横山奈緒「夕焼けのシャッターチャンス」 (18)
「……ありさのこと、怒ってます?」
カフェのテーブルの、その対面。
目の前に座る彼女はそんなことを言う。緊張と気まずさが顔に薄くにじみ出ていて、それを少しでも逃がすためにか、さっきからずっとアイスコーヒーをストローでかき混ぜていた。
まさか、私が亜利沙のことを嫌うわけないやん。
と、そうやって本心を言ってみれば亜利沙もすぐにいつものようにころころと笑ってくれるんやろうけど……。
今の私はそれを簡単にできるほど冷静じゃないんや。
じと目だけ亜利沙に返して、アイスココアでのどを潤す。甘ったるさは今の私たちとは対照的やな、なんて思った。
すると亜利沙が少しだけど悲しむような表情をして、それを見ている私の胸も痛む。
自分勝手やな、私。
でも、亜利沙だって悪いんやで――――。
数時間前のことを思い返しながら、そんな幼稚な理屈を転がしていた。
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思い返すは昼頃。お天道様も絶好調な頃やな。
今日はレッスンも仕事もない、完全オフの日だったから私も家の中に引きこもっていられず、私は街へ特に目的もなく出かけていた。
最初の方は順調で、チェーン店で昼飯を済ませるのもつまらないと思って個人経営の定食屋に入ってみたりした。
安くて美味くて、当たりやったな。まあ、そんなことを美奈子に言うとむっとされるから言えへんけどな。一番は美奈子やっちゅうに。
そんな休日の外出。
さてそのあとは気軽に観れるB級映画でも借りて帰ろうかと、そんな風に人通りの多い街路を歩いていた時のこと。
『……紬?』
遠くの方からこちらへ向かって歩いてきているのは白石紬。私たちの愛すべき同僚。
彼女は相変わらずの透き通るような、艶のある長髪をしていて人ごみの中でも目立っていた。と言ってもそれ以上に目立つ要因はあったけれど。
紬の行動を一言で描写するんだったら……そうやな。
『迷子やな』
そう、紬は周りの人ごみに置いて行かれるような速度で歩いていて、何より視線が忙しかった。
きょろきょろ、ぐるぐる。
色々な所へ目線を向けていて、けれども収穫は無いようでいつまで経ってもその動作は終わらない。
何を探してるんやろ…………そう思って、視線の先を追ってみる。
スポーツ用品店、甘味処、食料品店、定食屋、甘味処、喫茶店、甘味処、電信柱。…………電信柱?
いや、電信柱はただの電信柱だったんやけど。
おまけが付いてたんや。
気づくと私はその柱のもとへ駆け出していた。
風にそよいで揺れるのは、えぐいカーブのツインテール。アンテナのようにふらふらしとる……紬の視線みたいやな。
背中しか見えないから断言はできないけれど、両手に構えているのはカメラ。
相変わらずやなぁ、と思いつつ私は声をかけた――――私の恋人に。
ついでに、ついさっき買ったばかりのペットボトルを取り出して、
『ひゃああん!? つつ、冷たいですぅ!』
『あーりーさー?』
私の恋人――松田亜利沙は急な刺激に肩を震わせて驚いてだけどカメラを持つ両手はがっちりと固定されていた。流石やな。
私から避けるように千鳥足で距離を取った亜利沙。野良猫みたいや、なんて思ってみたり。
『な、奈緒ちゃんでしたか。誰かと思いましたよ……』
振り返った彼女の姿は一言でいうと、地味。多分人ごみに紛れるためだったりするんやろな。
まあ、漫画の世界みたいに電信柱に身をひそめる奴なんて目立ってしょうがないやろうし、あんまり意味もない気がするけどな。
亜利沙は自分の胸に手をやって息を吐く。分かりやすいほどに安心しているリアクションだった。
だけど、私は安心して欲しくなかった。
だって、あれやろ? 亜利沙がこんなことをしていた理由は。
『ずばり、紬やろ?』
『えっ? な、なんのことやらですね。ではありさはこの辺で……』
『待てぃ』
脇を抜けて逃げようとする犯人……いやいや、私の恋人の肩を優しくつかんで逃がさないようにする。
ひぃぃぃと情けない顔をして嫌々振り向く亜利沙。気のせいかいつもよりも潤んだ瞳が、私をぞくぞくさせ――――ちゃうねん。今はそういう話をしたいんやなくて。
『彼女とのデートを断っておいて、ほかの女のケツを追うなんて悪いやっちゃのぅ~、亜利沙』
