【咲-Saki-】盲目の少女 (610)

※咲-Saki-のifストーリーです
※咲さんは盲目で、諸事情により千里山に通ってます
※千里山の部長はセーラです


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部室を抜け出して、セーラは一人で中庭を歩いていた。
単なる気分転換だ。

『用事がある為、席を外す。後の指示は頼む』

監督からメニューだけを預かり、今日の練習をこなしていたが、
ふっと外の空気が吸いたくなった。少しの間なら構わないだろう。

吹き抜ける風に、セーラは空を見上げた。

もうすぐ春休みも終わる。そうしたら新入生達が入ってくる。
麻雀部に、少しは歯応えのある部員は来るのだろうか。

退屈しないような新人でも入って来たら、面白くなりそうだが。
今のメンバーの実力等、色々考えながら足を進める。

ふと。
杖を振りながら歩いている少女が、セーラの視界に入った。

(初等部の生徒か?こんな所で何をしてるんや?)

見ている間にも危なっかしい足取りで、少女は歩みを進めていく。
杖で周りを探りながら、ゆっくりと。

千里山の敷地内の通路は広い。
そのあちこちには、花壇や木が置いてある。
通路の真中に邪魔じゃないのか?と思うようなところにもだ。

そんな調子なので、少女は杖で木を叩き、確認しては歩いていく。
速度は幼稚園児よりも遅い。

(迷子やないよな?)

付き添い無しに少女が歩いていることが気になる。
方向感覚が狂って高校に入り込んだ可能性だってゼロではないだろう。

「っ!」

通路の中でも大きい部類に入る木を避けようとして、少女は枝を体に引っ掛けてしまう。
そのまま転んでしまうかと思われたが、上手に手をついて激突はなんとかやり過ごす。

「はぁ、びっくりした…」

呟きながら、少女は体を起こした。
ぱんぱんと手を払い、また杖を持ち直す。

「なあ」

なんとなく暇だったこともあって、セーラは声を掛けてみた。
ここに何故いるのか、少しばかり興味もある。
しかし少女はセーラの声を気にも止めずに、歩き出してしまっている。

「なあ。そこのアンタ。聞こえんのか?」

2度目の声も、やっぱり無視をされる。
苛立ち、セーラは大股で少女に近付いた。

「ここで何してるんや?」

「…私のこと?」

至近距離で声を出すと、ようやく少女の歩みが止まる。
こちらに顔を向けているが、瞳の焦点は合っていない。
ぼんやりと、どこを見ているかわからない視線。
それと、杖。

確信する。
この少女の目は見えないのだ。

「部外者は立ち入り禁止だって知ってるんか?」

「あなたは、ここの先生?」

本当に教師だったらどうするつもりなんだ、と思うような口調で少女は尋ねた。

「お前、俺の話聞いてるんか?」

「部外者は立ち入り禁止ってことでしょう。生憎私は部外者じゃないんで」

肩を竦める少女を見て、どういうことか考える。

「もしかしてここに入学するんか?」

「まぁ、そう」

「本当にか?」

「多分。私はよくわからないけど」

投げやりな少女と逆に、セーラは内心で驚いていた。
目に障害を持つ生徒の受け入れは今まで無かったはずだ。
きちんとした体制も無いまま、入学させてどういうつもりだろうか?

「ねぇ、もう行ってもいい?」

黙っているセーラに、少女は返事も聞かず歩き出す。

「待てや。ここで何してるんかまだ聞いてないやろ」

がしっと腕を掴んだ途端、驚いたのか少女の体がよろける。

「わっ、ちょっと!」

咄嗟に反対側の手を出し倒れないよう、体で受け止める。
転倒を避けたことに思わず安堵したが、助けられた方はそう思わなかったようだ。

「いつまでくっついてるの?」

不機嫌な声が聞こえ、セーラはむっと眉を潜める。

「お前が転びそうになったから、助けてやったんやろが」

「あなたがいきなり人の腕を掴んだせいって、わからないの?」

「何やと。そんなことで倒れるか?普通」

感謝をされても、文句を言われる筋合いは無い。

なんだお前と、続けようとしたが、

「しょうがないでしょ。何も見えないんだから」

自棄的にも聞こえる少女の言葉に口を閉ざした。

そして、そっと支えていた体を離す。

「突然行く手を阻まれたら、驚くよ・・・」

杖を握り締めている少女に、掛ける言葉が何故か見付からない。
こういう時は何を言えば良いんだろう?
全く思いつかない。

「宮永!」

沈黙を破ったのは、セーラがよく知っている声だった。

「愛宕先生」

慌ててこちらに駆け寄ってくる監督に、少女ははっきりと答える。
この二人、知り合いなのか?
事情が見えないセーラは、両方の顔を見比べる。

「江口。何故あんたが宮永といるんや?」

不審がる監督に「偶然そこで会った」と告げる。
実際そんな長い間接触していた訳ではない。

「そうか。せやけど休憩時間はもう終わっているとわかってるんか?」

「すんません、監督」

謝罪するが、監督はもう聞いていないようだ。
少女の方を向いてしまっている。

「宮永、一人で学校内をうろうろするんやない。お父上が随分心配されていた」

「ちょっと探検してただけなんですけど」

悪びれもせず答える少女に、監督は溜息をついてその手を取った。

「とにかくすぐに戻るで」

えーっと不満そうな声を無視して、監督は突っ立っているセーラへと顔を向ける。

「宮永!」

沈黙を破ったのは、セーラがよく知っている声だった。

「愛宕先生」

慌ててこちらに駆け寄ってくる監督に、少女ははっきりと答える。
この二人、知り合いなのか?
事情が見えないセーラは、両方の顔を見比べる。

「江口。何故あんたが宮永といるんや?」

不審がる監督に「偶然そこで会った」と告げる。
実際そんな長い間接触していた訳ではない。

「そうか。せやけど休憩時間はもう終わっているとわかってるんか?」

「すんません、監督」

謝罪するが、監督はもう聞いていないようだ。
少女の方を向いてしまっている。

「宮永、一人で学校内をうろうろするんやない。お父上が随分心配されていた」

「ちょっと探検してただけなんですけど」

悪びれもせず答える少女に、監督は溜息をついてその手を取った。

「とにかくすぐに戻るで」

えーっと不満そうな声を無視して、監督は突っ立っているセーラへと顔を向ける。

「それから江口」

「はい監督」

「今日はこのまま戻らんから、残りの練習はお前に任せる。部誌だけ机の上に置けばええ」

「分かりました」

「さぁ、行くで」

ほとんど監督に引きずられてながら、少女は行ってしまう。

二人が知り合いだというのなら、あの少女の入学に監督が絡んでいる?
どういうことだろうか。

その頃。いつまでも戻らない部長を不審に思い、
部室は少々騒がしくなっていた。

愛宕雅枝が実家まで訪ねて来た時、すでに咲の視力は失われていた。
その頃は騒がしい周囲にうんざりして、一日中ベッドから出ないまま過ごすことも多かった。

「咲。客が来ているんだ。部屋から出て、挨拶しないか」

父の知り合いなのに、どうして。と不満に思いながらも渋々咲は出ていった。

今は、誰とも会いたくない。
会えば、初対面の人間でも自分の目のことに気付く。
その事で好奇心や同情めいた言葉を聞くなんてまっぴらだからだ。

けれど、心配掛けっぱなしの父に反抗する訳にもいかず、
父に手を引かれたまま、咲は客人の前に出された。

「宮永咲さんやね。話は聞いている」

「はあ…どうも」

相手がどの位置に立っているか、声で大体把握して、咲は頭を下げた。


この時、愛宕先生が家に訪ねて来なかったら。
自分は大阪に行くこともなく、全く今と違った道を歩んでいただろう。

きっと、お互いに出会うことも無かった。


――――

手を伸ばし、咲は玄関を開けた。
一人で学校から家へ帰還、初達成を遂げた瞬間だ。

「おかえり、咲」
咲の帰りを待っていた父は、ほっとした表情を浮かべた。

「お父さん、ただいま」

父の出迎えに、咲は笑顔を向けた。
昔から過保護だった父が、心配して待っていたのは容易に想像がつく。
今朝も迎えに行かなくて大丈夫かと念押しされたばかりだ。


咲の通う千里山女子校まで、直線コースで歩いて5分ちょっと。
この位、一人で行けると、咲は主張して譲らなかった。

当然、毎日送り迎えすると父は反対した。
だが仕事の忙しい父の手をいつまでも借りるわけにはいかないと説得したのだ。


入学式が始まるまで、咲は学校までの道を必死で覚えた。
勿論、その間は父が付き添っていたけれど。
今日からは行きも帰りも咲一人のみ。心配するなという方が、難しい。

しかし咲はこれからも一人で行くつもりだった。

いつまでも父に負担を掛けたくない。
これは自分でやれる所は、自分でするってアピールの一歩だ。

視力を失ったと聞いた時の、父の悲しみは咲へ痛い程伝わっている。
だからこそ、目が見えなくなった今でも、強くあろうとする姿を見せて安心させたい。
そう思って、明日も一人で家へ無事帰って来ようと咲は決意した。

「学校はどうだったか?かなり広い学校だと聞いてるが、迷子になったりしなかったか?」

「んー、たしかに広いかも。でも必要ないとこは行かないから」

父が出してくれたお茶を飲みながら、今日あったことを話す。

担任の先生が良い人だった。
入学式で校長の話が長過ぎてずっと眠っていた。
校内は花が多く咲いているのか、とても良い香りがすること。

―――最も、全部言える訳じゃない。

「大丈夫、なんとかやっていけるよ」

手を伸ばし、咲は立ち上がった。

「久し振りに人が多く集まるところに行って疲れた。夕飯まで寝てていい?」

「ああ。時間になったら起こすよ」

「うん」

2階にある自室へ入り、咲は制服を脱いだ。
服をハンガーに掛け、ベッドの上に横になる。

「…疲れた」

ふあ、と欠伸が出た。

覚悟はしていたけれど、遠巻きに自分を噂している生徒の数はかなりいた。
勿論クラスメイトを含めて、だ。

異例の待遇を不審に思っている者。
好奇心丸出しで、勝手な話を捏造している者。
それをやんわりと非難しながらも、決して関わらないようにしている者。

くだらない。

しばらくすれば、彼女らも噂するのにも飽きてくるだろう。
そうしたら、いるかいないか位の存在になるに違いない。
時間はもう少し必要かもしれないが、今は辛抱する時だ。

我慢、我慢と咲は自分に言い聞かせる。

中国にいて、もう麻雀は出来ないのかと毎日騒がれるよりもずっとまし。
日本には自分のことを知ってる人がいない。
それだけでも気楽だ。

(まあ、変な人もいるけど)

ふと、今日声を掛けてきた妙な上級生のことを思い出す。

(学年も違うらしいから、滅多に会うこと無いよね?)

上級生の妙に馴れ馴れしい言動を思い出して、咲は眉を寄せた。
あの江口セーラとかいう上級生は一体なんなのか。
麻雀部部長といっていたが。

「よっ!新入生」

まず、第一声がそれだった。

校門までは担任に送ってもらったが(もちろん明日からは一人でこの道程も歩くつもりだ)
ここからは一人で行けると主張し、別れた後。
突然呼ばれた声に、咲は驚いて立ち止まった。

(誰?)

相手の足音が近付いてくる。
警戒しながら杖を握り直す。

「入学してくるって、本当やったんやな」

「え?」

「覚えてないんか?前に会ったやろ」

当然覚えているよな、の意味合いに首を傾げる。
名乗りもしない人物に、心当たりなど無い。

「知らないです」

きっぱり告げると、相手が「そんなハズ無いやろう」と声を上げた。

「転びそうなところを、助けてやったのに忘れたんか?」

「え?助けてもらった覚えなんて、ないけど」

「あるやろ!少し前に学校に来て、一人でぼんやり歩いていたやろ」

「ああ…。あの時の…」

「やっと思い出したか。俺は麻雀部部長の江口セーラや」

「はあ。宮永咲です。で、私に何か?」

わざわざ声を掛けてきた理由を尋ねる。
あまりもたもたしていると、家で待っている父に心配を掛けることになる。

「一つ、聞きたいことがあるんや」

「なんでしょうか」

「監督とどういう知り合いなんや?」

「監督?」

誰を指しているか考えていると、「愛宕監督のことや」とセーラが告げた。

「ああ、愛宕先生。どうかしたんですか?」

「いや。聞いているんは、俺の方やで」

「って言われても…」

どういう知り合いか。
セーラが、そんなこと聞いて来る理由がわからない。

否、と咲は首を小さく振った。

クラスメイトの連中と似たようなものだろう。
ただ、本人に直接聞いて来ただけに過ぎない。

盲目の自分が、この学校に入った理由。
あの日、一緒にいるところを見て雅枝が手を回したとセーラは推測したのだろう。
たしかに嘘では無い。

「なあなあ。答えてーな」

馴れ馴れしい言い方に、咲はむっとした。

(なんで他人にそんな説明しなくちゃいけないの?好奇心で人の詮索する人なんて、キライ)

「教えない」

「なんやて?」

「聞きたければ先生に直接聞けばいい。私からは何も言うことないから」

くるっと背中を向けると、背後から声をかけられる。

「まあ今は聞かんけど。話したくなったらいつでも言ってや」

セーラが離れていく靴音が聞える。
ほっと息を吐いて咲は杖を握り直し、遅れた分を取り戻すべく早足で家へと再び歩き出した。

この咲さんは一体誰なんだろうか?
全然性格違うし、例の金髪少女なのか

――――

(何なの、あの人)
思い出すだけで気が滅入って来た。
人のプライベート部分まで、ずけずけと暴いて何が楽しいのか。

もしまた声を掛けられたら、聞えないフリをしてしまおう。
それが良い。

夕飯までもう少し時間がある。
寝よう、と今度こそ咲は意識を閉じた。

――――

(宮永咲)

先ほど会話を交わした少女のことを、セーラは黙々と考えていた。

'入学出来たのは、愛宕監督のおかげらしい’
盲目の新入生は、たった一日で千里山の有名人となった。
理事長か職員の誰かと親しい親達から洩れたのか、噂は学校中で囁かれてい
る。

どうやら監督は相当強引な手を使って、咲を入学させたようだ。
他の職員の反対を押し切って、とまで生徒達に伝わる有様だ。

(最も、どこまでが本当なのかわからないけどな)

噂はともかくとして、監督の推薦があったのは間違いない。
春休みに、監督があの少女を連れていたのをセーラは見ていたのだから。

一体、どういう意図があって宮永咲を千里山に入学させたのか。
少しばかり、セーラも興味があった。

'隠し子かもしれない’
噂の中にはそんな笑えるものも混じっていた。
たしかに年齢的にはありえそうだが、それは違うと考えてよいだろう。

なにか、ある。
あの少女を呼び寄せる理由があるはずだ。

そんな事を考えてたセーラの前に、
偶然にも宮永咲と、彼女の担任らしい教師が一緒に歩いているところへ遭遇した。

家へ帰るところか?
靴を履き替え、担任に付き添われながら、盲目の少女はゆっくりと校門へと歩いていく。

一人になったところで、ちょっと話をしてみるか。
そう思って、二人の後をつけてみることにしたのだが…

(結局なにも聞き出せんかったな)

少女は心を固く閉ざしていた。
人と深く関わることを意識的に避けているようだ。

(…それでも、気になるもんは気になるんや)

部活も上の空で、セーラはただ少女のことを考えていた。

移動の時に、誰かの手を借りなければいけない。
とても不便だと、咲は杖を握り締めた。

入学して一週間。あちこち移動させられる毎に、この学校の広さを知らされる。
目が見えたとしても、覚えるのは大変だったろう。

「咲。次音楽室やで。移動しよ」

「うん」

クラスでも咲は少し浮いていた。
どう接したら良いかわからず、遠巻きに見ているだけのクラスメイトが大半を占めていた。

しかし中には、普通に話し掛けてくる生徒もいる。
二条泉は、咲のすぐ後ろの席の生徒だ。
その縁からか、泉は決してお節介じゃない程度に、咲のことを助けてくれる。

「このまま上に行ってずっと真っ直ぐ行けば音楽室やで」

「結構距離あるんだね」

軽く会話を交わしながら、二人は音楽室を目指す。
どうしても段差のあるところは、咲の歩くペースが遅くなる。
急かさず気を配ってくれる泉に、内心咲は感謝していた。

「あ、江口部長や」

(江口部長?)

泉の台詞で思い出したのは、あの馴れ馴れしい声だった。

(でも、まさか)

「江口部長って、麻雀部の江口さんのこと?」

「せやで。その江口部長が今、そこを通り過ぎて行ったんや!」

興奮気味な肯定の言葉に、咲はやはりか、と眉を寄せる。
とりあえず、絡んで来なくて助かったと言うべきか。

「泉ちゃんは麻雀部に入るつもりなの?」

江口部長と呼んでいる辺りも気になる。
尋ねる咲に、泉の弾んだ声が響く。

「せや!何たって部長に憧れてこの学校に入ってんからな!」

「ふーん…」

何気なさを装いながら、咲は内心驚いていた。
もし目が見えていたのなら、同じように入部して、一緒に練習していたかもしれない。

(いや、それはないか)

あのまま麻雀がやれていたのなら、日本には来ることはなかっただろう。

「その江口って人は、強いの?」

部長ならば、強いのだろう。
日本の高校生で強いというのは、どんなものなのか。
少しばかり興味がある。

咲が尋ねると、泉はすぐにその話題に飛びついてきた。

「江口部長はすごいで!1年生からもうずっとレギュラーで、全国に通用する腕前なんやで!」

「そうなんだ」

入部前から、もうすっかり部長のファンになってる泉に、
ちょっとだけ咲はたじろいでしまう。

「あ、チャイムの音や!やば、急がんと」
そうは言いながらも、泉は咲を置いて駆け出すことはしない。

「ありがと…」

泉には聞こえないくらいの声で、咲は呟いた。


――――

少し息が乱れた咲に、雅枝は「休憩しよう」と言った。

「さっきからずっと歩き通しや。一度座って――」

「もうちょっとだけ。お願いします」

ぺこっと咲は頭を下げた。

日曜日の、今日。
'学校の中を必要最低限でも歩き回れるようになりたい’
無茶な願いだとはわかっていたが、口に出す前から諦めたくはなかった。

どうしたらいいのか、考えて考えて。けれど一人では思いつかず。
わざわざ自宅へ学校生活の様子を訪ねて来た雅枝に、
咲は相談してみることにした。

『人の手を借りたくない。今まであんたはそれを押し通していた。
けれど状況が違うのはわかっているな?』

甘えることも必要だと言う雅枝に、咲は首を振った。

『けれど自分でも出来ることなら、やっていくべきだと思ってます。どうかお願いします』

折れたのは雅枝が先だった。
絶対一人で何でもやろうとしない、時には誰かの手も借りること。
これを条件に、必要な場所への行き方を付いて教えると約束した。

『でも、部活は大丈夫なんですか?』

『日曜は午後からや。午前中だけなら問題無い』

出来るだけの時間を全部使おうと、雅枝は咲の頭を優しく撫でた。

限られた時間、咲は必死で自分の歩いた道を覚えようとしていた。

校門から玄関まで。靴箱から、教室まで。
教室まで行って、また靴箱まで戻る。
そして玄関まで。
何度も繰り返し、頭の中に地図を描く。

「もう一回、見てて下さい」

「わかった」

雅枝の手を借りずに、一歩ずつ杖をついて歩く。

毎日、校門まで担任の送迎付きだったけれど、
この分だと必要無くなるだろう。
歩くスピードは遅いが、その分早く家を出れば済むこと。

「私、ちゃんと教室まで行けました?」

「ああ。よくやったな」

自分の教室のドアを開け、嬉しそうに振り返る咲の姿に、
雅枝の顔も自然と緩む。

「明日、先生が迎えに来たらもう大丈夫って言うつもりです」

「本当に大丈夫か?」

「はい。ここだって、一人で帰れます。」

もう一度、辿ってきた道を咲は歩き始める。
静かな廊下に、杖の音だけが響く。
小さな背中を見守りながら、雅枝も後ろを歩いた。

「完璧に覚えました!」

校門まで着いた咲は、にこっと笑ってみせた。
目が見えていた頃は極度な方向音痴だった自分がだ。不思議なものだ。

「よう覚えたな。宮永」

「はい。ここまではもう大丈夫。後は、どこを覚えよう…?」

考え込む咲に、雅枝は「残念やけど、もう時間はそんなに無い」と告げる。

「え。もう?」

「後、15分もしたらな。そろそろお腹が空いたやろう」

「たしかに、そうですね」

歩いている間は夢中だったけど、立ち止まっている今、急激に体が空腹を訴えてきた。

「お父上も待っている。今日はこの辺で戻ったらどうや?」

「…そうですね」

もう少しなんて我侭は言えない。
ただでさえ、休日に雅枝を付き合わせている身分だ。

「じゃあ、ここで帰ります」

「送ろう」

「ここからはいつも一人で帰ってるから平気です。それじゃ、今日はありがとうございました」

「ああ。気を付けて帰るように」

ぴんと伸びた背を伸ばし、咲は家へと歩いていく。
遠ざかって行く咲を見送り、雅枝も学校の中へと戻った。

その二人の姿を、一人の人物が目撃していたなんて、知らずに。

――――


――――

またお昼前の時間だというのに、セーラが学校へやって来たのは本当に偶然だった。

「あれは…宮永?」

校門のところにいる人影を見つけ、セーラは目を見開いた。
間違いない。
千里山の制服を着て、杖をついて歩く人物は一人しかいない。

「宮永、咲」

その姿を見送るように立っていたのは、麻雀部監督の雅枝だった。

休日の学校で一体何をしていたのだろう?
一瞬、声をかけようかと考えたが、また拒絶されそうな気がして今は止めることにした。

しかし。と、セーラは考える。
今日の練習は午後からだ。
無駄を嫌う監督は、いつも時間ぴったりに学校へやって来る。
誰かの為に時間を割く、なんてこの2年見たことが無かった。

(まさか、本当に隠し子じゃないやろうな?)

監督と咲との似てる部分を腕を組んで探し始める。

(隠し子以外で、監督が宮永咲に肩入れするとしたら何やろ?)

結局、どう考えてもその線は無さそうだとセーラは結論を出した。

練習が始まって、部室に現れた監督をじっくり観察する。
しかし宮永咲と似てる部分は一つも見当たらない。

「セーラ、今日はイヤに監督へ熱い視線を送っとるなあ」

同じレギュラーの怜が笑いかけてくる。

「ひょっとしてそっちの世界に目覚めたんか?」

「そっちの世界ってなんやねん」

「そらアレや、レz…」

「アホか。無駄口叩いてんと、練習せい」

「監督に見惚れてたあんたに言われたないわ」

そう言いながら怜が他のチームメイトの元へと歩いていく。

「見惚れてた訳やないわ…」

あの盲目の少女の面影が無いか、探していただけだ。
結局、欠片も見つけられなかったけれど。

今日はここまでです。
咲さんの性格が違うのは俺の力量不足です、すみません。


咲さんの目は見えるようになるの?

乙!
是非続きが見たいです


セーラが部長で咲さん加入って事は、まさか竜華さんリストラっすかww

こんばんは、続き投下します。
咲さんの目の件に関しては、ハッピーEDになるとだけ言っておきます。


――――

泉は、最初の希望通りに麻雀部へ入部することが決まった。
部員数70人を超える(らしい)千里山麻雀部。

名門部に入部できたことで張り切っている泉は、ホームルームが終わった後、
「またな、咲」とだけ言って教室を飛び出した。

校門までも一人で歩ける様になった咲は、担任の助け無しでこの所下校している。
さて、帰ろうかと立ち上がり、出入り口へと歩き出す。

そこへ、すっと足に何かが当たった。
まずい、と思った時には咲の体は床にぶつかっていた。

「大丈夫~?」

笑いながら手を貸してくる女子に、「平気」と短く返してすばやく立ち上がる。
埃を払い、ゆっくり障害物が無いか探しながら歩き出す。

「私らの手伝いはいらないってさー」

アハハと周りのクラスメイト達が笑う。
それを無視することで咲は耐えた。

「おっ。今帰りか?」

聞こえて来た言葉は、自分に向けられたものとは限らない。
そう取ってもいいはずだ。だから咲は足を止めずに歩く。
しかし相手がそれを許すはずもなかった。

「無視かい。なかなかいい度胸してるなあ」

突然襟首を掴まれられ、咲はびっくりして倒れそうになる。
しかし後ろから支えられた手に、転倒は免れた。

「…何するんですか」

いつもいつも、と咲は怒りを露にする。
ただでさえ苛々してる時に、何て人に声をかけられたのだろう。
しかし相手の、セーラの声はどこまでも楽しげだ。

「お前が素通りしようとするからやろ、宮永」

「私に話し掛けてたんですか?気付かなかったです」

「お前しかいないやろ」

なんで、と咲は溜息をついた。
他に誰かいるかもしれないなんて、わからないのに。

「それで?何か用ですか?」

さっさと切り上げたくて、先を促す。
またどうせ雅枝との関係を聞いてくるのだろう。
さっきの連中のこともあって、咲も少し冷静に対処できなくなっていた。

「私、早く帰りたいんだけど。手短にしてください」

「それは堪忍な。…宮永、休日に監督と何をしているんや?」

「は?」

「とぼけても無駄や。日曜に学校に来てたやんな?監督と二人で何を相談していたんや?」


セーラの断定的な言い方に、咲は目を瞬かせる。
一体、この人は何なんだろう。

「そんなこと、あなたに関係あるんですか?」

「え?…えーと、部長として知っておく義務はあるやろ」

あるか、そんなもの。
曖昧に誤魔化すセーラに、呆れてしまう。

「あなたの好奇心を満たす為に、話すことなんか無い」

「!」

「聞きたければ先生に直接聞けばいいって、前にも言ったと思うけど?」

言っても雅枝は教えないだろうが。

「愛宕先生が私に構うのが気に入らないんですか?」

「はあ?何言ってるんや?」

「だけど安心してください。大会を前にして、部よりも私を優先するようなことも先生はしないから」

「俺は、そんな話はしてな…」

「そう?先生の関心が私に向いて、腹が立ってるとばかり思ってた」

「宮永?」

「そんなの、私だって誰の手も借りたくないのに。特別扱いだって、されてるつもりもないっ!」


声を荒げると、襟を掴んでいたセーラの手が離れた。

その隙に咲は下駄箱への道を再び歩み始める。

私の存在が不愉快なら、構って来ないで。
誰に対してでもなく、小さく呟いた。

遠ざかっていく背中を見ながら、セーラは呆然と呟いた。

「なんやっていうんや…」

‘誰の手も借りたくないのに。特別扱いだって、されてるつもりもないっ!’

怒鳴りながらも、表情は酷く傷付いていた。
言い返すつもりだったが、それを見て口を噤んでしまった。

「ちょっと、言い過ぎたかな。…俺、何をやっとるんやろ…」

誰とも無く呟いて、セーラは部活に向かう為に歩き出した。

ここで黙って立っているよりも、牌を握っていた方がマシ。
理由のわからない苛々も、部室にいれば忘れられるだろう。

――――


――――

「ここは、どこですか?」

連れ来られたベンチに、腰掛ける。
渡されたコーヒーの缶を一口飲みながら、咲は雅枝に尋ねた。

「中庭にあるベンチの一つや」

「そうですか」

「ここは麻雀部の部室のすぐ外にあってな。ここに座っていると、牌を叩く音が聞こえてくるんや」

「へぇ。そうなんですか」

本日も咲は、雅枝に手伝ってもらって校内の歩行練習をしていた。
必要は無いけれど、一休みしようと雅枝は咲をここに連れて来た。

暖かい春の陽射しが、降り注ぐ。
ここで昼寝したら気持ち良さそうだと、咲は思った。

「続きを始めるか?」

コーヒーを飲み終えぶらぶら足を動かす咲を見て、雅枝が尋ねる。

「あ!今、何時ですか?」

「11時やが」

11時、と聞いて咲は目を見開いた。

「…今日はお父さんさんと出掛けることになってるんで。もう帰ってもいいですか?」

不自然に聞こえたりしないだろうか。
内心でドキドキしながら、雅枝の返事を待つ。
この間はいつ見られたかわからないが、早く帰るのに越したことは無い。

「そちらの都合に合わせてやっていることやから、構わんで」

どうやら怪しまれなかったらしい。
ほっと咲は胸を撫で下ろした。

だが、あまりのんびりはしていられない。
麻雀部の部活は午後からだけれど、早めに出て来たセーラにまた見付かったら厄介だ。

先週は熱心にやっていたのに、いきなりやる気が出なくなったら雅枝は怪しむだろう。
だから咲は家に帰らなければいけないと、ちょっと嘘を付いた。
父と出かけるのは本当だけれど、それはお昼ご飯以降のことだ。

きっとこの方法が一番良い。
もうごちゃごちゃ言われるのは、沢山だ。

「疲れたか?」

「いえ、平気です」

校門までの見送りも断ろうかと思ったけど、理由を聞かれたら返答に困るだろう。
誰も見てないことを祈るしかないと、咲は杖をぎゅっと握った。

「宮永」

「何ですか?」

校門に到着して、雅枝は咲の肩を掴んだ。

「今、困ったりしていることは無いか?」

「……無いです。自由に歩き回れないこと以外は」

「そうか」

嘘、は言っていない。厄介な連中はいるけど、報告するほどじゃないと思っている。
何より、できれば自分でなんとか切り抜けたい。
こんなこと言ったら、何故誰かの手を必要としないのだと雅枝は怒るだろうが。

「なら私からは言うこともない。気をつけて、帰るように」

「今日もありがとうございました」

ペコリとお辞儀して、咲はいつもの道を歩き始める。
その小さな背を見て、雅枝が少し心配そうな眼差しを向けていた。

翌日の月曜日。
咲が教室に入ると、少し話し声が静かになった。
不審に思いながらも、咲は自分の席へと足を進めた。

泉は朝練が始まってから、ぎりぎりにしか来なくなった。
席に座って、のんびりしてようと咲は机を手で探る。

(あれ・・・?)

椅子が無い。
そこにあるはずの咲の椅子が、手でどんなに探しても触れることが出来ない。

「見てよ、あの子」

続いて聞える笑い声に、咲は机から手を放す。

(誰か持って行った?)

嫌がらせかと、ぎりっと歯噛みする。
絶対、彼女らが面白がる反応なんてするもんか。
そう思って、杖を握りぴっと背筋を伸ばす。

(こんな連中に、負けるもんか)

「宮永さんどうしたのー。何、突っ立ってるのよ」

「あれぇ?椅子が無いん?」

無言のまま立ったままの咲に、笑い声を上げてた連中が声を掛ける。
親切を装っているようで、口調は面白がってる。

不愉快だ、と咲は眉を寄せた。

「そう。今朝来たら椅子が無くなってた」

「へぇー。それは大変やな」

「盗難届け出しておいた方がいいんちゃう?」

笑ってる連中の数を、冷静に数える。
昔の気弱だった自分なら、既に泣いているところだ。

目が見えなくなってからというもの、自分で何とかしようという心構えからか、
かなり気丈な性格になったと我ながら関心する。

「別に。このままでもいいけど」

「はぁ?授業中も立ってる気か?」

なんだ、こいつという声に、被せてやる。

「しょうがないんじゃないの?別に構わないけど」

キッパリと告げる咲に、連中も少し怯む。

「そんなの先生がさせる訳ないやろ」

「そうや。あんた、なんて言い訳するつもり?」

「言い訳じゃなくて、椅子がないのは本当のことでしょ。聞かれたら、無いって言うだけなんだけど」

「ちっ」

面白くねぇ、と一人が呟く。

「お前なんか大人しく引っ込んでいりゃいいのに、その態度はなんや。
あ、そうか。愛宕先生に言い付ければ、こんな問題はすぐに解決ってやつか?」

「おい!静かにしてろや。こいつがチクったらまずいやろ」

もうすぐ担任も来るし、と他のメンバーが騒ぎ出す。

「あ、そうそう。あれ、あんたの椅子やない?誰かが使って、そのままにしてたみたい」

「ここに置いてやるから、感謝しておけや」

「……」

何が感謝だ、と咲は黙って椅子を掴む。

一人では何も出来ないくせに、集団でいると強くなった気になっている。

(絶対、負けるものか)

こんな卑怯者たちには負けないと、咲は拳をぎゅっと握った。



「おはよー…ん?咲?」

声を掛けてきた泉の態度が戸惑っているのを感じ、
咲は挨拶を返し、「何?」と尋ねた。

「ずいぶん怖い顔してるけど。なんかあったん?」

「別に。朝だから眠いだけだよ」

「そうか?」

迷惑を掛けたくない。
だから黙っておこうと、決める。

これ以上連中が突っかかってくる前に、どうにかしたいけれど。
良い方法はあるだろうか?

授業が始まっても、咲はそのことだけを考えていた。


――――

くだらない噂話、やな。
後ろで私語を続けてる女子達に、セーラは顔を顰めた。

(聞こえてないとでも思ってるんかいな?)

「そこの二人。授業と関係の無い会話は慎むように」

淡々と、でも鋭い声で雅枝に注意された女子生徒達はすぐに口を噤んだ。

「それでは次の解釈の説明を続けよう」

きっと彼女達が何について噂しているかわかっているだろうに、
雅枝はおくびにも顔を出してない。

(当然、か)

宮永咲の入学に関して、雅枝が関与しているのは明らかなのに、
理由は何一つわかっていない。
無責任なデマや憶測だけが校内に飛び交っていた。

雅枝は何を考えているのだろう。

(目的は、なんや?)

気にはなっているが、雅枝にも咲にも聞くことは難しそうだった。

あの時、傷付いていた咲の顔がフラッシュバックする。

(同情か?)

いや、そんな感情ではない。
だけど、咲のことが知りたくて仕方がない。

どうしてだろうか、と考える。

ふっと視線を感じて顔を上げると、雅枝と目が合う。
どうやら上の空だったことを見抜かれたらしい。
授業に集中する為、セーラは背筋を正した。


――――

別に意図的に合わせようとした訳じゃない。
たまたま職員室に寄ったから、部活に行くのが遅くなっただけだった。

(そういや、前にもこの時間帯に会ってたな)

一階の廊下。
皆さっさと帰ったのか部活へ行ったのか、杖を頼りに歩く少女だけが歩いている。

下手に声を掛けて、また傷つけてしまってはいけない。
今回は知らないフリして追い抜いてしまおう。

だがセーラが一歩踏み出す前に、
咲と同じ教室から女生徒が出てきた。
セーラの少し前を歩く彼女は、杖をついている咲の背中を片手で押した。

ガシャンと、杖の倒れる音が廊下に響く。

「おいっ!?」

セーラの声に、その女生徒は振り返りもせず走って行ってしまった。
逃げたとしか思えない行動に、セーラは目を瞬かせた。

(何やねん、今のは)

慌てて咲へと視線を向けると、転んだらしく起き上がろうとしていた。

「大丈夫か?宮永」

駆け寄って、不安定ながらも背を伸ばそうとする咲に、手を貸す。

「…ありがとう、ございます」

埃だらけになった咲の制服を見て、思わずセーラは手を伸ばしサッと掃った。

「今の奴、同じクラスの奴か?」

「誰だかわかる訳ないです。見えないのに」

「あのぶつかり方、わざとじゃないんか?」

「そうですか?狭いからぶつかっただけでしょう」

とてもそんな風には見えなかった。
故意に押したようにとしか取れない。

「じゃあ私、もう行きますから」

そう呟くと、咲はセーラから背を向けて歩きだした。
その背中を、セーラは複雑な表情で見つめていた。

――――

「他校のデータが手に入った。授業が終わったら科学準備室まで来るように」

雅枝の指示通り授業が終わった後、セーラは科学準備室へと向かった。

「失礼しまーす」

準備室のドアを開けると、雅枝はまだ来ていなかった。
適当な椅子に座り、セーラは雅枝を待った。
が、10分経過しても雅枝は現れない。

ひょっとして急な職員会議が入ったのかもしれないと考える。
ならばすぐに戻って来ない可能性がある。

「他校のデータなら・・・きっとこの辺りやろ」

探して持っていくかと、ケースが置かれている棚を物色し始める。
大体の場所はわかっている。

雅枝の受け持つ科学関係と、麻雀のものとは完全に場所が分かれているから、
見付けれるかもしれない。

そう思って、セーラはラベルを一本一本確認し始めた。
練習をいつまでもさぼっているよりも、さっさと持って行って始めた方が良いだろう。

持って行ったとメモでも置いてけば、雅枝も何も言わないはずだ。
今年度のデータを探している内に、ふと目に入った文字に目を留める。

「S・M?」

それだけ書いてあるテープが一本。
S・M。
それが人の名前だとすると、ぱっと思いつく人物が一人いる。

「あいつか…?」

盲目の一年生。
咄嗟に咲の顔を思い浮かべたセーラの手が、そのテープへと伸びていた。
やめておけと警告が頭に響く反面、好奇心を止められない。

一体、何の映像だろう。
もしかしたらこの中に、宮永咲を入学させた訳が隠されているかもしれない。

盲目の生徒を入学させた例は、過去にない。
随分、雅枝は無理をして学長を説得したと専らの噂だ。
それを鵜呑みする気ではないが、何かメリットがない限り雅枝がそこまで動くとは考えにくい。

宮永咲。
一体、お前に何があるんや?

テープをデッキにセットして、セーラは椅子を引き寄せて正面に座った。
再生のボタンを押し、出てくる画像を待つ。

それは素人が撮ったらしく、画像はお世辞にも良いとはいえないものだった。
どうやら麻雀の大会らしい。
映っている人物や話している言葉から、その場所が日本で無いことがわかる。
しかし重要なのはそのことではなかった。

「どうして、宮永が…」

生き生きと牌に触れる人物を、カメラはずっと撮り続けている。
仕方ないことかもしれない。
圧倒的な力量差で、対局相手を翻弄している。

「嶺上開花…!?」

なんだ、これは。
いったいいつの映像だというのだろう。
今より少し幼いが、そこに映っているのは間違い無く宮永咲だ。

あいつ、麻雀するんやったんか?
食い入るように、セーラは画面を見詰める。

状況は完全に咲のペースだった。
他の対局者たちも立て直そうとするが、完璧に咲に封じられている。

咲のその凄まじい打ち筋にいつしか拳を握り締めていた。
何よりも咲の表情から眼が離せない。
試合を心から楽しんでいるかのように、笑っている。

それが本来のお前なのか。
盲目とはいえ、強くあろうとしている咲には変わらないが、
卓にいる咲が一番彼女らしいと思う。

何故だろう。彼女のことを何も知らないのに。
これが本来の宮永だなんて、どうして確信しているのだろう?
優勝が決まったと、歓声が上がった瞬間テープが切れる。

「江口」

急に声を掛けられ、セーラは驚いて後ろを振り帰る。
ドアのすぐ前に、雅枝が腕を組んで立っていた。

画像に集中していたとはいえ、ドアが開いた音に気付かない迂闊さに、
セーラはあちゃーと頭を抱えた。

「不在だったので、その…すんません!」

上手い言い訳が出てこなくて、セーラは素直に謝罪した。
しかしなんでもないように、雅枝は机まで歩いて引き出しから一本のテープを取り出した。

「渡したいといったのは、このテープや。時間がある時に見ておくように」

用件はそれだけだと、雅枝の目が言っている。
これを持って、さっさと部室に行け、と。

けれどセーラはテープを手にしながら、思っていたことを口に出した。

「今の、宮永咲ですよね?」

「……」

「どういうことなんですか?」

「何故あんたがそんな事を気にする」

「それは、」

「関係無いことや」

「監督!」

「知りたいんなら、あんたが干渉してくる理由を聞かせてもらおうか」

雅枝の目はとても冷たいものだった。
単なる好奇心で聞いて良いものではない。

「…ありません」

「なら、もういいやろ」

くるっと背を向け、雅枝はデスクに座ってしまった。

「1時間後に顔を出す。それまでの部員への指示は任せる」

「はい」

ドアを閉め、セーラは準備室を後にした。
何も引き出すことは出来ないと、わかっていたからだ。



「遅かったなー、セーラ。監督に絞られたんか?」

「ちゃうわ」

竜華にからかわれながら、セーラは椅子に座り込んだ。
そして部室の中にいる部員達を見渡す。

これだけ大人数いて、宮永咲のような目を持った部員は一人もいない。
あれはなんだ?
画像で見た彼女の麻雀を思い出し、セーラは息を吐いた。

あんなものは実力の全てではないだろう。
まだまだ発展の可能性がありそうだ。
いや、今のままでも全国で十分に通用する。

咲の視力が失われたのは、いつだろう?
あんな、あんな顔をして麻雀していたくせに、出来ないとわかった瞬間、どんな思いをした?

両手で顔を覆い、セーラは耳を澄ました。
部室に響く牌の音。
どんな動きをしているか、じっとしていると次第に見えてくる。
だけどどこまでも暗闇の中だ。

『しょうがないでしょ。何も見えないんだから』

諦めていたような目をした咲の顔が、ふっと浮かんだ。

――――

今日はここまでです。
早く他の部員と咲さんを絡ませたい…

きたい

乙です

乙!
期待しています!

千里山は今年度、大量に点字の本を入荷していた。
もちろん予算で買ったものではない。
雅枝が個人的に学校に「寄付」したものだった。

必要とする生徒は、今現在咲一人だ。
咲の家にも点字の本はあるが、数は比べ物にならない。
これも雅枝の配慮というやつだろう。

直接、本人への詮索はしていない。
どうせとぼけられるのはわかっているからだ。

『点字の本があるから見ておくと良いで』

休日の特訓で図書室を案内された時、雅枝はそう伝えた。

今日は初めて一人で図書室へ歩いてみた。
教室から何とか来れたのはいいが、どこの棚にあるのか分からずしばし途方に暮れてしまった。
親切な委員の人が咲を案内してくれなかったら、ただ行って戻っていただけかもしれない。

(はぁ、もっとちゃんと考えて行くべきだった)

今度は棚の位置もちゃんと覚えておかないと、また誰かの手を煩わせることになる。
本当に不便だと、咲は溜息をついた。

(この本だって・・・)

新品だとわかる本の表紙を撫でる。
これだけじゃなく棚の中全部、新しいものだとわかっている。
少しでも役に立つようにと揃えてくれたらしいが。

(あの人、やり過ぎじゃないの?)

それでいて雅枝は陰ながら見守っているつもりだから、可笑しい。
本人にも周囲にもばれているのが、分からないらしい。

『手術が成功した暁には、麻雀部へ入ってもらう』

雅枝に借りを返せるとしたら、また目が見えるようになってからだ。
成功するかどうかもわからないのに、入部の約束だなんて馬鹿げた考えだ。
そう笑った咲に、雅枝は静かに尋ねた。

『あんたは回復すると信じてないんか?』

目が見えなくなったことで、誰よりも落胆しているのは咲だった。
父に心配させまいと強気には振舞っていたが、内心は怖くてたまらない。

もし一生このままだったら?
二度と牌に触れることはできないだろう。

『信じたいよ…』

また牌を握り、もっと強い相手と試合をしたい。

『私は信じとる。あんたの目は、必ず見えるようになる。だからあんた自身も信じるんや』

肩に置かれた手に、咲は頷いた。
雅枝の申し出を受けたことにより、宮永家は日本へ引越しすることになった。
周りが騒がしい中国ではなく、咲の名前がほとんど知られていない日本へ。


(しかし広い学校だよね)

学校全部を歩き回っていたら、それだけで一日が終わりそうだと咲は思った。
最低限のところは案内してもらったが、一歩間違えたら迷子になりそうだ。
だからこうして一人で歩いている時は、特に慎重になっている。

杖で周囲を探り、耳を澄ます。
遠くからだが、あの音は聞き違えようがない。

カツンと、障害物に当ったところで足を止める。
手で探ってみると花壇らしいものだ。この辺りは特に多い。
気をつけていこうと、ゆっくり咲は足を進めた。

そう言えば、セーラと初めて会ったのもこの辺りだった。
飄々とした態度で話し掛けてくる彼女を、最初は教師かと勘違いした。

3年で麻雀部部長。
雀士としてのセーラは、耳としての情報だけどかなりの実力者らしい。
雅枝もセーラの力を買っているような節がある。

目が見えなくなる前の自分だったら、きっとセーラに対局を挑んでいただろう。
強い相手と戦えないことが残念で仕方ない。
そこまで考えて、咲はふっと笑った。

手術も成功するかどうかわからないのに、虚しいだけだ。

『あんたの目は、必ず見えるようになる』
それが本当ならもう一度、麻雀をうちたい。

(こんなところで座っていたら、あの人に見付かるかもね)

以前にも雅枝と座っていたことのあるベンチを探り当て、咲は腰を降ろした。
聞こえてくる、心を弾ませる音。
未練がましいと自分でもわかっているが、忘れることなんか出来ない。

(ただあの音の中に、あの人もいるかもしれないけど)
それ位はどうでもいいと、咲は再び聞こえる牌の音に耳を傾けた。

――――

今日もふらっと部室を抜け出して、セーラは中庭を歩いていた。

(宮永咲…)

あの映像を見て以来、盲目の少女の過去ばかりを考えてしまう。
あれだけの打ち筋をする者が目の前にいたら、すぐに対局を申し込んだに違いない。
千里山のレギュラー陣でも、彼女に勝てるかどうかの実力の持ち主だ。

そんなことを考えながら歩いていると、
すぐ近くのベンチで腰掛けてる咲を見付けてしまった。

(なんで宮永がこんな所にいるんや?)

声を掛けずに、セーラはすぐ近くから咲を観察する。

身動きもしないで、牌の音をじっと聞いているようだった。
しばらくそうしていて、気が済んだのか立ち上がってゆっくり歩き始めた。

(一人で帰れるんか…)

もしかしたら休日に雅枝と一緒にいたのは、歩行の練習の為だったのかもしれない。
杖で周囲を探りながらと、とても早いとは言えない歩きだけれどそれでも着実に前に進んでいる。

その姿に映像で見た咲を重ね、複雑な思いになる。

(お前はまた牌を握りたいと思ってるんか?)

牌の音を聞いていた表情を見て、セーラは少しだけ咲の心を知った気がした。

――――


――――

ほぼ日課にしてる散歩を終えて、咲は玄関のドアを開けた。
学校から家への道と、ほんのわずかな周辺。
それが咲が歩ける範囲だ。
教えてもらった道は忘れないようにと、暇があれば一人で歩いている。

「おかえり、咲」

ドアを閉めるのと同時に、優しい声が咲を迎える。

「ただいま、お父さん」

「すぐに夕飯にするから、手を洗ってきなさい」

「はーい」

靴を脱ぎ、咲はすぐに洗面所へ向かった。

父は、いつでも咲のことを見守ってくれている。
それは視力が失われる前からのことなので、変に同情などないことくらい咲はわかっていた。
さりげなく咲が本当に困った時だけ、そっと手を貸してくれる存在。

(そういうとこ愛宕先生と、似てるかも)

しかし雅枝はさりげない力の貸し方のスケールが違ったと、咲はすぐに思い直した。
本人は些細な助力のつもりだが、どう考えても些細などでは収まらない。

(勿論、感謝はしているけど)

おかげで点字の本には困らないし、と咲は少し笑った。

理解して、支えてくれようとしてる人がいること。
それだけでもう、十分だと咲は思っている。

――――


――――

一部のクラスメイトの嫌がらせは、毎日行われるものじゃない。
どうやらその日の気分次第らしい。

今日は絡んでくると決めた日らしく、昼休みに泉のいる前で軽い嫌味を言われた。

「咲のことを知らないのに、なんでそんな風に言うんや!」

連中の嫌味にいち早く反応し、泉は激高した。
慌てて咲は「相手にしなくていい」と止めに入り、泉を教室の外に引っ張り出した。

「反応すると相手が喜ぶだけだから、無視しておけばいいよ」

泉にそう念押ししたのは、自分以外にも目を付けるんじゃないかと恐れたからだ。

「なあ、咲」

「何?」

「今までも、あんな事言われたりしてたんか?」

「……」

答えることが出来ずに、咲は黙っていた。
きっとそうだと言えば、泉は連中にまた腹を立てるだろう。

問題を解決しようと動くかもしれない。
でもそうしたら、巻き込んでしまう可能性が出てくる。

「そう、なんやな?」

泉の言葉に、咲は笑って答えてみせた。

「放っておけばいいよ。あのくらい言われるの、私は何とも思ってないから」

コトを纏めようとする咲の思いが伝わったのか、
泉も「なんとかしよう」とは言わなかった。

「でも覚えておいてや。うちは咲の友達やから。
友達を悪く言われて、黙ってられるはずない。エスカレートするようなら、やめさすように言うで?」

真剣な泉に、咲は少し俯いた。

「うん…ありがとう。でも本当に平気だから」

「咲…」

理解してくれる人がここにもいる。
作ったものではない自然な笑顔を、咲は泉に向けた。

幸いにも、それ以降連中が絡んで来ないまま授業は終了となった。

「それじゃうちは部活に行ってくるな」

「うん。じゃあね」

練習前に卓の準備などは一年の仕事の為、泉は早くに教室を出る。
それでも今日は気を使ってか、連中がいなくなるまで残っていてくれたようだ。

本当なら下駄箱まで一緒に行こうと言われたけれど、咲がそれを断った。
一人で歩く練習をしているから、先に行っててと部活へ追い立てた。

(さて、私も帰るか…)

今日は麻雀部の部室近くまで寄ろうかと思ったけど、こんな日は真っ直ぐ帰った方が良さそうだ。
そう思って立ち上がり、鞄を取る。

ガタン。

何かがぶつかった音がしたと思った瞬間、誰かが咲の体に体当たりをしてきた。

「っ!」

倒れた体を起こそうと咲は体勢を立て直す。
最近転んでばっかりだと眉を顰め、その辺りに倒れているだろう杖に手を伸ばす。

「あ、れ?」

しかしそこにあるはずの杖は無い。
両手で探すが、やっぱり見付からない。
必死で床に手を這わす咲の耳に聞こえてきたのは、かすかな笑い声。

(あ…今ぶつかってきたのはわざと…か)

咲の考えを見透かすように、一つの足音が教室から出て行くのが聞こえる。

きっと杖は落ちてなんかいない。
ぶつかってきた相手が持っていった可能性が高い。
このままいつまでも教室で探している自分を、面白がってるに違いない。

(こんなことで…負けるもんか)

すぐ横の机に手を掛けて、咲は立ち上がる。

杖は無いけれど、今まで暗闇の中、一人で何往復した道のりだ。
壁に手を伝っていけば、帰れるかもしれない。

家に帰ったら、予備があるから明日からはそれを使えばいい。
また取られたら、代わりになりそうなものでなんとかしてみせる。

(こんなことでは、挫けない)

手で周囲を探り、一歩不安定な道へ踏み出す。

何度も机にぶつかりながら、咲は教室のドアを開けた。
どれくらい時間が掛かるかわからないが、自力で帰る決意をする。

壁に手を触れ、また一歩歩く。

弱いことを認めれば、楽になれるのだろうか
けれどそれは絶対自分の生き方じゃない。

自分自身を守る為に、咲はまた一歩誰の手も借りずに前へ進んだ。

――――


――――

本日も新しいデータを渡すからと、セーラは雅枝に呼ばれ、科学準備室に出向いた。
前とは違い、待たされることなくテープを渡された為、
あの時見つけたものが同じ場所にあるかどうかは確認出来なかった。

「S・M」と書かれたラベルが貼ってあったテープ。
この学校に入る前の宮永咲が映っているものだ。

盲目ということで学校内で有名になっている咲だが、
彼女が麻雀をしていたという噂は入って来ていない。

(知っているのは、監督だけか…どうしたもんだか)

監督は教えてくれないだろうし、咲は咲でセーラのことを避けている。
なんとかならないのかと、考えながら階段を降りて行く。

(この時間だと、また会うかもしれへんな)

そんなことを考えながら、一階の廊下へと足を進める。
この間と違って、何人かの生徒が廊下にいる。

(なんや…?)

不自然な空気に、セーラはすぐ気付いた。
皆の視線が、同じ方向を向いている。

その先に何があるのか。
辿ってみると、一人の生徒が壁に手をついて歩いているのが見えた。
怪我でもしているかのように、一歩一歩ゆっくり足を進めている。

「宮永!」

それが咲だと気付いた時、セーラは声を出していた。
周囲が咲からセーラに視線を移すが、構っていられない。
すぐに、咲のもとへと走り出す。

「また、あなたですか?」

声でセーラがわかったのだろう。
眉を潜め、それでもまた壁に手を置いて、咲はまた一歩足を踏み出している。

「お前…杖はどうしたんや」

上擦った声が、知らずに出た。
咲が杖を離して歩いてるのを見たことはない。

目の見えない咲にとって、欠かすことのできないはずのものだ。
それがどうして今、杖を持たず歩いている?

「ちょっと、なくしたみたいです」

ぴくっと咲の体が動いたのを見逃すはずもない。
それになくしただって?

