ありす「いちご味の夢」(47)

目を覚ますと、そこは一面真っ白な空間でした。


ありす「……起きました」


意味なく呟き、辺りを見回すも人の姿は確認できません。
見渡す限り、白一色の世界。
果てもなく、仕切りもない無機質な空間。


ありす「昨日はちゃんと自分の部屋で休んだはずなんですけど……これは一体どういうことでしょうか」


のっそりと立ち上がり、歩き出す。
上か下かも曖昧なこの場所は、どこか現実味がありません。

ありす「すいませーん、誰かいませんか!」

ちひろ「呼びました?」


突然、背後から聞き慣れた声がした。


ありす「うわっ!? びっくりした! ちひろさん……いるならいるって言ってください」

ちひろ「ごめんなさい。不安そうな顔をしたありすちゃんを見たら、ちょっとイタズラしたくなっちゃって」

ありす「……大の大人がそんなことして恥ずかしくないんですか」

ちひろ「大人だからこそよ。遊び心をなくしたら、老いていくばかりだもの」


そういうものなんでしょうか。
子どもの私にはいまいち理解できない感覚です。

ありす「ところでちひろさん、二つほどお尋ねしたいことがあります」

ちひろ「はい、なんなりと」

ありす「ここは一体どこなんでしょうか。あと、ちひろさんのお尻についている、その小悪魔っぽい尻尾はコスプレかなにかです?」


くすくすと笑みを浮かべ、ちひろさんは自分のお尻から生えた尻尾を掴んで言った。


ちひろ「ああ、これですか。これはありすちゃんが望んだから生えてるんです。ここはありすちゃんの夢ですから、さしずめ私は夢の案内人……少女を導く健気な妖精──といったところでしょう」

ありす「いえ、それはどう見ても悪魔の尻尾ですよ」

ちひろ「妖精です」

ありす「黒っぽいですし、妖精というのは少し無理が──」

ちひろ「妖精です」


ありす「………………」

ちひろ「………………」


少しの間、見つめ合ったまま硬直状態が続きました。
どうやらちひろさんは絶対に認めるつもりはないようです。
頑なに妖精だと言い張るあたり、なにか特別な思い入れやこだわりがあるのかもしれません。

ありす「わかりました。ひとまず、ちひろさんは妖精だということにしておきます」

ちひろ「ものわかりの良い子は好きですよ」

ありす「ありがとうございます。それで、この一面真っ白な場所はどこなんです?」

ちひろ「精神と時の部屋です」

ありす「さっき私の夢だとか意味深なこと言ってましたよね? 唐突にドラゴンボールネタ振られても困ります」

ちひろ「すいません。一度言ってみたかったんです」

ありす「……まあ、別にいいですけど」

ちひろ「そう拗ねないでください、時間はいくらでもあります。なにせ、本来のありすちゃんはまだ眠ったままなんですから」

ありす「私が……眠ったまま?」

ちひろ「はい。ありすちゃん本体はまだ自分の部屋ですやすやと熟睡しています。今、この場で私と会話をしているありすちゃんは、いわばありすちゃんの精神の核とも呼べる存在なんです」

ありす「なんだか漫画とかでよくある設定っぽいですね」

ちひろ「ブリーチでもよくある展開ですよ。ほら、修行のときとか斬月と精神世界でどんぱちしてたじゃない」

ありす「読んだことがありませんから、わかりません」

ちひろ「ふふ、嘘ばっかり……ブリーチ全巻揃えてること、ちゃんと知ってるんですよ」

ありす「なっ……!! 何故それを!?」

ちひろ「だから言ってるじゃないですか。私はありすちゃんが望んだから、ここに居る──千川ちひろの殻を被った想像の産物を、あなたは確かに願った」

ありす「では、つまりここは本当の本当に──」


ちひろ「ええ、夢の世界にようこそ」

私はその場で座り込み、頭を抱えた。
だって、どうしようもない。目の前に現れたちひろさんが言うことが本当なら、私はえらく鮮明でリアルな夢を見ているからだ。
しかし、なにより一番問題なのは────



ありす「これ、どうやったら現実に帰れるんですか」



帰り方がわからないということでした。

ちひろ「帰る必要なんてあります?」

ありす「あっ、当たり前です! まだやりたいこともしたいことも沢山あるのに、突然こんなわけのわからない場所に放り込まれて、帰り方もわからないままずっと過ごすなんて、そんなの嫌です!」

