【艦これ】聖夜の魔法 (42)
時計の針が、頂点で重なり合うまでもう少しという頃。
サンタクロースが本当にいるならば、今頃はきっと太平洋上を飛行中。そんな時間だ。
執務室では提督がたった一人で書類の整理に励んでいた。
室内は薄暗く、明かりはデスクライトだけ。
秘書艦でもある重巡洋艦娘足柄はそんな執務室に、げっそりとした顔をして足を踏み入れる。
「うあぁ、疲れた……」
どさりと応接用のソファに身を沈め、口から漏れたのはそんな言葉。
口にすべきものはもっと他にもあるのだろうし、そもそも一連の動きが、あまりにも女性らしさからかけ離れているのも如何なものかとは思う。
けれど、それを考えるのも、対処するのも面倒なくらい疲れていた。
すべては、クリスマスパーティの後片付けのせい。
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そう聞けば、なかなかに気の利く艦娘ではないかと思うかもしれない。
だが、実際のところ足柄がやっていたのは、仲間を守るために無謀な戦いを挑んで敗れた、哀れな犠牲者たちの後方搬送である。
「お疲れさん」
提督はそんな足柄を見て、苦笑いをしながら労をねぎらう。
「何だか年を追うごとに被害が拡大している気がするわ……」
「今年は大物が増えたから特に、な」
大物とはポーラのこと。イタリアからやってきた重巡艦娘だ。
先に着任していた姉妹艦のザラが言っていた通り、かなりのウワバミ――というか、それを超える完全なワクで、その上なかなかにクセが悪い。
具体的に言えば、とにかく脱ぎ出すのだ。
乱痴気騒ぎは飲み会につきものだし、男のそれではないだけまだマシなのだが。
……いや、どちらにしても目の毒であることには変わりがない。
「来年もかと思うと、今からドッと疲れが押し寄せてくるわ」
「お前のその言葉を聞いてると、ここに残ったのは正解だったと心から思うね」
まるで自らの意思でそうしたかのように言う提督だが、今日はここで実質的な軟禁状態にある。だから今の言葉は、半分は当てつけのようなもの。
料理やケーキは運ばれてくるが、色々と魅惑的な酒宴への参加だけは――ポーラを除く――艦娘一同の総意により禁止である。
残りの半分は、次の作戦に向けての調整やらで、それどころではないという本音。
今も足柄と会話をしながら、目の前の書類と格闘を続けている。
「明日の鎮守府は開店休業かねぇ」
国防という大役を課せられた組織にそんなことが許されるわけがない。
ただ、今回に関していえばそれでも問題はないだろう。
あれだけの損害を与えたのだから、当分は敵も大人しくなるだろうし、実際目立った活動の兆候やその報告もない。
それに、本土沖まで展開してきた敵艦隊を退け、当面の安全は確保はできている。
だからこその、祝勝会と慰労も兼ねたパーティだった。
「今年は大鳳に金剛、最上、夕雲と長波、早霜、朝霜、磯風……あと誰だっけか――とにかくポーラの相手だけで犠牲者大幅増よ」
応接用のソファに体を投げ出し、天を仰ぐ。
何としても親睦を深めたい――といえば聞こえはいいが、酒を飲む理由が欲しいだけのポーラは、次々と相手を変えては酒を勧めて回る。
とりあえず、隼鷹、千歳、那智をぶつけて時間を稼いでいる間に、酒がダメな子たちを一纏めにして魔の手から守る。もちろん守備隊旗艦はザラだ。酒が絡んだ状況下では、彼女がいる限りポーラは近づかない。
鎮守府が誇る酒豪三人が華々しく散った後は、ある程度飲める艦娘たちを小出しにぶつけて、ようやくポーラを撃沈せしめた。
ちなみにポーラの粘りは下着一枚の大破状態になってからが驚異的で、犠牲者の大半はそこで発生している。
とにかく、やっていることはまるで撤退戦か船団護衛。
深海棲艦相手の方がよっぽど楽だ。
おかげで、もはや自分の酔いなど何処へやら。
ため息だけは、アルコールの香りとともに盛大なものが出るのだが。
「ま、二日酔い艦隊なら、片手の指の数くらいは編成でき……いや、片手じゃ足りないわね」
乱痴気騒ぎの惨状は、何もその当日だけで終わるものではない。
