北条加蓮と過ごす夏 (136)
これはモバマスssです
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炎天下、つんざくような蝉の声。
意図せず短歌となってしまった景色の向こうには、照り返された陽射しに溶けるコンクリートの群れ。
ビルの窓が、道路が、そして何より遮る物なく降り注ぐ夏の化身が、ただひたすらこの一日を暑くしている。
路上を走る車達も、心なしこの暑さにイラついている様に見えて。
そんな、絵に描いたような夏の始まり。
七月十二日、俺はポツリと呟いた。
「…………あっつ……」
言ったところで涼しくなる訳では無いが、一言くらい愚痴ったって許されるだろう。
それ程の暑さと、それ程の熱さと、あとそれ程の心地悪い汗。
こんな事なら事務所の冷房が効いた部屋で麦茶片手にパソコンとにらめっこしていれば良かったと後悔する事約二秒。
まぁそんな事アシスタント兼事務員の千川ちひろさんが許してくれなかっただろうなと内心で納得(諦念)してしまうまで後0秒。
芸能事務所に勤めている俺は、二時間ほど前からこのクソ熱い炎天下の中をアリの様にひたすら歩き回っていた。
目的はとても単純、スカウトである。
ある程度の見た目の基準を満たしてそこそこ育ちの良さそうな女の子に声を掛けるお仕事。
ぶっきらぼうにあしらわれたり警察を呼ばれかけるお仕事とも言う。
「そこのキミ、可愛いね。アイドルに興味あったりしない?」
「今時間ありますか? 私、アイドル事務所の者で今スカウトやってるんですが」
「アイドルどう? テレビ出れるよ?」
実際自分の娘が見ず知らずの男にそんな風に声を掛けられていたら迷わず警察を呼ぶと思う、まだ未婚だが。
警察が来るのを待っている間に罵詈雑言フルコースのおまけ付きだ。
一応俺の勤めている事務所は業界内でも最大手クラスの、おそらくテレビを見ていれば一度は耳に挟んだ事くらいはあるであろう事務所なのだが。
問題は、殆どの場合きちんとした自己紹介まで漕ぎ着けて名刺を渡すところまで辿り着けない事だ。
更に言っておくと、俺もここまで砕けた口調のスカウトはしていない。
今回は普段の『取り敢えず人数を増やす、手持ちの卵を増やす』為のスカウトでは無い。
『新規ユニット(予定)のメンバーを確保する』為のスカウトなのだ。
ならば事務所に既に所属しているアイドルに声を掛ければいいものを、と思ったし言ってはみたがどうやらそれは専務直々の意向という事で。
と、言う訳で。
今こうして、この暑い夏のど真ん中でせっせと自分内の基準をクリアする女の子を探しては、声を掛けて追い払われるのループを繰り返していた。
ちなみにだが、ユニットの最終的な人数は四人又は五人。
現時点では二人が確定していて、そのうちの片方である女の子は……
「…………暑い……暑いですよぉ……Pさぁん……」
俺の隣でへちょっていた。
佐久間まゆ、十六歳。
元読モ現アイドルな女の子。
ほんわかとした雰囲気で優しそうな感じの女の子。
歌唱力とビジュアルはかなりのモノだが、体力に若干の難が有りそれなのに何故か今日こうして俺に着いて来た女の子。
……本当に、何故着いて来たのだろう。
事務所を出る前は『うふふ、お伴しますよぉ』っと言う様なフンスッみたいな感じだったが、出てすぐ五秒でゾンビになっていた。
可愛らしい格好が台無しである。
それと一応貴女もアイドルなのだから少しは周りの視線や世間の視線等々に気を使って頂きたい。
「き、喫茶店でお茶にしませんかぁ……?」
「俺もそうしたいのは山々だが……」
休憩する前にせめて、二人くらいには名刺を渡しておきたかった。
流石に何の成果も無しに休むのは、こう、罪悪感と言うかなんと言うか。
「と言うか、どこも店が開いてないんだよな……」
「……うふふ……Pさぁん、向こうにオアシスが見えますよぉ……」
「ご先祖様が手を振ってそうだな」
「あら……Pさんのご先祖様にご挨拶しないと……」
三途の川もこの暑さでは干からびてしまうだろう。
駅前から多少は離れているが、それでも東京の割と都心部分。
だと言うのに、視界に入った喫茶店が片っ端から閉店している理由はと言えば……
「帰省してるんだろうな」
「Pさんの帰省のご予定は?」
「聞いてどうするんだ?」
「まゆもご一緒しますっ!」
なかなかにアクティブな子だ、突然元気になるなんて。
ちなみに俺は八月の方で実家に帰る予定ではあるが、まぁ仕事の方次第でもある。
「……この際チェーン店でも良いので入りませんかぁ……?」
「…………だな、少し休もう。少しだ、そして休憩ではなく作戦会議だ」
そうと決まれば話は早い。
来た道を翻して駅前の方へと戻り、全国チェーンの喫茶店を目指す。
贅沢は言わない、この際もうファーストフードのハンバーガーショップでも良い。
この暑さを凌げて、涼しくて、冷たいコーヒーが飲めるのであれば。
程なくして、目の前にMの文字で有名なハンバーガーショップが現れた。
しかもなんと現在、無料でアイスコーヒーを配っていた。
まるで今の俺たちの為に設えられたかの様なこのハンバーガーショップに、感謝の気持ちでいっぱいになる。
流石にタダで居座ると言うのも胸が痛いので、適当にアイスなりシェイクなり注文するとしよう。
「佐久間さんは何にする?」
「まゆですっ」
「そんな商品あったか?」
「……佐久間さんじゃなくてまゆって呼んで下さいって意味ですよぉ……」
「俺はバニラシェイクで良いか、佐久間さんは?」
「まゆです!」
「サイズはどうする?」
「うふふ、Pさんのお好みを教えて貰えますかぁ?」
会話が成立しない。
年齢やIQか大きく開いているとそういった事が起こると言うが、この場合は何の数値がどうなのだろう。
さて、ふざけてばかりでもいられない。
レジは着々と近付いてきていて、そろそろきちんと注文を決めておきたい頃合いだった。
……筈だった。
「は? いや、だから塩抜きって言ったじゃん!!」
「えっ、あっ……えっと、すいません……すぐお作りするので……」
俺たちの一つ前の女の子が、出てきたポテトに文句を言っていた。
どうやら塩抜きを注文したのに塩がかけられていたらしい。
俺としてはしょっぱい方が好きだから塩はガンガンかけて欲しい派だが、美容に気を使う女の子には色々とあるのだろう。
店員さんも新人なのか、対応がかなり慣れてなさそうだ。
「え? この無料券使えない? いやだってちゃんと7/6~7/12ってなってるじゃん!」
「それは、その……クーポンが今年のでは……」
「あ、ほんとだ……え、じゃあ250円? やっば、足りるかな……」
しばらく時間が掛かりそうだ。
従業員が少ないからか、レジは三つあるのに稼働しているのは一つだけ。
このまま並んで待っていては、せっかく貰ったアイスコーヒーの氷が溶けて薄くなってしまう。
…………ん?
「お金足りないんだけど!!」
「そ、そう仰られましても……」
「……いるんですねぇ、こういうお客さん」
佐久間さんが耳打ちしてきた。
ついでに距離をかなり縮めて来る。
けれど俺は、今そちらに意識を向ける余裕が無かった。
目の前でイチャモン付けながら財布の小銭を漁っている茶髪の女子高生をジッと見て……
「まったく、クーポンの期限くらい把握してから来店すべきですよぉ……それに高校生くらいなのに所持金が250円も無いなんて……」
「……よし」
「え? あ、あの……Pさん……?」
これはきっと、またと無いチャンスだ。
意を決して、俺は前の女子高生に話しかける。
「代わりに俺が払いましょうか?」
「は? 何アンタ、店内でナンパとか非常識にも程があるでしょ」
ずばっと即断された。
いや、自分でも分かっているけれど。
ついでに言いたくは無いが、それは君が言えた事でも無いと思う。
余りにも冷ややか過ぎる視線と店員の目が非常に胸に刺さるが、それでももう少しだけ粘ってみよう。
「ナンパとは違うんだが……取り敢えず俺たちも早く買いたいし、此処は払わせて貰えないか?」
「……ポテト一つで女子高生が買えると思ってるの?」
「三分話して興味が湧かなかったら俺たちが立ち去るからさ」
「…………まぁ、良いけど……何ジロジロ見てんの?」
取り敢えず話は聞いて貰えそうだ。
この子の分の支払いをすませ、ついでに俺と佐久間さんのシェイクも注文する。
訝しそうに見ていた店員も、もう我関せずと言った様に流してくれている。
こういう時だけはここが日本で良かったな、などと思ってしまったり。
ポテトのMサイズとシェイクを二つ、そして貰ったアイスコーヒーをトレーに乗せて二階の客席へ。
その間女子高生さんは、ひたすら怪しそうな目でこちらを睨みつけてきた。
「……ナンパするのに彼女連れってどうなの?」
「彼女じゃないから」
「Pざぁ゛ん……」
隣の佐久間さんがビェッっているがスルー。
いやでも良かった、見る人が見たら親子か援助交際だと思われていたろうに。
「……で、何? アタシかポテト食べ終わるまでに話済ませて」
少しくらいは感謝の意を示してくれても良いんじゃないだろうか。
まぁ怪しさ抜群な出会いで警戒するなと言う方が無理があるな。
……さて、と。
おそらくこの子は、さっさと話を済ませないと本当に店を出て行ってしまうだろう。
ならば、まどろっこしいやりとりは抜きだ。
名刺ケースから名刺を取り出し、自己紹介をさっさと済ませる。
「美城プロダクションアイドル部門プロデューサーのPという者です」
「美城……プロダクション……? AVのスカウトなら引っ叩くけど」
「パンフレットや書類はあるが……調べて貰った方が早いな」
「あ、いい自分で調べる。アンタに任せて偽装サイト見せられても嫌だし」
注意深くてよろしい事で。
まぁこの手の詐欺や誘拐じみた事件は後を絶たないし、警戒するに越した事もないだろう。
しばらくスマホで調べているうちに、だんだんと頷いたりへーなんて反応が出始めた。
どうやら、美城プロダクションのサイトで知っている人物が見つかったのか。
「へー、子役の岡崎泰葉ちゃんとかモデルの高垣楓さんとかの事務所なんだ」
「有名どころだと、後は川島瑞樹とかな」
「えっ? ニュースキャスターの?!」
「前はな、今はウチの事務所でアイドルやってるんだ」
「……アンタ、ほんとにこの事務所に勤めてるの?」
「名刺に書いてある番号……いや、公式HPの番号に掛けて確かめてみるか?」
「んー、いいや。そこまで自信あるって事は嘘じゃなさそうだし」
信じて頂けた様で何よりだ。
ここまでで、どうやらこの子は完全に話を聞いてくれないという訳では無いと理解出来た。
ポテトを摘みながらではあるが、こちらの話に興味を持ってくれている。
ならば、後は本題を伝えるだけだ。
「……で、そんな大手事務所のプロデューサー様がこんな普通のJKに何の用?」
「それじゃ、単刀直入に……うちで、アイドル活動をしてみませんか?」
「…………は?」
……まぁ、そういう反応になるのも仕方ないと思う。
「えっ、アタシが? なんで?」
「なんでって……」
アイドルに興味が無い訳ではないが、見るのと自分がなるのは違う。
スポーツだってそうだろう。
観戦が好きだからと言って、自分がその選手になりたいかと聞かれればそれは全くの別問題だ。
やはり、多少の興味を示してくれたからと言って頷いては貰えないか……
「……興味あるかな? って思ったんだけど……不快な思いにさせてしまったとしたら申し訳ない」
こちらも余りにも好き勝手話しすぎてしまっただろう。
仕方ない、アイスコーヒー飲み終わらせてまたスカウトに戻るか。
「あ、ちょっとちょっと! 別にアタシ興味ないとは言ってないし……そうじゃなくて、なんでアタシなんかをスカウトしようとしたの? って事」
「んー……スタイル良いし、言いたい事ハキハキ言える性格っぽいし、顔も整ってて……」
「見た目ばっかじゃん、そんなんなら他にもごまんといたんじゃない?」
「いやそうそう居ないよ、君みたいな綺麗な子は」
「ふふっ、やっぱナンパじゃん」
「確かに、近しいところはある気がしてきた」
笑顔も悪くない、ビジュアルも悪くない。
きっとコミュ力も低くは無いだろう。
けれど言って仕舞えば、この子は普通に『綺麗で可愛い』程度の女子高生だ。
街中でこのレベルにお目にかかる機会は少ないにしても、オーディションを受けに来た子なら確かにごまんと居るかもしれない。
……では何故、俺はこの子に声を掛けたのだろう。
「……こう、一目惚れ……?」
「は? キモッ」
「いや違うな……この子に声を掛けないなんて勿体無いなって思ったんだよ」
「長年の刑事の勘ってやつ?」
「勘か……それは多分あると思う」
とある別の事務所の社長風に言えば「ティンと来た」というやつなのだろう。
以前少しだけお話しを聞かせて頂いた事があるが、「そういう出逢いは大切にしなさい」とも言っていた。
だからきっと、俺はこの子に声を掛けてみた。
……いや、さっさと俺たちも注文したかったからという思いが無かった訳でもないが。
「……ふーん、アタシならアイドル出来そうって思ったんだ」
「あぁ、どうかな。勿論返事はすぐでなくても構わない、なんなら一度事務所の見学に」
その言葉の先は、言う必要が無かった。
「ううん、やる。もう少し詳しい話を聞かせて貰って良いですか?」
自分の勘も、なかなかどうして頼りになるものである。
まるで人が変わったかの様に、目の前の女の子は此方へときちんと向き直った。
信じていなかった訳では無いが……「ティンときた」なんていうアバウトなアドバイスも、強ち間違いではないのかもしれない。
そんな風に、本当に上手くいってしまいそうな、そんな気がした。
「大まかな説明としてはこんな感じかな。気になったところとかはある?」
「…………」
「……どうした? 大丈夫?」
「話が難し過ぎて全然入って来なかった」
「……パンフレットと書類、後で渡すから」
気付けば、アイスコーヒーの氷は溶けきっていた。
そのくらいの時間を話して分かったが、どうやらこの子はそこまで頭の方は良くないみたいだ。
その他の手応えは悪くない。
体力は無いと言っていたが、それだってレッスンを続けていればどうとでもなるだろう。
隣の佐久間さんは終始無言で、ずっとニコニコしながら座っていた。
無言の圧力とも言える。
「それにしても……へー、そっちの子もアイドルなんだ」
「……うふふ、佐久間まゆです」
「知ってるよ。読モの子でしょ?」
「あら、昔のまゆの事を知ってくれているなんて嬉しいですっ。今は此方のPさんに担当して貰っているアイドルですが」
「……ふふっ、この人優しそうだもんね」
「……ええ、そうです。お店に迷惑を掛けるクレーマーすらにも優しく接してくれる素敵な人ですよぉ」
「確かに、この暑い中付き纏われても文句言わなそうだよね」
「…………うふふっ」
「…………ふふっ」
なんだろう……この二人なら、相性良くやっていけそうな気がしてきた。
初対面でこうして啀み合う人達の方が逆に長続きしそうだし。
「……何かあれば、名刺に書いてある番号に掛ければ俺に繋がるから」
「……クレーマー」
「……ストーカー」
是非とも俺の話を聞いて頂きたい。
「えっと、明日にでもうちの事務所来てみるか? 土曜日だから学校休みだろうし」
「んー、悪いけど暫くの間は予定あるから……えーっと、来週の火曜日で良い?」
あぁそうか、高校生はもう学校によっては夏休みか。
「もちろん、来れる時間が分かったらメールか電話を頼む」
「おっけー」
最初は難航すると思っていたが、思いの外サクサク話が進んでくれた。
元々、芸能活動に関して興味はあったのだろう。
なら本当に、話し掛けてみて良かった。
佐久間さんは未だにとても素敵な笑顔を浮かべたままだが。
「それじゃ……あー、えーっと……最初に聞くべきだったんだが、ナンパと思われるの避けたくて聞き忘れててさ」
「あ、名前? 北条加蓮で十六歳」
「待って待って今メモするから」
「んー、別に必要無いのに」
そんな訳あるか、事務所に戻ってちひろさんに報告しなければならないのだから。
とは言え思わぬ収穫だった。
「それじゃ、ちゃんと連絡するからね?」
「おう、信じて待ってるよ」
そんな風に、そんな訳で。
余りにも些細な偶然の積み重ねによって、北条加蓮という少女との出逢いが生まれた。
「おかえりなさい、プロデューサーさん、まゆちゃん」
「あ……おかえりなさい」
涼しい事務所に戻ると、涼しい部屋で涼しそうにアシスタントのちひろさんと担当アイドルである緒方智絵里が涼んでいた。
とても涼しそうだ。
「ゔぁぁ……あっっつかったですよぉ……」
「なら事務所で休んでれば良かったのに」
ソファにぐでーんと沈み込む佐久間さん。
そんな感じのゆるキャラかいた様な気がする。
「あ、ちひろさん! 聞いて下さい!!」
「どうしたの? 僕。 迷子ならお姉さんが一緒に親御さんを探してあげましょうか?」
「お姉さん」
「今どこに疑問を覚えました?」
おっと、そうではない。
せっかく良い知らせがあるのだから。
「実は……スカウト、上手くいったんですよ!」
「……えっ、4/1はとっくに過ぎてますが……」
「いえ冗談ではなく、本当ですって!」
「えー……世も末ですね」
「ちひろさんのその辛辣な感じ、嫌いじゃないですよ」
「あぁあ……智絵里ちゃん、今回は私の負けです。冷蔵庫のゼリーは譲ります」
「やった……!」
そこまで信頼されていないと普通に傷付く。
確かにここ数日……1.2週間か? なんの収穫も無ければそう思われても仕方がないか。
言い訳すると、俺だって他の仕事があるしずっとスカウトしてた訳では無い。
そして緒方さんは信頼してくれてたんだと思うと、少し目頭が熱くなった。
「それで、その女の子は?」
「今日からしばらく予定があるとかで、来週の火曜に見学に来るらしいです」
「……体良く逃げられたんじゃないですか?」
「そんな事は無いと思います。かなりズバズバ言う子だったんで、立ち去るなら話を聞く前にさっさと帰ってたと思いますし」
あの子は絶対に来る、そんな予感があった。
もちろんあの子がもし本気で興味が無ければ、さっさと帰っていた様な性格だと言うのもあるが。
話を聞いてくれている時の彼女は、とても楽しそうだったから。
自分がアイドルになってステージで歌って踊る、そんな煌びやかな光景を想像してくれていたから。
「……まぁ、プロデューサーさんがそう言うのであれば……」
「それで……えっと、その子はどんな子なんですか……?」
どんな子、か……
当然、今後一緒に活動していく事になるかもしれないとなれば気になるよな。
「クレーマーですよぉ」
「……え、えぇ……クレーマーなんですか……?」
おい佐久間さん、悪印象を植え付けようとするんじゃない。
いや、確かに初見の印象はクレーマーだったが。
「他には……ええと、期限の切れたクーポンを持ち歩いてましたねぇ」
「き、きっと物を大切にする子なのかも……」
緒方さんの精一杯のフォローがとてもいじらしい。
「ちなみにプロデューサーさん、その子のお名前と年齢は?」
「ええっと……北条加蓮で十六歳って言ってましたね」
「わたし達と同い年なんだ……それなのにクレーマー……」
「おい佐久間さん、君のせいで緒方さんに変なイメージ付いちゃってるんだけど」
……まぁ、間違ってはいないのだが。
改めて、この先が少しばかり不安になってきた。
『もしもーし、今晩はー。あれ? こういうのっておはようございますなんだっけ?』
…………誰?
月曜日の夜、そろそろ寝ようかと思っていたタイミングで知らない番号から電話が掛かってきた。
佐久間さんだったら無視しようと思っていたが(彼女は毎晩掛けてきて遅くまでお話しさせられる為)、仕事関係だったらマズイと出たは良いものの……
「……どちら様でしょう?」
どうやら相手は女の子のようだった。
こんな時間にかけてくるなんて、デリヘル嬢が番号を間違えたか?
『あれ? この番号ってPさんの番号だよね?』
「間違いありませんが……どちら様でしょうか?」
『よかったー、これで違ってたら恥かくところだった』
「だからどちら様でしょうか?!」
どうやら間違い電話では無いらしいが、それはそれとして誰なんだろう。
俺の番号を知っている女子高生なんて、それこそ佐久間さんか緒方さんくらいな筈なのだが。
『じゃー問題! 私は誰でしょー?』
「分かんないからどちら様でしょうかって聞いてるんですけど!」
『…………ホントに分かんないの?』
……え、何そのこっちが悪いみたいな空気。
がっかりするくらいならまず名乗って欲しい、電話のマナーだろう。
『ヒントは……うーん、ポテト!』
「……あぁ、あのクレーマーの……北条加蓮さんか」
『覚え方が腹立つ……でもま、覚えててくれたし良しって事にしてあげる』
忘れる訳が無いだろう、あんな衝撃的(?)な出逢いであれば。
それにあの日からずっと、これで連絡くれなかったらどうしようと不安になっていたのだから。
初めてのスカウト、それ程にはこちらも不安だったのだ。
ところでヒントがポテトってどうなのだろう。
「こっちもこんな時間に電話掛けられてしかもダル絡みとか、佐久間さんで慣れて無ければ怒ってたからな?」
『じゃあおあいこって事で。それでなんだけど、明日って私本当に見学に行って良いんだよね?』
「もちろん、時間の方は?」
『お昼の十二時くらいで大丈夫?』
「あぁ、明日は一日中事務所に居る筈だから。事務所入ったらロビーに俺の名刺見せてくれれば大丈夫な筈」
『おっけー、それじゃよろしくね?』
ピッ、つー、つー、つー。
通話を切られた。
……最初の数日は、ちひろさんに社会の常識講座を開講して頂いた方が良さそうだ。
「へー……事務所って言うから、もっとゴチャゴチャした場所イメージしてた」
「レッスンに収録にリラクゼーション、何から何まで出来る事務所だからな」
「ファーストフードは無いの?」
「下にカフェテリアと社員食堂なら」
「プールは? あとカラオケとか」
「然るべき施設で楽しんでくれ」
火曜日、昼。
たまたま運良くコンビニで買い物した帰りに北条さんと合流し、早速俺たちの部屋へ向かいがてら軽く案内をしていた。
キョロキョロと興味津々に辺りを見回して、此方が言葉を言い切る前に次のモノへと興味が移る。
うん、そう言った好奇心はとても大切だと思う。
願わくば、もう少しで良いから此方の言葉に耳を傾けて頂きたい。
「うっわエレベータのパネル多……引っ越しの時とか大変そー」
「えっと……北条さん、で良い?」
「やだ」
「そんな返事あるか?」
実に新しい。その返答は予想してなかった。
呼び捨てにしろということか?
それともちゃん付けとか?
はたまた、様とか氏とかにするべきだったのだろうか。
……それはそれとして、改めてちひろさんには色々と苦労かけそうだなと思ったり。
「なんかよそよそしくない?」
「ほぼほぼ初対面だぞ俺たち」
「確かに。二度目ましてだね」
「その挨拶も随分と斬新だな」
「心残りってやつ?」
「それは残心」
それもまた違う意味な気がするが。
で、なんとお呼びすれば良いのだろう。
部屋に入って他のみんなに紹介する前には決めておきたいところだ。
「加蓮で良くない?」
「加蓮がそれで良いなら」
「お、ナチュラルに呼んでくるね。学生の頃はモテた?」
「生まれてこのかたイコール年齢だぞ」
「それイコールじゃない人いるの?」
さて、どうやら加蓮と呼べば良いとのことなので加蓮と呼ぶ事にしよう。
……佐久間さんに色々と言われてしまいそうだな、などと。
「ここが俺たちの部屋だ。扉を開ければ、君は芸能界に足を踏み入れる事に」
ガチャ
「おはようございまーす」
「……戻りました、ちひろさん」
部屋に戻ると、デスクワークしているちひろさんと、冷たいお茶を入れて待っていた緒方さんと、ソファで踏ん反り返っている佐久間さんが居た。
……佐久間さんはどうしてそうなっちゃったんだろう。
「あ、初めまして。ええと……北条加蓮ちゃん、でよろしかったですか?」
「うん、初めまして。へー、ここも綺麗な部屋だね」
再びキョロキョロと部屋を見回す加蓮。
確かにこの部屋も、ザ・事務所という感じは薄いかもしれない。
おそらくもっとデスクが並んでゴチャゴチャした場所を想像していたのだろう。
昔はどうだったか知らないが、今時の芸能事務所は割と小綺麗な部屋が多いのだ。
「智絵里ちゃんとまゆちゃんがいつもお掃除してくれてますから」
「あ……は、初めまして。緒方智絵里です」
「初めまして、北条加蓮だよ」
「…………ギャル?」
「そ、イケイケキャピキャピでナウでヤングなギャルだよ」
何も言うまい。
「……まゆへの挨拶が済んでませんよぉ」
ソファで踏ん反り返っている佐久間さんが口を開いた。
長老なのか君は。
「ねぇPさん、ちょっと聞きたい事があるんだけど」
「どうした加蓮」
「……か、加蓮……? 名前呼びの呼び捨て……随分な急接近ぶりですねぇ、いつから二人はそんな親密な間柄になったんですかぁ……?」
「別に私たちの関係なんてあんたには関係なくない?」
「まゆですら名前で呼んで貰えてないのに! ハワイと日本ですら毎年8cmしか接近しないのに! 不公平ですよぉ!!」
「ま、昨日二人で熱い夜を共にしたからなんだけどね」
「……Pざぁ゛ん……」
「通話な、通話。それに五分足らずだし」
余りにも会話が進まない。
ちなみにその五分足らずの通話の間に、佐久間さんからは着信が三件あった。
というかこの二人、随分と仲良くなるのがお早い事で。
「不公平です! まゆも佐久間さんじゃなくてまゆ呼びを要求します!!」
「……じゃあまゆで」
「……うふふ……加蓮ちゃんは今回限り特別に、その成果を認めて不敬罪を見逃してあげますよぉ」
クネクネしている佐久間さんはさて置き、そろそろ話を進めさせて貰わないと。
このままでは日が暮れてしまう。
「……プロデューサーさん……だったら、その……わたしだけ苗字呼びは仲間外れみたいだから……」
「……智絵里って呼ばせて貰うよ」
「だっる、何この茶番。話進めてよPさん」
「加蓮がそれを言うのか」
「ゴホンッ!」
ちひろさんのワザとらしい咳払いとジト目が痛い。
「では加蓮ちゃん。軽くプロデューサーさんから話は聞いていると思いますが、おそらく抜け落ちてる点があると思いますのでもう一度私から説明させて頂きます」
それは非常に助かる。
ちひろさんの方が契約内容を上手く噛み砕いて説明してくれるだろう。
それからしばらく、加蓮はちひろさんの業務形態や事務所のシステム等に関する説明を受けていた。
一応先日俺が説明してはいるのだが、多分全部を一回で理解は難しかっただろうし。
それと後は、本人の同意を得た後に親御さんの同意書も頂かないと。
実家暮らしなのか分からないが、一度お越し頂くかこちらから伺うかしよう。
「後は此方の書類に目を通し後サインして頂いて……の前に、もう少し事務所を見学しますか?」
「あ、良い? レッスンがどんな事やってるのか見たいかも」
「……それと加蓮ちゃん、敬語でお話ししませんか?」
「えー、もっと砕けてた方がお互い楽じゃ」
「ふふ、加蓮ちゃん? 敬語でお話ししましょう?」
「……はい。そうさせてもらいます」
流石ちひろさんだ、笑顔のままなのに圧力が凄い。
加蓮も背筋がピンッとしたし、やはりちひろさんに任せて大正解だった様だ。
「うふふ、うふふふふ」
「うるさいリストバンド」
「これはリボンですよぉ……」
「……プロデューサーさん、加蓮ちゃんの案内をお願いしても良いですか?」
「勿論です。それじゃ、レッスンルームから覗いて行くか」
「ワン、ツー! ワン、ツー! はいそこでターンッ!」
「……うっわ……疲れそー……」
加蓮と並んでレッスンルームを見学。
ルームの中ではトレーニングウェアを着たアイドル候補生達がトレーナーさんのしごきを受けて汗だくになっていた。
その中には佐久間さ……まゆや智絵里も居る、筈。
居た、壁にもたれかかって潰れてた。
「これ毎日やるの? 私体力無いし努力とか嫌いなんだけど」
「毎日じゃないさ。あと努力が嫌いとか他の人には言うなよ?」
「えー、でもほらよく言うじゃん? 素直な子程可愛いって」
「加蓮は十分可愛いからもう少し取り繕おうとしてくれ」
「うっわ、言ってて恥ずかしくないの?」
恥ずかしく無い訳ではないが、慣れた。
アイドルを素直な言葉で褒めるスキルは、プロデューサーやマネージャーをやっていれば必須なのだから。
「ほう……素直な子程可愛い、か。一つ勉強になった」
かつん、かつん。
気付けばトレーナーさんが、レッスンを小休止しトレーニングをさせて此方に近付いて来ていた。
その表情には満面の笑みが張り付けられている。
このタイプの笑顔は良く知っている。
ちひろさんがよく俺に対して向けてくる笑顔だ。
「見ない顔だな……新人か?」
「北条加蓮で~……です。はい、新人です」
「成る程な……君の様な新人は大歓迎だ」
笑顔と仁王立ちの相乗効果でとんでもない威圧を放っている。
金剛力士像あたりと並べても見劣りしないだろう。
となりの加蓮が(やば、やっちゃった……)という表情をしている。
残念ながら、俺では助け舟は出せなさそうだ。
「……ところで、私は君から教えを受けたが……まだ私からのお返しが出来ていないな。そうだ、良い機会だし君に努力の素晴らしさを教えてあげよう」
「えっ、いや別に……きょ、今日は見学だから」
「だったら尚更、わざわざ見学だけで終わらせるのは申し訳ない。さぁ、身体をほぐせ。君の様な素直な子なら血反吐を吐いても可愛く見えるだろうからな」
「トレーニングウェアが……」
「貸出用くらいある。他に言い訳はあるか?」
「ふふ……楽しい……努力って素敵……流した汗は美しい……」
「大丈夫か……?」
「大丈夫な様に見える?」
「大切なのはどう見えるか、ではなくてどう見られたいかだからな」
「……ふふっ、三途の川が見える!」
「帰って来て」
体験レッスン(しごきとも言う)が始まって60分、床にはかつて加蓮だったものがへばりついていた。
60分なら体育の授業+休み時間分程度と思われるかもしれないが、その教師があのトレーナーさんとなると話は全くの別物だ。
以前俺もまゆと智絵里に誘われて一度だけ受講させて頂いたが……あれおかしいな、その時の記憶が無い。
きっと楽しかったのだろう、翌日の土曜はまるまる寝て過ごした。
「……しんど過ぎ。私これアイドル無理かも」
「いつもそんなにしんどい訳じゃない、初回はトレーナーさんも気合入るからな」
「次からはもっと楽?」
「…………楽しいと思うぞ」
まぁでも、だんだんと体力がついて身体も動く様になるだろう。
誰だって最初はそんなものた。
「でも凄いね、みんなレッスンについてってるの」
加蓮の視線の先には、何度も何度もステップを踏んでは跳ねてを繰り返す女の子達。
動きが遅かったり失敗って動きが止まった子には、すかさず怒声が飛んでいる。
「目標があるからな、その為にみんな頑張ってるんだよ」
「アイドル?」
「だろうな、このレッスンルームに居るって事は」
「ふふっ、プロデューサーさんも?」
「揚げ足を取るんじゃない」
どうやら軽口を叩く余裕は戻ってきた様だ。
なんだ、言うほど体力がない訳じゃないじゃないか。
「動けそうなら、他も見学してくか?」
「うん。あ、体験レッスンとかは結構だからね?!」
努力の素晴らしさとトレーナーさんの恐ろしさ……優しさを教えて貰った様だな。
トレーナーさんにお礼を言って、レッスンルームから抜ける。
それからボイスレッスンをしている部屋を覗いたり、エステルームを覗いたり。
やけに食堂にポテトがあるか気になるらしくそちらも覗いたが、残念ながらポテトは既に売り切れだったり。
おそらく今日一日で一番の絶望顔だった。
「さて、他に見たいところは?」
「うーん……あ、所属してるアイドルのライブ映像とか観れる?」
「もちろん、それじゃ部屋に戻るか」
ちひろさんに頼めば、うちに所属しているアイドルであれば全員のライブ映像を観させて貰えるだろう。
部屋に戻ると、まだまゆと智絵里は戻って来ていなかった。
「あら、お帰りなさい。如何でしたか?」
「……努力の素晴らしさを教えて貰いました」
「……あぁ、成る程」
ちひろさんの苦笑い。
どうやら察した様だ。
「あ、ちひろさん。加蓮がライブ映像を観たいそうなんですが用意出来ますか?」
「勿論ですが……どの子のライブが良いですか?」
「んー……せっかくだし、あの二人が出てるのにしよっかな」
あの二人、とはまゆと智絵里の事だろう。
了解しました、と笑ってちひろさんは一枚のDVDを出してくれた。
そのまま再生機を起動してセット。
加蓮とテーブルを挟んでソファに座り、テレビをつける。
……あぁ、この時のか。
俺、観たら感動で泣きそうだな。
「全部観るのは長いだろうし、まゆと智絵里の出番のところだけで良いか?」
「おっけー。あ、それと冒頭だけ観てもいい?」
「もちろんだ」
画面に映し出されているのは、まだライトアップされておらず暗いステージ。
けれどもう既に、集まったファンの熱気が伝わって来た。
開演を今か今かと待つ思いが観ている此方まで伝わってシンクロする。
加蓮も食い入る様に画面を見つめていた。
『長らくお待たせしましたっ! まもなく開演ですっ!!』
うぉぉぉっ、っと会場全体から歓声が上がる。
まばゆい程に照らされるステージ、振り回される色とりどりのサイリウム。
笑顔で入場するアイドル達に、尚更湧き上がる会場。
喝采の拍手で迎え入れられ、早速一曲目が始まった。
「…………すご……」
「凄いだろ」
「……うん。凄い」
「だろ」
語彙力は現在休暇中。
おそらく持ち主の俺より高頻度で休みを取っている。
見れば、加蓮が曲のリズムに合わせてつま先を振っていた。
そしてあっという間に一曲目が終わり、自己紹介に入る。
「……凄くない?」
「凄いだろ」
「……うん、凄い」
「だろ」
「あの……その会話、さっきもしてた様な……」
「あらあら、懐かしいですねぇ」
まゆと智絵里がレッスンを終えて戻って来ていた。
そのままソファに着いて、四人でテレビを囲む。
デスクで作業していたちひろさんも手を止めて。
少し早送りして、智絵里とまゆが二人で歌っている場面まで飛ばす。
『うふふ……忘れられない日にしましょうね、皆さん?』
『智絵里です……! いきます!』
スポットライトは二本の光、照らされた先に二人のアイドル。
最高の笑顔でマイクを持って、曲が流れるのを待っている。
……もう泣きそうになってしまった。
あのステージに二人が立つまでの日々を、共に過ごして来たのだから。
「……なんでわたし、自己紹介したのかな……」
「Pさぁん! まゆですよぉ!!」
「うっさい! 今いいとこなんだから黙ってて!」
一瞬静かになった会場に、曲のイントロが流れる。
それと同時に、爆発したかの様に再び盛り上がる。
『今振り向かせてあげるっ、パステルピンクな罠で!』
『応えてね "Be my Darling!" 連れてくよ 未知の世界へ』
曲名は『パステルピンクな恋』
佐久間まゆと緒方智絵里が、二人で初めて歌った曲。
ピンク色のサイリウムが会場を埋め尽くし、まるで桜吹雪の様に揺られ続ける。
そこからは誰も言葉を発さず、ただ黙って二人のアイドルに魅入っていた。
サビに入る瞬間、思わずサイリウムを持ってもいないのに両腕を振ろうとしてしまった程だ。
『『ここに来て "Be my Darling!" 抱きしめて心まるごと LOVE YOU』』
二人が歌い終える。
それと入れ替わる様に巻き起こる拍手の嵐は、俺と加蓮とちひろさんからも発されていた。
「如何でしたか? 加蓮ちゃん。これがアイドル佐久間まゆです!」
「…………すご……」
「凄いだろ」
「……うん。凄い」
「だろ」
脳死していると思われてしまうかもしれないが、本当に凄かったのだ。
既にマイクは下ろしている二人には、それ程までに心を掴んで離さない『アイドル』だった。
「……みんな、楽しそう」
「ファンの皆さん、遠くから来てくれた人もいるから……その分、喜んで貰えたら良いな、って……」
智絵里の言葉に、目頭が熱くなってくる。
ちひろさんは作業を諦めてお茶を飲んでいた。
「……智絵里、だよね? どうしてアイドル始めようと思ったの?」
「えっ? わ、わたしは……その、変わりたかったから……」
「変わる? 何かに?」
「えっと……自分を、です。わたし、引っ込み思案で……そんなわたしでも、変われたら良いな、って」
ティッシュが足りない。
「へぇ……そっか」
「まゆには聞かないんですかぁ?」
「ライブ、凄かったじゃん」
「うふふ、加蓮ちゃんもいずれあの場所に立つんですよ?」
「そっかー……私も、立てるのかな」
「そこは加蓮ちゃん次第じゃないですかぁ? Pさんと、勿論ユニットを組んだらまゆと智絵里ちゃんも一緒ですから」
加蓮にも、きっと憧れはあるのだろう。
私も立てるのかな、と、そう呟いた加蓮の表情はまるでずっと持ち続けた夢を眺めるかの様で。
彼女にもまた、ステージに託す願いがあって。
だったら、俺のやるべき事は一つ。
「……ところで加蓮は、何かそういった目標とかはあるのか?」
「……うーん、気が早いって言われちゃうかもしれないけど……」
そうだねー、なんて天井を見上げてから。
ふふっ、っと微笑んで。
「希望をお裾分けしてあげたい」
「ファンに?」
「ううん、一瞬でも見てくれた人全員に。私、昔ちょっと色々諦めててさ……そんな私にも希望をくれたのが、テレビの向こうの『アイドル』だったから」
……素敵な願いだ。
必ず、叶えさせてみせる。
「あのー、加蓮ちゃん。水を差す様で申し訳無いんですが事務的なお話をして大丈夫ですか?」
「あ、書類の記入とか?」
「その辺りです」
それからまた、ちひろさんが加蓮に記入事項や記入欄を説明し始めた。
さて、俺もそろそろ片付けなきゃいけない書類を……
「……あ、ちなみに私家ないんだけど」
「「「「は?」」」」
ぴぴぴぴっ、ぴぴぴぴっ
目覚ましのアラームで目を覚ます水曜日。
冷房は既にタイマーで切られ、少しずつ暑くなってきた部屋に汗をかく。
これは一つ目にセットしてある六時半のアラームだから、まだ後三十分は眠れる。
そしたらシャワー浴びて朝食を……
ゴンッ!
