・アイドル【idol】の意味。
・1.偶像。2.崇拝される人や物。3.憧れの的。
・4.超人的な能力を有する人材の俗称。もしかして:ヒーロー。
===序幕「遠い星から夢を越えて」
そも! 世界を動かすのはいつでも欲望と言う名の感情なのだ。
「もっと分かりやすく!」と言うならば、それは願いと言い換えたって構わない。
さらに願いは善と悪とに分けることができ、二つは度々衝突する。
例えばそう、人々の希望を背負うミライたちお騒がせ魔法少女の一行が
「光のクラウン」と呼ばれる美しい王冠を冷たい湖の底よりやっとの思いで引き揚げたのと、
絶望の化身たる悪魔軍団の本格的な攻撃が、彼女たちを襲ったのは殆ど同時のことだった。
一体どうしてこうなったのか?
説明すれば簡単で、ミライたちの住まう平和な星を裏から脅かす混沌は腐敗と暴力、
そして破壊の風となって世に吹き荒れ、彼女たちの住む星を徐々に覆いつくさんとしていたからである。
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そしてまた、哀れなオイカワファームの牛さんたちも日に日にすさむ世を儚み、
ストレスから乳の出も悪くなっていく一方だと……。
そんな話を牧場主から聞いた時、ミライはバターミルクを飲み干したばかりのグラスを持ったまま、
勢いよく椅子から立ち上がって言ったのだ。
「美味しい牛乳が飲めなくなるなんて許せない! 私たち、悪魔をやっつけに行ってきます!」
正に決意だけならば正義の使者か。
この時、同席していたミライの友人でもあるカナが
飲みかけのミルクを盛大に噴き出したことについてもおまけで明記しておこう。
……なに、深く気にする話ではない。単なる余談も余談である。
とはいえ――古来より旅立ちのきっかけとはそんな物。
ほんに些細な出来事から始まって、気づけば世界の命運をその手に握る戦いに
身を投じる羽目になるのも世直し人が逃れ得ぬ運命(さだめ)。
それから程なく世間には、紆余曲折を経て集まった五人の魔法少女たちの噂がそこかしこ中で囁かれることとなる。
……が、しかし! その物語を一から語るにはちと長い。
弱気を助けて悪を正す正義の人助け少女ご一行の旅も、先に述べた様に事ここに至っては佳境も佳境。
今はただ、少女たちを襲うこの最大のピンチを、四方八方から迫り来る悪魔軍団の圧倒的な物量を前に、
じりじりと追い詰められていくミライたちの窮地をまずは語らせて頂きたい!
「ミライ! まだクラウンの使い方は分からへんの!?」
「倒しても倒しても……えーいっ! キリが無いよ!」
高々と頭上に振りかぶる魔法のステッキを縦一閃!
マジカル☆ナオが飛び込んで来た悪魔の一体をしばき落とすと、
直後にマジカル☆レイカがチェーンロッドを巧みに操り流れるようなコンビネーション!
豪快に弧を描いて飛んで行く悪魔の行方を目で追いながら、マジカル☆フウカも負けじと必殺の魔法を放つ!
「『キミのハートにまっしぐら! ラブラブセクシーフラッシュをお見舞いよっ!!』」
刹那、フウカを中心にして広がる桃色光線のセクシャルさに、メロメロと骨抜きにされる悪魔たち。
まるで蚊取り線香にやられた蚊のように空からポトリポトリと落ちて来る彼らを
ひょひょいと器用に避けながら、ナオたち二人が彼女に言った。
「おお! やるやんフウカ、ナイスフォロー!」
「その調子で悪魔さんを、バンバンメロメロお願いします♪」
が、褒められたフウカの顔は暗い。
転がる悪魔が自分に向ける熱のこもった眼差しから顔を逸らしつつ、
「た、確かに便利な魔法だけど。……正直この呪文は恥ずかしい!」
しかも魔法の発動に、詠唱とセクシーな決めポーズが必要なのは五人の中でもフウカただ一人だけなのだ。
自分たちに魔法のイロハを教えてくれたマスター・Pの顔を思い浮かべ、
彼女は「もう、絶対にワザとなんですから!」なんていつもの恨み節も披露する。
一方、そんな三人が作る三角形のフォーメーション。
その中心では『どんな願いでも叶えてくれる』とこの星に言い伝えらえて来た"光のクラウン"を前にして、
マジカル☆カナとマジカル☆ミライの二人が必死に頭を悩ませているところであった。
それはもう、必死も必死。少ないお小遣いをいかに効率よくやり繰りしてお菓子を沢山買うだとか、
魔法学校における筆記テストの時間以上に真剣だ。
「ダメっ! やっぱり全然分かんないよ!」
だがそれでも、防壁代わりの岩に背中を預けて座り込むカナが頭を抱えて悲鳴を上げる。
そもそもの話、そそっかしいミライが湖の中で王冠の入った箱の封印を解いてしまったのがマズかった。
皆が止めるも間に合わず、開かれた箱から水中に浮かび上がった巻き物は妖精の鱗粉で練られた特別製。
……正に夢は幻の如くなり。あっという間に千切れて崩れてバラバラになり、
湖の波間に溶けてしまった光の粉を前にして、唖然とする仲間たちにミライが言う。
「……もしかして私、またやっちゃいました?」
それは長い旅路で何度も聞いた、もはやお馴染みの台詞でもあった。
結局少女たちの手元に残ったのは、雫を垂らす王冠一つ。……いや、まだだ!
まだ少女たちの手元には、件の巻き物の写しだと伝えられている手書きの巻き物があるにはあった!
紙もボロボロ字もぐちゃぐちゃ、滲みに滲んだインクはとても読めるような物では無く、
だからこそミライたちは宝箱の中に同封されていた"本物"の巻き物が必要だったのだと言うに!
「王冠なんだから頭に乗せて、それで呪文は? 魔法式は!?」
「だから肝心のその部分が、古すぎて読めないんだって~!」
カナに急かされるように訊かれても、ミライには答えようがない。
そうこうしているうちに防衛線を突破したしゃらくさい悪魔の一体が、
悩める二人に鋭いスピアを振りかざしながら迫り来る!
「わわっ! い、今はまだ来ちゃダメー!!」
「まっ、任せてカナ!」
持っていた写しを放り投げて間一髪!
ミライがステッキを突き出すと、たちまち悪魔は魔法のシャボンに包まれてぷかぷかり。
「あ、ありがとうミライちゃん~!」
「えへへ~、今度は失敗しなかったよ♪」
悪魔入りシャボンがゆっくりと空に昇る様を見上げると、
すんでのところで助けられたカナが嬉しさの余りミライに抱き着いた。
すると力一杯ハグされたミライの方も、照れ臭そうに頭を掻く。
「これで、さっきの汚名は挽回だね!」
げに美しきは可憐な乙女の友情かな。
敵の猛攻真っ只中に居るというに、まるで緊迫感の無いほわほわとした二人のやり取りを見ていたナオが
「こらぁっ! カナもミライもなにをお呑気してんねや!」と、手近な悪魔を小突きつつ怒鳴る。
「ひゃっ!」
「ご、ごめんなさ~い!」
そうして敵より怖いナオに叱られて、ミライたちが思わず謝った時だった。
荒れ狂う嵐のような波状攻撃、猛烈苛烈な悪魔たちの動きが突然止まり、辺りに重苦しい雰囲気が漂い出す。
……まるでそれは、一筋の光すら届かない深海の底へと静かに沈んで行くような。
吹き止まぬ吹雪に追い立てられた洞穴で、今にも消えそうな焚き火の明かりを「今にも消える、ほら消える」と
目を離せないまま見つめ続ける、そんな気持ちにさせる空気。
ただその場に居るだけで背筋は震え、踏みしめているハズの大地の感覚すら消えて行く。
指先一つ自由に動かせない上に、息をすることすら躊躇わせるほどの圧倒的なプレッシャー。
みるみる空も暗雲に覆われ、一陣の強い風が湖の上を撫で行くと、大きな波が心騒めかせるようにさざめき立ち……。
そして今! 地平線を埋めるほどに集まっていた悪魔軍団の海を割り、こちらに近づく影が一つ。
それが一体何者であるか、ミライたち五人は嫌と言うほど知っていた。
「おや、おや、おや……。これはまた、随分と景気の悪い顔じゃないか」
その影はただただ暗く、深く、一応は人の形をしていたが、決して実体を持たぬ異形の者。
いつからこの世に生を受け、この星に巣くっていたのか誰も知らない闇の化身。
何の前触れも無く沈黙を破り、手勢である悪魔たちを使って求めるは純粋なる混沌と、そこから生まれる暴力の蜜。
影にとっては怯え、すくみ、打ちひしがれる人々の生み出す絶望こそが、類まれなるご馳走だった。
だからこそ、影は人々を助けるミライたち一行の邪魔をした。
五人がこの湖に辿り着くまでの旅路にて、まるでミライたちを鍛えようとでもするかの如く、
影はありとあらゆる困難を彼女たちの行く手に置いたのだ……何度も、何度も、何度でも!
だがそれは、もちろん善意からでは無い。
料理にひと手間かけることで素材の味を引き出すように、「もしかして」「いや、ひょっとして?」
「このまま行けば彼女たちが、この星から闇を払ってくれるんじゃないだろうか?」
……そんな空気が世間に広がり始めた今だからこそ! 影はこうして仕上げに取り掛かったのだ。
今や希望の象徴にもなったミライたちをここで完膚なきまでに叩きのめすことにより世界は! 恐怖は!
より一層の"深み"を生み出すハズであると!
===
まるで蛇に睨まれた蛙のように。
身じろぎもできない五人の前まで悠々とした足取りでやって来ると、影は大げさなお辞儀をして見せた
――そう、まるで道化師やマジシャンがするような、仰々しい仕草のお辞儀をだ――
そうしてひょいと顔だけを上げると、いやにきざったらしく喋り出す。
「見るに、苦労して手に入れたクラウンの使い方が分からないので困っている。……理由はそんなところだろう」
影の慇懃無礼な物言いは、妙な馴れ馴れしさをも併せ持つ。
その話し方はねちっこく、人の神経を逆なでするような実に不快なものだった。
現に相対するナオたちには、影の言葉からこちらを見下し、嘲り、さらには馬鹿にしようとする感情しか読み取れない。
「まぁそれも、事情を知れば納得できる。なにせ肝心の巻き物がこの有様では……。
いやはや実に愉快痛快。君たちに相応しい結末だとは思わんかね?」
言って、影が少女たちに見せつけるように上げた手には先ほどミライが放り投げた写しの巻き物が。
「あ、あれ? さっきまではちゃんと持ってたのに」と首を傾げるミライの姿に、影がクックと肩を震わせた。
「フッフッフッ、ハァーハッハッハッ!」
次いで、その身を仰け反らせながら放たれる嘲笑。
耳につく影の高笑いに合わせて辺りを取り囲む悪魔たちも、
ミライたちを煽るように次々と不気味な声で笑い出す……。
「く、ぅ~っ! なんか、なんかめっちゃ腹立つわ!」
これほどまでに面と向かって馬鹿にされ、黙っていられる者などいるものか!
ナオが吐き捨て、その場で小さな地団駄を踏む。
一時の怒りの感情で彼女たちの金縛りも少しは解けたがまだ重い!
残念ながら未だ五人は、影の纏う禍々しいオーラに圧倒されて武器を構えることすらできぬのだ……。
そも、人に対して横柄な態度を取れる者は二つの種類に分けられる。
一つは相手と自分の力量を、推し量ることもできないただの馬鹿。
二つ! 横柄な態度を取るだけの自信。即ち圧倒的な実力を、その身に宿す者とにだ。
そして今、目の前に立つこの影は後者。
だからこそミライたちは影に対抗するために、クラウンの持つ神秘の力を求めたのだ。
少女たちの悔しさ溢れる顔を見渡して、影が「フフン」と鼻で笑う。
「無様なものだなぁ……実に! なによりお前たちのようにドジで、グズで、
お間抜けな三下マジカルガールなど、初めから私の敵では無かったが――」
そうして喋り続けるは、罵倒、罵声、悪態の山。
ひとしきり少女たちを口汚く罵りこき下ろすと、影が巻き物を持つ手を振りかぶる。
「あぁっ!?」
フウカが思わず声を上げた。
影の手から放り出された巻き物が、空中で紫の火炎に包まれたのだ!
さらには五人の周りをどす黒い、炎の壁が囲い込む。
それはあらゆる負の感情を糧にして生み出された業の火だ。
猛る漆黒の壁の向こう側から、影の声だけが聞こえて来る。
「それでもだ、ここまでやって来たことは褒めてやろう。
なに、私は慈悲深い心の持ち主でね……一思いには殺さん! じわじわと嬲り、苦しめ、その絶望の果てに――」
「やっかましい! 言わせといたらペラペラベラベラいつまでもっ!!」
しかし、遂に限界は訪れた!
その身にたぎる怒りに任せてナオは叫ぶと、今度は力いっぱい魔法のステッキを振り上げる。
すると空気を切り裂く閃光が目の前で燃える炎の壁にぶつかって……が、それだけだ。
放たれた光はするりと壁の中に吸い込まれ、
次いで無駄な抵抗だと言わんばかりに悪魔たちの笑う声が響き渡る。
「ああ、もう! このっ! このっ!」
「なんで!? 魔法が全然効かないよぉ~!!」
残る四人もナオに続いて必死に魔法を放つのだが、
壁はさらに勢いをつけて燃えながら五人との距離を詰めるのだ。
正に絶体絶命の大ピンチ。もう、打つ手は何も残ってはいない……。
誰も口にはしなかったが、彼女たちは自分の胸の奥底に絶望が生まれ始めるのを感じていた。
……ただ一人、マジカル☆ミライを除いては。
「……みんな、心配しなくても大丈夫だよ」
そこには何の根拠があるのだろう?
だがしかし、彼女の優しいその声は動揺する四人の心を落ち着かせ、
安心させるだけの強い力を持っていた。……これまでの旅でそうであったように。
そして! これからの戦いにおいてもそうであるように!
自分を見つめる仲間の顔をぐるりと見回し、
ミライは持っていたクラウンを自分の頭にちょこんとのせた。
それから彼女は太陽のように明るい笑顔を、
満面の微笑みを浮かべて皆に言ったのだ。
「だって光のクラウンは……最後の希望はまだちゃんと、ここに残ってるんだから!」
===
――北上麗花は夢を見た。
それは不思議な力を持つ五人の少女が巨悪に立ち向かう夢であり、
麗花もそんな少女たちのうちの一人だった。
だが敵は余りにも強大で、もはやこれまで打つ手なし。
窮地に追い込まれた状況下、リーダーでもある少女が叫ぶ。
『どっか、飛んでっちゃえぇぇーっ!!』
次の瞬間、彼女の被る王冠から眩い虹色の光が迸り、
それは辺りを覆う闇を払うと麗花たち五人を包み込んだ。
……光の向こう側から断末魔。
きらめく星屑の層に囲まれて、麗花は自分の身体がふわりと浮かぶ感覚を味わい……そして、夢から覚めたのだ。
カーテンから差し込む朝の光にしばしその目を細めると、
彼女は枕元のうるさい目覚まし時計をはたいて体を起こす。
「……へくしっ!」
そうして気の抜けるようなくしゃみを一つ。
窓の外には雪がちらつき、部屋の中も肌寒い。
ぶるるっとその身を震わせながら毛布を羽織ってもぞもぞと、
麗花はベッドの上から芋虫のように床へ向かってずり落ちた。
「ふわ、あ……あぅ」
寝ぼけまなこを擦って大あくび。
猫のように体を伸ばすと、今度は四つん這いで部屋の中央に置かれた座卓の傍までぺたりぺたりと移動する。
……一応の補足をしておくと、立って歩かないのは足の踏み場が無いからであり、
散らかり放題に散らかった彼女の部屋において言えば、二足歩行よりも四足歩行の方が安全かつ安定なのだ。
「ん、しょっと」
ぐわらぐわらがっしゃん。
現代の九龍城もかくやと乱雑緻密に積み上げられていた机の上のガラクタを腕のひと薙ぎで払いのけると、
麗花は発掘されたスケッチブックの白いページにお気に入りのクレヨンをスルスルと走らせる。
時折こくりこくりと船を漕ぎ、それでも彼女は描き終えた。
五つの星でそれぞれ囲まれた五人の少女が手に手を取って笑いながら、人の形をした黒い影と戦う絵をだ。
「んっ……これでよし♪」
半分閉じかけた瞼を瞬かせ、我ながら上手く描けたぞと満足そうに頷いて……麗花はそこで力尽きた。
ぱたりと座卓に突っ伏して、すぅすぅと幸せそうな寝息を立て始める。
人、これを二度寝と呼ぶ。
次に眠りから覚めた時、彼女は今朝見た夢の内容を、
自分の描いた絵の内容を、綺麗さっぱり忘れていた。
「……え~っと?」
さらにはスケッチブックの上に置かれていた見覚えの無いアクセサリーを前にして、
不思議だと首を捻ることになる。彼女が手に取り眺めるブレスレットには、星型の光る宝石がついており……。
全ては独立機動戦艦「ミャオ」所属、
ミリオンアーマー部隊員麗花の休日に起きた一幕だった。
===第一幕「その一日はエイプリルフール」
ああ、素晴らしきかなエイプリルフール!
