内容としては、オティヌス戦後のパロで、頭のいっちゃってる上条さんとか出てくる
書き溜めなし
汚れた空に向かって私は走っている。
冷たい雨が頬を打つ。
泥水や雨水を吸った服が重い。
その分抵抗が生まれ、遅くなってしまっている。
だから、とにかく走っている。
黒子がいれば、なんて都合の良い考えが頭を過る。
一刻も早く病院へ。後輩を頼りたい気持ちを抑えるのおは私欲であるからだけではない。
上条当麻がこの街に帰ってきた。
なら、自分の足で会いに行きたい。
少しでも気を緩めて止まってしまったら、彼にもう会えないような気さえする。
不安で胸が張り裂けそうになるかと思えば、安堵で吐き気が引っ込んだような気持ちになる。
これも全て彼のせいだ。
私の中に溜まっている、この心配を全て彼の中に打ち込んでやりたいくらいだ。
そんなことを考えたところで、結局、彼に会ったら電撃を飛ばすのだろう。
少しでも素直でありますように。
彼はどこから帰って来たのか。それはわからない。
彼は何と戦ってきたのか。それもわからない。
分かっているのは、彼が彼のまま戻ってきている、五体満足でこの街のカエル顔の医者の所にいるということ。
それだけだ。妹達が、昨晩遅くにわざわざ寮まで来て伝えに来てくれたのだ。
それだけのことを。その瞬間、私は長い間待ち続けていた、そんな徒労を覚えた。
本当になぜなのかわからないが。
彼が戻ってきたという妹達の事務的な機械質な声音で、涙がこぼれたのだ。
私は何を知っているというわけではないのに。
脳だけは何かを感じ取って、私より先に心を揺さぶった。
だから、真っ直ぐに彼の元へ走っている。
前方、病院の入り口に見覚えのあるツンツン頭。
「お、おいビリビリ!?」
「ビリビリ言ってんじゃないわよ!」
「ば、ばか、お前無茶苦茶濡れてるじゃねえか……!」
彼は持っていた傘を開いて、私の方へ走り寄ってくる。
水たまりを避けて、転げそうになる彼の足取りはどこか覚束ない。
「あ、あんた怪我とかは」
「んなことより、早く傘入れ! たぶん、病室にタオルならたくさんあったから……おわ、ずぶ濡れ……インデックスに服買ってきてもらうしかねえなあ」
「私の方こそどうでもいいわよ! 何もなかったのかって聞いてんの!?」
「怒るなよ……」
「怒ってるんじゃないわよ……心配してるんじゃない……」
彼は、頬を人差し指で軽くひっかいた。
一度、こちらを見降ろしたが、瞬間、バツの悪そうに視線をずらす。
「なに?」
「……す、透けてますことよ……」
「……ッ?!」
傘の内側で電気が放射状に延びる。
「のわ!?」
私はとっさに、両腕で胸を覆い隠した。
「見た!?」
「み、見てません!」
と、水を弾くような大きな音。
「と…う…まぁ?」
白い修道服に身を包んだ女の子――インデックスが修道女らしからぬ顔で立っていた。
「とうまのえっち!」
「まてまてまて! 不可抗力だ!」
「ははッ……っくしゅん!」
私が知っている彼らだ。
今日はここまでせう
乙です
そんなやり取りを数分繰り返した後、私はとりあえず、彼に急かされるように暖房の効いた院内に入り、そこでやっと寒さと震えを覚えた。
「インデックスさん、とにかくですね、こいつこのままにしておくと風邪引くから、このお金で服を買ってきてくれ」
持っていた傘を持ちかえて、ポケットを漁りインデックスに財布を渡し、彼はそう指示した。
「いいわよ、別に」
「短髪、そのままだととうまの劣情が大変なことになるから、着替えることをお勧めするんだよ」
「インデックス、おまえ……」
「ぷッ……はいはい、分かったわよ。お金はいいわ、自分で買ってくるから。病室どこよ?」
「409号室だ」
「オーケー。後で行くから、待ってなさいよ」
「お見舞いはメロンでいいかも」
「こらこら、そんな図々しく育てた覚えはありませんことよ」
