響「ロス:タイム:ライフ」 (67)
サッカーはミスのスポーツ。
プレーヤーが完璧なプレーをしたら点は入らない。
永遠に0対0です。
――欧州サッカー連盟会長(元フランス代表) ミシェル・プラティニ
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「じゃじゃーん! 自分お手製のサーターアンダギーだぞー!」
昼下がり――事務所の給湯室で、いつものお茶会。
満を持して自分が懐から出したのは、特製のサーターアンダギーさー。
「わーい! ひびきんのコレ、チョ→おいしいよね!」
「真美達もうおなかペコペコだよぅ」
亜美と真美は、お皿に盛りつけた途端に目をキラキラさせてるぞ。
もちろん貴音も。
って――。
「ちょ、ちょっと貴音! 無言で手を伸ばすのやめなさいよ!」
あはは、伊織の言う通りだぞ。
雪歩がお茶を淹れて、皆で「いただきます」をするまで待とうなー。
いや、いけずなんて言われても――。
「うーん、良い匂い! あっ、今日いない人の分、ちゃんと取っておこうね」
そう言うと春香は、食器棚から別のお皿を出して、手際良く取り分けた。
さすが、気ぃ遣いだなぁ。
「えー? いいじゃん、内緒にして亜美達だけで食べちゃおうよー」
自分達の取り分が減ることに、文句を言う亜美達。
でも、伊織が――。
「あーら、あんた達、後で律子から怒られても知らないわよ?
食べ散らかして口元を汚して、すぐに律子にバレるのがオチよ。にひひっ♪」
そう言われて、亜美達は何も言い返せなくなっちゃった。
食べた後、ティッシュで口を吹けばいいだけなんじゃないのか?
でも、それだけガッついて食べてくれるのは、悪い気はしないさー。
あっ、雪歩お茶ありがとう!
「いただきまーす!」
――口に入れた瞬間、パァッとこぼれる皆の笑顔。
まるで太陽みたいに明るい皆の表情を見ると、作って良かったって思えるんだ!
「あ、あの――四条さん。私のを一個、あげちゃいますぅ」
結構多めに作ってきたつもりだったのに、もうお皿の上は空っぽさー。
自分の分を食べきって、物足りなさそうに指をくわえる貴音に、雪歩が一個あげた。
「な、なんと――深甚たるお心遣い、感謝致します、萩原雪歩」
目を潤ませて、大事そうに頬張る貴音。
そ、そんな大げさに食べなくても――。
「いつもいつも、少なすぎだよぅひびきん!」
真美がサーターアンダギーの少なさに文句を言った。
なんだよー、文句言ってばっかりだなーこの二人は!
「皆の分作ろうとすると、すごい量になっちゃうからしょうがないよ」
春香が二人をたしなめる。
でも、今度は伊織の顔も少し不満そうだぞ。
「春香。あんたお菓子作り得意でしょう?
響からレシピ教えてもらって、二人で量産体制を構築しなさいよ」
「水瀬伊織、それは真、良き考えです!」
貴音が勢いよく立ち上がって、椅子が危うく倒れそうになった。
雪歩が慌ててそれを受け止める。
「あ、そうか――そうだね!
私も新しいお菓子に挑戦してみたかったんだぁ」
春香が自分に、すごく楽しそうな顔をして振り返った。
「今度、響ちゃんちに行っていい?
あまり無いけど、私も色々なお菓子の作り方、響ちゃんに教えるから! ねっ?」
他の皆も、春香に作り方を伝授するよう、期待の目を自分に向けているぞ。
でも――。
「――ふふーん、それはできないさー。
だって、自分の秘伝だし、そうそう簡単には教えられないぞ!」
えーっ!? っていう声で埋め尽くされる給湯室。
亜美達から「ケチンボ!」って言われても、これはしょうがないんさー。
だって――。
「おーい、響。そろそろ準備いいかー?」
デスクでお仕事をしていたプロデューサーが、自分のことを呼んだ。
明日の『とびだせ!どうぶつワールド』の収録で、緊急の打合せがあったんだよね。
名残惜しそうに見送る皆に手を振って、自分は給湯室からヒョコッと顔を出す。
「もちろんさー! なんたって自分、完璧だからな!」
人生の無駄を精算する、生涯最後の一時
――それが、ロス:タイム:ライフ
うーん――今日の収録はちょっと不安さー。
ずっとレギュラーだったハム蔵といぬ美が、この回だけ急遽降板になっちゃったんだ。
新たな可能性を追求する、っていう番組プロデューサーさんの意向だって。
で、代わりに連れてこられたのが、ブラック、えぇと――何だっけ。
とにかく、いぬ三郎っていうあまり懐いてくれない、黒い大型犬さー。
まぁ、決まっちゃった以上、弱音を言ってもしょうがないよね。
昨日の打合せで渡された資料だと、今日は景色が綺麗な池のほとりで撮影だって。
いよーし、目一杯楽しんで頑張るさー!
と思ってたら、今度はプロデューサーが神妙な顔をして自分に話しかけてきた。
「さっきディレクターに聞いたんだが――。
今日は、急遽ゲストにジュピターが来ることになったらしい」
「えっ、あいつらが?」
なんでも、番組の中の別コーナーを撮影するだけで、直接の絡みは無いんだって。
でも、あの961プロだし、何をしてくるか――。
ううん。自分、ズルいことをするヤツらには絶対に負けないぞ!
と、そうしているうちに、ジュピターが現場に到着したみたい。
「ちょっと様子を見てくる。くれぐれも用心するんだぞ」
そう言ってプロデューサーは、車の音がした方に走っていった。
とりあえず、自分はプロデューサーがくれたさんぴん茶を飲んで一息――。
「すみません、我那覇さーん」
急に自分を呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると、ADっぽい人が車のそばに立って、手招きをしているぞ。
「ロケバスに乗り切れないんで――。
別にご案内するよう、ディレクターに言われまして――ど、どうぞこちらへ」
なんかぎこちない雰囲気で、助手席のドアを開けてみせるADさん。
プロデューサーが戻ってきてない、って言っても、別のバスで移動するからって――。
ディレクターって、あのオカマっぽいけどすっごく優しい、あのディレクターさん?
いつもはこういうの、前もって言ってくれるんだけどなぁ。
うーん、何かモヤモヤするさー。
自分を乗せたADさんの車は、どんどん山の奥深くまで入っていく。
たまに話しかけても、ADさんはぎこちない愛想笑いをするだけだ。
昨日の資料を何度か見直してみるけど、池に近づいているようには思えないぞ。
大丈夫かー? 本当にこっちで合ってるのかなぁ。
「そ、そろそろ着き――あ、つ、着きました!」
ようやく車が停まったさー。
でも、ここ――山の上で、確かに眺めはいいけど、車道の脇で、閑散としてて――。
「あれ、ここでいいの?
