幼馴染の末路3 (49)

幼馴染の末路
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幼馴染の末路2
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のろのろ更新
百合
ひよ視点




冬休みは順ちゃんのことで頭がいっぱいになったまま終わりを告げた。
前々日から風邪気味で、休もうかとも思ったけど待っている友達がいたので、何とか自分を振るい立たせた。
けど、休みが明けてからもやっぱり考えることは順ちゃんのことばかりだった。

「ひよちゃん、誰とラインしてるんですか?」

「順ちゃんだよ」

かれんちゃんが、背中に抱き付いてきた。

「わッ、なに?」

「こっちも構ってください」

わあ、かれんちゃんが、可愛いことを言ってきた。

「ご注文は?」

「ひよちゃん、一杯」

「おっけー、待っててねー」

そう言って、3分くらい待ってもらった。
きっかり時間になった頃に、

「はい、今日の順ちゃんタイム終わり」

と、かれんちゃんがスマホを私のポケットに誘導する。
うーん、それは分からないよ?
かれんちゃんは私の腕を引っ張って、立ち上がらせた。

「ここからはかれんタイム」

「今日は、どこに連れていかれるのかなあ」

「南棟の裏。新たなにゃんこを発見しました」



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「猫、好きだねえ」

私もだけど。
かれんちゃんは、小動物が好きで、その中でも猫が好き。
この大学はなぜか猫が寄り付く。
たぶん、こっそり大学生協の人達が餌をやっているというというのがもっぱらの噂。
大学側は困ってるけど、学生の反応は良いみたい。
だから、こうやってたまに私を猫狩りに連れて行く。
つまり、愛でに行く。

「違いますよ」

「え、そうなの」

「ひよちゃんと二人になれるかなって思ってるんですよ」

「私たち、大概いつも二人行動だよね?」

なぜか、笑われた。

「言い忘れてました。人気のない所でってこと」

「ええ? 変態だ、変態」

かれんちゃんから逃げるように、私は南棟へそそくさと向かう。

「待ってくださいよー」

「いーやよー」

「いーいよー」

「いーやよー」

小走りでじゃれ合う。
こんな所、順ちゃんに見られたら呆れられるかな。
風邪のせいじゃないね。
精神年齢は恐らく、高校1年生くらいからずっと止まったままのような気がする。

中庭は、日当たりも良好で、
いかにも猫が暖を取りそう。

「あれ」

かれんちゃんが立ち止まる。
どうしたのかと前を見ると、どうやら先客。
先輩かな。
髪の長い女性が二人。
仲睦まじく、なんだろう、何か空気が、変。

「かれんちゃん、引き返さない?」

「ちょっと、待ちましょう?」

「で、でも」

直感だけど、このままここにいたらいけないような。
猫も見当たらないし、と声をかけようとした。
と、次の瞬間、彼女達はキスし始めた。
ええ、こんな所で?

「うそ……」

長いキス。
二人の花園が心を惹きつける。
人がしている所なんて、生で初めて見た。
うわあ、うわあ。
と、驚いてる場合じゃない。

「か、かれんちゃん」

盗み見るのは良くないと、ふと、隣にいるかれんちゃんのことを思い出し、横目で彼女を見る。
釘づけ。私は、かれんちゃんの手を引いた。バレない内に、去ろう。そう、言おうとした。

「ひよ……ちゃん」

手を握り返される。

どうしたの。
かれんちゃんは、私をゆっくりと校舎の壁に押し付けた。
至近距離。
顔が。鼻が。まつ毛が。
あまりにも近いので、私は後ろにのけ反った。
後頭部がこつんとなった。
冷えたコンクリート。

