ひよっ子魔女と嘘嫌い (87)
魔女がどこに住んでいるのかは誰も知らない。
森のほとりの風車小屋とかにいるらしいとは言うけれど、
正しくこの場所! と示せる人はいないのだ。
普段は誰にも必要とされないし魔女の方も誰かを必要としないので、
お互いが出会うことはめったにない。
それは不思議というほど不思議なことではないけれど、
実はそれこそが魔法ということ。
手元にあるものでは困りごとを解決できないと感じたとき、
その思いが強ければ魔女はその人の前に姿を現す。
理由は誰にも分からない。
もしかしたら魔女自身にも分かっていない。
それは丸ごとまとめて不思議、つまり魔法と呼ぶのだ。
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……
エレクが村を飛び出したのは太陽が東の空にあったときで、
今は真上あたりにあるからそれなりに遠くに来たことが分かる。
脇目も振らずに走って、あと時々歩いたり転んだりしたので、
喉がヒリヒリと水を欲しがっていた。
村の家々ははるか後ろに消えてしまって道の先には草原が青々と広がっているのみだ。
不安が急に押し寄せてきて泣きたくなったけれど、
引き返すのはそれ以上に嫌だった。
それによくよく考えたら泣くのはもうとっくに済んでいて、
怒るのも終わったし、今の心の中は冷たい隙間風っぽい感じ。
エレクがなぜ村を飛び出したのかといえば、それにはもう大変な理由がある。
けれども一言にまとめることもできて、ただの喧嘩とも言えた。
そして誰との喧嘩かといえば、それは自分以外の全員なのだった。
全員は、つまり全員だ。
自分以外の世界すべて。
ずいぶん大きな話だけれど、エレクはいたって真剣だった。
ぼくは世界と戦ってるんだ。
でも実際は戦えてない。
だって彼は逃げ出したんだから敗走だ。
エレクには戦う力が必要だった。
考えながら歩いていたので前をほとんど見ていなかった。
ふと顔を上げると右前方に森の影が見えてきていて、
川がその手前に流れているのが見えた。
エレクは急いで川に向かう。
そろそろ喉の渇きが限界だったのだ。
流れは清く透明で、さし入れた手がぴりりと冷えた。
ゆっくりすくいあげて一杯。
それからがぶがぶと二杯を飲んだ。
喉から胃に落ちる冷たい感じはとても心地よくて、
エレクの胸のもやもやをしばし忘れさせてくれた。
ふうっ、と人心地ついて後ろにおしりを落として空を見上げる。
天気はよくて空の青さが抜けるよう。
パンのように膨らんだ雲を数えているうちに彼はなんだか眠たくなった。
(これから、どうしようかな……)
帰りたくはないけれど、行くあてもない。
瞼の内側でうつらうつらと考えていたときだった。
「こんにちは」
誰かの声がして、エレクは慌てて目を開けた。
いつの間にかそばに女の人が立っていた。
黒っぽい野良着を着ている人で、それについてはひどく地味に思ったけれど、
対照的につややかな栗色の髪はとてもきれいだ。
手には手桶を持っていて、エレクに一度笑いかけた後、水際に腰をかがめた。
「こんなとこに人がいるなんて珍しいね。村の人?」
エレクはそれにうなずきながら、女の人が思ったほど年上でないことに気づいた。
せいぜい五歳差ぐらい。
多く見積もっても二十は越えていないだろう。
少女と言った方が正しいかもしれない。
彼女は水を汲み上げて脇に置くと再びエレクに笑いかけてきた。
「きっと偶然じゃないのよね。だってわたしに会えたんだから」
なんだか奇妙なことを言う。
エレクは変に思って訊ねた。
「どういうこと? あなたは誰?」
彼女は考え込むように口に指をあてた。
「うーん、難しいね。あ、いや、名前は難しくないよ。わたしはミナ。
会えたのが偶然じゃないっていうのはそうねえ……」
短い黙考の後、彼女はぽんと手を打った。
「そう。わたしが魔女だから」
は? とエレクは面食らった。
けれどもそんな彼をよそにミナは機嫌がよさそうだ。
