佐藤心「不器用はぁと」 (35)
――ずっと、愛されて育ってきた。
かわいい服をたくさん作ってくれた母。時には厳しく叱ってくるけど、私を大事にしてくれる父。妹は本当にいい子で、いつも姉を慕ってくれている。
友達や周囲の人にも恵まれていた。自分の性格上、誰かと衝突することもあったけど……そういう場合、最終的には雨降って地固まるって感じになってたし。
だから、まあ、本当に。幸せな環境で育ててもらえたんだと思う。
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「それじゃあ、また明日。心」
「お疲れ様です! 佐藤さん」
心「おつかれ♪ また明日☆」
いつものように会社での労働を終え、いつものように同僚とあいさつ。
いわゆるOLとしての仕事については、就職してからの3年でいろんなコツをつかんだと思う。最初は失敗も多かったけれど、いつの間にか新人にアドバイスをする場面も増えていた。
心「時の流れはあっという間、ってことなのかなあ……ん?」
職場を出て、駅まで歩いている途中。
電気屋のそばを通りががると、店頭に出ていたテレビの画面になんとなく目がいった。
『おーねがい、シーンデレラ――♪』
自分より若い女の子たちが、ステージの上で歌って踊って、歓声を浴びている。
ニュースの映像の一部だったのか、すぐに画面はキャスターと解説者らしき人のツーショットに切り替わった。
心「……アイドルかあ」
気づけば足は止まり、ニュースの内容に耳を傾けている自分がいる。
どうやら、近頃の空前のアイドルブームについての話をしているらしい。
たくさんアイドルが生まれているぶん、彼女らは差別化を図っていくのが大変だ……とかなんとか。
心「……やれてるだけで、十分すごいんじゃない?」
アイドル。
心「………あっ! スーパーのタイムセール!」
アイドル。
心「急がないと……っ!」
アイドル。
小さい頃は、ただ漠然と、輝くステージに憧れていた。
キラキラかわいい衣装に身を包んで、ワーワー大きな歓声を浴びながら、好きな歌を好きなだけ歌う……女の子なら、一度くらいそんな妄想をするはずだ。アイドルって、お嫁さんと並んで女の子の夢トップ2だし、きっと。
私は、ちょっとばかりその妄想の回数が多い子だった。
家の中で、両親相手にミニライブを行った回数は数知れず。ピンク色のおもちゃのマイクを
片手に、きれいにポーズまで決めていた。気分はまさに歌姫。
心「どけどけー☆ そこのお肉ははぁとのものだー!」
スーパーの客「来たか……タイムセールの戦乙女(ヴァルキリー)こと朱我亜覇亞斗!」
心「ここは戦場! 弱いものから落ちていくっ!」
……まあ、そんな夢を見ていたのも昔の話で。
今の私は、平凡でそれなりに楽しい日々を過ごしている。歳をとって大人になるにつれ、ちょっとずつ現実を知っていった結果なのかな。
心「大漁大漁♪ これでまた食費が浮くし、そろそろ新しい服が作れるかも」
憧れていた景色とは、確かに違うかもしれないけれど。
でも、悪くない……ううん、幸せだ。
心「っと」
両手にスーパーの袋を引っ提げて凱旋しているさなか、スマートフォンが着信音を鳴らし始めた。
左手の荷物を右手に任せて携帯を取り出す。……パパからだ。
心「もしもし? どうしたの?」
心「………」
心「……え。お見合い?」
心「……んー」
パパの会社の先輩だか上司だかの紹介で、私にお見合い話が転がり込んできた。
お相手は、私と同い年の東京暮らし。
心「ケッコー、好みの顔かも」
ちょっとヒゲが濃いけど、別にそれくらいは許容範囲内。外見的には評価高い。
心「でもまあ、大事なのは中身だよねえ」
これでも勢いで生きている自覚はあるけど、さすがに結婚となると話は別。
一生を共にする相手を選ぶ作業なんだから、慎重すぎるくらいがちょうどいい。
心「………」
お見合い写真に書いているわけじゃないけれど、パパからお相手の職業については聞いている。
――アイドルのプロデューサー。
ちょっとだけ、気になる。
心「ちょっとだけ。ほんのちょっとだけだけど」
……誰に言い訳してるんだろ、私。
ただ、自然消滅した夢のことを思い返しているだけなのに。
よくわかんなくなってきたから、写真を片手にどーんとベッドに寝転がった。
ほこりがたつからやめなさいって、小さいころからママにうるさく言われているんだけど、いまだにこの癖は抜けない。独り暮らしを始めてからは、注意する人がいなくなったぶん逆にエスカレートしている。
「とりあえず、会ってみないとなんにも始まらないだろ☆」
いろいろ考えるのは先延ばしにして、ただ私はお見合い当日を待つことにしたのだった。
「というか、東京行けるんだよね……やっば、行きたいところ考えとかないと♪」
……我ながら、切り替えの早さはなかなかだと思う。
P「はじめまして。Pと申します」
心「はじめまして。佐藤心です。よろしくお願いいたします」
今どきのお見合いは、雰囲気のいい喫茶店とかですませることも多いって聞いたんだけど。
やたらと互いの両親が張り切った結果、ザ・和風といった感じの料亭で行われることになっていた。
何度も自分で確認したし、ママにも見てもらったはずだけど……私の振袖、変じゃないよね?
