外国人「日本刀は両手持ちで防御が弱いから奇襲とか暗殺向きだな」
なるほど
銃使いなよ
魔法使いなよ
銃仕えよ
戦場じゃ槍が近接のメインウェポンだろ
日本刀は首切り用
西洋でも歩兵が盾なんて使ってたのは古代と矢合わせの時だけ
ハイ論破
素手でいけよ
カタールは?
チョンが嫌われる理由
さて今回のお題は、「チョンは、何故人間からこれほど嫌われるのか」です。
老若男女問わず人間は、チョンに対して尋常でない嫌悪感を覚えます。
かく言う私も、全然ダメ。
チョンが出現したら、心拍数が跳ね上がります。
殺虫剤を取りに、その場から小走りで一時撤退。
殺虫剤を手に取ったら、再び現場に急行しチョンを探します。
私の愛用の殺虫剤は「ゴキチョンジェット」。
チョンを見つけたら、過剰なまでに「ゴキチョンジェット」を吹き付けます。
「ゴキチョンジェット」はものすごい効き目が強いので、
数秒でチョンは絶命するのですが、
中には最後の力を振り絞って私の足元めがけて突進してくるヤツもいます。
その時は、「うぉっ!」とか軽い悲鳴をあげて後ずさり、
「ゴキチョンジェット」をこれでもかと、更に吹き付けます。
完全な過剰防衛ですね。
まるで、猛獣が襲ってきたかのような緊迫感。
普段、無益な殺生はしないようにしているのですが、
チョンだけは一緒の空間にいると考えるだけでも恐ろしく、
何とか絶命させて安心を得ようとしてしまいます。
私は、人間の持つチョンへの過剰反応に常々疑問を持っていたのですが、
残念ながら、いまだに「なるほど」という理由に出会っていません。
>>5
というのはにわかが勘違いしがちな大嘘
忍者刀はその為に短い
鎧着ろよ
>>10
漫画でも読んだかw?
>>13
鈴木史観(笑)なんて信じてるのにわかくらいだから
忍刀は斬る武器じゃねえよ完全に刺す武器
そして壁登るのに足かけるために反りがない
身を守る余裕があるなら相手を切れがサムライSTYLEだもんね
長槍は乱戦に弱いから刀も戦場で普通に使う
刀が首切り用なんてのは間違い
戦場では槍もったり弓持ったりするからあんまり手持ちの盾って使う機会無かったでしょ
>>18
そうだよ
西洋でも盾好んで使うのはどうせ片手が塞がる騎兵
後は矢合わせでの盾専門の兵士
傭兵の募集でも盾兵士は歩兵弓兵騎兵と別枠で
危険だからかお給料が結構高めだった
なんでFFは侍が盾持ってんだよ
ズール戦争みようぜ。
盾とか、音鳴らして威嚇用にしかならん。
http://www.youtube.com/watch?v=MXUIuj8gcj4
300とか見てると盾持ちつつ普通に槍つかってるじゃない
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fd/Ancient_Greece_hoplite_with_his_hoplon_and_dory.jpg
核使えよ
つまり戦争が一番盛んだった中国を手本にすればいいんだな?
他は全部劣化
日本刀と槍持ちながら戦うと格好いい
強さとかどうでもいい
>>24 しかしアヘン戦争では……
盾は背中に装備するもんだろwww
子供リンクを見習えよwwww
太刀と薙刀で無双する能登殿かっこいいです
>>22
それ投槍じゃね?
>>22
古代のファランクスは盾持ってたが
より洗練された中世のファランクスは盾持たない
槍は両手で持った方が長い槍持てるし
ブッ叩いて使うときより大きな運動エネルギーを発生させれる
古代最強のファランクスだったマケドニア王国のファランクスは
盾を胴部分にに固定できるようにして両手を自由にし
他国のファランクスより持てる槍を長くして有利に戦った
中世のファランクスに近いマケドニアのファランクスは先進的だったと言える
西洋は鈍器がメインで、それ防ぐ=体への直撃防ぐので盾は歩兵に必須だったんですけど
盾というかバックラーは戦闘での基本武術として確立されてるくらいに
逆に日本では、騎馬が武将クラスや武家クラスの戦術としてあったので
歩兵=徴兵された農民に分け与えられる格付けとしての刀って意味あいで持たされたわけで
最終兵器竹槍
>>30
次の覇権をとったローマは乱戦を優先して短めの剣を正装にしたっていうから、武器の長い短いどっちがいいかって考えるの楽しいよな?