むしろ最悪の様相を呈するのは、その翌日。
「同規模の小間物お掃除艦隊を編成しなきゃならんが、そっちの人員は足りるのか?」
最近ではほとんど使われなくなった遠回しな表現を、提督はあえて持ち出す。
そうでもしなければならない程の惨状というわけだ。
「……足りることを祈るわ」
一部に靄をかけた状態で現場を想像してもうんざりする。
主戦場となるのは御手洗海域周辺。
稼働可能な艦娘各員は、臭い対策としては気休め程度の効果しかない防毒面着用の上、ゴム手袋にブラシと洗剤、雑巾にバケツと言った衛生装備をして小間物掃討作戦に出撃である。
その進撃路上には、目的地にたどり着けずに大破着底していたり、目的地で座礁し一晩を明かしたであろう艦娘が小間物屋を開いており、その曳航作業も同時進行。
これはもう、鎮守府総出の総力戦。
おそらく深海棲艦が相手の大規模作戦でも、ここまでやることはないだろう。
ちなみにこの小間物屋というやつは、油断するとあっという間にチェーン店を作って商圏を拡大していく。
――ようするに、一般的に言うところの『もらいなんとか』というやつだ。
結果として、いつの間にか際限なき消耗戦へと変化していることもあるのだから始末に悪い。
「まぁ、そのまま大掃除作戦へ移行するつもりでいいんじゃないかしらね」
「毎年その流れだろうよ」
提督はついに手を休めて本格的に笑い出した。
そのまま、そばにあったポットと湯呑みを手にして熱いお茶を注ぎ、足柄に手渡す。
「まぁ、何にせよご苦労さん、だ。足柄」
「ありがと……提督からこうやってお茶を淹れてもらうなんて、この時期くらいかしらね」
「最初の頃は、お前も二日酔い艦隊の一員。俺はお茶じゃなくて水を運んでたよ」
「あら。何だか記憶に相違があるようだけど?」
「お前が覚えてないだけ。そもそも酒の飲み方が悪い……ピッチが早すぎるから悪酔いする。おまけに那智と張り合ってちゃんぽんとくれば、余計にな」
隣に座る提督の苦笑い。
それを見て、足柄の記憶が少しだけ蘇る。
――あの時と同じ顔。
別に覚えていないわけではないのだ。
あまりの恥ずかしさに思い出したくないだけだ。
艤装を装備していたら、顔から出た火で砲塔内の弾薬が誘爆するレベル。
けれど、一度溢れ出した記憶は簡単に止まることはない。
苦笑いをした提督の腕に抱きかかえられて、自室へと運ばれていく足柄。
ベッドに横たえられ、衣服を緩められ……
そうして、部屋を出て行こうとする提督を呼び止め、背中から抱きしめた。
その辺りで足柄の記憶は途切れていて、実際に何が起きたのかはわからない。
けれど、その後の展開は――おそらく誰もが想像する通りのはず。
あの時の自分は完全にタガが外れていたのだから。
「まぁ、覚えてない方がいい。ああいうことは、さ」
提督の言葉で我に返る。
部屋が薄暗くてよかった。
おそらく今の自分は、とんでもない顔になっているだろうから。
「……その言い方だと余計に気になるじゃない」
何があったのかを提督の口から引き出したかった。
それを知りたいと言う思いもあったが、何よりもそうすれば、どんな顔をしていても誤魔化せると思ったから。
けれど。
「足柄の弱点だから、機密事項だよ」
はぐらかされる。
提督にとっても、あまり思い出したくはない出来事なのだろう。
少なくとも、自分の部下とそんな関係になってしまったことは。
だいたい、翌朝に目を覚ました時点でベッドの中には半裸の自分がいて、同じ部屋で上半身が裸の提督が服を着ようとしていたのだ。
この情況証拠だけで限りなくクロに近いグレー認定。
そして。
二人は何も言わず、目を合わせることもなく、身支度を整えて、それで終わり。
三十分後には何食わぬ顔で、いつものように執務に入っていた。
以来、どちらからもそれに関しての追求はない。
何もないからこそ、あの時何があったのかが充分わかる。完全なクロだ。
酒の勢いを借りてそうなってしまったことが悔しい。
それが、どれだけ待ち望んでいた瞬間だったとしても、思い出せないのでは意味などない。
たとえ想いが届かなかったとしても、それに浸ることさえ叶わないのだから。