佐藤母「Pさんは、アイドルのプロデューサーさんをされていらっしゃるんですよね」
P「はい。まだまだ至らぬ点もありますが、毎日頑張らせていただいています」
佐藤母「大変でしょう」
P「確かに、困難もありますけど。大変なこと以上に、達成感を味わえる仕事です」
うずうず。
P「皆さん、魅力的な方達ですから」
うずうず。
P「……佐藤さん?」
心「あ、はい、なんでしょう」
P「どうかされましたか。気分がすぐれないとか」
心「い、いえ! なんでもありませんことよ、おほほほ」
気になる。アイドルの話、めっちゃ気になる……!
でもどんな風に聞けばいいかな? あんまりがっつりいきすぎたら絶対ドン引きされるよな……
とりあえず時期をうかがって、今はおとなしくしてチャンスを……いやいや待て、お見合いでおとなしくしてちゃダメだろはぁと。お見合いだよはぁと、人生決める一大勝負だぞアイドルのことばっか気にしてちゃダメだろ女を出せよはぁと!!
佐藤母「それでは、あとは若い二人にお任せして」
P母「そうですね」
心「………」
P「………」
心「………」
P「えっと、佐藤さん」
心「……はっ」
あれ? ママ? いない?
まさか……これがあの『あとはお若いお二人で』ってやつ!? ドラマであるやつ!? いつの間に!
心「おほ、おほほほほ」
心「ふ、二人きりですわね」
P「ええ、はい」
とりあえず、とりあえず当たり障りのない話から。少しずつ距離を詰めないと。
心「ご、ご趣味は」
P「趣味ですか。そうですね……趣味というほどではないですけど、今は写真を撮ることを少し」
心「写真ですか?」
P「はい。事務所の子達を撮るのが楽しくて」
P「腕自体はプロのカメラマンに劣りますけど、一緒にいる時間が長い分、たくさんの表情を見ることができますから」
心「へえ」
P「シャッターチャンスが大量にあるんですよね」
心「なんだかいいですね、それ。無防備な写真とかも混ざっていたり?」
P「そうそう、そんな感じです」
心「わあ♪」
なにそれめちゃくちゃ見たい。
Pさんが出してきた話題に、私の好奇心は当然のごとく刺激されて。
ただでさえ暴走寸前だったのに……もう、耐え切れない。
心「あの、Pさん」
P「はい」
心「もっと、教えてくれませんか。Pさんのお仕事の……アイドルの、お話」
P「いろんな子がいるんです。勝気な子、天邪鬼な子、内気な子」
P「でもみんな、輝ける力を持っていて。それをどうやって引き出していくか、みんなに見せていくか」
P「彼女たちと一緒に、どうやって階段を上っていくか」
P「それを、見つけていきたいんです」
P「……なんて、かっこつけすぎですね。これ」
一通り語り切ってから、恥ずかしそうにうつむくPさん。
心「そんなことないですよ」
……きっとこの人は、真っすぐ真っすぐ夢を追い続けている。
アイドルだけじゃない。この人自身が、純粋に、ただ真っすぐに、夢を見ているんだ。
それは、とても。
「素敵、ですね」
そう。素敵だ。
P「すみません。お手洗いに行ってきます」
