P「境界線」 (56)
【ある日、事務所】
昼下がりの事務所で仕事をしていると、今朝オーディションに向かった春香が帰ってきた。
春香「ただいま……」
P「おかえり……春香?どうした?」
帰るなりソファに荷物を置き、自分も腰を下ろす春香。
いつもなら『プロデューサーさん!合格ですよ!合格っ!』と言ってくるのだけど
それが無いという事はつまり、オーディションに落ちた……という事なのだろうか。
P「もしかして……落ちちゃったのか?」
春香「はい……すみません……」
P「謝る事はないさ。また頑張ればいいじゃないか」
春香「そう、ですね……」
やはり、春香の様子はおかしい。
こんなに歯切れの悪い春香は初めてだ。
少しミスをしたって、それこそいつもなら『はいっ!次こそ合格しちゃいますよー!』なんて言うところなのに。
一体どうしたというのだろう。
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P「何か悩みでもあるのか?」
春香「プロデューサーさん……実は、その、ですね……」
俺の問いかけに、春香はぽつぽつと語り始める。
春香「あの……なんだか最近、ずっと上手くいかなくて……」
P「ずっと?」
春香「はい……もう何日も、ずっとなんです。どうしてか、上手く踊れなくて……」
スランプなのだろうか。
春香はそういうものとは無縁だと思っていたが、考えてみれば17歳の普通の女の子だ。
もう少し、気を配ってやればよかったかもしれない。
俺の怠慢が招いた事態だ。なんとかしてやりたい。
P「そうか……」
しかし、実際にどうやればスランプを抜け出せるのだろうか。
こればかりは本人の気持ち次第で、俺に手伝える事なんてあるとは思えない。
P「……できれば力になってやりたいんだけど……その、だな」
春香「分かってますよ。私が何とかするしかないって事ぐらい」
P「……すまない」
何もできない自分が不甲斐なくて、つい謝罪の言葉が漏れた。
春香「あ、謝らないでください。話……聞いて貰えて、少し楽になりましたから」
春香「だから、その……また、弱音を吐いてもいいですか……?」
春香はそう言って、俺の目を見る。
いつもの明るい表情はなりを潜めて、瞳は不安に揺れていた。
P「ああ……聞くだけでもいいなら、いくらでも頼ってくれ」
P「俺もできるだけ力になるからさ。何かいい方法があるかもしれないし、調べておくよ」
そう答えて、春香を安心させようとする。
一応の効果はあったのか、不安は和らいだようだ。
春香「ありがとうございます……それじゃあ、今日はこれで失礼しますね」
P「ああ。ゆっくり休むといい」
今後の予定は特に入っていないので、春香は帰る準備をする。
仮に入っていたとしても、今日は俺も帰るように言っただろう。
それぐらい、力のない雰囲気を纏っていた。
春香「また明日です。プロデューサーさん」
P「うん。また明日な」
春香を送り出し、業務に戻る。
書類はそれほど片付いてくれなかった。
【夜、プロデューサー宅】
P「ただいま」
誰も居ない部屋に向かって挨拶をする。
返事なんてある訳ないと分かっているけれど、一度付いた習慣はなかなか取れない。
P「あったらあったで怖いけどな」
もしそんな事態になったら、腰を抜かす自信がある。
……まあ、こんな殺風景な部屋に誰かが好んで入る事もないだろうけれど。
P「ふぅ……」
鞄を置き、ジャケットを脱いで、ネクタイを外し――
そうして楽な格好になり、ベッドへと飛び込んだ。
P「はぁ……」
シャワーを浴びるべきかと思ったが、疲れているし、明日の朝に浴びればいいだろう。
ベッドに寝そべって思い出されるのは、今日の春香の姿だった。
いつもは誰よりも笑顔な春香が、あんなに沈み込んでいるなんて。
こっちまで暗い気持ちになって、情けない自分に嫌気がさす。
P「どうにかして……力に……」
なってやりたい。
そう考えているうちに、意識は途切れていった。
【真っ白な部屋】
目を開けると、白く、白く、どこまでも白い部屋だった。
殺風景で、家具一つない部屋。
いくら俺の部屋が生活感に欠けると言ったって、何も無いという訳じゃない。
P「ここは……?」
辺りを見渡すと、だだっ広い部屋の中央に春香が見えた。
身じろぎ一つせず、膝を抱えて座っている
P「春香……?」
呼び掛けても返事はない。
俯いたまま、何の反応も示さない。
奇妙に思って近付くと、不意に春香が顔を上げた。
P「どうしたんだ?」
やはり、問い掛けには反応しない。
いや、反応はあった。
どこか焦点の定まらない瞳を閉じて、キスを待つように顎を上げる。
訳の分からない事態に困惑していると、耳の近くで囁く声が聞こえてきた。
「殺せ……」
P「――は?」
言われた内容を理解できない。
固まっていると、またしても声が響いてくる。
「殺せ……」
『殺せ』と、そう聞こえた。
P(殺す?誰を?……春香を?俺が?)