あれ?でもなんで乱戦に持ち込めることになったんだっけ?
現物のバックラー小さすぎやろ
これ絶対剣防げても矢は無理だよ
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/9/94/MS_I33_32r.jpg
>>34
バックラーっていわゆるメットだからな
陣笠とかと同じ部類
でも日本刀の戦いって以外と時間かかるんだよな
鎧つけてない幕末期とか、池田屋事件とか30vs7?(後約80)で6時間くらいか
戦国期でも戦いの人数や規模のわりに死者が少ないって宣教師の手紙であるね
>>38
そら、幕末に至るまでに
武芸としてひたすら稽古積み重ねてたのが江戸時代だからな
おまけにそのころは帯刀できるのことがステータスで、さらに武侠として喧嘩殺法も完成されてたし
維新の時代だと、普通に首が庭に落ちてきたって時代もある
鎧が発達しきった中世後期になるまでは盾は普通に使ってたからな
こういうのは年代地域で変わるもんだから一概には言えんよ
ピオリムスカラバイキルトで解決
「東インド巡察記」アレッサンドロ・ヴァリニャーノ
日本人は、人を殺すことを、動物を殺すことよりも重大には考えていない。そのため取るに足りない理由から
だけではなく、自分の刀の切れ味を試すためであれば人を殺してしまうのである。
各自は自分の屋敷でも人を殺すことがあり得るし、戦争が実に絶え間ないので、大部分の人々が刀で命を奪わ
れているものと思われる。
>>38
池田屋の時間の大半は池田屋から逃げ散った志士の掃討戦だと思うけど
少なくとも土方隊が応援に来れる程度の時間はかかったんだよな
うるせえ俺の拳が最強のウェポンだ
戦国時代の合戦の死因のほとんどは弓矢と鉄砲だから関係ない
戦国時代の「受傷率」第一位が弓矢ってだけで刀による死因も結構多かったらしい
槍は?
信長の快進撃の理由の一つに長槍が挙げられる程度にはポピュラーな武器なんだろ?
>>42
この感想はちょっと違うんだよな
200年続いた江戸幕府だけど、徳川家はその間常に軍政として各武家に緊張を強いてきて
それによって独裁を築いたわけで
いわば常時が有事だから、その為に人殺しの技術が常として存在していた
し、だからこそ侍の試し切りが定着していたわけで
>>43
池田屋はそうですね、
なんだろう、日本刀の戦いだと盾がない分 睨み合い間合いで時間かかるのかな?不思議
下手に動くと一瞬で決着ついちゃうから 特に鎧着てない幕末は
>>47
信長が戦いでブイブイ言わせられたのは、それまでの合戦のルールを破壊したことだからね
それまでは、弓合い、対峙、騎馬戦、大将戦という流れがあった
基本的に、戦国時代までは様式美だったし
過疎板にヤバい画像が貼られてるらしいんだが・・・・・
怖くて見られない 誰か解説求ム
↓ ↓ ↓
【閲覧注意】
>>49
いや、剣術が苦手だといわれている坂本龍馬ですら有段者な時代ですよ?
さらに新選組は一撃必殺として突きがメインなわけで
シグルイをみればサムライになりたいなんて思わないわ
辛すぎるだろあれ
>>49
池田屋では永倉が敵の1人と斬り合ってるのを近藤が敵3人を奥の部屋に抑えながら決着がつくまで見てたって話があるんで
刀での斬り合いは一撃必殺ってよりも鍔迫り合いとかでグダグダになって長引くってのが実態なんだと思う
源氏の盾とはなんだったのか
>>52
いや、だから なんで日本刀の戦いって以外と長期戦になるんだろうなーって
規模のデカイ戦いだと陣形やら陣取りやら色々あるあらあれだけど
あえて幕末の鎧着てない事件的な戦闘を例にあげたんだけど
池田屋は夜に始まり翌朝までかかってたり これは逃走戦ありだからだけど
寺田屋事件 薩摩版
天満屋事件
御陵衛士vs新撰組
とかどんな感じだったんだろう
タイムスリップしてみてみたいな、勿論自分は透明人間で(^^;
>>54
やっぱり攻撃力が高い武器だから逆にそーなるかもなんですね
>>56
だから
刀を持つ身分として、誰もが洗練されてた時代だからだよ
逆に言えば、坂本龍馬のピストルがどれだけ邪道扱いされたかからうかがい知れる
ティンペーとローチンが最強
素朴な疑問なんだけど、大昔にどうやって戦ってたかって重要?
