お風呂から出たあとののぼせた身体にひんやりとした潮風があたる。私は普段より少し多めに空気を取り込んでから、吐き出している。
千歌(やっぱりこの時間も好きだな。)
私自身、私は並より素直な方だと思う。だから、この荒い吐息にも、また少し熱くなった心身にも嫌気がさしたりはしない。
家の目の前の道から少し先に光るいつもと同じ自販機で果汁100%の甘酸っぱいみかんジュースを一本!
ではなく、
この時間だけは"コーヒー"を買って飲む。
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しかも白色や茶色ではなく黒色を基調にデザインされた缶。
千歌「に…苦い…」
でも私はAqoursのみんなや、応援してくれている内浦のみんなに嘘をついているわけじゃない。嫌いなものは嫌いだ。苦いもん。
すると背後から
梨子「千歌ちゃんも風にあたりにきたの?」
千歌「あ、梨子ちゃん。うーん…まあそんな感じなのかな?」
梨子「そろそろ暑くなってきたし、風が気持ちいいのよね。」
梨子「あれ?千歌ちゃんコーヒー克服したの?」
千歌「えっ、あ、これは…いやいやいやこれは押し間違えて買っちゃっただけだよー!ほらあれだよ、バカチカだし!」
さっきまでの快感の余韻を楽しみ終わったあとの、ちょうどぼーっとし始めたところだったからコーヒーを隠しそびれた。
梨子「ふーん…そうなんだ…。」
千歌(ち、ちょっと怪しまれてるかな…)
千歌「あ、そうだ!千歌そろそろ冷えてきたからもう戻るね!それじゃあバイバイまた明日!」
梨子「あっ…ちょ…千歌ちゃ…」
梨子「千歌ちゃん調子でも悪いのかな…?」
梨子(…私の家の窓から見た限りだと買ってから何の躊躇もなく飲んでたわよね…?)
千歌自身では嘘なんてついてないことはもちろんなんだけど、それを証明なんてできないし、ましては真実を話すわけにはいかない。
千歌(明日は何も聞かれたくないな…うん聞かれないに決まってるそうに違いないや都会の子ってデリカシーとかしっかりしてるだろうし大丈夫だ大丈夫もうこういう日は毛布使って寝よう。)
私は分厚い毛布に無理やりくるまって眼を閉じた。
翌朝はやっぱりいつもよりずっと爽やかな朝だ。
千歌「曜ちゃんおはよー。」
曜「おはヨーソロー!」
千歌「梨子ちゃんもおはよー。」
梨子「ねぇ千歌ちゃんってやっぱりコーヒー飲めるの?昨日は完全に様子おかしかったよね。」
よりにもよって挨拶より先にそれが口に出るのか。
曜「え?千歌ちゃん昔からコーヒー飲めなかったよね?」
千歌「う、うんうんそうそうそうなんだけどさ、昨日自販機押し間違えちゃってさぁー。」
曜「千歌ちゃんは何をそんなに焦ってるのさ…。」
梨子「やっぱりどこか体調でも悪いの?」
千歌「ナンデモナイヨ、ナンデモ」
梨子「そう…。」
今度はカタコトになった。正直千歌がこんなにアドリブというか予想外の展開に弱いとは知らなかった。
まあとにもかくにも今日は練習も無事に終わったし、よくよく考えてみれば飲み物間違えたなんて些細なことしばらくすれば2人とも忘れるよね。
そんなことより今日は海で遊ぶって決めてたし早くかーえろ♪
家に帰ったら荷物を置いてすぐに着替えて家を出た。
目指すのは家から2、3キロ離れた人気の少ない砂浜の端の端。
聴こえるのはさざ波と潮風の声だけ。
私はようやくさっきまでの「苦痛」から解き放たれた。
千歌「ふっ…ふふふ…ふっ…えへへへへ…
あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
笑いが止まらない。
私はこの時間だけは家族や学校、それに友人やアイドルのことも忘れる。
この
海に沈む時間だけは。
浜から20メートル程度離れたあたりで深さは10mといったところ。
脳と、全身の筋肉を動かすための酸素が尽きかける。
そこには水の元々持つ蒼と、陽光を反射した白のみの人が生きることのできない美しすぎる世界。
私は全力で浜まで戻る、戻る、戻る。視界の半分以上が白け、手足が軋むように鈍く痛む。
砂上で咳き込むように海水を吐き出し、身体が震えて、
何よりも心が震えていた。
千歌「さて、次は飛び込みだーっ!」
おぼつかない足取りのまま3,4m程の岩の上に立ち、そこから思い切り飛び込む。
虚空へ。
水面に叩きつけられ浅い底にある岩や石に身体をぶつける。
こんな風に十分に愉しんでから帰宅。