できるわけがない。
どうして俺が、春香を殺さなければならないのだろうか。
むしろ俺は、春香の助けになってやりたいというのに。
「殺せ……」
P「やめろ……」
声が聞こえるたびに、身体から力が抜けていくのを感じる。
なのに、手の動きは止まらなくて。
「殺せ……」
P「やめてくれ……」
春香の首筋に、俺の手が添えられる。
滑らかで、温かな首。華奢で、今にも折れてしまいそうな首。
それを……
「殺せ――!」
P「やめろおおぉぉぉっ!!」
へし折る直前で、目が覚めた。
【翌日、プロデューサー宅】
P「やめろおおぉぉぉっ!!」
布団を跳ね除けながら飛び起きて、大きく深呼吸する。
背中と額には、びっしょりと汗をかいていた。
P「はぁっ……はぁっ……」
何だったんだ、あの夢は。
俺が春香を殺す夢……一体、どういう意味が……
P「そうだ……」
確か、夢占いというものがあった筈だ。
手掛かりを求めて、俺はパソコンの電源を付ける。
駆動音が鳴り、パスワード入力画面になった。
俺はパスワードを素早く打ち込み、完全に起動するのを待つ間、洗面所で顔を洗う事にした。
P「酷い顔だな……」
洗面所に立つと、鏡に自分の顔が映っている。
眠った筈なのに隈ができていて、少しやつれたように見える。
冷水を浴びて意識をはっきりとさせ、起動し終わったパソコンの前に座った。
P「『夢占い』と……」
キーワードを打ち込み、検索結果の一番上のサイトを表示する。
P「人を殺す夢は……あった」
調べてみると、やはりというべきか、ストレスや潜在的な攻撃性の暗示という意味が多い。
とはいえ、春香に対する恨み辛みなんてない。全くない。
むしろ、いつも気に掛けてくれる事を感謝しているぐらいだ。
P「他には……」
環境の変化や解決といった、前向きな意味もいくつか発見した。
どうやら夢における『死』とは、しばしば『生』を表す事もあるらしい。
P「現在の状況の変革……春香のスランプの事だろうか……?」
春香を殺すという事は『今の春香をスランプから解放してやりたい』という表現なのかもしれない。
もしくは、『何もできない自分が、目の前にある問題を解決する兆しを求めてる』……とも取れるだろうか。
どちらにしても、夢の中の出来事とはいえ、春香を殺したくない気持ちの方が強い。
P「はぁ……俺、疲れてるのかな……」
いくら行き詰まっているからと言って、あんな夢を見るなんて。
春香にも申し訳なくて、どんな顔で事務所に行くべきか迷ってしまう。
P「……まあ、サボりはできないよな」
軽くシャワーを浴び、身だしなみを整え、ウィダーインゼリーで朝食を済ませて家を出る。
事務所に向かう足取りは、やはり重かった。
【昼、事務所】
幸いにして、朝に春香と顔を合わせる事はなかった。
P(助かったな……)
お陰で、少しは気持ちの整理がついた。
そんな事を考えていると、事務所の扉が開いて。
春香「……おはようございます」
沈んだ調子の春香がやってきた。
P「おはよう春香。昨日は眠れたか?」
春香「プロデューサーさん……ええ、まあ」
P(……眠れなかったのか)
春香は努力家だ。
しかし、今はその努力が実らない状態に陥っている。
眠れないのも仕方がないだろう。
P「……何か話していくか?」
春香「いえ……迷惑を掛けるだけですから……」
P「そうか……」
やはり、何とかしてやりたい。
そんな気持ちが湧いてきた。
春香「私、レッスン行ってきますね」
P「……ああ、行ってらっしゃい」
今日も、仕事は手に付かなかった。
【帰宅後、プロデューサー宅】
P「はぁ……ただいま」
帰って早々、溜息が漏れる。
今日の春香を見ていたら、それも仕方がないかもしれない。
P「何とかできないかな……」
あんなに落ち込んだ春香を見ているのは、俺だって辛い。
きっと、皆も心配している筈だ。
P「俺、プロデューサーなのにな……」
何もできない無力さばかり募っていく。
洗面所で手洗いとうがいをして、そのままベッドに倒れ込んだ。
P「何もやる気がしない……」
春香を助けられない。
その事が頭をずっと支配していて、身体に力が入らなかった。
P「……人の所為にしたら駄目だろ」
業務が捗らないのも、今こうしてだらけているのも。
全て、俺が悪いのだ。
P「明日には……きっと……」
明るい笑顔を見せてくれるかもしれない。
そんな都合のいい事を考えながら、眠りに落ちていった。
【真っ白な部屋】
P「ん……?」
閉じた瞼に侵入する光で目を覚ます。
すると、そこは昨日見た白い空間だった。
P「またここか……」
『殺せ』と、誰かに言われた事を思い出す。
あれは一体何なのだろう。
P「あ……」
辺りを見回すと、やはり春香の姿が見えた。
正直、もう二度とここでは会いたくなかったのだが。
P「春香……」
俺の足は、自然と春香の方に向かっていた。
止めようと思っても、一向に止まらない。
春香の傍に寄ると、やはり春香は首を上げた。
キスを待つような、そんな仕草。
けれど、俺は分かっている。
春香が待っているのは、俺の両手なのだと。
P「やめろ……」
俺の両手は、またも春香の首に巻き付いた。
力を入れたくないのに、じわじわと指が首に食い込んでいく。
「殺せ……」
P「頼む……やめてくれ……」
耳元で囁く声。
俺はそれに逆らえない。
