安部菜々「ウサミン星、大爆発」 (170)

 
※ このssにはオリジナル設定やキャラ崩壊が含まれます。
 
===「衝撃、ザ・ベストテン」

 何ともはや、びっくりであります。
 その驚きたるや、これまでの私の人生の中で順位づけした場合、間違いなくトップ3に入るであろう程の。

 三位は、長年の憧れであった、アイドルとしてデビューすることが決まったとき。二位が、今回の出来事。
 そして、栄えある第一位は――おっと、これについては、今の状況と何の関係もありませんでしたね。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1457616800

 
――コホンっ。話を元に戻しましょう。

 その日、声優アイドルウサミンことわたくし安部菜々は、大きなお仕事が決定した喜びから、行きつけのスーパーで
 ちょっと豪勢な夕飯の材料を買い込むと、るんるん気分で駅から出ている電……こ、高速宇宙艇に乗って、
 この星での活動拠点であるウサミン星……もとい、ウサミンベースへと戻ったワケなんですが。

『ウサミン星、大爆発!!』

 そんな見出しがデカデカと躍る新聞記事のイメージが、私の頭に浮かび、思考の宇宙をぐるぐると回っていました。
 目の前に広がる光景といったら、それはもう酷い有り様でして。

 
「あ、奈々ちゃんじゃない……!」

 ウサミンベース管理長……ではなく、アパートの前に立っていた、
 顔見知りの大家さんが私の姿に気づき、こちらへと近づいてきます。
 
「こ、これは一体……どうしちゃったんですかっ!?」

「それが、奈々ちゃんがいない間にアパートで火事が起きちゃって……」

 遠く離れた故郷から都会に出てきて早数年。
 その頃からずっとお世話になっている、お豆腐のような形をした、どこにでもあるような二階建てのアパート。
 
 今朝だってここからお仕事へ向かったんです。でも、今やその姿も記憶の中の物に。
 お豆腐は真っ黒に焼け落ちて、生々しい火災の跡が残る、何もない空間がそこに広がっているだけ。

 
「火事になったのが昼間で、住んでる人達のほとんどが外出中だったから、怪我人はでなかったんだけど」

 大家さんが頬に手をやりながら、深いため息をつきます。
 
「ウチとしても大損害……現場を調べた警察の話じゃ、放火の疑いもあるって……最近多いらしいのよねぇ」

「ほ、放火ですか……」

「それでね、アパートがこうなると、今夜からは奈々ちゃんにも別の場所で――」

 茫然自失とは、まさにこんな時のためにある言葉なんですね。私は、大家さんの話もろくに耳に入らなくって。
 彼女が帰った後もしばらくの間、ただ一人、その場にぼぉっと立ち尽くしていたのでした。

===

 さてさて。まだまだ人生の上り坂、その真っ只中にいる私ですが、
 これまでだって辛い経験や苦しい逆境には、何度も立たされてきたものでして。

 たかが……たかが、住んでいた場所が火事によってなくなる。それがなんだ! と。

 多くはありませんが、貯えならあります。お仕事をクビになったわけでもありませんし、怪我も病気もしておらず、五体満足。
 新しく住む場所なら、探そうと思えばいくらでも探してみせる! ……そう、探せます……けど。

 
「……はぁ~」

 焼け跡を見て湧き上がる、何ともいえないこの気持ち。喪失感とでも、言うのでしょうか?
 
 とにかく、今すぐ理由もなく叫び出したくなるような、この気持ちを抑えるのは中々に難しい話でありました。

 もはや元の姿が想像できない程に熱で変形した家具。
 真っ黒なすすになってしまっている、服や本といった荷物の燃え残り。

 そういった残骸が敷き詰められた現場を見ていると、時間の経過と共にこれが夢ではなく、
 現実なのだということを、嫌というほど思い知らされます。

 
 その中には当然、私の私物も混ざっているわけです。
 大事にのけていたファンレターの束や、これまでのライブで着た衣装。本格的にデビューするずっと前、
 自主活動時代に使っていたあれやこれや……そうした沢山の思い出の品も、何もかも真っ黒になっちゃって。
 
 そのことを理解すると、今度はまるで自分の半身を失ったかのような思いに襲われて……
 心の力とでも言いましょうか、漠然と人を動かしているエネルギーのような物が、
 体の中から外へと漏れ出してしまう……そんな感覚に。


 とはいえ、いつまでもこの場所でじっとしていることで、なくなってしまった物が元に戻るわけではありません。
 
 辺りはすっかり暗くなり、焼け跡に入るのも危ないという事で、
 無事な荷物――到底、あるとは思えませんでしたが――その確認もできなくて。
 
 私は着の身着のまま、夜の街に放り出された迷いうさぎ。
 
 財布を開いて中を見るも、入っているのは電車の定期とテレフォンカード。そしてじゃらじゃらとした小銭だけ。
 あぁ、こんな事になるならばと、私は手に持っていたスーパーの袋を恨めしげに見つめました。
 
「――しかたないですね」

 気は進みませんでしたが、こうなってしまった以上、私が頼れる場所は一つしかありません。
 
 両手を胸の前に持ってきて、よしっ! と気合を入れるポーズ。
 そうしてそのまま振り返ると、私は再び宇宙艇に乗り込むため、駅へと続く道を急いで引き返したのです。

ここまで。

>>3 訂正

×「あ、奈々ちゃんじゃない……!」
○「あ、菜々ちゃんじゃない……!」
×「それが、奈々ちゃんがいない間にアパートで火事が起きちゃって……」
○「それが、菜々ちゃんがいない間にアパートで火事が起きちゃって……」

>>4 訂正
×「それでね、アパートがこうなると、今夜からは奈々ちゃんにも別の場所で――」
○「それでね、アパートがこうなると、今夜からは菜々ちゃんにも別の場所で――」

単純な変換ミス。申し訳ないです

===2.「ウサミン来訪者」

「それで、今夜は事務所に泊まりたいと」

 夜遅く、突然事務所に戻って来た私の話を聞き終わると、
 彼は咥えていたタバコを灰皿に押し付け、なんとも困った顔をして言いました。
 
 彼の眉間に、小さく皺が寄ります。それは、考え事をしているときの、お馴染みのサイン。
 
「……安部、お前はアホか」

 そうして、今までも何度となく言われてきた、聞きなれたセリフ。
 うぅ、やっぱりそういう反応をする……だから、ここに来るのは気が進まなかったんですよぉ!

 
「お、お言葉ですけど、アホってなんですか、アホって! それが家を焼け出された人にたいして言うセリフですか!?」

 私の反論に、今度は呆れた表情になるPさん。
 
「いやな、話はわかったよ。家が火事になって、泊まるあてもなければ金も持ってない。だから事務所に泊まれないか……うん、わかるわかる」

「で、ですよね? わかりますよね!」

「問題なのは、だ。この事務所には既に俺が住んでいるってこったな」

 それを言われて、私はうぐっ、と言葉を詰まらせます。
 
 私の所属するアイドル事務所。小さくて二階建ての、まさに事務所らしい事務所。
 そこに、Pさんは住み込みで働いていたのです。


 いえ、住み込みというと語弊がありますね。正確には、この事務所の社長であるPさんの家が、
 建物の中に一緒に併設されていると言うべきでしょう。
 
 そんな事を考えていると、Pさんが自分の財布から一枚のお札を取り出して、私の目の前に差し出します。

「な、なんですか、これ?」

「何って、ホテル代だよ。まさかこのまま、事務所に泊めて貰えるとでも思ってたんじゃないだろうな」

「えぇ……泊まっちゃ、ダメなんですか?」

 きょとんとした様子の私を見て、Pさんがますます顔をしかめます。そうして、がっくりと肩をおとしてからの――。
 
「安部ぇっ!!」

「は、はいぃっ!」

 急な大声に、びびくんと返事。
 
「お前な、いい加減自分がどれだけの注目を集めてるのか……今一度、自覚しなおした方がいいぞ!?」


 そう言ってPさんが机の上にあった、一冊の雑誌を投げてよこします。その表紙には、
「トップアイドルウサミン。その変わらぬ姿の秘密」「実は本当に宇宙人!? 謎を暴くべく極秘取材を敢行!」の文字が。
 
 雑誌のタイトルは、「NU<ヌー>」。確か、オカルト専門の情報雑誌だったっけ。

「お前……今年でいくつになった?」

「お、女の子に年齢を聞くなんて……セクハラですよっ!」

 一応、誤魔化せないかと言ってみましたが、そんな私を見る彼の目は、至って真剣そのもので。
 
「じ、十七……菜々は、永遠の十七歳です」

「そうだな。ウサミン星人安部菜々は、永遠の十七歳……だったな」

 『だった』の部分に、やけに力を込めるPさん。もちろん私も、彼がどうしてそうするのか……理由は、分かってはいます。

 
「安部。お前が本格的にメジャーデビューしてから、世間では六年が経ってる」

「……はい」

「先輩や同期、後輩のアイドルが引退したり、俳優や歌手に転向したり……色々あったよな」

「そ、そうですね」

 するとPさんが、私の頭のてっぺんからつま先までを一瞥した後、理解しがたい物を見る顔になって。
 
「……ほんっとうにお前は、初めて会った時から何一つとして変わんねぇな」

 Pさんのいう事は、もっともでした。
 事務所に所属している他の子達は、この六年で大なり小なり成長し、
 見た目や印象がデビュー時と比べて随分と変わった子だっています。
 