ちひろ「でも、現実には不満がいっぱい……そうでしょう?」

ありす「…………っ!!??」

ちひろ「学校での生活、人間関係を保つだけでも気を遣う……その上、アイドルとしての仕事は山のよう。プロデューサーはいつも大事にしてくれるけど、本音の部分では子ども扱い。ホントは一人前の仕事をする大人として認めてほしいのに、彼は自分を女ではなく子どもとしてしか見ようとしない」

ありす「……そんなの、根拠もないただの憶測です」

ちひろ「いいえ、それは違うわ……ありすちゃん。私はあなた、あなたは私──自分を認められない人は大人になんかなれないのよ」

ありす「大人になんか、なりたくありません」


嘘でした。
真っ赤で見え透いた嘘でした。
けれど言わずにはいられない。認めてしまうことは、このデタラメな世界に負けてしまうことと同じでした。

ちひろ「強情なのね」

ありす「色々と納得できないことが多過ぎますので」

ちひろ「……そう言うなら、止めはしません。これからどうするかは全てあなた次第よ」

ありす「ここから、出たいです」

ちひろ「それがあなたの望みなら自然と叶うわ」

ありす「………………」


瞳を閉じて、両手を合わせて祈る。
ここから出たい、目を覚まして普通の日常に戻りたい。
その願いも虚しく、祈りを捧げて三十秒ほどで目を開けるも、景色が変わることはありませんでした。


ありす「……帰れませんけど」

ちひろ「それはきっとここでやり残したことがあるからですよ」

ありす「やり残したこと?」

ちひろ「あなたがこの場所に来たのには、必ず理由があります。その理由がわかれば出る方法も見つかるはずですよ」

ありす「理由なんて……そんなのあるわけ──」

昨日、文香さんから借りた本が思ったよりもグロテスクな内容で、ちょっと引いてしまったことでしょうか。
いや、違う。
ライブの練習で一人だけ遅れを取っていたことでしょうか。
いや、違う。

だとしたら、ああ──あれか。


ありす「いちご牛乳が飲めなかったことかな」

ちひろ「詳しく聞いてもいい?」

ありす「はい。昨日、プロデューサーさんがいちご牛乳を買ってきてくれたんですけど、私の発言が原因で喧嘩しちゃって……結局、いちご牛乳は飲めず終いだったんです」

ちひろ「へえ……つまり、ありすちゃんはプロデューサーさんから貰うはずだったいちご牛乳を未だに飲みたいと思ってる、ということかしら」

ありす「それ以外、思い当たるようなことがありません」

我ながら、なんてしょうもない悩みだろう。
たった一言、ごめんなさいと言えば丸く収まる話だったのに。プロデューサーさんは気にしてないと言ってくれたのに。
寝ている間も、未だにずるずると引き摺ってる。


ありす「私は、悪い子です。なにかしらの罰を受けたくて、でも自分からは言い出せないから──こんな場所に来ちゃったんだ」




時子「子豚の分際で受け身なんて生意気ね。罰をくださいお願いします、ぐらい言えないの?」

俯いた状態から顔を上げると、視線の先には時子さんが縄と鞭を持って佇んでいた。
際どいボンテージ姿と妙な仮面をつけているせいか、どこからどう見てもその道の人にしか見えません。


ありす「あれっ? ちひろさん、どこに行っちゃったんだろう……それに時子さんもどうしてこんなところに──」

時子「時・子・様、でしょうが、この子豚がぁ!!」

ありす「ひいっっ!!??」

時子「どうやら最近の若い子は躾が足らないみたいねえ。喋っていいと許可も出していないのに、ぺらぺら独り言をのたまうなんて……あの豚がしっかり調教しないせいだわ」

ありす「すいません、ちょっと状況が呑み込めていないので説明の方を──」

時子「……次、勝手に喋ったらそのカワイイお口にギャグボール咥えさせるわよ」

ありす「はいぃ!」

時子「発言したいなら挙手なさい」


私は天に届くよう、さながら昇天するときのラオウのように腕を頭上に勢い良く伸ばした。

ありす「時子様はぁ!! どうしてぇ!! こんなところにいるのでしょうかぁぁ!!」

時子「そんな大声出さなくても聞こえるわ。もう少しボリュームを落としなさい」

ありす「あっ、はい……」

時子「どうしてこんなところに、ですって? 決まっているでしょう、貴方がそれを望んだからに決まってるじゃない」

ありす「またそれですか……ということは、この時子さんも現実の時子さんではなく、私が作り上げた空想の人物──」

時子「さっきからブツブツ独り言ばかり……貴方、何様のつもり? まずは跪いて忠誠を誓うのが先でしょうが!」


しなる鞭が私の足元で乾いた音を響かせた。
あれに当たれば、おそらく痛いではすまないでしょう。くっきりとした型が残るのはまず間違いなさそうです。


ありす「や、やめてください! 痛いのは嫌です! 怖いのも嫌です!」

そう言って、私は躊躇うことなく全速力で走り出した。
数メートル後ろからは、ヒールの甲高いカツカツという音が小刻みに聞こえてくる。少しでも気を許せば、すぐに追いつかれて調教されてしまう。