「いてっ!」
寝返りを打って床に叩きつけられた。
寝相は悪くないと思っていたのだが、どうやらベッドのかなり端の方で眠ってしまっていた様……
「……あれ? ソファ?」
まだぼやける目を擦りながら立ち上がれば、そこにベッドは無くソファが置いてあった。
なんで俺はソファで寝ていたんだ?
昨夜お酒を飲んだ記憶は無い。
記憶が飛ぶ程酒を飲むなんて事は、流石に火曜日にはしないだろう。
……まぁ、いいか。
疲れていて、シャワーを浴びてソファで寝てしまったのかもしれない。
そういった事が過去に無かった訳ではないし、その線が濃そうだ。
なら、寝室行って後三十分はベッドで良質な二度寝を貪るとしよう。
「…………げっ」
寝室のドアを開けば、中から冷たい空気が流れ出て来た。
静かにだが、エアコンが動いている音がする。
……冷房が、かかっていた。
そんな……一晩中、誰も居ないのに付けっぱなしにしてしまったのか。
実際一晩程度なら大した電気代にはならないが、精神的なダメージが大きい。
別に関係ないのにちひろさんに説教されそうだ。
とは言え、今は多少好都合。
一から部屋を冷やす必要は無くなったし、三十分程度なら今切って丁度良いくらいの温度で二度寝を楽しめる。
さて、エアコンのリモコンは何処だろう。
部屋の電気をつけて……
「……………………は?」
寝起き早々度重なる衝撃(そのうち一つは物理的な)の連続に、遂にに俺は言葉を失った。
「……んん……電気消して……」
部屋に、女の子が居た。
普段俺が寝ているベッドの上で、女子高生くらいの女の子が眠っていた。
電気を消してもう一度つける。
女の子は居なくなっていたりしてくれなかった。
……デリヘル?
いや、なんでこんな時間まで居るんだ。
というかどう見ても女子高生だよな?
…………誘拐? 強盗? 空き巣?
警察を呼ぶべきだろうか。
けれどもし俺が誘拐した子だった場合、俺が逮捕されてしまう。
そうでなくとも、この子が『この人に誘拐されたんです!』と言えば、裁判で俺に勝ち目は無いだろう。
いや、流石に俺が本当に無意識のうちに誘拐を行なっていたとしたら自首するが。
「ふぁぁあ……電気消してって言ってんでしょ……っ!」
「いやお前誰だよ!」
「っ?! アンタ誰?!」
「こっちのセリフだ!!」
……あぁ、叫んだおかげで目が覚めてきた。
それと並行して、段々と昨日の記憶が蘇る。
「「……思い出した」」
女子高生と声が重なった。
肌を重ねていたとしたら大問題だが、その心配は無さそうだ。
「……おはよ、Pさん」
「……うん。おはよう加蓮」
その子の名前は、北条加蓮。
色々あって(というよりも無くて)、今日から暫くの間だけ同棲する事になった女の子だった。
「……あ、ちなみに私家ないんだけど」
「「「「は?」」」」
響いた声は四人分、綺麗に重なり四方から加蓮へと向けられた。
当たり前だろう、この反応は。
女子高生なのに家が無い?
だったら今までどうやって暮らしてきのだ。
「……詳しい事情を教えて頂いても大丈夫ですか?」
かなりデリケートな事情を予感し、ちひろさんが丁寧にマイルドに尋ねにいった。
「うーん……あ、家って言うのは私が住む場所って意味ね?」
「いえ、それは分かってますから……」
誤魔化した、という事はあまり話したくは無い内容なのだろう。
加蓮の事だから家という単語の説明を本気でしている可能性もあるが。
「今まではどうやって……実家暮らしだったんですか? それとも一人暮らし?」
「元々は実家に暮らしてたんだけど……ちょっと色々あって、今は一人でね。それでここしばらくは……友達の家とかネットカフェとか」
色々あって、の方は今は良いだろう。
それから一人暮らしをしていて、家賃を払えなくなったりしたのだろうか。
だとしたら、ポテト代すら支払えないのも頷ける。
土曜~月曜間はバイトでもしていたのか。
「色々……」
「……話さなきゃダメ?」
「……いえ、大丈夫です。こちらで寮のお部屋を用意出来ますから」
「正直、寮代もきついかも」
まぁ、ポテト代すら支払えないんじゃそうだろうな。
寮の家賃システムがどうなっているのか詳しくは知らないが、いくら大手の事務所とはいえ無料という事は無いだろう。
加蓮だけを免除にするなんて、そんな事したら完全無償化しなければならなくなる。
何かしらの解決策は無いのだろうか。
金銭面の問題であればちひろさんにお任せしたいところだが……
「流石に出世払いと言う訳には……状況からして、ご両親にお支払いして頂くのも難しそうですし……」
「同意書のサインは貰えるだろうけど、支払いとかは絶対無理」
家賃の支払いを少し先延ばしにして貰って、給料が入ってから……
それも難しいだろうな。
そもそも、こう言ってはアレだが駆け出しアイドルがそれだけで稼げる額なんてたかが知れている。
レッスンの月謝等は発生しないが、それでも寮代プラス生活費までをとなると……
というか本当に、今までどうやって生きてきたんだ。
「……あ、ねぇPさん。私、今すっごく良いアイデアを思いついたんだけど」
ピコーン! と頭上にエクスクラメーションマークが見えそうな程の笑顔で、此方に向き直る加蓮。
正直嫌な予感しかしない。
「法に触れない程度で頼むぞ」
「こう見えても私けっこー身持ち堅いよ?」
いや売春を疑った訳では無く。
「Pさんちに住ませてよ」
売春だった。
「ダメ?」
「ダメに決まってんでしょうがですよぉ!!」
最初に反応したのはまゆだった。
いや、おそらくこの場に居る全員が同じ感想だったとは思うが。
頼んだまゆ、正論で説得してくれ。
なんだかアイドルがしてはいけない気がする般若の様な表情で、まゆvs加蓮の第一ラウンドが始まった。
「ズルいです! まゆですらお伺いした事無いんですよぉ?!」
「すれば良いじゃん」
「…………確かに。Pさぁん、まゆPさんのお家に行ってみたいですっ!」
一発KO、決まり手『すれば良いじゃん』。
五秒の熱戦の末に勝利を収めたのは加蓮だった。
「……まゆちゃん、わたし達アイドルなんですよ……?」
俺が言いたかった事は智絵里が代弁してくれた。
アイドル家に招いてすっぱ抜かれて破滅エンドなんて迎えたく無い。
ただでさえ君は俺が外出する時着いてくるのだから、決定打になる様な事だけは避けて欲しい。
そして、それは当然加蓮にも当てはまる。
「加蓮ちゃんもですよ。聞いた事くらいはあると思いますが、アイドルにそう言った相手がいると思われてしまうのは……」
ちひろさんが行った。
これなら、上手く説得してくれるだろう。
「え、でも私まだデビューしてないし」
「……それもそうですね……」
……何やら雲行きが怪しくなってきた。
「デビュー前のただの女子高生が誰と付き合ってようが問題無いでしょ?」
「だそうです、プロデューサーさん」
マズい、ちひろさんまで敵に回ってしまった。
絶対『余計な出費等々を考える必要が無くなった』とか考えてる。
……仕方がない、どうやら俺自身がきちっと断らなければならない様だ。
そもそも本来そうするべきなのだが。
「なぁ加蓮、年頃の女の子が男性の家で暮らすなんて良くないだろ。危ないし、倫理的にも社会的にも」
「え、何? Pさんそういう事するの?」
「しない、絶対に」
自分がスカウトしたアイドル候補に手を出してクビとか、そんな事俺が望む訳ない。
こう見えても、この仕事に誇りを持って臨んでいるんだ。
「なら良いじゃん」
「……なんでそこまで俺の事信頼出来るんだ?」
まだ会ってほんと数日、回数にすればたったの二回。
なのに何故、彼女は俺の事を信頼しきっているんだろう。
詐欺か? ……いや、その線は薄そうだが……
それとも実は格闘技を嗜んでいて、もし襲われても一方的に蹂躙出来る自信が……そんな奴がダンスレッスンでバテる訳ないか。
「Pさんが仕事に向ける熱意は本物だって分かるし、だったら絶対私に手を出さないでしょ?」
「……加蓮は嫌じゃないのか?」
信頼してくれているのは有難いが。
それでも、まだ会って間もない男性と暮らす事に抵抗は無いのだろうか。
「最近のJKだしそんなもんじゃない?」
「最近の子は進んでるなぁ……」
「…………ずっと一人で居るよりは、誰でもいいから誰かと居たいし……」
あ、勿論面白い人に越した事は無いけどね、なんて笑う加蓮。
その言葉と口調は、十六歳の女の子とは思えない程の重さを纏っていた。
「……で、ダメ? どうしてもダメって言うなら、24時間営業のファーストフード店にでも居座るけど」
……あぁ、そうか。
これ、俺に勝ち目は無いやつだ。
住居を用意しなければ、加蓮はうちの事務所に継続して通えない。
それは即ち、手放す事に他ならない。
所属して欲しいのであれば、此方は住居を用意しなければならなくて。
いや、そもそも宿無しの女の子を再び放り出すなんて俺には出来ない。
「……ワガママ言ってるのは分かってるし、実際そこまでして貰う必要なんて無いんだけどね」
本来、そんな事は許されない。
そこまでして彼女に拘らなくても、人材だけならいくらでも手に入る。
……それでも。
「……ちひろさん。加蓮のデビューまでに、一緒に解決策を探して下さい」
「勿論ですが……それはつまり……」
「……加蓮。そっちは構わないんだな?」
「……えっ、本当に良いの……?」
俺は、見たかった。
ステージで輝く、彼女の姿を。
信じてみたかった。
有り得ない程の偶然によってもたらされた、この出会いを。
だったら、別に俺は構わない。
広めのマンションだから、住人が一人増えた所で問題は無い。
一人分の生活費くらい、大して変わりはしないだろう。
だから、大丈夫だ。
「あぁ。これからよろしくな」
「……うんっ、よろしくね!」
ーーそんな感じで、一緒に暮らす事になったのだった。
「はぁ……最っ悪、寝顔見られるとか」
「諦めろ、一緒に住むとはそういう事だ」
「朝ご飯まだ?」
「家主に対してそこまで強気に出れるの素直に凄いな」
けれど何故か強気に言い返す事は出来ず、結局俺が朝食を作る事になった。
冷蔵庫に大した食材は入っていないからインスタントの味噌汁と卵焼きくらいしか作れないが。
「加蓮は朝シャワー浴びる派?」
「その日の気分、今日は良いかな。Pさんは?」
「浴びる派だ。リビング暑くて汗かいてるだろうしな」
「それじゃ後は私が作ってあげるから。お味噌汁にお湯入れといてあげる」
「冷めちゃう」
シャワーを浴びながら、俺は考えた。
もしかして、俺はとんでもない奴を拾ってしまったんじゃないだろうか。
なんとなくだが、手のかかる妹ってこんな感じなんだろうな、なんて。
というか女の子と二人暮らしって、落ち着いて考えるとやっぱりマズかった気がする。
正直この先上手くいくか不安で仕方がない。
「Pさんなら今……え、私? は? じゃあ逆に聞くけど誰だと思う?!」
浴室から出ると、加蓮が誰かと話す声が聞こえてきた。
おそらく電話でもしているのだろう。
俺の事を話しているから、俺の事を知っている人物で。
あぁ、まゆが俺にモーニングコール掛けて来たんだろうな。
……加蓮、勝手に人の電話に出るな。
改めてこの先が不安になった。
「うん、うん! そう、留守電サービスだよってんな訳あるかーい! あ、ちなみにPさん汗かいてシャワー浴びてるとこ」
「おい加蓮、勝手に人の着信に出るんじゃない」
「あ、今上がったとこ。かわろっか?」
はい、とスマホを渡された。
表示された名前は……やはりまゆだったか。
「もしもし、おはようまゆ」
『Pさぁぁんっ! おはようございます!! 今の女は誰ですかぁ?!』
一瞬本気で通話を切りたくなった。
ボリュームが大きすぎるのと、朝からカロリーが高過ぎる。
『しかも! 朝から汗ですか?! そんな関係の相手がいたなんて、まゆは……うぅぅ…………』
「……加蓮だけど」
『…………あぁ、あの女ですかぁ。そうでしたねぇ、Pさんのお家で暮らす事になったんでしたねぇ……』
「ちなみに汗かいてたのは冷房切れてたからだからな、決してやましい事は無い」
『……まゆが朝ご飯を作りに行ってあげますよぉ。住所を教えて頂けますかぁ?』
「それじゃ、後で事務所で」
ピッ
…………ふぅ、疲れた。
のんびり朝ご飯でも食べよう。
「ねぇPさん、このカップ麺食べちゃダメ?」
「楽しみにとっといたやつだから許してくれ」
「おはようございます」
「おっはよー」
「うふふ、おはようごさいます。Pさぁん、加蓮ちゃん、加蓮ちゃん、加蓮ちゃん! どこですかあの女は」
事務所へ到着して部屋に入るなり、まゆが詰め寄って来た。
智絵里はもう慣れていると言わんばかりに、読んでいる雑誌から目を離さない。
「おはようございます、ちひろさん」
「おはようございますプロデューサーさん。どうでしたか? 女子高生との同棲生活は」
「特にどうという事はありませんね」
「……あれ? えっと……あの子は……?」
「ん、加蓮か? あいつなら着替えとか回収しがてら保護者の同意書にサイン貰うって言ってたな。んで午後から来ると」
午後には来れるという事は、実家はおそらく都内にあるのだろう。
一度挨拶に伺いたいところではあるが、まぁそれはそれとして。
「まゆはこの後撮影、智絵里はオーディションだったな。何時くらいにこっち戻って来れそうだ?」
「まゆは問題なく進めば十五時くらいですねぇ」
「わたしは……多分、お昼くらいには戻って来れると思うけど……」
「それじゃ、戻って来たらレッスン付き合ってやって貰えるか?」
「「もちろんです」」
そう言って、二人は部屋を出て行った。
既に個々人でデビューしている二人は、今後結成されるユニット以外にも仕事がある。
まゆは雑誌のモデル、智絵里はドラマやバラエティ番組が多い。
加蓮のレッスンに付きっ切りで見てもらうのは難しいだろうし、ある程度の基礎は俺とトレーナーさんでなんとかしなければ。
「……それで、プロデューサーさん」
「なんですか?」
「ほんっっっとうに何も起きなかったんですか?」
「何にもありませんよ……なんでそんな食い付いてくるんですか」
「それは、だって……ほら、ねぇ? 気になるじゃないですか」
女の子はいくつになってもそういうのが気になる生き物なんですっ! と意気込むちひろさん。
けれど残念な事に、本当にそういった事は起きていない。
アイドルになって欲しくてスカウトした女の子をデビュー前に潰す馬鹿がいるか。
それと、普通に犯罪になってしまうから。
「こう、お風呂上がりの姿にドキッとしちゃったりとか」
「しません」
「行ってらっしゃいや行ってきますのやり取りにときめいちゃったり」
「してません」
「……つまらないですね」
「楽しむのはアイドルになった彼女の姿でお願いします」
ぶーぶーとブー垂れながらパソコンに向き直るちひろさん。
……きっと、自分にはあまり出会いが無いんだろうな。
「……失礼な事考えてませんか?」
「ちひろさんくらいの美人なら引く手数多でしょうし、きっと大丈夫ですよ」
「哀れむような目はやめて下さい……あ、プロデューサーさん! 目の前に美人が居ますよっ」
「そうですね。俺のパソコンの壁紙、三毛猫なんですよ」
「…………プロデューサーさんに色恋沙汰は無さそうですね」
だから無いと言っているのに。
本当に、変な事を期待しないで頂きたい。
「おっはよーございまーす!」
バターン!
そろそろお昼にしようかという時間に、加蓮が入って来た。
その両腕には、大きなバッグとキャリーケースがぶら下がっている。
まるで旅行帰りだが、おそらくその中には着替え等が詰まっているのだろう。
……私服のセンス良いな、スタイルも良いしモデルも向いてるかもしれない。
「おはようございます、えっと……加蓮ちゃんでしたよね?」
「うん、正解! あれ、まゆと智絵里は?」
「二人なら仕事行ったよ。もうすぐ智絵里は帰ってくる時間だが」
「ねぇPさん、私お腹空いた!」
「冷蔵庫にゼリー入ってるよ」
「ポテト食べたくない?」
「……夜で良いか?」
この会話の流れあれだ、よく親戚の叔父さんと姪みたいなやつで見たぞ。
そのうちお小遣いとかせびられるんじゃないだろうか。
ガチャ
「戻りました……あ、えっと……加蓮ちゃん、来てたんですね」
「あ、おはよー智絵里。仕事帰り? 帰国子女?」
「生まれも育ちも日本だけど……」
「夜、プロデューサーさんが奢ってくれるって言ってるんだけど一緒に行かない?」
言ってない。
「え……いいんですか?」
……なんて、言えないよな。
「構わないが……智絵里は変装忘れずにな」
「良いですねー若い子は奢って貰えて。ねぇ、プロデューサーさん?」
「ちひろさん、今夜は高校の友達と飲むみたいな事言ってませんでした?」
「そうでした。ふふふ、明日には大人の階段を更に登った千川で出社します!」
……難しそうだ。
それも口にはしないが。
「それじゃ加蓮、ボーカルレッスン行くぞ。智絵里も付き合ってくれるか?」
「おっけー」
「はい」
「生麦生米生卵」
「なまむぐぃ! ……なまぐみ! ……卵! なんでこんな言い辛いの?!」
「そういう、滑舌のレッスンだからじゃないかな……」
~~~~~~~~~~
「あいうえお!」
「あえいうえおあおだけど……」
~~~~~~~~~~
「あぁぁぁぁ……………っ! きっついっ!」
「あぁーーーーーーーーーー」
「凄いじゃん智絵里」
「ぁーーーーーーーーーーー」
「……脇腹擽りたくなる」
「あぁーーーーーーーーー?」
「……ごめんって、睨まないでよ……」
~~~~~~~~~~
「私アイドル無理かもしれない」
「早い早い諦め早すぎる」
一通りのウォーミングアップを終えた加蓮が、絶望していた。
「智絵里は簡単そうにやってるけど……」
「そりゃずっとやってきてるからな」
初めたての頃なんて誰しもそんなものだろう。
滑舌も肺活量も、レッスンを重ねればどうとでもなる。
大丈夫だ、きっと。
本人にやる気さえあれば。
あいうえおだけは擁護のしようが無いが。
「これ毎日続けるの?」
「いやこれまだウォーミングアップだから」
「ぐぇ……これから歌ったり?」
「そうだな。自分の曲があればそれとか」
「…………自分の曲……」
思い浮かべているのだろうか、自分自身の曲を歌う姿を。
自分だけの曲を手に入れる喜びは、それは凄まじいものだろう。
智絵里のデビューの時もまゆのデビューの時も、一緒に泣いた覚えがある。
そして、その為には今は……
「……頑張る。努力は素晴らしいものだから」
「若干昨日の根に持ってるなお前」
「ただいま戻りましたぁ……あら、やってますねぇ」
夕方手前頃、まゆが戻って来た。
既に俺たちも部屋に戻っていて、智絵里が加蓮のボイトレに付き合っている。
「あえいうえおあお!」
「お疲れ様です、まゆちゃん」
「はい、お疲れ様ですちひろさん」
「おつかれさままゆ!」
「……はい、お疲れ様です……加蓮ちゃん」
腹から声を出しているせいでとてもうるさい。
これ家に居る時は絶対やらないで欲しい、クレーム来る。
あ、お風呂場で半身浴しながらさせるのも悪くないな。
一日まるまるトレーニングに付き合えるのはなかなか好都合だ。
「っふぅぅぅ……終わり!」
「……終わってないです、加蓮ちゃん」
「そうですよぉ。まゆが帰って来たんですから、次は体幹トレーニングです」
「体幹トレーニングってストレッチみたいなやつ? なら楽勝じゃん」
「…………うふふ、そうですか」
加蓮が「やっぱり私アイドル無理かもしれない」と口にするまで、五分とかからなかった。
「…………疲れた身体にポテトが染み渡る……体力回復する味がする……」
「ご馳走様です、Pさぁん」
「あ、ありがとうございます」
「良いって良いって、二人にはトレーニングに付き合って貰っちゃってるんだし」
レッスンに一通り付き合って貰った後、三人を連れて事務所のカフェへ。
もう遅めの時間だからか、俺たち以外にお客さんは居なかった。
「……でもポテトがあるカフェってかなりアリかも……通っちゃお……」
「それにしても随分と大荷物ですねぇ」
「あーこれ? 着替えとか諸々、Pさんの家に運ばなきゃいけないから」
「……何度聞いても羨ましいですねぇ……Pさぁん、もう一部屋空いてたりしませんかぁ?」
このカフェのコーヒーは俺もかなり気に入っていて、暇さえあれば持ち帰って部屋で飲んでいる。
あのちひろさんをして美味しいと言わしめたこのコーヒー、仕事終わりの一杯にもってこいだ。
ついでに店員さんの女の子が凄く可愛い。
いや、別にそれが目当てで通っている訳ではないが。
「あ、夕飯の食材買って帰らないとな。加蓮は何か食べたいものある?」
「うーん、手作りであったかければ何でも良いかな」
それは家庭料理の殆どに当てはまるのではないだろうか。
余りにもアバウトで広範囲過ぎて、なんの参考にもならなかった。
「ところで加蓮ちゃんはお料理出来るんですかぁ?」
「無理、やったこと全然無い」
当番制を導入するのは難しそうだ。
これ多分毎朝毎晩俺が作る事になりそうだが……一人分が二人分になるくらい、訳ないか。
「うっふふふ、でしたらここはまゆがPさんのお家にお邪魔して手料理を」
「……ずっと入院してて、そんな機会無かったし」
「振る舞っ……て…………」
まゆの表情が凍り付いた。
やっば、どうしましょうPさん……と目が語っている。
……ずっと入院してた。
それは……その言葉通りの意味でいいのだろうか。
「……あ、ごめんごめん。なんか変な事言っちゃって」
「……身体、弱いのか? 何か重い病気とか……」
「……昔はね。数年前までは多分、家とか学校よりも病院で暮らしてた時間の方が長かったから」
「今は大丈夫なのか?」
「うん、見ての通り」
こんな病人いると思う? なんてケラケラと笑いながらポテトを摘む加蓮。
……だから、手作りで温かい料理、か。
ずっと入院している程と言う事は、満足に食事出来ない日もあった事だろう。
大して多くも美味しくも無い入院食を、冷めた頃に流し込む様に食べる事もあっただろう。
そもそも食欲なんてなくて、食べない日が続いた事だってあるだろう。
「あ、変に気を使わないでね。そーゆーのホント嫌だから」
「……あぁ、分かった」
だから、その反動で今はポテト狂なのか。
夜はポテトのキッシュでも作ってやるとしよう。
「二人も。お願い」
「……分かりました。まぁ元より、加蓮ちゃん相手に気を遣おうなんて思ってませんでしたから」
「……野菜、食べませんか?」
「いいの! 今の私は健康なんだから油と塩分で生きてく!!」
それは病弱とか関係なしに早死にしそうだ。
「ただーいまー」
「ただいまー」
「そこはお帰りなさいじゃない?」
「俺も今帰って来たところなんだがな」
加蓮の大荷物は俺が持ち、買い物袋を加蓮に任せて家に着く。
部屋の中から流れ出てくるむわっとした熱気が、部屋へと入る気力を抉る。
天気予報は晴れだったし、窓開けて換気しておいた方が良かったかもしれない。
「あ、じゃあ……お帰りなさい、Pさん」
「……あぁ、お帰り加蓮」
冷房を付け、買ってきた食材を冷蔵庫にしまう。
そのまま少しだけ開けたままにして冷蔵庫の寒気を浴びたり。
さて、さっさと夕飯を作るとしよう。
その間に加蓮はシャワーを浴びるだろうし。
「あ、そういやシャンプーとかも加蓮用のやつ買って来れば良かったな」
「ふふ、ジャーンッ! 午前中のうちに買っておいたんだー」
賢いでしょーみたいな顔してるが、荷物重くなるから帰りに買うべきだと思うぞ。
ところでそのお金はどこから捻出されたのだろう。
「あのね? 別に私だって一文無しって訳じゃ無いんだから」
「疑って悪かったって。それじゃ先浴びて来ちゃえ」
「はーい。あ、覗かないでね?」
「もう素麺茹でるから長風呂はやめろよー」
どうせ茹でるならまだ冷房つけずに、窓開けておけば良かったかもしれない。
換気扇つけるのが勿体ないが……背に腹は変えられないか。
汗だくになっても後でシャワー浴びるから自分一人なら大丈夫なのだが、流石に女の子が家に居るのにそれはよろしくないだろう。
お湯を沸かす間にだし醤油と七味とワサビを用意し、ついでに簡単な野菜炒めも完成させて。
『ずっと一人で居るよりは、誰でもいいから誰かと居たいし……』
『数年前までは多分、家とか学校よりも病院で暮らしてた時間の方が長かったから』
『色々諦めててさ。そんな私にも希望をくれたのが、テレビの向こうの『アイドル』だったから』
加蓮の言葉を思い出して、大きくため息を吐いた。
彼女がどれ程の重い病気だったのかは知らない。
けれどきっと、入院なんてたかだか数日しかした事の無い俺では想像もつかない様な日々だったのだろう。
それも、小・中学といった人生で最も人と交流して思い出を積み重ねる時期に。
……だったら。
今こうして彼女が健康的に生活出来る様になって、そんな日々をアイドル活動に割いてくれるのであれば。
絶対に成功して、良い思い出になる様に。
「……俺も、頑張らないとな」
「何を? 覗き?」
「ん、もう上がったのか。女の子の風呂ってもっとかかるもんだと思ってたけど」
「Pさんが素麺茹でるからさっさとあがれーって言ったんじゃん」
そう言えばそうだったな。
茹でた素麺を冷水で〆て、大皿に盛って氷を乗せる。
「あ、私ピンクのやつ食べる」
「緑は俺のだからな、絶対取るなよ」
……なんて、重く考える必要もないだろう。
本人も気を使うなと言っていたし、今はこうして健康なのだから。
プロデューサーとしてやるべき事なんて、誰が相手でも変わらない。
俺は俺に出来る事を全力でするだけだ。
それにしても。
「今朝も思ったけど……誰かとこうして家で食事するの、久々だな」
「ね、私も」
なんだろうな。
家で食事する時はいつも一人だったから忘れていた。
もちろん外で誰かと一緒に食べる事はあるし、その時はきちんと言っているが。
「……いただきます」
「いただきます」
朝は慌しくて気付かなかったが、この言葉を家で言ったのも本当に何年振りだろう。
悪くないな、こういうの。
誰かと一緒に家のテーブルを囲んで。
こうして、話しながら食事するのも。
「あっやば、緑食べちゃった」
「許されると思うなよ」
木曜日
「無理、絶対死ぬ」
「が、頑張って……」
金曜日
「ダメ、無理」
「加蓮ちゃんファイトですよぉ」
土曜日
「助けて」
「夕飯、ポテト買って帰るか」
「頑張る」
嵐の様に一週間を駆け抜け遂に7/21、日曜日は訪れた。
日曜日(Sunday)、日曜目-日曜科-日曜属-日曜種。
この世界が祝福に包まれる日。
人類はこの時の訪れを待ち続け、ただひたすらに生きている。
時計の針が0を指すと共に救いは来たりて、二度目の眠りを夢見て眠る。
そんな訳で、日曜日だった。
今日はなんの予定も入っていない。
つまり、眠れる。
寝よう、疲れた。
なんだか身体も心も疲れ切っている。
「おっはよーPさん、ねぇねぇ買い物行かない?」
「…………加蓮か……」
朝っぱらからテンションの高い事で。
共に生活を始めてから既に数日経っているが未だ慣れず、朝が来る度家にJKが居る事に驚いている。
「ほらほら、折角日曜日で一日中空いてるんだから出掛けなきゃ勿体無いでしょ?」
「折角日曜日で一日中空いてるんだから午前中くらいは寝てもバチは当たらないと思うんだがな」
「おっさん臭い事言わないの。時間は有限だよ?」
おっさん臭いも何も、俺は既に三十路なのだが。
……なんて、世の三十路の皆様に聞かれたら怒られそうた。
「何処行く? おススメはルミネとかスイパラとかだけど。あ、映画とかも観に行きたくない?」
「……別に俺がついて行く必要無くないか?」
「ずっと屋内に居たら体腐っちゃうよ。それに、そしたら誰が荷物持つの?」
是非とも自分で運んで頂きたい。
と言うか暗にアンタ荷物持ちねと言われている。
はぁ、と溜息を吐いて俺はソファから起き上がった。
仕方がない、お互い距離を縮める為に今日一日は付き合ってやるとしよう。
手を洗って食パンをトースターに突っ込んでから、歯を磨いて顔を洗う。
シャワーは……朝食食べてからでいいか。
「この辺りっておっきなデパートとかある?」
「二つ隣の駅にあるぞ。屋上にプチ遊園地みたいなのがあるデパートが」
「じゃーそこで。はいけってー!」
まぁ、いいか。
俺も通気性の良い肌着を何枚か買っておきたかったし。
それに、あのデパートに行くのも久しぶりだ。
ついでに加蓮の洋服も何着か……これ、JKに貢ぐ成人男性の図なのでは?
