【モバマス時代劇】本田未央「憎悪剣 辻車」 (110)
性役割逆転系時代劇 江戸中期ぐらい
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連年の不作のあおりを受け、美城藩は慢性的な財政難に陥っていた。
それをきっかけとして、家老千川ちひろと大目付東郷あいの派閥争いは顕在しつつあった。
執政会議において、千川は倹約令を唱えた。
未納分の年貢と負債を残らず取り立て、それができぬ地主や百姓は土地を没収。
同時に藩が手に入れた土地は富商に引き受けさせ、見返りとして貸付を増やしてもらう。
つまるところ、倹約というよりは藩が土地売買に手を染めるようなものだった。
これに東郷は異を唱えた。
「不作でもっとも困窮している者達を、さらに痛めつけてどうするんだい?」
これに対して千川派の人間達は、それは感情論だと非難した。
しかし実のところ、東郷は単なる感傷で口を挟んだのではなかった。
千川は昨年、藩主の江戸参上に同行した。
そこで主とともに藩の財政に響きかねないほどの遊興をし、領地に戻ってからも無為な散財を行なっている。
勘定奉行は千川の息がかかっていたために、今まで咎める者がいなかった。
だが東郷は執政会議を機に、藩主と老中千川を暗に批判したのである。絞り上げる人間が間違っているぞ、と。
藩内は千川派と東郷派に真っ二つに割れた。
流血沙汰こそまだ起こっていないが、中立という安易な立場が許されぬほど、対立は深まっている。
本田未央は一応東郷派に属しているが、率直な所政治に興味はない。
それどころか千川派の者の邸宅で酒を貰っている始末である。
「大変なことになっちゃったねえ」
まるで他人事のように、未央はつぶやいた。話し相手は、若くして馬廻の長を勤める渋谷凛である。
「政治は政治屋にまかせて、私達はできることをやろうよ。権力争いの走狗になって死ぬなんて、馬鹿馬鹿しい」
凛は血累によって千川派に属していたが、未央と同じく政治に興味はない。
両者は派閥も家柄もちがっていたが、無二の親友であった。
未央は酒をすすりながら、豪奢な庭園を眺めた。
季節の花々が軽く数百種咲き誇り、えもいわれぬ芳香を放っている。これが、渋谷邸が“花屋敷”と称される所以である。
花々の蒐集を始めたのは先先代の当主で、彼女は色を好まない代わりに、文字通りの花狂いであった。
蒐集の手は国内だけでなく国外にも伸び、一時期渋谷家が傾きかけたほどである。
しかし当人は晩年、花の数を聞かれた折「二種類しかありませぬ」と答えた。
すなわち、孫娘の凛とそれ以外。
未央は凛の顔をしげしげと眺めた。
切れ長の瞳。まっすぐ綺麗な形の鼻。小さく艶めいた、美しい唇。長い黒髪は月光を浴びて、ほのかに輝いている。
同性の未央ですら時折妙な気分になるほど、凜という女は魅力的な容貌である。
さらに気も利き、文武にも優れている。先先代の孫馬鹿にも納得できよう。
幼少にして四書を読破し、漢詩を趣味として嗜む。また謡もうまく、たびたび藩主に乞われて参上するほどである。
剣術においては柳生新陰流の免許皆伝を受け、門下生百名以上の道場で並ぶ者がない。まさに天才剣士である。
家柄は家老の千川家に連なる名門である。
果たして渋谷凛ほどの逸材が、此度の政争に無関係でいられるだろうか。未央はまた酒をすすった。
自分は心配ない。本田家の禄高は50に届かず、未央個人の身はしがない平武士。
二年前苦労して論語を読み解いたが、孟子でつまずいた。
内容があまりにくだらなかったから。未央は述懐した。読めなかったせいでは、決してない。
唯一のたのみは剣であるが、藩内では異端の示現流である。
九州から流れ着いた“という”浪人が、食うに困って始めた道場が外れにあった。
そこは月謝がとかく安く、下級武士の吹き溜まりのような場所だった。
未央はそこで皆伝を受けたが、なにせ道場主がそもそも怪しいので、凜とは比べるべくもない。
おかげさまで気楽に酒が飲める。未央は自嘲気味に微笑んだ。
