浜口あやめになった日 (33)
どこかの森にある、忍びの隠れ里。
その中にある、頭領と頭領に認められたものしか入れない一室で、私は頭領と対面していた。
これは頭領直々の任務が言い渡されることを意味する。
「浜口あやめ」
頭領は筆でゆっくりと紙に私の知らない名前を書き、私の眼前に差し出した。
「これがそなたの新しい名じゃ」
紙を両手で受け取りながら、私は静かに頷いた。
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ここは戦国よりも前から続く、長い歴史を持つ忍びの里。
そして今日はくノ一である私が初任務を命じられる日であった。
自分で言うのもなんだが、私は優秀だ。
まだ見習いの身でありながら、大人の熟練の忍者たちと変わらぬほどの忍びの術を修めている。
里の者たちからも、今に一番の忍びになると言われてきた。
だから今日、ようやく一人の忍びとして働けると意気込んでいたのだけれど、その初任務が。
「まさか同年代の娘の影武者とは」
浜口あやめ。
15歳。1月13日生まれ。
家庭そのものは中流だが、とある名家の遠い分家にあたり、その繋がりから里に依頼が舞い込んだ。
基本的には普通の娘だが、先月にアイドル事務所に応募。そして合格。
アイドルとしての一歩を踏み出す予定だった。
しかし突然、彼女は何故か失踪。行方不明となる。
事を荒立てたくない家族は本家に相談。
その結果、本人が見つかるまで影武者を立てることとなった。
で、その白羽の矢が私に立ったというわけだ。
忍びは心を刃で押し殺すもの。
なので私の気持ちなど問題ない。
でも、納得がいかない。
どうして里のため厳しい修行に耐えてきた私が、こんな適当に生きてそうな娘のフリをしなければならないのか。
ということではない。それはいい。
影武者自体は十分に忍者の仕事だ。
里の大人が言うには今の時代は忍びの仕事が減っているという話だから、そんな中で忍者らしい仕事にありつけるのは幸運なんだろう。
人によっては、警備員に変装してビルや屋敷の警護をしているという話も聞くし。
……それはもはや普通に警備員として働いてるだけなのではないだろうか。
話がそれたが、ともかく納得いかないのはもっと他の理由だ。
一つは、この浜口あやめという少女。
変装のために写真を渡されたが、顔がなんとなく私に似ている。
これならちょっと髪型を変えたりするだけで、そっくりになれそうだ。
影武者と聞いて得意の変装術の本領発揮だと思っていたのに、だ。
そして納得いかない理由二つ目にして、最大の要因。
それは。
この浜口あやめという少女の趣味が、忍者ごっこなことだ。
趣味:時代劇鑑賞、忍者グッズ収集、撮影所巡り。
などとアイドル事務所に送ったプロフィールには書かれているそうだが、本物の忍びである私からすれば、子供っぽい忍者ごっこだ。
そして私はこれから浜口あやめになりきるにあたって、この忍者ごっこを続けなければならないのだ。
「そなたには厳しい任務となろう。しかし、そなたにしかできない任務でもある。無事に任務を遂行できることを信じておるぞ」
頭領の言葉を思い出し気を引き締める。
頭領直々の任務だ。きっと並の任務ではないのだろう。
こうして名前を持たないくノ一の私は、浜口あやめという名前とともに、アイドル界へと踏み出すこととなったのであった。
「…………ぬるい」
浜口あやめになって3日がたった。
私の影武者任務は順調に遂行されている。
むしろ順調すぎる、というくらいに。
というのも、浜口あやめはアイドルになると同時に、アイドル事務所のそばにある女子寮へと移り住むことを予定していたからだ。
私もそれにならって女子寮に住むことになったので、まわりに浜口あやめを知る存在がいない環境で生活をスタートすることができた。
おかげで変装がバレる以前の問題である。
正直な話、変装(髪型を変えただけだが)も必要なかったかもしれない。
それほどにぬるい任務だった。
女子寮、事務所、そして学校、すべてにおいて人間関係を含めて大きな問題は発生する様子もない。
強いていうなら、事務所のプロデューサーはオーディションの時に浜口あやめと会っているはずなので何か違和感があるかもしれないと警戒したが、気付く様子もない。
もっとも、一回オーディションで出会っただけで、おそらく浜口あやめ本人も緊張した状態だったろうから今の私と雰囲気が違っていてもおかしいとは思わないだろう。
「そなたには厳しい任務となろう」と言っていた頭領の手前、こんなに楽でいいのかと逆に不安になる。
「頭領はどうして、私にこのような任を?」
初任務とはいえ、これでは里で修行していた頃の方がまだきつい。
もしかして頭領は私の実力を軽んじているのだろうか。
頭領だって私のことを同年代では一番だと褒めてくれていたのに。
それからというもの、期待していた初任務とのあまりの違いに私の中でもやもやとした何かが溜まっていくのを感じる日々が続いた。
だが不満が慢心へと変わるより早く、私は予想外の方向から任務の厳しさに打ちのめされそうになるのだった。
浜口あやめ7日目。
アイドルとしてのレッスンが始まった。
正直な話、こちらについてはあまり警戒をしていなかった。
というのも、仮にアイドルとして成功しようと失敗しようと、浜口あやめになりきるという任務の失敗には繋がらないからだ。
解釈によっては、私は失踪した浜口あやめが見つかるまで彼女の居場所を守る必要があるのでアイドルとしての失敗は避けるべきなのだが、しかし致命的な任務失敗とはならない。
それに、本音をいうと舐めていた。
事務所で一緒にアイドルを目指す少女たちは、誰一人として忍術は使えない。
それどころか木から木へ飛び移ることさえできなさそうな子ばかりだ。
そんな一般の少女ができることが、本物の忍びである私にできないはずがない。
そう、思っていたのに。
ボーカルレッスン。
変幻自在に声真似ができる私なら、CDの音源を聞いたままに歌うことが可能だ。
なので、雰囲気を似せる程度で歌ってみた。
「浜口さん。物まねじゃなくて、自分の声で歌ってね」
ボーカルレッスンのトレーナーさんに注意されてしまった。
そこで私は固まった。
自分の声で歌うって、何?