満足のいく解答を見つけたのが嬉しいらしい。
「ついてきて。お茶でもご馳走するわ」
手桶を持ち上げて踵を返す。
彼女の行く先を見やると小さな風車小屋が目に入った。
さっきまではそこにあったことには全然気が付かなかったのだけれど。
つづきます
出だしいいかんじ
期待乙
……
あるものに対して抱くイメージなんて人それぞれだとは思う。
でも魔女と聞いたら誰もが同じように思い浮かべる部分はある。
つまり村の長老なんかよりもずっとずっと年上で、
怪しい鍋をかき混ぜながら怪しい笑い声を上げて、箒で空を駆け抜け、
満月の夜には奇特な儀式を執り行うといったような。
そういったイメージを頭に置いたとき、
エレクの目の前にいる少女がそれにぴったり合うかといったら、まあ言わずもがな。
「ん。なあに?」
ミナはお茶のカップから口を離して首を傾げた。
可愛らしさはあるかもしれないけれど、いわゆる魔女っぽい気配はかけらもない。
「あ、いえ……なんでもないです」
テーブルの上のお茶に視線を落としながら答える。
手は付けていない。
なんだかそんな気分じゃないのだ。
「お茶嫌い?」
「いえ、そうじゃないんですけど」
あなたが怪しいのが大きくて飲む気になれません、とはさすがに言えない。
かといって嘘をつく気にもなれない。
いや、嘘をつくくらいなら正直に言った方がはるかにマシだ。
何しろ村での喧嘩の発端はそこにあるのだから。
「なんであそこにいたの?」
不意にミナが訊いてきた。
「なんでわたしに会っちゃうようなことに?」
「いやそんなことは知りませんけど……」
妙な訊き方に当惑しながらもエレクは言葉を続けた。
「ちょっと村でごたごたあって。嫌になって飛び出したっていうか」
「ごたごた?」
「ええ、まあ……ちょっと」
いろいろあったのだ。
とにかく今日初めて出会ったような人に打ち明けることではない。
だからわざわざ言葉を濁したのだけれど。
「喧嘩か何か?」
ミナは朗らかに、悪く言えばずけずけと訊ねてきた。
エレクは嘘をつけないので仕方なくうなずく。
はあ、まあそうです。
「そっか。それで困ってるんだね」
「困ってなんかいません!」
ミナの無神経な物言いにエレクはかっとなって反発した。
「ぼくはただ、正しく怒ってるだけで決して――」
「お茶、飲んで」
ミナはエレクの声にもひるまず微笑みながら言った。
「落ち着くから。ね?」
「……」
浮き上がっていた腰を、乱暴に椅子に落とす。
お茶を荒くすすると、でも確かに少し頭がすっきりしたような気になる。
ミナは、特別な薬草で作ったお茶なの、と告げた。
「……確かに、少しは困ってるかもしれません」
エレクはテーブルの表面を睨みながらうめくように認めた。
「村にどんな顔して戻ればいいか分からない」
ミナはお茶をひとすすりしてカップをテーブルに戻した。
「大丈夫、安心して。わたしがあなたを手伝います」
それからにっこりと笑っても一言付け加えた。
「それがわたしたち魔女の仕事だからね」
エレクは、思わずその笑顔に見とれた。
そして見とれながらも、この人頭大丈夫かなあと、一抹の不安を覚えたのだった。
つづきます
おつ
雰囲気好きだわ
と。ふと気配を感じてエレクが見下ろすと、足元に猫が座り込んでいた。
黒く短い毛並みの猫で、金色に光る眼を静かにこちらに向けていた。
無表情だ。
いや普通猫に表情なんてないけれど、それでもとにかく何にも表情が読めない。
こちらを見ているが、それが好意あってのことか単なる興味か警戒か。
それとももっと別の何かなのか。わからない。
「ペル」
ミナが呼ぶと、猫はエレクから視線を外さないまま立ち上がってミナの方へ歩いていった。
ミナは猫を抱き上げて膝に乗せてから座りなおすと、この子はペル、と紹介した。
「はあ」
「ペルちゃんはおりこうさんなの。
っていうかわたしが生まれた時から友達だからペルちゃんの方が年上なんだ」
そんなに高齢の猫には全然見えないのだけれど。
しかしミナはお構いなしだ。