それが分かって何になるの?
>>61
楽しい
実際の外国人の評価
茅元儀 『武備志』
日本の刀は剛利で中国のものはそれに及ばない。
アビラ・ヒロン 『日本王国記』
繰り返して述べるが、彼らは非常に闘争的で、容易に鉄が切れるほど精錬された
鋼鉄で作った残忍極まる鋭利な武器を使用する。
アーノルダス・モンタヌス 『日本誌』
戦いは日本人の頗る喜ぶ所なり。彼等の武器は鉄砲弓矢の外に刀あり。
刀は非常に能く鍛えられあればヨーロッパ流の刀身などは容易にこれにて切断せらるべし。
ゴロヴニン 『日本幽囚記』
鋼製品はどうかといふと、日本の大小刀は、おそらくダマスク製を除いて、
世界中のあらゆる同種の製品を凌駕している。
それは極端な試練に堪へる頑丈なものである。
メイラン 『日本』
日本刀のすぐれていることは十分一般に知れ渡っているので、私が特別にそれについて話すまでもないことであろう。
チェンバレン 『日本事物誌』
日本刀は、その名も高いダマスコ剣やトレドで鍛えた剣をも凌駕する。
刃を傷つけずに銅貨の山を一刀両断することは決して難しい離れ業ではなかった。
>>59
日本刀で斬り合うんだぜ?
下手して切られたら
腕がなくなったり、足がなくなったり簡単にする。
おっかなびっくり絶対に勝てる状況にならなければ
勝負はつかんよ
当時の剣豪と言われる人たちも、ほとんど暗殺じゃん
「日本のサムライの剣術はまるで神の如しだ。
我々の兵士(明兵)はサムライを見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。
剣術に優れたサムライだが剣術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、その他あらゆる兵科と比べても不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、子供の頃から武術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる」
揮刀如神
「日本剣術は神秘的だ。左右への跳躍が凄まじく誰にも予測できない。
そのため長技(槍)を使っても毎回刀に負けてしまう」
単刀法選/1621年(程宗猷)
「日本人が全力で動く時風のように漂って動く。 常に寡兵で陣に入って来て、大勢の兵士でも抵抗できない。 その刀の使い方は、長い方で構え守り、短い方で止めを刺す。
しゃがんでいるかの如く低く移動し、決して退かない。 相手が何人いようと対応する、島の中の絶技である」
広東新語・語器/1630~95年(屈大均)
>>61
人が現象として認識できるのは過去として過ぎ去った時間軸以外にない
過去を鑑みないというのは、つまり未来に対しなんの意味も見いだせない人間でしかない
刀を鞘から抜いて切りかかる暇があるなら
敵を捕らえた時に弓構えるか槍構えた方がいいだろ
日本刀の性能を中国の刀剣より評価し、主要装備として採用した明の軍人
戚継光『紀効新書・長刀解』
日本人には遠くからの鳥銃が有効である。
だが日本人は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い。
その勢いを止められない。
日本人の刀捌きは軽くて長く接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。
それゆえ我々も日本式の長い刀を備えるべきだ。
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ronbun1/1shou.htm
嘉靖年間、倭寇の被害が激しさをきわめ、戚継光、兪大猷らの提唱推薦で、
日本式の長刀、腰刀が中国軍の主要装備の一つになった。
このような大量の使用に日本からの輸入だけで足りるはずがなく、
主体は中国自身の製造に頼らねばならない。兵器史家の周緯は、
中国兵器史上、明代の武器は日本刀の使用と模造で一大特色をなすと述べている(23)
この論断は歴史的事実と確かに一致している。
>>37
中世のファランクスといえばスイス傭兵が有名だろ
柳成竜(朝鮮の領義政=総理)・著 『懲毖録』
・日が暮れ、賊(日本軍)は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて
大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、
みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。
・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、数人が刃を揮って勇を誇示しながら
突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。
打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。
・まだ川に身を投じていなかった者には、賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、
みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。
(金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。
・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、
四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、
仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、
ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように
斬り倒し、死者は数しれなかった。
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、
やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が
明るく、脱出できた者は何人もいなかった。
※当時の朝鮮人の言う「長刀」は大太刀の類→http://halto112.blogspot.jp/2011/09/blog-post_23.html
ID:R3FoS1su0 みたいに長文コピペをいきなり貼りだす奴ってなんなんだ?
