ネロ「フヒヒヒwww寒っwww」パトラッシュ「www」 (23)

ネロ「着いたwwwwww」
パトラッシュ「でけえ絵wwwwww」
ネロ「なんか綺麗じゃねwwwwww」
パトラッシュ「絵でけえwwwwww」
ネロ「くっそねみぃwwwwww」
パトラッシュ「おまwwwwww寝ろwww」
ネロ「俺wwwwwwネロwwwwww」
パトラッシュ「wwwwwwwwww」
ネロ「wwwwwwwwww」

パアアアアアアアアア…

「浜田さんへ。僕達ココリコが、ガキの使いの前説をやらせていただいたのは、今から16年前、25歳の時でした。それから今日に至るまで、ずっとお世話になっております」
「浜田さん、覚えてますか?前説を初めて間もない頃、浜田さんは僕に、『なんやお前?靴、ボロボロやないか』と言いました。
当時僕は、ドクターマーチンの黒い靴が大好きで、いつもその靴を履いていたのですが、靴底も限界まで磨り減り、誰の目から見ても、もうボロボロの状態でした」
「しかし、当時の僕は生活するのもやっとで、会社にも借金を作り、新しい靴を買う余裕など、全くありませんでした。
そして、次の収録の時も、浜田さんは『またその靴履いてんのか?新しい靴買えよ』と、冗談混じりに言いました。
そして、僕が『そうなんですよ。すみません』と答えると、『これで新しい靴、買え!』と、2万円を差し出しました」
「『いえ…いえ。そんな、とんでもないです』と断っても、『いいから、買え、買え』と、僕にお金を渡し、その場を立ち去りました。
翌日、僕はすぐ新しいドクターマーチンの同じ靴を買い、次の収録の時、真っ先に浜田さんにその靴を見せ、『ありがとうございました。
新しい靴を買わせていただきました』と言い、お釣りの8千円を渡そうとすると、『いらんいらん。それでなんか、美味いもん食え』といって、お釣りも受け取ってくれませんでした」

「僕は、浜田さんに靴を買っていただいたのが、嬉しくて嬉しくて仕方がありませんでした。それから、その靴をいつもいつも履いていました。
再びずっとそれを履き続け、雨でビショビショになっても、別の番組でドッキリで海に落ちて、革がカチカチになっても、毎日、毎日その靴を履いていました」
「そして、その頃から少しずつではありますが、仕事も増え、会社にも借金を返せて、なんとか生活できるようになってきました。
浜田さんに買っていただいた靴に、なにか力をいただいているような気がして、あの靴を履いていると、何か心強く感じていたのを覚えています」
「自分自身、番組の中でうまく立ち振る舞えず、反省し、悩むこともたくさんあるのですが、松本さん、そして浜田さんがいてくれるからこそ、
他の番組には見せれない、新しい自分を思い切って出せるのだと思います。
自分が、16年前に入ったときから、この番組に出させていただいていることに、今、改めて感謝をしております」
「そしてこれから少しでも、浜田さんとご一緒できるよう、頑張っていきます。これからもよろしくお願いします。 ココリコ・田中直樹」

「浜田さんへ。僕がガキの使いの前説をやらせていただけるようになったのは、今から16年前です。しかし、その裏では、芸人として本気で悩んでいた時期でもありました」
「当時、ココリコというコンビは、同期の芸人に比べ、なんの特徴もない悪い意味での優等生タイプで、前に出ることもできない状況が続いていました。
そこで僕は、悩みに悩んだあげく、自分とは天と地ほども差がある浜田さんに勇気を振り絞って相談を持ちかけていたのです」
「すると、浜田さんは前説をやっていた若造の僕のために、わざわざ西麻布の高級店の個室を予約してくださり、一対一で僕の相談に乗ってくれました。
そして浜田さんは、僕の相談が分かっていたかのように、アッサリと一言だけ、『オレをどついたらエエやん』と言ってくれたのです」
「それは当時の若手で、浜田さんをツッコめる人間など居るはずもなく、それをすれば、一気にココリコ遠藤という名に注目が集まるだろうという意味が込められた意図でした。
実際に、浜田さんにツッコむことなど、今もできませんが、当時、浜田さんが自分のことをそこまで考えてくれていたのだと知り、この人が居れば、安心して芸人が続けられると思ったことを、今でもはっきりと覚えています」
「さらに数日後、他の番組の収録で、僕のことを『章造』と呼んでくださり、僕と浜田さんの関係を、スタッフの方々や、他の演者さんに、印象づけてくれました」

「あと、僕が離婚し、芸人としてのイメージが悪くなるのではないか、と一人で悩んでいた時も、浜田さんは何かを察したかのように、僕を食事に誘ってくれ、
『今回の離婚は、男として、すべての責任を背負え。絶対にテレビで、言い訳じみたことを言うな。それでもどうしても何かを言いたいことがあったら、俺だけに言え』と言ってくれました」
「さらに番組内でも、浜田さんと松本さんは、離婚のことを笑いに変えてくれ、年末の特番では、共演できるほどになりました。本当に、浜田さんには心から感謝しております。
僕が芸人になってから今まで、浜田さんという大きな船に、何度も助けられてきました。これからもまた、アホな僕は、いろいろと相談することもあるとおもいます。
でも、懲りずに相談に乗って下さい。そして、10年後、浜田さんが還暦を迎える頃には、頑張って、ココリコという名の船を少しでも大きくしておきますので、
その時には、たまには僕らの船に乗って、のんびりしてください。 ココリコ・遠藤章造」