「ほんとはお婆ちゃんのお供だったんだけど、
修業で引っ越すときにお前ひとりじゃ不安だからってつけてくれたの。
野垂れ死にだけはよしときなさいって」
「野垂れ死に、ですか……」
なにやら壮絶だったらしい。
「うん、おかげさまで今までもちょっと飢えるくらいで済んだし。
水だけでも人間って結構もつのね。
それから修業っていうのは魔女の修業のことで、一人前になる前の一人研修期間っていうか」
「あ、あのっ」
ひっきりなしの言葉がそれこそ永遠にひっきりなしになりそうだったので、エレクはなんとか口をはさんだ。
ミナははたと言葉をとめて、二三度ぱちくりと瞬きした。
「なに?」
「いや、ええと。いつまで続くんだろうなあって」
「ああ!」
大きくうなずいてミナ。
照れたように笑って言う。
「ごめんね。わたししゃべりすぎちゃう癖があって。
久しぶりのお客さんだったし」
こしこしと頭をかく手を、猫がやはり無表情に見上げていた。
「それで、なんだっけ? 君の悩み事についてだよね。
大丈夫、まかせて。力になるから」
「ううん……」
いまいち喜ぶ気になれずにエレクは天井を見上げた。
外で風車の羽が回っているのだろう、木製の歯車の集まりが鈍い音をたててゆるりと動いている。
何のための仕組みかも分からないが、エレクは何となく薬草をすりつぶしているのかなと思った。
間が空いた。
ミナは気に留めなかったようだけれど、ペル猫は大きくあくびをした。
「あの」
「ん?」
「魔女っていうのは本当なんですか?」
「うん、そうだよ?」
「魔女って、魔女ですよね?」
ミナはエレクの言うことの意味をつかみ損ねたようだった。
眉根を寄せて、しばらく考えて、やっぱりわからなかったらしい。
「……どういうこと?」
「魔法とか使うんですか? 呪文で」
「魔法を、使う?」
今度はエレクの方が考え込む番だった。
この人は自分を魔女という。けれどももしかして魔法は知らない?
「ううん。知ってるよ」
ミナはそう答えたのでエレクはますますわからなくなった。
だけれどもそれはまだ序の口だった。
「いや、知ってるっていうと違うのかなあ。
『魔法』なんて言葉でくくってるけど本当はそんなの無理なくらいわけわからないし。
そもそも存在してるのかも謎だし。
わたしも時々疑いたくなるよ。どう思う?」
「どうといわれても」
エレクはすっかり混乱して、同時に失望も覚えている自分にも気が付いた。
この人は嘘つきだ。そうでなければやっぱり頭のおかしい人だ。
つまりそれは、ぼくの悩みをどうにかすることはできないってことだ。
「ごめん、そんなこと訊かれてもわからないよね。
でも信じて。わたしは嘘つきじゃないし頭もおかしくないよ。多分」
「え?」
ねーペルちゃん、と猫に語りかけて無視されるミナを見ながら、
エレクは奇妙な感覚に包まれた。
「あの。今」
「あ、ごめん、ちょっと席外すね」
すぐ戻るから。ミナは言うなり席を立って奥の扉に姿を消した。
後に残されたのはエレクと猫だけで、一人と一匹はしばらく見つめ合った。
「……にゃー?」
エレクが鳴き真似で呼びかけても、ペルは微動だにせずにこちらを眺めるばかりだった。
つづきます
面白いなこれ
続きはよ
おつん
ミナが戻ってきたのはエレクがもう出ていこうかなと思い始めたころで、
つまり結構な時間が流れたわけだ。
「ごめんごめん。お待たせ」
「……何してたんですか?」
一応気にはなって訊いてみると、ミナは客用の部屋の片づけと答えた。
「といっても大したとこじゃないんだけどね。でも散らかってるのは嫌でしょ?」
「? 誰か来るんですか?」
エレクの言葉にミナは、ん? と片方の眉を上げた。
「あれ? 泊まっていかないの?」
「え? ぼく?」
「そうだよ? ほかに誰がいるの」
ミナはそこでふっと口を止めてほんの少しだけ考えるような間を置いた。
「……もしかして他に誰かいたり?」
「いいえ」
「だよね」
よかった余分は一部屋しかないから、と安堵の表情を浮かべてミナはペルを撫でる。
