやってろ!」


「私たちを助けるために、魔獣と戦っている、魔法少女を襲うなんて最低!」

都市の少女が、甲高い声で口いっぱいに叫んだ。

「けだもの!けがらわしい!やじゅう!魔法少女さん、ぜったい負けないでね!!」


と、見物客たちのあいだでも意見がわれ、喧嘩がはじまる。


「なにがけだものだ、くそったれ!」

見物客のさらに別の男が叫びはじめる。

「誰が働いて、都市を支えてると思ってる!」


その男は、法廷のなかの男たち9人を応援した。

「おまえら、絶対にまけるなよ!名誉にかけて、女どもにわからせてやるんだ!」


「おうよ!!」

男たち9人は、腕をふりあげる。ピースする男もする。「ぜったいまけねえ!おれたちは、おこってるんだ。
まけられねえ!」


「まけないでー!」

都市の少女も、柵の外枠から叫んだ。「魔法少女さん、絶対にまけないでー!」



わいわい。がやがや。

ものすごい熱気だ。


「どうやら私を応援してくれいるみたいだ」

ルッチーアはホキポキ、両手の骨を鳴らして、楽しそうに言った。「腕が鳴るよ」


円奈がわけもわからず市民の熱狂を、法廷の柵内から呆然と見つめていると、ジョスリーンが円奈に言った。

「裁判のやり方をご存知で?」


円奈はふるふるふる、首を横にふる。「全然知らないんですけど…」


「いいですか、簡単なことです。とっても簡単だ」

ジョスリーンは円奈に耳打ちして、六角形の柵の向かい側で荒い息をしている男達9人を指さす。


男達9人はすでにやる気まんまんで、こぶしを握り、円奈たちを睨みつけ、戦闘態勢にある。

ぎろぎろ、円奈たちを睨み、今か今かと開始の合図をまっている。


「裁判官の”審判開始”の合図が小槌から鳴らされたら───」

円奈は、裁判官のもつ小さなハンマーのような小槌をみる。

「私たちであの男どもを全員ぶっ飛ばす。それだけです。そしたら、私たちは晴れて無罪放免ですよ」


「えー…」

円奈は、唖然とした。



「認められている武器は、布つき石と、鎖の二種類」

ジョスリーンは二本指をたて、ジェスチャーも交えて説明する。

「相手が降参したら、それも私たちの無罪放免です。これだけです!いいかな?」


「いいかな…ていうか……」

円奈が釈然としない様子で首をかしげて苦笑いしていると。



カンカンカン!

ついに、裁判官が小槌を叩いた。「審査開始!」


「うおおおおおお!!」

男達9人が、猛然と柵の囲いのなかをはしって、円奈たちに襲いかかってきた。

「やろう、ぶっ殺してやる!」


裁判官は真剣な目つきで、柵内の決闘を見守る。


「さあこい!相手してやる!私をバカにした男ども!恨みは晴れてないぞ!」

まず最初にルッチーアが受けてたった。


ついに判決がはじまった。


「おっ死ね!」

さっそく男がルッチーアに掴みかかり、投げ飛ばそうとした。



しかしルッチーアは逃げた。男の脇をすりぬけ、背後に回りこむと、後ろから男の背中に手を回し、
持ち上げると、男の体が宙にういた。



おおおおおっ。

見物客たちが驚いた声を揃えてあげる。


「そんなんじゃわたしには勝てないぞ!」

ルッチーアは言い、男をもちあげたまま頭上へ放り投げた。男は空中でひっくりかえって、頭から落ちた。



「うごお!」

脳天を地面にうちつけた男が呻く。


魔法少女のとんでもパワーぶりをさっそく裁判で発揮してみせたルッチーアだった。




「やったあああ!」

見物客の都市の少女が喜び、腕ふりあげてはしゃいだ。


こんどはジョスリーンに男が攻撃をしかけた。

「女だからって容赦しないぞ!」

男は拳のばしてジョスリーンの顔面に殴りかかる。

それは、ひょいと身を逸らしたジョスリーンにかわされた。


「女は女でも、私は女騎士だ」

ジョスリーンいって、男のこぶしの手首もつと、グイと折り曲げた。


「いでででででで!」

目に涙ためて男が痛がる。


するとジョスリーンは男の腕をぎったまま引き寄せ、くるりとまわって肩を持つと背負い投げした。

「でなおしてこい!」

男は投げ飛ばされ、体を柵にうちつけた。


粗末な柵はバギっと折れて、男は柵を突き破って場外に落ちた。

「くそったれえ!」



円奈は意味もわからず裁判の法廷をみつめていた。

これじゃ裁判じゃなくて、まるでただの喧嘩だ。



しかしそんな円奈の戸惑いもしらず、裁判はつづく。


ルッチーアは別の男と拳をまじえた。


男の拳を身を逸らしてよけ、男の腕を握ると、自分を軸にして男をぐるんと振り回し、
遠心力つけて男を柵の場外へ投げ飛ばす。まるで砲丸投げだ。


「んが!」

飛ばされた柵へ頭からつっこんだ。


男の頭が柵をバギっと割った。男は場外へ落ちた。木の破片が飛んだ。



「魔法少女さん、つよーーい!」

見物客の都市の少女が熱狂して目を輝かせている。「やっぱり、魔法少女って、素敵だわ!」


「あの暴力女の、どこか素敵なんだよ」

別の見物客が呟いた。


「くそが!」

柵内の男たちはついに我慢できなくなり、裁判官に武器を要求した。

「裁判官!鎖だ!武器の使用を!」



裁判官は頷いて、言った。「容疑者の武器使用を認める」


守備隊の1人が一本の鎖を彼に渡した。


ジャラジャラする鉄の太い鎖を受け取った彼は、ぐふふふと笑い、得意げに笑った。

「おれたちに散々にしやがる女どもめ、もうゆるさねえぞ……」



鎖をもち、うおおおおっと襲い掛かる。

「ぶっ殺してやる!」


ぶんぶん鎖をまわし、ふりあげ、魔法少女に鎖をあてようとする。


魔法少女はそれに気づいて、ぴょんとその場を飛んでよけた。


鎖は地面をたたき、石の地面を叩いた。



うおおおおっ。

観客が興奮の声をあげる。



「まだまだあ!」

男は鎖をぶんぶん振り回し、魔法少女に攻撃をしかける。

今度は横むき。


ぐるんと鎖がまわり、ジャラジャラ鳴った。

魔法少女は素早く屈み、片膝ついてしゃがんでよけた。ブン!鎖は空気中を横切った。


うおおお!

その華麗なかわしっぷり、身のこなしに、観客たちは熱狂し釘付けになる。


鎖はこうして空振り、遠心力で勢いづいてしまい、男のまわりを一周し、そして彼自身に巻きついた。


ジャラ!

ローブ姿の男に鎖がまきつく。そのとき、バシーンといい肉を叩く音がした。


「いってえ!!!」

彼は涙声で痛みを訴える。


間髪いれずルッチーアは立ち上がって、男に迫った。


彼の片足に手をかけ、もちあげる。


「うおおおっ!」

男は片足をもちあげられ、バランスを失ってよろめいた。


「地獄に案内してやる!」


魔法少女はそう言い、男をぐいぐい前へ押しだした。男は、片足もたれたまま後ろへ飛び跳ねた。


片足立ちのまま押され続け、ついには柵まで追い込まれ、そして押し出された。

男は背中からくるりと柵をひっくり反って頭から場外へおちた。

「うがっ!」

柵をひっくりかえった彼は地面に頭を打ちつけた。


「おねんねしてな!」

魔法少女は、場外へはみでた男を見下ろし、言い放った。



おおおおおおっ。

見物客たち、熱狂。


「ルッチーア!ルッチーア!ルッチーア!」


そんなエールまでかかる。

するとルッチーアは笑って、手をあげ、見物客のエールと声援に答えた。

「ありがとう!ありがとう!もっとわたしを応援してくれ。」


おおおおおっ。

「ルッチーア!ルッチーア!」

見物客のエールは、ルッチーア一色となる。



「ふざけやがって!」

別の男は、すっかり裁判所の人気者となった魔法少女に不満を爆破させ、殴りかかる。


「昨日といい今日といい、我慢ならねえ!暴力悪女め!」


「裁判官!」

魔法少女は裁判官を呼んだ。「相手側の武器の奪取は認められてますよね!」


裁判官はテーブルで、静かにうなづいた。「容疑者の武器の奪取を認める」


「よっしゃ!」

ルッチーアは鎖をもちあげた。ジャラ。魔法少女が、鎖を握りもつ。

1メートルほどある長さの、太い鎖を振り落とす。

それで男の顔をなぐった。


「へげっ!」

男は顔面を鎖にあてられて、真っ赤にしてぶっ倒れる。


「このアマ!」

もはや生き残り少なくなった別の男もルッチーアに襲い掛かる。


「あう!」

その彼も鎖で殴られて、ぶっ倒れた。二人の体が交差して重なった。


「ルッチーア!ルッチーア!」

エールは、魔法少女に声援を送り続ける。

「ルッチーア!ルッチーア!」



男側の陣営は、こうして生き残り三名となった。



「やるじゃないか、ルッチーア!」

法廷の柵のなかで、女騎士のジョスリーンが手を叩いて魔法少女を激励している。

「さすが魔法少女だ!そのまま私たちの無罪を証明してくれ!」両手広げて、女騎士はそう言った。


「うおおおおお!」

「うわあああああ」


もはや法廷の場は、鎖をぶんぶん振り回す魔法少女とそれから逃げる人間の男の追いかけっこの場と化した。


ルッチーアは鎖を鞭のように頭上でまわし、男達は助けてくれえと悲鳴あげながら法廷の柵内を逃げ回った。



「どうした!ほら!かかってこい!」

魔法少女は、鎖振り回しながら、男達に呼びかける。

「私をぶっ飛ばすんじゃなかったか!ほら、かかってこい!どうした!腰抜けめ!」


「うわあ!」

男はルッチーアに柵の隅まで追い詰められた。

彼の顔が恐怖に引きつり、恐怖に固まった顔で、彼女をみあげる。


「しね!」

魔法少女は怒鳴って、男の顔面むけて鎖を振り落とした。


「いやああ!」

男は必死に、柵から逃げた。

木の柵は、バギっと鎖によって裂かれ、折れた。


木片が飛び散った。柵は裂けた。



おおおおおっ。


見物客たち、拍手。命からがらの男の脱出に感心したのだった。


「逃げるだけの意気地なしめ!」

魔法少女が男たちを追いまわし、罵倒を叫ぶ。

「どうした!わたしと裁判してるんだろ!わたしと闘え!」



「無茶いうな!」

男達は必死に逃げつづけた。しかし、ルッチーアの鎖に尻を叩かれた。

「いだーっ!」

目に涙ためて痛がる。



「鹿目さま、わたしたちの無罪放免も時間の問題ですね」

ジョスリーンは冷静に、裁判の戦況を分析していた。

円奈はぽかーんと目を開けて裁判を見届けていた。「わけわかんない……」


尻をたたかれた男は足を何かにひっかけてころげた。ドダンと頬をうちつけ、ぎゅっと目を閉じた。

魔法少女は、鎖をもちあげ、まさに男にとどめをさそうとしているところだった。

「これで私たちは無罪放免だ!」

「やめてくれ!」

男は顔を両手で覆い、助け請った。ルッチーアは容赦しなかった。鎖をふりあげ、ぶんと振り落とす。

1メートルほどの長さの太い鎖が、ふるい落とされる。

「うわあああっ!」

男は叫び、本能的にぐるりと身を回した。頭抱えながら身を回転させ逃げる。

すると鎖は床をたたき、地面をえぐった。石の破片がバラバラと飛び散った。煙があがった。


おおおおおっ。

見物客、すれすれの男の回避に拍手。


すると男はころげた体勢のままで、足を動かすと魔法少女の足に絡めて、ひっかけた。

ぐいっ。

足を絡めてまわす。


「うお!」

ルッチーア、足を絡めとられてすってんところぶ。尻餅をつく。鎖が手元から落ちた。


おおおおおっ。

観客、驚きの声。


「調子にりやがってこの暴力女め!」

男はころんだ魔法少女の体をもちあげた。ひょいと持ち上がる体。魔法少女は、かるかった。


「だれが暴力女だ!」

ルッチーアは男にひょいと持ち上げられながら叫ぶ。


すると、見物客は野次を飛ばした。「おめえだよ!」



男側を応援する見物客たちがこの展開になってわーわー沸き立つ。

「やっちまえ!目のものをみせてやるんだ!」


「場外に投げ込んでやるさ!」

男はつかみあげた魔法少女を、場外へ運んだ。「みてろ!イカレ女を裁いてやる!」



「あ、まずいな」

ジョスリーンが動き出した。


「こっからは俺たちによる裁きだ!」

男は魔法少女を頭上に持ち上げて、柵外に落っことそうとした。

「悪女どもめ!男の裁きをみててやる!」

が、まさにそのとき、彼は鎖に首を絞められた。


「うごごご!」



女騎士が背後から鎖で彼を首絞めていた。


「そいつを場外にだされたら困るんだな」

ジョスリーンは男の首を鎖でしめ、背後から睨んで囁いた。「わたしの大事な弁護人なのでね」


男は柵の内側へと戻された。

背後から鎖をぐいぐいひっぱられ、男は後ろ向きに数歩よろめき、そして女騎士によってぶんと投げ飛ばされた。


男は魔法少女と一緒にどってーんところげた。二人は柵の中心で頭うちつけた。



裁判官がテーブルで目を見張る。



「いってえ!」

ルッチーアがぱんぱん、服の埃をはらいながら起き上がる。「乱暴しやがって!」



「おまえにいわれたくねえ!」

男は起き上がって、ルッチーアに馬乗りになった。

「乱暴女め!いま大人しくさせてやる!」


男は、馬乗りした上から魔法少女の顔をなぐった。



「いて!」

拳骨が鼻にあたる。


ついに男側の反撃がはじまった。


「やれ!その調子だ!」

見物客、興奮が高まる。


ところが二発目を殴ろうとしたら、男の肩は、魔法少女につかまれた。


「顔を────」

ルッチーアの怒りが爆発している。「殴ったな!」


魔法少女は、男の肩をつかむまま引き寄せ、頭突きをした。


「うごっ!」

男の顔面に魔法少女の頭がぶちあたる。


そして何度も何度も頭突きされた。馬乗りにされた魔法少女は男の肩をがっしり掴み、繰り返し頭を持ち上げ、
男の顔面に頭突きする。




男の鼻から血がでてきた。

もう何度目か分からないくらいの頭突きをうけた男は、ついにぐったり倒れた。



すると魔法少女は馬乗りにされた男を追い払った。

男はルッチーアの隣に身を倒した。

「吹っ飛べ!」

すると魔法少女は男をもちあげて、肩から投げ飛ばした。

男は砲丸投げされた。


投げ出された男は柵をブチっと突き破って、場外へはみ出た。裁判官の机の真下あたりに落ちて、彼は気絶した。


「すごーい!」

場外の見物客の都市の少女が、手と手を合わせて感動している。「かっこいい…!」



別の男は、ジョスリーンによって、鎖をふるわれぎたんぎたんにされていた。


女騎士はヌンチャクみたいにびゅんびゅん器用に鎖を振り回している。

「う!」

鎖が男を叩く。

「いたっ!」

ぶんぶん、振るわれる鎖は男に当たる。鎖はバチバチと背中を叩き、顔をたたき、足を叩いた。


男は鎖の痛みから逃げるように柵へ。


柵にひっかかった男は、柵を乗り越えて逃げようとする。

「なんだ?外にいきたいのか」

そのはみだした尻を女騎士はトンと蹴った。「てつだってやる」


ドン。

尻を蹴りだされ、男は柵からずり落ちる。

「うげ!」

彼は顔面を枠外にうちつけた。


のこる一名となった男は、円奈に襲い掛かった。


円奈の服をひっぱり、髪をひっぱった。


「い、いや!」

円奈は昨晩のことを思い出し、男の感触におびえた。

「触らないで!やだあ!髪をひっぱらないで!」

あまりにも少女が嫌がるので、男は戸惑って、手をとめてしまった。「あ……なんか、ごめんね…悪気はなかったん
だけどね…」




女騎士が、男をうしろから羽交い絞めにした。

「そのお方に触れるとは、命運尽きたな」


「え?」

若い男は恐怖して、ふりかえった。


「私の大切な紋章官なのだよ。ルッチーア!ほれ!」

女騎士は男の背中をドンと蹴った。男は前のめりになりながらルッチーアのもとへ、つまづいた。


「はいさ」

ルッチーアは男の足首を後ろからつかんだ。「天変地異を味わえ!」


魔法少女が足首をもちあげた。ずるっ。すると男は逆さ立ちになって、顔面を地面にガンとうちつけた。

「ううう…」

男は、泣いた。


勝負あった。

カンカンカンカーン!

裁判官の小槌が鳴る。


「そこまで!そこまで!静粛に!」

裁判官は、テーブルで宣言する。

「公明正大なる法廷において───」

裁判官が話し、すると市長は羊皮紙に書き留める。

「判決がくだった!アデル・ジョスリーンら三人は無罪!ジゾールら9人は、有罪!」


「ちっくしょおおおおお!」

場外にでた男、柵内で失格した男、裁判に負けた男たちはみな悔しがった。


彼らは再び守備隊たちに連行され、牢獄へともどった。

「またも裁判で女にまけちまった!くそったれえ!」

と、昨日の酒場で、娘の留学金のことで裁判した男は、この二度目の裁判の敗北に嘆いた。



それにしても、なんたる裁判だろうか。

しかしこれがこの時代でいう裁判だった。



トラブルの当事者同士が、裁判官と市長が見守るなかで決闘し、その勝敗によって判決をくだす。

それは正式にして公明正大な判決だった。



結局、トラブルの当事者同士が、決闘して罪状の如何を決定するしかないのだ。



もちろんメリットだってある。

トラブルの当事者同士は、もちろん互いに敵意を抱くから、決闘すること自体は当事者同士の合法的な
喧嘩である。


裁判官がみているなか、堂々と、トラブルの憎き相手を叩きのめすことができる。


それに解決もはやい。


証拠をあつめて、話し合い、弁護して……といった裁判は、金がかかり、しかも時間もかかる。


いっぽう決闘裁判は、一日でトラブルが解決し、白黒はっきりする。


しかも、賄賂などの不正の入る余地はない。


裁判官と市長はあくまで決闘を見届けるだけだから、いくら彼らに賄賂をおくったところで、結局は
決闘にかたなければ意味はない。


決闘こそは、不正の入り込む余地のない、まさに正々堂々としたトラブル当事者同士の解決方法だった。



肝心な公平さが大きく欠けてしまっているのだが。


こうして男達は魔法少女をあいてに戦い、決闘裁判に負け、有罪が正式に決定した。



決闘裁判に勝利した鹿目円奈ら三人は、無罪が正式に決定した。


もう、守備隊に容疑もかけられないし、彼女らについて容疑を口にするこも許されない。

完全なる白の身になるのだ。



「次回からは──」

市長が、決闘の様子を見守っていたなかで、感想を裁判長に呟いた。

「魔法少女が法廷にたつときはは、ハンディを設けましょう」


裁判長も頷いた。あまりに一方的に暴れる魔法少女の圧倒的すぎる力量は、いささか、この公明正大なる裁判に
おいて、不公平な感じがある。


「そうしましょう」

189


「さてめでたく、これで私たちも潔白だな」

裁判に無事勝利に、無罪を証明したジョスリーンら三人は、法廷を離れた。


決闘が終われば、もうなんの手続きもいらなかった。



「一時期はさすがのわたしもきついな…と思ったが、さすが魔法少女が味方にいると負ける気がしないものだな」

女騎士ジョスリーンは、うんうんと頷きながら、腕組んで目を瞑り、裁判を振り返っている。

その動きに合わせて金髪のさらさらの髪がゆれた。


「あ……あれで…よかったのかな…」

いっぽう三人のうち、まだ釈然としない気でいるのが、円奈だった。

「鹿目さま、どうされましたか、これで私どもの疑いは晴れたのですよ」

ジョスリーンは円奈の肩に手をおく。

「安心を。市長も裁判長も私どもの無罪を認めましたから。だれももう文句いいませんことよ!」


「いや……そうじゃなくて…なんていうか…」

円奈は困った顔して、言葉をさがしている。「かわいそすぎないかなって…」


「鹿目さま、あの男どものことで?お優しい方だ!」

ジョスリーンは円奈の肩から手を放して、両手をあげた。

「実に気高き少女騎士よ!ですがね、最初に喧嘩をふっかけたのはあの男どもですぞ。ルッチーアに
対して発言した侮辱の数々を覚えてますか?この都市には魔法少女不可侵という法律がありましてですね、
都市の魔法少女に言葉や暴力で傷つけることは、罰則なのですよ」


「ううん…」

円奈は、まだ重く沈んでいる。


地面をみつめ、はあとため息つくと、裏路地を歩いた。



「鹿目さま?どちらに?」

金髪の女騎士は翠眼で円奈をみつめ、それから、走っておいかけた。

「無罪放免になったのに、どうして元気がないので?鹿目さま!」



「あのときはどうやってルッチーアさんを助けたのかわからなかったけど…」

円奈は、女騎士に背をみせたまま、ぽつぽつ裏路地を歩いて、声をこぼした。

「あの人たちの罪をでっちあげてたんだね…」

静かに言い放ち、女騎士に背をみせる。


ジョスリーンは、その場で立ち止まり、腰に手をあて、言葉もなく翠眼で円奈の後姿を見つめた。

あとを追おうとはしなかった。


円奈は、女騎士のもとを去る。


「あんたには感謝している。本当だ」

ルッチーアはジョスリーンの後ろにいた。

「けどここでさよならとしよう」

黒髪の魔法少女は、金髪の女騎士の後ろから、少しだけ寂しそうに言った。

「人間がさ、わたしら魔法少女に関わると、いいことないぜ。二度と会わないにしよう。互いのためさ」

といい、彼女も、ジョスリーンのもとを去った。



1人そこに取り残されるジョスリーン。

円奈もルッチーアも彼女のもとを離れた。



途端に、三人は解散となった。



だがそこでジョスリーンは諦めない。



円奈もルッチーアもそれぞれの方向に去ったが、ジョスリーンは、円奈のあとを追って走った。


裏路地の街角を曲がり、細い通路を走って、円奈のあとを追う。


「鹿目さま!」

女騎士は走る。「鹿目さま!」


円奈はクフィーユを裁判所から取り戻して、その背に乗ろうとしていた。


円奈は、顔をジョスリーンにむける。


「鹿目さま!」

ジョスリーンは円奈のもとに走ってきて、はあはあ息をはく。

「私の紋章官をしてくれる話は!」

と、女騎士は、息をきらつつ問う。「私の紋章官をしてくれるのでなかったか!」



「やらない…」

円奈は、落ち込んだ声をしていた。「私、エレムの地を目指しているんです。だから、そんなことしてる場合じゃ…」


「紋章官がいなければ、私は馬上槍競技大会にでれないのです!」

ぜえぜえ、顔を赤くして息を乱しつつ、女騎士は円奈に頼み込む。

「あなたしかいない!」


「罪状をでっちあげた上に、次には楽しいスポーツを?」

円奈の声は冷ややかだ。

彼女はクフィーユを連れて街路を歩き出した。「ごめんね。別の人を探して」


円奈は街路を進み、都市をでる決意でいた。女騎士は息をぜえぜえしながら、去る円奈の後姿を
見つめていた。



しかし、女騎士は、諦めなかった。


「あなたが羨ましい!鹿目円奈!」

と、突然ジョスリーンは、いきなり大声で、そんなことを言った。




「私は、貴婦人の騎士に生まれながら、魔法少女の護衛兵になれたことがない!」



円奈の足がとまった。



「だがきみはエドレス領土の姫・アリエノール・ダキテーヌの専属傭兵を務めた少女騎士!
自分を汚すこともなく────」


赤く顔を染め、息を乱し、ぜえぜえ喘ぎながら女騎士は語る。


「魔法少女のおそばにいられる騎士だ!だがわたしは、わたしは───」


円奈はピクリとも動かない。ジョスリーンに背をむけているだけだ。


「夜警騎士としての立場を使うことでしか、魔法少女の助けになることができない!実戦の経験も実績もなく──」


女騎士は膝に手をつきながら、懸命に息をつなぎ、翠眼で円奈を見続ける。


「魔法少女の護衛兵でもない私ができることは、権利を使うことだけだ。だから夜警騎士になった!」


円奈はまだ動かない。



「私はルッチーアを助けたかった。いつも誰にも知られずに魔獣と命かけて戦っている魔法少女の
助けになりたくて───」


女騎士は、語り続けた。


「職権をつかって彼女の無罪を証言した!鹿目円奈、私は夜警騎士として、いつだって魔法少女の味方だ!
そのためになら私は汚れたっていいんだ。魔法少女の助けにさえなるなら───」


そこで、彼女はいったん、息をつなぐ。


「あなたはキレイなままで魔法少女護衛を務める騎士だ!だが私は汚れている!世間さえ敵に回してでも
魔法少女の味方になる。都市には、他に魔法少女の味方にたつ人間なんていないからだ!」



ぴく。

はじめて円奈の背中が、わずから震えた。


「私はこの都市でいちど、魔獣の結界にとらわれた。そこを都市の魔法少女に命を救われた。彼女たちは
そうやって寝る間も惜しんで魔獣と戦い────昼間は人間世界の孤独と戦っている!」


一度そこで間が入る。

彼女は息をすって、つづけた。


「私を助けてくれた魔法少女も、都市という人間世界のなかで生きる孤独に苦しみ、そして修道院で
円環の理に導かれた。人間の誰にも理解されないままこの世から消え去った。町の人々は、魔法少女の存在を
頭では理解しつつ、心では敬遠している!」


円奈の肩が、すこし震える。


「あいつらは、みんな孤独なんだ!自分達の魔獣との戦いは、決して報われることがないんだって、諦めかけている!
私は魔法少女の味方になりたい!たとえ職権濫用しようとも、助けを求める魔法少女の声を無視しない!
夜警騎士になったのは、この権利を使って魔法少女の助けになりたいからだ。でも本当は、いつか
魔法少女の護衛兵になって、魔法少女のあそばにいてあげられる騎士でありたい。それが私の夢だ!」



円奈は、なにもいわない。


「だがそのためには実績が必要だ。馬上槍競技大会でトロフィーを勝ち取らないとだめなんだ。頼む、お願いだ、
鹿目円奈。これが最後のお願いだ。それでもきみがいやだというのなら、もうきみには頼まない。鹿目円奈、
魔法少女護衛兵を務めた気高き少女騎士よ、私の紋章官になってくれ!そしたらもう不正はしない!きみに誓う!」


「…」

まだは無言だ。


女騎士はまっすぐ翠眼で円奈の後姿を見つめ続けた。

彼女も、一歩も退かない。


すると、ついに、円奈が口を開いた。

「…いいよ」

やっと円奈は振り向いて、ジョスリーンをみた。その顔は優しかった。

「わかった。あなたの紋章官になってあげる。少しだけね?」



女騎士の顔が明るくなった。


「でも、馬上槍競技大会は───」

円奈は、クフィーユの頭を撫でると、言った。「騎士として正々堂々、戦ってよね」



女騎士は円奈の前へ歩き進み、手をとった。「もちろんだ」

円奈の手が、ジョスリーンに握られる。

「感謝する」

今日はここまで。

次回、第25話「同業者組合ギルド」

第25話「同業者組合ギルド」

190


ジョスリーンらと別れたルッチーアは指輪をレーヴェスにもとに戻した。

場所はジョスリーンが自分の菜園といっていたから、アデル卿の私宅にいって、とってきた。

そばにいけば、魔法少女は別の魔法少女のソウルジェム位置を魔力反応で知ることができる。



レーヴェスは修道院の菜園で目を覚ました。


この時代、ゴシック様式の修道院の裏側には、小さな庭に菜園などを造り、香料となる植物を育てている。

菜園だけでなくて、水道施設もあって、泉を水がながれている。



ゴシック様式の修道院の外側は、フライングバットレスという飛梁の構造があり、外壁を多数の尖塔アーチが
支えている。


飛梁アーチの先端には尖塔があり、それがゴシック様式の特徴だ。



その外壁にかかった尖塔アーチの下で、レーヴェスは目を覚ました。


指輪がレーヴェスの胸元におかれる。


水道施設を囲う緑色の芝生にレーヴェスは腰かけていた。目に生気が戻り、目をあけ、修道院の水道施設に流れる
透明の水を眺めながら、呟いた。

「人間に魂を売ったな」


ルッチーアは言った。「人間に恩を返しただけさ」


「おまえは私たちの唯一の心の寄りどこに人間をいれた。おまえは私たちの居場所を汚した」

レーヴェスの声には軽蔑がこもっている。

「修道院長に報告する。私にした仕打ちについてもだ」


「本当に私の恩人だったんだ」

ルッチーアは、切実に話した。「助けてほしいといったら助けてくれた。別になにも悪いことしてないさ。
それに人間の石工屋と大工が建ててくれた修道院だろ。たまにはいいじゃないか」


「じゃあおまえは、円環の理に導かれるところを、人様の前で晒してもいいというのか?」

レーヴェスの冷たい口ぶりは変わらない。

「私たちの魂が天に運ばれて、脱け殻になった肉体が残るのを、人様に晒してもいいと?修道院は、
私たちの秘密を人間に隠すための場所だ。みんな約束を守ってる。おまえだけが約束を破った。裏切り者め」


「ああ、わるかったよ!」

ルッチーアは立ち上がった。「私はこれにて晴れて修道院、出禁だね。」


修道院外側の尖塔アーチをくぐりながら、ルッチーアは修道院のもとを去る。


最後にくるりと向き直って、レーヴェスに告げた。


「いつまでもそうやって修道院にこもっていろよ。だがいつか人間にばれるときがくるんだ」


レーヴェイは冷たい目をしながら、地面の芝生をみつめ、言い放った。


「そのいつかをつくるのはおまえみたいな魔法少女さ」


ルッチーアはそれには言い返さず、ただ両手をあげるだけの仕草をした。返す言葉はないよ、のポーズだ。

彼女はするとまたくるりと回って、背を見せると、彼女は修道院の土地を去った。

191


時間は昼過ぎになった。


昼過ぎとわかったのは、支庁舎の建物の鐘楼が、ゴーンゴーンと"六時課"の時刻を知らせたからだ。


すると、市場広場は、いよいよ市場として盛り上がりをみせはじめた。


彼らはベンチを用意し、商品をならべる。荷車で商品を運び、市場に買い求めにくる客と、やり取りをする。


商品を売るには、みな市民であった。


都市の市民はみな職人なのであり、何かしらの商品を売っている。

それがさまざまな品目だったりするのだが、昼過ぎの時間帯で多いのは、やはり食糧品だ。


ざっとあげると家畜用の干し草商、焼いて食べるための家禽、チーズ、バター、塩漬けの魚(ソルグ川で
とれた魚の転売は禁止されている)、レンズ豆、さくらんぼ、アーモンド、桃の種、干しブドウ、きび、
さんご、白ビールなど。


市民たちは、それを市場まで、馬に乗せたバスケットや、荷車などを使って運び出す。



時間帯によって、市場の開かれる時間と、時間帯ごとに市場に並ぶ商品も決まっていた。


その時刻を知らせるための市庁舎の鐘の音である。


朝に準備がはじまって、10時ごろ市場は開かれる。このとき、朝の鐘が市庁舎で鳴り、町に響き渡る。



朝には食料品がおもに市場に並びたてられるが、二時過ぎからは日用品になる。

日用品は、衣服、石けん、麻、ろうそく、黒色フスティアン織地、油、着色毛皮、時計、鏡、書籍(文説教集)、
真珠、紙、ろうそく芯ばさみ、靴、巾着。特に大量に売れたのが麻と石けんだった。



他、馬上槍試合の開催期間であるここエドレス都市は、騎士たちのための装備品も多く売った。


ギルド職人たちが、わざわさ店舗から都市広場にまで荷車で運ばれて売られるそれらは、鞍袋、馬勒(馬の顔に
かぶせる布)、馬腹帯ベルト、拍車、鐙、むながいなども売る。


4時ごろは撤収の準備をしろと知らせる号鐘が鳴る。


夕方を過ぎると、夜警兵士が巡回をはじめる。

違法な売春婦や、盗品を売る悪徳商人が、日没とともに街路や路地にぽつぽつ出現しはじめるので、
都市の風俗を守るため取り締まらないといけない。


もっと夜が深くなり、誰もが寝静まると、魔法少女たちが都市にでかけ、魔獣退治のために動きだすのだが、
熱心な夜警隊は、そんな深夜の時間帯になっても巡回をする。



夜警隊には歩兵の夜警兵士と、騎兵として夜警にあたる夜警騎士がいる。女性は珍しい。女騎士ジョスリーンが
まさにそんな珍しい夜警騎士の一人だった。夜に都市を巡回・警戒態勢をとるので、魔獣の結界に迷い込んでしまった経験がある。


そもそも彼女は、貴婦人として申し分のない家柄に生まれていた。つまり王家の家来である。

だが彼女はあえて夜警騎士の職についた。親戚からは、”貴婦人騎士”と呼ばれるが、まさに
ジョスリーンは、貴婦人騎士であった。


戦うことを使命とした女騎士ではなかった。文句なく名門の家系に生まれた貴婦人女性だった。



「お腹が───」

さてジョスリーンは、都市広場へ進みながら、円奈に話かけた。

「すきました?」


「う、うん…」

円奈はちょっと恥ずかしそうに、俯き加減で答えた。「昨日から何も食べてなくて…」


「せっかくですから」

この女騎士は翠眼で市場に集まる人だかりと、青空をみあげる。「食事を?」


「…うん」

円奈は、少し照れた顔して、上目で女騎士をみあげた。


「何をお食べに?」

女騎士は率先して都市広場の食品売り場へと足を進める。円奈が慌て彼女の長い金髪を追いかける。


「うーん…」

円奈は、真っ先に、いつも食べている肉を思い浮かべた。ところが、市場の家禽は生きたまま売られたり、
やかれぬままバスケットの籠に入れられていた。つまり、家に持ち帰って焼けという意味であった。


旅の者である円奈にはこれでは買えない。


「…あの…食べたいのはそうなんですけど…」

円奈は、指先同士あわせて、困った彼女をみあげて、言う。「調理するところが……」


ジョスリーンはまわりの市場で売られている商品を見回した。

エンドウマメ、ソラマメ、レンズ豆、塩漬け魚、生肉。ぜんぶ調理しなくちゃいけないものばかりだ。


焼いたりゆでたり、捌いたり。

円奈には、それができる場所がない。また宿屋を借りたりしない限りは。



「あー…」

女騎士は、こくこく、頷いて納得した。「そうでしたね」


市場では昼の盛り上がりをみせ、都市じゅうの人が集まった。


いや、都市の人だけではない。農村から出稼ぎにきた村人、収穫の余剰分を売りにきた田舎の者、
都市まで道具を買いにきた他国の人など、さまざまな人たちが集まり、市場は活発な盛り上がりをみせていた。

耳をすますと、田舎の方言や、ワイン商人、外国のスパイス商人、いちご売りや炭火焼人の売り声や売り子の
歌声、そのほかふれ役の声も。

いっぽうで、腐った魚を売った廉で女が、首手枷で晒し者にされている。そしてふれ役は、腐った魚を売るとこうなるぞ、
と市民にふれてまわるのだった。


とにかくあらゆる声が交じり合い、飛び交っていた。



「料理店にいきましょう」

と、ジョスリーンは提案した。その翠眼は、いまやすっかり元気さを取り戻している。

「そこで調理してくれます。わたしたちはコインを渡して、あとは料理人が調理してくれるのを待つだけ。
酒場みたいなものですよ。さあ」

「…うん、ありがとう」

円奈は決して聖地をめざす使命を忘れているわけではなかったが、今は、この女騎士の夢にもう少しだけ、
付き合ってみることにしていた。

192


こうして二人は晴天の下、エドレスの都市の小通路や、路地を巡り料理店を探した。


もちろん、都市にはさまざまな料理店がある。


だが代表的なのはなんといってもパン屋だった。



三圃制農業によって向上した麦の収穫量は、農村では余剰部分を生み出し、市場へと売られる。



麦は市民や、パン屋が買い取る。麦の種類はライ麦かエール麦が主だ。


麦を買い取ったパン業者は、捏ねた麦を客のためのその場で焼き上げ、客にもてなす。


エドレスの都市におけるパン業者のパンを焼き上げることへの情熱は高く、こだわった製造法をとっている。

その製造法は、円奈たちが、その目でみることになるだろう。



都市の他の料理店をあげると、家禽をローストにしてくれる肉屋料理店、ワインを売る居酒屋が目立つだろう。
居酒屋は、宿屋と複合した酒場になることもある。


「肉にしましょう」


女騎士ジョスリーンは、提案した。

円奈と二人で都市の路地を歩き、料理店を探している。


しかし円奈は、どの建物も石造りのレンガ模様をした店舗ばかりなので、どれがどれだか、さっぱり分からない。



「肉を食べましょう。明日の馬上競技のため、力をつけたい。鹿目さま、紋章官は、力を使う仕事です」



肉は、円奈の主食だ。

「うん…」

円奈は、きょろきょろ路地に並ぶ料理店などの店舗と建物を眺めながら、答える。「そうするね」


円奈はだんだん、建物の料理店や商店の見分け方が、わかりはじめた。


街並を見渡すと、店舗や建物の壁に、飾り看板が吊るされているのだった。



看板にはいろいろな絵が描かれている。


たとえば骨と肉の絵。きっと肉屋だろう。



飾り看板は店舗の外壁に吊るされている。看板を吊るす鉄部分は、装飾に凝っていて、花柄模様などを
表現し、レストランの絵柄を描いた看板を吊るす。


他にもいろいろな飾り看板があって、靴が描かれたり、ビールが描かれたり、鳥の絵が描かれていたり…。

円奈はきっと、靴屋さんとか酒場屋さんなんだなあ、と思った。



「ここです」

女騎士は骨つき肉を描いた飾り看板が吊るされた店の前でたちどまった。


「さあこちらに」

ジョスリーンは円奈に微笑みかけて、店へと誘った。


ぐうとお腹のなった円奈は、お腹すかせながら、照れつつ店へと入った。

193


肉屋の店内へと入った二人は、店内食卓で肉を頬張る客達の横を通り抜けて、カウンターまで進んだ。


店内は薄暗かった。



蝋燭の火と、窓から入ってくる光が少しばかりあるだけで、石に囲われた店内は冷たい。



「肉をくれ」

女騎士は肉屋の主人のもとまでずかずか歩いて、注文した。

カウンターに白く細やかな腕を載せ、店主に話しかける。「肉だ。腹をふくらませたい」


「どれだ?」

カウンターの店主はたずねる。

それからカウンターに張られた板に記された肉の種類とメニュー、値段について店主は説明した。


「うちが扱っているのは」

カウンターに張られたメニューへ指を沿わせる。

「牡鹿、兎、しゃこ…」

メニューを読み上げるごとに、メニューに沿わす指を隣へ隣へ、移していく。

「豚、牛、あなぐま、ビーヴァー、かわうそ肉だ。うちじや、どれも最高のローストに仕立て上げる。
ソテーでもいいですがね。うちにきてよかったな、え?あんたには肉屋を選ぶ目がある」

といって店主はニタニタ、笑って女騎士に顔を近づける。


「うーぬ」


ジョスリーンは顎に手を添えて目を閉じ、考える素振りをする。

都市の肉屋は、どこにいっても同じことをいう。


「”ファルセット・チキン”もあるぞ!」店主は冗談めかして笑う。



「まあ肉はどれでもいいんだが…」

金髪翠眼の女騎士であるジョスリーンは、カウンターに腕を載せたまま、メニューを見つめ、
注文した。

「まあ、私は雉と牛だな。あ、やっぱかわうそも。ソテーで頼むよ。ローストじゃなくていい。
鹿目さま!貴女は?」

円奈は、ジョスリーンの後ろで二人のやり取りをじっと見ていたが、自分に振られて、うっと反応を示した
あとで、呟き始めた。


「豚、牛、あなぐま、ビーヴァー、かわうそ、雄鹿、雉…」


いろいろありすぎる。


「まあ、わたしは、兎かな……」

バリトンにいたころよく食べた肉だった。狩りをして。


「兎?」

女騎士は不思議な顔で円奈をみつめたあと、しかし、何もいわず、店主に注文した。

「じゃあ、あの方には兎肉を頼むよ」



「あいよ」

店主はさっそく、カウンターでジョスリーンと円奈が見ている前で、肉をまず計る。


家禽などの肉類は、天秤の計量器具に乗せられて、重さを計る。


エドワード王は、エドレス都市すべての肉屋やパン屋に、客にだす肉量を、天秤で計量するように命じていた。

不正を防ぐためだ。



ところが商人とはずる賢いもので、計量器具にさえ仕掛けをうって量を偽る肉屋などがあった。


「うちの計量器具は国の検印つきさ」


と、肉屋の主人は言った。国王の認可のある正式の計量器具をちゃんと使っているわけだ。


「そりゃよかった」

女騎士はカウンターの計量器具をみつめた。


この計量器具は、”棹ばかり”とよばれるタイプの計量器具。見た目は天秤だ。


天秤によって重さを量る。


錘をのせる皿と、肉をのせる皿があり、平行に天秤がつりあえばよい。




こうして肉屋の主人は棹ばかりをつかっ肉の量を計り、牛肉、兎肉、かわうそ肉、雉肉などを計り、厨房で
ナイフで適量に切ると、天秤皿ふたつが最も平行になった肉の量を定めて、焼き上げた。

厨房にてフライパンで炒める。


店主は炒めながら、こっちむいてたずねてきた。「バターか、あぶらか、ソース?」

「まかせるよ」

女騎士はいい、カウンタをはなれた。



すると円奈とジョスリーンの二人は、食卓のテーブルについた。


窓際の席だったので、比較的明るい。アーチ窓から外の光が差し込んできていた。

光は二人の座る木のテーブルも一部照らしていた。



電灯とは違って、光の当たる部分と、当たらない部分の明暗の差がはっきりしている。


「明後日に馬上槍競技がはじまります」

女騎士はテーブルの席に座り、両腕をテーブルにのせながら、説明した。

「最初の鐘で、まあ、午前9時ですね────開会の式です」


「それで…」

円奈はテーブルの席では、おとなしく手は膝にのせている。

「わたしは何をすれば?」

紋章官をするという話には乗ったものの、円奈はその紋章官というのがどういう職業なのかを知らない。



「紋章官として、私を競技場にて紹介をしてほしいのです。血筋とか、家系とか、そういう説明です」

ジョスリーンは答えた。

「あとはそうですね、まあないとは思いますが、私が棄権するとなったら競技場の入場門に掲げた紋章に白旗をかぶせるとか、
まあ、いろいろ…」

騎士には紋章がある。


紋章官は、そうした紋章があらわす国柄やら貴族の経歴を、公の場で大衆にむかって説明する役だ。



「家系なんてわからないよ…」

円奈は、困った。

「私が説明します。それに、私の家系だけじゃなくて。対戦相手、私の参加しない騎士たちの紋章も、
きちんと読めなくてはいけません。騎士は紋章官がいないと、競技には参加できないのです」

ジョスリーンが言った。「だからあなたが必要なのです。あなたには、私が説明する紋章をすべて、覚えて、
その読み上げ方も、覚えてほしい。まあつまり、馬上槍競技に参加する全ての騎士の紋章を。明日まで」


「それ…わたしにできるの?」

自信なさげな円奈が言うと、まさにそのとき店主によって、焼かれたソテーが皿ごとテーブルに置かれた。


途端にバター風味の香りがテーブルにたつ。

焼きあがりたてのソーテは、酪農業者が製造したバターで炒められ、かわうそ肉、雉肉、牛肉など全部ごっちゃ
になってドーンとおかれる。

円奈のほうに置かれた兎肉は油焼きであった。

こっちはソテーではなく油焼きで、ソースもふりかけられていた。

ギャランティン・ソースと呼ばれるそれは、パン、シナモン、ジンジャー、砂糖、赤ワイン、酢などを
混ぜ合わせたとろりとした風味のソースだ。



バター風味のソテーと油焼きソースの肉料理のにおいに、思わず鼻がひくつく。

「おいしそう……」


円奈は、兎のあぶら焼きを見つめ、ナイフを手に取った。


この料理店にはフォークもあった。この時代のフォークは中流階級の下くらいの食器であって、
円奈がいつか参加したダキテーヌ城での餐宴では、上流貴族はフォークは使わず、三本の指でゆうがに食事する。

そして優雅に唾を吐く。

きれいに横をむいて、ぺっと華麗に。



円奈はフォークとナイフで、肉をきり、そして一口サイズにして、口にする。

途端に、顔が幸せいっぱいになった。

香辛料ソースいっぱいの肉料理の味が口にひろがった。



まるで薄幸の貧乏少女が肉料理をはじめて口にしたような反応に、女騎士のジョスリーンはふっとおかしそうに微笑んで、
自分もナイフをとった。


アリエノール・ダキテーヌの専属傭兵を務めたなら、今ごろ自分よりよっぽどお金持ちのはずなのに。


「鹿目さまには私の紹介役もしてほしい」

と、ジョスリーンは話した。

「馬上槍競技で私が出番になったとき、あなたは観客と、主催者たちに、私のことをざっと紹介を」


「うーん…でも」

円奈は肉を噛み締めている。「どう紹介すれば?」


「そこは心配なさらずいてください。紹介文は自分で考えてあります」

女騎士はソテーの肉をナイフで切る。

「鹿目さまにはそれを読み上げてほしいのです。私が自分で考えた文を」

といって、フォークで肉を口に運ぶ。


「はあ…」

円奈が声をもらす。生まれて初めて使うフォークでぎこちなく肉を口に運んだ。



「紋章はご存知で?」

女騎士はたずねてくる。


「えっと……へんな模様みたいな、あれだよね…」

と、自信なさげにいうと。


「へんな模様なあれ…」

女騎士は、呆れた力抜けたような声をだしたが、頷いた。「まあ…そんなところです」


といって、自分の印章をとりだす。

「これが私のアデル家の紋章てす。これは印章で、溶かした蝋を手紙にはっつけたりするものですが…
この模様は」


印章は、木の小さな箱のようなものだった。手の平サイズの四角い印章は、模様が彫られていて、その模様は、
盾のような形したかまぼこ型の印章で、鷹が描かれていた。


鷹は翼をひろげていて、顔は横向きで、口ばしを開いていた。


なんとなく円奈は、鷹の絵をみて、来栖椎奈を思い出した。



自分の印章をとりだして円奈にテーブルで説明しているところを、肉屋の店主が、そっとカウンターから
身を乗り出してみつめた。



女が印章をもっているところを見るや、眉間にしわ寄せ、まずい、という顔をした。


「これを、全部覚えていただきたい!」

女騎士は、ローブの中から、今日の馬上槍競技の参加名簿が書かれた羊皮紙をとりだし、くるくる丸められたそれを、
ひろげた。


そして、円奈の前に、どんとひげた。


「…ええっ!」

円奈は、テーブルにひろげられたそれを見て、あっと声をあげた。


羊皮紙にはおびただしい数の紋章が描かれていた。馬上槍競技の参加者一覧の名簿と紋章。


ざっとみただけで40人、50人の名前は載っている。そして紋章は、小さく名簿に描かれて、
50人分の紋章と系図が、そこに記される。


西世界と呼ばれるこっちの大陸の、腕自慢たちが、今日の槍試合のためにごぞって参加した豪腕騎士たちの
名前であった。


「ご安心を!」

と、女騎士はいった。「この対戦相手たちに、魔法少女はいません。みな騎士たち。人間だけです」


「いや…それはいいんだけど…」

円奈は、目を見張って、羊皮紙の参加者名簿に目を通している。


「これ…わたし全部覚えるの?」


「紋章官ですから、紋章が読めなくてはなりません」

女騎士は説明をはじめる。

「この紋章がウルリック公…」

羊皮紙名簿の一番左に載っている名前に指をあて、その紋章を示す。

赤色に染め抜かれた金色のドラゴンが火を噴いている紋章だった。円奈はその紋章に見覚えがあった。


「これがジル家…」

女騎士はその右隣の名前に指をあて、紋章を示す。

その紋章は、青色ベースの色に、猛々しい黒い鷲が描かれている紋章だった。


「これがリキテンスタイン家で…」

次に示された紋章は、赤と白の斜め縞模様。


「これがコルビル卿…」

赤い背景色で、黒い獅子が尻尾ゆらしながら飛び掛る図の紋章。


「…」

円奈は、言葉も失って紋章という紋章の数々に目を通す。


「カーレル、ドビー、ポール、アントニン、デービー、ベベルルレー、ブラディミア……」


黄色と緑色の市松模様、縦の縞模様、横の縞模様、斜めの縞模様、バッテン印に交差した紋章、
下だけ市松模様で上が縞模様、なんでもありだった。

そして女騎士は50人分の参加者名簿の紋章をすべて説明しおえた。


「それでこれがヒリップ伯爵。」

白色ベースに、赤色の筋が横に一本はいった紋章。50人分の紋章がこうしてすべて説明された。


「さ、もうこれで大丈夫ですね?」



「ぜん、ぜん」

円奈は首を横にふった。「なんか、途中から全部同じにみえてきました」


「時間がないんだすぐ覚えてくれ!」

女騎士は両手をふりあげ、円奈に頼み込む。

「対戦相手の紋章を読み間違いになったりしたら、その場で参加資格を失う!どんなに成績好調でもだ!」


「そうはいっても!」

円奈も声が大きくなる。「こんなの無理だよ!覚えられないよ!」


「明日まであります!今日と含めて二日間!」

女騎士は指を二本たてて強調し、懸命に頼む。「その気になることが大事です。その気になってやりきるんです!」


円奈もジョスリーンも席をたって言い合いをはじめる。

「こんなの無理だよ!どうして私を紋章官に選んだの?他にもっと紋章わかる人いたでしょ!」

「いいや鹿目さま、あなたしかいない!私がなぜ馬上試合に優勝したいかいったはずです!」

「そうだけどー!」

「こんな言い合ってる時間がもったいない。さあ、予行演習を。この紋章はどこの一家?」

「えーっと、フーレンツォレルン家?」

「ちがうベルトルトーイライヒェナウ家だ!」

女騎士は大声を散らす。「鷲だと思ったらぜんぶフーレンツォレルンと思ったら違いますよ!」

「ほら、わたしには無理だよ!」

円奈も女騎士に負けないくらいの大声になる。

「その気になれ?無茶いわないでよ!」円奈の声もいらいらしている。

「ムルファトナール家はどれだ?」

「これ?」

羊皮紙に描かれた50の紋章のうち、上半分は黄色、下半分は赤の紋章に指をあてる。



「そう、それ!」

女騎士は嬉しそうに顔を綻ばせた。円奈の手をつかみ、両手にもちあげた。

「みなされ!その気になればできる!わたしのいったとおりではありませんか!」

「ううう…」

円奈は、しゅんと頭を垂れた。「あてなきゃよかった…」



「てめえら、うるせえな!」

あまりに二人が大声でいいあっているので、隣のテーブル席の男たちが、文句いってきた。

「静かにくえ!くそったれ!」


「……」

円奈は、静かにテーブル席にまた座る。ジョスリーンも席についた。


「マスター!ローマニィはまだか!」

怒鳴った男は、今度は店主にむかって叫ぶ。「楽しみにしてるんだよ!」


すると店主は、梅噛んだような気まずい顔をした。女騎士をちらっと目をむけたあと、頷いた。「ああ待ってな」


「ローマニィ?」

ジョスリーンはちらっと顔をあげて、店主のほうを翠眼の眼で不思議そうにみつめた。


金髪がはらりとゆれ動く。

「ローマニィって…」

女騎士は、腕をテーブルにのせ、グーにした手を顎元に添え、考える素振りをする。


円奈は、兎肉のあぶら焼きローストを、ナイフで切り分けて、フォークで口にしていた。


マスターが鉛のグラスに水差しからワインを注ぐ。

「これがローマニィか!」

客人は、テーブルのグラスに注がれたワインを、目を輝かせて見つめる。



「ああそうさ、手に入れるのに苦労したぜ」

マスターは気まずい顔しながら言う。ちらっちらっと女騎士のほうに視線むけて気にしている。


「こいつが目当てだったんだよ!」

客人は感激の声あげながら鉛グラスをみつめ、そして、そっと、ワインを口に運んだ。

ぐいっ。


ワインが客人の喉を通る。


それから、はあっと息をはいて感銘にひたった。「ローマニィか!なかなか、独特な味だ。甘口だと
きいていたが、なるほど渋い辛口じゃないか」


マスターはニタニタ笑う。「だろ?」


「独特だが、ありだ!」

客人は満足しているようだ。「これが西世界最高級品ワインか!なかなか、趣な味だな!」



「そうだろ、そうだろ」

マスターは言いながらカウンターへ戻った。女騎士には目を合わせない。


ジョスリーンは訝しそうにマスターの行動を見守っていたが、やがて、彼女も口を開いた。

「そのローマニィ、わたしも頂けるかな」


ぎくり、マスターの背が動いた。

「あー、それなんですがね」

肉屋のマスターは振り向くと、ひくついた笑顔をみせる。「なにせ、貴重なワインでね!きらしてしまいましたよ」



ハハハハ。

隣のテーブルの痩せ老いた男が笑った。

「わるかったな、お嬢ちゃん、最後のローマニィは私が頂いたのだよ」

男は楽しそうに笑い、グラス持ちながら女騎士のほうへ振り返る。


「ふぬ、それは残念だな」

ジョスリーンは腕組んで残念そうに鼻を鳴らし、呟いた。



それで諦めたかに思えた彼女だったが、ガタっと席をたつと、ワインを楽しむ男のテーブルに同席した。


「それを飲ませてくれないかな」

「あぁ?」

痩せ老いた男は、変な目で女騎士をみる。「やなこった。こいつは俺のワインだ。おれのローマニィだ!」

ジャラララ。

女騎士はテーブルの上に金貨をならべた。


「へべ!」

男は口からワインを吐き出した。目を丸めて女騎士をみつめる。「それは?」


「私にゆずってくれ。こいつがお礼だ」

女騎士はそういって交渉してきた。椅子の上で足組み、両手をひろげ、嘘偽りないみの潔白さを示す。

「ゆずってくれたら、すべてきみが受け取ってくれ」


「もちろんゆずるとも!」

男の返事ははやかった。


鉛グラスを女騎士へ渡す。「ローマニィも、おれのハートも、全部きみのもんさ。さあ、さあ」


じゃららら。

金貨数枚を手元にかき集める。「今日はついてるな!」



「さて」

女騎士は鉛グラスをとった。鼻に近づけ、ワインの香りを楽しんだ。

「ふうむ」



円奈は兎肉を食べ続けていた。



ジョスリーンは、鉛グラスのワインを口に含んだ。

西世界最高級品ワインという伝説のそれを、口に、含み、目を閉じて舌で味をたしかめる。


「うーむ、やはりこれは」

といい、ワインを飲んだ女騎士は、席をたちあがった。


「マスター、わるいが、台所をみせてもらうよ」


「はあ?なんで?」

マスターの顔は恐れている。

「わるいがきみに厨房はみせられん。こっちも商売なんでね」

汗だく満面の笑みでそう述べる店主。


「その商売に問題ありのようだ、残念だが」

女騎士はマスターを無視してカウンターを通り、台所へ。

「私は夜警騎士だが、昼間でも権限がある。悪いが調査だ。入らせてもらうよ」


「ままままま、まあまあまって!」

マスターは焦り、女騎士の前に先回りして、進路を塞ぐ。

「商売に問題?そいつはおかしいってもんですよ、こっちは、エドワード王検印のしるしつきの肉屋だ」


「だがワインはちがうだろ」

女騎士が指摘する。

マスターは冷や汗ながして天井を見つめ目を逸らす。

「あー…ワインは…ええ、たしかに。こんどエドワード王に検印をもらうさ。つぎの月の満ち欠けまでに!」


「そうかい?じゃあたわしがいま調査して、エドワード王に調査状を送るから。すぐに検印をだせるよ」

女騎士は男の横を通って台所の奥へはいった。

「ああまって、そこにいっちゃダメですよ、まって、とまれ!うわほ!!」

制止しようと肩を掴んできた店主の顔面をジョスリーンは腕ふりあげて殴った。

マスターは顔面を赤くさせてぶったおれた。



樽をあけ、中をみる。

鼻をちかづけ、香りを嗅ぐ。

「ここまでは普通の赤ワインなんだがな…いや、腐りかけだ」


女騎士は独り言をいいながら、台所のなかを見回す。台所や壁際のキッチン棚におかれた、怪しげな食材を探しあてていく。

「あのにおいは…」

香辛料や果実、種子などの食材を入れた壷、木箱、陶器の列をみつめる。

「こいつか」

彼女は果実のやにや、松やに、月桂樹の粉などを探り当てる。

「この香りは、さっきのワインにそっくりだな。実に上品な香りがする。香りがいいと───」

女騎士は月桂樹や松やになどを手の平に集め、においを鼻で嗅ぐ。

「まるで腐りかけたワインまで上品な味に感じてくる。あとは最高級ワインだとかいえば客は疑いもしない…か」


「ちくしょ…」

台所にぶっ倒れた見せのマスターは、すべて図星を言い当てられて、面くらっている。


「腐ったワインに加工したな?」


「…はん」

マスターはバンバンと服のほこりを落としながら、女騎士を睨む。

「どこでもやってることさ。こっちは高い値で海の運送業者からワインを買い取ってるんだ。
腐ったもん全部廃棄してたら商売あがったりだ。いいか、もう一度いうが、みんなやってることだ」


「そいつは仕事が増えるな」

女騎士はマスターの横を通り過ぎた。「支庁舎に報告するよ。今日にでも調査員がくる。お客さんがたくさん
きみのワインをのみにくるぞ。楽しみにしてな」


「くそったれ、おれの商売を台無しにしやがって!」

マスターは憤激し、悔しそうにガシャンとフライパンを床にたたきつけた。「くそっ!役人どもめ!
おれたち市民をいつもいつも苦しめやがって!くそったれ夜警騎士め!」


マスターの愚痴を聞き流し、ジョスリーンは円奈のテーブル席にもどる。

「場所を移しましょう。鹿目さま、悪徳業者の店ですよ、ここは」

といった女騎士は円奈と一緒にテーブル席を立った。


いつまでも愚痴を喚いている店主をよそに、二人は肉料理ぶんの金銭をおいて、店をあとにした。


「釣りはいらんよ」

女騎士はそういい残した。



「おい?」

金貨を受け取ったさっきの痩せ老いた男が、女騎士を呆然とした顔で見つめ、そして尋ねた。

「どうしたんだよ?さっきのワインがなんだって?」


「ああ、そのワインなんだがな」

女騎士は腕組んだまま店の扉の前でとまり、そして、告げた。「腐ってるよ」


「くさ……あ?」

痩せ老いた男は、突然目を見張って喉をつかみ、うげえっと口をならした。

「くさってるだ?」


呆然としたあと彼は怒り、顔を赤くした。愚痴をこぼしっぱなしの店主むかって喧嘩をふっかけた。

「俺を騙したな!このクソ野郎!」

店主の胸倉をつかみ、怒鳴り散らす。「なにが最高級品だくそったれが!なめた真似しやがって!」


「どうせてめーは、」

店主は胸倉掴まれながら、言い返した。「腐ったワインの、松やに入りの香りを楽しみながら、
趣のある味だなーとか得意になってるアホだろうが!」


「このやろう!」

痩せ男は店主を殴った。ぼご!店主はすっ転んだ。

「ゆるさねえ!」


ぼこっ。ぼこっ。

殴り続ける。



そんな殴打の音が鳴り轟くなか、店をあとにしたジョスリーンは、円奈に話した。


「まあ、都市は実に俗でまみれたところでしてね」

女騎士は腰に手をあてて困った、というように鼻をならす。「夜警騎士として、私はワインの香りと味を
鑑識する訓練を受けているんです。まあ、それだけ悪徳業者が多いんです」




「うん…」

円奈も困った顔しつつ小さく笑った。

「他にも松やに、樹脂、香りを演出するためにスパイスを混ぜ合わせてですね、腐ったにおいをごまかします。
もっとひどい業者になると蝋をいれて味と色さえごまかしてきます…ま、私の目はごまかせませんがね!」


そして女騎士は、自分より背の低い少女騎士の頭をぽんぽん、叩くのだった。


「鹿目さまもお気をつけなされ!」


「うん…あの…これだけど」

円奈は女騎士に頭叩かれながら、参加者名簿の紋章一覧を眺めていた。

「ブイヨン家?それともアンフェル家?ルースウィック家?」

指差しながら、たずねる。

黄色ベースに、灰色の十字が描かれている紋章だ。


「それはエルンスト家です。エルンスト・ゴトフロワ卿。他国からの選手で、手強い。西大陸随一の選手でしょう。
私もなるべく当たりたくない敵です」


「ううう…」

円奈は、頭を垂れた。


明日にはじまるという都市の馬上槍競技について、不安しか感じなかった。

194


そうして円奈とジョスリーンの二人は、場所を移して、パン屋をおとずれた。


路地を進むと、パン屋街に入った。

少女騎士と女騎士の二人は、明日にはじまる町の馬上槍競技に参加するための紋章官について、会議を
おこなうための、食事屋を探しているのだった。


「この都市のパンはうまいもんです」

と、ジョスリーンは話した。「肉もですが、ここエドレスの都市はパンで有名です」


得意気に語る女騎士。

「パイもうまいもんですよ。みな創意工夫をしてします」


創意工夫がなされたパイ。そうきいて、円奈は、あるドッキリ仕掛けの施されたあのパイを思い出した。

「と、鳥はいないよね?」

円奈が、不安そうに両手を絡めながらたずねると。

「はっは。鹿目さま、あなたは生きた鳥パイを?」

ジョスリーンは笑った。


「一度だけ…」

あれは、たぶん、15年の人生のなかでもっとも驚いた瞬間だった。


「それは貴族達の遊びです」

女騎士は円奈の肩を叩いて微笑む。「都市で売っているパスは、フルーツパイ、肉入りパイ、魚パイ、
塩味のパイです。鳥はいません。しかし、うまいですよ!」


それから、彼女は都市の街並をみあげる。太陽は、晴天を昇りつめ、 陽光を都市に注ぐ。


「さあ、時間がありません。鹿目さま、私はあなたが立派な紋章官になるまで、あきらめませんよ!」


といって、パン屋へと円奈を連れた。

「ほんとうに……わたしでやれるのかなあ…?」

不安そうに呟く円奈は、そのまま強引に女騎士にパン屋へ連れられていった。

195


パン屋のなかは熱かった。

日差しが暑いのではなく、かまどの火が室内でごうごうと赤く燃えているのが部屋に熱気をつくっていた。

石壁に囲われた店内はかまどの火に暖められ、汗がでた。



「もちろんエドワード王の検印を受けたパン屋です」


ジョスリーンは食卓テーブルに座る。


「今度こそ、へんな偽装はされてないはずですよ」

「うん…」


円奈も食卓テーブルに座る。

それにしても、私は一日一食で生きていたけれど、都市の人たちは一日に何度も食事するんだなあ…。

と思う彼女だった。


「ここのパン屋はとくにうまい」

ジョスリーンおすすめのパン屋らしかった。

「特に”マズリン”、このパンが最高ですが──」

彼女は店のメニューを紹介する。

「”シムネル”…白パンです。麦がよく挽かれています。ひきわり麦です。”トルト”もありますよ。
まあ、このお店だったらまず、”マズリン”ですね。小麦粉とライ麦を混ぜたパンですが、この店では
香りづけが最高です」


と説明したのち、彼女は勝手に店主へ注文してしまう。

「マズリンをたのむよ!」


店内の女が、注文を承った。


パン屋は何人かで経営されていた。



客からの注文をとる、いうなら接客の女、パンを焼くパン職人、原料麦の仕入れ人、そして焼きあがったパンを
街路へ出て売りに行く女もいる。



マズリンの注文をうけたパン職人は、”モールディング・ボード”と呼ばれる台で麦をこねる。

ジョスリーンがいったとおり、それは小麦粉とライ麦の混ざった雑穀パンだった。


これを二人分、つまり二つ捏ねる。その形は丸型で、くるくる回したり、ときにはぐにゃーっと伸ばしたりして、
捏ねくりまわす。


パン種を捏ねたら、それを長い柄のついたシャベル状の台にのせ、このシャベルでかまどの火へ入れる。


かまどのなかは火が赤く燃え盛っている。

パン種をいつでも焼けるようになっているのだが、もちろんそのためには多量の薪も必要だ。


厨房のなかには予備の薪と、それを割るための斧が、いつもそばに備えられていた。


かまどの火が弱くなってきたら、すぐに薪を割ってかまどに補充できる。



室内は石壁に囲まれているから、窓だけが光源だった。

窓は光源ではあるが、部屋のなかは、かまどの火によって赤く照らされてもいる。



都市のパン屋も、国王からの公認がないと経営できない。


必ず国公認の天秤式計量器具にを使い、定められた量のパン種を焼き上げなければならなかった。



しかしそれでもなお、商人とはあくどいもので、ある種芸術的とさえ思うイカサマを、
法律の網をくぐって実行した。


それは、パンを捏ねる台への仕掛けだ。


まず客の見ている前で、国認定の計量器具でしっかり量をはかって、量に不正はないことを客にみせ安心させる。

そのあと、仕掛けのある台でパンを捏ねる。


この仕掛け台には小さな穴があいていて、その下に召使いの人間が隠されている。

召使いの人間は、捏ねられるパン種の塊を、少しずつ台の下から削り取って回収するなんてイカサマをやってのける。


そして国認定の計量器具でしっかり量られたはずのパンは、本来の量より少なめになって焼き上げられ、
客にだされる。


客の安心を逆手にとる、盲点を突いたイカサマであった。




結局こういう悪徳業者が後を立たないので、ジョスリーンのような、警備騎士の仕事が都市では必要だった。

警備騎士は一般客のフリして店内へ入り、イカサマがないかをさりげなく調べ支庁舎に報告するのが仕事だ。



さて、ジョスリーンが選んだこのパン屋では、そんな不正はないので安心だ。



都市はイカサマに熱をあげる職人ばかりでなくて、パンを焼き上げることそのものへ情熱を注ぐ
立派なパン職人もいる。


まさにこの店がそうだった。

パンには、芳ばしい香りをつけて焼き上げる。

芳ばしい香りをつけたパンは、パセリ、ローズマリー、バジルなどのハーブを混ぜて作られ、色づけもされて、
ふっくら焼き上げられた。


都市でもそうそうお目にかかることのない、色つき香りつきのパンだ。


焼きたてパンはこうして接客の女によって運ばれ、円奈たちのテーブルへおかれた。


皿にのった丸いパン。


芳ばしい香りをつけて焼きあがった色づけパンだ。



「食べてみてください。うまいもんですよ」

ジョスリーンはいって、自分は香りたつあつあつのパンを手にとり、あむと口にした。


円奈も焼き上がりのパンをぱくと口にする。

そして、また幸せな顔をした。

ほかほかのパンを両手に取り、口に運んでかじる。そしてにこりと笑顔になる円奈だった。


都市のパン職人の味は格別であった。



「さて、そしたら復習のつづきといきましょうぞ!」

ジョスレーンはまた、馬上競技の参加者名簿一覧の羊皮紙をテーブルにひろげた。


紋章の絵柄が名前リストとともに記されたそれを、円奈にみせる。


「ヴィルボルト家出身の騎士は?」

「んー」

円奈は集中し、眉を寄せて羊皮紙を睨む。「これ?」


指さしたのは、赤色と黄色の市松模様の紋章。



「おしい」

ジョスリーンは首を横にふった。「それはフェキンヒュゼン家です。ヴィルボルト家の紋章はこれ」


彼女は羊皮紙のある紋章に指をあてた。



それは赤と黄色の縞模様になっている紋章。



「もー!」

円奈は目をぎゅっと閉じて唸り声をあげる。

「ぜんっぜんっ、わからないよ!」



「嘆いている時間はない!」

女騎士の声が、また大きくなる。「今は覚えるのみなのです!鹿目さま、さあ、私の紋章官よ、
これはどの家系ですか?」


「デレス、ドルーザー、……いや、キーナー家!」


円奈が予想をたてまくる。


「ちがう、これがリキテンスタイン家だ、さっきいいましたぞ!」


女騎士の声が荒くなる。「この赤色と黒色の模様が特徴だ。右上と左下が赤、左上と右下が黒、チェスみたいでしょう」

それから、と彼女は加えて説明した。

「右上が赤、左下が黒、右下が黄色、左上が白なのがデレス家で、右上が赤、左下が白、右下が青、左上が黒なので
きみの予想したキーナー家です」


「ええと…ええと…」

円奈は、指を折りながら復唱する。

「右上と左下が赤、右上が赤、右下が黄色、白、赤、黒…ふええ」


「これは?」

ジョスリーンは白色ベースに赤色のバッテン模様の描かれた紋章を示す。

「それは、モストッキク家だ!」


それからも、円奈の勉強はつづいた。


「これは?」

女騎士は名簿の紋章に指をあてる。

「ノイシュヴァン家!」

円奈が答える。

「ちがう!」


その繰り返し。


「これは?」

「エアランゲン家!」

「ちがう!」


「これは?」

「アルペルト家!」

「ちがう!」



「これは?」

女騎士の顔がいよいよいらいらしてきている。

「ハ、ハ、ハイデウンダー!」

円奈の顔も必死だ。

「ちがう!」


「これは?もう間違えてはられませんぞ!」

「それは、」

円奈の顔も真っ赤で、息切れ寸前であった。

「ミニステリアーレン!」

「ちがうちがうちがう!」


ジョスリーンの声も熱がこもっていた。「はずれですよ!14連続はずれ!」


「もう目が回った…」

円奈は頭から湯気がでそうだった。「もうなんの紋章もみたくない…」


「そうもいってられません、時間は一日とあと少しです!」

女騎士は指を一本たて、その手の平に左手の指先をあてて叫ぶ。


円奈は目を手で覆っている。顔が赤い。「いま紋章を見ると頭がいたくなる…」



「わかりやすいのから覚えていきましょう!たとえばこれは分かりやすいですよ」

ジョスリーンは牙の生えた象の描かれた紋章に指をあてる。

「うん。それなら」

円奈が目を覆った手の指と指の隙間から紋章を覗く。「ユーディキウム家」

「そうです!」

ジョスリーンは嬉しそうに指先で円奈の胸を差した。その動きに合わせて長い金髪がゆれた。

「これは?」

黄色ベースに、赤い正三角形が二つ描かれた紋章。

円奈は指の隙間からまた紋章をみる。「クラインベルガー家」



「あたりです!」

ジョスリーンの声は楽しげだ。「これは?」


次に女騎士は青色ベースに、灰色の城が描かれた紋章を指で示す。

城の絵は、屋狭間の凸凹が描かれた狭間胸壁だ。


円奈は疲れた顔しながらも、答え続けた。顔を手で覆ったままで。「アキテーヌ家…えっとちがう、シュパイエル家!」


「あたり!」


そうして覚えやすい紋章から、円奈は次々に、ジョスリーンに指された紋章を言い当てて言った。


赤色ベースにVの字が白く描かれた紋章。

「ディーテル家」


緑色ベースに金色の三日月を描いた紋章。

「メッツリン家」


金色ベースに青色が縦に一本入った紋章。

「ニーゼル家…」



「あたり、あたり、あたりだ!」

女騎士はすっかり驚いたように翠眼を見開き、席をたちあがる。

テーブルに手をつき、円奈をじっとみつめた。

「すばらしいぞ、これなら間に合う!」


「紛らわしいの以外なら覚えたんだけどね…」

円奈の顔は疲れきっている。顔は赤く、火照っている。「知恵熱かなあ…?」


「熱だされたら困るよ頭を冷やしてくれ!」

女騎士はすがるように言い、首を左右ふりながら円奈をじっと見つめた。

「あなたならできる!27個は覚えた。のこり23個の復習とこう。これは?」


「のこりは紛らわしくてやになるよ…」

円奈は悩ましいようにテーブルに肘のせて、手で顔を覆う。

「他は全部同じにみえる…」


「似たようなものを整理していきましょう」

ジョスリーンは似た紋章同士の違いを説明する。

「いいですか、エアランゲン家とキーナー家とリキテンスタイン家は、ぜんぶチェスみたいな絵柄で、しかも
色も似ている。赤色の数と位置で覚えられます。エアレンゲンは赤が1、リキテンスタインは赤が2、キーナーも2、
ただし赤色の右上か左下か、組み合わさっている色が黒なのか白なのか」


「そのへんが私には苦手すぎるよ…」

円奈はテーブルに肘をついて手を覆ったまま首を横にふる。


「難しいと思うから難しいんだ、簡単に思えば簡単さ!」

女騎士は諦めない。

「赤の位置がちょっぴり違うだけですどこが難しいのです?それからフーレンツォレルン家とベルトルトーイライヒェナウ家
の見分け方だがね、鷹がこっちむいてるか、あっちむいてるかです。フーレンツォレルンは鷹があっちむいています。
ベルトルトーイライヒェナウは鷹がこっちむいて羽ばたいているのです」


「はうううう…」

円奈は顔を赤くしながら息を吐く。「頭がくらくらする…」



「他はイヨン家とかアンフェル家とかルースウィック家だが、たしかにここらはみんな十字をした紋章で、
まぎらわしいです。がね、イヨンは黄色ベースに白い十字、アンフェルは赤ベースに白い十字、ルースウィックは
緑色に黒の十字です」


「緑…黄色…白…赤…緑…黒…」


円奈は呪文のように色を唱えている。「アンフェルルースウィックイヨ…ン」


自分でもなにいってるのかわからなくなってきた。

196


「いいですか?鹿目さまもあなたをこれから───」

パン屋をあとにした女騎士ジョスリーンは、エドリスの都市の街路を歩きながら、円奈に告げるのだった。
            
「身も心もわたしの紋章官に”仕立て上げ”ます」


その隣では円奈が、頭痛に悩ましい表情を浮かべながら、額に手を当てている。

まるで知恵熱の頭を冷やすみたいに。

「いいかな?」


「みもこここももんしょーか?」

円奈は頭痛と戦っている。「なに?」


ジョスリーンは円奈の前にたって、円奈の頬をバチバチバチと三回、頬を軽く叩いた。

「さあ、お気をしっかり!」

円奈が、頬を叩かれて目をパチクリさせる。ピンク色の目で女騎士をみあげる。


「あなたはこれから、紋章官になるのですよ!諸侯たちが集まる、公の場で司会をするのです。
武術競技大会は西大陸じゅうの貴族が集まりますから、その場にたてる身なりが必要なのです!」



「身なり…」

円奈は自分のチュニック一枚の服装を見下ろす。ぼろくて、足首が外気に晒している状態。

 ・・・・
「ギルド街にいきますぞ!」

女騎士は円奈の手をもちあげる。「あなたはこの日、田舎出身の貧乏騎士から、都市の紋章官へと、生まれ変わる。
あなたをそれに変えるのは、武器屋、服屋、靴屋、下着屋、理髪屋、そして”仕立て屋”です」


ジョスリーンは都市の路地を歩きながら話していた。

円奈とジョスリーンの二人が通る路地は、他にもローブ姿の男女が、荷車などをひきながら行き来している。


「それから、これはいいにくいことだったんですがね」

女騎士は円奈をみて、すまなそうな顔をした。


「…?」

円奈は不思議そうに、ジョスリーンをみあげた。


「紋章官になるには───」

金髪の彼女は言うのだった。「あなたは少し故郷の匂いが強いようで…」


円奈は最初、きょとんとした顔を首をかしげたが、だんだん、その意味を理解してきた。


「えっ!」


それから慌てた顔して、自分の腕に鼻よせ、自分のにおいを嗅いだ。

197


そんなわけで、二人はエドレスの都市の路地を歩き続け、パン屋街からギルド街へときた。


ギルド街!

そんな呼ばれ方をしているのは、製造同業組合ギルドの加盟店が並んでいるからだ。



ギルド通りに立ち並ぶ店は、武具屋だけでも剣専門店、鎧専門店、盾専門店、というように区分されて、
それ専門の職人が品物を作り上げている。

武器だけでなく、織物屋、服屋、靴屋、鍛冶屋、染色屋、ロープ屋、馬具屋など、分野は多岐に及ぶ。

都市に並ぶこうした専門店は、基本どれも業種ごとにギルドという組合に入っているで、ギルド通りと呼ばれる。




店に立てかけられた飾り看板には、ギルド紋章が描かれている。


盾屋なら盾の絵柄、剣屋なら剣が二本下向きに交差したような絵柄、鎧屋なら鎧の絵柄、といったように、飾り看板には
紋章が描かれる。



そのギルド紋章の数々をみて、円奈はまた、頭痛が復活した。

「あれ…」

円奈は、額に手をあてる。「なんだか、へん、だな……どうしてわたしまた紋章みてるんだろう…」


「鹿目さま、それはギルドの紋章だ!」

と、女騎士は説明する。「同業者組合の集まりですから、その紋章はギルド職人のものです。
ささ、騎士たちの参加者名簿とはまた別なので、これは覚えなくてよいのです!こちらへ!」


「ううう…」

円奈は、ズキっとくる頭痛に、下に俯いて顔をしかめた。

「覚えてなくていい…覚えなくてもいい…ああだめ、そう意識すると、今まで覚えたのもまで忘れる気がする……」


「鹿目さま、お気をしっかり!」

女騎士はまたパチパチパチと円奈の頬を軽く叩く。


また、円奈の目がぱちくりする。その視線がうつつに戻る。


「風呂にはいりますよ!」

と、ジョスリーンは告げた。「風呂屋はこちらです。勿論、公共浴場じゃないですよ!女風呂です」

198


田舎も田舎の農村育ちの鹿目円奈は、実は、これが生まれて初めての風呂だった。



森林を流れる川の水浴びという経験はあった。たとえ真冬だとしても体を洗おうと思ったら淋浴だ。

風呂という、温められたお湯に入る経験は、円奈にはこれが初めてだ。


円奈の故郷バリトンでお風呂に入ることができたのは、領主の来栖椎奈ただ1人だった。


この時代の田舎は、風呂に入れる贅沢など、領主くらいしかできなかった。


井戸から水くむこと、何十回と繰り返す重労働の末、風呂にはいったらあっさり水を捨てるのだから、
そんな贅沢は、領主にしかできない。



そんなわけで農村暮らしの人々は頭がシラミだらけだった。それは人も魔法少女も同じだった。


このエドレス近辺を脅かすガイヤール国のギヨーレンですら、戦争の会議をしながら頭をしょっちゅう掻いたり
する仕草をみせるのだった。

わしゃわしゃと頭を掻いた。

ギヨーレンは、頭掻き魔法少女、とガイヤール国の王子からはからかわれている。



さて、女風呂屋は、小さな店だった。


風呂は、なんと質素な桶だった。


石壁に囲われた薄暗い空間は、壁の鉄籠にかけた松明がめらめらと照らしている。


そんな松明に照らされた薄暗い部屋に、丸い桶が5、6個おかれていて、そこにお湯がはいっていた。


3000年も昔に栄えたローマ帝国の浴場よりも質素な風呂屋だった。


円奈とジョスリーンの二人は、隣同士の木製の桶に満たされたお湯に浸かった。

二人とも丸裸だ。


この時代なりのおもてなしを受ける。


それは吟遊詩人たちが風呂場にはいってきて、リュートというギターに近い楽器を奏でた。



彼はお風呂を楽しむ客人の目の前にきて、ピーヒョロ笛をふいたり、即興の詩をハープに載せて歌い上げたりしている。


「ねえ!」

円奈は丸裸になってぬるま湯につかりながら、桶のなかでジョスリーンに呼びかけた。「女風呂だったんじゃ?」


「女風呂ですよ」

ジョスリーンも風呂を楽しんでいる。大きな桶のなかにどっぷり浸かり、お湯を楽しんでいる。

「客は女しかいないでしょう?」


「客はって!」

円奈は、顔を赤くして、目の前で詩を歌い上げる吟遊詩人をちらっと見やる。「恥ずかしいよう…!」


「ではどいてくれるようにいったらいかがです」

ジョスリーンは桶のなかで大の字になって、風呂を全身で堪能している。

「なんだかそれも恥ずかしいの…!」


円奈は困り果てた顔して赤く染め、嫌そうに吟遊詩人をちらちらと見つめる。


吟遊詩人は、目を瞑って歌の世界に没頭し、詩をハープの音色にのせて歌い上げている。



「恥ずかしいっていわないとつたわらりませんよ」

ジョスリーンがいうと。


「恥ずかしいっていったら私が恥ずかしいって気持ちしてることを知られてそれが恥ずかしいの!」

と、円奈は返した。

「なんだかよくわかりませんが」

ジョスリーンはもう風呂は楽しんだとばかりに、桶をたちあがった。



ばしゃあ…という音とともに、桶をたちあがった。


すると、水にぬれた金髪がばさっと伸びて、水滴を弾いた。そして、裸体のなにもかもがみえた。


「うう!」

円奈が目を瞠る。自分よりよっぽど成長した女の騎士の身体をみあげる。

自分よりよっぽど成長した……とくに、胸あたりが。


円奈は目を今回は頬を叩かれることなく、ぱちくりさせて、それから自分の胸をみつめた。



「おい、そこの詩人」

ジョスリーンは歌に夢中になっている吟遊詩人をよんだ。

「私の紋章官が、恥ずかしいっていうと恥ずかしい気持ちしてしまうらしいから、
この場をあとにしてくれ」


「はああ…!」

円奈が慌てた声をこぼす。ばしゃっ。風呂のなかで身をびくつかせる。


吟遊詩人は手持ちサイズのハーブを奏でながら、その音色にあわせた足取りで、風呂場をさった。

199


鹿目円奈とジョスリーンの二人は風呂場をあとにした。

彼女たち二人は全裸のまま風呂をあがるとその場で着替え(着替え室、更衣室なんてものはない!)、
すっかり身体を清潔にした。


「ふー」

円奈は満足そうに羊毛タオルで身体をふき、風呂を堪能したのだった。「すっきりした…」



「農村の土と草と牛の臭いをいま捨て、紋章官になるのですよ!」

女騎士はもうローブを着ていた。

「さあ、ふやけている時間はありません。刻一刻と、あなたが紋章官として武術競技場にでる時間はせまっています。
つぎは武器屋です!」


「武器……屋?」

円奈は顔を羊毛タオルでふきながら、不思議そうに目をみあげた。



二人は再びギルド街へでた。

風呂をでて、身体を清潔にしたあとは、身なりを紋章官らしく、ジョスリーンによってコーディネートされていく
のだった。


まずは剣屋。


剣二本が交差しているギルド紋章の店に入る。


店のなかは剣屋というだけあって、たくさんの剣が置いてあった。

種類だけでも、両刃剣、バスターソード、レイピアなどある。


円奈はそうした剣の使い手たる魔法少女に出会っていくが、このときは、まだだ。



「鹿目さまの剣は立派ですが───」

ジョスリーンは円奈の腰の差した鞘の剣をトンとたたき、告げた。

「この都市じゃ田舎者に思われる形です。ここで一本買うといいでしょう」


「うーん…」

円奈は武器屋の立て掛けられた剣を見つめる。

そもそも円奈は、あまり剣を使って戦ったことがない。得意武器は弓矢なので、剣を使ったことがあるとしたら
ファラス地方でのモルス城砦のときくらいなものだ。


「わたしこの剣大事だから…」

戦いに使うとは別の意味が、この剣にはあった。「新しいのは…欲しくないよ?」


「ですがね田舎者と思われては紋章官するときに不利なのです!」

ジョスリーンは腕を組む。それから、ため息をふうとついた。

すると金髪がなびいてゆれた。

「まあでも貴女にその気がないなら……次は、服屋ですね。ついで盾屋も寄りますか?」




円奈は剣屋をでて、ギルド街を歩いたのち、盾屋に寄ってみた。

盾が描かれた紋章の飾り看板が鎖で吊るされた店へ入り、店内をみつめる。



すると不機嫌な顔した店主が、渋い顔しながら問い詰めてきた。

「盾を買うのか修理の予約かどっちだ?」


ジョスリーンは両手ひろげて答えた。「どっちでも」


「ああ?」

盾屋の店主の不機嫌な顔がさらに渋くなる。「なにしにきた?」

ジョスリーンの姿を足から頭までじっとり視線を注いだあと、呟いた。

「うちの視察にでもきたか?夜警騎士め」


「いや、まさか」

ジョスリーンはいう。「興味を満たすためさ」


「でていけ。糞供」

盾屋の店主は、きつい口調で告げた。



盾屋から追い出された円奈とジョスリーンの二人はギルド街を歩き続けた。

いまのところ、なにも買っていない。風呂屋にいってリフレッシュしただけだ。


「同業者ギルドには気難しい人が多い」

路地を歩きながら、女騎士は話した。「だがその実、そういう職人の店がいい品が揃っているものです」


円奈とジョスリーンは二人並んで晴天の下の路地をあるく。


「それにしても」

女騎士は円奈の背中の武器を気にした。「でかい弓ですね」


トンと指先で円奈のロングボウをつつく。


円奈のロングホウは1.2メートル。イチイ木の弓。円奈の背中をほとんど飛び出すくらいの大きさだった。

「小さい頃から使ってて…」

と、円奈は苦笑しながら、話した。「弓と一緒に生きてきたようなものです」



「弓と一緒に?」

女騎士は少しおかしそうに言う。「騎士なのに?それじゃ弓兵だ」


すると円奈は、ふて腐れた顔する。「わたしは弓なの!魔法少女になっても弓なの!」

ふんだと鼻を鳴らす。


ジョスリーンは、円奈が馬に乗りながら矢を射ることができる騎士とは知らなかった。

アキテーヌ城を襲ったガイヤール国との戦争のときの戦いぶりを、知らなかった。



さて二人はギルド街を歩きつづけ、服屋へとやってきた。

さっきみたいに興味本位に入るのとはちがって、目的のある入店だ。


そこは下着屋だった。


「あなたの身なりはみすぼらしすぎます」

女騎士は、店内に入ると円奈に言った。「その格好では、騎士とは誰も思いません」


円奈は、この都市に入ってきたばかりのとき、守備隊に疑われて武器を没収されかけたのを思い出す。

「あはは…」

力なく苦笑する円奈。「やっぱりそう……かな?」


それから、アリエノール・ダキテーヌの城をでるときに、都市にいったら、いろいろ買い揃えたらどうだ
と助言されていることも記憶に思い起こした。その身なりでは騎士と思われないぞ、と。


きづいたらまさにその助言どおりにことになっていた。いまこうしてギルド街で装備を買い揃えて、紋章官へ
コーディネートされている。

それが円奈をそっと苦笑させていた。


「もちろん、その身なりでは、とうてい紋章官では通りません」

女騎士は告げる。「わたしが、立派な紋章官たりうる姿に、仕立て上げて見せますよ!」


円奈は下着屋を見回す。


そこにあられているのはリンネルの下着で、ワンピースタイプだった。

リンネルは農民も着る素材ではあるが、羊毛より肌触りがよく、かゆくならない。

そのため貴族さえリンネルの下着を好んだ。



だが円奈はこのリンネルさえ着ない少女だった。


「一着、いえ二着…三着かっておきなされ」

ジョスリーンはすすめてくれる。「貴女のお年頃でしたら、これがいいでしょう」

といって、もうリンネルの下着をもう何枚か買ってくれて、下着屋の女主人に銀貨を渡している。


「あっ…いいよ!」

円奈はあわてて、ジョスリーンの横に並んだ。「わたしお金あるからっ…!」


このあいだ金貨100枚という給料を受け取ったことを思い出す。


「いいのですよ」

女騎士は買った下着数枚を円奈に投げ渡した。

円奈は両腕にそれを抱えてキャッチした。


それから微笑んで円奈をみた。

「チュニックも新調を?」



円奈は、両腕に下着を抱えながら、外気に晒されている足首を気にした。

この足首のせいで、昨晩は、”くだらん男”ら、言い寄られた。



そうして円奈とジョスリーンの二人はギルド街を歩き回り、買い物をつづけた。


チュニックは新調し、円奈の身長にあわせたものを買った。

それは円奈が自分で払おうとした。が、店主に怒鳴らされた。


「あんたな、こんな金貨ならべやがって、うちをつぶす気か!」


新しいチュニックを買ったとき、銀貨5枚を要求されたのに、金貨5枚をだした。

それは銀貨を145枚お釣りとしてださないといけない計算だった。

「ごご…ごめんなさい…」

円奈は店主のあまのりの怒鳴り声に、怯えて、弁明するのだった。「金貨しかもってなくて…」

「両替商にいってこい、バカ女!」

老いた女店主に罵られ、円奈はすっかり落ち込んだ。


結局銀貨を持ち合わせていたジョスリーンがまた、円奈に買ってくれた。


かくしてリンネルの下着と、新しいチュニックを新調した円奈は、次に理髪屋へ。


理髪屋はハサミをつかって髪を切ってくれる店だった。


しかしこの時代ではおしゃれのためというより、頭に増えるシラミをどうにかするために、理髪屋に通う。

ただ円奈の場合かなり髪が伸びていたので、ここで切ってもらうことにした。



これがまた理髪師とは名ばかりの乱暴で、ぐしゃぐしゃと頭を手でいじられまくる、驚きの理髪であった。


「あいたた…た」

円奈は客席で、理髪師によって頭を乱暴に扱われている。「いたっ!いたっ!」


円奈は困った顔して理髪師をみあげる。「あの…もうちょっと優しく…」


理髪師は冷たい顔して円奈をじろっと見下ろし、いちど壁際のテーブル台へと戻ると、鉄バサミを手にとった。

「おとなしくしてな」

チョキチョキ音をたてながら円奈に接近してくる。


「ひっ」

円奈はなぜか、髪ではなくて自分が切られるのではないかと恐れを感じた。


ところが、はじまってみたら髪を切る扱いは前よりは優しくなった。

背中辺りまで伸びていた髪は、注文どおり肩より少し下くらいまでの長さに調整された。


すっきりした。


理髪屋をでた円奈は、赤いリボンを一本、髪に結びなおして、ポニーテールにした。


ちょうど鹿目まどかが鹿目宅でポニーテールに結ぶくらいの長さだった。


理髪師にお金を払うと(両替商により、忠告どおり銀貨に両替をしていた)、理髪師に、お前さんみたいな髪は
はじめてだ、といわれた。



「へえ?」

きょとんとした顔で理髪師を見つめた円奈だったが、意味がわからず、木の扉をあけて外にでた。



そこにジョスリーンが立っていて、円奈を待っていた。


「さて、」

女騎士は円奈に語った。
 
「服も新調した。髪もきって、すっきりした。においもとった……いや」

彼女は言い直す。

 ・・・・・
「都市の臭いをつけた。最後は仕立て屋だ。そこで鹿目さま、あなたは、ついに紋章官となる」



「仕立て屋?」

髪が短くなった円奈は、首や顔にあたる空気を気持ちよく感じながら、ジョスリーンにたずねる。


「そう。仕立て屋です」

ジョスリーンは答えた。「まあ、騎士みならいが鎖帷子の着込みをならったり、結婚式に出る女が使う店ですが……
花嫁だけでなく、紋章官としてみきみを仕立て上げる店をしっていますよ。さあ、こちらへ」


ジョスリーンは楽しそうに円奈の手をひっぱってギルド街をつれた。

その背中でさらさらの金髪がゆらゆら、ゆれている。その背中がなんだか楽しそうで、なんだか円奈は、
つきあってあげてよかったなあ、なんて少しだけ、心で思った。


それはジョスリーンには内緒だ。



仕立て屋に入店した円奈は、店の女主人によって無理やりその場で着替えさせられた。

「ふええ…」

赤く頬染めながら古いチュニックは脱がされ、その場でリンネルの下着を着た。

白いワンピースタイプの下着を着た。


その上に、新しいチュニックを二枚重ねて着た。仕立て屋によってきれいに着せられる。

これが都市の高貴な女性の服装で、長いタイト・スリーブのついた白い絹の布地だった。

円奈が今まで来ていた白麻製のものよりはるかにすべすべした着心地におどろき、動くたびにひらりひらりと
やさしくゆれる裾は、まさに乙女の洋服だった。

チュニックはひじから裾にかけてドレイプをほどこされている。それが少女に優雅な動きを与えてくれる。


身長にあわして足首はきれいに隠された。


貴婦人といわないまでも、都市の中堅以上の高貴な少女へと服で変身した円奈だった。



円奈はこの場でくるりと身を回したりして、新しい乙女の服を楽しんでいるみたいだ。


「なかなか、いい」

ジョスリーンも満足げに、腕組んでうんとうなっている。

「わたしの紋章官にふさわしい身なりになってきましたぞ」


「わああ」

円奈は、貴婦人に仕える侍女の服装となった自分の衣装を、まだ見回している。

くるくる身を回すたびに、ふわりふわりと裾がゆれる。どの動きも優雅にみえた。

「すべすべだよ」


円奈の驚いた顔が、間抜けた感想を口にした。


「まあ、そうでしょうよ」

女騎士は腕組んだまま、言う。「まあ、驚くのは今だけに。今から一歩外にでたら、
きみはもう田舎者の騎士じゃない。私というアデル卿の侍女として、紋章官を務める少女になる」


「侍女…」

円奈はその言葉を、吟味するみたいに自分で呟く。


「そう。わたしの侍女だ」

女騎士はウンと頷く。それから、ニヤリと笑ってみせて、満足そうな顔して円奈の姿をみつめる。

「自分の服にいちいち驚いている侍女はいない。店をでたら、なりきるように頼んだぞ」

言葉遣いももう変わっていた。



新しい服を纏った円奈はギルド街へ再びでる。


髪は仕立て屋によってかれいに梳かされ、赤いリボンをむすんだポニーテール。

リンネルの下着に二枚の白い絹のチュニックを着込み、裾をゆらゆらゆらしながら町を歩く姿は、
騎士に仕える侍女の姿そのもの。


「侍女…侍女…侍女…」


円奈は裾つかみながら路地をあるき、自分に暗示をかける。「私はいま、侍女だ…」


女騎士は、こまった顔して額に手をあてた。

「”私は侍女だ”と連呼する侍女はいない」


「…うう」

円奈は、指摘されて照れた顔をする。



「もう馬上競技大会まで時間がない」

と、ジョスリーンは言った。「馬と武器を荷物屋に預けよう。いまのきみには不要だ」


カシャカシャカシヤ…

樽を満載した荷車とすれ違う。ギルド街を進むその荷車は、馬によって運ばれ、街路を進んだ。

「あ…うん…そうだね」

円奈はすると、外に待たせていたクフィーユの背中に、馬具もなしにばっと乗り込んだ。馬が自然と伏せてくれる。

その動作が流れるようで見事だったので、町の者の注目が集まった。


ジョスリーンはまた額に手を当てた。

「円奈、主人が徒歩なのに馬に乗る侍女はいない」


「あうう…」

侍女姿の円奈は、馬上でしゅんとして、主人のお叱りを受け入れた。

200


明日に始まる馬上槍競技に備えて、二人のイメトレがはじまった。

円奈はジョスリーンの侍女として、そう振る舞い、ジョスリーンも円奈に対して、侍女に対するそれとして
接する。


「円奈よ、大会がはじまったら───」


呼び方もかえる。


「まずは私の血筋が参加資格をもつことを審査員に、紋章官であるきみが説明しなくちゃいけない。第一の関門だ。
きみがわたしの侍女であることは私から説明する。だから、怪しまれないようにだ」


「うん」

円奈はうなづく。


「あと、いまのところ参加はないみたいだが、王家の騎士とすれ違ったら、その場で膝をつくこと!」


二人はギルド街をあるき、預け屋へとむかっている。


「第二の関門は、わたしが出番になったとき、私と対戦相手の紋章を、きみがよみあげること!」


ジョスリーンは説明する。


「私は鎧を着て、馬に乗り、槍も持つ。出撃準備して、待機している。わたしが待機しているあいだ、
きみは観客にむかって、次に出場する選手の家系と対戦相手の家系のことを、ざっと説明する。相手も紋章を
掲げるから、きみはそれをみて読み上げるんだ」


「ううん…」

円奈は自信のない顔になる。「まだ半分くらいしか覚えてない…」


「大丈夫さまだ一日あるから!」

ジョスリーンはぐっと手を握りしめて励ます。「きみが必要なんだ。どうしてもジョストにでたい!」


「それはわかったけど…」


なんて自信のない円奈と、それを励ます女騎士が歩いていると、預け屋についた。


「とにかく、武器は一度預けましょう。侍女が持ち歩くものじゃない」


チュニックの侍女姿になった円奈は、背中に弓、腰のベルトに剣を差した姿だった。


それが市内の人々の視線を集めていた。

201


二人は預け屋に入る。


木造建築の店で、木骨造とゆばれる建物。三角形の葺き屋根をした建物だった。


それは下層の市民たちの家々と同じ構造だ。


「預けたいんだが」

女騎士が預け屋の店員をたずねる。「空きはあるかな?」


「ものによるが」

店員はいった。「どれをだ?」



円奈はおずおず店員の前へでて、自分の背中のロングボウを紐を解き、外して、カウンターにドンとおいた。

1.2メートルあるイチイ木の長弓がおかれ、店員はたじろいだ。


それから、剣。来栖椎奈の剣。鷹の翼を象った金色の鍔。


「こんなでけえ弓は初めてみた」

店員は驚き顔で弓矢を持ち上げる。「ロビン・フッドのつもりか?」

「空きがあるのかないのか!」

女夜警騎士はいらいらした声だした。

「長弓なんてエドワード城の弓兵がいっぱいもってるだろ。驚いてないで預かってくれ」


「じゃあこの名簿に記してくれ」

店員は羊皮紙の名簿をカウンターにだした。

羽ペンをぱっと渡す。


女騎士はそれをうけとって、インクで名簿に名を記した。


店員がその名をみると、嫌そうな顔をした。

「夜警騎士がここになんの用だ?うちはなんの不正もしとらん!」


「そんなことしにここにきてないよ」

女騎士は表情うごかさずにペンで名簿に記す。


「なあたのむよ勝手に倉庫にあがったりしないでくれこまるんだ!」

店員はまだ動揺している。

「客には、だれにもみせるなって約束のもと預かってるのもあるんだこないでくれ!」


「だからそんなことしにきてないといってるだろ」

ジョスリーンは名簿に記入し終えた。


「うちには盗品もねえ!闇商人たちの密輸品につかわれてねえ!」


「それ以上自爆するとほんとにあがらせてもらうことになるぞ」

ジョスリーンは顔を渋らせてロングボウと剣を預ける。

「さあ預かってくれ。一日いくら?」


「一日にして銀貨2枚だよ」

店員は答えた。「一週間で契約の更新が必要になる。更新なしで延長したら3枚いただく」

立てる指を二本から三本に増やす。


「そうかいじゃあそれで頼むよ」


「なんの囮調査かしらんがなめやがって!」

店員はすごく嫌そうな顔しながら、女騎士との取引をおえた。



「くそったれ!」

ぺっと愚痴をはいて倉庫へ品物を運ぶ店主を。


はあとため息ついてジョスリーンは見送った。

202


「まあ、この職業は嫌われ役さ」

預け屋をでたジョスリーンは円奈に言った。

円奈は寂しい顔をしてジョスリーンをみあげている。


「どこにいっても嫌がられる。不正してる店もそうでない店も。入った時点で”疑われてる”って思われる
職業柄さ」


「なんだか……悲しいね…」


円奈がいうと。


「都市は俗にまみれたところだ。いろいろ人間関係があるのさ」


といい、ギルド街の出口へむかう。それから彼女は付け加えた。


「魔法少女と人間の関係はもっと悲しい」



「…」

円奈は、胸をぎゅっとしたくなるような悲しさを感じた。泣き顔にもなりかけてジョスリーンをみあげた。


ジョスリーンはゆたかな金髪を風になびかせて歩き続けた。

203


二人はギルド街をでた。


パン屋街、宿屋街、酒場街、ギルド街を通ってエドレスの都市を一周し、都市広場へもどってきた。



午後四時ちかくになり、都市広場の市場は撤収の準備をはじめている。



日は下がり、オレンジ色の日差しが都市に降りる。





ガゴーンガゴーンと、支庁舎の鐘が響き渡る。


まるで結婚式でも開かれたかのような荘厳な鐘の音だ。



何重にも響き渡って、建物に囲われた都市の空間に共鳴し、轟く。




円奈は弓矢も剣も持たないで都市を歩いた。


ずいぶんと身なりが軽くて、心細い気さえした。



「きみに渡しておこう」

そういってジョスリーンは、馬上槍競技の参加者名簿と紋章の記された羊皮紙を円奈に渡した。


「わたしもそろそろ家に戻らねばならん時間だ。きみには思い出せるように渡しておくよ」


「うん…」

円奈は自信なさげに、羊皮紙を受け取る。


「今日はありがとう」

いきなり、そんなことを女騎士からいわれた。


「えっ?」

円奈が驚いてジョスリーンをみあげた。


「きみにはいろいろつき合わせてしまった」

と、女騎士はいう。「明日から馬上槍競技がはじまる。きみのおかげで参加できそうだ。感謝している。
本当にありがとう」


「あ、はあ…」

急にあらたまった態度で礼をいわれた。

円奈はどうしていいかわからない。ただ、自分の頬が熱いのだけはわかった。


「それでは明日だ!」

ジョスリーンは笑って、ばっと背をむけると、円奈に手をふりながら都市広場を歩き去ってしまった。


「ああっ…」

円奈は何もいえていない自分が情けなくて、でも女騎士を追えなかった。

「はうう…」


去る女騎士のローブの背中をその場で見送った。



それから、しょうがないなあもう、と心で呟きながら、笑った。


いろいろ振り回されているけれど、ちょっとお礼を言ってくれただけで、まあ、よかったなあ
と思ってしまう円奈だった。



こんな自分でも、人の役にたてるのなら。

それはとても嬉しいことだった。


明日は、紋章官としてあの人のためにがんばろう。


「…あれ?」

そこで円奈は、1人取り残されて、まだ宿もみつけていないことに気づいた。


「ああっ!」

1人その場で黄色い声をあげてしまう。


また夜になって、半裸の女とか、変な男の人たちがでてきたら、やだよう。

そんな恐れを抱きながら、宿を探しに、クフィーユを連れて都市を急いだ。

今日はここまで。

次回、第26話「オルレアン」

第26話「オルレアン」

204


その夜は円奈は無事宿屋をみつけて、泊まることもできた。


円奈がみつけた宿屋とは別の酒場で、ある魔法少女が酒を飲んだくれていた。



酒場でジョッキのビールを飲んだているその魔法少女は、がやがやとうるさい酒場のテーブルで、1人だった。

ひたすら無言でビールを飲み続ける。


「くそ…」


魔法少女は、変身したりしていないから、見た目は今は普通の少女だ。


「修道院を出禁だあ……」


そう独り言をつぶやき、ジョッキのビールを飲む。もう三杯目だ。「さんざんだよまったく…」


黒い髪。黒い目はくりくりしている。だが、顔は赤い。できあがっている。


彼女の名は、ウスターシュ・ルッチーア。


これから夜になり、魔獣退治の時間帯になるというのに、魔法少女は酒場で飲んだくれていた。



「まったくもお!」


昼のことを考えるだけでいやになる。

裁判沙汰、人間を修道院に連れ込んだ罪、それによる修道院の出禁…つまり、魔法少女界隈からの追放。

これが現実逃避しないでいられるか。


「マスター!ビールをおくれ!」

なんてオヤジみたいな口ぶりで銀貨を渡し、ビールは早くも四杯目。


裁判での彼女の大活躍っぷりは、すでに町で噂になっていた。


男9人を相手に叩きのめし、情け容赦なしの血みどろの裁判を繰り広げた、とか、あれは裁判じゃない。
裁判という名の地獄の裁判だった、とか、とにかく、噂は広まれば広まるほど、
脚色がされていった。


「くそっ!みんなして私がそんなに嫌いか!」


はあああとため息ついて、テーブルに突っ伏してしまう。


するとそのとき、テーブルの対面の椅子に、がたっという音がした。


「席いいかな?」


「あ?」

真っ赤な顔に涙ためてみあげたルッチーアの目に、若い男が映った。


茶髪に涼んだ茶色の瞳。髪は短髪で、すっきりしている。瞳はきれいで、細身。


若い男は、くびをちょいとひねって、少女にたずねた。「きみと飲みたい。だめかな?」


ルッチーアは目をこすった。涙を弾き飛ばす。

なかなか、格好いい男じゃないか!