「殺せ……」
声が聞こえる度に、俺の両手に入る力は強くなっていく。
あと少しで……ほんの少しの力で、折れてしまいそうだ。
「殺せ――!」
P「やめろおおぉぉぉっ!」
最後の囁きに反抗するように、俺は叫び声を上げる。
その瞬間、身体から力が抜けたような気がした。
【翌日、プロデューサー宅】
P「――やめろおおぉぉぉっ!」
布団から転がり落ちて、夢から覚めた。
最後の光景が、ずっと目に焼き付いている。
P「何でそんな顔したんだよ……」
首をへし折る直前、春香はにっこりと笑っていた。
まるで、殺される事を望むかのように。満面の笑みで。
P「何で……ああ、くそっ……!」
自分の不甲斐のなさに腹が立つ。
春香の役に立てないどころか、あんな都合のいい夢を見るなんて。
本当に、どうかしている。
P「……シャワー浴びるか」
重い体を何とか動かして、どうにかシャワーを浴びる。
汗を流すと、いくらかすっきりした気分になった。
P「……行ってきます」
それでも何かを食べる気にはなれず、水だけを飲んで家を出る。
今日も春香に会うのかと思うと、やはり足取りは重かった。
【一週間後、プロデューサー宅】
P「はぁ……」
春香を殺そうとする夢を見てから、一週間が経っていた。
俺はその間ずっと、同じ夢を見続けている。
P「今日も見るのか……?」
あれから春香は落ち込む一方。
何もしてやれないまま、時間は過ぎていく。
できるとしたら……
P「春香を殺す――って、俺は何を考えてるんだ!」
春香を殺しかける夢。
それを見続けた俺は、すっかり気が滅入っていた。
その所為で、こんな危ない考えが浮かんでくる事も多くなった。
P「精神科、行くべきかな……」
明日は有給でも取るとしよう。
いきなりで申し訳ないが、これ以上は俺も耐えられそうにない。
P「もう寝よう……おやすみ……」
眠ればあの夢を見ると分かっていても、眠気に勝つ事はできない。
不眠症になっていないだけ、まだマシな方だった。
【真っ白な部屋】
P「ん……」
一週間もすれば、流石に慣れるというもので。
俺は白い空間で目を覚まし、春香の近くに歩いていった。
P「春香……」
何度も見る夢の中で、春香は一度も喋ろうとはしなかった。
春香がするのは、ただキスを待つように顔を上げる事だけだ。
そんな風に観察していると、やはりあの声が囁いてきた。
「殺せ……」
P「またか……」
何度も何度も、いい加減うんざりしてくる。
同じ言葉の繰り返し……もう少しバリエーションを用意してみたらどうだ。
そう、心の中で悪態を吐く。
「殺せ……」
P「鬱陶しいな……」
口では言いつつも、俺の手は春香に向かう。
白く細い首を捉えて、徐々に力が入っていく。
そこで、ふと思ってしまったのだ。
P「殺しちゃってもいいかな……」
この夢を見ると、俺の眠りは妨げられる。
では、ここで春香を殺したらどうだろうか。
もしかしたら、夢を見る事はなくなるんじゃないか。
そんな考えが浮かんでくる。
P「ごめんな、春香……」
もう限界なんだ。
一日でも早く、ぐっすりと眠りたいんだ。
どうせ夢だ。殺してしまってもいいじゃないか。
現実に何か影響が出る訳じゃない。
あったとしても、俺が少し罪悪感に苛まれるだけ。
それだけだ。
P「なあ、いいだろう……?」
春香だって、殺して欲しそうに見てるじゃないか。
首を差し出して、何の抵抗もしないじゃないか。
「殺せ――!」
最後の囁きが、俺の耳に響く。
俺は、首にかけた両手に力を込めて。
P「――本当に、ごめん」
謝りながら、春香の首を折った。
そして。
「……ありがとう」
夢から覚める直前に、感謝の言葉を聞いた。
【翌日、プロデューサー宅】
P「ふあぁぁぁ……」
清々しい気分で、ベッドから身体を起こす。
あの夢で春香を殺したからだろうか。
夢占いにあった通り、何かを変えられたのかもしれない。
しかし。
P「あの夢の最後……」
ただ一つ、気掛かりな事があった。
俺が春香の首を折った瞬間、春香の声が聞こえてきたのだ。
P「『ありがとう』か……」
自分の弱さに負けて殺してしまったのに。
どうして俺は感謝されるのだろう。
分からない。
P「……そろそろ出るか」
今日は病院へ行くつもりだったが、どうしてかそんな気にはなれなかった。
多分、久し振りに快眠できたからだろう。
いきなり有給を取るというのも非常識な話だし、これでいいのかもしれない。
P「いってきます」
準備を終えた俺は、挨拶をして家を後にした。
【朝、事務所】
P「おはようございます」
挨拶をして、事務所に足を踏み入れる。
すると。
春香「あ、プロデューサーさん!おはようございます!」
P「え?」
元気な声で、春香が朝の挨拶をしてくる。
その表情に、先日までの影はなかった。
春香「どうしました?」
P「いや……おはよう、春香」
春香の元気さに戸惑う。
夢の中とはいえ、殺してしまった後ろめたさで目を見る事ができない。
それにしても、本当に元気そうだ。
もしかして、スランプを抜けだしたのだろうか。
P「……春香、調子いいみたいだな」
春香「ええ、そうなんですよ!もうダンスもばっちりですっ!」
P「そうか。それはよかった」
春香の笑顔を見て安堵すると同時に、ある考えが頭をよぎる。
P(俺が春香を殺した翌日に、スランプを抜けだした……?)