そんなこと、したことがない。
ビジュアルレッスン。
老若男女、望むままの姿に変装できる私なら、どんな笑顔だろうと泣き顔だろうと簡単に。
「浜口、照れすぎだ。もっと肩の力を抜け」
ビジュアルレッスンのトレーナーにも叱られてしまった。
照れるなと言われても、今の私はほとんど素顔なのだ。
変装した顔ではなく、自分の本当の顔で笑ったり泣いたりするところを見せるなんて忍びとして致命的だ。
物心ついた時から親にしつけられる恥ずべき行いだ。
恥ずかしがるなという方が無理に決まっている。
ダンスレッスン。
「浜口、音を無視するな」
「浜口、小さくまとまるな」
「浜口、遅くなってるぞ」
ありえない。
身体能力は、私は他の子とは段違いで上のはずなのに。
運動に関して私が遅れをとっていいはずがないのに。
里でも褒められるぐらい優秀な私が、運動で一般の子に負けるようなことがあれば里の皆に申し訳が立たないというのに。
でも、駄目だった。
音に合わせて動くことに、まわりから良く見えるように動くことに、流れに合わせて動くことに、身体がついてきてくれない。
慣れない動きをしたせいだろうか。何年かぶりに感じる疲労に苦しみながら、私はきつく目を閉じて歯を食いしばる。
そうしないと、私の中の何かが零れ落ちてしまいそうだった。
次の日も。そのまた次の日も。その次の次の日も。
何かの間違いだと思った。
「もっとはっきりと声を出して」
次はちゃんとできるはずだと自分に言い聞かせた。
「まだ表情が硬い」
だって私は優秀で。だって私はもっと。
「動きの流れを意識しろ」
だって。だって。だって。
だって里ではこんなこと練習しなかったから。
浜口あやめになって何日たっただろう。
途中から数えるのをやめてしまった。
数えれば、それだけ私が不甲斐なかった日数を数えることになって辛かったから。
私は今、本日のレッスンを終えてベンチに一人座っている。
不甲斐ない。情けない。
自分が忍び以外のことを、こんなにもできない人間だったなんて。
里ではいつも褒められていた私が、里の外に出たら何もできない一般の少女たちにも劣る子供だったなんて。
一人になると心の内から声がする。
「もうやめてしまいたい」
レッスンをやめてしまいたい。
浜口あやめを、やめてしまいたい。
何度も何度も聞こえてくる声から逃げるように、頭を抱える。
それはできない。
それをしてしまったら、私は本当に何もできない子になってしまう。
浜口あやめでも、里の忍びでもなくなってしまう。
それだけは嫌だ。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
繰り返すほどに胸の痛みが強くなって、ぽとりと目から雫が落ちた。
「これは……」
手の上に落ちた水が何かは知っている。
涙、という悲しかったりすると目から流れる水だ。
幼い頃には私も流していたらしい。
でも、涙は忍びが流すものではない。
涙は弱い心が流すもので、心を殺せない忍びは忍びじゃない。
だからはやく止めなくてはと自分に言い聞かせる。
けれど私の意志とは反対に、涙は止まるどころかどんどん溢れていき、まるで滝のように零れていく。
止めなくては。
早く止めなくては。
早く早く早く。
早く止まって。
「止めなくていい」
ぽんっ、と私の頭に手が乗せられた。
涙を流しながら見上げると、ダンスレッスンのトレーナーさんが私の前に立っていた。
「止めなくていいんだ」
言いたいことがあった。
これは違う泣いていいのか苦しくて辛いもう帰りたい諦めたくない恥ずかしいまだ私は。
「う……あ……」
ぐちゃぐちゃになった思いは形にならず、溢れる気持ちは声にならなかった。
でも、トレーナーさんは私の言葉に頷きながら。
「今のお前に必要なのは、その涙を受け入れることだ。自分の涙を認めた時、お前はきっと強くなれる」
そう言って私の頭をゆっくりと優しくなでてくれた。
物心つく頃には涙を流さなくなっていた私は、その日今まで泣かなかった分を取り返すかのように涙を流した。
