【ミリマスR-18】舞浜歩の抱えたトラウマを上書きする話 (24)

こんばんは。投下しに来ました。

【概要】
・舞浜歩さんが出てきます
・ダンス留学のくだりを勝手に捏造しています
・辛い目に遭っている描写が出てきます

以上の項目に目を瞑って頂けるならばよろしくお願いします。
19レス分続きます。

 十一月の某日。いつものようにアイドルの付き添い兼外回り営業から戻ると、事務所に一通の封筒が届いていた。テレビ局からだ。手に持つとずっしりと重たかったその封筒の中には、ドラマの制作委員会名義で、様々な資料が入っている。封筒の最前にあったドキュメントに目を通すと、我がプロダクション所属のアイドルの名前が書かれているのが目についた。

 名指しのオファーだ。画像を撮影して本人にすぐさま送りつけたかった。きっと飛び上がって喜ぶだろう。だが、内容も把握せず飛びつくのは軽率だ。ムズムズするが、まずはこちらでひとしきり目を通しておかねばならない。

 それから三日後。レッスンを終えた舞浜歩を劇場の事務室へ呼び出した。オファーのあった旨を伝えると、グレートだのマーベラスだのと叫びながら、彼女は拳を高く突き上げてはしゃいでいた。

 温かい紅茶を差し出して、事務室のテーブルへ資料を広げた。歩にオファーがあったのは、月9ドラマの脇役だった。脇役とはいってもほぼ毎回登場の機会があり、主役との関係も頻繁に描かれる。劇中での比重が異なる程度で、扱いは主役と大して変わらないと言っても過言では無かった。受けることになれば相当強力なプロモーションになる。

 歩が打診された役は、幼少期から様々なダンスに触れてきたストリートダンサーの少女(名前はなく【仮】とついている)。高校卒業を前にしても自分の魂を本当に燃やせるダンスに中々出会うことができなかった。ほんの小さなきっかけから彼女が次に足を踏み入れようとしたのは、社交ダンスの世界だった。街の片隅にある小さな社交ダンス教室の門を叩いた彼女は、そこで、背景も動機も全く違う三人と出会い、二組のペアになって新たな世界へ飛び込んでいく。

「ワオ……! 社交ダンスかー。やったことはないけど、面白そう!」
「ダンサーとして確かな実力があり、社交ダンスは未経験、見た目が派手な感じの人を役にあてたい考えらしくて、それで歩へオファーが来たって流れなんだ」
「いいじゃんいいじゃん! その話、受けたい!」
「うん。歩にも資料をよく見てもらう必要があるから最終決定はまだ先にするけど、前向きな返事がもらえてよかった。ただな……」
「ただ……なに?」

 付箋を数ヶ所つけたシナリオを歩に見せた。本格的な台本になる前の、物語全体の筋と言ってもよい。事務所からのNG事項として修正を加えて欲しい所につけた付箋を目印に、そのページをめくった。

 少女がカップルを組む相手は、病弱な読書好きの大学院生だ。就職が目前に迫り、部屋の中でばかり生きていた彼は外の世界を知りたい欲求に目覚めた。公園のベンチに落ちていた社交ダンス教室のチラシを手に取り、地図に誘われるままに歩いていく。先にカップルを作っていた主役の二名の様子を外から見て、自分を変えたい思いに駆られる彼は、相手もいないのに教室へ飛び込み、入室の希望届を書いてしまう。ダンスの相手としての交流を深める内に、二人は親密になり、互いに恋心を抱くようになる。ここまではよかった。

 一向に溝の埋まらない主役の二人と対比するように、脇役の二人は接近し続ける。そして、ベッドシーンが挿入される筋書きになっていることが、そこには明記されていた。

「ベッドシーン……って、アレだよね。その、はっ、裸で……うわ、キスシーンもある……マイガー……!」
「ああいうのって、実際に裸になることは無いよ。カメラに映らないようにチューブトップの水着を着けて撮影するんだ。本当に脱いで撮影する映画なんかもあるにはあるんだが。問題はそこじゃない。アイドルをやっている歩にそんなシーンを演らせるのは、歩本人の負担になるだけじゃなくて、イメージダウンにも繋がりかねない。だから、そのシーンを変えてもらおうと交渉する予定なんだ」

 資料を見ていた歩が、顔を上げた。

 露出やお色気の絡む話になると途端に恥ずかしがる歩だったが、今日は違った。真っ直ぐにこちらを見つめる吊り目の視線には血気がある。

「……やるよ、アタシ」
「本気か?」
「うん」
「無理をすることはない。今回はこちらから交渉を持ち掛けることができるんだ。お願いされる立場なんだから」
「それでもだよ。だってこれって、一種のチャレンジだろ? す、すごく恥ずかしいけどさ……自分の都合のいいように変えてもらうなんて逃げみたいで、アタシは……そっちの方が嫌だ」

 歩が、金色のメッシュが入った前髪を指に巻き付けている。

 それから彼女は、かつての自分が衝動的にボイストレーニングを抜け出してしまったことを引き合いに出した。「苦手だから」「うまくいかないから」「自信が持てないから」と言い訳してできない自分に目を瞑っていたら、失敗しないが、進歩もない。弱い自分を弱いままにしているのが我慢ならない。歩は静かに、だがきっぱりとそう告げた。

「あのさ……自分で言うのもなんだけど、アタシの歌、上手くなったよね?」
「ああ、ファンレターでもよく書かれてるし、間違いないな」
「諦めずにブチあたってみればさ、何かしらいい結果になるって信じたいんだ。何が、って言われると分からないけど、もっとこう……何て言えばいいんだろ。とにかく、自分の成長に繋がると思うんだ」

 多少の言い淀みこそあれ、歩の言葉には一本の筋が通っている。弱気になりながらも壁を乗り越えようとする意志が、カップを逆さまにして紅茶を飲み干す姿に表れていた。

「分かった。じゃあ、このオファーを受ける方向でいこう。先方にも、歩の意向については伝えておく。もしかしたら、全く別の要因で脚本が変わる可能性はあるけどな」

 歩は頷いた。カップをソーサーに戻し、タオルで口元を拭ってから、「あのさ」と話を切り出そうとした。

「……ちょっと確かめたいことがあるんだけど、いい?」
「ん、何だ?」

 ガタッと椅子が鳴った。ゆっくり立ち上がった歩は椅子をしまい、後ろにぽつんと置かれたソファの上に横たわった。ポニーテールの髪が、ひじ掛けに広がっている。

「えっと……こう、上から覆いかぶさる感じに」

 突然何を言い出すんだ。ああ、早速ベッドシーンのフリだけでもやってみようということだろうか。

 あまり深く考えずにソファーの背もたれに手を突き、脚をまたいで右膝をその根元へ沈める。ギチギチ、と皮革が悲鳴をあげた気がした。

「……!」
「……歩?」
「う……ぁ……っっ……!」

 色よい健康的な顔から、さあっと血の気が引いていく。数秒もしない内に首筋まで真っ青になってしまった。上半身がカタカタと震えている。瞼から涙がどっと溢れるのと、右手が口元を覆うのはほぼ同時だった。

