葛葉ライドウ対超弩級魔女 (104)

 繰り返す、私は何度でも繰り返す。同じ時間を何度も巡り、たった一つの出口を探る。
 あなたを、絶望の運命から救い出す道を。
 まどか……たった一人の、私の友達……

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 時は大正20年、帝都東京、矢来区築土町の一角には銀楼閣という今風のビルヂングが建っている。
 そのビルヂング内には、英国製の背広を着こなす鳴海昌平という伊達男が開く鳴海探偵社がある。
 その社長席で鳴海が朝食のバタートーストを食べていると、電話機がベルの音を鳴り響かせた。
 鳴海は「はいはい、いま出ますよ」と言う言葉をバタートーストと共に珈琲で流し込むと、電話機に手を伸ばした。

鳴海「もしもし、鳴海探偵事務所です。……ああ凪ちゃん、久しぶりだね。……えっ、ウチに来る? それはかまわないけどまたどうして……ああ、ライドウに稽古をつけてほしいのか」

 折よく、探偵事務所のドアーが開き、屋内でも外套に学帽を身につけた学制服姿の美丈夫が現れる。
 彼こそが電話口で名前の上がったライドウ。十四代目葛葉ライドウその人であった。
 閉じゆくドアーの隙間からするりと翠眼の黒猫も姿を表す、名はゴウトである。

鳴海「ライドウ、凪ちゃんから電話だ。ここでライドウに稽古をつけてほしいみたいだけど、頼めるか?」

 受話器をおさえながら尋ねる鳴海に頷き返すライドウ。

鳴海「あー、凪ちゃん? ライドウも問題ないみたいだ。それで何時から来るの?
 ……えっもう築土町に居る!? 多聞天前の自動電話から掛けてるの!?」


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第一章 時空を駆ける探偵



 しばらく後、探偵社のドアーを開いて入ってきたのは、日本人離れした顔立ちに碧眼、黒髪をクルクルと巻いた少女であった。その名を凪という。
 以前とある事件でライドウたちと知り合った、今は亡き十七代目葛葉ゲイリンを師に持ち、自らも十八代目葛葉ゲイリンを襲名することを夢見る若き悪魔召喚士である。

凪「お久しぶりです。ライドウ先輩、鳴海さん。自分に稽古をつけていただく旨、承諾してくださって感謝申し上げるプロセスです」

 ライドウは小さく礼をする。その後ろから朗らかに鳴海が凪に声をかけた。

鳴海「いらっしゃい凪ちゃん。しかし、一体なんだって電話なんかくれたんだい?
 帝釈天前まで来たならそのままうちに来ればよかったのに」

凪「以前師匠から『先方に伺う時は、事前にアポイントメントをとっておくがセオリーだ』と言われたのを思い出し、電話をしたプロセスです。よくないセオリーだったでしょうか?」

鳴海「いや、よくないセオリーではないけどね、アポイントメントってのはもっと事前に……出来るならば数日前とかに取っておくべきだぜ」

凪「ソーリー申し上げます。でもここを訪ねることをセレクトしたのは今日のことだったんです。
 用事があり志乃田名もなき神社まではるばる来たプロセスですが、そこでヤタガラスの使者に『悪魔召喚師としての実力を上げたい』と、相談したらライドウ先輩にを頼れとアドバイスされたプロセスです」

鳴海「なるほど、そういったプロセスなら、事前にアポイントメントは無理だね」

凪「あ……ヤタガラスの使者からライドウ先輩宛に封書を預かっていたプロセスです。どうぞお受け取りください」

 ライドウは凪から封書を受け取り中を改めた。

ゴウト「ふむ、凪を訓練しろとの指令書のようだな。もともと断る気もなかったが、まあ拝命するとしようぞ。なあ、ライドウ」

凪「リスペクトするライドウ先輩に修行をつけてもらえて光栄です。今日からよろしくお願いします」




 数日後、ライドウは珍しくゴウトを伴わず、短時間だけ外出していた。
 鳴海も用事で外出しており、探偵社には凪とゴウトだけが残されている。
 凪はタイプライターで報告書をしたためているゴウトに不満げに語りかけた。

凪「自分の予測のカテゴリーでは、ライドウ先輩は自分のことを甘く見ています」

ゴウト「どうしたというのだ、藪から棒に」

 前足を器用に使うも、タイプライターが猫用に設計されていない為にタイプに苦心しているゴウトは、凪に見向きもしないで返事をした。

凪「修行の内容です。師匠やライドウ先輩には遠く及ばないものの私も一人前の悪魔召喚士として認められたプロセスです。
 でもライドウ先輩が修行のために私に言いつけることは異界の雑魚悪魔退治ばかり」

ゴウト「それが不満というわけか」

凪「自分が未熟なことは承知しているセオリーですが、もう少し強い悪魔との戦いや、ライドウ先輩との組み手を希望するプロセスです」

ゴウト「我は妥当な修行内容だと思っているが、そんなに不満なら……この討伐依頼をライドウ立会いの下、完遂して見せよ」

 そういって、ゴウトは書類の束から一枚の依頼書を差し出した。

ゴウト「それだけの実力があれば、修行も次の段階、それこそライドウ相手の組手に進んでよかろう。なあ、ライドウ?」

 ゴウトの言葉に驚き、凪が探偵社のドアーを見ると、いつの間にか戻ってきていたライドウが首肯していた。

凪「ライドウ先輩との組み手……その討伐依頼、今すぐにでもチャレンジを希望するプロセスです」

ゴウト「そうか、では、鳴海が戻ったら留守を任せてすぐにでも行くとするか。いい加減報告書の作成にも疲れてきたところだ。まったく、猫の身にはタイプライターは理不尽よ」




 丑込め返り橋、矢来区筑土町の南端に位置する、筑土町の玄関口ともいえる橋である。
 ライドウ、ゴウト、凪の三名は異界のそこにいた。凪の肩には着物を着た妖精、ハイピクシーがとまっている。

ゴウト「凪、そこの黒い固まりに気を付けろ。あれはアカラナ回廊の入り口だ。
 中には迷宮となっているうえに強力極まりない悪魔がうようよしている。今のうぬでは絶対に勝てん。決して触れるな」

凪「触れるなのセオリー、了解したプロセスです」

ゴウト「討伐依頼には『赤い軍人の幽霊を見た』とある。
 ライドウが確認したところによれば、ちょっかいを出さねば害は無いようだが、ヨミクグツという悪魔が二体ここらをうろついている。其奴らの内一体を見事倒して見せろ」

凪「その悪魔を倒せれば、ライドウ先輩が手合わせ、手解きしてくれるセオリーですね」

ハイピクシー「凪~、一緒に頑張ろうね~」

 呑気なハイピクシーの呟きに混じり軍靴の音が響いてきた。

ゴウト「一体来たようだな。もう一体が現れたらライドウが始末する。
 それ以外にも本当に危ない時はライドウが助力するが、それに頼っては訓練にならぬ。
 危険と自分で判断したら素直に逃げるのだ。引き際を見極めるのも実力の内ぞ、では行け」

 凪は、一度ライドウに視線を向けた。ライドウの僅かな頷きを確認すると、凪も頷き踵を返しヨミクグツへと向かっていった。

凪「そこの悪魔、止まりなさい。自分は十七代目葛葉ゲイリンが弟子、凪。帝都の平穏を乱す貴殿を退治に来たプロセスです」

 凪の言葉に振り返るヨミクグツ。奇妙な面を着けた全身真っ赤な憲兵の姿をした悪魔である。

ヨミクグツ「自分はヨミクグツであります。大堂寺家の令嬢を探しております。退治される訳にはいかないので応戦するであります。すわっ」

 言い終わると同時にヨミクグツは凪に襲い掛かった。
 熟達した白兵技術からなる連撃を、短刀でなんとか受け流す凪。
 ハイピクシーは二人から距離を置き、火炎属性の魔法でヨミクグツの体力を削っていた。

ゴウト「凪も意外とやるではないか。これならば勝てるかもしれんな」

 ライドウは前半には頷いたものの後半は否定する。
 凪の回避・防御技術は思う以上に優れているが、ヨミクグツの攻め手はそれ以上に熟達している。
 凪も要所毎に攻め、相手の手数を防御に割かせねばこのまま押し切られるだろう。
 ハイピクシーの攻撃魔法ではそれまでにはヨミクグツを倒しきれないとライドウは読んだ。
 その読みどおり、次第に凪は劣勢となっていく。

ハイピクシー「凪! やばいよ。このままじゃ勝てない。一旦退却しよう」

凪「で、でも……」

ハイピクシー「ゴウトも言ってたでしょ、引き際を見極めるのも実力の内だよ」

凪「クッ……」

 凪は悔しさに顔を歪ませながら撤退した。




 鳴海探偵社に帰り、悔しがる凪をゴウトが慰める。

ゴウト「凪よ、落ち込む事はない。あのライドウとて帝都守護の任を受けて間もない頃、まさにあの丑込め返り橋でヨミクグツ相手に勝ちを拾えなかったことがあるのだ」

凪「ライドウ先輩が……」

 凪がライドウに視線を向けるとライドウは顔を伏せ帽子を目深にかぶりなおしていた。

ゴウト「そうだ、その後異界の悪魔どもを相手に経験を重ね、ヨミクグツを一蹴できる程の悪魔召喚師となったのだ。
 それに我は引き際を誤らず無傷で戻った事を評価しておる。無傷で相手の戦力を測ることが出来たのだ。十分な戦果ではないか」

 しかし凪の顔は晴れない。

ゴウト「明日は我とライドウは片付けねばならぬ仕事が山のようにある。鳴海と共に探偵社で留守を頼む。
 その間に今日の戦いを振り返るのだな。案外戦術を練れば勝ち筋が見えるかも知れぬぞ」




 翌日、ライドウは帝都を駆け回り様々な依頼をこなした。
 夕方までかかるかと思っていたが、想像以上に仕事がはかどり、昼過ぎ頃には探偵社に戻ることができた。

ゴウト「やれやれ、仕事がはかどってついていたな、ライドウ。ん? 事務所で誰か倒れて……凪!」

 事務所の入り口からは見えなかったが、傷だらけの凪が床に倒れていた。ライドウは仲間の魔法で凪の傷をいやし、長椅子に横たえた。

ゴウト「幸いにも命に別状は無いようだな。跡に残りそうな傷もない。しかし一体どうしたというのだ……。鳴海! 鳴海もいないぞ!
 奴は今日も一日サボり……いや、内勤の予定だったのに」

 ライドウはゴウトを落ち着かせ、封魔管から一体の仲魔を召喚した。
 緑色の人形のような体と、四肢と頭の先端に赤く切り株のような断面をもつブーメランを持った仲魔、モコイである。

モコイ「ハロー、サマナーくん。寝ている女の子の心を読むのネ。意外とムッツリ」

 モコイは読心術を試みた。凪の記憶が断片的に脳裏に浮かんでくる。

§§§凪の記憶§§§

 ライドウが出かけた部屋で、思いつめた表情の凪が鳴海に話しかける。

凪「鳴海さん、ヨミクグツへのリトライの立ち合いをお願いするセオリーです」

ハイピクシー「ねえ、やめとこうよ、凪。絶対ライドウに怒られるって」

鳴海「ライドウから聞いているよ。でも危ないんじゃないかな? 俺、俺悪魔召喚師じゃないぜ。いざという時に助けることはできない」

ハイピクシー「ほら、鳴海もこう言ってるじゃん。やめといたほうがいいって。ライドウに嫌われちゃうよ」

凪「ノープロブレムです。ヨミクグツ一体に勝つセオリーはすでに予測のカテゴリーですし万一の引き際のセオリーも承知しています。
 異界の雑魚悪魔からなら自分が鳴海さんをお守りするプロセス。ヨミクグツが二体同時にいた場合は諦めて出直すセオリーです」

鳴海「そうは言ってもね、やっぱり止めたほうがいいセオリーだぜ? 明日にでもライドウに立ち会ってもらったほうがいい」

凪「お願いです鳴海さん。自分は一日も早く立派な悪魔召喚士に、ゲイリンの名を継ぐに相応しい悪魔召喚士になる必要があるセオリーです」



 脳裏に浮かんだ記憶はここで一端途切れ、場面が変わった。



 異界筑土町、丑込め返り橋付近の物陰から凪と鳴海とハイピクシーが橋の上を伺っている。

鳴海「凪ちゃん、今ならヨミクグツは一体だけだ。俺はここで隠れて見ているから行ってきな。
 くれぐれも無理だけはするなよ。危ないと思ったらすぐに逃げるんだ。」

凪「任せてほしいセオリーです。もう一体が現れないうちに手早く倒すプロセスです」

ハイピクシー「凪、やると決めたら早くいこーよ。でもさっき言った通り、ライドウやゴウトに怒られても知らないからね」



 脳裏に浮かんだ記憶はここで一端途切れ、場面が変わった。



 丑込め返り橋の上で凪とヨミクグツが切り結んでいる。
 昨日とは違い凪の方からも攻めており、ヨミクグツは防御に手間を取られ十分に攻められずにいた。

凪「ここです!」

 攻防のわずかな隙を突き、凪の渾身の突きがヨミクグツの胸を貫いた。
 一拍遅れて力なく崩れ落ちるヨミクグツ。その体はマグネタイトをまき散らしながら消滅していった。

凪「刃渡りの短い武器の使い手ならば……『斬る』よりも『突く』が攻撃のセオリー。師匠、ありがとうございます」

ハイピクシー「やったね、凪」

 残心を忘れて立ち尽くす凪の耳に鳴海の叫びが届く。

鳴海「危ない! 凪ちゃん」

 鳴海の体当たりが凪を突き飛ばした。
 直後、その鳴海の体をもう一体のヨミクグツの蹴りが吹き飛ばしす。
 鳴海は地面を転がり、アカラナ回廊の入り口から生えた無数の黒い手がその体をつかむ。鳴海はゆっくりとアカラナ回廊に飲み込まれつつあった。

凪「鳴海さん!」

ハイピクシー「鳴海!」

鳴海「何をやっている! 早く逃げろ! そしてライドウにこのことを伝えるんだ! 俺のことは心配するな。ライドウが助けに来るまで何とか逃げ回るさ」

ハイピクシー「凪、いったん戻ろう」

凪「でも、自分のせいで鳴海さんが……こういったときはどうするのがセオリーなのか」

ハイピクシー「アカラナ回廊内は迷宮になっているうえ強力な悪魔が居るんだよ、凪が入った戻ってこれないかもしれない。
 凪が戻れなくなったらこのことを知る人はいなくなっちゃうんだよ。鳴海を追うよりも今はライドウに知らせるのが大切だよ」

 迷う凪にヨミクグツの回し蹴りが迫まる。
 間一髪のところをハイピクシーにかばわれ、致命傷に至らずに済んだ。しかし、ハイピクシーはその体を保つことが出来ず、マグネタイトをまき散らしながら凪の封魔管へと戻っていく。
 絶望の表情に涙を浮かべる凪は、ヨミクグツに多数の傷を負わされながらも辛うじて逃走に成功した。



§§§凪の記憶終了§§§

ゴウト「チッ、面倒なことをしてくれた。
 だが、ゲイリンの教えを生かしていること、ヨミクグツを単独で撃破したこと、先走ってアカラナ回廊に入らなかったことは評価してやる。
 ライドウ、凪に書置きをしてアカラナ回廊に急ぐぞ!」





 ライドウが異界筑土町、丑込め返り橋にたどり着くとヨミクグツが目を血走らせていた。

ゴウト「ライドウ、あんな奴に時間を取られている場合ではないぞ」

 走りながら腰にさした退魔刀、陰陽葛葉を抜き必殺の突きを放った。的殺とも呼ばれるライドウの奥の手はヨミクグツの急所に突き刺さり、即死させる。
 マグネタイトをまき散らすヨミクグツを一顧だにせず、ライドウとゴウトはアカラナ回廊入口に身を投じた。
 アカラナ回廊内を、思念体や悪魔に目撃情報を求めながら進むライドウ。
 時間と空間を超越し、あらゆる時空間へとつながるアカラナ回廊。無限の分岐を目撃証言を頼りに未来へ未来へとライドウは進んでいった。
 ライドウの時代から80年ほど進んだ地点で、そこに立ち尽くす悪魔、フツヌシから重要な目撃証言を得た。

フツヌシ「背広姿でモジャ毛頭の中年か。確かに先ほど会ったぞい。
 こんなところに人間がいるなど珍しくて声をかけたんじゃが、驚かせてしもうたみたいでのぅ。
 あやつは飛びのいたはずみに足場を踏み外して、足場から落ちてしもうた」

ゴウト「何だと! こんな所から落ちたら別の時代どころか、異世界にすら落ちかねんぞ!
 いや、最悪の場合、どこの世界にも落ちずに永遠に時空の狭間を落下し続けることになるかもしれん」

フツヌシ「時空の狭間を落ちて行き着く先はその者の想いに左右されるんじゃ。
 あのモジャ毛頭に自殺願望が無ければ何処かの世界で生きている可能性もあるぢゃろうよ」

ゴウト「フム、ならば我等も鳴海のことを想いながら落ちれば、鳴海の奴を追うことも可能か……。
 しかし、次元の狭間に落ちるのは危険極まりない。どうする、ライドウ。鳴海を追うか、それとも……」

 ライドウは迷わず追うことを選択した。

ゴウト「そうか、そうだな。ではまずは異なる世界へと渡る力を持つ神具、天津金木を用意するぞ。帰りの手段を確保してから鳴海を追うのだ」






 ライドウとゴウトは志乃田名も無き神社で天津金木を借り受けるべく、ヤタガラスの使者に事情を説明した。ただし、凪の独断は伏せてある。

ヤタガラスの使者「なるほど、事情はわかりました。貴方にはこの天津金木を与えましょう」

 ライドウは、天津金木を受け取った。

ヤタガラスの使者「また、貴方も知ってのとおり天津金木は人々の想いを蓄えて働く神具。微力ながら貴方と鳴海が無事に帰れるよう私も助力しましょう。
 十四代目葛葉ライドウ。あなたなら成し遂げられると信じています」

 ヤタガラスの使者の言葉に合わせて天津金木が輝いていく!

ヤタガラスの使者「さあ、鳴海と縁の深い者の想いを集めるのです」





 鳴海探偵社では凪が目を覚ましていた。ライドウは凪に状況を説明した。

凪「そんな、自分のせいで鳴海さんがビッグなピンチに……」

 凪は強い衝撃を受けているようだ。

凪「ライドウ先輩。自分は己の未熟さに恥じ入るばかりです。
 本来なら鳴海さんの救出のプロセス、自分が担うがセオリーですが、自分の予測のカテゴリーでは力不足。ライドウ先輩に同行しても足手まといのセオリーです」

 凪の声は弱弱しい。

凪「お願いです。ライドウ先輩。こんなこと頼めたセオリーではありませんが、どうか鳴海さんを助けてください」

 ライドウは凪に力強く頷いた。

凪「ライドウ先輩と鳴海さん、二人が無事に戻るセオリーを希望します」

 凪の言葉に合わせて天津金木が輝いていく!
 それを確認すると、凪は安心したのか再び意識を失う。しかし先ほどまでとは違いその表情は安らかに見えた。

ゴウト「……どうやら天津金木に力が宿ったようだ。しかし、まだ足りぬ」





金王屋主人「なにィ、鳴海ィの奴が行方不明じゃとォ!? じゃったらツケの支払いはどうなるんじゃァ!?」

 金王屋主人はしばし悩むと、名案が浮かんだとばかりに表情を明るくした。

金王屋主人「小僧、鳴海探偵社に依頼じゃ。鳴海の奴を探し出してくれ。あやつには大分ツケがたまっておるからのぅ」

 金王屋主人は店内の売り物をゴソゴソとあさっている。

金王屋主人「報酬は前払いでくれてやる。この光の弾倉なんかどうじゃァ、掘り出しもんじゃぞォ?
 何ィ、もう持ってるじゃとォ。そういえば以前買っておったなァ。
 じゃあ、こっちのソーマをくれてやるわいィ。非売品じゃぞォ」

 ライドウはソーマを1個手に入れた。

金王屋主人「早いとこ鳴海の奴を捕まえてきてくれィ。小僧も帰ってきたらじゃんじゃん買い物して行ってくれよォ」

 金王屋主人の言葉に合わせて天津金木が輝いていく!

ゴウト「……どうやら天津金木に力が宿ったようだ。しかし、まだ足りぬ」






風間刑事「何だって? 鳴海ちゃんが行方不明? それで警察部に動けっていうわけ?
 大丈夫だよライドウちゃん。鳴海ちゃんは殺したって死なねぇから」

 風間刑事は明るく笑っているが、心配そうな表情を隠せていない。

風間刑事「鳴海ちゃんの行きそうな場所ならライドウちゃんのほうが詳しいだろ? 探して連れてきてやってくれよ。
 また鳴海探偵社様に頼みたいこともあるんだよ。ライドウちゃんはともかく、鳴海ちゃんはどうせ暇なんだろ? 頼むよ」

 風間刑事なりに鳴海を心配しているようだ。
 風間刑事の言葉に合わせて天津金木が輝いていく!

ゴウト「……どうやら天津金木に力が宿ったようだ。しかし、まだ足りぬ」





タヱ「鳴海さんが行方不明ですって!?」

 タヱは取り乱したが、すぐに落ち着きを取り戻した。

タヱ「きっと、『葛葉』さんにしか理解できないような原因で行方不明になったのよね。
 でも鳴海さんを助ける手立てはある。きっとそうなんでしょ? そんな顔してるもの」

 タヱはライドウの手を両手で優しく包み込んだ。

タヱ「詳しくは聞かないわ。でも……ライドウ君の思う通りのやり方で自信を持ってやり遂げてきなさい。
 帝都で暴れた怪物やあのアポリオンからみんなを守ったライドウ君だもの、きっとできる。
 あたしには理解できなくても……それでも応援してるわ。鳴海さんを助けてあげて!」

 タヱの言葉に合わせて天津金木が輝いていく!

ゴウト「ライドウよ、天津金木には十分に力が宿ったようだ。アカラナ回廊から鳴海の奴を追うぞ!」






 アカラナ回廊、2010付近の地点。フツヌシの証言から鳴海が落下したと思しき地点にライドウとゴウトは立っていた。

ゴウト「ここから落下すれば、そこはもう次元の狭間だ。常に意識を強く持ち、鳴海のことを強く想え。鳴海が落ちた世界を引き寄せるのだ」

 ライドウは力強く頷き、足場から飛び降りた。ほぼ同時にゴウトも続く。
 幾多の異世界がライドウの視界を掠めていく、各々特色が強く、それらの中には先日訪れた地獄の荒野もあった。
 しばらく落ち続けると同じような世界ばかりが目立つようになる。ライドウたちはその内の一つに吸い込まれていった。





第一章 時空を駆ける探偵 完


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第弐章 悪魔召喚師と魔法少女



 次元の狭間を抜け、ライドウが降り立ったのはそう広くない個室であった。
個室に設置されている机では見覚えのある後姿が何やら作業をしている。
 一瞬遅れて出現したゴウトが、机の上に落ちる。一拍遅れて悲鳴が上がった。

鳴海「あー! 成功目前のトランプタワー7段が! って、ゴウトちゃん!?」

 鳴海は驚いて立ち上がり振り返りライドウと目が合う。とたんに鳴海はライドウに抱き付いた。

鳴海「ライドウ! きっと助けに来てくれると信じていたぜ。
 ライドウがここに来てくれたってことは、凪ちゃんは無事に探偵社に戻れたんだな?」

 ライドウは頷いた。

ゴウト「やれやれ、心配したがどうやら無事だったようだな」

鳴海「ありがとうライドウ。お前が来てくれて本当に心強いぜ。地獄で仏とはこのことだ。
 ライドウの報告で異世界や未来過去につながるアカラナ回廊の存在は知っていたが、まさか自分が異世界に来ちまうとはな」

ゴウト「さて、鳴海と合流さえしてしまえばこの世界に用はないな。さっさと帰るとしよう。
 術を行う場所は境界を表す場所……橋などであればどこでも構わぬ。
 この世界にとっての異分子、異世界の存在である我らがいるのだ。我らの知る異界以上に異世界への扉は開きやすいはず」

 ライドウは鳴海に近辺にある橋の場所を聞いた。

鳴海「ああ、近くに見滝原大橋という巨大な鉄橋がある。俺たちの探偵社に帰る手段がそこにあるんだな?」

 ライドウは頷いた。

鳴海「よし、じゃあ早速行こうぜ。と、その前に、ライドウの格好で外をうろつくのはまずいな、外套をつけていても帯刀しているのがわかるぜ。
 いくらもう夜更けとはいえ、通りには人通りが多い。このまま外に出たら警察沙汰だぜ。とはいえ置いて行く訳にもいかないだろうし……」

 それを聞いてライドウは、いったん退魔刀、拳銃を外し丸腰となる。
 ただし丸腰とはいってもそれは一般人から見た場合のことであり、悪魔召喚士最大の武器である封魔管は装着したままである。
 その姿でもみあげから一本の毛を抜き、その後再び装備を身に着け、一本の封魔管を手に取った。
 召喚のために生体マグネタイトを展開するが、体から放出した生体マグネタイトは何かに吸い取られるかのごとく掻き消える。
 召喚に必要なだけのマグネタイトを保つには、普段の数倍以上の消費を強いられてしまう。
 予想外のマグネタイトの消費に顔をゆがめながらも、ライドウは鉛色の体毛を持つ羊のような姿をした仲魔、トウテツを召喚した。
 同時にライドウが光に包まれると、ライドウの姿が、丸腰のライドウへと変化した。

ゴウト「フム、擬態の効力が身に着けているものにまで及ぶことを利用し、装備を隠したのか。頭を使ったな。ライドウ」

鳴海「報告では聞いていたが、それが仲魔の力を借りた擬態か。身に着けている物も変化するんだな。
 ライドウがライドウに擬態するってのも変だが、それなら帯刀していることもわからない。よし、その恰好なら問題なさそうだな」

ゴウト「だがライドウよ。今の召喚術、生体マグネタイトの消耗が妙に激しかったように見えたが……?」

 ライドウは、体から離れたマグネタイトが異様な勢いで掻き消えてしまうことをゴウトに説明した。

ゴウト「……なるほど、どのような理由かはわからぬが、異界の地であることを思えばそれも不思議ではないのかもしれぬな。
 考えても仕方がない。では行くとしようぞ」






 鳴海の先導で、ライドウは先ほどまでいた建物、鳴海が言うにはビジネスホテルを後にした。
 道すがら、鳴海がライドウに話しかけてくる。

鳴海「ライドウ。いくらおまえでも異世界に渡るには危険があったんじゃないか?
 俺が言えた義理じゃあないがそれでも言わせてもらうと、おまえの双肩には帝都の命運がかかってるんだ。
 俺一人の命のためにおまえの身を危険にさらすなんて危ない真似、今後はやめてくれ。
 俺のためにおまえが死ぬなんてことになったら、俺は悔やんでも悔やみきれないぜ」

 しかし、ライドウは鳴海の言葉に同意は示さなかった。そんなライドウを気にせずに鳴海は続ける。

鳴海「でも、本当にありがとうな。そんな危険を冒してまでこんな気味の悪い世界へ俺を助けに来てくれて。
 俺は本当にうれしいよ。矛盾してるかもしれないがどっちも本心だ」

 鳴海の言葉にライドウとゴウトは周囲に視線を巡らせた。

ゴウト「気味の悪い世界? 見たところ町は清潔で治安もよく、夜中にもかかわらず活気もある。
 文明は発達しているようで見たこともない装置が並んではいるが、とても気味が悪いようには思えん。
 どういうことであろうな、ライドウ」

 ライドウは、鳴海に「気味が悪い」の真意を問いただした。

鳴海「ああ、そういえばまだこの世界のことについて説明していなかったな。
 どうやらこの世界は俺たちの日本とは違う日本の80年ほど未来の世界みたいなんだ」

 鳴海はいったん言葉を切り、頭を掻く。

鳴海「どうやら、この日本では大正は15年で終わってしまったらしい。
 だからこの世界と俺たちの時代とは繋がっていない、もっと過去の時点で分岐した平行世界って事で良いと思う。
 まるで空想の読み物みたいな話だけどな」

 ここで鳴海の表情が少し曇り、真剣なものとなった。

鳴海「で、ここから先が俺が気味が悪いといった理由なんだ。この世界は、何故かこの1箇月程を繰り返している。
 俺がこの世界にたどり着いてから1週間くらい後、ふと眩暈がしたと思ったら1箇月ほど時間が遡っていたんだ。
 聞いているライドウも訳が分からないだろうけど、俺も訳が分からなかったぜ」

 理解が追い付かないながらも、興味を抱いたライドウはより詳細な説明を求めた。

鳴海「俺がこの世界にたどり着いたのは……日付でいえば確か丁度今日くらいだったかな。
 その後、この世界の常識を知らないばかりにちょっと問題が発生してね。ちょっと怪我をして警察に捕らえられたんだ。
 そのまま数日間、檻の中で大人しくしていたら、気が付けば病院の病室に立っていたんだ。
 別に、俺が病院に担ぎ込まれたって訳じゃないぜ。
 その病室には病床は一つ、すでに女の子が入院してたからな。
 それに数週間は治らないだろうと思っていた怪我も完治していたし、警察に取り上げられていた拳銃や壊れた懐中時計も治って懐に収まっていた。
 普通じゃ考えられない現象だろ?」
 
 鳴海は不快そうな表情を浮かべている。

鳴海「面食らいながらも女の子が寝ているうちに病院を出て、新聞で日付を確認したら、1箇月前に時間が遡ってた。まったく、訳が分からないよ」

 鳴海はおどけた様に肩をすくめて見せ、言葉をつづけた。

鳴海「それからは一箇月ほどの期間を何度も繰り返した。今が6回目だ。
 過去に戻るのは必ず大嵐の日、戻る先は必ず同じ日の同じ場所、女の子の入院している病室だ。
 時間を遡る度に持ち物や体の状態なんか、俺の記憶以外は最初の状態に戻る。
 3回目なんか、ひどい交通事故にあったんだぜ。直前までの記憶しかないがあの状況じゃあ少なくとも大怪我を、下手をすれば死んじまってたはずだ。
 それでも気づけば同じ時間、同じ場所にに五体満足で戻っているんだよ。気味が悪いったらありゃしない。
 どうだ、ライドウ。俺、ゾンビーや幽霊になってないよな?」

 ライドウとゴウトは鳴海の様子をよく観察したが、元の世界に居た頃の鳴海と何ら変わるところはなかった。

鳴海「それと同じくらい奇妙なことに、この世界の人々は時間が遡っていることに気が付いていないんだ。
 つまり、俺だけが記憶を持って何度もこの一箇月を過ごしているみたいなんだ。
 まあ、おかげで競馬で稼がせてもらって、優雅なその日暮らしを送れていたわけだけどな」

ゴウト「……聞けば聞くほど奇妙な話よ。鳴海が気味が悪いというのも頷ける。ただ冗談を言っている風でもないな」

 ライドウはゴウトに同意した。

鳴海「まあ、異世界っていうくらいだから、俺たちの常識じゃ測れないものなのかもしれないけどな」






 そんな会話をしているうちに三者は見滝原大橋へと到着した。

 橋の入り口に立ち、懐から天津金木を取り出す。天津金木は何に支えられるわけでもなく宙に浮かび、ライドウの眼前に漂う。
 ライドウは眼を閉じ、精神を統一させ祝詞を唱えた。

ライドウ「トホカミ エミタマ トホカミ エミタマ アハリヤ アソバストマウサヌ アサクラニ」

 祝詞に合わせ天津金木は回転を始め、その速度がどんどんと増していく。

ライドウ「イブキドヌシトイフカミ オリマシマセ フルベ ユラユラト フルベ……」

 ライドウの脳裏に、ヤタガラスの使者、凪、金王屋主人、風間刑事、タヱの顔と言葉が浮かぶ。

ライドウ「ハラヘヤレ ハラヘヤレ」

 ライドウが祝詞を終えると同時に、天津金木は猛烈な光を放ち……それ以外に何も起こらなかった。
 天津金木は力を失っている。
 周囲を見渡すが、術を行う前と比べてなんら変わったところはない。アカラナ回廊への扉は開かなかった。

ゴウト「なんだと! 術をしくじったか!?
 ……いや、我が見たところ、術は完全であった。なのに、どうしてアカラナ回廊への入り口が開かぬのだ!?」

鳴海「なんだかよくわからないが、失敗したのか?」

 離れてみていた鳴海も不安げに近寄ってきた。
 鳴海に原因不明の失敗をしたことを告げていると、視界の端で何やら白い影が動いた。
 ライドウは反射的に目で追い、ゴウトと鳴海もそれに続く。
 橋の欄干の上に白い猫ほどの大きさの生き物が座っている。

白い生き物「未知のエネルギーの放出を感知したから様子を見に来たら、ぼくの姿が見える男性……それに猫に出くわすとはね。
 君たちはいったい何者だい?」

鳴海「喋った!? なんだこいつ!?」

 鳴海が驚きの声を上げる。

白い生き物「やれやれ、先に質問したのは僕なんだけどね。
 僕はキュゥべえと呼ばれている。素質を持った少女を契約により魔法少女にする存在さ」

ゴウト「……悪魔か? それともこの世界では口を利く動物が珍しくないのか?」

キュゥべえ「悪魔とはご挨拶だね。
 しかし驚いたよ、口を利く動物とは正に君の事じゃないか。まさか猫が喋るなんて思いもよらなかったよ。
 重ねて尋ねるけど君たちは何者だい? その猫の発言からすると、もしかして異世界人なのかい?」

 ライドウは自分達が異世界からやってきたことをキュゥべえに告げた。

キュゥべえ「なるほど、にわかには信じ難いけど、君たちが何らかの手法で未知のエネルギーを放出していたのも事実だ。
 それが真実なら僕達にとって非常に興味深い事だよ。よかったら詳しく話を聞かせてもらえないかな?
 もしかするとなにか力になれるかも知れない」

鳴海「ちょっと待ってくれないか、キュゥべえさん。俺たちから見て、君はまったく得体の知れない相手なんだ。
 おいそれと自分の事情を一から十まで説明する訳にはいかない。少し相談をさせてくれないか?」

 鳴海はライドウとキュゥべえの間に割り込みキュゥべえに告げた。

キュゥべえ「もちろんかまわないよ」


 キュゥべえの答えを受け、鳴海はライドウの肩を抱き、ゴウトの近くにしゃがみこんだ。

鳴海「いやぁ、ゴウトちゃん本当に喋ってたんだな。ライドウから聞いてはいたが、正直半信半疑だったよ。ライドウ、通訳を頼んでいいか?」

 ライドウは頷いた。

鳴海「ありがとう。さて、この世界では……俺たちの世界と同様、異世界の人間なんて殆ど空想上の存在なんだ。
 あんまり俺たちの事情を説明すると、下手すれば捕まって実験動物にされちまうかも知れないぜ。
 実験動物は言いすぎでも、何らかの不利益を被るかも知れない。
 だいたい、俺たちにはこの世界で何を信頼出来て何を信頼できないか、それを判断するだけの経験だってないんだぜ。
 あのキュゥべえが何者かわからないし、慎重に考えた方がいいぜ」

