(久子の家の黒電話)
ジリリリリリン、ジリリリリ、ガチャ。
「もしもし、おばあ?」
「……なんだい、麻子かい」
「今日も変わりない? 胸、苦しくない?」
「もう大丈夫って言ったろ。 あたしを誰だと思っているんだい。 そんなに毎晩電話してくるんじゃないよ」
いつもの時間に、いつもの会話が始まった。
夜8時。 孫娘の麻子からの電話だ。
退院してからというもの、麻子は毎晩この時間に電話を掛けてくる。
なんてことはないよ。 ただの様子見の電話さね。
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あの子は昔から寝坊助で、ぐうたらな生活をしているのに、この電話だけは欠かしゃしない。
遅刻の常習犯で、日中は人の言うことなんか居眠り半分でまともに聞きゃしないのに、
夜のこの時間になると、律儀に私に電話を掛けてくる。
だから私はいつも麻子にこう言ってやるのさ。
「こんな時間にこんなババアと電話する暇があるなら、友達に電話してやんな!
まったくお前はいっつも人様に迷惑かけてんだから! こういう時にお礼言っとかなくてどうすんだい!」
私がそう言うと、麻子はこう返す。
「友達にはちゃんとお礼言ってるから大丈夫。 それよりそんなに怒鳴ったらまた血圧が…」
だから私は、いつも通りにこう返すのさ。
「血圧高いからなんだっつうんだね! それよりもお前のだらしない生活の方が心配だよ!」
本当に心配だよ、この孫娘の将来がさ。
沙織の嬢ちゃんと、あと、えーっと…なんていったかね。 あのお見舞いに来てくれた娘っ子らは。
今は優しい友達に恵まれているみたいだから、とりあえず良いとしてもね。
この子の朝のだらしなさは筋金入りだ。 高校卒業したらどうするっていうんだい。
私も今まで一生懸命、麻子の尻を引っ叩いてきたつもりだったが、麻子はそれでも直りゃしないよ。
まったく、誰に似たんだかね。
親の顔が見てみたいよ、ったく。
……できるもんなら本当に、親の顔を見てみたいもんだ。
「……それでね、外は猛吹雪、周りじゅう敵だらけで、しかも突然の負けたら廃校宣言。
チームのみんなも私も、さすがにこれはもうダメだって、そう思ったそのときに、西住さんが急にあんこう踊りを始めたんだ」
「なんでそこであんこう踊りなんだい?」
「士気を鼓舞するためだったらしい」
「へえ、あの西住って子もヘンな子だね」
「まあね。 でもあれで良い友達で、頼れる隊長様だから笑ってしまうんだ。
結局、西住さんに触発されて、沙織が『みんないくよ!』とか言うもんだから、私もあんこう踊りを踊ったよ」
「お前がかい? お前、あんこう踊りを踊れるのかい?」
「うん。 前に1度、踊る必要に迫られて、その時覚えた」
「へへぇ、お前があんこう踊りとはねぇ」
麻子の電話の内容は、最初は決まって私の体調を聞いてくるが、ほどなくして他愛無い雑談になる。
その雑談は、戦車道の授業で何があったかについて、麻子なりの冗談を交えたネタが多い。
例えば、沙織の嬢ちゃんが今日も脳内彼氏に悶えていたとか、
砲手の友達が車内にオニユリを活けたんだけど、その花の香りと油の匂いが混ざって凄かったとか、
装填手の友達は犬でいったら柴犬に似てるけど、水鳥を獲る猟犬っぽくもある、とか。
私にとっちゃワケが分からないことも多いが、あんなに言葉少なだった麻子が快活に喋るようになったのだから、実に喜ばしいことさ。
最初、あのものぐさな麻子が「戦車道やることになった」って言い出したときは、信じられなかったけれどもね。
戦車道を始めてから低血圧が改善されたとも言っているし、それなりに熱中できる何かに巡り合えたみたいだし、
麻子の言い分を信用するなら、戦車道は良いことづくめのようだね。
あとはまぁ、怪我とかしなければ、私に言うことないよ。
それになにより……麻子と仲良くしてくれる友達が、あんなにたくさん出来たっていうのがね。
麻子は小さい頃、今よりもう少し明るくて、今よりもう少し朗らかで、今よりもう少し良く喋る子だった。
でもあの子、眠気が覚めていない日中は、誰に対してもぶっきらぼうでね。
そんなだから、平たく言やぁ、友達を作りにくい性格していたんだ。
それでさらに両親を亡くして、いっそう人と距離を置くようになったもんだからさ。
周りの友達は麻子のことを腫れ物扱いするわけだ。
それでいて、あの子は強い子さ。
そんな状況でも普通に学校に行ったし、ウチに帰れば私に心配掛けまいと強がった。
見ていて痛々しいったらないよ。 子供が何でそんな苦労しなくちゃいけないんだい。
沙織の嬢ちゃんだけだったよ。 そんな麻子とずっと友達でいてくれたのはさ。
そんな不憫な孫娘だと思い込んでいたら、突然、麻子の友達と名乗る娘っ子らが私の入院中にドカドカドカっとやってきた。
こちとら、その日の朝にやっと目を覚まして、内心では麻子に心配掛けさせたくないからって
いつも以上に怒鳴っていろいろ誤魔化してたっていうのに、突然見たことない娘らが3人も来ただろう?