時子「逃げない豚はただの豚よ! さあ、力尽きるまで走り回りなさい! アーッハッハ!」

ありす「はあ、はあ、このままじゃ埒が明かない……なにか打開策を考えないと」


そう言って、私はある違和感に気がついた。
いくら走っても、疲れないのです。息切れはしているとはいえ、追いかけっこを開始して既に三分以上は経過しているというのに、未だにトップスピードを維持できているというのはどう贔屓目に見てもおかしい。

ありす「この世界は私の夢──そう仮定すれば、現実では絶対にあり得ないことも可能なはず! なら、錬成陣なしの錬成だって、今の私になら……できるっ!」


私は両手を合わせた後、手の平を地面につけた。
ハガレンで見た動作を見様見真似でこなすと、時子さんの周りを囲むように分厚い苺が地面から湧き出てきた。


時子「くっ、小癪な真似を……!」

ありす「これが苺の錬金術師の力です。調教をしたいなら、別の方にすることですね」


捨て台詞を吐いて、その場を後にする。
後にするとはいっても、周囲には建物はおろか目印になるようなものさえない。
もちろん、人の姿なんてどこにもない。
先程までは聞こえていた時子さんの恨み節も、いつの間にか消えてなくなっていた。

ありす「これでまた一人、か……でも、なんでも思い通りになる世界だとわかればこっちのものです。あとはプロデューサーさんを想像して、いちご牛乳をもらえば問題解決──」


本当にそうだろうか。
私が欲しかったのはいちご牛乳ではなくて、プロデューサーさんからの労いの言葉ではなかったか。

『ありす、レッスンお疲れ様──ほら、差し入れ。この前、お前が欲しがってた新発売のやつだぞ』

心のそこから求めているのはいちご牛乳なんかじゃなくて、プロデューサーさんに謝罪する機会そのものではなかったか。


ありす「………………」

『す、すまん。期間限定ものと二種類あるなんて知らなかったんだ……今からそっちを買ってくるから、ちょっとだけ待っててくれ』


私がワガママを言ったとき、プロデューサーさんは怒りもせずに新しいものを買いに行こうとしてくれていたのに。


ありす「ちゃんと、謝らないと」


空想の世界じゃなくて、現実の世界で面と向かって。
自分の気持ちを伝えなくちゃいけない。
ああ──こんなとき、親身になって相談に乗ってくれる大人がいれば心強いのですが。

美波「よく言ったわ、ありすちゃん!」

文香「…もう、孤独を恐れる必要はありません」

藍子「仲間がいればどんな戦場だって乗り越えられます♪」

夕美「そう、悲しみの弔鐘は鳴り止んだんだよ!」

美波「私達は五人揃って一人の”戦乙女─ヴァルキュリア─”」

藍子「さあ、戦場に可憐な花を咲かせましょう」

夕美「準備はいい? それじゃあ行くよ!」

文香「…ヴァルハラを目指して──」


美波・文香・藍子・夕美「レッツ、ヴァルキュリア!!!!」


ばーん、といった特大の爆発を背に、戦隊モノでありがちなポーズを取りながら(文香さんだけはテンション低めでしたが)いつものアインフェリアの服装で、彼女達は現れたのでした。

ありす「…………はい?」


気がつくと、辺りは白一面の景色から荒野に変わっていました。
銃声と爆発音があちらこちらで響き渡る中、いかにも戦場らしい風景に心乱されていると、美波さんが私の頭を押さえて地面に伏せさせようとします。


ありす「ちょっと、美波さん……痛いですよ!」

美波「ダメよ、そのまま伏せてて!」

ありす「ダメって一体なにが……ってうわっ! 流れ弾がこっちにも!」

美波「ここは戦場よ! 気を抜くと死ぬわよ!」


必死な表情で「死ぬわよ!」と忠告してくれる美波さんがおかしくて、つい笑ってしまいそうになりましたが、忠告してくれた人を小莫迦にするのは躊躇われたので、一応笑いは噛み殺すことにしました。