「歩っ!」
「うぷ……!」

 考えるよりも先に、目についたライトブルーのバケツをひったくった。ソファーの足元にあった清掃用具の一切が床に散らばり、からんからんと乾いた音が反響した。そして、差し出したバケツに歩が顔を突っ込んだ瞬間、聞くに堪えない音がした。

「おい、大丈夫か、おいっ」
「おえっ……! ごほ……げほっ……!」

 具合が悪いのか、という問いかけは無意味だった。そんなものは明白だ。歩は力無く、幽霊みたいに真っ白な首を横に振った。他の人がいない状況だったのは、どちらにとっても幸いだった。

 それから何度かの嘔吐を経て、「口をゆすいでくる」と消え入りそうな声で言い残し、歩はヨロヨロと事務室の出口へ歩いていった。バケツの中身はこちらで処理しておくことにした。熱中症や過労で倒れてしまうアイドルは何度か見かけたが、こんなケースは初めてだ。風花を呼ぼうとスマートフォンを取り出したが、彼女は別の仕事に行っている最中だ。

 なるべく直視しないように残滓の始末を終え、ポリ袋の口を閉じる頃になると、事務室の扉がそっと開いた。

「歩、平気か?」
「う、うん……大丈夫。ごめん、突然酷いところ見せちゃって」

 戻ってきた歩の顔にはまだ生気がなかった。ほんの数分前までのエネルギーを全て吐き出してしまったかのようだ。ソファーに深く腰掛けると、歩は深呼吸した。

「ねえプロデューサー。少し、時間もらえる? あっ、でも仕事があるか……」
「事務仕事はあるけど、そんなのは後でもできる。目の前のアイドルの方が大事だよ」
「……そ、そっか……へへへ……」

 気の抜けた、ちょっとだらしない笑みを零しながら、歩は俺が手渡した水を啜った。隣に座るように促されたが、ついさっきの異変が胃の底から突き上げてきた。

 できるだけゆっくりと腰を下ろす。今度は……何とも無かったようだ。

「じゃあ、話すね。あんまりハッピーな話じゃないんだけど……」

 糸を紡ぐように、歩は話し始めた。

 高校在学中に歩が留学先としてやってきたのは、アメリカ合衆国の大都市ニューヨーク。費用を負担してくれる家族にゴーサインを出させたのは、ダンススクールの先生の熱心で粘り強い説得と、国内の数々のコンテストでの実績と、何よりも歩がダンスにかける情熱だった。

 言葉が通じなくても、人と人は分かりあえる、と歩は小さい頃から信じていた。実際、ニューヨークのセントラルパークで出会った一人目の師匠とは、ダンスを通じて、魂で相互理解を出来ていたという実感があった。頭で思い描く通りに動けず悔し涙を流す少女の苦悩も、彼は理解していた。

 渡米して最初の内は、彼の下で歩はダンスを学んだ。ホームステイ先のブルックリンから地下鉄に乗って、マンハッタン島へ通い詰めた。セントラルパークのベンチの前、タイムズスクエアの街角、ユニオン・スクエア駅の構内、歩のダンスステージは場所を選ばなかった。チームメンバーに混じって踊っている内に、老若男女を問わず、見知らぬ通行人が足を止める。彼らは、彼女らは、オーディエンスとなって集まってくる。一緒になって踊ろうとする者も珍しくなかった。その体験はどうしようも無く歩を高揚させ、ダンスに対する情熱は留まる所を知らず高まり続けた。

 しかしながら、プロのダンサーとして師匠のデビューが決まった時にチームの解散が決まり、歩に一度目の別れが訪れた。I miss you, Ayumu.と何度も繰り返し、Eメールのアドレスを書いて渡してきた彼の顔つきから、英語の理解が浅かった歩にも、それが別れの言葉であるとはっきり刻み込まれた。涙はこらえた。夢を手にした彼を祝いたいという思いが勝っていた。

 次に歩の目に入ったのは、セントラルパークの更に北で見た、サウスブロンクスのストリートダンスバトルだった。時には誰かが持ち込んだカセットデッキから流れるランダムな音楽に、時にはDJが作り上げたセットリストに合わせ、リアルタイムに紡ぎ出されるライム。その音の流れに乗って、どちらがよりクールなダンスで己を表現できるのか、という正々堂々の勝負。多種多様な人種が雑多に集まっていたが、間違いなく、彼らには共通言語があった。

 飛び入りで参加した歩はその場の視線を独り占めした。師匠に教わったステップやターンが、歩は誇らしくなった。音楽が止んだ時、彼女に声をかけてきたのが、二人目の師匠だった。彼は日本語も(多少の片言ではあるが)話すことができた。言語の不自由から歩が解放された瞬間だった。飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を続けていたチームは、ジャパニーズガールの加入でストリートのトップに躍り出た。

 一人目の師匠よりも若く、言葉の壁も無く、何かと世話を焼いてくれる二人目の師匠に、歩はプライベートな信頼も寄せていた。次第にそれは好意となっていき、彼女にとって初めてのボーイフレンドにもなった。

 十七歳の誕生日を迎えてしばらくした、ある日のことだった。その日も歩は、ハイスクールの授業を終えてすぐに地下鉄に飛び乗り、「いつもの場所」に向かった。ダンスに打ち込める幸福、新たな成長への期待、そして、恋人との一時を過ごせるときめき――色とりどりの興奮が内心で泡立っていた。

 その日のストリートから引き上げる頃になって、歩は師匠から「今日は泊まっていかないか」と誘われた。歩は了承した。そういった体験は耳にしたことはあっても、実体験は無かった。不安もあったが、彼とならば大丈夫だろう、という漠然とした安心感に、歩は身を任せきっていた。

 ベッドルームに案内されたとき、歩は突然、埃っぽいベッドに力づくで押し倒された。心を許していた彼と同じ顔があるのに、そこに彼はいなかった。口を押さえて覆いかぶさろうとしてくる恋人のギラついた眼光に、歩は身の毛がよだつ覚えがした。ショートパンツの中へゴツゴツした手が押し入ってきた。そのまま体内に、指のようなものが突き入れられた。鋭い痛みが脳天を貫いた。彼の背後にはもう一人の男がいた。Tシャツが裂かれる音が、遠雷のように歩の鼓膜を打った。その刹那、右脚が唸りをあげた。目の前のシャツの中央にあった三日月を、思い切り蹴り飛ばし、体が命じるままに歩は飛び起きた。