『そ、それは悪いと思ってますけど。でも紬ちゃんが外出するって情報を掴んじゃったから、つい……』
やっぱり、という感じ。
亜利沙がこういう目立たないコーディネートをして(といってもそのツインテールの時点で無駄やと思うんやけど)ベタベタな尾行をして、両手にはカメラ。近くには紬。
そんなん答えは決まってるやん。
亜利沙は紬の写真を撮りに街へ来たんやなって。紬に無断で。もう一度言う、無断で。
『とは言え、ええんか!? 亜利沙にデートのお誘い断られたせいで、今日の私一人やで? 可哀そうやんか!』
『自分で言うんですかっ? じゃ、じゃあこの後一緒にカフェ行きましょうよ! ありさのお勧めなんですよ』
『んん、それは行くっ、行くんやけど! そんなんオマケ扱いやん! 雑かっ』
ぎゃーぎゃー、わーわー。
私たちの様子を簡潔にあらわすとそんな感じなんやろうな、とか思いつつ。軽い口争いに。
私だって本気で怒ってるわけじゃないんやけど、でも言わずにはいられないというか。きっと亜利沙もそんな感じなんやろうけど。
と、いつ終わるかもわからないそんな諍い。
そこへ水を差したのは、冷静なトーンの一言。
『――――馬鹿なのですか?』
その後始末は大変やったなぁ。
紬もいつもは誤解ばかりするくせに、今回は珍しく『そのカメラ、もしや私を盗撮……?』と答えをズバリ言い当てるし。写真は消したって言ってもへそを曲げて、おかげで慰めるのに奈緒ちゃんの秘蔵ギャグを何個披露したことか……いや、そんなもんあらへんし、即興やったけどな。
まあ、ともかく。
そんな狂犬……いや、狂ハムスターを宥めて、なんとなく言い争い続ける気分に離れなくて。亜利沙の提案通りお勧めのカフェに入ったって流れやった。
お手洗い行ってきますね、と亜利沙が言って席を離れてしまった。
私の視線の目的地は行方不明で、なんとなくテーブルの上の大きいアルバムを突き刺す。
「ありさの秘蔵アルバム第二十二章、とか言うてたか」
その言葉を真に受ければ少なくともこのサイズのアルバムが二十個以上あるってことなんやけど、まあ、本当なんやろうな。
先ほどの口争いが時間を経て、なんとなく「冗談やから」の一言を引き出しにくくなった頃。雰囲気の悪さをどうにかしようと亜利沙がカバンから取り出したのがこのアルバム。
分厚いページには一枚一枚、良い表情をしたアイドルを収めた写真が敷き詰められていた。
「この未来、髪ボサボサやん……。こっちの志保は珍しいなぁ、事務所で居眠りしとる」
と、独り言。
ぺらぺらとページをめくりながらな。……それにしても私の写真見つからんな。やっぱり複雑……あっ、この美奈子可愛い。
となんだかんだ楽しみながらアルバムを覗いていた。さっきまでは……亜利沙の前だとなんとなく写真を見てもはしゃげなくてな。
だって、複雑な気持ちだったから。別に恋人を趣味より絶対に優先しろ、なんて私は口が裂けても言わない。だけどその趣味が他の女についてやと、なんかなぁ。
「嫉妬……いや、寂しいというか。うーん」
こうやって人間関係に頭を悩ませるなんて初めてかもしれん。いや、言うなら……。
こんな気持ちが私の中に眠っていたなんて思っていなかった。
亜利沙に出会えたことでいろいろな楽しかったり、胸焦がれるような思いをして。でもこんな胸がぐるぐるするような思いを抱えるなんて思わなかった。
「罪な女やなぁ。亜利沙も」
だから好きになったんかもな、と心の中で呟いて。私は亜利沙のアルバムを閉じる。ついでに亜利沙のカバンにしまっておいてやることにしよう。
これをいつも仕舞ったら通りにふるまって、雲行きが怪しいこの休日をハッピーなものにしたるからな、亜利沙。
重いアルバムをチャックを開いた亜利沙のカバンに詰め込んで……なかなか上手いこと入ってくれない。どうしたもんやろうか、とりあえず他の中身を取り出してみよう。
手をつっこんで、何か大きいものを見つけて「ふんっ」と、取り出して。
「うん……? アルバム、二つ目か? なんか雰囲気違うけど」
さっきのアルバムに比べて格段に薄い。デザインはさっきのアルバムに比べて綺麗で、リボンのレースなどで彩られている表紙が印象的だった。
タイトルも書いてあるけど、読めんな……。筆記体、苦手やねん。
そんな風に秘密めいていたんやから、それを私が開いてしまうのも無理はない。関西人やからな。言うて未来とか環も同じことするやろ?