荒らしかねぇ
>>67
戦時に敵が目前に迫るまで
刀鞘に収めて待ってる奴なんていねえだろ
GF使えよ
>>71
鈴木史観なんぞをいまだに信じてる奴向けコピペだろ
この手のスレの毎回のお決まり
盾は重いから体力が続かない
日本の鎧は盾の役割をしてたから…
>>69
それ歩兵の密集隊形のことをなんでもかんでもファランクスって呼んでるだけだろ
ネトウヨ「日本刀は三人も切ったらボロボロになる!!」
ネトウヨ自爆ワロタwwww
>>74
なんつーか痛々しいな、そういうの
>>67
刀を鞘から抜くところから運用するなんて時代はないよ
逆に、鞘から抜けなければ死ぬからこそ抜刀術が生まれたわけで
さらに言うなら帯刀と佩刀の違いもある
戦国時代の日本刀はサブウェポンじゃね
槍や弓矢もってても持ち運べるし
刀は集団戦に向かないし、基本的に戦争向けの武器じゃないと思う
そもそもスイス傭兵やら方陣やらが活躍したのって中世よりも近世なんだよなぁ
>>78
ネトウヨを想うあまり、幻覚まで見ちゃってるのね……
可哀想に……
>>81
それは身分にもよる
刀は合戦に参加する証みたいなのもあって配布された都合もある
刀の役割が時代によって変遷しまくってるので、一口にまとめるほうがずっと無理
>>81
乱戦で使用したんだろうが
基本は弓と槍だろうな。
多分世界で一番扱いやすくて致命傷を与えられる刃物はククリナイフじゃね?
あの形状からしてポコって当てただけで相当食い込んでいくよ
>>84
刀で戦うのがメインの部隊ってあったん?
弓隊を強襲するなら刀のみのほうが機動性に長けて有利とか?
片手でも使えますし
多くの片手剣より軽いし
>>87
刀しか渡されない部隊=足軽=農民からの徴兵
弓は伝統武芸として受け継がれてる武芸だから、基本弓兵には農民はなれない
信長はそこをぶち壊して、徴兵された農民にまで訓練をした
>>89
足軽こそ槍じゃないのか?
メインは刀より槍ってのも戦国時代の話だよね
中世には刀も少なからずメインで使ってたんじゃないかな
>>52
坂本竜馬は剣術専門に修行してた時期もあるしそこまで弱くはないんじゃない?
槍自体応仁の乱あたりから普及した新兵器だし
槍とか普段から持ち歩く人はいないですし
>>93
南北朝じゃなかった?
フロイス『日本史』
・土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら
鉄砲を発射する時間も場所もないほどであった。というのは、
薩摩軍は太刀をふりかざし弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、
鉄砲など目にもくれなかったからである。
・日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。
『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述
・其中に心ある者どもはだかになり、抜刀ばかりにて七・八百ばかり切て懸り、伐り崩し、
御一門(織田家一門・信長の兄弟複数)を初め奉り歴々数多討死。
でも盾って、紀元前からある装備が現代でも使われる(機動隊や特殊部隊)って凄いよな
槍とか剣が使われた最後の戦争ってWW1?