プロデューサー、池の近くで撮影って言ってたけど――って、えっ?」
「ごめぇーん!!」
ADさんの車が突然発進した!?
ちょ、どういうこと!? 待って!!
「俺だって、やれって言われただけなんだよぉーっ!!」
「やれって、誰に!?」
待って、置いてかないで!! 急いで走って追いかけ――ようとした時だった。
自分の足元――。
車道の脇の、舗装されていない崖の際の土が、急に崩れて――。
「うぇっ!? わっ――」
足元を見下ろすと、ずぅっと下の方にうっそうと生い茂る林――。
う、ウソでしょ――?
自分、あそこまで落ちるの?
ジタバタしようにも、体が硬直しきって身動き一つできない。
それどころか、自分の周りの時間が、全部止まっているかのような――。
あぁ、これひょっとしてアレだ――この間読んだラノベであったヤツ。
死ぬ直前は、時間がすっごくスローモーションで流れるっていうアレかな?
ってそんなこと言ってる場合じゃないさー!
このままじゃ落ちる! 死んじゃう!!
あぁ、沖縄のアニキ達に啖呵切って上京してきたのに!
自分の実力で、絶対トップアイドルになってやるって、言ったのに!!
せっかく765プロの皆とも仲良くなれたのにっ!!
こんなことで自分の人生、終わっちゃうの!?
うぎゃあーっ!! もうダメだーーー!!
――――。
――? あれ?
何で落ちないんだ――?
良く見ると、自分の体を誰かが支えていて――えっ、黒子!?
黒子の人が二人、崖から落ちそうになる自分を捕まえてくれていたんだ!
「えっ、あ――」
そのままその黒子さん達は、そぉーっと自分を安全な所に運んで、降ろした。
何でこんな所にこういう人達がいるのか、全然分からないけど――。
「あ、ありがとう!! 自分のこと、助けてくれたんだね!」
命の恩人には変わりないさー!
でも、お礼を言ったら、なぜか黒子さん達は何も言わずに首を振った。
それで、そのままそそくさと走ってどこかに行っちゃったぞ。
うーん? 変な人達だなぁ。
ピィーーッ!!
うわ、何っ!? 笛の音――!?
『さぁ、試合開始のホイッスルが鳴り響きました!
今回ロスタイムに挑む選手は、怒涛の躍進を遂げる765プロの元気印、我那覇響です!』
「えっ、えっ――!?」
突然目の前に現れたのは、数人の男の人。
黄色い、サッカーの審判っぽい服を着て、一人は笛を、他の二人は旗を持ってる。
で、その後ろにはやっぱり審判っぽい、黒い服を来て、電光掲示板を持った――。
[4:29]
何だろう、あの数字?
『いやー、未来のある子が非業の死を遂げてしまうのはいつの日も悲しいものです。
今回の我那覇選手は、崖からの転落死ということですが、いかかでしょう?』
『えぇ、解説者としては中立を保つべきなんですけどもね。
事故の一因であろう961プロ側には、どうしても良くない感情を抱いてしまいますね』
『同感です。さて我那覇選手、ロスタイムはおよそ4時間半と表示されています。
これについては、あまり長くないと見るべきでしょうか?』
『えぇ、むしろ短いと言えるでしょう。
何せフィールドコンディションが劣悪です。移動でかなり時間を取られますよ』
『なるほどー。一刻も早いプレー開始が望まれますがー?』
ピッ!
笛を持った人が、自分に一生懸命何かを催促してるぞ。
な、何なんだ? どうしろって言うんさー!?
困ったような顔をして、必死に身振り手振りをする審判――っぽい人。
うー面倒だなー、直接話せばいいじゃんか!
えぇーっと――?
自分? ――うんうん、自分が?
ここから? こっちに――ふむふむ?
あぁ、崖の方へ――ジャンプ? ――違う?
転ぶ――いや、落ちる――落ちた、か!
「そうそう、よく知ってるね。
そしたら、さっき黒子みたいな人達が自分を助け、て――?」
えっ? ――そうじゃない?
足元を見ろ?
――あ、何か赤いバッテンが書いてあるぞ。
「――ねぇ。自分、助かったんだよね?」
審判の人は、首を横に振った。
「じゃあ――死んじゃったの?」
今度は、首を振った。縦に。
ウソ――でも、何か妙に納得しちゃったさー。
だって、状況的に助かりっこなかったし、黒子の人達も首を振ってて――。
えっ――ちょっと待って。
死んだのに、今、自分生きてるんだけど――。
「どういうこと? 何で死んでないんさー!?」
審判の人に突っかかると、その人は笛を小さく鳴らして電光掲示板を指差した。
赤く光る数字――4時間、28分?
これって、まるでサッカーとかの――。
「ロスタイム――これ、ひょっとして自分の残り時間、ってこと?」
審判さんは頷いた。
あぁ、そういう――って、うええぇぇっ!?
『おぉっと我那覇選手、どうやらルールを理解できたようです!』
『悪くないタイムですね。しかしここからが問題ですよ』
どどっ、ど、どうしようっ!!
うわ、時間が減っていく! まずいさー!!
と、とにかく自分が死んじゃったことを皆に伝えなくちゃ!
あれ、でもどうやって言えばいいんだ?
自分死んじゃったさー、なんて言って、普通信じてもらえるわけないよね?
あー悩んでたって仕方ない! とにかく電話を――!
ピィーッ! ピピッ! ピッ!
何だよ、うるさいぞ!! ――えっ?
『あぁっと、我那覇選手、今自分の死を誰かに伝えようとしましたね?』
『いけませんよ、一発レッドもあり得る禁止行為です。
ここはファールを予見し、未然に防いだ主審の好プレーと言って良いと思います』
『なるほど、何も清算できずに試合終了となっては元の木阿弥ですしね』
自分の死を、他の人に伝えちゃダメ――そっか、そういうルールか。
じゃあ、この時間――自分が他にやり残したことを、何が何でもやらなくちゃ!
やり残したこと――あっ、家族!
ハム蔵、いぬ美! へび香ブタ太オウ助シマ男うさ江ねこ吉ワニ子モモ次郎、皆!!
早く家に戻らなくちゃ!
自分が死んだ後、皆の面倒を見てくれる人を探さないと!!
で、でも――。
「ここ、どこだぁーっ!!」
『さぁー、さっそく壁にぶち当たってしまいました我那覇選手。
自宅へ戻る意思を固めたようですが、この深い山奥に取り残された状況でどうするか!』
『前向きな姿勢こそが我那覇選手の持ち味でもあります。
悲観することなく、この困難をどう切り抜けるのか期待したいところです』
うぎゃあーっ! って悩んでるヒマがあったらとにかく走るぞ!!
頑張ればどうにかなる、なんくるないさー!!