「や……」

怖い。
目を瞑って、首をすくめた。
おでこに、何か当たる。
かれんちゃんのおでこだった。

「キスされると思いました?」

「え……」

「ひよちゃん、熱ないですか? 顔、赤い」

それは、かれんちゃんが急に変なことするからで。

「あ、あの実は、一昨日くらいから風邪引いてて……」

「やっぱり。猫、いないみたいですから帰りましょうか。しんどくないですか?」

腕を離し、私を解放する。
解放って、表現はおかしかったかも。
からかわれたんだと、そう思っていいんだよね。

気が付くと、あの二人もいなくなっていた。

「ちょ、ちょっとしんどいけど大丈夫」

少しかれんちゃんと距離をとって、私は笑った。

夕方、順ちゃんからの返事が来なくなって、怒らせたかなとか寝てるのかなとか、
もやもやしている内に、かれんちゃんのことはほとんど気にならなくなっていた。

一人寂しく家路に着く。
この時間帯は家に誰もいない。
自室にこもって、順ちゃんのことを考える時間。
まだ、嘘みたいに思っている。
付き合えたこと。

今まで、妄想とか夢の中だけだった、
順ちゃんとのいちゃいちゃも、
これからは現実にできるんだ。
そう考えると、発狂しそう。
熱い。

そうだ。
熱があったんだ。
体温計で測定すると、37度を超えていた。

体がなんだか痛いような気はしていた。
一人でも耐えきれるけど、順ちゃんに心配して欲しい。
迷惑だと思う。
わかってる。
電話したい。
でも、連絡は全然返ってこないし。
順ちゃんはこういうのが苦手なのかもしれないし。

「いいかな……」

キスとか、その先とか。
したい。
でも、こういう日常の中に、
順ちゃんをたくさん感じれたら、
順ちゃんに愛されてるって、
勘違いできるから。


お正月デートで、彼女の手を握り、顔に触れた感触が蘇る。
その手だけ、なんだか特別のように思えた。
耳の奥の奥まで、熱の塊がどんどん生まれてくる。
熱の高ぶりで、背筋に震えが走り、暖房の温度を上げた。

ぼうっとしてきたのはそのせい。
もう我慢できず、私は電話をかけた。
でも、やはり順ちゃんにはかからなかった。

ベッドに転がり、頭を撫でる順ちゃんを天井に描いた。
彼女のことを考えるだけで幸せ。
ため息。
枕に顔を埋める。
会いたい。
熱い。
話したい。
愛の言葉とかいらない。

会いたい。
しんどいよ。
喉がからからに乾いてきた。
私はなんとか起き上がって、キッチンへ水を取りに行った。



お水を飲んでいる最中に着信が鳴った。

「げふッ……ッ」

私は慌てて部屋に戻る。
スマホめがけてベッドにダイブした。
熱があるのも忘れて。

くらくらした。

「も、もしもし順ちゃん?」

『あ、ひよちゃん? 今日帰るの遅くなるから冷蔵庫のもの適当に食べてね』

お母さんだった。
スマホの画面を確認した。
母と映されていた。

『あ、何か言った?』

『……何も』

お母さんは急ぐからとすぐに電話を切った。

「はあ……」

馬鹿だね。
順ちゃんの声の、幻聴が聞こえた。

ちょっとだけ仮眠を取った。
私の内面は、外の影響を凄く受けやすい。
起きたら、30分くらい経っていた。
そのちょっとの間、夢を見た。
人に聞かせられない。
順ちゃんが私を壁に押し付けてキスする夢。

相変わらず、火照りが思考をふやかせる。

「……ん」

乱暴な順ちゃんだった。
けど、それも、いいなって思って。
思って――。
キスした後胸を揉まれて、それから、私だけ脱がされた。
そのまま、どうぞって。
順ちゃんにされるがまま。

それがまた良くて。
カッコ良くて。
この間の順ちゃんは、お世辞にもそう言う風には言えなかったけど。
私の中の順ちゃんは、いつまでもそうなんだ。

夢の中の私の台詞はとても大胆だった。
どこからそんな言葉選びになったのか疑問。
恥ずかしい。
順ちゃんに聞かせたら、また立ちくらみを起こしかねないかもね。

誰よりも激しく気持ち良くして――とか。
少女漫画の見過ぎだよね。
誰よりって。
誰だって話。
布団の中に潜り込む。

それより、私。
やっぱり下なんだ。
と、恥ずかしくなりながら、なんだか納得してしまった。

順ちゃんには絶対に言えないけど。
私は、順ちゃんのこと考えながら自分で触ってしまったことがある。
体の気持ち良さを求めてしまった。
いけないと思いながら、でも止めれなかった。
彼氏がいた時も、先にはいけなかった。
順ちゃんだったなら。
誰にも汚されない理想で、一人でして。

こんなこと教えたら、ひかれるよね。
肌を求めるのは、精神的な年齢が関係してるって聞いたことがある。
でも、恋人の前ではみんな子どもでいたいんだと思うの。

甘えた自分を許して欲しいんだよね。
ああ、でも。
順ちゃんのへたれが、もう少しだけ良くなればなって思っちゃうな。
私だって、甘えたいんだもん。

早く、順ちゃんに触って欲しいんだもん。
こんな子でごめんね。
ごめんなさい。
欲しがってごめんね。

ゆっくりと息を吐いた。
部屋の電気を消して、
私は自分の甘えに従った。

翌日、風邪は治り、そして、順ちゃんからは写真が送られてきた。
どうやら、昨日はサークルのライブがあったみたい。
それで、出られなかった。
聞きたかったな、今度歌ってって送る。

