みほ「ねぇおとうさーん」
常夫「何だ」
みほ「釣りって楽しいね」
常夫「そうか?」
みほ「うん」
常夫「それなら良かった。まほはどうだ」
まほ「うん、楽しい」
常夫「そうか。二人がそう言ってくれて良かった」
まほ「お父様は?」
常夫「楽しいさ。こうして可愛い娘たちの間に座って、のんびり釣り糸を垂れてるんだからな」
まほ「かわいい?」
常夫「ああ。可愛い娘二人に挟まれて両手に花。俺は幸せ者だ」
みほ「かわいい? わたしも?」
常夫「二人とも可愛いぞ」
みほ「えへへ」
常夫「お前たちが釣りを楽しいと言ってくれるのは意外だな」
みほ「いがい?」
常夫「思ってたことと違って、びっくりしたって意味だ」
みほ「ふぅん」
常夫「こうしてただ3人で並んで座ってウキを眺めてるだけなんだが、これでも楽しいのか?」
みほ「わたしはおとうさんといっしょにいるのが楽しい」
常夫「そうか、俺もみほとこうしてるのが嬉しいぞ。まほはどうだ」
まほ「わたしもお父様といっしょにいるのがうれしい」
常夫「そうか」
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まほ「お父様。今日、お母様はどこへ?」
常夫「しほさんはお仕事だ。外国の戦車道連盟のお偉いさんが来てて、会いに行ってる」
まほ「……」
常夫「難しくてよく分からないか。とにかくお仕事に行ってるんだ。夜には帰って来るよ」
まほ「出かける時、菊代さんもいっしょだった」
常夫「あの人は秘書役としてしほさんに付いて行った」
みほ「きくよさんもいないの? おかあさん、夜に帰って来る?」
常夫「二人とも戻るのは夜だ。だから今日はこうして俺がお前たちの相手をしてるんだ」
みほ「……」
常夫「みほ、寂しいか?」
みほ「さみしくなんかない。だって…」
常夫「何だ」
みほ「わたしにはおとうさんがいるもん」ギュッ
常夫「ははは、そうか。だが服を引っ張るな」
まほ「わたしもさみしくない。お父様がいるから」ギュッ
常夫「まほも服を引っ張らないでくれ。お前がそんなふうに甘えてくるのは珍しいな」
まほ「お父様と遊びに行くのって、ない」
常夫「そうだな、お前たちと出掛けるなんてほとんどなかった。久しぶりだから甘えたくなるのか」
みほ「ねぇおとうさーん、おとうさんもわたしたちともっとあそんでー」
常夫「分かった、これからはそうしよう」
まほ「もっとお父様と遊びに行きたい。またわたしがⅡ号を操縦する」
常夫「ほう。今日みたいにお前が戦車で連れて行ってくれるのか」
まほ「うん」
常夫「まほは操縦が上手くなったな。もうしほさんや俺が後ろで見てる必要なんてないかもしれん」
まほ「わたしは操縦がとくい」
常夫「自転車より戦車の方が自在に操れるようになるのが早い女の子なんて、お前だけだな」
みほ「……」ジー
常夫「ん? みほ、どうしてそんな目で俺を見るんだ」
みほ「さっきからずるいー! おとうさん、おねえちゃんばっかりほめてるー!」
まほ「みほは操縦がへた。わたしはうまいからお父様がほめてる」
みほ「だってわたし、そうじゅうがにがてだもんー! おねえちゃんばっかりずるいー!」
常夫「二人ともケンカするな。みほ、お前にだって得意なことがあるだろう」
みほ「うん! わたしはしゃげきがうまい!」
常夫「まだ距離の計算をやっとできてるような状態だが、落ち着いて撃てばほとんど外さないな」
まほ「でも射撃だってわたしのほうがうまい。みほはまだへた」
みほ「えー? おねえちゃんと同じくらいうまいもんー! まけないもんー!」
常夫「おい、ケンカするなと言ってるだろう」
まほ「お父様、ウキが…」