彼女の当面の懸念は、政治や自身の進退ではなく花嫁だ。
脳裏に浮かぶのは、自身よりも一回り近く年上の男。背は六尺一寸、領内一の長身。
肩幅はがっしと広く、身体つきは引き締まっている。顔は世辞にも美男子とは言えず、近寄りがたい険がある。
まず、抱いて楽しい男ではない。
だが気性は優しく、家事もそつなくこなす。口数は少なく、伴侶をよく立ててくれるだろう。
未央にとっては理想の嫁である。
この前会った感触も悪くなかった。重ねた手をもそっと握り返してくれた、その時のことを思い出し未央は微笑んだ。
「お嫁さんのこと考えてた?」
未央の表情の緩みにめざとく気づいて、凛は尋ねた。
「まあね」
未央は曖昧に返事をした。未央は、花嫁のこととなると凛を警戒してしまう。
渋谷家と武内家では家柄に差があるゆえ、伴侶を掠め取られることはないはず。
そう考えたいが、凛の美貌の前には自信がない。まして渋谷家には、下流武家の1つや2つ買い上げてしまいそうな富がある。
本人はともかく、武内家の当主が首を縦に振らないとは限らない。
だが不安と同時に、凛だったら、という気持ちもある。
美人で優しく、出世が約束された婿。名家での不自由ない暮らし。彼女の伴侶になるものは幸福に違いない。
その幸福を捨ててまで、私と一緒になってとは言えない。
未央の表情にふっと陰が差す。凛はそれをまた目ざとく見つけて、
「取ったりしないよ」
と親友に言った。
未央はこの言葉を聞き、親友を無闇に警戒している自身を恥じた。
「そっちのお嫁はどうなのさ」
気を紛らわすために、未央は尋ねた。
「さあね。決まってはいるけど」
凛はそっけなく返す。彼女の生まれる前から、嫁の相手は千川直系と定められていた。
好きも嫌いも、良い悪いもない。
「それじゃあお互い、こっそり色街を見にいくこともできないわけだね」
未央は親友との馴れ初めを思い出した。
数年前。金はあったが度胸がなかった凛は、色街の入り口をうろうろしていた。
金がなく度胸はあった未央が彼女を発見したのである。
以降良家の娘は悪い遊びを覚え、その悪友は少しまともになって現在に至る。
「色街か…今行けば、お互いの派閥に目をつけられるだろうね」
凛はそうこぼした。
政争に興味がない2人とはいえ、異なる派閥の人間が和気藹々と戯れていれば、間諜の疑いは必至である。
「お嫁と自分の安心のために、大人しくが一番だね」
未央はそう言い、また酒をすすった。
後日勤めを終えた未央は、道場に急いだ。藩内の不穏な空気がそうさせたのである。
派閥争いに参加する気はなかったが、相手が未央を見逃してくれるとは限らない。
斬り合いに突然巻き込まれることも、覚悟をせなばなるまい。
道場の門を叩いた未央を迎えたのは、門下生の凄まじい猿叫だった。顔が痺れ、前髪が少し浮く。
「おーすっ」
未央が挨拶をすると、門下生一同が礼を返した。免許皆伝を受けた未央は、吹き溜まりの中の英雄であった。
「こんにちは、でしてー」
道場主、依田芳乃が奥から顔を出した。
年齢不詳。身長は未央よりも低く、身体つきは子どものようである。
顔立ちも幼く、道場の主としての威厳はない。
薩摩で生まれ示現流を覚えた、というのが本人の弁だが、訛りや顔つきが薩摩らしくない。
ただ、おそろしく腕は立つ。なので信用はともかく、侮られてはいなかった。
「稽古でしょうかー」
えらく間延びした声で、芳乃は未央に聞いた。
「うん……もうじき、斬り合いに巻き込まれるかもしれない」
未央は深刻な顔で言ったが、芳乃は「そうですかー」とだけ返し、木刀を投げた。
未央はそれを受け取ると、道場の裏手にある林に入った。
そこには、樹齢数百の杉の大樹がある。未央は杉に一礼したあと、猛然と木刀を打ち込んだ。
『立ち木打ち』。未央が林の面積を半分にしてからは、この大樹が彼女の相手をしている。
未央の打ち込みがそれだけ強力なのである。仮に真剣を用いれば、大樹を両断することもできるかもしれない。
相手が人間であれば、彼女の太刀を受けられる者はいないだろう。
斬り合いなんて…のぞむところだ!