ペルは嫌そうに身をよじるのだけれど、彼女はお構いなしだった。
何の確認だったんだろう。
目に見えない人がいるわけでもあるまいし。
エレクは訝しい思いをぬぐえないまま口を開いた。
「えっと、ぼく泊まっていくことになったんですか?」
「うん」
いつの間に。
かなり面食らって、でも窓の外を見ると日は既に大きく傾いていた。
今から帰ろうとすれば、村に着くのは日が沈んでしまった後だろう。
それが嫌なら確かに泊めてもらうしかない。
「……いいんですか?」
「いいも何もわたしと出会ったわけだし。一人だけならちょうど部屋空いてるし。
もうすぐ日も暮れるし。
これはきっと魔法だよ。なら流れには乗っておいた方がいいよね」
またよくわからないことを言う。
ただもう一回訳のわからないことを聞かされるのも気が進まなかったので、
エレクは黙ってやり過ごした。
待たされなければ問題なく日暮れ前に帰れたんですけど、とももちろん言わなかった。
「それじゃあゆっくりしていってね、えーっと」
ミナはそこで口をつぐんだ。
しばらく虚空を見上げて考える顔をしてから、エレクに視線を落とした。
「……名前、なんだっけ」
猫がにゃーと小さく鳴いた。
つづきます
乙乙。期待。
「エレクくーん」
声がして、ドアノブが少し動いて、それからあっという小さな声。
こんこん、と遠慮がちなノックがやり直される。
ベッドから身を起こして返事をすると、ミナが「夕食にしよう」とドア越しに言った。
部屋を出て先ほどのテーブルに着く。
テーブルには鍋がでん、と乗っていて、中身はどうやらシチューのようだ。
いい匂いにエレクのお腹が少しだけ鳴った。
対面のミナは気づかなかったようだけれど、
棚の上のペルはその瞬間だけこちらに目を向けた。
「それじゃあ召し上がれ」
ミナが取り分けてくれたシチューを口に運ぶ。
熱い! と思ったけれどそれほどでもなくて、まろやかな味が口に広がり、
最後にほんのりとした甘みが舌の上に残る。
「……おいしい」
ほろりと口から言葉がこぼれた。
「そう? よかった」
それとなくこちらの様子をうかがっていたらしいミナは、
安心したように笑って自分の分に手を付けた。
少し胃に物が入ると余計にお腹がすくこともある。
エレクは黙々と食事を続けて、ミナも特に話しかけてはこなかった。
だから、風車の歯車の音を別にすれば割と静かだったし、
その歯車にしたって風が弱くなったのかあまり軋んではいないようだった。
ふと窓の外に目をやると、日はすっかり沈んでしまっていて、
低いところに月が見える。
ぼーっとそれを眺めていると、ミナが気づいて声をかけてきた。
「どうかした?」
「……いえ」
と誤魔化しはしたけれど、エレクは自分の胸の中身に気づいていた。
悲しいわけでも寂しいわけでもない。
でも、なんだかひりひりと痛むような感じがする。
多分、と思う。
これが遠くにきちゃったって感覚なのかも。
「村の人たち、今頃きっと心配してるね」
「それはどうでしょう」
ミナに力なく返事する。
「前から何となく疎まれてるっていうか、そんな感じはありましたし。
出ていってくれてせいせい、ってところじゃないですかね」
「そうかなあ」
「きっとそうですよ」
行儀が悪いと知りつつ頬杖をついた。
「ぼくはメンドい奴、らしいですから」
じっとこちらを見つめるミナの視線を感じながら、
反応する元気もなくエレクはため息をついた。
つづきます
乙
翌日はしとしと降る雨の音で目を覚ました。
風もでているようで風車の音が昨日より大きい。
寝ぼけ眼で部屋を出てそのことを口にすると、ミナは「あと少ししたらやむと思うな」とだけ答えた。
朝食のパンとスープがエレクのお腹におさまるころ、
果たして風雨は穏やかになって、ほとんどやんだような状態になった。
「何してるんですか?」
「ピクニックの準備」
なにやらごそごそやっていたミナはエレクの問いにそう返した。
ピクニック?