いや、偶然だ。そうに決まっている。
大体、夢が現実に影響を与えるなんて……非現実的にも程があるじゃないか。
春香「それじゃ、私はレッスンに行ってきますね」
P「ああ、行ってらっしゃい」
すっかりいつもの調子に戻った春香が、楽しそうに事務所を出ていく。
やはり、無理をしているようには見えない。
P(偶然だ……こんなの)
力になれなかった自分を慰める為に、関係があるように思い込もうとしているだけだ。
俺は何もできなかった。それが真実だ。
現実を見つめろ。俺は、何もしていない。
P「そうだよな……」
仕事をしよう。
別の事をして、この思考から抜け出さなければ。
考えないようにすれば、いつかこの馬鹿げた妄想もなくなる。
そう思って、俺は自分のデスクに座った。
【数日後、事務所】
春香を殺す夢を見てから数日後、俺は変わりない日々を過ごしていた。
結局、あの夢が何だったのかは分からない。
けれど、二度と同じ夢を見る事はなかった。
P「おはようございます」
今日も今日とて事務所へ出社する。
変わり映えのない日常。
忙しい日々。
単調だが、大切なものだ。
音無さんと軽く挨拶を交わした後、俺は書類の整理を始める。
それから数時間が経って、雪歩が事務所にやってきた。
雪歩「おはよう……ございます」
P「おはよう雪歩。元気がないな、どうした?」
雪歩「いえ……」
落ち込んだ様子で雪歩が言葉を濁す。
大方、俺に心配させまいとしているのだろう。
P「何かあるなら相談に乗るぞ?」
雪歩「それは……その」
急かす事なく、ゆっくりと話しかける。
けれど、雪歩は力なく笑って首を振ると。
雪歩「やっぱり、大した事じゃありませんでした。私だけで頑張ってみます」
P「そうか……分かった」
そう言って、何やら考え事を始めた。
俺の出番はなかったようだ。
P(まあ、困ったら頼ってくれるか)
無理に聞き出すのはよくない。
何故なら、それは親切の押し売りに他ならないからだ。
何かあれば――自分でどうにもできなくなれば、向こうから言ってくる。
それ以外で俺が何かをするのは、雪歩の為にもならない可能性がある。
だから、今はそっとしておこう。
雪歩「うーん……」
悩んでいる雪歩の姿を尻目に、業務に戻る。
その日は、雪歩の暗い表情が頭から離れなかった。
【帰宅後、プロデューサー宅】
P「ただいま」
一人で呟いて、ドアを閉める。
食事と入浴を済ませ、ベッドに潜り込んだ。
P「雪歩、大丈夫かな……」
思い起こされるのは、今日の雪歩の表情だ。
俺はまた、何もできないままなのだろうか。
P「いや、一人で大丈夫なのかもしれない……」
人に悩みを打ち明ければ楽になる、という言葉は無責任だ。
何もできない人間が、何かした気になる為に使う言葉だ。
P(もし、本当に何かして欲しいなら……)
人は、自ら相談を持ち掛けるだろう。
その時にこそ、手を差し伸べるべきなのだ。
P「明日も早いし、寝るか……」
電気を消し、寝る準備を終える。
疲れの抜けきらない身体は、ベッドに沈んでいくようだった。
【白い空間】
P「あれ……?」
二度と見る事はないと思っていた、あの夢を見ている。
制限のない白い空間。
その中央に、座り込んでいる人影が一つ。
P「雪歩……?」
春香の次は雪歩か。
俺は、自分の無力感を清算する為にこの夢を見ているのだろうか。
分からない。
雪歩に向かって、俺の足が動き出す。
俺が足を動かしているのか。
それとも足が動かされているのか。
どちらなのだろう。
雪歩の前に到着する。
雪歩が俯いていた顔を上げた。
差し出すように、捧げるように、顎を上げる。
俺の手は自然と首に巻き付いて、力を込めていた。
「殺せ……」
幻聴が俺を唆している。
目の前の人を殺せと囁いている。
今回、俺は『やめろ』と言わなかった。
どうしてだろう。
P(分からない?)