 でも、肝心の私はというと。

 
「とにかく、お前の見た目があんまりにも変わらないから、
 どんな方法でその若さを保ってるのかって、女性雑誌からは取材のオファーがしつこいぐらいにやって来るし」

「そ、そうなんですか?」

「以前ならスキャンダルを追うだけだった記者の連中も、今じゃホントに宇宙人扱いだからな。
 この雑誌みたいに、お前がボロを出すのを狙ってる、ストーカーまがいのオカルト愛好者だっているんだぞ!?」

「ぜ、全然知りませんでした……な、菜々って実は、意外と注目を集めてたんですねぇ」

 まさか、本当に気づいてなかったのか? と続ける彼の言葉を、私は笑って誤魔化して。

 
 私のそんな反応に、無言で頭を抱えるPさん。
 それはまるで、出来の悪い生徒にたいして、どうやって物事の重大さを説明しようかと悩む先生のようで。

「そんな連中をお前から遠ざけたり、記事が出る前に事前に差し止めたり……今まで俺がどれだけ苦労して来たかなんて……」

「あ、あははは……」

「なぁーんにもわかっちゃねぇんだからな! この能天気なウサミン星人さんはよぉっ!」

 今度は両手をあげて、うがーっと唸る。そうして髪をわしゃわしゃとかきむしると、
 ワイシャツの胸ポケットから新しいタバコを取り出して、火もついていないソレを口に咥えます。
 
 寝癖のように跳ねた髪、再び寄った眉間の皺。
 どうにも釈然としない表情で私の事を見ている彼の姿……この姿には、見覚えがありました。
 
 そう、あれは今から随分と昔……Pさんと私が初めて出会った、あの頃の姿にそっくりで。
 
 目の前で困っているPさんには悪いですが、そんな彼を見る私は、
 その懐かしい記憶を少しだけ、思い出したりなんて、していたのです。

ここまで。

===3.「いつでも夢を」

「ウサミン星からやってきた、歌って踊れる永遠の十七歳! ウサミンこと安部菜々ですっ! きゃはっ☆」

 薄暗い地下のステージ。まばらなお客さんに向かって、お馴染みの自己紹介と決めポーズ。
 
 けばけばしいライトの光に染められて、スピーカーから流れる音割れした曲に合わせて歌いだす。
 そんな私を見るお客さんの反応は……それなりに上々と言ったところ。
 
 そう、あくまでもそれなりに……です。
 
 小さな頃から、夢見がちではあったと思います。おとぎ話が大好きだった私は、物語に出てくる綺麗なお姫様に憧れて。
 そんな私が、ある日出会った、「アイドル」という存在。
 
 鮮明とはいえないモニターの中、キラキラとした衣装を着て、
 大勢の人々から熱い声援を受けるその姿は、小さな頃の私にとって、まさに現代のお姫様に見えました。

 
「ナナね、おおきくなったら、アイドルになる!」
 
 そう私が宣言した時、パパとママは少し困った顔をしていたっけ。
 
 それから数年後。都会に出てきた私の生活は、
 アルバイトをしながら事務所のオーディションを受ける……そんな毎日の繰り返し。
 
 初めのうちはまだ余裕があったけど。でも、それも一年、二年。アイドルどころか事務所にも入れないまま月日は流れ、
 気づいたときにはまだ受けていないオーディションを探す方が難しくなっていたぐらい。
 
 それでも諦めの悪い私は、いわゆる個人でのアイドル活動にも手を出して……やがて、厳しい現実を思い知るのです。
 
 とにかく、何をするにもお金、お金でした。個人で活動する以上、当然ながらその活動費用は全て自腹。
 仕送りはありましたが、働いて貰えるお給料と合わせても、月の生活をギリギリ送っていくのでやっと。
 
 決して安くはないその金額をひねり出すために、朝から晩まで、使える時間はみんなアルバイトに割り振り、
 わずかな時間を見つけては、教本を片手に独学で勉強。
 レッスンのためのお金も、時間も、その頃の私には、とても用意できる物ではなかったですから。
 
――はっきりと言って、決して楽な生活ではありませんでした。

 でも、辛いとき、心が折れそうになったときには、大好きなおとぎ話、
 その主人公を思い出して、しぼんでしまった気持ちを奮い立たせたんです!

 彼女と私は、同じなんだ。この逆境を乗り越えたその先には、きっと、輝くお城での、舞踏会が待っている……って。

===

「それで、安部さんはどっちを優先したいわけ?」

 目の前に座る、バイト先の店長さんが、しぶい顔でそう言います。対する私も、なんとも浮かない表情。
 
 結局のところ、おとぎ話はどこまで行っても「お話」でしかありませんでした。
 物語の中の彼女と、現実の私。違いは、二人の前に魔法使いが現れたかどうか。
 
 無茶な生活サイクルはとっくの昔に限界を振り切っており、
 毎日のように私を悩ませる慢性的な寝不足、とれない疲労、散漫になる集中力……。
 元々、ここでの生活自体、私の体への負担がなかったわけでもありません。

 
 それでも何とかやってこれたのは、夢にたいする情熱のお陰。
 でも、仕事中にいきなり倒れたりなんてしたら……言いにくいんだけどと、店長さんが続けます。
 
「安部さんがね、その、アイドルだっけ? それを目指して頑張ってるのは、僕らも知ってはいるんだけどね」

「……」

「でも、そのために無理をして体を壊してちゃ……やっぱり良くないよ」

「そう……ですね」

「君は少々変わってるけどさ、仕事も真面目で、お客さんからの評判も良いから……
 個人的な意見としては、このままウチの仕事をメインにしてもらった方が、お互いに良いと思うんだよねぇ」


 正論すぎる、店長さんの言葉。

 夢が叶えられないのならば、いつかどこかで区切りをつけなくてはいけない。
 それが、賢い大人の生き方。人生という坂道を登り続けていくための、最善の方法。
 
 わかってはいます。そんな簡単な事は、私だってわかってはいるんです……けど……!
 
「……はい、もう一度よく……考えてみます」

 当たり障りのない言葉で、返事を濁す。
 
 あれほど必死で追いかけてきた夢を、諦めないといけない……その時の私は、いったいどんな顔をしていたのでしょうか?

ここまで。

===

 店長さんの気遣いで、お仕事を早退した私は、当てもなく町をぶらつきます。
 ビルの間を吹きすさぶ風は、憔悴した心と体に、冷たすぎて。
 
 行きつけのCDショップ、本屋さんの店頭に並ぶ雑誌に、いつも乗る電車の中の車両広告。
 
 他にも、あんなところやこんなところ……あぁ、こんなにも身近に、溢れんばかりの「彼女達」がいるというのに。
 私にとって、それは限りなく遠い存在なのです。
 
 落ち込んだまま家に帰ると、郵便受けに入った、見慣れぬ封筒が目に入りました。
 まさか、という気持ち。震える手で、中に入っていた紙を引っ張り出します。
 
 そこには、先日受けたとある事務所のオーディション。その一次審査である、書類選考を通ったという内容が書かれていて。
 
 いつもの私なら、この報告を素直に喜んで、次の審査へ向けて意気込んでいたところでしたが……
 今回は、何故だかそんな気持ちにはなれません。

 
「夢と現実……かぁ」

 店長さんに言われた言葉。ここに帰ってくるまでの間に考えていた、その答え。
 
「神様は、ほんとうに意地悪ですね」

 自嘲気味にそう呟くと、書類を封筒に戻し、靴箱の上に置きます。

 今までも、書類審査なら、何度か通った事はありました。けど、いつだってそこまで。それ以上先には、いつも……いつも……。

 その後、仮眠をとった私は簡単な夕食を済ますと、お風呂に入り……普段なら、湯上りに軽いストレッチぐらいはするのですが、
 今日はそのままテーブルにつくと、古いテレビの電源を入れて。
 
 時計の針は、まだ午後の七時を少し過ぎたところ。本来なら、お仕事をしているか帰宅の途中……
 ちょうど、電車に揺られている時間でした。


 カチャカチャとテレビのチャンネルを回しながら考えるのは、今とは違う生活の事。
 
 お風呂上りの一杯。ピーナッツでもつまみながら、好きなテレビ番組を見て笑う。
 そんなささいな幸せを糧にして、日々のお仕事を頑張りながら生きていく……そんな毎日でも、良いんじゃないか。
 
 叶わぬ夢を追いかけるために使っていた時間とお金を、今度は「自分のため」に使う。
 
 こうして部屋でぼぉっとしていると、その考えも案外、悪い話でもないような気がしてきます。
 
 夢は……憧れは、叶わないからこそ、夢なんだと。

「私には、向いてなかったのかなぁ……」

 誰に聞かすでもない独り言が、静けさに吸い込まれていく中……眺めていたテレビに、一人の少女が映し出されました。

 
『この曲は、今の私の気持ちと重なる部分が多くって――』

 忙しい普段なら、滅多に見る事ができない歌番組。
 司会者からマイクを向けられた少女が、まだ初々しさの残る、ぎこちない受け応えをする様子。
 
 でも、そんな彼女は、緊張よりもむしろ、今を楽しんでいる事が伝わってくる、素敵な笑顔でそこにいて。
 
 トークが終わり、スタジオに組まれたセットに立つ少女。
 曲が流れ出し、きらきらとしたライトに彩られた彼女が、歌を披露します。
 
――自分より若くして、夢を叶えた少女。その姿を見た私は、一体何を思えばいいのか。

 嫉妬? 羨望? 頭の中に、決して良くはない、どろどろとした感情が渦巻いていきます。
 こうして狭い部屋の中、いつまでも輝けない、チャンスを掴めない私と、この少女の違いは何なのか?
 