エレクは怪訝に思ったけれど、
大きなかごの中にはサンドイッチありリンゴありチーズありの盛りだくさんで、
あ、これぼくも強制参加なんだな、となんとなく悟った。
顔を出した太陽が二個分動いたころ、二人と一匹は出発した。
うち一人はしぶしぶといった様子で、それから一匹はかなり嫌がったけれど強引に引っ張り出されて。
「はーい出発ー!」
ミナの腕の中で手足をばたつかせるペルに、エレクは心底同情した。
昨日ミナと出会った川を森の方へとさかのぼる。
せせらぎの音を聞きながら歩くこと割と長く長く。
森が近づいてきて、
「まさか中には入らないだろう」
とたかをくくっていたエレクの予想を裏切りずんずんずんずん。
ペルと荷物の両方を抱えているのに手ぶらのエレクよりも少し速い。
「どうしたの?」
「いえ……意外に健脚ですね……」
としか答えられない。
ミナはそれからも容赦なく行軍を続け、ようやく立ち止まったのは正午をわずかにすぎてから。
「よし、到着!」
高らかに宣言するミナを見上げてエレクは深く息をついた。
なぜ見上げているかといえば、あまりの疲れにしりもちをついていたからだ。
どこに到着したかは知らないけれど、まあとにかくこれで一休みできる……
「そっち側引っ張って」
「……」
エレクはジトっとした目で身体を起こし、ミナの持つシートの反対側を半分やけくそに引っ張った。
ミナは気づかなかったようで、ありがとーと気楽に言ってのけたけれど。
(ああもうやだ……)
エレクだって村の子でそれなりに丈夫だ。
こんなにくたびれたのは久しぶりだった。
シートの上に身体を投げ出して目をつむる。
ミナがごそごそやる音、ペルのわずかな歩行音、それから流水と風の音。
それから……それから。
(……ん?)
わずかに湿った、さわさわとした何かが右手をくすぐっている。
目を開けると黄色い小さな花が、風に合わせて手に当たっているのが見えた。
上体を持ち上げて見回す。
そこは木が場所を空けて小さく空き地になっているところ。
色とりどりの花が目いっぱいの日光を浴びている。
さらに顔を上げると川の上流方向に山がそびえているのが見えた。
ごつごつと薄青く、頂上付近はきらきらと白い。
「いい場所よね」
視線を引き戻すとミナがサンドイッチをこちらに差し出していた。
風が吹く。花が揺れる。
三つめのサンドイッチをぱくつきながら、ふと思い出してつぶやく。
「訊かないんですね」
「んー?」
ミナが間延びした返事をした。
その手が不機嫌そうな様子のペルのあご下をかいてやっているのを見つつ続ける。
「いや、ぼくが村を飛び出した理由の続き」
「そういえばそうねえ」
のんびりと答えて、彼女はこちらの視線に気づいたようだった。
「あ、忘れてたわけじゃないよ。もちろん聞く気がないわけでもない。
でも無理に聞き出すのはよくないかなと思ったし、なにより君が話したいときに話すのが一番だろうし」
「そんなに深く考えていたようにはとても見えませんでしたけどね」
エレクは小さく笑って言った。
ミナも「そっか」と笑った。
エレクは傍らの花を見下ろし、それから上流の山を見上げて、ゆっくりと口を開いた。
「まあくだらないといえばくだらない話なんですけどね――」
蝶がひらひらと飛んできてペルの頭にとまって、その一瞬だけ言葉が途切れた。
つづきます
乙
乙乙
もう少し投下
つまりは喧嘩なのだ。
一言でまとめればそれだけ。
ある子供が嘘をついて、別の子がそれを許せなかったというそれだけ。
嘘の内容にしたって大したものじゃない。
数日後に村でお祭りがあって、子供はペアで踊ることになっているのだけれど、
その子はエレクと組んだのだと皆に言いふらしていたらしい。