常夫「分かってる。引いてるな」
みほ「えっ、釣れるの? お魚釣れるの?」
まほ「しずかにしろ、みほ」
常夫「よし……今だ」
ヒュッ
まほ「あ…」
みほ「ハリになんにもついてない…?」
常夫「ふっ、逃げられたか」
まほ「引いてたのに……」
常夫「ただ引いてるだけでは魚は掛からないんだ、まほ」
まほ「?」
常夫「魚がエサを咥えた瞬間にサオを素早く動かして、ハリを口に引っ掛ける必要があるんだ」
まほ「……」
常夫「“合わせ”というんだ。待ってろ、今度は必ず釣ってみせる」
まほ「うん」
常夫「エサが取れちまったから付け直さないと。みほ、そこのエサ箱をこっちへ渡してくれ」
みほ「これ? お魚のエサってなに?」
常夫「ミミズだ」
みほ「めめず?」
常夫「見るか? 箱を開けてみろ」
みほ「うん」パカ
ウネウネ…
みほ「わぁ、うごいてる。いっぱいいる……」
常夫「ほう。みほはミミズを何とも思わないんだな」
みほ「めめずをなんとも?」
常夫「気味が悪くないのか? そういう生き物が」
みほ「きみわるくなんかないよ。へいきだよ」
常夫「そうか、それなら触ったりできるか? 俺に1匹くれ」
みほ「はい」ヒョイ
常夫「普通に指でつまんだな。大したもんだ。だがまほは…」
まほ「…」プイ
常夫「見るのも嫌のようだな」
みほ「おねえちゃん、めめず見ないの?」
まほ「……」
みほ「ほら、うごいてるよ?」
ウネウネ…
みほ「おもしろいよ?」
常夫「やめてやれ。まほはミミズが苦手なんだ」
みほ「え? にがてなの?」
まほ「……」
みほ「おねえちゃん、めめずこわいの?」
まほ「こ、こわくなんかない……」
みほ「でも見ない。やっぱりこわいんだ!」
まほ「……」
みほ「やーい、おねえちゃんはめめずがこわいー!」
まほ「……」
みほ「やーい、おねえちゃんのおくびょうものー!」
まほ「みほ、こっち来い。ぶってやる」
みほ「わたしをぶつ? おくびょうもののくせにー!」
まほ「何だと、この…!」
常夫「二人ともよせ。俺を挟んでケンカするんじゃない」
まほ「でもお父様、みほが」
みほ「やーい、おくびょうものが人をぶつだってー!」
常夫「みほもやめろ。誰にだって苦手な物はある。お前もそうだろう」
みほ「にがてなもの? えーと、ピーマン?」
常夫「いや、食べ物のことじゃなくてだな」
まほ「お父様、みほがわたしをばかにした」
常夫「ミミズが苦手かどうかなんて大したことじゃない。許してやれ」
まほ「……」
常夫「まほの性格だと難しいかもしれないけどな」
まほ「……分かった。がまんする」
常夫「そうか。偉いな」
まほ「お父様の言いつけだから。お父様にえらいってほめてもらえるから」
常夫「うん、そうか。偉いな、まほは」
みほ「あっ。またおとうさん、おねえちゃんばっかりほめてるー! ずるいー!」
常夫「とにかくこれで、この池ではミミズで魚が釣れることが分かったな」
まほ「え? ミミズで魚を釣るのが釣りって思ってた」
常夫「魚釣りのエサはミミズだけとは限らないんだ。すごくたくさんの種類があるんだ」
まほ「……」
常夫「ミミズなどの動物じゃなくて、イモとか植物を元にしたエサもある」
まほ「……」
常夫「動物でも植物でもない、ゴムとかプラスチックでできた物まであるぞ」
みほ「お魚がゴム食べるの?」
常夫「そんなことあり得ないと思うだろうな。だがそれへ魚が本当に食い付くんだ。釣れるんだ」
みほ「そうなの?」
常夫「そのゴムやプラスチックは目立つ色だったり、小魚などの生き物そっくりだったりする」
みほ「……」
常夫「そういう物をエサと勘違いする魚がいるんだ」
みほ「ふぅん」