――恥ずかしいから嫌。

そっけなく帰ってきた。
それすらも嬉しいから、今日も一日、元気に健気に病気です。

講義の最中、恥ずかしがる順ちゃんに無理やり歌わせることを思いつき、一人でにやけた。
興奮して、せっかくとったノートの文字を片っ端から消してしまっていたけど。

「どうされました?」

休み時間、購買に行く途中、かれんちゃんが聞いた。
私の挙動がおかしすぎたんだと思う。
首に巻いた黒い毛糸のマフラーに顎を埋めて、
私はもごもごと言った。

「どうって?」

「……順ちゃんです?」

「な、なんでわかったの」

「わかりますもん、それはもう、ええ」

し、しまった。
取り繕うように、

「へ、変な顔してたかな?」

「はい」

「あはは……」

誤魔化し笑い。

「順ちゃんが羨ましい」

「かれんちゃん?」

「ひよちゃん、私ひよちゃんに隠し事したくないから、もう言っちゃうんですが」

「うん」

なんだろ。

「私、ひよちゃんのこと好きなんですけど、知ってましたか」

「し……しら、なかった」

私は思わず立ち止まって、
かれんちゃんに顔を凝視してしまう。

「昨日の壁ドンはそう言う意味だったんですよ。ホントは、初めて会った時に言おうと思ってたんですが……あ、ひよちゃん? 大丈夫?」

「……」

「おーい」

「……ッ」

「ひよちゃん」

「じょ」

冗談だよね、と言いそうになり口を噤んだ。
それ、自分が言われたらすごく傷つく。
本当でも、嘘でも。
だからって、それを受け入れてありがとうなんてことも言えない。

「ひよちゃん……長考中?」

「う、うん……びっくりして」

それだけをやっと口にできた。

「……ひよちゃんて、顔が火照るとすごく艶っぽい表情になるから気をつけた方が良いですよ」

両手でさっと顔を隠した。
指の隙間から、かれんちゃんを見る。

「それもきっと見放題な順ちゃんが、だから、羨ましいなあってことです……もっと早く、ひよちゃんに手を出しておいたら良かったなあって後悔してます」

「手、手を出すって……かれんちゃんッ?」

「分かってますよね?」

今にも、かれんちゃんの手が伸びてきそうな気がして、
私は先に彼女の手を取った。

「だ……ッ」

動き出す手と抑えつける私の手。
ぴたりと互いに制止する。

「だめ?」

かれんちゃんはきょとんとした。
でも、すぐに拒まれことに気が付いて、寂しそうに笑った。

かれんちゃんとは大学に入って以来、ずっと仲良しだった。
ボランティアのことで、人が足りない時に、手伝ってくれたりもした。
ボランティアの仲間に告白された時も相談に乗ってくれた。
順ちゃんのことを相談したのは、つい最近だった。

自転車が無くなった時も、一緒に探してくれた。
寝坊した時も、席をとっておいてくれたし。
いつもお世話になっていた。

人を好きになる気持ちを分けて考えないといけない。
かれんちゃんの気持ち。
それから、順ちゃんのことが好きな私のこと。

私の知らない所で、上から誰か紐で私を操っているみたいに、
身動きがとりづらい。

順ちゃん。
順ちゃんもこんな気持ちだったのかな。

告白を受けたその時は何も言えずに、夜、私はかれんちゃんの実家に行った。
お手伝いがそろそろ終わるかなって頃に、お店の前に立っていると、
看板を下げるためにかれんちゃんが出て来た。

「かれんちゃん」

声をかける。
彼女は振り向いた。

「ひよちゃん! どうしたんですか?」

駆け寄って、私の手を取る。

「手、つめたッ」

「ちょっとお話したくて」

「話って、ああ、寒いから、部屋で待っててくださいッ」

「うん」

かれんちゃんは疲れているにも関わらず、
すぐに着替えてきて、

「ごめんお待たせ」

と温かいお茶を持ってきてくれた。
それから、真っ直ぐに、私を見て、

「今日は、急にごめんね。話聞かせてください」

と柔らかく微笑んだ。
順ちゃんとも私とも違う。
落ち着いた瞳。
傷をつけることも、
傷をつけられることも、
きっと覚悟してたんだと思うの。

だから、私は彼女にちゃんと言わなくてはいけないことがあったのに、
涙が溢れてきてしまった。
無傷で終われない。
かれんちゃんの気持ちも、
私の気持ちも、
何一つ壊れることなく終われない。