この感動を伝えるためにも今一度。ああ! 素晴らしきかなエイプリルフール!
もう少し具体的なことを言うならば、
普段よりも大掛かりなジョークを披露しても許される、一種のお祭りのような日と言える。
が、だからと言ってどんな嘘でも無条件に許容されるワケでは無い。
余りに悪質なジョークはジョークに成り立たず、やはり叱られ嫌われ怒られてしまうモノであり、
行き過ぎた嘘は人を引っ掛ける前にボロを出してしまうことだろう。
……とはいえ嘘から出た真という言葉があるように、
なにか冗談じみた計画をこの日に合わせて初めてみるのも一興らしい。
例えばそう、ここに一人の男が居る。
彼は今、死んだ魚のような目で手にした人形の頭を撫でていた。
なにもひと月早い五月病でも、心が病んでしまっているワケでもない。
手にした人形のモデルとなったある少女が、
その胸の内に秘めていた壮大な野望の実現に向けてとうとう事を起こした結果である。
少女は常々考えていた。
どうすれば己の可愛さを日本中、いや世界中、まだまだもっと、もっとだ!
この銀河の果ての果ての先、願わくば次元を超えたそのまた向こう側にまで届けることができるかを。
湧き水のようにこんこんと溢るる自身の魅力をもってして、全ての生きとし生ける者に笑顔の花を咲かさんと!
「だからこその『全人類一人一茜ちゃん人形計画』!
日本を! 世界を! そして全宇宙を、茜ちゃん人形で埋め尽くすのだ~!」
少女は言って、男は野望に巻き込まれた。
こうして人形の量産体制を整えるための打ち合わせに出てしまった彼女に代わり、
古い貸しビルにある事務所にて、男は人形を増やす作業に従事することとなったのだ。
……それにしても、一体どこから引っ張って来た技術やら?
彼は出処不明の超々技術によって撫でれば撫でるだけぽこぽこぽこぽこ増殖する
にゃんとも可愛い人形の、頭をひたすら撫で続ける。
「まさかな。以前からちょくちょく聞いてたけど、茜のヤツ本気だったとは……」
記念すべき765体目の人形を出荷用の段ボール箱に詰めこむと、
男は呆れとも感心ともつかぬ調子で呟いた。
既に計画の八割ほどは完了し、後は人形の数を揃えるだけでいいらしいのだが……。
この計画を打ち明けて来た少女の卓越した行動力、そして準備のよさにまたため息。
するとどうだ? 男の周りにはたちまち陰気な空気が立ち込めて、
まだ若いというのに丸めた背中からは哀愁が……。
「……全く、なーにを辛気臭い顔してるんですか」
そんな姿を見かねたのか、あるいは鬱陶しくも思ったのか?
彼の同僚である秋月律子が元気づけるようにその背中をパンと一叩き。
気怠い呻きと共に顔を上げた男に向けて、
念を押すように「いいですか?」と指を振りながら言葉を続けた。
「今日と言う日は我が765プロダクションにとって記念すべき一日になるんですよ?
もっとシャキッと、嬉しそうな顔をしててください」
「記念すべき一日だって? ウチが名誉ある茜ちゃん人形製作所、
その第一工場に晴れて任命されたことかい?」
言って、皮肉めいた笑みを浮かべる男を「違いますよ!」と一睨み。
それから律子は腕を組むと「……もう、知ってる癖に」と拗ねるように口を尖らせた。
もちろん、男だって本気で言ったワケじゃない。
すぐに「悪い悪い」と頭を掻きながら謝ると。
「劇場、テーマパーク、メガフロートドームと来た次が、異星人大使を招いての765親善宇宙ライブ!
……弱小だなんだって言われてた頃から比べると、随分遠くまで来たもんさ」
「それもこれも、みんなが頑張ってくれたお陰ですね」
そう、そうなのだ。かつては所属人数も片手で数えられるほど。
現場に赴いてはトラブルばかり起こしていた小さなアイドルプロダクションも、今では立派なその道のプロ。
他所の追随を許さぬ尖りに尖ったアイドルたちと、
それを活かす適材適所なマーケティング。
さらには今までの仕事で生まれた数々のコネ、貸し、虜にした各界のお偉い方さんたちの後押しもあって、
ついに事務所は本日この日、人類史上初となる、大掛かりな宇宙ライブを開催するに至ったのだ。
とはいえ、それもたった今律子が述べた通り。
全ては所属アイドルたちの日頃の頑張りの成果であり、
さらには彼女たちと二人三脚でここまで歩んで来たスタッフ陣の屈力あってこそ。
「勿論、そのみんなには律子もちゃんと含まれてるぞ」
「当然、プロデューサー殿だって」
二人は互いに見つめ合い「わっはっはっは!」と笑い合う。
そんな彼らをパーテーションの陰より盗み見……いや見守りながら、
事務員である音無小鳥は口元を押さえ耐えていた。
一体何に耐えていたのかと問われれば、
それはいつもの妄想による副作用……鼻血にだ。
ちなみに今回の妄想テーマは実に健全、
「男女間の友情は成立するか?」だったと言う。
===
例え仕事や部活が休みでも、仲の良い友人たちが集まる場所なら自然と足が向いてしまう。
麗花が事務所を訪れたのは、つまりはそういう理由から。
「とはいえ……。せっかく来てくれたのに悪いな、麗花。
俺は仕事があって、相手をするのは難しそうなんだ」
ところがだ、麗花の当ては外れてしまう。
非番で訪れた事務所には大量の人形に埋もれた男以外に人はおらず、
普段ならば待機中のアイドルたちで賑わう談話スペースも、今は出荷を待つ段ボールが山と積まれているだけだ。
「そうなんですか? 残念……」
口元に手を当てながら呟いて、悲し気な表情を浮かべた麗花に男は申し訳ないとはにかんだ。
すると彼女も彼の気持ちに応えるため、そしてなにより自分の受けたショックの大きさを表すために、
肩にかけていた大きな鞄を豪快に床へと取り落とす。……ガシャン!
「うーん、どうしようかな……」
「おいこら麗花」
「あ、そうだ! お仕事中のみんなに会いに行こうっと♪」
「聞いてるか、おい」
「突然会いに行ったら、みんな驚いてくれるかな? ふふっ♪ ではでは、行ってきまーす♪」
「おいってば!」
男が声を荒げて机を叩く、驚いた麗花が目を丸くして振り返る。
まさに今、見事なまでの切り替えの早さを見せつけて
事務所を飛び出そうとした彼女の動きがピタリと止まる。
そんな二人の間には、鞄の落ちたその床には、
窮屈な場所から解放された自由に喜びはしゃぐ玩具の群れの姿があった。
ある物はコロコロと家具の隙間に入り込み、
ある物は辺りに散らばって、ある物は床に謎の染みを作り出している。
……それはつまり積み木とか、パズルだとか、シャボン液だの墨汁だのと呼ばれる玩具たち。
ドアノブにかけていた手をそっとどけ、麗花はそれら全てから目を逸らすと、
面倒くさげにぷくーっと片頬を膨らませた。
「もう、なんですか?」
そのうえ小首を傾げると、甘えるように肩をすくめて見せたのだ。
もはやその仕草は狂気の、いや、凶器の沙汰。
危うく喉から出かかった「何でもない」と言う言葉を飲み込むと、
男は腹に力を込めて惑わされまいと麗花を見た。
「なんですか、じゃあないだろう? ちゃんと片して行きなさい」
「……プロデューサーさん♪」
「却下する」
そうして彼は、毅然と言ってのけたのだ。
換気の為に開けられていた窓から、「うぅ、いじわるです!」なんて麗花の恨めし気な声が外へと響く。
すると事務所の入ったビルの前、日課の清掃作業をしていた小鳥は
筒抜けな二人のやり取りに「あらあら」と頬に手を当て苦笑して。
「今日のプロデューサーさんは強気ねぇ」
自分も彼女のお手本にならねばと、普段よりもいくらかキビキビとした動きで歩道の箒掛けを再開したのだった。
……しばらく経って麗花がビルを降りて来ると、
小鳥は消沈した様子の彼女を労いの笑顔で出迎えた。
「ふふっ、麗花さんは相変わらずね。お掃除はちゃんとできたかしら?」
すると麗花は深いため息を一つつき。
「こんな時、自分の力が恨めしいです。二人より四人、四人より沢山いれば、お掃除なんてあっという間に終わるのに」
だがしかし、小鳥は彼女の言葉を「そうねぇ」と曖昧な相槌でもって誤魔化した。
なぜなら彼女は知っている。
例え"麗花"がいくら居ようとも、増えた彼女たちは誰一人として
お掃除係などやりたがらないだろうと言う事実をだ。
「それじゃあ小鳥さん、行ってきまーす♪」
「はい、行ってらっしゃい」
他のアイドルたちに会いに行くと元気に走り出した麗花の背中を見送って、
小鳥は集めたゴミを袋に入れた。……するとまた、背後に迫る人の気配。
「あーあ、プロデューサーさんのいじわる……。小鳥さんも、お掃除怠けてちゃ怒られますよ?」
「いやいやいや、私はちゃーんと掃除して……ん?」
言って、顔を上げた小鳥の見たものは?
事務所の前に広がる道に、「それじゃあ小鳥さん、行ってきまーす♪」と見覚えのあり過ぎる後ろ姿が消えて行く。
……デジャブ。一人は街へ、もう一人は事務所の裏山に続く道へ。
「あっ……はい! 気を付けてくださいねー!」
走り去る背中に声かけて、小鳥はやれやれと肩をすくめた。
どうやら今日も、賑やかな一日になりそうだ……なんてことを頭の隅で思いながら。
「さ・て・と……私も一日、頑張りますか!」
青く晴れ渡る空を見上げて気合を入れるガッツポーズ。
今日は遠く広がる街並みにそびえ立つ"豆の木"の姿も良く見える。
さらにはそこから上に昇れば、律子も向かった星々の輝く宇宙(そら)があり……。
本日は素敵なエイプリルフール。
バカバカしいほどにハチャメチャで、ドタバタなとある一日が始まった。
===第二幕「スクランブル・アイドルズ!」
さて、甚だ唐突ではあるものの、ここで少し歴史のお勉強などどうだろう?
かの軌道エレベーター『豆の木』の建設が完了したその月のうちに、
地球は大銀河連合に加盟する星の一つとなった。
細かい事の経緯については教科書や専門書がより詳しく、ここでの説明は省かせてもらうのだが……。
とにかく思い出して頂きたいのは、
この件を一つの節目として人類が本格的な宇宙進出を果たしたという事実である。
また、同時に米軍を中心とした世界連合軍の活動も本格的な物となり、
卓越した戦闘能力を持つ非公式戦力「第765部隊:アイドルフォース」が
国際テロリスト軍の新型兵器を破壊したことも我々の記憶には新しい。
そして今、久方ぶりの緊急招集をかけられて彼女はこの地に戻って来た。
以前に参加した作戦において、国テロ軍の汚染兵器『トリニティ』破壊に多大なる貢献を果たした兵士。
さらにその後に起きたデストルドーとの全面対決においても功績を残した伝説の"アイドル"。
自分よりもはるかに屈強な男たちを前にして、臆しもせず威嚇もせず、
粛々と向き合う少女の姿は正に噂通りの鉄仮面(ポーカーフェイス)
「初めまして、真壁瑞希です」
そしてまた、規律と模範を音に込めたような彼女の声は兵士たちの耳によく届く。
ここは世界連合軍の日本支部。そのブリーフィングルームの壇上に立ち、
765プロ所属アイドルである真壁瑞希は実に見事な敬礼を披露した。
「では、早速説明を」
腕を降ろし、自分の隣に立つ副長
――サングラスをかけた髭面の、いかにも一癖二癖ありそうな悪役顔の男である――
から資料を挟んだクリップボードを受け取って、瑞希はこの場に集められた兵士の顔をぐるっと見渡す。
「皆さん、実に見た目は良さそうで。……骨のある奴がいるといいな」
口調はほんのりほんわかと、冗談めかしていたものの……瑞希の瞳は真剣だ。
「期待してください」副長がその太い腕を得意気に組み、兵士たちのことを顎でしゃくる。
「主力部隊は留守ですが、大半はMSSからの選抜組で……実力の方は確かですよ」
「MSS……。水瀬セキュリティからですか」
懐かしそうに瑞希が呟く。
それから彼女は被っていた軍帽を指の先に引っ掛けて「ふっ」と不敵に笑って見せた。
「『水瀬・セキュリティ・システム』にお任せください」
「はっ?」
瑞希が突然取った行動に、副長が思わず訊き返した。
すると彼女は何事も無かったように帽子を頭に被りなおすと、「コホン!」大きな咳払い。
「今のは……分からないなら結構です。それよりも作戦の説明を」
「はぁ……」
質問を誤魔化された副長は釈然としたいようだったが、
瑞希は視線を彼から兵士たちへと移動させ、「では皆さん。今回の作戦を説明します」と話し出した。
「本日未明、豆の木にある特災課より首都近辺の地下において異常な高エネルギー反応が確認されたと報告が。
その移動特性、パターン等の一致から、上層部はこれを『特A級災害生物』の活動によるものだと断定。
我々に出動を要請した次第です。……ここまでは、いいですか?」
壇上で説明する瑞希の所作はまるで教師が生徒を教えるように。
しかし生徒役がむさ苦しい男たちとなると、その絵面はちょっとしたアレである。
そのうえ『特A級災害生物』が襲来すると言われれば、
標的になる街だってちょっとしたアレのソレなのだ。
瑞希の説明を聞いたことで、この事実の意味するところを知る兵士たちの間には緊張した空気が張りつめる。
まるで「実戦だ」と聞かされた新兵のように強張った表情を浮かべた"腕利き"兵士たちの反応に、
副長がわざとらしい咳払いをついてから口を開いた。
「知っての通り、今日はあの765プロが宇宙で親善ライブを開く日だ。
日本に割り当てられてる連軍戦力の殆どは、国テロのライブ襲撃に備えて戦艦ミャオと共に空の上」
「ですから、我々は普段よりも少ない戦力でこの災害に対応しなくてはなりません。……とはいえ安心してください。
これより部隊は目標の予測出現地点へと移動、特災課の担当者及びヒーローズとも協力して、対処作業に当たります」
さらにそれから数分をかけ、任務の大まかな説明が終了した。
これからは各班ごとに集まって、より細かい打ち合わせをすることになるのだが……。
誰一人として言葉は発さず、ざわざわと騒ぎ出すことも無い。
まるで行動を始めることを躊躇うように、彼らは瑞希をジッと見つめ続けていた。
本来ならば部隊に入った時に覚悟を決めている者たちだ。
今さら不安がることも、与えられた作戦に疑問を抱く者など誰一人として居ないハズであった。
……それが普通の相手、普通の作戦だったなら。
だからこそ、兵士たちに広がる不安感。
"アイドル"ではない一般人が挑むには、余りにも強大過ぎる相手……
それが『特A級災害生物』なのであり、彼らがこれから対峙する相手だったのだ。
「……ふふっ」
と、その時。そんな彼らの反応に、あの瑞希が小さく微笑んだ。
瞬間、兵士たちの間にどよめきと動揺が走る――彼女の鉄仮面が剥がれる時。
それは対峙する相手が最後に見ることになる表情だ――とは尾ひれもはひれもついた瑞希の噂から抜粋。
だが、それはあくまで一人歩きした噂である。
怯える兵士たちを優しい笑顔で見渡すと、瑞希は彼らにこう言った。
「最後に一つ、忘れてました。無事に任務が終わったら……みんなに、最高のおうどんをご馳走するぞ」
恐らくは彼女なりの緊張のほぐし方。
無事にみんな揃って帰って来るぞという強い願い。
それはアイドルフォース総指揮官がかつて『トリニティ』破壊任務の際に口にした時から始まった、
部隊に勝利を呼び込むジンクスだった。
とりあえずここまで。書き溜めを推敲しながらなので更新ペースは遅めです。
===
「みんな朝から忙しそうネー」
もうすっかりぬるくなてしまったカフェオレのカップに口をつけて呟く姿は他人事。
カフェのテラス席でのんびりと頬杖なんてつきながら、
島原エレナは目の前に広がる喧騒の様子を眺めて呟いた。
……ここは街の大通り。
つまりは『特A級災害生物』の出現予測地点に指定された件の場所であり、
パラパラと聞こえる音に顔を上げれば、空には元気よく飛び交う世界連合軍のヘリコプター。
そしてまた地上に視線を戻してみれば、物々しい装備でその身を固めた
屈強な連合軍の兵士たちが地域住民の避難を先導しているところだった。
ああ、言ってる傍からあれを見よ。
基地より出でし彼らの任務が多岐に渡るのは想像に難くないことであろうが、今、一人の兵士が
老婆の手を取りながら横断歩道を渡る姿など、ちょっと変わった青年団、またはボランティア団体に見えなくもない。
「でも、お陰でワタシたちも助かるヨ。……ねっ、ユキホ?」
エレナはそんな微笑ましい光景に思わず頬を緩めると、隣に座る萩原雪歩に話を振った。
すると雪歩は強張った笑顔を浮かべつつ――彼女は男性が苦手なのだ――
「だけどいつもより、人数が少ない気がするね」
「そう? ……ん~、言われてみるとそうなのかナ?」
言って、エレナがチョコンと首を傾げる。
まるでインコやオウムがするように、
その可愛らしい動きに合わせて彼女の頭のアホ毛もふわりと揺れる。
そも、アホ毛とは本来寝癖なのか個性付けなのかと諸説が云々――。
「……予定されてる時間までに、避難が間に合えばいいんだけど」
――云々かんぬん。心配そうな雪歩には悪いが、
エレナ自身は余りそうした印象を受けていない。
なにせ大きくはこのような災害時の支援活動から、
小さくは小学生の登下校における見守りまで。
今や連軍兵士の姿は警察よりもよく目にし……それは街の治安が不安定なことを間接的には示していたが、
逆に常日頃から地域社会と密着し、いざ事が起きれば迅速に対応する地盤が整っている証拠であるとも言えるだろう。
現に目の前で行われている避難活動も、
先ほどから随分とスムーズに人が流れ、滞りなく進んでいるように見える。
全ては日本というこの島国が、
『地獄のハロウィーン』に端を発する連続した争いの舞台となった結果なのだ。
人々は過去の出来事で学習し、それを次に活かすことを選択した。
今回のような"いざという"状況下に置かれても、
噴き出す不平不満を最小限に留めることができるのは、そうした過去の犠牲と反省があったからこそ。
未だ復興作業も道半ば。半壊した建物と新たに建てられた建物が奇妙に同居するちぐはぐな街並みの中を
忙しなく走り回る兵士たちの姿を目で追いながら、エレナはふとこんなことを思い出していた。
確かそう、日本ではこんな状況を表すのにピッタリな表現があったハズ。
……グイッと雪歩の方に身を乗り出して、エレナが思い当たった言葉を口にする。
「でも、みんなが居るのと居ないのじゃ大違いだヨ! 日本の熟語で言うとこの、ソナーがあれば嬉しいナ!」
「ソ、ソナー? 確かにあれば便利だけど……?」
自信満々に放たれた言葉には一つ二つ、いや三つほど引っかかる点があったものの、
雪歩はエレナに訊き返すことができなかった。
なぜならその時、彼女は目の前にあるひび割れた道路の伸びる先より現れた
数台の戦車に注意を奪われたからである。
「また物騒な物まで来ちゃったなぁ……」
呟く雪歩の気持ちなど知る由も無く、キュラキュラとキャタピラを鳴らしながらこちらに近づいて来るソレは、
避難者たちが乗る車の群れをかき分けるようにして進み、二人のいるカフェの前を悠然と通り過ぎていく――。
「……あれ?」
「んー?」
……いや、通り過ぎては行かなかった。
カフェの傍までやって来た戦車隊は、雪歩たちの前で全車が停車。
はて、信号でも赤になったかな? なんてエレナは辺りを見渡したが、
目に入るのは横断歩道のすぐ横で、兵士にお礼を言う老婆の姿ぐらいのものだ。
「あ……なんだろ?」
そしてまた、雪歩が疑問を口にしたのと戦車のハッチが開いたのは殆ど同時と言っていい。
さらには乗組員がゾロゾロと車両から這い出て来たかと思ったら、
そのまま二人の前で隊列を組み並んだのだ。
「え、えぇっ!?」
慌てふためく雪歩の前に列から一歩踏み出して、隊長らしい髭の男が口を開く。
「お久しぶりです、雪歩さん!」
「あ、あなたはいつぞやの隊長さん!」
それは通勤途中で偶然に、昔の知り合いと出会った人のように。
自分一人を置いてけぼりに「お元気でしたか?」「そちらこそ息災なようで」
なんて会話を始めた二人に向けて、エレナがキョトンと目を瞬かせながら訊いた。
「なになに? オジさんたちみんなユキホのお友達?」
ここでエレナが顔見知りではなくお友達と訊いたのにはワケがある。
なにせあの雪歩がこれだけの人数の男性を前に気絶もせず、
悲鳴もあげずに会話を交わしていたからだ。
案の定、雪歩が「うん、実は」と答えると、髭の男も力強くエレナに向かって頷いて。
「彼女は我々の命の恩人、戦場を穿つ女神です!