「そういや、今年のプレゼントはどんな反応だった?」
足柄の思いなど気にせず、提督が話を戻す。
やはり、触れたくない話題なのだ。
悔しさと悲しさが混ざり合った、複雑な感情が足柄の中で蠢く。
「……好評よ」
なんとか気持ちを押しとどめて、それだけを口にした。
提督が全員に用意したのは、それぞれの好みで冬用のコートを無料で仕立てられる券。
もちろん仕事用は官給品がある。
だからこれは私服として、だ。
「そいつは良かった」
ちなみに去年は手袋と帽子。その前はマフラー。さらにその前は――なんだったか。
とにかく。
新たに着任した艦娘には、それまでの物もまとめてプレゼントされている。
「冬用の装備が一式揃うまで、一体どれくらいかかるのかしら」
これを励みにして任務に精励している艦娘は多いのだ。もちろん足柄もその一人。
「さぁね。でも、何年でもかけるつもりだし、揃う頃には新しいのが欲しくなってるだろ?」
だから沈むな。
立場上、表立って言うことのできないそれが、プレゼントに込められた提督のメッセージ。
艦娘すべてを大切に扱う。それが彼だ。
決して誰かだけが特別な存在というわけではないのだ。
だからこそ――。
ズキリと胸に突き刺さる何か。
正体はわかっている。
「まぁ、今回のは本土防衛成功で、仕立屋も大感謝出血サービスするって言うから実現できたようなもんだけど」
またしても苦笑いをする提督。
出費が嵩んだのだろう。
自分が給料をもらえるのは艦娘の奮戦のおかげ。だから本来は艦娘のもの。
それが提督の言い分。どのみち、使う暇がないとも言っていたか。
「ちなみに、私の分はあるのかしら?」
券を配る方に回る秘書艦足柄には、後日提督から手渡されるのがいつものことなのだ。
今回のは想像できる金額が金額だけに、なんとなく不安になって聞いてしまう。
「それがな……ないんだ」
「え? ちょっと、本気で言ってる?」
思わず提督の顔を覗き込んで確認してしまう。
「……予算が、な」
そう言って情けない顔で笑っていた。
提督という仕事がどれだけの給金をもらえているのかなど、足柄には想像もできないし、秘書艦という立場上、様々な面で後回しにされることがあるのは承知もしている。
それでも、自分だけ『なし』というのはなんだか疎外感を感じてしまう。
なんとも現金なことだとは自分でも思うのだが、がっくりと肩が落ちてしまうのはどうしようもない。
「……艦娘、増えたものね」
足柄が着任したときには、まだ五名しかいなかった。
すぐに秘書艦を任され、それ以来ただ前だけを見つめて、二人で必死に走り続けてきた結果が、百名を超える艦娘を擁する今の鎮守府だ。
今では足柄もその中の一人、という立場になりつつあるのかもしれない。
そう思うと、なんとも言えない焦燥感が胸を突き破って吹き出しそうになる。
「そんな顔するなって。足柄にはどれだけ感謝しても足りないからな……後で――」
だからなのか。
「提督、それなんだけど」
足柄の口が勝手に動く。
「ん?」
頭ではそれを口にしてしまうことを恐れているのに。
「替わりに一つお願いがあるの」
それだけは言ってはいけないとわかっているのに。
「なんだ?」
暴走を始めた心が最後の一線を超えてしまうのを自覚できた。
「あの時、何があったのか――もう一度それをして欲しい、ってのはダメ?」
提督の表情が変わった。
というよりも顔色が変わったというべきか。
足柄自身、なぜこんなことを口にしてしまったのかと後悔している。
その後に続く拒絶の言葉を聞きたくないからこそ、押しとどめてきたのに、と。
けれど。
口にしてしまった。
形にしてしまった。
もう引き返すことはできない。
ならば前に進む。それしかできない。それしか能がない。
「私ね――あなたが好きなのよ。好きになっちゃったのよ」
わずか数年とはいえ、苦楽を共にして来たのだ。ずっと側にいたのだ。
その健やかなる時も、病める時も――と、誓いの言葉にもあるように。
順序としては逆かもしれない。
けれど、一緒にいる時間は誰よりも長い。そうなって当たり前だ。
「……だからあんなことしたの」