常夫「さっき釣れかけたことで、この池の魚はミミズを食うことが分かった」
まほ「だからそれを、釣りのエサに使える……」
常夫「そのとおりだ。実はな、俺は今日ほかのエサを持って来ていないんだ。助かった」
まほ「お父様、またウキが…」
常夫「分かってる、もう一回だ。今度は釣ってみせるぞ」
みほ「おとうさん、がんばって」
常夫「今だ…!」
ヒュッ ピシッ
常夫「よし、上手く合わせられた」
みほ「えっ、釣れたの? お魚が!?」
まほ「池のあそこで釣れた魚があばれてる」
みほ「やったぁ! お魚釣れたー!」
まほ「しずかにしろ、みほ。お父様のじゃまになる」
常夫「いや構わんさ。まほ、そこにある網を取ってくれ」
まほ「はい」スチャ
常夫「待て……それほど大きい獲物じゃないかもしれん。ゴボウ抜きするか……」
まほ「お父様?」
常夫「そうだな……まほ、お前がその網を使ってみるか?」
まほ「え?」
常夫「さっきはみほがエサを付けるのを手伝ってくれた。今度はまほが俺を手伝ってくれ」
まほ「お父様、わたし、どうしたら」
常夫「落ち着いて聞け。俺が魚を岸へ引っ張り寄せる」
まほ「うん」
常夫「近くへ来たら、お前がその網で捕まえるんだ。すくい上げるんだ」
まほ「うん、了解」
常夫「お? “了解”なんて言うようになったのか」
まほ「お母様から教わった。作戦の命令を聞いて分かったらこう答えなさいって」
常夫「よーし、魚が暴れないようになってきた」
まほ「……」
常夫「そっちへ寄せるぞ、まほ」
まほ「うん」
常夫「よし、いいぞ」
バシャッ
みほ「わー! お魚だ! ホントにお魚だー!」
まほ「ふぅ……」
みほ「すごいすごーい! おとうさんがお魚釣ったー!」
常夫「まほ、網を持ち上げて魚をこっちへ寄越してくれ」
まほ「うん」
みほ「おとうさんがお魚釣ったー!」
常夫「ハリを外して、と…」
まほ「お父様。これ、何という魚?」
常夫「詳しくは分からんがフナの仲間だろうな」
まほ「フナ……」
常夫「この国の池や沼、湖、川のどこにでもいる魚だよ」
みほ「フナだー!」
常夫「まほ、触ってみるか?」
まほ「えっ」
常夫「ミミズは苦手でも魚は平気だろう」
まほ「う、うん……」
常夫「手を水で濡らして両手で持て。…そうだ。ちゃんと持てるじゃないか」
まほ「……」
常夫「本当は魚にとって、人間が素手で触るのは良くないと言われてるらしいんだが」
まほ「……」
常夫「飼われてるのではなく自然にいる魚を間近で見たり、実際に触ったりするのも経験…」
ビクビクッ
まほ「わっ!?」
ボチャン
みほ「あーっ! おねえちゃんがお魚にがしちゃったー!」
まほ「だ、だって急に……」
みほ「お魚がお池へにげちゃったー!」
まほ「急に魚が……」
みほ「おねえちゃんがお魚をお池にほうりなげちゃったー!」
まほ「急に魚があばれて……」
みほ「おとうさんが釣ったのにー!」
まほ「……」
みほ「せっかくおとうさんが釣ったのにー!」
まほ「お父様……」
常夫「何だ」
まほ「ごめんなさい……」
常夫「気にするな」
まほ「……」
常夫「また釣ればいいじゃないか」
まほ「でも……せっかく……」
常夫「……」
まほ「お父様が釣ったのに……」
常夫「まほ、俺の釣り道具を見て気が付かないか?」
まほ「何……?」
常夫「俺は今日、釣り上げた魚のための入れ物、バケツとかを持って来ていないんだ」
まほ「……」
常夫「釣った魚は、その場ですぐ逃がすことに最初から決めていたんだ」
まほ「……」
常夫「家に持って帰ったりしても、どうしようもないからな」
まほ「もって帰って、うちの庭の池でかうとか…」
常夫「あそこはお手伝いさんたちが錦鯉や金魚の世話をして、池をきちんと管理してる」