「お昼は甘いもの食べたい。それと時間あったら映画観るかDVD借りてー……んー、一日じゃ足りないかも」
「ま、そしたら来週また出掛ければ良いだろ」
「来週もまた付き合ってくれるって事だよね?」
口は災いの元。
安易な慰めなんて言うべきでは無かった。
「じゃーんっ! どう? 似合ってるでしょー?」
デパートのレディースフロアに到着してから既に一時間は経過している。
未だ加蓮は購入する服を決める事無く、ひたすら試着して楽しんでいた。
試着前に男一人で待機するのは中々居心地が良くない。
近くのソファで座って待っててはダメだろうか、ダメだろうな。
「あぁ、似合ってる。見違える見違える」
最初はきちんと褒めていたが、流石に段々と適当になってきた。
いや、似合っていて可愛いと思うのは本音だが。
「ふふ、私は誰でしょー? なーんて、女優気取り」
「凄く水商売やってそうだ」
「あ、今日のデート代三万だから」
軽口を叩きつつ、俺に先程まで試着していた服を押し付けてくる。
あぁ、元の場所に戻しておけと。
そしてまた再び試着室のカーテンが閉められる。
確か、まだあと二着は持ち込んでいたな。
詳しくない訳ではないが特に興味がある訳でもない俺には、このファッションショーの楽しさが分からない。
そんなに何着も着ては脱いで着ては脱いでを繰り返して楽しいのだろうか。
いや、まぁ楽しいんだろうなという事は見てて分かるが。
世のカップルの彼氏さんは、皆こんな風に付き合わされているのか。
「あっ、これ良いかも」
ピロンッ
俺のスマホに通知が入った。
送り主は……まゆか。
『Pさん、もし午後おヒマでしたら一緒にお買い物に行きませんか?』
『ごめん今加蓮と買い物中』
『何処』
『三階』
スマホをポケットにしまった。
そもそも何度も言っているが、君アイドルなんだからダメだろう。
そういえば、加蓮の住居問題も早いうちになんとかしなければ。
デビュー前には新しい住居を用意しなければならない。
デビューしてからでないと、住居の家賃が払えない。
なかなか難しい問題だが、ちひろさんなら何とかしてくれると信じている。
しゃーっ、っと試着室のカーテンが開かれた。
「はいはいはーい、どーこれ?」
「ん、良いんじゃないか?」
「見て。せめて見てから言って」
「どうせ加蓮なら何着ても似合うだろうからな」
「私の素質に気付いちゃった? じゃーはい、的確に褒めて?」
今加蓮が着ているのは水色のシースルーブラウスに白のショートパンツ。
的確に褒めろと言われたのであれば、芸能事務所に勤めているプロデューサーとしての腕の見せ所だ。
「日焼けしそう」
「はいこれ買ってね、Pさんの奢り」
「冗談だって、凄く似合ってて可愛いと思うぞ。それにしても肌真っ白だな」
「日焼けする機会が無かったし」
……そう、か。
そうだよな、だって加蓮は……
「…………すまん」
「……はい、奢り決定ね。気を遣わなくて良いって言ったでしょ」
今のは、だったらどう返せば良かったのか教えて欲しい。
笑い飛ばす訳にもいかないだろ。
「あ、折角だしPさんの私服も見繕ってあげよっか?」
「いやいいよ、私服は足りてるし」
「もっとオシャレなの。私と一緒に出かける時ダサかったら嫌だし」
暗に今のお前の私服センス無いって言われてないかこれ。
……悪く無いと思うんだがな。
「んー、どれにしよっかなー……どれがいいと思う?」
「好きなの頼めば良いんじゃないか?」
お昼時、デパート内のレストランで軽食を取る。
軽食というよりはおやつに近い。
単純に俺が、そろそろ座って休憩したかった。
荷物を置いて座れるって素敵。
とりあえず腹は減ってないし、コーヒーだけでも飲むとしよう。
対面する加蓮はスイーツのページと睨めっこ。
「……すいませーん。このページ全部で」
「せめて二つにしよう、な?」
「んー、じゃあチーズケーキとバニラアイスと……あとポテト!」
「ブレンドコーヒーひとつお願いします」
メニューを畳んで一息。
さて、午後は何をしようか。
「あ、改めてありがとねPさん。色々買って貰っちゃって」
「気にするな、デート代だろ?」
「ふふっ、他にオプションは付ける?」
「常識や良識、あと年上に対する敬意と敬語で」
「お取り扱いしておりませーん」
楽しいな、こういう会話も。
近くを通った店員さんが一瞬聞き耳を立てようと立ち止まっていたから今後は控えたいが。
「後は他に見たいものあるか?」
「えーっと……あ、屋上に何かあるんだっけ?」
「小さな遊園地があった筈だな……覗いてくか?」
「うん、昔から一回は行ってみたかったんだ」
確かにその願望は分かる。
よくテレビ等でかつて遊園地が屋上にあったデパートとかが放送されているのを見て、自分も一度は行ってみたいって思うんだよな。
とはいえ、まだ開園しているのかな。
この手の施設はどこも既に畳んでいた様な気がするが。
「それじゃ決定ね。あ、チーズケーキ一口食べる?」
「……また何かねだるつもりじゃないだろうな」
「欲しいお財布が」
「入れる中身ないだろお前」
「確かに、それにPさんで十分だし」
デパートの屋上、レジャーパーク。
小さな観覧車やワニワニパニック、お金入れると動くパンダの乗り物。
輪投げのテキ屋にフランクフルト屋さん。
……が、かつてあった場所。
「…………遊園……地……?」
「だった場所、だな」
残念ながら、このデパートの遊園地も既に廃園となっていた。
長年そのまま放置されていたからか、パンダが黒一色でただのクマに見える。
並べられたままのアーケードゲーム、お金入れたらまだ動くんだろうか。
小さなステージも既に灰色に染まり、破れたテントが哀愁を放っている。
「……観覧車どこ?」
「流石にそれは撤去されただろ」
「ポテト屋さんは?」
「それは元から無かったな」
「…………遊園地じゃ無いじゃん!!」
「そんな事もある」
いや、無かったのだが。
採算が取れなかったのだろう。
今時、わざわざデパート来てまでこんな小さな遊園地で遊ぶ子供なんて少ないんだろうな。
もちろんまだ開園している場所もあるし、一概には言えないが。
失くなってしまったのは残念だが、通っていた訳でもない俺が言えた事でもない。
「あのステージって手品師とかがパフォーマンスするんでしょ?」
「そうだな。後はヒーローショーやったり、駆け出しアイドルが歌ったり」
「へー……こんなちっちゃなステージでも歌うんだ」
「ま、テレビで観る様なのに比べると小さいかもな。でも」
「うん、分かってるって。それじゃPさんだけに、特別に私のソロライブを見せてあげる」
駆け足でステージに近寄り、階段を登る加蓮。
「……あ、こう見ると結構広いかも。それじゃー……行くよ!」
そう呟き、加蓮はアカペラで一曲歌いだした。
「今振り向かせてあげるっ、パステルピンクな罠で!」
この一週間、ひたすら歌って踊った『パステルピンクな恋』。
たったこれだけの期間で、かなり踊れる様になっていた。
歌声も大きく、音程も取れている。
勿論本家であるまゆや智絵里には遠く及ばないが。
それでも今この一瞬、加蓮は紛れもなく『アイドル』だった。
ダンスが覚束無い箇所があった。
けれどきっと、元のダンスを知らなければ気付かれない程度のミスで。
音程が一瞬外れた。
けれどそれも、彼女なりのアドリブになっていて。
「抱きしめて心まるごと LOVE YOU……ふー。ご清聴、ありがとうございました」
……凄かった、と。
心から、そう思った。
荒削りな、まだ完成と呼ぶには程遠いけれど。
それでも俺は、魅入ってしまっていた。
「……反応が無いと怖いんだけど」
「実際、駆け出しだったらそういう事も多いぞ」
「で、Pさんの反応は?」
「……うん、凄かった。たった数日でよく頑張ったな」
惜しみなく拍手を贈る。
その拍手は二人分。
……二人分?
「いやぁ、魅入っちゃいましたよ。アイドルの子かな?」
「えっ?」
気付けば、屋上の入り口付近に警備員が立っていた。
拍手を贈りながらも、苦笑いして。
「……一応そのステージ、立ち入り禁止だからね」
「大変申し訳ございません」
「Pさぁん! 土曜日ぶりですよぉ!」
月曜日、一週間の始まりだ。
「おはようございます、ちひろさん」
「おはようございますプロデューサーさん、日曜日はゆっくり休めましたか?」
ゆっくり出来たとは言い難いが、なかなかに収穫はあった。
改めて加蓮の素質に気付けたのだから。
それに際して中々の出費が発生したが、どうせ普段自分はお金使わないし良しとしよう。
「Pざぁ゛ん……」
「……おはよう、まゆ」
「どゔじで日曜日デードじでぐれ゛な゛がっだんでずがぁ!!」
「君がアイドルだからだけど……」
……朝からハイカロリー過ぎる。
何故この子はいつもいつもハイテンションなのだろう。
「それに加蓮と買い物してるって言っただろ」
「…………あぁ、そうでしたねぇ。あの女……」
「何、呼んだ? 私の誕生日祝ってくれるの?」
「ん、加蓮今日誕生日だったのか?」
「え、別に? 九月五日だけど」
「まゆの二日前ですねぇ」
「私の方がお姉ちゃんじゃん、敬いなよ」
この部屋も賑やかになったな。
前は……前も賑やかだったか。
今はなんだろう、まゆと加蓮がずっと喋っててうるさ……華やかになった。
耳元で喧嘩するな煩い。
「……プロデューサーさん、加蓮ちゃんとお出かけしたんですか……?」
「あぁ、その時加蓮がパステルピンク歌ったんだけど……かなり上手くなってたな」
「えっへん、まゆと智絵里ちゃん直伝ですからねぇ」
踏ん反り返るまゆ。
実際そのおかげだし二人が凄い事は分かっているのだが、どうにも小物臭がする。
「今ならあのトレーナーさんのレッスンも難無くこなせちゃうんじゃないですかぁ?」
「…………確かに。プロデューサーさん、リベンジしに行くよ!」
もうオチが見える。
「……ふ、ふふ……努力って素敵……」
一週間前にも似たような光景を見た気がする。
床に全身でへばりつく加蓮。
それを見て満面の笑みのまゆ。
余裕そうにしているのは良いが、次は間違いなくまゆのターンだぞ。
水を差すのは悪いので言わないけれど。
「ふむ……やるじゃ無いか新人、随分と身体が動く様になっていたな」
「嫌味?」
「素直な感想だ。どうだ、私が可愛く見えたか?」
あぁ、これトレーナーさんも若干根に持ってたな。
お互い様ではあるが。
「これなら案外かなり早いうちにデビュー出来るかもしれないな」
「だってさプロデューサーさん。明日はどう?」
「遊びの予定じゃないんだぞお前……」
けれど実際のところ、トレーナーさんが言う通り加蓮はかなり動ける様になっていた。
デビュー等に関してはまだハッキリとした事は言えないが、おそらく八月中にはなんとかなるだろう。
「八月中かー……んー、まぁいっか」
「不満か? 既にデビューしてるアイドルとのユニットでとなれば、十分異例の早さなんだがな」
元より『ユニット結成の為のスカウト』だったから、その辺の準備はかなり早く進んでいる。
実際のところ、残りのメンバー(1人ないし2人)が揃えば後は加蓮次第なのだ。
加蓮は挑戦枠、少し前まで完全に新人だった女の子でもーーみたいなのをアピールしていく為の枠らしい。
それはつまり、ダメそうであれば即切ると言い換えても差し支えない事ではあるが。
勿論、そうなってしまった場合もソロデビューを考えてある。
それにこのままいけば、そんな事態にはならないだろう。
体力は無いと言っていたが、それにしては毎日長時間のレッスンをこなせている。
一晩眠れば回復するその若さが羨ましい。
「まぁいっか。うん、そこは私の頑張り次第なんだよね?」
「そうだな、後は俺もだが」
「じゃあ頑張る」
軽々と言ってのけるが、彼女にもそれ相当の覚悟がある筈だ。
実際、この一週間の彼女の努力はそれはそれは凄いものだったのだから。
「では、次は佐久間と合わせて踊ってみろ」
「…………構いませんよぉ、プロは選り好みしませんから」
「…………まぁ、好きな事ばっかりって訳にもいかない職業だもんね」
お前ら本当に仲良いな。
トレーナーさんが手拍子で指示を出す。
それと同時に踊り出す二人。
キュッ、キュッっと靴音と手拍子だけが響く。
俺たちは熱心に見守っていた。
そして……
「無理……じゃない、案外いけた」
「ふむふむ……加蓮ちゃん、本当に飲み込みが早いですねぇ」
ぴたっ、っと二人の動きが止まる。
トレーナーさんも俺も、その間ずっと目を離さずに魅入っていた。
「……これは……」
「なかなか面白いじゃないか」
面白いくらい、二人の息がぴったりだった。
バラバラになると思っていたダンスも、合わせる気無いだろうと思っていた歌声も。
何より、打ち合わせ無しに完璧なパート分けで。
想像以上に相性の良いユニットになりそうな予感が強く伝わって来た。
「……まゆちゃん……わたしよりも、加蓮ちゃんを選ぶんですね……」
「あっあっあっ、違うんです智絵里ちゃぁんっ!」
「いやお前ら全員同じユニットだからな?」
謎のコントは他所でやってくれ。
「……ど? プロデューサーさん。凄いでしょ私」
「あぁ、凄かったぞ加蓮」
「明日からはもっとハードなレッスンでも良さそうだな」
「凄くなかったでしょ私」
おい。
数日分をダイジェストでお送りしします。
「無理無理無理無理、帰る帰る帰る帰る」
「わぁ……加蓮ちゃん、滑舌良くなったんですね……!」
「……そ、そう?」
「もっと頑張れば、わたしなんてすぐ追い越されちゃうかも……」
「ふ、ふーん……ふふ、ならもうちょっと頑張っちゃおうかな」
チョロいよ加蓮ちゃん……
「あーもーやる気無くなってきたぁ! は? 私ウエスト細いし食事制限とか要らないでしょ!」
「全女性を敵に回しそうな発言ですねぇ」
「大丈夫だって、どーせ脂肪は胸に行くし」
「……油断してるとあっという間にプニプニになっちゃいますよぉ?」
「体験談? あ、まゆって脂肪が胸に行かないタイプ?」
はい、トレーナーさんに頼んで加蓮ちゃんのレッスンはもっとハードにして貰いましょう。
「ふんっ、せいっ! えいやっ!」
「……何してるんだ、加蓮」
「今日の宿題、このステップマスターして来いって」
「……外でやろう、付き合うから。ほら公園行くぞ」
「んー、どうせ大丈夫なのに」
熱心なのは良いが、出来れば家から出て外でやってくれ下の階の人からクレーム来るわ。
「はい、どもー! 新人アイドルの北条加蓮だよっ?」
「……何してるんですか? 加蓮ちゃん」
「あ、おはよーちひろさん。今ね、インタビューの練習してるとこ」
「はぁ……そうですか」
「夢は大きくアメリカンクリーム!」
ドリームですし、そんなスケジュールは無かったと思いますが……ところで、今この時間ってダンスレッスン入ってましたよね?
そんなこんなで、まゆ・智絵里・ちひろさん・トレーナーさんにかなりの協力を仰いで駆け抜けた一週間。
まだ二週間と経っていないのにも関わらず、加蓮の実力はかなりのものとなっていた。
「ワン・ツー! ワン・ツー! はいそこでターン!」
智絵里、まゆ、加蓮が三人で合わせて一曲通しで踊る。
もう既に加蓮は、置いて行かれる事なんて全く無かった。
本家相手にすら見劣りしないのは、本家相手に教えて貰っていたからか。
こうなると、本格的に何処かしらで披露する機会を設けたくなってくるな。
「ふー……うん、結構踊れてたんじゃない?」
「結構も何も……」
「わたし達から見ても完璧だったと思うけど……」
二人からも太鼓判を頂けた。
本当に、良く頑張ったな。
「でしょー? 帰ってからもPさんに練習付き合って貰ったりしてたから」
「そうなんですか?」
「あぁ、近くの公園まで行ってな。本当にずっと頑張ってた」
「むぐぐ……むむっ? まゆもPさんと同棲すれば更なるレベルアップが見込めますよPさぁん!」
さて、と。
それじゃ今夜は頑張った加蓮のご褒美+付き合ってくれたまゆと智絵里に、夕飯でも払わせて貰うか。
「全員で食べに行かないか? どこでも構わないが」
「Pさぁん!」
Pさんは食べ物じゃありません。
話の流れぶった切ったせいでなんか危ない感じの発言になってしまっている。
「うーん……ポテト?」
「クローバー?」
「Pさぁん!」
お前ら偶にメンタル大丈夫かってなる。
「っふー……ふふ、楽しかった」
「そうか、それは良かった」
四人で夕飯を食べ、解散して帰宅。
若い子達の食事に付き合ってるとこちらの胃がもたない、と改めて自分の年齢を自覚した。
加蓮は一日三食きちっと食べるが、それに俺も合わせると割ときつい。
元より朝食なんて前は食べていなかったからな。
「……私、本当に踊れる様になってるんだね」
「本当に踊れる様になってたな」
「……憧れの存在まで後少しって感じ」
「後は何をすればクリアなんだ?」
「前も言ったけど、見てくれる人を笑顔に出来たら」
ふふ、っと笑う加蓮。
本当に、生意気でうるさいけど素直な子なんだよな。
テレビを付ければ音楽ステーションで、沢山の歌手が歌っていた。
やっぱりダンスとか抜きに歌一本で生きてる歌手は強いな、などと。
ソファに座ってのんびり眺めていると、隣に加蓮が座って来た。
そのままグダグタとテレビを眺める。
「……いつかは私も、この番組に出演するくらい有名になる日が来るのかな」
「加蓮にしては珍しく弱気だな。来るんだよ、絶対」
「……ふふっ、そうだよね。それにしてもこの番組も長いね」
長寿番組だからな。
金曜の夜と言えばこの音楽ステーション、ってところがある。
この番組に出演するのが夢だった、なんて歌手やアイドルがどれほどいる事か。
それくらいにはメジャーな番組で、それ程までに憧れの場所で。
「まゆと智絵里にも感謝しなくっちゃ。あの二人だって暇な訳じゃ無いんでしょ?」
「そりゃな。でも未来のユニットメンバーだし、一緒に頑張りたいって気持ちがあるんだろ」
「あ、そう言えば明日って二人はステージなんだっけ?」
「あぁ、都内の遊園地のステージ。出演時間は1時間程度だが……加蓮も見に行くか?」
「うん、行く。二人のステージを一回くらいは生で見ておきたいし」
それじゃ、明日の予定は決まりだ。
お昼頃に遊園地に向かって……その前に遊園地で遊びたい、なんて言い出すんだろうな加蓮は。
『ーー台風は現在、勢力を増して本島へと上陸しーー』
七月二十七日、土曜日。
俺と加蓮は、都内の遊園地へと赴いていた。
勿論遊びでは無く、仕事の一環として。
まゆと智絵里のステージの見学。
だから別に、アトラクションで遊べなかったところで困る訳では無いのだが……
「……あ、あのアトラクションも止まった」
「今動いてるのってお化け屋敷とかそのくらいだろうな……」
台風の影響で、殆どのアトラクションが止まっていた。
雨はまだ降っていないが、いかんせん風が強過ぎる。
こんな日にジェットコースターに乗りたがる人なんて、それこそ命知らずな中学生とか高校生くらいだろう。
ひゅぅぅっと吹き抜ける強風が、そもそも人の外出を妨げていたり。
「……これ、ステージやるの?」
「まだ雨は降ってないし、おそらく……」
雨天中止とはなっているが、おそらくこのままなら決行だろう。
二人を目当てに来てくれたファンの方々の姿も見える。
まゆも智絵里もやりたいと言うだろう。
それにしても風が強いな……
「あ……おはようございます、プロデューサーさん」
「ん、おはよう智絵里。早かったな」
「電車が止まっちゃったら大変だから……」
既に各路線で遅延が発生しているらしい。
まゆ、遅れないと良いが……。
「おはよー智絵里」
「……あ……えっと、加蓮ちゃんも来てくれたんだ……」
「うん、二人の勇姿を見にね。頑張って、智絵里」
さて……二人の出番まで、後一時間を切っている。
ステージ上では手品師が強風に負けず手品を披露していた。
アトラクションに乗れなくなって暇を持て余した人々がそれを眺めているが、盛り上がっているとは言い難い。
それもそうだろう、元々はアトラクションを楽しみに来ていたのだから。
折角遊園地来たのにー、と悲しんでいる子供が居た。
折角休みを取れたのに、と嘆いているお父さんが居た。
ならば、是非ともステージを見て行って頂きたい。
必ず二人が、楽しませてみせるから。
大丈夫だ。
まゆと智絵里なら、きっと盛り上げてくれる。
二人を目的に来てくれているファンだって居る。
だから、早く……
ピロンッ
俺のスマホが震えた。
まゆからのラインだった。
『大変申し訳ありません。電車が止まってしまって、運行再開の目処が立っていない状況です。別の地下鉄を使って向かいますが、間に合うかどうか……』
……最悪だ。
これならさっさと中止にして貰うべきだった。
まゆの乗っている路線を調べると、倒木の影響で完全にストップしている。
幸い駅に停車中に止まったお陰で別の路線への乗り換えは可能そうだが、今現在遅延していない路線を探す方が難しいだろう。
「……プロデューサーさん……まゆちゃん、遅れそうって……」
「……あぁ、今俺の方にも連絡が来た。不味いな……」
十五時からステージがあるのに、午前中で終わるなら大丈夫だろうとオーディションを入れてしまった俺のミスだ。
タクシーは……無理か、どこもおそらく出切っている。
バスでは話にならない。
事務所の車をちひろさんに出して貰って……ダメだ、あの人免許持ってない。
『焦らず向かってくれ。こっちは何とかするから』
まゆを焦らせない様に連絡を送った後、全力で頭を回す。
何とか……何をすれば良い?