提督の胸に顔を埋める。
そうやって視界を塞いだ。その上で、瞳も硬く閉じる。
できれば耳も塞ぎたかった。
何も聞かず、何も見ずに、この時間が過ぎてくれればそれでいいのだから。
ただ、背中に回した手をほどきたくもなかった。
彼の鼓動や体温を感じていたかった。
二度目はないと知っているから。
「今だけはこのままで……お願い」
まるで燃え尽きる寸前のロウソクの炎のよう。今にも消えてしまいそうなほど、か細くかすれ気味の声が漏れる。
とてもではないが、自分のものとは思えない。
勝ちにこだわり、退く時ですら必ず敵に痛撃を与えてみせる重巡足柄が、なんてザマだ。
だけど、本当の自分は弱い。
きっと誰よりも脆い。
だからこそ勝ちにこだわり、実際に勝ち続けることで、負けから目を背けてきた。
それをこんな形で知ることになるとは思わなかった。
「……足柄」
頭上から聞こえる声。
次はきっと負けの宣告がやってくる。
ぎゅっと、背中に回した手に力を込める。
だが。
「本当にそんなことでいいのか?」
思い切り予想外の言葉。
「……はあ?」
そもそも、そんなこととはどういう意味だ。
それなりに覚悟だって決めて、悩んでさえいるというのに。
第一に、女の操をそんなこと扱いとはどういう了見だ。
瞬間的にスイッチが切り替わり、それまでとはまったく逆方向の導火線に火がついた。
キッといつも通りの攻撃的な目をして、提督を睨みつける。
「そんなこと――」
だが、開いた口は塞がれる。
少しだけガサついていて、それでも柔らかくて暖かいものに、だ。
何が起きたのか。
それを理解するのに、あまり時間はいらなかった。
だから頭の芯があっという間に溶けていくような感覚があって、そこで一切の思考が止まってしまう。
時間も少し止まったかもしれない。
残念ながら確認する術はないが。
ただ、あの日あったこと。
それが今再現された。
いや。きっとこれから再現されていくのだろう。
僅かばかりに唾液の糸を引いて、唇が離れていく。
「まぁ、あの時はお前からだったけど――で、だ」
次に起こることを想像して、足柄はそれに身を委ねると決めた。
もう、何もいらない――。
それだけで幸せだから。
「ここから先の再現は無理、というかお断りしたい」
足柄の期待はそこで断ち切られる。
「……ハイ?」
「いや、だからここから先は嫌だって言ってる」
なんとも残酷な言葉ではないか。
まるでその価値すらないと言われたような気さえする。
所詮は人と艦娘ということなのか。
それとも、他に――。
理由が知りたい。知らねばならない。
戦うにしても、一時的に後退して作戦を練り直すにしても、とにかく判断材料がいる。
「それは、どういう意味よ?」
「……言っていいのか? お前の沽券に関わる話なんだが」
そんな言葉を出されれば、むしろ聞かずにはいられないだろう。
「言いなさいな。この先に進まない理由とやらを」
内容次第では、重巡足柄の本領発揮も覚悟してもらおうじゃないか。
すっと身体を離して腕まくり。近接戦闘準備完了だ。
それを見て、提督が大きなため息をつく。
何か、重大な決心をするときのように。
そして、重々しく口を開き。
「この後、お前は――
――盛大に小間物屋を開いてぶっ倒れた」
今度ばかりは時間が確実に停止した。
少なくとも足柄の中の世界は完全に凍りついていた。
その音が聞こえたのだから間違いない。
「世界中でお前のゲ――じゃなくて、小間物の味を文字通りの意味で知ってるのは俺だけだろうな。まぁ、俺もその直後にやらかしたから、これに関しては相討ちって所か」
提督が笑う。
だが足柄に聞こえたのは別のもの。
凍りついた世界がガラガラと派手に崩れ落ちていく音だ。
残るのは乾燥した砂漠か。
それともシベリアの永久凍土の平原か。
何れにしても、何もない荒地。一切の希望もない荒野。
そこに足柄は一人放り出される。
「それで、妙高と那智を呼んだ。なんでそうなったかの部分は端折ったが――とにかく、お前は風呂場で丁寧に洗われ、俺はその間に部屋の掃除。もちろん互いの服はドロドロだから羽黒が洗濯に持って行った」