心「あ、はい」
ぺこりと頭を下げてから、座敷を出ていくPさん。ひとり残されて暇になった私は、なんとはなしに外の景色を眺める。
心「今のうちに、落ち着かないと」
普段から落ち着きのない人間だろって? 黙っとけ☆
お見合いの日くらい、しっかり淑女でいるべきなのは私だってわかってるんだから。
そのために、丁寧な言葉遣いだって心がけてるし……慣れなさ過ぎて、頭の悪いお嬢様みたいになってるけど。
心「いててて……足、しびれちゃってる」
ずーっと正座だったもんなぁ。お料理はおいしいけど、お座敷はこういうところが苦手。
すー、はー。
深呼吸をひとつ挟んで、ゆっくりと姿勢を崩す。そのまま座っているのも手持ちぶさただったから、縁側までしびれる足を引っ張ってたどり着いてみる。
心「……うん、いい天気だ♪」
なんて、思ったことをそのまんまつぶやいてみたり。ただそれだけなのに、すーっと胸が楽になる気がした。
堅苦しい空気は好きじゃないから、今のうちに気分転換しておこう。
心「ゆめをのせて、じくうこえてー、とーどーけあいどーるー♪」
こういう時は、歌を歌うのが一番落ち着く……というより、リラックスしていると自然に頭の中にメロディーが流れ始めて。それに任せるまま、歌詞が口を突いて出てくる。
心「~~~♪」
やっぱり、歌っていいなぁ。今さらだけど、そう思う。
今度、友達誘ってカラオケにでも行こうかな――
P「………」
心「………」
心「うひゃあっ!?」
は、背後に気配を感じたと思ったら! いつの間に!?
P「す、すみません。驚かせるつもりはなかったんですが、声をかけるタイミングがつかめなくて」
心「い、いえいえいえ! 私の方こそごめんなさい、なんか歌っちゃってて」
そりゃ、今日会ったばかりの人が自分の世界に入ってフンフン歌ってたら声もかけづらいよね……うわあ、失敗した。顔が熱い。
P「歌、お好きなんですか」
心「え、ええ。大好きですの」
心「でも、お恥ずかしいですわ。おほほ」
P「いえ……お恥ずかしいなんてとんでもない。思わず聞き入ってしまっていたので」
心「まあ、お上手」
お世辞が上手な人だな。そう思って、お嬢様言葉で返事をしたんだけど。
P「お世辞でもなんでもないですよ。本気でいい歌声だと思いましたし……見惚れてもいました」
心「えっ……」
見惚れていた? ただ、縁側で歌っていただけの私に?
P「お見合いの相手の方に、こんなことを言っていいのかどうかはわかりませんけど……アイドルに向いているのかな、と思いました」
心「私が……アイドルに?」
P「はい」
曇りのない瞳だった。混じりっ気なしに、彼は本気でそう思っている――そんなふうに感じられた。
P「って、すみません。私ひとりで、勝手に盛り上がってよくわからないことを」
心「もっと」
P「え?」
心「もっと、聞かせてください。そのこと」
心「気になるんです。すごく」
だんだん遠慮がなくなってきていると、自分でもわかる。
でもしょうがない。こんなことを言われたら、気になって気になってしょうがないでしょ!