まほ「……」
常夫「俺たちが勝手に外から魚を持ち込むなんてしない方がいい。迷惑になるだけだ」
まほ「……」
常夫「だからまほ、お前が謝る必要はない。お前が魚を逃がしてくれたんだ」
まほ「……」
常夫「俺がやるよりも先に、お前が魚を逃がしてくれた。ありがとうな、まほ」
まほ「……」ギュッ
常夫「おいおい、どうした」
まほ「……」
常夫「また俺の服を引っ張って。というか、握りしめて」
まほ「……」
常夫「しがみ付いて。どうした、まほ」
まほ「お父様……」
常夫「何だ」
まほ「ありがとう……」
常夫「俺はお礼を言われるようなことを何もしてないぞ」
まほ「お父様……」
常夫「ああ」
まほ「大すき……」
常夫「そうか。俺もまほのことが大好きだ」
まほ「わたし……大きく、なったら…」
常夫「何だ」
まほ「お父様の、およめさんになる……」
常夫「おいおい、何を言い出すんだ」
まほ「およめさんに、なる……」
常夫「気持ちは嬉しいけどな」
みほ「あっ。おねえちゃんだけおとうさんにくっついてずるいー!」
常夫「何だ、みほまで」
みほ「わたしもおとうさんにくっつくー!」ギュッ
常夫「おい、そんなに強くしがみ付くな」
みほ「わたしも大きくなったらおとうさんのおよめさんになるー!」
常夫「みほも何を言ってるんだ」
みほ「わたしもー! わたしも大すきだからおとうさんのおよめさんになるー!」
常夫「落ち着け。俺だってお前たちが大好きだ」
みほ「うん!」
常夫「だがな、二人をお嫁さんにすることはできないんだ」
まほ「え? どうして?」
常夫「分からないか?」
みほ「わかんない」
常夫「俺にはもうお嫁さんがいるからだ」
まほ「……」
常夫「俺にはもう、しほさんというお嫁さんがいる」
みほ「おかあさん?」
常夫「そうだ。俺のお嫁さんはしほさんなんだ」
まほ「お母様……」
常夫「だからな、お前たちをお嫁さんにすることはできないんだ」
まほ「……」
常夫「二人とも、ごめんな」
まほ「……」ジー
常夫「ん? まほ、どうしてそんな目で俺を見るんだ」
まほ「……」ジー
常夫「そういう顔をされても困る。お前の気持ちは嬉しいが、お嫁さんにはできないんだ」
まほ「“常夫さん?”」
常夫「!!」ビクッ
まほ「“常夫さん? どうして言うことを聞いてくださらないの?”」
常夫「ま、まほ、何を……」ガクガク
まほ「“どうして言うことを聞いてくださらないの?”」
みほ「わぁ、おねえちゃんすごーい! おかあさんそっくり!」
まほ「“常夫さん?”」
常夫「は、はい。…って、どうしてコイツへまともに答えてるんだ俺は……」ガクガク
みほ「おとうさんふるえてる。さむいの?」
常夫「い、いや別に寒くなんか……まほ、お前一体何をしてるんだ?」
まほ「だってわたしはお父様のおよめさんになれない」
常夫「ああ」
まほ「お父様のおよめさんはお母様」
常夫「そうだ」
まほ「だからわたしがお母様になる。お母様になればわたしはお父様のおよめさんになれる」
常夫「なるほど、そのために声マネを……いや、こんなことを納得してどうする」
まほ「……」
常夫「所詮、子供の理屈だ」
まほ「“常夫さん?”」
常夫「だ、だがそれはやめてくれ、しほさん本人みたいで怖い。お前は顔も母親似だし……」ガクガク
まほ「“どうして言うことを聞いてくださらないの?”」
常夫「それに、どうしてそのセリフなんだ。そんなのどこで憶えたんだ」
まほ「お母様とお父様がしゃべってるのを聞いた」
常夫「ああ、何日か前にそんな会話をしたな……しほさんと俺だけだと思ってたが聞かれてたのか」
まほ「……」