エレクには知らせずに。
エレクは他の子から聞かされて初めてそれを知ったのだった。
エレクは怒った。
なぜって勝手に大事なことを決められるのは気に入らなかったし、
その子とは前から仲が悪かったのもあるし、
そもそもなぜ仲が悪かったかといえばその子が嘘をつくこと山のごとしだったからだ。
やれ向こうの草むらの岩の下には宝があるといってはエレクを連れまわしたり、
やれ向こうで珍しい鳥を見つけたといってはやっぱりエレクを連れまわしたり。
エレクは嘘が嫌いだった。
これには理由と呼べる理由はない。
なんだか中身のないふわふわしたものにはいらいらせずにはいられないのだ。
昔からこうだったしこれからも変わることはないだろうと思う。
まあそんなわけで、とうとう腹に据えかねたエレクがその子と大喧嘩していると、
当たり前だが人が集まってくる。
集まってきた人はでも、みんな向こうの味方なのだった。
「いやまあだって、お前それは、なあ?」
みんな一様に同じ、なんとも言い難い顔をしてうめくのだ。仕方ないだろ、と。
それに加えてもう一言。
「そんな小さいことでガタガタ言うなよ」
キレた。
もうプツンと。
いやもうブッチィーンッと。
あんたたちにはどうでもよくてもぼくにはそうじゃないんだよ!
でも言い返せなかった。
怒りのあまり口もきけなかったのだ。
「――それで村を飛び出してきたってわけです」
説明を終えて息をついた。
「まあちっちゃい話なんですけど。でもぼくにとってはすごく重要で。
だってぼくは他の誰とも相容れないってことですし」
世界中が敵というのと同じことだ。
どこにも居場所がない。
「あいつも半泣きだし、それも大変といえば大変――どうしました?」
ミナの表情に気づいて口を止めた。
砂利を噛んでしまったような笑いに顔がゆがむのをこらえているような。
そんな微妙な表情。
あの時の村のみんなの表情にそういえば似ている。
「ええと。その喧嘩した子っていうのは女の子?」
「はい」
きっぱりとうなずく。
「女の子だからといって許されるわけありませんよね」
「う、ううん……」
まるで難題にぶつかったようにミナがうめいた。
まいったなあというつぶやきも聞こえた。
きっとミナもみんなの肩を持つのだろう。
分かってたさ、とエレクは小さく毒づいた。
どうせみんなぼくの敵なんだ。
猫の頭から蝶が飛びたった。
つづきます
むすっと黙り込んだエレクにミナはどうやら困り顔の様子。
もっと困ればいい、とエレクは思った。
八つ当たりだと分かってはいたけれど。
「あのさあ、エレクくん」
慎重に、足元を確かめるような声色でミナが口を開いた。
「少し頭を冷やして考えてみよっか。
あ、いや別に君が冷静じゃないとかじゃなくてね。
いや本当に。うう……」
エレクの険しい視線にいくらかくじけた様子ながらも少女は続ける。
「ええと、その子が嘘をついたことそのものじゃなくて、なんで嘘をついたか。
それを考えてみたらいいんじゃないかな」
「ぼくに好意を持っているからでしょう」
「あれ?」
間の抜けた声を上げてミナが瞬きする。
エレクは、もちろん考え違いかもしれませんが、と前置きして続けた。
「嘘をついてまでぼくを連れまわしたのはぼくの気を引きたかったから。
ぼくと踊りのペアを組んだなんて嘘をついたのはそれがそのまま本当になってほしいと思ったから」
言葉を切る。
ミナは気の抜けた顔でこちらを見ていた。
エレクは頭をかく。
「……ナルシストっぽいですかね」
「あ、いや……そこまで分かっていたならなんで怒ったの?」
「そりゃさっきも言ったように考え違いの可能性もありましたし。