「浜田さんへ。50歳のお誕生日、おめでとうございます。12年前に上京してすぐ、浜田さんとお会いしてから、今まで、いろいろなことを教えていただきました」
「当時の僕は、ボケからツッコミに変わり、ツッコミとは何かを全く分からず、正直、やっていけないかな、と思っていた時に、1からツッコミのことを教えてくださったことを、本当に感謝しております」
「今思えば、浜田さんからしたら、『そんなこと、自分で考えろ』というようなツッコミの基礎を、毎週のように朝まで細かく教えてくださったことは、僕の大切な財産です」
「プライベートでも、当時の僕はお金がなくて、御飯を食べれない時に、『腹へってんのやったら、電話してこい』とおっしゃっていただき、ほぼ毎日電話して御飯をご馳走になっていました」
「その時に浜田さんがおっしゃっていただいた、『偉そうに言うつもりはないけど、俺といるときはエエもん食べろ。自分で御飯食べるときは、お金ないねんから、安いもの食べろ。
一番上と、一番下を知ることで、人間としての幅が広がるから』と言ってくださり、いつも高いものをご馳走していただきました」
「今、僕にも後輩ができ、後輩たちにも出来る範囲で伝えています。たくさんのことを教えてくださり、本当にありがとうございます。

中でも、僕にとって忘れられない浜田さんの一言があります。本当は、テレビで絶対に言わないでおこうと思っていた話ですが、今回、こういう機会をいただいたので、お話させてください」
「浜田さんには、怖い、とか短気、みたいなイメージがありますが、僕が浜田さんに本気で怒られたのは、12年間で1回だけです。
浜田さんは、覚えておられないと思いますが、上京して間もない頃、3回目の食事に連れて行っていただいた時のことです」
「まだ、浜田さんにお会いして間もないということもあり、浜田さんが怖いとか、怒られると思っていたので、失礼がないように、細かくお皿を変えたり、灰皿を変えたりしていると、
『自分で出来るからええで。御飯食べ』といっていただき、それでも僕は緊張もしていたし、やっぱり怖かったので、お世話を続けていると、『ホンマにええって』と、軽く怒られました」
「それでも僕は何かをしなければいけないと思い、帰りの駐車場で、『浜田さんの車、僕、運転して帰ります』というと、すごい形相で浜田さんは僕の顔に近づき、『お前、東京、何しにきてん?』と言われ、
僕は質問の意味が分からず『え?』と返すと、さらにすごい形相で『だから、東京、何しにきてん?』と言われたので、『売れたいからきました』と言うと、
『そうやろ。運転手しにきたんちゃうやろ?横乗れ。家まで送ったるわ』と言って、家まで送ってくださいました」
「あの時、浜田さんに言っていただいた一言と、送っていただいた時間が、僕の宝物です。そして、『売れたいからきました』といった自分の一言を信じ、今でも頑張れています。 ライセンス・井本貴史」

「我々ライセンスも、ガキの使いの現場に来させていただくのも12年になります。僕たちは、浜田さんに救われています。東京に来て、なかなか仕事も上手くいかず、
せっかくいただいた仕事でも、結果に結びつけることができない自分たちの状況に、僕は悩み、あるとき井本に、ライセンスは解散しよう、と切り出しました」
「2人で話して、会社にもこの日に報告しようと決めました。浜田さんには、井本から解散します、と報告がいったと思います。僕は当然、浜田さんが『そうか』と仰るものと思っておりましたが、
井本から聞いた浜田さんの言葉は、『解散したらアカン。もうちょっとやれ』というものでした」
「完全に自分たちに限界を感じていた僕にとって、まさかの答えでした。浜田さんは、覚えていらっしゃらない一言だと思いますが、
その一言が、僕の気持ちの中に、まだ頑張れば、可能性あるんじゃないか。あの大先輩が、もうちょっとやれ、とおっしゃってくれている。コンビを続けてるという考えをもたらしてくれました」
「お陰様で、解散を思いとどまり、なんとかコンビとして仕事もさせていただいております。浜田さん、ありがとうございます。 ライセンス・藤原」

「浜田さんへ 50歳の誕生日、おめでとうございます。あれはいつのことでしょうか。それは、12年前です」
「僕が、あやと結婚した時のことです。その日は、東京のとある場所で開催した、僕とあやの結婚披露宴。出席人数150人ほどの結パーティーだったのですが、
そこに浜田さんが来てくださいました。そして、『これ』と、一言だけ言ってご祝儀を渡してくれました」
「パーティーは終始、笑いあり、涙ありでとてもいい雰囲気で、僕は本当に嬉しくて、浜田さんにお礼を言いたかったのですが、言えずに終わっていました。
そして、その夜、パーティーが終わったあと、僕とあやは連日の実務から大げんかをしてしまったのです。
そして、最悪の雰囲気の中、ご祝儀返しの段取りもあるので、皆さんにいただいたご祝儀の整理を始めたのです」
「そこで、始めて浜田さんにいただいたご祝儀の中を見たんです。僕は、浜田さんだからどれくらい大金が入っているのかな、と中を見ると、入っていたのは、500円のおもちゃ券でした」
「僕は思わず、『なんやコレ』と吹き出してしまいました。そして、それを見たあやも、思わず吹き出し、僕達二人は笑いに包まれ、すっかり仲直りができたのです」
「僕はこの時、思いました。浜田さんは、ドS、ドSと言われているけど、そのSは、サドのSではなく、素敵なSなんやなぁ、と。
そして次の収録現場で浜田さんにお礼を言おうと楽屋に行くと、『山ちゃん、これ』と、改めてご祝儀をいただきました。なんて素敵な方なんでしょう」
「浜田さん、改めて言わせてください。ありがとうございます。実は、その時のおもちゃ券、山崎家の宝物として、今でも持っています。これからもずっと素敵な人でいてください。 山崎邦正」

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