P「佐藤さん……もしかして。アイドルのこと、好きなんですか?」
心「えっと……はい」
好きというか、なんというか。
それ以上かもしれないし、そもそもベクトル自体が違うような。
P「そうですか! それはうれしいなあ」
仲間が見つかったと思ったのだろうか。Pさんは少年のように無邪気な笑みを浮かべてニコニコだ。
……かわいいな、なんてことを漠然と思った。
というか、子どもっぽい。ヒゲ濃いくせに。
それが変にツボに入って、くすりと笑いがこぼれてしまう。
心「Pさん。お願いがあります」
P「はい」
だからかな。
私もちょっと、子どもっぽい真似をしたくなった。
心「本当は、親たちとも相談して決めていかないといけないことなんでしょうけど……」
少しばかりの掟破り。
それは、佐藤心にとっては小さいころからお手の物。
心「明日また、会えませんか」
余裕をもったスケジュールを組んでいたため、お見合いの翌日は東京にて完全フリーの一日を過ごすことになっていた。
だから、そこに何かしらの予定が入っても問題なし。
佐藤母「それがたとえ、昨日会ったばかりの男性とのデートでもね」
心「いや、デートじゃないけど」
佐藤母「昨日の今日でもう会いたいだなんて、うまくいってる証拠ね」
佐藤母「よっちゃんも喜ぶわ。あんたのことずっと心配してたもの」
心「よっちゃんが? そうだったんだ……」
やっぱり、私の妹は家族思いのいい子だ。
佐藤母「『お姉ちゃん、お見合い相手に蹴り入れてないかな……』って」
心「帰ったらたーっぷりかわいがってあげたいなあ♪」
失礼な妹だった。
佐藤母「とにかく、しっかりするのよ」
佐藤母「あんた、今日は振袖じゃないんだから。変じゃない格好していきなさい」
心「任しといて♪ バッチリ気合十分に決めちゃう☆」
佐藤母「気合いは入れ過ぎなくていいの。そしたらアンタの格好変になるから」
心「ならんわっ!」
まったく、失礼な身内ばっかり! ちょーっとスウィーティーが強すぎる服装になることがあるだけなのに。
……まあ、今日はそういう服持ってきてないし、おとなしめのファッションにしよう。
心「ふんふんふーん♪」
お見合いをやって、アイドルへの興味が増しただなんて、おかしな話だ。普通じゃない。
けれど。そんな普通じゃないことに、胸をどきどきさせている自分がいた。
心「………」
コツコツと、パンプスの踵がアスファルトを蹴る音。
雑踏の中じゃそんなに目立たない音のはずなのに、やけに自分の足音がはっきりと聞こえる気がした。
心「上よし、スカートよし、アホ毛よし」
ショーウインドウが目に入るたび、しばし足を止めて身だしなみのチェック。
なぜだか知らないけど、昨日よりも自分の格好がやたらと気になる。
本当、どうしてだろう。
心「相手がどんな人か、わかっているからかな」
でも、『どんな人』って、どういう人?
どういう人が相手だったら、こんなにも外見に気を遣うことになるんだろう。
そこは、自分でも少し不思議だった。
P「おはようございます」
待ち合わせ場所の駅前に着くと、すでにそこにいたPさんが軽く頭を下げてきた。
こっちも礼を返しながら、挨拶をする。
心「おはようございます。お早いですね」
P「女性を待たせるわけにもいきませんから……なんて、少しかっこつけすぎですかね」
心「んー……言わなかったら、気づかなかったかも」
P「あー……それは、失敗でしたね」
心「ふふっ。でも、立派なことには変わりないですよ。相手を待たせない気持ちは」
P「そう言ってもらえると、落ち込まずにすみます」
お互い昨日のようなかしこまった格好じゃないからか、はじめからそこそこ砕けたやり取りが進んでいく。
私にとっては、こっちのほうがありがたい。
心「おおーっ! ここがスカイツリー!」
心「前に東京来たときは、まだ完成してなかったんだよね♪ 高いなあ~」
心「Pさん! はやくエレベーターに行きましょうよ♪」
P「は、はい……そんなに急がなくても、時間はたっぷりありますから」
心「なに言ってるんですか! 時間は有限ですよ☆」
都民のPさんはいつでも来られるのかもしれないけど、長野県民の私はそうじゃないんだから。限られた時間を有効に使わなきゃ。
心「さ、はやくっ」
急かすように彼の手を握ろうとして……途中でそれを止める。
アブナイアブナイ、ついテンションに任せてアグレッシブに行きすぎるところだった。まだ相手は出会って二日目の異性、手をつなぐのはいくらなんでも早すぎる――
ぎゅっ。
心「えっ」
どきっとした。
途中で止めた手が、逆に彼の手に包まれていたから。
P「平日とはいえ、人が多いですから。はぐれないように」
P「……と、思いましたけど。ちょっと馴れ馴れしすぎましたね、すみません」
P「いつも行動力のある子達の面倒を見ているので、その癖が出てしまって」
苦笑を浮かべて小さく頭を下げるPさん。結ばれていた手が、ゆっくりとほどけていく。
それがなんだか名残惜しく感じられた……かどうかは、わからないけれど。
心「馴れ馴れしいなんてことないですよ」
気づけば、そんなことを言ってしまっていて。
P「……そうですか?」
心「そ、そうそう♪」
……バカだ、私。
この流れでそう返したら、必然的に手をつないだままになっちゃうじゃん……!