「…………」

 見ているのも辛くなり、テレビの電源を切ろうと手を伸ばした時……テレビの中の彼女と、目が合いました。
 
『真っ直ぐにきらめいて――瞬間に輝くのっ!』

『大好きを磨いて掲げたら――後悔なんて、しないでしょっ!』

 その瞬間、私は手を伸ばしたままの姿勢で固まって。

 
 テレビから聞こえてくるその歌が、特別上手だというわけでもない。
 踊りだって、リズムに合ってるのか合ってないのか……なのに。
 
「……あっ」

 気がつけば、私の頬を伝う、涙。
 
 なぜ、こんなにも彼女に惹きつけられるのか。どうして、彼女の歌声は、こんなにも私の心を揺さぶるのか……。
 
『どこまでも進行形、駆け抜けて――なりたい自分へと、迷わないで行ってみよう――――絶対っ!』

 そうして、モニターの向こう……少女が、私を指差します。
 その表情は、今、まさにこの時を全力で楽しんでいる……きらきらとした、とびっきりの笑顔。
 
 その時、私は気がついたのです。
 アイドルを目指していたはずなのに、いつの間にかアイドルにならなければいけないと思い込んでいた自分に。

 時間に追われ、生活の不安に怯え、神経を尖らせるようにしていたこれまでの日々。
 そんな余裕の無い心に、本当の笑顔なんて……生まれるわけ、ないじゃないですか。

 
 曲が終わって、司会者と少女のトークが再び始まりました。
 アイドルになりたくて業界に入り、こうして念願のアイドル活動が出来ている今が、とても楽しい……
 そう語る少女を見る私の心に、先ほどまでのどろどろとした感情は、もう浮かんではきません。
 
 むしろ、その逆。今にも動き出したくって、うずうずしている気持ちを抑えるのに必死です。
 いてもたってもいられなくなった私は、急いで靴箱の上から封筒を持ってくると、
 中に入っていた書類を、今度は穴が空くぐらいの勢いで見つめて。
 
 店長の質問にも、今なら自信を持ってこう答えられます。
 
 諦められるわけ、ないですよ。だって菜々の人生は、この夢を叶えるためにあるんですから……!

ここまで。

===4.「魔法をかけて」

 数日後、書類に書かれていた住所にやってくると、そこにはコンクリートで出来た、白塗りの二階建ての建物が。
 備え付けの看板には、まだ何も書かれてはいませんでしたが、なんというか、いかにも事務所らしい事務所ではありまして。
 
 左腕の時計を見て、約束の時間を確かめる……よし、ぴったり五分前。私は大きく息を吸うと、事務所の扉に手をかけます。
 
「し、失礼しまーす――――うっ」

 すりガラスのはめ込まれたドアを開けて事務所の中へ立ち入った私の口から、戸惑いの吐息が漏れました。
 
 半端にブラインドが下げられた室内は、昼間だというのに薄暗く。
 並べられた二台の事務机の上には、梱包されたままのダンボールがどかどかと積み重なり、
 その脇に置かれた、お世辞にも綺麗とは言えない古びたソファーの上には、これまた毛玉だらけの毛布がかけられていて。
 
 そのうえ、部屋の中は全体的に埃っぽく、壁や天井のあちこちには日焼けや染みの跡。
 
 過去、面接を受けに訪れたどの事務所よりも圧倒的に汚らしいその部屋を見た途端、
 回れ右をしそうになる足をぐっと抑えると、私はもう一度、人を呼ぶために声をかけます。

 
「……ふぁーい」

 気の抜けた返事と共に、ソファーの上にかけられていた毛布がもぞもぞと動くと、
 その下から一人の男性が体を起こして起き上がりました。
 
 皺のよったよれよれのワイシャツ。ぼさぼさに寝癖の立った髪に、伸ばしっぱなしの無精ひげ。
 およそ爽やかさとは縁遠い風貌の彼は、私の姿を不思議そうに見つめると、頭を掻きながら寝ぼけた声で言います。
 
「えっと……どちら様で?」

「あ、あの……オーディションの面接を受けに来た、安部という者なんですが……」

 私の言葉に、眉をしかめた男性が、壁にかけられた時計へと目をやって。
 
「――面接って、午後二時からでしたよね? 今、まだ朝の十時前なんですけど」

 確かに、その時計の針は、十時前を指していましたが。

「……その時計、止まってませんか? 今は本当に、午後の二時ですよ」

 すると、立ち上がった彼が壁掛けの時計を手にとり、その裏を眺めると、「あちゃ」と小さく呟きました。

 
 それからしばらくの間、何かを考えるように顎へ手を当てていた彼は、やがてぽんと手を打つと、私に向き直って。
 
「それじゃあ、今から予定通り面接を始めましょう」

 そうして、口の端をにやりと持ち上げる……余りにも常識ハズレな彼の対応に、普通の人ならばここで帰っていたと思います。  そうでなくても、面接を受けた後で、やっぱりここは止めておこうと考えたハズです。
 
 でも、その時の私はというと。
 
 壁際に積み重ねられたファイルと雑誌の束。整理されているとは言えない机の上、
 なにやらよく分からない小物が雑多に詰め込まれた箱が、そこら散らばる中、悠然とたたずむこの男性。
 
 そんな彼の周りに浮かぶ埃を、ブラインドの隙間から差し込む僅かな光が、きらきらときらめかせていて。
 
「は……はい! よろしくお願いしますっ!」

 小さな頃に見た絵本の挿絵。奇妙な器具に囲まれた窮屈な部屋に立ち、不敵な笑みを浮かべる魔法使いの姿。
 その時の私には、目の前の彼と挿絵の魔法使いの姿が、不思議と重なって感じられたのでした。

===

「えっと、これが安部さんから、書類選考のために送られてきた履歴書なんですけどね」

 きぃきぃとなる椅子に腰掛けた、私の隣に立つ彼が、机の上に履歴書を置いて、その中の項目を指差しながらたずねます。
 
「ここの、出身地ウサミン星ってのは?」

「そ、それは! 私は、ウサミン星からやって来たので、出身地には星の名前を書くべきだと思いまして」

「じゃあこっちの、『年齢 永遠の十七歳』の方は?」

「ウサミン星人はこの星の人とは年齢の取り方が違うんです! 
 えっと、ある程度まで成長すると、外見が殆ど変化しなくなって……」

 卒業した学校、今までに経験した仕事、持っている資格にこれまでの自主活動の内容。
 
 その他家族構成から幼少の頃の思い出エピソードにいたるまで、
 何でそんな事を聞くのだろうとこっちが質問したくなるぐらい、彼は色々な質問を私にしてきました。
 
 そうして、私が質問に答える度に、うんうんと頷くと、他には何かありませんかと、聞いてくるのです。

 
 こんな事は正直なところ、今まで受けてきた面接では、一度だってありませんでした。
 みんな私が話し始めると、興味の無い顔をするか、怒って話を切り上げてしまうのが、常でしたから。
 
 けれど目の前に座るこの人は、私の中にある情報を、全て引き出してしまおうとするかのように……
 聞き上手とでも言うのでしょうか? 気がつくと、ほんとうに沢山の話を彼に聞かせる自分がそこにいて。
 
 結局、話し終わる頃には、面接を始めてから随分と時間がたっていました。
 
「いやぁ……今までもこの手の子を面接した事はありますけど、安部さん程キッチリした方は初めてですよ」

 そう言って方杖をついて私を見る彼の目は、まるで不思議な生き物を観察しているようで。
 
「そ、そうですか? 変わってるとはよく言われますけど。キッチリっていうのは、初めてです……」


 何が可笑しいのか、そうでしょうそうでしょうと笑っていた彼でしたが、
 オホンと咳払いをすると、真面目な顔になって言いました。

「では、最後の質問ですが……今までも、多くのオーディションを受けたと言ってましたね」

「は、はい」

「他の事務所も、殆どは書類審査だったと思います……いつもこのような履歴書を?」

 彼の目つきが、獲物を見据える肉食動物のように鋭くなって。
 先ほどまでの、のほほんとした雰囲気からのギャップに、思わず身も強張ります。
 
 この独特の緊張感――きっとこれが、私という物語の分岐点。
 
「はい、今までのオーディションも全て――」

 彼の眉間に皺が寄せられたのと、口の端がにやりと上がったのは、ほぼ同時でした。
 
 さっきから、心臓はドキドキしっぱなし。背中には、嫌な汗が流れています。
 あぁ、間が持たない。は、早く何か言ってくださいよぉ……!
 