ゴウト「しかし、我等の用意した帰りの手段、天津金木の秘術も原因不明の失敗に終った。
 仮に失敗の原因を独力で排除したとしても他者の思いの力を蓄えねば再度秘術を行えぬ。
 他の手段に頼るにも当然この世界の者の協力は不可欠だ。
 どちらにせよ他者の力がなければ我等はもとの世界に帰れぬのだから、事情を説明して協力を仰ぐしかないのではないか?」

 鳴海の不安もわからないでもないし、ゴウトの言い分ももっともである。
 ライドウは、仲魔の力で読心術を行いながらキュゥべえと交渉する事を提案した。

ゴウト「ウム、それがいい。今は事態を動かさねば何も始まらん」

鳴海「なるほど、確かにあいつが何を企んでいても、事前に対応が出来るな。
 よし、ライドウ。それならば俺も交渉に賛成だ。ライドウは読心に専念してくれ。俺が交渉してみる」

 鳴海とライドウは立ち上がり、キュゥべえに向き直った。

キュゥべえ「話はまとまったかい」

 ライドウがモコイを召喚する。やはりマグネタイトの消費は異様に激しい。
 ライドウの召喚術を目の当たりにしたキュゥべえは目を見開いた。

キュゥべえ「君達には本当に驚かされる。今新たに現れたのは君たちの仲間かい?
 魔女のようにも見えるけど僅かな差異もみられる。
 僕達のデータベースにある地球上はおろか、宇宙中の既知の範囲に存在するどんな生物のカテゴリーにも該当しない。
 君達が真に異世界の住人だと、今確信したよ」

モコイ「誰っスか、コイツ。ボク、けなされてる? ちょっぴりハートがブロークン」

ゴウト「こやつ、悪魔が見えるのか」

 ライドウはモコイに読心術を試みさせ、鳴海に準備がよいことを目配せで伝えた。

鳴海「ああ、我々の仲魔だ。と言っても俺には見えないが。
 詳しい事情説明はこいつの立ち会いの下で構わないかい?」

キュゥべえ「勿論さ」

鳴海「それじゃあ説明するよ。実は……」

 ライドウは鳴海とゴウトが現状を説明する間、キュゥべえの心の声に集中したが、異世界、異世界へ渡る技術、異世界の技術に興味を示す他、口に出す事以外は考えていないようであった。

キュゥべえ「なるほどね、君達の現状は理解したよ。
 超自然的な能力を持つライドウやゴウトはともかく、鳴海に僕が見るのは異世界人であることが原因なんだろうね。
 メカニズムは不明だけど」

 異世界からやってきたという荒唐無稽な話を、キュゥべえは疑うそぶりもなく信じたようであった。

キュゥべえ「さて、まず君達に伝えなければならない事は、僕の知る限りこの世界には異なる宇宙……君たちの言うところの異世界へ渡る技術は無いってことだ。
 理論上異世界の存在は指摘されていたけど、直接的に確認できる証拠っていうのは君達の存在が初めてじゃないかな」

 可愛らしい仕草で語るキュゥべえだが、表情の変化どころか口さえも動かさず喋るキュゥべえはどこか不気味であった。

キュゥべえ「つまり、君達が帰る手段は今のところ、君達の保有する天津金木の秘術と言う技術しかない。
 そしてその秘術が失敗に終った理由だけど、一つの仮説を立ててみた」

 キュゥべえの台詞は、読心術により聞こえてくる心の声とは寸分の狂いもない。
 今までライドウの経験したことのない、異様な事態であった。
 とはいえそれは、キュゥべえに二心が無いということなので喜ばしくはあった。

キュゥべえ「鳴海が言うには、同じ時間を何度も繰り返しているそうじゃないか。それを信じれば、本来過ぎ去ったはずの時間の中に僕達は居ることになる。
 時間にとってはイレギュラーな事だ、大きな負荷と歪みが生じているはずさ。
 そして時間と空間は密接な関係がある。表裏の関係と言ってもいい。
 時間の歪みが空間の歪みとなって天津金木の秘術を妨害しているんだろう。
 鳴海の言う『過去に戻る日』を過ぎてからもう一度秘術を行えば今度は上手くいくはずさ。
 まあ『過去に戻る日』を過去に戻らずにやり過ごす方法は不明だけどね」


 ライドウの様子を時折伺いながらも鳴海は質問した。

鳴海「どうして俺だけ記憶を持って時間を遡れるのかはわからないかな」

キュゥべえ「僕には時間の遡りが認識できていないからわからないけど、君が異世界人だからとしか考えられないよ。
 情報が少なすぎて原理はわからないけどけどね」

鳴海「時間を遡った際、必ず病室にいるのは?」

キュゥべえ「これも仮説だけど、鳴海にとって最初に過去に戻るとき、時間を遡らせる何者かが君の扱いに困ったんだろう。
 君がこの宇宙にやってくる以前には当然君はこの宇宙に居ないため、宇宙の外に鳴海をはじき出さなくては鳴海という存在の時間的連続性が保てず矛盾が発生する。
 しかし、宇宙の外にはじき出すことはさっき言った理由で出来ない。
 扱いに困った何者かは、遡った先の時点で適当な場所に鳴海を配置するという仮処理をしたんだ。
 その適当な場所と言うのは意味のないランダムに決められたものなのか、時間を遡行させる何者かにとって何らかの意味がある場所なのかは判断がつかないけどね。
 もう一度遡ってライドウやゴウトが同じ病室にいれば後者、そうでなければ前者だろうね。
 鳴海にとっての二周目以降は、ただ単に時間が遡って、その周の最初の位置と状態に戻ってるだけだと思うよ」

ゴウト「時間遡行の原因にはなにか心当りはないか?」

キュゥべえ「これが原因と断言できるほど確信を得られる様な物はないよ。でもこれは恐らく人為的なものだと思うよ。
 さっきの仮設だと、一周目に鳴海が遡行した際、鳴海の体は本来そこにあるべき塵や空気を押し退けて配置されたことになる。
 これは恐らく時間遡行の原因が、意識的か無意識にか、塵や空気より鳴海を……というよりは人間を優先して配置した事による。
 そうでなければ鳴海の体と空気がモザイク状に入り交じって出現して、全身に細かい亀裂が入り、血を吹き出しながら直ちに死亡したはずだ。
 鳴海が生きていること自体が時間遡行が人為的な物である明確な証拠であると言っていい。
 まあ、人為的と言っても文字どおりの人の仕業とは限らないけどね。
 捜し出すヒントは前の周と変わっていることを見つけだすことだ。
 人為的な時間遡行なら何者かが何らかの目的でそれを成しているはずだ。
 だったら、その何者かも前の周の記憶を持ち何らかの目的の為に行動していると考えるのが自然だ。
 とすれば、前の周と今の周の違いは君達かその何者かが原因としか考えられないからね」

 鳴海は聞きながら顔を引きつらせた。

キュゥべえ「さあ、他に質問はあるかい?」

 ライドウ達は顔を見合わせる。

ゴウト「こやつの言うことがどこまで真実かはわからぬが、何の指針もなかった我らにはありがたい情報だったな。
 ライドウ、奴から嘘偽りや、企みの類は感じ取れたか?」

 ライドウは、読心で得られた情報は、キュゥべえが語った内容と一言一句違わなかった事を伝えた。

ゴウト「考えることと言うことが完全に一致するなど通常考えられぬ。異世界の未知の生物とはいえ全く胡散臭いやつよ。
 だが、奴の話の内容には十分な説得力があった。我としては十分に聞き込みができた、現状はこれ以上聞き取る事も思いつかぬ」

鳴海「俺もゴウトちゃんと同意見だぜ。とりあえず、俺たちの世界に帰る為の道筋が見えたじゃないか。
 時間を繰り返している犯人は分からないみたいだが、犯人を捜す糸口は掴めた。今のところ、これ以上聞くことないよ」

 話はまとまった。モコイを管に戻し、ライドウはキュゥべえに礼を言った。

キュゥべえ「気にする必要はないよ。僕の方こそ礼を言いたいくらいだ。さっきも言ったとおり異世界の存在の直接的証拠は過去に記録が無い。
 君たちから聞いた話は学術的に非常に価値の有るものだ。その上異世界に渡る技術、天津金木の秘術の観測も離れた場所からとはいえ出来た。本当にありがとう。……おや?」


 キュゥべえが首を傾げると周囲の景色が揺らいだ。周囲が白と黒の二色に染め上げられていく。

鳴海「なんだこれは! 一体どうなっているんた!?」

ゴウト「異界に引きずり込まれたのか!?」

キュゥべえ「これは魔女の結界だ」

鳴海「魔女だって?」

キュゥべえ「そうさ、謂わば呪いから生まれた存在。結界と言う異空間を作り出し、その中で勝手気儘に振る舞い、人間に害を及ぼす。
 この世界での原因不明の事故や事件は彼女等の暗躍によるところも大きい。
 僕は人間の少女と契約して、願い事を一つ叶える代わりに魔女を打ち払う魔法少女となってもらい、魔女を駆逐してもらう活動をしているんだ」

鳴海「その魔女の結界に巻き込まれた俺たちはどうなるんだ」

キュゥべえ「普通の人間は魔女に抗う事は出来ない。
 魔法少女の救出を期待したいところだけど周辺には居ないみたいだ。覚悟を決めたほうがいいかもね」

 めまぐるしく変化していた視界はようやく落ち着きを取り戻した。
 まるで影絵の世界に紛れ込んだかのようであった。
 少し離れた場所では長髪の女が跪く様な姿をした影が蠢いている。

キュゥべえ「あれは影の魔女、エルザマリアだ。
 恐らく天津金木の秘術のエネルギーに興味を引かれてやってきたんだろう。
 まいったな。君達にはまだまだ聞きたいことがあったのに」

ゴウト「この妖気……この世界の魔女というのは、我らの世界の悪魔と同等の存在らしいな。
 なかなか強力な悪魔……ではなく魔女の様だか、ライドウの敵ではあるまい。
 遠慮は要らぬだろう。ライドウよ、倒してしまえ」

 ライドウはコクリと頷くと、擬態を解いた。外套の下に瞬時に退魔刀陰陽葛葉、拳銃コルトM1877"ライトニング"が現れる。
 ライドウは抜刀し、エルザマリアへと駆けた。
 エルザマリアの周囲に揺らめく影が鋭く延び、ライドウに襲い掛かる。ライドウは最小限の動きでそれを躱そうとした。しかし、影はライドウの動きに合わせてその軌道を変えて迫る。
 回避を諦め、ライドウは生体マグネタイトを込めた陰陽葛葉でその物理属性の一撃を防いだ。
 思ったほどの威力はなく、これならば生体マグネタイトを通わせ強化したライドウの外套や制服ならば数発は耐えられそうだ。しかし問題はその数であった。
 ライドウが一発目を防いでいる間にも新たに複数の影が伸び上がりライドウを目指す。全てを同時に防御するのは困難であった。
 周囲の数えきれない程の影の全てがエルザマリアの武器なのだろう。
 防ぎきれない波状攻撃を受け続ければ、やがてはライドウが力尽きるのは目に見えていた。
 とはいえ対策は容易い。要するに躱せない、防げないならば、そもそもライドウを狙わせなければよい。
 ライドウは胸元の封魔管から、赤マントを羽織り操り人形を手にした黒い人型の仲魔、ネビロスを召喚した。
 激しいマグネタイトの消耗と共に召喚されたネビロスはエルザマリアへ駈け寄る。エルザマリアはネビロスを脅威と見たか、ライドウを狙っていた影の全て軌道を変えネビロスに襲い掛かった。
 しかし、物理属性の一切の攻撃が効かないネビロスはそれを意に介さず、手にした人形を操りエルザマリアに攻撃を加える。
 周囲の影が狂ったように伸び、ネビロスを貫こうとするが全ては徒労。
 その間、ライドウは新たに南瓜頭にマントの体の仲魔、ジャックランタンを呼び出し遠距離から火炎魔法でエルザマリアを焼く。
 ライドウ自身も拳銃に何度も銃弾を補充しながら銃撃を加えていた。
 本来ならば拳銃でまともに狙撃できる距離ではないが、何万発と同じ拳銃での発砲を繰り返したライドウの経験と勘が銃弾に高い命中率を与えた。
 エルザマリアは狂ったようにネビロスを攻撃し続ける。
 攻撃が効いていないことを理解していないのだろう。魔女の行動から理性や知性といったものは感じられなかった。
 そんな一方的な、もはや作業とも言えるような戦闘は、数分後エルザマリアの消滅で終了した。


 仲魔たちを管に戻し、ライドウがゴウトと鳴海に向き直ると同時に周囲の景色が再び揺らぎ、元の橋の上へと戻った。
 橋の上は魔女の結界にのまれる前と何一つ変わっていない……いや、何か黒い奇妙な物が地面に落ちている。
 不自然な立ち方をしているそれをキュゥべえが拾い上げる。
 すると奇怪なことにキュゥべえの背中がバクリと開き、黒い物体はキュゥべえの体内に飲まれた。
 一瞬後にはキュゥべえの背中は元通りになっていた。
 奇怪な光景ではあったが異世界の未知の生物。もともとそういった習性なのだろうと無理やり納得した。
 ライドウはトウテツを召喚し、再び丸腰姿のライドウに擬態する。

キュゥべえ「すごいよ、君たちに驚かされるのはこれで三度目だ。
 ライドウ、君の使う力、生体マグネタイトと呼ばれるものは僕たちが魔力と呼ぶものとほぼ同一の性質を持っているようだ。
 それに僕が見たところ、悪魔を召喚する技術、悪魔の能力、いずれも常理を覆すものだ。
 中でもその弾倉はすごいよ。完全に熱力学の第一、第二法則を無視している」

鳴海「熱力学の第一、第二法則?」

キュゥべえ「そうさ、簡単に例えると、エネルギーは増えないし、焚き火で得られる熱エネルギーは、木を育てる労力と釣り合わないって法則だよ。
 エネルギーは形を変換する毎にロスが生じる。宇宙全体のエネルギーは、目減りしていく一方なんだ。
 ところがライドウの持つ弾倉は何のエネルギーの消費もなく銃弾を生成している。
 熱力学の法則をこれほど無視しているものを僕は知らないね。
 僕たちの活動目的はやがて到来する宇宙のエネルギー枯渇。つまり宇宙の熱的死を回避もしくは延期させることなんだ。
 その弾倉はこの目的にとって何よりも重大な可能性をもたらすだろう」

ゴウト「……うぬらの目的? うぬらの目的は魔法少女を生み出し魔女を枯渇することではないのか?」

キュゥべえ「……僕たちは、両方の目的の為に同時に活動しているんだ。
 ライドウ、君のその弾倉を僕たちにくれないかい? ぜひ解析してみたいんだ」

 ライドウは即決できず、仲間と相談する時間をくれるようキュゥべえに掛け合った。それを二つ返事で了承するキュゥべえ。

ゴウト「ライドウよ、どうする? キュゥべえは我らに重要な情報を提供してくれた。
 その内容は十分に納得のいくもので信頼を置いてよいと思うし恩もあるのだが……
 こう言っては恩知らずのようだが、我はこやつを胡散臭く感じておる。うぬが読心術を使った際の違和感、今の奴らの目的についての受け答え。
 上手く表現できぬが、何かを隠し誤魔化している狸のような印象を受けるのだ」

 ライドウも同感であった。

鳴海「やめとこうぜ、ライドウ。キュゥべえの言う目的は確かに立派だが、やっぱり俺にはあいつのことを丸々信用するなんてできないよ。
 さっきはどうにかして何らかの情報を得ないとこれからの行動の指標も立たないから情報を提供することに賛成したが、今度はとりあえずの行動指針はできているんだ。
 必要以上に手の内をさらす必要はないぜ、ゴウトもライドウも胡散臭さを感じているならなおさらだ。
 さっき教えてもらった情報だって、俺たちの事情を説明したことで礼は済んでいるって相手が言っているんだ。
 これ以上深入りするのはやめようぜ」

ゴウト「フム、三人の意見が一致したな。それでは、キュゥべえには悪いが弾倉は提供しないこととしよう」

 ライドウは、キュゥべえにその旨を告げた

キュゥべえ「残念だよ。もし気が変わったらいつでも声をかけて。待ってるからね」


 キュゥべえはそう言い残し踵を返した。そのまま走り去っていこうとして……
 それは叶わず全身に穴をあけて絶命した。

女の声「何やらイレギュラーな事態が起こっていると思って来てみればやはりお前が関わっていたのね。インキュベーター」

 ライドウたちが声のほうを向けば、鋭い目をした少女が硝煙立ち上る拳銃を構えて立っていた。
 突然の襲撃にライドウとゴウトはは身構える。

鳴海「ライドウ、あの娘だ。時間を遡る度、俺はあの娘の病室に居る」

 鳴海は相手に届かない程の声で呟いた。
 直後、信じられない事にキュゥべえの声が響く。

キュゥべえ「やれやれ、また君か、暁美ほむら。君に殺されるのはこれで3回目だ。
 代えはいくらでも有るけど、勿体ないから止めてほしいな」

 声の方を見れば、先ほどと全く変わらぬ無傷のキュゥべえが、自らの死体を貪り食っていた。
 鳴海は嗚咽を押さえ、ライドウはほむらと呼ばれた少女に注意を払いながら、その様子を観察する。

ゴウト「蘇生した? いやそんなバカな」

キュゥべえ「蘇生した訳じゃないよ。さっきまでのとは別な個体だ。情報は完全に共有しているから同一と見なしてくれてもいいけどね」

 言いながら、キュゥべえはキュゥべえの死体を平らげた。

キュゥべえ「さて、鳴海の今の発言でようやく確信が持てた。ライドウ、あの暁美ほむらこそが時間遡行の原因だ。
 契約した覚えの無い魔法少女で僕にとっても正体不明だったんだけど、これなら納得だ。未来で契約して過去に戻ってき……」

 キュゥべえの言葉はほむらの銃弾により遮られた。
 すぐに新たなキュゥべえがあらわれ、力なく地に伏せるキュゥべえの死体を食らう。

キュゥべえ「やれやれこれで4回目だ。じゃあ、僕は行くよ。ここにいても個体を減らされるだけみたいだし。
 ライドウ、弾倉を譲ってくれる気になったらいつでも呼んでくれ」

 喋りながらも死体を平らげ、キュゥべえは去っていった。

鳴海「さてどうする、ライドウ。キュゥべえが言うには、あの少女が時間遡行の原因らしい。
 話を聞きたいところだけど、ちょっと物騒な娘だよなぁ。もしかすると悪魔だったりする?」

 ライドウが観察したところ、ほむらは悪魔には見えない。とはいえ人間とも多少違うようである。
 生体マグネタイトの動き方に違和感がある。鳴海にそのことを伝えるとほむらの方から話しかけてきた。

ほむら「貴方たちは何者なの? 今、あいつと会話をしていたわよね? 男性なのに」

ゴウト「うぬこそ何者だ。いきなり銃撃とは穏やかではないな」

ほむら「猫がしゃべった!? 姿形は違うけどインキュベーターの仲間なのかしら。だったら容赦はしないわ」

 ほむらは拳銃を構えゴウトに照準する。

鳴海「かなり興奮しているみたいだな。話を聞くにも一回落ち着かせないと駄目みたいだ」

ゴウト「インキュベーター? 先ほどの様子からしてあのキュゥべえのことのようだが、胡散臭いあやつと一緒にされるとはな。
 ライドウ、銀氷属の仲魔の力であやつの頭を冷やしてやってはどうだ」

 ライドウは胸元の封魔管からひょうきんで小柄な雪だるまと言った姿の仲魔、ジャックフロストを召喚した。
 同時にジャックフロストはほむらの心を落ち着かせようと冷却を試みる。

ほむら「魔女!?」

 ジャックフロストの生み出した冷気がほむらの脳天に収束する直前、ほむらは一声叫ぶと瞬時に数歩横に移動した。
 目に求まらぬ素早い動きとかそう言った次元の動きではない。
 どうやらほむらは瞬間移動を使うようだ。
 同時に、いつのまにか放たれていた無数の銃弾が一度の銃声を連れてジャックフロストに突き刺さる。

ジャックフロスト「痛い、痛いホー」

 ライドウはジャックフロストの悲鳴を聞きながら鳴海に逃げ隠れるよう伝える。


ゴウト「ちっ、仕方がない。ライドウ。多少手荒くしてでも奴を抑え付けるぞ」

 ゴウトの声に心の中で頷き、深手を負ったジャックフロストを管に納め、八つの首を持つ大蛇、ヤマタノオロチを召喚する。
 ヤマタノオロチならば銃撃の類の威力を吸収し体力の回復に充てることが出来る。その上、蛇の体でほむらを拘束できる。

ほむら「また魔女! しかもまた知らない種類!」

 再びほむらの姿が移動し、一つの銃声と共に無数のそれこそ視界を埋め尽くすほどの銃弾が突如出現する。
 そのほとんどはヤマタノオロチに突き刺さり、減ってもいない体力回復に費やされた。
 残るわずかな銃弾は、流れ弾か元より狙ったか、その内数発が外套越しにライドウの脇腹をえぐる。
 その衝撃はマグネタイトを利用した防御術で鋼鉄のように高められたライドウの防御力を貫き、肋骨の数本が耐えきれずに折れた。

ゴウト「時間だ! 奴は時間を止めている。信じ難いが、それより他に考えられん!」

 着弾音に紛れながらもゴウトの助言は、ライドウの耳に届いた。
 苦痛に一瞬呼吸が止まったものの集中は乱さずにほむらを見据える。
 彼女は小脇に抱えた軽機関銃を左手の小型の盾にしまっているところであった。
 明らかに盾より長大な軽機関銃が、水面に沈むがごとく盾に飲まれていく。
 それを眺めながら、ライドウは卑猥な形状の頭と白蛇のごとき肌と尾をを持つ巨躯の仲魔、ミシャグジさまを呼び出した。
 ミシャグジさまがその口から白濁した粘性の生唾を吐いたのは、ほむらが盾から火炎放射機を取り出したのと同時。
 ほむらは生唾に顔を引きつらせながらもヤマタノオロチに火炎を浴びせた。
 対してヤマタノオロチは強烈な冷気を吐く。火炎放射機の吐くナフサは炎ごと冷却され氷結した。
 余りに予想外な出来事にほむらは眼を剥いた。
 次々に新たな火炎を吹く火炎放射機に一つの頭が冷気を浴びせ続け、無力なツブテと化したナフサを無視し、残りの頭がほむらを絡め捕らんと襲い掛かる。
 その攻防の隙にミシャグジさまはほむらの背後に瞬間移動していた。
 ミシャグジさまが杖で地を突くと桃色の艶やかな稲妻が数条出現しほむらを襲う。
 ほむらが我にかえった時には既に逃げ道は塞がれていた。
 前方からはヤマタノオロチ、後方からは艶電、側方からは生唾。
 ほむらは火炎放射機を捨て、盾から避雷針代わりに先ほどの軽機関銃を取出し斜めに接地させ、それをくぐるように姿勢低く艶電へ飛び込んだ。
 ただの電撃であれば、多少感電しながらも窮地を脱せたかもしれない。しかしほむらは知る由も無いがミシャグジさまの電撃は精神を犯す。
 僅かに流れた電流がほむらに多少の苦痛と強い快感、そして強力無比な魅了効果を与える。
 鋼の精神を持つほむらは、魅了に屈することは無かったが、それでも足止めとしては充分であった。
 白濁した生唾がほむらの首元を中心にべちゃりと着弾し、ほむらの上半身を濡らす。
 着弾と同時に、生唾に込められた神通力がほむらの意識を刈り取った。
 引き攣った顔のまま失神して崩れ落ちるほむらをヤマタノオロチが抱き止め拘束するのは容易であった。

ゴウト「ふう、とんでもないじゃじゃ馬娘だったな」

ミシャグジさま「若いおなごもワシの神通力に一発昇天ぢゃ!」

 興奮しているミシャグジさまを管に戻すと、少し遅れてほむらを汚していた白濁液、ミシャグジさまの生唾が跡形もなく消え失せる。
 戦闘が終わったのをどこかで見ていたのか、鳴海も姿を見せた。

鳴海「終わったみたいだな。悪魔が見えない俺が見ると、ほむらちゃんが浮いているように見えるぜ。で、ライドウ、銃弾を食らった様だけど大丈夫なのか?」

 ライドウは大事無いと鳴海に伝えながらも金髪碧眼の可憐な少女の姿をした仲魔、アリスを召喚し、回復魔法でライドウと管の中のジャックフロストの傷を癒してもらった。

鳴海「さっきの魔女とは違って楽勝とはいかなかったみたいだな」

 楽勝どころか、相手がライドウを殺す気で来ていれば抵抗する余裕も無かったに違いない。
 ライドウにも切り札はあるが、使う間もなく時間を止められ射殺されては手の打ちようもない。
 衣服の無い場所にもマグネタイトによる防御が効いているとはいえ、何十という銃弾が顔面を襲えばひとたまりもない。
 相性が最悪に近い相手であった。拘束できたのも幸運に因るところが大きい。


 そうこうするうちにほむらが目を覚ました。
 すぐに両手両足を拘束されていることに気付いた様でこちらを睨み付けてくる。

ゴウト「不自由を強いてすまぬがしばし我慢してほしい。我らに敵対の意志はない。話を聞きたいだけなのだ」

ほむら「……いきなり攻撃を仕掛けてきて、よくもそんなことが言えたものね」

ゴウト「いきなり攻撃してきたのはうぬだろうに……うぬが発砲する前にこちらが仕掛けたのは攻撃ではない。
 あればうぬを冷静にさせるための術だ」

 ヤマタノオロチは冷却を試みた。ほむらの心が冷静さを取り戻していく。

ゴウト「このようにな」

ほむら「……冷静さを欠いていたようね。よく知らないあなたたちを敵と判断したのは早計だったわ。
 私を殺す気でも無いようだし。交渉に応じるわ」

 ほむらに敵対の意志は無くなったと判断したライドウはヤマタノオロチに拘束を解かせ管に戻した。
 華麗に着地したほむらは体に付いた埃を払う。

鳴海「ありがとう、ほむらちゃん。じゃあ早速なんだけど……」

ほむら「その前に場所を変えましょう。あれだけ銃声を響かせたんだもの、警察でも来たらやっかいだわ。着いてきて」

 ほむらはそれだけ言うと踵を返し歩いていく。

鳴海「やれやれ、着いていこうぜ、ライドウ」

 鳴海が肩をすくませ後を追う。ライドウとゴウトもそれに倣った。







 殺風景な白い部屋で巨大な振り子が揺れている。ほむらのすむ部屋にはおおよそ生活感が欠けていた。

鳴海「すごい部屋だな。この時代の女の子の部屋ってみんなこんな感じなのかい? それとも魔法少女の君は特別なのかな?」

ほむら「この時代……? まあ、一般的ではないわ。魔法少女だからというわけじゃないけど。
 それより、話をしましょう。そのために呼んだのだから」

 ほむらが珈琲を卓に並べながら言うと、待ってましたとばかりに鳴海が口を開く。

鳴海「じゃあ早速だけど……」

 鳴海は今のライドウ達の置かれている状況、見滝原大橋での出来事を、ライドウとゴウトの補足を受けながら説明した。

ほむら「……なるほど。合点がいったわ」

鳴海「随分すんなり信じるね。有り難いけど」

ほむら「非常識な事には慣れているから。
 それにまだ信じたわけじゃないわ。あなた達の説明が真実なら不可解な事に説明がつくと納得しただけ」

 これを聞き鳴海は口をへの字に曲げ「厳しいなー」と呟いた。

ほむら「信じるのはこれからよ。インキュベーター、見ているんでしょう? 出て来なさい」

 ほむらが叫んで暫く、キュゥべえが現れた。

キュゥべえ「君の方から僕を呼ぶなんて珍しいね。
 用件はわかっているよ。確信をもって言える。彼らの言うことは真実だってね」

ほむら「そう、分かったわ。消えなさい」

キュゥべえ「やれやれ、自分で呼び出しておいて用が済んだら消えなさいなんて、君は勝手だよ」

 言いながらもキュゥべえは去っていった。

ほむら「今ので先程の話は全面的に信じるわ。あいつは嘘だけはつかないし、テクノロジーは折り紙付きだしね」

 ほむらはそこで言葉を切り、姿勢を正して頭を下げた。

ほむら「そして、謝罪するわ。あいつの言うとおり時間を閉じているのは私の魔法だと思うわ」

鳴海「事情を聞かせてもらえるかな?」

ほむら「べらべら人に喋るようなものではないのだけど、貴方たちには迷惑を掛けているようだから仕方がないわね」

 ほむらの口から語られた内容は恐るべきものであった。
 キュゥべえが地球外の生命体であり感情を持たないこと。
 キュゥべえは宇宙の寿命を延長させるため、感情の持つエネルギーを利用していること。
 地球人類の感情、とりわけ第二次性徴期の少女の希望から絶望への感情の変化が彼等にとって効率的なエネルギー源であること。
 そのエネルギーを効率的に搾取するため魔法少女なるシステムを構築したこと。
 魔法少女とは、少女が願いを叶えることを代償に魂を物質化させられ、魔女と戦う義務を負わされた存在であること。
 魔女とは魔法少女の絶望した慣れの果てであること。
 これら不都合な事実は契約の際説明されないこと。
 魔女の引き起こす災厄は魔法少女にしか食い止められないこと。
 ここまで語り、ほむらは一度口をつぐむ。


ゴウト「なんとも無体な話よ。目的は崇高かも知れぬが、手段がそれでは……報われぬな」

鳴海「あのキュゥべえ、胡散臭いと思ってはいたが、まさかそんなことを企んでいたとはな。
 どんな目的があるにしても、許せないぜ。……許せないが、もはやこの地球にとってあいつは必要悪。
 あいつが魔法少女を生み出さなければ世界は魔女の振りまく災厄で滅びてしまう。
 全く、やりきれないぜ。なぁライドウ」

 やりきれない思いはライドウも同じであった。
 しかし、ほむらは時間遡行を繰り返す理由にまだ触れていない。ライドウは話の続きの方が気になっていた。

ほむら「ここまでは私達を取り巻く状況、ここからが私の事情よ」

 この発言を前置きにほむらは幾度となく繰り返したこの一箇月の、自らの物語を語りだした。
 内気な少女だった自分が魔女の襲われた際、同級生の鹿目まどかという魔法少女と、一学年先輩の巴マミという魔法少女が救ってくれたこと。
 鹿目まどかという少女に憧れたこと。
 ある日、ワルプルギスの夜と呼ばれる超弩級の魔女が町を襲い、まどかとマミが命と引き替えに撃退したこと。
 自らの無力を嘆き「まどかを守れる強さを持ってまどかとの出会いをやり直したい」という願いで契約し、時間を操る魔法少女となったこと。
 まどかを筆頭にマミ、佐倉杏子、同級生の美樹さやかという魔法少女達と戦友となり自らを高め合ったこと。
 何度挑んでも、ワルプルギスの夜に満足のいく戦果を上げられなかったこと。
 繰り返す日々の中でやがて前述の不都合な事実を、さやかの魔女化を切っ掛けに知ったこと 。
 まどかとの約束により、目的がまどかを魔法少女という報われない運命から解き放つ事に変わったこと。
 魔女化する寸前のまどかを本人の希望のもと手に掛けたこと。
 何度挑んでも、ワルプルギスの夜に勝てず、その度にまどかが魔法少女になり、魔女化すること。
 この周ではマミが魔女に殺され、さやかも魔法少女になってしまったこと。

 冷徹に見えたほむらも語るうちに涙を流し、語り終える頃には言葉よりも嗚咽の方が多くなっていた。
 ライドウもゴウトも鳴海も、あまりに痛ましい少女の運命に言葉を発せず、沈痛な面持ちで下を向くばかりであった。
 暫くほむらの嗚咽だけが部屋に響き、ようやく落ち着いたほむらは再びその口から無機質な声を発した。

ほむら「みっともないところを見せたわね。
 このループでは、どのような結果になろうとも、いつもよりも時間を巻き戻すのを遅らせるわ。
 貴方達は時空の歪みとやらが解消し次第、元の世界に帰って頂戴。迷惑をかけたこと、改めて謝罪するわ」

 それを聞いたら鳴海が、ライドウと視線を合わせた。強い意志の宿る鳴海の視線から彼の意図を覚り、ライドウは無言で力強く頷く。
 鳴海は強い意志を宿す瞳、朗らかな表情、やさしい声色でほむらに語り掛ける。

鳴海「さっきもちょっと言ったけど、俺達って探偵なんだ。オッカルト関係専門のね。
 でも、俺ってばこの世界に来てから何一つ仕事をしてないんだよね。この世界に来た記念に何か一つ仕事をして行きたいんだ。
 ほむらちゃん、俺達鳴海探偵社のこの世界での最初で最後の依頼人になってみないか?
 オッカルト関係の困り事、なんでも引き受けるぜ」

ほむら「で、でも、貴方達はこの世界とは何の関係もない……」

鳴海「俺は、体感では半年もこの町で生きてきたんだぜ? もう愛着だってそれなりに湧いている。
 それに君には、一周目に警察に捕まったとき、三周目の交通事故のとき、俺の危機を文字通り無かったことにしてもらった恩もある」

ほむら「でも、ライドウさんやゴウトさんには……」

ゴウト「我らが探偵社の社長が世話になったとあれば、我等も一肌脱がねばならぬな。なあ、ライドウ」

 白々しい口調のゴウトに同意して頷くライドウ。

鳴海「傭兵でも雇うつもりで頼ってみてよ、ほむらちゃん。ライドウの腕前は肌で感じただろう? 損はさせないぜ」

ほむら「……本当に変わった人たちね。自ら厄介ごとに首を突っ込んでくるなんて。
 ……ワルプルギスの夜との戦いに、力を貸して下さい。お願いします」

 ライドウたちが三様に任せろといった意志を表明した直後、部屋の扉が開き赤毛の少女が姿を見せた。


赤毛の少女「話はまとまったのかい?」

ほむら「佐倉杏子! どうしてここに?」

杏子「おいおい、自分で呼び出したっていうのに、忘れちまったのか? ワルプルギスの夜の対策、話し合うんだろ?」

 杏子は菓子を咥えながら器用に受け答えた。

ほむら「……どこから聞いていたのかしら?」

杏子「どこからも何も最初からだよ。
 私を呼び付けた張本人が、約束の時間に男連れ込んでるから、弱みでも握ってやろうかと思ってこっそり聞いてたんだけど……
 今の話、ソウルジェムが濁りきると魔女になるってのは本当なのか?」

ほむら「……本当よ」

杏子「そうか……親父の言ってたことはやっぱり正しかったんだな」

ほむら「杏子……」

杏子「まあ、魔法少女になっちまったものはしょうがない。せいぜい魔女になる前に自害するとするさ」

 杏子は気丈に振る舞うがその体は震えている。

杏子「アンタも独りぼっちで戦って来たんだな。理解出来るとは言わないが共感はするよ。
 アンタとの共闘、利害の一致以外に理由は無かったが気が変わった。
 自分の為だけじゃなく、アンタのためにも戦ってやるよ」

 杏子の差し出した手をは菓子の箱が握られていた。

杏子「食うかい?」

ほむら「ええ、いただくわ」

ほむらは箱から一本のチョコレート菓子を取出し、口へと運んだ。

杏子「アタシも人のこと言えないけど、アンタ少し素直になったみたいだね。
 やっぱり一回大泣きして感情的になってるのかい」

ほむら「余計なお世話よ」

杏子「悪い悪い。でも今のアンタのほうが好感もてるよ。……で」

 杏子の首がライドウたちを向いた。

杏子「鳴海にライドウにゴウトっていったっけ?
 魔法少女以外に首を突っ込まれるのは正直複雑だが、ほむらに勝つほど腕が立つってんなら興味本位や面白半分で首を突っ込んでるって訳じゃあ無さそうだ。
 アンタ達のこともとりあえず信頼してやるよ」