『おぉっとぉ? これはまさか、走って麓まで降りるつもりなのかぁ!?』
『選択肢が限られているので仕方が無いのですが、破れかぶれのようにも見えますね。
冷静に、携帯でプロデューサーに迎えを頼むとかすれば、まだロスは少ないのではと』
『審判団も慌ててついて行っています。
いやー、プレー開始早々、これはタフな試合になりそうです!』
『765プロの中でも、パワフルさと運動神経は随一ですからね。
考えるより先に体が動くことも多いですし、体力勝負になるのはある意味必然でしょう』
「はぁ――はぁ――!」
体が熱い――頭の中もグチャグチャだ。
死ぬ直前って、結構忙しいもんなんだな!
今、何分経ったんだ!?
チラッと後ろを振り返ると、ずっと後ろの方に電光掲示板を持った人が――。
って遅いぞ! ついて来るならもっと早く走るさー!
[4:17]
ッ! ――くそぉ!
――あれ? 何か、前の方から車の音が近づいてくる。
「おーい、響っ!」
ぷ、プロデューサー!? どうしてっ!?
「このADが妙に不審な動きをしていたから、捕まえて問いただしたんだ」
あ、さっきのADの人――。
「す、すみません!! 俺、仕事辞めさせられたいのか、って、脅されて――!」
「――ううん、いいのいいの! 気にすることないさー!」
「えっ?」
「生活が懸かっていたんならしょうがないよ! それより早く車に乗せて!!」
ここであーだこーだADさんを怒る時間すら自分には惜しいんだ!
恨み言を言うのは後回しさー!
「あ、あぁそうだな――スタッフさん達も皆待ってる、すぐに――」
「違う、そうじゃなくて! 自分の家に連れて行ってほしいんだ!」
「な、何だって!? 仕事はどうするん――!」
「お願いプロデューサー!! この際961プロに譲ってもいいから!
詳しくは言えないけど、今回は正真正銘、一生に一度のお願いさー!!」
必死に頭を下げる自分。
仕事をすっぽかしたい、って言ってるようなもんだぞ、これ。
怒るだろうなぁ、プロデューサー――。
「――わ、分かった! 理由は後で聞くから、とにかく乗れ!」
えっ、いいの!?
随分物分かりがいいなー、プロデューサー。
『これは大チャンスです、我那覇選手!』
『普通こんなことはあり得ないですよ。
プロデューサーが原因を突き止めて迎えに来て、何も言わずアイドルのワガママを飲む。
盲信とも紙一重の、両者の信頼が無ければ成し得ないミラクルプレーです』
『普段の我那覇選手の誠実さがあってこその信頼、ということでしょうか!?』
『おそらくそうだと思います。いやー、これはちょっと信じられないですね』
とにかく、自分が助手席に乗って、ADさんは後ろに――あっ。
後ろから、やっと審判の人達がやってきたぞ。
着いた途端に、皆膝に手を付いて、肩で息してる。だらしないなぁ。
「この人達も、一緒に乗せてっていい?」
「は? ――誰を?」
「いや、だから――あっ」
審判の人が、プヒィー、って情けない笛を吹いて首を振った。
そっか――他の人達には見えないんだ、審判さん達。
でも、乗せてあげなきゃかわいそうだし、かといって座席が足りないし――。
あ、勝手に無理矢理乗っていってる。
「何だか、ブレーキの利きが悪いなぁ。妙に車体が重いような――」
首を傾げながら車を運転するプロデューサー。
そりゃあ、後ろにはADさん以外に黄色い審判さんが三人。
しかも、荷台には電光掲示板を持った黒い審判さんが乗ってるんだもんな。
何か悪い気がするけど、ここは我慢だぞ。
ADさんを降ろして、変な目で見る961プロの連中を後目に現場を出発する。
――ふんっ、面白くないさー!
「うーむ。こんな時間でも上りは結構車が多いんだなぁ」
高速道路を運転しながら、プロデューサーは他愛の無い言葉を漏らした。
もっと、自分に言いたいことがあるはずなのに。
「――自分のこと、怒らないの?」
耐え切れなくて、つい自分の方から聞いちゃった。
「うん――よほどのことだと思ったからな。
普段、あまりワガママを言わないお前が、あんなこと言うなんてさ」
ハンドルを握りながら、プロデューサーは視線だけ自分に向けて、ニコッと笑った。
「それに、どうせ怒ったって、今のお前は言うこと聞かないんだろ?
なら、怒るのは後回しだ」
「――ごめんなさい、プロデューサー」
「もういいから、くよくよするな。お前らしくないぞ」
それから、いつものように、あまり中身の無い会話をして――。
あぁ、もうプロデューサーとも話をするの、これが最後なのに。
そうしているうちに、車は自分の家の前に着いた。
「今日は本当に、ありがとね、プロデューサー!」
「何か困ったことがあったらすぐに言えよ。
今日のことの理由も、言えるようになったらでいいからな」
「――うん!」
――ごめん、プロデューサー。
閉まった玄関のドアに向けて、自分は小さな声で謝った。
たぶん、理由を言うことはできないと思う。
もう、時間は3時間を切っていたんだ。
さっき、審判の人が言ってたけど――いや、正確にはジェスチャーだけど。
終了までに、あの場所へ戻らないといけないんだって。
だから――実質あと1時間半くらいかな、ロスタイム。
「――皆、帰ったぞー!!」
なるべくいつも通りに、皆にただいまの挨拶をする自分。
これを言うのも、もう最後なんだ。
皆が一斉に迎えに来てくれる――うぅ――!
泣くな、自分。まだ泣いちゃダメだ!
皆のためにやることがあるだろ!
一旦家族の皆に、自分の部屋に移ってもらった後、すぐに携帯を取った。
そう言えば、車の移動中に掛けとけば良かったなぁ、もう!
でもいいや――あまり、プロデューサーには聞かれたくない話だしね。
自分も、東京で成功するまで絶対に掛けないと思っていた番号だった。
『――はい、我那覇です』
「あっ――は、はいさい」
久々に聞く、この野太くて低い声。
あーもう、こんな時に限ってアニキが出たさー!
『はいさい、て――おめぇ、もしかして響か!?
どうしたんだおめぇ帰るどころか連絡もよこさねぇで!』
「うぎゃあー、説教は後っ!!
今日は大事な話があって電話したんさー! おかぁはいないの?」
『おかぁは今買い物に行ってるさー。何かあったのか?』
「そう――じゃあアニキでもいいや。あのさ」
『でもいいや、ってなんだよ』
「うるさいぞ、話を聞いてよ!!
あのさ――今、自分の家にいる家族達、引き取りに来てほしいんだ。それも今すぐに」
『はぁっ!?』
「最後まで聞いて! 自分、ちょっと急用が出来ちゃって――。
どうしても、今の家に皆を置いておくことができないんだ」
『――こっちの話も聞かずに家を飛び出して、今さらそんなことを聞けってのか?』
くぅ――! 言いたいことは分かるけど!