「ひよちゃん……」

かれんちゃんが私を抱きしめていた。
涙で濡れていた頬にキスをされた。
かれんちゃんの呼吸が、少し早くなっていた。

「キスしたい……です」

「だめだよ……」

「こんな夜に一人できて、ひよちゃんはちょっと無防備です。あんまり、私の取り繕ったところばかり見てちゃダメですよ」

「え」

唇が近づいてきて、
私は身を捩った。

「や、やめ」

床に押し倒された。

「腕相撲、私に勝ったことないですよね」

体が、動かない。


「複雑です……。諦めようと思ってたんですよ」

私は恥ずかしさに、顔をそらす。

「でも、そんな風に泣かれたら、身体だけでも欲しくなっちゃいます」

なに、言ってるの。
微かに香る香辛料の匂い。
カレー屋の看板娘が、
お客さんに喋るような自然な口調で、
何か卑猥な言葉を口走ったけど、
全部は理解できなかった。

「ひよちゃん」

「かれんちゃん、それは……」

「今日だけ……私を許してください。もう、言いませんから。明日からは、ひよちゃんにも近づきませんから」

「ダメだって……言ったら?」

「今日から、ひよちゃんに近づきません。もう、名前も呼びません」

好きだから。
彼女はそう付け加えた。

「それ、ずるいよ……」

そんな覚悟、止めて欲しかった。

「どうする?」

それでも、

「いやだ、私、かれんちゃんと喋れなくなるのやだッ」

私は、目を瞑って、唇を戦慄かせた。

「やだよ……」

拒んで、どうする。
逃げても解決はしないの。
順ちゃん。
ごめんね。
たぶん、今の順ちゃんにとって、
この行為はどこか他人ごとに思えてしまうかもしれないね。
私を好きだという、かれんちゃんの気持ちは。

次、会う時に、白状しよう。
それで、何もかも泡になるなら、
きっとそれまでの仲なんだ。
全部、私のせいにしてしまえるほど、大人じゃない。
何もかもなかったことにできるほど、大人になりきれない。

「ひよちゃん、今にも私に殺されるって顔してます」

そうかな。
確かに、心を殺そうとしてるのかも。

「好きな人を殺す時って、どんな気持ちなんだろう……」

「物騒ですね」

私は言った。
かれんちゃんは、やや目を見開いた。
でも、すぐにこう言った。

「そんなことをした自分をそれでも愛して欲しい……じゃないでしょうか」

そして、私の唇に自分のを押し当てた。

かれんちゃんの部屋はしだいに吐息と、
二人の汗で熱と湿り気を帯びていった。

私にできることは、ただ彼女を抱きしめることだった。

脱いだ服に囲まれる。
下着が濡れそぼって意味をなさなくなった。

今日の今日まで、友達だった人間が、
私の乳首を吸って、
下半身の小さな穴に指を入れて、
性をそそのかし、よがらせる。

同意の上。
たぶん、そうなる。
嫌なら、できないよね。

だから、認めたくはなかったけど、
私はきっと、そういう欲求が、
強くなってたんだと思う。

それだけは、かれんちゃんに伝えれなかったよ。
私は、私のことは誰も許さなくていい。

何時間か経って、それから日の出が近づいて。
体はべたついていた。
一夜が明けた。

それから、距離を空けたのは、かれんちゃんではなく私だった。
私は、あの夜に考えていた何もかもは、
戯言にしか過ぎないことを思い知った。

酔いから醒めたように、罪悪感に苛まれた。
あの夜はあまり鮮明ではなかった順ちゃんの顔を翌朝に思い出した。

かれんちゃんが起きてしまう前に服を着て、
ごめんなさい、と呟いて、
急いで部屋を出た。

何をしてしまったんだろう。
ごめんなさい。
かれんちゃんは、唯一喧嘩したことのある友達だった。
変なサークルに入りそうになった時、本気で心配して叱ってくれた人だった。
居酒屋とビルの間の細い路地に入って、私は泣いた。
なんで、こんなことになっちゃったんだろ。

私はバイトで稼いできた預金を全部おろした。
お母さんに、暫く友達の家に泊まることを伝えて。

「ひッ……順ちゃんッ……」

その足で、順ちゃんの所へ向かった。

次から順ちゃん視点

バイト帰り、家に帰ったら、荷物が届いていた。
近づいて見ると、蹲っている女性だった。
声をかけると、顔をあげた。

「あの」

酔っ払いかと思い、恐る恐る肩を叩く。

「順ちゃん……」

暗がりに、笑顔が弾ける。

「……ひよッ?」

どうしてここに。
平日だよね。
地元の大学は休みなのかな。
それとも講義がない?