「育てられた覚えもないんだよ」
私は、そのどこか場馴れした応酬に多少妬けながら、
「メロンね。期待せずに待ってなさい」
「御坂、来てくれるのは嬉しいけどせめて雨に濡れないように来いよ?」
「はいはい」
「とうま……他には誰を呼んでいるのかな?」
「御坂さんは自発的にお見舞いに来て下さったんですよ?」
「そうなの?」
「そうだけど、なに? 他にも誰か来たの?」
「何か金髪の小っちゃい奴が来てたんだよ」
「だから、知らない子だって言ってるじゃないですか」
「でも、あのオティヌスって女の子に鼻の下伸ばしてたんだよ」
「記憶にございません」
オティヌス。聞きなれない名前だ。きっと、彼がどこかで無意識に助けた子なのだろう。
「あんた、その話後で詳しく聞かせてもらうから」
私は彼らを背にして、そう言い残す。後ろで、彼がまたインデックスに何か言われている。
元気そうで良かった。相変わらずのようで良かった。
「……」
オティヌス。それは、何かひっかかる言葉だった。
記憶にはない。まるで、眺めていた景色の中に意識せずに映り込んだ鳥のような印象だった。
私が見たという認知がなされていないもの。
なんなの?
答えは出なさそうだった。私は考えを止め、院内を見渡して、衣料品コーナーに小走りで向かった。
インデックスと上条当麻は、確か同棲しているのだったか。
ジャージとトレーナーを交互に眺めながら、私はふと思い出す。
それも、二人の距離の近さを嫌でも感じていたからだ。
彼への嫉妬は今に始まったことではないが、ああも見せつけられるとイライラしてくる。
そうすると、電撃をお見舞いしてやりたいとか、殴ってやりたいとか、短気で単純な自分が出てきて、
二度とこいつに会って嬉しいなんて思わないようにしてやる、とかそんな感情を抱きたくなる。
けれど、時間が立つとまた会いたくて寂しくなる。
一昔前の私ならそんな色恋沙汰は無縁だと思っていたが。
私は手に取ったジャージを握りしめて、肩を落とす。
これで片思いじゃなかったら、こんなに惨めな気分にもならないのだが。
彼の前でジャージを着ると言う辱めに耐えなければと思うと、泣けてくる。
インデックスの可愛らしい仕草に、女として腹が立つ。
ああ、好意なんて抱くもんじゃない。
そんなことを考えながら、衣料品コーナーを後にする。
次に向かった先は、食料品コーナー。
メロン? そんなのあるわけないじゃない。
あの大食い子狸にはメロンパンでも与えておくに限る。
一つじゃ足りないだろうから、他の総菜パンも3つ程手に取る。
別に余ったら、彼にあげようかなどとは考えていない。
はず。
自分の中でさえ素直になれない。
馬鹿馬鹿しくて泣けてくる。
そこだけは、インデックスを見習いたい。
自嘲気味に笑って、買ったパンをレジに運ぶ。
「お願いします」
「400円だ」
おかしい。
「400円だ」
目の前の金髪の幼女の恰好もおかしいが、なにより、
「バーコード……使わないの?」
「それは、400円だ。そのような価値しかない」
「はい?」
少女は、右手を差し出して私にお金を出せと要求する。
「……はあ」
私はその要求にしぶしぶ答える。いくらで買おうがかまわないけれど、この売店はこれでいいのだろうか。
彼女の小さくて青白い手に私はそっと小銭を乗せた。
「毎度あり」
彼女の北欧的な風貌からだと、その言葉はあまりにも似つかわしくなかった。
結局、本来なら1050円相当のパンを400円で買うことになった。
売店の幼女はその後、さらに奇怪な行動をとった。
「メロンだ」
「……は?」
「受け取れ」
彼女はどこからともなく取り出したその丸い果実を、私に手渡した。
この子は、先ほどのインデックスとの会話聞いていたのかもしれない。
だからと言って、受け取るいわれはない。
「いやいや……」