 
「――では、本日はありがとうございました。これで面接は終了です」

「……えっ?」

 でも、彼の口から出たのは、面接の終わりを告げる事務的なセリフ。拍子抜けしてしまったのか、情けない声が口から漏れます。
 
 終わり。終了。これ以上は何もない……余りにもあっけない幕切れ。
 困惑を隠しきれない私に、彼が一枚の名刺を取り出しました。
 
「これ、僕の名刺……まぁ、君には必要ないとは思うけど、一応ね」

 手渡された簡素な名刺には、事務所の名前と電話番号。そして、Pという名前。
 でも、そんな事よりもさっきの言葉。必要ないと思うっていうのは、それはつまり……。
 
「ふぅ……ふぇっ……ふぇぇ……」
 
 魔法使いに出会えたと思った。初めて私の話をちゃんと聞いてくれる人だった。
 大げさに言えば……この事務所にやって来たのは、運命だとさえ……なのに。

 
「うえっ、うっ……ふぇうぇぇ……」

 涙が止まらないのは、なぜなのか。こんなにも悲しいのは、なぜなのか。
 どうしてこんな場所で、私は子供のように泣きじゃくっているのか……もう、菜々には何も分かりませんでした。
 
 突然泣き出した私に、Pさんが慌てた様子で声をかけてきて。
 
「うぐっ、ご、ごべんなさい……と、とまりゃないんれふぅ……!」

「いやぁ、こちらとしてもそんなに嬉しがってくれるのはありがたいけど……」

「えぐっ、ひっく……」

「えぇっと……ほら、これ使って」

 近くの箱に入っていたタオルが差し出され、それに顔をうづめる私。綺麗かどうかなんて、気にしてなんていられません。

 とにかく、泣いている顔を、見られたくありませんでした。

 
「それにしても、よっぽどアイドルになりたかったんだねぇ」

 そうして、Pさんのよかったよかったと言う声が聞こえてくる。
 
 良かった? どうして? この人は、一体何が良かったと言っているのか。
 
「大変な事もあるとは思うけど、その時は、こっちもしっかりとサポートしていくから」

 タオルから顔を上げて彼を見る。それって、それって……。
 
「一緒にトップアイドル、目指して行きましょう!」

 見上げた彼は、優しい笑顔でそこにいて。
 
「それって……採用? 菜々、アイドルできるんですか?」

「もちろん。まぁ、その事を伝える前に泣き出されて、ちょっと焦っちゃったけどね」

 あぁ! なんて、勘違い。私ってば盛大にやらかして……。
 
 は、恥ずかしい! ……私は、再びタオルに顔をうずめたのです。
 でも今度は泣き顔を見られたくないのではなく、嬉しさのあまり緩んでしまった、なんともみっともない顔を見せないために。

 
 しばらくして、ようやく落ち着いた私は、資料の入った封筒を貰い、簡単な説明を受けて。
 
「それじゃ、えぇっと……明後日かな? さっき言った時間に来てもらえたら」

「はい……では、失礼しました」

 返事をしてから、事務所を出る。外はもうすっかり暗くなり、冷たい風が吹き抜けていきます。
 
 でも、いつかと違って、今はその冷たさが、興奮に火照った体に心地よくて。
 
「夢じゃ……ないんですよね」

 手に持った封筒。夢じゃない、本当に、アイドルになれる……!
 
 お姫様に憧れていたうさぎの子。
 そんな彼女の前に現れた魔法使い……こうして、「アイドル」としての安部菜々の日々が、始まったのです。

ここまで。

===5.「上を向いて歩こう」

 あいどる、アイドル、アイドル!
 
 まさか本当に、この私がアイドルとしてデビューする事ができるだなんてっ!!
 
 ずっと憧れていたアイドルとしてのお仕事。
 初めてのレッスン、初めての撮影、初めてのインタビューに、初めてのイベント……時折失敗してしまうこともありましたが、
 そんな事でいちいち悩んでいる暇は無いほどに、私の毎日は充実していて。
 
 いつでもどこでも、新しい初めての連続。それらを全部体験しつくすためには、時間なんていくらあっても足りないぐらい!

 中でも一番驚いたのは、Pさんが持ってくるお仕事の量。
 実は彼、初めて出会った時に感じた胡散臭い印象からは想像がつかない程の「やり手」だったのです。
 
 とにもかくにも、業界におけるその顔の広さと言ったら。
 お仕事先で私が挨拶をするたびに、「あぁ、Pさんのとこの」と返されるぐらい……後で知った噂によると、
 独立して今の事務所を立ち上げる前は、同時に五十人近くのアイドルをプロデュースしていた事があったとかなかったとか。
 
 にわかには信じられない話ではありましたが、予定でびっしりと埋まった事務所のホワイトボードを見ていると、
 その噂についてもさもありなんと思えてしまう私なのでした。

 
 そんな彼のプロデュース方針は、短期間の仕事を隙間無く詰め込んで、
 何よりもまずアイドルの顔を売り、そこから生まれた繋がりから、長期的な仕事を請け負っていくというスタイル。
 
 一見当たり前のように思えますが、実践するとなると話は別です。
 普通は、アイドルのイメージが先にあり、それに合わせたお仕事を取ってくるものですが、
 Pさんの場合は、お仕事のイメージにアイドルを合わせるといったやり方で。
 
 そのために、Pさんは普通の事務所にはいないような、「個性」を持った子を優先してスカウトしてたようです。
 実際、ここに所属しているアイドルの子達は、中々に曲者揃いといった印象を世間には与えていたようで……
 その中にはもちろん、「ウサミン星人」としての私も含まれてましたよ?
 
 そうして、そんなやり手のPさんのもと、私のアイドル活動の日々は風のように過ぎて行き……
 いつしかアイドル「ウサミン」は、小さな子供達を中心にして、ゆっくりと世の中に認知されていきました。
 
 夢にまで見たアイドル生活はまさに順風満帆。大きなブレイクこそないものの、活動自体は非常に安定していて……でも、でも。
 
 本格的に活動を始めた事で浮き彫りになった、「アイドル」安部菜々としての致命的な欠陥。
 今後もこうしてアイドルを続けていくのならば、それはいつかは向き合わなければならない、避けては通れぬ問題で。
 
 決断の時は静かに、でも、もう目前まで迫ってきていたのです。

一旦ここまで

===
 
「さて、今日は重大な発表があるぞー」

 そう言って、ホワイトボードの横に立つPさんが、私達を見回します。
 
 相変わらず、散らかり放題の事務所でしたから、普段と違う、
 パリッとしたスーツを着ている彼の姿が、なんとも浮いて見えたとしても、それは仕方が無い事で。
 
 そのPさんの気合の入れように、集められた私達の間にも、妙な緊張感が漂っていました。

 
「Pさん……なんのお話するんでしょう?」

 いつでもメモを取れるようにと、可愛らしいメモ帳を準備した一年後輩の加奈ちゃんが、私に小声で囁きます。
 
「なんでしょうねぇ……まさか、経営が危ないとか?」

「えぇっ! じ、事務所なくなっちゃうんですか? わたし、まだ入ったばっかりなのに!」

「じょ、冗談ですよ! じょーだんっ! 第一、お仕事はみんな順調なんですから!」

「こらそこ、お喋りしない」

 そんな私達を、Pさんがジロリと睨みつけて。部屋の中が静かになったところで、彼は話始めました。


「皆も知ってると思うが、そろそろ夏の一大イベント。AMFが開催される」

 Pさんが持っていたマジックで、ホワイトボードに文字を書き込んでいきます。
 
 アイドルミュージックフェスティバル――通称、「AMF」。

 年に二回。事務所の枠を超えて多くのアイドルが参加する、大規模な音楽イベント。
 そのステージに立つという事は、同時にトップアイドルとして認められたという証明になる。
 
 なので、このイベントに出る事を目標にして、頑張っているアイドルも大勢います。
 かくいう私も、興味がないわけではありません。
 
「本来なら、ウチみたいな変り種の事務所とは縁のない、非常に健全なイベントなんだが――」

 その発言に、部屋にいたメンバー全員から「わかるわ」というオーラが放たれます。

 
「なんと今回、主催する事務所の一つと縁がありまして、この事務所からも何人かを、
 会場コンパニオンとして使ってもらえる事になりました!」

 Pさんがいかにも芝居がかった調子でそう言いうと、途端に、室内がざわめきで埋められました。
 私の隣にいた加奈ちゃんなんて、メモを取る手も止まってしまっているぐらいの驚きよう。

「さらに、だ」

 そんな皆の様子を満足気に眺めて、Pさんの話は続きます。
 
「コンパニオンだけじゃない。あるグループのバックダンサーの仕事もある。これは、滅多に無いチャンスですよー」

「はいはいはいはいっ!」

 誰だろうと見てみると、ウチで一番ダンスが上手な、伊吹ちゃんが元気よく手を上げていました。


「それって、やっぱりダンスが上手い子が選ばれるのっ?」

「おっ! 伊吹にしては良い質問だな」

 けれど、軽くあしらわれた伊吹ちゃんは少し不満げな表情。そんな彼女にから視線を外し、Pさんが言います。
 
「確かにダンスが上手いに越した事はないが、折角のお祭りだ。チャンスは平等にあっても良いんじゃないかな」

 そうしてPさんが、小さく右手を上げて……その格好の意味するところとは。
 
「我こそはって人は、まず立候補してみようか。そこから実力を見て、最終的なメンバーを決めようと思う」

 伊吹ちゃんが、再び大きく手を上げます。それに続いて、一人、二人。
 
「な、菜々先輩?」

 不意に、隣の加奈ちゃんに声をかけられました。なんだろうと向き直ると、彼女はとても驚いた顔をしています。
 
 でも、彼女だけではありません。私に集まる、皆の視線。
 私自身、それを見て、どうしたんだろうなんて思っちゃって。

 
「――安部ぇ。お前、やってみたいのか?」

 高らかに右手を掲げた私に、Pさんがいつもの調子でたずねました。
 
 その時の、緊張感。あぁ、これだ、この感じ。
 
「はいっ! やりたい……いえ! 私にもやらせてくださいっ!」

 チャンスには、何事も貪欲に。それは、アイドルとして活動を始める前からの、私のモットー。
 今このチャンスを逃してしまうと、こんな大舞台には、二度と立つ事ができないかもしれない。
 