「いいよ」

魔法少女は、自分の正体は隠して、おずおずと答えた。「わ…わたしみたいな女の子でよかったら」


ちょっと緊張している自分にきづいた。


「ありがとう」

男は優しげに笑い、席についた。ビールのジョッキをコトンと丁寧におく。

「なにかあった?悲しそうにしちゃって」


「ああ……ああ、いや、うん!」

予期もしなかった男との相席に、とくとくと心臓は早まり、緊張が増してくる。

「そうなん……のよ。ちょっとつらいことがあって……」


男は悲しそうに目を落とした。

「そうなんだ……実はぼくもそうなんだ」

と若い男はいう。ジョッキにはまだ手をかけない。「ちょっとつらいことがあってね……一緒だね?」



「うん、そうみたいだね」

ルッチーアは微笑んだ。目からぽろりと粒が伝った。「一緒だね」


「とりあえず」

男ははじめてジョッキの把手を手に取った。「乾杯」


「うん」

ルッチーアもジョッキをもった。

二人のジョッキがぶつかった。「かんぱい」

ジョッキの中のビールがゆれる。




「どんなことがあったのか……」

男は、涼んだ茶色い瞳を、まっすぐルッチーアにむけてくる。「きいてもいいかい?」


「ああ…ええ…おお…」

ルッチーアは、男のまっすぐな視線にたじろく。

「うん…いいよ」

なんだか、目をあわせられない。視線が泳いでしまう。


「ありがとう。きかせてくれる?ぼくでよかったら相談にのるよ」

男は優しくいってくれる。まっすぐルッチーアをみつめながらいう。たずね方は丁寧で、優しい。



「じ……じ…じぶんに自信が最近もてなくてさ……」

ルッチーアは、話し始めた。

目をあちこちに逸らす。男のまっすぐな視線は顔に注がれているままだ。

「生きる意味っていうのかなあ……?わたしってなんのための存在してるのかなあとか…そのへんを
見失ってしまってね」


「……そうか」

男は、まるで自分のことのように悲しそうに俯く。ろうそくの火のその顔が照らされた。

「かなり悩んでいるんだね。でもどうして?」


また、茶色い瞳をまっすぐこっちにむけて、訊いてくる。


「友達とうまくいってないし……もっといえば、仲間はずれにされてるんだ。無視されて……
あなたと私たちはちがうって…」



「それはひどい話だ」

男の顔は悲しそうだ。「ぼくにも似た経験がある」


男は悲しげにろうそくの火を見つめながら、語る。


「仲間の遊びに入れてもらえなかったりね…パーティーに誘われなかったりしたんだ」



「わたしもだよ」

ルッチーアは小さく笑う。「最近じゃまったくパーティーに誘われない。友達がみんな男をつくったり
してね、誕生パーティーを恋人同士でひらいてるんだ。友達をたくさん誘って…でも私は誘われないんだ」


目からこぼれおちる涙が、ろうそくの火にきらりと光る。

「仲間はずれさ」

指で目をぬぐう。「もう友達じゃないのかも」



「都市には理不尽なことが多くある」

男も言った。

「ぼくも今日、この世の理不尽を味わったばかりだ…でも、自信までなくしてはいけないよ」

彼はそっと手をテーブルにおき、ルッチーアの手を握る。

「あ…え?」

ルッチーアの戸惑った目が男を見る。

「きみは本当に美しい女の子だ」

男はまっすぐルッチーアを見つめながら、言った。

「きみみたいなきれいな子が悲しんでばかりではいけない」


「…えっ」

ルッチーアは急にそんなこといわれて、戸惑った。

ただ、かあっと頬が熱くなるのだけは感じ取れた。



「きみとこうして出会えたことは、偶然じゃない気がする」

男はルッチーアを目で見つめながら、つづけた。

「ほんとうにきれいで美しいよ…だから、自信を失わないでほしい。その黒い髪。黒い目。とてもきれいだ。
自分に自信がもてないなんて、もったいない」


「…そ…そ…」

きれいな子だっていわれて。

照れるとか越えた、くすぐったいような熱い感覚が全身にした。


ルッチーアは言葉を探したが、顔が熱くて、たまらなくて、まともに喋れない自分にきづいた。
ぽっぽと熱くなる。


「…そんなこといわれたって……こまるよ…」


恥ずかしい。

自分の髪のこと、目のことをきれいだといわれて、嬉しいような、でもそれを知られるのが照れるような、
どうしようもないくらい恥ずかしくて、それが全身を熱くさせる。


「謙虚なんだね」

男は優しく微笑む。「謙虚で、大人しくて、美しい。夜に咲いた花のようだ」


男は話をとめ、まっすぐルッチーアをみつめてくる。

ただ、ひたすら。じいっと。「ほんとうに美しい」

そんなことを言ってくる。



「や…やめてよ」

自分の声が自分の声じゃないほど上ずっている。

それがまたたまらなく恥ずかしい。

「からかわないで…」

どくどくどく、全身の血のめぐりが熱くて熱くてしょうがない。ぽっぽと頬にそれが集まる。


「こころから思ったことだ。本当だよ」

男はすぐにそう言い切った。ニコリと微笑み、優しい口調で話した。

「きみはぼくの理想の女性だ。本気だ。美しくて、謙虚で、どこか奥手だ。ああ、きみはなんて素敵なんだ」


ルッチーアは恥ずかしさでたまらなくなり、両手で顔を覆った。

顔から火が出そうだ。


「あああ…」

赤い頬から涙を流す。「ねえ……どうして?どうして私なんかにそんなこと言ってくれんだい?」




「お願いだ泣かないで」

男はいってくれる。両手をそっと持ち、握り、まっすぐルッチーアの瞳を見つめた。

「美しい君が悲しむところは見たくないんだ。ぼくはきみが幸せでいるところが見たい」


「ああ…ああ…」

ルチーアは、感激に頬を熱くさせ、また、目から粒をこぼした。「ちがうの…嬉しいんだよ…」


「そうか」

男は優しく微笑んだ。「じゃあきみの幸せのために…乾杯」

「うん…ありがとう」

ルッチーアもにっこり笑った。


二人のビールのジョッキが、コツン…と小さな音たててあたる。


ルッチーアも、若い男も、二人してジョッキのビールを飲む。


まわりでがやがやがや…と騒がしい酒場だが、気にならない。

世界は二人だけのものになっている。


「きみとお付き合いをしたい」

そっとビールのジョッキを丁寧においた男は、告げた。

「本気だ」


「ああ…ああ」

ルッチーアは、涙ぐんだ目を赤くして、そのプロポーズをただただ受け止めている。

「わたしなんかで……いいのかな?ほんとうにわたしなんかで?」

でも、魔法少女として数多くの男と破局してきた彼女は自信がもてない。

弱気で、悲しくて、たまらない気持ちで胸がいっぱいだ。


「きみでなくちゃだめだ」

男は真剣な顔つきをしていた。「きみみたいな人との出会いを待っていた。これは偶然じゃないとぼくは
思う。ほんとうにすてきだ。きみを見ていると天よりも明るい気持ちになれる」


「わ、わたし、も……」

ぎこちない口ぶりで、ルッチーアは、そっと答えた。

「あなたと会えたことは……偶然じゃない気がする。わたし、うれしいよ。わたしなんかに、そんなことを
いってくれるなんて……」


魔法少女に恋はできない。

そんな、仲間の魔法少女たちと一緒にくだした結論は、いま打破されようとしている。


「きみもそう思ってくれるかい嬉しいよ!最高だ!」

男も、嬉しそうに、ルッチーアに手を握り締めた。この力加減はあくまで優しく、包み込むかのよう。

「これから二人で、たくさんの思い出をつくっていこう!」


「うん!うん!」

ルッチーアは幸せに満たされようとしていた。なんて素敵な夜だろう!

魔法少女に変身する瞬間より最高の気分だ。


わたし、恋人ができたよ─────やっと!



「今日は落ち込んじゃうこともあったけど、きみと出会えたことは最高の幸せだ」

男はそう言ってくれる。

「わたしも……すごく幸せだよ!」


二人の手が互いに握り合う。


「それで…」

ルッチーアは、片方の手を使ってビールをちょっとだけ飲むと、たずねた。

「そっちにはどんなことが……あったの?つらいことがあったって…。」


男はすると、突然悲しい顔をした。


「いや、あの…どうしてもききたいってわけじゃなくて…」

ルッチーアは慌てた。

すると男は悲しい顔したまま、口元だけふっと笑ってこまった顔をした。

「少し長くなるけど……きいてくれるかな?」


「もちろんだよ!」

ルッチーアは優しく微笑んだ。「わたしでよかったら、相談にのれるかは分からないけどさ……聞いてあげる
ことくらいはできるから…」

信じられないくらい胸がどきどきしていた。

「じゃあ、少し重たい話になるけど…」

男はそう言って、間をいれたあと、話し始めた。

「今日、父が……」


「父が?」

ルッチーアは、首をかしげてたずねる。目をぱちくりさせて、上目で男を訊く体勢になる。


「父が不当に冤罪をふっかけられて……牢獄に入れられてしまったんだ…」



「…へっ?」

ルッチーアは上目遣いしていた目を点にして、きょとんとなった。

もう一度たずねた。「父が……なんだって?」


「ぼくが知ったときもう裁判になっていて……取り返しがつかなくて……」

男の目に涙が溢れてくる。

「魔法少女を襲ったって強姦未遂を容疑にかけられて……でも、父はそんな人じゃない!息子のぼくだから
わかるんだ!ぼくの父さんは、そんなことをする人じゃない!でももう裁判になってて……」


男は嗚咽を漏らし、肩をひくつかせて、大泣きした。


ルッチーアは、目を瞠って男を見つめている。


「相手の魔法少女はひどいやつで……自分から父さんに暴力をふるったくせに自分は無罪だって臆面もなしに
裁判で大暴れして……ぼくの父さんは懸命に闘ったけど、負けてしまったんだ…。自分の無罪を証明したくて…」



ルッチーアの顔が固まっている。石みたいに。



「でも相手の魔法少女はそんな父さんの思いを踏みにじった。容赦なく殴りつけて、裁判を勝ち取って、
今もどこかでのうのうとしている最低なやつなんだ!ぼくは家族に、親族に説明した父さんはそんなことする
人じゃないって!きみは信じてくれるかい?ぼくの父が、そんな人じゃいないって、信じてくれるかい?」

男のすがるような目がルッチーアを見つめてくる。

その目は情けないほど涙が溜まっていて、ぼろぽろと頬を伝って滴り落ちた。


「…えーと…」

ルッチーアは戸惑った顔をみせている。


すると男は悲しい顔をした。


「あー…」

ルッチーアは、恋心もときめきも完全に消し飛んだ、固まった顔で天井を呆然とみあげた。

「あー…うん、信じるよ。きみの父さんはそんな人じゃないさ、きっと」

天井みあげながら適当に言う。



「きみなら信じてくれると思った!」

男は、嬉しそうに、ルッチーアの手を優しく握る。

「やっぱりきみとの出会いは運命だったんだ。だれもわかってくれなかった。でもきみだけは信じてくれる!
父のこともぼくのことも!」


「うん…うん」

ルッチーアは投げやりな気持ちになって頷いた。「そうだね、きみの父はきっとそんな父じゃないと思う。
本当にそう思っているよ。本当に」


「ありがとう!」

男は感激に震えている。「世間のだれも信じてくれなかったのに…きみだけは信じてくれる。きみは優しい子だ。
ぼくの理想の人。本当にありがとう」

「あー…うん、それはどうも」

ルッチーアは頭を手で掻いた。もう気持ちは恋心どころではなかった。

しかし男はますます感激に燃え上がっている。

「いまものうのうとしているどこかの魔法少女が憎たらしいよ。本当にひどいやつなんだ。ぼくの父を足から
ひっくり返して、乱暴して……。何の罪もない人に乱暴するんだ!自分の罪は棚にあげて!」


「ああ…うん」

ルッチーアは、ぎこちなく頷いた。「そりゃあ……まったくひどい魔法少女もいたもんだね」


「魔法少女なんか、みんなこの世から消えればいいのに!」

男の口調が愚痴になってきた。

「ひどい暴力ばかりする、危険な存在だよ!世界で戦争ばかりしている!人間にとって迷惑でしかない!
だが、きみはちがう」

急に優しい口調に変わる。

「きみは優しい子で、大人しくて、謙虚で奥手で、美しい。きみみたいな女性に出会えたぼくは幸せだよ」


「…わるいけど、さ」

ルッチーアはテーブルの席をたちあがった。

「わたしは、あなたが思っているような女性じゃないと思うな……そう、それこそ、きみにとっては消えてしまえば
いいと思うくらいの女さ。…たぶんね。もっといい人がいるよ。だからわたしはこれで帰るね」


「ま、…」

男は驚いた顔をしてルッチーアをみあげる。それから、慌ててルッチーアを追いかけた。

「まってくれ!どうしたんだい急に…?」


ルッチーアは足をとめない。酒場の出口を目指してまっすぐ歩く。


「名前を!」

若い男は、ルッチーアを必死に呼びとめた。「きみにはまた会いたい!一度限りなんて悲しくて胸が
苦しくなるよ!せめて名前を教えてくれお願いだ!」


ルッチーアは酒場の出口からでる。



「マ、マスター!」

男は慌てて、酒場の店主にむかって、叫んだ。「必ず払う!ぼくと、あの美しい女性のぶんは、必ず
払う!愛に誓ってね!だから今はあの人を追わせてくれ!」


するとマスターは、はいよといって、他の客の相手をつづけた。


「マスター感謝するよ!」

男は丁寧にいうと、酒場を出てルッチーアを追いかけた。

205


若い男は酒場をでると、町の路地を走った。

「まってくれ!」

去るルッチーアの背中を追いかける。

「お願いだまってくれ!」


ルッチーアに追いついた。

その肩を手にとり、振り向かせる。


「どうしたの?ぼく、なにかきみを傷つけること言ったかな?」

少女を振り向かせ、まじまじと顔をみつめて、問いかける。


「…いやそうじゃなくてね」

ルッチーアの目に悲しみが浮かんでいた。「わたしとあんたの出会いは偶然じゃなかった。たしかに
そうだと今も思ってるよ。でもそれは運命の出会いというより、まるで因縁の再会だよ」


「…因縁?」

男は不思議な顔をしている。


「きっと真実を知ったらきみはがっかりする。このまま二度と会わないのが互いのためさ。
本当のことをいってる」


ルッチーアは告げて、そしてまた背中みせて去ろうとした。


「まって!」

すると男は、またルッチーアの肩をもって自分へ振り向かせた。

顔を近づける。

「そんなことでぼくは退けないよきみはぼくの理想の女性だ!やっと会えたんだそんな悲しいこといわないで
くれ!」


「あんたが会ったのは理想の女性じゃない因縁の憎き相手だよ!」

ルッチーアは大声をだした。その顔に怒りやら悲しみやら、どうしようもない感情が織り交ざって
目を涙に潤わせ、赤くしている。


「……」


ルッチーアの大声とその迫力にたじろいてしまう若い男。

言葉を失っている男を尻目にして、ルッチーアは歩き去った。

「…まるで呪いだよ希望が芽生えたとおもったらどん底だ」

そんな独り言をいいながら路地をふらふらと歩き去る。「円環の理に呼ばれてるのかなあ…?」


「円環の理?…なんの話だ…」

男は、呆然と、わけがわからないという顔をして呟いている。

だが男は諦めなかった。それが間違いともしらず。


「まってくれ名前を教えてくれ!せめて最後に!これが最後の別れなんていやさ!」


「そんなりしりたいかよじゃあ教えてあげるさ!」

ルッチーアは男に向き直った。両手をひろげて、もう何も隠さないという仕草を示しつつ、告げた。

「わたしの名はウスターシュ・ルッチーア!あんたのにっくき相手!この世から消え去ればいい
魔法少女!」


「…は?」

こんどは男がきょとんとする番だった。ぽかーんと口をあける。


「この世から消え去ればいいのにっていってたな!」

ルッチーアの声には怒りがこもっている。「だが安心しなよ、そうさすべての魔法少女はいずれこの世から
消え去る!それを円環の理っていうんだよ。わたしもそのうちこの世から消え去るさどうだ嬉しいか!」


「…」

男の顔は唖然としたまま動かない。言葉を失い、身体まで固まっている。


「どうした私とまた会いたいんだろいつでも会ってやるさ!喧嘩相手になら何度でもなってやる!」


ルッチーアの怒鳴り声はどこか悲しみも交じった震え声だった。

「親子そろって裁判で叩きのめそうか!どうしたかまって意気地なしめ!そんなところが父そっくりだよ!」


男は完全に凍っていた。思考停止状態とでもいおうか。


考えの整理がつかないでいた。目の前で少女が本性を暴いたとたん吐く暴言の数々、乱暴な態度、挑発…。


これが理想の女性?ぼくはなにをまちがえたんだ?


だが、だんだん、いま目の前にいる女性こそが、父の無念を晴らす仇であることだけが分かってきた。



「…この」

男の顔が、だんだん、怒りに赤くなってくる。「…このやろう!」


ルッチーアに飛び掛ろうとした、そのとき。

誰かにがしっと後ろから肩を掴まれた。

「…あ?」

男が怒った顔して後ろの人物をみる。


するとそこにはさっきの酒場の店主が立っていた。


店主と男の目で合う。


店主は、ゆっくりとした口調で、穏やかに告げた。

「金は?」


「は?」

男は目をぱちくりさせて店主をみる。


「金だよ。あんた、愛に誓って女性のぶんも払うっていったろ」

店主は男の去り際の発言を指摘する。

その口調は穏やかだし、素敵な笑顔もみせているが、明らかに脅しのオーラがでている。

「もちろん払うね?」


「…あ…あ」

男は目をぱちぱちさせながら、店主の笑顔と、理想の女性を、かわりがわりに見つめた。

払えという店主と、理想の女性を…。


理想の女性???あの魔法少女が?

男はだんだん、あまりの理不尽さに腹がたってくる。



「だ、だ…だれが…」

男は、怒りを顔に露にさせて、歯をかみしめると、言った。

「だれが払うかあんな女の分!」

と叫んで、男はルッチーアを指差す。

「なんでぼくがあんな女のぶんも払わなくちゃいけないんだ冗談じゃない!」

といって、店主にむかって顔をちかづけ、叫びつづける。

「いいかマスターこっからはもう金銭の問題じゃないプライドの問題だ!この際いくらなんてことは問題ではない。
ただの一銭も、あんなやつのための払ってしまうことがぼくのプライドが許さない!いいか、あいつは、
ぼくの父をはめたやつで…あがっ!!!」


次の瞬間、男は店主のふるったフライパンの裏面に思い切り顔をぶっ叩かれた。

バコーンといい音がして、男は路面へぶっ倒れた。


「うわ…すごい音…」

まるで楽器のようにフライパンが音を鳴らしたので、ルッチーアは思わず呟いた。



「わけわかんねえこといってんじゃねえ!」

店主の笑顔は顔から消えた。

「そういう御託は金払ってから並べてろ!」



店主は男に馬乗りになる。胸倉を持ち上げる。

「なにが金銭の問題じゃねえだ?金の問題にきまってるだろ糞が!」

拳をつくり、男の顔面をぼがっと殴る。

「いいやプライドの問題だ!」

男は殴られながら、店主に言い返す。

「いくら痛い目みようたって、ぼくは払わないぞ!父も受けた恥辱だ。いくらでもぼくをそうやって痛め
つけるがいいさ!それでこそ父の辛い気持ちがぼくにもわかる!」


「わけわからんこといってんじゃねえこの阿呆が!」

店主はまたぼがっと男の顔面を殴る。今度は左から。「泥棒め!食い逃げ野郎!なにが愛に誓って女性のぶんも
払うだ寝言いいやがって!」


ばぎっ。ぼがっ。

男は殴られ続ける。


「はあー…まったくもう」

ルッチーアはため息ついて、完全に冷めた気持ちになりながら、暴れる店主の肩をついついとつついた。


「邪魔するな!」

店主はルッチーアに怒鳴った。「いま、愛の誓いとやらを叩きのめしているところだ!」


「わるかったよ、わたしが自分の正体を隠したのがもともとの始まりなんだ」

ルッチーアはそう告げて、店主に銀貨を渡した。

「これで勘弁してやってくれよ」


店主が銀貨を受け取る。

驚いた顔して、ルッチーアを見上げた。


「じゃあな」

ルッチーアはその場を去った。黒い髪をゆらして、夜の路地へと消える。溶け込むように。


店主は銀貨の枚数を確認した。ちょうど二人分だ。

すると店主は男を殴るのをやめた。

        
「…このくそが。虫唾が走る」

愚痴をこぼして、店主は銀貨をにぎって酒場へと戻った。「二度と俺の店に愛の誓いとやらを持ち込むな」



顔面が血だらけの若い男だけが、路地にのこされた。

206


ルッチーアはとぼとぼと闇の路地を歩いた。

ついに巡ってきたかに思えた恋も、泡となってきえた。


「家に戻るしかないかあ」

はあとため息つき、魔法少女は呟く。


本当は家が嫌いなのだが、他に仕様がない。



路地を歩いていると、女に声をかけられた。

ルッチーアがみると、その女はローブの裾をはだけさせ、誘惑するみたいに足をちらりちらりとみせつけた。


「魔法少女さあん」

と、色気づけた声で呼んでくる。「わたしと遊んかなあい?」


「なんで私があんたと遊ぶんだよ!」

思いっきり叫ぶ。怒りを込めて。

あんた、魔獣に食われてもしらんぞ!心で罵ってやる。


「あらあ」

女はルッチーアに接近してきた。にこにこ微笑みながら近づいて、肩に手を回してくる。

「魔法少女ってえ、男も女もいけるんでしょう…?」

耳にふうっという吐息とともに声をかけてくる。


「だれから聞いたんだよそんな話!」

ルッチーアは売春婦を突き飛ばした。女はルッチーアから離れた。女はくそっ、金持ってそうだったのに、
と愚痴りながら裏路地へ消えた。


「ああもう」

ルッチーアは路地を歩き続けた。

ぶるっと背筋震わせ、自分の肩を抱きながら、女に耳へ吹きかけられた悪寒を振り払う。

「あんなやつらのために魔獣と闘って町を守るのか」

ぶつぶつ呟きながら、路地を歩きつづけ、家へ急いだ。

207


しばらく都市の夜道を歩いて、ルッチーアは自宅に着いた。


まさに失意だった。


落ち込んだ気持ちのまま、自宅の前にたつ。


ルッチーアの自宅は裕福でなく、むしろ貧しい市民の家だった。

木造の家で、長屋式の家。突き出し構造をしていて、切り妻壁。



この街路はごみごみとしていて、ギルド街やパン屋街、都市広場よりも、狭くて迷路のようで、
入り組んででいる。



まさに貧民層の家々が並ぶ狭苦しい街路だった。


ルッチーアの家系は葺き職人のギルドに加入している。

葺き職人とは、こうした家々の屋根を作ったり、修繕したりする職人。


ルッチーアは家の扉を、コンコンコンと手で叩いた。


それから、二階の窓にむかって、声をあげた。


「かあさん!もどったよ!ルッチーアだよ!」



反応はない。

いつものことだ。


「かあさん!」

もう一度大声をだす。「もどったよ!わたしだよ!」



すると、しばらくがたってから、家の扉のむこうで小声がした。

「もどったんだね?」

大人の女の声だった。母親だ。


ルッチーアは扉に身を寄せた。「うん。もどった」扉のむこうへ声をかける。



「それで───」

老いた女の声が扉のむこうからする。「魔獣退治の報酬を支庁舎から?」


「いや、き、きょうは狩りはしてないよ、かあさん」

ルッチーアは、恐る恐る、言った。


「……」

扉のむこうで、沈黙。

沈黙のあと、また、扉のおくから女の声がした。

「どこかのギルドはお前を雇ったか?」


「………いや…」

ルッチーアは顔を下に落として、答える。「……雇われてない」


「そうかいじゃあ今日は入れないよ」

扉のむこうで冷たい声がする。「魔獣狩りでもスリなんでもやって、金もってから家に入りな」


「かあさん!」

ルッチーアは扉をたたく。


だがそれ以上はなんの反応もなかった。「かあさん!」


いくらルッチーアが呼んでもこれ以上の反応は一切なかった。



また家に入れてくれなかった。


「ああ…」

うな垂れて、扉に手をかけたまま、力なく膝をついてだらんと身を落とした。

膝を曲げて女の子ずわりになり、開かぬ家の扉の前で頭を垂れ、髪が前へ降りる。



そうして髪も垂らしたまま地面をしばらく見つめていたが、そうもしていられず、起き上がった。


こうんふうにしているとソウルジェムが黒くなる。


それが魔法少女だった。


「いかなくちゃ…」

小さな声でふっと呟き、ふらふらと立ち上がり、夜の路地を歩き出した。「魔獣退治…」



手元の指輪を変型させて、灰色のソウルジェムも手元に照らす。

ぽっ。

手の平に宝石の光が灯る。


穢れて灰色なのではなくて、もともとルッチーアのソウルジェムは灰色の宝石だった。



手の平にのせたソウルジェムは弱い光をほのかに放っている。


まるで自分の感情みたいだ。


弱っている。



反応は示さず、魔獣の出現も兆しもない。




しかしそんなことで諦めない。

狩るまでは、帰る家もない。



まず狭い路地をあてもなく彷徨い、ソウルジェムの反応をみつつ歩く。


ときどき変な光をぱっと放ったりするが、それは魔獣の反応じゃない。


たぶん、どっかの家の魔法少女のそばを通りかかっただけだ。


街路を歩き回ると、次は橋へ。


ソルグ川を渡す大きなレンガ橋。アーチ石橋の上を歩く。


むかし、この川は悪臭がひどかった。


この都市を横切る巨大な川が、下水よりひどい状態になっていた。川のそばにすむ貧民層はたてつづけてに病に
倒れる有り様だった。


それを現エドレス国王、エドワードが改善した。


王は川の汚染に激怒した。

そもそもエドレス国民の誇りは、自然の恵みである川を大切にすること、涼んだ川を愛していたこと、
透明で純潔な精神を美しき川と共にして暮らしてきたことでなかったか、と国民に呼びかけた。


国民は目覚めた。



エドワード王から直属の役人が派遣され、川の本格的な洗浄作業が大々的におこなわれた。


もちろんそれにも血の滲む努力があったのだが、エドワード王の改善策はそれで終わりではなかった。


今後の川の清潔さの保持も義務づけた。


川への糞便の廃棄は厳しく罰せられた。肉屋、家禽屋、魚屋、居酒屋に、ごみと余った食材、腐ったワインの
破棄を禁じた。


もちろん、法律で禁じただけでは、こんな都市の俗にまみれた人間は誰も従わない。


そこでエドワード王は貴族家系に夜警隊の派遣を命じた。

都市の貴族はこうして夜警兵士、夜警騎士を派遣し、夜な夜な川を汚す悪徳業者に目を光らせている。



そうした夜警騎士の一人に、ルッチーアは出会ったわけであった。


あの女騎士だ。



エドワード王から派遣された役人は、家の窓から道端へ投げ捨てられる都市民の汚物を集め、処理し、
荷車にのせて、都市の外へとだす。


この国の役人は、下手な都市民よりよっぽど国のために努力をする、真面目な連中だ。


だからこそ税金を納める気にも市民がなるのであるが。



あの女騎士は私を助けてくれた。


いまどき魔法少女を手助けしてくれる珍しい人間だった。



ルッチーアの家系は貧しかったから、カベナンテルという妖精が現れたとき、そしてそれが自分への魔法少女変身への
招待だとしって、家族と相談して、契約した。


その契約は、単純に、”お金持ちになりたい”という、なんでも願い事がかなうといわれれば誰もが一度は考える
であろう内容で契約した。


この都市では魔法少女の住民税は免除される。


彼ら人間は、都市に魔法少女が必要であることを理解していた。

魔法少女が都市にいなかったら、謎の死と行方不明、廃人、精神を病む被害者が続出することを経験則から
知っていた。


それは魔獣という存在のせいで、それに対抗できる存在は魔法少女しかいないことを受け入れた。


つまり魔法少女とは、都市の守り手なのだ。


都市に魔法少女がいないと、市民は安心して暮らせない。

だから魔法少女には、住民税を免除する。



それに加え、魔獣退治が都市にとって有益であることを認めた支庁舎は、報酬も払う。


支庁舎には都市内の修道院長が出入りする。修道院長は、もちろん魔法少女で、都市内の魔法少女が
狩った魔獣のグリーフシードの数やら規模やらを数えて、それを報酬に代えて支払う。


要するに、魔法少女にとって、この都市での魔獣狩りはまんまそのまま金儲けになる。


魔獣を狩り、グリーフシードを得たら、支庁舎へいって、修道院長にみせれば、支庁舎から報酬を受け取れる。

グリーフシード一個につき、銀貨何枚だとか、そんな換算で。


ルッチーアは、魔法少女に変身することで、住民税がカットされ、かつ魔獣退治の報酬として銭を稼げる
ようにもなって、前の極貧生活に比べればお金持ちになった。



しかしそれは、契約するときに思い描いた、いわゆる”夢のような”お金持ちではなかった。


お金持ちはお金持ちでも、それは貧しい前の生活に税の免除と魔獣退治の報酬が加わった
程度のものだった。


そして母親はそれに満足しなかった。


なに、おまえ、どんな願い事でもかなうんだといっただろうが、この程度でお金持ちだと、ふざけんじゃないよ
あたしはみとめないよ、魔法が使えるようになったんなら、もっとスリでも貴族を騙すなりして、がっぽり
夢のようなお金持ちになれるんだろ、あたしはこんな程度を金持ちだなんて認めないよ。さっさと、稼いでこい。



といわれて、よく家をしめだされた。



つまり母は、ルッチーアが魔法少女に変身できると知った途端、娘に魔法を使わせ、
どんな悪事もできると期待した。


そしてその期待は今日も、ルッチーアにむけられている。


母親は、魔法を悪用することしか考えてなく、その期待は、重圧となってルッチーアにのしかかり続ける。


ルッチーアはしばしば、その魔法を使って、金を騙し取ってこい、とよく母親に命令されて育った。


実際のところは、魔法の悪用はしたことがなかった。


というより、できたものではなかった。



人間は、魔法少女というだけで、万能な少女であるかのようによく誤解する。

相手に幻覚をみせることができるとか、動物に変身できるとか、空を箒にのって飛べるとか、呪文を唱えれば
未来を操れるとか、人間が抱く魔法少女のイメージはそんなのばかりだ。


魔法は、そんな万能なものではなかった。



そもそも魔法少女は魔獣を倒すためだけの力を持ってるにすぎない存在だった。魔獣を倒す少女で、魔法少女。


契約して魔法少女になると、ソウルジェムさえ傷つかなければ無敵という身体に作り変えられる。そうして
得る身体能力は抜群で、文字通り無敵だ。

そうした身体で魔獣と戦うわけだけれども、その強さは、人間世界の戦争でも力を発揮する。


今の時代、戦場では、ほぼ必ずといっていいくらい魔法少女が活躍している。その身体能力を活かして、
魔法の武器を、人間にむけ、一騎当千の力を発揮することもある。


けど、それまでだ。


天気を操れるとか、呪文ひとつで相手を操れるとか、相手の心を奪い取れるとか、そんな摩訶不思議な力まで
持っていると人間に誤解される。


いや、なかにはそういう魔術的なことをする連中もいるのかもしれないが、魔法少女だからってみんながみんな
そうだと思うことが、誤解だ。


ルッチーアは、母親や家族からもそうした誤解を受けていた。


魔法少女になったルッチーアは、呪文で貴族の心を操り、自分にいくらでも金を貢がせることができるだろう、
とか家族から期待された。

あるいは、両替商に幻覚をみせて、石ころと金貨を交換できるとか、高利貸しにたくさん借りといて、その借金の
存在を一切忘れさせることができるとか、宝石商人を騙せるとか。


そんなことができると、期待された。考えることは全て魔法の悪用による金儲けばかり。



サバトの集会を通じて治療魔法と、病の予防魔法を会得しようとしている魔法少女の集まりが存在するらしいが、
そんな彼女たちの魔法の会得の方法は秘密にされている。


ルッチーアは知らない。


薬草を調合して治療魔法を覚えた魔法少女もいる。それは、エドワード城の城下町に住む魔法少女で、地元からは、
病気治しの魔法少女として親しまれ、人気者だ。


ルッチーアにはそんな魔法の知識はない。




自分にできることは魔獣を倒すことだけ。自分には魔獣と戦えるほどに作り変えられた身体があるだけ。



この時代の魔法少女のもつ因果は、とてつもなく低かった。


それこそ、鹿目まどかや美樹さやか、巴マミといった過去の魔法少女たちの世代と比べたら、とても低い。


ルッチーアは、お金持ちになりたいと願ったら、住民税の免除と魔獣退治の報酬を得る程度の金銭しか
回ってこないくらいの契約だ。

それくらい、少女のもつ因果が低い。叶える願いの奇跡も小さい。


いろいろ原因があって、たとえば、この時代における魔法少女の多さそのものも一つの原因だ。


鹿目まどかの世代に比べて、とにかく多くて、一つの都市に50人、60人といる町もあるくらいだ。

円奈が後に目指す聖地になると、もっともっと多い。


となれば、ひとりの少女に背負う因果もまばらになって、低くなる。一人が魔法少女になったくらいで、
世にもたらす因果は、小さい。



あとは、魔法少女が人間からよく知られた存在になっていることも理由だ。



もし、鹿目まどかや巴マミの世代が、魔法少女となって、そのまま人の世にでたら、世界は騒ぐだろう。

世界は魔法少女という存在に驚き、ついで慌て、恐怖すらしたかもしれない。世界中の人間を驚かせる
かもしれない。


つまり、魔法少女となるただそれだけのことで、世界中の人間を驚かせるくらいの強大な因果をもっているの
だった。


だから、魔法少女に選ばれる少女のもつ因果は大きい。存在を知られれば社会が動乱するという爆弾を抱える。
これが強大な因果を内包する。



ところが、今の時代では、少女が自分の正体を打ち明けて、私は魔法少女です、といったところで、まわりの人間は、
だからどうした、そんなのいくらでもいるだろ、とうんざりされるだけだ。


魔法少女になったところで世間に与える影響力は小さくて、因果もほとんどない。


そんなわけで、言ってしまえば、この時代の魔法少女は数が多くても、魔力は強くない。というより、
魔法の力はほとんど使わない。使えない。


契約して生み出す魔力の因果が小さすぎる。


ルッチーア、来栖椎奈、カトリーヌ、榎捺津、ギヨーレン…この時代の魔法少女が武器にするのは人間の武器と
同じ剣やら弓矢やら。

彼女たちは魔法少女としての自分の作りかえられた身体を武器とするのであり、魔力にはほとんど頼らない。


なぜなら魔法少女の本質は、魔法を使う少女ではなく、魔獣を倒すための身体を得た少女だからだ。


魔法そのものは昔からあるし、今もあるから、それを会得しようとする魔法少女も数多くいるのだが、
そんな彼女たちでも、巴マミが繰り出すような魔法の大技の数々をみたら、たじたじになるに違いない。


まして時間をとめるなんて魔法の能力は、今の時代の魔法少女からしても仰天してしまう魔法だ。


いまの時代の魔法少女は、いうなら戦闘マシーンであった。馬に乗り、騎兵として槍で突撃する。
盾と剣をふるって第一線で戦う。その戦闘スタイルは人間とやってることが同じで、しかも戦う相手も人間だ。


あるときは領主として隣国と戦い、あるときは人間の国王から派遣されて戦場で戦い、あるときは
盗賊団の討伐を請け負う。


どれも”戦い”の場にて特に活躍するのが魔法少女だった。



なぜなら、”戦う”ために、作り変えられた身体を持っている存在だからだ。


しかしルッチーアはこうした現実とは離れて、”魔法の悪用”を家族から期待されてしまっている魔法少女だった。


自分にはそんな能力ないし、魔法少女というのは戦う存在であって、魔法に万能な存在じゃないことは、
再三家族に説明したが、理解されない。


なにいってんだ、スリくらいできるだろ、魔法が使えるんだろ、質屋を騙してこい、といわれるだけ。
魔法で金貨を倍に増やせといわれたこともある。それじゃまるで錬金術だ。


いってしまえば、それくらい、貧乏な家系の金への執着は、盲目的であった。



ルッチーアは夜中のレンガ橋を渡り続ける。


川は静かで、空気はひんやり冷たく、水のなかは暗闇だ。ぷかぷか木片がういている。

暗い夜を流れる黒い川は、せせらぐ音をたまにたてるが、そのほかの音はない。




レンガ橋を渡り、都市広場に近づくと、ルッチーアの灰色をしたソウルジェムがわずかに反応を示した。


「こっちか」


冷たい声で囁く。

黒い目をした魔法少女の目がソウルジェムの反応を目に捉える。

ピクと黒い目が反応する。


黒い瞳はソウルジェムの光を映す。

自身の魂の光を。”命の灯”を。



都市広場にでると、修道院、支庁舎、噴水などがあって、石畳の通路を進んだ先に、赤色の結界が張られていた。


「あそこだな」

ルッチーアは結界にむけて進む。

結界に入ればその途端に戦闘がはじまるから、その前に変身をする。


結界の前へきて、変身しようとソウルジェムを両手に掲げ、天の月にむけた。


都市のはるか見上げた夜空に浮かぶ月の銀色の光が、ソウルジェムを照らす。月光がソウルジェムに力を与える。




あたりで夜警騎士がうろちょろ巡回しているような気もするが、気にしない。


月の光を帯びながら、黒髪に黒目のルッチーアは、魔法少女へ変身する。



ソウルジェムの色に違わず、灰色の衣装だった。

その服装のタイプはワンピースで、まさに修道女服にも似た黒色にちかい灰色のワンピースだった。
でも、髪は隠さない。


修道女服にちかいけれども、裾はひらひら、白い生地のフリルがたくさんあしらわれ、とても少女チックだ。



靴は黒色のブーツで、長靴タイプ。


胸元は黒色の三日月が紋章として描かれ、黒い髪にも、小さな黄色い三日月の髪飾りが左右に結われた。
肩あたりまで伸びた左右のツインテールだった。ツーサイドアップとツインテールのちょうど中間くらいの長さの束を、左右対称に垂らす。


変身を遂げるルッチーアの身体はふわりと浮く。全身が夜風にやさしくふかれて、ワンピースのフリルや、
黒い袖や、髪の毛が、ゆらゆらとはためいた。


ルッチーアはその全身にうける風を目を閉じて感じ取っていた。まるで心地よさを味わうかのように。



スタンと…ゆっくり着地すると、風もおさまった。

うきあがっていたワンピースの裾やフリルは垂れ落ちた。するとルッチーアは目を開いた。

気合一発。きっと目を真剣に開く。



魔法少女姿に変身したルッチーアは手に黒いクロスボウを取り出した。

彼女の武器だった。



魔法のクロスボウは引き金をひいて、魔法の矢を打ち出したら、カシャカシャと複雑な歯車同士が回って、
自動的に弦が元の位置にもどる。


だから、引き金ひくだけでいい。人間の使うクロスボウみたいに、あぶみに足をひっかけて自力で巻き上げ機を
巻いたりしなくていい。


それはまさに魔法のクロスボウであったが、それでも相変わらず、連射速度は低かった。

いちど撃ち放ったら、自動的に弦が戻るまで、10秒以上はかかる。


なんだか、弓矢を普通に連射していたほうが早そうな気さえしてくる。


けれども、魔法のクロスボウが放つ魔法の矢が、魔獣には効き目があった。



クロスボウを両手に構えて、魔獣の結界へと入った。




結界に入ると、一瞬、視界のすべてが真っ暗になった。


地面が消えてなくなり、どこまでも落ちる感覚がする。


そのひゅーっという感覚のなか、ルッチーアは冷静に、ツインテールになった髪を靡かせながら、目を開いて、
結界の行き着く先へと落ちて行く。


スタンと着地するとそこは、赤色と黒色が織り交ざる、炎と闇の結界の世界だった。
ぴょこんと肩くらいまでのツインテールが跳ねる。


魔獣の結界といったらこんなのばっかりだ。



ルッチーアは結界の奥に潜むヒマティオンを着た白い人影むけてクロスボウを構える。


両手にもち、目元をクロスボウの台座に寄せ、狙いを定める。次の瞬間、魔弓の弩をバチンと放つ。


黒い矢が飛んでいって、魔獣の頭をいぬいた。


一匹の魔獣は消滅した。

が、一匹倒されたことで魔法少女の襲来に気づいた魔獣たちが、いっせいにこちらをむいた。


「よお!」

クロスボウ構えながら、ルッチーアが、魔獣たちに挨拶した。「きてやったぜ!」


魔獣たちはぞろぞろぞろと、集団になってルッチーアのほうへ歩き出した。

さわさわさわと、ヒマティオンの裾と衣のすれる音だして、引きずりながら。


「その動き方が相変わらず───」

ルッチーアは二発目のクロスボウを放つ。「気味悪い!」


黒い矢がクロスボウから飛んで、魔獣の頭を射抜いた。射抜かれた魔獣は頭を仰け反らせ、消滅した。


だが、まだまだ列なして、魔獣たちは結界のなかを、ぞろぞろぞろとルッチーアへすりよってくる。


ルッチーアのクロスボウはまだ再装填中だ。

このぎゅるぎゃるいう歯車ののろまな回転がもどかしい。さっさと戻れ!手でやったほうが早い気さえしてくる。


魔獣たちはルッチーアとの距離をつめた。


いよいよ魔獣の数が増えて、ルッチーアを囲ってくると、魔獣の結界に色がつき形ができた。



床は石畳になり、壁は石柱が並び、そしてむこうには草原がひらけた。草原にはエドレスの都市の城壁があった。


「なんだあ…?」

ルッチーアは警戒する。こういうとき、何が起こるかわからない。


どんな人間の負の感情が、魔獣を生成して、害をもたらすかわからない。


もしかしたら自分自身の負の感情が具現化してくるかもしれない。


なぜならルッチーアのソウルジェムは、いま穢れているのだから。


まあなんにせよ、結界が変化しているのを待つバカな魔法少女はいない。

とっとと魔獣をやっつけるのが一番よい。



ルッチーアは3発目のクロスボウを放った。クロスボウを肩に持つと、発射装置のある台座に目を寄せ、
狙いを定め、放つ。


バスッ!


とんでいった黒い矢が、魔獣の腹を射抜く。魔獣はまた消滅した。が、結界の変化は進んだ。



石畳の通路が空中あらゆるところにくねくねと伸び、迷路をつくった。


その通路の入り組み具合は非現実的で、何もない宙に浮いたり、立体交差したりして、渾沌とした空間を形成する。


通路はまだまだ延びた。通路そのものが面積をまして引き伸ばされるみたいに、ルッチーアの立つ通路も
のびた。


ルッチーアはただそこに立っているだけで伸びる通路に運ばれて、後ろへさがっていった。


どんどん伸びる通路は、左右に伸び、上下に伸び、勝手に通路ができて、迷路が形成された。



随分と広い結界になった。


あらゆる通路に魔獣が現れ、ゆらゆらと歩く。


亡霊の列みたいに。


結界のなかは通路が浮く部分と、何もない空虚の闇にわかれているが、炎が燃えたりもした。


ルッチーアは結界の闇に浮き上がった迷路を見回した。


迷路のあちこちに魔獣が並んで歩いている。


ルッチーアはクロスボウを構え、ひとまず目前の魔獣の列へ矢を放った。


魔法仕掛けの弩から黒い矢が放たれ、魔獣の列に矢が突っ込む。


矢は魔獣の列を貫いた。


一本の矢に魔獣の顔がつぎつぎ打ち抜かれて、列ごと消滅する。


この調子だ。


ルッチーアは迷路を駆け始めた。

トトトトトと素早く迷路を走り、あちこちの浮かぶ通路へ飛び移る。

呆然とした顔で通路をうろつく魔獣たちの列に弩弓を放っていく。

魔獣たちはつぎつぎに姿をけした。


「とぉっ!」

ルッチーアは声あげて、闇に浮かぶ通路から通路へとまた飛び移った。


その身軽さは魔法少女ならではで、距離にして何十メートルとあるだろう空虚を飛び、別の通路へ着地する。


その通路に着地すると、階段をテクテク駆け上り、その先に並ぶ魔獣たちと対面する。


魔獣たちはあーあー声をあげながら、ルッチーアの方向をむく。


ルッチーアは目元にクロスボウの台座を寄せ、狙いを定める。

目を細め、弩の発射台の先に魔獣がいるのを確認する。


すると引き金をひいた。


魔獣たちは魔法の矢をくらって、ばしゃあと煙のように消滅した。

白い霧がぶわっと闇の空間に立ち込めて、姿を消す。胡散霧消。


ところが、魔獣は消えたが、消滅した魔獣の残した瘴気が、空間に飛び散った。


そして霧のような瘴気は、もくもくと闇の空間にひろがって、ルッチーアの視界を覆った。


「うわっ」

ルッチーアが瘴気にあてられて嫌そうな顔をする。


あわてて、飛び退いた。



魔法少女は、魔獣の瘴気にあてられるとソウルジェムが穢れることがある。


しかし一度髪や肩に触れた瘴気は、ねっとりしつこくルッチーアについてきた。


ソウルジェムを汚すつもりだ。


いや、瘴気そのものにはそんな意図はなくて、ソウルジェムの穢れという……負の感情の気配をかんじて、
ねっとりとついてまわってきたのだった。


養分を探りあてた蔓のように。


まとわりついてくる。


一度まとわりつかれたら、振りほどくのは難しい。

瘴気は触れて剥ぎ取れるものじゃない。

「こんのっ」

顔をおおってきた瘴気が視界を包むと、ルッチーアは、ある光景をみた。


景色がかわり、目にそれが映る。


エドレスの都市だった。


「…んん?」

エドレスの都市の、貧民層の家が目に映る。

目をこすってそれを見つめる。


自分の家ではなかった。


木造で、長屋式の、切り妻壁と葺き屋根の家で。


男が泣いている。

「返してくれ!」

男は泣き崩れ、地べたに伏せて、嘆き声をあげている。

「金は返す!だから、娘だけは!」


「残念だかきみに返せるだけの金の目星はたたないようでね」

と、泣き崩れる男を、足元で見下ろしているのは。


都市の高利貸しの男だった。

裕福な服装をまとった高利貸しの男は、借金に借金を重ね首が回らなくなった男を見下ろして告げる。

「貴族の騎士があんたのところの娘と結婚したいってよ。よかったな。貴族との結婚で借金も返せるだろ」


「やめてくれ!」

男はうーうーと泣き、起き上がろうとする。

そこを高利貸しの召使いに取り押さえられる。「娘をかえしてくれ!」


泣き叫ぶ彼の娘は、貴族の騎士に担がれ、攫われていた。

いわば略奪婚だった。


貴族の騎士は市民の娘をかっさらい、馬車にのせ、連れ帰る。


略奪婚は、都市の法律で認められた結婚であり、両者の同意があれば、成立する。


もっとも、同意はほとんど無理やり同意させられるパターンが多いのだが…。

高利貸しと、貴族の騎士は、ぐるで、娘を略奪して攫うために、手を打っていた。



男は召使いたちに取り押さえられて、なすすべもなく泣く。

連れ去られた娘が担がれて、無理やり馬車にのせられ、貴族の家へ連れ去られるを見送ることしかできない。


「…」

ルッチーアは目を凝らして瘴気の景色をみつめた。

瘴気はすると、景色をかえた。同じエドレスの都市だったが、昔の景色になった。


もっと川が汚れていた昔。

悪臭がひどく、川に溺れた猫や犬は死ぬ始末だった。


ヘドロまみれで、糞尿、ゴミ、廃棄物、腐った肉とワイン、動物の内臓、殺した家畜の血と肉、骨。
すべてここに捨てられた。



悪臭はひどく、川の近くに住む貧民層は病にすら犯された。

でも、貧民層であるルッチーアの家族は、場所を移して暮らすことができなかった。


幼少時代のルッチーアには、同じ境遇の少女の友達が何人かいた。

イーザベレット、オーヴィエット、マンジェットという三人の女友達。

三人とも、身体に赤い斑点が、ぶつぶつとできていた。


汚染された川に住まう、同じ貧民層の少女たちだからだった。


三人は病気に侵されて、都市の療院へ通った。

でも、川の汚染という肝心な問題を解決しないかぎり、療院に通ったところで、病状は悪くなっていく
ばかりだった。


身体にできるぶつぶつの赤い斑点は数を増して、大きくなってきた。


それでもルッチーアと少女たちは、仲がよかった。


世間を知るまでの束の間の少女時代を、夢のなかに過ごした。


ルッチーアと少女たちは、都市のなかでよく遊びをした。


四人で環をつくってくるくる回って、歌を歌いながら、少女同士で手をつなぐ遊び。


「薔薇の花環をつくろうよ────」


少女達は、頭に、都市の外で積んできた花を、頭に飾って、環をつくる。


「ポケットには花びらいっぱい───」


少女達は、都市の外にでかけて、花を摘むのが大好きだった。ルッチーアもそうだった。
スミレの花、たんぽぽの花、ラベンダーの花、ローズマリーの花など、たくさん摘んで、髪に飾った。

ポニーテールにして結ぶ紐に花を添えつけることもあった。


花を髪に飾ること、首に飾ることが、この時代の少女達の流行の遊びだった。



「ハクション!ハクション!」


少女達は自分好みに髪を飾って、そして手をつないで環をつくって、歌を歌う。

歌にあわせて、身体を動かしたりする。



「みんな倒れちゃった。」


といい終えるのと同時に、みんないっせいにすっころぶ。


ただそれだけの遊びなのに、みんな同時に倒れこむ、意味もなく地面にハデにころぶところが、
なんとも面白おかしくて、少女たちはそれだけで笑いころげた。


転ぶ瞬間の一致団結っぷり、みんなタイミングあわせていっせいに転げ落ちるところがなんともいえず
面白くて、ばからしくて、少女達はけたけた笑った。


それだけの遊びだったけれども、少女達は、仲がよかった。


日に日に、身体の赤い斑点が増して、やがて訪れる死をどこか心に感じながら。


この遊びに夢中になっていた。



やがて、ルッチーアの身体にも、赤い斑点が現れた。

ぶつぶつとするそれは、最初は、痛くもかゆくもなかった。


けれども身体からは消えず、数は増し続けた。

やがて体調不良をもよおした。


咳と、くしゃみが頻繁にでて、胸は苦しく、たまに咳から血がでた。



「わたしたちは、川の汚染のせいで、しぬんだ────」

ルッチーアと、仲のいい少女たち三人は、みんな、同じことを、考えはじめていた。


ハクション、ハクション───。

みんな倒れちゃった……。


遊びでしていたそれが、現実になろうとしていた。



絶望しかけていたころ、ルッチーアたち4人の少女は、そうした自分の絶望につかまった。

ようするに、魔獣につかまった。


そして少女たちは、どうせ死ぬのだから、ここで魔獣にくわれて死んでしまおうと思っていた。

またそういう気の弱った人間を狙うのが魔獣だった。



ルッチーアも同じ気持ちだった。



少女たち四人で身を寄せ合って、死を待っていると、声がした。


「生きる希望を見失わないで───」


少女たち四人がみあげたら、そこに、別の少女が一人、魔獣の前に立ち塞がって、そこにいた。


少女は、へんてこりんな格好をしていた。


ぶわぶわしたスカートの黒いドレスを纏っていた。それが、貴族女性の着るガウンというドレスであることは、
貧民層の少女たちにもわかったけれども、現実のなかのガウンよりも、それは妙な服装だった。



綿なのか羽毛なのかわからないけれども、とにかくスカート部分がぶわぶわで、膨らんでいる。
そこからスラリと伸びるストッキングの足。



腰には白いサッシュリボンを蒔いて、黒との基調をコントストする。



ルッチーアたちは、突然あらわれた少女のガウンのスカート丈が、なぜこうもぶわぶわしているのか知った。

ガウンの下には、ふわふわのパニエやらドロワーズやらを、着込んでいるからだった。



黒いガウンのドレスはビロードで、高級素材だった。


手には、柄のついたスコップ。質素なスコップで、貴族の服装を纏う黒いガウンドレスに不釣り合いだった。
そこもまた少女の奇妙さを演出していた。

貴族女性が泥臭いスコップなんか手にするだろうか?


黒いガウンの少女は、スコップを手に握り、きっと魔獣を睨みつける。


かと思うと、はあっと声あげて、魔獣のほうへ駆け出した。

走って魔獣に近づいてゆき、突然、飛び上がった。


飛び上がると、スコップをふりあげ、両手で魔獣の頭にゴーンとたたきつける。

ぴょーんと空を舞い、上空から魔獣の頭をスコップで殴るのだった。




魔獣は消え去った。


ルッチーアたちは、ただ呆然と、身軽な少女が魔獣を倒していくのを見つめていた。


わかったのは、魔獣が倒されたということと、少女が、とてつもなく身軽であることだけだった。




少女はすたっと着地した。

身長くらい大きなスコップは、まだ左手に握られている。シャベルの部分を下にして、地面に突き立てている。


少女はこちらに振り返った。


黒いガウン、ぶわぶわしたスカート、黒いストッキングの足。手にはスコップという、へんてこりんな少女は
こちらをむいて微笑む。


「生きる希望をなくしてはだめ───」


少女はスコップを捨てた。ガラーンという音たててスコップが倒れた。


「奇跡も、魔法も、あるんだから───」


素敵な衣装の少女は、希望そのものな微笑を、照れくさそうに赤くした。



「あ、あなたは…?」

オーヴィエットが最初に口にした。


     
「彼女は、”魔法少女”」

すると、きいたこともない声がそれに答えた。


ルッチーアたち含めた四人の少女が、声のしたほうを振り向く。

そこに、白い獣がいた。


白い尻尾をぴょこんとあげて、赤い目であの身軽な少女のほうを見つめている。


「”魔獣を狩る者”たち。」


白い獣は、そう説明を付け加えた。


「いきなり全部説明されちゃったね……」

身軽な少女は、気恥ずかしそうに顔を赤らめたまま、ルッチーアたちのところへきた。


「わたしは、オルレアン」

少女は、名乗った。「カベナンテルと契約した……」

白い獣が、ガウン姿の少女の身体へ駆け上る。その胸元で優しく抱かれた。

「”魔法少女”よ」



「魔法少女…」

オーヴィエットはぼそっと、その言葉を呟いた。

唖然としたまま。


「ほんとうにいたんだ…」

マンジェットも驚いたまま、そっと口にする。


ルッチーアは言葉も失って、ただ”魔法少女だ”と名乗った少女をみあげていた。

体中を不思議な感動が駆け巡っていた。


世の中には魔獣がいて、それを倒す魔法少女がいるんだ、って、よく都市の人々は噂していた。


それは、本当だった。


でも、噂が本当だから感動しているのでなかった。

少女の軽やかなな動きと、その魔獣を倒す姿が目に焼きついてはなれない。


ぴょんと飛び立った姿、スコップを振り落とす華麗な姿、身振り…。


戦って動くたび、舞うようにひらめく素敵な衣装。

そして私たちを襲う魔獣をやっつけて。


奇跡も魔法もあるんだから、なんていってくれる少女。


信じられない気持ちで、胸がどきどきするくらいの気持ちを、全身にめぐらせていた。

それは、強烈な憧れという気持ちだった。



魔獣の結界は消え、都市の景観にもどった。

汚染された川。貧民層のごみごみした街並み。


切り妻壁が続く、木骨造の、長屋式の家々の街路。



そこにきれいな衣装の少女が立っていた。

魔法少女が。


結界が消えても、変身姿は健在だった。くるくるしたヴェールがかった黒い髪、黒い瞳。でも髪はぼさぼさ
していて、埃もかぶっている。


オルレアンと名乗った魔法少女は、そのきらびやかな衣装に身を包まれて素敵にみえたけれども、その顔立ちは、
整っているとは言い難かった。


顔の肌は荒れていた。

足とか手は、ざらついている。


でも、ルッチーアたちのように、赤い斑点はできていなかった。


「わたし……変身している衣装がすきなんだけどね、」

魔法少女は、気恥ずかしそうに語ったあと、もじもじして、変身を解いた。

「さすがになんていうか……魔獣と戦っていないときも変身しているって、恥ずかしいよね」

ぱああっと光が身体から発散して、すると、服が変わった。



その服は、みすぼらしかった。

質素なフードつきローブの服は、まるで農民の服だ。つぎはぎもあって、長年着古しているのがわかる。
ファスティアン織りという、農民が着る織物だった。

貴族衣装に包まれて、華やかにみえた魔法少女は、変身を解くと、いかに貧相な、小さな少女だった。



少女は、魔法少女だったときの自信たっぷな様子が、魔法の衣装の消滅とともに無くなって、いまや
おどおどする自信のない少女になっていた。


どうやら、魔法の衣装をまとっていると、自信がでてくるけれども、魔法の衣装から変身を解くと、
自信をなくしてしまうようだ。そういう気性の少女だった。


「ねえ…助けないほうが…よかった?」

自信をなくした少女は、悲しげな声で、きょどきょど、そんなことをたずねてくる。

フードはかぶってなくて、顔をだしているから、その不安いっぱいな顔つきは一目瞭然だった。


だが、ルッチーアたちはそんな質問などまったくお構いなしで、魔法少女という存在に喜びいっぱいで飛びついた。


「すごーい!」

と、質問にも答えることを忘れて、まずマンジェットが、つぎにオーヴィエット、つづいてイーザベレットが、
オルレアンを囲んで飛びつき、目を輝かせ、質問攻めをはじめた。

「ねえ、いまのなに?どうやって変身したの?」

「さっきのすごーい!どうしてあんな飛べたの?」

「さっきの服すっごくかわいい!ねえ、またさっきの服みせてよ!」

と、少女たちは、噂にしか知らなかった魔法少女の本物が目の前に現れるや、目に興味を燃やしてオルレアンを
囲んだ。


「ええ……ええっとお…」

オルレアンは、予想もしない反応にたじろいている。しかし、オルレアンがたじろいて一歩思わず退くと、
少女たち三人は、ぬっと前にでてオルレアンにさらに迫った。


「ねえ、ねえ!」

オーヴィエットの瞳が輝いている。「どうやって魔法少女になったの?また変身してみせてよ!」

「魔獣を倒すとこ、かっこよかった!」

「ねえねえ、なんで武器がスコップなの?騎士みたいに、剣は使わないの?」


「お……おろ」

オルレアンはすっかり参って、どの質問にも答えられないでいる。

「ま……まず…」口がうまく動かない。

「まず???」

少女三人が、問い詰めてくる。

「まず…」

魔法少女は、こまった顔して目を逸らし、それから、答えた。「場所を変えよっか…」



ルッチーアは、ただ呆然と、じっと魔法少女に視線を注いでいた。

その一門一句の言動と、身振りすべてに、目を奪われて見つめていた。



場所を移した少女たちは、都市の路地を歩いて、人通りの少ない街路へきた。


時間はすっかり夕暮れをすぎた夜だった。


人気のないレンガ造りのアーチの通路を過ぎる。鉄柵をキイとあけ、通り過ぎたら、閉める。


街路のなかで、魔法少女は、説明をはじめた。

「ええっと……どっから話し始めたらいいのかな…変身からかな?」

ローブ姿の少女は、語る。

「変身は、ソウルジェムの力を解き放つこと。そうして魔法の力を、全身に帯びて、魔獣と闘えるようになるの」


「ソウルジェム?」

マンジェットがたずねた。


するとオルレアンは、自らのソウルジェムを、そっと手にとりだした。

卵型をした宝石は、綺麗な黒色。

穢れているのではなく、もともと、黒い色で、透き通るような黒色をした美しい宝石だった。


キラキラと、固くて、透き通っていて、光を放つそれは、”命の灯”だった。


「わああ……」

オーヴィエットが、たまらず声を漏らす。「きれい……」


「これがソウルジェム」

オルレアンは説明する。「魔力の根源で、魔法少女であることの証…」


それから三人の少女はさまざまな話をきいた。

願いと引き換えにソウルジェムを授かること、魔獣との戦いは命がけであること、そして最後には円環の理に
導かれて消滅すること。


「噂にはきいてたけど…」

イーザベレットが、感極まった様子で、言葉を漏らす。「全部本当だったんだ…」


この時代では、魔法少女も魔獣も、その存在の認知はある程度以上はある。

だから、人間たちの間でも、その存在がよく囁かれる。でも、本物の魔法少女から、そうした話を、直に
きくことは、貧民層の少女たちにはたまらない刺激であった。


「魔法少女に興味ある?」

と、そんなことを、オルレアンは訊いてきた。

ルッチーアと少女たちは最初、顔を見合わせたが、やがて、うん、と答えた。

「じゃあ」

オルレアンは微笑んだ。「魔獣退治一緒に、してみる?」


それは、魔獣退治体験コースだった。

オルレアンについてまわって、ルッチーアたちは、一緒に魔獣を探し、結果に入り、そして魔獣を倒した。

武器はいつもスコップだった。


少女達はオルレアンが変身するたび、喜びの声をあげた。質素なフードつきローブが、ビロードのガウンの
貴族衣装に変わる。きらきらな変身。

光とともに。


それは、少女達の思い描く夢の具現だった。


そして、スコップを手にして、世の悪い魔獣をやっつけるその華やかな戦う姿は、ヒーローだった。


少女達は、魔獣体験コースを大いに楽しんだ。


最初は、スコップが武器なのが変に思っていたが、そのスコップで魔獣の頭をぶっ叩き、やっつけていく
姿をみているうち、その違和感も少なくなっていった。


少女たちと、オルレアンは、友達になった。


魔法少女と人間という違いはあったけれども、間違いなく、友達だった。



「ねえ、どうして、武器はスコップなの?」

ある日ルッチーアが、はじめて、オルレアンにたずねた。

人間同士の会話ならともかく、初めて魔法少女に話しかけるとき、とても緊張がした。


「私はね、」

すると、オルレアンは答えた。「家が、掃除屋なの。」


「掃除…屋?」

そんな商売をするギルドはないはずだった。「なに?それ」


オルレアンは悲しい顔をした。魔法の衣装になってないので、みすぼらしい、自信なき少女の顔だった。

「私の家は、この都市にはないの。」

少女は話す。

「ううん、帰る家が無いの。」


「えっ…」

赤い斑点が顔じゅうにできたルッチーアは、驚いた声をだす。それから、罪悪感を感じた顔になった。

「ごめん…」



「ううん。いいの」

魔法少女は小さく首を横にふる。「私のパパもママも、そして私も、いろんな人の家をたずねて、掃除をするの。
たとえば忙しくて掃除に手がつかない人。しばらく家をお留守にする人。それから…」

オルレアンは話をつづける。


掃除屋は、家を持たず、都市から都市へ転々とめぐって、他人の家を掃除し賃金を受け取る。


だから、ギルドにも加盟しない。


その収入はまさに貧困のなかの貧困だった。


ときには、掃除した家の馬小屋に泊めてもらうこともあった。藁を積んだ倉の床で眠ることも。


まず掃除するために家にあげてもらわないといけないから、収入が安定しない。

ほとんど、追い返される。


しかも、掃除屋の仕事は、実は、糞尿の処理が主な仕事だ。


家にたまった糞尿、牛小屋の糞、家畜の糞……。

農村なら、肥料に使うが、都市では、使いようのない汚物だ。


こうしたものの処理が、掃除屋の主な仕事だった。

だから掃除屋は、都市を転々としてこうしたものの処理の仕事にあたる。


賃金は低く、この時代における、もっとも不名誉な仕事であった。


ときには城にも雇われた。


城には、いわゆる腰掛式ぼっとん便所があって、穴には、多量の糞尿がたまっている。

それを処理するのも掃除屋の仕事だ。


使う道具は、スコップ。

スコップで、多量な人々の落とした糞尿をとりだし、便所をきれいにする。


「だから…」

と、オルレアンは、語った。「私は、ふだんからスコップが使い慣れているから……」


ルッチーアたち四人の少女は、互いに戸惑ったように目を見合わせた。

貴族女性のような衣装を身に纏う、華やかで美しくて、かっこいい魔法少女が。


普段は糞尿を処理する掃除屋の家系だったなんて。



「あはは…」

少女達の戸惑った反応をみて、オルレアンは小さく笑う。「幻滅…されちゃったかな。そうだよね。汚いって
思うよね」



少女達は、慌てて、つくろった。「ご、ごめん……でも、そんなんじゃなくって……」


「また、魔獣退治にも一緒にいきたいもん!ねえ!」

少女たちは、うんうんと頷きあう。


「…ありがと」

オルレアンは微笑んだ。でも、心のなかでもう、嫌われた気がしていた。



どこへいっても、汚い目でみられて、嫌われる。

それが掃除屋の宿命というものだった。




それから後日になると、やっぱり、少女たちとオルレアンが一緒に魔獣退治にいく回数は減った。

一人で魔獣退治することも多かった。


少女達はすっかり、オルレアンになつかなくなった。



「結局……一人ぼっちになってしまうのね…」

なんて寂しい思いで呟いていた。


ところが、そうではなかった。


あの四人組の少女のうち、ただ一人、ルッチーアだけが、またオルレアンの前に現れた。

「ねえ、また、魔獣退治に、連れて行って」

ルッチーアはそうお願いした。


オルレアンは、嬉しそうに、うんと頷いた。


そしてオルレアンとルッチーアの二人は、エドレスの都市のあらゆるところを、歩き回った。

仲良し同士みたいに手を繋いで。


パン屋街、広場、噴水、修道院、ギルド街、貴族の街路…ふだんの生活では、まずいかないようなところまで、
すみずみに歩き回って、一緒になって魔獣を探した。


ルッチーアは、オルレアンの背中について回りながら、住んでいた都市のいったこともないような場所に
足を運んで、初めて知った道もあった。


自分の住んでいる都市に、こんなところもあったなんて、という新鮮な驚きも感じながら、魔獣退治に
ついてまわった。


ギルド街なんて路地は、貧民層のルッチーアには、縁がなく、近づいたこともない街路だった。


魔獣をみつければ、オルレアンは変身して、退治した。

その後姿を、ルッチーアは、憧れの眼差しで見つめた。


魔獣退治がおわって、二人は、都市広場にもどった。


噴水がそこで水を噴き上げてきた。夜中、しずかに水を噴き上げるその囲いに腰をかけて、二人は、話をした。

夜空をみあげながら。


「ねえ、魔法少女はさ、願い事が、”なんでもひとつ叶えられる”って…」

ルッチーアは、オルレアンにたずねる。

「どんなお願いごとをしたの?」


ずっと感じていた疑問を、オルレアンにぶつけてみる。



オルレアンは、噴水の囲いに腰をかけ、夜空の星をみあげつつ、答えた。

「素敵な衣装を着たいって…」

その声がどこか夢見る乙女のように、響く。

「貴族のように、ガウンを着たいって、願ったの…」


その契約で魔法少女になり、魔法の衣装が、ガウンになることで、その願いは叶ったわけだ。

だから、オルレアンは、魔法の衣装に変身するとき、とても楽しそうで、生き生きとするのだった。

「あんな」

オルレアンは楽しそうに、目を閉じて語る。夢みているように。それはまさに、希望の魔法少女の姿だった。

「貴族のきれいな衣服を着ることが、掃除屋に生まれた私の、夢だったから…」



「でも…」

ルッチーアは、腑に落ちないことがあった。

「お金持ちになればよかったのに……」

そんな疑問を、口にする。

「なんでも願い事がかなうなら、私ならそう願うよ。わたし、貧乏だもん」


といったルッチーアは、すぐ気まずい気持ちになった。

ルッチーアも葺き屋根職人の、貧民層の生まれの少女だったが、隣にいる魔法少女は、帰る家すらない、
もっと極貧の少女だったから。


「…そうよね」

オルレアンは、口を開く。「なんでも願いごとがかなうっていわれたら、一度は考えるよね」


「だったら…!」

ルッチーアはもうとまらなくなった。「お金持ちになりたいって願えばよかったじゃんさ……!そうすれば…」

言うことが気まずいけれど、ルッチーアの気持ちは、もう抑えられない。

当然感じている疑問を、魔法少女にぶつける。

「今も掃除屋なんてしてないで、もっとお金持ちになって、貴族になれたかもしれないじゃん……!
なんでそうしなかったのさ……!そしたらもう糞の処理なんか……!」


オルレアンの顔が暗くなっていく。

ルッチーアは、気まずい気持ちを噛み締めながら、魔法少女をみつめた。



「……ルッチーアちゃん」

するとオルレアンが彼女の名を呼んだ。初めて名前を呼ばれた気がした。

魔法少女は、すると、不思議なことを語り始めた。

「希望をかなえればその分だけ、絶望が撒き散らされるの」

「絶望?」

10歳の少女には、少し難しい言葉だ。

「そう……絶望」

魔法少女は、言った。その顔つきは真剣だった。

「私がお金持ちになりたいって願えば……私にはお金が巡ってくるのかもしれない…。でもそしたら、
きっとそのぶんだけ、お金を失う人がでるわ」


「……?」

ルッチーアには、話がよく分からない。


「私が、お金持ちになりたいって気持ちで契約したら、きっと貴族の誰かが宝石を落として、それを私が
たまたま拾ったり、旅先で騎士の人が戦いで倒れて、そこにら私がたまたま通りかかって、その備品を拾って、
質屋で高く値がつくとか、そんなことが起こって、私もお金持ちになれると思うの。でも私がお金持ちに
なったぶんだけ、金を失う人がでてしまうの。奇跡なんて、そんなものよ。」


ルッチーアは難しい顔をして眉を寄せている。


「わたしは掃除屋だけど、そんなふうにして、お金持ちにはなりたくなかったから……」

魔法少女は、悲しい顔しつつ、話した。

「誰かを絶望させてまで、自分がお金持ちになりたくはなかったから……私は、私の夢を祈った。
そして魂をつかったわ」

大切そうに、ソウルジェムを胸元で両手に包み込む。目を閉じる。

「歪んだ希望はどこかに最悪をもたらしてしまう……だから私は、その最悪と戦える祈りを選んだの」


ルッチーアは、納得いかない顔をしている。

そのルッチーアの頭を、魔法少女は、優しく撫でた。

「今の私は、自分の祈りに誇りを感じているわ。だから戦えるの。自分の祈りがもたらした最悪と戦えるの。
だからルッチーアちゃんも、もし魔法少女になれるチャンスがきたら、祈りは、よく考えたほうがいいよ?」


「……なんだか、よくわからなんよ」

ルッチーアは、素直に自分の気持ちをいった。

10歳の少女には、分かりかねる話だった。いや、それどころか、そもそも人間には、分かりかねる話であった。


「ごめんね」

オレレアンはふっと優しく笑って、ルッチーアの頭にまた撫でた。

「ごめんね……こんな話しちゃって。また魔獣退治のとき、一緒にきてくれる?」


「…うん」

ルッチーアは、頭撫でられながら、小さく笑って頷いた。



ある日、奇跡が起きた。

ルッチーアとオルレアンがそれからも3日間くらい、一緒に魔獣退治をしてからのことだった。


少女達の病気は、いよいよ深刻になった。

ルッチーアの友達では、イーザベレットがまず倒れた。

ベッドに寝たきりで、咳には血が滲み、喉を食べ物が通らなくなった。


マンジェットとオーヴィエットは二人で話し合った。

「きっと、わたしたちも、ああなってしまうわ。」

二人とも、生きる希望を失っていた。

ルッチーアも、顔にぶつぶつは消えないで、食欲もなくなってきていた。

呼吸するたびに胸が痛くなり、咳をすれば激痛がはしった。



まさに絶望に染め上げられていた。

川の汚染はとどまることをしらず、都市じゅうの家畜の糞や動物の死骸が、処理もされずに投げ捨てられ続けた。


生き残ったルッチーアとマンジェットとオーヴィエットの三人で、自殺を目論んだ。


少女達三人はその手を繋ぎ、川へ飛び込もうとした。

手を繋ぐ少女同士の腕は赤い発疹だらけで、がさがさで、病魔に侵されている。


この川は、飛び込むだけで、死人がでるほど、汚染された川だった。


「手をつないでバラの花環をつくろうよ───」

「ポケットには花びらがいっぱい───」


少女達は、最期に、一緒に歌う。


「ハクション、ハクション────」

「みんな倒れちゃった。」


三人一緒に飛び込もうと、身体を傾けたとき────。



「待って!!」


声がひきとめた。


少女達三人が振り返った。


そこには…。



「…あっ…」


”魔法少女”がいた。


「オルレアンさん…」

ルッチーアが、小さく呟く。



オルレアンは、変身姿になって、そこに立っていた。

スコップを手に持っている。その衣装は、貴族のガウンで、スカートがぶわぶわ。ドロワーズをはいて、
タイツの足。


「生きる希望をなくしてはだめ───」


魔法少女は、死の川へ飛び込もうとする少女たちを、呼び止める。


「でも……」

顔じゅう赤い斑点だらけの、マンジェットが、乾いた声で言う。気力の抜けた声だった。

「生きる希望なんて、もう持てないもん。イーザベレットちゃんもあんなになっちゃって……次は私たちの
番だよ……」

「そうだよ……」

オーヴィエットも言った。「病気、なおらないもん川もひどくなるばかりだし……生きられないよ」


ルッチーアも悲しい顔をして、オルレアンから目を背ける。


「この病気は治らない……奇跡か、魔法でも、ないかぎり……」


絶望していく三人の少女。


「ある!」

しかし、オルレアンという魔法少女だけが。

そのとき、希望を振りまいた。


「奇跡も、魔法も、あるんだよ!」



奇跡は、本当に起こった。


魔法少女は、ルッチーアたち三人の少女たちの自殺を思いとどまらせ、こう、告げるのだ。


「あなたたちの病気は、私が、治してみせるわ。川も、きれいにしてみせる。」


少女達は疑っていた。


魔法少女が実在することは分かったし、魔獣をやっつける正義の存在だということもわかった。

でも現実の川の汚染と病気は別だ。


しかし少女たちは、オルレアンに連れられて、都市の修道院の前へつれられた。


修道院の裏の、水道施設のところに連れられて、そこに、三人並んで立たされた。


少女たちは、都市にこんなきれいな美しい水道施設かあるとは知らなかった。

それもそうだろう。魔法少女にしか基本的には、立ち入りの許されない空間だ。


川とは別の水源から引水して敷かれた水道施設の水は美しく、透き通って、綺麗だった。

静かに水道を流れる水の音は涼んでいた。


「成功した試はないの」

オルレアンは、少女達の前で語った。

「でも、奇跡を起こしてみせる」


まず少女たちは、オルレアンによって、水道施設の涼んだ水を飲まされた。

両手にすくって、都市の川とはちがって透明な色をしたその冷たい水を、ごくっと喉に通して飲んだ。


するとつぎに、オルレアンは、両手に含めた塩水を、ぱっぱと少女たちにふりかけた。


聖水と過去に呼ばれていたそれは、魔法少女が修道院での清めに使う水だ。



とにかく少女たちは、その塩水を、ぱっぱと顔や肩にふりかけられた。


そのあとオルレアンは、怪しげな薬草や薬品やらの、調合をはじめた。


少女達が見たことも聞いたことも名前も知らない薬草や薬品が、たくさん地面に並べ立てられた。

これは、魔法少女専用の建物であるゴシック様式の修道院の薬品貯蔵室から、オルレアンが取り出してきた
ものであった。

こうした薬品の調合方法や、種類は、魔法少女のあいだで共有される知識で、人間には秘密にされている。


薬品は、ヒヨス、ベラドンナ、チョウセンアサガオ、油性で脂肪質の物質を含む有毒のナス科の
植物の液体からつくる。

そのほか、パセリやそらまめなどの薬草も含める。


こうしたものをぐりぐりとすり鉢で混ぜ合わせて、調合する。

さてこれは、なんに使うのかというと、これをつかって、”魔法”を実行する。



過去の時代では、魔法の実行そのものが、犯罪にされて罰せられたこともあったが、オルレアンは、
魔法少女としてこの時代を生き、調合した薬剤をつかって、その魔法を、実行する。


魔法の実行は、魔法を知らない人間からみると、へんてこりんな行為そのものだ。


オルレアンは、調合した魔法の薬剤を、三人の少女たちの前に、円を描くように床に浸す。


きれいな円だ。


円環。


するとつぎに、両膝をつき、目を閉じて、なにかを祈るような言葉を口にした。円環を描いて浸した薬剤の
印にむかって呪文を唱える。


そのあと、薬剤に蝋燭で火をつけた。


火は、すぐ燃え広がった。

油性で脂肪質の薬草だから、ぶわっと火は青く燃えた。薬草からでてくる青い火からのちのぼる
煙が、少女たちの肌にふれた。


鼻にはいってきたりもした。


なにか強烈な薬草も燃える香りを鼻に嗅いだルッチーアたちは、けほけほとむせた。




これでおしまいだった。

オルレアンの覚えたたての薬草を使った魔法は、これでおしまい。


しかしそれが、奇跡のはじまりだった。



へんてこりんで、無意味に思えたこの行為の後日。

少女達の赤い班点が減っていった。


希望を振りまく魔法少女が、もたらした奇跡と魔法、そうとしかいいようがない。


奇跡も、魔法も、あるんだよ───。


少女達は、その言葉を、信じた。


信じると、胸に希望が宿って、ますます、病気は治っていった。


ルッチーアはますますオルレアンになついた。姉にくっついて回る妹みたいになった。

奇跡も、魔法も、あるんだ。


心からそう信じて、オルレアンの魔獣退治についてまわった。そして、魔法少女という、人々を絶望から救い、
希望をもたらしてくれる存在への憧れを、ますます強めた。



病気がすっかり治ってきたころ、ルッチーアは、不思議なことをオルレアンから聞いた。


「こんど、”ヴァルプルギスの夜”に参加することになったんだ。」


そんなことを話された。


ルッチーアは、まったく知らない単語を初めて聞かされて、思わず聞き返した。「ヴァルプルギスの夜?」


「うん」

オルレアンは楽しそうに、話してくれる。

「夜に集う、魔法少女の催し物なの。こんど、エドレスの隣国、サルファロンの森で、ひらかれるみたい。」


「魔法少女の集い?なにするのさ?」

ルッチーアは不安そうにたずねる。

ヴァルプルギスの夜という、言葉の響きは、どこか邪悪で恐ろしいものに感じられた。


「夜に魔法少女がたくさん集まって───」

オルレアは夢見心地に目を閉じて語る。

「魔法のお勉強をするの。治療魔法と予防魔法───」


それは、ルッチーアたちの病を治した治療魔法のひとつだった。オルレアンは、薬剤を燃やすことによる病の
治療を、その集会で学んだとのことだった。


「魔力を高めあう集会なの」



「…」

ルッチーアは、ついこのあいだ、自分の病気が治ったことを思いだす。

人々の病気を、治してくれる魔法少女たち。


その治療魔法は、ヴァルプルギスの夜という魔法少女の集会で、学ばれているらしい。



実際には、勉強会というより、怪しげな、儀式めいたものだった。

だから、夜にそれはおこなわれる。昼にできる儀式ではない。


「お別れだね、ルッチーアちゃん」

オルレアンは、とつぜん、そんなことを告げるのだった。

「……えっ?」

それは、あまりに突然で。

一瞬、何をいわれたのか分からないルッチーアは、呆然と魔法少女をみあげる。


すると魔法少女は、寂しそうに微笑んだ。

「わたしは、この都市をでるわ。」

魔法少女は告げる。


「そ、そんな…」

ルッチーアは、病気を治してくれた恩人をみあげる。目にうっすら涙をためて。


「わたしは、こんど、エドワード城に雇われることになったの。」

魔法少女は、優しく微笑みながら、ルッチーアの頭を撫でた。

「エドワード城の城下町に、住むわ。」


もちろん雇われる、とは、掃除屋として雇われた、ということだろう。

それがどうしてかルッチーアをいらつかせる。


「いくことないよ!」

ルッチーアは声を荒げる。

「ねえ、他に仕事だっていっぱいあるじゃんさあ。私たちの病気を治してくれたんだ。もっとそうやって、
この都市の人々を助けてやってよ!川の汚染で、みんな苦しんでる。オルレアンさんみたいな、魔法少女が
いたら、きっとみんなは喜ぶよ……」


魔法少女は、小さく首を横にふる。

「わたしは、エドワード城にいくことを、心に決めたの。」


「どうしてさ…」

ルッチーアは、悔し涙を目に溜めることしかできない。

魔法少女と一緒に、魔獣退治して、都市をよくしていく。そんな日常が、危険だけどどこか楽しい日々が、
つづくと思っていたのに。



エドワード城は、このエドレスの都市のもっと50マイル南にある、裂け谷ともよばれるエドレス国の首都だ。


もちろんエドワード城というくらいだから、エドワードという名の国王がいる。

その王家は、たまーに、都市で開催される馬上槍試合にひょっこり顔をだすこともある。



世界は、西世界の大陸と、東世界の大陸がある。


ルッチーアたちの住む大陸は、西世界の大陸。そのなかでもエドレスという国は、強大な国の一つだ。

その国を治めるエドワード王の権威は、西世界の大陸だったら、最も強い。


いっぽう、東世界の大陸は、聖地エレム国と、そのライバルのサラド国がある。そっちの情勢にルッチーアは
詳しくないが、魔法少女にとっての聖地があることだけは知っている。



「わたしは、エドワード王にお会いするわ。」

と、オルレアンは話した。「どうしても、王に、話さなくちゃいけないことがあるから。」


「なにをさ?」

ルッチーアは訊いた。

自分のそばから、魔法少女をとっていく、王に嫉妬を感じながら。


「川を……」

オルレアンは、小さな声で語る。ぼそっと、口を開き、彼女は告げる。「川を……きれいにするために」



それは、魔法少女としての言葉、というより、掃除屋という貧民に生まれた少女の言葉だった。



ルッチーアとオルレアンは別れた。

それから、会えていない。


でも、数年後に、エドレスの都市で、大規模な川の洗浄作業がはじまった。

エドワード王からの命令だった。


都市じゅうの廃棄物を捨てた川の汚染と、都市じゅうの人間が戦った。

川は昔の綺麗な姿をとりもどした。

それはたゆまぬ努力の賜物だった。


そしてルッチーアは知っていた。


それが、オルレアンという魔法少女のもたらした奇跡なんだ、ということを…。


だって、奇跡も魔法も、あるんだから。


掃除屋という、糞尿という現実と真っ向から戦い続けた彼女だからこそ。

誰の手にも負えない川の汚染に対して、真っ向に向き合って、王に意見を通すことができたのだ。



ルッチーア、イーザベレット、マンジェット、オーヴィエットの四人は、生きながらえた。


絶望しかけて、自殺を図ったときに。

魔法少女によって、少女達は、希望を振りまかれた。都市の川も、その魔法によって、美しさを取り戻して。

エドレスの都市は救われた。



ルッチーアは、心から、魔法少女という存在の希望に煌いた姿に、憧れつづけて───。

夢をみつづけた。


貧乏な葺き屋根職人の家系として育ち、ある日。


あの獣が、ルッチーアの前に現れた。


「ルッチーアにはその素質がある」

白い獣は、人間の言語を喋った。

「きみの胸に秘めたる希望を、いまきみの身に纏えよう」


そのときのルッチーアは、14歳。

ただ、まじまじと、4年ぶりに再会した白い獣を、見つめている。



希望に満ちた煌びやかな黒い瞳で。


「その魂を円環の理への代価にして───」

白い獣はルッチーアに誘いかけてくる。

「覆ることのない奇跡に約束を?」



ルッチーアは二つ返事だった。

魔法少女に契約した。


その願いは、お金持ちになること。


ルチーアの家系は貧しい屋根葺き職人。

それも、女子のギルドへの加入は認められていない職種。


そんな職種の家系に生まれたルッチーアが、お金持ちになろうとしたら、奇跡か魔法に頼るしかない。


奇跡も、魔法も、あるんだから。


私はきっと、あのオルレアンのように、魔法少女になって、都市を救い、こまった人に希望を振りまく
魔法少女になるんだ。


魔法少女は、人々にとってヒーローで、希望そのもので、絶望と戦う存在だ。


それを、身をもってたわしは知っている。


そんな私だから、憧れていた魔法少女になれたんだ。私は選ばれたんだ。



ルッチーアが魔法少女になったときの意気込みと、希望にみちみちた気持ちは、計り知れないほど、幸せだった。



生まれて初めての変身は、どきどきだった。


いつもオルレアンについてまわって見てきた変身。

いつもはオルレアンの変身を横でみているだけだった。

それを自分が体験するときがきたのだ。



魔獣の結界をみつけ、どきどきの気持ちを堪えつつ、冷静に変身した。


そのときの高揚感と心地よさは、なんともいいがたい。

自身の衣装が変わっていく……自分の衣装が、憧れの衣装へと変わっていく感触は、
風に乗ったかのような気持ちよさだ。


ぴかぴかっとした光が身体を包み、すべっていくその感覚は暖かくて、くすぐったくて、酔いしれる。


魔法少女になって、本当によかった、と思った。


しかし。

だんだん、人の俗にみまれた都市に希望をふりまくことが、どんなに大変で、難しいことなのか、
わかりはじめた。

魔法少女になって一年目のことだった。


そして、都市の人間のだれもが、魔法少女のことをヒーローみたいに思っている自分が、思い違いをしていた
現実も知っていった。


最初は、本当に、ヒーローになれると思っていたし、そのつもりだった。


魔法少女になったその日、女友達に、さっそく自分のことを告げた。



イーザベレット、マンジェット、オーヴィエットの三人は。ルッチーアが魔法少女になったことを知って、
最初は目を輝かせた。


その三人は、魔法少女に救われた過去があるから、友達が、その魔法少女になったという知らせに、驚き、
喜び、情景の視線をルッチーアにむけた。


それはルッチーアにとって、得意の絶頂にもちあげるものだった。



得意の絶頂にあったルッチーアは、魔獣退治だけじゃなくて、とにかく、人助けをした。


オルレアンみたいに、人助けをする、希望を振りまく魔法少女になるんだ──。

そんな気持ちを心に抱いて。


自分の身体が、前の人間の身体より、随分と強化されたことにも気づいた。

ジャンプは、その気になれば、3、4メートルくらいできる。


樽は、片手でもててしまう。


年老いた女性が、採石場から採った鉱石を積んだ荷車を、苦しそうに運んでいるときは、自分がかわりに運んだ。

女が、男に暴力をふるわれていたら、自分がかわりに男を倒した。



ルッチーアは、魔法少女を楽しんでいた。

楽しんでいたし、これでこそ魔法少女だとも自負していた。


人を助け、魔獣を倒して、希望をふりまく。

お金もかせげて、家族も助けられる。いいことだらけだ。


希望をふりまけばふりまくほど、同じだけの絶望が撒き散らされるとは知らずに……。



魔法少女としての自分の生き方に、陰りを感じたのは、魔法少女歴が一年がすぎたころ。


地元では、ルッチーアが魔法少女だと有名になった。


有名になればなるほど、ルッチーアの境遇に、変化が訪れた。



友達三人が、ルッチーアへの態度を変えはじめた。


イーザベレット、マンジェット、オーヴィエットの三人。


遊び仲間だった三人と、ルッチーアの関係は、なんだか、ぎくしゃくしはじめた。

いつも四人一緒だったけれども、ルッチーアが魔法少女になると、魔獣退治はルッチーアにしかできないから、
ルッチーアの一人行動が多くなった。


残された三人は、三人で、いつも遊んだ。

そして三人で友情を深めていった。



その変化に気づきもせず、ルッチーアは、得意のなかで、やれ人助けだの正義だのを地でいく魔法少女を
演じつづけていた。


だんだん、三人と、ルッチーアの溝が深まった。


ルッチーアがある日、三人と一緒に遊ぼうとしたら、それを、無視された。


三人はルッチーアを無視して、三人で遊んだ。


三人はひょっとしたら、自分達をおいて魔法少女になり、地元ですっかり有名になった彼女に、嫉妬したの
かもしれない。

あるいは、魔法少女と人間である自分たちの立場の違いに、距離を感じたのかもれしない。


ルッチーアは、仲間はずれにされていった。



そして家族からは、こんなことをいわれはじめた。


「ルッチーア、魔法をつかって、金儲けをしてこい。」


母からいわれたその言葉の、意味がわからなかった。


だが母はつづけた。


「魔法少女になったって、いったな?魔法が使えるんだろ?石ころでも質屋にいれて、それを金塊かなにかに
魔法で変えて、ごまんと換金するんだ。いや、幻覚をみせるだけでいい。それでうちは大金持ちさ。」


ルッチーアは、母からそんなこといわれたことが信じられなかった。

魔法少女は、希望を振りまく存在だ!私はそれをオルレアンから学んだ!魔法を、悪用するなんて、
していいことじゃない。


すると、母は、ルッチーアに怒鳴った。


「人助けなんか、一枚の金貨にもならねえだろ。なんだ、お金持ちになりたいのが願いだといったくせに、
金のために、魔法も使えないのかい?そうだ、貴族の男に恋の魔法でもかけちまいな。そして、貴族と結婚して、
お金持ちさ。」


ルッチーアは、そんなにはちがう、まちがっていると叫んだ。


しかし家族は、魔法少女である自分を、金持ちのための道具にしか考えていないことに気づいた。


そもそも、魔法なんて、そんないろいろ悪事できるものじゃない。


母はわかってくれない。


「物乞いのふりをしてこい。魔法で身分証を捏造しろ。療院と救貧院からたっぷり金をもらうんだよ。
そして金貨をもってきたら、家にいれてやる。」


といって、家をだされた。


この時代じゃ、特に貧民層は、娘を金持ちの道具にしか考えないことはしょっちゅうある。


男子なら職人ギルドを継げるから家族にとっても重宝するが、女子は、稼ぎがなくて、家族にとっちゃ負担
そのものだ。


だから娘を売春宿に売り飛ばすとか、娘をわざと貴族の略奪婚にはめるなんてことは、珍しいことじゃない。



ルッチーアは、魔法少女として、そんな境遇におかれはじめていた。



ある日ルッチーアは、三人の女友達に、なぜ最近、自分を無視しつづけるのか、たずねた。


最初はそれすら無視された。


けれど、あとがないルッチーアは……魔法少女としての自分を信じてくれるはずの三人に……しつこくたずねた。


やっと返って来た答えは、こうだった。


「私たちと、ルッチーアちゃんは、もう、ちがうから。」


ちがう。なにがさ。

そう問い返す。


「私たちは人間で、ルッチーアちゃんは、魔法少女だから。もう、友達になんて、なれない。」


それは、訳のわからぬ理屈だった。

人間と魔法少女の違いあれど、おなじ友達だったのに。


すると、彼女たちはこう口にした。


「ルッチーアちゃんと一緒にいると、へんな噂がたつの。魔法の悪事に肩入れしてるって。
それに、喧嘩がとても強いから、ルッチーアちゃんと一緒にいたら、男の人が遠のく。」


ルッチーアにとって、衝撃的なことだった。

すでに魔法を悪事のために使う少女だと悪評がたちはじめていた。ルッチーアはなにもしていない。


それに、喧嘩が強いことが、少女達に敬遠される理由になるなんて、もっと衝撃的だった。


この年頃になって、はじめてルッチーアも知ったのだが、都市では、基本的に女というのは、男に大人しく
従うことを期待される。


いや、期待されるどころか、男に大人しく従わない女は、社会的人権すらろくに与えられない仕組み。


そんな世の中を初めて知ったのだった。


ギルドへの加入を査定するのは、ギルド議会の男たちである。女がギルドに加入しようとしたら、
男に従う”いい女”であるかどうかが、じっくり審査されたあと、加入できる。


ギルドに加入できないと、商売活動の一切ができない。それは仕事がないのと同義だ。

都市とは、そういう仕組みだ。


ルッチーアは頭がくらくらした。


女が男に大人しく従うなんて!

なぜそうなんだ?


男だろうと女だろうと、同じ人間なのに、どうしてそんなことになってるんだ?


しかも、魔法少女になったら、大人しく男に従う女になるなんて、無理な話だった。


そもそも戦う存在だし、力も強い。


ルッチーアは、だんだん、魔法少女は都市にとってヒーローでもなんでもなくて、目の上のこぶみたいな
存在なのだという世間の事実を、知っていった。


友達も家族もなくした。


そんな気分だった。


だんだん腹が立ってきて、酒場の喧嘩沙汰には自ら首をつっこんで、暴れた。


そしてこう呼ばれる。


暴力女、クソ生意気、じゃじゃ馬、危険女…。



だれも魔獣を退治する自分のことに感謝なんてしやしない。

迷惑がられている。



ある日ルッチーアは、修道院にいって、同じ魔法少女仲間に、それを相談した。


魔法少女になったら、友達を失くしたこと、家族から金稼ぎのための道具にされたこと。

魔獣の退治なんかしたって、人間は、さっぱり、感謝もしないこと。


すると修道院の魔法少女は、答えた。


「わたしたちは、私たち自身の祈りのために、戦うものです。それが、他人によって報われることはありません。」


報われないなんて!

じゃあオルレアンの奇跡は?あの魔法は? 奇跡も魔法もあるって話は?


でも、都市の川がきれいになったことが、オルレアンという少女の奇跡だなんてことを、知る人なんていない。


みんな、エドワード王のおかげといっている。


「そうまでして叶えたい願い事が、わたしたちにはあったのです。わたしたちの戦いは、自分の祈りのための
ものです。他人のためでは、ありません。」


それじゃあ本当に、私は、友達も家族も失くしたみたいじゃんか……。


ルッチーアは失意の底に沈んだ。


初めて、魔法少女にならなきゃよかった、なんて思った。



「……ううっ!」


瘴気にあてがられ、通路の地面に叩きつけられる。


カラランと手からクロスボウがこぼれおちる。


「……くそうっ!」


随分瘴気にけがれをあてられた。


魔法少女になったことを後悔した、人生であの最初の記憶を掘り起こされた。


身体じゅうに、魔獣の白い糸が、絡みついていて、身動きとれない。



這うようにして手元から落ちたクロスボウに手を伸ばす。


ソウルジェムは、黒くなっていくばかりだ。


ふと、オルレアンのあの言葉が思い出される。


”私は、本当に自分の叶えたい夢のために祈ったから、自分の祈りがもたらす最悪と戦えるの”


私は、そうだろうか?

オルレアンとちがって、あまり考えずに、お金持ちになりたい、なんて願った。


その願いはやがて最悪を生み出した。


自分の祈りがもたらした最悪と、戦えるのだろうか?

いや、否応なしに、戦い続けなければならない。


魔獣と戦うというのは、そういうことだ。



心が黒くなってくる。


そしてルッチーアは、自分があと、魔獣にぐるり取り囲まれて、見下ろされていることにきづいた。


地べたに這いつくばる自分。それを囲って見下ろす魔獣はあくまで無表情で、淡々と穢れていく魔法少女を
みおろしている。


自分達への仲間入りを、待っているかのようだ。


「…だれが」

ルッチーアは、クロスボウを手にとることは一度あきらめて、身体に巻きついた白い糸を振り払った。

ぱっぱと白い糸をふりはらうと、自由になった体を使って、クロスボウを手にした。


いつの間にかほんさか増えていた魔獣の列に、矢を放った。


「おまえたちなんかに、倒されるか!」


ルッチーアはクロスボウの再装填をまたず、それを鈍器のようにつかって、飛び上がると、ばこばこと
クロスボウで魔獣たちの頭を叩いた。



消えていく魔獣。

消えていく瘴気。

消えていく穢れ。



穢れは消え、グリーフシードになる。


ばこばこと魔獣をなぎ倒し、すると、通路の延びた結界は消えた。


ゆらゆらと視界はゆらめき、ぶわっと赤と黒の結界の姿が残像のようにのこって、それさえ消えると、
都市の景観がもどってきた。


真夜中の都市の景観。


支庁舎。鐘楼。噴水。修道院。貴族の邸群。


地面が丸石敷きな広場。


「……はあ」

ルッチーアはそこらじゅうに落ちたグリーフシードを拾った。



ぽろぽろと落ちた黒い塊をひろいあげていると、そんな魔法少女の行動を見ている、視線があった。


「…んん?」

ルッチーアは視線の感じたほうへ振り返る。


そこでは、石床の段差に腰かけて、ジョッキでビールを飲んだ暮れている、赤い顔をした男が二人、いた。


男は、黒い月を描いた灰色ワンピースの姿に変身したルッチーアを、にたにた見つめている。

黒髪を左右にぴょこっと伸びたツインテールは、この時代ではおかしな髪型だ。



「うぉううぉううぉう!!」

男は、酔っ払いだった。

変な声あげて、魔法少女姿のルッチーアに、声援を送る。


「魔法少女だ、魔法少女、ええ?魔獣でもやっつけのか?ええ?うぉう!」


ルッチーアは、その男に見覚えがあった。

結界のなかで瘴気にあてられたときにみた、略奪婚で娘を失った男だった。

もう一人の男は、その友人かなにかだろう。とにかく二人して、酔っ払っている。


「やったね!魔獣が倒された。魔獣が倒されたんだろよお。これで都市は平和だ!」

男はいったあと、自分で自分のいっていることが可笑しいというように、けたけた爆笑した。


「魔法少女が、魔獣をやっつけたんだってよ!」

隣の男も、げらげら笑っている。


「おい、おい、魔法少女さんに、失礼のないように。」

赤い顔の男は、茶化しはじめる。

「魔法少女さんはなあ、俺たちのために、命がけで魔獣と戦っているお方なのだよ。
みたまえ!あのへんてこりんな御姿!そして、都市の平和を、守っているのさ。」


ぷ、あっはははは。


二人して、爆笑。


自分の変身衣装を笑われている。


ルッチーアはいらいらする気持ちを感じていた。

ちょうど、お前たちの負の感情が、魔獣を具現化させ、他の人々さえ襲うかもしれないところだったのに、
この男どもときたら、その自覚がまるでない。


「魔法少女さんよ、魔獣を退治してくれて、ありがとうよお。」


男どもはまだからかってくるが、ルッチーアは無視した。

無視して、床のグリーフシードを拾い集める。


「それなにあつめてんの?なあ、魔法少女さんよ、それが魔獣なの?思ったよりも小さいねえ!」


あっははは。

男達、またも爆笑。


「ねーなんで変身するの?」

男は、魔法少女姿のルッチーアみながら、酒のジョッキを手に持ちながら、にたにたしながら見てくる。

「魔法少女って、なんで変身すんの?いちいちそれ必要なの?」


ぷっ。ぶははは。

男達の茶化しはやまない。


「そりゃあおめえ、必要さ。魔法少女には、変身が必要さ。」

もう一人の男が答える。

「魔獣を倒すところを、見て欲しい願望さ。それが、女心ってもんだ。」


男達、けたけた笑う。


「笑えるぜ」

男達は笑いをやめない。

「都市の平和を守る私たちを見て欲しいってか。もっと私をみて、みて!」


あっはははは。

男達、これまでにないくらい爆笑。


ルッチーアは、もう、我慢の限界にきた。


報われないなんて、うそだ。

だが、こういう人間たちがいるから、魔法少女は、報われないなんて、諦めてしまうんだ。


「あのなあ!」

変身姿のルッチーアは、男達へ怒鳴る。

「都市の平和を守るために戦っている、ってわかってんなら、魔法少女おちょくってふさげけるのやめろよ!」


どうして変身が必要か。

そんなこと知るか。契約したら、変身しなきゃいけない身体になってたんだから。


「どうしてそうやって魔法少女を茶化すのさ!あたしはな、おまえの絶望と闘ってやったんだぞ!」

と、ルッチーアは、本当のことを告げる。



が、しかし…。


男は、目を丸くするばかりだった。


彼は、自分の娘が略奪された負の感情と絶望が、魔獣を生み出したなんてことは知っていない。知っていないし、
そう理解する気持ちもない。


「おれの絶望とたたかっただと?」

酒に酔って赤くなった男の顔が怒りにかわってくる。

「俺の絶望とたたかった?はあ?」


男は広場の石畳の地面からたちあがった。それからビールのジョッキをぐっと飲み干すと、怒鳴り散らした。


「間抜けたこといいやがって!なにが俺の絶望と戦っただ?わけわからんこというイカレ女め!
おまえに、俺の気持ちの、なにがわかる!くそ女め、人の心を、バカにしやがって!」


ルッチーアの目に涙がたまってくる。


「そうさ俺は絶望していた!だからこんなところで飲んだくれている。だがな、おれがどんな理由で
絶望しようが、ふさぎ込もうが、あんたは関係ないだろうが!俺の気持ちもしらねえで、なにが俺の絶望の
ために戦っただふざけんな!正義ぶってんじゃねえ!道化め!イカレ野郎、きちがいめ!」


ルッチーアはふりむいた。

変身姿のそれを、後ろ向きにする。変身衣装の後姿をみせる。

「……ほんとうのことなのに」

ルッチーアは消え入りそうな声で呟き、その声は、夜風のなかにへと消えた。


ふらふらと、変身も解かないで、都市の道をあてもなく歩き出した。


ゆらゆらゆらと、ツインテールの髪がゆれる。寂しげに。


「いかれてる!」

男は怒鳴り続けた。

「魔法少女ってやつらは、みんないかれてる!なにが俺の絶望とたたかっただくそったれ!だったら、
俺の娘を、返しやがれ。魔法でもなんでもつかって、貴族どもを呪い殺してみせろ!」


ルッチーアは歩きをとめない。

背をむけて、都市の街路へと、歩き去る。


「いかれ女め!」

ついにルッチーアが視界から消え去るまで、男は、怒鳴り続けた。

「人の不幸を、自分の正義感のための種にしやがって、ゆるせねえ、魔法少女なんか、ゆるせねえ……」

208


ルッチーアは目を手で抑えながら家へ戻った。


深夜の都市。


「かあさん」

黒い塊グリーフシードを、手の平に何個も載せている。

「わたし、魔獣を狩ったよ……」



扉は開かない。

もう、自分を家に入れるつもりはないようだ。



「かあさん……」

ルッチーアは、また、力なく、扉の前で膝をついてしまった。

だらんと力なく崩れ落ち、すると魔法の変身が自然に解けた。


ぶわあん、と不思議な音がして、魔法の衣装が光の粒となって夜風に消えた。


女の子ずわりになったルッチーアは、家の前の地べたで力なく頭を垂れていた。

209


都市の深夜。

宿屋”ヴェイセインエック”の客室で。


少女騎士の鹿目円奈が、明日開かれる馬上競技大会に紋章官としてでるための、最後の練習をしていた。


もう都市ではだれもが寝静まった時間帯なのに、円奈は、ろうそくをテーブルに立て、その弱い光を
便りに、参加者名簿と紋章の描かれた羊皮紙を睨み続け、一夜漬けで暗記をしつづけた。


「イヨン家……アンフェル家……ルースウィック家」

紋章をにらめっこしながら、暗記していく。

むずかしい顔しながら、蝋燭の弱々しい火に照らされる紋章を見つめ、暗唱を繰り返す。

チェスのような市松模様の紋章。紛らわしい紋章。

「エアランゲン家…」

「キーナー家…」

「リキテンスタイン家…」


ひととおり唱えたあと、名簿の名前へ目を移し、答え合わせをする。


「……あってた!」

嬉しそうに顔が綻ぶ。

蝋燭が完全に溶けて使い物になるのはもうこれで四本目だ。

円奈は五本目の蝋燭に火をともした。松明は、宿屋の暖炉に燃えているものだ。


四本目の、完全に溶けてなくなった蝋燭の横に、五本目の蝋燭をたてる。


蝋燭の白い蝋が、熱でとろけて、何滴か滴り落ちる。それを皿に落とす。

溶けたろうが数滴かたまった上に蝋燭をたてる。


するとピタリと蝋燭が皿に立つ。



「この調子で残りも……」


円奈は、羊皮紙をめくる。


のこり7人の参加者名簿。

騎士の名前と、紋章が示す家系。



すべて覚える。


「カーレル家」


「ベベルルレー家」


「ブラディミア家」



このあたりが紛らわしい。

黄色と緑の市松模様、縞模様、斜めの縞模様。


おなじ縞模様でも、赤と白の位置が入れ替わっただけとか。


それらすべてを、紋章をみて家系を読み上げ、そして、名簿をめくり、答え合わせ。


「……あってる!」

円奈はまた、嬉しそうに顔を綻ばせるのだった。


蝋燭の小さな火に照らされた、最後の名簿を、何かやりきった達成感のある気持ちで見つめる。


最後の名簿、アデル卿の紋章をみつめた。




紋章の描かれた羊皮紙を、どこか達成感に満たされた気持ちのまま、明日を楽しみにして、見つめ続けた。


”都市の社会とか、人間と魔法少女の関係とかは、わたしには難しくて…”


心に、明日のことを思い描く。

暗記をやっとの想いでものにした紋章の羊皮紙を、胸に抱く。


”よく分からないけれど……”



夢見るように目を閉じる。



”魔法少女のために、頑張ろうとするジョスリーンさんの言葉を信じてみようと思います”


蝋燭の火は深夜の客室で、仄かな光を灯して燃え続ける。


”こんな私でも、あんなふうに誰かのために頑張れるのなら”



農村で育っていた頃は、煙たがれれて、不幸を呼ぶ女だと呼ばれていたことを思い出す。
そんな円奈の憧れは、魔法少女になって、だれかの役にたつことだった。そして自分が認められることだった。




紋章を描いた羊皮紙を載せたテーブルの蝋燭の明かりは、ゆらゆらと、深夜の室内で灯り続けた。


”それはとっても嬉しいなって……思ってしまうのでした”


今日はここまで。

次回、第27話「馬上槍試合大会・一日目」

乙乙

第27話「馬上槍試合大会・一日目」

210

ゴーンゴーン。

翌朝を知らせる、都市の支庁舎の鐘が都市に響き渡る。


まず都市広場から、赤い三角形の屋根が並ぶ貴族層の住宅から、流れる川のむこう側の町まで。


朝を知らせる鐘は鳴り響く。




馬上槍競技───ジョスト大会の開催だ。


競技大会は都市の闘技場で開催される。


闘技場は木造の建造物で、ぐるりと長方形に観客席が設けられた劇場だ。



階段状の観客席の桟敷は朝早くにもう人で埋め尽くされ、登場する世界各国の騎士たちに声援をおくっている。


世界各国!