 恋人から強姦魔へ成り下がった彼がひるんだのを尻目に、跳ね起きた歩はもう一人の男も突き飛ばし、内開きのドアを抜け出して一心不乱に走り出した。タンクトップの上に重ね着していたTシャツはもう使い物にならなくなっており、疾走しながら破って放り投げた。

 歩は無我夢中で走った。サウスブロンクスの街中を、沈みゆく太陽に追い縋るように。脚の間がズキズキする。後ろを振り向くのが怖くて、必死に自らへ鞭を入れた。道端に停車していたイエローキャブが、薄暗さの中できらきら輝いていた。警察署に駆け込む選択肢を思いつかなかったことに歩が気付いたのは、タクシーが動き出して十分以上経ってからだった。

 自宅のあるブルックリンに戻るまでの間、歩は、夏なのに尋常ではない寒気を覚えた。タクシーの運転手に冷房を止めてもらうよう頼まなければならないほどだった。牙を剥いたオスへの本能的恐怖と、身を浸していた世界が音を立てて壊れたことへのショックが、全身をどろどろと対流していた。それなのに、涙は出なかった。あらゆる感情の出口が塞がってしまったようだった。

 ステイ先の自宅へ戻ってからも歩はひどく錯乱しており、「何も無かったことにしよう」「あれは自分では無かった」「悪い夢だった」と、念仏のように頭の中で唱えていた。傷を負った股からは血が流れていた。すぐに洗い流して見なかったことにしたが、じくじくとお湯がしみて痛かった。

 その日一日に蓋をしなければ、自分のあまりの無警戒を責め続けて、後悔で頭がどうにかなってしまいそうだった。サウスブロンクスが危険地域であることを知っていながら、歩は目を背けていたのだ。

 震えながら眠った翌朝、不思議なぐらいに歩の頭はスッキリしていた。本当は大変な目に遭っていたはずなのに、地球の反対側で大雨が降った程度に思えてならなかった(それが「解離」と呼ばれる精神の無意識的防衛機制であったのを歩が知るのは、半年以上経ってからのことである)。

 二人目の師匠との別れはあまりにも突然で、あまりにも無感動だった。サウスブロンクスどころか、マンハッタン島にも歩は近づかなくなっていた。ブルックリンのハイスクールと自宅とを、怯えて往復する日々が続いた。

 ストリートから遠ざかって生きがいの喪失を覚えていたある日、体育の授業で特別講師として招かれてきた男の顔を見て、歩に稲妻が落ちた。セントラルパークの師匠だった。特別授業が始まる前からボロボロと涙を零す歩へにこやかに話しかける彼は、後光の射した神様だった。

 詳細は話さなかった、というよりもその時は記憶から抜け落ちていたが、魂を注ぎ込んでダンスに打ち込めていないことを、授業の中で少し見ただけで、師匠は看破していた。そんな歩に師匠は、自分がダンサーの他に副業で勤めているスクールを紹介してくれた。ブロードウェイダンスセンター、通称BDC――タイムズスクエア駅のすぐ近くにあるダンススタジオだった。通うのには当然費用がかかるが、自分が担当するレッスンに参加する分には、そして、レッスンの中で合格を出せるだけのパフォーマンスを発揮できたならば、費用を負担しても構わない……と彼が申し出てきた。

 歩には明確なタイムリミットがあった。日本に帰る日は一歩一歩近づいてきていた。このままアメリカでの滞在を続けたい思いは当然あったが、それは叶わなかった。ダンススクールの最終日、近日中にアメリカを離れなくてはならないとたどたどしい英語で伝えようとする歩に耳を傾け、彼は一つの封筒を差し出した。不合格として師匠へ何度か支払った授業料が、全額歩の手元へ戻ってきたのだ。

「いつかアユムのステージを見せてくれ」。最後に師匠は確かにそう言っていたのだと、歩は信じていた。

帰国する直前ちらりと見かけた新聞に、見覚えのある顔が映っていた。サウスブロンクスのあの男だった。アメリカに来て初めて、歩は自ら新聞を購入した。性暴行の現場を押さえたNYPDによって逮捕、その後複数の性暴行の罪で起訴されている、というニュースだったらしいことを、歩は電子辞書を片手に何とか解読した。そこまで分かると、手近にあったゴミ箱に歩は新聞紙を放り捨ててしまった。

 日本の高校を出て東京に来てからは新宿のBDCに通い始めた、ということを最後に、歩が話を終えて大きく深呼吸した。もうすっかり日が暮れていた。一枚のソーサーの上に、使い切ったティーバッグがいくつも積みあがっている。

「歩、この話を知っている人はいるのか?」
「ダンスの話なら何人もいるけど……その……今みたいな話をしたのは、プロデューサーが初めてだよ。誰にも言えなかったんだ。誰にも言わず忘れちゃった方がいいと思ってて。忘れられたと思ってたんだけど、色々、思い出しちゃった……」

 返答に迷った。さっき見せた異変は、心的外傷(トラウマ)の発露かもしれない。芸能界でも性暴行は水面下で起こっている。全て弾いているが、枕営業を暗に要求してくる者もいた。未遂であったとはいえ、目の前に性暴行被害者がいるなんて思いもよらず、迂闊に自分の思ったことを話すのは危険だった。

「大変な目に遭ってたんだな……。話してくれてありがとう。口外はしないから安心してくれ。だが、今すぐに俺からコメントをすることは控えておく。非常に重大なことだと思うから、とにかく慎重になりたい」
「……うん」
「それで……こういうことがあってもなお、ドラマのシナリオにはそのまま乗ろう、って言っているんだな?」
「うん。あんな傷が自分に残ってたってのも、さっき初めて分かったんだけどさ……イヤなヤツにイヤな思いをさせられて、そのせいで心の自由が失われるっていうか、そんなの……ごめん、うまく言えないや……」
「言わんとすることは分かるよ。過去の出来事に未来を狭められたくないってことだろ?」
「そう、そう! それだよ。さすがプロデューサーだな~」

 歩の声に張りが戻り始めた。ちょうど、渡したミネラルウォーターを飲み切ったところだった。

「それでさ……その、プロデューサーに、協力してほしいんだ」
「ああ、もちろん、俺にできるだけの協力をしよう。どんなことを?」

 それから歩は一つの提案をしてきた。実際のベッドシーンを演じるにあたって問題のある行為や姿勢、シチュエーションを見つけて、それを乗り越える必要がある。ところが、現状ではフラッシュバックの引き金を自分でも把握できていないために、まずはそこを探るための相手を務めて欲しい、ということだった。自分の傷口に向き合って歩自身が辛い思いをするかもしれない。そう伝えはしたが、「向き合わなければずっとこのままだから」と搾り出すように呟いた歩の言葉が、決め手になった。