 ならば、わずかでも可能性があるうちに……どんな形でもいい、挑戦してみたいと思う私が、そこにいたのです。

ここまで。

===

「1、2、3……そこでターン。安部っ! 遅れてるぞー!」

 激しく床を擦るシューズの音が、レッスン室に響き渡る。右に、左に、アップテンポな音楽に合わせてステップを刻む。

 苦しい呼吸、止まらない汗、でも、目の前の姿見に映る、笑顔だけは崩さずに――。
 
 Pさんの衝撃的な発表から数週間。私を含めた数人のダンサー候補たちは、
 忙しい仕事の合間を縫うようにして、レッスンスタジオにてフェスに向けたダンスの練習を重ねていました。
 
 そして、本番も間近に迫ったレッスン佳境。
 今日はメインで踊るアイドルの子達と一緒に、ポジションの確認を兼ねた合同練習の日。
 
 さらにもう一つ、この練習には目的があって。
 
「よーっし。ダンサー組は一旦休憩だ」

 練習開始から二時間半。ようやく休憩を告げられた私達は、その場にへなへなと座り込みました。


「か、覚悟はしていましたけど……は、ハードですね」

 肩で息をしながら、隣に座る加奈ちゃんが話しかけてきましたが、
 あいにくと私にも、返事をするだけの体力は残っていません。
 
「菜々ちゃん大丈夫? 結構飛ばしてたようにみえたけどさ」

 同じく一緒に練習をしている、伊吹ちゃんが心配そうに私を見下ろします。
 日頃からダンスをしていてで慣れているのか、彼女からは幾分かの余裕が感じられました。
 
「だ、大丈夫……まだまだ、なんのこれしき! ですよぉ」

 そう強がってはみましたが、本音を言えば、今にもこの床に寝転がりたいぐらい。
 そうしたら、きっと冷たくって気持ちが良いんだろうなぁなんて思ったりもしましたが、
 トレーナーさんと打ち合わせしている、目の前の少女達を見て、ぐっと我慢します。

 
「やっぱり、凄いですねぇ。私達と同じ練習なのに、まだまだ余裕たっぷりって感じです」

 彼女達を見た加奈ちゃんの言葉に、私も小さく頷きました。
 
 そこにいたのは、本物のシンデレラ。デビューからわずか半年足らず、
 今ではテレビや雑誌に引っ張りだこの、三人組ユニット……。
 
「だから、ここでぶぁーって感じで私が前に出てさー」

「それじゃ、私達が移動するのが間に合わないよ」

「え、えっと。できたら私は、もう少し余裕を持って動きたいかな、なんて」

 やいのやいのと打ち合わせをしている彼女達は、本当に楽しそうに見えます。
 私よりも、ずっと忙しい毎日を送っているはずなのに、その笑顔には、曇りなんてなくって。
 
 いつか見た、あの笑顔と同じに見えるのは、きっと彼女達も、誰かの「アイドル」だから。


「それじゃ、これから最終メンバーの選抜を行う」

 打ち合わせが終わったのか、トレーナーさんが座り込んだ私達に言いました。
 
 そう、この練習のもう一つの目的。
 それは、今いるダンサー候補たちの中から、最終的に舞台に立つダンサーを決める事。
 
 AMFの大舞台で踊るためには、この審査をパスしなくてはならないのです。

 再び曲が流れ、私達も踊り始めます。
 リズムに合わせて、重たくなった腕を振って。1、2、3、そしてターン――。
 
「きゃっ!?」

 体重を支えるために踏ん張った足が、ガクンと崩れて……そのまま、支えを失った体は床の上に。
 でも、ダンスは止まらない。私は急いで立ち上がると、膝の痛みも我慢して……なんとかそのまま、最後まで踊りきります。

 いつかは来るんじゃないかとは思っていましたが、なにも、こんな時でなくてもいいのに。
 右手を高く、両足を開き、顔は、上を見上げて。その時に頬を伝っていたのは……きっと、汗だったに違いありません。

===

 皆が帰ったレッスン室には、今は私と、トレーナーさんの二人だけ。

「――これで分かっただろう。安部、これ以上は無理だ」

「い、いえいえいえ! まだまだいけます! やれますよぉ!」

 とっくに練習は終わったというのに、整わない呼吸、思うように動かせない四肢。
 トレーナーさんの言葉に、ぐっと唇をかみ締めて。
 
「安部、お前はリズム感もあるし、どれだけ苦しくても、最後まで笑顔を崩さなかった点を、私も素直に評価している」

 トレーナーさんが難しい顔をして、「だがな」と続けます。
 
「明らかに――お前の体は同年代のソレと比べても、脆すぎるんだ」


 とうとう、言われてしまいました。以前から感じていた、体の不調。アイドルとしての、私が抱える問題。
 
 アイドルになる以前、無茶な生活をしてきたツケが、まさかこんな形になって返ってくるだなんて。
 
 著しい体力の低下、腰や膝といった、体重がかかる部分に集中する関節の痛み。
 こんなに……こんなにも、自分の体のつくりを、恨めしく思った事はありません。
 
「今回のような激しいダンスは無理だが、動きの少ないステージや……
 日常生活に関しては問題ないと、医者にも言われてるんだろう?」

「……はい」

「なにより、今後もアイドルとして活動したいのなら、これ以上体を壊す前に、今回の決定を素直に受け入れてくれないか」


 その欠陥を分かった上で、わずかな可能性に賭けた、今回の挑戦。
 
 トレーナーさんも帰り、一人残ったレッスン室。目の前の姿見に映る、自分の姿を眺めます。
 
 年の割りに、若く見える見た目。同年代と比べても、低い背の高さ。
 外見はいくら誤魔化せても、生まれ持った性質までは、思うように変えられなくて。
 
 鏡に映る、小さな女の子に、私は微笑みかけます。

 笑顔だけは、崩さないで。例えそれが、泣き笑いだったとしても――と。

一旦ここまで。もう少しで終わる……はず

===

「バックダンサー、ダメだったみたいね」

 レッスン室の外。廊下に置かれたベンチに座ったPさんが、そう言って私を出迎えました。

「……来てたんですか」

「先方への顔見せ……それと、お前を含めたダンサー組の様子も見ようと思ってさ」

 Pさんが、自分の隣の空いているスペースを、ぽんぽんと叩きます。
 それに促されるままに、私も彼の隣に腰を下ろして。
 
「それで……これからどうするつもりだい?」

 その質問が、バックダンサーだけじゃない。
「アイドル」としての、今後をどうするかという事が聞きたいのだとは、私にだって分かります。


「これまでPさんに連れられて……アイドルを続けてきて、私なりに分かったことがあるんです」

「ほう?」

「私には、安部菜々っていうアイドルには、『できる事』と、『できない事』があるんだってこと」

 そこで一旦、言葉を切りました。
  
 そして、頭の中の考えをやんわりとまとめてから、ゆっくりとそれを言葉にしていきます。
 
 アイドル活動が楽しい事、できればそれを、これからも続けて行きたい事、そのためには、体に強い負担はかけられない事。
 
 でも、それは同時に、アイドルとしての可能性――かつて見た、綺麗な衣装を着て、きらきらとした舞台で歌って踊る――
 そんなアイドル像とは、遠く離れてしまうであろう事も意味していました。
 
「――それでも、やっぱり私、彼女達が羨ましいんです」


 そう、まだまだ可能性があって、多少の無理もきいて。
 やろうと思えば、どこまでだって高くのぼって行ける、彼女達の事が。
 
 私の話を聞いていたPさんが、ポケットから取り出したタバコに、火をつけました。
 一口吸って……ゆっくりと煙を吐き出します。
 
「つまり、体が壊れても良いから……この瞬間を、アイドルでいたいってわけだ」

 咄嗟に返事は、できませんでした。
 無理を言って、バックダンサーじゃなくても、今だけのためにアイドルをするか、それとも。
 
「なぁ安部」

「……はい」

「俺も随分と多くのアイドルを見てきたけどな。中には面倒くさいヤツが混じってたりするんだよ」

「……はぁ」

 それは私のような、人の忠告を聞かない人の事でしょうか。
 でも、彼の横顔からは、何の情報も読み取れなくて。

 
「……そうだな。お前と今日一緒だった、伊吹なんかは……
 あれは別にアイドルに執着がない、アイドル以外の目的を持ってる奴だ」

「小松……伊吹ちゃんですか?」

「あぁ。あいつはダンスをするために、『アイドル』って方法を使ってるだけで……
 その後は、きっと進みたい道に進むんだろうな」

 確かに、彼女にとっての一番はダンスで……アイドル活動は、その為の腰掛なのかもしれません。
 
「それと、今井加奈な。あれはまだやりたい事が決まってなくて、
 とりあえずアイドルをしながら、目的を探しているタイプ」

「でも、加奈ちゃんはアイドルのお仕事、楽しそうにやってますよ」

「とはいっても、小松達と違ってまだ十六だろ? この先、自分の進路をあらためて考えた時に、
 アイドルを続ける事を選ぶかどうか。それは本人にだってわかってないさ」

 彼の言っている事は、私にもなんとなく理解できました。これから先、色々な事を経験していく中で、
 アイドル以外の道……例えば、歌手だったり、俳優だったり、あるいはこの業界とは何の関係もない仕事だって。
 
