群生の華 (9)
擬態。
他生物の姿形を真似をすることだそうだ。
例えば、アブは見た目がハチに似ている。
捕食される危険性を下げるためだそうだ。
虎の威を借る狐、ということだろうか。
一方で、捕食するために擬態するものもいる。
例えば、カメレオン。例えば、カマキリ。
餌となるものに気取られないよう、隠れるためだそうだ。
こちらは容易に納得できた。
擬態とは、防衛であり、攻撃である。
同じ言葉に、相反する意味が込められているのだ。
面白いね、とウサギは言った。
人間だって擬態しているのよ、とウサギは言った。
見た目じゃなくて、心をね、とウサギは言った。
ボクには、その意味がわからない。
欠落しているから。
ボクは記憶がない。
記憶どころか感情もない。
なくすのはこれが初めてではないらしい。
記憶がないからわからないけれど。
気がついたらウサギはボクを世話してくれた。
「また失敗ね」
と笑っていた。
「わたしは、ウサギ。そう呼んで」
そう呼ぶことにした。
「あたしはあなたを、カメと呼ぶわ」
ボクから失われた感情は、人々に取り付いて悪さをする。
「感情の拒絶反応」とウサギは言った。
「人間なんて内蔵移すだけでも大事だもの。ましてや心の中身を移植されたら、発狂するのも当然よね」
「ボクに戻すことはできないんですか?」
「できるよ。そのためにあたしがいるんじゃない」
失敗続きだけどね、とウサギは笑った。
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「棚橋優衣の場合」
棚橋優衣は大学二年生だ。血液型はO型。5月生まれのおうし座。父親を小学五年生のときに病気で亡くしている。母親は広告代理店勤務。再婚はしていない。二歳離れた兄がいて、職業はスポーツインストラクター。棚橋優衣は中学・高校ともに吹奏楽部に所属していた。大学入学後に飲食店でアルバイトをしている。
他にも情報を羅列しようと思えばできるのだけれど、意味がないとウサギに言われた。
「感情を理解してほしいのよ、あたしは」
そんなことを言われても、失っているのだからどうしようもない。
「そんなことない、とあたしは思ってる」
ウサギは胸を反らせて言った。
「人は生まれたころから複雑な感情を持ってるわけじゃないわ。少しずつ学習していくわけ」
「はい」
「良い返事ね。単純な喜怒哀楽はあっても、誇りとか、恥とか、そういうのは人と触れ合って学んでいくものなの」
「はい」
「失った感情の全てを回収するのは現実的に難しいから、カメにはそうやって学んでもらわなきゃいけないわ。でも、今のカメにいきなり人と関わらせるのは怖いから、まずは人の行動を文章におこしてほしいの。行動の理由を考えながらね」
「はい」
「良い返事だけど、これっぽっちも理解してないんでしょ?」
「はい」
「とほほ……」
ウサギは泣く真似をしながら自分の席に戻った。
「ともかく、行動を書きなさい。人の感情は行動に現れるわ!」
「はい」
棚橋優衣はその日、アルバイト先から帰宅する途中で、羽根を拾った。銀色に光る羽根を棚橋優衣は家に持ち帰り、水道水で洗って一日乾かし、コルクボードに刺して飾った。
ここから三日は、棚橋優衣は羽根を何度か目に留めただけで特に行動を起こしていない。大学やアルバイト先での様子は、ボクは知らない。
三日後、ウサギが棚橋優衣の部屋に入ってきた。羽根を見つけると小躍りした。写真を何枚か撮った後、羽根をよく観察して帰った。ここにそのときの観察メモがある。「銀色の輝きは薄れ、黒く変色している。すでに対象に移植しつつあると思われる」と書いてある。
ウサギが部屋を出てから約六時間後、棚橋優衣が帰宅した。アルコールを摂取してきたようで、化粧を落とすことも浴室に行くこともなく就寝した。
朝、棚橋優衣は目を覚ましたあと、化粧を落とし浴室に行き、また化粧をして身支度を整えていった。帽子を被り、姿鏡を覗く。帽子を脱いで何かつぶやくと、羽根を掴んで帽子に縫い付けた。
「これでよし」
と棚橋優衣は言った。
棚橋優衣はそのあと携帯電話を取り出すとメールを打ち始めた。そのうち電話がかかってきた。