拒否すると、彼女の眼光が鋭くなった。
だが、何も言わずにメロンを私の手に押し付けてくる。
「困るんだけど……」
「ならいい」
彼女は一歩引く。
「しかし、彼はもらう」
そして、意味不明な言葉を告げて、瞬きしたその瞬間に私の前から姿を消した。
今日はここまでです
私は、今の今まで彼女はそこにいたという認識をしていた。
けれど、まるで出会ってすらいないかのように、すっと少女の印象が薄らいでいった。
どうでもいい。そんな気さえした。
実際、少女のことを考えている暇はない。
そうだ、上条当麻の病室に急がなければと、足早に売店を後にした。
そう、上条当麻のお見舞いに来たのだ。
病室の前で立ち止まって、改めて私は納得する。
まるで、昨日食べたものを思い出すときのような感覚だった。
実は食べていなかった――そんなボケた老人のような気分。
(なに……かしら)
ふと、ドア越しにインデックスと彼のいつもの口論が聞こえた。
白色の引き戸をノックしたら、声がピタリと止む。
人影がドアの磨りガラスに映った。勢いよく扉が開く。
「みこと、メロンは?」
インデックスが満面の笑みで尋ねてくる。後ろのベッドから、上条当麻の大きなため息が聞こえた。
「インデックスさん、そんなことより御坂さんにタオルでも渡してあげてください」
「わかってるんだよ」
少女は、はっとしてから気まずそうに、タオルを私に差し出してくる。
「さっき着替えてる間に、けっこう渇いたから大丈夫だけど」
「そうか? あと、そこにドライヤーあるから適当に使ってくれ」
「ありがと……」
ホント、過保護と言うか。
私はベッドで上半身を起こしてこちらを見ている彼に、内心で笑みを漏らす。
インデックスからタオルを受け取り、代わりにメロンパンの入った袋を渡してやった。
「ありがとうなんだよ!」
満面の笑み。
「わりいなあ」
「別に、余ったらあんたも食べれば?」
「余らないに100円」
それもそうか。
可愛げもなく、豪快に袋を開けるインデックスを見て、半笑いで返した。
一心不乱で食物を漁る辺り、よほどシスターのイメージとはかけ離れている。
そんなことを言おうものなら、また喧嘩になるので、彼も私も何も言いはしなかった。
「インデックスと仲良くしてくれて、ありがとな」
「え?」
私は聞き返してしまった。
「何、いまさら。てか、あんたは父親か」
彼は天井を見上げる。そういう素振りをした。
「や、改めてお前がいたからインデックスってこっちの世界でもやっていけてるなあーって」
「科学の方でもってこと?」
「ああ……まあ、大雑把に言うとそんな感じかな」
「あのシスターの性格なら、どこに行っても図太くネズミみたいにのさばってると思うけど」
「はは、間違いないな」
彼は微笑んだ。
「あんた……」
どこから帰って来たのか、何をしてきたのか。
「なんだよ」
今何を考えているのか。それだけを聞きたかった。
考えていたいくつかの単純な質問は、喉元に来る前にまた胃の方にすとんと落ちて行ってしまった。
「前にもまして、頭ぼさぼさね」
「ひ、ひどい! これは、上条さんのアイディンティティーなんですことよ!」
彼は、片手で隠しながら手ぐしで髪をさっと整える。実は気にしていたのか。
と、インデックスがのそっとこちらを振り向く。
口の周りにはパンくずがついていた。
「ふー、ご馳走様でした!」
「お粗末様」
「ありがとうなんだよ。当麻のいない間、ろくなものを食べていなかったから助かったんだよ」
「何を言う。ティーチャー小萌の所で焼肉でも食ってたんだろ」
「そ、それは、まあそういう日もあったけど、喉に通らない日もあったりなかったりで」
「……インデックス、お前太ったか?」
彼は眉根を寄せながら、インデックスのお腹辺りを触った。
「あ……と、とうまぁ?!」
「あ、あんたねえ……!?」