「お願い――理由は後でちゃんと説明するから。
もう、自分には時間が無いんさー」
『これはどうでしょう? 先ほどの禁止行為には当たらないのでしょうか?』
『時間が無い、急用があるというだけでは、直ちに死を連想するとは言えないでしょう。
とは言え、状況と審判の裁量により左右されるケースも多い、微妙なラインですね』
『なるほど、審判団にとっても冷静なジャッジが求められるシーンであると。
しかし、理由を後で説明するというのは、どうするつもりなのでしょう我那覇選手?』
『今後の動向を見守るしかなさそうですね。ファールで無ければ良いのですが』
『――分かった。おかぁも連れて、明日か明後日には行くようにする』
「本当にっ!?」
『あぁ。でも、おかぁと二人で、たっぷり説教してやるから覚悟しとけよ』
「うぐっ――の、臨むところさー!」
じゃあな、うん――素っ気ない言葉を交わして、アニキとの最後の会話が終わる。
アニキ、ごめん――あまり謝りたくないけど。
その説教は、聞いてあげられないんさー。
さっきから自分、守れない約束をしてばかりだ。
死ぬ前だからって、ドサクサ紛れにすっごく卑怯なことをしてて、イヤになる。
あーもうっ!!
悩んでるヒマ無いんだってば! 時間はあとどれくらい!?
[2:41]
――まだ、まだいけるよね!?
次はえぇと、えぇと――春香っ!
『――もしもーし、天海春香でっす!』
「あっ、春香!? はいさーい!」
今日、春香がオフで良かった。しかも、今は事務所にいるみたい。
春香の家より、自分ちに近いぞ。
『もう収録終わったの? 今日は早かっ――』
「すぐに自分ちに来てくれる!? 一緒にサーターアンダギー作ろう!」
『え、えっ? い、いいけど――何で、いいの?』
「いいから電話してるんさー! とにかく早く、ううん今すぐ来て、ねっ!?」
『う、うん! 分かった、すぐ行くね!』
「待ってるぞ!」
――さ、て、と! 材料を準備するか。
卵と砂糖と薄力粉、あとサラダ油とベーキングパウダー。道具も揃えて、と。
冷蔵庫には作り置きしてた生地もあるし、今日はそれを揚げよう。
準備って言っても、材料少なくて簡単だからそんなに手間取らないんだよね。
春香が来るまで、まだ時間があるし――。
手紙を書こうかな。おかぁとアニキへの。
「別にいいよね? この手紙、自分が死んだ後におかぁ達が読むものだから」
そう聞くと、審判さんは少し悩む仕草を見せた後、両手でマルを作って笛を鳴らした。
あはは、意外とお茶目だなー。
『なるほど、死んだ後に伝わる工夫を凝らそうというわけですねー』
『時間が無い中で、これは良い機転の利かせ方だと思いますよ。
一方で、帰りの車を手配しないといけませんが、我那覇選手は気づいているでしょうか?』
『あぁーっと、それは確かにちょっとまずいですね!』
えぇと――おかぁとアニキへ――。
改めて書くと、何だか恥ずかしいな。
「って、何見てるんだぁ!!」
審判の人達には、部屋のすみーっこに皆で立っているようにお願いしたぞ。
まったく、人の手紙を覗き見るなんて、ヘンタイも甚だしいさー!
うぅ、考えがまとまらない――時間が無さすぎるぞ!
えぇい、なんくるないさー!
たぶん何書いてあるか分からないような手紙を、自分の部屋の机の上に置いた。
読み直すヒマも無いけど、まぁいいや。
後は――。
「ねぇ、審判さん。自分が死んだのって、他の人には言っちゃダメなんだよね?」
審判さんは、当然とでも言いたげに大きく頷いた。
じゃあさ――。
「人じゃなくて――動物になら言ってもいい、ってことでいい?」
『こ、これは我那覇選手! パワープレーに出ましたぁー!!』
『ルールブックには「生きている人間に自分の死を報せる行為」とあります。
あー、審判団も案の定動揺していますねこれ。完全に困っていますよ』
『ペットとはいえ、動物に自分の死を伝えるというのは今までに無いケースですね!
さぁー我那覇選手、新たな可能性を見せるプレーが大いに期待できそうです!』
「あーもう、どっちなんだ!! いいの、ダメなの!?」
審判さん達、集まって何やら相談を始めたけど、いくら待っても判定してくれないぞ。
自分には時間が無いのに――!
「もういい!! 自分は言うって決めたからな!
反則だって言うなら、終わった後で取ってよね!」
焦って手を伸ばす審判さんが視界の隅に入ったけど、もう知るもんか!
そのまま自分は、部屋で大人しくしてもらっていた家族達に向き直り、声を掛けた。
皆が自分のことを一斉に注目する。
「皆――今日は皆に、とっても大事な話があるんだ」
自分は今、どんな顔をしているんだろう?
きっと、暗くて、ちっとも楽しそうじゃない、ひどい顔をしているんだろうな。
皆も、そんないつもと違う自分の様子を見て、すごく緊張しているみたい。
「自分――あはは、自分ね?
――死んじゃった。
でも、えぇと――あと2時間とちょっとだけ、時間をもらえてるんだ。
ただ、死んだ所に戻らないといけないから――あと30分くらいしか、家にいられない」
一生懸命、分かりやすく説明したつもりだった。
それでも、皆は全然納得してくれていない。
当たり前さー――自分だって、やっぱりまだ、納得できていないんだ。
「し、心配ないさー! 近いうちにおかぁ達も来てくれるって。
だから、自分が死んでも、皆は生活のこと、何も気にしなくていいんだぞ!」
必死に笑顔を作って、皆を安心させようとする自分。
でも――本当は自分が一番心配なんだ。
あぁ、ブタ太――ワニ子も最近、お腹の調子悪かったんだ。
シマ男とモモ次郎はご飯の取り合いですぐケンカするし、うさ江は寝つきが悪い。
ハム蔵とへび香は少し風邪気味で、いぬ美は運動不足。
オウ助とねこ吉は、すぐ他所で変なもの食べてくるの、やめさせたいんだよなぁ。
皆――うぅ、皆元気でやれるかなぁ――!
「それにさ、あの――いーい?
自分のこと、かわいそうだなんて、思わないでね?
だって! 普通に死んでたら、皆とこうして、お別れを言うことだって、でき――」
喉がつっかえる。
鼻が詰まって、それに気を取られたら、もう涙を堪えるのは無理だった。
「ひっぐ、うっ――ちゃんとお別れを、言え、たんだよ――!
こうして、バイバイ、って――! 765プロの皆には、言えないけど――。
言いたかった――ちゃんと言いたかったのになぁ――!!」
皆が、泣きながら自分に飛び込んできた。
動物だって、悲しい時は泣くんだってこと、意外と他の人、知らないんだ。
「あぐっ、うぅ! えっぐ、うぅ――うあぁぁっ!!」
この子達にだけは、別れを言えて良かった。
でも――別れを言えずにいられた方が、どんなに良かっただろう。
そう思うのは、ワガママじゃないよね?