鳴海「腕が立つのはライドウだけだよ。
 俺は直接的に戦いの役には立てないかも知れないけど……まあ、出来る範囲で協力させてもらうよ」

ゴウト「ライドウも幾多の修羅場を越えてきた強者よ。足手纏いにならないことだけは保障しよう」

ほむら「さあ、それじゃあ作戦会議をしましょう」


 ほむらは卓上に数枚の写真と美滝原市の地図を広げた。
 写真を見ると宙に浮く歯車の下に青い服の女性が逆さ吊りになっているというような風体の魔女が写っている。

ほむら「こいつがワルプルギスの夜よ」

鳴海「……なあ、ほむらちゃん。背景を見ると、この魔女って相当でかく見えるんだけど……」

ほむら「測ったわけではないけど、おそらく全高百メートル近いわ」

ゴウト「写真で見るに、こやつは浮いているようだが、どのくらいの地上から離れているのだ?」

ほむら「ある程度自由が効くみたいだけど、だいたい十メートルかそれ以上浮いているわね」

ゴウト「ライドウ、うぬ自身はその位置に攻撃出来るか?」

 ライドウは首を横に振った。

ゴウト「であれば、仲魔が主体の戦いになりそうだな」

杏子「で、コイツはどんな攻撃をしてくるんだい」

ほむら「使い魔、黒い触手、炎、壊したビルの残骸を使った攻撃をしてくるわ。
 注意すべきは射程が長く動きの早い使い魔、射程は短いものの使い魔に変化する触手、ビルすらも燃やす高温の炎、圧倒的な威力と攻撃範囲のビルの残骸ね」

杏子「全部じゃねぇか」

ほむら「全部要注意って事よ。さて、ワルプルギスの夜の概要はこんなところ。
 質問があったらいつでも聞いてちょうだい。次は戦術の話に移るわ」

 ほむらの指し示す図を覗き込むと市街と工業地帯の間を流れる大きな川の上に多数の赤い×印と、その大部分を含む囲む円が書き込まれている。

ほむら「このバツ印が過去のループでのワルプルギスの夜の出現場所よ。九割以上がこの円の範囲に現れている」

鳴海「殆どがデカい川の上だな。船さえ調達出来れば真下に潜り込むことも出来るが……」

杏子「鳴海、アンタ船を操縦出来るのかい?」

鳴海「昔、陸軍に居た事が有ってね、上陸作戦の訓練で小型船舶から大型船舶の操法、急流や荒天時の操船、海図の読み方まで仕込まれたよ」

ほむら「却下よ。ワルプルギスの夜が市街部に出るのを押さえるために戦力は河岸に置くわ」

 ほむらの容赦無いダメ出しに鳴海は諸手を上げて降参した。

ほむら「大火力の罠を仕掛けることを想定しているの。二人には地図上のこの地点、美滝原大橋下流に奴を誘導してほしい。
 勿論それまでにダメージは与えるだけ与えてほしい」

 ライドウと杏子は同時に頷いた。

ほむら「その罠で倒しきれなければ、その後は各自遊撃。私は武器を使いきったら二人の補助にまわるわ」

杏子「じゃあ、私たち、特にアタシとライドウの連携が重要になりそうだね。今日は今から魔女狩りにでも行くかい?」

ゴウト「それは良いな。我らは魔女をまだ一体しか見ておらぬ。魔女の相手に慣れることも必要であろう」

ほむら「出来れば出現地点付近の現地確認を改めてしておきたいんだけど……」

鳴海「魔女はともかく、ほむらちゃん同行の下、現地を確認したい。
 日中、ほむらちゃんは学校だろ? 今のうちに現地を見るのは賛成だな」

杏子「じゃあ、出現地点付近で辺りで魔女を探そう。それなら良いだろ?」

 その晩、ライドウと杏子の二人で一体の魔女を狩り、ほむらと鳴海は現地確認と罠の設置地点の選定を行い、ライドウ達は解散した。




第弐章 悪魔召喚師と魔法少女 完


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第参章 三人目の魔法少女



 翌日、ライドウ、ゴウト、杏子は魔女を求めて町を彷徨っていた。

鳴海は「疑うわけではないが念のため……」

 と言いながら、ほむらの言う魔法少女の真実の真偽をキュゥべえに問いただすと言って、宿に残った。
 加えてワルプルギスの夜についても質問する事があるらしい。
 交渉の際に状況により提示する対価として、魔石の提供やその他の事柄を求められ、支障無い内容だったので提供、承諾してある。

杏子「今のところ魔女三体。グリーフシードも三つ。昨日も合わせりゃ四つだ。
 それでいて消費はたったの一つ。大収穫だね」

 杏子によるとこんなに魔女に出会えるのは珍しいという。

ゴウト「ライドウは巫蠱師の秘術により強運に護られているからな。その加護もあろう」

杏子「フコシの秘術? なんだいそりゃ? ライドウは悪魔召喚師じゃなかったのかい?
 アタシにもそれ、使えるのか?」

ゴウト「蟲を使った呪術の一種だ。ライドウは止むに止まれぬ事情で扱っているが。非常に危険な術よ。
 それに恐らくこの世界では必要な蟲が手に入らぬ。諦めるのだな」

杏子「ちぇっ。しかし、それにしてもライドウ。アンタの戦い方は凄いな。
 アタシも魔女と戦って長いけどアンタはそれ以上に洗練されてる」

ゴウト「魔女との戦いこそ昨日が初めてだが、悪魔との戦いはそれこそライドウにとっては日常茶飯事だからな」

 ゴウトもライドウもあえて口や表情には出さなかったが、それ以外にも効率的に戦えている理由があった。
 魔女にはどうやら理性や知性と言うものが欠落しているという共通点がある様で、手の内さえ探ってしまえば、属性相性による対応が容易なのだ。

杏子「……ライドウって無口だよな。話し掛けても返事はゴウトばっかりだし……」

 ライドウとゴウトは黙殺した。
 そんな会話をしながら、ソウルジェム片手に魔女を探し歩く杏子に着いて歩いていると、公園のような場所にさしかかった。
 水辺で緑色の髪の少女と灰色の髪の少年が仲睦まじく会話をしている。
 よくみると、少し離れた物陰から、水色の髪の少女がそれを見つめていた。
 足を止める杏子につられてしばらく眺めていると、不意に水色の髪の少女が眼前光景からの目を背ける様にして走り去っていった。

杏子「さやか……」

ゴウト「さやか……。ではあの水色の髪の少女が魔法少女の美樹さやかか。
 ならば、あの灰色の髪の少年が彼女の想い人の上條恭介だな。
 そうか、どうやら不幸にも恋は散ったようだな」

杏子「仕方ないね。後で慰めてやるか」

ゴウト「では追うのか?」

杏子「後でって言ったろう? 今は一人にしてやった方が良いと思うんだ」

 言葉とは裏腹に杏子の表情は自信がなさそうだ。

杏子「ただでさえ自分の魔法少女としての在り方に悩んでる様子だった。
 そこへきて魔法少女になるきっかけになった坊やとの失恋だ。
 一人で泣いて悩む時間も必要だろうからさ」


キュゥべえ「それはどうだろうね」

 不意にかけられた声に振り返ると、キュゥべえがベンチの上に座っていた。

ゴウト「いつの間に……」

杏子「どの面下げて出て来やがった、テメェ……」

キュゥべえ「妙なことを聞くね。僕はいつだって、この顔じゃないか」

杏子「そういう意味じゃないんだよ、クソッ」

ゴウト「貴様は鳴海と話をしているものと思っていたが……」

キュゥべえ「ああそうさ、彼との交渉は別の固体が今も進めているよ。
 彼のくれた魔石は凄いよ。まさに未知のテクノロジーの産物だ。
 魔力について僕達の研究が発展することは間違いないだろう」

杏子「ちっ、それでテメェは何の用でアタシに声をかけた? 下らない用事だったら殺すぞ」

 言うが早いか、杏子はその手に槍を具現化してキュゥべえに突き付けた。
 しかし、当のキュゥべえは意に介した風もなく口を開く。

キュゥべえ「全く嫌われたものだね。
 その様子だと君も鳴海と同様に暁美ほむらから魔法少女と魔女の関係について聞いたんだね?」

杏子「質問はアタシがしてんだ」

 言いながら杏子はキュゥべえの体を槍で貫いた。直後視界の外から声が響く。

キュゥべえ「僕は君に重要な事を伝えに来たのさ、杏子。
 君は美樹さやかのことを気に掛けているみたいだからね」

杏子「……テメェ、さやかに何をしやがった?」

キュゥべえ「酷いな、僕は何もしてないよ。今のさやかの状態は完全に彼女自身の選択の結果だ」

杏子「なにもかもテメェのせいだろうが!
 もういいから早く言いやがれ。さやかがどうしたっていうんだ?」

キュゥべえ「彼女のソウルジェムはいま非常に危険な状態だ。もういつ魔女になっても不思議じゃない」

杏子「そんな馬鹿な! 昨日の日中はまだ少しは余裕があったのに!」

キュゥべえ「杏子も経験があるはずだよ。気持ちが落ち込んでいるとソウルジェムの濁りが早くなるんだ。
 そしてソウルジェムが濁れば気持ちもまた悪いほうに向かう悪循環があるのさ。
 さやかは心理的にかなり追い詰められていたからね。昨日の時点で既に呪いを生み周囲に撒き散らし始めていた。
 追い打ちの様にさっきの失恋だ。さやかのソウルジェムはいま加速度的に濁りが進んでいるはずだ。
 このままなら今夜中にも魔女になることは間違いないね」

杏子「テメェ! 昨日の時点で気が付いていたならどうして今まで黙ってた!?」

キュゥべえ「きかれなかったからね」

 激昂し槍を振るおうとする杏子の肩をライドウの手が掴んだ。

ゴウト「いまはこやつにかまう時間も惜しい。急いでさやかを追わねば」

 ゴウトが告げる間にキュゥべえは姿を消した。

杏子「ちっ! ライドウ、手伝ってくれ。手分けしてさやかを探そう」

 そういって杏子はグリーフシードを一つライドウに渡した。

杏子「さやかが見つかったらこれで浄化してやってくれ。やり方は分かるな?」

ゴウト「だが我らとさやかは見知らぬ間柄、警戒されてしまうのでは……
 いや、いまはこんなことを言っている場合ではないな。わかった出来る限りの事をすると誓おう」

杏子「頼んだ!」

 言って杏子は常人ではあり得ない速度で駆け出し、瞬く間に視界から消えた。

ゴウト「手数は多いほうが良いな。とはいえ写真もない今、相手の面を知らぬ鳴海は役に立たぬ。
 ほむらを頼るとしよう。幸い携帯電話とやらの番号を我が探偵手帳に控えてある。
 自動電話を探すぞ、ライドウ」

 見滝原の地理に疎いライドウであったが、幸運にも数分走ると自動電話を見つけた。
 電話小屋の扉を開け電話機の前に立つが、ライドウには電話機の使い方がわからなかった。ゴウト視線で助力を求める。

ゴウト「ウヌゥ……ハンドルが付いて無いではないか。これでは交換手を呼び出せぬ
 ……どうやら電話の仕組みが我らの知るものと異なるようだな。仕方がない、電話を使うのはあきらめるとしよう」


 電話を諦め、ガラス戸を開けて小屋から飛び出した出たライドウは、鳥の翼を持つ少女の姿の仲間、モー・ショボーを呼び出した。
 続けざまに体が木の葉で出来た仲魔、ヒトコトヌシも召喚する。
 赤毛以外の魔法少女……魔力の強い少女を探すよう指示し、偵察に向わせる。
 風下にあたる市街部に向かったヒトコトヌシが十秒と空けずに戻って来た。

ヒトコトヌシ「オリムピック級の活躍だァァァァ!!
 うぉまえの探している黒いの見つけたぞぉぉぉ!!
 か、風だァァ! うぉれとうぉまえは風になるゥゥ!!」

ゴウト「相変わらず、報告内容の分かりにくい奴よ。
 だが早くもほむらを見つけたようだな。しかも、ほむらの居場所までの風の通り道があるようだ。
 まずは一度ほむらと合流するぞ」

 ヒトコトヌシやモー・ショボーのような疾風管属の仲魔には、風に乗って遠方まで自分やその仲間を瞬時に移動させる神風という能力がある。
 ライドウとゴウトはヒトコトヌシのその能力で一陣の風と同化し、瞬時にほむらの居場所へ移動した。

ほむら「貴女は、何で貴女は、いつだって、そうやって自分を犠牲にして……」

 ほむらは桃色の髪の少女と何やら揉めているようだ。桃色の髪の少女の傍らにはキュゥべえの死体が転がっている。
 ライドウはヒトコトヌシに引き続きさやかを探すよう指示し夕闇の空に放った。

ほむら「役に立たないとか、意味が無いとか、勝手に自分を粗末にしないで!
 貴女を大切に思う人のことも考えて! いい加減にしてよ!!」

ゴウト「話の内容からすると、あの桃色の髪の少女か鹿目まどかの様だな……
 杏子といい、さやかといい、まどかといい、この世界には奇天烈な髪の色をした人物が多いな」

ほむら「貴女を失えば、それを悲しむ人がいるって、どうしてそれに気が付かないの!
 貴女を守ろうとしてた人はどうなるの!」

 ゴウトがのんきな事を言う間にもほむらの叫びは続く。
 声は聞こえてこないが、まどかと思われる少女が何事か喋り、走り去っていった。
 入れ替わりにライドウとゴウトがほむらに歩み寄る。

ゴウト「取り込み中すまぬが緊急事態だ。
 美樹さやかのソウルジェムが危険なようだ。
 キュゥべえによれば、このままでは今日中に魔女に成りかねないそうだ」

ほむら「……そう」

ゴウト「あまり驚かないのだな」

ほむら「今までのループの経験上、美樹さやかは魔法少女になった場合、高確立で早々に魔女になる事はわかっていたわ。
 彼女は魔法少女に向いていない」

 力なくほむらが応える。

ゴウト「諦めているのか?」

ほむら「……魔法少女になった時点で、希望なんて残っていないのよ」

 ライドウは俯くほむらの顔を両手で無理矢理起こし、ライドウの方を向かせた。ほむらと一瞬目を合わせ首を横に振る。

ゴウト「ほむらよ。うぬは自らの希望を叶えるために、まどかを救うために、塗炭の苦しみの中、何度もこの一月を繰り返しているのであろう。
 いつかまどかを救えることを信じて」

 ゴウトはライドウの肩に乗り、ほむらの目を覗き込みながら優しく話しかけた。

ゴウト「魔法少女になった時点で希望なんて残ってないなどと心にもないことを言うな」

 ゴウトの言葉を肯定するようにライドウは深く頷いた。

ゴウト「魔法少女であろうとも、魔女になる、あるいは魔女になるまいと自害するその日まで、自らの生き方を貫く事は出来よう。
 一般人より障害は多くとも諦める必要はあるまい。
 そして、さやかはまだ魔女になっておらぬ。今ならばまだ間に合うのだ。共にさやかを探そう」

ほむら「……でも、美樹さやかと私は、今この上なく険悪な関係になっているのよ。私の説得なんて聞いてくれないわ……」

ゴウト「なに、説得などする必要もない。有無を言わさず時間を止めて無理矢理ソウルジェムを浄化すればよいのだ。
 必要ならソウルジェムが浄化され精神が上向いてから改めて説得すればいい」

ほむら「……そうね。私も後向きになっていたわ。私も探す」

 ライドウは、ほむらの言葉に満足気に頷いた。


ゴウト「では、手分けしてさやかを……いや、仲魔が戻ってきたようだな」

モー・ショボー「おーい、人間ー! 黒は見つかったんだね。こっちは水色の魔法少女見つかったよー!
 なんかあっちにある駅の歩廊(プラットホーム)で落ち込んでた。そう遠くないところに赤いのも居たよ」

 モー・ショボーに尋ねたが、さやかの居場所に繋がる風の通り道は無いようであった。
 礼を言いモー・ショボーに、杏子への伝言を頼んだ。杏子のほうが早く現場に到着できるかもしれない。
 風のごとき速度で再び空に消えるモー・ショボーを見送りながら、ヒトコトヌシを召し寄せ、管に戻す。
 同時にほむらはライドウの手をつかんだ。
 その瞬間、周囲の色が褪せ、周囲から一切の音と動きが消えた。

ほむら「時間を止めたわ。この手を離さないで。放したら貴方の時間まで止まってしまう。
 ゴウトもライドウから離れないように」

 言われてライドウは空いている片手でゴウトを押える。

ゴウト「時間が止まった世界とはこんな様子なのか。
 それより、自分以外の人物をも止まった時のなかで行動させ得るとは。なんとも強大な能力よ」

ほむら「他人を動かしていると魔力の消耗が激しいからそんなに長時間止めてもいられないんだけどね。
 それに、ライドウもずっと私に触ったまま攻撃するのは難しいでしょう?
 あまり体を動かさずに攻撃できる仲間でもいない限りは戦闘向きの能力ではないわ」

 たしかに、敵が動かないとはいえ、ほむらに触れたまま気勢の乗った斬撃を繰り出すのは難しい。
 銃撃ならばそのような問題は発生しないが、それならばほむらが一人で火器を使用したほうがよさそうだ。
 時間に限りがあるというならば、少なくともライドウと組む限り、確かに攻撃手段としては効率が悪いかもしれない。
 しかし、防御手段としては有効だ。
 何しろ、ほむらが攻撃を認識した瞬間に安全な位置まで退避できるのだ。
 近接戦闘を得意とするライドウや杏子と組むならば、そちらの用途の方が優れていそうであった。


ほむら「無制限に時間を止めていられる訳ではないわ。急ぎましょう」

 ライドウは、ほむらと手を繋いだまま走りだした。





 モー・ショボーの言っていた駅の歩廊にたどり着いたのは、何度目かの時間停止が終わった時。
 ベンチに座ったさやかの隣には杏子が腰掛ける丁度その時であった。
 次の時間停止までの数十秒の合間が必要であるらしい。
 上空にモー・ショボーが浮いているのが見えたため、ライドウは彼女を管に戻した。

さやか「……希望と絶望のバランスは差し引きゼロだって、何時だったか、あんた言ってたよね。
 今ならそれ、よく分かるよ」

杏子「強情はらずに、受け取りなよ。ヤバいんだろ?
 大丈夫。このグリーフシードは盗品じゃないから……って言っても、さすがにグリーフシードを盗めるようなところなんてないよな」

 杏子は呵々と笑う。しかし、事情を知るライドウ、ゴウト、ほむらには杏子の笑顔の下の焦りと緊張が手に取るように分かった。
 さやかの指には指輪はない。ソウルジェムはどこかに隠し持っているのだ。

さやか「確かに私は何人か救いもしたけどさ、だけどその分、心には恨みや嫉みが溜まって、一番大切な友達さえ傷つけて……」

杏子「おい、さやか、アンタまさか……」

 悠長に説得する時間はないと判断したのか、杏子は無理矢理さやかの服を漁りはじめた。
 さやかはそれを意に介さず、抗いもしない。
 ほむらに目配せするが、ほむらは焦った表情で首を横に振る。
 まだ次の時間停止は出来ないらしい。しかたなしにライドウはさやかに向かって駆け出した。

さやか「誰かの幸せを祈った分、誰かを呪わずには居られない。
 私たち魔法少女って、そういう仕組みだっんだね」

 さやかのスカートのポケットから杏子がソウルジェムを引っ張り出した。
 さやかのソウルジェムは墨汁の如く黒く染まり、ピシピシと音を立て破片を散らしている。
 杏子は真新しいグリーフシードを押しつけるが、グリーフシードが濁りを吸う気配はない。

さやか「あたしって、ほんとバカ」

 ライドウがあと数歩でさやかに手が届くという時、その言葉を最後にさやかのソウルジェムは致命的に砕け、中から禍々しい魔力が溢れた。



第参章 三人目の魔法少女 完


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第四章 人魚の魔女



杏子「バッカ野郎! どうして……」

ほむら「間に合わなかった……」

 ライドウの眼前の黒い魔力の奔流の中で、杏子は目尻に涙をためて空を仰いでいる。
 後ろからはほむらが膝をついた音が聞こえた。
 吹き荒れる黒い魔力は本来ならば周囲の構造物に物理的な影響を与える程の濃度と勢いであった。
 しかし、ライドウのマグネタイトが虚空に座れ消えるのと同様、さやかのソウルジェムから離れると同時に急速に減衰し、数メートル程も離れると完全に消え果ててしまう。
 ほむらの話によれば、キュゥべえが魔法少女を生み出す目的は、まさに今さやかがそうなっているように魔法少女が魔女に変じる瞬間。その際に生じる膨大な魔力を得ることであるらしい。
 とすれば、この黒い魔力はおそらくキュゥべえの細工によりどこかへ送られ、蓄積されているのだろう。
 ひょっとすると、ライドウのマグネタイトもこの仕組みで奪われているのかもしれない。

 黒い魔力の奔流が納まる頃には、周囲は広いホールの様な場所と化していた。魔女の結界であろう。
 目の前の出来事に圧倒されるライドウの後ろから、重い金属音が響く。
 振り返ればほむらが機関銃を盾から取り出した音であった。

ほむら「さやかが魔女になった責任、魔法少女になったことも含めて私にも責任がある。
 せめて、人に危害を加える前に私がケリをつけてあげるわ。それが私なりの……さやかに対する贖罪よ」

杏子「待ってくれ」

 機関銃を構えるほむら、そしてそれに同調して擬態を解き退魔刀を構えるライドウを制したのは杏子の言葉であった。
 杏子はさやかの体を横抱きに、深い悲しみと強い意志が宿る瞳でライドウとほむらを見据えている。

ほむら「知り合いであった魔女を退治する辛さは分かるわ。杏子は下がっていて」

杏子「戦いたくないってわけじゃないよ。
 さやかを魔女にしたのはアタシだ。アタシがもっと早く無理矢理にでもソウルジェムを奪っていれば、浄化が間に合ったかもしれない。
 さやかを……さやかの意志を救うのもアタシの役目でもある」

 魔女となって間もない、眠るように動かない巨大な人魚の様な姿のさやかを、杏子はその背中に護るように立っている。

杏子「ただ時間が欲しいんだ。魔女になっちまったさやかとはいえさやかはさやかだろ?
 なんとか元に戻す方法を見つけたい。……たとえそれが不可能だとしても、無理だと諦められるだけの努力をしたいんだ。
 そうでなきゃ、アタシには諦められない」

 杏子は思い詰めた目をしている。

ほむら「……私だって、私だって救えるなら救いたい。救えると思ってた!」

 涙混じりのほむらの声が響く。ちらりと見れば、構えた銃口が震えている。
 ライドウはゴウトと目配せする。どうやらゴウトもライドウと同じ考えのようだ。

ゴウト「……いったん引くぞ。元に戻す方法を探す探さない以前に、杏子とほむらがこの状態ではろくに戦えまい。
 いつ魔女となったさやかが動き出すともわからん。続きは結界の外だ」

 杏子、ほむら共に黙って頷き、ライドウ達はホールを後にする。
 三人と一匹がホールを出てすぐ、背後から物悲しいバイオリンの旋律が響いてきた。






 結界の外、さやかの体は暗い駅構内のベンチ、先程までさやかの座っていた場所に眠るように置かれた。
 それを挟むように杏子とほむらが腰掛ける。

杏子「アンタはこうやって魔女になる魔法少女を、魔女になるさやかを何度も見て来たんだろ?
 数えきれないほど元に戻す為の挑戦をして……最後に諦めたんだろ? さっきの涙を見れば分かるよ。伝わってきた」

 杏子が言葉を切り、しばし周囲には沈黙が満ちた。

杏子「アンタは人並みはずれた努力家だ。きっと一言では言えないような努力の果てに諦めたんだろうさ。だから諦めている事は責められない。
 でも、アタシにとって、知人が魔女になるのはこれが初めてなんだ。
 たとえ無駄だとわかっていても、やるだけやらないと気持ちが納まらないんだ」

ほむら「……わかったわ。ただ時間はそんなにあげられない。
 さやかが一般人を襲うようなら、その時点で倒させてもらうわ」

杏子「それでいい」

ほむら「方法は?」

杏子「さやかは最後に、大切な友達を傷つけた事の後悔を口にして、絶望して魔女になったよ。
 だったら決まってる。それに対抗するなら、大切な友達からの許しと呼び掛けという希望しかないだろ?」

ほむら「まどかにそんな危険なことをさせるつもり!? 認められないわ。そういうつもりなら、今すぐにでもあの魔女を……」

 ガタリとベンチを鳴らせて立ち上がるほむらの両肩をライドウが制した。

ほむら「邪魔をしないで」

 しかしライドウは動じない。杏子の思いに共感を覚えていたし、先程のほむらとのやり取りを見た様子では、まどか未だ魔法少女になるという選択肢を捨て切れては居ないようだった。
 仮に杏子が成功すれば、まどかが契約する動機が減る。
 失敗したとしても、魔法少女の成れの果てを目の当たりにすれば、契約する意欲が削がれる。
 冷酷なようだが、損得勘定だけで考えれば杏子の提案は検討に値するとライドウは考えた。
 ライドウはほむらを落ち着かせながら説得を図った。

ほむら「あの娘は優しすぎる! 魔女になったさやかを見ればそれだけで契約しかねない!
 それに魔女と対面させるなんて危険すぎるわ」

杏子「まどかは私たち三人で守ればいい。
 魔法少女二人に凄腕の悪魔召喚師だ。へっぽこのさやか相手に後れはとらないさ」

 杏子の台詞と視線にライドウは頷き返した。
 人魚の魔女がどれほどの腕前か分からないが、今まで戦って来た魔女と同等ならば、確かに後れはとるまい。

杏子「契約の方は、キュゥべえの野郎が現れる度に奴をつぶせばいい。
 アンタが危険と判断したり、キュゥべえの対応が間に合わないようなら時間を止めてまどかを結界の外に連れ出してくれ。
 その時はタイムオーバーと思って、諦めてさやかを倒すさ。
 案外、まどかの呼び掛けが通じた後にあの魔女をぶった切れば、グリーフシードの代わりにさやかのソウルジェムが出てくるかもよ。
 愛と正義と友情の勝利、そういうもんじゃん。魔法少女って」

ほむら「そんなの、漫画やアニメの魔法少女だけよ。私たちは違う」

杏子「でも、さやかの目指していた魔法少女はまさにそれだ」

 ほむらは納得がいかないものの言葉に詰まった。

ゴウト「ほむらよ、こう考えてはどうだ? まどかにもさやかの死を受け入れさせる儀式だと。
 まどかにしても、ただ単にさやかは魔女になり死んだと説明を受けるのでは納得できまい。
 魔法少女の協力を得てできる限りを尽くして、それでもなお届かぬ死の先へ行ってしまったと実感させたほうがさやかの死を受け入れ易かろう」

ほむら「……わかったわ。それでいきましょう。
 ただし、少しでもまどかの身に危険が及んだり、契約の阻止が難しいと感じたら直ちにまどかを連れ出すわよ」

杏子「ありがとうな、ほむら」

 ほむらはこれに応えず、髪をかきあげた。

ほむら「さあ、そうと決まれば、早速始めましょう。時間を置くのは愚策よ。
 さやかの犠牲者が出ないよう見張るのも、さやかの体の鮮度を保つのも魔力を浪費するし……
 残っているかもしれないさやかの理性か消えてしまうかもしれない。早くまどかを探しに行きましょう」


キュゥべえ「その必要はないよ。」

 視界の外から声が聞こえ、ライドウが視線を向けたときには杏子の槍に貫かれたキュゥべえがいた。

キュゥべえ「ひどいなあ、いきなり」

 新たにあらわれたキュゥべえをほむらが踏みつける。
 首元を強く踏み付けられているにもキュゥべえは苦しむ素振りもみせず、平然と言葉を続けた。

キュゥべえ「まどかは、今ここへ向かっているよ。僕がさやかの居場所を教えたからね。
 あと数分も経たずに着くんじゃないかな」

杏子「テメェ、何が目的だ」

キュゥべえ「まどかにさやかの現状を見てもらって、さやかを助けるって願いで契約してもらいたかったんだ。
 でも、いまは杏子の挑戦にも興味があるな。もし魔女になった魔法少女を元に戻せれば効率的じゃないか。第一種永久機関も同然だ」

 そこまで言って、キュゥべえは耳障りな音と共にほむらに踏み潰された。

杏子「チッ、むなくそわりぃ」





 全員が無言のまましばらく待つと、小さな足音と共に桃色の髪の少女が線路から現れた。

ほむら「まどか……」

まどか「ほむらちゃん……さやかちゃん! それにあの時の……」

杏子「佐倉杏子だ」

 ライドウも挨拶をしようと一歩踏み出すと、まどかがこちらを向いた。

まどか「誰? エイミー?」

ほむら「あの子はエイミーじゃないわ。ゴウトと言う猫よ」

ゴウト「そして、こやつが誉れ高き十四代目葛葉ライドウよ」

まどか「猫がしゃべった!? ……って、そんな事よりさやかちゃん! 無事だったの!?」

 まどかがさやかの肩を揺する。当然あらがう事もせず、倒れこむさやかを杏子とほむらが支えた。

まどか「嘘、嘘よ……。寝てるだけなんでしょ!? 起きてよ、さやかちゃん!
 さやかちゃんのソウルジェムはどうしたの!?」

 さやかを抱き、俯きながら涙を流すまどかをほむらが落ち着かせ、全員でさやかの今の状況と、これからの計画を説明した。

まどか「さやかちゃん……正義の魔法少女になりたいって……
 魔女からみんなを助けるんだって魔法少女になったのに……」

 俯いて説明を聞いていたまどかは杏子とほむらを見据えて尋ねた。

まどか「杏子ちゃんの言う方法で、さやかちゃんを助けられるの?」

 今度はほむらが俯く番だった。

杏子「分からない、分からないけど他に方法が思いつかないんだ。確実性もないし、危ない橋を渡らせることになる。
 三人で守って言っても絶対安全とは言いきれない」

まどか「それでも……それでも私やるよ。ううん、やらせてほしい」

杏子「ありがとう、まどか」

ほむら「それなら、まどか。自宅に電話しなさい。
 どのくらい時間が掛かるか分からない。遅くなればご家族が心配するわ。
 友達の、私の家に泊まることになったと言っておけばいい」

まどか「うん、そうする。ありがとうね、ほむらちゃん。
 今の事もそうなんだけど……さやかちゃんのこと協力してくれて」

ほむら「礼にはおよばないわ」






 まどかの電話も終わり、四人と一匹は人魚の魔女の結界内のホール、魔女の前にいた。
 さやかの体は、ホール直前の通路に横たえてある。
 陣形はライドウが先頭で杏子がその後ろ、ほむらとまどかがさらに後ろであった。

まどか「さやかちゃん、聞こえる? 私だよ。まどかだよ」

 どこからともなく流れるバイオリンの鑑賞を邪魔されたのが気に障ったのか、今まで大人しかった人魚の魔女が、木製の車輪を三つほど生み出してまどかに飛ばしてきた。
 ライドウは退魔刀陰陽葛葉で危なげなくそれを打ち落とす。
 それを見た人魚の魔女は、多量の車輪を出現させた。先ほどのように飛来するものもあれば、地を這うものもある。
 ライドウは慣れた動作で懐から封魔管を取り出し、木の根で出来た冠を戴き七支刀を担ぐ仲魔、スサノオともう一体、ヒトコトヌシを召喚した。
 ヒトコトヌシの巻き起こす大風に多数の車輪が吹き散らされ無力化される。
 残った複数の車輪をスサノオの投げた七支刀が弧を描きながら襲い、粉々に打ち砕いた。
 それでも残った数発の車輪は、ライドウの振るう陰陽葛葉に切り捨てられる。
 人魚の魔女の猛攻は続く。空中から飛来する車輪、地を這う車輪、そして魔女が手にした巨大な洋刀がライドウ、その仲魔を襲う。
 最初こそ余裕を持って対処していたが、防戦一方で徐々に蓄まる疲労、単調な攻撃に時折交ざる速度の異なる車輪。
 そして何より大威力の魔女の斬撃に、ライドウはじりじりと追い詰められていった。

 二十分ほども経つと、ついには討ち漏らす車輪も出てきた。
 杏子とほむらが迎撃し、まどかには被害は及ばないが、撃ち漏らしの数は徐々に増えていく。
 このままでは遠からぬうちに防衛線が破綻してしまいそうだ。

 ただ単にまどかを護りながら魔女に勝利するだけなら容易い。
 例えば、スサノオの物理属性攻撃吸収魔法「蛮力の結界」の加護の下、積極的に攻めれば数分で勝利出来よう。
 しかし、先日の凪とヨミクグツの戦い同様、一方的に防御に回るのでは持ち堪えるのは困難極まりない。
 まどかを護り、人魚の魔女の前に立たせ続けることのなんと困難なことか。
 致命打は食らわないものの、魔女の攻撃に少しずつ負傷していく仲魔を何度か入れ替えながら何とか防衛線を維持し続ける。

 しかし、一時間程もまどかを守り続けた頃には、流石のライドウもとうとう限界が近くなっていた。
 無傷の仲魔はまだ複数体残っているが、肝心のライドウの体力やマグネタイトが残りわずか。
 仲魔の召喚のたびに大量のマグネタイトを奪われることによる消耗も大きかった。
 杏子もまた、複数のグリーフシードを使いきり、もはや限界が近い。
 ほむらには多少余力があるものの、それはいざというときにまどかを結界の外に連れ出す為に温存しなければならないものだ。
 まどかはこの一時間声を張り上げ続け、とうの昔に声が枯れている。今や当初の声とはかけ離れたものになっていた。

杏子「……潮時だな。ここらが限界だ」

 長い逡巡の末、継続は不可能。そう判断した杏子は小さく呟いた。

まどか「待ってよ、杏子ちゃん。もう少し、ゴホッ、ゲハッ……」

 咳き込むまどかの顔は苦痛にゆがんでいる。

杏子「アンタの喉も限界だし、情けないことに、アタシもこれ以上持久戦を戦えそうにない。
 諦めきれないがこれが限界だ。これ以上は犠牲者が出る。
 それはさやかが一番嫌がることだろ? だから、ごめんな」

 疲労のためか普段の杏子よりも明らかに劣る速度、しかしそれでも常人の目には留まらぬ速度でまどかの後ろに回り込み、一発の手刀でまどかの意識を刈り取った。
 ほむらが杏子を見つめる。その目に宿るのは、まどかに手を上げた事への怒りではない。杏子への心配であった。

杏子「なんだい、そんな目をして。心中なんかする気はないよ。
 ワルプルギスの夜相手に一緒に戦ってやるって言ったろ?
 魔力体力共にきついが凄腕悪魔召喚師が一緒なんだ。
 すぐに終わせるからさ。その子を頼んだよ」