私がいくら酸いも甘いも噛みしめたババアだっていっても、さすがに驚いちまったよ。
まぁ表情には出さなかったけどね。
だから、あの娘らがせっかく丁寧に挨拶してくれたのに、ろくに感謝の言葉も言えなかった。
あの西住って子に一言、「愛想のない子だけど、よろしく」って伝えるのが精一杯だったよ。
なんだ「よろしく」ってさ。 私ももう少し言いようがあったろうに。
麻子にはいつも「友達にお礼を言っとけ」とか偉そうにしているのに、私も他人のこと言えないじゃないか。
次に会ったときは「麻子と仲良くしてくれてありがとう」って、目を見てしっかり伝えなきゃいけないね。
「……あと一つ勝てば優勝に手が届くんだ。 そしたら大洗女子学園は廃校せずに済むらしい」
「はん、あの娘っ子たちが全国大会の決勝に行くとはねぇ。
お前が決勝戦であの娘っ子らの足を引っ張らないよう、決勝戦会場まで見に行かなくっちゃいけないね」
「うげっ、いいよおばあ。 まだ退院したばっかりなんだし、家で安静にしてなきゃダメだよ」
「あたしをいつまでも病人呼ばわりするんじゃないよ!
大洗の学園艦が存亡の危機だっていうのに、大洗の人間が家で大人しく寝ていられるもんかい!」
「だからそんな興奮したら、また血圧上がるから」
「あたしの身体はあたしがイチバン良く知っているんだよ! 決勝戦は見に行くから、いいね!」
麻子の両親……私の息子とその嫁は、麻子が小学生の時に亡くなってしまった。
なにやってんだかね、あのバカ息子はさ。
嫁さん死なせて、あまつさえ、こんな小さな娘を一人残してさ。
ホント、バカなんだよあの息子。 あたしに良く似ちまったのがいけないんだ。
思い出せるのは、親子3人で私のウチにやってきた最後の日。
すやすや眠っている麻子を仕方なく抱いて「帰ったよ」って言う息子と、「ただいま、お義母さん」って微笑む嫁の顔。
幸せそうな息子夫婦と孫娘の姿。
―――――あの日、突然鳴った電話ベル。
駆け付けた病院で、目を覚まさない息子と嫁の姿。
二人の遺影の前で、いつまでもいつまでも「ごめんなさい」と謝り続ける孫娘。
悔しかった。 やるせなかった。 悲しかった。
長らく生きてきたが、心が捩じ切れる痛みってもんを初めて知った。
しかしだ。 いつまでも途方に暮らしてなんかいられなかったよ。
光を無くした目で謝り続ける孫娘を見たら、自分の苦しさなんて後回しにしなくちゃならなかった。
だから、私は麻子の祖母だけど、あの日から麻子の母代わりも務めるようになった。
私が今のような鬼婆になったのは、確かこの頃からだったね。
母親と同じように口うるさくすることで、麻子に少しでも「自分は一人じゃない」ってことを知ってもらいたかった。
その結果はまぁ、ご覧のとおりさ。
ひねくれることもなく高校に進学して、友達に恵まれたところまでは良かったんだけどね。
朝寝坊グセを治すところまでは至っていないってわけさね。
「……私だって、前の試合では結構勝利に貢献したんだぞ。 吹雪の中、そど子と偵察に行ったりとか」
「そど子って誰だい」
「何かと私に絡んでくる、お節介な風紀委員の3年生」
「何で風紀委員がお前に絡んでくるんだい」
「それは遅刻げふんげふん! ……私が学年主席だから、常に模範的な行動をとれってうるさくて」
「お前、いま遅刻って言わなかったか」
「おばあ、わたし、おばあのオハギが食べたい。 みんなも食べたいって言ってた」
「話を逸らすんじゃないよ!」
…ったく、やっぱり朝寝坊グセは直っていないんじゃないか。
これで沙織の嬢ちゃんやあの戦車道の娘っ子らにどれだけ迷惑かけているのかと思うと、動悸息切れでまた倒れちまいそうだよ。
あの戦車道の娘っ子らは、麻子とっても私にとっても大切な人間だ。
息子夫婦が死んで、麻子が感情を失って、私ら二人だけの生活になってさ。
それからお互いに支え合うように生きてきて、そうして長い…本当に長い夜を越えてさ。