何年前からなんてもう覚えてないけどずっとこんなことをしている。
千歌ちゃんが嫌いなはずのコーヒーを嬉々とした表情で買う光景。もう2週間ほど前から立て続けに見ている。
梨子「ねぇ曜ちゃん。見えたでしょ?」
曜「う、うん。どうしたんだろう。」
とりあえず同級生で千歌との付き合いも長い曜ちゃんを家に泊めて林の陰からその光景を見せてみる。半信半疑だった曜ちゃんも信じてくれた。
曜「小学生の頃に千歌ちゃんが無理してコーヒー飲もうとしてるの見たことあるけど味わったあと本当に嫌そうな顔してたし…。嘘だとか演技だとかには見えなかった。」
曜「もしそんな小さな頃からずっと信じてた幼馴染に実はアレ嘘でしたとか発覚したら、何を信じてこの先を生きていこうかすごい自信なくす。」
梨子「うーん…でも本当に克服したんだとしたらわざわざ隠すようなことじゃないし…。」
曜「あとこれも気になってんだけどさ。最近部室で着替えてる時間になると千歌ちゃんがやたらと身体を隠すようになった気がするんだけど。梨子ちゃんはどう思う?」
梨子「あっそれすごいわかる。私もこの頃さ、千歌ちゃんが何かと隠すから色々溜まるもの溜まってきてる。」
曜「ちょっとまって一旦サイコレズモード解除すると何かものすごい重大な見落としがあるように感じる。」
梨子「えっ何それ私解除できないから教えて教えて。」
曜「コーヒーの方はわからないけどさ、
身体隠すのって私たちの視線のせいじゃないかな…?」
桜内「は?」
曜「お?」
桜内「え?」
曜「ん?」
梨子「まだ本人に聞いてみないとわかんないじゃないのよ。」
曜「いや本当に本当に。いいからモード解除してみてよ。」
梨子「それはつまり、わたくし桜内梨子に愛や心なんて微塵も無い微弱な電気信号だけで動く限りなく人に近い形をしたただの肉塊と化せと」
曜「そうは言ってないけども。女同士でも人によっては多少認識の隔たりがね?」
おふざけがにキリがついたちょうどその時、千歌ちゃんが缶を捨てて家に戻ろうとこちらの道に向かってきた。
梨子「でも真面目な話、私たちが原因なら土下座でも何でもして2度と見ようとしないように気をつけないと。」
曜「そうだね…。千歌ちゃんから離れるのが一番怖いし…。」
額の汗を拭い、肩の力を抜き、一息置く。
曜「いくよ!」
梨子「ええ!」
梨子「千歌ちゃん…。」
曜「…。」
千歌「うわっ!ど、どうしたの2人揃って…。びっくりしたなぁ。あぁー!さては千歌をハブって二人だけでお泊まり会してたなー!」
曜「それに少し関係してるんだけどさ…。千歌ちゃん最近部室で着替えようとすると決まって隅に移動したりトイレで時間稼いだりなるべく隠したりしてるよね?」
千歌「…そんなことないよ。」
曜「…それってさ、誰かの視線を感じて怖いとかそういうのだったりする?」
千歌ちゃんはそれでも頑なに否定することをやめない。とうとう私はつい声を張ってしまった。頭を下げにきた立場を忘れて。
梨子「じゃあどうして私達から逃げるのよっ!私達だけじゃなくて1年生も3年生も心配してるのよ…?ずっと嫌いだって言ってたコーヒーも!いつからか知らないけど少なくともあの日からは毎日飲んでるじゃない!」
千歌「…」
梨子「何か大きな声で言えない悩みがあるのかと思って家で話を聞こうとしてもしょっちゅう出掛けるみたいだし…。」
千歌「…」
梨子「無理に話せなんて言える道理はないけどさ、友達なんだから。一緒に背負わせてよ…。」
曜「私も最近の千歌ちゃんはおかしいと思う…。」
千歌「ごめん…言えない…かな…。」
曜「っ…!な、なんでっ!」
梨子「曜ちゃん少し落ち着いて…。」
千歌「いいの梨子ちゃん…。話したくないだの心配するなだのってワガママいう千歌がそもそも悪いんだし。」
千歌「でもね、私は正直みんなとこの話したくないからさっ。なんで言えないのかは伝えておくよ。
曜ちゃんは梨子ちゃんが転校してきてからますます頻繁になったけどさ、二人が着替える時に千歌のこと見てるのを千歌に言えないのと同じだよ♪」
全て見られていた。聞いた瞬間。私達は確かに生物ではなくなったような錯覚を感じた。意識が身体ごとこの命を放棄しかるような、そんな錯覚を。
以後起こりうるあらゆる災厄の景色が脳を駆ける。
学校、親、警察?、友人?、Aqours、脱退?、千歌ちゃん嫌われ…
千歌ちゃんが遠ざかる…?
千歌ちゃんが遠ざかる…。
(待って…待って!)
