凛「渋谷凛の素顔」(22)
笑顔は苦手。
人からよく「クールだね」って評価を受ける。
クールか。
それは単に私が口下手で冷めてるから。
冷めてるは言い過ぎだね。でも表情を作るのは本当に苦手なんだ。
悟らせないように努力してるだけ。
友達は少ない。
それどころか、不良扱いまでされてて周囲との壁を感じる。
浅い関係の友人ならそれなりにいるよ。
私のことを知ってるクラスメートとか。
そうだね。顔見知り程度かも。
なにせ、愛犬ハナコとの散歩が趣味の私だ。
何も言わなくていい。
わかってるから。
寂しい人生だなって。
毎日が退屈で、それでも変化を求めない私。
自分を変える努力なんて実はしてこなかった。
夢なんてない。目標もない。
空っぽな私。
何もない毎日を過ごし、当たり前のように花屋で働き、ありふれた普通の男と結婚する未来。
それが渋谷凛の生涯。
私は私の気付かないところで、心の悲鳴をあげていたのかもしれない。
私の夢。
私の居場所。
きっとずっと求めてた。
きっかけを。
ああ。こんなにも後ろ向きだったんだ、私。
貴方に逢ったのは、そんな時だった。
「アイドルに興味はありませんか?」
正直に言えば、興味なんてなかった。
現実味のない話。
だって、芸能界って闇が深そうだって思ってたし。
こんな笑顔も作れない女、アイドルに向いてないよ。
「興味……ないかな。他当たってくれる?」
プロデューサーと名乗った男は、残念そうに名刺だけ残して去っていった。
プロデューサー。私に夢と目標、そして居場所をくれた人。
でもこの時はまだ、赤の他人。
未来はわからないものだ。
私が彼に恋をするなんて、きっと想像すらしていなかった。
再会は数日後。
街中で。
「よかった!また会えた!」
名刺をくれたあの男だ。
私は不機嫌な顔で彼を軽く睨むと、そのまま無視して歩き出した。
所詮勧誘なんて誰でもいいのだ。
だから諦めると思っていた。
「待ってくれないか?」
今度こそ彼を睨みつける。
「なにアンタ、ストーカーなの?」
彼は慌てて手を振ると、「違う違う!君はアイドルに向いてると思うんだ!」と子供っぽく語った。
その目は純粋そのもので、悪意なんてこれっぽっちも感じない。
それでも信用はできない。
だってさ、アイドルに向いてる?私が?冗談でしょ。
「話聞いてもいいけど。そこの喫茶店で奢りね」
図々しく攻める。
諦めるかな?
「わかった。ご馳走するよ」
やっぱりナンパかな?警戒心が少し上がる。
こういうとき、女の子は言動を聞き逃さない。
試してるって言っていいね。
男と比べて非力だからさ。
自己防衛で騙されないためには、言葉で計るしかないんだ。
これで可能性は3つ。
見ず知らずの私に、食事を奢ってでもアイドルになってほしい。
奢りと勧誘を口実にナンパ。
私を騙して利益を得ようとしている。
あとは彼の人間性を会話で把握するだけ。
これが、男と戦えない女だから培われた武器。
パーソナルスペースは他者との距離をはかる便利な感覚だと思う。
近寄れば不快感を覚えたり、気にならなかったり。
人間の直感だろうか?
生理的に受け付けないという言葉があるけどさ。まさにそれ。
わざと接近してみる。
男が近づくと基本不快になる私は、きっと気難しいのかもしれない。
あれ?
近寄っても不快感はない。
どうしてなの?
彼の隣を歩き、案内された席に座る。
不思議な感覚。まるで長年連れ添った夫婦か、相棒のようにしっくりくる。
この時、はじめて私は彼を意識した。
「好きなもの頼んでいいよ」
メニューを一通り眺め、私は迷わず注文も決めた。
「キャラメルマキアート」
喫茶店にも場所によってはあるんだね。
友達と喫茶店に行くことは少ない。
行くのは基本的に有名チェーン店くらい。
「わかった。あとは?」
「私はいいよ」
様子を見ていた店員が注文票に書き込んでいく。
「じゃあ俺はコーヒーとサンドイッチ。あとこのパフェ二つね」
店員は注文を復唱しながらプロデューサーと二三言やり取りし、カウンターの方に下がっていった。
置かれた水を飲み、プロデューサーを軽く睨む。
「この大きなパフェ、誰が食べるの?」
「俺とキミで」
……はぁ。
パフェは重いよ。
「食べたかったんだろ?」
「どうして?」
「なんとなく」
……気安い奴。
私の心のなかにズカズカと土足で踏み込んでくる敵だ。
なんてね。
「私が食べたくないって言ったら?」
「……頑張って二つ食べるよ」
「……残さないんだ」という私の呟きに、律儀に、「もったいないだろ」と澄まし顔のプロデューサー。
そうだね。
「ありがとう。私も食べるから安心して」
「よかった」
なんだか嬉しそうなのは気のせいかな?
「で、お話……するんでしょ?」
「おお。聞いてくれるか?」
まるで友達感覚。
悪徳セールスのキャッチでももっと丁寧だよ。たぶん。
「俺はアイドルのプロデューサーをやってる。というかプロジェクトを任されたって感じかな」
「誰が所属してるの?」
「まだ誰も所属してない。記念すべき第1号がキミさ」
ダメだと思う。
論外だ。
ありえない。
「……正気?」
「何事も始まりがあるだろう?それがキミなんだ」
「意味わかんないし」
この男、ただのバカかもしれない。
「事務所は大きいんだぜ」
彼が口にした名前は、私でも知ってる大企業だった。
「芸能部門を新設したんだが、俺が代表として全部任されちゃってな」
「最初は貧乏くじ引いたかなって思ったけどさ。せっかく挑戦するんなら、全力で結果を出してみたいって思って」
勢いよく語る彼の会話を中断させる。
「……給料は出るの?」
不安要素の一つ。
「そこは安心してくれ。母体はデカいから問題ない。結果を出せば大金持ちも夢じゃないぞ」
「なんで私なのかな?」
そう、そこが一番重要なポイント。
美味しい話には裏と罠があるものだ。
「こうティンときたんだよ。直感ってやつはバカにできなくてね」
いや、バカだよ。
どうしてこの話を受けたのか。
今でもよくわからない。
ただ、居場所が欲しかったのかもしれない。
難しいことは何も考えず、ひたすらまっすぐ前だけを見て生きていく。
そんなありえない夢を、私はあの瞬間、一瞬だけ確かに垣間見た。
あれは幻だったのかな?
プロデューサーはお店の中で、2時間以上も熱く語った。
私は多少なりともうんざりしながら、一生懸命アイドルの良さを説くプロデューサーの瞳を見つめていた。
こんなに夢中になれること。私にはあったかな?
そうか。
羨ましい。
羨ましいのかもしれない。
プロデューサーの生き方が。
夢を語る子供のような人。
だからこそ不思議と愛しく思えた。
私が根負けして了承したとき、彼はガッツポーズで喜んだ。
おかしな人。
この人の夢を叶えてあげたい。
そう思わせる何かがある。
夢。私をトップアイドルにしたいと言う彼の夢を。
私は彼の浮かべる笑顔のために、アイドルになった。
それはきっと、私だけが知る真実。
凛「ふーん、アンタが私のプロデューサー?……まあ、悪くないかな……。私は渋谷凛。今日からよろしくね」
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