少なくとも”西世界の大陸”にある各国の腕に覚えのある地方諸侯の選手たちが、エドレス国開催の
馬上槍競技にごぞって名乗りをあげ、名声と勝利を求めて今日の競技大会に集結した。



劇場のなかの騎士たちは、すでに観客席の声援に包まれながら、自分たちの国で熟練した馬術をみせつけて、
観客を楽しませている。


リズミカルに踊るように蹄で歩く馬たち。まるでスキップしているかのような馬の動作は、ノリノリで、
美しい馬術だった。騎士たちの馬術のほどがうかがえる。



定期的に開かれる馬上競技大会は、円奈がエドレスの都市を訪れたときも、
まさに世界選手権が開催されている期間ちょうどそのときだった。


そのなかでも今回開催される大会は、年に一度の、馬上槍試合の大型選手権だ。



世界各国から集結した騎士たちはすでに鎧姿で、馬の上で大きな槍をふりあげ、観客たちにポーズをとったり
している。


かたい甲冑を着込んだ騎士たちが、色とりどりの紋章の旗を掲げながら、観客席にその勇姿をみせつけ大会に
出場してくる。


観客は観客席から小さな旗をふって、騎士たちのパフォーマンスに応えて歓声をあげるのだった。


朝から、競技場は、大盛り上がりであった。


円奈は侍女姿となって、女騎士のジョスリーンのあとに従うように歩いていた。

地方諸侯たち大集結の公の場にでる、紋章官として、今日円奈は馬上槍試合の司会の一端を担う。


ジョスリーンのあとについて歩いていると、競技場がみえてきた。

木造の劇場。縦に細長い。細長いのはもちろん、競技場のなかで馬が一直線に走るからだ。


競技場は都市の支庁舎の裏の道を進んだところにあった。


ぐるりとそのまわりを観客席が囲っている劇場は、すでに熱気がわきたっている。

リアルタイムktkr



「いよいよだ」

ジョスリーンの声は緊張しているのか、うわずっていた。

「いよいよ試合だぞ!」


円奈は、うきうきして昂ぶってた声をあげる女騎士をみあげ、その楽しげにしている姿を見守りながら、
ついさっきのことを思い出していた。



円奈が紋章官としてふさわしい侍女姿になったように、ジョスリーンも騎士姿になった。



つまり、文字通り”貴婦人の騎士”の姿になったのだ。


ジョスリーンは、ローブを脱ぎ捨て、鋼鉄の鎧を着込んだ。


胸を守る胸甲と、背中を守る背甲。二枚あわせてバンドで繋ぎ合わせ、鎧を着込む。

銀色の鎧だ。


頭には面頬のプレートを着用する。鉄の兜が顔を覆う。しかし兜の面頬は全面が可動式で、上下に動かして
開閉できる。


長い金髪は兜から背甲へ流れた。馬にのった姿は、華麗で、馬が歩くたびに金髪が風にゆれて流れる。


「かっ…」

円奈は、甲冑の騎士姿になったジョスリーンを見つめ、小さな声を漏らした。「かっこいいっ…!」


「それはよかった」

ジョスリーンは面頬をかぶったまま翠眼で円奈をみつめ、楽しそうに笑った。「私の鎧は13キロある。
重たいというほどではないが、動きづらい」


ジョスリーンの鎧は胴冑だけでなく、肩当て、胸当て、腕当て、肘当て、手甲…といった具合に、間接ごとに
動かせるようにパーツごとに守られたしっかりとした鎧だ。


もちろんそれは、円奈がこれまで見てきた騎士たちと同じであったが、円奈はとりわけジョスリーンの
騎士姿に、感銘の声を漏らしてしまうのだった。


金髪翠眼の、馬に乗った女騎士の騎乗姿が、これまで見たどの騎士たちよりも似合っている気が円奈にはしてしまった
のであった。

馬上でさらさらの金髪をゆらす甲冑の姿が、とても格好いいとおもった。


ジョスリーンは、夜警騎士から、この日、馬上槍試合の世界選手権に参加する騎士となる。

参加する50人の騎士たちと戦い、優勝杯をめざす!



話は今にもどる。


馬上槍競技場の入り口手前までにきた二人は、審査員たちの前で最後の打ち合わせをしているところだ。


「この槍競技で優勝すれば」

ジョスリーンは馬上でいった。女騎士のジョスリーンは、いまや馬上槍競技を前にして、興奮に声が
昂ぶりっぱなしだ。

「わたしは騎士として、実戦にでれるかもしれないんだ。夜警しているだけの騎士じゃない。
実戦にでれるんだ」


「うん。それがジョスリーンさんの目標だもんね」

侍女姿の円奈は微笑んで馬上のジョスリーンをみあげる。それにしても馬に跨り、長い金髪を風にゆらす姿は、
きれいだった。

馬は、円奈の馬とはちがって、鐙やら鞍やらを備えた、しっかりとした馬であった。


「実戦の最前線で戦っているのは魔法少女だ」

ジョスリーンの声は興奮気味だ。

「私が実戦にでれるようになれば、魔法少女のおそばにいられる騎士になれる」


「うん。わかってます」

円奈はにこりと微笑む。



「ありがとう。大会に出れるのは本当にきみのおかげだ」

女騎士は鎧を着込んだ腕でグーを握った。「優勝できれば、夢がかなう。審査員の前にでて、きみを紋章官と
して正式に任命する。いいかな?」


「うん」

侍女姿の円奈は、うなづく。

がやがや、二人の周りでは、空いた観客席を求めて急ぐ市民たちがごっがえしている。


「そのとき、わたしの名前と、4代前までの家系をすべて紋章の根拠を説明して、審査員を納得させてくれ。
そうすれば試合に参加できる」


「がんばります」

円奈は微笑んで言った。



「今日は開会の式と予選だが───」

女騎士は馬上からいう。彼女の目の前に建つ競技場をみあげる。「明日は朝から一日中、本選だ。腕が鳴るよ!」


気張るジョスリーンだが、世界各国から参加を表明してあつまった選手たちはほとんど男の騎士だった。

披露する馬術は見事だし、なにより屈強そうだ。



それを思うと不安になる円奈だった。


魔法少女のように途方もない力を発揮する少女ならともかく、ジョスリーンは女性の騎士だった。


それも、実戦経験のない夜警の。


「このチャンスはフイにできない」

女騎士は競技場をみあげながら、金髪を風になびかせて呟く。「国内の警備仕事から離れ、国外の
実戦にでるチャンスだよ」


会場の熱気は、すでに十分にこちら伝わっている。

がやがやがや、おーおーおー。

ひゅうひゅうー。


口笛やら歓声やらの混声が、競技場から溢れでているのだから。


「きみもしってのとおり、わたしには実戦の経験がない」

女騎士はいう。

「だが、馬上槍試合(ジョスト)の練習なら、かなり積んだ。名簿をみると強者揃いだが、まけるわけには
いかない!」


円奈はうん、うんと頷く。

そしてジョスリーンを励ますように、両手を握り、もちあげた。

「がんばってくださいね。私を紋章官にしたんですから」


「ああもちろんだ!」

彼女の声は興奮に上ずっている。観客席からあふれ出る歓声を耳に触れ、気分が昂ぶっている。

「ねらうは優勝さ!」


円奈は、優しく笑って馬上のジョスリーンをみあげた。「うん」

211


馬上競技場の入り口を通り、円奈とジョスリーンの二人は試合場にむかう。


ジョスリーンは馬で。円奈は歩きで。


円奈の馬クフィーユは、世話役を宿屋に任せている。銀貨を5枚、とられた。


もっとも、円奈は金貨を100枚ももっている、超お金持ちなのだが。



金貨百枚は、銀貨に換算すると、銀貨3000枚だ。



「馬上競技には王家から騎士が参加することもあるんだ」

ジョスリーンは馬を御しながら、円奈にむかって語る。

手綱を両手に握り、茶色の馬を歩かせる。


その手綱握る腕も鎧の籠手に覆われていた。

「だが今回の槍競技の参加者名簿をみる限りは────」


ジョスリーンは、人々がごったがえして行き来する競技場付近の町並みを、馬で進める。

「王家からの参加者はいなかった。王家も忙しいのだろう」



王家。

エドレスの王家は、エドワード王の家系。


円奈はエドワード王に、アキテーヌ領の城で書いてもらった通行許可状をみせて、エドワード城を通る予定だ。


「わたしとしては嬉しいくらいだ」

女騎士は語る。

馬具の鐙にかける足は、防具ブーツに覆われている。

「いくら優勝をめざすといっても────」


馬を進ませるその後ろに円奈が追いかけてつづく。


「王家が相手では厳しい」


しばらく進むと、審査員席があった。


そこは馬上槍競技の参加者が貴族の騎士であるかどうかを確認する場だ。



円奈たちにとって最初の難関がきた。


ごくり。

円奈の喉がなる。


円奈が正しい紋章官かどうかが試される最初の難関だ。


あの審査席にむかって、円奈は、ジョスリーンの家系を四代前まで説明しなくちゃいけない。

もちろんそこは暗記している。


「ようし……」


円奈は、槍競技場にむかうまでの通路を先がけ、審査席へと足をはやめる。「がんばるぞお……!」


「円奈、円奈、まて!」

すると、ジョスリーンに、呼び止められた。


「へ?」

円奈が振り返る。


「主人より前を歩く従者はいない」


円奈は最初頭に疑問のマークを浮かべていたが、やがてその意味を理解した。


「んもーう!」

そして、すねた顔してジョスリーンの背後にもどった。



侍女という設定で紋章官を偽る鹿目円奈は、ジョスリーンのあとにつづいて、審査席の前にきた。



ここまでくると、競技場の観客席への入り口がもうすぐそこだ。


切り妻壁の木造建築が並び立つ馬上槍競技場の道は、貧民層の街路のように、ごみごみしている。

そこは酒場、宿屋が乱立し、賑わっている。


槍競技を見物した客が興奮に高まった気分で飲み明かすため、酒場が集中しているのだ。


こうした”木骨造”建築は、まず木の骨組みを、縦と斜めバッテンに組み込ませてつくり、壁は、網枝と
ドーブ(泥または粘土)をつめて固め、石灰で白く塗られた建物だ。

石灰を塗るのは、雨風を防ぐだめだった。



さて審査員の前に立ったジョスリーンと円奈の二人は、参加の表明をまずした。


ジョスリーンは審査員の前に馬をよこし、告げる。


「飛び入り参加だ」


ジョスリーンは、テーブルに腰掛ける三人の審査員むけて言う。


「競技に参加したい。当日参加はできるだろう?」


審査員は頷いた。テーブル上で両手を握り、机面におく。

「君の家系の正しさが証明されれば」


「もちろんだ」

ジョスリーンは隣にたつ円奈の肩をぽんと叩く。

「わたしの侍女でね。今日、紋章官をしてくれる。今日、といっても、前も紋章官をしたことがある。
国境での戦いのときに、騎士たちを見分けた」


「では説明をしてくれたまえ」

審査員はテーブルに両手を結び、置いたまま、たずねてくる。


ジョスリーンは円奈に眼で合図した。


すると円奈は、こくりと頷いて、前へ、でてきた。



審査員三人の注目が円奈に集まる。


「わたしの主人、アデル卿は」


円奈は、頭に覚えた内容を、語りだす。


「母方の祖父がシラード卿、曾祖父がアデル公爵」

さらさらと、流暢に家系を紹介する。

「高祖父ギベリンの父親はヴェンディッシュ家の……」

ぺらぺらぺらと、指先たてて得意そうに喋っていると。


「もういい」

ところが、審査員にとめられた。

「そこまで聞けば十分だ。証明書を」


「……証明書?」

円奈がぽかーんとした顔を審査員にみせる。

するとジョスリーンは、侍女に耳打ちした。


「…」

円奈はジョスリーンの口に耳を寄せる。

それから、「ああっ!」と声をあげた。


円奈は、アデル家の紋章が描かれた羊皮紙のそれを、ぱっとだして、丸められたそれをぺらぺらと広げた。



審査員がテーブルから身を乗り出して羊皮紙を目で確認する。



確認したあと、その羊皮紙を審査員は手に受け取った。


「アデル卿が参加する競技の種目は?」

受け取りながら、審査員はたずねてきたので、ジョスリーンは馬上から長い槍をもって、それを伸ばした。




ジョスリーンは馬上から槍を伸ばして、審査員たちの後ろに吊るされて掲げられている種目を
印した盾をいくつか叩いた。


女騎士の伸ばす槍の先が、二本槍が交差した”槍試合”を意味する印の盾と、二本の剣が交差する”剣試合”を意味する
印の盾をたたく。


ガダーン。

ゴドーン。


槍が盾をつく鈍い音が二回した。


槍先に叩かれた盾は吊られたまま、ぶらーんと揺れ動いた。


馬上槍競技と剣術競技を意味する紋章だ。



「初戦の相手はモーティマー卿だ」


審査員は席で告げる。



「どうも」

ジョスリーンは槍を手元にもどし、円奈にむきなおった。


円奈も彼女をみあげた。


騎士姿となったジョスリーンは、種目参加の審査が無事通過したことを喜ぶように、円奈にむかって
いずらっぽく笑った。



円奈もふっと小さく微笑んだ。

212


「第一関門突破だ」

ジョスリーンは再び馬にのって、馬上槍競技場へ進む。

「信じられない大会に参加できるぞ!」

声は、ますます興奮してきていた。



憧れの馬上槍試合に参加できるのだ!



すでに他の参加者であろう甲冑の騎士たちが、通路を行き来している。
たくさんの従者をつれて。


円奈とジョスリーンもそうしたペアたちの一人となったわけだ。


正式に参加が決定したのだ。



「あとは本番だけだ」

ジョスリーンは馬上から語ってくる。

その甲冑姿の背中に流れるさらした金髪が、風にゆられて、ふわふわ流れている。


なんとなく、そのさらさらの髪を目で追ってしまう円奈だった。


「わたしの出番になったら───」

ジョスリーンの腰に差した剣の鞘がカチャカチャ、鎧の鉄と擦れて音をならす。

「まず、鹿目さま、あなたが観客にわたしのことを説明し、次に対戦相手の家系を説明する。大声で!
会場のみんなにきこえるように!」


ジョスリーンは説明をつづける。

最後の打ち合わせだ。


「良識ある観客は紋章官が登場すれば静かにしてくれるもんだが────」

ジョスリーンは会場へ馬を進め続ける。

「興奮してる観客は、紋章官がいようといまいとお構いなしに騒ぐ。そいつらに負けないくらいの大声で
説明しなくちゃいけない!」

「うう…」

円奈の緊張が高まってくる。

「わたし大声だすのは得意じゃないんだけど……」


「ここまできたら引き下がれん!」


女騎士は、気合いっぱいだ。


「私も本当の騎士になれる日がくるぞ!」

213


二人はいよいよ馬上槍競技場へと出た。

ぐるりと桟敷に囲まれた長方形の観客席は、劇場のようだ。


長細い劇場の真ん中に広がるフィールドが、馬上槍試合(ジョスト)のフィールドになる。


フィールドの真ん中には、柵が一本設けられていて、フィールドを縦に二分する。


この柵が隔てた両サイドを、馬がはしり、騎士たちか槍を交える。


おなじサイドを走ることはない。それは、正面激突を避けるためで、騎士たちはあくまで柵に隔てられた
両サイドをはしって、すれ違いながら、槍だけを交えて試合をする。




すでに劇場ではジョストがはじまっていた。


世界各国から集った豪腕の騎士たちが、馬をダダッっと走らせ、互いの槍をぶつけあう。

それがジョストだ。


「うわあ……」

競技場へでた円奈は、その人の多さと熱気、想像以上の騎士の多さと劇場の広さに驚いた。


木造で立てられた劇場は、観客席に埋め尽くされ、観客たちは、フィールドで戦う騎士たちに
声援をおくっている。


市民にとって最高の娯楽であり、楽しみである馬上槍試合の見物は、この時代の都市での最高の流行だった。


観客たちは席から小さな旗を手に持ち、騎士たちにぶんぶん振り、きゃーきゃー黄色い声あげながら騎士たちを
応援する。


観客たちの旗は、自作で、お気に入り騎士を応援するために絵をオリジナルで描いた旗だ。

それをぱたぱたと観客席から、ふる。色とりどり、さまざまな旗が、ぐるりと囲んだ観客席ではためく。



それくらい、観客達の、ジョスト見物への熱意は強かった。


円奈とジョスリーンは、劇場の入場門のところあたりに突っ立って、すでに試合中の騎士たちを見物した。

そのうち自分たちの挑むことになるジョスト本番を。



ジョストは、一騎打ちだ。


二人の騎士が一騎打ちをする。



二人とも男の騎士だった。



ジョストに挑む甲冑姿の騎士達は、専用の突撃槍を持つ。


槍は大きく、長さ3メートルある。木製だ。形は円錐でとがっている。試合用の突撃槍だ。


従者が、予備の槍を何本も掛け台に立てかけている。


騎士は、自分の馬に乗った騎乗姿よりも遥かに高い槍を持ち上げ、自分の勇姿をアピールする。


パッパッパララー。

パッララララパッパッラララー。


催し物にはつきものな音楽隊が、トランペットを吹き鳴らす。

騎士の登場にあわせて奏でられるファンファーレは、大空にまで届く。


赤い毛織物を羽織った音楽隊たちは、トランペットを吹き鳴らしおえると、くるりっとトランペットを
まわして手に収めてしまう。

トランペットには、緑色の旗織物がくくりつけられていた。緑色の旗織物には、エドレスの紋章が描かれる。


それでも、ドドドド、ドドドという、小太鼓のリズミカルな音が、まだ騎士たちの勇姿を彩っていた。


騎士たちの対決の場は、四方をぐるりと鎖帷子の鎧を着た兵士たちが警護し、槍を持ち、見守っている。



馬上槍試合(ジョスト)審判の前に、二人の騎士が現れ、対決者同士、顔と顔をあわせた。



「おまえたちは、その紋章をになった騎士として、誇りある戦いをすることを誓うか。」


審判は、顔をあわせた騎士二人に、問いかける。


「わたしたちは、我が一家の紋章にかけて、騎士として、誇りある戦いをすると誓います。」

対決者同士の騎士二人が、声をそろえて、同時に答える。



「たとえ、試合中いかなる水も、食糧も、治療処置も施されぬとしても、最後まで戦うと、誓うか。」

審判は再び問いかける。


「最後まで、誇りにかけて戦います。」

二人の騎士は同時に答えた。



そして対決者同士の騎士は互いにくるりと背をむけて、馬同士を逆向きにして進め、はなれた。

騎士たちは3メートルもある槍を立てて持ち、持ち場へとむかう。



ダダダダタダダダン。

音楽家たちの鳴らす小太鼓の音がとまった。



静まりかえる馬上槍試合の会場。


ジョストに挑む騎士たち二人は甲冑の兜をかぶり、顔を覆った。



すると、審判から合図がくだった。

試合開始だ。


すると、騎士たちの馬がフィールドの柵に沿って走りはじめた。


ダダッ。ダダッ。



駆け出す馬。四足で走り出す馬。



おおおおおおっ。

観客席がどっと興奮の声を騒ぎ立てる。



どちらの騎士も、試合場のフィールドを一直線に走り、速度をあげる。


ものすごい速さだ。


馬の走る速度は、文句なしの全速力だ。重さ500キロの馬という巨体が、人間を遥かに超すスピードで
試合会場を走り抜ける!

蹄の音が激しさを増す。



ドダダッ。ドダダッ。


馬の勢いが激しさを増し、槍を前に伸ばす騎士の動きも激しさを増す。

槍の先は、互いに相手へとむけられる。




騎士たちの馬を馳せる姿を、観客席の見物客たちが声をあげながら応援している。






だんだん互いの距離が縮まる二人の騎士。


槍と槍が物凄い速さで接近する。



そして、激突!

ドガッ!

槍が柵越しに互いの身体をど突いた。




「…うわっ!」

円奈が、騎士の槍同士の激突を目の当たりにして、思わず目をそむけてしまう。


だが観客達は槍同士が激突した瞬間、おおおおおっと大きく声があがった。


観客達は、この瞬間をみたくて、見物にきているのだ。



観客は、男も女もいた。


市民の男は、スポーツとしての馬上槍試合をみるのが好きだし、女は、騎士たちの勇姿をみて黄色い声をあげた。

おーおーおーという男の興奮した雄たけびと。

きゃーっという黄色い声が競技場全体を沸きたてる。熱気が熱気をよぶような歓声の嵐だ。


とにかく、人気のスポーツだった。


「うう…」

円奈が、顔をしかめながらようやく視線を騎士たちに戻した。



激突した槍同士はバギっと折れ、砕け、そこらじゅうに木片がとびちった。激突した騎士と騎士は二人とも
槍にどつかれ、ぐらって馬上でよろめいた。


時速45キロ以上はある馬同士の全速力が加わった槍の衝撃が、互いの身体に走る。

自分は相手へと走り、相手は自分へとはしって、正面からぶつかりあうのだから、単純計算で時速100キロ
ちかい槍に当たることになる。


その衝撃の強さは見た目以上にある。とてつもなく重たいものを胸に受けるような衝撃だ。



が、二人とも、落馬せずにもちこたえた。



落馬すれば負けである。

しかも、馬を相手の騎士にとられてしまうルールだ。


「あれ…」

円奈が、思わず、女の子として最初に抱いた感想を口にする。

「あぶなく……ないの?」



「危ないことには滅多にならない」

女騎士のジョスリーンは、円奈の疑問に答えた。

「参加者はみんな鎧をきているし───」

ジョスリーンは胸元の甲冑をダンダンと叩く。

円奈がその仕草をみあげる。

「槍には危なくないように、かぶせ物をしてある」


ジョスリーンが説明するなか、騎士たちの試合は二戦目をむかえる。


騎士たちはまず互いの出撃位置にもどる。

従者から予備の槍を受け取り、3メートルあるその槍をまず天に向ける。

これは、準備オーケーのサインだ。



すると審判が、白い布の合図旗をまず下向きにさげる。それを、何秒かしたあとに、ばっと上へ振り上げる。

この合図がでると騎士たちは二回戦へ出撃する。



馬が走りだし、ダダっと蹄がフィールドの草を蹴り、四足をだして駆け出す。


騎士たちは柵のすぐ右側にそって走る。

長い長方形のフィールドのど真ん中にたてられた柵だ。フィールドを細長く二分している線のような柵。


互いに柵のすぐ右脇を走るので、ちょうど柵越しにすれ違う。


このすれ違うタイミングまでに、3メートルもの長さになる槍を、力の限りを尽くして
対戦相手へぶつけるのである。


もちろん、相手だって槍をぶつけてくる。



そして、だいたい、ほぼ同時に、槍が激突する。


バキキ!

ガキ!


ものすごい音がなり、槍はあっという間に真っ二つにへし折れる。

相手騎士の鎧を突き、形を潰し、木片となった。


走る馬同士の激突する瞬間のスピードも凄まじいので、槍も、あっという間に空中へ飛び散って舞った。


槍の木片は天空まで跳ね上げられた。


槍をぶつけあった騎士たちはぐらっとまたゆらぎ、落馬しないように体勢をもちなおす。


槍同士を激突して対戦はおわりではない。


激突したあと、ぐらついた体勢をいかに持ち直してフィールドの反対側まで走りきれるかどうかまでが、
ジョストだ。



おおおおおおおおおおおっ。おおおおおおおおおおおっ。



いよいよ試合開始となって、競技場はどよめきと歓声に満たされ尽くされる。

一人とて雄たけびと黄色い声をあげぬ者はいない。



声と声に包まれて、不思議な熱気に包まれて体が浮くかのようだ。



「これは本物の戦争じゃないさ。あくまで試合だ。相手を傷つけない」

凄まじい喚声の嵐のなか、ジョスリーンは円奈に言った。



騎士たちが、三回戦目のために出撃位置に戻る。


「ルールは、対戦者同士が三回、ジョストをする」

ジョスリーンは解説をしてくれる。

「相手の胴に槍があたれば1ポンイト。相手の顔面に槍をあてれば2ポイント」


騎士たちは三回戦のための位置につく。


「相手を落馬させたら3ポイントで────」

ジョスリーンは指をたてて、手の平にあてる。

「相手の馬をもらえる。あいつらはどちらも1ポイントずつ二回、取ったから───」


円奈は、三回戦目に挑む騎士と騎士に目を移す。


「次の三回戦目で勝負が決まる。いまのところ引き分けだ」


「うう…」

円奈は、不安な面持ちで三回戦へ挑む騎士をみつめた。


騎士の甲冑は黒く、馬も黒い。馬まで甲冑を着込んでいて、まさに騎士という格好だった。


3メートルあり突撃槍を手にもち、天に掲げ、出撃合図を待つ。


審判が、馬の頭が描かれた旗を降ろす。


降ろしたあと、ばっとふりあげた。


と同時に審判はフィールドを足早に去る。



騎士たちが同時に出撃をはじめた。


騎士の掛け声と共に馬が走り出す。


柵にそって馬を走らせ、だんだんとそれはスピードをあげて、全速力へと近づく。


ドダダタダダダッ。


巨体の蹄が全速力で地面を蹴る。ハアハア息はきながら馬は前へ突き進む。槍を伸ばす騎士を乗せて!



うおおおおおっ!

盛り上がる観客たち。


わああああっ!


槍が三回目の激突を迎えた瞬間、観客席からの声は頂点に達した。


観客は旗をふり、スカーフをふるって、騎士たちに声援をおくる。



バギッ!

「うおっ!」



それは一瞬の出来事だった。


腹のちょうど真ん中を槍にどつかれ、対戦者の騎士は馬上から叩き落された。



槍に急所をつかれた騎士は馬から落ち、重い鎧姿をガタンと地面に落とした。


身体がバウンドして跳ね、馬は主人を失ってフィールドを走り去った。



わああああああっ。

決着だ。



わああああああっ。

決着だ。


一気に騒ぎ立つ喚声。観客全体が席から立ち上がり、勝者の騎士にむけて拍手と声援をおくった。


すると黒い騎士は、ばっと折れた槍をもちあげポーズをとり、雄たけびをあげた。


それに応えるように、さらに喝采が大きくなる競技場。興奮と熱気、熱狂。熱狂の中心には勝者の騎士。

まるで英雄だ。



審判が、白い旗を、黒い騎士の陣側へ振り上げた。



勝負あった。


この審判の判決により、黒い騎士のトーナメント進出が決定した。



「参加者は50人を越えるほどだ」

女騎士は言った。

「勝ち進み方式のトーナメントだから───」


従者が、敗者の騎士を運び上げている。

甲冑を着た騎士は、自力では起き上がれない。

やっと敗戦した戦士から甲冑を脱がせ、試合場の場外へ連れ出した。



「だいたい、7回くらい私もジョストをする」

両手の指をつかって7回をジェスチャーで示す。

二本たてた指を全て立てた指の手の平にあてる。

「一回のジョストにつき三回戦あるから」

女騎士は言う。

円奈がジョスリーンの話をききつつ、槍試合を眺めている。

「21回くらい、私も槍を交える。21回のうち15回くらい勝てば優勝できる」


逆にいえば、六回しか負けられない。



「勝敗が決定しました!」

槍試合の審判が、声高に宣言する。


「あの紋章は分かりやすいだろう?」

期し姿のジョスリーンは、籠手と鎧に覆われて腕を持ち上げて、ゆっくりと騎士の従者が掲げる紋章を
指差す。


紋章は、従者によって槍試合競技場の入場門に立てかけられていた。


木のシールドに、紋章が描かれている。


その紋章は、赤色の背景色に白鳥が描かれた紋章。


「うん」

円奈は応えた。赤い紋章を見つめ、目を細めると、応えた。「カーライル家」


ジョスリーンは嬉しそうにふっと笑った。「その通り」



審判は、パチパチパチと手を三回ほど叩いたあと、告げる。


「ポイント5-2でカーライル卿の勝利!」

左手を伸ばし、カーライル卿を腕で示す。


おおおおおっ。

カーライル卿は腕をふりあげ、紋章の描いた旗を掲げた。


赤色に白鳥の描かれた紋章の旗が、ばさばさっと風にはためく。


わあああああああっ。


観客は、つかれをしらず、喚声をたてつづける。




「次の対戦へ移ります」

すると従者たちは、勝者も敗者も、自分の紋章を掛け台から外した。


掛け台は壁に刺された釘だった。



釘に紋章を紐でぶらさげるだけの原始的な掲げ方。


紋章を描いたシールドを外し、すると、次の対戦者たちが自分達の紋章を描いたシールドを釘に吊るす。


「そういえばアキテーヌ領城でもこんな試合をみました」

と、円奈は、前のことを思い起こしながら、ジョスリーンに話した。

「それは魔法少女と騎士の槍試合でした」


「どちらが勝った?」

ジョスリーンが馬上から円奈を優しい顔で見下ろし、たずねると。


円奈は答えた。「魔法少女」

カトリーヌのことだった。


「だろうな」

女騎士は頷いた。頭を傾けたら、ぐらっと、兜の面頬がずれた。彼女はそれを自分で直した。

「魔法少女とジョストなんてしたら大怪我になるよ」

ジョスリーンは円奈を見つめる。

「ルッチーアを思い出してみればわかるだろう」


「うん…」

円奈はぼんやりとした顔になって、ルッチーアを思い出す。

いきなり酒場で暴れ、あれよあれよといろんなトラブルを起こした魔法少女。


裁判沙汰にもなった。円奈はそれに巻き込まれた。


けれども、圧倒的な力量を発揮して裁判で圧勝した。


さらにいえば、円奈は、魔法少女と魔法少女の馬上槍試合さえ、見たことがあった。

それを思い出す。

いまから五年前、円奈がまだ10歳だったころ。


バリトンの隣国メイ・ロンの領土で開かれた城の市場で、いきなり槍試合をはじめた二人。

クーフィルとネーフェラという二人の魔法少女。


それは正式なジョストとは程遠く、ただの喧嘩に近かったが、魔法少女と魔法少女が互いに力を
ぶつけはじめたら、城の市場はメチャクチャになって、食卓は崩壊、市場の商品はすべて散らかされるの
惨事になった。


おもえば、魔法少女は、人間からするとお騒がせ屋、トラブルメーカーなのかもしれない。


「だがあいつらにはあいつらの悩みがある」

ジョスリーンはそう言うのだった。

「魔法少女の助けになる騎士になりたい」


それがジョスリーンの夢だ。


魔法少女は、実戦の戦場で戦っている。

スポーツ感覚の槍試合につまづいていたら、とても、実戦にはでれない。



「私の出番になったら頼んだぞ、円奈」

ジョスリーンの声は、さっきの昂ぶった様子とは違い、緊張して、固くなりはじめていた。

「ここで負けてられん」

214


競技大会の試合は次へと移った。

組まれたトーナメント表の、名前が読み上げられ、すると参加者が馬に乗ってフィールドに躍り出てくる。


おおおおおっ。

あらたな騎士の登場に、熱狂する観客たちは、席から身を乗り出して、手をめいっぱいふる。




試合場に出てきた騎士の従者が、騎士のもつ血筋をあらわす紋章を、入場門の掛け台に吊るす。


緑の背景色に月の描かれた紋章と、赤色と黄色の市松模様の紋章。



円奈は、そのどらちも知っている紋章だった。


「誰と誰の対戦だ?」

ジョスリーンが質問してきた。


円奈が答えた。

「メッツリン家と───」

円奈は手前側の月の紋章をまず見つめ、それから、奥側の、赤黄の市松模様の紋章をみつめる。

「フェキンヒュゼン家」

目を細めながら紋章を分析して、言った。


「そのとおりだ」

ジョスリーンは微笑んだ。


すると従者は、紋章を騎馬競技場に掲げたあと、フィールドの真ん中へとむかった。


対戦相手の騎士同士の従者たちが、互いに顔をむきあって歩き、フィールドの真ん中へ。



フィールドの真ん中には、壇上の審判席があった。


席に腰掛ける審判にむかって、従者たちは一礼し、すると、胸をはって、説明をはじめた。



「わが主人を紹介いたします」


と、従者は、語り始める。


「その父はグレリー公爵」


紋章官としての、血筋の説明だ。


円奈が思わず神経を集中させる。

自分達の番がきたら、今度は私が、あんなふうに説明をするのだ。


つまり紋章官のお手本をみる、今は絶好のチャンスなのだ。


「長らく続くメッツリンの家系であり───」


紋章官は、胸をはって、堂々と、主人を紹介する。


「南の国サルファロンにて傭兵部隊を率いる勇戦なる騎士であります───」


ああ、あんなふうに説明するんだ。

わたしに、できるのかな。


心の不安が大きくなる。


そもそも、ジョスリーンのことは、会って三日目だから、ほとんど知らない。

夜警騎士をしているっていう紹介しかできない。


もし、本物の紋章官じゃないってばれたらどうなってしまうんだろう。

心はどんどん不安のほうへ傾く。




「わが主人こそはベルトランド・メッツリン卿であります!」


と彼は高々と告げ、そのあとは、足を交差させて胸に片腕を静かにおろし、頭をさげてお辞儀する。

この都市におけるお辞儀の仕方だった。


紋章官としてはできて当然の礼儀作法である。



紋章官の紹介が終わると、ベルトランド卿は馬に乗った甲冑姿で、手に持った3メートルの突撃用槍を
ばっと晴天へもちあげた。



おおおおおおおおおっ。

観客たち、総立ちである。



片方の騎士の説明がおわると、こんどは対戦相手側の紋章官が、紋説明をはじめる。


「わが誇り高き主人は」

と、対戦相手の従者が語りだす。相手の騎士に負けないくらい自分の騎士を誇らしい人物として、この公の場で
堂々たる口にて紹介しなければならない。またそれが、紋章官としての腕の見せ所だ。


胸をはって、目を瞑り、物語を紡ぐように。

彼は口を開いて、語る。


「フェキンヒュゼン家の輝かしい騎士であります。その功績は───」

といった調子で、従者は登場する騎士がいかにすばらしい騎士であるかを、とりあえず、語りまくる。


まるでそれは、鹿目円奈が、アキテーヌ城の餐宴のときに騎士たちにさんざんベタ褒めされたときのような、
あの感覚にちかかった。


本当かどうかなんてことは二の次で、とにかく、盛りにもって大げさな話として語る。

そのトークが、会場を盛り上げるわけだ。


「エドレス国境の反乱鎮圧。西の野蛮人どもの討伐。その剣一つで全てを治めるがごとく光の太刀───」


「まあ、あんなふうにいってるが」

と、女騎士のジョスリーンが円奈にこっそり話した。

「だいたい、つくり話だよ。実際の戦場じゃ、活躍するのは魔法少女さ」


「うん……そんな気がする」

円奈はかつてみてきた戦場を思い出す。



「わが主人の名こそは、エッカルト・フォン・フェキンヒュゼン卿であります!」


ひゅーひゅーひゅー。

おおおおお。


乱れ飛ぶ口笛と喚声。



それにしても熱気がすごい。


みんな、馬上槍試合が好きなんだなあ……。

円奈は思った。



審判がフィールドへでる。


馬の頭を描いた旗をまず下向きおろし、フィールドの真ん中の柵あたりにまで進み、すると。


いちど下げた旗を、ばっと振り上げる。


ばたたっ。旗が風にはためく。

試合開始の合図だ。



と同時に、二人の騎士が、出撃した。柵に添って進撃する。


おおおおお。

観客席から飛ぶ声援。


二人の騎士は同時にダダッと馬を駆け出し、速度を速めていく。


途中で曲がったりしない。



ただ一直線にフィールド走りぬけ、速度を高めて。ドダダッと走り、相手の騎士の胸元むけて。


槍を伸ばす。


馬の速度が速まれば速まるほどに、槍はまっすぐの向きに固定され、一直線の相手へ。


脇に挟んでしっかり固定し、狙いが外れないように、持ち続ける。


相手との距離がつまるまでが槍の狙いを定める猶予だ。


相手が接近してからでは、槍の向きの変更はきかない。




そうして二人の騎士が正面から距離をつめ─────


最後に力を込める!



ドゴッ!


バキキ!


両者の槍が激突する。


全速力で走る馬同士がすれ違う。と同時に、騎士が互いの身体を槍でブッ刺す。


槍は砕け、折れて、木片が飛び散って、甲冑にあたって粉々になる。


ばごっと槍の激突をうけて身が仰け反り、バランスを崩し、そのまま鎧の重さにひっぱられて、
馬の尻から後ろ向きに頭から落ちてしまう。


「うあああ」

騎士は落馬し、猛スピードで走る馬から落ちて頭を強打した。



ガターンと鎧の重たい音がした。



うおおおおおっ。


さっきとは違い、一回戦目で決着。


「3-0で勝者、メッツリン卿!」


審判が白い旗を左側へ、また挙げる。



うおおおおおおっ。


観客席の興奮。


「さすが、メッツリン卿だ!」


観客の何人かが、拍手してエールを送る。

槍試合の観客席に集まっているのは、エドレスの市民だけではなかった。


他国からの参加してきた地方の騎士を応援するために、その国からはるばるやってきた市民や農民も、かなりいた。

215


それからもトーナメント表にしたがって、試合はつづいた。


市松模様と縞模様の紋章。


エアランゲン家とヴィルボルト家。



二人の騎士は柵に添って突撃し、やり同士をぶつけあう。


バキッ───


ゴキッ───


まずエアランゲン卿の槍が敵にあたり、つづいて、ヴィルボルト卿の槍が相手をどつく。



かぶせ物をしてある槍の先端が相手の肩にあたり、すると槍はくの字にへし折れて、木片となる。


肩に槍をうけた騎士はその衝撃で馬の手綱を放してしまい、自分の馬から身を投げ出され、激しくぐらついた
あと、落馬した。


馬の背から、横転、ころげるようにして落っこちる。

騎士は地面に身体をうちつけ、ごろごろとまわった。砂埃が舞った。


槍試合は、確かに槍の技も重要だが、本当に勝つために大切なことは、敵の槍の直撃をうけても落馬しないことだ。


「0-3でヴィンボルト卿の勝利!」

審判が旗を右側へあげる。



おおおおっ。

観客席のどよめき。

やまない騒ぎ。



ところで、騒ぎ疲れた観客は、席をたって、劇場をあとにし、街路の酒場へと足を運ぶのだった。


そこでたまたまテーブルが同じになった、顔も知らないやつと、優勝する騎士は誰か、という話でもりあがり、
ジョッキでビールを飲み干す。



この都市では、休日とか仕事の日とかそういう概念はない。


槍試合があるなら、自分の店を閉じて、好きなときに酒場へゆき好きなときに店をだす。


自分で店をもっている商業ギルドの職人が多いので、そんな世間だった。お気楽だった。


どこの酒場も大盛り上がりだった。

エドレスの市民だけでなく、他国からの農民や市民、貴族まで入り乱れて、大盛況だ。

テーブル席が埋まってしまうと、彼らは、樽を椅子がわりにしてビールを飲みまくった。





「鹿目さま」

女騎士ジョスリーンは、緊張に強張った声をしぼりだしていた。

「え?」

円奈がジョスリーンへ顔をむける。


「次は私の番です。トーナメント表を」

円奈がトーナメント表をみる。



ヴィンボルト卿とエアランゲン卿のトーナメント表がかかれ、その隣は、アデル卿とモーティマー卿と
かかれている。


「じゃ、じゃあ……」

円奈の顔も、少しばかり強張る。


「ああ」

ジョスリーンは告げた。籠手に包まれた手を胸元で丸める。自分を落ち着かせるように。

「私の番がきた。まずは、君がフィールドにでるんだ。円奈よ、私の説明をたのんだぞ」


ごくっ。

円奈が、緊張に強張った顔のまま、ぎこぎこと身体を動かし、フィールドへ向かい始めた。


足と手が一緒になって動いている。


右足と右手、左足と左手、でるタイミングが同じになってしまっている歩き方だ。


よほど緊張しているのだろう。



いよいよ円奈は、紋章官として、観客席の前へ立つときがきたのだ。

216


そのころウスターシュ・ルッチーアは支庁舎にいた。


馬上槍試合のどよめき声は、支庁舎にまで轟いてくる。


しかしルッチーアに槍試合への興味はない。


「うるさいなあ…」

わーわー騒ぎ立つ槍試合の盛り上がる民衆たちの声を、ルッチーアは愚痴る。


石壁の廊下を歩き、松明の火に照らされたアーチ通路を進み、木製の番い扉をキィとあけて、修道院長の前にでる。


「魔獣を…」

ルッチーアは、テーブル席にすわるビュジェ修道院長に、言った。

「狩りました」


グリーフシードを修道院長にみせる。


四角い形の黒い塊。ほのかに黒い光を放つ、不気味なキューブ。



それを手元に載せて、修道院長の魔法少女にみせる。


修道院長は、まさに、修道服という服装そのものな格好をしていた。

頭を白い布で隠し、顔だけみせる、年配な魔法少女だ。


「これをもって、市長室へいきなさい」

修道院長は羊皮紙に羽ペンで証明書をかき、ルッチーアに手渡す。



ルッチーアは手渡された羊皮紙に目を通す。「銀貨10枚?」


ルッチーアは修道院長の顔をみる。「この前の半分以下じゃないか」


「不満ですか?」

修道院長は、テーブルに腰掛けたまま、黒髪の魔法少女・ルッチーアをみあげる。


「命を張って魔獣を狩ったのに……」

ルッチーアは切ない顔をしていた。「外でがやがやスポーツを楽しんでいる騎士の参加賞より安い」


「ルッチーア」

修道院長はテーブル席で姿勢を整える。両手をテーブルの机面で握り、ルッチーアに目をむけて、
やさしく諭し始める。

「わたしたち魔法少女は、たったひとつの願いをかなえた存在です。それ以上の高望みはしないものです。
その願いと引き換えに、すべてを諦めるものです」


「修道院長、わたしの願いは金持ちになることだ!」

ルッチーアは反論する。

「希望をもつことが、そんなに間違いとおっしゃるのです?ええ、今回の、銀貨10枚という修道院長の
決断に、文句はつけませんよ。でも私は全て諦めたりなんてしません!」

といって、ルッチーアは啖呵きって、修道院室をあとにしようとした。

すると、その背中を呼ばれた。


「ルッチーア」

修道院長の声が、いきなり変わった。

優しく諭すような声ではなかった。


ルッチーアが振り返る。


「あなたに話さなければならないことが」

修道院長はいった。

「思い当たりはありますか?」


「…」

ルッチーアはちぇ、というような、渋い顔をして、顔をしかめると、修道院長にむきなおった。



「人間を───」

修道院長は難しい顔をしている。

「修道院にいれたという報告がありますが」


ルッチーアは歯を噛み締めた。

苦い顔しながら、答える。「入れました」


「なぜ入れたのですか?」

修道院長はたずねてくる。


「人間が、入りたいといったからです」


「ルッチーア」

修道院長の自分を呼ぶ声が、だんだん険しくなってくる。


「わたしたちの魔法少女には────」


修道院長はルッチーアを見つめたまま、険しい声で、告げる。


「人間には知られてはいけない秘密がある。違いますか?」



「だから修道院があるんです」

ルッチーアが言うと。

「ではなぜ人間を入れたのですか?」

すぐに修道院長から詰問された。

「恩を返すためです。私を助けてくれました」


「ルッチーア、昔から、魔法少女と人間は────」

修道院長は語りはじめ、自分のソウルジェムを、机面にコトンとおいた。

「対立と共存を繰り返してきました。共存関係を守るためには────」

白色のソウルジェムがぽわっと光を放つ。

「私たちの秘密を守ることが肝要だと、過去の魔法少女たちの犠牲が私たちに教えました」


「そんな共存関係は偽りです」

ルッチーアがきっぱりそう言ってしまうと。


修道院長の声に怒りが交じってきた。

「だから全てを諦めるものだといっているのですよ」


「どうして希望を叶える存在が、すべてを諦めるのさ!」

ルチーアも声を荒げた。

「オルレアンさんは決して諦めなかった。だから都市の川はきれいになった。みんなは救われた!
それが、魔法少女ってものです!」


「ルッチーア、希望をかなえた者が最後に待つものは────」

修道院長は冷たく言い放った。

「”絶望”です」


「…」

ルッチーアは押し黙る。

悔しそうに拳を握り、ギリっと歯軋りする。


「あなたの以後の処遇についてですが───」

口論を終えると修道院長は、また事務的に口調もどって、述べた。

「人間を修道院にいれたことに対して、厳しい処置をとらざるをえません」


ルッチーアは耳を貸していない。


「結論からいえば、出禁です。円環の理に導かれるまでは」


修道院長はそう告げ、席をたった。


修道院室奥の、控え室への扉をあける。


そしてバタンと閉じた。


むなしく、ルッチーアだけがそこに取り残された。


ルッチーアは力なく、ふらふらと扉をあけ、自分は廊下にでる。


支庁舎の廊下を歩いていると、窓から、わああああっという喚声が聞こえてきた。


「槍試合か……」


ルッチーアは、石壁にあいたアーチ窓から身を乗り出して、競技場のほうをみてみた。


修道院の出禁が正式に決まった。


魔法少女としての拠り所である、円環の理を感じ取れる聖なる場所への出入りが禁止された。


アーチ窓からぼんやりと、晴天の青空をみあげる。

ルッチーアの黒い髪が、ゆらりと暖かな風になびいてゆれた。




石壁の通路をあるく。

昼間だが、通路は暗い。

建物の中は光が差し込まないから当然だ。




窓があるアーチ天井の廊下は、眩しいほど明るく、窓がない内部の廊下は、松明の火がゆらめいて照らすほど
に暗い。



ルッチーアは市長室に入った。


市長室には、質素な木のテーブルに、市長が腰かけていた。


ルッチーアは市長に修道院長から書いてもらった羊皮紙をみせ、すると市長は頷いた。

市長は、羊皮紙に自分の印章を押した。赤色の蝋燭たらし、その蝋燭に、ドンと印章を押す。


「銀行か両替商に渡せばこれと銀貨を交換してくれる」


市長の捺印した印章があって、はじめて銀貨と交換ができる。


ルッチーアはそれを受け取った。


支庁舎というのは、何するのも、あっちいったりこっちいったりしなくちゃいけない、たらい回しをするところだ。


「きみの裁判での」

市長は急に、関係ないことを話しはじめた。

ルッチーアが振り返る。


「活躍ぶりを見届けていたが───」


そういえば、裁判には裁判長だけでなく、市長も同席していた。

ルッチーアはそのことを思い出す。


「あまり公平な裁判とはいえなかったと裁判官と私で判断した」


「だから?」

ルッチーアはいらいらと訊く。


「ハンディを設けようと思っていてね」

市長は魔法少女をみあげた。

「なにかいいハンディはないものかね?魔法少女と人間が裁判するときは、人間には弓矢を持たせるとか」


「しるかよ、裁判の種目を馬上槍試合かなんかにしたらどうだよ」

ルッチーアは適当なことをいいながら市長室を去った。

217


ルッチーアは支庁舎をでて、都市広場へでた。


この時間帯は広場も市場でもりあがっている。


いつもより人が多かった。



馬上槍試合が開催されているからそれもそうだろう。

世界各国の騎士が集い、その見学にきた世界各国からの客たち。異国の客たち。農民、市民、貴族、魔法少女も。


そうしてエドレスの都市広場の市場はまさに、世界的な交流市場という規模にさえなっていた。


異国の国々からやってきた人々が、エドレス国の珍しい品物を次々に買いあさる。


魚、肉、パンなどをかって、それをバスケットにつめて馬上競技の会場へと急ぐ。



都市にとって、馬上槍競技を開催することは、市場を活性化することでもあった。


だからこそ、あちこちで槍競技大会はしょっちゅう開催される。経済活性化の目論見だ。


だがそれは、やはり、この時代の人々が、槍競技を愛しているからこその経済効果であった。



ルッチーアは特に何も買おうとは思わない。


羊皮紙をもって一直線に、銀行へ。


銀行は、高利貸しであった。


ギルド街の入り口付近に建てられている、石造の建物へむかう。


アーチの入り口に飾り看板を吊るしているのは、高利貸し屋。



昨日戦った魔獣の絶望をつくるきっかけになった店だ。


というより、都市の市民の絶望は、だいたい、こういう高利貸しの魔の手にかかった人々がもたらすものだ。


とっとと高利貸しにはいって、銀貨と変換しにいく。

店に入ると、魔獣の結界でみたあの高利貸しがいた。



貴族の騎士と手を組んで、貧民層にけしかけ、金を高いの金利つけておしつけ、貶め、略奪婚をものにした
高利貸し……。


きっと騎士から、多量の裏金を受け取っているのだろう。

「どうしてそうひどいことができるもんかなあ……」

と、疑問を口にする。



「これを換金してくれよ」

ルッチーアは羊皮紙を高利貸しに渡した。

「ああ」

高利貸しの仕事ぶりはてきぱきしていた。


羊皮紙に描かれた内容と、市長の印章が本物かどうかを確認する作業をあっという間に終わらせ、
すると、ぱぱっと銀貨10枚をルッチーアに手渡す。


ほんとにあっという間だった。


「どうも」

ルッチーアは銀貨を受け取って、ギルド街へと出た。


あくどい商売をしているイメージがあったが、一般客に対しての仕事振りは、真面目だ。

両替商とちがって、一銭の利益にもならないこの仕事に、文句一つ呟かずに銀貨を渡してくれた。

しかも、数もごまかさないで。



時間帯は昼へと近づく。

魔獣退治の報酬を受け取ったルッチーアだが、これで一日は終わりじゃない。


むしろ、これからといったところだ。


ギルド街を隅から隅へと渡り歩き、職をみつけなければならない。


都市では、職につくためには、商業組合ギルドに加入しないといけない。


ギルドに加入するためには、職がなければならない。


ギルト議会へいって、加入を申請するときに、なんの職もありません、では話にならない。

剣も持たないのに騎士にしてくれと貴婦人におねがいするようなものだ。



ではどのようにギルドに入るのかというと、既に店を構えている職人ギルドの親方の弟子入りをする、
というところからはじまる。



だから、都市での職探しは、自分を弟子として雇ってくれる親方探しからはじまる。


たとえば鍛冶屋、ロープ製造屋、ビール醸造屋、染色職人、織物職人、靴職人、武器職人、漆喰職人、
葺き屋根職人、金糸職人、蝋燭職人、石工屋、宝石職人、炭鉱職人、高利貸し屋、リボン工…。


都市にはさまざまな商人ギルドの店があり、親方が経営している。



親方は、職人としてその道一本で生きている店のトップだ。


その親方から、弟子として雇い入れてもらって、仕事を習う。


鍛冶屋だった鍛冶屋の弟子として親方の隣で手伝いなどをしながら、仕事を習い、やがて独立をめざす。


織物業だったら、織物をどのように織るのか、親方の横で手伝いながら習う。


弟子入りの期間は短くても三年、長ければ五年を要する。それは、組合ギルドによって正式に決められている期間だ。


しかも、少年と少女では賃金に大きな差がある。


少年の給料が週に銀貨13、12枚だとすると、少女はその半分以下、5、6枚くらいの給料だ。


一ヶ月だと、少年が平均銀貨50枚、少女が20枚前後。


まさに貧民層の給料だった。


だから、一日魔獣退治するだけで銀貨10枚を受け取れるルッチーアは、貧民層のなかでは、遥かにお金持ちで
ある。調子のいいときは、一日の魔獣退治で、銀貨25枚を手にした。


一ヶ月に100枚も夢じゃない。



ルッチーアはそれで満足していた時期もあったが、彼女の母親が満足していないから、もっとお金を稼がないと
いけない。


だから魔法少女として、ギルドに所属するための親方探しをした。


女性の働き口としては、この都市では、織物業がやはり代表的だ。

織物を織る、糸を通して裁縫するといった作業は、古来より女性向きだからだ。


といっても、都市であるから、農村の女たちの裁縫より、よっぽど織物としては手工業が発展している。


彼女たちは職場で、織物ギルドの手工業として機械を使って織物を織る。


織機と呼ばれる、木でできた簡単な機械だった。



女たちは織機を使って、糸から布を織る。水平織機と呼ばれるタイプなので、地面とは水平な向きに
機械を構え、椅子に腰掛け、ペダルも踏みながら織機を扱う。

まるでピアノを前に腰掛けた女性たちのようだが、彼女たちは真面目に、この機械で、布を織った。



他に女性がギルド街で働いている場となると、以外と、金融関係が多い。

たとえば両替商。女性の経営する店が多い。

これは、夫によって帳簿の記帳を任され続けた妻が、やがて会計帳簿をつけていくうちに金融の仕組みも覚えて、
独立していった経緯がある。


独立した女性は、夫の指図から開放されて、自由気ままに、都市をいきる空気を謳歌した。

都市の世界は、封建世界の領主の支配から解き放たれた、自由の世界であった。


”都市の空気は自由にする”なんて言葉もあった。


とはいえその言葉は、親方として独立した者にだけいえる言葉であった。

労働者として働く貧民層からすれば、領主に命令されて農奴として農業に励む農民と、あまり変わらない。




さらに意外なところでは、女鍛冶職人というのが少なくない。


鍛冶屋は、金銀細工師とも呼ばれる。


鍛冶屋こそは、数ある同業者組合ギルドのなかでも、最も尊敬される職人であった。


なぜなら騎士たちの使う剣、鎧、矢の鏃を製造、修理する職人だからだ。


その仕事振りは、市民から尊敬される。


鍛冶職人は、小さな職場をもって、そこで剣をつくったり、修理をする。


彼らは鉄を溶かし、カンカンカンとトンカチで叩きながら鉄を伸ばし、鍛え、剣という武器をつくりだす。


折れた剣を溶かし、赤色に溶けた鉄をカンカン叩きながら、繋ぎ合わせることもする。


鏃もつくる。


特に、エドレス国では首都エドワード城の警備衛兵を務める弓兵の多くが、ロングボウを使うので、ロングボウ専用の
鏃をつくる職人がいる。


エドワード軍の長弓隊の使う鏃は、ボドキンと呼ばれる。それは、”鎧通し”、という意味をもつ。


千枚通しのように鋭く長く伸びた針のような鏃で、この細やかな鏃が、敵兵の鎧の鎖帷子の隙間へと入り、
致命傷を与える。

よろい通しという名前をもつ鏃のボドキンは、鋼鉄の鎧さえ射抜くように思われることがあるが、そうではなく、
鎖帷子の小さな隙間に入り込む意味での”よろい通し”であった。


だから、本当に鎧を貫通させる兵器は、ロングボウではなくクロスボウだった。

ガイヤール軍が使ったような、巻き上げ機式クロスボウのような兵器が、鋼鉄の鎧をも射抜く。



ボドキンは、鍛冶職人によってつくられる。


鉄を溶かし、真っ赤に焼けてとろけたところを、鏃の形にした溝へ流し込み、その形になった鉄をやっとこ
で掴み上げ、台でカンカンカンと叩いて鍛える。熱せられたそれは、形になってくると、水にいれて冷やす。



それを何千本とつくる。


それだけで、国王から、べらんぼうな給料が払われた。



鍛冶屋は、だから一見すると、男の鍛冶職人が務めているイメージだが、実は、女鍛冶屋も、少なくないのだった。


それも、独立して女親方として鍛冶屋に励む女鍛冶屋が。



女が親方をするところでは、少女の雇い入れがギルドによって正式に認められていた。


職種にもよるが、鍛冶屋だったら二人か三人までの少女の雇い入れ、未婚の金糸製造工の女親方は4人までの
少女の雇い入れが許され、、結婚した女親方だったら三人までの少女の雇い入れが許されていた。


そこはもちろん、給料がダントツに高いので、ルッチーアにとっては、まさにそのあたりが狙い目だった。



他の女たちみたいに、紡績機と睨めっこしながら週に銀貨15、16枚くらいちまちま稼いでいるより、
女親方の鍛冶屋の弟子入りして、金貨を集めることこそ、ルッチーアの思い描く未来だった。


それに、魔法少女は、鍛冶屋にむいていると思った。


カンカンカンとトンカチを叩き続ける力作業は、魔法少女の得意としそうなところだ。



ところが、魔法少女が商人ギルドに入ること、親方に弟子として雇われることは、難しいことだった。


「ウチじゃ魔法少女は弟子入りさせない」

女親方は、きっぱり、そういった。


「どうしてさ?」

ルッチーアは訊く。



「魔法少女不可侵って法律あるだろ。それのおかげで──」

女鍛冶屋は言う。

「あたしはあんたのケツにも触れない。だから一緒に仕事するのは無理だ」


「わたしのケツになんか触らなくてもいいだろ!」

ルッチーアが怒った声あげると。


「魔法少女を雇い入れると───」

女親方は別の理由を口にした。

「ウチに変な噂がたつ」


「なんだよ変な噂って?」

ルッチーアは両手をひろげて、問いかける。


「例えば錬金術と魔術を組み合わせた妙ちくりんなイカサマで剣を偽造したとか───」

女鍛冶屋は、ふいごと呼ばれる道具で焼ける鉄に空気を送りながら、いう。

空気を送り込んだあと、また、トンカチでカンカンカンと叩いた。

「妖術のこもった呪いの剣ができるとか、そういう噂がたつ。それを使うと不幸になるとか」


「そんなことしないってば!」

ルッチーアは言う。指の先を女鍛冶屋へむけて、怒りっぽく話した。

「あんたら、そりゃ、魔法少女を、誤解してる。そんな魔法、使ったりしないよ。魔法少女は、
魔獣を倒す存在だ。剣に呪いかけたりするか」


「だめだ、別のところにしてくれ!」

女鍛冶屋は迷惑そうに魔法少女を突っぱねる。

「魔法少女を雇い入れるってことは、鍛冶屋から魔術屋に移転するってことだ。そんな商売したいとはおもっ
てないんでね。わるいね」


「くそっ」

ルッチーアはそこを諦めた。



他の商業ギルドでも、おんなじような扱いだった。


たとえば撚糸工。


ここでは、男性が作った亜麻糸を、大青と呼ばれる高級な染料で染め上げ、きれいに艶出しをして仕上げる
女性の仕事があった。



ルッチーアはそこに弟子入りを頼み込んだ。


すると、撚糸工ギルドからは、こんな答えが返ってきた。


「魔法少女を雇い入れていると、艶出し、仕上げの見た目を、魔法のイカサマで偽装していると客にいわれてしまう。
わるいが、別のところにしてくれ。」


「だから、そんなことするかあ!」

ルッチーアは悲しさいっぱいの気持ちで、叫ぶ。

「魔法少女は、魔法を、悪用したりする存在じゃない。」


「きみがそういっても、客に信用してもらわないとだめだ。商売にならない」

撚糸工ギルドはそうきっぱり答え、断った。

それにしても筋が通らない。

商人が当たり前のようにイカサマするこの時代、客からの信用なんて!


針金屋は、とぐろに巻いた針金のその長さを、途中から太くしてごまかす。腐りかけワインに香りのよい香辛料を
混ぜて客にだす。ビールを樽ごと売るなら、樽底を厚くして量を誤魔化す。

商人なんか、いかに客を騙すかってことばかり考える連中じゃないか!



この時代の魔法少女は、人々から広く認知されているので、その正体を隠して職につくことはできない。
そもそも、支庁舎にいけば修道院長に頼んで、都市に住む魔法少女の名前一覧を調べ上げることなんて、
簡単にできる。



だから、魔法少女としての正体を知られつつ、何かしらの職種ギルドに加入しないといけない。


これがとんでもなく難しいことだった。


人々は、魔法少女が、変身して魔獣と戦う、奇想天外な存在だと思っていた。

それが自分たちを助ける存在だと知っているし、なかには、川の汚染の浄化が魔法少女の奇跡だと
勘づいている人すらいるのだが、職場で共にしようとまでは思わない。


人間は、魔法少女の力の恐ろしさを知っているので、近づこうとはしない。距離を保つ。


また、そうした現実があるからこそ、支庁舎は魔獣狩りをした魔法少女に対して、修道院を通じて
金銭を払う。


都市の魔法少女はだから、都市だけでなく、外部まで出かけて、魔獣を狩って金銭を稼ぐ者もいた。


ところで、ギルドという同業組合が生まれたこと自体、経済対策であった。


この都市の人口は19万人。


そのなかで、たとえば鍛冶屋で剣を買うもの、修理を頼む者は、ほとんどもっぱら、騎士や、城の守備隊、
傭兵、監視兵に限られる。


靴を売るにしても、ほとんどの場合、それを買うは19万人の都市の住民に限られる。

服にしてみれば、ビロードの衣服は、19万人の都市民のうち、貴族層に限られる。


要するに売れる数が最初から決まっているようなものだ。


そんななかで、同業者同士が無秩序に価格競争して、値段を下げすぎたら、そもそも店が成り立たなくなってしまう。

価格競争するあまり、共倒れだ。



そんなことにならないように、価格の下限を決める、製造する数を決める、一定以上の品質を保つ、といった
ルールをつくりあげるための組合がギルドであった。


だからギルドに加入すれば、そうしたルールは必ず守る。また守らなければ、同業者ギルドとは認められない。


ギルドに加入しないまま店をだせば、ギルド組合から、打ちこわしの憂き目にあう。



しかもそれは、非合法な打ちこわしではなく、現国王・エドワード王から、正式に認められた
暴力だ。


こうしてギルドは、国王の権威を借りてその力を強めた。虎の威を借りたわけだ。

代わりに国王は、自分の権限を譲渡する見返りとして、ギルドに忠誠を要求する。



国王は、ギルドという都市の勢力に覆いかぶさる形で、都市に忠誠を誓わせた。


そういう統治だった。

今日はここまで。

次回、第28話「ロック・ユー!」

第28話「ロック・ユー!」

218


結局、その日もルッチーアはどこのギルドの弟子入りもできず、家に戻った。

銀貨10枚が、今日の成果だ。



ドンドンドン。

家の扉を叩く。

「かあさん」

ルッチーアは家の扉に声をかける。

「もどった。報酬もうけとって」


「いくらだ?」

扉のむこうから声がする。老いた女の声。「報酬はいくらだ?」


ルッチーアは、少し迷ったあと。

嘘をついた。「銀貨8枚…」


「…」


沈黙が一瞬、扉のむこうに流れた。


ルッチーアは、また母が自分を中にいれてくれないのだろうかと予感したが、そのとき、扉がキィとあいた。


「かあさん」

ルッチーアは母親をみあげる。


母親はみすぼらしい衣服だった。

ぼろきれの服。ぼろぼろの婦人服。


「みせてみろ」


母親は命令してくる。

顔は険しい。


「うん…」

ルッチーアは、銀貨八枚を、手の平の乗せてみせる。


すると母親は、言葉もなしに、ぶんとそれを全て奪い取った。

「あっ…!」

ルッチーアが思わず声をあげる。「まってよ…!」


「ここ三日でやっと銀貨8枚か、え?」

母親はルッチーアを睨んでくる。「こんな稼ぎで、妹を嫁にいかせられるか。魔法は使ったのか?」

「だから、魔法は……」

ルッチーアがいおうとすると。


「あたしゃきいてるよ」

母親が娘の言葉を遮った。

「この都市には、悪事を働く魔法使いがたくさんいるってな。路地に隠れる売女どもの稼いだ金を、
根こそぎ奪い取っちまう魔法少女ってやつらの話をね。賢い生き方ってもんだ。売女どもから金を奪い取った
ところで、だあれも同情しないさ。裁判にもできないしね。うちの娘はいつ賢くなるんだ?」


「そんなの、わたしにはできないよ!」

ルッチーアは泣きそうになる。

同じ都市に、そんな、弱者を食い物にするような魔法少女がいるとも、信じたくなかった。


ルッチーアは母親の横を通り過ぎて、部屋へ。



木造の建物は、網枝に壁が泥と土を塗り固めた壁。


食卓には長方形のテーブルが一台おかれていて、そこに家族人数分の椅子がおかれている。


テーブルの上には蝋燭が二本ほどおかれ、明かりを灯していた。



窓がないので、これくらいしか光源がない。


薄暗い蝋燭の火に灯される部屋の椅子に腰掛ける。


そのまま、いたたまれない気分で、部屋での時間を過ごしていた。




魔法少女になってから、どうも、家にいる時間が苦痛になっている。



「おねーちゃん」

すると、妹のリッチーネが、部屋にやってきた。


ウスターシュ・リッチーネ、ルッチーアの妹は、人間だ。妹は、くりくりした瞳を煌かせながら、
ぴょんぴょん飛び跳ねるようにやってくると、ルッチーアの隣の椅子に腰掛けた。


「今日はいくら稼いだの?」

「八枚だよ」

ルッチーアはうんざりする気持ちになりながら、いった。


「魔法で、おかねもちになるって、いってたのに……」

リッチーネの顔が悲しそうになる。

「わたしね、こんど男の人と、二人ででかけるの。もっと、銀貨ちょーだい」


「…」

ルッチーアは妹の顔をみない。


妹は、母の期待をうけて、裕福な男と結婚しようと日々切磋琢磨、女を磨いている。

女を磨くためには、金が必要だ。

そして結婚には、結婚のための持参金が必要だ。


母も妹も、お金持ちになりたいと願った文字通り金づるな魔法少女に、たかっているのであった。



「おねーちゃんじゃさ、恋人できないでしょ?」


妹はいってくる。


「だから、わたしがそのぶん、お金あつめて、綺麗な衣装きて、結婚するね。」


「そーかよ、じゃあ私のぶんまで頑張りなよ」

ルッチーアは妹とは目を合わせないままで言う。その視線は、ただテーブルの机面を見つめている。

「もっとも、私の金はぜんぶ母にとられたけどね」


「かーちゃんが?」

妹が目をくりりとさせる。「そっか、わかった!、じゃあね、おねーちゃん!」


どうせ妹は銀貨8枚にがっかりして、あとで不満たらたらなんだろうな。

ルッチーアは心で思いながら、部屋を出て二階へあがっていく妹のはしゃいだ後ろ姿を見送った。


部屋に誰もいなくなると、手に残った二枚を手の平にのせた。

それをまじまじ見つめる。


結局、命がけの魔獣退治のすえ、手元に残った二枚だ。


「これだけは…」


ルッチーアは手元の二枚の銀貨をぎっと握り締める。「これだけは……わたしのもんだ……」

219



馬上槍競技場では、いよいよ鹿目円奈ペアが出場となった。



競技場は、いよいよ昼もすぎた時間帯となり、酒の入った観客がめだちはじためた。


顔を赤くさせながら観客は、ジョッキに入ったビールもちながら、観客席をたちあがり、あらたに登場する
騎士を待っている。


そして観客は、会場全体にわたって歌をわーわー歌うのだった。



”道端で遊ぶ 平民の子供”


”偉大な男になると大口をたたく”


”顔に泥をつけて いい面汚し”


”空き缶を蹴飛ばしながら 遊んでいる”


ドンドンドン。

ダンダンダン。

観客達は思い思いのリズムを木造の観客席でとりながら、足で地面を踏みしめ、手を鳴らし、歌う。



”いつか おまえたちを 揺り動かしてやる”


”いつか おまえたちを 揺り動かしてやる”



競技場の、ジョストするフィールドを、いま審判が疾走している。


審判は馬頭が描かれた旗をもちながら、観客席の柵の前を走る。審判が自ら競技場を盛り上げる。

バサササ。審判の持つ旗が風にはためく。


すると、観客は、審判が目の前を走ったタイミングにあわせて、おーっと観客席をたつ。

手を大きく振りながら。


まるで観客席全体が波立つように、何百人という観客たちは走る審判の走りにあわせて席をたつのだった。



おーおー声を騒ぎ立てて。




鹿目円奈は、ジョスリーンが使う突撃用槍を手に抱え、会場へむかっていた。

長さ3メートルあるその木製の槍を両腕に抱えて持つ。ジョスリーンの後ろについて会場へ。


そのピンク髪の少女の顔はつらそうにしている。


「これ……おもたいよ!」


そう言う少女の持つ槍の先は、ぷらぷら揺れている。

しっかりと持てていない。


それでも少女は懸命に槍を運んでいた。両手に抱え、胸元で支え、槍が落っこちたりするのをぎりぎりで
耐えている。

そもそもジョスト用槍は、従者二人で持ち運ぶサイズのものだ。前と後ろ、肩に抱えて持ち運ぶ。

少女一人では苦しいのももちろんだった。



ジョスリーンは出撃位置についた。

馬の手綱をひっぱり、すると馬がとまる。ジョスリーンは、馬のうなじをとんとんと叩いて撫でる。馬が尻尾をぶるんぶるんふるう。


「槍を渡してくれ」


ジョスリーがいうと、円奈が、ええいっと声を漏らして、槍を最後の力ふりしぼって持ち上げ、
貴婦人の女騎士に槍を手渡す。


金髪と翠眼の女騎士は槍をうけとった。それを天にむけて持ち、会場へ目をむけた。


「夢の舞台だよ」


と、ジョスリーンは言うのだった。


「ジョストの試合は初参加だ。家系のなかで練習はかなりしたが、本番の試合ははじめてだ!」


「…ジョスリーンさん、勝てる?」

円奈が、おそるおそる上目で、馬上のジョスリーンをみあげる。

甲冑姿で馬に跨る金髪の女の人を。


「心配するな」

ジョスリーンは微笑む。「きみには紋章をたくさん覚えてもらった。きみのおかげでこの日が実現したんだ。
その頑張りを、いきなりフイなんてできないだろう」


「は、はあ……」

円奈がこまった顔をする。

それは喜んでいいのか、怒るところなのか。

どう反応したらいいのかわからなかったからだ。


それにしても槍試合に臨むジョスリーンをかくも心配そうに見上げている円奈の様子は頼りなくて、
おどおどで、かよわい。


とても、このときの様子だけみたら、後に聖地を巡る途方もなき戦いに巻き込まれていく少女の姿にはみえない。


「私はかつよ」

ジョスリーンは不安な顔を浮かべている紋章官の少女とは反対に、自信のある顔つきをしながら、はっきりと
言い切るのだった。

「では試合後にまた話そう」

といい、ジョスリーンは甲冑のヘルメットの面頬(フルプレートともいう)を下に降ろした。

面頬に顔が覆われて、鉄に覆われた顔になった。……甲冑で顔が覆われる。

覗きの部分が目の位置あって、そこだけジョスリーンの鋭い翠眼がのぞいた。

ジョスリーンは馬を進ませる。


いよいよ出撃開始をまつ体勢となった。


「私の説明についてだが……」

すると顔まで甲冑姿になったジョスリーンは、ごそごそと籠手で羊皮紙を一枚、取り出し、それを円奈に渡した。

「自分で考えてきた。きみはこれを読み上げてくれるだけでいい。最高に盛り上がるぞ」


「…」

円奈が無言で羊皮紙をうけとる。

そこに目を通す。


とたんに、不安を浮かべていた顔が、だんだん、困惑になり、ついには、顔を赤くして恥ずかしさいっぱいの
顔つきにかわった。

「ええっ~!」

円奈は、顔を真っ赤にして声をあげる。「これ、私が読むの…!?」


「なんだ、その反応は!」

甲冑姿のジョスリーンが馬上で首をひねる。「いいかね、盛れば盛るほど注目が得られるんだ。馬上槍試合では
実は、そこが肝心だ。騎士の宣伝だから」


「で、でも…!」

円奈は羊皮紙を読みながら悶絶している。「これ、恥ずかしいよぉ……っ!」


「恥ずかしいとはなんだ!」

甲冑の面頬から怒った声がした。

「わたしが、自分でずっと、考えてきた文(ふみ)だぞ!きみはそれをバカにするのか!」


「うう……でもこれはいくらなんでも……!」

円奈が最後まで抗議しようとすると。


「もう時間だ紋章官、審判の前へでてくれ!」

ジョスリーンからいわれてしまい。


なすすべなくして、円奈は、唸りながらとぼとぼ審判官の前へ歩いた。


鹿目円奈、紋章官としての初デビュー。


国じゅう、いや、あらゆる土地からの貴族、諸侯、豪族の騎士たちが集う馬上槍試合の会場、公の場へ。


てくてくてく、小さな少女が消沈気味になって馬上試合のフィールドを歩く。


すでにその顔の頬は熱く、恥に耐えているかのようだ。


場違いなピンク色の髪した少女の、とぼとぼした歩きに、観客たちは訝しげな視線をむける。


会場じゅうの視線が円奈に集まる。


てくてくてくっ。

円奈は、馬上競技場の審判席の前にでた。


奇怪な視線が集まるなか、円奈は、まず対戦相手の騎士の紋章を目で見やる。


黄色い背景色に、赤いバッテン印。


この紋章ならわかる。



「え……こほん……ええと……」


きょどきょどと、円奈は、語り始める。


声が小さすぎて、誰にもきこえていない。



ぽかーんとなる観客席。


「ロジャー・モーティマー卿と戦います私の主人たる騎士は……」


と、相手の紋章を読み取った上で、自分の仕える騎士の説明へとうつる。


そのとき、羊皮紙に目を映した。


そこに書かれたジョスリーン直筆の紹介文。


「……い」


その紹介文を読み始める勇気がでない。

「…い……」

口がどもる。


すると、審判から指摘を受けてしまった。


「紋章官、もう少しはっきりと大声で、この場のみんなに伝わるように話したまえ」


「は…はいっ!」

びっと背筋がのびる。


もう、どうにでもなれえ……!

覚悟をきめて、大声で話し始めた。

「い…その岩を砕く剣の一撃は疾風剣っ!!」

目をぎゅっと閉じ、恥のすべてを捨て切って、大声で話し始めた。

「その剣を抜ける騎士こそは天に遣われし勇者!」


やけくそになって、羊皮紙に書かれた内容をぜんぶ読み上げる。


「そうエクスカリバーを抜くわが主人、わが月光の金を帯びた髪の、翠の眼の騎士の登場で────」


これまでだしたことのないくらい、大声で、円奈は、馬上競技場に叫ぶ。



「世界は驚乱の園となる!その騎士こそはアデル卿ジョスーン!!」



と、最後まで読みきった。


すると、観客席の反応は。



しーん。

沈黙だった。


何百人という、ぐるりと囲う桟敷に座る観客の誰もが、ぽかーんと口をあけて固まっている。


「ううう…」

円奈は、ぽっぽと頬を熱くさせながら、てくてくてくと持ち場に帰っていった。


「なんだあいつ?」

おちょくりだす観客もいて、ぷぷっと周りの何人かが笑った。



「円奈、円奈」

興奮気味なジョスリーンが、息を荒くしながら、もどってきた円奈にたずねた。

「なんで私の紹介のときだけ反応がいまいちなんだ?」


「それは…」

円奈は、ジョスリーンが大真面目に自分であの紹介文をかいたと知って愕然とした。



「私が女の騎士だからか?」

声が少しだけ怒りっぽい。「私が女騎士だから、反応なしか?」


「たぶん、ちがうと思います……」

円奈は伏目になって、顔を赤くしながらジョスリーンの後ろについた。

ジョスリーンの馬が大きな黒い尻尾をぶんとゆらしている。



「私の主人を紹介いたします」

会場のフィールドでは相手側の騎士の紋章官が、説明をはじめている。

「その家系はモーティマー、歴史に名高い誇れる私の主人です」

相手側の紋章官の説明はいたって生真面目で、その語り口も、ほどよい音色で、落ち着きがある。



「周知のちおり」

男の紋章官は空に顔をむけて、はきはきと語る。

「モーティマーの家系はエドレスの国境をいつも広げ、国家を安泰させてきました。その実績は西方エドレスの
市壁の建築、国境警備と森林伐採、土地の荘園化、そして盗賊団の討伐です」

紋章官はお辞儀する。

「審判殿!それから貴人の皆様に、市民の皆様!誇れるわが主人をご紹介いたします、その名はロジャー・
モーティマー卿であります!」

と述べ、丁寧に胸元に手を置いて頭さげ、お辞儀する。


おおおおおおおっ!!!!

すると、観客たちは総立ちである。


色とりどりの旗が競技場全体ではためき、声援と黄色い声、熱気が爆発する。


と同時に、対戦相手の騎士が馬を早足にして会場に現れ、槍を手にもってばっと上向きにして空に向けた。


すごい人気である。



「円奈、なんでわたしのときより反応がいいんだ!」

女騎士は不服そうにたずねてくる。


「うーん、紹介の仕方に問題があると思います」

円奈はそっと答えた。

相手の紋章官のほうがよっぽど丁寧で真面目で、締まった説明をしていた。


「そんなはずはないだろう盛ればもるほど人気がでるはずだ!」

たががジョスリーンは納得していない。

「女の騎士がジョストすることがそんなに観客は面白くないか?」


「試合はじまります」

円奈はそう受け流した。眼だけフィールドにむけ、審判へ視線をむける。


審判が馬の頭を描いた織物の旗をもち、フィールドにでる。


するとジョスリーンは固唾をのんだ。

人生初の本番のジョスト。


夜警騎士として永らく務めていたが、初めて、本物の騎士らしいことができる。




審判が、馬上競技場のど真ん中で、馬の頭を描いた合図旗を、ゆっくりと降ろす。



これが持ち上げられれば試合開始だ。


ごくっ。

女騎士は人生初のジョストを目前にして、喉を鳴らした。



次の瞬間!


ばっ!

審判の合図旗がふりあげられ、はためいた。


旗がふられ、するとすばやく、審判はフィールドから走り去る。



「円奈、きみが紋章官になってくれた、そのお礼をするときがきた!」


女騎士のジョスリーンは告げ。

そして────。


試合開始!



おおおおおおおっ。

とたんに競技場の観客席から、声援のどよめきがいっせいにあがる。




出撃開始だ。


まず試合開始の合図がだされると同時に相手のモーティマ卿が馬を駆け出した。

ドダダッ。


槍をまっすぐに降ろし、ジョスリーンのほうへむけて、馬を走らせてくる。

まっすぐこちらへ馬で走ってくる!槍の先がこちらへむく!


「はっ!」

ジョスリーンも受けてたった。

掛け声あげ、鐙でトンと馬の腹をたたく。



するとジョスリーンの馬が、ヒヒーンと鳴いて、前足ふりあげた。

ダダッとふりあげた蹄を地面に落とし、ドンと地面が鳴ると、馬が走り出した。



ジョスリーンの馬が発進する。


馬上槍試合のフィールドへ。

女騎士は躍り出る。槍を持って!


甲冑の背甲に流れる金髪が、さらさらと風にながれて、競技場へ飛び出していく。



脇に挟みこんでもった槍をしっかり対戦相手にむけて。



ジョスリーンの馬が走り出す。



「が……」

円奈は、きづいたら両手の指を絡めて、祈るように見守っていて応援していた。

「がんばって……!」



ジョスリーンの馬は、だんだんと、速度をはやめる。

柵にそってバババっと走りつづけ、フィールドを突き進む。女騎士の馬は、懸命に泥をけって突っ走り、
全速力をだす。


馬がはしるたびに尻が浮き上がり、ジョスリーンの金髪がゆらゆらと馬上でゆれる。



円奈の知っていた、あの夜警騎士は、いま甲冑姿となって、相手の騎士と槍を交える。




二人の騎士の距離がいま、ゼロになる。



ヒュ!


バキキキ!

ドゴッ!


「いや…!」

円奈が思わず眼を背ける。


激突の瞬間、まず目にしたのは槍の砕ける無数の破片だった。槍はバキバキバキと二本ともおれ、木片と木片が
まじりあってあちこちに飛ぶ。


その無数の木片の舞い飛ぶなかを、二人の騎士が通過する。


男の騎士と女の騎士。


二人とも、馬から落ちていない。



ぐらっとよろめいた動作はあったが、二人とも持ちこたえた。



おおおおおっ。

観客席、沸き起こる歓声。激突を目の当たりにした興奮と歓喜の熱狂。


「は……はああああ」

いっぽう円奈は、ほっと息ついて、胸を撫でおろした。

「無事だった……」



ジョスリーンは馬を歩かせ、円奈の場所にもどってきた。


「だ…」

円奈が、おそるおそる声をだす。

「大丈夫ですかっ…?」


ジョスリーンの馬はてくてく、並足でもどってきた。


女騎士は、甲冑の面頬をもちあげた。そして顔をみせた。

「ううっ!」

ジョスリーンは苦しそうに顔をゆがめている。


「ジョスリーンさんっ!」

思わず円奈が彼女の名を呼ぶ。



「なんて力だ、息ができない!」

面頬あげた彼女の顔が汗ばんでいる。

翠眼のあたりについた汗を籠手でゆぐう。顔色が悪くて、口から苦しい喘ぎが漏れ出る。

「胸がくるしい!息ができない!うふっ!」

といって咳き込む。


「ジョ、ジョスリーンさん…!」


銀色をした甲冑の胸をドンドン叩いていた。

それから深呼吸する。


「恐ろしい力だ」

と、女騎士は呟く。

「私もジョストの練習をしてきたが、親族には手加減されていたのかもしれん。私が女だから」


「そ、そんな…」

円奈の顔が落ち込む。


「だが、勝つ!」

ジュスリーンはそう宣言すると。


甲冑の面頬を降ろし、顔を鉄で覆った。


馬を再び進め、二回戦目へ。



審判が旗を降ろす。


「ジョスリーン卿!準備はいいか?」

審判がきくと。



ジョスリーンは、槍をばっと上にもちあげ、返事をする。



すると、さっきとはちがい、いくらかの歓声が、観客席から起こった。



審判はすると、自分の合図旗を地面にまで近づけて降ろし。


ばっと持ち上げた。


旗がはためき、審判は走ってフィールドから去る。


その奥でジョスリーンが馬を走らせはじめる。


相手の騎士も走る。


バババッ。


「はぁっ!」

槍を前にむけ、脇に挟み込むジョスリーン。

その馬が区切り柵に添って歩を速め、やがて駆け足になる。


ダダッ。

馬が走り、ジョスリーンの身体が上下にゆれる。

しかし槍だけはしっかり抱えもって、ぐらつかせない。固定している。


「やぁ!」

掛け声あげ、懸命に、相手騎士の槍と正面から激突した。


バゴッ!


二人の槍が柵を越えて交差し、バッテンに交わる槍が、互いの相手の胸をつく。


モーティマー卿の伸ばした槍はジョスリーンの胸に当たり、ジョスリーンの槍はモーティマー卿の胴にあたった。


そして二本の槍とも砕け散る。



ぐらっと馬上でゆらめく二人の騎士。

ジョスリーンは槍に胸をど突かれて、大きく馬上でのけぞり、からだが勝手に空をみあげた。

体の感覚が飛ぶくらいの衝撃だった。


それでも手綱だけは握り、何歩か馬が走ったあと、身を起こして耐えた。



相手のモーティマー卿も耐えた。


馬から落ちたら負けだ。



「す……」


円奈は、ジョスリーンという女騎士が、ジョストに果敢に挑んでいく姿に。

「すごい……」

目を奪われ始めていた。



二人の戦いは互角だ。


男と女のちがいあれども、対等に戦い抜いている。


最初の紋章官の紹介で大コケした女騎士だったが、しだいに、互角に渡り合って戦い抜いていくうち、観客
の人気と歓心を集めはじめていた。


「ジョスリーン!ジョスリーン!」


そんな声まできこえてきて、観客席の盛り上がりが、高まってきている。



円奈はそんな観客席の人々を眺めた。

夢中になって騎士たちを応援し、酒を飲んだりしながら、観客席で楽しんでいる。



ジョスリーンを応援している人がいる。


それだけで、なくとなく、嬉しくなってくる円奈だった。


ジョスリーンはまた、馬の並足で円奈のところへもどってきた。


「次で三回戦だ」

ジョスリーンは馬上で甲冑の面頬をあけた。

その顔に汗は増している。顔から余裕は消えている。


「次で決着がつく。いまのところポイントは私とモーティマー卿で2-2。引き分けにもなりえるが、
次で勝つ!」


といって、また、甲冑の顔の面頬を降ろして閉じた。



三回戦開始の合図をだす審判が、すでに旗を地面に近づけて降ろしている。


「ジョ、ジョスリーンさん…!」

円奈は、紋章官としての自分の立場すら忘れて、自然と、口からでた。

彼女を応援する言葉が。


「がんばって……!」



甲冑の面頬を閉じて顔のみえないジョスリーンは、槍だけふりあげて、円奈に応えた。


”勝ってみせるぞ!”



そういってくれた気がした。



円奈が両手を絡めながらそっと微笑む。



審判が合図旗をふりあげた。

ばさっ。青空を仰いではためく白い合図旗。


審判はすばやくフィールドの草むらを去る。


観客席から沸き起こる興奮の声。


「はっ!」

ジョスリーンが鐙で馬の腹をトンと叩き。


進撃をはじめる。



槍が伸びる。



柵の脇に添って走り、一直線にフィールドを駆け抜け、対戦相手へ。



円奈が、両手を絡めていっときも目を離せずに見守っている。



相手の騎士もちかづいてきた。


互いに、全身と顔を、フルプレートで隠しているので、それだけ一見すると性別の区別はつかない。


けれどもジョスリーンの背には豊かな金髪がなびいてゆれているので、それで対戦相手も女騎士だとわかるだろう。



その女騎士が、一歩も引かず、槍を伸ばし……



同時に、槍同士の先端が、相手の身体に激突した。



ズドッ!

モーティマー卿の槍が女騎士の腹に直撃。


ジョスリーンの身がぐらっとよろめき、馬上でゆれる。


「…ああっ!」

円奈が、思わず声を漏らしてしまう。


だが負けじとジョスリーンの槍も伸び、モーティマー卿の顔面をついた。甲冑の面頬へ槍先がめり込み、つぶれる。

木片が顔面から散り、飛び散って、騎士が大きく仰け反った。



おおおおおおっ!

観客席から沸き立つ興奮。



モーティマー卿は背中を馬の背につけるくらいぐったりとよろめいた。


一瞬、そのまま甲冑の重みで落馬してしまうようにみえたが。



よろめいたままバランスだけは保たれ、相手は馬上にのっかったままジョストのフィールドを走りきった。


落馬しなかった。

槍同士を交えた馬上の二人の騎士は、ジョストを走りきる。



おおおおおっ。

「すげえ!」

際どい戦いに観客の興奮の声が、あちこちから聞こえてくる。「すげーぞ!」「やるじゃないか!」


女騎士は金髪をゆらしながら、馬を歩かせ円奈のもとにもどってきた。


ジョスリーンは、真っ二つに折れた槍をばんとフィールドに投げ捨て。


甲冑の面頬を開けると。


円奈に言った。


「勝った!」

その顔は汗ばんでいるが、嬉しさに満ちていた。「円奈、勝ったぞ!」


といって、笑う。


「えっ!」

円奈が驚いた顔をする。


それからフィールドの審判へ目を映した。



審判は、白い旗を二本、左右にもっていたが、やがて左手を持ち上げた。


ジョスリーンのいる側だった。


「ポイント4-3でアデル卿の勝利!」


おおおおおおおおっ。


観客、今までにないくらい大興奮、今日で一番のどよめきが起こった。


「ジョスリーン!ジョスリーン!」


「女だと思っていたが、なかなか強い!」


そんな声がきこえてくる。

「いい戦いだった!」


ジョスリーンはすうと息を吸っている。

喜びに満ちた顔を太陽の日にあてる。


「ふう」

大きくい息をはいて、円奈にむきなおった。

「相手の顔面を突く練習はたくさんした。ポイントは2だ」

といって、微笑みかける。



「うん……!」

円奈はなんだか、ジョスリーンの勝利が、自分のことみたいに。

嬉しく思っていた。

220


ジョスリーンは馬から降り、面頬をとった。

頭だけ外気に晒し、髪をだし、甲冑姿で競技場を歩く。


「信じられない本番のジョストに勝てた!」

と、ジョスリーンは子供のように喜びを露にしている。

「私みたいな女の夜警騎士には大会出場は無理だって家でいわれ続けてきた」

甲冑姿でガタガタ音をたてながら、円奈をつれて歩く。

「でも初勝利した!きみのおかげだ」

突然女騎士は立ち止まり、籠手に包まれた手で、円奈の両手をもちあげる。

「ほんとうにきみのおかげだ、円奈、ありがとう!」


円奈も喜ぶように笑っている。

「かっこよかったです!とても!」


「そうかな?」

ジョスリーンはますます嬉しそうな顔をする。「きみは俗な都市にいるうち、世辞を学んでしまったのか?」

「そんなんじゃないです」

円奈は首を横にふる。

その顔つきは優しい。

「騎士ってかんじでした。あんなかっこいいジョスリーンさん、初めてです!」


ジョスリーンはうーんと腕組んで、鼻をふんと鳴らした。

「たしかに世辞は学んではいないな」

221


それから二人は、次の試合種目である”剣試合”の会場にむけて、都市の競技場を歩いた。


競技場で最も大規模なのは、いうまでもなりジョスト用の劇場だが、他にも都市では、”剣試合”、
”弓試合”、”フレイル試合”、”斧試合”がある。


このうちもっとも野蛮なのは斧試合かもしれない。

互いに鎧を着込んでるとはいえ、本物の斧をぶつけあう試合だ。


ジョストでは試合用の殺傷力を控えた槍を使うのに、斧試合は本物の斧。


血みどろの試合となる。

首がおちることはしょっちゅうだ。

安全第一というかんじに交流試合する時代ではない。




ジョスリーンは自分の参加する種目として、”ジョスト”と”剣試合”の二種目を選んでいた。


「どうして二種目を?」

円奈が、剣試合の会場にむかいながらジョスリーンにたずねると。

「騎士として馬術と槍の技術が要求されるのはもちろんだが───」

ジョスリーンが答える。

街路を激しく人々が行き来するごみごみした切り妻壁の通路を、せわしなく通り抜け、会場へむかう。


ビールのジョッキを樽に置いてのんだくれている市民から、真面目に商活動して魚を路地に敷いたベンチで
売る市民など、その姿は十人十色だ。街角には卸売り業者もいる。


ジョスト参加者の騎士の破損した鎧を治す鍛冶屋もいる。


頭に籠をのせて穀物を運ぶ女もいる。農村から都市に運ばれた穀物類を買ったのだろう。


円奈は何度も人と肩がぶつかりそうになり、人並みを際どくよけて、落ち着かない足取りをしながらジョスリーンに
懸命について歩く。


「騎士はもちろん、徒歩戦もする。馬上で戦うだけが騎士じゃない。剣の技でも、私が実戦にでれる
ことを証明しなければ」


「…」

円奈が、不安そうにジョスリーンの背中を見つめた。


「もう試合の時間になっている。急がないと」


甲冑姿のジョスリーンが早足にする。


円奈も足をはやめた。


が、その円奈の目に、ある光景が入ってきた。


”弓試合”の光景だった。


二人はちょうど、通路を通り抜けるとき、”弓試合”会場の横に通りかかっていた。


「…」


弓試合では、同時に10人くらいが横列にならび、同じ距離から、的むけて弓を放つ。


バシュバシュと参加者たちが弓から矢を放ち、50ヤードほどむこうの円の的むけて矢を放っている。



そのほとんどはあまり当たっていない。


的は丸くて、中心に小さい円、まわりにもっと大きな円を何重にも重ねている的だ。

弓試合のルールは、10人が同時に弓を放って、一番中心に近い円に当たった三人が勝ち残り、その三人が、
三本ずつ矢を放って、その三本の矢がもっとも中心に近い一人が、次の試合に進出。

使う弓はなんでもよい。

ロングボウでも複合弓でも竹弓でもなんでも。





「円奈?」


ジョスリーンによばれ、円奈が我に返った。

「あ…うん」


円奈がジョスリーンにむきなおって、女騎士のあとについて剣試合の会場についた。



剣試合の会場は、ジョスト会場に比べたら遥かに質素だった。

まず狭い。



四角い会場で、剣を交えるフィールドは柵で覆われているだけ。


あのときの裁判のような狭さ。



そのまわりに人だかりができていて、わーわー声をかけている。


剣試合する剣士と観客の距離がとてつもなく近く、下手したら剣が観客にあたってしまうのではないか
というくらいだ。


「剣は私の得意種目だ」

女騎士はいい、鞘から剣を抜いた。


「フィールドに入るのと同時に試合がはじまる」


というと、金髪を背中にながしながら、鋼鉄の剣を抜いたままフィールドの柵中へと入った。

ギラギラと重たい剣を手にもったまま入場する。



「あ…」

どうやら、ジョストとちがって紋章官の説明は不要らしい。

円奈をおいてとっとと柵に入ったジョスリーンは、さっそく相手の騎士に襲いかかられた。


「うううおおおお!!!」

相手の騎士は剣ふりあげ、いきなりジョスリーンに襲い掛かってくる。


そして、いきなり太刀が振り切られる。


「うわっ!」

円奈は、自分にまで剣が当たる気がして、あわてて柵から飛びのいた。


「はっ!」

ジョスリーンが剣をもちあげる。


対戦相手の剣をきれいに受け止める。ガキィン!二人の剣が交差する。



おおおおおっ。


柵の外側の観客がわーわー声をだし、騒ぐ。


剣試合も、そこそこ人気の種目だった。



すると対戦相手は、ジョスリーンに迫りながら、繰り返し繰り返し剣を振り切ってくる。


ガキン、ガキン、ガキン────。


ジョスリーンは後ろに退きながらその一撃一撃をすべて受け止める。


剣同士が当たるときに鳴る金属の重たい音が、連続して空気中に轟き渡る。

が、その衝突音も、ほとんど観客のどよめきにかきけされた。



対戦相手は五回目、剣を縦にふりきり、ジョスリーンはそれを自分の剣で横向きにうけめた。


相手の剣の動きがとまる。


ギシギシギシ。


剣が交差しながら、押し合いになる。しだいに、相手の騎士が女騎士を、柵の隅へとおいつめていく。


剣の押し合いは、力が男騎士のほうが強いみたいだ。



「…っ」

円奈が思わず息を飲む。


ジョスリーンを柵の隅までおいつめると、男騎士はとどめとばかりに、大きく剣をふりかざした。


ブンッ!


剣の太刀が落ちる。

ジョスリーンはずはやく潜り抜け、柵の隅を脱出し、男騎士の後ろへ回り込んだ。


その身軽な芸当に、おおおおっと観客が声をだす。


男騎士の体勢はゆらぎ、女騎士の体勢は整っている。ジョスリーンは剣をまっすぐ前に構えもち、
相手の剣を待ち受けている。


「とりゃあああ!」


七回目の攻撃!


その攻撃は力任せで、適当で、剣術ってふりかたじゃない。


いっぽうジョスリーンは華麗にそれらを綺麗にうけとめる。


振り落とされる剣は横向きに受け止め、防御する。まっすぐ伸びてきた太刀は自分の剣ものばして絡め、剣先をそらし、
相手の懐にはいってしまう。


そして、10回目の敵の攻撃。

ブンと横向きにふるわれた相手の剣を、懐に入ったジョスリーンが頭を屈めてよけようとした。


が、甲冑も重たさにそこで気づいた。


思いのほか身体が動かず、遅くて、相手の太刀をかわせなかった。



ドス!

ガキ!

敵のふるった剣がジョスリーンの鎧へ食い込む。


と同時にジョスリーンの身体はバランス失って傾き、膝をついた。手に握った剣をとりこぼして、
どてっと身を投げ出して崩れ落ちた。

つまりころんでしまったのだった。


おおおおおっ!


観客、大歓声。口笛がふきならされる。



「ジョ…ジョスリーンさん!」

円奈が思わず叫び、手を前に投げ出してころんだ女騎士を呼ぶ。



「アデル卿対ファウルファースト卿、現在0-1でファウルファースト卿の優勢!」

審判が白い旗を左側へあげる。


おおおおおっ。

観客、興奮。


するとファウルファースト卿は、兜をぬぎ、顔をみせつけ、おおおおおっと自分で雄たけびあげ、
自分の勇姿と、戦う姿を、対戦相手を叩きのめしてみせた自分を、思う存分アピールした。

「おおおおお!」

脚光のなか、一人で雄たけびをあげている。「おおおお!!!」

もっともっと自分をみてくれといわんばかりに、両手をひろげ、天を仰ぎ、観衆の熱狂のなかで雄たけびを
あげている。



いっぽうぶっ倒れたジョスリーンは、起き上がれないでいた。


長い金髪を地面の砂につけ、地面でもがいている。


円奈が慌てて柵のなかに入り、かけつけて、ジョスリーンを起こそうとした。


「鎧が重くて自力ではたてない!」

と、ジョスリーンは苦しそうに歯を噛み締めながらいった。

「起こしてくれ!」


「は…はい!」

円奈はジョスリーンの鎧をもち、もちあげようとしたが。


「おもたっ!!」

まったく微動だにしなかった。


鎧の重さを、今更思い知った。



そうして動けないでいると、一人の少女が柵のなかに入ってきた。


ジョスリーンと同じ金髪の少女で、背は円奈とジョスリーンの中間くらいだった。


赤い目をした金髪の少女は、鎧の間接部分の隙間に指をいれ、片手でひょいともちあげてしまう。

ジョスリーンがぐいっと身体をもちあげられる。


「人間というのは───」

金髪の赤い目の少女が言った。「こんな重たい衣装を着てまでしないと戦えないのだな?」


ジョスリーンが相手を見た。「魔法少女か」


金髪で赤い目の少女が不敵に笑った。「まあね」


「人間の剣試合が面白いかな?」

ジョスリーンがたずねると。

「私は観客の一人だよ」

魔法少女は答え、すると、立ったジョスリーンを手放した。

「女だが、勝てるか?」

今度は魔法少女がたずねてきた。


ジョスリーンは頷き、答えた。「あの相手なら楽勝だ」


「そうか」

魔法少女は笑って、柵外へと戻り、観客のなかに再び紛れた。


「あの…」

円奈が、不安そうに二人のやり取りをみていると。


「円奈」

ジョスリーンが、従者である彼女に、告げた。

「ここからは私がヤツを叩きのめす番だ!」

「えっ」

円奈が驚いた顔をすると。



審判がばっと、腕をふりあげ、指示をだした。

「攻守交代!」


さっきは、ファウルファースト卿が攻撃側で、ジョスリーンが守り側だった。


ファウルファースト卿の攻撃10回のうち、9回は防ぎ、一回だけ受けた。


それで、現在のポイントは0-1で、ファウルファースト卿の有利。



つまり、攻守交代した今、ジョスリーンは、攻撃側に立って、10回のうち2回でも相手に剣をいれれば勝ちだ。


審判が旗をばっとふりあげる。「後半戦開始!」


おおおおっ。

観客が沸き立つ。


「いくぞ!」

ジョスリーンがいっきに相手へ距離をつめ、剣をふる。


まず横向きに一撃。左脇を狙う。


相手のファウルファースト卿はそれを縦に受け止める。ガキン!一回目。


「はっ!」


そのまま横向きに剣を流し、こんどは逆向きから斜め向きに斬撃をくりだす。

相手はそれも右側で受け止める。ガキィィン!二回目。


しかし、さっきは左で守ったのに、次には右から剣が繰り出された、その左右をゆさぶる攻撃の激しさに、
だんだん、ファウルファースト卿の剣の動きが不安定になってくる。


さらにジョスリーンは、前へ突きをくりだした。



「うお!」

ファウルファースト卿はそれを受けて、突きを下へ受け流して守った。三回目。




が、このとき、手首のむきがおかしくなり、いよいよ剣の持ち方がぐらついた。


このときをまっていた。


「とりゃあっ!」

ジョスリーンがおもいきり剣を両手に握り、振り落とした。


この守りにわずかに間に合わず、ファウルファースト卿の腕に剣かドシンとあたる。


ドッ!

「うっ!」


「アデル卿に1ポイント!」

審判が叫ぶ。


おおおおおっ。観客が騒ぐ。



腕に剣の一撃が上から落ちたファウルファースト卿は、ぐらっとゆらぎ、甲冑の重さにひっぱられて、
柵側へとよろめいた。


一度体勢を崩せば、もうこっちのものだ。


「はっ!」


さらに、五回目の攻撃。振り落とした剣を、大きくもちあげてふるう。繰り出される斬撃。


甲冑の重さにひっぱられ、思うように身動きとれないファウルファースト卿は、守りがまにあわない。


ドッ!

五回目の斬撃が、ファウルファースト卿の胸元を打った。


「アデル卿に1ポイント!」

この時点でジョスリーンの勝利は決まった。


もちろん、そこで止まる女騎士ではない。


さらに彼女は、ぶんぶん右に左に、剣の攻撃を繰り出していった。剣がいったりきたりするたび、相手の
鎧をたたく。

ドゴッ!ドコっ!バキン!

「アデル卿に3ポイント!」

審判が声をふりうげる。


そして、9回目の攻撃。

ドガッ!

相手騎士の顔面をたたく。「アデル卿に1ポイント!」


ファウルファースト卿は顔面を剣でたたかれ、柵によろめいた。

彼もなんとか繰り出される攻撃を防ごうと剣を振るうのだが、甲冑の重さのせいでついていけず、どの動きも
一歩手遅れ。

攻撃をうけてからやっと受けに入るということの繰り返し。

さらにジョスリーンは、思い切りもう一度、剣を頭上へふりあげ、全体重のせて敵の顔面に振り落とした。


剣の先が、円を描きながら、ファウルファースト卿に頭におちる。

ドガッ!


「ぐっ…!」


ついにファウルファースト卿は大きくよろけて、ふらふらと、柵によりかかり、すると、甲冑の重さに
耐え切れず柵が折れた。


柵がバキッと割れる。

彼は尻から落ち、ドッテンと大の字になった。



おおおおおおっ。

観客の歓声。声援。剣試合場を包み込む。


「ポイント7-1でアデル卿の勝利!」


わああああああっ。

会場見物していた誰もが、女騎士の活躍ぶりに熱狂した。


ジョスリーンは兜を脱いだ。


そして顔をみせ、円奈に微笑んでみせた。

が、その微笑んでいたところを、審判に肩をたたかれた。


ジョスリーンが顔の向きを審判にむける。

「ん?」審判とジョスリーンの目が合う。

審判はジョスリーンに言った。「柵を割るのは反則行為だ」


「ちょっと待て割ったのは私じゃない」

するとジョスリーンは抗議した。「割ったのはアイツだ。アイツが勝手に柵にもたれかかって折れたんだ」

といって、ぶっ倒れた敵騎士を指差す。


審判は女騎士をじっと睨む。

しかしそのジョスリーンの抗議に納得したらしく、無言で頷くと、ジョスリーンのもとは離れた。


「ギルドから大工をつれてこい!」

と審判は、会場の副審判に命令をくだし、すると副審判は、ギルド街むけて走り去った。


きっと柵を修理するための大工を呼んでくるのだろう。


「ジョスリーン!ジョスリーン!ジョスリーン!」

会場では女騎士への熱狂がまだやんでいない。

馬上槍試合で貴婦人が、騎士の甲冑をかぶり、男騎士を相手に激戦の末勝利したこと、華麗な剣術で初戦の
相手を叩きのめしたこと───。



その女騎士のことが都市で噂になりはじめていた。


円奈は、観客たちがジョスリーンの名を呼び、エールを送る光景を目にしながら…。


なんとなく、自分まで誇らしくなってくるような、変な感覚を覚えていた。

222


それから二人はジョストの試合にもどった。

ジョスリーンは初戦を勝ち進み、二回目のジョストへ。



円奈はまた、別に文を渡され、審判の前で読み上げている。



「天使よ!馬に跨り地上を覇す剣の乙女よ!」


顔を真っ赤にさせながらジョスリーン自作の文をよみあげ、紹介する。


ハハハハハ。

観客からは失笑が漏れる。しかし観客たちは、女騎士のその説明を、ひやかすのではなくて、もうそうゆうものだ
と思って受け入れ始めていた。


「大地を揺るがすアーサー王の再臨!」


円奈の恥を耐える声が劇場に轟く。


「わが主人こそは騎士道精神の結晶、アデル・ジョスリーン卿は───」



語りながら、ちらと、相手側の騎士が掲げる紋章に目を通す。


赤い三角形がふたつ、上下に描かれた紋章をみる。



「クラインベルガー卿と戦います!」



甲冑姿となって現れる女騎士。

おおおおおっ。


観客は彼女の登場を喜び、声援をごぞって送った。


円奈は顔を赤くしながらそそくさと足早にフィールドを去る。



そして、審判が旗をばばっとふるって試合開始の合図。


「はっ!」


ジョスリーンの馬が走り出す。柵に沿ってフィールドを、一直線に。


そして、騎士と対決。


バキキ!