「なくそうと思っても無くせるものじゃないやろ!」

声を荒げるセーラに、咲は首を傾げた。

「私が勝手になくしたのに…なぜあなたが怒ってるんですか?」

「怒ってないわ」

実際、腹は立っている。
これだけの人間が行き来している中、
壁伝いに歩いている咲に、誰も手を貸そうとはしない。

訳のわからない怒りが込み上げていた。

「ったく…」

小さく呟いた後、セーラはすばやく咲の手を取った。

「えっ、あのっ!?」

「そんなんじゃいつまでも家に帰れへんで」

「…っ」

「送ってやるから大人しくしとけ」

そのまま咲の手を引いて、廊下を歩き出す。
前から歩いてくる生徒が、何事かと二人の顔を見る。

麻雀部部長のセーラと、盲目の咲。
目立つ組み合わせなのだろう。
けれどセーラは気にもしない。そして咲には見えない。

「あのっ、私なら大丈夫ですから!」

「大丈夫やと?アホ言うな。いいから黙っとけ」

「部活は?あなた部長でしょう?さぼったらまずいんじゃないですか?」

「安心せい。俺が送るのは校門までや。すぐに車を呼ぶ。
それに乗って運転手に住所を言えば、お前を家まで送るから。それで文句ないやろ?」

断られるだろうか。

今までの経緯から好かれていないことは、明白だ。
けれど断られようが、セーラは引くつもりは無い。
文句を言おうが、車に乗せてしまおうとまで思っていた。

だけど咲は少し考える素振りをした後、こくりと小さく頷いた。

「ほら、乗りや」

すぐ来いと連絡したおかげで、車は3分以内にやって来た。
咲を押し込んで、江口家お抱えの運転手に頼むと告げる。

「あの」

ドアを閉めようとした瞬間、後部座席に座った咲が声を掛ける。

「なんや?」

「あなたは…どうして私に関わってくるんですか?」

「…別に。理由なんかないで」

「え?でも」

もう出せと、ドアを閉めて車を走らせる。


あの状態で咲を一人帰すことにならなくて、本当に良かった。
安堵すると同時にふつふつと怒りがこみ上げてきた。

(あとは…あいつの杖を見付けてやらんとな)

この学校内でくだらない真似をしてる奴がいる。
いつか咲を突き飛ばした生徒を思い出し、セーラは不愉快そうに顔を歪めた。

今日はここまでです。
セーラはいいとこのお嬢さんな設定です。

乙で~

乙乙っす

セーラは部室で泉が練習している卓へと向かった。
以前、咲と校内ですれ違った時、一緒にいた同級生が泉だったことを思い出したからだ。

「泉。ちょっと話があるんやけど」

突然名前を呼ばれた泉は目を瞬かせた。

「宮永咲、知ってるやろ」

何故、その名前が出て来たのか疑問に思いながらも、泉は「はい」と答えた。

「今日、宮永の杖がなくなった」

「え?」

「あいつはなくしたとか言ってたが、誰かが隠したんは間違いない。
前に、宮永のクラスから出てきた生徒が、あいつを突き飛ばしたのを俺は見たことがあるんや」

さっと、泉の表情に影が掛かる。

「嫌がらせしそうな奴に、心当たりは無いか?」

「……」

クラスメイトの名前を出すのに躊躇しているのか、泉は黙っている。
もし言ったとしても、その人物が犯人と決まったわけではないのだ。

しかしセーラには待っている余裕など無かった。
わずかな手がかりでも掴めるのなら、迷ってなんかいられない。

「あいつに杖を返してやりたいんや。頼む、そいつが知らなくても誰か知ってるかもしれへん」

頭を下げんばかりの勢いのセーラに、泉は驚いた。
慌てて、咲に絡んでいた中心人物の名前を挙げる。

「ありがとうな、泉。練習時間に呼び出したりして悪かったわ」

「いえ…」

それから、と付け加える。

「このことは、誰にも言わんといて欲しい。
他の連中に何故呼び出されたか聞かれたら、朝練の時の態度でとでも言って誤魔化してくれ」

「分かりました」

「勿論、宮永にもや。あいつはこんなことで借りを作りたくないって性格やからな。わかるか?」

「そうですね」

咲のこともあるので、泉は力一杯頷いた。

「ところでそいつは部活か何か入ってるか?もし帰宅部なら、自宅に行かないと杖の在りかがわからないってことになるんやけど」

「あ、それでしたら、たしか…」

教室で喋っていた内容から、茶道部だったと泉が答える。

「そうか。色々とありがとうな」

「いえ。部長のお役に立ててよかったです」

すぐに泉を練習に戻らせ、セーラは次に茶道部へと急いだ。

茶道部の部室へ向かい、大声で部長の名を呼ぶ。
ただ事じゃないセーラの表情に、茶道部部長はすぐさま駆け寄ってきた。

「お前のところの一年に、ちょっと聞きたいことがある。呼んでくれへんか」

名門麻雀部の部長であるセーラは、学校内でかなりの人気と権力を誇る。
下手に機嫌を損ねてはならないと、茶道部部長はすぐに問題の生徒を呼び出した。

呼び出された生徒は、何故麻雀部の部長が?と不思議そうな顔をしていた。
が、

「宮永咲の杖がどこにあるか、知っとるか?」

その言葉に、大きく目を見開いた。

(やっぱり、こいつか)

「どこにある」

「わ、私は杖なんて」

「お前やろ!」

そう言って、胸倉を掴み無理矢理後ろを向かせる。

「前にもあいつのこと、突き飛ばしたやろう。後ろ姿がそっくりやで」

「そんな、私は」

「まだ白を切るんか?」

怒りに満ちた表情で、顔を覗き込む。
そんなセーラを見て震え上がり、生徒はあっさりと杖の場所を吐いた。

「もうあいつにちょっかい出すなよ。ええな!」

済みませんと地面に這いつくばる姿に興味など無く、セーラは教えられた場所に向かった。

杖は咲のクラスの掃除道具と一緒に入れられていた。
大事になった時に、返すつもりはあったのかもしれない。

手に取って、損傷がないか調べる。

(良かった、どこも悪くなっとらんな)

杖を手にして、セーラは歩き出した。

「江口部長?さっき来てませんでした?」

部室に入って来たセーラに、浩子が寄ってきて声を掛ける。

「いや、そんなことないで」

すぐにでも届けてやりたかったが、部活がまだ終わる時間ではないから、家に行ったら咲が不審に思うだろう。
そう思って、気が進まないが部活にまた戻って来た。

はぁ、と息を吐いたセーラに、浩子は一瞬だけ視線を送ったものの、またすぐに練習へ戻っていった。

(終わるまでには…まだ2時間もあるんか…)

部活が早く終わればいいなんて思うのは、初めてだった。
千里山の部長がこんな気持ちではいけないと思い直し、セーラは軽く自分の頬を叩いた。

「怜、竜華!ちょっと相手してくれや!」

気持ちを切り替え、麻雀だけに専念しようと声を上げた。


――――

長いと感じた部活が終わり、急いでセーラは車に乗った。
手には、当然咲の杖を持っている。

「さっき送ってった奴の家に向かってくれ」

「かしこまりました」

咲の家は拍子抜けするほど、近かった。
目が見えない咲にとっては、不便無い距離だろう。

(けど、あいつ一人で歩くには時間が掛かるやろうな)

それにも杖がいる。
返してやろうと、セーラが玄関前に立つと同時に、扉が開く。

「あ、すまんな君。ぶつからなかったか?」

「いえ、大丈夫です」

「そうか。ええと、家になにか用かな?」

穏やかそうな男性が、セーラを見詰める。
どこか咲に似た雰囲気にお父さんだろうかと思いながら、挨拶をする。

「初めまして。千里山女子校の江口セーラです。実は咲さんに届けものがあって来ました」

「わざわざありがとう。咲の父です。すぐに咲を呼んで来るからどうぞ上がって下さい」

「いえ。車を待たしてあるので、ここで」

すぐそこに着けてある車に視線を向けると、咲の父はわかりました、咲を呼んで来ますと家の中に下がった。

そして今度は咲が一人で外へ出て来た。

手にはセーラが持っているものと別の杖を持っている。

「江口、さん?」

どうしたんですか?といった具合に目を瞬かせている。

「…予備があったんか」

なんだ、とセーラは笑いそうになった。
あんなに必死で探していたけれど、家に帰ればちゃんと予備があったのだ。

「え?ああ、杖の?」

「ならこれは必要なかったようやな」

空いている方の咲の手を掴み、持ってきた杖を握らせる。

「私の杖・・・・」

「落ちてたで。お前のやと思って持ってきてやった」

「落ちてた?」

「ああ。たまたま歩いていたら見付けたんや」

たまたまという所を強調して、咲の手を離す。
触れたところが、何故かやけに熱かった。

「そうですか」

特に追求することなく、セーラが持ってきた杖を咲はぎゅっと握る。

「あの…」

「なんや?」

ハッキリ物を言う咲にしては珍しく、もごもご口を動かしている。
よく聞こえるよう、セーラは顔を近付けた。

「今日は、ありがとうございました。色々、杖とか車とか…」

不意に聞こえた言葉に、今度は耳が熱くなる。

「別に、大したことしてへんし」

わざとぶっきらぼうに言って、咲から離れる。
何か、このまま咲の近くにいてはまずい気がする。

そう思って、目を逸らすがまた咲を見てしまう。
一体、これはどういうことなんだ。

そんなセーラの様子に、咲は気付いていない。

「江口さんって、馴れ馴れしくてミーハーな人とか思ってたんだけど」

「ケンカ売ってんのか」

あんまりな言い方に眉を顰める。

「本当は、良い人なんですね」

にっこりと、咲は可愛らしい笑顔を浮かべる。
それを見て、セーラは全身に熱が回っていくのを感じた。

今日はここまでです。

乙~

おつおつ

いい…すごく…

セーラ咲アリやな…


――――


「解散!」

朝練終了の声と共に、部員達が解散していく。
これから授業に向かうのにまだ30分ある。

「なんや、セーラ。今日は随分早いな」

部員への挨拶もそこそこに部室を出ようとしているセーラを見て、竜華は声を掛けた。
いつもなら始業ぎりぎりまで部員達とおしゃべりしているというのに。

「どないしたん?」

「いや、ちょっとな」

ぼそっと返答しただけで、セーラは出て行ってしまった。

「何や、あれ」

「監督にでも呼ばれたんでしょうか?」

浩子がデータを目で追いながら相槌をうつ。

「いや。セーラがいつもと違う行動をした、これは大きな意味があると思うんや」

「そうですか?別に単なる気まぐれでは?」

「いや。これは確かめなあかん!怪しい匂いがぷんぷんしとるわ」

「はあ」

竜華はぐっと拳を握りしめ、浩子の肩を掴んだ。

「よし。浩子、行くで!」

「はぁ?私もですか?」

「当然やろ!怜は朝は病院行ってておらんし、あんたしかおらんやろ」

抗議しても竜華が聞き入れるはずもない。
無理矢理連れて行かれた浩子に、卓の片付けをしていた泉は少しだけ同情をした。



「あ、あそこにいましたよ。江口部長」

「ほんまや。浩子偉い!でかしたで!」

二人は改めて前方にいるセーラに目をやった。
セーラは一人じゃなかった。

「セーラと、あれ一年生か?」

「そうみたいですね」

隣にいるのは、見たこともない生徒だ。
その生徒に、セーラは寄り添って歩いている。

「なぁ、浩子。もしかして、あの子」

少女が持っている杖に、竜華はあることを思い出した。

「ですね。一年に入ったっちゅう例の子です」

今年入学した盲目の一年生は、愛宕監督のバックアップが付いているらしい。
何度か目撃されている雅枝とその一年が会話している姿に、そんな噂が流れていた。

事実はわからない。
しかし千里山は目の障害を持つ生徒を受け入れる体制を取っていないのに、何故彼女が入学できたのか。
雅枝が一枚噛んでいるとしたら辻褄が合う。

「江口部長、監督に頼まれてあの子を迎えに来たんじゃないですか?」

「そう考えるのが自然、やけど」

そんな義務的なものではない気がする。
少女に向けるセーラの柔らかい表情に、竜華はそう直感した。

「しゃあない、聞いてみるか」

「ですね」

「なあなあセーラ!何してんの」

「…ん?お前らこそ、二人そろって何してるん」

振り向いたセーラはそのまま質問を返してきた。
その隙にさりげなく咲を自身の後ろに隠したのを、竜華は見逃さなかった。

「いや、たまたま通りかかってん」

浩子を引っ張って、竜華はセーラの近くまで寄って行った。

「その前にー」

一瞬で竜華は距離を詰め、少女の横に立った。

「初めましてやな」

「…誰?」

きょとんとしている少女の手に、竜華は軽く触れた。

「おい、竜華!」

セーラがとっさに咲を庇おうとするも、竜華は気にせず話しかけた。

「うちは清水谷竜華。セーラと同じ麻雀部3年や」

まるでセーラのことを気にせずに、竜華は少女の手に触れたまま自己紹介なんて始めている。

「麻雀部?」

「せや」

「おい、いい加減手離せ」

「あ」

我慢も限界だったのだろう。
竜華の手を、セーラが荒々しく払い除ける。

「怖いなー、何やっちゅうの」

「馴れ馴れしくすんな、竜華」

「ふーん。この子、セーラの何なん?」

にっと笑う竜華に、セーラはごにょごにょよ言いよどむ。

「何って、別に…」

「あの、もうそろそろ予鈴鳴るんじゃないですか?」

いつまでも続きそうなやり取りに、少女が声を掛ける。

「そうやな、行くぞ…って。何でお前らついて来るんや!」

セーラにきっと睨みつけられるも、竜華はあっけらかんと言い放つ。

「ええやん。そこまでは一緒なんやから。な、浩子!」

「は?いや私は…」

今まで忘れていたくせに急に話しを振られ、浩子は逃げ腰になる。
しかし竜華はそれを許すはずもなく、がっちり肩を掴んで来る。

「この子も同じ麻雀部。船久保浩子っていうんやで」

「はぁ、どうも」

「あ、ああ。よろしく」

(何がどういう意味でよろしくなんや!?)

自分で何を言ってるか理解できず、ただ浩子は混乱する。

「うちもよろしくなー」

「はあ」

暢気に、竜華は会話を続ける。
横でセーラが怖い顔してても、知らん顔だ。

「ところで名前、聞いてへんけど」

「あ、私は」

「名乗ること無いで、宮永」

咄嗟にセーラが会話を止める。

「だから何でセーラが口出すん?もしかしてヤキモチ?」

「なっ!そんな訳ないやろ!」

けれど横を向いたセーラの顔は赤い。
そうか、そうかと竜華は頷く。
これは面白い展開になりそうだ。

「だったらセーラには関係ないやろ。名前、教えてくれる?」

少し躊躇った後、少女は口を開いた。

「宮永咲です」

「咲か。良い名前やな」

「はあ、ありがとうございます」

「ああ。素敵な名前やん。あ、うちのことは竜華って呼んでな。うちも咲って呼んでええやろ」

「え、ええ」

この事態はなんなんだと、浩子は眉を顰める。
筋を立ててるセーラと、陽気な竜華と、ぽかんとしている盲目の少女と。

(厄介なことに巻き込まれるのは、ごめんですわ)

ぼそっと、浩子は呟いた。

それから続けられる竜華と咲との会話に入ることなく、セーラは黙っていた。

ヤキモチかと竜華に言われ、かなり動揺してしまった。
宮永咲といるとこんなことばかりだ。

昨日、杖を取り返しはしたけど、セーラはずっと咲のことを心配していた。
ろくでもない奴に釘は刺したが、学校へ来る気を無くしているかもしれない。

迎えに行ってやろうとも考えたが、セーラには朝練がある。
朝練に付きあわせるわけにもいかない。かといってさぼったら咲のことだ、怒るに決まっている。
だから練習が終わると同時に、校門まで出向いた。

咲が来るまで、いつまででも待っていようと思っていた。
意気込んでいたわりには、すぐに咲は校門をくぐって学校へやって来た。
杖をついて、周りに障害物がないかどうかゆっくり確かめながら歩いている。

「よっ、宮永」

「江口さん」

声ですぐにわかったのだろう。
以前のような敵意のある顔ではない。
少し嬉しそうにも見える。

どうして。

そんな事が嬉しいと思うのか。
自分の気持ちがわからない。

「朝練は?」

「終わった。後は教室に向かうだけや」

「そうですか」

特に言葉も無く、ゆっくり同時に歩き出す。

咲の手を引いてやりたいと思うが、それは本人が許さないだろう。
コンクリートに響く杖の音を聞いて、もっと頼ってくれれば良いのに。

竜華が来るまで、そんなことを考えていた。

(全く、どうかしてるわ)

まだ続いている竜華のおしゃべりに、ぎゅっと歯を食いしばった。


――――


江口さん達は教室まで送ると言い張ったけど、私は断った。
もうこの位の距離なら、人の手を借りなくても歩いていける。

そうやって断る私に、

「そうか・・・わかった」

江口さんは食い下がることはしなかった。

「離してや、セーラ。うちは咲と一緒に行くんやー」

清水谷さんはじたばたしていたみたいだけど。

校門で会った時は、正直驚いた。
まさかこんな所で、待っていられるなんて思わなかったから。

「偶然やな」

なんて言ってたけど、絶対違う。
昨日の今日で、私がちゃんと学校来るのか心配しているんだって思った。

優しい人だな、と思った。
杖のことも、拾っただけだって言い張ってるし。
何故、そんな風に言うのかは全くの謎。

もしかしたらこれも私の口を割らせたいだけの、作戦かもしれない。
愛宕先生と私とが、どんな繋がりがあるか聞きたがっていた。

でも、と咲は考える。

隣を歩く江口さんの歩幅は、私に合わせてとってもゆっくりだ。
江口さん一人なら、すぐにでも教室に行けるのに、
ずっと私の隣を歩いていた。

本当に、私のことを心配しているだけなのかも。
やっぱり、本当は優しい人なんだな。


教室にたどり着くまでの間、江口さんのことをずっと考えてた。


――――

今日はここまでです。

乙です

縺翫▽縺翫▽


――――


「咲、おはよ!」

「おはよう、泉ちゃん」

先生が来るまでぼーっとしていたら、泉が勢い良く声を掛けてきた。
なんだか焦ってるみたいだけど、何かあったのだろうか。

「えーっと、咲」

「何?」

「今日も…いい天気やな」

「はあ?」

要領の得ない会話だ。
ああもう、なんて泉は呟いてる。

「なんかあった?」

「い、いや!なんでもないで」

すごい勢いで否定してるし。
朝練のやり過ぎで、混乱してるとか?

「今日の朝練はどうだった?」

「え?今日は片付け当番やったから大変やったで」

「ふーん。一年生って大変だね」

「面倒やけどしょうがないで。みんなそうやって来たんやし」

あ、でも、と泉が続ける

「江口部長は一年の時からレギュラーやったからな。今の私とはレベルが違うんやろうな」

不意に出てきた名前に、反応する。
さっきまで、一緒だった人。

「部長は本当に凄いねんで!今朝だって…」

そして延々と江口さん自慢を聞かされる。
…うん、泉ちゃんが部長を敬っているのはよくわかったよ。
でも、なんか言い出しにくくて江口さんを知ってるとは言い出せなかった。

出会いは、最悪。
けど、昨日の江口さんは違ってた。

人の杖を盗むような奴なんかに負けない。
家に帰れば予備がある。
それを持って、また学校に来ればいい。

何度もぶつかりながら、教室を出た。
壁伝いに行けばなんとかなるだろう。
杖の代わりに手を使って、歩いた。


そんな私に声を掛けてきたのは、江口さんだった。
酷く怒った声を出していて、思わず身構える。
でも、江口さんは黙って私の腕を取って、引っ張ってくれた。


「そんなんじゃいつまでも家に帰れへんで」

強引なのは変わらないけど。
杖が無いせいなのか、その手を無理に解くことはできなかった。

本当は、怖かったのもあったけど。
だって、やっぱり壁伝いで行くなんて無理がある。

江口さんは、無茶する私のことを怒ってた。
私のことなんかで、本気で怒ってた。

繋いだ手から、それが伝わって。
以前のように、彼女を嫌いになれなくなっていた。


――――


(あの、セーラがなぁ…)

盲目の一年生、宮永咲を見る目は見たことも無いような優しいものだった。

咲と別れた後、竜華はずっとセーラと咲がどういう関係かを考えていた。
一番納得いくのが、咲の後見人と噂される雅枝から頼まれたという理由だ。
けれど、それにしてはセーラの接し方は普通じゃなかった。

今朝、見たセーラの態度はそんな事務的な素振りは欠片も無い。
ただ咲のことを気遣っている、そんな風だ。

(一体何者なんやろ、あの子)

午前の授業中いっぱい考えてたが、答えは出なかった。

昼ご飯を食べ終えて、竜華は大きく背伸びをした。
お茶は全部飲んだが、もう少し何か欲しいと思い、正面の怜に声を掛ける。

「購買行って来るけど、どうする?」

「んー、これ読んでる」

「そうか、分かったわ」

怜は麻雀雑誌を捲る手を止めない。
面白い記事でもあるなら、後で教えてもらおうと教室から出る。
お昼ご飯購入の混雑も終わった頃だから、スムーズに買い物出来るだろう。

一階の隅にある購買に向かう途中、気付く。
この学校で杖を必要とする生徒は、たった一人。

「咲!」

杖をついてコツコツ音を立てる咲を見て、竜華は声を上げる。
呼ばれた本人は「え?」と眉を顰め立ち止まった。

「なんや偶然やなぁ。今朝に続けて二度も会えるなんて」

「はぁ、どうも」

咲のすぐ後ろにいた泉は竜華に気付いて、頭を慌てて下げた。

「清水谷先輩、こんにちは!」

「なんや泉、あんた咲のクラスメイトやったんか」

泉は麻雀部レギュラーである竜華が、
何故咲に声を掛けるのか怪訝な顔をする。

「咲、清水谷先輩とどういう知り合いなん?」

「知り合いっていうか、今朝声を聞いただけなんだけど…」

素っ気無い言い方に、竜華は仰々しく驚く。

「自己紹介までしといて、それはないやろ。うちらはもう友達や。なっ?」

「友達って、清水谷さんがどういう人かも知らないのに」

どうやら押してくるタイプは苦手らしく、咲は尻込みしている様子だ。
じりじりと後ろに下がろうとしている咲の肩を、ぽんと叩く。

「これから知っていけばええねん。それに清水谷さんやなくて、‘竜華’や」

「はぁ」

「今、どこかに行くつもりやった?」

泉の方を見て、竜華は質問した。
一連のやり取りに呆気に取られていた泉は、それでも先輩の質問に「購買へ」と答えた。

「うちも行こうと思っていたとこや。一緒に行ってもええ?」

「はい」

こくりと頷く泉に、竜華はにっと笑った。

「ほな、咲。行こか」

「ちょっと、待ってください」

抗議する前に、手を掴まれ引っ張られる。

「一人で歩けますから」

「それはわかっとるけど。ただ咲とこうしたいんやから」

「わ、私はしたくないです」

引っぺがそうとする咲の手を、竜華は押し返す。

「恥ずかしがることないやん。すぐそこやし」

「そうじゃなくて!」

泉は先を歩く友人と先輩に、ただオロオロするだけだった。

お近づきの印にと、咲に飲み物を奢ると竜華が申し出た。
もちろん後輩の泉にもだ。

(うちって優しい先輩やなぁ)

自画自賛しながら、竜華は自分で選んだジュースのパックをそれぞれに押し付ける。

「これ、何ですか?」

訝しい表情をして、咲はパックに触れる。

「ああ、うちのお勧めや」

「そうですか」

泉の手には「元気発酵ヨーグルトドリンク」が握られている。
うち、こんなのを買いに来たんやないのに。
そう思いながらも先輩が選んだものにケチをつけるわけにはいかず、泉は黙っていた。

「一口飲んでみ?」

竜華の勧めに、咲はゆっくりとストローをパックからはがして、今度はそれを入れる部分を手で探り出す。
手を貸したくなるが、竜華はぐっと堪えた。

さっきも手を引いて嫌がられたばかりだ。
今度も手を伸ばしたら、拒絶されるに違いない。

『教室まで送らなくてもいいですから』

今朝、ぴんと背筋を伸ばし、セーラの申し出を断った姿を思い出す。
この少女は、人に手出しされるのが嫌いなんだとピンと来た。

だから、今は見ているだけに徹した。
自分でやれることは、やろうとしている。
その姿勢は、好感が持てるものだ。

意地張って馬鹿じゃないのかと、思うやつもいるだろう。
だけど咲のそうやって一人で立とうとする所、嫌いではない。

(可愛げはたしかに無いかもしれんけど、なんか見守りたくなるんやな)

セーラも、そういう所が気に入ったのだろうかとふと思う。

「ぶっ」

ストローを差して、中身を飲んだ途端咲は噴出した。

「これ、牛乳なんですけど!?」

「あれ?牛乳嫌いやったんか?」

「お勧めって言うから、ジュースか何かだと思い込んでました」

「ふふ、意地悪はこの位にしとくわ。うちのいちご牛乳と交換したる。これならいけるやろ」

代わりに持たされた紙パックを咲はまたおそるおそる口をつけてみる。

「…うん。美味しい」

「そうか、そら良かったわ」

少しだけ笑顔を覗かせた咲に、ますます興味を覚えていく。

(セーラは咲のこと、どこまで知ってるんや?)

「そろそろ教室に戻るわ。またな、咲。泉は部活で会おうや」

「清水谷先輩、ありがとうございました」

「ありがとうございました、清水谷さん」

しっかりと聞こえた咲の声に、心が弾んでいくのを感じる。


宮永咲か。
これから、何や楽しいことが起きそうな気がするな。


――――

授業も終了して、泉が「またな」と声を掛けてきた。
いつもはもうちょっと早く麻雀部に行くのに、今日はなんだかゆっくりしている。

「急がなくていいの?」

一年は先輩より早く行って、準備を整えておくのが義務だ。
だからいつも慌しく教室を出て行くのに、その気配も無い。

「あ、もう行くで。また明日な、咲」

「うん、バイバイ泉ちゃん」

泉が出て行くのを耳で聞いて、咲も鞄を掴んだ。

(もしかして、気を遣ってくれていたのかな)

今日一日、あの煩かった連中は咲に絡んで来ようとしなかった。
昨日は咲の杖を奪うような真似しただけに、不気味だ。
泉もそれを察して、警戒してくれてたとか?

(考え過ぎかもしれないけど)

今、教室に彼女らの声もしていない。
どうやら既に出て行ったらしい。

また因縁を付けられても面倒なので、咲も今日はさっさと帰ることに決める。
色々なことが起こって、ちょっと疲れた。
夕飯までちょっと寝ていようかな。

それにしてもお昼休憩にも会った、清水谷さん…あの人一体何なんだろう?
泉にも聞かれたし、偶然会ったとしか言えないんだけど。

友達になるって本気だったのかな?
江口さん以上に馴れ馴れしくて強引だけど、悪い人には思えなかったな。

私の目のことにも全く気を使ってなかったみたいだし。
ああいう態度って珍しいな。
腫れ物に触るような気遣いよりも、よっぽど好感は持てる。

「宮永」

下駄箱までもう少しの距離。
呼び止められた声に立ち止まる。
声の主が誰だか、もちろんわかっている。

「今、帰りか?」

「はい」

江口さんだ。
昨日といい、この時間によく遭遇するな。
授業が終ると同時に飛び出していく一年と違って、三年生は余裕あるなあ。

「今日は失くしてないみたいやな」

「そうそうは、失くさないものだけど…」

杖をこんって床に打ち付ける。
江口さんが取り戻してくれた杖。

なんとなく勘付いてる。あの連中が絡んで来ないのも、江口さんが何か言ったんじゃないかってこと。
彼女らがどこかに隠してた杖を、わざわざ探して持って来てくれたのだろう。
麻雀部部長ってそんなことまで出来るのかって、正直驚いた。

「もう、失くすなや」

笑っている?
見えないけど、声の感じからそう思った。

「失くさないです。折角、江口さんが拾ってくれたんだし」

「……」

何も言って来ないことにあれ?って思ったら、髪をくしゃっと一撫でされた。

「…別に、大したことやない。気にすんな」

「え?」

「じゃあな」

もっと、感謝しろとか言うかと思ったのに。
調子狂うけど嫌じゃないなんて、遠ざかる足音を聞きながら思っていた。

今日はここまでです。

乙です

縺翫▽

乙乙


――――


近付いてきた竜華に、セーラは露骨にイヤな顔を向けた。

「なあ、セーラ」

「部活中や。私語は慎め」

「まだ私語かどうかまでわからへんやろ」

抗議する竜華に、顔をしかめたまま答える。

「お前の顔を見たら、ぴんと来ただけや」

「あのな、咲のことやけど」

ぴくっと、その名前に反応する。

(まだ呼び捨てにしているんか)

妙に苛々してしまう。
馴れ馴れしく咲に近づく竜華に。

「いつの間に、知り合ったんや?」

「何でそんなこと教えなあかんねん」

「ケチ。教えてくれてもええやろ」

なあ?と、竜華は食い下がる。

「あの子のこと。監督に頼まれたんか?」

意味がわからず、竜華の顔を眺める。

「頼まれた、やと?」

「とぼけてるのなら、それでもええわ。まあ、しばらく観察させてもらうからな」

好き勝手言う竜華を見やりながら、考える。

(頼まれた?俺が?監督に?なんの話や?)

もしかして、咲が雅枝の保護を受けているからと言って、
自分がそのお守りを頼まれたとかそんなことを考えているのか。

(冗談やない)

大体、あいつがお守りをつけたからと言って、素直に聞く性格ではない。

それにしても、妙に苛々させられる。
あんな風にずけずけと、咲のことを聞いてくる態度は、ハッキリ言って不愉快になる。
 
(って、俺も宮永に似たようなこと、した…よな?)

監督とどういう関係か、かなりしつこく絡んだ記憶が蘇る。

(今、あいつと同じ気持ちを味わっているというんか?
だとしたら俺が今までやってきたことは、あいつにとって我慢ならないことやったんやな…)

『あなたの好奇心を満たす為に、話すことなんか無い』

本気で怒っていた咲の声を思い出す。

(悪いこと、したな…)

杖を取り返したくらいで、許してくれないだろうか。
それ位、嫌な気持ちにさせていた。

けれど、昨日や今日の態度は普通だった。
戸惑いながらも、刺々しい言葉も無く、普通に話せた気がする。


(明日もまた、確かめてみるか?)

今朝みたいに、学校へ登校する時待ってみよう。
あいつが、ちゃんと学校へ来るのか見届けたい。

しかし翌日の朝練は思ったよりも長引いてしまい、
セーラは咲に会うことは出来なかった。

帰りも、わざと教室の前を通りかかったのだが、
今日に限って早く帰ったらしく姿も見えない。

(しょうがない、か)

念の為、咲と同じクラスの泉に聞いて、来ているかどうかだけ確認することにする。

「あれから、大人しくなったみたいです。咲を避けてはいるけど、嫌がらせは無かったですし」

「そうか」

杖を隠した連中のその語の動きを聞いて、
その件では安心する。

(学校には、来ているようやな)

ならそれで良いのだけれど、やっぱり本人の顔を見ておきたい。

そんなことを考えながら、その日の部活は終了となった。

「出してくれ」

日誌を監督に提出した後、迎えに来た車に乗り込む。

(明日も、宮永に会えんかったら…教室まで行くか)

そんなことを考えていたせいか。
ふと前方を歩いている姿に気付き、セーラは声を上げた。
私服姿だったけど、間違いようがない。

「ちょっと止めてくれ」

慌てて運転手は、脇に車を止める。
学校を出てから数分も走らせていない。
忘れ物か何かあって戻るつもりかと考えるが、そうではなかった。

「今日は歩いて帰るわ。先に戻ってくれ」

慌てた様子で車のドアを開け、セーラは車外へと出て行った。

「宮永!」

こつこつと、杖を突く咲へ早歩きで追いつく。
咲の歩みは、普通の人よりも何倍もゆっくりしたものだ。
ほんの数歩で、セーラは咲の隣に並んだ。

「江口さん?」

「ああ」

「こんな所で、何やってるんですか?部活は?」

「部活ならもう終わったで」

「え?今、何時?」

慌てた素振りをする咲に、セーラは時計を確認する。

全く。
こんな所で何をしてるかは、こっちが質問するはずだった。

「7時14分」

「どうりでお腹すいたと思った…」

そんな時間になっていたのか、と咲は眉を寄せている。

「腹、減ってるんか?」

「はい」

途端にきゅるっと鳴る音。
少しばかり顔を赤くする咲に、セーラはぷっと笑ってしまう

それが聞こえたのだろう、そっぽを向いて咲はむくれている。
だけど本気で怒っているようではなさそうだ。

拗ねている。
セーラには、そんな風に映っていた。

「何か、食いにでも行くか?」

「え?」

「俺がおごったるで」

ぽんっと頭に手を置くと、視点の合わない瞳が向けられる。

「俺も部活帰りでちょうど何か食いたい所やったし。どうや?」

誘いの言葉に咲は考え込む仕草をした後、ふるふると首を振った。

「夕飯の用意があるから、行けないです」

あからさまにセーラはがっかりしたが、次の言葉に復活する。

「良かったら、ウチに来ませんか?それならお互いご飯にありつけるし」

「急に、迷惑やろ」

本心でそう思っていても、咲からの誘いに少し浮かれてしまう。

「一人分くらい、大丈夫だと思います。あ、でも江口さんも家で用意してあるか…」

しまったと、呟く咲にセーラは自分の家のことを思い出す。
使用人達が作る料理。
最高の食材を使った、いつでも満足のいく味だけど。

食卓に両親がいることはほとんどない。
今日も父は仕事、母は友人と出掛けている。

「生憎と、誰も待ってる人はおらんで」

静かな口調から何か察したのだろう。
咲は詮索もせず、「だったら平気?」とだけ尋ねた。

「ああ、わかった。一応、連絡だけは入れておくわ」

スマホを取り出し、自宅へ掛ける。
電話に出た使用人に、今日は遅くなるから支度はいらないとだけ短く伝えた。

別にそれだけで済む話だ。
本当の意味で待っててくれる人は、あの家にはいない。
やり取りが終ったのに気付いた咲が声を掛ける。

「じゃあ、行きましょうか」

歩き出す咲の歩調に合わせて、セーラも隣を歩く。
しかしあんまりゆっくり過ぎるので、つい口を出してしまう。

「なあ、夕飯の用意してあるんやろ?」

「そうですけど?」

「あんまり遅くなると家の人心配するんやないんか?」

「そう、ですね」

咲の顔から察する。
早く家に帰りたいけれど、杖で障害物や段差をさぐりながらでは、これが精一杯。

「腕貸せ」

「え…」

急に触れて、また驚かれても面倒だ。
今度は予告して、咲の右腕を取る。
そしてしっかり腕を組んで、寄り添う。

「段差があったら教えてやるから、そのまま歩いてくれや」

「でも」

「早く帰りたいんやろ」

うっと咲は言葉に詰まる。
それを見て、セーラは1・2歩足を進める。

引っ張られる腕に、咲も黙って歩く。
どうやら振り解くことはしないと決めたようだ。

「心配するような時間まで、何をやってたんや?」

大人しく引っ張られるまま歩いて、数分が過ぎた。
そういえば咲が何故学校の近くを歩いていたか、聞いていなかった。

「散歩…」

「散歩?」

「はい。学校と家の往復以外にも道を教わっているから、歩行練習を兼ねて」

一人で危ないんじゃないか?とセーラは思う。
だが咲のことだ。
家族に対しても「大丈夫だから。一人でやれる」を通しているに違いない。

「あんまり遠くには行かないから、平気です」

セーラの心を見通してか、そんな風に続けた。

「ゆっくりしか歩けないから、遅くなったけど」

「そうか」

暗闇の中、手探りで行けるところまで行こうと歩く咲が脳裏に浮かんでくる。
誰の手も借りずに、一人で歩こうとしている彼女。

(無茶やろ、そんなの)

一人でいられない時、今みたいに手を貸すことは許されるだろうか。
まだ、ハッキリとは聞くことはできない。

「そこ曲がったら、すぐウチです」

「ああ、分かったわ」

咲の指示通りに、セーラは角を曲がる。

すると、

「咲!」

往来に、男性の声が響く。

帰りが遅くなったのを心配して、咲の父は玄関先で待っていたようだ。
走って来た足音に、悪かったと咲はすぐに反省する。

「遅かったから、迎えに行こうかと思ってたよ」

「ごめんね、お父さん」

心配をかけたと、咲は素直に謝罪した。
それと横にいるセーラを招くことを伝えなければ。

「で、散歩の途中に江口さんと会ったんだけど」

「こんばんは。君はこの間、咲に杖を届けてくれた方だね」

「あ、はい。こんばんは」

にこやかな咲の父親を前にして、セーラはわずかに緊張したようだ。
気付いていないようだが、掴んでる腕にわずかな力が込められてる。

「その節は本当にありがとう。届けてくれて助かりました」

「いえ。偶然見かけたものなので」

まだ偶然だなどとセーラは言っている。
それが可笑しかった。

「偶然でもわざわざ届けてくれたのには、変わりはないでしょう」

「はあ、まぁ」

ペースを崩さずにこやかに話す父に、セーラはやや視線を外す。
まっすぐな感謝の気持ちに、聊か照れくさくなったからだ。

「そうだ。お時間があれば、家に上がって行きませんか?」

「本当?だったらちょうどいいや。さっき夕飯に誘ったところだったんだ」

「おい宮永」

やっぱり遠慮するとセーラが言い出す前に、咲は父に話をしてしまう。

「そうだったのか。料理も出来上がっているから、ちょうど良かった」

だったら先に行ってすぐに食卓を整えてくると、父は家へとまた戻ってしまう。

「やっぱり急な訪問は」

躊躇しているセーラの腕を、咲はぐいっと引っ張る。

「遠慮しなくていいですって。お腹空いてるんでしょ」

「いや、今は」

「いいから、いつまでも突っ立ってないで行きましょう」

もう一方の手で杖を突いて、セーラを引っ張る形でゆっくり歩き出す。

「しゃーないな」

言いながらも、どこかセーラの声が嬉しそうに聞こえる。
二人並んで、宮永家の門をくぐった。


――――


「すっかりご馳走になったな」

2時間かけて会話を楽しんだ夕飯も、終わりになった。
父が家まで送ろうかと申し出たが、セーラは車で迎えに来てもらうから大丈夫だと断った。

スマホから連絡して、江口家の車はそれから10分後に到着した。
玄関先までは、咲だけが見送ることになった。

「お父さん、江口さんが来てすごく喜んでいたみたい」

社交辞令ではなく、本心から父は「また是非遊びに来てください」と言っていた。
咲が友達を連れて来たのも嬉しかったのだろう。
ましてや杖をわざわざ届けてくれた相手というのもある。

親切なお嬢さんだと、父は思っているようだ。
咲にとっても、セーラが歓迎されるのは悪くないことだ。

「父もああ言ってますし、また来てやってください」

「迷惑じゃないんなら、な」

「勿論」

断言するように、頷く。
すると、杖を持っている手に、セーラの手が重ねられる。
ただ触れられているだけのそれは、大きくて暖かい。

「本当に、お前は迷惑に思って無いんか?」

「え…?はい。江口さん、良い人ですし」

にこりと、セーラに向かって微笑むと、何故かセーラはそっぽを向いてしまう。

(何?私、何かまずいこと言ったっけ?)

首を傾げて、咲は空いてる手でくいっとセーラの袖辺りを引っ張る。

「なにか言いたいことでもあるんですか?なら、言ってください」

「いや、別にないで」

「本当に?」

「…ああ」

ぎゅっと重ねている手に一瞬力が込めらる。

「じゃあな」

短く言うと同時に、セーラの手が離れていった。
足音に、セーラが去って行くのだと理解して咲は顔を上げた。

「江口さん」

「また明日な」

「あ、はい…」

バタン、と車に乗った音がして、すぐに動き出してしまった。

(どうしたんだろ?江口さん)

セーラの態度を気にしつつも、咲もまた家の中へと戻った。


――――

今日はここまでです。

乙乙


乙?

咲のスレが必ずエタるのはなんで

まだ10日、慌てる時間じゃない

俺は待ち続けるぞ
せっかくの良ssを終わらせない

楽しみにしてるんで頑張って欲しい

年末は多忙なので中々投下できなくて申し訳ない。
気長にお付き合いいただけると嬉しいです。


――――


歩いて来る咲を見て、竜華はほっと息をついた。
ここ2日ばかり、朝練の時間が通常より10分以上長引いたせいで、
咲の登校時間と合わせることができなかった。

教室まで様子を見に行こうか迷ったけれど、
そこまで親しい仲ではないから不信感を持たれる場合もあるかもしれない。

ぐっと我慢して、校内のどこかで会えるのを待っていた。
しかしそんな偶然もなく、顔も見れないまま一日は終わる。

(今日は時間通りやったからな)

校門の前で咲を張ることに全力を掛けて、竜華はここまで走ってきた。

宮永咲と監督の間に、何があるか。
人並みの関心は竜華も持っていた。
しかもあのセーラが関わってるらしいと知ったからには、尚のことだ。

監督に頼まれたのか、セーラは咲のことを気に掛けている。
否、今は個人的に気に掛けてると見てもいいだろう。
こんな興味深いこと、放っておけるはずもない。

それに、咲自身にも竜華は興味を持っていた。
少々意地っ張りなところはあるが、真っ直ぐで一人で立とうとする強さを見て、
少しだけ構ってやりたくなる。

(セーラも、そういうところが気に入ったんやろうか)

咲に近付くと露骨に嫌な顔をしてたセーラを思い出し、竜華は笑いそうになるのを堪える。
もう咲は、すぐそこまで歩いてきているからだ。

「おはよう、咲」

声を掛けると、盲目の少女は耳をすますような仕草をして立ち止まった。

「ここや」

隣に並び、軽く肩に触れる。

「清水谷さん、おはようございます」

「お、ちゃんとうちのこと覚えとってくれた?」

「そりゃあ、まぁ」

購買での一件を思い出したせいか、咲の眉が寄る。
それを見て竜華は少し笑った。

「やけど名前で呼んで言うたやん」

「でも」

「りゅ・う・か。ええ加減覚えてな」

念押しすると、ますます眉が中央に寄ってしまう。
困っているらしいと、察する。

「年上を呼び捨てにしちゃまずいんじゃないですか?」

日本はそういう事にうるさいと聞いている。
実際、泉から聞かされる部活での上下関係に辟易していたくらいだ。

「でもうちら、友達やん」

気にしない風に、竜華は言う。

「友達って、そうなった覚えは無いんですけど」

「勝手に決めたんや」

「……」

どうしてと、言いたげな表情。
確かに自分でも友達という単語を持ち出したことを、どうしてだと考える。

監督との繋がりや、セーラが見せたこの少女への表情。
そういうもので興味を持った。

だけどそれが全部かと聞かれたら、違うときっぱり否定するだろう。
咲の内に秘めている強さのようなもの。
それをもっと間近で見てみたいのも本当の気持ちだ。

「あー、えっとな、急に言われても迷惑やろうけど」

「……」

どう言ったものかと、竜華は迷う。
友達になりたい理由なんて、いちいち口にしたことなどない。
けれど何か言わないと、少女は納得しないだろう。

「咲の、一人で立とうとする強さが気に入ったんや。それだけじゃあかんか…?」

(って、何が言いたいんや。そんなものしか出てこんのか?)

内心で焦る竜華を知らず、くすっと笑って咲は横を向いた。

「私と居ても、別に楽しくないと思いますよ?」

「ん?それはうちが決めることで、咲に決められることやない。別にとか、言うたらあかんで」

な?と同意を求めると、咲は苦笑いしてこちらを向く。

「清水谷さんって変わってますね」

「竜華やって言うとるやん」

まだ名前を呼んでくれないことに、拗ねた口調で返す。

「わかりました。竜華さん」

「え。今、名前」

「自分で呼べって言ったじゃないですか」

「いや、それで正解や!」

嬉しくて思わず、咲をぎゅっと抱きしめてしまう。

「わっ!急に抱きつかないで下さいっ」

バランスを崩して転びそうになる咲を支えて、
竜華は更にしがみ付く。

「嬉しいんや!おおきにな、咲」

「そんなに喜ぶことですか?」

理解出来ないと、咲は困惑するだけだ。

「おい、道の真ん中で何やってるんや」

突然二人の間に腕が割って入り、竜華と咲は引き離された。

「あ、セーラ」

「他の奴も見てるやろ。ったく…」

ぶつぶつ言いながらも、セーラは咲を背に隠すよう竜華の前に立っている。
何事か理解出来ていない咲は、呑気にセーラに向かって挨拶をした。

「江口さん、おはようございます」

「おう。それよりな、竜華にはあんま構わんでええで」

「本人の前で言うか!?」

「ゆっくりしてると予鈴が鳴るから行こうや」

抗議をする竜華を無視して、セーラは咲に話し掛ける。

「昨日は、突然悪かったな」

「いえ。父も私も楽しかったですし」

「そうか。それは良かったわ」



「なあなあ、自分ら何の話してるん?」

そこに竜華の声が割り込んでくる。
セーラは竜華を一瞥すると、「竜華には関係無い」と言い放つ。

「関係無いって冷たいなぁセーラ…ええもん、咲に聞くから。なあ咲」

「え、あ…はい」

「友達なら隠し事無しやろ?セーラに何されたん?正直に」

「おい、人聞きの悪いこと言っとるんやない!」

「軽い冗談やん」

「行くで、宮永。朝からこんな奴相手して、遅刻したらシャレにならん」

「あ、江口さんっ…」

急にセーラは咲の腕を掴み、走り出した。

「セーラ!うちを置いていかんといて!」

「竜華は後からゆっくり来ればええやん」

冷たいことを言いながらも、咲が転んだりしないように気遣っている。

(お姫さん守ってる、騎士のようやな)

セーラ、無意識でやってるんか?

全速力で追いかけながら、竜華はそんな風に思った。


――――


――――

「ここでいいですから」

前回と同じ場所で、咲は一人別れて一年教室へと向かってしまう。
手を貸したいけれど、拒否されるのはわかってるから。
それ以上何も言わずに、ただ見送る。

「さっきは咲との会話に割り込んできて、どういうつもりや」

セーラのせいで咲とあんまりおしゃべりできなかった、と。
三年生の教室に向かうまでの距離、竜華はセーラにぶちぶち文句を言い続けた。

「どうもこうも、お前には関係あらへんやろ」

聞く耳持たない。
そんな態度を取り続けるセーラに、段々腹が立って来る。

「関係大ありや。うちと咲は友達やからな」

「友達…?」

そこでようやく足を止めて、セーラは振り返った。

「そうや。セーラがなんぼ邪魔しても、咲は友達やと認めてくれたんやからな」

友達だと咲が認めてくれたかどうかは実はまだ判断できない。
少し引き攣った顔をしながらも、必死で竜華は自分を奮い立たせた。
名前で呼んでくれたやないか!もう友達も同然や!

「友達か…」

「セーラ?」

何か反論してくるかと身構えたが、セーラは考えるような仕草をした後、また前を向いて歩き出してしまった。

「何やの、一体」

「竜華ー!今までどこ行ってたんや!宿題写させろって言ったやろ!」

教室から顔を出した怜に急かされ、昨日の帰りに言われてたことを思い出す。
そういえば一時間目の授業のノートを写させろとかなんとか…。

「あ、忘れてたわ」

「いいから、急いで貸してくれや!」

写す側なのにやけに態度の大きい怜に、慌てて鞄からノートを出した。

「すぐに返すからな」

「うん…」

上の空で返事する。

(セーラ、何だか変な顔してたな)

咲と友達だと宣言して何かまずかっただろうか?
気に食わないのなら、すぐ反論しただろうに。
黙っていたのが、返って不気味だ。

授業中、ずっと考えてもセーラが何を考えているかなんてわからないままだった。


――――


――――


図書室の片隅。
ちょうど棚で死角になっている席だから、入って来た瞬間にはセーラも気付かなかった。

(…宮永?)

本を枕にしてうつぶせの体勢を取っている咲に、そっと近寄る。
ぐっすり寝入っているようで、すぐ隣の椅子を引いても咲はぴくりとも動かない。

(平和な寝顔やな)

穏やかに目を閉じて眠っている。

セーラは思わず笑みを零した。

起きて隣に自分が座っているとわかったら、どんな反応をするのだろうか。
持って来た他校のデータはそっちのけで、セーラはしばらく咲の顔だけを眺め続ける。

(なぁ、俺とお前は一体、何なんやろうな)

不意に竜華の言葉を思い出し、心の中で咲に問い掛ける。

『うちと咲は友達やからな』

竜華に宣言された言葉は、セーラの感情に波紋を投げかけた。
別に咲が誰と友達になろうが、セーラが口出しする権利は無い。
それなのに何故か不愉快な気分になった。

(友達やと?勝手なこと言うな)

何に対してそんなに自分は腹を立てているのだろう。
それに。
だったら自分は咲のどういう存在か、考えたら混乱もしてきた。

出会った頃は一方的に嫌われていたけれど、ここ最近は普通に会話もしている。
世間一般から見たら、自分と咲も「友達」なんていう分類に入るのだろうか?

入るとしても…セーラはそれは違うと首を振った。

友達なんかよりも、もっと咲の近くにいたい。そう思う。
その感情はなんて言うものなんだ?

そこまで考えて、セーラは咲の顔を覗き込んだ。
額に掛かる前髪を指ですくってやると、くすぐったいのかわずかに身動ぎする。

「…んっ」

わずかに漏れた声に、起こしてしまったのかと慌てるが、またすぐに寝息が聞こえてきた。
ほっとして、体から力を抜く。

(俺はなんで、お前のことばっかり気にするんやろうな)

いつかも咲に聞かれた。
『どうして、私に関わるの』と。

でも今はまだ答えは出そうにない。
もっとじっくり考えて、それから出しても遅くない。

羽織っていた学ランを咲の背中に掛けてから、
セーラは目の前にあるデータを眺め始めた。


――――


――――


(そろそろ、起きてもいいやろうに)

1時間程経過しても、咲はまだ夢の中だった。

いくらなんでも、もう起こした方が良いと判断する。
放っておけば、閉館時まで寝そうな勢いだ。

そう思って、セーラは咲の肩をゆっくり揺さぶり始めた。
セーラもそろそろ部活に顔を出そうと思っていた所だ。

「おいっ、宮永」

少し強めに揺さぶっても、目を覚ましそうにないので小声で呼び掛ける。

「宮永、起きや」

また声を掛ける。

(意外と寝汚い奴やな)

もう一度強く揺さぶると、咲の瞼がゆっくり開かれた。

「…もう5分」

「5分やない、起きや」

その声に、咲の意識はようやく覚醒した。
ゆっくりと、体を起こす咲。
その瞬間、肩に掛けてあった学ランが滑り落ちる。

「…誰かいるの?」

「俺や」

「江口さん!?」

「ああ」

「なんだ…びっくりした」

ようやく咲も今いる状況を思い出したらしい。
セーラは床から学ランを拾い、無言で誇りを払った。

「驚いたのはこっちや。起きひんと思ったわ」

「あ、すみません」

バツが悪そうに謝り、それから咲は首を傾げた。

「なんでこんなところに?部活は?」

「少しデータとにらめっこしてただけや。部活には今から行くで」

「そうですか。忙しそうですね」

「ああ。暢気に昼寝できる誰かさんと違ってな」

からかうようなセーラの口調に、咲はカッと顔を赤くする。

「ちょっと一休みしてただけです」

「ほぉ。お前の一休みとは、1時間以上を差してるんか」

二人して言い合っていると、

「スミマセン、図書室ではお静かにお願いします」

小さいけど、きっぱりとした声が響き、二人共ぎくっと体を強張らせた。
どうやら図書当番の生徒らしい。

本を何冊か小脇に抱え、しっかりと二人の方を睨んでいる。
セーラと咲が同時に軽く頭を下げると、女子生徒はまた別の棚へと移動していった。

「ほら見ろ。怒られたやろ」

「それ、私のせいですか!?」

声を潜め、咲は抗議する。

これ以上茶化すと、本気で怒ってくるだろう。
絶対引かない咲を知っているから、セーラはわざと真面目な声を出した。

「寝るのは自由やけど、冷えて風邪でも引いたらどうするつもりや」

室内とはいえ、体調を崩す可能性は十分ある。
諭すように言われ、咲は顔を伏せた。

「…はい。これからは気を付けます」

「さよか」

素直な言葉に、セーラも少しばかり照れてしまう。
生意気で可愛げの無い態度をとるかと思えば、これだ。

「振り回されとるなぁ」

「え?何?」

「いや、なんでもないわ」

小さな声だったので、咲には聞こえなかったようだ。
話を逸らすようにくしゃっと髪を撫でてやり、寝癖を直す。

「その本、借りるんか?」

「はい」

お互い立ち上がって、カウンターまでの距離を歩く。
図書室の位置は大分覚えたと得意そうな顔をする咲に、
「そうか」とだけ呟く。

何か障害物が無いか気を配りながら、咲はゆっくりと歩いている。
ここまで歩けるようになるまで、どれ位掛かったのだろう。

雅枝と歩行練習していたことを思い出し、ぎゅっと資料を握り締める。

すごいな、とか頑張っているんだなとか、そんな陳腐な言葉じゃなく。
もっと、咲に掛けてやりたい言葉があるけど見付からない。

黙って後ろを歩くことしか出来ない自分に、苛立ち似たものを感じる。

「ほら、もうカウンターでしょ」

得意そうに振り返る咲に、「ああ」とセーラは声を抑えて返事をした。

「一週間になります」

目の見えない咲がどうやって図書カードを書くかと思っていたら、
どうやら委員が書くのが決まりになっているらしい。

多分、それも雅枝の指示だろう。
さっき二人を注意した女子生徒は、何事も無かったような顔をして咲へと本を差し出した。

「どうも」

「それ、どういう本や?」

扉を開けてやりながら、セーラは咲が持つ本について聞いてみた。
背表紙も点字で書かれているため、内容がわからない。

「童話みたいな話かな。沢山の短編が収録されてます」

「へぇ」

そういうのも読むのかと、咲の横顔を眺める。

「面白いんか?」

「そうですね。読んだこと無い話ばかりだから」

本を小脇に抱えて、咲は頷く。

「まだ読むのに少し時間はかかりそうです」

「挫折して途中で寝る可能性もあるしな」

「それはもういいですから!」

悪かったな。お前の反応が面白いから、ついからかってしまうんだ。
そんな事、言えるはずもなくセーラは黙って咲の隣を歩く。

「あの、江口さん」

昇降口まで来た時、それまで同じように黙っていた咲がぴたっと足を止めた。
文句の続きかと思うが、そうではなかった。

「上着、ありがとうございました」

目を瞬かせ、咲の言葉の意味を理解するのに三秒ほど必要とする。

「気付いてたんか」

「はい。起きた時に」

ありがとう、ともう一度お礼を言う咲。

その笑顔に、動けなくなる。
どうしてだか、わからないけど。


――――

今日はここまでです。
次からは怜も絡んできます。

乙です
初々しくてニヤニヤした

続き来てた!乙です

乙乙


――――

中庭への道のりを、咲はのんびり歩いていた。
何度も雅枝と歩いたおかげか、どこに障害物があるか大方覚えている。

(最初は何度も転びそうになったけどね)

根気良く教えてくれた雅枝には、心底感謝するしかない。
多分、雅枝はわかっていてこの道の通り方を教えてくれたのだろう。

この先を行くと、牌の音が聞こえる。
そこで、咲は足を止めた。

音を聞いて何になる訳でもない。
自分のやっていることは、自分の傷口を広げているだけかもしれない。

(この目では、もう麻雀を打てないのに…)

それでも生まれた時から慣れ親しんでいる音を聞きたいという欲求は、止まらない。
すぐにでも卓に座って、牌に触れたい。
あの高翌揚した気持ちを簡単に、忘れられるものか。

もう一度麻雀ができるのなら、全てを引き換えにしてもいい。
何も望まないから、あの場所へ戻りたい。

ぎゅっと杖を握った後、咲はいつも座っているベンチを探そうとゆっくり足を伸ばす。

(たしかこの辺りに、あったはず)

探り当てた杖がカツンとベンチに当たり、音を立てた。

「んんー?」

「え?」

今、声が聞こえたような。

びくっとして、咲は思わず杖を落としてしまう。
カラン。杖は音を立て、足元へと転がった。

「…なんや?」

今度はハッキリ声が聞こえた。
しかし構っている場合じゃない。

慌ててしゃがみ、咲は手を地面に伸ばす。
幸いにもすぐに見付かり、しっかり手で掴んで立ち上がる。

「あー、私また寝とったんか」

ふわぁと息をつく女の声が、咲の耳に伝わる。
誰だかわからない人物は、のんびりと咲に声を掛けた。

「ここ、座る?」

「え、結構です」

面倒が起きる前に帰ろうと、くるっと帰り道へと体を翻す。

しかし、女性はとんとんと手の平でベンチを叩き始める。
どうやら座れという意思表示らしい。

「私が一人占めしちゃってたから、座れなかったんやろ。もう空けたから、座ってもいいで」

(そんなこと言われても、困るんだけど)

「なあ、聞こえとる?」

動かない咲にしびれを切らしてか、女性が立ち上がる気配がする。

どうしようかとまだ迷っている間に、近付いてきた女性の手が空いている咲の手をさっと取った。

「えっ!?」

「遠慮してるみたいやから、こうでもしなきゃ座らへんかなって」

結局、引っ張られる形で、咲はベンチに座らされてしまう。

強引な行動だったけれど、のんびりした言い方に突っ張ねる気が削がれてしまう。
全く悪意を感じないのもあるけれど。

「良い天気やな」

「はぁ」

何故だか女性はベンチを空けたといいながらも、咲の隣にちゃっかり座ってしまっている。

「こういう時って、お昼寝したくならへん?」

「まぁ、そうですね」

なんだろう、この人。
一応寝ることは好きなので気持ちはわからないでもない。
頷くと、女性は何故か嬉しそうに「そうやんな!」と声を上げた。

「さっきもこのベンチに座ってたら、気持ち良くなって寝とったところなんや」

「…起こしちゃってスミマセン」

「あ、怒っている訳やないねんで?」

「はぁ」

会話の意図がさっぱり掴めない。
それなのに返事をしてしまっている自分は、この女性に乗せられているのだろうか?

「本当、風が気持ちええなぁ」

独り言な呟きが聞こえ、女性は静かになった。
もしかして、また眠ったとか?
心配になって、声を掛けてみることにする。

「あの…?」

反応は無い。言葉を発してから10秒も経っていないのにだ。
返事の代わりにすやすやとした寝息が聞こえてくる。

「寝つき良過ぎ…」

人の事は決していえないのだが、咲は呆れた声を出した。
たしかに昼寝したくなるような、気持ちよい気候だ。
しかし瞬間的に眠ってしまうのは、気候の所為だけではないだろう。

(まあ、いいか。煩く話し掛けられるよりは)

聴覚に神経を集中させると、近くにある部室から牌の音が聞こえてくる。

心地良い、好きな音だ。

しばらくその音を聞きながら、いつしか咲も瞼を閉じてた。
隣にいる女性の寝息につられたせいかもしれない。

(ちょっとだけなら…)

ベンチに体を預け、咲は眠りの世界へ入っていった。




しばらくしてから、何か暖かいものに気付く。

(なんだろう、これ)

目を開けるが、やっぱりそこには暗闇だけが広がっている。

「起きたか?」

すぐ後ろから声が響き、ぎょっとして体を起こす。

「痛っ!」

「大丈夫!?」

ぶつかったのは、ベンチだった。

「あーごめんな。びっくりさせるつもりはなかったんやけど」

「いえ…」

大丈夫だと手を振る。

そうだった。あのままうたた寝をしていたんだっけ。

でも…あの感覚は。

「もしかして、あなたにもたれて寝てました?」

恐る恐る尋ねると、相手は「ああ…」と気まずそうに返事をした。

「気持ち良さそうに寝てたから、起こすのもなんやと思って」

「……」

「それに、あんたの寝顔可愛かったしな」

見知らぬ人の前で醜態を晒したことに、かっと顔が赤くなる。

(しまった。こんなに寝てるつもりは無かったのに)

動転した咲の心に気付かず、女性はのんびりと欠伸をした。

「また昼寝したくなったら、一緒にしような」

「は?」

「私な、園城寺怜っていうねん。あ、怜でええからな」

(やっぱりこの人、ずれてる?初対面で一緒に昼寝しようとか、普通言わないよね)

怜と名乗った女性は、「握手」なんて勝手に手を握っていた。

変わった人…

そう思いながらも振り解かないのは、さっきと同じ体温が伝わっていたせいかもしれない。

「あんたの名前は?」

答えようかどうしようか咲は迷った。
悪い人じゃないらしいが、信用して良いものか。

何故そんなことを聞くのかと、咲が口を開きかけると同時に、
聞き覚えのある声が響いた。

「怜!こんな所にいたんか」

「ああセーラか」

「江口さん…?」

「こんな所で何してるんや」

怜は、どうやらセーラの知り合いらしいようだ。

(一体、どういう知り合いなんだろう)

いまいち状況が把握しきれず、咲はセーラが次に何を言ってくるのかを待つことにした。


――――


竜華に続いて、怜までもが咲に構っている。
一体、どうなっているんだ。


怜を探しに行くつもりで、部室を抜け出したのは建前。
中庭で咲と会う可能性があるからだ。
前に見たのと同じように、牌の音に耳を傾けて座っているかもしれない。

そんな期待をしていた。

監督不在をいいことに他の部員への指示を出した後、
セーラは中庭へと歩き出した。

そして期待した通り、咲はベンチに座っていた。

ただし、その隣には何故か怜がいる。

(あいつ、練習さぼってこんな所にいたんか)

「なんやセーラ、険しい顔して。なんかあったんか?」

「なんかあったんか、やないわアホ!お前がサボってるからやろ」

えー?と怜は首を傾げた。

「サボってたんやないで。お昼寝してただけや」

「同じ事や!」

目の前で言い争いする二人に、咲がストップを掛ける。

「あの」

「どうした、宮永?」

セーラが咲に向き直る。

「お二人は知り合いなんですか?」

その辺がわからない咲は、二人に尋ねる。

「…こいつは、俺と同じ麻雀部なんや」

麻雀部、の単語で、セーラには咲が反応したように見えた。
見えただけで、実際はどうなのかわからないが。

「何、セーラはこの子のこと知っとるんか?」

きょろきょろと怜はセーラと咲の顔を見比べる。

「どういう関係なんや?」

「どうって…」

詰め寄られたのは、咲の方。

困った顔をした咲に、セーラは無意識に怜と咲の間に体を割り込ませる。

「よせ。お前には関係無いやろ」

「何やねん、その言い方」

むぅっと怜は頬を膨らます。

「そうや。名前も聞いてへんよな。なあなあ、何て言うん?」

咲はセーラの体に隠れてしまっているというのに、気にもせず怜は呼びかける。
そんな怜を見て、セーラは眉を潜めた。

竜華に続いて、怜までもが友達になりたいなんて言い出すんじゃないだろうか。
嫌な予感だ。

「セーラ、ちょっとどいて。邪魔や」

「邪魔とか言うなや!むしろお前の方が邪魔やっちゅーの!」

「私がその子と話してるのに、邪魔してるんはセーラやん!」

また不毛な争いが始まったと、咲は溜息をつく。


「宮永咲です」

「え?」

「私の名前。これでいいですか?」

「おお!」

「おい、宮永…」

教える必要なかったのにと、自然非難めいた目で咲を見た。
しかし、こちらの表情がわからない咲は小さく首を竦める。

「だって教えないと、いつまでも騒ぎそうだから」

これくらい別にとサバサバした様子だ。

「じゃあ咲って呼ぶで。私のことは怜でええからな」

「はあ」

二人のやり取りを見て、セーラはこれ以上は無い位に眉を顰めた。
やっぱりこうなったか…

咲には麻雀部のメンバーを惹きつける吸引力でもあるのだろうか。

「怜、そろそろ部活に戻るで」

とにかく怜をここから離してしまおう。それが一番良さそうだ。
そう判断して、セーラは怜に向き直った。

「えー。せっかく知り合ったんやし、もっと咲とお話したいなぁ」

「アホ!レギュラーが顔出さんと、他に示しつかんやろうが!」

ぶつぶつ呻く怜を抑えて、立ち上がる。

「咲ぃ」

情けない声を出す怜に、咲はくすりと笑って立ち上がる。

「私はもう帰りますんで。部活にちゃんと顔出した方がいいですよ」

「え、帰っちゃうん!?」

「はい。寝てる間にずいぶんと時間が経っちゃったみたいですし」

まさかとは思うが、怜と一緒に昼寝していたのだろうか。
咲の一言に、セーラは思わず考え込んでしまう。

(こいつ、こんな所で寝るなんて無防備過ぎるやろ!)

