超遮断機に挟まれた可哀想な青年の話 (14)


 ***

 ぼくの思い出。

 中学二年の夏のある日のことだ。

 それはとてもとても蒸し暑い日だった。太陽が恨めしくなるような昼だった。

 退屈な学校を抜け出してぼくはひとり電車に乗っていた。

 知らない線路、知らない街を走る古さびた電車。

 行き先は決めていなかった。ただ遠くへ、ひたすら遠くへ。

 ぼくを苛立たせる大人のいないどこか遠くの国まで。


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 電車がのろい。もっとスピードをだせばいいのに。

 世の中すべて遅すぎる。それがぼくを苛立たせていた。

 それはとても暑い日で、狭い車内もなぜか蒸し暑かった。冷房が壊れている。

 整備員の怠慢。

 狭苦しい車内を見渡すと乗客もみんな不機嫌そうな顔をしていた。もちろんぼくも不機嫌だった。


 ふと自分にまとわりつく視線を感じた。

 車内のどこからかはわからない。近くはない。遠くもない。

 ふやふやの視線がまとわりついてくる。

 警官ではないな、とぼくは直感的に思った。警官なら視線からもっと悪意を読み取れるはずだ。

 平日の昼間、こどもは学校にいる時間だ。補導されるのは嫌だった。

 やつらは大人の勝手でこどもの自由を奪うのが大好きなのだ。


 車内を見回してみても視線の主はいない。ふやふやの視線からは強い意思も感じられない。

 いちいち周りの顔色をうかがわなければ足の一歩も踏み出せないような、そんなつまらない大人の思念が漂っていた。

 なんにせよ視線の幽霊のようなそれにつきまとわれるのはごめんだ。

 ぼくは黒い髪を目元に落とした。かばんからMDウォークマンを取り出し赤いコードを耳にのばす。

 ジョン・レノンがぼくのために歌いだす。彼はぼくのMDのなかでひっそりと呼吸をした。

 視線の幽霊をまくためにその場から離れる。


 外を向いて立ちながら、退屈な風景を眺めていた。

 かんかんかん。

 つまらない大人は遮断機に挟まれてしまえばいい。

 どんどん世界が遅くなる。電車が進まない。

 かんかんかん。

 不快感で真っ赤なトマトが音を立てて潰れる。


『――――人身事故のため一時停止をします。ただいま駅員が確認に向かっております。安全確認を行ったのち発進いたします』


 しかし電車は発進しない。

 動かない冷房、進まない電車、役に立たない駅員。

 無関心な両親、不平等な教師、意地悪な警官。

 優柔不断で煮えきらない大人たち。

 そんな大人たちのせいで世界がきちんと回らないのだ、とぼくは思った。

 何年かけても終わらない裁判。出されては否決される法案。

 踊りかたすら知らない議会。税金を集めて浪費するだけの政府。


 世界がまったく進まない。妨げているのはそういう大人たちだ。心の中にくっきりとした嫌悪感が沸き上がる。

 その嫌悪感に手と足が生えて、人の形になってぼくの頭上から飛び上がった。ぼくはまた分裂してしまったのだ。

 空を飛んだぼくは黒い太陽になって灰色のコンクリートをどろどろに溶かす。

 黒を白と言う政治家、白を黒と言うマスメディア、ひとりでは右も左も決められない大人たち。

 溶かし尽くすことでしか救われない世界のためにぼくは仕方なく笑った。

 そして自分のために緊急レバーを回してドアをこじ開けて外にでた。ぼくはここで、逃げ出すことを選んだ。

 それがみつかって事故にかけつけた警官たちのうちのひとりに補導された。

 中学二年の夏の日、ぼくは結局どこにも行けなかった。

 へんてこな青い服を着た意地悪な警官に邪魔をされたのだ。

 ご丁寧に青い帽子までかぶっていたけど――不思議なことに――本当は青色は嫌いだと顔に書いてあった。


 ***

 僕は結局歳をとった。

 大学二年。

 少しは世の中に慣れたつもりの僕は、世渡りの技術を白いハンカチのように小ぎれいに身につけていた。

 器用に立ち回るならば世の中もそんなに住みづらいところでもないなと思えるようになっていた。

 適当に右習えをして、なんとなく単位を集めて、流行りの服を着て、肩で風を切って大きな道路を歩いていた。

 長すぎる大学の夏期休暇を持て余して、新しくできた街をひとりで散歩していた。

 僕は今日で二十歳になったのだ。

 大きくて綺麗な道路だ。広々として気持ちがいい。

 新しくて綺麗な街だ。


 そう思ったとき、視界から建物が消え、草木は朽ち果て、青かった空は墨に染まった。

 そして目の前に古さびた遮断機が降りてきた。

 僕は大きな踏切の真ん中にいた。
 
 遮断機に挟まれたのだ。


 そこに信じられないようなスピードで電車が迫ってきた。

 僕は踏切の中でひとり躊躇をしていた。

 右に逃げるか、左に逃げるか。

 数秒悩んだのち、僕はようやく足を踏み込んだ。


 ずぶりと足が地面に呑まれた。

 太陽が黒くなってコンクリートをどろどろに溶かしていた。

 電車はぐんぐん加速して僕に近づいてくる。僕の足は灰色の地面に埋もれてゆく。

 ふと電車の運転席に目がいった。

 そこには黒い髪を目元に落としたこどもが笑いながら立っていた。

 耳から伸びた2本の赤いコードが僕には何かの導火線のように見えた。

 その爆弾をみたときああこれは助からないなと僕は悟った。


 電車が迫る。

 そういえば僕は今日で二十歳になったのだ。僕は最期に自分を祝うことにした。

 どうせ最期ならバースデーソングを歌ってくれないかと僕はジョン・レノンに頼んだ。
 
 しかし彼もまた弾丸で撃ち抜かれて静かにそこに横たわっていた。

 踏切が仕方ないなと言って彼の代わりに歌ってくれた。

 かんかんかん。かんかんかん。


 (了)

依頼してきます。

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