あの寝坊助な麻子が、ようやくつかんだ朝日なんだ。
麻子の眠気を吹き飛ばす、騒々しい小鳥のさえずりなんだよ。
もうね、お前が一人で寂しそうにしているところなんて、死んでも見たくないんだよ。
私は、孫娘とひ孫達に囲まれて大往生して、あっちの世界でバカ息子をどやし付けて、
息子の嫁さんに「息子を許してやってくれ」って謝ったら、
あとは麻子とその子供達を見守りながら穏やかに過ごすって決めているんだよ。
私が死んだ後まで心配掛けさせるような真似するんじゃないよ。
それがなんだい。 オハギなんて戯言で、私の小言をかわす術まで覚えやがって。
戦車道チームの皆さんには麻子がお世話になっているんだからね。
オハギなんかいくらでもこしらえてやるさ。
「学園艦は、決勝戦前に大洗に帰港するのかい?」
「うん、決勝戦前に帰港して、当日は陸路で富士演習場まで向かうみたい」
「なら一回ウチに顔を出しな。 オハギ作っといてやるから取りにおいで」
「ありがとう、おばあ」
「私も決勝戦当日、その富士演習場とやらまで見に行くからね」
「……ありがとう。 でも本当に無理しないで安静にしていてほしい」
「無理なんかしないさ」
「うん……」
「それで、さっきの遅刻の話なんだが」
「明日も朝練あるからもう寝るね。 おやすみ」
「コラ! ちょっと待ちな、麻子!!」
麻子との電話を切るときはいつもこれだ。
だいたい都合が悪くなると、なんだかんだ理由つけて切られちまう。 あっちから電話掛けてきたくせしてさ。
こっちはもうちょっと話したいっつうんだよ。
孤独な老人の暇つぶしなんだから、空気読んでもうちょっと付き合えっていうのさ。
まぁとにかく、次の帰港時にもまた麻子が帰ってくる。
麻子の友達のためにも、決勝戦はぜひとも勝ってもらわなきゃならんから、英気を養ってもらうために、腕によりをかけてオハギをこしらえなきゃいけないね。
それにしても決勝戦か。
富士演習場っていうと、富士山の裾野かい?
大洗駅から何時間かかるのかね。 病み上がりの老人に、長距離移動は厳しいんだけどねぇ。
でも、行くって言っちゃったし、麻子に私が元気なところを見せてやんないといけないしね。
……そうだ。
もし決勝戦に勝ったら、麻子とあの娘っ子ら前で、あんこう踊りを踊ってやるのはどうだろう。
こんなに元気なババアは、そう簡単にくたばりゃしないよってところを見せてやるのさ。
年季が入った大洗の女の、本物のあんこう踊りを見せてやろうじゃないか。
……ぜいはぁ、ぜいはぁ、ぜいはぁ……
これはちょっと、老人には厳しいね。
あんこう踊りって、こんなに激しい踊りだったかね。
いや、それとも私の身体が齢くっちまっただけか。
こんのポンコツな身体め。 まったく思い通りに動かないよ。
これは決勝戦までに、ちょっと本腰入れてリハビリしないとダメだね。
……といっても、こんなに激しい運動、リハビリしたところで私の身体が追いつくとは思えないよ。
ううむ、どうしたものかね。
(久子の携帯の着信音)
プルルルルル、プルルルル、ポチ。
「もしもし」
「おばあ、やった、勝った」
「ああ、観客席で見てたよ。おめでとさん」
「うん、勝った。 私達、優勝したんだ。 これで学園艦は解体されなくて済む。 私も無事に進級できる」
「そうかい。 まぁお前も最後の一騎打ちでは頑張ったみたいだね。 で、いつ大洗に戻るんだい?」
「明日のお昼過ぎには大洗駅に着くはずだよ。 会長の話では、大洗駅から学園艦まで凱旋パレードもやるって」
「ふうん、なら私は今日中に大洗に帰るとするよ。 お前も気を付けて帰っておいで」
「うん……おばあ?」
「なんだい」
「……見に来てくれてありがとう。 おばあも気を付けて帰ってね」
「ああ、わかってるよ……ところで麻子」
「なに?」
「“ 私も無事に進級できる ”ってなんだい?」
「あ、西住さんが呼んでる。じゃあね、おばあ」
麻子の学校生活は、本当に大丈夫なのかね?