 頷くほむらがまどかを抱えて消え失せるのを確認する杏子。
 せめてさやかが、彼女の意志に反して犠牲者を生む前に退治しようと、残りの魔力を振り絞り人魚の魔女に初めて攻勢に出た。
 今まで車輪のみを狙っていた槍が、人魚の魔女を襲う。
 同時に、ライドウも攻勢に転じた。
 疲労の色濃い仲魔、モー・ショボーとモコイを管に戻し、この戦いでまだ召喚していない仲魔、ミシャグジさまを呼び出した。
 これでライドウのマグネタイトは残り僅か。仲魔の召喚は出来てせいぜいあと一度であろう。体力も残り少ないため長期戦は不利、短期決戦で挑むしかない。
 召喚されたミシャグジさまは、電撃属性攻撃魔法を牽制に放ち、瞬間移動を駆使して人魚の魔女を攻める。
 ライドウもまた、ミシャグジさまの攻撃により生じた隙を突くよう人魚の魔女に迫った。
 ライドウが有利に戦いを進めているのを確認した杏子は、戦線から一歩離れ杏子は魔力を錬り始めた。何か大技をする気のようだ。
 ライドウを見つめる視線の意味するところはその時間を稼げということであろう。こちらに突き出した手のしぐさから判断するに十秒程度でよさそうだ。
 ライドウは杏子に頷き返し、ミシャグジさまに合図を出した。
 ミシャグジさまの放つ艶電が、武器を手にしたライドウを先導する。
 艶電は、ライドウと杏子を狙う車輪を焼き払い、魔女の振りかぶった洋剣を伝い、人魚の魔女の精神と肉体を犯す。
 魔女の斬撃はその影響で僅かに鈍った。
 その隙に魔女を間合いに捉えたのはライドウだった。
 接敵の勢いそのままに、人魚の腹に修羅虎突きと呼ばれる葛葉一門に伝わる剣技を突き立てる。
 ライドウの退魔刀、陰陽葛葉は魔女の体躯に比べあまりに小さいが、その刀身に秘める祓魔の力は、確かな手傷を負わせた。
 苦し紛れに人魚の魔女が放つ尾ビレの一撃は、陰陽葛葉を引き抜きながらの防御で止める。
 自動車が衝突するかのような衝撃であったが、マグネタイトで強化された陰陽葛葉による防御越しならば耐えられないことはない。
 動きを止めた尾びれに拳銃を六連発、すべて同じ鱗に命中させる。苦痛によるものか、人魚の魔女の体がびくりと震えた。
 好機とばかりに、陰陽葛葉による三連斬。それぞれ煉極撃・刃、懐、塵と呼ばれる連携技である。
 斬撃後のライドウの隙を打ち消すように、烏帽子に緋色の具足姿の仲魔、ヨシツネが上空から現れ、落下しながら強力な斬撃を見舞った。
 ヨシツネの斬撃を視界の隅に捕えながら、ライドウは魔女から距離をとった。
 今の召喚でライドウのマグネタイトは完全に底をついた。
 もはや、召喚されている仲魔を維持するほどの余裕もなく、ミシャグジさまとヨシツネはライドウの胸元の管へと帰ってくる。
 肉体的な疲労も蓄積しており、すでに余力のない状態であるったが、時間稼ぎはこれで充分であった。
 魔女から離れるライドウと入れ違うように、杏子の放つ複数の巨大な多節槍が人魚の魔女を絡め捕り、その体を貫いた。
 人魚の魔女は、悲鳴を上げながらこの世から消え去った。一つのグリーフシードだけを残して。

 グリーフシードの代りにさやかのソウルジェムが現れることを僅かに期待していた杏子は、落胆とも諦観ともつかぬ表情でグリーフシードを拾い、ライドウに背を向けながら両手に包み、その胸に抱いた。

杏子「さやか……ごめんな」

 グリーフシードを抱く杏子の表情は見えない。
 杏子がしばらくそうしていると、やがて周囲の景色が解け、人魚の魔女の結界は、さやかの体と共に消え去った。






 元の駅構内に戻ると、先に脱出したほむらが、気を失っているまどかを抱きながら待っていた。
 視界の外から声が響く。

キュゥべえ「なんだ、杏子も無事だったのか」

杏子「どういう意味だテメェ」

キュゥべえ「不可能に挑むことで、君が無駄に死んだり魔女に成ることを期待していたんだけどね」

杏子「いい度胸だな」

 槍を構える杏子をほむらが制した。

ほむら「まって、杏子。答えなさいインキュベーター、不可能に挑むってどういう意味?」

キュゥべえ「言葉どおりの意味さ。魔女化した魔法少女を元に戻すなんて、燃え尽きた灰を薪に戻すようなものだ。
 いくら君たち魔法少女が常理を覆す存在とはいえ、原理的に不可能だよ」

ほむら「最初から可能性は無かったというの……?」

キュゥべえ「途方も無い才能を持つ少女がそれを願って契約すれば可能かもしれないね。
 例えば、まどかほどの才能があれば、数百体規模でだって魔女を魔法少女に変えられるかもしれない」

杏子「アタシの挑戦に興味があるって……
 もしも魔女を魔法少女に戻せればって言ってたじゃねえか!」

キュゥべえ「魔女を魔法少女に戻せれば効率的なのは事実だ。現実的には不可能だとしてもね。
 君の挑戦にも興味があった、杏子が死ねばワルプルギスの夜に挑む魔法少女はほむら一人になる。
 一人ではとても勝ち目はないし、まどかが契約する可能性が高まるじゃないか」

 怒りのあまり絶句した杏子がキュゥべえの首を槍で切断し、頭部を踏み潰す。
 そのまま涙を流し、声にならぬ声でさやかを呼んだ。
 一瞬目を伏せたほむらが口を開く。

ほむら「辛かったわね、杏子。今日はもう帰りましょう。貴女も私の家で休むといいわ。部屋数は余裕があるから……」

杏子「グスッ……そうさせてもらうよ。今日は誰かと居たい気分だ。ライドウもすまなかったね、アタシの無茶に付き合わせて」

 ライドウは首を横に振った。

ほむら「ライドウ、明朝、落ち着いた頃に貴方たちの宿に連絡するわ。今日はありがとう」

 それだけ言って彼女達は立ち去った。





ゴウト「魔法少女の末路、魔女化か……
 聞いてはいたが、目の当たりにするとその悲惨さ、キュゥべえの非道さに胸が締め付けられるな。
 だが、ライドウよ。うぬはよくやった。
 結果はこうであったが、うぬの出来る範囲で最高の立ち回りであったと我が認めよう。
 さやかが守ろうとした人々にさやか自身が魔女として災いを撒き散らす惨事を防いだのは、うぬの働きによるところも大きい。
 うぬ等はさやかの心は救う事が出来たのだ」

 ライドウは、ゴウトの言葉に慰められながら鳴海の待つ宿へと帰った。



第四章 人魚の魔女 完


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第五章 葛葉ライドウ対超弩級魔女



 人魚の魔女との戦いの翌々日の夕刻、ライドウ、ゴウト、鳴海、ほむら、杏子はほむらの家で一堂に会していた。
 こうして全員が顔を会わせるのは、ライドウ達が初めてのほむらや杏子と会った日以来である。

ほむら「いよいよ明日の日中、ワルプルギスの夜が来るわ。
 今日ここに集まってもらったのは、明日の私達の行動の最終確認をするためよ」

鳴海「その前に確認したいんだけど、まどかちゃんはほむらちゃんの過去の事は知っているんだよね?
 自分が強大な魔女になることも含めて」

ほむら「ええ、一昨日、目を覚ましたまどかに杏子と二人で……
 さやかを助けられなかったことと合わせて伝えてあるわ」

ゴウト「で、まどかの今日の様子はどうだったのだ? 学校で会ったのであろう?
 さやかを生き返らせたいなどと言い出してはいないか?」

ほむら「落ち込んではいるけど、契約については今のところは大丈夫よ。
 でも、以前の時間軸では契約しないと約束を破って最後には魔法少女になってしまったこともある。油断は禁物ね」

杏子「過去のループであいつが土壇場で契約する原因って、ワルプルギスの夜に負けそうになることだろ?
 アタシ達がピンチにならなければいい」

ほむら「それが出来ればベストだけど……。まどかとインキュベーターの監視が欲しいところね。鳴海さん、お願いできるかしら?」

 キュゥべえを目視でき、魔女との戦いにおいて戦力とならない鳴海は、その役目にうってつけである。鳴海は二つ返事で請け負った。

ほむら「まどかの事は鳴海さんに任せるとして、ワルプルギスの夜の対策に議題を移しましょう。
 鳴海さん。確認のために、キュゥべえから聞き取った内容をもう一度教えて下さい」

鳴海「ああ。一昨日、ライドウからもらった魔石……異世界の道具を餌にしてキュゥべえからいくつかの情報を得たんだ。
 とはいっても、後でほむらちゃんと情報をすり合わせたら、すでに分かっている内容の方が多かったが、それでもワルプルギスの夜について新たに分かったことかいくつかある」

 鳴海は指を一本立てて全員を見回した。

鳴海「一つは、ワルプルギスの夜の使い魔は、ワルプルギスの夜に成長することが無い。
 ワルプルギスの夜が過ぎ去るとみんな消えるらしい。理由も聞いてみたが、キュゥべえは教えてくれなかったよ」

 肩をすくめる鳴海に杏子が頷いた。

杏子「考えてみれば、使い魔が育ってワルプルギスの夜になるなら、もっとワルプルギスの夜が増えてるはずだもんな」

 鳴海は、立てた指を二つに増やす。

鳴海「二つ目は、この写真にあるワルプルギスの夜は、全力を出していないって事だ」

ほむら「電話で聞いた話だと、全力を出すときにはワルプルギスが起き上がる。
 つまり、身体が上で歯車が下になるって言ってたわよね?」

 ほむらの質問に首を縦に振る鳴海。

鳴海「そうだ。歯車を下にした……便宜上反転と呼ぼうか。反転した、つまり全力のワルプルギスの夜は、普段の状態とは強さも周囲への被害も桁違いだそうだ」

ほむら「正直信じられないけど、あのインキュベーターがそう明言したなら真実なんでしょうね。
 アイツ、嘘だけは吐かないもの」

ゴウト「ほむらよ、うぬの過去の周回ではワルプルギスの夜は一度も反転しなかったのか?」

ほむら「何度か撃退には成功したけど、反転を見たことはないわね。
 撃退というよりは、被害を防ぐための足止め。ワルプルギスの夜は勝手に帰っていったって感じね」

杏子「って事は、おふざけで戦って本気を出さないうちに勝手に帰っていくってことか。
 そもそも街を襲うのも単にお遊びって訳だ。ふざけやがって」

ゴウト「フム、今の話を総合するに、撃退するだけならば奴に反転されることは無さそう、と言ったところか。
 倒せるものなら倒してしまいたいが……
 下手に追い詰めて反転されては見滝原の被害は甚大だ。足止めに徹するのも悪くはない。ライドウよ、うぬはどう考える?」

 今後のワルプルギスの夜の被害を考えれば倒してしまいたい。
 だが、見滝原の被害やほむらの目的達成への勝算を重視し、撃退に止める方が良い。ライドウはそう判断した。

鳴海「そうか、ライドウはそう考えるか。
 確かにこの町の被害は無視できないからな。その選択、俺もいいと思うぜ」

杏子「アタシとしちゃあ、出現場所と時間がわかりきっている今回がワルプルギスの夜を倒しちまう最大のチャンスだと思うんだけど……」

ほむら「杏子の言う通りよ。倒し切りましょう。少なくとも私はそのつもりで準備をしてきたわ」

鳴海「依頼主がこういうなら仕方がないか……
 ライドウ、おまえはそれで行けそうか?」

 ほむらがそう判断したならば、反対するほどの理由はない。ライドウは首肯した。


ほむら「ありがとう。さて、次ね」

 鳴海の立てる指が一つ増える。

鳴海「最後に三つ目、これが一番明日の役に立つと思うんだけど、ワルプルギスの夜の本体はどうやら歯車みたいなんだ。
 だから、攻撃を加えるなら人形の方じゃなくて、歯車を狙うのが良いみたいだ。
 まあ、その分防御も固めているみたいだけど」

ほむら「思い当たるところがあるわね。言われてみれば確かに、人形の部分よりも歯車の方が守りが堅かったような気がする」

杏子「ほむらが時間を止めれば防御を無視して直接攻撃出来るんじゃないか?」

ゴウト「しかし、止まった時間の中、他人の時間を動かすのはほむらにとって負担が大きい様だ。
 さらには、止まった時間の中ワルプルギスの夜まで接近する術がライドウにはない。うぬらもライドウを抱えて跳ぶのは難しかろう。
 もっと言えば、ライドウはうぬ等と手を繋いだまま攻撃しても、十分に威力の乗った打撃とはならずに効率が悪い。
 ほむらの時間停止には頼らず接近し、回避が間に合わぬ時だけほむらの判断で時間停止の恩恵にあずかる方がよさそうだな」

杏子「まあ、その辺は臨機応変にやればいいじゃん。アタシもライドウもまだ相手を見てねーし、ほむらもこのメンバーで戦うのは初めてだろ?
 不十分な情報だけで戦法をガッチガチに固めるのもよくねーぜ」

ゴウト「それもそうだな。では先ほどの方針を基本にしつつも臨機応変に対応するとしよう」

ほむら「臨機応変はいいけど、最初の内は罠にかけることを優先して頂戴」

杏子「罠ってのは、前にも言っていたやつだな? 見滝原大橋の下流に仕掛けるんだったか?
 大火力の罠とか言ってたが、一体どんなもんなんだ?」

ほむら「詳しく説明するのは面倒だからざっくり言うけど超火力の地雷よ」

杏子「おいおい、そんなの最初に言っとけよ。誘導するアタシたちまで巻き込まれちまうんじゃないか?」

ほむら「大丈夫よ。誘導してもらう地点にあるのは、今言った地雷までの誘導手段だから。
 そこまで奴を連れてきてくれれば、工業地帯にある特火点まで強引に連れ込んでドカンよ。巻き込まれる事はないわ
 それで奴がまだ動くようなら、前の作戦会議でも言った通り各自遊撃。私は極力二人の補助にまわるわ」

ゴウト「フム、どうやら必要な情報は出揃ったようだな。これらを考慮に入れれば、奴との対峙の際に採るべき行動は……」

ほむら「まずは罠に誘導すること」

 そして攻撃時には極力歯車の部分を狙うこと。確認のため、ライドウは声に出した。

杏子「あと、魔女に成長しない以上、邪魔にならない使い魔はとりあえず無視してもよさそうだな」

鳴海「それと反転したら要注意ってことだな」

ゴウト「フム、確認すべき事項はこんなところか。
 これ以上有益な情報も無かろう。明日に備え、今日はゆっくり休むとしようぞ」

ほむら「そうね。それじゃあ鳴海さん、ライドウさん。明日はよろしくね。杏子は泊まっていくわよね?」

杏子「ああ、悪いなほむら。じゃあライドウ、明日はよろしくな。頼りにしてるぜ」

 ライドウ達は、ほむらと杏子に別れを告げて、宿へ帰った。






 翌日、ほむらから聞いていたとおりの時間に見滝原市全域に避難命令が出された。
 ライドウは、避難民に紛れた鳴海がまどかと合流したのを確認した後、川岸の公園……待ち合わせ場所に向かう。
 そこにはすでにほむらと杏子が待っていた。
 ライドウは、鳴海が予定どおりまどかと合流したことを二人に告げ、擬態を解除した。
 ライドウの腰に退魔刀、陰陽葛葉と拳銃、コルトライトニングが現れる。
 不意に強い風がライドウのマントをはためかせる。

杏子「そろそろワルプルギスの夜がご登場みたいだぜ」

 杏子の声で視線を川へ向けると、濃厚な霧が川から吹き付けてきた。
 濃霧に覆われ狭まった視界にサーカスの一団の行列が現れ、陸へ上がるところであった。
 行列は無数の万国旗のような綱で空中に浮く何かを引っ張っている。
 もちろん、通常のサーカスがこんな時に川の上を行進するはずもないし、妖気を放つはずもない。使い魔である。
 使い魔たちは、ライドウや臨戦態勢の魔法少女二人を無視し、すぐ脇を通り過ぎていった。
 周囲の風がさらに強くなり、風向きが不安定になる。

     ⑤

ゴウト「どうやら来るようだな。ぬかるなよ、ライドウ」

 不可視の念動力で周囲のビルヂングが中程から折れて残骸が宙に舞う。

     ④

杏子「さて、やってやろうじゃないの」

 使い魔達の引く何かが、霧の奥から徐々に姿を現した。

     ③

ほむら「今度こそ……決着をつけてやる」

 宙に浮くそれは、ほむらの家で見た写真のとおりの巨大な悪魔、いや魔女。

     ②

 ライドウはヒトコトヌシとジャックランタンを召喚し、陰陽葛葉を抜いた。
 もはやワルプルギスの夜ははっきりと視認出来る距離にいる。

     ①

 突如、周囲に耳障りな笑い声が響き渡り、ワルプルギスの夜の周囲に浮いたビルヂングの残骸が毒々しい赤に燃え上がる。
 霧はいつの間にか晴れていた。


 ワルプルギスの夜を誘き寄せる目標地点は川上、見滝原大橋近く。
 ライドウは、ジャックランタンを川上に、ヒトコトヌシを川下に配置していた。
 空を駈けワルプルギスの夜に迫る杏子の背を眺めながら、仲魔に指示を飛ばす。
 大風を呼ぶヒトコトヌシに、火炎属性攻撃魔法を浴びせるジャックランタン。
 ワルプルギスの夜の連れた嵐よりも一段と強い大風に押されたか、ジャックランタンの挑発に乗ったか。
 意外なほど素直に川上へと移動してゆくワルプルギスの夜は笑い声をあげながら口から毒々しい色の炎を吐いた。
 川上を先行するジャックランタンは挑発するようにその炎に飛び込み、より高温の業火を三発ワルプルギスの夜に浴びせた。
 一発は顔面に、一発は青いドレスに、一発は歯車に。
 顔面と歯車は煤け、ドレスには小さな焦げあとがつく。多少なりとも打撃を与えているようだ。
 ワルプルギスの夜が地獄の業火に呑まれた頃、杏子がその川上側に躍り出るのが見える。
 杏子は魔力で構成した足場を蹴りながら、二本の多節槍を鞭の様に振るう。
 ワルプルギスの夜の歯車とその軸に何度も切りつけ、刺し、叩く。さながら舞う様な華麗な体術であった。
 杏子を脅威と見たのか、ワルプルギスの夜は杏子に対して炎を吐き、黒く塗りつぶした魔法少女の様な姿の使い魔が呼び出される。
 しかしその炎はジャックランタンに庇われ、使い魔は時間を止めたほむらの狙撃により出現と同時に倒されていく。
 結果、杏子は攻撃に専念する事が出来ていた。
 ほむらは狙撃の合間に対戦車ロケット弾をワルプルギスの夜に浴びせ、激しい爆炎が魔女の体表を舐める。
 ヒトコトヌシの大風とその合間に放つ衝撃属性魔法が、ジャックランタンが杏子を庇いつつ放つ火炎属性魔法が、杏子の振るう二本の多節槍が。
 ワルプルギスの夜の身に幾多の傷を負わせながら誘導目標地点へと誘う。
 
 遂に見滝原大橋の傍まで誘き寄せたその時、ほむらが合図の照明弾を放った。
 杏子は直ちに橋を伝い戦線離脱、こちらへ駆け寄り、ライドウは仲魔を直ちに召し寄せ管に治める。
 ワルプルギスの夜は橋の傍に一人残された。

 ほむらが手中の装置を操作すると、川の両岸から発射された無数の迫撃砲により、ワルプルギスの夜は上から押さえつけられた。
 ふと、ほむらの姿が消える。時間を止めて移動したのだろう。
 直後、川の中から巨大な装置が姿を現し、複数のロケットを発射発射した。よく見ると、ほむらはその巨大な装置の上に立っている。
 ワルプルギスの夜はロケットに押され、空中に張られた送電線に押し付けられる。
 ロケットと送電線に挟まれたまま動けないワルプルギスの夜は、ロケットの爆発にのまれ、その巨体が炎に包まれた。
 その爆発で切れたか、ミサイルの圧力に負けたか。漸く千切れた送電線からの放電がワルプルギスの夜を貫き、薄暗い空を青く照らした。
 先ほどの爆発ではすべてのロケットが爆発したわけでは無いようだった。
 送電線の戒めから解き放たれたワルプルギスの夜は、残った二つのミサイルに押され、ものすごい速度で川向の工業地帯へと消えてゆく。

 ライドウの傍らに歩み寄った杏子は、馬鹿みたいにポカンと口を開けその様子を眺めていた。
 もし鏡を見れば、ライドウも、そしてその肩に乗ったゴウトも同じような表情を浮かべていただろう。
 いつの間にか橋を支える塔の上に上ったほむらが、双眼鏡片手に手中の装置を再び操作する。
 直後、ワルプルギスの夜の墜落した辺りから、火山の噴火のような爆炎が昇った。
 数秒遅れて、轟音が耳をつんざく。

杏子「おいほむら、なんだありゃ!? あの大爆発は!? 核兵器か!?
 それにあのミサイル、こんなの聞いてないぞ!」

ほむら「核兵器なんかじゃないわ。地雷と言ったでしょ? 只の指向性地雷よ。
 ちょっとばかり数は多いけど。大体十五万個くらいだったかしら。
 それにミサイルの件、聞いてないのは当然よ。言ってないもの」

杏子「言ってないものって……
 あんな攻撃手段が有るなら、アタシやライドウに頼らず、ほむら1人で勝てたんじゃないか?」

ほむら「私1人では、ここまでうまく誘導出来ない可能性があったもの。
 実際貴方たちはよくやってくれたわ。
 それにまだ、これで勝てたとは限らない」

杏子「これで勝てなきゃ、どうやって勝つってんだよ……」


 後ろで言い合う魔法少女をよそに、はるか遠方に立ち上る炎を眺めていたライドウは、炎の中に揺らめく影を見た。
 瞬間、第六感に従いほむらと杏子に注意を呼びかけ、陰陽葛葉で防御姿勢をとる。
 ほぼ同時に目にも止まらぬ速度で黒い触手が一直線に伸びてきた。
 かろうじて防御が間に合ったことに安堵したのもつかの間、触手が三体の魔法少女型の使い魔に化ける。

 直近の一体を陰陽葛葉で切り払うとさしたる抵抗もなく消え去った。防御力は低いらしい。
 次に近い使い魔は拳銃三連発で倒す。
 もう一体は、ほむらが自動小銃で倒した。

杏子「あれでも倒せないのか!?」

 炎から姿を見せたワルプルギスの夜は、見滝原大橋に追い詰めた時からさして傷が増えていない。
 今はまだ距離があるものの、市街地に向けて近づいてきているようにも見える。

ゴウト「なんということだ!
 どうやら、物理属性攻撃や火炎属性攻撃に高度な耐性を持っているようだぞ!」

杏子「そんなバカな、アタシの槍やライドウの仲魔の炎で多少なりともダメージがとおってたじゃないか!」

ゴウト「正確には、魔力のこもらぬ物理や火炎に耐性があるのであろう。物理系物理属性、物理系火炎属性無効といったところか。
 しかしこれでは……」

 ゴウトはちらりとほむらを見やった。

ほむら「……それは、私の攻撃手段はほとんど通じないと言うことかしら?」

ゴウト「我の見立てが正しければそうなる」

ほむら「……いいわ。通じないものは仕方がないもの。私一人では勝てないはずね。
 予定通り私は補助にまわる。攻撃はライドウと杏子に任せるわ」

 ライドウは頷き、モー・ショボーを召喚する。
 幸いにも風は渦巻くように吹き荒れているため、疾風管属の仲魔の能力、神風を使えば移動には事欠かない。
 風向きを読み風を何度か乗り換えれば接敵も容易だ。

 モー・ショボーは、ライドウ、ゴウトを連れて吹き荒れる暴風に乗った。
 壊れていない工場の屋上、上半分が折れて無くなったビルヂング、ワルプルギスの周囲に浮く何かしらの建造物の残骸と、次々と足場を移し飛び回る。
 杏子も魔力の足場を生み出し、空をかけワルプルギスの夜に迫る。すでにワルプルギスの夜の歯車の上で機関銃を振り回していた。
 やがて、ライドウ達はワルプルギスの夜の歯車の上に降り立つ。遅れて杏子も追いついた。
 歯車に乗って、改めて市街地に向けてワルプルギスの夜が移動していることを実感する。


 周囲には魔法少女型の使い魔が無数に舞っていたが、ほむらの機関銃がそのことごとくを蹴散らす。
 現れては蹴散らしのイタチごっこだが、使い魔の相手はほむら一人で足りそうであった。
 ライドウは、モー・ショボーを管に戻し、ベリアルとヤマタノオロチを召喚する。
 ベリアルの業火とヤマタノオロチの冷気が、歯車の中心の巨大な軸を交互に苛む。
 冷却の度に軋む音が聞こえるため、温度差による破壊は効果があるように見える。
 
 ライドウはマグネタイトを込めた陰陽葛葉で、杏子は魔力で構成された槍で、業火と冷気の合間に軸に打撃を与え続けた。
 幾度目かの斬撃により軸に目に見える大きさのヒビが入った直後、視界から彩りが消えた。
 写真のような白黒の世界の中で、ほむらがライドウの手に触れている。
 ほむらに抱きかかえられたゴウト、そして、ほむらの手をつかんでいる杏子だけが無彩色の世界の中で彩りを保っていた。
 振り返れば、黒く巨大な触手が迫ってきている。ほむらが時間を止めなければ気づかずにやられていたかもしれない。
 ベリアルとヤマタノオロチは、すでに触手に跳ね飛ばされ、宙に浮いていた。

ほむら「さすがに二人だと消費が激しいわね。あなたの仲魔を助けるのは厳しいわ、そろそろ時間切れよ。とりあえず跳ねてよけましょう」

 どうやら仲魔の被害を確認し、保護する時間は無い様だ。
 ライドウたちは、息を合わせて跳躍する。
 跳ねたのは同時であったが、その高さがほむらと合わなかったらしい。
 途中ほむらの手がライドウから離れ、世界に彩りが戻った。
 だが、そのことを意識する間もなく、眼下を黒い触手が通り過ぎる。
 触手はその軌道に夥しい使い魔を残しながら、歯車の表面を舐めるように凪ぎ払った。
 ゴウトを抱くほむら、そして杏子は触手の一撃は躱したものの、使い魔の群れに呑まれてしまった。
 触手に撥ねられた仲魔二体は歯車の外へとはじき出され、空中に出現した使い魔に襲われている。
 本来なら鍛え上げられた仲魔にとって使い魔など物の数ではないはずだが、触手の一撃がよほど重かったのか彼らの動きは鈍い。

 すぐにでも仲魔を召し寄せ、ほむらたちの助力に向かいたい所であるが、眼下に群れる使い魔の対処を済ませなければその余裕はなさそうだ。
 落下する一瞬の間に、三度陰陽葛葉を翻し数体の使い魔を屠り、着地点を確保する。
 着地の勢いに屈みそうになる身体を脚力と背筋で無理やり立たせ、葛葉一門に伝わる回転切り、羅刹竜転斬りを放った。
 周囲の使い魔を一掃し、ようやく仲魔を召し寄せたライドウだったが、すでにベリアルもヤマタノオロチも瀕死であった。
 二体を管に収め、ヒトコトヌシを呼び出し、大風で周囲の使い魔を凪ぎ払う。
 晴れた視界には負傷したほむらと杏子、ほむらに抱えられた無傷のゴウトがいた。
 その視界に何を見たのか、ほむらが叫ぶ。

ほむら「まずいわ、このままだとまどかや鳴海さんのいる避難所に到達する! 避難所が襲われる!」

ゴウト「なんだと! 聞いたか、ライドウ。全力でこやつを押さえねば!」

 もはや、後先考えている場合ではない。
 短期決戦でケリをつけようと、ライドウは切り札中の切り札、最強の仲魔の封魔管を手に取った。
 その仲魔を召喚するには、他の仲魔とは比べ物にならないほどの密度のマグネタイトを空間に展開する必要がある。
 ましてや、この世界では体から離れたマグネタイトはすぐに虚空に消えてしまう。
 ライドウは出し惜しみせず、全力でマグネタイトを解き放った。
 ……しかし、密度が上がれば上がるほどマグネタイトが入ったそのとき虚空に消える速度が速くなる。
 必要な密度に届く前に、ライドウの放出するマグネタイトより消失するマグネタイトの方が多くなってしまった。
 これでは、例え万全の状態であったとしても最強の仲魔を召喚することはできない。

 内心舌打ちをしながら、封魔管を胸元に戻したライドウは考えた。
 切り札は使えない。
 今の試みで、ライドウのマグネタイトは大きく目減りし、残りは少ない。
 さらには避難所に到達するまでの時間も残り僅かである。
 どうすればワルプルギスの夜を撃退、最悪足止めできるか。

 数秒の思案の末、一つの策を思いついたライドウは他の全員を呼び集めた。
 ヒトコトヌシの能力、神風により全員を連れて風に乗って飛ぶ。
 向かう先はワルプルギスの夜の進行方向、避難所とワルプルギスの夜の中間地点。幸いにも目的地までは風の通り道があった。






 瞬時のうちに目的地に至ったライドウは、ヒトコトヌシを管に戻す。

ほむら「何か策があるのね? ライドウ」

 ライドウは答える時間も惜しんで、胸元から一本の封魔管を取出す。
 それを見てライドウの意図を理解したゴウトが代わりに答える。

ゴウト「策も何も単純に巨体と腕力でねじ伏せるつもりのようだ。
 街にも多大な被害が出るであろうが、もはや手段は選んでおられまい……」

 ゴウトの言葉が切れるときには、マグネタイトの輝きと共に一体の仲魔が呼び出されていた。
 周囲に広がるマグネタイト緑の祭服を纏った金属質の天使の姿をした仲魔が具現する。
 背丈は凡そ七尺程度、人に比べれば大きいものの、ワルプルギスの夜とは比ぶべくもない。

杏子「天使……さま?」

ゴウト「サンダルフォンだ」

杏子「サンダルフォン様っていえば、地に立てば天に届くっていう丈高き天使っていう……」

ゴウト「うむ、普段なら身の丈七尺くらいで実体化させるが、本来は、途方も無く大きな悪魔。
 マグネタイトさえ供給すれば、いくらでも巨大に実体化させられる」

 ライドウはゴウトの言葉を証明するかの如く、サンダルフォンの足に手を当て、マグネタイトを供給する。
 思った通り、マグネタイトを体外に出さなければ虚空に霧散するようなことは無い様だ。
 つまり、接触しながらマグネタイトを供給すればライドウが送ったマグネタイトを損失無く仲間に伝えられる。
 サンダルフォンの体は際限を知らぬかの如く膨れ上がる。
 マグネタイトを供給し始めて程なく、ライドウのマグネタイトは枯渇するが、それも計算の上。
 ライドウは金王屋から貰い受けたソーマを道具袋から取出し、飲み干した。
 一つしかない貴重品を消費してしまったが、消耗したマグネタイトが瞬時に回復する。
 回復したマグネタイトを七割程度も消費した時には、サンダルフォンは、ワルプルギスの夜に近い巨躯となっていた。

ゴウト「とはいえ、これ程までの大きさに実体化させられる悪魔召喚師はライドウの他には居るまい」

 サンダルフォンは迫りくるワルプスギスの夜に掴み掛り、その動きを制する。
 ワルプルギスの夜に押されるサンダルフォンの足は地を擦り、放置された自動車を跳ね飛ばしいくつかの建造物を破壊し、避難所の数百メール手前で静止した。
 止まると同時にサンダルフォンの頭突きがワルプルギスの夜の歯車に突き刺さり、豪快な金属音を立てる。
 直後の膝蹴りと疾風属性魔法でワルプルギスの夜は十数メートルも後ずさった。
 ワルプルギスの夜は、おそらく同等の体格の相手と戦った経験はないだろうが、サンダルフォンにとっては日常茶飯事。
 格闘戦において、サンダルフォンの優位は明らかであった。
 爆発音に近い打撃音と、爆風のようなサンダルフォンの魔法の余波。
 サンダルフォンの猛攻に徐々に後退するワルプルギスの夜。
 戦闘の規模に手を出せずにいたライドウ、ほむら、杏子の三人は希望を込めてサンダルフォンを見つめていた。
 このまま行けば勝てる。
 ワルプルギスの夜を倒せないまでも、避難所を守りきることはできる。
 三人の希望が確信へと変わるとき、ワルプルギスの夜が笑いを止めた。


ゴウト「ヤツの様子がおかしい! よもや反転するつもりなのではないか!? 不味いぞ!」

 あわててサンダルフォンがワルプルギスの夜に組み付き、押さえ付けた。
 しかし、ワルプルギスの夜はサンダルフォンの抵抗などお構いなしに反転を始める。
 サンダルフォンはさらに力を籠め、両の腕がマグネタイトに輝きはじめた。
 反転の速度は徐々に緩み、ついには止まった。
 反転しようとするワルプスギスの夜と、それを押しとどめるサンダルフォン。両者の力は拮抗している。
 サンダルフォンは、反転しないうちにワルプルギスの夜を退治すべく疾風属性攻撃魔法を放つ。
 一方のワルプルギスの夜も、反転を押さえつけるサンダルフォンの力を弱めようと、密着した状態で毒々しい炎を吐きサンダルフォンを焼く。
 いずれも回避する術はなく、相手の攻撃をすべて受け入れながらの戦いである。

 杏子は、サンダルフォンの体を足場に駆け上がり、ワルプルギスの夜へ攻撃を加えていた。
 巨大な多節槍がワルプルギスの夜に突き刺さり、そのたびに反転しようとする力が緩み、徐々に反転前の状態へと戻っていく。 
 ほむらは、魔力の足場を八艘跳びに動き回り、ワルプルギスの夜の注意を引いている。
 ワルプルギスの夜の吐く炎のうち、何割かがほむらを狙いサンダルフォンの負担を減らした。
 サンダルフォンも、ワルプルギスの夜から受けた傷を自らの回復魔法で直ちに癒し、肉体的な損傷はほぼ皆無である。
 
 その状況だけ見れば、こちらが有利に戦いが進んでいるように見えた。
 しかし、地に膝をつくライドウとその隣に佇むゴウトの二人だけは、自分たちの不利を知っていた。

 先ほどソーマを飲みマグネタイトを回復したライドウであったが、慣れぬ仲間の巨体化に七割ほどのマグネタイトを使った。
 それに加えて、サンダルフォンがその巨体に見合った規模で放つ超絶威力の疾風属性攻撃魔法と自信をいやす回復魔法。
 それらによって消費されるマグネタイトは、全て召喚者であるライドウが負担しなければならない。
 そのマグネタイトもサンダルフォンに直接触れていれば、無駄なく供給できるが、そこまで近づけば今度はライドウがワルプルギスの夜の砲火にさらされてしまう。
 サンダルフォンに触れたままでは回避もままならず、防御と回復に余計にマグネタイトを消費する羽目になりかねない。

 今もサンダルフォンは疾風属性攻撃魔法と回復魔法を連発している。
 ほむらや杏子の支援で、消耗と攻撃の効率が多少改善しているが、焼け石に水である。
 もはやライドウのマグネタイトは再び枯渇寸前であった。
 マグネタイトを回復する道具は持ち合わせていない。
 戦いは、ワルプルギスの夜の体力とライドウのマグネタイトの消耗戦となっていた。