空いてる手で、額を抑える。

「折角会えたのになー。そうや、今から麻雀部の見学においでや」

良い事を思いついたかのように、怜は両手を叩く。

「え…私は…」

顔色を濁したまま、咲は答えない。
当然だ。
見学しても、目に映るものは何もないのだから。

「おい、怜」

「何や?」

「お前、気付いてないんか?」

「え?」

咲の目が見えない、ということに。

きょとんとしている怜に、わかってないなと確信する。
気付いていないのなら、伝えるべきだろうか。
だが何て言う?本人の前だぞ?

セーラが迷っている間に、咲が一歩、距離を縮めてきた。

「折角だけど、それは出来ないんです」

顔を上げ、咲は怜にハッキリと告げる。

「行っても私には何も見えないから」

ね?と杖でこつこつ地面を叩く。

「これが無いと、学校を歩く事も出来ないんです」

「そっか…咲は目が…」

小さく呟く怜に、セーラはそっと嘆息した。
さすがに今日は、これ以上咲にしつこくしないだろう。
もう怜を連れて部室に戻ろうとする。

しかし、

「痛くないん?」

「怜!?お前、何やっとるんや!?」

怜は咲の顔に手を伸ばし、そっと目の辺りに触れた。
触れられた咲の方は、一体何が起きたのかと目を瞬かせる。

「えっ、別に痛みはないですけど」

「痛くはないんや。良かったわ」

にこっと怜は笑って、杖を持ってない咲の手を掴む。

「これが私の顔や」

そう言って、眉に瞼に鼻に唇に触れさせる。
怜の行動に驚いて、セーラも咲も動けない。

「覚えておいてな」

「え、はい…」

怜はゆっくりと咲の手を離した。

「変な人ですね」

くすっと咲は笑う。

「こんなことされたの、初めてです」

「だって私の事、覚えて欲しいからな」

怜も笑う。

「だから、忘れんといてな」

こくんと咲は頷いた。

「また今度、お昼寝しよな。部活の無い時に」


「…怜、もう加減部活行くで!」

「えー。セーラはせっかちやなー」

抵抗する怜を、今度こそセーラは引き摺って行く。

セーラも咲に何か一言声を掛けようかと思ったけれど、何も出てこない。
ただ黙って背中を見送るだけだ。

折角、会えたのに。
ろくに話も出来なかった。

それもこれも怜のせいだと、腕を掴んでる手に力を込める。
痛いなあと怜が抗議しても、放してやらずにいた。


――――

今日はここまでです。

乙です

乙乙


――――


「なあなあセーラ。勝負しようや、勝負!」

「アホ!今は部活中やろ」

妙に機嫌の悪いセーラと対照的な怜。
何事かと他の部員達の関心を集めていた。

「ちょっとだけならええやん、ケチ」

「うっさい。とっとと練習メニューせいや」

「つまらんなー。私が勝ったら咲のこと色々教えてもらおう思ったのに」

とんでもないことを口にして、怜はくるりと身を翻した。
しまったとセーラが思った時には、遅い。
ずっとこちらを気にしていた竜華の耳に、しっかり聞こえてしまったようだ。

「怜、今咲って言うた?」

「ああ、言うたけど。それがどうないしたん?」

すかさず怜に問い詰める竜華。
また鬱陶しい展開になりそうだ。セーラはうんざりして顔を背けた。

「咲と会うたん?いつ、どこで?」

「え?さっき。中庭のベンチで。…って竜華も咲の知り合いなん?」

「ああ、そうやで」

「マジで?竜華、咲といつの間に知り合ったん?私そんなの聞いてないで」

どうやら自分より先に咲のことを知っていたのが、気に入らないらしい。
問い詰めるような口調の怜に、竜華は苦笑した。

「偶然や、偶然。うちかて友達になったのは最近やし」

「ふーん。じゃ、セーラは?なんで咲と知り合いなんか、竜華は聞いてるん?」

「いや、全く」

雅枝絡みじゃないかという噂は黙っていることにした。
監督に頼まれて、咲の面倒をみている。
それならセーラが懇意にしているというのも、すんなりと納得できる。

できるけど…セーラの態度は誰かに頼まれてしているようなものではない。

個人的に咲を気に掛けている。

竜華の目にはそんな風に映っていた。
ただ、何故セーラが咲に興味を持ったのかまではわからない。

「うーん。直接聞いても教えてくれへんし…」

「怜は?さっき初めて会うたんか?」

「ああ。せやで」

こくっと怜は頷く。

「その初めて会うた子を、なんでそんなに気にするん?理由を聞いてもええ?」

「なんでやろ…」

腕組みをして、怜は考え込む。

「気持ち良さそうに寝てた顔が可愛かったんも、あるけど」

寝顔を見たのか?
一体何してたんだと言いたいのを、竜華はじっと我慢する。

「さっきな。私、部活の見学に来たら?って言っちゃったんや」

「怜…。咲は目が」

「ああ。私、気がついてなくてな。すぐに、咲が教えてくれてん。
『私には何も見えないから』って。あの子、さらっと言ったんや」

くしゃっと怜は髪をかきあげる。

「だけど辛そうに見えた。本人はそれを気付かせないようにしているつもりやろうけど。
無理して強がってる。竜華は、そう思わん?」

「せやな…」

怜の言う通りだった。
いつでもぴんと張った背中。
精一杯強くみせているつもりだけど、いつか折れそうで怖い。

「咲は笑っている顔の方が絶対ええやろうな、と思ってん」

「…うん」

「私、もっと仲良くなって楽しいこと沢山教えてあげたいわ!」

「ちょっ、怜それは」

うちがやるからええよ。
言う前に、怜は端の卓へと行ってしまった。

「さー、やるでー!かかって来いや!」

「園城寺先輩…勘弁してくださいよ」

無駄にやる気になっている怜に、竜華はしょうがないやっちゃなあ、と嘆息した。


――――


――――

授業終了と共に、それはやって来た。
予告も無く、突然に。

「咲、おるかー!?」

急に名前を呼ばれ、ガタっと咲は椅子から落ちそうになる。

「あ、おったおった」

ぽかんとする咲のところへ、怜は近寄っていった。

「咲、やっと会えたな」

「園城寺、さん?」

「えー、怜って呼んでくれへんの?」

竜華と同じようなことを言われ、ただ戸惑うだけだ。

絶対また会おう、と言っていたけどこんな風に訪ねてくるなんて。
昨日会った時にも感じたけれど、思ったことをそのまま行動している人だ。
裏表が無いことは、わかるけれど。

「なあ、あれって麻雀部の園城寺先輩やんな?」

「何の用事やろ」

「あの二人、どういう関係?」

そんな囁きまで聞こえ、居たたまれなくなる。

「なー、咲。聞こえとる?」

「聞こえてます」

とにかく教室から、出てしまいたい。
好奇心一杯な声が聞こえないところまで。

そう思って、咲は杖を掴む。

「咲?」

慌しい咲の動きに、怜は首を傾げた。

「園城寺先輩、こんにちは」

「おお、泉か。咲と同じクラスやったんやな」

「はい。お先に部活行きます。咲、また明日な」

「あ、うん。バイバイ泉ちゃん」

事情も聞かず、泉は教室から出て行ってしまう。
あれこれ詮索しない泉にほっとしながらも、
咲は明日、顔を合わせる時にどう言おうか考える。

麻雀部の先輩が何故盲目の自分と関わっているのか。
こんな教室まで来て、変に思われてるに決まってる。
勿論、ただの知り合いだと言うしかない。

(本当のことだし…)

ハァと溜息をついて、咲は鞄を手に持つ。

「ちょっと、外に出ましょう」

「うん」

促すと、怜は素直に咲の後をついてくた。

「竜華に咲のクラス聞いたんや。最初なかなか教えてもらえなくてなー。しつこく付きまとってやっと聞き出したわ」

大変だったわ、と怜は笑う。

「あの。私に何か用なんですか?」

人のクラスに押し掛けて来たからには、急用か何かだろう。
だけど怜の回答は、全く予想とは違っていた。

「あ、うん。咲とお昼寝しようと思ってな」

「へ?」

暢気な言葉に、咲は一瞬足を止める。

「昨日のベンチより、良い場所知ってるんや。誰もいない特等席やで」

どうや?と言われ、脱力する。
そんなことで大声を上げて、教室に乗り込んで来たのか。

「だったら、こそっと声を掛けてくれれば良かったのに…」

つい、非難めいた口調が出てしまった。

「ああ、煩かった?ごめんなー。でも別にこそこそせんでもええんやない?」

「だって、園城寺さんと私は別に部活の先輩・後輩でもないのに」

何の関係の無い人。
親しげにされて、戸惑うばかりだ。

それにセーラと、竜華も。

麻雀部に関係する人物ばかりというのも、偶然にしては出来過ぎている。
それに裏があると勘繰る人がいないとも限らない。
実際は(多分)何も無いのだが。

「変って?友達になるのに、同じ部活じゃなきゃいけないなんて聞いたことないで?」

「そういう意味じゃないけど…」

咲も、ふと考えてしまう時がある。

実は雅枝に頼まれて、面倒をみているんじゃないかって。
竜華も怜も部長であるセーラの言うことを聞いて、仲良くしてくれようとしているだけじゃないのか。

それが真実なら、ヒドイ侮辱になる。
今すぐに離れていって欲しい。
そんな義務なんて必要無い。

「私な。咲の事気に入ってん。先輩・後輩とか関係無しに一緒にいたい」

とても演技には聞こえない声が聞こえる。
優しく暖かな響きだ。

「だめかな?」

きゅっと袖を怜が掴んでくる。

「だめとかじゃないけど」

「それなら、友達になってもええ?」

「は、い…」

懇願されて、咲は結局頷いてしまった。

「あー、良かったわ!だめだって言われたら泣くところやったで!」

「そんな、大袈裟な」

誰かに頼まれて、こんな嬉しそうな声を出すわけがない。
一瞬でも疑ったことを心で謝罪して、咲も小さく笑い返した。

「それじゃさっそくお昼寝しに行こか」

「あ、それなんだけど今日は無理です」

怜のお誘いに、きっぱりと首を振る。
そう。今日だけは無理だ。

「なんでやー?」

不満全開の怜の声に、理由を口にする。

「病院に行くから」

そう。こればかりは行かなければいけない。

「え、病院?」

恐る恐るといった怜の声に、安心させるように説明をする。

「はい、定期的な検査。簡単なものだけど、ちゃんと行かないと」

「そっか。注射とか痛いことするかと思って、心配したわ」

「平気です」

たしかに平気だ。痛いコトは一つも無い。
それよりも、こんな状態がいつまで続くか不安なだけ。

ねえ。
いつになったら、私の目は治るの?

「本当、平気ですから」

「咲」

袖を掴んでた怜が、杖を持ってない方の手をぎゅっと握る。

「あのな、咲。そんな風に言わなくてもええねんで」

「え?」

「私の前では無理せんといて。強がってばかりだと、咲がいつか消えちゃいそうで怖いんや」

「園城寺さん…」

怜の手が軽く汗ばむのがわかる。
それでも繋いだまま、ゆっくりと歩いて行く。

「勝手なことばっかり言ってると聞き流してくれてもええ。でも、私には強がり言わんといて」

「どうして、ですか?」

昨日今日会ったばかりの人に、と咲は腑に落ちない顔をする。
そこまで言われる程、親しくないというのに。

「なんでやろなー。それは私にもわからんわ」

「は?」

聞いているのはこっちだ。

うーん、と唸った後、怜は「あ!」と声を出す。

「きっと咲のことが好きだからや」

「え」

「うん、きっとそうや。でなきゃこんな風にお昼寝に誘いに来ないし。
気持ち良さそうな寝顔見てて、咲と近付けたらええなーって思っててん」

「園城寺さん?」

「咲とな、友達になりたい。なー、ええよな?」

押し切られる形で頷いてしまう。
怜はやったー!なんて喜んでいるけど。

(よく、わからないな)

寝顔見ただけで、友達になりたいとはどういう感覚だ。
怜のそういうところは理解出来ないかも、と咲は首を捻った。

とにかく自分は気に入られたってことはわかる。
それも、ものすごく。

強がらなくてもいいと言われたのは、はじめてだ。

普通なら、本音を見抜かれたことにもっと意地を張って違うと否定するところだ。
でも、怜には。

(なんか、普通に「うん」て言っちゃうんだよね)

素直で裏表無い怜の前だからか。
不思議だ、と咲は改めて思った。

いいって言っているのに、怜は校門まで送ってくれた。

「咲、また明日な」

「はい。また明日」

ほんならなー!と怜の声が響く。

(また周囲に聞えるような声出しているし)

けど、やめろとは言わない。
怜が精一杯送り出そうとしている気持ちがわかるからだ。


泉には、明日ちゃんと話をしよう。
説明して、わかってもらえなくても構わない。


『先輩・後輩とか関係無しに一緒にいたい』

『咲の一人で立とうとするところが気に入ったんや。それだけじゃあかんか?』


本当は、嬉しかった。
自分のことを認めてくれる人達に会えたこと。

大事なのはそれだけだ。
たしかに人の目を気にしているなんて、自分らしくない。

怜も竜華も咲と友達になりたいと言ってくれて、それを承諾したのだから堂々としてればいい。

「友達、か…」

足取りはいつもよりずっと軽い感じがした。

――――

今年の更新はこれで終わりです。続きはまた来年あげます。
皆様よいお年を。

おつおつ


続き楽しみにしてます

乙です
よいお年を

翌朝、咲が教室に入るとすぐに、話し声がしていた一角が静かになった。

なんだろう?
少し気になったが、すぐに席について鞄から教科書を取り出し始める。

どうせ自分とは関係の無いことだ。
考えてもしょうがないと、咲が思っている間に何人かの生徒が席の近くへと移動して来た。

「何か用?」

足音を立てずに歩いても、小さな音は耳に届いていた。
視界が塞がっている分、聴覚は常よりも敏感になっている。

わからないとでも、思っていたのだろう。
咲から口を利いたことで、連中は動揺したようだ。

数秒間怯んでいたが、すぐに啖呵を切り始める。

「あんたのせいで迷惑してるって自覚、あるんか?」

「そうそう。大人しくしてりゃいいのに、あちこちに媚び売って味方を増やそうとする辺りズルイよな」

ダンっと大きく音を立てて、咲は鞄を机に振り落とす。

「文句があるならハッキリ言えばいいでしょ」

一瞬静かになった連中は、すぐに「怖わー」と笑い出した。

「いいよな。あんたは泣きつけば、誰かが助けてくれるから」

「愛宕先生と江口先輩。この二人を味方につけておけば、怖いもの無いからな。どうやって取り入ったんや」

「その上また違う先輩まで迎えに来てもらってるようやしな」

「麻雀部全員に守ってもらうつもりか?人数多いから、ほんと不自由しないよな」

次々と吐き出される勝手な言葉に、咲は感情を抑えることが出来なくなっていく。
声を荒げて、反論する。

「私は、泣きついたことなんか一度だって無い」

「泣きついたんやろ!おかげで先輩に睨まれて、部活に出れなくなったやないか!」

「なに…何の話?」

覚えの無い言い掛かりに、なんのことかと尋ねる。

しかしその対応に腹を立てたようで、

「とぼけるなや!」

怒鳴り声と共に胸倉を掴まれる。

だけど咲には理解出来ない。
本当に何のことかわからない。

もしかしてと思い当たるのは、杖を取り返してくれたセーラのこと。
何かしたのだろうか。
そんな追い込むまでのこと…。


「咲!?皆で咲に何やってるんや!」

どうやら朝練が終わって来たらしい。
泉の叫びが聞こえる。

「うっさいな!引っ込んでろや」

「イヤや!咲から手を離すんや!」

「あんたから先に殴られたいんか!?」

胸倉を掴んでいた手が、乱暴に離れる。
その生徒が、泉の方へ行こうとするのが気配でわかる。


自分の代わりに、泉が殴られてしまう。

止めようと、咲の手が宙を掴んだ。

でも見えない。

止めなくちゃいけないのに。

「…くっ」

不安定な体が、机にぶつかってふらついてしまった。

(こんな大事な時に、どうして見えないの。目さえ元通りなら…)

「覚悟してるやろうな」

泉の前に奴らが立った瞬間、

「お前達、何しているんや!」

先生、と放心したような泉の声が聞こえる。
どうやら担任が登場したらしい。

「皆、席につけ。だがお前達はすぐに指導室に来るように」

静かに担任の声が響き、咲はほっと息をついた。



「もしかして、私のせいかもしれへん」

結局、咲が泉と話をすることが出来たのは、3時間目の授業が終わった後になった。
それまで一人一人呼び出されて、休憩時間に話も出来なかった。

とりあえず殴られなかったと聞いて、安堵する。

ほっとした咲の表情に、泉は笑った。

「泉ちゃんのせいって…それは一体?」

つまらない諍いだと、担任には説明した。
他の連中がどう言ったかは知らないが、咲は自分のせいで大事になってほしくなかったので、別に問題ないとも証言した。

これで通るとは、最初は思わなかったが、

「宮永の意見を聞いて、今回はそういうことにしておこう」

恐らく雅枝に頼まれたのだろうとも思うが、
担任は咲のことをちゃんと見ていて理解しようとしてくれてる。
生真面目過ぎるところがあるが、良い先生だと咲は思っていた。

有難うございます、と頭を下げて、指導室を後にした。

教室に戻った時、先に解放された連中もいたがもう絡んでは来なかった。

(まだ不満は抱えているだろうけど)

泣きついた等の言葉に、何があったのか咲は知りたかった。

「あんな…咲。あいつらに杖を取られたこと、あったよな?」

「え?あ、うん…」

何故知っているのだと考え、すぐに答えは出た。
麻雀部として、二人と繋がりのある人物。

「江口さんに聞いたんだ?」

あっさりと泉は認めた。

「せや。急に部室に来たと思ったら、咲と同じクラスの奴はいるかって調べ出して」

そんなことしてたのか。
頭を抱えそうになる咲の前で、泉は続きを話す。

「咲の杖がなくなった、心当たりはないかって。で、あの日咲ともめてた奴らのこと話したら、部長、すぐに飛び出して行ってん」

「…そう」

そんな必死になってくれていたとは。
あの時は自分から一方的に避けていた頃だ。
なのに、どうしてそこまでしてくれたのか。

「なんかな。噂なんやけど、茶道部に乗り込んで問い詰めたらしいで。さっき咲を殴ろうとした奴、茶道部やから」

「それで…」

「せや。江口部長を敵に回すと怖いからな。
きっと茶道部の先輩達が、そんな後輩に対して嫌がらせしたのかもしれへんな」

部活に出れなくなったと、たしかに言っていた。
セーラの対応を見て、部全体が睨まれたら困る。
問題のある奴の排除をするようにした。その可能性は高い。

「だったら結局、私のせいか…」

「咲?」

「私が気に入らないから、絡んでくるんでしょ。…泉ちゃんを、巻き込んでごめん」

項垂れる咲に、泉は慌て始める。

「そんな風に思わんといて!私は気にしてへんから。それに人の杖を隠したり、悪いのは全部あいつらなんやし」

一生懸命な泉に、咲はありがとうと告げた。

「後、江口さんのことだけど…」

「部長?」

「なんか知ってるってこと、言い出せなくてごめんね」

部長を崇拝している泉に、セーラと知り合いだとなかなか言い出せずにいたのだが。

「ええで。そんなこと」

心配は、あっさりと流される。

「同じ校内なんやし、どこかで知り合って友達になることだってあるやろ」

「うん…」

昨日からどう説明しようか考えていたことは、もう解決してしまった。

こんな簡単なことだったんだ。
自分ばかりが、変に気にし過ぎていたようだ。

(それとも、泉ちゃんだからかな)

きっと泉だから、こんな風に受け入れてくれるのだろう。

「でも江口さんが友達かどうかは微妙なんだけど」

怜も竜華も友達だと言ってくれた。
でもセーラと自分はどういう関係なのか、ハッキリしてない。

「それにあの人、愛宕先生に頼まれただけかもしれないし。
あ、先生は私の親と知り合いなの。それでこの学園に入ることを勧めてくれた。
みんなが噂するようなことは、何も無いよ。本当に」

ついでに雅枝のことも説明して、咲はふぅっと息を吐く。
これで大体話したことになるだろう。

黙って聞いていた泉は、沈黙の後、遠慮がちに口を開いた。

「咲。部長が監督に頼まれたから、気に掛けてくれてると思ってるん?」

「わからないけど。そうでなきゃ、私を気にかけてくれる理由もないし」

けれど、

「違うと思うで」

「違う?」

泉は頷いた。

「咲の杖を探そうと、本当に部長、必死やったんや。あの行動が誰かに言われてやったなんて、私には思えへん」

「そうなんだ…」

実際、見ているわけじゃないから咲にはわからない。
セーラの本心は、どこにあるのか。
この目と同じで見えない。

「本当は私も違うといいなって、思ってるよ」

小さく呟いた咲の言葉は、チャイムにかき消され泉の耳には届かなかった。


杖無しで歩こうとした自分に、本気で怒ったこと。
家まで手を引っ張ってくれたこと。
夕飯に誘ってくれたこと。
上着を貸してくれたこと。


あれが全部義務からだと言われたりしたら、
きっと悲しい。

もし、本当に義務なら。

もうこれ以上近付かないで。



――――

今日はここまでです。
今年中に完結できるよう頑張ります。

乙 楽しみにしてる

乙です

おつおつ


――――


お昼休み。
セーラは一年生の教室の扉を、思い切りよく開けた。

一斉にこちらを向いた連中の動きが止まったが、気にせずに乗り込んでいく。
目指すは咲が座っている席だ。

「ちょっと、付き合ってくれや」

おむすびを持ってる咲の手をぐいっと引っ張る。
急に来たセーラに驚いたようで、咲はぽかんと口を開いた。

「江口さん!?って、今食べてるところなんですけど」

「それ持って来ればええやん。泉、宮永借りるけどええか?」

一緒に食べていた泉に声を掛ける。
泉は上擦った声で「ハイ」と返事する。

「…借りるって、人を物みたいに」

咲が文句言っている間に、セーラは机の上の弁当を手際良く片付けてやった。

「さあ、行くで」

「何なんですか、一体」

弁当をとられてしまったことを察し、咲は渋々立ち上がる。

「その前に、や」

咲の手を引く前に、セーラは視線を隅へと向けた。

「そこのあんた」

この教室に入った時に、すぐ気付いた。

咲の杖を奪った、あの女子生徒。

ハッキリわかるように指差すと、ヒッっと小さな悲鳴が上がる。

怯えるくらいなら、つまらないことをしなければいいのに。
バカなことをするから、自分に跳ね返ってくる。

不愉快そうに、セーラは言葉を吐き捨てる。

「部の方には復帰出来るよう手配してあるから。今日からちゃんと顔を出しておけや。ええな」

「ハ…ハイ」

「これでもう不満は解消されたやろ?分かったらもう下らないことで、人に迷惑かけるなや」

「わ、分かりました…」

咲の方へ向いて、声を掛ける。

「行くで、宮永」

「はあ…」

訝しい声を出す咲の右手を掴んで、歩き始める。

振り払われないのを良いことに、麻雀部の資料室までそのままで歩いた。

「で。いきなり人のクラスに来て、どういうことなんですか?」

扉を閉めると同時に、咲は声を上げた。
それをセーラは無視して、自分の分の食事をゆっくりと広げる。

「部の復帰とかって何なんですか?どうしてあなたがそんな事知っているんですか?」

「そうわめくなや。食べながら説明してやるから。ほら、座りや」

お腹がすいていると、聞ける話も聞けなくなるだろう。
そうセーラは配慮して咲の弁当も広げてやったが、憮然とたまま立って腕組みをしている。

「先に話して欲しいです」

「ハァ。わかったわ。だから、まず座ってくれや」

用意してたお茶を一口飲み、セーラは咲と向かい合わせになる形で座る。

「朝、あんたが立ち回った件なら色々噂になっとる。俺でなくても、知ってるやつはいるで」

「…そんなに、噂になってるんですか?」

「せやで」

当然言えないが、噂になる原因は咲にあった。

盲目で、監督の後ろ盾がある少女。
他のどの生徒よりも、話しは伝わり安い。

それ加え、セーラは咲の話に色々気を配っている。小さな話し、デマでさえいつも耳を傾けている。
だから竜華や怜よりも早く知ることができたのだ。

原因も簡単に割り出せたから、すぐに動くことが出来た。
茶道部の部長を休み時間に呼び出し、問題の生徒をまた練習に参加させるよう説得した。

「今回のことは、俺にも責任あるみたいやからな。黙って見過ごすわけにはいかんやろ」

「…私には分かりません」

「何がや?」

「そこまでする理由って何ですか?ただの知り合いの私を、そんな風に気に掛けるものなんですか?」

焦点の合わない瞳が、一生懸命セーラを見据えようとさまよう。

(今、その目で俺を見ることができたなら。一体あんたには、どんな風に映るんやろう?)

不安な顔をしている咲の手を、そっと握ってみる。

「ただの知り合いなんか?」

「だって、そうじゃなかったら何ですか?」

言われて、返答に詰まる。

竜華や怜は友達だと言っていた。

(けど、違う)

前にも思ったけれど、そんな風な関係を望んでいる訳じゃない。

なら本当の望みは、何?

「…俺にもわからへん」

「え?」

「だけどこれだけは分かる。俺はあんたが困っている状況を、ほっとけんらしい」

「それって、同情ですか?」

苦笑いする咲に、「違う!」と声を上げて否定する。

「同情やなんて、二度と言わんといてくれ。そんなもの無いって、どう言えば分かるんや…」

ぎゅっと手を握り締めると、咲は「ごめんなさい…」と小さな声を出して俯いた。

「俺はどうしても、宮永のことを放っておけんらしい。理由は分からへんけど…そういうのは迷惑か?」

「……」

口篭もる咲の手を握ったまま、セーラはじっと次の言葉を待った。

まだ今は本当に自分の気持ちすら見えない。
けど、咲を見守って行きたい心に偽りは無くて。

それだけは許して欲しいと、ただ手を握る。

「江口さんの負担にならないのなら、それでも良いです…」

「本当か?」

こくんと、咲は頷く。

「理由はわからなくても、江口さんが悪い人じゃないってことはもう分かってるから。
助けてくれて、ありがとうって…今もそう思ってます」

素直な咲の言葉と笑顔に、セーラは決まり悪そうに横を向いた。

(こいつ、無意識でやってるんよな)

今の顔も見られた訳じゃないのに、決まりが悪い。

話題を変える為に、こほんと咳払いをする。

「じゃあ、この話は終りやな」

「はい」

「昼ご飯にするか。宮永が食べ損なったら大変やしな」

「中断させたのは誰ですか?」

むっとしつつも、咲は残りの弁当を勢いよく片付けていった。
細い体と反した食べっぷりに、少々感心してしまう。

「よく食うなあ」

「成長期なんで」

「さよか。…まだ食えるか?」

あんまりよく食べているので、足りないかと思い、
一口切り分けた肉をフォークで口まで運んでやる。

「あ、え?」

「ほら、口開けや」

反射的に開いた口へと、放りこむ。

「どうや?」

「…美味しい」

「こっちも食べるか?」

無防備に開けた口が可笑しくて、セーラは何度も何度も食べさせてやった。

「ごちそうさまです」

「満足したか?」

「はい。美味しかったです」

さすがに食べ過ぎたと、照れたように笑う咲の顔に見惚れてしまう。

くるくると変わる表情。いつまでも見ていたい。

今度、好きな食べ物をリサーチして、それを作ってまた昼を一緒にしよう。
こっそりと、決意した。

――――


――――


一体、どういうことや?

咲の教室へ行こうと思っていた竜華は、
意外な組み合わせを見掛けてしまった。

セーラと、咲。

(何してんねん…)

今日のセーラの行動は、お昼休みには竜華の耳へ届いていた。

茶道部の部長を呼び出して、何をしたのか。

『部内で問題があった、それを咎められただけや』

茶道部部長の彼女は多くは語らない。
関わりたくないといったところか。

さすが名門麻雀部の部長、小さな揉め事でもご自分で解決されるんだと女子生徒は高い声でセーラを褒めていたが、
竜華はもっと別の理由があるのではないかと考えていた。

麻雀部部長だからといっても、セーラが他の部の問題に首突っ込むはずがない。
例え麻雀部内でも、自ら他人のことに口を挟むような真似はしないだろう。

今回、セーラは何故動いたのか?

(ひょっとして、咲が関係しているんやないか)

傍目には仲良く歩いてる二人を見て、竜華は考える。

今日の行動が全て咲の為だとしたら?

少し前、セーラが茶道部に乗り込んだと聞いた。
その時、ある一年生を問い詰めたらしい。

その一年が気に入らないことでもしたのかと、思ったが。
もし咲に関係していることなら?

それとも一年生と聞いて、すぐに咲を連想するのは考え過ぎなのか。

しかし、あの盲目の生徒がクラスメイトと揉めたと言うのも聞いている。
それは、今日の出来事だ。


セーラが茶道部の部長を呼び出したこと。
その部長が問い詰めた一年生。
咲が揉めた相手。

関係無いとは言い切れない気がする。


保健室前で止まった二人に、思い切って声を掛けてみた。

「咲!偶然やな。どないしたん、怪我でもしたんか?」

「竜華…」

「竜華さん?」

ぴくっと体が揺れた咲の肩にそっと触れる。
セーラが睨みつけるが、気にせず咲に話しかける。

「保健室に何か用なんか?昼寝するっちゅうなら、添い寝したるで」

「何言うてんねん竜華」

さっと咲の手を掴み、セーラは竜華から距離を取らせた。

「それから、そこどいてくれ。扉の前に立っていたら宮永が入れんやろ」

「何や、偉そうに。って咲。ほんまに昼寝するん?」

「いえ、昼寝ではなくて。次体育だからここで授業が終わるの待つことになってるんです」

ガードしているセーラが見えてないせいか、咲は普通に竜華へ説明をする。

「ほなうちも次の時間はここで」

「さぼるつもりか?担任に報告させてもらうで」

過ごそうかと、続く竜華の言葉は、セーラの鋭い視線によって飲み込まれた。

(セーラ、本気や!)

半分本気で授業をさぼろって咲と過ごそうかと思ったが、
そうはいかないらしい。

「はいはい、そこに立っていられると邪魔ですよ」

「先生!なあ、具合が悪いんや。ベッド貸してくれへん?」

席をはずしていた保険医が三人の間に入って来た。

当然、竜華のウソを聞き流し、

「何言ってるの、具合が悪いのなら愛宕先生に部活に出られないって伝えるわよ」

と言われてしまう。

「宮永さんは体育の時間だったわね。どうぞ、入って」

「あ、はい」

「うちとの対応とズイブン差があるやんか」

「当たり前でしょ。あなた達は次の授業があるんだから、さあ帰った帰った」

タイミング良く、予鈴が鳴り響く。

「しゃあないわ。またな、咲」

「あら?清水谷さん。宮永さんとお知り合いなの?」

「友達になったところや。なあ、咲」

「はあ…」

複雑そうな顔をする咲に、セーラも「じゃあな」と声を掛ける。

「あ、はい。今日は、ありがとうございました」

セーラとも友達なの?と視線を送る先生に、「失礼します」とセーラはさっさと廊下を歩き始める。

「ちょお、セーラ。待ってや」

慌てて竜華もセーラの後を追い掛ける。

「咲と何があったん?あんた、今まで一緒やったんか?」

不可解なセーラの行動。
礼を言ってた咲。

やっぱり今日の出来事は、全部咲に繋がるんじゃないのか。

そんな目でセーラの横顔を眺める。

「竜華に何の関係があるんや?宮永の友達やからって、話す必要なんかないやろ」

竜華の方を向きもせず、セーラは前を見たまま言い捨てたが。

「咲が今日クラスメイトと揉めたって聞いて…。もしその件であんたが動いたなら、 うちかてじっとしとれへん。何かしたいんや。わかるやろ?」

聞いているのかいないのか、セーラはじっと険しい顔をしたまま前を見詰める。

(あかんわ、喋る気無いみたいや)

分かってたけど、と竜華は肩を落とす。

知らない間にセーラが動いて、全部終わってしまったことに今更ながら後悔する。

(ちょっとだけでも、支えになってやりたい思うてたのにな)

「興味本位で宮永に近付いている訳やないやろな」

「は?」

気が付いたら、もうセーラのクラスの前まで来ていた。

扉に手を掛け、セーラは背中を向けたまま呟く。

「もしそうやとしたら、もう近付くな。わかったな」

「セーラ?」

さっとセーラは教室に入って行ってしまう。

「なんやの、一体…」

興味本位って、と竜華は呟く。

本鈴が鳴るまで、しばらくそこに立ち尽くしていた。


――――


――――


「うーん、わからんな」

「清水谷先輩、いい加減集中してください。大会前なんですから」

浩子の声を無視したまま、竜華はセーラを観察していた。

結局、あの後咲とは会っていない。

保健室から帰るところを捕まえることも出来ただろうが、
それをしなかったのはお昼休みに聞いたセーラの言葉の所為。

(興味本位か…)

あんなことを言われるなんて思わなかった。

セーラは本気で咲のことを気遣っているようだった。

雅枝に頼まれたからだと推測していたのは、どうやら違うらしいと、やっと理解する。


「清水谷先輩!聞こえているんですか!?」

上の空の竜華に、浩子はいい加減痺れを切らして声を荒げる。

「あ…?」

「さっきから見ていれば、江口部長の方ばかり視線送って。まさか、部長に気があるんじゃ…」

「んなわけないやろ!」

思わず立ち上がって、竜華は叫んでしまう。

しん、と一瞬周囲が静まる。
そこで二人は視線を集めたことに気付いた。

「お前ら、何さぼってるんや?」

腕を組んだセーラが二人のいる方へ歩き、低い声を出した。
目が、怖い。

「私はサボってません。清水谷先輩だけです」

「うちだけかい!」

「とにかく、大会も近いんや。ちゃんと練習に集中せいや」

竜華に釘を刺したセーラが、元いた卓へと戻っていく。

セーラが監督絡みでなく、本気で咲を気にかけているのは分かった。
そして、何故か自分もセーラと同様に、咲に気を配っている。

でも本心から咲の為に動いているなら、構わないはずだ。
同じように咲を心配し、僅かながら力を貸す。

竜華とセーラ、どちらが手を貸そうが、咲の負担が軽くなるのは同じ。
そう、その時近くにいる者がやればいい。


(けど、なんやろうな。この割り切れん気持ちは)

いつでも頼ってと約束したのに。

自分の知らない所で、何かに巻き込まれてそれでも助けを求めない咲が目に浮かぶ。

知らなかったからと言い訳にもならない。

「セーラよりも、先に手を貸してやりたかったんやけどな…」

竜華の細い呟きは、誰にも聞こえることはなかった。


――――

今日はここまでです。

おつおつ、セーラ咲もすばらやな

乙です

おつ
竜華もマジなのかな


一番、怜が押し強いな

なんかみんな仲悪いな

仲悪くはないやん

他の学校も出てくるのかが気になる


――――


当然のように遅れて部室に入ってきた怜に、セーラは目を吊り上げた。

「お前なぁ…またどこかで昼寝してきたんやろ。大会も前に、少しは気合入れろや」

「はいはい」

セーラの言葉を聞き流すかの様に、怜は欠伸を一つする。

「結局、咲にも会えんかったし、ついてないわ」

怜の呟きが聞こえ、セーラはぎょっと目を見開いた。

(あいつ、ただ昼寝して遅れたかと思っていたら宮永を探していたんか)

どうやら今日は会えないまま部活に顔を出したらしいけれど、
明日は顔を合わせるかもしれない。

(浩子に、怜のクラスまで迎えに行かせるか)

ごねたら、大会が近い間は練習の強化をするとか適当に言い含めて連れてこれば良いだろう。
レギュラーが毎日遅刻してばかりでは、他の部員に示しがつかないから仕方ないことなのだ。

決して、知らないところで咲が怜と仲良くなるのが面白くないからとかそういう訳じゃない。
多分。

誰も聞いていないのに一人で言い訳じみたことを考える自分に気付き、苦笑する。

(宮永が現れてからというもの、どうにも調子が狂っている気がするな…)

しかし決してイヤな気分ではない。
むしろ、心地良いような気持ちだ。

何故だろう。

咲は今までにない感情を与えてくれているようだ。
それが何かは、まだわからないけれど。

「江口」

慌てて振り返る。

今の声は、遅れてくると聞いていた監督のものだったからだ。
部室の喧騒が、一瞬で静かになる。

「話がある。…他の者は練習を続けるように」

着いて来いというように、背中を向け雅枝は歩き出してしまった。

動きを止めてた部員達は、監督の指示に一斉に動き出す。

その中でセーラだけは牌を置いて、先へと歩く雅枝を追った。


「どういうつもりや」

完全に人気の無い中庭まで出て、雅はようやく振り返った。

全部知っていると、セーラは一瞬で悟る。
嘘もごまかしも許さないといった、雅枝の表情にさすがに怯むが、目は逸らさず答える。

「何のことですか、監督?」

「宮永のことや。私が何も知らないとでも思っているんか?」

今日取った行動は、やはり雅枝に筒抜けだったようだ。
いずれは耳に入るとは思っていたが、こんな風に直接聞いてくるとは予想しなかった。


’盲目の少女の入学には、雅枝が関わっている’

その噂を知ってるだろうから、表立って咲の名前を出してくることは無いとタカを括っていた。
けど、それは勘違いだった。

雅枝は全部理解した上で、問い質しにやって来た。

たしかに今日の嫌がらせは、セーラが以前取った行動によって起きたものだ。
乗り込みなんて真似したせいで、あの一年は部を追われることになったのだ。

そして咲に怒りの矛先を向けるとは予測出来なかったとは、言い訳にもならない。それは認める。
もっと上手いやり方があったはずだ。

けれどあの時は、頭に血が上って我慢出来なかった。
杖を取られ、手探りしながら壁を伝って歩く咲を見て、セーラは完全に冷静さを失った。

雅枝はそれを咎めているのだと、セーラはようやく理解した。

「心配するような事は、何もしてません。問題なら全て片付きました」

真っ直ぐに雅枝の目を見て、セーラは答えた。

(問題がこの先起きても、全部片付けたる。全部、俺の手で)

引くつもりは勿論無い。

「そうか、あんたが言うのなら信じよう」

セーラの態度に強固なものを、雅枝は感じたのかあっさりとそんな風に言われてしまう。
ほっとしたのもつかの間、雅枝の目が鋭く光った。

「だが宮永をむやみに不安にさせたり、混乱させるような真似はするな。
勿論、傷付けるようなことも許さない。私が言いたいのは、それだけや」

話はそれだけだ、と雅枝はセーラに背中を向ける。

(必要以上に関わるなと、釘を刺したつもりか?)

「ハイ、失礼しました」

一切の質問を受け付けない、そんな背中に礼をして、セーラはその場から離れる。


監督から警告に受けても、もう遅い。
多分この先も、盲目の少女に関わってしまうだろう。
自分から、進んで。

混乱や不安、そんなもの宮永に与えるものか。
寧ろ心配なのは、自分のいない所で彼女が助けを求めず歩いて行こうとすることだ。

もう、あんな宮永の姿は見たくない。
もしまた杖を失っても、必ず探し出して手を伸ばしてやる。

(あの様子だと、言っても聞かんようやな)

セーラが行った後も、雅枝は咲とセーラのことを考えていた。

どこでどう二人が知り合ったのか、雅枝は知らない。

ただ杖の件も今回のことも、報告は受けている。
セーラが出なくても、雅枝は裏から手を回し咲を助けるつもりでいたが。
まさか、こんなことになるとは思ってもみなかった。

一体、宮永との間にどんな利益があるのか。
それとも無償で心を砕いているのか?
ビデオの件で興味を持っている?
だから近付いて、何があったか聞きだそうとしているとか。

だが、悪いようには見えない。
セーラの言葉や態度からそれくらいはわかっていた。

けれど。
咲は盲目になったことで相当気が張っている。
無理な強がりをしている位、とっくに気付いていた。

今は、目を治す事だけを考えて欲しい。それだけだ。

(面倒なことに巻き込まれなければええんやが…)

もしセーラが咲の為にならないというのなら、いつでも引き剥がす覚悟でいた。

(そうならないことを、祈るしかないか)

セーラは良い方向に変わってるように見えた。
最近、咲も学校が楽しそうだと聞いている。

お互い、悲しむようなことさえなければそれで良い。

(今は見守るだけ)

それしか出来ないこと位、雅枝は理解していた。


――――


「江口部長、あの後監督にしぼられたんでしょうか」

部活終了後。
竜華に向かって、浩子は小声で囁く。

皆、気にしていた今日の出来事。

監督にセーラが呼ばれるのはよくあることだ。
それは部員達への指示なのだから、不自然でもなんでもない。

でも、今日の監督の印象はいつもと違った。

浩子が言うように、監督がセーラに対して怒ってると見えても仕方ない感じだった。

「さあな。セーラが怒られるようなヘマするとは、思えへんけど」

「では何でしょう。ひょっとして他の部員が何か問題起こしたから、その責任を取れとか?」

なんだろうと唸ってる浩子から顔を背け、竜華はセーラと咲のことを考えていた。

(監督がセーラを呼び出したのは、今日の一連の出来事の所為かな?
咲の為に動いたこと、監督の耳にも届いてるやろうし)

昼休みに見たセーラと咲の様子から見ても、確定している。

やっぱりセーラは監督に頼まれたから咲を庇っているわけじゃない。


(興味本位か)

たしかにセーラが入れこんでいたのを見て、咲に近付く気になった。
愛宕監督という後ろ盾を得た少女と歩いているから、てっきり裏で何か取引でもあったかと思っていた。
おもしろそうだと好奇心が働き、咲に話し掛けたけれど。

(今は違う)

セーラにだって負けないくらい、彼女の力になってやりたいと考えている。

「園城寺先輩は、どう思います?」

「さあなー」

浩子は次に、怜へ声を掛ける。
が、眠そうに欠伸交じりで怜は答えた。

「しかし原因はなんでしょうね。ひょっとしてあの一年を怒らせるようなことでもしたんでしょうか?」

「浩子」

竜華は素早く浩子の腕を引っ張ったが、
怜はしっかりと聞いていた。

「あの一年って?セーラが一年生になにかしたん?」

「ほら、監督が入学させた宮永咲です。江口部長、あの子の面倒見てるんでしょう?
だから彼女の機嫌を損ねたら、部長といえどもまずいことになるんじゃないかって」

「咲がそんな告げ口する訳ないわ!」

「え?」

怜の剣幕に、浩子は目を見開く。

「きっと別のことや。セーラが勝手にへまやったんや!」

「え、あの」

「怜。やめや」

怜と浩子の間に竜華は割って入った。

「咲が告げ口するような子じゃないこと位、わかっとる。けどあんたが反論してもどうにもならんやろ」

「でも」

「事情がわからん人から見たら、そういう見解もあるっちゅうことや。
いちいちムキになったらあかん。咲が聞いたらどう思う?」

咲のことを持ち出すと、さすがに怜も黙り込んだ。

(効き目は絶大やな)

怜も相当咲を気に入ってるようだ。

知らない間にどんな話をして仲良くなったか、気になる。

「なあ、竜華」

「何や?」

「セーラって、監督の命令で咲の面倒みてるん?」

さっきの浩子の言葉を気にしていたらしい。
小声で、問い掛けられる。

「私には、とてもそうは見えないんやけど」

「怜もなんか。うちも同じやで」

二人で顔を合わせて、頷く。

「じゃあそれだけ、セーラにとって咲が特別ってことなんかな?」

何気なく言った怜の言葉に、竜華はぎょっと目を見開く。

「計算も無く、純粋に咲の為に行動してるなら。セーラと咲が仲良くしてても文句はないけど」

「……」

「でも、やっぱりイヤやな。私が咲と一番仲良しになるんや!」

「へ?」

「せや!セーラになんか負けへんでー!」

「はあ…」

怜の行動も純粋だ。
咲を気に入って、仲良くしようとしているだけ。

監督とセーラの間で取引でもあったかと勘繰り、近付いた自分が一番不純だ。


『興味本位で宮永に近付いている訳やないやろな』

たしかにセーラに、あんなこと言われても返す言葉は無い。

(咲、ごめんな)

でも、今の気持はあの時と違うから。


――――


早く来てくれと、竜華は祈るように校門で待ち人を探していた。

朝練の解散の合図と共に、部室から猛ダッシュしてここまで来た。

今日だけは、セーラに邪魔されたくない。
飛び出した竜華をセーラは気にしてたようだけど、他の部員に話しかけられ捕まっていた。
あの様子なら、すぐにはこれないだろう。

(来た)

杖の音を立てながら、咲が歩いてくる。

「咲!」

名前を呼ばれ、咲はびくっと体を震わせてきょろきょろと辺りの様子を伺っている。

「ここや」

そっと竜華は腕に触れた。

「竜華さん。急に大声出すからびっくりしたじゃないですか」

「ごめんな。咲と会えた嬉しさから、つい」

ふっと、咲は笑う。
本気で怒っているわけでは無さそうだ。
それを見て、竜華は安心した。


『咲は笑っている方がええ』

前に怜が言った言葉だ。
自分もそう思う。

顔を見た途端、何を話したかったのか上手く言えずに、竜華はそのまま無言で咲の隣を歩く。

(セーラと一体、どういう知り合いなんや?)

(うちが何も知らなかったこと、セーラが知ってるのはなんで?)

これじゃまるでセーラに嫉妬しているみたいやな。
みっともないと、竜華は苦笑する。

嫉妬とは、少し違う。
けれど、悔しかった。

助けてやると勝手に誓っていた相手が、知らない所で問題に巻き込まれ、
手助けできないままで終わったこと。それをセーラがやってのけたこと。

それが悔しい。

沈黙のまま歩いていると、ぽつっと咲から口を開く。

「今日の竜華さん、静か」

「そうかな?」

「そうです。いつもなら息する暇のない位、喋っているくせに」

「息くらいしてるて」

「そういう風には聞こえないけど」

また会話が途切れてしまう。
どうしようかと、竜華は空を仰ぐ。
折角邪魔も入らなさそうなのに、言うべき言葉が出てこない。

「部活、大変だったんですか?」

どうやら咲は今日の練習で、竜華が疲れたと思っているらしい。

「毎日、レギュラーは沢山のメニューをこなすって聞いたけど」

「まあ、いつものことやから大したことないって」

「そうなんですか?」

「それより気に掛かっていることがあってな」


ごくっと唾をのんで、さり気なく竜華は話を切り出し始める。

「あんな、助けようと思っていた人がいたんや」

「はい」

「なのにうちはその子が困っとることを、気付かへんかった」

一方的だったけれど、たしかに約束したのに。

「他の人がどうにかしたんやけどな。本当はうちが手、貸してやりたかったんや」

あーあ、と溜息つく。

「それが気に掛かってること?」

「そうや。最初は興味本位で近付いたかもしれへん。
でも今は違う。だから余計に助けられへんかった自分に腹が立つねん」

「えっと、その人は竜華さんに助けを求めてないってことなんですよね?
なんでそこまで責任感じないといけないのかが、分からないんですけど」

うーん、と唸る咲に、竜華は苦笑した。

ただの独占欲かもしれない。
誰にも手を貸して欲しいと言わない咲に、いつでも一番に手を伸ばすのは自分でありたい。
そんな下らない、独占欲。

「ええんや。ちっぽけな自分に、落ち込んでいるだけやから」

「ふうん?」

コツコツと歩く杖の音が、不意に止む。

「咲?」

足を止めてしまった咲に竜華が一歩体を近付けると、手を伸ばされる。
手を差し出すと、華奢な咲の手がその手を掴んだ。

「竜華さんは良い人ですよ」

「咲」

ニコ、と盲目の少女は笑う。

「ちっぽけなんかじゃない。竜華さんはちゃんと他人のことを考えてあげられる人。
だからそんな風に言わなくてもいいです」

わかりました?と咲は手に力を込める。
どうやら、慰めてくれようとしているらしい。

「…咲がそういうのなら、この件で落ち込むのは止めるわ」

「はい」

咲にはちゃんと自分の言葉が届いていた。
助けられなかったことをいつまでも悔やんでも仕方ない。
そうだ。これから先はちゃんと手を伸ばしてやれば、いいのだから。

「セーラより、先にな」

「え?」

「なんでもない。行こか」

校舎の方へ顔を向けると、早歩きでこちらに向かって来るセーラが見えた。
どうやら部員達を振り切ったようだ。

また間に割って来るに違いない。
離されないように。竜華は咲の手を強く握り直した。


――――

今日はここまでです。
他校は今のところ姫松を出す予定でいます。

乙です


姫松か・・・洋榎ちゃんが地雷踏み抜きそう

乙です

おつおつ
姫松楽しみ


――――


本日のお昼休み。
怜は咲を誘いに1年生の教室にやって来た。

きょろっと教室を見渡し、咲がいることをまず確認する。
すると泉とお喋りしている様子が見えた。

(いたわ、良かった)

すぐ近くにいた子に、「咲、呼んできてもらえるか?」と頼む。

「宮永さん、呼んでるで」

「え、誰が?」

一緒に泉も出入り口に目を向けると、そこには笑顔を浮かべている怜がいた。

「咲、園城寺先輩やで」

泉の声に咲は少し驚いた顔をしたが、すぐに杖を持って席を立った。

「ちょっと行って来るね」

泉に声をかけて、咲はゆっくりと出入り口の方へ歩き出した。
後数歩と、確認しながら歩く。
見えないけれど、教室の構造はもう咲の頭に入っていた。

「咲!」

「怜さん?今日はお昼寝はしないんですか?」

少しからかうように、咲は笑った。

「だって放課後に咲と会えへんから」

ここ最近、怜は真面目に部活へ通っていた。
本人の意志ではない。

咲の教室に行こうとすると、決まってと言っていいほど、怜を迎えに来た浩子に邪魔されるのだ。

どうせセーラの命令だろう。
すぐに察した怜は直接本人に文句を言うと「県予選も近いのに、さぼってるんやない」と一蹴されてしまった。

「せっかくレギュラーになれたんだから、ちゃんと練習するべきですよ」

「咲までそんな風に言うんかい」

セーラと似たようなことを言う咲に、怜は拗ねた口調で返した。
が、すぐに目的を思い出し、咲の手をさっと掴む。

「そうやなかった!咲、早くお昼寝しようや」

「え?」

「咲を連れていきたい場所があるって言ったやん。その為に今日はお昼休みに来たんや」

喋りながらも、怜は咲を引っ張って目的地へと歩き出す。

「ちょっと怜さん、歩くの速いですっ」

「急がんと昼休み終わっちゃうで。本当はもっと早く来ようと思ったけど、4時間目からずっと寝たままでなぁ」

「…それ、ご飯食べて無いってことですか?」

「せや。腹減ったわー」

それでいいのか、と咲は首を傾げたが、怜はどんどん先を歩く。

「ここから外やけど、後で拭けば問題ないよな」

一階の渡り廊下から、直接怜は外へと足を踏み出す。
靴を履き替えに行くよりも、近道だからだ。

怖々地面に片足を出す咲に、「大丈夫だから」とゆっくり手を引く。

「どこまで行くんですか?」

「ほんのちょっとやで」

怜が目指す先はプールの裏側にある。
ここを突っ切って行けば時間は掛からない。

「怜さんっていつもそんな所で寝てるんだ?」

「時々な。冬はさすがに外で寝ないけど」

一度風邪引いて懲りたと告げると、咲は笑い声を漏らす。

「普通、そんな寒いところで寝ませんよ」

「まあな。でも寒くても眠かったから」

もうちょっと、歩けばすぐそこ。
しかし怜は人の気配に気付いて、その手前で足を止めた。

「怜さん?」

突然止まった怜に、咲は繋いでいた手を引っ張る。

「しっ」

「どうしたんですか?」

そっと怜は咲の口を一指し指で押さえた。

「セーラがおる」

「えっ」

ちょうど体育館の裏側。
セーラが背中を向けて立っていた。

(なんでこんなところにいるねん)

セーラの体にほとんど隠れて見えないが、もう一人女子生徒もいるようだ。
顔を顰めて、怜は咲の手を引っ張って死角へと移動した。

「どないしよ。反対側から回った方がいいかなあ」

見付かれば、間違いなく何をしてるかと追求されるだろう。
しかも連れているのは咲。

(咲のこと、セーラはすごく気にしているみたいやし)

盲目の少女を見詰める。
けれど咲は怜の視線に気付いていないので、ただこの状況がわからずきょとんとしている。



セーラは咲のことに関して、とてもガードが固い。

『怜には関係ないやろ』

それだけを繰り返して、どういう知り合いなのか、怜は未だ聞き出せていなかった。

(どうしてあんなに頑ななんやろう?)

セーラが他人のことに対してあんなにムキになるのを初めて見た、と思う。
その態度が何か隠していると余計煽っているのに、気付いていないのか。

「くだらないことで、呼び出しすんなや」

急に響いた声に、怜も咲もハッとして体を強張らせた。

「でも」

「部のことで意見があるって言われたから、わざわざ足を運んでみたらこれや」

「それは、口実でもないと来てくれないかと思って…!」

「小細工使うような奴は嫌いや」

「江口先輩…」

「もう帰れや」

短いセーラの言葉に、女子生徒は足を震わせ、それでも走り出した。

ちょうど怜と咲のいる方向だったが、顔を覆うように走っていた為、気付かなかったようだ。
セーラはというと背中を向けたまま、反対方向へ歩き、そして角を曲がってしまった。

「あの、これって立ち聞きになるでしょうか?」

居心地悪そうに、咲は怜のシャツをくいっと引っ張った。

「せやな。結果的にはそうなっちゃったかも」

聞く気はなかったが、しっかりと内容は耳に入ってしまった。

「うわー、セーラに知られたら怒られるで、絶対!」

しかも立ち聞きに咲を付き合わせたと知られたら。どうなるのか、考えたくもなかった。

「そうなんですか?」

「せや。お願い咲。今、聞いたことは黙っててくれるか?」

「いいですけど。それに誰かに言うつもりはないし」

「良かったー。セーラにも何か言っちゃだめやで、絶対」

「は、はい」

無理矢理、小指を絡ませる。

「約束やで」

「はい」

約束はしたももの、なんだか咲は納得しないような顔をしている。
何だか引っ掛かって、怜は聞いてみることにした。

「咲、どうかしたん?」

「江口さん。今の、あれなんでしょ」

「あー、多分告白」

「それ。あの人、いつもああなんですか?」


『くだらないことで、呼び出しすんなや』


はじめて聞くセーラの冷たい声音に、咲は顔を引き攣らせた。

「いつもあんな感じやで」

「やっぱり、そうなんだ」

「せや。セーラは自分に言い寄ってくる人間には徹底して冷たいから」

そう。一貫して空気のような扱い。まるでそこに存在しないかのように。

「へえ。それなのに人気あるんでしょ。変なの」

泉からの話によると、部長の周りには取り巻きが絶えないと咲は聞いていた。
声援に贈り物。告白する人は後を立たないだの。

「まあ女子高でいかにも女受けしそうなイケメン顔やからなぁ」

「そうなんですか?」

「せやで。それに麻雀やってる時のセーラって、すごいって思えるし。
そういうとこ見てると、やっぱり好きになっちゃう子もいるんやないかなあ」

麻雀に関しては文句のつけようがない。
千里山の頂点に相応しいと、怜も思っていた。

「っと、セーラの話してる場合やない、早く昼寝しに行こ!」

「あ、そっか」

何しに来たのか思い出し、怜は慌て始めた。
残り時間はそんなに無い、と思った瞬間。

「予鈴…」

「あーあ。鳴っちゃったわ」

鳴り響く予鈴に、怜はがっくり肩を下ろす。
一瞬、さぼろうかと思うが常習の自分はともかく咲を巻き込む訳にはいかない。

「ごめんな、また今度案内するから。必ず」

やっとのことで告げると、咲は顔を上げてそして頷いた。

「はい。また今度」

「約束やで?」

「はい」

そして小指を絡ませる。

この姿も見られたら、セーラは怒るのかな?
そんなことが頭に過ぎり、怜は慌てて首を振った。

「咲、約束のことも内緒やからな!」

「はあ?」

無関心でいられないってことは、どう考えても咲はセーラにとって特別な存在だろう。

ただ、大事にしようとしているのはわかるが、
誰にも近づけさせないような独占欲も丸出しだ。

(やり方、全部が間違ってるとは言わんけど、もうちょっとなんとかならへんかなあ)



「宮永と、園城寺?二人で何をしてるんや」

校舎に入って、二人で教室へと歩いていると後ろから声を掛けられる。

「監督!?」

「愛宕先生、こんにちは」

ぺこっと頭を下げる咲に、怜も慌てて頭を下げる。

(うわ、監督。めっちゃ私のこと見とる!)

色々噂は聞いているけど、実際咲と監督が一緒にいるところを見るのは初めてだ。

雅枝の鋭い視線に、怜はたらりと冷や汗を掻く。

(で、でも悪い事している訳やない!咲と仲良くしてるだけや!)