雪歩さんの神業とも言える狙撃の腕に我々が、今まで何度助けられたことか――」
「そんな、女神だなんて大げさな!」
雪歩が謙遜するように両手を振り「私なんて、せいぜいお使い天使止まりですぅ!」と否定した。
するとそんな彼女の反応に、兵士たちの間でにこやかな笑いが起こり……
恐らくは以前にも行われたやり取りなのだろう。なんとも和やかなムードである。
「ふふっ。恥ずかしがる雪歩ちゃんってばかーわいい♪」
その時、二人の聞き覚えのある声がした。
雪歩たちが声にひかれて目線を上げると、並んだ兵士たちの向こう側。
戦車のハッチから「目標発見♪ 見ーつけた!」なんて顔を出したのは麗花だった。
雪歩の言った"いつぞや"の時と同じように軍帽を被った彼女が、
戦車の上からこちらに向かって飛び降りる。
「二人はここで何してるの? いつものお仕事、今日はお休み?」
するとテーブルの上に置いてあった山盛りのマカロンが載った皿を手に取りながら、
エレナが「違うヨー」と笑って首を振る。
「お休みじゃなくて待機中。チヅルの連絡を待ってるのっ♪」
「麗花さんこそ皆さんとなにを? ま、まさか非番の麗花さんが出るような、マズい事件が起きてるんじゃ……!?」
雪歩が、不安と恐怖に青ざめた表情でそう言った。
麗花はそんな彼女を安心させるための笑顔を浮かべ
「ううん。私はただ、途中で乗せてもらっただけ」と違う違うと言うように手を振った。
「この先で莉緒さんたちと会う予定だって聞いたから。
じゃあじゃあついでに、私も連れて行ってもらおうと思ったの」
麗花の答えに、隊長が「ええ、まぁ」と困ったように髭を摘まむ。
「本当に驚かされました。……行き先を答えた途端にハッチをこじ開けて、無理やり乗り込んで来るんですから」
「ノックの返事が無かったから、もしかして聞こえて無いんじゃないかなって」
さらりととんでもない話を聞かされて、雪歩は「え、えぇ?」と困惑した。
ところが兵士たち一人ひとりにマカロンを配って回っていたエレナの方は、
「うんうん、実にレイカらしいお話だネっ!」なんて、クスクスと可笑し気に笑うのだ。
そんな彼女に麗花も「あ、いいないいな!」と顔を向けると。
「そのマカロン、私も一個貰っていい?」
「もちろんいいヨっ、はい、レイカ!」
「ありがとう! お礼にギュ~ってしたげるね♪」
そうして二人仲良く抱き合う姿に、兵士たちから「いい……」なんてため息が漏れ聞こえる。
すると髭の男はワザとらしい咳を一つつき、鼻の下を伸ばす部下たちをジロリと強く睨みつけた。
「なにを浮かれているんだお前たちは! 任務に戻るぞ、さっさと全員乗り込めぃ!」
一喝、雲の子を散らすように各々の戦車へ戻って行く部下の姿に苦笑して、彼は雪歩に向き直る。
「では雪歩さん。そろそろ失礼させて頂きます」
「はい。……お仕事、頑張ってくださいね」
「も、もちろんですとも!」
天使な雪歩に微笑まれ、男が柄にもなく頬を染める。
……なに、彼も雪歩のファンなのだ。
彼は脱いだ軍帽を胸に抱き、踵を合わせて直立すると。
「お二人も怪我の無いようお気をつけて。我々一同、影ながら応援しております」
「たいちょー、いつまでカッコつけてんすかー?」
「うるさいっ、今行く! ――では!」
気合の入った敬礼一つ、こうして戦車隊は旅立った。
この辺りの避難は終わったのか、今はもう人も車も居ない閑散とした道路の先に
大きな車体が消えて行くのを見送って、残された三人はカフェの席に腰を降ろす。
「あっ!」
途端、麗花が声を上げた。
目の前の皿に残ったマカロンを摘み上げると、彼女は口をへの字に曲げて呟いた。
「私を乗せる前に出発しちゃうなんて、隊長さんってばせっかちさん」
「あ、ははは……」
だがしかし、渇いた笑いを浮かべて雪歩は思う。
(麗花さんの場合、ワザと置いてかれたんじゃないかなぁ?)――と。
===
「ところで――ひふるはんほへんはふっへ?」
手にしたマカロンをパクリと一口。
口をもごもごさせながら、麗花が二人に切り出した。
それにしても……どうして彼女は話している途中で食べ物を口に含むのか?
まぁ、麗花だから仕方ないと肩をすくめ「レイカ、お行儀お行儀」とエレナが彼女に注意する。
「それがですね、実はもうすぐこの付近に――」
雪歩が、麗花の質問に答えようとした時だった。
何の前触れも無く起きた地震。
ガタガタと辺りに並ぶテーブルが揺れ、
あちこちから物がぶつかったり落ちたりする音が聞こえて来る。
カフェの周辺にいる兵士たちがにわかに騒めきながら走り出したのが、
この地震が普通の地震では無いことを語っていた。
とはいえ、ここに動じない者が。
「わー♪ 揺れてる揺れてる!」なんてはしゃぎながら、
変わらずマカロンに手を伸ばす麗花がそうだ。
いや、よく見れば落ち着いているのは彼女一人だけではない。
雪歩とエレナもカップに残っていた飲み物をゆっくり飲み干すと、
集中するために閉じていた瞼を静かに開いて立ち上がる。
「――来たね。千鶴さんからの連絡が無かったのは、ちょっと気になるところだけど」
「まずは目の前のお仕事お仕事♪ それから連絡しても遅くないヨー」
言って、雪歩が右手を前に突き出した。
すると彼女の伸ばした手の先に、白く輝く粒子が集い始め
――その光は何もない空中でとある物。世間一般にはシャベルだとかスコップだとか、
とにかく土を掘る時に使う道具として認識されているアレだ――の形になって彼女の右手に収められる。
その名称のブレについては各自で大いに議論してもらうことにして、
隣では全身を同じような光に包まれたエレナが軽快なリズムの鼻歌を口ずさんでいた。
それは彼女の出囃子かつ、変身する時のテーマソング。
「よっ! いつ見ても二人の変身はカッコ良いね♪」
エレナの奏でるサンバビートに身を揺らし、麗花がやんやと手を打った。
例えるならばそれは、朝の特撮ヒーロー番組や、魔女っ子アニメを見ている人の反応だ。
「麗花さん、もしものことがありますから――」
なるべく距離を取って下さい。すっかり物見気分な麗花に向けて雪歩がそう続けようとした刹那、
一際強い揺れが三人を襲い、目の前の道路が轟音と共に隆起する。
メキメキと地面が持ち上げられていく様を目の当たりにした兵士が悲鳴を上げて逃げる中、ソレは姿を現した!
「フゥッ!」
さらには間に入ること間一髪!
その衝撃によってこちらに向けて弾き飛ばされたコンクリート片の一つを
すんでのところで蹴り落とし、エレナが麗花の身を守る。
「レイカ、ダッシュ!」
「もう、しょうがないなぁ」
先ほどまでの服装から一変。神話の登場人物のようなキトンを身に着けて、
あまつさえ羽根まで生やしたエレナが麗花のことを急き立てる。
さらにはこちらもすっかり変身を終え、エレナ同様にキトンを纏った雪歩が光り輝くスコップを構えて仁王立つ。
……そして! そんな二人が睨む先、地面に生まれた巨大な裂け目から今、
ゆっくりとその巨体を持ち上げたのは――。
「出たな、地底怪獣モグランゾー!」
雪歩が手にしたスコップを斜に構え、現れた巨大なモグラに向けて見栄を切る。
そも、地球が銀河連合にその名を連ね、
科学技術が急速な進歩を見せた時、人は宇宙だけでなく地下へも目を向けた。
今まで以上のスピードで行われる地下空間の開発と整備、さらには埋没資源の調査発掘。
それらが人々の暮らしに大きな利益をもたらす半面、
新たな脅威をも呼び覚ましてしまったことは既に皆さんご存知だろう。
そう! それこそが地底怪獣モグランゾー。
人類が宇宙へ進出する遥か以前より地底をねぐらとしていた巨大生物。
昨今、地下深くから人の手によって揺り起こされたこのモグラに似た巨大生物は、
時折こうして地上に現れては人を、街を襲うのである!
まさに天災、厄災、そしてある意味では人災とも言える人類史稀に見る天敵に対し、
悲しいかな、人々の取れる抵抗の手段は余りに少ないものだった。
当然、初めてこの生物と対峙した時には撃退するために軍が、そして自衛隊が動いたが、
その強靭な硬度を誇る皮膚と毛皮はあらゆる火器を物ともせず、
一度は核にも匹敵する威力を持つという、火星製の熱線化学兵器で対処を主張した学者もいたが……
彼は今、未曾有の大火災を引き起こした責任者の一人として法廷に。
後に『モグランゾー・コンタクト』と呼ばれることになるこの一連の騒動は、
既存の兵器での撃退は不可能どころか、返っていたずらに被害を悪化させてしまうことを
最悪の形で立証してしまった事件であり、その後の政府の対応をガラリと変えさせるきっかけとなった出来事だった。
そんな窮地に立たされた人類に、唯一残された対抗手段はと言えば――"アイドル"!
それは常人離れした身体能力を有して時折生まれる異能体。
又は未知なる脅威と戦うためにステージを進んだ新人類。
そして今、この場に居合わせる雪歩とエレナの二人はモグランゾーのような
"災害指定"された生き物を鎮めるためにその力を開放して立ち向かう。
"アイドル"事務所765プロダクション特殊災害対策課所属、
雪歩とエレナが背中に生えた翼を開き、気合を入れるように名乗りを上げた。
「採掘天使、ユキホホル!」
「天道天使、エレナール!」
「地底怪獣モグランゾー! 聖なる光で導きます!!」
天使! 人は戦う彼女たちの姿からも、二人のことをそう呼んだ!
とりあえずここまで。
おいおい、idolの意味に一つ抜けてるぞ
5.ロボット
なんちゃって
……まさかこれ元は「走れ麗花」?
おつおつ
>>48
これ明記してた方が良かったりしたのかな?
仰る通り「とある一日」「茜ちゃんメーカー」「マジカルクラウン」をベースにしていた「走れ麗花」に
残りのミリマスイベントを混ぜ込んだうえで辻褄合わせの為のオリジナル要素を足した話になります。
結果、どんな話になったかは……どうぞ続きをご覧ください。
===
都市部にモグランゾーが出現した。
そのことは慌ただしさを増した付近の連軍兵士の様子だけでなく、
耳に聞こえて来る騒音と、先ほどから断続的に続く地面の揺れで千早にも察することができた。
雪歩たちのいる大通りからは距離のある河川敷。
型の古い携帯電話を耳に当て、如月千早は電話の主に返事する。
「天使が? ……分かりました。私たちも合流して対処します」
言って、千早は電話を切った。
ポケットに携帯を押し込むと、
彼女は傍らで待機していた篠宮可憐に振り返る。
「篠宮さん。たった今、早坂さんから連絡が」
「き、聞こえていました……天使、ですね」
「ええ、それと例の地底怪獣も」
千早の物言いは淡々としたものだったが、そこには微かな焦りがある。
彼女の緊張を可憐は匂いで感じ取ると、自分も知らずの内に
跨っていたロードバイクのハンドルをしっかと握りなおしていた。
……遂に来たのだ、この時が。
日頃の訓練の成果を見せるにはうってつけとも言える檜舞台。
自分と交代するように千早がサドルにお尻を置くと、可憐は自転車のペダルを踏みこんだ。
ロードバイクの二人乗り。本来は大変危険な行為だが、緊急事態だ大変なのだ。
ぐんぐん加速度をつけながら、二人は大通りに向けて走り出す。
「それにしても――」
ダンシングする可憐の肩に両手を置いて、バランスを取りながら千早が言う。
「今日は少々、忙しすぎると思いませんか? 平時の業務に、モグランゾー」
「それに事務所の……し、親善ライブのことですね」
可憐の打った相槌に、千早が「はい。……それが一番問題です」と頷いた。
首から紐でかけているデジタルカメラに視線を移し、
彼女は苛立ちを抑えられないと言ったように唸る。
「このままだと間に合わなくなるかもしれないわ。……高槻さんのステージに!」
瞬間、可憐の肩に痛みが走った。
千早が掴まっている両の手に、不意に力を込めたのだ。
……とはいえ、それも仕方がないことだろう。
本来ならば彼女は今頃、765プロの専属カメラマン見習いとして戦艦ミャオに随伴していたハズなのだ。
理由は単純、贔屓のアイドル高槻やよいのライブ姿を、カメラに収めるためである。
「……すみません千早さん。私が、その、デビュー戦なばかりに迷惑を」
「い、いいえ! そんなつもりで言ったワケでは……。それにこれも、私の大事な仕事ですから」
申し訳ないと謝る可憐に、千早が慌てて首を振った。そう、仕事。
世間的には歌手寄りのアイドルとしても認知されている千早がなぜ、カメラを持ってここにいるのか?