まゆが到着するまでの時間を稼ぐなんて、まゆの到着時刻が分からない様では意味がない。
集まってくれた方々と声を掛けてくれた遊園地側には本当に申し訳ないが、智絵里一人でやって貰うしか……
落ち着け、俺が焦ってどうする。
焦れば焦る程まともに考えられなくなる。
台風の影響でと言えば、おそらく不満は出るだろうが納得はして貰えるだろう。
けれど今後、声を掛けて貰い辛くなるのも事実だ。
加蓮がデビューする前に二人の信頼を落としてどうする。
なんとか……何か、打てる手は……
「……とりあえずちひろさんに……」
ちひろさんに連絡を取る。
「もしもしおはようございます、Pです」
『おはようございます、プロデューサーさん。まゆちゃんからお話は聞いてます……ちなみに、そちらは雨ですか?』
「いえ……まだ降ってはいません」
これで降ってくれていれば今からでも中止に出来たのに、なんてマイナス方向の解決策を考えてしまう。
ちひろさんの声からも焦りが伝わって来た。
『……智絵里ちゃんのみで決行するか中止にするかはプロデューサーさんの判断にお任せします。台風ですから、おそらく対応はなんとかなるでしょう』
「……事務所に居て、今此方へ来れそうな子に頼むのは……」
『交通情報を見たところ、どこもかしこも渋滞中です。今から向かっても恐らく……』
最悪だ、壊滅的に打てる手が無い。
誰か居ないのか。
誰でも良い訳では無いが、この際選り好みはしない。
近くに居て、まゆの穴を埋めてくれるアイドルは……
…………あっ。
「…………ねえ、Pさん」
「…………奇遇だな、加蓮」
加蓮と目が合い、つい笑みが溢れてしまった。
『……プロデューサーさん? 貴方、もしかして……』
「一人いました、なんとかなりそうです」
居るじゃないか、近くに。
この二週間、誰よりもずっとまゆと智絵里の近くに居て。
二人の曲をほぼ完璧に歌って踊る事が出来て。
練習したそれを披露する機会を手に入れた、一人のアイドルが。
『…………プロデューサーさんの判断にお任せします』
それはつまり、責任は全て俺が取れという事だろう。
そんなの、元より百も承知だ。
いつだって俺はそのつもりで働いて来た。
やってやるさ、俺たちで。
「……いけるか、加蓮」
「ふふっ、ダメって言われても出るつもり」
「よし、最高の返事だ」
本来であれば、中止すべきだ。
そうでなくとも理由を話して智絵里一人で頑張ってもらうべきだ。
けれど、最高の機会でもある。
偶然に偶然が積み重なった奇跡の様なチャンスは逃すべきじゃないと、俺は加蓮との出逢いで学んでいる。
「……智絵里も、それで良いか?」
「……はい。えっと、加蓮ちゃん……」
「ん、何?」
「…………役者不足だったら、ステージ降りて貰うから……」
流石智絵里だ。
本当に、柄にも無くて。
きっと、内心ビクビクしてるんだろうけれど。
それでも、加蓮の扱いをよく心得ている。
「……………………頑張る」
「不安になるなよ」
スタッフさんの方に話は通した。
ちひろさんの方も、色々と対応してくれているらしい。
まゆも乗り換えが済んだらしく、此方へと向かっている。
ギリギリ間に合わないのは確定だが、それはもう問題では無い。
「身長殆ど一緒で良かったー」
「お、馬子にも衣装」
「私まだ出産経験無いんだけど!」
「お前は馬を産むのか?」
ステージ裏の仮設テント。
そこで、俺たちは作戦会議をしていた。
「で、私は何を歌えば良いの? 『パステルピンクな恋』だけ?」
「そう、あとはトークだな。そしたら智絵里が一人で歌って、トークで時間稼いで、その間にまゆが到着出来る筈だ」
本当に大変申し訳ないが、前の出演者である手品師さんにもお願いして多少長めにステージに立って頂いている。
どうやら彼方も新人を連れて来ているらしく、『良い機会ですし、全然構いませんよ』と快諾を頂けた。
後でまたきちんとお礼を言わなければ。
パンフレットやサイトに『事前に告知なく出演者の変更がある場合がございます』と表記されていて本当に良かった。
「……不安か?」
「別に、トレーナーさんに見られるよりは緊張しないし」
「なら良かった。俺も不安じゃなくなった」
「ふふ、何それ」
出来る事なら、もう少しレッスンを重ねてからのデビューにしたかった。
きちんと加蓮の為の場所を用意したかった。
けれどもう、贅沢は言っていられない。
加蓮もオーケーと言ったのなら、これが加蓮の初ステージだ。
「すいませーん、そろそろお願いしまーす!」
「「はいっ!」」
ゆっくりと、舞台袖に回る。
手品は割と盛り上がっていたらしく、観客席の方からは歓声と拍手が響いていた。
風は強い。
今にも雨が降り出しそうだ。
加蓮は大して打ち合わせ出来ていない。
集まってくれたファンだって、加蓮の事なんて知らない。
……これで大成功を収めたら、最高じゃないか。
「それじゃ……行ってこい!」
二人の後ろ姿を見送る。
不思議と、不安は微塵も無かった。
それよりも、加蓮を集まった人たちに見てもらえる事が。
加蓮の姿をステージで観れる事が、楽しみで仕方なかった。
『こんにちは……緒方智絵里です……!』
『はい、どもー! 新人アイドルの北条加蓮だよっ?』
ザワザワと、観客席の方でどよめきが起きる。
それもそうだろう、佐久間まゆだと思ったらなんか知らない女の子が出て来たんだから。
『……えっと、まゆが今電車止まって遅れちゃってるから、それまでの前座だと思って?』
それで良いのか。
きちんと『まゆは遅れてるだけできちんと来る』事を伝えたのは良いが……
『……ううん、やっぱり折角私のデビューなんだし、前座なんて思って欲しくないから……』
伝わって来る。
舞台袖で彼女の表情は見えないが、それでも。
いつも通りの笑顔でマイクを持つ北条加蓮が、そこに居る。
『こっちが本番なんだ、って。北条加蓮のデビューに立ち会えて良かった、って。絶対、楽しませてみせるから!』
……はは、と思わず笑みが溢れてしまった。
それでこそ、加蓮だ。
集まってくれてファンが優しい方々で本当に良かった。
みな、加蓮へと温かな声援を送っている。
だから、また俺は笑ってしまった。
デビューしたての新人だなんて思っていると、びっくりするぞ。
この数日ひたすら加蓮が踊り続けた曲『パステルピンクな恋』が流れ出す。
アップテンポなイントロと同時、智絵里と加蓮はピタリと止まって。
そこから先は、まるで奇跡の様だった。
「お待たせしました、プロデューサーさん!!」
「あぁ、お疲れ様まゆ。すぐ着替えて貰えるか?」
「手伝って頂けると嬉しいです!」
「それじゃ後は頼んだ、加蓮に退がる様指示してくるから」
まゆが到着したのは、加蓮と智絵里がステージに登ってから十五分後の事だった。
ここから先は予定通りの進行になるだろう。
「……加蓮ちゃん、大丈夫でしたか?」
「観客席の方を見れば分かるぞ」
まゆと二人で、耳をすます。
遠くから聞こえるのは、声、そして拍手。
台風の風なんかに負けない程、熱気を纏った歓声。
そんな熱気を作ったのは、紛れもなく加蓮と智絵里だった。
完璧では無かった。
完璧以上だった。
ここ数日まゆとずっと一緒だったからこそ、加蓮は息ピッタリに智絵里と合わせると事が出来ていて。
その上で、北条加蓮という一人の『アイドル』を、観ている人全員の目に焼き付けさせていた。
観ている人が笑顔になっていた。
驚いた人が、硬い表情で見守っていた人が、一番のサビが終わる頃には笑顔で歓声を上げていた。
近くを通りがかった親子が、足を止めて魅入っていた。
トークはちょっと意味分からないところもあったが、兎に角面白かった。
『それじゃまゆが来たみたいだから。ありがと、みんな!!』
再び歓声が上がり、加蓮の退場を拍手で送る。
走ってステージから此方へと降りてくる加蓮。
見慣れた笑顔に見慣れぬ衣装。
勢い落とさず数段飛ばし。
入れ替わりでまゆとバトンタッチし、さらにそのまま減速も無しに三段跳び。
着地地点は俺の足元。
「っプロデューサーさんっ!」
「加蓮!!」
がしっ、っと俺たちは手を結んだ。
「最っっ高だったぞ!!」
「ふふふー、でしょーっ?!」
興奮冷めやらぬまま、手を繋いでテントに戻る。
ブンブン振り回される腕が、お互いの興奮を表していた。
「今夜は祝杯だな! 本当にお疲れ様!!」
ちひろさんにも連絡をしなければ。
トレーナーさんに感謝の旨を伝えないと。
デビュー関連に関しても打ち合わせが必要だな。
後は、ええと……
「…………ねぇ、Pさん」
「ん? どうした?」
珍しく、加蓮の声が震えていた。
どうしたのだろう、今になって緊張がやってきたか?
加蓮の方へと向き直ろうと、スマホをポケットに入れる。
それと、ほぼ同時だった。
「っうぁぁぁっ! 良かった……っ、良かったぁぁ!!」
ぎゅっ、っと。
背後から、加蓮が抱き着いて来た。
「みんな喜んでくれた……私でも、笑顔に出来た……! 不安じゃ無い訳無いじゃん! すっごく怖かったの! もしダメだったらどうしようって!!」
背中に、加蓮の頭が当たる。
俺はそのまま、振り返らずに。
「…………頑張ったな、加蓮」
「うん……うんっ! アイドルになれるなんてっ、全然思ってなかったから! ホントに……嬉しくて……っ! っあぁぁぁっっ!!」
だったら、良かった。
スカウトして良かった。
「諦めなくて良かった……っゔぁ……あーもー! 涙止まらないんだけど!!」
「泣いてて良いんだぞ、俺と加蓮しか居ないんだから」
「私だけ泣いてるとかダサいじゃん」
「俺もお付き合いしようか?」
「……ふふっ、成人男性の泣き顔とか見苦しそうだから結構かな」
それからしばらく、加蓮は静かに涙を流し続けた。
俺も気を遣って振り返らない。
ただただ、抱き着いている加蓮の震えだけが伝わって来て。
それが収まる頃には、ステージも終わる時間となっていた。
「……そろそろ二人が戻ってくるぞ」
「やだ」
「駄々っ子かお前」
「……ティッシュ貸して」
「はいよ」
ティッシュを渡して、改めて各所に連絡を送る。
……さて。
「そろそろ振り返っていいか?」
「だめ、泣き顔見られたくない。見たら泣くから」
無限の涙だ。
「…………ねぇ、Pさん」
「なんだ?」
「ありがと」
「こっちの台詞だ」
これから、どんどんこういう経験を重ねてゆく事になるだろう。
ステージに立って、テレビに出て、曲をリリースして。
それでも加蓮なら何とかなる、と。
そんな気がして。
「……加蓮ちゃん泣いてる……プロデューサーさんが……?」
「…………なんで背後から抱き着いてるんですかぁ?」
その前に解くべき誤解が沢山ありそうだ。
グースカピー、逆から読んでもグースカピー。
そんな訳あるか。
と言うわけで、日曜日が来た。
「…………ふぅ」
再三述べて来た事ではあるが、日曜日とは救いである。
今までだってそうだったし、これからもそうだ。
もうまどろっこしい言葉は必要ない。
寝る、以上。
寝返りを打とうとして、此処がソファである事を思い出す。
危ない、このまま背後へと転がっては落ちてしまうところだった。
なんでソファで寝てるんだっけか、ここ数日ずっとそうな気が……
あぁいや、背中には何かあたってる感触がするからそっち側が背もたれだな。
「…………ん?」
だったら、目の前のこの壁は何だ?
このソファが両側に背もたれが付いている構造だった覚えはない。
明らかな欠陥構造だ、トマソンと言えるかもしれない。
いやだから、だったらこの目の前の物体はなんだよ。
「んんぅ……」
う、動いた……山が動きよる……祟りじゃ……
「……ぎゅー……」
「ぐぇぇ……」
山が俺の顔を押し潰して来た。
けれど不思議と痛みは無く、むしろ柔らかく感じる程で。
「…………ん? あれ?」
頭上から声が聞こえた。
山の神だろうか。
いや、聞き覚えのある声だ。
というか、うん。
「…………加蓮?」
「なーにー……?」
「…………なんでこっちで寝てるんだ?」
沈黙、次いで大きく息を吸い込む音。
一泊改め、一拍置いて……
「っっっきゃぁぁぁぁっ! ヘンタイ!!」
「こっちの台詞なんだが」
「最っっ悪……」
「そこまで機嫌悪くならなくても良いと思うし、そもそも自分のせいだと思うぞ」
山は加蓮だった。
いや、某お山登山アイドル的な意味合いでは無く。
此方だって、起きたらJKが一緒に寝ててしかも抱き着いて来たなんて物凄く焦ったんだからな。
半分ホラーに片足突っ込んでる事象だった。
「と言うか本当になんでこっちで寝てたんだよ。ベッドあるだろ」
「…………逆に聞くけどなんでだと思う?」
「更に逆に聞き返すけど、なんで逆に質問されてるんだ俺は」
「質問に質問で返さないで」
「ブーメランはお返ししよう」
話が進まない。
「……お金払って」
「理不尽にも程がある」
「だって…………初めてだったんだもん……」
「…………」
なんで頬を赤らめる。
まるで、なんか、こう、あったみたいじゃないか。
落ち着け、焦るな。
深呼吸をしながら昨日の事を思い出すんだ。
テントでへばり付いた加蓮を引き剥がして。
まゆと智絵里の誤解を解いて。
事務所に戻って報告して。
帰ってからお祝いにケーキ食べてビール飲んで……
……飲んで……シャワー浴びて……寝たよな?
大丈夫な筈だ、酔っていようが俺の事だから手を出す筈が無い。
大丈夫だよな?
…………だ、大丈夫だよな?
「……私がちゃんとした場所で人前に立つなんて、初めてだったから……」
「そっちか、あぁ別にやましい事とか考えてた訳じゃないから安心しろ」
「まぁよく看護師さんとかクラスメイトとかに囲まれてたけど」
「重いのやめよう」
気にして欲しいのか欲しくないのか分からない。
いや、本当に気を遣って欲しくは無いのだろうが。
「で、なんて言うかこう……帰って来てからも誰かと一緒に居たかったから……」
……きっと、親御さんと一緒に寝たのすらも遠い昔の事なのだろう。
果たして彼女は、どれだけの長い時間を病室のベッドで過ごして来たのか。
「あ、でも同じ部屋に他の患者さん居た時もあったかな。深夜に何度もナースコール鳴らすせいで全然寝れないの」
「……なぁ、加蓮。良ければたけど……少し、昔の話を聞かせてくれないか?」
「んー、別に楽しい話じゃないと思うけど」
それはそうだろう。
加蓮だってきっと、話してて楽しめる様な内容では無いだろう。
それでも、もっと加蓮の事を知りたかった。
加蓮が背負って来た過去を、俺も知りたくて。
「……じゃ、私が話したらPさんのお話しも聞かせてくれる?」
「構わないが。どんな話が聞きたい?」
「まゆとか智絵里とかのプロデューサーになった話しとか。あ、折角だしデートしながらにしない?」
台風一過。
誰しも一度は、一家と勘違いした事があるだろう。
昨日の台風は既に本島を通過し、代わりに真夏を置いて行った。
強風によって葉が舞い散ったせいで、暑過ぎる日光が遮られる事なく降り注ぐ。
「昨日、私あそこで歌ったんだよね」
「だな。どうだった?」
「また立ちたい」
「良い事だ」
日差しを避けながら園内を歩き、昨日は休止していたアトラクションを巡る。
今日もまた別の誰かが、ステージで何かを披露している。
そんな場所に昨日は、加蓮が立って居た。
出来れば次はきちんとした出演者として、加蓮の名前をパンフレットに載せたいところだ。
「あのパラシュートみたいなやつ乗りたい」
「よし、それじゃ向かうか」
次々とアトラクションを制覇する。
若い子について行くのは大変だ。
無尽蔵の体力相手に、三十路の身体は重過ぎる。
お昼前にはきっとダウンしてしまいそうだ。
「でさ、小学校の頃は憧れてたんだよね。お見舞いに来てくれたみんなが『退院したら一緒に遊園地行こうね!』なんて誘って来るんだもん」
「行けたのか?」
「退院すら出来なかった」
ケラケラと笑いながら出来る話しでも無いと思うのだが、加蓮の中では既に踏ん切りがついているのだろう。
小学生は無邪気だ。
いつ退院出来るかも分からない相手に、いつかきっとという希望を押し付ける。
どれ程楽しかったかをなんの悪意も無く叩き付けてくる、心を叩き落としてくる。
「私の病気がどんなものかも知らずに励ましてくんだよね。そのくせ、中々退院しないとお見舞いにすら来なくなるの」
「……恨んでるのか?」
「別に、私なんかのお見舞いに時間を使うなんて勿体無いって思うようになったから。羨ましかったけど」
二人乗りのパラシュートが下降する。
子供の頃に乗った時は本当にこのまま落ちてしまうのではないかなんてスリルがあったが、大人になった今では思いの外遅くてがっかりした。
子供の頃の思い出なんてそんな物か。
段々と加速度は小さくなり、再びパラシュートは上へと登る。
「だからこうして、Pさんと一緒に遊園地に来れて良かったかな。叶わないと思ってた夢がまた叶っちゃった」
「楽しいか?」
「勿論。テレビとか誰かの口からしか遊園地って物を知らなくて想像するしか無かったから……でももっと大っきな場所を想像してた」
「ま、だったら今度はもっと大きな遊園地に行こう」
富士山の近くの遊園地なら、大人だろうが本気で楽しめるだろう。
ジェットコースターだってお化け屋敷だって、圧倒的にあちらの方が本格的だ。
流石にここは都会のど真ん中にある遊園地だからな。
次のアトラクションはバイキング。
これもまた、思いの外高くも速くも無かった。
「でさ、きっと私は構って欲しかったんだよね。ずっと誰かに、私の側に居て欲しかった」
「ご両親は?」
「殆ど毎日来てくれてたよ。嬉しかったし、それが当然だって小学生の頃は思ってた」
当然、か。
そう考えるのも当然だろう。
本来健康に家で生活出来ていれば、親とは毎日会うのだから。
親の愛を、毎日受け取る事が出来るのだから。
「でもさ、思っちゃったんだよね。無理して会いに来てくれてるんじゃないかな、って。小学生の友達は来なくなったし、看護師さんだって私に付きっ切りって訳じゃ無い」
「お仕事か?」
「うん。保険とかよく分からないけど、ずっと治療費払う為に働くのって大変だったんじゃないかな」
保険に関しては、俺も詳しくない。
健康であれば加入出来るだろうが、既に病気だった場合どうなるのだろう。
中学生までは治療費が無料になったりとか、高額医療費制度とかはどうなっているのだろう。
正直さっぱり分からないが、加蓮のご両親が働いていた事だけは確かな様だ。
ぐぉん、とバイキングが大きく背後へと振り戻って。
また再び反対側へと振れて落ちる。
前へも後ろへも進む事ない船は、何度も何度も行ったり来たり。
ただひたすらにその場で傾きだけを大きくする。
「……で、言っちゃったの。そんなに来なくて良い、って。私なんかに構わないで欲しい、って」
負担だって思われるの嫌だったし。
いつか友達みたいに来てくれなくなる日が怖くて、だから先に拒絶したの、と。
そう呟く加蓮。
それでも加蓮は、笑っていた。
「……それで?」
「でもね、来てくれた。一週間に二回くらいにペースを落として、それでも私に会いに来てくれた」
「……良いご両親だな」
「すっごく感謝してる。その時は素直になれなくてぶっきらぼうだったけど、嬉しかった」
加蓮の気持ちを汲み取って、その上でちゃんと分かってくれていたんだな。
けれど……
「…………うん、勝手な事だって分かってる。それでも本当はずっと側に居て欲しかった。お仕事なんて知らない。二十四時間、私の側に居て欲しかった」
そう思うのは、きっと勝手では無い。
加蓮はそれを心の内に留めておいたのだろう。
お化け屋敷を並んで歩く。
冷房の効いた屋内が実に心地良い。
お化け屋敷、か……
そう言えば小・中学生の頃は肝試しなんてイベントがあったな。
「結局何度か入退院を繰り返して、そこからずーっと退院出来なくて、修学旅行すら行けなかったんだけどね。先生の計らいで私もちゃんとどっかの班に割り振られてたけど、それも班員のお荷物みたいで嫌だった」
「しおりに名前が書いてあったのか?」
「うん、誰だったかは覚えてないけど病室まで届けてくれた。暇過ぎて修学旅行の目的とか校長先生の話しとか読んでた」
あったな、そんなの。
そう言えば今時の修学旅行は携帯の持ち込みは可能なのだろうか。
「……入院ってさ、暇なんだよね。なーんにもやる事無いの。起きて、ご飯食べて、シャワー浴びて、寝る。毎日おんなじ事の繰り返し」
「本とか読んだのか?」
「最初はね。親が持って来てくれた本を何回も読んてた。読み終わっても、何回も、ずーっとおんなじ本を」
下手なお化け屋敷よりも怖い。
別にこのお化け屋敷を貶している訳ではないが。
「後はスマホ弄ってテレビ見てた」
「そこだけ聞くと現代っ子っぽいな」
「やる事無いとさ。電源つけて、消して、つけて、消してって何回も繰り返すんだよね」
「……どんな番組を見てたんだ?」
「何でも見たよ。ドラマとかニュースとか、暇過ぎて通販とか」
それが十五歳くらいの時まで続いてた。
ずーっと、私は病院のベッドで生きていくんだって思ってた。
……ううん、生きていけるとも思ってなかった。
体調は悪くなる一方で、次寝たらもう目が覚めないんじゃないかな、って。
そもそも寝れない日もあったし。
生きてたくない日もあったし。
生きてたところでやる事なんてないし。
それって死んでるのと何が違うのかな、って思ってた。
「……諦めてた。全部、私の人生なんてどーでもいいやって思ってた」
『私、昔ちょっと色々諦めててさ……そんな私にも希望をくれたのが、テレビの向こうの『アイドル』だったから』
以前加蓮がそう言っていたのを思い出した。
加蓮の手を引いて観覧車に乗り込む。
お昼時だったおかげで大して並ぶ必要は無かった。
ゴンドラは弧を描き、少しずつ地上から離れて行く。
普段生活している町も、上から見るとまるで現実では無いかの様な風景で。
「ある日たまたまテレビをつけたら音楽ステーションやっててさ。そこで観たんだよね。『アイドル』を」
あぁ、だから加蓮は……
「……キラキラしてた。月並みな言い方だけど、凄かった。あの頃の私が魅入っちゃってワクワクしちゃうくらい……輝いてたんだ」
「目指したくなったんだな」
「うん、こんな私に夢をくれたから。笑顔を分けてくれたから。私もそんな存在になれたら良いな、って」
満面の笑顔だった。
そこから先は、俺も知っている。
昨日テントで聞いたから。
どれほどの喜びだったのかは、彼女の涙が語っていたから。
「以上、加蓮ちゃんの過去話でした。楽しかった?」
「今更だがアイドルと二人で遊園地はマズイ気がしてきた」
「まだまだ無名だし大丈夫でしょ。昨日来てくれた人くらいしか知らないだろうし、二日連続で同じ遊園地には来ないんじゃない?」
「今後は気をつけないと……あぁ、後は加蓮の新しい住居の確保だな」
「今のままで良いじゃん」
「世間は許してくれないんだよ」
話していると時間はあっと言う間だ。
気が付けば俺たちの乗ったゴンドラは既に頂上まで辿り着いていた。
後はもう、降りるだけ。
風景はこれ以上、上がる事は無い。
「……私としては、もう満足だし」
「何言ってんだ。これからだろ」
「……ふふっ、そうかも」
あ、それと……と。
観覧車から降りる前に、加蓮は笑って言った。
「感謝してるよ、これは本音。Pさんはずっと私の側に居てくれるんだもん」
「で、智絵里の担当にもなった訳だ」
「ふーん」
聞いたんなら興味を持って頂きたい。
せっかく俺の武勇伝(?)を話しているのに、聞いた本人は既に飽きていた。
プルルルル、プルルルル
「ん、悪い。ちひろさんだ」
「出ていいよ。お仕事でしょ?」
喫茶店でお昼を食べている最中。
仕事用のスマホの方に、ちひろさんから連絡が入った。
「もしもし、おはようございます。Pです」
『おはようございます、プロデューサーさん! 千川ちひろです!』
「……テンション高いですね。飲み会後にお持ち帰りでもされたんですか?」
『セクハラで訴えれば私の勝訴は確定ですが』
下らない冗談など言うものではない。
どうしてこうも俺は口元がお留守なのか。
『おめでとうございます!!』
「……何かの当選詐欺ですか?」
『む、その様子だとFAXやメールは確認していないみたいですね』
「今加蓮と出かけているところなので」
遊園地に行ってました、なんて事は言わない方が良いだろう。
ダメだって事は俺も分かっている。
『……あー、えっと、加蓮ちゃんと一緒に居るんですか? だったら教えてあげて下さい』
「教える……?」
ちひろさんがここまで上機嫌なのは珍しい。
どうやら本当に良い事があった様だ。
『ユニットのメンバーが決定しました! これでプロジェクトが正式に始動です!!』
思わず、笑みが漏れてしまう。
加蓮が、正式にデビューする。
それはスカウトした俺にとっても、大きな一歩だった。
嬉しくない訳が無い。
本当に、一から一緒に付き合って来たのだから。
加蓮の正式なデビューが決まったんだ。
連絡を切ってから、そう加蓮に伝える。
北条加蓮というアイドルを心待ちにする人が増えるんだ。
もっと沢山の人を、笑顔に……
「…………そっか、うん。良かった」
けれど、加蓮の表情は。
台風はまだ一過していないと言うかの様に、曇ったままだった。
暑さも盛る八月頭。
蝉は未だ秋など来ないと、飽きる事なく鳴き続けている。
遠くの風景が歪んで見える程太陽の陽は暑過ぎて。
冷房の効いたこの部屋から、出たくなさだけが雪だるま式に膨らんで行く木曜日。
「こ、小日向美穂ですっ! よろしくお願いします!」
「多田李衣菜でーす。よろしくお願いします」
「うふふ、佐久間まゆです。よろしくお願いしますね?」
「……お、緒方智絵里です……えっと、よろしくお願いします」
「北条加蓮だよ。よろしくね」
部屋が、賑やかになった。
ユニットメンバーの顔合わせで全員が部屋に集まっている。
女の子五人、姦しさ増し増し。
正直ちょっとだけ居心地が悪いが、そうも言ってられないだろう。
今後はこの五人のユニットをプロデュースしていかなければならないのだから。
「お久しぶりです、まゆちゃん」
「四月のライブ振りですね。これからは一緒に頑張りましょう、美穂ちゃん」
一人目は小日向美穂。
既にデビューは済んでいて、何度かまゆと共演した事もある。
恥ずかしがり屋さんで正統派美少女な感じの女の子。
アホ毛、あれどうなってるんだろう。
「へーい智絵里ちゃん。ロックしてた?」
「ろ、ロック……? ??? えっ、してた様な……してなかった様な……」
二人目は多田李衣菜。
彼女も既にデビュー済みで、こちらは智絵里と何度か共演している。
カッコよくてロックな感じの、ロックなアイドル。
プロフィールを見て驚いたが、あの見た目でこのメンバーの中で一番背が低い。
「……やば、プロデューサーさん。私人見知りスキル発動しそうなんだけど」
「お前そんなスキル持ってたのか」
「三人とか五人が集まるとさ、それぞれがペアになるせいで一人だけあぶれる事ない?」
そんな訳で、この五人で頑張っていく事になった。
皆良い子だし、特に問題なくやっていけるだろう。
あぁそうだ、ユニット名とリーダーを決めておかなければ。
こういうのは俺が決めて良いのだろうか。
「改めてよろしくお願いしますね、プロデューサー!」
「よろしくな、李衣……多田さん」
危ない、普段の癖で名前で呼んでしまうところだった。
「李衣菜で良いですって。それで、ユニット名とかリーダーとかって決まってるんですか?」
「いや、何も。元より正確な人数すら決まってなかったユニットだからな」
「でしたらリーダーはまゆで決まりですねぇ。ユニット名は『まゆと愉快な仲間たち』で」
「え、まゆがリーダーやるの? 私もやりたい。ユニット名は『ナス科ナス属の多年草植物』」
「じゃがいも……」
こいつら真面目に考える気無いな。
リーダーがまゆ、という点に関しては俺も異論は無いが。
「あ、プロデューサーさん。もう一つ教えてあげても良いんじゃないですか?」
ちひろさんからの目配せ。
ふふふ、出来れば勿体振りたかったが仕方ない。
俺がこの数日まゆよりハイテンションだった理由を教えてやろう。
それは……
「……曲が、既に作曲されているんだ!」
「「「「「おー!」」」」」
歓声が五つ。
非常に心地よい
名実ともに、加蓮のデビューソングともなる。
それはやはり、俺としてもとても嬉しいものだった。
「まだ完成では無いらしいが……曲名は『Love∞Destiny』だ!!」
「やっぱりまゆの為の曲ですねぇ」
いや、五人の為の曲だが。
「それじゃレッスンルーム行ってくれ。トレーナーさんが構え……待ってる筈だから」
げっ、と言った様子の五人。
やはり李衣菜や美穂もアレはしんどいんだろうな。
五人を見送った後、一息と言った感じにソファに腰を下ろす。
一気に部屋が静かになった気がした。
「……楽しみですね、プロデューサーさん」
「はい、すっごく。それにしても美穂と李衣菜か……かなり期待されてるんだな」
デビュー済みで、かつこの事務所でもかなりの人気を誇る二人を加入させて来た事から、このプロジェクトにどれ程の力が入っているか良く分かる。
もちろんまゆも智絵里も負けず劣らずの実力だが。
加蓮は……まあ、大丈夫だろう。
今までみたいに、すぐ上達して追いつける。
「ところで……その、加蓮ちゃんのお話しですが……」
「…………そう、ですよね……」
そろそろ先延ばしにせず、解決しなければならないところまで来ている。
彼女の、住居の問題。
このまま俺の家に住まわせるなんてのは論外だ。
けれど、ならば……
「……寮の使用、私が直々に掛け合ってみます。それこそまゆちゃんと相部屋にすれば、色々と抑えられるかもしれませんから」
「……お願いします」
そう言えばそもそも、彼女のご両親に挨拶した事が無かったな。
金銭的な事は置いといて、それはそれとしてそろそろ挨拶に伺いに行こう。
「お帰りなさーい。あとただいま」
「お帰り、あとただいま」
「ふふふ……シャワー浴びるのも面倒くさい……」
「ちゃんと浴びて来いよ。その間に夕飯作っとくから」
夕方、買い物袋を引っさげて二人で帰宅。
五人でのレッスンは当然ながら新しいダンスが多く、加蓮はクタクタになっている。
かなり上達しているとは言え、他の四人とはまだ地力に差がありすぎた。
それでも楽しそうに『努力って素敵』と呟いていたから、多分まぁ大丈夫だろう。
加蓮がシャワーを浴びている間に、うどんを茹でる。
暑い日は冷たい麺類に限る。
ネギを刻んで天つゆを希釈し、わさびと天かすも用意。
氷は……よし、ある。
思えば、このほんの二週間で加蓮の居る生活が当たり前になっていた。
慣れた訳ではない、朝起きると家にJKが居る生活は普通に驚く。
けれど、お帰りと言えばただいま、と。
行って来ますと言えば行ってらっしゃい、と。
そんな生活は、とても居心地の良いものだった。
「……まぁ、このままって訳にもいかないしな」
元より、加蓮の住居問題が解決されるまでの仮暮らしだったのだ。
デビューが決まった今、悠長にそのうち何とかしようだなんて言っていられない。
「……どうしたの? 難しそうな事考えてる顔して」
「上がるの早いな」
「おうどん茹でてるんでしょ? それで何? ユニットの事?」
「まぁそれも。あと加蓮の事」
「私の事ついでみたいに言わないで」
めんど……なんて思ってないぞ。
だから睨むんじゃない。
「住居、どうすっかなってさ。ちひろさんが寮の方なんとかしてくれそうだが」
「んー、前も言ったけどこのままで良いじゃん」
そんな訳にもいかない、とも前に言った筈だが。
明確なタイムリミットが出た訳じゃないが、出来る限り早いうちに対処するべきだ。
「タイムリミット、ねぇ……私たちのユニットがデビューする日って決まってるの?」
「まだだ。おそらくは……今月の下旬だろうな」
全員の完成度にもよるが。
その点に関しては、心配は不要だろう。
お椀を用意しながらお箸を並べている折。
ふと、加蓮は呟いた。
「……やだな、Pさんと一緒に居られなくなっちゃうの」
「別に、もう会えなくなるって訳じゃ無いんだから」
「言ったでしょ。ずっと誰かに側に居て欲しかった、って。そういう人、Pさんが初めてだって」
もちろん恋愛感情とかは抜きにしてね、なんて笑う加蓮。
……そうは言ってもな。
引き合いに出す訳では無いが、加蓮がアイドル活動をしてくれないのであれば、俺はそもそもこうして住居を提供していなかった。
流石に、一切益にならないのに、見ず知らずの女の子を家に置ける程俺は聖人では無いのだ。
もちろん出会ってから今日までで加蓮の過去を聞いて、当時とはまた違う考えにはなっているが。
それでも今後家に置いてあげられるかと問われれば、即断は出来ない。
それは俺の為にも、加蓮の為にもならないからだ。
それこそ本来であれば、親元に送るなり然るべき場所に相談をしに行くべきだから。
口では言わないが、きっと分かっているだろう。
この問いは、諦めない限り解けない様に出来ているのだ。
「……分かってる、ワガママだって。アイドルやる為だもんね」
目に見えて落ち込んでいる訳では無いが。
それでも加蓮の声には、迷いが含まれていた。
「あ、アイドルやりたくない訳じゃ無いよ? デビューが決まって、曲まで出せる事になって……嬉しいのはホント。ずっと夢だったから」
寮に住むには、アイドルになってからでないと家賃が払えず。
アイドルになるには、何処かしら住居を確保しないといけなかった。
その問題は俺が『加蓮がアイドルとしてデビューするまで』という条件付きの元諦める事で先送りにして来たが。
流石にもうなりふり構っていられない為、ちひろさんが特例措置なり何なりで何とかしてくれる。
……今回は、加蓮が諦めれば解決なのだ。
加蓮がアイドルになれば、一緒には過ごせない。
けれど加蓮がアイドルにならないのであれば、今後彼女と関わる機会は激減するだろう。
「でもね、もう一つ願いがあったから。ずっと誰かに、そばに居て欲しい。そばに居てくれる人が欲しい」
「…………」
「それで、誰かを笑顔にしたいって願いはもう殆ど叶っちゃった訳だし。そうなると、もう一つの願いを叶え続けたくなるでしょ?」
彼女にとっての優先順位は、きっとまだ決まってない。
決まっているのなら、さっさとアイドルを放り投げている。
そういう打算なんて無い女の子だって事は、俺も理解していて。
だとしたら、俺としてはアイドルの方を優先して貰いたいが……
「……じゃあ、Pさんに質問」
「……俺に答えられる事であれば」
「さっき『別に、もう会えなくなるって訳じゃ無いんだから』って言ったけど……」
「言ったな」
「……もし、二度と会えなくなるとしたら。それでもPさんは、私を追い出す?」
……二度と会えなくなるとしたら、だ?