「ごめん、ワガママ言って」
「謝ることじゃない。ただ……どうしてもうまくいかなかったときのために、先方へ交渉を持ち掛ける準備だけはしておくが、それは構わないな?」
「そうならないようにしたいけど……仕方ないよね」
「そもそもの話なんだが……」

 ついティーバッグを取り出し忘れた紅茶が、温かいのに渋い。

「俺が相手役をすることに抵抗は無いのか?」
「全く無いわけじゃないけど、頼むならプロデューサーしかいないかなって。そのー……まぁ、信頼してるし。好き、っていうか。あっ、ライクだからね! ライク!」
「分かった、分かった」

 広げた両手をヒラヒラさせて首を振る歩の表情に、ようやくいつもの調子が戻ってきたように見えた。こうでなくては、と思ったが、目の前で照れ笑いを浮かべる彼女の精神に無残な傷口が残っているのだと思うと、どうにかして塞いでやりたかった。

「歩、夕飯食いに行こうと思うんだが、体調がマシになってるなら、来るか?」

 プレッシャーのかかる話が終わって気が抜けたからか、急に空腹感が込み上げてきた。砂糖も入れないまま紅茶を飲み続けていたが、昼食を取ってからもう六時間以上経っていたのだから当然といえた。

「マジで? イエーイ! で、で、どこ行くの?」
「この間、他所の事務所のプロデューサーさんに、寿司屋教えてもらったんだ。『なみだ巻』っていうわさびの巻き寿司が美味くてな。歩を連れて行こうと思ってたんだよ」

 わさび、という音を認識した瞬間、歩は目を細めた。あの青ざめた絶望を思えば、今の緩んだ表情を見られるだけでもホッとすることができた。だから、「もう成人してるんだからいいよね」と飲酒の許可をせがんできたのも、今日は快諾した。

 初回こそ難航していたドラマの撮影だったが、回を追うごとにリテイクは少なくなっていった。初めの方はパートナーと密着してダンスすることに抵抗を示していたのも今は大分慣れたようで、次第に初々しさの抜けていく立居振る舞いは、ドラマの中の少女の成長とうまくシンクロしていた。

 リテイク無しで撮影を終えた歩が主役の二人と挨拶を交わし、こちらへ駆け寄ってくる。

「指先まで意識が行き届いてて、エレガントなダンスだった」という監督の褒め言葉にすっかり上機嫌で、にやけた笑みが顔に張り付いている。

「お疲れさん。うまくやれてたみたいだな」
「ふふーん。アタシ、意外と女優向いてたりするのかな?」
「調子こいてるとまたやらかすぞ? この間はそんなこと言っててドレス踏んづけただろ」
「いやぁ、それは……ほら、アレだよ」

 スタジオから離れるに連れて、人間一人分あったスペースが狭まっていく。自分たち以外の気配が無くなる頃には、左腕に歩がしがみついていた。

「……次回はさ、いよいよあのシーンの撮影なんだよね」

 散り際の線香花火みたいに、声のトーンが下がった。シナリオの通りに進むならば、次回は、絆が深まりつつある劇中の二人の関係性が大きく進展する回。ベッドシーンの撮影が予定されている。

 ドラマの撮影内容に向けての事前検証は、ここまで全て一緒にこなしていた。フラッシュバックの有無を確かめるために、人目の無い場所では手も握ったし、ハグもした。今だって腕を組んで、本当の恋人同士みたいな距離感で駐車場の隅を歩いている。

 事情があるとはいえ、歩とは、親密になり過ぎることが許されない関係だ。だから、特別な感情は介在させないよう、極力努めてきた。だが――

 歩への協力に「恋人ごっこ」という言葉でラベルを付けたせいだったかもしれない。彼女から向けられる眼差しには、いつしか信頼以上のものがこもるようになっていた。単に恥ずかしがっているだけかと思っていたが、目が合えばじっとこちらを見つめてくることが多くなった。体温を感じ取れるような至近距離になると、一回り大きくなった瞳が潤いを含み、心の底を掬い取ろうとしてくるのだ。鼓動が高鳴る自分がいるのを、認めざるを得なかった。

「……泊まりに行っても、いい?」

 組まれた腕の末端で、手が震えている。事務室で見た蒼白の顔が脳裏をよぎった。あの再現になるかもしれないが、歩はそれを承知でトラウマを乗り越えようとしている。添い寝程度で終わるだろうか。いや、同じベッドで睡眠を取るだけのつもりなら、遠慮や甘えが何層にも折り重なった視線を歩がぶつけてくるはずがない。

歩の覚悟は、もう差し出されていた。もう後戻りできなくなっている。それなのに「これ以上は」なんて考えているのは、自分本位に思えてしまった。

 自宅に向かうまでの間、歩は助手席で大人しくしていた。車窓から見える景色が見慣れたものになっていく。歩のためだからという大義名分をそれらしく自分に言い聞かせたが、女を家に連れ込むことに変わりはない。剥き出しのうなじや、パーカー越しでも分かる胸元の膨らみに視線が行ってしまう辺り、何をどう取り繕おうが男は所詮男だった。歩は歩で、コンビニで購入した物品の中身を、横目でちらちら気にしていた。

 あらかじめ誰かを招くことが分かっていれば、家の中はもう少し片付いているはずだった。アイロンをかける前のシャツや、乱れたベッドも朝のままだ。ゴミを今朝出しておいてよかった。

「思ってたより、汚くないね」
「あまり家にいないからな。っていうか、汚い部屋に住んでると思われてたのか」
「だ、だって、事務室のデスクとか凄いことになってるじゃん」
「あれは仕方ないよ。ひっきりなしに書類が来るんだから」

 体が半自動的にスーツのジャケットをハンガーに提げ、何も考えなくともネクタイがするする解けていく。冷蔵庫から取り出した麦茶を、とりあえずグラスに注ぐ。ソファーに腰かけ、壁のポスターや棚のCDに目を走らせてポニーテールをさらさら揺らしていた歩だったが、グラスを受け取るなり、すぐさま中身を飲み干してしまった。

「……ベッド、大きいんだね」

 歩が指さした先には、使う暇の無い給料で贅沢として買ったクイーンサイズのベッドがある。

「もしかして……さ。普段、一緒に寝る相手がいるの?」
「はは、いないよ。あのでかいベッドはいつも俺が独り占めしてるだけだ」
「そ、そうなんだ……」

 よかった、と呟く声が、微かに聞こえた。

 ソファーの上でクッションを抱えたまま、歩は麦茶のお代わりをひっきりなしにちびちび口にしている。隣に腰を下ろすと、サイドテーブルにグラスが置かれた。

「男の家に上がるのは、やっぱり抵抗があるか?」
「あ、いや、緊張してるだけ――ご、ごめん。やっぱり、ちょっと怖い……。えと、違うんだ、プロデューサーが怖いわけじゃなくて……」