常夫「だがお前、意味を分かって言ってるのか?」
まほ「意味? 知らない」
常夫「言葉の内容を分からずに、憶えたセリフをそのまま口にしてるだけなのか……」
まほ「“どうして言うことを聞いてくださらないの?”」
常夫「そうだとしてもこの状況へ合い過ぎだろう。実はわざとやってるんじゃないか?」
まほ「“常夫さん?”」
常夫「い、いやしほさん。確かに俺は婿という立場だが、自分の意志というものもあるわけで…」
まほ「え? お父様?」
常夫「あっ。あの時の状況を思い出して本気で言い訳しちまった……何をしてるんだ俺は……」
まほ「“言うことを聞いてくださらないと…”」
常夫「……」
まほ「“今夜は無し、ですよ?”」
常夫「お前、そんなセリフまで憶えてるのか……」
みほ「おとうさんかわいそう」
常夫「可哀想?」
みほ「だって、今夜はなしって言われちゃったから」
常夫「な、何だみほ、意味分かるのか?」
みほ「うん。わたしも、おかあさんとおとうさんがしゃべってるのを聞いてた」
常夫「そうなのか。しかしまさか、コイツに夜のアレのことが理解できるはず…」
みほ「あーおとうさん今夜、ばんごはんなしなんだー、って思った」
常夫「へ? 晩御飯?」
みほ「うん。今夜はなしは、ばんごはんなし」
常夫「……」
まほ「でもその夜お父様は、ばんごはんを食べてた」
みほ「うん。あれー? なしなのにへんなのー?って思った」
常夫「いや、今夜は無しはそういう意味じゃなくてだな、つまり…」
まほ「うん」
みほ「なぁに?」
常夫「い、いや何でもない……。自分の娘たちに何を説明しようとしてるんだ俺は……」
みほ「わたしだって、おかあさんそっくりできるもん!」
まほ「みほが?」
みほ「うん。西住りゅうのことば!」
まほ「じゃあ二人でいっしょに言おう、みほ」
みほ「うん! “撃てば必中”」
まほ「“守りは堅く”」
まほ・みほ「「“進む姿は乱れ無し”」」
みほ「“鉄の掟”」
まほ「“鋼の心”」
まほ・みほ「「“それが西住流”」」
みほ「おかあさんそっくりできたね、おねえちゃん! 西住りゅうのことば!」
まほ「二人でいっしょに言えたな。なかなおりだな、みほ」
みほ「うん!」
常夫「な、何だかなあ……」
まほ「なかなおりしたから、わたしとみほでやる」スッ
常夫「ん? 立ち上がってどうした?」
まほ「お父様、すわる所を代わって」
常夫「何だ。どういうことだ」
まほ「わたしとみほで魚を釣る」
常夫「二人で?」
まほ「わたしはさっきお父様がせっかく釣った魚をにがした。だからわたしが魚を釣る」
常夫「気にするなと言ってるのに……」
まほ「でもわたし一人だとできない。みほとなかなおりしたから、手つだってもらう」
常夫「そうか……じゃあお前たちだけでやってみろ。場所を代わろう」スッ
みほ「おねえちゃん、わたし手つだう?」
まほ「エサをつけてくれ。わたしはできない」
みほ「うん。おとうさん、どうやるの?」
常夫「ハリをミミズの体の端に刺して、そのまま中を通していくんだ。自分の指を突くなよ」
みほ「こう?」ムニュムニュ
常夫「そうだ。初めてにしては手つきがいいな。みほは器用なんだな」
みほ「えへへ」ムニュムニュ
常夫「それにしてもお前はミミズを気持ち悪がらないな。ハリに刺すのも平気だし」
みほ「きもちわるくないよ。へいきだよ」
常夫「将来、ほかの人が気味悪いと思うものでもお前は気に入ったりしそうだな」
みほ「できたよ。おねえちゃん」
常夫「まほ、遠くへ投げてみろ」
まほ「うん。…えいっ」
ヒュッ ポチャン
常夫「……何だか、幸せだな」
みほ「しあわせ?」
常夫「ああ。俺は幸せだ。幸せってのはこういうことなんだろうな」