 アイドル以上に魅力のある何かを、見つけるかもしれません。

 
「それで、だ」

 Pさんが、私の顔を見て、ニヤリと笑います。
 
「その二つに当てはまらない、一番厄介なのが……『アイドル』になりたくてアイドルになってるヤツだよ」

「…………」
 
「さらにこいつは極端でな、ゼロか百しかないってんだから」

「ぜ、ゼロと百ですか」

「おう。僅かな期間、激しく燃えるような輝きを放って業界から消えていくマッチみたいなゼロか、それとも……」

 ドキッと、胸が高まります。

 
「長い間、辺りを照らして光り続ける……ロウソクみたいな百の、どちらかしかな」

 再び、Pさんが大きく煙を吐いて……。
 
「できるできないじゃない。それぞれの『形』があるだけなんだよ。俺から言わしてみりゃ、安部はどうみたって――」

 その時の、彼の一言。私の中の、アイドルの形。
 アイドルになるという私が長年抱いてきた夢は、叶いました。なら、その先は?
 
 大好きだったおとぎ話。魔法が解けた、その先も……物語は続いてゆくのです。

ここまで。

===6.「夢をあきらめないで」

「覚えてないな、そんな事」

「でも、嬉しかったんですよ? あの時のセリフ」

 Pさんが、恥ずかしそうにそっぽを向きました。
 めったに見ない、その反応が可笑しくって。私もつい、顔がにやけてしまいます。
 
「あぁ……ちくしょう」

 そんな彼が、そっぽを向いた視線の先。壁に掛けられた時計を見て悔しそうに呟くと。
 
「結局、追い出しそこねちまったじゃねぇか」

 時計の針は、もうすぐ朝が来る事を示していました。

 
「安部。二時間……ねばっても三時間か? 
 しょうがないから、仮眠室で寝て来い。今日は、待ちに待った大事な日なんだから」


「泊まらせないんじゃ、なかったんですか?」

 意地悪そうに私がそう返すと、Pさんも私と同じような顔になって。
 
「男は狼だからな、美味しそうな兎を今さら放り出すのは、勿体無いと思い始めたんだよ」

「なら、私も慎みを持たないといけないですね」

 お互いに、馬鹿な事を言っています。でも、こうやって気兼ねなくやり取りができるのは、長年一緒に頑張ってきたからこそ。
 
 こうして日付を跨いだ昔話を終わらせると、私は事務所にある仮眠室へと、足を運んだのでした。

===

――思えば、随分と遠回りをしたものです。万全を期すための準備期間は終わりを告げて、後は、自分を信じて飛び出すだけ。

 会場の熱気が、舞台袖に立つ私のところにまで伝わってきて。はやる気持ちを抑える必要も、もうありません。
 
「皆さーん! 楽しんでますかーっ!」

 それは、いつか夢見た光景。何年か越しで叶えた、新しい私の願い。
 目の前を埋め尽くす光の海は、昔見た星空に、少し似ていて。

 歓声は重く、立っているステージを揺らします。1、2、3……あの時の悔しい思いを、私は今だって覚えてる。

 
 でも、あの時と違うのは、ここがレッスン室ではなく、舞台の上だということと――。
 
「いきますよー! せーのっ、ウッサミーンっ!!」

 今度は、自分の力でこの場所にやって来たということ。
 
 鮮やかな光の渦の中、くるりと回ってポーズを決めて。
 スピーカーから流れる曲に合わせて、歌声を弾けさせて。

 全身の間接が悲鳴を上げています。
 でも、その痛みの一つ一つが、今日という時間の、記憶になって体に刻み込まれるのならば。
 
「「ウッサミーンっ!」」

 この痛みを感じるたびに、いつでもこのステージを思い出せるというのであれば。
 
 そのためにこの体が動くなら、こんなに嬉しい魔法はありません――!

===

「お疲れ様でした、先輩! ステージ、見させてもらいましたよ」

 夢のような時が終わり、楽屋に戻った私のところへやって来た、懐かしい顔。
 
「随分と久しぶりですね! 加奈ちゃん……直接会うのは、送別会以来でしたっけ?」

「ですね。今の職場に移った後も、メールのやりとりはしてましたけど」

 えへへと照れくさそうに笑う彼女の笑顔は、あの頃からちっとも変わっていません。

 
「タイミングを見て顔を出そうと思ってたんですけど、新人なんで覚える事も多いし、忙しくって」

 でも、これがあるからばっちりですと、彼女がポケットからメモ帳を取り出します。
 
 見た目は随分と大人っぽくなったけど、こうしたところは、やっぱり昔のまま。

 
「そちらの方は?」

 その時、彼女の影に隠れるようにして立つ、見慣れぬ少女の姿が目に入りました。
 
「あぁ……この子、照れてるんですよ。憧れの大先輩に会えたから」

「それじゃあ、その子も私と同じアイドルなんですか?」

 そうして、背中を押されるようにして、おずおずと前に出てきたその子は、何を言おうか迷っているようで。
 
「あ、あの! 私、今井さんにプロデュースしてもらっている、佐々木千枝と言います。じゅ、十七歳……です!」

「千枝ちゃんはですね、菜々先輩に憧れてアイドルになったんですよ」

「な、菜々に憧れてですかっ!?」

 加奈ちゃんの言葉を聞いた目の前の少女が、恥ずかしそうに下を向きます。

 
「はい、その……小さい頃に見た、奈々さんの……ウサミンが大好きだったんです」

「め、面と向かって言われると……なんだか、照れちゃいますね」

「そ、その……いつか私も、ウサミンさんみたいに、色んな人達と笑顔で歌えたらなって」

 その一言で、なんともいえず嬉しくなる。
 今まではずっと誰かの後を追いかけて、憧れて……ただがむしゃらにこの道を進んできました。
 
 そんな私が、今では誰かに憧れられる存在になっていた。そう、いつの日かテレビで見た、彼女のように。
 
「そっかぁ……そうですかぁ……」

 呟きと共に、自然と顔がほころんで。
 
 それは紛れも無く、「ウサミン」としての私がいた事の証明。「アイドル」安部菜々が、確かに残した一つの結果。
 

 
「えへへ……頼りない先輩ですけど、こんな私で良かったら――」

 思いを伝え、目の前の少女に、そっと手を差し出します。

「は……はいっ! もちろんですっ!」

 きゅっと、握り返される右手。そんな彼女の表情も、もちろん。
 
 Pさんには悪いですが……どうやら私は、まだまだ夢見がちな少女のままなようです。

ここまで。

>>120 訂正
×「はい、その……小さい頃に見た、奈々さんの……ウサミンが大好きだったんです」
○「はい、その……小さい頃に見た、菜々さんの……ウサミンが大好きだったんです」

またやってしまいました。すみません

===7.「想いでがいっぱい」

「まったく呆れるよな。張り切りすぎて腰を痛めたなんて……他の連中には聞かせらんないっての」

「あ、あはは……いつもすみません」

 イベントが終わり、事務所への帰り道。Pさんの運転する車の中には、私達二人きり。
 
「……あの、Pさん?」

「んー?」

「今日ですね、他の事務所なんですけど……私に憧れてアイドルになったって言う、可愛い後輩ができたんですよ」

 窓の外を流れる町並みを眺めながら、楽屋でのできごとをてろてろと話します。

 
「覚えてます? 私が、引退の相談をした時のこと」

「あー。うん、一応な」

 Pさんの、どこか素っ気無い返事。

 アイドルとしてデビューして、駆け抜けてきた六年間。
 見た目はあの頃のままだけど、そろそろ体も誤魔化しがきかなくなって、
 引退という言葉が現実味を帯び……悩んだ末で、出した結論。
 
 今日のライブを最後にして、「ウサミン」からただの安部菜々になる。そう、自分でも思ってたのに。

 
「――やっぱりあの話、聞かなかった事にしてください」

 途端に、アクセルを踏み抜かれた車が、凄い勢いで車線の中をふらついて
 シートベルトを締めているとはいえ、そのショックで私の体も跳ね上がります。
 
「あたたたたっ!! こ、腰がっ……!」

 危ないじゃないですかと運転席を見ると、Pさんはハンドルを握ったままの姿勢で固まっていて。
 
「お前……今なんて……」

 私は自分の頭に手をやり、ぽかんとした表情のPさんに答えました。
 
「いやぁ……やっぱり私、『アイドル』が好きなんですよぉ」

 永遠に終わらない夢なんて、そんな物はきっと無いけれど。
 でも、目覚ましが鳴り、魔法が解けたって、もう一度お布団に入れば、
 何度だって夢の続きを追いかける事はできるのだから。