 かつて男の家に、安心しきって立ち入った先で何があったか。それを考えれば無理も無かった。だが、物怖じしがちな歩が、お泊まりの希望を口に出すのに精一杯勇気を振り絞ったのだ。「やっぱりやめておこうか」なんて、俺からは言えなかった。

「本当に無理だと思ったら、迷わず蹴り飛ばせよ」

 腰に手を回す。手の触れた箇所が硬直する。歩は身じろぎしたが、そのまま体を離すかと思いきや、体重をかけて寄りかかってくる。肩を掴んだ両手は、滑るようにして首に回ってきた。これから女を抱くのだ、と本能がざわつきだす。

 顎の先端をなぞると、歩は目を閉じた。しっとりした唇は引っ込み思案だったが、逃げようとはしていなかった。

「キスは初めてじゃなさそうだな」

 そうだけど、と歩は唇を尖らせた。

「あんなの全部、上書きしたい」
「……歩」
「こ……怖いけど、アタシ……絶対に逃げない。お願いだから、途中でやめたりしないでね」

 唇を重ねようとして、歩の額がこつんとぶつかってきた。しがみついた体は小刻みに震えている。

「……舌、入れるぞ」
「うん……ぁ、んっ、ん……!」

 少し強引かもしれない。そう思いつつ、後頭部を掴んで歩を引き寄せる。ぷるっとした唇を割って、閉じられた歯列をノックすると、恐る恐る向こうから舌が差し出されてきた。警戒心を呼び起こさないよう慎重に舌先をくすぐる。先端でイチャつく程度のディープキスだったが、次第に歩も応じてくれた。

 歩の頬が真っ赤に染まっている。濡れた唇の艶に誘われて、もう一度貪る。さっきよりも大胆に口内へ押し入る。拒絶はされなかった。くぐもった声が唾液に溶け込み、歩の両腕が首から背中に回ってきた。呼吸の合間に、唾液の混ざり合う音がする。息苦しさを覚えて口を話すと、互いの唇に銀色の橋がかかっていた。

「ふ、ぁ……ドキドキする……。っ! ひゃ……!」

 剥き出しのうなじに触れると、電気を流されたように、歩の背筋がピンと緊張した。舌の先端を耳の裏側から喉へ滑らせて、胸の膨らみに手を当てる。厚みのある布地の奥に、ふにふにとした感触がある。歩は俺の背中に乗せた拳を、そわそわと握ったり開いたりしていた。

 パーカーのファスナーが下りていくのを、歩は緊張した面持ちで眺めている。こもっていた体温がふんわりと立ち上る。薄手のTシャツには、下着の輪郭も浮き出ていた。両の乳房を掌で持ち上げようとすると、シャツの裾から臍がちらりと姿を見せた。裸体のシルエットを想像すると、じりじりとした焦燥感が体の末端から込み上げる。穢れた性体験の上書きというエクスキューズを抜きにして、歩が欲しくなってきた。

「お、男の人って、やっぱり……おっぱい、好きなの?」
「好きに決まってるだろ。歩みたいに大きかったら尚更だよ。こんな風に触られるのは嫌か?」
「嫌じゃないけど、なんか、ヘンな感じ……」

 曲面上に、僅かな出っ張りがある。爪でなぞる。歩の肩がぴくりと跳ねた。かりっかりっと引っ掻くように弄んでいると、出っ張りが次第に形を取り始める。

「ひ……んっ……そ……そこ……ぉ……!」

 膨らみ始めた乳首は衣服の内側で硬くなってきていた。どんな色をしているのだろう。その好奇心に突き動かされるまま、Tシャツをまくる。シャツの薄い生地越しに感じてはいたが、

「え……えと……一応、オトナっぽいのも持ってるんだけど、その……」

 タンクトップを切り詰めたような黒いスポーツタイプのブラを、はちきれそうなバストが内側から押し上げている。飾り気のない下着は生々しく、簡素なデザインが却って興奮を煽った。

 ブラの裾から手を差し入れてずらすと、抑圧されていた果実がふわっと膨らみ、空気に晒された。顔を埋めたくなるぐらいにふかふかだ。白い素肌に、濃いピンク色がくっきりと目立っている。指で捏ねられて硬くなっていた所に、顔が吸い寄せられた。

「あ、は……っ……!」

 乳首の先端どころか、土台になる乳輪も張り詰めていた。舌で先端を転がして弾く度に、歩が胴体を引いて逃げようとした。背中を抱いて顔を押し付ける。音を立てて吸い付くと、歩は上半身全体を震わせた。

「く……くすぐったい感じなのに……びりびり来るぅ……!」

 歩の声が緩んできた。背中と肩を行ったり来たりしていた両腕に後頭部が抱きすくめられる。滑らかな肌触りに包まれるのが何とも心地よい。強張っていた雰囲気も少しずつ薄くなっていき、このままリラックスして臨めそうだと楽観的な気分にもなってきた。

 だが、すらっとした背中を通り過ぎてくびれたウエストを撫で、そして正面から腹部へ触れようとすると、ハァハァと息を荒げていた歩の呼吸が止まった。

「あの……あ、アタシのお腹、ヘンだよね……」
「? どこがだ?」
「だって……腹筋、割れちゃってるし……」
「努力の結晶だろ? 俺はこれぐらい引き締まってる女の方が好みだな」
「そ……そう言われると、うぅ……」

 贅肉の無いすっきりした胴回りには、力強い弾力があった。大きい乳房に阻まれていて上からではよく見えないが、掌には鍛えられた腹筋が持つ起伏が感じられる。女の子らしくないから、とコンプレックスを抱く腹部は確かに力が入れば硬かったが、体を直接触れられて恥じらう歩は、情事の女の蠱惑的な表情をしていた。

「お……おっぱい触られるより、恥ずかしい……」
「そんな声出されると、もっと触りたくなっちまうぞ?」

 丸々豊かに実った果実の柔らかさと、細い声を発する度に緊張する腹直筋の硬さ。それぞれの手にもたらされる対照的な感触が、飽きの来ない愉悦をもたらす。胸を触られて漏らしていた声は、お腹を触られていても漏れ聞こえてきた。

 歩の体はくたっと脱力していた。ところが、カーゴパンツの内側へ手を差し入れようとすると、全身が一挙に硬直した。触れていた皮膚に鳥肌が浮き出てくる。

「歩?」
「……大丈夫。大丈夫だから。いいよ……そのまま……」

 歩の手が、肘に添えられた。すりすりと体温を探っている。カーゴパンツのボタンを外して腰部の拘束を緩める瞬間、腕をぎゅっと握りしめられた。アンダーウェアの上部についたカルバンクラインのロゴが目に入る。ブラ同様、普段はこういう下着をつけているのだろうか。ゴムの内側へゆっくりと入れさせてもらうと、指先に湿気がまとわりついた。だが、単に蒸れているだけなのか、歩の興奮によるものなのかは、判別がつかなかった。