「前提条件が有り得ないだろ。何度も言ってるが、別に会えなくなる訳じゃ」
「答えて、お願い」
返答次第では本当に加蓮が居なくなってしまう様な気がした。
それ程までに、真剣な表情で。
二度と、か。
だとしたら、流石に追い出さないだろうな。
……そうだろうか?
二度と会えないという事は、イコールでアイドルを続けていないという事で……
それでも俺は、追い出せる程心は死んではいない。
正直な話、加蓮との生活は居心地が良かったのは確かな訳で……けれどこのままと言う訳にもいかないし……
……いや、やはり前提条件に無理があるだろう。
「うん、おっけー」
いつのまにか、加蓮の表情はいつも通りの能天気に変わっていた。
手のひらをヒラヒラと振って、まるで此方を揶揄う様で。
「……まだ答えてないが?」
「ふふっ、冗談に決まってるじゃん。あと即決してくれなかったのは癪だけど、迷ってくれただけでも良かったかな」
あ、それと、と。
加蓮は言葉を続けた。
「住居の方は何とかなりそうだから、私に任せてくれる?」
「ん、あてはあるのか?」
「うん、とは言ってもすぐに引っ越せるって訳じゃないから……今月の真ん中ら辺まではPさんの家に住んでて良い?」
真ん中ら辺か、ギリギリだな。
けれどまぁ、何とかなりそうなら其方に任せてみよう。
「……さっ、お夕飯食べよ? おうどんでしょ?」
あぁそうだ、うどんを茹でているんだった。
……鍋、ずっと火にかけたままな気がする。
「…………あっ」
茹で時間は融通が効かないな。
夕飯はかつてうどんだった物体になった。
「無理……帰る……」
「うふふ、うっふふふ……疲れましたよぉ……」
ソファに深く座り込んで天井を見上げる加蓮。
ソファに潰れ込んでスライムみたいになってるまゆ。
雑誌を読む智絵里。
レッスン後の見慣れた光景が広がる八月三日、土曜の夕方。
「お疲れ様です、皆さん。あら? 美穂ちゃんと李衣菜ちゃんは?」
「えっと……もう少しだけ、練習してから戻って来るって言ってました……」
窓から差し込む夕陽は赤い。
こんな時間でもまだ外は明るく、まだまだこれから暑い日が続く事を予期させる。
夏は、長い。
せめて太陽にはもう少し手加減と言うものを覚えて頂きたいものだ。
「……智絵里ってさ、いつも何読んでるんだろ?」
加蓮の視線の先には、ソファで雑誌を読む智絵里。
色んな雑誌を読んでるのは見かけるが……今日は旅行雑誌の様だ。
旅行か、行きたいな。
これだけ暑い日が続くと、避暑地とか北海道に行きたくなる。
「どう? 良い旅館とか見つけた?」
「…………えっ? あっ、えっと……軽井沢とか……」
軽井沢か、一度は行ってみたいな。
シルバーウィーク辺りなら休み取れるだろうか。
「まぁいいや。プロデューサーさん帰ろ?」
「悪い、もうちょい掛かりそう。先帰ってるか?」
「んー……そうしよっかな、のんびりお風呂入って待ってるから」
「Pさんのお家のお風呂?! ……まゆもご一緒してよろしいでしょうか?」
「じゃあねー、お疲れ様でーす」
「お疲れ様です、加蓮ちゃん」
「お疲れ様、また後でな」
バタンッ
「……まゆの扱い、雑過ぎませんかぁ?」
かと言って、まともに取り合っていたら日が暮れてしまうから……
ガチャ
「お疲れ様でーす」
「はぁ……つ、疲れたぁ……」
美穂と李衣菜も戻って来た。
二人とも物凄く疲れている様だ。
そのままソファに沈み込み、お茶をがぶ飲みしている。
部屋の冷房、下げといてやろう。
「いやぁ……しんどいですね」
「シャワー浴びて来たらどうだ? この時間なら空いてると思うけど」
「そうしよっかな……行こ? 李衣菜ちゃん」
「そーだね……あー、歩くのも億劫ですよ」
あぁ、そうだ。
その前に少し聞いておきたい事があったんだ。
「加蓮どうだ? ついていけてるか?」
「加蓮ちゃんって、あの新人の子ですよね? とっても頑張ってると思います」
「凄いですよ、本当に。まだ一ヶ月も経ってないんですよね?」
なら良かった。
遅れて置いていかれてしまう様な事があれば大変だったからな。
けれどやはり、大丈夫だった様だ。
加蓮がどれ程頑張れるかは、この数週間で俺たちは良く学んだからな。
二人がシャワールームへ出たのを見送って、俺は再びパソコンと向かい合う。
あと三十分もあれば終わるだろうし、さっさと帰って夕飯作ってやらないと。
「……ところでPさぁん」
「ん、どうしたまゆ」
「……加蓮ちゃんの事で、何か不安なんですかぁ?」
「レッスン、他の四人にちゃんとついていけてるか気になってな」
どうやらその心配は杞憂に終わってくれた様で良かった。
付きっ切りでレッスンしてくれたまゆと智絵里には感謝だな。
「成る程、それでしたら大丈夫ですよぉ。ちゃんとついて来れてますから」
「まゆがそう言うなら安心だな」
「ですが、そうですねぇ……追い抜いてやる、みたいな勢いは失くなっていると思いました」
そう、か。
「張り合いがありませんねぇ……まゆがライバルと認めた相手だけに、ちょっぴり残念です」
「それ、伝えてあげてくれるか? その方が加蓮もやる気出るだろうし」
「うふふ、かしこまりました。それで……Pさんと加蓮ちゃん、何かあったんですかぁ?」
……勝てないな、まゆには。
隠し事なんて通用しなさそうだ。
それから俺は、一昨日の加蓮との会話を掻い摘んで話した。
そろそろ俺の家から出て行かなければならない事。
彼女の『アイドルになりたかった』という夢と、『ずっと誰かに側に居て欲しい』という願いの事。
その際にされた、質問の事。
「……ワガママな女ですねぇ。誰でも良いのであれば、Pさんじゃなくて他の男を見つけて頂きたいです」
「そう言ってやるなって。あいつにも色々あったんだから」
「まゆも加蓮ちゃんに色々言ってやりたいですよぉ。それこそ今夜電話して…………」
「ん? どうした?」
「加蓮ちゃん、スマホ持ってましたっけ?」
そういえば、知らないな。
加蓮と連絡取ろうとした事が無かったし。
そもそも四六時中近くに居るし。
いやでも初対面の時スマホ弄ってたから、持ってないって事は無いだろう。
「無ければ明日一緒に買いに行くか」
「まゆもご一緒しますよぉ!」
さて、思いの外早く作業が終わった。
帰りに蕎麦でも買って帰るか。
「それじゃお疲れ様です。また月曜日」
「Pさぁん!!」
まゆはいつでも元気だなぁ。
「……智絵里ちゃん、良ければ明日一緒にケーキ食べに行きませんかぁ?」
「…………ねぇ、まゆちゃん」
明日は日曜日。
全人類幸せになろうな。
ぴぴぴぴっ、ぴぴぴぴっ
日曜日、逆から読んでも日曜日。
あ、本当に逆から読んでも日曜日だ。
「んぅう……ふぁぁ……アラームうっさ……」
案の定、俺が寝ているソファになんか居た。
誰だっけ、加蓮だ。
いや本当に、そろそろ俺がベッドで寝ても良いかな。
ソファ譲るけど。
「……おはよう、加蓮」
「…………ヘンタイ」
「怒るぞ」
そんな訳で改めて、日曜日だ。
丸一日寝て過ごしたい気持ちをグッと抑え、なんとかソファから起き上がる。
今日は買いに行かなければならない物があるのだ。
……来週じゃダメかな。
「寝顔とかスッピン見られるとか最悪……」
だったら寝室で寝れば良いだろうに。
此方ももう見慣れたのだから、お互い気にしなければ良い。
「スッピンでも十分綺麗だぞ」
「キモ」
加蓮と過ごしていると、まゆがどれ程良い子かよく分かる。
多分逆も然りなのだろうが。
「ほらさっさと準備して出掛けるぞ。デビュー祝い買いに行くんだろ?」
「それで、どんなプレゼントを贈ってくれるの?」
「三百円までならどんな組み合わせでも良いぞ」
「ふふっ、何それ」
そりゃ小学生の遠足のおやつだろ、と言おうとした所で踏み留まる。
下手したら、加蓮が遠足に行った事が無い可能性もあるからだ。
「……何が欲しい?」
「そこは自分で選んでよ。加蓮ちゃんどんな物プレゼントしたら喜んでくれるかな~って悩みながらさ」
「ポテトのクーポン」
「女子高生がポテトのクーポンで喜ぶと思ってんの?」
ポテト代すら支払えなかった女子高生が何を言ってるのだろう。
それはそれとして、真面目に考えるとしよう。
加蓮へのプレゼント……服はもう十分持っているか。
化粧品は詳しく無いし、ネイルが気になってるとは言っていたがそちらも詳しく無い。
となると……装飾品や財布やバッグか。
来月には誕生日だし、そこそこ高くついてもまぁ良いだろう。
装飾品なら、イヤリングやネックレスか。
不味い、まゆからアドバイス貰っておけば良かった。
「……はいはい、二人っきりの時に他の女の事考えないの」
「え、分かるのか?」
「顔に出てるよ、分かりやす過ぎ」
「そういや加蓮ってスマホ持ってるよな?」
「んー、まあね。契約切れてるからWi-Fiないと使えないけど」
それは持っていると言えるのだろうか。
殆ど音楽プレーヤーではないか。
「んじゃそっちも契約しに行かないとな」
「あー……それは九月に入ってからでも良い?」
まぁ、ユニットデビュー前に用意出来れば良いか。
まだしばらくは俺の家で過ごすのだし、必要になる事は少ないだろう。
それにしても、今時の女子高生でもスマホ持ってない子いるんだな。
こいつの場合料金払えないから解約した、って可能性が大きそうだけれど。
「それじゃ、店入るか」
「……お、おっけー」
二人並んで、ジュエリーショップに入る。
まるで魔王の城に突入する新人勇者二人の様だ。
冷房ガンガンに効いた店内は、まるで『此処は貴様らの様な人間が来て良い場所では無い』と語り掛けてくるようで。
取り敢えず、居心地が悪い。
「……めっちゃキラキラしてる……」
「援助交際と間違われないといいな……」
「ねーパパ、あの高いヤツ買ってー?」
「やめろまじで通報される」
けれど周りからの視線を集めるなんて事は一切無かった。
この店に来る様な人は、お金にも心にも余裕があるのだろう。
仕方ない、しばらくは仲睦まじい親子か兄妹の様に振る舞わ無いと。
大丈夫だ、店員さんから話しかけられてもプロデューサーとしてコミュ力で撃退してやる。
「何かお探しですか?」
「えっ? あっ、ええと……妹の誕生日プレゼントをと思いまして……」
「あ、私が妹ね?」
言わなくても分かってる。
俺が妹でたまるか。
というか余計な事言ったせいで物凄く怪しいものを見る様な目をされてるんだが。
「お誕生日プレゼントですか……! ちなみに、どの様な物をご希望ですか?」
「んー、このくらいの子が着けててもおかしくないくらいのネックレスを」
「高校生さんですね。来年からは大学生でしょうか?」
「いえ、今十六で……」
なんだろう、本格的に援助交際染みて来た気がする。
「でしたらこの辺りがピッタリかと思います」
案内された先には、ネックレス畑。
すごい、沢山の高級そうなネックレスが逆生首に掛けられている。
真夜中に見たら発狂しそうだ。
ついでに値札見て発狂しそうだ。
ゼロの数を数えた後、加蓮と顔を見合わせる。
「…………加蓮、一回店を出て作戦会議だ」
「おっけー、此処は危険だね」
近くのハンバーガーチェーン店に入って、安さに安心して。
飲み物とポテトを買って席に着き、大きなため息を吐く。
「……あの店は、俺たちが入るには早過ぎたな」
「うん……値札見ずに強請るつもりだったけど、流石に0が5つも6つも付いてるのは不味いでしょ」
宝石キラッキラだったからな。
あぁいうのは淑女な皆様がパーティに着けて行くものであって、女子高生が普段使いするものではない。
あんなもん買うのも贈られるのも迷惑だ。
プレゼントだから金額でどうこう言うのは嫌だったが、流石にあれは厳しい。
「女子高生にピッタリであの値段って何? 最近の女子高生は株でもやってるの?」
「お前だってジャガイモやってるだろ」
と言う訳でプランB。
「デパートに行こう。その方がお互い気楽に買い物が出来る筈だ」
「おっけー……あー、日本にはあんな店で買い物する富豪が居るんだ」
「日本って、広いな」
「東京ドーム何個分だろ?」
「47都道府県って言うくらいだし47個分じゃないか?」
駅前デパートへと到着。
見慣れた光景に、少し安心する。
「ねぇねぇ、クレープ食べてかない?」
「先に色々買い終わってからな」
ジュエリーショップもそこそこ良心的な価格だ、少なくとも先ほどの店よりは。
此処ならどれを選んでも大丈夫だろう。
「私あれ欲しい、土地」
「月の土地ならそこそこな値段で手に入った気がするな」
デビュー祝い兼誕生日祝いが土地で良いのか。
お前は不動産の手の者なのか?
店内をのんびり巡りながら、加蓮に合いそうなネックレスを探す。
加蓮にはどんな色でどんなデザインが似合うだろう。
赤……水色……割と何でも似合いそうだな。
こうやって人に似合うかどうか考えながらプレゼントを選ぶの、なかなか楽しい。
「……ん、これはどうだろう」
「髑髏……私に死ねって言ってるの?」
「いやその隣のケースの。って言うか髑髏のネックレスにそんな意味無いから」
俺が指差す先には、蓮華を模したネックレス。
淡いペパーミントグリーンで、少し大人びた雰囲気のデザイン。
「んー、私には大人っぽ過ぎない?」
「加蓮は十分大人っぽいだろ」
「エッチ」
「店内でその発言は本当に控えよう。な?」
さっきから近くのお客さんがこっち見てるから。
「……これの紅いのは無いかなー」
「ん、紅の方が良いのか? こっちの色の方が似合うと思うんだが」
「まゆに似合わなそう。あー、でも智絵里なら似合うかも」
いや加蓮へのプレゼントだから。
なんで他の人が似合うかどうかまで考慮するんだ。
店員さんに頼んで、試着させて貰う。
……うん、似合ってる。
「どう?」
「かなり良い。これで決まりだな」
ネックレス一つで、かなり印象が変わる。
ドンピシャレベルに似合っていて、なんだか此方まで嬉しくなってきた。
人のプレゼントを選ぶの、なかなか楽しいかもしれない。
もう少ししたらまゆの誕生日もあるし、その時もまた楽しみだな。
「……他の女の事考えてるでしょ」
「プレゼントするのはいつが良い? ユニットが正式にデビューしてからか?」
「今夜」
「早い」
誕生日プレゼントも兼ねて、と言っただろう。
まだ後一ヶ月は先だ。
だったら今日買いに来る必要も無かった気もするが、この後休み取れるか分からないし。
ついでに加蓮とこうして出掛けるのも難しくなるだろうから、正解ではあるか。
「…………ありがと、Pさん」
「良いって。ちょっと気が早いけど、デビューおめでとう加蓮」
「うん。夜は頑張っちゃうから、期待しててね?」
夕飯振舞ってくれるって事なのは分かってるから。
だから、店内でそういう発言はやめような。
「おぉぉぉっ……緑」
「わぁぁぁっ……緑です……」
八月十日、土曜日。
俺たちは軽井沢へと合宿に来ていた。
『親睦を深めつつステップアップするには合宿が一番だよね』とは加蓮及びまゆの談(ちなみに軽井沢を希望したのは智絵里)。
いやお前たち旅行したいだけだろ、とは思ったが全員が奇跡的にオフだった為断る理由もなく。
女の子五人+ちひろさんと俺の七人で、電車にのってどんぶらこ。
とは言えこのシーズンに、軽井沢周辺の人気ホテルや旅館を一週間前に予約できる筈もなく。
更に三部屋なんて無理に決まっていて。
もっと言うと体育館が併設されている、又は近くにある旅館自体数少なく。
駅からローカルバスと送迎バスを乗り継ぐ様な山の奥地の旅館に、何とか予約をとれたは良いが……
「……何もないがある、ってこういう場所の事を言うんでしょうねぇ……」
「逆にロックじゃない?」
ロック系アイドルの李衣菜が言うのだからそうなのだろう。
旅館の周りには林がある、と言うよりは森のど真ん中に旅館がある、といった感じのロケーション。
駐車場らしき場所には殆ど車は停まっておらず、聞こえてくるのは遠くの鳥の囀りとセミの声だけ。
田舎とかのレベルですらなく、最早そこは山だった。
ひたすらに、暑い。
これでもかと言わんばかりに照り付ける日光を睨み付けようと空を仰ぎ、眩しくて撤退するまでワンセット。
陽を遮ってくれるものは何一つ無く、青空を太陽が我が物顔で埋め尽くしている。
陽炎、セミ、日光、生温い風と、夏が群れを成して攻め込んで来ていた。
「あっつ……冷房あるのかな、無かったら死ぬんだけど」
「さ、流石に電気は通ってると思うけど……」
バスから降りた各々が、暑さと現状に溶かされた正気を取り戻し始めた。
まぁこれだけ奥地なら、逆にどれだけうるさくレッスンしても迷惑にならないだろう。
写真を撮られる心配もなくて安心できる。
探せば案外良いところも見つかるものだ。
「そう言えばPさん、随分と私服がお洒落になりましたねぇ。まるで別の女に選んでもらったみたいに」
「あ、それ私がこないだ見繕ってあげたやつ」
まゆがジト目を向けてくる。
俺、まゆに私服見せた事あっただろうか。
あと別の女ってなんだ、俺の私服をコーディネートしてくれる専属スタイリストでも居ると思ってるのか。
それはそれとして、加蓮に選んでもらって正解だったとは言える。
「……さて、まゆ」
「ええ、加蓮ちゃん」
「おっと、へいへーい私も混ぜてよ」
すーっ、っと。
三人は、大きく息を吸って……
「「「うぉぉぉぉぉっ!!」」」
旅館の周りを走り回りに行った。
分かるよ、はしゃぎたい気持ち。
「……わ、わたし達は落ち着いていようね、智絵里ちゃん?」
「は、はい……わたしも、あれとは一緒だと思われたくないから……」
さて、うるさい三人は放っておいても良いだろう。
そのうちバテて戻って来る筈だ。
先に俺とちひろさんでチェックインを済ませ、玄関口のソファに沈み込む。
移動だけで体力がゴリゴリ削られるのは、やはり夏の悪い所だ。
「無理……もう部屋で寝る……」
「うふふ……うっふふふ、Pさぁん……汗も滴る良いまゆですよぉ……」
既にバテた加蓮とまゆが戻って来るや否や即スライムになった。
これほど暑いのだから、そうなると分かっていただろうに。
「あれ? 李衣菜ちゃんは戻って来てないんですか?」
「李衣菜ちゃんでしたら、裏の土管に登って遊んでましたよぉ……」
……十七歳、だよな?
プロフィールをまた後日確認しておいた方が良いような気がしてきた。
「プロデューサーさん、一旦お部屋に荷物を置きに行きませんか?」
「そうですね、身軽になった方が幾分か暑さもマシになる気がしますし」
智絵里とちひろさんに鍵を渡し、各々の部屋へと向かう。
とは言え俺とちひろさんの部屋は二階で隣同士なので、殆ど最後まで一緒だが。
他に宿泊客の姿は見当たらないし、色々と都合が良さそうだ。
アイドル五人は三階階の大部屋を借りられたので其方へ。
……三階だよな?
何故だか二人くらい此方について来ている様に見えるが。
「……まゆちゃん、加蓮ちゃん……えっと、わたし達のお部屋は三階だけど……」
「大丈夫ですよぉ、智絵里ちゃん。まゆはPさんと同じ部屋で過ごしますから」
部屋へ一人で入って鍵を閉めた。
これで一安心、荷物を下ろそう。
扉がゴンゴンとノックされて五月蝿いが、程なくしてちひろさんの声が聞こえてからはノック音も消えた。
既に冷房が効いていて、もう部屋から出たくなくなる。
「ふぅ、先にひとっ風呂浴びて……いや、そしたら寝そうだな」
「良いんじゃない? 明日も明後日もあるんだし」
「よし、良くない事に気付いたぞ」
「何? 冷房の温度もうちょっと下げる?」
「いや加蓮、なんでこっちの部屋来てるんだよ」
「なんで私がPさんの部屋じゃないの?」
加蓮が人間だからだよ、生物学の枠組みを越えようとするな。
一瞬だけ扉を開けて、前にスタンバッていたまゆに加蓮を渡す。
この調子では、いずれまた此方の部屋に来そうだ。
後でちひろさんと部屋交換して貰おう。
「はぁ……別に良くない? パパラッチだってこんな場所にまでは来ないでしょ」
「そうじゃなくて……って言うか加蓮ちゃん、男性と同じ部屋って抵抗は無いんですか?」
「抵抗も何も、だって私Pさんの家で暮らしてるし」
一日目、夜。
本日のレッスンは終わり、食堂で夕飯を囲む。
レッスンとは言っても長旅の疲れもあるので、今日は簡単なトレーニング(それでも俺では体力が保たないだろうが)のみで終わり。
後は殆ど遊びまわっていた様な気がする。
親睦を深めるのもメインなので、それはそれで構わないが。
「えっ?! プロデューサーさんと加蓮ちゃんのお二人はお付き合いを?!」
「してませんよぉ。例え二人が認めてもこのまゆだけはぜぇっっったいに認めません!!」
果たしてまゆに承認して貰う必要はあるのだろうか。
いや、確かに付き合っている訳でも無いので問題は無いけれど。
「ん、私とPさん? 付き合ってる訳無いじゃん、ただ私が一緒に居たいだけ」
「……どうしよう李衣菜ちゃん、わたしちょっと加蓮ちゃんの思考が分からないです」
「うん、私にも無理そう。まぁ良いんじゃない?」
良くは無いんだがな。
まぁそれも、おそらくあと数日で加蓮が新しい住居を確保して終わりになる。
それはそれとして、美穂と李衣菜もあっという間に馴染んでくれた。
元より加蓮以外は友好的な人格者だし、それもそうか。
「この後って何する? 花火? 肝試し?」
「外は真っ暗過ぎますし、この時間に遠くに外出は控えた方が良いかもしれませんねぇ」
「ちひろさんはどうします?」
「飲みます、プロデューサーさんは付き合って下さい」
「まゆが認めません!!」
いや、飲みに付き合うって意味だからな。
とは言え俺もまだやらなければならない事があるし、流石に控えたいところだ。
そう、肝心な事が決まってなかったのである。
ユニットを組むにあたって、絶対に必要となるものが。
「……あ、そう言えば……わたし達のユニット名って、決まって無いですよね……?」
「そうだ。だから、この三日を通して皆んなで考えて欲しい」
「まゆと愉快な!」
「辛子蓮根っ!」
決まるのはまだまだ先になりそうだ。
「どれ? あれ? んん? え、あっち?」
「はい、その辺りに三つ、強く輝いてるお星様が……」
日はとうの昔に沈み、今空を覆うのは満天の星。
真っ暗な夜空に、都会と比べると驚く程明るく輝く夏の星座。
澄み渡った空気のお陰で、その光景はとても鮮やかで。
電柱や電線が無く、遮蔽されずに全体を眺められる。
ちょっとした天体観測会だった。
望遠鏡なんてなくても、肉眼ではっきりと見える。
名前なんて全然知らないが、それでもやはり星を見るのは楽しいものだ。
昼にあった暑さは既に消え、今では少し肌寒いくらいに気温は低い。
缶コーヒーでもあれば最高だったんだがな。
「智絵里とちひろさんベンチ座ってるのズルくない? あ、ねえ李衣菜あれ何座?」
「ピザ!」
「……私より精神年齢低い人がいてちょっと安心かも」
既に風呂には入ったが、戻ったらまた温まりたい。
旅館の浴衣は若干薄く、上着なりなんなり用意しておくべきだったと少し後悔。
それにしても、五人ものアイドル(浴衣)と天体観測だなんて我ながら良いご身分だと思う。
いや、思ってはいた、今では小学校の遠足の引率の先生な気分だ。
少し離れた場所では、智絵里とちひろさんが落ち着いた感じで空を眺めている。
……いや、あれちひろさんが手に持ってるのビールの缶だ。
絡まれてはいない様だが、酔っている気配がしたら俺が代わるか。
うん、俺も一本くらいなら良いかな。
「加蓮ちゃんは、夏の星座は何を知ってますかっ?」
「んー、分かんない。オリオン座?」
「オリオン座って冬の星座なんじゃなかったか?」
「あ、オリオン座って実は年中観測可能なんです。夏場だと夜明け前くらいの東の空に浮かんでるんですよ?」
そうだったのか、美穂詳しいな。
冬の星座の代名詞レベルに有名過ぎて、逆に夏でも観れる事は知らなかった。
「いやー、でも星なんて観たのいつ以来だろ? 空見上げる事自体殆ど無かった気がする」
「加蓮ちゃんってインドア派だったんですか?」
「まーそんな感じ。そもそも外に出ないし、出たとしても足元ばっか見てたから」
ボカしてはいるが、加蓮の声は少し寂しそうだった。
「んー、でもじゃあ相当早起きするか夜更かししないと今は観れないね」
「そこまで無理して観ようとしなくても良いだろ、オリオン座の本番は冬なんだから」
アイドルなんだから、夜更かしは禁物だぞ。
まぁ俺が言うまでもなく、加蓮はすぐ寝るし寝坊するだろう。
「そうなんだけどね。夜空がこんなに綺麗だったなんて知らなかったし、どうせならもっと綺麗な景色を観たくなっちゃったんだもん」
「また冬、みんなで何処かに旅行……合宿に行けたら良いですねっ!」
そう言われちゃ、俺も頑張らないとな。
「冬、かぁ…………ふふ、寒そう」
「……加蓮ちゃんは『寒い、部屋から出るのヤダ』って言いそうですよねぇ」
加蓮の真似上手いなまゆ。
そして言いそうだな、確かに。
加蓮ならそんな感じの事を言って、ついでに帰りにコンビニでポテチ買ってきてとか言ってきそうだ。
絶対こいつホットカーペットから出ないだろ。
ん、あぁ……その頃には、もううちには居ないんだな。
まだほんの一ヶ月弱だが、既に慣れきって当たり前になっていた。
一人暮らしか寮暮らしかルームシェアかは知らないが、他の方に迷惑掛けない事を祈ろう。
加蓮、一人暮らし出来るのだろうか。
「そろそろ肌寒くなって来たし、部屋戻らないか?」
「らじゃっ!」
「あ、じゃあわたし智絵里ちゃん達に声掛けてきますっ!」
ダッダッダッ、っと美穂が駆け出して行った。
「私達も部屋まで競争しない?」
「乗りますよぉ」
「ウォォォオッ!」
三人も駆け出して行った。
まったく、本当に若さとは羨ましい。
まだ体力を持て余しているなんて。
恐らく俺は、部屋に戻ったら直ぐ寝落ちしてしまうだろう。
戻る前に、もう一度一人で空を見上げる。
高く、遠く、暗い夜空に輝く。
きっとファンにとってのアイドルとは、そういうモノなのだろう。
煌びやかなステージに立つアイドルは、そんな風に見えているのだろう。
プロデューサーという立場で居ると、どうにも感覚が狂う。
会えて、話せて当たり前だから。
けれどきっと、ファンにとってはそれこそ手が届かない場所で。
だからこそ、熱狂的なまでに憧れるのかもしれない。
加蓮がかつて憧れたアイドルが誰だったのか、俺は知らない。
加蓮もきっと、覚えていないだろう。
何故なら、そんな場所に自分が立てるなんて一切思わなかっただろうから。
夢で見るに留まり、それが冷める事無い現実になるだなんて思わなかったろう。
「……プロデューサーさん……えっと……」
「ん、どうした智絵里」
「その…………みんな戻ってますから、プロデューサーさんも戻りませんか?」
おっと、ポエミーになっていても仕方ない。
今日はもう寝て、明日に備えるとしよう。
ちなみに深夜一時ごろ、隣のちひろさんの部屋の方からお説教が聴こえてきた。
部屋交換して良かった。
翌日、日曜日。
なんと今日は、日曜日。
誰が何を言おうと日曜日。
何も言われなくても日曜日。
そして更に山の日と言う事で、ダブル休日だった。
四十八時間分の休みは翌日まで持ち越され、月曜日まで丸々休みにしてしまう、凄い。
何はともあれ、今日はお休み。
休もう。
「…………ん?」
知らない天井だ。
知らない布団だ。
拉致又は監禁……の心配は無さそうだ。
このまま加蓮と同棲を続けていたら、熱狂的なファンにやられそうだが。
「……あ、久し振りだな……」
ようやく、事務所のアイドル達と合宿に来ていた事を思い出した。
そして、久々に一人で寝ていた事を思い出す。
最近はずっと加蓮が隣に居たからな。
加蓮……そうだ、いつもは加蓮が居たんだ。
窓を開ければ、少し暑く感じるくらいの風が吹き込んでくる。
ほんの数時間前まで広がっていた星空は、太陽に追いやられ居なくなっていた。
鳥の囀りが心地良く、吹き抜ける空気も美味しい気がする。
顔を洗って歯を磨いて、折角だしまたひとっ風呂浴びて来ようか。
コンコン
「はーい、開いてるぞー」
部屋の扉が開く。
入って来たのは浴衣姿の加蓮だった。
「おはよーPさん、私が居なくて寂しかった?」
「たった一晩で何を言ってるんだ。だとしたら加蓮がうちに来るまで、俺どんだけ寂しがってたんだよ」
「男一人の寂しい独り暮らしでしょ?」
まあ私も独りぼっちだったけど、なんて笑う加蓮。
朝からカロリーの高い事で。
「で、どう? 浴衣とか初めて着たんだけど、似合ってる?」
「昨夜見たな」
「私が聞いてるのは感想なんだけど」
「似合ってるよ、可愛い可愛い」
「可愛いは一回!」
そんなルールがあったのか、知らなかった。
さて、今日は本格的なレッスンを予定している。
空き時間を作ってくれたトレーナーさんが、PCで繋いで見てくれるそうなのだ。
この暑い中でのハードなレッスンだ、バテない様こまめな水分補給を心がけさせておかないと。
それと、ユニット名の方もそろそろ考えたい。
夜は……そうだな、女の子が喜んでくれるか分からないがバーベキューでも予定しておくか。
バーベキューセットは旅館が貸し出ししてくれるそうだから、肉と野菜だけ此方で確保しなければ。
「買い出し、私も付き合ってあげよっか?」
「お前はレッスンに決まってるだろ」
『ワンツースリーフォー! ワンツー……新人! 動きが遅れてる!』
きゅっ、きゅっ、と体育館に靴の音が響く。
冷房は無く、開け放たれた扉から流れ込んで来る生温い風が余計に暑さを増している。
並んだ五人はきっと俺以上に暑い思いをしているのだろう。
既に二時間は続いているレッスンは、けれど手を緩められる事なく進行していた。
ハードでは無いものの繊細な動きが求められるこの曲のダンスは、見ている此方の心が不安定になりそうな程難しそうだ。
一曲まるまる通しでとなると、その難しさは更に増して。
李衣菜とまゆは問題ないものの、他三人はかなりの頻度でトレーナーさんから注意を受け。
特に加蓮に関しては、その数が目に見えて多かった。
付いて行けてない訳ではない。
実力が無い訳でもない。
けれど、それだけでは足りない。
この曲は、加蓮とまゆのツートップで魅せるものだから。
『……む、もうお昼時か……済まない、午後は用事がある為付き合えなくなってしまう』
「いえ、此方こそ申し訳ありません。わざわざ日曜日の午前中にお時間を作って頂いて……」
『構わない、寧ろ自宅でも見てやれるから普段より楽だったくらいさ。けれどやはり、直に見て指示を飛ばすのが一番だな』
「では、お疲れ様です。有難うございました」
「「「「「有難うございました!!」」」」」
『あぁ、戻って来る頃には今以上のものになっている事を期待している』
パタン、とノートパソコンを閉じた。
それと同時、五人はその場に崩れ落ちた。
「っふふふ、ふふふふふっ……今なら天国まで歩いて行ける距離な気がする」
「Pざぁん……まゆ、頑張りましたよぉ……」
「……夏なんて滅びれば良いのに……」
「ち、智絵里ちゃん……? お願いだから智絵里ちゃんだけはそっち側に行かないで……」
「お昼食べたら午後も練習ですよね。しっかり食べないと身体保たないなぁ……」
扇風機の真正面をワイワイ取り合う五人を眺めながら、トレーナーさんに改めて感謝のメールを送る。
この後は、俺は買い出しに行かないとな。
そうだ、折角だし少しくらいなら手持ち花火でも買って来よう。
旅館側が車を貸して下さるそうだが、なんか色々と大丈夫なのだろうか。
「そう言えば今更ですけど、この曲ってまゆちゃんと加蓮ちゃんのツートップなんですね。プロデューサーさんの意向ですか?」