 消耗戦は長くは続かず、すぐに決着が付いた。
 ライドウの敗北である。

 マグネタイトの供給が途絶え、力を失うサンダルフォン。拘束から逃れたワルプルギスの夜は好機とばかりに反転した。
 途端に暴力的な強風が周囲に吹き荒れ、マグネタイトの尽きたサンダルフォンはライドウの管に戻る。
 マグネタイトの枯渇による疲労により体の自由が効かず膝をついていたライドウは、風に吹き飛ばされた。
 十数メートル転がり、避難所から目と鼻の先に追いやられた末にほむらに支えられ、ようやく止まることが出来た。
 しかし、ほむらはその後飛来してきた瓦礫の直撃を受け負傷し、そのまま右足が大きな瓦礫の下敷きとなってしまった。
 強風のなか、なんとか体勢を立て直して瓦礫を退けようとするが、人間の力ではとても持ち上がらない。
 ほむらの狙撃銃を梃子にしてみたがやはり動く気配はなく、銃身が曲がってしまった。
 仲魔の力を借りれば容易く動かせるのだろうが今はマグネタイトが枯渇しそれも叶わない。

 一方ゴウトは、風に舞い上げられ何処へか飛んで行くところであったが、間一髪、杏子に掴まれ難を逃れた。
 とはいえ吹き飛ぶ体を尻尾を握って止められた際には、この世の終わりのような悲鳴を上げていたが。
 杏子の着地の際に、強風が運んできた鉄の棒がその左太股を貫いた。
 苦悶の声を上げながらもゴウトを握る手を離さなさずに、魔力による障壁を張る。
 ゴウトはどこからともなく魔石を取り出し、杏子の治療に当たりはじめたようだ。

 風は一層強まり、ついには避難所がミシミシと音をたて、ガラスが一斉に割れた。
 避難所内から悲鳴が上がり、やがて屋根や壁の一部が吹き飛びはじめる。

ほむら「まどかの居る避難所が……」

 ほむらはなんとか足を自由にしようともがくが、瓦礫が食い込み、足に血がにじむだけであった。
 避難所の屋根壁が完全に剥がれ、避難民が風雨に晒されるようになると、嵐がいくらかおさまった。
 避難所では多くの行方不明者、怪我人が出たようで、慌ただしい声が聞こえる。死人が出ていても不思議ではない。

 ワルプルギスの夜を見れば、すごい速度でライドウ達から遠ざかっていく。
 その方向を、ほむらの家で見た地図と照らせば、こことは別の避難所のある方角であった。
 なんとかしなければ、あちらの避難所でも同様の被害が生じる。

 しかし、ライドウのマグネタイトは尽きており、そのために体の自由も効かない。回復薬などは無く、回復手段は時間の経過しかない。
 杏子も負傷している、ゴウトの使った魔石で回復すただろうが、あれだけ深い怪我ならばすぐに動き回れるようにはなるまい。
 ほむらは動けないし、元々ワルプルギスの夜にまともに傷を負わせることが出来ない。

 まさに万策つきた。ワルプルギスの夜を止めることは出来ない。
 とはいえ、何が出来るわけでなくともただ座して見ているわけにもいかず、陰陽葛葉を杖によろよろと立ち上がると、背後、崩れた避難所から二色の足音が聞こえた。


まどか「ほむらちゃん!!」

ほむら「まどか! どうして……」

 どうして出てきたのかと問いたかったのだろうが、避難所の守護に失敗したのはほむらやライドウである。
 最早、避難所内は危険地帯となっていた。
 むしろ屋外の方が、建物が崩れてくる危険が無い分安全かもしれない。
 避難所を飛び出してきたまどかを攻められるはずもない。
 まどかは傷だらけのほむらにすがりついた。

まどか「ほむらちゃん…… こんな、ボロボロになるまで戦って……」

ほむら「まどか、私のことはいいの、どこか安全なところに逃げて」

キュゥべえ「安全な場所なんてないよ。
 ワルプルギスの夜が現われ、君たちが撃退に失敗した以上、この町のどこに居たとしても待っているのは等しく死だけさ。
 彼女がいったんこの場を離れたのは、ほんの気まぐれに過ぎない。じきに広域に及ぶ破壊と殺戮が始まるだろう。
 反転したならなおのことだ。もう被害を受けるのは見滝原市だけでは済まない。
 都道府県レベルの被害で収まれば良いほうじゃないかな?
 まどかが契約しない限り、もはやこの結果は覆せないと思うよ」

ほむら「私たちの戦いは無駄だったの? 余計に被害を拡大しただけだというの?」

 ほむらは泣きそうなか細い声で呟いた。ソウルジェムは見る間に濁りはじめた。

キュゥべえ「ほむらや杏子、特にライドウも頑張ったみたいだけど、彼女を本気にさせたのは失敗だったね。
 巨大な悪魔を召喚して以降は、本当にワルプルギスの夜を倒してしまうんじゃないかと不安だったよ。本当に紙一重だったからね。
 君達は本当に惜しかった。勝算は有ったんだ。誇っていい。歴史上彼女をあそこまで追い詰めたのは君達が初めてだ。
 結果としては被害が拡大しただけだったとしてもね」

まどか「キュゥべえ。ちょっと黙ってて」

キュゥべえ「ひどいな、君が呼んだんじゃないか」

ほむら「呼んだって……あなたまさか! ダメよまどか!
 鳴海さん、何をしているの!? まどかを止めて!」

 鳴海はうつむき、帽子で視線を隠した。

鳴海「済まない、ほむらちゃん。でも、このままではまどかも君も町の人だってみんな死んでしまう。
 まどかちゃんは魔法少女の真実を受け入れた上で、君を救う為に覚悟を決めたんだ。
 まどかちゃんや君が生き残る道がない以上俺には止めることは出来ない」

 ほむらは納得行かないまま、しかし反論できずに言葉につまる。

まどか「ほむらちゃん、私、ほむらちゃんの過去を聞いて考えたんだ。
 私はほむらちゃんに重荷を背負わせて守ってもらってきた。
 そんな私がほむらちゃんに何を返してあげられるんだろうって」

 状況にそぐわぬ屈託のない笑みを浮かべ、まどかはほむらの手を握った。

まどか「今、この状況になって、ようやく私に出来ることが見つかったの。
 ごめんね。ほむらちゃんの望む形じゃないかもしれないけど、むしろ避けていた事かも知れないけど……
 こんなことをしたらほむらちゃんは次の時間軸に行っちゃうかもしれないけど……
 だから私は、私の祈りは……」

 ほむらの手を握ったまま、まどかの首はキュゥべえの方を向く。
 やめてと叫ぶほむらを無視し、まどかは凛々しい表情でキュゥべえに叫んだ。


まどか「私はほむらちゃんの力になりたい!
 どれほど時間が経っても、どんな困難にぶつかっても、どんなに傷ついても、たとえ別の時間軸に行ったとしても。
 ほむらちゃんが望む限り、ほむらちゃんが戦い抜けるような力をほむらちゃんにあげたい。
 さあ、この願い、叶えてよ。キュゥべえ!」

キュゥべえ「君の願いはエントロピーを凌駕した。さあ、解き放ってごらん。新しい力を」

 桃色の光が、まどかの周囲にあふれ、その胸からソウルジェムが浮かび上がる。
 溢れる光はほむらを包み、その傷を癒し、ソウルジェムの濁りを拭い去った。
 更に光が注がれ、ほむらのソウルジェムには桃色が差し、青紫と桃色の巴状に変化しする。
 二色の境界は不明瞭で、赤紫を介して一体化していた。
 余った光はマグネタイトと化して周囲に散っていく。無駄にしてはならぬとライドウはそれを吸収した。
 その濃厚さに、ライドウのマグネタイトは瞬く間に完全に回復した。

まどか「本当にごめんね、ほむらちゃん」

 呟きながら魔法少女に返信したまどかは、手にした杖を弓に変化させ引き絞った。引かれた弓にはいつの間にか光の矢が装填されている。

まどか「鳴海さん、もしもの時はお願いします」

 黙って頷く鳴海に満足し、まどかは弓を放った。
 高速で飛ぶ矢は無数の光に分かれ、彼方に見えるワルプルギスの夜とその周囲の使い魔へと飛ぶ。
 そのままワルプルギスの夜を抵抗無く貫き、雲を貫き空の彼方へと消えていった。
 一切の派手さは無く、まったく無音、迫力も皆無の一撃であった。瞬きをしていれば気が付かなかったかもしれない。
 そんな一撃で、ワルプルギスの夜は糸の切れた人形の様に力を失い、消え去った。呆気ない決着である。

ゴウト「なんという威力よ。我らがよってたかってあれほど苦戦したワルプルギスの夜を一撃とは……」

 いつの間にか足元によっていたゴウトが呟く。
 ワルプルギスの夜が消え去った方角を見ていると、苦悶の声が聞こえた。
 声の方を見ると、学生服に戻ったまどかが、ソウルジェムを片手に苦しんでいた。

ほむら「まどか! どうしたの!? まさか……」

キュゥべえ「そのまさかさ。まどかは最強の魔法少女としてあれだけの力を放って、最大の敵、ワルプルギスの夜を倒したんだ。
 あとはもう、最強最悪の魔女になるしかないだろう?」

 いつもとかわらぬ明るい口調のキュゥべえを、鳴海の拳銃弾が貫いた。

鳴海「黙っていろ」

 鳴海はまどかの傍らに座り、ソウルジェムに手を伸ばした。
 ソウルジェムは、ピシピシと音をたて、細かな破片を散らしている。
 さやかの時を考えれば、グリーフシードを当ててももはや手遅れだろう。
 鳴海は優しく力強い声で呼び掛けた。

鳴海「まどかちゃん」

まどか「クッ……鳴海……さん、お願い……します。
 私……魔女になんて……なりたくない……」

 鳴海は無言で頷くと、まどかのソウルジェムを左手に取り、右手に構えた拳銃の接射で砕いた。

 同時に力を失うまどかの体。
 あまりの展開に、まどかと鳴海以外が一切の身動きがとれなかった。
 鳴海はほむらを拘束する瓦礫に目をやり呟く。

鳴海「とても人の手では無理だな。ライドウ、仲魔が召喚できるなら、ほむらちゃんを助けてあげてくれないか?」

 呆気にとられていたライドウはその言葉に我にかえり、無言で頷くと、ヨシツネを召喚して瓦礫を力任せに持ち上げさせた。
 出来た隙間からするりと足を抜き、鳴海に詰め寄るほむら。
 ほむらが鳴海の襟をねじあげ、首に食い込む。

ほむら「鳴海、貴方まどかを……約束したのに……」

鳴海「すまない、申し開きのしようもない」

 鳴海の襟がさらに食い込む、やせ我慢していた鳴海がさすがに苦しむ表情を見せて数秒、ほむらの手が弛む。
 どれだけの間、ほむらの鳴き声がだけが周囲に響いただろうか。
 痛々しさに視線を他にやると、いつの間にか空を覆っていた暗雲が消え去っていることに気が付いた。

ほむら「わかっているわよ、貴方の、いえ、まどかの選択は選び得る範囲で最良のものだった」

 ようやく泣き止んだほむらが、洟をすすりながら呟いた。

ほむら「貴方はまどかの意志を尊重しただけ。あのままではまどかを含め多くの人が死んでいた。取り乱したわね。ごめんなさい」


 ほむらは鳴海を放し、涙を拭うと、ライドウの方へと向き直った。

ほむら「ライドウ、今この時間は私がかつて体験していない時間よ。おそらく今なら時空間の歪みの影響無く異世界に帰ることが出来るわ」

 ほむらはファサリと髪をかきあげた。

ほむら「結果的にこうなってしまったけど、貴方たちの協力、感謝しているわ。ありがとう」

 しばし無言の時間が流れる。最初に口を開いたのはゴウトであった。

ゴウト「……ところでライドウよ、天津金木に想いは蓄まっているか」

 天津金木に蓄まっていた想いの力は、この世界に来た初日に使い果たし、それ以降蓄める機会は無かった。
 当然、秘術を行える程の想いの力など宿っていない。

ゴウト「だそうだ」

 ライドウの説明を聞いた鳴海が、ニヤリと笑いながら鳴海が話に割り込んできた。

鳴海「なるほど、元の世界に戻るための力が足りないなら、それは帰れないな。
 ライドウ、その想いの力ってのは、もしかして調達に一ヵ月くらいかかるんじゃないか?」

 わざとらしい鳴海の声に、やはりわざとらしい声でゴウトが応える。

ゴウト「フン、ならば仕方がないな。ライドウよ、このままほむらを一月待たせるわけには行くまい。
 次の時間軸でゆっくり想いの力を蓄えるとしようぞ。
 ついでに超弩級魔女に再挑戦してもよいかも知れぬな」

 ライドウは、笑みを浮かべ頷いた。

ほむら「もう一周、付き合ってくれるの?」

鳴海「ほむらちゃんが迷惑で無ければね」

ゴウト「気に病むことはない、天津金木の秘術を行えぬのはこちらの不手際なのだ」

ほむら「……本当にありがとう。もう一ヵ月、よろしくお願いします」

 ライドウ、ゴウト、鳴海は異口同音に、こちらこそ今後ともよろしくと応えた。
 話がまとまったところで、背後から声がかかる。


杏子「なあ、ライドウ。頼みがあるんだ。聞いてくれないか?」

 ライドウは、内容によると応えた。

杏子「アンタ達は次の時間軸に行っちゃうんだろ?
 でも、ほむらの奴はコミュニケーション能力が絶望的だし、アンタなんか度を越えた無口だ。
 次の時間軸のアタシを味方に引き入れるとすれば手間がかかるだろう?」

 ライドウがほむらに関わったときには、すでに杏子はほむらに共闘の約束をしていたので分からないが、本人が言うのだから間違いなかろう。
 ほむらも否定はしなかった。

杏子「だからさ、アタシの一ヵ月の記憶、持って行ってくれないか?
 アタシの心を読んでさ、次の時間軸のアタシにそれを読ませてやってくれよ」

 確かに外法管属の仲魔の読心術を使えば、杏子の記憶は読めるし、他者に読心させることもできる。
 試したことはないが原理的に可能であろう。

杏子「頼むよ、アタシはほむらの力になってやりたいんだ」

ほむら「杏子……」

杏子「でも、次の時間軸にはアタシは行けない。
 だから記憶だけでも連れていってほしいんだ。
 そうすればきっと、次の時間軸のアタシがアンタ達の力になれる」

ゴウト「杏子よ。うぬの言うとおり試みたとして、次の時間軸うぬがそれを信じるとは限らぬぞ。
 つまらぬ幻覚を見せられたと思うかも知れぬ」

杏子「こっちは昔、幻術の専門家だったんだ。きっと大丈夫さ」

ゴウト「……ライドウよ、駄目で元々当たれば儲けだ。
 杏子の記憶、連れて行ってやってはどうだ?」

 ライドウは小さく頷き、モコイを召喚した。

モコイ「ハロー、サマナーくん。最近女の子の心をよく読むね。ムッツリだね。チミ」

 杏子は顔を僅かに桃色に染め、目を逸らして呟いた。

杏子「御託はいいから早くしてくれ」

 モコイは読心術を試みた。杏子の一月間の記憶が脳裏に浮かんでくる。
 ライドウは一瞬のうちに杏子の記憶を追体験した。

杏子「……アタシの記憶、変なことには使うなよ」

 杏子は顔を桃色に染めて呟いた。

ほむら「杏子、貴女にも感謝しているわ。じゃあ、行くわ。さようなら」

 ほむらが差し出した手を杏子が握り返し、そのままほむらの左手が動く。
 ライドウの意識はそこで途絶えた。




第五章 葛葉ライドウ対超弩級魔女 完


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第六章 新たなる一箇月



 気が付くとライドウは見知らぬ病室にいた。ゴウトも鳴海も一緒である。
 病室にたった一つの寝台には、三つ編みをしたほむらが寝ている。
 先程まで感じていた疲労感は消え去り、戦いで汚れた衣類も綺麗になっている。
 初めて体験したが、ほむらの時間遡行に巻き込まれるのは奇妙な感覚であった。
 道具袋の中を確認したが、先ほどの戦いで消費したソーマや、鳴海に渡した魔石も元の数に戻っている。
 そして、天津金木の状態も最初に見滝原市に降り立った時まで戻っており、秘術を行うに十分な思いの力が宿っている。


鳴海「今までなら、ほむらちゃんが目を覚ます前に慌てて退散してたけど、今回はゆっくりできるな」

 鳴海は、寝台脇の椅子に腰掛けた。

鳴海「で、ライドウ。ほむらちゃんが目を覚ますまで、どのくらい時間があるのか分からないけど、ワルプルギスの夜との戦いで起こった事を教えてくれないか?」

 ライドウは鳴海に戦いの状況を報告した。

鳴海「なるほど、ワルプルギスの夜はそこまで強力な魔女なのか……」

 鳴海が唸りながら考え込んでいると、ほむらが目を覚まし、ガバリと跳ね起きた。

鳴海「うわっ、驚いた。よく寝ていたと思ったけど、起こしちゃったかい? うるさかったかな?」

ほむら「気にしないでちょうだい。それにしても私、時間遡行後にしばらく眠っていたのね。過去に戻った瞬間に目が覚めていると思っていたわ」

鳴海「おかげで俺は前の周もその前の周も警察に突き出されずに済んだってことかな」

 冗談めかして言う鳴海に、ほむらは「そうね、乙女の寝顔をのぞいた罪を償わせられなくて残念だわ」と冷たくつぶやき、捨て置いた。
 哀しげに下唇を突き出し情けない表情を浮かべる鳴海に、ほむらは「冗談よ」と告げて話を戻す。

ほむら「何か考えていたみたいだけど、どうしたのかしら」

鳴海「……ほむらちゃん。ここで改めてほむらちゃんの目的を確認したい」

ほむら「確認したいって……いいわ。前の周で言ったとおりよ。
 まどかを魔法少女にさせず、ワルプルギスの夜を倒す。
 出来れば美樹さやかも魔法少女にならず、巴マミと佐倉杏子も無事で……
 欲を言えばまどかや巴マミや佐倉杏子、ついでに美樹さやかとも友好的な関係を築くのが目的よ」

鳴海「ふむ……一つ気になったんだが、ワルプルギスの夜を倒すのは本当に君の目的なのかな。
 いや、戦術的な目的ではあるんだろうけど、戦略的な、最終的な目標なのかな?」

ほむら「確かに……ワルプルギスの夜を倒すこと自体が目的ではないわね。
 でも、ワルプルギスの夜を倒さなくては、町は破壊されまどかは魔法少女になってしまうわ。
 目的でなくても必要条件なら結局は同じでしょう?」

鳴海「ライドウ、ゴウトちゃん、耳をかしてくれ……深遠世界……ゴニョゴニョ」

ゴウト「なんと、そんな手段を思いつくとは……
 だが、確かにそれならワルプルギスの夜の被害が街に及ぶこともなかろう。ライドウやれるか?」

 ライドウは頷いた。

鳴海「そうか、よかった。
 でも前の時は倒れちゃったみたいだし、大変な仕事だと思うけどお願いするよ。
 無茶はしないでくれよ?」

ほむら「そっちだけで納得しないでほしいわね。結局どういうことなのかしら?」

ゴウト「まどかが最終的に契約をしてしまうのは、街への人的被害をおもんぱかってのことであろう?
 鳴海の考えは、そもそもワルプルギスの夜との戦いの場を、周囲に被害の出ない場所に移そうというものだ」

ほむら「……それが出来れば苦労はしないわ。でも、奴は見滝原に現われるのよ。
 仮にあいつをこちらの自由に誘導出来たとしても、工業地帯か市街地が被害にあうわ。
 ……前回あれだけ盛大に工業地帯を破壊した私が言うのもなんだけど」

ゴウト「方法論は問題ない。
 可能であるという根拠を示すのは困難だが、ライドウの秘術をもってすれば、奴を確実に強制的に連れ去ることができる。
 これでまどかが契約する最大の理由を排除できるはずだ」

ほむら「……いいわ、手段については貴方たちを信じる。
 そうすれば後は交戦するだけ。最悪勝てそうになければ撤退すればこちらの戦略目的は達成というわけだもの。
 本当に助かるわ」

ゴウト「だが、良いことばかり出もない。その秘術を用いれば、ライドウは疲労に倒れよう。
 少なくとも戦力にはならぬ。
 撤退に専念したとしても、奴の勢力圏から離れるまでの戦力を用意しなければならぬ」

ほむら「私と杏子……だけでは不足かしら?」

ゴウト「先程の戦いを見るかぎりではまったく不足というわけではなかろうが……
 出来ればもう一声ほしいところだな。誰か心当たりはないか?」

ほむら「巴マミならば、戦力としては申し分ないけど……難しいわね。
 彼女は精神的にインキュベーターを依存しているし、まどかを魔法少女にしたがるもの。
 まどかを魔法少女にするのを妨害しながら友好関係を築くのは無理ね」

鳴海「その巴さんに事情を説明すれば……すれば傍にいる魔法少女を道連れに自殺、心中したがるんだったな。
 ちくしょう、どこまでもキュゥべえの奴が邪魔をする」

 確かに鳴海の言うとおり、あらゆる事柄の元凶であるキュゥべえが、あらゆる面で障害となっている。
 キュゥべえの目的のために手段を選ばぬ行いに、困難が尽きない。
 そこまで考え、ライドウは一つの発想を得た。
 挙手し、皆に思い付きを伝える。

ほむら・ゴウト・鳴海「「「キュゥべえを味方につける!?」」」

ほむら「悪い冗談は止めてちょうだい。アイツが諸悪の根源なのよ。
 そんなアイツを味方につけるなんて出来るわけ……」

鳴海「いや、ほむらちゃん、待ってくれ。
 ライドウは悪質な冗談や根拠の無い思い付きを口にするような奴じゃない。
 何か考えがあるはずだ」

ゴウト「ライドウ、悪魔相手に鍛えたうぬの百戦錬磨の交渉術をもってしても、キュゥべえを相手にするには交渉材料となるものが……」

 ライドウは、ゴウトの言葉を遮るよう、懐から銃弾を取り出した。

ゴウト「なるほど、光の弾倉か。
 確かに前の時間軸で奴は並ならぬ関心を抱いていたな。十分な交渉材料になりそうだ」

 ゴウトはなるほどと首と尻尾を振り、ほむらに向き直った。

ゴウト「ほむらよ、うぬが奴を毛嫌いする気持ち、察するに余りあるが、確実に目的を達成するためだ。
 奴との交渉を認めてくれぬか?」


 じっくり数分の逡巡の末、迷いを振り切るように頭を振ってほむらは答えた。

ほむら「……条件が三つあるわ。
 一つはアイツに嘘を吐かないこと。
 アイツは嘘を吐かないし、合意内容は遵守するでしょうけど、嘘がばれた時点でそれを理由に反古にする可能性もあるわ。
 アイツに弱味を握られるわけにはいかない」

鳴海「それは、嘘さえ吐かなければ、情報を隠すことでキュゥべえを騙しても構わないって解釈していいのかな?」

ほむら「アイツもやっていることだもの、当然かまわないわ」

ゴウト「承知した。他の条件は?」

ほむら「アイツに与える情報は私が承諾したものに限ること」

ゴウト「当然の条件だな。最後は?」

ほむら「交渉の場には私が立ち合うこと」

ゴウト「むしろこちらから頼みたいくらいだ」

ほむら「……わかったわ、じゃあ早速交渉内容を含めてこの時間軸の方針を詰めて行きましょう」

 その後、ほむらの退院時間が迫り、ほむらのアパートに場所を移し、夜更けまで話し合いが続いた。






 ほむらが退院して翌日、街の片隅、人気の無い路地裏でほむら、ライドウ、ゴウトの三人はキュゥべえを呼び出していた。
 鳴海は一人別行動を……作戦を遂行するための資金稼ぎのために、賭博に精を出していた。「結果のわかっている博打は、面白くないけど笑いが止まらない」とは鳴海の弁である。

キュゥべえ「契約した覚えの無い魔法少女に呼び出されれて来てみれば、不可解な魔力を帯びた青年と猫と同伴かい?」

 突如物陰から現われたキュゥべえは、無表情にライドウを見据えながらほむらに声をかけた。

ほむら「戯言に付き合うつもりはないわ、インキュベーター」

キュゥべえ「その名前を知っているとは……
 君は魔法少女の様だけど僕の知らない魔法少女なんているはずがない。
 そっちの青年や猫も魔力に近い未知のエネルギーを持っているようだ。
 君たちは一体何者だい?」

ゴウト「我の名はゴウト、こちらは誉れ高き葛葉四天王が一角、十四代目葛葉ライドウだ。
 そして我等はこの世界の本来の住人ではない。異世界から来ている」

ほむら「私もライドウと一緒にこの時空へやってきたわ。出身世界はライドウとは別だけどね。
 異なる時空のあなたのような存在の手により魔法少女になった者よ。
 ついでに言えば、私たちはあなた達の本当のご立派な目的、魔法少女の末路も知っている」

キュゥべえ「……にわかには信じ難いね。
 でも、、猫が喋ることも含めて君たちが驚愕に価するイレギュラーな存在であることは事実だ。
 それが真実なら確かに不可解な点は解決するし、非常に興味深いよ」

ゴウト「証明になるかわからぬが、異世界の技術の一端を見せよう。ライドウ」

 ライドウはゴウトに促され、ジャックランタンを召喚した。

ジャックランタン「ヒーホー、こわーい悪魔が参上だホー。……あれ、反応が薄いけど怖くないホ?」

 ライドウはすぐさまジャックランタンを封魔管に戻した。

キュゥべえ「君達には本当に驚かされる。
 今、一時だけ現われたのは君達の仲間かい?
 魔女や使い魔に近いものを感じたけど、明瞭な違いもある。
 地球上はおろか宇宙中の既知の範囲に存在するどんな生物のカテゴリーにも該当しない存在だ。
 君達が真に異世界の住人だと、今確信したよ。
 さっきの生物は悪魔と名乗ったけどそれは比喩的な意味かい?」

ゴウト「信用してもらえた様でありがたい。
 奴はライドウの仲魔で真の意味での悪魔よ。
 我等の世界でそのように呼ばれている存在だ」

ほむら「私達が貴方を呼んだのは交渉のためよ」

キュゥべえ「交渉だって?」

ゴウト「うむ。まずはよく見てくれ。ライドウ、あれを」

 ライドウは懐から光の弾倉を取り出した。さらにその弾倉から次々と銃弾を取り出す。
 暫く続けると、弾倉の体積より明らかに大きな銃弾の山が出来上がる。


キュゥべえ「これは……
 僕の見立てが確かなら、その弾倉は何のエネルギーの消費もなく銃弾を生み出しているようだ。
 生み出せる数に制限はあるのかい?」

ゴウト「入手してから既に何万発と使用しているが尽きたことはないな。
 入手時に聞いた説明では無限に銃弾を供給するようだ」

キュゥべえ「凄いよ! 観察したかぎりでは、この弾倉は明らかに熱力学の第一法則、第二法則を無視した挙動をとっている。
 これを使えば宇宙の熱的死の回避も可能かもしれない。
 これは君達の世界ではありふれたものなのかい?」

ゴウト「ありふれているわけではないが、一定の対価で入手出来る物ではある。
 交渉というのは他でもない。条件次第でこれを譲ろうというのだ」

キュゥべえ「本当かい?
 いったいどんな条件で譲ってくれるんだい? 大抵の条件なら飲むよ!」

ゴウト「一月後にワルプルギスの夜が見滝原市に襲来するはずだが、うぬにそれを防ぐことは可能か?」

キュゥべえ「君達は本当に得体が知れないね。それをどこで知ったんだい?
 彼女は彼女の気ままに振る舞うだけさ。僕達の管理下にはない。
 彼女の出現を止めることなど出来ないね」

ゴウト「なるほど、では我等はワルプルギスの夜が人民に被害を及ばさぬよう戦うつもりだ。
 この一月、うぬらがそれを邪魔せずかつ協力することが最初の条件だ」

キュゥべえ「わかった。その条件を承諾するよ。
 でも、僕たちが協力したとして、勝てるとは限らないからそこのところは承知して欲しいな」

ゴウト「こちらも承知しよう。で、二つ目の条件だが……」


ほむら「今後一切魔法少女の契約をするな……っていうのはどうかしら」

キュゥべえ「それは難しいね。
 その弾倉を研究して効率よく無限のエネルギーを得られる見込みは高いけど、確証はない。
 弾倉の研究が行き詰まった際の保険にその約束はしかねる」

ほむら「では、とりあえず一カ月間、ワルプルギスの夜を越えるまで新たに魔法少女を生み出すのは止めなさい」

キュゥべえ「それならば可能だ。
 でも魔法少女に成らなければ命を失うような状況にある少女も多数居るはずだし、魔法少女が生まれなければ魔女による被害が拡大する。
 異世界の人間とはいえ、君達はそれを看過するのかい?」

ほむら「……鹿目まどか、どうせもう目を付けているんでしょう?
 あの娘とは今後一切契約及び勧誘をしないでちょうだい」

キュゥべえ「鹿目まどかのことまで知っているか。
 とはいえ、彼女との契約を禁じられるのは厳しいな。
 さっきも言ったけど、弾倉の研究はとん挫する可能性もある。
 その場合、まどかの才能は非常に魅力的なんだ」

ほむら「ワルプルギスの夜を越えるまで、およそ一カ月の間だけでいいわ。これ以上の譲歩はないわよ」

キュゥべえ「あの途方も無い因果を目の前にお預けをくらうのは辛いけど、まあ一カ月程度なら構わないかな。
 君達が彼女の殺害や誘拐を謀らないなら承諾できるよ」

ほむら「そんなこと……するはずが無いでしょう!?」

ゴウト「では二つ目の条件は、我らが鹿目まどかに対して殺害や誘拐を謀らぬ限り、うぬらも鹿目まどかに対して魔法少女の契約やその勧誘を一切行わないこと。
 期間はおよそ一カ月後、ワルプルギスの夜を越えるまで。それで良いな?」

キュゥべえ「承諾するよ。他の条件はなんだい?」

ゴウト「次の条件は、もしうぬらが光の弾倉を研究し、魔法少女の仕組み以上に効率よくエネルギーが得られることがわかったら、直ちに魔法少女の仕組みを止めることだ。魔女の問題を解決したうえでな」

キュゥべえ「これは難しいね。魔法少女を元の人間に戻す方法は無いんだ。
 そして魔女の駆逐も一朝一夕に行くものじゃない。
 前提条件さえ満たせば魔法少女システムを捨てるのは構わないけど、即座に魔女の問題を解決する手段が無いよ」

ゴウト「魔法少女を魔女にならぬ様管理する術は?」

キュゥべえ「エネルギーは消費するけど原理的には可能じゃないかな。
 外部からのエネルギーの供給でソウルジェムの浄化も可能だ」

ゴウト「では、新たな魔法少女を生み出すのを最小限に押さえ、新たな魔女の発生を防ぎながら徐々に魔女を減らしてゆけばよい」

キュゥべえ「それならば可能だ。でも時間がどれだけかかるか分からないよ?」

ゴウト「仕方有るまい」

キュゥべえ「君の示した前提条件を満たした上で、それを実行するに十分なエネルギーが弾倉の研究成果から得られるならば承諾しよう」

ゴウト「十分だ。では最後の条件、弾倉の解析で得られた技術やその応用たる技術で地球人類に危害を加えないこと」

キュゥべえ「君のいう危害の定義が不明瞭だ。
 危害を与えるつもり無くとった行動が、迂遠な因果関係を経て不都合を生じさせる恐れもある」

ゴウト「……我らへの協力及び魔法少女の仕組みを無くす以外の干渉で、地球人類の総意に沿わぬ干渉を避けよ、と解釈してくれて構わぬ」

キュゥべえ「弾倉の研究成果から得た技術を使用した、君のいうような干渉を避けるんだね? 承諾するよ。
 こちらとしても、弾倉の研究さえ成功すれば、それ以上この星から得るものは無いからね。まったく問題ないね」

ゴウト「こちらからの条件はこれだけだ」

キュゥべえ「改めて全ての条件を承諾するよ」

 ライドウは、光の弾倉をキュゥべえに譲渡した。
 キュゥべえは耳の触手で器用に受け取ると、背中に穴を開け弾倉を飲み込んだ。穴を閉じると同時にきゅっぷいと鳴く。


ほむら「じゃあ、早速協力をお願いするわ。
 私たちは少しでも戦力がほしい、具体的には巴マミ、佐倉杏子を仲間に引き入れたい」

ゴウト「佐倉杏子に関しては当てがある。我とライドウでなんとかしよう」

ほむら「私は来週、見滝原中学校に二年生として転校するから、巴マミには私が接触する。
 インキュベーター、あなたには巴マミに私のことをさりげなく好意的に伝えてほしい」

キュゥべえ「わかったよ。マミが君に好感を持てるよう伝えればいいんだね」

ほむら「さりげなく頼むわよ。別の時空から来たことは伏せて頂戴」

キュゥべえ「マミの事だ、異なる時空から来た転校生なんて聞けば、何をおいても友達になって根掘り葉掘り聞こうとするだろうけどね」

ほむら「だから困るのよ」

キュゥべえ「とにかく分かったよ。他に今聞いておくべきことは有るかい?」

ゴウト「……質問があるのだが、どうもこの世界では放出したマグネタイト……魔力がどこかに消えてしまうようだ。
 原因に心当たりはあるか?」

キュゥべえ「それは僕達の設置している、魔法少女の希望が絶望に相転換する際に生じる魔力を自動的に回収するための装置のせいだね。
 地球の言語での名前は付けられていないんだけど……便宜上、魔力吸収装置と呼ぼうか。
 これが開発されるまでは、魔法少女が絶望する際に僕達が立ち合わなければその際に放出されるエネルギーが無駄になっていたんだ。
 本来は無制御の魔力のみを回収する設定になっているんだけど、君の未知の技術が特異すぎて魔力が制御下にあると認識出来ないんだろう」

ゴウト「ライドウの術を吸収しないように設定できぬのか?」

キュゥべえ「対ワルプルギスの夜戦への協力の一環というわけかい?
 不可能ではないかも知れないけど、ライドウの技術の解析、対応したシステムの開発、その実装と手順が多すぎる。
 一ヵ月以内の達成は現実的じゃないね」

ゴウト「では、一時的に止めることは出来ぬか?
 このままではライドウが術をもちいる際、普段の数倍も消耗してしまう。術によっては行うことすら困難なのだ」

 ライドウはゴウトに同調し、頷いた。

キュゥべえ「……分かったよ。ワルプルギスの夜戦の間、君の周囲と言ってもかなりの広範囲になるけど、その範囲のみ魔力の回収を無効化しよう。
 この件について、これ以上の協力はちょっと難しいな」

 ライドウは十分だと頷いた。

キュゥべえ「さて、他に何かにあるかい?」

ほむら「無いわ」

ゴウト「無いな」

キュゥべえ「了解した。これから一カ月は君達の味方だ。
 用事があればいつでも呼ぶといい」

 キュゥべえは去っていった。


ほむら「さて、結構時間がかかったわね。
 そういえばライドウ、あの弾倉から出てくる弾薬はロングコルト弾みたいだけと、どんな拳銃を使ってるのかしら?」

 ライドウは非武装の擬態を解き、拳銃をほむらに手渡した。

ほむら「ほむ、コルトライトニングね、実動する物は初めて見るわ。
 随分古いモデルを使っているわね」

ゴウト「……我らが大正の人間であることを忘れておらぬか?」

ほむら「もちろん覚えているわ。大正二十年の帝都から来たんでしょ。西暦で言えば1931年……よね?
 でもコルトライトニングは1877年開発よ、54年前の銃は貴方の時代でももう古いわね。
 1931年には.38ロングコルト弾を発射出来るダブルアクションの回転式拳銃に限ってもS&Wミリタリー&ポリス、コルトオフィシャルポリス等が開発されているはず。
 機構に欠点があって固定式弾倉のライトニングはすでに時代遅れになっていたんじゃないかしら」

