肇『はじまりの日』【モバマス】 (29)
こんばんは。
フェスのAP待ちの暇つぶしにでも読んでいただければ幸いです。
前作というか初作品はこちら
モバP「誕生日おめでとう!」奈緒「……ここ何処よ」【モバマス】
モバP「誕生日おめでとう!」奈緒「……ここ何処よ」【モバマス】 - SSまとめ速報
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ですが、お読みにならずとも支障はございません。こちらもお時間に余裕のある方はどうぞ。
それでは、マイペースですが気長にお付き合いいただければ。
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ガチャッ
藍子「おはようござ――」
ちひろ「し~~っ!!」
藍子「あ、すいません」
放課後、何時ものように事務所のドアを開けると、珍しくちひろさんに挨拶を遮られる。
何時もは「藍子ちゃんの挨拶はこっちまで元気にしてくれますねー♪」なんて言ってくれるんですが。
つまり、そのくらい大事な何かがあるんでしょうか。
藍子「どうしたんですか?」コソッ
ちひろ「えーと……藍子ちゃんも見る?」
幾瞬かの逡巡の後、そう言ってちひろさんがこちらを向けてくれたパソコンのモニターには、Pさんと見知らぬ女の子が応接室に
いる様子が映っていました。
藍子「……?」
一体なんなのか訳もわからず、とりあえずその画面を少しの間見つめていると、
藍子「!?」
画面の向こうのプロデューサーが、テーブルから湯呑をとって口に運ぶ。
つまり、これはーー
藍子「盗撮、ですか……?」ジトッ
ちひろ「ち、違います!監視、そう監視なんです!」
つまり、先の逡巡は「そういうこと」なんでしょう。
藍子「ちひろさん、流石に幾らなんでもーー」
ちひろ「あっ!?あの子が!!」
やり過ぎを咎めようとした言葉は遮られ、ちひろさんが珍しく驚いたというその興味のままに、思わずモニターに見入ってしまいます。
そこに映っていたのは、何時も困った時にしている、頭を掻く仕草のまま固まってしまっているプロデューサーさんと、真剣な顔で湯呑を見つめる女の子の姿でした。
……あれ?
何でこの子はプロデューサーさんの湯呑を持ってるんでしょう?
幾らここが貧乏な中小事務所とはいえ、来客用のティーセット位はあります。事実、さっきまで彼女は普段使っていないそのティーカップで出された紅茶を飲んでいたはずです。
ちひろ「そんなに湯呑で紅茶を飲んでるのが珍しかったのかしら……?」
すぐ横にいるはずのちひろさんの声が遠く聞こえて、自分でも驚くほど状況に見入ってしまったことに気がつきます。
モバP『……えっと……』
驚愕の瞬間から、1分はとうに過ぎたでしょうか。
たまりかねたように発したプロデューサーさんの声をがスピーカーから漏れました。
ちひろ「さっきまではミュートにしてたけど、流石に気になって仕方ないでしょ?」
驚いてちひろさんの方を見ると、そんな答えが帰ってきました。
プライバシーを侵害していることに罪悪感こそありましたが、このまま見なかったことにするにはあまりに後味が悪い気がして、おとなしくこの覗き行為を続けることにします。
モバP『別に応接用のティーセットが足りない訳じゃないんだよ?ただその湯呑が妙に手にフィットしちゃってね、他の器を使ってると落ち着かなくて、恥ずかしながら仕事のペースも2割位違っちゃったりなんかしてね……その……』
プロデューサーさんなりに彼女の奇行の原因を推測したのでしょう。
以前私が「紅茶ばかり飲んでるのに、なんで湯呑を使ってるんですか?」と質問したときの答えと同じ話でした。
少し違ったのは、聞き手のリアクションがなくて話が途中で切れてしまったこと。
長い黒髪が綺麗な彼女は、プロデューサーさんが話していることに気付いてすらいないかのように湯呑を見つめ続けていました。
決して微動だにしないわけではなく、湯呑を回してみたり逆さにしてみたりという動作はありましたが、そこに余人がいるような雰囲気はなく、或いは敢えて無視しているのでは、という感さえよぎってしまいます。