槍が吹っ飛ぶ。


吹っ飛んだ槍は、相手の槍だ。


ジョスリーンは相手の肩に槍を直撃させ、貫いた。すると敵は槍を手放してしまう。


手放された槍はフィールドに落ち、それを馬が蹴りあげた。猛スピードで蹴られた3メートルの槍がポーンと
フィールド上を跳ねあげられる。


そして何度も何度も馬の四足に蹴られて、立ったり傾いたりして、槍はやがて地面に転がった。



おおおおおっ。

観客席から飛び交ってくる歓声。



ジョスリーンは折れた自分の槍をバンと投げ捨てた。


自分の立ち位置に戻り、二回戦目へ。



「1-0で現在、アデル卿の優勢!」

審判が告げる。


「二回戦、準備はいいか?」


二人の騎士は予備の槍をぐいともちあげ、準備ができていることを動作で示す。



二人の動作を察した審判が、合図旗をもって前へでる。

そして合図旗を下へ降ろし、地面に近づけ、そのあと、ばっと振り上げる。


と同時にジョスリーンもクラインベルガー卿も突進を開始する。



ダダタダダッ。蹄の音が二匹分、轟き。


その蹄と蹄の音はしだいに近づき。



槍がぶつかる。


ジョスリーンの伸ばした槍がクラインベルガー卿の胴にあたった。


ドッ!

槍が曲がる。3メートルある槍は馬の速度と甲冑の激突のなかで、だんだん折れ曲がってゆき、やがて真っ二つに
はじける。


いっぽうクラインベルガー卿の槍もジョスリーンの胸にあたった。


甲冑に守られた胸のふくらみのあいだくらいに槍がささる。


が、こっちの槍は折れず、クラインベルガー卿は槍を突いたときの反動にたえきれず、槍を手から取りこぼした。


そして槍は柵の上に落ちた。落ちた槍はすれ違う二匹の馬に蹴飛ばされて、柵の上でくるりと回転した。
猛風にあてられた風車のように、ブンとまわって、やがて柵から地面に落ちた。


相手の騎士は、初戦で腕を突かれた痛みで、槍を満足に持ちきれない状態なのだろう。



「2-0でアデル卿の優勢!」

審判が告げると。



観客がわあああっと沸き立つ。

それにしても声がやまない。底なしの活気であった。


声をあげ疲れたら、すぐちかくに酒場があるので、そこで元気を補充してきているのだった。


観客のなかには魔法少女もいた。

都市の女たちが騎士に夢中になって、きゃああああっと黄色い声あげているなかに紛れて、席で人間同士の
戦いを見物する。


実戦の戦いに出ている魔法少女はこの場には当然ながら、いなかった。


ジョストを見物にくる魔法少女といえば、普段は市民として暮らし、夜は魔獣退治をするような市民階級の
魔法少女。


昼は人間と同じように暮らすから、人間と同じように、ジョスト見物を楽しんでいた。


基本的に貴族の遊びだから、市民出身の魔法少女はジョストに出場できない。


また魔法少女のジョストの参加そのものが、そもそも禁止であった。


勝てる人間の騎士がいなくなってしまうからだ。



本物の槍に突かれても平気で立ち上がってくる魔法少女が、かぶせ物同士の槍のぶつけあいを、
ものともするはずがない。


だからジョスト見物をしていて、やがてジョストそのものに興味を魔法少女がもちはじめても、
参加資格はないのだった。

もっといえば、市民出身の魔法少女は、自分の馬を持たない。


指をくわえて人間たちの華麗な戦いを見物するだけだ。



「円奈、円奈」


三回戦目を控えたジョスリーンが、馬上で甲冑の面頬をあげると、苦しそうな顔をみせた。

「腕がしびれてきた手首が痛い!」


馬の馬力も加わった槍を、敵の甲冑の鉄にぶつけることを繰り返してきた負担が、女騎士の腕にかかりはじめいた。


「槍を渡してくれ自分じゃとれない!」


「う、うん…!」

円奈は、重たい槍を両手に抱えて、うーっと力む声あげながらジョスリーンに渡す。


ジョスリーンがそれを持つ。


「馬が走りだせば槍が軽く感じる」

それが空気圧力という仕組みにあることは、この時代の騎士はしらない。

「だがそれまでが苦痛だ」

女騎士は甲冑の面頬を閉じた。




「三回戦にうつります」


審判が告げる。

「準備は?」


二人の騎士が槍を持ち上げる。



審判は旗で試合開始の合図をする。


試合開始だ!

二回目のジョストの三回戦!

2-0でジョスリーンが優勢だから、落馬さえしなければほとんど勝ち確定。


もし顔面を相手に突かれたら、2-2で引きわけとなる可能性はある。




女騎士が馬を走らせる。槍をまっすぐに前へだす。だだだだっ。馬が走る。その黒い尻尾がゆれる。




追い詰められた相手のクラインベルガー卿も、馬を駆け足で走らせる。




ジョスリーンも、クラインベルガー卿も、柵の右側に沿って馬を走らせる。


騎士二人は槍をしっかり抱えもつ。


上下にゆらぶられながら二人の騎士は、槍を相手へとむけ、互いの顔をみながら、距離をせまめる。


いよいよ距離がちぢまると、右脇を動かし、槍の狙いを定め、柵を相手側へ乗り越えさせる。


相手の胸元へ狙いを定める。


それはジョスリーンもクラインベルガー卿も同じタイミングだった。


ヒュッ!


クラインベルガー卿の槍が伸び、ジョスリーンの首を突いた。


ドゴッ!

バキイッ!


ジョスリーンの上あごが槍に突き上げられ、彼女は首が上向いて天をみあげた。

甲冑の兜が浮き上がり、首元のバンドが裂け、女騎士の顔が露になった。




「…そんなっ!」

円奈の悲鳴があがる。


だがジョスリーンは落馬しなかった。


顔が上向いたまま自分の槍をのばし、それはクラインベルガー卿の身体にあたる。


その槍は砕けなかったが、ガンと音がして、クラインベルガー卿の甲冑を突いた。

狙いだけはぶれなかったのだ。槍は先端だけばぎぎっとと砕けた。



おおおおおおおっ!!

激しい展開に興奮した観客が騒ぎ立つ。



ジョスリーンは兜を落としたが、ジョストを走りきった。



会場を走りぬけ、体勢をたてなおす。



「決着!」

審判は告げ、旗を構える。


その旗を、左手にもちあげた。


「3-2でアデル・ジョスリーン卿の勝利!」


「いやったああああ!」

その場で一人、飛び上がってはしゃいだのは円奈だった。飛び上がりながら、腕を胸元で握り締める。

「すごいよ、ジョスリーンさん!」


といって、馬で戻ってきたジョスリーンの前に喜色いっぱいの笑顔をして走る。


「勝ちましたね!」

円奈がはしゃいだ様子でジョスリーンに呼びかけると。


「ああ、もちろんだ」

と返す女騎士だった。


「今日の部はあと剣試合がもう一戦だけだ。息着く間もない。いくぞ、円奈」

「はい!」


円奈は、嬉しさいっぱいで、観客たちのどよめく歓声のなか、女騎士のあとについていった。

223


場所を移しながら二人はいくらか話をした。


また、あの弓試合の会場の横を通り過ぎ、剣試合第二戦目とむかう。

弓試合では、弓のビュンビュン弦のしなる音が轟き、矢が飛んでいる。


そして、ビターンという的に当たる音。


そのときも、観客が、おおおおっと歓声をあげるのだった。


「敵が首を狙ってくる気はしていた」

とジョスリーンは話す。

「あの時点で、差は2-0。私に勝つなら落馬させるしかない。それでもせめて引き分けに持ち込むとしたら
顔面を突くことだ。そこは警戒されているだろうから、首元が盲点になることはある。ジョストは、読み合いだよ。
敵がどこを狙うか、私はそれを受けてどこを狙うのか」


「首に槍をうけたとき…」

円奈は歩きながら、あの瞬間を思い起こして、心配な顔をした。

「すごく痛そうで……思い出すだけで息がつまりそう……」

目にじわっとわずかだけ涙が浮かぶ。


「ジョストが────」

女騎士はからかうように笑いかけた。「恐いか?」


「それは……まあ…すこし…」

円奈が、しゅんと顔をふせて答えた。


「円奈もしたいとは思わないのか?」

ジョスリーンはそんなことを訊いてくる。


「わ、わたしは、ああいうことはしないもん……」

と、円奈がいうと。


「きみも騎士だろう」

と、ジョスリーンはまだからかってくるのだった。


これには円奈も少しだけ怒って、頬を赤くさせるとすねた。

「わたしは、ジョストするために騎士になったんじゃないもん。聖地に旅するためだもん」


といって、ジョスリーンをおいて先に剣試合の会場へ早足でむかった。



その歩き去る円奈の後姿を見つめながら、女騎士が両手をふりあげて降参の意をしめした。


「これはきついお言葉です、鹿目さま、お待ちくだされ!」

224


こうしてジョスリーンは剣試合の二回戦目へ。


柵の中にはいり、腰に差した鞘から剣を抜くと、対戦相手と剣を交える。


キィン、キィン、キィン────。


柵のなかで剣同士のぶつかりあう音が轟く渡る。


剣試合も、ジョストに負けず劣らずの観客の数だ。



剣試合の二回戦目は、またもジョスリーンが守備側からのスタートだった。


五回目、六回目、七回目───。


相手の剣を七回目まで無事に受け止める。


ジョスリーンの動きは見事で、剣の動きも流れるようだ。自分で剣が得意種目だという自信も頷ける動きだ。


だが二回のジョストを終えたあとでは、さすがに女騎士の息はあがってきていた。


動きこそ余裕をみせるが、甲冑の面頬から漏れる息遣いはつらそうにしている。


相手もそれに気づいた。


うおおおお!

相手の騎士が剣をふりきってくる。



「ふっ!」

女騎士も剣もちあげそれを受けた。

が、男の全霊の体力をつかったその一撃が、ジョスリーンの剣ごと彼女の甲冑を斬り、ジョスリーンは
男の剣に力負けして、押されて、自分の剣で自分の鎧をガギギイっと叩いてしまった。




「ロリング卿に1ポイント!」


審判が旗をあげる。剣が当たれば一本、だ。


「おおおお!」

勢いづいたロリング卿がさらに剣をふりきる。


ダン!ドガッ!


逃げようしたジョスリーンの背甲を正確にとらえる。


金髪の流れる背中に剣が入り、ダンと鎧をたたく。


ジョスリーンは前のめりに数歩よろめき、苦しそうな顔をした。


「くらえ!」


さらにロリング卿の思い切り振り切られる、水平の斬撃。

これがまたジョスリーンのわき腹にあたって、ガンと音がなった。


鋼鉄の剣が鎧をたたき、ジョスリーンは衝撃でさらにぐらつき、バランス崩し、膝をついて倒れこんだ。



「ロリング卿に2ポイント!3-0で攻守交代!」


「いぇああああ!!」

ロリング卿が見物客の喝采のなか腕をふりあげる。剣を天に掲げ、そして観客の声援と脚光に包まれる。

天にむけた剣先が太陽の光で眩く反射した。


「ぐっ…!」

ジョスリーンはけほけほとむせながら両手を地面につく。


「ジョスリーンさん…!」

円奈が駆けつける。

「大丈夫だ。円奈、柵にいたら危険だ。外でみておけ」

ジョスリーンは答え、剣をダンと下向きにすると地面に突きたて、それを支えにして起き上がった。


「弱い自分を演じて油断させただけだ。この相手なら勝てる」


といって、ジョスリーンは立ち上がると、あがった息を整え、剣をまっすぐに立てる。


ジョスリーンが攻撃側にたつ。


許された攻撃の回数は10回。


3ポイント取られているから、4ポイントとれば勝ち。


「いくぞ!」


女騎士は剣を大きくふりあげ、相手の騎士へ挑んでいった。



「とりゃ!」

大きく掛け声あげ、第一回目の斬撃。

ダンッ。


女騎士のふるった剣が、相手の騎士の剣にあたる。

ガキッ!


剣の鋼鉄と鋼鉄とが、ぶつかる音。そしてキリリと擦れる音。


「とぉ!」

ジョスリーンは腕を伸ばし、今度は横向きに剣をくりだす。

水平に走る斬撃。


それは相手騎士にまた防がれた。ロリング卿はすばやく剣を持ちあげ、斬撃を頬の前で受け止める。


勢いを殺された。


「がっ!」

しかしジョスリーンは剣を流し、手元に戻すと、また両手いっぱい、上向きに振り上げ、剣を落とした。


ブンっ!

剣先が相手騎士の兜へおちる。


敵が剣もちあげ、それをうける。ドガッ!ザンッ!


相手の剣にジョスリーンの剣があたる。


ガキィィン!


絡まった剣同士が、斜め下向きに受け流される。


さらにジョスリーンは一歩前にでて、剣の柄を両手に握り締め、もう一度思い切り頭上から叩き落とす。


相手騎士が、落ちた剣をまたもちあげ、顔面を叩かれる前にそれを受け止める。


キィィィン!


これで五回目だ。

ジョスリーンの全体重をのせた一撃が、相手に防がれると、ジョスリーンのゆたかな金髪が反動でふわっと
浮き上がった。



攻撃回数を半分使いきって、まだポイントは0だ。


「ジョスリーンさん…!」

円奈が両手を絡めて固唾を飲んで心で応援する。


「おりゃあ!」

ジョスリーンは再び、剣を頭の上から、ブンと振り落とした。前に一歩ふみだし、歯をくいしばって、
精一杯の力をこめて。

相手の騎士はそれも受け止めた。


二人の剣が上下に動いて当たり、そしてそれは地面へと受け流される。下向きに落ちて行く二本の剣同士。



が、これで六回目。まだポイントはない!


「うおお!」

ジョスリーンは掛け声だし、7回目の斬撃を上から繰り出した。



相手はいまいちど、剣をもちあげ、これを受け止めようとしたが。


何度もさんざん剣を下に叩き落され続けて手首がしびれた。

しかもいま、剣は地面にまで落とされているから、持ち上げるには重たい。


甲冑の重さのなかで、剣を受け止める位置まで持ち上げるまでに間に合わない。



そして。


ガン!

ジョスリーンの剣が、ついにロリング卿の甲冑に入った。


「ジョスリーン卿に1ポイント!」

審判が旗をあげ、宣言する。


ぐらっと、ロリング卿の体勢がくらつく。バランスを失って、よろめいて、後ろに数歩、引き下がる。
剣がぷらんぷらんになって定まらなくなる。


いちど防御が崩れればもうあとはなし崩しだ。


ジョスリーンはさらに剣をがんがん繰り出した。




女騎士は剣を持ちながら相手への距離をつめ、そして、剣を伸ばす。


まずそれはよろめいたロリング卿の腹にあたる。これで8回目。

ダン!

剣が甲冑を叩く。

さらに相手はよろめく。


重たい甲冑のなかで、おもうように体勢を元に戻せない。


あとは押すだけだ。


9回目の攻撃。

わき腹へ剣をぶちあてる。

力限り剣をふるい、相手の鎧に強く剣を叩きつけるのだ。


それは斬るというより叩くという剣の使い方。

甲冑と、鎖帷子という、重装備の騎士が相手の戦いでは、剣の使い方は斬るではなくて叩くだ。



繰り出される斬撃の連続を受け、どんどん柵側へ押しやられるロリング卿。


そしてドンと、背中が柵にあたり、逃げ場がなくなると。


ジョスリーンが、とどめの一撃を、思い切り振り切った。

下向きにもった剣を、水平に、持ち上げつつ、相手のわき腹へ。


ドゴッ!

鋼鉄の剣が甲冑を叩く。



「あが!」

ロリング卿は上向きに仰け反り、くるりくるりと舞うようにとまわって、柵からはじき出された。

バキっと柵が折れ、木片と一緒になって、騎士はうつ伏せに転げ落ちた。


「ジョスリーン卿に3ポイント!」

審判が旗をもちあげ、宣言する。

「試合終了!ジョスリーン卿対ロリング卿、4-3でジョスリーン卿の勝利!」



おおおおおっ。

観客、またも大興奮。噂の女騎士の活躍と、その勝利を、目の当たりにできたからだ。

「よ……」

円奈も柵の外側で、ほっと息をついた。

「よかった……!」


女騎士は、剣試合で打ち負かした相手を、ふうふう息をあげながら見下ろしていた。

その両手に握られた剣は、下にむけられたままだ。



ジョスリーンは甲冑の兜を手でとった。

髪がふぁさっと広がり、空気へ流れる。



観客の人気と熱狂のなか、ジョスリーンは、自分の剣を持ち上げた。


おおおおおっ。

観客がひゅーひゅー、手をふりあげ、口笛をならし、ジョスリーンを讃える。


「ジョスリーン卿」

すると審判は、顔を渋らせながら、また女騎士の肩をツイツイと叩いた。


「なんだ?」

息の荒いジョスリーンが審判のほうをむく。目をあわす。


「さっきもいったが、柵を壊すのは…」


ジョスリーンは壊れた柵の部分へ目を移した。

それからもう一度審判の顔をみて、言った。

「だからそれは私じゃない壊したのはロリング卿だ!」

審判と顔をむけあいながら、指だけでぶっ倒れたロリング卿のほうを指す。

「あいつが勝手に倒れこんで、柵を壊しただけだ」


「困るんだまた修繕しなくちゃいけない!」

審判はめんどくさそうな顔をしてみせた。

「大工はギルド職人のなかで一番高い値がかかる。腕はいいが」


「なら鉄の柵にでもすればいいだろ!」

ジョスリーンが大声でいう。

審判もいらいらとした口調で言った。

「そうもいかん鉄はもっと時間と金がかかる!そもそも臨時的に建てられた競技場だ!それに、
きみの、敵を転ばすような剣の使い方も改めるところがあるんじゃないか?」


「審判、私たちは互いに甲冑きてるんですよ、転ばすのが基本です!」

女騎士は反論する。

「叩いて叩いて叩きまくって、転ばしたら、とどめをさすんです!」


すると審判は黙りこくった。

そして無言で頷き、すると副審判に命令した。「大工をギルド街から呼んでこい!いますぐにだ!」

命令された副審判はまた、ギルド街へ走っていった。

「はあ、まったく」

柵外へ出たジョスリーンは、ため息つき、腰に手をつけると円奈にいった。

「剣試合の審判にはいささか難点がある」


「なんだか今日のジョスリーンさん…」

円奈は、ぽっと頭に浮かんだ感想を、そこで口にするんだった。

「ルッチーアちゃんみたいだよ…」


「なんだって?」

ジョスリーンが意外な顔をする。

「どんなところが、あのルッチーアみたいなんだ?」


「えっと…」

円奈が指を持ち上げて、首をわずかに傾げると、共通点を指摘する。

「男の人を柵外にたたき出すところ?」


「…」

ジョスリーンが振り返って裂けた柵をみつめる。


あのルッチーアが裁判のときに大暴れした痕跡にそっくりだ。

「柵の脆さにはまいる」

女騎士はそう感想を述べた。

225



一日目の馬上競技大会が終わった。


ジョスリーンは順調に勝ち進み、ジョストと剣試合ともに、二回戦を勝ち抜いた。


全部で7回戦あるから、のこり五回戦ある。



しかし、騎士として武術大会に初参加であるジョスリーンにとって、こうして初日を勝ち抜いただけでも、
本人はかなり喜んでいた。


だから、このありさまである。


「ありがとう!円奈!」

何度も何度も円奈はジョスリーンに感謝の言葉を投げかけられながら、都市の街路をつれられている。

「きみのおかげだ!円奈、いや、ここは騎士同士の関係にもどりましょう、鹿目さま、あなたのおかげです!
私の力を試せた!そして、二回戦を勝ち抜いてのです!ああ、なんと感謝したらいいのか!」

円奈はもう、そんな言葉をずっと聴かされつづけていた。


もう嫌というほど。それが顔にでている。

「はう…もう、わかったから…」

はああとため息つきながら円奈がいっても。


「鹿目さまには、無茶なことをさせてしまった!」

ジョスリーンはとまらない。

「どうもありがとう!鹿目さまはやってくれた。紋章官になってくれた。私の無茶な要求────」


「もう、わかりましたから」

困った顔しながら円奈がジョスリーンの話を遮る。

「言葉でいうよりも、優勝してください」


というと。

ジョスリーン顔色が、ますます驚きに満ちた。

「ええ、そうですね!」

と答え、円奈の両手を持つ。「あなたに誓おう勝利すると!」


「はい」

円奈もニコリと笑い、嬉しそうにジョスリーンの手を包み込んだ。その手は柔らかかったが、傷もあった。


ジョスリーンは甲冑を脱いでいた。

といっても、自分では脱げないから、円奈の力を借りて脱いだ。


背甲と胸甲を結ぶ脇のバンドを外したり、籠手をとったり、兜の首もとのバンドを外してやったり、
草摺の間接部分の留め金をはずしたり。


脱いだ甲冑は、重たくて、全部で13キロあった。

それを全部持ち運ぶことは不可能だから、ジョスリーンは従者を呼んで、従者に運ばせた。

従者は、甲冑一式を、手に持って、ジョスリーンの自宅へ持ち運んだ。

226


それから二人は、都市の酒場へはいった。


というより、円奈が、ジョスリーンに連れられて酒場へ。

ジョスリーンが酒場に登場すると、酒場の客人たちが、おおおおっといきなり歓声をあげた。


「アデル・ジョスリーン卿!」

と、酒場の客人たちは、武術大会で大活躍中の女騎士の来店に喜び、叫びをあげ、迎え入れるのだった。



「これは、ようこそ、いらっしゃいました!」

酒場の店主も嬉しそうにしている。

「数ある酒場のなかで、私の店にきてくださるとは!私、フィリプ・ガランは、嬉しい限りでありますぞ!」


「うーん、たまたま近くあった店にしただけなんだがな」

といいながらジョスリーンは円奈と一緒にテーブル席にすわる。

「ビールを頼むよ。二杯」


「あ…」

円奈が、テーブル席ではっとして、顔をあげ、慌てて何かをいおうとした。「あ……まっ…!」


「二杯ですね、ええ、お待ちくださいな。」

しかし店主の注意はジョスリーンにしかむいていなかった。

女騎士から頼まれると、さっそく店主は、うれしそうに、次の瞬間には、大きな木製ジョッキにはいった
ビールを、ドンとテーブルに置いた。


その瞬間、ジョッキに入った金色のビールが、ぐらっと水面をゆらした。


「肉料理も?」

「ああ、たのむよ」


円奈が、はうううと声だしてため息ついているのをよそに、店主とジョスリーンの間でやり取りがすすむ。

「ソテーを?」


「二人ぶんをたっぷり頼むぞ」


ジョスリーンはといって、二本の指をたてる。


「しばし、お待ちくださいな。すぐにお持ちしますからね、へへ」

店主は嬉しそうにニタニタ笑いながら答える。

「うちのソテーは、うまいですよ、ジョスリーン卿。港の業者から、最高級のスパイスを使っていますので。
鶴は、ダキテーヌ城からの仕入れです」


「それは楽しみだ」


ジョスリーンはいい、円奈に向き直った。


「鹿目さま、さすがにお腹がすきました。二回のジョストと、剣試合のあとなので。」


「うん…」

円奈が、小さく頷いて、賛同の意を示した。「私も……少しだけ…お腹へったかな……」


「さすがに武術試合は、夜警で巡回するよりよっぽど身体を動かすものですね」

ジョスリーン痛そうには肩を回す。

「体中あちこちが痛みます。今日はゆっくり休まないといけません」



「うん…」

円奈はそっと、酒場で飲んだくれている男たちや、女たちを見回す。


男たちだけで飲んだ暮れて、はしゃいでいるテーブルと、男と女が酒を一緒になって飲んでいるテーブルもある。


どこもジョッキに入ったビールやら、グラスのワインを飲んでいて、あぶら焼きソテーやウサギローストの肉を
ナイフで切り、頬張っている。


「都市の人は…」

と、円奈は、そっと話しだす。

「このお酒を飲むのが好きだよね……どうしてお酒ばっかのむんだろう…?」


都市の人々の生活ぶりを見てきた円奈が、そんな疑問をふと呟く。

昼も夕方も夜も、いつも酒場が人々で盛り上がっていて、ジョキに入ったビールやら、ワインやらばかり
飲んでいる。




「うーむ…どうしてといわれてもですね…」

ジョスリーンは腕同士を組んで、考える。

「都市で飲むものといったら、そもそもビールかワインくらいしかないですからね。水も飲めますが、
買わないといけませんし。」


この都市では、水は買う飲み物だった。

都市を流れる川の水は、汚染された以前よりかは遥かにマシになったとはいえ、飲み水として使えるほどではない。


だから山々の水源から汲んだ水を売りにくる商人は都市に多い。それが飲み水になるのだった。


しかし、それが実は、酒とほぼ同等の値段で売られる。

だったら、と人々は水よりもビールとワインを飲み水として選び、酒場に入る。


そんなわけで、都市では、昼も夜も、飲み水を求めた客が酒を飲み干し、そしてどんちゃん騒ぎとなるのだった。



ビール醸造職人が、数多くいて、都市ではそれが酒場で飲まれる。

ワイン製造は、どちらかといえば農村に多いので、商人がそれを船を使って輸送してきて、貿易商たちが取引する。


ソルグ川へくる輸送船から多くのワイン樽が商人によって運ばれる。

ワイン樽はすると、輸送船に括りつけられたロープによって、地上へ降ろされる。
そのとき、貿易商と、役人で、関税含む品質チェック、量査定などのやりとりをすませる。



するとワイン樽は酒場の店主によって買い取られ、荷車に積まれて運ばれ、店の地下貯蔵庫に保存される。


ジョスリーンのような夜警騎士は、その権限をつかって、店の地下貯蔵庫に入り、ワイン樽のチェックができる。


腐ったワインを香辛料を使ってごまかす輩が、都市には多いからだ。



「わたし…」

円奈は、ジョッキに入った黄金色のビールの水面を見つめる。

「これあまり好きじゃなくて……」


「鹿目さまは、ワインのほうが?」

とジョスリーンがたずねると。


「ううん…なんていうかお酒自体があまり飲めなくて…」

と、うつむいた表情になって、そっと言う。

「ほとんど飲んだことがないんです…」


「ふむ…それは失敬した」

ジョスリーンは顎を掴む。「しかし、都市はほんとに飲み物がビールかワインかしかありませんからね…
家庭にいけばミルクを分けてもらえるかもしれませんが、まるで物乞いです」


「うう…」

円奈は、悲しい顔して、諦めたように。

ジョッキのビールを口にした。

「うべ…」

そして、すぐにまた、苦い顔してジョッキを口から離した。

「どうしてこんな苦いものみんな飲むんだろう…?」


「苦いからいいんですよ」

ジョスリーンが答え、なれた手つきでジョッキの把手を掴み、ぐいと飲んだ。

「苦いものをのむと気分が締まります。それでいて、ぽかぽかしてきます」



「ぽかぽか?」

円奈が、不思議な顔をしてジョスリーンをみる。


「そうです、頬とか、頭とか」

ジョスリーンはいう。

「これを飲まずにはあじわえない気分です」


「うーん…」

円奈は悩むような仕草をする。「べつにそんな気分を味わおうとは……」


「今日わたしは、ジョストを勝ち進み、剣試合も勝ち進めたのです。あなたのおかげで」

ジョスリーンはジョッキの把手を掴んだまま、金色の水面をみる。

「その喜びとともに酒を飲むと、いい気分になれるんです。つまり……」


そこでジョスリーンは、ちょっと顔を渋らせて考える。次にだす言葉を。

「つまり……酔いしれるというか、ですかね?」


「酔いしれる?」

円奈も首をかしげる。


「そうです。この勝ち進めたという気持ち…それをかみしめずには…」

ジョスリーンは、ジョッキの残りのビールをすべて飲み干した。

「明日の試合にはのぞめません!」

その頬がかっかと熱くなり始めていた。

今日はここまで。

次回、第29話「馬上槍試合大会・二日目」


最初っから読んでやっと追いつけた
1000年後も歌われるとかさすがはQueenやで

第29話「馬上槍試合大会・二日目」


227


時刻は夕方だった。


日が暗くなってくるととともに武術競技はその日は終了し、会場の人気は消えた。


暗いなかでは槍同士を激突させるジョストが続行できないからだ。



ウスターシュ・ルッチーアは、夕方の街路をとぼとぼ歩いていた。


たった二枚だけある銀貨を手に握って、気分紛らわしに、酒場にはいった。


とにかく日常は、いやなことばかり起こる。

自宅にもどっても、魔獣狩りにしても、とにかく、いやなことばっかり。


最近では、町で噂も広まり初めている。


ルッチーアが、裁判で大暴れした、その暴れっぷりが噂され、暴力女とか、危険なメス猛犬だとか、
獰猛な女豹だとかなんだとかいわれはじめていた。


「女が強いのがそんなにいけないことかよ」

ひとり、愚痴りながら、酒場を求めて店に入る。


こんな嫌な気分を紛らわす魔法の飲み物は、酒しかない。

魔法少女は、当然だが、強い。そして、強い女は、男ができなかった。ルッチーアの悩みである。


「マスター!ビール!」


と、またもおっさんくさい台詞で店主に頼み、するとビールの入った大きなジョッキを受け取って、
テーブルつくや、あーっと声をあげて、ジョッキを飲み干す。


酒場の店内は薄暗く、壁とテーブルにあるろうそくの火だけが明かりだった。

石壁で建てられた店内は、ろうそくの薄明かりによって、赤色っぽくめらめらと、照らされている。

酒場の客たちはがやがやと、うるさい。その騒ぎと熱気で、石造の店内をこの赤色に照らしているがごとしだ。


「はああ…」

ため息つきながらテーブルにジョッキをおく。

「これがなくちゃやってられないよ、ほんと」

愚痴りながら、一人、ジョッキの把手握りながら、テーブル面をみつめる。


「魔法少女になってから波乱万丈だ」


とつぶやく。


すると、ルッチーアのまわりのテーブルで飲んだ暮れていた常連客たちが、ぞっとしたようにルッチーアを
見つめ、奇怪な視線を彼女にむけた。

恐がっているような目もある。


どうやら自分で魔法少女になったと呟いた独り言が、店内に聞こえてしまったらしい。


「ちっ」

ルッチーアはジョッキでビールを飲む。

それから、まわりを睨む。


目のあった常連客は、あわてて、目をそらして、自分のテーブルへ視線をもどした。


「よせ」

常連客の男と女たちが、ひそひそ話をはじめる。

「魔法使いと目を合わせるな。またあばれだすぞ」


「まあ、やだ!」

女は、ルッチーアにわざと聞こえるくらいの声の大きさで、男と話した。

二人のあいだには、小さな蝋燭がひとつ、灯る。

「また、暴れるの?危険な女の子ね!」


「ああまったくだ」

男は女とひそひそ話しをつづける。そして、声ををわざと小さくすることで、女との顔の距離を
つめた。

「いちど怒り出したら、もう、だれの手にも止められない。危険きわまりない存在だ。魔法少女にちかづいちゃ
いけないよ」

「ええ、もちろんよ」

女は男と顔を近づける。「ちかづかないわ」


すると男は、微笑んだ。「それがいいさ」



視線が集まっている。

酒場の常連客たちは、一人壁際のテーブルに座って、酒を飲んだ暮れる魔法少女の姿に、興味しんしんといったかんじで、
ちらちらと視線を寄せている。


「ああ、もう」

ルッチーアは両手で額を覆う。悩むあまり頭痛がしてくる。

「魔法少女がそんなに珍しいかな…」



「みたか、あれ、魔法少女なの?」

どこかのテーブルの若い男連中が、蝋燭の灯るテーブルで顔を寄せ合って、話し始める。

「本当に?すげえ、はじめてみた!」

別の男がいう。

その声は、ルッチーアにきこえてくる。

「魔獣倒しにきたのか?」

「いや、あれはどうみても、へべれけだぞ」

ぶっ、男たちが噴く。

「変身するのか?」

ある男は、目をきらきらさせて、輝かせながら、問いだす。

「おい、変身するか?俺はついに、魔法少女の変身を、この目でみれるのか?」



「こんなところでするかよ、ばーか」

ルッチーアは小さく呟いた。


「変身ってなんだ?」

他の男が真剣な顔つきで訊く。

「しらないのか」

男はひそひそ、男に耳打ちする。手の平たて、耳に、そっと吹き込む。

「魔獣を倒すときに、変身するんだよ」

「だから、その変身ってなんだよ」

最初に訊いた男が再度たずねた。

「そもそも魔獣ってなんだよ」

別の男が言い出す。

「なに?魔獣って?」

「しるか」

「おまえら、ほんとに何もしらないんだな」

一番最初に話し出した男が、ドンと拳でテーブルをたたいた。

「いいか、よくきけ。魔法少女はな、俺たちの都市の平和を守っているんだよ。」

「はあ?」

男が目を瞠る。「なにそれ?」

「だまれ、よくきけ」

男の真剣な話がつづく。

ひそひそ声は深刻そうで、男たちが、思わず神経を集中する。

「魔獣ってのは、おれたち人間の、負の感情だ。」

と、男は、とても真面目に、語る。

「負の感情が撒き散らされたとき、都市の平和は脅かされる」

ごくっ。

テーブルの席に集まって男たちの喉が、鳴る。

「その都市に平和を取り戻すのが魔法少女だ。神々しい存在なんだよ」


「だが…」

ある男が、腑に落ちない顔をして、問いかけた。「負の感情ってなに?」

「それは…」

男は、自分でもよくわからないところに質問を投げかけられてしまい、悩むように首を何度か傾げた。

「それはだな……人間の、よくない感情のことだ」

「よくない感情って?」

男三人が彼をみる。

「それは…たとえばそう…たまにあるだろ…耐え切れなくなる感情…」

彼は、目を大きくさせていく。小さく頷いて、自分でも答えを得たというように、言い放った。

「”便意”とか」


「…」

ぶっ。

ぶっはははは。

男たち、いきなり三人とも酒くさい口からけたましい笑い声漏らして、みんなして爆笑。


どの顔も下品に口を大きくあけて、たまらず笑い転げる。


「それゃ確かに神々しいや!」

男たちはジョッキ持つ手をドンとテーブルに叩きつける。するとジョッキからビールが飛び散った。

「俺の便意とも戦ってくれ」


口からビールこぼしながら男たちは顔を真っ赤にし、笑いあう。


「てめーみたいなやつが川を汚くするんだよ」


「ああそうだ」

男は答える。

「三年前は、便意と戦えないやつらは、みんな川で……」

「そして都市の平和が脅かされる」

男の一人がいいきった。

一瞬、男たちは静まり、沈黙した。険しく膠着した顔できょろきょろっと、目線を互いに絡ませあい。

そのあと、堪えきれなくなって、またぶぶーっと吐き出して笑い転げた。


「はあああ」

ルッチーアはため息ついた。


いつもの自分だったらもうこのあたりで暴れだしていたが、その暴れるってのがいけないと頭では
わかっている。


男どもは酒場では平気で喧嘩するくせに、魔法少女が喧嘩しだすと、もう、町じゅう大騒ぎだ。


あいつらに限らず、都市の酒場で盛り上がる人間どものばかばかしさときたら、あんなのばかりだ。



「マスター!でるよ」

いたたまれなくなったルッチーアは、店主に銀貨を二枚わたした。


店主が銀貨二枚を手の平にのせ、それをみつめる。


「どうしてそう魔法少女を茶化すかねえ人間は…」

と呟きながら、店の出口にむかうとしすると。


酒場の店主に、肩をがしっと掴まれた。


「あ?」

ルッチーアが振り返ると。


店主は、怒りの満ちた顔をしていた。

「俺を騙そうとたな」

歯軋りしながら、じりじり声をだしてくる。


「なんの話だよ?」

ルッチーアはわからないというように首を振った。


「このくそったれ銀貨は、金じゃねえってことだ」

店主は怒りに右手で握り締めていたが、やがて開いた。すると手のなかに握られていた銀貨が、
ばららと床に散って落ちた。



床に落ちると銀貨はコツン、跳ねた。

そして縦向きに立ってころろろと床をころがっていく二枚の銀貨。

テーブル下の暗いどこかに滑り込んだ。


それを、別のテーブルの常連客のたちがあわてて追いかけた。


そして、その銀貨をめぐって、喧嘩がはじまった。

「さわるな」

常連客の一人が、別の客の胸倉をつかむ。「俺の銀貨だ」

「なんだと?」

男が顔を赤くしながら、言い返した。「てめえみたいなひよわ野郎の銀貨だ?」

「この月経野郎!」

と、この時代における最悪の悪口を罵り、ついに喧嘩へ。


肉を切るためのナイフを使った男二人の斬りあいがはじまった。


テーブルごとひっくり返るの騒ぎになるなか、店主は、ルッチーアをにらみつけた。

               
「偽物の銀貨よこしやがって”くそ尼”」


「は?」

ルッチーアは、なにをいわれたのか理解できなかった。

偽物?



「偽物なんか使ってないよ!」

とルッチーアがいうと。


「だまれ魔法使い」

店主はルッチーアの首をつかんでもちあげた。


「うっ…ぐっ…」

魔法少女の身体は軽く、いとも簡単にもちあげられる。

背の低いルッチーアの身体が浮き、地面に足つかなくなり、店主の太い腕一本によって、首をつかまれ、
持ち上げられる。


「ぐぐ…」

息が苦しくなって苦悶の表情を浮かべる魔法少女。


「魔法使いだからって調子のりやがってイカサマ女め」

店主は、そのままルッチーアを店の扉までもってゆき、外にはじき出した。

「二度とくんな、魔法使いはこの店に入れん」


「うう!」

ルッチーアは地面にころげた。

身体がころげ、髪も服も地面にひっついて、汚れる。


ルッチーアは酔いがまわりながらも起き上がった。だらんと黒い髪が首筋から垂れた。

「偽物だあ?」

と呟き、自分の過去を振り返ってみた。


さっき店で使った銀貨二枚は、高利貸しにいって両替してもらった銀貨10枚のうち、自分が家族の手から
守ったへそくりだ。

それが偽物だったというひとは…つまり…。

あの真面目な仕事振りをしていた高利貸しが……。



「あ……」

ルッチーアは、悔しさにダンと拳を地面にたたきつけた。「あんのやろお!」


勢い欲たちあがり、ぱっぱと服の砂埃を取り払うと、ギルド街へ。


あの高利貸し屋へ一直線。


どばっ。


高利貸しの木製の蝶番つき扉をあける。


「このやろう!」

ルッチーアは怒りいっぱいに、高利貸しへ叫んだ。

「平然とすました顔して、わたしを騙したな!」



高利貸しが、あわててルッチーアの前にきた。

「なに、なに、なんです?」

高利貸しは慌てている。「困ります、ほんとに、こまります!日没とともに店を閉じてるんですよ!」


「そんなことしるか悪人め!」

ルッチーアはさっきの店で起こった経緯を話す。

「てめえに換金してもらった銀貨をはらったら、偽物だといわれたぞ!偽物を私に持たせたのか?
他でもない金貸しが、なんてことするんだ!」


「偽物?とんでもない!」

高利貸しは恐怖に顔をひきつらせている。目の前で魔法少女が怒っているので、どんな暴れ方されるかと思うと、
震え上がっているのだった。

「魔法少女さま、私は、誓ってそんな不正しとりません。ほんとです、仮に、それが偽物だったとしたら、
市庁舎からまわってきたこの銀貨が、偽物だったってことになってしまいます、いくらなんでもありえませんよ!」


「なんだとお?」

ルッチーアが瞠目する。「市庁舎からの銀貨だ?」


「そうです、そうです」

高利貸しは懸命に説明する。

「私の商売は、なんといっても、銀貨、金貨の換金、融資、貸付です。しかしそのためには、まず私が
金をもたなくてはなりません。そこで国の銀行から、私も借款しているのです。。ですから、その銀貨が偽物だ
なんていわないでいただきたい!そんなことがあったのだとしたら、私どころか、市庁舎まで、不審ってこと
です!ああ、どうかお願いですから、そんなことはいわないでいただきたい!」


「ぬぐ」

ルッチーアは言葉を失う。

「…ぐぐ」

反論の言葉が思いつかない。

この店に文句つけることが、市庁舎に文句つけることだとなっては。

「くそっ!」

ルッチーアは高利貸しの店をあとにした。


完全に魔法少女の姿が消えると。



高利貸しは、ぼそっと一言、吐き捨てた。

「馬鹿野郎が」

228


ルッチーアは途方に暮れた気持ちで街路を歩いた。

よろっ…よろっ…と、歩くたびに足元がぐらつく。酒に酔っているみたいだ。


左手に嵌った指輪が鈍い光を放っている。


「……どうやってさっきのビールのぶん……払おう…?」


飲んだからには、ちゃんと払わないといけない。

正義の魔法少女が盗みグイなんて、するものじゃない。


でも、手元に銀貨はない。


「また魔獣狩りかなあ……」


そう思うと、気がめいってくる。



しかし、魔法少女になった自分に、他にすることもない。


家にもどっても、入れてくれないだろうし。


また、魔獣退治したところで、人間たちには、茶化されるんだろうな……。


そんな重い気持ちで街路を彷徨っていると、すれちがった男に、声をかけられた。

「まって」

「んん?」

ルッチーアが振り返る。


「さっき一緒の酒場にいたんだ」

と、男はいった。「あの店主に、きみのぶんはぼくが払っておいた。だから……きみは戻らなくても大丈夫だ」


「え?」

ルッチーアは奇妙な顔をする。「なんでおまえが私のぶんまで払ってくれるんだあ?」


それが本当なら、今日くらいは魔獣退治をしなくてすみそうだ。


「それは…」

男の顔が、少し、赤くなる。

「き、きみが、魔法少女だってきいて…」


「きいて?」

ルッチーアは両手を広げて、次の言葉に構える。どんな、茶化しもどんとこいというみたいに。


「いてもたってもいられなくなって…」

男は、小さな声で、ぼそっという。「きみと飲みなおしたんだ。いいかな?」


これは、誘われてるってことなのか?

私を、魔法少女だと知った上で?


「別にいいけど……」

ルッチーアはおろおろ、目線をそらしながら、答える。

「わたし、いま、ほんとに手元に銀貨ないよ?」


「いいんだ」

男が微笑む。「さあ、一緒に飲もう。飲みなおそう。きみは好きなものを飲んでいいから」

229


そうして男とルッチーアは、飲みなおすことになった。

さっきとは別の酒場。



ギルド街をでて、パン屋街にもどり、さらにその奥の、宿屋・酒場街。

二人はこの路地の酒場に入る。


この酒場も大盛り上がりだった。

テーブルがあって、テーブルを囲って樽に腰掛ける客たち。どの顔も赤い。


都市は、昼も夕方も夜も、とにかく、酒場で飲んだ暮れる生活だ。


二人はテーブルについた。

白い蝋燭が一本、火を灯して燃えている。


蝋燭の明かりが二人の顔を薄暗さのなかに映し出す。


「さっき一緒に酒場にいたとき」

と、男は、話し始めた。「きみが魔法少女だってきいて……」

その話し振りは、どこか緊張している。


目の前にいるのが魔法少女だと分かっていれば、それもそうだろう。


「ああそうだよ」

ルッチーアは答える。店主によって、ジョッキに入ったビールが運ばれる。

「そうさ私は魔法少女だよ。それなのに私と酒を飲むのか?」


「ああ」

男はビールの入ったジョッキを持ち上げた。

「魔法少女だから、さ。」


「魔法少女だからだあ?」

ルッチーアは不思議な顔をしてジョッキを持ち上げる。

「前からきみみたいな人に憧れていたんだ」

「憧れ?」

ルッチーアはたずねながら、男とジョッキ同士を当てて、乾杯をする。

「魔法少女に憧れてるのか?」


「まあ、そんなところだね」

男は楽しそうにいう。「だって素敵じゃないか……」


「素敵?あっそう?」

ルッチーアはあまり真に受けない。

いつ茶化されるかと思うと、あまり真剣にきこうという気分にならない。

「魔法少女を素敵だなんていう男は、変わり者だよ」


「そんなことないさ」

男は言う。

「魔法少女は、人知れず都市のみんなを守ってくれている。ぼくたちがこうして安心して暮らせるのは、きみたちの
おかげだ。素敵じゃないわけがない」


「…だいたいそういうところをバカにされるんだけどなあ」

と、ルッチーアは、うんざりといった表情を顔に浮かべる。

ジョッキを持って口につけ、ビールを飲む。



「ぼくは本当に素敵だと思っているよ」

男はいう。

店主によって猪肉のあぶら焼き料理がおかれた。

ソテーになったそれを、ナイフで切り分け、まずルッチーフの皿に、それから、自分の皿に載せる。

「魔法少女は本当に素敵だ。美しくて気高い。それに強い。そんなきみたちに憧れているんだよ」


「ふぅん…」

ルッチーアは適当に聞き流す。

というのも真に聞いていたら、恥ずかしくなってくるからだ。



「正義の味方だよ。そんな存在とこうしてお話ができるなんて嬉しいよ。夢のようだ」


「はあ…そう?」

ルッチーアはへんな顔して、男の顔をみる。


「そう」

男はいう。

「最高だよ。いまぼくの目の前に魔法少女がいて、それでいてぼくと話してる!」

男の顔は興奮気味で、赤い。

「ぼくに、きみが魔法少女であることを見せて欲しいな……よかったら、ああ、そしたら、ソウルジェムとか、
みせてくれる?」


「うーん」


ルッチーアは眉を寄せる。

なんだか変な感覚だ。

どうやらこの男、本気で魔法少女に興味があるらしい。

「まあいいけど……ほら」

といって、左手のばして、指輪を差し出して見せた。


「そうなんだ…これが…!」

男は、感極まった様子で、指環をみつめる。

「これがソウルジェムなんだ…!」

声が震えている。


「そんなに珍しいもんでもないだろ。ただの指輪さ」

ルッチーアは、嘘をついた。

指輪をはめた左手を男のほうへ差し出しながら、右手は自分の頬杖をつく。照れ隠しするみたいに目を逸らして、
自分の黒髪をいじる。

「まあでも…私が魔法少女であることの証ではあるね。私は魔法少女さ」


なんだか、男と二人っきりのときに、自分が魔法少女だなんて打ち明けるの、ちょっと恥ずかしいな。
そう思うのだった。


男は目を見開いて、まじまじ指輪をみつめている。


いよいよ恥ずかしくなってきて、ルッチーアはもう男に差し出した左手の指輪をひっこめた。

自分の指輪を守るように胸元で撫でる。

「そんなじろじろみるなよ……」


「あ、ご、ごめん」

男はまた顔を赤くしてしまう。

「でも、見るのは初めてで…」


「は、初めてっていったって……」

ルッチーアまで顔が赤くなってきた。「みてどうこうするもんじゃないだろうよっ…」

ますます指輪を胸元によせて、右手で撫でて隠すようにしてしまう。


「う……うん…でも」

男の声が震えている。

「本当にぼくの目の前にいる女の子が魔法少女なんだって思うと……感動しちゃって…」


「なんだよ感動って、おかしなやつだな」

頬がかっかと熱い。

自分が魔法少女だと知って感動した…だあ?

なんだこいつは…?

疑問を感じるのと同時に、なんだかちょっと恥ずかしくて、身体が熱い。酔いのせいだろうか?



「ああ、最高だよ、きみは魔法少女だ、みんなを守ってくれる強い魔法の女の子だ!」

男は言い、テーブルで身を少しだけ、乗り出した。

「ねえ、きみは、変身もするの?」


「変身?ああ、まあ、するね」

ルッチーアはどきまぎしながら、答える。

ああ、まただ。また、男と目を合わせられない。


目をちらちらあっちこっち逸らしながら答えたルッチーアは、男の喜ぶ声をきいた。


「そうなんだ、すごい!」

男は驚いた顔して、いった。

「すごいよ!いつかぼくに、その変身を、みせてくれる?ここじゃだめ?」


「ここじゃだめに決まってるじゃないか」

ルッチーアは照れ隠しに、ジョッキを口元に寄せ、ビールをくっと少しだけ飲んだ。

これで赤くなっている顔は半分くらい隠れたはずだ。

「恥ずかしいじゃんか。いや、それ以前に、追い出されるよ」


「そっか、ごめんよ」

男は申し訳なさそうにいう。

「こんどでいいんだ。ぼくと二人きりのときに、変身してくれる?ぼくからのお願いだ。つまり…その…」

男は、恥ずかしそように、目線を逸らしたあと、言ってきた。

「きみとは友達になりたいんだ。またぼくと会って欲しい。ううん、明日!明日また会ってくれる?」


「明日?」

ルッチーアはビールをまた飲んだあと、答えた。

「まあ…いいけど…さ」

よくみれば、顔も悪くない男だし。


私を魔法少女と知った上で友達になろうとする変なやつだけど……まあ、銀貨を払ってくれたし、いっか。

そんなちょっとした気持ちで、友達になってみることにしたルッチーアは、男にたずねた。

「それで…明日はどこで会う?」


すると、男は答えた。

それは、予想だにしてなかった返事だった。




「明日、一緒に馬上槍競技をみにいかないかな?」

ルッチーアの動きがとまった。

ビールジョッキを右手に持ったまま、身体が固まる。

驚きに目が丸まる。

そして聞き返した。「馬上槍競技だって?」

230


翌日の朝、馬上槍競技場で待ち合わせたルッチーアと若い男は、観客席に隣同士になって座った。

男はシャノル・グワソンという名前の男で、貴族身分だった。


その家系は市庁舎の公務に務める者が多く、騎士身分ほどではないにしろ、支庁議員をよく輩出している
家系だ。


グワソンも、市庁舎に務める男で、公務にあたる人間であり、支庁議員の補佐だった。

市民の愚痴や要望について寄せられた羊皮紙について、市長議員が議論するとき、その会議の内容を書記として
羊皮紙に羽ペンで書き留める。


他には、貿易商と取引した役人からあがった報告で、取引された品目と取引金額、関税率、統計を記録した帳簿を
確認することもする。ズンド関税帳簿という。これは、都市の貿易推移を把握するためだ。


そういう公務につく男だった。



さてそんなシャノル・グワソンの趣味の一つは、馬上槍試合の見物だった。



観客席に座ったグワソンとルッチーア。

その二人がみているなかで、馬上競技場のフィールドでは、世界各国からやってきた騎士二人が、
柵に沿って走り、ものすごい勢いで槍同士をぶつけあう。


ドゴッ───!

バキッッ!


二人の騎士の持つ槍が砕け散る。


片方の騎士が槍に突かれて落馬する。

馬上から投げ出され、腕をひろげ、どってんと回転しながら、柵に身を落とした。

1メートルある馬の背から落っこちる。

頭から柵につっこんで、ガンと頭部を柵にぶつけたあと、フィールドにころげ落ちてぐったり天を仰いだ。



おおおおおおっ。

まわりがその瞬間、大きく騒ぎ立つ。


総立ちである。


ルッチーア一人だけが、席に座ったままだった。


隣のグワソンですら席をたちあがって、騎士に声援をおくっている。


「やったぞ!すばらしい!そうだその一撃がみたかったんだ!」


グワソンはルッチーアの隣で、熱狂している。


ルッチーアは一人冷めた気持ちで観客席に座っていた。

「なんだよ、もう」

自分をおいといて騎士に夢中じゃないか。

馬上槍試合のなにがいいんだ。




「4-1でブラディミア卿の勝利!」


わあああああっ。

ルッチーアの周りで、市民の女たちがきゃああああっと黄色い声あげている。



勝利した騎士に夢中になって旗をふって声援をおくっている。


「そんなに夢中になるもんかねえ?」

ルッチーアは頬杖を右手でついて、ふーんといったかんじの顔で勝利した騎士をみつめる。



ブラディミア卿は折れた槍をぐっと振り上げ、自分の勝利した姿を誇示した。


「ルッチーア、きみは、魔法少女には馬上槍試合が楽しくないの?」

グワソンは試合が終わると、ルッチーアにたずねてきたた。


「べつに、嫌いじゃないけどさ、好きってほどでもないな」

「どうしてだい?騎士同士が槍をぶつけあってるんだ。最高じゃないか?」

「うーん」

ルッチーアはまだふーんという顔をしている。

「今まで魔法少女同士の喧嘩もいっぱいみてきたからねえ……」

「そいつはすごいよ」

男はルッチーアに向き直る。

席に座りなおし、ルッチーアをみつめる。

「魔法少女と魔法少女の喧嘩?すごそうだ。きみもしたことあるの?ルッチーア」

「まあね」

ルッチーアは答えた。

「槍、剣、フレイル、弓矢、モーニングスター、なんでもぶつけ合うよ。たまに石も投げ合う。
だが最後にはみんな殴りあいになるんだ。魔力使い果たしちまって、ね」


「どうして魔法少女同士で喧嘩するんだい?」

男は疑問を口にする。

「魔獣を倒すと、それなりの報酬があってね。しかもそれは金に換わるんだ」

ルッチーアはいう。

「だから、その報酬めぐって、喧嘩になってね。”やばくなったら”ストックが修道院にあって、
いつでも使えるんだけど…」


「”やばくなったら”?」

男は、その部分に不思議を感じ、たずねた。

「もっと魔法少女のこと、いろいろ知ってると思っていたよ」

ルッチーアは男に言った。

二人は観客席に隣同士で座り、競技場をみおろし、そして次の試合がはじまりつつある。

「やばくなるっていうのは、ソウルジェムの限界が近づいて、消えちまうときが近づくってことさ」


「消えてしまう?魔法少女じゃなくなるってことかい?」

男がそう訊く。

「いや、存在そのものが消えるといってもいいかな」

「ばかな、そんなことあるはずないだろう?」

男は、驚いた声をあげた。

「それじゃ、まるで死じゃないか」


「まあ」

ルッチーアは馬上槍競技場にあらたに現れた騎士をみつめた。

「そんなところだね。だから、あいつらみたいに」

あいつら、といって、競技場の騎士を指を差す。

競技場で男の騎士が槍を振り上げていた。

「遊びの喧嘩してるんじゃないのさ」




「わたしの主人は───」

フィールドでは、従者が観客にむけて説明をはじめている。


堂々と胸を張り、晴れた天にむけて、高々と演説する。


「パーシバル卿の次子にてウォリックの第三伯爵」


と、家系を説明したあとに、胸に手をそっとあてる。


「ご列席の貴人、貴婦人方、私の誇れる騎士を紹介いたします」


といって、深々とお辞儀する。



すると観客席のなかでも、貴婦人のためにつくられた、屋根つきの席に列席した貴婦人やら貴族やらが、
小さく頭を降ろした。


「わが主人こそは、トマス・コルビル卿であります!」


おおおおおおっ。

パチパチパチパチ。



今まででも一番丁寧な従者の説明に、貴族層も市民層も感銘うけた声をあげ、騎士の登場を拍手も
まじえて出迎える。


パッパッパー。

と同時に審判席に待機したトランペット隊が楽器を吹き鳴らし、騎士の登場を盛大に飾った。


白馬に乗った騎士が登場した。


鎧は銀色で、その全身は甲冑に覆われているから、顔はみえない。


だが、どっかの国からやってきた、豪腕の騎士という風格がでている。

馬に騎乗し、槍を握り、槍を掲げる騎士。


「あんなふうに出場するときはかっこよく登場する騎士たちだけどね」

と、観客席でグワソンが、ルッチーアに楽しそうに耳打ちした。

「馬にのったあとだから、あんなにかっこつけていられるんだ。馬に乗るときは、すごくかっこわるくて
笑えるんだ。甲冑が重たすぎて、自力じゃ乗れないから、何人もの従者に手伝われて、やっと馬に乗れるんだ。
そのみっともなさといったら!」


と、得意気に薀蓄を語るグワソン。


ルッチーアは、また、ふーんという顔をするだけだった。

231


「はくしっ!」

鹿目円奈は、馬上槍競技の裏側、観客のいないところで、くしゃみをした。

「うう…」

鼻をすする。


「どうした?風邪でもひいてしまったのか?」

女騎士のジョスリーンはいま、馬に乗ろうとしていた。


「いえ、そんなんじゃないんですけど…」

侍女姿となって、馬上試合の二日目も紋章官としてジョスリーンの従者をする円奈はいま、ジョスリーンを
馬にのせることを手伝っている。

「鐙をどっちに動かすの?前?後ろ?」


「自分じゃ確認できない重くて!」

と、ジョスリーンはいう。この女騎士はいま、馬に乗るため、腹をドンと馬にのせている。
そして腹だけ乗せて、四肢はぶらんと宙に泳がせている。



甲冑が重たくて、自力では馬に乗れないので、円奈に手伝ってもらっているのだった。


「私の足を鐙にいれてくれ!胸が苦しい!」

女騎士は胸元が圧迫されて、苦しそうな顔をしている。胸のふくらみが押しつぶされているのだ。

「は……はい!」

円奈がジョスリーンの馬の鐙を手でとり、なんとか彼女の足にいれようと奮闘する。


しかし、これまたなかなか、うまくいかない。


そもそも鐙に足をかけるのは、ちゃんと馬に直立した体勢をしてからだ。

だが甲冑を着込んだジョスリーンはそれができない。


甲冑の重さに耐え切れず、直立した体勢のまま両足に鐙をかけることなんてできない。


そんな女騎士はどうやって馬に乗ろうと試みているのかというと。


まず踏み台にのぼる。馬にのるための高さにあわせた踏み台だ。


この踏み台から、馬の背に、ドンとよりかかるようにして全体重をのせる。


その体勢のまま片足に鐙がはいったら、その片足に全体重をのせて、ずるずるずる…と馬の背を這うように
ようやくもう片足も鐙にかけて、やっと直立できる。

騎士としてはなんともいえぬみっともなさである。


「こんなところは絶対に観客にみせられない」

と、ジョスリーンはいう。

「馬が乗るところがこんなみっともないなんて。だが、実は実戦でもそうだ。市民は大抵幻滅する」



「こんな重たいの着るからですよ…」

と円奈は言い、鐙をどうにか女騎士の足にいれようと奮闘をつづける。

「これを着ないと槍の衝撃にたえきれんだろう!私は魔法少女じゃないんだ…うっ!」

胸の苦しみに、呻きをあげる。

「はやくしてくれ胸がつぶれるよ!私を胸板にする気か?」


「も、もう…!ちょっとまってください…!」

円奈の声がいらいらしてくる。

「うーん!」

踏ん張る声あげ、鐙を両手でひっぱり、ジョスリーンの足をにぎって、ようやく鐙に足を通す。

「通りました」


「よし!」

女騎士は馬の背によりかかったまま、慎重に身を這うと、まず馬の首筋の毛をぎゅっと手でつかみ、
片足に全体重をのっける。


そして手探りに、身体の四肢を馬の背に這わせ、するするするっと怪しい動きで、足をもう片方の鐙にものせ、
やっと馬の背に乗る。

「まるで夜這いだ」

自分のことで感想をつぶやいたジョスリーンはやっと鐙に両足をのせ、馬の手綱を手に握った。


「次の試合まで時間はある」

ジョスリーンはいい、円奈から手渡された兜を手に取った。

それをまだ被らず、脇に抱えもつ。


「だが今対戦している騎士の見学にいこう」

「はい」

円奈は答えて、馬を歩かせ始めたジョスリーンのあとについて歩いた。



会場では審判が合図旗をふりあげ、試合がはじまっている。


二人の騎士が走り出す。


ルースウィック卿対コルビル卿。


ルースウィック卿はエドレス本国の王都で守備隊長を務めている。


「はぁっ!」

掛け声とともに走り出す守備隊長ルースウィック卿と。


受けて立つコルビル卿。


二人の騎士が柵を挟んで向かい合い、走り、一気に距離をつめる。


コルビル卿の槍がルースウィック卿の胸元に直撃する。


首の下あたりに直撃し、槍は砕けた。ズババッ。槍の破片が宙高くに飛び散る。

観客席にまで槍の破片が届くかと思うほどの勢いづいた砕けっぷりだった。



コルビル卿の槍の構えは鋭く、固定されていて、ぶれがない。まさに100%の勢いがまったく殺されないで
相手の騎士に直撃したかのような完璧さ。


いっぽう相手のルースウィック卿の槍は外れた。なにも突かず、砕けず、空ぶるだけだった。


コルビル卿の槍の直撃を胸元に受けたルースウィック卿は耐え切れず、体が大きくゆらいで、馬から落ちた。

背中からころげて、ダンと後頭部をうちつけておちる。

地べたに背中が落っこちる。



だが、鐙に足が絡まったままだった。

そして彼は、鐙に足をひっかけたまま、走る馬にひきづられていった。



「ああっ…あああっ!」

ルースウィック卿はみっともなく競技場の地べたをひきずられつづける。ずざー。砂埃。




「0-3でコルビル卿の勝利!」

おおおおおっ。


審判が旗を左にふりあげると、その場の誰もがコルビル卿を讃え、歓声をさけんだ。


ルッチーアも、拍手していた。

「あの騎士は強いね」

と、ルッチーアはいった。「魔法少女の目からみれば分かるさ」

「ルッチーアにもわかるかい」

隣のグワソンも満足そうに言った。

「コルビル卿の技は完璧だ。ぼくもはじめて見た。間違いなくジョストの達人だよ。あの守備隊長ルースウィックを
一撃で倒すとわね。今回の大会の優勝候補で間違いないと思うな」


「優勝したら……賞金とかあるのかな?」

と、ルッチーアは、そんなことを口にした。

「賞金、そりゃあもちろん、たんまりとある」

グワソンは答えた。

「なんといっても世界各国の騎士たちの試合だ。その優勝者には、たぶん、金貨100枚相当の金塊かなにかか
贈られるんじゃないかな」

「金貨100枚!?」

ルッチーアがばっと席をたった。

「私の友達の5年の給料よりたけえ…」

目を大きくさせたまま息を漏らす。



歓声をあげるコルビル卿の騎士をみつめる。


コルビル卿は槍をふりあげて、観客席の歓声に応えている。


「ジョスト…」

ルッチーアは席を立ったまま、目を大きくしながら、呟く。

「私もジョストできる?」


「ルッチーア、急にジョストに興味がでたの?でも魔法少女には無理みたいなんだ」

「どうして無理なのさ?」

ルッチーアがグワソンを見下ろして訊く。

「強さが違うからだよ」

グワソンが言う。

片手の平をひろげ、残念だという意志表示をする。「参加できないことになってる」

ひゅーひゅーひゅー。沸き起こる喚声。

コルビル卿の退場。次の騎士の登場。


「…そうかよ」

ルッチーアは席についた。

いらいらいら、不満そうに席に座りなおす。


ふんと息をならし、次の試合の参加者に目をむける。

そのとき、あっとルッチーアは声をあげた。


「…どうかした?」

グワソンが声をかけてきたのに、ルッチーアは反応しなかった。

というより、グワソンの声が耳に入ってきていなかった。


ルッチーアの目は、ただそのとき現れた、ピンク色の髪の小さな少女を捉えていた。

「…あいつら」

ルッチーアは驚いた顔をしながら、そっと呟く。「勝ち進んでたのか……」


「…ん?」

グワソンもその少女に目を留める。


ピンク色の髪と目をした小さな少女は、ぴょこぴょこ足早にフィールドに現れるや、審判の前にたって、
主人の説明をはじめる。


「えー…えーとお…」

観客席の見物客たちが、もうそれだけで笑い出す。

ある意味、騎士たちよりも、この紋章官は、有名になっていた。


「いまからアンフェル卿と対戦します私の主人は……」


くすくすくす、女たちが笑っている。


「その血筋はなんと初代ローマ皇帝オクタヴィアヌスにまでさかのぼり…」



ははははははは。

客席たち、爆笑。

名物紋章官の期待を裏ぎらない説明ぶりに、競技場は笑いに包まれた。



ピンク色の少女が競技場の中心で恥ずかしそうに体を奮わせる。が、しかし、根気だけで説明をつづける。


「聖地巡礼を志す世界の聖なる魔法少女を常に守り抜き、聖地を脅かす邪の悪魔たちを追い払った希望の光こそは、
わたしが紹介します主人のエクスカリバーの軌跡!」


はははは。

もうピンク髪の少女はやけくそで、最後まで語る。



「嵐の地上を雷とともに歩む聖剣の女騎士よ!正義の雷光放つ虹の剣の使い手よ!
その名はアデル・ジョスリーン卿っ!」



いええええええええいっ。


観客たちはもうノリノリで、このわけのわからぬ紋章官の説明を盛大に迎え入れた。


とともに、金髪の髪をした女の騎士が、槍をもって出撃してくる。


「なんだああれ?」

変な顔をして、グワソンは、恥ずかしそうにフィールドを走り去る紋章官の少女を指差す。

それから、ぷっと吹き出した。「あの紋章官、イカレてるな」


その隣でルッチーアが、みてるこっちが恥ずかしいというように、席で額を手で覆って息をはいた。

「はああ…あんのバカ…」


「頭に病気をもってるぞ。なんだあの髪?」

グワソンはまだ笑っている。

「失色症か何かか?何くえば髪があんな色になるんだ?」



するとルッチーアは、少しだけむかっときて、グワソンに言い返した。

「人間は年とればみんな髪が白くなるだろ。それとおんなじで、たぶん、あいつの国じゃ、みんな髪が
ピンク色なんだよ」


「そういうものかな?」

「ああ、そうさ」

ルッチーアは適当にいってのけた。

「人の身体のことをからかうのはよくない男のすることだぜ」


「…そうか」

するともうグワソンはだんまりした。

…かと思えば、次は、現れた女騎士への文句を言い始めた。

「女かよ、まったく」


「女がジョストするのがダメなのか?」

ルッチーアが問うと。

「相手が女騎士にあたった騎士に同情するよ」

と彼は語った。
 ・・・
「手加減しなくちゃいけない」


ルッチーアは聞き返した。「手加減?」


「そうさ。力に差があるし、それに───」

グワソンはいう。

「胸も腹も狙えないだろ。胸は女の大事に膨らみがあるわけだし、腹は、下手したら子を産めなくなる。
かといって顔面にぶちあてるわけにもいかない。結局狙うのは首くらいしかのこらない。肩もねらいどころだが、そこは急所すぎて、
手加減にはならない」

はあと息ついて彼は言うのだった。

「結局相手の騎士は、いろいろ気遣いながら女騎士を相手にジョストしなくちゃいけない。心から楽しめ
ない」


「そんなの気にしないで、思いっきり戦っちまえばいいじゃんか」

ルッチーアは少しむっとして、反論した。「あの女騎士も、そういう危険をしっててジョストにでてるのさ。
なら手加減なんていらないよ。あの女騎士もそれが望みだと思うけど」


「あの女騎士の気持ちなんか関係ない。貴婦人の方々がこうもたくさんみているなかで、女を叩きのめし
づらいだろう」

グワソンはそう言い返すのだった。

「やりにくいったらありゃしない。名目上、男も女もジョストはできることにはなってるが、実際には
やりずらくてしょうがないだろうなあ…」


なんていっているうち、試合がはじまる。



審判が白い旗を降ろし、次の瞬間、それをばっともちあげる。


旗が持ち上がると、試合開始となり、騎士たちが馬を走らせる。


女騎士がゃぁっ!と掛け声だし、馬を走らせる。槍をしっかり脇に抱え、まっすぐ前へむける。


馬が猛スピードで走りだし、相手騎士の方向へ一直線に突っ込む。



ルッチーアのよく知っているあの金髪の女騎士が、いま、相手のアンフェル卿と激突する。


バキキ!

槍が折れる。


それは女騎士の伸ばした槍だった。

アンフェル卿の槍はからぶり、空を突いた。



ドガッと音がして、アンフェル卿が馬上でゆらめく。

飛び散る槍の破片。


もう、今や馬上競技場のフィールドは、折れた槍の破片だらけで、片付けが大変そうであった。



おおおおっ。

観客たちの声援。


あっと声をあげる小さな紋章官、鹿目円奈。




「ほら、ね」

グワソンは試合の様子を見ながら、言った。「アンフェル卿は女騎士のどこを狙ったらいいのかわからない。
いっそ胸を突いてやりたいが、それもできないだろうし」


「ただ下手なだけだろ?」

ルッチーアはどうも、あの二人のことを悪くいわれるのが、嫌に感じた。

「ジョスリーン卿の槍の腕はなかなかじゃないか。魔法少女の私から見てたら分かるよ。狙い通りのところに
槍をあてている。その相手に手加減はいらない」


「そうかなあ」

グワソンは納得していないようだ。



そうこうしているうち、第二回戦がはじまろうとしていた。



自分の持ち場に馬でもどったジョスリーンは、円奈に頼み込んだ。

「円奈よ、槍をわたしてくれ!」

女騎士は辛い声をあげている。

「昨日の痛みが腕からとれていない!私に渡してくれ」


「はい」

円奈は力いっぱい、3メートルの槍をもって、ジョスリーンに手渡す。

ジョスリーンががしとそれを掴み取る。

右手にもち、翠眼を細めて、対戦相手の騎士をしっかり見据える。

「勝つ!」

といい、女騎士は、審判の合図がでると同時に、馬を走らせた。


「やぁ!」

長い金髪が馬上でゆれて、晴天の風になびく。


円奈はその後姿を見守った。


槍を構えもち、馬を馳せ、ジョストに挑んでいく女騎士としてのジョスリーンの姿。

馬上で美しい金髪を太陽に晒してゆらす、流れるような動作。


それを、きれいだなあ、と円奈は思って見守っていた。


だが、やがて恐ろしいときがくる。


相手の騎士との激突。


槍同士が交じり合い、時速50キロちかい速さの槍に、ジョスリーンがまっすぐあてられる。


今度はジョスリーンの槍が空ぶった。

アンフェル卿の槍がジョスリーンの首に直撃し、ジョスリーンはぶわっと槍を手放して馬上で大きくぐらついた。



うおおおおっ。

騒ぐ観客席。



槍を手放したジョスリーンは、しかし手綱は手放さない。

落馬には耐えた。

ふらふらしたまま、やっとの思いで円奈のもとにかえってくる。



「現在、1-2でアンフェル卿の優勢!三回戦へうつります!」

審判が左手にもった旗をあげる。

ひゅーひゅー。

飛び交う拍手と声援。



ジョスリーンは円奈のもとに馬を並足で歩かせ、もどってきた。


彼女は馬上でふらふらしている。甲冑姿が馬の一歩一歩にゆさぶられている。


「ジョ、ジョスリーンさん…」

円奈が不安な声をあげる。


「うう…」

ジョスリーンは、いよいよ苦しそうな顔をみせていた。

彼女は面頬を開け、円奈に顔をみせた。



「…っ!」

そして、円奈ははっと息をのんだ。


顔面をみせたジョスリーンの額からは、血の筋が垂れていた。

「頭がくらくらする!」

と、ジョスリーンはいった。

「目に青くて黒ずんだものがみえる!」

といって女騎士は、ガンガンと籠手で自分の額をたたく。


「だっ…」

円奈は、切り詰まった声を張り上げた。「大丈夫ですかっ!?」


「わからないが戦える!」

ジョスリーンは答えた。

槍を円奈から受け取り、面頬を閉ざした。「私は負けん!」

そして一声、ぜえぜえ息を吐きながら顔を真っ赤にしてつぶやいた。



ジョストの三回戦へ。


このとき。

観客席でルッチーアが、わずかに身を乗り出した。




審判が合図旗を持ち、前へ。


次第にそれが降りる。


降りたあとは、振り上げられる。


ばっ。



三回戦がはじまった!


沸き起こる観客のどよめき。

おおおおおおっ。


その声に包まれるなか、ジョスリーンは三回戦へと躍り出た。


額から流れ出る血が目を覆う。


「はぁっ!」

目が見えなくなる。

それでも掛け声あげ、馬の腹を鐙でけり、馬を全速力をあげる。


ジョストは、相手よりも早い速度で激突しなきゃ不利だ。


激突までには、とにかく馬を早く走らせる。



ババッ。


馬がジョスリーンを乗せて走る。



相手騎士と激突寸前。

槍と槍が交わる───。


まさにそのとき、ルッチーアは無意識のうちに、席を立ち上がっていた。


そして、二人の騎士が柵越しに交差し────。

槍同士の先端がぶつかる。



ドゴッ────!


ゴタッ!


同時に槍が砕ける。

ジョスリーンの肩にアンフェル卿の槍が直撃。


大きくぐらつく。


が、ぐらつくのと同時に、ジョスリーンの槍がアンフェル卿の胴へめり込む。



「ううっ…!」

円奈が息を飲む。



アンフェル卿の胴に食い込んだ槍は折れた。折れて、さらに、奥の奥まで食い込んだ。

裂けていく槍。その深さは1メートルから2メートルにまで……深々とめり込んでいく。


「うおおおお!」

ジョスリーンの、血に塗れた顔のあげる叫び声を、円奈はきいた気がした。



すると次第に、アンフェル卿は後ろに押し出されはじめた。

手から手綱が離れる。そして、バランスを失い、体は背中から宙へ投げだされていく。



おおおおおおおっ。


観客が大声をあげる。


砕け散った槍の破片たちと一緒に、アンフェル卿は宙に投げ出された。


騎士はくの字に体を曲げながら、馬から転がりおちた。

宙返りしながら、ゆっくりと地面におち、身体がバウンドする。



ドテッ。


天を仰いで地面に落ちる騎士。

騎士はぐったり倒れ、動かなくなった。泥と土が飛び散った。



わああああああああっ。

勝敗が決した。



「ようし!」

ルッチーアがその瞬間、思わずぐーを握って叫び声をあげた。



ジョスリーンは砕けた槍をバンと投げ出した。


折れた槍はフィールドにおち、破片だらけのフィールドに紛れた。


そのまま、円奈のもとに戻ってくる。



「勝敗が決しました」

審判はつげ、すると、旗を。


左腕に持った旗をあげた。「4-2でアデル・ジョスリーン卿の勝利!」



おおおおっ。

観客、大いに盛り上がり。


だれもが歓声をあげ、そして拍手した。


ジョスリーンはクイと冑の面頬を持ち上げた。


血は、鼻筋にまで垂れていた。

面頬を開いたジョスリーンはまずそれを籠手でぬぐう。


「勝った!」

そしてジョスリーンは開口一番、告げた。

「勝てたぞ!」


円奈も、嬉しそうに微笑むのだった。



そのころルッチーアは観客席に座りなおした。


「やるじゃんか、あいつら」

と、どこか感動した気持ちにさえなって、手をパチパチたたく。


すると隣ではグワソンが、不服そうな顔をしていた。

「うーん、アンフェル卿が気の毒だ」

「気の毒?」

ルッチーアが目をグワソンにむける。

「女に負けた姿を晒したんだ。情けない気持ちでいっぱいだろう」

と、グワソンはいう。

するとルッチーアは、怒りっぽい顔をした。

「情けないってなにが?」

「女にはわからんだろうけどね、男には男のプライドがある」

グワソンは話した。

「ましてジョストで女騎士に負けたなんて屈辱は耐えがたいものだ。アンフェル卿の姿が
みていられないよ」

といってグワソンはアンフェル卿をみつめる。



落馬したアンフェル卿は、従者たちに助けられて、ようやく抱き起こされた。

ずるずると従者に両肩をひかれながらフィールドを退場する。


「その女に負けたら屈辱っての、なんだよ?」

ルッチーアはますます苛々してきた。

「それって、男が、女を見下してるからだろ?」


「だからいっただろう女にはわからないって」

グワソンは言い返した。

「いや、もっともきみは、魔法少女だけどね。素敵で、強くて、正義の味方だ。だから魔法少女は人類の
英雄だ。だが、ただの女に負けるのはいつの時代だって男の恥だ」


「あんたの話、ぜんぜん納得できないよ」

ルッチーアは席をたった。


「どうしたのルッチーア、まってよ」

グワソンはルッチーアをおいかけた。

「どこにいくの?本当に楽しいジョストはこれからさ」


「いや、私には、さっきの試合が最高だったな」

ルッチーアは背をむけて、グワソンのもとから離れた。

「あんたの考え方はよくわかった」



「男ならみんな同じこと思ってる!」

グワソンは大声だし、ルッチーアを追って足をはやめた。

「プライドをなくしたら、どこに男が立つっていうんだい?きみは魔法少女だが、それに釣り合うほどの
男になってみせるさ!」


「そのプライドってのが、どうもむかつくんだよ」

ルッチーアは馬上競技場の観客席を降りて、街路へとむかった。

「まってよルッチーア!まって!」

グワソンの呼び止める声がするなか、すべて無視して街路を進む。





こうして二人は、一日ももたずに破局。


ルッチーアは、破局20人目の記録に迫りつつあった。

232


馬上試合の二日目が終わった。


ジョスリーンは三回戦も勝ち進み、優勝までのこり4回のジョストを残すのみとなった。


剣試合も順調に勝ち進み、4回戦まで勝ち進んだ。のこり、3回で優勝できる。



今日はジョスリーンと円奈は酒場にいかないでその場で解散した。

明日になればまた、馬上競技場の入り口で待ち合わせすることを約束して。


頭に怪我を負ったのだから、これも自然な流れだろう。


二人は街路を歩く。


「明日は第四回戦だ」

と、ジョスリーンはいう。

もちろん、鎧は脱いでいた。

「おそらく、明日からは、かなり手ごわい騎士ばかりに当たるだろう。たぶん、トーナメントを日常的に
しているレベルの騎士たちだ」


トーナメントとは、馬上槍試合の別バージョンである。というより、ジョストの原型にもなった競技だ。

ジョスリーンが参加している槍試合のことはジョストといい、一騎打ちである。一方トーナメントは、多数の
騎士たちが国と国にわかれて、何十人という集団同士で乱闘する試合のことだ。


しかもそのトーメメントは、もはや試合と呼ばれるような内容ではない。


なにせ国と国の戦いなのだから、試合とは名ばかりで、やってることは戦争だ。



事実、トーナメントでは、相手国の軍隊である騎士をどうやっつけるかに重点が置かれる。

相手を落馬さえさせればよいジョストとは次元が異なる。血みどろの試合である。

敵国の騎士をやっつけ、捕虜にすれば、身代金を相手国から要求できる。

身代金か支払われるまでは、自分たちの国の城に拉致して、幽閉さえやってのける。

まさに金と命をかけた戦い、それがトーナメントだ。



そんな彼らにとって、ジョストは遊戯のようなものだ。


この野蛮な試合───トーナメントは、都市というよりも、どっちかというと封建社会の色が濃く残る、
農村領主の城で開催されることが多かった。


明日には、そのトーナメントで名をあげてきた豪腕ぞろいが相手になるにちがいない。



「明日、また入り口で」

ジョスレーンは円奈の手をとった。「今日もありがとう。今日はゆっくり休もう」

「はい」

円奈は答えた。

休みが必要なのは、自分よりも、ジョスリーンのほうだと思った。


「あと四回だ」

ジョスリーンはいう。

「あと四試合、ジョストを12回勝ち抜けば、優勝できる」


「うん」

円奈は頷いて、ジョスリーンの手を握った。「がんばってください」


「ありがとう」

女騎士はすると円奈にお辞儀し、去った。「今日のところは、さらばだ」


「…」

円奈は何もいわず、去るジョスリーンの後ろ姿を見送った。

街路の路地を曲がり、その後姿もみえなくなると、自分も振り返り、一人で新しい宿屋を探して街路を
あるいた。


もう夜だった。


夜になると、都市には好ましくないことが起こるのは、もう経験から学んでいた。

「のどかわいた…」

しかし円奈は、ふと、そうつぶやくのだった。


というのも、都市にきてから喉を通るものがビールとかワインばっかだったので、それを遠慮し続けた円奈は、
さすがに喉の渇きを感じたのだった。


もう3日間くらい水を飲んでいない。


そこで思い至ったのが都市広場の噴水だった。


ふつう、都市ではそれは飲み水として提供はされていないのだが、そんなことは知らない農村育ちの円奈は、
まっすぐ吸い寄せられるように噴水へとむかう。



都市の広場にでると噴水がみえた。


もう何度となくきているこの場所。



何度となくみた市庁舎。何度か見た修道院。中にはいったのは一度きりだったけど、その経験すら思えば
特別だったのだ。


せまぜまとした街路が突然ひらけるこの広場の開放感は、心にゆとりをもたらしてくれる。


円奈はすうって息をすう。


都市の夜星に煌くお星様をみあげながら、空気を吸い込んだ。


「自由な空気……なんて、ね…」


と、独り言をいう。


そう、都市は自由の空気だった。


封建世界のど真ん中、田舎のバリトンに生まれ育った円奈には知らない空気だった。

バリトンでは、領主の許可もなく領土からでることもできなかった。ただの一歩も。
全て封建的なしがらみに縛られた世界だった。

農村にもよるけれども、厳しい領主のもとでは、勝手に領地からでるだけで、領主に殺される世界だった。
いつも見張られ、仕事をしなければ厳しく鞭をうちれる封建農奴の世界だった。



そんな農村で生まれ育った円奈が、はるばるこの都市まで旅して、初めて知る空気だった。



「世界にはいろいろな世界があるんだあ…」


と、洒落めいたでたらめなことをいい、自分の旅路にちょっとだけ感浸る円奈だった。


そんな彼女の目指すたびの最終着点は、聖地エレムだ。


噴水の前にたつと、囲いからみを乗り出して、水を両手にすくって、ごくっと飲んだ。


のんだあとは、ばしゃばしゃ顔を洗ってみた。


すると、ピンク色の髪から水滴が弾けた。

心地よさそうな円奈の顔が水滴をとばす。


宙を舞う水滴に都市の夜空が映った。



と、そんなとき、円奈は女の人に声をかけられた。

「ねえ、あんたってさ…ひょっとしてさ」

「はい?」

円奈は指先を顔の頬にあて、水をはらっていたが、返事した。

「やっぱ、あんた!」

女が嬉しそうな顔をした。「あの紋章官じゃない!」

「え?あ…うん」

円奈は、自分のことをいわれていると分かるのにわずかに時間を要した。

「はい…」


「あんた、この町じゃ今や名物紋章官だよ」

女はハハハと笑う。

「私も聞いていたが、バカの騎士の自慢話より、あんたの話はバカバカしくて面白い。もうあんたを見に
槍競技場へいってるみたいなもんだ」


「あ…あはは……どうも…」

円奈は、苦笑いした。

私が考えた文じゃないんだけどね、あれ。



「これ使いな」

女はナプキンを手渡してくれた。


花柄の刺しゅうも入った少しだけしゃれたナプキンを受け取る。


「あ…ありがとうございます…」

顔洗うとき、べつに布で顔をぬかない円奈だが、相手の厚意をうけとって顔をそれでふく。

ふきふきと。


「それに、あんたを付き添えている女の騎士も、なかなか勝ち進むねえ。応援してるよ。」

女は円奈の髪をくしゃくしゃあっと荒っぽく撫で上げて、そして、去っていく。

去ろうとして、振り返った。

「どうして騎士の従者がここに一人でいるんだい?」

女は不思議そうな顔をしていた。

「あんたの主人は?」


「あ…」

円奈は顔をみあげて、相手の口にした疑問の意味を理解する。

従者なのだから、主人に付き添っているものだ。


それが夜に一人年広場をぶらついているのだから、不思議がられているのだった。

「く…空気を吸いたいかなって…主人にいったんです」

円奈は、とっさに思いついたことをいう。

「そしたら許可をくれました」


「へえ…そうかい…」

女性はまだ訝る顔つきをしていたが、やがて、また円奈に背をむけて、去る。


夜の路地へ、背中を溶け込ませていく。




「あっ…」

円奈はすると、声をあげて、自分の手元のナプキンをみおろした。

そのナプキンをちょっとだけ持ち上げる。それは、自分の手元に持たされたままだ。



「ま、まって!」

円奈は慌てて、ナプキンもって、女性をおいかけた。

「これ、もってください!」


自分がもらうわけにはいかないと思って、女性に追いついて、ナプキンを返す。

「あー、別に、いいんだよ」

女はいう。「まあ、あんたが返してくれるなら、受け取るけどね。あの女の騎士はいい従者をもったもんだ」

女はナプキンを受け取った。

「はあ…」

円奈は女の目の前で、安心したみたいに胸を撫で下ろしていた。「よかった…」


「なに、そんな、おどおどしてるんだい?」

女はちょっとだけ可笑しそうに顔をして少女をみつめた。

「まるであんた、私の従者みたいじゃないか」


「いや…別にそんなつもりでゃないんですけど…」

円奈は息をあげながら、答えた。

「私がもらうわけにもいかないですし…」


「そうかい、騎士身分の方々に、女がナプキンを贈るのは、よくあることだよ。」

女は冗談ぽくいって笑った。

「女の騎士だがね」



「はあ…まあとにかく…」

円奈は、そんな習慣なんて初耳だった。

「これ…ありがとうございましたっ…」

といって、お辞儀する。


「つくづく変な紋章官だね」

女は困った顔をする。「騎士の従者にお辞儀されてるところなんか、みられたら、困るのはわたしだよ」


「ああっ…ごめんなさい…」

円奈は頭をあげて、そそくさと足を速めて街路を去ろうとした。

「まちな」

すると女に呼び止められた。


「はいっ?」

円奈がザザーっと踵でブレーキかけると足をとめて、すると振り返る。


「あんた今晩主人のところに帰れるのかい?」

女はそんなことをきいてくる。


「あ…いやあ…」

円奈は頭を手にあて、困った顔したあと、答える。

「今日は帰れなくて…」


そこは嘘でも、帰れますというべきなのに、そういう器用さがない円奈であった。


「やっぱね、だろうと思ったよ」

女はいたずらっぽく微笑む。

「なにか主人の怒りを買ったんだね?なにをしたのかしらないが、一日あんたは追い出されているわけだ」


「ええ…あっ、はい、まあ…」

円奈は、相手の解釈に助けられた。だから、頷くだけでよかった。「そんなところ、です…」


「だから、一人でうろついているわけだ」

女は図星を言い当てた嬉しさに、得意気になる。

「ウチにくるかい?あんたみたいな少女が、こんな夜に都市を歩いてたら……」



「い、いいんですか!?」

円奈がすぐに飛びつくと。


「…」

女が、驚いた顔をして目を丸める。


「はれ?」

円奈は、女の反応に、また何か失態でもしたのだろうか、と不安になる。

都市の世界では、自分の気持ちに正直に動いていると、なにかと恥をかく。


「いや、騎士の従者ほどの人が、そんなに市民の家に上がりこむのを容易く受け入れるのにちょっとびっくり
してね…」

女は、すまないね、と付け加えた。

「あんたみたいな、おもしろい紋章官がきたら、うちの子も喜ぶよ。もちろん、すべておもてなしさせて
もらうよ。あんたら騎士の家系のおもてなしにくらべたら、大したもんじゃないけどね!」


あのアキテーヌ城でのおもてなしを、頭に思い描く。

あんなおもてなしは、一生に一度きりでいいよ。

233


ということで二人はエドレスの都市の街路をあるき、円奈は市民の女に家へ招かれ、その家にむかっていた。


「あの…」


円奈がさきに、夜道の街路を歩きながら、女に、たずねた。

「貴女のほうは……こんな夜に広場で何を?」


「ああ、そうだね、そこはあんたも不思議に思うだろうね」

女は言った。

そうなのだ。円奈は水を飲みに噴水にいっていたが、こんな夜に女が一人で出歩くこと自体、都市では危険
なのは円奈も経験から学んでいる。

ましてこの都市に住む女がそれを知らないわけもない。

なのに、なぜ一人で、こんな夜に?


それは当たり前と思えば当たり前な疑問であった。


「このことは、秘密にしてくれるかい?」

女はきいてくる。

その顔には緊張がこもっている。


「あ、はい…」

秘密、というわれると好奇心にくすぐられて、さっそく答えてしまう円奈だった。

この声は小さくて、弱かったけれども、答えをだすのははやかった。


「”闇市”だよ」

すると女は言った。「この夜に、闇商人がたまに路地に店を開く。貴族ども、王族どもからの盗品。
戦場で死んだ騎士たちの備品と金品、装飾品、指輪、ネックレス、運いいときは…勅令の手紙や紋章印、
めちゃくちゃ高く売れる」


「ひええ…」

円奈は、怯えた声をあげる。


「闇商人は預け屋に一時的に盗品をおいておいて───」

と、女は語る。

「夜警騎士どもの目を盗み、隙をみて売りさばく。あたしはそれをかい、質屋にいれる。すると質屋は
騎士の装飾品を死ぬほど欲しがっている他国の収集家に売る。だが最高に高く売れるのは”ソウルジェム”だ」


「そ、ソウルジェム?」

円奈がよく知るそれを挙げられて、思わずびっくりして聞き返す。


「そう、戦場で盗まれた魔法少女のソウルジェムだ」

と、女は答える。

「これはメチャクチャ高く売れる。闇市で取引される最高のブツだ。だがこれは、扱いに気をつけないと、
ある日とつぜん消えてしまうから、取引もなかなか独特なようだ。あ!いっとくが、わたしはそんなもん
目当てではないよ。そこまであくどくないさ」

女はあわてて言い繕う。

「騎士の使者が落とした手紙くらい買えればいいかなと思ったくらいさ……世界中の敵国たちが、その情報を
求めてべらんぼうに金をだすからね。手紙の中身をしるだけで、たんまり金がはいるわけ」


「は、はあ…」

円奈は息をはく。

あらためて、都市っていろんな人がいるところだ。そう思った。


農村みたいな単純さがない。


都市は自由だけれども、自由なぶん、いろいろある。



騎士の使者が持つ手紙は、いま家系がどんな状況にいまあり、どんな一存があって別の国にどんな交渉を
もちかけ、そこにどんな取引と物品のやりとりがあるのか、そんな情報まで満載である。

戦国時代ともいうべき動乱のこの時代、その情報を求めてあらゆる国が高値をつけてそれを求める。

ではそれくらい盗みと暴力が多かったのかといえば、それはもう、とても多かった。

しかも盗賊団の多くは、その正体は、騎士であった。

国の正規なる騎士と傭兵の騎士。どちらにしても、戦争がないと、失業だから、彼らは平和だと仕事がなくて、
よく農村に押し入って、盗みを働いた。


だから、農村からしてみたら、平和のときよりも、戦争があるほうが、ましであった。


盗賊団と化した騎士たちは、ときに無謀にも魔法少女の修道院を襲うこともあった。

そこにはたんまりと金目のものがあって、美しい装飾品、円環の理だとかいうわけのわからぬものを讃えるために
つくられたありったけの絵画や美術品、彫刻の施した祭壇、立派な金糸入り革表紙の本、金のグラス、皿、台座、
高級な燭台。宝石。

なんでも盗めば、山のような金になった。


しかしさすがに、修道院に盗みにはいった盗賊団は、魔法少女の力の前に散り散りになって退散するのだった。

その人間離れした力量をさんざんに見せ付けられて、痛い目をみた盗賊団は、さすがにもう、魔法少女と
戦おうとはしなかった。


しかしこの時代ではもっと厄介なことに、魔法少女の統べる盗賊団というのが存在する。

ファラス地方で渦巻いていたあの盗賊団たちがまさにそうだった。黒い鎌を操る姫の魔法少女だ。



とにかく、戦争がないと盗賊団と化してしまう騎士たち。

この騎士たちの鬱憤のはけ口として、結局トーナメント試合、馬上槍試合がよく開催された。

農村を襲うくらいなら、騎士たち同士で思う存分殺しあって、金のとりあいをしていろという領主の願い
であった。

戦争がないからって農奴を相手に戦争しては税の取立て先がなくなってしまう。


騎士といえば騎士道であるが、それは文学の話で、実際にはそれくらいひどいものだった。



「闇市のことは、みんなには内緒だぞ!」

女は円奈に念押しするのだった。

234


円奈は女に家へと招かれた。

「とにかくまあ、いらっしゃいな。」

女は蝶番の扉をひらき、円奈を中へと招いた。

「今日は闇市はなかったが、かわりにあんたにめぐり合えた。おもてなしさせてもらうよ」


「あ…おじゃまします…」

円奈はおずおすと扉をくぐる。

家は木造で、木の骨組みが壁に突き出ている木骨造。



質素な屋内だった。

木のデーブル、そこに立つ蝋燭、並べられる皿。柱には持送りが左右にあって天井の梁をささえる。
庶民層の、古風な家だった。


円奈はその一階へとあがる。もちろん、靴のままで。


すると中には二人の子供がいた。


二人の子供は、円奈の少女をみるや、いきなり目を輝かせて、飛びついてきた。

「あの紋章官だ!」

と、男の子が最初にいった。

「アデル・ジョスリーン卿の紋章官だわ!」

つぎに女の子がいって、とびついてくるのだった。



「私を知っているの?」

円奈が驚いた顔しながらたずねると。


「今日はもう、とてつもないお客さんをお連れしたさ。」

女はいい、それから、自分の名を名乗った。

「わたしは、マリアン・スタトリー。奥にいるのが…」

といって、奥を指でさす。



「ウィル・スタトリーだ」

家屋の置くで、天井から吊るした大きな網を手でいじり、修繕の作業をしている男が円奈にいった。


男は椅子に座り、天井に吊るした網の網目をひとつひとつ丹念に指で修繕していた。


「うちは漁船をだしていてね」

と、マリアンと名乗った女はいう。

「ウィルはああやって明日の漁のために網を直している。ほんとは1インチの網に編み直したいところだが、
2か3インチだ」


はあと女はため息つきながら語り続けるる


「1インチだと、川の魚をなにもかも一網打尽にしちまって、川の生物がいなくなっちまうからって、王さまが
禁止してしまってね。だから2か3インチの網にしないといけない。まあ、文句をいわれないのは3インチだね。
なんでも、生物の住む川でないといけないらしい」


「だが漁がまともにできなかった三年前よりマシだ」

ウィル・スタトリーという男が口を挟んだ。

「ああ、そうだね、そうだよ!」

マリアンはいい、すると、自分は食糧貯蔵庫へとむかった。

家々の食糧貯蔵庫は地下にある。


地下の樽などに、魚などが塩づけにされて保存されている。

「あたしは、このアデル・ジョスリーン卿の紋章官さまに、食事をだすよ。文句ないな?」


「ああ、ない」

ウィル・スタトリーは網の修繕作業をしながら、答えた。


子供たちは紋章官を輝いた目でみつめていた。

「わたし、あなたが馬上競技場で喋ってたのをみてたわ!」

と、指をびしって円奈にむけて差す。

「へんな、わけのわからない話ばっかり!」


「でも、その話が、いちばん今じゃ、うけてるんだぜ!」

男の子が、楽しそうに言った。

「真面目な紋章官の退屈な自慢話より、面白くて、名物紋章官だってさ!」


「ううう…」

なんだかバカにされている気持ちになってくる円奈だった。

しかも、年下も男の子と女の子たちに。


「わたし、騎士ごっこで、いつもアデル・ジョスリーン卿の役よ。」

と、女の子が話し出した。

「強い女騎士になるのよ。」


といって、おもちゃの槍を取り出して、男の子とわあああーっと声あげながら槍同士をぶつけあう。

おもちゃの槍が相手の頬をつき、ぷにぷにの頬がへこんだりする。


その無邪気な様子が面白くて、円奈は楽しい気持ちで眺めていた。


「俺はメッツリン卿の役目さ」

男の子は妹と槍をぶつけあいながら、言った。


「メッツリン卿?」

円奈がたずねると。


「あの騎士にきまってるじゃん!」

男の子は紋章官に挑発的な声で話した。

「知らないの?紋章官のくせして。ベルトラント・メッツリン卿だよ!この都市で最強の騎士さ。
ジョスリーン卿なんか、かないっこないさ。」


「それはどうかな?」

円奈も挑発にうけてたっていると。


「そうさ!」

男の子はおもちゃの槍で、女の子をぐいぐい槍で叩いた。

「そら、俺はメッツリン卿だ!ジョスリーン卿なんか、こうだ!」

すると女の子も反撃するのだった。

「ジョスリーン卿は負けないわ!そりゃあ!穴あけてあげる!それに、ジョスリーン卿の紋章官もいるわ!」


と、また喧嘩する二人だった。


子供って可愛いかも。

なんて思いながら眺めていたら、二人の兄弟の母マリアンが、食事を円奈のもとに運んできた。


それはタンカードに入ったミルク、オーツ麦のパン、手作りチーズに、はちみつだった。


「こんなもんですまないね」

マリアンはいった。



すると、円奈は驚いた顔をしていた。「わたし、こんなにいただいても…!?」


「謙虚な紋章官だねえ、あんたは!」

こんどは母親が驚く番だった。「わたしは、あんたが貴族だと思って、精一杯最大のおもてなしを
させてもらっているだけさ。」


円奈はテーブルに並んだ食事をみつめる。


酒ではなくミルクをいただけるのがありがたかった。

なんか、庶民的な食事って、いいなあと思ってしまう円奈だった。


というか、その食事で庶民的と思ってしまう自分は、いよいよ騎士身分に板がついてきたのだろうか。


はちみちは、蜂からとれた巣がそのままどんと、蜜まみれになっておかれている。


とても甘そうな匂いがするので、すいよせられるようなに鼻をよせるのだった。



「ああやって娘と息子は、どの騎士が馬上試合で優勝するか予想ごっこしてるが────」

マリアンは円奈の対面席に座った。

「こうしてあんたはここにきてくれたんだ。私はジョスリーン卿を応援するとするよ」


「ああ…どうも…」

円奈はミルクを飲み干したあと、いった。


「女の騎士が男の騎士に勝てるわけねえだろ、バカか!」

するとウィル・スタトリーが、いきなり叫んできた。彼はまだ網目の修繕をしている。

「いままで相手の騎士が間抜けだっただけだ。明日からは、そうもいかん。」



「それは、明日になれば、わかるさ、ウィル。」

母親は適当にあしらう。

それからまた円奈に向き直った。

「とにかく今日は、私らと過ごすがいいさ。夫がいやだってんなら、夫には今日地下でねてもらう。」


「いや、私地下でもいいですけど…」

なんて円奈がいうと。


「だめだ、だめ!紋章官を地下で眠らせたとなったら、アデル卿に殺されちまう!この恩はあくまで善意だ。
恩着せがましいことをするつもりはない!」

といって、女は譲らなかった。


円奈は、蜂蜜の味を楽しむことにした。

235


ちょうどその頃ウスターシュ・ルッチーアが、魔法少女変身姿になって、街路を歩いていた。


灰色のソウルジェム翳して、光らせて。


すでにもう魔獣を何匹が倒したあとだった。


しかし、一回魔獣の群れを倒せばそれで終わりではない。


都市に別の魔獣の気配を感じたら、もちろん、そっちも退治しにいく。


そういうとき、別の魔法少女とぶつかることは多いのだが、市庁舎と修道院の決まりによって、いろいろ
魔法少女同士のなかにも規定があって、グリーフシード目当ての喧嘩はしちゃいけないことになっている。


喧嘩すれば、負けたほうは、告発も修道院長にできる。



では魔獣退治の手柄はどう分け合うのかということだが、たとえば二人で協力して退治すればきれいに二分してわけあうこと、
三人で協力すれば三分してわけあうこと。単純明快にして平等な分け方だ。

しかし、必ず協力し合って魔獣退治にあたらないといけないというルールでもない。

先に魔獣の気配を見つけたほうの魔法少女は、あとからやってきた魔法少女が共闘したいといっても、断ることができる。


そのときは、先に魔獣をみつけたほうの魔法少女が手柄を独り占めする。
魔獣の発見がおくれたほうは手出ししちゃいけない。


しかし相手が、ソウルジェムの穢れが深刻であることを告げたとき、先に魔獣をみつけたほうも相手方の協力の
申し出を拒否できない、とか、まあいろいろ都市にも決まりがある。


それに、協力関係をとにかく拒否しまくって、一人で魔獣退治を退治し続け、手柄を独り占めしつづける一匹狼のような
魔法少女も、結局市庁舎から報酬をうけとるときは、ソウルジェムの穢れに余裕があったら、その何割かだけは
市庁舎に納めないといけない。


市庁舎に納められたぶんは、修道院に大切に保管されて、本当にソウルジェムの限界がちかくてどうにもならなくなった
魔法少女の救済措置のために回される。


そんな仕組みであった。



都市の製造業が組合ギルドという仕組みの中でルールがあるように、都市の魔獣狩りも修道院によって
ルールがあった。



まあこんなものはルールとしてあるだけで、実際には喧嘩が絶えなかったりする。


都市では暴力沙汰が禁止であるのに、そこらじゅうの酒場で喧嘩が絶えないのと同じだ。

とはいえ酒場の酔っ払った男どもの喧嘩は、夜警騎士や守備隊がとめにはいるが、魔法少女同士の喧嘩になると、
もう誰も止められないひどい有り様になる。


ある朝市民がおきてみたら、路地の壁が半壊していた、なんて事件になる。

こんなだから、魔法少女は、市民に、敬遠される。



ルッチーアはそこの日、15匹くらいの魔獣を倒して、グリーフシードは20個得ていた。

昨日はグリーフシード15個で銀貨10枚だったから、それよりは多くの報酬を期待していいだろう。


「二度とあんな高利貸しに換金なんか頼むもんか」

ルッチーアは怒りっぽく独り言をつぶやきながら、路地をあるく。


路地裏。


売女どもが、魔法少女の登場に怯えた顔して、あわててはだけた服を着なおすと逃げさる。


娼婦からしても魔法少女は恐ろしい存在らしい。


「ふんだ」

自分の変身姿を見て逃げ去る娼婦どもを睨むルッチーア。


母親の噂によるとこうした売女どもから金を巻き上げる魔法少女がいるらしいが、やつらの反応をみると、
本当の気がしてくる。


ヒーローになれると思っていた。

だが魔法少女になったら、みんな魔法少女になった自分を恐がったり、逃げたり、友達扱いしてくれなかったり。


「魔獣より恐れられている気がするよ」


ルッチーアはやけで、自嘲気味な気持ちになって言葉を漏らした。


魔獣を倒せば人間に茶化されるし、ひどいときはイカレ女呼ばわりされるし、路地ではこうして恐れられる。
避けられて、逃げられる。


それが寂しくなれば修道院にいけば仲間内でいろいろ打ち解け話ができるのだが、ルッチーアはそこさえ出禁だ。



つよがっていたけれども、本当は、たまらなく寂しい気持ちになりはじめていた。


しかし思えばこんなことはずっと前からあることだったのだ。


自分が魔法少女になる気持ちになったときから、こうなるさだめだったのだ。


イーザベレット、オーヴィエット、マンジェット。昔の友達三人。


今じゃすっかり他人だ。


相変わらず、ルッチーアだけ仲間はずれにされて、この三人同士では仲がよかった。

三人同士でよくパーティーを開き、結婚パーティー、誕生パーティー、休日のパーティーやら、
いろいろ三人の仲間内でひらいた。

魔法少女のルッチーアは呼ばれなかった。


「…はあ」

最近、ため息が多い気がする。


魔獣を狩っても狩ってもけだるい。


自分が狩れば狩るほど、魔獣の数が増していくかのような錯覚がしてくる。


手の平に載る灰色のソウルジェムは、鈍い光を仄かに放ちつづけている。


何度目かわからぬため息を吐いていると、ルッチーアに、甲高い少女の声がきこえた。


「ああっ!」


それはとても元気そうで、はしゃいだ女の子の声だった。「ルッチーアちゃんだ!」


「…はあ?」

自分のことを呼んでくる知らない声に、ルッチーアが振り返る。


「やっとみつけたあ!」

ルッチーアが振り返るとそこにいるのは、声に違わない可愛らしい女の子だった。


女の子は、ルッチーアと同じ黒髪で、黒い瞳をしている。でもその瞳はルッチーアよりもくりくりで、
まんまるで、うきうきしている。黒い髪は長くて、腰あたりまであった。その髪はさらさらで、夜風に
なびいてゆれる女の子の髪は、美しかった。


白い肌の顔は小さくて、小柄な女の子は、ルッチーアの前で足を組み、両手は後ろにまわして、魔法少女を
見つめている。


楽しげな視線で。



「なんだよ?あんた」

ルッチーアは女の子に問い詰める。肩までの髪がゆれた。「私になんの用だあ?」


「わたしがわからないの?」

女の子は少し悲しそうに、うつむいた。

黒い髪には、黒いリボンをくっつけていた。


ルッチーアが目を細める。”なんだあこいつ?変な格好してさ”と心で思う。


しかしいま変身姿であるルッチーアには全く人のことがいえなかった。


黒いに近い灰色のワンピースはシックで、胸元に三日月の印。

髪は肩まである左右のぴょこんと伸びたツインテール。


むしろ、自分のほうが、よっぽど変な格好だった。


ツインテールなんて髪型をする女は、この都市にはいなかった。


「わたしは、ずっとルッチーアちゃんのことみてたの」

と、女の子はいう。

それからまた悲しそうに俯くのだった。

「私のこと、ほんとにわからないの?」



ルッチーアは女の子を目つめた。

それで、やっぱり記憶にない少女だと分かると、言った。

また茶化しにでもきた人間かもしれない。


「残念だがさ、まったくわからないね。あんたがなんで私の名前をしってるのかしらないけどさ、人間だろ?
さいきん、魔法少女が増えた話も聞かないしね。人間が私に何の用だよ」


女の子ますます悲しそうに地面を見つめるばかりだった。


「わたしたち、会ったことあるのよ」

と、小さな声でいう。


ああ、もう、めんどくさいなあ。

ルッチーアは心で毒づく。


「あんたさっきから自分のことが分かるかどうかだけ、きいてばっかじゃんか。それなら、わかないよって、
いったろ。何の用だよ?なにが、"やっとみつけたあ!"だよ」

諦めたようにため息はあとつく。手元のクロスボウを放り捨てる。

かしゃあっと音たてて魔法のクロスボウが空気中に光の粒となって消えた。



「あの裁判のとき…」

すると女の子は、足も手も組んだまま、ぶつぶつと語りだした。

「わたしルッチーアちゃんのこと見てたんだよ…応援してたんだよ…」


「裁判だあ?」

ルッチーアは聞き返す。一歩思わず前に体が前にでた。その動きにあわせて灰色のワンピースがふわりとゆれた。


あの、男9人との決闘裁判か。


そこに見物客としていたってことか。



「そういえば応援する声が聞こえた気がするかもな……」

ルッチーアが思い出すように上目で月を見つめながら、呟くと。


「そう!そうよ」

女の子は白い腕を、こんどは前向きに絡ませた。

そして夢中になって魔法少女をみつめる。

「私は、裁判のとき、ずっとルーチーアちゃんをみてた。強くて、可愛くて、素敵なの。魔法少女は、素敵なの。
わたしは、ずっとあれから、ルッチーアちゃんを探してて……そしたら、変身してるところ見れちゃうなんて!
変身姿、すっごく素敵!かわいい!」

と、感激に浸った声をあげる。


「そりゃあどうも…」

ルッチーアは適当に受け流した。

どうせ人間がたまたま魔法少女みつけて、面白がってるだけだろうと思っていたら、少女は、こんなことをいいだした。


「私も、魔法少女になるわ!」


「…はあ?」

ルッチーアの眉が曲がった。「なんで?」


「なんで?って、素敵だから、よ!」

おんなのこは顔の前で手の平と平をあわせる。


「魔獣を倒すヒーローじゃない。可愛いし。強くて、変身が素敵で、身が軽やかで、華麗で、はなやかで…
女の子の夢いっぱいの、魔法少女!わたしもそれになって、ルッチーアちゃんのお友達になるっ!」

といいきる女の子だった。

「そう、私も魔法少女になって、ルッチーアちゃんと、魔法少女コンビを結成するの!」


と張り切る女の子だったが。


ルッチーアは冷めた気持ちをしていた。

「いや、わるいけど、そういう相方とか探してないもんでね」

といって、振り返る。女の子に背をむけて歩き出す。

「まっ、まってよお!」

女の子が追いかけてくる。

「どうして?わたし、ルッチーアちゃんのお友達になりたいっていってるだけだよ!」


「いや、魔法少女になるとか、いってるじゃんか」

ルッチーアはツインテールゆらしながら、背中で答えた。

「あんたのそれ、夢だぜ。いいもんじゃないさ、魔法少女って」



女の子の動きがとまる。


それでもルッチーアは背をむけて、歩き続ける。


「無理してかっこつけてるだけでさ…さみしくてもつらくっても誰にもわかってくれないし…
一人ぼっちになって泣いてばかり…いいもんじゃないんだよ、魔法少女は」


ルッチーアは背中で語り続ける。


「大変だぞ……?ケガもするし…恋はできないし、友達はなくすし…誰もそばにいてくれないんだよ」


「それでも…それでもがんばる魔法少女に、わたし、憧れてるんですっ!」

女の子は、魔法少女をまた、おいかける。

「それに、一人ぼっちじゃありません。私が、一緒に戦いますからっ!」


「気持ちはありがたいけどさ、そういうことじゃ、ないんだよ」

ルッチーアは女の子に背をむけたまま、歩き去った。

「都市に魔法少女はたりてる。あんたは人間のままでいな。こんな想いして生きるのは私だけでいいんだよ」


女の子は、目に涙溜めながら、街路を歩き去り、夜の闇へと消える魔法少女の後姿を見送った。

236


ルッチーアは自分の家にもどった。

扉は開いていた。



扉をあけて中に入ると、閉じて閂の鉄棒を内側から通して閉じた。

こうすれば泥棒は入れない。



家に戻ると家族は寝静まっていた。

部屋のテーブルの蝋燭もすべて消されていた。

蝋燭の燃えていた白い煙だけが立ち昇り、焦げた臭いだけがのこっている。



テーブルに自分のぶんの食事はなかった。

用意されたのは自分をのぞく家族の分だけだ。


いつものことだったから、ルッチーアはそのまま寝床へとむかう。

木の階段をのぼって、三階へ。


そこが寝床だった。


寝床は、地べたに敷いた布に、毛布だ。


ルッチーアはそこにくるまる。



家族との会話はなかった。


ただそこにくるまって、自分の形になったソウルジェムが鈍く仄かに光り続けるのを。


毛布のなかで、じっと見つめつづけていた。

今日はここまで。

次回、第30話「馬上槍試合大会・三日目」

おつー
追ってたら寝れなくなってしまた

第30話「馬上槍試合大会・三日目」


237

翌朝の午前9時。


市庁舎から鐘楼の鐘が鳴り轟くとき、円奈は先日泊めてもらった漁師の家の前にたっていた。


「あの…」

円奈は、ぺこりとお辞儀する。「お世話になりましたっ…」


「いや、いいんだよ。」

漁師の女、マリアンは、笑う。

「それより今日もあんたをみにいくから、試合、勝ち進むんだよ。」


「はいっ」

円奈は元気よく答えるのだった。

「がんばりますっ…」


「それにしても、へんな紋章官だ。どうしてそんなにあらたまるかねえ?」

女は可笑しそうにいう。

円奈はこの朝、女からベーコン、ミルク、卵などをご馳走してもらっていた。


貴族の従者をもてなす最低限の礼儀だったが、円奈にはそれがたまらないもてなしにみえた。


「ありがとうございましたっ」

礼を述べた円奈は、約束の待ち合わせ場所へと体を走らせる。

少女が馬上槍競技場へ走っていく姿を。

女は、苦笑しながら見つめていた。


「これで、あいつらが優勝したら、金貨いくぶんかはめぐってくれるかね?───なんてね」


「アデル卿は優勝しないさ」

夫のウィル・スタトリーが、呆れたように声をだす。「優勝はメッツリン卿だ」


「さあね?わからないよ」

女はまだ笑っている。「世の中には、奇跡も魔法も、あるんだからね?」

「は?魔法だと?」

ウィル・スタトリーが手から金づちを落とした。ついでに釘何枚かも一緒に。

「おい、マリアン、魔法使いに何か吹き込まれたんじゃないだろうな?」

「やめてよウィル、わたしじゃない。娘の独り言さ」


「娘の独り言?」

聞き返すウィルの顔が凍る。

「おい、娘に、魔法使いの友達ができたんじゃないだろうな?」

マリアンはかぶりをふる。「まさか」

「冗談じゃない俺の娘に魔法使いを近づけるな!」

ウィルはいきなり顔を真っ赤にして、怒鳴った。

「魔法使いの友達ができて、ウチの娘まで、魔法使いになっちまったらどうするんだ?いいか、絶対に娘には、
魔法使いをちかづけるな!」

「わかってますってば」

マリアンはうんざりといった顔をすると家のなかにもどる。

「ささ、馬上槍競技場にいくよ」


やったああああっ、と声をあげる二人の子供たち。


二人の子供をつれて、馬上槍競技場へむかう母を。


父は、心中穏やかでない気持ちで見届けた。



「魔法使いなんか、とでもねえ」


そう、呟くのだった。

238


迎える馬上槍競技3日目!