フロイス『日本史』
・日本では、今日までの習慣として、農民を初めとしてすべての者が、
ある年齢に達すると、大刀(エスパーダ)と小刀(アガダ)を帯びることになっており、
彼らはこれを刀と脇差と呼んでいる。彼らは、不断の果てしない戦争と反乱の
中に生きる者のように、種々の武器を所有することを、すこぶる重んじている。
ヴァリニャーノ 『東インド巡察記』
・世界中のあらゆる人種の中で、日本人は最も好戦的で戦争に没頭している。そのため、
若者であれ老人であれ、あるいはどのような地位の金持ちであれ貧乏人であれ、
十五歳をすぎると誰もが年がら年中、刀と脇差を帯にはさんで携行している。
・日本人は、人を殺すことを、動物を殺すことよりも重大には考えていない。
そのため取るに足りない理由からだけではなく、自分の刀の切れ味を試すためであれば
人を殺してしまうのである。各自は自分の屋敷でも人を殺すことがあり得るし、戦争が
実に絶え間ないので、大部分の人々が刀で命を奪われているものと思われる。
>>96
自分は読んでて楽しいです(^.^)
>>92
そうだよ?
それでも龍馬は剣術家として落ちこぼれだったのは史実なんだよね
>>97
確かにww
というより、傘と同じで長いこと形状が進化していないな
>>98
第二次世界大戦でロングボウと剣を持って戦ったおっさんがいてだな
>>95
そうだっけ?
まあ源平の合戦とか元寇の時代には無かったはず
『合武三嶋流船戦要法』
「一 船中太刀打之習之事」
船中の働には鑓より太刀打を賞す。是海族家の古法也。近き勝負故也。
鑓は敵船へ乗移、艫舳を討て廻るに跡先つかへて執まわし不自由也。
太刀はその自由を得により、敵船へ飛乗んと欲せば鑓を捨、刀を抜て艫舳を切て廻るべし。
両手持ちの一撃は盾じゃ防ぎきれん
西洋の騎士は相手を生け捕りにするのがデフォだから攻撃する時も手加減してた。
>>106
手加減したら自分が負けて身代金取られちゃうじゃん!
生け捕りにするというより負けた場合生け捕りになるのがデフォだったんではないかなと思う
>>82
スイス歩兵が長槍をメインに使い出したのは
1422年のアルベドの戦いの敗戦以降だから
十分中世の範疇でファランクスは使われてる
>>107
相手を殺してしまう可能性のある攻撃はしないということ
クロスボウとか死ぬるから騎士の間では禁止されてたんだぜ
>>109
そりゃ中世で「も」使われてるのは知ってるよ
でも主に近世での活躍だろ
ググッたら槍は単に矛の名前が変わっただけの物で
大昔から使われてたとか書いてんぞ
長槍は高度な訓練が必要な武器で更に集団戦で力を発揮する武器だから
応仁の乱あたりからクソ長い槍で足軽が一斉に槍衾を作って戦うという戦法が流行しだした
そこら編から集めてきただけのろくな訓練受けてない農民兵だったら適当に剣でも持たせてたほうが強い
>>111
じゃあなんでそんなに「中世のファランクス」に食いついてんの?
>>112
古代には矛が使われていたが平安中頃くらいには既に廃れていて中世中~後期あたりでリバイバルしたってことじゃないの?
槍→アサルトライフル=メインウェポン
刀→拳銃=サブウェポン
だと考えている
>>114
だって古代のファランクスと全然ちがくね?
まあ俺が本当に食いつきたいのは「西洋でも矢合わせの時と古代くらいしか盾使ってない」の方なんだけどな
よくもまあそんな嘘が吐けることだ
>>113
なんかソースとかあるん?
マジレスじゃないけど、取り扱いは刀より槍の方が遥かに難しい
素人が数kg数mもあって重心が先端に寄った棒を突き出したらほぼ間違いなく体が泳いで戻りが出来ない
>>117
そら全く同じじゃないだろ
1000年2000年経って戦術が進化してんだから
でも長槍兵による密集体型なんだからファランクスには代わりないだろ
中世において歩兵が盾を使ってた戦争って例えばどんなのがあるんだ?
>>110
騎士「クロスボウって怖くね?」
領主「狙撃とか卑怯だし怖い」
ということでカトリック教会が身分の高い騎士がクロスボウなんぞであっさり即死なのはイカンから異教徒に使いなさいと言った
しかしほとんど守られなかった
結構身分の高い騎士や領主がバンバン死んでる
>>112
そんなこと言ったらマンモス倒すときにも槍使ってた事になるんじゃね?