ピンポーン!
「ひーびーきーちゃん!」
あっ――は、春香だ!
急いで迎えに行かないと!
「そ、それじゃあ、ぐすっ――。
おかぁ達が家に来てくれるまで、ご飯はここにあるから、皆良い子にしてるんだぞ!
バレないように、春香がいる間、くれぐれもこの部屋から出ちゃダメだからね!」
思わずドアをバタンッ! って勢いよく閉めちゃった。
顔を拭かなきゃ――。
そういえば、さっきまでずっと、収録の時の衣装のままだったことに気がついた。
着替えるヒマ、無かったもんな、変に思われるかな――まぁいいか。
「――はいはーい! 今開けるさー!」
「お待たせ響ちゃ――って、その格好は?」
「あぁ、コレ? あは、ははは、着替えるの、めんどくさくて」
『――あぁ、そういえば、ぐすっ――衣装そのままでしたね』
『えぇ――あっ、ちょっとティッシュを――チーン!
問題無くプレーが続行されているので、審判団はあれをフェアと判定したようですね』
『審判団もすっかり聞き入って涙していましたからね――ん?
おぉっと見てください! 我那覇選手の家に現れたのは天海春香だけではないぞ!』
「――た、貴音っ!?」
目を輝かせた貴音が、春香の後ろにズーンって立ってた。
「さぁたぁあんだぎぃを響の家で作ると、春香よりお聞きしました。
出来立てを食せるとあっては、この四条貴音、居ても立っても居られず――」
「あぁ、分かった! 分かったから、さ、中に入って入って!」
「お邪魔しまーす!
わぁ、すごい! もう準備バッチリなんだね」
「ふふん、当たり前さー! なんたって自分、完璧だからな!」
作り方って言っても、実際は教えるってほどでもないくらい簡単なんだけどね。
卵と砂糖とサラダ油をボウルで混ぜて、薄力粉とベーキングパウダーを入れて混ぜる。
で、出来た生地をちょっと寝かせて、適当な大きさにちぎって揚げる。
完成。
「そ、それだけ?」
うん――作るだけなら、ね。
「先生ー! 生地を混ぜ終わりましたー!」
「はーい。それじゃあ、ボウルに入れたままでいいから、冷蔵庫に入れといて」
「分っかりましたぁー!」
「それで、寝かせておいた生地がこちらだぞ」
「わぁっ! すごい、響ちゃん本当にお料理番組の先生みたい!」
あぁ、ダメだぞ貴音! ちゃんと揚げてから!
いや、いけずなんて言われても――。
油の中で、ジュワジュワと良い音を立てるサーターアンダギー。
残り時間は、と――。
[1:33]
――――。
「ところで響ちゃんさ」
「うん?」
「こんなこと、聞いて良いのかなって思うけど――。
どうして今日、教えてくれたの? つい昨日は、ダメだって言ってたのに」
自分は、油鍋の中のサーターアンダギーを転がしながら、答えた。
「――自分の中では、まだ、完璧に作れてないからさー」
えっ? と言って、春香は小首を傾げた。
それまで油鍋の中を食い入るように見ていた貴音も、ふと顔を上げた。
「作るのは簡単なんだ、サーターアンダギーって。
でもね――美味しく作るのは、この先どれだけ時間があっても、難しいと思う。
特に、おかぁが作ってくれたものに敵うまでは」
母親のレシピは誰も越えられない、って何かで聞いた。
テレビのドラマか――これも、いつか読んだラノベだったっけ。
死んじゃったおとうも大好きだったっていう、おかぁのサーターアンダギー。
自分は、全然おとうのこと覚えてないけど、おかぁが嬉しそうにいつも話してたんだ。
実際、おかぁのサーターアンダギーには、いつまで経っても敵わないのかもしれない。
だけど、険しい道だからこそ、目指したかった夢なんだ。
おとうに喜んでもらえるサーターアンダギーを、自分も作れるようになりたかった。
おとうを感じていたい、って思っていたのかな?
ううん、それは分かんないけど。
自分で完璧だって、本当は思っていないものを、皆に教えようって気になれなくてさ。
――でも、気が変わったんだ。
自分の夢を叶えてくれる人が、もし他にも誰かいてくれるなら、それもいいなって。
えへへ、だから春香も、いつか自分のよりもおいしいサーターアンダギーを作れ――。
「響」
急に貴音が、真剣な顔をして自分の話を遮った。
「――さぁたぁあんだぎぃとは、かくも悲しい顔をしなければ作れぬものなのですか?」
えっ――?
「響ちゃん――」
ハッと思って顔に手をやると、涙で濡れていた。
笑ってごまかしながら、慌てて顔を拭ったけど、ごまかしきれてないかも。
「私――ごめんね。
響ちゃんが、そんな想いでサーターアンダギーを作っていたなんて――」
泣きそうになりながら、春香は自分の手を取ってくれた。
「私も一緒に、頑張る。
一緒に響ちゃんのお母さんに負けないサーターアンダギー、絶対作ろうね」
「――――ッ」
自分は、つい顔を背けちゃった。
もう、守れない約束をするのは、イヤだった。
と――背けた視界の先には、ちょうど電光掲示板が――。
[1:28]
ま、まずいぞ。さすがにそろそろ出ないと!
あれ? そういえば――。
「――うぎゃあーっ!! 帰りの車どうしようー!!」
『恐れていた事態が起きてしまいました、我那覇選手!』
『今まで良い調子でプレーを重ねていただけに、ここのミスは痛いですよ。
挽回する余地が十分にあるとも思えません』
『延長戦に突入する可能性も無いとは言い切れませんが、いかがでしょう?』
『期待しない方が良いでしょう、これまでも実際かなり運に助けられていますから。
いやー、早めにプロデューサー等に相談できていればあるいは、だったのですが』
「ひ、響ちゃん、いきなりどうしたの!? 車!?」
「あぁいや、えと、こっちの話!
それじゃあ自分、ちょっと急用があるからこれで!!」
「えぇっ!? ちょっと待って、と、戸締りは!?」
そ、そういえばそうだ。ここ、自分の家だ。
「えぇと――まぁ、何でもいいから、適当にくつろいでってよ!
皆、一旦事務所に帰るでしょ?
鍵はそこにあるから、適当に締めてプロデューサーに渡しといて!
電気とエアコンは付けっぱでいいから! それじゃ、バイバーイ!!」
ひたすらまくし立てて、家を飛び出しちゃった。
春香も貴音も、アゼンって顔してたなぁ。本当にごめんさー。
と、それはそれとして、うわっ、もう日も傾いてきてる!
とにかく、タクシーでも捕まえよう! えぇと、あっ!
「はいさーい!! そこのタクシー!!」
「変わった格好してるねぇー、君。ガールスカウトか何かかい?」
いや、そうじゃないけど――。
タクシーの運転手さんには適当に相づちを打って、自分は必死に持ち物を漁った。
何か、何か場所が分かるもの――!