千歌「でもね、千歌はこのこと気持ち悪いなんて思ってないし、誰にも話さないよ?」
曜「え…?」
梨子「どういうこと…?本当に気持ち悪くないの…?」
千歌「うん、乱暴されたとかなら話さざるをえないけどさ、見るだけなんて減らないしいいよいいよっ!」
千歌「ただお互いに触れられたくない話があるんだからさ、今日はジュース買って雑談してたってことで3人でお泊まりしよーよ~。」
曜「う、うん…。」
正直、自分の首にロープが巻かれたところまでイメージした。しかし帰ってきたのはお泊まり続行の申請。
こうして私達は千歌ちゃんの影に触れることが出来ずに、疑問だけを残してなんとも言い難い複雑な気持ちを抱えて日常に解け込む。
その後、Aqoursは東京のスクールアイドルの大会に出場するも、その結果はAqoursに大きな爪痕を残すものになった。
それに相変わらず千歌ちゃんの様子はまだ違和感を拭えない。
負けた。負けたことはまだいい。9人で出場した初めての大会。いきなり優勝できるだなんてこのバカチカでも流石に考えてなかった。
0。
その最小の数字が私の心に最大級の穴を空ける。
そう。いつだってそうしてきた。私は体に苦痛を与える。
心が受けた以上の苦痛。
嫌なことがあったらもっと嫌なあの苦汁を啜って、
更にいやなことがあればその後電化製品を全て切って窓も閉めて真夏日の夜に"分厚い毛布に包まれた。
もっと上なら海の底に息ができなくなるまで。
更に上なら岩盤に体を打ち続ける。アザが体中を侵食した。アイドルだから目立つ箇所は避けるけれど。
今回はその比じゃない。
千歌はある日気づいたの。
この世の全ての刺激は苦痛なんだ。
快感ってさ、苦痛っていう苦すぎるコーヒー豆を、水とミルクとシュガーで薄めて誤魔化してるだけなんだって。
じゃあさ、間違えてブラックコーヒーを飲んじゃったんならさ、もっと苦いものを飲めばいいじゃん。
そうしたらさ、どんな黒い影だってほんの少しは海に差し込む綺麗な白い陽光みたいな、ミルクに見えるんじゃないかな。
今回は本当に、この体を水でいっぱいにしようかな。
だってこんなの…もっとたくさん水入れないと、千歌には飲めないもんなぁ…。
もっと深く、もっと苦痛を。やだなぁ♪酸素なんていらないよ?あの苦味を思い出すじゃんか。
梨子「千歌ちゃーんっ!千歌ちゃーんっ!返事してよっ!」
もう海水が少し冷たく感じる季節。決して人が長く潜っていられる水温じゃない。
曜ちゃんには海中を探してもらっているがそろそろ陽が沈む。そうなれば海水もますます冷えて助からなくなるだろう。
曜「ぶはぁっ!梨子ちゃん、千歌ちゃん見つけたよ!もう一回行ってくる!」
梨子「お、お願い曜ちゃん…!」
まだ千歌の体に空気が残っているのかほんの少し浮いてきている。
曜(大丈夫…これなら引き上げられる…!私ならできる。千歌ちゃんにはまだまだ言いたいことが…)
千歌「…」
曜「…」
梨子「…」
千歌「ごm
梨子「は?何が?」
千歌「い、いやぁ…そのぉ…えへh
曜「何がおかしかったか言ってみてよ」
千歌「」
梨子「それはもういいわ…。でもあの時話してくれなかったことを今更どうこう言う気はないけどさ、せめて死ぬ直前くらいは意地とか迷惑とか考えずに話してよ。」
曜「私達が千歌ちゃんのこと好きなのは知ってたよね?口ぶりからして。あれで見つからなかった私達何を希望に生きていかせるつもりだったの…?」
曜「でも…私達も謝る。千歌ちゃんが限界迎えるまで気づけなくてごめん…。
あの時…もう千歌ちゃんは私が知る千歌ちゃんじゃ無くなったのかなって、怖くなっちゃってさ。」
曜ちゃんの声が震えてきた。それはそうと私もそろそろ…ダメみたい。
曜「ごめんっ!こんな腰抜け幼馴染でごめんっ…!」
梨子「私…もっ…!ごめん…ね千歌ぢゃん…!」
千歌「千歌が勝手にやったことなのに…もう…3人揃ってバカみたいじゃん…。」
その後3人で何言ってるのか全く聞き取れない会話を繰り返して。千歌ちゃんは両親に引き取られて何とか無事解散となった。
それからしばらくたった今も千歌ちゃんの心に何があったのかは詳しく話してくれない。
千歌ちゃんはコーヒーをまだ飲み続ける。
たまにフラフラ海に遊びに行きもする。
大会後ほど深くはないけどその度に今度こそ見つからないかもと最悪を考える。
だけど止める権利なんてないの。やめてほしいとは思うけれど。だって私たちにはどれだけ深い傷にどれだけの数の傷を重ねれば、同じ若き命がその全てを浜に捨てて海に沈みたくなるのか推し量ることなんてできないのだから。
例えその人が精神病を宣告されても、その人が今までと少し違っても、その人が自分自身を傷つけ続けても。
その人と、その傷と、向き合うことが唯一してあげられること。
千歌ちゃんがコーヒーを笑顔で飲めますように。
千歌ちゃんがコーヒーを克服できますように。
終わり
真面目な話とは別に闇病み千歌ちゃんは好きです
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