「いえ、流石に並びに関してはトレーナーさんや振り付けの方や本人達に任せてます」
ちひろさんがそう考えるのも仕方ないかもしれない。
俺が自分でスカウトしてきて、かつ本人のデビューも兼ねているから目立つ様にしたい、と。
けれど勿論、俺はそんな贔屓はしない。
どころか、この曲のイメージにぴったりなまゆがセンターを張るものだと思っていたくらいだ。
「加蓮ちゃんとツートップでお願いしますって、まゆがお願いしたんです」
「え……まゆちゃんが?」
意外ですね、と言わんばかりのちひろさん。
当然俺も同じ事を思った。
まゆと加蓮の仲が悪いとは思っていないが、それにしても加蓮を推す程までとは。
何か、考えがあっての事なのだろうか。
まゆは普段はアレだが、人前に出る、人に魅せる事に関してはメンバーの中でも一日の長がある。
ただ単に、加蓮がデビューだから推したなんて理由では無いだろう。
「……いえ、大した理由ではありません。まゆのちょっとしたワガママです」
ならば、心配は要らない。
言いたくないのであれば、聞く必要も無い。
まゆがそう言うのなら、きっとそれは必要な事なのだろう。
「まゆちゃーん、ユニット名どーするー?!」
「まゆと愉快な!」
「シロツメクサ……!」
少し不安になった。
陽が山の向こうに沈み始め、辺りの影は背を伸ばす。
トンボもカラスも既に消え、蝉の鳴き声も静かになった。
暑さと寒さの交差点である夏の夕方は居心地が良い。
ずっとこの心地なら、何処までも歩いて行けそうな気すらしてくる。
車を返して荷物を取り出し、俺は旅館へと戻って来た。
少し買い過ぎてしまった荷物が重く、両腕に掛けてなんとかバランスを取る。
昨夜は飲めなかったからと買って来たビールのせいなので文句は言わないが。
流石に小さなスーパーに花火は全然置いてなく、線香花火しか手に入れる事は叶わなかった。
「あいつに文句言われそうだな……」
「あいつって私の事?」
玄関口で仁王立ちして待っていたのは、浴衣姿の加蓮だった。
もう着替えたのか、この後バーベキューの煙で凄い事になるのに。
「ん、お疲れ様加蓮。悪いけど片方持ってくれないか?」
「えー、こんなか弱そうな女の子に荷物持ち頼むの?」
少なくとも俺より体力はあるだろうがな。
結局手伝ってくれなかったので、一人でなんとか部屋まで運んだ。
「李衣菜とちひろさんが外で火を熾してるって。私バーベキューとか初めてだからすっごく楽しみ」
「バーベキューは良いぞ、アッカド語で『救い』って意味らしいからな」
「へー、Pさん詳しいんだ。ところでアッカド語って何?」
冗談が通じなかった時って少し辛い。
「プロデューサーさーん! こっちですっ!」
美穂に案内されて旅館の裏へと回れば、既にバーベキューコンロの炭は燃え始めていた。
テーブルには飲み物や箸も並べられていて、後は焼けばバーベキューの開始だ。
ちひろさんが足元に隠した空き缶は見なかった事にしてあげよう。
急いで買って来た肉やカット野菜をバラし、網の上に乗せてゆく。
「火傷したら危ないし俺焼くから、皿だけ寄越してくれ」
肉とは即ち、救いである。
疲れた時は肉を食べれば人は救われる。
それが野外で炭火ともなれば、最早モーセだ。
年齢による胃袋の弱さで後々胃もたれを起こした場合は悪しからず。
焼けた肉から寄せられた皿に乗せてゆく。
暑いし汗もかくが、どの道この後風呂入るから良いか。
今日はかなり疲れているだろうし、ここは俺に任せてくれ。
あっつ炭を吹くな加蓮、こっちに火の粉が飛んでくるから。
「肉! うおぉぉおぉぉっっ!」
「いぇーい! えーっとなんだっけ、救い!」
「何それ加蓮ちゃん」
「李衣菜は知らないの? バーベキューって英語で救いって意味らしいよ」
後で怒られそうだけど、面白いから黙っておこう。
「それでは、乾杯の音頭をリーダーであるまゆが」
「かんぱーいっ!」
「「「「かんぱーいっ!」」」」
「美穂ちゃぁん……」
そんな感じで。
それからしばらく、ひたすら騒がしくバーベキューを堪能した。
「明日、駅の近くの神社でお祭りがあるらしいんですよ。帰りに少し寄って行っても良いかもしれませんね」
「……はっ! ね、寝てませんよ?!」
「大丈夫ですかちひろさん……」
ちひろさん、結局500缶を三本も空けてるからな。
風呂は誰かしらに付き添って貰うか、諦めて朝に入って頂こう。
バーベキューを終えた後、そのまま俺たちは花火を始めた。
と言っても、線香花火だけなのでこじんまりとしたものだが。
「落ちるの早っ! なにこれ根性ナシじゃん!」
「線香花火にケンカ売ってる人は初めて見ましたねぇ。こうするんですよ加蓮ちゃん、出来るだけ揺らさな……あぁぁぁPさぁん!!」
「下手だなぁ二人とも。この安心の安全の多田李衣菜が……あっ、落ちた」
楽しんで貰えてる様で何よりだ。
線香花火は、ひたすらに儚い。
火を付けてから、恐らく一分と保たずに落ちる。
けれどその短い時間だけは、精一杯に弾けて、輝いて。
綺麗な光景だけを焼き付けて、消える。
「肌寒いですねぇ。山の夜は冷房要らずです」
「網戸閉め忘れると昆虫博物館になるけどな。一本貰って良いか?」
「はいどうぞ、プロデューサーさん!」
「ちひろさん、ビールじゃなくて線香花火を……」
ぱちぱち、ぱちぱち。
火を付けた線香花火は、やはりあっという間に落ちてしまった。
昔は誰が一番長く保たせられるか競い合ったりしたな。
「……ふふ、Pさん下手っぴじゃん」
「実際そんな上手い下手関係無いよな」
「で、どう? 浴衣に線香花火にこの加蓮ちゃん、絵になってるでしょ?」
「なってるなってる。写真撮ってやろうか?」
「んー……事務所通してくれる?」
笑いながら、お互いもう一本火を付ける。
けれど俺の方は不良品だった様で、そもそもきちんと着火しなかった。
「悪い、もう一本貰えるか?」
「物は大切にしなきゃダメだよ?」
「そうだけども。火がつかないんじゃどうしようもないだろ」
「あ、えっと……ごめんなさい、プロデューサーさん……もう失くなっちゃって……」
智絵里が申し訳なさそうに謝ってくる。
早いな、数袋買って来たつもりだったのだが……
「……あぁ、成る程」
李衣菜と美穂が、数本まとめて火を付けていた。
いるよな、そういう事する奴。
かつての俺もやった。
実はさっきもやった。
「さて、んじゃそろそろ戻るか」
「はーい」
花火の片付けをして、部屋に戻る。
風呂に入って、もう一本だけ缶ビールを開けて。
窓を開ければ、ひんやりとした風が流れ込んで来る。
遠くから聞こえる虫の鳴き声が心地良い。
今夜も、ぐっすりと眠れそうだ。
「……で、何? まさか本当に一人の散歩は怖いから、なんて理由じゃないでしょ?」
「……さぁ、どうでしょう?」
深夜、人の話し声で目を覚ます。
スマホを確認すればまだ午前一時、良い子は眠る時間。
こんな時間に外で話してるのは誰だ……
眠い目を擦りながら、布団から抜ける。
こんな事なら、窓を閉めて寝れば良かった。
「……ん、まゆと加蓮か……」
窓から外を見下ろせば、駐車場でまゆと加蓮が話していた。
なんたって俺の部屋のほぼ真下で……
「もうちひろさんも寝てるだろうし、Pさんの部屋に忍び込みに行くんだと思ってたけど」
「それも魅力的な提案ですが……その前にまゆは、加蓮ちゃんとお話しがしたかったんです」
おい、止めろよ。
何が魅力的な提案だ。
「加蓮ちゃん、もうすぐデビューですねぇ」
「……うん、すっごく楽しみ」
「うふふ、そうですか」
聞き耳はいけないと分かっていても、聞こえてくるのだから仕方ないと自分に言い聞かせる。
そもそもまゆなら、もしかしたら俺に聞かれるのも分かっているかもしれない。
「…………加蓮ちゃん、以前智絵里ちゃんにどうしてアイドルになったか尋ねてましたよね」
「うん、引っ込み思案な自分を変える為って言ってたね」
「加蓮ちゃんも言ってましたよね。見てくれる人を笑顔に変えたい、って」
「言ったよ」
「…………ここ、まゆにも聞く流れじゃありませんか?」
真面目な話かと思ったが、なんかそうでもなさそうだ。
「……気にはなってたんだけどさ、まゆってPさんの事好きでしょ?」
「はい、勿論です」
即答するまゆ。
分かってはいたし、気付かなかったフリをするつもりはない。
「だったらなんでアイドルやってんの? アイドルでいる限り、あのアイドル馬鹿とは絶対結ばれないでしょ」
そして、当然。
まゆがアイドルでいる限り、俺がまゆをそう言った対象として見る事は決してない。
決してだ、たとえまゆが成人しようがどんなに綺麗になろうがそれは変わらない。
俺はプロデューサーという仕事に、全てを賭けているから。
「……アイドルって、凄いんです」
「……そんな事知ってるけど……」
「変えてくれるんです。見てくれている人も、自分自身も」
だから、と。
まゆの笑顔が、ここまで伝わってくるようだった。
「……まゆは、変えてみせます。まゆが必ず惚れさせてみせるんです。プロデューサーさんを……アイドル『佐久間まゆ』に、惚れ込ませてみせるんです」
「…………立場とか」
「知りません。考えさせません。プロデューサーとアイドルという関係だろうが、それでもまゆと結ばれたい、って……そう思わせる為に、まゆはトップを目指しているんです」
……此方まで、笑ってしまいそうになった。
俺は、プロデューサーとしての立場を必ず守る。
絶対アイドルと結ばれたいだなんて考える事は無い。
けれど、もし。
『佐久間まゆ』というアイドルが、俺が惚れ込んでしまう程に成長したとしたら……
それは間違いなく、俺にとっての喜びだ。
「……凄いね、まゆは」
「はい……ですから」
すーっ、っと。
まゆが覚悟を決めたのが、此方にも伝わって来た。
「……加蓮ちゃんが『Pさんと一緒に過ごせなくなっちゃうから』とか考えて手を抜いているのが、許せないんです」
「…………は? 私が?」
「そうですよねぇ、デビューすればPさんとの同棲は叶わないんですから。分からないと思いましたか? まゆはずっと近くで、加蓮ちゃんのレッスンに付き合って来たんです」
「…………」
「あの頃の加蓮ちゃんは本当に凄くて、正直まゆが嫉妬しちゃうくらいPさんの目を釘付けにしていました。ですが……ユニットの結成が決まってからは、全然張り合いがありません」
「……そりゃ、まゆの方が歴長いし上手いからね」
「…………少し前の加蓮ちゃんなら、決してそんな事は言いませんでした。張り合ってくれました。なのに…………なんでそんなに、つまらない人になっちゃったんですか?」
だから、まゆは加蓮とのツートップを望んだのか。
加蓮にまた、まゆなんかには負けない、とやる気を出して貰うために。
全力の加蓮と、一緒にステージに立つ為に。
あの日、まゆが遅れて代わりに加蓮が立ったステージの借りを返す為に。
それに対して、加蓮の返答は。
呆れるくらい、つまらないものだった。
「……だったらさ、私をツートップに推したの取り下げてくれない?」
思わず立ち上がりそうになったが、ぐっと堪える。
今はまゆが、加蓮と話しているのだから。
「……どうして、ですか?」
対するまゆは、冷静だった。
もしかしたら腹わたが煮え繰り返っているのかもしれないが、それでも務めて冷静に返す。
「私としてはさ、ツートップにされても困るんだよね。皆んなに迷惑掛けて私のせいとか思われるの嫌だし」
「それは……努力するつもりは無い、という意味ですか?」
「うん、私って努力とかそーゆーの嫌いだし」
「……そうですか」
「キャラじゃなくない?」
「…………そうですか」
「手を抜いてるつもりは無いけど、前ほど本気じゃ無いのは確かにそうかもしれない。だってほら、もう私の夢は叶っちゃったし」
「………………そうですか」
「それにほら、私より李衣菜とかの方がずっと上手いし。って言うか今からまゆセンターにして貰いなよ。その方がずっと良いって」
「……………………加蓮ちゃん」
ついに、まゆの堪忍袋の尾が切れた。
と、そう思ったのだが。
まゆの言葉から怒りは無く。
適当にあしらおうとする加蓮に対して。
「……ウソつき…………」
その言葉は、とても寂しそうなものだった。
「……本当は、そんな理由じゃ無いんじゃないですか?」
「…………どうだと思う?」
「分かりません……寧ろ、全く予想も付かない様な出来事だって事を確信しているくらいです」
「考えなくて良いよ、どうせーーーー」
上手く聞き取れなかった。
加蓮は、なんて言ったのだろう。
「……待って下さい。最後に一つ、答えて下さい」
まゆが加蓮を呼び止めた。
どうやら加蓮は、既に部屋に戻ろうとしている様だ。
「良いよ、カモン!」
「……加蓮ちゃんにとって、佐久間まゆは…………その程度の、ただの知り合い程度の人間でしたか……?」
「……ふふっ、照れ臭いからそのうち答えてあげる」
照れ臭いから、は加蓮の照れ隠しで。
それは殆ど、答えの様なものだった。
「……うふふ、逃げる気満々じゃないですか……」
「そんな顔しないでよ、アイドルは笑顔が命でしょ」
「……大丈夫です。さ、お部屋に戻りましょう」
結局今のやり取りがどう言う意味だったのか、俺には分からない。
けれど、きっと上手く収まったのだろう。
まゆが納得したのであれば、大丈夫だろう。
だとしたら、俺から加蓮には何も言うまい。
俺は再び布団に潜る。
思いの外直ぐ睡魔はやって来て、あっという間に夢の国へとご招待された。
「ううぅ、帰りたく無い……」
「東京はここより暑いですからねぇ……」
八月十二日月曜日、合宿最終日。
今日も今日とて、暑い陽射しが降り注ぎ夏を作っている。
既に午前のレッスンは終え、撤収モードに入っていた。
荷物をまとめてチェックアウトの準備。
既にかなり汗をかいていて、もう一度シャワーを浴びたくなる。
まぁ駅に着くまでにまたかくだろうから諦めるが。
「お世話になりましたー」
旅館の人に挨拶して、バスに乗り込む。
それからガタガタ山道を揺られて数十分、途中で乗り換え数十分。
「……街だ……街が見えて来たよみんな!」
砂漠で遭難でもしていたかの様な加蓮の言葉で、半分寝落ちしかけていた意識を引き戻された。
他にも乗客がいるのだから、もう少し静かにして頂きたい。
「あ、折角だから旅館で全員で写真とか撮れば良かったですねー」
「そう言えば撮ってませんでしたね。勿体無かったかも」
ようやくバスは駅前へと到着した。
降りると同時に伸びをして、大きく息を吸い込む。
あぁ、酔うし眠かった。
やはり人間は自分の足で歩くのが一番だ。
時刻は既に十六時、陽も少しずつ傾き始めている。
陽射しも多少は和らいでいるが、それでもやはりまだ暑い。
「もう電車乗って帰るんだっけ?」
「いや、近くでお祭りやってるらしいんだ。皆んながよければ寄ってこうかなと思ってたけど」
「行く!」
「行きますよぉ!」
決まった。
と言うわけで駅のコインロッカーに荷物を預け、会場である神社に歩いて向かう。
盆踊り大会を一日早くに開催するのは如何なものかと思ったが、今日は振替休日だしその方が都合が良かったのだろう。
そもそも今日日、きちんとお盆の日程や習わしを把握して実行している人の方が少ない気がする。
休みを取れるなら、それで十分だから。
そう言えば、今年は帰省し損ねてしまったな。
加蓮一人を家に置く訳にもいかなかったし。
まぁうちの実家も帰って来れれば程度に考えておいて、くらいだったし良いか。
これから暫くはユニットの活動で忙しくなるだろうから。
ドンッ! ドンッ!
近くで太鼓の音がする。
目的地の神社は、もうすぐそこまで近付いていた。
「おぉぉー、人」
「感想の語彙力が……」
神社の鳥居をくぐれば、開けた境内に人・人・人。
中央には櫓が聳え立ち、太鼓の音はその上から響いていた。
東京の有名な盆踊り大会程の人口密度ではないが、それでもかなり活気があり。
陽の暑さと踊る人の熱気が相まって、物凄く暑く感じた。
「折角だし浴衣着れれば良かったのに」
「レンタルとかは何処かにないんですかねぇ」
浴衣姿で櫓を取り囲み踊る人々の中に、早速加蓮とまゆと李衣菜が混ざり込みに行った。
あいつら、自分がアイドルだって事忘れてるんじゃないだろうか。
変装用のメガネと帽子で何処まで誤魔化せるだろう。
おいバカ暑いからって帽子外すんじゃない。
「ちひろさんはどうします?」
「プロデューサーさん。あっちで地酒が飲めるみたいなんですけど、一緒に飲みに行きませんか?」
「いえ、まだ帰りの引率が残っているので……」
「ちぇー、ノリが悪い男はモテませんよー?」
愚痴りながら、ちひろさんがテントの方へと行ってしまった。
普通のお祭りみたいに沢山の屋台があったなら、もっと手を付けられなくなっていただろうな。
「どうする、智絵里ちゃん」
「……太鼓、わたしも叩きたいな……交代して貰えないかな……」
「やめて智絵里ちゃん! お願いだから智絵里ちゃんだけはそっちに行かないで!!」
各々楽しそうにやってるし、放っておいて大丈夫だろう。
流石に踊る体力は無く、近くのパイプ椅子に座って盆踊りを眺める。
周りの人にアイドルだとバレたら、その時はその時だ。
まぁ上手くやるだろう。
夏の風物詩、盆踊りをぼーっと眺める。
気が付けば既に空は茜色で、吹く風も少し涼しくなっていた。
けれど人々の熱気が衰える事は無く。
むしろまだまだからからだと言わんかの様に、更に熱気は増していた。
時折踊っている人の中に、四人の姿が見える。
気付けば隣の席に、紙コップ片手にちひろさんが座っていた。
その中身は間違いなく日本酒だろう。
皆、合宿最後の日をこれでもかと楽しんでいる。
ところで櫓の上で太鼓を叩いているツインテールの女の子に嫌という程見覚えがあるのだが、俺の知る彼女はそこまでアクティブじゃないし人違いという事にしておこう。
「あー楽しかった。あっつー……」
「ん、お疲れ様」
「周りの人に合わせれば知らなくても踊れちゃうんだね」
「良かったよ、加蓮がそこで周りの人に合わせようとしてくれて」
バテた加蓮が一足先に輪を抜けて戻って来た。
そのまま俺の隣に腰を下ろし、パタパタと胸元を扇ぐ。
こいつの事だから、一人で勝手に別のダンス踊り出すんじゃないかと内心不安だったりした。
私の事バカにしすぎでしょ、といった視線で睨まれたので目を逸らす。
「それにしても、ふぅ……盆踊りって凄い熱気だね」
「東京の有名な盆踊り大会なんてもっと凄いぞ」
八王子の盆踊りなんかは、最多人数で踊る盆踊りでギネスを取ったらしい。
人出も三日間で八十万人と、超人気アイドルでも難しいレベルだ。
「へー、八十万人って東京ドーム何個分?」
「確か収容人数55000人だった筈だから……十四、十五個分くらいだな」
「やば、日本の三分の一じゃん」
そう言えば以前、日本は東京ドーム四十七個分って事になったんだったな。
若干記憶が朧げだが、そんな会話をした気がする。
「……で、そもそも盆踊りって何? なんで踊ってるの?」
「詳しくは知らないが……お盆にかえってきた祖霊を慰める為、とかじゃなかったか?」
おそらく、供養とかの意味合いが強いんだと思う。
その辺りは神社の方に聞けば嬉々として説明してくれるんじゃないだろうか。
「んー……それってどうなんだろ?」
「もっとしめやかな方がいい、とか?」
「そうじゃなくってさ、霊だって元々は人間じゃん?」
「まぁそうだな」
「こんなに楽しかったら、あの世に帰りたくなくなっちゃうんじゃないかなー、って」
ワガママな子供かよ。
いや、霊の中にはまだ子供な人もいるかもしれないが。
「んー……なら、来年また来て貰うしかないな」
どうせ毎年行われるのだから。
きちんと十五日に帰って頂かなくては、折角作ったナスの牛が浮かばれない。
「それにほら、暗くてつまらなそうだったら来年戻って来たくなくなっちゃうだろ」
「ふふ、確かに。まぁそれはどうでもいいんだけどさ」
だったらなんで聞いたんだよ。
せめて本当は興味無くても隠して欲しい。
いや、愚かなまでに素直なのは加蓮の良さではあるけれども。
今の会話の無駄さ何? ってなる。
「Pさんは踊らないの?」
「疲れるから」
「大丈夫大丈夫、私がリードしてあげるから」
いや踊れるかどうかを心配してる訳では無いから。
けれど加蓮は聞く耳持たず、俺の手を引っ張って立ち上がらせた。
「ほらほら、一緒に踊りに混ざるよ! 男性なんだからちゃんとレディをリードしてくれなきゃ!」
「お前直前と言ってる事違うし……」
そもそもお前レディなんて感じの女性か? という言葉はぐっと飲み込んだ。
言ったら機嫌を損ねてしまう事くらい分かり切っているから。
「手を繋がれたままだと盆踊り混ざれないんだが」
「じゃあ私たちだけ舞踏会やる?」
「お前アイドルなんだからな? 変装もしてないアイドルと手を繋いで踊れるか」
「お面買って被れば良いの?」
お面被った女の子と盆踊りの輪の中ダンスするとか、どんな罰ゲームだ。
むしろ余計目立つし顰蹙買う。
結局なかなか手を離してくれなかったので、観念してそのまま踊りに混ざる。
正直少し身体を動かしただけでもうバテそうだ、普段しない動きはきつい。
「ふふっ、下手っぴー。そんなんじゃステージには立てないよ」
「アイドルと比べるな」
そもそも俺はプロデューサーなのだから、ステージには立たないだろつ。
それからしばらく、太鼓と曲と周りに合わせて腕を振る。
全身を動かすと疲れるから、片腕だけでそれっぽく。
それでも腕を上げっぱなしというのはなかなか疲れるものだ。
「……そろそろ、帰らないとな」
灯りのせいで気付かなかったが、陽は既に完全に沈んでいた。
動いているせいで気付かなかったが、吹く風もかなり冷たくなっている。
おそらく十八時くらいだろうから、そろそろ駅に向かい始めた方が良いだろう。
明日、俺たちは普通に仕事が入っているのだから。
「えー帰りたくないなーい」
ワガママかお前。
そう、からかおうとした時だった。
「きゃっ!」
加蓮が近くの人にぶつかり、倒れそうになった。
慌てて繋いだ手を引き、此方側に引き寄せる。
「……お、おー……ファインプレー……」
「俺に感謝しろ」
「……ありがと、助けてくれて」
意図せず抱き寄せる形になってしまったが、転ぶよりは余程マシだろう。
ぶつかってしまった背後の方とお互い謝り合い、踊りの輪を抜けようとする。
けれど、なかなか加蓮は離れてくれなくて。
「……加蓮?」
「…………嫌だなぁ、帰るの。ずっと側に居てくれれば良かったのに」
昨夜、加蓮とまゆがしていた会話を思い出した。
東京へ戻れば、もう今週中に加蓮は俺の家を出る。
でもそれは、仕方の無い事だ。
アイドルとプロデューサーなのだから。
それに、事務所でいつでも……
「……呼んでくれれば、いつでも会うから」
「……え?」
「東京戻ったら、加蓮が引っ越す前にスマホ契約するぞ。料金は最初のうちは俺が払うから。会いたくなったら……側に居て欲しくなったら、呼んでくれ」
それが、プロデューサーである俺に出来る最大限の譲歩。
北条加蓮という一人の女の子の為に、俺が出来る事。
「そしたら、駆け付けるから。満足するまで側に居るから」
「……何時でも?」
「俺が起きてて連絡に気付けたら」
「何処でも?」
「終電さえ終わってなければ」
「何回でも?」
「何回でも。だから加蓮にも……アイドル、全力で頑張って欲しい」
そこまでしてでも。
俺の私生活がそれで埋め尽くされたとしても。
それでも俺は、ステージの上で全力で輝く、いつでも輝くオリオン座の様な。
アイドル『北条加蓮』を、見たかったから。
「……ふふ、何それ。カッコつけちゃって」
「柄でも無いのは分かってる」
「でも……うん、だったら……私は満足かな」
……ところで、と。
加蓮は申し訳なさそうに、口を開いた。
「…………周りの人、めっちゃ見てるんじゃない?」
……あぁ、そうだ。
今此処は盆踊りの輪の中だったんだった。
冷やかしの様な歓声が至る所から巻き起こる。
加蓮が俺に抱き付いているせいで顔を見られていないのは不幸中の幸いか。
いや、そもそも抱き付いていなければこうして注目を集める事も無かったのだが。
「……なーに公衆の面前でイチャイチャしてくれやがってるんですかぁ?」
まゆに腕を引っ張られ、加蓮は引き剥がされた。
そのまま周りに軽く会釈して、すすすっと退場を図る。
俺も居心地の悪い視線を避けてちひろさんと合流し、急いで神社を出る。
聞こえてくる太鼓の音は、やけに力が篭っていた。
「……ふぅ」
「Pさぁん? 随分と仲睦まじい御様子でしたねぇ?」
「……お疲れまゆ。智絵里知らないか?」
「李衣菜ちゃんと美穂ちゃんが、そろそろ帰るからバチを手離すようにと説得しているところです」
そう、か。
やっぱりあれ智絵里だったんだな。
夏をエンジョイしてるな。
活発になったな。
……このユニットの頼みの綱が美穂だけになった瞬間だった。
「ただーいまー……あー、帰って来ちゃった」
「おかえり、そしてただいま」
夜二十二時過ぎ、ようやく俺たちは自宅に着いた。
余程合宿が楽しかったのか、加蓮は露骨にガッカリした表情をしている。
学生時代に修学旅行が終わって最寄りの駅に着いた時、多分俺も同じ表情をしていたと思う。
ただいま現実、帰って来たくなかったよ、って感じ。
「あ、おかえりPさん」
こうして加蓮とおかえりやただいまを交わせるのは、あとどれくらいだろう。
この生活に慣れきっているのは俺の方も同じだ。
帰宅して癖でただいまと言っても、お帰りなさいが返ってこなくて少し寂しくなる日がありそうだ。
まぁ、慣れるか。
「元々は一人だったもんね、お互い」
「そう言えば加蓮、引っ越す先って何処になったんだ?」
「んー、まだナイショ!」
出来るだけ早目に教えて頂かないと、仕事上困るんだがな。
それとそう遠くなければ、会いに行くという約束も果たしやすくなる。
いつも通りにシャワー浴びて、お互い定位置となったソファに沈み込む。
夕飯はいいだろう、眠気と疲れているせいで食欲が無い。
テレビを付ければ本当にありそうな怖い話が放送されていた。
病院で既に亡くなった患者の霊が、といった在り来たりな話。
「……分かる、ナースコールって深夜に押されるとほんっとうにうるさいんだよね」
「恐怖の対象がなんかズレてるな」
「まぁ私もよくお世話になってたけど」
「本当にあった辛い話やめないか?」
笑い辛いわ。
重い雰囲気になるのは嫌なのでチャンネルを変える。
音楽番組、こちらの方が余程良い。
うちの事務所のアイドルが出している曲が流れると、自分が担当している訳ではなくとも少し嬉しくなる。
「……あ、Pさん」
「ん、どうした?」
「ありがとね、私の夢を叶えようとしてくれて」
「突然どうした」
「……テレビに映ってるアイドルに憧れて……憧れる事すら烏滸がましいくらいだった私を、アイドルに変えてくれて」
「烏滸がましいって……憧れるだけなら誰だってしていいし、誰だって出来る。憧れの存在になろうとしてここまで来たのは、全部加蓮の力だよ」
お互い柄でも無い言葉を紡ぐのは、疲れているからか。
眠い時の時間の流れは早い。
もう既に、二十三時を回っていた。
日付が変わる前には寝ておかないと明日に響きそうだが……
「……すっごく感謝してる。行ってらっしゃいは言う事があっても、行ってきますは全然言えなかったから。お帰りは言えても、ただいまは言えなかったから」
「……そんなに……」
「……そんな私に全力になってくれて。全力で応援してくれて。私のワガママを叶えようとしてくれて……泣きそうになるくらい、嬉しかった」
嬉しかった、と。
そう口にする加蓮の表情は、けれど今にも泣き出しそうだった。
「……加蓮ってさ、どのくらい重い病気だったんだ?」
相当重かった事は分かる。
既に過ぎた事だし、加蓮自身が言いたく無いだろうと思って聞いて来なかった。
けれど、どうやらおそらく俺の想像以上に加蓮は重病で。
だとしたらどのように完治したのかくらいは、聞いておきたかった。
「……喉乾いた、ジュース飲みたい」
「今この流れでぶった斬るのか」
実に加蓮らしくて笑いそうになってしまった。
冷蔵庫を覗くが、お目当ては見つからなかった様だ。
「カルピスきれてるじゃん、コンビニ行ってくる」
「お中元のやつなら先週加蓮が全部飲みきっただろ……俺もついてくよ、夜遅くて危ないし」
「いいっていいって、もう先寝てたら?」
そういう訳にもいかないだろう。
こんな時間に女の子を一人で放り出すのは些か問題だ。
「……じゃあ自販機で我慢する」
我慢ってなんだ、味変わるのか。
とは言え、自販機ならマンションのロビーにあるから安心だ。
「Pさんが先寝てくれてる方が私も添い寝し易いから、ちゃんと寝ててね?」
「あのなぁ……」
何を言ったところで聞かないだろうし、無駄足に終わる説教は虚しいだけから寝るとしよう。
電気を豆電球にしてソファに寝転がると、強烈な眠気が襲いかかって来た。
盆踊りの疲れが間違いなくきてる。
明日明後日、筋肉痛にならないといいが……
「それじゃーPさん、合鍵借りるね」
「すぐ戻って来るなら鍵掛けなくて良いぞー」
「ちゃんと閉めないと危ないでしょ」
まぁ、別にどちらでも良いか……
……これは本格的に、加蓮が戻って来るまで起きていられなそうだ。
「……ねえ、Pさん」
「どうした、加蓮」
「…………うん、やっぱり……」
一呼吸置いて。
加蓮の楽しそうな声が聞こえてきた。
「……ふふっ、行ってきますっ!」
「おう、行ってらっしゃい」
扉が閉じる音がした。
鍵が掛かる音がした。
ポストに何かが投函される音がした。
それから、音は何一つ聞こえてこなかった。
その朝は、違和感から始まった。
アラームの音で目が覚めて、最初に覚えたのは違和感だった。
何かが、明確に異なっている。
今まで通りの朝とは、何かが違う。
けれどそれが何故かと問われれば、具体的な言葉が出てこなかった。
「…………ん?」
起き上がって気付く。
どうやら俺は、ソファで寝ていた様だった。
家にはきちんと寝室もベッドもあるのに、何故俺はこんな場所で寝ていたのだろう。
ここ三日の合宿の疲れで、帰って来て即寝落ちしてしまったのだろうか。
シャワーを浴びる。
一人暮らしなのに、きちんとバスタオルを巻いて上がった。
朝食を作る。
明らかに一人分以上の量が出来上がった。
まだ疲れが残っているんだろうか。
それともまだ夢の中なのだろうか。
どうにも拭いきれない違和感に苛まれながらも、出社の準備を終える。
玄関の郵便受けには、何故か合鍵が入っていた。
「行って来まーす……ん?」
口にしてから気付く。
行ってらっしゃいと言ってくれる人なんて、部屋には居ないという事に。
「おはようございます」
「おはようございます、プロデューサーさん……疲れは取れましたか?」
「取れてないっぽいですね……ちひろさんは……聞くまでも無いか」
見るからに疲れが溜まっている。
ちひろさん、かなり飲んでたしな。
「でも疲れたなんて言ってられませんよね。アイドル達はいつでも頑張ってるんですから」
「ふふ、その意気です! コーヒーでも淹れましょうか?」
「あぁいえ、大丈夫です。『息臭くなるからやめて』って怒られますし」
「むむっ、それは恋人さんですか?」
出歯亀精神マシマシな所申し訳無いが、俺にそう言ったお相手はいない。
仮にいたとして、同年代の女性がそんなイチャモン付けてくるとか些か子供過ぎるだろう。
「俺に恋人なんていませんって。アイドルの…………」
……あれ?