もう、審判の人ジャマだぞ!
あ、ごめん。でも、どうしても車の中だと狭くて――。
あっ――これだ、昨日の打合せの資料っ!!
「ん? そういえば君、どこかで見たことあるな、ひょっとして――」
「こ、ここっ!! 早くここに行ってください!!」
「あ、はぁ――インターの近くだね、高速使うよ」
とりあえず、死んだ場所に近い、収録の集合場所が書かれた紙を運転手さんに渡した。
あとは――もうどうにかするしかない――!
『これはファインプレーが出ました、我那覇選手!』
『いえ、まだ分かりませんよ。
我那覇選手、死んでしまった場所までの経路を正確に覚えていないようです』
『なるほど、つまり近くまでタクシーで行けたとしてもその先は?』
『えぇ、そこからが彼女にとっての、この試合の正念場になるのかも知れませんね』
「早く、早く! もっと飛ばすさー!!」
「いやーそう言われても、この辺はオービスが多くてねぇ。
それより君、ちゃんとシートベルトしてるんだよね?」
タクシーの座席を、後ろから思いっ切り、何度叩いたか分からない。
他の車も、どんどん追い越してくれたけど、それでも時間は足りないんだ。
高速を降りて、やっとたどり着いた集合場所。
時間は――!?
[0:36]
おぉ! 行きよりも結構早い、すごいぞ運転手さん!
「はい、じゃあ料金はえーっと、2万3千――」
自分は財布から、お札を全部引き抜いた。
良かった。ついこの間、家族達のご飯代用に、ちょうどお金を降ろしてたんだ。
「釣りは要らないぞ!」
「えぇーっ!? こ、こんなに、何で!?」
「自分にはもう必要無いからな。ありがとう、運転手さん!」
一度言ってみたかったセリフだったけど、こんな状況で言うことになるなんてね。
まぁいいや、急がなくちゃ!
さぁどっちだ! 近くまで行けば思い出せると思うんだけどなぁ。
「あっ、響ちゃん! ちょっと、ねぇ響ちゃん!」
ん、誰っ!? 自分、今すっごく忙しいん――。
「――あっ、ディレクターさん! どうしたんさーこんな時間まで!?」
もうすっかり夕暮れだ。他のスタッフさん達もいない。
たぶん『とびだせ!どうぶつワールド』の収録はとっくに終わってる。
なのに――なぜか、オカマっぽいディレクターさんだけが、現場に残っていた。
「響ちゃんがあんな急に出ていったものだから、アタシすごく心配になっちゃってねぇ。
あの子がいないと始まらないのよって、ずっと言ったんだけど、聞いてもらえなくて」
まさか――。
自分がいなくなった後も、一人でディレクターさん、信じて待ってくれてたのか――?
「でも、どうやらアタシの勝ちね、ムフッ♪」
「――ごめんなさい、ディレクターさん。自分、もうこのお仕事は続けられない」
「えっ?」
「自分のこと、買い被らなくていいんだ。
元々このお仕事、嫌いだったんだ――あの、だから辞めたいって。それだけさー」
自分が死ぬことは言ってはいけない。
かと言って、守れない約束はしたくない。
自分が嫌なヤツになれば、ディレクターさんだって諦めがつく――この方が良いんだ。
「ウフフ、ウソが下手ねぇ、響ちゃん」
「えっ――」
「実は、今日の現場ね――まるでおシゴトにならなかったのよ」
ディレクターさんは、自分がいなくなった後の現場の様子を教えてくれた。
発端は、ADさんが、961プロの関係者である番組APを殴ったことだった。
今日、ADさんに自分を連れ去るよう指示したのも、そのAPだったみたい。
「APがジュピターの子達に、響ちゃんを馬鹿にする話題を振って盛り上げていた時よ。
後ろから思い切り――ウーン、惚れ惚れするような右フックだったわ」
響ちゃんは、俺みたいなダメ男にも優しい言葉を掛けてくれたんだ!!
てめぇみたいなクソ野郎が好き勝手に貶めて、馬鹿にしていい子じゃねぇんだぞ!!
そう言って暴れまくったADさんは、すぐに他のスタッフに取り押さえられた。
でも、ADさんの話を不審に思ったジュピターが、APと黒井社長に問い詰めて――。
「で、今度は真相を知ったジュピターと黒井社長が大ゲンカよ。
黒井社長はジュピターの解雇を宣言して、冬馬クンも上等だぜとか言ってね」
ディレクターさんは鼻をフンッて鳴らした。
「だから、おシゴトをすっぽかすような子じゃないって、響ちゃんを信じたアタシの勝ち。
ううんADも、他のスタッフも、動物達も皆、響ちゃんが良い子だって分かっているのよ」
「そんな――自分、良い子なんかじゃないぞ! 本当にもう、続けられないんだ。
いきなりそんなワガママ、聞いてもらえるわけ――」
「元々、響ちゃんありきの番組なのよ。
響ちゃんがやれないっていうのなら、アタシ達はそれに従うだけ」
ディレクターさんは、濃ゆい顔をグイッて自分に近づけて、ウインクしてみせた。
「やりたいこと、やらなきゃいけないこと、あるんでしょう?
女なら最後まで頑張りなさい」
ディレクターさんはそう言うと、近くに停めていたバイクに跨った。
へぇ、バイクで来てたんだ。
「アタシもちょっと、峠を攻めてくるわ。それじゃあね」
「――ありがとう。本当にありがとう、ディレクターさん!」
ピンクのヘルメットを被って親指を立てて、颯爽と走り去るディレクターさん。
その先は――。
あ――そうだ、あの道だ。思い出したぞ!
肩をコキコキと鳴らす。
髪もキュッと結い直して、と。
そうそう、山道だから膝も十分にほぐしておかないとね。
靴は――アウトドア用の、ちょっと靴底が分厚くて硬いヤツだ。
うーん、ランニングシューズの方が良かったなぁ。
「さっきのタクシー、待たせとけば良かったね」
そう言うと、審判さんは首を縦に振った。
「キツそうだったら、いつでもリタイヤしていいんだぞ」
今度は、首を振った。横に。
屈伸したり、アキレス腱や肩を伸ばす審判さん達。
電光掲示板を持つ黒い審判さんは、腕をブンブン回して、グイーッて背伸びした。
[0:31]
この黒い審判さんが一番キツイよなぁ。重いだろうなぁ、アレ。
でも、もうちょっと一緒に頑張ろうね。
「準備はいい、皆?」
審判さん達は、返事をする代わりにスタンディングスタートの姿勢を取る。
自分はクラウチングスタートさー。
ふふん、響チャレンジで慣らした自分の足に付いてこられるかな?
「行くぞ! よぉーい――なぁんくるないさぁーー!!」
『さぁ、審判団を引き連れ一斉に走り出しました、残りタイムはおよそ30分!