上条当麻がきょとんとして、自分の右手をびくりとさせた。
「え?」
彼はそのアホ面のまま、インデックスの振りかざした拳の餌食になった。
「入院、長引きそうね」
「そうだね。とうまが悪いんだよ」
「とほほ……」
あ、そうだ。
「そう言えば、いつ退院するの?」
「明日だって、カエルは言ってたけど」
すでに、カエルしか残っていない所に突っ込むべきか悩んだが、面倒くさいので止めた。
「ふーん。良かったじゃない」
彼はふっと息を吐いた。
「外傷は特にないってさ。精神がうんたらかんたらって言ってて、まあ大丈夫だろうって」
「自分の身体の事でしょうに、適当にも程があるわよ」
私は溜息をついた。
「気にするな」
私はもう一度溜息をついた。
それから、暫く私は他愛もない話をして、夕方くらいにインデックスと病室を後にした。
もう、雨も上がっていた。雲間から、斜陽が散乱して家々をオレンジに染め上げていた。
「あいつ、本当に大丈夫なの?」
「詳しいことはあんまり話してくれなかったから……わからないんだよ」
「なによそれ」
見ると、インデックスは少し頬を膨らませていた。怒っているようだった。
「とうまのこういう所は今に始まったことじゃないんだよ」
「そりゃ、まあ……」
とは言っても、やはりこの少女も心配なのだろう。
「何かできなかったのかなとか、考えてる?」
あまり深く考えずにそう問いかけると、彼女は急に道端で立ち止まった。
そして、すぐにこう言った。
「何もできなかったよ」
彼女は、真っ直ぐに私を見た。
私は息を吸い込む。
「そう……」
「バカ野郎なんだよ……」
その罵倒は、自分自身に向けてなのか、それとも上条当麻に対してなのか。
「あいつはそういう奴でしょ」
彼に対してだろうと検討をつけて、私は肩をすくめる。
インデックスは、放っておくと手近なものを放り投げそうな雰囲気だ。
「怒ったってしょうがないじゃない」
私自身、むしゃくしゃしている。でも、この少女を慰めることもできる。
気持ちとは反対のことをやってのける人間ていうのは、本当に複雑にできていると思う。
複雑すぎて、単純なことには気付かない。
私も少女も、上条当麻の異変に全く気付くことができなかったのだ。
そのサインは、すでにあったのに。
彼は、いつから私たちに助けを求め始め、いつから助けを求めなくなった?
次の日、彼は退院した。
しかし、彼は寮の部屋へと戻ってはこなかった。
彼がいなくなってから、1週間が経った。
私はシスターズに土下座して、アクセラレーターにも頭を下げ、アンチスキルに頼み倒し、ありとあらゆる人脈を頼った。
けれど、誰一人この1週間彼を見た者はいなかった。
カエル顔の医者に聞いても、退院する時は特に異常は見当たらなかったと言うだけであった。
今、私は彼がいた病室にいる。換気のための小窓が開いている。
純白のベッドは、清掃されており、影も形も彼がいたという痕跡はない。
携帯を見る。後輩――黒子からのメールが入っている。
――また、授業をおさぼりになって……――
ここ最近、同じような文章ばかりだった。
それを打たせているのは、他ならぬ私自身だったが。
午後の生暖かい風を頬に感じながら、小窓から街を見下ろした。
目を瞑る。
「……なんで」
そんな言葉が漏れる。
アンチスキルの人間に頼んだ時、言われた言葉を思い出す。
――可哀相に。
1週間経ってもどこにもいない彼を、必死に探す私に向かっての慰めだった。
その瞬間、溜まっていた鬱憤が電撃となって放出してしまいそうになった。
その時は、かろうじて、深呼吸をして自分の熱を冷ました。
磁石のようにして、私は無理やり身体をその場から引きはがした。
そして、常盤台の寮に帰って、ベッドで泣き喚いた。
それから、ふと不安に襲われこうやって彼のいた病室に戻ってくる。
カエル顔の医者は、何も言わない。時折、無言で私を見てくるだけだ。
