モバP「ロマンチスト・エゴイスト」 (17)

長引いた会議が終わり、デスクに積まれた書類を確認していると、千川ちひろがパタパタ足音を立てこちらへ向かってきた。

「プロデューサーさん、お疲れ様です。会議、かなり長引いたみたいですね」

「流石に疲れました。各々やりたいことのぶつけあいで結局結論は出ませんでしたけど」

ちひろからコーヒーを受け取り、一口啜る。苦味が頭をスッキリさせてくれる。

「そういえば、志希のミニライブはどうでした?」

それがですね、と憂慮の色を浮かべるちひろからUSBメモリが手渡される。
担当アイドルのライブには出来る限り同行しているが、今日のように重要な会議が入った時などはちひろに同行してもらい、ライブを撮影してもらうよう頼んである。
今日は担当の一ノ瀬志希がミニライブを行ったはずだが、ちひろの表情から察するに、何かしら良くないことが起きたらしい。
USBメモリをパソコンに繋ぎ動画を再生する。
2曲目の途中、志希の足がもつれ、転倒しそうになる場面があったが、なんとかリカバリーし、その後は問題なく踊り続けていた。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1473412069

「ここって確か」

「前回のライブで転んだ所ですね」

志希は前回のライブでも、その曲の同じ場面で転倒していた。
だがそれは誰が見てもわかるように、彼女のミスではなく、床が滑った故に起きた転倒だった。
動画を巻き戻し、足がもつれた部分をもう一度確認してみる。
その瞬間の彼女の表情に不安が混ざっているような気がしたが、リカバリー後は普段の笑顔に戻っていた。

「ライブ後の志希の様子は?」

「特に変わりはなかったと思いますが……」

「……そうですか。何かあったらフォロー入れておきます」

「よろしくお願いしますね」

動画をコピーしてちひろにUSBメモリを返す。
俺は冷めてしまったコーヒーを飲み干し、うんざりするほど積み上がった書類の片付けに戻ることにした。

今朝の予報通りの雨が降る中、帰路につく。
折りたたみ傘が少し小さいからか、アパートに着く頃には背広が少し濡れてしまっていた。
もう少し大きめの折りたたみ傘でも買おうかと考えながらアパートの階段を上り自分の部屋を目指す。
俺の部屋の扉の前には、濡鼠になった志希が座っていた。

「やっほー。遅かったねプロデューサー」

「ちょっと書類の山と……そうじゃないだろ。何してるんだこんな時間に」

「何って……そう、雨宿り! いやー、まさかこんなに降ってくると思わなくてさー」

「……とりあえず入りなさい」

ずぶ濡れの志希をそのまま帰すわけにもいかず、部屋に通す。

「体冷えちゃってるだろ。風邪ひく前にシャワー浴びてこい。服も洗濯しないと……」

「プロデューサーってば女の子を家に上げた途端シャワーを浴びろなんて、意外とだいたーん」

言い終わると同時に、志希は小さなくしゃみをした。

「言わんこっちゃない。いいからさっさと入る! ほら駆け足!」

ペタペタという音を立てて志希が脱衣所へ向かう。
あの様子だと靴下まで濡れてるみたいだ。

「濡れた服は洗濯機に入れておいてくれ。乾燥までしてくれるから。お湯の張り方わかるか?」

「だいじょーぶ!」

志希が着られそうな服を探さなくては。

背広の上着をハンガーにかけ、クローゼットの中から適当なTシャツとジャージのズボンを引っ張りだす。
Tシャツはいいとして、ズボンはウェストを紐で調節してもらうしかなさそうだ。

「入るぞ」

一応脱衣所の扉をノックしてから聞くと、はーいという返事が風呂場から聞こえるのを確認してから脱衣所に入った。
空いた洗濯カゴにバスタオルと着替えを置き、洗濯機に洗剤を入れ、回し始める。