観客席ははやくも埋め尽くされる。


三日目ともなれば、いよいよ激戦を勝ち抜いた上位ランク騎士同士のジョストの連続となる。

観客たちはいちはやく席をとり、酒場からありったけのビールを買ってきて、朝から飲みまくって騎士たちの
登場を待ちわびているのだった。



「お、おそくなっちゃった…!」

はあ、はあ、はあと息をあげながら槍試合会場にむかう円奈は。


急ぎ足で待ち合わせの入り口にむかい、そして辿り着くと、膝をまげて手をあてると、はあ、はあ、はあと
息をはいて整えた。

「ジョスリーンさん、もういいるかな…?」


まわりはもう、人だらけだ。


なかには、名物紋章官の登場に、いええいと円奈の肩を叩いてやる通りすがりの男や、女やらがいる。


円奈という紋章官のまわりでにやにや笑っていたり、声援をおくったり。


かれらは、決して円奈をからかおうなんて気持ちではなかった。

4回戦まで勝ち進んでいるアデル・ジョスリーン卿の従者として有名な紋章官に、彼らなりの応援を
しているのだった。


しかし円奈にはそれがわからない。

「ちょっと、やめてくださいっ…!」

肩を叩いてくる男たちの手をふりはらい、怒った声だした円奈は、主人の騎士の姿を探した。


「おい、今日はどんなでたらめ話を披露する気だ?」

と、すれちがいざまにジョッキ持ってからかってくる男たちのあいだを通り抜けながら、円奈は主人を探す。



「あっ!」

そしてやっと甲冑姿の女騎士をみつけると、円奈はそこに駆けつけた。


「おそいぞ」

ジョスリーンはすでに籠手を右手にとりつけていた。

「はい…ごめんなさい」

円奈が小さな声で謝る。


するとジョスリーンは、籠手の指先で、ちょいと額をつついた。

「元気をだしてくれ私も優勝まであと四戦なんだ」

といって笑う。


それから、文をとりだして、円奈に渡した。

「今日も文を考えてきたぞ」


円奈がそれを手に受け取る。

「はあ…またですか?」

困った顔をして文を受け取り、その羊皮紙をひろげ、書かれたインクに目を通す。

「…また、こんなの私が……」

すぐ顔が赤くなり、抗議の声をそっと呟くと。

「こんなのってなんだ、こんなのって」

女騎士の主人はさっそくふて腐れてしまうので。


「はあ…」

円奈はため息ついて、諦めたように羊皮紙を丸めもった。

239


「三日目だが、だいぶ体がきつい」


ジョスリーンは甲冑の肩のぶぶんを回しながら、いう。

「あちこちが痛いんだ。とくに肩が」

肩は、ジョストで一番つかうところだ。


ジョスリーンは肩をまわすところを手でおさえ、痛みを和らげるような仕草をする。


「さて、いこう」

二人は馬上槍競技場に辿り着いた。



「次の次が私たちの出番だ」

と、ジョスリーンは円奈に告げる。

「今はディーテル卿とメッツリン卿が対戦している」


「メッツリン卿?」

その名をきいたとき、と円奈の顔色が変わった。

数歩前へ乗り出し、馬に乗った主人より前に進んで柵へ乗り出してしまう。


「メッツリン卿…!」

といって、円奈は険しい目をして、その名を呼んで騎士を睨みつける。



メッツリン家の紋章は、緑色の盾の真ん中に、金色の三日月を描いた紋章だ。

対するディーテル家の紋章は、赤色ベースの盾に、白色の筋がVの字で描かれた赤と白の紋章。


「現在、0-3でメッツリン卿の優勢」


審判が現状を観客席へ説明する。


「三回戦へうつります。ディーテル卿、メッツリン卿、準備はよろしいか?」


二人の騎士が槍を上に持ち上げて答える。


すると審判は頷いて、試合用の合図旗を下に降ろした。


そして一旦おろされた旗を、ばっと上にふりあげる。



と同時に、二匹の馬が走り出す。


そこまでは昨日のジョストと同じだ。



二匹の馬は長細い馬上競技場を柵に沿って走り、まっすぐ進み、互いの騎士同士で距離を縮めあう。


そして、一気に互いにちかづいて……。


円奈が柵の外で険しい顔つきで息をのむ。




バキキ!

ゴッ!


二人の槍が激突した。

馬と馬がすれ違い、馬力の速さで槍と槍が互いに身を突く。

ディーテル卿の槍がメッツリン卿の胸元へ。

対してメッツリン卿の槍は、ディーテル卿の左肩へ。


互いに直撃する。


ディーテル卿の体勢が、槍に左肩をつかれた途端、大きくぐらついた。


槍がバキキと凹み、へし曲がっていくにつれて、ディーテル卿は馬上でバランスを失い、
すると自分の槍の狙いが定まらなくなった。


けっきょく槍の狙いが不安定になり、ディーテル卿の槍はメッツリン卿の胸元に直撃したものの、くだけず、
威力不足で、折れないままだった。


するとなにがおこるのかというと、折れない槍によって今度は自分が反動で弾かれるのだ。

一度くにゃりとまがった槍が元にもどって弾けるその強烈な反動。

その反動がそっくりそのまま自分にかえってきて、激しい勢いでディーテル卿は馬上を投げ出された。

「うわっ!」

馬から横向きでハデに落っこちる。

自分の槍に弾かれて馬から落ちるディーテル卿は、地面をぐるぐる回り、何週もころげたあと、ぐったり
仰向けになった。

投げ出した折れない槍と一緒に。





おおおおおおおっ。

観客席からのどよめきも、一段と大きい。


「メッツリン卿はエドレスの都市で最強の騎士だ」

と、ジョスリーンは円奈の後ろで、馬上から言った。

「その狙いは正確で、敵の弱点もよく見抜いてくる。左肩はジョストの急所だ」

ジョスリーンは自分の肩をみせ、そこを手で触れつつ、円奈に説明をしてくれる。

「右肩に槍を挟んで持っているから、左肩を突かれるといっきにバランスが崩れる。槍の狙いは外れるし、
そうして不安定なまま槍を相手の騎士にぶつけても、槍は砕けない。自爆になるんだ」


円奈はジョスリーンの説明をきくと、ますます顔を険しくさせて、息をごくっと飲み込むと、メッツリン卿を
きいっと睨む。


「どうした、円奈、メッツリン卿がきらいなのか?」


と、ジョスリーンがきくと。


「きらいってほどじゃあ…ないんですけど…」

円奈は、柵の内側から、メッツリン卿を相変わらずきつい目つきで眺めながら、答えた。

「負けたくない相手だとは思います」


「そうか」

女騎士は、ちよっといたずらっぽく笑ってみせて、いった。

「わたしはあのメッツリン卿に求婚されているのだ」


「…へえっ!?」

円奈がばっと顔のむきをかえ、ジョスリーンをみあげた。


「本当の話だ」

ジョスリーンはふっと笑った。「まあ、断っているのだがね」


「ううう…」

円奈は頭をたれる。


「結婚したら女として騎士になれなくなる」

甲冑の面頬が落ちてこないようにそこを掴みながらジョスリーンは小さな声でいうのだった。

その視線の先はメッツリン卿を眺めている。

「あの…!」

ジョスリーンの騎乗する馬の下で、円奈が、ジョスリーンむかって声を張り上げた。

「負けないでください……!メッツリン卿には、絶対に負けないでください…っ!」

と紋章官は懸命に繰り返し告げるのだった。


するとジョスリーンは、円奈を馬上から優しい視線で見下ろした。


「メッツリン卿との対戦は7回戦目。決勝であたる」

240



「はぁっ!」

騎士の一人が馬を走らせる。

バババッ。颯爽と槍試合のフィールドを駆ける騎士をのせる馬。

大きな槍をもち、天に掲げていたそれを、前向きにへと降ろす。


降ろした槍の先を、まっすぐ相手の騎士へむける。


相手の騎士も同じように槍を伸ばして、相手を狙いたてる。


互いが互いの顔を見れるほどに接近しあう。


そして。


バキキ!

バキ!


二人の槍が破裂する。

槍を胸にうけ、馬上でのけぞる騎士。


一人の騎士の槍は直角にへし折れた。




騎士はへし折れたままの槍をもちあげ、ジョストを走りきる。


もう一人の騎士も、粉々に砕けた槍を上向きに持ち上げ直し、ジョストを走りきる。


「エアランゲン卿対リキスタイン卿、2-2で互角!三回戦になります」

審判が告げる。




三回戦へむけ、騎士たちは持ち場に戻る。


従者から新しい槍をうけとる。それを天高くに掲げる。



そして、審判の合図とともに突撃。



馬が走り、槍が交わる…。


槍と槍が砕け、折れ、破片が飛び散る音が馬上槍競技場に轟く…。



観客たちの喝采。

誰もが歓声をあげ、激突を迎える騎士たちに声援をおくる。


二人の騎士は落馬せず、ジョストを走りきる。




「この試合引き分け!」


審判が告げる。


旗を両方にあげ、試合が引き分けであることを観客たちに旗でも示す。


パチパチパチパチ。


騎士たちの健闘ぶりをたたえる拍手の音に会場が包まれるなかに。



ウスターシュ・ルッチーアがいた。



一人だった。

誰とも一緒にきているわけでもなく、一人で観客席をとっていた。


朝早くにも席がうまってしまうにも関わらず、ルッチーアはしっかりと席をとって、騎士たちの槍試合を
眺めていた。


べつに槍試合が好きだから、というわけでもない。

まして昨日グワソンという男に連れられて、見てみたら、面白くてはまってしまったわけでもない。



そんな彼女がなぜここにいるか。


ただ、なんとなく。

あのジョスリーンと円奈が、今日も槍競技に挑むのだと思ったら。


ここにきたくなった。


それだけであった。



「次の試合に映ります」


騎士たちが無事に退場していくなか、審判が告げ。



次の騎士の登場を待った。


その間、いわゆる観客側にとっては休憩時間のようなこの合間の時間に、肉屋が観客席に肉を売る。


「猫の肉はいらんかね?猫の肉だ」


肉屋の串には、焼かれた肉が串刺しとなって、何個か刺さっている。


「ビールつきだ。一緒にくいながら槍試合を楽しみたいかね?」

そう宣伝しながら肉屋は、猫肉の串刺しをもちながら、観客席の前を歩いてまわる。


「いらん、いらん、そんなもん!」

観客は肉屋に野次を飛ばす。

「俺たちの前からどけ!女騎士の登場をまってんだよ!だから俺の視界のなかに立つな!
ちゃんと登場の瞬間をみたいんだよ!」


「そうか、わかった、去るよ」

肉屋は答える。

「だが、買ってくれたら、もっと早く去ってやるぞ。」


「うるせえ、きえろ、きえろ!」

観客の男は怒っている。

「さっさときえろ!目障りな野郎め、猫肉なんかうりやがって、そのへんの野良猫を焼いたのか?」


ルッチーアは遠めに肉屋と観客の怒鳴りあいを眺めていたが、歓声があたりじゅうで沸き起こると、
視線を移した。


槍試合の入り口に、女騎士が現れた。

さらさらの金髪を背中に流し、馬に騎乗し、槍をもって現れるどこか誇り高き、美しい女騎士。



彼女が会場にあらわれると、会場も一気に盛り上がった。


「ジョスリーン!ジョスリーン!」


観客たちはいっせいにエールをおくり、登場した騎士の名を声揃えて叫ぶ。



いまやジョスト大会の人気者となったジョスリーンは、美しい女性の騎士として、観客の人気を集めていた。


そのけたましいほどの歓声のなか、ピンク色の少女がひょこひょこっと現れて、音もなく走り、ぴょこぴょこっと
フィールドを早足で駆け抜け、審判の前に立つ。


おおおおおっ。


名物紋章官の登場に、観客はけたけた笑い始める。

しかしその笑いも、からかう笑いでなく、名物紋章官のおバカ話を期待するような、暖かく迎えいれるような
笑い声だった。


とにかくその笑いに会場が包まれる。


すると少女はすっかり恥に体が射抜かれたように、震えてしまう。


そして文を読み上げるのだった。


「天を護りし円環の理」


もうただその一言だけで、どっと会場が笑い始めた。


「地を血で染めるは魔の獣。円環の理の遣わせしは魔法の使者。魔法の使者こそは、魔法少女。
その保護者!」


けたけたけたけた。

もう、なにがなんだかわからない説明がはじまった紋章官の台詞に、ただただ爆笑する観客は、もう大いに
楽しんでいる。



「はああ…」

ただルッチーアだけが、ため息ついて、あの少女の話にあきれ返る。

「あいつバカか…。なにいってんだよみんなの前で…」


「そう、地上の血を染め上げる獣を清めるは天の清き雷撃!月の雫の力を宿す蒼の聖剣!それを振り回す天下無敵の
騎士!その名は────」


顔を真っ赤にしながら紋章官は観客席にむかって叫ぶ。


「アデル・ジョスリーン卿!」



わあああああ。


金髪の女騎士がやりをふりあげると、観客が喝采した。



だが、この先で問題がおこった。



「わが主人こそは今日これより、フーレンツォレルン卿と対戦を!」


と紋章官が説明を終えた瞬間、沸き起こった笑いが、一気に消し飛んだ。


消える笑い声。


凍る雰囲気。



「あのばか…」

ルッチーアは相手の騎士が掲げた紋章へ目をむける。


あの鷹が描かれた紋章は、フーレンツォレルン家のものではなく、ベルトルトーイライヒェナウ家のものだ。


同じ鷹が描かれているから、読み間違えたのだろう。


だがその読み間違いは、一般人に許される話であって、他でもない紋章官が読み間違えるなんてことは、
本来あってはならないことだ。



ジョスリーンはふうと馬上でため息ついた。



「あれ…はれっ!?」

円奈は、会場の空気が一気に冷えて、観客の誰もが無言になったので、おかしさに気づいた。


誰もなにもいわない。じーっと誰もが言葉を失ってただ紋章官を見下ろしている。



円奈はもう一回紋章へ目をむける。

この鷹がこっちむいて羽ばたいている様子は……。


「あ、ああっ!」

しまったという顔をし、それから、すぐに言い直した。


「これからわが主人は、ウルリック・フォン・エクター卿と一騎打ちです!」



しーん。


さらに冷たくなる空気。


いや、冷たいどころか、痛い。


「はれっ!?」

円奈のなかに気まずさがこみあげてくる。

焦って焦って、あっちこっちに顔をむける。


まずジョスリーンをみつめ、それから観客席のみんなをみあげ、次に振り返って審判をみつめた。


どの顔も冷たい顔をしていた。


紋章官が、相手貴族の紋章を二度も読み間違えるとは、なんたる醜態だ…。


そんな空気が張詰めていた。



貴婦人から、貴族から、諸侯から、騎士たちから、そして相手の騎士から、観客たちから…。



「これまでか」

ジョスリーンは馬上でやり持ちながら、ふうとため息つき、諦めた顔をした。

「円奈はよくやってくれた。だが、ここが限界だ」




「ふざけるな!」

観客席から、野次が飛び始めた。

「冗談がすぎる!」


観客席から飛びかいはじめる野次、文句、ブーイング、非難ごうごう…。



しまいには観客の持っているビールのジョッキやら肉の串やらが、円奈のほうに飛んでくる始末。



「ひっ」


ジョッキがとんできて、円奈は逃げた。

「やめてっ…」


観客席から嵐のごとく飛んでくるさまざまなブツ。


競技場の向こう側にたった対戦相手の騎士と、その従者も怒った顔をしている。

とくに従者は、円奈という紋章官を指差しながら、顔を真っ赤にして、あーだこーだ円奈のことを罵りまくっている。
自分たちの家系と血筋ともいえる紋章を読み間違えられたのだから、その怒りも当然だ。


「おわり、だな…」

円奈への野次がごうごうと高まるなか、ジョスリーンは諦めた顔して呟いた。そして面頬を開け、槍を上に
掲げた。


「この試合棄権する!」

これ以上の暴動沙汰にならないように、ジョスリーンは、すぐに宣言をした。

「降りる!この試合、棄権する!」


だが、会場じゅうあまりに野次とブーイングが飛び交っていて、ジョスリーンの声が誰にも届かない。


とにかくひどい有り様だった。


がーがーがー。

何百人という観客の非難を浴びせられ、罵り声をあてがられ、円奈はその場で、どうしようもなくなって。


ただ、ぽろぽろぽろ…と。


立ち尽くして、涙を流すのみ。



紋章官が二度もジョストの対戦相手の紋章を間違える失態。泣いたって許されない。

一家の紋章は騎士にとって命だ。名前より大切だ。それを読み間違えるほどの失態はこの時代にはない。



それでも、円奈は。


ただ、何百人という人間の非難と野次、罵りをいっせいにこの身に浴びるというかつてない経験に。


ぽろぽろぽろと、なすすべなくピンク色の瞳から涙の粒を頬に滴らすのだった。


「う……は……う…」

なにか言いたいし、なにかしなくちゃいけないのは頭でわかっていても、目に涙がでてくるばかりで、
なにもできない。


せめてごめんなさいをいうべきなのに、それもできない。喉からあふれ出てくるのは嗚咽ばかりだった。


「うう……ううう……」

ただただ、紋章官の少女は目から涙をこぼしつづける。



「棄権だ!降りる!この試合、降りる!」

ジョスリーンがせめて円奈から注目を自分へむけさせようと、懸命に叫んでいるが、観客や貴人たちの視線は
すべて円奈へ冷たく注がれているので、だれもジョスリーンの宣言にはきづかない。


審判ですら気づかない。驚くほど冷たい目で円奈をみおろしているだけ。



「ううう…」

ついに円奈は両手で目を覆ってしまった。

うつむいて、ただ、泣き続ける。



まるでそれが同情を求めているかのような仕草に映り、ますます、観客からの野次と罵声が激しくなった。


円奈にはそんなつもりはないのに、泣けば許してもらえると思ってる、そんなふうに観客に思われているのだった。



もうこうなっては、なにしても負の方向へころげおちる。

泣いても無駄、謝っても無駄、弁論しても無駄、何も言わずに立ち去っても印象が悪い。



どうしようもないのだった。



「ううう…」

ブーイングの嵐と観客の投げるジョッキ、飛び交うなか、ただ泣き続ける。



───タンッ。


するとそんな円奈の肩を、だれかが叩いた。

「え…?」

円奈がそっと手で覆った顔をあけ、涙を溜めたピンク色の瞳で、相手をみると。


円奈の知る魔法少女がそこにいた。


肩までの黒い髪、黒い瞳、円奈よりちょっとばかし背の低い小柄な魔法少女…。


それは、円奈がこの都市にきてひょんなことで知り合った魔法少女。



修道院という、魔法少女専用の建物にいれてくれた魔法少女でもあった。


その魔法少女は、ウスターシュ・ルッチーアだった。


「まったくさ、みてらんないってんだよ」

ルッチーアは円奈にいうと、非難ごうごうの観客席を見回した。

どうにも収集つきそうにもない馬上槍競技場の怒りと罵声。はじまりそうもない次の試合。

そんなとげとげしい雰囲気を一通り眺めたあと、ルッチーアはふっと笑って、円奈にむきなおる。


「いいからもうすっこんでなよ。わたしが手本みせてやるからさ」


といって、黒髪の魔法少女は、円奈の肩をもう一度だけぽんと叩くと競技場のフィールドを歩いてゆき、
審判の目の前へでる。


ごーごーごー。

がーがーがー。



劇場じゅうの非難と野次のど真ん中に、ルッチーアが躍り出る。


円奈はただ、目に涙ためて、久々にあったあのルッチーアを見つめた。



ジョスリーンもあの魔法少女の登場には驚いている。

自分から人間に関わるなといって去っていった彼女が、自ら自分たちの前にまた現れた。


その展開にジョスリーンは少なからず驚かされていた。


そして、棄権を宣言した彼女だったが、どうもそれも聞き届けてくれないみたいだし、何を考えてるか
わからないあのルッチーアを見守ることにした。



ルッチーアは審判の前にでるや、くるりと身を翻して、競技場をぐるりと囲む観客席へと向き直った。


そして開口一番、大声で、叫んで見せたのだった。


「わたしが紋章官だ!」



魔法少女の怒声が轟く。


「え?」

その叫びに思わず円奈はルッチーアを見上げる。




観客の注目のいくつかが、円奈からルッチーアへとむいた。



ジョスリーンも驚いた顔をして、いきなりそんなことを叫んだルッチーアを見やった。


「ご紹介が遅れました!」


ルッチーアは大声で、野次のやまぬ観客席にむかって、また高らかに、叫んでみせる。


「わが主人の名はアデル・ジョスリーン卿!その母方の祖父はシラード卿、曾祖父がアデル公爵…」


ジョスリーンの家系を正しく説明していく魔法少女の声に、観客と貴人たちが気づいて、そっちに
注意をむけはじめる。


「高祖父ギベリンの父親はヴェンディッシュ家のジョスリン一世。ええ、ここ都市の領土をエドレス王から最初に
封授されたあのジョスリン一世です」




ルッチーアの話に、観客席の人々が、だんだん集中しはじめる。円奈への野次と罵声がやんでいく。



「その家系に生まれ、アデルの紋章を授かったわが主人ジョスリーンは」


ルッチーアは大きな声で、観客の視線を一心に集めながら、目を瞑り、ゆっくりと、はっきり、語りつづける。


「夜警騎士として市民の平和を守っていました。都市の夜を脅かすさまざまな危険、そう、酔っ払いの
暴力、闇市の取り締まり、泥棒の退治、川の洗浄を脅かす不届き者の不法投棄業者…すべて、取り締まり、
我らがエドレスの都市の平和を守り続けてきた騎士でした」



観客席に座るだれもが、野次とブーイングをやめて、ルッチーアの話に聞き耳たてはじめる。

どこか心地よさそうに。


会場の様子は変わった。



「そんな夜警騎士の願いは、ジョストに出場することでした。名誉のため?賞金のため?有名になるため?
わが主人の願いはそんなチンケなものじゃありません。このジョストを優勝で飾り、実戦へでて、都市の平和
を本当に守れる誇り高き騎士になることです」



観客たちが目を瞠る。

誰もが驚いた顔をする。



「ご紹介しましょう!観客席のみなさまがた!それから高貴なる席に座る貴人がた!」


ルッチーアは両手を大きく掲げた。


「わたしの誇れる主人です!その名こそは───」


いったんそこで息をのみこみ、間を挟む。そのあとに。


胸を張り、天を仰ぎ見て、主人の名を高々に告げた。


「アデル・ジョスリーン卿であります!」



すると。


おおおおおおおおおっ!!!


観客席から沸き起こる大きな喝采とどよめき。歓声。興奮の渦。


熱気を含んだ声に、いきなり会場全体が包まれる。




ルッチーアは満足そうにぐると囲う競技場の観客席を見回していたが、審判にいわれた。


「そこの紋章官」


審判の声は決して、優しい声ではない。


「ジョスリーン卿とはどういう関係だ?だれもかれも紋章官になれるわけではない」

いいながら審判は、険しい顔でジョスリーンの貴族家系を記した証明書に目を通している。

「あの鹿目円奈という紋章官は侍女らしいが、きみはジョスリーン卿とはどういう関係なのだね?」


その冷静な指摘に、ふたたび観客席の声が静まる。


しーんと静まり返る。


ルッチーアの返答を、その場の誰もが待っている。


「わたしと主人の関係ですか、はい!」

ルッチーアはすると、まったくあわてず、得意気に指をたてた。

「どちらかといえば、私とあのもう一人の紋章官との関係ですがね───」

といって、指を円奈のほうにむける。


すると円奈は、びくっと身体を奮わせた。


おーおーおー。

観客からは、わずかにブーイングのまざった、野次がまた飛び出す。

円奈のことを思い出したからだった。


「わたしとあの紋章官は、姉妹なのです。私が妹なのですよ。どちらも侍女です」


「はっ??」

この切り返しにはさすがの審判も耳を疑った。


あわてて家系の証明書に目を通す。しかしその証明書には、ジョスリーンの家系のことがかいてあるだけで、
紋章官同士の血縁関係など載っているはずもないので確かめられない。



おーおーおー。

うーうーうー。


この説明には観客席の連中も納得していないらしく、またブーイングが、激しくなりはじめた。



「ルッチーアは、それはさすがに無理があるぞ」

ジョスリーンは馬上で小さく呟いた。


ルッチーアと円奈の見た目は、姉妹と呼ぶには違いすぎる。


二人の類似点は、二人とも少女という、年齢が近いという点だけで、他はなにもかも見た目がちがう。

髪の色、目の色、顔も声も性格も挙動も……なにもかもちがすぎて、とても姉妹というには無理がある。



しかしルッチーアはこのごり押しを貫き通す。


「そうです、わたしとその紋章官は姉妹です」

指をたてて、目を閉じ、得意気に、自信満々に答える。「二人でわが主人に仕えているのです」


「うそつけ、てめえ!」

観客の一人が、野次をとばしてきた。

「おれはあんたを知ってるぞ。裁判をみてた。てめえ、魔法少女だろーが!」



「なんだと!」

「ええっ!?」

観客席で起こる、戸惑いと恐怖の反応。


しかしその恐怖は次第に怒りに、その怒りには激しい野次とブーイングへと変わり始めた。


「なにが紋章官だ、うそっぱちじゃねーか、魔法少女め!」

観客席ではルッチーアのことを指差して、罵声を浴びせかける客が目立ち始める。

「きえろ!きえろ!魔法少女め、馬上競技場からきえろ!おれたちに魔法をかける気か!」



円奈がうううっと目を手で覆ってしまう。


ジョスリーンの頬を気まずそうな冷や汗が伝う。



「おおおお、おお!」

するとルッチーアは余裕そうな動作で両手をひろげてみせ、観客席からとんでくる野次を受け止めた。

「ええそうです、わたしは確かに魔法少女ですよ」



本人が告げると、ますます観客からは激しい野次とブーイングがとぶ。

この声が怒りに高まる。

「魔法使いめ!去りやがれ!競技場から去りやがれ!」




「まあ!まあ!まあ!」

ルッチーアは動じない。

にこにこ笑って、手でなだめるようなジェスチャーをしてみせたあと、ゆっくり、話し始めた。

「怒りをお沈めくださいな。私は魔法少女ですが、間違いなくそこの紋章官、鹿目円奈との姉妹ですよ」


「うそつけ!」

観客は騙されない。

二人にそんな血縁関係がないことは、見るからに明らかだ。


「もっといえば、わたしは鹿目円奈とも姉妹ですし、ジョスリーンとも姉妹ですし、みなさまがたとも
兄弟です」



「はあ?」

観客がぽかーんとする。


「そうです!われわれ地上の人間はみな兄弟姉妹!」

ルッチーアはすると、ぴょんと身軽な動きでフィールドの柵に飛びのった。
1メートルちかくある高さの柵にひょいと。


細長い柵の上をバランスよくとんとんと歩き始める。


その身軽で軽快な動きは、魔法少女にしかできない芸当であった。

何百人という観客席の人間がみているなか、ルッチーアはこの芸当を披露してのける。


「私は魔法少女ですが───」

細い柵の上をてくてく歩き、両手をひろげてバランスとりながら、ルッチーアは観客席の人間たちに語りかける。

「私だけで生きているのではありません。この服──」

ルッチーアは柵の上で自分の服をつねる。

「わたしが日々口にする魚料理、水、はちみつなどは────」


ルッチーアはまた両手を水平にして、バランスとりつつ、語った。

「ギルドの職人方、私でない人間の皆様がたに与えられているものです。わたしたち都市の人間はそうやって──」


観客席の人間たちは、魔法少女に険しい視線をぶつけていたが、だんだんその視線も、険しいものから、
真剣に彼女の話を聞いていく目に変わってきた。


「互いに支えあって生きています。私の家系は葺き屋根職人です。皆々様の屋根をつくり、壊れれば修繕します。
そして私は魔法少女!みなさまの負の感情とりまく獣から邪な瘴気を取り除き、都市の平和を守ります──
でもその活動ができるのは、みなさま人間がたの支えあってこそです!」


無言になる人間たち。

でもその目には驚きがある。



「ですから我々魔法少女は、人間に対して特別に傲慢だったりしません!みくだしたりもしていません。
少なくとも都市においてはです。だってあなたがたに支えられて魔獣狩りができるのですから───そう、
私たちは、立場の違いあれど、互いに支えあって生きているのではありませんか。それが兄弟姉妹でなくて
なんというのです!」


といって、両手をばっと広げてみせる。


観客たち、いまだに無言。


「だから、私が最初に宣言してみましたように、私と鹿目円奈は姉妹の関係ですし、ジョスリーン卿とも
姉妹の関係です。みなさまがたとも兄弟姉妹の関係です。いちどここで、すべての立場の違いを忘れ、
兄弟姉妹として、ひとつの舞台を装置していこうではありませんか!」


と、高々に告げる。



「そう、舞台です!わたしとあなたがたが装置する舞台!他でもないこの馬上槍試合の舞台です。見てのとおり、
わたしの主人、いまからジョストに立ち向います騎士は、女!女騎士です。」



観客席での熱気が高まる。


「ですが相手が女だからって、遠慮することはありません!主人に仕える身として、姉妹として、そこを
ここに宣言いたします。さあ、我が主人、アデル・ジョスリーン卿と戦いますイェシバー・ベルトルトー
イライヒェナウ卿よ、全力でかかってきなさい!」


と、ルッチーアはそこで、相手側の紋章を正しく読み上げる。


「私たち女の騎士の代表としてジョスリーン卿は、全力であなたと戦うでしょう!それに対し、あなたは全力
で迎え撃つのです。そして全力で男と女の騎士が激突するとき、わたしたちはひとつの舞台を装置するでしょう。
それこそが、まさに、私たちみながつくりあげる、」


ルッチーアは今までで一番高い声をあげて、天を仰いでみせた。


「馬上槍試合、ジョスト(一騎打ち)なのです!」



おおおおおおおおおっ!!!!

きづいたら観客席では総立ちになっていた。



誰もが喝采し、その場で席をたって、魔法少女に拍手万雷。


わああああっ。


パチパチパチ。



ルッチーアはすると満足そうに、鼻をならして、柵からトンと地上に降り立った。


「どうも」

といって頭を軽くさげる。そのあと、得意気に鼻をならして、てくてく歩いてフィールドをそそくさと去る。

「どうもひいき目に!」


審判がきつい目でルチーアの後姿を見つめていたが、こうまで観客が喝采一色では、文句ももうつけられない。

それにこの紋章官は、相手の紋章と家系も正しく説明した上で、会場を盛り上げてみせたのだ。


これでは文句はいえない。



そうしてジョストの劇場は熱気に包まれ、試合開始のムードになった。


言葉も失って涙を流し続ける円奈の横を通り過ぎ、ルッチーアは、ジョスリーンの前へ歩いて出た。



ジョスリーンは自分たちのところに舞い戻ってきた、あの黒髪の魔法少女を馬上からみおろした。

「さすが、魔法少女だ」

最初にジョスリーンがそういった。


「はあ?」

ルッチーアはジョスリーンをみあげた。

「あんなでたらめな説明から、ここまて盛り返すのは、奇跡か魔法か、ってことだ」

女騎士は楽しげに笑っている。「おまえは魔法少女として、ひとつの奇跡をここに起こして見せたのだ」


ルッチーアは首をひねった。


「つべこべいってないでさっさと勝ってこいよ」

とだけ言い残し、黒髪の魔法少女は女騎士の横を通り過ぎて去った。



ジョスリーンはますます楽しげに笑う。

「これは負けられないぞ」


槍を持ち、審判の合図を待つ。


すると審判はしぶしぶ、白い合図旗を掲げてフィールドへ進んだ。


おおおおおおおおおっ!!!

試合開始の合図がでることを知って、もりにもりあがる会場。


ジョスリーンは槍を持ち上げ、フルプレートの面頬を閉じた目を細め、開始の合図をまった。




審判は最後まで躊躇し、にがい顔をしていたが。


会場の、試合開始を臨む観客席の熱気に圧されて、堪えきれず、ついに合図旗をふりあげた。

ばさっ。


旗がはためく。



うおおおおおおおおっ────!!!!

すでに最大限の盛り上がりだった。


信じられないくらいの歓声。もう何百人が叫んでいるというより、何千人もの声の波のようだ。


四回戦開始!


圧倒的な熱気が会場を包み込むなか、女騎士はついにジョストに出撃。


天に掲げた槍を、前に伸ばし始めた。


足にかける鐙で馬の腹をトンとける。


と同時に、馬が走り、柵に沿って進撃する。



相手の騎士も、最初こそは機嫌を損ねたが、今までで最高の会場のどよめきのなかですっかり機嫌をなおして、喜んで
うけてたった。


柵の右側にそって馬を走らせる。ドダダッ。蹄が土を蹴り上げ、馬はまっすぐに女騎士のもとへ突撃する。



しだいに距離が縮まってくる二人の騎士。


向け合う槍と槍。

早まる馬と馬の速度。


そして。

ドダダダダッ。


馬と馬が接近し、それに乗る騎士と騎士の槍が交差し、衝突。



ゴッ!

ドゴゴ!


二人の騎士が槍を柵越しに交えて、互いを突く。


槍と槍がくにゃりと曲がり、そして反動が二人の騎士を襲う。


いちどくにゃりと曲がった槍が元の形にもどる強烈な反動。


この反動に耐え切れば、槍のほうが負けて、パキとへし折れる。



二人の騎士は大きく馬上でぐらついて、外側へとよれたが、手綱だけはしっかり握りしめ、落馬せずジョストを
走りきった。


二人とも槍が折れた。真っ二つに。反動に打ち勝ったのだ。


折れた槍はジョストのフィールドに転がり落ちて、すれ違う馬たちが蹴り飛ばしてどこかにすっ飛んだ。


「ようし!」

槍競技場の入り口に戻ったルッチーアが拳を握って声をあげた。



「1-1で現在ひきわけ!」

審判が両腕左右の旗をふりあげる。

「二回戦へうつります!」



おおおおお。

観客席の歓声と拍手。手をふる何百人もの見物客たち。

自作のオリジナル旗をふる女の子もいる。



そのオリジナル旗には、女騎士ジョスリーンの絵が、子供らしい下手くそな絵で描かれていた。


「女の子の夢、か」

ルッチーアは一人でぼそっと、つぶやいた。

昨日の少女にいわれたことを。



ジョスリーンはジョストの二回戦に挑むべく、馬を並足ですすめもどってきた。

馬の並足は、いちばん馬の遅い進み方で、ほとんど歩きにちかい。



その歩きだけでも、だいぶジョスリーンの身体は上下にゆさぶられている。


馬が歩くたびに彼女の金髪がさらさらと靡いてゆれる。


「なんて力だまるで金づちの一撃だ!」

女騎士は最初に、フルプレートの面頬をとると叫んだ。

「あの騎士、本気で私を殺すつもりでジョストしてる!」


「スポーツ感覚はおしまいってことだよ」

ルッチーアがいたずらっぽく笑った。

「あんな紋章官をつれてるんだ。相手に殺意も抱かせるさ」


「…まったく」

ジョスリーンはつらそうな顔で空をみあげ、息をめいっぱい胸に吸い込む。

「あんな槍の突撃もう耐えられない!あと二回ものこっているのか」

ううっと呻いて、胸と腹をさすって痛みを和らげる。


それから、ルッチーアを見下ろして、たずねた。

「鹿目円奈はどうしてる?」


「あいつなら、あそこでいじけてるよ」

ルッチーアは指差した。


ジョリーンがルッチーアの指差した方向をみると、ピンク色の髪した少女は貴婦人席の前でしょんぼりしていた。

頭を垂れ、うつむき、そこだけ雨がふっているかのように暗い。


「連れ戻してきてくれ」

ジョスリーンはルッチーアに頼み込む。「それまで二回戦には出撃しない」


「そうかよ」

ルッチーアは槍競技場へまた歩みでて、円奈を連れ出してきた。



いっぽうその頃、相手の騎士、イェシバー・ベルトルトーイライヒェナウ卿は。


甲冑のフルプレートの面頬を上に持ち上げ、汗だくになった顔でふうと息をついた。

「あの女騎士」

と、イェシバーはつぶやく。

「力はないが、勇気は一流だ」

とまでいうと、また息切れしたように、ふうと息をついて深呼吸する。


「勇気は一流、ですか?」

イェシバーの従者の男たちが、訊く。


「そうだ」

騎士は答える。「槍の激突の瞬間まで目を逸らさなかった。日さしに槍の破片が
入ることだってあるのに、一瞬たりとも私から目をそらさない。まるで獲物を捕捉する目だ」


騎士はまたふうと息をつく。自分を落ち着かせるみたいに。

ひさしとは兜の覗き穴部分のことだ。騎士は兜をかぶると、そのひさしの部分だけが視界となる。


「あんな恐ろしい目とあと二回も戦わないといけない。厳しい戦いになるぞ」


従者たちは、不安そうに互いの顔を見合わせた。



「イェシバー卿!ジョスリーン卿!準備はいいか?」

審判が白い旗をあげる。


イェシバー卿は槍をふりあげて返事する。

しかしジョスリーン卿は槍を持たない。待ってくれの合図だ。


審判は不満そうにジョスリーン卿のほうを首を伸ばして見やる。目を細め、眉を寄せ、彼女らを眺める。


ルッチーアが円奈を連れ戻した。

円奈はすっかり落ち込んで、まだ顔をうつむかせて、頬を濡らしている。


「円奈」

女騎士が紋章官の名を呼ぶ。

反応はない。


「円奈!」


やっと、円奈が顔をあげた。

ピンク色の瞳から光る涙がぽろりとこぼれ落ち、地面を濡らす。

ずずっと鼻をすすった。


「私の試合を見届けていてくれ」

ジョスリーンは槍をやっと持った。

「最後まで。私がたてなくなるまでだ。いいかな?」


円奈は、嗚咽漏らしたままで、こくりと頷いた。


ジョスリーンは微笑んだ。

「ルッチーア、円奈をたのんだぞ」

ジョスリーンは自ら出撃位置へ馬を進め、槍をばっと上向きにして持ち上げ、二回戦に臨む意思表明をした。



途端に起こる観客席からの歓声。おおおおおおっ。誰もが手をふる。自作のオリジナル旗をふる。


審判の合図旗が下におろされる。



「左肩をうつ」

いよいよ試合開始を待つときになると、イェシバー卿は作戦を呟いた。

「落馬させてやる。遠慮はいらんといったのはむこうのほうだ。力のぶつけあいなら勝てる。
ジョストに一番大切な力が相手には欠けている」



「頭を打つ」

いっぽう受けてたつジョスリーンも作戦を呟いていた。ジョストは心理戦でもある。

「あの一撃だ。次は耐えられない。ポイントで稼いで逃げ切る。必ずあててやる」



いっぽうルッチーアは、隣でしょげている円奈の頭をついと叩いた。

「いたっ」

円奈が額を手で押さえると。


「みとけよ、主人のジョストなんだろ」


と円奈に諭すのだった。


「うん…」

円奈は目に涙ためながら顔をあげる。両腕で左右それぞれの目から涙をぬぐって、顔をあげる。

真剣そのものなピンク色の瞳でジョストに駆け出すジョスリーンを見つめる。



審判の合図旗がいまもちあがる。



「やぁ!」

ジョスリーンが鐙で馬の腹をけり、そして馬が発進した。


バババッ。


柵に沿って一直線に馬は進み、馬のスピードがあがってくるにつれて、ジョスリーンは上向きにした槍を
下に降ろし、前へとむける。


相手の騎士も同じタイミングで槍を前に降ろした。




槍先同士が、ものすごい勢いで接近しあう。


時速50キロと50キロ。

一秒に14メートルも進むはやさの槍の進撃。



馬力と馬力の正面衝突。


たがいの距離が一気に縮まり。


その間50メートル…30メートル…10メートル…


一秒ごとに、信じられない速さで縮まる二人の騎士同士の距離。


せまる槍と槍。



そして。


槍と槍が交差した。

激突しあう槍先同士。



────ヒュッ!


バキッ!ゴキキ!


馬上の騎士たちが槍をまじえる!

槍は吹き飛ぶ。


ジョスリーンは右脇に挟んだ槍を、右肩の筋肉で動かし、敵騎士の顔面へあてた。


3メートルもある槍なので、わずかに調整がずれてもいけない。


ジョスリーンは家系でジョストの練習を積んできた女騎士だった。


ジョスリーンの槍先は正確に相手騎士の顔面に直撃する。


かぶせ物をした槍の先端が騎士の顔面にめり込み、先端がバラバラに砕ける。バララッ。破片が四方へ飛び散る。

相手の騎士が顔面をゆらしてぐらつく。馬がヒヒーンと叫び声をあげる。



敵も槍を伸ばしてきた。

が、顔面を槍にあてがられたなか、その槍の狙い方は不安定となり、ふらついていた。

結局、敵の槍は女騎士をしとめなかった。


ジョスリーンの左肩すれすれのとひろに伸びて、空ぶる。


シェイバー卿は力尽きたように馬上でぐったり仰け反って、頭をぐらっとさせた。




そのまま馬にのっかってふらいた体勢のままジョストを走り去る。

落馬はしなかった。




おおおおおおおおっ。

観客席からの拍手と声。



「3-1でジョスリーン卿の優勢!三回戦へ移ります!」


審判の旗が左にあがる。




ジョスリーンは円奈たちのもとに戻ってきた。


「この調子で逃げ切るぞ」


ジョスリーンは円奈とルッチーアの二人にいう。


「この四回戦も勝ち進み、優勝する!」



「次は落馬さえしなければ勝ちだ」

ルッチーアも頷いた。


すると、ジョスリーンは意外そうな顔をしてみせた。

「ルッチーア、ジョストがわかるのか?」


「まあ、ね」

魔法少女は腕組んで頷いた。


「ちょっとした縁があってね、実は昨日からあんたらの試合をみてた。そこでルールも覚えた」


「ちょっとした縁?はは、そうかね」

女騎士は笑って面頬をまた閉じて、三回戦へむかう。ジョスト最終戦。



槍を持ち上げ、審判の合図を待つ。



するとルッチーアは、隣でまたしょげはじるた円奈の額をついと指先でつついた。

「いたっ」

円奈が目をぎゅっと閉じて痛がる。


「元気だせってば」

ルッチーアは指先で円奈の額つつきながら、またいうのだった。「主人のジョストをお見届けしな」



いっぽうシェイバー卿は、三回戦の出撃位置にもどったものの。


苦しい顔つきでフルプレートの面頬をあけ、ぜえぜえ息をはいた。


すると従者たちは驚きあわて、顔を青ざめさせた。



主人の顔面はあちこち皮が裂けて、真っ赤だった。

頬からも口からも目下からも血が飛び出していた。


さっきの対決で槍が顔面に直撃したとき、槍の破片の数々が兜に入り込み、彼の顔面を裂いてしまったのだった。



「棄権する」

シェイバー卿はゆっくりと告げた。

「もう戦えない」

顔面が血と破片だらけの彼は命令する。「棄権させてくれ」


従者は戸惑う動作をみせたが、すぐに主人に従った。


従者たちは大きな白い旗を持って運び、それを紋章を吊るしてある掛け台にかぶせる。


すると紋章を描いた盾は白い旗にすっぽりおおわれ、隠されてしまう。



これが棄権の合図だった。



おおおおおおっ。

観客席から起こるなんともいえない掛け声。若干トーンが下がっている。



シェイバー卿は従者に手伝われて馬を降りた。

甲冑を脱ぎ、顔をみせ、彼はジョスリーン卿にお辞儀して試合辞退の意を表明する。

その隣で従者たち二人も丁寧にお辞儀した。



ジョスリーン卿は槍をふりあげ、相手の棄権を受け入れた。


「相手の棄権により、ジョスリーン卿の勝利!」


審判が判決をくだした。


おおおおおおっ。


観客席からは見物客たちが立ち上がり、拍手し、オリジナル旗を振り、女騎士の五回戦進出を讃えた。


パチパチパチ。

わーわーわー。



喝采と拍手のなか、ジョスリーンは円奈たちのもとに戻る。


「五回戦進出だ!」

女騎士は嬉しそうにいう。


「いよいよ優勝もみえてきた!」


「だが、残りはツワモノ揃いだ」

黒髪の魔法少女・ルッチーアが言う。

「メッツリン卿、カーライル卿、ウルリック卿もいるし……なにより、一番やっかいそーなのは
トマス・コルビル卿だね」



腰に手をあててルッチーアは馬上に乗る女騎士に語る。


「昨日コルビル卿の試合をみたんだ。あの技と力は完璧だ。間違いなくジョストの達人だよ。
あんたで勝てるかどうか……」


「今日のことは、感謝するぞ」

ジョスリーンは馬を降りた。

腹を馬の腹に這わせるようにして、するすると。

ガシャン、と甲冑の重たい音がした。


「ルッチーア、きみのおかげで五回戦に勝ち進めた。円奈の名誉も守ってくれた」

隣で円奈がびくと肩をふるわす。


「だがわたしもさすがに身体が傷む。あちこちだ。家に戻り、休む」

女騎士は円奈を見ながら言った。

円奈はうつむいたままで、ジョスリーンとは顔をあわせない。あわせられない。


「明日、朝に競技場の入り口で円奈と私は待ち合わせする。きみもくるか?」


ジョスリーンは魔法少女を誘った。


するとルッチーアは、少しなやむ仕草したあと、目で天をみあげて、答えた。

「ああ。いいよ」


「ならまた明日に」

ジョスリーンは笑い、美しい金髪をそよ風に受け流しながら歩いて去った。

241


鹿目円奈は歩き去るジョスリーンの後ろ姿を見送っていた。


あるくたびゆれる腰近くまであるさらさらの金髪。一目みれば彼女だとわかるその金髪。


ただ、目に涙ためて、じっと見送る。


またじわっ…と、ピンク色の瞳に透明の水滴がたまってくる。


すると円奈は、ルッチーアに、ついっと額を突かれた。

「あいたっ」

円奈が赤くなった額を手でおさえ、痛がる表情をする。

「いつまでしょぼくれてんのさ」

ルッチーアは円奈の前にいた。腰に手をあて、円奈のうつむいた表情を下から覗き込んでいた。

「ちょいと面かしな。酒場にいこうよ」

「へえ?」

円奈は、あの裁判沙汰に自分を巻き込んだ魔法少女に、思いもがけない誘いをうける。

「酒場だよ」

黒髪に黒い瞳の魔法少女は言うのだった。「別にどこの酒場だっていい。あんたが好きな酒場があればそこでもいいよ」


「ううん…わたし」

円奈は小さくかぶりを振った。「そういう気分じゃない……もう宿屋いってやすむね……」

「そーゆーなよ私の酒につきあいな!」

ルッチーアは強引に円奈を酒場へと連れるのだった。


がしと腕をつかんで、抵抗する円奈を、半ば連行するように連れて行く。


「やあだ!」

ざーざー踵で地面にブレーキかけて抵抗する円奈を、後ろから肩をむんずとつかんで連れて行くルッチーア。

なすすべなく引きづられていく。

円奈は、魔法少女の怪力を、改めて知ったのだった。

今日はここまで。

次回、第31話「賭け勝負」


第31話「賭け勝負」

242


「はぁぁ……」

大きくため息、ふうと吐く円奈。

その手元にはビールの入ったジョッキ。もちろん、ほとんど減っていない。


その対面では、ルッチーアが、くびくびビールを飲んで、顔を赤くさせていた。


「なあよ、いつまで落ち込んでるんだい?」

ルッチーアは円奈にきいてくる。

「一緒にいる私の気持ちにもなってよ。せっかくの酒場なのにこれじゃまるで墓場じゃないか?」


「はああああ…」

すると円奈は、さらに大きなため息を吐いた。

「わたし…」

その顔はしょぼくれていて、落ち込んでいて、暗い。

「なんでここでこんなことしてるんだろう……」


「なんだよそれ私と一緒にいるのがそんなにイヤか!」

ルッチーアは少しむっとして口を尖らせた。「目の前で、そんな放心状態されちゃ、こっちまで落ち込んでくるよ。
あまり魔法少女をさ、落ち込ませないでよ。気持ちっての、大事なんだから」


「思えば聖地を目指すためなのに…」

円奈は、ルッチーアのことをあまり見ていないし、気にしてもいない。

ただ独り言を呟くように、ため息をついて、つづいて独り言をぶつぶつ語るだけ。

「なんで紋章官になって、あまつさえ、みんなの前で読み間違えて、こんな惨めな想いしてるんだろう…」


「あのさあ、もうそれ、忘れちゃいなって」

ルッチーアは円奈にいう。

「わたしが手本みせてやったろ?なあ、わたしはあんたと久々に会って、ひさびさに話したくて、酒場に誘ったんだ。
なのに、なんで自分とばっか話してるんだよ?わたしがそんなに嫌か?」

ルッチーアの目にわずかに切なさが一瞬だけ、映る。


「どうせわたしはろくに人の役になんて立てなくて…」

円奈の独り言はまだつづく。

ジョッキのビールはほとんどへってなくて、注文されたときの量そのままで、そのジョッキの水面をみつめながら、
はあとため息つくだけ。

「なにか頑張ろうとしたって……失敗しちゃうだめな子なんだ……」



「もう、うっとうしい!」

ルッチーアは怒鳴った。

ドンとテーブルを叩く。


「たかだか一回失敗したくらいで、なんだよ。あんたぐらいのこと、魔法少女になったらたくさんあるんだぞ。
恥もかくし、おちょくられるし、バカにもされる。あたしなんかそんな毎日さ。なのに、あんたときたら……」


「ルッチーアちゃんは魔法少女だからいいじゃん…」

すると円奈は、そんなことを言い出した。まだ顔は俯いて落ち込んだ口調だ。

「魔獣倒してみんなの役にたてるじゃん…」


「はあ、まったくもう!」

するとルッチーアは悶絶して、両手で顔を覆った。

「あんた、なにもわかってない。都市で魔法少女として暮らすことのひどい日々ってのが、わかってない!
しかも私は修道院を出禁だぞ。あっ!思えばそれはだいたいお前たちが───」

「ルッチーアちゃんが暴れるからでしょ!」

円奈がはじめて顔をあげた。

その顔はどこか怒っていた。

「なのに、私まで裁判に巻き込まれて…」


「勝ったからいいじゃんか」

ルッチーアも言い返す。

すると、黙り込む円奈。



黙り込んで無口になったあと、円奈はまたため息つくと、呟くのだった。

「はあ……ルッチーアちゃんはさ、かっこいいから、いいよね」


「はあ?」

ルッチーアは顔をしかめて、突然の相手の台詞に驚いてしまった。

と同時に、ちょっとだけ顔を赤らめた。


「すごくかっこいいもん。あの槍試合のときの話。みんなルッチーアちゃんの話に夢中で、すごく盛り上がって、
試合も開始されて……なのに、わたしはすごく恥かいて、みじめて、誰も私の話なんてきいてくれなくて……」


「なにさ、そんなしょぼくれることないって、いってるじゃんか」

ルッチーアは言い返す。

「一回失敗しただけで落ち込みすぎだってば。あんた、名物紋章官として有名だったでしょ。みんなあんたの
話を楽しみにしてた。都市のみんながだだよ」


「あれ、わたしが考えた話じゃないもん……ジョスリーンさんの文だもん…しかもそれ、わたしをばかにしてる
だけでしょ」


「あー…そうだったんだ」

ルッチーアは、円奈が紋章官として前にでたとき、文を読み上げていたことを思い出す。

しかも名物紋章官として有名だったのは、円奈が、とにかくおばかな話を披露する道化みたいなやつだと都市に
評判だったことにも思い至る。

「まあでもさ…自信なくすことないって。」

だんだん苦しくなってきたが、ルッチーアはそれでも円奈をなだめる。




「明日も馬上試合の劇場にでなくちゃいけない……ああ…やだよう…」

顔を手で覆ってしまう。

「いやだよう…こんなの…あああ」

泣き出してしまう。



「もーわかった、わかった、明日は私が一緒にいてやるから!」

まるで子供をなだめる母か、いじける妹をなだめる姉だ。


「そんな気分が落ち込んでいるなら、飲みなよ。そう、飲むことだ。だからわたしはあんたを酒場に誘ったんだ」


「これ、苦くてきらいだもん!」

円奈は頬をテーブルにすりつけて泣く。「もう、やなことばっかり……」

ガタって両腕をテーブルについて、全体重をテーブルにあずけて、泣くピンク髪の少女。


「なんでそう自分を卑下するのさ?」

ルッチーアは円奈の頭をぽんと叩く。

「ねえさ、ジョスリーンから話はきいたよ。あんた、ガイヤール国王ギヨーレンに勝ったんだってね?
それでアリエノール・デキテーヌ姫を守り通した騎士なんだろ?」


酒場のまわりのテーブルで、がやがやっと動揺が起こる。

何人かの常連客たちが、どよめいてルッチーアたちをみる。

どうやら話がきかれてちまったらしい。


ルッチーアはテーブルを乗り出し、小声で円奈に耳打ちした。

「だとしたら、それで人の役に十分たってるじゃないか。英雄じゃんか、そう自分を卑下することないだろ」


「その話、脚色されてるもん…」

円奈はふてくされた顔のまま、呟く。

「ギヨーレンは私を前にして勝手に逃げ去っただけだもん…」


「じゃあそれは、ガイヤール王が、あんたをみてびびって逃げたわけだな」

ルッチーアは耳打ちをつづけた。

「じゃああんた、やっぱ大した騎士だよ。それに、アリエノール姫を守り通したことは本当なんだね」


「そのことで浮かれないって私はもう決めたんだもん…」

円奈は自分を卑下するの一点張りだ。

「それに、多くの人も傷つけたもん……私のしてきたことって、結局…」


「ああもう、複雑な女だなあ!」

ルッチーアは喘いだ。「私まで頭が痛くなってくる……」



「もう都市をでたい…」

円奈は急に、そんなことをぼやいた。「ここにいても恥さらしなだけだし……もう明日には都市をでて、
エドワード城にいって、許可状みせて、聖地にいこう……」


その発言に、いよいよルッチーアはむっとするを越えて、むかっとなった。

頭に血が昇る。

「こいつめ!」

ルッチーアは円奈のジョッキを手に取る。

「人がせっかく酒場に誘ったのにさ!あんたには言葉でいっても無駄だ酒で元気づけてやる!」

といって、円奈の頭を掴みあげると、ジョッキを傾けて無理やり円奈に飲ませる。

「ううっ…うべ」

円奈が嫌がる。「それ苦いんだってば!」


大麦が原料にして醸造されたビール。円奈の口に注がれる。


「ほら!自分でつかんで、ぜんぶ飲んじまえ!」

ルッチーアは空いた手で円奈にジョッキを持たせた。


すると円奈は、ジョッキを両手にもたされて、そのまま喉に苦い酒を通し続けた。


ほんにんももうやけくそな気持ちだった。


この苦々しい酒を身体こわすつもりで全部飲む。それだけが、紋章官として大失態した自分に対する罰か何かのように、
受け止めて、ジョッキのビールを初めて空になるまで大量に飲み込んだ。


ところで円奈の母、鹿目神無は、とてつもない酒豪として聖地で知られていた。


10代までは神の国の戦士だった。20代になると、聖地の魔法少女・暁美ほむらとの喧嘩が多くなって、
酒を飲んだ暮れて、酒がいちど入ると、手に負えられない女となった。


「はあああ…」

全部ビールを飲んだ円奈がジョッキをビールにダンと叩きつける。

その息がすでにビールの臭いをふくんでいる。


「やればできるじゃないか」

ルッチーアは嬉しそうだ。

「元気とりもどしていこうよ。互いに」


円奈は舌を口のなかで回していた。苦味を噛み締めるか、追い払うかかのように。

ピンク色の目をした視線はさだまってなくて、顔はもうとても赤い。

「うう…」

めまいがしたかのように額を手でおさえる。


「ちょっとまってよ、冗談だろ?」

ルッチーアは少しばかり、慌てた。「たった一杯で、どうしてそんなになるのさ?いくら苦手だからって……」


と、そのとき。

酒場の扉がダーンと勢いよく開かれた。


大きな音たてて開く店の扉。風が捲き起こる。


酒場の何人かの常連客が、扉のほうに顔をむけた。


あらたな来客が数人、そこにいた。

大柄な男たち3人ほどだった。


みるからに屈強で、背が高くて、いかにも騎士という感じの三人組だった。


「邪魔するぜ」

男たちは店内に入り、酒場の店主に告げた。

「ここに、くそ女騎士ジョスリーン卿のイカレ紋章官と、くそったれ魔法少女がいるときいてな。
ここでいいのか?」


「はあん?」

ルッチーアが男たちのほうを向いた。


円奈は、まだテーブルの席でふらふら頭を回している。


「あー、ここだ」

店主が答える。「だが、いっとくが、喧嘩沙汰はゆるさねえぞ。というより、てめえらに勝ち目はねえ」

「だいじょーぶだ」

騎士の男たちはぐははと笑う。伸びたあごひげを撫でる。「喧嘩するつもりはねえ。”挨拶”しにきただけだ」


「銀貨二枚だ」

店主は手を伸ばし、銀貨を要求する。「あんたらが探している人物は、あっちだ」

店主がひょいと視線を壁際にむける。


「ふうん?」

顎鬚の生やした男の騎士たちが壁際をみる。そこに、黒髪の小さな少女と、一目であいつとわかる、ピンク色の
髪の少女がいた。

「へ、ふざけた髪しやがって」

男たちは店主に銀貨二枚を乱暴にわたし、その隣のテーブルにがたがた、三人とも座った。



「なんの用だあ?」

ルッチーアは呟いた。

目の前で円奈はふらっふらな状態になっているが、自分ならいつでも喧嘩になれば勝てる。人間との喧嘩では一度も
負けたことがない。


騎士たちは円奈たちのテーブルの隣に腰かけるや、にやにやとこちらに見て笑いかけてきた。


「はっはっは。これがあの大恥かいたバカ紋章官と、くそったれ魔法少女か」


「なんだとお?」

ルッチーアが騎士たちを睨み返す。


「おお、おお、まて、まて」

騎士たちはわざと慌てた様子を演じてみせ、両手をあげて制止する。

「喧嘩はやめようぜ、なあ?喧嘩は?魔法少女さんよ、ここはお客さんのいる酒場だぜ……ところお構いなく
暴れるのは、野蛮人のすることだ……俺たちには騎士道があるから、そんなことはのぞまんのだよ。
魔法少女はしらんが」


「ぶっははは」

他の二人組みの騎士が笑い出す。すでにジョッキを一杯、全部飲み干してる。

「そこのバカ紋章官にここのビールは強すぎるかな?」


ふらふらしてる円奈を指差して、騎士は笑う。

するとルッチーアは、むかっとして、慌てて円奈の頬を叩いた。

「おい、しっかりしろ、鹿目円奈、騎士!騎士だろ!おなじ騎士にバカにされてていいのか!」

「はえええ?」

円奈は奇妙な声で返事した。目が泳いでいる。


あっははははは。

男の騎士三人組、爆笑。すでに、二杯目のビールを頼んでいる。


「おめーらなにしにきたんだ!あんたらいったいなんなんだ!」

ルッチーアが怒鳴ると。


「おれたちか?くくく、面白い質問だ」

最初に絡んできた男の騎士が答える。

「おれたちは、あんたらの主人、アデル・ジョスリーン卿の明日の対戦相手、アダマー・フーレンツォレルン卿に
仕えるジョアール騎兵団だ」


「フーレンツォレルン卿だとお?」

ルッチーアが目を丸くする。

とすると、円奈が間違えて読み上げてしまった国に仕える騎兵のやつらということになるが…。



なるほど、自分たちの誇りある国の紋章を、読み間違えられて、他国のと混同されて、恥さらしにされて、
むかついたわけだ。

それでつっかかってきているわけか。


「てめーらのジョスリーン卿は、おれたちの主人、アダマーさまが、叩きのめすってわけよ。」

騎兵団の一人がいう。

「そのてめーらの、無恥で、厚顔なバカ面を、一晩さきに拝みにきたってわけだ。」


「あーあー、読み間違えてわるかったね!」

ルッチーアが大声でしゃべる。

「そのへんはまあ、本当に悪かったよ。だがさ、そうつっかかってこなくてもいいだろ?明日、白黒はっきり
するんだから。」


「俺たちはそんなこたぁーきにしちゃいない!」

騎兵団の一人が席をがたっと立つ。


他の二人組みは、もう、ビール三杯目だ。


「さっきもいったが、てめーらの惨めな顔を拝みにきただけだ。はっ、女のくせに騎士になってジョストに
でやがって、生意気な。てめーらは明日の五回戦で敗退するんだよ。それで決まりだ。調子にのってんじゃねえ
女ども!」


「なにおお!」

ルッチーアも席を立った。「女だって騎士になったっていいじゃねえか!」


「そんな時間あったら金糸縫いと紡錘の使い方でも学んでろ、くそ女どもめが!」

男は叫ぶ。

「これは本当のことをいってるだけだ。女は若ければ調子のるが、すぐ老いる。そのときに、服のひとつも
つくれなかったら、なんの価値もねえくそったれだ」


「このやろう!」


ルッチーアは怒り心頭、かんかんになって、男につっかかる。


「おうおうおう!」

男はまた、余裕そうに両手をあげる。

「魔法少女さん、ここで暴れるのは、騎士道に反するんでね。おれは手出ししやしない。だがいまここで
あんたが暴れたら、魔法少女はくそったれだ」

「そーかいじゃあさっさと消えろ!」

ルッチーアは怒鳴る。

「あたしらの顔を拝めただろ?じゃあもういいじゃんか、もうかえんな。そして明日のジョストで、泣けばいいさ。」


「泣く?誰が?ぶっ」

騎兵団の三人組は噴出す。ビールごと。

「おれたちジョアール騎兵団を率いる最強の騎士・アダマーさまが、てめーら女軍団に、負けるとでも?」


「ああそうさ、明日になればわかる」


「槍に魔法でもかける気か?」

「このやろう!」

ルッチーアは再び怒鳴った。男たちはルッチーアの逆鱗に触れた。

というのも、魔法少女である自分が、そういうふうにいわれることが何よりも嫌いだったからだ。

「わたしが明日勝負にイカサマするでもいいたいのか!」


「魔法少女ってのは、インチキなやつらだ。だって魔法少女だろ。へんてこりんな魔術使いめ」

「もうゆるさない!」

ルッチーアは男の身体を腰からつかみあげた。

いとも簡単にもちあがる男の屈強な身体。床から浮く足。男は苦痛に顔をゆがめる。


「まて、まて!」

男は顔を歪めながらルッチーアを見下ろし、自分を降ろすように繰り返し頼んだ。

「おろせ、おろせ、おろせ!暴力沙汰はやめにしないか……騎士道に反するんだ…」


ルッチーアは男をはなした。


とたんに大柄な男の身体がすとーんと地面におちて、うぐおっと男は呻いて地面に転んだ。

つらそうに腹を抱える。


「じゃあこうしようじゃないか」

するとテーブルに腰掛けた騎兵団の二人組みの男のほうが、ルッチーアを見ながら、テーブルで手の動き交えつつ
提案をしてきた。


「明日、俺たちの主人と、あんたらの主人がジョストで対決する。だが俺たちとてめーらの戦いでもある。
ちがうか?」


「ちがわないな」

ルッチーアは答え、ギロリと男どもを睨んだ。「てめーら、ゆるさない」


「よし、じゃあ、勝負だ」

テーブルに腰掛けた男は持ちかけてくる。

そう、賭け事を。

「”金貨50枚”だ。俺たちの主人、アダマーさまが勝つか、ジョスリーン卿が勝つか賭け勝負だ。どうだね?」


「き、金貨50枚だああ??」

ルッチーアはびっくり仰天、提示された破格の価格に、怒りさえふき飛んで、ただただ目を丸くしてしまった。

そんな金、いままでの16年間の人生を振り返った全ての稼いだ金額の合計よりも高い。


「おやおや、どうしたのかな?びびっちゃってるのかな?」

男たち、おちょくるような声をだし、にやにやと笑う。


地面に倒れた男も起き上がって、ダブレットの服についた埃をぱんぱんと払うと、にやにや笑った。

「へっ、女の度胸なんか、そんなものだ。」

にやにや笑いながら顎鬚をつかみつつ、テーブルの席にこしかけ、ビールのジョッキをぐびと飲み干す。

飲み干したあと、ダンとジッョキをテーブルにダンと置き、余裕そうな顔で微笑んで、両手の平をひろげてみせる。

「勝てる自信がないんだろ。つまり、自分たちの主人の勝ちを信じてない、負けるかもしれない、って
思っているって、ことだ」


「あっはははは」

男たち、げらげら爆笑。

「だが俺たちは自分の主人の勝利を信じているから、全財産だって賭けられる。どうした?おまえたちは、自分たちの
主人が勝てると思わないのか?さっきの言葉はうそだったのか?明日、俺たちを泣かすんじゃなかったのか?」

あっははははは。

ぷっぷっぷっぷー。

口笛をひゅーひゅー鳴らしたりおどけたり、ぴよぴよぴよと鳥の真似ごとをしたりして、徹底的にルッチーアを
バカにして挑発する男たち。


「この……この…!」

ルッチーアはとにかく怒っていた。

魔法少女をインチキ扱いするぜったいにこの男どもを許せないし、叩きのめしてやりたいし、
ここまでバカにされて勝負事を降りる気なんかまったくない。

だが問題があった。


そもそもルッチーアの持つ全財産はいま、手元の銀貨25枚だ。昨日の魔獣退治の報酬を市庁舎て受け取って、
銀貨25枚。


とても金貨50枚なんて大金張れない。銀貨があと1000枚あってもたりない。


「くぬう…!」

ルッチーアはくやしがることしかできない。


思えばそれがこの男どもの作戦だったのかもしれない。


まともに力で喧嘩すれば魔法少女に勝てないことを認めた上で、金で殺しにきたのかもしれない。

大金を賭ける博打にふっかけ、力ではなく、金銭的に相手を殺す。


まんまとその作戦にのっかったわけだ。

頭に血が昇って、つい挑発にのったが、すべて踊らされていたってこと。


そう思うと、ますます腹が立ってくる。

煮えくり返る思いだ。


「あらあら、どうしたの?言葉をなくしちゃって」

騎兵団の男どもはまだ挑発してくる。片足を椅子にのっけ、片足だちになり、手を広げ、眉をひそめ、
困った顔をした素振りみせ、おどけた口調で質問してくる。

「もしかして逃げんの?」

二人組みの男も笑っている。

「へっ、さんざん、俺たちを明日泣かすだなんだいっときながら、金貨を賭けた途端、言葉のひとつも
喋らなくなったよ。本心じゃ主人の勝利なんか信じちゃいないってことだ」

「くっだらねえ」

男はけたけた笑う。「魔法少女ってのは、こうも意気地なしだったのか?へへったいしたことねえ」


「そっちのイカレ紋章官も大概さ。みろよ、へっ」

騎兵団の男は円奈を指差す。

「ふらっふらしやがって。ひょろひょろの、べろべろの、頭くらくら女。雷を呼び寄せる女騎士だなんだ
ばかばかしい話ばかりしやがって。おまけに紋章官のくせに紋章を試合場で読み間違えて、恥さらしやがって!
俺たちの紋章にまで泥を塗りやがった!」

ダンッ!!!

と、大きな音たてて、男は小刀のナイフをテーブルに突き刺す。


肉の油焼きソテーを食べるための小刀だった。小刀はテーブルに突きたった。



「なんだよあんたら、めっちゃ根にもってるじゃんか」

ルッチーアが呆れたように呟いた。その額に汗が垂れた。


「覚悟しとけよクソ女ども!明日の五回戦は、我らが主人が、名誉にかけて、ジョスリーン卿を
馬から叩き落してやる。無様に負かしてやる。おれたちがうけた恥を、思い知るがいい。そのくそっれ
イカレ紋章官が、俺たちにかけた恥のすべてを、倍にして返しにしてや───」


男が言い終わるか終わらないかのうちに、円奈が大声で叫んだ。

「さっきからきいていれば!」

ピンク色の髪した少女は、店主に配られたソテー料理の小刀を、ダンと机に突きたてた。

食器の皿と蝋燭皿がテーブル上で跳ね、浮いて、カチャチャと揺れ動いた。


男たち三人組が、突然の少女の怒りの爆発に、ちょっとだけ身を退いた。

「なによもう!イカレ紋章官イカレ紋章官って!わたしのどこがイカレてるっていうの!」

円奈はふらふらした頭を持ち直し、席からたちあがると、男たちを睨んだ。

顔が真っ赤で、酔いがすっかり回ってしまっている。


「その頭だ」

男たちは本調子を取り戻して、自分の頭をついついと指の先で叩くと、答えてみせる。

「そのイカレた髪だ」

ちょいちょいと、自分の髪の一本を掴んで持ち上げる。


「もう怒った!」

円奈は顔を真っ赤にさせて怒鳴った。

「その勝負、うけてたってあげる!」

ピンク色の髪の毛が逆立った。


「はあっ!?」

ルッチーアがくるりと身を翻して、円奈をみた。その目が驚きに丸くなっている。


だが円奈をみるとどうも本気らしい。


あわててルッチーアは円奈に駆け寄り、肩をつかみ、目の前にたって、自分の話を言い聞かせた。

「落ち着けよ円奈!相手がもちかけてきた金額を考えてみろ。金貨50枚だぞ。そんな金どこにある?
受けて立つだけ無駄だ。私たちにそんな金ないってしられたら、恥かくのはこっちだぞ。とっとと別の酒場に
いこう。明日、ジョスリーンがこいつらの主人を叩きのめしてくれるさ」


すると円奈はチュニックの服から金貨袋をとりだした。ジャララっ。袋のなかでこすれあう金貨の音がする。

「金貨ならここにあるもん」


「……はっ?」

ルッチーアの目が白黒する。ぱちくり。信じられないものを見るような驚きの目で、円奈の行動を見やる。


円奈は騎兵団の男たち三人組のテーブルの前へ進み出る。


騎兵団三人組のテーブルへでた円奈は、この金貨袋をテーブルの中心に落とした。


バサっ。ジャララ。

音を立ててテーブル面におちる、金貨袋。布の袋は、テーブルにおちて、くにゃりと形を崩す。


男たち三人が言葉を失ってその大きな金貨袋を見おろす。


「金貨50枚なんてちまい賭けはいらない」


円奈ははっきりそう告げた。


「私とあなたたちで、金貨100枚を賭けよ?明日、どうせジョスリーンさんが勝つから」


「ひゃ……」

男たちの目に怯えが映る。「100枚!?」


「100っ!?」

ルッチーアも慌ててテーブルに駆けつけてきた。男たちのテーブルに乗り出し、円奈の落とした金貨袋を見た。


すると円奈は、一度テーブルに落とした金貨袋を持って紐を解くと、袋の中身をテーブルへ落とした。



ジャラララララっっ。


次々と滝のように落ちてくる金貨の数々。

ぴかぴか光る金色の硬貨が、みるみるうちにテーブルに満たされ、山になっていく……。


金ぴかの山がそこにできた。



円奈が金貨袋から落としてみせたのは、金貨99枚と、銀貨20枚ほど。


「ルッチーアちゃん。銀貨10枚ある?」

円奈が訊いてきた。


ルッチーアはしばし言葉をなくして金貨の山を見つめていたが、はっと我に返って、答えた。

「ああ…あるよ」


「ここにのせて」

円奈にいわれ、圧倒されるまま、ルッチーアはいわれたとおりに銀貨10枚を金貨の山にのっける。


金貨99枚と銀貨30枚。


「これで金貨100枚。わたしの全財産。これぜんぶ賭けるね」

円奈は言った。

「もちろん、明日はジョスリーンさんが勝つって信じてるから。で、あなたたちは?」

といって、ピンク色の目で男たちを見回す。


「お……おろ…」

騎兵団三人は、金貨100枚の山の迫力に、すっかり言葉を失くしている。


「ねえ、どっちなの?」

円奈は腰に手をあて、厳しく男たちに迫る。

「あなたたちから持ちかけてきた勝負だよ?私は金額を倍にしただけ。ちまい賭け事する気ないから。
勝負するんでしょ?」



「ねえさ、頭を冷やせってば!円奈!」

ルッチーアは円奈の頬をぱちぱちたたいた。

「全財産をここに賭けてどうするのさ?負けたら?わたしが悪かった。あんたに酒なんかのませるからだ。
あんた初めて酒のんで、酔いが回ってるんだ。さあ、正気に戻りな」


「酔いなんてしらない!ジョスリーンさんは負けない!」

円奈は言い張る。

「わたし怒ってるの!わたしが紋章官するまで、どれほど苦労したかわかる?寝る間もおしんで紋章と
騎士の名前いっっぱい覚えてただから。それをさんざんバカにされて。私黙っていられないの!」


「わかった…わかった、だがよ、お嬢さん」

騎兵団の一人が、怯えた声しながら、話した。

「あんたの怒りはわかった…けどさ、金貨100枚はさすがにきついぜ……互いのためにならない。
というより、俺たちにさえそんな金貨はねえんだ。こんな、まるで破滅を賭けるような賭け、やめにしようぜ」


「へえっ!自分たちの主人の勝ちが信じられないわけ!」

円奈は男の騎士たちに詰め寄る。

男が一歩あとさがる。

「度胸がないのはどっちだか!金貨がない?なら足りない50枚をいますぐ借りてきてよ。お金貸すとこ
あるんでしょ?そうでしょ?ルッチーアちゃん?」

といって、ルッチーアをみる。



「あ……ああ…まあね…」

ルッチーアは、円奈の迫力にたじろきつつ、どうにか言った。「高利貸しがこの都市に……」


「じゃあいますぐそこから残りの50枚借りてきて!そして100枚賭けて私たちと勝負!」


「おい、これまずいぜ」

騎兵団の一人は、すっかり顔を青ざめさせている。

「この都市の高利貸しは、血も涙もねえ暴利だっていうぞ。そんなところで金貨50枚も借りて、
もし負けたら…」


「そもそも、担保がない!」

他の男も必死になって言い繕う。「金貨50枚も借りる担保が!そんな借りられるわけない!」


さっきまでとは打って変わった、あわてふためく男たちの様子に。

ルッチーアはだんだん、心に火がついてきた。そう、この男どもをこらしててやろう、という加虐心だ。


「担保か……ふーん、そうだな」

考える仕草しながら魔法少女は、騎兵団三人の身なりを確かめていく。

「このダブレット、金糸の刺しゅういりか……貴族じゃないと着れない、高価なもんだよねえ」

男たちが顔を固くしていく。

黒髪の魔法少女は、騎兵団の身なりと装飾品、持参品、すべて丁寧にしらべあげていく。

「この剣!鞘も金糸入りか。ベルト!金メッキ飾りか。すごいねぇ。高く売れそうだ。剣そのものも、いいの
つかっているね。ロングソードかい?おおっ、鋼と鉄の合金じゃないか?さぞ高級の職人の手による剣なんだろうねえ。
指輪、靴、下着、絹のストッキング!どれも高値がつく。しかも三人分ある。大丈夫さ。金貨50枚ぶんの価値はある」


男たち、三人そろって、顔が真っ青。


「明日を楽しみにしてな」

ルッチーアは男たち三人に告げた。「素っ裸にしてやる」

243


「いっとくが、逃げるなよ」

すっかり元気をなくした男たち三人は、並んで頭を垂れ、すっかり落ち込んで、ルッチーアに念押しされていた。

「もし逃げたら、明日の勝負のとき、みんなの前であんたの主人に、今日のことを暴露してやるよ。
”自分たちから賭け事ふっかけてきて、金額を倍にされたら逃げ去った”ってな」


男たち、三人揃って黙って地面をみつめている。


まるで母親に叱られる子供三人だ。


「すぐに高利貸しから50枚借りて、もどってこい。担保はあんたらの身に着けてる装備品すべてで
まかなえるだろ。そしてちゃんと金貨100枚にして、ここにもどってくるんだな」


「…」

騎兵団の三人は、俯いたままこくっと頷いて、静かに店をあとにした。


「楽しみにしてるよ!」

ルッチーアは手をふりながら三人を見送り、笑顔をみせた。


それからテーブルの円奈のほうにむきなおった。


飲み散らかされたビールと、山のように積まれた金貨。

それをルッチーアは慌てて金貨袋に詰め直す。


「客をみたらどろぼうと思えってな」

ルッチーアはまわりを目だけで見回す。何人かの客が、隙をねらって金貨の山に手をつけようとしている。

「一枚でもかけたらダメだ。はやく詰め直さないと」

全部金貨袋につめなおし、円奈の前にルッチーアは座りなおした。


「それにしても、えらい展開になってきたなあ……あれ?」

ルッチーアはこのとき初めて気づいた。

目の前で円奈が、意識朦朧としていて、目を閉じたまま、頬を熱くさせて、ふらふらしていることに。

そして、はうううと声だして、バッタンと気を失うと、テーブルに突っ伏し、そのままテーブルの側面から
身を転ばせて落ちた。



「おい、しっかりしなよ!」

ルッチーアは慌てて酔いつぶれた円奈を抱き上げる。

この少女はすっかり眠っていて、すうすう寝息たててルッチーアに全体重を預けていた。

「おもっ、この女」

だらーんと肩に寄りかかってきた円奈を抱きとめ、困ったルッチーアは、店主を呼んだ。


「マスター!二階は宿屋なんだろ?この女泊まらせていいかい?空きは?」


「ああ、いいよ。銀貨三枚だ」

ルッチーアは円奈を支えながら、自分の持分の銀貨から三枚、店主に渡した。


「この女一人でいいのかい?」

店主がたずねる。

「ああ、いいよ。わたしはもう少しここで飲んでから、家に帰るよ」


魔法少女は答え、円奈を、二階の客室へ運んで言った。


眠りにおちた少女の寝息が首にかかる。

「くそ、私にこんなことさせやがって」

一人愚痴をこぼすルッチーア。

円奈という少女を抱きとめて、二階へ。


「まあ……私が酒飲ませたのがわるかったな……こんなことになるなんて」

男たちは、ちゃんと金貨100枚もってくるのだろうか。

もし本当にもってきたら、とんだ間抜け野郎たちだ。


そのまま逃げてしまえばいいのに。

別に明日の大会四日目に、暴露する気なんかないし、逃げてくれれば、こっちも金貨100枚を賭けるリスクが
消えて、見事後腐れなく解決。


というか、この都市の高利貸しのえげつなさは多くの人が知っているわけだし、そんなところから、自分の装備品の
全てを担保にして借りてきたら、ほんとに大バカどもだ……。


と同時に、こっちも、やばくなる…。


「や、やわらかい、な…」

円奈を抱きとめて階段を運んでいるうち、ルッチーアは、そんな感想を呟いた。

「ふにゃふにゃしやがって、鳥肌がたってくるよ」

円奈という少女の身体のやわらかさに、同じ少女として背筋に悪寒を感じてしまうルッチーアであった。

244


ルッチーアは円奈を客室にねかせ、毛布をかけてやった。

そして自分は一階の酒場に戻り、また、ビールを飲んだ。


まさかもどってくることもないだろうな…なんて思いながら、期待しないでジョッキのビールを飲んでいると。


男たちが、もどってきた。

「たのもう!あほんだら魔法使いのルッチーアあ!」

騎兵団の男どもはやけくそになって叫び、驚いた顔してみあげるルッチーアのテーブルに、金貨百枚を
宝箱に入れてドンとテーブルにたたきつけた。


「…えっ?」

ルッチーア、仰天。目を大きく見張り、黒一色になった。

「本当に借りてきたの?」


「ああそーだ!」

男たち、もう何もかも投げやりであった。「俺たちの装備品、すべて担保にしてきた!そして借り入れてきたぞ、
金貨50枚!これで100枚だ。疑うならたしかめな。だが、明日、笑うのは俺たちだ。てめーらが裸に
なるんだよ」


「まさか本当に借りてきたのかこりゃまいったなあ…」

ルッチーア、頭を悩ます。

だが、これではひけまい。



「まあ、うけてたつよ。金利って、どれくらいだった?」

ルッチーアは純粋に興味があって、たずねてみた。


すると、男は胸張って答えた。

「一ヶ月六割だ!」


ルッチーアは内心きょどりながらも、頷いた。「そりゃあ、たまげた金利だね」

心うち、男たちに同情した。


「なに、どうせ、てめーらが負けるから、かまわねえけどよ。」

男たちは、あくまで胸を張って堂々としている。

ある意味、すべてを失う未来がみえているとき、人間はこうも堂々とできるのかもしれない。

「たしかに見届けた。じゃあ、明日ね」

ルッチーアは自分まで内心ひやひやしながらも、それを隠して、余裕な口ぶりで答えた。

「楽しみだよ」


「ああ、まったく、明日が楽しみだよ!」

男たちもニタニタ笑いながら言った。

でも内心ひやひやしていて、冷や汗を隠すのに必死だった。



つまりルッチーアも騎兵団も、気持ちではまったく同じだった。


できれば賭け事なんかなくなって、もう何事もなかった頃にもどりたい、であった。


でも互いにそれができない。

もうやめよう、が言い出せない状況。


ああ、博打とは、恐ろしいものだ。


「じゃあ明日のジョストでまた会おう」

男はビッとルッチーアを指さし、彼女に告げると、宝箱を持って、三人とも酒場の店を去った。


ルッチーアはしばしそのまま自分のテーブル席にすわっていたが、やがてぶるぶる身体を奮わせだした。

「金貨100枚…まけたらどうするのさ…」

自分には到底払えない。

なのにまけたら?


こんどは自分が高利貸しに借りる?100枚も?


恐ろしい予感にぶるっと肩を震わす。

「ああまずい、明日のジョスト…ジョスリーンが落馬したら、わたしそのまま失神して円環の理に導かれて
いっちまいそうだよ」


ぶつぶつぶつ呟きだす魔法少女。

何人かの常連客たちがそれを見つめていた。


「うん?」

そのなかにひとつ、ただならぬ視線あることにルッチーアは今ごろきづく。

左手の指輪が鈍い灰色の光を放ち、反応している。



それは、魔獣に対するそれではない。


「この店に、魔法少女は一人じゃないってことか」

ルッチーアはさっと店内を見回す。


酒場の隅っこ、一番光のないところに、黒いふわふわの獣皮を肩に巻いた、鋭い赤い目をした少女が、
フードをかぶって、こちらを見つめていた。

赤い目の少女は、フードに顔を隠していて、口元だけがやっとみえる暗がりにいた。

蝋燭の火にあたりながら、グラスのワインを手に持っている。


「ふーん」

ルッチーアは鼻をならして、自分のテーブルに向き直ると、店主をよぶ。

「マスター、あのコウモリみたいな目をしたあいつ、誰だい?」


店主は赤い目をした、ふかふかの黒い獣皮を纏う少女をみた。

「ああ、ここ最近、エドレスの都市のあちこちで見かけられてるんですよ。いつも酒場の隅のほうで、
誰と話すこともなく、酒場に佇んでるっていうね。」


店主が顔をルッチーアの耳に近づけると、手を口に寄せ、そっと小声で耳打ちしてつけ加えた。

「我々は”さすらい魔女”と呼んでいます」


「さすらい魔女?」

ルッチーアは訝しげに目を細める。「都市に住んでるやつじゃないんだね……まあいいか」

席をたち、新たに頼んだビールのぶんの銀貨を店主に渡し、店をでる。



ルッチーアは夜の街路へと出て、自分の家へと戻る。


エドレスの都市はまわりをぐるり、市壁に囲まれている城のような城郭都市なので、帰路は短い。
城壁に囲まれた都市のなかを歩くだけ。


ちょうどそのころ、宿屋では円奈が、目をこすって、ベッドのなかで目を覚ましていた。

245


ルッチーアは家に帰った。

とはいえ、まさかあの修羅の母親に、金貨100枚を賭けたギャンブルに挑んだなんて話せない。


家を閉められないうちにぱぱっと扉から入り、家にあがった。


「ルッチーア、もどったね」


しかし母親にさっそくみつかった。

「魔獣狩りとやらはしたのか?」


「うん、したよ。そして銀貨25枚あるよ」

ルッチーアは答えた。その表情は澄ましていた。


「そうかい、じゃあ渡しな」

母親はさも当たり前、というように手を差し出してくる。


いつものルッチーアなら渡していた。


けれども、今日だけは、もうそんな気持ちにはなれなかった。

「母さん」

ルッチーアは一言、小さく、母親を呼ぶ。


「どうした?」

母親は眉を細めた。娘をみる不審な顔つき。「リッチーネには、いいお嫁さんになってもらわないといけない。
銀貨をよこしな」

「私の銀貨は、わたしのもんだ」

勇気をだして、ルッチーアは言い切った。

「私は魔獣って化け物を都市から追い払った。その対価として受け取った報酬なんだ。私は私でこの銀貨
25枚を使う」


本当は、その銀貨の大半が、明日の大博打のために張られて円奈の手元にあるのだが、そんな事実は話せない。

でも、自分の力で手に取ったこの銀貨は、自分で使いたい。それは本当の気持ちだった。


しかしこれが、ルッチーアに、大きな転機をもたらすのであった。



「なんだって?」

母親はしわがれた声をだし、娘をにらみつけた。信じられないというような目で娘を見つめ、それから、
叫び始めた。

「だれのおかげで食べられると思っているんだ?だれのおかげで寝るところがあると思ってるんだ?
ああ?ふざけたこといってんじゃないよ、あんたが生きていけるのは、わたしがいるからさ」


ルッチーアは無視する。



「出来損ないの娘め!」


母親は娘にむかって金切り声で叫び、糾弾する。

「あんたなんか産まなきゃよかったんだ!私ら家族のことは考えもしないで、一人魔法少女だなんだって
正義の味方ごっこしやがって、ただの一銭も家族に落しもしないで!恩知らずめ、あんたなんか娘じゃないよ!」


「あんたこそ私のことなんか全然考えてくれちゃいないじやないか!」


ルッチーアも叫び返した。

もうその目に涙がたまっていた。



リッチーネが、母と姉の口論を見物しに、さっそく二階から降りてきた。


「わたしを金稼ぎの道具みたいに考えてばっかりで、私がどんな思いで魔法少女してるのかもしらないで!
あんたこそ、私の母親なんかじゃないよ!」


「ふざけやがって!」

母親は怒りで顔を真っ赤にし、憤激して、エプロンを破けそうになるくらい握りしめ、狂ったように
絶叫した。

「でてけ!勘当だ!二度と家にもどってくるなバカ娘!とんじめ!産み落としたクソが!」

母親の激しい罵倒と謗言が浴びせられるなか、ルッチーアはぼろい木造の家のなかをあるき、
扉へむかった。


「わかったもう二度とここにはもどってこないよ!そうとも!二度ともどってくるもんか!」


逆上しながら扉をあけ、荷物なにひとつ持たないで、外へ飛び出した。


「あとで泣いて帰ってきたって入れやしないぞ!」

母親はルッチーアが本当に視界から消えてしまうので叫びづつける。



ルッチーアはダン扉を閉じた。

そしてカタカタカタ…と足音たてながら、人気のない夜の都市へと歩きだしていった。


ほんとうに長女の姿がきえてしまうと、頭にのぼった血が冷めてきたのか、母親は不安そうに
呟き始めた。


「ル、ルッチーア?」

母親は娘の消えた扉にむかって名を呼ぶ。「本当に、もう帰ってこないのかい?」


返事はない。


母親は顔を青ざめさせて、自分のしてしまったことに気づき、リッチーネを抱きしめた。

「ああ、リッチーネ。ルッチーアは、かえってくるよね?そう思うかい?」


「お母さん、きっと帰ってくるわ。」

母親の抱擁のなかで、妹は答えた。「それも、たくさんのお金をもって、帰ってくるわ。」


「そうかいならいいんだ」

母親はリッチーネの頭を撫でた。

「いい子だね」


妹の予言は、半分までは当たっていた。

246


鹿目円奈は酒場の二階、宿屋の客室で目を覚ましていた。


蝋燭に火を灯し、テーブルに馬上競技の騎士参加者名簿をひろげ、その羊皮紙を睨みながら、紋章と騎士の名前の
総復習をする。


なにかこの酒場にきてから、とんでもない約束事をしてしまったような記憶があるが、あまり覚えてない。

ただ、とんでもなく頭がふらふらして、くらくらして、どうしようもなく世界が回り続けていたことだけは
覚えている。


その間になんか自分がいろいろ喋っていた────自分でも信じられないくらい────とにかく喋りまくって
いたような気もするけれど、その記憶がない。どうしても思い出せない。


それに、たぶん、ちゃんと明日の対戦相手の紋章と名前を覚えることのほうが、よっぽど大切だろう。



「ディーテル家、アンフェル家」

この辺りが紛らわしい。


ディーテル家とアンフェル家は、どちらも赤色ベースに白という色の組み合わせで、間違えやすい。

ただディーテル家は赤色に白のV字、アンフェル家は赤色に白の十字、というちがいだ。



「あと、フーレンツォレルン」

円奈は、復習する。

鷲が横向きになっているのがフーレンツォレルン家の紋章。鷲がこっち向いているのがベルトルトーイライヒェナウ家。
円奈は今日ここを間違えてしまった。



ついでいえば、ウルリック・フォン・エクター卿の紋章は、鷲は鷲でも、鷲が三匹描かれている。



他にも銀色の月が描かれた紋章とか、海を描いた青色の紋章やら、太陽に顔があって笑っている紋章やら、
いろいろあるが、そのあたりは分かりやすくて、間違えないだろう。



「はあ…そろそろ寝ようかな」

ふうと息をつき、蝋燭の火を手の平で消そうとしたら。


コンコンコン。

扉を叩く音がした。


「はあい?」

円奈が扉に掛ける鉄の閂をとってあける。

「どなたですか……え?」


そこには、円奈のよくしる少女がいた。

「邪魔するよ」

黒髪の少女は部屋に上がりこんでくるや、腰に手をあて、振り返って円奈をみた。

肩まで伸びた黒い艶やかな髪がゆれた。

「今日はわたしもここで寝る」


「どどど…どーして?ルッチーアちゃん!」

いきなり部屋にあがりこんできた魔法少女の名を円奈は呼ぶ。

「宿代は……」


「それならもう払ってきたさ」

ルッチーアは言い、部屋を見回した。「寝心地がよさそうな部屋だねえ。北にむいているし」


「でも、家は?」

円奈が心配そうにたずねると、ルッチーアは、顔を赤くさせて怒った。

「家なんかもうない!」

と、大きな声で叫ぶのだった。

「私にはな、帰る家がないんだ。冗談でいってない。本当にいってるんだ。だから今日はあんたと寝る」


「は…はあ…?」

円奈は、訳が分からないという顔をしている。


「寝床が一つしかないぞ」

部屋を見回したルッチーアが不満そうに文句を漏らすと。


「一人部屋だもん」

円奈は冷静に指摘した。

「部屋を別にすれば?」


「いいんだよ」

ルッチーアは円奈から目を逸らした。

「わたしはここで寝るって決めたんだ」


「いや、だから、ね?寝床がひとつしかないから…」

「うるさいなあ、いいだろお!二人でそこで寝れば!」

ルッチーアは大きな声で円奈の声を遮った。

「わたしがそんなに嫌か!」


「いや、嫌なんて思ってないけど……」

「なら、ここで寝るからな、私は」

といって、ルッチーアは勝手にもう寝床を独占して、そこの毛布にくるまった。

円奈はすっかり困り果てた。

一つしかない寝床を魔法少女に独占されて、どう寝たらいいのか分からなくなってしまったのだった。

とほほとため息ついていると、寝床についたルッチーアが、がばっといきり起き上がった。


「お、おい、勘違いするなよ!」

ルッチーアは毛布にくるまった身を起こして、円奈をみると、言うのだった。

「わたしは別に、寂しくなったからって、あんたのところに来たわけじゃない。この部屋が北向きで、
いちばん寝心地がいい部屋だからだ。知ってるか?北向きに寝るのが、一番よく眠れるんだ。
人間の身体に流れる血の流れってやつと、地上の磁場がそぐうからだよ」

と、この時代における迷信の一つを披露して、また、毛布にくるまって寝た。


さっきとは違い顔までぜんぶ毛布にかぶせて寝た。顔を覆い隠すみたいに。


円奈はわけがわからなかったが、とりあえず北向きに寝るのがいいということだけは分かった。

今日はここまで。

次回、第32話「馬上槍試合大会・四日目」

読者なんていないのにご苦労な事だよな

いるさっ ここにひとりな!!

>>480
>>1の痛い自演乙 早くハーメルンにでも逝け

第32話「馬上槍試合大会・四日目」

247


その翌日、ルッチーアは円奈とともに、ホーレンツォレルン卿との対決を見守っていた。

「いいかい」

ルッチーアは女騎士のジョスリーンに、再三念押しする。

「大金がかかってるんだ。絶対に負けないでくれ。絶対だ。なんならいますぐここであんたが魔法少女になって、
勝ちたいって願って契約してもいいよ」

「バカなこというな」

女騎士は兜を着込み、両手で兜もって向きを調整すると、バンドを首元でとめる。

槍をもち、相手騎士と対峙する。

「大金がかかってるってなんだ?なにがあった?」

「まあ、簡単にいうと、あいつの首には金貨100枚の賞金がかかってるってことさ」

ルッチーアがいうと、隣の円奈も、必死にうんうんとうなづく。

「だから、殺すつもりでたのむよ」


「まあ、負けるつもりはないが…」

ジョスリーンは困ったように言いながら槍をしっかり握る。

「さて、いくか」


「たのんだよ!落馬しないでよ!」

ルッチーアは叫ぶ。隣で円奈もうんうんうんと首を三回縦にふって頷く。

「まけないでくださいっ!ジョスリーンさん!」


「なんたかいつもにまして激烈な応援だな。まあその気持ち、受け取ろう」

ジョスリーンは馬を進ませる。


審判が合図旗をだし、そしてふりあげる。


「ほおっ!」

掛け声あげ、馬を走らせだすジョスリーン…ゆれる金色の髪…ゆれる女騎士の体…ゆれる槍。


「槍を留め金にかけちまえ!」

ルッチーアがジョスリーンを激励する。「それで相手を刺し殺せ!」

「槍を固定してえ!」

円奈も目をぎゅっと閉じてめいっぱいに叫んでいる。



「うおおおおっ!」

女騎士は、槍を前へ伸ばし、しっかり前へむけて、フーレンツォレルン卿へ。


…が!


槍先は空ぶる。狙いがずれ、仕留めそこね、次の瞬間には。


ドゴォッ───ッ!!!


バココ!バキ!


相手騎士の激しい突きが命中する。


それは急所、左肩にあたった。敵の伸ばした槍が直撃すると、バラバラに砕け、飛び散る。


ジョスリーンは馬上で大きくぐらつき、バランスを失い、槍を手放してしまった。


あわてて手綱を両手に握ろうとしたが、その判断がまちがい。


右へと大きく体がぐらつき、ジョスリーンの体は落ち始める。


おおおおおおっ!!