叫び出したい。
きっと、今ならどれだけ叫んでも許されるはずだ。
なんなら主砲弾をありったけ世界中にばらまきたい。この際、四一センチだろうが五一センチだろうが構うことなくぶっ放す。
それで世界がリセットされて、この忌まわしい事実が消え去るなら喜んでやってみせる。
どんな悪名だって受け入れてやる。
「まぁ、俺もあの時は飲んでたから、そのまま力尽きて寝てたらしくてな。三人で運び出そうとしてくれたらしいが、あいつらもそれなりに飲んでたし、我々はどっちも間違いを犯すような状況でもないってことで諦めたそうだ。で、目が覚めたらあの状況だったわけだな」
現実というやつは、いったいどれだけ残酷なのだろうか。
この数年、鬱々としていた自分はいったいなんだったのか。
いや。
むしろ鬱々としていた方がまだ幸せだった。
そこにはまだ、夢や希望や、その他諸々が詰まっていたのだから。
もはやこの世に未練はない。
いっそ楽になりたい。
現実から逃げるために。
「……ちょっと沈んでくる」
幽鬼のようにゆらりと立ち上がった足柄の左腕を、提督が掴む。
掴んで自分の方に引き寄せる。
「おーい、足柄?」
「好きな人それも上官にゲロ浴びせるどころか口の中にぶちまけるとか最低最悪信じられない何してるの私もう生きていけないお嫁に行けない女としてというか人としてというか艦娘として終わってるもうだめだ生きる希望が見出せないそもそも私は何を勝手に一人で盛り上がってときめいてたの馬鹿みたい馬鹿みたい馬鹿みたいというかなんで妙高姉さんと那智姉さんと羽黒は何も言わなかったのああそうか悩んでる私を見てきっと陰で笑っていたのねこれはもう屈辱よ屈辱だから死ぬしかないの死ぬしかないのよ死ぬしか――」
虚ろな目をして、まるで壊れた機械のように、平板な声で何事かをつぶやき続ける足柄を前に、提督は思わず頭を抱える。
「こうなるのがわかってたから、言わなかったし口止めしたんだよ……」
「もういいのもういいからほんとに死にたいいっそ殺してお願いだから後生だからひと思いに――」
「ああもう、このバカ。直情径行の性格は治せと言ってるだろ」
そしてもう一度、提督の唇が足柄の言葉を奪う。
今度は長く。
とても長く。
そのままソファに押し倒され、それでもまだ。
これは夢だろうか。
きっとそうに違いない。
そういえば確か、童話の中で眠りについた姫君を目覚めさせたのは王子様の口付けだったか。
だとしたら、今はそんなものお断りだ。
夢なら覚めないでほしい。
ただこの瞬間を堪能したくて、目を閉じた。
…………
……
いったいどれだけの時間がたったのか。
十秒か、一分か。それとも五分。もしかすると一時間か。
足柄にはわからなかった。
離れたくない。
自分を支配している気持ちはそれだけだ。
だが、その時はやってくる。
夢の終わりがやってくる。
そして。
「あんな目にあって、それでもこんなことができるってのは、どういう理屈かくらい想像できるだろ?」
離れて行った唇から、そんな言葉が紡がれた。
「ぅえ……あ、の……提督……わたし……」
「まだだ。続きがある」
そう言って、提督はごそごそとポケットを漁る。
掴まれていた左腕がグイと引っ張られ――。
「これ、お前専用のプレゼントなんだが、貰ってくれる気はあるか?」
銀色に輝く小さな指輪。
それが足柄の左手、薬指の先端に触れて止まる。
サイズは間違いなく足柄に合うものだ。なんとなくそれがわかる。
別な童話では、ガラスの靴で本人確認だっただろうか。
「本当はお前のコートを一緒に見繕って、洒落た飯でも食って、その後渡そうと思ってたんだよ」
自分はきっととんでもない夢を見ているだけ。
「けど、今これ出さないと、お前、何やらかすかわかったもんじゃない」
また酒に飲まれただけだ。
「だからムードに欠けたシチュエーションなのはこの際、自業自得だと思って諦めろ」
あんな大失態を犯しておいて、そんな美味い話が転がってくるわけがない。
「まぁ、これはこれでリアリティに溢れてるとは思うし、おかげで俺も変に気負わずに言えてるんだが」