「どうして……」

「きちゃった……へへ」

きちゃったって。

「連絡くれたら良かったのに」

「電話したもん」

少し頬を膨らませている。
急いでスマホを見る。

「……ごめん、確認ミス」

「いいよ。あの、もし良ければ、2、3日お泊りしてもいいかな?」

「かまわないけど……」

「わあ、ありがとお!」

「いつから待ってたの、冷えたんじゃ」

そう言って、彼女の手を握ろうとした。

「あッ」

気のせいか、避けられた。

「大丈夫だよッ」

「そ、そう?」

最近買った、人をダメにするクッションの上にひよを座らせる。

「ひよ、香水つけてる?」

「え、ううん」

「なんか、こないだと違う香りがする」

「……え」

そう言うと、服を犬みたいに嗅ぎ始めた。
慌てたように、

「お、お風呂……借りてもいい?」

「あ、うん。お湯溜める?」

「シャ、シャワーで大丈夫ッ」

「えっと、タオルと着替えある? なかったらジャージ貸すけど」

「お借りしますう……」

申し訳なさそうに言った。

ひよがシャワーを浴びている間に、
私はしゃがみ込んで息を吐いた。

最近何かと忙しく、スマホはサークルとバイトの連絡でしか使っていなかった。
漸く一息ついて、いつも通り一人の時間が過ごせると思っていたのに。

なんと今度は、友達――否、彼女が突撃訪問に来てしまった。
耐えきれるだろうか。
正直に最近疲れてるから、と言ってしまうべきか。
もし、デートとかを考えているなら断りたい。

お風呂上がりの良い香りと共に、

「きゃあ!?」

ひよが叫んだ。

「な、なに!」

「虫ッ!!」

「虫?!」

と、思ったら机の上に置いてあったチロルチョコが落ちているだけだった。

「……チョコなんですけど」

「お、お騒がせしました」

疲れてるのに勘弁して。
そう思った。

「はあ……」

「順ちゃん、いきなり来てごめん」

「いいよ、夕飯どうする?」

ひよは、お世話になるからと、ここにいる間は、
家事をさせて欲しいと言ってきた。
私は、悩んだが最終的に首を縦に振った。

その夜、なぜか私とひよは別々の布団で寝た。
曰く、順ちゃんがぐっすり眠れるようにとのこと。
なんだ、できた彼女だ。
二人で寝ると、それなりに緊張してしまう。
ありがたい。

朝。
みそ汁の良い香りと、炊きたてのご飯にお腹が先に目を覚ました。

「おはよ……」

「おはよう」

キッチン前に立って、おにぎりを握っている。

「?」

「あ、これ? お弁当、いるかなって。いらなかった……?」

「あ、いる。ありがと……いつ起きたの」

「けっこう前に目が覚めたから、気にしないでね」

「目覚ましならなかったよね」

「朝日と共に起きました!」

「すご」

いつも、朝は食べたり食べなかったり。
いつものように起きてしまった。
そう言えば、ひよが来ていたんだっけ。
靄のかかった頭で、突っ立ってひよの料理している所を見ていた。
はっとした。

「ごめん、私も手伝うから」

と、言った頃には何もかも終わっていた。

「いいの、ほらー、顔洗ってきて」

背中を押され、洗面所へ。


ご飯が美味しくて、珍しくお腹いっぱいになって登校した。
見送るひよに、なんだかむずがゆいものを感じた。

「いってらっしゃい」

「一緒に行く?」

と聞いてみると、

「うーん、やめておく」

「昼間はどうするの?」

「ちょっと、ぶらぶらしてみるね」

「わかった。気をつけなよ」

「はーい」

ひよは小さく手を振った。
私も手を振り返した。
誰かにいってらっしゃいと言われたのは、
家族以外からだと初めてかもしれないなと、
私は歩きながら思っていた。

相談する相手がいないと、
こういう時に困る。
ひよのことだ。
誰に相談できるものでもない。
普通の恋愛ですら、経験が浅いのに、
突然来訪した彼女にどう対応したらいいのか。