未央はいつも以上に気勢を張って、大樹を打った。
半刻ほど過ぎた後、未央は人の気配を感じ振り返った。
道場から人が駆けてくる。
「よい勘なのでしてー」
芳乃は駆けた勢いのまま、未央に木刀を振るう。
未央は後方へ飛び、それを回避する。示現流の、いや芳乃の懸打ちを受けることは不可能だった。
木刀を握った拳が砕け、こちらの刀身が肩口にめり込んでしまう。
振り抜いたところへ、未央は打ち込む。手加減はする必要がない。否、できる相手ではない。
芳乃は地面を転がって躱し、そのまま未央の足を狙う。
未央は飛び、芳乃の脳天へ木刀を振り下ろしたが、これは受けられた。
「なぜ手を緩めるのでしてー?」
「緩めてない!」
「未央さんが本気だったら、私は死んでいるのでしてー」
芳乃は受けた刀身をぐいと押して、そのまま未央を地面に倒してしまった。とてつもない膂力である。
「そんなことでは人は斬れないのでしてー」
「師匠が斬れなくても、普通の人ならもう死んでるよ…」
未央は力無く、そう返した。
「未央さんは優しすぎるのでしてー」
立会いを終えた後、芳乃はそう告げた。
未央は、「優しい人斬りを目指しているからね」と減らず口を叩いたが、内心は消沈していた。
他流試合を禁止されているので、未央の強さの尺度は芳乃との比較である。
芳乃に勝てないということは、成長していないということ。負けるたび、未央はそう結論づけている。
だが示現流の技は全て覚えてしまっており、単純な膂力はもう伸びない。
あとは衰えるだけなのかも。未央は恐怖した。
剣に見放されれば取り柄はないと、彼女はそう思い込んでいる。
道場を後にして、未央は渋谷家に足を運んだ。
酒が飲みたい気分である。しかし金がない。その時の親友である。
「可愛い未央ちゃんに、お酒を恵んでおくれ〜」
未央はそう嘯いて渋谷家の門を叩いた。
無礼極まりない行為だが、未央が酒を飲みに来る時、いつも凛が門にいるので問題ない。
だがその凛は、なかなか出てこなかった。
「お酒ちょうだい。ねえっ、お酒ちょうだいって言ってんじゃん!
聞こえてるんだろ、返事しろー!!」
未央はふざけ半分に門を叩く。凛でなくとも、門を閉ざしたくなる有様だった。
ようやく門が開き、未央は勇んで屋敷に乗り込んだが、待ち構えていたのは凛の両親だった。
「あっ…」
未央は口を開く前に膝をついた。相手は藩の家老に匹敵する地位の人間である。
「そなたが本田未央か」
凛の母が未央に尋ねた。凛によく似ていて、美しい女だった。
だがその美貌を、ゆるりと鑑賞する余裕はない。
「はい。左様に御座いまする」
未央は恐縮しながら、慇懃な口調で答えた。
さきほどの振る舞いを考えれば、すでに手遅れとも考えられるが、未央も武家の人間である。
「凛がどこにおるか、分からぬか?」
凛の父親が、控えめに未央に尋ねた。
「戻っておられぬのですか」
凛は非番のはずである。
外はすでに暗く、戻っていないのはおかしい。
「そなた、本日行われた執政会議について知らぬようだな。
でなければ、ここへ来るはずがない」
凛の母はこめかみに指を当てて、ため息をついた。
大目付の東郷は千川派の糾弾に耐えかねて、千川と藩主を名指しで批判し、逆鱗にふれた。
東郷は無期限の謹慎処分を受け、議会は千川派が占めるようになった。
民を痛めつけ、賢臣を罰するとは何事か。この処分に東郷派の人間は激怒している。
それこそ千川派の人間どころか、藩主を殺めかねないほどに。
そのような事態の最中、一人娘が帰ってこなければ渋谷家でなくとも不安であろう。
未央は、「凛殿を連れて帰りまする」と言って屋敷を飛び出した。
馬廻の詰所、二人が出会った色街。新陰流の道場。
凛がたまに講師をつとめる寺子屋。
この前二人で立ち寄った茶屋。藩主の屋敷。
どこにも凛はいない。
未央は息を切らし、道にへたりこんだ。
もう心当たりはすべて探した。
あとは川底でもさらうか。
未央が再び立ち上がろうとした時、彼女は複数の武士に取り囲まれた。
東郷派の人間達である。
「本田さん。誰をを探してるんですか?」
徒士の大石泉が、未央に問うた。
「尾けられるほど人気者で嬉しいなー」
凛を探しているとは言えない。
東郷派に餌をくれてやるようなものだ。
「冷たいなあ。同じ派閥のよしみで、教えてくださいよ」
「派閥のよしみで見逃してくれたら教えるよ」
未央は不敵な笑みで、東郷派の人間の顔を見回した。
皆、未央と同じような下級武士である。
派閥争いの走狗。真っ先に切り捨てられる、哀れな存在。
だが最も哀れなのは、ここで彼女達に取り囲まれ自分だ。未央は考える。
自分は東郷派の人間に、間諜の嫌疑をかけられている。
無論理由は分かっている。凛との交流を絶たなかったからだ。
このままではまずい。
未央は叫んだ。助けを呼ぶためではなく、相手の意表をつくためである。
稽古で鍛え上げた肺活量は、未央の喉から凄まじい猿叫を響かせた。
その叫びは東郷派の人間の鼓膜を破壊しさ、数人を卒倒させた。
その隙をついて、未央は逃げ出した。
藩に居場所はなくなったかもしれない。
街を疾駆しながら未央は幽かに後悔の念を覚えた。
弱った心に思い浮かぶのは、未来の伴侶。
付近には武内家の屋敷があったが、駆け込むことはできない。小家などが政争に巻き込まれれば家が潰れかねない。
死んでたまるか。未央は武家屋敷が連なる通りを、自分に喝を入れながら走った。
追っ手を巻くために街を大回りして渋谷家を目指す。
結局凛を見つけられなかった。戻って、彼女の両親になんと言うべきか。
まあ八つ裂きにされることは…ないよね?