>>121
戦争だって命がけだし
生き残っても負けたら大損だし
そらダメって言われても有用なら使うわな
>>120
槍兵が密集隊形組んでたらファランクスの定義を満たしてると言っていいのか
そりゃすまんかったな
例えばヘイスティングスの戦いとか有名だろ
バイユーのタペストリーをどうぞ
http://www.asahi-net.or.jp/~cn2k-oosg/bayeux14.html
>>118
信長が三間半の長槍隊を組織したのは有名な話
信長がオリジナルじゃないよ他にやってた人がいるよとそれに対する反論が出されるのがデフォだが
長槍での集団線が流行しだしたのは戦国時代からということでほぼ間違いがない
ほんとに不利だったら元寇で滅んでたよな
>>126
相手も槍は使っていなかった
お前シレンやっても同じ事言えんの?
日本刀は空間ごと盾も人体も切り裂くのに何も分かって無いんだな外人は
>>124
スイス同盟が使い続けた戦闘隊形は、その原型をマケドニアの密集陣に見ることができる。
彼らは戦場では常に、圧倒的な縦深の密集隊形を形成した。
彼らがその名声の絶頂期にあって用いた偉大な民族固有の武器は、
5メートル50センチ程のトネリコ製の柄に30センチほどの長さの鉄製の穂先を付けた、槍であった。
槍は二つの手を大きく広げて握り、肩の高さから切っ先を少し下げる形で、下へ向けて突きを繰り出せるように構えた。
戦列の前方には最前列の槍の穂先に加えて、二列目、三列目、四列目の穂先も突き出されており、
密集した穂先が立ち入ることのできない垣根となっていた。
密集隊形内部の兵士は、最前列で倒れた兵士に代わって前へ出るよう命じられるまで、武器を垂直に立てていた。
従って槍は、持ち主の数メートル頭上にまで伸びており、突撃する密集部隊はあたかも森が動くかのようであった。
C.W.C.Oman『中世における戦争術 378~1515』より
これ完全にファランクスじゃん
>>130
そうか?
古代ギリシアのファランクスは縦深よりも横の方が長かったんじゃね?
古代のファランクスに特徴的な左手に盾を持つことによる右翼の古参兵の配置とかもないし
やっぱ結構別もんだけどと思うけど
Bボタンでガードできるじゃん
>>131
縦の枚数と盾持つことと右翼に古参兵配置したかって
ファランクスの定義としてそれ重要な事なのか
そりゃすまんかったな
精霊の守り人のせいで俺の中の槍の評価が超強い武器に昇格してる
>>133
定義かどうかはわからんがファランクスの顕著な特徴だと思うよ
スイス傭兵がファランクスの再来とはよく言われてる事だと思うがな
外人の刀好きは異常
>>135
ファランクスの最大の特徴は槍兵による密集体型であることが全てだけど
君の中ではそういう定義なんだね
盾持って右側に古参兵配置しないとファランクスじゃないのか
>>138
そりゃ「最大の」特徴は一つになるから「すべて」で当たり前だろ
「最大の」じゃなけりゃファランクスの特徴といえば他にも機動力の低さ、旋回性能まるでなく正面からの攻撃以外には対処できないとかいろいろ合わさって「ファランクス」なんだろ
ファランクスの定義が長槍兵で密集隊形を組んでいることのみなら、
日本の槍襖組んだ足軽やスコットランドのシルトロンとかも長槍兵で密集隊形には違いないからファランクスになるんだろうよ
テーバイの斜線陣(ロクセ・ファランクス)なんかの場合は
左翼が50列くらいあって完全な縦深陣形
更に右翼じゃなくて敢えて左翼に精鋭の神聖隊配備してた
横長で古参兵が右側にいなきゃファランクスじゃないって事はないと思うぞ
>>139
槍衾組んでる足軽がファランクスって正にその通りじゃん
日本刀→斬る
ロングソード→ぶっ叩く
このSSまとめへのコメント
ファランクスではありませんが、槍兵戦術であれば猛牛の角と呼ばれる戦術がありますね。
1879年のイサンドルワナの戦いでは、近代装備の英国軍部隊が、この戦術を使って盾と槍で武装したズールー族に壊滅させられています。
1930年の霧社事件では、近代装備の日本軍部隊が、刀で武装したセデック族に苦戦し、親日派セデック族を使ってようやく鎮圧したという話があります。
武器の差はあるにしても、地形や戦術に応じた使い方が重要なので、どちらが優れていると単純比較できるものではないように思えますね。