この急展開に観客が沸き立つ。



「おおおおおいおいおい、冗談だろ?」

ルッチーアの顔が凍る。

「持ち直してえ!」

円奈も両手の指を絡めて、祈りように叫んでいる。


が、その思いもむなしく……。



槍の破片が砕け散り、飛び散るなか、ジョスリーンは右へと体を傾けてゆき、その角度をどんどん深めて、
ぐにゃっと体を横向きに倒してゆき、耐え切れなくなって、馬から落ちた。


ドダダッ。


女騎士の体がうつ伏せに落ち、地面で跳ねる。

長い金色の髪が地面にひっつく。そして、ガタっと大きな甲冑の重たい音たてて、みっともなく地面にころげた。


おおおおおおっ。

観客席で、雄たけびがあがる。


善戦を演じた女の騎士も、とうとう敗れたのだった。



フーレンツォレルン卿が勝ち誇ったように槍を折れたふりあげ、自分の勝利姿をアピールしている。

観客席からのどよめき声に包まれる。


「0-3でアダマー・フーレンツォレルン卿の勝利!」

審判が旗を左にあげる。


「うわああああっ!」

ルッチーア、悶絶。「破産だああああ!」


「あああああっ?」

ルッチーアは宿屋の寝床で飛び起きた。

悲鳴あげながら。


「はっ!?」

きづくとそこは、宿屋の客室で、まだ夜だった。

「心配しすぎて嫌な夢みた…」

ふうと額を腕でぬぐう。冷や汗だらけだった。

部屋を見回すと、もう蝋燭も燃え尽きていて、真っ暗だ。窓の外もなかもみえない。

部屋は冷えていて、物音ひとつしない。


「現実味がありすぎるぞ今の夢……」

からだじゅうが冷たい。さむけがする。ぶるぶると。

「はあ…正夢にならないことを祈るばかりだよ」

毛布をまくって、立とうとしたら。


首にひっかかるものがあった。

「ん…?」

首筋を流れる妙にくすぐったくて、やわらかな感触のするものは。


いつのまにか隣で眠る少女の腕だった。

寝床が一つしかないから、二人一緒になって眠っているのだった。


「人の寝床に夜な夜な入り込んできやがってまったく」

ルッチーアは、まったく人のことをいえない文句を呟いて、頭を横にしてまた眠る。


「うっとおしいな」

首筋に絡まった円奈の腕をとろうとする。


円奈の指同士が絡まっているので、それ指同士を切り離そうとする。


するとルッチーアの背中に密着してひっついて寝息たてる円奈が、苦しそうに眉をひそめ、呻いた。


「いやだ…いかないで…椎奈さまっ…」


「椎奈さまってだれだよっ」


ルッチーアは円奈の腕を解こうとする。「誰の夢みてるんだ?」


「いかないでっ…」

目を閉じながら囁く円奈の目に粒がたまって、溢れてくる。「わたしを一人にしないで…」


「あのな私は椎奈ってやつじゃないんだよ」

ルッチーアは言うが、寝言を囁く円奈の耳に入らない。


「私を連れてって…」

円奈は、目を閉じたまま、夢のなかで囁きつづけるのだった。「神の国に…連れてって…」



「神の国だとお?」

ルッチーアは振り向いて円奈をみた。

目の前の円奈の顔があった。


円奈の頬を涙の筋が伝っていた。


「そういえば聖地にいくっていってたな…人間のくせして聖地に巡礼する気か」


ルッチーアは、円奈の旅の目的を、初めて知るのだった。



「聖地、かあ…」

ルッチーアは天井をみつめて思い描く。心地よさそうに、目を閉じる。

「わたしは修道院出禁だけど…聖地ってどんなところなんだろうなあ」


そこは、円環の理が誕生した場所。

全ての魔法少女の魂を救済する場所。


魔法少女の、すべての因果を受けとめる国。


円環の理に導かれ、やがて辿り着く魔法少女の天国がある国。”天の御国”。


ルッチーアは目を開いて現実にもどる。

まだ、鹿目円奈に背中を密着されたままだった。


首筋に絡まる腕を解こうとしたが。


「…まあ、いいや…」

ルッチーアは諦めて、円奈に抱きとめられるままに眠りにおちた。

248


次の日の朝は、円奈の叫びによってはじまった。


「ええっー!」

口をあんぐり開けている。「ひゃ…100枚っ!?」


「そう。金貨百枚」

ルッチーアはうんと頷く。

「私とあんたの全財産。そのうち99枚の金貨はあんたのだけど…」


朝になってルッチーアは、鹿目円奈に、二人で金貨100枚という破格の賭け事に受けて立つ羽目になった
いきさつを説明していた。

円奈は自分がその賭け事を倍にして挑んだ記憶がまったくなかった。


「ちょっ…ちょっちょっまってわたしそんなの聞いてない!」

円奈が慌てふためき、金貨袋をチュニックから取り出す。

慌てて中身を確認する。


「いや、まだ取られてないさ。失くすとしたらこれからだ」

ルッチーアが指摘していうと。


「昨日私になにかした!?」

円奈はまず、ルッチーアを疑った。「昨日、わたしが寝ちゃったときに、勝手に……」

険しくピンク色の目を細めて、魔法少女を見る。



「まってよそれはないでしょ!」

ルッチーアは怒った。両手を広げて自分の潔白を示す。「わたしはなにもしてないさ。あんたが、ちまい賭けは
いらないっていって……賭け金にした。そして今日の朝になる」


「そんな覚えないよお…」

うううと悶絶をはじめてしまう。「どうしよう…この都市をでれなくなる…」


ルッチーアは一瞬、眉ひそめたが、その不機嫌な顔を隠した。

「勝てば大丈夫さ、ジョスリーンが勝てばいいんだ」

ルッチーアはいうと、宿屋の客室を歩いて、二階の窓から外の街路を見下ろした。


すでに都市の人々が激しく行き来し、噴水の横を通り過ぎ、路地へ進んで、馬上競技場へむかっている。


レンガ造りの街路を渡り歩く人々。


切り妻壁をした宿屋の窓からそれを見下ろしたルッチーアは、円奈に身支度を促す。

宿屋の屋根は、木造の柱が、急勾配な斜め向きに組み立ってる洋小屋の木造だ。




「びびってるひまはないぜ、競技場にいこうじゃないか」

と、魔法少女は告げる。


「”賽は投げられた”ってやつさ、もういくしかないよ。私も紋章官をするからさ」


「もう二度とお酒なんて飲まない」

円奈は口からぼやきを呟きながら、髪を持参の櫛で整える。

「あんな苦くて、気づいたら賭け事なんかしゃちゃってる、へんな飲み物……」

なんて文句いってる円奈も、この先に、王都の城下町に辿り着いたときは、たくさんまた、お酒を飲むハメとなる。

城下町のギルド議会の娘たちの恋話の嵐の渦中にて。


それから、リンネルの下着を替えて、赤いリボンを髪に結びなおした。



ルッチーアがその赤いリボンに目を留めた。

魔法少女の興味の視線がそこへいく。円奈の髪へ。


「そのリボンはなんだ?」


と、ルッチーアはたずねた。


「これは、大切な人から…」

円奈は答えながら、一本の赤いリボンを結び、ポニーテールの髪型にする。

「受け取って…」


「椎奈さまってやつかい?」

ルッチーアが訊くと。


円奈は、驚いた顔して目を大きくさせる。

「どうしてその名前を?」


ルッチーアは首を横向きにして円奈から目を逸らすと、ぼそっと言った。

「きのう、わたしのことをずっとそう呼びながら、あんたは寝てた」



「え……ええっ?」

円奈は一瞬きょとんとし、表情が固まって、やがて恥ずかしそうに俯いた。

「ご……ごめんね…」


「いや…別にいいけどさ…」

なんか微妙な雰囲気が二人に流れる。

「で、その椎奈さまってのは?」

ルッチーアがきいてくる。


「私が生まれ育った農村の領主だったの……」

円奈は話した。「私を騎士にしてくれて……」


「なるほど、騎士の称号を授かったわけね」

ルッチーアは分かった、というような顔して、頷く。

「で、それにはなんの意味が?」


赤いリボンを指差して、またたずねる。


「私が聖地に無事辿りつけるようにって…そういうお守りみたいなものだって」

円奈はリンネルの下着を替えたあと、チュニックを着込んだ。下から持ち上げ、袖に腕を通して着込む。


「ふーん…そっか」

ルッチーアは赤いリボンに興味津々といった様子だったが、そこまで円奈が答えてくれると納得して、
赤いリボンから目を離した。

「無事、聖地に辿り着けるといいね。私の代わりに円環の理様に挨拶しておくれね」

と言葉を漏らし、円奈と一緒に、都市の街路へとでた。


四日目の馬上槍競技場へと。



アデル・ジョスリーン卿のジョスト五回戦目へと!

優勝までは7回戦あるから、この五回戦を勝ち進めたら、準決勝進出となる。

249


二人は身支度を整え、エドレス都市を歩く。


街路を歩き、広場へとでる。市庁舎の鐘がガラーンゴーンと鳴り渡るなか、盛り上がりをみせる
市場のベンチに並べ立てられるさまざまな家禽類、卵、ワイン樽、異国の地からの果物などが売られている
なか、馬上競技場へと一直線にむかう。


「なあ、買ったりするなよ?」

ルッチーアは円奈に念押しする。

「たったの一枚の銀貨も足りちゃいけないんだから」


「わ、わかってるってば!」

視線が市場の果物類に奪われていた円奈が慌てて答え、頬を膨らませる。



二人は広場を通り抜け、ごまごました狭苦しい酒場の立ち並ぶ街路へ。


臨時的に建てられた鍛冶職人の修理場が混在したりしていて、余計ごまごましている。


ジョストや剣試合、フレイル試合にのぞむ騎士たちが、度重なる試合の連続で傷ついた甲冑を鍛冶屋に
なおしてもらってる。


木材を焚いた火で焼かれ、ふいごで空気をふかれ、真っ赤にやける剣やら鎧の各部が、カンカンカンと叩かれ続けている。


さらにそこを、酒場へ持ち運ぶ運搬屋の荷車が、大量の樽を搭載して行き来する。

とてつもない人ごみだ。


たまに騎士と運搬屋がぶつかって、荷車からごろごろごろとワイン樽の列が落っこちる。


すると運搬屋は騎士に怒鳴り散らす。

騎士は逆上して、運搬屋に剣を突きつける。

喉元に剣をつきつけられた運搬屋は、両手をあげて降参の意をしめす。


「昨日、嫌な夢をみたんだ」

そんなごみごみした街路を急いで進みながら、ルッチーアは語った。

「金貨100枚を失う夢さ。いや、わたしの場合、もとからないから失うというより、借り入れだけど…」


「ジョスリーンさんが負けたってこと?」

円奈もルッチーアに負けないくらいの早足で、急いで魔法少女のあとを追って話をする。


「うん、そりゃあもうハデに落馬してさ、嫌な汗かいた。もっと早くに起きていれば浴場にいってたね」

ルッチーアはいいながら競技場の前へときた。


黒髪の魔法少女とピンク色の髪の少女。


この二人の組み合わせは都市ではすっかり有名だった。


無茶振りを披露してみせた二人の紋章官姉妹。



それが都市での二人の知られ方であった。


「おうおうおう、名物紋章官姉妹!」


すでに酒でできあがっている見物客の男たちが、からかってくる。


「今日は読み間違えるなよ!」


「余計なお世話ですっ!」

円奈は男に叫び返した。そしてつっぱねた。



「あんたらが登場すると、騎士のジョストというよりあんたらの説明が”本番”だ」

別の女も絡んで、声をかけてくる。とんとんとんと肩を叩いてくる。

都市の人々は、スキンシップが激しい。

「こっちはひやひやどきどき、聞くはめになるからねえ」


「うるさいなあ、もう!」

円奈が女の手を肩から振り払って、怒りっぽい声をあげると。

「私たち、すっかり人気者だねえ?」

ルッチーアは呑気なことをいった。




そして二人は揃って、馬上競技場の入り口へ。



木造建築の長細い劇場。この中には競技場のフィールドがある。

「今日、ここで金貨100枚が動く」

とルッチーアは呟き、息をのんだ。


「さあて……我らが女騎士様はどこだあ?」

あちこち見回す。


「あ…」

円奈が先に、ジョスリーンを見つけた。「あそこ…」


指をゆっくりと伸ばす。


「ふん?」

目の上の額に手の平かざして、日差しを防ぎながら目を細めると。


「ああいた」

と呟いた。

そして円奈の背中をトンと叩いた。「いこうよ、円奈」

「うん」

二人は一緒に足揃えてジョスリーンの背後へと近づく。


するとおかしな様子にきづいた。


「ん?」

「あれ?」

二人同時に声をあげる。



二人が見つめる背中は間違いなくジョスリーンの後姿だった。

甲冑姿で、腰まである金髪をさらさら、風に受け流し、美しくなびかせる女騎士の姿だった。


しかしその女騎士の声は、いま、はげしくて、目の前の男と口論している最中だった。


「だから、昨日のことはしょうがなかったんだ!」

よく知るジョスリーンの声は、怒っている。「なにも勝手に棄権にするなんて!納得できん!」


「だがきみは昨日、”剣試合”の第四戦目をすっぽかした。試合にこなかったのだ。相手のシュペー卿の
不戦勝としたまでだ」


「ちがうすっぽかしたわけじゃない!たまたま昨日はジョストの第四戦と時間が重なっただけだ!」

ジョスリーンは叫んで、相手に強く抗議している。

口論の相手は、剣試合の審判のようだ。

「私に体二つになれと?ジョスト試合にいっている最中に剣試合はいけないだろう。だから、しょうがなかったんだ!」


「だが不戦敗は不戦敗だ。きみは試合にこなかった」

審判は冷たく言い放つ。腕組んだまま、女騎士を見下ろし、言い切る。

「試合にこなかった以上は、棄権処分とするほかない」


「ジョストが終わったらすぐその事情を説明するつもりだった。だが昨日はいろいろあって…」


「忘れた?」

審判がその続きを自分の言葉で告げる。

「それは、棄権と同じだ」


「ちがう、私に戦う意志はある!シュペー卿と話させてくれ今日再戦する!」

ジョスリーンは懸命に抗議しつづける。

「そもそも、ジョストの第四戦と剣試合の第四戦の時間がぱっちり重なるように試合を組むきみらにも
責任はないか?どちらか片方を捨てざるをえなくなる!こんなの不平だ!私に異議申し立ての権利はある!」


「昨日まではね」

審判は女騎士の主張を受け付けない。

「だが今日は無理だ。きみは剣試合を第三回戦まで勝ち進み、四回戦目で棄権した。そういう処理で決定したのだ」

「そんなのみとめん!みとめられんぞ!」

ジョスリーンはとうとう怒って、甲冑の兜をダーンと地面に叩きつけてしまった。


「融通のきかん、めんどくさがりの、無責任な審判め!」

不平不満を大声で張り上げながら貴婦人の女騎士は踵を返し、馬上槍競技場のほうへ向きを変える。


するとそこで円奈たちとばったり目があった。


トンと女騎士は足をとめる。


「悪い知らせだ、不当な扱いを受けて剣試合を棄権させられた」

ジョスリーンは、地面に落とした兜を拾った。

ぱっぱとついた泥をはらうと、それを脇に挟みこんで持つ。

「まったく腹がたつ!」

イライラとぼやく。


「そうかい、あっちでもこっちでも問題が起こっているんだね」

ルッチーアがいうと、ジョスリーンは不思議そうにこちらを見てきた。


翠眼が二人の紋章官を見据える。

「あっちこっち?」


「ああいや…こっちの話さ」

黒髪の魔法少女は笑ってごまかす。「まあとにかく、ジョストは進めるんだろ?」


「まあそうだが…次で五回戦だ」

ジョスリーンは答える。「今は、メッツリン卿とムルファトナール卿が対決している。その次は私たちの番だ…ん?」

彼女は目を凝らして二人を見る。

「なんか、様子が変じゃないか?」


「そんなことないさ…ねえ?」

ルッチーアは円奈の肩をたたく。

「うん…別になにもないよ…」

円奈も笑う。


「まあとにかく、勝ってよ」

ルッチーアが言う。「勝って六回戦まで勝ち進んでおくれ」


「まあいわれなくてもそのつもりだが…」

女騎士は鼻で息をつく。「メッツリン卿の対戦を見学しよう」

といって、二人の間を割って、槍競技場へと先にむかう。



ルッチーアと円奈の二人はまた顔を見合わせて、しばらくにらみ合ったあと、女騎士をおいかけた。

250


会場ではメッツリン卿がムルファトナール卿と対決しているところであった。


観客の熱狂が包み込むなか、メッツリン卿の槍がムルファトナール卿の顔面に直撃する。


槍の破片が無数に飛び散り、ムルファトナール卿は馬上でぐらっと体勢をゆるがせ、そのまま気絶してしまった。


ぐでーっと頭を垂れて馬にゆさぶられるまま、ジョストを走りきる気絶した騎士。
バランス失って馬の背からドサッと身を落とした。


フィールドの地面へ突っ伏して倒れる。甲冑の重たい音が地面に響く。


従者たちがあわてて、意識のない騎士を助け起こした。



「2-0でメッツリン卿の勝利!」


審判が白旗を右に掲げながら宣言する。



おおおおお。

わああああああっ。


観客席からの歓声と拍手。




メッツリン卿が折れた槍を上に掲げ、ポーズをとっている頃。


次のジョストに出場することになるジョスリーンは馬にのり、出撃準備をしていた。


「さすがにジョストも五回戦にもなるとまるで殺し合いだな…」

女騎士は胸を撫で下ろしていた。


メッツリン卿の槍が相手騎士を気絶させる場面を目の当たりにして、不安そうに呟くのだった。


「ああ、殺し合いだよ、そりゃあもう…私らの命かかってるんだから…」

ルッチーアも釣られるように呟いた。


するとジョスリーンは、顔を下ろしてルッチーアを見た。「なんだって?」


「いや、こっちの話だよ、うん…」

ルッチーアはジョスリーンから目を逸らした。

「だが、勝っておくれよ。もしここで、あんたが負けたら、私は円環の理に導かれてしまうよ」


「なんだそれは?」

ジョスリーンが馬上で笑う。「魔法少女の冗談はわからん」


「さあ、出番がきたよ」

ルッチーアは告げ、出番がくると、歩を進めて熱狂の沸き立つ会場の入り口へ進んだ。

「優勝まであと三回だ」



「三回…か」

ジョスリーンは呟き、ふうと息をつくと、ドンと胸を一度たたいて神経研ぎ澄ませてから、会場へと進んだ。


そのあとを円奈が追った。彼女もごくりと喉をならして。


金貨100枚の大勝負だ。

251


二人の紋章官は審判の前にいた。


審判が露骨にいやそうな顔して二人の少女をみる。


「ううう…」

円奈は、それだけでしょげてしまう。

「昨日のことなんか忘れちまいなよ」

ルッチーアはコツンと円奈の頭をたたく。円奈はそれをとても痛がった。

それから黒髪の魔法少女は、審判のほうに向き直って、ニコと笑って持ちかける。


「やあ…どうも…今日も紋章官するからね。昨日もいったとおり、私たち、姉妹で、どちらもジョスリーン卿の
侍女なんでね…」


「きみの言葉を借りるなら私とキミも兄弟姉妹だ」

審判が皮肉をいっぱいこめていう。「だが侍女にはなれんな」


「やだなあ審判ったらきつい冗談いう!」

ルッチーアはわざとらしく笑う。「まったくもうったら!それで、相手の騎士はもう到着してるので?」


審判は苦い顔しながら、しぶしぶと頷く。


ルッチーアは相手の騎士をみた。


フーレンツォレルン家の紋章を描いた盾が相手側の入場門に掲げられる。


そして現れた騎士と、それに従う三人の従者。


「でたな、あいつらあ…」

ルッチーアはあの三人を睨む。


騎兵団の三人だ。


そのうちの二人組みが、てくてくてくと足揃えてこっちに歩いてきた。


審判の前に躍り出る。


「アダマー・フーレンツォレルン卿の従者です」


「証明書をみている」

審判はテーブルにおいた羊皮紙に目を通す。「キミらが、ジョアール騎兵団のサイモンとメフィストか?」



「ええ、いかにもです」

あの騎兵団の二人組は胸を張る。「紋章官もします。南方エドレスの反乱を静めたとき、敵味方を見分けました」


「では紹介をしてくれたまえ」

審判は告げた。


騎兵団の二人組みは丁寧にお辞儀した。


もちろんこの二人組みは、昨日の酒場で、ルッチーアたちに賭け事をふっかけてきたあの従者たちのだ。


昨日の敵であり今日の宿敵だ。




ちらりちらりと、何度も互いに視線をぶつけ合わす魔法少女と騎兵団たち。

ピリピリとした電流が流れている。


”絶対まけねえ” 


”裸にしてやるよ、覚悟してな” 


無言の戦いがすでにそこで始まっていた。



だが戦いの前に紋章官と従者による騎士の紹介が先だ。


まず騎兵団たちのほうから、主人の騎士のことを、説明しはじめた。


「私どもの主人は、輝ける騎士のなかの騎士」


と、騎兵団は、胸を張って、観客席のほうへ、語りはじめる。


「へ、なにが騎士のなかの騎士だ」

ルッチーアが野次を軽く飛ばす。


「傭兵団を率いて────」

騎兵団の男はルッチーアをきっと睨み説明をつづける。

「南方エドレスで”勃起”したエドワード王への反乱を鎮めました」


ぶっ。

ぶっはははは。


観客で沸き起こる笑い声。男も女も笑う。


ルッチーアは顔をしかめて、へっと思い切り相手をバカにするあざける声をたててみせていた。

252


そのころ出撃位置についていたジョスリーンは、メッツリン卿とすれ違いざま、言葉を交わしていた。


絶好調に優勝へと勝ち進んでいるメッツリン卿は、五回戦も勝ち進み、のこり二戦となった余裕を、
ジョスリーンにみせつけて笑う。


「私との結婚は考えてくださいましたかな、ジョスリーン卿」


ジョスリーンは答えた。

二人とも、甲冑姿で、馬上に騎乗している。


「その話は何度かお断りしたはずですがね、メッツリン卿」


「あなたの美貌の前では───」

メッツリン卿は顔を朗らかにしていう。「優勝の栄光などかすんでしまいます」


「では私に優勝を譲ってもらえるかね」

貴婦人の女騎士は嫌味をいった。


「ええ。いいでしょう。私との結婚を引き受けてくださるのであれば」

メッツリン卿はすぐに切り返した。余裕の喋りだ。

252


そのころ出撃位置についていたジョスリーンは、メッツリン卿とすれ違いざま、言葉を交わしていた。


絶好調に優勝へと勝ち進んでいるメッツリン卿は、五回戦も勝ち進み、のこり二戦となった余裕を、
ジョスリーンにみせつけて笑う。


「私との結婚は考えてくださいましたかな、ジョスリーン卿」


ジョスリーンは答えた。

二人とも、甲冑姿で、馬上に騎乗している。


「その話は何度かお断りしたはずですがね、メッツリン卿」


「あなたの美貌の前では───」

メッツリン卿は顔を朗らかにしていう。「優勝の栄光などかすんでしまいます」


「では私に優勝を譲ってもらえるかね」

貴婦人の女騎士は嫌味をいった。


「ええ。いいでしょう。私との結婚を引き受けてくださるのであれば」

メッツリン卿はすぐに切り返した。余裕の喋りだ。



「できん相談だ。だが優勝も譲れん」

ジョスリーンは首を横にふる。

「相変わらず誇り高き女騎士だ」

メッツリン卿はそんな相手をみてふっと笑う。その笑い方はあくまでにこやか。



「ではこうしませんか」

彼はジョリーンを見つめながら得意そうに笑い、そして。

「もし、私が決勝戦であなたとあたり、一騎打ちとなったら───」

こんな勝負事をふっかけてきた。

「私が勝てば結婚してくださいますか?」


ジョスリーンの険しい目がメッツリン卿を睨む。

つまり一騎打ちして、私が勝てば私と結婚しろという要求であった。



「あなたが勝てばわたしはあなたを諦め───」

メッツリン卿は朗らかな顔をしつつ、話し続ける。

「私はもう貴女には近づきません。いかがです?この勝負。騎士らしい取り決めと思いませんか」



女騎士は考え込んだ。

しばし無言になり、何もいえず、ただただ求婚してくる男を見返すだけ。


「それとも、不満な条件ですかな?」

メッツリン卿はすると、先に喋った。挑発的にふっと笑いかける。

「男と女がジョストで勝負を決するのは、不公平であると?」


「いいだろう」

この挑発にのり、ジョスリーンは勝負を受け入れた。

「その勝負、受けて立とう」


するとメッツリン卿は嬉しそうに歯をみせて微笑んだ。

「あなたなら受けてくださると思っておりましたよ」

馬に一合図くれて、メッツリン卿は馬をすすめ、ジョスリーンの前から去った。

「勝負が楽しみです」


「…」

ジョスリーンは鼻だけならした。

彼女も馬をすすめ、第五回戦に挑むべく会場へとむかう。


「負けるものか。私は騎士になるのだ」

と小声をだし、ジョスリーンは兜の面頬を閉じて五回戦へと出場した。

253



おおおおおおおおっ。

ジョスリーンが第五回戦の会場へ躍り出ると、さっそく会場は大きく盛り上がり、歓声が沸き起こった。




競技場のフィールドは、すでにやりの破片だらけで、ここで行われた激しいジョストの痕跡を伺わせる。



それだけ騎士たちが激しく槍をぶつけあった証拠であり、五回戦にまで生き残った猛者の騎士たちの苛烈なる
戦いぶりが、そこに顕れているが如くであった。



円奈とルッチーアの二人がさっそくジョスリーンのもとに駆け寄ってきた。


二人とも足を揃えて同じ速さで駆けつけてくる。


こっちからみると、まるで二人が本当の姉妹にでもなったような錯覚さえ感じる。


「ねえ、たのむから落馬しないでよ!」

まずルッチーアがジョスリーンをみあげつつ言ってきた。

「あいつを殺すつもりでジョストしてくれ!大金がかかってるんだ。絶対に負けないでくれ。絶対だ。
なんならいますぐここであんたが魔法少女になって、勝ちたいって願って契約してもいいよ」


「バカなこというな」

女騎士は兜を着込み、両手で兜もって向きを調整すると、バンドを首元でとめる。

槍をもち、相手騎士と対峙する。

「大金がかかってるってなんだ?なにがあった?」

「まあ、簡単にいうと、あいつの首には金貨100枚の賞金がかかってるってことさ」

ルッチーアがいうと、隣の円奈も、必死にうんうんとうなづく。

「だから、殺すつもりでたのむよ」


「まあ、負けるつもりはないが…」

ジョスリーンは困ったように言いながら槍をしっかり握る。

「さて、いくか」


「まけないでくださいっ!ジョスリーンさん!」

円奈も必死になってルッチーアの隣で懸命に応援してくれる。


「なんだかいつもにまして激烈な応援だな。まあその気持ち、受け取ろう」

ジョスリーンは馬を進ませる。



審判が、合図旗もちながらフィールドへでる。

「五回戦!ジョスリーン卿、フーレンツォレルン卿、準備はいいか?」


ジョスリーンもアダマー・フーレンツォレルン卿も、二人同時に槍を上へ持ち上げる。


審判が頷いた。


合図旗がゆっくりと下へ一度降りる。


これが持ち上がれば五回戦開始だ。


「…っ」

円奈が思わずその場で息をのみこんだ。

その隣でルッチーアも顔を硬くしてジョスト開始の瞬間に目が離せないでいる。


そして。


ばさっ。


合図旗が都市の青空を大きく仰ぎ、はためいた。



おおおおおおおっ!!!!

観客席から轟く数百人の市民の声。興奮の渦一色に、競技場が染まる。



五回戦がはじまった!




フーレンツォレルン卿、銀色の甲冑を着込んだ騎士が発進する。

ドダダっ。

素早く馬が走りだし、五回戦の相手騎士は、ここまで勝ち進んできた貫禄をみつせけながら、怏々しく馬を馳せ、槍を前へむける。


「やぁ!」

一方ジョスリーンも馬に駆歩の合図をだした。

鐙で馬の腹をトンと蹴り上げ、すると馬はまず前足大きくふりあげ、ヒヒーンと鳴くと、
蹄でフィールドの地面を踏みつけ、四足をだして走り出した。


フィールドを二分する木造の柵のすぐ横を、二人の騎士は槍を前に突き出しつつ馬を進め、
勢いをはやめる。


何百人という観客がどよめきをたてて応援の声あげているなか、二人の騎士は互いの距離が縮まるまでのあいだ、
槍をしっかり脇に固定し、途中で落っことしたりしないように、しっかり抱えもってバランスを保つ。


この調子でいけば、二人の騎士は正面から柵ごしにすれ違い、激突することになるだろう。



二人とも快調な滑り出し。槍はぐらつかず、馬は着実に速度を速め、ルートをよれたりしない。


柵から離れすぎれば失格だ。


わーわーわー。

おーおーおー。


会場をぐるりと囲った観客席の何百人もの声に包まれ、熱狂が高まるなか、ルッチーアは、声をあげつづけた。


「槍を留め金にかけちまえ!」

と、ルッチーアはジョスリーンに聞こえるかどうかもかまわずに、呼びかけ続ける。「これで刺し殺しちまえ!」


「槍を固定してえ!」

円奈も叫び、そして目をぎゅっと閉じて、手の指同士を絡めて祈るように試合の経過を待った。



ジョスリーンのゆたかな金髪が馬の走行にあわせて激しく上下にゆれる…浮き上がる…昼の晴天の下でなびく…


槍をしっかり前へむけ、フィールド上を突き進む。

上下にゆさぶれるそのタイミングすら読みきって、相手の騎士の顔面を狙う。



いよいよ二人の距離が縮まり、衝突寸前となる。


ますます馬の走るスピードが速くなる。ドダダッ。馬はまっすぐ突っ走る。



「うおおおおっ!」

女騎士は、槍を前へ伸ばし、馬の速さにのせた槍先をフーレンツォレルン卿へ。

突き出す!


…が!


槍先は空ぶる。狙いがずれ、仕留めそこね、次の瞬間には。


ドゴォッ───ッ!!!


バココ!バキ!


激しい相手の突きが命中する。


それは急所、左肩にあたった。


ジョスリーンは馬上で大きくぐらつき、バランスを失い、槍を手放してしまった。


あわてて手綱を両手に握ろうとしたが、その判断がまちがい。


右へと大きく体がぐらつき、ジョスリーンの体は落ち始める。



おおおおおおっ!!

この急展開に観客が沸き立つ。



「おおおおおいおいおい、冗談だろ?」

ルッチーアの顔が凍る。

「持ち直してえ!」

円奈も両手の指を絡めて、祈りように叫んでいる。


が、その思いもむなしく……。



槍の破片が砕け散り、飛び散るなか、ジョスリーンは右へと体を傾けてゆき、その角度をどんどん深めて、
ぐにゃっと体を横向きに倒してゆき、落馬寸前となる。


「やめてええええ!」

ルッチーア、思わず絶叫。

「だめええええ!」

円奈も叫び声を会場にあげた。


ジョスリーンはぐでーんと首を仰向けにたらし、すっかり馬上でねころんだ体勢になってしまった。


だが、そのまま、ジョストを走りきった。



落馬はせず。


「0-1でフーレンツォレルン卿の優勢!」



「ふっ…ううう」

とにかく落馬はせず、胸を撫で下ろすルッチーアと円奈の二人。

「死ぬかと思った…ほんとに…」

黒髪の魔法少女は胸に手をあて、弱々しく微笑む。

「賭け事なんてするもんじゃないね…」


「はあああ…」

円奈もため息ついた。「こわすぎるよ……」



ジョスリーンはふらふらしたまま出撃位置にもどってきた。

兜をとる。

その顔は汗だくだった。


「あの騎士、私の上手だ」

女騎士は最初にそう感想を口に漏らした。

「私より強い。間違いなくトーナメントに普段から慣れてる騎士だよ。私の槍を防いだ!」


「防いだって?」

ルッチーアがどきまぎしながら、訊く。


「槍の交差の瞬間、私の攻撃をみきって、邪魔してきたんだ。自分の槍で、わたしの攻撃を逸らしたんだ。
私は顔を狙ったが、途中槍先同士がぶつかって、わたしの攻撃は逸らされたんだ。相手の槍が勢いを増し、
肩にあたった。あんな技みたことがない。このままじゃ勝ち目はない」


「そ……そんなの困るよ!」

ルッチーアは体をぶるぶる、震わせはじめた。

「なんとしても勝ってよ!」


「もちろん勝ちたいが難しい」

ジョスリーンは答えた。兜をまたかぶり、首のバンドをとめる。

兜のズレを両手で調整する。

「相手に読みきられない攻撃をしなければ」


といって女騎士は、再び出撃位置についた。



「ねえねえ円奈まずいよこれは…」

ルッチーアは円奈の手をとり、握った。

「わたしたち破産しちゃうかもしれないよ」


「そのときはそのときだよ…」

円奈はルッチーアの手を握り返した。その手が震えていたので、円奈は優しく包み込んだ。

「それにわたし、もともと文無しで旅してたし…元にもどるだけだし…」


「気楽なやつだね、あんたは」

ルッチーアはふうと息をつき、いった。

「わたしには返せる金がないってのに」


会場の向かい側では、賭け事をふっかけてきた騎兵団の三人が、相手側の入場門のあたりで、にやにやと
こちらを見ていた。



「ジョスリーン卿!フーレンツォレルン卿!準備はいいか?」


二人の騎士は槍を上へ掲げる。


それを確認した審判は合図旗をばさっと晴天に仰がせる。



ジョスト二回戦!


観客は大いに沸き立ち、興奮と熱気も頂点に達した。


歓声の嵐、熱狂と興奮の渦、見物客の煽りと歓声。


すべての声が混ざり、どよめき声となり、ジョスト二回戦ははじまる。


二人の騎士は同時に走り出し、フィールド上をまっすぐに駆け抜け、相手騎士へと突撃する。


騎乗する騎士たちの背中を、高い位置の観客席から、見物客たちが目で追う。

ものすごい速さだ。ちょっと目を離せば視界から消えてしまう。


旗をふりあげ、それぞれの騎士を応援する。ジョスリーン卿を応援する見物客の旗は金色、フーレンツォレルン卿を
応援する見物客の旗は緑色。


二つの色の旗が観客席じゅうではためき、ゆれ動く。


怒鳴り声にも近いすさまじい声援の嵐。熱気。


その数百人の見物客が観戦するなか、ジョスリーン卿とフーレンツォレルン卿の槍同士が、また激突。

なんとそれは文字通り槍同士の激突で、槍先と槍先が激突しあって、互いの鎧まで届くことなく二人の槍は
へし折れ、折れ曲がった。


バキッ!

ドコココ!


鈍く大きな音がし、馬のすれ違いざま、二人の槍は割れ相打ちとなる。


女騎士の手から槍は手放され、手綱を握って、必死にジョストを走りきる。落馬せず耐えて走りきった。


わあああああああああっ。


ハイレベルな戦いになってきて、観客たちの興奮は高まりっぱなしだった。



「現在、0-1でフーレンツォレルン卿の優勢!」


審判が旗を右向きにあげる。


「三回戦へうつります!」



ジョスリーンはまた、円奈たちのところに戻ってくる。


二人は手を合わせていた。


不安そうな顔で二人はジョスリーンをみあげる。


「私の攻撃が完全に見切られて、かつ弾かれる。こんな相手とは戦ったことがない」

ジョスリーンは告げた。

「どう勝てばいいのか分からない。息がくるしい」

うっうと呻き、鎧の腹の部分、胴甲を叩いたあと、苦しそうに深呼吸する。しかし、ごほごほっとむせた。

馬で走る速度の槍をまともに受けると、人間はしばらく呼吸もできなくなる。


「くそっ…」

ルッチーアは円奈から手を放して、鼻をひくつかせ、さんざんに悔しがった。


というのも、会場の向かい側で、騎兵団の男三人が、にやにやこちらを見て笑っているからだ。


「ん?」

ジョスリーンがルッチーアの視線にきづいて、振り返る。その目が、あの三人の男を捉えた。

「あの従者どもは私たちを挑発しているのか?」

向こう側で笑う相手騎士の従者たちのにやにやに気づいたジョスリーンは訊いた。


「ああ、そうなんだよ」

ルッチーアは答え、それから、ジョスリーンに、ある話をする腹を決めた。

「それはもう、ひどい話でねえ……」


「ひどい話?」

ジョスリーンが顔の向きをルッチーアのほうへ戻す。馬上から不思議そうに見下ろし、首をかしげ、尋ねる。

兜の面頬をかしゃと開けた。「あいつらのことを知っているのか?」


「まあね。魔法少女をしていると、思わず人の心をみることがあってね……本当は口外しちゃいけないんだけど…」


ルッチーアはわざとらしく、向こう側でにやにや笑う騎兵団のほうを睨みつける。


「あの醜い笑いした連中。みたか?あいつらがどんなに心を汚した連中なのか、私は知っているんだ」


「どういうこどだ?」

ジョスリーンがもう一度馬上で振り向いて騎兵団の三人を見やる。男たちはまだニヤニヤ笑っている。

「人の心をみることがあるだって?」


「そう」

ルッチーアはいい、指をたてると、その場を行き来しつつ、語り始めた。

「あの騎士どもがもたらしたその都市への絶望…わたしは一度それと戦った」


「絶望だと?」

ジョスリーンが聞き返してくる。


「そう。絶望だ。魔法少女の敵だ」

ルッチーアは指たてたまま、話をつづけた。

「あの騎士たちと騎兵団たちは、それはもう悪党でね…この都市でも悪をまき散らした」


女騎士が目を細める。


「都市の貧民をあぶり出し、金にこまった連中を高利つけて金を貸し付けて、案の定返せなくなれば
財産と土地を没収、略奪婚の繰り返し…やりたい放題で、あの騎士が略奪して娶った女は20人は越えるって
話でね。私は魔獣の結界でそれを見てまってね」


「なんだと?」

女騎士の目が、いきなり険しくなった。


「まあそういうやつだから、わたしは負けてほしくない。本当の気持ちさ」

ルッチーアはいう。

「20人も女を妻にして、”お馬さんごっこ”させてるって話だから」


「…」

ジョスリーンは無言になった。


しばらく表情を固くしていたが、やがて決意に満ちたような顔をすると、面頬を閉じた。

怒りに満ちたような顔つきで歯軋りしながら、甲冑兜のバンドを荒っぽく結んだ。



「負けられん!」

とジョスリーンは口にだし、ぎゅっと手を握り締めると、槍をにぎり、馬を歩かせると三回戦へと臨んだ。


さっきまでの二回戦までとはまるで別の雰囲気をだした後姿になった。


金髪をゆらしながら、馬を進めて、出撃位置につくや、ぎりりと歯を噛み、
相手を面頬のひさしから睨みつける。



「いまの話ほんと?」

ジョスリーンが勝手に出撃位置にいってしまうと、円奈がそっと、ルッチーアにたずねた。

「いまの話かい?」

するとルッチーアはいたずらっぽく笑って、円奈に耳打ちして答えた。

「私が魔獣の結界でみた光景にかなりの脚色をつけくわえてみた。ちなみに、あの騎士じゃない」


「えー…」

円奈が眉をさげる。そして呆れたように呟いた。「ルッチーアちゃん、ウソはだめだよ…」


「ちがう現実を脚色しただけさ」

ルッチーアは言い返した。それから首だけくいとだして、ジョスリーンのほうを示した。

「あの女だってしていたことさ」


「それはルッチーアちゃんを助けるためなんだよ?」

なんか姉みたいに諭してくる円奈だった。

「ウソはいけません!」


「うるさいな、だまってみてなよ、おかげでジョスリーンは本気になったんだから」

254


審判が合図旗をおろす。



この旗があがるまでの瞬間、ジョスリーンはひたすら相手の騎士を睨みつけていた。

「まけられん」

女の騎士は呟く。自分に言い聞かせるみたいに。「邪道を打ち負かしてやる」


いまでは、向かい側でにやにや笑っている騎兵団三人の醜い笑いも理解できる。


やつらは挑発しているのではない。まして主人の勝利を喜んでいるのでもない。


ただ、汚い手段で土地と女を没収しつづけ、あまつさえジョストとの名誉すら独り占めしようとする邪な
思惑に笑っているのだ。


「ゆるせん!」

ジョスリーンは槍を力込めて持ち、ぎゅっと握り締める。



合図旗がはためくと、馬が走り出す。

「やぁ!」

掛け声あげながら馬を走らせ、上向きにしていた槍を降ろしてまっすぐにし、相手にむけ、伸ばす。

ばばはばっ。

槍を前に伸ばしながら馬を駆ける。


相手も槍を伸ばしてきた。


互いの馬が、最後の力をだして走りきる。蹄で地面を蹴り、土を跳ねながら駆ける。


二人の騎士は互いに槍を相手へ向け。

会場のなかを互いに接近しあう。


やがて二人の距離は一気に縮まり。


いままでにないくらいの速度で、馬に乗る二人は衝突、すれ違う。


「うおおおお!!」

ジョスリーンは、槍を伸ばし、相手と激突しながら、雄たけびをあげた。



馬に乗る二人の槍同士が互いに相手を突く。最後の対決。


ドカッ!

バキキキ!


それは同時の激突だった。

騎士同士の間で槍の破片がハデに飛び散る。あたりじゅうに槍の破片が舞い上がる。




フーレンツォレルン卿は大きく仰け反り、晴天をみあげた。

女騎士の伸ばした槍が首という急所に直撃し、バランスを大きく乱したのだ。


あまりに体が仰け反ったので、彼は思わず馬の手綱を力いっぱい引っ張ってしまう。


ヒヒーン!


馬が、強く強く手綱ひっぱられ、ブレーキをかけられ、フィールドの途中でとまった。


大きく足をふりあげ、後脚たちになり、すると馬の背で騎士が後ろへころげた。

「うわ!」

騎士がころげると、馬までやがて、横向きになって倒れ始めた。



馬は300キロある巨体をぐらっと傾け、よろけさせて、競技場の隔て柵に倒れこむ。

すると木造の柵はバキキと軋んで折れ、馬は地べたに横たわった。



騎士は落馬、馬は転倒。


折れた柵の木片が、あたりに散らかった。

決着だ。



「いやったあああああああ!!」

ルッチーアと円奈、二人して大喜び。

「かったあああ!」


ピンク髪の少女と黒髪の魔法少女は手をとりあって喜び、その場で飛びあがった。

何度も何度も飛び跳ねて喜び、主人の勝ちに酔いしれた。



ルッチーアは円奈と一緒に飛び上がりながら、有頂天になって歓喜の声をあげた。

目に涙ためて、飛び上がりつづける。




騎兵団の男たち三人は、顔を蒼白にしながら馬から落ちたになった主人を助け出す。


ジョスリーンは折れた槍をばっと投げ捨て、腕をふりあげる。



おおおおおおおおおっ───!


準決勝進出を果たした女騎士の勇姿を。



観客席の誰もが拍手し、歓声をだし、讃えた。

255



「88…89…」


ルッチーアと円奈の二人は、ジョアール騎兵団の男三人と、再び昨日の酒場で落ち合っていた。

昨日と違うのは、いま円奈たちの前で、賭け事をふっかけてきたあの騎兵団三人は、すっからかんの素っ裸に
なっている、ということだ。


「90枚…91枚…」


裸の男たちが、死人のように沈んだ顔をしながら、金貨をルッチーアの持つ金貨袋にいれていく。

ルッチーアはその枚数をひとつひとつ声をだして丹念に数え上げていく。


「92枚…93枚…」


暗く沈んだ表情をした全裸の男たち三人が、下に俯きながらまた手の金貨を一枚ぽとっと、
金貨袋に落として入れる。


「94枚…」


ルッチーアがまた数え上げる。


騎兵団の男がまた、指に持った金貨を、手放してルッチーアの金貨袋に投げ入れる。


ギン。

金貨が落ち、金属同士のぶつかりあうような音が鳴る。


「95枚…」


ルッチーアはあくまで丁寧に金貨の枚数を数え上げる。


一枚たりともまけるつもりはない。



「96枚…97枚…」

男たちが金貨一枚いれるごとに、丁寧に一枚ずつ数え上げる。


「98枚…99枚…」



裸の男は、無口無表情で、なんともいえない暗い悲愴感を醸し出しながら、100枚目の金貨を、ついに
ルッチーアの金貨袋に落として入れた。


「100枚!」


ルッチーアは100枚の金貨を数え上げた。

顔に満足が浮かぶ。


金貨袋の紐をしっかりぎゅっと閉じ、それから、裸の男三人と握手した。


「どうもありがとうアダル騎兵団…いや、アゲルだっけ?ジョアールか…いい勝負だったね。ほんとうに。
熱い戦いだったよ」


裸の男たちは、無口のまま魔法少女と手を握り合って握手する。というより、される。


男たちの手にはまるで力がこもっていない。意志抜けたように。魔法少女の小さな手に一方的に握られるだけ。


「ほら、どうしたのさ、元気だしなよ」


するとルッチーアは男たち三人の肩を叩いた。


「これで酒でも飲みな」


そう声がけして魔法少女は、金貨を一枚だけ金貨袋から取り出し、ピンと親指で弾いて飛ばした。

宙を舞う一枚の金貨。くるくる回りながら光を反射しつつ、天井へ飛ぶ。


男たち三人が急に息を吹き返したように宙を舞う金貨一枚を奪いあった。


「それじゃあまたどこかでな」


ルッチーアは告げると、男たちに背をむけ、円奈をつれて酒場を去った。


「ディドルディドル!えっさほいさ!そこでお皿とスプーンはおさらばさ!」


と歌を口ずさみながら、酒場を去った。


裸の男たちは、金貨一枚を三人で取り合い、この一枚でどう生き延びるか相談をはじめていた。

256


そのあとルッチーアと円奈の二人は、別の酒場に入り、金貨100枚入りの金貨袋を二つ、
テーブルに並べていた。


円奈は嫌がったが、半ば強制的にルッチーアに連れられた。


「信じられない!」

ルッチーアは円奈の目の前で、顔を赤くし、山のように金貨の詰まれた金貨袋の中身を何度も見下ろしながら、
高級ワインを注文しまくり。


酒場の高級店へいって、銀貨25枚が要求される、高級ワインを飲みまくり。


「ワインも飲みたいって思っていたんだ。それも、とびきりうまいの」

とルッチーアはいい、幸せそうに笑い、口をぬぐう。

「貧民のたわしには無縁の飲み物が、今じゃいくらでも飲める!奇跡だよ…そうだ、奇跡!」


円奈もワインの入ったグラスを見つめた。

鉛のグラス。


血のように赤いブドウ酒の水面の円奈の顔が映っている。


真っ赤な水面に自分の顔が映る。独特のワインの香りがする。水面が真っ赤なので、自分の顔が血だらけ
みたいだ。


ところでこのワインは山椒入りワインだった。


この時代の人々は、尋常じゃないくらい、いろんな料理に香辛料を使った。


魚にふりかけるソースにしても、デザート料理の味付けにしても、ことワインにしても。


ワインという飲み物には山椒をいれて楽しんだ。



円奈は、この山椒入りワインの香りは好きだと思った。

でも飲むことに苦手意識が消えないでいた。



「円奈、どうしたのさ、飲まないの?」

ルッチーアは、円奈の顔をのぞいて、そっと訊いてくる。

「私ら二人の勝利が嬉しくないの?」


「いや…嬉しい…けど…」

どちからかというと、嬉しいというより、ほっとした、という気持ちの円奈は、困ったように首をおろして
答える。


背中まげて、俯き加減になる。「どうしてもこの飲み物が慣れなくて…」


二人の目の前には鳩と雉のロースト料理がある。


「ねえ、二人で賭け事して、勝ったんだ。私一人だけ喜んでてもむなしいじゃんか」

ルッチーアは山椒入りワインを注いだ鉛グラスを持ち上げる。

「一緒にこの勝ちを分かちあおうよ。ね?さあ、じゃ、乾杯」


「うん…」

困り果てた円奈は、しかし断りきれない。

鉛グラスを持ち上げて、ルッチーアのグラスと当てあった。


カツン…

二人のグラスが音をたてる。


二人一緒にグラスのワインを飲む。山椒入りのスパイスが効いたワインを。


一緒に飲んだルッチーアは楽しそうに笑い、円奈に話かけてきた。


「わたしが魔法少女になったとき、どんな願いをしたか分かる?」


円奈は首を横にふるふる、振った。


「誰でも考えることさ、お金持ちになることだよ!」

楽しそうに笑いながらルッチーアは言う。「奇跡だ、そう、わたしはやっと願いを遂げたんだ…こんな幸せな
気持ちはじめてなんだ!」


ルッチーアがあまりに幸せそうに笑っているので、円奈もなんだか釣られて、あはは…と小さく笑ってみせた。


「どうしたのさ円奈、わたしたちがいま持っている金貨が分かるかい?200枚だよ?信じられない大金さ
大金持ちだ!」


興奮気味な魔法少女はワインの酔いが回るまま喋りつづけ、周りの視線を集めていることに気づいていない。


「もうなにしようが生きていける!そりゃあもちろん、魔獣狩りはしないといけないだろうけど……
もう家なんて知らないし、ギルドの弟子入り口さがしてあちこちまわらなくていいし、自由に生きていける
気がする…そう、都市の空気は自由なんだ!」


ルッチーア、豪語しながら、またワインを飲み干す。

かおを赤くして魔法少女は、ブドウ酒を全部ぐいっと飲むと、鉛グラスをテーブルにおく。


「ああ…いい酔いだなあ…」


独り言を呟きながら、遠目になって気分に浸りきる。


「最近、魔法少女になってよかったって思うこと…あまりなかったんだ……でも今日は久々にそう思える日なんだ」


しんみりとそう言葉を口から漏らす。


すると円奈は、小さく顔を俯かせる。

「はあ…」

それからなぜか、ため息を吐く円奈だった。


ルッチーアはそれをみて、むっとする。

眉が釣りあがり、怒った顔になった。


「どうしたのさ円奈?さっきから元気なくしちゃってさ…私と勝ち取った金貨100枚が嬉しくないの?」


「ううんと…だって…」

円奈はちょっとだけルッチーアに怯える。「わたし…金貨200枚も持っても…なにしたらいいのかわからないし…」


「なんだってできるさ!」

ルッチーアはすぐに言う。ガタっとテーブルで身を乗り出し、両手をついた。

「これからは私の好きなように生きる!いままでの鬱憤がたまる日々とはおさらばさ。自由に生きる。
魔法少女として…」


「好きなように生きる?」

円奈は不思議そうな顔をして、たずねてくる。「どんなふうに生きるの?」


「どんなふうにっ…て…」

ルッチーアは乗り出した身をまたひっこめてしまう。

顎に手をつけ、天井に目をむける。

「そんなこと…これから考えるさ…」


「帰る家がないって…昨日…」

円奈は、遠慮がちではあるが、しかし、ルッチーアにとって耳に痛いところをつく。

「家には戻らないの?」


「……」

ルッチーアは、不機嫌な顔して目を閉じると、鼻を鳴らした。

「ふん、だ。そうさ、もう家には戻らない」



「…それでいいの?」

円奈のピンク色の瞳は、心配そうに、ルッチーアをまじまじ、見つめている。

「家に戻らなくて…いいの?」


「いいさ、私は締め出されたんだ!母から、おまえなんかいらない、産まなければよかった、って
いわれたんだから!」

ルッチーアは大声で怒鳴り、怒った顔を赤くさせ円奈を睨む。

「そんなこと、どうだっていいだろ。金貨200枚があるんだ。私とあんたで、使っていけば、
どんな生き方だってできるさ」


「そうかもしれないけど…」

円奈の声は、また遠慮がちになる。

「私は…聖地を目指すよ?」


「ああ…そうだったね」

ルッチーアは鉛グラスにまた口をつける。

すっかり、顔は不機嫌になっていた。眉は釣りあがりっぱなしで、怒った顔をしている。

だが、そんな自分を落ち着かせるように、ふうと深く息をついた。

「ねえ…久々に幸せな日なんだ。楽しい話させてよ……家に戻れなんて、いわないでよ」


途端に落ち込んだ様子になるルッチーア。



円奈も気まずそうに唇を結び、俯いてしまう。


沈黙の空気が二人の間に流れるなか、ルッチーアが先に沈黙を破り、ぼそっと…囁いた。


「今日はさ、久々に…魔法少女になってよかった、って思えた日なんだ。
だから……家に戻れなんて、いわないでよ」



円奈が顔をあげた。

ルッチーアは円奈から目を逸らした。

今日はここまで。

次回、第33話「夜警魔法少女」


こういう親はゆまちゃんを思い出す あれとはまた違うけれども
家族なく育ったまどなには理解し難いかもな


第33話「夜警魔法少女」

257


その日も円奈とルッチーアは二人で宿屋をとった。

「あうう…」

円奈は、寝静まった都市の窓にむかってあくびする。

「クフィーユ…元気にしてるかな…」


ルッチーアは宿屋の部屋の寝床で、参加者名簿一覧の羊皮紙に目を通している。

円奈が紋章を必死に覚えていたあの羊皮紙だ。


「明日の対戦相手、トマス・コルビル卿じゃないか?」

ルッチーアはんんっと目を細める。「いつか当たると思っていたけどね……さすがに準決勝の相手は強いぞ」


「しっているの?」

円奈が窓から振り向いてルッチーアを見る。


「三日目のジョストを観客席から見ていたんだ」

ルッチーアは羊皮紙をおろし、円奈の顔を見返すと、言った。

「トマス・コルビル卿の試合を見た。ありゃ強いと思うよ。とにかく技が完璧だ。私の隣でみていた
市町議員の男の感想だけどね、それは」


「うん……」

円奈は窓際からと部屋の中心にもどって、テーブルの台においた蝋燭の火を手で消した。

ぶっと風の音散らして蝋燭は消えた。


そして部屋は真っ暗になった。


「明日が最終日だよ」

ルッチーアは寝床に寝ろがる。「準決勝と決勝。明日で優勝者が決まる」


明日のジョスリーンの相手はトマス・コルビル卿。

この大会で最も実力をみせ、無敗にも近い戦績をのこしている正体不明の騎士。

エドレス国内ではメッツリン卿が最強の騎士として有名だったが、それにも負けず劣らずのコルビル卿の
素性が知れない。


が、その思わぬ素性と正体を、明日、円奈たちは知ることになる。



「奇跡も魔法もある…ルッチーアちゃんはそういってたよ?」

円奈も寝床に入った。

昨日とちがい、二人部屋だったので、二人の就く寝床はちがっていた。

「んー…それなんだけどね、ジョストに魔法はいけないと思うな、魔法少女の私だからいわせてもらうけど」


円奈が笑う。

「そっか」

天井をみあげたまま、目を瞑り、息をすう。


だんだんそれが寝息に変わってくる。


二人とも目を閉じ、無言になり、暗闇のなかで寝床に横になりつづける。

会話もない。二人とも寝るだけ。


いよいよ、すうーすうーという円奈の寝息がルッチーアの耳にはいってきた頃、ルッチーアは、円奈を呼んだ。



「円奈」


ピンク髪の少女は寝息をたてつづける。

「円奈ってば」

ルッチーアはしつこく呼ぶ。

「…へ?」

円奈が目をあけた。

それから寝床で体を横向きにして、ルッチーアのほうをむいた。



ルッチーアも体を横向きにして円奈を見ていた。

「円奈はさあ…」


眠そうな円奈がルッチーアに聞き耳たてる。


「私が魔法少女だから…変なふうに思ったり…しないの?」


「へんなふうに?」

円奈の目がわずかに見開いた。寝床で横向きになったまま、不思議そうにルッチーアに訊く。

「どういうこと?」


「いや…だから…さ」

ルッチーアは目を落とす。黒い瞳が悲しそうに下向きになった。

「私が魔法少女だから……ソウルジェム見せてよ、とか、変身してみせてよ、とか…そういうの…」

呟くように声を漏らす。


円奈の目が驚きを湛えて、目をこすった。


「魔獣と戦っている、って話を半信半疑にしてしてたり…そういうの、円奈はないの?魔獣と戦う
魔法少女のこと、どう思ってるのさ?」


「どう思ってる…」

円奈は体を仰向けにして天井をみつめる。

「そんなこと……考えたことなかったかも…」


「考えたこともなかったって、へんなやつだな」

ルッチーアは眉を細めた。

「聖地を目指すってのに?」


「…ごめん」

なぜか謝る円奈。

悩むような、でもやわらかな顔つきで、天井をみあげると、話した。

「私には、魔法少女が当たり前すぎちゃって…」


「当たり前すぎ?」

ルッチーアは円奈を見ながら聞き返す。


「うん…私、故郷で暮らしていたときは、椎奈さま…来栖椎奈さまって魔法少女のひとにずっと守られて生きてた
から…私には魔法少女の存在が、大きくて…なんていったらいいのかな?その人がいなかったら、今の私も
なかったんだろうな…って思うと、私には魔法少女がなくちゃならないような存在で…」


「…」

ルッチーアは無言で円奈の話をきいている。


「だから私は」

円奈は胸元で両手の指を絡めて握りしめると、来栖椎奈という魔法少女のことを思い出しながら、目を閉じた。

夢みるように。優しい顔つきになった。


「その人にずっと憧れてて…魔法少女に憧れて…だから私は、魔法少女の聖地を目指すの」


「魔法少女に憧れてるのか?」

ルッチーアが訊く。


「憧れてた…でも」

円奈は少しだけ顔を悲しそうにする。

「世界の魔法少女が…どんな人たちなのか、私には分からなくて…私、ここにくるまで、ひどいことする
魔法少女も、たくさん…みてきた。人間に対してひどいことをする魔法少女…」



「…」

ルッチーアは無口になる。


「だから私は魔法少女が…どんな人たちなのかって…考えてみても分からない…というのかな…あれ…ごめん…
さっきといってること違うや…」

といって円奈は弱々しく笑った。


「ふーん…そうなんだ…」

ルッチーアはあまり面白くない、という顔をして、鼻をならした。

「私はさ…魔法少女になったけどさ、なってからは、よく人にいわれるよ。”俺にどんな魔法かける気だ?”とか、
”魔獣狩りしてるなんていかれてる”とか。”変身してみせてよ”とかもいわれるぜ。都市の人間にとっちゃ
魔法少女はさ、好奇心とかの対象でしかないんだ。そうじゃなきゃ、バカにされて、敬遠されて、誤解ばっか
されて…誰も私の言葉を真に受け止めてくれない」


「…」

こんどは円奈が無言にってルッチーアをみつめる番だった。


ルッチーアは円奈と目を合わせながら、過去の魔法少女としての自分の思い出を語る。


「だからさ、魔法少女に憧れなくていいと思うよ、円奈は…。毎日、つまらない日々を送るだけさ。魔獣を狩るだけ、
人間には奇異な目でみられるだけ。私、好奇心で魔法少女に近づいてくる人間が嫌いなんだ。でも…円奈になら」


ルッチーアは一度言葉をきった。

暗くて円奈は気づかなかったが、わずかにルッチーアの頬に赤みが差した。

「円奈になら…私の変身、みせてもいいよ」


小さくニコリと笑うルッチーアだった。


円奈が驚いたように目を大きくさせる。


ルッチーアが円奈と目があい、笑う。

「私の変身、みてみる…?」

その顔はまだちょっと、赤かった。

「本当は見世物じゃないんだけどね…円奈がみたいっていうなら、いいよ?」



円奈は考える素振りをした。


見てみたい気持ちは確かにあった。

魔法少女に対する円奈の憧れの気持ちは、やっぱり強かった。その変身をみれると思うと心の焦げる想いも
した。


けれども、なにかが違う気がした。


するとルッチーアは、くるりと体の向き寝床で回して、円奈に背をむけた。


「なんて、ね。冗談さ」

ルッチーアは背をみせつつ、いう。

「私が本気で見せるとでも思ったか?魔法少女の変身は見世物じゃあないんだからな」

258


それから時間が経って、夜も深くなった。


すっかり寝静まった二人の宿屋。


円奈はすーすー寝息たてて、目を閉じ、眠りについている。



ところがルッチーアは、瞳を開けたままじっと天井を見つめ続けていた。眠りにつこうとしていなかった。


「…なんだよ、もう」


ルッチーアは一人、呟く。


「私の変身には興味なしかよ」


ぼそっと、ふて腐れたように呟き、そして毛布を顔にかける。


「魔法少女に憧れてるっていったくせに……私の変身は見る気なしかよ」


毛布で顔まで隠し、目を閉じる。


まったく眠気がおきない。



左手のはまった鈍い光を放つ指輪をみつめる。

白と黒のあいだの、灰色の光を仄かにポワーンと放っている指輪を。



「私の起こした奇跡じゃなかった…」


と、ルッチーアは毛布のなかで、指輪を目の前に翳して見つめつつ、独り言をいう。


「私がお金持ちになれたのは、円奈がいたから……いやちがう」


ルッチーアはわずかに首を横にふる。


「それは私が、円奈が紋章読み間違えたとき割って入ったからじゃないか……じゃあ私が掴んだ奇跡か?」


ルッチーアは考える。


「奇跡…って、なんなんだろうなあ…」


家のことを考える。


もう二日、戻っていない。


いやこれから二度と、戻ることはないだろう。だって、勘当されたんだから。

明日は馬上槍競技大会の決勝。


そしたら円奈は、この都市を去るだろう。


私はそしたら、これからどんなふうに生きていくのだろう?




指輪の光がわずかに強くなる。


「────ッ!」


ルッチーアの顔が強張る。

ばっと毛布をめくり、起き上がる。


ルッチーアが感じ取ったのは、魔法少女の気配。


近づいてくる。


まっすぐこの部屋に。



レーヴェス?フュジェ修道院長?ちがう。


この気配は。


ミシ…ミシ…

廊下を歩く小さな足音は、ゆっくりまっすぐこっちに近づいてくる。



ルッチーアはそっと耳を扉につける。

ミシ…ミシ…


廊下を歩く音は、まさにルッチーアの扉のすぐ向かい側で、とまった。

扉のすぐ向こう側に、ヤツがいる。


ルッチーアは警戒しつつ、ゆっくり蝶番扉の、閂をとった。

カチャ。


扉がわずかに開く。


「…あんたか」

ルッチーアは、やってきた魔法少女の顔をみあげる。「コウモリ女」


そこにいたのは、漆黒のようにどす黒い髪を伸ばした、赤い目をぎらぎら光らせる魔法少女だった。


黒い獣皮を肩にのせ、ルッチーアをきつい目で睨む。


「なんの用だ?」

ルッチーアは優しいとはいえない目で相手を睨み返す。

「昨日から、私らをつけているみたいだけど」

首を少しだけひねる。

「酒場じゃ”さすらい魔女”って有名になってたぜ」


扉むこうの魔法少女が、顎をもちあげて赤い目でルッチーアを見下し、それから、ついに口を開いた。

「酒場で話を耳にした。”エドワード王に会う”と」


するとルッチーアはすぐにいい返した。

「私じゃないエドワード城に向かうのはそこのピンクだ」

奥の壁際で眠る円奈を指差す。

「おまえなんだ?エドワード王の親衛隊かなにか?」


「同じ魔法少女として警告しておく」

赤い目の魔法少女は告げながら、フードをそっと頭にかぶり、髪を隠した。

「エドワード城には近づくな。いま、魔法少女があの城に近づいてはいけない」


「どういう意味だいそれゃあ?」

ルッチーアは分かりかねている。首をひねり、問いかける。

「エドワード城で何が起こってるんだ?」


「警告はした」

赤目の魔法少女はフードをかぶって、フードを手でつかみながら顔は横向きになり、静かにルッチーアの前から去った。

宿屋の廊下を静かに歩き去り、蝋燭の燃える階段をくだっていく。

「それでもエドワード城にゆくのなら、こんど”ヴァルプルギス前夜祭”で落ち合おう」



「なんだあ?あいつ」

ルッチーアは変な目で去る魔法少女を見送った。


それから部屋に戻り、寝床につく。


「…」


寝床についてしばらくしたが、それでも眠気が起きない。



家のことをまた思い出す。


家に戻るつもりはないけれども、母のある言葉を思い出した。


そしてあることへ思い至り、ルッチーアは再び寝床でたった。


灰色の光を放つ指輪を撫で、扉に手をかけた。


そのキイイという扉の蝶番が軋む音に円奈が気づいて、目を開けた。


「ルッチーアちゃん…?」


円奈が目をこすりながら、部屋を出ようとする魔法少女を呼ぶ。

「どこかにいくの…?」


するとルッチーアは振り返って円奈をみて、ニヤリと笑った。

「ああ、でかけるよ」


「こんな夜遅くに?」


「まあね」

ルッチーアは肩をすくめる。わずかに首をかしげ、言った。「久々に正義の魔法少女でもしようと思ってね」


「正義の魔法少女…?」

円奈の眠たそうな声が問いかけてくる。


「そうさ」

ルッチーアは円奈に念押しした。「いっとくが、絶対についてくるなよ」


といって、部屋をでて、扉をバタンと閉めた。


しかし数秒後、また扉が開いた。


ルッチーアが顔だけみせて、円奈をみた。

「鍵はしめといてくれ」

とだけ言い残し、またバタンと扉が閉まった。


しかし数秒後、また扉が開いた。

またルッチーアが顔だけみせて、円奈を見た。


「けど、私が戻ってきてノックしたら、開けてくれよ」


とだけ言い残し、またバタンと扉が閉まった。




「はい…?」

円奈はルッチーアの言動がわからない。

目だけこすって、頭を悩ますだけ。


とりあえず、扉の鍵は閉めておいた。


そして眠気を邪魔されたことを苛立つみたいに、はあああと大きなあくびだして、また寝床についた。


259


ルッチーアは寝静まった都市の街路を歩いた。



宿屋を出て、噴水の横を通り、狭い路地へ。

もちろん、この時間帯の裏路地には、娼婦たちが男を誘って出没している。



ルッチーアはこの裏路地をあえて歩く。


母の言葉を思い出したからだ。


母によると、娼婦たちが体を張って稼いだ身銭を、剥ぎ取る悪辣な魔法少女がいるらしい。


都市には夜間の犯罪を取り締まる夜警騎士はいるけれども、相手が魔法少女ではとてもとめられない。


それに娼婦自体、夜警隊の保護対象にもならない。


そういう、法律の網をくぐって、泥棒を働く悪の魔法少女を。


「私が代わってやっつけてやる」


ルッチーアは意気込んでいた。こんな気分になるのは久々だった。


「名づけて、夜警魔法少女…なんて、ね」


その昔、ルッチーアは、人助けするのが大好きな魔法少女だった。

というより、魔法少女こそ、そういう、正義の、人々の希望なる存在だと信じていたから。



最近はそれを忘れていた。


都市で酒場に入り浸り、魔法少女をからかってくるバカな人間どもを相手に、暴れる日々が続いた。

だって人間たちは、魔法少女を、道化みたいにみなしているから。


正義の魔法少女なんて、バカらしくなって、やめていた。

でも。


「元々はそういうのに憧れて私も魔法少女になったんだよね」


ルッチーアは呟きながら都市の裏路地を歩く。

ソウルジェムを手の平にのせて巡回する。夜間の路地裏は、真っ暗で、静けさが支配している。


でももっとその闇の奥には、娼婦と魔獣、魔法少女、悪意の諸悪が眠っている。


「あいつはそれを思い出させてくれた」


ルッチーアは自分の言葉を、すぐに言い直した。「いや、あいつら、だね」



裏路地の奥の奥まで歩きつづけていると、女と女の叫びが聞こえだした。


必死に叫びまくる女の金切り声と、脅しつけるような少女の声。


「どうやら本当にいるんだな、悪の魔法少女は」


ルッチーアはソウルジェムのに反応した気配をたどって、路地を曲がった。


彼女の目に飛び込んできた光景は、路地の市壁に追い詰められた娼婦の女と、それに迫る変身姿の魔法少女の
二人の姿。


娼婦は顔をぐちゃぐちゃにして泣き叫んでいた。


レンガ造りの市壁によりかかって尻をつき、魔法少女をみあげて、懇願したり悲嘆したりでとにかく泣き叫ぶ。


「やめろ…」


娼婦は泣きながら、顔を真っ赤にして、魔法少女むけて哀れっぽく叫ぶ。

「やめろ!どうしてこんなひどいことするんだい?」


「ひどいこと、だって?」

変身姿の魔法少女は、緑色のサーコートのような変身姿をしていた。その魔法少女が、娼婦へ迫る。

ダンとブーツを履いた足で地面を踏みしめ、娼婦に詰め寄り、冷たい目で見下ろす。


「男に身を売るあんたみたいな女と、命かけて都市の魔獣を倒す私とで、どちらが銭を持つべきかって話を
しているだけだ」



「やめてよ!」

娼婦はまた、泣き叫ぶ。身をよじらせ、縮み上がって壁へと寄せる。「私だって命かけてるんだ!このあいだは、
針で乳を貫かれて…」


「あーあー、愉快な趣向の男にあたったわけさね」

魔法少女は壁に身を寄せる女に詰め寄る。

「でもね、それは命かけたっていうんじゃないんだ。男を満足させるために、命を売ったってんだ。
その命の値段がこれだ」

といって、女の服をまさぐり、銭をとりだす。

「やめて!」

娼婦は悲鳴をあげる。「私の金だよ!」

「穢れを浄化するのも魔法少女の役目でね」

魔法少女は冷たく告げる。

「そんな薄汚れた金は、私が責任もって、正しい使い方に改めてあげるさ。そしてあんたは、こんな稼ぎ方は
やめて、ギルドに職をみつけて、清き道に戻るんだ。そうなるまで、私は責任をもって、あんたが汚い金を
とるたびに、没収、浄化しにきてやるさ」


「いちど娼婦になった女が、ギルドに加入できるわけないだろ、偽善者!」

娼婦は叫ぶ。「偽善者!くそったれ!魔女ども!」



この呼ばれ方に、魔法少女の顔つきが変わった。

冷たくなって、穢れをみるような目で女を見下ろす。


「正しい道に戻る気のない穢れはどう浄化したらいいのかな」

といって、女をはげしく蹴りだす。


娼婦は怯え、泣いた。


「穢れ!穢れだ!魔法少女の敵、穢れはどう浄化したらいいのか!」

魔法少女は娼婦をけり続ける。容赦なかった。まるでこれじゃ虐待だ。

娼婦は蹴られながら、壁に身を寄せて腕だけで身を守っている。




「…こんなやつ、都市にいたのかよ」

ルッチーアははあとため息つく。


それから、ソウルジェムの力を解き放つと変身姿になる。

修道女を思わせるような黒色に近い灰色のワンピース。

フリルのついた裾は少女チックで、魔法少女らしい、かわいらしい衣装。パニエをはいて、ふわりとする
少女チックなワンピース。


胸元には三日月。


靴は黒色のブーツ。長靴。

きっ、とその黒色の瞳が怒りに見開く。久々に正義に目覚めた魔法少女の瞳が。


ルッチーアが解き放った光で、娼婦を虐待していた魔法少女がこちらに気づく。


「なんだ、おめえ!」

緑色の魔法少女はこっちをみて怒鳴る。


あらたな魔法少女の登場に、娼婦はますます怯える。ぶるぶるぶると体を奮わせる。

「私は夜警魔法少女、といったところかね?」

変身したルッチーアは、ニヤと笑い、口を開くと、答える。


「はあああ?なんだぁそれ?」


緑色の衣装の魔法少女は呆れた声をだす。


それから娼婦を見下ろした。

「いま、楽しんでいるところだ。邪魔しないでおくれ。見てのとおり嗜み中でね」

「嗜み中、へえ?」

ルッチーアはふんと鼻を鳴らす。

「そこの女、泣いているように私にはみえるけど」


「泣くほど激しいことしてるってことさ」

緑色の衣装の魔法少女は答える。

「過激なほどに」


「そうかい?じゃあ今度は私があんたを泣かせてあげるよ」

ルッチーアは魔法少女へと迫った。

「私もその嗜みに混ぜてくれっていってるのさ」


相手がなにか受け答えしようとするかしないかのうち、ルッチーアは魔法少女の顔を殴りつけた。

「うぶっ!」

市壁とは反対側の、路地の外壁にすっころぶ魔法少女。

「さあ激しいことしようじゃないか?」

すっころんだ魔法少女をつかみあげ、また、顔面を殴った。


「がっ!」

路地の奥へふっとんでいくサーコート衣装の魔法少女。


「てめえこの!」

サーコート衣装の魔法少女はかんかんに怒って、ルッチーアに反撃してきた。


武器を召喚する。


それは斧だった。


「あんたは嗜みに斧を使うのかい?どういう用途だそりゃあ?」

ルッチーアは挑発しながら、相手へちかづく。


「こう使うんだっ!」

魔法少女は思い切り斧を横向きに振る。

ルッチーアは首を屈めてくぐり抜けると、サーコートの魔法少女の肩をつかみあげ、壁へ放り投げた。


「あがっ!」

サーコートの魔法少女は壁に身をぶつけ、歯を噛み締めて苦痛を味わう。

そのままバタリと地面に倒れこんだ。



手からカランと斧が落ちた。



「ちなみに私はこういうのが好きでね」

ルッチーアはいい、倒れこんだ魔法少女の短い茶髪を掴み、顔だけ浮かせた。


「ううう…」

前髪だけひっぱられ、もちあげられるサーコートの魔法少女。

その顔は苦しそうで、肌色の額がぜんぶ露わになっている。


ルッチーアは前髪をひっぱると、その顔面に、空いた左手に召喚したクロスボウをつきつけた。


「うう…!?」

サーコートの魔法少女が目を恐怖に血走らせる。

口元にクロスボウの発射口が押し込まれた。


「さあ咥えな」

ルッチーアはクロスボウの先を魔法少女の口の中へ。「これこそ過激だろ?」


引き金に手をかける。


「な…な…」

だんだん、恐怖に引きつっていたサーコートの魔法少女の目が、怒りにかわってきた。

「なめんなこの!」

ルッチーアの両肩をがしと捕まえる。そして。


ブッ!

「おぶっ!」

次の瞬間、ルッチーアは顔面から魔法少女にゴツンと頭突きされて、地面にスッ転んだ。


鼻から血がでる。

痛そうに鼻筋おさえ、指先についた赤い鼻血を目で確認しながら、ルッチーアはサーコートの魔法少女を
地べたで睨みあげた。

「このやろう…」


「好き勝手させてりゃ調子のりやがって、え?」

サーコートの魔法少女は倒れこんだルッチーアの胸元をつかみあげた。

「なにが夜警魔法少女だ?バカか!」

ルッチーアの体が宙に浮いた。


グーがルッチーアを殴り飛ばす。

「ふぐ!」


ルッチーアは市民の家へと殴り飛ばされた。

体の背中がレンガ壁へと打ちつけられて、体を衝撃が襲い、その口からうめき声が漏れる。

「うっ…!」

顔をしかめてまた地面へ倒れこむ。


「そういう正義気取りの魔法少女、嫌いなんだよね。ああ、大嫌いだ」

サーコートの魔法少女はルッチーアの肩をまたもちあげ、自分の目前へ掴みあげる。


魔法少女の顔とルッチーアの顔が正面から睨みあう。

ルッチーアの顔は傷だらけ、鼻からでた血が垂れている。


「なめた面しやがって」

魔法少女はまたルッチーアの顔面をグーで殴る。


またルッチーアの身が吹き飛んだ。


ガシャンと市壁にあたり、レンガ壁が崩れた。ガララとレンガの数枚が雪崩れを起こした。


「そんな正義面の魔法少女なんざ、わたしがとっちめてやる!」

崩れたレンガの瓦礫の突っ伏すルッチーアの髪をつかみあげ、さらに頭突き。


「ぐっ!」

ルッチーアの顔面に血が増す。


ルッチーアは鼻をおさえながらまた倒れこむ。


倒れこむルッチーアの背中をつかみあげ、両手に持ち上げる。

持ち上げた彼女を、槌みたいにふるって、ルッチーアを思い切り顔面からレンガ壁へたたきつけた。


ガシャーン!ガラガラ。


レンガ造りの壁がまた、なだれを起こした。

ルッチーアは顔面から地べたに垂れ伏してのびた。だらーんと。黒い髪が背にひろがった。


「くそったれが、息の根をとめてやる!」



サーコートの魔法少女はルッチーアの落としたクロスボウを拾い、それをルッチーアにむけた。

「これが私好みの嗜みだ!」

といい、引き金をひいた。


ルッチーアはどうにか立ち上がって足で逃げ出した。


直後とんできたクロスボウの魔法矢がレンガ壁を射ぬいた。


魔法矢は爆発を起こして、レンガ壁を粉々に砕いた。

ものすごい量の砂塵と煙が捲き起こり、無数の瓦礫と砂埃があたりじゅうにちりばめられた。



「それがあんたのたしなみかい?なかなかだね!」

顔面血だらけのルッチーアはまっすぐサーコートの魔法少女へ迫る。


魔法衣装もぼろぼろで、あちこち破けて、露出していたが、もうそんなことは気にしない。


「でもまだ過激さが足りないと思うな」


「そうかいじゃあもっと苛烈にしてやる!」

サーコートの魔法少女がクロスボウの引き金をまたひいた。

ルッチーアは素早く相手に近づき、相手の腕を掴んで弓の向きをそらした。


クロスボウの魔法矢は見当違いなところへとんでいった。


バシュ!

紫色の矢が閃光迸らせながら、飛んでゆき、都市の市壁、娼婦のすぐ近くを射ぬいた。


「いやあ!」

壁際で身をすくめる娼婦。

魔法の矢は爆発して、砕けたレンガが破裂し、煙とともに四散した。


一歩まちがえたら、娼婦にあたっていただろう。


「二人ともやりすぎだよ!」

娼婦は泣き叫んだが、二人の魔法少女はきいていない。


「くたばれくそっれが!」


ふたたびサーコートの魔法少女が、怒りにまかせてルッチーアを狙いたててクロスボウの引き金をひいたが。


弦がしなっただけで、矢が装填されていなかった。


どうやらこの魔法少女はクロスボウの仕組みに詳しくないらしい。


「くたばるのはあんただ」


驚いた顔して絶句しているサーコートの魔法少女の腕をとり、ひっぱり、自分の元に寄せ付け、その勢いのまま
相手を背にのっけて投げ飛ばした。


「うごあ!」

ルッチーアに背負い投げされる魔法少女。背中をドンと地面に打ちつけ、苦しそうに唸る。



するとルッチーアは、手元に落ちていた魔法少女の斧を手にとった。

相手めがけて斧を振り落とす。


「あわっ!」

危機を感じ取ったサーコートの魔法少女は身を回して斧からにげる。


二度三度、ルッチーアの斧が魔法少女を追い立て、振り落とされ、地面に亀裂が走る。

そのたびに懸命に地面をころげて相手は逃げる。


石畳が割られる。

「どうだ?なかなか苛烈だろ!」


「いやまだこんなものまだ苛烈とはいわないね!」

相手の魔法少女はクロスボウを鈍器のようにブンと横向きに振り、ルッチーアの頬をなぐった。


「へべ!」

ルッチーアは弩弓本体に頬をぶったたかれて、斧を手から手放しながらふっとんだ。

民家の壁際に頭をぶつける。ダランと身を壁に寄せながらずるずると崩れ落ちる。


「死ね!」


そのルッチーアめがけて、再装填されて魔法矢がクロスボウからとんだ。


ルッチーアは間一髪、起き上がってその場から逃げた。

魔法矢は市家の外壁にあたり、壁に穴があいた。またあたりじゅうに砂塵と瓦礫の断片が飛び散った。



「これだから魔法少女は!」

娼婦は泣き叫びながら、二人の喧嘩を見届けた。


ルッチーアはすばやく、手元におちた喧嘩相手である魔法少女の斧をまた拾い、持ち上げると、
それを相手めがけて投げつけた。


クルクルクル…


斧は宙で回転しながら飛び、魔法少女の手に握られたクロスボウに命中してたたっきる。


クロスボウは、紫色の閃光散らしながら、故障し、七色の火花散らした。


使い物にならなくなった飛び道具に、サーコートの魔法少女は毒づき、唾はくと、それを投げ捨て、
ルッチーアへせまった。


「もうそれを殴るようには使わないのかい!」


目も鼻も口元も血だらけのルッチーアが、相手に言った。


「うるせえ!」

サーコートの魔法少女はルッチーアにつかみかかった。


ルッチーアも相手につかみかかった。


肩と肩、互いにつかみあい、力のぶつけあい。


だがそれはルッチーアの負けにおわった。


「うわ!」

そしてひょいともちあげられたルッチーアは、相手に投げ飛ばされて、民家のガラス窓に身を投げ入れた。

ガシャーン!

窓ガラスが木っ端微塵に割れ、破片を飛び散らせながらルッチーアが民家の部屋へと落っこちる。

そこらじゅうあちこちがガラス破片だらけになる。


サーコートの魔法少女もバラバラに砕けたガラス窓にのりこみ、ルッチーアを追って、民家へと入った。


蝋燭だけがついている、薄暗い民家だった。


ルッチーアは全身にパラパラとガラス破片をかぶっていたが、身を起こすと、地面に散りばめられた
ガラス破片のうちのひとつを手に握ると、振り返りざまに相手の顔を裂いた。


「あぎいっ!」

血の筋がサーコートの魔法少女の目元に走り、鼻から頬まで裂かれ、鮮血が飛び散った。

彼女は反射的に顔を手で覆った。「てめえこのやろう!」





一階での乱闘騒ぎに気づいて飛び起きた民家の主人が、慌てて二回の寝室から駆け下りてきた。

そして二人の魔法少女をみて怒鳴った。


「また魔法少女の喧嘩か!くそが!」

男の主人は怒り心頭している。

「このあいだも俺の家でハデに喧嘩しやがって!どーしていつもいつも俺ん家で喧嘩する!ここはてめーらの
喧嘩のためにはねえ!」


「だまってな!」

ルッチーアは男主人へと怒鳴り返す。

「わたしにはこいつを懲らしめる使命がある!」


「なにが使命だ、バカが!」

相手の魔法少女が、顔を血だらけにしながら、ルッチーアをギロリと血で真っ赤な目で睨む。

「私には、こいつに魔法少女の現実をわからせてやる義務がある!」


「なんだとこいつう!」

ルッチーアがむかっとして相手に対峙すると。


その頭を男主人の金棒が叩いた。


カーン!

鋭い金属音がなって、ルッチーアがそのまま糸きれたように気絶する。

なにが起こったのかわからないでいるサーコートの魔法少女。

コーン!

次の瞬間、サーコートの魔法少女の頭にも金棒が命中し、彼女もまた、ルッチーアに重なるように倒れこんだ。


「魔法少女が!」

男主人は気絶した二人をみくだし、罵った。


一階の騒ぎにきづいた娘が、階段を駆け下りてきた。


「パパどうしたの?」

娘は目をぱちくりさせて、首をひねる。それから、唇に指をあてながら、のびている二人を見下ろす。

「悪い魔法少女をやっつけたの?」


「ああやっつけた」

男主人はため息ついた。

金棒を壁際へ寄せておく。「かわいい娘、おまえはあんなふうになってはいけないよ」


「わたし、ああはならないもん!」

娘は父親をくりくりした目でみあげる。

「あんな、喧嘩ばかりする悪い子になんてならないわ」


「いい子だね、私の娘は」

父は大事そうに娘を抱き、頭を撫でる。「ああ、コイオニー、おまえはいい子だね」


父が二人の魔法少女を殴った金棒は、チェインメイル職人が鎖造りに使う、巨大なやっとこだった。

260


ルッチーアとサーコート姿の魔法少女の二人は家から追い出された。


壁側にたたき出され、二人ともほぼ同時に、目を覚ました。


二人とも変身衣装は解けて、私服だった。


でも私服も、ローブもチュニックも、ぼろぼろに破けて、ひどい有り様だった。


でもいちばんひどい有り様なのは顔だった。


二人とも顔がぼこぼこだった。

傷だらけで、血だらけで、膨れていた。


「…はあ」

ルッチーアがさきにため息ついた。

「もうやめにしようか」

息はきながらいうと、相手の魔法少女も静かに頷いた。

「…ああ、同感だよ」



「…」

二人の間に沈黙が流れる。

戦いはやんだが、かといって二人は動けない。傷がいえない。


「……あんたさあ」

ルッチーアが口を開いた。

「なんで娼婦から金をまきあげようとしたのさ?」

その疑問を口にする。


「…ふん」

ローブ姿の、茶髪で短髪の魔法少女は鼻をならし、澄ました顔した。

「弱い人間を魔獣が食う。強い魔法少女は魔獣も人間も食う」

ルッチーアのほうを見やる。

「弱肉強食ってやつだ。この世で一番強いのは魔法少女だ。一番強いやつは弱いやつをなぶっていい」


「そんな考え方じゃ、敵ばかりつくっちゃうだろ…」

ルッチーアがはあと血の垂れた口で呼吸をする。


「そうだ、魔法少女は自分だけが味方だ。他は全部敵だ」

魔法少女は説きはじめる。

「魔獣も敵、他の魔法少女も敵、人間も敵、狼も狐も敵だ。自分以外みんな敵だ。そういうものだろ?
ちがうか?」


「まあ、わかるけどねえ」

ルッチーアは言いながら、自分も魔法少女として、孤独を生きてきた人生を振り返る。

「たしかにさ、魔法少女はさ、味方なんていない、自分のためにいきていくだけだ、そんなふうにやさぐれるとき
もあるさ。私もそうだったしね。でもさ、あんたはやさぐれすぎだ。もうちょっとまともにいきなよ。そしたら…」

「そしたら、なんだ?」

相手の魔法少女は少し怒っている。不機嫌さが声に交じっている。「ご利益があるとでも?奇跡の対価を
支払った私たちに?」



「そしたら、さ」

ルッチーアは思い出すような遠目をした。

「ひょっとしたら……孤独じゃなくなるかもしれないよ」


「…へっ、これだから正義面の魔法少女は」

ローブの魔法少女は嘲笑し、ルッチーアから顔をそむけ、起き上がった。

それから彼女は、娼婦から奪いとった銀貨15枚を、ルッチーアに渡した。

「私の負けだ。先に停戦をいいだしたのはアンタだった。だからアンタの勝ちだ」


と言い残し、銀貨をばららっとルッチーアの胸元に落とし、魔法少女は、裏路地を静かに歩き去った。

都市の、底知れぬ夜街へとまた、魔法少女は去り行く。


その歩き去りゆく後姿は、とても孤独で、寂しそうだった。


「そう…わたしも…」

ルッチーアはその後姿を見送りながら、静かに、そっと呟くのだった。

「わたしも…あんな後姿をしていたんだ…」

261


血だらけになったルッチーアは都市の夜の娼街を一人歩き、娼婦を探した。


娼婦はまだ、市壁の壁際に身を寄せて、ぶるぶる身を震わせながら、あひる座りで、そこにいた。


「娼婦の宿屋にはかえらないのかい」

ルッチーアがたずねると。


「その金もイカレちまったんだよ」

娼婦はぶるぶる身を震わせながら、答えた。「売女が寝る床もない!みじめだよ……」


「返すよ」

ルッチーアは銀貨15枚、女の足元においた。

「私がここにきた理由、これだけ」


「…はあ?」

娼婦は変な顔してルッチーアをあげる。

あひる座りのまま、くしゃくしゃの髪を垂らして魔法少女をみあげ、唖然とする。

「バカじゃないのあんた?娼婦に金返す?都市の笑い者になる気か?」


「あー、そうだね。魔法少女って都市の笑い者でさ」

ルッチーアは路地を歩き去った。

「あ、そうそう。私の名はウスターシュ・ルッチーアだよ。困ったことあったら私の名を叫びな。
すっとんでくるかもしれないよ」

背中みせながら手でばいばいする。



「あんた、イカレてるぜ」

娼婦は魔法少女にぼやいた。

銀貨を握り、さらけ出した生足をローブの裾にかくすと、娼婦宿へ帰った。


「だけどさ……ありがとう」

娼婦の声は、ルッチーアに届いたかは、わからない。

262


ルッチーアは宿屋へと戻った。

二階へあがり、廊下を歩くと、円奈ととった客室の扉までくる。


ダンダンダン。

ルッチーアは三回くらい、強く扉をノックする。


強く叩かないと、円奈が気づかないかもしれない。

「おーい、円奈、私だよ、扉をあけてくれ」


返事がない。


ダンダンダン!

さっきよりももっと強く、ノックする。

ほとんど扉の強打だ。


「おーい!円奈ったら!夢の世界に旅立ってるのか?扉を開けろってば!」


まだ、返事がない。


するとルッチーアは、むかっと眉を引きつらせ、扉をにらみつけた。



「おい!円奈ったら!聞こえてるだろ?私を締め出す気か?」

母親みたいに?


ますます、むかついてくる。



「怒ったぞ」

ルッチーアはその場で変身した。


修道女を思わせる、でもフリフリのワンピース姿になり、ふぁさあっとドレスの裾を不思議な光の風に
回せると、魔法少女衣装に変身して、クロスボウを手ににぎった。


「私を締め出そうたってそうはいかないからな」


魔法の弩弓を扉の、閂部分があるであろう箇所に突きつける。


「魔法少女の力をみせてやる」


とルッチーアは怒った声だして呟き、クロスボウの引き金をひいた。


バシュ!


どっかーん。

扉は大破した。


木の扉は蝶番ごと外れ、閂は吹っ飛び、多量の砂埃が部屋に舞った。

扉は部屋の奥へとふっとび、倒れ、使い物にならなくなった。



「へえっ!?はあっ!?」

あまりの爆発音に円奈が飛び起きた。

「なに?なんなのこれ!」

破壊された扉を見下ろし、ピンク色の髪と瞳をした少女は驚愕している。


ルッチーアは破壊された扉を長靴で踏みしめ、部屋に入ってきた。


クロスボウを両手に構えながら、変身姿のまま部屋に登場する。

そんな魔法少女姿の彼女は室内の夜霧に砂埃が舞うなか、ニカリと笑い、口を開いた。「戻ってきたぜ」



「戻ってきたぜじゃないよルッチーアちゃん!」

円奈は慌て、ルッチーアが初めて魔法少女姿を円奈に披露したことなどはお構いなしに、彼女の顔の傷を
心配した。

「傷だらけだよ!どうしたの?外でなにしてたの?これ、ひどいよう!」


円奈は、ルッチーアの前であたふたするばかり。たまに曲げた指をくひぢるにあて、がたがた震える。


「だから、ちょっと正義の魔法少女をしてきたんだってば」

ルッチーアはクロスボウを手から落とし、目を閉じると、答えた。


「よくわかんないけどどうするのこれっ!?」

円奈はルッチーアの話よりも、扉のことを気にしていた。

「部屋がめちゃくちゃだよ!これ戻せるの?もう…」

円奈が呆れた声だし、壊れた扉を調べ始める。

「どうやって修理するんだろう…」


「なんだよもう!」

するとルッチーアはかんかんに怒った。

「感想なしか!」



「はっ?」

円奈が、きょとんとして、大破した扉を調べていた視線をルッチーアにむける。

その目が変身姿のルッチーアを見る。


「だから、」

顔を赤くさせたルッチーアが、地団駄ふみながら、大きな声をだす。

「私の変身姿をみた感想はなしか!」


「なに?……あ」

初めて円奈は、ルッチーアが変身している衣装であることに気づいた。

まじまじと見上げる。


「……」

無言でルッチーアも円奈を見返す。鼻筋赤く染めて。目に涙溜めて。

円奈の視線をかんじつつ。

わずかに緊張して、魔法の衣装の裾を手でぎゅっと掴んだ。


「く……」


「く?」

ルッチーアが聞き返す。


「黒い、ね…」

円奈は、相手がなにか期待しているとき、どう答えたら相手が喜ぶのか知らないで育った少女だった。



「ああもう!」

ルッチーアは悔しそうにダンと足で地面を踏む。

「なにさ!もう!このとんちんかん!」


「なんかよくしらないけどこの扉、どうするの!」

円奈の関心事は扉にもどった。

「もう…魔法少女ってすぐなんでも壊すんだから…」

大破した扉の蝶番、板の破片、繋ぎ合わせる折れた釘などを手元に集めだす。



「…」

ルッチーアは無言で扉のことを丹念に調べる窓円奈を見つめていた。


だんだんそれが怒りの顔に変わってきて、とうとう我慢できなくなって、叫んだ。

「このバカ!」


すると今度は円奈がむっとする番だった。

「バカってなに!」

口を尖らしてルッチーアをみあげる。

「扉壊したルッチーアちゃんのほうがバカだよ!こんなのダメだよ!」


「しるかバカ!円奈のバカ!私は魔法少女なんだぞ!他に同類なんていないんだぞ!」

ルッチーアは円奈に背をむけた。

「……この大バカやろう」



「なんでわたしがバカにならなくちゃいけないの!」

円奈にはさっぱりわからない。

「いきなり部屋飛び出して、戻ってきたら扉を壊して。なんでそれで私がバカにされなくちゃいけないの?」

「それはあんたがバカだからだ」

「ああもうぜっぜんわからないよ!今日のルッチーアちゃん変だよ!」

「変ってなんだ!変で悪いか!魔法少女なんかみんな変だ!あんたら人間からみたらそうだろうよ!ついでいうと
あんたはバカだ」

「だから、それなに!」

あーだこーだ口論がはじまる二人。

「この扉どうするの?魔法で修理できる?」

「できるかそんなこと!」

ルッチーアは大声で叫ぶ。

「そんなことできたら、ギルドの職人、いらないだろ。ほらみろ、アンタはバカだ」

「な、なに、それ!?」

相手の理不尽な論理に腹を立てる円奈。



「魔法少女ならなんでもできると思いやがって!」

先にルッチーアが言った。

「そんなインチキな存在じゃない!なかにはできるやつもいるだろうけど、私にはできないんだよ!」


「じゃあなに、直せないのに、壊したの?」

円奈の険しい目がルッチーアを睨み、言い返す。

「そんなルッチーアちゃんがバカだよ。宿屋の主人に見つかったら?私たちどうなるの?」

「しるか、ノックしてもあんたが扉を開けてくれないからだ!」

ルッチーアと円奈の口げんかは、とどまることをしらない。

「私を締め出そうとしたな!だがそうもいかないからな!」

「私、寝てただけだってば……夢みてたの!」

「へえ…夢?どんな?」


「うるせえんだよてめえら!」

いきなり隣の部屋の客人が、扉の壊れた入り口からぬっと顔をだして、二人にむかって怒鳴った。

「静かに寝ろ!こっちまできこえてんだよ!こんな深夜になに喧嘩してやがる!
なんで静かにできねえんだこのじゃじゃ馬ども!眠れやしない!」


「じゃじゃ馬だと?」

変身姿のルッチーアが客人の男を睨む。


「このくそったれ!人の眠りを邪魔しやがって!頭にくる連中だ!」

隣の客人は怒鳴り散らしてくる。

その口は止まらない。

「俺は旅人として、隣に泊まってんだ!明日からまた商人と隣町にでるんだよ。
なのに夜漬けできいきい喚きやがって、おかげで頭が痛くてしょうがねえ!」


ルッチーアが男に近づいた。



円奈はすぐに嫌な予感がした。


「わるかったねそれは」

ルッチーアは男のすぐ前にでる。


すると男はルッチーアの変身衣装をみつめた。

ツインテールというこの時代にはほぼありえない髪型も。

「なんの道化だそりゃあ?」

男は目を丸めて、奇人をみるような目をルッチーアにむけ、また怒鳴りはじめる。

「さっさと口喧嘩を終わらせろクソ女ども!きいきい喚きやがって猿が!俺はいますぐここで寝たいんだ!
てめえらの声きいてると頭がむず痒くなる!」

といって頭をわしゃわしゃとかきむしる。


「あんた、魔法少女って知ってるかい?」

ルッチーアは男にたずねる。

「魔法少女?」

男が変な顔をする。「どこの売春宿だそりゃあ?」


バシッ。

「うごっ!」


ルッチーアは男を殴った。男は気絶してのびた。


「喧嘩を売っちゃいけない相手のことさ」

ルッチーアはのびた男を見下ろして告げた。




そして部屋に戻る。


円奈が、問いかけてきた。「あの男の人は?」


「うん?あいつ?」

ルッチーアは振り返ってのびた男をみる。円奈のほうにむきなおって、肩すくめた。「そこで寝たいんだとよ」


263


円奈は扉の修理をあきらめた。

はあとため息つくと、蝋燭に火を灯し、テーブルの皿にたてた。


「こんなに傷だらけになって…」


円奈はテーブルの前に正座して座り、その隣にもルッチーアが座っていた。


テーブルを囲う二人。


ルッチーアは変身姿のままだった。解くタイミングがなかったからだ。


円奈は蝋燭をたてると、その火の明かりを便りに、ルッチーアの顔の傷を確かめ、まじまじ見るのだった。


「いったい何があったの?」


「魔法少女にはよくあることさ」

傷だらけの顔のルッチーアは、円奈とは目を合わせない。まだ、不機嫌だった。


「そうかもしれないけど……私になにもいわずに…」


「正義の魔法少女してくるっていっただろ」

ルッチーアはそっぽ向く。「それに、私はもう自分の好きなように生きるって決めたんだ。これからは……
帰る家もないしね」

「…」

円奈はなにもいわなくなる。

そっと、荷物袋から、ナプキンをとりだした。


静かに身を乗り出し、ルッチーアに近づいて。

ルッチーアの顔についた血をふきとった。

頬についた傷跡から滲み出ている血を、ナプキンにふきとる。


「そのナプキンはなんだよ?」

頬をナプキンに撫でられながら、ルッチーアは嫌そうに、たずねた。


「もらい物」

円奈が答える。



「椎奈さまってやつの?」

ルッチーアは不機嫌な顔のまま、訊く。


「ううん。これは、漁師の女性から」


「なんだそれ?」

うわずった声をだす。


「たまたまね、都市の噴水でしりあって…その人は、やみい…あ」

女の人との約束を思い出し、慌てて言いなおす。

「一緒に水を汲みにきてて…そしたらナプキンをくれたの」


「ふーん…まあいいけど、さ」

ルッチーアの顔から血が消え、きれいになってきた。


円奈は、ルッチーアの変身衣装にも滴り落ちた血の滴をナプキンにふきとる。


不思議な材質だった。


円奈の触れたことのない、ビロードの素材であった。


二人はとりあえず、大破した扉を立て、応急処置的に壊れた入り口に寄せておいた。


もちろん蝶番が外れているのだから、もう扉としての機能がなく、大きな板を開口部に立てかけて置いている
だけみたいな状態。


閂もはずれて、部屋を守れない状態。

外側の廊下の人が蹴ればまた扉が部屋に倒れ落ちてくるような状態。


男は廊下でのびたままだ。


完全に放置されていた。



「明日はジョスリーンさんの準決勝と、決勝戦の日なのに…」

困ったように円奈はいう。

「ルッチーアちゃんがいなかったら私やだよ…」


「ふん、そう」

ルッチーアは鼻をならす。


「私もう一人で紋章官できる自信なくしちゃったもん…」


「明日はせいぜい、準決勝でトマス・コルビル卿とあたらないことを祈ろうじゃんか」


ルッチーアはいうと、その場でたちあがって、寝床についた。



ついて、変身したままの自分を思い出し、部屋を一度でた。


壊れた扉を横にどかし、廊下へ。


「みるなよ」

ルッチーアは念押しし、廊下のむこうで変身を解いた。

そして部屋にもどってきた。


「ねる」

ルッチーアは寝床につき、毛布を頭までかぶった。



円奈は血だらけになったナプキンをみつめ、これをどうしようと悩んだ挙句、テーブルに置いて、
乾かせることにし、自分も寝床についた。



明日は、ジョストの決勝戦だ。

今日はここまで。

次回、第34話「馬上槍試合大会・五日目 準決勝」

a

第34話「馬上槍試合大会・五日目 準決勝」

264


円奈とルッチーアが一悶着していたころ、アデル・ジョスリーンは。


明日の決勝戦むけて、寝床につこうとしていた。



円奈たちには見せていないが、そのリンネルの下着の下には、体のあちこちに包帯を巻いている。


包帯には鎮痛剤が含められていた。

鎮痛剤の薬剤は、たとえば酢とクロッカス油の混合液などである。そこに樹脂からとった
乳香液もふくんだ止血圧迫包帯を、使っていた。



五日間連続する馬上槍試合の度重なるジョストの対決で、身はぼろぼろだった。


胸にも、肩にも腕にも包帯を巻く。




ジョスリーンの家系は裕福な、都市を治める騎士の家系だったから、その部屋も豪華であった。


寝床は天蓋ベットだし、蝋燭の燭台も豪華。装飾にこった銅合金製の燭台で、三脚タイプ。


壁は石造りだが、一流の石工屋がたてた石造りの部屋は、でこぼこがない。

隙間風も入らない。


そのほか、鏡台、棚、チェス盤、ウールの絨毯。

多くの衣装、つまりは青のビロード上着などの衣装をいれる衣装収納箱、金具つき長持、櫃。



鳥籠のなかには鷹が飼われている。


狩りで獲物をしとめた猪の皮をなめして、壁際にかざったり。

大きな猪で、かつての狩猟で、鷹をつかって追わせ、犬も駆使して、最後にはジョスリーンが自ら槍でしとめた
猪だ。

騎士をめざすたる者、猪や狼を、自らの力でしとめなければならない。




壁際の紋章を描いた掛け軸は、金色の鷹が描かれ、赤色の生地のなかで翼をひろげている。

口ばしをあけ、獰猛さを示している。



ジョスリーンはさっきまでの父親との会話を思い出していた。

今は寝静まった部屋だが、ついさっきまで、ここでジョスリーンは父と口論していた。


父は明日のジョスト準決勝出場に猛反対してきた。



「いつまで騎士ごっこしているのだ」

さっきまだこの部屋にいた父親は、ジョスリーンにそう問い詰めてくる。

壁際にもテーブルにも、蝋燭の火が燃えている。

もちろん、このくらいまんべんなく蝋燭の火を燃やさないと、明るさが保てない。


「ジョスリーン、いま都市で開催されている馬上槍試合に出場しているそうだな。今日もでたのか?」


ジョスリーンは無言だ。


「ジョスリーン!」

父親は彼女の衣服をかってに取り去り、包帯に巻かれた半裸を露にした。


ジョスリーンが怒った顔をした。

「父上、いくら肉親でも、こんなことは娘にしてはいけません」

剥がれた衣を元にもどす。

しかし衣のなかの、包帯だらけの体は、父にみられた。


父はアデル・ヴァイガント。

アデル公爵の第二子。

「婚姻前にこんな、体に傷をつくりおって!」


父親は娘の非難を無視はしたが、また衣をきちんと着せなおした。その動作には愛情がおこもっている。

「よいか、ジョスリーン。女は騎士にはなれん。いままで騎士ごっこするのはまあ許してきたが、
模擬でない馬上槍試合に参加することは禁じたはずだぞ。どんな手をつかって紋章官を召したのはしらんが──」


父の厳しい説教がはじまる。


「都市開催の槍試合は野蛮だ。おまえの身に何があるかわからん!」


「父上、模擬試合の経験だけでは実戦にでれません」


ジョスリーンは反論する。


「実戦などとんでもない!」

案の定父親は怒った。

「明日の試合にはでるな。お前を明日一日、この部屋に閉じ込める。いいな?明日の馬上槍試合は棄権しろ。
騎士になるなんて夢はやめろ。もっと自分を大切にするのだ」


ジョスリーンは押し黙る。

天蓋ベットに腰掛けて、蝋燭の火のゆらめきをじっと瞳に映してみつめる。


金髪の豊かな髪がベッドに流れておちる。


「自分を大切にしろと仰るならば、私の意志も大切にしてほしい。父上」



「ジョスリーンは、お前はまだ若いから、」

老いた父親はいう。

「そうやって騎士をめざすなどといって、非日常的な夢物語に憧れているにすぎないのだ。そのうちわかるだろう。
だがわからないうちは私のいうことを聞け」


「メッツリン卿と結婚しろと仰るのですか?」

ジョスリーンは父親に翠眼をむける。

「それで私に騎士をやめて、女になれと?」


「お前の幸せだ、それが」

父親は諭す。

「メッツリン卿には地位も名誉もある騎士だ」


父親はすると、ジョスリーンの隣に腰掛け、ベッドそばのチェス盤の駒に触れた。


「おまえがめざしているのは”騎士(ナイト)”だが───」


チェス盤の白い、馬の頭を象った駒を手に取り、盤上を二歩ほど、進める。


「メッツリン卿の求婚を受け入れれば───」


父親はチェス盤に並んだ駒のうち、クイーンの駒を、騎士(ナイト)の駒よりも前に進める。


「”クイーン”になれるのだぞ」



「そんなうまい話にはのりませんよ、父上」

ジョスリーンはチェス盤を眺めながら顔を横にふる。


「騎士道物語の貴婦人は自由で、気高いですが、現実がそうじゃないのは、私でもわかっています」


父親は悲しい目をする。


「私の友人は、みな結婚して、いまや立派な”鼻まがり貴婦人”です」


鼻曲がり貴婦人とは、男の暴力に振るわれた貴婦人を指す言葉だった。

と同時に、騎士道物語に描かれているような、貴婦人に忠誠を尽くす男の騎士としての理想像と、
現実との違いを揶揄する言葉でもあった。


つまり、短気な夫に顔を殴られすぎて、鼻が折れて曲がってしまった貴婦人の顔のことをいう。



「それがクイーンなのですか?」


ジョスリーンはいい、するとチェス盤のクイーンの駒をナイトの駒の後ろに倒した。

コロン…と、倒れたクイーンの駒がチェス盤の上をころげた。


「そういう現実がわかっているなら、お前にもわかるだろう」

父親は諦めず、優しい口調で説得をつづける。

「ただでさえそうなのだから、実戦の世界がもっといかに残忍なのかが」



「そんな実戦の世界で、戦う”少女”たちがいるんです」

ジョスリーンがその単語に口にすると、父は途端に、はあとため息ついた。

「そんなヤツらは無視しろ」


ジョスリーンは首を横にふる。

「彼女たちのために戦いたいんです」


「アイツらは人間とみてはいかん。悪魔か何かだ」

父親は厳しくいう。

「悪魔に魂を売った災厄どもだ」

声に怒りさえこもっている。


「父上、”彼女たち”に私たち人間は守られています」

ジョスリーンは反論する。

「かつて私も命を救われました」



「ならもうそれでよいだろう!」

父の声も荒くなっていく。

「なにもヤツらのために、おまえほどが、世の戦にでることはない。それにヤツらは、好きで国境で
戦を繰り返しているだけだ」


「本当にそうですか」

ジョスリーンの声は冷静だ。

「都市のなかに居場所をみつけられず、戦場へ追いやられてしまったのが本当ではないですか」


父はまた、ふうと息をはく。

困り果てたように首を横にふる。


「それが市民の望みだ。お前もわかっているだろう。お前も20を越えているのだから」


ジョスリーンは部屋の石壁を無表情になってみつめる。


「たしかに我らは”あいつら”に守られているらしい。信じがたい話だが……もうそれは市庁舎のだした
結論だ。魔法少女は」


ここで話題にでる”あいつら”の本当の名称をだす


「市民にとっては脅威なのだ。前も酒場を荒らしたヤツがいたそうではないか。それにあいつらはすぐに喧嘩する。
市民から被害苦情が市庁舎にあがった数を?」


ジョスリーンは無言のまま、部屋の壁をじっと虚ろに見つめている。

ただただ父の説得に、イヤイヤ耳を貸している、というように。


「あいつらに守られている、そこまでは本当だとしても、」


父はジョスリーンに訴えかける。


「同時に脅かされてもいる。それに喧嘩っぱやい連中なんだ。戦場にだすのが適任というものだろう」


ジョスリーンの眉がピクと動く。


「戦場に繰り出せば市民は安心する。ジョスリーン、ここは都市だ!市民を守らねば!」


父の声は必死だ。


「なぜ市民を脅かす存在に味方しようとする?」

といって、ジョスリーンの手を握る。



ジョスリーンはその父の手を拒んだ。

「父上は、わかっていないのです」

ジョスリーンは話し出す。

「彼女たちが、どんな想いで都市を生きているのかを。命がけで魔の獣と戦っているんです。
なのに、市民からは敬遠されるか蔑まれる毎日…都市のなかで、自分の居場所もみつけられず…いき続けるために、
ときには同じ魔法少女同士で戦わないといけない。そんな日々を生きているんです」



「そんなものは自業自得だ!」

父はあくまで、魔法少女には否定的な立場であった。

「自分で巻いた種を自分で被っているだけだ!この世界で起こっていることはなんだ?魔法少女の戦いに
巻き込まれる人間たちのどれほど多いことか?そういう時代なのだ!」

怒鳴る父の声は、いまやひときわ荒い。

「この都市に魔法少女不可侵という法律があるのは知っているだろう。これは、表向き、魔法少女の立場を
守るという法律だが、本質はちがう。狙いは人間と魔法少女の切り離しだ」


ジョスリーンの目つきが変わる。

わずかに瞳孔が開く。


「魔法少女を罵ってはいけない、傷つけてはいけない…その法律があれば、魔法少女に近づこうとする人間は
いなくなる。それだけで犯罪になってしまうからだ。人間を守るのがこの法律の本当の意図だ!だが
バカ正直に、人間を傷つけてはいけない法律を、魔法少女に突きつけたら、あの連中はまた、暴れるだろう。
だからこんな遠まわしな方法になった。あいつらの機嫌をとりながら人間を守らないといけない」


ジョスリーンの目に怒りがこもってくる。


「この法律で、魔法少女はギルドにでれなくなり、都市社会からははじき出される。だがこれは人の世間を守るためだ」


「そうして居場所がなくなって、戦場へ駆りだされて行く…そういうことですね」


父は優しいものいいに戻った。「適材適所というものだ」



「そんな彼女たちの気持ちを考えたことはあるのですか?」

ジョスリーンは父とはちがい、魔法少女に味方する立場をとる、女騎士だった。

「戦場へだされていく彼女たちの気持ち…世間から弾かれて、魔の獣と戦うことでしか都市に存在できる
意義がない……悲しすぎます」


「修道院で傷をなめあっていればよいだろう」

父は呆れたように言葉を吐いた。


「父上、もしその法律が人間と魔法少女の切り離しなのであれば」

ジョスリーンは天蓋ベットを起き上がった。


その翠眼には強い意志が宿った。


「私はその橋渡しになれる騎士になりたい」



「ジョスリーン、おまえは”あいつら”に心酔しすぎだ」

父の声にはいよいよ、諦めと呆れが含まれはじめていた。

「そうやって魔法少女に憧れて心焦がして、その存在に近づきたいだけだろう。その年頃じゃあ仕方ない。
夢物語がどうせ好きなだけだ」


父は娘との議論をうちきって、自ら部屋の扉へむかった。


そして出口の扉に手をかけつつ、背中だけで告げた。


「前もいったように、お前を明日、この部屋に閉じ込める。明日のジョストは棄権扱いするよう手配する。
結婚前にお前の身に傷がついてはならん」



バタンと扉がしめられ、その奥で、鎖の結ばれるジャラジャラという音がした。

ここは三階。



出口は一つだけ。


窓から出ようとしたら大怪我するだけだ。



ジョスリーンは明日、どうこの部屋を抜け出してジョストの六回戦、準決勝に出るか考えをめぐらせた。


鹿目円奈と、ウスターシュ・ルッチーアとともに。

決勝戦まで出るための方法を。




考えた。

265


次の翌朝がきた。


宿屋で目を覚ました円奈とルッチーア二人の朝は、口論からはじまった。


「もうすぐ宿主人がくるよ!」

円奈は頭を抱えている。

「この壊れた扉をどう説明したら?」


「そんなこと自分で考えろよ」

昨日と一昨日と同じ服のルッチーアは円奈を指差す。

「あんたのせいで扉がこうなったんだから。自分で考えろよ」


「なんで私のせいなの!」

こんな調子で二人は朝っぱらから喧嘩していた。

「人のせいにして!」


「だってあんたが鍵しめたまま私を締め出すからだろ」

ルッチーアは昨日のことを指摘する。

「だから私は扉を壊した。もとはといえばあんたが扉をあけないせいだ」


「はあ!?なにそれ!」

円奈は相手のメチャメチャな理屈に唖然とする。

「誰がどう考えたって、ルッチーアちゃんのせいだよ!それに、廊下で男の人ものびてるし……
あれもルッチーアちゃんのせいでしょ!」



「なんだよ円奈まで魔法少女を悪者にして!」

するとルッチーアはすねてしまうのだった。

「私がそんなに嫌か!」


「だから、そうじゃなくてね……はあああ、もう」

大きくため息ついて、額を手でおさえる。

「どうしたらいいの…これ…」


「あいつ、昨日私の変身姿みて道化つったんだぞ!魔法少女が売春宿のどうとかいったんだぞ!」

ルッチーアは一度怒り出すと、もうなかなかとまらない。

「なのに私が悪者なのか!バカ!円奈のバカ!」


「ああもうわかったよごめんね!」

わけがわからず円奈はとりあえず謝る。

「とにかく、ジョスリーンさんが待っているから……部屋をでようよ」


二人がでるためには、出口を塞いでいる破壊された扉の板をどかさないといけない。


「ああそうだね。そうしよう」

ルッチーアは扉の両端を持った。


「壊さないでよね!」

魔法少女が扉をもちあげると不安になる円奈だった。

「振り回したり、投げ飛ばしたり、折り曲げたり、しないでよね!」


「するかそんなこと!どこまで私を乱暴だと思ってるんだ!」

ルッチーアは怒って、叫び、腕に力をこめた。

するとバキと音がなり、手にもたれた扉の中心に亀裂がはしった。


「ほら!それ、やめてってば!」

慌てて円奈が制止する。

「扉こわさないで!力ださないで!」


「なんだよもう!人がせっかく扉もってやってるのに!」


「扉もってやってるなんていわれたの、はじめてだよ」


「はあ?なんだそれ!」

ルッチーアは扉を壁のよこにたてかける。



すると出口が開いた。


二人とも荷物をまとめ、宿の出口へ。


駆け足で廊下を走り、一階へくだる。


「お世話になりましたー!」

と宿主人に声掛けして、さっそく外の街路へ飛び出そうとした円奈とルッチーアの二人だったが。

「まちな!」

宿の女主人に二人は呼び止められる。


二人ともピタと動きがとまる。


気まずそうに汗流した円奈とルッチーアが目線同士を交し合う。



「このままでていけると思ったか?」


女宿主人の目は怒りに光っている。


「もどれ。昨日てめーらがつかった部屋にだ」


円奈とルッチーアは、二人同時に額の汗を腕でぬぐった。

そして、二人ともふうと諦めの息をついた。

266


「昨日随分大きな音がしてね」

野次の主人は二階へとのぼる。

円奈とルッチーアの二人が階段を昇りながら、落ち込んだ顔をしている。


「あたしは目が覚めたのさ。まったく驚いたね!」

主人は蝋燭を灯した燭台を手に持ちながら、ぐちぐち呟く。

「扉が吹き飛んでるんだから。驚くなというほうが無理さね。そう思わないか?あんたらも?」


ルッチーアと円奈は、女主人のその一言一言が、耳に痛くてたまらない。



馬上槍試合の準決勝に遅刻ができないのに、宿を出たくても出られない。


女主人は階段の手すりに手をかけつつ、直角の階段を曲がって、蝋燭立てを手元にもって、二階の廊下へきた。


そこには、扉のついていない入り口があった。


「これはどういうことだい?」

女主人は静かにたずねてきたが、その音色の奥底に眠る怒りは烈火のごとしだ。

「なぜこの部屋には扉がないんだ?たまげたねえこれは!昨日まではあったはずなんだが」



「あーそれはですね」

ルッチーアが先に述べた。

「昨日、隣部屋の男が私らの部屋に乱入してきたんですよ。そのとき外れて…」


「二度と私の宿屋にくるな魔法イカレ女!」

宿主人の怒りは爆発した。

「昨日の私の聞いたあの音が、そんな音だったわけあるかい。あれは爆発の音だ。大方魔法でも使ったんだろうよ!
私の宿屋をメチャクチャにしやがって!ええ?どう償いしてくれる?おまえさんの首でも差し出すか!」


ガッシヤーン!