「うん、今から今から。えー? サボろ-よ。お、マジ? やったー。ありがと」
そう言って通話をやめると、家を出て行った。
このときの様子を物陰から見ていたウサギのメモがある。「家を出てくるのが遅い。イライラしてきた。遅刻すんなよ。……出てきた。楽しそう。なんだそれ」と書いてある。
棚橋優衣は大学に到着すると、ベンチに腰掛けた。ほどなくして男がやってきて声をかけた。
「急に会おうとか驚いたよ」
「ごめんね。会いたくなっちゃって」
「別に、全然。俺も会いたかったから」
「うれしー。ありがと」
「じゃ、行こうか」
そのあと棚橋優衣は男の車に乗り込んだ。その間、棚橋優衣と男の会話が途切れることはなかった。帽子を脱いで後部座席に置いたため、会話の詳細は不明だ。車を駐めると二人はどこかへ出かけていった。帽子を置いていったので詳細は不明だ。ウサギのメモには「大学ふけてデートか……いいけど。あーあ楽しそう。……帽子なし。要確認」と書いてある。
ウサギは車に近寄ってくると帽子を観察した。「全体が黒く変色し、銀色の部分は見当たらない。移植はほとんど完了したと思われる」と書いてある。
その後、ボクはウサギに呼び出されて合流した。
棚橋優衣は車に戻ってくると、すぐに帽子を掴んだ。
「あ、やっぱここにあったんだ」
「良かった、見つかって。忘れたって気付いてからずっと不機嫌だったもんね」
「えー? そう? ごめんね気使わせて」
「ううん、全然。お気に入りなんだ?」
「そ。可愛いでしょ」
「うん。ん?」
「どうかした?」
「いや、今、羽根の飾り落ちなかった?」
「なにそれー? そんなの元からないんですけど」
「……あれ、そうだっけ。ま、いっか」
変なの、と言って棚橋優衣は笑った。
その後、棚橋優衣は家に帰る途中で、別の男に声をかけられた。
男と男は口論になり、お互いに掴みかかった。
棚橋優衣はつまらないとつぶやいて二人を無視して出かけた。カフェでコーヒーを飲んでいたら、電話がかかってきた。
「あんた何したのかわかってんの!?」
「えー? 別に何もしてないけど?」
棚橋優衣は笑いながらそう言った。
「人の彼氏誘っておいて何もしてないってふざけてんの!?」
「だから、別に変なことはしてないって。ちょっと遊んだだけ。暇だったからさ。あたしの彼氏忙しくて会えないみたいだったから」
「はぁあ!?」
「あんたも誘ったじゃん。授業あるからって断ったの忘れた?」
「それとこれとはカンケーないでしょ!」
「ええー。わかんないかなぁ」
じゃあね、と言って棚橋優衣は通話を切った。
棚橋優衣はコーヒーを飲み終わったあともしばらく店に残っていた。
髪を触りながらあたりを見回していた。
「つまんなーい」
「つまんないなら、俺と遊ばない?」
「ん?」
男が目の前に立っていた。棚橋優衣はその全身を軽く見渡すと、笑みを浮かべた。
「楽しそう」
その後、棚橋優衣はその男とクラブに行き、ダーツをし、男を自分の部屋に連れて行った。
ボクとウサギは先に部屋にいて、棚橋優衣を迎えた。
棚橋優衣はボクと目が合うと気絶した。男はボクとウサギの姿を見て帰った。
ウサギは棚橋優衣を車に運んで、ここまで拉致してきた。
「終わりました」
「おっつー。こっちも終わったよ」
そういうとウサギは銀色の羽根を指で摘んでみせた。
「摘出完了。感情としては『快楽』なのかな? 『愉悦』? 『歓喜』? ま、べつになんでもいいけど」
「これがボクの感情なんですか?」
「そ。綺麗ねぇ。ピカピカしてる」
「どうするんですか?」
「まだ保管しておくわ。見たでしょ? これだけに支配されちゃうと人間関係グチャグチャになるから。あと二、三個は感情が揃ったら、カメの中に返してあげる」
「わかりました」
「うむ。良い返事だ。ところで、この感情を少しは理解できた?」
「はい」
「おお。言ってごらんなさい」
「歓喜の本質は、独善にあります」
「……ううーん」
まだまだ勉強が必要なようね、とウサギは言った。
ボクにはその意味がわからない。
まだ。
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