先日の遅刻の話といい、今の進級の話といい、あの孫娘は実は相当危うい橋を渡っていたんじゃなかろうか。
今度帰ってきたら、小一時間くらい問い詰めてやらないとダメだね、まったく。
なにはともあれ、これで安心だ。
麻子もあの友達の娘っ子らも、これでまた楽しい学校生活が送れることだろう。
こういう心臓に悪い騒ぎは、これっきりにして貰いたいもんだと切に願うよ。
……それにしても、凱旋パレードか。
あの子が乗っている戦車は隊長車だったから、おそらく先頭を進むことになるだろう。
ということは、なんだ。 麻子の晴れ舞台じゃないか。 私が見に行かなくてどうすんだい。
あの子の晴れ姿なんだから、なんとかして見に行こうじゃないかね。
それで……逆に私が元気なところを、麻子に見せてやるのさ。
街が急に騒がしくなった。 大洗駅に戦車道のチームが着いたみたいだ。
ということは、まもなく麻子の乗った戦車はここを通るだろう。
それにしても、すごい人出だ。
まあ、約20年ぶりに復活したらしい大洗の戦車道が、復活していきなり全国大会優勝だからね。
大洗町の人間はそりゃ嬉しいだろうさ。
それはこの人出を見ればわかるってもんだし、自慢の孫娘がこんなに多くの人に讃えてもらえるんだから、
私も無駄に長生きしたかいがあったもんさね。
これでいつポックリいってもいいね。 あ、いや、よかないか。
あの子の花嫁姿を見るまでは、死んでも死にきれるもんか。
だから、私はまだまだ元気だってところを麻子に見せてやんなくちゃいけないね。
あれからリハビリに力を入れたけれど、あんこう踊りが踊れるほどの体力を取り戻すことは出来なかった。
そんな老けこんじまった自分の身体にガッカリしたもんだが……伊達に70年以上生きてないよ、わたしゃね。
おかげで自分の身体の限界がどこか、だいたい分かったよ。
今の自分にどんな動きが出来て、どこまで無理できるかも分かったってもんだ。
これなら、タップの一つも踏めるさ。
老人のNHKとEテレの視聴率をなめんじゃないよ。 伊達に暇を持て余しているわけじゃない。
ニュース、朝ドラ、大相撲は当然として、テレビ体操や15分間のガーデニング講座、
あとはダンス教室の番組なんかもちゃんと見て、健康のために毎日身体を動かすようにしているんだ。
それにね。 あたしを誰だと思っているんだい?
頭脳明晰、運動神経バツグンな冷泉麻子のおばあだよ?
あの子の運動神経は、私の遺伝子が隔世で流れ着いた結果さね。
だから覚えちまったよ。 ダンス教室の番組でやってたタップダンスとやらをね。
さて、麻子が操縦している戦車が見えた。 もうこっちに来るね。
麻子は一見、いつもどおりのなんでもない顔をしているけど、わたしゃ分かるよ。 あれは嬉しい時の顔だ。
そうだよ。 ちゃんと出来るじゃないか。 いつもお前はそんな顔をしていればいいんだ。
あ、こっちに気付いたね。
あん? 胸をさすジェスチャー? 胸は苦しくないのかってことかい?
苦しいことなんてあるもんか。
お前の笑顔が見れるなら、私はくたばっている暇なんてないんだよ。
恥ずかしいからお前には言わないけどね。
そんなに信用できないなら見せてやるさ。 寝坊助な孫娘め。
私の華麗なステップを見て、いつまでも微笑んでいておくれ。
お前のおばあの願いはそれだけだよ。
終わり
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
麻子とおばあに幸せになってもらいたいだけの人生でした。
よろしければ、前2作もご覧ください。
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※24 逆に考えるんだ。泣いちゃってもいいさと(無責任
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