「う……っっ……」

 こらえるように息を詰まらせる歩。陰毛をかきわけて先に進むのにつれて、しがみつく手の力も強くなった。すぐ傍にあった顔をこちらに向けさせてキスをしてやると、緊迫していた胴体からいくらか力が逃げていった。粘膜のある部分に辿り着き、指先に水っぽいものが触れた。

「そこ……まだ、嫌な汚れが、残ってる気がする……」

 中途半端にはだけさせた状態で下半身はまだ脱がせていないに等しいから、秘部の様子は窺い知れない。粘膜に直接触れないように性器の周辺を探索していると、呼吸の間隔が少しずつ広がってきた。裂け目の底には水気が溜まりつつある。体の中へ繋がる入口はぴっちりと閉じ切ってはおらず、少しずつ押せば受け入れてくれそうだった。

「力を抜けるか?」
「……手、握ってもらってていい? ぎゅっ、て……」

 言われた通りに右手を預かる。一回り小さな歩の手が指を絡めてきた。ふう、と息が吐き出され、膣口の抵抗が弱まった。導かれるように指を押し入れても、強い拒否反応は見られなかった。

 歩の口元に綻びが生じた。

 未開発と思しき膣内はたいへんに狭かった。慎重に先へ進んで、指が沈み切る。奥でじっとしていると、ぎちぎちだった内壁がじんわりと潤いだした。強姦されかかった時と物理的には似たような状況であるはずだが、どうやら歩は恐怖に屈することなく、俺を受け入れてくれそうだった。

「ちょっと動かすぞ」

 歩が頷いたのを確かめて、手首を引く。密着する肉壁の襞が指の関節に引っかかった。第一関節を体内に残したまま、再び奥へ。

「はぁ……はぁっ……」

 緩慢な往復を繰り返す内に、膣が少しずつ潤いを増してきている。股間にあてた手を挟んで締め付けていた太腿からも力が抜け、歩の全身は徐々にリラックスへと転じてきていた。

「……そろそろ、ベッドに行こうか。ソファーの上じゃ狭いしな」
「う、うん……わっ!」

 横抱きにされた歩は小さな悲鳴をあげた。ほんの少しの距離だ。人間一人は決して軽くはないが、軽いとも重いとも口にしないようにした。
 
 掛け布団を足で引っ剥がし、歩を横たえる。天井の電灯を消してベッドサイドのランプを点けた。リモコンをぽいと放り、覆い被さって歩を自分の体の陰に隠してしまった瞬間、

(まずい、この体勢は)

 と肝が冷えた。しかし歩は青ざめることもなく、広々としたベッドに手足を投げ出している。キョトンとしているようにすら見えた。

「あ……や、やっぱり、全部……脱がすの?」
「歩の裸が見たい」
「う~、恥ずかしいよ……けど、まぁ、今更かな、あはは……」

 厚みのあるパーカーがするりと腕から抜け、めくれあがったTシャツとブラも万歳させて脱がせた。曝け出された腋からは、うっすらと制汗剤の匂いがした。つるりとしたそこをじっと眺めていると、歩は慌てて腕で隠した。腋を隠しているのに、ツンと上を向いた双丘は丸出しだ。

 カーゴパンツと一緒にボクサーショーツも引き下ろして、歩の体を覆い隠すものは何も無くなった。ピアスやネックレスといった装身具がそのままの光景はいやらしく、欲求が赤々と燃え上がる。いつも衣服の内側に隠れていたしなやかな体は、思い描いていたよりも一回り小さく見える。束ねたポニーテールを解くと、白いシーツの海原に、明るいピンクがぱさっと広がった。

 よくシェイプアップされた裸体は、思わず見惚れてしまうほど美しかった。だが、困惑した表情の歩を待たせてしまうわけにもいかない。自分の服は雑に脱ぎ捨てた。ベッドの外に何かしら転落しているかもしれないが、今はどうでもよかった。

 手を伸ばして、もちもちした頬を撫でる。歩の手が、手の甲に重なってきた。すべすべした肌の感触が心地よくて、肩や背中に掌を滑らせる。

 手で触れた続きをしようと両膝を掴むと、歩は脚を閉じようとした。だが、太腿の裏やお尻に掌を這わしている内に、体温が馴染んで安心できたのか、脚が開かれていく。

「き、汚いよ、そんな所……」

 下の口とキスしようとすると、歩の声が裏返った。

「汚くなんてないよ。綺麗な色してるじゃないか」
「……そうじゃなくて、そこは……」
「いいよ。『嫌な汚れ』なんて、全部さっぱりさせてやるから」
「……うん、分かった。じゃあ、お、お願い……」

 クンニリングスを求めているとも取れる言葉を契機に、歩の股間へ顔を突っ込んだ。既にある程度の潤いをたたえていた表面の粘液をこそげ取り、交換に唾液を塗り付けていく。赤みの強い粘膜と触れ合っていると、たちまちに掬い取れないほどの愛液がしみ出てきた。

「はっ、あ……あ! ぬ……ぬるぬるして……ひ、やんっ……!」

 両腕で掴んだ太腿は始めの内こそ硬直していたが、甘くなっていく声に溶かされるように、ふにゃっと力が抜けていく。裂け目の頂点に息づくクリトリスを表皮越しに舐ると、甲高い叫びと共に腰が押し付けられた。膣口を舌でほぐされて、ひくひくと花弁が震える。

「……こうされるのも悪くないだろ?」
「う……うん。もっとして欲しい、かも……」

 一人で性器をいじって気持ちよくなった体験はどうやらありそうだ。感じやすいポイントがきちんとあり、愛撫を受けることにも大きな戸惑いは無かった。

 ぺちゃぺちゃと性器を舐める音を、段々大きくなっていく嬌声が打ち消していく。先程指がお邪魔した窄まりへ舌を差し入れて、念入りにほぐす。口の中に広がる酸味が濃くなっていく。さらさらしていた愛液の粘度が増して重たくなった頃には、舌先とねっとりした糸で結ばれた膣口は内部が見えそうな程に開き、来客を予感してぱくぱくと蠕動していた。

 これだけ潤っていれば十分だろう。愛撫に専念していたこちらも焦れてしまっており、さっきからボクサーブリーフの中で男性器が暴れている。突起に引っかかりながら最後の一枚を脱ぎ去ろうとするとき、歩の視線は一点に注がれていた。

