図書館にて(22)


冬の晴れの日は心地よい
真っ白な光が寒さを優しくあたためてくれる
そんな光を明かりに図書館で大好きな本に夢中になる
この本を読むためにここのところは
毎日図書館にきている
そう。この本を読むために


決してあのショートカットの女の子を見に来ているわけではない


好きな作家は太宰治
あの自嘲できでデカダンスな作風の魅力
文から溢れ出す虚無感
たまらない
なんとも不思議な気持ちの包まれる


とこの間現代文の先生が言っていた


『人間失格』を手にとって、パラパラとページを送る
読んでみようか
そう思ったがやめた
自分には読む本があるのだから他の本を読んでいる時間は無い
そんな物よりも早くこれを読まなければ
鞄から取り出した一冊の本

それは、もう何回も読んでいた本だ


あの子の席の周りに人は居ない
いや、誰の席の周りにも人は居ない
それもそうだろう
人がまばらな図書館で隣に座るというのは
友達か、家族か、恋人か
そのどれか以外にありえない事だ
だから自分は、彼女から二つ離れた席に座る

体重を椅子にかけてしまい、ギシリと音がした
恥ずかしかった


小説で図書館が舞台となった時
ページがめくれる音しか聞こえない
といった表現は腐るほど出てくるだろう
自分は、それは間違いだと思う

なぜなら、心臓の音が聞こえてしまうからだ


遠くで聞こえるページがめくれる音
近くで聞こえる心臓が跳ねる音
二つの音はとても強く刺激を加えてくる
耳はこんなに静かな場所なのにこれ以上ないほど冴えわたる
彼女がページをめくる度に心臓のリズムが早くなるように感じる
二つの音はどんどんと大きくなる

まったく、うるさくて読書に集中できやしない


彼女が読んでいる本はいつも同じだ
緑色の背景に小さく野球帽を被った少年が描かれている表紙
たまに変わる時はあるが、ほぼ必ず彼女はその本を広げている
よほど、その本が好きなのだろう
どんな本なのだろう
今度借りてみることにしよう
心の中で、そう決めた


本をめくる手が止まっていると気づく
ペラペラと数ページ飛ばして本に目を落とす
場面は記憶と全く違う物になっていた
もう、この場所で何回も読んでいる本なのに、展開がまったく頭に入っていない
慌ててページを覚えている場所まで戻していくと
その場所は、昨日から5ページしか進んでいない場所だった


これはまずい、図書館に来た意味が無いじゃないか
上の空の状態を切り替えて本に集中した
周りの音が完全に消える
この日、本の世界と一体化していく感覚に初めて浸っていく
文章が頭の中で実体化していき、登場人物の声が耳に聞こえてくる
映画や漫画では行う事の出来ない作業
これがたまらない
だから、ますます文章に没入していく

人気作家の映画化もされた小説
一つの列車の中で、さまざまな人間がふれ合っていき、変わっていくストーリー
自分の一番お気に入りの本
ああ……

この中に、自分も混じれたらどれだけいい事だろうか
そう思った


ちょうど章の変わり目に差し掛かった頃
図書館のドアが開いた
入ってくるのは二人
一人は髪を栗色に染めてウェーブをかけた制服姿の女
もう一人は耳に大きなピアスをしたやや派手な私服の男だ
二人共、この図書館の常連である
彼女達は、小さな声で数回話した後お互いの仲を見せつけるように隣どおしに座る
広い図書館で、隣に座るような関係
つまり、彼女達はそんな関係なのだろう


本の世界に再び戻ろうとした時
ふと、視線を感じた
気になって、辺りを見渡してみる
女の子と目が合った


たっぷり2秒間
彼女の丸い目を
短く健康的な印象を受ける黒のショートヘアを
灰色のカーディガンを
その中からチラリと覗くワイシャツを
チェックが入ったスカートを
茶色の暖かそうなブーツを

全てをまじまじと見つめた

そして、意を決して彼女に声を掛けた。

なぁ………スケベしようや………

固まる彼女。

静まり返る館内。

そして、周囲から向けられる、まるで汚物を見るかのような目線。

あぁ…!あぁ…!なんという快感!

しばらくの間、悦に浸っていると…

彼女はおもむろに口を開き…

こう言った。

………えぇで///

酉付けます


ようやく、我にかえった
すいませんとか、ごめんなさいとか
そんな言葉を口の中でごにょごにょ言いつつ、本を食い入るように見つめた
顔が火照って仕方がない
心臓の音はドラムロールをしている
変に、思われただろうか
いきなり、人の体をジロジロ見始める気持ち悪い人などと思われていないだろうか
不安で手がプルプルと震えて、本の文字が見えなくなる
穴があったら入りたいとは、まさにこの事だ
そう思った


しばらくして、ようやく心臓は元通りとなってくれた
気分の高揚と動揺も収まっていく
そして訪れたのは、どうしようもない倦怠感だった
なんて、バカな事をしてしまったのだろう
その思いが、いつまでも頭をグルグルと周り続ける
視界を涙が覆いかけるが、必死に堪えた

チラリと横を見る
彼女は、先ほどの事など無かったかのように
涙ぐみながら本をみつめていた
よほど、感情に訴える本なのだろう
とりあえず、様子を見るに気分を害してはいなさそうだ
少し、心が楽になった


……読書に戻ろう
これ以上考えると、自分はダメになってしまう気がした
自分の中から出ている感情、全てを無視して本の世界に行こうとする
文章にトリップしようとした瞬間
目の前に、影が現れた

「……ちょっと来なよ」

そう言って来たのは
髪に栗色のウェーブがかかったあの女子学生だった


その言葉と同時に腕を掴まれる
グイっと強引に出入口のドアの方向に引っ張られていく
引っ張る栗色ウェーブの後ろで、ピアスがニヤニヤ笑っていた
何故自分がこのような目に遭うのか、検討もつかない
ふと横を見ると不安そうに俺を見つめるあの娘が居る
もし、このまま抵抗すれば
きっと自分はあの娘の目の前で酷い目に遭うだろう
彼女はそれを見て、怖い思いをするだろう
それは嫌だ
だから、特に抵抗はせずに引っ張られるがままに外についていった


空調の効いた図書館から出ると、とたんに針を刺したような寒さが襲いかかってくる
いくら暖かい日とはいえ冬は冬、パーカーの上にもう一枚着ていくべきだった
……そういえば財布は家の上着のポケットに入れっぱなしだった
やっぱり着てこなくてよかった、不幸中の幸いだ
盗られる金がないのなら暴力を受けるだけですむ
そんなのんきな事を考えている間に目的地についたようだ
トイレの近くの薄暗いスペース
絶好のカツアゲスポットだろう
逃げようとも思ったが、無理そうだった
たとえ腕を無理矢理ふりほどいても、奥にはニヤニヤと笑っているピアスがいる
逃げ出してもすぐに捕まってしまうだろう

どうしようもない、諦めよう


「ねぇ……アンタさ……」

ガシッと強く肩を掴まれる
鋭い目が睨みつけてくる
正直、凄く怖い
せめてもの意地で、それを悟られないように睨み返した
それを受けても、彼女は全く動じない。それどころか、さらに目が細まっていった
そして、彼女はゆっくりと言葉を続けた

「なんで、さっさとあの娘に話かけないし!!」

……………………………………
意味が、解らなかった

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