ゴウト「……何を言っているのか理解出来るか? ライドウよ」

 ライドウは無言で首を横に振った。

ほむら「.38ロングコルト弾を発射出来る回転式拳銃と言えば傑作はS&W M686かコルトキングコブラね。
 S&W M686なら4inモデルが有るからあげるわ。.357マグナム弾用に作られた銃で.38スペシャル弾も使用できるの。
 .357マグナムは1934年設計だけど.38スペシャル弾は1898年設計だから、貴方の時代でも入手出来るはず。弾頭重量も銃口初速も.38ロングコルト弾より優れているわ。
 .38スペシャルと.357マグナムのホローポイント弾も50発ずつ付けるから試してみて頂戴。
 スチールコア弾があればそちらを渡すのだけど在庫が無いのが残念だわ。そもそも私は.38口径の銃はあまり使わないから仕方がないのだけど。
 残念といえば、スピードローダーもないわ。とはいえ、今までコルトライトニングを使っていたならそれで特別不便を感じることもないでしょうけど。
 M686の話に戻るけど、何より銃の機構自体がライトニングより圧倒的に信頼性があるのが強みよ。ステンレスフレームも美しく錆びにくい利点もあるわね。
 銃自体がライトニングより大きく重いのが欠点といえば欠点だけど、その分反動を吸収してくれる。
 貴方なら絶対に使いこなせるわ」

ゴウト「……何を言っているのかさっぱり分からぬが、要するにこの銃がライドウの普段使う銃弾とその二種の銃弾、併せて三種発射できるということ……か?」

ほむら「その通りよ。あと、銃の機構が……」

ゴウト「ウム、そうであったな、機構がなにやら優れているのだった。説明はよくわかった。
 十分理解したので説明はもう十分だ。素直に頂くとするぞ、さあライドウよ、早く受け取るのだ」

 明らかに辟易し、厄介払いと言わんばかりの声のゴウトに促され、明らかに話し足りないという表情のほむらから銃と銃弾を受け取った。
 とはいえ、使い慣れない拳銃を使うつもりもないので、そのまま道具袋の肥しとなりそうだ。
 
ゴウト「……さて、ほむらよ、我等はこのまま杏子を尋ねるつもりだが、うぬはどうする?」

ほむら「二人と一匹で押し掛ければ、今の杏子は警戒するでしょうね……
 杏子には前の時間軸の彼女の記憶を見せるのでしょう? ライドウとゴウトに任せるわ」

ゴウト「了解した、改めて尋ねるが、うぬはこれからどうする?」

ほむら「そろそろ時間だし、エイミーを助けに行くわ。
 あ、エイミーっていうのはまどかが契約するきっかけになりことがある黒猫よ」

ゴウト「そういえば、初対面の際うぬは我をエイミーと誤認していたな」

ほむら「まどかが契約する心配は無くなったけど、それでもまどかは悲しむもの。まずはエイミーを助けに行くわ。
 そのあとは武器の調達ね。杏子のことはお願いするわ」

 ファサッと髪をかき上げ、立ち去ろうとするほむらの肩にライドウが手を掛けた。

ゴウト「ほむらよ、待つのだ。この時間軸でワルプルギスの夜を越えられると我は考えている。
 それなのにうぬが法を犯して武器を調達しては、後に禍根が残りその後のうぬの日常に支障が出よう」

ほむら「ワルプルギスの夜さえ越えれば、私なんてどうなってもいいのよ」

ゴウト「冷静になれ。自棄になってはいかぬ。
 我らはうぬが平穏な……魔法少女としての平穏になるだろうが、とにかく平穏な日常に帰れるよう、うぬに協力しているのだ。
 それにうぬが自棄になったら、ワルプルギスの夜以降誰がまどかを護るのだ?
 うぬにとって、他人に任せられる事では無かろう」

ほむら「……確かに、あなたの言うとおりよ。でも私には他に戦う術が無いのよ」

ゴウト「なかった、だな。うぬのことだ、前の世界のまどかの願いを忘れてはいまい。
 あやつの願いはうぬに戦う力を与えること。うぬには何か新たな力が宿っているはずだ」

ほむら「そうね、確かにその通り。私の中にまどかの力を感じる。
 でもその力の使い方が私には分からない。
 不確かな力に頼りきる賭けよりも、まずは実績ある戦力の確保を……」

ゴウト「うぬの兵器はワルプルギスの夜には通用しなかった。
 効果の無い実績のある武器より、効くかもしれぬ未知の武器に賭けるほうがましであろう。
 通常の魔女相手ならば銃火器が通用するのだろうが、そんな相手はライドウに任せればよい。
 うぬは一人ではないのだ。
 武器の調達に費やしていた時間は、新しい力を使うための修練と、鹿目まどかをはじめとした学友と友好的な関係を築くのに使うのが良かろう。
 ワルプルギスの夜を越えてなお新たな力が使いこなせなければ、改めて武器の調達を考えればよい。
 こう考えれば、今すぐ法を犯してまで武器を調達する必要性はあるまい。
 それに銃火器がもう残っていないというわけでも無いのだろう?」

ほむら「ワルプルギスの夜を超えたら時間を止められないから武器の調達は困難だけど……
 でもそうね、確かにその通りだわ。
 在庫だけで通常の魔女相手なら暫らくは戦えるし、武器の調達は止めておきましょう。
 空いた時間で、まどかの力の使い方でも研究してみるとするわ」
 
ゴウト「それがよかろう」

ほむら「それじゃあ私は行くわ、また今夜、魔女狩りで会いましょう」

 ほむらは、ファサと髪をかき上げ去っていった。






 ほむらと別れて数時間後、ライドウとゴウトは、隣街にある一軒のゲームセンターの前にいた。
 探偵でもあるライドウにとって、人探しは得意な分野である。
 例え見知らぬ風見野という町であっても、一人の少女を探すことなど容易であった。
 ゲームセンターの内では、佐倉杏子が大きな画面の付いた台の上で踊っている。

ゴウト「……この遊戯場、華やかなのは良いが少しばかり賑やかすぎるな。
 猫の身には多少堪える。ライドウよ、手早く済ませてしまおう」

 ライドウは小さくうなずくと、杏子に歩み寄り声をかけた。杏子は丁度踊りが終わったところである。

杏子「誰だいあんた? 面白い格好してるね。ナンパだったら他をあたりな」

ゴウト「杏子よ、魔法少女としてのうぬに話がある」

 ゴウトが告げると、杏子の目に鋭い光が宿った。

杏子「ちょっと面貸しな」

 ライドウとゴウトを睨みながら店を出る杏子に付いていくと人気のない裏路地で足を止めた。

杏子「さて、アンタ何者だい? よく見れば魔力を持っているが魔法少女には見えない。
 きれいな顔はしているが男装してる魔法少女ってわけじゃないだろ?
 どうして魔法少女の事を知っている?
 アタシが魔法少女だとどこで知った?
 なんでアタシの名前を知っている?
 何の目的でアタシに近づいた?」

 ずっと背を見せていた杏子は、振り替えると同時に変身しライドウに槍を突き付けてきた。

ゴウト「……うぬに見せたいものがある。要件はそれだけだ。
 それを見ればうぬの疑問は全て氷解しよう」

杏子「なら早く見せな」

 ライドウは頷き、モコイを召喚した。
 途端に飛び退き、距離を置く杏子。

杏子「使い魔!? テメェますます何モンだ!」

ゴウト「使い魔ではない。悪魔だ。うぬに危害は加えぬ」

杏子「悪魔だと? 何だそりゃ。そんなモンが現実に居るのか?
 仮に居たとして、そんなの魔女よりたちが悪そうじゃないか。
 こう見えてもこっちは教会の娘なんだ。
 ……あ、もしかして、悪魔払いしてほしいとか? やったことないんだけど」

モコイ「チミ、エクソシスト? ボク、ブリッジでもしたほうがいい?
 頭が大きくて無理だけど」

ゴウト「払われては困るな。杏子よ、ライドウの顔を見てやってはくれぬか」

 杏子が警戒しながらもライドウと視線を合わせた瞬間、モコイがライドウに対して読心術を試みた。
 ライドウの持つ、前の時間軸の杏子の記憶が杏子の脳裏に浮かび追体験する……
 ついでに、この時間軸でのほむらとの話し合いやキュゥべえとの交渉の情景も杏子の脳裏に浮かんだ。
 慣れない感覚にふらつきながらも杏子はライドウ、ゴウトとモコイを順番に見回した。

杏子「……アンタの言いたいことは理解したよ。確かにアタシの疑問もすべて氷解した。
 ただし、アンタの見せたものが真実であるならば、だ」

 杏子は槍を消し、魔法少女姿から私服へと戻った。

杏子「前の時間軸のアタシの言った通り、ちゃちな幻覚なんかじゃないことは理解したよ。
 前の時間軸の記憶も違和感なく引き継いだ。
 引続きほむらの力になってやりたいが、一方では急に現れて変な記憶を見せ付けてきたアンタを警戒しているアタシもいる。
 頭の中に前の時間軸のアタシと今の時間軸のアタシが同居しているんだ」

ゴウト「まだ体験していない一月分の自分の記憶を不自然な形で見せられたのだ。多少の混乱が生じるのも無理はあるまい。
 前の世界の記憶を受け入れるか、違う自分のことと整理するか。
 いずれにせよ、数日もすれば落ち着くであろう」

杏子「……悪いなライドウ。記憶と気持ちの整理がついて、その時にほむらの味方をするつもりになれたら、こっちから接触するよ。
 あーあ、前の時間軸じゃあ、すぐに受け入れられると思ってたんだけどな」

 杏子はゲームセンターの方向に去っていった。
 空を見上げればすでに夕刻となっていた。

ゴウト「さて、我々はほむらと合流するとするか。
 この一月を有利に進めるにも、魔女を倒してグリーフシードを集めるにも奴が居なければ話しにならぬ」

 ライドウは小さくうなずき、見滝原市に戻ることにした。






 翌週、ライドウは市街地のビルの一角、工事中の無骨な室内でほむらと待ち合わせていた。
 ほむらによれば、今日はここに魔女が出現するらしい。そして、おそらく巴マミが現れるとも。
 鳴海は今日も資金稼ぎに賭け事三昧である。

ゴウト「ほむらのやつ、今朝の電話でまどかの力を多少使えるようになったと言っていたが、どんな力なのだろうな?」

 そんな会話をしていると、約束の時間より少し前に足音を響かせほむらが現れた。

ほむら「待たせたかしら?」

 ライドウは答えずに、ほむらの入ってきたドアーの無い入り口に視線を固定した。部屋の外に二つの気配を感じたのだ。
 魔力を帯びないこの気配、巴マミとやらではあるまい。
 ライドウの視線に気付いたほむらが振り返り誰何の声を上げると、バツの悪そうなさやかと、申し訳なさそうなまどかが姿を現した。

さやか「いやー、ごめんごめん。
 途中で帰っちゃった転校生が気になっちゃってさ。付いてきちゃった」

まどか「もう、さやかちゃん。ちゃんと謝ろうよ」

さやか「あれ、転校生、そっちのかっこいいけど変な服の人誰?
 もしかして彼氏!? 逢引きですか!? くぅー、クールな性格に反して情熱的な恋!
 これはさやかちゃんお邪魔だったかな? 転校生、来週は色々話を聞かせてよ」

ほむら「うぜぇ」

まどか「本当にごめんなさい。ほむらちゃんと、そちらの人。
 さやかちゃん、本当に色々なところが残念だけど悪い娘じゃあないんです。悪気はなかったんです。あっ、待ってよさやかちゃん」

 嵐の様に邪推をまくしたてるさやかと、保護者のように頭を下げるまどかを呆気に取られ眺めていると、二人は去っていった。
 途中、ほむらがボソリと呟いた柄にも無い台詞が印象的ではあった。

ゴウト「……学友と友好的な関係を築けている様で何よりだ」

ほむら「どう説明して誤魔化そうかしら……」

 ほむらが何やら呟いていると、突如少し離れた場所に妖気が溢れるのを感じた。
 ほぼ同時に、遠くからさやかとまどかの声が聞こえる。

さやか「あれ? 出口は? どこよここ?」

まどか「変だよここ……道がどんどん変わっていく……」

 ライドウは咄嗟にゴウトを掴み、ほむらはライドウの手を取り時間を停止させた。

ほむら「まどか……とさやか、なんて間の悪い」

 埃に残った二人の足跡を追って、止まった時間の中を走ると、すぐに歪んだ空間が見つかった。
 既に二人は魔女の結界に飲み込まれたらしく、足跡は途切れている。
 結界をこじ開けて、侵入すると、まどかとさやかはすぐに見つかった。

ゴウト「ほむらよ、うぬは二人を守るのだ。
 二人も見知らぬ男より学友のうぬの方が安心できよう。
 魔女は我とライドウが相手をする」

 ライドウが手を離した次の瞬間、ほむらは、まどかとさやかの傍に立っていた。
 その手には桃色に輝く弓を持っており、二人に囲んでいた使い魔は全て射ぬかれ、倒れている。

ゴウト「あの弓を作り出すのがまどかの力なのだろうが力を振るうところを見ることは叶わなかったか。
 しかし、時間を止めるというのはインチキじみた強さがあるな。さあライドウよ、我らも行くぞ」


 非武装の擬態を解いたライドウは、妖気の濃い方へと走った。
 道中、それぞれ髭毛玉、髭幽霊とでも形容すべき使い魔が群れをなして襲い掛かる。
 そのすべてを退魔刀陰陽葛葉や拳銃コルトライトニングで蹴散らして走り続けると、やがて広い部屋に出た。
 その中央の薔薇園には薔薇のいくつかあしらった粘液のような頭に蝶の翅を持つ巨体の魔女が居座っている。
 ライドウが近づくと、茨のような蔦を唸らせ襲い掛かってきた。
 上から一本、左から一本。鋭い一撃だが、対応できない程ではない。
 ライドウは右上に跳ねて二本の蔦を同時に躱し、同時に上からの蔦に陰陽葛葉を振う。
 たいした手応えもなく切り落とされた蔦は、そのまま後方へ飛んでいき、魔女は激昂したかの如く蔦の数を増やした。
 無数に襲いくる蔦を、あるものは躱し、あるものは切り捨てるうちに胸の封魔管に手を伸ばすライドウ。
 召喚するのはモー・ショボーである。

 モー・ショボーは出現と同時に真空刃を巻き起こし、蔦を吹き散らし、切り刻んだ。
 その隙を逃さず、ライドウは魔女へと走った。
 魔女は髭幽霊の使い魔を大量に呼び出し、使い魔たちはその姿を蔦へと変えて網の様に立ちはだかる。
 それを見たライドウは、再び封魔管に手を伸ばし、別の仲魔、ジャックランタンを呼び出した。
 ジャックランタンの放つ業火が蔦を焼き払い、モー・ショボーの巻き起こす風がそれを煽る。
 炎の合間を縫うように走るライドウが、魔女の傍にたどり着く頃には、薔薇園は火の海と化した。
 薔薇園が燃えたことを嘆いているのか、モー・ショボーとジャックランタンの魔法を受けての悲鳴か。
 絶叫する魔女に、ライドウは火炎属性魔法を纏った強力な回転切りを放った。
 ジャックランタンの力を借りた、いわば合体技である。
 斬撃で生じた創傷から炎を吹き出し、魔女の全身は紅蓮に染まり、やがて朽ちた薔薇の様に崩れ落ちる。

 同時に、結界が解けていく。
 結界が消え失せ、元の工事中のビル内に戻ると、巴マミであろうか? キュゥべえを引き連れマスケット銃を肩に担いだ金髪の魔法少女がほむらと向かい合っている。
 まどかとさやかはほむらの傍らでへたりこんでいた。

ほむら「結界が解けたみたいね。協力感謝するわ。巴マ……先輩」

 どうやら金髪の魔法少女が巴マミで間違いない様だ。

マミ「貴方が暁美ほむらさんね。キュゥべえから聞いているわ。
 ……ところで、どうして急に結界が解けたのかしら? 魔女が逃げた気配もないし……」

 ライドウが、足元のグリーフシードを拾うと、ほむらとマミの視線がライドウに向いた。一拍遅れてまどかとさやかも追随する。
 ライドウはほむらにグリーフシードを投げ渡し、陰陽葛葉を納刀し、拳銃を拳銃嚢に納めた。
 ほむらを除いた少女たちに緊張が走る。

マミ「違和感は有るけど……魔女かしら?」

 マスケット銃を構えるマミが見ているのは、どうやらライドウではなく、その両脇の仲魔のようであった。

モー・ショボー「あんなのと一緒にされるなんて、失礼しちゃうわ」

ジャックランタン「モー・ショボーが悪魔の女であることは事実だホ」

マミ「喋った!?」

まどか「……あの人、刀と鉄砲持ってるよ。変なおばけもいるし……」

さやか「鉄砲なら転校生も金髪のお姉さんも持ってるけど……」

ゴウト「ええい、仲魔たちが表に出ていては話が進まぬ。ライドウよ、ひとまず管に戻すのだ」

ま・さ・マ「「「猫が喋った!?」」」

キュゥべえ「やれやれ、みんな大混乱だね」

ま・さ「「こっちも!?」」






 あの後、ほむらとキュゥべえの取り成しにより危険人物で無いことをまどか、マミ、さやかに納得させ、ほむらの部屋に場所を移す事になった。
 皆で囲む卓にはハイカラな洋生菓子が並んでいる。
 珈琲を淹れ終えたほむらが着席したところでマミが上機嫌に沈黙を破った。

マミ「このケーキ駅前のお店のよね。ここのケーキ好きなの。暁美さんも?」

ほむら「私の魔法少女の師匠と言える人がこの店のケーキが大好きで、それで……」

マミ「? あの店、チェーン店だったかしら? 暁美さん転校生なのよね?」

ほむら「……見滝原駅まで買いに行ってたのよ」

マミ「へー、余程好きだったのね。さて、改めて自己紹介からしましょう。
 私は見滝原中学校三年の巴マミ。魔法少女よ」

ほむら「二年の暁美ほむら。同じく魔法少女よ」

まどか「ほむらちゃんと同じクラスの鹿目まどかです。えっと、巴先輩……」

マミ「マミでいいわ。先輩も要らない」

まどか「マミさん、ほむらちゃん。ありがとうございます。さっきの私達、きっと危なかったんですよね?」

マミ「そうね、危なく死ぬところだったわ。でも、これが私達魔法少女の使命だもの。お礼は要らないわ」

さやか「わたしも、まどかと転校生……」

まどか「さやかちゃん? いつまでも転校生呼ばわりだとほむらちゃんがかわいそうだよ?」

さやか「ごほん、まどかと暁美さんの……」

ほむら「ほむらでいいわ。学校でも言ったでしょ?」

さやか「あー、まどかとほむらと同じクラスの美樹さやかです。
 助けてくれてありがとうございます。ところでその魔法少女って……」

マミ「そうね、そのことも話す必要があるのだけど、私としては先に……」

 マミの視線がライドウに刺さる。

ゴウト「こやつは弓月の君高等師範学校の葛葉ライドウ。悪魔召喚師でもある。
 そして我はそのお目付け役の業斗童子。ゴウトと呼んでくれてよい」

さやか「高等師範学校……? 要するに高校ってこと? ここらにそんな学校有ったっけ?」

マミ「悪魔召喚師……素敵な響きね。で、その悪魔召喚師って何なのかしら? 教えて貰えますか?」

ゴウト「説明するのはかまわぬが、我らの存在は例外中の例外の様なもの。
そちらの二人にはまず、魔法少女について説明したほうが混乱せずにすむのではないか?」

キュゥべえ「僕もそれを勧めるよ。ライドウの存在はあまりにもイレギュラーだ。無駄な混乱をまねきかねない」

マミ「あら、貴方はライドウさんのことを知っているの?」

キュゥべえ「先週、ちょっと挨拶をしてね」

マミ「まあいいわ、キュゥべえもそう言うなら魔法少女の説明からしましょう」

 そういって、マミは魔法少女について、まどかとさやかに説明を始めた。
 マミの説明は、魔法少女への興味を抱かせるようなものであったが、ほむらが合いの手のように魔法少女の辛く苦しい部分を説明し興味を削いだ。
 ソウルジェムの正体、魔女の前身、キュゥべえの真の目的には触れず説明はおわった。

さやか「願い事かぁ。金銀財宝とか不老不死とか満漢全席とか……」

まどか「最後のはちょっと……」

さやか「ほむらの言うような危険と引き替えに叶えたいような願い事はちょっとないかなぁ」

ほむら「そうね、簡単になるものじゃない。契約しなければ死ぬ。
 そんな状況でない限り契約することはお勧めしないわ」

まどか「私……怖くなっちゃった。今まで知らずに過ごしていたけど、魔女ってそこらじゅうに居るんでしょ?
 私だけじゃない、パパだってママだって、タツヤだって何時襲われるかわからない」

マミ「そこまで怖がらなくてもいいわ。
 そこらじゅうにっていうほど数は多くないし、そうならないために私や暁美さんみたいな魔法少女がいるんだもの」

ほむら「そうね、それに貴女は魔女や使い魔を見ることができる。
 魔女の存在を察知したら私や巴マ……先輩に連絡をくれればいい。
 絶対に守ってみせるわ」


マミ「……ねえ暁美さん、私と一緒に戦わない?
 パートナーとして一緒に街を守ってほしいの」

ほむら「え、ありがたい申し出だけど、でも私は……貴女の縄張りを勝手に荒らしていたし、そもそも貴女の信頼されるようなことはまだ何も……」

マミ「さっきも言ったけど、貴女のことはキュゥべえから聞いているわ。
 魔女からみんなを守るために頑張っている魔法少女だって。
 それに、お友達を真剣に心配している貴女を見て悪い娘だと思う人は居ないわ。
 十分に信頼に足りる魔法少女よ、貴女は」

ほむら「……巴先輩、こちらこそお願いします」

マミ「マミでいいわ。仲間ですもの。
 ああ、また誰かと一緒に戦えるなんて……本当にうれしい」

 二人はかたい握手を交わした。

マミ「さて、あとはライドウさんのことだけね。悪魔召喚師って何なのかしら?」

 ライドウは自分とゴウト、そしてここには居ない鳴海が異世界の住人であること、悪魔召喚師について、事情がありほむらに協力していることを説明した。
 悪魔召喚の実演と、キュゥべえの保証もありマミ、まどか、さやかはすんなりと受け入れた。
 特にマミは大変に興味をいだいたようで、召喚したジャックフロストとモコイ、ついでにゴウトにべたべた触りながら質問攻めにして、持参のメモ帳に熱心に記録している。
 ほむら、まどかとさやかが談笑する中、ライドウが一人洋生菓子を食していると呼び鈴が鳴った。
 玄関が空いていたらしく、ほむらがなぜか電話口に立つ頃にはドアーが開き見知った顔が部屋に入ってきた。

杏子「ようほむら、久ぶりだね……げぇ、マミがいるのか……」

マミ「佐倉さん! 貴女は見滝原を出たはずじゃ……どうしてここに?」

杏子「タイミングがわるかったな。今日は出直すよ。またな、ほむら」

ほむら「待ちなさい」

 との言葉より早く、ほむらは杏子を拘束していた。

ほむら「貴女が巴マミと顔を会わせにくいのはわかるわ。
 でも私に協力してくれるからここに来たんでしょう? 観念して素直になりなさい」

 ほむらは小声で囁くが、位置の近いライドウには聞き取ることができた。

杏子「アンタにアタシの事情の何がわか……そうか、わかるのか。
 そりゃ知ってても不思議じゃないよな。ちっ、やりにくいな」

ほむら「杏子とは前に魔女との戦いで共闘してね、以降、魔女関連の被害を防ぐために協力関係にあるの」

杏子「おい、何だそりゃ! いや、間違ってはいないが……」

ほむら「ちなみに、マミと私が仲間になった以上、マミと杏子も事実上の協力関係にあるわ」

杏子「今度こそ何だそりゃ! そんなこと聞いて……」

マミ「佐倉さん! 分かってくれたのね!
 ごめんなさい、当時は私も酷いことを言っちゃって………」

 杏子は、ほむらに抗議の声を上げるが、マミに飛び付かれ沈黙した。
 マミに抱き締められた杏子は憮然としながらもまんざらではなさそうだ。

まどか「ほむらちゃん、あの赤毛の娘、誰? マミさんとどういう関係なの?」

ほむら「あの娘は佐倉杏子、魔法少女よ。マミとは……まあ色々有ったようだけど、今は仲が良いみたいね」

 涙を流すマミに抱き締められた杏子が「ほむらのやつあとで憶えてろよ」と呟いていたがほむらは聞く耳持たないようだ。
 ライドウは、マミから解放された仲魔を管に戻すと帽子を深くかぶりなおして嘆息した。
 その後、特筆する事もなく日没が迫り、解散となった。






 次の日曜の日中、ライドウ、ゴウト、ほむら、杏子はほむらの家にいた。鳴海は例により賭け事である。

杏子「全く、キュゥべえのやつにさやかとも契約しないよう条件を突き付ければ良かったのに」

ほむら「契約をずっと禁じられるわけではないもの。
 魔法少女の末路を知ったとしても、一月後に結局上條恭介の為に契約するわよ、あの娘のことだもの」

 と言いながらも「正直忘れていたわ」とぼそりと呟くのをライドウは聞き逃さなかった。杏子には聞こえていないようであったが。

杏子「ちっ」

ゴウト「要するに、さやかの契約を阻止するにはその上條恭介なる少年の怪我を何とかしなければならぬ訳だな?」

ほむら「それが出来なければ説得してみるけど……効果のほどは疑わしいわね」

杏子「医学じゃあどうにもならない怪我をねぇ。
 なあライドウ、アンタの仲魔の回復魔法でなんとかならないのか?」

ゴウト「新しい傷ならともかく、古傷となると難しいだろうな。
 オオクニヌシなど医療の神でも仲魔に居れば診察だけでも頼めるが……」

 ゴウトはちらりと視線をこちらに送る。
 だが、管の中には医療の神は入っていないし、この世界では新たに仲魔を見つけることも業魔殿を利用する事も出来ない。
 ライドウは首を横に振った。

ほむら「この際医療の神でなくてもいいわ、怪我や病気や人体に詳しい悪魔は居ないの?」

 少し悩んで、ライドウは心当たりを告げた。

杏子「心当たりがあるなら早速試してみよう、駄目なら別の手を考えなくちゃあいけないしな」

 二人と一匹は杏子に頷き返し、病院へと向かった。





ほむら「ここが上條恭介の病室よ。美樹さやかは……居ないみたいね。上條恭介も眠っているわ。好都合ね」

杏子「何をしているのか聞かれても答えに困るもんな」

ゴウト「さあ、ライドウよ、コヤツが起きぬうちにさっさと済ませるぞ」

 ライドウはコクリと頷き、封魔管を懐から取り出した。
 病室をマグネタイトの緑に照らして召喚するは……ミシャグジさま。


 ミシャグジさまは百日咳、口中病治癒の神様としても知られている。
 怪我は専門外かもしれないが、他の仲魔に比べれば人体の構造や医療には多少なりとも明るいはずである。

ミシャグジさま「なんじゃ、男か。若いおなごじゃったら気合いを入れて全身くまなく舐めながら……
 もとい、舐めるように診察してやるんじゃがのう……」

ほむら・杏子「……」

 女子二人の冷たい視線がミシャグジさまに突き刺さるが、ミシャグジさまはかえって喜んでいるようだ。
 ミシャグジさまは、上條の右手に触れると僅かな電流を流した。

ミシャグジさま「ふむ、肉体的には問題なさそうぢゃが、生体マグネタイトの流れが滞っておる。
 それが原因ぢゃろう。一度大量のマグネタイトを流して詰まりを取り除いてやれば直に回復するぢゃろうが……」

 それを聞いたライドウは、指先にマグネタイトを集中し一歩前に出た。

ミシャグジさま「待つんぢゃ、さもなー。流せば良いとは言ったが、それは正規の流れでという意味じゃ。
 外部から無理にマグネタイトを流せば、もっとおかしなことになるかもしれんぞい。
 まあ、偶然上手いこといって治るかもしれんが」

ほむら「どうすれば正規の流れで大量のマグネタイトを流せるのかしら」

ミシャグジさま「ワシならお嬢ちゃんの尻でも撫でればビンビンぢゃが……」

 チャ、と無言で大口径の拳銃を突き付けるほむらに、ミシャグジさまは慌ててそっぽを向き続けた。

ミシャグジさま「まあ、左手と両足でも切り落とせばそちらに回っている分のマグネタイトが右手にも回るかもしれんのぅ」

 当然却下である。さて、どうしたものか。

ゴウト「ライドウよ、上條にソーマを与えてみてはどうだ?
 前の周では使ってしまったが、時間遡行の時点で、うぬの道具袋に戻っているはずであろう?」

ミシャグジさま「ソーマなら瓶の八割ほども飲ませれば十分じゃろ」

 ライドウは道具袋からソーマを取り出した。

杏子「随分小さな瓶だな。……ところでどうやって飲ませるんだ?」

ミシャグジさま「寝ている相手に飲ませるなら口移しと相場が決まっておる。
 どれワシが一度練習台になってやるからどっちかのお嬢ちゃんが……」

ほむら「黙りなさい。それは美樹さやかの役目よ。
 そして彼女はここには居ないわ。だからこれを使いましょう」

 ほむらの手には吸い飲みが握られていた。
 ライドウからソーマの小瓶を受け取り、八割ほどを吸い飲みに移す。
 そのまま上條の口に注ぎ入れるほむらの仕草はどこか手慣れていた。
 吸い飲みが口を離れると、上條の体が淡く光る。

 その光が治まったことを確認し、ミシャグジさまは「どれ」と呟きながら上條に再び僅かな電流を流した。

ミシャグジさま「生体マグネタイトの滞りが取れたようじゃな。あとは勝手に回復するぢゃろ。
 ではな、さもなー。次は若いおなごを診察させてくれよ」

 ミシャグジさまは管に帰っていった。

杏子「これでこいつは治るのか?」

ほむら「あのセクハラ悪魔が言うにはそうらしいわね。少し様子を見ましょう」

 ライドウたちは、上條の病室を後にした。






 病院を出て敷地内、人気の無い駐輪場にさしかかると、周囲に僅かな妖気が漂っているのを感じる。
 ほむらも杏子もいつの間にかソウルジェムを手に険しい顔をしていた。

ほむら「おかしいわね、この反応はお菓子の魔女。
 以前の時間軸でもこの場所でグリーフシードから孵化したけど、それは数日後の話よ」

杏子「おかしくはないさ、グリーフシードから孵化したってことは、ここでグリーフシードを産んだってことだろ。
 今まさにこいつが産もうとしてるんじゃないか?」

 杏子は言いながら槍を出現させ空間を切り裂いた。
 おどろおどろしい色彩の魔女の結界が姿を現す。

杏子「ってことは、こいつはグリーフシードを確実に落とすって事だろ? 行こうぜ」

 結界の中に入ると甘ったるい匂いが鼻を突く。洋菓子で出来た洞窟の様な場所であった。そこかしこに洋菓子が転がっている。
 洋菓子も嫌いではないがそれほどライドウの興味を引かない。大学芋でも転がっていればライドウの気分も高揚したかもしれない。
 ライドウたちに気付いた使い魔たちがわらわらと集まってくる。

ほむら「そういえば、ライドウにも杏子にも、まどかから貰った力を見せて無かったわね。ここは私がやるわ。見ててちょうだい」

 言うが早いか変身したほむらの左手には、黒紫を基調としたほむらに似合わぬ明るい色彩の杖が握られていた。
 杖はその頭に付いた蕾が開くと、大きくしなり、弓へと姿をかえ、桃色の光が弦を形作る。
 弓を引くと同時に無数の魔法陣が宙に浮かび、桃色の矢となった。
 音もなく放たれた矢は、無数の光の筋となり使い魔たちをことごとく貫いた。
 僅か一秒にも満たぬ早業である。
 威力の点を除けば、前の世界で見たまどかの技とほぼ同じのようだ。

ほむら「どうかしら?」

杏子「使い魔とはいえ、あれだけの数を一撃か。
 ソウルジェムもそれほど濁ってないみたいだし、すごい技じゃないか。
 一個だけ致命的な欠点に目をつぶればな」

ほむら「欠点? 確かにまどかに比べれば威力は無いに等しいけど、収束させれば魔女だって……」

杏子「そうじゃない。まどかのあれは比べる相手が悪い。威力は十分だろうさ。私が言う欠点ってのは、アンタにピンクは致命的に似合わないってことさ」

 冗談めかした杏子の言い草にほむらは不機嫌な顔で黙り込んでしまったものの、魔女の結界の探索は順調に進んだ。
 一度に放つ数は先ほどより控え目なものの、同じ技で使い魔を蹴散らしつつ魔女の下にだどりつく。
 ぬいぐるみじみた魔女は身じろぎひとつすることなく、時間を止めた上での弓の一撃で周囲のぬいぐるみごと葬られた。
 景色が揺らぎ、元の世界にもどると落ちていたグリーフシードを杏子が拾い、ほむらに投げる。

杏子「ほら、使いな」

ほむら「まだグリーフシードを使うほどじゃないわ。これはストックしておきましょう」

杏子「しかし、弓の威力は並の魔法少女の武器と同じくらいだが、アンタの時間停止と組み合わせると卑怯なくらい強いな。燃費も良いみたいだし」

ほむら「まどかと私の二人がかりだもの。それに今の快勝は、よく知っている相手だからというのも大きいわ」

杏子「ふーん、そんなもんかね。まあいいや。今日はこれで解散だろ?
 私はマミの家にでも帰るよ。一緒に住めって五月蝿いんだ。
 さやかと入院中の坊やの様子は見といてくれよ」

ほむら「ええ、また今度。」

ゴウト「ではライドウよ、我らも一度宿に帰るとしよう。
 遊び回って……もとい金策に駆け回っている鳴海も既に帰っていよう」

ほむら「またしばらくは、みんなでグリーフシード稼ぎね。
 次のターニングポイントは……志筑仁美が魔女の口付けを受けるタイミングかしら?
 彼女が魔女に襲われれば、まどかもさやかも契約を望みかねないわ」

ゴウト「無論その件にも協力させてもらおう。さやかの契約は防がねばならぬ。
 まどかにしてもキュゥべえとの約束により契約できないとはいえ、望ましい事ではないな」

ほむら「協力してくれて本当に助かるわ。
 それまでは今まで通り、グリーフシード稼ぎをお願い出来るかしら?」

 ライドウはコクリと頷き、ゴウトと共にその場を後にした。






 数日後、ライドウは志筑仁美の後をつけていた。
 ほむらの統計によれば、この日の放課後、志筑仁美は何処かで魔女の口付けを受ける確率が高いらしい。
 志筑仁美が、魔女から口付けを受けた場合、まどかやさやかが見つけるより早く志筑仁美の安全を確保し、仲間の魔法少女に場所を知らせる。
 可能であれば魔女を排除するのがライドウの引き受けた役割である。
 ほむら、杏子、マミは、志筑仁美が本日襲われない場合に備え、別行動で街中で魔女を探している。
 ただし、マミにはライドウが志筑仁美をつけていることは知らせていない。
 ほむらが未来から来たことを未だマミには伏せているため、志筑仁美を見張る理由を説明できないからだ。