まほ「こういうこと?」
常夫「怖いが根は優しい美人の嫁さんをもらって、可愛い娘が二人もできた」
みほ「……」
常夫「二人とも今のところ健康に、順調に育ってくれてる」
まほ「……」
常夫「仕事だって順調だ。一家の大黒柱である嫁さんの仕事をちゃんとサポートできてるようだ」
みほ「だいこくばしら?」
常夫「うちの中心にいるのはな、いろいろな意味でしほさんなんだ」
みほ「おかあさん?」
常夫「ほかの多くの家だとお父さんが一家の中心だろうな」
みほ「うん」
常夫「うちも書類上などでは俺の名前が第一に挙がる。だが実際は、中心にいるのはしほさんだ」
みほ「うちはほかのうちとちがうの?」
常夫「ああ。だが違うことを変に思う必要はこれっぽっちもないぞ」
まほ「うん」
みほ「そうなの?」
常夫「うちはうち、ほかの家はほかの家だ」
まほ「うん」
常夫「西住の家は代々、このやり方でやってきた。俺はしほさんの婿としてそこへ加わったんだ」
みほ「なんだかむずかしくてよくわかんない」
常夫「そのうち分かる時が来るさ。今は分かるところだけ聞いていればいい」
みほ「うん」
常夫「俺は今、様々なことが順調に進んでる最中(さなか)にいる」
常夫「全く問題が発生していないわけじゃない。だがそれを解決しながら何とかやってきている」
常夫「その最中にある時ふと、こうして娘たちと釣り糸を垂れる時間がある」
常夫「忙中閑あり、とでも言うのかな。そんな今、俺は幸せだなあと思うんだ」
まほ「お父様は幸せ?」
常夫「幸せだ。まほはどうだ」
まほ「……分からない。考えたこと、ない」
常夫「みほはどうだ」
みほ「わたしもよくわかんない」
常夫「そうか、それなら二人とも幸せだな」
まほ「どうして?」
常夫「幸せかどうかなんて分からない、気にしたこともない。そのくらい幸せってことじゃないか」
まほ「……」
常夫「だがそんなお前たちも、これからいろいろな状況を経験するだろう」
常夫「自分の身に起こるのは、愉快なことばかりとは限らない」
常夫「逃げ出したくなること、目を背けたくなること……様々なことを経験するだろう」
常夫「追い詰められて、自分を助けてくれる人が誰もいない。そんな状況だって起こり得る」
常夫「だが俺は、お前たちの味方だ」
常夫「二人がどんなことになっても俺が支えてやる。俺はお前たちの、最後の味方だ」
常夫「だがこれは、お前たちが死ぬまで一生ってわけじゃないぞ」
常夫「俺より二人の方が確実に長生きするからな。一生の面倒を見るのは不可能だ」
常夫「そうだな……大学までは行かせてやろう。だが卒業したらそれぞれ自分一人でやっていけ」
常夫「それまでは俺が支えてやる。何があっても、俺が味方になってやる」
まほ「わたし、やっぱりお父様のおよめさんに…」
常夫「何だ、まだ言ってるのか」
みほ「わたしもー!」
常夫「真剣に答えるとな、それはしちゃいけないと法律で決まってるんだ」
まほ「えっ」
常夫「親はな、自分の子供と結婚できないんだ」
みほ「そうなの?」
常夫「ああ。民法って法律でそう決められてる。それをしたら法律違反になっちまうんだ」
まほ「……」
常夫「お前たちは将来、俺なんかよりもっといい男を見付けろ」
まほ「……」
常夫「そしてそいつと結婚しろ。そいつのお嫁さんになれ」
まほ「おとこ……」
常夫「そうだ」
まほ「男……男の子……」
常夫「まほはまだ、そんなことに興味ないか?」
まほ「……」
常夫「学校で、頼りになるカッコいい男子がいたりしないか?」
まほ「……」
常夫「まだよく分からないか。みほはどうだ」
みほ「うーん……わたしもよくわかんない」