ありす「ふっ……ふふっ……ふふふっ……」

藍子「よそ見をしてちゃダメだよ! ほらっ、あれを見て!」

ありす「んっ? あれは、プロデューサーさん!!」



P「クソッ、すまない……俺が不甲斐ないばっかりに……」

瑞樹「彼はこの私が頂くわ! あなた達はそこで地面とキスしていなさい!」


瑞樹さんがプロデューサーさんを拘束していました。
ええ、そこまではなんの問題もない。いえ、問題はありましたが、それも許容範囲内だったのです。
ですが一つだけ理解できないことがありました。


ありす「プロデューサーさん、どうしてそんな恥ずかしい格好を……」


プロデューサーさんは等身大サイズのいちごの着ぐるみを着ていました。
普段スーツ姿でばりばり仕事をこなしている分、凄まじいまでのギャップを感じたのは言うまでもありません。

P「いや、なんかこの格好をしないとダメな気がしてな。居ても立っても居られなかったんだ」

ありす「もう少しましな服、あったと思いますけど」

P「いーや、ダメだ。今はこのルビーのように真っ赤ないちごの着ぐるみが、俺にとってのベストスタイルなんだ。誰の指図も受けやしない……俺は今、自由なんだ!」

ありす「思いっきり拘束されてるじゃないですか! 自由のじの字もない有様ですよ!」

瑞樹「わかるわ……年を重ねる事に、自由から遠ざかっていく感覚──責任とか将来のこととか山積みになっていく課題を前にしたら、たまにはその重荷から解放されたくなるものね」

ありす「誰もそんな重々しい同意求めてません! 瑞樹さんは早くプロデューサーさんを解放してください!」

瑞樹「解放? 解放ですって? 面白いことを言うじゃない。私が手を下さずとも、彼はとっくに解放されているわ……社会の規範という鎖からね!!」


P「フゥ~!! いちごみたいにストロベリーでスウィーティーな気分だぜ!!」


夕美「かわいそうに……あれは間違いなく洗脳されてるね」

ありす「はい、そのようです」

瑞樹「無駄話はここまでよ! 大人の時間を邪魔するお子ちゃま達はここで倒れなさい!」


瑞樹さんの合図で、どこからともなく機銃の一斉掃射が開始されました。
僅かでも顔を上げれば、弾丸が顔を掠めていくことでしょう。


ありす「くっ……! 夢の中だというのに、また変なところでリアルな……文香さん、この状況を変えるための有効な策はありませんか!」

文香「…偶然は愛のように人を束縛する…なるほど、言い得て妙です」

ありす「この一大事に呑気に読書しないでください! ほらっ、その小説は一旦こちらでお預かりしますから」

文香「む~~~~~っ!!!!」(必死に抵抗を試みる音葉)

ありす「ワガママ言ってもダメなものはダメ! この戦いが終わったらちゃんとお返ししますよ!」

文香「…致し方ありません。元来、私は紙魚のような存在……争い事には無縁な性分なのですが、ひと時の平和を得るためには…心を鬼にして事を成すとしましょう」

ありす「それで、作戦の方は?」

文香「力を力で捻じ伏せれば、また新たな争いを呼ぶだけ…ここは”ペンは剣よりも強し”作戦を推奨します」

ありす「なんだかそれっぽい名前の作戦ですね! さっそく具体的な内容を聞かせてもらえますか?」

文香「…説明は、割愛させてください……ここは一旦、私にお任せを…」

そう言って、文香さんは弾丸の飛び交う戦場で堂々と立ち上がりました。
右手に拡声器を握り締め、彼女にしては大きめの声量で言いました。


文香「静粛に…皆さん、静粛に。これ以上の発砲は過剰攻撃とみなされ、戦後裁判にかけられる可能性があります…ご家族、友人、恋人のいる方は速やかに発砲を中止してください」