好奇心に背中を強く押されて、私はそのアルバムを開いた。
そして、すぐに気づく。
「……って、これ」
「奈緒ちゃん、ただいまです――――ってああ!」
遠くから亜利沙の声が聞こえたけど、目線を向ける余裕はとてもなかった。
それも、怒っているからとかそういう理由じゃなくて。
「私の写真、って言うか私の写真しかないやん」
「うぅ、なんでばれちゃうんですか……」
適当に開いた見開き一ページ。それを埋めていたのは私の写真、だけ。
どれも余りにもいい笑顔をしていて……気恥ずかしかった。
「…………」
「…………」
カフェを出て帰り道を歩く。
夕焼けの中、画になりそうな情景なのに会話も特にない。
いつも通りに二人並んで歩いているのに、げんこつ一つ分もない距離が今日は遠い。
私と亜利沙を隔てているのはカフェでも味わった沈黙。だけどそれとは全くの別物で、ふとすると心地いいなんて思ってみたり。
だけどこの帰り道はずっと続くものじゃなくて、そしてこのまま解散なんて、いかんやろな。
ふぅ、と一つ息を吐きだして立ち止まり、亜利沙に向き合う。
振り向いた亜利沙の顔は……照れ、やな。私もそうかもしれん。
「あ、亜利沙」
「ひゃ、はい」
注意したのに喉から洩れた声はみっともなかった。亜利沙もやな。気が合うなあ、私たち。
そんなことを思うと、ちょっと面白くなって笑ってしまう。くくっ、と抑えようとしても止まらない。
「奈緒ちゃん?」
「くくくっ、んふふ。いや、そうやな」
なかなか収まらない笑い。だけど面白いものがあるというより、あれや。亜利沙の前やと気が緩むというか、そんな感じ。
つまり、そう。
「ああ――。私、亜利沙のこと大好きなんやな」
「んえ、な、な」
さっきまでのどろどろとした予感を押しのけて、私はそんなまっすぐな感情が生まれるのを感じていた。
自分の彼女が他の女に注目してれば嫌な気持ちになって、自分を見てくれれば喜ぶなんて単純やな、我ながら。
十分笑って、気持ちも吐き出して。
そんなさわやかな気分で亜利沙に向き合ってみる。
「ごめんな、亜利沙。今日の私性格悪かったわ」
「え、ええ。あっ、いえ。ありさこそごめんなさい」
くだらないことで嫉妬、やな。そう、嫉妬して。亜利沙を困らせた私はダメな娘。
だけど、私の知らない亜利沙のことを知れたから悪くなかったかも、なんて思ってみたり。
「それでな。亜利沙の趣味やけど、まああんまりやりすぎるとあれやけど……そうやってほかの娘を見た分、私のことを見てな?」
自分で言っておいて恥ずかしいセリフやな……。でも、亜利沙の前やったら自然に出てきてくれた。それはやっぱり、私が亜利沙のことを好きだからなんやろな。
好きな人の前だからこそ、甘えたりできる。亜利沙にとって私もそうだとええんやけど。
「あっ、はい。じゃあ、ありさ。いっぱい奈緒ちゃんの写真を――」
そう言うと素早くカメラを取り出す亜利沙。はやっ、流石亜利沙やな。
そして流れるような動作で私は落とさないようにそれをひったくった。高そうで、使い方も複雑やけど亜利沙が使ってるのをよく見たから大丈夫やろ。
片手でそのカメラを操作して、上手いこと私たちをレンズに収める。
開いた方の腕で亜利沙を逃がさないように、肩へ手をまわした。
ひゃん、と声を上げる亜利沙が可愛いなぁ、なんて。
「二冊のアルバムのどれにも亜利沙は写ってなかったやろ。寂しいわ、だからな」
そう、カフェで見たあのアルバムには……当たり前やけど、カメラマン自身である亜利沙の姿は全然写っていなかった。
亜利沙的にはそれで良いのかもしれんけど、私にはそれが気にいらへん。
だから、
私はシャッターを切る。パシャリと、亜利沙を連想させる心地いい音がした。
「こうやって一緒に、な?」
「――――奈緒ちゃんは、ずるいですよ」
カメラの液晶をのぞき込む。……自分でも意外なほど、嬉しそうな顔をしていた自分と、それと亜利沙がそこには収まっていた。
カメラを受け取る亜利沙は、満足そうな顔をしていて、きっと私も同じ表情をしているんやろな。
ああ――。なんだかんだ、良い休日やったなぁ。
緊張みたいなものから解き放たれて、腕を伸ばしてみると倦怠感がどこかへ飛んで行った。歩き出すと、夕日がさっきよりずっと綺麗に見えた。
「奈緒ちゃん」
「うん?」
そんな私を呼び止める亜利沙。
帰る素振りを見せたけれど、亜利沙が呼び止めてくれるのは分かっていた気がする。亜利沙なら、こうするやろな、って。
私を見つめる亜利沙の表情は、今日一番の表情で。カメラが今手にあれば写真にしてしまいたいくらいで。
それが出来ない私は自分の網膜に消えないように焼き付けることにした。
「ありさも、奈緒ちゃんのこと大好きですっ」
そう言われて、私は駆け出して――抱きついた。
可愛い声を上げる亜利沙を感じながら、私は思った。
私は幸せ者や、ってな。
おしり
なおありええなあ
乙です
>>1
松田亜利沙(16) Vo/Pr
http://i.imgur.com/N7EyoGm.jpg
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横山奈緒(17) Da/Pr
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>>7
白石紬(16) Fa
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