「知らんかったが…宮永は園城寺と知り合いやったんか?」

咲と怜を交互に見て、尋ねる。

「はい。この間から」

普通に返事をする咲に、雅枝は「そうか」と呟いた。

「園城寺」

「はい」

「宮永とは仲良いんか?」

「それはもう!一番の親友くらいに」

「怜さん、それは大袈裟過ぎですって」

「でも、いずれそうなる予定やし」

黙って雅枝は二人のやり取りを見ていた。

「宮永、良い友達がいて良かったな」

「はあ」

「二人共、もうすぐ授業が始まるが遅れないように。私も授業があるから、これで失礼する」

「はい」

雅枝を見送って、怜はほっと息を吐いた。

「はー、緊張したわー。まさか監督に会うとは思わんかった!」

「緊張するんですか?いつも会ってる監督でしょう?」

のんびりとした咲の声に、怜は声を落として囁く。

「いや緊張するって!監督、マジ厳しいねんでー。それに咲と歩いているとこ見て、なんて思ったか」

「私?」

しまったと、怜は口を噤む。
でも言ってしまった言葉が、戻るはずもない。

「そっか。怜さんも聞いてますよね。あれだけ噂になってれば」

小さく笑う咲を見て、ぎゅっと手を握る。

「怜さんも、聞きたい?先生が、一体なんで私に便宜を図ってくれているのか」

「ええで、そんなこと言わんくたって。私、知りたいなんて言ってへんやん」

「…ごめんなさい」

怒った口調の怜に、咲は謝罪する。

(そんな顔、せんといて)

きっと今までも、雅枝との噂でイヤなことを言われたのだろう。
咲を安心させる為、怜は口調を優しいものへ変えた。

「私も、ごめんな。変な言い方しちゃったせいで。でも、咲と仲良くしたいのは本当やから。それだけはわかって欲しいねん」

「怜さん」

「監督って咲のこと大事にしてるやろ。見ててわかるわ。
その咲と仲良くしてるの見られて、こんな奴と、とか思われるのが怖かってん」

「バカですね」と咲はやっとちゃんとした笑顔を見せた。

「愛宕先生はそんなこと言いませんよ?それに怜さんが良い人だってわかってるはず」

「そうかなあ?寝てばっかりの変な奴って思われてる気がするけどな」

「あ…そっか」

「咲も同意するなやー」

くすくす二人で笑い合う。

「じゃ、これからも咲と仲良くしてもええんやな」

「もちろんです。こちらこそよろしくお願いします」

そこへ本鈴のチャイムが鳴り響く。

「やっば!咲を遅刻させたら大変や!怒られるわ」

急いで、と咲を引っ張って教室へと走る。

「またな、咲!今度はちゃんとお昼寝しような」

「はい、約束です」

無事教室へ届けた後、今度は自分の教室へと怜は走り出した。


(あー、のんびりした昼休みを過ごす予定だったのになー。
セーラに、監督に。ちっとも咲とお昼寝出来んかった!)

しかもどちらも咲を大切にしている者と会う(セーラは影から見ただけだが)なんて。

(一人で咲を連れ出そうとした、所為かな?)

雅枝はともかく、セーラが知ったら間違いなく私怨を交えて練習地獄にさせられそうだ。

(でも、負けへんでー)

一番の仲良しを目指す。
それだけは、譲れない。


――――

今日はここまでです。

乙です?

キャラ同士の関係が凄くいい

スレタイから咲がアカギの市川みたいになる展開と予想してたら見事にら裏切られたw

おつおつ
怜は純粋に咲と友達になりたいって感じなんだな

乙です

面白い

「ただいま、咲」

「おかえり、お父さん。今日は遅かったんだね」

「実はさっきな。途中で江口さんに会ったんで、車で送ってもらったんだよ」

瞬時に固まってしまう。
そんな咲に気付かず、父は話しつづける。

「上がってもらってお茶でもと思ったんだが、今日は時間がないからと言われてな。今度江口さんに時間がある時ゆっくり寄ってもらうよう言ってくれ」

「え?私が?」

「当たり前だろう。お前の先輩なんだから」

ふぅっと息を吐いて「わかった」と答える。

「ところで、咲」

「何?」

「江口さんは優しい子だな」

「は?」

「あの子、お前のことをとてもを気に掛けているみたいだぞ」

「え!?お父さんさん、一体何を話したの?」

教えてよと問いかけるが、

「それは、俺の口からは言えん」

きっぱり断られてしまう。

「どうして」

「本人の口以外からは、言うべきことじゃないと判断したからな」

父が言わないと決めてしまったら、口を割らせるのは難しいだろう。

「江口さんは信頼できる人だと思ったぞ」

そっと肩に手が置かれ、離れていく。

一体、ここまで送ってもらう間に何の会話をしたのだろう。

(気になる…)

家に招待するついでに、セーラに聞いてみるとするか。

思わせぶりな父の態度が、妙に引っ掛かる。


――――


翌朝。
近付いてくる足音に、咲は足を止めた。
一番に近付いてくるのは、決まっている。

「おはようございます、竜華さん」

「おはようさん、咲」

竜華は毎日ここで待っている。
部活が終わった後、わざわざこっちに寄るのは手間じゃないのか。

「先に教室に行ってても良いですよ」

竜華の負担を考えて、そんな風に言ってもみたけれど。

結局、『咲はうちに会いとうないんか!?』と、
やや泣き声が交じった声で詰め寄られ好きにさせている。

芝居とはいえ、泣くようなことかな。
だけど咲も竜華との会話は楽しいものだったから、それ以上追求するのはやめた。

なんの間違いかはわからないが、竜華が友達と言ってくれたのは嬉しかった。
会話があまり得意と言えない咲だが、竜華や怜とは自然に会話できる気がしている。

「大会ってもうすぐなんでしょう?」

「せやで」

「何校ぐらい出場するんですか?」

「さてなぁ。大阪は激戦区やから、きっと凄い数やろうなぁ」

他愛の無い会話を続けながら、校舎へと向かう。

ここの距離まで歩いてくると、いつも聞こえてくる声がある。
これも毎度のこと。

今日は、その人のことを待っていた。

「よっ!宮永、竜華」

「おはようございます、江口さん」

「今日も相変わらず男前やな、セーラ」

「うっさいわ、竜華」

両隣で繰り広げられる軽口交じりの口論。
お馴染みのものなので、放っておくことにする。

それよりも、セーラへ言うことがある。
昨日の件だ。
そう思ってどう切り出すべきか考えると、竜華がそっと腕に触れてきた。

「咲、どうかしたん?」

「ええっと…」

竜華のいる前で話すのにためらっていると、予鈴が鳴り響く。
仕方なく、今朝は話をすることを見送ることにした。

(でも次、いつ会えるのかな?)

セーラの教室がどこかなんて知らないし。

どうしようと悩むが、意外にもその機会は早くやって来た。





セーラが咲を教室まで尋ねて来たのは、これで二度目になる。
以前、睨まれた生徒はセーラの姿を見ただけで小さな悲鳴を上げ、教室を飛び出してしまった。

セーラはそんな彼女を気にも留めず、ずかずかと中まで移動する。

「泉、また宮永借りるで」

「はい、どうぞどうぞ!」

だから借りるってなんだ。

『部長』に頭が上がらない泉に、
溜息をもらしつつ、引っ張られる手をそのままに廊下を歩く。

「前と同じ場所ですか?」

「せや。静かやからな」

「誰もいない?」

「誰も来ないから、安心せい」

以前来た資料室の扉を開けたセーラに、そのまま勧められ椅子に座る。
そして、自分の分の弁当を手探りで広げる。

「で、今日は何の用ですか?」

また話しする為に、引っ張って来たのかとセーラに尋ねる。
けれど、怪訝な声で返答された。

「それはお前の方やろ」

「え?」

「今朝、何か言いたそうな顔してたからな」

どうやらそれを気にして、教室まで来たらしい。
手間は省けたけど。
いちいち自分の表情をセーラは気にしているのだろうか。と、ふと思う。

「はい。昨日、お父さんさんに会ったって聞いて」

「ああ」

「送ってくれたって言ってました。ありがとうございました」

「いや、ついでやったし全然かまへんで。ところで先に昼食にするか?」

「はい」

前回と同じように、セーラはこれも食え、あれも食えとおかずを差し出して来た。
味は文句無しに美味しいから不服はない。寧ろ嬉しい。

ただ、食べ方に問題がある。
いちいちセーラは箸で口元に運ぶのだ。

「ほら、口開けや」

「子供じゃないんだから、自分でも食べれます」

「この方が早いやろ」

「……」

(そりゃあ、早いけど)

どこかセーラの声は面白がっているようにも聞こえる。
何が楽しいんだろ。

もう一度開けろと、箸を持ってない方の手が頬に触れた。
しょうがないと開き直って、口を開ける。

「自分の分はちゃんと食べてるんですか?」

「お前が食べてる間に、口に入れてるから問題無いで」

「そうですか」

結構な量の食事と口に運ばれ、自分の弁当と合わせてかなりお腹が一杯になっていた。

「お茶、飲むか?」

「はい。どうも」

差し出された湯のみを受け取り、一口飲む。

「ごちそうさまでした。もう食べられません」

「はは。あれだけ食えばな」

「江口さんがひっきりなしに、口に運ぶから」

「宮永やって、なんだかんだと口開けっぱなしやったやん」

そうだったっけ?
首を傾げると、そうだと断言される。
でも仕方ない。開けろ開けろとセーラが言うから、条件反射になったようなものだ。

(反則な位美味しいんだよね…)

セーラはいつもそんな上等なものを食べているのか。
ちょっとだけ羨ましいと思う。

「ところで、話の続きをするか」

「あ、そうだ」

忘れちゃいけない話だった。

「今朝、言おうとしてたやんな」

「はい。お父さんがまた是非ウチに連れて来いって。
大会前で忙しいのはわかってるから、いつでもいいけど」

「さよか。じゃあ今週の金曜、お邪魔すると伝えてくれや」

「わかりました」

「今度は手土産持参で訪ねるからな」

「手土産はいいですって!そんなことしたら、またお礼に夕飯に招待するって言い出しますよ」

「別に構わへんで」

「え?」

「招待されて断る理由もないしな。それとも俺が来ると迷惑なんか?」

「そう、じゃないですけど」

そんな風に言われると、戸惑ってしまう。

(他に江口さんを誘う人なんて幾らでもいるんじゃないの?)

告白する女子生徒は多いと聞いている。
時間があるなら、デートにでも行けばいいのに。
何故、こっちを優先する気になるのか?


「あの、昨日お父さんと一体どんな話したんですか?」

「いきなり、なんや?」

「答えてください」

今、すごく気になっていることだ。
いない所で、何を喋っていたのか。知りたい。

けれど、セーラは答えない。

「内緒や」

「…内緒?」

「せや。いくら娘の宮永といえど、人との会話を勝手に喋る訳にいかへん」

「私のこと、話してたんでしょ?」

「聞いたんか!?」

がたん、と椅子を引く音が聞える。
セーラが立ち上がったらしい。

「なんでそんな動揺するの?」

「いや、だって」

「詳しくは聞いてないけど。私のことは、出たんでしょ?」

「なんや…聞いてないんか」

ほっとするような声だった。

(そんなに焦るなんて、変の)



結局、何も聞き出せずに昼休みは終わってしまった。

「…気になる」

教室に戻った後も、セーラと父の会話がどういうものか考えていた。

表情は見えなかったけど、
セーラの優しい声に決して悪い話をしている訳じゃないのはわかる。
だったら隠す必要は無いのに、セーラは言わない。

(いつか聞ける、かな?)

その時には、この目が見えるようになっているだろうか。
そうであって欲しい。

焦ったようなセーラの様子。

話しを聞く時には、ちゃんと表情が見たい気がする。

――――

今日はここまでです。
次は日曜あたりに投下します。

乙です

乙!

おつおつ

「なあなあ竜華、練習抜け出して咲の家行かへん?」

部活中、唐突に話し出した怜の言葉に、竜華はしばし硬直した。

「…怜?なんで咲の家知ってるん?」

「この間聞いたで。学校から出てまっすぐ歩いて1分くらいやって。だから探したらすぐ見付かったわ」

「家、入ったん?」

「ううん。部活終わって遅かったから、遠慮したわ。でも今日なら昼間だし、遊びに行っても大丈夫かなーって」

ニコニコ笑ってる怜に、竜華はぴっと人差し指を突き立てた。

「あかんで、怜。部活さぼって家に行ったって、咲は喜ばん」

「それは」

『せっかくレギュラーになれたんだから、ちゃんと練習するべきですよ』

咲の言葉を不意に思い出し、怜はしゅんと項垂れた。
それに気付いたのか、竜華は「そうやろ」と頷く。

「行くなら終わってからにしとき。今日はいつもより早いし、訪ねて行っても大丈夫やろ」

「そうするわ。ありがと竜華」

「ええて。あ、咲のところに行くんなら、うちも付いてってええ?顔、見たいし」

「うん、ええでー」

あっさり承諾した怜に、竜華は心の中で「これで咲の家がわかる!」と喜んでいた。

「そうと決まれば、メニューを一気に消化するで」

「せやな」

のろのろ立ち上がる怜を、片手で起こす。

「さ、行こか」

「よっしゃ!気合入れるでー!」

あれから真面目に練習へ取り組んで、ようやく終了の時間になった。
怜と竜華はいそいそと咲の家へと向かった。

「で、ここを真っ直ぐでええんか?」

「ちょっと待って。遠回りになるけど、あっちのコンビニ寄って行こ」

「なんでや?」

急に押し掛けるのだから、何か持って行った方が好印象のはず。

怜の提案に、なるほどと竜華も納得する。

「咲、これ好きやと思う?」

「色々買いこんでおけば、何か好きなものにあたるやろ」

「そうやねー」

お菓子やデザートを買い込み、いざ宮永家へと向かう。

「これで留守やったらどないしよ」

「今更そないなこと言ったらあかん」

覚悟を決めて、インターフォンを押す。


「おや?こんにちは」

「こ、こんにちは」

中から出て来たのは、中年の男性だった。
怜と竜華の制服を見て、小首を傾げている。

咲の父親だろうか?
思わず二人は顔を見合わせ、そして本来の目的を思い出す。

「すみません、咲さんと同じ学校に通ってる清水谷と言います」

「園城寺です」

「咲のお知り合いかな?咲の父です。どうぞ上がって下さい」

「いいんですか?あの、実は約束もしていないんですが」

「大丈夫。お友達が来てくれて、きっと咲も喜ぶよ」

ふふっと咲の父は柔らかく笑う。
そう言ってもらえて、竜華も怜もどこか安心する。

咲の喜ぶ顔が見れるのなら、来た甲斐がある。
早く会いたいと、父親に招かれるまま玄関へと入った。

「え、誰?江口さんじゃないの?」

「ああ、わざわざ寄って下さったみたいだぞ」

先へ入った父親は、早速咲を呼んでくれたようだ。
奥から、ゆっくりと歩いてくる。

「セーラ?なんでセーラが出てくるん」

「さあ?うちにもわからん」

二人の会話に、怜と竜華は顔を見合わせた。

「じゃあ、一体誰が?」

小首を傾げる咲に、怜は我慢出来なかったのか声を上げた。

「咲!」

「怜さん?」

急に怜が抱きついたせいで、咲の体がぐらっと傾く。
慌てて竜華が支えなければ、床に激突していただろう。

「咲、元気やったかー?」

「挨拶はええから、早う咲の体から退き!めっちゃ重いわ」

「竜華さんも?」

なんで家を知ってるんですか、と咲の声が響く。

さて、どう説明したものか。
呑気に喜んでいる怜をよそに、竜華は頭を悩ませた。


――――


――――


監督とのミーティングがようやく終わった。

今日は宮永家にお邪魔することが決まっている。
盲目の少女が待つあの家へ、一目散に足を運んだ。

それから数分後。

(よし、完璧やな)

きちんと手土産も用意して、セーラは宮永家の前に立った。
インターフォンを押して、咲か父親が出てくるのを待つ。

(きっと宮永が迎えてくれるはずやんな?)

ウキウキしていたはずのセーラの機嫌は、迎えに出てきた人物達によって急下降することになる。

「江口さん、部活お疲れさまです」

「ああ…」

咲が玄関を開けてくれたのは、別に良い。
問題はその両隣にいる人物達だ。

「なんで、お前らがいるねん!?」

咲と密着する形で、何故か怜と竜華が立っている。

「どういう事やねん?説明してもらおうやないか」

「説明って、こっちも聞きたいわ」

ふぅっと溜息をついたのは、竜華。

「なんでセーラが咲の家に出入りしてるん?」

「それは」

ぐっと言葉に詰まるセーラに、「そうやで」と怜は頬を膨らませる。

「セーラ、ずるいわ。咲の家知っててんな」

「だったらなんや」

「知ってたんなら、もっと早くに教えてくれればいいやん!」

誰が教えるか。
セーラは内心で呟いた。

「あの、取りあえず家に上がってください」

いつまでも続くやり取りを、咲が止めた。

「江口さん、部活で疲れてるでしょう。用意も出来てるから、入ってください」

「あ、ああ…」

言うことだけ言って、咲はくるりと背を向けて家へ入ってしまった。

「咲、待ってやー!」

その後を怜がすぐに追いかける。
残されたセーラは竜華と一瞬目を合わせ、すぐにその後を追った。




前回セーラが通されたのはリビングだったが、今回は和室へと案内される。
人数が増えたから、こっちに移したに違いない。
しかも夕飯まで一緒だとは。

「咲は私の隣やから!」

特に勝手にそんな宣言をして、ずっと肩に手を置いてる怜が恨めしい。
隣に座ってる竜華は、それに対して何の文句も言わず、咲との会話を続けている。

何故この二人がいるのか、説明が欲しい。
思い描いていた訪問と程遠い状況に、セーラは頭を抱えた。

だから唐突に話を振ってきた咲の言葉にも、反応が遅れてしまった。

「もうすぐ大会ですね、江口さん」

顔を上げると、怜も竜華もこちらを向いている。

「聞いてます?」

拗ねたような口調に、慌てて答えを返す。

「あ、ああ聞いてるで。県予選くらい楽勝や」

「せやな。せめて全国にならんと強豪も揃わへんし」

セーラの言葉に竜華も同調する。

「やっかいな姫松は南大阪やから、うちとは当たらんしな」

なぁ、と怜は咲に相槌を打つ。

しかし咲は何のことかわからず、首を捻る。

「その姫松ってトコ、強いんですか?」

「大したことないわ」

「あんなー、セーラがずっと対戦したい相手がいるんよな!」

「おい、怜」

低い声で睨んでも、怜はにへっと笑っているだけだった。

「対戦したい相手?」

どうやら咲は興味を持ったらしい。
その先を聞きたがっているようで、テーブルに両手を置いてじっと続きを待っている。

「あんな、そいつ愛宕洋榎って言うて、姫松の主将なんや」

苦虫を潰したような顔をするセーラを見て、竜華は「こりゃあかん」と判断し、
勝手にその対戦相手について話を始める。

「おい、竜華」

「ええやん。咲が質問してるんやし。
でな、その人とセーラって今まで一回も当たったことないんや」

「一回も?」

「そういえば、そうやんな」

ずっと咲の体にひっついたまま、怜も頷く。

雑談している間に、夕飯の支度はすっかり整っていた。

「どうぞ、沢山召し上がって下さい」

咲の父の言葉に、怜が「はい!」と元気良く返事をする。

「咲、あーんしてやるわ」

「一人で食べられるから、いいです」

手を突っぱねて遠慮する咲に、怜はいいからいいからと、懇願する。
何度もお願いするので、とうとう咲も負けてしまい口を開けた。

「よっしゃ、食べたなー」

「怜さんが無理矢理箸を押し付けるからでしょ」

「じゃ、次これな」

「もう、いいですって」

今までそんな風に食べさせたのは、自分一人だったはず。
それを横取りされたような錯覚に、セーラの不満は少しずつ膨らんでいく。

ふと横を見ると、竜華が目の前の風景を見て微笑んでるのが目に入った。

「竜華はええんか」

「何や?」

「あれ、参加しなくてもええんかって」

怜と咲のやり取りを指す。
てっきり竜華も、咲に食べさせてやろうと言い出すかと思ったのに、
なんだか意外だった。

「ああ?あれか。別にいつでもできるからな」

さらっと爆弾発言をする竜華に、セーラは目を見開く。

(どういうつもりやねん?)

一瞬、セーラは目を鋭くする。
しかし竜華の方はなんとも無いように、セーラにだけ聞こえるような小声で呟く。

「怜に取られっぱなしで悔しいんやろ?」

「なっ…」

「図星か。まあ、実際仲良いしなあ。咲も怜に全く警戒しとらんし」

ひょいっと箸でおかずを摘み、竜華は口に放り込む。
なんでも無さそうな様子。

その態度に苛立って、セーラは尋ねてみた。

「竜華はそれをなんとも思わんのか」

「別に。咲が本気で嫌がってるなら止めるけどな」

「……」

仲良さ気な怜と咲をちらっと見て、竜華は「嫌がってないみたいやし」と肩を竦める。

「私のことはいいから、怜さんも食べてください」

「後一回、後一回だけやー」

「もう」

確かに少し困っているようだが、嫌がっているほどでもない。

はあ、とため息をついて、セーラはご飯をひたすら口に運ぶことに専念する。

セーラの表情を見て、竜華は面白そうに目を細めている。
それに気付かないふりをして、黙ったまま箸を動かし続けた。



結局夕飯の間、咲は怜に構われてばかりで。

二人きりで話す時間は無いまま、このまま終わりそうだ。

片付けの為、皿をキッチンへと運ぶ手伝いをしながら、
セーラは何の為にここまで来たのだろうかと考える。

単純な話だ。咲との時間が欲しかっただけ。

お手洗いを借りると断り、席を外す。
こんなはずじゃなかった。
けど、ここで我侭を言う程、バカじゃない。

少し気持ちを落ち着かせ、トイレから出る。

「江口さん」

「宮永?」

てっきり怜達と一緒だと思っていた咲が壁に背を預け立っていた。

声を掛けてみたものの、いつもの彼女らしくなく口篭っている。
辛抱強く咲の言葉を待つ。
すると、

「無理に誘ってごめんなさい」

ぺこっと小さく頭を下げる姿が目に入る。

「え、おい!?」

一体、どうしたというんだ?
何がごめんなさいなのかが、わからない。
大股で咲の立っている位置に近付き、肩に手を乗せるとびくっと体が揺れた。

怜には、平気で触れさせていたくせに。
苛立ちと寂しさのようなものを感じ、そっと手を下ろす。

「なんで謝るん?訳が分からんで」

出来るだけ抑えた声で言ったが、咲は違った意味で捉えたらしい。
ますます体を小さくしてしまう。

(これじゃ、苛めているみたいやんか)

どうにもわからずくしゃくしゃと自分の髪を掻く。

今、どんな言葉を言えばいいのか。
全く浮かんでこなくて、そんな自分がイヤになる。

先に沈黙を破ったのは、咲の方だった。

「…機嫌、悪かったから」

「え?」

ぼそぼそと小さな声に、聞き返す。

「ここに来てずっと機嫌悪かったから、
本当は来たくなかったんじゃないかって思っただけ…です」

予想もしなかった言葉に、セーラは目を丸くした。

(そんな訳ないやろ。だったら最初から断ってるし)

「悪かったわ」

最初に、まず告げる。

「えっ」

「誤解、させたみたいやな」

謝ることなんて、ないってことを。

咲の思い込みを解くため、できるだけ優しい口調で話を続ける。

「機嫌が悪かったのは、ここに来たくなかったからとかいう理由やない。
大体、行きたくないのなら最初から断ってるし」

「じゃあ、どうして?」

「それは…」

手を伸ばし袖を掴んできた咲の手は、聞くまで離さないというようにきつく握られている。

(参ったわ)

正直、咲にべったりな怜にむかついていたなんて正直に喋るのは、自分が幼稚に思えて恥ずかしい。
いくらでも誤魔化すことは出来るだろう。
けれど、咲にはそんな真似したくないと思っている自分がいる。

「…あいつら、なんで宮永の家を知ってるん?」

「え?何?」

「怜と竜華。よく来るんか?」

「今日が初めてだけど。前にこの辺りだからって教えたら、ここがわかったみたい」

反対に質問され、戸惑いながらも咲はきちんと答える。

「そうだったんか」

「はい。でもそれがどうかしました?」

袖を掴んでいる手に、自由なほうの手を重ねる。
再び咲の体が揺れたが、気付かない振りをしてそのまま強い力で握り締める。

「あいつらがあんまりお前に構うから、腹が立っていたんや」

「…なんで?」

きょとんとしている咲に、重ねて言う。

「俺だけかと思って来たら、他にも客が居たからむかついた。わかったか」

「えーっと…」

考え込んだ後、咲はぱっと顔を上げる。

「江口さんの承諾無しで、勝手に二人を夕食に招いたことを怒ってるんですか?」

(ちょっと違うが…)

まあ、いいかとあえて訂正はしない。

「次はちゃんとあいつら抜きの招待で頼むわ」

「しょうがないですね。分かりました」

くすっと笑う咲は、まだ誤解しているだろう。
機嫌が悪かった本当の理由を知らないまま。

「今はまだ、そのままでもいいわ」

「何か言いました?」

「イヤ。そろそろ戻るか」

「はい」

先へ歩いて、咲の手を引く。
抗わず、引かれるままの咲に知らず笑みが浮かぶ。

今はまだ成長を待つ時かもしれない。
咲だけじゃなく、自分の心も。

しばらくはこのままで。
ゆっくりと向き合って、考えていけばいい。
不安定な心の方向も、いつか定まるはず。


手を繋いで入って来た二人に、
怜は騒ぎ、竜華が宥めに入るハメとなる。


――――

いつの間にか時刻は10時近くなっていた。

「じゃあそろそろ帰るわ」

「えー、もう少し咲といたいわー」

駄々をこねる怜。
まさかここに泊まるなんて言い出さないだろうな。

(冗談やない)

「車を呼んで、一緒に送ったるから」

「うー。咲、また来てもええか?」

「もちろんです」


廊下へ出てきた咲の父に、セーラはさっと挨拶をした。

「なんのお構いもしませんで」

「いえ、遅くまでお邪魔してすみません。ごちそう様でした」

にっこりと咲の父が微笑んでいる。
目が合って、慌ててセーラは視線を逸らした。

別にやましいことなど無い。
けれど以前咲の父であるこの男性を車で送った時に、色々と口が滑り余計なことを言ってしまった。

学校での咲はどうなのかと聞きたがる父親に、知ってる範囲のことを話した程度だが。
話しを聞き終えた父親は、「咲のこと、よく分かってくれているんだね」と笑顔を向けた。

「心配だったんだよ。今の咲は決して人の手を借りようとしないから。
でも江口さんみたいな方が側にいるなら安心だ」

真っ直ぐな父親の言葉。
気恥ずかしくて、思わず目を逸らしてしまった。

「今日はありがとうございました」

「いいえ。また来て下さい」

「ハイ、また来ますー!」

「こら、怜」

車はもう家の前に着いていた。
怜を押しこむ形で、一斉に車に乗り込む。

「咲、また明日なー」

「おやすみ、咲」

「はい。おやすみなさい怜さん、竜華さん」

「じゃあな、宮永」

「はい、江口さん」

見送りに出た咲へ挨拶をして、車は走り出した。

怜と竜華を家まで送り、セーラも帰宅して息をつく。


「今日は、あまり話せへんかったな…」


考えることは、咲のことばかり。

誰にも媚びず、一人で立とうとする強い心。
それでいて笑った時の、あどけない顔。

そして…。

(あいつの麻雀していた姿が、忘れられない)

生き生きと牌を握っていた時の表情。


全部に、惹き付けられてしまう。


――――



今日はここまでです。

乙です


洋榎ちゃんキタ!

乙!

いつ咲が「セーラ」と名前で呼ぶのか気になる…


――――


今朝も、校門付近で盲目の少女を待つ。

「おはようございます、竜華さん」

「おはよう、咲」

昨日のこと等、他愛無い会話をしながら校舎へと連れ添って歩く。

「なあ、咲」

「はい?」

「今度はうちの家へも遊びに来てな。咲の為に精一杯おもてなししたるで」

「え?いいんですか?」

「大歓迎や。けど、セーラには内緒な」

「え、どうして?」

「なんでもや。ええな?」

「はあ…」

訳が分からない、と眉を顰める咲の手を掴む。

「あの、一人で歩けますから」

「あー、そういうんやなくてうちがこうしたいんや。ダメかな?」

「だって皆見てるでしょ…」

「ええやん。んんー、咲が気にするって言うなら…
皆さーん、寂しがり屋のうちは咲の手を掴んで放せませんー」

「何言い出すんですか、急に!?」

「これでうちから手を繋いだって、わかるやろ」

なあ、と悪びれもせず言う竜華に、咲は大きく溜息をついた。

「滅茶苦茶です…」

「これで堂々と咲を手を繋げるわ」

「はあ」

口調は素っ気無いものだけど、咲は無理に解こうとしない。
その心遣いが嬉しかった。



――――



「咲っ!お昼食べよ!」

「怜さん」

お昼休みになったと同時に突然乱入してきた珍客に、教室は一瞬静かになってまた元通りになった。
もう二度目となると「またか」くらいにしか思わないのかもしれない。

「泉、咲連れてくなー」

手を引っ張る怜に、咲は抵抗しても無駄だと諦め、お弁当の包みを手に持った。

「ごめんね、今日はこっち行ってくる」

「ええで、いってらっしゃい」

小声で泉に謝って、早くと急かす怜に連れられて歩いていく。

「どこで食べよっかー」

「どこでも良いですよ」

諦めが肝心と、大人しくする。

しかし、

「おっ、今からお昼か?」

「江口さん」

間違えようのない、セーラの声。

「俺も今からやったんや。一緒に食べるか」

そう言いながら、セーラは咲の手を握る。

「ちょっとセーラ、何勝手に咲誘拐してんのや!」

「ええやん。ほら、怜も行くで」

楽しげに話すセーラを、怜は不満げに見やってもう一方の咲の手を握る。

(傍から見たらどう思われてるんだろ、これ)

あまり考えたく無いと、咲は眉を寄せ引かれるまま歩いた。



着いた場所は、やっぱり前と同じ麻雀部の資料室だ。

「職権乱用って言うんやないん?」と言う怜に、
「この方が静かでええんや」とセーラは言い切った。

もうどうでもいいと、諦めムードで咲は促された椅子に座る。

その両隣に二人が座った。

「うわ…セーラのそれ、弁当?」

「ああ。特製のな」

何やら驚いている怜に、一体なんだろうと思い咲は首を傾げた。

「重箱やで、重箱。一人で食べる気か?」

「んなわけないやろ」

カパっと蓋が開いた音がして、「宮永、こっち向け」と指示される。

「何?」

「口、開けてや」

「へ?」

戸惑いつつも、言われた通り口を開けると箸で何か入れられた。

「今日は和食や。美味いか?」

「はい」

上品な味の煮物の味が口いっぱいに広がる。

「他にも沢山あるからな」

ほら、とまた促され、咲は素直に口を開けた。

「美味しい」

「やろ?」

ご機嫌な様子のセーラに、食べてもらえて喜んでもらえるならいいか、としたいようにさせる。

「なんで?なんでセーラが咲に食べさせてるねん!?」

この場の空気に馴染めなかったのは、怜一人。

「ずるい!私も咲にお弁当食べさせるー!」

足をばたばたと動かす怜に、セーラはちらっと冷たい視線を送る。

「お前はこの間、散々宮永に食わせていたやろ」

「そんなの関係無いわ!」

「いや関係あるわ。次は俺の順番や」

順番?
前もセーラの手から食べさせられていたのは、順番に入らないのか。

どうでもいいことを考えながらも、咲は口に入れられる料理を平らげていく。

「お前の弁当、そんなに小さくていつも足りるんか?」

「足りなかった時は、お菓子食べてます」

「成長期にそんなものばっかり食ったらあかん。これ、もっと食え」

「はい」

和やかな会話を前にして、当然、怜は黙って見てるはずがない。

「セーラ、そんな風に咲を餌付けしようとしてるん?」

「人聞きの悪い。大体、お前には関係無いやろ」

「あるで!咲のことに関しては、保護者の私を通して貰わんと」

「保護者?怜が?」

一体、いつからそんな話しになったのか。
咲自身も首を傾げる。


――――


騒ぎながらも、なんとかお昼ご飯を全部食べ終える。

そして、咲は気付いた。
さっきまで喋りかけていた怜が、急に黙り込んだことを。

「怜さん?」

聞えてくる呼吸に、問い掛けてみる。
が返事は無い。

「怜の奴寝てるで。1秒で眠りおったわ」

呆れたようなセーラの声に、咲はくすっと笑った。

「怜さんらしい」

「まあな」

飲むか?と咲の手に湯呑みが触れた。

「ありがとうございます」

「ほら」

両手で湯呑みをしっかり持った所で、触れてたセーラの手が引っ込む。

「やれやれ。こいつのおかげで静かな食事が台無しやったな」

セーラは疲れたと言わんばかりの口調だ。
自分の分のお茶をすすっている。

さっきまでは騒々しさだけがあったけれど、急に静かになると、調子が狂ってしまう。
セーラの言葉に、咲は慌てて返事をした。

「でも賑やかで楽しいですよ」

「お前、そういうこと怜に言うなや?また調子付くからな」

「また?」

「ああ。あいつは結構ゴーイングマイウェイなとこあるからな」

へえ、と咲は目を瞬かせた。
どうやら部長として、色々苦労しているらしい。

「じゃ、黙っておきます」

「それが賢明やな」

どこかセーラの口調は、ほっとしている様に聞こえた。

「そういえば、大会のことなんですけど」

「ん?何や?」

「姫松って結構強いらしいですね。泉ちゃんもそう言ってました」

「まあな。監督も言ってた。今年はいつにも増してかなりレベルが高いらしいわ」

「へえ」

雅枝が言うのなら、間違いないだろう。
全国に進めば間違いなく当たる強豪校。

「勝算は、あるんですか?」

「もちろん、と言いたいところやが、どうやろうな。愛宕も昨年よりぐんと強くなってるやろうし」

「その愛宕さんって人、相当強いんですか?」

部長であるセーラが認めてるってことは、本当に強いのだろう。
興味が引かれ、咲は思わず尋ねてみた。

「まあ、ライバルとして申し分無い相手やな」

「そういえば、愛宕先生と同じ苗字ですよね」

「ああ。あの二人は親子やからな」

「ええっ!?そうなんですか」

千里山に母。姫松にその娘。
大阪の強豪校2校に、それぞれ親と子が在籍しているなんて。

「それで、先生の娘さんとの戦績はどうなってるんですか?」

「愛宕とは、1度も当たったこと無い」

「え?」

当たった事もないのに、ライバルなのか。
首を傾げる咲に、セーラは会話を続ける。

「だから今年の夏が高校生活で最後のチャンスなんや。
姫松と全国で当たって、愛宕に勝つ。必ず成し遂げてみせるで」

「そうですか」

もし試合が実現するなら、セーラはきっと全力を尽くすだろう。
それにその愛宕という人も、雅枝が認めた実力のセーラに対してやはり全力で立ち向かってくるのだろう。

それだけの試合を見られないのも、牌に触れないことと同じくらい悔しい。

「見たかったな…」

ぽつっと思わず咲は呟いた。

「どないした?」

セーラは小さな声も聞き逃さなかったようで、顔を近付けてくる。
今の気持ちを見透かされたくなくて、咲は無理矢理笑ってみせた

「江口さんがそこまで認めてる相手の試合なら、見れないのが残念だなあって。
応援には行けないけど、頑張ってくださいね」

試合には出れなくても、どんな試合をしてるのか見たかった。
セーラが認めてる程の愛宕先生の娘と、セーラとの試合。

これ以上は無いくらい、興味を持った。
けれど、今の状態では見ることは出来ない。

(考えてもしょうがないのに…)

横を向いて、咲は口を噤んだ。

「宮永」

セーラの手が、肩に乗せられる。
それでも、まだ咲はセーラの方を向くことが出来ない。

無理にこっち向かせようともせず、セーラは静かに語りかけた。

「勝ったら一番に、報告しに行くわ」

「え?」

額にセーラのもう一方の手が触れた。
声は真剣そのもので、「何言ってるんですか」と茶化すことすら出来ない。

「待っててや。どんな試合だったか、全部お前に話ししてやるから。
相手の動きや俺の試合運び。目に浮かぶ位細かく聞かせたる」

だからそんな顔するな、とその手がセーラの心を伝えているようだ。

「はい…」

素直に頷くと、

「約束や」

手が外されて、代わりに一瞬何か触れた。

「俺は負けへんからな」

何が触れたのか理解するのに、数秒必要とする。

まさか、額にキスされるなんて思わなかったから。

「えっと」

きょとんとしてる咲から、セーラは素早く体を離した。

「そろそろ怜起こすか。もう教室戻らんとまずい時間やし」

「…そうですね」

今の、気のせいじゃなかったけど。
追求しない方が良いと判断し、咲は黙っていた。


――――


「咲!私が寝てた間に、セーラに何かされへんかったか?あー、もううっかり寝るなんて迂闊やったー!」

目を開けてから、早速怜は声を上げて騒ぎ出す。
さっきの場面を見られたらどうなっていたのか。咲は、ちょっと顔を引き攣らせた。

「だ、大丈夫ですよ。何もなかったし」

「本当に?」

「はい」

絶対に、言わない方がいいだろう。

教室まで送っていく最中、黙って隣を歩いてるセーラと追求を続ける怜。
その間で、咲はふうと息をついた。




その日以来、セーラは咲とまともに会話を交わしていなかった。

あの時の自分の行動を、どう思ったのか。
何も無かったかのような咲の態度に、ふと聞いてみたくなる。

(でもあいつは帰国子女やしな)

挨拶みたいなもので特別な意味に取らなかった可能性が高い。
たかが額へのキスだ。

しかし「たかが額へのキス」を気にしている自分がいる。
ままごとみたいな数秒触れるくらいのものなのに。

「江口部長」

急に現れた部員に、セーラは意識を引き戻した。

「そろそろ集合です」

「そうか。分かったわ」

部員を従え、会場へと早足で歩く。

(今日は県予選初戦日や。集中せんといかんな)

気持ちを切り換える為に、頬を軽く手で叩いた。
今、ここからは大会を勝ち抜くことだけ考えなければ。

そして勝って、また咲の所へ行こう。

盲目の少女が、待っている。
どんな麻雀をしたか。
話をする自分に、黙って耳を傾けてくれるだろう。

「よっしゃ。行くで、皆!」

咲と、約束した。
必ず勝つと。

『どんな試合だったか、全部お前に話ししてやるから』

もし目が見えたなら、本当はこの場にいたかもしれない。
なのに、試合を観戦することも出来なくて。
ただ、牌の音に耳を傾けているしかない。

だから聞いただけで、その光景が浮かぶくらい話をしよう。
千里山がどんな風に勝ったか、自分がどれだけ強いか。

大会が終わるまで、ずっと。


――――

今日はここまでです。

乙です

乙!


――――


予想通り、初日は楽勝で終わった。
最も、こんなところでもたついている様では話にならない。
目標は県予選優勝なんていう小さいものではなく、全国優勝だ。

「じゃあ、今日はこれで解散や」

「お疲れさまでした!」

ぺこっと頭を下げて、部員達が帰宅を始める。
セーラも目的地へと行く為にしっかりした足取りで歩き出した。




もう3度目になる宮永家のチャイムを鳴らす。

「…ちょっと待てや」

セーラはここまで来て、不在かもしれないことを思い出す。
確かめもせず何をやってるかと苦笑したが、来てしまったものは仕方ない。
いなければ、帰るまでだ。

そうして待っていると、扉が開いた。

「よっ」

てっきり父親が出てくるかと思ったら、咲本人が顔を覗かせた。
声を聞いてすぐに誰か気付いたようで、「江口さん?」と確認している。

「ああ、俺や」

「大会終わったところですか?」

「さっきな」

ふーん、と咲が笑う。
どうやら訪問しただけで、結果がわかったらしいと気付く。

「どうぞ、入ってください」

「じゃあお邪魔するで」

キッチンへ入り、咲は手探りで冷蔵庫の取っ手を掴む。

「江口さん、麦茶でいいですか?」

「別に気を使わんでもええで。それよりお前の他に誰もいないんか?」

いつも会ってた父親が出てこないのが気になり、尋ねてみると。

「はい、誰もいません。今日は一人で留守番なんです」

昼間でさえ、真っ暗な空間に咲はいる。
たった一人でその暗闇の中に置いておく位なら、いつも自分が一緒にいられたら…。

「江口さん?どうかしたんですか?」

「え、ああ。何でもないわ」

考えこんでいるところに咲の声が聞こえ、慌てて被りを振る。

「試合の方は、どうでした?」

「ーっと、その」

間近で咲の顔を見て、セーラは一瞬体を引いた。

落ち着け。
相手はこっちがどんな表情しているか見えない。
普段通りに、報告すればいい話だ。

「当然、勝ったで。全国大会への切符もすぐに手にしたる」

「そうですか。でも油断してると、危ないかもしれませんよ?」

「試合に出て、油断したことなんか一度も無いけどな」

「へえ、意外です」

「お前は俺をなんだと思ってるんや…」

どんなイメージだと露骨にがっかりした声を出すと、
「ごめんなさい」と明るく笑いながら咲が謝罪する。

その笑顔を見て、また気分が浮上する。
どうして咲といると、こんなに楽しい気持ちになるのだろう。

他愛の無い会話を、もっと続けていたい。
途中に見え隠れする笑顔を、もっともっと見たくなる。

「江口さんは試合したんですか?」

「今回は大将の俺まで回ってこんかった」

「それは残念ですね」

「まあ決勝では俺の活躍もあるやろうから、楽しみにしとけや」

「そうですか。期待しないで、報告待ってます」

「しろや、少しは」

待ってる。
そんな言葉くらいで嬉しくなるなんて、相当どうかしてる。

「期待はしないけど、ちょっとだけ応援してあげてもいいですよ」

生意気そうな笑顔を見て、セーラは不意に抱きしめたい衝動に駆られた。

こんな台詞、他の誰かに言ったら許せないとも思う。
自分だけに、向けて欲しい。気持ちを全部。

「江口さん?」

黙ったままの状態に不安になったのか、名前を呼んでくる。
何も映さない瞳が、揺れている。

『宮永をむやみに不安にさせたり、混乱させるような真似はするな』

いつか監督に言われた言葉を思い出す。

まだ、今は行動を起こす時ではない。
咲の状態が安定するまで、見守ると決めた。
それまではたとえ自分でも、混乱させるようなことは許さない。

「…ちょっとだけかい。足しにもならんけど、一応受け取ってやるわ」

「はい」

もう少しだけこのままでいて、近くにいればいい。
もちろん竜華よりも、怜よりも近くに。
そして、一歩ずつ変わっていけたら。


――――


――――


その日、咲は診察がある為いつもよりも急いで教室を出た。
校門の所で迎えに来た父親が待っているからだ。

繰り返される定期的な検診にうんざりしているが、こればかりはさぼる訳にいかない。

(嫌だな、この匂い)

視覚が閉ざされている分、他の神経はより研ぎ澄まされる。
病院特有な匂いに眉を寄せ、診察室へと向かう。

経過を見るだけで、今は特別なことをしない。
変化は無いかとお決まりの質問に、「無いです」と素っ気無く答える。

本当は尋ねてみたい。
ちゃんと目が見えるようになるか、教えてよって。

けれど不安な心を抑え、取り乱したりはしない。
もしそんなことを言ったら、父へ報告が行くだろう。
咲は父に心配を掛けたくなかった。

この目が見えなくなった時、父は泣いていた。
だから咲は不安な心を見せたりはしない。
いつでも平気だと、振舞っている。大丈夫だと、自分に言い聞かせて。

今、咲を支えているのは、夏予定の手術に成功すれば、
回復する可能性があるという医師の言葉だ。
必ず見えるようになると、信じるしかない。そうでなければ、動けない。

(そして、また麻雀をやるんだ)

視力がこんな状態だから、前と全く同じとはいかないだろう。
それでも牌に触れるのなら、贅沢は言わない。

(麻雀やれるようになったら、江口さんや竜華さん、怜さんや泉ちゃんともやりたいな)

大会の話を聞くと、いつも何故自分も出場出来る身じゃなかったのかと少し切なくなる。
勿論セーラから話を聞くことは、楽しいけれど。

(私が普通に入部してたら、皆とは違った出会いになっていたんだろうな)

普通に先輩後輩として。
それか日本に来ることも無く、お互い名前も知らずに終わっていた可能性だってある。
人の縁とは不思議なものだ。

「咲、会計終わったから帰るぞ」

会計に時間が掛かっていた父が、やっと戻って来た。

「うん」

杖を持って立ち上がる。
今回の検診は終わった。けれどまだまだ病院通いは続く。

(やっぱりこの匂い、慣れないや)

父にはわからないように、咲は小さく溜息をついた。





病院帰りということもあって、咲の気持ちはやや沈んでいる。
夕飯を終えた後、もうお風呂入って寝てしまおうなんて考える。

その時、訪問者を告げるチャイムが鳴った。
咲が出ることは滅多に無い。
父が、ばたばたと玄関へ移動する音が聞こえる。

きっと回覧板か何かだと、咲は気にしなかったが、
引き返してきた父が告げる言葉に驚いてしまう。

「咲。江口さんが来られたぞ」

「え?」

「出られるか?」

「うん」

杖を持ち、玄関へと移動する。

こんな時間に何だろう。
今日は試合は無かったはず。だから報告することも無い。

「江口さん?」

「よっ」

玄関を開けると、セーラにそっと腕を触れられる。

「どうかしましたか?あ、よかったら上がっていってください」

「いや、ええわ。ちょっと寄っただけやし」

寄っただけという言葉に、咲はセーラが部活帰りなのかと考える。
いや、それにしては遅い時間だ。一体何事だろう。

「今、帰りですか?」

「ああ」

「お腹空いてないんですか?」

「休憩中に軽く食べたから、平気やで」

「そう、ですか」

一体セーラは何しに来たのだろう?
ちっとも本題に入ろうとしない。
おかしいなと咲が思っていると、「今日は急いで帰ってたな」とセーラが口を開いた。

「いつもより早めに帰っていたやろ。窓から出てくるところを偶然見たで。本当に偶然やけどな」

「はあ」

偶然を強調する言い方はよくわからないが、そこは特に追求しない。

「だって、今日は病院の日だったから」

「定期健診か」

「はい」

そうか、とセーラが低く呟く。

(なんて、思ってるんだろう)

大丈夫なのか経過はどうなのかとか聞かれるのが嫌で、咲は慌てて話題を変えた。

「それよりどうしたんですか?用事があって来たんでしょ?」

「いや、別に無いで」

「え?」

「今朝は監督に呼ばれていたから、迎えに行けなかった。昼休みは部員の事で用事があった。
帰りはお前がさっさと帰ったやろ?今日一日、俺達は会ってなかったんや」

「はあ」

表情を見ることが出来ないから、言葉だけで判断すると。
わざわざ自分に会いに来たように聞こえる。

(まさか)

そんなはず無いと、咲は心の中で否定する。
セーラがそこまで自分を気にする理由が思いつかないからだ。

「あの、私なんかに会うよりも、彼女の方を優先してあげてください」

わざと咲は笑いながら、言ってみせる。
モテると評判のセーラのことだ。付き合っている相手がいても不思議じゃない。

ならそっちを優先させると言っても、おかしくない。
そう思っての発言だ。

が、セーラはお気に召さなかったらしい。

「彼女なんておらんわ」

不機嫌な声で返される。

「え、でもすごくモテるって聞いたけど」

「だから何や。付き合うかどうかはまた別やろ。とにかく俺に彼女なんておらへんからな。誤解すんなや」

「はい…」

強い口調で言われ、咲は戸惑いながらも頷いた。

(そんな否定することでも無いような)

セーラが何を考えているのかさっぱり分からない。

「ところで、お前こそどうなんや?」

首を傾げていると、今度はセーラから質問される。

「どうって?」

「付き合っている奴はおるんか?俺の話はしたから、今度はお前の番やで」

「……」

そんなこと聞きたがることも、わからない。
黙っていると「なあ」と促される。
きっと言うまでせっつかれるに違い無いので、咲は正直に答えることにした。

「いません。今はそれどころじゃないし」

「今はって事は、前にはいたんか?」

変なところを気にするものだ。
しかしセーラは咲の腕をぎゅっと掴んでくる。
教えるまで放さないといったように。

「前にもいませんよ。興味無かったし」

途端に腕を掴んでたセーラの手から力が抜ける。

「そうか、前にもいなかったんか。なんだ…良かったわ」

これが子供だなとかからかいを含む口調だったら、咲は怒っていた所だ。
けれどセーラの声はほっとしたような、嬉しそうなものでもあった。
何が良かったのかはやっぱりわからない。

セーラが黙ってしまったので、沈黙が続く。
なんだか今の状態がくすぐったくて、咲はわざと明るく声を上げた。

「江口さん、部活に力いれすぎで疲れてるんじゃ?早く帰って休んだ方がいいですよ」

「せやな。急に訪問して悪かったな」

「いえ」

ふっと、セーラの手が杖を持っている手に触れられる。

「じゃあな。また明日」

「はい。お休みなさい」

触れたのはほんの一秒か二秒だった。

けれど服の上から腕を掴まれたのとは、違う。
直に触れたセーラの体温に、咲はほんの少しだけ体を震わせた。

(あれ?私何でこんなに嬉しいんだろ?)

セーラは特に何も言わなかったから、気付かなかっただろう。幸いだ。

彼女にとっては手に触れるなんて、きっと意味が無いこと。
挨拶みたいなものだと、思うことにした。

(何だか、また疲れた気がする)

けれど病院の後みたいに、気持ちが沈んでいるのとは違う。

そわそわするような、けど嫌なじゃない不思議な気持ち。

(変なの)

深く追求することは止める。
今は落ち着かない気持ちを休めたいだけだから。

一日の疲れを取る為、咲はその日いつもよりも長くお風呂に浸かった。



――――



今日はここまでです。

乙です

乙乙

咲もセーラを意識しだしたか

SS速報復活したああああ
また楽しみにしてます

>>343
ありがとうございます。
とりあえず書き溜め分書いていきます。

今日は県予選二日目。

控え室で中堅戦を見守る千里山メンバーのなか、
怜がソファに寝そべりながらセーラに話しかけた。

「なー、セーラ。今日、6時までに終わるかな?」

「さあな。それは相手次第やろ」

「それじゃ困るわ。私先鋒でもう試合終わっとるし、少しでも遅くなるなら帰るからな」

「アホか。勝手なこと言うな」

「だって大事な用事があるねんもん」

「とか言うて、咲と約束してたりしてな」

二人の会話を黙って聞いていた竜華が横槍を入れる。

瞬間、怜は目を逸らす。
セーラと竜華はそれを見て、確信した。

間違いない。
怜は咲と会う約束を取り付けている。

「また、あいつの家に行くんか。迷惑だからやめとき」

「別に咲と会うなんて一言も」

「ほなら確認するか?咲に電話して「うん」言うたら、ほんまに針千本飲ますで」

「酷いー」

「酷いのはどっちや。影でこそこそ約束しやがって」

「せやな。抜け駆けはあかんで、怜」

「うう…」

セーラと竜華に囲まれては、怜も逃げ場が無い。

「宮永の家に行くつもりだったんか?」

「えっと、今日は場所を変えようと思って…」

「正直に話せばおしおきは許したる。どこいくつもりだったんや?」

詰め寄られ、怜は泣く泣く口を割る。

「最近、気に入ってるパスタとピザのお店。咲もそこでいいって」

まるでデートじゃないか。
ますますセーラと竜華の機嫌は下降していく。

「怜、すぐにその約束キャンセルしろ」

「なんでや、咲やって行きたいっていったのに」

「気を使って言ったんやろ。外での食事は却下や!不慣れな場所だとあいつが大変やろ」

慣れない場所での食事は、気を張るので負担になるだけだ。
咲のことを考えそう発言したセーラに、怜はフフと笑い返す。

「平気やで。そのお店個室あるから。ちゃんと予約しておいたし。咲には私が食べさせてあげるから問題無し!」

「何やて?」

「そんなこと許すかアホ」

二人同時に責められ、怜はびくっと体を揺らす。

「だったら俺もいくからな、その店に」

断言して言うセーラに、竜華も「うちも勿論参加させてもらう」と加わる。

「えー、咲と二人でのんびり過ごしたかったのにー」

「俺らもいた方、宮永も楽しめてがええやろ」

「うちもセーラの意見に賛成や。その店に二人追加する言うてな」

「はーい…」

渋々承諾した怜により、結局4人で食事に行くことに決定した。

休日の所為か、店は割りと込んでいた。
外で待っている人もいる。

「結構、入ってるんやな」

「予約しといて正解だったやろ?」

当然だが制服を着てる人は、他にいない。
咲は家に居た為私服だが、試合帰りのセーラ達は制服のままだ。

「個室でほんま良かったわ」

騒がしい店内に、眉を寄せる。
咲の方を見ると、見知らぬ場所が不安なのか俯いてしまっている。

「大丈夫か、宮永」

「…はい」

手を握ってやると、咲はニコっと笑顔を向ける。

「おい、怜。早く案内してもらおうや」

「せやな。スミマセンー!予約してるんですけどー!」

「声、でか過ぎやて」

喋ってる客達よりも倍の声を上げる怜に、竜華が苦笑する。
しかしその大きい声に、店員は急いで駈け付け、すぐに個室へと通された。

咲の隣に怜、その前が竜華で、セーラは正面という形で座ってる。
ちなみに公平なじゃんけんによって決められた。

何でいちいちじゃんけん?と咲は不思議そうだったが、
譲れないものだってあるのだ。

「咲、何にする?和風パスタなんかもお薦めやけど」

「ピザをお願いします」

咲がピザを選んだのは、パスタよりも手で掴みやすいからだ。

その理由に怜はすぐ気付いたが、それについては何も言わずピザのお薦めを挙げる。

「たっぷりきのこのホワイトソースと、トマトソースのピリ辛ソーセージ乗せが美味しいで。いっそのこと両方頼んで、食べ比べしようや」

「いいですね」

仲良くオーダーを決める二人の姿に、セーラは不満げに眉を寄せる。

全員の食事が揃うと、皆で「いただきます」と声を揃えて食べ始める。
基本的に咲は、たどたどしくもあるが自分の手でピザを食べている
それに誰も手出しをしたりしない。

咲なりに、迷惑を掛けないようにと頑張っているのだ。
見守ることはしても、口出しは絶対にしないと三人とも同じ思いだった。
ただ自分達が注文したものは、味見という名目で口に運び続ける。

「咲、これも美味しいで。食べてや」

「そんなら次はうちの番やで」

「待て待て、俺が先やろ?」

「ちょっと待って…一度にそんなに食べれません」

「なら、じゃんけんや!」

「恨みっこ無しやで」

「ほう、そっちこそ後で騒ぐなや?」

四人で騒ぎながらも楽しい時間は過ぎていく。

「隣、うるさいなあ」

デザートも食べ終わり、まったりとした空気の中、
竜華は隣の個室を見て声を出す。

「かなりの人数みたいやな」

「それにしても騒ぎ過ぎや。あれじゃ店内に響いてるで」

自分達も最初に咲から戒められなかったら、あれだけ揉めて騒いだに違いないのだが、完全に棚上げした状態で語っている。

たしかに隣は文句の一つも言いたくなるくらい、騒がしいのだが。
時折誰かが「静かにせい」と注意はしてるようだが、すぐまた元通りの声に戻ってしまう。

「出るか。ここじゃ落ち着かんな」

「今、何時ですか?」

咲が膨れたお腹を押さえながら訪ねる。

「8時過ぎやな」

「私、そろそろ帰らなきゃ。遅くなるとお父さんが心配するし」

「咲もこう言ってるし、今日はお開きやな。また今度行こうな咲」

「おい竜華、何抜け駆けしようとしてるねん」

「せやで。私が誘った時は、散々文句言ったくせに」

「何やて?うちは堂々と誘ってるやないか。こそこそしとらへんで」

「おい、言い争うのは止めろや。全く、学習能力が無いんか」

呆れたような声を出し、セーラはさっと立ち上がり咲の隣に立つ。
そして手を取って、立ち上がらせてやった。

「ありがとうございます」

「こいつらに構ってると遅くなりそうやからな、行くで」

「え?」

「あー、セーラ!また咲の手握ってるー!」

「汚いわ、ほんま」

二人が罵る前より早く、セーラは咲を引っ張って個室を出る。

外に出ても騒がしい隣に眉を顰めながら、ゆっくり咲がついて来れる速さで歩く。

「え?」

「あ?」

ガチャッと開いた隣のドアから、見覚えのある人物が出て来てセーラは足を止めてしまった。

「わっ」

突然の行動に、目の見えない咲は対応出来ない。
セーラの体にぶつかってしまう。

「宮永!」

ぐらっと揺れる体を、咄嗟に支えてやる。
対応が早かった為、転んだりしなくて済んだ。ふっと安堵の息を吐く。

「すまん。驚かせたな」

「平気です」

咲が小さく首を振って、きちんと体勢を整え直す。
それを確認した後、セーラは改めて原因を作った人物へと視線を移す。

(なんでこいつがここにいるんや?)

姫松の末原恭子。

その恭子は、セーラの方を何故か見ていなかった。
視線を辿ると、後方にいる咲へと注がれている。

「おい、末原。何じろじろ見てるんや」

失礼な奴だ、と咲を背に隠すと同時に、恭子が声を上げる。

「宮永、咲…?」

恭子の口にした名に目を見開く。思わずセーラは咲を振り返る。
盲目の少女は名前を呼ばれたことに、困惑して首を傾げていた。

ひょっとして二人は知り合いなのだろうか。

(末原と、宮永が…?)

嫌な考えに、セーラは顔を険しくした。
その様子に気付く事無く、恭子は普通に話し掛けて来る。

「偶然やな、江口さん」

「…そうやな」

後ろから来た竜華と怜も恭子に気付き、「あー」と声を上げる。

「姫松の末原さんやんか。奇遇やな」

「あ、ああ…」

「ひょっとして隣の個室。姫松の連中なん?」

何気ない竜華の言葉だったが、恭子は騒いでいた部員のことを責められたと取ったようだ。

「済まんな。注意はしてるんやけど」と真面目に答えるが、セーラにはそんなことはどうでも良かった。

これ以上恭子が咲に話しかける前に、ここを出たい。

「さよか。じゃあ俺らはこれで」

そのまま咲を引っ張り、恭子の横をすり抜けようとする。

だが、それを恭子が見逃すはずもない。

「待ってくれ、江口さん!」

呼び止められ、ちっと舌打ちする。

「江口さん…その子はあんたの知り合いか?」

「何や?お前には関係ないやろ」

警戒しながら喋るセーラに、恭子はずいっと距離を縮めて来る。
当然咲との距離も縮まる。

「宮永咲。そうなんやろ」

再び名前を呼ばれ、咲はびくっと肩を揺らす。

「何々。末原さんと咲って知り合いなん?」

それまで黙っていた怜がいち早く反応して声を上げる。

「いえ、知らないです。この人誰ですか…?」

咲の答えに、セーラは知り合いじゃないのかと何故かほっとする。

続いて恭子も「知り合いという訳やない」と否定したので、
二人が顔見知りじゃないことは証明された。

しかし、それなら何故恭子は咲を知っていたのか。

「末原さんはなんで咲を知ってるん?」

最もな竜華の質問に、恭子は迷いながらも口を開く。

「偶然や。大分前に試合で見掛けたことがあって…」

その言葉にセーラはすぐにぴんと来た。

(こいつ、宮永が麻雀してたことを知ってるんか!?)