文香さんの一声で、嵐の如き弾丸の応酬が止まった。


文香「……結構。今回の戦争の首謀者に告げます……速やかに戦争を中止し、捕虜を解放しなさい…さもなくば、世にも恐ろしい災いが降りかかることでしょう」

瑞樹「……今さらなにを言うのかと思えば、そんなこと? 災いが怖くて戦争ができるもんですか! 仏に会えば仏を斬り、鬼に会えば鬼を斬る!! それが戦場の作法よ!」

文香「…本当に、よろしいんですね?」

瑞樹「くどい! 命が惜しかったら、あなたも投降することね」

文香「残念です……では、作戦通りに…首謀者に告げます、貴方は今回の戦争が原因となり…生涯、独身のままでしょう」


ありす・瑞樹「……はっ?」

文香「統計によると、戦争に従事した女性……それも軍の上層部にいた方は、生涯独身の割合が非常に高いそうです…」

瑞樹「う、嘘よ! デタラメばっかり言ってると──」

文香「列記とした事実です……書物にも、そう書いてあります」


戦場がにわかにざわついた。
当事者である私達以外にも、動揺している人がいるんだ。


美波「し、知らなかった……やっぱり男勝りな女性ってモテないんですね」

藍子「アインフェリアって、大丈夫なのかな……これ、戦乙女の設定ですよ」

夕美「ええ~、この歳で行き遅れどころか未婚確定ってのはちょっと……」


ありす「敵どころか味方にも効果抜群なんですけど」


文香さんの精神攻撃は、確かに瑞樹さんにダメージを与えているように見えました。
ですが、味方まで共倒れになりそうな勢いさえあったのです。

文香「争いはなにも生みません…それどころか、出会いさえ生みません……意中の方がおられるなら、なおさらでしょう。愛に生きるつもりがあるのなら、即刻、戦争を中止すべきかと……」

瑞樹「ぐっ、ぐぬぬ……謀ったわね、孔明……!」

文香「……鷺沢です」

ありす「それっ、私のアイデンティティ!!」

瑞樹「いいわ、今回は私の負けってことにしといてあげる……でも覚えておきなさい! 人の心に美容とアンチエイジングの意志がある限り、川島瑞樹は何度でも蘇るってことをね!」


オーッホッホッホッと、どこぞの黒いセールスマン顔負けの甲高い声を上げながら去って行く瑞樹さん眺めながら、私はただただ唖然としたまま、事の成り行きを見つめるしかなかった。
ていうか、途中から色々とついて行けてなかった。

ありす「終わった、んでしょうか……」

美波「正義は勝つ! 私達の勝利よ!」

藍子「やりました! これでまた一つ、争いの種が消えましたよ♪」

夕美「で、でもさ……さっき文香さんの言ってたことが本当なら──私たち、ちょっとマズくない?」


美波・藍子・夕美「………………」


文香「…心配いりません。先ほどの発言は、全て口から出まかせですから…」

ありす「ということは──」

文香「アインフェリアは、これからも続いていく…ということです」


どっと歓声が沸いた。
辺りにいる誰もが、私達五人を祝福していた。まるでライブの時のように、熱狂の渦が生まれている。その中心にいる私達は、さしずめアイドルのようでした。

ありす「そっか、私……アイドルなんだ」


これだけ多くの人に祝福されるのなら、夢の世界というのもあながち悪くない。
だって、全て思い通りにできるのだから。
どんな苦痛も、苦悩も、考え方一つで解消できる。
文字通り、想いのままなんだ。


ありす「プロデューサーさん、あの……助けたばかりで悪いんですが、少し聞いてほしいことがあるんです」


言って、振り返る。
そこにいるはずのプロデューサーと、真正面から向き合うために。

P「すまん、ちょっ、ちょっと待ってくれ……あふっ! 耳、耳はくすぐったいからやめてくれ!」

文香「…べも、ぼぼがばわらがくでびぢばんあばいべぶ(でも、ここが柔らかくて一番甘いです)」


食っていた。
文香さんが、プロデューサーさんを食べていた。
耳たぶを甘噛みしながら、はむはむしながら、美味しそうに食べていた。


ありす「なっ、なにやってるんですか、文香さん! やめてください、破廉恥です!」


走り寄り、プロデューサーから文香さんを引き離す。
自分でも驚くぐらいの手際だったので、引き離すこと自体は容易でした。

ありす「はあっ、はあっ、突然どうしたんです!? 変なものでも食べましたか!」

文香「…今、現在進行形で食べていましたが」

ありす「ちがーう!! 食べてるものじゃなくて、食べようとした理由について訊いてるんですぅ!」

文香「…食べようとした理由?」

ありす「とぼけた顔して誤魔化そうとしたってダメですよ。瑞樹さんみたいにはいきませんから」

文香「…………ん? ありすちゃんの言っていることが、いまいち理解できないのですが」

ありす「だ、か、ら、今食べようとしていたものは、そもそも食べ物ですらないんですよ」


文香「──苺は食べ物ですよ?」


一瞬、時間が止まった気がした。

ありす「ばっ、バカも休み休み言ってください! あれはいちごじゃなくて、プロデューサーさんです! 人が人を食べるなんて……その、えーっと、つまり! 付き合ってもいない男女がするようなことではなくて……あの、その────」

言いたいことがすんなりと言葉にならないもどかしさがあった。
はっきりと言葉にするのは簡単だけど、何故か口にはできなかった。それは、私が子どもだからかもしれなかった。
大人ならできて、子どもにはできないこと。
男女の仲でないとできない、甘く親密な行為。
色艶めいた大人の関係、それはつまり──