「うわ、おっきい……。け……結構グロテスク、なんだね……」

 初々しい反応だった。

「怖くなったか?」
「全く怖くないといえば、ウソになるけど……でも、お……おっきくなってるってことは、プロデューサーも、その……」

 アタシに、興奮してるんだよね。

 自信無さそうに呟いた声は、部屋がしんとしていなければ聞こえないぐらいだった。コンドームを被せたペニスが、びくんと上下に跳ねて返答する。

「……初めてって、やっぱり痛いのかな」
「リラックスしてた方が楽になるぞ。痛かったら、思いっきり爪を立てていいから」

 ごそごそ、もぞもぞ。破瓜への不安を口にはするが、もう俺の体の陰になっていても、歩は怖がっていない。腕が首に巻き付き、掌の温もりが背中にじんわりと広がっていく。

「アタシが痛がっても……途中で止めないでね」
「……承知した」

 過剰な緊張は無い。歩が息を吸うのに合わせて体を前へ進めた。思っていたよりもあっさりと亀頭部分が埋没し、皮膚よりも熱い粘膜がぴったり密着してきた。予想された抵抗を圧倒しようとすると歩は腰を引いたが、小さな呻き声をあげると、逆に向こうから下半身を押し付けてきた。

 狭い体内へ押し入る感覚はあったが、ぬるりと滑ったおかげで、内部を傷つけずに入りきることができたようだ。

「……っ、ごめん、プロデューサー。びっくりして爪立てちゃった……い、痛いよね?」

 左の肩甲骨の辺りに、焼けるような痛みがある。

「『痛いよね』はこっちのセリフだよ。大丈夫か?」
「痛みは、それほどでもないけど、この辺まで硬いのが入ってて、ヘンな感じ……」

 臍の下辺りを指さしている。互いの距離がゼロを通り越して負の値になっている到達点であり、歩の子宮の入り口にあたるポイントだった。

「なんか、不思議……何もしてないのに、どんどん気分がよくなってくる……」

 歩の声はふわふわしていた。爪の刺さった部分を慈しむように掌が撫でてきて、その度に膣が絡みつく。少し体の位置がズレて擦れ、甘い快感の走った亀頭がびくびくと震えて更なる摩擦を生む。

「ね、プロデューサー。動いていいよ……なんか、この子、ウズウズしてるみたいだし」
「……苦しくなったら、無理せずちゃんと言うんだぞ」

 「この子」と言われながら、ぎゅっ、ぎゅっと腹の中で握られ、意識の制御を乗り越えて腰が動きそうになっていた。いいよ、という赦しの言葉は甘美だった。刺激を受けずに疼く一方だったペニスへ刺激が欲しくてたまらなくなって、下半身を引く。襞に何度も擦れて、意識の輪郭がぼやけた。

「歩のナカ……きっついな……」

 ダンスの上達に合わせて発達してきた筋肉は、膣の締まり具合にもしっかり表れている。歩は体を硬直させていないようだったが、ぬるぬる滑ってくれなければ動けなくなるぐらい、初めて男を迎え入れた肉壺はギチギチと締め付けてくる。

「苦しい?」
「そんなことは無いが……気持ちよすぎて、勝手にイッちまうかも……」
「へへ、そうなんだ? じゃあ……いっぱい気持ちよくなってよ……」
「……ああ」

 お腹がくっつくまで、身を沈める。溜息に混じった声を聴きながら、身を引く。閾値をすぐ超えてしまいそうな快感が、腰から下を押し流そうとする。本能が気遣いを上回り、ピストンのストロークは長くなっていく一方だ。

「あっ、あんっ……プロデューサー……! はっ、あっ、あ……!」

 背中にしがみついていた手がシーツの海に沈み、薄い布に皺が寄る。肉欲をぶつける度に、大きな乳房が波打って揺れる。手に取って揉みしだきながら、硬くなった乳首にしゃぶりつく。ぎちっ……と亀頭が締め付けられる。張り出したエラのくびれ目まで扱かれて、睾丸の疼きが急加速した。

 互いの肌が弾け合って、パンパンと乾いた音が立つ。俺の大切な担当アイドルは、初めて男と交わって、甘い声で喘いでいる。禁忌を犯しているのに、心はごうごうと燃え盛っている。もっといたわってやらなければならないのに。理性が必死に説得を試みるが、無駄なく引き締まった若い肉体のもたらすあまりの心地良さに、肉欲に支配された体は自らを絶頂に追い詰めていく。

「んん……ん、っ……あは……擦れる、の、すご……」

 膣肉が複雑にうねって、男性器を絞り上げる。少し気を抜いたらそのまま果ててしまいそうだ。

「歩、どうだ……?」
「き……気持ちいい、のかな……あ……今、すごく、幸せで……苦しいのとか、痛いのとか、よく分かんない……よ……」

 女性器のぬかるみが増して、ぐちゅ、ぐちゅっと卑猥な音がする。歩も感じている。確証も無いのにそう確信して、腰を振るペースが上がる。射精欲求を我慢することなんて、頭の片隅に追いやられていた。

「悪い……もう、イキそうだ……」
「いいよ、ガマンしないで、さ……っ」
「っっ……うっ……!」

 我慢しないでいいよ。その一言と共に一層強く締め付けられた。堪えようとした意志が動物的な快感に捻じ伏せられた。

 尿道を焼きながら、精液が放たれていく。温かさに包まれながら絶頂を迎え、幸福感が胸の内を満たしていく。ぶるぶると下半身を震わせて吐精を続ける俺を見上げながら、歩は手を伸ばしてきた。ペニスの痙攣が止まるまで歩に頭を撫でられていたが、俺は声の混じった吐息を口から漏らしながら、オーガズムに震えることしかできなかった。

「……す、すまん、歩。リードしなきゃいけないのに、先にイッてしまって申し訳ない」
「気持ちよかった……んだよね? なんか……えへへ、可愛かったよ」

 くしゃくしゃと髪を撫でながら、歩は笑っている。結合部に視線を落として、堪え性の無いバカ息子を引きずり出す。出血は無かったようだ。膣の中でたっぷりとまぶされた蜜でスキンの表面がテカテカしている。口を縛って枕元に落とすと、歩の手がそれを拾い上げた。