誰にそんな事言われたんだったかな。
「……あれ、えっと…………誰でしたっけ?」
「ウチのユニットですと、まゆちゃんや美穂ちゃんや智絵里ちゃんはそういう事言いそうにありませんが……」
「私もそんな事言って無いですって」
ソファで音楽を聴いていた李衣菜がそう主張して来た。
まぁ李衣菜も、そういう事言って来る様な子じゃないよな。
……まぁ、いいか。
「そう言えば、李衣菜って本当に十七歳なんだっけか?」
「えー、プロデューサーさん……流石に年齢くらいは信用しましょうよ……何ならプロフィール見て下さいって」
「よし、確認するか」
「……そこまで疑われてるなんてショックですよ」
だってお前合宿の時の行動を思い出してみろ。
何処の十七歳のJKが土管登って遊ぶんだ。
パソコンを立ち上げ、プロフィール一覧を確認する。
多田李衣菜……本当に十七歳だった。
いや、流石に分かってはいたけれど。
なんとなくこういうのはお約束かな、と……ん?
「ちひろさん、ユニットメンバーのフォルダ一箇所データ消えてますよ」
「えっ?! 私がそんなミスをするなんて……」
担当ユニットの欄に一つ、0KBのファイルが存在した。
誰のデータが消えてるんだ……?
「……あら? あ、きっと間違えて新しいファイル作っちゃっただけですね」
「いやいや、そんな事は無いでしょ。だってそしたらユニットメンバー四人になっちゃいますって」
「…………何か問題でもあるんですか?」
何か問題でもも何も、一人減ってたら大問題だろうに。
ちひろさん、今日どうしたんだ。
緒方智絵里……ある。
小日向美穂……ある。
佐久間まゆ……ある。
多田李衣菜……ある。
……全員分、あるな。
誰一人として欠けていない。
「……四人全員分、ありますね」
「あるんです……大丈夫ですか、プロデューサーさん……」
全員分のデータがきちんとある。
だとしたら、何故俺は四人では一人欠けていると思ったんだ?
「……俺多分おかしな事言うと思うんですが……このユニットって、五人じゃありませんでしたっけ?」
返答はため息を以って代えさせて頂きます、と言った表情の二人。
まぁそうだよな、そういう反応になるよな。
自分でも変な事を口にしたと思っている。
けれども、何か忘れている様な……
「おはようございます、小日向美穂ですっ!」
「お、おはようございます……」
智絵里と美穂もやって来た。
若いって良いな、元気と体力があって。
此方はここ三日の疲れで大変な事になっているというのに。
俺も本格的に歳を取ったんだなぁ、と再認識した。
「ねー美穂ちゃん智絵里ちゃん聞いてよ。プロデューサーさんがなんか変な事言っててさ」
「……? いつも通りって事かな……」
智絵里の俺への認識も、改めさせておかないといけない様だ。
「ユニットメンバーって四人だっけ? って」
ええぇ、みたいな目で二人から見られてしまった。
ほんと、プロデューサーとして有り得ないって事くらい理解しているから。
下手な事は言わないに限る。
もうこれ以上変な人だと思われるのは御免だし、よしておこう。
ガチャ
「……おはようございます、Pさぁん。まゆですよぉ?」
眠そうな目を擦りながら、まゆが入って来た。
「おはようまゆ。なぁまゆ、四人?」
「…………いえ、一人ですが……」
全てにおいて間違えた。
各所からため息が漏れる。
これ以上落ちる威厳なんて無いと思うし、折角だから聞いておこう。
「ええっと……このユニットって四人だっけ? って聞きたかったんだが……」
「ええぇ……Pさん、余程お疲れの様ですねぇ……」
まゆにまでそんな事を言われてしまった。
疲れてる……確かに、その通りなのだろう。
自分でも理由は分からないが、何故か違う気がするだなんて。
更年期障害ではない事を祈るしかない。
「だよな……変な事聞いてすまない」
だとしたら、俺一人が勘違いしているだけなのだとしたら。
無かったことにしよう、無かった事にしてもらおう。
全て忘れよう、忘れて貰おう。
今日はどうにも、朝からおかしいんだ。
「五人ですよぉ? Pさんらしくありませんねぇ、そんな事も忘れてしまうなんて……」
「そうだと…………え?」
五人、と。
まゆは、そう言ったのか?
やはり四人ではなかったのか?
俺の勘違いでは無かったのか?
信じられない、と言った視線が部屋に居た全員から向けられた。
けれどまゆはそんな事気にせず。
……それどころか、少し寂しそうな顔をして。
「……うふふ。まゆ、言い間違えちゃいました。気にしないで下さい」
なーんだ、と言った感じでまたいつも通りに戻るみんな。
ちひろさんに本格的に心配されて。
まゆに少し仮眠を取って来た方が良いんじゃないですか? と言われて。
折角なので一時間程休む事にして仮眠室で寝転がりながら、それでも俺は考えた。
まゆは、何かを覚えている。
あれは決して、言い間違えなんかではない。
あの寂しそうな、哀しそうな表情はなんだったのだろう。
未だ微塵も減る事は無いこの違和感の正体は、一体……
いくら考えても答えは出ない。
疑問は、違和感は山の様に積もり続ける。
けれどそれは、まるで水の様で。
いくら手を伸ばして掌に収めようとしても、指の隙間から溢れてゆく。
コンコン
仮眠室がノックされた。
「……Pさん、起きてますか?」
「ん、起きてるが……」
入って来たのは、まゆだった。
来てくれる気がした。
俺と一対一で話す為に仮眠室に行かせたのだと信じていたが、どうやらやはり正解の様だった。
それはそれとして、少し身の危険を感じたりもする。
いや、まゆはそういう事はしないか。
先日聞いてしまったから。
まゆが何故、アイドルを続けているか。
盗み聞きという形になってしまったが、俺はまゆの話を聞いて……
……どうして俺は、その話を聞いたんだっけ。
「……Pさん、先程のお話ですが……」
「……頼む。まゆは何か覚えているのか?」
覚えているのであれば、教えて欲しい。
何故かは分からないが、それはとても大切な事だった気がする。
「記憶が朧げになってしまう事は知っていたので、一晩中ずーっと考えたり文字に起こしたりしてました……」
「お疲れ様」
「眠いです……王子様の目覚めのキスが早急に求められています」
「…………まゆ」
何かを頑張ってくれていた事は分かるが、それはそれとして早く教えて欲しい。
記憶が朧げになってしまう、それが俺にもきっと起こった筈だから。
「おかげでまゆの日記帳が、あの女の名前で埋め尽くされちゃいました」
あの女……以前もまゆがそう言っていた事を思い出す。
あれは誰に対して……
「……一番近くで、一緒の時間を過ごしてきたPさんなら覚えている筈です。思い出せる筈です」
一緒の時間を過ごしてきた相手。
そう言われて、俺は必死に記憶の海に何度も手を伸ばした。
居た筈だ、ここ最近。
そいつは、確か……
「……居たんだ。居た筈なんだ。行ってらっしゃい、行ってきます、って言い合う相手が……」
確かに居たんだ。
俺の家には、とある女の子が。
そいつのせいで俺はソファで寝る事になって。
ワガママで、面倒で、うるさくて、淋しがり屋で。
涙が出そうになる。
間違いない、あいつは居た。
大切なアイドルだ。
もう少しで、掴める。
ユニットのメンバーで。
俺がスカウトして。
家が無くて。
そいつと、夏を過ごして……
「…………ポテト」
「あっ」
完璧に思い出した。
その単語で思い出したって事を伝えたら絶対怒るだろうな、というところまで理解出来た。
「…………加蓮、あいつカルピス買うのに何時間掛かってるんだ?」
「もう少し綺麗な思い出から思い出してゆきませんか……?」
そうだよ、北条加蓮だよ。
なんで忘れてたんだ、なんで気付かなかったんだ。
と言うか今ではスイッチが切り替わったみたいに、忘れてた事の方を忘れそうだ。
そして未だに、嫌な予感は拭えない。
「……まゆは、何か知ってたのか?」
「はい……と言うよりも『忘れずにいた』の方が大きいですが」
どう言う事だ。
忘れずにいた?
あぁそうだ、俺は加蓮の事を忘れていたんだ。
どうしてこんなにも、あいつに関する記憶は朧げになってゆくんだ?
「……って事は、他のみんなは……」
「どうやら完全に、記憶が消えているみたいですねぇ……」
だから、寂しそうな表情だったのか。
ユニットメンバーであり、まゆにとってはライバルでもあった加蓮の事を皆が忘れていたから。
「で、だ……」
問題は、まだまだ全く減らない。
寧ろ思い出したからこそ、目の前に積み重なった問題の量を把握出来るところまで来たくらいだ。
あまりにも積もったクエスチョンは大き過ぎて、理解出来る気がしない。
現実味がなさ過ぎるからだ。
「……どうして、加蓮の事を忘れてたんだ……?」
分からない。
人間の記憶と言うのは、こんな簡単に消えたり現れたりするものなのだろうか。
全員が忘れてるなんて、より一層意味が分からない。
何が起きているのか、一切見当もつかなかった。
「今までもそう言う事はあったと思います。寝たら忘れて、会った時に思い出す事……ありませんでしたか?」
確かにあった。
最初の頃は毎度毎度誰だこいつ、ってなっていた様な気がする。
共に生活し始めてからも、顔を見てようやく加蓮の事を思い出したり。
けれど名前を聞けば思い出せる程度だったりもした筈だ。
「……今までは、です。外れていて欲しいですが……タイムリミットまで、もう長くありません」
「タイムリミット? それはユニットデビューとか……そう言った話じゃなさそうだな」
「違っていて欲しいんです。そんな事、認めたく無い…………ですから、確かめます」
確かめる?
それは、本人に聞くという事だろうか。
だが、加蓮が居ない以上戻って来るのを待つしかない。
携帯も持っていない。
実家が何処かも、俺は知らない。
事務所に入る時書類に記入しただろうが、そのデータも何故か消えている。
「……そんな時間はありません……加蓮ちゃんが今日来ていない以上、今後来るとは思えません」
「そこまでして、加蓮はもうアイドルをやりたくなかったって事か……?」
だとしたら、流石に堪える。
結局全て、俺の空回りって事じゃないか。
「……Pさんだけは、加蓮ちゃんを信頼してあげて下さい」
珍しく、まゆが俺を睨みつけてきた。
「全力で信頼してくれて、応援してくれて……そんなPさんだからこそ、加蓮ちゃんは信じてくれたんじゃないですか?」
だから、その信頼だけは裏切らないであげて下さい、と。
そんなまゆは、泣きそうになっていた。
「…………悪い。なんか女々しかったかもしれない」
「まぁ一番信頼されて信頼しているのはまゆですが」
「まゆほんとメンタル強いよな」
良かった、この場だけでもいつも通りが少し戻って来た気がする。
あとは、加蓮を連れ戻すだけだ。
「……まゆ、悪い子になります。Pさんも協力してくれますよね?」
「もちろん手伝うよ、担当アイドルのする事には全力で信頼してやる」
「午後のレッスンをサボタージュするので、トレーナーさんに上手く伝えておいて下さい」
「サボりたいだけじゃないんだよな? 信じるからな? 頼むぞ?」
「ほう……佐久間は突然の体調不良で休み、と……」
サボりか?
そう疑われるのは仕方ない。
けれど此方にも策はある。
「はい。まゆが俺相手にあんな見苦しい姿は見せた事無いので、本当にしんどいんだと思います」
「……確かにあの佐久間なら、君の前では生理だろうが全力で取り繕おうとするだろうが……」
それは余り知りたくなかった。
女性の生々しい話は割と苦手だ。
それでもまだ完全には信用されていない。
ならば、信用以外の場所から攻め込めば良い。
「……あと、その分次のレッスンは倍でお願いしますって言ってました」
「ふむ、良い心がけだ。それなら今回はサボりだろうが見逃すとしよう」
済まない、まゆ。
パワーアップする機会を用意しておいた、って事で許してくれ。
「それにしても……」
既にレッスンを始めている三人を眺めながら、トレーナーさんは呟いた。
「何故佐久間は、センターではなく一番端を選んだのだろうな。そのくせ一人でフロントに立ちたいなどと、アンバランスなフォーメーションを……」
本来は加蓮とまゆのツートップだったが、加蓮の事を忘れている人からしたら謎な配置になってしまっていた。
後ろ三人と前一人の配置はまだ分かるが、その前一人が一番端に居るのは見栄えが悪過ぎる。
本当に、何故こんな事が起きているのだろう。
何も分からないが、理解出来る様な現象では無さそうだ。
皆が、加蓮の事を忘れている。
美穂も李衣菜もちひろさんもトレーナーさんも、誰も覚えていなかった。
書類にも一切、北条加蓮というアイドルが所属していた形跡は失くなっている。
タチの悪い神隠しとしか思えない程、すっぽりと彼女の存在は失くなっていた。
唯一智絵里だけが、何かひっかかると言う感じの言葉を言っていた。
けれど具体的には分からない、と。
分からないからもう何も出来ない、と。
そう言っていた。
集団催眠だろうか。
それとも俺とまゆだけがおかしくなっているのだろうか。
俺とまゆだけが別世界に迷い込んでしまった様な、そんな感覚。
それでも周りは、それが当然と言わんかの様にいつも通りの日常を続ける。
分からない事を考えるよりも、分かる部分からあたっていく方が良い。
今はまゆに任せて、なんとか解決の糸口を見つけるしかなかった。
「ただいまー……」
仕事を終えて、家に帰る。
お帰りなさい、という返事は無かった。
まだ加蓮は帰って来ていない様だ。
何故加蓮は、行方をくらましてしまったのだろう。
あいつ一人で何処かで生活出来るとは思えない。
お金だって生活能力だって無いだろう。
そもそも、わざわざあんな日付が変わるくらいの遅い時間に出て行った理由も分からない。
加蓮は何を考えて、どうして……
ブーン、ブーン
俺のスマホが震えた。
着信相手は……まゆからだった。
「もしもし、まゆ?」
『……こんばんは、Pさん』
まゆの声のトーンは、あまりにも低い。
明らかに良い報せではなさそうだ。
「どうした、まゆ」
『……実はまゆ、今加蓮ちゃんの実家を訪ねて来たんです。都内なのは知っていましたから』
加蓮の実家、か。
何故まゆが知っていたのかは、この際深くは聞かない。
きっと偶然、加蓮の学生証なりを見る機会があったのだろう。
むしろそこまでして探してくれている事に感謝しているくらいだ。
『実家の電話番号も知っていたので……Pさんのスマホの着信履歴で』
……ま、まぁいいだろう。
「それで……口調からして、ダメだったみたいだな」
『…………いえ、挨拶は出来ました』
「えっ、居たのか?!」
なんだ、だったら最初からそう言ってくれれば良かったのに。
それにしては、なんだか歯切れが悪いが。
『…………いえ……居ませんでした』
「……何を言ってるんだ? 居ないのに挨拶は出来た?」
謎々だろうか。
それとも連絡はついた、という事だろうか。
『…………おかしいとは思ってたんです、ずっと。あんな子がPさんに出会うまで、一人で生活出来ていたとは思えません』
それは俺も思っていた。
けれど生活くらいなら、友達を頼ればどうとでもなっていただろうし。
加蓮だって、学校の友達くらいいた筈だ。
十五歳の時まで病院での暇な生活が続いていたと言っていたが、退院後は学校に通えていただろう。
『加蓮ちゃんが入院していたのは二年程前までだと、本人から聞きました』
だとしたらそれこそ、友達くらい……
……微妙に、計算が合わない。
二年前では、加蓮はまだ十四歳だ。
いや、けれど誕生日は九月だし、一.二ヶ月は誤差の範疇か。
『……出会った時、美城プロダクションに所属しているアイドルを何人か知っているとは言ってましたが……その情報、古くありませんでしたか?』
そう言えばそうだった。
既にアイドル活動がメインとなっている高垣楓をモデルと言ったり、岡崎泰葉を子役と言ったり。
まゆの事を読モで見た事があると言ったり、川島瑞樹をニュースキャスターと言ったり。
まるで、彼女の情報は二年以上前で止まっているかの様な……
それ以降彼女は、テレビを観ていない?
そう言えば、そこからどんどん体調が悪くなっていったと言っていた。
けれど、もし十五歳以降も入院生活が続いていたとしたら。
それではますます、退院した日と計算が合わなくなる。
『……Pさん。加蓮ちゃんが言ったのは二年前まで入院していた、です』
「……は?」
何を言ってるんだ。
それの何が違うんだ?
入院が終わる事と退院で、何か違いはあるのか?
『病気が治って入院生活が終わる事を退院とするなら……加蓮ちゃんはそもそも、退院出来ていません』
「……言って良い事と悪い事があるぞ、まゆ」
『出会った日は12日でした。そして直ぐには事務所見学に行けないから、と16日を指定して来ましたよね?』
「そうだな……それが、何か関係が……」
『……7月の13日から15日まで予定が入っていたのは当然です。その3日間は、ご両親の元へ帰らなければいけなかったんですから』
「13日から15日…………いや、おい……」
聞き覚えはある。
それどころか、昨日俺たちはその為の踊りに参加していたのだから。
『…………全国圏では8月の13日から15日、東京都のみ7月の13日から15日』
そんな筈は無い。
ただの偶然だ。
たまたま、その日にバイトでも入っていただけだ。
今居場所が分からないのは、決してもうすぐタイムリミットだからなんていう理由な筈が……
『…………お盆です。ご両親から、きちんとお話を聞きました』
「……やめろ、まゆ……」
そこから先は、言わないで欲しい。
知りたくない。
確信に変えて欲しくない。
そんな事、あって良い筈がない。
『あって良い筈が、ですか……そうですね。本来であれば、それこそ逢って良い存在ですら無かったんです』
違う、そんな訳がない。
きっと普通に帰省していただけだ。
けれどだったら、普通に帰省と伝える筈だ。
隠したかった事があるから、言わなかった。
『……事実だけを伝えます。簡潔に、ご両親から教えて頂いた事を』
「やめてくれ……それ以上は……」
足元がぐらつく。
頭がクラクラする。
視界が白と現実を行き来する。
聞きたく無い、これ以上は……
『……落ち着いて聞いてください、Pさん。北条加蓮という女の子はーー』
二年前に、亡くなっています。
『感じない……それは、ええと……エッチなお話しでしょうか?』
『え……? そうじゃなくって、視線の話だけど……』
『……げふんっ!』
確か、八月に入ってすぐの……そうですねぇ、加蓮ちゃんがスマホを持ってないみたいな話をした頃。
Pさんにデートのお誘いを無碍にされてしまったまゆが、智絵里ちゃんにケーキでも食べに行きませんか? と声を掛けた時の事です。
まゆとした事が、なんたる醜態でしょう。
智絵里ちゃんから突然『感じない』と相談されて、マッサージや治療法を真面目にアドバイスしてしまうところでした。
『それで……視線を感じない、ですかぁ?』
『うん、えっと……わたしって、その……敏感なんです』
『やっぱりえっちなお話しですよね?』
『え……?』
『…………げふんっ!!』
智絵里ちゃん、狙ってやってませんか?
どうやら真面目なお話しの様なので、これ以上は茶化しませんが。
『人に見られてると分かるって言うか……視線を向けられてると、それに気付く事ってあるよね……?』
『あぁ、そう言う事ですか……それで、何かあったんですか?』
『……加蓮ちゃんからの視線だけ、全く感じないんです……ジッと見られてても、目で確認するまで気付けなくって……』
ふむふむ……正直どうでも良いです。
やる気のない加蓮ちゃんの事なんて知りません。
『それに、直ぐ忘れちゃうから……加蓮ちゃんの事、会うまで忘れてる時ってありませんか……?』
『……それは……』
心当たりはありました。
加蓮ちゃんの事をすっぽりと忘れてしまっている朝が、何度もあったからです。
名前を聞いたり直接会ったりすれば思い出しますが、そうすると今度は忘れていた事自体意識から消えていくんです。
何度『あぁ、あの女がいましたねぇ』となった事か。
『それで、どうしてそれをまゆに?』
『……まゆちゃんならきっと、上手く解決出来るかなって思ったから……』
まゆちゃんが一番、ユニットの中で加蓮ちゃんの事を大切にしてると思うから、なんて笑う智絵里ちゃん。
ふむ、それは確かにそうかもしれません。
加蓮ちゃんの実力と努力は認めていますし、Pさんと同棲なんてライバルとして相手に不足はありません。
以前の加蓮ちゃんであれば、のお話しですが。
そもそも、現実的に考えればお手上げになってしまいそうな状況で何をすれば良いのかなんて、全く想像もつきません。
忘れてしまうのなんて、普通に考えればまゆの記憶力が衰えているだけです。
けれどそれが、まゆだけでは無いと分かって。
智絵里ちゃんは、何かに気付いていて。
『それと、きっと……わたしもまた忘れちゃうから……だから、今のうちに、って……』
『……ありがとうございます、智絵里ちゃん』
智絵里ちゃんの頼みとあらば、頑張っちゃいます。
まゆに頼んだという事は、Pさんには相談してないのでしょう。
Pさんはお仕事に集中して欲しいですし、そもそもこれ以上負担を増やせません。
それにやっぱり、本気の加蓮ちゃんと一度で良いから……
『…………加蓮ちゃんって……どことなくふわふわしてる……うーん、上手い言い方が見つかりません……』
『地に足が着いてない? ちゃらんぽらんしてるからじゃないですかねぇ』
『地に足が…………あ、ねぇまゆちゃん。まゆちゃんって、聞いた事はありますか?』
ですから、なぜ智絵里ちゃんはさっきから勿体ぶった話し方をするんですかねぇ。
『加蓮ちゃんって、すっごく慌ただしく動くんです。ドアの締め方も乱暴で……廊下も走るけどーー』
……そうですね。
確かにまゆも、聞いた事はありませんでした。
廊下を走っている時も。
ダンスレッスンをしている時も。
まゆの代わりに立ったステージから、降りてくる時も。
初めて会ったあのお店で、階段を上る時も。
ーー足音だけは、聞いた事が無かったんです。
『ですから、おそらく十五日まで……その日に、加蓮ちゃんは向こうへ帰ってしまうと思います』
「……分かった」
『加蓮ちゃんがスマホを持ってないって聞いた時、Pさんのスマホをチェックしちゃったんです……ごめんなさい』
「どうしてだ?」
『七月十五日の深夜、加蓮ちゃんとPさんは通話していたんですよね?』
「そうだな、ほぼ十六日だったが」
『加蓮ちゃんは、公衆電話から掛けるお金すら持っていなさそうでしたから。だとしたら、かつて住んでいた実家から掛けたのでは無いか、と……知っておいて損は無さそうでしたから』
「なるほどな、うん。今後は控えような」
まゆとの連絡を切って、俺はソファに座り込み大きく息を吐いた。
既に亡くなっている、だ?
意味が分からない、脳の処理速度が間に合わずオーバーヒートしそうだ。
けれど誰も加蓮の事を覚えていない、という現状が既に非現実的過ぎて。
もう、まともに考える事が阿保らしくなってきた。
まゆが智絵里から相談された内容も、確かにと頷けるものだった。
俺は一度も、加蓮の足音を聞いた事が無い。
あれだけドタバタと走っていそうな加蓮の足音を聞いた事が無いだなんて、有り得ない。
昨日の夜だって、ドアを閉めた音の後は何の音も聞こえてこなかった。
「…………はぁ」
盆、か。
『こんなに楽しかったら、あの世に帰りたくなくなっちゃうんじゃないかなー、って』
加蓮がそう言っていた事を思い出す。
あれが加蓮自身の事だったなんて、微塵も思わなかった。
寧ろそこでお前幽霊かよとか言い返す方がヤバい人だ。
……だから八月の中旬には住処の目処がつく、だったのか。
そらそうだ、住処を用意する必要が無くなるのだから。
と言うかまさか、生まれてこのかたイコール年齢じゃない人間がいると思わなかった。
最初会って名前メモろうとした時の『どうせ意味無いのに』もそういう事か。
無理死ぬとかの弱音が実体験だとも思わないだろ。
線香花火、輝けなかったら替えが聞くとかの会話も中々にアレだな。
今考えると、ブラックジョークが大量に飛び交ってた。
よく分からないが、誰も覚えていないのは恐らく加蓮が既に故人である事に関係しているのだろう。
吸血鬼が鏡に映れない様に、幽霊が写真にはっきりとは写れない様に。
死者は、記憶に残れない。
確証は無いが、そんな感じの理由な気がする。
……だとしたら、加蓮が、自分が八月の十五日までしか此方に居られないと理解した上で過ごしていたのだとしたら。
どんな思いで、デビュー曲を練習していたのだろう。
どんな思いで、冬の旅行の話をしていたのだろう。
どんな思いで、線香花火をしていたのだろう。
どんな思いで……俺と、過ごしていたのだろう。
分からない。
俺には、加蓮の気持ちなんて一切分からない。
分かる訳が無い。
俺はまだ、生しか経験していないのだから。
「…………さて」
ならば、やる事は簡単だ。
分からないのであれば、本人に聞く。
探して、話を聞くしかない。
何故こんな事になっているのかとか、なんで出て行ったのかとか。
聞きたい事なんて、山程ある。
文句だって言いたい。
どうせ俺が忘れてしまうにしても、少しくらいは説明しておけ。
多分信じなかっただろうが、知っているか否かでは大違いだ。
それももしかしたら、忘れてしまっているだけかもしれないけれど。
幸い加蓮は俺の事を嫌っている様ではない。
それならきっと、まだ会える。
加蓮ならきっと、十五日ギリギリまで此方に居る筈だ。
それにまだ、俺は見せて貰っていない。
恩を着せる訳では無いが、どれだけ俺が加蓮の為に頑張ったと思っているんだ。
しかもその努力が、俺からしたら全て無に帰すんだぞ。
せめていなくなる前に、一曲くらい披露していけ。
「おはようございます、プロデューサーさん」
「おはようございますちひろさん、俺今日と明日休んで大丈夫ですか?」
「……………………え、ええと……本当に頭の病院に?」
八月十四日、朝。
事務所に出社してちひろさんに会い、休みを取ろうとした。
説明も無しにここだけ拾うと、本当に頭がヤバイ。
「いえ、ちょっと人探しです。確か今日明日は俺居なくても大丈夫だった筈ですし」
「…………本気なんですか?」
「はい」
「…………はぁ、良いでしょう」
ちひろさんからの信頼を少し失った気がする。
いや、信頼されてるからこそオーケーしてくれたのか。
兎に角、休みは取れた。
後は加蓮の居場所を探すだけだ。
これ以上まゆには頼れない。
ユニットのレッスンが入っているからだ(しかも二倍)。
そして、他に誰も頼れる人はいない。
皆、加蓮の事を忘れているからだ。
「えーっと……何処から行くか……」
生前の加蓮の事なんて知らないが、ずーっと病院とか行ってたな。
流石に病院には行かないだろう。
だとしたら、七月十二日に出逢ってから行った場所全てを漁れば会える気がする。
会えなかったら、その時はその時だ。
加蓮と行った場所は何処だったかな。
思い返そうと手帳を開くが、その辺りの記録は全て消えていた。
人間の記憶どころか、こういった記録まで消えてるのかよ。
本当に何も残らない癖に頑張ってたんだな、加蓮。
最初に会ったのは、駅前のハンバーガーショップだ。
あと行った場所は……不味い、若干記憶が朧げになっている。
普段書かない漢字みたいに、覚えている気はするが確証は持てない感じ。
これは何度も寄り道する羽目になりそうだ。
ええと……屋上に遊園地のあるデパート、遊園地、その近くの喫茶店、ジュエリーショップ、軽井沢の旅館、神社……パッと思い出せるのはこんなところか。
他にもスーパーに行った様な、映画館とかに行った様な気がしてくる。
仕方ない、心当たりのある場所は全て探そう。
まゆの言う通りなら二日ある、不可能では無い筈だ。
体力が保つだろうか。
こんな事なら、少しはみんなと一緒にトレーニングしておけば良かった。
間に合うだろうか。
昨夜の時点で軽井沢に向かっておけば良かった。
「……よし!」
何にしても、動かなければ始まらない。
加蓮と過ごしたこの夏を、一人で逆行して。
先ずは軽井沢一人旅から、1つずつ戻って行こう。
死者に足跡は残せない。
死者に軌跡は遺せない。
死者は記録に残らない。
死者は記憶に遺らない。
死者に奇跡は起こせない。
何故なら、既に亡くなった霊だから。
既に終わった存在だから、何をしても意味は無い。
既に過去の存在だから、今も未来も作れない。
出来るとしたら、生者の足を引っ張るだけ。
それも意味なんて無いけど、未練や執念でする者もいるらしい。
生きてる人に何かしたところで、気付いて貰えたところで。
幽霊なんて、すぐに忘れられちゃう。
何かあった? なんて。怖いね、なんて。
無かった事にされて、気付かなかった事にされて、次の季節が訪れる頃には忘れられる存在。
勿論私にも心残りはあった。
アイドルになるのは無理でも、せめて誰かを笑顔にしたかった。
だから、あの人の足を引っ張った。
私なんかよりもっと上手い人がいたと思うけど、私は自分を優先した。
結果としては、私的には百点満点だったと思う。
やりたい事は果たせた。
前倒しの仮デビューだけど、ステージに立てた。
その上で、他の人に迷惑を掛けちゃうから、ユニットデビュー前に居なくなる。
後悔があるとすれば……もうあの人の側で過ごすのが叶わないって事くらいかな。
あの人と私は、文字通り住む世界が違うから。
あの人は今を生きていて、私は過去に生きていた。
本来重なる事が無かった筈の時間を授かれたのは、この一ヶ月だけだったけど。
生前も今も誰かの足を引っ張る事しか出来なかった、そんな私の手を引いてくれた。
一ヶ月間まるまるずっと、私をエスコートしてくれた。
嬉しかった、それこそ泣いちゃいそうになるくらい。
運命の出逢いなんて信じてなかったけど、神様に感謝しなくちゃ。
……でも、どうせ全部忘れられる。
何をしても、その過程も結果も忘れられちゃう。
覚えて貰おうとは思わない。
だって、その方が気が楽だから。
どうせ皆んな忘れるから、私は好き勝手出来た。
どうせ直ぐに忘れられちゃうから、私はやりたい事をやれた。
どうせ無かった事になるから、沢山迷惑を掛けられた。
どうせ無かった事になる癖に、それでも私は夢を諦め切れなかった。
どうせ、ぜーんぶ……
「……無かった事になるのに、随分頑張ったんだね」
「こっちの台詞だ家出娘、せめて書き置きくらい遺してけ」
あーあ、やっぱり見つかっちゃった。
見つかると思ってたけど。
見つけれくれた。
見つけてくれるって、信じてたから。
そう口にする加蓮は、ステージの上に立っていた。
八月十五日、夜。
煌々と輝く満月の光をスポットライトに、彼女はステージを独り占めしていた。
誰も居ない屋上で、一人。
結局見つけたのは、一番最後になってしまった。
始まりの、加蓮が初めて曲を歌って踊った。
誰も居ない、デパートの屋上の、既に閉園した遊園地で。
「遺書になっちゃうじゃん」
「死人の遺書とか面白過ぎるな、いや笑えないが」
「どうせ書いても失くなるし」
「デパートの屋上で待ち合わせだなんて、随分とロマンチストだな」
「私は割と現実主義なつもりだけど」
「死人が何をほざいてるんだ」
「むっ……やっぱり、全部知ったんだ」
まゆが話したのかな。
まゆなら多分勘付くと思ってたし、でもどうせ忘れると思ってたけど。
だとしたら、私の両親とも面会済みかな?