文香「私は苺を食べていただけです…ありすちゃんは、なにか勘違いをしているのではありませんか?」

ありす「勘違い……? でも、あれは確かにいちごの着ぐるみを着たプロデューサーさんでした。そこに、間違いなんてあるはずがないのに」


ふいに、プロデューサーさんの方に視線を移す。
すると彼はクラウチングスタートの構えを取り、今にもオンユアマークスしそうでした。
──いちごの着ぐるみは着たままでしたが。

P「ありす、一つ良いことを教えてやろう」

ありす「橘です」

P「プロデューサーてのは営業とは違う。数字を出せなかったやつが敗者になるんじゃない……最後まで”張り続けられなかった”ヤツが負けるんだよ」

ありす「その格好ではなにを言っても説得力に欠けますね」

P「飛ばすぜ……ついて、来れるか」

ありす「ついて来れるか、じゃなくて……そもそも追いかける気が──あっ、逃げた!」


全速力で走り出したプロデューサーさんを見て、文香さんは言いました。


文香「ありすちゃん…早く追いかけて!」

ありす「でも、プロデューサーさんを捕まえないといけない理由なんてないですよ!」

文香「…いいから、早く! 元の世界に……現実に、帰りたいんでしょう!」

ありす「……っ!!!! はい!!」

文香さんに背中を押され、私は再び走り出した。
プロデューサーさんの背中は遠いけど、まだはっきりと見える距離だ。このまま走り続ければ、いずれ疲れ果てることだろう。
そうなれば、必ず追いつく。
ここは全てが私の思い通りになる世界。
普通は大の大人に追いつくことなんてできませんが、夢の中なら捕まえることができるはず。
逃げ出した理由は、その後にでも聞くとしよう。


ありす「……っ!!?? ダメ、想像していたよりずっと速い……このペースだと、どうがんばっても追いつけない!」


走り出してから、違和感を覚えた。
時子さんと追いかけっこをしたときは、疲れなんて全くなかったのに、今は少し走っただけで体が悲鳴を上げている。
心なしか、プロデューサーさんとの距離もどんどん遠くなっていくように感じる。


ありす「待って、お願いだから……待ってください!」


彼の背中が遠い。
この場所では全てが私の思い通りになるはずなのに、どうして追いつけないのか。
私の足が遅いから?
プロデューサーさんが私から離れたがっているから?
プロデューサーさんに追いつきたいという、私の願いが足りないから?
どうしてこんな理不尽なことが起こるのか、全然わからない。
これ以上離されたら、彼の背中が見えなくなってしまう。
せっかくこうして夢の中でも会えたのに、またいなくなってしまうなんて、そんなの嫌だ。

ありす「はあ、はあ、はあ、はあ……!」


思い出せ、この世界から出られないのは必ず理由があるはずなんだ。
ちひろさんが言っていたことが本当なら、出られないんじゃなくて”出ようとしていない”。
つまり、なにかやり残したことがあるから、自分から出るのを拒んでる。
表面上では出たいとか言っているけれど、心の底ではやり残したことがあるから、目が覚めるのを拒絶してるんだ。


ありす「はあっ、はあっ……!」


やり残したこと、私が本当にやりたいこと。
それは────


『ごめんな、ありす。お前の欲しいものさえ察してやれないなんて、俺はプロデューサー失格だ。本当にすまない、許してくれ』


ありす「思い、出したっ……!」

全部、思い出した。
昨日、プロデューサーさんはいちご牛乳を買ってきてくれた。レッスンが終わって疲れている私を気遣って、差し入れを持ってきてくれたんだ。
なのに私は彼の好意を台無しにするようなワガママを言ってしまった。


『これ、違います。私が欲しいと言っていたのはこれじゃなくて、期間限定のやつです』


ちょっとしたワガママだった。
でも、彼ならそれを受け入れてくれると思った。だから余計、つけあがってしまった。レッスン終了直後で疲れていた、なんて言い訳にもならないけれど、溜まっていたストレスや疲れをなにかで発散させようとしていたのは確かだったんです。


『もういいです……どうがんばっても、次の仕事には間に合いませんから』


今となっては全てが後の祭り。
くだらないことで拗ねて、プロデューサーを傷つけてしまった後悔と罪の意識が、謝罪の機会を生むことを拒んでいる。


プロデューサーさんが逃げているんじゃない。

私の心が、プロデューサーさんに近づくことを恐れてるんだ。


ありす「なんて──無様!」

だからどれだけ頑張っても追いつけないし、距離も縮まらない。
都合の良い能力が発動しないのも、疲れないのも、助けが現れないのも、全部、全部全部全部、私が望んでいることなんだ。