P「………」
心「………」
ざわざわざわめく周囲の人達とは対照的に、黙りこくってしまう私とPさん。
P「あ……えっと」
P「お、女の人の手って感じですね」
心「は、はあっ!? いきなり何言ってるんですかっ」
P「す、すみません何を言えばいいのかわからなくて」
心「ああ、もういい! さっさとエレベーター乗って上に行くぞ☆」
P「は、はい!」
ずんずんと通路を我が物顔で進んでいく。
彼の手を、しっかりつかんだまま。
P「あ、そっちじゃないです。逆方向です」
心「へ?」
……結局、彼に引っ張っていってもらうことになった。恥ずかしい。
スカイツリーから都会の景色を堪能したら、お昼にちょうどいい時間に。
せっかくだからと、Pさんの提案でツリー内のカフェで食事をすることになった。
心「はむはむ♪ うん、おいしい☆」
P「おいしそうに食べていますね。量も……僕より多いくらい」
心「今日はすぺしゃるでーだから特別♪ たまには甘いものお腹いっぱい食べたいし!」
ジャンボパフェとか、普段なかなか食べられないし。
いや、食べようと思えば食べられるんだけど。この歳になると、カロリーが気になってしまって。
心「もし私がアイドルなら、摂取したぶんのカロリーはしっかり消費しなきゃいけないんだろうなぁ」
P「まあ、体重管理は大事ですね」
心「やっぱりそうだよね」
カロリー消費か。やっぱり走ったりするのが一番なのかな。
……いやいや。なんで私真面目に考えてるの。
心「カロリー使うなら、楽しく消費できるあそこで十分♪」
P「あそこ?」
心「せっかくアイドルのプロデューサーさんと一緒に遊んでいるんだし、ちょっとだけ付き合ってくださいな☆」
なんだか空も曇り模様になってきたし、次の目的地としてはちょうどいいかも。
きょとんとした目を向けるPさんをしり目に、私はこの後の予定を着々と練り始めていた。
P「……パワフルな人だ」
心「オーレ―ンジサファイアパッション♪」
2時間後。私達はカラオケボックスの中にいた。
入るころにちょうど小雨が降りだしていたので、雨宿りも兼ねてしばらくここで歌うつもり。
心「ほら、ぼーっとしてないでコール入れて☆」
P「あ、はい」
東京に来てまでカラオケってどうなの?と思わないでもないけれど……Pさんに、私の歌を聴いてほしいという気持ちが勝った。
そう思った理由は、やっぱりはっきりしない。でも、小さな掟破りは私の十八番だから、いいんじゃないかなって感じている。
心「次! 『共鳴世界の存在論』いくぞ♪」
心「はぁとはクール系の曲もいけるってところ、ばっちり見せちゃう☆」
P「おお!」
私が2曲歌った後、Pさんが1曲歌う。それを何度か繰り返していくうちに、彼の方もだいぶノリのいい反応をくれるようになってきた。
心「はー、歌った歌った☆ これ以上は喉痛めちゃう♪」
P「熱唱でしたね」
心「歌は大好きだから♪ Pさんも、結構美声だったぞ☆」
P「それはどうも。にしても、いつの間にか話し方が変わってるような」
心「今さらだね♪」
スカイツリーあたりから、気づけば口調が砕けていた。敬語はあまり得意じゃないし、この人相手なら使わなくても大丈夫かなと思ったから。
もちろん、舐めているとかそういう意味じゃないぞ? ある程度気を許しても大丈夫そうって意味。
P「こっちが、素の佐藤さんに近い感じですか」
心「そういうこと♪ あんまり引かないでね☆」
P「引きませんよ。ただ」
心「ただ?」
P「……ますます、アイドル向きかもと思いまして」
それは、昨日も聞いた言葉だった。
私の歌を偶然聞いたPさんは、本気の目で私にそう言ったんだ。
P「積極的に出られる人は、やっぱりアイドル活動に適性があって……ああ、すみません。ひとりで勝手に語りだすところだった」
困ったような笑みを浮かべて、頬をかくPさん。きっとこの人はアイドルが大好きなんだなって、素直にそう思える。