竜華と怜はすぐに気付かず、「咲が試合に来たことあったっけ」と顔を見合わせている。
その先を言わせない為、セーラはわざと声を上げた。

「知り合いやないんなら話すことは無いな。行くで、宮永」

今度こそ咲を連れて、その場を離れようとする。
しかし恭子はまたしても追いすがる。

「待ってくれ」

「何やねん」

「少し、彼女と話させてもらえないやろうか」

「は?」

とんでもない頼みに、セーラの機嫌は急降下する。
話をさせるなんて、冗談じゃない。だが恭子は必死で頼み込む。

「5分。いや3分でいい。彼女は、もう一度会いたいと願っていた人なんや。
ずっと会えることを待ってた。頼む。話をさせてくれ」

危険な発言に、セーラがうんと承諾するはずない。

(絶対に近寄らせん)

ぎゅっと咲の手を強く握り締める。

「お前みたいな怪しい奴と話させられるか。とっとと戻れや」

「断る。やっと会えたんや。彼女と話をさせてもらえるまで、帰さんからな」

互いに睨み合う二人に、この後どうなるんだと竜華と怜が目を瞬かせる。
そこへ恭子が出てきた個室から、また新たな人物が登場する。

「ええやん。3分だけって言ってるんやから」

姫松の主将、愛宕洋榎。
面白そうな顔をして、恭子と咲の顔を見比べている。

「愛宕。お前には関係ないやろ。ひっこんでろや」

洋榎の言う通りになんかするものかと、セーラは迎え撃つ体勢を取った。

そんなセーラに洋榎は気にすることなく、滑らかに口を動かす。

「その子が嫌だって言ったんか?
勝手に自分の思い通りにしようとするなんて、おかしいんやない?」

「なんやと」

「なあ、そこのあんた」

セーラのことを完全に無視して、洋榎は咲に話し掛ける。

「うちからも頼むわ。恭子と3分だけお話してくれんかな?」

「主将…ありがとうございます」

硬直している咲に「断ってもいいんやで」と耳打ちする。

「言い辛いのなら、俺から言ってやるし」

「江口さん…でも、私」

咲は小さく首を振り、セーラの予想と反したことを口にする。

「ちょっとだけこの人と話してみます」

「…っ」

「咲!?なんで、なんで!?」

ショックで声の出ないセーラの代わりに、怜が声を上げる。

「決まったな」

可笑しそうに洋榎が恭子の肩を叩く。
そしてさっと近付きセーラと咲の繋いでいる手を離してしまう。
その時間は1秒にも満たない。鮮やかなものだ。

「恭子。この子連れて、外で話してき。時間は守ってや。怖いナイト達がうるさいからな」

「あ、分かりました」

はい、と咲の手を渡され、恭子は戸惑いながらも頷く。
そしてしっかりと咲の手を握ってしまうではないか。

「ちょお待って。なんで愛宕さんが仕切るんや?二人きりなんておかしいやろ」

納得いかないと、竜華が不満げに唸る。

「あんたらがいたんじゃ話辛いやろ。3分だけやし、別にいいやん」

「よくないわ!」

むっとする怜だが、咲が話したいと言ったのだ。
あまり文句も言えないというように、眉を寄せてもごもごと呟くだけだ。
まだショックを受けてるセーラは、未だ呆然としている。

「堪忍な。少しだけ、私に付き合ってくれ」

「…わかりました」

「恭子、頑張りや」

「何をですか」

洋榎に見送られ、恭子は咲の手を優しく引いて外へ連れ出してしまった。

「なあなあ。あの子って、あんたらの中の誰かと付き合ってたりするん?」

洋榎のその言葉に、セーラは一気に覚醒する。

「余計なことしくさって。お前は…」

文句を言おうとするが、洋榎は無視して質問を続ける。

「さっさと答えてや。付き合ってるん?ただの友達?」

急にそんなことを言われても。
セーラは口を閉ざし、竜華は難しい顔をして俯く。

怜だけが、「私、咲の保護者ー!」と手を上げて名乗り出る。
洋榎はそれを綺麗にスルーして、肩を竦めた。

「ふうん。その様子だと誰とも付き合っていなさそうやな」

「っ!!お前には関係ないやろ」

「そうや!何やねん、一体」

セーラと竜華が同時に声を張り上げる。
しかし洋榎は更にとんでもないことを言い出す。

「じゃあ、恭子があの子と付き合っても問題なさそうやな」

「はあ!?」

「何言い出すんや!」

楽しくて仕方ないといった表情で、洋榎はぺらぺらと喋りだす。

「だって恭子が誰かに対してあんなに必死になったの、見たことないからな。
ひょっとして、どうしても話し掛けたかったのも告白したいから、と思ったりして」

「「……」」

「なあ、それって末原さんが咲を好きって言ってるん?」

言葉を失うセーラと竜華の代わりに、怜が手を上げて質問する。

「それも一つの可能性やと思うで」

さっと血の気が引く。
恭子が、咲を。そして、告白するかもしれない?

「宮永が危ない!」

「邪魔しに行くで!」

走り出し外へと行こうとする二人だが、
店員に「お代を先に…」と呼び止められてしまう。

「なあ、保護者さん」

「何や?」

キレそうになりながら財布を出すセーラ達の様子を見て、
洋榎はくすくす笑いながら出遅れた怜に声を掛ける。

「もし恭子が本気であの子と付き合うつもりなら、うちは協力するつもりやから。よーく覚えておいてや」

「は?誰が協力するなんて、関係ないわ。決めるのは咲なんやから。変な工作するなら許さんからな」

ようやく会計を終えた二人へと、怜は駆け寄って行く。

「ふうん。なんか面白くなりそうや」

恭子が戻ったら詳しく話しを聞こうと、
洋榎はこれから起こる何か楽しい出来事を予見して、そっと笑った。



――――


今日はここまでです。
次は日曜あたりに更新予定です。


恭咲好きなのでwktk

乙乙

乙です

咲は恭子のことを何も知らない。
セーラがライバル視する洋榎のチームメイトだという、ただそれだけ。

(この人は、私を知ってるみたいだけど…)

黙って手を引くことを許したのは、あれ以上引止めに時間が掛かったら、
恭子が自分の過去を喋り出すんじゃないかと思ったからだ。

麻雀していたあの頃のこと。
正直、セーラや竜華、怜に知られたくない。
知られた後のことを考えると、怖くなる。

目が見えない自分に、彼女らが気を使っていることはわかってる。
それが同情から来るものではないと頭では理解してる。

そんな人達じゃない。
でも、以前は麻雀してたんだと知られたら、また接し方が変わって来るかもしれない。

毎日のびのびと麻雀が出来る身と、そうじゃない自分を比較して。
気まずい思いから、余所余所しくされる可能性は無いとは言えない。

(今は麻雀が出来なくて、可哀想になんて思われるのも嫌…)

だから恭子が何を話したいかはわからないが、
席を外すことを承諾した。それも3分だけだ。

さっさと終わらせてしまえば、セーラ達に何も聞かれなくて済む。
そう考えたのだ。

店から出て数歩歩いた所で、恭子が「ここでいいか」と立ち止まる。
合わせて咲も立ち止まり、頷く。

「無理を言って済まん。時間を作ってくれたこと、感謝するわ」

「いえ…」

「名前も名乗ってなかったな。私は末原恭子という。姫松の三年で、麻雀部に所属してる」

「宮永咲です。あの、あなたは私のこと、どこまで知ってるんですか?」

早く会話を終わらせる為に、咲は自分から質問をしてみた。
意外だったらしく恭子は「それは、どこまでという程度では無いが」と口篭る。

「実は去年の夏休み。家族と旅行した際に、偶然あんたの試合を見掛けたんや」

恭子は簡潔に咲を知った切っ掛けを話し始める。

あちこち観光や買い物へと嬉しそうに回る両親とは反対に、
そういったものにあまり興味が無かった為恭子はすっかり退屈してしまったという。

そんな中、街で麻雀のジュニア大会が開かれているのを知り、
両親がどこかを回っている間だけ、観戦したいと頼み込んだ。

「優勝したのはあんたやったな。今でも覚えてる。試合も、打ち筋も」

「そう、ですか」

「あの時の宮永は、目を離すことが出来ないくらい輝いてた。
実は大会後、なんとか宮永と話をしたくて控え室に行こうとしたんやけど。
関係者以外は立ち入り禁止だと追い出されてしまって」

「当たり前ですよ…」

異国の地で勝手に控え室へ潜り込もうとするなんて、
大胆な人だなと、咲は呆れてしまう。

「で、そこまでして私と何を話すつもりだったんですか?」

恭子は自分のやってる事が無謀だと気付かず、真面目に会話を続ける。

「話というか、試合を申し込むつもりだったんや」

「え?」

「一緒に打ってみて、どんな攻め方をしてくるのか。考えただけで体が震えた。
どうしても試合がしたいと切望したんやけど、あんたはすぐ帰ってしまったようで。結局、顔を合わせることも出来んかった」

「そう、なんだ」

強豪校のレギュラーに試合を切望されるのは、素直に嬉しいと思う。
だがそれも過去のこと。

「宮永ほどの選手なら、将来きっとプロになるやろう。
いつか世界の舞台に立った時に、私も同じ舞台に立てれば試合出来るかもしれない。その時の為にと、私はずっと努力し続けてた」

何気なく言った恭子の言葉が、咲の心をずたずたにしていく。

今、そんなこと言われてもどうしようもない。
あの時の自分と、今では状況が違う。牌を握ることすら出来ないのだ。

「がっかりしました?その私がこんな風になっちゃって」

力無く、咲は笑ってみせた。

「悪いけど、もう試合は出来ないから。見てわかるでしょ。
これで、用件は終わり?なら帰ってもいいでしょう」

「いや。ちょっと待ってくれ!」

背を向けた咲に、恭子は慌てて前に回る。
ずっと会いたいと願ってた人に冷たくされて、動揺してるようだ。

でも咲は無視するように、顔を背けた。
恭子は尚も訴え掛けてくる。

「気分を害したのなら、謝罪するわ。だからこれきりみたいな言い方はしないでくれや」

「だって、別に何もないでしょう」

杖をぎゅっと握り締めて、咲は声を上げる。

「こんな状態じゃ、麻雀出来ないんです。
私と試合したかったって、今更言われてもどうしようもない。
もう牌に触れることも出来ないんだから…私にどうしろっていうの」

悔しくなってきて、今度は俯いてしまう。

強いと言われる選手と、試合したい。叶うのなら。
でも絶対無理だってわかってる。こんな状態で、何が出来る?

「私も宮永の目のことは、雑誌で知ったんや。
旅行から帰って来てから、海外の情報を積極的に集めるようにしたからな」

「そう、とっくに知ってたんだ。なのになんで今更、試合したいなんて言う訳?」

投げ遣りに言う咲に、恭子はそっと両手を肩へ掛ける。

「色んな憶測や中傷で書かれた記事は読んでて腹が立った。
だが中には手術すれば再び麻雀ができる可能性があるというものもあった」

「……」

「私はそれを信じた。今はその為に、どこかで療養していると。
そうやろ?その為に日本に来たんじゃないんか?」

真っ直ぐな恭子の言葉も、今の咲には届かない。

「そんなの成功するかも、わからないんです。
麻雀出来るかどうか保障も無い。別にもういいけどね。未練も無いし」

わざと諦めたように言う咲へ、恭子は真剣な声で問う。

「本当にそう思っているんか?」

「……」

「心の底では願ってるはずや。手術が成功してもう一度麻雀がしたいと。違うか?」

「なんで」

咲の声が震える。
初対面の人間に、そこまで踏み込まれる覚えは無い。

麻雀がしたいと渇望してること、言われなくても十分わかってる。
嫌と言う程。

「なんであなたにそこまで言われなくちゃいけないの!?」

「いや、私は」

「もういい。3分経過したでしょ。帰ります!」

これ以上恭子と話したくない。
必死で耐えてきた感情が溢れてしまいそうで、怖い。

一人で帰れるはずもないのに、左右わからないまま咲は杖をついて歩き出す。
少しでも恭子から離れる為だけに。

「待ってくれ!そんなつもりで言ったんやない」

「もうあなたと話すことなんて無いから」

恭子が腕を掴んでくる。
咲は振り解こうと滅茶苦茶暴れた。その拍子に、杖が手から落ちる。

「何やってるんや!」

もつれる二人の間に、セーラの声が響く。

「江口さん!」

恭子が咲を抱えているのを見て、セーラはさっとその場へと駆け寄る。
そして恭子の腕を払い、咲を奪い返す。

「往来で誘拐とは良い度胸してるやないか」

「人聞きの悪いこと言わんでくれや。私はただ」

「お前の話なんざ聞きたくないわ。こいつに何言った!?あんな顔させる程」

恭子の声すら不愉快だという態度を露にして、セーラはさっと咲を抱え上げる。

「え、江口さん…!」

降ろしてと言う咲の声をセーラは無視し、恭子へと宣言する。

「何をしたかは知らんが、二度とこいつに近付くな。いや、近付けさせへん。絶対にや」

「誤解や、私は」

「うっさい。おい、怜」

「え、何?」

後ろから追いついてきた怜は、ぽかんと成り行きを見守っていた。

「こいつの杖を持ってやれ」

「あ、うん」

咲の落ちた杖を怜は慌てて拾う。
その間に、セーラは咲を抱えたまま車へと向う。

「なあ、セーラ。うちも咲抱っこさせてくれへん?」

「竜華…ちょっと黙っとき」

「ハイ」

恭子はそれ以上何も言えず、去っていく咲に視線を注ぐだけだった。

「あいつの言うことは気にすんな、ええな」

「……」

「末原が近づいてきても、追っ払ってやる。心配すんな」

それには答えず、咲は黙ってセーラの体に頭部をくっつけた。
抱っこされるなんて恥ずかしかったけど、悪い感触じゃない。

乱れていた心が落ち着いていくのがわかる。
真っ暗な視界の中でも、暖かい光に包まれてる気がした。


車内は会話も無く、気まずい空気が流れていた。
誰もが何を口にしたら良いかわからないまま、一秒、一秒と時が流れていく。

咲は杖を握って俯いて、他の三人はそんな様子をちらちらと伺うだけで。
結局そのまま、咲の家に到着してしまう。

「何か、ごめんなさい。変なことになって」

自分のせいでと、謝罪する盲目の少女に誰もが慌ててフォロー入れる。

「咲が悪いんやない。それよりまたご飯食べに行こうな、絶対!」

「そうや。また行こうや、な?」

「宮永の所為なんて誰も思ってない。謝んな」

口々に言う三人に、咲はこくんと頷く。

「はい。また行きましょう。…じゃ、また明日」

「おい、玄関まで」

送るというセーラの言葉を、咲は遮ってドアを開ける。

「ありがとうございます。でも大丈夫だから。ここでいいです」

そう言われてしまったら、強引について行くことが出来なくなる。
出しかけた中途半端な手を、セーラはそっと引っ込めた。

「また明日な」

「おやすみなさい」

軽く手を振って、咲は家の中へと入って行った。
それを見届けてから、セーラは運転手に車を出すように指示を出す。

走り出した車の中、竜華がセーラを見て話を切り出す。

「説明、してくれへん?」

「何をや」

わかってるやろと、竜華はセーラをじろりと見やる。
ぷいと横向いてやり過ごすが、竜華は引かない。

「末原さんがなんで咲を知ってるんや。セーラ、何か隠しとるやろ」

「せや、咲の事で隠し事するなんて、ずるいで!」

不満に思っているのは怜も同じだ。
口々に不満を漏らす二人に、セーラは冷静に答える。

「言えるか。大体俺やって、あいつから直接聞いた訳やない」

「それって」

「偶然知っただけや。だから軽々しく喋ったりすることはできんわ。あいつの為にも」

本当に、偶然だった。あの日、雅枝が保有しているビデオを観ただけだ。
試合をしている咲の姿。

本人は麻雀をしていたと、一度も口にしない。
触れられたくないのか。その可能性は十分ある。

無理矢理聞きだすような真似はしないと、セーラは決めていた。
勿論誰かに口外するつもりも無い。

「お前らは、それでも知りたいと言うんか?」

セーラの問いに、竜華も怜も口を閉じた。

「あいつにも色々事情があるんやろ…。整理がつくまで、黙って待ってようや」

恭子に何を言われたか、出来ることなら知りたい。
どんな会話をして、何故あんなにも拒否してたのか。
知りたいけど。

閉ざしている部分を、こじあけるようなことはしたくない。
今はただ側にいて、心を開くのを待っているだけ。
それが一番良い方法だ。

「まあ、たしかにその通り、やな」

ぽつっと、怜が言葉を漏らす。
竜華も苦笑して「そうやな」と頭を掻く。

「咲が言いた無いこと、セーラに聞くのも間違ってる話やな」

「せや。咲のこと知らなくたって、大事に思うのは変わらんし。
大切なのは、そっちなんだってなんで忘れてたんやろ?」

「セーラだけが知っとるちゅうのが、気に入らんのやろ」

「あ、そっか」

「お前らな…」

二人共、これ以上追及するのは止めると決めたようだ。
こういう時の意見はすぐに一致する。
それぞれの形で、咲を大事にしているからだ。

「で、末原さんの方はどないするん?」

怜と竜華は咲に必要以上詮索しないと決めても、恭子はわからない。
咲の取り乱し方を思い浮かべ、竜華は眉を寄せる。

「さっきの様子だと、また咲に会いに来るんやない?なんか納得してないようやし」

怜も困ったように口元を窄めた。

「でも、出来れば近付けさせたくないわ。咲のあんな顔見たくないもん」

「うちかてそうや。セーラはどう思う?」

ぽんぽんと、怜の肩を優しく叩きながら、竜華が意見を求める。
そんなのセーラは、とっくに結論を出していた。

「今度また末原が宮永に余計なことを言って動揺させたら。
容赦せえへん。どんな手段使っても、追い返す」

「物騒やなあ」

「それがどうした。宮永だって嫌がってたやん。何言ったか知らんけど、あんな顔させやがって」

それについては全く同感だったので、二人とも神妙な顔をして頷いた。

恭子から逃れようとしていた、咲の表情。
あんな悲しい顔、今まで見たこと無い。
暗闇しか無い視界の中、いつだって胸を張って歩いている彼女があれ程動揺するなんて。

「そう言えば…」

一つ思い出したと、怜が手を上げる。

「何や」

「セーラ達が会計している間に、愛宕洋榎が変なこと言ってたで」

「なに?」

思わず竜華と顔を見合わせてしまう。

「末原さんが咲を好きだって言うなら、協力するんやって。だから覚悟しとけとか、何やのあいつ」

「そらまた」

「嫌な話やな」

やっかいな奴が首を突っ込んできたと、二人は同時にぐったりとシートに凭れた。

「何、力抜けてるん。誰が出て来ようと関係ないやん」

「まあ、そうやけど」

「出来れば姫松の二人にはこのまま退場願いたいもんやな」

「全くや」

しかし誰が出て来ようと、負ける訳にはいかない。
こっちだって譲る気なんか無いのだから。

それが竜華や怜でも。
ましてや、ぽっと出て来た恭子には絶対奪われるものか。

翌日。

朝練の間ずっと寝ていた怜は置いといて。
セーラと竜華はいつものように、校門付近で咲を待つ為に待機していた。

「来たで」

「ああ…いつもより元気無さそうやな」

「昨日のこと引き摺っとるんかな?ここは明るく挨拶しんと」

「わかっとる」

杖をついて歩いてくる姿は、いつもよりも俯きがちだ。
わざと二人は声を上げて、咲に近付く。

「咲!おはようさん!気持ちのええ朝やな」

「おはよう、宮永。なんや腹減ってるような顔してるけど、朝飯抜いて来たんか?」

テンションの高い二人に、咲は目を瞬かせる。

「おはようございます…。二人とも何かかありました?すごく元気だけど」

「何を言うんや。うちはいつでもこんなんやろ」

「そうですか?」

言葉を切って、杖をぎゅっと握る。

「私に気を使っているっていうのなら、無理しなくていいですよ」

「咲?」

「ごめんなさい。昨日から、心配させてばっかりで」

強がって笑う咲に、二人は言葉を詰まらせた。

(お前の所為やないって言ったのに)

セーラはさっと咲に近付き、その頭をくしゃっと撫でた。

「そんな顔すんなや。こっちが勝手に気に掛けてるだけや」

「江口さん…」

「どうしようも無くなったら、なんでも言え。だから一人でそんな顔すんな」

「…はい」

黙っていた竜華も、慌てて口を開く。

「そやで。咲が落ち込んどると、うちかて悲しい気分になってしまうんや。
なんとかしたい思うんは、自然な流れやろ?」

「竜華さん…」

「とにかくや。ごめんなんて謝ったりすんな。俺も竜華も怜も、お前の力になりたくて勝手にやってるだけや」

「…」

「遠慮なんかしてんと、おんぶに抱っこでもいくらでも乗っかればいい。
お前一人くらい、軽く支えてやるで」

ぽかんと口を開けていた咲は、やがてくすっと笑い顔に変わった。

「…ありがとうございます。なんか一人で考えてたのがバカみたい」

その表情に、竜華も笑顔になる。

「その顔や。咲は笑っといた方がええよ」

「全くや。さっきの通夜みたいな顔より、ずっといい」

さっと咲の手を引くセーラに、竜華もその反対側を握る。

「行くで。そろそろ授業始まるやろ」

「あー、でもこのまま咲と遠出したい気分やわ」

「アホ言うな竜華」

「アホとは何や、アホとは」

二人のやり取りを聞いて、咲は堪えきれずといったように笑い出す。

「二人とも、良いコンビですね」

「「誰がや!!」」

「…ハモってますよ」

咲を挟んで顔を引き攣らせる二人。

再び、いつもの日常が戻って来たようだ。



――――

今日はここまでです。

乙乙

乙です

昨日の夜から落ち込んでた咲の心は、少しずつ上向きに変わって来た。
一人でいたままだったら…きっとまだ落ち込んでいたかもしれない。

(誰かと喋ることで、気持ちが浮上することってあるんだ)

中国にいた時、こんな風に関わっていた友人などいなかった。
いつも一人で、麻雀に打ち込んでいただけだから。

積極的に人と関わろうとしたことも無いし、
一人でいてもそれがどうしたと思っていた。

誰かといて安心するなんて、初めてのことかもしれない。

(でも心配ばっかり掛けちゃいけないよね)

彼女等の為にもいつまでもうじうじ悩んでいるのは止めてしまおう。
恭子とは学校も違う。会うことも、もう無い。
すっぱり吹っ切ってしまった方が良い。


「咲、また明日な」

「うん、バイバイ泉ちゃん」

泉が教室から出て行く足音を聞きながら、咲も立ち上がった。
家に帰ったら、軽く近所を散歩しよう。

外の空気を吸って、気持ちを入れ替えるんだ。
そんな風に考える。

だが校門を抜け家へと歩き出すと同時に、邪魔が入ってしまう。

「宮永」

聞き覚えのある声に、咲の体が強張った。

「え…?」

声の主は、さっと寄って来て隣に立つ。

「昨日は済まんかった。あ…その、末原やけど、わかるか?」

遠慮がちに名乗りを上げる恭子に、咲はぐらっとふら付く体を必死で留めた。

「何であなたがここにいるの!?」

麻雀部に所属しているのなら、部活動の時間のはず。
どうして、と呟く咲に、恭子はたどたどしく訳を話す。

「どうしても宮永に会いたくて、部活さぼって千里山まで探しに来た。入れ違いにならなくて本当に良かったわ」

ほっとしたように話す恭子は、ずっと自分が出てくるのを待っていたのだろう。
しかし咲は、嫌そうに眉を寄せた。

「ふうん、随分と余裕なんですね」

興味無いというように、咲は恭子に背を向ける。

「何しに来たか知らないけど、あなたと話すことなんて無いから」

そう言い捨てて、家へと歩き始める。

素っ気無い態度の咲に、恭子は挫けることなく慌てて追う。

「待ってくれ!少しでいい、私の言い分を聞いてくれへんか」

「嫌です。あなたと話すと気分が悪くなる」

「頼む、どうしても伝えたいことがあるんや」

「…あなた、私がなんで怒ってるかわかってるんですか?」

諦めようとしない恭子に、咲は大きく溜息をついてみせた。

視力を失い、回復するかどうか保証も無いことも知らないくせに、諦めるなと説教するなんて。
思い出すと、腹が立ってきてしまう。

ぎゅうっと杖を握る咲を見て、恭子は困ったように顔を伏せた。

「初対面の私がわかったような口の聞き方して、傷つけたことは謝る。悪かった」

「そう思うのなら、もう私に近付いて来ないで」

「それは出来へん」

これで引いてくれるかと思ったのに、恭子から出た言葉はまるで逆のものだった。

「は?」

何言い出すんだと、咲はぽかんと口を開ける。
一向に気にした風でも無く、恭子は宣言する。

「それは約束出来へん。あんたのことを、ずっと探していた。
やっと会えたというのに、このまま引き下がるなんて出来る訳が無い」

「だから!それは私がまだ麻雀してたらってことでしょ?今の状態の私に何の用があるんですか」

麻雀を出来ない自分に、価値など無い。咲はそう思い込んでいた。
視力を失った時、実際周囲から何度もそんな言葉で叩かれたりもした。

‘結局、あいつから麻雀が無くなってしまえばただの無力なガキだよな’

その通りだ。振り返っても麻雀しか無かった。何を言われても、仕方ないと我慢してきたのだ。
雅枝がやって来るまで、咲は心を閉ざして悪意の感情から耐え続けてた。

「私に構う必要なんか、無いでしょ」

心に壁を作る咲に、恭子は苦しそうに声を出して伝える。

「必要無いなんて、言わんでくれ」

「だって、」

「麻雀を出来なくなったと知っても、会いたい気持ちには変わらんかった。本当や」

「…!!」

「ずっと探していたんや。絶対、あんたが麻雀をすることを諦めていないと信じてた。わずかにでもある可能性を捨てるはずは無いと」

「…でも、私は」

俯く咲の肩を、恭子が両手で掴む。

「可能性はゼロやない。諦めたらあかん」

「でも…それでダメだったらどうするんですか」

一番怖いこと。
期待して、それでもダメだった時だ。

以前なら、そんな事を考えなかったのに。
この件に関しては、本当に臆病になってしまう。

「ダメやない。私は信じてる」

「なんの根拠も無いじゃないですか…」

「私が信じているだけじゃダメか?宮永は、もう一度麻雀ができるようになると私は信じてる」

恭子が信じていたとしても、手術で治る保障はどこにも無い。
けれど。

「…私も、信じたい。本当はすぐにでも牌に触れたい…」

ぽろっと本音の言葉が口から出る。
同時に、咲の目から涙が零れた。

「わかってる。大丈夫、絶対にまた牌に触れるはずや」

肩を掴んでた恭子の手が、涙を拭う為に頬を優しく撫でる。
その言葉に、また新しい涙を流してしまった。



――――


30分程、恭子と話をしただろうか。
「そろそろ、帰らなきゃ」と咲は声を上げた。
遅くなると言っていないので、父が心配すると気付いたからだ。

「そうか…引き止めて済まんかった」

恭子の声が何故か寂しそうに聞こえた。気のせいでは、無い。
証拠に恭子は「家まで送っても良いやろうか?」と申し出てきた。

「いいですけど、すぐそこですよ?」

「構わへん。少しでも長く宮永と一緒にいたい。それだけや」

「……」

正直過ぎる恭子の言い方に、どうしたら良いかわからず咲は戸惑った。

特別視されているのは、わかる。
昨日の件も悪気があったのでは無いことも、理解した。
だから、普通に接すれば良いのだけれど…。

「宮永と会えて本当に良かった。これからも会ってくれへんやろうか?」

どこか調子が狂ってしまう言い方を恭子はしてくる。

「別に、いいですけど」

会う位なら良いか、と咲は軽く考えていた。




「私の家、ここです」

門柱に手をついて、咲は到着したことを告げる。
のろのろと歩いて来たが、そんなに時間も掛かっていない。

「本当にすぐだったでしょう」

「ああ。おかげでもう覚えたわ。その、これからは家の方を訪ねてもええか?」

本気で恭子は自分に会いに来るようだ。

「いいですけど。末原さん忙しいんじゃないんですか?」

大会真っ只中で、練習は遅くまで行われているはずだ。

「勿論、今日みたいに部活をさぼってくるという意味やない」

咲の気持ちを察して、恭子が口を開く。

「どうにかして時間を作って来るから。また会って欲しい」

「…分かりました」

「じゃあ、また今度。必ず来るから」

嬉しそうな恭子の声と同時に、杖を握っている手の上に暖かい手が重ねられる。
一瞬だったけど、他人の体温に体がぴくっと揺れる。

「……」

恭子が去っていく靴音に、咲は一体なんだろうと顔を顰める。
上手く説明出来ないが、恭子の接し方は友人のものとは違う気がしてならない。

目が見えなくなる以前の自分の実力を認めているようだが、ライバルとしても違うような。
だったらそれが何かは、はっきりいえない。

わからないと、咲は肩を竦めて自宅へと入っていく。
これ以上考えるのが面倒だったからだ。

しかし今、宮永家にやって来た客はその状態を見逃すような甘い考えを持っていなかった。

「随分遅かったようやな」

玄関を開けて聞こえた声に、咲は目を瞬かせた。

「愛宕先生?なんで家に?」

この時間は部活中のはずでは。
咲の表情から、雅枝はすぐ回答を出す。

「部員にはメニューを出しておいた。それに用事が終わったら、すぐ戻るつもりや」

「用事って」

とにかく中に入るようにと促され、靴を脱ぐ。
雅枝の声色から嫌な予感はしていた。

実際ライバル校の生徒と今まで会っていたのだから(恭子が押し掛けてきたにしても)気まずい。

「咲。帰って来たのか」

「うん」

父は咲が帰って来たのを確認して、雅枝に「お願いします」と声を掛けている。

昨日、様子が変だったのを父が相談したのだとピンと来た。
雅枝と父の間には、何かあったらすぐ報告するという約束が結ばれている。
こんなことまでも言わなくてもと咲は思ったが、心配する気持ちもわからなくはない。

(愛宕先生にわざわざ足を運ばせて…こんなことなら夕飯の時にちゃんと話せば良かった)

一人で落ち込んでいた所為で大事になってしまったと溜息をつき、これからは出来るだけ父に話そうと反省する。

居間に入った後、咲は雅枝のすぐ側に座った。

「昨日から元気が無いと聞いていたが、どうなんや?学校で何かあった、とか」

「大丈夫ですよ。お父さんには心配掛けたって、後で謝っておきます」

済みませんと頭を下げるが、これで雅枝が引くはずがない。

「それで…聞きたいことがある。
さっき家まで送ってくれたのは、姫松の末原恭子のように見えたんやけど」

やはり気付かれてた。
やましいことは無いのだけれど、平然と答えられれるものでも無い。
観念して、咲は正直に口を開く。

「はい。実はあの人、私のことを知ってまして。それで、偶然会った時に声を掛けられました」

セーラ達と出掛けていたということは関係ないと思い、省くことにした。

「何と言ってたんや?」

「あの人、私の手術が成功することを望んでいて。治ったら、試合をしたいって言ってました」

「そう、なのか」

「はい。それだけですよ」

咲の言葉に、雅枝は「そうか」と頷く。

「しかしこれからも彼女と会う予定はあるんか?」

まさかライバル校の生徒である恭子が咲を知っていたとは驚かされた。
そんな偶然もあるらしい。

しかも手術後、咲との試合を望むとは。
わからなくは無い。

咲の麻雀を見て、一度挑みたいと思うのは実力のある選手なら当然だろう。
そしてこの先も恭子は咲に近付いてくるのではと、心配をする。

「はい。何か会いたいとは言ってました」

隠してばれる方が厄介なので、咲は正直に話した。
雅枝はやはりなと、顔を顰める。

「それは止めといた方が良いやろう」

「駄目ですか」

やはり反対されたかと、咲は俯く。
大会中の時期に麻雀部在籍では無いにしろ、ライバル校の生徒同士で会うのは好ましくないのだろう。

雅枝はそういう理由から反対しているのだと、咲は思っていた。
しかし実際はもう少し違っている。

「その事を江口や他の者は、知っているんか?」

「え?」

何故、雅枝がセーラの名前を出したのか。
思いもよらなかった展開に、咲の鼓動が早くなる。
それを見透かすように、雅枝は続ける。

「江口は、姫松をライバル視している。
末原恭子とあんたが知らない所で会ってると知ったら、きっといい顔はしない。それをわかっているんか?」

雅枝が心配しているのは、まさにそこだった。
セーラは、この盲目の少女を気に掛けている。
しかも本人が自覚している以上に、その気持ちは大きいと思っている。

その咲とライバル校の恭子が親しげに歩いている姿を見てしまったら、セーラがどう思うか。
麻雀はメンタル面においても左右される競技だ。
大会真っ只中の今、千里山の部長が動揺で潰れるようなことがあってはならない。

そして、咲が厄介ごとに巻き込まれるのも避けたい。
恭子が出て来て何かしらの揉め事が起こる前に、遠ざけて起くべきだろう。

中国で試合を見て以来、再会を望んでいたか何だかは知らないが、
手術前に咲に混乱をもたらす可能性は一先ず遠避けておきたい。

少々気が引けるが、雅枝は咲の心に訴え掛ける。

「末原恭子と親しげにしてると知ったら、江口も穏やかでは無いはずや。
はっきりとこれからも会うと、自分の口から言えるんか?」

「それは…」

「出来れば接触は避けるべきや。お互いの為にも」

「……」

しばらく考え込んだ後、咲は「わかりました」と頷いた。
セーラの名前を出され、やっぱりまずいかなと思い直したからだ。

大事な大会中に、セーラの妨げになるようなことはしたくない。
何より、がっかりされたくなかった。

恭子と再会したことは、正直に話す。
だけど、この先会うことはしない。

恭子には悪いけれど、せめてこちらの視力が回復し、
試合が出来るようになるまでは会いに来るのは遠慮してもらおうと考える。
その方がいいんだと、咲は自分を納得させた。



――――



今日も校門前で盲目の少女を待つ。

(お、来たか)

咲が杖をつきながら、ゆっくりと歩いてくるのが見える。

「よっ、宮永」

「江口さん」

声を掛けると咲は、どこか余所余所しい態度で俯いてしまう。

「どうしたん?」

何か、あったのか。
そう思って手を伸ばす寸前、後ろから伸びてきた別の手に振り払われる。

「おはようさん、咲」

「竜華!いつの間に」

「誰かさんがこそこそと部室から出て行くのが見えてな。こりゃあかんと思って、急いで来たんや」

バチッと二人の間に、火花が散る。

この様子が見えてない咲は、何も知らず、ただ考え込んでいるような表情を浮かべている。

「どないしたんや、咲?悩んでいるような顔して」

「…昨日、末原さんと会いました」

セーラと竜華は顔を見合わせた。緊急事態だと、すぐに気付く。
あれだけ近付けさせないと誓った恭子と咲をあっさり会わせてしまった。

まさか千里山まで会いに来るとは。
恭子を甘く見過ぎていたようだ。

「それで、何もされなかったんか!?」

「大丈夫やったか?」

声を上げる二人に、咲はこくんと頷く。

「はい…あの人、わざわざ謝罪しに来てくれたんです。それだけの為に、来てくれたみたい」

「本当に、謝罪だけなんか?」

思わずセーラは疑惑の声を出してしまう。

恭子のあの切羽詰った様子。謝罪だけ、とは考えにくい。
咲はその問いに、「はい」とゆっくりと答えた。

「昨日のこと気にして、会いに来ただけだから。色々心配掛けてごめんなさい。
でも、もう大丈夫だから。本当、もう誤解は解けたんで」

そう言って、ぎこちなく笑う。

嘘だ、とセーラは言いたかったが我慢をした。
何か隠している咲の態度に苛立つが、詰め寄って怖がらせたくは無い。

竜華も同感だったらしく、それ以上恭子とどんな会話したのか聞こうとしなかった。

三人とも、肝心な所に触れないまま空々しい空気の中を歩いて行く。

そして、

「じゃあ、私こっちだから」

毎朝、咲と別れる廊下に到着してしまう。

「……」

「江口、さん?」

思わずセーラは咲の袖口を掴んでいた。

ぎゅっと引っ張るのではく、そっと掴む程度だったので、
驚いた咲は転ぶことも体勢も崩すことなくただ足を止めている。

「セーラ?」

竜華もきょとんとした顔で、セーラを見ている。

「お前が大丈夫って言うんなら、…信じる」

「江口さん」

「だけど、もし面倒ごとがまた起きたんなら、遠慮せんで言ってくれ。
一人で抱えるなと言ったやんな?お前の為やったら、何だってやってやるから」

「……!」

セーラのきっぱりとした決意の言葉に、咲も竜華も驚きの余り動けなくなってしまう。

「ちゃんと聞こえたか?」

袖を掴んでいた手を離し、今度は頭にぽんと軽く置く。

「あ…はい、聞こえてました」

急に咲は赤い顔をして、頷く。

「そうか」

「あの!もう先生来るから、私行きますね!」

そして慌しく杖をついて、廊下を歩き出してしまう。

「あー、咲ー」

去っていく背中に、竜華が名残惜しそうに名前を呼ぶ。

「セーラ…こんな往来で言うか?咲、動揺しとったやん」

「そうやったか?」

咲の反応が嫌がっているのではなく、照れているのだと理解し、
セーラは満足そうに笑った。

「あんたという奴はー。末原さんが会いに来た聞いた時には、顔引き攣らせとったくせに」

「それはそっちも同じやろ」

恭子のことを思い出し、再び表情を曇らせる。
大丈夫だと言っていたが、本当だろうか。

どんな会話をしていたか気になるし、
まさかと思うが次の約束をしていないのか、それが一番気掛かりだ。

「どないする?末原さん、また来るんちゃうか」

竜華も同じことを懸念してたようで、心配そうな表情を覗かせる。

「さあな。末原が何考えているか、俺にはわからんし。
大体、大会中に会いに来る時間もあるんか?」

「時間作ってまで、会いに来ようとまでして来たら?末原さんが本気ならやりかねないやん」

「本気、ならな」

咲と話させろと言って来たあの目に、執着心を感じた。だから会わせたくないと考えたのに。
きっとまたやって来る。恭子がこのまま引っ込むような奴とは思えない。
セーラはそう確信した。

「お前はどうするんや、竜華」

「うち?」

逆に、竜華へと尋ねてみる。

「あいつのやりたいようにって、いつも考えているんやろ。
末原が近付こうが、嫌がってないんなら放っておくのがお前のやり方やんな?」

「……」

ふーっと、竜華は大袈裟な溜息をつく。

「わからへん。咲の好きにさせてやりたい。そう思うてるけど」

くしゃっと竜華は頭を手で掻き毟る。

「他の人に取られる思うと、焦るな。黙って見ているなんてできへんかもしれへん」

「そうか」

「セーラかてそうやろ」

ふん、とセーラは鼻で笑って返す。

「取られる方がまぬけやろ」

「言うたな。うちに出し抜かれても、同じこと言えるん?」

「竜華に?笑わせんな」

「その余裕ぶった顔がむかつくなぁ!」

「竜華こそ、そのにやけた顔何とかしろや!」

肘でお互いを牽制しながら、廊下を歩いて行く。

朝からなんだと廊下を歩く生徒達が見ているが、二人は気付いていない。
教室に到着するまで、小競り合いは続いていた。



――――


セーラ達に正直に話すことが出来た。
おかげで咲の心は大分楽になっている。

しかしまだ問題はある。
次回、恭子が訪ねた来た時に、この目が治って試合が出来るようになるまでか、
せめて大会が終わるまでは会うのを控えたいと言わなければならない。

雅枝の言う通り、全国大会を前にして姫松の選手と会ってる場合じゃない。
セーラだけじゃなく、竜華も怜も口に出さなくても、微妙な気持ちになるだろう。
いつも優しくしてくれた彼女らの気持ちを、大事にしたい。

(でも向こうも大会中だから…よく考えたらそんなすぐに家へ来たりしないかな)

そんな風に咲は軽く考えていた。

だが恭子が訪れるのは、それからすぐ翌日のことだった。

父の声に、部屋で寛いでいた咲は飛び起きた。

「咲、他校の方が訪ねて来てるんだが…お知り合いか?」

「他校?」

「姫松の末原さんと仰る方が、今玄関の所に来てるぞ」

「え!?」

何故他校生が、と不審がる父に、「うん、ちょっとね」と咲は誤魔化した。

それより、驚いた。
こんなすぐに恭子が会いに来るとは予想していなかった。

「今、出るからちょっと待って」

「分かった、そう伝えておく」

先に自室を出た父が階段を降りていく音がする。
ゆっくりと咲はベッドから床へと降りる。

もう時刻は8時近い。
恭子は姫松で練習が終わってから、真っ直ぐここに来たのだろうか。

そんな事を考えながら、杖を取って階下へと急ぐ。

「宮永」

咲を見て、恭子は声を上げた。

「末原さん、どうしたんですか。何か急な用事があったとか?とにかく上がってください」

「いや、時間も無いからここで結構や。その、少し様子を見に寄っただけやし。特に用事という訳やない」

「はあ」

「元気そうで何よりや」

何よりと言われても、一昨日会ったばかりだ。そんなに体調を崩しやすそうに見えるのだろうか。
恭子の言っている意味がわからず、首を傾げる。

「あ、そうだ。ちょっといいですか?」

そう言って、咲はしゃがみ込んで置いてあるはずのサンダルを手探りで探す。
何かに気付いた恭子が「これか?」と渡してくれたので、「どうも」と礼を言う。

サンダルを履いて、「話したいことがあるから、外に出ましょう」と促す。
この場だと、恐らく聞き耳を立てているだろう父に全部聞かれてしまう。
隠すことじゃないけど、やはり言いにくい内容には変わり無い。

咲が外に出ると、恭子も一緒に続いた。
元々顔を見に来ただけなので、すぐ帰るつもりだったようだ。

「話って?私に出来ることがあるなら何でも言ってくれ」

真面目に喋る恭子に、調子が狂いそうになる。
が、ここでちゃんと伝えなければとあの話を切り出す。

「ええと。手術して、麻雀が出来るようになるまでちょっと時間が掛かると思うんです」

「…そうか、そうやな」

「でも治ったら、絶対あなたと対戦します。約束は守りますんで」

その言葉に嘘偽りは無い。
あの頃のような麻雀が出来るかはわからないが、全力で戦いたいと思っている。

「本当か」

恭子の声はどこか嬉しそうだった。
その事に今から話す内容に気が重くなるが、意を決して咲は口を開いた。

「だから、治ったら私の方からちゃんと会いに行くから。
それまで、こんな風に会うのは…控えてもらえるでしょうか」

「何故や?」

瞬時に問われ、少しびっくりしてしまう。

(何故って言われても…。困ったな)

そういえば恭子は姫松のレギュラーだというのに、千里山の生徒と会うことをどうとも思わないのか。
麻雀部員では無いから気にしていないと考えれば、それまでになるが。

「だって会ってもしょうがないし。こんな所に来ても、時間の無駄でしょう?だから試合出来るまでは」

「宮永と会えることが、無駄だとは思わへん。試合が出来るとか出来ないとか、そういうことやない」

「はあ…」

そうかな?と咲は眉を寄せる。

「で、でも大会中に時間掛けてここに来るよりも、家で休んでいた方がいいのに」

「いや、それよりも宮永と話している方がええ」

「そうなんですか?」

「せや」

どうしよう、と軽くため息をつく咲に、今度は恭子から質問される。

「会いに来るのは迷惑なんか?」

「えーっと…」

「はっきり言って欲しい」

仕方ない、と咲はぼそぼそした声で告げる。

「全国で姫松と千里山って当たるかもしれないんでしょう。
そういう学校同士の人が会ってるっていうのも変じゃないですか?」

咲がそう言うと、恭子は無言のまま立っている。どうやら納得している訳じゃなさそうだ。
わかってもらう為に、咲はもう少し続けた。

「末原さんって姫松のレギュラーなんでしょ。他の部員が変に思ったりしたら困るでしょう」

「……」

「私も、江口さん達と仲良くしてもらっているし…。そういう人同士が会ってて、周りが気にすることもあるんじゃないですか?だからちょっと、控えて欲しいかなって」

たどたどしい咲の説明を、恭子は黙って聞いていた。

咲が大きく息を吐いたところで、「そうか」と口を開く。

「大会が終わるまでは、控えた方が良い。そういうことか?」

「はい、まあ」

低い恭子の声に、機嫌を損ねたんじゃないかと思わず体を固くしてしまう。
そんなに無理なことを言っているのだろうか。

今、会う必要等無いのに。
麻雀が出来ない自分と会っても、恭子にはなんのメリットも無いはずだ。

「わかったわ」

渋々といった感じで、恭子が声を上げる。

「おかしな噂が立って、宮永に迷惑が掛かる可能性は否定出来んからな。その為にも自粛するわ」

わかってくれた、と咲はほっと力を抜いた。

「せやけど」

そっと肩に恭子が触れる。
なぜかその手は、服越しにも熱く感じた。

「大会が終わったら、会いに来ても良いんやろ?」

「え、はい」

真剣な声に、思わず頷いてしまう。

「そうか、良かったわ」

触れている手に、力が篭る。

何故そんなに会いたがるのか、わからない。
問いかけようとして、咲は結局口にはしなかった。
何かまずいことが起こりそうな気がして、言い出せない。

「しばらく会えないのは残念やけど、我慢する。試合の約束は、忘れんでくれや」

「……はい。忘れません」

咲がそう言ったところで、恭子も安心したようだ。
ようやく肩に触れてた手の重みが消える。

「また会える日を楽しみにしてるで。それまで、元気でな」

「はい。末原さんも。私が言うのも変かもしれないけど、試合…頑張って下さい」

「ああ」

そして恭子は帰って行った。

足音が遠くなっていく音を聞いてから、咲は玄関の中へと入った。
他校の人はもう帰ったのかと問う父の声に、「うん」とだけ短く返し、また自室へと戻る。

なんだかすごく疲れた気分だ。

大会が終わるのは8月。そう遠い話では無い。
なのに恭子はそれすらも長いと言いたげだった。訳がわからない。

(一応、解決…したんだよね?)

なんとかなったはずだと、咲は自分に言い聞かせる。
これで雅枝に迷惑を掛けるようなことにはならないはずだ。



だが、これによって今よりも更に大きな嵐が吹き荒れることになるのを、咲はまだ知らない。



――――

今日はここまでです。


末原さん積極的w

乙です

乙、来週も期待

乙乙


末原ちゃん一発あってもいいよね

嵐の切っ掛けは、姫松の主将の訪問から始まった。

「あんた、宮永咲やな」

翌日の帰り道。
いつものように一人で校門を出たところ、いつかの恭子のように名前を呼ばれた。
違うのは、聞き覚えの無い声だってことだ。

「あの、誰でしょうか?」

近付いてきた靴音にに、咲は警戒を強める。
その表情に気付いた洋榎は、

「ああ、堪忍な。うちは愛宕洋榎って言うねん」と名乗り出た。

「愛宕さんて、姫松の?」

「うちのこと知ってるん?」

知ってるも何も。
洋榎の母親の雅枝には、日頃からお世話になっている身だ。
尤も雅枝は家族にも咲のことは知らせていないようだから、咲も黙っていることにしているが。

「はい。で、愛宕さんが私に何の用でしょう?」

まさか雅枝と親しくしているのが知られたとか。
そんな風に考える咲へ、洋榎は「恭子のことで、ちょっとな」と意味深な事を言い出す。

「末原さんの?」

「せや。ちょっとここじゃなんやから、少しうちに付き合ってくれへん?」

「でも」

ほとんど知らない人同然の洋榎について行くのは躊躇われる。
が、洋榎は強引に腕を掴み、前へと引っ張ってしまう。

「ちょっと、私まだ行くって言ってません」

「すまんな~」

抗議をする咲に、洋榎は形ばかりの謝罪をする。

「でもどうしてもあんたに聞いてもらいたいねん。
このままだと、恭子は試合に出ることすら出来んくなる」

「え……?」

意外な言葉に、咲は息を呑んだ。

「恭子があんな調子じゃ、姫松は勝ちあがれん」

「末原さんに何かあったんですか?」

あの後、事故か何かあったのか。
そんな想像している咲を、洋榎は「さあ、乗ってや」と咲の体を引っ張る。

「え、あのこれ車、ですよね?」

「せや。タクシーを使って来たんや。校門で張るしか無かったから、急いで来てんで」

「私が言いたいのは、そういうことじゃなくて」

そのタクシーに乗せられそうになってる、この状況が何かを知りたいのだ。
しかし咲がその質問するよりも早く、洋榎は咲を車内へと押し込んでしまう。

「どういうつもりですか…?」

「あんたには聞く義務があると思うで。宮永咲」

「何が」

「スンマセン、姫松までお願いします」

洋榎の声に、タクシーは走り出してしまう。

「ちょっと、姫松って」

「恭子の不調は、あんたが原因なんやろ」

「は?」

つん、と洋榎の指が咲の頬をつつく。

「だから、恭子と会って貰わんとな」

「そんな、そんなの何も」

「大会中にして、こっちも困ってるんやから。協力してもらうで」

「……」

協力と言われても、何が何やらわからない。

恭子の不調。その原因が自分にあると、洋榎は言う。
どこまで信じて良いかわかったものじゃない。

ただわかるのは、恭子に会うまで帰してもらえないこと。

しょうがない。
会ってやろうと、咲は腹を括って拳をぎゅっと膝の上で握り締めた。

降りてと、手を引かれ、咲は素直に従った。
ここまで来たらじたばたしても仕方ない。

恭子と会わせることが洋榎の目的なら、危害を加えるとかそういうことは考えていないだろう。
それに恭子と会える方が都合良い。
帰して欲しいとお願いすれば、彼女ならばきっと聞き入れてくれるはず。

しかし、帰宅時間は大分遅くなっている。きっと父も心配しているだろう。
もし、雅枝に連絡を入れる展開になったら。

(まずい)

この間、恭子との件で釘を刺されたばかりだ。
こんな揉め事を起こして、やっぱりなと呆れられるようなことは避けたい。

「あの…、愛宕さん」

頼みたくは無いが、手を引いて歩く洋榎に声を掛ける。

「何や?」

遅くなりそうだから家族に連絡を、と言おうとした所で、大きな声によって遮られてしまう。

「主将!どういうことですかこれは!」

「おっ、恭子。ちゃんと迎えに来てくれたんやな」

「主将が意味深なメールを寄越すからでしょう。それに宮永をこんな所まで連れてきて!」

大声で怒る恭子に、洋榎は冷静に対処する。

「そんな怖い顔せんといてや。恭子の怒鳴り声で宮永が怯えてんで」

「…っ」

「それに元はといえば、あんたの為やないか」

二人の険悪な空気に、咲は溜息をつく。
これ以上話が長引く前にと、割って入る。自分の用事を済ませておきたい。

「あの、ちょっといいですか?」

素早く反応した恭子が、「どうしたんや、宮永」と優しく問い掛ける。

「長くなりそうなんで、家に連絡しておきたいでんすけど。携帯貸してくれませんか?」

「え…」

「何しろ学校出て直ぐに連れて来られたから、何かあったかもしれないって心配してると思うんで…」

恭子に洋榎のやった事を告げ口する訳じゃないが、事実をありのままに話す。
咲の言葉に、恭子は再び声を荒げる。

「主将!今の話は本当ですか!?」

「まあ、そうやな」

「宮永の迷惑になるような行為をしていいと思ってるんですか!?」

「はいはい、うちのことは悪役だと思ってくれればええよ。
それより宮永、家の番号は?うちの携帯使ってええから」

「どうも」

「主将、聞いているんですか!」

「後にしてや。今は宮永の家族への連絡が先やろ」

ぶつぶつ言う恭子は洋榎の様子に不満げだったが、咲はさっと電話番号を答える。
今は安否を知らせることが優先だ。

思っていた通り心配していた父に、学校の友達と一緒だから遅くなると伝え、そして電話を切った。

「もう一つ。末原さんと会えたのはいいけど、私どうやって帰るんですか」

「帰りは私が送るから心配せんでええ」

「お願いします、末原さん」

「主将が迷惑掛けたんやから、当然や」

恭子の声に、咲は安堵の息を吐いた。
姫松からの帰り道はさすがにわからない。放り出されたら、路頭に迷うしかない。

「恭子。今日はもう早退してこの子を送ってあげや」

楽しそうな声を発する洋榎に、恭子は眉を寄せる。

「まだ部活中ですよ。レギュラーの私が早退する訳には」

「じゃあ、部活が終わるまで宮永はどうするん。放っておくつもり?」

「それは…」

別に咲としてはどうでも良かった。
ちゃんと家に帰してくれるなら、待っててもいい位に考えていたのだが、恭子は違ったらしい。

部室で待っててもらうか、いやそういう訳にはと呟いている。
迷っている恭子に、洋榎は楽しそうに声を上げる。

「皆にはうちからうまいこと言っておくから帰り。大体麻雀しても身に入らんやろ。そんな状態で練習されても迷惑や」

「……」

「気付いているんは一部やけど。あんたがそんな有様で大会を勝ち上がることは出来へん。
わかったのなら、さっさと悩みを解消してくれや」

洋榎の話を聞いて、咲はどういうことだろうと考える。
自分がここに来たことによって、恭子の悩みが解消されるのだろうか。
一体どうやってと思ったが、想像つかない。

「すみません、主将」

しばらく恭子は沈黙していたが、吹っ切ったような声を出した。
同時に、咲の腕をそっと掴む。

「家まで送るわ。その前に、聞いてもらいたいことがある。多分、うまく言えへんが」

「はあ」

結局何が言いたいのかさっぱりわからないが、咲はとりあえず頷くことにした。

「カバン取ってくるから、それまで待っててくれ。主将、その間宮永を頼みます」

「わかったわ」

掴んでいた腕を名残惜しげに離し、恭子は走って行ってしまった。

(聞いてもらいたいことって、なんだろう)

大会が終わるまで会うのを控えたい、その件だろうか。
雅枝に言われたことを思い返し、気が重くなってしまう。

「なあ、宮永」

「何ですか」

咲の気も知らず、洋榎は楽しげに囁く。

「恭子のこと、よろしくな」

「は?」

よろしくって??

ますます分からなくなって、眉を寄せてしまう咲であった。



――――

一方、その頃千里山麻雀部では。

咲が洋榎に誘拐されたとも知らず、
通常通りに練習が終わって帰り支度をしている最中だった。

「じゃあ先輩方、お先に失礼します」

「浩子、今日は随分と急いでるようやけど何かあるん?」

「清水谷先輩。ええ、ちょっと用事があって…」

歯切れ悪くじりじりと後退して、「じゃあ!」と浩子は部室を飛び出して行ってしまった。

「何やの」

あの態度はおかしい。

「あ、もしかして浩子…」

デートの約束でもしているのかと、閃く。
そういえば以前、気になっている子とうまくいきそうな事を喋っていた。
これは進展あったな、と竜華は確信する。

「明日は浩子のおごりやな」

詳しいことはゆっくり問い詰めようと、にやっと笑う。

(そういえば、怜は…)

こんな時に話したい相手だが、姿がみえない。
今日も、どこかで眠っている可能性はある。

(あ。これはチャンスや!)

今日、宮永家に行っても邪魔する者はいない。咲と二人だけで会話する機会が巡ってきたようだ。
そうと決まればと、竜華は部室を足早に出る。

セーラもいない。
咲とじっくり会話出来ると、盛り上がった気分で宮永家へと向かう。

だが、

「せっかく来てもらったのに悪いね。咲、まだ帰っていないんだよ」

咲の父から言い渡された言葉に、竜華はがっかりと肩を落とした。

「散歩ですか?それなら迎えに」

「いや、なんでもお友達と一緒とかで。クラスの子達なんだろうか」

そこまでは聞いていないんだが、と咲の父は微笑む。

(変、やな)

咲が千里山でよく行動をともにしている一年生といえば。
麻雀部の新人、二条泉。それ以外は知らない。

泉は今まで部活に出ていたから、咲と一緒のはずがない。
としたら、一体誰と一緒にいるのだろう。

「良かったら咲が戻るまで家に上がって待っていくかい?」

父親の申し出に、竜華はハッと意識を引き戻す。

「いえ。今日は帰ります」

約束してた訳じゃない。
残念だけど帰ろうと、竜華は父親に挨拶して玄関を出た。

(咲に会えるんは、明日になってからやな)

今日はしょうがない。
自分に言い聞かせながら、ぼとぼと歩き出す。
このまま真っ直ぐ帰るのも寂しいが、バス停へと向かう。

だが、反対側からこちらへ近付いてくる人影を見つけ、咄嗟に塀へ身を隠す。

(今の)

間違いない。
咲と末原恭子だ。

二人が何故一緒なのか。
咲が友達と父親に伝えた相手は、恭子だったのか。
でも、どうしてと混乱しつつ、そっと二人の様子を窺う。

幸いなことに二人は竜華の存在に気付いていない。
目の見えない咲は当然だが、恭子は隣を歩く咲に気を取られていて、
周囲に気を配っていなかった。

それにしても咲から恭子に会いに姫松へ行ったのだろうか。
いや、一人で姫松に行けるはずがない。

じゃあ恭子がまた会いに来たのか。
色々考えている内に、恭子が口を開いた。

「今日は本当に済まんかったな」

「…いえ」

聞き漏らしの無いようにと、竜華は全神経を耳に集中させる。
二人がどんな話をしているか、知りたくてしょうがなかった。
何よりも恭子が咲に何を言うか、気になって仕方ない。

「せやけど、さっき言ったことに嘘偽りは無い。それはわかって欲しい」

「……」

竜華が聞いているとも知らず、恭子は話を続ける。

「私があんたを好きなことは、本当や」

「末原さん、あの」

「私と付き合うことを、考えてくれへんか?」

(何やてー!?)