「……」

 精液溜まりに排泄された白濁液を、歩はぼんやりと眺めている。手の中にそれを握り締めると、ニコニコしていた表情がじんわりと湿り出した。

「どうした?」
「……ぐすっ……ひっく……」
「や、やっぱり痛かったのか? 許してくれ、勝手なことを――」

 瞳から大粒の涙が零れだしたが、「そうじゃない」と歩はかぶりを振った。

「アタシ、最後までちゃんとできたんだ……い、一生、こういうのムリなんじゃないかって……不安だったんだよぉ……!」

 すすり泣きしながら、歩が抱擁を求めた。感情の高まりが、巻き付く腕の力強さに表れている。

 溢れ出した感情を出し切ると、歩は程なくして落ち着きを取り戻した。長い睫毛にはまだ水滴が付着していて、目元が瞬いている。

 腕が、脚が、素肌に密着して体温を擦り付けてくる。ゆるく凸凹した腹部の段差がコリコリとペニスの裏筋に擦れ、発散したはずの熱がムクムクと体内から充填されていく。 

「……あ」
「……」
「す……凄いね。こんな風に、ビクビクして硬くなるんだ……」

 柔肌をぐりぐりと押し付けられて、男のシンボルが張り切っている。目一杯に勃起した後も、歩はその硬さを肌で愉しんでいる。

「あ……あのさ。もう一回欲しい……って言ったら、引いちゃう?」
「俺は大歓迎だが……初めてなのに、体は平気なのか?」
「ジンジンする痛みはちょっとあるけど……それより、もっと繋がっていたいよ……」

 その一言に、びきびきっと陰茎が膨れ上がった。軽くイキそうにすらなってしまう。毛穴から蒸気が出たと錯覚する興奮が沸き立ち、コンドームを取り出そうとする手から箱が滑り落ちた。

 脚を大きく開かせても、歩は嫌がる素振りなど全く見せなかった。それどころか、「早く挿入て欲しい」と視線で訴えてくる。お望み通りに膣口へ先端をあてがう。柔らかく受け入れるどころか、歩の濡れそぼった膣はグイグイと奥へ引き込んでくる。根元まで包まれた途端に力いっぱい抱き締められて、入れた早々に達しかけてしまう。

 歩の中は一突きする度にとろけていく。可愛らしい鳴き声も、喉から絞り出すような生々しい嬌声へと変わっていく。

「あっ、はっ、あ、あ、あ……! ず、ずっと、こうしてたいよぉ……!!」

 歩の脚が絡みついて、ピストンのために後退する下半身を追いかけてくる。ぴっちり張り付いた最奥の壁が、亀頭の中でも一際敏感な所へ吸い付いて、みるみる内に余裕がなくなってくる。俺の方も優しくしてやることができなくなっていて、ぎゅうぎゅう搾ってくるおまんこに夢中になっている。

「……ふっ、ふぅ……」

 表面張力のギリギリ。あと一往復でもしたら弾けてしまう所で、腰を止めた。

「や……止まっちゃ、やだよ……」

 歩がくねくねと腰をよじる。

「早く、早くぅ……お願いだよぉ……」

 切なげに懇願する声に、薄皮が弾けた。

「はあ˝っ……! い、い、いいよぉ……っ!」

 腕の中に歩を抱きとめて、下半身をばちんばちんとぶつける。もうこらえられる限界点を超えていて、尿道から精液があふれ出しそうになっている。

「っ……ひ、くる……なんか、きちゃ……!」
「う……ああっ……、歩……っ……」
「あ、あ、あ……ああぁ~~~~っっ……!!!」

 歩が一際高い声をあげて、根元から先端までがぎりぎりと締め上げられる。抑圧しようと努めていた分、ドロドロの精液が大噴火を起こす。めいっぱい膀胱に溜まった尿を排出するような勢いで、悦楽が尿道を押し広げていく。俺も歩も、互いの性器をひくひくさせては、相手の痙攣にエクスタシーを持続させられていた。

 結局、コンドームは一箱分丸々使い切ってしまった。疲労感でいっぱいになって仰向けになる俺の横で、歩は腕枕に頭を預けてうっとりとしている。

「ね、プロデューサー……」
「ん……?」
「……ありがとう。すごく、スッキリした気分だよ」

 額を覆う前髪の隙間から、歩の目がまっすぐに見つめてくる。

「今なら、何だってできそう」
「……バンジージャンプとか?」
「うん、できる。絶叫マシンも笑顔で乗れるし、来週の撮影だって、裸でやっちゃってもいいかも」
「それはやめてくれ、炎上じゃすまなくなる」
「……冗談だってば」

 甘ったるい雰囲気の中で、歩が微笑んだ。

「今から言うこと、よく聞いててね」
「ああ」

 唇がもごもごと蠢いて躊躇している。耳元に歩の顔を近づいてきて、息がかかった。

「……大好きだよ、マイスウィートハート」

 そう囁くと、歩はいそいそと、掛け布団に顔を隠してしまった。静まり返った頃に「俺もそうだよ」と小声で言ってみたが、歩には聞こえているのかいないのか、寝息のような規則正しい呼吸は何も答えてくれなかった。

 遠目から見ているだけでも分かるぐらい、ベッドシーンの撮影はトラブルなく進行した。一見全裸に見えてしまう恰好でカメラやら集音マイクやらに囲まれていたのに歩は平静を保っているようだった。監督から出されたOKを合図に、ベンチコートを羽織って歩はベッドから抜け出してきた。

「お疲れさん」
「お疲れ。ちょっと緊張したけど、うまくやれてたでしょ?」
「相手役の人の方が緊張してるみたいだったな」
「あー、それなんだけどさ……」

 スタジオを出て廊下を歩いている最中に歩は口ごもった。サンダルのペタペタした足音が会話の空白を埋めようとする。

「撮影入る前に『何かあっても無くてもすみません、先に謝っておきます』って言われたんだけどね。撮影中、その~……元気になってたのがちらっと目に入っちゃった、っていうか」

 声をひそめてそう言った歩が苦笑した。

「彼女に申し訳が立たないって嘆いてたんだけど、とりあえず『ドンマイ』って言っといたよ。男の人も大変なんだね」
「男のそういうのって誤魔化しがきかないからな。それだけ歩が魅力的だったってことだ」
「そ……そういうことに、なる……のかな?」

 曲がり角を通り過ぎて、更衣室の扉が見えた。

「じゃ、出口の所で待ってるよ」

 じゃあ後で、と口にした歩だったが、何か言いたそうにしている。

「どうした?」
「……プロデューサー、やっぱり今日も、遅くまで仕事あったりする?」
「あるといえばあるが……」

 胸元で、指先がもじもじしている。赤みの差した顔から、躊躇を含んだ目が見上げてきた。

「アタシ、明日は大学休みなんだ。だからさ。その、えーと……」

 真っ白な喉の下、浮き出た鎖骨の影が目に入った。

「来るか?」

 歩は遠慮気味に頷いた。どこへ、とは問われなかった。照れ笑いの下で、もじもじしていた両手がきゅっと拳を形作った。

 自販機から取り出したレモンティーが、妙に甘ったるい。



 終わり

以上になります。前置きの長く、かつ明るくない話になってしまいましたが、ここまでお読み頂きありがとうございました。
レイプシーンをしっかり書こうとしてたんですが、嗜虐心の無い自分には荷が重すぎました。ああいうの書ける人凄いです。

ご指摘ご感想など頂けると幸いです。ではまたいずれ。

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