……ああ。なんだかいいな、そういうの。
大好きなものがあって。叶えたい夢があって。それに向かって、まっすぐひた走れる。それは、とても素敵で……うらやましいと思う。
心「Pさんは、まだお嫁さんをもらうには早すぎるかもね」
P「………」
P「そう、かもしれませんね」
うすうす、本人も感じていたことなんだろう。
彼にとっては、仕事と、そしてアイドルの存在が大きすぎる。いわば、それらが恋人みたいなもの。
……それを、お見合い相手が指摘するっていうのはどうなんだろうか。別にいいよね。
P「最初は、本当に将来の伴侶を見つけるつもりでお見合いに臨んだんです。けど、結局こういう気持ちを抱いてしまった。申し訳ありません」
心「いいの、べつに」
この人は、私という女性には振り向きはしないだろう。頭の中、アイドルのことでいっぱいだもん。
でも、それでいい。だって私も。
心「私、も……」
私も。
次の言葉が、のどにつっかえている。
言ってしまえば楽なのに。言ってしまえば、何かが変わるかもしれないのに。
心「想像もつかないかもしれないけど」
結局、出てきたのは違う言葉。
心「はぁと、結構男勝りなところがあるって言われるの」
P「いや、わりと想像できますけど」
心「オイ☆」
ぺし、と肩をはたくと、Pさんはたははとのんきに笑う。向こうも向こうで、だんだん遠慮がなくなってきた。
心「ま、会って二日の相手にもそう思われちゃうってことかな。ガサツだしねー」
心「Pさん。私の下の名前、覚えてる?」
P「もちろん。心さん、ですよね」
心「そう。『こころ』と書いて『しん』。響きだけなら、男の子の名前でもおかしくないでしょ♪」
べつに、親からもらった名前が嫌いなわけじゃない。一生懸命考えて、私にくれた宝物。大事にしたいと思うのは当たり前だ。
でも……
心「『さとうこころ』ちゃんなら、もう少しおしとやかな子になってたのかなー、なんてね」
たまに、冗談半分でそんなことを考えてしまう。
P「………」
P「俺は、好きですよ。心さんっていう名前」
心「どうして?」
P「かっこいいから」
心「……男っぽいってこと?」
じろりと顔を睨みつけると、彼はフルフルと首を横に振って。
P「男っぽい、とは違います。女性のかっこよさを前面に押し出せるという意味です」
P「佐藤さん、顔はかわいらしい系なので、それだけでそっちの方向には売り出せます。そこに『シン』という名前が加わることで、かっこいい系のアピールもやりやすくなる」
P「俺はそう思います」
心「……まるで、はぁとを本気でプロデュースするみたいだな」
P「………あ」
そこで我に返ったのか、あたふたと視線をあちこちに動かすPさん。その反応がやたらと面白くて、つい吹き出してしまった。
心「ぷっ……あははっ。そんなふうに名前を褒められたの、25年以上生きてて初めてだぞ☆」
P「開き直りますけど、好きなのは本当ですからね。あなたの名前」
心「わかってるわかってる♪ サンキュ☆」
彼のきまりの悪そうな顔に向かって、思いっきり笑顔をぶつけてやる。
……私がうれしいのも、本当だから。
心「白状しちゃうけど。はぁとの小さい頃の夢、アイドルになることだったんだ」
P「そうなんですか?」
心「そ♪ ま、歳を取るにつれて現実ってやつが見えてきて、気づけば平凡にOLやってるわけだけど」
ひとつひとつのことに折り合いをつけながら、人は大人になっていく。
私も……佐藤心も、その例に漏れず。
――そう、思っていたんだけどなあ。
心「Pさんのせいだよ?」
P「え?」
心「アイドルのプロデューサーがいきなり現れて、しかもキラッキラした目でアイドルのことを語るんだもん。はぁとのくすぶるハートにも火がついちゃった」
結局、平々凡々にはいられないのかもしれない。心のどこかに、思い切り羽ばたいてみたいと思っている子どもな感情が残っていて、それが今、ひたすらに鼓動を強くしている。