……その理由についてはもう間もなく、詳しく語ることができるだろう。
それまでは比較的滑らかだったアスファルト道路が、
徐々に亀裂と段差混じりのガタガタとした物に変わる。
が、可憐たちの乗る自転車の造りは特別製。
この程度の悪路でたちまちダメになってしまうほど、ヤワな素材では出来ていない。
とはいえ、大通りに近づくにつれて道はますます悪くなり、
次々と目に入る光景も、まさに惨事と言って然るべし。
周囲には崩壊したビルや黒煙を上げる車が転がって、
あちこちの瓦礫には連軍兵士が右往左往。
逃げ遅れた人々の救助や避難を指揮する横を通り抜け、
破壊の傷跡が生々しい街並みに、可憐が怖気付くように呟いた。
「あぅ……こ、これは……」
「……今回も派手にやってますね」
その時、避難する市民の列から一人の人間が飛び出して、二人の傍へとやって来た。
どんな時でも笑顔だけは決して崩さない、ご存知北上麗花その人だ。
「千早ちゃんに可憐ちゃん! こんなところで会うなんて奇遇だね~」
「れ、麗花さん!? ここで何をしているんですか!」
「皆さんのお手伝い……でしょうか?」
二人の乗った自転車と涼しい顔で並走しながら、麗花が「ううん、違う違う」と首を振る。
「実は莉緒さんたちのところに行く途中で雪歩ちゃんたちと偶然会って……巻き込まれちゃった」
そうして参ったとでもいうように、ポンと頭を一叩き。
千早が小さく肩をすくめ、麗花の被る軍帽を呆れた顔で一瞥した。
「今日、私と同じで非番でしたよね?」
「そうだよ? だけどお仕事中のみんなに差し入れなんかしてあげたら、喜んでくれるかもって思ったから」
麗花が言って、ウェストポーチのチャックを開けた。
次の瞬間、辺りに響く轟音、爆発、大炎上。
空高くから降って来た巨大な岩が直撃し、
三人の傍で燃える鉄塊へと成り果てるのは路肩に止められていたタンクローリー。
「ひゃあぁっ!?」
熱気と爆音に驚いた可憐が絶叫し、乗っていた自転車のバランスが崩れるが……
咄嗟に足を出した千早と支えに入った麗花のおかげで、なんとか転倒は免れる。
「あ……ありがとう、ございます……」
お礼を言う可憐に「なんのなんの」と応えると、麗花はパラパラと肩にかかる火の粉を払いつつ、
ポーチの中からおにぎりの入ったビニール袋を引っ張り出した。
「それでねそれでね? ツナマヨと鮭と生たらこ! みんな気に入ってくれるかな~♪」
「まぁ、麗花さんにしては無難なチョイスだとは思いますけど。
それより火の粉は熱いので、できれば他所に散らしてください」
「お、お二人とも流石……場馴れしてますね」
突然のアクシデントに取り乱した可憐とは対照的に、
麗花たちは普段通りのテンションだ。
ここに、踏んで来た場数の違いがキラリ。
そんな一行の向かう先、モグランゾーが暴れる市街では、
二人の天使が奮闘虚しく苦戦していた。
……もちろん、雪歩とエレナのことである。
それを形容するならば、正に威圧感の塊か。
二本の後ろ足で立ち上がり、自分を見下ろす
巨大なモグラ獣を険しい視線で捉えたままで、雪歩は訝し気に呟いた。
「……なんだろう、変な感じ」
刹那、この巨大なモグラ獣は凄まじいほどの怪音を――黒板を爪で引っかいた時に出る不快な音を、
さらに野太くしたような嫌な音だ――発してその太い腕を雪歩目がけて振り下ろす。
「はっ!」
すんでのところで身をひるがえし、その強烈な一撃をステップを踏んでかわす雪歩。
日頃の辛いダンス練習が、こういう時に役に立つ。
地面がめくれ、破片となったアスファルト道路が散弾のように辺りへ飛び散る。
「くぅっ!」
今度は手にした光のスコップをバトンのように回転させ、飛んできた破片を弾き飛ばす。
彼女の生成したスコップの、その大きさは自由自在。
有事の際にはこのように盾としても――。
「はあぁっ!!」
また、武器としても使うことができる――地面を強く蹴り跳躍!
攻撃の隙を突く形で、雪歩は巨大モグラの頭部に重たい一撃をお見舞いした。
……が、「効いてない!?」相手は多少よろめいただけで、
ダメージというダメージを受けてはないらしい。
どころかそのよろめきから戻る動きを利用して、
下ろしたばかりの腕を勢いつけて振り上げる!
「きゃあああぁっ!!」
「ユキホっ!?」
岩盤をも易々と引き裂く爪による、重く、鋭いアッパーカット。
おまけに打ち上げられた雪歩が落ちて来るところを見計らい、
モグランゾーは腰の入ったストレートを彼女の体に打ち込んだ!
横っ飛びに吹き飛んだ雪歩が道路脇のビルへと叩きつけられて、辺りに破片とガラスが派手に散る。
さらにエレナが彼女の安否に気を取られた一瞬の内に、死角に迫る巨大な殺気。
不気味な風切り音と共に突き出された脅威の一撃が、彼女を上から押しつぶす。
「きゃうっ!?」
思わずエレナは悲鳴を上げて……。
どうにか受け止めた両腕がミシミシと音を立てて鳴っている。
続く二撃目を受ける寸前に、後ろへ跳ねて距離を取る。
大地が軋み、傍にあった電柱が道に倒れ込む。
放電しながら踊る電線の束を避けながら、
エレナは自分たちが追い詰められている事実に戦慄した。
そも、これまでに確認された地底怪獣は、その殆どが温厚な個体であった。
彼らは例え地上に出て来ても、こちらから攻撃を加えない限りはもっぱら周囲を散策することをメインの活動行為とし、
建物の破壊や人的被害といったものは、いわばお散歩による副次的な結果でしかなかったのだ。
そんな彼ら"お上りさん"を強い光によって誘導して元いた巣穴に戻すのが、
天使たるエレナたちのお役目であり、与えられていたお仕事なのだが……。
にも関わらず、この個体は違う。
手当たり次第に近くの物を攻撃する凶暴性、こちらの妨害を物ともしない強靭性、
そして何より話が、意思疎通ができやしない。
怪獣であるモグランゾーに話が通じないだって?
なにを当たり前のことを言っているんだと仰る方は、
どうやら異種族とのやり取りを補助する為に生まれた画期的な新技術、通称『ハナセール』のことをご存知ないと見た。
これは大銀河連合より提供されたテレパス理論を応用した技術であり、
人語を解せぬ生物とも簡単な意思の疎通ができるようにする為の製品で
――例えば相手の喜怒哀楽を読み取ったり、お手、伏せなどの簡単な指示を出したりだ――
アイドルの中でも使える者は限られるが、
天使たちがそれぞれ頭の上に浮かべた輪っか、アレこそがハナセールなのである。
ちなみに研究開発は世界の水瀬が行っており、現在特許出願中。
アドバイザーはかの有名な、我那覇響その人である。
===
「押されてるわ」
構えたカメラのファインダー越しに、
二人の天使の戦いぶりを見守っていた千早が呟いた。
戦況は甚だ芳しくなく、派手に倒壊を続ける街並みも、
彼女の心証を悪くする材料の一つだった。
なにせ対モグランゾー戦における損害費用の何割かは天使側――
つまりは765プロが負担しなくてはならないのだから当然だろう。
千早がカメラを構えて危険な戦地に赴く理由はここにある。
彼女の隣でオペラグラスを目に当てて、見物していた麗花が言う。
「二人とも派手に壊してるけど……今度の写真集、売り上げで補てんでるのかな?」
「できるできないで言うならば、できてくれないと困ります。その為の撮影なんですから!」
麗花の呑気な疑問の言葉に、千早が苛立ちを隠せず唸る。
もう前回受けたような屈辱は……ダメ押しとばかりに猫耳スク水写真を
おまけでつけるような事態だけは回避したい。
そして、その為にはこれ以上被害が広がるのはマズい、マズいのだ。非常に……。
そんな千早の心情を察したのか、「わ、私、出ます!」瓦礫の山に片足をかけて、
自転車用のヘルメットを外した可憐が言った。
「篠宮さん!? でも、アナタは――」
アーマー無しでの戦闘は、初めてのことになるのだから。
そう続けようとした千早の言葉を「大丈夫です」と遮ると、
可憐は強い決意を秘めた眼差しで彼女のことを見下ろした。
その長く美しい髪がざわざわと生き物のように脈打って、辺りの空気を震わせる。
千早も無言でカメラを構え、その美しい横顔にレンズを向ける。
「その為に私はここに居るんです。事態が手遅れになる前に、
これ以上、二人に負担を強いるワケにはいきません……!」
先ほどまでのオドオドとした態度は既に消え去り、
そこには765特殊災害対策課が満を持して送り出す、新米サイキッカー・アイドルの雄姿があった。
===
一方その頃別の場所。
モグランゾー出現の報を受け、平時は天空騎士団を率いる聖母こと天空橋朋花も、
可憐たちがいる現場近くにちょうど到着したところであった。
既に尋常ではない崩壊っぷりを見せる街並みを鋭い視線で一瞥し、
彼女は最寄りの連軍キャンプに足を運ぶ。
「失礼、ヒーローズの者ですが~」
市民の避難を指揮していた連合軍の部隊とコンタクト。
自身がアイドルヒーローズの一員であることを証明するバッジを見せながら、朋花は責任者の行方を聞いて回る。
これだけ破壊された街を見るのは、
そう、デストルドーとの最終決戦以来のことだ。
連れて来ていた騎士団員たちには部隊を手伝うよう指示を出し、彼女は騒動の中心部へと急ぐ。
髭面の男が運転する戦車に乗って移動中も、
遠い戦地からの振動が、大地を断続的に揺らしていた――。
とりあえずここまで。読みにくい箇所などありましたなら、ご指摘いただけると対処します。
訂正
>>59
〇「二人とも派手に壊してるけど……今度の写真集、売り上げで補てんできるのかな?」
×「二人とも派手に壊してるけど……今度の写真集、売り上げで補てんでるのかな?」
>>60
〇千早も無言でカメラを構え、その凛とした横顔にレンズを向ける。
×千早も無言でカメラを構え、その美しい横顔にレンズを向ける。
===第三幕「襲撃者たち」
地面が揺れた、いや揺らした。一人の少女が身をもって。
「わわわわわっ!?」なんて慌てた悲鳴が室内に響き、
一拍置いてどんがらがっしゃーん!
近くに置かれた荷物やらなにやらを巻き込み床の上。
その一部始終を見ていた北沢志保は、
床に転がる少女に向けて呆れた様子でこう言った。
「アナタと言う人は本当に……またですか?」
「え、へへ……うん。またやっちゃった」
髪につけた二つのリボンが可愛らしいその少女は、
ペロリと恥ずかしそうに舌を出すと打ちつけた腰をさすりながら立ち上がる。
彼女の名前は天海春香、又は旧名ハルシュタイン。
かつては自らの製作した怪ロボット軍団を率い、
地球征服に乗り出したこともある悪の天才科学者その人だ。
そんなともすればお縄についていてもおかしくはない人間が、
なぜ山の上に作られた小さな陶芸小屋の中で、粘土と向き合っているのだろうか?
……答えは単純至極明快で、彼女もまた厄介者の島流し先、
765プロダクションの一員となったからである。
なにを隠そう件の軌道エレベーター、豆の木の建設にも一枚噛んでいる曲者だ。
彼女の知識的、そして技術的な協力無くば、
計画を主導した水瀬グループも今世紀中に工事を終えることなどとてもとても!
……故に、彼女とその一派はかつての悪行に多少のお目こぼしを貰ってここにいる。
ちなみに蛇足も良いほどの補足をしておくと、春香を見下「してません!」失礼、
見下ろす志保の方もまた、元悪の組織デストルドー所属という経歴の持ち主であった。
「いやー、いつまで経っても地球の重力には慣れなくって!」
「はぁ……。そういうことにしておきます」
言って、志保は手元にある自分の作品に視線を戻す。
完成率は六割ほどの、彼女が作っている食器は親友である少女への贈り物。
まだいびつな形のこの茶碗、
最終的には可愛い猫の模様を入れてみようかな、なんて計画だって立てている。
……受け取った相手の心温まる笑顔を胸に描き、
志保は頬を緩めると再び作業に取り掛かった。
「春香さんもいい加減に遊んでないで、お勤めに精を出した方が良いですよ」
「お勤めって言い方は好きじゃないな~。お仕事って言おうよ、お仕事って」
が、その一言で志保が額に手を当てる。
ああ、あの極悪非道で冷徹無慈悲な悪の首領がすっかり平和に腑抜けてしまって!
一度は世界の三分の二を武力で掌握した大総統も、
今では自ら率先して世直しアイドル業に励む始末。
彼女のカリスマ性に感化され、後追いとも言えるデストルドーを立ち上げた琴葉が聞けば何というか……。
『そうですね。一緒にお勤め、頑張りましょう!』
ああ違う! 暴力と破壊を信条とした悪の集団、
デストルドーはそんな組織じゃ無かったハズ!
志保は頭に浮かんだ自分の上司、その満面の微笑みを想像して言葉にできぬ忍びなさを感じると、
春香には見えないようにため息をついた。
するとそんな二人のやり取りを傍らで聞いていた人物が、
「まぁまぁまぁ、二人ともケンカはダメだよ」と間に入る……勿論、北上麗花である。
「ケンカだなんて心外な……大体、どうして麗花さんがここに居るんです?」
志保が冷たくあしらうと、麗花は「むぅ」と自分の口元に手をやって。
「志保ちゃんってばつれないな~。折角遊びに来てあげたのに」
嘆く麗花にジトッとした抗議の視線を投げつけて、志保は数十分前の悲劇を思い出す。
陶芸小屋に"折角"乱入して来た彼女によって、ほぼほぼ完成していた作品を、
見るも無残な粘土の塊に戻されてしまったあの悲劇を。
「……有難迷惑って言葉、知ってます?」
「勿論だよ! ありがたい迷惑のことでしょ♪」
胸を張って答える麗花に、志保は「これ以上言っても無駄だな」と見切りをつけて作業を再開することにした。
なに、彼女の相手は暇そうなハルシュタイン大閣下様がしてくれることだろう。
……と、言うより実際そうだった。
「でねでねこれがね? 私の考えたでんでんむす君!」
「むむむ、何だかロボット映えする見た目……できる!」
二人は先ほどから粘土を使い、ワケの分からないオブジェ作りに夢中である。
それからさらに数十分後、まずまず納得いく形になったカップを前に、
志保が「よし」と頷いた時だった。
「た、大変だよぉ!」
突然小屋の扉が開き、転がり込むようにして現れたのは木下ひなた。
彼女もまた例には漏れず、765プロ所属のアイドルだが……。
今、ひなたが纏うはまるで赤ずきんのような真っ赤なフード付きケープの下に純白のキトン。
それはつまり、先の雪歩やエレナ同様彼女も戦闘態勢に入っているということで。
「なっ、なに?」
「どーしちゃったのひなたちゃん!?」
春香と麗花が驚く声に志保が顔を上げた次の瞬間、視界を覆う閃光、爆発!