「バスタオルと着替え置いておく。それと、ドライヤー勝手に使っていいから」

「うん。ありがと」

脱衣所を後にし、パソコンを起動する。
今日の会議に参加したプロデューサー全員の企画書が通らなかったため、俺も作り直さなければならない。
そういえば、最後にこの部屋に女性を呼んだのはいつだったろうか。
……思い出せないので作業に戻ろう。

しばらくすると、志希が風呂から上がってくる。
座卓以外に座布団も無く、椅子も俺が座っているパソコンデスク用の物しか無いので、志希は自然とベッドに腰掛ける事になった。
部屋には洗濯機が回る音と俺のタイプ音だけが響く。

「……何も聞かないの?」

「志希が話したくなったら、話してくれればいいよ」

聞きたいことは山程あるが、俺から志希に話しかけるつもりはなかった。
俺が質問した所で、はぐらかされるかもしれないというのもあるが、自分の部屋の前にずぶ濡れで現れた女性に対して、何をどう切り出せばいいのかわからないというのが本音だ。
それなら彼女から話を切り出すのを待ったほうがいいだろう。
沈黙に耐えかねてか、志希が口を開く。

「あのさ、今日、またダンスで失敗しちゃった。この前転んだのと同じ所で」

「みたいだな」

「……あたし、アイドル辞めさせられちゃうの?」

「は?」

話が飛躍しすぎてる。
これはちゃんと聞かないとマズイことになるな。
俺は立ち上がり、座卓を挟んで志希の正面まで椅子を持って行き、彼女の目線に合うように椅子の高さを調節して座る。
憂色を浮かべる志希の瞳を見つめると、彼女はベッドに座り直し膝を抱えて、膝に顔を埋めてしまった。
こんな表情の志希を見たのは初めてだ。

「あたしね、やっとここに居たいと思えるようになったんだ。だから……だから」

「ちょっと待て! たった1度や2度のミスで辞めさせる訳が無いだろ!」

志希が顔を上げ、心細げな目でこちらを見る。

「本当だって。どうしたんだ、志希らしくないぞ。そんな短絡的な結論に至るなんて……」

部屋にまた沈黙が訪れる。
今度は俺が沈黙に耐えかねて立ち上がる。

「何か温かいものでも飲むか」

コーヒーを切らしていたのでティーバッグの紅茶で良いかと聞くと、志希は小さく頷いた。

しかし、本当に俺が志希を辞めさせるなんて有り得ない事を確かめるために、彼女はびしょ濡れになってまで家に来たのだろうか?

座卓に志希の分の紅茶を入れたマグカップを置き、俺は椅子に座る。
顔を上げて志希がマグカップを手に取る。

「熱いから気をつけろよ」

俺は息を吹きかけ紅茶を冷まし、一口啜る。
ティーバッグなので特に美味くも不味くもないが、身体は温まるだろう。
それを見て志希も紅茶を飲む。

「美味しい」

こんなものを出してやる事しかできない自分に苦笑してしまう。
そのうち、来客用にドリップコーヒーや茶葉でも用意するか。
俯いてマグカップの中の紅茶を見つめたまま、志希は意を決したように口を開いた。

「あたし、居場所が欲しかったんだ」

「居場所?」

「うん。子供の頃は実家があたしの居場所だと思ってた。普通そうだよね。でも違ったんだ。何歳の時だったかな、パパはあたしとママに対して興味をなくして研究に没頭し始めた。大学に寝泊まりするようになって家にも帰ってこなくなってママもいなくなっちゃった。ネグレクトって事でもなくて、家には家政婦さんが来るようになった。パパはあたしやママが嫌いになったわけじゃなくて、本当に単に興味がなくなっただけなんだろうね。あの人あたしよりぶっ飛んでるし、それでその時に、あーここには私の居場所は無いんだなーって思うようになった」