常夫「好きな人と一緒にいるってのは、いいぞ」
まほ「すきな人……」
みほ「おとうさんのすきな人っておかあさん?」
常夫「そうだ。俺の好きな人はしほさんだ」
みほ「わたしは? おねえちゃんは?」
常夫「みほたちだって大好きだぞ」
みほ「おかあさんとわたしたち、どっちがもっとすき?」
常夫「そういう質問をされると困るな。しほさんと二人を比べるなんてできない」
みほ「どうして?」
常夫「自分の嫁さんと娘たちとでは、“好き”の意味が違うからだ」
みほ「?」
常夫「みほも将来、好きな男ができれば分かるさ。自分の子供ができれば分かるさ」
みほ「ふぅん」
常夫「二人とも大きくなったらいい男をつかまえろよ」
まほ「いい男……」
常夫「好きな人と一緒にいるのは幸せだぞ。俺はしほさんといられて最高に幸せだ」
みほ「おとうさん。おかあさんのこと、どのくらいすき?」
常夫「それも困る質問だな。そんなの答えようがない」
みほ「いっぱいすき? たくさんすき?」
常夫「困るなあ……そうだな、いっぱい、たくさん好きだ。いつもたくさん愛してるぞ」
まほ「お父様、わらってる」
みほ「うん、なんだかへんな顔。へんなわらう顔」
常夫「そうか? いやあ、ついニヤケちまっていたか。実はゆうべも2回…」
みほ「にかい?」
常夫「い、いや何でもない……。また自分の娘たちに何を話そうとしてるんだ俺は……」
常夫「とにかくお前たちは将来、いい男を見付けてそいつのお嫁さんになれ」
常夫「俺なんかよりもっといい男を見付けて、そいつを好きになれ」
常夫「そいつに好きになってもらえ。お互いに好きになって結婚しろ」
常夫「そして、そいつと一緒に幸せな家庭を作れ」
常夫「そいつと一緒に幸せになれ」
常夫「しほさんと俺よりも、もっと幸せになるんだ」
まほ「分かった」
みほ「うんわかった、おとうさん」
まほ「お父様、ウキが…」
常夫「俺も気付いてた。引いてるな」
まほ「お父様が言った“合わせ”…どうしたら」
常夫「ウキが不自然な動きをしてる。あれはエサを、魚が口で触ったり引っ張ったりしてるんだ」
まほ「うん」
常夫「いずれ魚がエサへ食い付く。飲み込もうとする」
まほ「その時…」
常夫「エサが強く引っ張られてウキが急に下がる。完全に水中へ入っちまうこともある」
まほ「その時、サオをすばやく動かして魚の口にハリを引っかける」
常夫「そのとおりだ。やってみろ、集中してウキを見ろ」
まほ「了解……」
みほ「おねえちゃん、がんばって」
まほ「……」
常夫「……」
まほ「……今だ!」
ヒュッ ピシッ
まほ「か、かかった…!」
常夫「よし、もう釣れたも同然だ。緊張するな。落ち着いてサオを持ってる両手以外の力を抜け」
まほ「う、うん」
常夫「大きそうか?」
まほ「わ、分からない……」
常夫「獲物が小さければサオを強く上げて、水の中から引き抜いちまうこともできるぞ」
まほ「ううん、それ、やらない」
常夫「ほう。どうするんだ」
まほ「みほに手つだってもらう」
常夫「さっきと同じように網ですくうのか」
まほ「うん。みほ、そこにあるあみをもて」
みほ「このあみ?」
まほ「さっきわたしがやるのを見てたか?」
みほ「うん」
まほ「そのまねをしろ」
みほ「うん、大じょうぶだよ」
常夫「個人のスタンドプレーではなく、地味だが堅実なチームプレーを選んだか」
まほ「お母様から教わった。戦車道は一人でやるものではない、なかまとともにやるきょうぎって」
まほ「こっちへ引っぱって来るぞ」
みほ「うん!」
まほ「じゅんびいいか?」
みほ「いいよ、おねえちゃん!」
まほ「今だ!」
みほ「えいっ!」
バシャッ
みほ「わー! お魚だ! お魚釣れたー!」