鼓膜を揺らす残響に、その場の全員が思わず顔をしかめて音の出処へと目を向ける。
「……ありゃー、外しちゃったかな?」
つい先ほどまで扉だった物を押しのけて、彼女は姿を現した。
激しい衝撃波により乱雑に散らかった陶芸小屋を見回すと、
この場に似つかわしくない背中のマントをなびかせる。
「まっ、いいや! 不意打ちなんてらしくないもんね」
言ってからニヤリ、少女が不敵に微笑んだ。
その視線が捉えるのは、先ほどまでとはガラリと雰囲気を変えた春香を含む麗花たち。
鋭く、目つきも一段と悪くなった春香……
いや、ハルシュタインがこの荒っぽい訪問者に尋ねる。
「ご挨拶だね、海美ちゃん……一体なんのつもりかな?」
「やだ、怖い怖いなその目つき! 流石はワルの大総統っ!」
名前を呼ばれ、少女は――マイティ・セーラー高坂海美はおどけたように身を震わせた。
彼女は正義の治安維持組織、ひなたも所属する
アイドルヒーローズの主戦力であるスーパーアイドル。
その戦闘服でありヒーローネームの由来にもなっている
超ミニセーラー服の純白は、正義の使者である印。
胸元に輝くアミュレットも同じく、彼女がヒーローである証。
……しかし今、海美の様子はどこかおかしい。
「どうこう無いよ、ハルシュタイン。私はただ、ヒーローとしての仕事をしてるだけ」
「仕事? 善良な一般市民を襲うのが?」
途端、海美がケタケタと腹を抱えて笑い出した。
「善良? 市民? ハハッ、冗談!」
いやいやいやと首を振り、彼女は春香を睨みつける。
「とっくに狙いはバレてるんだ。とぼけようったってさせないんだから!」
刹那、直立する海美の両腕から激しい雷光が迸る!
溢れ出したキネティック・パワーの疾走により、はぜる電灯と窓ガラス。
壁際に並ぶ作品棚をも穿ちながら、
ソレは複数の奔流となって上下左右から春香たちを襲う!
「危ないっ!」
まさに秒の差で反応し、麗花が春香とひなたの二人を抱えて飛び上がった!
弾ける電撃瞬くスパーク。だがしかし、それは海美の狙い通り。
「まっ、そー来ると思ったよ!」
彼女は待ってましたとばかりに両手を上げると、見えない弓をつがえるようにして構え、
鋭い矢の如く尖らせたエネルギー体を空中で無防備になった三人に向けて解き放った!
「あらら……!」
あの海美に一杯食わされたと悟り、麗花が衝撃に備えて目を細める。
着弾! 雷鳴の轟くような音を響かせながら、室内は激しい点滅に包まれて……。
ようやく視界が安定すると、麗花たちは床に崩れていた。
とはいえ、やられてしまったワケではない。
そう! 我々は皆知っている。
ここには彼女たち以外にももう一人、頼れる"アイドル"が居たことを!
「これはまた……妙な芸を覚えたようで」
それはかつて、デストルドー幹部としてヒーローズと対峙した悪のマイティ・セーラー志保。
麗花たちを攻撃から守るため、海美の前にシールドを張って立ち塞がった彼女の服は、
黒猫のプリントが入った陶芸用エプロンの下に身に着けたセーラーは、漆黒の闇を思わせるほどに黒く
――このため、彼女はダークセーラーと呼称されることもあった――
だが、その目は海美ほど淀んだ輝きを秘めてはいない。
むしろ今、志保は怒りに燃えていた。
それもそのハズ、彼女は先ほどの襲撃によって大切な作品を"またもや"台無しにされたのだ。
二度も散った苦心作を苦悶の表情で看取った志保が、海美に向けて吐き捨てるように口を開く。
「どこで習って来たんです? "そんな"力の使い方」
「ふふん……知ってる癖に」
怒れる志保の質問をはぐらかし、海美が両手を低く構える。
またもバチバチと音をたててパワーを蓄え始めた敵の姿に、志保は「ちっ」と舌打ちした。
こんな狭い空間で、ああいった放出系の技は厄介だ。
アレは天井だろうが壁だろうがお構いなしに駆け巡り、こちらを狙ってくるだろう……ならば!
「麗花さん!」
春香とひなた、二人を両脇に抱えた麗花に向けて志保が叫ぶ。
「ここは私が食い止めます! 二人を連れて、とにかく脱出を――っ!?」
が、その隙を見逃す程に海美は間抜けでもなく甘くもない。
志保の懐まであっという間に詰め寄ると、
彼女はキネティック・パワーを纏った両手をガラ空きの腹部に叩き込んだ!
「キネティック・ショックッ!!」
「ああああああぁぁっ!?」
海美が技の名を叫ぶと同時に、小屋に響くは志保の絶叫!
物と肉が焦げる嫌な臭いが漂って、
弾けた磁石のように壁に叩きつけられる志保。
しかし、彼女も素直に攻撃を受けたワケではない。
意地でもただでは転ばぬ女である。その吹き飛ばされた衝撃をも利用して、
志保は小屋の一角に巨大な穴をこしらえた。……逃げ道だ。
「行って、早くっ!!」
「逃ぃがさないっ!」
麗花が脱兎の如く駆けだしたのと、
海美が三人のいた場所に電撃を放ったのは同時だった。
そして麗花に抱えられたままの春香が、
頭に付けていたリボンを床に叩きつけたのもだ!
「っ!? ……煙幕!」
だけでない! 目くらまし用の閃光が、
広がり出した煙に注意を引かれた海美の視界を焼く。
次に彼女が目を開けた時、小屋には誰もいなかった。
まんまと出し抜かれたことを知り、
海美が「くそぅっ!」と八つ当たり気味に壁を叩く。
「あっ」
そして、それがトドメとなった。
戦闘によって蓄積していたダメージは、
とっくに小屋の限界を超えていたのだ。
マズいと思うも間に合わず、
そのままバラバラと崩れて来た天井に生き埋めにされてしまう海美。
「~~~っ! 覚えてろぉ!!」
瓦礫の下で悔し気に吠えるが、返事を返す者は無い。
とにかく……運は麗花たちに味方した。
僅か数分ではあるものの、彼女を足止めできたのだから。
とりあえずここまで。
訂正
>>68
〇それからさらに数十分後、まずまず納得いく形になった茶碗を前に、
×それからさらに数十分後、まずまず納得いく形になったカップを前に、
===
たかが数分、されど数分。時は金なりと言うように、時間は貴重な物である。
例えばそう、今の春香たち四人のように、
強敵に追われている状況だったらなおさらだ。
陶芸小屋から辛くも逃れ、ひなたの先導で森の中を駆ける春香たち。
上体のブレを最小限に抑えた独特のアイドル走法で走りつつ、
春香は前を行くひなたに「一体全体、なにが起きたの?」と問いかけた。
「それがあたしにも分からんのだよ。急にふらっと現れて、春香さんは居るかいって」
そこで一旦言葉を切ると、振り向いたひなたは深刻そうな表情を浮かべる。
「ただ、雰囲気が違うんだぁ。何が……とは言えんけども」
「サボりを注意するにしても、やり方がちょっと過激だったよね」
春香が納得できないと首を捻った。
そも、自分は世間から後ろ指をさされるいわれこそ数あれど、
仲間であり友人でもある海美に牙を剥かれる理由などない。
そのうえ彼女が口にした「ヒーローとしての仕事」と言う言葉も腑に落ちぬ。
もしもそう、彼女がヒーローズの命令で動いているというのなら、
ここにいるひなたも自分の「敵」でなくてはならないハズだ。
しかし今、ひなたは自分たちと一緒に海美の追跡から逃げている。
行く先はここから山二つ向こうに存在する『765テーマパークランド』
……元デストルドー日本本部、その跡地を利用した一大遊園施設だった。
そんな二人に挟まれるようにして走る麗花の腕には、
お姫様抱っこの恰好で抱えられている志保の姿。
「お、降ろしてください麗花さん!」
「ダメだよ志保ちゃん、怪我してるもの」
「だから降ろしてくださいと言ってるんです! ……つぅっ!」
抗議する志保が、傷口に走る痛みに顔を歪めた。
海美の一撃は強烈で、彼女のお腹周りには打撲と火傷によって作られた見るも惨たらしい傷が。
志保たちセーラーズがオーラのように身に纏うキネティック・スキン――要は、常に発しているバリアのような物だ――
のお陰により、腹部が弾け飛ぶなどという最悪の事態こそ回避できてはいたものの、受けてしまったダメージはやはり大きい。
だからヘソ出しの戦闘服なんて! と今更言っても仕方なく。
ついでにお気に入りのエプロンも失って、今日の志保は正に踏んだり蹴ったり。
彼女は痛みを堪えるように唇を噛むと、自分を降ろせと再度麗花に訴える。
「海美さんはすぐにも追って来ます。足手まといは置き去りにして、今のうちになるべく距離を――」
「……ふぅ~、志保ちゃんってば聞き分けの悪い」
だがしかし麗花はやれやれといったように首を振り、「お願いね」と春香に振り返る。
するとお願いされた春香が「はいはいはい」と返事して、ポケットからある物を取り出した。
一見、それは只の物差し棒――ラジオのアンテナにも似たアレだ――のようだったが、
その先端にはアルファベットの『P』を模した飾りがついていて……
これから二人のやろうとしていることに気がついた、ひなたがサッと青ざめた。
「ふ、二人とも本気かい?」
「本気も本気、凄く本気♪」
「ちょこっとだけ、ビリっと来るかもしれないけど」
次いで、察した志保の顔色も悪くなる。「ま、待って!」と止める声も空しく、
たちまち帯電したPヘッドをその額に押し当てられて――。
「みゃみゃみゃみゃっ!?」
「にゃにゃにゃにゃっ!!?」
森に木霊す悲鳴は二つ。ああ、言わんこっちゃない!
ひなたが予想した通り、焦げ臭いオゾンの香りを漂わせ、地面には気絶してしまった志保と……
彼女を抱えていた為に、電気ショックの巻き添えを喰らった麗花の姿。
完璧なまでに伸びてしまった二人を一瞥すると、
ひなたは困った子を見るような視線を春香に向けた。
「春香さん、だからあたしが聞いたしょや?」
「こ、これは威力調節が必要だね……」
いやいやいや、問題なのはソコじゃない。
手にした電磁棒を弄くりながら言う春香に、ひなたが小さくため息をつく。
そのうえこのタイミングで足を止めたのは愚策だった。
辺りの木々がざわざわとその身を震わせ始め、春香とひなたは急接近してくる気配を察し、
倒れた麗花たちを守るようにして身を寄せる。……来た。
「なーんだ、鬼ごっこはもう終わり?」
まだまだ遊び足りないぞと、そんな風に呟きながら姿を見せた少女は海美ではない。
しかし、彼女もまたヒーローズ。
派手な黄色の戦闘服にベルトのエンブレムがその証。
「じゃあじゃあこっから第二ラウンドね! 先に倒れた方の負け!」
「やっぱり海美ちゃん一人じゃ無かったか……!」
春香は眉根を寄せてそう言うと、この新たな追手に視線を向けた。
そこにいたのは『ジェットウルフ』のヒーローネームを持つ少女。
大神環は人懐っこそうな笑顔を浮かべると、
対怪人戦用ボクシンググローブを装備した両手を構えて走り出す。
「くふふっ♪」
刹那、春香たちの間を風が通り過ぎた。
正に疾風、そのカミソリの如き鋭さを持った踏み込みは一瞬で互いの距離をゼロにして、
なおかつ春香の後ろを取った環が振り向きながら腕を出し叫ぶ!
「超はやいパンチっ!」
環のつけた微笑ましい技名とは裏腹に、
雨よあられよと至近距離から叩き込まれる高速パンチは強烈だ。
秒間"なんか凄い速さ"で撃ち込まれる無数のパンチを前にして、
並大抵の敵はまともに立っていることすら叶わない。
「わわわわっ!?」
そう! 並大抵の敵ならば……ここで思い出してもらいたい!
環が相手しているのは、仮にも世界征服一歩手前まで行ったハルシュタイン。
強者はその実力もさることながら、強い運だってあわせ持つものだ。
現に今、彼女はその"強運"によって本来ならば致命傷だった攻撃を見事に全て避けて見せた。
環が接近する際の風圧に耐えきれず、その場に転んでしまったのである!
「あんっ! だから重力って大好き!」
背中に当たる大地の存在に感謝して、仰向けになった春香は電磁棒を高々と突き出す!
春香が"いるハズだった"空間にパンチを放っていた環にはコレを避ける術は無い。
眼下に迫るPヘッドを目で追いながら、環が「しまった!」と心の中で呟いた時だ。
銃声、衝撃! 春香の手にしていた電磁棒が、環に当たる寸前のところで弾き飛ばされて宙に舞う。
そして攻撃を受けずに済んだ環の方も、バランスを失い豪快に地面を転がった。
急いでその場から立ち上がる春香の視界に、見知った少女の姿が入る。
「なんやねん春香、今の避け方めっちゃオモロイやん?」
春香たちが逃げて来た方向、足元の藪を踏み鳴らしながら、
硝煙の立ちのぼる銃を手にして現れたのは横山奈緒……
おまけに彼女の隣には、瓦礫から脱出を果たした海美も居る。
「さっきの弾は見物料と思ったってな。見事な転びっぷりやったで~♪」
言って、奈緒は握っていた銃をケラケラと振った。
明け透けな態度で語る彼女は元国際テロリスト軍所属、
仲間内からは"冷血将軍"とまで呼ばれた才女。
その軽いノリとは裏腹に、実力のほどは確かな"アイドル"である。
そんな奈緒が海美を連れてここに現れたということは、
彼女もまた環と同じように自分たちの命を狙う襲撃者。少なくとも味方に数えて良いワケが無い。
「それで次に撃ち込む弾丸が……いわゆる冥土の土産っちゅーヤツや!」
案の定、奈緒は銃口を春香に向けると戸惑うことも無く引き金を引いた。
パンパンパンとリズミカルに撃ち出された弾丸が、春香目がけて飛んで行き……。
とはいえ、奈緒もこれで相手を倒そうなどとは思っていない。
放たれた三発の弾丸は春香の体に届く随分と前の段階で、予想通りひなたによって防がれた。
「だ、大丈夫かい春香さん?」
「うん、ありがとうひなたちゃん」
木下ひなた。海美や環同様にヒーローズ所属である彼女のことを、
人はヒーローネーム以外では『裁判の女神』や『善と悪の審判者』と呼ぶ。又は『義に厚い情の戦士』とも!
たった今弾丸を叩き落としたばかりの雄剣を構え直し、
ひなたは春香を守るように奈緒たちの前に立ち塞がった。
「なになに、今回は巨大化したりせぇへんの?」
その様子をニヤニヤ笑いで眺めつつおちょくるように言う奈緒に、
ひなたが「アレはお金がかかんだわぁ」と涼しい顔で言い返す。
その間に春香は体勢を整えて、環も仲間の元へと駆け寄った。
緊迫した雰囲気が急速に森の中へと広がって行く。
相手は三人こちらは四人。だが、その内二人は気絶中。
春香たちにとって事態は依然として不利なまま……むしろ悪化していると言うべきだろう。
===
「それじゃあ環、アレで行こう」
「アレ? うみみ、アレってなに?」
「あー、ほら。この前一緒に練習した」
「ああ、アレだね! ……くふふっ、おっけー♪」
なんとも緩い、海美と環のやり取りである。
が、対峙している春香からすれば、目の前の二人は厄介なことこの上ない。
強力なキネティック・パワーを持つマイティ海美に、
彼女のスピードにもついて行ける高速戦闘が得意なジェットウルフ環。
どちらも完全なインファイター、純粋な戦闘力では向こうの方が数段上だ。
おまけに二人のサポートとして、将軍奈緒までココに居るのだ。
「ひなたちゃん、ちょっとひなたちゃん」
無策で挑むには分が悪いと、春香がひなたに呼びかける。
するとひなたは驚いたように肩を弾ませて振り向くと。
「な、何だいハルシュタ、ハルシュキャ、春かっきゃっ!」
「噛むほど私呼びにくいかな!? ……いつも通りに春香でいいよ」
「あぅ、すまないねぇ春香さん」
取り乱して噛んだ舌を出したまま、ひなたが申し訳なさそうに頭を掻いた。
なんとも和むやり取りだが、対峙している奈緒からすれば、
それもこちらの裏をかくための春香の作戦に見えるのだから性質が悪い。
こしょこしょ話をする二人の姿に奈緒はこちらから攻撃を
仕掛けるべきか否か、その判断とタイミングを計っていた。
「ちっ……やりにくうてかなわんな」
奈緒が誰に聞かせるともなしに独り言ち、苦々し気に顔を歪める。
こんな時、他より思慮深いと損である。
海美たちはただ自分の命令に従って攻撃を仕掛けるだけでいいが、相手は悪名高きハルシュタイン。
未だ飄々とした態度を崩さぬその裏に、どんな奥の手を隠し持っているか……。
「分かったもんやない」と首を振り、奈緒は銃を握る手に力を込めた。
こうしている間にも着々と、時間だけは止まらず過ぎていく。
それが悪いとは言わないものの、予定外の幸運により
地面に転がる麗花や志保がいつ目を覚まさないとも限らない。
相手の数が少ないならば、それはすなわち好機であり……。
それからさらに十数秒後。痺れを切らしたように
髪をわしゃわしゃとかき乱し、奈緒が高らかに命令する。
「あ~、もうええっ! 海美! 環! やぁ~っておしまいっ!!」
「アラホラ!」
「サッサー!」
怖気付くのを止めた奈緒の命令に、
二人は元気よく返事をすると春香たちを挟み込める位置まで移動した。
自然、春香とひなたも死角を隠すために
背中合わせで陣を構え、海美たちと対峙する形になる。
「ふふふ~ん。それじゃあ行くよ? 春香! ひなた!」
「たまきたち二人の合体技!」
構える春香たちを中心として、海美と環が円を描くように動き出した。
始めはステップを踏むようにゆっくりと、それから徐々にスピードを上げていき、
気づけば春香たちの視界に映る二人の姿が、まるでストップモーションのように細切れな物になって行く。
「こ、この合体技ってもしかして……!」
「うわぁ……。二人とも凄いねぇ!」
嫌な予感がするといった風に呟く春香に続き、
ひなたが二人の妙技に感嘆の声を上げる。
今や海美たちの姿は肉眼において幾つにも増え、
あたかも分身しているように春香たちの周りを回っている。
……いわゆる一つの、超スピードで移動することで生まれる残像だ。
「くふふ、驚いたでしょ~?」
「結構練習したんだこれ。ぶつからないようにするのが難しくてさ~」
まるで世間話でもする調子で環が笑い、海美が応えた。
と、同時に二人のヒーローは移動しながら身構えて「てやぁっ!」「それっ!」
咆哮! 一瞬の間も置かず、輪から飛び出た二つの影が残像に囲まれた春香たちを襲う!