もしそうじゃなくて当たっていたとしても、やっぱり嘘は許せません。
性分なんです。あとそれから」
そこまで言って、少し考え、やっぱりなんでもありませんと打ち消した。
「とにかく、仮にあいつがぼくのことを好きだったとしても、
駄目なものは駄目です」
好きなら余計に嘘をつくべきではないと思います。とも付け足した。
エレクが嘘嫌いなのは村では結構知られたことだったのだし。
先ほどペルの頭にとまっていた蝶が花から花へとひらひら飛び回っている。
しばらくすると別の蝶がやってきて一緒になってひらひらひらひら。
まるで二匹一組のダンスを踊るかのように複雑な軌跡を描いた。
つづきます
乙
「真面目なんだねえ」
ミナがぽつりともらした。
自分でも言おうと思って言ったわけではないらしい。
しまったという顔をしてわたわた手を振った。
「違うよ、変な意味じゃないよ? ただなんていうか、一本気だなっていうか」
「融通がきかないともいいますね」
エレクの言葉にうぐっと何かを飲み込んでからミナはすぐに続けた。
「いやいや。物事にまっすぐなんだと思うよ。
適当にあいまいなまま終わらせたくないってことなんじゃないかな」
「どうでしょうねえ」
それでも疑いの気持ちを捨てきれないままエレクはうめいた。
結局ぼくが石頭なだけって話なんじゃないだろうか。
ぼくが我慢して性格を直せば済むことなんじゃないだろうか。
でも無理して自分を押し殺して、そんなのが本当に正解なんだろうか。
そもそも「直す」ってなんだろう。
「嘘をつかないでいるって大変なことだよ。エレクくんは偉いとわたしは思うな」
エレクはうつむいたままその言葉を受け取った。
お礼は言える気がしなかったけれど。
代わりに口をついて出てきたのは疑問の言葉だった。
「人ってなんで嘘をつくんでしょうね」
ミナはそうだねえと頬に手を当てた。
「他人をだまして得をするため。
自分を大きく見せるため。逆に小さく見せるため。
他人を傷つけないようにつく嘘なんかもあるね」
ひとつひとつ数え上げてミナは指を折っていく。
「あとは他人の気を引くため。
ううん、どこまで数えてもキリがないなあ。
もしかしたらみんな目の前の本当のことから逃げ出したいのかも。
本当のことって優しくないことばかりな気もするもんね」
「ミナさんも?」
「わたし? 嘘をつくかってこと? 魔女はすごくたくさんの嘘をつくよ」
そこまで言ってミナは顔をしかめた。
こめかみに手を当ててウンウンとうなりだす。
「あれ? そう言っちゃうと違う気がする……。
もっと正確に言うと……ええと……」
いまだご機嫌ナナメなペルの横で、いろいろ姿勢を変えたのち、
ミナはようやく目当ての言い回しにたどり着いたようだ。
「魔女は本当と嘘の境目にいるんだよ」
「境目?」
そう、境目、と言ってミナは虚空にピッと線を引いて見せた。
「魔女はね、本当か嘘かもあいまいな、不思議の世界に住んでるの」
つづきます
でもあとちょっとで終わるはず
「どういうことですか?」
「それは魔法と関係してるかな」
魔法。
魔女が魔女と呼ばれるのは魔法の力を持っているからだ。
でもそういえば、彼女の口ぶりでは魔法は使うものじゃないらしい。
「そう、魔法は使うものって言ったらわたしは、ん? って思う。
だって魔法はそんなに都合のいいものじゃないから」
「できることとできないことがある?」
「そういうのともまた違う。
そもそも魔法は魔女の道具じゃなくて、それ自体が生きているもの。
できるできない以前に魔女の思いに従ってくれるわけじゃないんだ」
ミナはついと上を指さした。
自分も空を見上げて説明を続ける。
「例えば雨に降ってほしくて雨乞いをしたとするよね。