我那覇選手、果たして時間内に到着できるのか? 運命のラストランです!』
『前半戦、開始地点から麓へ降りるまで、プロデューサーの車では10分ほどでした。
ですが今回は自分の足で、しかも上り坂ですからね。これはかなり厳しいですよ』
『しかし、今の我那覇選手、何だかスッキリしたような顔に見えますねぇ。
ディレクターとの会話で何か救われるものがあったのか、迷いが無いと言いますか』
『えぇ、先ほど私、プロデューサーが勝手に迎えに来たのをミラクルと言いましたけどね。
アレすみません、撤回します』
『ほう、と言いますと?』
『やはり彼女には、それだけ周囲の人間を信頼させるに足るものを秘めているんだなぁと。
こんな子が、理由も無しにそういうことをするはずが無いと思わせる、何かこう、ね。
だから、奇跡ではなく必然という方が正しいような気がします』
『そうですね。先ほど我那覇選手、審判団ともコンタクトを交わしていたようです。
まるで一緒にロスタイムを戦っているかのようにも見えますねぇ!』
『解説者としては中立を保つべきですが、私は今、彼女を正直猛烈に応援しています!』
『実況席は皆総立ちです! 頑張れ、我那覇響、頑張れぇーっ!!』
「はぁ――はぁ――!」
体が熱い――でも今、頭の中はすっかり空っぽだ。
もう、後ろを振り返ることはしない。
振り返るヒマも無い、っていうのもあるけど、審判さん達はきっと付いてきてくれる。
それを信じて、迷わず前だけを見るんだ! もう散々迷った!
「はぁ――はぁ――!」
くぅ、足が――さすがにキツいぞ、この坂道!
時間は、どれくらいだろう――。
たぶん、あの太陽が沈む頃が、ちょうどロスタイムが終了する頃かな。
ここまで来たら、やるだけのことをやるだけさー!
もう足がちぎれてもいい!
何も言わずに車で送ってくれたプロデューサー。
家族達と、その面倒を見てくれるおかぁとアニキ。
自分の代わりにサーターアンダギーを作ってくれる春香。
あと、自分なんかのために怒ってくれたADさん。
まっすぐ頑張る勇気をくれたディレクターさん。
もちろん、765プロの皆!
今はただ、今日この時までに出会った皆のために走ろう!
でも――。
「ぜぇー、はぁーっ――! ぐっ――!」
心臓がバクバクと悲鳴を上げている。
いくら呼吸をしても、全然足りない。
膝と、足首の痛みも――あはは、ちょっと、飛ばしすぎちゃったかな?
靴も元々、合ってないしね。
「うぅ――! くっそぉ!」
沈むな! まだ沈まないで!
林に覆われた道を抜けて、視界が開けた右手に広がる夕暮れの街を見やった。
たぶん、ゴールはもうすぐそこなんだ!
どんどん沈んでいく太陽が恨めしくて、視界がにじむ。
「なんくる、ない――ぐぅっ!」
強烈な痛みが、右足にきた。たぶんこれ、靴擦れだ。
足を地面に着ける度に、息が止まるほどの激痛が襲ってくる。
足が痛いのが何だ! 自分は、これから死ぬってのに。
あはは、死ぬために頑張るってのも、よくよく考えたらおかしいもんだな。
――――。
死にたくない――死にたくないさー。
ヴィー! ヴィー! ――♪
「ん?」
ポケットに入れていた携帯が鳴った。
メールだ、誰からだろう――。
春香――?
件名:大好評だったよ!
今日はありがとう、響ちゃん。
あの後事務所に戻って、皆にサーターアンダ
ギー食べてもらったんだ!
真と美希なんか5つも食べたんだよ、5つ!
やっぱり皆、響ちゃんのサーターアンダギー
が大好きなんだね!(*^-^*)
一斉にサーターアンダギーを頬張る皆の写メールも、一緒に送られていた。
あはは――明るくてまぶしい、良い顔だなぁ皆。
――ん? おかしいな、貴音がいないみたいだぞ?
ヴィー! ヴィー! ――♪
「うおっ、着信だ――あっ」
噂をすれば、だ。
「――はいさい!」
『響――お元気ですか?』
お元気ですか、って――どういう意味だろう。
「うーん、今、ちょっとだけ忙しいんさー」
右足を引きずりながら、なるべく気取られないように明るく話す。
『そうですか――響と話をしたいと思い、掛けたのですが、あまり時間は無いのですね』
「そうだなぁ」
もう一度、あまり見たくもない太陽をチラッと見た。
「大体、あの夕日が沈む頃まで、かなぁ」
『そうですか――』
「どうしたんだ、貴音?」
何だか、様子が変だ。まさか――?
『私はまだ、響の家におります。そして――』
あっ――。
『申し訳ありません――響の部屋に、入ってしまいました』
しまった――あの手紙。
「み、見ちゃったのか?」
『いいえ――見てはおりません。
響が、響のご家族に宛てた手紙なのですから』
「そ、そうか」
ちょっとホッとしたぞ。
ていうか、へび香もいたのに良く部屋に入れたな、貴音。
『ですが――真っ先に響が気にするほどの内容が込められた、この手紙。
そして、この子達のあまりに悲しそうな表情――』
「――――」
『とても――嫌な胸騒ぎが、先ほどから治まらないのです』
「――――気づいた、のか?」
貴音の声は、少し震えているようだった。
自分も、どうかは分からない。
『響――私は、夜明け前よりも、夕刻の方が好きです』
「ん? ――あぁ。
貴音が好きな月が見れる、夜になるもんな」
『えぇ。ですが――』
「――――」
『今日という日ほど――。
私は、あの沈みゆく太陽を、恨めしく思うことは無いのだと思います』
あぁ――やっぱり貴音、気づいてるんだ。
『響――もう、こちらには戻らないのでしょうか』
「――うん。たぶんね」
足を引きずって、歩いていくと――あぁ、見えた。
赤いバッテンが書かれた、あの場所だ。
「もうそろそろ、時間さー――ごめんな、貴音」
これ以上話をすると、未練の方が大きくなっちゃう。
寂しい思いをしたまま死ぬのは、イヤだ。
『では、最後に響――これだけはお伝えさせてください』
物々しくて凛々しくて、毅然とした、貴音の最後の声――。
『寂しく思うことはありません――貴女は、一人ではないのです』
「えっ――?」
『春香からの、写めぇるを?』
うん――皆、良い笑顔だった。
『貴女が築いてくれた私達との絆は、春香が、そして皆が、これからも紡いでいきます』
うん――。
『太陽のような明るさをもたらすあのお菓子を食す度に、私達は、響を感じることでしょう。
貴女は、私達の中で、生き続けます。ずっと――ずっと一緒です』
うん――。
『ありがとうございます、響』
「――自分こそ。ありがとう、貴音。
皆にも、よろしく言っておいてくれるかな」
『委細承知しております。
この子達の面倒も、しばらくは私がお引き受けしましょう』
「――世話になってばかりだな、貴音」
『お安い御用ですよ、響』
「じゃあ――切るね」
『はい、響――さよならは言いません』
「あぁ――食べ過ぎには気をつけるんだぞ」
『ふふっ、いけずですね』
「あはは――それじゃあ、またね」
『えぇ』
携帯を切ってポケットにしまい、自分はもう一度、目の前の夕日を見た。
あぁ、沈む――自分が最後に見る、太陽――。
でも――皆には、これからもずっと変わりなく、また太陽は昇っていく。
「――ん?」
走ってきた道の方から、ドタドタとした足音が聞こえてきた。
――やれやれ、ようやく到着かー。
皆汗だくだくで、真っ青な顔して死にそうな呼吸を繰り返してるぞ。
[0:01]
時間も、ちょうど間に合ったみたいだ。
「審判さんの皆ー!! 今日は本当、色々とありがとね!」
自分は、今にも倒れそうな審判さん達が元気になれるよう、目一杯手を振った。
「あと、ごめん! そういえば、一個もサーターアンダギー食べてないでしょ?