流石にフォローに行った方が良いのかな、と給湯室に向かいかけたその時、初めて聞く声がスピーカーから届きました。
『モバPさん、先ほどのお話、受けさせていただきたく思います』
「『……ほへ?』」
期せずしてちひろさんとプロデューサーさんの声が被ってしまったのも止むを得ないことだと思います。
あまりに唐突かつ不可解な一言。私も声こそ漏れなかったものの、頭の中はクエスチョンマークで一杯でした。
『……えっと、何の話?』
話を振ったはずのプロデューサーさんが混乱している様子を、彼女もまた何が起きているのかわからないといった表情で見つめていました。
『えと、アイドルにならないか、ってお話だったと思うのですが……』
『「えっ!?」』
今度は私とプロデューサーさんの声が重なる番でした。
思わず振り返ったモニターのそばでは、察しはついていたと言わんばかりにちひろさんがコーヒーを口に運んでいました。
だけど、そんなちひろさんの炯眼より、私には驚くべきことがありました。
『あーあーあー!!その話か!』
ようやく合点がいったというかのように頷くプロデューサーさんが、新人のスカウトをした、という事実こそ、何より驚くことでした。
加蓮「全然人増えないねー」
何時かの事務所での会話が思い起こされます。
奈緒「美嘉を追っかけてきた莉嘉と、私、加蓮がほとんど同じ時期に入ってきて、それ以降音沙汰なしか」
凛「それも私たちNGと、藍子、美嘉入ってから二月も経ってない頃だし」
美嘉「そうだねー、立ち上げの時のメンバーから割とすぐに3人増えて、それきりのままもう半年近いもんねー」
2、3ヶ月ほど前だったでしょうか。
未央「ズバリ!そこんとこどーなのよPさん!?」
珍しく事務所に全員が集まり、雑談をしていた時のことです。
モバP「あー?」
突然振られた話題に驚く風もなく、プロデューサーさんは少し気だるげに頭をかきながら、「助走期間だからな」と呟きました。
卯月「えっと、どういうことですか?」
プロデューサーさんのその一言の真意は、その時は誰もわからなかったと思います。
数瞬の沈黙の後、卯月ちゃんが考えあぐねたかのように声をあげると、未央ちゃん、莉嘉ちゃんも同調しました。
モバP「言葉通りだよ」
モバP「お前たちはアイドルとして羽ばたくための助走段階、それも秒読みまで来てるんだ」
モバP「そんな大事な時期にリスク背負わせるプロデューサーがいるかっての」
プロデューサーさんはそこまで一気にまくしたてると、感動する私達を追い立てるように「おら、わかったら解散!未央と莉嘉はこれからレッスンだろ!」と声を荒げてみせました。
私たちは、そんな何時もの照れ隠しに少し嬉しくなりながら、みんなばらばらに返事を返し、少し慌ただしくも長閑な、不思議な空気が事務所に戻っていきました。
その一幕をはっきりと覚えているからこそ、このことは思わず声をあげてしまうほどの驚きでした。
それはつまり、私達が羽ばたき始めたことの証であり、少々のことでは揺らがないとプロデューサーさんが信じてくれるという証なのですから。
そんな喜びの傍で、プロデューサーさんと彼女の会話は続いていました。
『ところで、さっきはなんでいきなり俺の湯呑を取ったの?』
『え……?』
『ほら、俺がアイドルの仕事について話した後さ、返事くれるまでずっとだったじゃない』
『……あ』カアッ
さっきまでの悠然とした雰囲気は何処へやら、心底慌てたように顔を真っ赤にして、わたわた、手ばかりが元気に泳ぎだします。
その全く違う雰囲気には、微笑ましいような可愛らしさがあって、どう転んでも魅力的な表情を見せてくれる彼女は、ああ、やっぱりプロデューサーさんが連れてきた子なんだな、と思わず納得してしまいました。
『あれは、その、違うんです』
結局、私がポットにお湯を注ぎ終えたころ、ようやく落ち着いたのか、彼女が弁明を始めました。
『その、モバPさんのお話を聞いていて、とても楽しそうだな、って思ったんです』
『うん、そう言ってくれて嬉しいよ』
『でも、少しだけ不安があって、それこそこっちで頼れる人も居ませんし……』
『うんうん』
『だから、目の前の人が頼れる人なのか知りたいな、って……』
『なるほどね』
『はい……』
『……』
『……』