ありす「こんなとき、文香さんだったら……」


きっと良い解決方法を思い付くのでしょう。
文香さんだったら、こんなことで悩みさえしないでしょうが。


『私は苺を食べていただけです…ありすちゃんは、なにか勘違いをしているのではありませんか?』


いちごの着ぐるみを着たプロデューサーさんの背を見ながら、先ほどの文香さんの言葉を思い出す。
文香さんは彼をプロデューサーさんではなく、ただのいちごだと認識していた。
そこにどのような意味が込められているかまではわからないけど、この状況を打破するためのヒントとしては上出来だった。


ありす「あれは、プロデューサーさんなんかじゃない! いちごなんです!!」

プロデューサーさんだと思うから遠ざけてしまうなら、無理矢理違うものだと思い込んでしまえばいい。
そう、いちごが走るわけがないんです。


ありす「いちご狩りのシーズンには早過ぎますが……この際、気にしてられません! 人間サイズのいちご──どんな味がするのか試食させてもらいます!!」

P「おい、待て待て待て! ありす、お前目が血走ってるぞ! 担当プロデューサーとして言わせてもらうがな、それ──アイドルがしていい表情じゃないぞ!」

ありす「いちごは喋りません! いちごは喋りません! いちごは喋りません!」

P「壊れたペッパー君か、お前は!」

ありす「これだけ大きければ、ジャム、ピューレ、ペースト、ソース、アイス、シャーベット、保存用、食事用、贈答用までオールコンプリート間違いなしです!」


彼をいちごだと思い込むのは、あながち間違いではなかったようです。
段々と距離は縮まり、次第にプロデューサーさん、いえ──等身大のいちごさんは速度を落としていきました。

ありす「捕まえました! もう離しませんからね!」

P「はあ、はあっ……中々やるじゃないか、スイーツタチバナ」

ありす「子どもだと思って侮ったのが、運の尽きです。食欲は人の三大欲求の一つ──嫌な記憶の上書きくらい、わけありませんから」

P「なるほど……道理で途中から足が動かなくなるわけだ。子ども一人まくぐらい朝飯前だと思っていたんだが、どうやら読みが甘かったらしい──スイーツだけに」

ありす「……ていっ!」

P「いてっ……痛いじゃないか」

ありす「苦労をかけさせた罰です」

P「自分で自分をはたくなんて、どうかしてるぜ」

ありす「わかってます……だから、これは自分への罰です。あなたは私、私はあなた──この世界にいる人は、みんな同じです」

P「わかってるなら、いいんだ。なら、これからどうすればいいかもわかるよな」

ありす「…………はい」

この世界から抜け出すには、やり残しがないようにしなくちゃいけない。
だから、プロデューサーさんにも謝らないといけない。
もちろん、お別れだってしないといけない。
どれだけつらくても、どれだけ寂しくても、逃げちゃダメなんだ。


P「元気がないな。お前らしくもない……もっとツンツンして、背伸びしたっていいんだぞ。お前はまだ子どもなんだから」

ありす「そのせいで、私はあなたを傷つけました」

P「大したことないさ。現実の俺だって言ってただろ『気にしてない、心配しなくていい』ってさ」

ありす「ホントは、深く傷ついていたかもしれません」

P「傷つかない人なんかいるのかよ」

ありす「傷つくのは、痛いことです。痛いのや、つらいのは少ない方がいいと思いませんか」

P「そりゃあ、嫌なことは極力少ない方がいい。でもな、傷がつくのも痛いのも悪いことばかりじゃないさ」

ありす「……何故です?」

P「傷も痛みも、生きてる証だからだよ。死人は傷つけられようが、痛みを訴えることはないだろ? そういう意味じゃあ、上手いことできてるさ」

ありす「なら、傷つけた側が相手の苦しんでいるところを見てしまったとしたら?」

P「そんなもの一つしかないだろ」


当たり前のことを聞くなといった態度で、私の両肩に触れながら、同じ高さまでしゃがみ込んで視線を合わせ、プロデューサーさんは言いました。


P「ごめんなさいって、謝ればいい。相手が許すか許さないかなんて、後から向こうが勝手に決めることだ」

ありす「あなたなら、そう言うと思いました」

P「信用されてるみたいで羨ましいよ」

ありす「ええ、私の中にいるプロデューサーさんは現実と何一つ変わりません」

P「……そうかい。じゃあ、早いとこ終わりにしよう。今のお前なら、目が覚めてこの夢の中での出来事を忘れてしまっても、迷うことはないさ」

プロデューサーさんは立ち上がり、こちらを見つめてきた。
私もまけじと、真っ直ぐ見つめる。
今はまだ、届かないけど。いつか大きくなったら、彼のハートに火を点けられるような素敵な女性になりますから。