これから事務所にいけば、春香が作ってくれてると思うから!
それ、適当に食べに来ていいからな!」
審判さんは、右手を振り上げて、また情けない笛を鳴らした。
あはは、そんなんで大丈夫かー?
「もう、しっかりするさー! 最後の笛くらい、ちゃんと鳴らすんだぞ!」
改めて、太陽に向き直る――あぁ、こうして見ると、なんて綺麗なんだろう。
あれを見て、自分を感じてくれる仲間がいる。
寂しくない――とても、嬉しいさー。
大きく息を吸って、ゆっくり目を閉じて――自分は足を、前に踏み出した。
――――――
――――
――
[0:00]
ピィーーッ! ピィーーッ! ピィィーーーーッ!
――
――――
――――――
「じゃじゃーん! 春香さんお手製のサーターアンダギーですよ、サーターアンダギー!」
昼下がり――事務所の広間で、いつものお茶会です。
満を持して私が懐から出したのは、そう、765プロお茶会名物のサーターアンダギー!
「やったー! 春香さんのコレ、大好きー!」
「あっ、私取り皿持ってきますね!」
アイドルの子達が、手慣れた様子で準備をしていきます。
そうそう、雪歩が送ってくれるお茶を忘れずに淹れて。
あっ、誰かティッシュ取ってきて! 手と口が少しベタベタしちゃうからね!
皆、席に着いたかな? それじゃあ――。
「いただきまーす!」
あれから10年が経ちました。
新しいアイドルの子やプロデューサーさんも結構入って、随分賑やかになったんです。
辞めてしまった人も――結婚だったり、進学や他のお仕事に就職したり。
私も、引退して、寿退社した小鳥さんのお仕事を引き継いで、今は事務員です。
でも、このサーターアンダギーだけは、辞めちゃった皆もよく食べに来てくれます。
言ってくれれば、送ってあげるのに。
やっぱり皆、765プロが好きなんですね。
そして、サーターアンダギーもまた、私の手で進化を続けてきました。
カボチャを練り込んだり、チョコを塗ったり、他にもマーマレードとかきな粉とか。
でも、一番人気はやっぱり、プレーンなんですよね。
口に入れた瞬間にパァッとこぼれる、太陽のような皆の笑顔。
「あれ? 貴音さーん、お茶会やっていますよー。食べないんですかー?」
アイドルの子の一人が、腕組みをして事務所の壁に寄り添う貴音さんに声を掛けます。
貴音さんは、ふっと笑みをこぼしました。
「私は、こうして皆が楽しそうに食す姿を見ているだけで、幸せなのです」
「そう言わずに! 貴音さんだってコレ、大好きじゃないですかー」
「ふむ――では、少しだけ」
次の瞬間、大皿の上のサーターアンダギーは全滅してしまいました。
あは、ははは――やっぱりね。
「響ちゃんの味に、近づいていると思いますか?」
私は、思い切って貴音さんに聞いてみました。
「もちろん、味は文句のつけようがありません。それに――」
貴音さんは、ティッシュで口元を拭き、優しく笑いかけてくれます。
「皆をこのように明るく照らしてくれる――不足など、何一つありませんよ」
アイドルの子達は、首を傾げました。
でも、私は貴音さんの言葉の意味、分かっちゃうんですよねー。えへへ。
――あれ?
「やっぱり――また減ってる」
今日いない人用に取り分けた、別の大皿――。
そのお皿のサーターアンダギーが、ちょっと目を話した隙に、少なくなっていました。
4つ――いつも、ちょうど4つだけ減るんです。
「どうかしたのですか、春香?」
貴音さんが、私の後ろからお皿を覗き込んできました。
「また、減ってるんです」
「ふむ」
ひょっとして、響ちゃん?
それとも――響ちゃんのお父さんかな?
それか、また別の誰かが、こっそり食べに来ているとか――。
「オバケか妖怪の仕業だったりして! えへへへー」
意外と怖がりな貴音さんを茶化そうと、私は幽霊のマネをしてみせました。
でも、貴音さんは、ふふっと笑っただけです。
あれ? 怖くないんですか?
「もしそうだとしたら、それは、響のことを好いてくれる妖なのでしょう」
そっか――響ちゃんを好きでいてくれるオバケが、怖いワケありませんもんね。
「おーい、貴音。そろそろ出ようか」
デスクでお仕事をしていたプロデューサーさんが、貴音さんを呼びました。
これから都内で行われる映画賞の祭典に、パーソナリティーとして出席するんです。
貴音さんは昨年、主演女優賞を獲得しましたから、今回は賞を授与する側ですね。
「承知しました」
綺麗な銀色の髪をたなびかせ、颯爽と車へ乗り込む貴音さん。
その車に向けて、2階の窓から皆で手を振ります。
「――あー、いい天気だなぁ」
外は今日も快晴です。
太陽を見る度に、私は、あの空の向こうで響ちゃんが笑っているように思うんです。
明るく楽しくて、いつも皆を元気づけてくれた響ちゃん。
私は、まだまだ響ちゃんのお母さんの域には達していないんだろうけど――。
天国にいる響ちゃんは、きっとそれを作って、今も笑っているんでしょう。
お父さんと一緒に、とても嬉しそうに――。
ふふーん、おいしいでしょ? あははは、当ったり前さー!
なんたって自分、完璧だからな!
~おしまい~
元ネタは、テレビドラマ『ロス:タイム:ライフ』です。
同じ原作で他キャラSSを書かれた先人の方々に触発されて書きました。
ティンと来た勢いそのままに、ほぼ一日で書き上げたため、色々とアレかもです。
長くなってしまい、すみません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、失礼致します。
このSSまとめへのコメント
あれ?なんかカテゴリおかしくない?