『……え、それだけ!?』
『え!?はい、そうですが……?』
『今の文脈で湯呑説明出来てたの!?』
『……え?』
『……ちょっと待って俺今自分のコミュ力に自信なくなってきた……』
何時もながらプロデューサーさんの相槌は私の好きなテンポだなあ、なんて思っていたら、予想外の展開になっていたので、慌てて応接のドアをノックしに行きます。
視界の片隅でちひろさんが『もう行っちゃうの?つまんな~い』と言いたげに口を尖らせていたような気がしましたが、見なかったことにしました。
一身上の都合で一旦ここで区切らせていただきます。
明晩に続きをここで。
必ずや書き終えますので、お許しいただければ。
そんなやりとりで微笑を浮かべる藍子さんは、仕草の一つ一つに自然な柔らかさがあって、気の置けない相手と居る茶室のような、澄んでいながらも長閑なというか、形容のし難い落ち着いた雰囲気がこの場に満ちていくのを感じます。
同時に、相応に年長者であるはずのモバPさんが自然に謝罪と感謝の言葉を発していたことに、びっくりしてしまいますした。私の周りではほとんど見られない光景でしたから。
きっと、この二人は言葉数が少なくてもお互いに居心地の良い空間を醸成するのでしょう。
その後のやり取りも含めて、年齢差に拘らない二人の信頼関係が見えた気がして、それを少なからず羨ましく思う自分に驚きつつ、それこそが自分の考えが正しいことの証左でもあると気付きます。
「さて、改めて、話の腰を折ってしまってごめんなさい」
「あ、いえ……」
「さっきから何回か名前が出ちゃってますけど、私、高森藍子って言います。一応アイドルやってる16歳です」
改めてよろしくお願いしますね、と差し出された手を恐る恐る握り返します。
予想通り柔らかくて温かい手に、陶芸や釣りでで荒れてしまった自分の手が傷つけてしまったらどうしよう、などとふと考えてしまいます。
そんな考えを片隅に追いやりつつ、
「藤原肇、同じく16歳です。モバPさんに誘われてここに来ました」
そう返すと、「同い年なんですね!」と握った手を数度上下に振って、
「でもはじめちゃん、さっきあっさりアイドルになること受け入れてたけど、大丈夫なの?」
と心配げに尋ねてくる。
「大丈夫です。おじ……祖父の了解はもう得ましたし、モバPさんも藍子さんも優しい人だと思うので」
確かに岡山から出てきて、都会に圧倒されていたのは事実だけど、ここなら大丈夫だろうな、と思える暖かさがありましたから。
そんな気持ちまで伝わってしまったのか、少しはにかむように言葉なく微笑む藍子さんに代わり、横からモバPさんが問いかけてくる。
「藍子が優しいのは全力で同意するんだけどさ、藤原さんはどうして俺まで『良い人』だって?」
もしかしたら俺、アイドル目指してる女の子を捕まえて食べたり売ったりしてる大悪人かもよ?なんていかにも真剣な顔をして言われ、思わず少し噴き出してしまいました。
「え、そんなに笑える?」
「嘘でもあんまり女の子相手にして欲しい話ではありませんけどね」
ジト目でそう窘める藍子さんに同意しつつ、
「そんな大悪人さんはあんな湯呑の使い方はしませんから、大丈夫です」
そう私なりの根拠を説明する。
「……?」
「……?」
「……?」
何故か沈黙が走り、全員が首を傾げます。
「……えっと、藍子?」
「……ごめんね、肇ちゃん、どういうことなのかもう少し説明してもらえるかな?」
……伝わらなかったようです。
「先ほどモバPさんの湯呑を拝見させていただいたんですが、その湯呑、とても長くお使いになられてますよね?」
「ああ、大学入って一人暮らし始める記念に買ったから、かれこれ……10年近いんじゃないかな?」
「欠けたところをご自身で直されたりなさってますよね?」
「まぁ……そういう小手先芸は割と好きだし」
「この茶碗、おいくらだったか覚えてらっしゃいます?」
「確か中国で値切って30元とかだったから……450円位だったのかな」
「ええ、こう言っては失礼かもしれませんが、大量生産の安物陶器ですね」
「でも、だからこそ、それを長い間大切に使ってるってところに人柄が見えると思ったんです。『例え泥まみれの田舎者でも、愛着を持って面倒を見てもらえるんじゃないか』って」