ゴウト「久しぶりに探偵らしい仕事なのはよいのだが……何やら目立っていないか?」

 確かに、今様でない風体のライドウは目立つため、衆目を集めてはしまっていた。
 しかし、見事な手並みで志筑仁美に一切悟られることなく尾行している。

ゴウト「フム、確かに標的にさえ気取られなければ、多少目立っても差し支えないか。
 目立つ探偵と言うのも妙だが、それでもなおしくじらないないのはさすがライドウといったところか。
 尾行術に優れるとのほむらの期待に恥じぬ確かな腕前とも言えるな」

 尾行を始めて十数分、時計を気にする志筑仁美が小走りに入った先の、人気の無い路地には妖気が満ちていた。
 路地の中央付近で志筑仁美の足がとまり、数秒後に乱れた歩調でゆっくりと歩きだした。

ゴウト「ヌ、様子がおかしいぞ。魔女の口付けとやらの影響に相違あるまい。どうやら現れたようだな」

 ライドウはコクリと頷くと、志筑仁美に駆け寄るゴウトを司会に収めながら、懐から封魔管を取り出した。
 マグネタイトの輝きとともに、モー・ショボーとミシャグジさまである。
 モー・ショボーは、はるか上空へと舞い上がった。
 それを見届けたミシャグジさまが妖気を帯びた微弱な電気を発すると、それが周囲に広がる。
 現場検証の際に頼れる、捜し物を発光させる雷電管属の特技である。
 普段、この特技の探査範囲は半径数十メートルがせいぜい。
 今回のように、町中に散っている魔法少女を探そうとした場合、仮に光ったとしても通常ならばそもそも視界に入らない。
 そこで、モー・ショボーの出番である。偵察に適した高い視点と高い視力で町中を見渡すのだ。
 数秒と待たず、モー・ショボーが何処へか飛び去った。
 魔法少女の内の誰かを見つけたのだろう。これで魔女が出現したこと、その場所が伝わるはずである。

ゴウト「ライドウよ、この女自殺を企てているようだ!」

 ゴウトの声を聞きライドウは、ミシャグジさまを管に戻し、入れ替わりにジャックランタンを召喚した。
 現れると同時に放つ、ジャックランタンの精神属性の魔法が、志筑仁美を眠らせる。
 志筑仁美が倒れる間際にライドウが駆け寄り、眠る彼女を抱き抱えた。
 ふうと息をつき、ジャックランタンを管に戻す。

ゴウト「とりあえず志筑仁美の安全は確保したな。
 しかし、コヤツを放置して結界に乗り込むわけにも行くまい。魔法少女の誰かか来るのを待とう」

 妖気の満ちた路地で待つこと数分、羽音と足音と共にモー・ショボーに連れられた巴マミが現れた。
 それを確認したライドウは、モー・ショボーを管に戻す。
 マミが苦手なのか、ゴウトは素早くライドウの影に隠れた。

マミ「ここで間違いないみたいね。ライドウさん。その女の子は?」

ゴウト「マミだけは、志筑仁美が襲われることとライドウが尾行していた事情を知らないのだったな。上手く誤魔化せ」

 ゴウトの耳打ちに視線で答え、ライドウはマミをなんとか誤魔化した。

マミ「ふーん、なるほどね、魔女の気配のするこの路地で、この娘が不審な様子で自殺をほのめかしていた。
 魔女の口付けを受けたに違いないと眠らせ、魔法少女を呼んだって訳ね」

 うんうんと頷くマミに、ゴウトは満足気に顔を洗いながら囁いた。

ゴウト「なるほど、下手に嘘を吐かず真実のみを、ただし情報を制限して伝える事で誤魔化したか。巧くやったな、ライドウ」

マミ「さて、それじゃあ被害が広がらないうちに魔女を倒しちゃいましょう。
 とは言っても、気を失っているその娘を置いていくのもアレだし、ライドウさんがずっと抱いているのも、画的にまずいわね。先ずはその娘をどうにかしないと……」

 画的にまずそうとはどういう意味であろうか。マミに聞いてみた。

マミ「人気の無い路地で、マントを羽織った男性が、気絶した女性を抱いているのを見たら、たいていの人は怪しむし警察に通報するかも知れないわ」

 確かにそれは困る。納得し、とりあえず志筑仁美を引き渡そうと数歩マミに歩み寄ると景色が一変した。


 マミや志筑、ゴウトの顔が水面に映したように歪んで見え、周囲は水色に染まっていた。
 呼吸には困らないが、水中にいるような感覚を覚える。

 少し離れた場所に小さな匣に治まった人影が見える。気配からして魔女に相違ない。
 周囲を観察する間に、どこからともなく現れた不気味な人形のような使い間がライドウたちを取り囲んだ。

マミ「結界に引き込まれたわね。私が……魔法少女が来たことに気付いて、どうせ攻め込まれるならと、せめてもの足枷にとでも思ってライドウさん達も引きずり込んだのかしら?」

 そういってマミは妙な姿勢で魔法少女に変身し、小銃をその手に生み出した。

マミ「その娘はライドウさんが抱いていてくださるかしら。
 私は両腕が塞がると戦えないけど、貴方は仲魔を使役して護れるんでしょ?」

 ごもっともである。ライドウは返答代わりに志筑仁美を抱えなおした。
 マミは襲い来る使い魔を小銃で殴り飛ばし、銃撃し、その合間に魔女にも砲撃を加える。まるで踊るかの様な戦闘であった。
 ライドウはそれを眺めながら、封魔管を取り出した。マグネタイトの輝きが溢れ出し、仲魔が召喚する。
 呼び出した仲魔はアリス。金髪碧眼の少女の姿をした悪魔である。

アリス「アハハハッ、今日はお人形遊びね」

 その禍々しい気配に反した可憐な顔が、無邪気な笑顔を零すと周囲には黒紫色の光が満ちた。
 光に照らされた半拍後、無数に迫っていた人形のような姿の使い魔が、藻掻き苦しみ塵へと帰る。

マミ「軽くホラーね……」

 使い魔が消え失せ、良くなった視界の中、十数発のマミの銃弾が魔女とその周囲に突き刺さる。
 その弾痕から芽生えた黄色い帯が魔女を拘束した。

マミ「一般人が居るもの、有無を言わさず即座に仕留めるわ」

 マミの手元に生まれた無数の帯が非常識に大口径の銃……いや砲を形づくる。

マミ「ティロ・フィナーレ!」

 高威力の砲撃が魔女を跡形もなく吹き飛ばした。
 少しの間を置いて魔女の結界が崩れ、ライドウたちは裏路地に戻っていた。
 ライドウはアリスを管に戻すと、志筑仁美をマミに預け、後始末を任せて、路地を離れた。
 結界に飲まれる前にマミが言ったように、気絶した若い女学生とライドウが並んでいてはかどわかしと間違えられかねない。
 マミならば同性であり同じ学校に所属しているため、ライドウよりは怪しまれないだろうとの判断である。





 足早に現場を去り、角を曲がった所でゴウトが口を開いた。

ゴウト「さて、事が無事済んだことをほむらと杏子に伝えねばなるまい。自動電話を探すぞ。
 前回は、まさか交換手が居らぬとは思わず使えなかったが、旅館の電話で多少慣れたし、自動電話特有の使い方もほむらから聞いてある」

 ライドウはコクリと頷き、歩調を早めた。

ゴウト「ところでライドウよ、謀らずもマミの戦闘能力を間近で見たわけだが、うぬはどう感じた?」

 マミ……接近戦での熟達した身のこなし、杏子や自分には及ばないものの非凡である。
 才気よりも鍛練と経験に裏打ちされたものであろう。
 刮目すべきは中距離での戦闘能力、あの連射能力は驚異である。
 加えて弾痕から芽生える敵を拘束する黄色い帯に、最後の巨大な砲撃。
 中距離こそマミの本領であろう。最後の砲撃は長距離でも使えるかもしれない。

 とはいえ、中距離のみを評価すれば最大火力はともかく、連射能力、制圧力ともにほむらの銃火器や弓に劣る。
 帯の拘束能力も、接触している相手にも有効とはいえ、ほむらの時間停止に比べれば児戯の様なものである。
 総合的に考えれば、突出した点はないものの、あらゆる局面に対応できる優秀な魔法少女と言えよう。一人で魔女と戦うに適した能力である。
 しかし、変身するときの妙な動きは隙だらけで、大技を撃つときの叫び声も実戦的ではない。
 あれはそうしなくてはならないのだろうか?

ゴウト「ふむ、うぬはそう評価したか。あっ、見つけたぞ。自動電話だ。行くぞライドウ」

 ライドウは突如方向を変えるゴウトを追い、自動電話の小屋に入る。
 ゴウトは首輪から取り出した探偵手帳を開きページを捲っている。

ゴウト「ライドウよ、この猫の手で電話機を扱うのは荷が重い。
 操作は任せたぞ。まずは受話器をとってくれ。
 ……よし、次は、十円玉を投入口に入れるのだ。
 ……ヌ? 返却口から返って来るぞ? どうした訳だ?」

 ライドウは少し考え、十円玉の意匠が代わっている可能性に思い至った。
 鳴海から活動資金として壱万円札を預かっているが一度も使っておらず、財布の中の硬貨は大正二十年から持ち込んだもののみ。
 紙幣の意匠も、ライドウの時代のものよりはるかに精緻な物に替わっており、硬貨の意匠も替わっていると考えた方が自然である。

ゴウト「……なるほど。口惜しいが自動電話は諦め、疾風管属の仲間に頼るしかないようだな……本当に口惜しいが」

 その後、モー・ショボーが伝令を果たし、ライドウとゴウトは宿に帰った。
 しかし、ゴウトは床に就くまで終始しょんぼりした雰囲気を醸していた。






 ワルプルギスの夜の襲来を翌日に控えた夕刻、ライドウ、ゴウト、鳴海、ほむら、杏子は、ほむら宅に集まっていた。
 マミも呼んでいるが、少しだけ集合時刻を遅く告げてあった。

ゴウト「いよいよ明日だな」

ほむら「ええ、今度こそ私の望む結末を勝ち取って見せる」

杏子「気持ちは分かるけど、少し肩の力を抜きなよ。前の時間軸に比べれば、状況は大分ましだ。
 グリーフシードの在庫も余裕があるし、奴には兵器が効かないこともわかった上であんたには別の攻撃手段がある。
 それにマミも味方だし、キュゥべえも説得済みでまどかが契約する心配も要らない」

ゴウト「加えて言えば、勝利条件は町にも我らにも被害を出さぬこと。
 前の周の目的であった奴の撃退に比べれば随分緩和されている。
 あまり考えたくないが、此方の敗北条件はほむらの死だけだ、それさえ避ければいくらでも仕切りなおせる」

鳴海「もっと言えば、ライドウの術さえ成功すれば、街への被害は確実に零に出来るんだ。
 緊張するのは悪くないけど、もう少し楽観的思考も大切だぜ」

ほむら「そんなに気負って見えるかしら? 明日のことも当然気にはなるけど、今私を悩ませているのは巴マミのことよ」

杏子「マミのこと?」

ほむら「ええ、今までマミには魔法少女の真実や、別の時間軸の話、ワルプルギスの夜の事を伏せてきたわ」

ゴウト「それを聞いたマミが取り乱し、下手をすれば心中を図りかねないからだったな。
 ……なるほど、明日の作戦を決行する上で、我らがワルプルギスの夜の情報を事前に知っていた事を明かさねばならない。
 当然マミは情報源を知りたがり、別の時間軸の話に触れざるを得ないと悩んでいるのか」

杏子「キュウべえから聞いたことには出来ないのか?」

鳴海「キュウべえから聞いたことにすると、マミちゃんだけがそれを聞いていない理由が説明できない。
 それにほむらちゃんが言うにはアイツは嘘を吐かない、腹芸は出来ないと思う。
 ……でも考えてみれば、マミちゃんが取り乱すのは魔法少女の真実を知ったときなんだろう?
 別の時間軸云々は話しても支障は無いんじゃないか?
 そうすると今まで前の周の事を隠していた理由の説明は……突拍子の無い話たから、機会を見計らっていた。
 とでもしておけばいいんじやないかな?」

ほむら「それでもいいのかもしれないけど……巴マミには全てを話しておきたいの。
 明日の戦いは美滝原を守る、巴マミの意志に沿うものでもあるけど、私にとってはどこまでも私の因縁による戦いなのよ。
 それに巴マミを巻き込む以上、全てを話すのがフェアだわ」

杏子「フェアはいいけど、それで無理心中されたら元も子もないんだぞ。
 アンタの話じゃ、他の時間軸でアタシがマミに殺されてるじゃねえか」

ほむら「巴マミも馬鹿ではないわ。冷静に話せば、無理心中になんの意味もないことくらい分かってくれると思うの」

杏子「冷静に話す前に殺されたら困るって言ってんだ。
 大体、今マミが魔法少女の真実を知ってマミやアタシたちになんの得がある?
 マミは知らなくてもいい絶望的な状況に気が付いて、アタシたちは要らないリスクを背負い込むだけじゃないか。
 アンタの自己満足の為だけに」


 ライドウはゴウトがくれた目配せに頷くと、ゴウトが二人の間に割って入った。

ゴウト「まあ待て、杏子。少なくとも、マミを冷静にさせる手立てならある。そこはライドウに任せてやってはくれぬか?
 そしてほむらよ、杏子の言うとおりそれを今告げるにはマミにも不利益がありそうだ。
 それをおして話すならば、自己満足以上の理由が必要ではないか?」

ほむら「明日戦うのは最強最悪の魔女よ。奴の撃退と引き替えに魔女になりかけた魔法少女もいる。
 万一明日の戦いの最中にそんなことになって、マミが発狂したら私達はそれで終わりよ。
 先に知って覚悟をしてもらう必要がある」

鳴海「……なるほど。最悪、杏子ちゃんが魔女化したとしても、ほむらちゃんが無事ならやり直しができる。
 しかしマミちゃんがそこで無理心中を図ればそうはいかない……」

ほむら「仮に私が魔女化したとしても、マミや杏子にならばこの街とまどかを任せられるわ。
 でも、そのためにはマミが魔法少女の真実に耐えられなければならない」

ゴウト「もう一つ。マミとキュウべえは行動をともにしている。
 マミに全てを話すならば、キュウべえに今まで伏せていたことも知られることは避けられぬ。それでもかまわぬのか?」

ほむら「インキュベーターのことは問題ないわ。
 私達は何一つ嘘を吐かずに、アイツの納得した対価で契約を結んだ。
 話してないことも有るけど聞かれなったからだもの、アイツの理屈によれば私達に非はないわ。
 そもそも、アイツが私たちの出した条件をのんだ時点で情報を隠す必要はなくなったのよ。
 契約を結んだ以上、今更何が明らかになろうとアイツは私達に協力するしかない。
 それに、いまだアイツに明かしていない情報なんて、私達が未来から来てるってことくらいよ。隠すことでもないわ」

 そこで会話がいったん止まる。たっぷり十数秒の沈黙と、それと同じだけの逡巡を経て杏子が口を開いた。

杏子「……おいゴウト! マミを冷静にさせる手立てってのは信頼できるんだろうな!?」

 ゴウトは一瞬ライドウに目配せした。ライドウが首肯を返すとゴウトは再び杏子に向き直る。

ゴウト「無論だ。葛葉一門の名にかけて誓おう」

杏子「……ちっ。勝手にしな」

ほむら「ありがとう、杏子、みんな。私、マミに話すわ」






 その後、しばし沈黙の時間がすぎ、やがてマミとキュウべえがやってきた。

マミ「あら、みんな早いわね? ひょっとして集合時間を間違えたかしら?」

 鞄をあさり携帯電話とやらを確認するマミを「集合時間は十分後だよ」とキュウべえが制した。
 ライドウは、そそくさと席についたマミの傍に静かに寄り、ジャックフロストを召喚する。
 此方に視線をあわせようとするマミの肩に手を置き、ほむらが真剣な表情で告げた。

ほむら「巴マミ、大切な話があるわ。落ち着いて聞いてちょうだい……」

 ほむらの話が始まると同時に、ジャックフロストは冷却を試みた。マミの心が鎮まり、冷静さが揺るぎないものとなる。
 ほむらが時間遡行者となるまでの経緯、繰り返す時間の中での出来事、そして魔法少女の真実を涙ながらに話した。

マミ「そんな……信じられない……」

キュウべえ「なるほどね。ほむらは未来からやってきたのか。それならどんな情報を持っていたとしても驚くには値しないね。
 ようやく全てに納得がいったよ。君達も人が悪いな。こんな情報を隠していたなんて。
 マミ、今のほむらの話、ぼくの知っている事実と矛盾はないよ。
 真実かどうか確認する方法が無い部分もあるけど、真実と考えた場合あらゆる疑問が氷解する。信じて問題は無いと思うよ」

マミ「ねえ、キュウべえ。あなたは、私達魔法少女の事を、薪か何かのように考えていたの?」

キュウべえ「薪というわけでも無いけど一種の燃料としと考えていたことは事実だね」

マミ「……私どうしちゃたのかしら、こんな話を聞いたのに、しかもキュウべえが真実と認めたのに……
 それほど怒りや悲しみが湧いてこないの」

杏子「すげえなライドウ。本当にマミの冷静さを保ちやがった」

ほむら「聞いてちょうだい、マミ。私達はもう魔法少女になってしまったけど、魔女になることが決まっているわけではないわ。
 ソウルジェムの管理に気をつければ魔女を退治しつづけていられるの。
 魔女になった魔法少女だって、絶望を撒き散らす今の自分を止めてもらいたいって思っているはずよ。
 こんな裏事情があったとしても……
 私達が魔女を退治することは一般人や魔女の基になった魔法少女にとって救いであることにちがいはないのよ」

 涙どころか鼻水まで撒き散らしながらのほむらの熱弁に、果たしてマミの返事は冷淡なものであった。

マミ「そうね、言われてみればその通りだわ。確かに私のやるべきことは変わらないし、私のやってきたことを悔やむ必要はなさそうね。
 ところで暁美さん、顔が大変なことになっているわ。ほら、ティッシュを取ってあげるから拭きましょう?」

ゴウト「フム、取り敢えず理性の上での折り合いは付いたようだな。そろそろ冷却を止めて様子を見よう」

 ライドウは頷き、ジャックフロストに冷却は中断させた。
 マミの心から押さえ付けられた怒りと悲しみが沸き上がる。
 マミは瞬時にティッシュの箱を投げ捨て、魔法少女に変身してマスケット銃を生み出した。視界の端で一瞬ほむらの姿がブレる。
 次の瞬間にはマミの銃が火を吹き、キュウべえが微塵に砕けた。
 皆に緊張が走るが、マミはそのまま銃を消し、変身を解く。
 さして時間を置かず、新たにキュウべえが現れ無言で前任者の残骸を貪る。
 居心地の悪い沈黙のなか、鳴海、ほむら、杏子が不快そうにそれを眺めているとマミが口を開く。


マミ「本当に次のキュウべえが出てくるのね」

キュウべえ「そうさ、意識も記憶も共有しているから、以前のボクと同じと思っていいよ。
 まあ、勿体ないから殺すのは止めてほしいけどね」

マミ「……今は暁美さんに協力しているんでしょう?
 魔女の……ワルプルギスの夜による被害を防ぐために」

キュウべえ「そうだね」

マミ「暁美さんもキュウべえの協力が必要なのよね?」

ほむら「不本意ながら、ね」

マミ「なら、許したわけじゃ無いけど、保留にしといてあげるわ。
 当面の目的は、私も暁美さん達もキュウべえも一緒なんだから。
 それがおわるまでは、今まで黙っていた暁美さんへの恨みも、騙していたキュウべえへの恨みも保留よ」

ほむら「ありがとう。でも、重ねて言うけど決して悪意から黙っていたわけではないのよ」

マミ「分かっているわ。そうね、ワルプルギスの夜を撃退したら駅前のケーキ屋さんに皆で行きましょう。
 勿論暁美さんの奢りで。それで勘弁してあげるわ。たくさん食べちゃうんだから、覚悟しておきなさい」

ほむら「それは怖いわね。覚悟しておくわ」

 笑顔で告げるマミにほむらが苦笑しながら返す。

キュウべえ「ボクも洋菓子を差し出せば勘弁してもらえるのかい?」

マミ「そんな訳ないじゃない」

ほむら「保留になっただけでも奇跡の様な温情よ」

杏子「調子に乗ってんじゃねーぞ」

ゴウト「正直それはない」

鳴海「流石にムシがよすぎじゃないかな」

 ライドウも無言で目を閉じ、首を横に振った。

キュウべえ「はぁ。そもそも騙していたというには当たらないところをさらに譲歩したのに、わけがわからないよ」

マミ「本当に私達と価値観が違うのね。どうして今まで気が付かなかったのかしら」

キュウべえ「表立ってはマミの意志に合わせて、補佐に撤して行動していたからね。
 そんな事より、本題に入ろう。対ワルプルギスの夜の打合せ……マミ以外にとっては最終確認がこの会合の目的だろう?」

マミ「そんな事呼ばわりされるほど軽くはないけど……まあ、保留にしたし、いいわ本題に入りましょ」


キュウべえ「さて、打ち合せに先立って、ライドウに伝えることがある。
 君から受け取った光の弾倉の解析が一段落付いたんだ。
 まだ原理は解明されていないけど、複製には成功した。
 僕らの文明はこの段階で事実上無限のエネルギー源を得たことになるし、その効率もほぼ無制限に高められる事になった。
 これはキミの協力があっての快挙だ。その功績に報いるために光の弾倉の原本を返却する事が決定した」

 キュウべえはどこからともなく取り出した光の弾倉をライドウに投げよこした。
 動作を確認するが不備は無さそうである。

キュウべえ「次はほむらに朗報だ。
 あの路地裏での約束どおり、ボクたちは今後、魔法少女システムの後始末と魔女の掃討に専念するよ。
 ボクたち自身に戦闘能力はないし、ボクたちの兵器を持ち込むと地球の安全保障上の新たな、より深刻な問題が発生しかねないから、結局魔法少女に頼ることになるけどね。
 そのために、魔法少女が魔女化しないようソウルジェムを管理するシステムを開発中さ、こっちからのエネルギーの持ち出しでね。
 技術自体は既に確立しているんだ。後は実用段階に持っていくためにいくつかの壁を乗り越えるだけさ」

杏子「魔女を魔法少女に戻すことは出来ないのか?」

 前の週でも同じことを聞いていたが、諦めきれないのだろう。ダメでもともとといった表情で杏子は質問をした。

キュウべえ「それは理論上不可能だと証明されているよ。魂が一度砕けているからね。
 だいたい、同じ魔法少女から生じた魔女が複数体に増えることができる時点で破綻しているよ。
 魔法少女に戻ったら同じ魔法少女が複数存在することになっちゃうじゃないか」

杏子「ちっ……」

鳴海「だったら、魔法少女を人間に戻すことは出来ないのか?」

キュウべえ「不可能と証明されてはいないけど、見込みは薄いね。
 とはいえ、後始末の短縮に繋がる技術だから研究には着手しているよ。
 理論上可能かどうかくらいは数年以内にわかるんじゃないかな」

ゴウト「まあ、魔法少女が魔女にならぬよう骨を折ってくれるようになっただけ有り難いではないか。
 キュウべえよ、当然魔法少女の勧誘も止めるのであろうな?」

キュウべえ「魔女を駆逐するために最低限度魔法少女が必要だから、その維持の分だけは新たに契約をする必要が有るけど、今までに比べれば頻度は激減するだろうね。
 あまり数が多くても管理するこちらの負担になるしね」

ほむら「まどかと契約をしないと約束した期間が明日までよね。
 念のため確認するけど、まどかを魔法少女に勧誘するつもりはまだあるのかしら?」

キュウべえ「そのつもりはないよ。まどかの才能を考えれば強力な魔法少女になるだろうけどね。
 そんな強力な魔法を使われたら、ソウルジェムのメンテナンスをする間もなく、瞬時に魔女になりかねないよ。
 そうなったらもうまどかから生まれた魔女を退治する方法は無くなる。
 今となっては、まどかとな契約にメリットはないよ」

 ほっと胸を撫で下ろすほむらを押し退け、杏子がキュウべえの前に詰め寄った。

杏子「じゃあさやかはどうなんだ?」

キュウべえ「可能性は無いこともないけど、さやかは才能に乏しいからね。勧誘するならもう少し戦力として期待できる娘を選ぶよ。
 だいたいさやかはキミたちと同世代じゃないか。
 君たちが魔法少女として活躍する限り、この町には新たな魔法少女は不要だよ。この意味でも彼女と契約する意義は薄いね」

マミ「今の話を総合すると……もうこれからは魔法少女は魔女にならないし、本当の意味で一般市民を守る存在になるってことかしら」

キュウべえ「絶対に魔女にならないと断言はできないけと、確率は天文学的に低くなるだろうね。
 おそらく、今までマミが夢見ていた理想の魔法少女に限りなく近い存在にはなるとおもうよ」

杏子「元凶はおまえらだけどな」

キュウべえ「心外だな。今までの措置だって、キミたち人類の未来の為に必要だったんだ。元凶とまで言われる謂われはないよ。
 あと、最後なるけど、魔力吸収装置は本日24時をもって停止するよ。ライドウ、それでいいかい?」

 ライドウは頷いた。

キュウべえ「質問がなければボクからの話は終わりだよ。後は明日の打合せに入ろう」

ほむら「そうね……」

 ほむらはワルプルギスの夜に関する資料を机に広げ、明日の作戦内容の説明を始めた。
 ワルプルギスの夜の襲来すら今日になって知ったマミに特別気を配りながらの説明は、夜更けまで続いた。




第六章 新たなる一箇月 完


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第七章 決戦、葛葉ライドウ対超弩級魔女



 翌朝早く日も登らぬうちから、ライドウ、ゴウト、ほむら、杏子、マミ、キュウべえは美滝原駅の近くに集まっていた。

キュウべえ「やあ、ライドウ。魔力吸収装置は止めたけど、調子はどうかな? 今日の作戦はつつがなくこなせそうかい?」

 ライドウは深く頷いた。昨晩、日付をまたいでから悪魔召喚を試してみたが、見滝原市に降り立ってから悩まされていた激しいマグネタイトの消耗が消え去っていたのだ。

キュウべえ「それはよかったよ」

杏子「でもちょっと残念だよな。ただでさえ強かったライドウが、さらに強くなったんだろう?
 それなのに、万全な状態でワルプルギスの夜に挑めないなんて」

マミ「佐倉さん、そんな事言わないの。
 街への被害を無くしてくれるだけで十分以上に有り難いでしょ?」

杏子「文句は言ってないだろ? 有り難いとは思っているさ。ただ残念だって言っているだけで」

ゴウト「ム、鳴海の奴、来たようだな」

 その言葉につられ、皆がゴウトの視線の先を向くと、一台の自動車が向かってくる。
 自動車はライドウたちの脇に停車した。

鳴海「待たせちゃったかな?」

 窓を開けて問う鳴海に、ライドウは時間通りと返した。

鳴海「こうやってライドウを自動車で迎えに来るのは二回目だな。
 今度は一応自分の金で買った車だぜ。
 さて、それじゃあみんな、乗ってくれ」

 ライドウが助手席に、魔法少女達は後部座席に乗り込んだ。
 ゴウトはライドウの膝の上、キュウべえはマミの膝の上である。
 動き出した自動車は、以前乗った鳴海の運転とは比較にならないほどゆれが小さかった。
 もっともそれは、鳴海の運転技術の向上というより、自動車の性能と道路の舗装技術の差によるものであろうが。

マミ「そういえば、鳴海さんって運転免許持ってたんですね」

杏子「オイオイ、鳴海の奴、この世界に来て一月しか経ってないんだぞ。
 更に戸籍もない。免許なんて持ってる訳ないだろ?」

マミ「それじゃあ……無免許運転?」

 にわかに、マミが震えだす。

マミ「ごめんなさい、ちょっと車にはトラウマがあって……安全じゃない要素が見つかると酷く不安になってしまうの」

鳴海「安心してくれ、免許は持ってるよ。大正の奴だけどね」

ほむら「……異世界の免許でも、免許を持ってるって言えるのかしら?」

ゴウト「今、指摘することでも無いと思うが……」

鳴海「大丈夫だって。俺って安全運転だから。
 前に乗ったライドウならわかるだろ。マミちゃんを安心させてやってくれよ」

 そう言われたものの、ライドウは押し黙った。
 以前、鳴海の運転する自動車に乗った際には、走行中飛び降りるハメになったし、最終的には自動車は大破している。
 もちろん悪魔に襲われたためであって、鳴海に落ち度はないのだが、さりとて安心させるような言葉は見つからない。
 押し黙るライドウをみて、マミが更に怯えるのだが、それ以外には道中に何の問題もなく、自動車は太平洋に面した港に着いた。






 港には、全長20メートルはありそうな船が停泊しており、その傍で人相の悪い数名の男が、トラックからドラム缶をおろしていた。
 ちょっと待っててくれと言い残し、鳴海は男たちに近付いていく。
 数分ほど話し込むと、男たちはトラックを残して去っていき、鳴海は手招きをする。
 船に近づくと、既に動力はかかっている様子で、小気味よい音が響いている。

鳴海「ここからは船に乗り換えだ。ほむらちゃん、悪いけど、帰りと予備の燃料を盾にしまってもらえるかな?」

ほむら「わかったわ」

 変身したほむらが、ドラム缶を次々盾に収納する様子をみながら杏子が口を開いた。

杏子「なあ、鳴海。船の操縦なんてどこで覚えたんだ?」

鳴海「昔、帝国陸軍に居たことがあってね」

マミ「陸軍なのに船を使うんですか?」

鳴海「船が使えなきゃ、本土から出られないじゃないか。
 それに、俺は陸軍でもちょっと特殊な立場に居てね、学べることはなんでも学んだのさ」

 ほむらが作業を終え、皆が乗船すると鳴海は、皆に船室で休むよう告げた。
 皆、昨晩遅くまで打ち合わせをして、今朝早く起きたために疲れがたまっているだろうとの配慮であった。
 同じように、いや自動車の運転をしたぶん余計に疲れているであろう鳴海に感謝し、ライドウも船室にこもり仮眠を取ることにした。
 沖へ向けて切ったであろう舵を体で感じながらライドウは眠りについた。





 船が停まったことを感じて仮眠から覚めたライドウが時計を見ると、出航から数時間経過していた。
 ゴウトを起こし、使っていた船室を出る。船尾に回り周囲に目をやると、海は見渡すかぎり凪いでいる。
 魔法少女達はまだ船室に居るようだ。

 海を眺めていると、操舵室から鳴海が伸びをしながら現れた。

鳴海「いやー、技術の進歩は凄いな、ライドウ。
 舵から離れても自動的に船を進めてくれる装置があるんだぜ。
 まあ、説明書を読んでもいまいちわからない用語が多いから、使わなかったが」

 首を鳴らしながらライドウの横に立った鳴海は大きなあくびをする。

鳴海「GPS、だったかな? そんな名前の装置によれば、ここが目的海域だ。
 時間に多少の余裕は有るが、準備が早いに越したことはない。頼んだぜ、ライドウ」

 鳴海はライドウの肩を叩き、操舵室に戻っていった。

ゴウト「たのんだぜ、とは軽く言ってくれるな。
 だが、ライドウよ。うぬに与えられた役目はうぬにしか出来ぬ事だ。
 ワルプルギスの夜との決戦を他人に任せるのは不本意であろうが、うぬが作戦の要であることは間違いない。ぬかるなよ」

 ライドウはコクリと頷き、二体の仲魔……ジャックフロストとヤマタノオロチを召喚する。
 二体の悪魔は、その能力で海原を冷却し、氷の足場を作り出す。






 およそ30分ほどの作業で、船の後に半径100m程の分厚い氷の足場が出来上がった。

ヤマタノオロチ「オレサマ、モウツカレタ。ヤスマセロさまなー」

ジャックフロスト「海を凍らせるのは疲れたホ~、アクマ使いが荒いホ、とんだブラックサマナーだホ」

 疲れはてた二体の仲魔を管に戻すと、作業の途中で起きだしてきた魔法少女たちは、足場に降り立ち、具合を確認しだした。

ほむら「上々ね。これなら十分戦えるわ」

 魔法少女達は、休息を十分に取れ、体調は万全のようだ。

キュウべえ「どうやら準備は万端のようだね。間に合ってよかったよ」

ゴウト「? ワルプルギスの夜が現れる時刻までにはまだ間があるが……」

キュウべえ「今見滝原にいる個体が、ワルプルギスの夜出現の前兆を観測した。
 膨大な魔力が渦巻き、その影響でスーパーセルが発生したよ。
 ほむらの言うとおりだ」

 キュウべえとゴウトの話を聞きつけ、魔法少女達も集まってきた。

ほむら「間違いないの? 今までヤツのあらわれる時間がこんなにずれたことはないわ」

キュウべえ「事実だよ。キミから聞いた話と、今の状況を総合すると、数分後には彼女は出現するはずさ。
 これは仮説だけと、魔力吸収装置を止めたことで、彼女が現出のために必要な魔力を集める時間が短縮されたんじゃないかな」

マミ「早めの行動が幸いしたわね。必要な準備は整っているもの」

キュウべえ「では最終確認だ。速攻が戦闘の鍵になる。
 ワルプルギスの夜が上下を反転させたら魔法少女三人では勝ち目は無くなる。
 もし、反転したらすぐにこの船に戻ってくることだ。
 鳴海が全速力で逃げる手筈だ。彼女の移動速度よりこの船のほうが早いから無事に逃げられるはずさ」

鳴海「この船は早いぞ。40ノットも出せる船なんて俺の時代には考えられなかったね」

マミ「ワルプルギスの夜がこちらに興味を示さずに移動したならば放っておくのよね?」

キュウべえ「君たちが戦うのに、足場がこの船だけというのは厳しいからね。
 とはいえ氷の足場を動かすのはまず不可能だ。放置するより他はない。
 彼女の移動速度と消えるまでの時間から考えれば、海の上を彷徨うだけ彷徨って消えるはずだ。被害はどこにも出ないよ」