「………」
ここに来て、いつも後悔を繰り返す。
もっと、素直に色々聞いておけばよかったとか。
彼が最後に言っていた事を、よく考えるべきだったとか。
「……お願いだから、戻って来てよ」
誰にともなく呟く。風に運ばれて、届けばいいのに。
そんな奇跡はありはしない。彼がいなければ、奇跡なんて起こらない。
私は小窓に足をかける。後ろを振り返る。清掃担当の者が見たらびっくりするだろうから。
かけた足を、今度は思い切り蹴り出して何もない空間へ飛び出した。
――落ちる。落ちていく。
浮遊感。足元がすくむ。怖い。死にたくない。彼に会いたい。
病院の壁を蹴る。電気を放出する。パリッと全身が逆立つ感覚。
自身を磁石化させ、ビルの屋上へと吸い付くように、着地した。
「……ちッ……」
私は小さく舌打ちした。そして、思い切り笑った。
自分が可笑しくて笑った。可笑しい自分を吐き出すように、笑った。
可笑しくて可笑しくて、この可笑しいものが早く消えてしまえばいいのにと思った。
「ッ……あははッ」
笑いすぎて、喉が痛い。お腹が痛い。頬が顎がピリピリと痛い。
笑うのも疲れる。死んだら、そんなことも感じなくなるだろう。
だからと言って、死にたいわけじゃないのだ。
死にそうになったら、彼が来てくれるだろうとか、死んだら逢いに来てくれるだろうとか。
「……」
そんなことあるわけがないのに、そんなことばかり最近は考えてしまっている。
変な話だ。彼を、スーパーマンか何かと思っているみたいだ。
ピンチの時に必ず現れる。そういう人。この世界を構成する上で絶対に必要なヒーロー。
彼を必要としている人は山ほどいる。
反対に、彼が必要としている人は一体どれくらいいるのだろう。
私は、その中に入っているだろうか――。
翌日、寮のベッドに腰掛けて、私は暫く鬱屈とした気分と頭痛に耐えていた。
黒子が心配そうにこちらを見ていた。やっとのことで、作り笑いで誤魔化し、先に授業へ行くように伝えた。
最近、食欲が減退したせいか日に日にめまいやふらつきが多くなっているような気がする。
制服や寝巻が前よりも緩くなった。
このままではダメだ。そう思い立って、楽しいことを考える。やるべきことを考える。
妹達のことを考える。黒子のことを考える。
時間が立てば、この不安や焦燥も消えるはず。
そう言い聞かせる。
でも、彼を想うこの気持ちが薄らいでいってしまうという恐怖が、襲ってくる。
繰り返し、躁鬱を味わって、気が狂いそうになる。
昨日の夜は、ベッドで泣いていた私を気遣って、黒子が何も言わずに手を握ってくれた。
私が眠るまで、彼女は手を握ってくれる。黒子がいなければ、本当に狂っているかもしれない。
足音が聞こえ、ドアがノックされた。
黒子が忘れ物でもしたのだろうか。
「はい」
私は返事をする。声をなんとか絞り出す。
ドアが開いて、顔を覗かせたのは、寮監だった。昨日、遅くに帰ったため、私に何か言っていたような気がする。
少しだけ、会話の内容を思いだす。眼鏡のふちを上に上げて、私を見据える。
「感心せんな……御坂」
「ごもっともで……」
「朝食は?」
寮監はそう言って、小さな風呂敷を差し出した。
「いえ、食べてないです。それは……?」
「……食堂の余り物だ」
「そうですか……すいません。でも、今は食べたくないんです」
「……そうか。お前、どこか具合でも」
「いえ、違うんです。ちょっと、色々あってショックで食欲なかっただけなんで、大丈夫です」
「これなんだが、食堂のメイドが、お前のことを心配して、包んでくれたんだ」
「そうだったんですか……」
「サービスだと思って顔をだしてやれ」
「あはは……そんなサービスだなんて。感謝の言葉しかないですよ」
「じゃあ、今からでも」
私は笑いながら、すいません、行けませんと謝った。もう、笑ってなかったかもしれない。