いや、分かるとも。
俺が声を拒まないのは、受け入れてしまったからだ。
一度、春香を殺してしまったからだ。
枷は外れている。
声に導かれるままに、俺は雪歩を殺す。
抵抗感はない。
何故なら、俺は殺した時の開放感を知ってしまったからだ。
目覚めた時の心地よさを知ってしまったからだ。
あの時の感触を、手に刻んでしまったからだ。
首にかけた両手に力が籠もる。
雪歩の滑らかな首が、じわじわと絞まっていく。
「殺せ――!」
最後の囁きが耳朶を打つ。
俺は、雪歩の首をへし折った。
P「ごめんな、雪歩」
謝るけれど、そこに罪悪感はない。
だって、これは夢だから。
雪歩が本当に死ぬ訳ではないから。
首が折られる瞬間、雪歩は笑っていた。
笑って、俺を許していた。
だから、俺は罪悪感を背負わなくてもいいのだ。
それでいいのだ。
景色が歪む。
歪んで、白が消えていく。
そして、身体が浮かび上がるような感覚に包まれた、その時。
「……ありがとう」
またしても、感謝の言葉を聞いた。
【出社後、事務所】
今日の俺は、ある種の予感を伴って事務所へ出社した。
音無さんや律子、早く来ていた千早達に挨拶をし、仕事に取り掛かる。
それから少しして、雪歩が事務所に顔を出した。
その姿を認め、俺は声を掛けた。
P「雪歩、おはよう」
雪歩「おはようございます、プロデューサー」
ふんわりとした笑顔が返ってくる。
そこに、昨日の落ち込んでいた雪歩は居なかった。
P(やっぱりな……)
先日、春香が元気を取り戻した時は偶然だと思っていた。
しかし、同じ事が二度も起これば、もはや偶然と断ずる事はできない。
P「悩み事は解決したみたいだな」
雪歩「はい。心配をお掛けしました」
P「いや、俺は何もしてないよ」
そう。
ただちょっと、夢で雪歩を殺しただけだ。
雪歩「それでも、ありがとうございます」
P「ああ。レッスン、頑張っておいで」
雪歩「はいっ!」
雪歩を送り出し、仕事に戻る。
P(ありがとうございます……ね)
あの時の言葉が脳裏に蘇る。
俺は感謝されるような事をしたのだろうか。
それは、あの『殺し』なのだろうか。
P(いやいや、現実とごっちゃにしたら駄目だろ)
しかし、俺の夢は現実に干渉しているように思えて仕方がない。
まだそうだと決まった訳ではないが……夢の中で殺してから、二人は元気になった。
それはつまり、現状の打破を成し得たという事ではないか。
他ならぬ、俺の手で。
P(何もできない訳じゃない……)
それが嬉しくて、今日は驚くほど早く仕事を終わらせる事ができた。
【数週間後、プロデューサー宅】
雪歩を殺して以来、俺は何度も同じ夢を見るようになっていた。
タイミングは決まっている。
それは、誰かの落ち込んだ顔を見た時だ。
雪歩の次は、あずささんだった。
事務所に遅れてやって来た日。
その日の夜に、夢を見た。
そして、俺はあずささんを殺した。
すると次の日、あずささんは元気な顔で事務所にやってきた。
この時に確信した。
俺の夢は、現実と繋がっているのだと。
流石に三度目ともなれば、偶然と思い続ける事はできなかった。
その次は真だった。
更にその次は真美だった。
何度も何度も殺し、その度に感謝の言葉を聞いた。
伊織や美希も殺した。
いつもはしゃぎ回っている亜美もだ。
思春期だから、悩み事もあったのだろう。
貴音だって殺した。
『トップシークレット』と言ってはぐらかした後の彼女は、決まって影のある表情をしていた。
きっと、俺はそれに気づいていたのだ。
だから彼女も、同じように夢に出てきたのだろう。
そんな事が続いて、俺は知ってしまったのだ。
首をへし折る爽快さを。
感謝される喜びを。
次の日に見る、笑顔の眩しさを。
やよいの日もあった。
律子が落ち込んでいた時は、やはり律子が夢に出た。
一見、いつも明るく振る舞っている音無さんですら、夢に出てきた。
俺が現実に何かをしている訳ではないけれど。
あの夢を見るようになってから、事務所はいい方向に進み始めたように思える。
そして、今日もまた、俺は夢を見ていた。
最初の数回は白い空間が広がるばかりだったこの場所は、いつしか事務所のようになっていた。
デスクにソファ、テーブルがあって、間仕切りがある。
俺は、そこに座り込んでいる人を殺すのだ。
今日は千早だった。
事務所で悩んでいる顔を見たからだろう。
俺は千早に近づいていく。
変な声はいつの間にか聞こえなくなっていた。
もしかしたら、強制力すらなくなっていたのかもしれない。
けれど、俺は自分の意思で殺し続けた。
何故かと言うと、殺さない道理がなかったからだ。
現実に殺人を犯すどころか、他人を不快にする事すらない。