その場で竜華は固まってしまった。

恭子は冗談を言っているように見えない。
きっと本気で、好きだと告白したのだろう。

気が遠くなりつつも、先を越された…そんな思いが竜華の心に浮かんだ。



――――

話は少し前まで遡る。

恭子の不調が自分にあると聞かされて、姫松に連れて来られた。
なので咲は、恭子に「調子落としているって聞いたんですけど」と質問した。

洋榎から聞かされた話を全面に信じているのでは無いが、ここまで来た以上ハッキリとさせたい。

「私が原因って本当ですか?」

「……」

恭子は答えを返さず、沈黙が続いたまま咲の手を引き続ける。バスに乗っても、咲と会話しようとしない。
たまに「あー」とか「うー」とか悩んでいるような言葉を発するくらいだ。

(そっとしとこ)

どうやって説明したら良いかわからないんだと、無理に会話することをせず、
咲はバスの揺れに身を任せた。

そうして20分くらい過ぎたところか。
心地良い揺れについ眠りそうになった所を、「宮永」と起こされる。

「降りるで。大丈夫か?」

「ん……」

恭子に引っ張られる形で、バス停から降りる。ようやく家の近くまで来たということか。
それにしてもこのまま帰されたら、また洋榎が「ちゃんと話してくれたんか?」と現れそうだ。

困った、と咲は小さく息を吐く。
話、あるんじゃないんですか?と言おうとした所で、恭子がやっと口を開いた。

「原因は、宮永ににあるわけやない。私の弱さの所為や」

「はぁ」

「けど宮永とは関係ないかと聞かれると、まったくそうじゃないとは言い切れへん」

(どっちなの)

自分の言っていることの矛盾に気付いているのか。気付いていないんだろうな、と咲は思った。
それにしても歯切れが悪過ぎる。

「で、私に出来ることって何かあるんですか?
今のままじゃまずいって愛宕さんもわかっているみたいだし」

「…」

「私に関係あることなら、解決法も何かあるんじゃないでしょうか?」

「それは…」

「言ってみてください。出来る範囲でなら協力しますから」


今、咲の目が見えていたら。恭子の行動は不審者として映っていたに違いない。
頬を染めて、きょろきょろと落ち着き無く辺りを見渡している。

「出来ることならあるけど…これは、その、頼んでするようなものじゃなくて」

「…とりあえず言ってみてください」

出来るかどうかは後で考えればいいのに。何を迷っているのだろう。
恭子の伝えたいことなどまるで知らずに、咲は「早く」と詰め寄った。

「…なら聞くけど、宮永。今付き合っている人はいるん?」

「はあ!?」

突拍子も無い質問に、杖を落としそうになる。
不調の問題から、何故そんな質問が飛び出すのか。困惑しながらも「関係あるんですか?」と尋ねる。

「重要なことや」

(そんな真面目な声で言われても)

調子を狂わされながらも、「いないですよ」と正直に答える。

「そうか、良かったわ」

(何が。この人、本当よくわからない)

軽く呆れた所で、再び新たな衝撃をもたらされる。

「では、宮永。私と付き合って欲しい」

「へ?」

今度こそ、杖を落としてしまう。
カラン、と音を立てて杖は道路へ転がった。

「あの、末原さん?」

ぽかんとしている咲へ、恭子ははっきりと告げる。

「好きや、宮永。やっとこの気持ちが何なのか、気付いた」

「えっ、あ、あの」

驚きの余り咲はバランスを崩し、倒れそうになる。
しかし間一髪、恭子の手が支え激突は避けられた。

「大丈夫か」

「……はい」

転ばなかったとはいえ、困惑の原因に支えられて、咲は思わず体を竦ませた。
恭子はそれがわかったのか、すぐにきちんと立たせてくれる。
そして倒れていた杖を拾い、手に渡してくれる。

「すまんかったな、急に。何を言い出すかと思ったやろ」

全くの同感だが、頷くことさえ出来ない。それ位、驚いていた。

とりあえず、落ち着いて話をしよう。
お互い同じ結論が出た所で、咲は近くの公園へ行こうと促す。

「ここのバス停から、もうちょっと先にあるんで」

恭子も反対することなく、咲に案内されるまま目的地へと向う。
そして先に咲をベンチへ座らせ、恭子は「ちょっと飲物を買ってくる」と自販機へと向ってしまう。

(驚いた…)

好きだとか、急に言われて本当にびっくりした。

恭子の告白を考えながら、ぼーっとしていると、「これ、良かったら」と冷たいものが手に当たる。

「適当なのを買ってきたが、先に何が欲しいか聞けばよかったな」

「あ、いえ。どうも」

恭子が買ってくれたオレンジジュースを、黙って飲み干す。
そうして、また沈黙が流れる。

いつ話の続きをするんだろう。咲がそろそろ…と思った瞬間、
またしても恭子は唐突に続きを話し出す。

「私の気持ちに偽りは無いで。
こうして口に出すとよりハッキリ自覚出来る。宮永のことが好きやと」

「…はあ…」

周囲に人がいないか、今更ながら気になってしまう。
子供の声は聞こえないから、誰も遊んでいないようだが。

「でも、私達そんな会ったばかりで、話もそんなにしてないのに」

きっと恭子は勘違いしているのだ。
今の自分の状況に同情して、その気持ちを好きだと勘違い。咲はそう思い込もうとする。

「会ったばかりで好きになるのは、おかしいか?」

「だ、だって、何も知らないし。きっと末原さんは私に対して都合の良い思い違いしてます」

「でも、会う度に惹かれる。会えば会うほど、知りたい、もっと一緒にいたいと思うんや」

「…っ」

「これは間違いなんかやない。切っ掛けは麻雀している姿を見てからやけど、あの時にもう一目惚れしてたんやと思う」

「……」

堂々と言われ、困ってしまう。
開き直ったのか、先ほどまでの歯切れの悪さが無い。

「でも私、麻雀は、この先出来るかどうかもわからないし」

なんとか抵抗しようとするが、恭子はそれを許してくれない。

「必ず、また麻雀ができるようになる。そう、信じていると言ったやろ」

「そんな根拠無いでしょう」

「信じてるから、必ず叶う。あの時のように牌に触れる、その日は来る」

「…」

「だがそれだけじゃ足りへん。卓に座っていない間も私の側にいて欲しい」

缶を握ってる手の上に、恭子の手が重ねられる。
あまりに真剣な声に、動けない。

「大会が終るまで会うのを控えようと言われた時、一度は納得したけど、
やはり自分の気持ちはごまかせへんかった」

「末原さん…」

「これじゃアカンってわかってるんやけど…どうにもならんで、それが原因で練習が身に入らんくなった」

嘘を言っているようには聞こえない。

困ったまま口を噤む咲から、恭子はそっと離れた。

「済まんかったな、急にこんなこと言い出して」

「いえ…」

「今日はもう家に帰った方がいいやろ。名残惜しいが」

「はあ」

立ち止まっていた場所から、ゆっくりと歩き出す。
この先、どうしたら良いかなんて全く見当がつかない。




だが、咲の混乱の一日はこれだけで終わらない。

『私と付き合うこと、考えてくれへんか?』

念押しした後、恭子は帰って行った。

(考えてくれと言われても)
 
家に入ると、「おかえり」と父が迎えてくれた。
もう少ししたらご飯が出来るとの声に、ちょっと休んでいると自室のベッドで寝転ぶ。
しかし数分も経たない間に、訪問者の知らせを受けてしまう。

「竜華さんが?今、来てるの?」

「先ほどもいらしてたんだが、やっぱり咲に会いたくて引き返して来たんだそうだ」

「え、そうなの?」

真っ先に恭子と一緒に歩いている所を見られなかっただろうか。その件が気になった。

「どうするんだ?」

「うーんと、部屋に上がってもらって」

「ああ、わかった。夕飯食べて行ってくれるかな」

「それも聞いておいて」

父が出て行ってから、すぐに竜華は階段を上がって来た。

「咲。元気かいな?」

「竜華さん…」

明るいその声に、ほっと力を抜く。

「練習は?終わったとこなんですか?」

「せや。今日もヘトヘトでな、こりゃ咲の顔見て充電せんとやってられへん思うてな。悪かったな、ほんまに」

「別に構いません。夕飯食べていってくれるんですか?」

「図々しいけどお願いしたわ。咲とこのご飯、美味しいからな」

「また。お父さんにそんなこと言ったら調子に乗っちゃいますよ」

「ほんまのことやんかー」

他愛の無い話に、さっきまでの悶々とした気持ちが消えていく。
ありがたいことに、竜華は一向に恭子の話題を振って来ない。

(見られてなかったのかな)

告白されましたなんて言えるはずがないので、
一緒にいる所を見られなくて本当に良かったと咲は胸を撫で下ろした。


それから夕食を取って、またしばらく自室で話をして。気付いたら時刻は9時を過ぎていた。

「あ、もうこんな時間や。楽しい時間はあっという間やなー」

そう言って立ち上がる竜華に、「お父さんに頼んで送ってもらいましょうか?」と提案する。

「大丈夫やて。この位、なんでもあらへん」

「でも」

「大丈夫やて」

くしゃっと髪を撫でる竜華に、それ以上無理強いすることも出来なくて、
咲は「わかりました」と頷く。

「じゃあ、玄関まで送ります」

ゆっくりと立ち上がろうとしたが、不意に足をもつれさせて、よろけてしまう。

「咲!」

さっと手を出し、竜華はしっかりと華奢な体を支える。

「ごめんなさい、竜華さん」

「気ぃ付けなあかんで」

全く今日はよくふらつく日だ。
少し笑って、竜華が手を離してくれるのを待つ。が、一向にその気配が無い。

「竜華さん?」

訝しく思いながら、名前を呼ぶ。
すると腰を支えていた手が背中に回り、今度はぎゅっと抱きしめられる。

「咲」

「何ですか?」

全く警戒心など、持っていなかった。しかし竜華が次に告げる言葉に、硬直してしまう。

「好きや」

「え?」

「うちな。咲が好き、なんや」

恭子に言われるよりも、ずっと意外だった。
竜華は年上の優しい友人。そんな風に思っていたから。
冗談だと笑ってくれればいいのに、竜華の声は真剣だった。

「竜華さん…なんで?あの、本当に」

「咲のことが、好きなんは本当や」

わかってもらいたいのか、竜華はもう一度繰り返す。

「さっき末原さんに告白されてたやろ。悪い、聞いてしもうた」

動かない咲に、竜華はそう告げた。

(やっぱり見られていたんだ)

小さく息を吐くと、それを非難と取ったのか竜華はもう一度「ごめんな」と謝った。

「聞くつもりは無かったんや。偶然二人が歩いている所見て、そしたら末原さんが咲に好きって言うのが見えて…」

「竜華さん、あの、苦しいです」

咲が声を途切れ途切れ訴えると、慌てて竜華は腕の力を抜いた。
が、背にはまだしっかり手が回された状態だ。

「咲。末原さんのものなんかにならんでほしい。他の誰にも…渡したくないんや」

「竜華さ…」

「好きなんや。うちじゃ、駄目か?咲の支えになれへん?」


同じ日に二人から告白されるなんて、生まれて初めてのことで。
どうして良いかわからず、咲は黙ったまま立ち尽くしていた。



――――

今日はここまでです。

乙です

乙 セ?ラ出遅れたな

乙 セーラがどう出るか楽しみ

乙です

乙です。竜華さんスキーとしてはニヤニヤせざるを得ない

これはひどい


続きが気になって仕方ない

洋榎ちゃんは友達思いやな

咲のSSの中でもキャラ崩壊がないのは洋榎ちゃんだけな気がする。

泉以外崩壊してる気がするけども

泉以外崩壊してる気がするけども

なに、気にすることはない

この程度でキャラ崩壊とか言ってたら
カンちゃんシリーズとかもっと酷いぞ

二次創作の時点で別人だしね

咲ちゃんがモテるssだとキャラ崩壊だ~言い出すヤツ~

咲だって盲目になれば多少は虚勢も張るだろうし、周りに盲目の人間がいれば竜華たちもこうなるんじゃないの?この状況ならそんな逸脱してもないと思うけど…
キャラ崩壊ってこのキャラがこんなことをするわけがない!っていう意味だった気がするんだけど違うのか?

心理描写の積み重ねが丁寧だからこそのこのニヤニヤ展開………!
この1はデキる。はっきりわかんだね

心理描写の積み重ねが丁寧だからこそのこのニヤニヤ展開………!
この1はデキる。はっきりわかんだね

そして連投した俺はデキない奴
すまぬ……すまぬ………



――――


県予選3日目を目前に控えたその日。
セーラはいつものように咲を迎える為に校門へと急ぐ。

「よっ、宮永」

「おはようございます、江口さん」

一人で歩いている咲を見て、怪訝な表情になる。
辺りを見渡すが竜華はいない。
必ずと言っていいほど、先に駆けつけて咲の隣を確保しているのに、今日はいない。

きっと宿題をうっかり忘れて、今頃必死になってやっているのだろう。
いない方がありがたいと、竜華の存在を忘れることに決める。

それよりも、咲の方だ。
どこか元気が無いように見えるのは、気の所為じゃない。

「どうかしたんか。朝飯抜いてきたとか?」

「いえ、食べて来ましたけど」

「元気ないように見えるで。また何かあったんか?」

セーラの問いに、咲はぶんぶんと大きく首を振る。

「何も無いですよ」

「本当か?」

「はい。大丈夫ですって」

それ以上の質問を避けるように、足早に歩いて行く。

(何か、変やな)

その背中の後ろを着いて行く。
隠すような咲の態度に、奥歯を噛み締める。

なんだって、力になってやりたいのに。
打ち明けようとしない咲に少し苛立つが、
言いたくないようなことなら仕方ない、今は黙っていようとそれ以上追及はしないでおく。

どこか気まずいまま二人は別れ、それぞれの教室へと歩いていった。


――――

咲のおかしな態度について、セーラは授業中も推測し続けていた。

(末原がまた現れたとかいうんやないやろうな)

最も考えられる理由は、それだ。

もし、動揺させる何かを吹き込んだとしたら、許せないと思う。
今度こそ近付けさせないよう、直接恭子の元に乗り込もうとも。

彼女を面倒事に巻き込む者は、容赦しない。
例えそれが純粋な想いから来るものだとしてもだ。

咲が悩んでいるのなら、それはセーラにとって害としか映らない。
昼休みの間にだけでも、もう一度様子をみておくべきだ。

そう考えたセーラは、早速チャイムが鳴ると同時に、教室から出て廊下を歩き出した。


途中、珍しく食堂にでも行くのだろうか、
竜華と浩子が連れ立って歩いているのを見つけ、声をかけようと口を開く。

その瞬間、竜華がこちらを振り返った。

竜華はセーラを見るなり顔を引き攣らせ、
「浩子、今日はパスさせてもらうわ!」と走り出してしまった。

「先輩?一体何なんですか…」

残された浩子は呆然とする。
後方を確認して、セーラがいるのを見つけ「江口部長、何かあったんですか」と声をかけようとするが。

「部長っ!?」

しかしそのセーラも竜華を追って走り出した。

「何なんでしょうか…あの人たちは」

事情が全く見えない浩子、小さくため息をついて肩を竦めた。

一瞬遅れたが、セーラは全速力で逃げる竜華を追った。
階段を駆け下り、何人かの生徒を蹴散らしても二人の足は止まらない。

「何で追って来るんや!私、何もしてへんで!」

「お前が逃げるからやろ!」

「なら追ってこんといて!」

「何も無いなら止まればええやろ!」

ようやく一階の渡り廊下に来て、少し差が縮まる。
思い切ってセーラは手を伸ばし、竜華の腕を引っ張った。

「わっ!」

思い切り引っ張られたことで、竜華は足をもつれさせるが、なんとか転倒は免れる。
立ち止まったのを確認して、セーラも足を止めた。

「何やの、一体」

「何、やないやろ。なんで逃げたんや」

「別に、なんも」

「嘘つけ」

目線を合わせようとしない。何か隠していると確信する。

「そういや、竜華。今朝宮永の迎えに来んかったな」

「……」

咲の名前を出すと、竜華は目を逸らした。

怪しい。
思い切り不振な態度だ。

「何があったんや」

「…咲から聞いたんか?」

「あいつは何も言ってないで。一人で抱え込んでいるようには見えたけどな」

「そっか」

ほっとしているような声に苛立ち、竜華の腕をさらに強く掴んだ。

「あいつに何をしたんや?返答によっては許さんからな」

「分かった、ちゃんと言うから…」

憂いの原因は恭子じゃなく、竜華だったらしい。
一体、何をしでかしたのか。

竜華は咲を見守るように接していた。
まさか困らせるようなことをするとは、思っていなかったのだが見当違いだった。


苛々しているセーラを見て、竜華は少し息を吐く。そして、

「好きやって、言ってもうた」と言い出した。

「…は?お前、宮永に告白したんか?」

「そうや。うちの気持ちを伝えた。他には何も無い。咲に告白した、そんだけの話や」

淡々と言う竜華をしばいてやりたい衝動に駆られる。

視力を失って不安な日々を過ごしているだけで大変なのに、
悩みを増やすなんて、何をやっているんだと。

拳を震わせるセーラに、竜華は更に衝撃の発言を落とす。

「末原さんに取られるかもって思うたら、つい言ってしまったんや」

「何?どういうことやねん?」

「昨日、咲と末原さんがなんでか一緒に歩いてるの見たんや。
そして…その時末原さんが言うてた。好きや、付き合って欲しいと、咲にな」

「……」

恭子までもが咲に告白していたとは、驚きだ。
恋愛には疎そうに見えたのだが、案外思い込んだら積極的かもしれない。

(って感心している場合じゃないやろ)

意識を引き戻し、竜華に向き直る。

「それで、宮永は何て言ってるんや」

「咲は何も。末原さんにも考えておくよう言われとったみたいやし。
うちも、返事はいつでもええから言うといた」

「…」

「今は、どんな顔して咲と顔合わしたらええか分からへん」

くしゃっと髪をかき混ぜる竜華は、相当悩んでいるのだろう。
だが自業自得としか言えない。

「あいつは自分のことだけで手一杯なんや!
それをお前ら寄ってたかって、バカしくさってふざけんな!」

どんなに困っているだろう。
それを思うと、原因二人を完全隔離してやりたい気持ちに駆られる。

「バカって言わんといて。正直な気持ちを言うただけやのに」

真っ直ぐ逸らさず、竜華はセーラの目を見る。

「わかったんや。大事に見守っている間に咲を他の誰かに取られるのは嫌や」

「竜華…」

「そう思うたら口から溢れたから、しゃあないやろ。好きやって。
止められんかった。…末原さんにも、セーラにも渡したく無い」

「……」

竜華の言うことに、反論出来ない。

こんなに早く告げるつもりは、無かったんだろう。

でも恭子という思わぬライバルが現れ。目の前で告白を聞いて。
じっと気持ちを抑えていることが出来なくなって。
つい、告白してしまった。

わかる気がしないでもない。
きっと自分もその場にいたら、同じ事をしていたかもしれない。


「あんたはどう出るん?」

竜華は全部わかっているというのに、尋ねる。

「俺、は」

「咲を困らせたくないから、傍観する言うんなら助かるわ。ライバルが一人減るからな」

「……」

「それとも、動くんか?」

答えることが出来ない。

雅枝に言われた通り、盲目の少女をそっとしておくか。
それとも、新たな混乱を落とすのか。

昼休み終了のチャイムに、竜華は黙って教室へと歩き出した。
セーラは動けないままで、その場でそっと息を吐いた。



――――




――――


学校には来たものの、結局咲は一日ぼーっとして過ごしていた。

(眠い…)

大きな欠伸をまた噛み[ピーーー]。

昨日は、色々考えていた所為であまり眠れなかった。
久し振りにこの目の以外のことで、頭が一杯になった気がする。

「咲、何かあったん?」

さすがに泉も、おかしいと思ったようだ。

「別に。ちょっと寝不足なだけだよ」

「それならええけど。今日はちゃんと早めに寝ーや」

心配そうな泉の声に、曖昧に笑ってみせる。
眠れなかったのは嘘じゃないが、本当のことは話せない。


『宮永。私と付き合って欲しい』


『好きや、咲』


突然の告白に、未だ混乱している。
どうしよう、どうしようとそればかりが頭の中で回り続ける。
そして咲の憂鬱は、それだけじゃない。

(竜華さん…。今朝、顔を見せてくれなかった)

毎朝、校門前で声を掛けてくれたのに。
気まずさから、避けているのだろうか。
これでもし告白を断ったら、二度と話しかけてくれなくなるのだろうか。

(そうなったら、ヤダな)

いつでも竜華は気さくで優しかった。その彼女が正直、離れて行って欲しく無い。
でも竜華の言う「好き」という気持ちに、同じだけ応える自信は無い。

(末原さんも…)

自分の力を認めてくれたことには、素直に嬉しいと思う。
目が治ったら、試合する約束は必ず果たしたい。

かなりの実力者らしい恭子と試合出来るのは光栄だ。
しかしそこに恋愛感情が絡んで来るとなると、またややこやしい。

(悪い人では、無いんだよね。それはわかっているけど)

軽く溜息をつく。
とにかく、いずれは答えを出さなくてはいけない。
恭子にも、竜華にも誠意を持って、自分の気持ちを伝えなくてはいけない。

どうするべきかまだ見えず、ついつい咲は物思いに耽ってしまう。



――――


学校には来たものの、結局咲は一日ぼーっとして過ごしていた。

(眠い…)

大きな欠伸をまた噛み殺す。

昨日は、色々考えていた所為であまり眠れなかった。
久し振りにこの目の以外のことで、頭が一杯になった気がする。

「咲、何かあったん?」

さすがに泉も、おかしいと思ったようだ。

「別に。ちょっと寝不足なだけだよ」


「それならええけど。今日はちゃんと早めに寝ーや」

心配そうな泉の声に、曖昧に笑ってみせる。
眠れなかったのは嘘じゃないが、本当のことは話せない。


『宮永。私と付き合って欲しい』


『好きや、咲』


突然の告白に、未だ混乱している。
どうしよう、どうしようとそればかりが頭の中で回り続ける。
そして咲の憂鬱は、それだけじゃない。

(竜華さん…。今朝、顔を見せてくれなかった)

毎朝、校門前で声を掛けてくれたのに。
気まずさから、避けているのだろうか。
これでもし告白を断ったら、二度と話しかけてくれなくなるのだろうか。

(そうなったら、ヤダな)

いつでも竜華は気さくで、優しかった。
その彼女が正直、離れて行って欲しく無い。
でも竜華の言う「好き」という気持ちに、同じだけ応える自信は無い。

(末原さんも…)

自分の力を認めてくれたことには、素直に嬉しいと思う。
目が治ったら、試合する約束は必ず果たしたい。

かなりの実力者らしい恭子と試合出来るのは光栄だ。
しかしそこに恋愛感情が絡んで来るとなると、またややこやしい。

(悪い人では、無いんだよね。それはわかっているけど)

軽く溜息をつく。
とにかく、いずれは答えを出さなくてはいけない。
恭子にも、竜華にも誠意を持って、自分の気持ちを伝えなくてはいけない。

どうするべきかまだ見えず、ついつい咲は物思いに耽ってしまう。

「咲、園城寺先輩やで」

「え?」

泉の声でふと我にかえる。気が付けば放課後になっていた。

「じゃ、うちは部活行くから、またな」

「あ、うん…またね」

慌てて咲は帰り支度を整え、怜がいるであろう出入り口へと歩いて行く。

「咲ー、おはよーさん!」

咲が近付くと同時に、怜は明るく挨拶をする。

「おはようって、もう放課後なんですけど」

「私、さっき目が覚めたばかりでな。だから今が朝みたいな気分なんやねん」

「どれだけ寝てたんですか…」

屈託無く話す怜に、咲は気の抜けたように笑った。
悩んで沈みがちだった気分が、少し軽くなる。

「んー?咲、何か顔色悪く無い?」

咲の笑顔を見て、怜は少し顔を顰める。

「え、別に大丈夫ですよ」

「本当に?」

顔を近づけてくる気配に、少し後ろに下がる。

「ちょっと寝不足なだけです。怜さんもこれから部活でしょう。遅くなったら江口さんに怒られますよ」

「そうやけど。ちょこっとだけ咲の顔見たかったんやもん」

「でも、遅刻は良くないですよ。私ももう帰る所だし、途中まで一緒に行きましょう?」

「うん、咲が言うなら」

渋々という感じで、怜は頷いた。

(良かった)

ほっと、胸を撫で下ろす。
今日はあまり長く話をしない方が良さそうだ。

何か勘付かれる前に、怜を部活に送り出したおきたかった。
竜華が喋っていないのなら、告白されたことは黙っておくべきだ。
自分だけの問題なのだから。


校門まで送ってくれた怜に、「さようなら」と手を振り、
咲は足早に家へと向かった。


その背中を、怜はじーっと探るように見詰めていた。

部室のドアを開くと、レギュラーメンバー達が振り向いた。

「園城寺先輩、遅かったですね。早く練習始めないと、また部長に」

浩子の言葉を無視して、怜は竜華の腕を掴んだ。

「ちょっ、怜!?」

「話があるんや、ちょっと外出よ」

抗議を無視して、竜華を外に連れ出した。

「何やの、一体」

「さっき、咲に会った。竜華は今日咲に会って気付かんかった?原因が何か知らへんか?」

遠回しや回りくどいことが嫌いな怜は、思ったことを口に出した。
とにかくわかっているのは、咲に何かあったことだけ。あの表情から、そう直感した。

「何も…わからへん」

竜華は不自然に顔を背けた。声も震えている。
おかしい、と思いつつ怜は会話を続ける。

「また末原さんに会ったかもしれへんな。だとしたら、どないしよ」

「どないって、言われてもな」

「竜華は咲のこと、心配やないん?」

「心配。心配しとるで。勿論」

やっぱり変だ。咲に続いて、竜華までも。
不自然な竜華の態度に、うーんと唸った後、口を開く。

「咲の悩みの原因って、ひょっとして竜華…?」

その言葉に竜華がぎくっと体を強張らせる。それだけで十分だ。

「そうなんや」

「違うで、うちは」

「何をやったん?竜華が咲を困らせることなんてせえへんって思ってたのに!」

ずいっと迫ると、竜華はハァ、と情け無さそうに肩から力を抜く。

「困らせるつもりは無かったんや」

「一体何をやったん?」

がくがくと体を揺さぶり始める怜に、竜華はぼそっと呟く。

「告白した」

「え」

「好きやって、言った」

「ええー!!」

でかい声に、「しーっ!」と口を塞がれる。

「そんなに驚かんでも」

「だって、だって咲に告白したんやろ。なんで、そんな急に。びっくりするに決まってるわ!」

一応、声を潜めて驚きを口にする。

竜華が咲に告白するなんて、思いもしなかった。
するとしても、もっと後の話で。

(あ、そっか)

だから、咲もあんな浮かない顔をしていたのかもしれない。
全くの予想外の告白に、戸惑っているのだ。

「急、かあ。やっぱり時期尚早やったと思う?」

はぁ、と竜華は溜息をつく。

「せやけど、どうしても我慢できへんことってあるやろ」

「しろや。咲が今、そんなの考えられる状況やと思ってるん?」

一人で歩いているのも精一杯なのに。
目を吊り上げると、「怜も同じこと言うんやな」と言われる。

「え、誰と」

「セーラ」

「ふーん」

わかっていたけど、セーラは咲のことをずっとよく考えている。
竜華もそうだと思っていたのに、何故好きだなんて言い出したのだろう。

「一体、昨日何があったん?咲のことあんなに考えてた竜華が、急にそんな行動に出るなんて」

「それは…」

セーラに話した内容を、竜華は再び語った。
恭子が咲に告白してたのを見てしまったこと。
そして、その言動に焦ってつい言ってしまったこと。

「末原さんって意外と行動早いんやな。そうは見えんかったけど」

「うちもそう思う。人は見掛けによらんちゅうことやな」

二人に同時に告白され、咲はさぞ混乱していることだろう。
あーあ、と怜は片手を額に当てる。

「で、竜華はこれからどうするん」

「…怜。うちな、末原さんに告白された咲を見て思ったんや。誰かに奪われるのは、嫌やって」

「竜華…」

「末原さんにも、セーラにも…奪われたくない。そう思うたら、どうしようも無かってん」

困らせるとわかってても。

苦しげに呟く竜華を見て、怜はどう声を掛けて良いかわからなかった。

咲のことは大事だけど、竜華だって友達だ。
もちろんセーラも。


(咲…私は何をしてやれたらええんやろ…)


みんなで幸せになれるのは無理だとわかっていても、
怜はそれが叶うようにと、見上げた空にそっと願った。


――――





――――


夕飯が終ったと同時に、咲は自室へと引っ込んだ。
いつもなら少し父と会話をするけど、今日はそんな気分になれない。
二人から言われた事を、ゆっくり考えたかった。

が、そんな咲の心情を裏切るように客が訪れる。

「咲。お友達がいらしてるぞ」

父の声に、咲はベッドで横になっていた体を起こす。

「え、誰?」

「さあ。千里山の制服ではなかったぞ」

「…?」

とりあえず誰かというのを確かめる為に、階下へ降りる。

「久しぶりやな、宮永」

聞こえて来た声に、咲はハッと気付く。

(間違いない…!)

ついこの間、身近で聞いた声だ。

「愛宕さん、ですよね」

「覚えててもらえて光栄やで」

「なぜあなたがここに?」

忘れるはずがない。
恭子の所に無理矢理引っ張って行った人物―――洋榎がそこに立っていた。

父の視線が気になるので、とりあえず洋榎を自室に通す。

「ふーん、ここが宮永の部屋かあ」

「…はあ」

「恭子は入ったことあるん?」

「無いです。大体、会ったのがついこの間ですし」

「へえ。じゃあうちの方が先に入ったってことか。まずいなあ。知られたら怒られるかもな」

てへへ、とか笑っているが、ちっとも可笑しくない。
一体洋榎は何しにやって来たのだろう。

「それより、なんで私の家を知ってるんですか。末原さんが教えたとは思えないけど」

くすりと洋榎が笑う。

「恭子の性格、少しはわかってるみたいやな」

「それが、何ですか」

「いいや。あ、家のことはちょこっと調べただけやで。こういう事に詳しい奴がいてな」

「そうですか」

(なんか、この人と話していると疲れる…)

ペースに巻き込まれる前に、咲は自分から「ところで」と切り出す。

「末原さんの話で、何か言いたいことでもあるんですか?
大会中にこんな所にまで来るのは、私に末原さんと付き合えとかそういうことを言いたいんでしょう?」

「まあ、似たようなもんかな」

咲の言葉に、洋榎は曖昧な返事をする。

「なあ、恭子から好きって言われたん?」

「えっ」

唐突な質問に、思わずびくっと体を揺らしてしまう。

「やっぱり言ったんか。昨日、あれから何があったか恭子は話してくれへんかったんや」

「…」

「でもあんたの態度でわかったわ。いや、良かった。告白すら出来んかったらどうしようかと考えてたけど、第一段階はクリアやな」

何がクリアだ、と咲は眉を寄せる。
おかげでこっちは大いに悩む羽目になったというのに。
洋榎の嬉しそうな態度に、段々苛立ってくる。

「で、考えてくれたか?」

「…あなたに言うことじゃ無いです」

「ええやん。ちょっと位」

「ちょっとも何も無いんで」

頑なに、洋榎の言葉を交わしていく。
だが洋榎はそんな事で諦める性格では無いようで、しつこく咲に恭子のことを尋ねて来る。

「恭子のことよく知らへんからって、振ったりせえへんよな?」

「そんなの私の勝手です」

「ダメや。なあ宮永。知らへんのならこれからお互い知っていけばええ。
何なら、うちが恭子のこと教えてやるから」

「遠慮します」

「まずは、何からにしよか」

「聞いてないし…」

どうやったら帰ってくれるのか。
困惑する咲にはお構いなしで、洋榎は話を続ける。

「あれでいて恭子は学校の成績も優秀なんやで。
加えて姫松麻雀部のレギュラー。勿論実力は全国クラス。でもって中々の美人。
性格は真面目で一本気。まあ融通が利かない所が困りもんやけど」

「はあ?」

ひょっとして、洋榎は恭子の良いところを宣伝しに来たのかもしれない。
一応、友達の恋を応援しているらしい。
とはいえ、一方的な所見を聞かされても、と咲は小さく溜息をつく。

「どうや?恭子のこと、ちょっとでもええかなって思ってくれた?」

「…えっと」

咲の様子から思ってることが伝わったらしく、洋榎は残念そうに「失敗やったか」と苦笑する。

「愛宕さんは…」

「ん?」

話を変える為に、咲は質問を出してみた。

「なんでそんなに末原さんの事アピールするんですか?
友達っていっても、普通ここまでするんでしょうか?」

咲には考えられないことだ。
他人に恋の成就を手伝ってもらうなんてあり得ないし、自分もしようなんて考えない。

その疑問に洋榎はさらっと答える。

「うーん、そうやなあ。恭子が誰かと付き合ったら、今以上に面白い人間に変化しそうやから、かな」

「は、あ?」

微妙な回答だった。首を捻る咲に「冗談やで」と笑う洋榎。

「今のって冗談ですか?そうとは聞こえなかったけど」

「半分は本心やで。もう半分は、意外やったから」

「意外?」

「そう。麻雀ばっかり打ち込んでた恭子が、誰かを好きになるなんて驚いたからやな」

「…」

「恭子は不器用な性格やし、上手く宮永を誘うことも出来んやろうから、そのサポート位はしてやろうかってな」

「そう、ですか」

面白がってはいるようだけど、洋榎はそれなりに恭子のことを心配しているようだった。
悪意は無いことはわかった。

「宮永がもう誰かを好きだっていうんやったら、しょうがないけどな。どうや?今はそういう人いないん?」

「私、は」

そんなのわかるはずない。
今まで考えていたのは、この目のことだけで。
好きとか、付き合うとか言われても。

「いない…です」

としか、答えようがなかった。

「そうか。じゃあ、まだ努力次第ではなんとかなるかな」

咲の答えに、洋榎は満足そうに頷く。

「じゃあ、これからもよろしゅうな。宮永」

「え、あの」

「邪魔したな。またなー」

引き止める間もなく、洋榎は部屋から出て行ってしまう。
階下から父が出たのだろう、洋榎とお構いも無くだの、お邪魔しましただの聞こえて来る。

(なんか、またややこやしくなっただけ?)

結局ペースを乱されてしまった。
悪い人じゃないけど、やっぱり洋榎のことは苦手だ。

疲れた、と咲は起きる気力も無く床に体を横たえた。



――――




――――


(また、今日もいないか…)

校門をくぐると、必ずと言って良いほど「おはようさん」と挨拶してくる竜華。
だが昨日に引き続いて、今日もそれは無い。
正直、寂しいと思う。

そこへ、いつもよりセーラが早く声を掛けて来る。

「よっ、宮永」

「江口さん、おはようございます」

セーラはどこまで知っているのか、と考える。
竜華がやって来ないことを不自然に思っているのは確実だ。
それをわかっていて、わざわざ早く迎えに来てくれた、とか。

(でも、私からは何も言えない)

自分の問題なのだから、自分で答えを出すつもりだ。
そうやって前を向いて歩く咲へ、ふっとセーラが問い掛ける。

「やっぱり、竜華がいた方が楽しいんか?俺といるよりも…」

だがセーラの声は、偶然吹いた風の音が邪魔して届かない。

「え?今、なんて言いました?」

髪を撫でていった風に顔を顰めて、それからセーラに聞き返す。

「なんでも、ないわ」

「?」

それきりいつもの廊下で、「じゃあ」と別れる。


コツコツと杖を使って歩くのを、
セーラが寂しげな目で見送っているのも気付かないまま、教室へと向かって行った。



竜華と恭子から告白されて、咲が悩んでいることは容易に想像出来た。

(それで、今俺に何が出来るんや)

よく考えてやれとか。気にするなとか。ありきたりの言葉しか思いつかない。
しかも、それはセーラの本心じゃない、

(俺やって…あいつのこと想ってるのにな)

竜華や恭子は自分の思うままに行動しているのに、自分はただそれを見ているだけしか出来ないでいる。
しかし咲の戸惑いが伝わった以上、実は自分も…なんて言えるはずが無い。

(あいつは今それどころじゃないんや。なんとか元気付けさせる方法は無いもんか…)

竜華はあの様子じゃ、ずっと咲を避け続けるだろうし。
恭子に至っては、何を言い出すかわからない。
おまけにいつもは元気な怜も、なんだか塞ぎ込んでいるみたいだ。

やっぱり自分しかいないか、とセーラは結論を出した。

とりあえず、竜華に告白の返事を保留にするよう、咲に言っておけと進言するのも良いかもしれない。
恭子にも、いずれそう言ってやるつもりだ。

咲がまず優先するべきは、目の回復だけ。
それが終わるまでは、誰も穏やかな日常を揺らす権利は無い。



「おや、江口さん」

「こんにちは」

玄関を開けて迎えてくれた咲の父に挨拶をして、咲が部屋にいるかどうか尋ねる。

「それが、今散歩に行った所なんだよ。今日は少しゆっくり歩いて来るって」

「そうですか…わかりました。少し回って様子を見て来ます」

軽く頭を下げて、宮永家を後にする。

早足で咲の散歩コースを辿っていく。決して遠くには行けないはずだ。
杖を頼りに、知っている道だけでも一人で歩けるようにと頑張っている盲目の少女を探し続ける。

すると、程なくして。咲の姿を見付けた。

(あいつ…何やってるんや?)

散歩コースを大分歩いた先。咲はそこにいた。
歩いている訳でも無く、ただ立っている。

道路を渡りたいと思っているのだろうか。
信号機の手前で。でも動くことは無い。

そうしている間に信号は青から赤に変わり、車が通り過ぎている。
咲は微動だにしない。

吹く風に任せて、柔らかな髪を靡かせて。
じっと立ち竦んでいた。

(一体、どないしたんや)

そっとセーラは横から近付いた。
散歩をしている訳でもなく、ここに立っている意味がわからない。

表情を確認するが、咲が何を考えているのか。
やっぱりセーラにはわからなかった。

「…江口さん?」

ふと、咲がこちらに顔を向ける。

「気付いてたんか」

「はい、靴音でなんとなく」

「そんなんで誰かわかるんか」

「んー、わかるようになったみたい」

視力を失った分、聴力が鋭くなっているのだろう。
こっそりと近付いたつもりだったが、セーラの靴音を咲は覚えていた。
その事実に、少し嬉しくなる。

「こんな所で何しているんですか?」

咲の質問に、セーラは答えた。

「こっちの台詞や。家に訪ねに行ったら散歩だって言われたから、探しに来たんや」

「家で待っててくれれば良かったのに」

「関西人ってのはせっかちなんやで。待ってるなんてそんな暢気なこと、出来るか」

「はあ」

「で、お前はこんな所で何やってたんや」

さりげない口調で、セーラはたずねていた。
何をする訳でもなく、ただ立っていた咲の行動。

一人になりたくて、こんな所に来たのだろうか。

「別に、何もしてません」

咲は笑う。
明るくみせようとしても、どこか寂しい。そんな笑みだった。

「本当に…散歩していたら、ここまで出ただけ。でも、もう帰ります」

「そうなんか」

「はい。だって、この先の道は知らないから」

信号の先をちらっと振り返る。

「知らない?」

「この先はまだ行ったこと無いんです。知らない道は危ないから、一人で行っちゃいけないって言われてるから」

「…そうか」

「私が一人で歩けるのは、ここまで。後はただ何があるのか、想像するしかないんです」

「宮永…」

今は何も映さないその目で。
先へ進むことの出来ない道を前にして、その先に何があるのか知らないまま、ただ立っている。

ずっとここで見知らぬ風景がどんな風なのか、想像している咲を思い浮かべて胸がきゅっと締め付けられた。

「行くで」

「江口さん?」

咄嗟に、セーラは咲の杖を持たない手を握っていた。

「行ったことが無いんなら、連れてってやる。今から、この道を渡るで」

「でも、もう帰るって」

「遅くなるって言ったんやろ。だから、後少しだけ散歩を続けてもええやろ」

「でも」

その間に信号が青に変わる。
セーラは強引に、手を強めに引っ張った。

「大丈夫や、俺も一緒におる。行って、この先に何があるか確かめてみようや」

「……」

「もう少し、世界を広げたい。そう思わへんか」

咲がきっぱりと拒否したら、無理強いまでして連れて行くつもりは無かった。
けれども。
ゆっくりと咲の足は一歩を踏み出した。

「よし、行くで。信号が赤に変わる前に渡らんとな」

「…はい!」

(こいつが行きたいっていうんなら、どこへでも)

連れてってやる。

不安そうに手を握り返す咲を安心させるよう、しっかり手を繋いだまま新しい道のりを歩き出した。
周囲を探りながら歩く咲のペースに合わせながら、セーラはゆっくりと手を引いてやった。

特に珍しいものがある訳でも無い。
どこにでもありそうな道のりなのに、咲はどこか楽しげな様子で歩いている。
初めて歩く知らない区域に、わくわくしているのだろうか。

目の見えない咲の為に、セーラはいちいち「そこに花が咲いてる」とか「あっちの家には犬がいるで」と説明をした。
そうすると必ず「そうなんだ」とにっこりとした顔を向けられる。

想像でしかなかった区域に何があるのか知ることが出来て、心底楽しそうな咲に。
またセーラは、自分の目につくものを口に出した。


そうしてどの位歩いただろうか。不意に、セーラは足を止める。

「江口さん?」

「ずっと歩きっぱなしで疲れたやろ。そこにベンチがあるんでちょっと休んでいかへんか?」

「そうですね」

「何か飲むか?ちょうど自販機があるし」

「うーん、じゃあ緑茶はありますか?」

「ああ、あるで」

咲に蓋を開けた緑茶を渡してやって、セーラもすぐ隣に腰掛けた。

「ありがとうございます。…おいしい」

穏やかな咲の横顔に、つきんと胸が痛む。

これから話そうと思っている内容は、少なからず動揺させてしまうことになるだろう。
それでも、もう誤魔化しや嘘は無しにしたい。
この先の為にも。

だからセーラは、今まで隠していたあのことを告白することにした。


「なあ、宮永」

「何ですか?」

「また麻雀がしたいって、考えることはあるか?」

「……!」

たった一言で。
咲は手からペットボトルを落とし、小さく体を震わせてしまう。

(仕方ない、か)

麻雀をしていた過去をひたすら隠そうとしていた分、衝撃は大きかったのだろう。
ペットボトルを拾った後、セーラは「ごめんな」とまず謝罪をした。

「江口さん、私のこと知っていて…」

「ああ、少し前に知ってた。中国で麻雀してたんやな」

動揺にふらつく体を、しっかりと抱きしめる。

「偶然、監督の所で宮永が映ってるテープを観た。どこかの大会やったか。
そんな経緯で知ったから、何も言い出せへんくて今まで黙ってた。堪忍な」

「……」

「少しずつ親しくなっていったけど、宮永の口から麻雀してた事は一度も出て来なかったやんな。触れちゃあかんと思って今まで黙っててんけど…」

「……」

「ずっとこのまま知らん顔してええんかかと悩んでた。だから今日、ちゃんと話をしようって思ったんや」

「そう、ですか」

素っ気無い咲の言い方に、やはり怒らせてしまったかとセーラは唇を噛む。
でも、どうしても何も知らないまま、彼女の本当の苦しみを支えてやれないままなんて嫌だったから。
あえて、その奥に踏み込むことを決めた。

「すまん、宮永。お前の過去を、こんな形で知った俺を許して欲しい。
知ってて、言えへんかったことも含めて謝罪するわ」

抱きしめていた体を一旦離して、セーラはゆっくりと深く頭を下げた。
咲には見えないのはわかっているけれど、けじめとしてするべきだと思ったからだ。

「江口さんは…」

咲がぽつりと口を開く。

「どうして話すことを決めたりしたんですか?
言わないままだったら、私に謝罪すること無かったのに。それなのに、なんで…」

「そうせんと、お前の本心に近づけないと思ったからに決まってるやろ」

「本心?」

「せや」

セーラは頷いて、咲の両手を取った。

「だってそうやろ。お前の苦悩を知ってて、気付かない振りして、それで本当にわかり合えるんか?俺は嫌や。そんな他人みたいな関係」

「江口さ…」

「お前が辛いんなら、一緒に悩んでその気持ちを楽にしてやりたい。
幸せなら、よりもっと笑って欲しい。そうなるには、上辺だけで一緒にいるだけじゃダメやろ」

一気に捲くし立てると、しばらく沈黙が続く。
ぽかんと口を開けていた咲だったが、やがて戸惑うように声を発する。

「江口さん。どうして?なんで他人の私にそこまで言うんですか?」

「それは…」

「それは?」

まだ告白は出来ない。
恭子と竜華。二人の思いに、咲は混乱したままだ。

その上自分も、なんて言ったら。拠り所をまた見失ってしまう。
そんなのは、嫌だ。

「あるんやないか、そういうことって」

「え?」

「誰かを笑顔にしてやりたいとか、今ある感情を分け合いたいとか。そういうのに理由なんて無くて。きっと考えるよりも前に、自然と行動に出るんやろうな」

「…」

「多分、俺にとってお前がその誰か、なんやと思う。これが理由、じゃ駄目か?」

遠回しだけど告白に近いよな、とセーラは少し額に汗を掻いた。
でも、きっとこの少女はそこまでは気付かない。
自分に関することは、意外と鈍いだから。

「…そう、なんだ」

セーラの言葉を噛み締めるように、咲は頷いた。

「江口さんが私のこと同情とか、そういうので今まで仲良くしてくれてた訳じゃない。それはわかってるつもりです」

「宮永」

「ごめんなさい、知られてたことに動揺し過ぎて忘れてた。
江口さんがあの時、私の杖を家に持ってきてくれた時。本当に嬉しかったんです」

「…ああ」

「私のことを思って行動してくれてたに、その…今まで言い出せなくてごめんなさい」

「いや、俺のほうこそ黙ってて悪かったわ」

「だったら私だって」

それから二人で何度も謝罪をした所で、同時に笑い出す。

「じゃあ、お互い隠し事していた者同士。引き分けってことでいいですか?」

「いつの間に勝負になってたんや。まあ、お前がそれでいいって言うんなら、俺は構わへんで」

「うん。でも、良かった」

「何が良かったんや?」

「もう江口さんに隠し事無くなったから、なんかすごく楽な気分になれた。
知ったら変わっちゃうのが怖くて黙っていたけど、そんな人じゃないって…気付かなかった自分がバカみたい」

「別に、そんなことは無いと思うで」

「ううん。でも、もう何も無いから。すっきりしました」

晴れ晴れと笑う咲とは逆に、セーラは少し複雑な気持ちのままだった。


(俺の方はまだ隠し事あるんやけどな)


好きだとは、まだ言えない。
でもいつか。
咲の目のことが、解決した時には。

自然と、何も考えずに優しくしてやりたいって思える人こそが、好きな人なんだって。
この気持ちを全部、伝えよう。



――――


今日はここまでです。
ラストまでもう一息なので、あと少しだけお付き合い頂けると嬉しいです。

乙です

乙乙

乙です

乙、終わりが近いと思うと寂しいな


どんなラストになるか楽しみ

セラ咲になるんか友達止まりで終わるんか
出来れば全員ルート書いて欲しいところ
どれにしろ期待してる



――――


「なぁ竜華~」

本日の部活が終了するなり、怜が駆け寄ってきた。

「なんや怜、どないしたん?」

「今からちょっと付き合ってくれへん?」

「付き合うって、どこへ?」

「いいからいいから」

(なんや、一体どこへ向かうつもりなんや?)

外へ出て、怜に引っ張られる形で歩き出す。
しかしすぐにどこへ向かっているか、竜華は気付いてしまった。

「怜、ひょっとして…咲の家に行くん?」

「せや!竜華、あれから咲と話してないやろ。
でも会うべきやって思ったから、一緒に行こうって誘ってん」

怜の手の力は案外強かったが、竜華はそれでも抵抗をした。

「あかんて!まだうちは咲と会われへん」

「なんでや!?」

「それは…気持ちの整理、とかなあ」

「何やそれ」

むくれた顔して怜は振り返る。

「じゃあ、その間に悩んどる咲の気持ちは考えたこと無いん?」

「それは…」

「竜華やってこのままじゃ嫌なんやろ。咲と会えへんままなんて。
時間が経ったら、もっともっと顔を合わせ辛くなるで」

「わかっとる、それはわかっとるって」

言われなくたって、よくわかっている。
咲とぎくしゃくしたままなんて嫌に決まっているし、会えないままの状態はかなり辛い。

「じゃあ、今日会うべきやで。…セーラも心配してた」

「セーラが?」

「うん。本当は自分が竜華を引きずって連れて行ってやりたいって言ってたで。
でも監督に呼ばれてて時間を作れへんから、私に頼むって」

「そう言うたんか。セーラが」

ハハ、と竜華は笑った。
茶化している訳でも、虚しい笑いでも無い。

恭子が告白したのを見て、動揺のあまりに咲の気持ちを考えることなく考えなしに告白した自分と。
二人が告白したと聞いても焦ることなく自分の気持ちは二の次にして、咲のことだけを想っているセーラ。

ここまで差が付いていたのかなあ、とため息をつく。

「まだ咲は答えを出しとらん。だったらうじうじしてへんと、今すぐ咲の所に行って言うべきことを言ってやり。
竜華も本当はわかってるんやろ?」

「怜…そうやな」

ここで悩んでいたって仕方ない。
そうだ、怜の言う通り。
好きな人の為に、頑張ってみるべきじゃないか。

「咲の家、行くか」

「よっしゃ!」

笑顔で答える怜に、竜華もつられて笑った。

本人を前にして何を言ったら良いのか全く考えていないけれど、きっとなんとかなる。
大切に思う気持ちさえあれば、きっと…伝わるはずだ。



「咲ー!遊びに来たでー!」

玄関が開くと同時に大声を出した怜の頭を、竜華はぽかっと殴った。

「こら、ご近所に迷惑やろ」

「うー、だってテンション上げて行こうと思っただけやもん」

「普通でええわ、普通で」


「入る前から何漫才してるんですか」

咲の声に、竜華は振り向いた。
くすくす笑いながら、「どうぞ」と入るよう促す。

「もう部活は終わったんですか?今日はちょっと早かったですね」

「あー、まあ大会中やし、あんまり疲れを残さんようにな」

「そうなんですか」

「せや。咲、トイレ貸してくれへん?」

竜華と和やかに話していた咲に、怜が声をかける。

「あ、はい。どうぞ」

「じゃあちょっと行ってくるなー」

ぱたぱたと怜が廊下を駆けていくのを竜華は見送る。
ひょっとして二人きりにするように、気を使ってくれたのかもしれない。

(ちゃんと話さなあかんな)

「じゃあ私たちは先に部屋に行ってましょうか」

心なしか咲も緊張しているみたいで無言のまま、自室へと歩いて行く。
固い表情をさせているのが自分の所為かと思うと、心がちくんと痛みを訴える。

そんなつもりじゃなかった。
ちゃんと聞いてもらおうと、竜華は覚悟を決めて咲の部屋へ入った。


「適当な所に座ってください」

ベッドの端に腰掛けて、咲はぎこちなく笑って言った。
竜華はそっとその隣に座り、膝に置かれた小さな手を取った。

「竜華さん?」

「咲。あのな、この間のことで話を聞いて欲しいんや。ええかな?」

「はい」

真面目な顔をして、咲は頷く。
すうっと息を吐いて、竜華は口を開いた。

咲の為に。
今はそれだけを考えるべきだから。

「あれな、保留にしてくれへん?」

「え?」

「うちの気持ちは本当に本当で偽りは無い。咲のこと大好きや。
けど今はその時期やないって、ようわかったから。
咲が考えるようになったらでええねん。それまでは、保留。そうしときたい」

無理することなく、言葉がすっと零れたことに竜華は驚いた。
不思議だ。
咲のことだけを考えたら、簡単に彼女へ言うべきことがちゃんと出て来た。

「保留、でいいんですか?」

驚いたように顔を上げる咲に、「ええで」と答える。

「ごめんな、色々困らせて…」

恭子に告白されただけで、十分混乱していただろうに。
更に困らせるようなことを言って、何をしていたんだろうと思う。

好きという気持ちが溢れて、どうしようも無くて。
なのにその好きな人を困らせて。
何やっているんだろうなと、自分自身を笑ってしまう。

後悔を滲ませる竜華の声に、

「ううん。謝ることなんて無いです」

首を振って、咲はきっぱりと告げる。

「竜華さんは自分の気持ちを伝えただけですし。間違ったことは言って無いでしょう。だから謝らなくてもいいです」

「咲…」

「私もまだよく考えられなくて、竜華さんの好意に甘えてる。
でも、ちゃんと考えるから。いい加減な気持ちで答えたりしないって、約束します」

「そうか。ありがとうな、咲」

咲に好意を抱いたのは、こういう真っ直ぐな所だと目を細める。
いつまでも、このままでいて欲しい。
願わくば、自分がこの光を守り続けることが出来たら良いけれど。

(ライバルは強敵ばっかりやしなあ)

とくに身近にいるセーラの顔を思い浮かべ、竜華は苦笑いする。
今回は負けを認めるが、この先はそうはいかない。
まだどうなるかなんて、きっぱり振られた訳じゃないから十分チャンスはあるはずだ。

でも、セーラになら咲を任せてもいいかもしれない。
少しだけ、そんな気持ちが心のどこかにある。

最後の最後まで、諦めないが。

全ては咲次第だけれど。
二人が一緒に歩いて行く光景を見るを、どこかで望んでいる。

その時は笑って祝福出来たらいい。
少し辛いけれど、咲と友人の為にそんな笑顔を向けられたら。
成長したと、少し自分を見直すことが出来るだろうから。

コンコン、とノックの音に竜華と咲は顔を上げる。

「咲ー、竜華ー、話終わったんなら私も混ぜてやー!」

怜の乱入により、一気に場は賑やかになる。
久しぶりに咲と竜華は以前のように笑顔を交わして、それまでのぎくしゃくしてた日々が一気に吹き飛んだ。

「なあなあ咲、膝枕してくれへん?」

「怜に膝枕なんてしたら、すぐに寝るからあかんで咲!」

注意しながらも、竜華は今日ここへ連れて来てくれた怜に感謝していた。
勿論、セーラにも。

(二人にちゃんと礼言わなあかんな)

咲とまたこうして楽しい時間を過ごせる機会を与えてくれた二人に、
竜華は心の底から感謝した。





翌朝。
練習が始まる前に、セーラは竜華から「ちょと」と手招きされた。

「何や竜華?」

「昨日な、咲と話したんや。セーラにも心配掛けよったから、報告しよ思うてな」

「ああ」

「おかげでスッキリしたわ。咲とこれからも普通に会えるようになったし」

晴れ晴れとした表情に、セーラは頷いた。

「まあ、良かったな」

「うん。うちの気持ちばっちり伝えたからな。諦めないとも決めたし」

「なっ、竜華?どういうことやねん。さっきスッキリしたって言ってへんかったか?」

驚いて目を開くセーラに、竜華はすました顔で答える。

「顔を合わせられへん状態から抜けてスッキリしたってことや。勿論今は友達として接するけど
この先どうなるかはわからん。精々油断せんよう気ぃ付けや」

「……」

「けどな、セーラ」

くるっと背中を向けて、竜華は呟く。

「咲には幸せになって欲しい。うちもそう望んでるんやで。何もかも終わったら、セーラも気持ちを伝えたらどうや。
多分、それが一番良い道やとうちは思うてる」

「竜華…」

「余計なお世話かもやけどな。ま、頑張りや」

ひらひらと片手を振って、竜華は皆の元へと行ってしまう。

「竜華に言われるまでもないわ」

セーラはふっと口元を緩めた。
竜華に言われたことは意外だったが、なんとなくわかる気もする。


咲が幸せでいてくれるのなら、自分以外を選んでも構わない。
勿論、簡単に諦めるつもりも無いが。

それに…。

(自惚れだけやない。あいつもきっと、俺に好意を抱いてくれとる)

まだ友情より少し上位か、本人も気付いていなさそうな微妙なものだけれど。
多分、誰よりも咲の心の近くにいる、そんな自信はある。

(けど、確かに油断したらどう転ぶかわからへんな。末原もいることやし)

側にいる洋榎のことを考えると、更に気が重くなる。
恭子に何か吹き込んで、事を起こす可能性だって十分にあるのだ。

一度きっちり話をするべきだな、とセーラはため息をついた。
そうは思っても大会中でどちらも忙しい身だ。

(まあ姫松の奴らと話ができるのは、大会が終わってからやな…)


しかし恭子と顔を会わせる機会は、思ったよりも早く訪れた。



――――

「なあなあ、セーラ。今日、咲の家に行くん?」

放課後の練習も終わり、それぞれ帰宅の準備をしている中、
こそっと怜が耳打ちをして来た。

「竜華とも話をしてたんや。明日の試合前に咲の顔見て、元気付けてもらおうって。
セーラも同じこと考えてるんやない?」

「なっ、そんなしょっちゅう家に行ったら迷惑やろ」

「ふーん、セーラは行かないんか。じゃあ、私達だけで行って来るな」

「ちょっと待て」

離れようとした怜の腕を咄嗟に掴む。

「お前らだけで行かせられるか。騒がないよう見張る為に、俺も一緒に行くわ」

「素直に最初から行くつもりだったって言えばええのに」

「……」

にやにや笑う竜華と目が合って、非常に気まずいが仕方ない。
咲の顔を見て気合を入れようと決めていたのに、二人が行くからといって遠慮することは無いのだ。



「咲、いるかなあ」

「さあな。散歩に行ってるかもしれへんな」

「その時は探すか。多分近くを歩いているんとちゃうか」

「ああ、そうやな…」

言われてセーラは思い出す。


『私が一人で歩けるのは、ここまで。後はただ何があるのか、想像するしかないんです』


またどこかの交差点で、立ち尽くしていなければいいが…。
もっと色んな所に連れて行ってやりたいな、と思う。
行きたいと思う道へ、どこへだって手を引いて連れてってやる。

(最も今日は、こいつらがいるから無理か…)