寮監はバツの悪そうな顔をして、そうか、と言って包みだけは置いて部屋から出て行った。
ドアが閉まって、寮監のハイヒールの音が遠ざかっていくのを聞いてから、目を瞑った。
(最低……だ)
軟弱な自分に、寮監は何を思っただろうか。
いつもなら、こういう人間には背負い投げてでも外に連れ出す人だ。
それをしないということは、それ程私が滅入っているように見えたのだろう。
実際、否定はできない。
私は、ふと自分が普段着のままだったことに気が付いた。
昨日帰ってから、お風呂にも入らずベッドに入ったのだろう。
記憶が曖昧だ。脳に栄養が行き届いていないのかもしれない。
寮監は私服について何も言わなかった。
私はどこまでも、配慮されて遠慮されて世話焼かせている。
私は、包みを解いて、中のタッパーの蓋を開いた。
中身は食堂のメニューにないものばかりだった。卵焼きは少し焦げている。
舞夏がこんな凡ミスをするだろうか。そこまで考えて、気づく。
寮監の手作りのお弁当だ。
「あ……」
目頭急に熱くなって、ものの数秒で涙があふれた。鼻の奥がつーんと痛くなる。
私は口元を手で押さえて、声に出して泣くのを必死で我慢した。
震える手で、箸を握る。
「……ッ」
たぶん、食べたら吐く。それが分かったので、手が止まった。
でも、食べたい。食べなければ。
卵焼きを口に運ぶ。久しぶりの塩気。美味しい。
喉が衰退したように張り付て、うまく飲み込めない。
よく噛む。吐いた時にもその方が出やすいかもしれない。
一通りお弁当を食べ終わった。
「……」
その後、胃からせり上がってくる衝動のまま、トイレに駆け込んで、食べた物を全部戻してしまった。
申し訳なさに、また涙が出た。
落ち着いてから、シャワーを浴びて、制服に着替えた。
そして、食堂へ向かった。
広い食堂には、生徒一人座っていなかった。
それもそのはずで、今は授業中なのだ。
生徒はいなかったが、背中をこちらに向けて食堂の調理人と会話しているメイドを発見した。
土御門舞夏だった。礼を言おうと彼女に近づいた。すると、足音に気が付いたのか、舞夏は踊るようにこちらを振り返った。
「おお、元気か」
「そう見える?」
私は笑いながら言った。
「いや、思わないぞ」
舞夏も半笑いで返す。
「でしょうね」
「何をご所望で?」
舞夏が言った。
「ありがとう、心配してくれたんだって?」
「そりゃ、もちろん」
「あんた、いつから寮監と親しくなってたの?」
「なんのことだ? 寮監ってあの、お前の所の眼鏡の?」
「そうだけど」
「親しいわけではないが、言うなれば職場の同僚のような関係を築いているかな」
「へー……」
「問題児が最近食堂に来ないから何か精のつくものでも食べさせた方がいいかもな、という話を昨日掃除中に廊下でしたことも、補足しておこう」
「それは、また直球な補足どうも……」
と、調理人がこちらに顔を出して、
「食べれないのかい?」
と聞いてきた。
「なんなら、おかゆでも作るよ」
「あ、いえありがとうございます。まだ、ちょっと食欲ないので」
「そうか」
調理人は少し肩を落として、奥に引っ込んでいった。
「彼、ファンなんだって」
誰のとは聞かなかった。その前に、
「うるせえ!」
とぶっきらぼうに奥から声が返ってきた。
「あはは……」
「スープだけでもどう?」
「ごめん……気持ちだけ受け取っとく。心配してくれてありがとね」
私は先ほどよりも柔らかく笑って、食堂を後にした。
食堂を出た所で、授業終了の鐘が鳴り響いた。
次の授業には出なければ。
それこそ、次は母親にも迷惑をかけることになる。
廊下で立ち止まり、冷たい空気を吸った。
頭は冴えない。一歩前に進む。ゆったりと身体が足に乗ってついていく。
このまま後ろに倒れて、仰向けになって倒れてしまいたい気持ちをこらえ、私は教室へ向かった。