思い切り床に叩きつけられる蝋燭台。とびちる蝋燭と火。金具。

女主人の怒声に、二人は圧倒されてあとずさる。ただただ呆然と、怒り狂う宿主人をみあげるだけ。


「ああそうさ処刑台につれていって、私が斧であんたらの首を切り落としてやる!え?どうだ?どうなんだ!
この壊れた扉をどう治すんだってきいているんだよ!」


「…」

無言の二人。


「この悪女ども!」

宿主人の顔は怒りに歪みすぎている。

歯も唇もいびつで、がなるたび唾が勢いよくとぶ。


「人ん家ぶっこわして平気な面しやがって!はねっかえりどもが!二度と私の宿の前をうろつくな。
あーまったく魔法少女って連中は頭にくる!このやるせなさ!どうしたらいいんだくそっ!あたしの
腹の虫がまったく収まらない!胸やけがする!」



ルッチーアはごそごそ、自分の服をまさぐった。

服のなかから金貨袋をとりだし、中身の金貨何枚かを女主人の手に握らせた。

「わるかったね」

魔法少女は逆上を抑えて、女主人の手に金貨を渡す。


「もう二度とこないよ。あんたが私に腹立てるのも、もっともだし。だからこれで賠償させておくれよ」


金貨10枚。


それは、扉の修理代なんかよりも、遥かに高価な、服だけ貴族になれてしまうかのような金額だった。


途端に女主人の目が驚きに瞠り、そして大きく丸めた目でルッチーアをみつめた。

その視線がじろじろと、ルッチーアの金貨袋、多量の金貨があるであろう布袋へといく。



「じゃあね」

ルッチーアは円奈をつれて女主人の横を通り過ぎる。


すると女主人はルッチーアの肩をつかんだ。


「またきてもいいよ!」

女主人はそういう。


「は?」

ルッチーアが振り返る。


「ええ、あなたなら、いつでも!ええ、あたしもちょっとやりすぎたね。いいすぎたよ。わるかったねえ。
いつでもあたしの宿をつかっておくれ。どんな使いかたでもいいさ、そう窓でも扉でもなんでも好きに
使いなさってくださいな!」


「いいよもう」

ルッチーアは女主人の手を肩から振り払う。「もうこないってば」


「いいよいいよ、いつでも気楽に使ってくださいってば!」

女主人はルッチーアをおいかける。


「都市の裏話、いつでも、またきてくだされば、なんでも話してあげるよ!あたしは
都市には顔がひろくってね。どんな話でもしっているのさ。そう、たとえば、実はいま、
エドワード王子さまがこの都市にきてるって話とか……」


「もういいから」

ルッチーアは女主人を無視した。「これから槍試合があるから、失礼するよ」


「またきてくださいな!」

宿主人は喜びいっぱいの笑顔で、手を振った。「いい酒だすよ!」

267


二人は激烈な宿主人の見送りを受けながら、街路へ出た。



すでに馬上競技大会の準決勝と決勝戦を見物しようと市民が、急ぎ足で噴水の横を通り過ぎ、
木骨造の家々が立ち並ぶ街路を行き来している。



「このままじゃ遅刻だ急ごう」

ルッチーアは円奈の手をひっぱる。

「さっさくいかなきゃ、剣試合どころか槍試合まで棄権だぞ!」

円奈はルッチーアに手を引っ張られながら持ち出し構造をした木造の家々の街路を走る。


木造の持送り、斜めバッテンに張られた柱と、泥を塗り固めた壁…切り妻壁。古い建物群。


床は石畳で、真ん中部分がへこんでいる。


「足元に気をつけろよ」

ルッチーアは街路を走りながら、円奈に呼びかける。

「床の溝に気をつけな。糞を踏みたくなかったら」


「えっ?」

円奈がルッチーアに手を引っ張られ、前のめりになって走りながら、聞き返す。

「溝……に?」


「この時間帯、みんな糞を窓からここに投げ捨てる」

ルッチーアは走りながら言った。


まさにそのとき、家々の持ち出し構造をした壁の窓から、エプロン姿の女が顔をだして、バケツを傾けると、
その中身をばしゃあっと街路の床に流した。


それは悪臭放つ汚物であった。

二階の窓から地面へ投げ捨てられる糞尿。



「気をつけな、糞まみれになるぞ」

ルッチーアはふっとわらい、円奈にふりかえる。「都市じゃ汚物の処理は役人の仕事なんだ。農村みたいに
煮たりしないからね」


街路に流れ落ちた汚物は、だんだん、通路の真ん中の溝へと流れ、集められる。


円奈が唖然とした顔で、汚物まみれになる通路をみつめた。


「昔、こういう糞を掃除する魔法少女の友達がいたんだ」

と、ルッチーアは過去を語った。

「その人は掃除屋だった。誰もが目を背けた都市の汚れを取り払い、魔獣とも戦っていたんだ。
いま、エドワード城に雇われてるって。明日、そっちにいくんだろ。会えるかもれしないよ」


円奈は神妙な顔つきをした。


268


二人は準決勝開催の槍試合会場に辿り着いた。


「間に合ったみたいだ」

二人はようやく手を放した。


「いま、ヴィルボルト卿とコルビル卿が昨日の五回戦の続きをしてる。その勝者が準決勝進出だね」


「それはいいんだけど…」

円奈は何か思い悩んでいるみたいだった。

「ん?どうしたのさ円奈、準決勝になるってのに、浮かない顔して!」

ルッチーアが円奈の表情の変化にきづく。


「いや…宿屋の主人には悪いことしたなって…」

気弱な声でそう小さく呟く。


「なんだいそんなこと!」

ルッチーアは円奈の心配性ぶり、気遣いぶりに呆れてしまう。

「たんまり賠償してみせたろ?気にすることないさ!それにしても、お金っていいもんだねえ!」

金貨袋を大切そうにぎゅっと握り締める。

「こいつを振りまくだけで、人を幸せにできるんだぜ。みたか?あの女の幸せそうな顔!魔獣と戦ってる
よりよっぽど人のためになってる気がしてくる」


「うーん…」

円奈はあまり納得していない反応をしていた。

「なんか違う気がする……」


「違うもんか、あの嬉しそうな女主人の顔!一目瞭然さ!」

ルッチーアと円奈の二人はこうしてまた口論はじめながら、馬上槍競技場の入り口へ。


そこには、今までに馬上試合に参加し敗れ去った騎士たちが、準決勝・決勝を見物しに集まっていた。



敗退した騎士たちはさっそく、準決勝に勝ち進んだ女騎士の侍女二人(そういう設定で知られている)を
からかいはじめる。


「わっはっは、女騎士さまの紋章官のご登場だぜ。」


敗退した騎士たちが、円奈とルッチーアの二人をみてけたけた腹を抱えて笑い始める。



しかしこれは悪意や、恨みでからかっているのでなく、準決勝に勝ち進んだ女の騎士とその侍女たちへの
彼らなりの挨拶、敬意、愛嬌であった。



「アデル・ジョスリーン卿にあらせられまする!」

といって他の騎士もおどけた様子でテキトーなお辞儀をしてのせる。手をくねくね伸ばしてふらふら身体を
やらしながらお辞儀する。明らかなおちょくりだった。


「はっはっは。準決勝、がんばってくれたまえよ。」


他の騎士もいう。


もう彼らはジョストに参加しないので、甲冑を着ていなかった。ダブレット姿だ。


他国の大きな国の領主になると、もっと高級な服装で、ウプランドを着込む。腰元をまく、金メッキの施した
豪勢なベルト。

そこに鞘を差し、剣を治める。生足はさらさず、羊毛のタイツを履き美しく見せる。


立派な井出達の、領主たる騎士たちだ。



二人は敗退した騎士たちの猛烈にいやみったらしい歓迎を通り抜け、競技場へ。



そこにジョスリーンの姿はない。


「ジョスリーンはどこさ?」

ルッチーアがいうと、円奈もきょろきょろ、埋め尽くされた観客席のまわりを見渡す。

「みあたらない」

円奈は答えた。


「まさか!もう準決勝はじまるんだぞ!」

ルッチーアは焦る。いまここに、ジョスリーンがきてくれないと……。

私は……。




試合競技場では、すでにヴィルボルト卿とコルビル卿のジョストが、二回戦を終えている。



「0-4でゴルビル卿の優勢!」


審判の声が競技場で高らかにあがっている。



途端に、わあああああああっと沸き立つ埋め尽くされた観客席の熱気。


いつもに増した熱狂振り。



決勝戦まで開催されるから、今までで一番の盛り上がりになるのも無理はない。




「ジョスリーンはどこなのさ!」

ルッチーアは悲痛な声をあげ、目をぎゅっと閉じた。

「ジョスリーン!お願いだからきてってば!

269


そのころジョスリーンはまだ、家に軟禁されていた。


一つしかない出口の扉は外側から鎖をぐるぐる巻きにされ、塞がれている。


窓はあるが、部屋は三階。



飛び降りれば、ただではすまない。


それに、ジョスリーンの侍女一人が、部屋にいて、監視役を担っていた。



円奈やルッチーアという、ポッと出の侍女ではなく、長らくジョスリーンに仕えてきた侍女だった。

ジョスリーンの性格も言動もよくわかっている侍女だ。



侍女は、軟禁されたジョスリーンの部屋で静かに手を結び、じっと下をむきながら、丁寧に佇んでいる。



侍女はビロードのガウンを纏っていた。

赤色のガウンで、侍女いえども、かなり豪勢で優雅な衣服だった。


「レミア」

ジョスリーンは侍女の名をよんだ。


ジョスリーンはいまリンネルだけの下着姿で、ふつう男には晒さない姿だ。


「おまえまで、こんな部屋に閉じ込められて…」



鳥かごのなかの鷹が、けーっと鳴き声をあげた。


鋭い鉤爪を鳥かごのなかの枝にのせて、二人のやりとりを鋭い眼で見守っている。



「私はよいのです」

侍女は丁寧な姿勢で佇んだまま、伏せ目のまま答えた。

こういう目線をするのが侍女の主人に対する礼儀作法であった。


「お嬢様の身のためであれば…」



ふううう、ジョスリーンは深い息をつく。


それから侍女の説得を試みはじめた。


「レミア、わたしの性格を知っているだろう。こんなこと好きじゃない。私にこんな……」

「ええ。わかっています」

侍女は小さく微笑み、伏目になりながら、言った。

「お嬢様は、女らしい礼儀作法を習うのが、幼い頃から嫌いでしたね。いつかご結婚なさる騎士の方に
無礼のない礼儀作法を…」


「そんな言い方やめてくれ!」

ジョスリーンは侍女の話を遮る。


閉じ込められた部屋のなかをせわしなく行き来する。

「私はいま結婚する気なんてないんだ。というか、父が勝手に決めてばかりだ。レミア、
もうすぐ馬上槍試合の準決勝があるんだ。お願いだ、部屋を開けてくれ。私に試合へ出させてくれ」


「できません。お嬢様」

侍女の視線は下向きで伏目だが、声はきっぱりしていた。

「私もあなたも共にこの部屋に閉じ込められているのです。私にこの部屋を出る手段は持ちません。
あなたも同じです。お父様は、あなたの身を案じて…」


「私の身を案じているのではない。一族の顔を案じているだけだ!」


ジョスリーンは怒り出す。


「私が結婚さえすれば、あとはどうでもよいのだ。一家の顔さえ保てればそれでよいのだ。そして私は
鼻曲がり貴婦人になってしまうよ」


この時代、夫の騎士によって貴婦人はいつもひどい暴力にさらされていたけれども、それでもまだマシなほうで、
実は一番悲惨なのが侍女と召使いの女たちだった。



というのも、鼻曲がり貴婦人は、男に暴力ふるわられても、逆らえないわけで、男に仕返しはできない。
離婚を申し出もことさえできない不自由さだ。

そこで貴婦人は、普段夫の暴力によって溜まりに溜まる鬱憤を、侍女や召使いの女に当り散らした。


櫛で髪を梳かすとき、ちょっと櫛を髪にこんがらせるだけで、貴婦人は発狂したように侍女に怒鳴りちらし、
キイーッとヒステリックになって、のびた爪で侍女の顔を引っかいた。


侍女の顔は血だらけになった。

すると今度は侍女に鬱憤がたまって、侍女は召使いの女に当り散らした。


皿の洗い忘れ、食器の運び忘れ、いつも位置に戻さない、挨拶が不器用、伏目で話さない…ちょっとしたミスあるたびに
侍女はそれはもう陰湿に召使いの女をいじめ抜き、雇用の辞退者を続出させた。



今も昔もそれは、同じであった。


ジョスリーンの家ではそういう陰湿なことがなく、主人と侍女の関係は良好であった。


それはジョスリーンが、いまのところ、結婚することもなく、自ら騎士になると決め込んで一家の家系の
騎士たちと模擬の槍試合と剣試合に明け暮れているからであった。



「もうすぐ私は本当の騎士になれるんだ」


そんな、こんな時代には珍しく良好関係にある主人たるジョスリーンは、侍女に懸命の説得を試み続ける。


「私の夢が叶う。わかってる。私一人で戦場に赴くなんて無謀だ。だが、魔法少女と共に戦場にでれれば……」



「そんなこと、お許しになれませんよ、お嬢様」


侍女は平静さを乱さず、現実を主人に伝える。


「あなたは大切な一家の子女です。婚姻前にお体に傷なんてつけるわけには」


「お願いだ私を部屋から出してくれ!」

ジョスリーンはもう、そう頼み込むことしかできない。

「棄権なんて不名誉だ!こんなのあんまりではないか!準決勝まで勝ち進めたのに!」


侍女は心を揺り動かさない。

「それでも、いけません」


「…」

ジョスリーンの頭に血が昇ってくる。


部屋を見回し、扉を破壊できそうなものはないかと見回した。

椅子、鏡台、衣装箱、テーブル、燭台、壁に飾った剣、なめした猪の皮…


いろいろあるけれども、それをさせないためにいまレミアが扉の前に立ちふさがっている。


扉をぶち破ろうとしたら、まず、この侍女も倒さないといけない。



ジョスリーンはさらに部屋を見回した。


ふと、青空から風が吹き込んでくる窓に、気がいった。


ふううっと部屋に舞い込んでくるやわらかな風。窓の外はひろがる真っ青な空。きれいな空。

三階から見渡せる都市に広がる空。



高さは、18メートルくらい。



都市の家々の赤い屋根と、市壁と、市庁舎の鐘楼やら修道院やらが一望できる、三階の窓。

外の世界をのぞかせる窓。


ジョスリーンは思いついた。


この部屋を脱出する方法を……。




それは、いまさっき侍女に”身を傷つけるわけにはいきません”の、まさに真逆をいく方法だった。



だが成功のためには、侍女の目を欺かないといけない。



「それにしても喉もかわいたし、空腹だ」


ジョスリーンは急に話題を変え、部屋を行き来しはじめた。


石壁の隅から隅へと。いったりきたり。


侍女の目が伏目ながらもそれを追う。


「朝からなにもお召しになっていませんもの」



「そうなんだ。軟禁されて。これじゃトーナメント試合に負けて捕虜になった囚人よりひどい扱いだ」


ジョスリーンはリンネルの下着姿のまま行き来する。

そのたびにふわりと、やわらかな素材の下着がゆれてそよいだ。

たまに、豊かな腰まである艶やかな金髪も、青空が見える窓から吹き込む風にふかれてなびく。


「朝食を用意してくれ、レミア。はちみつが食べたい」


「その気持ちは山々なのですが……」


侍女は申し訳なさそうに、伏目を深くさせて、俯くと答える。


「わたしもこの部屋から出れませぬゆえ。食事の用意は今日の私にはできません」


「では他の侍女を呼んでくれ。リリト、ヴィイ、クリアーノ、デンタータを呼んできてくれ」


アデル家は、たくさんの侍女を雇い入れていた。



そのうちでもジョスリーン好みの侍女の名を連ねて呼ぶ。


「今日はどうも晴れ空で、気分がいい。この部屋で盛大に朝食会を開こう」



侍女、驚いた顔をしてジョスリーンをみあげる。

上目で。



「朝に、ですか?しかし…」



「今まで遠慮してきたが、ビロードでも着てみようかな」


ジョスリーンは侍女に疑念が生まれるよりも前に、先手をうった。



すると侍女は途端に、驚いた顔を、嬉しそうにした。


「ビロードを?」


侍女の目が輝く。途端に、喜んだ声をだし、すっかり上機嫌になりはじめた。


「なんとすばらしい!」


侍女は感激に浸っている。

その場で飛び跳ねる。


「いままで”女のガウンなど!”と毛嫌いしてなさっていたのに!とうとうお召しになるつもりになったのですね!
やっとご自身の女としての美しさに気づかれたのですね!」


「ああ、まあ、そんなところかな…たぶん…」

ジョスリーンは適当に答えて、ベッドの隣に置かれた衣装箱に目をむけた。


この大きな衣装箱の中身には、青色のビロードの上着がある。


それは数ある貴婦人の衣装のなかでも最高級品だった。


なにせ青色である。


この時代の青色ビロードは、最も高価な染色原料をつかっていて、その専門の職人の腕も一流。


すなわち青色のビロードを召す貴婦人こそ、最も優美にして優雅なる貴婦人なのであった。


ジョスリーンはいままでそれを一度も着たことがなかった。


文字通り衣装箱のなかに封印され、お蔵入りしていた。


それを着てみようなどというのだから、侍女はすっかり嬉しくなり、ご機嫌だった。


「今日は記念日ですわ!」

侍女はさっそく扉にむかって、仲間侍女たちを呼び出す。

「やっと、お嬢様のビロード姿がみれるのですね!」



ダンダンダンと扉を叩いて、音をだし、大きな声で仲間を呼ぶ。


「リリト、ヴィイ、クリアーノ、デンタータ!朝食の準備を!お嬢様の部屋へ!」


侍女は扉に顔をむけて、叫んでいる。


もちろん、すぐには反応がないので、侍女は何度も扉に顔を寄せて、大声をだす。


「リリト!?クリアーノ!?聞こえてるの!?お嬢様に食事のご用意を!」



そんなふうに、扉むけて侍女が大声だしつづけているその背後で、ジョスリーンが、窓に足をのせていた。

まず片足から。


窓の天井を手でつかみながら、つづいてもう片足も、窓にのせる。




窓に乗りだすと、途端に視界に広がる都市の外観。

三階建ての高さに思わず足がすくむ。遥か下の地面を人々が歩いている。ここから見降ろすと人々が小さく見える。


だが、躊躇している時間はない。



「デンタータ!きこえてる?」


侍女はまだ扉にむかって話しかけている。「お嬢様がビロードをお召しになるんですって!」



ジョスリーンは窓から外側の壁へと身を這わせ、窓からでた。



三階建ての壁の、"コーニス"というわずかな出っ張りに足をかけ、壁にしっかり手をかけ、這うようにして窓から建物の外へ。

抜け出す。


私宅の窓の裏側へ。


一歩間違えれば転落だ。


ゴシック様式の修道院や、市庁舎の鐘よりも高い、三階建てのジョスリーン宅の外壁を、窓から抜け出して這う。

慎重に慎重に足を横にすすめ、ぴったり密着ひっつきながら外壁を移動をする。


「これじゃまるでアサシンだ」


ジョスリーンは自宅の外壁にしがみついて、這い進みながら、まいった様子で呟いた。「実在するかはしらないが」


その顔は真っ赤だ。


あまりの緊張と、恐怖で、体は震え、血はどくどく巡り、命がけの脱出作戦を遂行していく。



空に晒され、外気にあてがられながら、壁を這う。


5インチもないわずかな出っ張りに足を掛けながら。ずるずると足を慎重に動かして。


路上から見ればそれは、三階建ての石造住宅の外壁を、一人の女性がへばりついて這っている状態。みるからに危険だ。



思わず下を見下ろしてしまう。


自分が足をかけている壁際のわずかな出っ張りのほかは何もない。空気しかない。



遥か下に待ち受ける地面は石。石の地面。その高さは18メートルくらいか。



びゅううう!

激しい風がふきつける。


ジョスリーンの服と長い金髪がなびいてゆれる。


この風にのって、遠くの槍競技場のほうから波のような歓声がきこえてくる。


恐らく、トマス・コルビル卿が活躍しているのだろう。


次は自分の番だ。


「なのに、なんでこんなことをしているのだ、私は」

外壁に張り付きながらジョスリーンは毒づいた。


ジョスリーンが足をつけて外壁を這っている出っ張り部分は、構造上"コーニス"と呼ばれる水平の突出部分だった。

しかし、こんな箇所を足場にして外壁を渡るなど、ニンジャでもアサシンでもしないことだ。




その頃ようやくレミアが仲間侍女たちを呼んで、食事の用意をさせて、ジョスリーンの部屋に侍女たちを招きいれた。

だがそこにジョスリーンの姿はなかった。


「…お嬢様?」

レミアはジョスリーンの名を呼ぶ。返事はない。気配もない。


窓からはやわらかな風が吹き込むだけ。


主人は部屋から消え去った。



「…やられましたわ!」


途端に顔を青ざめさせて、侍女たちに命令をくだした。


「すぐにおじさまにお伝えして!」


まさか壁の外側にいるとは侍女は思い至らなかった。

そして仲間の侍女の一切が慌てふためいてジョスリーンの部屋をでると。




レミアは、悔しさのあまりに、きいいいっと歯軋りして、手にとったナプキンをブチンと真っ二つに裂いた。

ナプキンは無残にもただの布切れになってしまう。


この時代の侍女は、やっぱり、ヒステリックを起こしやすかった。

270


ジョスリーンは家の外壁を這い続けた。


それはあたかも端からみると大の字になって、壁に這いより、ズズズと地味に横向きに
なって進むかのよう。



家の端までくる。


すると、ジョスリーンは覚悟をきめて。


ぎゅっと目を閉じ、深呼吸したあと、がたがた震える身に鞭うって。


「はあああっ!」


と大声だして、隣の家の屋根へと飛び移った。


貴婦人のからだが一瞬、都市の空を舞う。



一瞬、ものすごい逆風がジョスリーンの身を包み、心臓に穴があいたようなヒューっという感覚が全身に走る。


それがあまりに恐ろしくて、ジョスリーンは目を閉じた。


次の瞬間、衝撃。


ドタ!


体が隣家の赤い屋根にはりつく。


切り妻屋根は三角形で、急勾配だ。ズズズとジョスリーンの体がずり落ち始めたので、あわててジョスリーンは屋根を
掴んだ。


そして急勾配の切り妻屋根をのぼる。

両手両足を、蜘蛛みたいにつかって、這い登る。懸命に這い登る。おちたら大怪我だ。

とても、身体を大事にしろと伯爵の父から説教を受けた貴婦人の行動とは思えない。


赤い三角形をした屋根を懸命に登り、折り返し点にくると、逆に屋根をくだる。



都市に長いこと暮らしていたが、屋根から隣の屋根に飛び移るなんて初めての経験だった。

それに屋根に立ってみえる都市の景色も、自分のいつも知っている都市とはまるで違ってみえた。



青空がひろがり、都市のごちゃごちゃに乱れ建った家々が、城郭のなかで迷路のように連なっているのが
一望して見渡せるのだ。


そのなかでも市庁舎やゴシック建築の尖塔が特に高くて目立つ。都市を囲う第一市壁と第二市壁が、ぐるりと
眺められる。

囲壁のなかに立ち並ぶ建物と家々の数々。川とレンガ橋。眺めは、すばらしかった。



それにちょっとした感動を覚えるジョスリーンだった。


「だがそんな場合じゃない」



ジョスリーンはこうして屋根から屋根へと飛び移り、馬上競技場を目指した。


急勾配の屋根を降りるときが特に恐ろしかった。



屋根を降りて体をずり下ろすと、そのまま地面に落っこちてしまいそうになる。


それをこらえ、屋根を降りるとき手で体を支え、ゆっくりとずり落ちながら屋根を降り、するとまた家の
赤い屋根から屋根へと、飛び移る。


ジョスリーンは魔法少女じゃない。

生身の人間だ。落下すれば大怪我する高さの家々の屋根と屋根とを飛び移っているのだ。

271


「遅すぎるぞ!」

いっぽう、馬上槍試合会場。

都市開催の選手権、トーナメント五回戦。


ついにヴィルボルト卿とコルビル卿の対決は、三回戦へ。


円奈とルッチーアは二人、主人の登場を待っていた。


とくにルッチーアは歯軋りして、いらいらと、ジョスリーンの遅刻に苛立ちを露にしている。



だがそんな二人の心配を吹き飛ばす出来事が、ここ馬上槍競技場で起こった。



それは、いまジョスト三回戦へと臨もうとするヴィルボルト卿とその従者たちの会話から、はじまった。


「トマス・コルビルめ!」

ヴィルボルト卿はぜえぜえ息をはき、汗だくになりながら、文句を垂らす。

「まるで歯がたたん!なんて強さだ!」


いま、ヴィルボルト卿とコルビル卿の差は4点差。普通4点差ついたらジョストのルールでは勝ち負けが
ひっくり返らない。


それでも相手に一矢を報いるとすれば、相手を落馬させることだ。


「落馬させてやる!」

ヴィルボルト卿はやはり、そう考えていた。

「そうすれば私の名誉は守れる」



次の試合のために待機している円奈とルッチーアの二人が、なんとなくそのやり取りを聞いている。

この普通にみえる騎士と従者の会話は、しかし驚愕の会話へと変わっていった。


それは、相手側の騎士の偵察にでていた、もう一人の従者が、顔を青ざめさせて慌てて駆け戻ってきた
ときに発せられた言葉だった。

偵察役は本来、何食わぬ顔して相手側の騎士のそばに聞き耳たて、相手の作戦を盗み聞きする役目だ。


だが今回彼の偵察役は、相手の騎士についてとんでもない素性を突き止めてしまっていた。



「大変です!ウィルボルトさま!」

偵察役の従者はすっかり気を動転させている。

顔に焦燥がでている。



「あのトマス・コルビル卿ですが───」


従者は偵察に出て得た真実を告げる。「その正体はエドワード王子です!間違いありません!」


途端にヴィルボルト卿と従者たちに衝撃が走った。

はっ、という顔をして戦慄する地方諸侯たち。


「身分を偽って──」

ヴィルボルト卿の声が恐怖に震えている。「ジョストに出場しているのか?」



この会話を耳に挟んでしまった円奈とルッチーアにも衝撃が走る。



「なんてことだ、私は王家を落馬させようとしていたのか」

ヴィルボルト卿は絶望の声を吐き出す。

それから従者に合図をだした。「このままでは私は地位を失う。棄権させてくれ」


「はっ!」

従者は慌てて棄権用の白旗を持って、会場の入場門に掲げた紋章の掛け台へと躓きながらも突っ走った。




そんなことも知らず、審判は三回戦開始の合図旗をフィールドへ持ち出す。


それを下向きに降ろす。

これが振り上げられれば試合開始になってしまう。



従者はあわてて白旗をヴィルボルト卿の紋章にかぶせ、覆い隠す。

彼の紋章は白旗をかぶって、真っ白になる。これは、戦う意志なし、という表示だ。



おうううう。


観客席から野次とブーイングが飛ぶなか、お構いなしに従者たちは棄権の意を表明する。




すると対面のトマス・コルビル卿────白馬に乗った王子は、槍を従者に渡した。

彼はふうと残念そうにため息つき、エドワード城直属の従者たちと談じた。

「どうやら正体を知られてしまったらしい」


王家の従者たちは丁寧に頷く。

「そのようですね」



白馬に乗った王子は、相手側の、棄権を表明する地方出身の騎士たちのお辞儀を見る。


ふう、失望したように軽く息をはく。



「準決勝の相手は誰だ?」

王子はたずねた。

従者は答えた。


「都市の領主一家、アデル家の子女ジョスリーンです」


「子女?」

王子が態度を変える。


「はい。子女であるにも関わらず、騎士としてジョストに出場しています」

従者は自分の調査で得た正確な情報を丁寧に王子へ述べる。

「その紋章官は偽物です。アリエノール姫を護衛した騎士、異国出身の鹿目円奈が身分を偽って自らを
侍女と名乗っています。屋根葺き屋の魔法少女が偽った紋章官も連れています」


王子はその話をきくと、楽しそうに微笑んだ。

「身分を偽ってジョストに参加か」

王子は口元をゆるめながら呟く。「私と似たもの同士だ」


従者たちが互いの目を合わせあう。


「興味深い連中だ!」


王子は笑い、面頬のプレートを閉じると、準決勝へと出場した。

272


円奈とルッチーアは顔を固めて準決勝へと狩り出された。


「五回戦の試合はすべて終了、準決勝へと移ります!」


審判が高らかに宣言すると、一気に興奮だつ観客席の見物客たち。



円奈とルッチーアの二人が、途方に暮れた気持ちで、数百人の見物客たちの歓声の渦中に突っ立った。



「準決勝に勝ち進んだ騎士は四名!そのうち一人が優勝になります。準決勝の初戦は、アデル・ジョスレーン卿と
トマス・コルビル卿の一騎打ちです」



おおおおおおおおおっ。


アデル・ジョスリーン卿も人気、トマス・コルビル卿も人気。


今回の馬上槍試合で最も人気のある名物騎士たち同士の対決となっては、見物客たちの興奮も計り知れなくなる。


飛び交いまくる大喝采。大歓声。

ひゅーひゅーひゅー。わーわーわー。大勢の口笛とさわぎ声。

それがぐるりと囲む競技場の観客席の壮観。


女騎士のジョスリーン卿と、トマス・コルビル卿の絵を描いた旗とが観客席じゅうにはためく。

その数は百以上。


だれもがこの二人の一騎打ちを楽しみにしている。


注目の準決勝。


そんな真っ只中にたたされる円奈とルッチーアの二人。

「どうすんだよ?」

ルッチーアは途方に暮れたまま、なにもかも諦めたように声を漏らした。

「ジョスリーンはいないし、しかも相手の騎士の正体はエドワード王子……どうすんだよお」


どうにもならない、という顔をするルッチーア。


いくらジョスリーンが優勝をめざすといっても、相手が王家では文字通りどうにもならない。


王の実の子なのだ。

次期国王の候補。王位継承権の第一子。


そんなとんでもない相手とあたってしまった。



だというのに円奈ときたら、その事の重大さを露知らず、呑気のことを呟いた。


「すごーい…」

うっとり、小さな両手の指同士を絡めて、うるうるうっとり、乙女の目をしてトマス・コルビル卿をみつめている。

「白馬に乗った王子様……初めて見た……」



ルッチーアはコンと円奈の頭をついた。

「あいたっ」

円奈が痛がって我に戻る。


「そんな絵本みたいないい話じゃないっての」

ルッチーアはトマス・コルビル卿を指差す。

「その白馬の王子様が、ジョスリーンを叩きのめしてやろうって、いまジョストにきてんだぞ!
騎士は強さの順だ。つまりあの相手が一番残酷なんだよ!」



しかし審判は試合を進めてしまう。


「トマス・コルビル卿!準備はよろしいか?」


正体を隠した王子は槍をふりあげる。



審判は頷く。


「アデル・ジョスリーン卿!準備は?ん?」


審判は相手の騎士がまだ試合に現れていないことに気づく。


すると観客と貴婦人、騎士たち、審判の視線が、円奈とルッチーアの二人に集まった。



「う…」

二人の顔がひくつく。



「ジョスリーン卿はいないのか?」

審判が大声で二人の紋章官に呼びかける。

「それにしてもお前たちは、なにかと面倒ごとを起こすな」



はっはははは。

げらげら笑い出す観客席。


「いなければ棄権だぞ?」



審判にせままれ、答える言葉がない二人。

従者なのに、主人がそこにいないのでは、どうにもならない。どんな言い訳も無駄だ。


すると審判はふう、と諦めた顔つきして、旗をあげかけた。


「この試合、トマス・コルビル卿の不戦勝────」


「まて!」

どこからか女騎士の声がした。


間違いなくジョスリーンの声だ。


「ジョスリーンさん!」

円奈が顔をみあげる。

だが声はしたもの、姿が見当たらない。


円奈がきょろきょろあたりを見回す。



円奈だけではない。


審判も、騎士たちも、貴婦人も、観客席の誰もが、声のした方向を求めて首をきょろきょろ動かす。


「あそこだ!」

ルッチーアが最初に叫んだ。

「えっ?」

円奈が声をあげる。



ルッチーアが指を差している先は────。



なんと、”空”だった。



「ええっ?」

円奈が顔を見上げて観客席に囲まれた競技場の空に目をむける。


そこには、観客席の一番上の天井の屋根にドーンとたった、女騎士がいた。


「私ならここにいる!棄権はしないぞ!」

馬上競技場の屋根に立ったジョスリーンは、大声で宣言した。


観客席の客たちが、空を背景にして屋根にとつぜん現れたジョスリーン卿の姿に、わあああああああっと沸き立ち、
一気に熱狂一色となる。




「あのバカ!またへんな演出ばっかり考えて!」

ルッチーアは目を手で覆う。「相手が誰かもしらないで……」



審判が変な目をして、屋根に突然あらわれたジョスリーン卿をみあげ、呼びかけた。

「ジョスリーン卿!なぜそこに立っているのかは知らないが、試合をするなら降りてきなさい」



「それが降りられないんだ!」

女騎士は屋根の上で叫んだ。

「屋根から屋根へ飛び移ってここには辿り着けた!けど降り方がわからない!」



「そんなこと私にもわからん!」

審判が怒って言い返すと、観客席がわっと笑い出した。

「なんでもいいがさっさと飛び降りなさい!」



「飛び降りたら大怪我してしまう!」

ジョスリーンが屋根上から叫び返す。

「ロープをだしてくれ!それで降りる!」




審判は毒づき、心底あきれた顔しながら、副審判に命令した。「ロープをだせ」


「はい」

副審判はロープを出すため馬上競技場の審判席をあとにした。

従者たちにロープをもってきさせ、長さが十分にあることを確認すると、ジョスリーンのほうに持っていく。


それを見届けた主審は首をひねり、はあというため息とともに、忌々しそうに呟いた。「あの女騎士は訳がわからん」




そんな、屋根上の女騎士と審判のやり取りをみていたトマス・コルビル卿は。

楽しそうに見て笑っていた。


「こんな愉快なジョストは生まれて初めてだ」




「しかし、相手はアデル家の子女ですよ」

従者が静かに諫言する。

「傷つけてしまっては…」


「かまわん!」

コルビル卿は従者の意見をつっぱねる。

「そんな危険も承知でジョストに出場しているあの女の、自分の責任だ!」

273


ジョスリーンはロープをつたって馬上槍競技場の屋根から降り立った。


スタっと地面に両足が着地する。


ゆたかな金髪がふわっと捲き起こった風にそよぐ。


「なにしてるのさ!」

さっそくルッチーアがジョスリーンにつっかかった。

「バカなことばっかりしてさ!円奈に変な文は読ませるし!今度は準決勝だからって空からご登場か!
張り切りすぎだよ!」


「いや、別に意図的じゃない」

ジョスリーンはロープを手から放し、ルッチーアにむきなおった。


金髪翠眼の美しい貴婦人騎士、ジョスリーン卿の派手な登場に、すっかり会場全体は、熱気だっている。


今か今かと準決勝の開始を待ちわびている。


「いろいろあってだな…」


「いったいどんなことがあれば屋根からの登場になるんだよ?」

ルッチーアは相手を追及する。「劇的に登場したかっただけだろ?」


「そんなんじゃない命がけでここにきたんだ!」

ジョスリーンは魔法少女に言い返し、それから従者たちから鎧と馬を受け取った。

「おまえたちには貴婦人の不自由さがわからんのだ」



「へっ、わるかったねえ貧民で!」

ルッチーアがふて腐れた顔をする。


「仰せのとおりにもってきました」

部下たちは鎧を渡してくれる。


「ありがとう、助かるよ」

ジョスリーンは部下たちに礼をいい、鎧を着込みはじめる。


この部下たちは、あの軟禁を計画した侍女たちとは違う、本当に自分のために働いてくれる部下たちだ。


腰元で鎧のバンドをとめ、最後に兜をかぶる。


兜のバンドを首元でとめる。

素早い武装だった。


部下たちが持ち運んだ踏み台に乗り、何人もの部下たちに手伝われて、やっと思いで騎乗する。



槍も手に受け取ると、すっかり貴婦人は女騎士の姿になった。

甲冑に、槍に、馬に騎乗した万全の体勢。ジョストに挑む準備が整った。


当たり前だけど、円奈よりよっぽど手際のよい従者たちだった。


なんとなく悔しい思いでそれを見守る円奈は、口を噤み、むーっとうなり声をだす。


「さていくぞ、準決勝だ!」


張り切った調子のジョスリーンは兜の面頬を閉じ、会場へむかう。



が、それをルッチーアがとめた。


「だめだ!」


黒髪の魔法少女は女騎士の前に立ちふさがる。


「なんだ?」

ジョスリーンが馬上から地面に立つ魔法少女を見下ろす。「どうした?」


「トマス・コルビル卿はエドワード王子だよ」

ルッチーアは応仁立ちになって、険しい顔で告げる。

「アンタが戦っちゃいけない相手だ」


「なに?」

ジョスリーンの兜に隠れた翠眼に驚きがあらわれる。

「王家が馬上槍試合にでることはあるが、まさか身分を偽って……」

さすがに声が動揺している。



ジョスリーンは、馬上競技場の向かい側に立った白馬の騎士に視線を移す。


美しい白馬を乗りこなす黒い甲冑の騎士。トマス・コルビルを名乗るその正体は王家。



もちろんアデル家はエドレスの都市を取り締まって治める役目を、王家から選ばれて任命された家系である。


一言でいえば、ようするに王家の家来。


家来にあたるアデル家が、王家のしかも王子に牙をむくなど、できるはずがない。



まして騎士ならなおさらだ。


騎士は、王家に絶対の忠誠を誓ってこその騎士。


女騎士だってそれは変わらない。


「…」

これにはジョスリーンも悩みが生じている。

いや、悩みとは生易しい。葛藤だ。もし、王家に楯突こうものなら……。


アデル家は地位を失う。




「だから、あんたが戦っちゃいけない相手なんだ。気づけてよかった」


ルッチーアは腕組みながら言うと、女騎士を足止めしたあと、棄権用の白旗を持った。


「棄権を表明してくる」


ルッチーアは掛け台に掲げられたアデル家の紋章に白旗をかぶせた。

棄権の合図。



うーうー。

ルッチーアが紋章に白旗をかぶせると、観客席から猛烈な野次と不満の声があがる。

アデル家の、猛々しい鷹を描いた紋章は、白に被われ、戦うという意志を隠してしまう。



向こう側で準決勝に挑む気マンマンだったエドワード王子も落胆した。

準決勝まできたであろう騎士が、情けない。


彼はうんざりといったようにふうと息を吐き、がっかりしつつ槍を従者に渡す。



「でも…」

ジョスリーン卿のジョスト棄権に対して不満の声があがっているなか、円奈はふうと息を安堵したようにつく。

「仕方ないよね…相手が王家じゃ……逆らうわけにはいかないもんね……」

すっかり安心しきっている。


まるで棄権が安全な選択だったとでもいいたげだ。


女騎士はぎりっと歯を噛み締めた。

審判が今にも棄権を受け取れ、発表しようとしている。



「ここまできたのに棄権なんて……」

ジョスリーンは我慢ならなかった。

「いやだ!」


「えっ!?」

安心しきった表情にゆるんでいた円奈が急に顔をあげた。


ジョスリーンの槍を握る手に力がこもる。


「鹿目さま」


とジョスリーンは、円奈を紋章官としてではなく、騎士としての呼び方で呼びかける。


「私はあなたと約束しました」


「約束…ですか?」


円奈が恐る恐るたずねる。恐ろしい予感を身に感じながら。


「そうです」

ジョスリーンは相手側に立つエドワード王子という相手を見据え、眼を鋭くさせ、決意をかためる。

彼に戦いを挑むという捨て身の決意を…。


「”もし私の紋章官をしてくれるのなら──”」


決意に闘志を滾らせる女騎士の眼が鋭くなり、そして彼女は円奈に、かつて交わした約束を語る。


「”二度と私は不正をしない”と」


たしかにそんな会話した気がする。

でも円奈はすっかり忘れていた。



「”騎士として正々堂々戦って”と!」


ジョスリーンはついに、王家に勝負を挑む腹を決めた。


「だからここでは退けません!」


ルッチーアが、額にたまった冷や汗をぬぐいながら戻ってきた。

試合開始前になんとか棄権ができてよかったと安堵しながらもどってきた彼女だったが、おかしな様子にきづいた。



ジョスリーンが馬の腹をけったのだ。


鐙でトンと馬のわき腹が叩かれ、そして次の瞬間には───。


「え?ちょっと」

ルッチーアが口をあんぐりあけながら愕然としている横を女騎士は通り過ぎ───。


「やぁ!」

掛け声あげて、槍を前の伸ばし、馬上槍試合のフィールドへと飛び出していった。


「ま、まって、ジョスリーンさん!」


円奈があわてて女騎士を呼び止めている。「ダメだよ!相手は王子さまだよ!ジョスリーンさんっ──!」


が、女騎士はとまらない。

あっという間に馬でフィールドのむこうへ離れていってしまう。


沸き起こる会場じゅうからの歓声。




一方反対側のエドワード王子は、すっかり相手が棄権したものだと思っていたから、槍も従者に渡していた。

失望のやるせなさのなか兜の面頬を開ける。



だが、その王子の目がふと、自分のほうへ突っ込んでくる女騎士の姿にとまる。

相手は棄権などしなかった。


エドワード王子は嬉しそうに笑って、プレートの面頬を閉じ直すと、従者に呼びかけた。

「槍を渡せ!」


槍を手にうけとり、王子はトマス・コルビル卿としてフィールドへ飛び出した。


美しい白馬が優雅に走り出し、舞うように駆け、女騎士とぶつかりあう。




王子と女騎士のジョスト対決───



ものすごい歓声が会場に溢れ帰る。



女騎士の馬と、王子の白馬が、競技場を駆け抜け、柵を隔てつつすれ違う。



すると馬上で槍と槍の激突が起こる。


トマス・コルビル卿と偽名を名乗る、王子の槍の一撃が女騎士の胴へ。

女騎士も反撃する。

それは鋭く正確な一撃。

ジョスリーンの槍は狙いが定まり、王子の胸に命中した。


二人の槍が交わる準決勝の戦いは、どちらも負けるに劣らない。

どちらの槍もバギっと叩き割れる。


二人とも槍を交えてぐらっと馬上でぐらつき、攻撃を受けた衝撃にふらつきながらジョストを走りきった。



「なんてことを…するんだよ」

ルッチーアは喪失感すら感じながら脱力し、棄権用の白旗を投げやり気味に地面に捨てた。

「王子に傷がついたら?」

魔法少女は王子と戦った女騎士を見ながら、独り言で責めた。もちろん、その声はジョスリーンには届かない。


王子と女騎士は出撃位置にもどるべく、フィールドの走った道を戻っていると、途中ですれ違った。


「いい一撃だった」

王子は自陣の位置に戻る途中、女騎士とすれ違うと、相手の一撃を褒めた。

「技に華がある」


「あなたこそ」

ジョスリーンも微笑み、相手に答えた。

「トマス・コルビル卿。いえ───」

女騎士は、相手の正体を言い当ててしまう。

「”エドワード王子”」



するとコルビル卿はふっと笑い、まいったとばかりに兜を頭からとった。


王子として知られた顔が観衆の明るみにでる。途端に、おおおっと驚嘆する観客席の見物客たちの声が漏れた。


「しっていたか!」王子は笑って顔をみせる。



「ええ」

女騎士は答えた。

「馬上からの謁見をお許しください」

ジョスリーンは兜をとる。


金髪がさらっと風にながれた。兜を胸元で丁寧に抱え持ち、馬上からではあるものの、女騎士はジョストを戦った
王子に礼を示した。


ますます王子は、嬉しそうな顔をする。

「おまえは私を王家としっていながら───」

ジョスリーンの翠眼を王子は優しくみつめる。

「私と戦ったのだ」


「ええ」

兜を胸元に丁寧にもった女騎士は王子に答える。その額は汗だくで、金髪の前髪がでこに張りついていた。

「エドワード王子。わたしは優勝をめざします」


「そうか」

王子は首をひねる。

「なら決勝戦に進むとよい」


女騎士が意外そうな顔をした。


「私は棄権しよう」

王子はきっぱりそう告げてしまう。

「観衆は私を知った。私の今回のジョストはここまでだろう」


女騎士は王子に言った。

「残念です。最後まで戦ってみたかった」


王子は笑う。

「私もだ」

それから王子は声を小さくして、いきなり真剣な顔になると女騎士に告げた。

「私が王都を離れ、都市にきたのは、”闇ジョスト”を突き止めるためだ」


闇ジョスト。

聞きなれない単語にジョスリーンは顔を強張らせる。


「決勝戦まで時間がある。この試合が流れたあと、中央広場の噴水で待っている」


王子は小声で囁いたあと、手をふりあげ観衆たちの声援に応えると、棄権の意を示した。



ジョスリーンは馬を並足で歩かせ、ルッチーアたちのもとにもどった。



「王子がケガでもしたらどうする気だったんだ?」

ルッチーアはじとーっときつい目でジョスリーンをみあげ、さっそく責めた。


「自分の責任だ」

ジョスリーンは答え、馬を降りる。



トマス・コルビル卿の棄権によって、ジョスリーンは決勝進出。


因縁のメッツリン卿との一騎打ちを残すのみとなった。



「次の試合は、ベルトランド・メッツリン卿とウルリック・フォン・エクター卿の対戦です」


白馬に乗った本物の王子という、思わぬ大物ゲストに、きゃーきゃーきゃーと都市の女たちが叫ぶなか、
審判は声を負けじとだして懸命に司会役を務める。

274


「まったくどうなるかと思ったよ!」

ルッチーアと鹿目円奈、ジョスリーンの三人は都市の広場へと出ながら、王子との待ち合わせ場所に
むかっていた。


三人のうちルッチーアが先頭を進み、さっきの準決勝について、口を尖らせ愚痴をこぼしている。


「棄権に間に合ったかと思えば進撃してさ!」


ジョスリーンと円奈の二人はどこか楽しげに、文句を垂れ続ける魔法少女を見守っている。


「私がせっかく白旗だしたのに無視しちゃってさ!私の心遣いは無視か!そうか!」


すっかりふて腐れている魔法少女の愚痴はとまらない。とどまることをしらない。


「一歩まがえたら反逆罪、不敬罪だったぞ!」


円奈とジョスリーンはルッチーアの愚痴をほどほどに聞き流しながら二人うちで会話した。


「決勝戦はメッツリン卿だ」

「いよいよ、ですね…!」

円奈の声が強張る。

「メッツリン卿には結婚を申し込まれている」

女騎士は歩きながらいう。その姿はもう甲冑もすべて脱いでいて、従者に渡していた。

「”私に負けたら妻になれ”と要求してきた」

「それ、絶対に負けられないですね…!」

円奈が張詰めた声で緊迫気味にいうと。

「ああそうだ。絶対にまけられん。私は貴婦人の女になるんじゃない。騎士になるんだ」

ジョスリーンも頷いた。



「ちょっとあんたら、きいてるのかよ!」

ルッチーアがとうとう怒った。

「もし王家を敵に回していたら?この国じゃ生きていけなくなってたぞ!」


「あー、わかったわかった」

ジョスリーンはルッチーアの前まで歩くと、ぽんぽん黒髪の頭髪を叩いたあと、動物でもなだめるみたいに
撫でてやった。

「心遣いに感謝するよ。でも、優勝を譲る気はなかったもんでね」


「触るな気持ち悪い!」

ルッチーアはジョスリーンの手をはらった。「わたしをなんだと思ってる!魔法少女だぞ!あんたら人間が
生きて生けるのは私らのおかげだぞ!」


「そうだその通りだ。感謝しているよ。本当だ」


「私を子供か何かと思っているのか?」

ルッチーア、ますます怒ってくる。

「適当にあしらいやがってさ、それで私の機嫌が直るとでも?」


「駄々捏ねちゃって、ルッチーアちゃん、ほんとうに子供みたいだよ…」

円奈がぼそっと呟くと。


「だ、だ、だ」

ルッチーアが円奈を睨んだ。

「だれが子供だあ!」


「静かにしてくれ、王子を探そう」

ジョスリーンは結局最後までルッチーアを適当にあしらいきった。

「ここで待ち合わせするようにいわれたんだ」


噴水のところまでくると、三人は王子の姿を探した。


一人のローブ姿の男が立っていた。


ローブで全身と顔を隠して覆っていたが、まるで漂う風格がちがう。


ジョストを交えたジョスリーンは、彼が王子であると見抜いた。


王子はフードを脱いだ。

「私について従え」


エドワード王子は三人に命令をくだす。

もちろん、アデル家の侍女という設定である円奈もルッチーアも、王子の命令には逆らえない。


そのうち王冠を頭に載せる騎士なのだ。


「”闇ジョスト”の地下競技場は、場所をもう突き止めてある。きみたちと一緒に”闇ジョスト”の観客席に
紛れ込む。私はトマス・コルビル卿として”闇ジョスト”に入る」


三人は緊張気味に互いに顔を見合わせた。

つまり自分を王子とは呼ぶなという王家からの直々の緘口令だ。あくまでコルビル卿と呼べという意味だ。


「はい」

だが女騎士に逆らう道はなかった。「仰せのままに」


丁寧にお辞儀したあと、ジョスリーンは、王子のあとに従って歩いた。

円奈とルッチーアも応じのあとについて歩いた。

今日はここまで。
次回、第35話「闇ジョスト」


第35話「闇ジョスト」

275


「コルビル卿」

王子とさっそく会話するのは、ジョスリーン。


円奈とルッチーアの二人は王子とまともに口もきけない。

そんな勇気は二人にはない。



なんといってもそこにいるのはエドワード王子。


現エドレス国王のエドワード王の息子だ。



貴族身分の侍女という設定ではある二人も、本当のところの身分は市民とか通りかかりの旅の者くらいな
ものなので、とても王子に話なんて持ち出せない。


「闇ジョストとはなんです?」


ストレートな質問だった。


円奈もルッチーアも、王子のいう”闇ジョスト”がどんなものであるのか、想像もつかないでいた。


すると王子は口を開いた。


彼はフードをかぶり、顔を隠し、トマス・コルビル卿として正体を隠し、都市の裏路地を進んでいる。


「見れば分かる」


王子はフードに隠された顔の口から、声をだして答えた。「私があの試合を闇ジョストと呼ぶのは、王家
が認めない試合だからだ」



「…」

ジョスリーンたち三人が、不安そうに顔を見合わせあう。


「こっちだ」


コルビル卿は年の裏路地の街角を曲がり、太陽の日もあたらぬ暗い街路へと着いた。


そこの石壁に小さなアーチ穴があいていて、入り口になって、地下室へと続いている。


ルッチーアは顔をしかめていた。

そこは、昨日自分が魔法少女と喧嘩した娼街よりも奥深くの、魔法少女でさえ立ち入りの遠慮する
都市の闇も闇の部分。


闇商人たちが闇取引する闇市付近。

ソウルジェムは高く売れる。


戦場や油断した魔法少女から盗まれたソウルジェムが生きたまま売られたりする、なんていう噂が漂う闇市。


もちろん噂の域はでないが、不気味で、魔法少女でさえ近づかないエドレスの都市の濁りが沈泥したかのような
場所であった。

ルッチーアが顔を渋らせているなか、先頭のコルビル卿は小さなアーチ穴に腰を曲げて入り込む。


暗い通路の壁面は石だった。


入り口にすぐ入ると、黒いローブの男がいて、たずねてきた。

「誰からここを教わった」


「”レ・ストックス”からだ」

コルビル卿は答える。「彼の晩餐に招かれてね。俺はトマス・コルビルだ」


フードの男は納得した。

「こちらへ」

松明もって通路を振り向き、奥へと案内をはじめる。


円奈、ルッチーアの二人もついて、湿った石壁の通路を進む。


進めば進むほど湿気が増し、じめじめした空気になってきた。


「こんなところでジョストなんてできるわけないだろ」


ルッチーアがぼそっと文句をこぼした瞬間。



通路の扉が開き、おくの大空間から光が飛び込んできた。


「…!!」


途端に三人とも瞳を大きくさせる。


通路最奥の湿った扉があけられた瞬間、向こう側には巨大な地下空間がひろがっていた。


その広さはまさにあの馬上競技場とほぼ同等。


しかし天井に空はない。土と湿った臭いがむわっとたち込める。




石壁のそこらじゅうの鉄籠に掛けられた松明。火が燃えて地下空間を怪しくめらめら照らし続ける。


天井はアーチ型。


もちろんアーチ構造でないと、石を積み上げてつくったこの地下空間はつぶれてしまう。


そこに50人か60人かほどの観客がいた。


馬上競技場と同じような観客席があって、段のついた桟敷が設けられる。


しかし、ここの観客席の桟敷を満たしている客層に、ほとんど女の姿はなかった。


中流階級の男たち。


騎士階級ではあるが王家や、ジョスリーンのような血筋ある名門の家系ではない階級。



封建社会のときは農民だったが都市の社会で商売に成功させてのし上がってきた層。

急に金持ちになってきた層。

つまり成金たちであった。



「…こんなところがあったなんて」

ジョスリーンは我が目が信じられないという顔しながら、地下空間の馬上競技場を眺め呆然として立ち尽くしていた。


「席をとるぞ」

コルビル卿は、けたましく中流階級の男たちがビールを飲んで顔を真っ赤にさせながら騒いでいるなかを通り、
いくつか空いている席をみつけて座る。


その隣にジョスリーン、つづいて円奈、最後にルッチーアが席にすわる。


「いったいここではなにが?」


ジョスリーンは隣のコルビル卿───フードをかぶって顔を隠した王子にたずねた。



まさにそのとき、馬上競技場のフィールドに選手があらわれた。



その途端、中流階級の成金たちはやかましく雄たけびをあげる。


おおおー!

あああー!


まさに雄たけびというしかないやかましい叫びの数々。


ジョスリーンが驚いてフィールドにあらわれた選手をみた。



おかしなことに、この地下馬上競技場には柵がなかった。


柵。

それはジョストに挑む騎士たちが沿って右側を走る柵。これがないと騎士はどこを走ったらよいのか分からない。


この柵があるから騎士と騎士は正面激突せず、すれ違い様にやり過ごすことができる。

そして槍と槍だけを衝突させ、自分たちは走り抜けるのである。



その柵がない。


つまり…。


ここで開催される馬上槍試合は。


「トーナメントですか?」


ジョスリーンがたずねると。

「いや、ジョストだ」

コルビル卿の声は険しくなった。「だが、おまえたちの知っているジョストとは違う」




「…いったい、どんな?」

おそるおそる、ジョスリーンがたずねると。



コルビル卿は、驚きべきことを答えた。


「ここで開催されるジョストは────」


選手がばっと馬に乗り、槍を上方へ掲げた。

中流階級の、身なりだけは豊かな、しかし振る舞いが醜くみっともない太った男たちが、興奮に声をまくし立てた。


「魔法少女と魔法少女の───」



地下馬上競技場のアーチ門をくぐって現れた選手は、馬に跨った、小さな。



鋼鉄の鎧を着込んだ少女だった。



「かぶせ物なしの一騎打ちだ」



まずジョスリーンが目に驚きを湛え、次に円奈がはっと息を飲み、つぎにルッチーアが目を大きくさせて
ショックを顔にだした。


「まさか!そんな!」



円奈はガタガタ身を震え出している。


「だがここにあるのだ」

コルビル卿は対照的に冷静そのものな声で告げる。

「私はこの”闇ジョスト”を突き止めにきた」



フィールドに現れた馬上の少女は、3メートルある槍を持ち、馬の手綱を握り締め、相手の登場を待ち受けている。


槍をもつのはジョストする人間の騎士たちと同じだが、その槍は、人間たちの馬上槍試合に使うそれより
遥かに危険だった。


その槍にはかぶせ物がない。


つまり…。



槍の先端に人を殺せる刃がある。槍の先端についた鋭利な刃が光る。



「そんな…」

がたがた震えた円奈が、震える声をあげてしまう。

「あんな槍を使ったら…」



あんな槍をつかって、ジョストをしたら。



馬の速度も加わって互いに激突したら。


考えるだけでも恐ろしい。



予想だにしなかった見世物に円奈は顔を覆ってしまう。


だが中流階級のエセ貴族たちは、この魔法少女対魔法少女の危険極まりない一騎打ちに夢中だ。



これが見たくて、楽しみで、血で血を洗う試合が、一般向けの馬上槍試合よりも遥かに、彼らを興奮させた。



地下馬上槍競技場に、相手が現れた。


現れた一人目の先週に受けて立つ二人目の選手。




彼女は金髪で、赤い目をしていた。もう右手には一人目の選手と同じ刃つきの槍をもっていた。


ジョスリーンのように甲冑を着込んでいて、胸元のふくらみに配慮された鎧を着込んでいた。



審判がいきなり両手をひろげ、中流階級の人々に、挨拶をはじめた。


いきなり審判が叫びだすと、おおおおおおおっと中流階級の男たちがビールのジョッキ片手に立ち上がった。

振る舞いに礼節がない成金どもは、せっかく纏っている高価なプールポワンを、びちょびちょと零れ落ちる
ビールにぬらした。



ルッチーアがしかめっ面をする。



わあああ。

審判が一声一声煽るたび、反応を示しどよめく地下空間の会場。


暑苦しい。



湿った空間は空気もくさい。


ルッチーアは胸糞悪そうに地下空間を見渡した。


女どもが松明のめらめら燃える壁際を歩き、客人たちにビールのジョッキを配っていた。



「…なんてところだ」


ルッチーアはため息ついた。



「いつも我々人間を救うため、魔獣と戦う彼女たちですが───」


審判は高々とフィールド真ん中で喋り続ける。


「今日はその彼女たちが、ここでその力を互いぶつけ合う!」


うおおおおおおおっ。

いきなり騒ぎが大きくなる地下会場。


「魔法少女と魔法少女の対決です!」


大きく審判がひとさし指を立てて叫ぶと、ますます中流階級の人々は盛り上がり、興奮を露にした。



松明の火がゆらゆら燃える地下空間に照らされる彼らの顔は、どれも赤い。



審判は全部語り終えると身の安全を確保すべくフィールドを去る。通路のなかに逃げ込む。


「見事な戦いぶりがあれば、どうぞ彼女らに応援の金貨を!」


といい残し、審判は自分が通った通路の鉄格子を閉める。

これで自分は絶対安全だ。



どおっと観客の歓声が沸き立つなか、こんどはフィールドの係りが数人、刃物がむきだしの槍を5本も、
壁際にたてかけた。


いつでも魔法少女たちがとれるように。


どちらの陣営側にもたてかけられる。



最初に地下に現れた黒髪に茶色い瞳の魔法少女と、あとから現れた二人目の、金髪に赤い目の魔法少女。


どちらにも5本ずつの刃つき槍が与えられる。

しかも係りは、そのほかにもロングソードなどの実践用武器を、ガチャガチャと何十個も持ち出して、
やはりそれらを、二人の陣営にそれぞれ置いて並べた。



剣、斧、フレイル、モーニングスター、メイス、ほか、盾などの防具もある。



対戦者は、これらを自由に使っていい。



槍だけ使うジョストではない。


それに落馬して終わりのジョストでもない。



この馬上槍試合は、限りなく”トーナメント”にルールの近いジョストだった。


つまり、ハードタイプのジョスト。


ジョストにもソフトなルールのものとハードなルールのものがあって、ソフトなのがカトリーヌとアドアスが
実践してみせたような槍試合。

ジョスリーンが参加している都市開催のジョストもソフトなルールのもの。


落馬すればそこで試合終了だし、槍は相手を傷つけないようにかぶせ物もする。
そういう試合用槍を使う。


だがいまこの地下会場で催されようとしているのはハードなルールのジョストだ。



そのルールはトーナメントと同等かそれ以上に過酷。


ルールなどほぼ無用。



その勝利条件とは。



「相手を殺すことだ」

トマス・コルビル卿は観客席で難しい顔しながら顎をつかみ、ジョスリーンらに”闇ジョスト”のルールを
教えた。

「ただれだけだ。武器の制限もない。武器はなんだっていい。槍でも剣でも。落馬しても試合は終わらない。
敵が命ある限りこの試合は続く」



試合といいながらほとんど中身は戦争のトーナメント槍試合と、ルールは同じであった。



だから柵がないのだった。


柵があるのは、あくまで騎士同士が正面激突を避けつつ槍だけを交差させるための隔たり。


だがこのジョストでは魔法少女同士が正面から激突しようがなにしようが構わないルールだ。


敵を殺すためならなんでもあり。

なら、安全に考慮した柵など必要ない。




審判が鉄格子を降ろしたむこうで、試合開始の合図をくだす。

「開始!」



おおおおっと中流階級の観客が声をあげ沸き立った。


観客席から喚かれる期待と興奮。



その圧倒的な歓声のなかで、ついに魔法少女と魔法少女のジョストははじまる。


”闇ジョスト”。



二人の魔法少女は鎧を着込み、兜も頭にかぶせて、いよいよ戦闘へ躍り出た。


馬を進め、刃物つき槍を前に突き出し、相手むけて突撃を開始する。

相手側の金髪の魔法少女も受けてたった。



ギロリ。


鋭い刃物が槍の穂で光る。それが相手へ向けられる。

馬を進め、まっすぐ相手の正面へ、突き進む。



魔法少女たちの馬が激しく駆け出す。


物凄い勢いだ。

蹄の四足でフィールド上を突っ走る。



地下だというのに、試合がはじまった途端、汗がふきだすほどの熱気に包まれ、息苦しくなった。


だが中流階級の人々は気にしない。ビールを飲みながら殺し合いを見物する。


二人の距離はちぢまった。



刃物と刃物。

実戦に使う本物の槍と槍が、馬のスピードに乗せて、突き進み、相手の胸元へ。



「…やっ!」

激突の瞬間、円奈は見ているのも恐ろしくて、目を両手で覆った。



バキ!

ゴキキ!


二人の魔法少女の槍が激突、交差した。



刃は互いの鎧に食い込み、鎧に傷つけ、いちぶ破損させた。



都市開催の馬上槍試合の、ただの木の槍とちがって、激突の瞬間、鉄の刃が鎧を傷つける、甲高い金属音のような
衝突音が、耳をつんざき会場じゅうに響き渡った。



ガキキ!


ギターン!


刃は元の形をとどめず、まったく別の形に変型してしまう。

砕け、つぶれ、相手の鎧に先端がささったまま。


だが魔法少女の肉体までは傷つけなかった。


おおおおおおおおおお────っ!!


命すら危険な馬上槍試合に、たまらず見物客は最高潮の興奮に盛り上がる。



二人の魔法少女は使い物にならなくなった槍を投げ捨て、フィールドの壁際にたてられた二本目の槍を手にした。


このやりももちろん、実戦用の槍で、刃つき。




ただでさえ、もう二人の鎧は傷がついているのに、このまままた槍同士を激突させたら。



もう今度こそ危ない。




「…くそっ」

こんなとんでもない催しの観客席についてしまったルッチーアは、不機嫌そのもの、胸糞が悪そうに、
愚痴をこぼした。

「なんでこんな、人間の見世物みたいなことしてんだよ…」


同じ魔法少女として、悲しくなるし、悔しくなるルッチーアだった。



しかし思えば昔からこういうのはあった。


”パンと見世物”なんていわれたローマ時代にも円形闘技場があって、そこでも市民の欲求を満たすために
奴隷が命をかけて戦わされたのだった。


興奮が渦巻くなか、魔法少女たちは二回目のやりの激突に入る。



ルッチーアはふと気づくと、中流階級の見物客たちが、興奮するのにまかせて、懐の金貨をジョストの
フィールドに投げ込んでいる光景に気づいた。


彼らは声あげ魔法少女たちを煽りながら、金貨を手に握り、フィールドに投げ込んでいる。



フィールドのあちこちに金貨が落ちている。



「なんなんだよこれ」


ルッチーアは訳がわからない。

というより、目にしたものが信じられない。


二回目の激突がおこった。



途端に見物客がさらに騒ぎたち、金貨がなかに投げ入れられる。


つまり彼らが満足すればするほど、金貨が観客席から魔法少女たちのフィールドに投げ込まれるのだった。



もちろんその金貨は魔法少女たちが自由にしていい。



これが闇ジョストの隠れルールだった。


「金のためかよ」

ルッチーアは心底失望した声だし、観客席に深々と背をつけた。

「そんなもののために晒し者になりやがって」



ガキ!


ガキキ!



二人の槍の刃同士が互いに相手をつく。


槍は折れ、二人の魔法少女はジョストを走りきった。


鎧に刃が食い込む。


二人とも三本目のやりを手にしている。



「王子、こんなことはやめさせなくては!」

ジョスリーンも我慢できず、コルビル卿に提言した。

「国の法に反しています。撤廃を!」


コルビル卿はなにも答えない。

難しい顔して顎をつまみ、魔法少女同士の馬上槍試合を見物しつづける。



三回目の激突!



二人の魔法少女の馬が勢いよく走り、正面から相手に突っ込み、その刃のついた槍先を相手にめりこませる。


すると、ついに恐れられていたことが起こった。



馬上槍試合における最大の惨劇。



だがその惨劇とは裏腹に、観客席では今までで最高の歓声が沸き起こった。

耳も覆いたくなるほどの蛮声の嵐が。



「いやっ!」

円奈が飛び散る血を目の当たりにしてまた目を覆い、身をすくめる。



「…!」

「っ!」

ジョスリーンとルッチーアも目を瞠った。



三本目の槍が魔法少女同士で交えたとき、刃が片方の胸に食い込み、鎧を貫いた。


刃のついたとがった槍は相手の腹に入り込み、血が飛び散り、相手は落馬した。



馬上槍試合における最大の悲劇。


槍で本当に相手を刺し殺してしまう、試合と呼ぶには程遠い事故。




だが、見物客たちはまさにそれが見たくて観客席にいた。



雨のようにそそがれる金貨。


60人あまりの中流階級たちが、金貨をつぎつぎにフィールド上に投げ込む。



そこらじゅうピカピカの金貨だらけになる。


槍に貫かれた魔法少女はハデに落馬し、背をつけて地面に倒れ、口から血を流した。


ガタと頭を砂の敷かれた地面に叩きつけ、意識失ったかのようにぐったり倒れる。



その腹に3メートルの槍がしっかり食い込み、突き立っていた。




だがこれで終わりではなかった。


人間のトーナメント馬上槍試合なら、もう終わっている頃合だが。



相手を貫いた金髪の魔法少女は、四本目の槍を手にした。


おおおおっ。

観客たち、試合の続行にたまらず感嘆の息を漏らす。



「えっ?」

円奈が恐る恐る、目をあけた。



槍に突き刺された、死んだはずの少女が起き上がった。


黒髪の、腹かも口からも血を流す魔法少女は、意識を取り戻し、目をあけた。死からの蘇り。

腹にささった槍をバキと叩き割ってしまうと、鞘から剣を抜いた。


ロングソード。



おおおおおおおっ。

槍に貫かれた選手の復活に、また興奮した見物客たちが金貨を投げ込む。



「あれだ」

コルビル卿は複雑な顔して目を細め、復活した魔法少女を眺めた。

「なぜ起き上がれる?」


コルビル卿の隣に座るジョスリーンは答えられない。

「…」

無言のままだ。


「人間なら槍のただの一撃でも動けやしない」

コルビル卿は語る。

「なのになぜ魔法少女は起き上がれる?」


人間からみれば不可解で、不気味な復活。


死人の復活といってもよい光景。


槍に腹を貫かれた少女が、何秒かはぐったりしたのち、息を吹き返したかのように起き上がる。


理解不能の光景だ。



フィールドでは戦いが新しい場面にうつっている。

差され、地べたに落ちた少女が、まだ馬に乗る少女の槍の一撃に備えて構える。



相手の馬がヒヒーンと鳴き、物凄いスピードで駆け出してくる。


そのスピードにのせてむけられる槍。それは、まっすぐこちらに向けられてくる。


その槍を身を屈めてかわし、振り返りざまに馬の腹を剣で斬る。


馬は痛みに暴れ、頭を左右にふりながら、倒れた。


すると金髪の魔法少女も馬から前へ投げ出されて転げた。



おおおおっ。

あらたな展開に見物客は騒ぎ、金貨何枚かがフィールドに投げ入れられる。



すると金髪の魔法少女は素早く起き上がり、フィールド壁際のベンチに並びたてられた数々の武器のうち、
剣をもち、鞘に携帯すると、盾も持って、槍を手にし相手に対峙した。




それをみた相手、黒髪の魔法少女も盾を手に取る。


お互いに盾と剣、槍を持つ。



馬上槍試合の様相は変化し、二人とも馬を失い地面に降り立って、剣闘士と剣闘士の戦いのようになった。


地に足ついた、徒歩戦。



「まるで槍を痛がっている様子さえない」

コルビル卿は二人の魔法少女の戦いぶりを観察しながら呟く。

「どうなっている?」


そこまで王子の呟きを耳にして、はじめてルッチーアは、王子の真の目的に気づいたのだった。


王子がここにきた目的は、違法の”闇ジョスト”を取り締まりにきたのではない。


”魔法少女の正体”を探りにきたのだ。


ルッチーアの心中に穏やかでない気持ちが沸き起こる。身体じゅうにそれが巡る。


危険な傾向を知らせる虫の知らせに……。


いつか修道院長に警告された危険に……。


心中が騒ぎ立つ。



そこに座る王子は、国王の息子。エドワード王の息子。


ソウルジェムのことを知られたら……。


隣に座る円奈もジョスリーンも知らないソウルジェムの秘密を知られたら…。



都市の魔法少女の立場は今よりもっと厳しくなるかもしれない。


いや、厳しくなるどころか……。



そんなルッチーアの心配はよそに、二人の魔法少女の剣闘試合はつづく。


金髪の魔法少女が3メートルの槍を伸ばし、相手をブンブン突く。


相手の魔法少女は全部それを盾で受け止める。


ギン、ギン、ガン。


槍先の穂が相手の丸い盾に何度も当たる。


ブン!

さらに槍が突き伸ばされる。


相手の魔法少女は、伸ばされた槍を盾で下にたたきつけた。


槍先は盾の縁によって下向きに叩きつけられ、地面に刺さり、矛先の動きが封じられる。


するとその槍を足で思い切り踏んづけた。すると槍が割れた。

バギッ。


槍がわれてしまうと金髪の魔法少女が赤い目を大きくさせる。


その隙をねらって、黒髪の魔法少女はロングソードを鞘からぬき、相手の首元めがけて一気にふるった。

ビュッ!

鋭い斬撃。剣の軌跡が空気に迸る。


間一髪、反応して相手はよける。


首元すれすれを剣が裂いた。


すると相手も鞘から剣をぬいた。


盾持つ二人の剣がぶつかる。交じり合う。ガキン。音がなる。


二人は剣同士をぶつけたり、盾で防いだり、盾同士をぶつけたりしながら、剣舞をつづけた。



もとから戦闘むけな身体に作り変えられて、運動神経のよい彼女らの戦いぶりは、迫力があった。


中流階級の成金たちはこれをビールと共に嗜んだ。



あるときは相手の振るう剣をくぐってかわし、あるときは相手の顔面めがけて剣を突き伸ばし、それは
盾にふせがれて…。


剣と盾が衝突する。


金髪の魔法少女は、自分の突きが、正面から盾に防がれると、いちど剣を引き戻して、隙になったフトコロに
剣先をのびした。


一瞬の隙をついた攻撃だった。

それは相手の横腹に突き刺さる。


サクリとグラディウスの剣先が脇の腹に差し込まれる。



黒髪の魔法少女は苦痛にうっと呻き、何歩か退いた。その後ずさった地面に血がぼたぼた数滴、滴り落ち、
砂に零れた。


横腹から剣をぬいた金髪の魔法少女は、苦痛に呻く相手の魔法少女へ容赦なくせまる。

顔面へよこむきに剣を振り切る。



相手は仰け反ってすれすれでそれをよける。

動きが鈍い。


痛みを遮断しすぎて、神経そのものが機能不全。


バランスうしなったように後ろへよろけていき、ひるむ。



そこを金髪の魔法少女が剣にかけて襲う。盾で身を守ったが、するとドンと盾ごと金髪の魔法少女に
足で蹴っ飛ばされ、盾も剣も手放して地面にころげてしまう。



それでも剣だけは拾いなおして、なんとか起き上がる。


足元がふらついている。


動くたびにそこらじゅうの砂に血が滴る。



もう剣舞のフィールドは血だらけだった。



血がなくなればなくなるほど、魔法少女は、意識を保つために魔力を使わないといけない。


口からも腹からもわき腹からも血をだしながら、息を乱して喘ぎながら黒髪の魔法少女は相手に対峙する。


もう余裕がない。


必死の思いで反撃にでる。

それは相手の剣に防がれる。


ガキン!

音がなって、剣同士がぶつかり、絡まる。それで二人の剣の動きはとまってしまう。

すると身動き取れない彼女は、足でわき腹を蹴られた。

「うっ!」

ただでさえ血をはいた顔が血だらけになる。


後ろによろけ、目を閉じ、苦痛に呻いたあと、フィールドの観客席の建つ壁際に背中をドンとぶつける。



いよいよ追い詰められた。

逃げ場はない。



金髪の魔法少女が赤い目で睨みつけ、自分を補足してきた。



「やぁ!」

決死の思いで、最後の抵抗。黒髪の魔法少女は思い切りロングソードを横向きにふるった。


それはかろやかな動きで身を屈めた相手にかわされ、次の瞬間、金髪の魔法少女の剣がのびてきて。



首筋を裂いた。


ぶしゃあっ。


首から鮮血が出て、血飛沫が首筋から飛び出る。空気中に赤色が舞う。

グラディウスと呼ばれる剣の先端が首を切り裂いた。


途端にガクンと力を失って黒髪の魔法少女は壁際にストンと尻餅ついて気絶した。

ぐったり裂かれた首を壁際にもたれさせ、血を流しながら目を閉じ、もう動かなくなる。



観客席の壁にすさまじい量の血がこびれつき、血飛沫が垂れた。バタリと彼女は壁際に倒れた。



金髪の魔法少女は血に塗れたグラディウスの剣を両手に持つと観客席むけて掲げ、くるりとその場で一周まわると、
勝利を示した。



おおおおおおおおおおお!!!

勝負決着。


脚光を浴びながら金髪の魔法少女は、金貨が雨のように投げ込まれるなか、それら一個一個の金貨を拾い上げる。


自分の金貨袋にいれる。



合計するともう、50枚ちかくはあそうだった。


金貨をぜんぶ拾い集めると、倒れた黒髪の魔法少女を優しく抱きかかえ、姫だっこで、連れ帰った。



会場入り口の鉄格子をくぐりぬけ、フィールドをあとにして消えた。



「出よう」

コルビル卿が最初に口にした。

言葉を失って固まる三人に呼びかける。

「これ以上いたら危険だ」

276


試合の終わった二人の魔法少女は控え室に。


石壁に囲まれた地下の控え室は狭く、息苦しく、湿っていて悪臭がする。


「いい戦いぶりだったね」

控え室の男が、槍もちながら選手に声がけした。

「たっぷり稼ぎもしたし。あんたら魔法少女からしてみれば一攫千金ってものだろ?」


金髪の魔法少女は、首を裂かれた黒髪の魔法少女を姫だっこから降ろした。


地面に丁寧に寝かせる。


「そいつはどうするんだ?」

控え室番人の男は訊いてきた。


「私が持ち帰る」

金髪の魔法少女は、意識のない黒髪の少女を見下ろしながら、答えた。


控え室の布をとり、首筋とわき腹、胸にでる血のどれも丁寧にふきとる。


布切れはまたたくまに真っ赤になり、ぬれて、使い物にならなくなる。


「私たちは叶えたい願いがあって魔法少女になった」

金髪の少女は呟く。

誰に話しかけているというわけでもなく、ぼんやりと、自分に語りかけるみたいに、口にだして語る。

「なのに、まるで人間の見世物だ」


「おかしなことを言います」

番人の男はにやけた。

「馬上槍試合は、見世物ですよ」


虚ろな赤い目をした金髪の魔法少女はわずかだけ首を動かし、頷いた。

「そうだな」


血を拭いた黒髪の魔法少女を抱きかかえ、控え室をあとに、地下の奥へと消えた。


277


地下馬上競技場の控え室をでて、地価通路から都市の裏路地にでた二人の魔法少女。


一人は金髪。もう一人は黒髪の少女。


人気もなく、日の光があたらず暗くて、だれもいない裏路地で、黒髪の魔法少女は目を覚ました。



金髪の魔法少女が懸命に治療魔法をあてたからだ。


黒髪の魔法少女は意識を取り戻して、ふっと笑いかけ、金髪の魔法少女と手を握り合った。

「いい戦いだった」


金髪の魔法少女が赤い目に涙を溜める。

膝をつき、泣き崩れてしまう。

「こんなこと八百長でもいやだ」


「賢く生きていこうって決めたじゃないか」

黒髪の魔法少女は横たわったまま、ふっと笑いかけ、言う。

その声は弱い。

まだ傷が癒えてない。



「戦場に駆りだされるよりはマシだ。それに…」


目に涙ためて震える赤い目の少女の頬を優しく撫でる。


「たくさんの金が入った。これで私たちは暮らせる。私たちだけで……人間と関わることもなく…」


「私たちだけで…」

赤い目の魔法少女が繰り返す。震えた声で。目に涙こぼして。


「そう。私たちだけで」

黒髪の魔法少女は、赤い目の少女の頬を撫で続ける。

横たわったまま。彼女を心配そうに見下ろす金髪の魔法少女の顔を、優しく。


「人間に関わって生きたくない」

彼女は言った。


二人は集めた金貨を山分けした。



二人は、この八百長がバレるよりも先に、別の都市へと去って、自分たちの居場所を見つけに発ったという。

278


鹿目円奈、ウスターシュ・ルッチーア、アデル・ジョスリーンの三人は、コルビル卿と別れるところだった。


王子と三人は扇状の都市広場にもどり、石畳が扇状に敷かれている噴水のちかくで、別れる。


「私が”闇ジョスト”に潜り込んだのは魔法少女が何者なのかをこの目でみるためだった」


コルビル卿はジョスリーンに言う。


「これから私は都市を発つ。しばらく王都からもはなれる」


「では…」

さっき見たばかりの光景がまだ記憶から抜け落ちていないジョスリーンは、困惑気味にたずねる。

「王子はどちらに?」


王子は答えた。

「アリエノール・ダキテーヌ姫に拝謁を」


聞き覚えある人名に円奈が思わず顔をあげた。


「アキテーヌ城にむかう。わたしの妃に迎えたい。だがそのためには魔法少女とは何かを知る必要があった」


トマス・コルビル卿はフードをかぶり、優雅に白馬に乗り込む。


「さらばだ」


王子は白馬に跨り、都市広場を去る。


これが王子と三人の別れとなった。



ルッチーアが白馬の王子の後姿を見送る。


その顔つきは複雑であった。


ジョスリーンはその顔を指先で叩いた。


「あんなものを見て気分が悪くなるのもわかるが」

女騎士は魔法少女の頭を優しく撫でる。

「元気をだせ。みながみな魔法少女を見世物に思っている人間ばかりでない」


「どうだかな」

ルッチーアはジョスリーンの手をふりはらった。


一人、都市広場を歩き始めてしまう。



「…」

ジョスリーンと円奈の二人はルッチーアの後姿を追うこともできずに見守った。


「鹿目さま、うかうかしてはおれません」

さきにジョスリーンが喋った。

女騎士は金髪を腰まで流し、風に靡かせながら、去る魔法少女をみつめていたが、その翠眼には闘志が
宿っていた。


「決勝戦です」

と、ジョスリーンは告げる。腰に手をあてながら。

女騎士は、とうとう、都市開催の馬上槍試合の、決勝戦へ挑む。



「ルッチーアはもどってきます。ですが、ここまできて棄権はできません」


円奈もジョスリーンも馬上槍試合の競技場に急いだ。


決勝戦。



都市最強といわれる騎士、ベルトランド・メッツリン卿との一騎打ちだ。

今日はここまで。

次回、第36話「馬上槍試合・五日目 決勝戦」

第36話「馬上槍試合・六日目 決勝戦」


279


表の馬上槍試合では、都市開催のジョストもいよいよ決勝戦ということで、今までで一番、人が多く集まっていた。



都市開催ということで運営側である市庁舎の市長や、ルッチーアたちの裁判沙汰を審査した裁判長まで、
ジョスト決勝戦には出席し見守る。


他にはなんとあのビュジェ修道院長まで出席し、貴人席にてジョストの決勝戦を見守る。



今回の馬上槍試合に参加した今までのすべての騎士、その従者たち、都市じゅうの魔法少女たちまで、
観客席に座って、今年度の都市最強の騎士誕生の瞬間をこの目にとどめようと見物する。



修道院の番人役であった魔法少女のレーヴェス、市庁議員のグワソン、ルッチーアと娼街で激闘を演じた
あの魔法少女まで。



なぜ今回の馬上槍試合にはこうも魔法少女の観客が多いのだろう。


本来彼女たちはそこまでジョストに夢中ってほどでもなかった。



だが決勝戦に進出する女騎士の紋章官が、ウスターシュ・ルッチーアという魔法少女が務めている、ただそれだけ
のことで、都市の多くの魔法少女の関心と興味を集め、決勝戦の馬上試合は大盛況。









決勝戦の審判席には特別な席が設けられ、そこに市長、裁判長が並んで座る。


あのさきの裁判のようだ。


ルッチーアが大いに暴れてみせたあの裁判の図が。



ジョスト決勝戦という、はるかに名誉な場において、ふたたび演じられようとしている。


「今回の我々主催の決勝戦ですが───」

特別席に座った市長が、隣の特別席の裁判長に、話しかけた。

「裁判長はどのように考えます?」


「実に面白い展開ですよ」

裁判長はテーブ上に両手を絡めて置きながら、毅然とした様子で答えた。

「つい先週くらいに、酒場暴行の件で我々が裁判、判決をくだしたあの三人の被告が───」


わーわーわー。

きゃーきゃーきゃー。


観客席じゅうが騒ぎたち、盛り上がりをみせているなか、裁判長は落ち着いた様子でゆっくり語る。



「今日はこの名誉ある舞台に立つ。まったく面白い」


「ええ、そうですね」

市長も頷いた。

「それに、女性騎士の決勝戦進出も、都市では初です」


「それもまた面白い」

裁判長はテーブルで両手を絡めたまま、うむと頷く。


「決勝戦進出は、今までは夜警騎士として都市の犯罪を取り締まっていたアデル・ジョスリーン卿です」

市長は羊皮紙の証明書を見ながら裁判長に伝える。

「今までは、都市の違反的な商売、目方偽造、川への不法投棄、主に夜間の犯罪を取り締まっていました」



裁判官はうむとまた、頷く。


「しかし今回の馬上試合に参加し、夜警騎士の役を捨て、”騎士”としての道を目指したそうですね」


「保安官から騎士へ、ということですね」

裁判官が続きを受け持った。

「実に情熱あふれる筋立てです。この決勝戦にふさわしい」


「この決勝戦に勝てばジョスリーン卿は騎士として戦場にでるのですか」

市長がたずねた。

裁判官は答えた。

「かもしれませんな。女性騎士は戦場では魔法少女の護衛役にたつことが多いそうで」


「ええ、この時代ではそうです」

市長も納得という顔をする。

「なんといっても、魔法少女いえども男と女ですからね。男に取り囲まれている護衛では魔法少女も
心中落ち着けないでしょうに。ですから、女性騎士が護衛役と世話役にたつわけです」


「貴婦人の世話役が侍女であるのと同じですかね、あたかも」

裁判官はいった。


「ええ」

市長は頷いて肯定した。「まさにジョスリーン卿は、そんな騎士をめざして、この決勝戦に挑むのです」


市長と裁判長が決勝戦の解説をしているさなか、選手があらわれた。




甲冑姿になって登場する女騎士と、それに従うピンク髪の紋章官。


決勝戦の会場にあらわれる。



二人とも闘志を燃やした目つきをしている。ジョスリーン卿も、紋章官も。

決意に満ちた目つきだ。




だが二人だけだった。


ルッチーアの姿はない。



すると馬上競技場の観客席に座っていた修道院長のビュジェと。


番人役のレーヴェスが、残念そうな顔をした。



ほかの観客席に座る都市の魔法少女たちも寂しげな顔をする。




円奈は決勝戦がひらかれる馬上競技場がとりわけ特別な仕様になっている様子にきづいた。


競技場は、観客席と、騎士たちが戦うフィールドのあいだには、ずらりと槍を持った警備兵が立ち並んでいて、
絶対に決勝戦の邪魔をさせまいと厳しい顔をしている。


名誉ある舞台には、審判席に特別席も増設されて、そこには市長と裁判長が並んで隣同士になって座る。


円奈はその二人に見覚えがあった。



ルッチーアの宿屋での暴走からはじまって、自分までその暴行事件の容疑者として裁判沙汰に巻き込まれて、
そのときにいた二人。


いま思い出すと、なんだか笑い話のように思えてきて。


円奈は笑ってしまう。


「円奈よ、どうして笑っているのだ?」

騎乗姿になったジョスリーンは円奈の思い出し笑いに気づき、訊いた。


「なんだかルッチーアちゃんのこと思い出しちゃって…」

円奈が笑いながら、話した。

「いきなり私たちのところに泣きついてきて……裁判沙汰になっちゃって…」


ジョスリーンもふっと笑う。「そんなこともあったな」


「二度と会わないって自分でいったくせに自分で戻ってきて……今思うと楽しかったな」

なんだか感浸った気分になりながら円奈が両手を絡めていうと。

ジョスリーンは円奈を戒めた。

「思いにふけるのは決勝戦を勝ってからだ」


円奈の目に真剣さがもどった。「そう、ですよね」


きっと巍然とした顔つきになり、馬上競技場を見回す。



互いの騎士の出撃位置に掲げられる、一家の紋章。


騎士の誇りそのものである紋章。



ジョスリーン卿のもつ紋章は、赤色の背景色に金色の鷹を描いた紋章。


対して決勝戦の相手である、メッツリン卿のもつ紋章は、緑色の背景色に金色の三日月を描いた紋章。

ばさばさと風になびく。



観客席で掲げられる旗のは、自分たちの応援する騎士の紋章を、描いた旗を見物客たちが振っていた。


本当のところをいうと貴族家系の紋章を市民ごときが真似て旗を自作してはいけないのだが、こと馬上槍競技において、
紋章官によってそれは黙認される。

もっともエセ紋章官の円奈はそんな慣習もしらない。



それに、そんなことはどうだっていい。


円奈はただ、観客席を満たした、盛り上がる見物客たちを眺める。


本当に決勝戦を楽しみにしてくれる人たち。


本当に馬上槍試合が好きで、観戦にきてくれた人たち。


自分たちを応援してくれる人たち。



ジョスリーン卿を応援する旗と、メッツリン卿を応援する旗の数は、ちょうど半々。


ぐるりとフィールドを囲んだ観客席を埋め尽くす人々の応援は、相手と自分で半々。


ジョスリーン卿を応援する赤色の旗と、メッツリン卿を応援する緑色の旗が、観客席じゅうではためき、
大きな歓声に包まれる。



いよいよこれから開戦というとき、メッツリン卿が黒い甲冑を着こんでジョスリーンの前に現れた。


もう何度となくエドレスの都市開催の槍試合を優勝でかざっている最強の騎士。



黒い甲冑、黒い馬、槍の色まで黒。


その”黒騎士”は、甲冑の面頬プレートをあけ、顔をみせ、ジョスリーンに対峙した。



求婚する黒騎士と求婚される女騎士。


これがジョスト決勝戦に挑む二人の組み合わせだった。


「まさか本当に決勝戦で貴女とあたりますとは」


メッツリン卿が話した。


「あなたの実力は本物だ。だが私には勝てまい」


得意気なメッツリン卿はさわやかに笑う。


「ところで、約束を覚えで?」



ジョスリーン卿は無言で頷き、翠眼で相手を睨んだ。


「嬉しい限りです」

メッツリン卿は相手の肯定の頷きに、嬉しそうな顔をしてみせた。

歯をみせて笑う。

「まだ美しいうちにあなたと結婚ができる」


「さっさと出撃位置につけ」

ジョスリーンは相手の挑発を一蹴した。あごを突き出して、むこうにいけと示す。


メッツリン卿の微笑がわずかにゆらいだ。

一瞬だけ目を細めたあと、ここは大人しく女騎士に従って、最強の騎士は出撃位置へと黒馬を走らせる。




円奈がきっと険しい目線で出撃位置にむかう黒騎士を見送っていた。


だが会場では大盛り上がり。


なんといっても最強の騎士メッツリン卿だ。


その彼が馬上競技場のフィールドを渡ったのだから。


とくに女たちの黄色い声、喚き声が、あっちからもこっちからもあがり、飛び交う。


女騎士は甲冑の可動面頬プレートをガシャッと閉じた。その顔が鉄の面頬に覆われ、顔は隠される。



もちろん、槍の直撃を顔面にうけても無事なように。


メッツリン卿が相手なら、顔面直撃も容易に繰り出してくる。



審判が白い旗をだして開始の合図をだす準備をしている。



「がんばってー!」

どこからか、声がした。

「ジョスリーン卿、がんばってー!」


円奈の聞き覚えのある声だった。


それは観客席で小さな旗を振る、漁師一家の女の子だった。

円奈は一度、漁師の一家に泊めてもらったことがある。


その母親も、少女を抱きながら、笑顔で、円奈に手を振っていた。



「勝つのはジョスリーン卿じゃねえ!」

その母親の応援に噛み付くのは、父親。

とその息子、男の子。

「そうだ、勝つのはメッツリン卿だ!」


女の子と男の子はこうして、観客席でまたあの喧嘩をはじめてしまう。

手作りの小さな槍で互いの頬をつつきあう。

楽しそうに兄弟げんかを見守る母。

「勝つのはジョスリーン卿よ!」

「いや、メッツリン卿だ!」

男の子が男騎士を応援し、女の子が女騎士を応援した。


その逆パターンもあった。

ある観客席では、カップルが、男はジョスリーン卿を応援し、女はメッツリン卿を応援する。

そしてカップルは喧嘩沙汰になってしまう。

俺よりあの騎士がかっこいいのか!

私よりあの騎士がきれいだって思うわけ!