泣いて泣き続けて、トレーナーさんが呆れて私も笑えてくるぐらい泣きながら、ふと思った。
もしも、ここにいるのが私ではなく、本物の浜口あやめだったなら。
はたして彼女は涙を流しただろうか。
零れた涙を少し舐めてみた。
悔しさと、苦しさと、寂しさと、喜びと、感謝と。
苦くてほんのり温かい、私だけの味がした。
浜口あやめになってから一年がたった。
里を出てからの一年間は、とても一言ではまとめられない。
涙を流したあの日を皮切りに、今まで忍びとして抑えていた心はゆっくりと確実に私の外へと溢れるようになっていった。
ファンに応援されたときの嬉しさや、上手くいかないときの悲しさ、仲間と歩む心強さ。
全部が宝物で、大切な思い出だ。
そしてそれらすべては、頭領から浜口あやめの影武者という任務を与えてもらったおかげ。
頭領には感謝の念しかない。
だからこそ、私は今、忍びの里の入り口、深い森の中にいる。
あの日から一年たった。
もういいだろう。
浜口あやめの影武者、その任を今日をもって終わらせるとしよう。
久しぶりの里をぐるりとまわる。
忍びの里は、そう簡単には見つからない。
一般人にはわからないように、気を付けて探さなければまず見つかりはしない。
だからこそ、私は念入りに里を一周して、二周して、自身の衰えによるものではないことを確認しながら三周目をまわり。
「やっぱり」
かつて頭領の部屋があった場所の前で探索を終了した。
長い歴史を誇る忍びの里であり、私が長い年月を過ごした故郷は、跡形もなくきれいさっぱり消え去っていた。
私に知らせることなく、忍びの里は私の知らないどこかへ行ってしまった。
私は里に捨てられたのだ。
きっかけは恐怖だった。
浜口あやめとして数ヶ月たった頃、もしも本物の浜口あやめが戻ってきた時を考えると私は恐ろしくてたまらなくなった。
それほどまでに今の浜口あやめとしての生活が心地よかった。
だから、私は独自に浜口あやめについて調べることにした。
その結果。
「まさか、浜口あやめという娘がそもそも存在しなかったとは」
大した話ではない。
失踪した娘の話は全部偽りで、頭領が私の写真をアイドル事務所に送っただけのこと。
何も言ってこないけれど、プロデューサー殿もきっと共犯だったに違いない。
忍者ごっこ好きという設定も、私がやりやすいようにという配慮だろう。
もしくは、私の忍びの技など忍者ごっこにすぎないという意味かもしれない。
今にして思えば、私は里のみんなに褒めてもらいたがって忍びの術を練習していたのはよくなかった。
誰かに褒めてもらいたい、見てもらいたい、などという性格は明らかに忍びには合わない。
きっと私が一番だと認められている中、私よりも優秀でありながらそれを隠している同年代の子がいっぱいいたはずだ。
そう思うと、少し恥ずかしい。
ともかく、今日こうして里を一年ぶりに訪れて、里が消えていることを確認した。
もう私には帰る里はなく、里の忍びでもなくなり、任務も同様になくなった。
今日から私は忍びではない。
今日から私は浜口あやめ。アイドルの女の子だ。
頭領の部屋があった場所を見て、この名を貰った時のことを思い出す。
あの日頭領は、影で生きることができない私のために、光の中で生きるための名前をくれた。
それはなんと有り難いことなのだろう。
じわり、と目頭が熱くなるのを感じる。
手で押さえようとして、やめた。
零れる涙をそのままに、私は深く頭を下げる。
「今までありがとうございました」
里のある森から出たところで、プロデューサー殿に今から戻ることを伝えようとスマートフォンを取り出そうとしたら、ポケットにスマホ以外の感触がした。
なんだろう、と取り出してみると。
「ふふっ」
それは一枚のはがき大の紙。
文字はなく、ただアヤメの絵が筆で描かれている。
こんなものをポケットに入れられても気付かなかったなんて。
私はもう一度里に向かって頭を下げて、駆け出した。
森の外には眩しい光が降り注いでいた。
以上です。
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