サークルの人間と話す機会があったので、
かなりの勇気を振り絞って、
話題を振った。

「あの、彼女が突然訪問してきたら、なんだと思いますか?」

サークルのサブリーダーは、集金袋を鞄に入れながら、
こちらをゆっくり振り向いた。

「なに、それは俺の彼女がってこと?」

「そう、です」

「音楽のこと以外で、初めて聞いてきた質問がそれかー……」

と、何やらぶつぶつ呟いて、

「まあ、別れ話だと思うけど。俺だったら」

「え」

「男は繊細なんだよ」

あごに黒い髭をふっさりつけたサブリーダーはそう言った。

まさか。
だって、まだ2ヶ月も経ってないのに。

「サブリーダー、最短で何日で別れましたか」

「お前の質問、鋭すぎんよ……」

「ごめんなさい。急を要するので」

「えっと、確か1ヶ月。いやー、あれはきつかったね。漸く口説き落とした彼女と初クリスマスデートって、所で突然訪問してきて、最初ただのお泊りかと思ってたら、いざ夜の営みってなっときに、前彼とより戻しちゃったって言われてさー。俺の何がいけなかったのかねえ」

「なにがいけなかったんですか」

「なにって、言わせんな、ばか」

サブリーダーを睨み付ける。

「こわッ、分かった、教える。最後に言われた。連絡してくれないから寂しくなったって。まめにれんらくしてくれるたっくんの方が好きって、言われた…‥って、ど、どうしたー? 何かやっちまったの? それともこれからやるのかー?」

眉間にかなり皺を寄せてしまっていた。

「おまえ、ストレスで立ちくらみ起こすんだろ? 溜め込む前に、相手に聞いたほうがいいぞ」

「あ、いえ……友達の相談だったので大丈夫です」

「そっけ」

「ありがとうございます」

サブリーダーは軽く返事して、荷物を持って部屋を出て行った。

思えば、私の言動のほとんどは受け身だったような。
確かに積極的に動いた部分もあるけれど。
お正月デートで言った言葉は、かなり無責任じゃなかっただろうか。

連絡だって無視してしまったし。
ああ、だめだ。
考え込んだらだめ。
すぐ、身体に出る。
何も考えないように。

今までは、それでもなんとかのらりくらりかわして来た。
でも、今回は、
止まらない。
考え込みたくないのに、
入ってくる。
そして、答えは自分の中にはない。

「聞かないと……いけないのかな」

まだ、まだ分からない。
もう少し様子を見よう。

それに、何もかも打ち明け合う必要なんてない。
ない、はず。
時と場合によるけど。

歌おう。
歌って発散しよう。

帰り際、横でギターを弾いていた奴に、
今日は荒れてるねと言われた。
そう、私は何かあったらすぐに顔に出る。
なのに、ひよは違う。

感情が大きく体を揺さぶっても、
それが外にあまり出にくい時がある。
もしかしたら、本人も気が付いていないのかもしれない。
そちらの方が、よほど怖い。

帰りに、スーパーで食料品を選ぶ時、
ひよの喜びそうなデザートを物色した。
こういうのをきっと楽しむべきなんだ。

家に帰ると、鍵がかかっていた。
いないのかな。

「……」

インターホンにも出ない。
自分の鍵を差し込む。
玄関には、ひよの藍色のスニーカー。
なんだ、いるじゃん。

「ひよ……」

緑のカーペットの上で、人をダメにする茶色のクッションに抱き着くようにして、
小動物のように体を縮こまらせて寝ていた。

「風邪引くよ……」

声をかけるも起きない。
開けっ放しのカーテンから下着がゆらゆらとはためいていた。
何か、恥ずかしい。ブラもパンツも干されたのか。

帰れば、いつもエアコンと冷蔵庫の音くらいしかしてなかった。
テレビはほとんどつけない。
洋楽はイヤホンで聞いていた。
人の呼吸音。
寝息と共に動く体。
ペットみたい。

人がペットを飼う理由がなんとなくわかった。
生き物は、そこにいるだけで癒される。
とりわけ、自分のことを好いてくれているならなおさら。

でも、このペットは彼女という分類だ。
そういう視点で見ると、見て触って撫でるというだけでは、ちょっと物足りないというのが普通なんだと思う。
そうやって思えるのは、私の心が少し成長しているのかな。