遅くなったら絶対騒ぐに決まっている。
面倒だなと軽く二人を睨むと、「何や」と同時に返される。

「なんでもないわ。もうすぐ着くなって」

「そりゃ咲の家は近いし…なあ、誰かいるで」

「ん?」

「ほんまや。末原さんと、あっちは愛宕さんか?」

宮永家の前に、制服姿の恭子と洋榎が立っている。
どうやらこちらと同様、部活が終わって直ぐに駆けつけたようだ。

何か二人は揉めているようだ。
というよりも一方的に洋榎が恭子を叱り付けているように見える。
一体、何をやっているというのだろう。

急いで三人はその場へと掛け付ける。

「おい、宮永の家の前で何やってるんや」

「江口さん…」

「よっ、江口」

目を逸らす恭子と逆に、洋榎は堂々としている。
一歩前へ出て、セーラに笑顔を向けて来た。

「恭子がな、宮永と会いたいのに遠慮してるから引っ張ってきたんや。
なのにここまで来て、どうしたらいいかわからないって馬鹿やろ?だから怒ってた所なんや」

「余所でやれや…近所迷惑や」

「そういうあんたらは三人で押し掛けてるやん。学校でも会えるのに、家にも来るなんておかしいんやない?」

「おかしくなんかないで!」

怜が唇を尖らせて、抗議する。

「咲に会いたいから来てるだけやもん。それのどこが悪いねん」

「少しは遠慮したらどうかなってことや」

「主将!ケンカは止めてください」

大会中にまずいことになったらと、恭子は慌てて怜との間に入り込む。

「すまんかった。私が不甲斐無い所為で、嫌な思いをさせてしまったな」

「全くや。付き添い無しで会う勇気も無いなんて、変やない?一人で行動出来へんの?」

悪気無く言う怜に、恭子は黙って考え込む。

「そう、やな。思うように行動するべきや。ありがとう、一つ吹っ切れたわ」

そう言うなり恭子はくるっと玄関へ向き直ってインターフォンを押そうとする。

「おい、何してるねん!」

セーラが声を上げると、「何怒っているんや?」と真顔で返される。

「一人で行動出来ないのかと指摘されて、私はようやくわかったわ。
人に言われてじゃなく、自分の力で動くべきやってな」

「天然かいな」

「こうなると恭子は強いで…」

竜華の呆れたような声に、洋榎が耳打ちをする。
怜も自分の言った事に対してこう返されるとは予想していなかったらしく、ぽかんとしている。

収集がつかなくなりそうだ。
額に手を置くセーラの耳に、カツンカツン、と聞き覚えのある音が響く。

「宮永…外に出てたんか」

「江口さん?あれ、他にも人がいる?」

戸惑うような咲に、なんて説明したものか。
これから起こるであろう混乱に、セーラのこめかみがずきずきと痛み始めた。


――――


病院から帰って来て、気分転換に外へ出てみたら何だか家の前に人だかりが出来ている。
気配でそれを察知したものの、誰がいるかまではわからない。
困惑に首を傾げると、

「宮永…外に出てたんか」

と、セーラの声。

「咲ー。遊びに来たでー」

「怜さん」

抱きついて来た怜と、「また今日も来てもうたわ」と竜華の声。

でも、他にも誰かがいるのはわかる。
誰だろうと様子を伺っていると、咲の前に誰かが立った。

「宮永。突然訪問なんてして悪かったわ」

「末原さん?」

恭子の声に、咲は顔を上げた。
するとさっと横から現れた影が、きゅっと手を掴んで来る。

「大会中で恭子はナーバスになっとるみたいなんや。
だから宮永と会えば落ち着くと思って、うちが無理やり連れて来てん」

「はあ…ええっと、愛宕さんですよね」

「せや。うちの声も覚えててくれたんやな」

「はい、まあ」

突然姫松に連れて行かれたり、家に押しかけておいて、忘れられるはずが無い。
警戒心に体を僅かに引くと、恭子が「すまんな」とまた謝罪をして洋榎と繋がった手を開放してくれた。

「元気そうで安心したわ。今日はもう帰るから、その…またな」

「あの、ちょっと待ってください」

すぐにでも立ち去りそうな恭子に、咲は声を上げた。
大体こちらは恭子の連絡先も知らない。
話したいことだってあるのにと思って、恭子を引き止める。

「折角姫松からわざわざ来てくれたんでしょう。上がって行ってください」

瞬間、場がしんと静まり返る。
何かまずいこと、言ったのだろうか。

特にセーラと竜華が固まっているのを感じる。
眉を寄せる咲に、「なんで、そんな事言うんー?」と怜が抱きついてくる。

「咲、ひょっとして末原さんのこと気に入ったん?」

「何言ってるんですか。遠い所から来てくれたんだから、そのまま返すのも悪いかなって思っただけです。
愛宕さんも、一緒に入ってください」

「えっ、うちは別に」

「皆も。こんな所でぼーっと立ってると近所迷惑です。早く玄関入っちゃってください」

ほら、と怜を引きずったまま咲は率先して中へ入って行く。
ぐずぐずしてる気配に「早く」と声を掛けると、全員ぞろぞろと玄関口へと歩いて来た。

「私の部屋だと狭いから、和室でいいですよね。お父さん、なんか飲み物ある?」

「おや、今日はお客様が大勢いらしてくれたんだな」

台所で何か作っていたのか、エプロンを付けたままの父がぱたぱたと急いでやって来た。

「麦茶とアイスコーヒーとどっちが良いかな?」

「あの、お構いなく。私はここで」

まだ帰ろうとする恭子を咲が引きとめる。

「待ってください。報告したいことがあるんです」

「わ、わかったわ」

咲の一言に、恭子は素直に靴を脱ぎ始める。

「報告って何やろうな」

咲と恭子の様子を見て、先に入っていた竜華がセーラに耳打ちをする。
気になって仕方ないらしく、何度も咲の様子をちらちらと見ている。
そんな竜華にセーラは「さあな」と素っ気無く返す。

「別に心配するようなことじゃないやろ」

「とか言って、手が震えとるで」

「うっさいわ竜華」

「でも恭子とあの子、結構良い感じやない?」

どう見ても面白がっている洋榎を無視して、セーラは先に和室へと入って行く。

「ちょっと待ってや。うちは客観的な事実を言ってるだけやで」

「なんで俺の後を追って来るねん。末原の付き人でもしてろや」

隣に座ってくる洋榎に鬱陶しそうに返すと、
ずいっと体を近づけて「じゃあ、二人の仲を邪魔せんって誓うか?」などと言ってくる。

「はあ?あいつらが付き合ってるならともかく、そんな事言われる筋合いは無いやろ」

「でもいずれそうなるかもしれへんやろ」

「いやいや愛宕さん。勝手に決めつけんといてえな」

竜華もムキになって否定する。

「咲の気持ちを無視して、事を進めるのは止めといてくれへん?」

「うーん、でも友人として恭子の恋の成就を願ってるんやけどなあ」

「友人というか、面白がってるだけやろ」

「失礼な。うちは真面目に恭子の恋を応援してるのに」

誤解だ、と両手を上げてため息つく姿そのものが胡散臭くて、
セーラと竜華はげんなりと顔を見合わせる。


「飲み物をどうぞ」

トレイにグラスを運んで来た父親に「お構いなく」と声を掛けて、
セーラは手伝いをする為に立ち上がった。

「宮永、遅いな」

まだ玄関先でもたついているらしい。
怜が一緒だから恭子に連れ去られる心配は無いだろう。
そう思ってグラスをテーブルへ置いていると、怜が和室へと入って来た。


「遅かったな怜。宮永はどうしたんや?」

「咲なら、末原さんと一緒に部屋に行ったで」

「「何やて!?」」

セーラの声に竜華の声が被さった。

「何故そんなことになったんや。止めなかったんか?」

「咲の方から末原さんに話がしたいからって言い出してん。で、先行っててくれって言われたし…」

二人の責めるような目に、怜は目をそらしながら答える。
セーラはそれ以上何も言えず、くるっと体を返してまた何事も無かったようにグラスを並べ始める。

「放っておいていいん?」

笑顔を向けて来る洋榎を、無言で睨みつける。
その隣にいる竜華は顔を青くしている。

「いいも何も、あいつから話したいって言い出してんから、止める権利は俺に無いやろ」

「それで二人が上手くいっても?」

「多分、そういう話じゃないやろ」

「自信満々やなー。自分が一番好かれてるって思ってるんや」

「……」

そんな訳無いだろうと、セーラは内心で呟く。
つい数時間前まではそう思っていたけれど、今はそんな余裕なんて全くない。

(本当はすぐ邪魔したい位やけど、宮永の意思を無視する訳にもいかんし…複雑や)

まだまだ大人になりきるには難しいと、セーラは険しい顔をしたまま俯いた。



――――

「どうぞ」

恭子を部屋に招き入れると、咲は手探りで床に腰掛けて手を伸ばした。

「これ、使ってください」

クッションを渡すと恭子は「済まへんな」と受け取って、すぐ近くに座る。

「末原さん、今日は謝ってばかりですね」

「え?」

「家に入れって行ったのも、部屋に入れたのも私が言い出したことだから、そんな風に言う必要無いですよ」

「そ、そうか」

「そうですよ。何緊張してるんですか」

「当然やろ…、宮永と同じ部屋にいるねんから」

恭子のもじもじした気配が伝わって、咲は困ったように口を閉じた。

数回しか会っていないが、そこから割り出される印象として、
恭子は非常に恋愛面で疎いんじゃないかと思う。

(そういうの嫌いじゃないけどね)

正直な人なんだろうとは思う。
裏表ある人よりはよっぽど好感が持てる。

「それで、話なんですけど」

恭子がこの調子だと、すぐに本題に入った方が良いだろう。
階下では皆が待っている。

怜にもすぐ戻ると言って、ここに来たのだ。
あんまり長居していると、誰かが様子を見に来るかもしれない。

皆がいる前では恭子だけと話をすることは難しいだろう。
だからこそ、わざわざ自室へ連れて来たのだ。

「今日、病院に行って来たんです」

「ああ」

真剣な声を出す恭子が、ぴっと背筋を伸ばした気がした。
咲は頷いて、続きを話す。

「手術の日、決まりました。勿論後で皆にも言うけど。
私が末原さんに一番言いたいのは、必ず完治してまた麻雀が出来るようになるってことです」

「……!」

「勘が戻るのに時間が掛かると思うけど、それを乗り越えたら、改めてあなたに勝負を申し込みたいです」

「そんな、私から言い出したことなんや。わざわざ宮永から申し込むことなんて無いで」

「でも、それじゃ私の気が治まらないんで」

首を横に振って、咲はきっぱりと宣言をする。

「無事退院出来たら、毎日牌に触って勘を取り戻します。だから、それまで保留にして下さい」

小さく頭を下げると、恭子が「宮永は強情やな」とため息をつくのが聞こえた。

「なんとなくわかってはいたけど、自分の決めたことは曲げないんやな」

「まあ、そうですね」

「わかった。待ってるわ」

軽く咲の肩を叩いた後、恭子は嬉しそうに言った。

「宮永と試合することは絶対諦めへん。完治すると信じてるで。
私もそれまであんたに恥じんよう、頑張るから」

「はい!」

気持ちを認めてくれたことが嬉しくて、咲は笑顔を向けた。
途端、また沈黙が訪れる。

「あのー、末原さん?」

声を出すと、恭子は慌てたように体を後ろへと引く。

「いや、済まへん。真面目な話をしている時に、余計なことを考えてた」

「はあ」

「余計とは言ったけど、そういう意味やない。私にとって大事なことや。
そこの所はわかってもらえないやろうか」

「言ってる意味、全然分からないんですけど…」

正直な答えを口にすると、恭子は「そうか」と何故かがっかりしたようにしょんぼりとしている。

「あの、どういうことですか?」

このままでいるのも気に掛かるので、咲は素直に疑問を口に出した。
だが恭子はもごもごと口篭って、なかなか話してくれようとしない。

「末原さん?」

もう一度促すと、さすがに今度は恭子も答えてくれる。

「笑顔を、すぐ目の前で見て…あんまりにも可愛かったんで、動揺したんや」

「へ?」

「す、済まへん。変なこと言って」

「また謝ってるし…」

困ったなあ、と咲は頭を掻いた。
恭子に告白もされているし、好かれているのもわかる。

でも、「なんで?」という気持ちの方が強い。
試合を切望する余りに、恋だと思い込んだんじゃないかとも思っている。

「あの、末原さん。前に言ったことですけど」

この機会にと思って、咲は口を開いた。
が、

「待ってくれ、宮永」

と恭子に遮られてしまう。

「言いたいことはなんとなくわかる。でも今は、何も言わんで欲しい」

「末原さん…」

「もう少し、結論を出すのは待ってくれへんか。
頼むわ。このままゲームセットにはしたくないんや」

「……」

恭子の切実な訴えに、咲は黙って頷く他無かった。
どうしたら納得してくれるのか、今は言葉すら見付からない。

「私のことを、諦めが悪くて見苦しい奴と思うか?」

「そうは、思わないですけど」

「いや、気を使わなくてもええ。実際そうだと自分でもわかってる」

少し笑って、恭子は続けた。

「もし宮永と一番最初に出会っていたらと思うこともある。
ありえないこと考えて虚しくなって…馬鹿やな」

恭子の声があんまりにも頼りなくて、咲はそれ以上何も言えなかった。

もしも、なんて無いけれど…。
千里山じゃなく姫松に通っていたら。

きっと恭子はすぐ自分に気付いただろう。
そして今のセーラや竜華や怜みたいに、仲良くなっていたかもしれない。きっと。

「私の言ったことは、気にせんでええで」

すっと、恭子が立ち上がる気配がする。

「それよりも手術のことだけを考えるべきや。色々混乱させて悪かったな」

「いえ…本当に謝らなくって、いいですから」

「ありがとう」

恭子に手を引かれて、咲も立ち上がった。

「下に行くか」

「はい」

無言のまま、二人で和室へと向かう。
何やら喧騒が聞こえるが、咲はぼーっとしたまま足を進めていた。


(もし。千里山に通わなかったら、どうなっていたんだろう)

不意に浮かんだ考えに、なんだか心細くなって来る。
どこからその気持ちが来るのかはわからない。

でも、真っ暗な闇の中。
咲の心の内側に響いたのは、



『多分、俺にとってお前がその誰か、なんやと思う』



セーラの声、だった。



――――

今日はここまでです。
次は水曜か木曜あたりに投下予定です。


もう咲セラ待ったなし!

乙 続き楽しみにしてる

乙やで

乙です

咲と恭子が今、何を会話しているのか気にならないなんて、大嘘だ。
苛々を隠して、セーラは何でもないような顔をして座って二人を待っていた。

(顔に出したら、最後やな)

「やっぱり気になるんやろ?誰か見に行って来たら?」

セーラと竜華と怜と。
三人が座る真正面に位置する洋榎が、じっと観察しながら可笑しそうな声を出す。

こいつに面白がられてたまるかと、我慢を続ける。
竜華も同じ気持ちらしく、知らん顔して横を向いたりしている。

「あんた、さっきからなんやねん。面白がっとるんか?」

「そんなこと無いで。うちは思ったことを口にしてるだけや」

「じゃあ、自分で見に行ってくれば?」

「別に。うちは恭子と宮永が何してようと気にならへんし。あんたらはどうだか知らへんけどな」

怜だけが、洋榎の相手をしている。
任せたぞと、セーラは勝手に頼んで沈黙を続けた。

しかしこの状態を続けるにも限界がある。
いつになったら戻って来るんだと出入り口にちらっと視線を送る。



もう、10分は経過している。
咲にその気が無かったとしても、恭子の天然とも言える積極性に心を動かされることだって十分あり得る。

(そんな結果になったら泣くで)

はあ、とため息を漏らした瞬間、
恭子が咲を気遣いながら襖をゆっくりと開けて入って来た。

「宮永…」

「二人共お帰り、どうやった?何か進展あったとか?デートする日は決まったん?」

声を掛けたセーラを押しのけて、洋榎が二人に質問を浴びせる。

「そんな話はしてません」

恭子はきっぱりと否定する。

二人の表情に変化は特に無く、洋榎の言うような進展は皆無だなとセーラは悟った。
ほっとして、体から力を抜いた。

「じゃあ、二人きりで何の話をしてたん?」

食い下がる洋榎に、恭子は「プライベートですから」とそれ以上は言わない。

面白くなさそうに洋榎はむっとしたが「後で詳しく聞けばええか」とすぐ前向きになる。
諦める気無いのか、とセーラも竜華も顔を引き攣らせた。



「そうそう、さっき末原さんにも話したんですけど」

皆が静かになった所で、咲が口を開く。
当然、視線がさっと集まる。

盲目の彼女は気にすることなく、続きを告げる。


「手術の日、決まったんです。今日、病院に行った時先生から聞きました」

「「「!!」」」

「その前からちょっと入院することになるみたい。皆でこうして集まるのもしばらく無くなりそうだから、一応報告です」

「手術って、いつなん?」

不安そうに言う怜に、咲はさばさばと答える。

「今月の×日だって」

「それって…」

洋榎が何かに気付いたように、声を上げる。
が、すぐに口を閉じて俯く。

「何ですか?」

「いいや、何でもないで」

ちらっと洋榎が視線を送ってきたが、セーラは何も言わなかった。
ここで言うことじゃない。

手術の日程が、県予選決勝の日程と被っていること。
その件に誰も触れることは無く、ただ咲に励ましの言葉を送るだけだった。

「頑張れって言われても、先生に任せるだけなんですけどね」

明るく言っているが、咲の態度から無理しているのは明らかだ。
失敗した時のことを考えると、怖くなるのも当然だろう。
それでも前へ進もうと、不安を隠して咲は歩んで行こうとしている。

(だから、こいつのこと自然と応援して見守ってやりたくなるんや…)

気持ちは大きくなるばかりだ。
手術が終わったら、咲の憂いが消えたら、全部伝えようとセーラは決めている。

(それまで、こいつらに遅れを取っているっていうのは気に入らんけど仕方ないな)

恭子や竜華が励ましの言葉を掛けるのを、咲は嬉しそうに聞いている。
そこに他意は無かったとしても、セーラとしては非常に複雑な気持ちだ。

「咲、絶対お見舞いに行くからな。
いっぱい咲の好きなもの差し入れするから。今から食べたいものリストにする?」

「えーっと、先生に聞かないと差し入れ食べてもいいかわからないんですけど…」


普通に安心して見ていられるのは怜だけだなと、呑気な会話を聞いて苦笑した。

あまり遅くなると迷惑になるからと恭子が立ち上がった所で、今日はお開きになった。

夕飯も食べていけばいいのにと咲は言ったが
真面目な恭子が「そうはいかへん」と断固として首を縦に振らない。

恭子が出て行くのに、このままいるのも気が引けてセーラ達も一緒に退出をした。

「また、来てくださいね」

玄関先まで送ってくれた咲に挨拶をして、一同は外へと出る。

ライバル校である姫松の恭子、洋榎と肩を並べて歩いているなんて、妙な気分だとセーラは思った。
こんな事でも無ければ、きっと大会の会場以外で会うことは無かっただろう。

「セーラ。ひょっとして末原さんに聞きたいことがあるんやない?」

沈黙を破るように、竜華が最初に口を開く。

「そう思うんか」

「せや。だからこうやって一緒に歩いてるんやろ。いつもならすぐ車を手配してさっさと帰りそうやのに」

「聞きたいことというよりも、言いたいことがあるだけや」

「なんや?ハッキリ言ってくれて構わへんで」

恭子はセーラをちらっと見て、きっぱりとした口調で言う。
何を言われても、咲への気持ちは変えない。そんな決意が横顔から読み取れた。

だからセーラも遠慮はしない。
堂々と宣言をする。


「あんたがあいつのことを好きなように、俺も宮永のことが好きや」

「江口さん…」

「俺はあんたにも、誰にも負けるつもりは無いで。…言いたいことはそれだけや」

怜も洋榎もびっくりしたように足を止めている。
恭子と、そして竜華は動じることなくセーラの宣言を聞いて頷いている。

「つまりはライバル宣言って奴やな」

恭子は意外と冷静に、話を聞いて納得したようだ。
我に返った洋榎が面白そうに、それに対して相槌を打つ。

「恭子、相手は手強いで。どうするん?」

「どうするも何も、私も負けるつもりは無いですから」

ふっと笑って、恭子はセーラの方を向いた。

「私に気兼ねすることは無いで、江口さん。
宮永が好きなら、好きやって本人に告げたらどうや」

「…手術が終わるまでは言うつもり無いわ。けど、どうやらその日も近いみたいやな」

手術の日が決勝に当たることを思い出し、セーラと恭子は無言で頷いた。

「お互い優勝して、全国で戦おうや」

「せやな。全国で当たるまでは絶対に負けられへんな」

「ああ」

県大会で必ず優勝して、咲に優勝の報告を届けたいと思う。
手術に立ち向かう彼女に負けない位、強くなりたい。

きっとまだやれる事はあるはずだ。
監督に相談して、全員のメニューを見直してもらおうとも思う。
最終目標は勿論全国制覇。それしかない。


「勝つのは、俺達千里山や!」


高らかに宣言をして、セーラは恭子と洋榎に目もくれず歩き出した。
立ち止まってる暇は、この先どうやら無くなりそうだ。



――――

放課後の部活が始まる前、怜はふらふらと頼りない足取りで歩いていた。

「もう、セーラが無理矢理起こしたりするから調子出えへんわ」

何よりも大好きな睡眠を邪魔されて、ぶつぶつ文句を唱える。
それでもちゃんと起きて部活に向かうのは、今の大会が大切だからとわかっているからだ。


昨日、セーラは姫松の二人に宣戦布告をした。
あっけに取られてしまったが、それに触発されたのも事実だ。

たしかに寝ている場合じゃない。
今までの分取り返さなくちゃと、怜なりに頑張って目を開けてこうして部室へと向かっている。

もう少し、という所で外庭のベンチに座っている人影に気付く。
最初に出会った時と同じように、耳を澄ましているかのような姿勢を取って座っている。
間違いなく、咲だ。

「咲っ、今日は帰りがゆっくりなんや?」

ちょっとだけと声を上げると、盲目の少女はゆっくり顔を上げた。

「怜さん…?」

「うん。咲、ここで休憩してるん?」

あちこちに植えられている木々が、ちょうどベンチに影を作っている。
まだ暑いが、ここだったらいく分マシだろう。

それにしても、学校の中の方が快適だろうに。
何故咲はここに座ることが多いのだろう。不思議といえば、不思議だ。

怜は、ぱちっと瞬きした後質問を口に出した。

「咲、こんな所で座っていて暑くないん?
夕方やけど気温はまだ高いし、教室にいた方がいいと思うんやけど」

「……」

怜の問いに、咲は一瞬表情を止めて、そしてフッと笑う。

「江口さんから、何か聞いてないですか?」

「何も~。セーラって、意外と口堅いねん。というかケチやな。
教えてって言っても、教えてくれないこと多いで」

「…言おうと思えば簡単だったのに、一度も言わなかったんだ…そっか」

「咲?」

何も映さない瞳で、遠くを見てるようなそんな横顔が寂しげで、
怜は距離を縮めようとした。が、そこへ邪魔が入る。

「こら、怜。何しとんのや」

「竜華」

「まさかまた部活さぼって昼寝しようとか考えてへんやろうな。
セーラに怒られるで。大会優勝目指して、異様に燃えてまた練習量増やすとか言うとったで」

「え~?」

不満そうな声を上げてから、怜は咲の体にぎゅっと抱きついた。

「これ以上やったら、私倒れちゃうで。助けて、咲ー」

「そんなこと言われても…」

「怜、咲困ってるやろ」

引き離そうと腕を引っ張ってくる竜華を無視して、怜は咲に泣きつく。

「だって、睡眠時間削られると辛いねん、本当に」

困った顔をしたまま、咲は呟く。


「でも、麻雀が出来るんだからいいと思いますよ。したくたって、出来ない人だっているんだから」

「咲?」

声のトーンが少し低くなる。
怜も竜華も驚いて、咲に注目する。

数秒の沈黙の後、意を決したように口が開かれた。

「私もね、以前は麻雀…してたんです。目が見えなくなる前、だけど」

風が吹いた。そしてそのまま沈黙が続く。

薄々そうじゃないかとは思っていた。
恭子が咲と会った時から、疑っていた。

何故、咲のことを知っているのか。
ただの知り合いにしては、少し不自然だった。

それに監督が無理をしてでも千里山に入学させた理由。
ああ、そうだったのかと竜華と怜は理解した。

「そっか、そうだったんか」

怜は小さく息を吐いた後、ふわっと優しく咲の髪を撫でた。

「じゃあ、麻雀が出来なくて辛かったなあ」

「……はい」

「ここに座っているんも、ひょっとして牌の音が聞こえるから?」

ハッとして竜華は顔を上げる。
怜の言う通り、このベンチは麻雀部の部室に近い。練習の音が聞こえる距離だ。

一人静かにここで見えない牌を追っていた咲を想像して、竜華はぎゅっと胸元を掴んだ。

「未練がましいですよね。牌の音を聞きながら、想像の中に浸ってました。
今の状況はみんな夢で、私は卓に座って麻雀を打ってるって」

自嘲気味に咲は笑う。

「未練とか思わへん。私やって麻雀出来なくなったら悲しくなるし、またしたいって考える。だからそんな風に言わんといて」

「せや。それだけ麻雀が好きやったんやろ。誰も咲のこと笑ったりせえへん。もしおったら、うちが黙らせたる」

「怜さん、竜華さん……」

ありがとう、と咲は小さな声で言う。
聞こえない位のか細いものだったけれど、二人の耳にはちゃんと届いた。


――――


「二人に手術する前に話せて良かったです」

顔を上げた時、咲の表情はもういつもの前向きなものだった。

「もし成功したら、怜さんと竜華さんと打ちたいです」

「もし、じゃなくて成功するで。私が信じているんやから!」

「うちも信じてるわ。その日の為に雀卓磨いとくからな」

「ちょっと気が早いですよ」

くすくす笑う咲を見て、怜と竜華も顔を見合わせて笑った。

その日が来たら必ず皆で麻雀しよう。
きっと全員が笑顔で過ごせる、素敵な一日になるに違いない。

(その時は、セーラも入れてあげなんとな)

でも、まだ内緒。
前日に誘ってびっくりさせてやろうと。
楽しい計画を思いついて、怜は目を輝かせた。





手術の日が決まったことを雅枝に伝えに行くと、
「そうか、良かったな」と短いが歓喜の篭った言葉が返って来る。

「まだどうなるかはわからないんですけどね」

「きっと成功する。私はあんたが再び麻雀が出来ると信じてる」

「本当に……先生が最初にそう言ってくれたから、救われました」

この学校に連れて来てくれて、世話をしてくれた雅枝に咲は深くおじぎをして礼を口に出した。

「あのまま向こうにいたら、きっと絶望して何もかも放り出していたかもしれない。
全部先生のおかげです。ありがとうございます」

もう麻雀が出来なくなるかもしれない。
落ち込んで、周囲からの声に絶望して。
膝を丸めていた自分に、雅枝が手を差し伸べてくれた。

最初は拒絶した。
でも、

「あんたはまた麻雀をしたいんじゃないんか。私はもう一度あんたが打ってる姿が見たい」

と根気良く外へ引っ張って行ってくれた。
感謝の言葉をどれだけ口にしても、足りない。

「前も言ったが、礼なんていらんで。手術が成功したら千里山の麻雀部に入ってもらう。そういう約束をしただけや」

「それでも、先生のおかげです」

素っ気無い風を装っているが、本当はどんな顔をして言っているのだろうと咲は思った。
手術が成功したら、きちんと目を合わせてまた「ありがとう」と伝えたい。

「先生がいなかったら千里山に入ることも難しかっただろうし、頑張れたかどうかもわかりません」

「それはどうやろう」

「え……?」

雅枝がふっと笑った気がして、咲は首を傾げる。
何か変なことを言っただろうか。

考え込んでいると、「頑張れたのは、私がいたからだけじゃないやろ」と返される。

「他にもいるんやないんか。あんたの周囲には色々と、人が集まっているようやしな」

「はあ……」

セーラ達のことを言っているらしい。
恭子の一件を思い出して、咲は小さく首を竦める。

揉め事を起こしている訳じゃない。一緒に家へ上げたけれど、あの時はああするのが一番良いと思った。
でも雅枝は忠告を聞かずに、勝手なことをしてと怒っているのかもしれない。

どうしよう…と悩む咲に、雅枝がふっと笑う。

「咎めている訳やない。ただ日本に来る前と比べるといつの間にか笑顔が増えて来た。
多分それは私がいるからじゃないやろうな」

「……」



『そんなんじゃいつまでも家に帰れへんで』

『送ってやるから大人しくしてろ』



出会って間もなかったセーラが、何故か強引に杖を持たない自分を引っ張ってくれた。
あっけに取られた所為もあったけれど、すんなりとその好意を受け取ることが出来た。

きっとあの日は自分にとって何かの転換だったと思う。
拒絶することしか考えていなかった、それを変える切っ掛け。

『きっと考えるよりも前に、自然と行動に出るんやろうな』

セーラの言う通りだ。
可哀想に思われているからとか、同情なんていらないとか考えていた自分が恥ずかしい。
悪意ばかり見出そうとして、そこにある好意を拒絶するなんて愚かなことだ。

「そう、かもしれません」

雅枝の言葉に、咲は頷いた。

「良い人達と巡り合えて、すごく幸せなんだと思う。
だからここに連れて来てくれた先生は、やっぱり私にとって恩人です」

「そう、何度も言うな」

ひょっとして雅枝は照れているのかもしれない。
なんとなくだが、声のトーンからそんな気持ちを察する。

「そろそろ時間やな。宮永、済まないが退室してもらえるか」

「はい、お忙しい所に話を聞いてもらってありがとうございました」

「ああ。当日は大会と重なっているから遅れるが、必ず見舞いに駆けつける」

「はい」

一礼して、外へと出る。
話が出来て良かったと、満足そうに咲は歩き出した。
そして向こう側から近付いてくる人物の足音に、耳を澄ます。

「江口さん」

「やっぱりわかるんか」

「はい」

凄いなと言いながら、セーラが近付いてくる。
学校の廊下でも、知り合いの足音なら大体聞き分けることが出来る。
特に、この人なら絶対に間違えない自信があった。

「監督に用事だったんか?」

「はい。手術の日がいつか、話してきました」

「そうか」

「江口さんは今から先生と打ち合わせですか?」

「せや。やる事いっぱいあって、疲れるわ。けど、頑張らないと勝てへんからな」

ふっとセーラが漏らした一言に、咲は思わず「大丈夫」と言ってしまう。

「宮永?」

「あ、いえ…なんとなく。江口さんなら大丈夫って気がしたから。簡単に言っちゃってごめんなさい」

勝負の世界はそんな生易しいものじゃない。
部外者が何言っているんだろうと小さくなるが、セーラは笑ってから優しく頭を撫でて来た。

「せやな。でもお前が応援してくれるんなら、大丈夫って気になれるかもしれへん」

「え?」

「なんや、応援してくれへんのか?」

心なしか寂しそうな声に、咲は首を大きく横に振った。

「そんな訳無いです。応援してます。当然でしょう」

「いやに力込めて言うんやな」

「だって、本当のことだから」

思わず大きな声を出してしまう。

「本当に応援してるから…頑張ってください」

「ああ。ありがとな」

見えないけれど、セーラが微笑んでいる気がする。
嬉しくなって、でもそれが見えないことが少し悲しくて、ぎゅっと杖を握り締める。

「ん、どうしたんや?」

「いえ、別に。直接応援出来なくて残念だなって」

「気にすんな。そういえば、いつから入院するか聞いて無かったな。いつや?」

「今週末から。そのまま手術して、しばらくいると思います」

終業式には出られないが、今は手術の方が優先だ。
そのまま夏休みの半分は病院で過ごすことになる。
つまらないが、こればかりはどうしようも無い。

「そうか。じゃあ、また面会時間とか詳しいこと聞きに行くからな」

「はい」

「監督待たせるとうるさいから、もう行くけど。気をつけて帰りや」

「平気です。部活、頑張ってください」

「ああ。じゃあな」

気配でセーラが手を振っているのを感じる。
咲も杖を持ってない手を軽く上げて、ゆっくりとその場を歩いて行く。


(言いたいこと、いっぱいあった気がするんだけど…)


怜と竜華にも以前の自分を打ち明けたこととか。
セーラのおかげで怜や竜華という良い友人達と巡り合えたことへの礼とか。
他にも何か話をしたかったけど、妙に舞い上がって上手く言葉が出て来なかった。


(なんか調子狂う。今度会う時はきちんと出来るよね)


変だな、と考え込みながら廊下を歩いて行く。
その感情が何なのか、まだ咲は気付いていない。



――――



今日はここまでです。

乙です

乙乙

乙だし

期待

明日から咲は手術に備えて検査が沢山あるとかで、入院してしまう。
だから今日は三人で快く送り出してあげようという話になっている。

いつも通りの宮永家の訪問とはちょっと違って、咲の手術成功を祈る為の集まりだ。
セーラは連日雅枝と打ち合わせをしている為、遅れることは予め決まっていた。

「…わかりました」

軽く頭を下げて、セーラは立ち上がった。用件はこれで終わりだ。
今から宮永家に向かって、咲に纏わり付いているだろう二人を剥がしてやらなければならない。

「江口、ちょっとええか」

「はい?」

「大会とは関係ない。宮永咲のことや」

「……」

何かやらかしただろうか。
また注意されるような何かはした覚えが無い。

(告白も我慢してるから、問題は無いはずやで!?)

ぐるぐると頭の中で考えていると、ふっと笑われる。

「別に叱ろうと言う訳やない。ただ、礼を言いたかっただけや」

「礼、ですか?」

意外な言葉に目を見開くと、雅枝は静かに頷いた。

「私はあの子の為に出来るだけ良い環境を与えてやりたいと思った。問題が何も無いようにしたかった」

「はい」

「だから変な興味を持って近付く輩は排除したい、そう考えてた」

「それは自分のことですか?」

思い切って尋ねてみた。
そう思われても仕方ないかもしれない。

あの時、咲が写っていたビデオを偶然見てしまった。
その一件で雅枝が警戒するのも無理は無い。

「ああ、そうや。宮永が麻雀をしているのを知って、好奇心から近付くのなら許せないと思った」

「……」

「彼女の麻雀は人を惹きつける。だが今は麻雀をすることが出来ない状況や。
もしその傷を抉ることがあったらと、私はそれを恐れた」

「……」

「だが、違っていたようやな」

「え?」

雅枝の柔らかい笑みに、セーラは一瞬きょとんとした表情を浮かべた。

「宮永の様子を見ていればわかる。あの子はあんな事があって、最初は他人を拒絶している風さえ感じた」

「…はい」

「でも今は違う。あんたと出会ってそして、他にも交流を深めて。良い方向へ行ってるんだとわかる」

「監督…」

「以前は注意などして悪かった。結果的に江口達と仲良くなれたことで、あの子は強くなってる。
だからこれからも、支えになってやってほしい」

「もちろんです」



雅枝に礼をして、セーラは部屋を出た。

(よし、宮永の家に向かうか)

ここから咲の家は5分と掛からない。
走ればもっと早くに着くだろう。

だがセーラは少し考えた後、逆方向へと向かって走り始めた。

ただの勘に過ぎないのだけれど、何故かこの行動が正しい気がする。
向かった先に咲がいるような、待っているような予感。

走って走って、セーラはこの前咲が立ち尽くしていた場所に辿り着く。

「宮永……!」

彼女はまたそこに立っていた。
何度も変わる信号。でも歩んで行くことなく、見えない目でその先を映して。
ただ立っている。

「江口さん」

名前を呼ばれた咲が、ゆっくりと振り返る。

「まだ部活が終わるには早い時間じゃないんですか?」

呑気な声で言われて、セーラは肩を落とす。

「今日はミーティングだけやったから。それよりお前は何でこんな所にいるねん。
怜や竜華が家で待ってるんやないんか」

「あ、そうかも。いつもより早いなんて思ってなかったから、少しの間と思って散歩に出たんですけど」

悪いことしたなと呟く咲に、セーラは笑って答えた。

「二人とも、今頃待ちくたびれとるかも知れへんな」

「じゃあ急いで帰らないと」

そう言った後、咲はまた信号を超えた向こう側を振り返る。
決して一人だけでは歩けない場所。

手術が終わったらその先を行けるようにと、願う為にここに来たのだろうか。
こんな時でもたった一人で。

きっと他に誰も知らない。
前に進めないことの辛さを、咲がここで噛み締めているなんて。

(一人で背負うこと、無いのにな…)

強くあろうと頑張っている、それはわかる。
こんな状況でも家族にすら泣き言を言わないように、必死で前に進もうとしている。

でも本当は弱い部分を隠し持っている。
わかっているから、だから。


「大丈夫か?」

そっと、彼女の手を掴む。

「大丈夫って、何のことですか?別に私は何も」

「俺に嘘つかんでええ。そんな顔で言っても、全部わかってるんや」

「……」

「苦しかったら吐き出せばええ。心配掛けるからとか、そんなつまらないこと考えんな」

「……」

「少しでもお前の持ってる苦しみを抱えてやりたいって、考えるのは傲慢か?」

長い沈黙の後、咲は首を振った。

「そんなこと、無いです」

「宮永」

「江口さんがここに来てくれただけで、嬉しかった。嬉しかったです」

華奢な手がぎゅっと握り返してくる。

「差し伸べてくれるこの手が、私にとってどれ程支えになってるか。本当ですよ?」

「……」

「先の事を考えると、怖いなって思うことがあるんです」

「ああ」

咲の漏らした弱音に、セーラはもう一方の手も重ねた。

「失敗したらどうしようとか。考えるべきじゃないのもわかってるんです。でも、もしかしたらって…」

「……」

「不安はそれだけです。はー、全部言えてすっきりしました!」

口調をがらっと明るく変えて、咲は笑顔を浮かべる。

「誰にも言うつもり無かったのに、江口さんが真剣に言うから…隠せなかった。ずるいですよね」

「どこがずるいねん。俺は思ったことを言っただけや」

「だから、そういう所です。わかってて言ってるのかなあ」

咲がくすくす笑う訳がわからず、セーラは首を傾げた。
が、すぐ気持ちを切り替えて、伝えたいことを耳元で囁く。

今は少しでも咲の心を軽くしてやりたい。
それしか考えられない。

「退院したら、一緒にこの道を歩こう。
なんの変哲も無いただの道やけど、宮永と一緒ならそれも楽しそうや」

「江口さん…」

「お前に見せたい景色は、ここ以外にも沢山ある。俺と一緒に、色んな場所探しに行こうや」

「……うん、そうですね。楽しそう」

「じゃあ、約束したからな。破ったらあかんで」

「そっちこそ」

笑いあって、そして咲の腕を取って今度こそ家に向かって歩き始める。

少しでも彼女の不安を解消出来ただろうか。
たったら良いのだけど、それすらも隠して笑っているんじゃないかと思って心配になる。

自分の口から出た言葉が咲の心にある不安を全部照らして消してしまえばいいのに。
そんなことを考えた。



――――




――――



部活が終わってすぐに、セーラと竜華と怜の三人は咲がいる病院へ向かった。

「こんなちょびっとの花だけでええんか?」

「まだ文句言ってるん?セーラが言うようなでかい花輪なんて持って行ったら咲も困るで」

三人がお見舞いの品で購入したのは、花だった。
花の良い香りで、少しでも咲の気持ちが安らいでくれるかもしれないと提案したのは怜だ。

食べ物とかは手術前にNGだろうし、かと言って急に何を渡すか迷う所だったので
セーラも竜華も反対することなく花屋へ向かった。

だがそこから問題が発生する。

花を買うというのなら、それなりに相応しいものが良いと
セーラは店に置いてある薔薇を全て購入して贈ろうと言った。

どうせ渡すのなら出来るだけ豪華に、中途半端では無く全力で、と思ったのだが怜と竜華に大反対された。

「アホか、そんなに持って行ってどこ飾るねん?」

「持っていってから決めればいいやろ」

「あのなあ、なんでもむやみに購入すればええっちゅうもんやないで。とにかく却下や」

二人に言われ、お店の人からもお見舞いにそれはちょっと……と言われて、渋々セーラは思い直した。
結局、セーラじゃ話にならないということで店員と怜とで選んだ花束を購入することになった。

薔薇だけは絶対入れろとしつこく言った為、その意見は尊重して白薔薇が選ばれた。
それらを中心としてオレンジとピンクの花とで可愛らしく纏まっている。

病室を受付で確認して、三人で咲の元へと向かう。
咲の部屋は3階の個室で、エレベーターから近い場所にあってすぐに到着した。
ノックをして所在の有無を確かめると、「はい、どうぞ」と中から声が聞こえた。

「咲~!お見舞いに来たで!」

一番に怜が声を上げる。

「怜、病院では静かにな」

他の部屋に聞こえる、と竜華は注意しながら次へと続く。
最後にセーラがそっとドアを閉めた。

「皆さん、部活お疲れ様です」

咲はベッドに腰掛けていた。
窓側に体を向けていたのだが、三人が入ったと同時に向きを変えた。
病室の窓からわずかに西日が零れているのが、セーラの目に入った。

ここに座って、どんな景色なのか想像していたのかもしれない。
手術が成功したら、この夕陽を見ることが出来るのかと。
そんなことを考えて、座っていたのだろうか。

花屋で揉めたりせずに、さっさとここに来れば良かった。
1分でも側にいてやりたいのに。
つまらないことを主張して馬鹿だったな、と胸がちくっと痛んだ。

「これお見舞いの花。皆で買ったんやで」

「ありがとうございます」

「花瓶あるか?活けといたるわ」

「あ、多分そこの洗面所の側にあると思います」

咲が指差した先に、小さな備え付けの洗面所がある。
その下に、花瓶がぽつんと置いてあるのが見える。

「宮永の親は?もう帰ったんか?」

セーラが尋ねると、咲はこくんと頷いた。

「お父さんは仕事があるし、あまり長居させるのも悪いと思って」

「あのなあ、こんな時くらい一緒にいてもらったらどうや?」

一人で入院なんて心細いだろうに、こんな時でも無理して平気な振りをするなんて信じられない。
知らず咎めるような口調で言うセーラに、咲は「本当に大丈夫です」と笑顔を見せた。

「手術の日はついててくれるし、特に不自由も無いから心配することなんて無いですって」

「そうか……?」

「はい」

思ったよりも元気そうなのは確かだ。
けど全く心細い訳でも無いだろうと、セーラは考える。

(俺に遠慮するなって、言ったのに……馬鹿やな)

怜と竜華がいるから、弱気なところを見せて心配させたくないと思ってるのかもしれない。
あまりこの場で追求するのも何なので、仕方なく話題を変える。

「そういえば、ここに来る途中で末原に会ったで」

「末原さんに?」

「それでこれをお前にって、末原から預かった」

ポケットから取り出した紙袋を、咲に渡してやる。

「なんだろう」

包みから取り出したそれを、咲は興味深く指でなぞっている。
竜華がそんな咲に話しかける。

「咲。それな、お守りや」

「お守り?」

「そうそう。末原さんは咲の手術が成功しますようにっていう意味を込めて、これを買ったんやないかな?」

「そうですか…」

興味深そうに咲はお守りを熱心に触っている。
そんな光景を複雑な表情で眺めるセーラ。

けれどセーラは黙ってその行為を見守っていた。
例え恭子が贈ったものでもご利益があるのなら、それに越したことは無い。
セーラも、そして恭子も怜も竜華も手術の成功を祈る気持ちは同じだった。



「明後日はいよいよ県予選準決勝やな」

「せや。勝って咲に勝利の報告しに来るからな」

「はい。私はここでしか応援出来ないけど、頑張ってください」

咲がぼそっと口を開く。
試合に来られないことを歯がゆく思っているような表情だ。

「咲っ、ありがとう!私頑張るでー」

「今の言葉で元気出たわ。咲の言葉は魔法みたいやな。…魔女っ子咲、うん悪くないわ…」

怜のはともかく、竜華の妙な台詞にセーラは顔を顰めた。
気を取り直して、セーラも咲の言葉に応える。

「十分や。お前が応援してくれてると思えば心強いで」

「大袈裟ですね」

「んな訳ないやろ。皆、どれだけ嬉しいか。なあ?」

「せや!」

「うんうん、ほんまやで?」

「……」

にこっと、盲目の少女は顔を上げて笑った。

「ありがとうございます。皆のこと、ここで応援し続けるから。
試合の時も届くくらいに、一生懸命心の中でエールを送ります」

「咲、私絶対にその声に応えるよう頑張るからな!」

「うちもや。咲の声ならいつでも受信出来るようアンテナ伸ばしとくからな」

「竜華…また何か変な台詞になってるで…」

二人掛かりで抱きつかれて、咲は困ったように、でも笑っている。

その間になんとか入ってやろうとセーラは隙間を探すが、
がっしり左右挟んでいる状態だから、どうしようもない。

しばらくは黙っていたが、とうとう堪えきれず「お前らいい加減にしろや!」と大声を出した所で、
見回りに来たナースが病室に飛び込んできて、結局三人揃って追い出されてしまった。



――――



セーラ達が帰った後(正確には追い出されただが)、
咲はベッドに横になってぼんやりと恭子に貰ったお守りを手で触れていた。

病室には三人から貰った花の良い香りが漂っている。
独りで部屋にいるが、なんとなく安心してしまう。

三人が来てくれて良かった、と咲は呟く。
父には負担を掛けたくないので付き添いを断ったが、やっぱり誰もいなくなるとほんの少し心細い。
お守りと花の香りとで、大分慰められている気がする。

(お守り、か…)

大会中にわざわざ買って来てくれたことを思うと、申し訳なくなる。
恭子のことだから、「気にするな」と言うに違いないだろうが。

(末原さんか……。真面目で良い人なのはわかるんだけど、付き合うとかはあんまり考えられないんだよね)

友達として付き合うのなら大歓迎だが、恋人ととしては想像すら出来ない。
恭子の言う好きが、咲にとっては未だに理解出来ないものだ。

(付き合うことになるとしたら、どうなるんだろう?)

竜華とは学校も一緒だし、ほとんど毎日会っているから何も変わらない気がする。
恭子は、会う頻度が多くなるのだろうか。
違う学校だから、待ち合わせして外で会って、そして。

(何するんだろ??)

咲は小さく唸った。ただ会って話ししているだけなら、今と変わらない。
やっぱり友達でいいんじゃないかと思ってしまう。

竜華と恭子。二人の気持ちと自分の気持ちにはズレがある。

(だって、やっぱり二人のこと友達としか見れないんだよね)

目のことがあってそちらに気を取られていることを差し引いても、
恋人として付き合うことは考えられない。

好意は持っているが、二人と同じ気持ちじゃない。
多分この先も、変わることは無い気がする。

(付き合うとか、恋人とかって。どうしたらそんな風に考えられるんだろ)

難しい、と咲は小さく溜息をついた。
それでも彼女らの気持ちにきちんと応える為にも避けていられない。

(末原さんはよくわからないけど、確か竜華さんは……)

恭子に告白されている所を見て、自分も気持ちを伝えたと言っていた。
誰にも取られたくないと。切羽詰ったような声でそう言った。

(まあ、たしかに好きな人に恋人が出来たら悲しいのかも。
そうなって欲しくないと思って、気付くこともあるのかな?)

じゃあ、竜華と恭子に恋人が出来てみたら?と考えてみる。
正直に言うと、少し寂しいかもしれない。

二人が夢中になる相手を見つけて、もう以前みたいに会いに来ることは確実に減るだろう。
恋人とどこかに出かけることを優先して、会話もなくなっていくかもしれない。

でもきっと寂しいと思う反面、笑顔で送り出すことも出来る。
友達だから、二人が幸せになれるのが嬉しい。
引き止めようとは思わない。

(やっぱり、友達としか見えないから……竜華さんが言ってたような感情は湧いてこない)

いずれきちんと返事をする時、申し訳ないけれどやっぱり断ろうと咲は考えた。

それにしても恋愛感情は難しい、と呟く。
今これだけ考えただけでも、かなり疲労してしまった。

二人共良い人だからこそ、誠意を持って自分なりに一生懸命考えなければと思ったが、
この程度でぐったりしてしまった。

慣れないことはするもんじゃないなと改めて思う。

このまま眠ってしまおうか。そう思って咲は布団を体に掛けようとすると、
コンコン、とドアにノックの音が響いた。

「はい」

返事をすると「失礼する」と雅枝の声が聞こえて、ドアが開いた。

「先生……忙しいのに来てくれたんだ」

大会前に時間も無いだろうに、わざわざ顔を出してくれたことに驚いて、
咲はさっと起き上がった。

「ああ、そのままでええで。疲れてるんやろう」

「いえ、大丈夫です。今日は検査もちょこっとだけでしたし」

「どうや、この部屋の居心地は。何か不便は無いか?」

「全然。先生には本当お世話になって、申し訳ないくらいです」

個室を使えるよう雅枝が取り計らってくれたで、こんなにも快適に過ごしている。
文句を言ったらバチが当たってしまう。

咲の言葉に、雅枝は「それでも何かあったら、すぐに言いなさい」と
まだ心配しているような言葉を掛けて来た。

「この花は……江口達が来たんか?」

当然気付くだろうなと思って、咲はこくんと頷いた。

「お見舞いに来てくれたんです。大会で忙しいだろうから、一旦は断ったんですが…」

「あいつらのことや。反対しても押し掛けてくるやろう。ほどほどに相手すればええ」

「はい」

意外なことに、雅枝は皆が来たことを咎めているようでは無かった。
良かった、と胸を撫で下ろす。

「入院している間は暇やろう。新しい本を持って来たから、時間がある時に読むとええ」

雅枝は鞄から袋を取り出し、咲の手に直接それを渡してきた。
新しい点字の本のようだ。

「ありがとうございます」

「全部読んだらまた新しい本を持って来よう。次は何がええか、考えておいてくれ」

「いや、でもまだこの本も読んで無いので…もっと後になるかもです」

5冊あれば十分な気もするけど、と咲は思った。

「そうか。読み終わったら、いつでも言ってくれればええ」

「はい」

「ところで、そのお守りも江口達からの見舞いの品か?」

ベッドに置いてあるお守りに、気付いたようだ。
咲は少し迷ったが、正直に答えることにした。

「これは、末原さんからです」

「末原から?彼女もここに来たんか?」

「いえ。江口さんが持って来てくれたんです。これを私に渡して欲しいって頼まれたんだって」

「……江口が?」

雅枝は驚いたような声を出した。
珍しいことだったので、咲も一緒になって驚いてしまう。

「あの、何かまずかったですか?」

恐る恐る尋ねると、雅枝は数秒沈黙した後「いや、そうやない」と言った。

「あまりに意外やったから、驚いているだけや。
江口がライバルに、塩を送るような真似よくしたな、と」

「ライバル?」

ああ、麻雀のことかと納得し掛ける咲に、
雅枝は「色々な意味でな」と何故か笑みを含んだ言葉を使う。

「その内わかるやろう」

「……?」

首を傾げる咲に、雅枝がくすっと笑う。

「今は考えなくてもええ。手術のことにだけ、しっかり集中するように」

「はい」

また来る、と言って雅枝は病室から出て行った。
残された咲は、本を握り締めて今言われた言葉の意味を考えてた。

(その内わかるって、何が?)

かえって混乱するよ、と顔を顰める。

ベッドに腰を下ろす前に、お守りを手探りで探して本と一緒に枕元に並べる。
折角頂いたものだ。大事にしたい。

(江口さんか…)

出会った時は馴れ馴れしくてミーハーな人だと思っていたが、
親しくなっていくにつれて、そんな評価はすっかり消えてしまっている。

それ所か、今は誰にも見せてない弱音もセーラには晒せすことが出来る。

心配掛けまいと、父にもずっと涙を見せることはしなかった。
けれど、セーラにだけはそんな虚勢も通じない。


『苦しかったら吐き出せばいい。心配掛けるからとか、そんなつまらないこと考えんな』

『少しでもお前の持ってる苦しみを抱えてやりたいって、考えるのは傲慢か?』


あの時、思わず泣きそうになってしまった。
辛うじて堪えたのは、今涙を零したら後で帰った時父に心配させてしまうからだ。

セーラの気持ちは勿論嬉しかった。本当に、触れた手を放したくないと思う位に。

(あれ……?)

なんだか変だ、と咲は胸に手を当てた。
いつもより鼓動が早い気がする。頬も熱くなってる?と、もう一方の手で体温を確認する。

(おかしいよ、やっぱり。なんで?江口さんのこと考えると、こんな風になるの?)

落ち着け、と深呼吸する。

セーラが自分じゃ行けない場所に連れて行ってくれたことも、
強がっていることに気付いて、弱音を吐いてもいいと言ってくれたことも嬉しかった。

それは友人として、だろうか。
友人からの言葉を思い出して、鼓動が早くなるなんてちょっと変だ。

(友人じゃないとしたら、江口さんに対してそれ以上の気持ちを持っているってこと?)

結論を急ぐにはまだ早い、と咲は大きく首を振った。
その前に、さっき思い付いたことを当てはめてみる。

竜華や恭子に恋人が出来ても、笑って祝福出来る。友人として。
これは間違いない。

でも、セーラは?
セーラに恋人が出来たら…?