小さい頃から歌が大好きで。夏祭りのカラオケ大会で連続優勝したこともあって。
世界中に、自分の歌声を、スウィーティーに輝く姿を届けたい……そう思っていて。
心「ねえ、Pさん」
P「……はい」
心「………」
呼吸がどんどん大きくなって、心臓の音がとてつもなくうるさい。
これを言ったところで、彼が受けいれてくれるかどうかもわからないというのに。両親がOKしてくれるかどうかも決まっていないというのに。
言ってしまえば、後戻りできなくなる……そんな気がした。
心「あの……えっと」
ああ、もうっ。我ながらじれったい。
夢見る子どもの自分と、現実を見る大人の自分。憧れを追えと叫ぶ心と、今の平凡な幸せを捨てるなと騒ぐ心。
ふたつがぶつかり合って、なかなか結論が出てこない。
小さな掟破りは得意だけど、大きな掟破りはできないのかな……私。
P「……佐藤さん」
気づけば頭を抱えていた私に、Pさんが声をかける。
P「俺は、いつまでも待ちますよ」
心「………!」
心「………」
……互いに無言。スピーカーから聞こえるおすすめ曲のループも、いつしかまったく耳に入らなくなっていた。
心「Pさん」
そして。
P「はい」
私は、やっとの思いで口を開いて。
心「……はぁとを、舞踏会のヒロインにしてくれる?」
小さな小さな、けれど確実な。
その一歩を、踏み出した。
心「……あの後、晴れ晴れした気持ちで外出たら大雨だったんだよねえ」
まさに、今の天気そっくりそのまま。
間が悪いなあ、なんてお互い笑いあったことは、はっきり記憶に残っている。
心「あの時は折り畳み傘があったんだけどなあ」
あいにくと、今日は持ってない。しかも隣に誰もいない。
適当な店の軒下でぼーっと突っ立っているけれど、一向に雨脚が弱まる気配はない。
心「……はあ」
自然とため息が出てしまう。
天気予報め。今日は一日中晴れとか言ってただろっ。もう金輪際信用しないからな!
心「毎年言ってる気がするなあ、これ」
なんだかんだ、信じちゃうのはなぜだろう。
心「………」
ザーザー。
心「………」
ザーザー。
心「……走っちゃおうかな」
最寄りのコンビニまで、走って3分くらいだったはず。そこでビニール傘でも買えば、あとは濡れずに事務所まで帰ることができる。
心「時間がもったいないし……」
今こそ、一歩を踏み出す時ではないだろうか。
あの時と違って、彼の手助けはないけれど。
私ひとりでも、ちゃんと前へ進めるということを証明してもいいんじゃないかな?
心「さあ――往こうか」
どこかの誰かみたいなセリフで自分を奮い立たせて、いざ大自然へ立ち向かん!
走り出したはぁとは誰にも止められんぞ! ふははっ☆
P「心さん。ここにいたんですか」
心「はえっ?」
ピタリと止まる足。
背後から聞こえた声に振り向くと、傘を差しながら歩いてくるプロデューサーの姿が。
P「雨で立ち往生食らってるんじゃないかと思って、探しに来ましたよ」
心「お、おう……マジ? サンキュー☆」
P「というか、今傘もささずに飛び出そうとしてませんでしたか?」
心「……ぴゅー、ぴゅいー」
P「口笛も誤魔化すのも下手ですね」
心「うまいこと言うな!」
冷たい視線を向けてくるプロデューサーをがるると威嚇する。
心「はぁとはこれから、偉大なる一歩を敢然と踏み出そうとしていたんだぞ♪」
P「いや、よくわかりませんけど。一歩踏み出す前に、俺に電話して傘持ってきてもらうとか思いつかなかったんですか」
心「………」
あ。
P「これだから、心さんからは目が離せないんだよなあ」
心「お、お茶目で抜けてるところもアイドルには必要でしょ? スウィーティー☆」
P「なんでもかんでもスウィーティーで片づけられる世の中ではないです」
心「チッ!」
P「本気の舌打ちだ!?」
こうして、はぁとのチャレンジはあっさり終わりを迎えちゃったわけだけど。
P「大事な担当アイドルに、風邪をひかせるわけにはいかないので。ほら、こっちの傘使ってください」