話が出来すぎている。ひょっとすると、夢までクリスマス仕様の大盤振る舞いなのか。
「ああ、そっか。これって変な夢の続きってことよね?」
どっちにしろ目を覚ませば、いつもと同じ天井が見え、いつもの日々が繰り返されていくだけ。
「それも他の子が脈略もなく現れて、唐突に横からかっさらわれて終わる最悪なパターンのやつよ」
そんな夢を見て、飛び起きる。
そして濡れた頬に気がついて……よくあることだ。
「あのなぁ……俺の一世一代の大イベントを夢オチで終わらせる気か?」
頬をつままれた。
――痛い。
「どうだ?」
答える代わりに、なぜか時計を見てしまう。
ガラスの靴のヒロインは、午前零時に魔法が解けて現実に連れ戻される。
魔法なんてものがあると思わない。
けど、そうでもなければ、おかしい。
そのくらい、今、自分の身に起きていることはあり得ないことだ。
けれど。
「……あ、れ?」
午前零時はとうに過ぎていた。
その視線の行方に気がついた提督が腹を抱えて笑いだす。
「お前、そういうガラか? それこそ夢を見過ぎだっての――そういう足柄も悪くないけどな」
その動きが、言葉が、足柄を一気に現実へ引き戻す。
この状況には恐ろしいほど似つかわしくない、怒りという感情がふつふつと沸き起こったせいだ。それもまた自分らしいといえばそれまでなのだが。
「……なんか、すごく腹が立つ」
そんな求愛の言葉があってたまるか。
「否定できない事実だからだろ……で、これはどうするね?」
だから返事などしない。
してやるもんか。
まずは、やり直しを要求しなければならない。
その前に確認事項がいくつか。
「コート。予算がないんじゃなかったの?」
「説明させなかったのはお前だろうが……サービスの予算がなくなったのは仕立屋。正規の料金を出せば作ってもらえる。お前には何年も世話になってるんだ、指輪の件は別としても、そのくらいはプレゼントさせてくれよ?」
ならば予定通りに作戦実行。返事はその時までお預け。
コートだって欲しいし、何よりこっちにとっても一世一代の大イベント。ムードやシチュエーションは大切に決まっている。
それに。
「もう一つ」
「ん?」
「あなたはなぜ? いつから?」
口にしてから自分の変化に気がつく。
頬を伝う涙。震える声。
これでは、答えを言ってしまったのと同じだ。
「……それは、ちゃんとした言葉で答えを聞いてからじゃないと教えられないな」
提督はニヤリと笑って事実上の勝利宣言。
だったら。
直情径行。飢えた狼。
どうせそれが重巡足柄だ。
夢見る女や淑やかなヒロインは似合わない。
そんな女に毒リンゴを食べさせてみようなんていう愚か者はいないし、ガラスの靴なんていう動きづらそうなものは願い下げ。
だから、差し出された指輪に薬指を突っ込んで奪い取った。
答えは力ずくで、今夜中に引き出してやる。
相手が誰であろうと、勝ちは絶対に譲らない。
彼の隣という位置にふさわしい自分であるために。
それが、きっと彼が望む足柄だから。
だから、もう一度――。
時計の針は廻り、重なった。
そして、そのまま止まる。
電池が切れたか、それともネジを巻き忘れたのか。
ひょっとすると、海を越えてようやくやってきたサンタクロースの悪戯か。
だからきっと、夢だとしても覚めることはない。
覚めない夢は、決して夢とは言わない。それはもう現実だから。
だからきっと、その夜のことが魔法だったとしても解けることはない。
次にこの時計が動き出すのは、二人が新たな一歩を踏み出した後なのだから。
…………
……
そうそう。
翌朝、二人は寝坊した。
結果、揃って小間物掃除隊の指揮官を拝命することになり、現実に打ちのめされたとか。
あの二人らしいと言えばそれまでだが。
きっと、すべてはその時計のせい。
だからこれは――
余談だ。
艦!
※駆け足で失礼いたしました。
誤字脱字ありましたら、何卒ご容赦を。
普段、甘いのは書くどころか読むこともないので、こんなんしか書けなくてごめんよ。
HTML化依頼出してきます。
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