「はじめちゃん……」
「いきなり湯呑取られて何かと思ったら、そういうことだったのか……」
「す、すみませんでした……」
「いやいや、いいんだよ。でも良く見てるね?よく洗い物してくれるちひろさんでさえ10年ものだって信じてくれなかったのに」
「祖父が陶芸家をしている関係で陶器を見る機会は人より多かったものですから」
「なるほど、この前和装だったのはそういうこと?」
「……あれは私服です」
「甚平……じゃなくて作務衣だっけ?すごく珍しいし、着てる子がずば抜けて綺麗だったからあれからすっかりはまっちゃってね、服屋で探したりしてるんだけど、なかなか見つからないもんだね」
「そうなんですか?まさか都会ではあんなに浮いてしまうなんて……」
少し照れ臭くなって視線をそらすと、藍子さんと目が合いました。
「私も見てみたいな、和装のはじめちゃん」
口だけの動きでしたが、はっきりとそう言っているとわかってしまいます。
恥ずかしさのあまり俯いた視界に、しなやかに綺麗な手が差し込んできます。
「改めて、よろしくお願いしますね、はじめちゃん」
顔を上げた私の眼に映った、晩夏の川縁に咲いた秋桜のような穏やかな微笑みに、私は自分の選択が間違っていないことの確信を深めるのでした。
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それから、藍子さんが私の名前の漢字にびっくりしてみたり、プロデューサーさんの誕生日に手作りの湯呑を贈ったり、藍子ちゃんのモバPさんに対する呼び方がかわったり、慌ただしく何ヶ月かが経ちました。
モバP「さて、このユニットでは初ライブになるけど……大丈夫か?」
加奈「も、もちろんでしゅ!」
肇「加奈さん、大丈夫ですか?」
モバP「加奈はライブ自体が初だし、まぁ緊張はするよな……」
肇「気負わなくて大丈夫ですよ、私達には頼れる先輩がいますから、ね?」
モバP「……だ、そうだが?どうだ、藍子?」
藍子「勿論、任せてください、加奈ちゃん、肇ちゃん、モバPさん!」
そう頼もしく笑ってみせてくれる藍子さんはとても頼もしくて、
モバP「藍子、――」
ギュッ
肇「さあ、行きましょう?≪大丈夫≫、私達3人でなら何だって出来ますから」
微かに震えているように見えたその手に、私の気持ちが伝わるように。
祖父が満足いく仕上がりを見せた器に触れさせてもらえた時のように。
柔らかく、でもしっかりと藍子さんの手を包みます。
藍子「肇ちゃん……、そうだね!さ、加奈ちゃんも、行こっ!?」ギュッ
加奈「あ……はい!!」
きっと伝わったのでしょう。
藍子さんが手を握ってから、強張りが消えた加奈さんの何時もの愛らしい笑顔が戻ってきて、私は今日の成功を確信しました。
卯月『続いて登場するのは、今日が初披露の新ユニット、Age16です!』
凛『まだ仮名だってプロデューサーが言ってたね』
卯月『そうだったんですか!?』
未央『まーいーじゃん!』
未央『それよりみんな、顔触れ見て驚く事なかれ!だからねー?じゃ、おいでー!!』
モバP「さ、行ってこい!」
3人「「「はい!!」」」
モバP(藍子の手が震えてたのに気付いた時はどうしようかと思ったが、肇のフォローが効いたな。あの様子なら大丈夫そうだ)
モバP(既に売り出し中の藍子に、デビューから間もない肇と初舞台の加奈。このユニットは藍子が支柱になると思っていたが……面白いこともあるもんだ)
オオッ!?ワアアァァァ!!
モバP「ったく、出来すぎだ、ご褒美を用意するこっちの身にもなれっての……」
加奈『みなさん、ありがとうございます!』
肇『まだまだ駆け出しの私たちですが、支え合って頑張っていきますので、応援、よろしくお願いします!』
ワアアァァァ!!
藍子『さて、完全に初舞台だった加奈ちゃんの緊張も解れてきたところで、リクエストのカバー曲、いっちゃいますね!』
肇『支えてくれる全ての方達に感謝を込めて』
加奈『オリジナルは19さんで』
3人『『『「あの紙ヒコーキ くもり空わって」』』』
肇『はじまりの日』 〆
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