「私の彼女か……」

だから、ここにいる。
いてくれる。
そう考えたら、昨日の自分はなんて愚かだったんだろう。
しんどいなら、甘えればいい。
話だけでも聞いてもらえばいい。
何かしてあげたいなら、してあげればいい。
それだけ。
そばにいるだけでもいい。

彼女の隣に腰掛ける。
頭を撫でる。
今まで、感謝の気持ちを表すときにだいたいこうやって撫でていた。
じゃあ、これはなんだろ。

原点は。

「ん……ッ」

ひよがもぞりと身を翻して、離れていく。
顔はあちらに向いてしまった。

原点は。
引力みたいな感じかな。
引き寄せて、触りたいという新たな欲求。
私はいつの間にか、彼女を後ろから抱きしめて眠ってしまっていた。

ピーという音が耳に入った。
ぼんやりと、ご飯の炊けた音だと理解した。
視界には、薄茶色の髪の毛。
そして、ひよの顔。

「うん……ッ?」

「じ……ぅんちゃ……ッ」

あれ、いつの間に寝ちゃったんだっけ。

「なんで……抱きしめてッ」

そう言えば、がっつり抱きしめてしまっていた。

「ああ、うんなるほど」

「なにがッ」

「私をダメにするひよ」

抱き心地が良いとは言わなかった。
さらに強く抱きしめる。
ひよがびくりと震えているのが分かった。
ゆっくり、私の背に手を回してくる。
あ、これ欲しい。
と、寝ぼけたことを思っていた。

「あの、起きようよ、順ちゃん」

「そだね……」

いい加減寝すぎか。
夕飯もまだだし。

「今日、何作ってくれたの?」

「シチューだよ」

そう言うひよは、私から必死に抜け出そうとしている。
ぱっと離したら、反動で前につんのめっていった。

「順ちゃん! 顔、顔打った!」

「ごめんごめん」

「もお!」

ぷんぷんしながら、立ち上がってお鍋に火をかけに行く。

「んッ……」

伸びをして時計を見る。
いつもなら、寝ずに自分で準備する所だけど。
部屋も綺麗だし、これって凄いことだと思う。

男性ならこういう時に、結婚しようとかお嫁さんに欲しいとか、
感じるのかな。こういう暮らしがしたいと。

でも、ほんと。
昼間の立ちくらみが嘘みたい。
夜の閉塞感もなく。
ひよが酸いも甘いも運んでくれる。

ひよのことで一喜一憂して多少は疲れたけど。
むしろ、ひよのことをそうやって一日考えることができて、嬉しいと感じている自分もいた。

「順ちゃん、洗濯物冷えちゃうからとりこんでもらっていい?」

「あ、そうだね。ありがと」

干してある衣服の中に、見慣れない下着。
あれ、これひよのか。

「ひよー」

「なあに」

「今、下着つけてないの」

「か、買ってきたのつけてます」

「買ってきた? 言ったら貸したのに」

「サイズが……違うよ。特に、上」

「そっか」

うーん。
なんで、泊まりに来たのに、何も持ってきてないんだろう。
前回はかなり気合い入れて準備してきた様子だったのに。

「わかってること、わざわざ聞かないでよおー」

「はいはい」

サブリーダーの言葉が蘇る。
別れ話。

「あの、ひよ……大学、今休みなの?」

「え、う、うん。ちょうど、授業がなくて」

本当に?
と聞いていいのか。

「そっか。いいね。明日は、私も昼間空いてるから、どこか出かけようか。それとも、映画借りに行く?」

暗がりのキッチンで、ひよが嬉しそうに声をあげた。

「出かける! 出かけたい!」

これは、別れ話、ではないかなあ。
あれか、家出かなあ。
くだらないコメディ番組を見ながら、
ひよの作ったご飯を食べ終えて、
一緒に食器を洗いながら、私は切り出した。