ただ、俺が夢の中で誰かを殺すだけ。
そんな簡単な事で、事務所には笑顔が溢れていた。
今までは、そうはいかなかった。
誰かが悩み、落ち込んでいた時は、励ましの言葉を掛けなければならなかった。
一緒に悩まなければならなかった。
P「でも……」
もう、そんな面倒な事はしなくていいのだ。
俺が夢の中で殺すだけで、全てが解決していくのだ。
P「ごめんな、千早」
千早に謝りつつ、俺は彼女の首に手を掛けた。
この喉が美しい歌声を奏でているのだと思うと、どこか感慨深くすらあった。
楽譜を真剣に読んでいたから、きっと曲の表現に悩んでいたのだろう。
それを俺が解決するのだ。
この子を――この喉を、一度壊す事で。
そんな事を思いつつ、俺は力を込めた。
彼女の繊細な喉はあっさりと折れて、俺にその感触を伝えてくる。
「……ありがとう」
感謝の声を聞き、達成感に満たされる。
たとえ相談されなくとも、俺は彼女達の力になれる。
ただ夢の中で殺すだけで、状況は変わる。
共に悩む事なく。
相手を気遣う事なく。
簡単に、物事は片付いていく。
俺は、そんな手軽さと――心地よさに酔っていた。
【朝、プロデューサー宅】
P「んー……」
ベッドから身を起こし、ゆっくりと背伸びをする。
ぐっすりと眠れたのは、あの夢のお陰だろうか。
P「とはいえ……」
ここ最近は仕事が多くて、しっかり寝ても眠気が取れない。
P「まあ、愚痴を言っても仕方ない」
洗願を済ませ、軽く朝食を摂る。
歯磨きを終えると、スーツを着て出社の準備を始めた。
P「そういえば……」
一通り皆を殺したと思っていたが、響だけは殺していない。
P「悩み事、ないのかな……?」
ないに越した事はないけれど、頼ってくれないというのも寂しいものだ。
俺ならすぐに解決できるというのに。
P「いや、俺は何もしないんだったか」
夢の中で相手を殺す。
それだけが、俺にできる唯一の事だ。
P「いってきます」
誰も居ない部屋にそう言い残し、俺は事務所へ向かった。
【出社後、事務所】
P「おはようございます」
今日も慌ただしい一日が始まる。
皆が笑顔で、楽しい一日が。
春香「おはようございます、プロデューサーさん。クッキーどうですか?」
P「ありがとう。頂くよ」
雪歩「プロデューサー。お茶どうぞ」
P「ありがとう、雪歩」
アイドル達からの気遣いを受けて、仕事も順調に進んでいく。
春香のクッキーはいつ食べたって美味しいし、雪歩のお茶も飲んでいると心が安らぐ。
亜美と真美がはしゃいでいる。
律子から注意されて逃げ回っていた。
千早はいつも音楽を聴いている。
けれど、そんな光景にふと笑みを漏らしてもいる。
美希は相変わらず眠たげだが、やる気を出してからの躍進は素晴らしかった。
響も負けじと頑張っている。
貴音は……何を考えているかは読めないけれど、気配りは欠かさない子だ。
真は雪歩に雑誌を勧められている。
恐らく、男性ファッション誌だろう。
伊織はオレンジジュースを飲んでいる。
やよいは掃除をしてくれていた。
そんな日々が、俺の傍にはあった。
【昼、事務所】
やよいと伊織をスタジオに送っていき、俺は事務所に戻ってきた。
あれほど騒がしかったのも朝だけで、今は各自のスケジュールに従って行動している。
音無さんと二人の静かな事務所で、キーボードを叩く音だけが響いている。
俺の方は殆ど終わってしまった。
音無さんを手伝うべきだろうか。
P「音無さん、手伝いましょうか?」
小鳥「いえ、大丈夫ですよ。それより」
P「何ですか?」
小鳥「プロデューサーさんこそ、疲れてるんじゃないですか?」
P「俺は――」
よく眠れるようになったとはいえ、仕事が忙しいのは確かだった。
今も少し、眠気がある。
小鳥「仮眠を取ったらどうですか?後は私だけでも何とかなりますし」
P「そうですね。じゃあ、お言葉に甘えさせて貰います」
そうして、俺はデスクに突っ伏した。
【事務所?】
P「ん……?」
まどろんでいた意識が覚醒する。
辺りを見回してみるが、誰も居ない。
P(音無さんは……)
さっきまで仕事していた筈なのに、そこに音無さんの姿はなかった。
休憩だろうか。
P「まあ、そんな事もあるかな――」
そう呟いたところで、事務所のソファに座りこんでいる響を見つけた。
どこか憂鬱そうな表情で、心ここにあらずといった印象を受けた。
P「響?」
響に向かって近付いていく。
一歩。
二歩。
響の前に来た。
彼女は気だるそうに顔を上げた。
P「ああ、そうか。夢か」
恐らく、帰ってきた響が浮かない表情でもしていたのだろう。
だから俺は、こうして夢を見ているのだ。
響を殺す為に。
P(あれ……?)