きっとセーラのことだ。恋人が出来たら、ものすごく大切にするに違いない。
他の人なんて、見向きもしない位に。

そうして、どんどん咲から離れて行ってしまう。
一緒に色んな景色を見ようという約束よりも、大事なものが出来たのだから。

そこまで考えて、咲は胸の上に置いた手でパジャマをぎゅっと握り締めた。

(どうしよう。笑って祝福なんて出来ない。他の人には出来ても、江口さんには出来ない)

離れていかないで、と強く思った。



――――



「セーラ、まだやるんか?今日は病院行かへんのか?」

竜華の声に、セーラは首を振った。

「明日の準決勝に備えてもうちょっと練習していくわ。竜華たちは先に行っといてくれ」

「でも、あんまり長びくと面会時間終わっちゃうで?」

「ああ、分かっとる。それまでには行くから」

怜にもさっと手を振って返事する。
すると二人は顔を見合わせた後「練習もほどほどにな」とその場を去っていった。

今日は時間ぎりぎりまで練習すると決めていた。
それに咲の所へ見舞いに行った後、もう一度学校に戻って来て練習するつもりだった。
監督の許可も取ってある。

闇雲に打ち続けて、ふと気付くと1時間経過していた。

「やばっ、面会時間過ぎてまう!」

大急ぎで部室から飛び出し、すぐ待たせておいた自家用車に乗り込んだ。
いつでも病院に行けるようにと運転手に指示しておいて良かった、と胸を撫で下ろす。

そして咲の入院している先へと向かった。

お見舞いの品を買う時間も無かったが、二日連続で届けたら咲に気を使わせるだけだろうし、
今日は会いに行くだけで良いと判断する。

車を急がせたおかげか、奇跡的に面会時間には間に合った。
だが「後15分だけですからね」と釘をさされてしまう。

昨日騒いだことがまずかったのだろうか。
心なしか冷たい声で言われた気がする。

しかしそんなことに構っている時間は無い。
咲がいる病室へと急いで向かう。

控えめにノックすると、昨日と同じように「はい」と咲の返事が聞こえる。
セーラは「入るで」と声を掛けてドアを開けた。

「江口さん。今日も来てくれたんだ?」

「当たり前やろ」

「でも自主練しているから、来られないかもって聞いたんですけど」

「あいつらか。勝手なこと言いくさって…」

行かないとは言っていないのに。
はあ、と溜息をついて病室の中へと進んで行く。

咲はベッドの上で壁を背にして座っていた。
手には何かの本を持っている。

「本、読んでたんか」

「はい。まだ途中までなんですけど」

面白いですよ、とにこっと笑う咲の顔を見て、頬が熱くなっていく。

「江口さん?」

沈黙に咲が変に思ったのか、声を掛けて来る。

「どうかしました?疲れてるとか。冷蔵庫に飲み物入ってるんで良かったらどうぞ」

「いや、ええわ。車の中で飲んできたから」

「そうですか。えっと、立っているのもなんだし、椅子に座ってください」

「ああ」

前回と同じように、パイプ椅子に腰掛けて咲のすぐ近くにずいっと近付く。
すると何故か咲はぴくっと肩を震わせて硬直してしまう。

「ん?どないしたん?」

妙な反応に今度はセーラが声を上げる。

「あ、別に……なんでも無いです」

「そうか?」

珍しく歯切れの悪い咲に、何かあったのかと心配する。

「本当に大丈夫って言うんなら詮索はせえへん。その言葉信じていいんやな?」

もう一度言うと、咲は「うーん」と小さく俯いた。

「あったといえばあったし、無かったといえば無いです」

「なんやそれは」

「まだ考え中です。はっきり言える段階じゃないから、今は詮索しないで欲しいんです」

きっぱりと言われて、セーラはそれ以上問い詰めることが出来なくなってしまう。

正直言って、咲が隠し事をしていることに少し傷付いた。
だけど全部話せだなんて言えるはずも無い。咲にだって秘めておきたい事はあるだろう。

何もかも打ち明けろと迫るのは、間違った行為だ。
だからセーラは「わかった」と固い声で答えた。

こちらの心境が伝わったのだろうか。
咲は少し黙った後、セーラの腕がどこにあるか探すように手を伸ばして来る。
応えるように自分から手を掴むと、一瞬動きが固まった後、すぐ握り返される。

「今は言えないけど、探したらちゃんと伝えますから」

「探す?」

「はい。どう伝えたらいいか、わからないだけなんです。
でも全部片付いたら、江口さんに真っ先に言います」

「?」

「大事な話だから。退院したら、私と話する時間を取ってくれますか?」

「当たり前やろ。宮永になら、いくらだって時間を割いたるで」

「良かった。ありがとうございます」

安心するように笑う咲の髪を、くしゃっと優しく撫でる。

誤魔化したりせず、ちゃんと話をすると約束してくれた。
今は聞けないけど、そう言ってくれることが嬉しい。

(でも話って何なんや?っと、今詮索するのは無しやったな)

咲の表情から、そう悪いことじゃ無いのが伺える。
じっとその時が来るまで待とうと考える。

「話なら本当にいつでも聞くから、遠慮無く言ってくれや」

「はい。多分、退院後になると思います」

「退院後か…」

その頃には、きっと咲の目は元通りになっているはずだ。
咲の前に立った時、自分の姿が映ることを想像する。

彼女には自分がどんな風に見えるのだろう。
人の評価等気にしたことは無いが、咲だけは別だ。
出来るだけ、良い風に映って欲しいと願う。

「退院したら、俺らの顔も見えるようになってるな」

「はい。多分」

「多分とか弱気なこと言うな。絶対見えとるに決まってるわ」

「…はい」

セーラの言葉に安心したようにはにかむ咲。
そんな咲が愛しくてたまらない。

竜華や恭子の元に行かないで欲しい、と強く願う。
告白もまだしていない自分に、そんな権利は無いけれど。

手術が終わったら、咲の抱えている重荷が解かれたらちゃんと伝えるから。

咲は退院後に話をする時間を欲しいと言った。
その時打ち明けることにしよう、と心の中で決めた。

15分はあっという間に過ぎて。
見張りの為に飛んできたナースに追い立てられるようにして、セーラは病室から出た。

昨日の騒ぎで完全に目を付けられてしまったらしい。
それとも病院側は雅枝に何か言われているのかもしれない。咲の様子を特に見ておいて欲しいと。

挨拶もそこそこだったのが不満だが、文句を言って不興を買ったりして出入り禁止になることは避けたい。
渋々病院から外で出た。

そしてまた麻雀部に戻る為、途中で簡単に夕飯を取って再び学校へ戻ると、
竜華や怜も戻ってきていた。

「あれ、セーラも来たんや」

「怜?お前、見舞いの後帰って寝たんやないんか?」

「そんな訳あらへんやろ。今は僅かな時間も惜しい位からな。また戻って来たんや」

「よっしゃ。ほんなら練習再開やで!」

「おー!」

明日の準決勝へ向けて、皆も同じように頑張っている。
きっと、負けない。



――――



今日はここまでです。

乙乙

乙です

期待

県予選準決勝。
千里山麻雀部は順当に決勝へと勝ち進んた。

セーラの車に三人で乗り込んで、今日も病院へ向かう。
駐車場から正面玄関に歩いていると、植えられている樹の陰に不審人物が立っているのに気付く。

「あれ、末原さんやない?」

怜が指差す。

「何やってるんやろう」

「…さあ」

恭子は樹に隠れるようにして、上を見上げている。
怪し過ぎるその行為に無視したくなったが、このまま放っておいてら通報されるかもしれない。
しょうがない、とセーラは声を掛ける為恭子に近付いた。

「おい、こんな所で何をしてるんや」

「江口さんか」

恭子も試合後真っ直ぐここに来たのかもしれない。

「宮永の見舞いに来たんやろ。何で病室に入らんのや?」

そう言うと、恭子は首を横に振った。

「私は静かに見守ると決めた。だからここから手術の成功を祈るだけや」

「祈るのは良いが、通報されるで」

「いや、私の気持ちが伝わればそれでええ」

「だから顔を合わせないとわからないと思うで」

「今日はもう帰るわ。じゃあ、また会おう」

「おい…」

そう言って、恭子は走って去って行ってしまった。一体なんだったんだ。
同意を求める為怜と竜華の顔を見ようと振り返ると、何故か彼女らは遠くに立っていた。

「お前ら、何でそんな遠い位置にいるんや」

「だって末原さんの行動怪しかったからなー。同類に思われたら嫌やなって」

「俺はどうでもいいんかい!」

セーラが声を上げると、竜華は「まあまあ」と肩を叩いてきた。

「で?末原さん何やって?咲に念でも送ってた言うんか?」

「そんな所や。手術成功祈願してたらしいで」

「普通にお見舞いに行けばええのに」

怜の言葉に、セーラは大きく頷いた。

「全くや。通報されて大会に出られなくなったらどうするつもりなんや」

「けどなあ、末原さんの気持ちも少しわかるで」

「何?」

「えー、なんでや?」

何故か一人頷く竜華に、セーラと怜は不満げな声を出した。

「相手のことをじっと陰から見守ろうとする気持ちや。
姿は見えへんけど、好きな人はそこにいる的な」

「はあ」

「あ、今病室から外を覗いたかしら。私に気付いた?きっと気のせいね。
ちょうど影にいたから気付かなかった。ここにいると告げられない。
今度会う時には、君が完治している時や。それまで、さようなら、と」

「おい、途中から変な話入ってんで」

「あれ?ほんまや……何か間違えたか」

「また映画の話と混じってるんやないん?竜華はほんま恋愛映画好きやなぁ」

怜の言葉に頭を掻く竜華。相手にするのは止めようとセーラは先に病院内へと入って行く。
これ以上時間を無駄にはしたくない。早く咲の元へ向かってしまおう。

それに続いて怜も追って来る。
最後に竜華が「何の映画やったかな」とぶつぶつ言いながら後に続いた。

「ここやな」

咲の病室に到着して、ノックをしようと手を出す。
コンコンと軽く叩いた後、いつもの「どうぞ」という咲の声。

「よう、宮永。元気か」

がらっと開けた所で、昨日と変わらない風景がそこにあると信じていた。
ベッドに腰掛けて、待ってくれてる咲がいる。そうセーラは思い込んでいたが。

「おう、久々やなぁ。お三方」

「…は?」

目を疑う。
昨日、セーラが腰掛けていた椅子に愛宕洋榎が座っている。
咲はやはりベッドに腰掛けていて、困惑気味に顔を伏せている。

「どないしたん?入って来んのか?」

手招きする洋榎に、セーラは「なんでお前がここにいるんやー!」と叫びそうになった。
もし叫んでいたら、また叩き出されていた所だろう。

怜と竜華の二人掛りで口を塞がれて、どうにか最悪の事態だけは免れた。

「江口は相変わらず落ち着きないなぁ」

にやにやしている洋榎に、どうしてくれようとセーラは思ったが
口を塞がれている為何も言い返すことが出来ない。

もごもご口を動かしながら、何故かこの場にいるセーラをキッと睨み付けた。

「何で、お前がここにおるねん!」

むっとしながら咲に近付く。

「何でここにいるかって、お見舞いに決まってるやないか。そんなことも分からんのか?」

「……」

「セーラ落ち着きっ、ここがどこか忘れたらあかんで」

竜華に宥められ、セーラは仕方なく文句を続けようとする口を閉じた。

しかし、

「せやで。病院内では静かにせんと」

したり顔で言う洋榎にはやっぱりムカつく。
どうしてくれようかと苛々していると、不意に咲が立ち上がった。

「そこに予備の椅子があるから、ちょっと待っててください」

「宮永は座っとき。俺がやるからええで」

「あ、はい」

咲の動きを制して、セーラはベッドの隅に置かれた折り畳み式の椅子を取り出した。


「あの、皆さん今日の準決勝は…」

「もちろん勝ったでー!」

咲の問いに怜がVサインで応える。

「何や、お前らんとこも勝ち進んだんか」

「当たり前やろ愛宕。全国でお前と当たるまでは絶対に負けへんからな!」

「ふふん。あとで吠え面かくなや」

「何やと!?」

「そ、それで、他校の愛宕さんが何でわざわざ咲のお見舞いに?」

洋榎とセーラの口争いに、竜華が慌てて割り込んだ。

「ああ、恭子のかわりにな。宮永の様子を直々に見て来てあげようと思ってん」

「末原さんの?」

「せや。何しろ恭子はこうと決めたら脇目も振らず真っ直ぐ突き進むような奴でな。
手術が終わるまで会わんと決めたとか言って、病室には絶対に入ろうとせんし」

「お前がそうしろと吹き込んだんやないんか?」

セーラの言葉に、洋榎は顔を顰めた。

「まさか。うちならもっと積極的に行けと背中を押すで」

「さっきの末原さんの行動は素やったんかい」

呆れたような怜の声に、全く同感だとセーラも頷いた。
本気で咲を陰で見守っていたらしい。
天然過ぎるだろ、と大きく溜息をつく。

「入って来てくれれば良かったのに。これのお礼、まだ言ってませんし…」

咲はベッドに括りつけてあるお守りを指差した。

「うちから恭子の方にちゃんと伝えとくし。だから安心せいや」

「はあ…」

複雑そうな咲の表情から、ちゃんと言ってくれるんだろうかと不安に思っていることが伝わる。

(愛宕のことだから、大袈裟に伝えそうやしな)

恭子が喜ぶようなことをあることないこと吹き込むんじゃないだろうか。
ちらっと洋榎を見ると、「何?心配?」とまるで心を読んだかのようなことを口にする。

「大丈夫や。ありのまま宮永がお礼言ってた、ってだけ報告するし。
誤解するようなこと言う訳無いやないか」

「誤解って、なんの話ですか?」

首を傾げる咲に、洋榎は軽く笑った。

「そりゃ余計な期待させるとか、なあ?」

「意味がわからないんですけど」

洋榎は「わかってへんなあ」と咲を見やる。

「病室に来て欲しいなんて、気安く言うもんやない。二人きりになりたいのかと、恭子が舞い上がったらどうするんや」

「末原さんは、そんな誤解するとは思えないんですけど…」

「宮永は恭子のことそこまで深く知らへんやないか。
とにかくその気が無いのに期待するようなこと言うなってことや」

ふうっと洋榎が溜息をつく。

「以前と状況が変わったみたいやから、一応忠告しておくで。
好きな人以外に、勘違いされるような優しさを見せるのは止した方がええ」

「状況が違う?愛宕さんの言ってること、本当にわからないです」

首を捻りながら、咲は不満そうに言う。

セーラにも洋榎の言いたいことはわからない。
竜華も怜もそれは同じ思いらしく、じっと洋榎を見つめている。

「やれやれ。さっきまでうちと会話してた内容も忘れたんか?」

大袈裟に洋榎は肩を竦めてみせる。

「内容って言われても、ここ最近どうなのか聞かれただけじゃないですか」

「うん、そうなんやけど。まあ、ええか。他の人がいる前で言うべきことやない。
後は自分で考えんとな」

「余計に気になるじゃないですか」

憤慨する咲に、洋榎は立ち上がって軽く頭を撫でた。

「自覚あるんやろ?だったらそれ以外に優しくなんてせんでええ。
恭子も覚悟出来ているみたいやし。もううちから何か働き掛けるのは止めるわ」

「あの、愛宕さん?」

「手術頑張ってな、うちも応援してるから。じゃあうちは先に出るから。皆さん、ごゆっくりな」

「おい愛宕…」

引き止めようとするセーラに構うことなく、洋榎は「じゃあな」とさっさと病室を出て行ってしまった。

「なあなあ咲、私らが来るまで愛宕さんと何話してたん?」

怜は咲に問い掛ける。

「近況とかです。入院中は、退屈じゃないかとか聞かれたんで、
皆が来てくれるからそうでもないって答えて。えっと後はどんなこと話してるんだって聞かれたかな」

「ふーん。何なんやろうな、あの人」

「さあ?」

咲はまた首を傾げた。

「でも、愛宕さんのさっき言ったこと…ちょっと気になりました」

「えー?何が?何が?」

怜が無邪気に尋ねる。
セーラも竜華も興味深々というように耳を傾けている。

「そのつもりは無くても、相手を誤解されることもあるんじゃないかなと思って。
好きな人に優しい言葉を掛けてもらったら、やっぱり嬉しいだろうし、もしかしたらって思うこともあるし…」

「うんうん」

「だから、愛宕さんの言うことも、よく考えてみるとわかる気がするんです」

「え?でも咲は普通にしてるだけやろ。だから気にすること無いと思うで」

「そうですけど……うーん、なんだろう。うまく言えないです」

そのまま黙り込んでしまう。
どうやら頭の中で整理が出来ていないようだ。考え込んでしまっている。

「そない言うなら、ゆっくり考えたらどうや?」

くしゃっと竜華が先ほどの洋榎と同じように咲の頭を撫でる。

「うちらは今から明日の試合の為に練習に行くし。ゆっくり一人で考えてみるのもええかもな」

「おい、竜華」

こんな不安定な咲を置いておくなんて、とセーラは思わず立ち上がった。
だが竜華は穏やかに笑って、「咲にまず聞いてみようや」と言う。

「どうや?咲」

「そうですね。。竜華さんの言う通り、ちょっと一人になって考えてみたいかも」

「そうやろ、そうやろ」

「……」

竜華の言う通りの展開になったのは気に入らないが、咲の意見を尊重させる為に、ここは出て行くしか無さそうだ。

「じゃあ、また来るからな」

「咲、バイバイ」

「またなー、咲」

「はい。皆さん今日はありがとうございました」

手を振る咲に見送られて、三人は病室からそっと出て行く。

「あんな状態の宮永を一人にして、大丈夫なんか?」

廊下を歩きながら、セーラは竜華に向かって文句を言った。勿論声は抑えてある。
心配で仕方ない。

手術前に余計なことを考えて、影響が無ければいいが。
あーあ、と溜息をついていると、竜華がぷっと笑い出す。

「なんや竜華」

「そないに気になるんやったら、もう一回様子を見に行ったらどうや」

「はあ?さっきは宮永のこと一人にさせたいって言ったやろうが」

「あれは退出する口実作っただけや」

「どういうことや」

「あのなあ、うちらが出て行かへん限り咲はずっと本音漏らすこと出来へんやろ。
けど、あんたには違うんとちゃうか?」

「……」

「いや、あんたの口から聞きたいかもしれへんな」

「どういうことやねん?」

ふと、竜華にもたれ掛かっている怜と目が合う。
彼女もまた、何かを察知しているらしい。

どうして自分はわからない、とセーラは少し苛立ったように「早く言ってくれや」と先を急かした。

「だから、咲も思ったんちゃうか。誰かさんに優しくされたことは嬉しいけど、期待したらあかんってな。
他の人にしているのと同じかもしれへん。そう考えているんとちゃうか?」

「なんや、それ。俺は別に他の奴なんか…どうでもええのに」

「わかったら、さっさと戻ったらどうや。誤解を解くなら早い内がええで」

くるっとセーラは振り返った。そしてそのまま、咲の病室へと早足で歩き始める。


「うちって、ほんまお人よしやな。けどセーラよりずっといい女やと思わへん?」

竜華は怜に笑顔を向けた。

「自分で言わなきゃもっといい女やと思うけどな」

「うわー、そこは黙って慰める所やろ」


「しゃあないなあ。じゃあ、後で飴買ってあげるわ」

「自分が食べたいだけやろ」

二人はそのまま振り返らず、外へと出て行った。

ノックするのももどかしく、セーラは慌しくドアを開けた。

「宮永!」

「江口さん?どうしたんですか、なにか忘れ物でも?」

突然入ってきたセーラに、咲は驚いたようにびくっと体を竦ませる。
それを気にする余裕が無いまま、咲へと近寄っていく。

「一つ、お前に言っておきたいことがあるんや」

「はあ…」

困惑している咲の右手を掴んで、両手でぎゅっと包み込む。

「お前のやり方が間違ってるとは思わへん。非難の意味で言う訳やないのはわかって欲しいんや」

「あの、なんのことですか?」

「俺は特別な相手以外に、優しくなんかせえへん。だから、誤解とかやなくそのまま受け取ってくれればええ。
ただそれだけを言いたかったんや」

「!!……そう、ですか」

咲の顔が赤くなったのを、セーラは見逃さなかった。

ほとんど告白のようなことを言ってしまったが、ぎりぎりまだ雅枝との約束は守れていると思う。
この続きは手術が成功してから、と言い聞かせて名残惜しげに手を放す。

「今、言ったこと忘れんでくれや。それからまた、さっきのことも合わせて考えればええで」

「…はい」

「じゃあ、俺練習あるから行くな」

「あの、江口さん」

「なんや?」

「わざわざ来てくれて…ありがとうございました」

にこっと顔を上げて無防備に笑う咲を見て、その場に倒れそうになった。

(それは反則過ぎるやろ!)

震える足をなんとか動かしながら、今度こそ退室する。
多分これで、咲の誤解は解けたはずだ。
しかも、あの表情。

(俺も期待しても、ええんやろうか)

手術後の告白に備えて、大きく自信がついた。
本番の時はこんな慌しい状況じゃなく、もっと思い出が残るような。
そんな演出を考えようと、軽い足取りでエレベーターへと向かった。

「びっくりした……」

一人病室に残った咲は、赤くなった頬を両手でそっと押さえた。

(特別な人にだけ、か…)

セーラの言葉を繰り返し思い出して、また頬が熱くなっていく。

手術なんて控えて無かったら、直ぐに気持ちを伝えていたかもしれない。
自分にとっても、セーラは特別なんだけどと。口に出していただろう。

(早く、手術が無事に終わらないかな…)

その時が来たら、彼女の目を見てハッキリ言おう。
どんな顔するんだろと想像して、咲はまたベッドへと横たわった。



――――

今日はここまでです。

乙です

乙乙


いい雰囲気だけど完治したら麻雀楽しまされるんだろうなぁ



咲ちゃんSSによくいる↑みたいな咲ちゃん=強キャラにしたがる人って自分では面白いと思ってるんだろうけど割と不快に思う人もいるって分かって欲しい

麻雀出来るようになるところまでが本筋というかひと区切りになるんじゃないの?
完治した頃は千里山も姫松も半分以上部を去ってるだろうし


エピローグで強い咲が復活するところは見たいけど
具体的な描写まで行くと第二部~コクマ編~とかになりそうww

終わりが近いって言ってたから多分そこまでは書かないだろうね

まあ、みなもちゃん(仮)のいない世界線みたいだし、本編みたいじゃないかもな

一気に読んだけどなかなか面白いな

セーラや末原さんを魅了した強い麻雀打ちの咲として復活……するよね?(不安

これセラ咲で確定だろうけど闘牌描写まで書くなら、それより末咲竜咲パターンが見たい、二人が報われなくて辛い…

確かにセーラ以外とくっつく展開も見てみたいなあ
皆いいキャラしてるし

明日の決勝戦へ向けて、セーラは無心で練習に打ち込んでいた。

他の部員達が帰り一人になったところで、ふっと空が暗くなり掛けているのに気付く。

(やばっ、見舞いの時間!)

咲の手術も明日だ。
今日も顔を出しておこうと決めていたのに、打つことに夢中のあまり失念していた。

慌てて携帯で時間を確認しようと開くと、メールが何件も入っていた。
ほとんどが怜と竜華からで、

「今日は咲の所行くやんな?まだ来んの?」

「あんた、今どこにおるんや。さっさと咲に会って来いや」

という内容だ。

二人はとっくに病院へ行ったらしい。

(……当然やろうな)

手術を前にした咲に励ましの言葉を掛けてやりたい。
セーラも二人と同じことを考えていた。

それなのに、こんな時間まで練習に夢中ですっかり忘れてしまうなんて。
なんてバカなんだと、急いで部室を出て車を出すよう使用人に向けて声を上げる。

(頼むわ。間に合ってくれや)

車を飛ばして、病院の駐車場に乗り付ける。
時刻を確認すると、僅かに見舞いの時間は過ぎていた。

(ここまで来て、帰る訳にはいかへんわ)

外来に回って、セーラは病院内へ入り込む。
何食わぬ顔して受付を通り、通院患者の振りをして奥へと入り込みエレベーターに乗る。

ここから先が問題だった。
すでにいくつか騒ぎを起こしているので、スタッフに顔を覚えられている可能性が高い。

こんな時間にうろうろしている所を見付かったら、迷わずつまみ出されるだろう。
エレベーターが開いた瞬間、緊張して廊下を見渡す。

人影がいないのを確認して、忍び足ですぐに咲の病室へと向かう。
途中のナースステーションでは腰を低くして、なんとか無事クリアして目的地に辿り着いた。

しかしここでも油断ならない。
咲の病室前で耳を立てて、誰もいないのを確認してからノックする。

「はい」

返事が聞こえたと同時に、セーラは病室内へと滑り込んだ。

「よっ」

「江口さん!?」

声を掛けると、咲はびっくりとした様子でベッドから立ち上がった。

「何してるんですか、もう面会時間過ぎてますよ」


「わかっとる。だからこっそり忍び込んで来たんや」

「こっそりって…」

呆れるように呟いた後、咲はハッと顔を上げる。

「まずい、誰かこっちに向かって来てます」

「えっ」

「江口さん、早くここに、隠れてください!」

「お、おい」

咲の剣幕に呑まれて、セーラは指示されるまま移動する。

「入ってください、早く!」

「え、でも」

「いいからっ」

隠れろと言われたのは、咲が使っているベッドの布団の中だ。
こんな所にいいのかと困惑するが、結局咲に押し切られて潜り込んだ。

そして咲はベッドを仕切るカーテンを半分ほど引っ張ってセーラを目立たなくしてから、すぐ隣に入って来た。
上半身だけ起こした形で咲が溜息をつくと同時に、ノックの音がした。

「はい」

「宮永さん、もうそろそろ寝る頃かしら?」

看護士の声に、セーラは身を固くした。
見付かったら間違いなく叩き出されるだろう。

当然、咲にも迷惑が掛かる。
何をやっているんだと、布団の中で今更反省を始める。

「はい、明日に備えてもう休みます」

「そうね。ゆっくり休んで」

「はい。お休みなさい」

幸いなことに看護士はそれ以上部屋に踏み込んで来なかった。
様子を見に来ただけのようだ。

ほっとして息を吐いた所で、セーラは今置かれている状況に気付く。

押し込まれたとはいえ、咲と同じベッドで寝ている。
吸い込むと広がる咲の香りと、密着している場所から伝わる体温に、叫びだしたいような恥ずかしさに襲われる。

(まずい、落ち着けや俺!)

呼吸が荒くなったら、咲が不審に思うかもしれない。
そう考えて、セーラは出来るだけ細く息を吸って吐いた。

今、動揺したら看護士にも気付かれてしまう。
だから冷静に冷静にと心の中で繰り返して、指一本動かないように努める。

しかし意識しないようにしても、咲と同じ布団に入っていると思うと体が熱くなってきて
額にうっすらと汗が滲んでしまう。

「また明日の朝、来るからね」

「お願いします」

どうやら看護士は行ってしまったようだ。
ドアが閉まった音に、セーラはほっと息を吐いた。

「もう行きましたよ」

咲が布団を捲く気配に、セーラも自ら体を起こした。

「すまへんな、匿ってもらって」

「構わないです、そんなの」

咲の目が見えていたら、きっとその汗はなんだとびっくりしている所だろう。
制服の袖でセーラはこっそりと額を拭う。
そして、ベッドからゆっくり外へ出た。

「大事な手術前に押し掛けて悪かったわ」

「いえ。でも今日は来ないかと思っていました」

時間も過ぎたし、と咲は呟く。
その返答に、もしかして待っていてくれたのだろうかと考える。

やっぱり先にここへ顔を出しておくべきだったと後悔しつつ、
咲の頭にぽんと手を乗せる。

さっきは上手くやり過ごせたが、見付からないという保証は無い。
ここは大人しく退散しておくべきだろう。

「明日は頑張りや。それだけ言っておきたかったんや」

「え、もしかしてもう帰るんですか?」

意外そうに咲は顔を上げる。

「しょうがないやろ。見付かったらお前やって怒られるかもしれへんで」

本当はセーラだって、名残惜しい。
もう少し咲と一緒にいたいと思っている。
そんな気持ちを知っているのか、咲も引き止めに掛かって来る。

「今様子を見に来たばかりだから、しばらくは平気だと思います。
折角来てくれたんだから、もうちょっと居てほしいです…」

「あ、ああ…分かったわ」

頷いて、セーラはベッドに腰を下ろす。
すると明らかに咲の顔はホッとしたものに変わった。

(明日のこと、不安に思っているんか)

だったらそう言えばいいのに、相変わらずこの少女は強がってなかなか弱みを見せてくれない。
こっちが察してやらないとな、とセーラは咲の肩にそっと手を置いた。

「江口さん…?」

「お前の父親は今日は一緒やないんか?」

「子供じゃないんだから付き添ってもらう必要は無いです。明日はさすがに来る予定だけど」

「お前は子供やろうが。こんな時くらい素直に甘えてればええのに」

「だから、本当に平気です」

「手が震えてるのにか?」

気まずそうに俯く咲を、そのままゆっくりと引き寄せる。

「大丈夫だって言ってるやろ?退院する時にはお前は目を開いて、今まで見れなかった世界をちゃんと見てる」

「江口さん…」

「一緒にあの道の向こうを確認しに行こうって約束したやんな?
だからきっと手術は成功する。そんなに心配すんな」

抵抗も無く華奢な体はセーラに凭れ掛かって来た。

本当はもっと隙間も無い位抱きしめたいけれど、今はこれが背一杯で。
咲の不安を消すように、ゆっくりと背中を撫でてやった。

「ありがとうございます、江口さん」

安堵の溜息が咲の口から漏れる。

「そうですよね。あの道のもっと向こうに行くって約束を果たす為にも、明日は頑張ります」

「ああ。成功を祈ってるで」

「ごめんなさい、なんか…江口さんも大会中で忙しいのに」

困ったように咲は身動きして、セーラから離れてしまった。
少し残念に思いながらも、無理に引き戻すことはしないで笑って返事する。

「いらん気なんか回すなや。大会中だからこそ、お前の顔見てこっちも元気を貰いたかったんや」

「そうなんですか?」

「せや」

「それは、というか私の方こそ元気を貰っているし。それに…」

「それに?」

「…今は言えません。退院した時に言います」

まだ教えないから、と顔を逸らしてしまう咲に(なんや?)とセーラは首を傾げた。
が、すぐに気を取り直す。

「じゃあ待ってるからな。退院する時、絶対聞かせてくれや」

「…はい」

赤くなって俯く咲を訝しく思うものの
これ以上の追求はしないでおこうと、セーラは立ち上がった。

「ほんならそろそろ出るわ。のんびりし過ぎるのもまずいしな」

「はい。明日の決勝、頑張ってくださいね」

「宮永もな。明日また様子を見に来るわ」

こくん、と頷く咲を確認して、セーラはそっと病室を出た。
そしてまた見付からないように、夜の病院を早足で駆け抜け、無事外へ脱出した。



――――


県予選決勝日。

外は晴れ渡っていて今から暑くなりそうな太陽が地上を照らしている。

千里山の集合場所には怜と、迎えに行った浩子以外が既に揃っていた。

「なんやセーラ。眉間にシワが寄ってるで。試合前に緊張しとるんか?」

「そういう竜華はえらい落ち着いとるな」

「いやー、そう見えるん?心臓はもうバクバク言うてるんやけど」

ハハッと軽く笑って、竜華は軽く胸を張る。

「ここまで来たら、後はぶつかって行くだけやけどな」

「せやな」

「試合が終わったら、咲にちゃんと頑張った自分を報告したいからな」

「…おう」

「昨日、ちゃんと咲と会うたん?」

「ああ。会えたで」

今もこの瞬間、きっと緊張しているであろう咲のことを考える。
手術を前にして、不安でいっぱいに違いない。

(それでも立ち向かおうと、あいつも頑張ってる。俺も負けてられへんな)

咲のことを考えると、揺らいでいた心が安定していくのがわかる。
強くなれる気がする。
そういう力を湧けてくれた咲の為にも、今から挫けてなんていられない。

(俺も精一杯頑張るから。お前も頑張れ。宮永)



――――

今日はここまでです。
次回で終わります。

乙です

乙乙

乙、次回でラストか

続き楽しみ




――――


試合終了の声とともに、千里山のメンバー達がセーラのいる卓へと駆けつける。

「やったな、セーラ!」

「セーラやるやん!さすがうちらの部長やな」

「やりましたね部長!」

皆からの賞賛の言葉を受け、セーラは少し照れたように笑った。

「お前らがトップでバトン渡してくれたからな。当然や」


それに、盲目の少女と約束したから。
絶対に勝つと。


「よっしゃ!それじゃあ咲のとこへ急ぐで!」

「せやな!」

息巻く怜と竜華にセーラも同意する。

「おう 。皆であいつの成功を祝ってやろうや」

「信じてるんやな、セーラは」

怜がそんな風に言って、嬉しそうに笑う。

「咲の手術が成功してるって」

「当たり前やろ」

怜の髪をぐしゃっとかき回して、きっぱりと言う。

「この俺が信じてるんや。成功するに決まってるわ。だから早く行こうや」

「せやな。私も早くお祝いしたいわ。なあ竜華」

「うんうん。ほんなら咲の病院へレッツゴーや!」


試合は終わった。
後は、咲の手術の無事を確認するだけ。
皆で咲のいる病院へと向かった。



――――


「手術が終わった所ですから、長い時間の滞在は困りますからね。分かりましたか?」

病室に入る前、セーラ達はまず婦長から注意を受けた。
すっかり目を付けられてしまったと、セーラは溜息を漏らす。

注意を受けた後、いよいよ咲の病室へと入ることが出来る。
ノックをすると、中から男性の声で「はい」と返事がある。

「おや、皆さん。来てくれたんだね」

中にいたのは咲の父だった。
ベッドに横たわっている咲のすぐ隣に椅子を置いて、腰掛けている。

「咲。江口さんと園城寺さんと清水谷さんが来て下さってるぞ」

「うん」

ゆっくりと、咲は起き上がる。

「こんな格好でごめんなさい。今はちょっと立ち上がるのも大変で」

「何言ってるねん。そのままでえ えから」

「そうやで、咲。無理せんとな」

セーラと怜と二人掛りで、ベッドから降りようとする咲を止める。
点滴している腕が、痛々しい。

咲の目にもぐるっと包帯が巻かれている。
普段と違う様子の彼女に、大丈夫なのかと心が痛む。

「手術は、終わったんか?」

一番気になることを尋ねると、咲はこくんと頷く。

「結果、聞きたいですか?」

「当たり前やろ」

「咲、焦らさんといてな。こっちの心臓がもたへんわ」

大袈裟に言う竜華に、咲は「ごめんなさい」と笑ってそして告げる。

「成功したって。多分一ヶ月しない内に包帯も取れるそうです」

「本当か!」

「はい。本当です」

「やったな、咲!」

「良かった、ほんまに良かった。今うちの目から喜びの流れ星が流れた所や」

ポエム口調になってる竜華にセーラは顔をしかめたが、咲は純粋に「ありがとう」と笑顔を返している。

「咲。皆さんとゆっくりお話していてくれ。俺はちょっと買い物に行ってくるから」

気を利かせて、咲の父が席を立って外へと出て行ってしまう。
止めようかと皆は顔を見合わせたが、父親のご好意に結局甘えることにした。

「試合、終わったんですよね?皆さんお疲れ様です」

咲の一言に、怜がぎゅっと足元に寝転がるようにして抱きつく。

「私な、咲のために頑張ったんやで。もっと褒めてーな 」

「おいこら、怜。抱きつくなや」

病人に抱きつくなと、セーラが怜の肩を揺さぶる。
その隙に、今度は竜華が咲の手を握って話し掛ける。

「うちも咲を思い浮かべながら頑張ったんやで。
ああ、咲に見せたかったわ。うちが役満あがるとこ」

「それは見てみたかったです」

口元に笑みを浮かべる咲から、竜華はそっと離れる。
次はセーラの番だ、というような行動に、咲へと歩み寄る。

「宮永、勝ったで。県大会は千里山の優勝や」

「おめでとうございます、江口さん」

にこっと、咲が笑う。

「お疲れ様です。私も早く江口さんの麻雀してる姿が見たいです」

「そんなんこれからいつでも見せてやるわ。嫌ってほどにな」

「はい。江口さん」

「宮永…」

もっと話をしようと口を開きかけた所で、がらっとドアが開けられる。

「宮永さん、検温の時間ですよ」

婦長では無いが、別の看護士が入って来る。

「悪いけど、ちょっとそこ通してもらえますか」

「あ、……はい」

想像だが、多分セーラ達が騒いでいないか見張りに来たという所だろうか。
看護士が入って来たことによって、怜も竜華も緊張したように体を強張らせる。

「じゃあ、うちらはそろそろ失礼した方がええかな」

「そうやな。竜華」

「……仕方ないな」

このまま居座って、迷惑を掛ける訳 にもいかない。
帰ることを告げると、咲はあからさまに残念そうな顔をした。

「今来たばかりなのに残念です」

「宮永さん、今日はゆっくり休まないと駄目よ」

「……はい」

咲は肩を落としつつ頷く。

「また来るから、そんな顔すんなや」

「咲、明日も来るからな」

「一日も早く回復するよう、祈っとくから」

三人は部屋からそっと出て行く。
最後に出たセーラは、咲の寂しそうな表情を見てぐっと唇を噛み締める。

(やっぱり、もう一度だけ声を掛けときたい)

そう思うと、このまま帰る訳にはいかない気持ちが強くなってくる。
廊下を半分ほど歩いたところで、セーラは足を止めた。

検温が終わったら、少 しだけ咲と話してもいいんじゃないか。
婦長に止められたら3分だけでもいいと言って、わかってくれるまで頼み込もう。
このままじゃ、やっぱり帰ることは出来ない。

ぴたっと足を止めたセーラに、皆が不思議そうに振り返る。

「悪い、忘れ物したわ。取って来るから先に帰っててくれへんか」

早口でそう言って、セーラはくるっと回れ右をしてもう一度咲の病室へと向かう。

「すぐ戻って来るんなら待ってた方が良くない?」

不思議そうな顔をする怜に、竜華は苦笑してその肩を押すようにして前へと進んで行く。

「あー、多分時間掛かると思うから、先に帰ってようや」

「え、なんでや?」

「ええから、とりあえず出ようや。後は… セーラに任せて、な?」

ぽかんとした顔をする怜を外に押し出し、
そしてどこに行こうかと話ながら歩き出す。

(一個貸しにしといたるわ、セーラ。邪魔者は退散ちゅうことで)

内心で呟き、ちょっと負け惜しみかなと笑う。

セーラが戻ったら、きっと咲は驚いてそして嬉しそうな顔を見せるのだろう。
自分には出来ないことだ。
咲を笑顔にさせられるセーラが羨ましい。

(幸せになってや、咲)

けど、まだまだこちらも諦める気は無い。
この先の長い人生、何が起こるかなんてわからない。
そう、チャンスが無くなったなんて誰にもわかりはしない。

だから。

(今だけは譲っておいてやるわ。セーラ)

竜華の小さな呟きは、病室の前に 立っているセーラには聞こえない。


――――

(落ち着け。もう一度、宮永に会うだけや。何を緊張してるんや俺)

勢いで入ったさっきと違った気持ちで、ゆっくりとドアをノックした。
聞こえてきた足音に、咲は自然と口元を綻ばせた。

静かな病室にいると、外に響く足音が気になってしまう。
病室に入って来る看護士さんを音で咲は聞き分けている。

しかしこの音は、病院のスタッフのものじゃない。
もう何度も聞き分けた、あの人の音だ。

ノックしたのと同時に「どうぞ」と咲は声を掛けた。
まだ検温は終わっていないので、先程の看護士が「あら、戻ってきたの?」と声を上げる。

「長時間のお見舞いは控えてね、って説明があったと思うけど。まだ用があるのかしら」

「すみません。でも後少しだけ、宮永と話をさせて下さい」

多分頭を下げているだろうセーラに申し訳なく思いながら、
咲は看護士に向かってお願いをする。

「私からもお願いします。もう少しだけ…父も出て行っちゃって不安なんで、もうちょっとだけ。お願いします」

わざと心細そうな声を出すと、看護士は態度を変えた。

「しょうがないわね。本当に少しだけだからね」

「ありがとうございます」

「宮永さんが疲れたら、すぐ退出はして下さいね」

「わかりました」

そう言って、看護士はドアの外へ出て行った。
ふう、とセーラが息をつく。

「なんかすっかり目を付けられてる感じやなぁ」

「騒いだり時間外に来たりするから、覚えられちゃったんですよ」

「マジか!じゃあ、昨日ここに来たのもばれてるってことなんか?」

「はい」

「…大丈夫か?叱られたりせんかったか?」

心配そうな声を出して、左頬にセーラの手が触れて来る。

「平気です。注意されたけど手術前で話し相手が欲しかったって訴えたら、しょうがないって許してくれました」

「そうか…悪かったな、結局迷惑掛けてもうて」

「ううん。無理矢理匿って、引き止めるような真似をした私が悪いんです。江口さんが気に病むこと無いです」

「でもやっぱり今度からは時間守って来るようにするわ。ここを紹介してくれた監督にも迷惑掛かるやろうしな」

そうしよう、とセーラが呟く。

「無理しなくてもいいですから。これからもっと忙しくなるだろうから、大会を優先してください」

本当はセーラが来てくれないと寂しいのだが、わざと咲は突き放すように言った。

全国大会を控えて時間がどれだけあっても足りないか、容易に想像出来る。

そっちに使って欲しいという意味を込めたのだけど、
セーラは頬に触れていた手を離して、ぴんと指で額を軽く突いて来た。

「アホ。無理なんてしてないわ。それにお前に会いに来ん方がよっぽど無理なんや。
そっちこそ思ってもないこと口にすんな」

「……」

見透かされ てるなと思って、咲は小さく俯いた。
どうにもこの人相手だと、本音を隠すことすら出来なくなってしまう。

「時間外になった時は、今度こそこっそり忍び込むスキルを身につけとくとするかな」

冗談交じりに言うセーラに、咲はくすっと笑った。

「ここまで辿り着いたら、また匿ってあげます。じっとして息殺してやり過ごさなきゃいけないけど」

「ああ。頼むわ」

真面目に言われて、また笑ってしまう。

正直な所、どうにかしようと慌てていたとはいえ、セーラと同じベッドに入ってしばらく体を密着させていたなんて
今考えても信じられない。
よく声が裏返ったりしなかったな、と自分でも感心する位だ。

いつもより早い鼓動を、セーラに気付かれていないだろうか。
気付いても、黙っていてくれているのかもしれない。

思い出しただけで顔が赤くなってくる。
誤魔化すように、咲はわざと声を出した。

「今日はそんなに時間無いから駄目だろうけど、今度試合のこと詳しく聞かせてください。
江口さんたちがどんな風に打ったのか、聞きたいです」

「ああ。お前が満足するまで、些細なことだって全部聞かせたる。楽しみにしててな」

「はい」

頷くと、またセーラの手が顔に触れてくる。
頬を伝わって、包帯を巻いている部分に押し当てられるのがわかった。

「痛むんか?」

「いえ。大袈裟に巻いてあるだけで平気です。包帯が取れるまでは時間が掛かるけど後は結果待ちだけ。それだけだから」

「それだけって…本当は緊張してるんやないんか?」

相変わらず思考を読むような言葉に、咲は困ったように口を窄める。

「はい。実は駄目でした、なんて言われたらさすがに凹むかも」

「おい」

咎めるような言い方に、冗談です、と言って笑う。

「でも今は、ここまで来れただけでいいやって気持ちになってます。もう何があっても、受け入れられるかもしれない」

「宮永?」

「ほとんど諦めていたのも同然だったのに、自分以外の人に支えられてここにいる。
それだけでも、感謝しなきゃいけないんです」

「どういう意味や?」

困惑しているセーラに、咲はそっと口を開く。
多分 、抱えてたこの気持ちを伝えるのはセーラが最初で、きっと最後になるのだろう。

「こうなる前、向こうで麻雀やってたって言いましたよね」

「ああ」

「すごく楽しくて、毎日勝ちを目指して、頑張ることさえ苦にならなくて。
ずっとそんな日が続くって信じてたんです」

麻雀が、咲にとって全てだった。
他に世界を知らない。
麻雀さえあれば、それで良かった。

なのに、視力を奪われ。
生き甲斐ともいえる麻雀が出来なくなって、落ち込む所じゃなかった。

絶望と悲しみと、どうして自分がという怒りと。
それでも父には心配掛けまいと何でも無いよう振舞って。
そうしてゆっくりと心は沈んで行ってしまったんだと思う。

「麻雀が出来ないと知られた途端、周りに色々言われたりして、もう戻りたくないとさえ思いました」

「…」

「でもやっぱり牌に触れたい、麻雀を打ちたいっていう気持ちもあって。変になりそうでした」

雅枝が尋ねて来たのは、そんな時だった。

「煩い場所から離れて、日本で静かに復帰の道を探してみないかと言ってくれた。私の目も必ず治るって」

「ああ…」

「可笑しいですよね。本人は諦めてるのに、自分以外の人が信じているのって。
でも……不思議とその声に賭けてみようと思ったんです」

勿論、自分をよく知っている土地が騒がしくなった所為もある。
外出すれば、ひそひそと囁かれ、落ち着くことすら出来やしない 。
自分が麻雀をしていたことを誰も知らない場所に行きたい。そう思ったのも事実だ。

「本当は日本に来ても、手術して治る見込みなんて無いんじゃないかって疑ってた。
怖かったんです。やって駄目だったら、今度こそ牌を握ることは叶わない」

「…」

「だから信じるのが怖かった。信じて裏切られて、はいそうですかって受け入れられる程私は強くなかったんです」

「宮永…」

「でも、私以外の人達が皆手術の成功を信じているんですよ?
父も、愛宕先生も、怜さんや竜華さんや、末原さん、そして江口さんも…」

「…せやな」

「皆の気持ちを分けてもらって、私は手術に踏み切ることが出来た。感謝してます。すごく」

「宮永」

手を伸ばして、包帯に触れてるセーラの手を掴む。
咲より少し大きな手は暖かく、心を落ち着かせてくれる。

「こんな弱音言ったの、江口さんが初めてなんです。
江口さんといると、隠しているはずの言葉が出て来る。どうしよう」

「別に、どうもせんやろ」

あっさりと、セーラが返事をする。

「前にも言ったやろ。お前が辛いんなら、一緒に悩んでその気持ちを楽にしてやりたいって」

「江口さん」

「俺の前ではもっと言いたいこと言えばええ。全部受け止めてやるから、困ること無いやろ?」

「…だから、そういう言い方が困るんです」

どうして、と尋ねるセーラに 咲は首を軽く振る。
そして触れていた手に力を軽く込めて、声を出す。

「前に約束したこと、覚えてますか?退院したら言いたいことがあるって」

「ああ。もちろん覚えてるで」

「待っててください。その時、多分一番困らせるようなこと言ってやりますから」

ちょっと不敵に笑って告げると、一瞬間が開く。
多分、驚いているのだろう。見えないけど、なんとなく咲はそう思った。

そして

「ああ。待ってるで」

言われると同時に、包帯越しに軽く何か触れた。

「今の?」

「早く治るようにおまじないや。俺もお前を困らせるような言葉を用意しとくからな。びっくりするなや」

低く笑うセーラに、咲もすぐに笑って返す。

「はい。江口さんがどんな事言うか、楽しみにしておきますね」

「それほどのものじゃないんやけどな…」

ふう、とセーラが溜息をつくのと同時に、「咲、入るぞ」と外から声が響く。

話に夢中になっていたおかげで気付かなかったが、父の声だ。
戻ってきたらしい。

「じゃあ、今日の所は帰るわ。また怒られたら敵わんからな」

「はい」

「またな、宮永」

セーラが立ち上がって、そしてドアを開ける。

「おや、江口さん。ずっと咲に付いていてくれたんだね」

「はい、でも時間なので帰ります。今日は大勢で押し掛けてすいません」

セーラと父のやり取りを聞きながら、咲はさっき触れたものについて考える。

(江口さんの唇だった気がするんだけど……まさかね)

そんなはずは無いと思いつつも、他に思い当たらない。
瞬間を想像して、一瞬で体温が上昇するのがわかる。


検温が済んだ後で良かった、と咲は胸を撫で下ろした。



――――




――――


「暑いわ……」

聞こえる蝉の声に、セーラは気だるげに眉を寄せた。
今日位は涼しければいいのにと思う。

彼女が退院する日だけでも、外を歩いても平気な気温にして欲しい。
これだけ暑いと病院から出てすぐ倒れてしまうんじゃないかと、心配になる。


今日は咲の退院日だ。
包帯は昨日、取れたらしい。

ミーティングの際に、雅枝が教えてくれたのだ。


『宮永の様子だが、無事に包帯が取れたそうや。明日、退院らしい』

『じゃあ、目は……』

『心配しなくても、もう回復しているそうや』

『見えるんですね?宮永の目は、見えるようになったんですね?』

『ああ』

くどい程念押しするセーラに、雅枝は笑いながら言った。

『明日、彼女の退院祝いをするようや。お前達にも家に来て欲しいと、宮永のお父様からの伝言や。
園城寺達にも連絡してやって欲しい』

『はい!』

『良かったな、本当に』

『…はい』

一瞬見せた雅枝の嬉しそうな顔に、セーラは素直に頷いた。
雅枝も咲の回復を心から祈っていた一人だ。

(退院祝いか…。また怜や竜華、末原も騒ぐんやろうな)

竜華は最近妙に恭子と仲が良い。
今日の退院祝いの件も「じゃあ、うちから末原さんに連絡しとくわ」と言ったのでびっくりした。

連絡先なんて、いつ交わしたのだろう。
元々セーラも恭子を呼ぶつもりだったので、助かったが。

恭子も咲の退院を一緒に祝いたいはずだ。
この場に呼ぶのが筋だと考えている。

(それでも一番に祝うのは、俺やけどな)

退院祝いは宮永家で11時からとなっている。
それぞれお祝いの品を持って、直接家の前で待ち合わせをしようという話になっていたが、
セーラはお祝いの品を車で運ばせて、一人で咲の入院先の病院の前でじっと出て来るのを随分前から待っていた。

告白する、為だ。

だからこそ誰よりも先に会いたかった。
そんな我侭な気持ちが、セーラを動かして今ここにいる。

暑い中、バカみたいに立ち尽くしてひたすら咲が通り掛るのを待っている。

折角シャワーを浴びて髪も洗って、気合いを入れたのに、
これだけ汗をかいていると意味が無かったなあとぼんやり考えていると、自動ドアの所に新たな人影を発見した。

(来た……!)

やっと出て来た咲を見て、セーラはブロック塀に凭れてた体を起こす。
咲の後ろからは咲の父が笑いながら付いて来ている。

無事に咲が退院したのが嬉しいのだろう。
咲の父は力を抜いた笑顔を浮かべている。

当の本人は、久しぶりの日差しが珍しいのだろうか。
眩しそうに太陽を見上げたり、むわっと暑いだけの周囲を楽しそうに見渡している。

目に映る、それだけで喜びを味わっているみたいだ。
と、視線がこちらに向いた所でパチッと目が合ってしまう。

こんな中、独りで立っている怪しい人物を見て変だなと思ってるのかもしれない。

じっと咲がこちらを見てくる。
セーラも、そのまま目が離せなくなってしまう。

少し前までは、焦点が合っていないたよりない目線だったのに。
こんなにもはっきり意思を持った強い瞳なのかと、うろたえてしまいそうだ。

(ばれとる、訳無いよな)

咲はセーラの顔を知らないはずだ。
それにしては、やけにこちらを見ている。と思った瞬間、咲が駆け出して来た。

「江口さん!」

はっきりと名前を呼んで、咲は真っ直ぐセーラの元へとやって来た。

「お前……なんで、俺のことわかるんや?」

「やっぱりその声は江口さんですね」

しまった、と口を塞ぐがもう遅い。
得意げな顔をしている咲に、渋々セーラは自分の正体を認めた。

「けど、本当に何でわかったんや。お前の父親が教えたんか?」

気づくと咲の父がにこやかにこちらを見ている。
彼はセーラの顔を知っている。だから小声でセーラが来ていることを知らせたのだろうと思った。

「いいえ、違います」

しかし咲はあっさり首を横に振った。

「でも、江口さんだと思ったんです」

「だから、なんでや」

唸るセーラに、咲はどこか可笑しそうに口を開く。

「前に言ってたでしょう。自分でせっかちな方だって。
そんな人が家で大人しく待ってるように思えなかったんです」

「あ…」

「あと、目が合った瞬間なんとなくわかったんです。
こんなに強い視線を送ってくるのは、江口さんじゃないかって。この人がそうだって、私の直感が告げたんです」

「そう、か」

自信に満ちた咲の口調に、なんだか恥かしくなって目を逸らす。

たしかに家で待っていられなかったのは事実だ。
だからこんな暑い中、通り掛るのをじっと待っていた。
完全に読まれていたらしい。

「おーい、咲。暑いんだから早く車に乗りなさい 。江口さんも一緒に乗っていくかい?」

父の声に、咲は「私、歩いて行くから」と大きい声を出して返事をする。

「歩いて!?お前、この暑いのに何考えてるんだ」

「ゆっくり景色を見て帰りたいの。お父さんは先に帰ってて」

「分かった、気をつけろよ。江口さん、咲をお願いします」

セーラに一礼をして、父が車へと向かって行く。

「ええんか?こんなに暑いのに、車で帰った方がええんやないか?」

咲の体を気遣って言ったのだが、何故か不満げに返される。

「いいんです。久しぶりの外をゆっくり見たいから。それとも江口さんも車に乗って行きたかったですか?」

「いや、俺は…」

お前と一緒の方が、いい。
咄嗟に口から出そうになり堪える。

それより前に、言うべき言葉があるはずだ。
間違えるな、まず言わなくては。

ずっと、お前のことが好きだったって。
今なら誰もいない。告白するべきだろう。

緊張しながら口を開きかけるセーラより、先に咲が声を出してしまう。

「私は、好きな人と初めて見る景色を一緒に見たかったから、歩いて行きたいと思ったんです」

「……へ?」

告白しようとした瞬間、
衝撃的なことを聞かされて、セーラの頭の中が真っ白になる。

好きな人。

咲はたしかにそう言った。
間違っていなければ、その相手は一人しかいない。

「それは、どういう」

動転して、口が上手く動かない。
そんなセーラと反対に、咲はきっぱりと言う。

「江口さんのこと、好きです。これで、言ってる意味伝わりました?」

「あ……」

「そういうことですから」

顔を赤くした後、咲はゆっくり外へ向かって歩き出す。
数秒の間、セーラはぽかんとしていたが、すぐその後を追う。

「お、おい、宮永っ」

呼ばれても咲は前を向いたまま歩き続けている。

「退院したら絶対言おうと思ってたことって、この件です。驚きました?」

「こっち見て話してくれや。なんでそっぽ向いたままなんや?」

「恥ずかしいからに決まってるでしょう。何言わせるんですか」

「でも、ちゃんと俺の方向いてほしいんや。
俺やてお前と目を合わせて、好きって伝えたいのにさせないつもりなんか?」

「えっ…」

咲が足を止めた。
ぽかんとした表情に、さっきの自分を重ね合わせる。
同じ反応しているなとちょっと笑って、そしてやっと言いたかった気持ちを伝える。

今日まで長かった。
結局お互いに色々考えてこの日まで黙っていたのかと思うと、滑稽だ。
その日々にピリオドを打つ為に、隠していた心を咲に曝け出す。

「好きや、宮永。多分お前よりずっと前から好きやった」

「……」

大きく目を見開く咲に、セーラは少し笑ってぎゅっとその華奢な体を抱きしめる。

少し順番は違ってしまったが、構わなかった。

セーラは咲のことが好きで、
咲はセーラのことが好きで。

お互い同じ気持ちだとわかったのだから、もういい。
それだけで十分だ。
幸せに順番なんて関係ない。

「……咲って」

「どうした、宮永」

腕の中の咲が何か小さく呟いたのが聞こえて、セーラは聞き返した。

「咲って、呼んでくれませんか?」

「……ああ。咲」

「はい…」

「ずっと、そう呼んでみたかった」

「江口さん」

「セーラ、や」

「…はい。セーラさん」



咲が背中に回した腕にぎゅっと力を込めたのが分かる。

だからセーラもそれに負けないくらいに強く、腕の中の身体を抱きしめた。



――――



――――


「咲!こっちや!」

「竜華、声でかいわ。そこまで声出さんでも聞こえてるやろ」

「ええやん。咲の名前呼びたいんやから」

「気安く呼ぶなや」

「はいはい。名前呼ぶ位ええやん。ケチやなほんま」

セーラの牽制に全く気にすることなく、竜華は咲に向けてひらひら手を振っている。

「私まで呼んでくれてありがとうございます、江口部長」

「泉はこれから咲共々千里山麻雀部のエースとして活躍してもらうからな。当然や」

「部長…ありがたきお言葉ですわ…」

セーラの言葉に泉が感激のあまり涙目になっている。
それを見て咲はくすりと微笑む。

「皆、もう揃ってるんですね」

「いや、末原さんがまだやな」

セーラの部屋に足を踏み入れた咲は、周囲を見渡す。
ソファには怜が寝そべっている。
咲の声に目を覚ましたようで、大あくびをしながら起き上がった。

「あー、咲や。元気やった?」

「昨日も電話してたでしょう。元気です」

「そーか、良かったわ」

にこっと笑いながら怜は伸びをする。

「フナQは来んかったんか」

「浩子はデートやて。相手は大会で知り合った女の子らしいで」

「へえ。あいつも隅におけへんなあ」

皆で雑談していたところで、漸く恭子がやってきた。

「遅くなって済まへんな」

「私も今来たところです」

「そうか」

にこやかに恭子が咲と会話している。

我ながら心が狭いなと思いつつ、
必要以上に近付いているんじゃないか?と疑ってしまう。

「さあ、麻雀するか麻雀!」

両手を叩くと、竜華がぷっと吹き出す。

「わかりやすいわ、ほんま」

「うるさいわ、竜華」

きょとんとした顔をした咲が、こちらを向く。

「どうかしました?セーラさん」

「いや…別に。なんでもないわ」

近付いてきた咲の髪をくしゃっと撫でる。

そうだ。
どんなに竜華や恭子が近付いて来たとしても、咲の恋人は自分なのだ。
これは揺ぎ無い事実だ。

落ち着け、と深呼吸して咲に向き直る。

「ほんなら、とりあえず皆で打つか?」

「はい!」

嬉しそうに咲が笑う。
心から麻雀をするのが楽しくて仕方ないという表情だ。




咲の目が回復して、二週間が過ぎた。

医者から視力の方に問題は無いと言われてから
今まで休んでいた分の勘を取り戻すため、咲は麻雀漬けの毎日を送っている。

部活に本格的に参加出来るようになるのは秋の大会になってからだが
咲ならその頃には三年生の抜けた千里山麻雀部を引っ張っていける存在になるとセーラは信じている。

その彼女の為に自宅の麻雀卓で練習に付き合っているのだが、
いらない連中もおまけに付いて来るという次第だからたまったものじゃない。

(やっぱり口止めするべきやったな…)


「ツモ!嶺上開花」

「また嶺上かー、咲はほんま強いなあ」

「当然や。怜」

「って何でセーラが威張ってるねん」

打ち終わった途端、傍で見ていた竜華と恭子が咲にタオルと飲み物を渡す為しゃしゃり出て来た。

「ご苦労さん、咲。さっきの嶺上開花良かったで」

「宮永、お疲れ。お茶でええかな」

「二人共ありがとうございます」

笑顔でお礼を言う咲に、竜華と恭子はほわんとした顔に変わる。
最近あの二人、似てきたな……とすぐ後ろでセーラはげんなりと肩を落とした。

「後で私とも打ってくれへんか」

「はい、末原さん」

恭子の誘いに咲が頷く。

三人の友情は今も変わりない。

恭子と竜華に、咲がどんな返事をしたのかはわからない。
勿論聞き出そうとも…ちらっとは考えたが、止めにした。

咲のことを信じてる。
誤魔化したり逃げたりするような子じゃないと、セーラにもわかっているからだ。

その後は友人という関係にまた戻って、こうして皆で麻雀をするようになっているのだけど、
二人が咲のことを諦めていないのは見てわかる程だ。

いちいちこの位で騒ぎ立てるのも大人気ないと言い聞かせているが、

(こうもしょっちゅうベタベタ触られたら、不快になるのも当然やろ!?)

咲からは見えないように、二人をぎりっと睨みつける。
そんなセーラを、竜華と恭子はしたり顔でかわしている。



「せや 。今度主将も練習に参加したいと言ってたで」

「へえ、愛宕が来るんか。俺もあいつとは試合したい思うてたからちょうどええわ。手合わせしたいって伝えといてな」

「ああ。分かったわ」

「結局大会では愛宕と対戦できひんかったからなぁ」

「まあブロックが違ったからな。仕方ないわ」

長かった全国大会も終わった。

姫松はベスト8まで勝ち進んだが永水、宮守を打ち崩せずに敗退した。
千里山は決勝まで残ったが、臨海女子にわずかに及ばず準優勝となった。


「あー、優勝したかったなあ。ほんま残念やわ」

怜がため息を付きながら呟いた。

「でも準優勝でも凄いですよ。先輩方お疲れさまでした」

「ありがとうな、泉。来年は咲共々頑張ってや」

「もちろんです!なあ、咲」

「うん。泉ちゃん」

泉の言葉に力強く咲は頷いた。


「よし、今度はメンバー変えて打つで!今度はうちも入りたいわ」

「竜華えらいやる気やなー、そんなら私も入るで」

「園城寺先輩、清水谷先輩。私もお願いします!」

「うちと怜と泉と。あと一人はどうする?」

「ええと、私も入ってええかな」

おずおずと恭子が手を上げる。

「もちろんやで。じゃあ咲とセーラは今回はお休みやな」

「咲ー、うちの勇姿見といてや!」

「誰が見るか」

咲に向かってウインクする竜華を、セーラが軽くねめつける。
そんなセーラに咲はくすりと笑った。


「…大丈夫ですよ。私にはセーラさんだけですから」

セーラのやきもきした気持ちに気づいたかのように、咲がそっと囁いた。

そんな恋人が愛おしくて、可愛くて。
暴れそうになる気持ちを抑えるのに必死になる。

「それに私だって不安なんです。セーラさん、下級生に絶大な人気ですから」

ぼそっと呟いたその言葉に、驚いて咲の方を見る。
物憂げに俯く咲の手を、セーラは優しく包み込んだ。

「俺やって咲だけや。幸せにも笑顔にもしてやりたいっていつも願ってる。そんな風に思うのは、咲だけやから」

「…はい」

セーラの気持ちに応えるかのように、繋がれた手に咲が力を込めた。


出会えたこと、自分を選んでれたこと、ここに居てくれること。
全ての感謝を込めて、咲とセーラは微笑み合う。


「咲と出会えて、同じ道を歩けて良かった」

「私もです。これからもセーラさんと、ずっと歩いていきたいです」

「ああ。約束やで」


まだ見ぬ世界に、二人で。
幸せな道へと続いていることを願って。



終わり

長々と書いてきましたがこれにて終了です。

次は咲さんin臨海を書きたいなと思ってます。
主役は淡になるので臨海メンバーあまり出てこないかもですが。

それではここまで見て下さった方、お付き合いありがとうございました。

乙!楽しかったよ

おつおつ
うまく表現できんが、ほんわかしたわ

乙です

乙!
最高に面白かったわ

次は淡と咲の闘牌物ってことかな?

>>596
いえ、咲さんと淡の純愛話になるかと。
良かったらまた見てやってください。

セーラと咲がちゃんとくっついて良かった
次は咲淡とか期待せずにはいられないな!


みんな魅力的で毎週楽しかったよ、ありがとう

乙乙 長編お疲れ様でした

おつかれ

久しぶりに内容が濃い咲ハーSSだったな、感謝してもし切れんわ
>>1の咲ちゃん愛が伝わってきた、次も本当に期待してる乙

乙 すばらな話でした!

おつおつ 次回作にも期待せずにはいられないな

お疲れー

おつおつ!面白かったー次も期待!

結局何で失明したの、説明あったっけ?


次も期待

事故とかじゃね?知らんけど
日曜の楽しみのひとつが無くなってちと寂しい


みんな良いキャラしてたわ
次も期待してる

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2014年09月12日 (金) 19:28:26   ID: XXIX5oaU

なんで咲のカテゴリーにはいってないんだ?

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