ありす「ごめんなさい、それとありがとうございました」


自分の気持ちが伝わるよう、深々と頭を下げる。


P「いいお辞儀だな、ありす」


やたらと嬉しそうにはにかむプロデューサーさんは、さらさらと砂みたいに消えていく。

ありす「目が覚めて、あなたに会ったら……今度こそ、ちゃんと謝りますから!」

P「ああ、楽しみにしてる」

ありす「もうワガママを言って困らせたりしないって、約束しますから!」

P「………………」

ありす「だから……だから……」

P「泣きそうな顔するなよ、美人が台無しだぞ」


さらさらと崩れ落ちていくプロデューサーを抱きしめると、彼も優しく抱き返してくれた。


ありす「だから──これからも傍にいてください」

返事はなかった。
ただ、彼の手が私の頭を撫でる感触だけがあった。
充分にその感触を味わった後、胸の中から離れ、大きく背伸びをする。
普段なら届かない距離だけど、足元から段々と縮んでいる今なら届く。

彼の顔にそっと手を添え、頬に軽くキスをした。

初めてのキスはいちごの味がした。


ありす「白雪姫なら、これで目が覚めますね」


プロデューサーさんは一言も返事をしてはくれなかった。
それどころか、表情さえ読めない。
荒野は白一色に染まり、やがて景色にはモノクロテレビみたいな砂嵐がかかり、なにも見えなくなっていく。
ブレーカーの電源が落ちるように、意識が一気に消失していく。
最後に、お別れの言葉だけでも、言わないと。


ありす「さようなら、私の中にいるありす。また、夢で逢いましょう」


ぶつんと、世界が消える。
五感が消え去る直前、誰かが私の名前を呼んだ気がした。

~事務所~


ありす「どうです、まるで夢物語みたいでしょう」


起承転結に至るまでを話し終えて、文香さんは満足気に頷いた。


文香「…とても、素敵な夢ですね。可能であるなら…私も見てみたいものです」

ありす「あまりオススメはしませんけどね」

文香「……どうして?」

ありす「自分で自分を慰めているみたいで、なんだかとても恥ずかしい気持ちになるからですよ」


私の言葉を噛みしめるよう、僅かに間を置いて、文香さんは薄く微笑んだ。

文香「…ありすちゃんは知っていますか? 人は睡眠を取ることで、脳の情報整理を行っているそうです…」

ありす「それが、なにか?」

文香「情報整理というのは、つまり…記憶や感情の処理のこと…その情報処理に伴ったノイズが、私たちが見る『夢』なんです」

ありす「へえ……じゃあ、はっきりと記憶に残るような夢は、処理しきれなかった記憶や感情の残滓、ということでしょうか」

文香「…そう考えている方も多いようです。ですが、こうも考えられませんか? 処理したくないから、忘れたくないから……脳に鮮明に焼き付ける為に、自分の体が映像として夢を見せている……夢は心の射影機なのだと…」

ありす「すごく、ロマンチックな考え方ですね」

そう言って、私は昨日の夢を思い出す。
忘れたくても忘れられない、私の中にある私を巡る一連の出来事。
あの夢のおかげで、プロデューサーにきちんと謝ることができたのだから、きっと感謝すべきなんだろう。
まあ、腹を括ってしまえば意外と簡単ではあったのですが。
たったこれだけのことかと、拍子抜けしてしまうような内容だったのですが。

それでも。

あるとないでは天と地ほど違う。
昨日の私ではできなかったことが、今の私にはできる。
だってほら、彼から目を逸らさずに楽しくお喋りだってできるんだから。


文香「……ロマンを語るのは、嫌いですか?」

ありす「いいえ、嫌いじゃないです」

文香「それは良かった…では、時間もあることですし、もう少しだけ気恥ずかしいお話をしましょう…」

ひっそりと、だけど確実に届く澄んだ声で、文香さんは語り出した。
内容は、つい最近見た夢の話。
私に負けず劣らずの恥ずかしい夢物語だったけれど、何故か聞き入ってしまった。
時間が経つのも忘れ、夢中で耳を傾けていたせいか喉が渇いてきた。

近くに置いてあったコンビニ袋の中から、期間限定と銘打たれたいちご牛乳を取り出し、ストローを刺して飲み始める。

彼が買ってくれたいちご牛乳は、あの夢と同じ味がした。

終わりです
ありがとうございました

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