俺が眠ったのはいつだったか。
響が帰ってきた後だっただろうか。
それとも、響の顔を見てから眠ったのだろうか。
P(いや、今は……)
夢の方が大事だ。
見ろ、響の顔を。
どこか虚ろで、覇気のない顔をしているじゃないか。
夢の登場人物にそっくりだ。
響を殺さないと。
あの響が落ち込んでいるなんて、普通ではあり得ない事だ。
だから、早く元通りにしなければ。
P「ごめんな」
いつもと同じように呟いて、響の首に手を掛ける。
響は驚いていたようだけど、器官が絞まって喋れないようだった。
俺はいつも『ごめん』と謝ってから相手を殺す。
それは多分、『罪悪感はない』と言っていても、心のどこかで後ろめたく思っているからだろう。
でも、それは当然の事なのかもしれない。
こんなにいい子達を――救う為だとは言え――殺すのだ。
夢の中に溶けた良心が、俺を苛んでもおかしくない。
響「……!……!」
響が何かを訴えかけている。
すまない。少しだけ我慢してくれ。
そうすれば、その曇った顔も――
小鳥「プロデューサーさん!?何をしてるんですか!?」
P「え?」
突然、給湯室の方から声が聞こえた。
そちらを向くと、恐怖に染まった表情の音無さんが居た。
P「あれ?」
これまで、夢に出てくるのは俺と相手の二人だけだった。
なのに、今は俺と響と音無さんの三人が存在している。
では、これは一体何なのだろう。
夢ではないのだろうか。
小鳥「早くその手を放してください!早くっ!」
音無さんの鋭い声が飛ぶ。
俺は我に返って、響の首を見つめた。
P「あ……俺は……」
響の首には、赤い痕がついている。
俺が首を絞めた痕だ。
響が首を押さえて咳き込んでいる。
俺が苦しめたからだ。
P「夢じゃ……ない?現実……?」
P(これが現実だとしたら、俺は何をしていた……?)
響の首を絞めていた。
P(何の為に……?)
殺す為に。
響「プロデューサー……どうして……」
響が問い掛けてくる。
その瞳が涙に濡れていると知って、俺はようやく自分の過ちに気がついた。
P「違う……俺は、そんなつもりじゃ――」
頭を振り、自分の行動を否定するかのように後退する。
二人の視線が痛い。
恐怖の視線だ。
嫌悪の視線だ。
……そうだ、俺は忌むべき存在なのだ。
響を殺そうとした。
あの響を。元気な響を。
もう二度と、笑えないようにしてしまうところだった。
P「は、はは……」
乾いた笑いが漏れてくる。
俺は何をしているんだ。
笑顔になって貰う為に頑張っていたんじゃなかったのか。
なのにどうして、自分で笑顔を壊しているんだ。
俺は、なんと愚かなのだろう。
P「ごめん……」
ある考えに思い至り、そう呟いて事務所の扉に向かう。
二人は小さく悲鳴を漏らし、俺の通る道を開けた。
ノブを握り、扉を開く。
すると、『きゃっ』という声が聞こえた。
春香「あ、プロデューサーさん。驚きました……よ?」
俺を見て、小首を傾げる春香。
今は彼女に構っている暇はない。
早く屋上に行かなければ。
P「どいてくれ……」
そう言うが、春香は動かない。
どうしたのかと思っていると、俺の後ろにいる二人の顔を見てしまったらしい。
明らかに怯えている二人。
そこから出ていこうとする俺。
俺に疑いが向くのは、当然の事だった。
春香「あの……プロデューサーさん……?」
春香までもが、怯えた表情で俺を見る。
そうだ。
怯えて当然だ。
今の状況は、普通ではないのだから。
俺の求めた日常ではないのだから。
だから、俺はこれを変えなければならない。
改善しなければならない。
P(どうやって?)
それは、今までの行動で分かっている筈だ。
俺が、どうやって状況を改善してきたか。
皆を導いてきたか。
自分が一番よく理解している筈だ。
P「どいてくれっ……!」
春香「きゃっ!?」
春香を押し退け、事務所の扉をくぐる。
上りの階段と下りの階段。
俺は上りの階段を選び、段差に足を乗せた。
小鳥「春香ちゃん!プロデューサーさんを追って!」
春香「え?えっ?」
小鳥「早く!」
春香「は、はいっ!」
階段を駆け上っていると、下からそんな会話が聞こえてくる。
でも、気にしない。
俺が今やるべき事は一つだけだ。
屋上の扉を開け、柵の近くまで歩いていく。
柵を越えて、屋上の端に足を掛ける。
すると、後ろから春香が追いついてきた。音無さんも一緒だ。
春香「プロデューサーさん!何してるんですか!?」
P「何って……」
そういえば、こっちは現実なんだっけ。
それとも夢なんだっけ。
P「そうだ……俺は響の首を絞めて――」
だから、これは夢だ。
いや……違う。
P「響が泣いていたから――」
だから、これは現実だ。
現実で正解。
……正解、なのだろうか。
P(本当に正解?)
これが現実なのだろうか。
響を殺しかけた今が、現実だと言うのだろうか。
P「違う……」
俺が響を殺すなんて、悪い冗談だ。
そうに違いない。
そもそも、俺が『殺し』をするのは夢の中だけだ。
だから、これは夢なのだ。
小鳥「プロデューサーさん!そっちは――!」
夢だから、何も恐れる事はない。
俺は変わらなければならないのだ。
P(どうやって?)
それは簡単な事だ。
死ねばいい。
一度死ねば、また新しい俺になる。
皆を悲しませない俺になる。
P(それで正しい?)