 魔法少女三人は深く頷いた。

杏子「さて、リベンジマッチといくか」

マミ「私だけワルプルギスの夜と戦った経験が無いのよね。ちょっと緊張するわ」

ほむら「かつて無いほど恵まれた条件……今度こそ、明日をこの目で見るわ」

キュウべえ「ライドウ、時間だ。七時の方向、距離は556.88kmの地点に彼女が現出する」

 ライドウは深く頷き、一本の封魔管を手に取った。

 召喚する仲魔はトウテツ。
 マグネタイトの光が晴れると、鋼の体毛を持つ羊のような姿の悪魔かそこにいた。マミから「かわいい」という呟きがもれる。

トウテツ「また貴公のマグネタイトを馳走になる機会にあずかろうとはな」

 言いながらライドウの肩によじ登るトウテツ。
 肩車の体勢になり、ライドウは印を切り、目を閉じた。
 体から大量のマグネタイトが奪われていく。

 目を開けると、遥か彼方の空に向かって直線上に、空間が歪んでいるのが見える。
 これこそが、トウテツが秘術。深遠世界の門からライドウの世界を二度救った、空間を食らう秘術である。
 雲ひとつない青空に、空間の歪みに沿って遥か彼方から尋常でない速度で流れてきてトウテツの口に吸い込まれていく。
 流れ来る雲は密度を増し、周囲の空もいつの間にか雲に閉ざされた。
 やがて、巨大な雲の下に黒い点が見えたと思えば、見るまに大きくなりそれがワルプルギスの夜と知れた。
 トウテツが術を始めてから僅かに十数秒、ライドウ達の目の前には、ワルプルギスの夜がいた。
 秘術を成すために消耗し、精も根も尽き果てたライドウは、トウテツを肩に乗せたまま崩れ落ちるように倒れ込んだ。
 マグネタイトの供給が途絶えたトウテツは、床に着く前に消え失せ管に戻る。
 床に臥したライドウは、自らが指一本動かせないほど消耗していることにようやく気がついた。

ゴウト「ライドウよ、大丈夫か?」

 心配そうな声を出し、ライドウの顔を覗き込むゴウトと、その背景でゆっくりとその巨体を上下に回転させるワルプルギスの夜。
 それを見ながらライドウは眠るように意識を失った。






 強い揺れに目を覚まし、最初に目に入ったのは、空っぽの小瓶を尻尾で器用に掴みながら使い魔を威嚇するゴウトであった。

ゴウト「ム……目を覚ましたようだな、ライドウよ」

 ライドウは、体が動く事を確認しながらゴウトに状況を尋ねた。

ゴウト「うぬが倒れてからそれほど時間は経っておらぬが、状況は最悪に近い。
 とりあえず、上條少年に与えたソーマの残りをうぬに無理矢理飲ませたが、うぬの体調はどうだ」

 会話の最中も使い魔が寄ってくるが、震える手で放った拳銃の六発の内一発がその眉間に命中した。
 わずかばかりのマグネタイトを撒き散らし、虚空にかき消える。
 ライドウは、そのマグネタイトを吸収し、拳銃に弾を込めながらゴウトに答えた。

ゴウト「成る程、身体は万全に程遠く、マグネタイトも空か……。
 まあ、意識を失うほどマグネタイトを失った上、飲んだソーマも僅かではやむなし、か」

キュゥべえ「やあ、ライドウ。目が覚めたようで何よりだ。
 ゴウトから聞いたようだけど状況は最悪だよ。ワルプルギスの夜は君がここへ動かした途端反転したんだ。
 予想外のことだけど、原因は推測できる。
 人……観客の多い場所に現出したはずだったのに、無理矢理ほぼ無人の海上に引きずり出した事が彼女の怒りをかったんだろう。
 彼女は舞台装置の魔女だからね」

 ライドウが船尾を見やると、いくらか離れた洋上に、頭を上にしたワルプルギスの夜が浮いていた。
 数秒に一度、ほむらとマミの砲撃がワルプルギスの夜に直撃するが、さしたるさしたる痛手にはなっていないようである。
 ワルプルギスの夜が放つ無数の使い魔は、船上を飛び回る杏子がほとんど倒しているようだ。

キュゥべえ「ほむら達は即座に逃げの手を打ったけど、もうひとつ予想外なことがあってね。
 ワルプルギスの夜の移動速度が想定以上だ。この船の巡航速度よりも僅かに早い。
 こちらは情報不足が原因だろう。彼女は今まで全速力を出したことが無かったみたいなんだ。だから見誤っていた。
 今はマミとほむらの狙撃で牽制して何とか距離を保てているが、彼女らの魔力が尽きるのも時間の問題だ」

 やれやれとばかりに首をふり、キュゥべえはつづける。

キュゥべえ「事態打開の希望はライドウだけだったけど、消耗が激しく、悪魔の召喚は困難みたいだね。
 あとはワルプルギスの夜が去るまで、マミとほむらの魔力が持つよう祈るしかないね」

ゴウト「使い魔からマグネタイトが奪えればいいのだが……」

 魔力吸収装置を止めた影響か、前の周ではマグネタイトを放出しなかった使い魔が、多少はマグネタイトを放出するようになった。
 だが、その量は極僅か。相当数の使い魔を倒さねばまともに動ける状態にはならないだろう。
 ワルプルギスの夜の足止めで急速に魔力を消耗し、大量のグリーフシードを使っているほむら達の魔力がそれまで持つとは思えなかった。

 とはいえ、ここで諦める訳にもいかない。陰陽葛葉を満足に振るう握力は無いが、拳銃で戦うことは出来そうである。
 ライドウの回復が間に合わないにしても、使い魔の数を減らせは杏子の負担とそれによるグリーフシードの消耗も減るはずである。
 さらには、微力ながら援軍があれば、魔法少女達の精神によい影響があり、絶望を遠ざけることが出来るかも知れない。
 ライドウは、ゴウトと頷き合い、船上を駆け出した。



 数体の使い魔を、拳銃で倒した頃には、杏子がライドウの参戦と、意図を悟ったようで、消耗を抑えるような戦い方へと変化した。
 当然ライドウの相手をする使い魔が増える。拳銃を握る手の震えは未だに取れず、回避行動にも普段のキレがないが、十分に戦える。
 命中率の低さは弾数で補い、回避のぎこちなさは今まで無数に潜ってきた一対多の戦闘の経験で培った勘で補う。
 老獪さに欠ける使い魔の相手ならば、今のライドウでも十分に可能であった。
 
 肉体の疲労は徐々に蓄積するが、それよりもマグネタイトの吸収による身体感覚の回復の恩恵の方が大きい。
 使い魔を倒す度にライドウは戦闘能力を回復していった。

 ほむら、マミの砲撃の頻度が落ち、ワルプルギスの夜との距離がだんだん近くなり、見上げるような位置に来た頃。
 数え切れないほどの使い魔を倒し、ようやく陰陽葛葉を満足に振るえるまでに回復したライドウの足元でゴウトが呟いた。

ゴウト「ム、ライドウよ、気を付けろ。周囲の様子がおかしい」


 ゴウトの助言に周囲を見渡す。
 元々、ワルプルギスの夜がつれてきた嵐により周囲が霞んでいた為に気付くのが遅れたが、僅かに赤みを帯びた霧のようなものが満ちている。

ゴウト「この霧、妖気のようなもので構成されているようだが……」

キュゥべえ「大変だよ、ほむら、マミ、杏子。この霧は絶望そのものだ。
 ソウルジェムに触れれば穢れるし、グリーフシードに触れれば下手すれば魔女が孵りかねない。
 触れてはいけない」

マミ「そんなこと言ったって、霧なんてどうやって防げば……」

ほむら「さっきから消耗が激しいと思えば。疲労が原因かと思っていたけど」

杏子「おい、グリーフシードがヤベェ。キュゥべえ処分を頼む!」

 言われそういわれたが、キュゥべえは動かない。

キュゥべえ「ダメだ、間に合わない。罅の入ったグリーフシードは投げ捨てるんだ。一旦こっちに集まった方がいい」

 キュゥべえの言葉に魔法少女は、グリーフシードを洋上に投げ捨てる。
 わずかな時間で着水するはずのそれらは、固いものがひび割れるような小さな音を立てて空中に止まった。
 どういう原理か、高速で航行する船と相対的に静止したグリーフシードは数秒後に魔女へと変貌した。
 ほむらの投げたグリーフシードからは前の時間軸で手合わせした人魚の魔女が。
 マミの投げたグリーフシードからは小さな人形のような、黄色と緑におめかしした魔女が。
 杏子の投げたグリーフシードからは白馬に乗った大陸風の服装をした、その雰囲気から大陸の京劇に出演する武旦の印象をうける魔女が。
 孵化した三体の魔女は、結界も張らずに船上を見回している。

 その間にも、残りのグリーフシードは周囲に漂う絶望を吸いつづけるが、三人はキュゥべえの下に一足とびに集まり、その背中の穴に押し込むことで孵化を防いだ。

杏子「チッ、始めてみる魔女だな。せめて結界でも張ってくれれば逃げ込めたかも知れないのによ」

キュゥべえ「今のこの空間は魔女の結界以上に絶望が漂っている、言わば異界だ。
 詳細はわからないけど、魔女たちが結界を張らないのはその辺が影響しているんだろう」

マミ「見たことのない魔女だけど……あの小さいのは、初めて会った気がしないわね。妙に嫌悪感を覚えるわ」

杏子「あたしはあの馬に乗ってる方が気に入らないな。見てるだけでイライラしてくる」

ほむら「……そうでしょうね」

杏子「あの人魚の魔女はさやかだとして、残りの二つはほむらの持ってたグリーフシードだろ? 何か知ってるのか?」

ほむら「聞かない方がいいわ」

 魔女たちは周囲の異常な様子に戸惑っているのか、ただただ周囲の様子を確認している。
 魔法少女達はそんな無防備な魔女を眺めながらも手を出さずに会話をしていた。
 普段の三人ならば、先手必勝と魔女に攻撃を仕掛けるのであろうが、三人のソウルジェムには穢れが溜まり、もはや僅かな魔力しか残されていない。手を出す余裕がないのだろう。
 ほむらは重火器を用いれば、魔力を消費せずに戦える筈だが、高火力の兵器は下手に使えば船を壊しかねず、低火力の兵器では魔女三体を同時に相手取るには不足であるのだろう。
 機関銃でワルプルギスの夜の使い魔を倒しながらも魔女には手を出せていない。
 時間を止めれば、機関銃を用いて瞬時に使い魔を掃討し、魔女を攻撃できるはずだが、それをしないのは魔力の不足が原因だろう。
 見ている間にも周囲に漂う絶望に魔力を奪われ、動きが悪くなっていく。
 杏子とマミは蹲り肩で息をするのみ。状況は悪化の一途である。

 ライドウが魔女の相手を出来ればよいのだが、ほむらとマミの砲撃が止んだことで、ワルプルギスの夜が距離を詰めてきており、使い魔の数が増えてきているために手が放せなくなっている。
 いまだ仲魔を使役できるほどのマグネタイトは溜まっておらず、この場を離れれば操舵室の鳴海が使い魔に襲われかねない。
 そうなれば船は止まり、一巻の終わりである。

 ライドウ達から少し離れた位置、魔法少女達の足元にいるキュゥべえに、ゴウトが問いかける。

ゴウト「この霧を何とかしなければ、どうにもならぬ。霧の正体について、うぬの方で何かわからぬか?」

キュゥべえ「さっきも言った通り絶望そのものだよ。
 魔女は絶望という感情を魔力として使用しているんだ。
 ワルプルギスの夜が魔法が魔法を使う際に漏れているのか、魔法が効果を失った際に絶望に還元されているのか、詳細は解らないけど彼女から発生しているもののようだ。
 加えていうなら彼女はそれを吸収して再利用しているようにも見える。
 過去に観測された記録がないのは……魔力吸収装置の影響だろうね。
 今までは撒き散らした魔力を装置で吸収していたため、影響の出るような濃度にならなかったんだと思うよ」

ゴウト「装置を再び動かす訳にはいかぬのか」

キュゥべえ「一応、その準備は始めたところだけどね。
 順調に行けばあと三時間程度で起動できるはずだ」

ゴウト「まったく役にたたんではないか!
 何か他に手はないのか! このままでは不味い。
 我らはおろか、ほむらまでもが命を落としかねん」

 ゴウトのいう通り、このままでは不味い。
 状況はほぼ詰みである。魔法少女は魔力回復の術を奪われ、魔力自体もじわじわと失っていく。
 自分も仲魔を召喚し使役するほどのマグネタイトは回復していない。
 相手はほぼ無傷で、しかも周囲の膨大な魔力……絶望を活力としている。
 更には、新たに三体の魔女が生まれてしまった。
 事此処に至って逆転の手立てなどあるだろうか。


 周囲に漂う絶望、負の感情がワルプルギスの夜の接近に伴い、濃度を増す。
 霧のような見た目から粒子の大きさがまし、赤い色がより濃さを増していく。
 無数の使い魔を倒しながらも知恵を絞り続け、ライドウはひとつの賭けに思い至った。

 ライドウにまとわりつく複数の使い魔を羅刹龍転切りで散らし、生じた一瞬の隙を付いて懐の封魔管に手を伸ばす。

ゴウト「馬鹿な! ライドウよ、気でも違ったか!
 確かに其奴は強大な戦力になるが、今のうぬのマグネタイト保有量では、贔屓目に見ても召喚はできぬ!
 成功したとしても数秒も保てずに再び身動きすら取れぬほどに消耗するぞ!」

 ゴウトの言う通り、この仲魔は召喚にも維持にもマグネタイトを膨大に消費する。
 今のライドウが持つマグネタイトの量では倒れるほど絞り尽くしても本来ならば召喚すらできまい。
 ましてや、召喚した仲魔を維持をするマグネタイトの余裕などライドウにはない。
 だが、ライドウには弱々しく不確かながらも、勝機が見えていた。

 封魔管から溢れる弱弱しい緑の輝きが周囲の絶望に飲み込まれ徐々に赤く染まる。
 とうとう緑の色味が完全に消え失せた直後、半径数メートルの範囲の赤く輝く絶望が一点に集まった。
 その地点にはいつの間にか一人の少年が現れていた。
 少年は表情こそ人のそれに近いが、顔も含め体中に黒線と青緑に輝く線が幾筋も走っており、首の後には大きな角が生えている。
 赤く輝く絶望は少年に吸い込まれるように消えていった。
 彼こそがライドウの最後の切り札にして最強の仲魔、混沌王 人修羅であった。
 とはいえ、人修羅には人修羅の使命がある。召喚されたのは彼本人ではなくその分霊である。
 
 ライドウが空間に展開したマグネタイトの量と密度は、本来ならば人修羅を召喚することなど到底かなわないものであった。
 しかし、人修羅は……人修羅をはじめとしたボルテクス界という世界に住まう悪魔はマガツヒを活力とすることが出来る。
 マガツヒとは、意識存在の持つ精神エネルギーで、特に苦しみによって生じるものをいう。
 この世界で魔女が活力とする、魔女が撒き散らす絶望と性質が近しい。
 ライドウは、この周囲に満ちた絶望を逆に利用して人修羅を召喚することを思いつき、その可能性に賭けたのだ。
 そしてライドウはその賭けに勝った。現に人修羅は周囲の絶望を糧に召喚された。
 さらに人修羅はライドウからのマグネタイトの供給を一切受けず、周囲の絶望を食らうことで自らを維持しつつも仲魔を召喚している。
 ワルプルギスの夜のまき散らす絶望と、ボルテクス界で言うマガツヒは同一の性質のものであったといえる。
 周囲に満ちていた絶望の霧は見る間にその密度を下げていき、今や目を凝らさねばその存在に気が付かないほどになっていた。


 召喚にマグネタイトを使い果たし、膝をつくライドウに、人修羅の仲魔、剃髪した女性の姿をしたディースが手をさしのべる。
 気力を振り絞り、その手を掴むと、そこから大量のマグネタイトが流れ込んできた。
 ディースの魔力を分け与える魔法により、徐々にライドウの体に活力がみなぎる。
 本来ならば消耗の激しく、使いどころの難しいこの魔法。
 しかしこの状況に限っては、周囲に漂う濃厚な絶望、即ちマガツヒを吸収することで無限にマグネタイトを精製する魔法となっていた。

 ふと周囲に目をやると、ディースと同時に人修羅によって召喚された巨大な蠅の姿をした悪魔、ベルゼブブが使い魔相手に八面六臂の活躍を見せていた。
 時に鉄のような鉤爪をふるい、時に雲霞の如き赤い蠅の群れを操り、時に無数の稲妻を呼び出し、快刀乱麻を断つが如く使い魔を殲滅する。

 魔法少女たちに目をやると、巨大な蛇を巻き付けた女性の姿の悪魔、リリスがもはや死に体で甲板に伏せた魔法少女たちに手をかざしている。
 それに呼応するかの如く三人のソウルジェムから青い光が溢れてリリスに吸収されていった。
 どうやら、ソウルジェムの穢れをマガツヒ、魔力として吸収しているらしい。
 三人のソウルジェムが徐々に輝きを取り戻していくのがライドウの位置からもはっきりと見えた。

マミ「穢れが……消えていく」

杏子「ライドウのやつ、人が悪いぜ。こんな切り札があるなら、もっと早く出しやがれってんだ」

ほむら「信じられない。私たちを悩ませ続けてきたソウルジェムの穢れがこんなに簡単に……でも、これなら行けるわ!」

 ほむらは叫ぶとその姿を消し、同時に無数の爆発が同時に人魚の魔女を包んだ。
 断末魔の悲鳴を上げる暇もなく、人魚魔女は消え去った。
 数分前まで船上に漂っていた絶望的な雰囲気は最早完全に払拭された。
 ライドウ達の戦力を奪い、敗色を強めていた周囲を漂う絶望の霧が、一転して潤沢な魔力源となったのだ。

 先程まで数えきれないほど居たワルプルギスの夜の使い魔も、ベルゼブブの活躍で最早皆無。
 ワルプルギスの夜が新たに使い魔を呼び出すも、直後に無数の蠅の葬列に飲み込まれ消えていく。
 ワルプルギスの夜本体も、ベルゼブブの呼び出す稲妻に打たれ、その速度を緩めていた。
 ベルゼブブがいかな強力な仲魔であったとしても、単純な実力を比較すればワルプルギスの夜には及ばない。
 しかし、マガツヒをほぼ無尽蔵に利用できる環境で、勝利ではなく相手の消耗を狙った戦法をとっているベルゼブブは格上のワルプルギスの夜相手に有利に戦いを進めていた。
 徐々に、確実に船とワルプルギスの夜の距離は開いている。

ほむら「あと二体の魔女も仕留めるわ」

杏子「待ってくれ、ほむら」

 杏子の声に再び魔法少女たちをみれば、杏子とマミがほむらの肩を押さえていた。

杏子「すまないが、あの馬に乗った魔女はあたしにやらせてほしい。
 あんたが仕留めた方が時間がかからないのはわかるが、どうしてもあいつはあたしの手で倒したいんだ」

マミ「本来ならば貴女の魔法で文字通り時間をかけずに魔女を片付けて、私はワルプルギスの夜の対処に当たるのが正しいんでしょうけど……
 私も佐倉さんと同じ気持ちなの、暁美さん。あの小さい魔女は私が相手をしたい」

ほむら「貴女たち……あの魔女の正体に気付いているの?」

杏子「見当はついている」

マミ「証拠は無くとも確信しているわ。
 あのグリーフシードは暁美さんからもらったものだしね」

 ほむらは二人の目を交互に見つめながら一瞬の逡巡を見せる。
 その迷いを破ったのは音もなく彼女に歩みよったゴウトであった。

ゴウト「ほむらよ、よいのではないか? おそらくあの魔女は二人に浅からぬ因縁があるのだろう?
 ワルプルギスの夜の足止めはライドウの仲魔の仲魔、ベルゼブブがこなしているし、船上に最早ワルプルギスの夜の使い魔は居らぬ。
 更にはもうそろそろライドウも万全に回復するはずだ。二人の要望を呑む程度の余裕は生まれているはずだ」

ほむら「……そうね。わかった。あの魔女たちは貴女たちに任せるわ。
 ただし、絶対に負けないで」

マミ「負けそうになる? 私が?
 他の魔女ならいざ知らず、心が折れてしまった自分自身になど断じて私は負けないわ」

杏子「ま、せいぜい船を壊さないよう気をつけて戦ってくるさ」

 言うと二人の魔法少女は魔女へと向かっていった。
 右往左往していた魔女は、二人の姿を認めると臨戦態勢に入ったようだ。
 武旦の魔女はその姿を複数に増やし、おめかしの魔女は使い魔を呼び出すとその姿を消した。






 彼女らの戦闘が始まった頃、ようやくライドウのマグネタイトが完全に回復した。
 すでにリリスもストックに戻していた人修羅は、ディースもストックに戻す。
 入れ替わりに翅の生えた小さな女性の姿をした仲魔、ピクシー。そして眩い輝きを放つ仲魔、アマテラスを召喚した。
 
 それに一拍遅れて、ライドウは木の根の冠と七支刀を身に着けた仲魔、スサノオを召喚する。

スサノヲ「げぇ、姉ちゃんがまた男装している」

アマテラス「げぇ、とは何事ですか。戦に挑むにはこの装束の方が都合が良いのです。
 大体私がこの装いをする切っ掛けは貴方なのですよ」

スサノヲ「姉ちゃんの勘違いじゃねえか……まあ、姉ちゃんは何を着ても似合うけどよ」

 悪魔たちは互いに親しげに語らっている。
 ライドウは仲魔を放置し、ゴウトとほむらに近づいた。
 こちらに気づき、振り返ったゴウトの視線が一瞬だけライドウを捉える。

ゴウト「フム、どうやらライドウも万全な状態に回復したようだ。
 ではほむらよ、我らもそろそろ往くとするか」

ほむら「そうね、千載一遇のチャンスよ」

ゴウト「ワルプルギスの夜はベルゼブブの相手に集中し此方に注意を払っていない。
 うぬもライドウも人修羅も万全の体調で、魔力も無制限に使える。
 時間をかけて準備して最高の一撃を不意打ちで叩き込むのだ」

ほむら「今日こそ、ワルプルギスの夜を……
 決着をつけてやる!」






 船尾に移動したライドウ達の目に映ったのは視界一杯に広がる嵐の海と、数百メートル程後方で暴れるベルゼブブと更に百メートル後方に巨体を晒すワルプルギスの夜であった。
 ライドウ、人修羅、ほむらは互いに無言のまま攻撃準備に入る。
 人修羅は気合いを貯め始め、ほむらは弓を構え魔力を練り始めた。
 ピクシーは「マカカジャマカカジャ~♪」と歌いながら補助魔法を重ね掛けしている。
 その度にほむらの弓の輝きと、遠方でベルゼブブが呼び出す稲妻の規模、そして蠅の群れの密度が増していく。
 スサノヲは攻撃力増強の補助魔法を重ねながらも雄叫びをあげた。ライドウは戦意が鼓舞され、陰陽葛葉を握る力が自然と増すのををじた。
 アマテラスの唱える補助魔法は、ワルプルギスの夜から攻撃の威力、精度を目に見えて削いでいる。確認はできないが、防御力も同様に低下しているはずであった。

 そんな仲魔たちを横目に、ライドウは冷静にワルプルギスの夜と嵐の海を観察していた。
 この中でライドウとスサノヲだけが、船からワルプルギスの夜に届く攻撃手段を持っていない。この距離を縮める道を模索しているのだ。

 ようやく、その算段がついたときには他の全員の準備が整っているようだった。
 ライドウは、スサノヲを管に戻し、入れ替わりにモー・ショボーを呼び出した。

 ゴウト、人修羅、ほむらに視線を送り小さく頷くと、ライドウはモー・ショボーの能力で風に乗った。
 それぞれ出鱈目な方向に吹き荒れる風の通り道を乗り継ぐ。

 アマテラスの破魔属性魔法により生じた桃色に輝く神の光がワルプルギスの夜を打ちすえるのを横目に風を乗り換える。
 ピクシーの万能属性魔法による猛烈な大爆発に煽られながらも風を乗り換える。
 ベルゼブブの呼び出す赤い蠅の群れの羽音を耳に風を乗り換える。

 十回ほど風を渡ると、ワルプルギスの夜の上空にたどり着いた。
 ワルプルギスの夜が業火を吹いて迎撃しようとするが、直ちにモー・ショボーを管に戻し、べリアルを召喚して盾にすることで無傷で防ぐ。
 さらにもう一撃、今度は触手を振るいライドウを打ち落とそうとするワルプルギスの夜であったが、それも叶わない。
 彼方に見える船の上に立つ人修羅が放った、至高の威力を誇る魔弾が飛来しワルプルギスの夜の触手と胸を貫いたのだ。
 触手は瞬時に霧散し、ライドウには届かない。
 ワルプルギスの夜の胸に空いた、巨体に比して限りなく小さな貫通創から無数のヒビが全身へと広がった。

 その間ライドウはと言うと、重力に身を任せ落下していた。
 頭上で羽ばたくべリアルから多量のマグネタイトがライドウに流れ込むのを感じる。
 自由落下の勢いもそのままに、陰陽葛葉がワルプルギスの夜の脳天を貫いた。

 その刹那、その切っ先から真下の荒れ狂う海原まで薄紫の光の柱が貫いた。
 水面にはその柱を中心に幾筋かの光が這い巨大な魔方陣を描き出す。
 魔方陣を構成する複雑な光の線は瞬く間に光度を増し、まばゆく輝き光の粒子すら放つ。
 放たれた粒子は高く舞い、ワルプルギスの夜を包み込んだ。
 あまりの光量に前後左右上下全方位、光の線と粒子以外が漆黒に見え、魔法陣から放たれる光の粒子が星に見える。
 さながら宇宙空間にいるかのようであった。
 これこそが、ライドウの最後の切り札、天命滅門である。
 仲魔のマグネタイトはおろか精神力すら借り受けて、攻撃力に転換する万能の一撃。
 魔方陣上の一切の敵対者を悉く屠る必殺の一撃である。

 輝きが収まったとき、ワルプルギスの夜の体は、巨大な歯車を残し崩壊を始めていた。
 崩れ行くワルプルギスの夜の頭から落下しながら、べリアルを管に戻し、再びモー・ショボーを召喚する。
 手近な風を乗りつぎ、船に戻る途中にライドウが見たのは、ほむらの放つ桃色の魔力の矢であった。
 振り返ると、歯車の中心を穿たれ、先ほどの天命滅門にも劣らぬ輝きの中でワルプルギスの夜の姿が崩れ落ちるように消え去っていった。






 ライドウが甲板に戻ったときには、すでにすべてが終わっていた。
 全力の一撃に精根尽き果てたほむらに両側から肩を貸すのは、武旦の魔女とおめかしの魔女を打ち破った杏子とマミであった。
 すでにベルゼブブ、ピクシー、アマテラスは人修羅のストックに戻され、代わりに召喚されたリリスが魔法少女たちのソウルジェムから穢れをマガツヒとして吸い取っている。
 やがてほむらが回復し、リリスがストックに戻るのを確認したライドウは、人修羅とモー・ショボーを礼を述べ、二体の仲魔を封魔管に戻す。
 先ほどまで厚い雲に覆われていた空には青空が広がり、あれほど荒れ狂っていた海はすっかり凪いでいた。

ほむら「やったのかしら?」

 ほむらの呟きに返したのは、人修羅を召喚したあたりから姿が見えなくなったキュウべえであった。

キュゥべえ「やったね、ほむら。ワルプルギスの夜は間違いなく消滅したよ。誇るべき快挙だ」 

ゴウト「うぉ、キュゥべえよ、脅かすな。途中から姿が見えなかったが……」

杏子「死んだか海に落ちたかと思ってたぜ」

キュゥべえ「辛辣だね。ライドウとその仲魔が興味深い現象を起こしていたからね。観測に徹していたのさ」

ほむら「それで、本当にワルプルギスの夜は死んだのね?」

キュゥべえ「ぼくが嘘を吐かないのは知っているだろう? 嘘を吐く意味もないしね。
 僕らの観測技術を総動員しても、ほむらの一撃以降その気配すら掴めない。
 こんなことは彼女が生まれてから一度もなかったよ。結論を言えばワルプルギスの夜は完全に消滅したとしか考えられないね」

マミ「グリーフシードを落としたりはしてないのかしら? あんなのがまた生まれたら大変だわ」

キュゥべえ「安心してほしい。グリーフシードも見られなかった。
 ワルプルギスの夜は使い魔から魔女に成長することが無いから、彼女が再び現れるなんてことは考えられないよ」

ほむら「じゃあ……本当に終わったのね」

 そう呟いたほむらの両目から大粒の涙が零れる。
 踞るほむらの姿を見ないよう、学帽を目深にかぶり直し、ライドウはゴウトと共に、鳴海の居る操舵室へと向かった。






鳴海「終わったみたいだな。さっきの光と、この青空。そういうことなんだろ?
 何よりライドウの表情を見ればわかるぜ。
 大変だったみたいだな。お疲れさま、ライドウ」

 ライドウは操舵室の壁に背中を預け、小さく頷いた。

鳴海「さあ、あとは帰るだけだぜ。三滝原に、そして大正20年の帝都にな。
 あー、帰れると思ったら猛烈に多原屋のハヤシライスが食いたくなってきた。
 帰ったら一緒に食べに行こうぜ。ライドウ」

 鳴海は上機嫌に舵をとっている。
 死闘の直後にあまりに呑気な鳴海に肩の力が抜け、ライドウは深く嘆息するのだった。




第七章 決戦、葛葉ライドウ対超弩級魔女 完


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 大正二十年帝都。築土町の銀楼閣というビルヂンクの一角に構えられた鳴海探偵社。
 その社長席に、約半日ぶりにその主、鳴海昌平が座っている。
 もっともそれは椅子の視点での経過時間である。
 椅子の主である鳴海の主観では七か月ぶりのこと。彼は懐かしささえ覚えていた。

 魔法少女たちに別れを告げ、天津金の秘術によりアカラナ回廊を渡って辿り着いたのは、ライドウがほむらたちの世界へ旅立った僅かに数分後の時点の丑込め返り橋であった。
 凪はまだソファで寝息を立てている。

鳴海「いやぁ、またこうしてこの椅子に座れるのは嬉しいね。
 凪ちゃんが寝てるから言うけど、一時は帰るのを諦めちゃってたよ」

 鳴海は背もたれをキイキイ鳴らしながら朗らかな表情を浮かべている。

鳴海「改めて助かったよ。ありがとうな、ライドウ」

 真っ直ぐこちらを見つめる鳴海にライドウは頷いて返した。

鳴海「しかし、魔法少女か。キュゥべえのかつての所業は許しがたい。
 だけど、一方でキュゥべえ達の立場も、視点を変えればわからないでもないんだ」

 鳴海は椅子を十分に堪能したのか、今度は窓に手をかけ、景色を眺めながら言葉を続ける。

鳴海「彼らは彼らの種族の繁栄のため、宇宙の寿命をのばすために動いていたんだろう?
 その為に人類、特に年端もいかない少女たちを虐げることになった。
 でも、これって立場を変えれば、俺たち人だってやってることだと思うんだ」

 鳴海は小さく嘆息し、続ける。

鳴海「食うために餌で騙して魚を釣る。
 魚を騙す餌にするために虫を捕らえて生きたまま針を刺す。
 牛馬を労働力として飼育し、使えなくなれば食うために殺す。
 ネズミや害虫に毒餌を食わせて殺す。
 他にもやっていることはいくらでもある」

 鳴海はライドウの反応をうかがうように一瞬だけ此方を振り向き、再び景色に目を向けた。

鳴海「勿論、『これらは悪いことだ』なんて言っている訳じゃない。
 俺もその恩恵を受けているしな。
 でも、こう考えてみるとキュゥべえのやっていたことって人のやっていることってあまり差が無いように俺には思えるんだ。
 人が虐げられる側にいるか、虐げる側にいるか。それしか違いがない」

 鳴海の表情は見えない。どんな表情を浮かべているのか。

鳴海「勿論俺は人だから、キュゥべえの所業は許せないし、さっき挙げた人の所業も必要なことだと感じているよ。
 それでもキュゥべえと俺達の所業に差はない。
 そこに善悪は立場によって異なるって事を改めて痛感したよ」

ゴウト「……その立場による善悪の差、双方の利害を交渉により擦り合わせることも我々悪魔召喚師の仕事の一貫だ。
 ライドウよ、異世界でのうぬの手腕、改めて誉めてやる。うぬの様な後進をもてて……」

鳴海「あっ!」

 ゴウトの言葉をさえぎり鳴海が叫ぶ。もっとも、ゴウトの声が聞こえない以上、鳴海にはその自覚は無いのであろうが。

鳴海「ライドウ、多原屋のハヤシライス、食べに行こうぜ!
 今すぐ! 裏口から出て!」


 ライドウは時計を見たが、昼食には遅いし夕食には早い。そもそも飲食店が開いているかも疑わしい時間であった。
 鳴海は慌てて出掛ける準備をしている。

ゴウト「鳴海のやつ、どうしたというのだ?」

 鳴海の突然の行動を訝しんでいると、大きな足音と共に事務所の入口が開く。
 そこには息を切らせた金王屋の主人が立っていた。

金王屋の主人「ククク、小僧、よくやった。無事に鳴海ィの奴を見つけたようだな。
 小僧に頼んで正解だったわいィ、仕事が早いのゥ。
 さて鳴海ィ、ツケも払わん内に連絡もなく失踪されちゃあかなわん。
 また失踪しない内に耳ィ揃えて精算してくれィ」

鳴海「あの……清算はもう少し待ってもらいたいんですが……持ち合わせが……」

 更に廊下からは足音が聴こえてくる。

風間刑事「よぉ、御両人。鳴海ちゃんの目撃情報があったから来てみたが、無事に見つかったみたいで良かったじゃないの、ライドウちゃん。
 ところでどうせヒマなんだろ? ひとつ頼まれてほしいのよ。鳴海探偵社様の腕を見込んで……」

鳴海「……どうせまた『善意のご協力』なんでしょ? とどのつまりがタダ働き……」

風間刑事「世知辛いねぇ、鳴海ちゃん。
 でもね、鳴海ちゃんのの捜索に人手を割いていたせいで、手が回っていない仕事があるんだよ」

 再び事務所の入口が開く。

タヱ「ちょっと鳴海さん! いったい何処に行っていたのよ。
 ライドウ君がどれだけ心配していたか……」

鳴海「いやね、タヱちゃん。心配かけたのは悪かったけど俺にも事情が……」

竜宮の女将「鳴海さん、ライドウちゃんに苦労かけるんじゃないよ。
 仮にも社長だろう? しゃんとしな!
 ところで料亭のツケ、結構な額になってるけどここらで一括払ってもらえないかね」

 複数人に詰め寄られた鳴海は、なんとか皆をなだめながらライドウへ寄ってきた。

鳴海「やれやれ、あっちの世界じゃあ金には困らなかったんだけどなぁ。
 ……あれ、ひょっとしてあっちの世界の技術書の数冊も持ってくればかなりの金額になったんじゃあ。
 ……なぁライドウ。ほむらちゃんたち元気かな。彼女たちが気にならないか?
 またあっちの世界に行けないか? ちょっとの時間でいいんだけど」

 ライドウは小声で泣き言のように耳打ちする鳴海を無視して、ゴウトと共に事務所を出た。
 事務所の扉越しに喧騒が聴こえてくる。

金王屋の主人「鳴海ィ。早く金を出せィ」

タヱ「ちょっと、鳴海さん。聞いてるの?」

凪「……ぅん。自分は……? そうだ、鳴海さん!
 良かった無事に戻ったプロセスですね。本当にソーリー申し上げます」

タヱ「凪ちゃん!? 服がボロボロじゃないの……」

 やがて喧騒が聞こえなくなり、屋上にで一息ついたこれ、鳴海の叫びが響く。

鳴海「ライドウ、助けてくれよー!」

 ライドウは自業自得と言う言葉を胸に無視を決め込んだ。

置き忘れ。

過去作
葛葉ライドウ対地獄少女
葛葉ライドウ対地獄少女 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1411819026/)
いくつかのサイトさんに、まとめてもらっているようです。

>86-92
ありがとうございます。

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