「はぁっ!」
そして次の瞬間には弦を切るような音が森の中に響き、
攻撃を避けるために屈んだ春香のすぐ上を、二筋の風が通り抜ける。
「おぉ~! 凄いすごーい!」
再び残像の輪の中に戻った環が無邪気に笑う。
春香が片側だけ残ったリボンを弄くりながら「マズいなぁ」と呟くその傍では、
海美と環の同時攻撃をどうにか受け流したひなたがホッとため息をついていた。
今、彼女の掲げる両手には二振りの剣が握られている。
それはいわゆる『雌雄一対の剣』と呼ばわれる業物。
長きは雄剣、短きは雌剣。
二つは一つで敵を貫く矛となり、また仲間を守る盾にもなる。
「今のは上手くいったけんど、連続でやられっと辛いねぇ」
再び剣を構えなおし、ひなたが誰ともなしに呟いた。
それからまた二度、三度。
森の中に鈍い金属音が木霊すたびに、彼女は振るった剣を構えなおす。
全ては春香の策を成す為に……。
その気配を感じ取ったのだろう。
苛立つ奈緒が、海美たち二人に向かって吠えた。
「こらぁっ! 二人とも遊んどらんと、早う始末をつけんかい!」
「わ、わかってるって……なにもそんなに怒らなくても」
「次で最後にするってば~」
叱られた海美と環は渋々と言った様子で応えると、周回の速度をさらに上げる。
「必殺、キョーキ乱舞っ!!」
そして声を揃えて雄々しく叫ぶと、止めとばかりに獲物目がけて飛び掛かった。
……だがしかし、春香はこの機を待っていたのだ!
「そういうトコ、ヒーローは甘い!」
してやったりと握り拳を作った彼女の代わりに説明しよう!
全ての攻撃にはリズムがある。攻めるリズムに退くリズム。
ならば攻撃から身を守るのは単純で、
相手の攻めのリズムに合わせた回避行動を取ればいい。
が、複数の敵を同時に相手取る場合では
それぞれのリズムに意識を向ける必要がある分厄介なことこのうえない。
海美と環、二人の攻撃には先ほどまで微妙なズレが存在した。
だからこそひなたは二振りの剣でこのズレに対処していたのだが……。
それがヒーロー特有の共通点、技の威力を気力で底上げする為に行う
"必殺技の名前を叫ぶ"ことにより、ピタリと一致してしまったのだ!
別に『いっせーの!』でも『フライ・ド・チキン!』でも構わない。
迂闊だったのはただ一点、タイミングを揃えるような掛け声を放ってしまったことにある。
本来ならば息もつかせぬ連撃を繰り出すこの技の最初の最初、
一番初めのその一撃に合わせ、春香からの合図を受けたひなたは力一杯に双剣を振り払った!
「べさぁっ!!」
出鼻を挫くとは正にこのこと!
相手の攻めて来るリズムが掴めれば、
そこに手痛いカウンターを用意するなど"アイドル"にとっては造作ない。
地面に叩きつけられるように落ちた海美たち二人の姿を見て
「な、なんやて!?」と、奈緒が驚愕と戸惑いの声を漏らす。
そして地面に倒れたばかりの海美たち二人を見下ろして、
今、堂々と立ち上がった春香が口を開く。
「フフフフ……、ハァーハッハッハッハッ!!」
山に木霊す悪の嘲笑。今度は春香……いや、
ハルシュタインが彼女たちを嘲る番だった。
方言辞書が欲しい今日この頃。とりあえずここまで。
===
攻勢一転、窮地に立たされた奈緒が握った拳に力を込める。
二人が回転中に足を引っ掛けられて転ぶとか、
回っているうちに目を回してしまうとか、果てはバターになるだとか……。
海美たちのコンビネーション攻撃には、確かに幾つも穴があった。
そしてまた、その穴を突かれた時には自分がサポートできるよう、
奈緒は幾通りもの選択肢を予め用意していたのである。
にも関わらず、目の前に立つ春香はそんな弱点を
突くまでもなく正面から海美たちをいなして見せたのだ。
さらには地面から拾い上げた電磁棒で、
嬉々としながらトドメを刺すことも忘れない。
真、情け容赦のない所業である。
こんなことになってしまってはさしもの奈緒も戦意喪失。
唖然と成り行きを見守るか、今すぐこの場から逃げ出すか……。
いくら奈緒が手練れと言えど、それは策謀面でのこと。
剣技冴えわたるひなたあいてに、銃一丁では分が悪い。
「それじゃあ奈緒ちゃん悪いけど……道、開けてくれるよね」
武器を構えた春香とひなたに迫られて、奈緒が一歩後ろに身を引いた。
仲間を捨てて逃げるのか! と野次を飛ばすならば筋違い。
彼女はそもそも傭兵アイドル、命大事にお金がその次、勝てる戦はしない主義。
とはいえ、真打ちとは常に遅れてやって来るもの。
春香の読みが甘かったと言えばそれだけだが、
奇襲とは、襲撃とは、本来万全の準備を持して行うものだ。
……例えばそう! 相手が一筋縄でいかない標的であると事前に分かっているならば、
確実に仕留められるだけの戦力を投入するのが戦場の理。
「もう、奈緒さんたちはだらしないな。相手はたったの二人じゃない」
もはやサプライズには慣れてしまった感まで漂わせ、春香が面倒くさそうに顔を歪めた。
赤い甲冑軍配携え、本日三度目の増援が木々の合間から姿を見せる。
765テーマパークランドに居るハズの、"城主"、周防桃子が今ココに。
「まったく、みーんな桃子が居ないとダメなんだから」
「も、桃子ぉ~! ナイスタイミングやで~!」
逃げ腰になっていた奈緒は嬉しそうに声を上げると、
げに偉そうに腕を組み、呆れる桃子に抱き着いた。
だがこの小さな援軍の登場に、喜びの声を上げられないのは春香たち。
戦国大名さながらの出で立ちで現れた桃子を見て、
春香は嫌な予感を感じながら彼女に訊いた。
「たったの二人? ……そっちも二人に見えるけど」
すると桃子は澄ました顔で「ああ、ごめんね春香さん。何だか誤解させちゃったみたい」
そうしてトンと、手にする軍配を自分の肩に乗せる。
次の瞬間、辺りの木立ちから飛び出す影、影、影!
あっという間に春香たちを取り囲んだのは、鎧兜に身を包んだ無数の男たちだった。
ギラギラと光る模造刀を鞘から引き抜き、彼らはじりじりと円を狭めていく。
「タ、タイムスリップでもしちゃったかな?」
春香の言葉に、桃子がニヤッと頬を緩め――。
「あ、もしかして受けた?」
「バカじゃない!?」
緊張感無く照れ笑いを見せる春香に対し、早くも桃子が冷静を欠く。
まったく大した相手である。「こほん!」と咳をつくことで気を取り直し、桃子はずいっと胸を張った。
「それで……どうする? 大人しく降参してくれるなら、桃子も面倒くさくないから嬉しいな」
一難去ってまた一難。
奈緒の助太刀として颯爽と現れた桃子率いる
武者軍団を前にして、春香は「ぐぬぬ」と小さく唸る。
今、彼女らをぐるりと囲む包囲網は木々の間を縫うようにして十重二十重。
援軍なのか、そもそもの待ち伏せか?
どちらにせよピンチであることだけは確か。
風林火山と書かれた軍配を、高らかに掲げて桃子が言う。
「もう一度だけ聞くよ? 降参するか、捕まるか」
「……そこに、戦うって選択肢は無いのかな?」
春香の答えに、桃子は静かに口角を上げた。
数の上では圧倒的に不利だと言うのに、
戦意を失わないのは流石のハルシュタインと言ったところかと。
「強がっちゃって!」
手にした軍配を振り下ろす。
次の瞬間、眼前の獲物目がけて一斉に襲い掛かる鎧武者たち!
もはや春香の悪運もこれまでか……雌雄の剣を構え直しながら、
彼女の隣に立つひなたが"覚悟"を決めたその時だ。
「今よっ!」
春香が叫び、指を鳴らした。刹那! 彼女の手前数メートルの地面が
突然盛り上がったかと思ったら、地上へ飛び出す黒い影!
「な、なにっ!?」
驚く桃子たちの目の前で、ソレはけたたましいまでの駆動音を響かせながら、
飛び込んで来た鎧武者の群れを一瞬のうちに蹴散らしたのだ!
「クククク、フフフッ……フフッ、ハハハハハッ!」
そしてまた、森に木霊すのは実に悪々しいまでの高笑い。
その華奢な体を震わせながら、春香は体を仰け反らせて笑い続ける。
「ハァーハッハッ、アァーハッハッハッハッハッ!!」
笑い、続ける。
「ハァー、ハァー、ひぇー……フフッ、ゲホッ、ゴホッ!」
……笑い続け、むせた。
「は、春香……さん?」まるで奇異なるモノを見るような顔をして、ひなたが彼女に声かける。
辺りを包む異様な雰囲気。その場にいる全ての者が、突然過ぎる少女の態度の変貌と、
そんな彼女の足元で凛々しく構える助っ人の姿に釘付けだ。
「ま、まさか……嘘やろ?」
そしてまた、助っ人の名を誰よりも先に口にしたのは奈緒だった。
長く苦しい旅路の果て、生き別れた家族と再会を果たしたかのように
わなわなと震える体、今にも泣き出しそうな顔。
「アオノリっ! い、生きとったんかぁ~!」
奈緒が、歓喜の声を上げた。
……『アオノリ』、それはまだ彼女がテロリスト軍に籍を置いていた頃に出会った相棒。
共に幾多の死線を潜り抜けて来た戦友であり家族。
アイドルフォースとの戦いの最中、秘密兵器『トリニティ』が満載された輸送機から奈緒を海上へ逃がすため、
墜落する機体と共に海の底へ沈んだものと思っていたが……。
「フフッ、フッ、ふぅ~……。そう! そのアオノリで間違いないわ」
ようやく笑うことを止めた春香が、足もとに立つアオノリを指さし頷いた。
機械で作られ核で動き、電子の頭脳を持つ超高性能ロボット犬。
しかし何故、それを彼女が呼び出せたのか?
釈然としない表情を自分に向ける奈緒に説明するかのように、春香がゆっくりと言葉を続ける。
「随分と驚いているようだけど、この子を造ったのは何を隠そうこの私。
デストルドーに響と一緒に送ったハズの試作機が、どんな経緯でアナタの手に渡ったのかは知らないけども」
そうして、春香は懐から何かを取り出した。
まるで百円ライターのようなその物体が何なのか……?
次の瞬間、春香の思惑を察した奈緒の顔が一瞬の内に強張った。
「は、春香! アンタ……!」
「フフ、気づいたようね?」
春香が、不敵な笑みで辺りを見渡す。
「海底に沈んだトリニティ、その回収作業で偶然見つけたこの機体。
こんなこともあろうかと準備していて良かったわ……自爆装置を、追加して」
===
そも、春香ことハルシュタインは悪の大総統である前に、
一人の科学者として非常に優れた人物だった。
特にロボット工学の分野に目覚ましく、かつての地球征服作戦において、
春香の生み出した怪ロボットたちが人々の脅威となったことは広く一般に知られている。
その天才ロボット博士が今、一体何といった?
「自爆装置を追加した」そう! 確かに言ってのけたのだ。
核を動力として動いている、ロボット犬を前にして!
「しょ、正気なの? 春香さん……!」
桃子は、自分の声が震えていることを自覚した。
……怯えていたのだ、恐怖していた。
目の前に立つ女性の、本気とも嘘とも取れぬ発言に。
「桃子ちゃん……私はいつだって正気だよ」
言って、再びくっくと笑う。
見る者の心をざわりとさせる、やすりをかけるような笑い声。
平時のそれとは明らかに違うその態度に、桃子だけでない、
味方であるはずのひなたでさえその身を引いて彼女を見ていた。
「怪しい素振りを見せれば、即、このスイッチを押す」
脅しではない、そしてまた、正気を失っているワケでもない。
強い意志を秘めた春香の双眸が、彼女の底の知れなさを雄弁に語る。
……まさかまだ、これ以上の切り札を?
頭の中では「ハッタリだ」と思っても、確かめることはできなかった。
彼女の堂々とした態度を見る限り、自分たちは爆発の被害に巻き込まれないような
何らかの対策をしていると、そう考えるのが自然だろう。
気づけば、桃子は片足を下げていた。
軍配を握る手に汗を掻き、呼吸も大きく安定しない。
下手なブラフだと笑うことすらできず、
桃子が悔しさに唇をギュッと噛みしめる。
……これが、これがハルシュタイン。
たった一つの甘味を求め、世界を相手取った悪の女王。
「退きなさい、これはお願いでは無く命令だ」
だが、彼女の隣に立つ奈緒は違った。
逆に一歩、春香との距離を縮めると。
「一つ、条件がある」
「……なにかしら?」
「アオノリを、返して欲しい。その子は私にとって親友……いや、家族と同じぐらい大切なんです」
何をバカなことを! そう桃子は叫びたかった。
いつ爆発するか分かったものではない敵の爆弾を、自ら受け取りに行くだなんて!