正しい。
だって、皆もそうして明るくなったじゃないか。
殺したら、スランプを抜け出したじゃないか。
P「ああ、そうだな……それで正しい……」
死ぬ事はつまり、変わる事だ。
俺が何度も何度も見てきた事だ。
経験は絶対だ。絶対に、正しいのだ。
春香「プロデューサーさん!?駄目です、それ以上は――!」
小鳥「戻ってください!危険です!」
二人が叫んでいる。
必死に叫んでいる。
でも、何も心配しなくていいんだ。
一回死ぬだけだから。
ただそれだけなのだから。
P(よく考えたら、俺って駄目なヤツだな……)
現実から目を背けて、相手を殺す事で悩みを解決してきた。
もっと皆と向き合うべきだった。
楽な方法ばかり選んでしまっていた。
殺す快楽に酔ってしまっていた。
だから、響に怖い思いをさせてしまうのだ。
P「俺は『今』を変える……いや、変えなければならない……」
この現実を変えて、また明るい日常へ戻らなければ。
皆が笑う、楽しい日々に戻らなければ。
P「だから……俺は死なないといけないんだ……」
現実を変える為に、ここから飛び降りる。
そうだ。それで正しい。早く飛べ。
P(あれ……?)
現実を変える為に死ぬ。
それは正しい。間違ってない。
でも、こっちは夢だった筈だ。
夢で起こった出来事なら、気にしなくていいのではないだろうか。
P(いや、違う……)
俺は響を殺しかけた。
殺人未遂だ。
なら、そんな俺は変わらなくてはならない。
あの嫌悪と恐怖の視線は、今の俺を否定していたじゃないか。
P「でも、さっきのが現実で……今が夢?あれ?現実?それとも夢?」
響が泣いていたから、さっきのは現実。
俺が死のうとしているから、今は夢。
うん、合ってる。正解だ。
P「待てよ……?俺はいつ眠ったんだ……?」
眠ったら、落ち込んでいる響が居た。
だから殺そうとした。
ここまでは夢。
P「それで、音無さんに止められて――」
響が泣いていた。
苦しそうにしていた。
つまり、そこからは現実。
P「でも、俺が響を殺す筈がないから……」
ああ、分かった。これは夢だ。
うん、そうだ。
きっとそうだ。
そうに違いない。
P「じゃあ、死ぬか」
早く死んで、早く帰ってこよう。
そう思って、俺は屋上から身を投げ出した。
「いやああぁぁぁぁあああああっ!」
空の向こう――いや、屋上の向こうから絶叫が聞こえる。
俺を心配しているのだろうか。
大丈夫だ。すぐに戻るから。
P(あれ?)
夢の中に登場するのは、俺ともう一人だけだった気がする。
でも、ゆっくりと落ちていく瞬間に見た屋上には、春香と音無さんが居た。
P(ああ、そうか)
つまるところ、こっちは現実だったみたいだ。
P(それじゃあ、俺は死ぬって事か?)
生き返れないのか。
現状の改善なんてできないのか。
P(いや、俺にはどうやってもできる訳ないよな……)
皆と向き合う事を忘れて、自分勝手に振る舞って。
挙句、響を傷付けてしまった。
そんな俺に、明るい未来なんてないのだ。
頼って貰いたい心が――頼りにして貰えないストレスが、あんな夢を生み出して。
相手の為だと思い込んで、誰かを殺して。
それで救ったつもりになっていた。
救われたのは、俺の醜い心だけだというのに。
皆は、ちゃんと一人で悩みを解決していた。
俺の手助けなんて、最初から不要だったんだ。
けれど、俺は皆を助けた気になっていて。
この方法が一番だと信じて疑わなくて。
P(いつの間にか、夢と現実がごっちゃになって……)
夢の中の楽さを、現実に持ち込んで。
それで、響を殺しかけた。
P(なのに……)
夢と現実を混ぜてしまった事を反省する筈だったのに。
恐怖の視線を受けて、変わらなければならないと思ったのに。
弱い俺は、変わるべき自分と向き合う事すら、できなくて。
P(そうか……俺は……)
ずっと目を逸らしていた。
辛い現実から、逃げ続けていたんだ。
だから俺は、最後の最後で『自殺』を選んだのだろう。
最も手軽で、楽な方法。
『全てから逃げ出す』という選択肢を、選び取ってしまった。
P「ごめん……皆――」
最期の謝罪が空に溶ける。
きっと、誰かに許しを乞うたのではない。
とりあえず謝っておけばいいという、愚かな心がそうさせたのだと思った。
――END――
以上で完結となります。お楽しみ頂ければ幸いです。
夢と現実の区別がつかなくなった人を書いてみたかったので書きました。
しっかりと表現できていればいいのですが、いかがでしたか?
それと、響に殺される役目を割り振ってしまった事については謝罪します。
申し訳ありませんでした。
>>49の修正
『殺されかける』でした。
後書きで殺してしまってすみません……
そんなことで謝られたら逆に困るわ
悪い役振る度に謝る羽目になる
>>52
少なからず不快に思われる方も居るのでは、と考えての事でした。
ご指摘ありがとうございます。
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