「あ、のさ」

「……うん」

冷たい水が跳ねる。

「家出、してきた?」

「え、違うよ」

コップを洗う手が、わずかに止まったような。

「私は、どんな理由かわからないけどひよが来てくれて……嬉しいよ」

ガチャン、とお皿がシンクに落ちた。

「ご、ごめんねッ」

慌ててひよはお皿を掴む。


ひよがいると、夜が心地よい。
どうしようもない、あてどもない不安が軽くなる。

「彼女だからって、全部を話さなくていいと思うんだよね。でも、話したいことがあるなら言って」

お皿を洗い終え、

「そういうのは、ないかなぁ」

と、笑う。

「どうしたの、急に」

「や、だって別れ話かと思って」

あ。
口がすべった。

「別れ話? え、順ちゃん……?」

「違うよ、私は別れたいなんて」

「なんでわかったの……」

え。

「そ、そんな素振り全然……」

「え、あ」

ああ、まるで私がかまをかけたみたいになってしまった。
もう、それはどうでもいい。

「本気?」

ひよは無言で頷いた。

「元彼とより戻したくなったの?」

私は一呼吸置いて、聞いた。
ひよは無言で首を振った。

「……ひよ」

下を向く人間は、何を考えているかわかならないから嫌。
ひよの顔を両手で掴んで、上げる。

「私のこと嫌いになった?」

首を横に降る。

「冷めちゃった?」

それは、私にも責任がある。
けれど、それにも首を振る。
私は顔を離した。
目尻に涙を溜めて、また、彼女は頬を朱に染める。

「私が……ッ」

喉を鳴らした。

「順ちゃんと付き合う資格ない……ッ」

「資格って」

そんなの私なんて、人と付き合えるレベルじゃないのに。

「ひよ何が、あったの」

前に会ってから1ヶ月も経ってないよ。
それで、なんでそうなった。

「……言って」

「言ったら、思いっきり私のこと……叩いてくれてかまわないからッ……」

そんなに。

「それは、話しだいだけど」

彼女は、小さい声で、今にも逃げ出してしまうのではと思うくらい小さい声で、
カレー屋の看板娘の話をし始めたのだった。

聞かなければ良かったと思ったこと。
ひよの告白。
でも、嬉しかった。
聞かなければ良かっと思ったこと。
カレー屋の娘の話。
嫉妬や妬みはこれまでもたくさんあった。
これは、もはや憎悪に近い。
私はよろめいて、片手を壁に着いた。

聞かなければ良かった。
目の前がさあっと真っ暗になり、
軽い貧血のような状態に陥った。
立ちくらみ。

壁に背をついて、ずるずると倒れこんだ。

「順ちゃんッ!?」

私に触れるのを恐れながら、ひよが叫んだ。
言わなければ良かった。
そう思っているだろうか。

ごめんなさい、ごめんなさい。
それしか言えない人形のように、ひよは繰り返した。
暗い世界にじっと耐える。

同じ脳や心臓を共有しているわけでもないのに。
耳に入ってきた彼女の言葉を緩和させるように、体が抵抗し苦しんでいた。

思い出した。
だから、深い人付き合いを避けていたんだ。
この暗闇も。
あの吐き気も。
脳みそが飛び出んばかりの頭痛も。
全てはそこに起因する。

「ひよ……」

「順ちゃん……ッ」

まだ、謝っている。
今、彼女は何に謝っているのか。
分からない。

「あんたが、そんなに軽い奴だとはしらなかった」

ひよは傷ついた顔はしなかった。
ただ、頷いた。
唇を結んで、酷い顔だったけど。
漸く、私自身も海の底から浮き上がる。

「私にも、キス……してよ。言ったよね。知らないからさ。教えて」

ひよは首を振った。

「そんなこと言われてもね、キス嫌じゃなかったら、私きっと分かるような気がする」

それは、遠ざけてきたもの。
人が与えてくれる苦しみ。
どうして、そこに向かっていくのか。

「ほら、早く」

ひよはいや、と呟いた。
いいから、と私は言った。
彼女に、おいで、と言って両手を広げた。
本当はきっと彼女も待っていたんだと思う。
心の奥で、何度も救い上げてはまた元に戻してしまいながら。

「じゅ……んッちゃ」

驚くほどゆっくりと近づいてくる。
冷たい廊下に座り込んで、私とひよは長いキスをした。
剥き出しになった粘膜を舐め上げ、吸い付く。
ひよの柔らかな唇の気持ち良さを覚えていく。
私の許しも好意も、それは彼女への同情。

彼女さえも知らない彼女の痛み。
それを知るのは、私だけでありたい。
彼女を誰にも渡したくないのだという、強く、激しい衝動。
それこそが――。

そうして、私はまた一つ知ることになる。




おわり

4作目終わりです。
やっと、順ちゃんが一歩前進。

↑3作目の間違い

お疲れ
続き期待してる

>>42
ありがと
スレ立てる度、これでおわりにしようと思ってるから、
次も思い立ったら続きます

乙 1も2も読んだよ
もちろん4も期待してます

>>44~48
ありがとう
だんだん読みづらい文章になってるけどごめん

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