……しかし、できない。
真っ直ぐに睨みつけるでもなく、
懇願の表情を浮かべる奈緒の横顔を見て悟る。
桃子もまた"家族"の大切さ、かけがえのなさを知っていたからだ。
もう二度と会えないと思っていた存在に、どんな理由であれ再びめぐり逢う。
もう二度と離したくないと、そう思うのは人のサガ。
「……いいわ。正し、先にそちらの兵を下げてちょうだい」
奈緒の提案を、春香は呆気なく受け入れた。
途端、金縛りにあっていたような桃子の体がふっと軽くなる。
彼女が未だ震える腕を横に振ると、
待機していた鎧武者たちが波が引くように消えていく。
そうして辺りから敵の気配が無くなると、春香がアオノリに命令した。
「行きなさい」
かちゃり、その機械で出来た頭で振り返り、
アオノリが「エエノン?」とでも言いたげに首を傾げる。
「ええ、構わない」
春香が言うと、アオノリは奈緒に向かって駆けだした。
「アオノリぃ~っ! ホントのホンマに会いたかった~!」
抱き上げたロボット犬の頭を撫でて、奈緒が嬉し涙を一筋流す。
……もはや戦いを続ける気も削がれた桃子が「帰る」と一言呟くと、周囲の木々がざわめいた。
咄嗟に身構えるひなたに向けて、桃子が言う。
「心配しなくていいよ。そこで伸びてる二人を、連れて帰りたいだけだから」
それは、一言でいえば着ぐるみだった。
木立ちの間から現れたのは先ほどまでの鎧武者とはまた違う……。
例えるならば、遊園地のマスコット。
いや、まさにマスコットそのものだったのだ。
『A 呆れるほどに飽きない愛らしさ!』
『K 可愛いうえに凄いんです!』
『A 茜ちゃんだよ茜ちゃん!』
『N 人形になっても人気者!』
『E 偉い偉いってなでなでしてくれてもいーよ?』
以上五か条の頭文字を取り通称『A.K.A.N.E.』
モデルとなった少女を模した、キュートな頭部が特徴的なその着ぐるみは、
有事の際にパワードスーツとしても活躍が期待されている優れ物。
地面の上に倒れていた海美と環を肩に担ぐその着ぐるみの動きを警戒するように眺めながら、
「随分と良い物を持ってるじゃない」と春香が言った。
「……欲しい?」
「えっ」
この場を去ろうとしていた桃子が、
顔だけを後ろに向けて意地わるそうな笑みを浮かべる。
「あーげないっ♪」
舌を出し、人差し指を目の下に当ててあっかんべぇ。
小生意気な襲撃者は、仲間を連れて森へと消えた。
桃子の姿を見送ると、春香はやれやれと肩をすくめ、ホッとため息をついたのだった……。
とりあえずここまで。
===第四幕「決戦! 地底怪獣モグランゾー!!」
春香たちが桃子の襲撃を退けた一方で、市街地における対モグランゾー相手の戦いは、
サイキック・アイドル可憐の加勢によって膠着状態に陥っていた。ある意味では、事態は好転したと言えよう。
「悪魔……ですか?」
「はい、あくまで悪魔です~」
アイドルヒーローズの一員である天空橋朋花の口から飛び出た聞き慣れぬ……と言うよりも、
冗談としか思えない話を受けて、千早は思わず噴き出してしまう。
「ふっ、ふふっ、くふふ……あくまで悪魔だなんてそんな……。ま、真面目な話をしてください!」
「ち、千早さん? 私は特に、冗談を言ったつもりなどないのですが……それに、まるで"悪魔憑き"だと言う話ですよ~」
戦車に乗ってやって来た朋花の説明をまとめれば、つまりこういう事になる。
明朝、世界連合軍の作戦本部に特災課から報告が。
それは地底怪獣モグランゾーの出現予測。
宇宙で行われる親善ライブの準備に駆り出された大半の部隊の代わりとして、
朋花のいるヒーローズにも協力要請が送られて来たのだと。
「ですから私たちは予め部隊を展開、朝から住民の避難活動を行っていたワケなのですが……」
朋花と共にやって来た、部隊の責任者である真壁瑞希も話に加わる。
「実のところ、事態は非常に複雑化しています。モグランゾーの出現と前後して、
ここ以外の場所でも戦闘が始まったという報告が我々のもとへ入りました。
……具体的には軌道エレベーター『豆の木』と――」
「765プロテーマパークランド。既に四つあるお城のうち、二つは敵の手に落ちてしまったそうで~」
「て、テーマパークランドにまで!?」
さて、ここでまた聞き慣れぬ単語が飛び出たと言う方は、
765プロのホームページに是非ともアクセス願いたい。
そこには社長、高木順二郎自慢の劇場施設に続く形でオープンした、
撮影セット兼観光地としての役割を持ったテーマパークの案内があるハズだ。
現在パークでは『風雲、アイドル戦国記』と称したイベントが開催中。
徳川まつりを始めとした個性あふれる四人の城主が、
乱世さながらの勢力争いを繰り広げる様子が楽しめる。
ちなみに前回催されていたイベントは、野々原茜がプロデュース。
茜ちゃんの、茜ちゃんによる、茜ちゃんの為の『にゃんにゃんパーク』……。
さらにもう一つ余談を挟めば、この時の売り上げが例の
『全人類一人一茜ちゃん人形計画』に使われているとかなんだとか。
そこ、職権乱用とか横領だなんて言わないこと。
「それで結局、"悪魔憑き"と言うのは……」
千早の問いに、朋花が真剣な眼差しをモグランゾーへ向ける。
「千早さんも、デストルガスは覚えてますよね~?」
デストルガス。それは悪の組織デストルドーが使用した恐るべき精神汚染兵器。
このガスを吸引した人間は暴力性と残虐性が高められ、
いつ止むとも知れぬ破壊衝動に支配されることになる。
かつて行われたヒーローズとの全面対決においても、
ガスが散布された地域では暴徒と化した市民が街を破壊尽くすという悲劇を引き起こした。
……千早が、当時の混乱を思い出して顔を歪める。
「天空橋さんは、モグランゾーにガスが使われたと?」
「断言はできません。ですが、症状は似ていると思いませんか~?
ガスでなくても、それに似た"何か"がこの混乱を引き起こしたと考えた方が自然です~」
確かに彼女の言う通り、目の前で暴れるモグランゾーは異常とも言える凶暴性を持っていた。
だがしかし、ガスは先の戦いに決着がついた際、
ヒーローズの指導のもとに全て破棄されたハズなのだ。
唯一精製方法を知る者も、今は765プロの一員として社会貢献に精を出し――。
「まさか!?」
その時、千早の脳裏に悪い予感が浮かび上がる。
「気づかれましたか」と、瑞希が静かに頷いた。
「先ほど私が言った豆の木及びテーマパークに現れた"敵"と言うのは……私たちと同じアイドルです」
===
「確認が取れているところで言いますと、テーマパークにおいて決起したのはまず間違いなく周防さんだと。
さらに彼女と行動を共にしていた人物として、横山さんが報告されています」
瑞希の話に、千早が「でも、どうして」と口を挟む。
「二人に、そんなことをする理由があるとは思えない。……特に、周防さんは」
「……言いたいことは分かります。ですが、彼女が我々に対して敵対行動を取った事実は変わりません。
そこにどんな思惑があろうとも、現地では徳川さんが対応を迫られているのです」
「それに、今までも無かったワケじゃありませんよね~。それこそ過去に亜美ちゃんや百合子ちゃんが~」
朋花の言葉に、千早はかつての戦いを思い出す。
装着したアーマーに操られ、キリングマシンと化した亜美。
それからデストルガスによる洗脳で、暗黒面に堕ちた百合子。
確かに二人が言う通り、前例が無い話ではないのだ。今回もまた、何らかの原因で……。
諭された千早が「くっ!」と彼女たちから顔を背ける。
さらに瑞希の言うことによれば、『豆の木』の襲撃もアイドル"による可能性が高いという。
「そ、それで千鶴さんからの連絡が無かったんだ……」
その時、三人の話を聞いていたユキホホル……いや、今は変身も解けてしまった雪歩が言った。
彼女はモグランゾーからの一撃を受けた後、エレナの手によってここに連れて来られていた。
千早の膝枕に頭を預け、今は体力が回復するのを待っている状態だったのだ。
「おかしいと、思ったの……。いつもは、出現前に連絡が来るハズなのに……って」
「それも同時刻、豆の木が襲われていたと言うのなら……」
「ええ。連絡が出来なくても仕方ありませんね~」
言って、朋花は再びモグランゾーへと視線をやった。
その巨大な地底怪獣は今、サイキッカー・可憐によってとりあえずの拘束を受けている。
具体的には彼女の長く美しい髪によって、片足をきつく縛り上げられていた。
それはさながら囚人の足に付けられた、重り付きの枷のように。
さらにはこうして移動力を削がれたモグランゾーの眼前で、
ひらひらと踊るように攻撃を誘い、避け続けているのはエレナの仕事。
彼女の役目は拘束役の可憐が襲われないように、敵の注意を引く囮。
モグラ獣の関心がエレナに向けられ続けている間は少なくとも可憐は無事であり、
これ以上被害範囲が広がって行く心配も無い。再び眠りに落ちた雪歩を一瞥し、千早が悔しそうに唇を噛む。
「ここに、アーマーさえあれば……」
一体自分は、何のための"アイドル"か! 決定的な打開策を打ち出すことも、
戦う仲間に手を貸すこともできず、予断を許さぬ戦いを続ける可憐たちを見守ることしかできないことが歯がゆかった。
===
古来より、戦の要は情報戦だ。相手は誰か? どこから来たか? その目的は何なのか? 武器は?
規模は? つけ入る隙は? ……敵対する勢力に対する一切の情報を持たないままで、戦いを始めるのは危険である。
いや、危険どころではなく無謀と罵られても仕方ない。
例えるなら、それはフグに毒があると言うことを知らずに調理して食べるような物である。
「あっ、美味しそう♪」なんて摘まめばたちまちのうちにあの世行き。後で悔しがってももう遅い。
だからこそ、どんな些細な情報でも集めるのだ。
そして今度は、そうして手に入れた情報を他に伝えなくてはならない。
「えーっと……。次の道、角を曲がって下さい」
今、北上麗花は道を急ぐ。人の気配が無い静かな街を、
破壊の爪痕生々しい街を目的の人々に会うために。
『私も、何かの役に立ちたいな』
そんな麗花に任された、大事な役目が伝令だった。
たかが伝令と嘲るなかれ。
先にも既に述べた様に、情報をおろそかにする者は情報に泣くのである。
「……おかしいわねぇ」
そしてまた、この鉄則を守る者がここにいる。
百瀬莉緒、現アイドルヒーローズのナンバー2。ヒーローネームは『ザ・セカンド』
……さらにはそんな莉緒と同席している面々も、一癖も二癖もある彼女と同じ"アイドル"だ。
「なーんか妙な雰囲気だけど、アタシらここでお茶してていーの?」
「ミキはお昼寝できるから、まだまだここに居たいなー」
所恵美と星井美希、二人の少女はそれぞれが好きなことを言って、無人の店内を見回した。
既にこのレストラン周辺から一般人は避難済み、昼間だと言うのに信じられない程の静けさが包む店内に、
唯一スピーカーから陽気な音楽が流れるこの雰囲気は一種のホラーとも言えそうだ。
「もう、二人とも呑気ねぇ。あずさちゃんとも連絡が取れなくなってるのに」
言って、莉緒は自分の携帯から目を上げた。
あずさちゃんとは、『ザ・ファースト』の名で知られるヒーロー、三浦あずさのことである。
戦友であり親友である彼女は今、頼れる部下を連れて『豆の木』に出向中だった。
しかし、そんなあずさに連絡がつかない。
長年の活動によって培われたヒーローとしての勘が、
これは由々しき事態であると莉緒に告げていた。
空になったドリンクバーのグラスを満たしながら、恵美が「でもさー」と肩をすくめる。
「アタシは特別みんなみたいに、何かができるワケじゃないし」
「ミキは、呼ばれるまでは動きたくないし」
「まっ! 薄情さんたちなんだから!」
とはいえ、莉緒も二人を責めているワケでは決してない。
彼女たちが優秀な駒であるのは事実だが、動かす自分が何も知らない現状で、
無闇に指示を出すのは返って余計な混乱を招きかねなかった。
同行していたカメラマンの早坂そらに至っては、「ちょっと辺りを見てきます」と出て行ったきり戻ってこない。
彼女がまだ戻らぬうちに、無闇にここを動くわけにも行かず……。
堂々巡りの思考の後に、莉緒は再び各所に連絡を取ろうと試みた。
先ほどから、もう何度も繰り返した手順である。
「……はぁ~、やっぱりダメね」
もはや何らかのトラブルが起きているのは火を見るよりも明らかだ
……問題は、その原因が何なのかという一点。
「おっとぉ!?」
そんな時、店が強い揺れに襲われた。
恵美の操作していたドリンクバーの機械が暴れ、
グラスからジュースがこぼれ落ちる。
「あー、もったいな」恵美の口から悲痛な叫び。
しかし揺れは収まらず、今度はテーブルの上のメニュー立てがカタカタと揺れて床に落ちた。
さらには爆発音のような、くぐもった残響まで聞こえ出す。
「……なに、かな?」
美希がテーブルに頬をつけたまま、ひび割れた窓の外へと視線をやった。
ほんの数時間前にモグランゾーが通り過ぎ、落ちて来た高架道路が突き刺さる外へとだ。
……その時、道路の影で何かが動いた。
「あれ、もしかして……っ!」
莉緒がガタリと立ち上がる。
次の瞬間、壁のように転がっていた道路が派手に吹き飛び、衝撃と破片は店内の三人をも襲い
……遅れて耳をつんざくような音と熱。
もうもうと舞う砂塵が収まると、莉緒の張ったキネティック・シールド越し、
すっかり風通しの良くなった窓から外の景色を眺めた美希が「まったく、麗花はいつも乱暴なの」と呆れたように呟いた。
「よーやく見つけた、三人とも!」
戦車のハッチから顔を出し、麗花が笑顔で指をさす。
……そう! 三人の前に突如現れたのは、彼女の乗った戦車だったのだ。
「もう! 麗花ちゃんってば過激すぎ!」
そしてまた、莉緒に叱られ「ふふっ、ごめんなさーい♪」と謝る麗花の下では、
操縦を任されていた隊長が――あの、雪歩のファンの隊長だ――「この人はもう二度と乗せるまい」なんて誓いを胸に立てていた。
===
何事にも限界という物はある。体力然り、集中然り。
もしもその二つが同時に途切れてしまうとどうなるか?
それは我らが天使がその身をもって示してくれた。
「っ!? エレナちゃん!」
可憐の叫びが虚しく空に響き渡る。その危険を知らせる声は確かにエレナの耳に届いたが、
それでも彼女は「どうにもできないナ」と一人苦笑した。
そもそもの敗因は消耗だ。一人、戦いの矢面に立ち続けていたエレナの消費は普段の倍以上に激しく、
とうとうモグランゾーの巨大な平手が、一瞬の隙をついて彼女の体を捉えたのだ。
咄嗟に腕で受け止めるが、空中から地面へと、勢いよく叩き落とされるエレナ。
モグラ獣の口から発せられるあの不快極まる鳴き声が、
まるで「やったぞ!」と言わんばかりに打ち震える。
「えっ? あっ……!?」
さらには、可憐も失態を犯していた。
眼前で仲間がやられたことによる動揺で乱された精神では、
自慢のサイキックパワーも安定しない。
一瞬の気の緩みがそのまま髪の緩みにも繋がって、
つかの間の自由を手に入れたモグランゾーは彼女の髪を掴むとそのまま勢いよく引っ張った。
悲鳴と共に、可憐の体が宙に舞う。まるで紐の先に結んだ石ころのように振り回されて、
あわや地面に叩きつけられようかというその刹那!
「『キネティック』ッ!」
ザンと空気を震わす音がして、可憐の体が軽くなる。
次いでふわりとした浮翌遊感と、耳元で囁かれる優しい声。
「間一髪、危なかったわね」
腕に抱き留めた可憐を見下ろして、莉緒がパチリとウィンクを決めた。
「り、莉緒さん!」「話は後、とりあえずは退却しましょ!」
そのまま地面に着地すると、莉緒は可憐を抱いたまま千早たちのいる方へと走り出す。
「待って、待って下さい! まだあそこにはエレナちゃんが!」
そう、そうだ。まだモグランゾーの足元には、エレナが居るハズなのである。
仲間を心配して青ざめる可憐に、しかし莉緒は「大丈夫よ」と応えると。
「既に助けに行ってるわ。ウチで一番の世話焼きさんが」
視線を向ける莉緒の横顔は、抱き留められた可憐が思わず言葉を失うほどに凛々しく、頼りがいのある物だった。
===
ご存知、キネティック・パワーを操る百瀬莉緒。
そして一日の大半を寝て過ごし、寝れば寝るだけ寝だめして、
有事には何日も徹夜を続けることができるサバイバル&ゲリラ戦の申し子である星井美希。
二人が戦闘特化の"アイドル"ならば、さしずめ恵美はサポート担当。
「って、ヤバいじゃん!?」
麗花の乗って来た戦車に同乗、戦いの現場にやって来た恵美は、
親友のピンチを目の当たりにして思わず叫ぶ。
「きゃあああっ!!」
聞き間違えるハズもないエレナの悲鳴に、恵美は自身の持つ能力を使うことを躊躇うことなどしなかった。
頭の中にイメージを浮かべ、『会いたい』とただそう願うだけ。
次の瞬間、彼女は落ちて来るエレナの真下に居た。……テレポーテーション。可憐と同じ、サイキック。
「あ、痛った~!」
とはいえ、恵美自身の身体能力は並みの"アイドル"レベルである。
エレナを受け止めた衝撃で、思わず地面に片膝をつく。
「う、ん……メグミ……?」
「怪我は無いかい、お姫様……にゃーんて♪」
驚き、次には安心したようにグッタリと。腕の中で気を失ったエレナの頭を「お疲れさま」とそっと撫で、
恵美は周囲に目を向けた。悲鳴と共に投げ出される可憐、それをギリギリで助ける莉緒。
「さすがはヒーロー、かっくい~」
「そっちも上手く行ったようね」
長きに渡った膠着も解け、事態は否応なしに進展する。
莉緒と恵美、合流した二人が目指すその先では、戦車から降りた美希が千早たちに決断を迫っていた。
「千早さんたちはヒテーするけど、今更だってミキは思うな」
現場について開口一番。美希が口にしたのは「倒しちゃおうよ」という一言。
「ほっとけば街はドンドン壊れちゃうし、だったらココで終わりにするの」
麗花がくれた鮭おむすびをパクつきながら、彼女はサラリと言ってのけた。
「足を狙って、蹴倒して。そのまま地面の下まで戻しちゃえば?」
「蹴倒すって美希……。アナタね、無理やりそんなことをすれば、地上にどれだけ被害が出るか」
「それに地底に帰す方法は? まさかとは思いますが、この場に穴を掘るんですか?」
事態を余りに楽観視しているような美希の発言に、千早と瑞希が難色を示す。
「この下には無傷の地下鉄や……。それからシェルターもあったハズですよ~」
二人に同意するように、朋花も気乗りしない様子で言った。
けれども美希は、そんな三人の態度に「もぉ~!」とあからさまな不満を顔に出して叫ぶ。
「だから、今更だって言ってるのに!」
美希は物事を単純化して考える。モグランゾーと話ができないのなら話さない。火器が効かないのなら使わない。
このままイタズラに被害範囲を広げてしまうぐらいなら、
今この一帯を塵に帰そうとも、他の地域だけは守る……。そういう考え方をする。
ゆえに彼女は提案したのだ。『この場所にデッカイ穴を掘り、地底深くに落としちゃえ』と。
だが、そうは問屋が卸さない。
美希の提案は確かに効率的ではあるものの、その後の処理……。
要は沈静化した後の復旧だとか、世論の非難であるだとか、そう言ったことまでは配慮していない。
その点が千早たち三人に二の足を踏ませるのだ。
……しかし我々は知っている。物事の解決に向けて考えたその結果として、
ともすれば楽観的とも取られかねない発言をする美希とも違う本来の意味での楽天家。
「それいいね! 美希ちゃんってばナイスアイディアだよ!」
そう! 北上麗花がこの場に居ることを!