志希が父子家庭だということは履歴書にも書いてあったが、詳しく聞いたことはなかった。

「だから海外の大学に行くことにした。パパと同じものを学べば、パパが少しはあたしのこと見てくれるかなって。結局そんな事なかったんだけど。ギフテッドだなんて言われてたし、実際あたしも化学には自信あったし、ここにならあたしの居場所あるかなーとも思ったんだけど、大学にはあたしレベルの人間なんてゴロゴロいたし、特別な何かにもなれなかった。学ぶことは嫌いじゃなかったけど、大学にいる理由も無くなっちゃったし、辞めて日本に帰ってきちゃったんだけどね。実家に帰るつもりはないし、なんとなく都会の学校で女子高生でもやってみようかなって今の高校に入ったけど、やっぱりここでもあたしは平凡な女子高生でしかなかった」

「その時、街中で番組の撮影をしてる所を見て、アイドルに興味を持った志希を俺がスカウトした、と」

「ちょっと違うかな。あたしはアイドルに興味を持ったんじゃなくて、プロデューサーに興味を持ったの。あの時のプロデューサー、とっても良い匂いがしたから」

そういえばそんな事を言っていたような気がする。

「あの時は自棄になってたから、君を観察するついでにアイドルでもなんでもやってみようかなって。そしたらびっくり、アイドルってこんなに楽しかったんだ。初めての歌番組の収録のお仕事でドキドキして、わけわかんないくらい楽しかったのは今でも覚えてるよ。その時かな、あたしここに居たいって強く思った。たとえここが……アイドルが私の本当の居場所じゃなかったとしても、あたしはここに居たいって。でもね」

暗く沈んだ声で志希が続ける。

「それまで好き放題してたこんなあたしの事、きっとプロデューサーは嫌ってるんだろうなって思うようになったんだ。それでも、舞台で失敗する事はなかったから、アイドルとしてなんとかやっているから、まだここに居させてくれるんだ、とも思うようになった。だから、同じ所で何度もミスをするようなあたしは辞めさせられちゃうんじゃないかって」

ああ、そうか。
これまでの人生で、彼女には味方と呼べる人間がいなかったのか。
最初に彼女の味方になるべき両親は彼女を見放した。
そしてギフテッドとして大学へ入学した彼女は若すぎた。
若き天才、しかも他国の人間だった彼女に僻みや妬み嫉みが向けられる事は想像に難くない。
そんな環境で彼女の味方など存在するはずもない。

彼女の普段の行動から察するに、他人の目をを気にするような事はないと思う。
ただ、他人から自分へ向けられる感情はゼロかマイナスでしかない、彼女はそう思い込んでいるのかもしれない。
もしも自分が彼女と同じ立場だったらどうだ? きっと俺は世界に何一つとして期待しないまま生きていくだろう。

俺は、彼女にアイドルという希望を与えてしまった。
彼女にとってアイドルとは、真暗闇の世界に差し込んだ一筋の光明のような物だったんだ。
彼女はそれを失いたくなかった。
ただそれだけの話。
そして、彼女の不安は俺が与えたものが原因だ。
俺にはそれを払拭する義務がある。

「志希、俺は君を嫌ってなんかいないよ。確かに君は自由奔放だ。人の言う事は聞かないわライブ前に失踪するわ、俺の手に余る事も多々ある。でも君はアイドルを楽しんでる。初めて舞台に立った君を見て確信したんだよ、一ノ瀬志希をスカウトしてよかったって。それに、俺は一ノ瀬志希の最初のファンだぞ。そんな俺がどうやったら志希を嫌いになれるんだ? どうして君からアイドルである事を奪う必要がある?」