親への挨拶を済ませてから会いに来るとか、プロポーズじゃん。
そんな風に笑う加蓮は、既に心残りは無いといった感じで。
どうやら既に、この世界への未練は無くなっている様だ。
そりゃそうだろう、あれだけ好き勝手に振る舞いやがって。
何が忘れられるから好き勝手出来た、だ。
振り回される此方の身にもなってくれ。
「この三日間ってさ、本当は見られちゃいけないんだ。今だってやろうと思えば幽霊みたいに消えられるんだよ?」
「幽霊みたいにも何も、お前幽霊だろ」
「そ、私は幽霊。既に死んだ過去の存在。そんな私に何か用?」
ギリギリの時間だった。
超がつく程無理を言って、こんな時間に屋上に入らせて貰った。
あの時の警備員さんが居てくれて本当に助かった。
それもなかった事になってしまうなんて、割と癪だな。
この二日で、沢山の場所に行った。
加蓮と行った場所は全部行った筈だし、おそらく行って無い場所まで訪れた。
殆ど寝ていないし、休めてもいない。
けれどまぁ、間に合ったしオーケーという事にしてやろう。
思い返せば、この夏の一ヶ月間は人生で一番濃密だった。
「すっごく疲れてそうじゃん」
「この二日で何本エナジードリンク飲んだか、途中から数えるのをやめたよ」
目を閉じれば今すぐにでも寝てしまいそうだ。
屋上の風は心地良く、日中の暑さを忘れさせてくれる。
「……後、どのくらいなんだ?」
「あと三十分も無いと思ってくれれば」
「……成る程」
「足りる?」
「十分以上だ」
言いたい事は、今度で良い。
聞きたい事も、どうせ忘れるなら優先度は低い。
ある程度は加蓮の独白で把握出来た、理解は出来ないが。
そして俺が加蓮に本当に望む事は、五分もあれば十分だ。
「……ユニットとしての活動、どうだった?」
「まだデビューしてないのに?」
「誰かと一緒にレッスンしたり、合宿したり……楽しかったか?」
「……うん、みんなに感謝してる。特に智絵里と……まゆに」
癪だけどね、と笑う加蓮。
「健康な身体でバテるまで運動したり、誰かと一緒に頑張ったり、旅行したり、デートしたり、遊園地に行ったり……人生で一番充実した時間が死後に訪れるなんて、思わなかったから」
「そりゃ誰も思わないだろうな」
「ねぇ…………Pさんは、私と会えてどうだった?」
それだけは聞いておきたかった。
怖くて聞けなかったけど。
そう言って、不安を誤魔化す様にクルッとターンする加蓮。
さまになってるな、まるでアイドルだ。
「……沢山迷惑掛けて、この後も迷惑掛ける事になっちゃうけど……ユニットの調整とか、多分ある程度は元々私が居なかった事になると思うけど、それでも大変だと思う」
「ツートップのところ、今から変更するの大変なのは俺だけじゃないからな」
「……うん、ごめんなさい。ワガママだったと思ってる。別に忘れられちゃうし良いやって思ってた」
まぁ、そうだろう。
どうせ忘れられるのであれば、俺もきっと身勝手に生きてゆく。
「…………それで、どうだった……?」
「……楽しかったよ、色々と。幽霊をプロデュースするなんて、他のプロデューサーは経験した事無いんじゃないかな」
「……ふふ、幽霊だったら誰でも良かった?」
照れ隠しはさせて貰えないらしい。
茶化すのもナシ、か。
「……加蓮で良かった。バカだけど、夢に向かって頑張れる女の子と出逢えて、俺は楽しかったよ」
「…………もう、バカは余計だって……」
二人して、夜空を見上げる。
そうしないと、想いが溢れてしまいそうだから。
都会の夜空は明るく、星なんて殆ど見えない。
月だけがただ単純に、動く事なく居座っている。
「……私も、Pさんに会えて良かった。夢を一気に二つも叶えて貰えちゃったから」
「来年もまた来いよ、一ヶ月だけプロデュースさせろ」
「もうアイドルは十分だって、未練も無いしね」
「……だったら、今度は俺の望みを叶えてくれるか?」
「…………警察呼んだ方が良い流れ?」
アホか、この流れでそんな訳無いだろ。
いや、深夜の誰も居ない屋上で男女が二人は確かに警察案件かもしれないが。
「……全力でLove∞Destinyを歌う、『アイドル』北条加蓮が見たい」
「プロデューサーとしての最後の指示?」
「ファン第1号からの熱い要望だ」
「なら……リクエストありがと。冥土の土産に披露してあげるっ!」
音源は俺のスマートフォン。
衣装はいつも通りの私服。
ステージは既にひび割れていて、マイクも照明も無い。
最悪のコンディションに、迫るタイムリミット。
けれどステージで踊るアイドルは、最高に輝いていた。
「おはようからおやすみまで、あなただけに捧げるの、永遠に」
この一ヶ月間、本当にずっと加蓮と一緒に過ごしていた。
それが既に当たり前になり始めていて。
それがタイムリミット付きの、仮初めの同棲生活だと理解していて。
そのタイムリミットが、まさかこんなモノだとは理解していなくて。
「お願いshow me見ていてずっと、もっと輝く私になるから」
これからも、ずっと加蓮の輝く姿を見続けられると思っていた。
『……もし、二度と会えなくなるとしたら。それでもPさんは、私を追い出す?』
その言葉の重みに気付けなかった。
気付いたところで、どうしようも無かった。
「何でも平気、あなたがただ望んでくれるのならばそれだけで」
けれど、こうして。
ずっと頑張ってきた加蓮の全力をこうして独り占め出来て。
俺の望んだ光景が、目の前に広がっていて。
ファンで埋め尽くされた会場は用意出来なかったが、最高の加蓮を眺める事が出来て。
間奏に入る。
けれど、踊りは続く。
加蓮一人の舞踏会は、見せかけでも偽りでも無く。
月夜に輝いたそのステージは、紛う事無き本物で。
「お願いshow me見ていてずっと」
ラスサビに入る。
これで、終わる。
ずっと続く訳が無い。
ずっと見続けられる訳が無い。
この感動も、忘れてしまう。
こんなにもステキな、最高のアイドルを。
俺がスカウトした、二人三脚で進んで来たアイドルの姿を。
それを全て、忘れてしまう。
……けれど。
「あなただけにあげたいの、この愛を」
今だけは、そんな事なんて考えなくて良い。
目の前の『アイドル』は。
望んでいた以上の、最高のパフォーマンスを披露してくれた。
ならそれで十分だ、俺の努力は十分に報われた。
強いて言うなら、こんな最高なアイドルを他の人に披露出来ないのが心残りって事くらいか。
「you are my destiny」
曲が終わる。
ダンスが止まる。
けれど俺は未だ、加蓮から目を離せず。
ただひたすらに、魅入っていた。
「……どうだった?」
泣きそうに、けれど笑顔のアイドルへ。
俺は全力の拍手で応えた。
「……最高だったよ」
思わず笑顔が漏れてしまった。
本当に、最高だった。
初めて加蓮が、此処でパステルピンクな恋を披露してくれた時も。
今こうして……
「そ……ふふ、良かった。笑顔になってくれて」
今になって気付いた。
加蓮が居るのに、その奥の夜空が見えている。
背景だった筈の満月が、加蓮を透けて見えている。
時計を確認すれば23時59分。
シンデレラの魔法は、もう切れる時間だった。
「……ありがとう、加蓮」
「こっちこそ。一緒に過ごせた夏、私は永遠に忘れないから……あーあ、感謝の気持ちってちゃんと言葉で伝えようとすると、全然時間足りないね」
盆が、終わる。
北条加蓮の姿が、段々と薄れてゆく。
「……加蓮。最後に一ついいか?」
「ん、なーに? 好きな人のタイプなら絶対教えてあげないから」
悪戯っぽく微笑んでいるところ悪いが、俺が聞きたいのはそういう方面では無い。
「なんで七月の十二日からこっちに居たんだ? 盆は十三日からだろ?」
「知らないの? 一応七月の一日からこっちに来れるんだよ? それとほんとは七月の十五日には帰る予定だったけど」
知ってる訳ないだろ。
「で、なんで十二日に来たんだ?」
「そんなの決まってるじゃん」
もう、加蓮の姿は殆ど見えない。
けれど声だけは、きちんと届いていて。
「生きてた時に貰ったポテトのクーポン、期限が十二日までだったから」
あぁ、実にお前らしい。
年を確認しないところまで含めて、実に。
余りにも加蓮らし過ぎて、吹き出してしまった。
塩抜きを頼んだのは幽霊だからとか考えたが、実際はただの好みだったんだろうな。
既に何も見えない。
声も殆ど何も聞こえない。
それでもちゃんと、俺には届いていた。
きちんと、分かった。
ーーありがと、あなたに逢えて良かった。
秒針が真上へと届く。
同時、短針も長針も十二を指す。
日付は八月十六日。
目の前に広がるのは、誰もいないステージとそれを照らす満月だけ。
……なんで俺は、こんな場所に居るんだろう。
次の会場の下見だろうか、こんな時間に。
思い出せないが、おそらく何か仕事で来ていたのだろう。
面白いくらい身体は重く、笑えない程の疲れが襲いかかってくる。
分からない、思い出せない。
けれど今、何故か心は跳ねていて。
まるでアイドルのライブを見届けた後の様な感覚になっている。
目の前のステージには、誰も居ないと言うのに。
ガチャ
「すいませーん、流石にそろそろお引き取り願えますか?」
「あっ、すいません。ご迷惑お掛けしました」
現れた警備員の声で我に帰る。
よく分からないが、そろそろ帰らないと明日に響く。
「……大丈夫ですか?」
「えっ、何かありましたか?」
「いえ、何やら……」
警備員さんが俺の顔を指差す。
埃でもついているのかと、俺は指で拭おうとして……
「……え……あれ?」
指先から伝わる水の感覚。
どうやら俺は、涙を流していた様だった。
「ん、なんでだ……」
訳が分からない。
何故涙が出ているのか分からない。
何故こんなにも、哀しい様な感動した様な気持ちになっているのか分からない。
既に乾き始めてはいるが、何故俺は涙を……
「……ははっ」
分からない。
でもきっと、感動したんだろう。
何かを見たのだろう。
何かに、魅入っていたのだろう。
警備員さんにお礼を言い、デパートを出る。
夏とは思えない程、夜風は冷たい。
民家の前のナスを見て、昨日までお盆だったのだと思い出した。
お盆だからなんだという話ではあるのだが。
一人の夏の夜風は、何故か寂しく感じた。
ピピピピッ、ピピピピッ
アラームの音で目を覚ます。
今日は金曜日、心ときめくウィークエンド。
疲れ切った身体をベッドから無理やり起こし、歯を磨く。
シャワーを浴びて、朝食を食べて。
なんて事はない、いつも通りの日常だ。
前と同じ、その筈なのに。
何故か静かな感じがして。
それはきっと気のせいで。
「ん……?」
引き出しに、ネックレスが入っていた。
ペパーミントグリーンの、蓮華を模したネックレスだった。
プレゼント用のラッピングも隣に入っている。
何故こんなものが入ってるんだろう。
……あぁ、まゆの誕生日プレゼントだろうな。
そうだ、半月後にはまゆの誕生日だからと購入したのだった。
それともユニット結成祝いだったろうか。
とにかく再度ラッピングして鞄に入れておこう。
「行ってきまーす」
家を出る時、何故か寂しく感じた。
それもきっと、気のせいだった。
「おはようございます、プロデューサーさん」
「おはようございます、ちひろさん」
「まるまる二日も何処に行ってたんですか?」
「プチ旅行です」
一人で遊園地に行ったり軽井沢に行ったり、充実した有給だった。
こんな事なら十三日も有給取って六連休にしても良かったかもしれない。
さて、仕事に遅れは生じていないが休んだ分は張り切らないと。
アイドルたちもユニットデビューへ向けて頑張っているのだから。
「あ、そういえば……ユニット名、まだ決まってない……」
「そうでしたねぇ……まゆと愉快な」
「エアギター!」
「李衣菜ちゃんそれで良いの?」
辛子蓮根って言ってた奴が何を言っているんだ。
それはそれとして、そろそろ本格的にユニット名を……
「……舞踏会的なイメージはどうだろう」
ポツリと、俺は呟いた。
このメンバーのデビュー曲Love∞Destinyは、そんな印象を受けた。
「舞踏会ですかぁ……ふむふむ、でしたら……」
「うーん、ダンスパーティ?」
「味気ないですねっ!」
「…………あ、えっと……」
全員の視線が智絵里に集まる。
「……仮面舞踏会、とか……どうかなって……」
「まゆも同じ事を考えてました」
手柄をあたかも自分であげた物かの様に騙るまゆ。
後出しジャンケン感が強い。
「でもなんかロックじゃなくない?」
ロックバンドじゃないからではないだろうか。
そもそも最近李衣菜の言うロックか分からない。
「では…………そうですね、『Masque:Rade』なんてユニット名は如何でしょう?」
「おー! メッチャ英語!」
「マスカレイド……お洒落なユニット名ですねっ!」
「Masque:Radeか……かなりピッタリかもしれないな」
流石まゆ、なかなかのネーミングセンスだ。
他に案がなければ、そのまま決まりだろう。
「そんなユニット名どう? って誰かが言ってませんでしたかぁ?」
「さぁ? でも良いんじゃない、ロックだし」
ロック、ロックってなんだ。
「マスカレイドって仮面舞踏会って意味で合ってますよね?」
「はい……一応、他にもいくつか意味はありますが」
確か見せかけとか虚構とか~~のフリをする、みたいな意味だった気がするな。
今回はそちらの意味は関係ないだろうが。
「さて、ユニット名も決まった事だしそろそろ大詰めだ。トレーナーさんもやる気満々だろうし頑張ってこいよ」
四人を送り出す。
Masque:Rade……良いユニットになりそうだ。
「あ、まゆだけちょっと残ってくれ」
「……うふふ、ダメですよぉPさぁん。事務所でだなんて……帰ってから、ね?」
クネクネしてるところ悪いが、多分まゆが期待している様な事では無いぞ。
あぁほらもう、他のアイドル達からの俺への視線が……
三人が出て行った後に、鞄からプレゼントを取り出す。
ユニット名も決まった事だし、渡すとしたら今で良いだろう。
「はい、ユニット結成祝い。リーダーとして頑張ってもらえるよう、俺からのプレゼントだ」
「…………し、式はいつにしますかっ?!」
なんの式?
何が起こった?
なんでそうなった?
明らかに思考の跳躍が起きている。
「うっふふ……うふふふふ……う~う~」
喜びに言語野をやられてしまっている様だ。
抑えようとしても抑えきれずニヤけてしまっているまゆ。
「こっ、こここっ! これは……その、プロポーズとして受け取っても……あぁ、でもダメです……まゆにはユニットが……」
「ユニット結成祝いって聞いてた?」
「聞いてません!」
「じゃあ聞いてくれ」
とても不安になる。
何故まゆはアイドルやってる時はしっかりしているのに、俺と話すとこんな風になってしまうのだろう。
「これは……ネックレス?」
「あぁ、見ての通り」
ラッピングを解いたまゆが、中身を取り出す。
「…………Pさん、左手の薬指にネックレスは着けませんよぉ」
「左手の薬指じゃなくても指にネックレスは着けないが」
何度も言っているが、だからユニット結成祝いだと。
ちひろさんが呆れて苦笑いしている。
「良かったですね、まゆちゃん」
「……これは、Pさんからの贈り物ですか?」
「あぁ、俺が選んだプレゼントだよ」
「ふむふむ、でしたら……」
喜んで受け取ります、と。
そんな風に言ってくれると思っていた。
「…………まゆは、受け取れません」
……え?
受け取り却下?
「……好みに合わなかったか?」
「逆に聞きます。Pさんはこのネックレスを、まゆに似合うと思って買ったんですか?」
それは当然だろう、まゆに贈る為に買ったのだから。
まゆに喜んで貰えるよう、まゆに似合う物を選ぶのは……
「……あれ、確かに……」
「はい。Pさんがまゆの為に選んでくれたのだとしたら、このデザインにはならないと思います」
確かにそうだ。
まゆの為に選んだのだとしたら、それこそ紅でバラやリボンを模したデザインにするだろう。
少なくとも、ペパーミントグリーンは選ばない。
色は智絵里にはピッタリだろうが、それでも蓮華というのは……
「……Pさんはきっと、別の方へのプレゼントとしてこのネックレスを購入したんだと思います」
ですから、まゆは受け取れません。
そう、少し寂しそうに呟くまゆ。
「……すまん、悪い事したな」
「いえ、まゆは気にしませんから。指輪じゃありませんでしたし」
「また後日、きちんと用意するよ」
「指輪ですよね?!」
「引き留めて悪かったな、レッスン頑張ってくれ」
さて、そろそろ俺も仕事に取り掛からないと。
ユニットデビューは近い、やるべき事は山程ある。
一つずつ、着実に進んで。
最高のユニットデビューを飾らせないと。
「ただいまー」
非常に疲れた。
仕事の忙しさと連休の疲労と、疲れが絶える事ない波の様に襲い掛かってくる。
沈み込む様にソファに埋まり、缶ビールを一本開ける。
テレビを付ければ、何処かで行われている花火大会が生中継されていた。
夕飯はいいだろう、面倒だし腹も減っていない。
適当に枝豆でも摘みながら、テレビを眺める。
連続で打ち上がる花火の音が、まるで近くで行われているかの様に大きく響く。
色とりどりの火が、都会の夜空に花束を作っている。
……こんなに、静かだったっけ。
事務所の部屋が大人数になって賑やかになったからだろうか。
テレビの音が少し小さいからだろうか。
いつも一人で過ごしているこの部屋が、やけに静かに感じて。
何故か無性に、寂しくなった。
疲れているんだろう。
夏の夜空に、センチになっているんだろう。
ビールの缶は既に空で、二本目に手を伸ばす。
これ飲んだらシャワー浴びて寝よう。
それが、いつも通りだった筈なのに。
こんなにも何かが欠けている様な気分になるのは何故だろう。
分からない、けれど。
この気持ちは、決して気のせいなんかでは無かった。
あれから、季節は一巡した。
沢山の出来事があった。
Masque:Radeがデビューして、大ヒットして。
CDを出して、各地でライブをして。
それぞれの誕生日にパーティをして。
クリスマスも、当日では無かったがパーティをして。
まゆも、智絵里も、李衣菜も、美穂も。
どんどん成長して、そんな皆んなを眺めるのが幸せで。
もちろん俺とちひろさんも、かなり頑張った。
何回、朝を事務所で迎えた事か。
充実していた。
忙しいながらも、楽しい日々が続いていた。
満ち足りていた。
その、筈だった。
……けれど、何かが見つからない。
俺の望んでいたものが、見つけられていない。
俺が見たかった筈の光景は、未だ何処にも無い。
それが何かも、未だに分からないが。
Masque:Radeの四人が立つステージは、それは素晴らしいもので。
けれど何かが、足りない様な気がした。
最高の出来だった筈なのに。
それでも何処か、欠けている様な気がした。
あの日からずっと、俺は探している。
休みの日は散歩をする様になった。
何かは分からないが、その何かを見つける為に。
木枯らしが吹く日も、雪の積もる日も、花粉の酷い日も。
そして、今日。
陽射しがこれでもかと降り注ぐ、暑く溶けそうな夏の日も。
七月十二日、日曜日。
日曜日とは、救いである。
これなんか前も言ったな。
長くなるので端折るが、取り敢えず今日は日曜日だった。
夏の始まりは突然で、冬はあれ程憧れたこの気温は、今ではこれが現実だと言わんばかりに体力を奪う。
六月頃の肌寒さは名残すら無く、ここ数日は只管に暑さだけが埋め尽くしていた。
ギラギラという擬音がピッタリな程に煩く輝く太陽が、アスファルトの反射と併せて都会の夏を作っていて。
日に土に日で暑い、強ち間違いでは無い気がしてくる。
今日も今日とて、俺は街を歩いていた。
何かが欠けている様な気がする、そんな事務所は休みで。
何かが足りない様な気がする、そんな家を抜け出して。
こんな暑い日だと言うのに、俺は性懲りも無く歩き続ける。
あの日から、四十を超えて五十に迫る回数の日曜日。
ただ闇雲に探し続けてている。
雲や霧どころか、朧げな夢の続きを掴もうとする感覚。
けれどそれは、案外楽しいものだった。
「Pざぁん……暑い……あづいですよぉ……」
「……たまの休日なんだから休んでれば良いのに」
……高頻度で、隣にまゆが居たから。
春と秋は元気溌剌デートデート! という感じだったが。
冬は寒さに震えて雪達磨の様になり。
夏は暑さに溶けてへちょっており。
今日もこうして、溶け欠けのアイスみたいになっていた。
「Pさん、最近忙しくって全然構ってくれないんですから」
「いや、お前アイドルだから。前から一緒に出かけたりとか無かっただろ」
おそらく以前より、まゆと過ごす時間は増えてるからな。
何故かは分からないが散歩に出掛ければ五分かそこらでまゆに遭遇して、そこから二人でのんびり散歩する事になる。
最初のうちはやめさせようとしたが、全然話を聞いてくれないので諦めた。
変装はかなりしっかりしているし、気付かれる事は無いと思いたい。
それはそれとして、何故毎回俺の居場所が分かるんだろう。
普通に怖い。
夏はホラーの季節だから許すが、他の季節では控えて頂きたい。
「まゆは日々のお仕事で疲れているんです」
「そっか、家でのんびりしてれば良いだろ」
「うふふ、そんな事言って……本当は嬉しいんですよねぇ?」
「まゆが疲れたって言うから何回散策を諦めたと思ってるんだ」
嬉しいか嬉しく無いかで言えば、とんとん。
ただ、暇はしない。
退屈はしない。
うるさいけど、やかましいけど。
「ふふ、伴侶ですから。休日も隣で添い遂げる者と書いて伴侶ですよねぇ?」
「一回伴侶って字を辞書で引いてこい」
「広辞苑にはPさんとまゆのツーショットが載ってましたよぉ」
「大丈夫かこの国」
この国の未来が不安になった。
憂いたところで何が出来る訳でも無いけれど。
「それにしても…………暑いな」
「ですねぇ……一旦休憩しませんかぁ?」
それも良いだろう。
既にお昼時になっているし、近くの喫茶店で軽く食べておくか。
人で埋め尽くされた駅前のロータリーを抜け、適当な喫茶店を探す。
どこもかしこも帰省で人手が足りていないのか、かなりの行列だった。
「…………むむむ……気になっていた喫茶店はお休みでした」
「これはもうファーストフード店に頼るしか無さそうだな」
仕切りの少ないファーストフード店は出来れば避けたかったのだが。
それでも背に腹はかえられない。
来た道をUターンして、駅の方へと向かい。
のんびり歩きながら、左右の店を眺める。
ピロンッ
「ん、メールだ……」
「どちら様ですか? プライベートの方ですか? 女性ですか?」
食い付いてくるまゆを無視してスマホを開く。
俺のプライベート用のアドレスにメールを送って来る人なんて……
「……やっぱり迷惑メールっぽいな。『今から会えない?』だとさ」
「あぁ、その手のメール多いですよねぇ。まゆのところにもよく来ます」
見た事の無いアドレスのメールなんて開くものではないな。
件名すら空欄だったし、さっさと閉じて店を探そう。
程なくして、目の前にMの文字で有名なハンバーガーショップが現れた。
しかもなんと現在、無料でアイスコーヒーを配っていた。
まるで今の俺たちの為に設えられたかの様なこのハンバーガーショップに、感謝の気持ちでいっぱいになる。
流石にタダで居座ると言うのも胸が痛いので、適当にアイスなりシェイクなり注文するとしよう。
「まゆはどうする?」
「うふふ、それをまゆの口から言わせようとするなんて……Pさんのえっち」
会話が成立しない。
年齢やIQか大きく開いているとそういった事が起こると言うが、この場合は何の数値がどうなのだろう。
さて、ふざけてばかりでもいられない。
レジは着々と近付いてきていて、そろそろきちんと注文を決めておきたい頃合いだった。
……筈だった。
「大変申し訳ございません……此方のクーポン、既に期限が切れておりまして……」
「今年こそいけるかなーって思ったのに…………だめ? 私手持ち無いんだけど」
「そう仰られましても……」
「……いるんですねぇ、こういうお客さん」
まゆが耳打ちしてきた。
ついでに距離をかなり縮めて来る。
けれど俺は、今そちらに意識を向ける余裕が無かった。
目の前でイチャモン付けながら財布の小銭を漁っている茶髪の女子高生をジッと見て……
ーーようやく、見つけた気がする。
「まったく、クーポンの期限くらい把握してから来店すべきですよぉ……それに高校生くらいなのに所持金が250円も無いなんて……」
「……よし」
「え? あ、あの……Pさん……?」
これはきっと、またと無いチャンスだ。
意を決して、俺は前の女子高生に話し掛ける。
「代わりに俺が払いましょうか?」
自分でも何言ってるんだこいつとは思ってる。
不審者以外の何者でもない。
……なのに。
「……ふふっ、ちゃんと約束守ってくれたんだ」
「えっ?」
目の前の少女は、笑っていた。
「あ、違う違う。何アンタ、店内でナンパとか非常識にも程があるでしょ」
ずばっと即断された。
いや、自分でも分かっているけれど。
ついでに言いたくは無いが、それは君が言えた事でも無いと思う。
余りにも冷ややか過ぎる視線と店員の目が非常に胸に刺さるが、それでももう少しだけ粘ってみよう。
「ナンパとは違うんだが……取り敢えず俺たちも早く買いたいし、此処は払わせて貰えないか?」
「……ポテト一つで女子高生が買えると思ってるの?」
ポテト一つ買えない女子高生が何を言っているんだ。
なんて言ったら怒られるだろうから、流石に言わないが。
「三分話して興味が湧かなかったら俺たちが立ち去るからさ」
「…………だーめ」
断られてしまった。
それもまぁ、仕方の無い事か。
出来れば、少しで良いから話を聞いて貰いたかった。
そうすればアイドルに多少の興味は抱いて貰えただろうし。
何故俺が彼女をスカウトしようとしたのか、自分でもよく分からない。
そもそも今俺は、Masque:Radeのプロデュースで手一杯で。
……それでも。
目の前の女の子の。
ペパーミントグリーンで蓮華を模したネックレスが似合いそうな女の子の。
うるさそうで、ワガママそうな女の子の。
ステージに立つ姿が、見てみたかったから。
「三分じゃ、全然足りないから」
「…………えっ?」
そんな短い時間じゃ、感謝の気持ちは伝え切れないから。
今度はちゃんと、伝えるから。
多分今回だけじゃ全然足りないから。
来年も、再来年も。
そう、ふふっと。
此方へ向き直って、微笑んで。
少女は、呟いた。
「この夏もよろしくね、Pさん」
彼女の名前を知ったのは後の事だったが。
何故俺の名前を知っているのか分からないが。
想像以上にうるさくてやかましかったが。
奇跡の様な出逢いが、ファーストフード店のレジで果たされるなんて思っていなかったが。
こうして、暑い夏の日。
お盆の始まる一日前から。
北条加蓮と過ごす夏が、始まった。
以上です
お付き合い、ありがとうございました
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