「な、なにを言ってるんですか麗花さん!」
「話、聞いていましたよね~?」
「……流石はライバル、手ごわいぞ」
今すぐにでも行動を起こそうと、うずうずしだした麗花を慌てて千早たちが止める。
……が、それでも彼女は聞く耳など持っていない。
「それで、どうやって転ばすの? 紐か何かで、バターンって引っ掛けるのかな?」
「あ、そっか。転ばす道具がいるんだよね」
嬉々として作戦内容を詰め始めた二人を見て、千早が「くっ!」と天を仰いだ。
……ああ、律子やプロデューサー、そして事務員二人の負担がまた増える!
思うところは同じなようで、瑞希と朋花も半ば諦めてしまったようにそれぞれがため息をつきながら、
早々に「仕方ないですねぇ」と言ったオーラを放っている。
「紐ならあるわよ。……用意するのに、少し時間がかかるけど」
そしてまた、賛同する者がもう一人……莉緒だ。彼女は話に加わると、
助けたばかりの可憐をニヤリと見ながらこう続ける。
「彼女の髪を使いましょう。恐らくは、地球上でもっとも強靭な紐が出来上がるわ」
――冗談ではない! 可憐の顔が引きつり青くなった。
自分は既にモグランゾーから助け出される際に、大量の髪の毛を失っているのだ。
ざっくばらんと不揃いな長さになってしまった頭髪を押さえ、
彼女は千早たちに助けを求める視線を向ける。
「髪の毛の再生にかかる時間は、どのくらいでしたっけ?」
「確か……二、三分だったかと~」
「三十分ほど稼げれば、十分な量が揃いますかね。……編み込む手間を考えて、一時間は欲しいな」
「み、み、皆さん揃って……薄情です~っ!」
しかし、アイドルの活動にこの程度のリスクは付き物だとこの場にいる全員が知っている。
眠るエレナを背中におんぶした恵美が、励ますように無言で可憐の肩に手を置いた……。
===
サイキッカー・可憐の持つ超能力は、自身の髪を自由自在に
――それこそ長さから強度に至るまで――華麗に操ることである。
彼女がこの才能に目覚めたきっかけが、その恥ずかしがり屋で臆病な性格にあると説明すると、
幾人かの方には「ああ、どうりで」と納得してもらえるかもしれない。
つまり、可憐にとって髪は自身を包む『繭』であり『衝立』と言って差し支えなく。
日頃他人から向けられる好奇の視線(これは彼女が非常に魅力的なことが原因なのだが)
その他身近に迫る恐怖から、自分を守るために発現したこのサイキック。
「あ、う……はぅ、ん……っ!」
そのパワーの源はと言えば、何を隠そう『羞恥心』なのである。
要は恥ずかしければ恥ずかしいほど、
彼女の力は増幅し、より強力な物になるワケだ。
戦闘用のボディ・スーツが、体のラインを浮き上がらせるぴっちりしたモノなのもそれが理由だ。
決してスーツ開発者の趣味ではない。
「っ! ……は、あ……んっ!」
なので今、彼女は辱めを受けていた。
『こちょばし係』に任命された瑞希の巧みな指使いによって、弄ばれる豊満な体。
脇腹、首筋、そして背中。つつぅっと指を滑らせられる度に、可憐の嬌声が辺りに響く。
「なんかなー……。緊迫感、ゼロって感じ?」
息も絶え絶え、呪いの人形よろしく髪の毛を、凄い速さでゾゾゾゾゾッと伸ばす可憐を見ながら恵美が呟く。
いや、本人たちは至って真剣なのである。
ただ少し、傍目にはそう見え辛いだけであって。
その証拠に瑞希の表情は真剣そのもの。
とても遊んでいるようには……見えない。
「次は、おへそから脇腹にかけてのラインを責めます」
「ひゃん! そ、そこ違う!」
「おっと……失礼しました。こちらでしたか?」
「そ、そんな場所……うっ! だ、だめぇ……っ!」
とはいえ嬉しい誤算もあった。可憐の感度はとても良く、
この調子ならば本来の予定より早く髪の毛が集まるだろうということと。
「雪歩さん、今です~!」
「うん、天空橋さん!」
「二人とも、ナイスコンビネーション! お姉さん楽で助かるわ~」
体力を回復した雪歩の戦線復帰。
今は彼女と朋花、そして莉緒の三人が協力してモグランゾーの進行を喰い止めていた。
「千早さん。編み込みってこれでいーの?」
「私のも確認お願い。千早ちゃん!」
「ふ、二人とも、私にばかり頼られても……!」
また、伸び続ける髪を編んで紐状にするのは美希、恵美、千早、麗花の四人である。
本来ならばこの作業も、可憐にかかればお茶のこさいさいであったのだが……。
「お客さん、この辺りも凝ってますね。……もみもみ」
「はぁっ、はぁっ! んっ! あぁっ!!」
残念ながら、当の本人がそれどころではない。
結局それから数十分、ようやく準備が整う頃には、
可憐はとても戦いに参加できる状態では無くなっていた。
「あう……はぅん……」
野戦用のシートの上、エレナと共に悩まし気に横たわる可憐を見下ろしながら瑞希が言う。
「篠宮さん……アナタの犠牲、無駄にはしません」
さらには「勝ってくるぞと勇ましく~」なんてワンコーラス。
その隣では出来たばかりの紐の強度を確かめて、美希が「これならいけそうだね」と頷いた。
「それじゃあ、手順の再確認を」
千早がモグランゾーと戦う莉緒たちをチラリと一瞥し、美希たち実行隊に説明を開始する。
「狙うは二本の後ろ足。あの巨体です……とにかくバランスさえ崩せれば、
そのまま倒れてくれるでしょう。それから手足を拘束して――」
「雪歩の掘った穴の中に、引っ張り込めばいいんだよね? リョーカイしたの、千早さん!」
「では、早速参りましょう。あまり待たせるのも悪いですから」
頼りがいのあるサムズアップを残して出発した美希と瑞希の背中を見送りながら、
「二人とも格好いいなぁ~」と麗花が楽しそうに呟いた。
「ハリウッド映画のワンシーンみたいだね。『そして彼女たちは、この国の英雄になったのだ』……なんてなんて♪」
「そ、それは……麗花さん?」
麗花の何気ない一言を聞き、千早の頬が引きつった。思わず口から出そうになった、
『まさかとは思いますけどそのシーン、今生の別れになったりは?』なんて言葉を飲み込んで……。
===
準備は整い、遂に決着をつける時が来た。
ビルの合間を我が物顔で進む地底怪獣モグランゾー。彼は今、地上の覇者であった。
目の前にはちょこまかと動く三匹のうるさいハエがいたものの、
その固い鎧のような体毛と、その下の鱗のような皮膚によって、何をされても「んで~?」と首を傾げるほどに効果ない。
ただ時折、右に行こうとしては左に向きを変えさせられ、
左に行こうとすれば今度は右に向きを変えざるを得なくなるような……鬱陶しい攻撃が行われる程度だ。
そしてその度にモグラ獣は鳴き声を上げた。
次第にそれは大きくなり、この巨大生物が苛立ち始めたことを周囲のアイドルたちに教えてくれる。
「……そろそろですね~」
ヒーローネーム『バインドウィップ』、華麗なる鞭使いでもある朋花が辺りを見回して呟いた。
……ここまでの展開は順調である。
モグランゾーの攻撃を避け、誘導しつつ例のプラン――『転んで滑ってすってんてん大作戦』に適した地形まで誘い込む。
そこは地下施設の少ない地域。少なくともシェルターなどは存在しない、人的被害が出る恐れはない場所だ。
(ちなみに代わりに破壊されることになるであろう建設中の地下路線についてだが、
こちらは作戦前の話し合いによって「知らなかった」とシラを切りとおすことでメンバーの意見が一致した)
後は地上で待機する美希たち二人と連携して相手を地面に転がせば、
雪歩のスコップで作る大穴に獲物を落とし込むだけである。
目標地点まで、ざっと残り数百メートル。怪獣の歩幅にしても数歩分。
チャンスは一回、二度目のチャレンジは失敗率も跳ね上がり、なおかつ一層の危険が伴うだろう。
「今よっ!」
莉緒の合図で美希たちが動いた。ビルの影から飛び出す二人の間には、四つの編み紐を束ねた物が。
上体を動かさない独特の走法で近づくと、そのままモグランゾーの両足に紐を引っ掛けた!
「ふっ、ぬぅっ!!」
「はああぁぁっ!!」
そして満身の力を込めて紐を引く!
さらには莉緒と雪歩がモグランゾーの背後から攻撃を仕掛け、怪獣の重心バランスを崩そうと試みる。
足元は後ろへ、上半身は前へと動かされ、たまらずグラつくモグランゾー。
「そのまま! 行けますぅ!」雪歩の叫びに朋花が動く。
ダメ押しとばかりに相手の腕に鞭を絡め、そのまま自分のいる方へ――
モグランゾーから見て前方へとその巨大な体を引っ張った!
「……よし!」
その瞬間を、千早は確かに見届けた。
地底怪獣が一際大きな声を上げて前のめりにゆっくりと、地面の上に倒れ込む……。
次いで激しい揺れが辺りを襲い、遅れてとてもくぐもった、重たい音が鳴り響く。
大量の土煙を舞いあげて、遂に彼女たちはやり遂げたのだ!
「後はこのまま、手足を拘束さえすれば――」
しかし、千早たちが喜べたのはここまでだ。
メンバーの中で真っ先に違和感を覚えた麗花が「あ、あれれ?」と驚きの声を上げる。
「モグランゾー……元気だよ?」
===
「これは……まさか!」
モグランゾーの足元で、紐を手にしたままの瑞希が言う。
とはいえ、考えてみれば当然だ。
そもそも相手は何だった? 巨大な地底怪獣である前に、元は大きなモグラなのだ。
「そ、そんなのってアリ!?」
目の前に広がる光景に、信じられないのは莉緒も同じ。二足歩行から四足へ。
退化の過程を辿ると言うよりは、生き物本来の姿に戻ったと言うべきか。
二足で歩いていた時よりも俊敏に、自分たちの前から逃げ出すように走り出したモグランゾーの後姿を、
彼女は呆気に取られたように眺めている。その間にも敵は急旋回で向きを変え、地上にいる美希たち目がけて走り出す!
「わわっ!?」
「危ない!」
間一髪! すんでのところで身をひるがえし、
弾丸のような突進を交わす美希と瑞希。
さらに雪歩も攻撃の為に近づくが……。
「あっ、て、天空橋さん!」
雪歩が困惑した声を上げる。それもそのハズ、モグランゾーの背中には、
鞭を絡めたままの朋花の姿があったのだ。
「こ、これは困ったことになりました……!」
今や彼女は猛る猪の背に跨っているのと同じである。
「モグラではなく豚さんなら、夢の一つが叶いましたのに~」
「そっちぃっ!?」
とはいえ、冷静さを欠いたりはしていないらしい。
雪歩のツッコミを聖母の微笑みで受け流すと、彼女は鞭を操る腕に力を込める。
「先ほどまでならいざ知らず……。私のお仕置きは強烈ですよ!」
瞬間、地底怪獣の巨体が宙に舞った。朋花の取った行動を瞬時に理解した莉緒が、
「見た目に似合わず派手好きね!」なんて嬉しそうに声を上げる。
そして飛んできたモグランゾーを受け止める為に、最大出力で生成される超巨大なキネティック・シールド!
「くっ! うぅっ!!」シールドを支えるために突き出した、
その両腕に伝わる衝撃を美貌と根性で受け止めて、莉緒がモグランゾーの勢いを完璧に殺し切る。
朋花の取った行動は、まさに捨て身の攻撃だった。
超高速で移動するモグランゾーの、鞭が絡んだ片手の動きを力の限り邪魔することで、
この巨大モグラを手玉に取ったのである!
結果は走っている人間の足を払うが如く。支えを欠いてバランスも崩したその巨体は、
勢いそのまま地面をもんどりうちながら、莉緒の張ったシールドに突っ込んだと言うワケだ。
が、しかし。当然そんなことをすれば、背中に乗っていた朋花も無事では済まないことになる。
いくら莉緒が受け止めてくれるだろうという信頼はあったとて、自分の身が危険なことには変わりない。
だが、彼女は幾多の迷える子豚ちゃんを導く聖母であり、誉れ高き天空騎士団の指導者なのだ。
朋花の辞書の最初のページにある言葉、それは無償の『自己犠牲』……
そしてまた幸運だったのは、この場に天使がいたことである。
「だ、大丈夫? 天空橋さん」
「……雪歩さん」
モグランゾーが弾け飛んだその瞬間、雪歩は放り出された朋花を受け止めた。
すっかり荒れ果てた道路まで舞い降りると、彼女は抱き留めていた朋花を下ろす。
「ふふっ。……ありがとうございます、私の大天使さん」
朋花が微笑みながらお礼を言うと、雪歩が顔を真っ赤にして「だ、だ、大天使!? わ、私は小間使い天使が関の山で……!」
なんてしどろもどろに言葉を返す。その傍では瑞希たちが、当初の予定通りモグランゾーの手足を紐で縛り上げ。
「雪歩! そんなトコで赤くなってないで、早く早く!」
美希に呼ばれて、雪歩が「あっ! う、うん。そうだね!」朋花を受け止める際に放り投げたスコップを呼び戻し、
地面を掘るために高々と腕を振り上げた――採掘天使の本領発揮である!
「はあっ!」
カツン! 渇いた音が辺りに響いた次の瞬間、
スコップの先端が当たった場所を中心に、グズグズと亀裂が周囲に広がって行く。
「そ、それじゃあみんな、避難しよう!」
雪歩の合図に、アイドルたちは伸びてしまっているモグランゾーをその場に残して安全圏まで移動する。
次第、円形に広がっていた亀裂がミシリと不気味な音を立て、そのまま地面に飲みこまれた!
……そう、まさに大地が口を開けたかのように、地底怪獣の巨体もろともだ。
後には爆弾が落ちてもこうは綺麗に作れまいというほどに、見事なまでの丸い穴。
その深さが一体どこまで続くのか? 地上から覗いただけではとても窺い知ることができないほどの奈落である。
「……終わった、の?」
久々に全エネルギーを使い果たした疲労感。莉緒が誰ともなしに呟いたその時だ。
漆黒の暗さが満ちた穴の中から、何か、"何か"がじわりじわりと染み出すように空へ向かって登って行く。
それはまるで煙のようであり、また靄や霧のようであり。
しかしその場にいた全員は、無言のうちに直感で、その正体に気づいていた。
「あれが、今回の騒動の原因ですか」
瑞希が一歩、皆より前に踏み出した。一体いつ用意していたのか、
彼女は右手に持った小さな十字架を胸の前で構えると。
「悪霊退散……エクソシスト瑞希、出番だぞ」
「ええっ!?」
「コホン! ……イッツ、ジョーク」
驚く皆に微笑む瑞希。「それに私は、お化けの類が苦手です」言って、
今度は十字架よりも物騒な対空用の自動追尾式ロケットランチャーを肩に構えたのである。
……それこそ、一体何処に用意していたのかと訊きたくなるほど突然に。
「ですが、手品は少々自信あり」
そして、しめやかにミサイルは発射された。ひゅるるるる……と煙を引き、
空中で集まり出していた靄に命中、爆散! 一同が唖然とする中で、彼女はグッと親指を立て皆に宣言したのである。
「目標破壊、戦闘終了。……一先ず危機は去りました」
ここまで。
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