心「……ありがと」
代わりに、二人で傘をさして帰り道を歩いていくことになった。
それぞれの傘がゆらゆら揺れながら、降りしきる雨から私たちを守ってくれる。
心「いつも、こんな感じだよね」
P「はい?」
肝心な時にヘタレちゃって、一歩が踏み出せなくなったり。
踏み出したら踏み出したで、ブレーキ壊れてハンドルもきかない暴走車になっちゃったり。
そんな不器用な私に、いつも手を差し伸べてくれる人。
心「……なんでもない♪」
P「えぇ……なんだか気になりますね」
心「ふふっ」
でも、そういう相手にこそ意地悪したくなっちゃうのが女の子なんだよね♪
心「………」
P「………」
会話が途切れて、雨の打つ音だけが周囲を支配する。
でも、気まずくはない。さっきまでは憂鬱に感じられたザーザー音が、今ではまるで小気味良いリズムを奏でているようだ。
心「ねえ、プロデューサー」
P「なんです?」
心「はぁとのこと、好き?」
P「………」
心「ふーん……迷っちゃうんだ。そっかあ」
P「違いますよ。嫌いではないです、決して」
心「知ってる♪」
むしろ今の反応は、いろいろと期待できる。そんな気がする。
P「なんか、悪そうな顔してますね」
心「乙女な顔の間違いでしょ?」
P「そうかなあ」
自分の顔は見れないから、実際どんな表情をしているのかはわからない。
でも、たぶん……というか間違いなく、ニヤけてる。
心「ねえ、Pさん」
P「また懐かしい呼び方ですね」
心「はぁとを、舞踏会のヒロインにしてくれる?」
P「これまた懐かしいやり取りだ……」
P「しますよ。かっこつけた言い方になるけど、シンデレラに出てくる魔法使いみたいなものですからね、プロデューサーは」
心「うんうん、懐かしいぞこの会話♪」
さっきまで昔のことを思い返していたから、なんとなくあの時のやり取りを再現してみた。
……でも、ただ再現するだけなのも味気がないから。
心「Pさん♪」
P「なんですか」
心「魔法使いのほかに、役を兼任してもいいんだぞ☆」
P「………」
心「何になりたい?」
P「……ノーコメントで」
心「あー、ずっるーい♪ ヘタレだー☆」
P「さっさと帰りますよー」
心「あ、ちょっと待って! 早足で行かないでよ雨降ってるんだからっ」
顔を背けて先を行ってしまう彼を追いかけ、私も早足で路地をずんずん進んでいく。
心「あ、おいしそうなパンケーキ♪ 持ち帰りOKらしいし、買って帰らない?」
P「パンケーキ?」
心「梨沙ちゃんとか、絶対喜ぶって☆ な☆」
P「しょうがないですね……濡れないように持って帰るのは心さんの役目ですよ」
心「やった♪」
……今は、こういう関係が最高に楽しい。
だから、しばらくはこのままで。シュガーハートがトップアイドルになるその日まで、このままで。
心「ていうか、はぁとって呼んでねっていつも言ってるのに」
P「俺、心さんの『心』って名前が好きですから」
心「……カウンターとは生意気な」
二重の意味で熱くなる、今の毎日が大好きだから。
不器用なはぁとは、二つの夢を同時に追いかけるなんてできないだろうから。
心「ところで、プロデューサー」
けれど。
心「女の子の夢トップ2(はぁと調べ)って、なんだかわかる?」
不器用だからこそ、どっちの夢も捨ててやらないんだからな☆
おしまい
おわりです。お付き合いいただきありがとうございます。
佐藤心さんお誕生日おめでとうございます。昨年から今年にかけての大躍進は本当にすごかった。
不器用だけどまっすぐな26歳を今後ともどうぞよろしくお願いします
過去作もよろしければどうぞ
二宮飛鳥「話をしよう」 結城晴「いきなりだな」
渋谷凛「七夕」大石泉「短冊」橘ありす「織姫」佐城雪美「……彦星」
二宮飛鳥「十年目の孤独と葛藤と」
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