 
「今までも、これからも……立ちはだかる壁は、今回みたいに努力で乗り越えて行きたいんです」

「…………」

「そんな菜々の……私の姿を見て、一人でも多くの人が頑張ろうって、笑顔になってくれるなら」

 お姫様じゃなくたって、輝ける事を、沢山の人から教えてもらったから。
 
「『形』は変わっても、この気持ちが続く限り、『アイドル』でいようって、決めちゃいました」


 それは、多分初めてのわがまま。ようやく見つけ出した、私なりのアイドルの形。
 
「一人ぐらい、そんな変わったアイドルがいたって……ダメですかね?」

 Pさんの眉間に、これまで見た事も無いほど深い皺が現れました。それは、お馴染みのサイン。
 
「……わかった。納得いくまで、やってみたらいいさ……けどな、本当なら俺は――」


 今度は、私が驚く番でした。その衝撃といったら。

「い、いいっ、いきなゃい何を言いだすんれすかぁっ!?」

「やかましいっ! こ、こっちの方が、お前の何倍も驚いてんだよっ!」

 心臓が、今まで経験した事が無いほどの音を立てて波打ち、やけどするぐらいに頬っぺたが熱くなります。
 
「はぁー……やられた……まったく、何て日だよ……」

 運転席のPさんが、がっくりとうなだれます。
 その気持ちも分からないではないですが、その原因は他ならぬ私だったわけで。

 お互いに、気まずい沈黙。何か、何かこの雰囲気を打ち破る話題がないかと、記憶の引き出しを、必死に引っくり返して。

 
「そ、そうだ! 不動産屋さん! 寄って貰えますか……新しい家を探さないと、か、帰れないですからっ!」

 そう。アパートは燃えてしまったので、次の住居を探さないと。
 
「お前、こんな時間に店が開いてると思ってるのか?」

「あぁ……」

 再びおとずれる沈黙。車が走る音だけが、静かな車内に広がって。

 
「……なぁ」

 先に沈黙を破ったのは、Pさんでした。
 
「さっきの続きなんだけど……ウサミン星人ってのは、移住先を探してるんだよな」

「……えーっと」

 前を見る彼の顔は、真剣そのもの。私はと言うと、
 このドキドキが相手に聞こえてませんようにとか、わけの分からない心配をしていて。
 
「よかったら……その、なんだ。ウチの事務所ならいつでも移民の受け入れはできるって言うか。
 新しい移住先として、大変手ごろとなっておりまして……あ、いや、違うな」

 それは初めて目にした、緊張する彼の姿。普段、バリバリとお仕事を取ってくる姿とは、余りにもギャップが大きすぎて。

 
「ぷふっ……」

 一度声にしてしまうと、止められず。私の笑い声が、車の中を埋め尽くしました。
 
 可笑しくって、嬉しくって……そしてほんのちょっぴり、恥ずかしくって。
 涙を流して笑う私を、Pさんが顔を真っ赤にして怒ります。
 
「わ、笑うってなんだよっ! お前に合わせて言ってみただけだろうがっ!」

「で、でも……Pさんが、Pさんがウサミン星人って……しかも、真面目な顔で……!」

「っ! こ、こいつは~~っ!」

「ご、ごめんなさいっ! で、でも――」

 何ともはや、びっくりでありました。その驚きと言ったら、
 憧れだった、アイドルとしてデビューすることが決まった時や、長年住んでいたアパートの焼失事件なんかも目じゃなくて。

 その日は、私の魔法が解けた日であり、新たな夢を見つけた日でもあり、
 そしてそして……彼が、初めて私の名前を呼んでくれた。
 
 そんな記念する日に、なったのでした。

区切りが良いトコまで書けたので投下。あと少しで終わりの予定です

===8.「空想少年」

 少年は幼い頃から、星を見るのが好きだった。
 おりしも世間にはオカルトブームの風が吹き荒れており、少年は夜な夜な家の屋根に上っては、
 遥か彼方に、まだ見ぬ出会いを空想して大きくなった。
 
 だが、彼が思春期に入る頃、あれだけ騒がれていたオカルトブームは鳴りを潜め……
 彼の周りからも急速にその姿を消していってしまう。
 
 そうして数々の魅力的な謎は、科学のメスによって陳腐な真実となり、彼の夢の多くは幻となった。
 
「なら、俺は夢をどこに見ればいいのか」

 その後、オカルトと入れ替わるようにして、今度は世間にアイドルブームがやってきた。
 まさに、猫も杓子もアイドルアイドル。
 
 当然彼も追いかけた。若いのだ、思春期なのだ、たぎる情熱に突き動かされるように青春時代を駆け抜けた彼が、
 学校を卒業後、すぐにアイドルのプロデューサーを目指したのは、なんら不思議な事ではなかった。

 
「オカルトがダメなら、アイドルがある。俺が業界初の、オカルトアイドルだってプロデュースしてみせる!」

 しかし、若さに任せた彼のプロデュースは、残念ながら世間には受け入れられず。
 
 結果を残せなかった彼は、それまでのやり方を捨てて、
 手堅い、堅実なプロデュースを目指さなくてはならなくなった。
 
 それは、決して面白い事では無かったが……新しいやり方には、結果がついてきた。
 結果がつけば、周りの反応も変わる。
 
 周りの反応が変われば、多少の我侭も許されるようになる――そう、思っていたのだ。彼女に会うまでは。

===

「どうして、私をアイドルにしてくれたんですか?」

 食事の支度をするエプロン姿もすっかり見慣れた物となった頃に、彼女が、思い出したように口にした一言。
 
 そういえば、この話をするのは、初めてだったかもしれない。
 男は――かつてオカルト好きだった少年だ――目の前に並べられた
 出来たての朝食をつつきながら、向かいに座る少女の顔を見る。
 
「お前は覚えてなかったみたいだけど、ウチで面接をするずっと前に、俺は一度お前と会ってる」

 男の言葉に、少女が驚く。
 
「ど、どこでですかっ!?」

 予想通りの反応に、にやりと、男が口の端を上げた。
 発言をもったいぶるようになったのは、いつからだったか。
 
 はやくはやくと急かすように自分を見る、少女の反応が面白くて……
 気がつくと、自然とこうなっていたような気がしないでもない。

 
「昔、勤めてた事務所でさ……その頃の俺は、社会ってやつに揉まれた後で、とても夢なんて見てられない状態だった」

 好きな仕事につけたとして、それが必ずしも、「好きな事ができる」に繋がるわけではない。
 
 効率を重視したプロデュースは、結果こそあれど。
 そこに冒険は……昔、空を見上げて感じていた胸の高鳴りは、得られなかった。
 
 そんなある日、形だけ同席した新人アイドルのオーディション。
 
 男の仕事は、「見る」ことだった。
 その日の面接を行う先輩の仕事を、ただ、隣に座って眺めるだけ。

 
 そこで、男は運命の出会いを果たす。


 様々な受験者の中、その少女は酷く小さく見えた。いや、実際に彼女は小さかったのだ。
 
 周りの少女達と比べて、明らかに年不相応な身長。
 落ち着かないのか、あたりをしきりにキョロキョロと見回すその動きは、
 どこか小動物を連想させ、頭を動かす度に揺れる、大きなリボンはまるで耳のようで。

 これはダメだろう。少女には悪いが、男はそう思った。
 この世界で生きていくためには、なにより「我」が強くなくてはならない。


「では、次の方……」

 だが、そんな男の予想は遥か上。
 それも、とてつもなく斜めに向かって、裏切られたのだ。
 
『ウサミン星からアイドル目指してやって来た、安部菜々ですっ!』

――ファースト・コンタクト。
 
 かつてオカルトを追いかけていた男の脳裏に、懐かしい単語が浮かぶ。
 
 それと同時に、目の前の彼女の、堂々とした立ち振る舞いに呆気にとられた。
 これが、さっきまで怯える兎のように落ち着かなかった少女と同じ人物なのか?
 