未央が暗黒の辻道を走り抜けようとすると、人らしきものに衝突した。
「ああっ、すみませぬ!」
「こちらこそ……」
相手の声は、凛であった。
「どこ行ってたのさー!」
未央は手探りで、倒れている凛を助け起こした。途中誤って尻を揉んでしまったが、感触はたいそう柔らかかった。
ついでに匂いをかぐと、かすかな香が鼻をついた。その香は年頃の男の間で、にわかに流行しているものである。
「男のところかい!」
未央は凛の尻を張った。とんだ骨折り損である。
未央はそのまま渋谷家に戻り、凛を父母に引き渡した。
時刻も遅く帰りが危険なため、未央は初めて一泊を許された。
さらに夕餉を馳走になった。領内の不振のせいなのか家柄の割には慎ましいもので、未央は好感を持った。
とはいえ、千川派の人間にここまでの歓待を受けたとなれば、もはや東郷派からの吊し上げは必至である。
なるようになれ。未央は出された酒をすすった。
翌朝凛が勤めに出た後、未央は凛の両親から金子を渡された。
その額30両。未央にとっては目も眩む大金である。
「今後渋谷家には、近づかれぬよう」
昨日の礼ではなく手切れ金ということだった。
未央は腹は立てたが、名家の当主が娘に近づく蝿を払うのも、当然のように思われる。
未央はかしこまって受け取り、“家には”近づかないように決めた。
未央はこの程度で、自分と凛の絆が切れるとは思わない。また切ろうとも思わない。
凛のような友は貴重である。羽目を外しすぎる未央に釘を刺すこともあるが、よく未央を助けてくれる。
論語をなんとか読解できたのは凛の指導の賜物であるし、時折弟の教師も勤めてくれる。
本田家を訪れる際には家族皆に、気の利いた土産などを持って来る。
……私がしたことといえば、いくつか悪い遊びを教えたくらい。
親友との過去を振り返って、未央は軽い自己嫌悪に陥った。凛の方も未央を貴重に思っているよう、祈るほかない。
さてな。未央は膝を叩いて商店が並ぶ通りに足を進めた。
駆け込み寺がなくなったのは惜しいけど、いざとなれば道場に身を寄せよう。
まとまった金を手に入れた未央のやることと言えば、武田家および未来の伴侶への贈り物である。
本田家の家柄ゆえ、たとえ両思いであっても正攻法では嫁がもらえぬ。外堀を埋める必要がある。
いきなり反物など送ると、「もう婿様気分か」と嫌味を言われ兼ねないので、まずは季節にあった菓子や食物である。
軽く汗ばむほどの気温であるので、水菓子・涼菓などがふさわしかろう。
未央は凛とともに訪れた茶屋を思い出した。あそこは水羊羹が絶品であった。
だが茶屋に着くと、未央は顔をしかめた。
千川派の人間達が談笑していたのである。
昨日と今日とついてない。未央は見つからないよう、こっそりと茶屋の裏手に回った。
店に顔を覚えらているから、ある程度の気は回してもらえるだろうと思われた。
だがその裏手では、千川派の女が店の少年を口説いていた。
「ついてなさすぎ!!」
未央は叫んだ。
その声に驚いて、少年は店の奥に引っ込んでしまった。
残った女の方はひどく不機嫌そうな顔で、未央を見た。
「よう田舎侍。今日は非番か」
それは、未央が示現流の遣い手であることを揶揄した呼び方だった。
「拙者は美城の生まれにございまする」
未央はそう言い返すことしかできない。相手は上約の木村夏樹である。
木村は未央をじろりと見ると、頰に笑みを浮かべた。
木村は精悍な容貌であったから、その表情に悪意はないように見える。実際どうであるかは、また別として。
「ところでお前、まだ凛と付き合ってるのか」
「は」
唐突な問いに未央は動揺した。
昨日は東郷派に取り囲まれたが、今度は千川派に尋問を受けている。
つまり、両派から間諜の疑いを持たれているのだ。
未央は黙った。答えを誤れば、ここで斬られるかもしれない。
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