魔法の機嫌がよかったりして聞き入れてくれたときは雨が降る」
でも、と指を下して視線もエレクに戻す。
「それはすぐにってわけじゃない。
数刻後かもしれないし数日も後かもしれない」
「それって雨乞いの効果関係なくないですか?」
雨乞いしてもしなくてもいつかは雨が降るのは当たり前だ。
ミナはそれが難しいとこ、とうなずいた。
「経験を積んだ魔女ほど願いを聞いてもらいやすいとはいうけどね。
魔法の気分次第ってことは変わらないみたい」
「でもじゃあそれって……」
嘘と同じじゃないか。
エレクは顔をしかめた。
いや嘘だとわかっているならまだいい。
そんなことを本当に信じてしまっているならそれは――
「妄想と同じだね」
ミナがかすかに微笑んだ。
頭のおかしい人には見えない。
実際変なところは全然ない。
魔法を信じていること以外は。
でもそれは単純に頭がおかしいよりもっとよくないのかもしれない。
「でもね」
ミナは周りを見回す。蝶はどこかへ飛んで行ってしまったらしくもういない。
「この場所は今日初めて来たんだ」
「え?」
意味が分からずにエレクは間の抜けた声を上げた。
しばらく考えてようやく飲み込む。
「それじゃあここに来ようと思って出発したわけじゃないってことですか?」
「そう」
なら適当な場所がなければ延々と歩き続けるはめになっていたのか。
そんなことが頭をよぎる。
「なんとなくだけどね、ピクニックにちょうどいい場所があるような気がしたんだ。
こういうときの勘は必ず当たる。
これもきっと魔法だと思う」
普段魔女と普通の人がほぼ絶対に出会わないのもそう。
魔女と出会った人が悩みを解決して帰っていけるのもそう。
「それってただの偶然じゃ」
「そうかもね」
ミナは立ち上がって「帰ろっか」と言った。
「だいぶ話し込んじゃったね」
エレクも黙って立ち上がる。
そのまま黙々とシートやらを片付けた。
「魔法でこの世から嘘をなくすことってできません?」
ぽつりと訊く。ミナは、
「どうだろうね。魔法にも荷が重いかも」
とだけ答えた。
帰りは行きよりも早く家に戻れた。
これも魔法かもしれない。
夕食の際にミナが思いついたように
「本当のことっていうけど、本当ってなんだろうね」
と言ったのが、寝るまでエレクの頭に響いて消えなかった。
結局それから二泊した。
帰ろうと思ったのはその日が祭りの日だということと、単純にホームシックに陥ったからだ。
「また来たくなったら来てね」
村に続く道の上に立って、ミナはそう言った。
そしてエレクの肩にポンと触れる。
「もっともエレクくんはもう大丈夫だと思うけど」
うん、そうだよ、とひよっ子魔女は笑った。
だといいですねとエレクも微笑んだ。
道を歩きながら思い返す。
村でエレクが怒ったもう一つの理由。
あの子の嘘を教えてくれた別の子が、実はエレクの意中の人なのだ。
(この気持ちには絶対嘘はつけないもんなあ……)
頭をかきながら振り返ると、もう少女も風車小屋も見えなくなっていた。
その後村に帰ったエレクは両親にしこたま叱られて、あの子に慰められて、
ついでに嘘のないストレートな告白を受けてミナのことはしばらく忘れてしまうのだけれどこれは別の話。
そんなこともきっと魔法の仕業なんだろう。
「さあ出発ー!」
今日もどこかでひよっ子魔女がピクニック。
猫も無理やり引っ張り出されるのだけれど、これもまた別の話
おわり。ありがとでした
乙乙
別のお話はまだか?
あれっ、おわりですか。
雰囲気とても好きです。おつおつ。
おつ
乙!
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