 隣に座る先輩の質問に対し、なんともとんちんかんな回答を返す少女は、
 本当に別の星からやって来た異星人に見えて。

 
「もういいっ! ふざけるのも大概にしなさいっ!!」

 とうとう、堪えきれなくなった先輩が怒鳴りをあげた。途端に、少女が元の兎に戻ってしまう。
 
 なんて勿体無い事か――涙目で、追い出されるように部屋を出て行く少女の後姿。
 それは男に強烈な印象を与え……同時に、忘れていた情熱を思い出させる物でもあった。

 
 結論から言うと、その後しばらくしてから男は会社を辞めた。
 理由は至極簡単で、「彼女を採用しなかったから」
 
 当時、男が担当していたアイドルの数は軽く二桁を超えていたが……
 引きとめようとする会社には、形だけのマニュアルを残して、彼は長年勤めた会社を後にしたのだ。
 
 会社勤めの義理は果たしたと思っていたし、後悔も無かった。むしろ、これからが大変なのだ。

 
 彼は貯えの殆どを使って古い物件を買い取ると、そこを拠点とした新しいアイドル事務所を開いた。
 経営は常に火の車であったが、それまでに培ったコネも利用して、彼は無名のアイドル達を次々と業界に送り込む。
 
 それも、一般的なアイドル像とはかなりズレた……いわゆる「色物」といわれる者達を。
 いつか彼女がこの会社の扉を叩いたときに、違和感無く迎え入れる事ができるように、と。

===
 
「けど、誰かさんはあれ以来、一向に姿を見せちゃくれなかった」

 食後のコーヒーを飲みながら、対面の少女に向かって、男が意地悪そうに言う。
 
 話を聞いていた少女も、申し訳なさそうな顔をして。
 
「だがな、俺は諦めなかった……なぜだと思う?」

 男の問いかけに、少女が首を横に振る。
 
「いつしか業界内に、ちょっとした噂が飛び交うようになってたからさ」

===
 
――男の事務所の経営が、ようやく軌道に乗り始めた頃……同時に、ある噂を頻繁に聞くようになっていた。

『オーディションに現れる、謎の異星人』

 新人アイドルを発掘するオーディション。
 その選考用の書類の中に時折紛れ込む、異星人から送られて来る履歴書。
 
 殆どの場合は悪ふざけだと思われ、その場で不採用とされるが――中には実際に会って面接を行ったという者もいた。

 
「最初はね、どこにでもいる女の子だと思ったんですよ……でもね」

 数少ない接触者から、男が伝え聞く内容はバラエティに富んでいたが、ただ一つの点だけは、全員で共通していて。
 
「……やっぱり、ウサミン星ですか」

 そして不思議な事に……本当に不思議な事に、
 彼が少女の後を追おうとすると、どこかで手掛かりがぷつりと途切れてしまうのである。

 
 悪ふざけと判断された履歴書は、その日のうちに処分されてしまい、住所を知る事は叶わず。
 
 「ウサミン」「安部菜々」というキーワードにいたっては、情報が少なすぎて特定ができない。
 
 とはいえ本気を出せば……例えば、探偵を雇ったりすれば、
 身元を特定する事は簡単に出来たかもしれない。だが、男はそれをしなかった。

 
 なぜならば、男は楽しんでいたのである。まるでツチノコでも探すように、男の心は、少年の頃まで戻っていた。
 
 定期的にアイドルを募集して、送られて来る履歴書の束に目を通す。その時間が、とても楽しい。
 
 それに、思わぬ副産物もあった。彼女程ではなかったものの、
 他所では絶対に採用しないであろう「個性」を持った子達との出会いである。
 
 背の高い、はぴはぴとした子に、楽して儲ける事に全力を捧げる子。
 キノコに強い執着を持った子がいれば、ホラーとスプラッタをこよなく愛するような子もやってきた。
 
 そしてある日――とうとうソレを見つけたのだ。

 
 履歴書に踊る、真面目な固さを、どうにか可愛らしくしようとする筆跡。
 書かれた内容は一見、デタラメに見えもしたが……。
 
「ここの、出身地ウサミン星ってのは?」

 目の前に座る少女は、男の質問に淀みなく答えていく。
 それは決して、「作っている」だとか、「キャラ」なんてちゃちな物ではなくて。
 
 彼女の口から語られるエピソード。
 それを身振り手振りを交えながら、笑顔で話す少女の姿を見て、どこに疑いをもてようか!
 
 あらかた話を聞き終わった時には、予定していた面接の時間などとっくに過ぎており、
 慌てて話を切り上げると、男は最後の質問をする。
 
 その返答。なぜそんな当たり前の事を聞くのだろうという少女の顔を見て、男は密かに確信した。
 この子なら、夢にまで見てきた理想の「アイドル」になれると。
 今こそ世間に、オカルトアイドルの新風を吹かせてやる――!。

 
 だが……次の瞬間、男の頭の中から、そんな考えは吹き飛んでしまった。
 
 夕日が差し込む事務所の部屋で、輝く涙を拭うことなく、なきじゃくる少女。
 
 宙を舞う埃が、きらきらと彼女の無垢な泣き顔を包み、
 透明感とでも言えばいいのか――神秘的な、この世の物では例えようが無い――その不思議な輝きを見た瞬間に、
 言いようのない痛みが、胸を締め上げる。
 
 その瞬間、男は気づく。自分は、彼女に恋をしていたのだ――と。
 

===

 話し終わった男が、飲み終わったコーヒーカップをテーブルの上に戻す。
 
 カチャリと、カップがのせられた受け皿が鳴る。
 
 そこには、和やかな朝のムードなど微塵も残っておらず。
 何ともいえない緊張感が漂っていた。
 
「それが、お前をアイドルにした理由……さ」

 だが、少女は顔をあげようとしない。けれども、男には分かっていた。
 どうして彼女がそうするのか。なぜ、彼女がそうしなければならないのか。
 
『アナタは、ナナの本当の姿を知っても――』

 
 長い時間が、経っていた。
 顔を上げた少女の瞳には、やはり涙が光っていて。

 少女の言葉を聞いて、微笑んだ男の顔に、皺がよる。
 そうして彼は、もちろんさと力強く頷いた。

===「うさみん星、だいばくはつ!」
 
 うー、どっかーんっ!!
 
 大きなおとをたてて、うさみん星はばくはつしてしまいました。
 
 宇宙船のまどからながめる、ウサミンパパもウサミンママも、なんだか悲しい顔をしています。
 
 でも、小さいウサミンのしんぱい事は、これから一体、どこに行くんだろうということです。

 
 あてのない一族の旅は、あっちにふらふら、こっちにふらふら。
 
 いろんな星に、少しずつ、少しずつ、ウサミン星人がおりていきます。

 
 そうして、ある日のことです。
 
「ナナね、おおきくなったら、アイドルになる!」

 ウサミンパパは、おどろきのあまり、座っていたイスから転げ落ち。
 
 ウサミンママは、おどろきのあまり、持っていたお料理をおとしてしまいました。

 
「でもねナナ、あの星は、ウサミン星人にとって悪い星なんだよ」

 パパが、イスに座りなおしていいます。
 
「そうよナナ、あの星じゃ、前みたいにとびはねることだってできないのよ」

 ママが、お皿のかけらを集めながらいいます。

 でも、ナナはなっとくできません。ザーザーとなるモニターの中では、
 「アイドル」が楽しそうにとんで、歌って、おどっているのですから。


「いや! なるったらなる! アイドルにナナもなるんだもんっ!」

 その時です。いっしょにごはんを食べていたお姫さまが、ナナのはなしを聞いていいました。
 
「じつは、わたくしも同じことをかんがえておりました」

 こんどは、おつきのじいやがびっくりするばんでした。
 
 こうして、また少しだけのウサミン星人が、とある星におりたったのです。

 
 それから、ナナはがんばりました。がんばって星のブンカをべんきょうし、本だってたくさん読みました。
 
 パパとママがしんぱいしてたとおり、その星はナナのからだを、
 ぎゅーんと押さえつけたりしましたが、ナナはぜんぜん、へこたれません!
 
 まわりのみんなより、ちょっとだけ小さいナナ。
 おぼえたブンカが少しだけ古くなったころに、ナナはじゅうなな才のたんじょう日をむかえました。

 
 ウサミン星人のじゅうなな才は、大人のしるし。
 パパとママに見送られ、都会にやってきたナナは、もちまえの根性で、
 立ちはだかるカベをのぼってはこえ、のぼってはこえ。
 
 けれど、やっぱりしんどいです。はぁふぅはぁふぅ、息がきれます。
 その間にも、カベはどんどん高く、ぶあつくなって。

 
 もうだめだぁ! そのとき、ナナはテレビの中のお姫さまから、オーエンを受けました。
 
 ザーザーならないテレビの中、お姫さまとちがう、もう一人のお姫さま。
 
 オーエンを受けたナナは、しぼんだ心をふるいたたせます!
 
 ふたたび立ち上がったナナの前に、こんどはまほう使いのおじさんまであらわれて。

 
「空とぶ杖が、じゅうたいにまきこまれてね」

 そうしてまほうをかけてもらったナナは、ようやく「アイドル」の姿にだいへんしん!
 
「メルヘンチェーンジっ☆」

 こうして「ウサミン」になったナナは、アイドルとしてだいかつやく! 
 
 笑顔のまほうで、みんなをしあわせにしてまわったのでした。



 
 めでたしめでたし

 えぴろーぐ
 「うさみん星、だいばくはつ!」

文 もりくぼ のの
絵 なるみや ゆめ

===

 菜々さんには、結婚より同棲が似合いそう。
 そんな思いつきで始めたこのお話も、これでおしまい。
 
 色物である「ウサミン」と、扱いやすい自爆キャラという表の顔の下には、
 誰よりも夢に向かって努力する、頑張り屋さんの安部菜々って女性が隠れていて。
 そこがやっぱり、単なる色物キャラで終わらない、彼女の大事な魅力だと思うんです。
 
 だったら、なんで頑張ってるのにオーディションに受からないのかなーって考えた、
 一つの結果が、今回のエピローグのアレになりました。
 
 それではこの辺で、本当におしまいです。
 ここまで長々とお読みいただきまして、ありがとうございました。

恥ずかしながら今更訂正
AMFでなくてIMFですね。思い込みって怖い、改めてそう思いました。

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