そんな喧嘩だった。



決勝戦の観客席には、なんとレミアやデンタータのような、ジョスリーンの侍女たちまでいた。

特にレミアは、今朝に部屋を抜け出された悔しさにナプキン(今朝引きちぎったのたのとはまた別の
刺繍いりナプキン)を噛み締めながら、観戦している。

「お嬢様…!」

侍女たちは心配そうに主人を見つめている。



「円奈よ」

フィールドの、出撃位置に馬を立たせたジョスリーンは円奈を呼んだ。

「決勝戦にむけて、紋章官としてキミは最後の説明役を担うのだが…」


あっと、円奈は口をあける。


ジョスリーンは馬上から頭を伸ばして、円奈に伝えた。

「文を考えてない。ネタ切れだ」


「えっ!」

円奈が顔をあげて馬上のジョスリーンを見返す。


「だから、キミが説明してくれ。初の、キミ自身による、キミによる私の紹介だ」

ジョスリーンは微笑む。

晴天の青空のそよ風が、馬上競技場にふかれて流れる。心地よい空気だった。

「初戦のときは、キミも私のことをあまり知らなかったから、紹介できないと思った。だから文を読ませた。
だが今や決勝戦。いまならキミも私を紹介できるだろう」


「紹介…」

円奈の顔に緊張が走る。

「わたしが…」


ジョスリーンは馬に乗りなおし、槍を手にもった。「たのんだぞ」


「…」

最初だけ無言だった彼女だが。


ピンク髪の紋章官は、きっと決意に満ちた目つきになると、答えた。「はいっ!」


落ち着いた足取りで審判席の前にでる。



と同時に、メッツリン卿の紋章官も前に進み出てくる。


審判席の前、市長と裁判官もいる特別席の前に、でる。


二人の紋章官は、同時に頭をさげる。

これに応えて市長も裁判官、審判、貴婦人たちも頭をさげる。


そして、二人の紋章官による選手の紹介がいよいよはじまる。




そのころ、出撃位置についていたジョスリーンは、後方の三人の騎士から、声をかけられた。

「おい、アデル・ジョスリーン卿!」

男の声がして、ジョスリーンは馬上で振り返る。


そこにいたのは、ジョアール騎兵団だった。


「てめーのみじめッたらしい負け姿を拝みにきてやったぞ!」

三人の騎兵団はにやにや笑う。

が、三人は、さむざむしい下着姿であった。



「どうしてそんな姿になった?」

ジョスリーンがたずねると。


「なに、博打に負けちまっただけさ。」

と騎兵団は答えた。

「まあ、もうそんなことはどうだっていい。恨みなんかないし根にも持ってない。そういうヤツは博打に
むかないもんでね。だが、てめーらの紋章官が俺たちにかけた恥は忘れねえぞ。最後まで見届けてやる!」

「誤解するなよ!」

別の騎兵団の男がジョスリーンを指差し、叫んだ。

「てめーらなんかクソほども応援してねえからな。負け姿をみにきただけだ。せいぜいメッツリン卿に
叩きのめされるがいいさ」


「それはどうもありがとうさん」

ジョスリーンはあしらった。

「だが負け姿は見せられそうもない」


「へっ!強がってろ、あんたがメッツリン卿に勝てるわけあるか!」

三人の騎兵団は下着姿になって足そろえながら去った。


その息の揃った行進ぶりにジョスリーンは笑ってしまう。


「金貨100枚の賞金ってそういうことか」

ジョスリーンは五回戦の円奈とルッチーアの狼狽ぶり、必死ぶりにようやく合点いったのだった。

主人に内緒で賭け事してしまう無礼極まりない紋章官の二人には、呆れを通り越して笑ってしまう。




会場のほうではすでに、決勝戦となる最後の華、紋章官による騎士の紹介がはじまっている。



「わが主人を紹介いたします」


と、対戦相手の従者は、語り始める。


「その父はグレリー公爵」


決勝戦にでる騎士の血筋の紹介だ。


円奈が思わず神経を集中させる。

自分達の番がきたら、今度は私が、あんなふうに説明をするのだ。


「長らく続くメッツリンの家系であり───」


紋章官は、胸をはって、堂々と、主人を紹介する。


「南の国サルファロンにて傭兵部隊を率いる勇戦なる騎士であります───」


ああ、あんなふうに説明するんだ。

わたしに、できるのかな。


心の不安が大きくなる。


でも、都市にきてジョスリーンさんのこと、多くを知った。

今ならきっと、私にもあんな紹介ができるだろう。


「わが主人こそはベルトランド・メッツリン卿であります!」


と高々と告げ、そのあとは、足を交差させて胸下に片腕を静かにおろし、頭をさげてお辞儀する。

この時代におけるお辞儀の仕方だった。


ベルトランド卿は馬に乗った甲冑姿で、手に持った3メートルの突撃用槍をばっと晴天へもちあげた。


おおおおおおおおおっ。

観客たち、総立ちである。



片方の騎士の説明がおわると、こんどは対戦相手側の従者が、紋章官として説明をはじめる。


鹿目円奈の出番だ。



ある意味今年度の大会で一番有名な紋章官の注目が、次に観客席から集まる。


あらゆる市民、レーヴェスやビュジェ修道院長のような魔法少女、いままでジョスリーンと戦って敗れた騎士たち、
ルッチーア事件の裁判沙汰を審査した市長と裁判官たち、漁師の一家たち…



今まで都市で円奈と関り持った人たち。

そのすべての注目が、注がれる。



誰もが、楽しみに待っている。円奈の説明を。


すううっ。

円奈は心地よさそうに、審判席の前、馬上競技場の真ん中で息を鼻で吸う。


大丈夫。

もう、大丈夫。


何も恐がることはない。


今の私なら、ジョスリーンさんを紹介できる。


決勝戦の一騎打ちを楽しみにしている人たちに、それに挑む人がどんな人なのかを、説明できる。


今までは、ジョスリーン自作の文を読まされるだけだったり、いざ失敗したらルッチーアが代わりに
紹介をしてくれる、そんなことばっかりだった。


この決勝戦。


はじめて自分はジョスリーンさんを自分の言葉でみんなに紹介するのだ。


この都市にやってきて七日間、一緒に過ごしたこの人を…。


自分ならどう説明するだろう…。


円奈はそれを考える。


「私は───!」


ピンク髪の紋章官は語り始め、すると馬上競技場のだれもが、円奈の話を聴き、静かになった。

静まり返る決勝戦の舞台。


ただ鹿目円奈の声だけが……円環の理の生まれ変わりたる少女の声だけが……この舞台に、ひびきわたる。



「私は本当は、紋章官じゃありません!」



ざわわっ。


エドレスの都市の華、文化の極点である馬上槍試合、白熱必至の決勝戦を前にした紋章官の爆弾発言に。


見物客じゅうが騒然とする。



審判もこれには目の色を変え、鹿目円奈という少女に迫ろうとした。


が、そのとき、市長がばっと手をふりあげ、無言で審判をとめた。



審判が嫌疑の目を市長にむける。


しかし、市長の手をふりあげた動作から、”続けさせてやれ”という意図が伝わってきた。


審判は戸惑いながら足を止め、もとの審判席の前にもどった。



「この都市の人間でもありません!」


鹿目円奈は、騒然たる馬上競技場のど真ん中、周囲の観客席を埋め尽くしたエドレスの人々にむけて、
高々と声明する。


競技場はますます騒然とし、だんだん、不満の声、野次の激しい声がとびはじめた。


ざわざわざわ。がやがやがや。

雑言が混ざりだす競技場の声援と騒乱。


「ここからずっと北、バリトンの地で生まれ育ちました」



見物客の戸惑いの声を気にせず、鹿目円奈は、大きな声で語る。



「そして騎士としてここにやってきました!」


騒然だっていた馬上競技場の空気は、いっきに静まった。


雑言や野次は消え、声援すら消えて、一気に静まる。


今までジョスリーンの侍女で、紋章官を務めていたとされていたはずの少女みずからが、自分は本当は騎士だ
と名乗ったのだから、驚きで誰もが声を飲み込んでしまったのだ。



審判と市長、裁判官まで、これには驚いた様子をみせる。

彼らは特別席で姿勢を直す。



「この都市にくるまで、いろいろなものを見てきました」


自らの正体を明かした鹿目円奈は、都市の観衆むけて、怖気けず語り続けた。


「農村をみてきました。そこではたくさんの農民が、農業に励んでいて、都市の人々のために麦を育てていました」


観衆たちは静まり、ただ円奈の話を深沈とした様子で聞いている。

都市育ちの市民たちが、自分たちの普段の食べ物がどこから来ているのか、直に語られて、話に関心を引かれてしまう。


市民たちはパン屋へいって、パンをかったり、蜂蜜を食べたりするけれども、そもそものパンを焼くための
麦穀や、蜂蜜は、都市のなかではなく農村でつくられたものだ。


その農村が都市に麦を売りに来てくれるから、都市はなりたっている。


蜂蜜は、農村の領主の城で巣箱をつくって、つくっているのだ。


だが都市生まれの市民は、その現実をなかなか知らない。頭ではわかっていても農業の実態はしらない。

ギルド組合のことになら市民はよく知っているが、三圃制農業のことはしらない。その手法もしらない。
”都市の空気は自由にする”とすらいわれた都市生まれの人々が、”農奴”とすらいわれる農民の暮らしは
しらない。


だから、農村を実際に見て旅をしてきたという少女の話に、市民たちは興味をそそられている。



「森をみてきました。そこではたくさんの人と、魔法少女が、縄張り争いをしていました。たった一つの土地を
めぐって……命を張って戦っていました」


市民たちは、都市の外という、自分たちが知らぬ世界の話に興味をひかれ、聞き及んでいる。

観衆のだれもが静まり返って静聴する。


ジョスト決勝戦の見物にきた、観客席に紛れる魔法少女たちも、都市の外で生きる魔法少女の話に、
関心をひかれている。

都市の魔法少女は、もちろん人間関係で苦労はするけれども、命がけの縄張り争いをするほど辛辣な現実に
あたることはめったにない。修道院という組織にみな属して、最低限のルールがあるからだ。


だがそのルールさえ無用の農村世界、森の世界では、命がけの縄張り争いが展開されている…。


そんな話を異国からきた騎士から聞かされて、都市の魔法少女は、ただただ円奈という少女の話に
気を引かれてしまう。



「そして私は、生まれて初めて都市にきました」

少女はつづけた。

「都市のみなさんには、外の世界が未知ですが、私には、都市の世界が未知でした」



市民は静寂とする。盛り上がるはずの決勝戦は、不思議な静けさに包まれる。

観客の声ひとつなくて───

でも誰もが少女の話に夢中にななっているかのような、静かな熱気だ。



「都市は大きくて…いままでみたこともないほどたくさんの人がいて……たくさんの人が関りあいながら
暮らしていました。たくさんの人が店をだし、食べ物を売り、職にいそしんでいました。そんななかで、
私は会ったのです」


いきなり、市民たちの様子がはっとなる。


「わたしはそこで会ったのです。今回わたしが紹介することになる騎士……今から決勝戦に挑む騎士は」


市民たちは心にどくどく、じわじわと沸き立ってくるよな興奮を胸に抱きながら、少女の紹介話に耳を
傾ける。

みな無言。円奈の話に集中するだけ。


「夜警騎士でした。初めて都市にきて、右も左もわからない私は、夜に宿も見つけられず、寝床もなくて、
そのとき助けてくれました。それが私とその人の出会いでした」


円奈はもったいぶる。

市民はもどかしそうに、観客席でもじもじ、身をよじる。


「その人は私だけに限らず、都市の市民のみんなを守る人でした。市民のみんなが安心して眠ることが
できるように。都市の犯罪はその人が防ぎます。わたしもそうして助けられました。その人は、店でたまに
だされるワインの細工も見抜き、みなさんの口に腐ったワインが入ることからも守ります」


あっはははは。

観衆の何人かが苦笑する。


悪徳商人には困らされた思い出のある市民たちならではの笑い声だ。


「しかしその人が守りたいのは市民だけではないのです」


笑い声が消える。

話の意外な展開に観衆はまた静まり返る。

少女の声に誰もが集中する。


「その人が本当に守りたいのは、都市の平和です。都市の平和は誰が守っているのでしょうか。都市にきたばかりで、
右も左も分からない私には、それは分かりませんでした。でも、その人がこのジョスト決勝戦に挑むその
気持ちなら分かります」


市民、貴族、騎士、市長、裁判長、ギルド職人たち、魔法少女…。

観客席を満たした、都市に住むさまざまな人々が、円奈の話の続きを待っている。


「都市の平和を守るのは騎士と、魔法少女です!」


円奈ははっきり、都市じゅうの人々の、視線と注目が集められているなかで、言い切った。


「騎士は都市を犯罪から守ります!魔法少女は都市を外敵と、内なる敵から守ります。内なる敵は、
魔獣です。そうして都市の平和は守られます!」


驚いたように目を見開き、あっとなる市民たち。

魔法少女たちまでこの発言には驚いて、大きく目を瞠ってしまった。



というのも、都市の魔法少女たちは、声を大きくして”自分たちが都市の平和を守っている!”なんて
市民に対して主張したことなどなかった。


そんなこと主張したところで、たいして相手にされないからだ。




だが少女は言い切る。それもはっきりと。



都市の平和を守っているのは騎士と魔法少女だ、と。


「決勝戦に挑むその人は、いいました。魔法少女の助けになれる騎士になりたい、と」


観客席の魔法少女たちが首をのばし、いてもたってもいられず席を乗り出す。

まわりの市民たちが嫌そうな顔をしようがお構いなし。




「都市の平和を守る騎士と、魔法少女が、助け合うことがあれば、それは素晴らしいことだって思います!」


円奈は大声で観衆たちに言い切る。


「さあ、ご紹介いたしましょう!」

ばっと手をあげる。


わあああああ。

市民も魔法少女も、同時に席をたって拍手しはじめる。



「市民の守護者にして未来の魔法少女の守護者!その名は────!」


指をたて、ついに紹介もクライマックスに。


「私の誇らしき友人!アデル・ジョスリーン卿!私と同じ騎士にして決勝戦に
ベルトラント・メッツリン卿挑む勇者!どうぞ応援ください!」


おおおおおおおおおっっっ!!!


馬上競技場の盛り上がりは最高潮へ!


最高の盛り上がりのなか円奈はお辞儀してフィールド上を小走りで去る。



にも関わらず、観衆の歓声と騒ぎはいっこうに収まらない。


誰もかも、叫び捲くりの、雄たけびだしまくり。


大歓声の嵐だ。


審判は、とてもこんな不正は認められない、と苦い顔を噛み締めて、ニセ紋章官の騎士を見つめていたが。


ついに自分の負けだとばかりに顔をくずして、ついには笑い出し、呆れたようにパチパチ、拍手しはじめた。


観衆たちの拍手にまぎれて。



裁判官と市長も二人して苦笑している。


「なんとイレギュラーの多い今年度の馬上槍試合なことか」

審判はもう呆れたように笑いながら、拍手しつづけていた。

「女性騎士の参加、紋章の読み間違え、そこに魔法少女の飛び入り参加、棄権寸前に屋根からの登場、
最後には紋章官の身分偽証告白…めちゃくちゃです」

しかし審判はもう、笑いをとめることができない。



怒る気力も、円奈という少女の罪状の追求すらする気力もでず、ただ呆れたように笑ってしまうだけ。



「これほどルールが破られているのになんと市民の楽しそうなことか」


審判は市民も魔法少女も盛り上がりまくる観客席を眺めながら、まだ笑い続けた。



円奈はジョスリーンのいる出撃位置にもどってきた。


「ありがとう」

ジョスリーンはいった。

「キミらしい紹介だった。ウソを嫌うキミらしい、すべて明かした真っ白な紹介だ」


「本当はちよっと恐かったんですけどね…」

円奈は苦笑した。

「ルッチーアちゃんに、ウソはいけませんって、叱っちゃったし…だったら自分だってウソついちゃきっとだめだな、
と思って…」


「なにはともあれ、いろいろあったが、いよいよ最後の決勝戦なんだ」

ジョスリーンは槍をしかと手に握り締める。

「応援していてくれ」


「もちろんです」

円奈はニコリと微笑む。

「応援しています。勝ってください」


はっきりしたもの言いに、ジョスリーンは歓心したような表情で円奈をみたが、やがてフィールドへ目をむけた。


フィールドの向こう側には、決勝戦の相手・メッツリン卿がいる。黒い馬にのった黒い騎士がいる。


決勝戦の相手は都市最強の騎士。



「相手に不足はない」

女騎士は数歩馬を進めた。


出撃位置のフィールドへ飛び出すギリギリまで前に出る。気持ちは、いつ始まってもいい準備ができている。



「ジョスリーン卿!メッツリン卿!準備はよろしいか?」

すると審判が二人に問いかけた。


二人の騎士は槍を同時に持ち上げ、上へ掲げる。



審判は二人の準備よしの合図を見届け、すると合図旗をもって前へでた。


裁判官と市長も頷き、許可がでて、審判はフィールドへ。



決勝戦、ジョスト一戦目。


フィールドで、審判の合図旗がゆっくり降ろされる。白い旗がそよ風にゆらめく。

観客席の人々は息を飲んで見守る。

これがふりあげられれば決勝戦開始だ。




ジョスリーンは面頬のプレートを閉じて、目を細めた。

メッツリン卿。


勝てば結婚しろとせまってくる騎士。


「もっとマシなプロポーズはなかったものかね」

女騎士は片目を細めながら決勝戦の相手に毒舌を吐く。



いっぽうメッツリン卿も戦闘モードに入っていた。

ほとんど殺し合いに近いトーナメント槍試合の数々で生き残っている彼は、自分の優勝を信じて疑わない。


「最高の戦利品が手に入る」

彼は決勝戦の相手を見ながら、愉快そうに呟いた。


すると、次の瞬間。


ばっ。


審判の合図旗がふりあげられ────。


晴天の燃える日差しが注がれるなか、馬上槍競技の決勝戦ははじまった。



どおおおおおおおっ。


審判が白色の合図旗を振り上げるのと同時に都市じゅうの人々がどっと声援をあげて叫ぶ。


歓声一色となる槍試合のフィールドを、二人の馬が駆け出した。




「優勝はいただいたぞ!」

メッツリン卿は槍を伸ばし、前へ倒しながら、馬を走らせだした。

右手に持ち、まっすぐ対決者へむけ、槍を馬の勢いに乗せる。



「やぁ!」

同時に女騎士も馬を駆け出した。

ヒヒーンと馬がなき、前足ふりあげると、柵の敷かれたフィールドへ出撃する。

日差しの照りつけが女騎士を煌かせる。甲冑が輝く。

「とおっ!」

掛け声あげながら槍を前にのばす。決勝の相手を叩き潰すべく。




求婚する騎士と求婚される女騎士の、ジョスト決勝戦はこうして火蓋が切られ、泣いても笑っても最後の
一騎打ちがはじまった。


二人の騎士は柵に沿いながら距離を縮める。



馬の速度が速まる。


ドダダダッ。

大きく脚を前にだし、激しい勢いでバタバタ走り出す。

蹄の音は、競技場じゅうに轟く渡る。




どんどん近くなる二人の騎士。



近まれば近まるほど観客たちの声援が大きくなる。


円奈は身を固くしてジョスリーンが敵騎士に挑む後姿を見守りつづけた。



ジョスリーンの侍女、レミアたちも、激突の瞬間、思わず席をたちあがった。


魔法少女たちも目を瞠った。


次の瞬間!



バキキ!


ドガッ!

ドゴッ──!


決勝戦のジョスト一回目、槍同士が激突!


二人ともやりのコントロールは完璧だった。


二人とも相手の急所をついた。


互いに左肩にあたり、正確な攻撃で、あとは落馬しないように耐えるだけとなった。


二人の騎士は槍攻撃を受けて、槍のぱらばらと砕けた残骸の棒が、馬同士の突っ走るフィールドに落っこちるなか、
馬に乗りつづけ、ジョストを走りきる。



互角の戦い。


途端に大歓声が再び沸き起こった。



「お嬢様っ……!」

あぶなっかしい槍同士の正面激突を目の当たりにした侍女のレミアは、思わず目を覆ってしまう。

「ああっ…お嬢様あんなことして…!どうか傷がつきませんよう…!」



ジョスリーンは馬の並足で出撃位置にもどってきた。

円奈の前にもどってきて、砕けた槍を捨てる。


「息ができない!」

ジョスリーンは苦しそうに鎧の胸元を籠手でガンガン叩いた。

「ものすごい力だ!うぐっ…うぐっ!」

苦しそうに喘ぎ、懸命に喉に息を吸う。




「ジョスリーンさん…!」

円奈が心配そうに張詰めた声を漏らす。



ジョスリーンは苦しげに、左肩の甲冑の接合部分にめり込んだ槍の破片を、身体から抜いた。

途端に血があふれ出た。


「うッ…!」


ジョスリーンは顔をゆがめ、抜いた破片から血が滴るのをみた。

血は砕けた槍の木片に染み、じわっと赤色をひろげていた。


ジョスリーンは血のついた破片を投げ捨てた。


二本目の槍を円奈に渡されてそれを持つ。


「負けられん」


ジョスリーンは自分に言いか着せ、歯を噛み締め、痛みをこらえ、きたるジョスト二回戦へ備えた。



対するメッツリン卿も出撃位置にもどっていたが、余裕の顔を浮かべていた。


「さすがに練習を多く積んでいるだけあって技はあるが」


メッツリン卿は相手を冷静に分析して評価くだすくらい、余裕だった。


「そんなことでは私は倒せん」


従者たちが見守るなか、メッツリン卿は二本目の槍を手に持つ。


「力がなきゃ技があったって倒れん。すぐれた剣術が大木を倒すか?最後に勝負を制するのは力だ」



「現在、1-1で引き分け!」

審判は高らかに宣言する。


「ジョスリーン卿、メッツリン卿、準備はよろしいか?」


二人の騎士は槍を持ち上げ、応える。



審判は頷き、合図の白旗を持ち、フィールドへ出た。


ジョスト二回戦。


その幕がもうじき開く。

280



都市広場の噴水にウスターシュ・ルッチーアがいた。


年齢にして17歳。魔法少女歴1年。エドレスの都市に生まれ、市民として魔法少女になって、
人間関係やら恋人関係やらに苦労してきた少女。


苦労してきたというより、彼女の人間関係はほとんど壊滅状態。

友達はいない、恋人はできない、家族にすら勘当されるの涙なしには語れぬ境遇。


すべては自分が魔法少女に契約したことからはじまった。

この破局は。


でも、そんなふうに考えてはいけない。


自分が魔法少女になったことで絶望すると、死が速まる。


ルッチーアは噴水の水面に映った自分の顔をみつめていた。



水面には青空が映っている。

ゆらゆらとゆれる水面に映る青空は、水の世界の幻想的な空のよう。



黒い髪は肩あたりまでのび、最近浴場にいってないから、乱れはじめている。

最近の喧嘩沙汰のせいで枝毛があちこちにある。



黒い瞳。

漆黒の瞳ともいえる黒い瞳は丸々としていて、くりくりした女の子の瞳。


ばしゃばしゃっと顔を洗う。


顔が水だらけのまま都市へ向き直る。


扇形の都市広場が視界にひろがった。



広々とした町の広場。公園。


市庁舎の臨む広場は、周囲に、レンガ造りなど石造りの建物が立ち並ぶ。裕福な層の家々。



後ろで聞こえる噴水の音が心地いい。


気分を落ち着かせてくれる。


それに扇状のひろがった都市広場は、空が見渡せる。


白い雲が流れる晴れ空。

レンガの囲壁に守られた城塞都市だが、空はいつだって綺麗だ。



ルッチーアは都市の外の世界をしらない。


都市の外には、広大な大自然と、どこまでも続く森、花畑に湖、高々と連なる山々がある。

巨大な岩をドンと地上に置いたかのような切り立った山々が、冠に雪を戴いて、立ち並ぶ世界。


その眺めはきっと美しく、信じられないほど雄大な世界があるのだろう。



しかしそんな大自然を人間が住む世界とは考えない都市民であるルッチーアには、そんな世界に
飛び出していこうとも思わない。



でも円奈は飛び出していく。

もともと雪景色の山々に囲まれた高原峰で育ち、やってきたあの少女は、この都市もやがて発ち、
聖地へむけてこの途方もない地上の遥かなる世界へ旅していってしまう。


無数の山々を越えて、夜がくるたびに深森のなかで眠り、食べ物は狩りで得る。山河にめぐりあえば喉を潤す。


朝がくれば馬に乗りこなし、野道と獣道を進み、地道に聖地を目指す。一日何マイルかすすんで、2000マイルもむこうの大陸を
めざす。




ルッチーアには到底、想像もできない日々。



都市生まれからすれば考えられもしない日々だが、農村生まれの人々からすれば、都市の生活こそ考えられもしない
日々。


なにせ自然に囲まれて育った農民が、見渡す限り人工物しかない都市をみたら、驚くにちがいない。


自然ありきという常識を打ち破られてしまうだろう。


地面の石畳、その四方はすべて市壁に囲まれた城塞都市で、なかに樹木の一本も土も湖もない。



鳥も猪もいなければ、脅威の獣である森の狼もいない。



そこの生活は守られている。

もっとも守っているのは私たち魔法少女だが。



しかし農村世界、あるいは森と山の世界では、魔獣を倒す魔法少女さえ自分の土地を守るために命がけで、
激しい乱世の世界を生きている。



ルッチーアは都市のなかを歩く。

第一市壁、第二市壁…都市が大規模に成長していくにつれて、建て直されて大きくなる囲壁。


かつて汚染されていた川の、アーチ型のレンガ橋を渡って、馬の引く荷車が行き来する人々の間をすりぬけ、ごみごみした街路へ。

天井の多い持ち出し構造をした木造の家々が並ぶ通路にきた。


真ん中には雨水を溜める溝が。

糞尿もここに集められる。



きづいたら、自分の家の前にいた。


さんざん家族から金を魔法悪用で稼ぐように言われ続けて、ついに嫌気がさして、飛び出してしまった家。


いま、ルッチーアの手元には、円奈と二人で賭博を勝ち抜いた200枚の金貨のうち、半分の100枚がある。

家族が数年かかっても稼げないような大金。



お金持ちになりたいと契約して、お金持ちになった。


魔法少女としての自分の希望がここにある。


なのに、胸のなかは寂しさでいっぱいだ。


果たしてこのまま家に戻ってしまうのが正しい道なのか。

家にもどれば、たちまちこの金貨100枚は家族のために使われ、自分は魔法少女として家族に認められる
かもしれない。

家族はお金持ちになり、貧民層を脱する。つまり、中流階級にのしあがる。

まさに契約して望んだことだ。それが叶った。


でも、金の醜さを知ってしまった。

あの宿の女主人といい、闇ジョストといい……金は、人を醜くさせる。




いま自分は戻るべきなのか。

家に。


一歩踏み出すと、猛烈な悔しさが心中に生まれた。


この金貨は…100枚の金貨は……自分の希望。だが、希望の中身は……醜く、真っ黒だった。



「ちがう」

ルッチーアは振り返った。

目に溜まった水滴をうででぬぐった。

「私が戻る場所は、こっちじゃない」



自分には、還るべき場所がある。


でもその前に、最後まで見届けなくちゃ、還るにも還れない。


だから。


「どうか間に合って」


といって、ルッチーアは急いだ。

281


馬上槍競技場ではジョスト二回戦がはじまろうとしていた。

泣いても笑っても最後の決勝戦、二回目のジョスト。



観客という観客、観衆という観衆がもりあがっているなか、審判は合図旗を降ろす。



ばっとそれがふりあげられる。


おおおおおおっ。


観衆たちが沸き立つ。


二人の騎士がフィールドに駆け出す。



ババババッ…



槍を前に突き出した二人の騎士が、激突しあう。


中央の柵を隔てて入れ違い、騎士同士は槍をぶつけあう。


ヒヒーン!

馬が鳴く。


ジョスリーンの槍もメッツリン卿の槍もくだけた。


二人とも顔面に直撃した。



互いに狙う場所が同じだった。


さっきは左肩、こんどは顔面……

技のレベルは同等。二人とも急所を正確に打てる。



ジョスリーンもメッツリン卿も顔面に槍をうけて大きく仰け反る。


バキバキと槍が細切れに砕けてゆき、ジョストをした二人の馬のあいだ、柵のところに落ちていく。


顔面を突いた槍の先端はこうしてフィールドのなからバラバラと砕けて落ち、原型も残さなかった。

フィールドは槍の破片だらけとなる。



二人の騎士はジョストを走りきる。



応援と声援が高まる競技場の熱気。


「3-3でジョスリーン卿、メッツリン卿、現在引き分け!」


審判が宣言する。


「最終戦にうつります!」



ジョスリーンは出撃位置にもどってくる。


侍女のレミアは、いかにも恐ろしいものを見てしまったという顔をして、表情をゆがませ、主人の無事を祈る。


ジョアール騎兵団も緊張した顔つきで女騎士を見守っている。


メッツリン卿が勝つかジョスリーン卿が勝つかで喧嘩した漁師一家も、カップルたちも、互角の戦いから
目が離せない。


レーヴェス、ビュジェ修道院長……黙って試合の行方を見守る。


市長、裁判長…あの女騎士と紋章官の裁判沙汰を知っている二人は、心内でひそかにジョスリーン卿を応援。



ルッチーアと娼街で喧嘩した茶髪の魔法少女、ルッチーアの不在に不満げな顔をしつつ試合を観戦する。


ロジャー・モーティマー卿、クラインベルガー卿、アンフェル卿、フーレンツォレルン卿。


今までジョスリーンと戦い、敗れた騎士たちまで、不満げな顔をしている。


自分に勝って決勝戦に進むのだから、勝てよという気持ちをてしいる。


残り半分はメッツリン卿のことを応援する。


彼の勇姿に夢中な男女たち。


メッツリン卿を応援する緑色の旗を振る。



さまざまな想いが交差するなか、ジョストは最終対決を迎えた。

282



日が落ち始めていた。


都市開催の馬上槍試合は四日目、五回戦と準決勝と決勝戦。



午後を過ぎ、日差しは輝きを失いつつある。


大空はオレンジ色に染まり始める。



そんななか、今年度の都市開催のジョントは決勝戦へ。

それも、三回戦。最後も最後もジョストだ。



「現在、3-3で引き分け。ジョスリーン卿!メッツリン卿!準備はよろしいか?」

いよいよもって最終対決となり、審判の声もいささか緊張していて固い。


観客席の観衆たちも顔を固くして、最終対決の始まりを見守っている。

まさに緊張の沈黙。息を殺して見守る観客たち。



オレンジの日差しが木造の槍競技場に降り注ぐ。競技場全体が輝く。騎士二人は槍をばっと上へ持ち上げる。


生暖かい空気。観衆たちの熱気と夕暮れの暖かさが交じり合う空気。


決勝戦の空気。



審判は緊張した顔つきを浮かべながら、ゆっくり頷き、最終対決の幕をあげる合図旗を持ってフィールドへ出た。

前へあるき、槍の破片だらけの柵の前へ。



誰もが声を殺して審判を見つめる。


まさに合図旗をあげようとしたとき、少女の声が轟いた。


「まってよ!」


どこからか声がして、観客たちがいっせいに声のした方向へむく。


審判も顔をあげて声の方向をむいた。


「まってったら!」


赤色がかったオレンジの日差しが降りる頃、その燃える夕日のむこうで、黒い魔法少女が現れた。


はあはあ息を喘ぎながら、馬上競技場へ現れる。



観客席に座っていた見物客に紛れた魔法少女たちが、顔を綻ばせる。

レーヴェス、修道院長が、嬉しそうに笑った。「ルッチーア…」


娼街で喧嘩していた茶髪の魔法少女も鼻をならした。


「なに私なしで決勝戦はじめてるのさ!」

ルッチーアはぜえぜえ息つきつつ、ジョスリーンと円奈に叫んだ。

「私はいらないっていうのか!」


「いや、時間がきていたものでね」

ジョスリーンは甲冑の面頬をいちどあけた。

魔法少女のほうへふりむく。「次で最後の三回戦だ」


「次で三回戦かい、そーかい」

膝に手をつけて息をはあはあ吐きながら、呼吸を整える。

「で、今の点数は?」


「3-3で互角だ」

ジョスリーンは答えた。


「私なしで二回戦もして……」

ルッチーアは顔をあげた。

「あんたらが決勝戦にこれたのは私のおかげだぞ!」


ジョスリーンも円奈も笑った。

「そうだな、五回戦で円奈にかわって紋章官をしてくれたな。キミのおかげだ」


「だったら私なしで決勝戦するなよ!」

ルッチーアは怒っている。

「決勝戦くらい、私にも見届けさせろってば!」


「わかっている。この二回戦までは前哨戦みたいなものだから、大丈夫だ」

ジョスリーンは前に向き直った。金髪と翠眼をしたその姿にオレンジ色の夕日が降りる。

「次が本番だ」


夕日を浴びる女騎士の姿。

騎乗姿は、燃えるような赤色の日差しを帯びる。

その色が甲冑にも映る。夕日の色が。



「ジョスリーン卿の人員が揃いました!」

突然、馬上槍競技場で、ある人が席をたって、大きな声を競技場にだした。


なんと、それは、特別席に座る、市長だった。


「ジョスリーン卿らは、あの三人で一つ。やっと揃いました!」


市長の声は、都市じゅうの人々が観戦にきた観客席のほうへ、届いていく。


「選手として挑むジョスリーン卿。それを支えた異国の騎士鹿目円奈と、そして魔法少女の
ウスターシュ・ルッチーア。彼女たちは決勝戦にくるまでいろいろありましたが、三人いてはじめて
この決勝戦にまで来れたのでしょう!最後の最後にして、ようやく三人揃いました。さあ、エドレスの都市の
諸君!皆で見届けましょう。この決勝戦を!」


パチ、パチ、パチ。

市長は特別席を立ちながら、拍手する。



すると、次には。


パチ、パチパチパチパチパチ。

市長につづいて、都市じゅうの観客も、拍手しはじめた。


市民、貴族、騎士たち、魔法少女も───一緒になって拍手する。


パチパチパチパチパチ……


満場の拍手。優しい拍手だ。波乱に満ちた三人の決勝戦進出を、暖かく、迎えた。



「いっただろう、次が本番だって」

ジョスリーンはもう一度馬上で振り返り、ルッチーアをみた。

「キミがこないと本番じゃないのだ」


「…」

ルッチーアは言葉を失くして女騎士をみあげている。


競技場に響き渡る、観客席からの拍手も。



フィールドの向こう側にたつメッツリン卿は、顔色ひとつ変えず最終決戦の始まりを待っている。


「でも…私は」

ルッチーアの声は、寂しい。

「わたしは、この試合が終わったら、また一人になるよ」


円奈は聖地に旅立つ。

ジョスリーンは実戦にでる。


「私だけ残されるんだ」

ルッチーアは呟いた。

「帰る家もない、都市からも出れない。一人だよ」


顔を俯かせ、黒色の前髪に表情を隠してしまう。


市長は特別席に座りなおした。


審判は、合図旗をあげてもよいのか迷っていて、ジョスリーンらの様子をうかがっている。



顔を俯かせている黒髪の魔法少女。

都市で円奈とジョスリーンを暴行事件に巻き込んだことからはじまった、この三人の馬上槍試合。


するとジョスリーンは、決勝戦に挑む前、最後にルッチーアに語った。

それは最後の会話だった。


「ルッチーア、わすれるな」

女騎士は告げる。

ジョスリーンが話し出すと、ルッチーアは顔をそっとあげた。


「いつも、どこかで、だれかが───」

ルッチーアがジョスリーンをみあげる。

女騎士の甲冑姿が夕日に照らされる。

「キミのために戦っている。それを忘れない限りは────」


いよいよ、決勝戦だ。


「おまえは、孤独などではない」



女騎士は面頬を閉じ、円奈から槍を受け取った。


審判は合図旗をふりあげた。



ジョスリーンは最終対決へと馬を駆け出していった。


「やぁ!」

掛け声だし、馬の速度をはやめる。「はぁ!」

馬が走り出すと、槍を前へむける。



夕日を帯びて煌く女騎士は、ジョストのフィールドへ。


ジョスト最終対決へ…。



対するメッツリン卿もフィールドへ駆け出した。


槍を前に突き出し、馬は柵の隣を走る。速度はすぐに高まる。激突に申し分ない速さとなる。




都市じゅうの人々、魔法少女、市長に裁判長───これまで戦ってきた騎士たち。


全員が見守っているなか、槍同士は激突した。



槍の砕ける音は、競技場じゅうに轟き渡る。


ドガッ。

バキッ!


二人の槍が砕ける音。


互いの身体に直撃する槍。



正面から槍を伸ばして当り散らす二人の騎士…。


これが、本当の本当に最後の激突。


そして、決着はついた。



猛烈な一撃に耐え切れず、ついに、騎士の身体は落ち始めてしまう。


後ろ向きによろけ、騎士は空をみあげ、視界いっぱいに夕日をみたあと、がたん…と音をたてて、地面に落ちてしまう。



落ちたのは……。




ジョスリーンだった。



女騎士は空をみあげながら、馬から落下し、手足を投げ出して、フィールドで仰向けとなった。



馬だけがジョストを走り抜け、向こう側に辿りついた。



メッツリン卿は勝利した。


折れた槍をふりあげ、勝利のポーズを示す。



審判はジョスリーンが落馬し、メッツリン卿はジョストを走りきったのを認め。

顔を頷き、声高に宣言した。


「ポイント、3-6でメッツリン卿の勝利!優勝、ベルトラント・メッツリン卿!」


審判の宣言する声が遠く聞こえる…。



ジョスリーンは、赤く染まった夕日をみながら、きれいだ、と思った。


草原に寝転んだかのような気分が胸にひろがっていく。

爽快な気持ちだ。


「私の騎士を目指す夢は」

ジョスリーンはすうと息をすい、目を閉じると、言った。「終わった…」


夢は終わった。

ジョスリーンの、女騎士に憧れ焦がれる夢は、いま、終わった。



競技場で叫ばれる歓声、声援、黄色い声の嵐…。


それらの全ての声が、遠く聞こえる。



人は誰だって夢を見る。

多くの場合、つかめず叶えられず、夢は崩れてしまう。


でも、それでも追い求めて。

夢にむかって真っ向に突き進み続けたジョスリーンの姿は。


たしかに、いま、都市じゅうの人々に、見届けられた。

283


全ての種目の試合がこうして終わり、表彰式が開かれた。


表彰式は、市長が同席し、その隣で審判が、試合結果を副審判が書記として書きとめた試合結果の羊皮紙に
目を通しながら、優勝者、準優勝者のの名を呼ぶ。


すべての槍の破片が片付けられたフィールドに、今年度の競技大会に参加した全ての騎士、70人あまりが、
整列している。


私服の騎士もいれば、甲冑姿の騎士もいた。


夕日を帯びて鎧がオレンジ色の光を反射する。



「フレイル試合優勝者───」

審判がくるっとまとめられた羊皮紙を上下に開き、内容をよみあげる。

「ロジャー・モーティマー卿!」


おー。

パチパチパチパチ。


フレイル試合の優勝者が市長の前に出て、お辞儀すると。


すると市長は都市側で用意した賞品を、表彰状とともにモーティマー卿に手渡す。


モーティーマーは卿は二つとも受け取り、またお辞儀する。


表彰状には、モーティマー卿の紋章が、描かれていた。

黄色い盾に、赤いバッテンを印した紋章だ。


表彰状の下部分には、市長による真っ赤な封蝋が捺されている。


「剣試合優勝者───」

審判はまた、あらたな羊皮紙を両手つかって上下に広げ、読み上げる。

「アクイナス・シュペー卿!」


といった調子で、表彰状の授与が、つづく。


夕日の赤色はますます濃くなる。


「弓試合優勝者───ストーリブル・シャステル卿!」


弓試合の優勝者は表彰状とともに、金メッキの施した矢を受け取る。


「そして、馬上槍試合優勝者に、準優勝者───」

一気に騎士たちの注目が増した。


審判が一度息いれてから、羊皮紙を慎重に読み上げる。



馬上槍試合の優勝こそが、最も名誉で、最も高価な賞品を得られる。

ジョストの参戦者は非常に多いので、準優勝者まで、式で讃えられる。



「発表します。準優勝者は、アデル・ジョスリーン卿!」


おー。

ぱちぱちぱちぱち。



騎士たちと市民たちの拍手が起こる。


ただ準決勝まで勝ち進んだ、健闘を演じてみせただけでなく、紋章官の読み違いから魔法少女の乱入、
最後には紋章官が実は異国出身の騎士だった等等の、観客たちを何度となくハラハラさせたジョスリーン一行の
戦いぶりを、誰もがここでは讃えた。


ジョスリーンは市長の前にでて、表彰状と、金メッキを施されてできた小さな騎士を象った駒を受け取る。

手の平サイズの騎士の駒で、きらきら、金色に輝いていた。



「続いて、馬上槍試合の優勝者にして今年度の総合大会優勝者───!」


審判がいきなり声をいっそう高くして読み上げる。


騎士たち、市民たちの注目が集まった。


「発表します!」

審判は羊皮紙に描かれた緑色ベースに銀色の月を描いた、有名な家系の紋章を読み上げる。


「ベルトラント・メッツリン卿!」


おおおおおおっ。

ぱちぱちぱちぱち。



騎士と市民じゅうの喝采が沸き起こる。メッツリン卿は表彰状と賞品を市長から授与され、お辞儀する。


お辞儀したあと、観衆へくるり向き直って、両手に授与されたものを掲げた。


右手には賞品、つまり金色の大きなカップ、左手には賞状。

両腕をふりあげて優勝っぷりをアピールする。




もう何度となく大会総合優勝者になっているメッツリン卿は、今回も観衆たちから喝采を浴びた。

284


表彰が終わると、市長は、今回の大会に参加したすべての騎士たちにむかって、式辞をはじめる。


「今回、私の都市開催の大会に参加した、エドレス領内の騎士の諸君、それから、国外の騎士の諸君…、」



こういう話はほとんど誰もきかない。



隣同士並び立ったジョスリーンとメッツリン卿は、市長の前に整列しながら、式辞は聞きもせず二人で
会話をはじめていた。


「いい戦いでしたよ」

メッツリン卿はジョスリーンに話しかける。

「私に勝つには力不足でしたが」


「そうだな、それは認めよう」

ジョスリーンも答える。市長の式辞は、もう二人の耳には入らない。「見事な一撃だった。普通の騎士は
槍をあてただけで終わりだが、あなたは私の腹の奥まで槍を突き出した。今も腹が痛い。子を孕めなく
なったみたいだ」


「きつい冗談だ」

メッツリン卿は笑う。面くらったような笑い方だったが、余裕は消えていない。

「いろいろ理由つけて私から逃げるつもりかな」


「逃げるなど」

ジョスリーンは市長の顔だけは見つめている。話は耳に入らない。

「騎士のすることではなかろう」


「貴女はもう騎士ではない」

メッツリン卿は意地悪くいった。「貴婦人だ。それも、最も地位と富のある」


「それはどうかな」

ジョスリーンは、市長の式辞が語り終わり、みんなが拍手すると、自分たちもまわりにあわせて拍手した。


結局市長の式辞を一言もきかなかった。

ただ、まわりが拍手したから、自分も拍手するだけだ。


「私は逃げるもりはないといった。つまりこれから、前科持ちになるのだ。地位も富もなくなるよ」


メッツリン卿は怪訝な顔をした。

「どういうことだ?」


「この試合が始まる前、私はちょっとした職権濫用をしてしまってね」

ジョスリーンは答えた。

「これからその自白をする。そのあとでよければ、あなたと結婚しよう」



メッツリン卿はうろたえた。

前科持ちの貴婦人と結婚はできない。家系が認めるわけがない。父も母も親戚も。


「いったい何をしたというのだ?」

相手の話が信じられなくて、メッツリン卿は問いただす。


「夜警騎士の権限をつかって、魔法少女に有利な証言を通した」

ジョスリーンは告げた。「私は市長と裁判長に自白する。ルッチーアに罪状がいくが、そこは私が
なんとかする」


「魔法少女だと?」

メッツリン卿は愕然とする。自分の耳にした話が信じられない。

「そんなやつらのために家系に泥を塗ったと?」


「家系など、私にはどうでもいいし、家系も、私のことなどどうでもいい」

ジョスリーンは、貴族家系に貴婦人として生まれた自分の境遇と心境を、そう言い表した。

「あなたと結婚すれば、家系は喜ぶが、私はそんなことどうでもいい。私が前科持ちになろうと、
そんなこと家系にとってはどうでもいい」


メッツリン卿は顔を青ざめさせて固まる。


「それでは先に失礼するよ」

そんな固まっている騎士を尻目に、市長の式辞も閉会式も終わった場を解散して、ジョスリーンはその場を
あとにして去った。

285


ジョスリーンはルッチーアと円奈のもとに戻った。

甲冑は脱いでいた。


甲冑の下のダブレット姿。男装だった。



「こういう結果になったが」

ジョスリーンは、心配そうに見上げてくる円奈たちに、話した。

「おまえたちのおかげで、私は騎士になれた。そんな舞台に立てたんだ。こんな嬉しいことはなかった」


といって、円奈とルッチーア、二人の肩に触れる。

「ありがとう。感謝している」

今にも泣き出しそうな円奈の頭をぽんと触れる。

「聖地に旅する騎士、鹿目円奈。こんな私のために紋章官をしてくれてありがとう。
無事に聖地に辿り着けるよう、祈っているぞ」


ひっく。

円奈の肩が浮き上がる。


それからジョスリーンは次に、ルッチーアのほうに向き直った。

準決勝で得た賞品、金ぴかの騎士のおもちゃを、手渡す。


ルッチーアが訳もわからず賞品をうけとる。「これは?」


「きみにだ」

ジョスリーンは優しく笑いかけた。「金貨50枚くらいの価値はある。これから、キミに困ったことが起こる
かもしれない。そのとき、これを金貨に換えて、なんとかするんだ。私からの贈り物だ」


「金貨50枚…」

ルッチーアは手元に抱えた金メッキのおもちゃを見つめる。

これには、金貨50枚の価値がある。貧民層のルッチーアには到底手も届かないような金額。

「いらないよ、こんなの」

ルッチーアは顔をみあげ、ジョスリーンをみた。

「かえすよ!お金なんか、もういらないんだ」

景品をジョスリーンに突き返す。


自分が契約した祈りとは真逆の言動をとる。



「いや、キミのものにしてくれ」

ジョスリーンは首を横に振る。

「キミのものだ。これからくる苦境には、それで切り抜けてほしい。私からできるせめてものことなんだ」


「どうしてさ…」

ルッチーアは、また、下向きに顔を落として、俯いてしまう。

「どうして私なんかにそうまでしてくれるのさ……」


両手に抱えた金メッキの景品が、震えている。


「私はこれから、キミを助けるために酒場の暴行事件で職権濫用したことを自白する」

ジョスリーンがいうと、あっと円奈が驚いた顔をした。

「キミに容疑が再びかかるかもしれない。だから、金貨50枚で、罰金として支払えば、キミは安全だ。
市長には自白のとき、そのようにお願いする」


するとジョスリーンは、ルッチーアと円奈の二人に背をむけた。

「だから、キミたちとはお別れだ。一緒にジョストを戦ってくれて、本当にありがとう。では、さらばだ。
私は牢獄で暮らすだろう」


円奈が驚いて動けもしないままのとき、去るジョスリーンの背中を、ルッチーアは掴んで止めた。


「まって!」

ルッチーアは懸命にジョスリーンを引き止める。「まって!いかないで!」



ジョスリーンが振り返る。「はやくしないと、メッツリン卿が動いて、私の職権濫用のことはもみ消される。
私はいかねば」


「だめだ!いかないで!」

ルッチーアはそれでもジョスリーンを引き止める。「今は私と一緒にいて!お願いだから…」



ジョスリーンは困った顔をする。「どうしてだ?」


ルッチーアは、顔を震わせながら、恐ろしいことを口にした。「もう、限界、なんだ…」


ジョスリーンと円奈の顔に、驚きが浮かぶ。


「しってる?魔法少女には、限界があるんだ…」

ルッチーアは、ジョスリーンの背中を掴みながら、身体を震わせつつ、語る。

「限界がくると、円環の理に導かれる…」


ジョスリーンが魔法少女のほうに向き直る。


「一人で導かれたくない」

ルッチーアの身体の震えはとまらない。

じきにくる、もうじきくる、その時を身に感じ取って、恐怖に震えている。

「だから、今は一緒にいてほしいんだ」


ルッチーアの、身体の震えが、掴まれたジョスリーンにも伝わってくる。


人間には分からぬ終焉への怯え。



天から導きがやってきて、導かれるその瞬間を、途方もない気持ちで待つしかない恐怖。

逃れられぬ魔法少女の末路を待つだけの恐怖。


その恐怖がいま、ルッチーアを襲っている。


ジョスリーンは夕日の天をみあげた。都市の空を。赤色に染まった雲を、夕空を。


円環の理らしきものは見当たらない。

人間には見えないのだろうか。


「わたし、ここずっと、魔獣狩り、しなかったんだ」

身体を小刻みに震わせつつ、ルッチーアは、ジョスリーンと円奈の二人に、話した。


「ばかだなあ……円環の導きが近いって、自分でもわかってたくせして、グリーフシードも稼がないなんて」


人間の円奈とジョスリーンには、魔法少女の独り言の意味がわからない。

互いに顔を見合わせるだけ。


だが、今から、悲しいことが起こる、それだけは理解できる気がした。


「夜になったら魔獣を探しに行く…それが魔法少女の務めなのに、私はずっとあんたらと一緒にいた。
魔獣狩りなんてに出かけたくなくて、ただ、あんたらと一緒にいたくて…正義の魔法少女なんかしちゃってさ…」


円奈は、ルッチーアがここ最近ずっと、自分と同じ宿に泊まっていたことを思い出す。

それを思えば、ルッチーアは、魔獣狩りに夜間、でかけていなかったことがわかる。


だって、ずっと自分と一緒にいたのだから。



ルッチーアは力を失って、地面にばたりと倒れてしまう。

仰向けになって、天をみあげた。



いつくるかもわからない導きを待ちながら。

「でも、わたし、いますごく幸せなんだ」

震える魔法少女はいう。

「魔獣狩りはしなかったけど、あんたらと一緒にいる時間、楽しかったな。あんたらだけだったぜ。
魔法少女の言葉を、真に受けてくれるの」


ジョスリーンと円奈には、いま魔法少女にかけてやれる言葉がみつからない。

できることは、死に際の魔法少女の、言葉を、そばにいて、きいてあげること。それだけだ。


「だから、わたしからも礼をいうよ…ありがとう」

ルッチーアは微笑んだ。


「円奈、ジョスリーン、お願いがあるんだ」


もう、円環の理に導かれるのを待つばかりだけとなった都市の魔法少女は、最期に、願いを二人に託した。

「わたしが円環の理に導かれたら、わたしの残された体、修道院にもっていってくれる?脱け殻が残るのは
いやなんだ。同じ魔法少女のみんなにも面倒がかかる。それから、この賞品…」

ルッチーアは胸元に抱えた金メッキの騎士のおもちゃを抱きかかえる。

その手は震えている。

「家族に、渡してくれる?貧乏に苦しんでいるんだ。わたしの家族…だから、これを渡してしほいな。
約束してくれる?」


円奈が率先して動いた。

ルッチーアの前に膝をついて座り、彼女の両手を握ると、うんと答える。

「約束する」

ピンク色の瞳がルッチーアを見て、頷く。

強い意志が声にも瞳にも、こもっていた。「約束するよ。ルッチーアちゃん」


ルッチーアはまた、笑った。


幸せそうに…。


「ありがとう、ね」


その言葉を最後に。


パシッ。

ルッチーアの左手の指輪に亀裂がはしる。


「うっ…!」

いきなり、苦しそうにルッチーアが呻いた。


パキキ!

指輪の亀裂は増える。魂にはいった亀裂だ。そのたびにルッチーアの顔が苦しくなる。

「うッっ─!ぐっあ…!」

目をぎゅっと閉じて、耐えがたき苦痛と戦い、すると。



「…!?」

ジョスリーンは確かに見た気がした。


天から現れたピンク色の煌きを…。たった一筋の神聖な光の筋を…。


夕日の天空からあらわれたそれは、雲のあいだを伝い、あっという間に降りてきて、ルッチーアの指輪に流れ込み、包む。

優しい光が。


迎えがきた。


ルッチーアの苦痛が和らいだ。


ルッチーアは眠るようにぐだりと顔を横向きにして、とうとう、動かなくなった。

女神の優しさに包まれて、子守唄の音色のなかで眠る子のように。ぐっすりと…。



魔法少女の宿命を、ルッチーアは正しく辿った。


そして円環の理に導かれて、ルッチーアは、”神の国”へと旅立った。

286


円奈はいま目の前で起こったことが信じられないでいた。

彼女自身、実は、”円環の理”というものがどんなものなのか、知らないでいた。



ただ、来栖椎奈や、アリエノールから、”救いの地”と教わっていただけだ。


だから、魔獣と戦い続けた魔法少女を。


大切に祝福して、天国に送り届けるような、優しい救済だと思っていた。


だが円奈は、円環の理に導かれ、その天命を終える魔法少女の現実の姿を、いま初めて目の当たりにする。



魂だけ天にもってかれ、脱け殻が残された魔法少女の死体を…。


円奈にはそれが信じられない。

この残酷すぎる末路を受け入れることができない。


円奈は抱き上げる。

意志を失くしたルッチーアの体を……。


もう二度と動かない、ルッチーアの身体を…。



円奈がたまらず抱き上げると、だらんと首だけ垂れた。ルッチーアの死んだ瞼が開いた。

瞳に意志はなく、生気もない。でろんと白い目玉が垂れ落ち、呆然と地面を見下ろすだけだ。


太陽の日を目にあてようとも、瞳孔は大きくなったり小さくなったりしない。

完全に死んでいる。




「ルッチーアちゃん…!」

円奈にはこの残酷な現実が信じられない。

「ルッチーアちゃん!」

懸命に黒髪の少女を呼ぶ。背中を抱き上げる。でも、頭は力なく垂れてしまっていて、瞼は開かれ、瞳は
人形のように虚ろだ。


円奈がどんなに呼んでも、ルッチーアはもう動かない。円環の理に導かれ、魂は天へ導かれたのだから。


ジョスリーンは目を驚きに見開いて、まだ天を見上げている。


ピンク色の閃光が雲から現れた夕日の赤い空を。


「神の国は」

ジョスリーンは夕暮れの天空を見上げながら呟く。「実在するのか…」


赤色の雲が流れる。

人間の手には届かぬ天に…雲は流れ、夕日を帯びて赤色に染まりながら、どこかへ流れゆく。


雲はどこに流れてゆくのか。ジョスリーンには分からない。この時代の人間には知る術もない。

知るのは神のみ。



「ルッチーアちゃん…!」

円奈の頬から涙が伝い、ルッチーアの死んだ目をした顔の頬に落ちた。

「そんな…目を覚ましてよう…!」


少女の想いは、届かない。


「円奈」

ジョスリーンが円奈にそっと声をかけた。

「ルッチーアは、円環の理に導かれた。もう、戻ってはこない」



「円環の理に導かれたって…」

円奈は、まるで納得できない、というように声を荒げる。

「円環の理に導かれるってなに!?」


きっと、涙に濡れた目でジョスリーンを見あげる。

怒っている。


「ルッチーアちゃんがこんなことになっちゃって……ひどすぎるよ!」


ジョスリーンは何も答えることができない。

ただ押し黙って、死んだルッチーアと、それを抱きとめる円奈を見ていることしか、できない。


「これが救いなの…?これが、救われるってことなの…?」


円奈には分からない。

人間の円奈には、否応なしに天に命をもっていかれる円環の理の残酷な仕組みの、どこが、救いなのかが理解できない。


「ひどすぎるよ…ルッチーアちゃん…あああ…」

一緒に馬上槍試合の優勝のために。

あるときは口喧嘩し、あるときは別れ、あるときは助けられて、あるときは金貨100枚を賭けるヒヤヒヤを
共に体験してきた。


そんな彼女の悲しい末路、円環の理による死が、円奈には受け入れられなかった。


ルッチーアがどうして円環の理に導かれる最後の最後、怯えて震えていたのかがわかった。

自分は死ぬことだと、知っていたのだ。


「これが聖地ですることなの…?」


円奈は疑問を口にする。


「これが魔法少女の救いなの…?これが救いなら、聖地はこんなことばかりが、起こっているの…?」


だが世界中の魔法少女は、聖地を崇め、そして巡礼しにいく。

ルッチーアでさえ巡礼は夢見ていた。


「円奈」

ジョスリーンは地べたで泣き崩れてしまう円奈の肩に触れる。

自分もしゃがんで円奈に背を合わす。


「ルッチーアの約束を果たそう」


「約束…?」

ピンク色の瞳に目に涙を浮かべた円奈がジョスリーンに顔をむける。

「そう、約束」

騎士としての夢を絶たれたジョスリーンは、貴婦人として、少女騎士に丁寧に話す。

「この身体を、修道院に届けること、そして景品を家族に届けることだ」


目に涙を溜めた円奈は、泣き崩れた顔をしながらも、小さく頷いた。「…うん」


ジョスリーンも、優しげに微笑んだ。

287


夕暮れが深まる。


二人は馬上槍試合場をあとにした。


もう二度ともどってくることはない競技場。

円奈は一瞬だけ振り返る。



自分が紋章官として何度か紹介役をつとめた競技場。

ルッチーアの乱入が起こった競技場。



ジョスリーンがジョストに挑んだ競技場を、あとにする。


心で別れを告げる。



二人は夕日の降りる都市広場へときた。


広々とした扇状の空間は、地面も建物群も全て石造り。


空は赤い。

広場にくると、よりいっそうそれがわかる風景になる。空が見渡せるほどの空間だからだ。


夕暮れの都市。


雲が増える。夕日はますます赤色を増す。美しい夕空。

肌に心地よいひんやりした風が、都市に流れ込む。夜風だ。



ルッチーアの死体を両腕に抱えたジョスリーンは、都市広場の市庁舎、噴水の横を通り過ぎ、修道院へ。



都市の魔法少女たちが使う修道院。

円環の理の救いを、身に感じ取るための、魔法少女たちにとっての神聖な場。

人間世界の俗から隔たれた場。


円奈の目指す聖地の片鱗ともいうる神聖なる家は、ここに建つ。


修道院の入り口にはレーヴェスが番人として立っていた。

以前もやり取りした円奈たちとレーヴェスは、前とはまったく違う視線の交わし方をする。



ジョスリーンはすまなそうに修道院の入り口に近づき、石造りの階段をのぼった。


そして、ルッチーアの死体を、そっと優しく、入り口の扉の前に置いた。


「彼女を修道院に沈めてくれ」

ジョスリーンは番人に頼み込む。

「わたしがきみにしてしまったことはもちろん覚えている。だが、今回はどうかそれを願う」


レーヴェスは、ゆっくりと頷いた。

「また君らとこんなことで顔をあわせるなんてね」

レーヴェスは黄色い瞳でジョスリーンと円奈の二人をみる。

「手品を披露しにきたわけではなさそうだ」


ジョスリーンは苦笑い。

「きつい冗談だ。ルッチーアにそうすれば入れるといわれたもんでね」


「ルッチーアらしいおふざけだ」

レーヴェスも笑う。だが、どこか寂しげだ。「それにまんまと乗るきみたちもお人よしな人間だ」


ルッチーアの死体を抱き上げながら、レーヴェスは一言、付け加えた。

「そんなお人よしのあんたらだから、ルッチーアがなついたのかもしれないな」

ジョスリーンが不思議な顔をする。



「よく修道院でもめていたんです、ルッチーアとは」

相手の疑問を感じ取ったらしいレーヴェスが、自ら話しだす。

「魔法少女のあり方について……自分のためだけに魔法を使うのか、それとも人のためにも使うべきなのか…
そんなもめ方でしたね」


ジョスリーンはますます分からないという顔をする。


「まあ人間たちにいっても分からぬ話ですよ」


まるで相手の心を読むかのような魔法少女は、また告げる。


「でも、私らと共にいても、ルッチーアはあんなには笑いませんでしたよ」

くるりと身を返し、ルッチーアの死体を、修道院に入れるべく扉に向かう。


するとレーヴェスは最後に、修道院に入るという禁忌を犯した二人の人間に、問いかけた。

「修道院の中はどうでしたか?」


意外な質問にジョスリーンと円奈の二人は目を合わす。


ジョスリーンが先に口を開いて答えた。

「素晴らしい、神聖な、美しい場所だった」


ルッチーアを抱きかかえた魔法少女の背中がわずかに動いた。


「あなたがた人間は、”円環の理”を残酷だと思うかもしれませんが、私たちには、素晴らしい、神聖な、
美しいものなのです。あなたがたが修道院の中で感じた、まさにそれなのです」


と言い残し、扉を通り、ルッチーアは修道院のなかへと運ばれた。



円奈とジョスリーンは、ルッチーアを二度とみることがない。

これが本当の別れだ。


二人は初めて修道院の本当の意味を知った。

魔法少女しか入れぬ、人間禁制である意味。



円環の理に導かれた少女たちが眠る場所だった。

288


ルッチーアの死体を修道院に引き渡したジョスレーンと円奈の二人は、まず市庁舎にむかった。

市庁舎へゆき、市長の許可を得て、市長議員から羊皮紙の名簿にのったルッチーアの家を探し当てた。



この戸籍情報を便りに、二人はルッチーアの家を訪れる。


初めて訪れる、魔法少女の家。

魔法少女の娘をもった家族。どんな家族なのだろう。どんな家族関係がそこで、築かれたのだろう。


円奈は、両手に、ただあの金メッキの施された騎士像のおもちゃを抱えて、緊張を顔に浮かべながら、
ルッチーアの家の扉をたたいた。


家は、貧相だった。


土と泥を塗り固めた壁をした木造の家。


壁は、柱がバッテンに交差した組み立ての家の、屋根は三角形で、赤色。


木骨造の組み立て屋根。


扉が開いた。


ルッチーアの母は、見知らぬ少女と貴婦人の訪問に、驚いた顔してこっちを見る。


「なんの用だい?」


ボロ着れのようなつぎはぎの服をきた女は、言った。「あんたらみたいな、貴婦人らが、あたしに用か?」



「ルッチーアちゃんが…」

円奈は恐る恐る、母親に、話した。

「これを渡してほしいって…」


「ルッチーアだって?」

母親の様子が変わった。慌てている。「ルッチーアがいるのかい?ルッチーアはどこだい?」


円奈は悲しそうに目を落とした。ジョスリーンも口を噤んでしまう。


母親が二人の態度に気づいて、ますます、慌てて、うろたえはじめた。


「どこなんだい!ルッチーアはどこなんだい!会わせてくれ!」


円奈はすぐには答えられない。

母親に事実を告げるのが苦しい。


でも黙っているわけにもいかない。

申し訳なさそうに、円奈は、重苦しい口を開いた。

ゆっくりと、その言葉を、口にだす。

「円環の理に導かれて……」


「なんだって?」

母親は驚愕する。聞きなれない言葉に唖然としたが、何か、それが恐ろしい意味をもっているかのような
予感を、母親として感じとった。


母親はますますうろたえ、狼狽し、我を失ってしまう。

「なんだいそれは!ルッチーアはどこだい!あわせてくれ!知っているんだろう!」


「ルッチーアちゃんは…もう」

円奈はこみ上げる嗚咽をこらえ、鼻をかんだ。「もうこの世界には……いないんです」


そんな話に納得できるはずもない母親は、怒りを爆発させてしまう。


「わけわかんないこといってるんじゃないよ!」

二人は押し黙ってしまう。

「なんだい円環の理って!はやくルッチーアに会わせてくれ。さいきん喧嘩しちまったんだ。いまも元気なのかい?
食べ物に困ったりしてないだろうね?」


円奈はそれには答えず、ただ、ルッチーアとの約束を守るため、景品を母親に手渡した。

「これを…」

騎士像のおもちゃを母親に手渡す。「ルッチーアちゃんから、渡して欲しいって…」



母親は言葉を失いながら受け取る。意味不明の品。こんなもの手渡して、なんの意味があるのか分からない。


奇人をみるような非難の目を円奈にむける。「なんだいこれは?」



「金貨50枚の価値はあります」

母親の顔に猛烈な怒りがこみあげる。

それでも円奈は告げる。「ルッチーアちゃんが、せめて家族のためにって……そういって、あなたに渡すことを
頼まれました」


「いらないよ、そんなもの!」

母親は叫び、ついには泣き出してしまった。

ゴトっと騎士像のおもちゃを落とし、力なく地面に崩れ落ちる。

「なにが金貨50枚だい!そんなものほしいなんていってないだろう。ルッチーアにあわせてくれ。
ルッチーアに…」


泣き崩れる母親にかけてやれる言葉は、円奈たちには見つからない。

申し訳なさそうに、母親を見守っているだけ。


「なにが円環の理だ?そんな話、あたしゃきいてないよ…ルッチーアをかえしてくれ。ああ、ルッチーア、
不器用な母でごめんよ。こんな母親でごめんね?ああルッチーア、こんなふうになっちまって…」


金貨50枚の価値があるという、金ぴかの騎士像のおもちゃを手に抱きかかえる。


「これが契約した魔法少女の、なれの果てなのかい?ああ、確かにあたしらを大金持ちにしてくれたね?
でもおまえさんが、こんな姿になっちまったら、元も子もないだろうよ……バカなルッチーア!」


騎士像を抱いて泣き崩れる母親のもとを、円奈とジョスリーンは静かに去った。


約束は果たした。


もう、自分たちからできることはない。

ルッチーアは戻らない。

ただ金貨50枚という価値だけが、母親の元に戻った。



魔法少女の希望は確かに、叶えられた。

自分の存在を希望の価値に変換してしまうことで。




そしてそれが、魂を代価にする、ということだった。

289


ジョスリーンと円奈の二人は都市の夕暮れ空をみあげる。



赤色の夕空は、だんだん、夜の青色へと変わりはじめる。


夜風の冷たい風が空気にふきつける。


「鹿目さま、お別れです」

ジョスリーンが最初に、言った。

「私は市長に自白しに。あなたは、都市をでるのです。あなたは、聖地を目指す騎士だ」


「……はい」

円奈は小さな声で頷いた。


「本来、聖地を目指す貴女を、都市開催の馬上槍試合につきあわせてしまった私がいうのもですが───」

騎士の夢を終えたジョスリーンは、隣の本物の騎士に言う。

「あなたがこの都市でみたものは、これからの旅にも、なにかの意味をもつでしょう。そう信じたいものです」


「…はい」

円奈の声には元気がない。


すると、ジョスリーンは、円奈の頬をパチパチ、何度か叩いた。

「さあ、しっかり!」

ジョスリーンは円奈の顔をみて、言った。

円奈もジョスリーンをみあげた。

「ルッチーアは、一足先に、”神の国”へいったのです。あなたの聖地への到着を、待っていますぞ!
さあ元気をだして、勇気を振るい、他国の世界へ飛び出しなさい!といっても、まずはエドワード城を
通らないと、いけませんがね!」


「エドワード城…」

円奈は自分の声にだして繰り返す。

「もともとそこを目指していたんだよね…」


エドワード城をめざすつもりが、周辺地域の都市に寄ってしまった円奈。

でもそこからはじまった、円奈とジョスリーンとルッチーアの馬上槍試合に挑んだ一週間は。


たしかにきっと、意味は持つものだと、信じたい。


「エドワード城は我らがエドレス国の王都です」

ジョスリーンは教えてくれる。

「ここなら南に40マイルほど進むのです。きっとエドワード城はみえますよ。見逃せないはずですから」


「見逃せない?」

円奈にはその意味が一瞬、理解できなかった。


するとジョスリーンはふっと笑うのだった。

「見たら驚きますよ」



後に円奈は無事エドワード城に辿り着くことになるが。

たしかにジョスリーンのいったとおり、驚くこととなった。

290


ジョスリーンと円奈は別れた。


ジョスリーンは、別れ際にはあっさりしている性格の人だった。

別れるときには別れる。

そういう割り切りをする人だった。


特別に熱い言葉を交わしあうとか、涙ぐんで抱き合いながら別れるとか、そういう感じの別れ方をする性格の人でなかった。


ただひとこと、


「鹿目さま。あなたの旅の無事を祈っています。では、お別れです」


とだけ言い残して、くるりと背をむけて、手でばいばいすると、とっとと都市の街路を歩いて去ってしまう。



円奈は無言でジョスリーンの背中を見送った。

さらさらの金髪が流れる、美しい女性の人を。騎士として馬上槍試合の準決勝をかざった人を。



「さようなら…ジョスリーンさん」

円奈も、静かに、呟いた。



鹿目円奈の聖地をめざす旅は、まだ続くのだ。


聖地は2000マイル先にある。



この途方もない冒険は、さらなる危険へと、円環の理の生まれ変わりたる少女を、誘う。

そして聖地につけば、彼女は巻き込まれることになる。


聖地をめぐる聖戦の舞台に。

それは、聖エレム国とライバル国サラドの聖地をめぐる戦い。

291


円奈は預け屋へいって、銀貨を10枚ほど支払うと、イチイ木のロングボウと、鞘に納めた魔法少女の剣、
狩りのための小刀、古いチュニックなど、かつての装備を全部取り戻し、身につけた。



腰に革のベルトを巻き、鞘に剣を納め、カシャッ!と小刀もベルトに取り付ける。


背中に大きな長弓────ロングボウ───円奈の得意武器を担い。


本来の騎士の姿に戻る。



侍女姿のチュニックも着替えた。

古いチュニックにした。


古いけれども、これから出る森林と山、岩肌の世界では、この新しいチュニックはすぐ汚れて、価値を失う
だろう。


だったら昔から着古していて、動きやすいチュニックにしよう、と円奈は思った。


馬を預けていた馬小屋の経営者に賃金を払い、クフィーユを六日間世話してくれたお礼をする。

ついでそこから干し草を大量に買っておいた。


「クフィーユ、久しぶり!」

すると円奈は馬に飛び乗る。


嬉しそうな顔をしたピンク髪の少女は、都市では乗馬が禁止されていることもすっかり忘れて、都市を馬で
駆ける。


馬上槍試合のような迫力はない。


でも、クフィーユの背中にまた乗れることが円奈には嬉しかった。


馬をタタタっと走らせ、颯爽と街路を駆け抜ける。びっくり仰天した市民たちがあわせてて道の端に
飛びのいてよけるなか、円奈はすっかり騎士気分になって、都市を駆け抜ける。


ババッ。ババッ。

久しぶりに乗るクフィーユの蹄の音がする。


それが楽しくて、仕方がない。


都市の囲壁に近づき、都市入口の門がみえてきた。


この門を抜けたら、エドレスの都市を出る。再び、大自然の世界へと、飛び出す。

都市の人工物がまったくない、草と土、大地の世界がみえる。


門のむこうの景色がみえてくる。山々が地平線に並び立つ、雄大な景色が。


「いこう!クフィーユ!」

馬に話かけ、円奈は、闊歩で都市の道路を走りぬけ───。


馬で、都市の門を飛び出した。



夕暮れ空が一面にひろがる。


赤色から青色に染まりだした夜空。


都市の城壁内は視界から消え、レンガ造り家々も、街路も路地も、鉄格子も、
荷車を運んで行き来する人々の姿も、あらゆるものが消えた。



そして目にみえるのは夜空に広がる、一面の大草原だけになった。

見渡す限りの緑草原は、夜風にふかれて、流れるようにささめき、ゆれている。


大地のむこうに連なる山々にかぶる雲は、ゆっくりと横向きに流れ、夕暮れから夜空の色に染められていく。


途方もなくすこやかな大気が大地をつつんでいた。


すずんだ空気。心地よい風。


円奈の知る、都市ではない森と大地の空気だった。風は強く、雲を流す。



大草原にふく静かな夜風が円奈のピンク髪をゆらす。円奈は心地よさそうに目を閉じ、草原を流す風を顔に
受けている。


エドワード城へいこう。

王都へ。


鹿目円奈は、エドレスの都市を発った。

今日はここまで。

次回、第37話「辺境紛争」


長かった5章も終わりか
導かれる瞬間もハタから見ればそんなもんなのかな あと遺体消えなかったっけ

第37話「辺境紛争」

292


ある日の朝、エドレス国西方の国境で────。


一大国家エドレスと、その国境の先にある他国が、抗争を繰り広げていた。




国境に建てられた城塞都市は切石を高く積み上げ、壁にして、鉄壁に守られる。


何百人という守備隊が城壁の守りについて、エドレス側の軍を押し返す。

近づけば矢を放ち、火を放ち、燃える硫黄を城から流しこんだ。無用心に近づいた人間は焼き殺された。



対するエドレス軍は、地上に布陣した。


その数は千人と少し。


エドワード王による、傭兵を中心にして構成された軍隊。

だが率いる将軍は正規の将軍で、エドワード王には絶対の忠誠を誓っている騎士だった。



地上に布陣した千人程度のエドレス軍は、前方に立ち塞がる他国の城塞の陥落をねらっている。


攻城し続けること三ヶ月。



エドレス軍は、敵国の城主にむかって、いま城を明け渡し、この領土をわが国に譲渡すれば、命は助けてやる
という交渉を持ちかける遣いをだしたが、野蛮な隣国は、この遣いの首だけを返還してきた。



エドレス西方遠征軍の将軍、オーギュスタンは、他国にもう情けの余地はないと判断した。



約300ヤードもむこうにある、地平線に見える城に、徹底攻撃を決めた。



オーギュスタンは、カタパルト投石機と呼ばれる巨大な兵器を10個ほど軍勢のなかに並び立てた。


クロスボウなどの弩弓を巨大化したような兵器で、巨大な弦の張力によって、発射台の皿に載せられた
岩が、トーンと空へ打ち上げられるという投石器。


なんと400ヤード飛ぶ。



仕組みは、クロスボウと原理と同じで、巨大な弓の弦を、牽引装置の巻上げレバーで可能な限りひっぱって、
ひっぱった弦は鎖でつなぎとめて下向きに固定する。


人間たち数人が、一丸となって、機械弓の巻き上げ機をふーっとひっぱって、限界まで引き絞ったら、固定する。



鎖でつなぎとている間は、弦も弾かれることなくひっぱられた形のまま、固定されている。


発射台の腕木はスプーンのようなかたちをしていた。つまり見た目は巨大なスプーンであり、スプーンの、
つぼ部分に、石をのっけて飛ばすのだ。


そのため、この投石器は、スプーン式投石器とも呼ばれた。



「撃て!」


将軍が命令がくだると、兵士が繋ぎとめた鎖を固定するフックを、剣でぶったたき、ガシャンと外してしまう。


バス!

鎖が外れた投石器のしぼられた弦が、勢いよくしなる。



するとスプーン型の腕木は、ガタンと上向きに持ち上がり、すると岩が空へ飛ぶ。


ぽーんと、巨大な岩が早朝の空を舞う。



エドレス軍1000人あまりが、空を飛ぶ岩をみあげる。


それは400ヤード飛んで、地平線のむこうに聳えたった城塞へ落ちていった。


おそらくいまごろ城塞のなかでは恐怖のどん底に叩き落されているだろうが、そんなことには一向に構わない。


「放て!」


将軍が再度指示をくだした。

エドレス軍たちは並び立てた投石器の鎖を繋ぎとめるフックを、次々にガシャンと剣で叩き、外した。



整列して並んだカタパルト投石器から岩が次々と飛ぶ。

ぽーんぽーんと、順に発動した投石器の腕木が、岩を飛ばし、空に岩の雨を降らせ、敵国の城塞をメチャクチャにする。


跳ね上げられたスプーンの腕木は、上向きになると、ガンと投石器の組み立て柱にあたって、垂直に立つ。

と同時に石が空を飛ぶ。どんどん石がとんでいって、敵の城に落ちる。


オーギュスタン将軍は、敵国の民が隠れる城塞に石が落ちるのを眺めていたが、やがて二人の魔法少女に、
声をかけられた。


「我が国の遣いは?」

一人の魔法少女が訊いた。


ミラノという魔法少女で、エドレス軍の傭兵として戦場に参加していた。

黒いマント姿だった。武装をした騎士姿。鎖帷子の鎧に、鞘のベルトには剣と小刀。


戦場に赴いている魔法少女だ。

この時代の戦争は、どこの戦場でも、必ずといっていいほど、魔法少女が活躍している。

人間よりも戦闘力が強いからという極まともな理由で。




「みせてやれ」

オーギュスタン将軍は、従者に、木箱をもってこさせた。


従者は魔法少女のミラノに木箱をみせた。


ミラノは怪訝な顔をしながら木箱の蓋をあけた。

蓋をあけると、箱に収められた生首の髪をひっぱってもちあげ、目のえぐりとられた我が国の遣いの顔と対面した。

目玉のある箇所がすっぽり空洞だった。空洞の部分の中には血でそまったピンクっぽい生皮と、
切り取られた神経の筋しかなかった。


ものすごい死臭がした。


ミラノは凄惨きわまる我が国の遣いの顔を木箱に戻し、蓋をしめた。くさいものには蓋だ。


「敵国は死を選んだ」


ミラノは言い捨てた。仲間の魔法少女を連れて、エドレス軍の宿営地へむかう。


黒いマントをはためかせて歩く彼女の後ろに、もう一人の魔法少女、ロワールがついてまわる。


「飛ばせ!」

「撃て!石を飛ばせ!」


命令がくだり、発射され続けるカタパルト投石器。

綺麗に並びたてられた10台の投石器は、第二波の攻撃を繰り出す。並んだ投石器が順に発動する。


腕木が持ち上がり、垂直に起立する。岩は打ち上げられて空を飛ぶ。


空を飛ぶ岩は城塞の壁もたたく。ガドーン。岩が城壁にあたると砕け、ドーンと地響きが起こる。


見ている側からすると愉快だが、岩を投げ込まれたほうは恐怖するだろう。




「わが国の遣いは?」

心配そうなロワールという名の魔法少女は、ミラノの背中を追いかけながら、問いかけた。

声も不安そうだった。
もっともこの魔法少女は、いつも不安そうで、心配げで、安心している顔をみせことはめったにない。


ミラノはロワールに向き直って、答えた。「敵国は命がほしくないらしい」


「じゃあ、城に攻め込むの?」


ロワールの顔は不安げだ。「どうやって?」


「まず、オーギュスタンと共に、敵国に石を投げ込みつづける。夜がくるたび投げ込んで、敵国の眠りを
邪魔し、戦意を失わせる」

戦場に長いこと身を置いている歴戦の魔法少女・ミラノは、そう答える。

「三日くらいそれを続けたら、攻城機を完成させ、敵国の捕虜をそこにはっつけて、城塞に攻城機を進め、
乗り込む」


攻城機とは移動櫓ともよばれる。梯子つきの塔で、やぐらと同じ機能があり、車輪つき。

このやぐらをグイグイと人間たちが押して進め、敵城にとりつけることで、敵側の城壁に乗り込むことができる。



「そしたら敵国の人間どもは、ありとあらゆる体液を城のなかに散らして、この世のものとは思えぬ絶望を
みながら全員死ぬ」

「勝てるの?私たち、生きて国に帰れるの?」

不安そうなロワールはしつこく訊いてくる。

だがロワールは、勘の強い魔法少女だった。「ねえ、ミラノったら!私たちは、国のために命を捧げるような
魔法少女じゃない。逆だ。生き延びるためだ。死んだら元も子もないよ!」


「しなないさ、わたしたちは魔法少女だ、人間に負けたりするものか」

ミラノは、不安な顔いっぱいのロワールを励ます。

「この戦争が終われば、国に帰れるんだ。エドワード王から、大量の報酬を得てね」

2人が傭兵としてこの戦場にやってきたのは、ほかの魔法少女の例に漏れず金のためだった。

魔法少女の圧倒的なパワーを兵力として国に提供し、その対価として報酬を受け取る。


二人は宿営地にもどった。



軍の宿営地には大量のテントが張られて、千人にもなる男の兵隊たちが軍備にあたっていた。


魔法少女専用の宿営テントに、二人は戻る。


この宿営テントに立ち入りした兵士は、死罪になる。

293


3日が過ぎた。


エドレス軍は敵国の城めがけて、夜に石を飛ばし続けた。


敵国の民は安心して眠ることができなかっただろう。




ちょうど鹿目円奈がこのあたりを通りかかったが、円奈は戦場にくることなくエドワード城をめざして
この地方を通り過ぎた。



ミラノとロワールの二人は宿営地のテントをでて、四日目の朝、戦場で目覚めた。

森付近に設営した軍営地。



朝目覚めると、二人の魔法少女は、白いテントの立ち並ぶ宿営地を歩き、雲ひとつない青空のむこうに
ある敵国の城塞を横目に眺めながら、森へはいった。


すると、女の悲鳴が聞こえてきた。


二人の魔法少女は森の奥に流れる川へ水飲みにむかっている最中だったが、女の悲鳴に注意をひかれた。

ミラノたちは森の木々をかけわけて、女の悲鳴のするほうへ足を運んだ。


するとそこでは、敵国から連れ込んだ捕虜の女一人が、自軍の男兵士ら5人によって、草木の地面に押し倒され、
強姦されていた。


どうやら将軍の目を盗んで森に連れ、泥みまれになりながら女を犯しているらしい。



敵国の捕虜の女は、城塞に逃げ遅れエドレス軍に捕まった。

女はいま、男兵士にのしかかれ、服を破かれていた。


女は悲鳴あげながら暴れる。だが男の体重にのしかかられて、たいして動けない。



魔法少女二人がそこに乗り込む。


「ああああ!」

悲鳴をあげる女。声がけたましい。


それを犯す男。


魔法少女の登場に気づかない。



「おい」

魔法少女は強姦に夢中な男に声をかける。

「おい!」

さっきより声を大きくする。


でも男はきづかない。女のからだに夢中になっているだけ。


「おいったら!」

魔法少女は腰に手をあて、怒った顔して男兵士に最後の警告をした。

だがそれでも男兵士たちはきづかなかった。


女の口にむりやり自分の唇を押し付けようと夢中になっていた。女は顔を左右させて嫌がり、逃げる。

男の唇がそれをおいかける。


その男兵士の髪を、魔法少女は無理やり掴み挙げ、自分のほうにむかせた。


「あいでででででで!!」

髪をひっぱりあげられた男兵士は顔をゆがめる。「髪が!髪が!」


「きいているのか?」

魔法少女は男兵士に問い詰める。


苦痛に歪んだ男兵士が目を開いた。自軍の魔法少女がいるのをみて、はっとした顔になると、答えた。

「きいてます」


「うそをつけ」

魔法少女は男の髪をひっぱりあげるまま、どこかへ投げ飛ばした。

「あう!」

男はふっとび、女の横に倒れこんだ。とんでもない怪力だった。


「ミラノさん、これは…」

他の男たち四人が、はだけたダブレットを着なおしながら、言い訳をはじめる。

「女から求めてきたんです。本当です。我々がやったのでは……」


「だまれ」

魔法少女が一言いうと、男兵士らは黙り込んだ。


「捕虜を大事にしろ」


男たち、沈黙。


「魔法少女さん…」

すると犯されて、息も絶え絶えな女が、魔法少女の足に、すがりついた。

「ありがとうございます…」

女は地べたを這い、自分を救ってくれた同性の魔法少女に、感謝をのべつつ、助けを求める。

両腕を魔法少女の足に絡めてすがる。

「ありがとうございます…魔法少女さん…助けてください…」



魔法少女、ミラノは捕虜を見下し、するとしゃがんで、女に優しい微笑みをみせた。


「おまえを城に送り返そう」

といって女の髪を撫でてやる。


女の顔がはっとする。だんだんその顔は、自分生き残りへの可能性という希望を見い出して、
明るくなっていく。

「ありがとうございますっ…!」

敵国の女は、目に涙ためて、この世で強くて心優しい、魔法少女の足に絡みついて、涙ながし、草木を濡らした。

「魔法少女さん、ありがとうございます…!」



「送り返す、ですか?」

すると服を着なおした男たちが、ミラノにたずねてくる。

「どうやってです?いま城に近づけば、火と矢がとんできますよ」



「もう方法は考えてある」

魔法少女は男たち四人に告げた。

「攻城機に張り付けろ」

294



捕虜の女は、組み立った移動櫓の壁面に、貼り付けにされた。


「ああ゛っ…。あ゛アァ。…アアッ…──!っ…」


釘が打ち込まれるたび、捕虜の女の苦痛の呻き声が漏れる。


大きな釘は女の手の平、腕、肩、足などに打ち込まれる。

血がぼたぼたと、地面に滴る。

体じゅう釘だらけになって、攻城機のやぐらに肉体ごとはっつけられる。


二人の魔法少女は女が攻城機の張り付けにされていくあわれな様子を、見上げていた。


ミラノは無表情に。

ロワールは痛ましそうな顔をしながら。



釘がガンとハンマーによって打ち込まれる音がするたび、小さな少女であるロワールの憐れむ目に、
涙がじわりと浮かぶ。

「ひどいわ…」


ロワールは釘を生身に打ち込まれ、張り付けにされる女をみて、言った。


組み立った20メートルほとの高さの攻城塔に、張り付けにされる女は、エドレス軍の兵たちに釘を打ち込まれ、
磔にされる。



そしてこのまま敵国へ送り返される。



ミラノは張り付けにされた女をみあげ、大きな声で告げた。

「敵国が攻城塔を破壊すればおまえは死ぬ」


血だらけの女は恐怖に顔を引きつらせる。

敵国は自国を守るためだったら、もちろんこのやぐらの塔のような攻城機を破壊しないといけない。

破壊しないと、城に敵軍が押し込んでくるからだ。

だがそれは貼り付けられた女の死を意味する。



「だが攻城機を破壊しなければおまえは無事国に帰れるだろう。国は滅びるかもしれないが」


魔法少女は言い捨て、マントひるがえして踵かえし、エドレス軍の顔が怯えているなか、宿営地にもどった。



全身あちこちの四肢に、太く巨大な釘をうちこまれ、移動櫓の前面に貼り付けにされた女は、絶望の気持ちで
祖国の城を眺めた。


高く聳え立った攻城塔に貼り付けられた視点からの眺めは、よかった。


そしてこのまま国に帰れるだろう。死体として。



エドレス軍は、魔法少女の残虐な発想ぶりに、うろたえている。


険しい視線を男兵士たちは魔法少女にぶつける。


やりすぎではないか、という視線だ。


だがミラノはその視線のなかを去り、宿営地にもどった。

295


ミラノはロワールとともに宿営地の裏で落ち合った。


ロワールは涙を流していた。


「戦場なんて」

赤いマントの魔法少女は泣き出してしまう。「戦場なんて、きたくなかったのに……」


両手で顔を覆って涙する。


「こんなのひどすぎる…」


ロワールは、エドワード王に派遣されて西方の戦場にきた。

そこでは、少女が目にするには、あまりに惨いことの数々が繰り広げられる場所だった。



「私だってきたくなかったさ」

ミラノもいう。

丸い瞳をした黒いマント姿の魔法少女も嗚咽を漏らす。


男兵士たちには絶対みせない、二人だけのあいだだけで、見せ合う本音の顔だった。

「だが半端なことじゃ戦争は終わらない。私たちはもう、ここに80日間もいる。戦争は、勝たないと
報酬はでない。雇われ金だけだ。それじゃ私たちは国外にでれない」


それが二人の本当の願いだった。


エドレスの城下町に生まれた二人は、魔法少女として暮らしていたが、人間たちの冷たい視線にさらされつづけて、
城下町の生活が苦しくなり、国外に出ようと決心した。


だが封建的な色が濃く残るこの時代、そう簡単に国外には出れない。


そこで二人の魔法少女は王に願い出た。


エドワード城の名高き玉座の間にでて、王の前に謁見して、国外に出たいことを願い出る。


理由は、魔法少女としての暮らすのに、城下町の生活は苦しすぎるから、と述べた。



すると王は答えた。

「西方国境の領土を広げたら、国からは出してやろう。」


そうして二人の魔法少女は戦場にきた。


戦場はエドレス領内西果ての辺境、エドレス国とアルダイ国の隣接地。


その隣接地に建つ軍的拠点、サンクテア城の支配権を、国同士の規模で繰り広げている地域だった。

いまはエドレス軍が城を取り返そうとしている。


戦場にやってきた二人の魔法少女を、現地の男兵士らはそれぞれの迎え方をした。


強力な味方の登場を喜ぶ兵士、ただ単に魔法少女が好きで戦場でやる気をだした兵士、逆に嫌いでげんなりした兵士。



だが戦争にきてみると、敵国の城はなかなか陥落しない。

80日陣をはっても落ちない。


包囲しているわけじゃないから、いくらでも食糧が敵の同盟都市から支給されるのであろうが、それを絶つ手段も
あるわけではない。



こんな辺境の地に派遣されたエドレス軍は1000人。


千人であの規模の城の包囲はできない。


お粗末過ぎる戦場だった。エドワード王は大してこんな辺境の地の現状を真面目には考えてくれないらしい。



傭兵が中心の軍隊はぐだぐだと戦をしていて、敵国の捕虜ほつかまえては犯して楽しむだけ。

統制もたいしてとれていない。




生半可なことでは城は落とせぬと覚悟を決めたミラノは、攻城機による突破に、自ら乗り出る。

やぐらの塔を敵城にはっつけ、はしごをよじ登り、城壁に乗り込む。そっから先は地獄の混戦だ。


今日その決戦の日だ。


「私たちは生き延びるために戦場にきたんだ」

ロワールは悲しい声をだす。「国のために命を捧げにきたんじゃない」


「わかっている」

ミラノも目に涙ためつつ、答えた。戦場では隠し続けてきた、少女の涙だった。


残虐非道の魔法少女を演じ続けていた彼女だが、ロワールの前だけには、可憐な少女の姿になる。

「この戦争さえ…」

黒い目にたまった涙をふきとる。

「この戦争さえ終わったら……私たちは自由に生きられる」


「うん…この戦争が終わったら、私たちは国に帰って、報酬を手にして……自由に暮らすんだ…」


ロワールとミラノは、誰もみていないところで、そっと近寄りあうと、互いの身体を抱きしめあった。

魔法少女と魔法少女の二人が、抱擁しあって、ぬくもりをたしかめあう。

絡まる髪と髪。触れ合う肩と肩。寄せ合う胸と胸。長い睫毛と睫毛。二人とも目を閉じている。



これから始まる最後の戦争の前に、覚悟を、勇気を、わけあう。

抱きしめあい、互いの背中を守りあい、寄せ合ったあと、二人は抱きしめあった体を放した。


「生き残ろう」

ミラノが言った。「この戦争が終わったら、きみと共にいきる」



二人は宿営地の奥の森で肩に手をのせあう。


魔法少女と魔法少女の戦場の絆がそこにあった。

296


そのころ宿営地本陣のテント内では、将軍のオーギュスタンが、今日魔法少女が強行するであろう作戦のことを
部下からきかされ、顔をしかめていた。


テント内の軍議用テーブルに、一枚の羊皮紙をひろげる。そこに地図が描かれている。


地図を睨みながら、ミラノが強行するであろう作戦について、将軍として許可できるかどうかを頭に悩ませた。

将軍は両手をテーブルに置いて地図を睨みながら、軍義に悩ましい顔をして首をひねる。



部下は不安そうに将軍を見つめている。



将軍はテーブルに広げた地図を睨みつづける。鎖帷子を着込む腰は曲がり、剣収めた鞘が腰のベルトにはみ出た。

そんな体勢のまま、将軍は悩んだあと、告げた。


「作戦決行だ」


「……」

部下はどもる。なにかいいたげだが、唇を噤む。


テント内は蝋燭が何本か燃えていた。


「きこえなかったか?」

将軍はイライラと首を振り、もう一度言葉を吐く。

「作戦決行だ。傭兵どもに知らせろ」


部下は恐怖を顔に浮かべた。

だが覚悟を決めて、あることに口にした。


「実は、エドワード王が…」



将軍は部下へ向き直る。

「王がどうした?」


「命令を……先日、届きました」

恐る恐る部下はも結ばれた紐に封蝋のされた羊皮紙を渡す。手が震えている。


紐に丸めてられたそれを、怪訝な顔しながら将軍は受け取り、紐を解いて羊皮紙をひろげた。

テント内の薄暗さのなか、将軍は羊皮紙に目を通して黒インクで記された文面を読み取る。


だんだんとその顔が、ひきつっていき、ついには信じられないという顔をして部下を見た。

その目はあたかも悲劇を目の当たりにしたかのような、驚きに瞠った目だった。



「エドワード王からの命令です」

部下はいたたまれない様子で告げる。震える身体のまま、頭を深々と下げた。

「捏造の類ではありません。王からの勅令です」


「だが、これは…」

将軍は自分が見たものかまだ信じられないという顔をしている。


蝋燭の火が隙間風にふかれて乱れる。



だが将軍は王に絶対の服従を誓っていた。



オーギュスタン将軍は覚悟を決めた。

「すぐに進撃の準備をさせろ!攻城塔を前線にだせ。ミラノとロワールの二人に私の騎兵団をつけろ」


部下は恐怖に震えながら、お辞儀して軍議用テントをあとにする。


テント幕が開けっぴろげられてめくられ、そのむこうへ部下は去った。

297


ミラノとロワールの二人は同時にソウルジェムの力を解き放ち、変身姿になった。


この時代の魔法少女には珍しくないが、変身姿と、武装姿が、あまり見た目では変わらない。



さて魔法少女姿に変身した二人は、それぞれの軍馬に跨る。

よく調教され、訓練された戦場用の馬は、戦場の音に驚かない。


馬は本来、大きな音が苦手な動物。

訓練されてない野生の馬は、人間の少女がちょっときゃーって叫んだだけでも暴れだしてしまう。

女の子の甲高い声が、とくに馬は苦手。


だが軍馬は訓練されている。

投石器の石が落っこちる音、人間たちの血みどろの戦場で泣き叫ばれる音、それらの音に、
耐えられるよう訓練される。


体重でいえば軽い魔法少女を乗せた軍馬が、黒い目をきょろきょろさせる。

耳をたて、戦場の音を聞き分け、騒々しい進軍の準備がはじまっている軍営地のなかを蹄の四足で歩く。


魔法少女たちに手綱をひかれ、馬は歩く。

テクテクテクという並足。馬のなかではいちばん遅い歩き方。


手綱は、小指と薬指のあいだと、人差し指と親指のあいだに通して持つ。

つまり真ん中の指三本をつかって綱を握るような握り方。


そして手綱は上向きにして、親指は上にして持つ。

ちょうど親指の爪が前になるような握り方が一番よい。



戦場の魔法少女は馬を乗りこなす。


早足はもちろん、闊歩もできる。



馬を軍営地に進めた魔法少女は、千人あまりの傭兵部隊が、進撃の準備をしている様子を目に映した。


将軍はしっかり私たちの作戦を聞き入れてくれたらしい。



千人の軍が並び立つ森を背にした草原を馬で進み、魔法少女は、つぎに、木材を組み立てた大きな攻城塔をみあげた。


そこに張り付けにされた女。


血だらけになって、ぽたぽたとまだ、釘を刺された箇所から生き血を垂らしている。


犯されながら殺されるよりマシな運命を与えてやった。



魔法少女は前線まで進み、騎乗の変身姿を兵隊たちに披露してみせながら、剣を鞘から抜くと、片手で
馬の手綱にぎりながら、将軍の前へでた。


「私が先頭で進撃します」


ミラノは剣を前に突き出しながら、言った。


「攻城塔の後ろに傭兵たちを並び立てよ。攻城塔が城壁に接近したら、乗り込ませよう。私は攻城塔員を援護する」


「承知した」

オーギュスタン将軍はいった。



将軍は部下たちに旗をあげさせた。進軍の合図だ。


「進軍しろ!」


部下が旗をあげる。

すると戦場の音楽係が、パーっとラッパを吹き鳴らした。


「進め!」


変身姿の魔法少女二人が先頭にたち、敵国の城壁へ。


まず二人が馬にのって進み、つづいて攻城塔が動きだす。

列を揃えた傭兵部隊はそれにつづいて、盾をもちながら、草原を進みだす。


攻城塔は、何十人という兵士たちが、うしろから力をあわせて押して、車輪をコロコロとまわし、
このやぐらを運ぶ。



千人の部隊が、大規模な城塞へ、接近する。



距離は200ヤードきった。


軍隊の接近に気づいた城塞側の守備隊が、慌てふためき、城壁の歩廊をあたわた行き来しはじめた。



そうこうしているうちに150ヤードきってしまう。


攻城やぐらの接近。




それほどの事態なのに、城塞側があたわたしているのは、敵軍がもちだした攻城やぐらに、女が張りつけられているから。


ふつうだったらクロスボウでも弩砲でもなんでもつかって攻城機を破壊するところだが、女が貼り付けられていては、
迷いが生じてしまう。



結局ミラノの作戦はうまくいっているのだった。



「さっさと構えろ!のろまめ!」

城塞側の守備隊長が、弓兵をかき集める。


「火を用意しろ!」


あたわたしながら城壁の矢狭間に弓兵たちがつく。その数60人ほど。


千人に対してはあまりに少ない。



だが守備隊長は弓兵たちに命令し、持ち場につかせた。火付け係に松明を持たせ、並び立った鎧を着た弓兵たちの
矢に火を順につけせていく。



一人、また一人と、順に弓兵たちの矢に火付け係りの火が燃えうつる。


矢に火がつくと、弓兵たちは火矢を弓に番え、矢狭間にだし、狙いを定める。




ミラノたちにむけられる弓兵たちの火矢。


だが迷いがある。



「構わず進めろ」

ミラノが将軍に提言する。


戦場では、魔法少女の発言力は、大きかった。



将軍は無言で頷く。


ロワールが不安そうな顔をしている。




攻城塔はいよいよ城塞へ接近、100ヤードをきる。



弓兵たちの火矢は、いつ放たれるか分からない。

彼らはまだ上向きに構えたままでいる。60本の火が、ぼうぼうと、城壁で燃えている。


もう飛んで来てもおかしくない距離まで接近している。



いよいよ城壁まで70ヤード、互いの顔すら認識できはじめる距離にくると。




城塞側から火の矢が飛んできた。

ズバババババ……



火のついた60本の矢が飛び、空を舞い、きれいな弧を描きながら矢が草原に落っこちてきた。


ズドドドドドドド!


落ちてくると矢は恐ろしい。


草原あちこちに火がつき、燃え広がりだし、火の海をつくりはじめた。



「構うな進めろ!」


この日に戦争を終わらす気でいる魔法少女は攻城塔を進めるよう指示だしする。


あたりにめらめらとした火と煙がたちこめる。草原一帯は霧のように深く、灰色になっていく。



そんななか、オーギュスタン将軍は部下に目配らせする。


部下は将軍の目配らせを察して、静かに旗をふりあげ、Uターンするよう指示した。



軍は静かに引き返していく。


きずかないで城壁側に進む先頭の魔法少女たち。



「放て!」

城塞側の守備隊長が叫ぶ。「火を降らせろ!」


バシバシ弓兵たちの背中を叩くながら鼓舞する。

「撃て撃て!磔の女は殺せ!」


弓兵たちがまた火のつけた矢を空へ飛ばす。


魔法少女たちはそれを盾で守る。盾に火がついた。




こうして矢の襲撃が終わったあと、ミラノとロワールの二人は、異変にきづいた。


軍の声がしない。


彼らは早足で森へ歩き去っていた。


「臆病者どもめ!」

魔法少女は叫ぶ。その声は怒りがこもっていた。「将軍!これはどういうことだ!」


将軍がそこにたっていた。


オーギュスタン将軍は残念そうに、そして申し訳なさそうな顔をして、告げた。

「エドワード王からの命令なんだ」

将軍はつらそうな声を喉からだして言う。一瞬だけ目を下に落とし、魔法少女に餞別を送った。「すまない」



将軍は馬に乗り、森側へと去る。


「…王の命令?」

突然、敵国の城塞側から城門が開き、なかから騎兵軍が何十人とあらわれた。

ドババババ…馬の足が50騎、60騎ぶん、ドコドコ地面を叩く。

敵の迎撃部隊だ。

敵軍は城のなかにこの部隊を隠し持っていた。いわば切り札だった。


無数の火矢が放たれ、たちこめた煙幕の陰から、迎撃軍は不意をついて篭城から現れた。

白い煙幕のむこうから剣をもった騎兵団が走ってくる。


魔法少女二人は反応できず、あっという間に敵軍に包囲された。


「…裏切り者めェッ!」

ミラノは叫んだ。ロワールとたった二人、城塞の前で敵軍に包囲され、そして矢の雨に撃たれた。


「あがっ…ぐっ…!」

背中と首に矢がズトズト刺さり、落馬する。


ロワールまで落馬した。


地面にころげる矢だらけ魔法少女、二人。


二人の変身はとけた。



すると何十人という敵軍の軍馬が、わああああっとやってきて、魔法少女たち二人に襲い掛かり、取り囲んで、
捕らえた。


何十という槍のなかに包まれて、敵軍に紛れ、魔法少女の姿はみえなくなった。



二人の運命は、どうなったかは、わからない。

298


オーギュスタン将軍は宿営地の軍議用テントにもどった。


荒々しくテントの幕をあけ、イライラとテーブル席につく。


「…この命令はなんだ!」

ダンッ!と王からの勅令がインクで印された羊皮紙を、テーブルに叩きつける。

地図がそこ横にあった。



オーギュスタン将軍が強く問いただした相手は、エドワード王からの勅令で、わざわざ首都から派遣されてきた、
側室の使者だった。


エドワード王の側近であるこの使者の名は、デネソールという。


「さて、王のお考えですから、わたくしにいわれましても」

デネソールは老い始めた灰色の髪した頭を、悩ましいシラミのかゆさのためにかきながら、軍議用テーブル
に並べた皿に盛ったフルーツ類を勝手に手につけてもしゃもしゃと食べている。

りんご。まるめろ。いちじく。ざくろ。



「”ミラノとロワールの二人を敵国に売り渡せ”」


将軍は怒りを含めた声で、羊皮紙にインクで記された王の勅令をよみあげる。


「おかげで私は裏切り者になった」



「しかしわたくしは、兵の声をききましたよ」

デネソールはぶどうを口にふくむ。

ぶしゃっとぶどうの汁が、紫色の唇からはみでた。


「戦場の魔法少女は、どうも”度がすぎる”と」

デネソールは将軍をチラとみやる。「人の心を失っていると」もしゃもしゃした口でいう。

新しいフルーツにら手をかける。


「たしかに今日の作戦は残酷だったかもしれない」


将軍は両手をテーブルについてまま、息を吐く。


「だがこんなやり方はひどすぎる。共に戦った仲だった」



「しかし戦争にも法があります。残虐に度がすぎてはいけない」

デネソールは言葉を返す。

「それがあなたがたのいうところの、”騎士道”というものでしょう。彼女たちはそれに反した」


ふううう。

オーギュスタン将軍は、怒りをこらえるような吐息を口から吐いた。

そして言った。

「そんなもの戦場じゃクソの役にも立たん」


「おかしいな話です。騎士とは戦場で戦うもの。なのに騎士道が戦場には役立たない?意味がわかりませんぞ」

デネソールは不思議そうな顔をしながら言い、いちじくの実にかぶりついた。果汁が飛び跳ねた。



「戦場を知らん人間が知った口聞くな」

将軍はまだ、こみあげる怒りと戦っている。顔は赤く、息も声も荒い。怒鳴り散らしたくなる衝動を抑えている。

「ミラノの作戦は残酷だったが、俺たちは今日それで勝てていたかもしれない」


「エドワード王の第二勅令をあなたにお伝えしよう」

すると急にデネソールは立ち上がり、将軍を見下した。


「軍を引き返しなさい。”王都に戻れ”との命令だ」

冷たい告げ口だった。



将軍は何の反応も示さない。ただテーブル面に手をついて怒りのこめた目をしている。

赤い顔から息を吐く。やるせなさと怒りを噛み締めている。


するとデネソールはつまらなそうに幕を開け、テントから去った。

今日はここまで。

次回、第38話「円奈は王都へ」


まあ所感はいろいろあるけど 戦争って嫌だなあとだけ

すげー頑張って書いてるっぽいのは分かるんだが、前作がアレすぎたせいでちゃんと読み始めるにはガッツがたりない状態

1はたぶんある程度プロットもあり、世界観とか地図とか登場人物とか分かってるんだろうが、読んでる側としてはなにがなんだか
その上、お世辞にも上手とは言えない地の文で余計意味不

小説とSSのどっちつかずって感じ


>>781
まとめて読むと結構わかる
更新ごとに読んでると何だこれ状態だから仕方ないね
なろう向きではある

299


ぐるぐる、白黒の結果世界が渦巻いている。


鹿目まどかは、息を切らしながら、白黒のチェス盤の通路を、ずっと走っていた。



彼女の足音と吐息の他は、何の音もない。静寂。無音。
閉じ込められた結界の世界。

走る姿の影がチェス盤に映る。


「はぁ…はぁ…」


出口を求め、まどかは走るが、チェス盤の通路は果てしなく続いている。
だが、走りをやめるわけない。


白黒世界の結界を、ずっと走り続ける。
魔女の結界は、果てしなく広い。

どこをあてに走ったらいいのかは分からないが、ぼんやりしてはいられない状況だ。

白と黒の、円形に花咲く無数の表象や、無限に連なるタイルの壁や、白黒の柱が乱雑する道、
全てを走りぬけ、ようやく見つけた。


「はぁ…はぁ…」息をあげながら、天井の鉄材に取り付ついた”非常口(EXIT)”の
光る緑色の文字を、立ち止まって見つめる。


おそらくここから外に出れるだろう。


”EXIT”の標示の前で一度息を吸い、覚悟を決めると示された出口への階段を、
まどかは一歩一歩のぼりつめる。


その階段もピアノ盤のように白と黒が一段ごとに入れ替わる。


出口の扉の前に行き着いた。




扉から外に出るまで、まどかは、外の世界がいかに終末的であるのかをまだ知らなかった。

かつて、美樹さやかが通いつめていた病院タワーの窓ガラスに、無数のビルの浮かぶ
破滅的な光景が反射して映される。


まどかが扉を押すと、奥の鉄チェーンの歪む音がして重い扉が開いた。
外にでるため、まどかは最後まで力いっぱい扉を押し出す。


扉のむこうの景色をみて、はっと思わず息をのみ、そして。



意識が今にもどった。


暗闇のなかで鹿目まどかがこっちに気がついて、はっと声をあげると、顔をふりかえった。

そして、光に包まれた。

300


「ん…」


ピンク色の瞳が開かれる。重たい瞼が薄く開き、日差しが少女の頭を照らす。


やわらかな朝の日差しが森を、あたためている。

チュンチュンと森の鳥たちが鳴いている。鳥たちの歌声が、森の朝を知らせてくれた。


眺めると青い川が流れている。

青く涼んだ川は、日差しを浴びて白く煌いている。


円奈は樹木の下の影で眠っていた。

川辺の木の葉からこぼれる木漏れ日の日差し。キラキラと緑色の日差しを注いでくれる。



翌朝がきていた。

円奈は木漏れ日の光が漏れる、緑色の森の天井をみあげ、それから、ロングボウの弓矢を立てて胸に抱き寄ると、
はああとため息をついた。


「はあ……また変な夢……」


ため息つきつつ独り言。

ピンク髪が木漏れ日の陰に照らされる。



森のど真ん中で目を覚ました少女は、川に降りて、水で顔を洗う。


山河の景色を鏡のように反射する、濁りひとつない、川水だった。

冷たくて涼んでいて、心地いい。


ばしゃっと顔を洗うと、そこに映る自分の顔が目に入った。


「…あれ」


少女はそこで気づいてしまう。


夢でみた少女と同じ顔をしている自分が川を覗きこんでいることに。



あの夢で走っていたのは私?


でも、変な夢だった。あんな記憶はない。つまり、白黒の世界を駆け抜け、奇妙な空間を一人で彷徨う夢…。


円奈はたまにあの夢をみる。

最近、その夢をみる回数があがっている気がする。



あたかも聖地に近づけば近づくほど、夢は鮮明になってくるかのよう。


でも少女は、あの夢が、まさに聖地の聖地たる所以の夢だとは、知る由もない。



ばしゃばしゃと川の水で顔を洗う。両手に透明の水をすくって飲み、容器に水をいれて、
クフィーユに飲ませる。



クフィーユの朝の世話をし、都市で買い漁った干し草をクフィーユに与えて、少女は弓矢を担ぐと。



木の傍らで馬に乗り、この日の冒険にでる。


「とぉっ!」

掛け声あげて、すると馬が出発する。

馬は軽快に走り出す。今日も、クフィーユは元気。



小さな少女は冒険にでて、川辺を馬で通り抜ける。


その朝は静かで、平和だ。


人の影もなく、獣の影もなく。



緑ばかりの大地に、青ばかりの空があった。

川辺をぬけると、ひらけた大地があらわれた。


圧倒的な大気が少女を包み込む。圧倒的な大地が冒険する少女の前にあらわれる。


世界は、どこまでも広大だ。


聖地までの、道のりは遠い。

世界の魔法少女たちが崇め、聖地と呼ぶ円環の理に、円奈は会えるのだろうか。



ときには山地の山々をもくもくとした白い雲が覆ってしまう。



アキテーヌ城のとき渡された地図を頼りに、ひたすら、馬とともに南をめざす。


そんな日が何日か続いた。

40マイル先にあるという王都は、まだまだ辿り着かない。



あるときは、夕暮れに通りかかった大きな湖に、美しい古城が浮かんでいるのを見た。


湖は、薄明かりの夕暮れに、音もなく森のなかにひろがっていた。


でも時とともにそれも暗くなり、消えてしまう。

暗闇のなかに隠れる。



森に囲まれた湖に浮かぶ城は、夜の闇に包まれていく。


この世界に存在する城は、大きくわけて二種類ある。


ひとつは、湖という天然の堀に囲まれたところに築かれる城。いま、円奈が付近にまで訪れている城だ。

かつて円奈が通りかかったアリエノール・アキテーヌの城も、そのタイプであった。


もう一つは、山地や丘という、高いところに築かれる城。

貴族の城、騎士の城である。しかしこちらは、水の確保という問題が強く直面するため、数は多くない。


とはいえ、農民たちを避難させ、かくまう大きな規模の城をたてることができるので、領主は農民という
財源を守ることができる。



湖に立つ城はそれができない。



あの城も、きっとどこかの騎士の城なのだろう。


馬上槍試合に参加した騎士の城かもしれない。なんといってもエドレス領内の古城だ。


ひょっとしたらフーレンツォレルン卿?アンフェル卿?モーティマー卿?

馬上槍試合のことを思い出してしまい、円奈は笑う。


そして、ルッチーアと一緒にジョスリーンを応援したあの日々が、やっぱり楽しかった、と思い返せるのだった。


あの湖の古城にもっと近づけば、城の掲げる紋章が旗にみえるのかもしれないが、そんな寄り道はしない。



めざすはエドワード城のみだ。

そしてこのエドワード城と呼ばれる、この時代における破格の規模にあたる王城は、実は、湖にたつタイプの城でも
山地の丘にたつタイプの城でもない。


”エドレスの絶壁”とよばれる天然の崖っぷちに立つ城だった。



円奈は、湖を通り過ぎて、森へと入る。”王都”エドワード城を目前にした森を。


そこはメルエンの森と呼ばれていた。


円奈はそこで野宿した。

今日はここまで。

次回、第39話「王都・エドワード城」より、Ⅵ章に入ります。

話の区切りもいいので次回投稿分から次スレを建てる予定です。

次スレを建てました。

【まどか☆マギカSS】 神の国と女神の祈り ─3─ - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1412861860/l50)

このスレはhtml化依頼を出します。

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom