――羽丘女子学園 中庭――
美竹蘭(友達とはどういうものだったか)
蘭(きっとそれはどうでもいいことで笑い合えたり、お互いのことをよく知っていて、突然のお願いとかも簡単に了承できるとか、そういう関係だと思う)
蘭(気の置けない仲で、だからこそたまにぶつかり合ったりして、でもすぐに仲直りして、また笑い合える。一種の信頼関係だろう)
蘭(少なくともあたしはそう考えている)
蘭(ただ、今目の前にいる人物とはそういう関係ではないと思うから、あたしに放たれた言葉がすんなりと頭に入ってこなかった)
湊友希那「聞こえなかったかしら? バンドをやらないか、と言ったのよ」
蘭「いや、聞こえてますよ。聞こえた上で思ってるんです。『何言ってるんだこの人』って」
友希那「あら、随分な言葉ね」
蘭(湊さんはそう言うと、『やれやれ』というニュアンスの入ったため息を吐きだしていた)
蘭「大体、バンドをやらないかって……もうやってるじゃん、あたしも湊さんも」
友希那「そうね」
蘭「そうねって……」
蘭(明らかに言葉足らずな返事に少しだけいらつく。アフターグロウのみんなならその言葉だけで大体のことは伝わるし、それなりに付き合いがある友達なら何となく意図が汲めないこともない)
蘭(ただ、もう一度言うけれど、湊さんとはそういう関係ではない。だからあたしに何が言いたいのかさっぱり分からなかった)
蘭「わざわざ中庭にまで呼び出して、話はそれだけですか?」
友希那「そうよ」
蘭「分かりました。それじゃ、あたしはもう教室に戻りますので」
友希那「まだ返事をもらってないわよ」
蘭「察してくださいよ。あたしはやりませんからね」
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今井リサ「あ、いたいた。おーい友希那~!」
蘭(踵を返し、とっとと教室に戻ろうとしたあたしの耳にリサさんの声が届く)
蘭(湊さんのことは正直どうでもよかったけど、リサさんには色々とお世話になっている部分もあった。流石に挨拶の1つくらいはした方がいいだろう)
蘭(そう思い、動かしかけた足を止める)
友希那「リサ、遅かったわね」
リサ「友希那が早すぎるんだってば。待っててって言ったのにさっさと先に行っちゃうし」
友希那「……そうだったかしら」
蘭「こんにちは、リサさん」
リサ「うん、こんにちは、蘭」
蘭「それじゃ、あたしはこれで」
友希那「待ちなさい」
蘭「……まだなにかあるんですか。やらないですよ、あたしは」
リサ「あれ、もう友希那から話聞いたの?」
蘭「ええ。話ってほど話じゃありませんけど、出会い頭に『バンドやらない?』とか言われました」
リサ「……それだけ?」
蘭「はい」
リサ「はぁー……」
蘭(あたしの言葉を聞くと、リサさんは大きくため息を吐き出した)
リサ「友希那、流石にそれだけじゃなんも伝わらないって」
友希那「最終的には同じことじゃない」
リサ「いやいやいや……あー、ごめんね、蘭。友希那が言葉足らずで」
蘭「いえ……」
リサ「えーっとね、まだ時間ある? あれば、理由だけでも聞いてくれないかな」
蘭「……まぁ、それくらいであれば」
リサ「うん、ありがと」
蘭(そう言ってリサさんはニコリと笑う。相変わらず、パッと見た外見と反したとても優しい笑顔だった)
リサ「バンドをやらないかってのは友希那に言われたんだよね? で、その理由なんだけどさ……ウチの紗夜がね、最近自分のギターが伸び悩んでる気がしてて、花女の方でバンド組んでみるって話になってるんだ」
蘭「はぁ。それとバンドを組もうっていうのに何の関係が?」
リサ「それはね――」
友希那「紗夜のためよ」
蘭(言いかけたリサさんに被せるように、湊さんが口を開く)
友希那「いつもとは違うバンドを組んで演奏をして、そこで自分の音というものがどんなに良くなっているかを実感してほしいの」
友希那「でも、ライブハウスでただ演奏するんじゃつまらないでしょう?」
友希那「折角の機会だもの。私もいつもと違うメンバーとバンドを組んで、それに真っ向からぶつかりたいのよ。いわば対バン、ね」
リサ「……そういう感じなんだ。ホントごめんね、友希那が言葉足らずで……」
リサ「それで、蘭に協力してもらえないかなって、お願いに来たんだ」
蘭(リサさんは申し訳なさそうに言葉を続ける。どうしてか不遜な態度でいる湊さんとはずいぶん対照的だ)
蘭「話は分かりましたけど……どうしてあたし? ギターなら、羽丘には日菜さんや瀬田先輩がいるじゃん」
蘭「紗夜さん相手に対バンするっていうなら、なおのこと日菜さんを誘えばいいじゃないですか」
友希那「いえ、あなたはギターボーカルよ」
蘭「は? 湊さんと一緒に歌うんですか?」
友希那「いいえ。私はキーボードを弾くわ」
蘭「……はぁ?」
友希那「ロゼリアで作曲をしているのは私よ。ギターやキーボードならちゃんと弾けるわ」
蘭(あたしの疑問の声に少し的を外した言葉が返ってきた)
リサ「ええっとね、友希那、たまには楽器を演奏する立場でステージに立ってみたいんだって。それでさ、そうすると普段からボーカルしてるのって、羽丘だと蘭だけじゃん?」
リサ「だからさ、ロゼリアの都合に巻き込んじゃって本当に申し訳ないんだけど、アタシたちを手伝ってくれないかなって思ってるんだ」
蘭「……なるほど」
蘭(話は分かった。しかしそれなら最初からリサさんが来ればもっとすんなりと話が伝わったと思う)
蘭(……まぁ、さっきの会話からして湊さんが1人で勝手に先走ったんだろうけど)
リサ「あ、もちろん都合が悪いなら全然、断ってもへーきだからね。ウチの都合でお願いしてることだからさ、アフターグロウの活動もあるだろうし」
友希那「でも、あなたにとっても悪い話ではないと思うわよ?」
蘭「どうしてですか」
友希那「アフターグロウ以外の人とバンドを組んだことはないでしょう? いつもは背中を向けて、あるいは隣に並んで、同じ方向を見ている。それはそれでとても良いことだと思うわ」
友希那「でも……たまにはステージと観客席、そこで向き合うことも大事なことだと思うの。そうやって歌うことでしか伝わらないものだってきっとあるわ」
蘭「……そうですか」
蘭(その言葉を聞いて、私は今度こそ踵を返す)
蘭「少し考えさせてください」
友希那「ええ。良い返事を期待しているわ」
蘭(肩越しに返した言葉に、湊さんはどこか挑戦的な目をして頷いていた)
……………………
蘭(教室に戻り、あたしは自分の机に頬杖をついて、なんとはなしに窓の外に広がる景色を眺める)
蘭(空は高く澄んでいた。4月初めの青白い光が惜しみなく降り注いでいて、それに照らされた新緑と散りかけの桜が色鮮やかに輝いている)
蘭(誰もが好む朗らかな春の一幕……だろう)
蘭(だけど、あたしは春が嫌いだった)
蘭(出会いと別れの季節、なんて言われているけど、あたしにとって春は別れの季節だからだ)
蘭(中学生の時の、幼馴染のみんなとクラスが分かれた思い出を脳内に呼び起こす。すると胸の中にはなんとも言えない切ない感情が去来する)
蘭(あの頃はとにかく月曜日が嫌いだった。学校なんて息苦しくて仕方なかった)
蘭(桜は散るから美しいだとか、儚いものに人は惹かれるだとか、そんな言葉も嫌いだった)
蘭「……今年も、か」
蘭(クラス分けの掲示板を5人で見た、1週間ほど前のことを思い出す。アフターグロウのみんなの名前が載っている場所に、今年もあたしの名前は載っていなかった)
蘭(あたしは諦観と未練とが混じった曖昧な笑顔を浮かべていたような気がする)
蘭(仕方ないことだからと割り切ろうとして、でもやっぱりみんなと同じが良かったな、なんて口には出さない気持ち)
蘭(それを察しているのかいないのか、いつも通りモカがよく分からない絡み方をしてきて、ひまりとつぐみが不器用に励ましてくれて、巴が暑苦しいとも表現されるような言葉をくれた)
蘭(その姿を見るたびに思う)
蘭(みんなは大人だ。そして、心配されているあたしはそれに比べて幾分か子供だ)
蘭(家のこととか、そういうことには少し真面目に向き合えるようにはなった。前向きに考えていこうと思えるようになった)
蘭(パステルパレットに楽曲を提供した経験のおかげで、世界の広さを知って成長出来たんだと思えるようになった)
蘭(だけどみんなと離れ離れになるのは嫌なままだった。これだけは中学生の時から何も変わっていない)
蘭(だからあたしは春になるといつも戸惑うんだ)
蘭(……変わっていく。季節も、街も、流行りの歌も)
蘭(みんなも大人になっていく。私はそれに取り残されているんじゃないか。そんな気持ちになって、どうしようもなく落ち着かない)
蘭(『いつも通り』)
蘭(あたしたちの『いつも通り』が永遠に続けばいいのに)
蘭(冬を越してカレンダーをめくるたびにあたしはそう思って、でも季節は次々に過ぎていって、あたしはまた1つ歳を重ねた)
蘭(中身は大人になんて一向にならないのに、ただの子供のままであるのに、世間からはまた1つ大人になったんだと決めつけられるんだ)
蘭(気付けばもう結婚だって出来る歳で、あと3年経てばお酒も飲めるようになる)
蘭(でも……あたしはいつまでも寂しがりを抱えた14歳のままだ)
蘭(そして14歳の小さな心が大きくなる身体とどんどん乖離していく)
蘭(その心と身体の隙間を吹きぬける春の風に、行き場のない寂寥感と焦燥感が煽られる。まるで世界に独りぼっちでいるみたいな気持ちになる)
蘭(あたしは……どこか空っぽだ)
――キーンコーンカーンコーン
蘭「……なんて、何考えてんだろ」
蘭(チャイムの音であたしは現実に引き戻される。いささか自嘲的すぎる思考に苦笑いが浮かぶ)
蘭(少し頭を振ってセンチメンタルな物思いを頭から追い出した。それから先ほどの湊さんの誘いについて考える)
蘭「向き合うことでしか伝えられないこと……ね」
蘭(ずいぶんと詩的な言葉を吐くものだ、と胸中で悪態をついて、それから自分も人のことを言えたものじゃないかと思い直す)
蘭(確かにアフターグロウのみんなとはずっと同じ方向を向いていた。何度か喧嘩をすることはあったけど、ステージでは常に同じ方を見て、肩を並べて進んでいた)
蘭(でもそれだけでお互いのことは分かり合えているはずだし、今さら改めて向き合うことなどあるだろうか)
蘭(そう考えているうちに次の授業の担当教師が教室にやってきた。日直の生真面目な号令が響く。それを合図に退屈な授業が始まりを告げる)
蘭(教科書の92ページを開いてください、という声。紙と紙の擦れる音。クラスメイトのささめき合い)
蘭(全ての雑音が窓の外を眺めるあたしの耳を通り抜けていく)
蘭(湊さんからの誘いについて考えようとしていたけど、気付けばさっき追い出したはずのセンチメンタルな物思いが脳内で何度も反芻されていた。急かされるようにそれの置き場所がないかと探してしまっている)
蘭(薄いガラスを隔てて眼前に広がる空。あのどこかにこの気持ちを置いておけないだろうか)
蘭(そんな現実逃避をするけど、空はただ青々としているだけで、まだまだ夕景にはほど遠い)
蘭(ふと浮かんだその思考が胸につっかえ、あたしの心は浮つくばかりだった)
……………………
蘭「……はぁ」
蘭(何も変わり映えのしない授業は淡々と進んでいき、気が付けばお昼休みだった)
蘭(なんだか食欲がない。あたしは屋上に足を運んで、遮るものが何もないだだっ広い空へため息を吐き出した)
蘭(馬鹿と煙は高いところが好き。よく聞く言葉だ)
蘭(今日は三寒四温の季節の三寒に当たるような日だった。天気こそいいが肌寒く、吹き抜ける風にはまだ冬の名残りがある)
蘭(……確かにこんな日にこんな場所に来るのは馬鹿しかいない、か)
青葉モカ「お~、不良娘はっけ~ん」
蘭(背中からの気の抜けた声。それを聞いて、『類は友を呼ぶ』って言葉もあるな、なんて思う)
蘭「別に、今は昼休みじゃん。不良でもなんでもないよ」
モカ「ん~、それもそっかー」
蘭(手にビニール袋を下げたモカはそう言って隣までやってくる。そしてあたしと同じように、この屋上を取り囲む手すりに寄りかかる)
蘭「…………」
モカ「…………」
蘭(モカは何も喋らない。あたしも特に何も喋らず、空を泳ぐ白い雲をただ眺める)
蘭(その接し方に、やっぱりモカはモカなんだ、と思う)
蘭(あたしは何か言葉が欲しい訳じゃなかった。ただふわふわとした曖昧な輪郭の寂しさを持て余しているだけだった)
蘭(だから、ただこうして隣にいてくれることが嬉しい)
蘭(あたしのことを分かっていてくれるのが嬉しい)
蘭(……絶対に口にはしないけど、そんなことを思う)
モカ「今日はちょーっと寒いけど、天気がいいねぇ」
蘭「そうだね」
蘭(しばらく2人で黙って空を眺めていると、不意にモカが口を開く。あたしはそれに気の抜けた相づちを返す)
モカ「こんな日に蘭が屋上にいると、今年も春が来たんだな~ってあたしは思うよ~」
蘭「なにそれ」
モカ「日向ぼっこ、好きじゃ~ん?」
蘭「嫌いじゃないけど」
モカ「あと中学の時のサボり~」
蘭「まぁ……そんなこともあったね」
モカ「何か悩みごと?」
蘭「……別に」
モカ「ふ~ん」
蘭(脈絡のない言葉に何も考えていないような相づち。気遣っているんだかいないんだか判断に少し迷いそうなその空気が、あたしの中の形容しがたい重い感情を溶かしていく)
蘭(本当にあたしはみんなに思われてばかりだ)
蘭(そんな自分が少し情けなくも思えるけど、その厚意に甘えたいという気持ちもある)
蘭(やっぱりあたしはみんなに比べて少し子供だった)
蘭(モカに吐き出すには少し気恥しい感情の逃げ場を探して、遠くに立ち並ぶビル群へ視線を移す)
蘭(……あと数年もしたら、きっとみんなああいうところで働くんだろう)
蘭(そんなことが頭によぎって、途方もない気持ちになった)
モカ「あ~、なんだかお腹減ったな~」
蘭(そんなあたしの隣で、モカは空を見上げたままいつものマイペースな声で呟く)
モカ「蘭~、一緒にパン食べない? 天気がいいし、外で食べたら美味しいだろうな~って買いすぎちゃったんだよねぇ~」
蘭(途方もない気持ちだからこそ、そんなモカの声が胸に染みいる。胸の内にぽっかりと空いた寂しさのクレーターをやんわりと埋めてくれる)
蘭(そしてその代わりに少しお腹が減ってきた)
蘭「……うん、食べる」
蘭(頷きながら思う)
蘭(さっき教室で考えたことも、今こうして考えていることも、きっとあたしの考えすぎなことなんだろう、と)
蘭(どうなったってモカはモカのままで、アフターグロウのみんなもアフターグロウのみんなのまま)
蘭(あたしがみんなのことを大切に思い続けるように、みんなもこの『いつも通り』を大切に思い続ける)
蘭(あの中学の頃のように誰かが挫けてうずくまるのなら、歩きだせるようになるまでずっと隣にいてくれるんだ)
蘭(1人でごちゃごちゃ考えていることよりもそれはずっと確かなものに思えた)
モカ「ふっふっふ~、今度10倍にして返してもらおーっと」
蘭「はいはい、やまぶきベーカリーのパンでも買うよ」
モカ「さっすが蘭、話が分かる~。じゃー、はいこれ、どーぞ~」
蘭(そしてモカはあたしの顔を見て笑顔でパンを差し出してくる。それを受け取りながら思う)
蘭(湊さんの話を受けてみようか、と)
……………………
――放課後――
友希那「あなたならそう言ってくれると信じていたわ」
蘭(放課後、湊さんの教室まで足を運んでバンドの件を了承すると、彼女はそんなことを言って1つ頷いた)
蘭「他のメンバーはもう決まってるんですか」
友希那「大丈夫、抜かりはないわ。ちゃんとリサにギターとドラムを探してきてくれないかと頼んであるわ」
蘭「…………」
蘭(それはリサさんに全部丸投げしたっていうんじゃないだろうか)
友希那「……なにかしら?」
蘭「いえ、別に」
友希那「そう」
リサ「友希那ー、メンバー探して来たよー」
蘭(湊さんが短く言うのとほぼ同時に、リサさんが教室に入ってくる。その後ろには2つの人影があった)
友希那「ありがとう、リサ。いつも助かるわ」
リサ「どういたしまして。友希那の頼みだからね~、これくらいいつでもやるよ」
友希那「それで、その2人が誘ったメンバーね?」
瀬田薫「ああ、その通りだよ。お姫様からの頼みは断れないからね」
大和麻弥「え、え? 薫さん……ジブン、何も話聞いてないですよ?」
蘭(リサさんについて教室へ入ってきた麻弥さんは慌てたように薫さんに声をかけていた)
薫「おや、話していなかったかい? リサにバンドを組んでくれないかと話を持ちかけられてね……困っているお姫様は見過ごせないでだろう?」
麻弥「え、えぇ!? バンドを組むって……この5人でですか!?」
薫「その通り。シェイクスピアもこう言っている。『運命とは、最もふさわしい場所へと、貴方の魂を運ぶのだ』と。つまりこれも運命さ……」
麻弥「え、えーと……つまりどういうことなんですか、リサさん?」
リサ「あー……薫、『ドラムなら私に伝手があるから任せてほしい』って言ってたけど何も話してなかったんだ……」
蘭(リサさんは少し困ったような顔をした後、中庭であたしにしたのと同じことを麻弥さんに説明した。それを聞き終わり、麻弥さんは神妙な顔をして頷く)
麻弥「な、なるほど……そういうことだったんですね」
薫「そう、つまりそういうことさ」
リサ「薫は何も説明してないじゃん……。で、どうかな。もし麻弥に余裕があるようなら、アタシたちを手伝ってくれない?」
麻弥「そういうことであれば、ジブンは大丈夫ですよ。パスパレの方も今は特別忙しくありませんからね」
リサ「ありがと、助かるよ」
麻弥「いえいえ。ジブンでお役に立てるならなによりです。それに普段と違ったメンバーと演奏するのも新しい発見がありそうですからね」
友希那「話はまとまったわね」
蘭(と、そこで黙ってやり取りを見守っていた湊さんが口を開く)
友希那「リサが言った通り、まず私たちの都合に付き合ってくれてありがとう」
リサ「ありがとね、みんな」
友希那「説明した通り、このバンドの目的は紗夜が組むであろう花咲川のバンドとの対バンをすることよ」
友希那「短い期間のバンドではあるけど、妥協をするつもりはないわ。やるからには頂点を目指すつもりでやるわよ」
薫「ああ、任せてくれたまえ。会場中の子猫ちゃんの視線を奪って見せるよ」
麻弥「精一杯頑張りますね」
蘭「まぁ、やるからにはしっかりやるよ」
友希那「では、まず演奏する曲を決めましょうか。何か希望はあるかしら?」
リサ「アタシは特にないかなぁ」
薫「私もだね。みんなのやりたい曲にするといい」
麻弥「ジブンも……ですかね」
友希那「美竹さんは?」
蘭「あたしは……ない訳じゃないけど」
友希那「じゃあそれにしましょう」
蘭「いいんですか、曲も聞かずにそんなことを言って」
友希那「このバンドのボーカル……いわば主役はあなただもの。あなたがやりたいと望む曲をやるのがきっと1番いいわ」
蘭「……分かりました」
麻弥「あれ、湊さんがボーカルじゃないんですか?」
友希那「私はキーボードよ、大和さん。たまには楽器を持って、リサと同じ目線でステージに立ちたいのよ」
リサ「友希那……そんな風に考えてくれてたんだ……」
薫「ふふ、美しい友情だね。儚い……」
蘭(そんな風に話をする上級生4人を眺めつつ、あたしは脳裏に1つの楽曲を思い起こす)
蘭(……モカの買った漫画雑誌を読んでいた時に目についた話があった)
蘭(登場人物の小難しいセリフの中に、懐かしさとあの頃の痛みを思い出して、それが頭から離れなかった)
蘭(その話のための楽曲だった)
蘭(……湊さんの誘い文句じゃないけど、同じ方向を見るんじゃなくみんなと向かい合って歌うのなら、それを歌いたかった)
友希那「さて、曲も決まったことだし早速練習……といきたいところだけど、今日のところはこれまでね」
リサ「そうだね。みんなの予定もあるだろうし、スタジオで合わせるのは少し先になっちゃうかな」
蘭「分かりました。じゃあ、今日はあたしがやりたい曲だけでも教えておきます」
蘭(そう言って、スマートフォンをみんなの前に差し出す。そして画面をタップして、希望の楽曲を再生させた)
蘭「……一応聞きますけど、この曲でいいですか?」
友希那「ええ、いいと思うわよ」
リサ「うん、オッケーだよ」
薫「異論はないよ。とても儚い曲だね」
麻弥「薫さん、何を表現するのにも儚いとしか言わないじゃないですか……。あ、ジブンも大丈夫ですよ」
蘭「ありがとうございます」
蘭(全員が頷くのを見て、あたしも1つ頷く)
蘭(アフターグロウのメンバーがまったくいない中で、誰かと本格的な演奏をするのは初めてのことだった)
蘭(正直に言えば少しの抵抗と違和感がある。だけど新しいことに挑戦するのは悪いものじゃないっていうのはもう知っている)
蘭(だから、少し頑張ってみようと思う)
――――――――――
―――――――
――――
……
――美竹家 蘭の部屋――
蘭(湊さんに誘われたバンドを結成してから3日が経った)
蘭(あれからあたしはずっと、あたしがやりたいと提案した曲を練習している)
蘭(アフターグロウのみんなに対して、「ちょっと湊さんに誘われたバンドを手伝う」と伝えたら、今はそっちに集中して大丈夫だと言われたからだった)
蘭(その時のみんなの反応を思い起こす。……なんていうか、旅立つ我が子を見守るような表情だった気がしないでもない)
蘭(モカはなんか嬉しそうに笑いながら茶化してきて、ひまりとつぐみはちょっと心配そうな顔をしていた。巴は「蘭の決めたことだからな。しっかり頑張るんだぞ」なんてまるで父さんみたいなセリフまでくれた)
蘭「……子共扱いしすぎ」
蘭(なんて呟くものの、そう思われてしまうのも仕方のない部分があるかもしれなかった。昔からいつもみんなに心配をかけているのはあたしだったんだし)
蘭(その自覚はある。自分が素直じゃない性格をしているという自覚も……一応ある)
蘭(あたしはみんなの気持ちが嬉しいのに、決まって視線を逸らしてしまう)
蘭(モカといつかに話したことを思い出す。中2の時のみんなへの感謝の気持ち)
蘭(「それをみんなにも言えば喜ぶよ?」というようなことをCiRCLEのカフェテリアで言われた。それに返した言葉は「そのうちね」だったと思う)
蘭「ありがとう……ね」
蘭(確かにこの言葉はみんなにもっと素直に伝えたい気持ちだ。でも、今さらあの頃の気持ちを吐き出すのは少し気恥しい)
蘭(……やっぱりあたしは天邪鬼な子供だ)
蘭(でも、それでいいじゃないか。素直に言えないから、感謝とは違う形になるかもしれないけど、真正面に向き合って歌いたい。そう思う方がずっとあたしらしい)
蘭「……いつも通りに」
蘭(口に出して、それから自分の膝の上に乗るギターを見る)
蘭(アフターグロウでいつも弾いているエレキギターではなく、アコースティックギターがそこにはあった)
蘭(『こういう曲ならあなたはこっちの方がいいでしょう』……そう言って湊さんが貸してくれたものだ)
蘭(フレットを握り、弦を押さえる。いつもとは違った感触が左手にある。少し手に馴染んできたようにも感じるけど、微細な違和感を完全に拭えることはないだろうし、拭おうとも思わない)
蘭(この違和感はきっと、あたしが『いつも通り』を大事にしている証拠なんだ)
蘭(気ままにでたらめなアルペジオを奏でつつ、3日前の屋上での出来事を思い出す)
蘭(モカと話というほどの話をした訳でもなく、何か特別なことをした訳でもない)
蘭(なんでもない日常の一幕だ)
蘭(でもそれがいつまでも頭に残っていて、思い起こすたびに胸の内が温かくなるような気がした)
蘭(……あたしは、そういう『いつも通り』に数知れず救われてきたんだろう)
蘭「……頑張ろ」
蘭(素直じゃない天邪鬼な子供。みんなと向き合えてはいるけど、もっとまっすぐに、もっとたくさん伝えたい言葉がある)
蘭(これは、それが出来るようになるためのまた新しい1歩だろう)
蘭(慣れないギターと慣れないメンバー。その中でもしっかりみなさんに合わせられるように、あたしは集中してギターの練習に取り組んだ)
――――――――――
―――――――
――――
……
――CiRCLE スタジオ――
蘭(臨時バンドを組んでから1週間が経った今日。初めての音合わせが始まろうとしていた)
蘭(実質リーダーの湊さんは音楽に対してはストイックだ。羽丘から5人で揃ってここへ到着すると、無駄話をするでもなく黙々とスタジオ内で演奏の準備をしていた)
蘭(ある種、傲岸だと思われかねない態度だったけど、それをリサさんがフォローする。ロゼリアでも慣れているんだろう。湊さんとは言葉を交わさず、まるで熟年の夫婦のように目と目で意思疎通が出来ているようだった)
蘭(それに対して瀬田先輩は気障なセリフやどこか間の抜けたおかしな言葉を終始口から吐き出していて、それを麻弥さんがたしなめるという光景を学校からここまでの1時間で7回くらい目にした)
蘭(あの2人にも、2人なりの距離感……というか、信頼があるんだろうと思った)
蘭(……あたしはどうだろう)
蘭(慣れないアコースティックギターを担ぎ、あまり深い関係ではない先輩たちとの演奏)
蘭(疎外感とかそういったものはない。ただ、この中でどう弾いて歌うのが1番いいのか少し悩む部分があった)
友希那「……さて、準備はいいかしらね」
リサ「アタシはオッケーだよ」
薫「ああ、いつでも平気さ」
麻弥「ジブンもッスよ!」
蘭「…………」
リサ「……蘭? どうかした?」
蘭「えっ、あ、いえ。あたしも大丈夫です」
友希那「では、始めましょう」
蘭(そう言って、湊さんはキーボードに指を置き、ゆっくりと鍵盤を叩く。独特なピアノのソロで入るイントロだ)
蘭(それに少し驚く。とても丁寧に、綺麗な指が規則正しく音を刻む。想像していたよりもずっと上手な演奏だった)
蘭(それにベースとドラムが入り、静かな雰囲気のメロディーの中、あたしは少し息を吸って歌詞を歌いだす)
蘭(少しアレンジを入れているけど、この曲はキーボードの音が特徴的な曲だ)
蘭(臨時バンドの中で湊さんとリサさんだけが同じバンドだった。あの2人なら問題なく息が合うだろう。そう思って、あたしはその音を柱と意識して歌う)
蘭(……それが間違った考えではないと思うけど、それでも何かが違う気がしてしまう)
蘭(アフターグロウのみんなの顔が頭にちらつく。モカが隣にいたらどうするだろう。ひまりとつぐみならどう合わせるだろう。巴なら今の音になんて感想を抱くだろう)
蘭(頭によぎる思考はこの場では意味のないものばかり。アフターグロウの音を引きずっているのが分かる。今の音をどうにも受け入れられない。あたしの音とみなさんの音が噛み合わない)
蘭(どの音を軸にすればいいのか。何度も音を合わせていく度にどんどんそれが分からなくなっているような気さえしてきた)
蘭(そのせいで小さなミスも増える)
蘭(手探りで正解を探るけど、どうにも答えにはたどり着けそうにない。それに苛立ちを感じ始めたところで、リサさんの『少し休憩にしよっか』という声がスタジオに響いた)
蘭「……はぁ……」
蘭(あたしはみなさんに一声かけてカフェテリアにまで足を運ぶ。そして空いている席に腰を下ろして重いため息を吐く)
蘭(外の空気を吸えば少しは気持ちが切り替えられるんじゃないか)
蘭(そう思っていたけど、どうだろうか。麗らかな陽気に青々と晴れ渡る空がより一層春だということをあたしに伝えてくる)
蘭(胸中の重たい感情がその陽射しにさらされて、やたら鮮明になるだけだった)
蘭「何やってんだろ、あたし……」
蘭(呟く声は小鳥のさえずりにかき消されるほど頼りない)
蘭(……いつも通りではない音の違和感を消化できない。誰の音を頼って歌えばいいかがまったく分からなくなってしまった)
蘭(それだけあたしがアフターグロウの音を引きずっているということで、みなさんの足を引っ張ってしまっているのを自覚できる)
蘭(ボーカルがそんな迷子の子猫のようになっているんだ。足並みなんて揃うはずがない)
蘭(憎らしい快晴の青空を見上げて思う。あたしはこのバンドで、どう弾いてどう歌うのが正解なんだろうか)
友希那「らしくないわね、美竹さん」
蘭「湊さん……」
蘭(それを整理しようとして余計に散らかり始めた思考が現実に引き戻される。視線を落とすと、いつの間にか湊さんがあたしの対面の席に座っていた)
友希那「本当に凡ミスとしか言いようがないミスばかりしていたわ」
蘭「…………」
蘭(その指摘は至極真っ当だろう。真っ当だからこそ、その言葉を聞いて心が少しささくれ立つ。それを悟られまいとあたしはそっぽを向いた)
友希那「そんなに怖い顔をしないでほしいわね。別に咎めている訳じゃないわよ」
蘭(しかし湊さんはそれも見透かしたような口ぶりだ。憮然とした気持ちの逃げ場に先回りされたような気分だ)
蘭「……そうですか」
友希那「ええ」
蘭「…………」
友希那「…………」
蘭(それから少しだけ、あたしたちの間に無言の空気が流れる。湊さんは何を言いたいんだろうか。考えてから、再び彼女の顔を見る)
蘭(どこか挑戦的な目でいつもあたしを射抜くその瞳には、今は柔らかいものが混じっていた)
友希那「あなたの思うように弾けばいいし、歌えばいい」
蘭「え?」
友希那「らしくない、と言ったわよね。あなたはいつものように、アフターグロウで歌うようにすればいい」
蘭「……どういう意味ですか」
友希那「そのままの意味よ」
蘭(湊さんはそう言うと顔に穏やかな笑みをたたえる。その優しげな表情が何故だかあたしの癪に障る)
友希那「このバンドの主役はあなただと言ったでしょう? あなたが周りに合わせるんじゃなくて、あなたに周りが合わせるわ」
友希那「後輩は後輩らしく、素直に甘えればいいのよ」
蘭「なんですか、それ」
友希那「私の方があなたよりも先輩だということよ」
蘭(湊さんは席を立つ。言いたいことは全部言った、とでも言いたげな顔で)
蘭「…………」
蘭(あたしはそれを見て思う。やっぱり自分は子供だと。湊さんの優しさに反発を覚えて、この人だってあたしよりも年上なんだって分かってるけど認めたくなくて……だから絶対に、自分の音で見返してやりたいって思う)
蘭(……なるほど、確かにそれが正解なのかもしれなかった)
蘭「……ありがとうございます」
友希那「何か言ったかしら?」
蘭「湊さんに優しくされると調子が狂うって言ったんです」
友希那「そう。それは悪いことをしたわね」
蘭(小さなお礼と憎まれ口。両方ともあたしの本当の気持ちだった。それを聞いた湊さんは少し笑って、さっさとCiRCLEの中へと戻っていく)
蘭(その後ろ姿を見届けてから、もう1度頭の中を整理する。あたしはどう歌うのが正解だろうか)
蘭(……改めてみると考えるまででもなかった)
蘭「らしくない、か。確かにそうだ」
蘭(呟いて席を立つ。胸中に抱えていた重みが軽くなっているような気がした)
……………………
蘭(休憩後の音合わせでは、あたしが思うようにギターを弾いて、歌った)
蘭(湊さんに言われた通りにするのは少し癪ではあったけど、それでもアフターグロウでならこうする、という演奏をした)
蘭(周りの音なんて関係ない。あたしがあたしの音でこのバンドを引っ張る。そんな気持ちの演奏だ)
蘭(結果としてそれが1番しっくりとくるのだった)
蘭(湊さんはもちろん、リサさんもあたしに合わせてくれる。麻弥さんも繊細なストロークでドラムを叩いて、あたしについてきてくれた)
蘭(瀬田先輩は『なるほど、エミールの思想を調べに乗せれば……つまり、そういうことだね』とよく分からないことを言っていたけれど、それでもあたしの歌声に上手く音を乗せて弾いてくれた)
蘭(そうしてみてやっと分かった。全員が誰に合わせればいいのか、どの音を基調にすればいいのか迷っていたんだと)
蘭(それもそうだ。普段は別々のバンドで活動しているんだし、演奏の呼吸なんてそうそう合うものじゃない。なら、主役であるらしいあたしが柱になるのが1番手っ取り早い)
蘭(……湊さんはそれが分かっていたんだろう。悔しいけど、あまり認めたくないけど、音楽に関してだけは本当に頼りになる存在だ)
蘭(そんな初めての音合わせも終わり、あたしたちは揃って家路を辿る)
蘭(西の空には赤い夕陽が沈もうとしていた。いつも見るのと同じような、スタジオ帰りの空だ)
蘭(でも、今日はそれが少し違って見える)
蘭(アフターグロウ。バンドの名前にも選んだ、みんなとの大切ないつも通り。それをみんながいない中で、いつものように見上げている)
蘭(それに対して、切ないというか寂しいというか、明確に表現しがたい変な気持ちになってしまう自分がいた)
薫「どうかしたかい?」
蘭「え……?」
薫「何か悩みを抱えているような、そんな儚い顔をしているよ」
薫「蘭ちゃんには笑顔でいてもらいたいからね……もしも悩みがあるのなら、私に聞かせてくれないかい? 話すだけでも楽になる気持ちだってあるさ」
蘭「いえ、別に……」
蘭(隣を歩く瀬田先輩から歯の浮くようなセリフを投げられる。……正直、この人は少し苦手だ)
蘭(ただ、共にステージに立った巴から話は聞いている。少し変わった人ではあるけれど、とてもいい人だという話は)
薫「そうかい? では、私から1つの言葉を送らせてくれないかい?」
蘭「はぁ」
薫「『物事によいも悪いもない。考え方によって良くも悪くもなる』 ……シェイクスピアの言葉だよ」
蘭(あたしの曖昧な返事を肯定と取ったのか、瀬田先輩はまるで舞台役者のような大仰な身振りで言葉を放つ。……いや、もともとこの人は演劇部の役者か)
蘭(その身振りも板について似合っている。気取ったセリフも、まるで物語の一節を読んでいるかのようにすんなりと、地に足のつかない変な気持ちのあたしの耳に入ってくる)
蘭「どういうことですか?」
薫「まぁ……つまり……そういうことだよ」
蘭(あたしからの言葉に瀬田先輩は気障な笑顔を浮かべて答える。いまいち要領を得ない言葉だった。その様子がおかしくて少し笑ってしまう)
蘭「……瀬田先輩はどうしてリサさんの誘いに乗ったんですか?」
蘭(それにほだされた、という訳ではないけど、あたしは何となく思ったことを口にした。その言葉を聞いた薫さんは少し不思議そうな顔をして口を開く)
薫「『どうして』と言われてもね……。自分の目の前に困っている人がいて、それを助けたいと思う。それに何か特別な理由が必要かい?」
蘭「…………」
蘭(あまりにもシンプルな答えに虚を突かれた思いがした。なんてまっすぐな言葉を真顔で放つんだろうか、この人は)
薫「それでも君が理由を欲するというなら……そうだね。私たちハローハッピーワールドは世界を笑顔にするバンドだからさ」
薫「ふふ、いつ言葉にしても素晴らしい思想だ。こころと出会えたこと、そしてハローハッピーワールドのメンバーと出会えたことはまさに運命だよ。ああ、儚い……」
蘭(その言葉を聞いて思う。きっとそれが……困っている人がいるなら助けて笑顔にしたいっていうのが、瀬田先輩にとっての『いつも通り』なんだと)
蘭(あたしたちが夕陽を見て思うことと同じ。そう考えると納得できた)
薫「あとは……煮物だね」
蘭「……は?」
蘭(納得したところで、次に瀬田先輩の口から出された言葉が意外過ぎて変な声を出してしまう)
薫「リサの作った筑前煮……あれは、とても儚い煮物だった」
薫「一宿一飯の恩は可愛い子犬だって忘れはしないさ。ましてやあんなに素晴らしい煮物をもらったんだ。それに応えるのが礼儀というものだろう」
蘭「なにそれ……」
薫「つまり……そういうことさ」
蘭「はぁ……?」
蘭(淡い初恋の思い出を呼び起こしているかのように恍惚とした顔で頷く瀬田先輩に、あたしは首を傾げるしかなかった)
麻弥「あー、美竹さん……あまり薫さんの言葉は真面目に考えない方が精神的にいいですよ」
蘭(そんなあたしを見兼ねたように、麻弥さんが声をかけてくる)
麻弥「薫さん、根は優しくてとても良い人ですけど……喋る言葉は、なんていうか、こう、フィーリングで感じ取るくらいがちょうどいいですからね」
蘭「……麻弥さんも苦労してるんですね」
麻弥「いえいえ、そんなことはないですよ。薫さんのそういうところは今に始まったことじゃありませんし……もう慣れましたからね」
蘭(放つ言葉は明らかに苦労人のそれだけど、麻弥さんはニコリととても朗らかな笑顔を浮かべていた)
蘭「なんだか楽しそうですね、麻弥さん」
麻弥「そうですか?」
蘭「はい。……パスパレでも大変じゃないですか?」
蘭(周りに変わった人が多くて、とは口に出さず心の中で付け足しておく)
麻弥「まぁ……確かに苦労はありますね。いつも奔放な日菜さんに少し振り回されたり……楽曲提供の時にもお話しましたけど、結成時には色々ありましたし」
麻弥「でもそこで体験したことはジブンの中で大切なものになってますから。最初はこんなジブンなんかがアイドルなんて、って思ってましたけど……みなさんのおかげで、今まで知らなかった素晴らしい世界をたくさん知ることができました」
麻弥「だから、この1年間でいつの間にかにパステルパレットがジブンにとって特別な場所になっていたっていうか、もうみなさん無しの日常は考えられないっていうか……なんて」
麻弥「フヘヘ、言葉にするとちょっと照れくさいですね……」
蘭「……そうなんですね」
蘭(麻弥さんははにかんで、夕陽に照らされた赤い頬を人指し指で小さく掻いた。それを見ながらあたしは考える)
蘭(あたしにとっての――あたしたちにとっての『いつも通り』はいつから特別になっていたんだろうか)
蘭(思い出は数多くある。嬉しかったこと、悲しかったこと、何でもない普通のこと)
蘭(きっかけはどれだっただろうか。やっぱり中2の屋上での出来事だろうか、という気もするけど、それよりももっと前からあったようにも思える)
蘭「……なんでもいいか」
蘭(考えた末に口から漏れ出た呟き。それが答えでいいような気がした)
蘭(多分、『いつも通り』の始まりなんてなんだっていいんだ)
蘭(超能力で空を飛ぶような非日常的なことだって、クラスで席が近いから声をかけるようなありきたりなことだって、なんでもいい)
蘭(そんなものを積み重ねていくうちに、気が付いたら特別になっているものがある。……そういうものなんだろう)
蘭(この黄昏に向かう空だって誰かからすれば平凡なもので、もっと言えば嫌な思い出の象徴かもしれない)
蘭(だけど、あたしにとっては特別で大切なものだ。『いつも通り』の情景にはいつだってこの空があった。瀬田先輩の言葉ではないけど、つまりそういうこと……なんだろう)
蘭(見慣れた街並み。歩き慣れた道。春になる度に、あたしはその中で迷子みたいな気持ちになって、道しるべを探している)
蘭(そんな時に独りぼっちのあたしを救ってくれるのが夕間暮れの思い出だ)
蘭(そして、平凡でありきたりで、何ものにも代えられない大切な思い出を一緒に積み重ねてきたみんなだ)
蘭(別れの季節だから春が嫌い。そう思う気持ちはきっと、ずっと変わらない)
蘭(だって……別れを惜しむのは素晴らしい出会いがあったからだ。そしてたくさんの大切な思い出ができたからだ)
蘭(だからきっと、あたしが春に抱くこの憂鬱な感傷も、捨てることのできない特別で大切なものの一部なんだろう)
蘭(そう考えると、さっきから胸中に抱えていたなんとも言い難い変な気持ちも違うものに変わっていくような気がした)
蘭(それが少し不思議で――でも嫌な感じは全然しなくて、あたしの顔に自然と笑みが浮かぶのだった)
――――――――――
―――――――
――――
……
蘭(いつもと違う場所に身を置いた日々が過ぎていく)
蘭(ライブの日程も決まり、あたしはアフターグロウのみんなにそれを伝えた)
蘭(みんな即答で『絶対に行くよ』と言ってくれた。ひまりに至っては「蘭の勇姿を動画に収めよう! 永久保存版だよ!」とまで言い出したからそれは止めておいた)
蘭(臨時バンドの方も、予定が合う日はスタジオで音を合わせ、曲も段々と完成に近づいていった)
蘭(そんな中、湊さんが『うっかり忘れていたけど、対バンで勝ったらもう1曲演奏する必要があるから曲を増やすわよ』なんてしれっとのたまったのはライブの1週間前のことだった)
蘭(それに少し呆れた。もうちょっとまともな嘘でもつけばいいのに、と)
蘭(今回の対バンのルールを決めたのは湊さんだ。だから最初から2曲演奏する必要があることなんて忘れるはずもない)
蘭(最初から2曲を練習するあたしたちと急にライブのことを伝えられて練習時間が限られてしまう花女のバンド。多分それが不公平だと思って――紗夜さんと正々堂々とぶつかりたくて、そんな風にしらばっくれた言葉を澄ました顔で吐き出したんだろう)
蘭(……まぁ、それがすごく湊さんらしいとは思うけど)
蘭(ともあれ、この羽丘の臨時バンドでもう1つ曲を練習することになった。その曲はリサさんが決めてくれた)
蘭(こちらもアコースティックギターが必要な曲で、しっとりとした曲調のものだった。そちらも並行して練習を重ねていった)
蘭(そんな日々の中で見上げる夕焼け空は、いつも通りで、でもやっぱりいつもと少し違って見えた)
蘭(それに感じる違和感だとか、そういうものは依然として胸の内にある)
蘭(だけどその存在を唾棄すべきものだとは思わない。いつだって、どこだって、いつも通りにあたしはいるだけだ)
蘭(だから今は歌えればいい。あたしが毎年抱える春の憂鬱を消してくれるみんなに向かって)
蘭(ただ、今度のライブで歌うのはあたしの言葉ではない。いわば借り物の言葉だ)
蘭(……いつかはあたしの気持ちを全部、自分の言葉でまっすぐに伝えられればいいな、なんて少し思う)
――――――――――――
――CiRCLE――
蘭(ライブ当日の午後。羽丘女子学園から5人そろって歩いてCiRCLEまでやってきた)
蘭(最初の頃こそ肩を並べることに違和感があった。だけど今となっては意識せずともみなさんと歩調を合わせられて、少しの軽口を叩くくらいには打ち解けられた)
蘭(……いや、それより慣れたって表現の方がしっくりくるかもしれない)
蘭(ともあれ、みなさんとはあたしの『いつも通り』に近い関係になれたのだと思う)
蘭(今日も今日とて瀬田先輩がまたおかしなことを口走って、それを主に麻弥さんがたしなめ、時々あたしとリサさんもツッコミを入れる、なんていうもう見慣れたと言えるやり取りが何度かあった)
蘭(そんなあたしたちをストイックに湊さんは引っ張ってくれている。CiRCLEに到着した今も、ラウンジにあたしたちを待機させて、率先して受付を済ませてくれていた)
友希那「みんな、待たせたわね。さぁ、楽屋に行きましょうか」
薫「ふふ、花咲川のバンドには誰がいるのか楽しみだね」
蘭(受付を終えた湊さんの言葉を受けて、瀬田先輩はいつもの大仰な身振りをする)
蘭(湊さんはお互いのバンドメンバーをリーダー以外明かさないようにしていた)
蘭(理由を聞いたら『そっちの方が楽しみが増えるでしょう?』と悪戯っぽく言われたのを思い出す)
蘭(なんというか、普段の印象とはだいぶ違う茶目っ気のある反応だった。案外いつもの湊さんはああなのかもしれない)
麻弥「そうですね。もしかしたらパスパレのメンバーと対バンするかもって思うと、何だかちょっとワクワクしますね」
薫「普段は共にステージに立つ仲間たちとの対戦があるかもしれないなんて……運命は時に残酷なものだね」
薫「さながら報われない恋に身を投じたロミオとジュリエットのようだ。ああ、儚い……」
麻弥「……もしも相手に千聖さんがいたら……薫さんのついでにジブンにも目を付けられそうでちょっと怖いなぁ……」
蘭(そんな会話を交わしながら、2人は楽屋へ向かっていった。あたしもそれに続こうとしたけど、目の端に少し緊張した面持ちのリサさんが映って、動かしかけた足を止める)
リサ「…………」
友希那「どうしたの、リサ?」
蘭(何か声をかけようか、とあたしが思うより早く、湊さんがそんなリサさんに声をかけた)
リサ「えっ?」
友希那「そんなに緊張してるなんて、最近じゃ珍しいわね」
リサ「あ、あはは……分かる?」
友希那「分かりやすすぎるわ。美竹さんだって気付いているわよ。だから足を止めたんでしょう?」
蘭「……ええ、まぁ」
リサ「あー、そんなにかぁ……」
友希那「何か不安でもあるの?」
リサ「うん、まぁ……ちょっとね。ほら、普段と勝手が違うからさ」
友希那「そうかしら?」
リサ「そうだって。ロゼリアだとさ、なんていうか……もう気にしなくたって息は合うじゃん?」
リサ「でも今日はいつもと全然違うメンバーだし、友希那もキーボードだし……蘭の歌と友希那の演奏にしっかり合わせられるかなって不安がどうしてもね……」
友希那「……ふふ。大丈夫よ、リサ」
蘭(湊さんはリサさんの言葉を聞いて笑顔を浮かべる)
蘭(今まで1度も見たことがない、とても穏やかで優しい笑顔だった)
友希那「私がどうであれ、あなたがどうであれ、何も変わらないわ。リサの隣に私がいて、私の隣にリサがいてくれる。それだけのことよ」
友希那「だから、あなたはいつも通りでいればいい」
友希那「今回の件は第一に紗夜のことを考えてのこと。……だけど、こうして同じステージに立って、いつものリサと一緒に楽器を演奏する。私はそれも楽しみにしていたんだから」
リサ「友希那……」
友希那「美竹さんも、そういういつものリサがいいでしょう?」
蘭(2人の空気を邪魔しちゃ悪いと思って黙っていたけど、湊さんは構わず話を振ってきた。少し迷ってから、あたしは遠慮がちに口を開く)
蘭「……はい。その、短い間ではありますけど……リサさんのベースは安心するっていうか、このバンドの根っこの部分を支えてくれてますから」
蘭「だから、ロゼリアでのいつも通りのリサさんでいてくれれば……あたしはもちろん、きっと麻弥さんも瀬田先輩も助かると思います」
リサ「蘭も……」
友希那「分かったかしら? つまり……そういうことよ、リサ」
蘭(湊さんは少し瀬田先輩に似せた口ぶりで言葉を投げる。今まで瀬田先輩のおかしな発言には一切関わろうとしていなかったけど、少し楽しそうな表情を見るに、その口癖は真似してみたかったんだろう)
蘭(……そんなんでどの口が『私の方があなたよりも先輩だということよ』なんて言うのか)
蘭(そう考えるとおかしくて思わず笑ってしまった)
リサ「ふ、ふふ……そうだね。ありがと、友希那、蘭」
蘭(リサさんも同じようなことを思ったのか、吹き出した笑い声を抑え、湊さんとあたしにお礼を言う)
リサ「よーし、今日も張り切って行こー!」
友希那「それでこそリサよ」
蘭(当の湊さんは元気になったリサさんを見てとても満足そうな顔をして頷いていた)
友希那「さぁ、紗夜が待っているわ。私たちも行きましょう」
リサ「うん!」
蘭「はい」
蘭(湊さんは先導して歩きだす。それにリサさん、あたしと続いて楽屋に向かうのだった)
……………………
――CiRCLE 楽屋――
氷川紗夜「本日はよろしくお願いします、湊さん」
友希那「ええ。お互いに精一杯のもの出しましょう」
蘭(楽屋に入ると、湊さんは真っ先に紗夜さんの元へ向かって握手を交わした)
蘭(あたしは入り口に立ち止まったまま、楽屋の中を見回す)
蘭(花女のバンドは、ギターに紗夜さんは当然として、ギターボーカルに香澄、ベースに北沢さん、ドラムに松原先輩、キーボードにイヴがいるようだった)
蘭(麻弥さんと瀬田先輩は同じバンドの面々と会話をしている。先ほどまであたしと一緒に室内を見回していたリサさんも、今は湊さんと紗夜さんの元へ足を運んで話をしていた)
蘭(当然と言えば当然だけど、ここにはアフターグロウのメンバーはいない。バンドメンバー全員が同じ学校に通ってるのはあたしたちとポッピンパーティーだけだ)
蘭(そうなると必然的に……)
戸山香澄「蘭ちゃーんっ!」
蘭「うわ……っと」
蘭(余りもの同士、という言い方は良くないと思うけど、結果的にそんな感じになっている香澄があたしに絡んでくるのだった)
蘭「香澄……いきなり飛びついてこないでよ。危ないじゃん」
香澄「ごめんごめん! でもさ、みーんな同じバンドの人とお話してるんだもん。だからちょっと寂しいな~って思って!」
香澄「えへへ~、余りもの仲間だねー!」
蘭「…………」
蘭(失礼だろうから言うまいと思った言葉をあっさりと放つ香澄に少し呆れる。ただ、これだけあっけらかんと言われると全然嫌味には聞こえなかった)
蘭「ポピパは香澄だけなんだね」
香澄「うん! はぐに誘われて、有咲にも『一緒にやらない?』って聞いたんだけどね、『氷川先輩と一緒に演奏とか怖いから無理』って断られちゃったんだ~」
蘭「まぁ……その気持ちはちょっと分かるかも」
蘭(ロゼリアの内部事情にはあまり詳しくはないけど、湊さん以上にギターに対してストイックに見える紗夜さんだ。練習もものすごく厳しそうな印象がある)
蘭(だけど、湊さんとリサさんの2人と話している紗夜さんの表情はとても穏やかなものだった)
蘭(それにつぐみが、『勘違いされやすいけど、紗夜さんってすごく優しいんだよ』なんて言ってたし……もしかしたら外部から見た印象と実際の内面は全然違うのかもしれなかった)
蘭「……香澄はどうして紗夜さんに協力しようって思ったの?」
香澄「楽しそうだから!」
香澄「ほら、蘭ちゃんも覚えてるでしょ、ガルパのこと! あの時もすっごく楽しかったし、またこういう風に色んな人とも一緒にライブしたかったんだ~!」
香澄「蘭ちゃんはどうして? やっぱり楽しそうだから?」
蘭(即答して、そのまままくし立てる様に言葉を続けた香澄は、最後にあたしへの質問を投げかけてきた。それに少し考えてから言葉を返す)
蘭「あたしは……みんなに――アフターグロウのみんなに向けて歌いたかったから……かな」
蘭(『向き合って歌うことでしか伝わらないこと』という湊さんの誘い文句を思い起こす)
蘭(改めて考えると、必ずしもそうしないと伝わらないことなんてないとは思う。でも……そういうのはあたしには似合ったやり方だ、とも思う)
蘭「今までステージにはずっと一緒に立っててそんな機会もなかったし……まぁ、たまにはそうやって歌うのもいいかなって思ったんだ」
香澄「あっ、そういえば私もそうだ! ポピパのみんなが一緒にいないのって初めて!」
蘭「……いま気付いたの?」
香澄「うん!」
蘭「はぁ……」
蘭(その反応に思わずため息が出た。後先考えないっていうか、勢いだけで行動してるっていうか、なんというか)
蘭(でもそれがすごく香澄らしかった)
蘭「……なら、香澄もいい機会じゃない? ステージからいつものみんなの顔を見たら、何か新しい発見もあるかもしれないし」
蘭「って、まぁ、あたしもアフターグロウのみんながステージにいないの初めてだからそんなに偉そうなこと言えないんだけど」
香澄「新しい発見かぁ~……うーん、確かにそうかも! えへへ、それじゃあ蘭ちゃんとは余りもの仲間と初めて仲間だねっ!」
蘭「ふふ……そうだね。お互い、いいライブにしよう」
香澄「うん! よーしっ、負けないよ、蘭ちゃんっ」
蘭「あたしたちだって」
紗夜「花咲川のみなさん。そろそろリハーサルを行いますので、こちらへ来てください」
蘭(香澄と頷き、笑い合ったところで紗夜さんの声が楽屋に響く。先攻は花女のバンドだと湊さんが言っていたのを思い出す)
香澄「あ、もうリハーサル! それじゃ、お先っ!」
蘭(香澄は紗夜さんの方へ足を踏み出しつつ、あたしに手を振る。あたしもそれに手を振り返した)
蘭(リハーサル。それが終わればもう開演だ)
蘭(ステージから臨むみんなの顔はどう見えるんだろうか)
蘭(観客席からのあたしはみんなにどう映るんだろうか)
蘭(それが少し楽しみになってきていた)
……………………
――ライブステージ 舞台袖――
蘭(対バンライブが始まって、気付いたら香澄たちの演奏も終わっていた)
蘭(楽屋に戻ってきた花女バンドのみんなと少しだけ言葉を交わして、今度はあたしたちが舞台袖までやってきていた)
蘭(あのステージに出れば、アフターグロウのみんなの顔が見えるだろう。そう思うと不思議な感じがする)
友希那「……さて、ステージの準備も済んだみたいだし、そろそろ行きましょうか」
蘭(湊さんは静かに言葉を放つ)
リサ「オッケー。みんな、頑張ろうね!」
薫「ああ。はぐみと花音の演奏も素晴らしかったからね。私も全力で応えなければいけない」
麻弥「はい! イヴさんもすっごく楽しそうでしたし、ジブンも負けないように思いっきりいきます!」
蘭「誰とだって、どこでだって……あたしはいつも通り、全力でやるだけだよ」
友希那「これ以上の言葉はいらないわね。練習で培ったものをすべて出し切りましょう」
蘭(全員が顔を合わせ、頷き合う。それだけであたしの中に気合が入るのを実感できる)
蘭(そして湊さんが先導し、ステージへ足を進める。あたしはそれに続いていく)
蘭(パッと開けた視界。眩いライトに照らされたステージの中央。道しるべみたいに立っているマイクスタンド。そこがあたしのいつもの場所だ)
蘭(ギターをアンプに繋ぐ。少し弦をかき鳴らしてアンプの調整をして、マイクスタンドの高さもあたしに合わせる。それから少し深呼吸をして、観客席へ目を移す)
蘭(オールスタンディングの観客席、そのやや前方中央。そこにアフターグロウのみんなの顔を見つけた)
蘭(あたしはそれに少し笑ってみせる。みんなも同じように笑顔を返してくる。そして大きな声であたしの名前を呼んだひまりが、『ひーちゃん、うるさい』とモカに注意されていた)
蘭(いつも通りのアフターグロウの一幕だ)
蘭(みんなのその明るさに、優しさに……あたしはどれだけ救われてきただろうか)
蘭(ステージと観客席。距離は近いけど、距離以上に離れて隔たれたあたしとみんな)
蘭(こうして少し離れてみると、本当にしみじみ思う。あたしはいつもみんなに支えられてきたんだと)
蘭(だから、みんなに向かって歌いたい。いつか素直な言葉にして伝えたいことを、今は少しでもいいからそうして伝えたい)
蘭(ステージ上へ振り返る。こっちのみなさんの準備も終わったみたいだ。湊さんがあたしに頷いて見せる)
蘭(『あなたに任せるわよ』とその瞳が言っていた)
蘭(それを確認してから、あたしはステージへ向き直り、マイクスタンドに手を添える)
蘭「……春が嫌い」
蘭(マイクがあたしの声を拾い、会場中に響かせる。少しざわついていた観客の声が小さくなる)
蘭「あたしは、春が嫌い。さっき香澄は『春は出会いと始まりの季節』って言ってたけど……あたしにとって春は別れの季節だから」
蘭「卒業、就職、進学……きっと色んなことで、春には人との別離があるんだ」
蘭「それが悲しくて、苦しくて、寂しい」
蘭「でもそう感じるのは、その人との大切な思い出を積み上げてきたから、だと思う」
蘭「だから……あたしはきっと、ずっと春が嫌いなままなんだ」
蘭「嫌な記憶も、大切な思い出も、絶対にあたしは忘れない」
蘭「永遠なんてないのかもしれない。いつかは終わりが来るのかもしれない。でも、そうだとしても、あたしはこれからも、子供みたいに永遠を望むんだと思う」
蘭「あたしたちの『いつも通り』がずっと続けばいいって、そう思えるくらいに好きな人たちがいるから」
蘭「いつの間にか、自分から切り離すことが出来ないくらい、特別になった人たちがいるから」
蘭「……これはきっとそんな歌だと思います。聞いてください。『月曜日』」
蘭(曲名を呟く。一拍間を置いてから、湊さんのキーボードの音が響く。まるで学校のチャイムのようなそれに心が揺さぶられる。あの日の寂しさが胸中に蘇る)
蘭(そんな気持ちになるからこそ、あたしはみんなにこの歌を届けたい)
「体育倉庫のカビたウレタンの匂い」
「コートラインは僕らを 明確に区分する」
「渡り廊下で鳩が死んでた」
「いつもより余所行きな 教科書の芥川」
「支柱に縛られた街路樹 まるで見せしめの磔」
「好きに枝を伸ばしたいのに 同じ制服窮屈そうに」
「右向け右で左見て 前ならえで列に背を向け」
「救いなのだその幼さが 君だけは大人にならないで」
「月曜日、蹴飛ばしたら ゴミ箱にも嫌われて 転がって潮風に錆びた」
「息苦しいのは ここが生きる場所ではないから」
「僕ら地球外生命かもね」
「好きなこと好きって言うの こんなに難しかったっけ」
「それならば僕は息を止めて潜るよ」
「君の胸の内の深さには 遠く遠く及ばないとしても」
「駅ビルのコンコース 待ちぼうけ」
「ソフトクリーム溶けた 全音符のクラクション」
「近寄る度 多くを知る 知らないことは多いと」
「河川から臨む学区外」
「明日の話はとにかく嫌い 将来の話はもっと嫌い」
「『儚いから綺麗』とか言った 花火が永遠ならよかった」
「見えてるものを見えない振り 知ってることを知らない振り」
「いつの間にそんなに 大人びて笑うようになったのさ」
「月曜日、蹴飛ばしたら 川の水面で水切り 満月を真っ二つ切り裂いた」
「胸が苦しいのは 互いに思うことが伝わるから」
「僕ら超能力者かもね」
「嫌なこと嫌って言うの そんなに自分勝手かな」
「それならば僕は息を止めて潜るよ」
「君の胸の内の深さには 遠く遠く及ばないとしても」
「普通にも当たり前にもなれなかった僕らは せめて特別な人間になりたかった」
「特別な人間にもなれなかった僕らは せめて認め合う人間が必要だった」
「それが君で おそらく僕で」
「ゴミ箱にだってあぶれた僕らで」
「僕にとって君は とっくの昔に」
「特別になってしまったんだよ」
「月曜日、蹴飛ばしたら 大気圏で焼け落ちて 僕の胸に空いたクレーター」
「確かに似た者同士だったけれど 僕ら同じ人間ではないもんな」
「一番怖いのはさよなら それなら約束しよう」
「永遠に別れはないと」
「永遠なんてないと 知って誓った」
「それが愛や友情には 遠く及ばないとしても」
……………………
蘭(ライブは終わった)
蘭(花女のバンドと羽丘のバンド、いつの間にかどっちが勝ったとかそういう話はなくなっていた。会場に揺れる2色のサイリウムが綺麗だった)
蘭(だから、最後はみんなで『クインティプル☆すまいる』を演奏した)
蘭(みんな、とても楽しそうだった)
蘭(感極まった風なリサさんに優しい笑顔で寄り添う湊さんと、それを見て穏やかに笑う紗夜さんがいた)
蘭(弾ける笑顔で演奏する北沢さんとまるで踊るようにギターを奏でる瀬田先輩がいて、それに絡まれた松原先輩が慌てていた)
蘭(麻弥さんは人懐っこい笑顔を浮かべたイヴに抱き着かれてちょっと困っていたけど、あの夕間暮れに照らされた時の笑顔を浮かべていた)
蘭(香澄はやっぱりあたしにべたべたとじゃれついてきたかと思うと、次にはポピパのみんなに向かって手を振ったり、ステージで忙しなくはしゃいでいた)
蘭(そんな様子を見て、モカも、ひまりも、つぐみも、巴も、とても楽しそうに笑っていた)
蘭(きっと、あたしもそういう風に笑っていたと思う)
……………………
――帰り道――
蘭(友達とはどういうものだったか)
蘭(きっとそれはどうでもいいことで笑い合えたり、お互いのことをよく知っていて、突然のお願いとかも簡単に了承できるとか、そういう関係だと思う)
蘭(気の置けない仲で、だからこそたまにぶつかり合ったりして、でもすぐに仲直りして、また笑い合える。一種の信頼関係だろう)
蘭(そして、それは気付かないうちにいつの間にか出来上がっているものなんだろう)
蘭「……ふぅ」
蘭(ライブの片付けが終わったあと、香澄から「ステージに立ったみんなで打ち上げをやろう!」という提案があって、あたしはそれに頷いた)
蘭(その打ち上げも終わり、みんなとも別れた1人の帰り道だった)
蘭(燃えるような夕焼け空を見上げながら、ライブ後のアフターグロウのみんなの反応を思い出す)
蘭(ひまりは、普段つれない我が子が素直になったのを見るような、世話焼きなお母さんみたいな反応をしていた。それからべたべたと引っ付いてきて、嬉しいけど、少しウザかった)
蘭(つぐみは感動した面持ちだった。何故か少し泣きそうな顔をしていた。そういう顔をされるとあたしも泣きそうになるからちょっとやめて欲しかった)
蘭(巴は「燃えたぜ、今日の蘭の歌!」といつものように暑苦しい言葉をくれた。続けて、次のライブが待ち遠しいぜ、なんていつもの気っ風のいい笑顔で言っていた)
蘭(モカは……ニヤニヤしながら「誰が1番特別なのかなぁ~?」なんて言ってきた。だからあたしはそれに「知らない」と顔を背けた)
蘭(その様子にみんながどこか生暖かい表情になっていたのを思い出し、胸の中になんともこそばゆい感情が生まれる)
蘭「まったく……」
蘭(呆れたように吐き出した呟きは斜陽の影へ溶けていく。あたしはなんとなく、空を見上げたまま足を止めた)
蘭「…………」
蘭(いつもの空を1人で眺めているけど、寂しさは感じなかった)
蘭(……夕焼け、落陽、黄昏、夕間暮れ、斜陽、夕景)
蘭(この空をどう表現したって、きっと同じなんだろう)
蘭(アフターグロウのみんなと見上げた空も、湊さんたちと見上げた空も、あたしがこうして見上げる空も……つまるところ、全部同じ)
蘭(どこを切り取ったって、あたしの大切な思い出の1ページだ)
蘭(だから1人であっても独りじゃない。いつだって、笑い合える人たちが同じ空の下のどこかにいる。寂しさを感じないのはそう思えるようになったから……だと思う)
蘭(湊さんたちとも気付けば友達と言って差し支えないような関係になっていた。くだらない冗談を言い合ったり、なんとなく雰囲気で伝えたいことが分かるようになっていた)
蘭(友達が出来るって、きっとそんなものなんだろう)
蘭(そして『そんなもの』の積み重ねこそ、その人がその人である由縁なんだと思う)
蘭(今日までの積み重ねで出来たあたしが、ずっとあたしであるように)
蘭(だからきっと、人は変わらない。成長したって表面が変わるだけで、その人の根本の部分はずっと変わらない)
蘭(アフターグロウのみんなはもちろん、湊さんも、リサさんも、麻弥さんも、瀬田先輩も……きっと変わらない)
蘭(少し前に屋上でモカと話したこと。あの時に思ったこと。それがあたしの中で、ずっと確かな形になったような気がする)
蘭(誰かがうずくまって歩けなくなるなら、歩けるようになるまで傍にいる。それもきっとお互い様なんだろう)
蘭(モカが悩むなら、ひまりが悩むなら、つぐみが悩むなら、巴が悩むなら……あたしは全力でみんなを助けたいと思う。みんなも同じことを考えているだろうことは身を持って知っている)
蘭(だから、あたしはこうやって生きていくんだろう)
蘭(面倒な苦悩も小さな希望も全部抱えて、あたしはあたしのまま、この街で生きていく。これからもきっと、ずっと変わらないみんなと一緒に)
蘭(みんなも……大切な幼馴染のみんなも、バンドを通して巡り合った人たちも、きっとそうしていくんだろう)
蘭(そんなことを思って、あたしは再び歩きだす)
蘭(夕陽を背にしていた。行き先を示す道しるべのように目の前に自分の影が伸びている)
蘭(この影の先には何があるのかな、なんて変なことを考えているうちに、自分の家がある住宅街にまでたどり着いた)
蘭(そして、塀に寄りかかってぼんやりと空を眺める人影を見つけて、あたしは小さく笑ってしまう)
蘭「……なるほど、大した道しるべだね」
蘭(自分の顔に浮かぶ笑みを噛み殺して、努めてなんでもないような澄まし顔を作る。そうして足を進める)
蘭(1歩、2歩、3歩)
蘭(4歩目を踏んだところで、あちらもあたしに気付いたようだ)
蘭(目が合う。そしていつものマイペースな声が投げかけられる)
モカ「やぁー蘭~、奇遇だねぇ~」
蘭(夕陽に照らされたモカ。その顔が嬉しそうに綻ぶ。それを見て、噛み殺したはずの穏やかな笑みが自分の顔に浮かんでいるだろうことを自覚する)
蘭(……まぁ、それも仕方がない)
蘭(どんなに悩んで、苦しんで、迷っても……あたしの帰る場所はいつだってここにあるんだ、と)
蘭(いつも通りのモカを見て、そんなことを考えてしまうのだから)
蘭「そうだね。奇遇だね」
蘭(言葉を返す。あたしの家の近くで待ってたくせに、奇遇も何もあったものじゃないでしょ……そんな野暮な言葉は、今日のところは飲み込む)
蘭(ありきたりな『そんなもの』の積み重ねで出来た『いつも通り』)
蘭(その1ページくらいには、少しだけ素直な顔をした17歳のあたしがいたっていいだろう、なんて)
蘭(いつも通りの天邪鬼なあたしはそう思うのだった)
おわり
氷川紗夜「花咲川でバンドを組む」の羽丘サイドの話でした。
まとまりに欠けた拙い話でしたが、読んで頂きありがとうございました。
お口直しと言ってはなんですが、「月曜日の友達」はとても良い話ですし全2巻とお求めやすいのでおすすめです。
読み終わった、もしくは雰囲気だけでも知りたいという方はYouTubeにamazarashiの公式でUPされている「月曜日」のMVがおすすめです。こちらも良い曲なので是非。
アンコール曲は
花咲川が「ダ・カーポⅢ ~キミにささげる あいのマホウ~」(yozuca*)
羽丘が「逆さまの蝶」(SNoW)で考えていました。どちらも良い曲なので興味があれば聞いてみてください。
HTML化依頼だしてきます。
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