――――――――
その日の夜も、私は彼を探しに出かけた。
彼の学校の生徒全員のクラス名簿と寮の部屋番号を入手して、寮へ向かう。
彼の部屋は何日も前にすでに調べつくした。その時はインデックスも一緒に手伝ってくれた。
いや、インデックスも必死に手がかりを探していた。
彼女は、今どうしているだろうか。同じような気持ちなのだろう。
この気持ちを分かり合えるとしたら、彼女だけかもしれない。
調べつくしたと言っても、やはり寮に来るともしやと思ってしまう。
私は周囲に人がいないかを確認する。ついで、上条当麻が住んでいた部屋の扉の前の「KEEP OUT」と書かれたテープが巻き付いたポールをまたぐ。
届出を出す前に、事前に合鍵を作っておいて正解だった。
ポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。
ガチャリ、とロックが外れた。瞬間、中から、
「とうま!?」
と、叫ぶ声があった。
インデックスだった。
飛び出そうとして、私だと分かった瞬間に少女の勢いが失速する。
「なんだ、短髪か……」
「悪かったわね……」
「そんなことないんだよ。とうまを探すために、来てくれたんだよね?」
「ええ」
電気も水道も止められているため、部屋は真っ暗だった。
小窓から、外の街灯の明かりが差し込んで、足場がどうなっているのかくらいは把握できた。
「いつからいるの?」
「えっと……」
私を招き入れ、少女は扉を閉めながら言いよどむ。
「なによ」
「ずっと……」
「それは、あいつがいなくなってからずっと……ってこと?」
「うん……」
どういうことだろうか。確か、5日前に電気が4日前に水道が止められたはずだ。
彼女は、ここでどうやって生活しているのだろうか。
「あんた、確かここの高校の教師の所に世話になるって言ってなかった?」
「うん……」
締まりの悪い返答だった。
ちょっと抜けます
「で、今はどこに住んでるって?」
「ここ……かも」
小窓がガタガタと揺れた。風が強くなってきたようだ。
私は暗がりのインデックスを凝視する。もともと、線の細い印象だったが、どこかやつれているよう見える。
「あんた、ご飯食べてる?」
この部屋の家具家電は全てそのまま。
冷蔵庫の中の物も、たぶんそのままだろう。
私は気になって、冷蔵庫の扉を開けた。
「……」
中は空っぽだった。
「昨日で、全部食べ終わったんだよ……」
こいつの食欲を考えると、この小さな冷蔵庫にいくら詰め込もうが、4日分はきつい。
「あんた、今日は何食べたの?」
「水とか」
「どこのよ……」
「公園なんだよ」
「トイレとか」
「公園なんだよ……」
「どうして、そんな生活してんのよ!? 行く当てがあるんなら、そこにいなさいよ!」
私は、極力声を落としながら叫ぶ。私が言えた義理ではないのは、重々承知している。
少女に近づいて、両腕を掴む。やはり、どこか細い。
「とうまが、帰ってきた時に、誰もいなかったら寂しいんだよ……」
「本気……?」
インデックスは頷く。彼女の目は枯れていた。
「とうまは必ず帰るんだよ……いつもそうだったから」
そういうことは何度もあった。でも、今回は明らかにおかしい。
退院すると言って、次の日には行方をくらませるやつがいるだろうか。
彼なら、そういう事があるかもしれない。でも、いくら探しても軌跡ひとつ追えない。
異常だ。非常事態だ。
「おかしいじゃないッ。探しても何の情報も得られないなんて」
「1週間以上、戻らなかったことだってあるんだよ」
彼女の常識が正しいのだろうか。頑なに意見を曲げないインデックスに、自分の感覚がおかしいような気もしてくる。
「だからって、あんたこんな生活してたら身体壊す方が先でしょ……?」
沈黙。私は、ため息をつく。
インデックスの腕を掴む。
「行くわよ」