まほ「ふぅ……」
みほ「すごいすごーい! おねえちゃんがお魚釣ったー!」
まほ「みほ、ハリを魚からはずす」
みほ「うん! わぁ……大きい! さっきより大きいー!」
常夫「よくやった。まほ、みほ」
みほ「うん!」
まほ「お父様……」
常夫「ああ」
まほ「釣れた……」
常夫「そうだな」
まほ「お父様のために、釣った。釣れた……」
常夫「そうだな。ありがとうな、まほ」
まほ「うん」
常夫「まほ、初めてにしてはすごかったぞ。最初からこんなに上手く釣るなんて大したもんだ」
まほ「ありがとう、お父様」
みほ「おとうさん、これもフナ?」
常夫「そうだ。フナの仲間だな」
みほ「フナだー!」
常夫「本当に二人だけで釣ったな。俺は何もしなかった」
まほ「でも、お父様がわたしたちに教えてくれたから」
常夫「もう二人だけでできるぞ。これからはお前たちだけでも釣りに行ける」
みほ「うん! わたしたちでできる!」
まほ「お父様、この魚も…」
常夫「ああ。逃がしてやろう」
みほ「お魚にがしちゃうの?」
常夫「ああ。池に帰してやるんだ」
みほ「お魚さん、お池に帰るんだね」
まほ「お父様のために釣った魚。お父様がにがして」
常夫「そうだな。じゃあ二人とも、魚の逃がし方を見ておけ」
みほ「うん」
常夫「水で濡らした軍手をはめて魚を持つ。魚が泳ぐ姿勢で持って、水の中に入れる」チャプ
まほ「……」
常夫「手は魚の体へ添えるだけにする。もし弱っていたら、そのまま体力が回復するのを待つ」
みほ「……」
常夫「しばらくすると魚が泳ぎ出して……こういうふうに、自然と手から離れて行く……」
まほ「……行っちゃった」
みほ「お魚さん、帰っちゃった」
常夫「ああ。元気に池へ帰って行ったな」
みほ「お魚さん、バイバーイ!」
まほ「お父様。わたし、もっと釣る」
常夫「いや、そろそろ別のことをしよう」
みほ「べつのこと?」
常夫「そうだ。二人とも気が付かないか?」
まほ・みほ「「?」」
ぐ~
まほ「あっ…」
みほ「おねえちゃん? おなかなった?」
まほ「ち、ちがう///」
みほ「わたしじゃないもん。なったのはおねえちゃんのおなかだもん」
まほ「今のはみほ。わたしじゃない///」
みほ「わたしじゃないもんー!」
常夫「誰だっていいだろう。お前たち、そろそろ腹が空かないか?」
みほ「うん、おなかへった!」
まほ「わたしも」
常夫「二人とも釣りへ夢中になって気が付かなかったんだな。実はな、もう昼なんだ」
まほ「じゃあお昼ごはん?」
常夫「ああ。昼飯にしよう」
みほ「やったー! お昼ごはんだー!」
常夫「釣りの道具はそのままでいい。二人とも、手を洗って戦車の所に戻るぞ」
みほ「うん!」パシャパシャ
まほ「お昼ごはんは何?」チャプチャプ
常夫「握り飯だ」チャプ
みほ「おにぎりだー!」
常夫「朝、お手伝いさんの中で一番料理の上手な人が作ってくれた。おかずもたくさんあるぞ」
みほ「ねぇおとうさん、タコさんウインナーある?」
常夫「ウインナー? どうだったかな。だが茹で卵は入ってたぞ」
みほ「うでたまごだー!」
常夫「さあⅡ号の所へ戻ろう。あの木陰だ」
まほ「うん」
常夫「飯を食って、昼寝して…」
まほ「また釣り始める。もっと釣りたい」
常夫「ほう。まほ、やる気まんまんだな」
まほ「戦車道も釣りも、うまくなっていくのがすごくおもしろい」
みほ「ねぇおとうさーん!」
常夫「何だ」
みほ「釣りって楽しいね!」
常夫「そうだな。まほはどうだ」
まほ「うん、楽しい!」
終
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