これは紛うことなき俺の本心だ。
俯いていた志希が顔を上げて俺を見る。
彼女の顔には、まだ不安の色が漂っていた。

「……本当に?」

「俺は君の味方だ。たとえ天地がひっくり返っても君の味方であり続ける」

志希が持っていたマグカップを座卓に置き、もう一度膝を抱え、膝に顔を埋める。

「よかった」

消え入りそうな声で志希がそう呟く。
彼女の声にはもう、憂いは無かった。

膝を抱えていた志希がベッドから降り立ち上がる。

「よし! 志希ちゃんのお悩み相談コーナー終わり!」

そこに居たのは、いつものように屈託のない笑顔の志希だった。
どうやら吹っ切れたみたいだ。

「ねえねえ、さっきのセリフ言ってて恥ずかしくなかった?」

「30年以上生きてきて、一番恥ずかしいセリフだった」

思い出すと顔が赤くなっていくのが鏡を見なくてもわかるほどだった。
だが、その程度で志希の不安を払拭できたというのなら、安いものだ。
そして志希はベッドに倒れ込む。

「……うん。もう大丈夫。今のあたしにはアイドルがある。それに、キミもいる」

仰向けで顔だけをこちらに向けた志希の笑顔とその言葉にくらりとした。

「にゃはー。このベッド、キミの匂いでいっぱいだー」

「当たり前だろ。毎日そこで寝てるんだから。所で俺の匂いってどんなだ? 良い匂いだって言ってたけど」

「うーん……枯れた中年の匂い?」

「……志希、明日からみっちりダンスレッスンな」

「えー! ひどーい!」

「口答えは聞かん! 俺も付き合ってやるから」

「君が見ててくれるなら……ちょっとは頑張ろうかな」

今日の志希のミスは不安の現れから起こったものだ。
元々完璧に踊れていた彼女なら、何度か反復練習をすれば、問題なく踊れるようになるだろう。

「プロデューサー」

今日の疲れを洗い流すため、椅子から立ち上がり脱衣所へ向かおうとすると、志希に呼び止められた。

「どうした?」

「あたしにアイドルという肩書をくれたキミには、いつかトップアイドルのプロデューサーって肩書をあげよう!」

「楽しみにしておくよ」

トップアイドルのプロデューサー、か。
志希が叶えてくれるというのなら、それも夢じゃないと思える程度には、アイドルとしての彼女には期待している。
いってらっしゃーいという気の抜けた声を聞きながら、俺は脱衣所へ向かった。

風呂から上がると、志希が布団もかけず、すうすうと寝息をたて、安らかに眠っていた。
ミニライブの疲れに心労もあったんだ。
今日くらい、ベッドは志希に貸してやるとしよう。
彼女に布団をかけてやり、部屋の電気を消す。
一服しようと鞄からタバコを取り出し、そこから1本だけ取り出して口に咥える。
せっかく気持ちよく眠っている奴の前で一服するのもどうかと思い、灰皿とライターを持ってベランダへ出ることにした。

カーテンを開け、ベランダに出る。
いつの間にか雨は止み、雲間からは月明かりが差していた。
まるで志希の心模様を表したかのような、清々しい空だった。
口に咥えたままのタバコにライターで火をつけ、タバコを吸って火を大きくする。
吐き出した紫煙が流れていくのを見ながら、布団をかけてやった時に感じた、甘い香りを思い出すと、急に女性を家に泊めているという実感が湧いてきた。
アイドル事務所のプロデューサーをしている自分には、女性に対する免疫は有る方だと思っていたのに、やたらとソワソワしてしまう。
しかも相手は一回り以上も年下の少女だぞ。

「枯れた中年ねえ」

ため息混じりの呟きが夜空に消えていく。
父性などとは違う何かから生まれたであろう感情を、とりあえずはタバコの火と一緒に灰皿でもみ消す。
部屋に戻り、起動したままのパソコンを見て、企画書の事を思い出した。
志希がアイドルとして輝ける場所を作ってやるためにも、もう一頑張りするとしよう。

タイトルはそのままポルノグラフィティのロマンチスト・エゴイストから持ってきました
とても良い曲なので機会があれば是非聞いてみてください
お付き合いありがとうございました

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