「どこへ?」
「どこって、その先生の所よ」
「嫌なんだよ……」
少女は弱弱しく私の腕を振りほどこうとしたが、振りほどくには至らなかった。
「あんたが倒れたら、あいつ悲しむわよ」
「余計なお世話かも……」
待てば、海路の日和ありとは言うものの、これでは本当に身体を壊してしまう。
「いいから、行くわよ」
無理やりにでも、ここから出すしかない。そう思って、彼女の腕を強引に引っ張った。
突如、右腕に痛み。
「ッッ!?」
私は思わず叫びそうになる。
「な……」
「行かないって、言ってるんだよ!」
今の痛みは、彼女が噛んだのだ。とっさに、私はそう思った。
彼女は、叫んでから奥に走っていく。
「ちょッ」
彼女はそのままトイレらしき扉に手をかけて、入るなり鍵を閉めてしまった。
「はあ!?」
私は駆け寄って、扉を叩く。
「バカやってないで」
「帰って!」
くぐもった声が中から聞こえる。
嗚咽交じりに、少女は何か文句を言っている。
涙声で、よく聞き取れない。
「あいつ……戻ってくるから。だから、一緒に」
最後まで言い切る前に、私の口が小刻みに震えだした。
上手く言葉を舌にのせられない。
「ま……ッ」
寂しさが急に込み上げてきて、私はその場に崩れ落ちて、インデックスと共に泣いた。
誰かが、身体を揺さぶっている。
はっとして、私は身体を起こす。
「短髪……のいて」
後ろから声がする。振り返ると、トイレの扉からインデックスが顔を覗かせている。
「……へ……あ」
しまった。あのまま寝てしまったのだ。
寮生を調べるつもりだったのに、大きく時間をロスしてしまった。
朝日が部屋に差し込んでいる。もう、朝だ。
私は、のろのろと立ち上がる。ゆっくりと、インデックスが扉を開ける。
寝ぼけた頭で、私はとっさにインデックスの腕を掴んだ。
「あ」
「……」
まだ、頭が覚醒しない。しかし、昨日の夜の続きならば、私がとるべき行動として正しかっただろう。
「離して……欲しいかも」
「また、噛みつく?」
私はきいた。
「離さないなら」
「噛みつかないでよ、痛いんだから」
そう言うと、じゃあ離して、と視線だけでインデックスは訴えてきた。
それは無視する。すると、インデックスは躊躇なく、私の腕を噛んできた。
「……ッ」
まるで野良犬だ。遠慮がない。
彼女歯が骨に当たって、ゴリゴリと削られるような感覚。
私は、一瞬で目が覚めた。声は出さなかった。今度は、ただ耐えた。
「なひゃんで……」
歯の隙間から、少女が困惑して何か呟いている。
痛かった。さっさと噛むのを止めて欲しい。それともこちらが腕を離せばいいのか。
否、彼女をここに置いておくことはできない。きっと、上条当麻もそれを望むだろう。
「……ッ」
だから、我慢した。だんだんと感覚が鈍くなってきた。
もう、ほとんど痛くなってきた。インデックスは、まだ噛みつくのを止めない。
今日は、朝から授業に出ようと思っていたが、無理かもしれない。
ガチャ―バタン、と隣の部屋の扉から寮生が出て行くのが分かった。
どっちにしろ、この時間はこの部屋にいるしかない。
登校中の学生に見つかれば、不審がられてしまう。
だんだんとインデックスの噛む力も弱まっていた。
顎が疲れてきたのだろう。後は、目的など関係ない。
どちらの意地が通るかだけだ。
身体がぶるりと震えた。寒い。
この時期に、暖房器具なしでよく生活できたものだ。
風邪をひきかねない。
「……ッ」
インデックスが動く。ぴくぴくと動いている。
なに、どうかしたの。
「……っくしゅん!」
拘束が外れた。勝敗はあっけなく決まった。
インデックスのくしゃみの余韻が消えた後に、私は言った。
「あんたの負けね」
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このSSまとめへのコメント
いい話やったー